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2006

【慰安婦犠牲者の活動と関連記事】

 

*  2006

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元「従軍慰安婦」生活「ナヌムの家」高松で報告会

 香川国民教育研究所はこのほど、高松市で神戸女学院のゼミ生による韓国の元「従軍慰安婦」が暮らす「ナヌムの家」の報告会を開き、四十五人が参加しました。

 女子学生は、「従軍慰安婦」のビデオや韓国の経験をスライドで紹介。「日本人にとっては恥ずかしくて悲しい歴史だが、真っ直ぐに向き合うことが大切。歴史を無視する今の日本政府が、いくら日韓友好を叫んでもハルモニたちの心には届かない」と語りました。

 参加者からは、「自分の国の歴史をもっと知らなければならないと思った」「悲しい事実に涙が止まらなかった」などの声が寄せられました。

(2006年12月12日,

戦後補償問う/北東アジア共生の道を展望/東京で集会

 日本が戦中、中国人や朝鮮人におこなった強制連行・強制労働、従軍「慰安婦」など、いまなお残る戦後補償問題に対する認識を深め、解決のための運動の展望を話し合おうと、「それでも問われる日本の過去清算」集会が十日、東京都内で開かれました。

 荒井信一・駿河台、茨城両大学名誉教授が「北東アジア共生の展望と日本の過去清算」と題して講演。共生の道を切り開くため、「日本国憲法と日米安全保障条約の異なる原理の法体系を許してきたことを考える必要がある」とし、「日米同盟が支えてきた平和は核の平和であり、冷戦の遺産だ」とのべました。

 そのうえで、米下院で日本の歴史問題を追及する動きと、安倍首相の米国追随を比較すると「日米同盟に対する価値観はかけ離れている」とのべ、双方にずれが生じていることを指摘しました。

 市民団体の代表が運動の状況を報告しました。

 参加者から、被害者の要求実現のため、「私たちは真実を知らせていくことが大事だ」との意見がありました。

 また、裁判を通じて「互いの気持ちが交流できるようになったことが大きな成果だ」「被害者と日本の市民が共鳴し合うことが確実につくられてきた」との発言や、「信頼関係を築いていくことは過去を清算し、ともに社会をつくっていく礎になる。裁判闘争だけで終わらない、多面的なとりくみが問われている」との運動の提起がありました。

( 2006年12月12日,

太平洋戦争開戦65周年に考える/歴史認識問題の「いま」

 一九四一年十二月八日、日本は東南アジア全域にわたる侵略戦争を開始し、アメリカにたいしては真珠湾への奇襲攻撃を加えて、太平洋戦争に突入しました。それから六十五年。いまだに日本の戦争をどうみるかという歴史認識問題が政治の熱い焦点となっています。この問題がどこまできたのかを考えます。

 (藤田 健)

 

「靖国史観」追いつめた論戦

 

遊就館の展示物批判され変更へ

 東京・九段にある靖国神社。その境内にいま、「遊就館臨時休館のお知らせ」が掲示してあります。

 靖国神社の軍事博物館・遊就館を、十二月二十六日から三十一日まで「館内整備」のため閉鎖する告知です。

 遊就館は、日本の戦争を「自存自衛」「アジア解放」の「正しい戦争」だとする靖国神社の中心施設。館内の「戦史回廊」で「靖国史観」を展開しています。

 今回の休館について、同神社は「展示内容を変更する予定」と本紙に回答。内容については「正月号の社報で中間報告する予定です」とのべ、明らかにしていません。

 報道では、太平洋戦争開戦について、「米国民の反戦意志に行き詰まっていた…ルーズベルト」が「資源に乏しい日本を、禁輸で追い詰めて開戦を強要」したためだったとする陰謀$烽ェ変更の対象とされます。

 展示内容変更の背景には、昨年以来の「靖国史観」批判が内外に広がったことがあります。『諸君』十一月号では、「昨年来、(遊就館に対する)批判の声が国内外から高まっている」として、展示パネル編集責任者が質問に答えています(「米中の靖国『遊就館』批判に応える」)。

 

契機となった不破講演と報道

 防衛庁防衛研究所幹部が「遊就館批判が国内外一般に広まるのは、去年の五月になされた不破哲三共産党中央委員会議長の時局講演会とそれに続く『しんぶん赤旗』の報道を契機としてである」(『諸君』四月号)と指摘したように、この問題では日本共産党の「靖国史観」追及が国内外の世論を動かす力となりました。

 不破氏は、靖国神社自体が日本の侵略戦争を「正しい戦争」だとする宣伝センターになっていることを遊就館の展示内容を示して告発しました。「赤旗」論評「靖国史観≠ニアメリカ」(二〇〇五年五月二十七日付)は、靖国神社の「攻撃の矛先は、日本と戦ったすべての国ぐに――アメリカをはじめ、反ファッショ連合国の全体に向けられてい」ることを明らかにしました。「靖国史観」という言葉は、この論文のなかで初めて使われたものです。

 その後、「靖国史観」への批判は欧米メディア、アジア諸国に広がりました。米紙ワシントン・ポストのコラムでの批判に応え、安倍首相のブレーンとされる岡崎久彦元駐タイ大使が「遊就館から未熟な反米史観を廃せ」(「産経」八月二十四日付)と主張するまでになっていました。

 

行動で試される安倍首相

 

首相になっては言えない戦争観

 靖国問題が日本外交の大きな桎梏(しっこく)となるなかで就任したのが安倍晋三首相です。安倍氏といえば、これまで、首相の靖国参拝を「当然の責務」といい、「従軍慰安婦」問題で旧日本軍の関与を認めた「河野官房長官談話」(九三年)を攻撃。日本の戦争を「正義の戦争」とする立場から衆院の「終戦五十周年決議」(九五年)の採決に欠席しました。根っからの靖国#hとみられていただけに、内外の懸念もひときわ強かったのです。

 とくに、米国では「日中関係が極端に悪化すれば、アジア戦略に支障が出かねない」(米政府高官)と、安倍氏に是正を求める声が続出。九月に開かれた米下院外交委員会の公聴会では、ハイド委員長らが米国が求める日本の役割を果たすうえからも安倍氏に参拝中止を求めました。ライス米国務長官も同月二十六日、「(日中関係は)過去に問題があったことを認めてこそ前進できる」「政治的意思が必要だ」と発言しました。

 こうしたなかで安倍首相は、就任後、日本の「植民地支配と侵略」への「反省とおわび」を表明した「村山首相談話」(九五年)の継承を明言。日本共産党の志位和夫委員長の追及にたいし、「河野談話」も「受け継ぐ」と答弁しました。

 安倍首相の変化は、「首相がずっと主張してきた歴史観、戦争観は、首相になったらもう口にすることができないような性格のものだ」(志位氏)ということを浮き彫りにしました。「村山談話」と「河野談話」の継承を明言した以上、今後の行動で問われることになりました。

 首相の態度に、靖国#hからは「事情を説明して欲しい。その説明がなければ、これまでのコアな支持層は首相に対して最も厳しい批判勢力に転ずる可能性がある」(「あたらしい歴史教科書をつくる会」の元会長・八木秀次氏、「朝日」十月十八日付)と、戸惑いの声も出ました。

 

歴史問題の態度アジアが注視

 胡錦濤・中国国家主席 日本の指導者がA級戦犯がまつられた靖国神社に参拝を続け、中国国民とアジアの人々を傷つけ、中日関係を困難な局面に直面させた。こうした政治的障害を除去してほしい。

 安倍首相 政治的困難を克服し、健全な発展の観点から適切に対処したい。

 安倍首相は就任後、初の外遊となった十月の日中首脳会談でこう約束し、歴史共同研究でも合意しました。続く韓国訪問でも、盧武鉉大統領から「歴史問題は大きな課題になっている」と指摘され、「過去に関する韓国国民の感情を重く受け止め、相互理解と信頼に基づく未来志向の関係を構築したい」と応えました。

 日本共産党は、日中首脳会談後、志位委員長が談話を発表し、「日中両国政府間、国民間の友好関係を前進させる転機となることを期待します」と「歓迎」するとともに、「友好関係を本格的に発展させるためには、歴史問題での障害が取り除かれ、その基本点での解決がはかられることが、不可欠だと考えます」としました。

 韓国メディアも首脳会談を「韓日関係に正常化の糸口がもたらされた」とするとともに、「安倍首相の『(靖国神社に)行く、行かないといった話はしたくない』といったあいまいな表現では現在の事態の解決にはならない」(朝鮮日報十月十日付)と報じました。「これ以上、過去の問題が韓日の国益を害してはならない。そうしようとするなら、日本がきちんと明らかにするものは明らかにして進まなければならない」(中央日報十月十日付)との指摘もありました。

 

歴史共同研究、日中、日韓で開始へ

 歴史認識問題との関係で注目されるのが、日中、日韓の歴史共同研究です。日中の歴史共同研究は初めてで、日韓間では小泉政権時代の2001―02年に行われた第1期につづくものです。

 日中歴史共同研究については、11月の日中外相会談でもとりあげられ、「古代、中近世史」と「近現代史」の二分科会を設け、「共同研究を通じて、歴史に対する客観的認識を深めることによって相互理解の増進を図る」ことで合意。08年中には、なんらかの成果を発表する予定ですが、外務省は研究の延長もありうるとしています。

 研究は、両国それぞれ10人の有識者からなる委員会ですすめ年内に開始します。第1回の場所は北京の予定。日本側の座長候補は北岡伸一東大教授(前国連次席大使)です。事務局は、日本側が外務省の外郭団体である日本国際問題研究所、中国側が中国社会科学院近代史研究所です。

 外務省筋は「できるだけ多角的にいろいろな資料を整備し、事実を発掘し、議論をしたい。議論の中身はできるだけ両国民に知らせていきたい」としています。

 

靖国問題と日本共産党

 

2005年

4月 中国で「反日デモ」

5月 日本共産党の不破哲三議長(当時)が「日本外交のゆきづまりをどう打開するか」と題し講演。その後、「しんぶん赤旗」に「靖国史観≠ニアメリカ」(5月27日付)、「ここまで来たか靖国史観=v(6月7日付)、「首相参拝と靖国#hの要求」(6月11日付)を掲載

6月 衆院予算委で日本共産党の志位和夫委員長が首相に靖国神社の歴史観をどう考えるかと質問/欧米有力紙が靖国参拝問題を特集

9月 米上院外交委員会で靖国問題公聴会

10月 小泉純一郎首相(当時)が5度目の靖国参拝、日本共産党が批判/中国、韓国の駐日大使が抗議。米国務省報道官が中韓に「理解」を表明

11月 日米首脳会談で米側が対中政策を質問/日韓首脳会談で韓国側が抗議

12月 外務省協力の外交誌に首相参拝を批判する元外務次官の論文掲載

2006年

1月 志位委員長が代表質問で靖国参拝は戦後国際秩序の否定だと指摘、中止を要求

4月 安倍晋三官房長官(当時)が極秘に靖国参拝/防衛庁幹部が遊就館批判は不破講演が「契機」だったと指摘(『諸君』4月号)

6月 日米首脳会談で米側が再度日中問題を提起

7月 昭和天皇がA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示していたというメモを「日経」がスクープ。志位委員長が参拝中止の決断を求める談話

8月 小泉首相(当時)が終戦記念日に靖国参拝。志位委員長が批判談話

10月 安倍首相に志位委員長が歴史認識ただす。首相は「村山談話」「河野談話」の継承を答弁/日中、日韓首脳会談で安倍首相が「適切な対処」を約束、歴史共同研究で合意。志位委員長が「歓迎」の談話

( 2006年12月08日,

主張/「12・8」65周年/戦争の反省いまこそ生かして

 日本が中国などへの侵略戦争に続いて、アメリカ、イギリスなど世界各国との戦争(太平洋戦争と呼ばれた)に突入した一九四一年十二月八日から、六十五周年を迎えました。一九三一年九月の当時「満州」といわれた中国東北部への侵略から数えれば一九四五年八月の敗戦まで十五年にわたったこの戦争で、日本は二千万人を超すアジアの人々と三百万人以上の日本国民の命を奪い、国土を破壊しました。開戦から六十五周年の節目にあたり、戦争の惨禍を改めて思い起こし、二度と誤りは繰り返さない反省をいまに生かしていくことが大切です。

 

戦争責任に向き合う

 とりわけ重要なのは、アジア諸国を侵略し植民地として支配した日本の戦争責任問題に正面から向き合い、それをあいまいにして侵略戦争を正当化する一切の逆流や巻き返し≠ノ反対することです。

 小泉前首相は、過去の戦争を「正しかった」とする靖国神社への参拝を繰り返し、日本の戦争責任をあいまいにするものだと、内外の批判を集めました。侵略戦争を美化する態度は、アメリカいいなりや大企業中心主義と並んで、自民党政治の異常さを浮き彫りにしました。

 その小泉氏以上に反動的な歴史観を持つといわれた安倍首相は、首相就任後の国会答弁で、植民地支配と侵略を「国策の誤り」とした九五年の村山首相談話や「従軍慰安婦」問題での九三年の河野官房長官談話を継承すると認めました。直後には中国、韓国を訪問して「歴史を直視」すると約束しました。内外の批判に押され、侵略戦争を美化する歴史観、戦争観が首相として口にできないものであったことを証明したのです。

 日本が侵略と植民地支配の誤りを認め、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」(日本国憲法)ことを誓ったのは、日本の戦後の原点です。たとえ個人的にどのような歴史観を持っていても、首相になった以上はこの原点を守りぬく責任があります。そして、国会の場でも、外交交渉でも、いったん公式に約束した以上、それを行動で示す責任があります。

 日本共産党は侵略戦争を正当化する逆流を、戦後の世界とアジアで日本が生きていく基本にかかわる問題だとして重視し、その批判と克服のために力をつくしてきました。こうした日本共産党と国民のたたかいが、歴史問題で情勢を一歩前に進める結果をもたらしたことは明らかです。

 もちろん侵略戦争を正当化する「靖国」派は、安倍首相の態度に動揺しつつ、巻き返しも狙っています。安倍内閣自身、戦後の「レジーム」(体制)を変えていくという安倍首相のもとで、発足後最初の国会で教育基本法改悪案の成立をたくらみ、首相が任期中の五年をめどに憲法を改悪することを明言するなど、侵略を反省するとのことばに背いて、アメリカとの同盟のもと日本を海外で「戦争のできる国」にする策動を続けています。逆流とのたたかいは、いままさに国政の重大問題です。

 

侵略戦争に反対した党

 日本共産党が戦争責任問題での逆流を許さないたたかいで力を発揮できるのは、党創立以来、侵略戦争と植民地支配に反対してたたかった、ただ一つの党であることに裏付けられたものです。

 日本共産党は今後も全力を挙げます。戦争責任にしっかりと向き合い、逆流を許さず、日本と世界の平和を切り開いていくために、力を合わせ、強めようではありませんか。

( 2006年12月08日,

「慰安婦」決議再提出へ/米議会日本政府の責任問う=^日本の妨害判明

 【ワシントン=鎌塚由美】アジア太平洋戦争中のいわゆる「従軍慰安婦」について、日本政府に責任を認めるよう求める決議案が一月から始まる米議会(第百十会期)に再び提出されることが確実になっています。今議会では、九月に米下院外交委員会を通過しましたが、日本政府のロビー活動で本会議での採決が妨害されたことが明らかになっています。

 米国で「慰安婦」問題を広める活動をしてきた「慰安婦問題ワシントン連合」のオクチャ・ソック会長は、決議案が本会議の採択まであと一歩で実現しなかったことは「残念」としながら、「委員会で通過したことは大きな成果でした」と語りました。ソック会長は、「(来年一月からの)次期議会では、積極的な可能性がある」と言います。

 すでに次期議会で「慰安婦」決議を提出すると表明しているのがホンダ下院議員(民主党)です。同議員事務所のコーンズ報道官は、「次期議会では時期をみて提出する」と語りました。

 二〇〇〇年以来、議会で「慰安婦」問題を取り上げてきたエバンス下院議員(民主党)は、パーキンソン病の悪化で今期限りで引退。ホンダ議員は、カリフォルニア州議会議員時代から、「慰安婦」など戦争犯罪への明確な謝罪を日本政府に求める決議を提出してきました。「エバンス議員から引き継ぐ」(同報道官)ことになります。

 

「慰安婦」決議妨害、米誌が報道/大物ロビイストに日本が月690万円

 下院外交委員会(ハイド委員長=共和党)が、日本政府に責任を認めるよう求める「慰安婦」決議を全会一致で通過させたのは九月十三日。エバンス議員は二〇〇一、〇三、〇五年に同様の決議案を提出していますが、委員会を通過したのは今回が初めてでした。

 議会院内紙ヒル(九月二十七日付)によると、委員会通過後、ハイド委員長や他の議員が本会議での速やかな採択を求める書簡を送付しました。しかし、「対日関係を考え、決議案にいい顔をしない」下院議長のハスタート議員や院内総務のベイナー議員(いずれも共和党)は、採決日程を決めることを渋ったといいます。

 同紙は、決議採択を求める韓国系米国人らの働きかけに対抗し、「日本は決議に反対し静かにロビー活動をした」と紹介しました。

 「冷たい慰め 日本ロビーが第二次世界大戦の性奴隷決議を妨害」と題して報じたのは、『ハーパーズ・マガジン』(電子版、十月五日付)。日本政府は大物ロビイストに「月六万j(約六百九十万円)」もの大金を支払っているとし、ホワイトハウスも「ひそかに慰安婦決議を妨害していた」と指摘しています。

 「超一流のワシントンのロビイスト」とは、議員歴三十八年の元下院院内総務のロバート・マイケル氏で、ハスタート議長や採決日程を管理するベイナー院内総務とは元同僚の間柄という人物。

 同誌によると、マイケル氏は五月末、ハイド委員長に対し、決議が通れば日米同盟に支障をきたすなどと圧力をかけました。関係者は、その直後に「すべての交渉が止まった」と述べています。しかし、小泉首相(当時)の八月十五日の靖国参拝に業を煮やしたハイド委員長は九月、決議促進に踏み切ったといいます。

 同誌は、下院指導部への具体的な働きかけは「不明」としながらも、速やかに本会議で採択されるはずだった同決議案が動かなくなったのは、「ホワイトハウス、マイケル氏、他の日本のロビイストらがベイナー議員、ハサート議員に働きかけた」からだと「議会ではうわさ」になっていると伝えています。

 日本大使館は、本紙の問い合わせに対し、「あらゆる案件で必要な努力をしている」と回答、「慰安婦」決議に対するロビー活動を否定しませんでした。

 小泉首相の後を継いだ安倍首相は国会で歴史認識を正面から問われ、「従軍慰安婦」問題について、旧日本軍の関与と強制を認めた一九九三年の「河野官房長官談話」を認め、継承する立場を表明しました。その日本政府が次期議会でも引き続き妨害を続けるのか。態度が問われています。

 (ワシントン=鎌塚由美)

 

「慰安婦」決議案

 九月に米下院外交委員会を通過した決議案は、「慰安婦」を「奴隷化」する過程で、日本政府が公式に関与したと認定。日本の一部の教科書で「慰安婦」問題や他の残虐行為を軽視し、第二次世界大戦における日本の役割が歪曲(わいきょく)されていると指摘しています。

 日本の教科書から「慰安婦」の記述が消えたことを政治家や官僚らが称賛したことに触れ、▽日本政府が公式に責任を認め受け入れる▽この非人道的犯罪を未来と現在の世代に教育する―ことなどを求めています。

 エバンス議員と共和党のスミス議員が四月に提出し、ほかに五十六の議員が共同提出者に名を連ねました。

 

( 2006年12月07日,

日朝協会都連定期大会開く

 日朝協会東京都連合会は二日、大田区産業会館で第四十五回定期大会を開きました。北朝鮮の核実験など厳しい状況の中で、韓国・朝鮮・在日の人々との友好親善を深める取り組みが、多数報告されました。

 友好親善、連帯の運動が大きく前進している一方で、「従軍慰安婦」問題など、戦後六十一年たっても山積する未解決の問題を解決する課題や、北朝鮮問題をめぐって起きている在日の人々への嫌がらせ、いじめ、暴力などをなくす課題も提起されました。

 大会では、吉田博徳会長を再任するなどの役員人事を決め、東京都と都教委に「『日の丸・君が代』強制は憲法違反」の判決に従うことを求める決議と、二〇〇七年春、東京都知事選に全力で取り組む決議を採択。来年度もさらに都連を大きくすること、日朝友好運動を前進させることを決意して閉会しました。

 大会後、都連結成五十周年祝賀会が開かれ、韓国生まれの歌手キム・チスクさんの韓国民謡の演奏が披露されました。在日の人をはじめ、各界から参加し、日本共産党のかち佳代子都議が連帯のあいさつをしました。

(2006年12月06日,

NHK番組改ざん/公正判決求め1800人署名/京都連絡会が提出

 NHK問題京都連絡会は四日、東京高等裁判所に、NHKの番組改ざんをめぐる裁判で公正な判決を求める要請書を千八百六十四人分の署名とともに提出しました。

 裁判は、「慰安婦」問題を取り上げたNHKの番組「問われる戦時性暴力」(二〇〇一年一月放送)が、自民党幹部の政治圧力で改変されたとして市民団体がNHKなどを訴えていたもので、来年一月二十九日に判決が出される予定です。

 要請書は、「この問題が放置されれば視聴者の『知る権利』が侵害され、民主主義の根幹である言論の自由が保障されなくなる」と危惧を表明しています。

 NHK問題京都連絡会は、昨年二月、改ざん問題の真相究明を求める市民、学者らによって発足しました。要請書を提出した事務局の西村千津さんは、「放送前にNHK幹部と会い、『公正中立に』と注文したのが安倍晋三さんです。いまの首相がかかわった政治介入問題ですから、たいへん重要な判決になると思います。歴史的事実を権力の都合で変えていいのか、日本の民主主義がかかっているといっても言い過ぎではありません」と語ります。

 署名は全国に呼びかけ、これからも集めたい、としています。

 問い合わせ先 NHK問題京都連絡会075(954)5596(長谷川さんまで)

( 2006年12月05日,

「従軍慰安婦」問題/語り伝え日本を変えていきたい/被害者と女子学生/訪韓交流の講演会 

 「従軍慰安婦」と呼ばれ日本軍の性奴隷とされた女性たちがいます。ことし九月に元「慰安婦」たちが暮らす韓国の「ナヌムの家」を、女子学生たちと訪ねた神戸女学院大学の石川康宏教授が二十五日、大阪市内で「『慰安婦』と出会った女子大生たち―加害の歴史をふまえ、未来をみつめるために」と題して講演しました。勤労協・戦前の出版物を保存する会が十一月学習例会として企画したものです。

 石川教授は、ビデオとスライドで、元「慰安婦」の証言やことしの韓国訪問の様子を紹介。復元された「慰安所」の前で女子学生の一人が気を失ったこと、元「慰安婦」と女子学生が率直に交流し、毎週水曜日に日本大使館前で元「慰安婦」らが行っている抗議行動に参加したこと、など詳しく報告しました。

 さらに「慰安婦」を否定する論者からしばしば出される「民間業者が行った」「自ら進んで『売春』をした」といった議論を真っ向から批判。「『慰安所』の建設や運営に関する軍の文書が見つかり、運営者が政府と軍だったことは政府が河野談話でも認めた事実。『慰安婦』の圧倒的多数は、本人の同意なしにレイプされた」と指摘しました。

 韓国訪問に参加した学生の西田あゆみさん(21)が体験を報告。「私たちと同じ年代の人が小さな部屋で暴行されたことに、恐ろしさを感じました。私たちにできることは伝えていくこと。(現地で)私たちが日本を変えていきます、と訴えました」

 講演を聞いた吹上多英子さん(51)は「まだ十代の女性がどんな気持ちでいたかと、考えただけで恐ろしい。被害に遭うのはいつも弱い立場の人です。若い学生が(加害の歴史を)勉強しているのはすばらしい。一方で、憲法や教育基本法を変えようとしている安倍内閣は情けない」と話しました。

(2006年11月26日,

10s20sYモード/ハルモニは抱きしめてくれた/元「慰安婦」と交流/北九州市立大学1年植西あすみ

 

韓国訪問記

 日韓の歴史を知り、未来を考えたいと韓国に行き、元「慰安婦」の女性たちと交流してきた青年たちがいます。福岡県北九州市の大学に通う学生有志たち。学習会を重ね、韓国に渡った北九州市立大学1年生、植西あすみさん(19)の訪問記です。

 「慰安婦」。中学校の歴史の教科書に太字で書かれていたこの言葉と、ほんの数行の説明が頭の中に残っていて、高校生のときに「慰安婦」に関する本を読みました。それは、とても衝撃的なものでした。

 日本は第2次世界大戦中に原爆を投下され、「被害国」だとずっと思っていました。だけど史実は決してそれだけではなかったのです。

 自主ゼミで、「慰安婦」問題の責任を追及した女性国際戦犯法廷のビデオを見たり、文献を読むなどして学習してきました。学習すればするほど、この問題の重大さを思い知らされました。

 夏休みに入り、日清・日露戦争から韓国併合への流れなど、侵略戦争の一連の動きも学習しました。侵略した日本から見た歴史と、侵略された韓国から見た歴史には大きな溝があることを知りました。歴史の事実を韓国でもっと深めようという意欲が高まりました。

 

歴史館に衝撃

 今秋、日本の侵略の歴史を学ぶため、学生を中心に11人で韓国スタディツアーに行きました。元「慰安婦」のおばあさんたちが暮らす「ナヌムの家」へ行き、そこにある日本軍「慰安婦」歴史館を案内してもらいました。

 「私たちが強要に抗(あらが)えずにしてしまった/このことを/歴史に残しておかなければならない」

 これは1991年に韓国内で初めて「慰安婦」として名乗り出たハルモニ、金学順(キム・ハクスン)さんの言葉です。ハルモニとはおばあさん≠ニいう意味です。

 歴史館には日本軍「慰安所」の分布図や当時使われていた軍票、慰安所利用券、サック(コンドーム)などの写真のパネル、さらに慰安所を再現した部屋があり、狭い部屋にべッド、洗面器だけが置かれていました。

 こういうところで、少女が何度も何年も強姦(ごうかん)されて…。考えることもやめてしまいたくなるくらい、薄暗くて冷たい部屋でした。歴史館にいる間、ずーんと頭が重たくて、「慰安婦」の実態や日本政府の対応に、「どうして」という言葉が頭の中を回っていました。

 

きれいな手で

 歴史館を出るとナヌムの家の外にひとりのハルモニが座っていました。

 「どんなふうに接したらいいんだろう」とためらいましたが、「アニョンハセヨ(こんにちは)」と言いながら近づき自分の名前を言うと、握手をしてくれました。

 ハルモニの手を見ると、赤いマニキュアをし、チョウのシールを張っていました。こんなきれいな手をしたハルモニが、私が想像しきれないようなことをされたのだと思うと、やりきれない気持ちになりました。

 そう思いながらハルモニの手を見つめていると、ハルモニは私を抱きしめて、頭をなでてくれました。

 

大使館に訴え

 私たちは727回目の水曜デモに参加しました。「水曜デモ」は、日本軍「慰安婦」問題解決のため、毎週水曜日、韓国の日本大使館前で1992年から続けているデモです。水曜デモでは、日本政府に対し、公式謝罪や国家賠償、歴史教育など七つの要求をしています。

 私たちはみんなの前に出て横断幕を持ち、日本は今ここにいるハルモニたちと向き合わなければいけない、と日本大使館に向かって訴えました。

 戦争中に日本軍によって深く、大きな傷を受けたハルモニたちが、今、生きています。たとえ、何十年かたって生の証言がなくなってしまっても、「慰安婦」という事実がある限り、ハルモニたちはずっと生き続けるのです。私たちはその事実と向き合わなければなりません。

