強制連行、慰安婦など/問題の適切な解決日本政府に求める/中国外務省報道官
「つくる会」前副会長を教育委員に/埼玉/住民の反対敵視し強行/上田知事の異様な態度
「慰安婦」訴訟/原告の訴えを棄却/東京高裁/加害の事実は認める
太平洋戦争開始の12・8侵略戦争を考える/消せない記憶/日本軍「慰安婦」の証言/青年が各地で集い
教基法の改悪推進/埼玉知事が教育委員に就任要請/高橋史朗氏の「見識」
常任理になりたいならまず侵略戦争反省を/韓国国会議員、団体が会見
時の音/評論家大塚英志/皇室敬語とメディア/度がすぎた氾濫の陰で見えなくなる「歴史」
教育委員に「つくる会」前副会長/相次ぐタカ派発言/上田知事が起用へ/埼玉県
臨時国会報告/9条守るが最大の国際貢献/埼玉・戸田/吉川参院議員が訴え
従軍慰安婦被害者に謝罪/細田官房長官「心から反省し、おわび」
中山文科相発言に抗議/各団体・労組
教科書ネット談話/文科相の辞任要求
歴史的事実に目ふさぐな/衆院文科委で石井議員/文科相暴言を批判
おはようニュース問答/文科相歴史教科書#ュ言/誤ってすむ話なの?
歴史教科書の批判発言を陳謝/中山文科相
韓国人元軍属、元「慰安婦」訴訟/最高裁、損害補償認めず
公然と侵略の史実否定/文科相発言で人民日報
文科相発言は許すことできない/歴史教科書問題/市田書記局長
「従軍慰安婦」「強制連行」/言葉減ってよかった/過去の歴史教科書を敵視/中山文科相
「慰安婦」歴史館建設へ/韓国国会決議/「正しい歴史教育を」
憲法調査会から/9条こそ国際協調/自、公、民改憲論に吉川議員
演芸散歩/稲田和浩(演芸作家)/岡本文弥の仕事受け継ぐ/宮之助、新内の幅広げる創作
現代日本女性史/フェミニズムを軸として/鹿野政直著/中絶禁止反対から従軍慰安婦まで
日本政府は謝罪して/韓国国会/元「慰安婦」が証言
ひとインタビュー/ドキュメンタリー映画監督海南友子さん/旧日本軍の遺棄兵器被害描く
日本軍に棄てられた少女たち/プラムディヤ・アナンタ・トゥール著山田道隆訳
日本常任理入り/北朝鮮が批判
千代田高校女子クラス/文化祭で慰安婦問題を考えた/加害者の歴史を知ってほしい
発言2004憲法/俳優日色ともゑさん/読むと背筋がすっと伸びます
黒柳徹子さんのコンゴ報告/内戦の犠牲になった少女たち
8月の果て/柳美里著/植民地支配の罪を問う生命の賛歌
毒ガス戦と日本軍/吉見義明著/貧しさと自軍兵士の被害軽視の姿勢
時の音/まんが原作者、評論家大塚英志/「歴史を語る」営み
9条守れ草の根から/平和の思いみんなに発信/大阪・堺180人にニュース、結び付き大切に
「慰安婦」問題/保護、賠償で指針を/国際人権活動日本委員会 国連人権委で訴え
慰安婦番組改ざん裁判/制作会社に賠償命令/東京地裁 NHKの責任認めず
元慰安婦が平和を訴え/ソウル
600回迎えた元「慰安婦」らの抗議/各国で連帯の行動
日本の植民地支配/占領協力の実態究明へ/韓国国会で特別法
「感動の10人」に尾山弁護士選ぶ/中国国営テレビ
日韓条約交渉の文書開示を命令/韓国行政裁
台湾の「元慰安婦」訴訟二審判決/被害者の訴え届かず/東京高裁
中国人・戦後補償裁判/戦争被害者の訴え 映像に/癒えぬ傷、心 伝えたい/映像クリエーター/高部優子さん
【北京=菊池敏也】中国外務省の劉建超報道官は二十八日の記者会見で、日本政府は中国人強制連行問題や慰安婦問題など日本の中国侵略戦争にかかわる戦後未解決の問題を責任をもって適切に解決するよう求めました。
劉報道官は、来年の第二次世界大戦終結六十周年に際して、「各国人民は災難の歴史を振り返り、そこから教訓をくみとるだろう」と指摘。中国人強制連行、七三一部隊による細菌戦、遺棄化学兵器、慰安婦など一連の問題は、「中国に対する侵略戦争で日本が犯した重大な犯罪行為を構成」しており、日本政府はこれらの問題を「適切に処理する責任がある」と表明しました。
( 2004年12月30日,「赤旗」) goto top
埼玉県の上田清司知事は二十日の県議会に、「新しい歴史教科書をつくる会」前副会長の高橋史朗・明星大教授(54)を県教育委員に選任する人事案を提出し、自民党と地方主権の会(民主党系)などの賛成多数で同意されました。侵略戦争美化や統一協会との密接な関係で批判を浴びている人物の教育委員起用に執念を見せた、民主党出身知事の異様なまでの態度が目立ちました。
埼玉県・林秀洋記者
高橋氏を県教育委員に起用する方針が明るみに出たのは今月六日。教職員組合や教育関連団体を中心に、直ちに反対運動が広がり、各地で集会やデモ行進などの行動が取り組まれました。選任に反対する知事あてのファクスや手紙も、二十一日朝までに二千二百六通にのぼりました。高橋氏起用に賛成する意見三百三十九通の六・五倍です。
通知に抵触
高橋氏の特異な政治的立場や言動は、教育委員が政党・政治団体の役員になったり積極的に政治運動することを禁じている「地方教育行政の組織と運営に関する法律」(地教行法)違反の疑いがあります。また、現行の「つくる会」編集教科書(扶桑社刊)の監修者という立場は、教科書の編著作者などを教科書選定や採択に関与させないとした県教育長通知に抵触するものです。
反対の世論の高まりを受けても上田知事は、高橋氏選任に固執しました。「感性教育や体験教育などの面で第一人者だ」と高橋氏を擁護する一方、「つくる会」副会長だったことは就任要請の時まで知らなかったと釈明しました。ところが、知事が衆院議員時代の二〇〇二年十月、自身が主催するセミナーで高橋氏を講師に招いた際、案内状で高橋氏を「つくる会」副会長と紹介していたことが発覚。この点を質問されると「(案内状は)事務所がやったこと。私は知らなかった」と言い訳しました。
190人が傍聴
選任への反対運動を敵視する発言も相次ぎました。「反対運動は知事の任命権を侵すものだ」と批判。二十一日の定例記者会見では「反対意見は、一定の団体から組織的に来ているものが多数だ」と決めつけています。
二十日の県議会で日本共産党は「県民の関心が集まっている」として、人事の場合は省略している委員会審議や質疑・討論を実施するよう議会運営委員会で主張しました。自民、公明、地方主権の会が反対したために質疑・討論抜きの採決が強行されたものの、五つある会派のうち日本共産党、公明党、民主党の三会派が選任に反対するという、人事案件としては異例な結果となりました。
採決の県議会には約百九十人がつめかけ、傍聴席がいっぱいになりました。上尾市からかけつけた元中学教師の大塚精子さん(73)は「高橋氏が選任されて、子どもたちに申し訳ない思い。しっかりと県教育委員会を見張りながら、地域から学習を深め、戦前の教育に戻すような策動を許さない運動を進めていきたい」と話しました。
高橋氏/教育基本法改悪狙う、統一協会と深い関係
埼玉県教育委員に選任された高橋史朗・明星大教授(54)は、「新しい歴史教科書をつくる会」結成に参加し、最近まで副会長をつとめてきたほか、右翼団体や教育基本法改正≠主張する団体で中心的な役割を担ってきました。霊感商法や集団結婚≠ナ問題になった統一協会とは、関連団体の講師を務めるなど関係が深い人物。
右翼団体関係では、改憲を主張している「日本会議」の関連団体「日本青年協議会」の創立に参加し、「日本教育研究所」では初代事務局長を務めました。
教育基本法改正≠かかげる「『日本の教育改革』有識者懇談会(民間教育臨調)」の運営委員長のほか、ジェンダーフリー教育反対の急先ぽうとしても知られ、副会長として参加した東京都荒川区の男女共同参画条例づくり懇談会では、働く女性の子育て支援を否定する持論を展開しました。
「新しい歴史教科書をつくる会」
日本の侵略戦争や「従軍慰安婦」問題などの教科書の記述が「自虐的・反日的」などと攻撃してきた学者らが一九九七年一月、「日本人としての誇りを取り戻す」教科書をつくるとして結成。戦争そのものの肯定や日本の植民地支配の正当化など、歴史の改ざん運動をすすめています。
( 2004年12月24日,「赤旗」) goto top
〈問い〉 最近「朝鮮人の強制連行はなかった」という論調が多く見られます。それを読むと、何十万人もの朝鮮人の強制連行という根拠はないのか、とも思えてきます。貴党はどう考えているのでしょう。(東京・一読者)
〈答え〉 朝鮮や台湾の人たちを強制連行し、従軍「慰安婦」にしたり、強制労働をさせたことは、1993年の河野洋平内閣官房長官談話で「募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあった」と、政府も公式に認め、「心からお詫びと反省」をし、「永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さない」と表明したことです。
自民党の政治家や右翼勢力はこれに危機感をもち、「新しい歴史教科書を作る会」などを作り、「従軍慰安婦」問題を記述した教科書への攻撃を強めました。先日の中山成彬文科相の歴史教科書についての「従軍慰安婦とか強制連行とかいった言葉が減ってきたのは本当によかった」との発言もこの動きの線上のものです。
強制連行・労働の規模は、戦前の政府資料から150万人とする試算、大蔵省が47年に出した「日本人の海外活動に関する歴史的調査」(朝鮮編)での72万4千人、「日韓条約」調印の過程で韓国側が示した66万7千人などの数字があります。
しかし政府は、調査をサボり、90年の日韓外相会談で、韓国側から強制連行者の名簿提出を依頼され初めて動き出すという状況でした。
日本共産党の吉岡吉典参院議員は、当時の参院内閣委員会で、政府の指示によって終戦当時、強制連行・労働にかかわる書類や給与の貯金通帳などの大部分を焼却したことへの謝罪や、名簿および強制連行のやり方や連行後の在日朝鮮人の苦難などの調査、を要求。男手のある家の寝込みを襲ったり、田畑で働いている最中にトラックを回して乗せ、日本の炭鉱へ送り込んだなど、朝鮮総督府関係者の著書を引用し、その実態を告発しています。(岡)
( 2004年12月23日,「赤旗」) goto top
【北京=小寺松雄】中国外務省の劉建超報道官は十六日の記者会見で、中国人「従軍慰安婦」の問題について「日本軍の重大な犯罪であり、日本は歴史に責任を負い、過去から残された問題に真剣に対処し、適切に処理すべきだ」と述べました。日本軍の「慰安婦」にされた中国人女性が日本政府に損害賠償を求めた裁判で、東京高裁が十五日に請求を棄却したことについての質問に答えたものです。
( 2004年12月17日,「赤旗」) goto top
戦時中、中国・山西省で日本軍による性暴力被害を受けた女性四人が、国に一人二千三百万円と謝罪広告を求めた中国人「慰安婦」損害賠償請求第一次訴訟の判決が十五日、東京高裁でありました。根本真裁判長は、原告の訴えを棄却。原告弁護団は「直ちに上告する」としています。
判決は、一審で認否しなかった加害の事実を認定。「日本軍構成員らによって、中国人女性(少女を含む)を強制的に拉致・連行」し、「慰安婦状態にする事件があった」と明確にしました。また、一九七二年の日中共同声明により「中国政府は損害賠償請求権を放棄した」とする国の主張に対し、「中国国民個人の賠償請求権を放棄したと解することはできない」として退けました。
しかし、戦前の公権力行使による被害について国は責任を負わないとする「国家無答責」の原則を適応。さらに、不法行為から二十年の経過により被害者の損害賠償請求権は消滅するという「除斥期間」の規定を用い、「請求権は消滅したと判断」。被害者の尊厳と被害の甚大さを無視した不当な判決となりました。
判決後、集会が開かれ、九五年八月の提訴以来たたかってきた原告の劉面換さん(78)は、「なぜ、日本の政府は罪を認め、謝らないのか。体が震えるくらい許せない。私は生きている限り、裁判を続けていく」。劉さんの震える言葉に支援者から大きな拍手が送られました。
弁護団は声明を発表。個人の賠償請求権は存在するとした司法判断を「日本政府は真摯(しんし)に受け止め、誠意ある謝罪を行い政治的解決をはかるべき」だとのべています。
( 2004年12月16日, 「赤旗」) goto top
日本で初めて開かれた社会フォーラム「京都社会フォーラム」は十二日、京都市左京区の京都大学で二十五のワークショップ(研究会)などを行い閉幕しました。大阪の大学に通う女子学生(20)が「平和や基地問題、貧富の格差などの問題が、グローバリゼーションという大きな経済支配につながることに驚いた」と感想を語るなど、参加した四百人は二日間にわたり、さまざまな問題を互いに学びあい、交流しました。
日朝協会京都府連は、韓国の変化や日韓関係、北朝鮮を含めた北東アジアの平和構築を考えるワークショップを企画しました。講師の「しんぶん赤旗」の面川誠・外信部記者が戦争は正義≠ニいう軍事独裁から対話・平和路線に転換し、現在の盧武鉉大統領のもとで民主改革勢力がはじめて権力を握ったことなど、市民の意識も含めた韓国の変化をリアルに述べました。
京商連と「匠民(たくみ)の会」は、地域経済を支える伝統産業の果たす役割を、展示や体験もまじえて企画し、京都市職員とともに行政支援について議論しました。
地球温暖化とクマ出没、従軍慰安婦問題、BSEなどの問題で、熱心な討論がおこなわれました。
( 2004年12月14日,「赤旗」) goto top
「放置とは歴史の忘却と否定に加担することと同じ」――太平洋戦争開始の日(12月8日)から63年。侵略戦争を隠し、なかったことにしようとする閣僚や与党政治家の発言が後を絶ちませんが、日本軍による戦時性暴力の被害者、いわゆる「慰安婦」の証言を聞く集会を開いた青年たちがいます。今田真人記者
集会は、韓国やフィリピン、台湾から被害女性を招き、「全国同時証言集会『消せない記憶』」と題して4日、全国10カ所で開かれました。韓国の元「慰安婦」が暮らす「ナヌムの家」を訪れた日本の学生らが中心になり、今年4月から準備してきました。
中山成彬文科相の「(歴史教科書から)従軍慰安婦とか強制連行とかいう言葉が減ってきてよかった」という発言に批判の声があがった東京・千代田区の法政大学で開かれた東京集会(実行委員会主催)には、210人が参加。フィリピンの「慰安婦」被害女性、ベアトリス・トゥアソンさん(74)の証言に聞き入りました。
トゥアソンさんは、1943年3月、フィリピンを侵略した日本軍に自宅から無理やり連行され、とめようとした母親は銃剣で刺殺されました。対日抵抗勢力に解放されるまでの約3カ月間、日本軍駐屯地で暴行され続けました。
「カギをかけられた部屋で、日本の兵隊たちに代わる代わるレイプされた。13歳の私にとってどんなに悪夢だったか。私のからだは痛み、ふとももを血が流れました」――目にハンカチを当てながら、懸命に話すトゥアソンさん。二重の通訳を介した話に若者でいっぱいの会場は、静まり返りました。
トゥアソンさんは最後に、日本の青年たちへのメッセージとして「未来の世代が二度と戦争の悲劇を経験しないように、反戦・平和の運動に立ち上がってほしい」と訴えました。
心に残った
インターネットで集会を知った女子学生(19)=東京・八王子市の大学で法律専攻=は「被害者の話を聞くのは初めて。使っていた教科書には、従軍慰安婦の記述がなかった。中山文科相の発言は間違っています。日本の過去の罪をもっと青年に知らせるべきです」。
法政大学の男子学生(19)=英文学専攻=は「私たち日本の青年はあまりに歴史について無知すぎます。知らなければ、歴史は繰り返す。そうさせないために、もっと勉強したい」といいます。
別の女子学生(19)=東京・豊島区在住=は「来てよかった。高齢なのに一生懸命証言してくれた被害女性の一言一言が、心に残りました。この集会で終わらせてはいけないと思いました」と話していました。
体が凍りついた/東京実行委員会代表、酒井美直(さかい・みな)さん(21)=桜美林大学の学生=
去年まで「慰安婦」のことをまったく知りませんでした。図書館で西野瑠美子さんの『従軍慰安婦のはなし』という本を読み、私の体は凍りつき、言葉を失いました。以来、学習会にも積極的に参加し、今年は2回、韓国の「ナヌムの家」に行き、被害女性たちと共同生活をしました。高齢の彼女たちのことを考えると、解決は急務です。
ところが、共産党や民主党、社民党が国会に共同提案している「解決促進法案」は何回も廃案になっています。
私たちはもっと政治的に行動しなくてはなりません。イラク戦争を支持する小泉さんを選んだのは、選挙権を持つ日本国民です。被害女性は日本で投票したくてもできません。私たち青年の一票の大切さと責任をもっと考えてほしい。
ナヌムの家訪ね/東京実行委員会メンバー、中條朝(なかじょう・はじめ)さん(21)=東京経済大学の学生=
私は、在日朝鮮人の知人に「君とぼくとの間には無視することのできない何かがある」といわれたことがきっかけで大学を休学し、昨年ごろから日本の侵略の跡を訪ねる旅に出ました。その中で、韓国の「ナヌムの家」に約2カ月間泊まり込み、トイレ掃除や食器洗いなどのボランティアをしました。
そのとき、帰国したら全国各地で同時に被害女性の証言集会をやればインパクトがある、と仲間と話し合ったのです。「ナヌムの家」を訪れた人たちによびかけて、準備しました。
被害女性の尊厳を奪ったのは、かつての大日本帝国です。その責任を法的に継承しているのは日本です。私たち日本人が「過去のことだから関係ないよ」と被害者に言って、通用するでしょうか。私たちの責任の大きさを感じています。
(2004年12月12日,「赤旗」) goto top
埼玉県の上田清司知事が「見識」を買って県教育委員への就任を要請した高橋史朗明星大教授は、侵略戦争美化の「新しい歴史教科書をつくる会」の活動だけでなく、教育基本法改悪推進や「日の丸」「君が代」押しつけなどの発言・行動を重ねています。
「日の丸」「君が代」の強制 「入学式、卒業式における国旗掲揚、国歌斉唱は学校の教育活動の一貫として行われるもの…教師は学習指導要領に拘束されており、教育委員会や校長の職務命令に従う職務上の責務を負っております…職務命令に違反した教職員に対してはこの規定によって懲戒処分を行うことができるのは当然のことであります」(一九九九年八月三日、参院「国旗・国歌に関する特別委員会」参考人意見陳述)
教育基本法の改悪 「新しい教育基本法のなかに盛り込んでいただきたい…『伝統の尊重と愛国心の育成』を明記することにより、『学習指導要領』の更なる改善を促し、教科書内容の刷新、教育現場の活性化へと連動させることが望まれます」(二〇〇〇年九月十八日、事務局長を務める「新しい教育基本法を求める会」提言)
教育委員会の否定 「教育委員会制度は、他の行政委員会同様、米国の占領政策の一環として我が国にもたらされたものであり、導入当初から誕生間もない地方自治の実情にそぐわないとの指摘が都道府県、市町村の自治体を中心になされ、今日に至っております…制度改革の第一案として教育委員会は全廃し、教育行政は首長部局が担う案、第二に教育委員会制度を存続する場合、都道府県教育委員会は残し、市区町村の教育行政の仕組みは都道府県と協議し定める案などを検討しております」(〇四年十月二十九日、運営委員長を務める「日本の教育改革」有識者懇談会の文科相要望書)
「大東亜戦争」肯定論 「『大東亜戦争』という言葉は(GHQ)指令によって抹殺されました…日本人が大東亜戦争という固有の価値観を持つことを封殺して、太平洋戦争という新しい歴史観を持つことを強要したということを意味しています。それは単に戦争の呼び名の書き換えだけではなくて、大東亜戦争の存在と意義の抹殺、一方的な侵略戦争史観に立脚した太平洋戦争史観の強制にほかなりません」(九五年、歴史・検討委員会編『大東亜戦争の総括』の「戦後五十年と占領政策」)
「従軍慰安婦の強制連行」否定 「裏付け調査を行っていない元慰安婦らの証言を根拠に…強制性を認める官房長官談話を発表したことは不当な暴挙といわざるをえない…『従軍慰安婦の強制連行』を示すような教科書記述は明らかに『歴史的事実』に反する」(九七年、新しい歴史教科書をつくる会編『新しい日本の歴史が始まる』の「破綻した『従軍慰安婦の強制連行』説」)
(2004年12月10日,「赤旗」) goto top
韓国の国会議員と市民団体代表者は八日、韓国国会内で共同記者会見し、「日本が国連安保理常任理事国になりたいなら、まず侵略戦争を徹底的に反省し、被害者に対する謝罪と賠償を実現しなければならない」と主張しました。
日本政府に対し、▽「慰安婦」をはじめ強制連行被害者の実態調査と謝罪と賠償▽靖国神社公式参拝の中断と韓国人合祀(ごうし)取り消し▽歴史教科書わい曲の中断―などを要求。韓国政府に対しては、「より積極的に問題解決に努力する」ことを求めました。
( 2004年12月09日, 「赤旗」) goto top
少し前、新聞社の発行する週刊誌に皇室についてのコメント取材に答えた後で送られてきたゲラを見ると、皇室の人々への敬称がすべて「様」になっていて、訂正するしないで一悶着あったことがある。ぼくが皇室の人々について、話しことばや書きことばで用いる呼称は、昭和天皇、今の天皇、美智子さん、浩宮、秋篠宮、サーヤ、雅子さん、紀子ちゃん、であって、何で雅子「さん」で、紀子「ちゃん」なのかと言われても困るけれど、これはついこの間までは他の人々にだってそう違和感のある語法ではなかったはずだし、第一、ジャーナリストの人たちの会話で「陛下」なんていう人だって実は今でも少ないように思う。電話取材した記者だって「雅子問題についてコメントをうかがいたい」と電話では呼び捨てだったのに、ゲラになると「様」がついてきて、いやだ、とぼくがいうとせめて「妃」をつけてくれと懇願してきた。
ぼくは象徴天皇制を「国民の多数」が「解消の立場で合意」するのをじっくり待つ日本共産党の立場に照らしあわせるなら、天皇制はやはり無いにこしたことはない、と考える一人だ。一方では国旗や君が代について「強制的であってはいけない」と言える今の天皇や、自分の奥さんのためにむきになることのできる浩宮を人としては嫌いではない。そしていずれの立場に立っても彼らに「様」をつけることには違和がある。
それにしてもメディアの中で人々が皇室についていささか過剰な敬語を使い出したと感じるのはぼくだけだろうか。昼間、時計替わりに仕事場のテレビをつけっぱなしにしていると、近頃、なんだか「敬語」が以前より多く耳に飛び込んでくる気がするのだ。一つにはやはり皇室関連のもので、例えば雅子さんなら「雅子妃」、愛子ちゃんはやっぱり「愛子ちゃん」でいい気もするが、「雅子様」「愛子様」と「様」を連発するだけでなく、丁寧語と尊敬語と謙譲語の区別がつかない敬語が乱発されている。
だが、敬語が増えた気がするのは皇室報道のせいばかりではないとも気づく。ぺ・ヨンジュンについてのニュースも「ヨン様」という呼称に引きずられてか、例えば「これがヨン様がお泊まりになられたホテルで」などとワイドショーのリポーターが皇族級の敬語をもって語っているのをよく耳にする。
写真集のキャンペーンに来た俳優の動向を敬語で伝えるメディアの度がさらに過ぎると、フジテレビのニュースがぺ・ヨンジュンの車にファンが殺到して負傷者が出たアクシデントについて解説委員が論じていた光景となるのだろうか。イラク戦争や北朝鮮問題にことのほか熱心なキャスターと解説委員が「ヨン様」について同じ口調で論じる姿の奇妙さをもはや誰も奇妙とは思わないのだろうか。
それにしても一体、この度が過ぎた敬語の氾濫は何を意味するのか。例えばそれが報道する側の皇室への尊敬の意が心から現れて、だとは到底思えない。度の過ぎた敬語で語られる雅子さんについての報道の中には、夫である浩宮がキレるのもわかるよな、というものも少なからずあり、サーヤの結婚報道でも必ず「持参金」の話が出るが、サーヤのことでなくとも誰かの「持参金」のことをとやかく言うのは失礼だという節度はそこにない。結局、この敬語は若い子がよく口にする「雰囲気」に基づくものなんだろうな、と思う。若い子たちの人間観ではその場の「雰囲気」を「読めない」ことはぼくが考える以上に否定的な評価となるようで、互いにその場の「雰囲気」の所在を探りあい、そこからズレたことを言わないように過度に神経質になっている印象がいつも彼らにはある。
皇族の人々やヨン様に過剰な敬語をもって報道してしまうのもメディアそのものが自分たちの作り出した「雰囲気」によって、さらに自分たちに敬語を強いているからだ。それがあの日本語としても正しくない敬語の意味するところなのだろうとは思う。
だが、「雰囲気」をただ「読む」ことによって語られる敬語は、結局、その向こうにある問題を回避することになる。戦後的な価値観が一挙に清算されかかっている今、過剰な敬語の向こうで見えなくなっているのは、国旗や国歌の強制を危惧し、妻が女性として自己実現を求めることを必死で理解しようとする、その意味で「戦後民主主義」に忠実であろうとする皇室の人々の言動なのは皮肉だ。人々が戦後的な価値を清算し、あるいは憲法を変えようとするなら、戦後社会が彼らに求めていた皇室像を根本的に修正することを彼らに求めることになる。けれども「世継ぎ」問題に口は出しても、「それでは天皇制を我々はどうするべきか」という問題には誰も踏み込まない。
同じように過度の敬語に「ヨン様」が包まれ、「韓流」がブームにはなるが、しかしこの国の大臣は「従軍慰安婦の記述が教科書からなくなってよかった」と語り、それが「信念だ」という強弁が通用する。日本と朝鮮半島の清算されない歴史を「韓流」ブームはあたかも無かったことにしている。
このように、雰囲気をただ「読む」ことで肥大していく「敬語」の向こうで、ぼくたちは「歴史」を「読む」ことがとうにできなくなっている。
月一回掲載。大塚英志、米谷ふみ子、鶴見俊輔の三氏が交代で執筆します。
( 2004年12月08日,「赤旗」) goto top
アジアの犠牲者2千万人
十二月八日は、一九四一年、日本が、ハワイの真珠湾攻撃と同時に東南アジア侵攻を開始、アジア太平洋戦争に突入した開戦の日です。来年は、その戦争が一九四五年、日本の敗北で終わった終戦六十年でもあります。「戦後六十年」を控えて小泉首相のたび重なる靖国神社参拝問題や憲法改悪の動き、イラクの自衛隊駐留延長問題など日本の侵略戦争の責任と反省を思い起こさせる動きが顕著です。日本のアジア侵略がもたらしたものはなんだったのか、戦後の日本の原点はどこにあったのか、あらためて考えました。
中国への全面的な侵略戦争を推し進めてきた天皇制政府は、四一年十二月八日、アジア・太平洋地域をさらに大きく巻き込む太平洋戦争に踏み出しました。日本はすでに台湾、朝鮮を植民地にし、中国・遼寧省瀋陽(当時、奉天)近郊で柳条湖事件(三一年)を起こし、中国東北部に「満州国」かいらい政権を樹立していました。こうした侵略行為に国際的批判が高まるなか、南方に新たな資源を求めたのでした。
アジア太平洋戦争は、日本軍のマレー半島東岸コタバル(当時、英領マラヤ)への奇襲・上陸で始まりました。ハワイ真珠湾攻撃より一時間以上前に東南アジアでは侵攻が始まっていたのです。
日本軍は、コタバルを皮切りに南下し、四二年二月十五日には、マレー半島先端のシンガポールを占領。シンガポールを「昭南島」と改名すると同時に、軍政を敷いたマレー半島の各地で中国系住民を対象に、「敵性華僑狩り」と称して無差別の虐殺を行いました。シンガポール島内だけで数万人の華僑が殺害されました。
日本軍は侵略先のフィリピン、インドネシアの各地で、捕虜の虐待や連行した人々の強制労働を行いました。「慰安婦」として動員された女性たちも多数に上りました。
フィリピンのマニラ湾西方のバターン半島では、投降した米兵とフィリピン人約七万五千人の捕虜を五日間にわたって炎天下で行進させました。捕虜たちは、十分な食料や水、休息も与えられないなか日本兵から追い立てられ、ばたばたと倒れ死んでいきました。その数、一万人。「死の行進」と呼ばれています。
インドネシアでは占領期を通してインドネシア人労働力を大量に動員し、飛行場や海運・兵たん根拠地を建設しました。
ジャワ島では、「ロームシャ」(労務者)として約二百五十七万人が動員され、インドネシア全体では、四百万人が動員されたと言われています。
インドシナ半島ではタイとビルマ(現ミャンマー)を結ぶ「泰緬(たいめん)鉄道」建設工事が、連合軍捕虜六万人余、東南アジア各地から集められた二十万―三十万人の「ロームシャ」を動員して行われました。ビルマ経由の中国・重慶の国民党政権への連合軍補給ルートの切断とインド侵攻作戦の補給ルート確保を狙った鉄道建設でした。四二年七月から十六カ月の突貫工事による強制労働で、捕虜一万二千人以上、「ロームシャ」の半数以上が死亡しました。
日本軍は、他の太平洋の島々を占領したほか、オーストラリア北部のダーウィンへも空爆を行いました。日本軍の特殊潜航艇はシドニー湾まで南下し、破壊活動を行いました。
日本軍が「大東亜共栄圏」の設立と称してアジア・太平洋の各地で行った十五年にわたる戦争の実態は、残虐な侵略と過酷な植民地支配以外の何ものでもありませんでした。この戦争による日本人の犠牲は三百十万人、アジア・太平洋各国の犠牲者は二千万人にも上り、甚大な被害をもたらしました。鎌塚由美記者
日本の侵略戦争でのアジア・太平洋各国の死者数 (各国政府公表など各種の文献から作成)
日本約310万人
中国約1000万人〜2000万人
朝鮮約20万人以上
ベトナム約200万人
インドネシア約200万〜400万人
フィリピン約100万人
シンガポール約6万人
マレーシア約7千人〜10万人
ビルマ約5万人
インド約350万人
オーストラリア2万3365人
ニュージーランド1万1625人
泰緬鉄道建設で死亡した労働者7万4025人
英領マラヤ人4万0000人
ジャワ人3000人
中国人(タイ)1000人
インドシナ人25人
ビルマ人3万0000人
日本の侵略/アジア諸国にもたらした悲劇
中国/南京虐殺など多くの惨劇/「満州国」つくり占領の道具に
日本は、アジア太平洋戦争の四年前から中国への全面侵略戦争を開始しました。三七年七月の北京郊外での盧溝橋事件を契機とした侵略戦争は、華北、華中、華南の広範囲に及び、そのなかで南京大虐殺事件(同年十二月)などの多くの惨劇が引き起こされました。日本軍は、この戦争で化学兵器や細菌兵器まで用いています。
日本は同時に、意のままになる中国人を使い、占領地域にかいらい政権を樹立。中国東北部ではすでに三二年三月、清朝の廃帝溥儀をすえ、「満州国」がつくられていました。全面侵略後も、「中華民国臨時政府」(北京)、「中華民国維新政府」(南京)などのかいらい政権をつくり、占領支配の道具にしました。四〇年三月には、この二つの政権を糾合し、南京に汪精衛(兆銘)を首班とするかいらい政権「中華民国政府」をつくりました。
