戦時中、旧日本軍の性奴隷とされた中国人女性八人(うち二人死亡、遺族が継承)が、日本政府に損害賠償と謝罪を求めている中国海南島「慰安婦」訴訟控訴審の最終弁論が二十五日、東京高裁(渡辺等裁判長)で開かれ、結審しました。原告一人が来日し、本人尋問が行われました。
原告の陳金玉さん(82)は、十四歳のときに、家で三人の日本兵から性暴力を受けました。その後、逃げ切れず兵営に連れて行かれ、拷問を受けて監禁され、三カ月間まともな食事が与えられないまま、毎日のように兵士に性行為を強要されました。
原告側弁護団に一番つらかった体験を聞かれると、「両親の目の前で犯され、父母が耐え切れず、泣いていた声は今も頭に残っている」と語りました。
原告側弁護団は、米下院をはじめ、カナダ、オランダ、EU議会で「慰安婦」問題で日本政府に謝罪を要求する決議が行われ、国際的に注目されている裁判だと指摘しました。
陳さんは、裁判長に「歴史を直視して、事実を認めてほしい」と訴えました。
判決は来春三月二十六日に言い渡されます。
( 2008年12月26日,「赤旗」)
【台北=時事】台湾の馬英九総統は二十四日、総統府で台湾の元従軍慰安婦八人らと会見しました。総統府などによると、馬総統は元慰安婦らが日本に国家賠償を求めている活動について、総統の身分で今後も支援すると述べるとともに、慰安婦問題を台湾の教科書に記載することも支持する意向を表明しました。
同席した元慰安婦を支援する「婦女救援社会福利事業基金会」の会長によれば、総統は台北市長を務める前の大学教授時代から元慰安婦の活動を一貫して支持してきたといいます。
( 2008年12月25日,「赤旗」) (Page/Top)
放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会は12日、旧日本軍「慰安婦」問題を扱ったNHK「ETV2001」改変問題について話し合いました。
川端和治委員長は、「具体的に扱えるかどうかというのは、扱うべきだと主張する委員の案次第」だとしながらも、「全く取り上げないという可能性は少ない」との見通しを示しました。今回、未完成だった原案の完成を待ったうえで来年1月の委員会で審議するかどうかを決めるといいます。
主な反対意見は、「限られた権限と任務を持っている立場として、われわれが何かを言える状況にあるのか」というもので、扱うべきだとする意見は、「番組制作上の倫理の問題との立場から」だと説明しました。
この問題では、「放送を語る会」などの市民団体や、OBを含むNHK有志が、委員会に真相究明を申し入れていました。
( 2008年12月20日,『赤旗』)(Page/Top)
【北京=山田俊英】旧日本軍による「従軍慰安婦」問題を追及している中国の法律家が十八日、昨年七月に続く第二次調査結果を発表しました。まとめたのは康健弁護士ら「中国元慰安婦被害事実調査委員会」です。
昨年の調査では、日本政府に賠償請求した元「慰安婦」以外に十七人の被害者が生存していることがわかりましたが、今回新たに広西チワン族自治区と海南省で各一人の被害者が確認されました。
調査委員会は、戦後、戦争犯罪の取り調べで「慰安婦」について自供した日本軍人三十三人の供述書を各地公文書館で入手。名前、所属部隊、階級、供述内容を明らかにしました。
供述をあわせると、「慰安婦」は千七百人余にのぼり、国籍が明らかな被害者のうち中国人が七百三十四人、朝鮮人が七百七十三人でした。
陸軍第五九師団の中佐は一九四二年四月から四五年三月にかけて山東省で百二十七の「慰安所」設置を指示。中国人女性百七十一人、朝鮮人女性三百七十三人を監禁して性行為を強制したといいます。
日本占領下の上海市警察局の資料では四つの「慰安所」の場所が特定でき、いずれも日本軍指揮官の決定で設置されたことがわかりました。
( 2008年12月19日,『赤旗』) (Page/Top)
太平洋戦争開始六十七周年を迎えた八日、日本共産党中央委員会と東京都委員会は、東京・JR新宿駅東口で街頭演説を行い、反戦平和の誓いを新たにしました。
笠井亮衆院議員は、太平洋戦争は中国での侵略戦争をアジア・太平洋全体に拡大し、何千万人もの人生を狂わせたと指摘。過ちを繰り返さないことこそ「戦後日本の原点であり、アジアと世界の国々への将来にわたっての責務だ」と訴えました。また、元日本軍「慰安婦」、広島・長崎の被爆者、大空襲被災者など、今日でも戦争が終わっていない人たち≠フ時間は限られており、政府は謝罪・補償すべきだと主張しました。
笠井氏は、侵略戦争を美化した田母神俊雄前空幕長の「論文」の問題にふれ、「戦争する国づくり」を公然と主張する動きをつくりだしたのは、政権中枢に「靖国派」が居座る自民党政治そのものだと指摘しました。