 帰国後、韓国スタディツアーの報告会を学内で行います。どうしたらひとりでも多くの人に足を運んでもらえるか、私たちが感じてきたものを伝えることができるか、試行錯誤しながら取り組んでいます。

(2006年11月12日,

レーダー/「命令放送」と「NHK裁判」の間

 あす八日、菅義偉総務相が電波監理審議会に拉致問題での放送命令について諮問します。

 これまで国際放送で何を取り上げるかは、NHKの自主性に任されており、個別具体的な政策の重点放送命令は、十月の総務委員会で日本共産党の吉井英勝衆院議員が強調したように、「放送への権力的介入、検閲につながる問題」です。吉川春子参院議員も「放送制度の根幹にかかわる」と指摘します。

 「検閲」で思い出すのは、「慰安婦」問題を扱ったために改ざんされた二〇〇一年のNHK番組政治介入事件です。取材協力した市民団体バウネットがNHKを相手どった裁判は、五年に及び、十月、東京高裁で結審しました。

 菅総務相とこの事件は間接的とはいえ、結びついていました。接点は、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」。裁判で明らかになったのは、番組の改ざんが、この会のNHKへの助言から始まったという事実でした。そして、この会の初代事務局長が安倍晋三首相で、委員に名を連ねていたのが菅総務相でした。その人物の名が再び注目されることになったのが、今回の放送命令問題であり、偶然とは思えない帰結です。

 この会の放送への介入ぶりは、「筋金入り」と言えます。三月の参院総務委員会で、NHK裁判で証言したNHK職員の人事上の処分を迫った山本順三議員(自民)も会のメンバーでした。菅総務相にとっては、放送命令は当然のことで、世論の反発は想定外だったかもしれません。

 一方で、この会の主張が、総理、閣僚になってからは明言できないものであることも今国会で鮮明になりました。安倍首相は、日本共産党の志位和夫委員長の追及に、「慰安婦」問題での軍の関与を認め謝罪した一九九三年の河野洋平官房長官談話を「継承する」と答弁しました。菅総務相も「安倍総理も認めているので、従います」と答えざるをえませんでした。

 NHK裁判結審の日。原告バウネットの西野瑠美子共同代表は、最終陳述で故・松井やより氏の「私たちが沈黙すれば、暴力による言論弾圧や権力に迎合する報道機関の自主規制を許すことになる」との言葉を引きました。言論表現の自由を侵害する安倍内閣の本性が図らずも見えた放送命令問題。その行方は、政治介入事件の真実のありかも照らし出します。(板)

( 2006年11月07日,

「中国人強制連行はなかった」県議会意見書見直せ/槙峰裁判原告ら/宮崎

 知事、議会に要請/ 第二次世界大戦末期、中国から宮崎県日之影町の槙峰鉱山に、強制連行、強制労働させられたとして、中国人被害者とその遺族が、国および鉱山を経営していた企業を相手取り、謝罪と損害賠償を求めた訴訟(槙峰裁判)での勝利に向け、被害者の遺族で原告の安立海さん(48)と、中国人弁護士の董一鳴氏は一日、宮崎県入りし、支援者とともに、宮崎県への要請行動を実施しました。

 安さん、董弁護士、支援者ら約二十人は、安藤忠恕知事と坂元裕一県議会議長に対し、「強制連行はなかった」とする県議会意見書を見直すよう求める要請書を提出しました。

 要請書では「全国の中国人強制連行・強制労働裁判で、どの判決でも国と企業の責任を認めている」と指摘し、県議会意見書は、事実認識を誤ったものであると批判。同意見書を見直すよう強く求めています。

 坂元議長への要請には県議会事務局の職員が応対しました。

 安さんは、強制労働被害者の父親、故・安宝翠さんの遺志を受け継ぎ、裁判をたたかっていることをのべ、県議会として良識ある行動を取るよう要求しました。

 董弁護士は「私たちは、中日両国が、友好・発展していくよう望んでいる。県議会も正義と人道にもとづいた行動をしてほしい」と訴えました。

 これに対し、県職員は「要求の内容は、議長にしっかりと伝えます」と約束しました。

 安さんらは、安藤知事に対しても、知事として、意見書の見直しに尽力するよう求める要請書を提出しました。

 宮崎県議会は一九九九年六月、「中学校歴史教科書の『従軍慰安婦・強制連行』の記述は、極めて不適当である」との意見書を強行可決。日本共産党の前屋敷えみ県議(当時)をはじめ、多くの県民が、同意見書の強行可決に厳しく抗議しました。

(2006年11月04日,

「河野談話を踏襲」/「従軍慰安婦」問題で総務相/吉川議員質問に

 日本共産党の吉川春子議員は十月三十一日の参院総務委員会で、「従軍慰安婦」問題に対する菅義偉総務相の認識をただしました。

 二十六日の衆院総務委員会で菅総務相が、宮沢内閣時代に「慰安婦」問題でおわびを盛り込んだ河野官房長官談話について、「安倍総理もこのことを認めているので、これに従う」と答弁しました。しかし、同相は「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」発行の本の中で、「慰安婦」の強制連行や軍の関与を否定しています。

 吉川議員はこの矛盾を指摘したうえで、政府の公文書でも軍の関与は明らかであることを示し、「『我々は歴史研究、歴史教育を通じて…同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する』とした河野官房長官談話の考えに異議はないか」と迫りました。

 菅総務相は「談話は踏襲する」と答弁しました。

( 2006年11月02日,

中国人強制連行/解決へ協力を要請/訪日団が党本部を訪問

 中国人強制連行訪日団の代表八人は一日、弁護団の高橋融弁護士とともに、東京都渋谷区の日本共産党本部を訪れ、中国人強制連行事件の解決に向けて協力を要請しました。

 吉川春子参院議員、和泉重行常任幹部会委員、柳沢明夫法規対策部長が応対しました。

 高橋弁護士は、中国人強制連行事件のすべての裁判で詳細に事実認定をしているのに、国も企業も解決に動こうとしていないとし、「解決に向けて日本共産党の協力をいただきたい」と話しました。

 被害者本人の趙宗仁さん(76)は「一九四四年に強制連行されたが、十四歳だった。河北省から百三十六人が一緒に連行されたが最年長は、六十九歳だった。福島県で発電所をつくる工事をさせられたが、とても寒く、足が凍傷した人もいた」といいます。田碩章さん(79)は、「寒さも防げないような宿舎で、食べ物も食べられるようなものではなかった。仲間と逃亡したが、福島県警の山狩りでつかまった。裸にされ、殴ったりけられたりして、体九カ所にひどいけがをした」と体験を語りました。

 加害企業の鹿島建設や三菱マテリアルなどの冷たい応対にあったこともあり、王子安さん(79)は、「家族のようです」と日本共産党にたいする親近感を述べました。

 吉川議員は、「昨日は総務大臣に慰安婦・強制連行問題で質問しました。侵略の歴史をゆがめることは日本のためにも良くないと中国の皆さんが話されましたが、そのとおりです。日本共産党は強制連行問題の解決のためにがんばります。健康に留意され、裁判で勝利をかちとられますように」と激励しました。

( 2006年11月02日,

従軍慰安婦問題/発言撤回し謝罪を/埼玉知事に聞く会実行委

 埼玉県内の教職員組合、教育団体、女性団体などでつくる「台湾の元『従軍慰安婦』の話を聞く会」実行委員会は三十一日、県庁を訪れ、「従軍慰安婦はいなかった」との上田清司知事の発言の撤回と、元「慰安婦」への謝罪を申し入れました。

 高田美恵子・埼玉県教職員組合女性部長が、帰国した二人の元「従軍慰安婦」から上田知事へのメッセージを野本能伸特別秘書に手渡しました。メッセージで鄭陳桃さんは「あなた(上田知事)は何の証拠もないとおっしゃいますが、私がいるということ、それが証拠ではありませんか」と訴え、盧満妹さんは「公に事実を否定するようなことを言って、若い世代にウソを伝えようとしています」と上田知事の発言を批判しています。

 野本能伸、柿沼トミ子の両特別秘書が応対。両秘書は、知事のいう「従軍」は戦地で軍隊といっしょに行動する(こと)≠ニいう意味で使っているとのべ、「慰安婦」への軍の関与を否定しているわけではないと弁解。上田知事も被害を受けた女性たちのことに心を痛めていると説明しました。

 日本共産党の角靖子県議が同席しました。

(2006年11月01日,

日本の警官にだまされ「慰安婦」に/聞く会で台湾の被害者/上田知事否定発言を批判/埼玉

 埼玉県内の教職員組合、教育団体、女性団体などでつくる実行委員会は二十八日夜、「台湾の元『従軍慰安婦』の話を聞く会」を、さいたま市浦和区の埼玉教育会館で開き、二百四十五人の参加で満員となりました。

 元「従軍慰安婦」の鄭陳桃さん(84)と盧満妹さん(81)が証言に立ちました。鄭さんは上田清司埼玉県知事の「従軍慰安婦はなかった」発言について、「私たちをばかにしている」と批判。盧さんは「日本政府は正式に謝罪してほしい」と訴えました。

 「従軍慰安婦」となった経過について鄭さんは、通学途中に日本人の警官にむりやり連行され、インドネシアのアンダマン島に送られて「慰安婦」にされたと、ときおり涙で声を詰まらせながら証言。盧さんは「仕事があるから」とだまされて中国・海南島に行き、話と違う「慰安婦」にされたとのべました。

 「戦争と女性への暴力・日本ネットワーク」の西野瑠美子代表は、関係者の証言や当時の台湾総督府や政府・軍の資料などから、台湾では日本軍と警察が「慰安婦」集めに関与していたと説明しました。「『従軍慰安婦』に軍が関与した証拠はない」との上田知事の発言については、「台湾については総督府の資料がかなり残っているし、国の省庁などでも多くの関連資料が確認されている。調べもせずに同じ発言をくり返している」と批判。「慰安婦」否定の考えは、日本の侵略戦争を美化する考えとつながっていると指摘しました。

(2006年11月01日,

「慰安婦」河野談話見直し/下村副長官「個人的に研究する」

 下村博文官房副長官は二十七日の衆院外務委員会で、先に都内で講演した際、「従軍慰安婦」問題をめぐる一九九三年の河野官房長官談話の見直しに言及したことについて「政治家、下村博文としての発言だ」「幅広く、科学的、そしていろんな知識などを求めて個人的には研究していきたい」と語りました。

 また、下村副長官は「過去の事例でも、個人的な政治家の発言はあり得た」と述べ、自らの発言に問題はないとの考えを示しました。民主党の長妻昭氏への答弁。

( 2006年10月28日,

「慰安婦」問題下村発言/今後追及する/民主

 民主党の高木義明国対委員長は二十六日の記者会見で、下村博文官房副長官が「従軍慰安婦」問題についての河野官房長官談話の見直しに言及したことについて「安倍晋三首相が発言したことと官房副長官が違ったことを言っていれば、どちらが本当かただしていかなければいけない」と述べ、同談話を継承するとした首相の国会答弁との整合性を追及していく考えを示しました。

( 2006年10月27日,

「慰安婦」問題下村発言/政府方針は不変/官房長官

 塩崎恭久官房長官は二十六日の記者会見で、下村博文官房副長官の河野官房長官談話の見直し発言について「政府方針は安倍晋三首相が国会で答弁した基本線と変わらない。談話を受け継いでいるというのが基本的立場だ」と強調。下村副長官が首相方針に反する発言をすることの是非に関しては「それは政治家下村氏のご判断することだ。子どもではないので、彼はよく分かっているはずだ」と述べるにとどめました。

( 2006年10月27日,

「慰安婦」問題下村発言/首相「問題ない」と擁護

 安倍晋三首相は二十六日夕、下村博文官房副長官が「従軍慰安婦」問題の河野官房長官談話の見直しに言及したことに関し「わたしも官房副長官時代に議員の資格でいろんな意見を言った。議員個人の責任で言っているのだから、全く問題ない」と擁護しました。

 また、首相は「わたしが申し上げているのが内閣としての意見だ」と述べ、安倍政権として同談話を踏襲する立場を重ねて示しました。首相官邸で記者団の質問に答えました。

( 2006年10月27日,

「慰安婦」問題下村発言/首相・内閣方針と違う/志位委員長が会見で批判

 日本共産党の志位和夫委員長は二十六日の記者会見で、下村博文官房副長官が「従軍慰安婦」問題で旧日本軍の関与を認め、おわびと反省を示した一九九三年の河野官房長官談話をめぐり、談話の前提となる事実関係の再調査に言及した問題を記者団に問われ、「安倍晋三首相は私との国会論戦で少なくとも(『植民地支配と侵略』への『おわびと反省』を示した九五年の)『村山談話』と『河野談話』は政府の方針、自分自身としても受け継ぐと明言した。その見直しが必要だとなれば首相の方針、内閣の方針と違うことを言い出したことになるのでことは重大だ」と批判しました。

( 2006年10月27日,

NHK裁判が結審/焦点は政治介入/来年1月判決

 NHKのETV番組改ざんをめぐる裁判が、十一日に結審しました。市民団体がNHKを相手どった裁判では、政府・自民党の幹部による政治介入が焦点となり、当時、官房副長官だった安倍晋三首相のかかわりが指摘されました。NHKは何に屈して、番組はどう変えられたのか。裁判を通して見ました。

 訴えているのは、市民団体のバウネットジャパン。バウネットなどが二〇〇〇年に開催した国際女性戦犯法廷を取り上げるのが、ETV番組の趣旨でした。初めの段階では、完成した番組の中心に法廷がすえられていました。

 ところが、二〇〇一年一月三十日に放送された番組では、法廷の主要な部分はカットされていたのです。戦争責任と「慰安婦」の証言です。

 番組改変に至る経緯が明らかになるのは、放送から四年たった〇五年一月。制作にかかわった長井暁チーフプロデューサーの内部告発によってです。

 

放送前日の事態

 NHKは裁判で、放送前日に起こった事態を明らかにせざるをえなくなりました。

 内容はこうです。放送前日の〇一年一月二十九日、安倍晋三官房副長官(当時)を、野島直樹国会担当局長と松尾武放送総局長がそろって訪ねました。そこで安倍氏が歴史や「慰安婦」について持論を展開し、「こうした問題を扱うのであれば、公平公正な番組になるべきだ」と注文しました。

 その日(二十九日)と次の日(三十日)、二回にわたって番組の作り直し作業が続きます。ところが、NHKは安倍氏の注文と番組改変は関係なく、「あくまでNHKの自主的な判断で編集した」と主張します。

 これにたいして、裁判では、現場スタッフが「政治介入はあった」と証言しました。

 放送当日(三十日)の夕方、松尾総局長にカットを指示された長井氏は、永田浩三チーフプロデューサーに次のように頼みました。「そんなことをしたら大問題になる。松尾総局長になんとか再考を促してほしい」

 永田氏は松尾総局長に掛け合いました。「なぜ、いちばん大事な『慰安婦』の証言部分を切るのですか。人間としてやっていいことと、悪いことがある」。抵抗する永田氏に、松尾氏は「責任は僕がとる」と譲りませんでした。

 

国民の知る権利

 安倍氏のところにNHKが説明に行ったのには、いきさつがあります。安倍氏に面会する数日前に、野島担当局長が、自民党総務部会の古屋圭司衆院議員を訪問。「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が、ETV番組のことを話題にしているので、「説明できるようにしておいたほうがいい」と示唆されます。

 「若手議員の会」は歴史教科書攻撃をし、「慰安婦」強制の証拠はないと主張していました。当時の代表は中川昭一衆院議員、安倍氏は前事務局長でした。

 ETV番組の改変で問われているのは、言論・表現の自由がもっとも守られなければならない放送が、政治の圧力によってゆがめられたのではないかということであり、国民の「知る権利」にかかわる問題です。

 首相になった安倍氏をはじめ、政府・与党の主要ポストには、番組改変に深くかかわったと指摘される「若手議員の会」のメンバー十一人が並んでいます。

 政治介入がどう裁かれるか。判決が出されるのは、来年一月二十九日。六年前、安倍氏がNHK幹部に歴史や「慰安婦」について持論を主張し、番組への注文を出した日です。

 (肩書はいずれもその当時)

( 2006年10月26日,

「従軍慰安婦」問題/河野談話巡り「研究が必要」/官房副長官

 下村博文官房副長官は二十五日夜、都内で講演し、「従軍慰安婦」問題で心からのおわびと反省を表明した一九九三年の河野官房長官談話に関し「個人的には、もう少し事実関係を(韓国などと)よく研究し合って、その結果どうなのか、客観的に科学的な知識を収集して考えるべきだ」と述べ、事実関係についてのさらなる解明が必要との考えを明らかにしました。

 ただ、下村氏は「閣議決定されており、重いものだ。修正するのであれば、閣議決定をやり直さなければならず、そうした時間(を費やすこと)が許されるのか」と述べ、安倍政権として談話を踏襲する立場に変わりがないことも表明しました。

( 2006年10月26日,

「慰安婦」問題の早期解決求める/首相「行動ネット」

 日本軍「慰安婦」問題行動ネットワークは二十日、安倍首相あてに、「慰安婦」問題の早期解決を求める要請文を送りました。

 これまで「慰安婦」問題を否定し、一九九三年の河野洋平官房長官談話の撤回を主張してきた安倍首相が、今国会で河野談話を「政府の立場」だけでなく「個人」としても受け入れると、答弁したことから要求したものです。

 要請文は、河野談話から十三年たっても日本政府が責任を果たしていないことを指摘。被害女性の高齢化で「この時期を逃したら、未来永劫(えいごう)、日本は被害女性が納得する謝罪と責任をとることはできない」としています。

( 2006年10月23日,

治安維持法国家賠償要求同盟、初訪韓/市民団体と交流

 戦前の治安維持法による弾圧の犠牲者らでつくる治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟が十二日から十六日までの五日間の日程で韓国を初めて訪問しました。四十一人が参加しました。

 団員らは十三日午前、天安市の独立記念館を訪問し、日本の植民地支配の圧政、三・一独立運動やそれへの弾圧・拷問の様子などの展示を見学。日本軍「慰安婦」被害者が生活するナヌムの家(広州郡、十人が居住)を訪れ、二人の被害者と交流しました。

 同日午後には、「慰安婦」問題にとりくむ韓国挺身隊問題対策協議会の事務所を訪れ、共同代表の申〇秀(シン・へス)さんと交流しました。

 治維法同盟は、一九九七年から毎年、ジュネーブの国連人権委員会に代表を派遣し、治安維持法犠牲者への謝罪と賠償を日本政府が行うよう訴えてきました。申さんも国連人権委員会で、日本政府による「慰安婦」への謝罪と賠償を求め続けてきました。

 申さんは、「『慰安婦』のための戦争と女性人権博物館」を建設するために努力していると活動を紹介。訪問団の針谷宏一団長は、「私たちの目的である、日本の戦争犯罪への謝罪と賠償を求めるたたかいと、『慰安婦』への謝罪と補償を求めるたたかいは共通したものです。ともに連帯してたたかいましょう」と述べました。

 十四日には、朝鮮独立のためにたたかった独立運動家が拷問・処刑されたソウル市内の西大門(ソデムン)刑務所歴史館や、朝鮮語で書いた詩が治安維持法違反とされ、福岡の刑務所で獄死した詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩碑などを見学。市民団体「国家保安法廃止の市民のつどい」と懇談しました。

 韓国側からは大学教授、神父、弁護士、民主労働党の活動家など九人が参加。同法は、米軍政下の一九四八年につくられ、社会主義者や進歩勢力の弾圧のためにつくられた法律。翌四九年には百三十二団体が解散させられ、十一万人が逮捕・投獄されたといいます。

 懇談では、日本の治維法同盟と韓国の国家保安法廃止の運動は「同じ道をめざすたたかい」であり、「自由と銃のない東アジア・世界をめざして共にたたかう」ことを確認しました。

 (国際人権活動日本委員会・吉田好一)

( 2006年10月18日,

日中首脳会談/日韓首脳会談

 

日中首脳会談

 予算委員会直後の8日、安倍首相は中国を訪問、胡錦濤国家主席、温家宝首相らと相次いで会談し、「共通の戦略的利益に立脚した互恵関係の構築」で合意しました。

 会談で胡主席は「日本の首相らの靖国神社参拝で中国、アジアの人々を傷つけた。こうした政治的障害を除去してほしい」と要請。安倍首相は「行くか行かないかは言及しない」との考えを伝えたうえで、「双方が政治的困難を克服し、両国の健全な発展を促進する観点から適切に対処していきたい」と応じました。

 両国首脳は共同プレス発表で、「歴史を直視し、未来に向かい、両国関係に影響を与える問題を適切に処理」することで一致したとのべました。

 一連の会談で両国首脳は@指導者が国際会議でひんぱんに会談するA有識者による歴史共同研究を年内に実施B東シナ海ガス田問題は共同開発の方向で解決方向を模索――などで合意しました。

 

日韓首脳会談

 安倍首相は9日、韓国・ソウルの青瓦台(韓国大統領府)で盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と初めて会談しました。

 歴史認識をめぐり、大統領は「歴史問題は大きな課題になっている。一つは靖国神社問題であり、歴史教科書問題であり、従軍慰安婦問題だ」と指摘。これに首相は「日本がかつてアジア諸国に多大な損害と苦痛を与えたことへの深い反省の上に戦後60年の歩みがある。過去に関する韓国国民の感情を重く受け止め、相互理解と信頼に基づく未来志向の関係を構築したい」と応えました。

 大統領が「従軍慰安婦に関する河野官房長官談話が守られていないのでは」と問うと、首相は「従軍慰安婦問題は私の内閣も河野談話に沿っている」とのべました。

(2006年10月15日,

「放送の自律」形骸化/NHK番組改変で原告/東京高裁、控訴審結審

 「慰安婦」問題を取り上げたNHKの番組「問われる戦時性暴力」(二〇〇一年一月放送)が、自民党幹部の政治圧力で改変されたとして、市民団体がNHKなどを訴えていた訴訟の控訴審が十一日、東京高裁(南敏文裁判長)で結審しました。判決は、来年一月二十九日に言い渡されます。

 原告バウネットジャパンは、百七十七nの最終準備書面を提出し、共同代表の西野瑠美子さんが意見陳述。西野さんは、五年に及ぶ裁判を振り返りながら「『何事もなかった』としてNHKが何ら責任を取らないことになれば、それは『放送の自律』を形骸(けいがい)化し、『慰安婦』問題のメディアにおけるタブー化を促進する。『予算』を人質にNHKが政治家に呪縛(じゅばく)され続ける構図を固定化することになる」と述べました。

 一審東京地裁は、〇四年三月、取材を担当した制作会社ドキュメンタリージャパンのみの責任を認め、百万円の支払いを命じました。原告側は、同年四月に控訴。〇五年一月十七日の第三回期日には結審が予想されていましたが、直前の同月十二日、朝日新聞が自民党の安倍晋三氏(現首相)、中川昭一氏(現政調会長)の番組介入を暴露し、番組にかかわったNHKの長井暁チーフプロデューサー(当時)が内部告発したことで、控訴審の様相は一変します。安倍氏らの関与、メディアと政治との距離に、裁判の論点は移りました。

( 2006年10月12日,

日韓、未来志向で合意/首脳会談で韓国大統領、歴史問題解決求める

 安倍晋三首相は九日、韓国の盧武鉉大統領とソウルの青瓦台(大統領府)で初めて会談し、小泉前首相の靖国神社参拝など歴史問題で冷え込んだ日韓関係を未来志向で立て直すことで合意しました。ソウル到着の直前に発表された北朝鮮の核実験実施について、両首脳は「断じて容認できない」と非難。双方は、国連安保理での厳しい措置を含む決議案の採択に向け緊密に連携することを確認しました。日韓首脳会談は昨年十一月、韓国・釜山で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の際に行って以来です。

 大統領は会談の冒頭、「日韓関係は二国間のみならず東アジアの平和と共同繁栄の秩序にとって非常に重要だ」と強調。「未来志向で考えたい。安倍首相の訪韓が日韓関係の新たな機会になるのではないか」と表明しました。

 また、「歴史問題が大きな課題になっている」として、靖国神社参拝問題、歴史教科書問題、「従軍慰安婦」問題の三点の解決を求めました。

 これに対し首相は「わが国がアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えたことへの深い反省の上に戦後六十年の歩みがある」と説明。「過去をめぐる韓国国民の心情を重く受け止めている。その気持ちに立ち、未来志向の友好協力関係を構築したい」と表明しました。

 韓国側発表によると、安倍首相は、侵略と植民地支配に反省とおわびを述べた一九九五年の村山首相談話を継承すると語りました。

 靖国問題では「行ったたか行かないかは言及しないことにしている」とした上で、「両国関係の健全な発展を促進する観点から適切に対処したい」と述べました。

 「慰安婦」問題で、日本軍などの関与と「強制性」を認めた一九九三年の河野官房長官談話について大統領が「守られていない」と指摘したのに対し、首相は、自身の内閣でも継承すると述べました。

 両首脳は、第二期の日韓歴史共同研究委員会を年内に発足させることで合意。首相が大統領の来日を招請したのに対し、大統領は「適当な時期に訪日したい」と答えました。

 北朝鮮の核実験実施発表について、両首脳は、重大な脅威であるとの認識で一致。首相は「国連安保理は北朝鮮に核を放棄させるべく、断固とした対応をただちにとるべきだ」と述べました。大統領は「北朝鮮の核実験は、南北非核化共同宣言に反する。北朝鮮に核を放棄させる必要がある」と表明。関係国で調整し戦略的な対応をとることで一致しました。

( 2006年10月11日,

ハルモニの声代弁涙出た=^志位委員長の質問に反響

 日本共産党の志位和夫委員長が六日、衆院予算委員会で行った質問を、テレビで見た人たちからファクスやメールで寄せられた反響の一部を紹介します。

 「国会、良かったです。志位さんの追及に大拍手です。日本の加害責任を認めようとしない首相に、ハルモニの生の声を代弁してくれて涙がでました」(五十七歳、女性)

 「安倍首相になって、その右寄りな姿勢に日本がどうなるのかと心配で仕方がありませんでした。追及できるのは共産党だけだと思います」(女性、大阪府)

 「(志位さんが)提示した資料、文献等が存在する以上は、国の政策としての侵略戦争だったのだと思います。『慰安婦』の方々には、首相による十分な謝罪と和解に向けて、話し合いで解決するべきだと思います」(学生、青森県)

 「ご苦労さまでした。安倍首相の答弁中の『笑い』には頭に来ますね。母は高齢で、私もぎりぎりの生活を送っています。侵略戦争についても、うやむやな回答でしたね。韓国・中国との関係も安倍首相では心配です。これからもがんばってくださいね」(男性、さいたま市)

 「六十五歳の年金生活者です。税金を差し引くと食べることがやっと。働きたくてハローワークに行っても、適した職がありません。高齢者雇用もお願いします。庶民の味方は共産党だけです」(男性)

 「大変な人物が、首相になったとあらためて実感しています。危険な姿勢がよくわかりました。安倍氏は『河野談話』を攻撃した過去の行動にも一切反省しない立場を表明し、言い抜けようと試みたが、志位さんにたしなめられて勝負ありだった。『歴史の真実に向き合うことこそ大切』という指摘もその通り」

( 2006年10月07日,

アジアの痛み@揄せよ/歴史への謙虚さとは何か/首相ただした志位委員長/

 

「国策の誤り」/領土拡張と他国支配の具体的事実認めず

 安倍首相が「政府としての認識だ」とする一九九五年の「村山談話」。志位氏は、「植民地支配と侵略」が「国策の誤り」としておこなわれたという談話の核心を示し、「首相自身が(『村山談話』の)『国策の誤り』という認識を持っているのか」とただしました。