一方、中国では、国民党と共産党が共同し(第二次国共合作)、抗日戦争を進めました。米国をはじめ国際世論も侵略戦争を非難。しかし、日本はあえてアジア太平洋全域へ侵略を広げる道を選択、戦争の泥沼にはまりました。戦争開始を前後して、中国侵略もさらに拡大していきました。
日本軍は三九年から四一年にかけ、蒋介石の国民政府が移っていた重慶をはじめ、内陸部の都市を空爆し、多数の市民が死傷しました。
華北地方では、八路軍(中国共産党の軍隊)の拠点に対する徹底した掃討作戦を進め、殺人、略奪、放火、暴行などをほしいままにしました。中国では「三光作戦」(「三光」は殺しつくし、奪いつくし、焼きつくすという意味)と呼ばれています。
アジア太平洋戦争開戦日の四一年十二月八日には英国の植民地だった香港に対する攻略も始まりました。日本軍は香港島各地で英軍と激戦を交え、同月二十五日に英軍は降伏。捕虜となった英軍は約一万一千人(うち英国人五千人、インド人四千人、カナダ人二千人)で、約千五百人の英軍兵士と七百人の日本軍兵士が死亡しました。香港で国民政府を物心両面で支援していた市民も弾圧されました。
戦争末期には、日本国内の労働力不足を補うために中国大陸から約四万人を強制連行し、日本全国の百三十五カ所の作業所で強制労働させ、七千人近くも死亡しました。
このほか七三一部隊での人体実験や「従軍慰安婦」問題・性被害問題など、侵略戦争の被害は筆舌に尽くせません。中国が現在、「歴史をかがみに」と強調する背景には、こうした戦争被害の歴史的事実があるのです。(北京=菊池敏也)
朝鮮半島/民族抹殺の植民地支配/「慰安婦」7―10万人を戦地へ
二〇〇五年は、日本による朝鮮半島の植民地支配に向けた決定的な一歩となった一九〇五年の日韓保護条約(第二次日韓協約=乙巳保護条約)百周年を迎えます。
日韓保護条約は、朝鮮(大韓帝国)の外交権を奪う内容で、国家元首である皇帝の高宗はこれを認めず、国印を押していません。高宗は、列強各国がオランダのハーグで開いていた万国平和会議に密使を派遣し、条約の不法性を訴えようとしましたが、列強はこれを無視。密使は会議に出席することができないまま現地で自殺しました。
一九一〇年の日韓併合条約で、大韓帝国は消滅。朝鮮を完全に植民地化した日本は、「会社令」による朝鮮資本の抑圧、「土地調査事業」による日本資本への土地売却と小作農の激増などを通じ、朝鮮を日本の経済下に組み込んでいきました。
全土に広がった一九年の「三・一独立運動」を押さえ込んだ日本は、朝鮮語の出版をある程度認めることで懐柔を図りますが、日中戦争からアジア太平洋戦争へと進むなか、今度は朝鮮民族を「抹殺」し完全に日本人に同化させることで戦時体制に組み込もうとします。
三八年には教育が日本語だけとなり、三九年には日本式の姓名に変えさせる創氏改名が強要され「皇民化政策」が強化されます。三九年の「国民徴用令」施行後、労務動員計画により約七十二万人の朝鮮人を鉱山、工事現場などに強制連行。一方、兵士・軍属として戦場に送り込まれた朝鮮人は約四十万人といわれます。
最も醜悪で悲劇的な戦争犯罪の一つが、三八年以降に制度化し、国際的に「性奴隷」と呼ばれる「従軍慰安婦」です。「就職あっせん」などとだまされ、戦地の「慰安婦」にされた朝鮮人女性の数は約七―十万人と推計されています。敗走する日本軍は多くの被害者を置き去りにしました。日本政府は九五年に、ようやく政府の関与を認めましたが、国家補償は拒否。民間との共同出資による基金が「償い金」を支払う形で幕引きを図りましたが、今も被害者は補償を求めています。面川誠記者 写真も
( 2004年12月08日,「赤旗」) goto top
埼玉県の上田清司知事が、侵略戦争美化の論陣を張っている「新しい歴史教科書をつくる会」の前副会長、高橋史朗・明星大教授(54)を県教育委員に選任する方針であることが、六日明らかになりました。開会中の十二月議会に人事案を提出する予定。「つくる会」によれば、同会の幹部経験者が都道府県の教育委員に起用されるのは全国で初めてです。
高橋氏は早稲田大大学院修了で、専門は教育学。国の臨時教育審議会専門委員などを歴任しました。一九九七年の「つくる会」結成に参加し、今年十一月まで副会長をつとめていました。
上田知事は「これまでの歴史教科書は自虐的な史観でものごとがみられているきらいがある。『つくる会』教科書はきわめて新しい試みとして教育界全体の刺激になっている点を評価している」と県議会答弁などで発言。国外からの批判を「内政干渉だ」とのべるなど、「つくる会」の立場に沿った発言をしています。高橋氏の人選は、同知事の意向とされます。
上田知事は民主党衆院議員出身で、前知事の辞職にともなう昨年八月の知事選で初当選。今年の参院選では自民、民主、公明の候補を応援しました。県議会は事実上、日本共産党を除く「オール与党」体制。憲法九条改正≠打ち上げるなどタカ派的発言が相次いでいます。
侵略戦争美化に「重大懸念」/日本共産党 山岸県議団長コメント
日本共産党の山岸昭子県議団長は同日、「教科書が記す日本の侵略戦争や『従軍慰安婦』、南京虐殺などの記述を『自虐的・反日的』などと誹謗(ひぼう)・中傷する団体のメンバーを教育委員とすることについては重大な懸念を表明せざるを得ない」とするコメントを発表しました。
( 2004年12月07日, 「赤旗」) goto top
日本共産党の吉川春子参院議員は四日、埼玉県戸田市内四カ所で街頭演説に立ち、三日に閉会した臨時国会の報告をしました。来年一月二十三日告示(三十日投票)で市議選をたたかう党戸田市議団も「子どもから高齢者まで安心して暮らせる戸田市にするため、日本共産党に力を貸してください」と訴えました。
吉川参院議員は憲法調査会での論戦を紹介し、「自民党の憲法改正∴トは、戦争できる『普通の国』をめざすもの。戦前のように『赤紙』一枚で戦場に送られるかもしれなくなる社会に幸せはあるでしょうか。憲法九条を守りぬくことこそが日本の最大の国際貢献です」と強調。日歯連からのヤミ献金問題にも触れ、「政治をゆがめる企業・団体献金をただちに禁止することが必要です」とのべました。
スーパーマーケット前で拍手を送っていた、市内在住の佐藤政子さん(73)は「吉川さんは元従軍慰安婦の話をしたが、彼女らは私と同じ年代で、聞いていて思わず涙が出た。こういうことが起こるから、戦争は絶対やってはいけないし、そのためにも憲法九条は必ず守らなければいけない。吉川さんはじめ共産党には、国政でも戸田市政でも本当にがんばってもらいたい」と話していました。
(2004年12月05日,「赤旗」) goto top
日本軍「慰安婦」被害女性を招いた証言集会「消せない記憶」(実行委員会主催)が四日、新潟、沖縄など全国十カ所で開かれました。韓国の元「慰安婦」が暮らすナヌムの家を訪れた日本の若者たちが「少しでも行動しよう」「被害者の願いを拒否しつづける日本政府と私たちは無関係ではない」と準備を進めてきました。
法政大学で開かれた東京集会には二百人が参加。実行委員長で桜美林大学四年の酒井美直さんは、昨年たまたま手にした本を通じてこの問題を知りました。「体に無理をして加害国日本にきて証言する意味を考えてほしい」とあいさつしました。
証言したのはフィリピンのベアトリス・トゥアソンさん。一九四三年十三歳のときに、フィリピンを侵略した日本軍によって自宅からいとことともに連れ去られました。レイプされ、性奴隷に。止めようとした両親は銃剣で刺され即死。同じ性奴隷となったいとこはマラリアで死に、遺体に近寄ることも許されませんでした。祖父母のもとに帰っても、ショックでやせほそり、自殺もはかったといいます。
トゥアソンさんは、「若い人が二度と戦争を経験しないためにも、日本政府による公的謝罪と法的賠償を求めます」と協力をよびかけました。
知り合いに誘われてきた韓国語を学ぶ大学一年生(19)は、初めて知った事実にショックを隠せません。「あまりにも知らずにきた。もっと勉強したい」
集会では、「今日だけで終わらせないで」と、政府の謝罪と元「慰安婦」の名誉回復のための「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」(日本共産党、民主党、社民党、無所属議員提出)の成立にむけた運動などをよびかけました。
( 2004年12月05日, 「赤旗」) goto top
元「従軍慰安婦」への謝罪と名誉回復に必要な措置を国の責任でとるよう求める「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」の早期成立を求める集会が三日、韓国、フィリピンの元「慰安婦」を招いて国会内で開かれました。同法案は日本共産党、民主党、社民党と無所属議員が参院に提出しているものです。
集会で元「慰安婦」らは「もう待てません。早く法案を通して公式謝罪と法的補償を実現してほしい。みなさん協力してください」と訴え。日本共産党の吉川春子参院議員、民主党の岡崎トミ子参院議員、無所属の糸数慶子参院議員が参加し、吉川氏は細田博之官房長官が謝罪したことを報告。「この問題で論戦してきたが、直接被害者にあって謝罪したことはなかった。一日も早く法案を成立させたい」とのべました。
( 2004年12月04日,「赤旗」) goto top
細田博之官房長官は三日、来日中の元「従軍慰安婦」と国会内で面会し、「慰安婦問題は父親の世代の罪だと思っている。みなさんの尊厳を大きく傷つけており、心から反省し、おわびする」と謝罪しました。官房長官が慰安婦被害者と面会し、謝罪したのは初めて。
面会したのは、元「慰安婦」のイ・ヨンスさん(75)=韓国=、ベアトリス・トゥアソンさん(74)=フィリピン=、義母が被害者のマリア・ジュディ・Aマレサさん(48)=同=。三人は、元「慰安婦」の名誉回復のため必要な措置を国の責任でとるよう求めた「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」(日本共産党、民主党、社民党、無所属議員提出)の早期成立を訴えました。
イさんは、小泉純一郎首相の靖国神社参拝と、「従軍慰安婦とか、強制連行とか、そういう言葉が(教科書から)減って良かった」という中山成彬文科相の発言は「許せない」と発言。
これにたいし細田長官は「小泉総理にもみなさまの気持ちを伝えたい。中山文部科学大臣の発言は理解できない」と答え、「日本も(戦争で)灰になったが、二度と戦争を起こさないよう努力する」とのべました。
面会には、日本共産党の吉川春子参院議員、民主党、社民党の女性議員らが同席しました。
( 2004年12月04日, 「赤旗」) goto top
中山成彬文科相が「従軍慰安婦や強制連行などの言葉が教科書から減って良かった」と発言したことにたいし、各団体・労組は抗議の談話や声明を相次いでだしています。
全日本教職員組合は一日、東森英男書記長の談話を発表しました。文科相発言は、従軍慰安婦など政府自身も認めている歴史的事実を書いた教科書を「新しい歴史教科書をつくる会」の主張にそって「自虐史観」として敵視した不当な発言と批判。来年度から使用の中学校教科書の検定作業が進められている最中の発言であり、教育基本法改悪を先取りした教育への「不当な介入」と指摘し、謝罪するよう求めています。
日本中国友好協会は一日、文科相にあてた抗議文を送付しました。抗議文では、文科相発言が史実を否定するもので、教科書検定に大きな影響を及ぼす文科相の発言として許されないものであり、大臣としての資質が問われていると指摘。発言の全面撤回と文科相としての責任を明確にするよう求めています。
( 2004年12月03日, 「赤旗」) goto top
「子どもと教科書全国ネット21」の俵義文事務局長は三十日、中山成彬文部科学相が歴史教科書について「従軍慰安婦とか、強制連行とか、そういう言葉が減ってよかった」と発言したことに抗議し、辞任を要求する談話を発表しました。
談話は、日本の侵略・加害の記述が減ってきたのは、「新しい歴史教科書をつくる会」や自民党国会議員の攻撃によるものと指摘。中山文科相自身も「自虐史観に貫かれた今の歴史教科書を一日も早く改定することが国家百年の計として必要」などと主張してきたことにふれ、発言は「自分たちの歴史わい曲の『成果』を自慢するもの」とのべています。
また、検定権者である文科相が特定の記述について介入するのは、教育基本法が禁じた「不当な支配」にあたる違法行為だと指摘しています。
( 2004年12月02日,「赤旗」) goto top
一日の衆院文部科学委員会で日本共産党の石井郁子議員は、歴史教科書に関し「従軍慰安婦とか強制連行とか、そういう言葉が減ってきてよかった」(十一月二十七日)との中山成彬文科相の発言をとりあげ、「歴史的事実に目をふさぐことはできない」とのべて認識をただしました。
石井氏は「歴史の真実を回避することなく、むしろ、これを教訓として直視していきたい」(一九九三年八月)との河野洋平官房長官談話を引き、「談話の立場とまったく反対だ。閣僚の一員で教科書行政を担う文科相ならこの立場を貫くべきだ」と批判しました。
中山文科相は三十日の記者会見での陳謝を繰り返し「内閣の一員となった以上、これまでの政府見解に従って発言し行動するのは当然だ。これからはきちっと守っていきたい」と答弁しました。
石井氏は「大臣の資格が問われる。今後よく対応していただきたい」とのべました。
( 2004年12月02日,「赤旗」) goto top
みどり 中山文部科学相が、この間の発言について陳謝したわね。
藤乃 歴史教科書について「従軍慰安婦とか、強制連行とか、そういう言葉が減ってきて本当に良かった」と言ってたんだね。
みどり 二十七日の発言で、三十日に「おわびと反省の気持ち」を表明したの。
藤乃 謝ってすむ話ではないだろうに。あの戦争のときに、日本は、朝鮮や台湾などから大勢の人をだましたり、力ずくで連れ出したんだからね。
みどり 従軍慰安婦にされたり、鉱山などで強制労働させられたのね。被害者の人たちが日本政府の謝罪と償いを求めて、裁判にもなっているわ。
藤乃 わたしも日本がこんなひどいことをしていたと初めて知ったときは、胸がはりさける思いだったね。人間のすることじゃないよ。被害を受けた人たちが忘れるはずないじゃないか。
事実認めた政府
みどり 政府も日本の犯罪は認めているのよ。一九九三年に当時の河野洋平官房長官が「本件は、当時の(日本)軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である」と談話を出しているわ。そのとき、「歴史教育を通じて永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さない」とも表明していたの。
藤乃 文科相の発言は、政府の公式見解も真っ向から否定するものだったのね。
自民議員ら圧力
みどり 実はね、自民党の政治家や右翼勢力が河野談話に危機感をもって「新しい歴史教科書をつくる会」「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」などをつくって攻撃をつよめたの。二〇〇一年には、従軍慰安婦などについて書くのは「自虐史観だ」と攻撃する、「つくる会」の中学校歴史教科書が検定に合格した。中山文科相も「若手議員の会」の一員だったのよ。
藤乃 日本が過去にしたことを認めたくなくて、圧力をかけている人たちがいるんだね。
みどり 文科相は教科書検定の合否を最終的に判断する権限をもっている。そういう人の発言だけに、重大だし、圧力をかけることがあってはならないわ。
〔2004・12・1(水)〕
( 2004年12月01日,「赤旗」) goto top
中山成彬文部科学相は三十日の閣議後の記者会見で、「最近、従軍慰安婦とか、強制連行とか、そういう言葉が減って良かった」と二十七日のタウンミーティングで過去の歴史教科書を批判した発言について「そういう事実(従軍慰安婦や強制連行)があったことはしっかり認識しないといけないし、いやしがたい傷を負われたすべての方々におわびと反省の気持ちを申し上げたい」と陳謝しました。
同相は「個人的な立場で感じたことを述べたもので、文部科学大臣になった以上、かつての個人的な考えの発言は控えるべきであった」と釈明。また「教科書検定は学習指導要領や検定基準に基づき教科用図書検定調査審議会の審査を経て適切に実施する」と述べ、今回の発言が検定作業には影響しないと言明しました。
( 2004年12月01日, 「赤旗」) goto top
第二次大戦中に徴兵、徴用された韓国人の元軍人・軍属や元従軍「慰安婦」ら三十五人が、国を相手に損害賠償(一人二千万円)を求めた訴訟の上告審判決が二十九日にいい渡され、最高裁第二小法廷(津野修裁判長)は原告側の上告を棄却しました。原告の訴えを退けた一審、二審判決が確定しました。
同小法廷は過去の最高裁判例を踏襲し、「憲法は戦争損害への補償を全く予想していない」と指摘。一九六五年の日韓請求権協定に伴う在日韓国人らの損害賠償請求権の消滅についても「憲法の平等原則に違反しないのは明らか」として、原告の訴えを退けました。
同判決には韓国から原告や関係者ら六人が来日。元「慰安婦」で原告の沈美子さん(80)はチマチョゴリで正装、判決に臨みました。「人間は人間として扱うべきではないでしょうか」。判決後の記者会見で、そう静かに訴えた沈さん。「戦後六十年である二〇〇五年までに、この過去の問題を解決してほしい」と、小さな背中をまっすぐに伸ばし一点を見据えて語りました。
遺族の原告代表である金鍾大さん(67)は、「反人類的、非道徳的で野蛮な判決を受け入れるわけにはいかない」と強く訴え。戦争推進をしてきた靖国神社の参拝を繰り返す小泉純一郎首相に対し、「歴史的責任を痛感すべきだ」と抗議しました。
太平洋戦争犠牲者遺族会の梁順任会長は会見のなかで、@関係文書の公開A遺骨の現状調査B私有財産の返還―など、日本政府に対し五点を要求しました。また遺族の90%以上が遺骨返還されていないとし、遺骨の返還訴訟を起こす考えがあることを語りました。
( 2004年11月30日, 「赤旗」) goto top
【北京=菊池敏也】中国共産党中央機関紙の人民日報は二十八日付で、中山成彬文部科学相が二十七日、大分県別府市内でのタウンミーティングで、歴史教科書について「従軍慰安婦」や強制連行などの言葉が減ってきたのは良かったと発言したことを報道。「日本では一部の政治家や学者が、歴史を直視し、当時の日本軍による侵略の犯罪行為をあばき出す歴史観を『自虐史観』と蔑称(べっしょう)し、公然と侵略の史実を否定している」と批判しました。
( 2004年11月30日,「赤旗」) goto top
在日韓国青年会/公開質問状を文科相に提出
在日本大韓民国青年会中央本部は二十九日、東京・千代田区の文部科学省で、中山成彬文部科学相あての公開質問状を提出しました。
質問状は、@文科相が発言した教科書の「自虐的」な点とはいかなる部分かA「従軍慰安婦問題」「強制連行」について、どのような歴史認識を持っているかB「アジア侵略」「植民地支配」などの「日本の加害の歴史」についてどのような認識を持っているか―などと質問しています。回答期限は十二月十日。〇壽隆(ちょう・すゆん)会長(32)は「友好を進められるように、誠意のある回答をお願いしたい」と話しました。
( 2004年11月30日,「赤旗」) goto top
史実にも政府見解にも反する「逆流」発言/中山文科相発言
中山成彬文科相が、二十七日のタウンミーティングで「従軍慰安婦や強制連行などの言葉が教科書から減って良かった」と発言したことは、アジアを侵略した過去の日本の過ちを認めたくないという、同氏をはじめ多くの自民党政治家の本音≠あらわにしたものです。しかし、これは歴史の事実にも、政府のこれまでの公式見解にも反するものです。
日本が朝鮮や台湾などの人たちを強制連行し、従軍慰安婦にしたり強制労働をさせたことは否定できない歴史の事実です。政府も従軍慰安婦問題について、一九九三年八月、河野洋平官房長官(当時)談話を出し、「本件は、当時の(日本)軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である」と軍の関与をはっきりと認め、「歴史教育を通じて永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さない」と表明しました。これを受けて、従軍慰安婦問題は、政府の検定制度のもとでも、中学校用の歴史教科書七社すべてで記述されるようになりました。
しかし、それを「自虐史観だ」と攻撃する「新しい歴史教科書をつくる会」の中学校歴史教科書が、二〇〇一年の教科書検定に合格。この年の検定では、その他七社の教科書でも従軍慰安婦について記述したのは四社に減り、「朝鮮などアジアの各地で若い女性が強制的に集められ、日本兵の慰安婦として戦場に送られました」と明確に記述したのは一社のみでした。ほかは「非人道的な慰安施設には、朝鮮や台湾などの女性もいた」「多くの朝鮮人女性なども戦地に送り出された」との記述にとどまりました。
中山文科相の発言は、こうした「逆流」をさらに推し進めようとするものです。教科書検定の合否を最終的に判断する権限を持つ文科相の発言だけに、とりわけ重大です。アジア諸国はもとより、歴史の教訓をくみとり、平和な日本と世界を築いていこうとする多くの国民からの厳しい批判は免れません。(坂井希記者)
中山文科相の発言
(歴史教科書の検定問題について)「やっと最近になって従軍慰安婦とか、強制連行とか、そういう言葉が減ってきて本当に良かった」「極めて自虐的な、日本は悪いことばかりしてきたというのに満ち満ちていたときがあった。自虐史観に立った教育だけはしてはいけない」(二十七日、大分県別府市内でのタウンミーティングで)
( 2004年11月30日,「赤旗」) goto top
市田氏は、中山成彬文科相が歴史教科書に関して、「従軍慰安婦とか強制連行とか、そういう言葉が減ってきて本当に良かった」とのべたことについて、「事実だとしたら、文科相として許すことのできないきわめて重大な発言だ」と厳しく批判しました。
市田氏は、「日本の軍隊が朝鮮や台湾などの人々を強制連行し、従軍慰安婦や強制労働をむりやりさせたことは歴史の事実だ」と指摘。「侵略戦争への反省は戦後日本の出発点であり、アジアや世界の人々にたいする国際的な責務だ」とのべ、「事実上、加害の事実を教科書に書くことをやめよということを意味する中山文科相の発言は、こういう立場を真っ向から否定するものとして、断じて許すことはできない」とのべました。
さらに、「教科書検定基準」の一つに近隣のアジア諸国の国際理解と国際協調の見地から必要な配慮≠規定した「近隣諸国条項」があると指摘。「教科書行政を統括する立場の中山文科相が、それと百八十度ちがう方向で、教科書会社に圧力をかけるようなことがあるとすれば、到底許されるものではない」とのべました。
( 2004年11月30日,「赤旗」) goto top
中山成彬文部科学相は二十七日、大分県別府市内で行われたタウンミーティングで、歴史教科書の検定問題に触れ、「やっと最近になって従軍慰安婦とか、強制連行とか、そういう言葉が減ってきて本当に良かった」と述べ、過去の歴史教科書を敵視する発言を行いました。
同相はその中で、「極めて自虐的な、日本は悪いことばかりしてきたというのに満ち満ちていたときがあった。自虐史観に立った教育だけはしてはいけない」と、歴史に逆行する認識を示しました。
( 2004年11月28日, 「赤旗」)
発言2004憲法/静岡大学教授小和田哲男さん/歴史を動かす主人公は民衆
おびただしい犠牲によってかちとられた、憲法九条をなんとしても守らなければなりません。平和憲法を世界に広げるのが、日本人に課せられた大きな義務であって、自衛隊を海外に派遣することではありません。過ちを二度と起こさない担保が憲法九条です。
戦争容認の風潮
学生が、「大東亜戦争が…」という言い方をしていたので「なんでそんな言葉を使うの?」と問いただしたことがありました。戦後から五十九年たち、学校教育を含めて戦争の悲惨さを伝えきれない中で「戦争はそんな悪いものじゃなかった。いいこともあった」という戦争容認の風潮が芽生える危険性があります。
「隠された歴史からは正当な歴史認識は生まれてこない」というのが私の持論です。アジア・太平洋戦争の時代でいえば、南京大虐殺と従軍慰安婦の歴史が隠ぺいされてきました。「臭いものにフタ」という考えから「日本の軍部の恥部をそんなに出さなくてもいいじゃないか」「自虐史観だ」と攻撃する動きには、きびしく反論し、追及していく必要があります。過去をきびしくふりかえり、反省すべき点をよみとってこそ、新しい時代を築くことができます。
この意味で「過去を知ろうとしない人間は、残酷な過去をもう一度経験するように強制される」(アウシュビッツからの生還者・シマンスキー氏)、「過去に目を閉ざすものは、結局のところ現在にも盲目となります」(ワイツゼッカー旧西ドイツ大統領)という二人の言葉は教訓的です。
歴史は、結論だけを眺めて勉強していると、権力者の歴史、政権交代の歴史に終わってしまいます。「歴史に『もしも』はありえない」と言われるかもしれませんが、歴史にさまざまな可能性を考えるのが、歴史のおもしろい学び方です。
私は、戦国時代を専門に勉強している人間です。たとえば、戦国時代、織田信長によって一向一揆がせん滅させられ、信長による天下統一がすすんだととらえるのが一般的ですが、当時、全国各地にほう起していた一向一揆の寺社勢力と、信長らのいわゆる武士勢力との間で、本当にぎりぎりのたたかいが展開されていたわけで、本願寺法王国のような体制ができあがったかもしれない。
民衆がいかにたたかったか、たとえ、それが負けたにせよ、歴史をどう方向づけたのかの筋道が見えてきます。
一人は小さいが
私たち一人ひとりがそうした歴史を動かしている一員であり、歴史の主人公であることに気づくことが大切です。一人ひとりの力は確かに弱く、小さい。でも、それが少しずつ動き出すことによって、しだいに歴史の大きなうねりになります。憲法九条を守り、発展させるたたかいも同じではないでしょうか。
聞き手・写真 静岡県 森大介記者
おわだ・てつお 1944年生まれ。72年早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了、現在、静岡大学教育学部教授。文学博士。著書に「明智光秀―つくられた『謀反人』」(PHP新書)「歴史からなにを学ぶべきか」(三笠書房)など多数。NHK番組「その時歴史が動いた」のゲストでおなじみ。
( 2004年11月15日, 「赤旗」) goto top
韓国国会(定数二百九十九)は十二日の本会議で、日本軍「慰安婦」被害者の名誉と人権を回復し、歴史教育のための歴史館を建設するよう韓国政府に求める決議を、賛成百九十一、反対二、棄権七の圧倒的多数で採択しました。
決議は「韓国国会は歴史の証人である生存している被害者の名誉と人権を回復するよう最大限の努力をする」「後世に正しい歴史教育を行うために、被害の実相を証言する歴史館を韓国政府が速やかに建設するよう求める」としています。
決議は「被害者の運動が始まってから十五年が過ぎても、日本はまだこの問題を解決していない」と指摘。この十五年間で九十人の被害者が死亡し、生存している百二十九人の被害者もほとんどが七十歳代後半から九十代と高齢で健康状態がよくないとしています。
( 2004年11月13日, 「赤旗」) goto top
参院憲法調査会は十日、「憲法前文と九条」をテーマに各会派からの意見陳述を受けて、自由討議を行いました。
自民党の舛添要一議員は、@個別的集団的自衛権を明確にするA国際協力のために自衛隊を活用する―の二点を九条改憲の内容とするべきだとし、九条改憲に伴い特別裁判所の導入、国家緊急権の明記などが必要となると主張しました。
民主党の直嶋正行議員は民主党の基本姿勢、党憲法調査会の論議を報告するとして、@国連の集団的安全保障活動への積極参加A個別的、集団的の区別なく自衛権を盛り込むことなど、九条改憲の方向を示しました。
公明党の山下栄一議員は、自衛力の保持や国際協力を「加憲」論議の対象とするとし、集団的自衛権の諸問題についても議論していくことが必要だとのべました。
日本共産党の吉川春子議員は、九条と前文の国際協調の立場から従軍慰安婦問題の解決促進を訴え、九条堅持を主張しました。紙智子議員は自由討議で、「第三回アジア政党国際会議」で採択された北京宣言で「戦争、侵略、覇権に反対する。われわれは多国間協力に尽力し正義によって平和が確保されると信じる」とされたことを紹介。「こうした流れのなかで日本が九条を投げ捨てるのは、アジア、国際社会で孤立する道だ」と改憲論を批判しました。
民主党の那谷屋正義、富岡由紀夫両議員、社民党の田英夫議員などは九条改憲に反対する見解を表明しました。
( 2004年11月11日,「赤旗」) goto top
岡本宮之助という新内の演奏家がいる。
故・岡本文弥のもとで修業し三味線方を務めていたが、九六年に文弥が百一歳で他界、岡本宮染が病気療養中の現在、岡本派家元代行として、文弥、宮染の意志を受け継ぎ舞台を務めている。
新内とは江戸後期に起こった浄瑠璃の一つ。市井の芸能として、たとえば花柳界を流して歩く新内流しなどで人気を博した。男と女の悲劇的恋愛をテーマとし、哀切ある節調で綴(つづ)る作品が多いのが特長。いわゆる、心中ものというやつだ。
文弥は生前、新内普及のための三つの仕事を掲げ、百一歳まで現役の舞台を務めていた。一つは「蘭蝶(らんちょう)」「明烏(あけがらす)」などの古典曲の演奏を通じての新内の普及、一つは江戸時代に演奏されていたのに今では埋もれてしまっている古曲の復活、そして最後の一つが新作の創作だ。文弥は新内の新作曲をその生涯で二百曲以上作っている。
戦前には「西部戦線異状なし」などで反戦を高らかに歌い上げたり、樋口一葉「十三夜」などの文芸作品や、「鶴女房」などの民話、その作品は心中ものにとどまらず多岐にわたっている。
九三年には本紙掲載の朝鮮人従軍慰安婦の告白文をもとにした「文弥ありらん」を発表。作者であり演者でもある文弥の、怒り、哀しみを素直に新内にして観客にメッセージした。一番語りたい事を綴り語る、「新作を創作する」とはどういうことなのかを改めて教えられた作品である。