さらに、与党が来週にも新テロ特措法延長案の採決を狙うなど、緊迫する国会情勢を報告。巨額の軍事費を削って暮らしと福祉にまわせと述べ、侵略戦争の反省を捨て世界の平和の流れから孤立する動きにストップをかけようと呼びかけました。
その上で、痛苦の経験でかちとった憲法の平和原則を壊す逆流を許さず、平和に貢献する日本をつくるために全力を挙げてきた党として、引き続き努力すると述べ、総選挙、都議選での前進を誓いました。
このほか、池田真理子衆院東京比例候補、松村友昭都議が演説。沢田あゆみ新宿区議が司会を務めました。
( 2008年12月09日,「赤旗」) (Page/Top)
日本が朝鮮半島や中国への侵略戦争に続いて、一九四一年十二月八日マレー半島やハワイを攻撃、アメリカやイギリスなどを相手にいわゆる「太平洋戦争」を始めてから六十七周年を迎えました。
一連の戦争でアジア諸国民と日本国民に甚大な被害を与えた侵略戦争と植民地支配の罪悪は消えてなくなりはしません。それどころか小泉純一郎元首相の靖国神社参拝や最近の田母神俊雄前空幕長の言動など戦争を肯定し美化する動きがあとを絶ちません。侵略の誤りを問い続けることは、日本がその反省を生かし世界平和の前進に役割を果たすうえで不可欠です。
成り立たない侵略美化論
一九三一年に日本が中国東北部で引き起こした「満州事変」とその後の日中全面戦争、さらには「太平洋戦争」まで、十五年間にわたった日本の戦争で、アジア・太平洋の国々では二千万人以上が犠牲になりました。台湾や朝鮮半島ではそれ以前から日本が植民地化を進め、日本式の名前を強制し、無理やり日本に連行するなど、民族の尊厳を踏みにじってきました。
小泉首相の「靖国」参拝をほめたたえた「靖国」派の人びとや田母神前空幕長は、日本の戦争は「自衛」のため、「アジア解放」のためだったとか、日本が侵略国家だったというのは「濡れ衣」だといいます。しかし、朝鮮半島や中国はもちろんアジア各地への日本の侵略が、領土と権益の拡大をねらったものだったことは明らかです。「太平洋戦争」開戦の一年以上前に当時の政府と軍部できめた方針には、中国はもちろん東南アジアから太平洋の島々、インドやオーストラリアまでを、日本の「生存圏」として支配する意向が書き込まれていたのは有名です。「自衛」などという口実は一切通用しません。
日本は敗戦後、日本の戦争犯罪を追及した東京裁判を受け入れ、憲法前文に「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」ことを明記して再出発しました。過去の戦争を肯定し美化することは、こうした反省を反故にし国際社会と国民への約束を踏みにじることにもなります。
戦争を放棄した日本が、戦後もアメリカとの軍事同盟にしばられて戦争支援を求められ、政府がそれに応えてきたのは、こうした原点にそむくものです。それでも戦後の日本が少なくとも自ら戦争を起こすことはなく、一人の戦死者も出さなかったことは、国際的にも高い評価を得てきました。日本が選んだ戦後の再出発が正しかったことを浮き彫りにしています。
ことしは東京裁判から六十年目になります。「靖国」派は、この東京裁判さえ「勝者の裁き」の一言で葬り去ろうとしますが、国際的に通用するものではありません。東京裁判では裁かれなかった「強制連行」や日本軍「慰安婦」などの問題での謝罪や補償、名誉回復を含め、日本が侵略戦争への反省を誠実に貫くことこそ重要です。
侵略戦争に反対した党
日本共産党は戦前の暗黒政治の時代から侵略戦争に命がけで反対し、戦後も侵略の誤りを正面から批判して二度と誤りを繰り返さないよう求め続けてきました。
日本が世界に先駆け推し進めてきた戦争放棄の流れはいま世界に広がっています。戦争を肯定する逆流を許さず日本と世界の平和のため力を尽くすことが重要です。
( 2008年12月08日,「赤旗」) (Page/Top)
政府や社会からも支援されない被害者
インドネシア
作家のエカ・ヒンドラティさん
第二次世界大戦中、インドネシアでは二万二千人が日本軍の従軍「慰安婦」にされたといわれます。彼女らは強制的に駆り出され、終戦後は社会に放り出されました。政府や社会団体からの支援も受けられず、多くの人が今も貧困にあえぎ、心の傷に苦しみ結婚にも踏み切れないでいます。
一九九九年から「慰安婦」問題にかかわるようになり、今年二月には米国の団体の協力も得てウェブサイト(www.jugunianfuindonesia.org)を立ち上げました。三月から十月にかけてジャワ島とカリマンタン島で現地調査をし、全国で二十三人の「慰安婦」被害者が生存していることが判明しました。ジャワ島では日本軍占領下でヘイホ(兵補)として徴用された人びとや強制労働に服したロームシャ(労務者)の人たちにも会いました。