 首相は、「『国策を誤り』『戦争への道を歩んだ』という指摘された記述を含め、談話の考え方を政府としては引き継いでいる」とのべました。

 「それでは、国策の誤りの具体的中身についてただしたい」とのべた志位氏は、「歴史の事実に照らしてみるならば、日本の過去の戦争が自国の領土拡張と他国の支配を目指すことを『国策』とした戦争だったことは否定しようのない事実だ」と指摘。その上で、外務省編さんの外交文書集(『日本外交年表竝主要文書 1840〜1945』)から当時の政府の三つの重要な決定(別項@AB)を取り上げ、具体的にただしました。

 一つ目は、一九三八年の御前会議で決定された「『支那事変』処理根本方針」です。この決定には、中国の華北地方、内モンゴル地方などに「非武装地帯」をもうけ、中国軍は立ち入ることができないが日本軍は駐屯できる地域をつくるという要求が明記されています。日中戦争が中国領土への日本軍の駐兵権を認めさせ、中国を支配下におくことを目的とした戦争だったことを明確に示しています。

 二つ目は、太平洋戦争に乗り出す前年の四〇年に大本営政府連絡会議での決定「日独伊枢軸強化に関する件」です。この決定では、日本の「生存圏」(図)―としてアジア太平洋の広大な地域をあげ、太平洋戦争が、領土拡張と他国支配を目的とした戦争であったことをまぎれもなく示しています。

 三つ目は、四三年の御前会議で決定された「大東亜政略指導大綱」です。そこでは、現在のマレーシア、シンガポール、インドネシア、ブルネイにあたる広大な地域を、あからさまに「帝国領土と決定」しています。

 志位氏は、それぞれの決定が示している戦争目的を認めるかと質問。首相は、「歴史の出来事ひとつひとつを分析することは政府の役割ではない。歴史家が分析していくこと」「そういう事象について政府は判断する立場にない」などと答弁をはぐらかしました。

 志位氏は次のように指摘しました。

 「首相は『村山談話』を認めるといいながら、どの問題についても具体論になれば、歴史家に任せるといって領土拡大と他国支配を目的としたという事実すら認めない。これでは本当に日本の過去の戦争を反省したことにならない」

 

@「『支那事変』処理根本方針」(1938年1月11日 御前会議決定)

 日支〔日中〕講和交渉条件細目

 一、支那は満州国を正式承認すること

 三、北支〔華北〕及び内蒙〔内モンゴル〕に非武装地帯を設定すること

 七、中支〔華中〕占拠地域に非武装地帯を設定し、又大上海市区域については日支協力してこれが治安の維持及び経済発展に当てること

 付記 (一)北支内蒙及び中支の一定地域に保障の目的をもって必要なる期間日本軍の駐屯をなすこと

 支那現中央政府が和を求め来らざる場合においては…帝国はこれが潰滅を図(る)

 

A「日独伊枢軸強化に関する件」(1940年9月16日 大本営政府連絡会議決定)

 別紙第三 一、皇国の大東亜新秩序建設の為の生存圏について

 (イ)独伊との交渉において皇国の大東亜新秩序建設の為の生存圏として考慮すべき範囲は、日満支を根幹とし、旧独領委任統治諸島、仏領インドおよび同太平洋島しょ、タイ国、英領マレー、英領ボルネオ、蘭領東インド、ビルマ、豪州、ニュージーランドならびにインド等とす

 

B「大東亜政略指導大綱」(1943年5月31日 御前会議決定)

 「マライ」「スマトラ」「ジャワ」「ボルネオ」「セレベス」は帝国領土と決定し、重要資源の供給地として極力これが開発並びに民心把握に努む

 

「従軍慰安婦」/「河野談話」修正求めた97年の質問に反省なし

 第三は、「従軍慰安婦」の問題です。安倍首相は三日の衆院本会議で「政府の基本的立場は『河野官房長官談話』を受け継いでいる」と答弁しました。

 一九九三年の「河野談話」は「従軍慰安婦」について「旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」ことを認めています。さらに「心からのおわびと反省」を表明し、同じ過ちを決して繰り返さない決意を明らかにしています。

 志位氏は「『河野談話を受け継ぐ』というなら、首相の過去の行動についてどうしてもただしておきたい」として、九七年五月二十七日の衆院決算委員会第二分科会の議事録を示しました。

 そこで首相は「(『従軍慰安婦』の)強制性については全くそれを検証する文書が出てきていない」と主張。「『河野談話』の前提がかなり崩れてきている」として、「河野談話」の修正を求めました。

 志位 かつて自ら「河野談話」を攻撃した言動の誤りを認めるのか。

 首相 事実について狭義の強制性があったかなかったか、議論があるなら教科書に載せることは考えるべきではないかと申し上げた。

 志位 今になって狭義、広義と言うが、この議事録では強制性一般を否定している。「河野談話」を認めるというならあなたのこの行いについて反省が必要だ。

 安倍 当時私は教科書に載せることが適切かどうかと申し上げた。

 志位 まったく不誠実だ。強制性を示す証拠がないと言っている。

 言を左右にして自らの誤りを認めようとしない首相。志位氏は韓国人被害者の橋本元首相への手紙を紹介して「『河野談話を受け継ぐ』というなら自らの行動を反省し、被害者に対して謝罪すべきではないか」と、のべました。

 手紙は「三十六年間の植民地とされた苦痛に加えて、『慰安婦』生活の苦悩をいったいどうはらしたらいいのでしょうか」「お金をもらうためではありません。…私が望むのは、日本政府の謝罪と国家的な賠償です」と切々と訴えています。

 首相は「『河野談話』では『慰安婦』の方々におわびと反省を表明している。私の内閣でも継承している」と繰り返すだけ。

 志位氏は「『河野談話』を継承すると言いながら、みずからの誤りの反省を言わない。これでは心では継承しないことになる」と批判しました。

  ◇

 最後に志位氏は、みずからの韓国訪問の経験から、日本帝国主義による三十六年間の植民地支配への痛みの深さと、未来に向けて本当の友好を願う韓国の人たちの心を紹介。

 「政治家としての謙虚さとは、日本が国家として犯した誤りに口をぬぐうことではなく、歴史の真実に向き合いアジア諸国に与えた痛みの深さを理解することだ。そういう立場にたってほしい」と結びました。

( 2006年10月07日,

主張/首相の歴史認識/誤り認めてこそ友好が築ける

 安倍晋三首相の歴史認識が衆院予算委員会の論戦でも焦点となっています。

 安倍首相は、過去の「植民地支配と侵略」を「反省」した村山首相談話や、「従軍慰安婦」問題で国の責任を認めた河野官房長官談話を「内閣としては」、受け継ぐとしています。しかし、「自ら」としては、政府の見解を認めるのは「首相として当然」とするだけで、「特定の歴史観についての発言は謙虚でなければならない」と、語ることを避けています。

 日本共産党の志位和夫委員長は、この「謙虚さ」という首相のいい分に切り込みました。

 

過去の言動語れないのは

 志位委員長がまず指摘したのは、首相になってからは歴史観を語らないのが「謙虚」だとしている安倍首相が、過去には政治家として特定の歴史観、戦争観について大いに語り行動していた事実です。

 安倍氏は、戦後五十周年にあたっての国会決議が問題になった際、過去の戦争を「日本の自存自衛とアジアの平和」のためだとして決議に反対した「議員連盟」で事務局長代理を務めました。「自虐的」な歴史認識の見直しを求め、決議を採択した本会議を欠席しました。

 志位委員長が指摘したように、以前は特定の歴史観に賛同し、行動しながら、首相になってからは「歴史観を語らないのが謙虚だ」というのは通用しません。首相が自らの歴史観を語れないのは、その歴史観が首相の立場ではとうてい公式に口にできないためではないかと志位委員長がただしたのに、首相は一言の反論もできませんでした。

 志位委員長はさらに、首相が村山首相の談話を引き継ぐとしていることに関連して、首相は村山談話にある、「国策を誤り、戦争への道を歩ん」だという認識を共有するのかと、戦前の政府が決めた「『支那事変』処理根本方針」(一九三八年)、「日独伊枢軸強化に関する件」(一九四〇年)、「大東亜政略指導大綱」(一九四三年)を示して追及しました。

 これらの決定は、日本がおこなった日中戦争や太平洋戦争が、領土拡張と他国支配のための、誤った侵略戦争だったことを証明しています。安倍首相がこれに、「政府が個々の歴史の事実にコメントするのは適切でない」などの理由で答えなかったのは、口では「政府の認識は村山談話のとおり」といっても、首相自身に反省がないことを示すものです。

 安倍首相は「従軍慰安婦」問題でも、「河野談話」を受け継ぐといいながら、かつてみずから国会質問で、「河野談話の根拠は崩れている」と批判した誤りも、言を左右に認めません。これまた口では「受け継ぐ」といいながら、首相としては誤りを反省しない態度です。

 自らの歴史認識を語らない安倍首相は、政治家として「謙虚」どころか、誠実さのかけらも感じられないというのが実感です。

 

重大な被害与えた責任

 戦前の野蛮な天皇制のもとで日本は、一九三一年の「満州事変」から一九四五年の太平洋戦争敗戦までアジア・太平洋の各地を侵略し、この地域に二千万人以上の犠牲者を含む重大な被害を与えました。

 志位委員長が安倍首相に迫ったように、政治家としての謙虚さというのは、日本が国家として犯した誤りに向き合い、侵略戦争と植民地支配の誤りを真摯に認めることです。

 そうしてこそ、日本がアジアの人々と真の友好を打ち立てることができます。

( 2006年10月07日,

靖国史観′黷髢ハ々語録/歴史認識/憲法・教育基本法改悪/集団的自衛権行使

 改憲タカ派≠シろいの安倍政権や自民党三役の発言をみると…。

 

歴史認識

 麻生太郎外相 「朝鮮半島が植民地だった時代に日本が行った朝鮮人創氏改名は、最初は当時の朝鮮人が望んだことだ」(2003年5月31日、政調会長当時)

 中川昭一政調会長 「(「従軍慰安婦」問題について)大半の専門家が納得できるような歴史的事実として、教科書に載せることについて、われわれは疑問を感じている。つまり、(強制性は)ないともあるともはっきりしたことはいえない」(1998年7月31日、農水相当時)

 山谷えり子首相補佐官 「アメリカでも、いわゆる従軍慰安婦の強制連行説が…日本は性奴隷制度をしいていたというような認識が広がっている。そのようなことはなかった」(05年10月13日、参院外交防衛委員会)

 高市早苗沖縄・北方担当相 「(かつて日本が起こした戦争は)先の大戦の折の開戦の詔書を読む限り、自衛戦争としての国家意思が明白です」(同氏のホームページの04年12月10日付記述)

 下村博文官房副長官 「東京裁判史観からの脱却であり、反日的自虐史観からの超克が日本人として、21世紀の将来に責任を持つ意識を持とうとすればするほど求められている」(『歴史教科書への疑問』日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会編)

 菅義偉総務相 「わが国の近代について青少年にゆがんだ認識を与え、誤った国家観をいだくことを助長することは、もっと問題であります」(『歴史教科書への疑問』)

 

憲法・教育基本法改悪

 伊吹文明文科相 「日本人の人間力を失わしめた原因は戦後の憲法によってつぶされてきた公益に対する貢献、社会規範だ。憲法の問題、教育基本法の問題、地域社会と家族の復権の問題に取り組んでもらいたい」(06年2月6日、衆院予算委員会)

 下村官房副長官 「ジェンダーフリー教育は即刻やめさせる。自虐史観に基づいた歴史教科書も官邸のチェックで改めさせる」「私は文科政務官をしていたが、文科省にも共産党支持とみられる役人がいる」(06年8月29日、シンポジウムでの発言、「産経」9月4日付)

 山谷首相補佐官 「現憲法の前文は、平和を願う諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意したという文章がある。いかにもよさそうだが、これほどよく考えてみると非現実的な前文もない」(05年10月5日、参院予算委員会)

 

集団的自衛権行使

 麻生外相 「集団的自衛権があるのに使えなかったために、国が滅ぶなどというのは主客転倒になろうかと思う」(06年9月11日の総裁選公開討論会)

 小池百合子首相補佐官 「集団的自衛権の解釈変更は国会の審議の場において、時の総理が『解釈を変えました』と叫べばよい」(『VOICE』03年4月号)

 久間章生防衛庁長官 「日米関係を一歩でも米英関係や米豪関係に近づけ、地域と世界の安定に貢献したい」(06年5月4日、ワシントンでの日米安全保障戦略会議、総務会長=当時)

( 2006年10月06日,

「従軍慰安婦」否定、撤回を/埼玉知事に謝罪求め集会/元慰安婦が証言

 埼玉県の「上田知事の『従軍慰安婦』否定発言を問う県民連絡会」は三日夜、上田清司知事の発言撤回と謝罪を求め、歴史認識を問う集会を、さいたま市浦和区の埼玉会館で開き、約七十人が参加しました。

 集会では、韓国の元「従軍慰安婦」である李容洙(イ・ヨンス)さん(77)=韓国・大邱(テグ)在住=が、十六歳当時に強制連行のうえ「従軍慰安婦」にされた実態を、日本語と韓国語で証言しました。日本の海軍軍人を輸送する船で中国・大連から特攻隊基地のあった台湾・新竹に輸送され、新竹で収容されていた建物は当時の基地敷地内にあったなどと発言。「私こそが確実な証人だ」とのべ、「従軍慰安婦はいなかった」とする上田知事の発言を批判しました。

 西野瑠美子・VAWW―NETジャパン共同代表は、李さんの証言や当時の日本軍・政府の資料から、「従軍慰安婦」の徴集や輸送に軍・政府が関与していたことは明白だと指摘。「小泉前首相は、『従軍慰安婦』への軍の関与を認めた一九九三年の河野洋平官房長官談話の立場だと明言したが、安倍首相はそこまで踏み込んでいない」とのべ、「従軍慰安婦」を否定する議員連盟のメンバーで固めた安倍内閣を批判しました。

 集会では、憲法・教育基本法改悪に反対し歴史の逆行を許さないために行動するよう呼びかけがありました。

     ◇

 同県民連絡会は三日午後、集会に先立ち「従軍慰安婦」についての知事発言の撤回と謝罪を再度求める上田知事あての要請書を提出しました。

 李容洙さんは上田知事との面会を申し入れていましたが、拒否されました。連絡会によれば、打ち合わせの中で、知事側から「韓国政府(大使館)から紹介があれば会うが、一般市民ならば会わない」などの発言があったといいます。

 県庁内で記者会見した李さんは、「『従軍慰安婦』はいないと言う以上、上田知事は私たち被害者と直接会う義務がある。なぜ私から逃げるのか」と怒りをあらわにしました。

 

「従軍慰安婦」をめぐる上田清司埼玉県知事語録

 ◆「(埼玉県)平和資料館の年表を見ても、『従軍慰安婦問題など日本の戦争責任の論議が多発』と書いてありますが、東西古今慰安婦はいても従軍慰安婦はいません。兵のいるところに集まってきたり、兵を追っかけて民間の業者が連れていったりするんであって、軍そのものが連れてくるわけは絶対ないんです。そんなことすれば負けるんです。したがって、こういった間違った記述は修正しなければならん、こんなふうに思います」(6月27日、県議会本会議)

 ◆「日本政府が証拠もないままに、日本軍は強制的に徴用した、いわゆる従軍慰安婦を同行させながら戦っていたと認めた今の状態が続くとなると、祖国や家族を守るために命をかけて戦った英霊はうかばれない、英霊の家族にしても耐えられないと私は思います。慰安婦はいた。慰安所もあった。しかし、軍が徴用した従軍慰安婦がいたという証拠はないのです」(7月3日発表「いわゆる従軍慰安婦問題に関する私の考えについて」)

(2006年10月05日,

心通う友人をアジアに得るために/歴史認識の核心つく/志位委員長質問

 日本共産党の志位和夫委員長は、安倍首相にたいし、歴史認識問題の核心をつく三点をただしました。

 

靖国史観

 第一は、「靖国神社の戦争観、歴史観を是とするのか、非とするのか」ということです。同神社は、日本の過去の戦争をすべて「自存自衛、アジア解放の正しい戦争」と宣伝しています。

 志位氏がこの靖国史観に対する認識を問うたのに対し、安倍首相は「特定の戦争観、歴史観の是非について政治家が語ることについては謙虚であるべきだ」とはぐらかし、答弁を避けました。小泉前首相が、「靖国神社の考えは政府と同じものでない」と述べていたのと比べても重大な後退です。

 しかも、「日本の過去の戦争が領土拡張と他国支配を目指す侵略戦争であったことは、すでに六十一年前に世界史の審判が下ったこと」(志位氏)です。その戦争についての認識すら示せない安倍首相の資格が問われます。

 

「村山談話」

 第二は、政府の公式の歴史認識に対する態度です。志位氏は「とくに『村山談話』で明記されている『国策を誤り、戦争への道を歩んだ』という認識を共有するのかどうか」と迫りました。

 これについても首相は「政府の認識については、ご指摘の記述を含め談話で示されてきている」というだけ。自らの認識としては示さず、「歴史の分析について、政治家が語ることについては謙虚であるべきだと考えている」とのべるだけでした。

 

「従軍慰安婦」

 歴史認識の三つ目に、志位氏は、「従軍慰安婦」問題をとりあげて追及しました。

 日本政府は一九九三年の「河野洋平官房長官談話」で、「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接・間接に関与した」こと、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」ことを公式に認定。「心からのお詫(わ)びと反省」を述べるとともに、歴史教育などを通じて、同じ過ちを繰り返さない決意を表明しています。

 志位氏は、首相が九七年の国会質疑で「河野談話の根拠は崩れている」と主張し、「修正」まで要求していたことを指摘し、「いまでも首相は『河野談話の根拠は崩れている』という認識なのか」とただしました。

 首相は「政府の基本的立場は、河野官房長官談話を受け継いでいる」と答弁。かつて河野談話の修正を求めた自らの誤りを認めたものです。

 こうして安倍首相は、戦争への反省を一言も明確にすることなく「アジア全域の連帯の強化に指導力を発揮していく」「中国、韓国とは双方の努力を通じて未来志向の関係を築いていく」などと表明しました。

 しかし志位氏が質問で指摘したように「過去に誠実に向き合い、誤りを真摯(しんし)に認めてこそ、ほんとうに心通う友人をアジアに得ることができます」。首相がこの立場に立つことが強く求められています。

 

村山富市首相の談話

 「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫(わ)びの気持ちを表明いたします」(1995年8月15日)

 

河野洋平官房長官談話

 「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった」「軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」「心からのお詫びと反省」「歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さない」(93年8月4日)

 ◇

安倍氏の質問

 「(中学校教科書の『従軍慰安婦』の記述について)強制性については全くそれを検証する文書が出てきていない」「河野官房長官の談話の前提がかなり崩れてきているという大きな問題点がある」(衆院決算委員会第2分科会、97年5月27日)。

( 2006年10月04日,

安倍首相に問われる歴史認識3つの点/NHK番組、志位委員長が発言

 

靖国史観=E「村山談話」・「従軍慰安婦」問題

 日本共産党の志位和夫委員長は一日、NHK番組「日曜討論」に出演しました。靖国参拝を強行した小泉純一郎前首相でも、歴史認識としては過去の「植民地支配と侵略」への反省を口にしたのに比べても、安倍晋三首相が、こうした反省を一切語っていないことを指摘し、「(安倍氏には)歴史認識では三つの点が端的に問われてくる」と述べました。

 

 第一は、靖国神社が掲げている歴史観を是とするのか、非とするのか、です。

 靖国神社は、日清・日露戦争から、中国侵略、太平洋戦争までの戦争のすべてを「アジア解放」「自存自衛」のための「正義の戦争」だったとして正当化しています。

 志位氏は、民放番組で安倍氏と討論した際、「歴史が判断するだろう」と述べたことをあげ、「(みずからの歴史認識を)言わないでは済まされない」と強調しました。

 第二は、一九九五年に村山富市首相(当時)が出した談話に対する態度です。

 「村山談話」は、過去に日本が「国策を誤り」「植民地支配と侵略」を行ったことに対する「反省」を述べています。しかし安倍氏は、この談話の立場を踏襲する姿勢を今なお示していません。

 第三は、「従軍慰安婦」問題で旧日本軍の関与を認め、「おわびと反省」を表明した河野洋平官房長官(当時)の談話(九三年)に対する態度です。

 安倍氏は、河野談話に対し、「根拠が崩れた」として、「修正」を求めてきた経過があります。

 志位氏は、この三点をあげた上で、「過去に犯した誤りに正面から向き合ってこそ、未来の本当の友人がつくれる」と指摘。韓国訪問でも、韓国側が、かつての植民地支配への怒りとともに、日本との友好を強く願っていると感じたことを紹介し、「アジア諸国と友好な関係をつくっていく上でも(歴史認識の問題は)避けては通れない」と述べ、国会論戦でただしていく考えを表明しました。

( 2006年10月02日,

安倍政権各国の反応/英国/哀悼表現他にもある

 【ロンドン=時事】二十七日付の英紙タイムズは社説で、安倍内閣発足を受け「過去をごまかさず、毎年の靖国神社参拝で中国を愚弄(ぐろう)せずに」戦争の犠牲者へ哀悼の意を示す方法はあるとして、安倍晋三首相は東アジア諸国との関係を悪化させない方法を見つけなければならないと強調しました。

 社説は、安倍首相には「過去の(歴史)問題に正直にきめ細かく対応することで日本の潜在能力を引き出す歴史的チャンスがある」とも論じました。

 

ドイツ/愛国主義教育への懸念

 【ベルリン=中村美弥子】二十六日に発足した安倍政権について独メディアは、平和憲法が改定され、愛国主義教育が強化されることになりそうだと報じています。

 ウェルト紙二十七日付は安倍氏について、「日本の軍国主義の過去に無批判である。日本の戦争犯罪に対する謝罪を認めないだけでなく、東京裁判の正当性さえ疑問視している」と紹介。戦犯をまつる靖国神社に何度も参拝し、北朝鮮に対する強固な態度で政治のスターになった安倍氏のもとで、愛国主義教育が強化される恐れがあると懸念を表明しています。

 公共ARDテレビは二十六日のニュースで、「安倍氏は平和憲法を変えようとしている。今後、自信に満ちた役者として日本を安全保障の舞台に登場させることを狙っている」と報じました。

 

韓国/強い日本≠ノ対する執着

 二十六日発足した安倍新政権の陣容について韓国メディアは、「強硬保守人士 全面布陣」(京郷新聞二十六日付)などと警戒感を強めています。

 朝鮮日報(電子版二十七日付)は論説委員名のコラムで「昨日発足した安倍内閣は保守的な色彩が強い顔触れとなった」と指摘。「慰安婦」問題などで暴言を繰り返してきた麻生外相の留任や、歴史教科書を「自虐史観」と攻撃してきた中川昭一氏の政調会長起用に言及し、「今後も韓日関係は順風満帆というわけにはいかなそうだ」と述べました。

 小泉前政権によって行き詰まった日韓関係の改善につながるとの期待もある一方で、韓国日報社説(二十七日付)は「今まで彼(安倍氏)が見せた姿は期待より憂慮を起こさせる」と述べました。

 同紙は、「最も大きな憂慮は彼自身の歴史認識と強い日本≠ノ対する執着だ」と指摘。安倍氏の憲法改定や一九九五年の村山談話に対する発言に触れ、「このような歴史観をそのまま押し通せば、韓中両国との溝が深まるばかりか、米国との対立にぶつかる」と警告しました。

 

中国/「カギは実際の行動だ」

 【北京=菊池敏也】中国の新華社通信は二十六日、安倍新内閣の発足について「新首相は内政、外交の試練に直面」と題する論評を伝え、安倍氏が首相就任後に直面する三大試練として@アジアの隣国との関係改善A国内の社会格差の縮小B財政再建―を挙げました。

 論評は、安倍氏が中韓両国訪問に意欲を示していることを紹介し、「最大のカギとなるのは実際の行動だ」として、靖国参拝問題での安倍氏の出方を見守る姿勢を示しました。

 また、「安倍氏は歴史認識と靖国神社参拝問題で『あいまい』戦略をとり、村山談話の継承、侵略戦争の歴史的評価と戦争責任の認定で言葉を濁している」と指摘しました。

 

レバノン/日本の新保守主義者

 【ベイルート=松本眞志】アラブ首長国連邦のアルハリージ紙二十日付は、レバノン大学教授のマスード・ダヘル氏による安倍晋三氏に関する論評を掲載しました。「日本の権力の座にある『新保守主義者』」と題する論評で同氏は、安倍氏の政治姿勢とその特徴について、次のように紹介しています。

 @アジアにおける日本のイメージと利益を損ねるとの反対があるにもかかわらず米国とあらゆる分野での関係を促進する点で小泉前首相の後継者だA中国や韓国などアジア諸国が反対している小泉前首相の靖国神社参拝を手本にしているB現在を、日本がアジアで政治、経済、軍事、文化のあらゆる分野で主導権を復活させる歴史的好機とみているC戦力の保持と海外での軍事行動への参加を禁じた日本国憲法第九条を変える試みを進めている。

( 2006年09月28日,

日韓共同の原爆写真展/広島実行委が出発

 韓国・ソウル市で十八日から日韓共同原爆写真展を開く広島の実行委員会(金子一士、丸屋博両共同代表)の二十二人の一行が十八日、広島県三原市の広島空港から出発しました。十七日に先乗りした七人に続いて出発したもの。

 一行は国際線出発待合室で出発式を開き、金子共同代表が「われわれの任務は日韓交流を平和的に成功させることだ」と決意を表明。見送りにきた広島県原水協の大森正信筆頭代表理事は「みなさんは核兵器廃絶の代表団だ。日韓の運動が盛り上がるよう尽力を」と激励しました。

 原爆展は十九日から三日間、ソウル市芸文ギャラリーで開き、二十二日には「大学通り」で野外展示される予定。一行は十九、二十二の両日に国際署名「すみやかな核兵器の廃絶のために」の街頭署名行動を実施し、二十日には日本大使館前で日本軍慰安婦ハルモニたちと支援者によるデモ行進に参加する予定です。

(2006年09月20日,

国際婦人年集会に130人/京都

 国際婦人年京都集会が十七日、京都市中京区で開かれ百三十人が参加しました。主催したのは国際婦人年京都連絡会で、今年で三十二回目です。

 集会では、女たちの戦争と平和資料館の西野瑠美子館長が「非暴力、平和と人権の守られる社会の実現をめざして―ジェンダー、バックラッシュと戦争国家化」と題して講演しました。西野氏は、従軍慰安婦問題の根幹に靖国問題があり、自民党総裁候補の安倍晋三氏や埼玉県の上田清司知事、小林よしのり氏らの主張の危険でおぞましい中身を告発。「恐ろしい動きはどんどん強まっているが、戦前と決定的に違うのは『おかしい』『繰り返さない』と(公然と)声を上げる人たちがいることだ」と述べました。

 トゥバ民族音楽演奏家の等々力政彦さんが、シベリアの森とモンゴルの草原が出合うトゥバのスライドも上映しながら珍しい楽器を演奏し、「世界のどこにも笑い泣く人間がいることを知ってほしい」と語りました。

(2006年09月19日,

日本は「慰安婦」責任認めよ/米下院委が決議

 米下院外交委員会(ハイド委員長)は十三日、日本政府に対し第二次世界大戦中の「慰安婦」についての責任を認めるよう求める決議を可決しました。

 決議は、「慰安婦」を「奴隷化」する過程で、日本政府が公式に関与したと認定。「『慰安婦』の悲劇は、二十世紀における人身売買の最大の事件の一つだ」と指摘しました。

 決議は、教科書から「慰安婦」の記述が消えたことを日本政府関係者が称賛したことなどにも触れたうえで、▽日本政府が公式に責任を認め受け入れる▽この非人道的犯罪について、未来と現在の世代に教育する▽「慰安婦」がなかったというあらゆる主張に「公式かつ強力に、繰り返し」反論する▽「慰安婦」に対する配慮について、国連やアムネスティ・インターナショナルの勧告に従う―ことを求めています。