その文弥の薫陶を受けた宮之助が、最近、弾き語りによる新作の創作に意欲的に取り組んでいる。九九年には「お絹心中」(作詞・稲田)を発表、落語家の林家正雀の詞で、正雀、宮之助の掛け合いで口演した「累草紙(かさねぞうし)」「牡丹燈記(ぼたんとうき)」、落語新内「田能久(たのきゅう)」は「民族芸能を守る会」や赤旗まつりなどでも演じられた。最近では、「糸瓜(へちま)忌」にて正岡子規の臨終を綴った「のぼさん」(作詞・野口周)も作曲、口演している。
宮之助は三味線の達人である。作曲も従来の新内の手にとどまらず、現代邦楽風な節を巧みに盛り込んだり、形式を活(い)かしつつ現代のテーマを聞かせてゆく試みに挑戦している。新内の幅を広げる創作に期待は大きい。
新内にも様々な流派があり、「蘭蝶を語っていれば新内」とする人もいる。文弥は新内が古典である一方、新作の創作により、現代のテーマを持ち時代の中で生きる芸能である道も選択肢の一つと提示した。宮之助ら現代の新内演奏家たちは、それらをどう受け継いでゆくのだろうか。
(月1回掲載)
( 2004年10月27日,「赤旗」) goto top
「フェミニズムは、二十世紀後半におけるもっともめざましい思想運動」の一つとする著者が、現代日本女性史の軌跡を丁寧にたどりつつ、日常の次元での一人ひとりの情念が歴史を創るとの史眼において、多様な闘いの内実を照射し、現代の達成をあきらかにした労作である。
いま、日本に強まる国家主義、アメリカの一極支配の「戦争」推進の下の国際的な揺り戻し(バックラッシュ)に女性政策がさらされるなか、その「蓄積を幻影としてはならない」との危機感で氏は叙述する。それは「二十世紀を生きてきた男としての責務」だ。
「戦後」の構築、復興にわきあがる女性の「暮らし、母性と平和、人権」の闘いを前史として、六〇年代の巨大企業国家の確立、性別役割社会の「社員」・「主婦」システムの造出を氏は現代の変革の基盤とする。
七〇年のアメリカのウーマン・リブに触発されても、日本のリブは「日本の土壌に胚胎(はいたい)」する「矛盾の激発」なのだ。
リブの発声は若い世代に始まりはしたが、女性学の確立、ジェンダー(社会的性差)へ検証は広がり、同時に「世界の潮流の一環」として「制度と意識の変革を、国家(行政・立法・司法の各機関とそれらの構成員)や企業、男性に迫るとともに、女性自身にも提起した」。
男女雇用機会均等法、男女共同参画社会基本法、DV防止法等をめぐる個人、団体、女性記者、官僚の総力的攻防への氏の追跡、検証は見事である。
中絶禁止法反対運動が、障害を含む人間の自然への新しい文明観を生んださま、「主体回復」が女性の戦争加担へ目を向けさせ、「従軍慰安婦」という凌辱(りょうじょく)に対し自国政府の責任を問う覚悟を生むさまなど、要所の人物コラム、巻末の詳細な注を含め、厚みある辞典といえよう。
未来への期待のうちにも、氏は達成の持つ「陥穽(かんせい)」、「空洞化」に警鐘を鳴らす。が、女性政治の検証と婦人民主クラブの正統に対する視野の欠落を惜しむ。
山本千恵・女性思想史研究者
かの まさなお 一九三一年生まれ。早稲田大学名誉教授。
( 2004年10月24日,「赤旗」) goto top
韓国国会の統一外交通商委員会で二十二日、外交通商省に対する国政監査が行われ、日本軍の「従軍慰安婦」だった吉元玉(キル・ウォンオク)さん(77)が証言し、日本政府による謝罪と補償、韓国政府による歴史記念館の建設を求めました。国政監査で元「慰安婦」が証言するのは初めて。
ソウルからの報道によると、吉さんは、野党・民主労働党の権永吉(クォン・ヨンギル)議員の要請で出席。「日本に良心があるのなら、韓国に記念館をみずから建てるべきだが、謝罪の気持ちがない日本が、そんなことをするはずがない。だから、韓国政府が記念館を建ててほしい。残された命はあまりない。これまでのくやしさ、悲しみを晴らしたい。一言でも心からの謝罪の言葉を聞きたい」と訴えました。
これに対し、潘基文(パン・ギムン)外交通商相は「大きな責任を感じている。日本政府は過去を直視すべきで、この直視を基に未来志向の関係を築きたい」と語りました。
( 2004年10月24日,「赤旗」)
「慰安婦」歴史館建設へ/韓国国会委が決議/名誉と人権回復
韓国国会の統一外交通商委員会は二十二日、「日本軍慰安婦の名誉と人権回復のための歴史館建立」決議案を全会一致で採択しました。
与党・開かれたウリ党の韓明淑(ハン・ミョンスク)議員が発議したもの。決議案は、「日本の性奴隷制の被害者のうち九十余人がすでに亡くなり、生存している百二十人も高齢になった」とし、「光復(日本の植民地支配からの解放)六十周年になる二〇〇五年までに日本軍慰安婦歴史館を建設することを政府に求める」としています。
現地の報道によると、決議は予定されていたものではなく、午前中に行われた元「慰安婦」の証言を受けて発議されたものとみられます。決議案は本会議に上程される予定です。
( 2004年10月24日,「赤旗」)
列島だより/大阪/文化祭で「慰安所」展
大阪府河内長野市の千代田高校文化祭で二、三日、「日本の加害の歴史を知ってほしい」と、女子生徒企画の「慰安所」が展示されました。このきっかけは現代社会で従軍慰安婦について学んだこと。生徒の一人は「ほんまのことを教える国に」と話していました。(写真)
(2004年10月11日,「赤旗」) goto top
今も続く苦しみ伝えねば
「グエーッ」。暗い画面から、突然、鋭い音が聞こえ、身をよじる中国人男性の姿が。深夜に数分も続く激しいせきの発作。男性は工事現場で、旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器の毒ガスを吸い込んだのです。
「発作が1日10回もおこり、18年間、朝まで熟睡できたことがないといいます」
男性の家に泊めてもらい、そばでカメラを持って仮眠しながら撮影しました。
日本軍は70万から200万発といわれる化学兵器を中国に遺棄。それらが原因で約2000人が死傷しているとされます。「日本政府が対応してこなかったことが、今も新しい害を生みつづけている。それは衝撃です」
大きな目を見張りながら語ります。
* *
昨年、中国への旅でリュウ・ミンさん(27)に出会いました。「話しかけても表情が暗い」リュウさん。父親は、日本軍の遺棄した砲弾の爆発で両手足を吹き飛ばされて死亡しました。当時、彼女は19歳。医療費が莫大(ばくだい)な借金となり、やむなく退学、食堂で休日もなく長時間働いていました。
「33歳の私より若い人が、戦後60年たつ今も、戦争の被害で涙を流している。納得できませんでした」。「聞いて終わりにはできない」と映画「にがい涙の大地から」を撮ることに。厳冬の2月、3月、黒龍江省の五つの町を歩いて、のべ60人に会いました。
しかし、話を聞いていくうちに「その重さを私一人では受け止められなくて…。だんだんつらくなって、今すぐ帰りたいと何回も思いました」。
ふみとどまらせたのは、「この現実から目をそむけてはいけない。多くの人に伝えねば」という思いでした。
* *
アジアの文化や料理が好きで、各地を旅していた大学時代。出会った人々から、日本が起こした戦争について聞かされました。「過去のことだけど、自分が誠実に応えないといけないと思い、勉強しました」。卒論は、「日本のインドネシアへの戦後賠償」。
NHKでディレクターとして7年勤務後フリーに。第1作のドキュメンタリー映画は、インドネシアの元「慰安婦」を描きました。
子どものころ父親とよく沖縄や広島、北海道などへ旅行しました。「沖縄では海がきれいで楽しかった思い出の中に、父がさりげなく語った沖縄戦のことが残っているんです」
今、力を入れている上映会には可能な限り参加します。「重いテーマですので、普通の人がつくっていることを知ってほしい。新しい戦争が次々と起こる今、戦争で苦しむのはいつも庶民だということを語りたいのです」
只安 計子記者
撮影・菊地信夫
かな・ともこ 1971年、東京都生まれ。大学卒業後、NHKの報道ディレクターを経て2000年に独立。01年、インドネシアの元「従軍慰安婦」を取材したドキュメンタリー「マルディエム 彼女の人生に起きたこと」を監督。著書に『未来創造としての「戦後補償」』(現代人文社・共著)など。映画は全国上映中、問い合わせ先рO3(3357)5140
(2004年10月10日,「赤旗」) goto top
棄てたのは誰か、胸を突き刺す痛み
著者プラムディヤ氏が「棄てられた少女たち」に出会ったのは、「九・三〇事件」(一九六五年のクーデター未遂事件)でスハルト政権に事件の間接的関与の濡れ衣を着せられ、十年以上にわたり政治犯の流刑地ブル島で流刑生活を送っていたときだった。
彼が記録した女性たちはブル島の人間ではない。インドネシアが日本の占領下にあった時代に、「東京で勉強させてやる」という日本軍の「甘い罠」にはまり、ブル島に連れていかれて日本軍の「慰安婦」にさせられたジャワ人の「少女たち」だった。四五年、日本軍が降伏した後も、少女たちはブル島に置き去りにされたままだった。プラムディヤ氏が彼女たちに会った時、日本軍の撤退からすでに三十五年もの歳月が流れていた。家族を思い、帰国を夢見て暮らした気の遠くなるような長い年月、誰一人として「少女たち」の行方を捜すものはなかった。そうして「少女たち」はいつしか人々の記憶からも消えていった。
「もうどうにもならないから、一切何もしゃべらない」プラムディヤ氏の質問に、本名を語ることも顔を見せることも憚る「少女たち」の口は重かった。帰国の勧めにも、ただ首を横に振るだけだった。「汚れた身におち、心ならずも家名までも汚してしまった」という思いが、望郷の念をも断ち切っていたのだ。被害者である彼女たちを苦しめ、ブル島に縛りつけてきたのは、貞操イデオロギーという暴力だったのか。
本著を読みながら、絶望の淵で孤独に苛まれ生き続けてきた「少女」たちに、私は出口のない悲しみに襲われ、心に針が突き刺さるような痛みを覚えた。彼女たちを絶望に追いやってきたのは誰か。彼女たちを連行し棄て去った日本軍だけといえるのか。戦後、彼女たちを歴史から、記憶から消し去ってきたのは何だったのか。本著はそれを読者に問いかけている。
西野瑠美子・フリー・ジャーナリスト
Pramoedya Ananta Toer インドネシアの作家。
( 2004年10月10日,「赤旗」) goto top
【朝鮮通信=時事】北朝鮮の朝鮮中央通信は三日、小泉純一郎首相が国連演説で、日本の果たしてきた役割が安保理常任理事国となるにふさわしいと訴えたことについて論評し、「『敵国』の汚名もすすぐことができない日本は、罪多き過去により安保理常任理事国進出をうんぬんする資格がない国だ」と反対の立場を表明しました。
同通信は、旧日本軍の「慰安婦」の存在否定や小泉首相らの靖国神社参拝、憲法改正の動きなどを挙げ、「こうした日本が国連でも中核的な座を占めるということこそ、己を知らないせんえつな行動であり、国際平和と安全を志向する世界人民への挑戦だ」と非難しました。
( 2004年10月04日, 「赤旗」) goto top
本当のこと教える国になって/自分の中の差別意識みつめた
「日本の加害の歴史を多くの人に知ってほしい」。二日から始まった私立千代田高校(河内長野市)の文化祭で、従軍慰安婦が働かされた「慰安所」を展示した生徒たちがいます。女子クラスである三年一組の三十四人です。自分たちと同じかもっと若い少女たちが、無理やり日本兵の性の相手をさせられていたことに強いショックを受けたのです。
和田 肇記者
教室の一角をベニヤ板で囲み、中には小さなベッドと毛布が一つ。重いカーテンで仕切られた部屋はほぼ真っ暗。「できるだけリアルに」と作られた慰安所を見ると、「こんな所で働かされたのか」と背筋が寒くなります。
連れ去られた13歳の少女…
「(慰安婦は)一日に十人以上も相手をさせられました。男の人がそんなに入ってきたら、精神的におかしくなってしまうと思う。自分より小さい、十三歳くらいの子が、知らない土地に連れ去られてレイプされるのですから…」と安村優美さん(17)。
「同じ女性として、同じ立場になったらどうするか、ということをすごく考えさせられました」=松田真季さん(18)=という感想はクラスみんなのものです。
一学期の現代社会の授業で、従軍慰安婦について学んだことが展示のきっかけです。女子クラスということもあり「どの組よりも強い関心があった」と担任の谷山全(あきら)先生(43)はいいます。
ビデオで元慰安婦の証言を聞き、個人補償を求めてたたかう弁護士や支援するボランティアの人々に話を聞きました。朝鮮学校の生徒との交流を通じ、自分たちの中にあった差別意識についても考えたといいます。
山田裕美さん(17)はいいます。「自分が知らなかったことを知れたのがよかった。特に、事実と向き合って頑張っているおとなの人がいることを。本当のことを知らせてくれる人が増えたらいいと思う。ほんまのことを教える国になってほしい」
知識だけで終わらせない
谷山先生は、「平和について知ることはとても大事です。それを知識だけで終わらせるのではなく、生き方に結びつけてほしいと考えています。これから、それぞれ社会に出ていきます。自分の生活の中で、平和を追求するおとなになってほしいと思います」と語りました。
展示は三日、一般公開されます。千代田高校は南海千代田駅下車。
(2004年10月03日,「赤旗」) goto top
私は憲法九条を切り抜いて、いつも持ち歩いています。この条文の言葉はほんとうに力強いんです。
憲法九条を初めて朗読したのは、女性解放運動の先駆者、平塚らいてうをしのぶ「らいてう忌」のときでした。十年ほど前のことです。
らいてうは「憲法を守りぬく覚悟」というエッセーを書いています。それで「らいてう忌」の代表世話人をされた櫛田ふきさん(故人=当時日本婦人団体連合会会長)が「朗読してみない?」と声をかけてくださったのです。
初めて声に出して読んでみて、感動しました。武力の放棄を徹底して求めている。背筋がすっと伸びました。私たちはこの憲法に守られているから平和に暮らしていけるのだとあらためて思いました。
悲惨さ伝えたい
私は十六年前から「この子たちの夏」という朗読劇に携わっています。広島、長崎で被爆した子どもたちの手記を読むのです。初演は一九八五年で、私は客席から見ました。被爆者の悲惨さだけでなく、子どもたちの平和への願い、生き抜こうという気持ちがぐんぐん伝わってくるんです。「こんなこと、やりたかったんだ!」と、客席にいる自分がいやになったほどでした。
「この子たちの夏」はもう二十年ほど続いています。ただこのところずっと考えているのは、日本人だけが被害者だったわけではないということです。被爆者にだって朝鮮の人たちもいたし、従軍慰安婦問題とか、あの侵略戦争で日本がアジアの人びとに負わせた傷は癒えていないし、問題はなんにも解決していません。
私が「この子たち」を読み続けるのは恨みではないのです。原爆の恐ろしさ、悲惨さを知ってもらうことで、核兵器の恐ろしさ、もう絶対に人類がこれを使用することがあってはならないのだということを、世界の人びとの共通の思いにしていきたいのです。
平和を大事にしていくのだ、という私たちのメッセージがアジアのなかに広がっていけば、侵略した過去はあるけれど、アジア地域で日本は平和の中心になりえると思う。もちろん憲法が大前提です。
小中学校で朗読
今、小学校や中学校でも、詩や本を朗読したり、「この子たちの夏」の一部を紹介したりしています。この前は小学校三年生を相手に一時間半話しました。みんな静かに、真剣に聞いてくれました。子どもたちに言葉がしみ込んでいくのがわかります。
いま憲法九条をもつ日本の自衛隊が海外に派兵され、改憲の動きも活発です。なんとしてもこれを食い止めなければいけないと思うのです。多くの人に呼びかけながら、演劇人として、できることで行動していきます。
聞き手・都 光子記者
写 真・橋爪拓治記者
ひいろ・ともえ 劇団民芸所属。66年「アンネの日記」のアンネ役を演じ、67年NHKテレビ「旅路」に出演。テレビ「おていちゃん」、舞台「おんにょろ盛衰記」「かの子かんのん」ほか。昨年から舞台「アンネの日記」にアンネの母親役として出演。朗読劇「この子たちの夏」(地人会)にも出演
( 2004年09月30日,「赤旗」) goto top
女優の黒柳徹子さんが八月六日から十二日まで、ユニセフ親善大使として中央アフリカのコンゴ民主共和国を訪問しました。二十二回目の視察です。十月三日放送の朝日系「サンデープレゼント・内戦が奪った少年少女の笑顔」で、この模様を伝えます。
コンゴ民主共和国は金、ダイヤモンド、携帯電話に欠かせないコルタンなど、地下資源が豊富です。その資源をめぐって近隣の国々を巻き込んだ武力紛争が絶えません。内戦の連続で、緑豊かな大地とは裏腹に、人々の生活は貧しいもの。一人あたりの所得は国連加盟国の最低で、一・一万円です。
コンゴの内戦の特徴は、政府軍・反政府軍ともに少年少女を兵士としてつかったこと。三万人に上るといいます。少女たちは夜は慰安婦のように扱われたといいます。
性的暴行はあらゆる年齢の女性に及びました。黒柳さんが訪れた「性暴力の犠牲者のための医療センター」で治療を受けていたクリスティーヌちゃんはまだ五歳。
内戦の中、敵に襲われて家族を殺されたバセメさん(18)は、犯された上に両目をえぐりとられました。黒柳さんのインタビューに言葉少なにこたえた後、「ヘレン・ケラーのようになって。希望を失わないでね」と言われて、笑みを浮かべます。最後には美しい歌声を披露しました。
訪問を終えた黒柳さんは訴えます。「六十年間、戦争のない日本をつくづくありがたいと思いました。同じ地球の上で想像を絶する悲惨なことが実際に起こっています。みなさまも平和がどんなに大切かを改めて考えてみてください」
◇
関東ローカルでは、野球中継との兼ね合いで十月九日に延期になる場合があります。
( 2004年09月29日, 「赤旗」) goto top
二年前の四月、朝日新聞と韓国の東亜日報で同時に連載を開始しこの八月十五日に刊行された本書は、慶尚南道の密陽(ミリヤン)生まれで長距離ランナーだった作者の母方の祖父をモデルに、戦前から戦後におよぶ一族の歴史と運命をたどった千八百枚の大作だ。
幻に終わった一九四〇年の東京オリンピックへの出場が有力視されていた主人公の李雨哲(イ・ウチョル)、兄と共に走る左翼活動家の弟雨根(ウグン)。朝鮮の近・現代史の傷痕が刻み込まれた家族の肖像が、「すっすっはっはっ」というリズミカルな呼吸音による躍動感ある文体で跡付けられる。
日本による植民地支配、創氏改名などの皇民化政策、抗日運動への弾圧、従軍慰安婦の実態、戦後の解放と韓国右派政権による反共テロ。一九四五年八月十五日で遮断されてはいない暗い潮が、今も果てがない状態で続いている事実に対する作者からの異議申し立ては強烈だ。
密陽アリランの歌が通奏低音として奏でられるなか、雨根が一歳になるまでの百日宴(ペギルジャンチ)などの行事や、雨哲の結婚式・奠雁礼(チヨナンレ)が詳細に描出される。作者は伝統的風俗をていねいに描くことで、この民族の生活様式の多様性、世界文化への貢献を積極的に押し出している。とくに雨根の誕生と成長していく姿は、『命』四部作の世界とも重なって生命への賛歌であり、無辜の子どもたちが危殆に瀕しているこのときだからこそ、それはすぐれて今日的な意義を帯びてくる。
作中、だまされて従軍慰安婦になった同郷の少女に雨哲が「…取り返しがつかなくても…忘れることができなくても…そういうことを全部かかえて生きて…生きてほしい…」と、語りかける場面がある。反転してそれは、植民地支配という「取り返しがつかない」罪を抱えてぼくらはどう生きるかが、問われているといえるだろう。
松木新・文芸評論家
ゆう みり 一九六八年生まれ。作家。『家族シネマ』で芥川賞受賞。
( 2004年09月26日,「赤旗」) goto top
評者にとって本書は待望の書だ。本書の著者吉見は、これまでに数多くの重要な資料を発掘し資料集を刊行して来た。彼自身によるそれら資料の分析結果を早く読みたいと思っていた。
二〇〇二年秋以降日本の内外で、かつて我が国が製造した化学兵器(毒ガス)による被害が続いている。中国では死者まで出た。これら被害について一般的な感想は、何故?であり、製造・使用し、敗戦後多くを放置・隠蔽したのだから必然、という意見は少数だ。これは本書が指摘する「日本軍が毒ガスを使用したという事実に限ってもあまりよく認知されていない。それが、何時、どこで、どのように使用されたかについてはなおさら」という状況のためだ。「その原因の一つ」として「総合的な歴史叙述」の欠如をあげ、「日本軍の毒ガス戦の全体像をなるべく包括的に明らかに」するためまとめたとしている。目的は十分に達成されている。
本書を読むと、日本軍が化学兵器を他の従来からの兵器と組み合わせて使用し、効果を上げていたことが分かる。この戦法は第一次世界大戦中の化学兵器の大量使用とは異なる、日本独自の工夫だった。第一次大戦当時各国がやろうとしてもできなかった戦法だった。それを日本軍が実現したのは、物質的貧しさと、化学兵器による自軍兵士の被害を軽視する姿勢があったからだろうか。
本書の最も重要な指摘のひとつは、戦後の極東裁判が米国陸軍省の意向で、日本軍の化学戦の審理を回避した過程を明らかにし、それが戦後半世紀にわたり、化学兵器の世界各国への拡散をもたらしたという点だ。この回避は同時に、日本が原爆の人類史的な犯罪性を暴露する機会を奪ったとも言えるのではないだろうか。
最後に苦言をひとつ。これだけ内容も、文献表示もしっかりした研究書でありながら、索引がないことだ。再版以降是非、索引を付けていただきたい。
常石敬一・神奈川大学教授
よしみ よしあき 一九四六年生まれ。中央大学教授。『従軍慰安婦』ほか。
( 2004年09月19日,「赤旗」) goto top
新しいベンチの押しつけと「つくる会」教科書の問題
仕事場近くの井の頭公園のベンチがこの頃次々と新しいものに取り替えられている。背には名刺大よりやや大きめのプレートが張り付けてあり、ベンチの寄贈者の名とコメントが書き添えられている。値段は忘れたが一般の人々からベンチ一つ分のお金を負担してもらう替わりに名入りのプレートを付すというもので、東京都の公園管理予算が縮小気味なのを何とか補填しようということなのだろう。
そのアイデアそのものに文句はないが、一つだけ引っかかるのは古いベンチに替わって新たに設置されたベンチの形状だ。二人がけで背もたれがついているのだが、ベンチの両端、そして、中央にひじかけがついている。古いベンチの多くは背もたれもひじかけもないものだが、ベンチとしては古い方が使い勝手がいい。ごろりと横になるにも、家族連れが間にお弁当を広げたりするのにも中央のひじかけは不便だ。寄贈されるベンチはこの中央ひじかけ付きのタイプだけで、そうではない古いベンチは次々と撤去されている。
何故、新しいベンチの中央に不便なひじかけがわざわざあるのか。恐らくこれはホームレスの人たちが寝床の替わりにすることを妨げるためではないか。実際、都心の駅周辺や公園のベンチにはこの不自然なひじかけのついた形のものが目立っている。ぼくが公園のひじかけベンチに引っかかるのは、ホームレスの公園からの排除が、ベンチの形状という意識しにくい形で、しかもそのベンチの設置が人々の善意の寄贈という形で行われていることだ。あるいは名入りのベンチを寄贈した人がホームレスの人々が使うのを「不快」に思わないように、という配慮なのかもしれないが、気がつきにくい形で市民の名を使って公共の場に一つの価値が押しつけられていることがぼくはしっくりこない。
それに比べると都が開校予定の中高一貫校で、いわゆる「つくる会」が主導した扶桑社版の歴史教科書を採択するに到った騒動は、誰が、いかなる価値を押しつけようとしているかがあからさまにわかる点で、あるいはマシなのかもしれない。
この経過を報じた八月二十七日付「朝日新聞」によれば、「つくる会」の関係者は自ら関わった教科書の長所を「日本を糾弾するために捏造された、『南京大虐殺』、『朝鮮人強制連行』、『従軍慰安婦強制連行』などの嘘も一切書かれていません」とアピールしているようだ。一方では「つくる会」の教科書に批判的な人々は「つくる会」の運動は「歴史を書き換えようとする」ものだ、と批判する。
ここで計らずも明らかになっているのは、「歴史記述」が、それを記す人々の「歴史観」や政治的立場によって大きく違うどころか、一つの歴史的事実が「捏造」されたり、逆に「なかったこと」にされてしまう、ということだ。ぼくが、この騒動を興味深く思うのは「歴史を語る」という行為が多かれ少なかれ自身の史観の「押しつけ」になってしまうという、「歴史を語る」という行為そのものがいかなる立場であれ潜在的にもっている危うさが騒ぎの中ではっきりと見てとれるからだ。
「つくる会」の人々は、彼らが自分と異なる政治的立場に立つと考える人々の語る歴史を「捏造」だと主張するが、同時に自身の語る「歴史」が「捏造」だとは全く思わない。だが、彼らの「独善」を嗤うことは何も生み出さない、と敢えてぼくは記したい。彼らは歴史を語るという行為に常にまとわりつく危うさの反面教師としてあるのではないか。「反面教師」として見る、ということは、自身の「歴史語り」をもう一度、内省してみることを意味する。彼らの「捏造」を批判する時、しかし、自分たちの依る「歴史」もまた気づかぬうちにどこかで自己肯定の感情が作用して歪みが生じていないかを誰もが内省する必要があるのではないか。
ぼくは何も、歴史なんて全てフィクションにすぎないとうそぶきたいのではない。歴史を語るということにつきまとう危うさに自覚的で内省的であることが歴史を語るには不可避だと言っているのだ。だから「歴史観」が異なった途端に歴史記述が変わってしまうという、「つくる会」の支持する教科書に見てとれる問題は、皮肉ではなく「歴史」とは何かを考える上では貴重な教材だとさえいえる。
しかし、その時、もう一つ重要なのは「捏造」を暴きあうことではなく、一つの出来事の記述が立場を変えた時かくも違うのか、その異なる「立場」こそが過去の「歴史」がもたらしたものだ、という事実をこそ学ぶことにある。「歴史を語る」という営みも人の営みである以上、「歴史」に規定されるのだ。そのことに気づいた時、ぼくたちは「自尊」でも「自虐」でもなく、「他者理解」のために歴史を学ぶことができる。
それは、他人に寛容でないベンチにもやっぱり通じる問題だ。
月一回掲載。大塚英志、米谷ふみ子、鶴見俊輔の三氏が交代で執筆します。
( 2004年09月16日,「赤旗」) goto top
泉北ニュータウン平和ネット
大阪府堺市にある泉北ニュータウン。人口十四万二千人にも及ぶ大きな団地のなかで、「憲法9条守れの思いで結ぶ$北ニュータウン平和ネットワーク」の人たちが頑張っています。
同ネットワークは、「核のない地球を望む」の一点で結集した「核はいらない青い羽の会」と、新日本婦人の会泉北ニュータウン支部が協力し、よびかけ二〇〇三年二月に発足しました。
憲法九条を焦点に改憲の動きが見られるなか、憲法を守ろうという思いをもった人たちが個人、団体を問わず誰でも参加でき、平和につながる行動を自分で考え発信できるような場所になることをネットワークは目指しています。
ネットワークとして行動を始めたのは二〇〇三年二月八日の街頭宣伝からです。宣伝には常時十人以上が参加し、月に一回以上の街頭宣伝を続けています。
自分の孫が徴兵される
中山良夫さん(58)は退職後、平和運動にかかわりたいと考えていたとき、ビラを見てネットワークがあることを知りました。自分の母親は五人きょうだいのうち三人を戦争で亡くしたと聞いてきた中山さんは「このままでは自分の孫が徴兵されるかもしれない」という思いもあり活動に参加。今はネットワークのニュースをつくるなどして活動しています。
ネットワークでは今年の二月から「憲法のはなし」シリーズの学習会を毎月行っています。
軍隊を持たない国、コスタリカに詳しい弁護士やイラクの子どもの支援活動をする人の現地の報告、戦時中に従軍慰安婦にさせられたフィリピンのロラ(おばあさんの意)の話、憲法と教育基本法についてのかかわりなどテーマは多岐にわたります。
学習会には街頭宣伝で受け取ったビラを持って訪れる人などもいて、毎回六十人ほどが参加。多いときには百五十人が集まりました。「憲法が国家の見張り番%I役割を担っているなんて聞いて、目からうろこの落ちる思いでした。子どもたちが変な流れにのみ込まれないようにしっかりしなきゃ」(女性)「ロラたちの生の声は衝撃的でした。日本政府に怒りを感じました。良い勉強をしました。これからも素敵な集会を楽しみにしています」(六十一歳の女性)といった感想が寄せられています。
学習会に参加してくれた人たちには感想用紙や次回のネットワークの活動の紹介を郵送し、次につながるような結びつきを大切にしています。現在は百八十人にニュースが届けられています。
「憲法あめ」普及
ネットワークは憲法を話すきっかけになればとイタリアの平和団体「平和のテーブル」の「EU憲法に、九条の主旨を入れよ」のよびかけなど、各国の団体や個人の言葉、会議での決議を書き込んだカードとあめ玉を同封した「憲法あめ」を一個百円で普及。これまでに集会などの場所で千個以上が広がっています。
ネットワークの中心になって活動している日本共産党の元衆院議員の藤田スミさん(71)は「平和を願っていても自分でどう動いたらいいのかわからないという人たちにネットワークを知らせ、積極的に運動できるようにしていきたい」と語ります。
( 2004年09月10日,「赤旗」) goto top
日本の加害面と向き合った
日本原水協の前川史郎さんが、韓国ソウル郊外にある「ナヌムの家」で八月中旬に開かれた「ピースロード」に参加しました。前川さんのリポートを紹介します。
日本の戦争責任を学び、日韓のより良い未来を築くために「ピースロード」(ナヌムの家主催)が、八月十六日から二十一日まで韓国ソウル郊外にある「ナヌムの家」で開かれ、日本、韓国、在日コリアン、アメリカ、ドイツの青年ら約四十人が参加しました。
「ナヌムの家」の「ナヌム」とは、「助け合い」や「共生」という意味で、元「慰安婦」のハルモニ(おばあさん)たちが共同生活をしている施設です。また、日本軍が行った蛮行が展示されている日本軍「慰安婦」歴史館が併設されています。
討論を毎晩
スケジュールは、ハルモニとの対面から始まり、参加者どうしの自己紹介、日本軍「慰安婦」歴史館の見学、ハルモニによる証言、水曜デモへの参加、「慰安婦」の写真展の見学、西大門刑務所見学、グループに分かれて女性や人権などの問題に取り組むNGO(非政府組織)の訪問、記念品作製、パダクソリ(民族音楽)鑑賞などでした。
さらに毎晩、「私にとっての『慰安婦』問題」や「出産は役割か権利か」といったテーマで討論しました。私は四年連続、五回目のナヌムの家の訪問でした。