 決議案は、民主党のエバンス議員と共和党のスミス議員が四月に提出していたもの。「慰安婦」問題についての決議案は二〇〇一年と〇五年に提出されたことがありますが、可決は初めてです。

( 2006年09月16日,

中国・海南島/戦時、性暴力訴訟

控訴審の争点/今も続くPTSD

 戦時中、旧日本軍により十代で拉致、監禁され性的暴行を受けた「中国・海南島戦時性暴力被害訴訟」の原告らは、一審判決を不服とし、十二日、東京高裁に控訴しました。控訴審の争点と原告の思いは―。

 (本吉真希)

 東京地裁の判決(八月三十日)は戦中の被害事実を認定し、戦後も続く損害については「加害行為による被害の状況を繰り返し夢に見たり思い出したりして、どうき、恐怖等を覚えることがある」と原告側の主張を認めました。

 一方、除斥期間と国家無答責の法理を適用し、原告の損害賠償請求を棄却しました。

 原告側弁護団は控訴審では、戦後の被害である心的外傷後ストレス障害(PTSD)が「最大の争点になる」と指摘します。

 判決は一九三一年ごろから四五年の終戦時まで、旧日本軍が「慰安婦」を管理下に置いていたことを指摘。また、「旧日本軍により拉致、監禁された上、継続的に性的行為を強要された」と被害事実を認定しました。

 原告一人ひとりの被害についても「一日二回わずかな食事を与えられながら、ほぼ毎日旧日本軍の兵士に強姦された」「少しでも抵抗をすると兵士からたばこの火を押しつけられたり、足をキリのようなもので刺されたり、逃げられるような状況になかった」と認めています。

 それに対し国側は、除斥期間と国家無答責の法理を主張。事実関係には触れず、法律論のみで反論していました。

 原告側弁護団が控訴審で立証を目指すのは、医学的な診断書によるPTSDです。立証が認められれば心的被害が現在も続いていることになり、起算点をかえることにつながります。国側の除斥期間が過ぎている≠ニの主張は通用しなくなります。

 小野寺利孝団長代行は「簡単なことではないが努力し、中国の医者と日本の専門医の協力を得てやっていきたい」と話しています。

 これまでも中国や韓国、台湾、フィリピンなどの「慰安婦」訴訟がたたかわれてきました。現在七件で原告敗訴が確定。二件が東京高裁で敗訴、原告側が最高裁に上告しています。「海南島」訴訟は法廷で実質的に主張・立証ができる最後の裁判となっています。

 原告側弁護団は中国の弁護士会や日本の支援者らとともに中国全土の実態調査を開始します。「そのなかで海南島の新たな事実が判明する可能性がある」と坂口禎彦弁護士は語ります。また、「海南島に従軍し、当時の加害事実を立証できる元日本兵の協力が得られるよう全力を尽くす」と話しています。

 

除斥期間

 民法の規定に基づき、不法行為から二十年以上が経過すれば、被害者の損害賠償請求権は消滅するという考え方。

 

国家無答責の法理

 旧憲法下では国家がおこなった行為について、国は損害を賠償する義務を負わないとする法理。

 

政府は直視して

 「私の受けた被害を多くの人に知ってほしい」―。何度もそう繰り返し話した陳亜扁さん(79)。「中国・海南島戦時性暴力被害訴訟」の原告の一人です。被害者を救済せず、原告らの尊厳と被害の甚大さを無視した東京地裁の判決に対し、控訴しました。

 判決後の記者会見では涙が込み上げてきました。「自分が受けた被害すべてを思い出して、悲しみ、苦しみが全部込み上げてきた。泣かずにいられなかった」

 陳さんは戦中、日本兵に駐屯地に連行されて監禁され、約三年間性的暴行を受け続けました。二十四歳で結婚、九回妊娠しましたが、うち八回は流産か死産でした。

 二〇〇一年七月の提訴以来、自身が受けた過去の被害をすべて打ち明けました。そのことで村の人の侮辱的な言動が増えました。しかし、後悔はしていません。「周りが自分を悪くいうよりも、私の被害事実を知ってもらうことのほうが大事。語ることで名誉回復につながればいいと思う」

 気丈に語る陳さんですが当時の状況に触れると涙を抑えることができません。判決の翌日、弁護団とともに訪れた日本共産党の吉川春子参院議員との懇談のときもそうでした。前日から涙をぬぐってきたハンカチはずっと手に握られ、くしゃくしゃでした。

 「本当に悔しい判決ですね」。陳さんを出迎えた吉川さんは、そう声をかけました。

 陳さんは「十四歳で暴行を受け、とてもつらかった。被害事実について多くの人に知ってもらいたい。力を貸してほしい」と吉川さんの手を取り、いいました。

 吉川さんは「(被害女性は)暴力を受けて子どもも産めない体になり、女性として本当にいちばんの苦しみです。事実を受け入れず救済もしない政府のやり方には怒り心頭です」と話しました。

 「慰安婦」問題解決に向けた謝罪と補償の促進法案を国会に提出することを伝え、「遠い日本に来て裁判に訴えてたたかっておられるということを心から尊敬します。私も粘り強く国会でがんばっていきます」と語りました。

 陳さんの涙の根源にある日本のかつての加害行為。陳さんはいいました。「日本は過去の行為と向き合うために、歴史教育にもっと力を入れなければいけない。事実を知った人は知らない人に伝えてほしい」。そして「日本政府は事実を直視して誠意をみせてほしい。事実は目の前にあるんですから、それをほったらかしにしていてはいけない」。

( 2006年09月16日,

日本軍侵略の地で慰安婦問題など討論/第4回日本の過去の清算を求める国際連帯協議会/吉田好一

 

首相靖国参拝に批判/第4回日本の過去の清算を求める国際連帯協議会」に参加/国際人権活動日本委員会吉田好一

 マニラで八月末開催された「第四回日本の過去の清算を求める国際連帯協議会」に参加した吉田好一氏から手記が寄せられました。

 第四回「日本の過去の清算を求める国際連帯協議会」が八月二十六、二十七の二日間、フィリピンのマニラで開かれました。

 今年は、一九九六年に国連人権委員会にクマラスワミ「女性に対する暴力」に関する特別報告者が、報告書を提出してから十周年であり日本・フィリピン賠償条約締結五十周年の年に当たります。

 

慰安婦の記念碑

 参加者は、日本、韓国、北朝鮮、中国、台湾、オランダ、ニュージーランド、米国、フィリピンの九カ国・地域の非政府組織(NGO)から八十五人でした。日本からは、在日韓国・朝鮮人を含む十二人が参加しました。

 フィリピンは第二次世界大戦中、日本軍の侵略と米国の爆撃で死者百万人以上の犠牲があったといわれています。マニラ市内には米軍の爆撃の跡を残す建物が保存されています。参加者は、日本軍により千人もの捕虜、慰安婦が殺害された(生存者六人)というオーガスティン教会も見学しました。

 市内には、二〇〇三年にマニラ市長が建立した慰安婦の記念碑があり、フィリピンには千人以上の性奴隷被害者が存在したと明記されています。行政が建てた世界で唯一の碑だといいます。

 会議には元慰安婦の三つのグループが一緒に参加し、証言しました。フィリピンの国会議員も与野党の上・下院議員が七人参加し、二十八日に開かれた議員フォーラムを含め、活発に発言しました。フィリピンでは、日本政府に対して謝罪と補償を求める決議案が一昨年十一月、上・下両院に提案されていますが、まだ可決されていません。

 

民衆法廷を計画

 今回の協議会は、本会議以外に@「慰安婦」問題A強制連行、虐殺、原爆・空襲被害者、捕虜、民間抑留者、遺骨B日本の歴史わい曲・軍事化―の三つの分科会が開かれました。

 各国代表の発言では、米ロサンゼルスで来年四月末に、「日本軍性奴隷制を裁く民衆法廷」を開く計画などが報告されました。

 会議では、小泉首相が八月十五日に靖国神社を参拝したことに痛烈な批判がありました。

 協議会は、第一回が〇三年に上海で、第二回ソウル、第三回は平壌で開催されています。また昨年は戦後六十周年を記念して東京で特別セッションが開かれました。

( 2006年09月14日

西大門刑務所歴史館で志位委員長語る/韓国マスコミとの一問一答

 志位委員長は五日午後、ソウル市内の西大門刑務所歴史館を見学後、韓国マスコミのインタビューに応じました。その一問一答はつぎの通りです。

 ――歴史館をご覧になった感想はいかがですか。

 志位委員長 日本帝国主義による苛烈(かれつ)な植民地支配の暴虐非道な実態を痛感しました。同時に、それに勇気をもって立ち向かった朝鮮の愛国者たち、そのたたかいの力強さということを感じました。

 

朝鮮の歴史的同志≠ヨの敬意と追悼の気持ちで

 ――訪韓したら、ここに来ようと思った理由は何ですか。

 志位 私にとって今回が初めての訪韓ですが、この場所にまず足を運ぼうと考えた理由は二つあります。

 一つは、日本帝国主義の植民地支配の野蛮な弾圧、拷問、処刑、それに抗してたたかい抜いた朝鮮の愛国者に心からの敬意と追悼の気持ちを表すためです。

 私たち日本共産党は、一九二二年に党を創立しましたが、党をつくった当初から朝鮮の愛国者とともに植民地支配に反対をつらぬき、朝鮮独立のたたかいに連帯してたたかった歴史をもっていることを誇りにしています。そういう党を代表して、私は、この場で、私たちのいわば歴史的同志≠ノ対して敬意と追悼の気持ちをのべたいと思います。

 

21世紀の日韓両国民のほんとうの友好を願って

 志位 同時に、二十一世紀の日韓両国民の本当の友好を願って、この場にきました。日本にとっては、これは恥ずべき過去ですが、誤った過去に正面から向かい合ってこそ、アジアに本当の友人を得ることができると私は信じております。日本国民がこの歴史を直視して、これに正面から向かい合って、アジアの人たちとほんとうに心が通じ合う友人になっていく、そのことを願ってきました。

 私は、さきほど館長さんから、毎年、西大門刑務所歴史館に多くの日本人が訪れていると聞きましたけれども、ソウル、韓国を訪問する日本人は、だれでもこの歴史館を訪れることが必要だと訴えたいと思います。

 ここには、日本国民と韓国国民が共通の認識にすべき歴史の重い事実があります。それをしっかり共有してこそ、二十一世紀に、この地域の平和と安定は築けると、そう思ってまいりました。

 

日本の首相の靖国参拝問題について

 ――過去を直視したうえでの未来志向というお考えを述べられたと思いますが、日本の外交が中国、韓国を軽視してアメリカ一辺倒ではないかという憂慮があります。また、小泉首相が八月十五日に靖国神社を参拝されましたが、つぎの首相になる確率が高いといわれる方も、参拝しないとはおっしゃっていません。これに対する日本共産党の立場をお話しください。

 志位 私たちは日本の首相が靖国神社に参拝するというのはどういう意味をもっているのかということを追及してきました。靖国神社というのは、戦没者を追悼する施設ではありません。天皇のために「名誉の戦死」を遂げたと「認定」された人を顕彰する施設です。すなわち、「日本の戦争は正しかった」「植民地支配は正しかった」――こういう間違った歴史観にたった存在です。それは遊就館にもはっきり現れています。この軍事博物館の展示物を見ますと、日清・日露の戦争、中国侵略戦争、太平洋戦争、そのすべてが、「アジア解放の正義の戦争だ」と描かれています。ですから私たちは、ここに参拝するということは日本政府の公式の言明にも反して、侵略戦争や植民地支配を肯定する神社の立場に政府としての公的な認知をあたえることになるとして、強く反対してきました。

 つぎの日本の首相に、だれがなるにせよ、そしてその個人としての歴史観がどういうものであるにせよ、この歴史に逆行する行為をきっぱりやめるべきです。このことを、私たちは強く要求しています。

 

韓国の政界の全体と交流の道を開きたい

 ――韓国の政治指導者と会ってどういうお話をなさりたいとお考えでしょうか。

 志位 今回は、アジア政党国際会議に参加するために訪韓することになったわけですが、この機会に、韓国の国会に議席をもつ五つの政党のリーダーを訪問し、韓国の政界の全体と交流の道を開きたいと思っています。そこでは歴史の問題や北東アジアの平和の体制の問題などについても、いろいろな意見が交わせたらと願っています。

 

歴史問題、竹島(独島)問題について

 ――独島問題、教科書問題など、歴史問題について、ご意見をお聞かせください。

 志位 いわゆる歴史問題として、韓国で問題となっているのは、靖国問題、教科書問題、「従軍慰安婦」問題、そして独島とみなさんが呼んで、私たちは竹島と呼んでいる島をめぐる問題、四つの問題が焦点となっています。

 靖国問題については、私たちの立場はさきに述べた通りです。歴史をわい曲する教科書の問題については、私たちは、(日本政府は)検定合格のはんこを押すべきではないということを強く主張しています。「従軍慰安婦」の問題については、日本の責任を認めた一九九三年の官房長官の談話があります。にもかかわらず、日本政府は国としてのきちんとした措置をとっていません。私たちは、国としての責任ある措置が必要だと主張しています。

 そして、最後の問題だけは、違った事情があります。私たちは、この問題について、一九七七年に見解を発表しておりまして、この竹島(独島)の領有権を日本が主張することには、歴史的な根拠があると、そのなかでのべました。同時に私たちは、この島の(日本への)編入がおこなわれたのが一九〇五年(二月)であった、この一九〇五年というのは、日本が韓国を武力でもって植民地化していく過程です。すでに韓国の外交権は奪われていました(一九〇四年八月、第一次「日韓協約」)。ですから、私たちは、そのことも考慮して、韓国の主張もしっかり検討する必要があると考えています。

 私たちは、この問題は解決までは一定の長い時間がかかると思いますけれども、これは日韓両国の間で係争問題になっている問題ですから、解決に向かって一歩一歩でも進むことが必要です。これはみんなが願っていると思います。ですから、私たちは、日本と韓国が、双方の持っている歴史的事実をつき合わせて、まずこの島をめぐる歴史的認識を共有するという共同作業が必要ではないか、共同研究が必要ではないかと考えています。

( 2006年09月06日,

安倍晋三氏の政治姿勢と経歴

 93年 7月 衆院議員に初当選

     8月 自民党靖国関係三協議会が細川首相の「侵略戦争」発言に反発してつくった「歴史・検討委員会」の委員に就任

 94年12月 「自民党新宣言」案に改憲方針が明記されていないと知り、若手議員らで党執行部に抗議。「新しい時代にふさわしい憲法のあり方」について議論を進めていくとの文言を書き込ませる

 95年 8月 歴史・検討委が侵略戦争美化の『大東亜戦争の総括』を出版

 97年 2月 中川昭一衆院議員らと「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を結成し、歴史教科書攻撃を開始。初代事務局長に就任

     5月 衆院決算委で教科書の従軍慰安婦問題の記述を攻撃

 99年10月 自民党の社会部会長に就任

 00年 7月 第2次森内閣で官房副長官に就任

 01年 4月 小泉内閣発足 官房副長官を留任

 02年 5月 憲法上、核兵器保有は可能≠ニいう趣旨の発言が物議をかもす

 03年 9月 自民党幹事長に就任

    11月 衆院予算委で党幹事長として小泉首相に改憲を迫る

 04年 1月 衆院予算委で「集団的自衛権」の政府解釈の変更を迫る

     5月 党幹事長として、公明、民主と年金改悪の「3党合意」を結ぶ。改悪法を強行(6月)

     9月 自民党幹事長代理に就任

 05年10月 第3次小泉改造内閣で官房長官に就任

( 2006年09月02日,

海南島戦時性暴力被害訴訟/請求棄却、事実は認定/東京地裁/原告会見「憤りを感じる」

 戦時中、日本の植民地下にあった中国・海南島で旧日本軍に性暴力を受けた女性八人(うち二人はすでに死亡)が、日本政府に対し一人二千三百万円の損害賠償と謝罪を求めた「海南島戦時性暴力被害訴訟」の判決で、東京地裁の矢尾渉裁判長は三十日、原告の請求をいずれも棄却しました。原告側は控訴します。

 矢尾裁判長は請求を棄却した一方で、旧日本軍の兵士によって拉致、監禁された上、継続的に性的暴行を受けたとする原告らの主張を詳細に認定。被害時に受けた恐怖が今も消えず悪夢にうなされるなどのPTSD(心的外傷後ストレス障害)についても認めました。

 判決は、一九四七年に国家賠償法ができるまでは国に損害賠償を求めるための法律はなく、同法施行前に国家がおこなった行為について国は責任を取らなくてもよいとする法理を適用。また、旧日本軍による加害行為から同訴訟提訴までに二十年以上が経過し、一定期間の時が経過したことから原告の損害賠償請求権は消滅したと判断しました。

 弁護団の小野寺利孝団長代行は、判決が原告一人ひとりについて旧日本軍による加害と被害を具体的に事実として認めたことは「重要だ」としつつ、「明らかな違法、不法行為を認めながら国の法的責任を不当にも免責した」と批判しました。「日本政府は判決の事実認定を真摯(しんし)に受けとめ、原告らだけでなく、すべての被害者に謝罪と賠償をおこなうべきだ」とのべました。

 

原告会見「憤りを感じる」

 いわゆる中国人「慰安婦」への賠償を求めた裁判で地裁段階では最後の判決となった「海南島戦時性暴力被害訴訟」。原告はいずれも中国・海南島で十代のときに拉致され、慰安所などで長期間にわたり性暴力を受け続けた少数民族の女性たちです。学生中心の支援組織「ハイナンNET」が結成されるなど、支援の輪が広がっていました。

 三十日も若者を中心に多数の原告支援者が裁判所に詰めかけ、傍聴席を埋めました。しかし、矢尾裁判長は、わずか数秒で請求棄却の主文を読み上げ、立ち去りました。傍聴席からは「ひどい」「理由をいいなさい」との声が起こりました。通訳から判決内容を聞かされた原告の陳亜扁さん(79)は、ぼうぜんとした表情でだれもいなくなった裁判官席を見つめました。

 陳さんは今年三月の法廷で、十四歳のときから四年にわたって性暴力を受けつづけたことを生々しく証言しました。戦後解放されましたが差別を受け、流産・死産を八回も繰り返しました。判決後の会見では涙を何度もぬぐいながら「憤りを感じる。これだけの事実を知りながら責任を認めない。日本人に良心はあるのかと問いたい」と訴えました。

 ハイナンNETに参加している男子学生(22)は「思い出すだけでもつらい体験をわざわざ日本に来て証言したにもかかわらず、その人を前にこのような判決を言い渡すなんて」と語りました。

 同日夜に開かれた報告会には約百人の支援者らが参加。陳さんは「真の日中友好のためには罪を認め、公正な判断をするべきです。悪い裁判の結果にひるまず、たたかい続けます。支えていってほしい」と訴えました。

( 2006年08月31日,

戦争の悲惨さをしっかり伝えて/埼玉県平和資料館/党県議団が訪問、懇談

 日本共産党埼玉県議団の山岸あき子、すみ靖子、河村かつこ、守屋ひろ子の四県議は十八日、東松山市にある県平和資料館を視察し、原田美岐子館長らと懇談しました。

 上田知事の「従軍慰安婦はいなかった」という県議会答弁以来、同資料館の展示にある「従軍慰安婦」という年表記述が注目されています。その後「南京虐殺」という年表記述を「南京占領」に書き換えていた事実も明らかになりました。これに対して党県議団は「資料館の展示・記述については、政府見解や国際的な研究・調査の成果をふまえて行うべきだ」と県に申し入れてきました。

 視察で山岸県議らは年表記述をはじめ、当時軍慰安所を管理した憲兵だった人の証言ビデオや、爆撃音まで再現した防空壕(ごう)の展示を見て回り、戦争の恐ろしさを改めて実感しました。

 懇談で原田館長は、今後「従軍慰安婦」などの記述について、資料館の運営協議会の協議に基づいて判断していくこと、「戦争の悲惨さ及び平和の尊さを伝える」という館の目的を堅持していくことなどを強調しました。来館者数は昨年より減っているとして多くの人たちの来館をお願いしたいと、原田館長はのべました。

  ◇

 同資料館の開館時間は午前九時から午後五時(八月末まで、九月から四時半)。月曜休館。入館料は一般百円、大学生・高校生五十円(団体割引あり)で、中学生以下、六十五歳以上、障害者と付き添いの方(障害者一人について一人)は無料です。九月二十四日までテーマ展「戦時の装い」を行っています。

(2006年08月22日,

戦争の実相を知る/兵士の日誌、手記、証言

 戦争、ことに戦場を体験した人が高齢となり数少なくなる中で、戦争の実相を伝える兵士の日誌、手記、証言などの刊行が続いています。

 

娘がまとめた父の戦中日誌

 砂塚熊太郎著、森川玉江編『人間らしく在りたい』(合同出版・一八〇〇円)は、父親の遺品の中にあった戦中日誌を娘である編者がまとめたものです。

 砂塚さんは輜重兵(しちょうへい=弾薬・食糧の輸送・補給にあたる)として中国戦線、マレー半島でたたかいました。高田一郎著『ある特務機関員の手記』(東銀座出版社・一一四三円)は現在八十四歳の著者が、中国で情報部員としてたたかったときのことを、振り返ってまとめたものです。

 どちらの兵士も、この戦争を侵略と考えていたわけではありませんが、軍靴に踏みにじられる中国や東南アジアの民衆の悲惨さに同情し、戦争に一定の疑問を抱いています。異国の風物に興味をひかれつつ「戦争で来たのではなかったら」と思うところなど、戦争に駆り出された兵士の素朴な気持ちが伝わります。砂塚さんは南京攻略戦に参加、陥落後に入城していますが、その間約半月は日誌が空白です。

 児玉健次編著『聞こえますか命の叫び』(かもがわ出版・六〇〇円)は、戦没学生・永田和生の足跡をたどったものです。永田は、京都大学で非合法の読書会を組織し軍国主義に抵抗しようとしたものの検挙され、その後出征。インパール作戦で戦病死しました。日誌で世界の戦局を冷静に見つめています。日誌は国内にいたときのもので、無謀な作戦で死に追いやられた外地でのものは残っていません。

 

なまなましい痛苦の体験を

 永田が書き残せなかったインパール作戦の悲惨など、戦場のなまなましい体験が語られているのは「しんぶん赤旗」社会部取材班著『元日本兵が語る「大東亜戦争」の真相』(党出版局・三八一円)です。南京大虐殺はじめ中国や東南アジアでの加害、「従軍慰安婦」などについて、痛苦の思いで証言されています。

 島本慈子著『戦争で死ぬ、ということ』(岩波書店・七四〇円)は、多数の資料と証言で「戦争の狂気、血生臭さ」に迫っています。大阪大空襲、伏竜特攻隊、フィリピンでのフィリピン人処刑および日本軍の敗走など、「戦争による死」を描きます。

 大谷正著『兵士と軍夫の日清戦争』(有志舎・二三〇〇円)は、日清戦争当時の戦地の兵士と家族の間の手紙から、戦争像を抽出した興味深い本です。

 手紙は、東北の地方新聞が兵士らに呼びかけて投稿を募り、新聞に掲載したものです。戊辰戦争や西南戦争の記憶をひきずる時期の戦争で、戦時国際法適用の「文明戦争」を掲げたものの、実際は敵の敗残兵を捕虜にせず殺す、補給が追いつかず略奪、集落の焼き払いなどが繰り返されたこと、戦争の過程で差別的な中国観が形成されたこと、など、その後の日中戦争につながるものが見てとれます。

 (西沢亨子)

( 2006年08月20日,

すがりつく少年切り捨てた=^過ち繰り返さないで/平和のための戦争展、元兵士が訴え

 「日本はいま国際貢献に名を借りた、昔とは違った形の軍国主義に向かっている」と指摘した小山一郎さん(86)は「戦後の歴史のなかで重大な危機感を抱いている」といいます。「若い世代の人たちは私たちと同じ過ちを犯してはいけないという責任がある」と語りました。

 絵鳩毅さん(93)は初年兵の人体刺突訓練で中国人捕虜を連れてきたときのことを話しました。

 十五―十六歳の少年が「私には母一人しかいない。母が待っている。家に帰してくれ」と絵鳩さんの足にすがり付いてきたとき、「『私にも母一人、私の帰りを待っている』と良心を揺さぶられた。しかし上官の命令は朕(ちん=天皇)の命令と少年の願いを切り捨てた」と告白。「犯した戦争犯罪の償いと同時に二度と再びわれわれの二の舞を踏んでもらいたくない」と自身の加害体験を語り続けています。

 「実戦体験はないが侵略軍の一員として不条理な戦争に参加したことを肝に銘じている」と話す高橋哲郎さん(85)は「あやふやな戦争観が現在のあやふやな日本にしている」と首相の靖国神社参拝について批判。若い参加者に「国の政治的スローガンに惑わされることなく自立した精神で、平和な方向へ一歩でも進めるようがんばってほしい」と語りかけました。

 初めて元加害兵士の話を聞いたという学生の八木万里子さん(22)=東京都=は「あの戦争で何があったのか、とりあえず知ることから始めるべきだと思った。たくさんの同じ世代の人たちに聞いてもらえるよう自分からも機会をつくっていきたい」と話しました。

 開催は十九日まで。被爆証言や「慰安婦」問題、東京大空襲と学童疎開、教育の現状など戦争の真実から平和を考える企画が催されています。

 特別展示は、日本政府を相手に提訴し最高裁で棄却された台湾の元日本軍「慰安婦」被害者の現在です。自分自身を取り戻し歩み続けている姿を写真で展示しています。

 時間は午前十一時―午後七時。最終日は午後五時まで。入場無料。場所は東京・渋谷区の全労済会館B1「スペース・ゼロギャラリー展示室」。JR新宿駅南口徒歩五分。

( 2006年08月18日,

小泉首相靖国参拝批判続く/仏マスコミ/英・独各紙誌/中国各紙


あ然とする歴史観に首相が保証を与えた/仏マスコミ
 【パリ=浅田信幸】小泉首相が終戦記念日の十五日に靖国神社に参拝したことをフランスのマスコミはこぞって批判しました。
 十六日付リベラシオン紙は、靖国神社を訪問する小泉首相の写真を第一面に載せ、「修正主義的挑発」の見出しを掲げて報道しました。フランス語で歴史修正主義は、ナチスによるユダヤ人虐殺を否定したり、ガス室の存在を否定する主張を指し、きわめて強い批判がこめられています。
 同紙社説は、小泉首相をナチス擁護の発言で欧州各国から批判を受けたオーストリア自由党のハイダー元党首と同列に置き、「両者に共通するウルトラ自由主義と懐古趣味的郷愁との混合に、人類に対する犯罪を弁護する傾向が付随している」と指摘しました。
 十六日付保守系紙フィガロも同様の写真を一面に載せ、国際面で「日本首相、北京とソウルの怒りを引き起こす」と報道しました。記事は、小泉首相は中韓両国がプロパガンダに靖国参拝問題を利用していると主張するが、「日本の死者を弔う祭礼を利用しているのは靖国神社当局だ」とし、同神社が「あ然とする二十世紀の日本史観」に立っていると指摘。「首相が保証を与え、あるいは少なくとも弁護しようとしているのは、悔い改めようとしないこの愛国史観である」としています。
 また十五日午後発売のルモンド紙(十六日付)は国際面で「小泉氏の新たな靖国訪問は北京とソウルに挑戦するものだ」と報じました。

戦争への無理解を象徴/英・独各紙誌
 小泉首相が終戦記念日の十五日に靖国神社を参拝したことについて、欧州各紙は「アジア中の怒りを挑発」(英インディペンデント紙)などと厳しく批判しています。
 インディペンデント十六日付(電子版)は小泉首相の参拝は「彼のメディア劇場を演じる名人技」を示したものの、「その政治的な歌舞伎は中韓との関係悪化など日本に高い代償を払わせた」と指摘しました。
 同紙は、靖国神社内にある遊就館について、「中国と韓国への侵略を『防衛的』とする」など、「戦争の歴史を厚顔無恥に書き換えている」と指摘。「靖国はアジアにとって、中国人、朝鮮人その他の市民数百万人を殺した帝国主義者の戦争に日本が悔恨を欠き、十分に歴史を理解していないことを象徴的に示している」と伝えました。
 英フィナンシャル・タイムズ十六日付は「日本の犯罪を名誉としアジアでの日本の侵略を無視するこの記念碑(靖国神社)を小泉首相がしつこく参拝したことはアジアでの日本のリーダーシップの望みを傷つけ、日本の国連安保理常任理事国への支持を失わせた」と論評しました。
 同紙は次期首相に@遊就館の展示を根本的に変更するなど靖国神社を改革A東京裁判の正当性について疑念があるなら、日本みずからが戦争時の行為と責任を反省すること―を提言しています。
 ベルリンで発行されているターゲスシュピーゲル十六日付(電子版)では小泉首相の靖国参拝が「中国と韓国から激しい抗議を呼び起こした」と強調。日本がアジアで行った戦争犯罪について「中国と韓国は日本ファシズムの下、第二次大戦で苦しんだ。南京大虐殺だけで日本の兵士は十万人から三十万人の市民を虐殺」「朝鮮、中国、他のアジア諸国の数万人の女性をレイプし慰安婦にした」「日本人軍医が中国人を人体実験に使用し殺した」ことをあげました。
 独誌『シュピーゲル』十五日号(電子版)は戦争犯罪人をまつってある靖国神社への小泉首相の参拝は中国、韓国からの批判ばかりでなく、日本国内からも批判が出ているとコメントしました。次期首相に有力視される安倍氏は小泉氏の靖国参拝を擁護しており、「同氏が首相になっても議論の多い靖国参拝の伝統は続けるだろう」と見ています。
 (片岡正明)

人道主義への公然とした挑発/中国各紙
 【北京=菊池敏也】十六日付の中国各紙は、小泉首相の靖国神社参拝に強く抗議した中国外務省の声明などを大きく報じています。中国共産党機関紙の人民日報は三面で靖国参拝問題を特集して報道。同面の半分をさいて「靖国神社参拝から誤った歴史観をみる」と題した大型論評を掲載し、靖国参拝を正当化する小泉首相を批判しました。同論評は、「大きな是非にかかわる原則問題でわれわれの譲歩はありえない」と強調しました。
 新華社によると、日本軍による大虐殺事件があった南京市の南京大虐殺記念館は十五日、小泉首相の靖国神社参拝に対する抗議文を発表。朱成山館長が、「被害国の人民の感情を踏みにじり、国際的な人道主義精神に対する公然とした挑発行為。全世界の平和を愛する人びとから非難されるに違いない」と批判しました。
(
2006年08月17日,

憲法改定の論議憂慮/韓国大統領「覇権主義を警戒」

 韓国の盧武鉉大統領は十五日、ソウルで開かれた日本による植民地支配からの解放記念日の式典で演説し、「(北東アジア)地域の平和と協力の秩序を脅かす覇権主義を警戒する」と語り、「日本の憲法改定論議を憂慮するのも、まさにこの理由からだ」と強調しました。

 大統領は「日本は憲法を改定する前に、まずやるべきことがある」と述べ、「過去について心から反省し、度重なる謝罪を裏打ちする実践によって、過去のようなことを繰り返す意思がないことをはっきり証明すべきだ」と主張。そのために「独島(日本名=竹島)、歴史教科書、靖国神社参拝、日本軍慰安婦問題の解決のための実質的な措置」を取るよう求めました。

( 2006年08月16日,

平和願い多彩に/絵、写真、短歌…/広島/山口/広島・福山

 

子どもの作品福山で展示/広島

 広島県東部の福山市、府中市、神石高原町の小中学生による「ふくやま子ども平和美術展」が十三日まで、ふくやま美術館(福山市西町)で開かれました。

 平和を希求し、生きることの素晴らしさを描いたお話や文学作品などをモチーフに、児童・生徒が豊かにイメージして絵に表現したものを毎年展示しているもので、今年で十六回目。今回は二〇〇五年度の応募作品七千四百五十五点から選ばれた受賞作品百五十六点が展示されました。

 小学校一・二年生の部では福山市立水呑小の稲葉佳祐くんが「ジャックとまめの木」、五・六年生の部では同有磨小の安村知哉くんが「鉄道の銀河」で、それぞれ大賞を受賞。いずれも豆の木や銀河鉄道が上空へ高く舞い上がる様子を、伸び伸びと表現しています。

 親子連れなどが訪れ、モチーフとなった文学に思いをはせながら鑑賞していました。

 

「戦争展」で永山氏講演も/山口

 「二〇〇六山口・平和のための戦争展」が十三日まで、同実行委員会主催で、山口市民会館展示ホールで開かれました。

 広島・長崎の原爆写真や中国人強制連行、慰安婦にかんする写真やパネル、戦時中のポスター、ビラ、回覧板、新日本婦人の会会員による平和を願う短歌など約二百三十点が展示されました。

 また、同実行委員会は十一日、東亜大学の永山茂樹助教授を迎え、山口市民会館小ホールで講演の夕べを開催、市民ら四十人が参加しました。

 講演に先立ち同実行委員会の守屋宏代表は「今年の戦争展は、山口市が後援することになりマスコミ各社も後援します。これからも市などの後援で運動を広げていきたい」とあいさつしました。

 永山助教授は「憲法九条と日本の未来」と題して講演。日本国内での格差社会および国際的な格差社会について言及、それらの社会を維持するために軍隊や軍事力が大きな役割をはたしていることを紹介し、「格差をなくそうとすれば、軍事力を持たないということに行きつく」とのべ、戦争に反対し、軍隊の保持を否定している憲法九条の重要性を指摘しました。

 そのうえで、「憲法九条の魅力を国際的に広げることが大切。まず、憲法を守ることから始めよう」と呼びかけました。

 

鞆の浦臨み後半は17日から/広島・福山

 広島県福山市鞆(とも)町の「鞆の浦」を一望する茶房セレーノ(高橋善信オーナー)で先月から開かれている「平和のための絵手紙・写真展示会」が十日、お盆をはさんだ前半を終了しました。後半は原爆写真パネルを入れ替えて展示し、十七日から三十一日まで開かれます。

 新日本婦人の会の絵手紙小組や医療生協の「ほのぼの会」などから寄せられた絵手紙は数十点。新婦人福山支部の中川陽子さんが描いた縦六十a、幅二百四十aの絵手紙は、スペインのカナリヤ諸島に設置されている日本国憲法の碑と原爆ドームが描かれ、「九条を世界に」「九条よ永遠に」と呼びかけています。

 一九四五年八月八日のアメリカの福山空襲の写真も展示されました。関連企画として二十七日午後二時から県原水協の松本真事務局長の「原水爆禁止二〇〇六年世界大会をふりかえる学習講演会」を予定しています。高橋オーナーは「核兵器廃絶の大きな流れをつかんで、戦争反対と人間賛歌の思いを寄せ合いたい」と語ります。

 入場無料。問い合わせ=茶房セレーノ084(982)2777

(2006年08月15日,

戦後61年の夏に、戦争体験を語る/南方戦線に出兵した元兵士内藤邦彦さん(84)/マラリア…病死が多く

 内藤邦彦さん(84)=京都市左京区在住=は砲兵として出征した体験を淡々と語りました。戦後軍歌を聞くのもいやで、体験を話したことはありませんでした。「人を殺したり殺されたりなんてこと、思い出したくなかった」からです。しかし一年前から語り始めました。「もっと原住民(現地人)に優しくすればよかった。日本の兵隊がいいことしたなんて思わない。戦争は決してすべきじゃない」との思いからです。

 一九四三年四月、真夜中の大阪港を二千dの船七、八隻がひっそりと出航しました。その中に銀行で営業マンとして働いていた二十一歳の内藤さんも乗っていました。

 「憲兵が船や岸壁をずっと見張っていました。行き先も教えてもらえないんです。誰にも知らせられないから、見送る人もいなかった。だれかに見送りにきてほしかったよ」

 六畳ほどの船室に五人の少年兵と馬二頭が寝起きしました。赤道直下を南へ向かう船の中は猛烈な暑さでした。うちわひとつない上、分厚くて四角い救命胴衣を着けました。食事は乾パンと三日に一度の「梅干しが入っていたり入っていなかったり」するおにぎり。飲み物はお茶から一度沸かした水になり、最後には馬の小便になりました。

 

慰安婦が同船し

 従軍慰安婦が二十人くらい乗っていました。「将校は日本から芸者を連れて行き、下士官は朝鮮人女性を連れて行きました。彼女たちを見てもかわいそうとも思わなかった。一番下の兵士は現地の女性を捕まえるんです」

 船は敵船の魚雷に次々と沈められ、約一カ月後にスマトラ島のパレンバンに上陸した時には、三隻になっていました。

 二bの砲身がある高射砲を、馬やトラックとともに引っ張り、行軍しました。

 マレー半島に再上陸し、タイのはずれのシンゴラに到着。食事は原住民の主食のいもの一種、タピオカの茎を煮たり焼いたりして塩をかけたもののみ。敵機が来ると寝ていても飛び出して、砲身を向けました。

 「どれだけ必死に砲身を動かしても飛行機の方が速かった。全然当たりません」

 昼は四○度を超す猛暑、夜は震えるくらい冷え込みました。「シャツ一枚だったからね。マラリアやデング熱にかかる人が多かった。四〇度以上の熱を出して、真っ赤な顔をしてました。私のとこは、戦死よりも病死が多かったんです」

 

終戦知らされず

 八月十五日の終戦も知らされずに、内藤さんは四五年の年末まで「敵機」とたたかい続けました。

 「敵機が少ないので変だなと話していたんです。それでサイゴンの司令部に無線で問い合わせました。司令部が日本に聞いたら『おまえらまだ戦争してるのか』といわれて…」

 連合軍の捕虜となり、シンガポールから船に乗せられました。戦争中に部下をいじめた上官が部下たちに海に放りこまれたり、部下に謝る上官を目にしました。四六年六月、名古屋港に着き、破壊しつくされた大都市を見て「日本はなんにもなくなった」と思いました。

(2006年08月15日,

台湾/元慰安婦が抗議集会

 【台北=時事】終戦記念日を前に、旧日本軍の慰安婦として働かされたとする台湾人女性や支援者ら七十人が九日夕、台北市内の日本の対台湾窓口、交流協会台北事務所周辺で抗議集会を行いました。集会には元慰安婦四人が参加。日本政府による公式謝罪と補償を求めました。

( 2006年08月11日,

「慰安婦」被害、納得できる解決早く/東京でちょうちんデモ

 「日本軍『慰安婦』被害者の声を聞け!」と東京・渋谷で九日、集会とちょうちんを掲げたデモ行進がおこなわれました。行動は、七百二十一回を数えた韓国・ソウルのハルモニ(おばあさん)たちが続けている毎週水曜日のデモに連帯したもので、世界同時におこなわれています。

 東京行動では「生きているうちに解決を! このままでは死んでも死にきれない」との思いで、亡くなった被害女性の名前をちょうちんに記しました。亡くなる直前まで解決を求めていた被害者たちの名前を参加者約百五十人が声に出して歩きました。

 集会では「日本政府は(解決を求める)被害女性の叫びをしっかり受け止め、早急に納得する解決を講じるよう強く求める」とするアピールを採択。フィリピンや台湾、韓国の被害者から連帯メッセージが届きました。

 戦時性暴力被害の問題を勉強している大学院生の本庄十喜(とき)さん(26)=東京都=は「日本政府は問題解決のための立法化を急ぐべきだ」と語ります。教育基本法改悪の動きを憂い「参加者が増えれば右傾化の流れは変えられる」と話していました。

 同日、神戸や広島などでも連帯デモがおこなわれました。

( 2006年08月10日,

私と戦争/1/日本軍と従軍慰安婦/戦争知らない知事発言/埼玉・深谷市大津栄一さん(87)

 埼玉県深谷市にあるひばり乳児保育園の大津栄一理事長(87)=同市在住=は戦争中、陸軍兵士として中国に送られました。日本軍と「従軍慰安婦」の実態について聞きました。

 

同期兵の自殺

 当時の東京市荒川区に住んでいた私は、二十歳で陸軍赤坂歩兵一連隊に入隊し、一週間後に中国の北支派遣軍楓第四二五五部隊に配属されました。部隊では訓練の厳しさに加えて、革のベルトやスリッパなどで殴るといった私的制裁が横行していました。あまりのひどさに同期兵の一人は手りゅう弾で自殺しましたし、部隊からの逃亡も多数にのぼりました。

 私の所属した部隊は、いつも中国国民党軍と戦闘してばかりでした。私的制裁などへの不満に加え、二十歳前後という青春の時期を、いつ死ぬか分からないような殺伐とした雰囲気のなかで過ごしていれば、自然と気持ちも荒れてきます。戦闘中に、制圧した村落で略奪し、女性を見れば襲っていました。

 これが「皇軍」(天皇の軍隊)の実態であり、中国への侵略軍の本質ですよ。いま沖縄でたびたび米軍兵士による婦女暴行事件が起こっているのも同じことだと思います。占領軍とはそういうものなのです。

 戦争中に日本軍がどれだけひどいことをしていたか、中国の人たちはよく知っています。日本の戦争指導者をまつっている靖国神社への参拝を繰り返す小泉首相に、中国が怒るのも当然です。

 

暴行防ぐため

 私の経験では、一九四〇―四一年ころが、もっとも日本軍の略奪・暴行がひどかった。四一年ころ、部隊のあった台児荘(山東省)に「慰安所」ができました。上官は「兵士の略奪や暴行をやめさせることが設置の目的だ」と私たちに説明していました。

 日本軍のトラックで二十人くらいの朝鮮人女性が連れてこられました。休みの日に兵士は上官からコンドームを渡されて、「遊んで来い」と「慰安所」に送り出されました。

 上田清司埼玉県知事は、「慰安婦」への軍の関与を否定しました。女性たちが自分から、いつ弾丸が飛んでくるか分からないような前線に、好き好んでやってきたとでも言うのでしょうか。知事発言に怒りを感じます。

 「慰安婦」たちは、「夫や子どももいるのに、無理やり連れてこられた」などと話していましたよ。軍でなければ、誰が連れてくるというのですか。それを「従軍慰安婦はいなかった」などと、軍は関与していないようにいう知事の発言は、ばかげています。

 上田知事の発言は、戦地の実態、侵略戦争を知らない人の言葉です。いいかげんなことを言うなと、私は言いたい。

(2006年08月08日,

「慰安婦」情報ホットライン、7、8両日開設

 戦時性暴力の被害と加害の記録を集めているアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」は、七、八の両日、「慰安婦」情報ホットラインを開設します。

 ホットラインは、日本が戦時中に国内外に設けた慰安所にかんする体験や目撃談などの情報提供を求めるものです。とくに、これまで証言や資料が少ない日本国内の慰安所についての情報を求めています。また、戦後、内務省の指示で設けられた「占領軍向け慰安所=vについての情報提供も呼びかけています。

 ホットラインは、七日()午前九時から午後九時までと八日(火)午前九時から正午まで、03(5272)0027。

( 2006年08月06日,

悼み/山田盟子

 『慰安婦達の太平洋戦争』を世に送って以来、私の許(もと)に娘子(じょうし)軍たちに対しての香典が、全国より寄せられました。

 日本でからゆきの史跡は、言証坊が島原の元弁天島に遺していました。からゆき刻名の玉垣をめぐらした中に、天高くからゆき塔が建立されています。

 大師堂の言証坊は、中世から日本の各霊場が、「女身業障偈(げ)」をかざし、女性への不浄観を解き放っていない時代、からゆきの慰霊塔まで建てたのです。彼は十善講の教えをたずさえ、楼主の教化もかね、かつからゆき鎮魂の旅に、裸足でアジアに出向いたのが、明治三十九年(一九〇六年)十二月でした。

 帰国後の明治四十三年(一九一〇年)パリ国際会議にて、婦女売買禁止が論ぜられましたが、日本は反応せず、女奴隷法は昭和三十年代まで持ちこされたのです。

 言証坊を、アジアからインドまで追った筆者は、その後島原の大師堂に請われ、「痛魂碑」を建立しました。碑には、

 ああ、紅怨の娘子軍

 海を渡った からゆき達よ

 アジアに果てた 慰安婦たちよ

 塔のある聖地に 来たりて安らえ

合掌

 をそえました。碑の開眼供養には、市をあげて参加をいただき、私に寄せられてあった皆さんの悼みを用いさせて頂きました。

 私は引き続いて、二十世紀に圧された同性の足どりを追いました。衝撃を受けたのは、東アフリカででした。

 明治五年(一八七二年)黒人売買の禁止地へ、日本からからゆきが盛んに輸出されてたことにです。リンカーンの奴隷解放の文久三年(一八六三年)後、南米も解放にふみきりました。しかし列強の植民地奪取は、跡をたったわけではなく、開国した日本もその刺激を受け、女の奴隷法をはずさぬまま、植民地獲得に突入、かつてのからゆき送出地のアジアに軍用慰安婦を重ねたのでした。

 私の許に外務省のお偉いさんが見えたのは、一九九六年です。その時「慰安婦の強制は無かった」と主張、私は「強制以上の強奪も拉致もあった」と具体例で応酬しました。二時間の対峙(たいじ)でお上の腹を読めた気のした私は、翌朝高野山を指しました。

 中国など戦後五年目には、淫獄(いんごく)の女たちを、六十八カ所の教等所で、心身の治療をし、かつ生活技術をつけて解放していたのです。そのころ日本では、占領軍用慰安婦が、内務省警保局案で働かされていました。

 私は臭い物に蓋(ふた)の政府側に、私なりの憤りがありました。からゆき、慰安婦だけの死没者だけでも、約四十万はあろうというのに、性囚を生みだした側がくれる黙(もだ)しという抑圧には、嘘(うそ)と傲慢(ごうまん)がひそめられており、国力に優しみの力を増やせはしないと意(おも)いました。

 高野山にてアジアにおける軍娼慰安婦の、永代供養が許され、全山あげて女人堂にて式典の祀(まつ)りこみを頂きました。

 女人堂とは日本ならずアジア各国の慰安婦の位牌がおさめられ、朝夕堂守が経を上げて下さってます。

 戦後の占領軍慰安婦の霊は、浅草のカッパ寺(曹源寺)にて、厚志をお寄せ下さったかづさ屋さんを始め、多数の有志の集いを得て、施餓鬼供養をなしました。

 その後海に近い土肥の栄源寺さんには、知人の名越仁氏、石川栄氏が、「波よ語っておくれ」と、私の作品名の碑を建立して下さり、隣に私が「女郎花(おみなえし)は詩(うた)えたか」を建て、国際婦人デーの三月八日は、有志が集まって式典をあげてくれてます。

 皆様の悼みの厚志は、このように祀り事をしたことを、感謝と共にお知らせいたします。

 (やまだ めいこ・ノンフィクション作家)

( 2006年08月03日,

新しい政治めざして/こくた恵二/「戦争ごめん」の思い共有

 戦後六十一回目の夏が来た。戦争の惨禍を語り継ぎ、平和と戦争をめぐる今をともに語り合う機会、それが「平和のための京都の戦争展」である。

 今年の新たな展示はシベリア抑留・資料と絵画展である。

 シベリア抑留問題とは、終戦後、旧ソ連が捕虜にした日本兵らをソ連全域約二千カ所の収容所に抑留し強制労働に従事させた問題。

 近年ソ連の崩壊によって出てきた膨大な秘密文書の中から、日本の大本営からソ連側に「賠償として軍人や居留民の労力を提供することに同意する」、「満鮮(旧満州とか朝鮮)の地で生活するようソ連に依頼」、それらの者は「日本国籍を離れるのも支障ない」との文書が提出されていたことが明らかになっている。

 「棄兵・棄民」として、極寒のシベリアに長年にわたって抑留された方々に対し、日本政府は戦後六十一年たった今も真相究明、当時の賃金未払い問題についてまともな補償をおこなっていない。

 治安維持法犠牲者問題、従軍慰安婦問題、中国残留孤児問題など戦後処理について、政府は不誠実な対応に終始している。この根底に侵略戦争へ反省が不十分であること、そして改憲の動きとは表裏一体のものであることを見抜かねばならない。

 NHK朝の連続TV小説「純情きらり」は、戦争中には自由、芸術、文化、ジャズさえも排撃された時代を映し出している。

 厳寒の地での悲惨な抑留生活の事実を、心と脳裏に刻み込み、「戦争の惨禍を繰り返してはならない」の思いを共有したい。

 そして、憲法九条を守り抜く決意を固めたい。平和ミュージアムにて。

 (衆院議員)

(2006年08月02日,

日朝協会埼玉県連が上田知事発言で見解

 日朝協会埼玉県連合会の渡辺貢会長は二十七日、上田清司県知事の「従軍慰安婦はいなった」との発言にたいする考えを文書にまとめ、知事あてに提出しました。このなかで、政府が公式見解として「従軍慰安婦」を認めていることを指摘し、知事にたいし「事実を回避せず、歴史の教訓として直視し」、政府見解をふまえて対処するよう求めています。

(2006年07月30日,

知事の従軍慰安婦否定許すな/写真示し抗議宣伝/さいたま

 上田清司埼玉県知事が「『従軍慰安婦』はいない。軍に強制的に徴用された証拠はない」などと発言した問題で、日朝協会埼玉県連合会の呼びかけた緊急街頭宣伝が二十七日夕、さいたま市のJR浦和駅前で行われ、七団体十七人が参加しました。

 宣伝では、慰安所に行列をつくって順番を待つ日本軍兵士の写真と、韓国・ソウルの日本大使館前で日本の国家責任と謝罪を求める元「慰安婦」のデモの写真を拡大して並べました。

 各団体の代表がリレートークで「不十分な政府の対応でも、おわびと反省の気持ちは表明している」「『慰安婦』にさせられた人の証言をも『証拠がない』と一蹴(いっしゅう)する知事の見識を疑う」「知事の発言をなんとしても撤回させよう」などと訴えました。

 ビラを受け取った人からは、「『慰安婦』発言をするまで、上田さんがこんな恥ずかしい人物だとは知らなかった」などの声が寄せられました。

 日本共産党の山岸昭子県議、加川義光さいたま市議、阿部幸代県副委員長が参加しました。

(2006年07月29日,

「従軍慰安婦」否定、知事の答弁に抗議/埼玉革新懇

 埼玉革新懇は二十七日、埼玉県庁を訪ね、上田清司県知事あてに、六月県議会で「従軍慰安婦はいません」との知事答弁に抗議し、発言撤回を求めた要請書を提出しました。

 要請には代表世話人の森研一、住吉陽子両氏、佐々木敏雄県平和委員会事務局長が参加。県側は野本能伸、柿沼トミ子両知事特別秘書が応対しました。

 要請書は「従軍慰安婦」は俗称ではあるが、数々の公文書でも裏付けられ、「軍が直接・間接に関わり便宜を図ってきたことは否定しがたい事実」と指摘。「証拠」がないという知事の断定こそ根拠がないとのべ、国連や政府、裁判所の公式見解を尊重せず、これを否定するような発言は「県民を代表する知事として厳に慎むべき」とのべています。

( 2006年07月28日,

2006埼玉戦争展」27日から/戦争肯定の動きに反撃/岡嵜聡介実行委員会事務局長にきく

 「2006平和のための埼玉の戦争展」が二十七日から、さいたま市浦和区のJR浦和駅西口コルソで開催されます。二十三回目となる今回の戦争展の特徴を実行委員会事務局長の岡嵜聡介さんに聞きました。

 「戦争展」というと、過去の戦争の展示という印象を受けるかもしれませんが、「平和のための埼玉の戦争展」は「現在から未来へ」をテーマにしています。

 日本では今、「戦争できる国づくり」の動きが強まっていることから、過去の戦争について考えることが大事なことになっています。

 小泉首相はアメリカのブッシュ大統領との話し合いで、日米同盟を強化して未来永劫(えいごう)続けると約束し、イラクでは航空自衛隊が残って米軍支援を続けようとしています。国内では、政府が憲法・教育基本法の改悪をねらい、侵略戦争を賛美する動きも活発です。埼玉県内でも上田清司知事が「従軍慰安婦はいない」と発言し、戸田市の教育長が「君が代」斉唱で起立しない来賓を「腹が煮えくりかえる」「調査する」と発言しています。

 戦争展をみんなに見てもらうことで、戦争肯定の動きに反撃する力を大きくしていきたいと思っています。

 北朝鮮のミサイル発射問題をめぐって、武力行使容認か話し合いによる平和的な解決をつらぬくか、世界の政治の焦点になっています。武力では何も解決しない、話し合いでこそ展望が開けることをみんなに考えてもらいたい。

 平和のために現在と未来をどう考え、何をしたらよいのか展望が見え、二度、三度と足を運びたくなるような戦争展にするために、スタッフ一同頑張っているところです。

 戦争展では戦争体験者の話を聞く企画や、平和メッセージを書いた木製のブロックを積み上げていく「ピースブロック」、横須賀に配備されようとしている原子力空母の危険性が実感できる模型の展示、憲法と暮らしの関わりがわかる「憲法の木」などの企画を予定しています。

 

浦和で31日まで

 「2006平和のための埼玉の戦争展」は、27日()―31日()午前10時半―午後6時(最終日は午後3時半)です。

 ○企画展示▽現代の戦争と日本▽世界の平和の流れ▽輝け日本国憲法▽原爆被害の実相・核兵器廃絶▽戦争資料展示▽アジアをもっと知ろう―など。

 ○戦争体験を聞く企画「被爆体験を聞く」「教育勅語で育った元兵士たち」などや、「青年の連帯で核兵器廃絶を」などの平和交流があります。

 問い合わせは同実行委員会048(825)7535。

(2006年07月22日,

「従軍慰安婦」埼玉知事発言/資料館記述変更するな/党県議団が県に申し入れ

 日本共産党埼玉県議団は十九日、埼玉県立平和資料館の「従軍慰安婦」に関する記述について、上田清司知事の個人的見解で変更されないよう、同資料館を所管する馬場竹次郎総務部長に申し入れました。

 六月県議会で知事が、平和資料館の展示年表にある「従軍慰安婦問題など日本の戦争責任議論多発」という記述を問題視し、「従軍慰安婦はいなかった」などとのべるとともに、展示について「間違った記述であり修正しなければならない」とのべ、二十五日に同資料館の運営協議会が開かれることになりました。

 申し入れは知事答弁について、「政府の公式見解や国際的な研究・調査の結果を否定し、知事の個人的な考えを県民に押しつけるものだ」として、展示の修正に応じないよう求めています。

 応対した総務部県民生活局の浅賀康夫局長は、「知事は『従軍慰安婦』という文言の問題を指摘したにすぎない」と、これまでの知事の弁明を繰り返すにとどまりましたが、山岸昭子県議団長が「展示記述は資料館としての科学性・自主性を貫くよう努めてほしい」と求めたのに対しては、「指摘はその通り」と答えました。