初めてここを訪れたとき、歴史館でハルモニの描いた絵が展示されており、その前で動けなくなりました。絵には桜の木の下で全裸の少女が顔を隠して横たわっており、その桜の木の幹に同化した日本兵が少女の方に手を伸ばしているというシーンが描かれていました。それを見て、日本人である前に男性であることを問い詰められたような気がしたのです。
さらに、日本原水協の事務局員として仕事を始めてからは、ヒロシマ・ナガサキという被害面をアピールしながら原水爆禁止運動を進めていくことに対して、第二次世界大戦時、日本の侵略を受けていた国の人たちには、加害面の反省なしには受け入れてもらえないのではないか―と思いました。
今年の原水爆禁止世界大会にも在韓被爆者協会元会長の崔日出(チェ・イルチュル)さんが海外代表として来られましたが、なぜ彼がヒロシマで被爆しなければならなかったのかを考えると、やはり日本の加害面と向き合わざるをえなくなります。
毎週水曜日に
水曜日、事前にピースロード参加者で作った横断幕を持って、ソウルの繁華街にある日本大使館の前に立ちました。この水曜デモは、雨の日も風の日も、暑いときも寒いときも、毎週水曜日のお昼に日本大使館に向かって日本軍「慰安婦」問題への謝罪と法的賠償を訴え続けています。
私たちが行ったときも大粒の雨に降られましたが、大勢のデモ参加者とともにアピールしました。ピースロード参加者の中には、軍隊の士官になるための勉強をしている韓国人もおり、「強い国をつくるとはどういうことか」や軍隊と性暴力の関係など、熱い議論が交わされました。
六日間の共同生活の中で、一緒に朝ごはんを作り、様々な体験を共有したことで、これからの未来をともにつくっていく仲間ができました。
六月三十日にナヌムの家のリーダーとして活躍されていた金順徳(キム・スンドク)ハルモニが亡くなりました。本当に時間がありません。私たちにできることはないかと考え、全国同時証言集会実行委員会を立ち上げました。十二月四日に元「慰安婦」被害女性による証言集会「消せない記憶」を日本各地で同時に開きます。
多くの人たちに、この問題と被害女性たちの現状を伝え、日本政府による公式謝罪と法的賠償の実現に向けて、社会やメディアに広くアピールしたいと考えています。たくさんの人に関心を持ってもらい、日本政府を動かすことで、ハルモニたちの魂が安らかになることを心から望みます。
( 2004年09月07日,「赤旗」)
一日、ソウルで行われた韓国の潘基文・外交通商相の定例記者会見で、東京都教育委員会が「新しい歴史教科書をつくる会」主導の歴史わい曲教科書(扶桑社刊)を採択したことに関し、日本人記者から「どの国の教科書も自国中心的だ」「韓国が政府として批判することは妥当なのか」と質問が飛びました。
潘氏は「社会的な物事や主観は個人や国ごとに違うかもしれないが、歴史的事実については真理は一つだ。真実、真理が主観的解釈によって記述されることがわい曲だ」と明言。日本政府に「過去を直視する」よう求め、「済州島での韓日首脳会談(七月二十一日)で、韓日関係を未来志向的にしようと確認したことに留意する必要がある」と指摘しました。
不信あらわに
日本と韓国の国交正常化四十周年となる来年は、両国政府が決めた「日韓友情の年」。韓国から韓日友好議員連盟(会長、文喜相議員=与党「開かれたウリ党」)の代表団が八月三十日に来日し、東京都内で自民党、民主党幹部や日韓友好議員連盟(会長=森喜朗前首相)と会合しました。韓国メディアによると、「友情の年」の行事を話し合う席だった会合で、韓国側議員は不信をあらわにしたといいます。
安倍晋三自民党幹事長は、教科書採択に憂慮を表明した韓国側に対し、「歴史的事実の誤りがない限り、教科書は検定(合格)になる」と開き直り、小泉純一郎首相の靖国神社参拝についても、「戦争を起こさないという決意を確かにするもの」だと強弁しました。
これに対し、韓国代表団長の文議員は「小事に目がくらみ大事を失うべきではない」と批判したといいます。
安倍幹事長は三十一日、与党代表として訪韓しウリ党の李富栄議長と会談。李議長が「歴史に対する真剣な解釈があってこそ未来志向的な関係に進める」と迫ったのに対し、「歴史問題については誤解があるようだ」と語り、依然として真剣さを見せませんでした。
日本側の約束
日韓両国は一九九八年の首脳会談で、初めて植民地支配に対する謝罪を共同文書(日韓パートナーシップ宣言)に明記。宣言は「若い世代が歴史への認識を深めることが重要である」と、歴史教育にも言及しました。
二〇〇一年には、日本の文部科学省が「つくる会」の教科書を検定合格させたことに韓国で強い批判が起きたことを受け、同年十月に日韓両国政府の合意により両国に「歴史共同研究委員会」が発足しました。
植民地支配を含む歴史認識の相互理解を促進することが目的の同委員会の任期は〇五年まで。この「日韓友情の年」までに、侵略と植民地支配の過ちを直視した研究成果を出すことは、日本側の約束です。
韓国側委員会(委員長=趙東杰・国民大名誉教授)は八月二十六日、「つくる会」教科書の採択について声明を発表し、「二〇〇一年の韓日両国首脳の合意にもとづいて学術研究を推進している両国の共同研究に重大な障害となる」と懸念、「今回の件は韓日両国の歴史に対する正しい理解を妨げる極めて遺憾な事態」だと批判しました。
有力紙・東亜日報の二十八日付社説は、歴史わい曲教科書の採択は「右翼団体や自治体の暴走ではなく、日本を率いる主導勢力のゆがんだ歴史観の産物だ」として、「日本が本当に国連安保理で世界のために貢献する意思があるなら、まず歴史の過ちを清算すべきだ」と主張しました。
面川誠記者
扶桑社教科書の歴史わい曲
「新しい歴史教科書をつくる会」が主導した中学生用の歴史教科書。日本による一八七六年以降の近代朝鮮への介入を「近代化を助けるため」、韓国併合(一九一〇年)を「日本の安定と満州の権益を防衛するため」と正当化。日本軍「慰安婦」の存在を一切記述しないなど、侵略と植民地支配への反省が欠如しています。韓国政府は二〇〇一年五月に三十五項目にわたる修正を要求し、検定のやり直しを求めましたが、日本政府はこれを拒否しました。
( 2004年09月02日,「赤旗」)
【北京=小寺松雄】中国共産党機関紙・人民日報が主管する「環球時報」紙三十日付は、東京都教育委員会が侵略戦争美化の「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書を採択したことを批判する東京駐在記者の論評を第一面全面に掲載しました。
論評は「つくる会」の中学歴史教科書を分析。日本の中国や東南アジアへの侵略戦争をこれらの国を欧米の植民地主義者から解放した戦争だった≠ニたたえ、「従軍慰安婦」問題などにはまったく触れず、また日本が朝鮮を併合したことを朝鮮の意志であったかのように描いていることなどを指摘しています。
論評はこうした教科書が採択される一つの背景には、戦争を経験した政治家が減り、きちんとした歴史観をもたない政治家が増えており、さらに侵略戦争推進の家系に育った政治家が少なくないことがあげられると指摘。その例として、侵略戦争推進のA級戦犯だった岸信介の孫である安倍晋三自民党幹事長、戦前に首相をつとめた平沼騏一郎の孫である平沼赳夫前経産相、朝鮮人を強制労働させた麻生セメントの一族である麻生太郎総務相らをあげています。
また右翼思想の持ち主である石原慎太郎都知事が「つくる会」の支持者を教育長や教育委員長にとりこんでいると指摘しています。
論評は、「このような教科書が日本の中心に持ち込まれたら、両国関係にどんなによくない影響を与えるかは明白だ。日本の青少年が歴史の真実を知らされないなら、今後の両国民の歴史認識の差はますます広がっていき、世界各国の人々との交流を強化することはできないだろう」と強い懸念を表明しています。
( 2004年09月01日,「赤旗」)
憲法9条に深い共感が…/女性の広い共同は必ず築ける/アジアと世界の平和へ/強い流れ感じた3日間
129カ国、300の女性団体が加盟する国際民主婦人連盟(WIDF)のアジア太平洋地域会議が8月18日から20日までマニラで開かれ、平和シンポジウムも開催されました。日本から出席した堀江ゆり日本婦人団体連合会会長のリポートです。
今回の会議は、この地域の平等・開発・平和の到達を話し合い、今後の行動計画を決めるために開かれたもので、フィリピンの女性連合ガブリエラが開催団体となりました。討論の主なテーマは「平和と安全保障、貧困、人身売買、グローバル化の否定的影響」。なかでも「平和と安全保障」は最重要課題と位置づけられ、「アジアと世界の平和をめざす女性シンポジウム」も行われました。
日本の実態に 驚き、あきれる
シンポジウムは国際民婦連とフィリピン大学の共催で、会場は大学構内。平和活動家、大学関係者、学生などさまざまな人が参加していました。私はパネリストの一人として「核兵器廃絶のための行動への参加と、日本の憲法改悪反対のたたかいへの連帯を」と題する報告をしました。過去の侵略戦争の反省から作られた憲法の改悪を阻止することの国際的意義を訴えるとともに、「核兵器なくそう女性のつどい」や母親大会をはじめ、日本を再び「戦争する国」にしないための草の根のとりくみを紹介しました。
討論では、フィリピンでも軍事費が生活予算を圧迫しているという発言がありましたが、「平和憲法があるのにアメリカに次ぐ軍事大国」「米軍基地に膨大な土地を提供し思いやり予算まで出し、沖縄のヘリコプター墜落事故の現場検証すらできないという主権侵害がある」「医療や福祉はたち遅れ、さらに改悪されようとしている」という日本の実態に、参加者は驚いたりあきれたり。
米軍基地撤去の経験に学んで…
私が「基地撤去の経験に学びたい」と言ったら、若い司会者は「その運動に参加した人も来ていますが…」。フィリピンの人々が国民の総意で米軍を追い出してから、すでに十年以上基地のない生活を送ってきたことを改めて実感した瞬間でした。
一方、ミンダナオ島の女性は「かつて日本軍慰安婦がいた所なのに、テロを口実にした米軍の演習再開で売買春が増加している」と告発しました。日本の女性が、二度と戦争の加害者にも被害者にもならないという決意で首相の靖国参拝に抗議し、「従軍慰安婦」問題の解決のために活動していることは、共感をもって受け止められたと思います。発言の最後は、日本政府の謝罪と補償を要求しているフィリピンの「慰安婦」支援団体の女性。連帯してがんばろう、という言葉がシンポの締めくくりとなりました。
ガブリエラの代表リサ・マサさん(四十七歳、下院議員二期目)の紹介で、下院議長や女性議員たちと懇談できたのも有意義でした。下院議長は議長四回目のベテランで、もちろんアロヨ大統領の与党の人ですが、九条問題を説明すると「フィリピン憲法は変えても日本国憲法は変えてはいけない」ときっぱり。
女性下院議員は二百三十六人中三十六人で立場の違いをこえて女性に対する暴力問題などにとりくんでいるのは、日本と共通しています。「従軍慰安婦」や改憲問題に深い共感を示してくれました。フィリピン議会「九条の会」が作れる?
という感じです。
核兵器も戦争もない世界めざし
地域会議は最終日に、外国軍基地の撤去、朝鮮半島の核問題の平和解決、日本国憲法を守る、「いま、核兵器の廃絶を」署名にとりくむ、などを盛り込んだ決議を採択しました。核兵器も戦争もない世界のために、国内外の女性の共同は可能だと、アジアと世界の平和への強い流れを感じた三日間でした。
( 2004年08月31日, 「赤旗」)
女性史などの研究者らが二十三日、「教科書採択に関する女性史・ジェンダー史等研究者のアピール」を発表しました。また東京都教育委員会にたいし、新設される東京都立中高一貫校で「新しい歴史教科書をつくる会(つくる会)」の教科書を採択しないように求める要請書を、アピール文とともに提出しました。
同アピールは、西村汎子・白梅学園短大名誉教授、米田佐代子・山梨県立女子短大元教授ら五人がよびかけたもので、二十五日までに歴史、女性史、思想史らの研究者百二十四人が賛同しています。
アピールは、「つくる会」の教科書は戦争の重大な被害者である「従軍慰安婦」の記述を拒否し、女性の社会的進出を「家族の絆がくずれる」とするなど、女性の人権に対する攻撃的視点が露骨であると批判。
また、この間東京都では、都立養護学校での人間の尊厳を基調とする性教育を都教委が事実上禁止したり、男女混合名簿を禁止する動きが報道されていることにふれ、「男女平等と人権の立場に立つ教育」が崩されようとしていると指摘しています。
このような状況のもとで、「つくる会」の教科書を採択することは、アジア諸国の人びととの和解と連帯の妨げになるばかりでなく、女性の人権確立を目指す国際的潮流にも反することになるとして、都教委がこの教科書を採択しないように訴えています。
( 2004年08月26日, 「赤旗」)
オリンピック中継の、うち振られる「日の丸」の旗を見ながら、今春の卒・入学式で「君が代」斉唱への起立強要を拒否して処分をうけた教員やその生徒たちのことをふと思ってしまう。かつて、この旗のもとに民族的同化を求め植民地支配をほしいままにした歴史のあったことも、つい考えてしまう。八月という月であることや、その十五日をあえて発行日に選んだ柳美里『8月の果て』(新潮社)を読んだことが影響しているのかもしれない。『新潮』には作者へのインタビューもある。
長距離ランナーの息継ぎのリズムで
物語は、長距離ランナーで、一九四〇年の東京五輪(中止)への出場が有力視されていた作者の母方の祖父をモデルにした李雨哲や、十二歳離れた弟・雨根の、歴史にほんろうされる姿を追っていく。日本による植民地支配、創氏改名などの皇民化政策、雨哲の親友や雨根も加わった抗日運動とそれへの弾圧、また、日本への就職あっせんに見せかけた従軍慰安婦への狩り出し、彼女たちの日常などが「すっすっはっはっ」という、長距離走の息継ぎのリズムに乗せた文章によって描かれていく。人生が長距離走に似ていることを象徴するのか、人生の歩みには歴史が伴走していることを示唆するのか。
いずれにせよ、その独特のリズムは、固有の姓名を強制的に変えられたり、それでも朝鮮名を名乗って抵抗したり、また、子や孫に受け継ぐものとして名付ける、そのような「名前」を鍵として、個人と社会や国家の相関を歴史の流れにおいてとらえようとする作品の主題を引き寄せてくる。
創氏改名が民族と歴史の抹殺であってみれば、さまざまに抵抗は続いた。ランナーとして雨哲以上の素質をいわれた雨根は、日本名を捨てて「春植」を号として名乗って活動するが、狙撃され、同志たちとともに生きたまま山中に埋められる。だまされて慰安婦にされた十三歳の金英姫は、源氏名の「ナミコ」も金本英子も拒否し、本名を胸奥に秘めて死んでいく。
作者の問いかけに私たちの答えは…
雨哲と並んで走る雨根。その姿をいつも友人たちと眺めほのかに憧(あこが)れた英姫。言葉を交わしたこともない二人が、死後の世界で結ばれるというしつらえには、守るものを失わなかった若者の未来での転生、再生の願いが込められている。祖父は孫の作者に「美里」、弟たちに「春樹」、「春逢」と名付けたといわれるが、それも同様の願いからだろう。美里は、彼の生まれ育った韓国慶尚南道の密陽(ミリヤン)からとられたものだが、密陽はまた抗日運動家を多数輩出した地であり、名付けの意図はただ郷愁からではない。雨根の号「春植」から、植えた種はやがて大きな「樹」になり、その下で「逢」おうと名付ける心には、戦後二十数年を経てもなおよどむ哀切な思いがある。
雨哲は一九七〇年代に入り、六十歳近くになって再び走り出す。作者は、雨哲のその動機を彼のランニング記録と朴正熙独裁政権下で何が起きているかを並記することによって示す。雨哲は、日の丸を付けて走っても、勝利の栄光は民族のものであることを信じたあのときと同様、走ることで抑圧するものとたたかうのである。雨哲のランニング再開をそういうものと理解する作者は、さらにそれを、ゴールのない、いわば永遠の自由を求めるものとして描き出す。「8月の果て」とは、八月十五日で断ち切られていない歴史が現にあり、むしろよみがえらされている世界と日本と南北朝鮮の今があり、そこをどう生きるかという作者の問いかけである。答は私たちに委ねられている。抗日パルチザン闘争や南北分断の背景など、さらに深い検討を求めたい点はあるが、物語を読み終えた重量感はひととおりのものではない。
司修「ピアフの歌のように」(『すばる』)もまた、歴史の荒波に人生をほんろうされた女性の話である。
今日への「警句」と読み取るひとこと
三百枚の長編を紹介するゆとりはないが、画家の「私」の姉を、ほぼ同時期を生きたシャンソン歌手エディット・ピアフになぞらえて描く作品は、ピアフのように、ナチス占領下のパリでドイツ軍のたび重なる招待を拒否しつつ、捕虜収容所に出かけてはその声を聞かせた強さをうたうわけではない。日本での芸者生活を捨て、男を追ってパリに渡った姉が見たのは、画業を立てるはずだった男の模写でしか暮らせぬ落魄(らくはく)ぶりだった。独、伊と組んで侵略戦争をすすめる自分の国を信じられないという男に、姉はひ弱さを見、ひとり生きていこうとする。作品は、その波乱が、時代の激動によってさらに振幅大きいものとなる姿を浮き彫りにしていく。
しかし、戦争が終わり時が移ってみると、戦争中の男のひ弱さに、姉はまた別の感慨をもつ。生涯でただひとり愛した男は、弱い人でよかったのだ、と。「自分で動いているようでいて、実は動かされているのね」――姉のつぶやきは、みずからの半生をふり返っての言葉であろうが、今日への警句のように響く。
縣二三男「鉄の橋」(『民主文学』)は一九七〇年代の初頭、東北地方の雪深い山間の地域に起きた小、中学校の分校を本校に統合する話に反対してたたかう村人を描いている。
イメージが言葉による表現で定着させきれていないもどかしさはあるが、統合すれば複式学級はなくなり成績も上がる、通学はバスで保証するなどの虚言を、バスなど冬の凍土にたちうちできるものではない、結局、学校に行けなくなるだけと生活の実ではね返していく姿がよく刻まれている。
国家主義へと流されていく昨今の教育情勢のなかで、これを、ある時代の、ある地方の、いまは遠い話、で終わらせたくないという思いが私には強い。作者の思いもそこにあろう。その切実さは、統合説明会に乗り込むために、吹雪を押して鉄の橋に集合する村人の気持ちに合流している。
(しんふね かいさぶろう)
( 2004年08月26日,「赤旗」)
日本のアジアへの侵略戦争を正当化する「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書。東京都教育委員会が都立中高一貫校で採択しようとしており、それを阻止する行動の先頭に立ちます。その底には、戦争はだめだという吉田さんの人生を貫く強い思いがあります。
父親はサイパンで戦死。五歳のときです。東京の家は建物疎開で強制撤去され、親類・縁者もない群馬県に移りました。「戦後も、バラック住まいで、生活保護を受けての苦しい生活。戦争さえなかったら、というのが母の口癖でした」
奨学金を受けて高校を卒業し、主婦の友社に入社。六〇年安保闘争の高揚の中で、組合活動にとりくみました。ところが安保後、会社から激しい組合攻撃が。活動家を排除する組織がつくられ、一緒にデモにいっていた同僚たちの態度が、あっという間に変わりました。「一種の転向≠ナすね。戦争はこうやって起きるのか、と思いました」
「おれは、そうはならないぞ」。地下倉庫の納品所に配置転換され、その後、地方に飛ばされましたが、屈しませんでした。職場での差別を人権問題として国連に訴える活動から、戦争の被害と加害、「従軍慰安婦」、教科書問題へと活動がつながってきました。
いまの政治状況を「楽観しないが絶望もしない」。「『つくる会』側が『近隣諸国による干渉から歴史教科書を守る』署名を五、六十万集めたというんです。でも、世界の何十億から見たら物笑いでしかない。世界には平和を求める確実な流れがあります」
文・写真 西沢 亨子
国際人権活動日本委員会代表委員。元出版労連副委員長。65歳
( 2004年08月26日,「赤旗」)
「つくる会」教科書の採択
戦前の天皇制政府と同じように日本のアジア侵略を「大東亜戦争」などと呼ぶ歴史教科書の採択をめざす。卒業式で「日の丸・君が代」強制に従わない生徒がいる学校の教員を処分する――。全国でも突出した反動的教育行政をすすめる東京都教育委員会の背後にはこうした動きを強め、増幅する東京都議会の勢力がいます。その実態をみると…。
二〇〇二年六月のこと。東京都議会議事堂二階で、「中国・韓国の教科書に見る日本」と題する「歴史教科書を考える展示会」が開かれました。主催したのは「世界の歴史教科書を考える議員連盟」。中心は三人の都議――民主党の土屋敬之(板橋区)、自民党の古賀俊昭(日野市)、田代博嗣(世田谷区)の各氏でした。
展示の文章をみても、日本のアジア侵略を肯定、美化するねらいであることは明白でした。
韓国を日本の領土に併合したことについては「完全に合法的」。従軍慰安婦については「『強制連行』の事実はいっさいない」。人体実験などで悪名高い「七三一部隊」では「毒ガス・細菌兵器の研究や開発は国際法違反ではなかった」…。日本政府でさえ認め、反省を表明した事実さえも否定する侵略戦争美化の宣伝でした。
繰り返される要求と呼応
侵略戦争賛美の歴史観を持つこれら三都議が、都教委の反動的教育行政を督励してきました。
田代都議は、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書採択が問題になった〇二年二月の都議会で「つくる会」教科書採択に反対する運動を「不法・不当な妨害や干渉」などと攻撃。問題の教科書が採択されやすいような制度に変えるよう要求し、横山洋吉教育長は「改善」を約束しました。
また、ことし三月十六日の都議会予算特別委員会では、民主党の土屋都議が、卒業式で「君が代」を歌わない生徒がいれば「教師の責任」という論理を展開。「指導を担当した教師は、処分対象と考えていいか」とせまり、横山教育長は「おっしゃるような措置をとる事になります」と答弁。その後、都教委は実際に教員六十七人を「厳重注意」などにしました。
都議が要求し、都教委が呼応する――。そのパターンは、この六月にも繰り返されました。自民党の代表質問でした。
「君が代」問題で処分された教員にたいする「研修」を取り上げた古賀都議。「反省の態度が見られず、成果が上がっていない場合、研修の延長、再研修を命じるべきだ」とせまると、横山教育長は「成果が不十分の場合は再度研修を命ずる。同様の服務違反を繰り返すことがあった場合には、より厳しい処分を行う」などと答えたのです。
これらは三人の都議だけの問題ではありません。
もともと、都議会自民党は「君が代斉唱を指導しろ」という要求を都議会で繰り返し、代表質問で会派をあげて「君が代」斉唱の「適正実施」や教員の処分などを求めています。古賀都議は、都議会自民党幹事長代行、総務会長を務めました。
また、土屋都議は、都議会第二党の民主党で現在も総務会長を務める執行部の一員です。
石原都知事支持の急先鋒
土屋都議は、昨年の都知事選で民主党の支持候補がいるのに石原都知事を支援し、都議会民主党副幹事長をいったん解任されました。しかし、その後、総務会長に復活=B民主党が石原都知事の事実上の与党として都議会で行動するなか、田代、古賀両自民都議とともに石原都知事支持の急先鋒(ぽう)として認められています。
「『日の丸・君が代』不当処分撤回を求める被処分者の会」の近藤徹事務局長は「一連の動きではっきりしているのは、石原都政のもとで都議会の与党勢力が『教育は不当に支配に服することなく』とする教育基本法に反し教育に介入してきていることだ。この攻撃に屈することはできない」と話しています。
危険な動きに歯止めを/日本共産党大山とも子都議
六月の都議会定例本会議で、君が代問題などを取り上げ、都の姿勢を批判した日本共産党の大山とも子都議は語ります。
「学校の生徒は、憲法が保障する良心の自由が守られないのかと追及しました。学校で子どもたちが主人公になれるよう創意工夫するのが本来の教育行政です。いまの事態を広い世論に訴えて、危険な動きに歯止めをかけていきたい」
( 2004年08月26日,「赤旗」)
「韓国へ行ったら口に出してはいけない日本人の名前がある。豊臣秀吉と加藤清正だ」。韓国経験の豊富な映画業界の友人が忠告してくれた。十六世紀末の朝鮮侵略のことが、「まさか?」と思ったが、その通りであった。
「あそこは加藤清正が占領して本営をおいたところ」とガイドが説明したかと思うと、「あれは朝鮮の民族英雄、日本の小西行長水軍を打ち破った李舜臣提督の銅像」とくる。ましてや六十年前に終わった日本による植民地統治の傷あとは、あちこちに生々しい。独立記念館や三・一蜂起記念公園には「日帝」に命がけで抵抗した民族の歴史が息づいている。西大門刑務所博物館には、日本の官憲に捕らえられた愛国者たちを拷問した地下室が保存され、実物大の動く人形に悲鳴をかぶせた実況再現まである。そして日本軍に強制連行された「慰安婦」たちの共同生活館「ナヌムの家」とその歴史記念館がある。七十六歳の元慰安婦が語ってくれた。「私たちは金がほしいのではない。日本の国にあやまって欲しい」。彼女らは七十から八十の老躯(ろうく)を押して、毎水曜日ごとソウルの日本大使館に抗議デモを続けている。
アジア諸国の「反日感情」は「反日教育」のおかげとする妄論がある。もしそうだとすれば、韓国・朝鮮の人たちにとって「反日教育」をはじめたのは間違いなく、豊臣秀吉や加藤清正であった。今回「韓国・映画と歴史の旅」という企画でソウル、安東、慶州、釜山を一週間でまわったけれど、韓国映画躍進の原動力もまた、こうした「歴史」にきたえられた韓国民の民族意識の強靱(きょうじん)さにあることがよくわかった。
ソウルから一時間弱、緑の山あいに広大な「ソウル総合撮影所」がある。敷地面積四十万坪、うち建坪九万坪、六棟の撮影ステージに仕上げの施設、衣装や小道具の倉庫、スタッフの宿泊設備から見学者のための映像体験室まで、その規模といい、充実した内容といい、日本の撮影所とは比較にもならない。国が建設し一九九〇年代末、民間の「韓国映画振興委員会」(KOFIC=Korean Film Council)に管理が委託された。このKOFICと並んで映像資料館や映像アカデミーもある。「JSA」撮影で建てた板門店のオープンセットや、近く公開される「酔画仙」に使った昔の家屋群も残されている。
一般の観光コースにも入っていて、りっぱな日本語のガイドブックまである。韓国を訪れたらぜひ一見をすすめたい。韓国映画のパワーを支える力を体感できる。
前記韓国映画振興委員会(KOFIC)を訪れ、政策研究開発部のキム・ミーヒョン部長の話を聞いた。韓国では一九九六年からハリウッドの市場攻勢から国産映画を守るため「スクリーン・クオータ制」(全映画館で年間百四十六日以上韓国映画の上映を義務づける)を実施、米政府から猛烈な撤廃要求を突きつけられていた。映画人は一致してこの制度を支持する大運動を展開、韓国政府も米側要求をはねつけてきたが、最近ハリウッド側の要求は一段と激化しているという。
そのKOFIC本部の廊下には去る七月行われたばかりの「スクリーン・クオータ制を死守する映画人大集会」のポスターが張られていて、日本でも知られる「八月のクリスマス」のハン・ソッキュら大スターも、デモの最前列にあった。
韓国映画プロデューサー協会のアン・ドンギョ副会長が話してくれた。「韓国で観客五百万人を超す大ヒットになる作品は、間違いなく観客の社会的関心に応えたもの。『シュリ』『JSA』『シルミド』『ブラザーフッド』、みなそうです」と。やはり韓国映画躍進の原動力を支えるのは「歴史」にきたえられた韓国民の強靱な意識であった。
(映画評論家)
( 2004年08月24日,「赤旗」)
新作『8月の果て』(新潮社)を刊行した柳美里さん。幻の五輪マラソン選手だった祖父をモデルに、戦前から戦後の朝鮮・韓国の歴史と、一族の系譜をたどった千八百枚の一大長編です。自分の知らない時代にどっぷり身を置き「初めて小説を書いたという実感がある」という作者に話を聞きました。
柳さんの母方の祖父は、日本統治下の朝鮮で長距離走者として活躍し、戦争で中止になった一九四〇年の東京五輪出場を有力視されていました。その後日本に渡り、パチンコ店を経営しますが、還暦を前に再び走りはじめ、韓国に帰って六十八歳で亡くなります。
存命中は過去について何も語らなかった祖父。「語りたくないほどの何かがあったのだろうと、子ども心に感じていました」
初めて祖父の故郷・慶尚南道の密陽(ミリヤン)を訪ねたのは一九九六年でした。祖父には十二歳離れた弟がいたことを知ります。弟もすぐれた陸上選手でしたが、戦後の警察のテロによって殺されていました。祖父も追われて日本に逃げたのです。
「殺された弟は、春植(チュンシク)という号を名乗っていたそうです。祖父は私の弟に春樹(チュンス)、春逢(チュンボン)と名付けています。春に植えた樹が大きくなったその下でまた逢おうという、輪廻(りんね)転生というか、語らなかった思いを名前にこめたと思うんです」
自身の名付け親も祖父。「ミリ」という名前に故郷ミリヤン(密陽)をしのんだのだろうと言います。
痛みに耐えたフルマラソン
小説は、長距離走者として活躍した李雨哲(イ・ウチョル)、その弟の雨根(ウグン)を中心に、家族の生活と朝鮮半島の歴史を、伝統的風俗のなかに描き出していきます。
「一番の苦労は、当時を知る人が読んで『こんなことありえない』などと言われないように書くことでした」
取材と資料集めは多方面に及びました。祖父の友人だった一九三六年ベルリン五輪マラソン金メダリストの孫基禎(ソン・ギジョン)さんにも会いました。雰囲気をリアルに知るため、戦前、現地の朝鮮人学校の教師だった人に、目の前で授業を再現してもらったこともあります。
一方、知識だけでは書けなかったといいます。
「声なき声に耳を澄ませ、猿ぐつわをかまされて死んでいった人の声を聞き取りたいと思いました。痛みを書くのに自分だけ安全圏にいることはできません」
祖父の気持ちに少しでも近づこうと、自らもフルマラソンに挑戦。五時間を超せば失格となる大会で、序盤からの足の痛みに耐えながら、四時間五十四分で完走しました。その体験は小説の第二章にそのまま書かれています。
雨哲が語る章の「すっすっはっは」と走りながら考える文体も、マラソン体験から生まれました。
語り手は雨哲・雨根の兄弟だけではありません。その父母、雨哲の妻、愛人、娘、孫の柳美里と、多くの人生を内側から描きました。「朝鮮のある家庭を想像したというより、その中に身を置いて書いた気がします」。
従軍慰安婦の知られざる生
今回、もうひとつ力を入れたのは従軍慰安婦を書くことでした。密陽で雨根の練習姿にあこがれていた十三歳の少女は、だまされて、はるか遠く中国奥地の日本軍慰安所へ連れて行かれます。
「あの時代を書くとき避けて通れない問題です。しかも、元慰安婦の訴訟やデモなど怒りの部分しか知られていない。悲しみが伝わっていません」
韓国の慰安婦犠牲者たちに会ったとき「イラッシャイマセ、ソコニオカケクダサイ」「アリガトウゴザイマシタ、マタキテクダサイ」とくり返す言葉が、「生々しかった」と言います。
「慰安所の朝から夜までを聞かせてもらいました。問題としてではなく、読者もその場に身を置く形でしかわからないと思うんです。帰国する船で海に飛び込んだ人も多いと聞きました。海に沈んだ人の声を、しかも花嫁としてわが家に迎える形で書きたかったんです」
そして日本の敗戦と朝鮮の解放。しかし、喜びもつかの間、韓国の右派政権の反共テロが左翼活動家だった雨根を葬り去ります。取材はこの戦後の部分が最も困難でした。
「祖父の弟は、百人もいた校庭で、足を撃たれて捕まったそうです。目撃者がいるはずなのに、誰も見たとは言いません。実際にお骨を見つけられないかと思いましたが…。このままではあまりに浮かばれません」
北朝鮮の拉致問題や歴史問題。日・韓(朝)の間の問題は大きい。書き終えて、いままでの作品以上に読者の反応が気になると言います。
「生きることは知ることです。いろんな誤解も知らないのが原因です。同世代以下の人に、日韓の歴史を知るきっかけになってほしい」
文 ・北村隆志記者
ゆう みり=1968年生まれ。高校中退後、劇団「東京キッドブラザース」で東由多加さんを知り、創作を勧められる。93年岸田戯曲賞を最年少で受賞。97年芥川賞を受賞。自身の出産と東さんとの闘病を書いた『命』4部作がベストセラーに。
( 2004年08月23日,「赤旗」)
南房総で活躍する3氏が報告
二十日から千葉県館山市で開かれている第八回戦争遺跡保存全国シンポジウムで二十一日、特別分科会「南房総平和活動シンポジウム」が開かれ、南房総地域で平和の問題で活躍する女性三氏が、自らの体験や活動を報告・交流しました。
報告したのは、環境・平和ジャーナリストのきくちゆみさん(鴨川市在住)、アイヌ布絵作家の宇梶静江さん(鴨川市在住)、婦人保護施設「かにた婦人の村」施設長の天羽道子さん(館山市在住)。
アメリカの「対テロ戦争」を食い止めようと日本とアメリカで活動するきくちさんは、米軍のアフガン爆撃のビデオを映写しながら「ブッシュ政権は『正確に爆撃』というが、実態はまったくのウソ。アメリカやそれに加担する国が垂れ流す情報をうのみにしてはいけない」と訴えました。
天羽さんは、戦前育った満州(中国東北部)が日本の「加害の地」だったことや、施設に入所していた一人の元従軍慰安婦の女性の勇気ある告白で「鎮魂の碑」が建てられた経過を紹介。「日本は加害の歴史にどうして痛みを感じないのか。過去を隠すことにきゅうきゅうとする国は変えなければなりません」と語りました。
宇梶さんは、アイヌへの差別の解消を行政に訴え、布絵の活動に至った人生の歩みを切々と語り、「就職や結婚で差別される同胞には、『アイヌのアの字が怖い』という人もいます。アイヌの神のシマフクロウを意味する布絵で、解放される道を示していきたい」とのべました。
最後にきくちさんは、「いま、教育基本法や平和憲法の改悪が日程にのぼり、戦争のがけっぷちにあります。シンポジウムをきっかけに、平和のために行動する人の連帯を広げたい」と呼びかけていました。
(2004年08月22日,「赤旗」)
子どもに使わせるわけにはいかない
東京都教育委員会が、来春開校する都立白鴎高校付属中学校で「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書を採択する動きを強めています。これに反対している「練馬・教育と文化を考える会」世話人の杉橋セツさん(61)に聞きました。
めいが韓国に留学したとき、日本が韓国でかつて何をしたのかを韓国の人に教えられて、「すごく恥をかいてショックを受けた」と言っていました。
日本の子どもは、日本が近隣の国を侵略したことなどの、歴史の事実をきちんと教えられていないのです。
歴史の事実をちゃんと知らせていなければならないはずなのに、「つくる会」教科書は、まったく逆を向き、歴史をねじ曲げています。「従軍慰安婦や強制連行はなかった」と言い張る人たちがつくったもので、日本の侵略戦争による加害責任には触れていません。
この教科書は、自衛隊による「国際貢献」も強調しています。教育を通じて、子どもに銃を持って戦争にいくことを教えるなどもってのほか。憲法や教育基本法を改悪する動きとともに、戦争ができる国づくりにつながっています。こんな教科書を子どもたちに使わせるわけにはいきません。
練馬区では署名や採択阻止のための宣伝を続けています。七月二十日の、「都立中高一貫校に『つくる会』の教科書を阻止する東京ネットワーク」主催の集会には区内の教育や女性団体、労働組合十一団体が賛同団体になりました。運動を広げ、「つくる会」教科書を採択させないため全力で頑張りたい。
(2004年08月21日,「赤旗」)
東京都教育委員会が、来春開校予定の都立台東地区中高一貫校に「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書(扶桑社発行)を採択する動きを強めていることに、批判や懸念が広がっています。「つくる会」教科書の何が問題か――歴史教育者協議会委員長の石山久男さんにききました。
侵略を徹底美化
「つくる会」教科書の大きな問題は、日本の近代の戦争、アジア侵略を徹底的に美化していることです。
日清、日露戦争は、「弱肉強食」の世界で独立を守るため、やむを得ずたたかったものだとし、日本自身が「弱肉強食」の世界をつくる片棒を担いでいたことは隠しています。アジア・太平洋戦争は「大東亜戦争」という当時の日本政府の用語を使い、アジア解放のための戦争だったと正当化しています。「つくる会」はアジア侵略のなかでの日本の加害行為も認めません。
現行版は、文部科学省の検定を受けて「南京虐殺」という言葉は使っています。しかし来年、検定を受ける新版教科書では、「南京大虐殺、朝鮮人強制連行、従軍慰安婦強制連行」については「一切書かれていません」と、「つくる会」機関誌の「史(ふみ)」七月号は強調しています。
これらはアジア諸国からみると、納得し難いものです。「つくる会」教科書で教育がなされるようになれば、日本が再び軍国主義大国として侵略を始めるのではないかと、アジア諸国がおそれを抱くのは当然です。
扶桑社の教師向けの指導書は、「アジア解放に対する日本の功績」として「東南アジアの人たちに戦争の仕方を教えた」と生徒にノートに書かせ、教師が確認することまで指示しています。
「つくる会」の公民教科書は、「憲法改正をタブーとしない」と教えるなど、憲法改悪を準備する内容になっています。
「つくる会」教科書の採択は、日本にとってもアジアにとっても、百害あって一利なしです。
採択手続にも問題
採択の手続きにも大きな問題があります。
二〇〇一年度のいっせい採択では、「つくる会」教科書の内容が大問題となり、世論の大きな批判のなかで、採択は実質的にゼロでした。
「つくる会」は〇一年の採択に先立って、教科書の採択権は教育委員会にあるとし、だれの意見もきかずに教育委員だけで採択を決めろと主張し、右翼政治家とともに教育委員会に圧力をかけています。
六月十四日に自民党が開いた「つくる会」教科書を支援する集会には、河村文科相や横山洋吉都教育長が出席しています。都教委の責任ある立場にいる公務員が、特定の教科書を支援する立場で活動することは許されません。
本来、教科書の採択は、子どもの実態に即して、実際に授業を進める教員を中心に、関係者の意見も聞いて、決めていくのが本来のあり方です。それはILO(国際労働機関)・ユネスコ(国連教育科学文化機関)の「教員の地位に関する勧告」でも認められている国際的に承認された原則です。教科書採択を、そのレールに戻すことが必要です。
世論で採択ゼロに
「『つくる会』の歴史教科書を採択しないよう求める署名」は、八月はじめの十日間で一万七千人(累計二万二千人)が賛同するなど、取り組みも関心も広がってきています。
中高一貫校で「つくる会」教科書の採択をさせないためにも、〇五年の教科書のいっせい採択で再びゼロにするためにも、教科書の内容や密室採択の問題を訴え、地域から運動を大きくしていくことが必要です。
(2004年08月20日,「赤旗」)
戦後はまだ終わっていない/1/ある元「慰安婦」の死
アジアを侵略した日本が敗北してから今年で五十九年。それは戦争をしない国、新生日本のスタートでもありました。しかし、いまその日本を戦争をする国に逆戻りさせようとする人々がいます。そんな企てを許していいのでしょうか。あの戦争で日本は何をしたのか、それはすでに過去の話になったのか、果たして戦後の時代は終わったのか―。
その日も金順徳さんは、ソウルの日本大使館前で毎週続けてきた六百十三回目の「水曜集会」に参加するはずでした。金さんは旧日本軍の「慰安婦」被害者の一人。六月三十日の朝、元「慰安婦」が共同生活する京畿道・広州市の「ナヌム(分かち合い)の家」で突然、脳出血で倒れ、ソウル市内の病院で意識を取り戻すことなく、昼すぎに息を引き取りました。享年八十三歳。
「慰安婦」が戦争被害の問題として正面から取り上げられるようになったのは、終戦から半世紀近くもたった一九九〇年十一月に韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会(挺対協)が発足してからです。挺対協は九一年九月に被害申告電話を設置。金順徳さんは、九二年春に名乗り出ました。
七月二日にナヌムの家で行われた追悼式で、金さんを支え続けた尹美香さん(挺対協事務総長)は涙ながらに、こう振り返りました。
「金順徳ハルモニ(おばあさん)は、うなだれたままでした。『私があそこ(慰安所)にいたと家族が知ったらどうなるだろうか』。いつもそう思いながら生きてきたと言ってました」
「みんな仲間」
しかし、名乗り出たその日から金順徳さんの生きる姿勢は一変しました。尹さんは語ります。
「戦争と南北分断、歴史にほんろうされた人々の苦しみは人ごとではなくなりました。韓国の長期政治囚、民主化運動や南北統一運動で投獄された人々、みんな自分の仲間でした。『慰安婦』証言集会で受け取った謝礼は、すべてそうした人々の支援に使ったんです」
金順徳さんは、名乗り出た直後の九二年五月に赤旗記者の取材に応じています。地下室のような暗い自宅のアパートでした。十七歳だった三七年に、就職紹介業者と称する日本人にだまされ、中国・上海に連れて行かれたこと。日中戦争中の戦地に送られ、テント張りの「慰安所」で毎日、何十人もの日本軍人に強姦(ごうかん)されたこと…。静かな口調で「必ず日本政府に謝罪と国家補償をさせる」と言い切りました。
日本政府は九五年、民間の寄付金を募る形で「女性のためのアジア平和国民基金」を設立、国家補償ではない「償い金」の支給で問題の幕引きを図ろうとします。韓国の被害者のほとんどは「償い金」の受け取りを拒否しました。
九八年十月に「ナヌムの家」で会った金順徳さんは「早く日本政府が謝罪と補償をちゃんとやることだけが願い。日本に行って座り込みをやったこともあるよ。『金のために来た』とか、ひどいことを言われた。悔しかったね」といら立たしげでした。
二〇〇三年一月、金順徳さんは日本の高校生が主催する集会に招待されました。「このあいだ、小泉首相が靖国神社に行きましたね。なぜですか。韓国人、日本人、中国人、たくさんの人を殺したあの場所に、なぜまた参拝するんですか。戦争はあってはならないことです。戦争では女性がひどい被害を受けます」
高校生に「仕返ししたいと思いますか」と聞かれた金順徳さんは、こう答えました。「そういう感情は捨てました。今の高校生には罪はありません。近い国だから互いに行き来して、歴史を勉強して、仲のいい国になればいいと思います」
花咲くまえに
金順徳さんは晩年、数々の絵画を残しました。チマ・チョゴリ(女性の民族衣装)を着た少女と膨らんだつぼみをあしらった「咲きそびれた花」が代表作。花咲く前に、無残に摘み取られた人生を表現した絵です。二度と自分のような戦争の犠牲者が出ないことを願いながら。
今もつづくたたかいのなかで、一人また一人と元「慰安婦」が世を去っていきます。約二十万人に達したといわれる「慰安婦」のうち、九〇年以降に名乗り出た韓国人は二百二十人。このうち八十一人がすでに亡くなりました。 面川誠記者(つづく)
( 2004年08月16日,「赤旗」)
一九一〇年から四五年まで日本による植民地支配を受けた韓国は、侵略戦争のA級戦犯を祭る靖国神社参拝と、海外での軍事的役割の拡大にこだわる小泉政権への警戒心を強めています。
韓国の与野党は十四日、植民地支配からの解放を記念する「光復節」を前にそれぞれ声明を発表。与党・開かれたウリ党は「日本は軍事大国化をねらっている」、野党ハンナラ党は「いまわれわれは大きな危険に直面している」、民主労働党は「日本は再武装の道を歩み続け、侵略の歴史をわい曲するなど、真の謝罪をしていない」と批判しました。
韓国メディアは、自衛隊と在日米軍の一体化が進み、小泉純一郎首相が武器輸出三原則の見直しまで言及していることに触れながら、こうした動きが「完全に米国の傘のもとで進行している」と指摘。民主党の岡田克也代表が七月に訪米し、憲法改定と自衛隊の海外での武力行使を容認する発言をしたことをあげ、「平和憲法の改定は、おそらく日本の(軍事大国化の)歩みに翼をつけることになるだろう」と強調しました。
日本軍の「慰安婦」にされた被害者と支援者がつくる韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会は十一日、ソウルの日本大使館前で六百十八回目の水曜集会を開き、「(来年の)植民地支配からの解放六十周年を迎えるまでに、慰安婦問題を解決しよう」と訴えました。面川誠記者
( 2004年08月15日,「赤旗」)
世界の人びとをまきこんだ第二次世界大戦と、二千万人以上のアジア諸国国民、三百十万人以上の日本人を犠牲にした太平洋戦争から人類が引き出した教訓は、「戦争のない地球を」でした。あれから五十九年、人類はさらにいくつかの戦争を体験し、そしていまイラク戦争が事実上継続しています。その痛苦の体験の中から、戦争や軍事力によらない、平和と対話の世界をめざす新たな波が世界とアジアで起こりつつあります。そうした中で日本の現実は…。
いまアジアでは平和への流れが脈打っています。複雑な事態が続きながらも朝鮮半島では和解が進みつつあります。独立以来二度戦争し対立をつづけるインドとパキスタンの間でも、対話による解決への模索がなされています。
東南アジア諸国の間では、平和と友好を合言葉にした共同体づくりへの努力が進行中。そして、その東南アジア諸国の結束のよりどころである東南アジア友好協力条約(TAC)への加盟国はアジア全域に及び、その輪は広がりつつあります。
その中で問われているのが日本のあり方です。マレーシアの英字紙の幹部記者はいいます。
「新しいアジアで日本に積極的役割を果たしてもらいたいというのはアジアに共通した見方でしょう。そのために、日本はアジア諸国から信頼される国になってほしい。その点で、過去にたいする日本政府の姿勢に目を向けないわけにゆきません」
「私にとって戦争はまだ終わっていません。日本軍がおこなったマレーシアでの住民、華人虐殺について、日本の政府はその事実すら認めていません」。マレーシアのある村での日本軍による大量虐殺を告発しつづける孫建成さんの言葉です。
侵略した国々から市民を強制的に連れてきて労働に従事させた強制連行問題では、最近になって一部の裁判所が関係者の責任を認める判決を下しました。しかし、まだ部分的な動きです。「従軍慰安婦」の問題では、政府は国としての責任をまったく認めようとしていません。日本軍による各国での住民虐殺については事実調査もほとんどおこなわれていません。
中国に日本軍が遺棄してきた毒ガス兵器について日本政府はやっと手を打ち始めましたが、遅々とした動きです。その間に中国の住民の間で被害が続出しています。
「戦後はまだ終わっていない現実」を省みず、それどころか戦争の教訓をないがしろにして進められているのが、「戦争をする国」への逆戻り現象です。他国の戦争に参加するための有事法制、自衛隊の海外派兵、憲法九条廃棄論の浮上、戦争犯罪人を祭った靖国神社への閣僚の参拝、君が代と日の丸の強制、そして閣僚による公然たる戦争肯定発言…。
戦争の教訓と戦後の歴史をゆがめる危険な動きに正面から対決することは、アジアの平和の流れに日本が参加するための不可欠の条件となっています。三浦一夫記者
( 2004年08月15日,「赤旗」)
【ジュネーブ=時事】国連人権委員会・人権促進保護小委員会は十二日、日本の従軍慰安婦問題に関する内容を含む「女性に対する組織的な暴力と性的な奴隷行為」についての決議を採択しました。第二次大戦中の旧日本軍の行為などについて「教育課程の中で歴史的な事件の説明」をするとともに、「効果的な処罰や補償」を行うよう関係国に求めています。この決議は一九九三年以来行われており、今年は昨年とほぼ同様の内容となっています。
( 2004年08月14日,「赤旗」)
治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟中央本部の斎藤久枝国際部長は十一日、ジュネーブで開催中の国連人権促進保護小委員会で発言し、米軍がイラクのアブグレイブ収容所で行った虐待と同じことが日本で戦前の治安維持法の犠牲者や「従軍慰安婦」、捕虜に対しても行われたことを告発しました。
同国際部長は、日本がアジアやオランダの人々を、南京大虐殺や七三一部隊による人体実験、「従軍慰安婦」やアジアやオランダなどの捕虜を虐待した事実をあげて、侵略戦争による大規模な被害が依然として謝罪も補償もされていないと主張。さらに、ドイツ、韓国、アメリカなどの外国では、戦争犠牲者が補償を受けている事実を指摘し、日本政府の対応の遅れを指摘しました。
また同国際部長は、イラクで暫定政府がフセイン元大統領の裁判などでイラクの弁護士連合会に解散を命じるなど圧力を加えている問題について遺憾を表明しました。
( 2004年08月13日,「赤旗」)
旧日本軍の毒ガス兵器遺棄に迫る/今も続く被害を映像に/監督・撮影・編集/海南友子さん
旧日本軍が中国で遺棄した毒ガス兵器による被害者に取材したドキュメンタリー映画「にがい涙の大地から」が来月東京で上映されます。「日本の過去の行為で今でも傷つき、未来を奪われる」。監督、撮影、編集を行った海南友子(かな・ともこ)さんは、多くの涙と出会いました。松本眞志記者
映像のほとんどは被害者と家族の証言から構成され、場面の説明が字幕でわずかに伝えられるだけです。
「毎日の生活が本当に静かなんです。寝たきりの方の家では時計の音だけがする。ひどい現実の前で時間だけが過ぎて行くみたいな感じです」と海南さんは語ります。
若くして父親を亡くし学業をあきらめて借金返済のため月収二百元(約二千六百円)で休みなしの労働を強いられる女性、劉敏さん(27)。十七年もの間、毎日十回以上のせきの発作に苦しめられ血たんを吐き出す男性、李国強さん。毒ガスで生殖機能を失い自殺をはかった男性、李臣さん(59)。爆発した砲弾の破片を全身に浴びて働けなくなり、結婚をあきらめた男性、張喜明さん―など被害者の日常生活がそのまま映し出されます。
毒ガス被害が日本でも起き、それが今でも続いている事実も紹介されます。毒ガス兵器製造所のあった瀬戸内海の広島県大久野島。当時、学徒動員などで全国から集められた、のべ五千人の従業員が兵器製造に従事しました。今でも後遺症に悩む人々がいます。
後半のシーンでは、被害者が日本政府を相手どって起こした訴訟の原告たちの姿が圧巻です。昨年九月二十九日、東京地裁判決は国の責任を全面的に認めました。
訴えていた被害者は、「正義を勝ち取った」「八年間の努力は無駄じゃなかった」と歓喜の声をあげますが、それもつかの間。日本政府の控訴は原告たちの喜びを打ち砕きます。
原告の一人、李臣さんは、「日本政府は、これが戦時ではない平和な時代に起きている問題だということを考えてほしい。死ぬことは怖くない。怖いのは裁判で勝利できないこと」と声をふるわせました。
遺棄毒ガス兵器の被害を伝えるというテーマの重さに、海南さんは「何度、途中でやめて帰ろうと思ったかわかりません」と語ります。しかし、その都度、取材した被害者の顔を思い浮かべ「被害者のつらさに比べると自分のつらさなんて」と思いなおし映画製作をやり遂げました。
映画をつくるきっかけとなったのは原告の劉敏さんとの出会いでした。父親、劉遠国さんは、九年前に日本軍の遺棄した砲弾が爆発し両腕が吹き飛び全身に重傷を負って亡くなりました。
劉敏さんは取材に答えながら涙をこらえきれず泣き出しました。そばで話を聞いていた母親も娘の話に涙を流し、夫が「働けないから殺してほしい」と訴えたと語りました。劉遠国さんは治療費が工面できず退院を強要され、自宅に戻り一晩で亡くなったのです。
海南さんは、過去の戦争による被害が今でも起き、それによって苦しんでいる人々がいること、自分と同じ若い女性がなんの楽しみも持てず、休みなしに働かなければならない現実に衝撃を受けたといいます。
「イラクの大量破壊兵器問題は日本でも問題となりました。しかし、旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器は日本がつくった大量破壊兵器です。政府は日本の責任問題として優先的にとりくむべきです」と海南さんは訴えます。
上映会(東京)予定/9月20、21、23、26日/渋谷アップリンクファクトリー 電話03(5489)0750
問い合わせ電話・ファクス 03(3357)5140
かな・ともこ
大学卒業後、NHKの報道ディレクターとして7年勤務し2000年独立。2001年インドネシアの元「従軍慰安婦」を取材したドキュメンタリー映画「マルディエム 彼女の人生に起きたこと」を監督。著書に『地球が危ない』(幻冬舎・共著)『未来創造としての「戦後補償」』(現代人文社・共著)。
旧日本軍遺棄毒ガス兵器
第二次世界大戦中、日本軍は国際条約に違反して中国で細菌やイペリットなどの毒ガスを砲弾などに詰めて大量に使用しました。日本軍は敗戦時に事実の発覚を恐れ、七十万から二百万発といわれる化学兵器を遺棄しました。中国ではこれらの兵器が原因で戦後約二千人が死傷したとされます。
一九九〇年代に入って被害者が相次いで日本政府を日本の裁判所に提訴。第二次訴訟判決(二〇〇三年五月)は毒ガス兵器遺棄の違法性を認めましたが賠償請求は棄却。第一次訴訟判決(同年九月)で初めて国の全面的責任が認められました。
( 2004年08月12日,「赤旗」)
日本の労働者、市民に対する人権侵害を世界に訴えるため活動している団体、国際人権活動日本委員会は、ジュネーブで開催された人権促進保護小委員会第五十六会期会合で、二日から四日にかけて要請活動を行い、日本の人権問題についての報告書「日本からの民の声」を専門委員に手渡しました。
国際人権活動日本委員会は九三年から活動していますが、今年二月、国連経済社会理事会から特別協議資格を取得し、国連に直接意見表明できるようになりました。今回は鈴木亜英弁護士(団長)ら二十四人の要請団を派遣しました。人権促進保護小委員会は国連人権委員会の下部機関。
二日午後に行われた「差別の禁止」の審議で、大阪の在日コリアン、ハム・ドンギュウ氏が日本における在日コリアンへの差別について報告しました。
三日午後に同委員会が開いた説明会には約七十人が参加。日本軍に強制連行されたオランダのアドリアンセン・シュミットさん(対日道義請求財団)らが「従軍慰安婦」など日本政府の戦後補償への疑問を提起。またヒルトンホテル、金剛学園、クラボウ、新日鉄、三菱重工などの争議団が訴えました。説明会には小委員会から横田洋三委員らが出席しました。
四日午後の「経済的、社会的、文化的権利」の審議では、銀行産業労組の高梨光恵さんが発言してAIGスター生命の「『短期雇用』労働者の恣意(しい)的、差別的解雇」について訴えたほか、ヒルトンホテルでの労働者十人の不当解雇を告発しました。
鈴木団長らは同日、国連人権高等弁務官事務所を訪れ、「再審・えん罪事件全国連絡会」の作成した日本の警察、司法の民主化を訴える文書を提出しました。
( 2004年08月12日,「赤旗」)
〈東京・大田〉
第二十五回大田・平和のための戦争資料展が七日、大田区民ホール・アプリコで始まりました。同資料展は九日まで開かれ、講演も行われます。
今年のテーマは「戦争と大田区」。憲法や教育基本法の改悪をねらう動きが強まっているなか、戦時下の教育に焦点をあて、日本を「戦争をする国」にするために教育が果たしてきた役割を伝える資料などが展示されています。
「戦争と大田の教育」のコーナーでは、国定教科書や木銃・なぎなたによる訓練の写真などが展示され、教育勅語による教育現場の状況を伝えていました。戦中の紙芝居や漫画雑誌、もんぺや防空ずきんなども、子どもたちの生活を物語っています。「日本の侵略とアジアの民衆」のコーナーでは、植民地や占領地で行われた皇民化教育の資料が展示されていました。
「イラク戦争がもたらしたもの」「原爆と人間展」「自衛隊派兵と日本国憲法」「平和作品展」のコーナーで写真や資料、作品に見入る人も。
閲覧席に並べられた写真集などに目を通していた大田区の男性(60)は「ふだん、戦争のことを忘れちゃうから、毎年ここにきています。ここでしか見れない貴重な本もあるんです」と語っていました。
〈前橋〉
「二〇〇四平和のための戦争写真展」が七日、前橋市の群馬県庁昭和庁舎で始まりました。入場無料で、九日まで。前橋平和委員会、日中友好協会前橋支部、日朝協会群馬支部、群馬県平和委員会の主催。
前橋空襲や沖縄戦、中国人強制連行、従軍慰安婦問題など、当時の写真や資料、ビデオなどを通して、平和の大切さをアピールするもので、毎年開催しています。
来場した中学二年生の青木咲子さん(14)=前橋市=は「朝鮮人の従軍慰安婦の手紙を読んで、もう二度と戦争をしてはならないと思った」と話していました。
(2004年08月08日,「赤旗」)
岐阜県中津川市の市立第一中学校三年生(三クラス九十九人)が、この夏、中津川市内で「一中平和祈念展」を開き、自分たちが学んだ平和や人命の尊さを市民に伝えました。
岐阜県・鈴木正典記者
同展は今年で三回目。「総合的な学習の時間」「長崎修学旅行」の学習成果の発表として、七月二十八日から八月一日までの五日間開催されました。
強制労働、原爆…学習内容を40点に
総合学習の時間で調べた「従軍慰安婦」「強制労働」「731部隊の真実」「原爆のしくみ」など約四十点の学習内容が模造紙に書き込まれ掲示されていました。
学習した感想として、「原爆は投下後も、今も人々を苦しめ続け何万人もの死者を出しました。産まれてくる子どもたちも被爆二世、三世となって色々と苦労をしています。だから、ぜったい使ってはいけないと確信しました」と記されていました。
特設ステージでは、原爆詩などの朗読やグループの学習発表がありました。「被爆者の方との出会いを通して」のテーマで発表したグループの生徒の一人は、「人種や宗教の違いで多くの命が奪われ、戦争は最大の差別です。戦争を起こさないために思いやりの心が大切で、一人ひとりの違いを尊重することをこれからの生活のなかで生かしていきたい」と語りました。
191羽の「折り鶴」で地球儀のオブジェ
会場には、原爆写真パネルのほか、世界平和を願う百九十一羽の「折り鶴」で世界の国々を形づくった地球儀のオブジェが展示され、生徒たちの世界平和を願う熱い気持ちがあふれていました。
会場を訪れた女性(50)は、「日本が戦争をしていた時代を知らない世代が増えてくるので、平和展のような形で順番に子どもたちに引き継いでいってほしい」と話していました。
祈念展を担当した小木曽敏樹教諭は、「生徒たちが学んだことを多くの人たちに伝えたいと思うのは必然なことです。学校のなかだけの発表にとどめずに、社会のなかでの出会いやふれあいが生徒たちを育てます」と話します。
人の命を大切にするさまざまな平和学習が続いていくことを願います。
(2004年08月08日,「赤旗」)
会報でポイント公開
来年の中学校教科書への採択をねらって、「新しい歴史教科書をつくる会」が文部科学省に申請した改訂版歴史教科書のポイントが同会の会報『史』(ふみ)七月号でわかりました。会報は、「『南京大虐殺』『朝鮮人強制連行』『従軍慰安婦強制連行』などの嘘(うそ)」は「一切書かれていません」などと歴史の真実を覆い隠す内容を誇示しています。(3面に関連記事)
今夏、東京都教育委員会は、現行版の「つくる会」歴史教科書を東京都立中高一貫校で採択する動きを強めています。都での採択が「つくる会」歴史教科書を今後全国に広げる突破口とされる恐れがあり、国内外で反対の声が強まっています。
「つくる会」は、二〇〇一年に検定合格した歴史教科書の採択運動を進めるとともに、さらなる採択をねらって、今年四月、改訂版を文部科学省に申請しました。
「改訂版」のポイントを初めて公開したのが『史』七月号です。
このなかで、「つくる会」副会長の藤岡信勝拓殖大学教授は、自身が執筆した、改訂版『新しい歴史教科書』について説明。「日本を糾弾するために捏造(ねつぞう)された、『南京大虐殺』『朝鮮人強制連行』『従軍慰安婦強制連行』などの嘘も一切書かれていません。旧敵国のプロパガンダから全く自由に書かれている」と、その特徴を語っています。
南京大虐殺や、朝鮮人強制連行、従軍慰安婦強制連行は、いずれも歴史の事実です。これを「嘘」「捏造」などという教育を受けて信じた生徒は、日本の侵略の歴史について真実を知らされないばかりか、かつて日本の侵略を受けた近隣諸国の国民からも反発を受けることになります。
「つくる会」の現行歴史教科書についても、文部科学省が一部修正で検定合格させたことに、アジア諸国から厳しい批判があがりました。〇一年の中学校教科書の一斉採択では、反対の世論と運動を前に「ゼロ採択」にとどまりました。
( 2004年08月02日,「赤旗」)
日本ジャーナリスト会議(JCJ)は三十日、すぐれたジャーナリズム活動・作品に贈るJCJ大賞などを決めました。
JCJ大賞は、北海道警察裏金問題に対する一連のキャンペーン報道で北海道新聞社・道警裏金問題取材班と、外務省秘密文書の暴露と地位協定改定を目指すキャンペーン報道で琉球新報社・地位協定取材班。