(2006年07月20日,

慰安婦発言/知事は歴史を直視せよ/さいたまで緊急抗議集会

 埼玉県の上田清司知事が県議会答弁で「『慰安婦』はいても、『従軍慰安婦』はなかった」と発言した問題で十四日夜、さいたま市内で緊急の抗議集会が開かれ、労組や各団体の代表者など三十人が参加しました。日朝協会埼玉県連合会が呼びかけたものです。

 集会は、知事にたいし、歴史の事実を直視するよう求めるとともに、県民に「軍『慰安婦』制度を教訓としてとらえ、平和と人権を守り発展させる立場でともに考えよう」と訴える集会アピールを採択しました。

 問題提起をした岩本正光・日朝協会本部事務局長(県連副会長)は、協会県連による聞き取り調査や当時の資料を示し、政府や軍が「慰安婦」に直接関与していたことは否定できない事実だと指摘。「知事発言は、補償を求めて提訴した元『慰安婦』を冒涜(ぼうとく)するものであり、二重三重に間違っている」と批判しました。

 日本共産党の山岸昭子県議団長が上田知事の議会答弁について報告。「上田知事の発言は七百万県民の代表たる知事の立場を踏み越え、上田清司という一政治家の考えを県政に押しつけるものだ」とのべました。

 参加者からは「私は戦場で、『慰安所』が軍の管理下におかれていたことを実際に見てきた」「『慰安婦』体験で精神が不安定になり、本人だけでなく子ども・孫まで今でも苦しんでいる話もある」などの発言がありました。

(2006年07月15日,

従軍慰安婦軍関与否定/埼玉県知事に婦団連が抗議

 埼玉県の上田清司知事が六月県議会で、従軍慰安婦問題への軍の関与を否定する発言をしたことに対し、日本婦人団体連合会(婦団連)は十三日、堀江ゆり会長の抗議の要請書を同知事へ送付しました。

 要請書は、従軍慰安婦問題は当時の軍当局の要請により設営されたもので、旧日本軍が直接・間接に関与していた―と政府の公式見解が明らかにされていると指摘。「政府の公式見解を推論で一蹴(いっしゅう)し、慰安婦問題での当時の政府や軍の責任を認めようとしない知事の発言・『見解』は、一地方自治体の長といえども国際的・政治的影響ははかりしれないものがある」として、撤回を求めています。

( 2006年07月15日,

「慰安婦」発言、知事は撤回を/埼玉で市民団体要求

 埼玉県の上田清司知事の「慰安婦」発言をめぐり、「子どもの人権埼玉ネット」「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク(VAWW―NETジャパン)」「県平和資料館を考える会」の三市民団体は六日、発言の撤回と謝罪などを知事に求める文書を知事特別秘書に手渡しました。

 VAWW―NETジャパンの抗議文は、当時の軍幹部の残した文書を引用して、軍中央が「慰安所」制度の統制にかかわっていたことは明白だと指摘。知事が問題にした県平和資料館の年表の記述については「(一九)九一年に『従軍慰安婦問題など日本の戦争責任論議多発』という記述のどこが『真実ではない』のですか」と批判し、発言の撤回を求めています。

(2006年07月12日,

(地方版)知事の慰安婦発言「歴史を偽造」/機関紙協会埼玉県本部が声明提出

 埼玉県の上田清司知事が県議会本会議で「『従軍慰安婦』はいなかった」と発言した問題で、日本機関紙協会埼玉県本部(金子勝理事長)は三日、知事発言撤回の声明を知事室に提出しました。

 声明は、上田知事の発言を「歴史を偽造し、旧日本軍や『太平洋戦争』の美化を果たそうとするもの」と批判。知事発言の発端となった県平和資料館の展示内容については史実を曲げて変更しないよう要望しています。

(2006年07月09日,

2万号迎える「しんぶん赤旗」/元日本兵が語る「大東亜戦争」の真相/平和願い、加害の体験語る

 戦後六十年企画として社会部が、昨年八月から十二月にかけて掲載した「元日本兵が語る『大東亜戦争』の真相」。連載中からぜひ本にしてほしい≠ニの問い合わせも多く、五月、日本共産党中央委員会出版局から発行されました。

 「現地調達」の名で強奪、敵軍に偽装して謀略、戦友を見捨てた悔恨、餓死兵を何百人も焼いたこと、衛生兵教育で行われた生体解剖などを元日本軍兵士、従軍看護婦二十五人が語っています。

 沖縄・宮古島での将校の元に「慰安婦」を連れていく任務について語った千葉県の高沢義人さんは、「戦前から反戦運動や女性解放運動をしてきた。女性の体を売り物にするなんて……。自分の内心とのたたかい。自分が生きるためでもつらかった」とこぶしを握り、静かに机をたたきました。

 多くの聴衆を前に加害の体験を語った鹿田正夫さんに寄せられた質問は、「証言は立派だが、なぜそんな残虐なことができたのか」でした。「納得できないかもしれないが、軍国主義という間違った教育を受け、一片の良心もない鬼だった。鬼になる過程がある。今の日本でも鬼になる可能性はある」。しばらく言葉を探し、やっと言えた鹿田さんの答えでした。

 証言者は共通して、戦後六十年たった今なお悲惨な体験が心の中に深く突き刺さったままだといいます。

 これまで家族にも言うことのなかった体験。その心境を山梨県の今津茂さんは、「憲法九条がかえられ、戦争をする国になろうとしている今、私の体験が、若い人たちが戦争の真実を知るきっかけになるのであればと意を決してお話ししました」と述べています。

 出版された本は、現在五刷で一万八千部を超える反響です。

 「期待以上の内容の濃い中身でした。当時戦場のただ中にあった方たちが高齢で亡くなっていく中、こういう証言集は、ますます貴重になると存じます」(横浜市の六十八歳男性)などの感想が寄せられています。

 鳥取県の八十一歳男性は、「本書を読んでいまさらながら戦争の悲惨さを思い出しています。私もソ満国境(ロシアと中国の国境)での残虐な日本軍の中国人への行為を見てきました。二度と戦争をしてはいけない、憲法を改正してはいけない。最後の余生をふりしぼって叫びます」とつづっています。

 戦争体験者らでつくる「朝風の会」(会員・約百人)の谷田川和夫会長は、「私たちの会は、『我ら、戦争を忘れまい』の気持ちから、戦争体験の文集を発行しつづけて二十年になりました。先日、会員の集まりがあり、『元日本兵が語る』を紹介しました。戦争の真相を伝える貴重な体験集です。反戦・平和の歩みを続けてきた『赤旗』だからできたものと思います」と話します。

 (尾崎吉彦)

( 2006年07月06日,

従軍慰安婦問題に関する上田知事の見解について/埼玉・山岸県議団長の談話

 従軍慰安婦問題に関する上田埼玉県知事の見解について日本共産党埼玉県議団の山岸昭子団長が四日、明らかにした談話(要旨)は次の通りです。

 知事が見解のなかで、「軍がなんらかの形で係わったこともあった」と、軍の関与を認めたことは重要です。現存する公文書でも裏付けられているように、慰安所は日本軍によって設置され、慰安婦の募集、業者の選定、慰安婦の移送などに軍が直接・間接にかかわり便宜を図ってきたことは否定しがたい事実です。しかし、知事が「慰安婦と従軍慰安婦との違いは、軍として女性を徴用したかどうかにあると考えています」とし、「軍に強制的に徴用された女性がいたという証拠はないのです」と述べていることは、県民を代表する首長として、その見識が問われるものです。

 日本軍慰安所の女性たちの多くが、甘言にだまされたか、強制的に連行された方々であり、自らの意志に反して監禁状態にあったことは、被害者側、加害者側双方の証言で明らかになっています。被害者の証言は、河野官房長官談話はじめ国連人権委員会のクマラスワミ報告や、在日元「従軍慰安婦」損害賠償請求訴訟判決でも、事実認定の証拠として採用されており、「証拠」がないという知事の断定こそ根拠を有しないものです。

 知事が言うように日本軍慰安婦に強制性がなかったとすれば、慰安婦たちは同意のうえ、商売として行ったことになり、「慰安婦と呼ばれる方々は、筆舌に尽くしがたいほどのつらい体験、絶望的な日々を送られたことと思います」という知事の感慨とも矛盾することにならないでしょうか。

 県民を代表する公人として、国連や政府や裁判所の公式見解を否定するがごとき言動を弄(ろう)することは、厳に慎むべきであると考えます。知事は「女性の尊厳を踏みにじるようなことが、二度とあってはならないと強く思います」とも述べていますが、慰安婦問題での当時の政府や軍の責任を認めようとしない知事のこうした発言こそ、心身共に言語に絶する傷をおった被害者の叫びを踏みにじるものと指摘しなければなりません。

 私は、知事が日本が過去に侵した過ちと勇気をもって正面から向き合い、政治家としての道義性、倫理性を発揮されて発言を撤回されるよう改めて求めるものです。

(2006年07月05日,

埼玉知事、重ねて「慰安婦」見解/発言の撤回を改めて求める/党県議団長が談話

 日本共産党埼玉県議団は四日、同県の上田清司知事の「従軍慰安婦」に対する「見解」について、「日本が過去に犯した過ちと勇気をもって正面から向き合い、政治家としての道義性、倫理性を発揮して発言を撤回するよう改めて求める」とする山岸昭子団長の談話を発表しました。

 談話は、「日本軍慰安所の女性たちの多くが、甘言にだまされたか、強制的に連行され、自らの意思に反して監禁状態にあったことは、被害者と加害者の双方の証言で明らかになっている」と指摘。「慰安婦」問題で当時の政府や軍の責任を認めようとしない知事の言動こそが「心身ともに言語に絶する傷をおった被害者の叫びを踏みにじるもの」だとのべ、知事を批判しています。

( 2006年07月05日,

埼玉知事、重ねて「慰安婦」見解/「従軍の証拠はなかった」

 埼玉県の上田清司知事は四日までに、「従軍慰安婦」についての考えを説明した「見解」を文書で発表しました。いなかったとの県議会答弁(六月二十七日)への反響が広がり、釈明を迫られたものです。

 しかし上田知事は、「慰安婦」と「従軍慰安婦」には違いがあり、「従軍慰安婦がいたという証拠はない」と説明。県議会での「従軍慰安婦はいません」という答弁を「証拠はなかった」といいかえて、改めて軍の関与を否定しました。軍が直接徴用した「証拠」が「一切見つかっていない」としています。

 旧日本軍の関与を認めた官房長官談話(一九九三年)について、「事実関係の解明よりも、まずは女性たちの名誉回復を図ることで、両国間の関係を改善したいという思惑」が日本政府の側にあったとしています。

( 2006年07月05日,

知事発言は歴史歪曲/慰安婦問題で撤回申入れ/新婦人県本部/埼玉

 埼玉県の上田清司知事が県議会で「従軍慰安婦がいたことはない」と発言したことについて、新日本婦人の会埼玉県本部の加藤ユリ会長は三日、野本能伸、柿沼トミ子両知事特別秘書と会い、知事発言の撤回の申し入れをしました。(写真)

 申し入れには会員十人が同席。加藤会長は、旧日本軍が「従軍慰安婦」に関与していたことを認める官房長官談話(一九九三年)や、元「慰安婦」に対する小泉首相のおわびの手紙(二〇〇一年)を示し、「知事発言は政府の公式見解を否定するもの。七百万県民の長が間違った歴史認識を持っていることは恥ずかしいかぎり。撤回を求める」と語りました。

 野本秘書は「知事は『慰安婦』がいたことは否定していない。『従軍』という言葉のニュアンスの違いをいったにすぎない。軍属≠フ『慰安婦』はいないという意味でいったのだと思う」と言い訳に回りました。

 会員の女性たちは、官房長官談話は、政府が公式文書や関係者の証言を調査して出していることを示して、「慰安婦」が軍の支配下にあった事実をふまえるよう求めました。加藤会長は「歴史のわい曲は過ちの第一歩。真実を見すえてこそ埼玉の将来は開ける」と重ねて撤回を迫りました。

 野本秘書は、六月議会(七日閉会)後の記者会見で、知事が見解をのべる予定であることを明らかにしました。

(2006年07月04日,

靖国「米国でも不快感」/英メディアが報道

 【ロンドン=岡崎衆史】小泉首相の訪米に関して英メディアは、首相の靖国神社参拝への米国での懸念の高まりに焦点を当てた報道をしています。

 『エコノミスト』誌七月一―七日号は、日本側が当初模索した小泉首相による米議会での演説が実現せず、エルビス・プレスリーの旧宅「グレースランド」訪問となったことに言及。「場所の変更は、十四人のA級戦犯を含む戦死者をたたえる靖国神社を首相として五度訪問したことへの懸念から生じているとみられる。アジアでは日本への不信が極めて強まったが、それは米国でも存在する」と述べています。

 さらに、「戦争中には多くの米兵が日本人に虐待された。また、米国の政策立案者たちは、日本の鈍感さが、台頭しつつある中国との関係構築を難しくしていると、いらだっている」と指摘しました。

 フィナンシャル・タイムズ紙六月三十日付は、グレースランドと靖国神社がともに「真実を語ってはいない」として、両者の共通性に言及。グレースランドはプレスリーの薬物中毒や肥満に触れるのを避けており、靖国神社については、同神社と遊就館が「日本兵が栄誉に満ちた解放者や犠牲者であり、侵略者ではないとする、桜の花のように美化された歴史観を訪問者に示している」と告発しました。

 さらに遊就館の展示について、「南京大虐殺を解放として展示し、日本の化学兵器使用や人体実験、韓国人の性的奴隷(従軍慰安婦)は省かれている。パールハーバー爆撃は…連合国の封鎖で強いられたとしている」と述べ、こうした歴史観に、中国や韓国だけでなく米国の政府当局者も「不快感を感じている」と述べています。

( 2006年07月02日,

「従軍慰安婦」の軍関与否定発言/埼労連など知事に抗議

 埼玉県の上田清司知事が「従軍慰安婦」の旧日本軍の関与を否定する発言をした問題で、埼玉県労働組合連合会(埼労連、原冨悟議長)、埼玉アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会(小笠原政之助理事長)は二十九日、発言の撤回などを求める上田知事あての抗議文をそれぞれ知事に届けました。

 埼労連の声明は、「従軍慰安婦」への旧日本軍や政府の関与を認めた官房長官談話(一九九三年)や国連の報告(九五年)に触れ、上田知事の発言は「知事固有の偏向した立場からのもの」だと批判。憲法や教育基本法を軽視・否定する言動を知事が繰り返してきたことと合わせて、「政府の調査や公式見解を考慮しようともせず、自己の一方的な解釈に基づいて史実を書きかえるがごとき今回の言動は、平和を願う多くの県民の中に不安を広げている」として、知事としてふさわしくない言動だと指摘しています。

 知事発言に対しては二十八日に日朝協会埼玉県連合会、埼玉県教職員組合がそれぞれ撤回を求める見解を出すなど、批判の声が高まっています。

(2006年06月30日,

「従軍慰安婦」発言/埼玉県知事に撤回申し入れ/新婦人

 新日本婦人の会(高田公子会長)は二十九日、「『従軍慰安婦』はいなかった」と発言した上田清司埼玉県知事に対し、発言の撤回を求める文書を送りました。

 同知事は二十七日の県議会の答弁で「『従軍慰安婦』はいない。兵のいるところに(『慰安婦』が)集まってきたり、兵を追いかけて民間業者が連れていったりするのであって、軍そのものが連れていくなんてことは絶対にない」と発言しました。

 文書は、日本軍「慰安婦」問題は「国際的にも認められている歴史の真実」で、県知事として正しい歴史認識をもつよう求め、発言に抗議し、撤回を要求しています。

( 2006年06月30日,

「従軍慰安婦いない」発言/埼玉知事は撤回せよ/日朝協会県連声明

 日朝協会埼玉県連合会(渡辺貢会長)は二十八日、上田清司埼玉県知事の「『慰安婦』はいても『従軍慰安婦』はいない」との県議会での発言(二十七日)について、歴史の事実を回避せず、日本国民の教訓として問題を直視するよう知事に求める声明を発表しました。渡辺会長らは知事、県議会議長と各会派、朝鮮総連と韓国民団の各県本部に声明文を手渡しました。

 声明は、二〇〇一年に小泉首相が元「慰安婦」に出した手紙で、「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」であり、「いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます」とのべていることを紹介。「慰安婦」への旧日本軍の関与を認めた一九九三年の河野洋平官房長官(当時)談話にも触れ、「どのような持論を持とうとも、歴史の真実を打ち消すことはできません」と指摘し、政府と首相の見解を尊重し、真摯(しんし)に対処するよう要望しています。

(2006年06月29日,

「従軍慰安婦」旧日本軍の関与否定/知事は発言撤回せよ/埼玉・山岸県議団長が談話

 日本共産党埼玉県議団は二十七日、「従軍慰安婦」への旧日本軍の関与を否定した上田清司知事の県議会発言について、「名誉と尊厳を傷つけられた多数の方々の気持ちに思いを寄せるとともに、平和外交を築く観点からも知事自ら発言を撤回すべきだ」とする山岸昭子団長の談話を発表しました。

 このなかで、上田知事の発言が、「従軍慰安婦」について旧日本軍が関与していたことを認めた河野洋平官房長官(当時、現衆院議長)の談話(一九九三年)と政府の公式見解を否定していることを指摘し、「七百万県民の代表として非常に恥ずかしい」と批判しています。

 「真の史実、日本の正確な立場を学べるようにすることが一番大事」との知事答弁にもふれ、「知事自ら日本政府の立場や、その根拠となった資料や証言に真摯(しんし)に学ぶ必要がある」と指摘しています。

(2006年06月28日,

潮流

 中国・香港の南にある島、海南島。美しい海岸で知られるリゾート地です。日本からも多くの観光客が訪れています▼戦時中、この島は日本軍に占領されていました。現地の若い女性たちが「慰安婦」とされ性暴力を受けました。その被害者が日本政府に謝罪と賠償を求めています。今年三月、原告の一人、陳亜扁さん(78)が東京地裁で証言に立ちました。想像を絶する話でした▼日本兵に連れ去られたのはわずか十四歳のとき。家族や友達との平穏な日々が奪われました。兵士が見張る部屋に閉じ込められ、三年半もの間、毎日のように性暴力を受けました。戦後、故郷に戻りましたが村八分にされます。幸い理解してくれる男性に巡り合い結婚しましたが、八回も流産。いまも悪夢にうなされています▼尋問が終わりかけたとき、陳さんは突然、国側の代理人にいいました。「私をレイプした兵隊たちはみなさんと同じ年代でした。でもみなさんは善良な人たちで、そういう人たちではありません」。若い弁護士は戸惑いの表情を浮かべました▼提訴は二〇〇一年の七月。間もなく五年になります。原告八人のうち二人が亡くなりました。陳さんは裁判官に訴えました。「高齢を顧みず出廷したのは日本政府が罪を認め、謝罪してほしいから。今日話したこと、事実を直視して、公平な判決を、できるだけ早くしてください」▼裁判は結審しました。原告を支援する日本の若者たちが、公正な判決を求めるはがきを裁判官に送る運動をしています。

( 2006年06月27日,

現代歴史学と南京事件/笠原十九司・吉田裕編/無節操な論調に信念をもって反論

 私の講義を聴講して「南京大虐殺や従軍慰安婦∞三光作戦≠ネんて、あったことを初めて聞いた」という学生がいる。真に編者の吉田が書いているように「無知は力なり≠ナはないかとさえ思う」今日この頃であるが、その無知の間隙を縫って南京事件の歴史事実を否定したり「まぼろし化」しようとする人々がいる。

 悪夢のような事実を直視するには勇気がいるかもしれないが、事実を知ればなんとかしないといけないという知恵と力も湧いてくる。先の学生の言葉をかりれば、「知ったからには中国やアジア諸国への謝罪・補償、そして首相の靖国参拝中止を要求するのは日本国民として当然だ」という変化が生じる。

 しかし事実を無視して戦争の悲惨さを風化させる政治・マスメディア・書物の力のほうが圧倒的に強いのが現状である。そのような状況の下で、編著者の笠原・吉田はたくさんの著述を通して一貫して事実の尊さを訴え続けてきた。それは現状に対する怒りだけではなく、日本の行く末に対する歴史家としての危機感、すなわち近隣諸国との平和的共生のためには歴史に対する謙虚な自省と反省なしにはありえないという信念に裏打ちされている。彼らのこの信念はともすれば政治家や「有識者」の大量の脅迫まがいの罵詈罵倒、デタラメの垂れ流しを許す時流に抵抗し、世論を正論に引き戻す大きな力となってきた。

 こうしたデタラメや無節操な論調に完膚なきまでに反論を加えたのが本書である。いやもっと正確に、そして皮肉に言えば、すでに破綻し恥をさらしているにもかかわらず、性懲りもなく「無知の力」を増殖させようと励む人々への再々度の親切な案内書・解説書なのである。本書を通読すれば誰でも、これまでどれだけのデタラメが垂れ流されてきたか、それらがどれほど情にも理にも適わないものであったかを知るであろう。

 姫田光義・中央大学教授

 かさはら とくし 都留文科大学教授。一九四四年生まれ よしだ ゆたか 一橋大学教授。一九五四年生まれ。

( 2006年06月25日,

「佐野九条の会」が集い/戦争体験初めて語る、元看護婦の沖永マスミさん/栃木

 栃木県佐野市の「佐野九条の会」(吉川芳郎代表)は二十八日、発足時から定期的に取り組んでいる六回目の憲法学習会で、戦争体験者の話を聞く集いを開き、約五十人が参加しました。

 体験(別項)を語ったのは市内に住む沖永マスミさん(80)。一九四一年、十六歳で中国東北部(当時満州)に渡り、現地の看護婦養成学校を経て看護婦として働き、同地で終戦を迎えました。

 大勢の人前で戦争体験を話すのは初めてだという沖永さん。「『不戦の誓いをするため、靖国神社に参拝する』という小泉首相の発言に対し、中国人らが戦犯に抱く思いを理解してもらいたい」と決心に至った思いをのべ、参加者に感銘を与えました。

 

元看護婦の沖永マスミさん/戦争体験の発言要旨

 栃木県佐野市天神町に住む沖永マスミさん(80)が二十八日の「佐野九条の会」学習会で初めて語った戦争体験(要旨)を紹介します。

 「不戦の誓いをするため靖国神社に参拝する」という小泉首相の言葉に心底怒りを感じました。不戦を誓う場所が違います。東条英機ら戦犯を祭った靖国神社に行くことが、どれほど中国人や朝鮮半島の人々の心を逆なでしていることか。憲法を守ることが、不戦の誓いのあかしです。

 

軍事教育一色、「日本軍は強い」

 日中全面戦争の発端となった一九三七年の盧溝橋(ろこうきょう)事件当時、私は小学生でした。授業は教育勅語の唱和で始まり、先生は「戦争に勝たなければならない」と話すなど、軍事教育一色でした。侵略を続ける日本軍の報道を聞いて「勝った勝った。日本軍は強い」と喜び、出兵する兵士の見送りにも出かけました。

 「満蒙は日本の生命線」と教えられた私にとって、満州(中国東北部)で働くことは、当たり前のことでした。一九四一年、十六歳で現地の看護婦養成学校で二年間学び、看護婦として軍隊と共に行動する生活が始まりました。

 まもなく戦争の惨状を目にしました。逃げた中国人捕虜が電柱に縛られ、拷問を受ける姿や、ペストが大流行し、焼き尽くされた部落の光景を見ました。「チャンコロ(中国人を軽べつした言葉)は戦争に負けたからしょうがない。われわれも負けたらこうなる」と言っていた日本軍の憲兵の言葉は、今でも鮮明に覚えています。

 助産婦をしていた私は、日本で人身売買されて満州に送り込まれ、従軍慰安婦と同様のことをしていた、たくさんの日本人女性も診てきました。戦争への疑問が起きたのは、このころからです。

 

お召し列車と退却する住民と

 旧ソ連が満州に侵攻した一九四五年八月九日の数日前の「お召し列車」での出来事もショックでした。引き揚げる軍人と家族らに対し、「粗相のない看護をするよう」と命令を受け、普段見たことのない缶入りのミルクを乳児に与えました。

 一方、住民として退却した人たちを待ち受けていたのは地獄でした。泣く泣く子どもを中国人にあずける人、退却する集団から遅れまいと、歩けなくなったわが子の手をやむなく離す人、心が痛む光景でした。「残留孤児」は「戦争の落とし子」です。

 終戦を迎え、街にあふれる行き場のない人たちを見て、敗戦を実感しました。「軍国少女」となっていた私の考えは大きく変わりました。

 それから六十一年。今、教育基本法改悪の動きが強まっています。「愛国心」の強要を迫るこの法案の狙いは、国策に従う人間をつくることです。「数え切れないほど多くの生命を奪った戦争を再び繰り返してはならない」。私は強く訴えていきたいと思います。

(2006年05月31日,

アムネスティ年次報告/ビラ配布有罪・「慰安婦」訴訟の棄却/日本の人権侵害批判

 【ロンドン=岡崎衆史】二十三日に公表された人権団体アムネスティ・インターナショナルの年次報告書は、日本での人権侵害の例として、自衛隊官舎へのビラ配布を有罪とした東京高裁判決、元「慰安婦」の訴訟の棄却、死刑執行の問題などを取り上げています。また、こうした状況を理解する背景として、自衛隊の海外派兵や憲法九条改悪をめぐる動きについても触れています。

 報告書は「表現の自由の制限」として、東京高裁が昨年十二月、東京・立川市の自衛隊官舎にイラク派兵反対のビラを配布した市民団体のメンバー三人を有罪にした判決を指摘。また、東京拘置所にいた女性が出産直前まで手錠をかけられ、生まれた赤ちゃんはすぐよその施設に預けられたことを人権問題として挙げています。

 また、女性への人権侵害として、元「慰安婦」が賠償を求めた訴訟の最高裁による棄却(昨年二月)と、東京高裁による棄却(同年三月)を取り上げました。

 報告書は、女性の性奴隷化などの戦争犯罪に対する完全な賠償と適切な謝罪を日本政府が怠り続けてきたこと、過去の侵略についての日本の歴史教科書の描き方について、日本政府が近隣アジア諸国の批判を受けたことを紹介。また、自衛隊の海外派兵がきっかけとなって、憲法九条の改定をめぐる議論が起きていることも紹介しています。

( 2006年05月25日,

本紙掲載「元兵士が語る」パンフに/侵略戦争の実態暴く

 「しんぶん赤旗」で二〇〇五年八月から十二月まで二十五回にわたって掲載した「元兵士が語る『大東亜戦争』の真相」がパンフレット(写真)になりました。

 証言の内容は、南京大虐殺、従軍慰安婦、七三一関連部隊での生体実験、三光政策、大陸打通作戦、沖縄県宮古島での体験、戦艦大和の沈没、中国「残留」日本人孤児問題など、「大東亜戦争」の名でおこなった侵略戦争の実態を明らかにする貴重なものです。定価四百円(税込み)、日本共産党中央委員会出版局発行。

( 2006年05月22日,

日本共産党知りたい聞きたい/終戦直後、米進駐軍の慰安婦を政府が募集したって本当?