JCJ賞を受賞したのは、『戦場の「慰安婦」/拉孟全滅戦を生き延びた朴永心の軌跡』(明石書店)の著者西野瑠美子さん▽月刊写真誌『DAYS JAPAN』創刊号以来の戦争告発報道で発行・編集人の広河隆一さん▽NNNドキュメント『大地を踏みしめてもう一度』の日本テレビ制作スタッフ一同。
JCJ市民メディア賞は、『世界は変えられる/TUPが伝えるイラク戦争の「真実」と「非戦」』(七つ森書館)を監修したTUP(平和をめざす翻訳者たち)が受賞。黒田清JCJ新人賞には、『9・11ジェネレーション/米国留学中の女子高校生が学んだ「戦争」』(集英社新書)の著者岡崎玲子さんが選ばれました。
本紙の「三菱自動車のタイヤ脱落母子死傷事故でスクープとキャンペーン報道」は、応募八十七点のなかから以上の作品も含めたJCJ賞推薦作十四点に選ばれました。
( 2004年07月31日,「赤旗」)
第二次世界大戦中に「勉強できる」などと誘われて朝鮮から日本に連れてこられ、富山市の不二越で女子挺身(ていしん)隊として強制労働させられた上に賃金が未払いになっているとして、国と不二越を相手に賃金の支払いと損害賠償を求める、第二次不二越訴訟の第四回口頭弁論が二十八日、富山地裁で行われました。原告が不二越での待遇などについて意見陳述しました。
同日夕方には、来日した原告二人を交えて報告集会。
意見陳述のために来日した成順任(ソン・スニム)さんと羅花子(ナ・ファジャ)さんが不二越での労働実態や、富山大空襲の時の様子などを紹介。韓国で従軍慰安婦と誤解されて偏見を受けたことなどを話し、「女子挺身隊の実態を世界の人に知ってもらうために訴訟を起こした」「早く解決してほしい」などと話しました。
集会では、原告らの話をもとにした朗読劇を上演。韓国でもすすんでいる被害実態究明の運動についても報告がありました。
(2004年07月30日,「赤旗」)
戦時中、中国・山西省で日本軍による性暴力被害を受けた女性たちの中国人「慰安婦」第二次訴訟の控訴審第八回口頭弁論が二十一日、東京高裁(江見弘武裁判長)で開かれました。結審を迎えた法廷では、原告の侯巧蓮さん(一九九九年死亡、享年七十八歳)と郭喜翠さんの証言ビデオが流されました。五人の原告弁護団が最終弁論に立ちました。
侯さんは連行され暴行されたときの様子を、顔をしかめ目に涙をうかべながら話しました。泣いている侯さんの服を脱がし暴行したという性暴力の話に及ぶと「ここからは話しづらい…」とためらいながら話を続けました。「(当時は)幼くて状況がのみこめず、震え上がってつらく怖かった。子どもを産むときよりもつらかった」
郭喜翠さんは今でも脳や子宮、おなかに傷が残っているなど、今も被害者はPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされ、精神的、身体的障害に苦しんでいます。
穂積剛弁護士は「法の良心で国に警鐘を鳴らすのは裁判官の責任」とのべ、不誠実極まりない国に対し、正義・公正な判断を求めました。
裁判後の報告集会で弁護団は「裁判官が安心して判決を書けるように世論の後押しが必要です。判決が出るまで力を貸していただきたい」と訴えました。
( 2004年07月22日,「赤旗」)
被爆、終戦五十九周年を迎える今年の夏も全道で平和・民主団体などがさまざまな平和企画を計画しています。主な企画を紹介します。
【21日(水)】
◇梅香里萬歳(メヒャンニマンセ)の旅日記「韓国・メヒャンニ米軍射爆場の撤去のたたかい」 午後六時半、釧路市交流プラザさいわい。参加費=三百円。主催・連絡先=釧路革新懇(坂上さん)0154(24)6811
◇原爆の絵展 旭川展 八月九日まで、上川支庁・道民ホール、市民文化会館、アッシュアトリウム、NHKギャラリーで順次開催。主催・連絡先=原爆の絵をみる会(永江さん)0166(34)0919
【22日(木)】
◇米海兵隊矢臼別演習場移転・花咲港軍事利用反対根室市集会 午後五時四十分、ときわ台公園。主催・連絡先=根室地区労連0153(24)0509
◇女性と戦争 歴史から見る従軍慰安婦制度 午前十時、札幌市北区民センター。参加費=百円。主催・連絡先=新婦人北支部011(756)0742
◇「安保と婦人」「沖縄」映画上映会 @午後二時A午後六時半、札幌市高校教職員センター。会費=一般千円、学生五百円。主催・連絡先=北海道共同映画社011(562)1711
【23日(金)】
◇道北反核・平和自転車リレー 二十四日まで。主催・連絡先=道北勤医労青年部0166(34)0032
◇余市高速ミサイル艇基地撤去集会 余市港・余市海上基地対岸防波堤。午後五時半に勤医協余市診療所駐車場からパレードし余市港に向かう。主催・連絡先=余市海上自衛隊基地反対共闘会議(山下さん)0135(22)2861
【24日(土)】
◇夏休み親子平和学習 太鼓たたいてあそぼう 午後一時半、札幌市勤医協看護学校体育館。主催・連絡先=乱拍子、新婦人東支部011(741)7573
◇道央反核・平和自転車リレー 二十五日まで。主催・連絡先=明るいチャリダーの会(柏が丘センター・室田さん)011(846)1175
◇非核・平和自転車リレーin道南 二十五日まで。主催・連絡先=実行委員会(函館稜北病院・水野さん)0138(54)3113
◇「自衛隊パレード反対」倶知安町抗議集会 午後二時、後志労働福祉センター。主催・連絡先=倶知安町平和委員会(石塚さん)0136(22)0927
【25日(日)】
◇北電藻岩発電所建設工事犠牲者追悼 碑建立十周年集会 午前十時五分から、札幌市澄川地区会館。講演会、フィールドワーク、追悼式、交流会など。主催・連絡先=藻岩犠牲者の碑を維持する会(堀口さん)011(571)5876
【27日(火)】
◇ふるさと銀河線に乗って「平和ツアー」 午前九時四十五分、帯広駅集合。参加費=おとな二千二百三十円、子ども千百三十円。主催・連絡先=新婦人帯広支部0155(41)7040
【28日(水)】
◇北海道平和美術展 八月一日まで、札幌市民ギャラリー。入場無料。主催・連絡先=実行委員会(工藤さん)0134(25)7394
◇今も聞こえる藻岩の叫び 藻岩発電所建設、タコ部屋の悲劇(フィールドワーク) 午前十時、札幌市山鼻河川敷公園内「藻岩犠牲者の碑」に集合。主催・連絡先=年金者組合札幌支部協、さっぽろ年金者大学011(815)6338
【29日(木)】
◇被爆写真展 三十日まで、網走市エコーセンター2000展示室。主催・連絡先=網走原水協0152(44)8746
【30日(金)】
◇うたごえビア・パーティー 午後六時半、札幌市高校教職員センター。参加費=千五百円。主催・連絡先=北海道革新懇011(252)6315
◇旭川原爆被爆者をしのぶ市民の集い 詩とスライドと音楽による 午後六時半、旭川市民文化会館小ホール。入場無料。主催・連絡先=実行委員会(打本さん)0166(87)2080
【31日(土)】
◇三世代で語る! 平和のつどい 午後一時半、札幌市真駒内総合福祉センター。主催・連絡先=新婦人南支部011(582)1447
(2004年07月21日,「赤旗」)
日本統治下で強制隔離/政府の責任で補償急げ
昨年十二月、韓国の小鹿島(ソロクト)にある国立ソロクト病院に在住しているハンセン病元患者二十八人が、ハンセン病補償法による補償請求を厚生労働省に行いました。補償請求から半年。厚生労働省はいまだに結論を出していません。現地調査した、ハンセン病国賠訴訟を支援する会・熊本の北岡秀郎事務局長に、手記を寄せてもらいました。
韓国・釜山(プサン)から南西へ、バスで五時間ほど走ると朝鮮半島(韓半島)の対岸の町、鹿洞(ロクドン)に着く。着くしばらく前には順天(スンチョン)を通過する。ここは日本に渡る鶴の寄港地として知られる町である。
隔離の島にされ
鹿洞は小さな港町である。そこの桟橋から韓国唯一の国立ハンセン病療養所である国立小鹿島病院がある小鹿島行きの船が出る。
今も野生の鹿がいる小鹿島は、一九一六年に官立全羅南道小鹿島慈恵医院が、日本による韓国併合後六年にして設立されて以来変遷を経て、現在の国立ハンセン病小鹿島病院に至るまでハンセン病患者の隔離の島とされてきた。
そして四五年八月の敗戦による日本軍撤退までは、日本の統治下に置かれてきたのは言うまでもない。現在、七百人余の療養者を数えるが、日本統治時代からの収容者は今でも百人を超えている。
「小鹿島ではカマスを作る作業をさせられました。わらを手でもまなければならずとてもつらい仕事でした。作業のつらさに耐えかねて海に飛び込んで自殺した人がたくさんいました。ノルマがあって決められた数を時間内に仕上げなければなりません。赤レンガを作る工場でも働きました。その時のけがで片足を切断しました」=カン・ウソクさん(78)=男性
過酷な作業で…
日本統治時代を知る収容者は異口同音に空腹の記憶と共に患者作業の厳しさを訴える。
この療養所では最大六千人を収容した。そのための病棟、居住棟、倉庫等の諸施設は島内の患者作業で作られた赤レンガを使用している。また島外に売りに出している例もある。
それらの強制作業が原因で手足を切断した収容者は驚くほど多い。そしてその作業は日本人職員の監督のもとに行われていた。
厳しい患者作業に耐えかねて逃走を企てたり、病気になって作業に出られなくなるとさらに厳しい懲罰が待っていた。「レンガ作り、カマス作り、松やに取りなどいろいろしました。作業に出ていかなかったりすると罰を受けました。懲罰には、冷たい水をかけたり打たれたり、監禁室にも入れられました。監禁された人のなかには断種された人もたくさんいました」=チャン・ギジンさん(82)=男性
神社参拝強いる
国内の療養所では断種は結婚の場合の「条件」とされていたが、統治下の朝鮮では「懲罰」として行われたと思われる。
療養所では日本語を使う事とされ、急病になっても日本語で頼まなければ医者の診察も受けられなかったという。さらに「神社参拝」が強制された。カトリックの多い同国で、日本独自の国家神道に従属させられる苦痛は計り知れない。ただ、これは統治の上で有効ではないとして後にいくぶんか緩められた。現在も小鹿島神社の跡が残されている。
我々が今回、聞き取りをしていて衝撃を受けたことのひとつに、入所時期や生年月日の質問に、「タイショウ○○年……」「ショウワ○○年……」とほとんどの人が元号で回答するということがあった。
日本人には日本語で話さなければならないという恐怖感がいまだにぬぐい切れないとみられる。
我々が何度か小鹿島を訪れた理由は、ハンセン病国賠訴訟の勝利の結果制定されたハンセン病補償法によって日本政府に補償請求するという提起とその手続きのためである。
同訴訟で原告側は、当初から医学的な見地からは隔離の必要はなく、最初の隔離法が制定された国会での論議でもっぱら強調されたのは「武力において一等国になった日本にライの患者がいることは国の恥である」ということで、その結果成立した法では「隔離」が強制され、治癒しても「生涯隔離」を強いるものであった、と主張した。
国内原告と同様
歴史的な熊本地裁判決は原告の訴えを認め、政府は控訴を断念し、判決は確定した。
その判決の効果をすべてのハンセン病患者・元患者に適用するためにハンセン病補償法が制定された。
同法の趣旨は、わが国のハンセン病隔離政策によって、療養所に入所することを強いられ、耐えがたい苦痛と苦難を受けたすべての者に対して国籍及び居住地の如何を問わず、慰謝としての補償金を支給することにある。だから、我々は当然日本統治下で、統治下の療養所に隔離を強制された者については、同法に基づく補償を受ける権利があるものと考えている。
そこで我々は、厳密な聞き取りと同療養所の記録を精査し、日本統治下の収容者である事実と本人が日本政府に補償請求の意思があることを確認。同病院入所者二十八人は、日本の弁護士を代理人として同法に基づく補償請求(第一陣)を昨年十二月二十五日、厚生労働省に申し立てたのである。
しかし同法の告示(運用規則)では、旧植民地の療養所を対象にしていないことから国側が難色を示すものとみられている。もし申し立てが却下された場合、当然同法の主旨に反することから東京地裁への提訴が考えられる。
台湾の台北・愛楽園療養所も同様のケースである。
いずれにしても、従軍慰安婦問題や朝鮮半島や中国等からの強制連行・強制労働などの問題と同様、わが国のいわゆる戦後処理問題としてあいまいに出来ない事の一つであると考えている。
我々は国内におけるハンセン病訴訟を原告らと共にたたかった支援者として、これらの問題にも、アジアの人々との真の友好関係の確立の観点から国内の原告と同様に支援していきたいと考えている。
( 2004年07月12日,「赤旗」)
ブッシュ米政権によるイラク戦争・占領作戦でクローズアップされているのが、戦争の下請けをする米企業の存在です。米議会の統制も及ばない「戦争の民営化」の恐るべき実態をみてみましょう。坂口 明記者
死者四十人、行方不明二人以上。イラク戦争・占領で犠牲となった米ハリバートン社(テキサス州ヒューストン)の社員の数です。米占領下のイラクで頻発する「外国民間人」対象のテロ。犠牲者の多くが、同社はじめ、米軍の軍事行動を外部委託される企業の社員です。「主権移譲」後も、何の変化もなく活動を続けています。
戦争を支援
ハリバートン系のケロッグ・ブラウン&ルート(KBR)だけで、下請けも含め二万四千人以上の労働者がイラクで働いています。民間軍事企業は、イラク戦争の米軍支援活動の二―三割を担っていると推定されています。
「民間軍事企業」(PMC)と呼ばれるこれら戦争請負企業は何をしているのでしょうか。
一つは、兵たん(後方)支援活動です。基地建設、食事の供給、洗濯から、発電、医療、郵便配達、通訳まで、多岐にわたります。
米軍が「テロリスト」として拘束した人々を収容している施設の建設や管理にも参加しています。
米国や他国の兵士の訓練、機密情報の分析を専門とする企業もあります。「慰安婦」の売買に手を染めた企業もあります。それらの多くは、退役した米軍高官が立ち上げた企業です。
ハイテク兵器の操作にも、軍事企業の専門家が不可欠の存在です。F117ステルス戦闘機、M1A1戦車、パトリオット・ミサイル、グローバルホーク無人偵察機、アパッチ攻撃ヘリコプターなど、米軍が誇る最新鋭兵器は、民間企業のハイテク専門家がいなければ動かせないようになっています。
開発途上兵器
極端な事例は、まだ開発途上の兵器を実戦に投入する場合です。米議会会計検査院(GAO)が昨年六月に発表した民間軍事企業に関する報告書は、プレデター無人機の例を挙げています。
プレデターRQ1機は、ヘルファイア・ミサイルを発射する無人偵察・監視機。二〇〇一年のアフガニスタン攻撃で「大活躍」しました。ところが同機は、開発が終了していない段階で使用開始されたため、空軍は同機を維持、管理する要員を訓練できませんでした。そのため、同機の稼働には開発企業が全面的に携わったというのです。
新鋭機を開発する軍需産業からみれば、現実の戦争を兵器開発の推進に利用させてもらったということになります。
戦術を教える
戦争の戦術を教えるコンサルタント企業さえ存在します。
戦争請負企業の代表例は、ハリバートン系のKBRです。
ハリバートンは、一九一九年にテキサス、オクラホマ両州でできた石油関連企業に端を発しています。同時期にできたブラウン&ルート(BR)は、一九六三―六九年に大統領を務めたジョンソン氏と深い結びつきをもった建設企業です。BRは六三年にハリバートンの子会社になりました。BRは九八年には石油パイプ製造のケロッグと合併し、KBRとなりました。
このBRは、第二次大戦中から米軍基地建設や艦船建造などに従事。また朝鮮戦争やベトナム戦争でも、米軍支援活動に加わってきた経歴をもっています。
ハリバートン系のKBRの軍サービス事業が飛躍的に増大したのは、九一年の湾岸戦争当時、ブッシュ政権の国防長官だったチェイニー現副大統領が、ハリバートンの最高経営責任者(CEO)となった九五年以後のことです。
それまで企業経営の経験は何もなかったチェイニー氏。しかし、同氏がCEOを務めた二〇〇〇年までの期間に同社は、政府との契約額が十二億jから二十三億jに倍加。国防総省の契約額順位では七十三位から十八位へと急上昇したのです。(つづく)
( 2004年07月01日,「赤旗」)
視聴者が声をあげれば、それなりにテレビ局に届く。放送にかかわる問題に取り組んできて、そう実感しています。
国会でNHKのイラク戦争報道について取り上げました。作家の池澤夏樹さんが「攻撃の動きばかり伝えるのは、道義なき戦争に加担すること」と言い、多くの視聴者からも「アメリカ軍寄り」と批判があることを示して、NHKに「憲法九条の精神で報道を」と改善を求めたのです。
その後、マスコミ共闘に参加している放送局のスタッフとの懇談で、「批判があれば、どうにかしなければいけないとする動きがあるのは確かです」と話が出ました。
NHKのETV2001「問われる戦時性暴力」の改変問題についても国会で三回質問しました。二〇〇〇年の女性国際戦犯法廷を取り上げたドキュメンタリーでした。私自身、実際にこの民間法廷を見にいって、元「慰安婦」の女性たちが「天皇有罪」と主張されるのを、魂の叫びとして聞きました。ところが、NHKはここを意図的にはずして作り変えたのです。戦犯法廷を主催した人々から抗議があがり、それを質問で取り上げさせてもらいました。
憲法の改悪、日の丸・君が代の押し付けと反動が強まっています。押しつぶされずにテレビは役割を果たしてほしい。視聴者のみなさんと共に声を届けたいと思います。
( 2004年06月29日,「赤旗」)
日本軍「慰安婦」被害女性を招いた証言集会「歴史と平和を語る」が二十九日午後六時半から札幌市北区の北海道クリスチャンセンター(北七西六)で開かれます。日本キリスト教婦人矯風会札幌支部、東アジア共同ワークショップ札幌事務局、道アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会(道AALA)の主催。
当日は、韓国から元「慰安婦」の姜日出(カン・イルチュル)さん、韓国で元「慰安婦」の女性たちが共同生活している「ナヌムの家」のスタッフでフリー写真家の矢島宰(つかさ)さんを招いて話を聞きます。
矢島さんの写真展「ナヌムの家のハルモニたち」も同時開催します(二十九日から七月二日まで)。
問い合わせは道AALA011(747)0977。
(2004年06月26日,
府民が語る西山参院議員の実績/上/2期12年、336回の質問/切実な願いを実現
「政治は、ひとりの願いから」を政治信条に、府民の切実な願いを国会に届けてきた日本共産党の西山とき子参院議員。二期十二年間の質問は、三百三十六回にのぼります。小さなつぶやきに耳を傾け、いっしょに涙し、鋭い質問で道を開いてきた西山さんに、熱い期待が寄せられています。
乳幼児医療費助成
「少子化対策推進に関する決議」に、国の助成の必要性をもりこませる(〇一年)。厚生省に、全国自治体の助成実施状況一覧を公表させ(九八年)、厚労省に必要額の千二十億円を明らかにさせる(〇一年)。無料化法案を提出してきました(〇二年以降の三回)。
心のゆとり大きい/三歳の娘を育てる加瀬田陽子さん(33)=京都市西京区=
西山さんとお話をすると、たくさんのことをつかもうとする気迫が西山さんから伝わってきます。娘とご一緒したとき、「私の服は汚れてもいいのよ」と西山さんに声をかけられ、西山さんの母親としての心の大きさにびっくりしました。
政府は「少子化」をさかんに言いますが、原因はだれがつくっているのか、と腹立たしい限り。私の娘も二年待ち、やっと保育所に入れました。
乳幼児医療費無料化は、経済的なメリットだけでなく、心のゆとりという面でとても大きい。「予算がない」なんて国は言いますが、ホントいらんとこに、お金使っているのに。イラク問題でも「もっとがんばれー」と、テレビ見て応援しています。私たちの味方、西山さん。働く女性の立場から、政府にガツンともっと言ってほしい。
原発問題
茨城県東海村JCO臨界事故(九九年)で、直ちに現地調査。東京電力の原発損傷隠し(〇二年)で、「安全神話」による原子力行政を批判。久美浜町(現京丹後市)で原発のない国(タイ)への補助金を使った視察旅行を取り上げ、補助金廃止を要求(〇〇年)。
怒り広げた国会質問/京丹後市久美浜町で原発反対の運動をしている筒井由雄さん(65)
四年前、タイへの視察旅行の問題では、西山さんに来ていただいて、国会で取り上げていただきました。
原発のない国に原発建設推進の補助金を使って視察旅行する、「そんなバカな話があるか、少数民族への差別でもある」と怒りが広がりました。
久美浜町は京丹後市に合併されましたが、原発問題は協議もされないまま引き継がれました。原発が丹後の将来にどうあるか協議すべきだったのに、合併が優先された。推進派はまだ原発誘致をあきらめていません。久美浜は使用済み核燃料の中間貯蔵施設の候補地になる可能性もあります。
共産党が、地方自治、住民自治を大事にしているのに共感しています。原発だけでなく、有事関連七法も通るなど危険な動きもあります。日本共産党と西山さんには、ぜひがんばっていただきたい。
環境、京都を守る
家電リサイクル法での製造側による回収責任を追及(〇一年)、新エネルギー特措法の審議で自然エネルギー発電支援の修正案(〇二年)、超党派のダイオキシン議連メンバーで産廃現場を調査(〇一年)、京都迎賓館の建設反対(〇一年)。
熱く訴える姿に感動/「深草の環境を守る会」事務局長の尾関忠さん(55)=京都市伏見区=
産廃街道≠ニよばれた大岩街道では、簡易焼却炉の野焼き≠ノ住民は苦しんできました。
二〇〇〇年十月、私は上京し厚生省(当時)に要望。そのとき西山さんは、事前に調査したときの写真を掲げながら、住民の怒りを力を込めてあつく訴える姿に、とても感動しました。
翌年五月、西山さんは各党の議員さんと調査に来てくれました。視察後に行った住民懇談会に、自民党と公明党議員は出席しなかったため住民は、「意見を聞かないのか」と怒ったんですよ。
現在は焼却炉一基だけになり、状況は以前より改善されました。環境問題は、モノがゴミになる前、生産段階から考えるべき問題です。根本的解決にもっと力を発揮していただきたい。
平和守る
有事法制反対を貫く(〇三年、〇四年)。被爆者援護法制定へ尽力(九四年)、従軍慰安婦への国家補償法案提出(〇一年)。浮島丸事件での未帰還遺骨の返還を厚生委員会で追及(九六年)し、受難者追悼式への厚生大臣のメッセージ送付
政府が戦争被害認識/浮島丸殉難者を追悼する会副会長の須永安郎さん(79)=舞鶴市=
浮島丸事件(強制労働の朝鮮人を乗せた輸送艦が終戦直後に舞鶴湾でなぞの爆沈をした事件)を現地調査した西山さんが国会で取り上げてくれ、政府がはじめて認識しました。そして、当時の菅厚生大臣から追悼式に電報が寄せられ、以後毎年来るようになりました。
この事件の犠牲者は、日本による植民地政策、戦争政策による犠牲者です。日本人の責任として、日本と世界の平和のため、再び戦争をしない約束をする場に政府からメッセージがくるのは、本当に意義深い。
西山さんは、ほぼ毎年追悼式に参加されています。私も満州生まれのシベリア帰りという戦争体験者。戦争をする国へと進もうとしているなか、二度と戦争をする国にならないように、西山さんとともにがんばりたい。
(2004年06月19日,「赤旗」)
東京都立板橋高校の卒業式で、「君が代」斉唱で生徒に起立するよう求めた民主党・土屋敬之都議のことを九日付本紙で報道しました。
○…土屋議員は、「君が代」斉唱のとき着席した生徒に向かって来賓席から(記事の一部で「壇上から」とあるのは誤り)、「立ちなさい…立ちなさい」と怒鳴りつけるように叫びました。このあと土屋都議は、都議会で、生徒不起立を理由に教員の処分をせまる――という挙にでます。
いわく「生徒が起立せず、国歌も斉唱しなかったとしたら、そのクラスは学習指導要領にもとづく指導がなされていない」「その場合、そのクラスを指導した教員は処分対象と考えてよろしいか」
都教育長は「おっしゃるような措置をとることになります」。
○…生徒よ、「君が代」を歌え。さもなくば君の教師を処分する――。これは教育ではなく、一種の拷問のようなものです。
一体どんな人物だろうと、土屋都議のホームページを見ました。
慰安婦問題については、「当時の軍の関与のもとに、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」とした宮沢内閣時代の官房長官談話を「国の誇りを売った」と罵倒(ばとう)する。日本の侵略戦争である太平洋戦争を戦前の軍部と同じく「大東亜戦争」と呼ぶ…。
○…どうみても自民党顔負けの右翼思考です。石原都知事をささえるこの都議、都議会民主党副幹事長もつとめていました。自民・民主両党の境界≠あらためて考えさせられました。(樹)
( 2004年06月18日,「赤旗」)
日本に過去の清算求め国際大会/ソウル/アジアの連帯願い/元「慰安婦」ら証言/右傾化に警戒
日本、韓国、北朝鮮、中国、フィリピン、台湾、米国の民間団体代表などでつくる「日本の過去の清算を求める国際連帯協議会」の第二回大会が、五月二十一、二十二の両日、ソウルで開かれました。日本からは土屋公献・元日本弁護士連合会会長を団長に七十三人が参加。団員の一人、吉田好一「国際人権活動日本委員会」代表委員に大会の様子を聞きました。面川 誠記者
大会の冒頭、基調報告した韓国の徐仲錫・大会共同組織委員長(日本の教科書を正す運動本部共同代表で成均館大学教授)は、「日本の過去の清算だけが、悔悟と和解を通じてアジアの平和と連帯をもたらす。これはアジアの現在と未来を創造するためにも緊要だ」と語りました。
徐氏は、小泉首相の靖国神社参拝、石原東京都知事の発言、イラク派兵、有事法制などにみられる右傾化はとても理解できないと言い、「一つのアジアになるように努力してほしいと日本政府に対し切実に望む」と訴えました。
北朝鮮の被害者
被害者の証言には、北朝鮮に住む元「慰安婦」のリ・サンオクさんも立ちました。北朝鮮の被害者が韓国に来て証言したのは初めてだそうです。リさんは十三歳のときに母が病死し、父は強制連行され、三人兄弟は離散してしまいました。十七歳になった一九四三年に、平安南道(現在の北朝鮮領内)の山あいにあった日本軍「慰安所」に連れて行かれたといいます。
「トラックに載せられ、着いたら日本軍兵士が『金を稼がせてやろう』と、薄笑いを浮かべながら刀で脅かした。『言うことを聞かなかったら殺すぞ』と殴られ、けられ、無理やりに…。次の日からは、何人か数え切れないくらいだった。気が狂いそうで、つらくて涙が出るばかりだった。人をだまして連れてきておいて…」
靖国参拝に批判
日本から参加した西野瑠美子・VAWW―NETジャパン共同代表は「慰安婦」問題について報告し、戦時性暴力は今でも広がっていると語っていました。米軍が占領するイラクも例外ではありません。西野さんたちが中心になって、「慰安婦」問題の解決や戦時性暴力の根絶、女性の人権確立をめざす「女たちの戦争と平和資料館」建設の準備が日本で進んでいます。
中国の王偉民・南京大虐殺記念館副館長は「南京大虐殺から六十七年が過ぎたが、日本政府は依然として南京大虐殺を否定し、虐殺の主犯である松井石根などのA級戦犯を祭って靖国神社に参拝している。これは正義に対する宣戦布告であり平和への挑戦だ。南京市民は必ず歴史の教訓を受け継ぎ平和を守る」と強調しました。
謝罪と補償求め
閉会式で採択された声明は、日本政府に謝罪と補償を求める具体的な取り組みを提案しました。@国際司法裁判所などの国際機関を通じた活動と国際的な署名活動A各国での被害実態調査の強化B靖国神社に無断で合祀(ごうし)された被害者の名誉回復C日本の軍国化阻止D教科書問題でのたたかいの連帯E各国政府の支援獲得F謝罪が明記されていない日韓基本条約の改定―です。
声明は「二〇〇五年を日本の謝罪と補償を引き出し、アジアの平和に決定的な転機をつくる年にする」「日本政府が正しい過去の清算を通じて人類の平和の道に歩むことを再度促す」と求めています。
日本政府は、「慰安婦」問題への国際的批判が高まった一九九五年に設立した財団法人「女性のためのアジア平和国民基金」による償い金支給で解決を図ろうとしました。この支給は、九六年八月のフィリピンを皮切りに、二〇〇二年五月の韓国、台湾での支給をもって終了しています。これは国としての謝罪と補償を回避したもので、問題はなにも解決されていません。
日本の過去清算を求める国際連帯協議会
日中韓などの民間団体が、日本の侵略戦争と植民地支配の清算を求めるために〇三年九月に中国の上海で結成した組織。二〇〇〇年十二月に「女性国際戦犯法廷」(東京)を成功させたアジアなど各国の団体は、〇一年に日本政府が「新しい歴史教科書をつくる会」主導の歴史をわい曲した中学生用歴史教科書を検定合格させたことをきっかけに、日本の過去の清算を求める国際連帯活動を活発化させました。〇二年五月には、北朝鮮の平壌で「日本の過去の清算を求めるアジア大討論会」を開催し、協議会が結成されることになりました。第三回大会は九月に平壌で開かれる予定。
( 2004年06月17日,「赤旗」)
労働、男女平等…多分野にわたり/国民の願い実現へ一歩一歩
「八田ひろ子参院議員は議員立法提出数ナンバー1」。朝日新聞が六日付で発表した今回改選される参院議員の百二十四人の国会活動調査で八田議員の活動ぶりをそう報じました。東京大学の蒲島郁夫研究室と同紙の共同調査です。
八田議員の議員立法提出数は六年間で四十二件、改選百二十四議員中最多です。調査によると一人当たり平均の提出回数は自民〇・二、公明〇・八件。それと比べても抜群の多さ。同紙は「一位の八田ひろ子氏(共産)は一年当たり七本の多産ぶり」と書いています。愛知県選出議員のなかでもダントツ。民主党の木俣佳丈議員の二件、佐藤泰介議員の三件とは比較になりません。
提出法案は、働くルールの確立を求めるもの、男女平等を求めるもの、くらし・福祉・教育に関するもの、腐敗・汚職のない、きれいな政治を求めるものなどきわめて多彩です(主な法案は別項参照)。有権者、国民の利益を代弁して一生懸命の八田議員。国政にとっても愛知県民の暮らしにとってもかけがえのない政治家です。
八田議員は「みなさんの思いを一つでも二つでも実現したいと、あらゆる方法に挑戦した結果が法案の数の多さになったのだと思います。たくさんのみなさんの活動の成果です。まだまだやるべきことはたくさんあると思います。さらに頑張る決意です」と語っています。
主な提出案件
(○=八田議員が「発議者」の法案)
働くルールの確立を!
○解雇規制法案
○サービス残業根絶法案
○パート・有期労働者等均等待遇法案
男女平等
※DV防止法(配偶者からの暴力防止と被害者の保護に関する法律)《参院共生社会調査会長提出》の法案作成プロジェクトチームの一員として尽力
○選択的夫婦別姓含む「民法」改正案《共産・民主・社民ほか共同提出》
○「慰安婦」問題解決促進法案《共産・民主・社民共同提出》
○育児休業、介護休業等育児又は家族介護をおこなう労働者の福祉に関する法律の一部を改正する法案
くらし・福祉・教育
○乳幼児医療費の無料化法案《日本共産党と無所属二議員の共同提出》
腐敗・汚職のない、きれいな政治をめざして
○天下り禁止法案
○企業団体献金の禁止法案
○政党助成法を廃止する法案
議員立法提出数
順位 氏 名 政 党 当選回数 提出回数
@ 八田ひろ子 共 産 1 42
A 池田 幹幸 共 産 1 38
B 江田 五月 民 主 2 27
B 千葉 景子 民 主 3 27
D 畑野 君枝 共 産 1 25
E 小川 敏夫 民 主 1 24
F 福島 瑞穂 社 民 1 23
G 井上 美代 共 産 1 22
H 円 より子 民 主 2 20
I 大沢 辰美 共 産 1 19
I 富樫 練三 共 産 1 19
I 大脇 雅子 無所属 2 19
朝日新聞6月6日付から
(2004年06月10日,「赤旗」)
元「慰安婦」にたいする国の責任による謝罪と補償などを柱とする「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」を九日、日本共産党、民主党、社民党および無所属の参院議員の共同で参議院に提出しました。同法案提出は二〇〇一年以来、三回目です。
発議者は十三人の参院議員で、日本共産党から吉川春子、八田ひろ子、吉岡吉典の三氏が参加しています。
同法案は、先の侵略戦争で旧日本軍によって「慰安婦」とされた被害者にたいし、謝罪と補償、名誉回復のために「必要な措置を講ずる」ことを日本政府に求めています。
また、問題解決の促進のため、政府が「基本方針」を定め、被害実態の調査などにあたるほか、「必要な財政上又は法制上の措置」をとることを明記。そのために内閣府に首相を会長とする「戦時性的強制被害者問題解決促進会議」を設置するほか、実態調査のための調査推進委員会を置くことも定めています。
( 2004年06月10日, 「赤旗」)
戦時中、中国・山西省で日本軍による性暴力被害を受けた女性たちの中国人「慰安婦」損害賠償請求第一次訴訟の控訴審第十回口頭弁論が七日、東京高裁(根本眞裁判長)で開かれました。四人の原告の一人、李秀梅さん(76)が中国から来日し、最終陳述に立ちました。
弁護団の大森典子弁護士の質問に、李さんはこん身の力を振り絞って陳述。十六歳のときに、日本兵によって昼夜を問わず性行為を強要されたこと。抵抗し、ベルトで叩かれ右目を失明、体中に傷が残っていること。一番つらかったのは、「死ぬことばかりを考えていた」監禁中から五カ月後、家に戻ると母親が失望のあまり首をつり、自ら命を絶っていたこと――などを語りました。
李さんはその後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされ、「私は一度も人間らしい生活を送っていない。年齢も八十近く、一日も早くよい判決を出してほしい。死んでしまっては証言することもできない」と裁判官に訴えました。陳述後、席につく李さんはゆっくりと息を吐き、ハンカチで涙をぬぐいました。
穂積剛弁護士は、事実を覆い隠し、きちんとした調査をしないなどあまりにもひどい国の行為が戦前戦後を問わず続き、被害者が声を上げることはできなかったとし、「権利行使が遅すぎたと言い放つことはできない」と主張。一審判決が事実認定をしていないことを批判しました。
( 2004年06月08日, 「赤旗」)
旧日本軍による性暴力に現在も苦しむ元「慰安婦」を支えようと「被害女性に希望を! 補償立法の成立をめざして!」の院内集会が三日、国会内で開かれました。中国とフィリピンの被害者が発言し、政府に謝罪と賠償を求めました。性被害の立法解決をめざす「下関判決を生かす会」が主催し、約百三十人が参加しました。
フィリピンのピラール・フリアスさん(76)とナルシサ・クラベリアさん(73)は二〇〇三年に最高裁で上告を受理棄却され敗訴しました。クラベリアさんは目の前で母親が日本兵によってレイプされました。「この事実が認定されないのはたいへんに苦しいこと。尊厳を回復するためにたたかっている」と話すたびに涙が出るといいました。
中国からは七日に東京高裁で最終弁論を控えた李秀梅さん(76)と二日に証人尋問に立った母親の遺志を継ぐ張粉香さん(58)、これまで六十人の聞き取りをしてきた張双兵さん(51)が発言。張双兵さんは「女性の心をなぐさめ、恨みをはらすために調査してきた。正義を取り戻したい」とのべました。
集会には日本共産党から吉川春子参院議員が出席し、「補償法案の提出を会期ぎりぎりまで頑張っていきたい」とあいさつしました。
集会には石井郁子衆院議員、八田ひろ子、吉岡吉典両参院議員が賛同しました。
( 2004年06月04日,「赤旗」)
戦時中、中国・山西省で日本軍による性暴力被害を受けた女性たちの中国人「慰安婦」第二次訴訟の控訴審第七回口頭弁論が二日、東京高裁(江見弘武裁判長)で開かれました。被害者、侯巧蓮さん(一九九九年死亡)の娘、張粉香さん(58)と一九八三年から被害者に聞き取り調査をしてきた張双兵さん(51)が証人尋問に立ちました。
張粉香さんは幼少のころから突然、精神的発作に襲われる母親に気を失うまで殴られるなどされました。「正常に戻った母は『どうしてこれほどまで殴るのか』とあざを見て泣いた。そんな母を見て私たちきょうだいも泣いた」と張さんは語り尽くせない思いを涙ながらに話しました。
普段はおとなしく感情を出さない張さんですが「母は一生かわいそうだった。日本政府に謝罪と賠償をしてほしい。正義を返してほしい」と裁判長に身ぶり手ぶりで訴えました。
裁判後、報告集会が開かれました。大森典子弁護士は「被害者には重い後遺障害が残っている。毎日毎日苦しみ続け、過去の被害ではない」と話しました。
( 2004年06月03日,「赤旗」)
証言のポリティクス/高橋哲哉著/聴くことで問われる私たちの生き方
「真っ先に撃て。責任は問われない。」ナチのフランス占領時代、ユダヤ人のアウシュビッツ移送に協力し、戦後パリ警視総監になった人物がアルジェリア人虐殺を正当化した言葉だと著者はつたえる。
本書は、そうやって撃たれ踏みにじられ、長く深い沈黙を強要されてきた人々――ジェノサイド犠牲者、日本軍「慰安婦」…――の声を、証言を、聴きとるとはどういうことか真正面から追求し、考え抜いた論集である。
たとえば、ホロコーストのもっとも重い証言記録と言ってよいランズマン監督の映画『ショアー』への批判を検討した冒頭の二篇を熟読してみよう。証言を聴きとるといういとなみが、人の尊厳に目を届かせる私たちの生きる姿勢に深くかかわっていると気づくはずだ。
現代日本の傑出した哲学者である著者は、侵略戦争と加害の記憶を葬り去ろうとしてきた日本政府、権力者たちの試みに徹底して対峙してきた。「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」について取り上げながら放送直前に改変されたNHK番組では、著者のコメントは、本書で示されているように、あからさまに削り取られた。証言を深く聴き取ろうとする著者の「証言」もまた、無視と忘却の対象なのである。
証言を聴くとは、このように、いまこの時代の私たちの生き方を問いただすことにほかならない。
戦争できる国家への道を加速して突き進もうとしている日本政府、政治指導者は、いままた、「過去をほじくり返すな」と叫び、「真っ先に撃て、責任は問わない」という号令を力ずくで下そうとしている。それはおかしい、私はちがう、と感じている人々、自分の思いをたとえささやかでもたしかな行動のかたちにつなげたいと願っている人々に、同時代を生きる勇気の支えとなる本である。
中西新太郎・横浜市立大学教授
たかはしてつや 一九五六年生まれ。東京大学教授。『戦後責任論』『「心」と戦争』ほか。
( 2004年05月30日,「赤旗」)
枯れぬ涙拭う/南北の旧日本軍「慰安婦」たち
北朝鮮に住む旧日本軍「慰安婦」被害者のリ・サンオクさん(78)が二十三日、日本による植民地時代に独立運動家を投獄した韓国・ソウルの西大門刑務所跡を訪れました。つらい記憶にこらえ切れずに泣きだしたリさんの涙をぬぐってあげるのは、韓国在住の「慰安婦」被害者、キル・ウォンオクさん(77)。(写真、ロイター)
リさんらは、二十一、二十二の両日にソウルで開かれた「日本の過去清算を要求する国際連帯協議会」大会に参加。大会では日本、北朝鮮、韓国、中国、台湾、フィリピンからの参加者が、強制連行や「慰安婦」などの侵略と植民地支配の被害に対し日本政府が国家補償するよう要求しました。
リさんは「なんと言っていいのか分からない。子や孫の世代が、(日本政府に)思い知らせてくれなきゃ。とにかく、死ぬ前に必ず補償させる」と声を震わせました。
( 2004年05月24日, 「赤旗」)
「女性がいきいき働くために日本共産党をもっと大きく」と二十二日、大阪労働者日本共産党後援会女性連絡会が吉川春子参院議員を招いて交流・学習のつどいを大阪市北区のいきいきエイジングホールで開きました。同連絡会の発足は今回が初めて。五十人が参加しました。
連絡会世話人の藤川文代さんがあいさつ。吉川参院議員が有事関連法案や年金問題など最終盤の国会情勢とともに、パート労働者の均等待遇問題や少子社会基本法、DV(ドメスティックバイオレンス=配偶者等からの暴力)防止法改正、選択的夫婦別姓法、従軍慰安婦問題など女性の地位向上の問題で到達点を報告し、「本当に国民の幸せ、女性の人権のためにがんばっている党はどこかをぜひ広げてほしい」とよびかけました。
宮本参院議員の妻のゆかりさんが、「働く人や弱い立場の人々の生活と権利を守るために『たたかう男』です」と語り、そのために骨身を惜しまず奮闘している姿を紹介。大きな支援を訴えました。
ゆかりさんの話の途中に姿を見せ、壇上でゆかりさんと握手して会場をわかせた宮本議員は、かかわってきた過労死事件や年金問題にふれ、「負けられない選挙です。市田忠義参院議員ともども必ず勝たせてください」と訴えました。
銀行で働く女性が職場の実態を報告。同連絡会から行動を提起しました。
(2004年05月23日,「赤旗」)
アジアの平和のためにも日本国憲法は重要なのです
五月三日に東京で開かれた「5・3憲法集会」に参加し、海外ゲストとして発言した韓国の「平和を創る女性の会」国際連帯委員長、丁京蘭(チョン・キョンラン)さんに、話を聞きました。「平和を創る女性の会」は韓国の女性平和団体。アジアの平和組織や国際平和団体とも連携して活発に活動しています。丁さんは、一九九九年十月に岩国で行われた日本平和大会に参加しています。
日本の憲法、とくに第九条は、日本にとってだけでなく、国際的にも、とても重要な意味を持っています。国際的な紛争を戦争や武力で解決してはならない、争いごとは平和的に解決する、という国連憲章にうたわれている今日の国際社会の原則を先駆的に打ち出したのだと思います。
第九条の立場で奮闘してほしい
いま、世界には、米国のイラク戦争など、この原則を踏みにじる現実があります。それだけに、日本の憲法の国際的重要性について、ぜひ明らかにしておく必要があると思います。日本のみなさんには、アジアに平和を築きあげる上で、この憲法とくに第九条の立場で奮闘してほしい。
しかし、日本の政府が行なっていることをとても心配しています。戦争の準備のための法律をつくったり、米国のミサイル防衛計画に参加したり、そしてイラクに自衛隊を派遣したり…。こうした動きと連動して、憲法改悪、九条を改めようという動きが活発化していることに憂慮せざるをえません。
とくに、韓国女性の一人として私は、かつて日本が私たちの国を植民地として支配したこと、そのなかで韓国やアジアの大勢の女性が「従軍慰安婦」としてかりだされ、ひどい目にあったことを忘れることはできません。
日本の政府は、そのことについて国としての責任を果たそうとしていません。一部には、その事実そのものを認めない人々がいます。
東アジアの国々は、平和のうちに、共存、協力しあいながら友好関係を発展させていかなければならないと思います。そのためにも、日本が憲法、第九条を守り、平和的な関係の発展のために力を発揮してほしい。そのなかで、過去の問題について明確な態度をとってほしいのです。
そして、その憲法を守るたたかいで、戦争に反対し平和を求める市民のみなさんは、ばらばらにならずに団結して取り組み、運動の輪を広げていってほしいと思います。
南北朝鮮関係も変わるでしょう
韓国にとって四月十五日の総選挙は、とても重要な意味がありました。ウリ党が前進し、進歩的な民主労働党が国会に進出しました。民主主義の発展を実感しています。これからは、国の政治をめぐる政策論争が大いに活発になるでしょう。
選挙の最大の争点は大統領弾劾をどうみるかでしたが、その結果は国民は弾劾に反対だということです。もう一つ重要なことは、女性の政治家が多数進出し、十六人から三十九人に増えたことです。
韓国政治の特徴である地域主義にも変化の兆しが見えます。選挙では、より階級的な問題、貧困の問題などが、国民的な課題として問われました。その結果が出たのです。
南北関係も変わると思います。南北の対話や南から北への支援や協力も積極的になるでしょう。
韓(朝鮮)半島全体の状況が平和の方向に向かってすすむと思います。その点でも、日本は憲法を守って、アジアの平和のために力を発揮してほしいと思っています。
( 2004年05月22日,「赤旗」)
僕の姿を見ていろんな人が考えてくれれば
原水爆禁止2004年世界大会に向けて始まった「国民平和大行進」。東京から広島までのコースを歩き続ける「通し行進」に今年も、若者がトライします。チャレンジャーは、埼玉県岩槻市に住むフリーター、兼頭剛二(かねとう・こうじ)さん(22)です。藤原直記者
「雨の日も風の日も負けずに頑張ります」。6日午後、曇り空の東京・夢の島。8月の広島まで約1000`の道のりを91日間かけて歩く兼頭さんの旅が始まりました。彼を「かねとぅ〜」とよぶ青年20人ばかりもいっしょ。歌を歌ったり、リズムをとったりと元気いっぱいの行進です。
被爆国なのに
「被爆国なのに被爆者に非常に冷たい国はおかしいですよね」。兼頭さんは、原爆症集団認定訴訟を支援する「ピースバード」のメンバーとして、平和大行進に参加する思いを語ります。
「戦後も60年近くなり、多くの被爆者が亡くなってきています。なのに、国は、被爆者の実態を見ない基準をあてはめ、『放射線の影響は少なく原爆症といえない』などと切り捨ててきました。国のこのひどい姿勢を変えるには、自分たちで『おかしい』と声をあげることです」
「通し行進」の要請には最初、「自分が歩くなんて現実感がなかった」と迷いと戸惑いがあったといいます。
でも、「自分にとっての一番の挑戦はなんなのか、考えては」との母親の言葉が胸に突き刺さりました。
「やるしかない。僕が歩くことで、あきらめないで頑張ろうという人たちの励みに少しでもなれたら」と力を込めます。
草の根の精神
平和の活動に参加するようになったのは、一昨年から参加している韓国ツアーがきっかけ。そこで聞いた日本軍の「従軍慰安婦」にされた女性の証言はショックでした。
「日本の侵略や植民地支配の具体的事実について、自分がどれだけ意識していなかったかを気づかされた」
ツアー中、ツアーに参加した同じ若者たちと毎晩交流したのが大きかった、といいます。
「平和や命について、自分にひきつけて考えるようになりました。人間って素晴らしいと思えるようになり、そういう仲間たちと、いい世の中をつくりたくなりました」と兼頭さん。
1月、インドで開かれた世界社会フォーラムに参加。ガンジーのひ孫、ツシャールさんに会いました。
「ガンジーの教えや思想を広めるためにどんなことをしましたか」との質問に、ツシャールさんは「彼は何も特別の思想を持っていたわけではありません。イギリスの植民地だったインドの人々が求めていた自由や平和への思いをまとめあげて行動しただけです」と答えたといいます。
その言葉に「すべての草の根の運動に共通する精神を感じた」という兼頭さん。
「普通の僕が歩く姿を見て、いろんな人がいろんなことを考えてくれればいい。僕は、僕に勇気を与えてくれる人に少しずつ勇気を与えられる人間になりたい。だから歩きます。それが僕にとっての一番の挑戦です」
2003年通し行進者の高橋玲奈さん(19)
私の場合、体がつらいとかはあまりなかったんです。どんないなかを歩いても、いっしょに歩いてくれる人が毎日いて元気が出ました。そのノリで歩けちゃうはずです。兼頭くんには、全国の名産とか、おいしいものをいっぱい食べながら元気に頑張ってほしいです。
2002年通し行進者の前川史郎さん(24)
僕が歩いたときは、2週間ぐらいで足がものすごく痛くなって、歩きながら眠りかけたことも。それでもなぜ、91日間も歩き通せたかというと、待っていてくれる人がいたからです。兵庫県で目の不自由な男性が道端でカンパを差し出す格好でじっと待っていたのには本当に胸が締め付けられました。いっしょに歩く人はもちろん、歩けない人もカンパやメールで励ましてくれるから、兼頭くんもきっと歩き通せると思います。
国民平和大行進
1958年に始まった歴史と伝統あるピースウオーク=B今年で47回目。8月の広島・長崎に向かって平和の願いを集め、核兵器廃絶の運動を進めます。「だれでも、一歩でも二歩でも」参加できるのが特徴。約7割の市区町村で10万人の人々が参加しています。東京→広島コース以外にも、北海道→東京コース、沖縄→広島コースなど全国11幹線コースで実施。
(2004年05月16日,「赤旗」)
東京・日比谷野外音楽堂で開かれた「5・3憲法集会」での日本共産党の志位和夫委員長、社民党の福島瑞穂党首、イタリア、韓国の海外ゲストの発言を紹介します。
憲法の値打ち生かした21世紀の国づくりを 日本共産党/志位 和夫委員長
日本共産党の志位和夫委員長は、イラクで無法をはたらいている米軍の応援で自衛隊派兵を続けるならば、自衛隊員とイラク国民が「殺し、殺される」というとりかえしのつかない結果を招くことになるとのべ、「最大の憲法違反、目の前でおこなわれている憲法違反であるイラクへの派兵をただちに中止し、撤兵せよの声をみんなであげようではありませんか」と力を込めて呼びかけました。
志位氏は、環境破壊を平気でやっている勢力が改憲で「環境権」をいい、盗聴法を強行した勢力が「プライバシー権」を口にするのは厚顔無恥もはなはだしいと痛烈に批判。これらの権利は幸福追求権を定めた憲法一三条などで具体化できるもので、狙いは「憲法にあれこれと因縁をつけて国民を改憲論の土俵にのせ、九条改悪を無理やり押しつける悪巧みにほかなりません」と強調しました。
「では、憲法九条を変える狙いはどこにあるのでしょうか」。志位氏は、海外で戦争ができないという憲法九条の制限を取り外し、米国の海外での戦争に自衛隊が公然と武力行使をもって参加することにあると説き明かし、九条が取り外されれば「武器輸出大国の日本、核兵器の配備を平気でやる日本、青年を徴兵制によって無理やり戦場に送る日本への歯止めもなくなってしまいます。こんなことは許すわけにはいかないではありませんか」と訴えました。
改憲派は「押しつけ憲法だから自主憲法を」といいます。しかし、憲法施行翌年に軍備をもてるよう改憲を唱えたのはアメリカ、いまの集団的自衛権の行使の要求もアメリカです。「押しつけというなら、憲法九条改悪の動きこそアメリカの押しつけの産物ではないか」「二十一世紀になくすべきは九条ではなく、日米安保だ」との志位氏の訴えに、「そうだ」と大きな拍手が起きました。
さらに改憲派が「憲法は古くなった」という理屈についても反論。憲法は九条だけでなく、三十条にわたって豊かな人権規定を定めたすぐれた値打ちをもっており、問題はそれが政治で生かされていないことだとのべました。
志位氏は「憲法が古くなったのではありません。古くなったのは自民党の政治です」と指摘。「憲法改悪に反対し、憲法の平和、人権、民主主義、そのすばらしい値打ちをすべて生かした二十一世紀の国づくりをともにすすめようではありませんか」と訴え、大きな拍手に包まれました。
明文改憲を阻止するうねりをつくる一歩に 社民党/福島 瑞穂党首
社民党の福島瑞穂党首は、イラクへ自衛隊が派兵され、改憲が俎上(そじょう)にのる緊迫したなかでの集会だとし、「日本国憲法を世界に広げ、明文改憲を阻止するうねりをつくる一歩としよう」と切り出しました。
福島氏は、平和憲法があったからこそ戦後ただの一人も殺さず、殺されなかったことに言及。「この財産を今後も大事に守りぬき、世界に広げよう」と呼びかけました。
つづけて、「国会では憲法を壊し、踏みにじる動きが強まっている」と指摘。周辺事態法、テロ特措法、有事法制などが強行され、自民、民主両党が改憲案を準備していることを批判しました。
最後に福島氏は、「私たちの手の中に、憲法を生かすのか、殺すのかが握られている。力を合わせて、がんばりぬこう」とのべました。
改悪はアジアや韓国の平和を脅かす 韓国の「平和を創る女性の会」国際連帯委員長/チョン・ギョンランさん
韓国の平和団体「平和を創る女性の会」国際連帯委員長のチョン・ギョンラン(丁京蘭)さんは、自衛隊のイラク派兵は日本政府が憲法を無視した現れだと指摘。「日本の憲法は、平和主義、国民主権を大事な柱にしている。九条の平和主義は必ず守らなくてはならない」と訴え、拍手に包まれました。
従軍慰安婦とされた韓国人女性の苦しみを語り、「戦争と憎悪、犠牲と死がくり返された過去に時計の針は戻せない」が、憲法九条の改悪は、過去へ日本を後戻りさせアジアや韓国の平和を脅かすと強調。「平和憲法は日本が世界平和に貢献できる財産。九条を広めることが世界平和に貢献する」と力を込めました。
参加者と一緒に「平和憲法の改悪に反対」「自衛隊はイラクから撤退せよ」と唱和しました。
九条と同趣旨の条文欧州憲法に入れようと運動 イタリアの「平和のテーブル」全国評議会/マウリツィオ・グッビョッティさん
イタリアの反戦運動の中心的団体「平和のテーブル」全国評議会メンバーのマウリツィオ・グッビョッティさんがイラク戦争反対を象徴する七色の旗を掲げて発言。「この集会は世界の平和運動とのかかわりでとても大事です」とのべ、戦争をなくして平和を実現し、民主的な政治が世界中で行われるよう、力を合わせて行動する場をつくっていくことが必要だと強調しました。
イラク戦争の企てに反対する行動が世界をかけた昨年二月十五日、ローマで三百万人がデモ行進したとの紹介に歓声と大きな拍手が。イタリア憲法にも国際間の紛争を武力で解決してはならないという条文があり、欧州連合憲法にも九条と同じ趣旨の条文を入れようと運動していると発言を終えて、再び共感の拍手に包まれました。
( 2004年05月04日, 「赤旗」)
編集委員の児童文学評論家 西山利佳さんにきく/おとなも子どもも―/平和への 思い共感しあい
戦争と平和について多くの人たちが考え、行動する中で、戦争体験集『わたしたちのアジア・太平洋戦争』(全三巻 童心社)が注目されています。児童文学作家の古田足日さん、女性史研究家の米田佐代子さん、児童文学評論家の西山利佳さんが編集したもの。編集委員のなかでただ一人戦後生まれの西山さんに、編集にかけた思いを聞きました。
編集委員としての私の役割のひとつは、戦争体験者と非体験者の溝を越えるために「伝えられる側の言い分」を主張することだったと思っています。
たとえば、古田さんが八月十五日を印象深く語られると、「そういうものがない私はどうすればいいのか」と思ってしまっていました。似たような思いを抱いたことのある人は多いのではないでしょうか。
編集をすすめるなかで、戦争中の出来事だけが「体験」ではないのだと気づきました。体験を語れないまま何十年も生きてきた人、体験を意味付けしようと模索している人、亡くした友人や子どもへの思いを抱え続けている人。その後の生き方も一人ひとり違う。体験を抱えながら戦後をどう生きてきたのかも「体験」です。そのことが実感をもってわかったとき、「体験コンプレックス」のようなものは、消えていました。
戦争体験を広い意味でとらえることで、若い世代の平和への取り組みや思いも、体験として盛りこむことができました。語った人の思いに共感し、何をしていくのかが、私たち戦後世代の「体験」になるのです。
加害の体験にも目をそらさないでほしい。過ちを犯した後にどう生きるのかが大切、と気づかせてくれます。証言は人間性を取り戻す作業でもあるのです。体験を受けとめて生きてきた人のすごさとともに、それをサポートしようとする人、受け継ごうとしている若い人たちがいるということに、人間の可能性をみることができ、とても励まされます。
体験集は、「この時代をなんとかしたい」と思っている人々にとって、大きなパワーの源となるのではないでしょうか。おとなと子どもが、この体験集を共有して、人間らしく生きるとはどういうことか≠、考えあうきっかけになればうれしいです。
この体験集は、小学校高学年から読めるように、すべての漢字にルビをふり、ページごとに解説や地図を盛りこんでいます。
日本の侵略・虐殺行為や、近年掘り起こされてきた従軍慰安婦問題、戦後補償のあり方など加害者の視点を打ち出しました。中国や朝鮮など東南アジアの人々が、日本の支配によってどのような被害を受けたのかも語っています。さらに、当時の人々が戦後をどのように生きてきたのか、戦後世代が体験をどのように受け継いでいるのかもつづられています。
戦争が近づいてきた過程を追体験できるよう、体験談を時系列に収めてあります。
全三巻六十話と解説、年表。童心社刊。
( 2004年05月01日, 「赤旗」)
ふゆみ 教科書攻撃の次は入試問題への攻撃なんてとんでもないッ!