 〈問い〉 終戦直後、進駐軍の性的「慰安」施設がつくられ、「慰安婦」を政府が募集したというのは本当ですか?(東京・一読者)

 〈答え〉 日本政府は敗戦直後アメリカの進駐を控え、「良家の子女を守るため」にということで、米軍の性的「慰安」施設の設置を計画しました。

 内務省は、終戦の3日後の1945年8月18日、「外国軍駐屯地における慰安施設の設置に関する内務省警保局長通牒(無電)」を各都道府県に発し、各県警はこれに基づいて急きょ、米兵の性的「慰安」施設を各地に設けました。

 「埼玉県史通史編7 米軍基地と『買春問題』」ではこの通牒の全文を載せています。(「外国駐屯軍慰安施設等整備要綱」。要綱は4項からなり、その3項で「性的慰安施設、飲食施設、娯楽場」をあげ、4項で「営業に必要な婦女子は、芸妓、公私娼妓、女給、酌婦、常習密売淫犯者を優先的に充足するものとする」としています)。

 警察が積極的に「慰安」施設を設置したことは、各県警の「警察100年史」等にもリアルに記述されています。

 広島県警の歴史 全警察官が慰安婦募集に、慰安所は押すな押すなの盛況 「まことに残念なことではあるが、占領軍人にたいする性的慰安施設を設営するという幇間(ほうかん)まがいの仕事を警察がせねばならなかったのである」

 北海道警察史2昭和編 「昭和12年には1052名を数えていた本道の娼妓も終戦時においてはわずか450余名にすぎなかった。この人員では2万名に及ぶ進駐軍将兵に接するには不十分であり従って、経験ある婦女子の確保が警察部の大きな課題であった。警察官自身も農村漁村を訪ね、毛布、足袋、砂糖を贈って説得し、協力を求めた。…本道の特殊慰安婦は総勢770名に増強された」

 兵庫県警察史 警部・警部補が遊女屋の設営作戦「保安課の任務は何か? 外でもないそれは8月18日に内務省が発した『占領軍の進駐時に合うように進駐軍将兵用慰安施設の設営を急げ』という緊急指令を実行する事であった。内務省の指令は、いわば性の防波堤を築こうというわけである」

 日本共産党の吉川春子参院議員は、96年11月26日の決算委員会で、各県警の警察史の記述を示して政府の責任を追及しました。第2次大戦中は日本軍のために、敗戦後は米兵のために、「慰安」施設を設置した政府の態度には女性に対する人権意識のかけらもありません。戦時中の「慰安婦」問題とともに米兵の「慰安」施設問題もきっぱりと総括するべきです。(有)

( 2006年04月29日,

解説/NHK裁判/番組に影響、安倍氏の助言

 野島直樹氏が何度も口にしたのは、「異例な事態」でした。試写に立ち会うことになった「異例」さを強調する一方で、番組改変をリードしたのは自分ではない、と繰り返します。しかし、その言葉に力はなく、自信のなさを表していました。

 今回の証言で浮き彫りになったのは、放送前に野島氏が「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の複数のメンバーと会っていたという事実でした。

 昨年七月、野島氏は陳述書で、国会対策の担当者が「若手議員の会」の古屋圭司議員らから、「予算説明に行った際には必ず話題にされるであろうから、きちんと説明できるように用意しておいたほうが良い」と示唆を与えられたと書いていました。

 その担当者とは、ほかでもない野島氏自身でした。放送前に会った議員として、当時、総務部会長だった荒井広幸氏の名前もあげました。荒井議員は、「若手議員の会」オブザーバーで、安倍氏は同会創立時の事務局長でした。

 見過ごせないのは、野島氏が放送前に面会したのが、安倍、古屋、荒井氏だったということです。昨年十二月のNHK裁判で、番組の最終的な編集責任者だった吉岡民夫元教養番組部長の台本に、「アベ」「フルヤ」「アライ」とのメモがあったことが、「証拠」の中で指摘されていました。この一致は、何を意味するのか。

 野島氏は安倍氏と面会した後、再度、試写をしました。その直後、現場スタッフを除いた席で、松尾、吉岡氏、伊東律子元番組制作局長の三人と一緒に検討会をしています。

 その検討≠フ結果、慰安婦の存在が薄められ、政府や軍の組織的な関与や女性法廷を肯定する表現が消されました。代わりに女性法廷に否定的な学者のインタビューが追加されました。安倍氏の助言≠ェ番組に影響を与えたことは、これらの外形的事実からも明らかです。 (板倉三枝)

( 2006年04月18日,

10s20sYモード/「慰安婦」と出会った女子大生/ハルモニの思い胸に刻んだ

 女子大生6人が戦時性暴力の被害者、いわゆる「従軍慰安婦」をテーマにした本をまとめました。タイトルは『「慰安婦」と出会った女子大生たち』(新日本出版社)。神戸女学院大学の石川康宏ゼミの学生たちです。その思いは――

 立花 亮記者

 ゼミ生たちは、いま4年生。就職活動のまっただ中です。昨年の4月から「慰安婦」問題について学び、9月に韓国の元「慰安婦」たちが住むナヌムの家を訪問、証言をききました。

 ムン・ピルギさん(81)の証言 15歳の時、「学校へ通えるから」と、ウソをつかれ中国に連行されました。日本の軍人の相手をさせられるのはつらかった。できないと言えば殴られました。相手をするのを拒んだことで、軍人に焼きごてをわきの下に押しつけられたこともありました。梅毒をうつされ、治療のために使った薬のせいで髪の毛がほとんど抜けてしまったこともありました。小泉首相は私たちにきちんと賠償という形で責任をとるべきです。

 文子さん(21)は、「自分の祖母くらいの年齢のハルモニ(おばあさん)から、日本軍に辱められて、今でも苦しんでいる話を聞いて、こんなこと本当にあったんや、とぼうぜんとしました」。

 再現された「慰安所」や当時使われたコンドームを見たときは「胸がつまってしまった。来るんじゃなかったとまで思った」といいます。

 理恵子さん(21)は、「同じ日本人がやったことやから、みんな申し訳ないようで、落ち込みました」。

 ハルモニたちは、ソウルにある日本大使館前で、毎週「水曜集会」を開いています。ゼミ生たちもハルモニといっしょに訴えました。

 「日本が二度と戦争を繰り返さないようにしていきたい」と発言した文子さんは、「ハルモニたちに誓いの言葉を述べているようでした」とふり返ります。

 

ゼミで徹底討論

 毎週1回、5時間のゼミを行い、毎週のように新しい本を読み、学生たちで議論しました。

 討論の中で出てきた疑問を解決するために、日本の戦争責任、靖国問題、憲法などにテーマが広がっていきました。「慰安婦」の存在を否定する本も読み、資料や事実などを検証しました。

 「『慰安婦』はいなかったと言う人の意見は証拠も少ないし、主観的に批判する意見が多い。自分たちで調べて『慰安婦』は事実としてあった、とみんなで一致しました」というのは美季子さん(21)。「ゼミで学んでからは、韓国の人が日本を憎む理由も分かった。日韓問題について、もっと考えてみたいと思うようになりました」

 理恵子さんは、「このゼミで学ぶまで、若い人が日本の戦争加害の問題について考える必要なんかないと思ってました。でも目の前で今も苦しんでいるハルモニたちを見て、日本は反省しないといけないと思うし、政治の問題を考えるようになりました」と語ります。

 文子さんは昨年、学内で「9条の会」を結成し、代表を務めています。

 「ゼミで学ぶうち、憲法9条があるから日本は戦争をしなくてすんだことを知りました。これを守りたいと思って学内にで活動しています」

 学生400人が参加した昨年11月の「24条」(男女平等)の企画では、「9条の会」も重要な役割を果たしました。

 「ハルモニたちへの誓いを実現させるためにも、『9条の会』を広げていきたいです」

 『「慰安婦」と出会った女子大生たち』には、石川教授の解説、ハルモニの証言、学生たちの座談会、物語などが収められています。

 「中高生などに『慰安婦』のことを分かりやすく知ってもらいたい」とゼミ生たちがつくった物語は、ハルモニたちの体験をもとにしています。ハルモニたち自身が描いた絵14枚を使い、ひとりのハルモニが日本軍に連れ去られて、性奴隷として働かされ、現在にいたるまでを描いています。

(2006年04月09日,

花の誘い/山田盟子

 私がからゆき、慰安婦の命題を担うに至ったのは、戦中海軍省の研究所のセレベス島マカッサル研究所でした。

 赴任した翌朝、私は昇る太陽を見ようと、独りで教会の宿舎を抜けだし、海辺にと向かいました。渚(なぎさ)には真珠の玉のような小花が、風も無いのにホロホロ散ってました。その物哀(かな)しい表現が喉(のど)元まで解っていて、言葉に出来ぬもどかしさに、昇る太陽を背に浜辺に座りこんだ私でした。

 口惜(くや)しさに喉元をかきむしりながら、宿舎へと戻ると、門の入口に銀細工売りの女が立ってました。私に差しだした籠(かご)の中には、日本女性におもねたかのような、梅や桜のブローチの隅に、さっきみかけた渚の花の腕輪がありました。びっくりして花の名を問うと、「アイルマタ、プガンテン」と答えました。訳すと「花嫁の涙」となります。私は驚ろきました。故国で土人≠ニ教わって来た島人が、何千万年となくいいならしてきた情緒の深さにです。私は島では謙虚に暮さねばと心しました。

 夜に入って赴任者一行が、所長宅に呼ばれ、一言ずつの挨拶(あいさつ)を求められました。私は「花嫁の涙」のいきさつを述べました。その私に「明日所長室に来なさい。驚きは芸術と科学の始源性です」と所長が申してくれました。

 研究所は海辺のホートローテルダム城でした。城壁伝いに地質鉱物、環境科学、農林水産部、慣行調査部の研究室が並んでました。所長は驚きへの褒美にと、一介の若い事務員の私に、慣行調査部での自由な究めの場を下さり、私は民族医学の呪術(ドコン)医の実体調査に入らして頂きました。

 呪術医の取材先で私は「花嫁の涙」に覆われたからゆきの墓群に出会い、その丘の果てには慰安所も在りました。

 その時の私に突如として、からゆき、慰安婦の命題が根づきました。

 日本は大正末と昭和初期に、黒人奴隷解放を成しとげたアメリカ、ブラジルの外、他の国際連盟国から、日本女性の売春や人権について申し入れがありましたが、日本はそれを受けずに古い体制の業を抱えたまま、アジア侵攻に乗り出しました。

 翌年秋に私は所長室に呼び出されました。

 「君はからゆき、慰安婦の命題を得たようだが、それは必ず戦後社会に役立つ。この地での資料集めは限りがある。明日氷川丸に乗って帰国したまえ」

 所長は敗戦の戦後も見透していました。

 昭和十九年の秋の帰国でしたが、私はすぐに命題にとびつけませんでした。からゆきは明治よりアジア、アフリカ、ハワイ、アメリカ、シカゴ、南米など広く分布してましたし、慰安婦は占領地一帯に、兵士四十人に一人の割で配布されてました。

 彼女達の取材にアジアや世界を回るまで、戦後永い年月の模索が私に要りました。

 日本の業と闇を担った娘子軍を、初巻の『慰安婦たちの太平洋戦争』以来、十数巻を重ね、やっと命題を成し遂げたところです。

 一途にこの仕事を追った発端が、戦中のセレベスにおける花の誘いだったことを思い出し、一文を記しました。

 やまだ めいこ・ノンフィクション作家=一九二六年生まれ。『ウサギたちが渡った断鬼橋』『慰安婦たちの太平洋戦争』など。近く『従軍慰安婦』(再刊)、『戦争と怪談』を刊行。

( 2006年04月03日,

高校教科書検定/侵略の実態あいまい/南京大虐殺など修正

 二十九日に公表された高校教科書の検定結果。日本軍の加害責任をあいまいにし、「ジェンダー・フリー」は消えました。生徒の理解を深めるため工夫した記述も認められません。関係者からは現行の検定制度はやめるべきだとの声が出ています。

 従軍慰安婦や南京大虐殺など侵略の実態を隠そうとする検定の背景には、侵略戦争を正当化する「新しい歴史教科書をつくる会」や自民党政治の教科書攻撃があります。

 朝鮮人の強制連行について「拉致」という表現を使った教科書には、「強制連行の実態について誤解する」との検定意見がつき、この部分が削除されました。

 従軍慰安婦や南京大虐殺の犠牲者数、強制連行についての教科書記述には「つくる会」が「自虐的」などと攻撃。一昨年は中山成彬文科大臣(当時)が「従軍慰安婦や強制連行などの言葉が減ってよかった」と発言するなど政府・自民党からの圧力も強まっていました。検定はこうした動きを受けてのものです。

 今回、地理・歴史・現代社会・政経などの各教科書が「北方領土」、竹島、尖閣諸島など領土問題の記述を増やしました。これにかんして検定は「我が国固有の領土」であるとはっきり書くことなどを要求。修正は計二十九カ所にのぼりました。

 ある日本史の教科書は、麻生太郎自民党政調会長(当時)が「創氏改名は朝鮮人が望んだ」と発言した問題を取り上げました。しかし、「誤解するおそれがある」と検定意見がつき、「一部政治家が、日本の朝鮮に対する支配を正当化する発言をおこない、批判を受けて謝罪した例がある」と、固有名詞をさけた記述に変えられました。

( 2006年03月30日,

戦時性被害解決法案/野党が共同提出/参院

 日本共産党、民主党、社民党と無所属の参院議員は二十九日、慰安婦問題の解決促進をめざす「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」を参院に共同提出しました。二〇〇一年以来七回目の提出となります。

 同法案は、慰安婦問題の解決促進などを目的として、旧日本軍関与の下に行われた組織的・継続的な性的行為の強制について、▽政府が速やかに被害者の尊厳と名誉が害された事実に謝罪の意を表し、金銭の支払いを含めた名誉回復に必要な措置を講じること、▽そのために首相を会長とする戦時性的強制被害者問題解決促進会議を設置すること―などを日本政府に求めています。

 発議者の一人である日本共産党の吉川春子参院議員は提出後の記者会見で「自民党次期総裁選でもアジア外交が争点の一つになっているが、アジアとの友好のうえで避けて通れない問題だ。何とか審議、成立にこぎつけたい」と決意をのべました。

( 2006年03月30日,

文科省、高校教科書検定を公表/「慰安婦」直させる

 文部科学省は二十九日、来春から主に高校一年生で使われる教科書の検定を公表しました。戦時中の従軍慰安婦について「日本軍により慰安婦にされた」という記述を「日本軍の慰安婦にされた」と書き直させ、軍の責任をあいまいにするなど、侵略の事実を隠そうとする検定がおこなわれました。(4、14、15面に関連記事)

 検定ではこのほか、南京大虐殺の犠牲者数を二十万人とした教科書に対して「諸説を配慮していない」と書き直しを求めました。自衛隊のイラク派兵について「戦時中のイラクに自衛隊が派遣された」と書いた教科書は、派遣先は「非戦闘地域」だとする政府の主張に従って「主要な戦闘終結後も武力衝突がつづくイラクに…」と書き直されました。

 現代社会の申請本にあった「ジェンダー・フリー」という言葉が削除されるなど、女性の権利にかんする記述を書き直させる傾向も目立っています。

 また、高校一年用としては初めて学習指導要領の範囲を超える「発展的内容」を入れることが認められ、理科と数学では前回検定(二〇〇一年度)と比べて一割程度ページ数が増えました。

 今年度の検定には三百六点の申請があり、すべて合格しました。生物Tでは十二点の申請本に計二千三百四十八件の検定意見がつき、各科目中最多でした。

( 2006年03月30日,

「性暴力被害、直視して」/海南島訴訟結審、日本政府の姿勢も批判

 戦時中に中国・海南島で日本軍に性暴力を受けた女性らが日本政府に謝罪と賠償を求めている「海南島戦時性暴力被害訴訟」の第十五回口頭弁論が二十二日、東京地裁(矢尾渉裁判長)で開かれました。原告側弁護団が最終陳述をおこない、結審しました。

 この裁判は、日本占領下の海南島で日本軍に拉致され、「慰安所」に監禁されて性暴力を受けた女性八人(うち二人はすでに死亡)が二〇〇一年七月に起こしたもの。

 弁護団は最終陳述で、原告らの被害は日本軍が「治安維持」と称して住民虐殺などをおこなう中で起きたものであると指摘。日本政府は「慰安婦」問題で旧日本軍の責任を認める官房長官談話を出しておきながら、裁判では自らの責任を否定しているとのべました。

 結婚後八回も流産し、いまも悪夢で眠れないという原告の証言にもふれながら、少女を拉致・監禁し、長期にわたり組織的に性暴力を続けた事実について日本政府は調査さえ拒んでいると批判。「裁判官が被害を直視し、当事者の思いに心を寄せることなしに解決は不可能。正面から本件に向かってほしい」と訴えました。

 同日は、原告を支援する「ハイナンNET」の青年たちなど多数が傍聴しました。「ハイナンNET」では今後、この裁判のことを知らせる宣伝行動や裁判官に要請のはがきを送る運動に取り組むことにしています。判決期日は未定です。

( 2006年03月23日,

番組に抗議はこの人たち=^NHK裁判、政治家名を指さし/永田氏証言

 

制作局長自民は甘くなかった

 「無念です」。二十二日、東京高裁でNHK裁判の証言に立った永田浩三チーフプロデューサーは時折、言葉をつまらせながら語りました。焦点は、昨年十二月、長井暁チーフプロデューサーが証言したように、NHKは政治家向けに番組の説明マニュアルを作成していたのかどうかです。この日の永田証言で、番組改変への自民党幹部の関与を示す新事実も浮かび上がりました。

 「(マニュアルの原案を書いたのは)私です」

 永田氏は原告・バウネット側の尋問にそう答えました。

 永田氏は、放送前の一月二十六日ごろ、伊東律子番組制作局長が、「(番組について抗議を)言ってきているのは、この人たちよ」と、自民党議員らでつくる「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の本にある中川昭一衆院議員の名前を指さしたことを証言し、中川議員の番組改変への関与を示唆しました。放送直前、加害兵士、慰安婦の証言を削ろうと言いだしたのは伊東氏でした。

 永田氏は放送当日、伊東氏が吉岡民夫教養番組部長に「自民党は甘くなかったわよ」と語っていたことにもふれました。

 永田氏は最後まで番組編集責任者として制作にかかわってきました。NHKはこれまで、番組改変は自主的に判断した結果であり政治圧力はなかった、としていますが、永田氏の証言は、それをひっくり返すものとして注目されます。

 番組の核心をなす慰安婦の証言まで最終的に削除されたことについて、永田氏は「人間としてやっていいことと、悪いことがある。弱い立場に立つ仕事を棄損する判断だった」と語りました。

 裁判の原告・バウネットジャパンは、控訴審終了後に「報告集会」を開き、ジャーナリストの原寿雄氏が講演しました。

 

NHK裁判

 NHKのETV2001「戦争をどう裁くかA戦時性暴力」(二〇〇一年一月放送)をめぐって、番組を改ざんしたとして市民団体のバウネットジャパンがNHKなどを訴えました。番組は、戦時中の慰安婦問題を裁いた二〇〇〇年の女性国際戦犯法廷(バウネット主催)を取り上げたものです。慰安婦への日本政府・軍の責任、昭和天皇の戦争責任についてふれた部分はすべてカットされました。

( 2006年03月23日,

国会通信/あいさつ交渉交流/……17日

 佐々木憲昭衆院議員、紙智子、仁比聡平参院議員 全国建設労働組合総連合主催「大衆増税反対緊急国会集会」に参加し、あいさつ

 吉川春子参院議員 むさしの憲法市民フォーラム主催「いまなぜ憲法改正か 許すな国民投票法案 政党シンポジウム」で発言

 

……16日 

 高橋千鶴子衆院議員 日本共産党定例街頭宣伝・JR東京駅丸の内北口で演説

 

……15日 

 吉川春子参院議員 日本軍「慰安婦」問題行動ネットワーク主催「慰安婦被害者の叫びにこたえて政府は立法による即時解決を!議員会館前集会」であいさつ

 塩川鉄也衆院議員 医療生協さいたま議員要請集会であいさつ・群馬民医連「安心してかかれる医療」を求める要請を受け、懇談

 小池晃参院議員 自治労沖縄県本部より「良質な公共サービスの確立に関する要請」を受け・懇談。東京土建より大増税反対に関する要請を受け、懇談。新日本婦人の会より「均等法等の実効性ある改正を求める要請」を受け、懇談

 笠井亮衆院議員 東京土建主催「国会情勢学習&議員要請行動集会」であいさつ

( 2006年03月19日,

NHK「説明マニュアル」/まず事実を認めて

 衆院総務委員会で吉井議員が明らかにしたNHKの説明マニュアルは、改変された番組「問われる戦時性暴力」について聞かれたとき、どう答えるかを詳しく想定したものです。質問は「番組の企画意図」「慰安婦問題をNHKはどう考えているか」「女性国際戦犯法廷を取材した理由」「日本政府の法的責任」について。その答えも、専門的なものとなっています。

 政治家への番組説明がNHKが言うように一般広報の範囲だとするならこんな詳しい説明マニュアルが必要であるはずがありません。番組への政治介入に対しての対応以外考えられないのです。

 このマニュアルは昨年十二月の裁判でNHKの長井暁チーフプロデューサーが初めて存在を明らかにしました。長井氏の証言によると、作成したのは同番組の永田浩三チーフプロデューサー。時期は、松尾武放送総局長(当時)らが官邸に安倍晋三官房副長官(当時)を訪ねた前々日です。

 吉井議員の質問に、NHKはマニュアルの存在を否定しました。さらに追及すると、「係争中なので答えられない」と答弁を拒否。原田豊彦理事は「自主自律が大前提で、おうかがいを立てるような説明はやっていない」と答弁しました。しかし改ざんされた内容はすべて安倍氏らの見解に沿ったものでした。「自主自律」はまず事実を認めることから始まります。

 (板倉三枝)

( 2006年03月18日,

NHKが番組説明書=^吉井議員示す/自民議員用に作成

 日本共産党の吉井英勝議員は十七日、衆院総務委員会で、「慰安婦」問題を扱ったNHK番組の改変について取り上げました。NHKが自民党議員に番組内容を説明した「マニュアル」を提示し、背後に政治家の圧力があったことを明らかにしました。マニュアルは、東京高裁で行われているNHK裁判に証拠として提出されたものです。(4面に関連記事)

 吉井議員は、NHKの国会担当職員らが、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(当時)の自民党・古屋圭司衆院議員などから「予算説明の際に必ず話題にされるだろうから、きちんと説明できるように」と示唆を受けていたことが背景にある、と指摘しました。

 NHKの原田豊彦理事はマニュアルの作成を否定し、「おうかがい説明≠ヘやっていない」と答弁しました。

 番組の改変は、当時「若手議員の会」の幹部だった安倍晋三官房長官への「事前説明」後におこなわれています。吉井議員は、安倍氏の持論に沿う形で「慰安婦」への日本政府の責任にふれた部分などが変更されたことは「客観的事実だ」とし、「きちんと真相究明して国民の不信を払しょくすることが前進につながる」とのべました。

 ◇

 質疑終了後、二〇〇六年度NHK予算案が賛成多数で可決されました。日本共産党は「NHK不信の端緒となった不正経理問題や番組改変問題に真摯(しんし)に取り組む姿勢を欠いている」として反対しました。

( 2006年03月18日,

元「慰安婦」に日本は補償を/日本・韓国人団体、連帯デモ/ドイツ

 【ベルリン=中村美弥子】ベルリン在住の日本人団体「女の会」と韓国人の三団体は十五日、元「従軍慰安婦」に正式に謝罪し補償をするよう日本政府に求める集会を市内で開き、日本大使館までデモ行進しました。元「慰安婦」が韓国・ソウルの日本大使館前で毎週行っている「水曜デモ」がこの日、七百回目を迎えたのを機に呼びかけられたものです。

 気温二度の寒空のもと、約六十人が参加。「ドイツ韓国女性国際ネットワーク」のキム・ジンヒャンさんは「日本政府はきちんと過去を克服してほしい。それがないと将来もない。ドイツ政府のやり方を例にして、公式に謝罪し、補償してほしい」と訴えました。

 「女の会」の池永記代美さん(47)は「なぜ日本政府は過去の戦争犯罪に真剣に向き合ってきたドイツと同じことができないのか」との思いから、ベルリンの韓国人団体と協同するようになったと語りました。「元『慰安婦』たちが尊厳を回復できるまで支援を続けていきたい」と言います。

 韓国で元「慰安婦」から直接話を聞いて衝撃を受けたというレギーナ・ムールホイザーさん(34)は、「この問題を世界に伝えていくという約束を果たすために参加した」と述べました。

 主催団体の代表はデモ後、小泉純一郎首相あての書簡を日本大使館員に手渡しました。

( 2006年03月17日,

戦争する国・人つくらぬ/国際女性デー兵庫県集会

 国際女性デーの八日、兵庫県では、昼休みに女性ピース行進が、夜には兵庫県集会がおこなわれ、百人を超える女性たちが集いました。

 神戸市の中央労働センターで開かれた県集会では、日弁連「両性の平等委員会」元委員長で、中国「慰安婦」訴訟弁護団の寺沢勝子弁護士が、「平和を考える―戦時性暴力・『従軍慰安婦』問題、加害の証言から」と題して講演しました。

 同氏は中国人の元従軍慰安婦二人の証言を紹介し、日本政府は証拠をつきつけられてやっと責任を認めたが、謝罪も賠償もせずに、アジア基金を設立しただけで二〇〇二年には終了してしまったとのべ、無責任な態度を告発しました。中国と沖縄で従軍した元日本兵の加害証言も紹介し、「焼きつくし・奪いつくし・殺しつくした」日本の侵略戦争の実態と、戦前戦中のアジア人蔑視(べっし)の教育が、小さな虫も殺せなかった心優しい人間を平気で殺人をおこなうまでに変えてしまうことを話し、二度と戦争をくり返さないために憲法九条を守り、世界にひろげるために力をつくそうと訴えました。

 セクハラ住民訴訟の経過とたたかい、神戸市の保育所民営化反対の運動などの報告があり、集会アピール「憲法九条を世界にひろげ、教育基本法を守りぬき、平和で安心して暮らせる社会をめざして力をあわせましょう」を採択しました。

(2006年03月10日,

植民地時代の国外強制連行/韓国、被害者に慰労金/「慰安婦」補償は日本の責任追及

 【ソウル=面川誠】韓国政府は八日、李海〇首相主宰の会議を開き、日本による植民地支配(一九一〇―四五年)下で国外に強制連行された被害者に対し、慰労金支払いなどの支援策を決めました。

 これは昨年、日韓国交正常化(六五年)の関連文書が公開され、そのなかで植民地支配被害の補償に関する「日韓請求権協定」の交渉で、韓国政府が強制連行被害者への支援を行うと約束していたことが明らかになったことに伴う措置です。今年中に法を整備し、実施します。

 一方で韓国政府は、請求権協定の交渉で論議されなかった日本軍「慰安婦」など「反人道的な不法行為」への補償については、日本政府の責任を引き続き追及することを確認しました。

 韓国政府は一九七五年に、死亡した被害者の遺族に三十万ウォン(現在の二百三十四万ウォン=約二十八万円に相当)を支給しました。今回の支援対象は、負傷者、行方不明者、帰国船の沈没による死者、強制連行先での未払い賃金の支払いに拡大されています。

 死亡者への遺族には二千万ウォン(約二百四十万円)を慰労金として支給。負傷者には、本人または遺族に対し、負傷の程度に応じて一千万―二千万ウォンが支払われます。無事に帰国した被害者に対しては医療、教育支援を行います。支援の額は、八八―九五年に日本政府が台湾出身被害者に支払った金額を参考にしています。

 韓国政府は、支援の根拠が「道義的責任と人道主義原則」だとしています。李首相は「遅ればせながら、植民地下で一般国民が経験した以上の特別な被害を受けた方々を慰労し、支援することは、国民を保護すべき国家の当然の責務だ」と語りました。

 未払い賃金は、当時の一円を現在の千二百円に換算して支払います。賃金の根拠となる資料を持たない被害者については、日本政府に当時の供託金名簿を引き渡すよう求めます。戦後、サハリンに取り残された韓国(朝鮮)人、韓国人被爆者の問題は、日本との協議を通じて支援範囲を拡大する計画です。