のぼる 何を怒っているのさ。
作成者名公表へ
ふゆみ 大学入試センター試験の問題を作っている先生たちの名前を公表するって話よ。
のぼる なにそれ?
ふゆみ この春のセンター入試の世界史ABで、「日本統治下の朝鮮」についての質問に対し「第二次世界大戦中、日本への強制連行が行われた」が正答となる四択問題が出たの。
のぼる 強制連行? 朝鮮人を炭鉱などで働かせたんだね。大勢亡くなった。
ふゆみ それがね、「新しい歴史教科書をつくる会」副会長の藤岡信勝東大教授が、強制連行は歴史的事実とはいえないと主張して、この設問を採点からはずして問題作成者の名を公表して処分せよと求めたの。
のぼる へーッ。それで公表するわけ?
ふゆみ 自民党議員有志がつくる「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の会合に文部科学省と入試センターの人が呼ばれて、議員や藤岡氏に追及されたの。あげくに〇七年度から、任期終了後に本人の了承を得て公表することにしたと報道されている。
のぼる 入試問題を誰が作っているかなんて分かったら大変だね。今でも裏口入学とか、事件がたくさんあるし。受験産業が試験問題に関する情報を聞き出そうとするんじゃないか。公正な試験ができないよ。
ふゆみ だからいち早く、歴史を研究している東京大学の史料編纂(へんさん)所の先生たちが、反対の声明を出したし、歴史科学協議会や琉球大学の教育学部教授会、国立大学の教職員組合も声明を出した。
のぼる 当然だね。だいたい入試問題は個人の責任で作るんじゃないよな。
不正圧力の恐れ
ふゆみ 「強制連行の問題は誰がつくった」とか「慰安婦を問題にするような者は委員にするな」とか、個人に不正な圧力がかかるおそれがあるわ。
のぼる 強制連行は、補償を求める裁判や証言調査で、歴史的事実だと明らかになっている。入試問題になってもおかしくないよ。
ふゆみ 文科省は圧力に屈しないで、こんな方針撤回してほしいね。
〔2004・4・28(水)〕
( 2004年04月28日,「赤旗」)
ことし一月十一日、頚部リンパ節がんで八十七歳の生を閉じた小林登美枝さんは、死の寸前まで自著の出版に精魂をこめておられた。この二冊がそれである。
『21世紀へつなぐ言葉』は遺言ともいうべき病床でのインタビューと自身の歩んできた道の回顧。速記者として自立、毎日新聞記者となるが戦後、組合運動に参加したのを理由にレッドパージにあう。しかし女性解放運動のなかで平塚らいてうに出あい、らいてう研究を通じて奪われたペンを取り返す。その熱血の軌跡が躍如としている。
『女の机』は一九五九年から二〇〇〇年まで四十二年間も信濃毎日新聞に書き続けた同名のコラムから一九八六年以降の百二十八編を収めたエッセー集。一編は見開き二頁の短文だが、テーマは、テロ、戦争、医療ミス、日の丸の押しつけ、沖縄、従軍慰安婦問題からボーボワール、与謝野晶子、俵万智、オードリー・ヘプバーンそして香の話におしゃれのコツまで森羅万象に及んで、ときに鋭く刺し、ときに悲しみときに愉しむ緩急自在のペンの技が見事だ。
この二冊を通読して私はつくづく思った。小林登美枝さんはたぐい稀な憂国の女性ジャーナリストであると同時に人生をたっぷり豊かに生きた達人であった、と。
病床でのインタビューはイラク派兵反対と若者へのメッセージで結ばれている。「私にはできないわなんて言わないで。いくらだってできるんです。自分で考え、自ら選択する。そう行動していけば、何かを切り開くことができるはずです」(『21世紀へつなぐ言葉』)
自分で考え、自ら選択し、行動するとは著者の生きかたそのものだった。現実から逃げず流されず権威権力におもねらずに生きた。著者のもっとも強力なパートナーは平和憲法であったことが読みとれる二冊である。
増田れい子・ジャーナリスト
こばやし とみえ 一九一六年生まれ。女性史研究者。平塚らいてうの研究・顕彰に尽力。
( 2004年04月11日,「赤旗」)
国際人権活動日本委員会の前田朗氏(東京造形大学教授)は五日、ジュネーブで開催中の第六十会期国連人権委員会での第十二号議題「女性の人権の完成と女性問題の展望」に関する審議で日本軍による戦時の性的奴隷の問題について発言しました。
日本政府が国連人権委員会で採択されたいわゆる「慰安婦」問題についての決議に耳を貸そうとしていないと指摘、性的奴隷制の犠牲者たちは現在でも重大な精神的後遺に苦しみ、人権と尊厳の侵害に苦しんでいると述べました。そして「女性に対する暴力の特別報告者」に対して戦時における性的奴隷制についての最近の状況の調査と性的奴隷制を含む戦時の犠牲者に対する保護と賠償のガイドラインの作成を要請しました。
同氏は、「韓国・朝鮮、中国、台湾、フィリピン、オランダ、インドネシア、マレーシア出身の二十万人もの女性が第二次世界大戦中に『慰安所』においていわゆる『慰安婦』として強制的に使役された」と述べ、「彼女らは収容されていた軍事用の仮宿舎で疫病、虐待(拷問も頻繁であった)、栄養失調で亡くなり、終戦時に殺害されたり放り出されたりした」と当時の状態を報告しました。
同氏は、日本の地裁が三月に国および企業に戦時奴隷労働に対する損害賠償の支払いを命じた初めての判決を下したことを紹介。「これらの責任に関して誠実な承認と賠償なしでは彼女らの尊厳は決して回復されるものではない」「彼女たちが人生の残りの時間を平安のうちに過ごすことを保障することは私たちの責務だ」と訴えました。
( 2004年04月08日,「赤旗」) goto top
「女性国際戦犯法廷」を主催した市民団体「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(バウネットジャパン)などが、取材に協力した番組が改変され信頼利益が損なわれたとして、NHKと制作会社に慰謝料二千万円の支払いを求めた訴訟の判決が二十四日、東京地裁でありました。小野剛裁判長は「番組内容は事前の説明と異なり、信頼を侵害した」と述べ、取材担当の制作会社「ドキュメンタリー・ジャパン」(DJ)のみに百万円の支払いを命じました。NHKなどへの請求は棄却しました。
裁判の証人尋問では、放送日直前に右翼やNHK上層部の圧力で番組が当初の趣旨とまったく異なるものに改変された過程が証人尋問でも明らかになっていました。
判決は、当初の取材申し入れの趣旨とまったく異なった内容を放映したNHKについて、「多角的立場の番組編成が必要なテーマであり、番組は放送事業者に保障された編集の自由の範囲内」とし、制作委託の責任については「取材活動の指揮監督をしていない」として認めませんでした。
その上で、DJに対し、「事前説明は、取材に応じる意思決定の要因になるから、誤解を与えてはならず、対象者側に生じた期待や信頼は法的保護に値する」とした上で「番組は説明と懸け離れている」と違法性を認めました。
焦点そらす判決
西野瑠美子バウネット共同代表の話 自国の戦争責任について、NHKには改ざんの意図があったにもかかわらず、判決はその焦点をそらすものになった。制作会社が信頼を与えたことが過失とされ、NHKの編集権にかかわる部分は聖域にされてしまった。真実の報道がされなくなる大問題だ。控訴の準備を進めたい。
女性国際戦犯法廷
日本による侵略戦争の中で元「従軍慰安婦」らが受けた性的暴力を戦争犯罪として断罪し、戦時性暴力不処罰を断ち切ることを目的に二〇〇〇年十二月に東京で開かれた民間法廷。判決は、日本に賠償責任があり、昭和天皇も有罪と明言しました。
( 2004年03月25日 「赤旗」) goto top
韓国・ソウルの日本大使館前で十七日、六百回を迎えた「水曜デモ」に参加した元「慰安婦」たち(写真、ロイター)。一九九二年から毎週、大使館前に立ち続けました。韓国挺身(ていしん)隊対策協議会の呼びかけで支援者が発表した宣言は、日本政府による公式謝罪と国家補償を求め、「二度と戦争のない平和な世の中、日本軍『慰安婦』犯罪のない世の中をつくろう」と訴えました。(14面に関連記事)
( 2004年03月18日 「赤旗」) goto top
毎週水曜日に韓国ソウルの日本大使館前で行われてきた、元「慰安婦」たちの抗議行動が十七日、六百回を迎えました。この日、市民ら約二百人が、東京・参議院議員会館前に集まり十二年にわたる元「慰安婦」たちの運動に連帯しました。参加者は韓国、中国、台湾、フィリピン、インドネシアの元「慰安婦」たちの写真を掲げ、日本政府に謝罪と補償を要求しました。
呼びかけ団体を代表してマイクを握った梁澄子さん(「下関判決を生かす会」)は、「ハルモニ(おばあさんの意)たちがなぜ六百回も抗議行動を続けなくてはならなかったのでしょう」と語り、「事実を認めてほしいという彼女たちの願いは当然です。日本にいる私たちの責任は重い。政府に事実を認めさせましょう」と訴えました。
韓国の元「慰安婦」たちのメッセージ紹介に続き、野党共同で戦時性的強制被害者問題の解決と補償を行う法案を提出してきた日本共産党の吉川春子参院議員があいさつ。「今国会での法成立の実現に全力をあげたい」と力をこめました。
先週ソウルで行われた五百九十九回目の抗議行動に大学のフィールドワークの一環として参加した落合香菜子さん(20)は、「無視しつづける日本政府の態度が胸に突き刺さりました。日本政府への批判を行動で示そうと思いました」との感想を語りました。
この日、韓国のほか、日本各地、台湾、米国、欧州でも連帯集会が開かれました。
( 2004年03月18日 「赤旗」) goto top
民衆法廷は、国家や国際機関により授権される権力法廷とは異なり、民衆自身の意思と行動によって開かれ、戦争犯罪や人道に対する罪の存在が疑われるにもかかわらず権力法廷がこれを裁こうとせず、責任者を放置しているとき、この不処罰の連鎖を断ち切り、正義の実現を求める民衆の法運動である。本書は、民衆法廷の理論を構築しつつ、著者が深くかかわった民衆法廷運動の実践の報告である。
民衆法廷は強制力・執行力を持たない。しかし本書によれば、それは民衆法廷の限界ではない。裁判の本質は決して強制力・執行力にあるのではなく、「裁く」=「事実と法に照らして評価する」行為そのものにある。権力に担保されずとも、的確な調査と報告に基づいて事案の適正な評価を行えば、民衆法廷はその正当性を主張しうるという。
民衆法廷は平和運動の一環である。「アフガニスタン国際戦犯民衆法廷」は、米英によるアフガン攻撃には戦争犯罪や人道に対する罪の疑いが極めて強いにもかかわらず、いかなる権力法廷もこれを裁こうとしない状況で、被害の実態を解明し、国際法に照らして裁こうとする運動である。適用されるべき法は、国際刑事裁判所規程に至る近年の国際法の進展によって整備されている。問題は実態の解明である。著者は、実に六次にわたる現地調査に参加し、被害の実態を直接に聴き、見て来ている。その行動力には驚かされる。
民衆法廷は人権運動の一環でもある。従軍「慰安婦」制度は、当時の国際法の下でも既に戦争犯罪であり、人道に対する罪を構成していたにもかかわらず、東京裁判では不問に付され、戦後の国内裁判所によって追及されることもなかった。「女性国際戦犯法廷」は、この「不処罰の壁に穴を開ける」ために開かれた民衆法廷である。慰安婦問題は、著者の戦争犯罪論研究の原点であったが、本書はその到達点を示すものといえよう。
楠本孝・関東学院大学講師
まえだ あきら 一九五五年生まれ。東京造形大学教授。
( 2004年03月08日「赤旗」) goto top
【ソウル=面川誠】韓国の国会は二日、日本による植民地支配(一九一〇―四五年)に一部の韓国・朝鮮人が協力した実態を究明するための「日本帝国主義の横暴な占領支配下の親日反民族行為真相究明のための特別法」を可決しました。
特別法を推進した与党「開かれたウリ党」の金希宣議員らは、「反民族行為について公式資料がまったくない」「実態が知られていないため、教科書では植民地支配への協力者が独立運動をしたかのようにわい曲されている」などの問題点を指摘しています。
同法が施行されれば、大統領が任命する真相究明委員会が、▽独立運動の掃討を命令したり独立運動家を殺傷▽日本軍人(中佐以上)として侵略戦争に協力▽「慰安婦」を積極的に強制動員―などの行為について、三年間にわたって調査し、報告書をまとめることになります。
韓国では、四八年の政府樹立直後に「反民族行為特別調査委員会」が設置されたことがあります。しかし、植民地支配への協力者を多く抱えていた当時の李承晩政権が、この委員会を解散。同法原案は、協力者の範囲を「将校」としたため、日本軍中尉だった朴正熙・元大統領も含まれる内容でした。これに反発した野党ハンナラ党によって、対象を「中佐以上」とするなど大幅な修正を経て可決したものです。
( 2004年03月04日 「赤旗」) goto top
平和と福祉、私たちに危険が迫る今、告発の詩、たたかいの詩に出合うことができた。
詩の力素直に伝わる
『複眼』41号(佐賀県詩人会議)。関家敏正「我慢できないことがある」は年金改悪反対等10・15県総決起集会に寄せた作品。国民が生きにくくさせられている現実をしっかりとらえて訴えかけ、詩の力が素直に伝わる。野村瞭太「Possible And impossible」は〈銃口を誰かに向けないで済む方法はきっと存在する〉と始める。発砲した銃弾を銃口へ戻すことより、遠回りでも平和のための努力をする方が〈簡単で/現実的〉だという不戦の論理がいい。
アメリカの犯罪糾弾
『異郷』130号(異郷の会)。若葉一枝「戦争」は〈遠くの戦争〉を傍観している自分を冷静に眺め、村上久雄は「汚染都市」で劣化ウランによる汚染をつく。よしなりまこと「晴れたらいいね」には、かつての炭坑労働者へのしみじみした共感がある。犬塚昭夫「アフガニスタン」は、悲劇の映像を静かに見せる手法でアメリカの犯罪を糾弾している。
生命体である人間を
『狼煙』51号(長野詩人会議)。石関みち子「迷彩色」は、イラク派兵自衛官の家族の立場に立つことから反対を訴え、富森啓児「生命の全史」は視点を変えて、次々に生まれては去る生命体である人間をいとおしむ。時代と重ねて読む時〈渡り行く風は数多くのいのちに触れながら輝いている〉が胸に響く。小林その「或る流浪の望郷」は、従軍慰安婦だった韓国人ペ・ポンギさんの陶芸作品の像を、日韓交流の運動の中で大切に描く作品。
姉の死の哀惜しみる
『三重詩人』193号(三重詩話会)は、巻頭に錦米次郎の戦時の応召体験を書く「三十七年」(八一年作)を再録している。山野治「死んでかえる」は、労働者だった姉の死への哀惜がしみとおるような佳品だ。伊藤眞司「玉子」と加藤千香子「タマタマゴハン」はどちらも卵と戦争を結ぶユニークな作品。伊藤は飢えた戦場の兵士によみがえる少年時代の産みたて卵の記憶を書き、加藤は割ったカラの形とイラク破壊をたくみにつないでそれぞれ面白い。(山本隆子・詩人)
( 2004年02月29日 「赤旗」) goto top
アニメ映画が提示する受動的な女性像を問う
絵画や図像に込められた思想やメッセージを解明するイコノロジー(図像解釈学)の日本での開拓者。その方法を縦糸に、ジェンダー(社会的につくられた性別秩序)の視点を横糸に、ディズニーのアニメ映画を読み解く『お姫様とジェンダー』(ちくま新書、二〇〇三年)が、社会に押しつけられた男らしさ女らしさを問い、読まれています。
「いま大変なことが起きています」とせきを切ったように話し始めました。
憲法改悪に警鐘
「今、男女共同参画社会を実現するために、小中学校の子どもたちに、男女の平等教育をめざして実施されているジェンダーフリー教育に対して、右派政治家や学者たちが中心になって、全国的なバッシング(攻撃)を行っています。反動ですね。数年前『新しい歴史教科書をつくる会』ができた前後に二つのことが起きました。従軍慰安婦の記述を教科書からはずせという攻撃と、夫婦別姓に反対する動きです。共通するのは、男性が社会でも、国家でも、家庭でも主人であり、女性をその下においておこうとする家父長制イデオロギーです。これは力、権力、暴力による他者の支配を軸にしているので、女性や異人種を力で抑圧しようとする本性をもっており、当然、日本をかつての軍国主義にもどし、徴兵制を―それが男らしい男というわけで―復活し、憲法を改悪しようとするものです」
憲法改悪というと反対する人は多いが、ジェンダーフリー教育攻撃がそれに連なるととらえる人がどれだけいるか―人の内面をからめ取る攻撃の本質を突く指摘です。
心に潜む性差別
若桑さんは、こうした人の心に潜む性差別意識を長く研究対象としてきました。
『お姫様とジェンダー』は、女子大の授業で学生と「白雪姫」「シンデレラ」などアニメ映画を見て討論した記録。これらは、主人公が王子様の出現で初めて幸せを手にする典型的なストーリーです。グリム童話として生まれた時代の意識そのままに、現代でも映画の形で受動的な女性像を提示し続けています。「白馬に乗った王子様が迎えに来てくれるのは女の子の夢」と言っていた学生が、次第に「女を幸せにするのは男」という設定に疑問を抱きます。自立した人間としての生き方の問題として考え、変化していく学生の姿がたくましい。
「女子大生は就職難で仕事があっても職場の花≠ニして三十歳までに辞めるか、総合職につけば結婚もままならない二重苦、三重苦。生きる場がないのです。福祉を削減し老若のオムツの世話を女にやらせ、家庭に入らざるを得ない状況を政治がつくっておいて、男女共同参画を言っても空念仏です。意識改革をして、男も女も解放していかないとダメ。普通の女の子の目覚めが重要です」
出版後、各地の男女共同参画推進センターから講演依頼が殺到しています。テーマは男女平等を阻む心の問題。
「土日の渋谷や新宿の街の風景を撮影した十五分のビデオを見せると参加者はがく然とします。そこはポルノワールドです。看板、週刊誌の表紙、ラーメンから毛生え薬まで、女性の性的姿を使って商売する。やっているのは企業です。ポルノもブルセラも取り締まったことがないのに、意にそわない性教育は攻撃し、少女を無知なまま犠牲にする。最悪の好色王国ですよ日本は」
男女共同参画とは、かつて植民地支配された国々で底辺に置かれた女性の地位向上を目指して提起された思想と行動。「北欧三国で男性も家事・育児をできるようにしたら、GDP(国内総生産)も人口も上昇しています。その方が男も女も幸福なのです」
男女が、ともに人間らしく生きる社会をめざす幅広い動きのなかで、若桑さんの活動は重要な位置を占める実践です。
イメージあれば
「私にはイコノロジーというはさみがあるから、アフリカでもインドでもイメージさえあれば分析できる」
二〇〇〇年に出版した『象徴としての女性像』では、西洋絵画でレイプ場面がいかに多く描かれてきたかを系統的に明らかにしました。暴君による支配の象徴としてのレイプの政治性や、レイプを女性の人権や身体への侵害としてではなく、家の性的財産である女性を犯された夫や父親の恥辱として扱ってきた歴史に光を当てました。『皇后の肖像』(二〇〇一年)では、明治期、天皇像とともに下賜(かし)された皇后像が、富国強兵を担う労働者と兵士を家庭から送り出す女性をつくる「女性の国民化」の役割をもっていたことを明らかにしました。
こうした専門書の大著を次々刊行しています。今は成人した二人の息子が幼い時には、寝かせた後に四時間の睡眠で論文を書いたといいます。
今の関心は、女性の戦争動員。「戦中の女性誌には、服装の記事が多い。パーマネントの禁止や着物をモンペに作りかえる方法…。衣服、身体の統制は一番の全体主義です。モンペの上にかっぽう着を着ろという指示は、女は台所にいろという意味で、戦争システムが男女差別システムだということを示しています」
文・八木絹記者
写真・縣章彦記者
わかくわ みどり=一九三五年生まれ。千葉大学名誉教授。現在、川村学園女子大学教授。著書に『薔薇のイコノロジー』『戦争がつくる女性像』ほか多数。最近著は『クアトロ・ラガッツィ―天正少年使節と世界帝国』。
( 2004年02月28日 「赤旗」) goto top
【北京=小寺松雄】中国国営中央テレビが選んだ「二〇〇三年・中国に感動を与えた十人」に、日本の尾山宏弁護士(中国人戦争被害者賠償請求訴訟弁護団長)が中国人以外でただ一人選ばれました。
尾山氏は一九六三年から、教科書検定、中国人慰安婦、七三一細菌兵器部隊、南京大虐殺、日本軍遺棄化学兵器問題などの訴訟に一貫して取り組んできました。
尾山氏はこのほど北京で開かれた授賞式に、楊利偉(宇宙飛行士)、ジャッキー・チェン(俳優)の各氏らとともに出席しました。
式のもようを報じた北京晩報二十日付は、尾山氏について「中国人戦争被害者のために、手弁当で援助、弁護にあたってきた」「国家や民族を超えた正義の士」とその功績をたたえました。
( 2004年02月23日 「赤旗」) goto top
【ソウル=時事】韓国のソウル行政裁判所は十三日、一九六五年六月の日韓基本条約締結のための両国政府間交渉のうち、賠償請求問題の協議に関する五文書の公開を外交通商省に命じる判決を言い渡しました。
聯合ニュースによると、日本に強制徴用された労働者や従軍慰安婦ら九十九人が、同省の開示拒否処分を不服として提訴していたもので、日韓基本条約交渉関係の文書の内容を明らかにするよう命じた判決は初めて。
判決は、同条約の締結で韓国の労働者や従軍慰安婦の賠償請求権は消滅したとする日本の主張について、「正しいか否かを判断するためには、条約締結の過程と内容の検証が必要」と指摘しました。
( 2004年02月16日「赤旗」) goto top
戦前、旧日本軍により強制的に「慰安婦」とされた台湾の女性被害者が日本政府を相手に一人一千万円の損害賠償と公式謝罪を求めた裁判の控訴審判決が九日、東京高裁でありました。石川善則裁判長は、国家賠償法施行前の日本軍の加害行為について、「国が民法の規定によってその権力的作用による損害の賠償責任を負担するものと解することはできない」として、一審の東京地裁判決を支持、被害者側の控訴を棄却しました。
開廷を前に、法廷に入り切れない傍聴者が集まりました。台湾から来日した四人の被害者・遺族が判決を見守りました。石川裁判長は、ごく短く「棄却」を告げると、法廷を後にしました。被害者らに翻訳する時間もありませんでした。
判決後、被害者らは上告する方針を明らかに。清水由規子弁護団長は、事実認定さえしない判決にたいし、被害者を「二次被害にあわせるような判決」と批判しました。
盧満妹さん(79)は「私が死んでも、子や孫が引き継いでいくと思う」と、あきらめずにたたかう決意を表明。タロコ族のイアン・アパイさん(74)は「言葉で言い表せないほど心が痛みます」と語りました。
鄭陳桃さん(83)は「あまりにもずるい。私たちに何も話させず終わってしまいました。裁判は負けても、私の心は負けません」と話しました。
一週間前に死去した母の遺影を手にした高秀珠さんは、裁判長が判決後五秒もしないうちに立ち去ったことに怒り、「すべてのおばあさんたちとともに、たたかいつづけます」とのべました。
( 2004年02月10日 「赤旗」) goto top
中国人戦争被害者の戦後補償裁判は、法廷内の論戦と支援運動の高まりによって、原告勝訴の判決も出ています。このたたかいで力を発揮しているのが、被害者の生の声と姿を伝える映像です。 裁判を支援する「中国人戦争被害者の要求を支える会」(「支える会」)では、専門のビデオチームを組織。法廷証言用のビデオや、世論を広げるための学習用ビデオを製作しています。これを支える一人が映像クリエーターの高部優子さん(36)=東京・調布市=です。
謝ればいいじゃん
高部さんは、数年前まで私立女子高で社会科を教えていました。生徒のなかには、授業中に携帯電話をかけ、化粧をする生徒もいました。
授業に集中させるにはどうすればよいか。教師たちは工夫を重ねていました。大学時代、「第三世界」が研究テーマだった高部さんは、アジアの戦争被害者のビデオを授業で用いてみました。
画面に映し出されるしわくちゃの老人の顔。何かを必死に訴えています。楽しい映像ではありませんが、生徒の目はじっと画面を追います。ふだんは黒板に背を向けている生徒から思いがけない言葉が出ます。「やっぱ、おかしいよ。政府は謝ればいいじゃん」。手ごたえを感じました。
自作アニメに挑戦
高部さんは、フィリピンへのスタディツアーを通じて、従軍慰安婦などの、戦争の傷がいまも癒えていないことを知りました。自分にできることはないか。そんな時、中国人の戦後補償裁判にとりくむ弁護士から詳しく話を聞き、「支える会」の活動に参加。ビデオを担当したことが転機になりました。
中国の南京市へ取材旅行し、南京大虐殺の生存者から聞き取りをして、ビデオにまとめました。中国の撫順市郊外で起きた平頂山虐殺事件(一九三二年)を扱ったビデオでは、自作のアニメに挑戦。昨年、被害者の莫徳勝さんが裁判で来日した時、見てもらいました。莫さんは、アニメ化された自分の子ども時代の姿に「これはわしじゃ、わしじゃよ」と指さして笑いました。うれしそうでした。ビデオを見た人から、「アニメがいい」と言葉をかけられ、励みになりました。
ビデオ作りでは、映像の編集・加工が大切です。中国・海南島の「慰安婦」訴訟では、弁護団が現地調査で撮ってきた被害者の映像を、法廷提出用ビデオに仕上げました。「裁判官の心を打つ映像に仕上げよう。あなたの心、私が伝えるからね」−そんな思いで作業をすすめました。
『ちひろへの旅』も
高部さんは、平山知子弁護士の著書『若きちひろへの旅』のビデオ化にもとりくんでいます。ちひろの母親は戦前、旧満州(中国東北部)へ「大陸の花嫁」を送り出す仕事をし、ちひろ自身も女子開拓義勇隊訓練所のある「満州・勃利」へ渡っており、戦後補償裁判との接点もありました。高部さんは、ビデオ作りを通して、「ちひろの生き方を追体験」しています。
◇
ビデオ「平頂山で何が起きたの?」の問い合わせは、「中国人戦争被害者の要求を支える会」へ。03(5396)6067
( 2004年01月27日「赤旗」) goto top