( 2006年03月10日,

埼玉の青年「従軍慰安婦」問題学ぶ/「ナヌムの家」上映運動実行委員会主催

 元日本軍「従軍慰安婦」の女性たちを描いた映画「ナヌムの家」の上映運動に取り組む実行委員会は二日夜、日本軍「慰安婦」の問題についての学習会を、さいたま市内で開きました。埼玉県内の青年が取り組んでいるものです。

 講師の岩本正光・日朝協会事務局長は、当時の写真を紹介しながら日本軍「慰安婦」の実態や、一九九三年以降の日本政府の対応と国連勧告の動きについて解説しました。

 同氏は、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書が検定に合格してから、すべての教科書から「従軍慰安婦」の記述がなくなった現状をあげ、上映会の成功には大きな意味があると強調しました。

 参加者からは、「過去の歴史をねじまげることは許せない」などの感想が寄せられました。実行委員の片山和子さん(30)は、「日本が中国や韓国など近隣諸国と心から和解し、友好と信頼関係をもとにした平和なアジアと世界になってほしい。そのためにも、私たちは戦争の真実を知り、向き合わなければならないと思う。その第一歩としてこの映画上映会を必ず成功させたい」と決意を語っています。

(2006年03月07日,

3・1ビキニデー/韓国代表と青年が交流/国境超えて平和を一緒に

 「国境を超えて平和をつくっていきましょう」―。静岡市や焼津市でおこなわれている「3・1ビキニデー」の諸行事に参加した韓国の姜濟淑(カン・ジェスク)さん(40)=「平和市民連帯」代表=と、「ピースツアー」でやってきた日本の青年四人が語り合いました。

 「なぜ姜さんはビキニデーに参加するようになったんですか」と、さっそく青年たちが質問。

 「原爆被害の問題も、核兵器の問題も、米軍基地もみんなつながっているんです」と姜さん。

 真剣なまなざしできくのは、「大阪学生平和サークルHEY◎」メンバーの高崎ゆきさん(20)=専門学校生=、京都の大学二回生の大友大地さん(20)=仮名=、大学院生の山口健次さん(30)=仮名=。電車を乗り継いで五時間かけて来ました。もう一人は、埼玉県から参加した田中友里さん(22)=大学生=です。

 姜さんたちは韓国で二〇〇五年、「原爆被害者および原爆二世患友問題解決のための共同対策委員会」を結成しました。

 日本の植民地支配の結果、七万人ともいわれる韓国・朝鮮人が広島・長崎で被爆しています。三月一日は、朝鮮半島の人たちにとっては日本の植民地支配に抗する「三・一独立運動」(一九一九年)がおきた日として記憶されています。

 

原爆症に苦しむ

 戦後、当時の朝鮮に帰国した被爆者は、「戦争中、日本にいた」というだけで非難をあび、なんの援護もないまま、原爆症に苦しんできました。

 姜さんは「私が関心をもってきたのはマイノリティー(少数者)への差別問題。『日本軍慰安婦』は、民族、階級、女性であることで差別がありました。韓国ではいま米軍基地があることで、米軍による性暴力や交通事故などの犯罪がおき、韓国人は人間でないように扱われてきました。そういう被害者もマイノリティー。そして韓国に住む被爆者もマイノリティーなんです」と話しました。

 

友だちに九条語る

 高崎さんは、イラク戦争に反対する高校生のパレードに参加したのをきっかけに関心を持つようになり、大阪で「9」の人文字をつくる運動にも参加してきました。

 「核兵器の問題とか、みんなの問題なのに、なかなか友だちに伝えられへん」と悩みを語りながらも、「学校の友だちに九条の話をしたり、『沖縄のジュゴンやばいらしいで』とか話してたら、この間、平和サークルに友だちが来てくれた」と顔をほころばせます。

 「まわりの人に伝えること、ここから始まるんです」と相づちを打つ姜さん。「運動は楽しくやらなくては。韓国に行って、焼き肉がおいしかったよ≠ニそんな話から、友だちに語りかければいい」とアドバイスします。「自分たちの上の世代に聴いて、運動の歴史を勉強するのも大事ですよ」と話します。

 姜さんは、各国の市民が、地球村≠フ市民として、韓国の広島≠ニして知られる陝川(ハプチョン)や広島、長崎などを現地調査し、平和巡礼することや、地球村≠フための平和ネットワークをつくっていこうと提唱しています。

 「地球村≠チていうふうに考えれば、同じ市民が被害者になっているんだって考えられますね」と田中さん。「日本軍慰安婦」にされた女性を訪ねて韓国に行き、そこで在韓被爆者の問題を初めて知りました。「被害者の声を直接聴くことが大事と感じました」

 大友さんは、初めてのビキニデーの参加です。「去年、友だちに原水爆禁止世界大会に誘われるまでは全然、核兵器とか興味なかったんです。でも参加してみると、学生同士が話し合って、こういう考え方もあるんやって思えて、ぼくの意見も話せる、それまでそんな機会はなかった」

 山口さんは「日本人対韓国人ということでなくて、どうやってアジアで連帯していけるのかが大事」と力を込めます。

 「去年、原水爆禁止世界大会にも行きました。多くの若者が核兵器をなくす運動に参加しているのを見て、国境を超えて、平和をつくれるのではないかと思いました。手をつないでいい友だちになりましょう」と姜さん。

 姜さんたちのつくった「共同対策委員会」は、日本原水協が呼びかけた新しい国際署名「すみやかな核兵器の廃絶のために」に賛同しています。

 「いろんなネットワークを大切にせなあかんなって思った」(高崎さん)「もっといろんな歴史を学んでいかんと」(大友さん)。青年たちも学校や、四月から新しい職場で運動を広げていきたいと口々に話していました。

( 2006年03月02日,

在日韓国人初の弁護士故・金敬得氏/東アジア共同体の礎/「遺言」で平和憲法擁護訴え

 在日韓国・朝鮮人として日本で初めての弁護士となった故・金敬得氏が、闘病中の二〇〇五年十月に自分の法律事務所職員に口述筆記させた「提言」で、日本国憲法を守るよう呼び掛けていました。事実上の遺言となった「提言」は、二月二十五日に東京都内で開かれた追悼式の参列者に配られた小冊子に収められています。金氏は〇五年十二月二十八日、胃がんのため五十六歳で死去しました。

 

植民地支配と侵略への反省

 「提言」は、憲法の平和主義は植民地支配と侵略への反省から生まれたとした上で、こう訴えています。

 「在日韓国・朝鮮人の存在は日本の朝鮮植民地支配によるものであり、在日韓国・朝鮮人こそは平和主義憲法の体現者である。現在、日本国憲法九条(戦争放棄)の改正論議が高まっているが、ナショナリズム克服のためには平和が何よりも重要であり、在日韓国・朝鮮人は平和憲法の体現者としての役割を、東アジアに広めていく使命を担っている。それは東アジア共同体創立の礎となる」

 

在日社会から絶大な信頼

 外国人の地方参政権については、「多民族共生社会の実現と東アジア共同体構築に向けての着実な一歩となる。それは、東アジアの戦後の課題である国家・民族間のナショナリズム対立の緩和と、歴史の清算にもつながる」と主張しました。

 金氏は韓国国籍でしたが、在日本大韓民国民団(民団)、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の区別なく日本での地位向上のために活動し、在日社会から絶大な信頼を得ました。

 一九四九年に和歌山県で生まれ、大学卒業まで通称名の「金沢」を名乗りました。大手新聞社から採用を拒否されたことを契機に、民族差別とたたかうために司法試験に挑戦、七六年に合格します。

 日本人への「帰化」を求める最高裁に対し、金氏は提訴を念頭に、日本人弁護士の支援を得て最高裁に韓国国籍のまま採用するよう嘆願書を提出。最高裁は七七年に採用を決定します。七九年に弁護士となった金氏は、在日韓国人の国民年金訴訟、指紋押なつ拒否事件、在日慰安婦戦後補償訴訟などを次々と手がけました。

 (面川誠)

( 2006年03月01日,

3・1ビキニデー/核兵器のない平和な世界へ/海外代表の紹介/各メッセージ

 「ビキニデーから原水爆禁止世界大会へ! 反核平和のうねりを」と二十七日から三月一日まで、「二〇〇六年3・1ビキニデー」の催しが静岡、焼津の両市で行われます。全国集会や分科会、国際フォーラム、墓参行進、青年の交流企画など多彩です。海外から参加する代表(二十一日現在)の横顔とメッセージを紹介します。

 

決議の採択で

 ジョアンヌ・コマフォードさん=アメリカフレンズ奉仕委員会(AFSC)、ニューイングランド地域事務所ウェスタンマサチューセッツ、プログラムコーディネーター

 二〇〇二年日本平和大会にAFSC代表として来日。〇五年の核不拡散条約(NPT)再検討会議に向けた活動で、同地域の十一自治体のうち九人の市長が世界平和市長会議に参加し、マサチューセッツ州の上・下院議会が平和市長会議および全世界からの核兵器廃絶の呼びかけを支持する決議を採択するうえで重要な役割を果たしました。

 

被害者の救済

 カン・ジェスク(姜済淑)さん=韓国、平和市民連帯代表

 一九九二年に日本に留学し、歴史人類学や社会学でマイノリティー差別問題を中心に勉強。二〇〇〇年から本格的な平和運動を展開するため「平和市民連帯」を組織。朝鮮人強制連行の被害者救済、日本の過去の清算を求める活動などを進め、〇五年、「原爆被害者および原爆二世患友問題解決のための共同対策委員会」を結成し、共同代表として活動しています。原爆被害真相究明と支援対策のための特別法制定の運動を展開中です。

 

平和憲法に力

 リ・リョンギョンさん=韓国人留学生

 〇二年秋に来日し、現在、東京都内の大学院生(政治専攻)です。韓国で「慰安婦」問題から市民運動に参加。日韓の市民運動や平和思想史などを研究し、核廃絶運動・平和憲法にも熱い期待を寄せます。

 

米基地を撤去

 コラソン・ファブロスさん=非核フィリピン連合事務局長、太平洋問題資料センター(PCRC)議長、弁護士

 一九九一年以来、原水爆禁止世界大会にほぼ毎年参加し、国際的にも著名な反核平和活動家。三十年にわたりフィリピンの米軍基地撤去運動の先頭に立ち、スービック、クラーク米軍基地の撤去を勝ちとった話は有名です。

 

各メッセージ

 

「青年は希望」

 コラソン・ファブロスさん

 今年私は、とくに若い世代の人々の声に耳を傾けたいと思っています。青年は、平和で核兵器のない世界のためのたゆまぬ努力をつづける平和運動の私たちにとっての希望です。人々に、ことに青年に情報を与え、啓もうするという努力をつづけることは、今も私たちの活動の優先課題です。それが、生きいきとして力強く献身的な平和運動をあらゆるところで発展させるための唯一の保証だからです。

 今日、私たちは、フィリピン国土へのひきつづくアメリカの軍事介入に立ち向かっています。私たちはみな、同じ体験とたたかいを共有している太平洋の人民です。私たちのこの経験とたたかいは、太平洋で行われた核実験で命を落とした人々、そして核大国の火遊びの惨禍でいまなお苦しむ人々に報いることです。

 今年のビキニデー集会で多くのみなさんにお会いするのを楽しみにしています。おたがいに学び合い、激励し合い、熱い連帯と共通の努力、核廃絶の願いからエネルギーをもらいましょう。

 

国境越え連帯

 カン・ジェスクさん

 三月一日。この日は、朝鮮の南北に分かれて住む人たちにとっても、日本の地に住む人たちにとっても歴史的な日です。

 一九一九年三月一日は、日本帝国主義の植民地であった当時の朝鮮人たちが、日帝の侵略に抵抗し、全国的に三・一独立運動を展開した歴史的な日です。また五四年三月一日は、米国がビキニで行った水爆実験に対する日本の地に住む人たちの全国的な抗議の日であり、世界反核平和運動にとって歴史的な日です。

 歴史的な背景は異なりますが、南北の人々が記憶する三月一日と日本の人々が記憶する三月一日の歴史を通して、私たちは冷徹に省察しなければなりません。結局、日本帝国主義と米国覇権主義の犠牲者は、国境を越えた民衆です。また、それに対する責任は、その帝国主義と覇権主義を正しく監視できずに、ひょっとすると妥協しているかもしれない私自身にもあります。過去の歴史を正しく清算できなければ、再び誤りが繰り返されます。

 アジアを侵略した日本が、再び戦争の道を歩まず、世界反核平和運動の中心になって平和の国に生まれ変わるためにも、私たちは国境を越えて連帯しなければなりません。そのような意味で、省察の機会を与えてくれる「ビキニデー」は、歴史の「記憶」を胸に刻み、平和な世の中のための「連帯」に進む大切な平和行進です。この平和行進に参加する友人たちに、早く会いたいと思います。そして、意味深い日に招待してくださって、心より感謝申し上げます。

( 2006年02月22日,

防空ごう掘り、シベリアの強制労働、被爆…戦争は恐ろしく悲惨/体験伝える道民集会

 

高齢者等9条の会連絡会

 戦争体験を持つ高齢者が集まり、高齢者を中心とした「九条の会」などの連絡組織をつくろうと呼びかけ、結成された「北海道高齢者等九条の会連絡会」は十六日、「戦争体験を伝える道民集会」を開き、約百人が参加しました。

 同連絡会が「戦争体験をした世代が、戦争の恐ろしさや悲惨さを若い人たちに伝えることが、憲法を守り戦争をさせないことにつながる」として企画したものです。

 病気入院のため予備役になり、一度も召集されることなく札幌にいた、栃内信男さん(元北大職組委員長)は、芝生で軍事訓練をしたり、構内のあちこちに防空ごうを掘るなど戦時中の北海道大学の様子を紹介。「無理を押しつけられ、したくないこともやらされた。自分の意思に反したものとのたたかいはこれからも必要になる」と語りました。

 小樽生まれの大竹三郎さん(全北海道退職教職員の会)は、北千島での従軍慰安婦との出会い、敗戦後捕虜となってのシベリアでの強制労働を通して、「戦争体験者が少なくなってきているなかで、会で活動するからには自分はどうしても話さなければならない」と語りました。

 一九四五年八月六日の朝、広島の陸軍中隊兵舎で仮眠中、被爆した柳谷貞一さん(道高校退職教職員の会)は、被爆後の広島市内の悲惨な状況を生々しく語り、この光景を二度と繰り返してはならないと決意を込めました。

 イラク派兵差し止め道訴訟弁護団の佐藤博文弁護士が、「いま戦争体験者が私たちに伝えてほしいこと」と題して講演しました。

(2006年02月17日,

日朝、協議継続で一致/具体的進展なく閉幕

 【北京=菊池敏也】北京で開かれていた日朝政府間協議は八日午前、締めくくりの全体会合を開き、協議を継続することで一致し、五日間の日程を終えました。協議は拉致、国交正常化、安全保障の三分野で並行して行われました。拉致問題では二度にわたり協議を行いました。しかし、日朝双方の主張は平行線をたどり、いずれの分野も具体的進展はありませんでした。

 協議後、原口幸市日朝国交正常化交渉担当大使が記者会見し、「どこに誠意ある努力があったのか、いつ具体的措置を講じるのか、今はこうした疑問を抱かざるをえない」と北朝鮮を批判。一方で、並行協議という新たな枠組みのもとで二十時間以上かけて議論したことは「一定の意義があった」と評価しました。

 拉致問題の協議で日本側は@生存者の帰国A真相究明B元工作員の辛光洙ら三人の引き渡し―を要求。北朝鮮側は、北朝鮮脱出者を支援する日本人を「拉致犯」として引き渡すよう求め、横田めぐみさんの「遺骨」返還を要求しました。

 原口大使は「誠意ある対応が示されなかったことは遺憾」と批判。「『対話と圧力』という基本的な考え方で、北朝鮮側の誠意ある対応を引き出すべく最大限努力する」と表明しました。

 一方、北朝鮮の宋日昊大使は協議後、記者団に「虚心坦懐(たんかい)に率直な意見交換があった」と述べ、「日朝関係を進展させるためには今後もこうした協議が必要」と、協議継続の意向を示しました。

 六日の国交正常化交渉で、日本側は正常化後に経済協力を行うと表明。北朝鮮は経済協力に加え、「慰安婦」や強制連行被害者への個人補償に言及しました。七日の安保協議では、六カ国協議への早期復帰を求める日本側の要求を受け入れませんでした。

 八日午後、北朝鮮大使館で開かれた記者会見で、宋大使は「大きな進展はなかったが、今後どのようにすべきか考える余地を残したことは評価したい」と発言。また、横田めぐみさんの「遺骨」問題で、日朝の専門家協議を提案したことを明らかにしました。

( 2006年02月09日 

戦争体験/いま語り継ぐ/中国から引き揚げ大石さきさん(89)静岡県藤枝市大洲

 

「万歳、独立だ」の声、今も

 中国で敗戦を迎え、幼子二人を抱えて引き揚げてきた大石さきさん(89)。戦後、帰郷した静岡県大洲村(現・藤枝市)で保健婦となり、地域の人たちの健康増進のため献身してきました。「戦争だけは二度とやってはならない」と言います。

 私は一九四一年四月、軍属の夫と結婚した後、すぐに中国にわたり、山西省・運城の将校宿舎の近くで生活を始めました。最初は「日本はこんな広い所まで占領したのか」とその「偉大さ」を感じたものです。

 開戦前、私たちは、現地の住民とは仲良くやっていたのですが、軍の住民への仕打ちはひどいものでした。なにもしていないのに銃をつきつけたり、日本の衛兵が捨てた、たばこを中国人の捕虜が拾おうとすると、その指を硬い軍靴でぎゅーっとふみつける。「なぜあんなことをするのか」と思いました。

 また、日本の将校には宿舎に慰安婦が一人ずついたり、畑にいた八十歳のおばあさんを暴行したとか、そんなことをしょっちゅう聞きました。

 日本は、中国や朝鮮の人たちに精神的、肉体的に、ひどいことをしていじめぬいたのです。だから敗戦のとき、中国や朝鮮の人たちが叫んだ「万歳、独立だ」の声がいまだに私の耳の奥から聞こえてくることがあります。

 

「つかまったら、潔く自決せよ」

 八月十五日、軍から敗戦の勅語を聞かされ、驚きました。大本営発表でいつも「日本は勝っている」と聞かされていたからです。「家族と傷病兵はすぐに発つように」と言われ、殺される恐怖を感じながら、夫と離れ、二人の子どもとともに逃げる、一寸先もわからぬ運命となりました。

 軍からは「つかまった場合は、潔く自決せよ」と毒薬の入った薬包二つを渡されました。

 しかし、私たちは、八路軍(中国共産党の軍隊)に占拠された運城駅で、屋根なしの列車に乗せられることになりました。そして、引き揚げ者を狙って投げつけられる手りゅう弾や砲弾が頭上を飛び交う中、捕虜収容所のある太原(たいげん)まで移送されました。

 同じ列車に、妊娠していた軍属の奥さんがいました。薬で陣痛を抑えていましたが、ある日、耐えられなくなり、汽車が止まったとき、助産婦の私がつきそい、近くの小屋で赤ちゃんを産みました。でも、汽車は、いつ出発するかわかりません。奥さんは、寝て休むこともなく、その子を抱いて汽車に戻りました。その姿を見て母の強さを感じましたね。

 

帰った故郷は衛生状態ゼロ

 私がもう一つ言いたいのは、戦争が残した傷跡です。帰郷した四六年当時の大洲村の衛生状態はゼロでした。ハエがたくさんいて、赤痢、チフスなどの伝染病が集団的に広がる、しかし、医者はいない…。

 さらに、食べ物がない時代です。カボチャばかり食べました。その後、砂糖やサツマイモのつるなどが配給となりましたが、妊娠しても食べるものがないので、妊娠してもすぐ子どもをおろす。最高で二十回、子どもをおろした人もいました。「命がまったく無駄。粗末にするにもほどがある」と感じ、以来、保健婦として、母体の安全と家族計画の大切さを訴えたり、保健・衛生活動に力を入れてきました。

 戦争は、人の殺しあいであり、食べ物にしろ、病気にしろ、失うことが多い。憲法を変えようという動きがありますけれども、変えられちゃ困るんですよね。どうか、このすばらしい平和が続きますように。

 (聞き手 静岡県・森大介)

(2006年02月04日,

残された戦後補償問題/私たちには時間がない

元シベリア抑留者

 中国人や韓国人の強制連行・強制労働をはじめとする数多くの戦後補償問題は未決着のままです。そのうち元シベリア抑留者の強制労働に対する賃金補償問題と従軍「慰安婦」問題については昨年、日本共産党、民主党、社民党の野党三党が解決に向けた法案を提出しています。戦後六十一年目の今年、問題の解決はどれだけ前進するのか―。

 (本吉 真希)

 戦後に起きた事件であるシベリア抑留問題。元抑留者は第二次世界大戦終結前後、旧ソ連に強制連行され過酷な労働を強いられました。平均年齢は今年で八十四歳です。未払い賃金の補償を求めて訴え続けています。

 

約6万人の命が奪われる

 抑留された日本兵や民間人は約六十万人。「スコーラダモイ(もうすぐ帰れるぞ)」といわれながら、十年以上も帰国できなかった人もいます。

 マイナス四〇度のシベリアで鉄道建設や「枕木一本に一人の命」と形容された森林伐採…。過酷な労働にもかかわらず、出された食事は三百cの黒パンと具のないスープが一日三回。約六万人の命が奪われました。日本軍に徴兵された朝鮮人も連行され、多数犠牲になりました。

 シベリアでの労働に対する賃金が未払いになっているのは、旧ソ連政府が労働証明書を発行しなかったためです。フィリピンなどの南方で連合国軍の捕虜となった人々には、各国が労働証明書を発行、日本政府が賃金を補償しました。

 シベリアの抑留体験者らで組織する全国抑留者補償協議会は、労働証明書の発行を求めてロシア政府に交渉しました。この要請に対しロシア政府は約四千人分の労働証明書を発行しました。

 しかし、日本政府は民間組織とロシア政府との間で発行された労働証明書は「法的地位を認めない」として補償を拒否。ロシア政府は日本政府が証明書発行を求めれば応じるとしていますが、日本政府は元抑留者の声にこたえようとしていません。

 同協議会の平塚光雄本部事務局長(78)は「同じ帝国軍人として戦地に送られたのに南方との差は何なのか」と憤ります。

 政府は一九八八年に独立行政法人「平和祈念事業特別基金」を設立。書状と銀杯、十万円の慰労金を交付しました。政府は平塚さんらの訴えに耳を貸さず、決着済みにしようという態度です。

 

野党3党が法案を提出

 自民党は同基金を取り崩し、二〇〇八年三月までに一人あたり十万円の旅行券などを交付する案を提示。同基金を解散する構えです。

 これでは問題解決にならないとして野党三党は、昨年の通常国会に元抑留者の補償を盛り込んだ法案を提出。十七年ぶりの提案でしたが、衆院の解散・総選挙で継続審議となりました。

 「元抑留者はどんどん亡くなっている。もう私たちに記念の年(戦後七十年、八十年)なんてないんです。今国会で立法化し、解決してほしい」と平塚さんは語ります。

 

尊厳回復へ謝罪と反省を

 

 元従軍「慰安婦」に対する補償のため、一九九五年に設立された財団法人「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金、理事長・村山富市元首相)。被害当事者に対する謝罪と補償が十分進まないまま、二〇〇七年三月末に解散します。同基金に代わる政府の施策策定の動きはみられません。

 

天に向けて泣き叫んだ

 戦時中、日本軍は占領した各地に慰安所をつくりました。十三歳で性奴隷にされたフィリピン人女性は日本兵数人が代わる代わる暴行するなか、「ただ天に向けて泣き叫び、両親に、誰かに助けを求めるしかできなかった」と語っています。

 十五歳のときに被害を受けた女性は「長男はいまだに私の体験を理解してくれない。私を売女(ばいた)というのがとても悲しい」といいます。多くの女性が性病にかかり、なかには子宮摘出を余儀なくされた女性もいます。PTSD(心的外傷後ストレス障害)に今日も苦しみ続けています。

 彼女たちが何より求めているのは日本政府による真摯(しんし)な謝罪です。アジア女性基金は国家補償ではなく、国民の募金によって償い金を贈る「償い事業」でした。国の法的責任を回避する政府のやり方に被害者のみならず、国連小委員会など国内外で批判を受けました。韓国と台湾は政府が被害者に対し、償い金に代わる独自の支援金を支給しました。

 「被害者の声を聞かず、国家責任で真の謝罪と反省を伝えてこなかったことが最大の問題」だと話すVAWW―NETジャパンの西野瑠美子共同代表。「被害者は高齢化し、日本政府は責任を果たすチャンスを失う。基金に代わる政策をただちに打ち出さないといけない」と解決への立法化を求めます。

 被害者が望む人間としての尊厳回復。戦争で奪われた人生は金銭で修復できるものではありません。

 日本共産党など野党三党は「慰安婦」問題解決に向けた促進法案を提出し続けています。今通常国会にも七度目の提出をする予定です。同法案は謝罪の意を表し、被害者の尊厳と名誉回復のため日本が補償することを求めています。

 

改憲許さず戦争責任を

 日本共産党の吉川春子参院議員は同法案に長年かかわってきました。日本が侵略戦争の歴史に正面から向き合わなければいけないときに、自民党の「新憲法草案」が侵略戦争を反省した前文と「戦力保持の禁止」「交戦権の否認」をさだめた九条二項を削っていると指摘します。

 「改憲を許さないために侵略戦争の責任をきちんとすることが必要です。そのためにも日本が被害者であるだけでなく、加害者であるという認識をしっかり持った世論を高め、法案の立法化に努めたい」

 

(本吉真希)

 

従軍「慰安婦」問題

 被害女性は日本政府を相手に提訴、七訴訟が敗訴確定しています。敗訴はしたものの、判決は従軍「慰安婦」に対する日本軍の関与を事実として認定。現在公判中の裁判は中国・海南島(東京地裁)と同・山西省の一次、二次訴訟(最高裁)。

( 2006年01月24日,

番組改変問題で質問状/NHK・安倍・中川氏に16団体

 NHKの予算審議開始を控えて、メディアへの政治介入が繰り返されることを強く危ぐする―。

 「慰安婦」問題を扱ったNHKのETV番組にたいする政治介入(二〇〇一年)が発覚して一年。アジアプレス・ネットワーク、放送を語る会、日本ジャーナリスト会議、NHK受信料支払い停止運動の会など十六団体は十日、NHK側に改めて質問状を送付。また、安倍晋三内閣官房長官と中川昭一農水相の国会事務所を訪問し、番組改変問題に関する公開質問状を手渡しました。これらの団体が、安倍、中川氏に質問状を出すのは初めてです。

 安倍官房長官への質問状は、安倍氏がETV番組のどこが「偏っている報道」と考えたのか、「政治介入」を否定するのであれば、どのような事実と論拠によるのか、今後もNHKにたいして放送前に番組内容について説明を受けたり、改変を要求することがあるのか、など五点を問いただしています。

 また放送前日のNHK幹部との面談が「政治介入」だった根拠として、政府の一員である官房副長官(当時)が首相官邸で会って、番組内容に立ち入った発言をしたことは、結果として政府による事前検閲とも受け取れる強い圧力をかけたことになり、憲法二一条に抵触する行為であると指摘しています。

 このあと記者会見した放送を語る会の小滝一志さんは、「力を持つ側である政治家が自らを抑制することは当然なのに、安倍、中川氏にはその自覚がない」と語りました。安倍、中川事務所は、回答は自民党内のこの問題のプロジェクトチームで検討すると答えました。

( 2006年01月11日,