私の最初の著書でインドネシア元「慰安婦」の象徴的存在であるマルディエムさんの伝記『モモエ〜彼らは私をそう呼んだ』は、最近、第二版が二千部発行され、一般の小説部門でベストセラーになりました。「慰安婦」問題を研究する人や学生たちに読まれています。
「慰安婦」問題で、@日本政府が公式の謝罪をするAインドネシアの教科書に歴史的事実を記載させるB被害者への法的賠償を実現する―ことを要求しています。
解決へ残された時間わずかしかない
韓国
韓国挺身隊問題対策協議会常任代表 尹美香(ユン・ミヒャン)さん
一九九〇年に「慰安婦」被害者への日本政府の公式謝罪と国家補償を求めて韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が発足してから十八年がたちました。被害者と支援者がソウルの日本大使館前で、九二年から毎週行っている「水曜デモ」は十一月十四日で八百四十回を数えました。
生存する被害者の年齢は八十一歳から九十一歳です。昨年は十三人、今年も十月までに十三人が亡くなりました。心の傷がいやされないまま、過去を忘れ去ることもできないまま、被害者が世を去っていくたびに、私たちに残された時間はわずかだと痛感します。
挺対協は九二年から米連邦議会に「慰安婦」問題解決を求める決議採択を働きかけるなど、国際活動を展開してきました。二〇〇七年に米下院、カナダ下院、オランダ下院、欧州議会で決議が採択されました。国際労働機関(ILO)もたびたび日本政府に補償を求めるなど、この問題は国際的な人権問題として広く知られるようになりました。
私たちがめざすのは、いかなる暴力も、戦争も許されない大きな力をつくりだすことです。日本の国会議員や市民団体、アジアの女性と連帯し、日本の国会で「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」が一日も早く可決されるよう努力します。
( 2008年12月03日,「赤旗」) (Page/Top)
日本軍「慰安婦」問題の早期解決めざし十一月二十三、二十四の両日、東京で第九回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議が開かれ、日本政府に公式の謝罪と法的賠償を求める決議を採択しました。二十四日の公開集会で「慰安婦」問題の支援活動について報告した各国の非政府組織(NGO)代表の発言を紹介します。
和解と社会正義の歴史教育の普及を/カナダ/トロントのアジア第二次世界大戦史学習保存会(ALPHA)副会長 フローラ・チョンさん
北米のカナダや米国の人々の間では十数年前まで、第二次世界大戦中にアジアで何が起きたかについてはほとんど知られていませんでした。教科書でも教えられず、図書館にもそうした本は置かれていませんでした。
私たちは一九九七年、中国系米国人のアイリス・チャン氏(故人)が『南京大虐殺』を出版したのを機会に、著者を招いて講演会を開き、アジアでの戦争被害の歴史を学校や社会で学ぶ運動をよびかけ、教育界にも働きかけました。
ブリティッシュコロンビア州では教員や学者、個人、団体の共同の運動で二〇〇一年に、州の教育省が「慰安婦」問題も記された「一九三一年―一九四五年のアジア太平洋での人権」と題する選択教材を出版しました。
オンタリオ州では〇五年に高校生の世界史カリキュラムに南京大虐殺や「慰安婦」問題が正式に記述されました。
学校でこれらの教材が活用されるのを促進するため、〇四年からは教員の中国、韓国などアジアへの学習旅行を組織しました。アジアでの戦争被害者との出会いを学校で語る教員の輪が広がり、子どもたちが読めるような歴史の本がつくられています。
こうしたなかで〇七年十一月、下院は「慰安婦」問題で日本政府に「真剣な謝罪」を求める決議を採択しました。その際、四人の元「慰安婦」被害者の下院での証言も大きな力になりました。和解と社会正義の実現をめざす永続的な歴史教育の活動が大切です。
被害の事実記録し二度と繰り返させない/中国/弁護士の康健さん
中国では一九九二年以降、元「慰安婦」たちが少しずつ被害の告発を始めました。日本の弁護士や友人たちの援助で四人の元「慰安婦」が九五年、東京地方裁判所に訴訟を起こし、日本政府に対し被害者への謝罪と賠償を求めました。さらに十九人が三つのグループに分かれ、東京地裁に訴えを起こしました。
裁判が進むにつれて、中国を侵略した日本軍の「慰安婦」制度や組織的に力ずくで女性をさらって性の奴隷にした戦争犯罪行為をいっそう詳しく明らかにしなければならない、と強く感じました。
中国全国弁護士協会と中国法律扶助基金会は、二〇〇六年八月に共同で特定プロジェクト調査機関を設立しました。
今年一月までに私たちは、四十四人の中国人の元「慰安婦」が生存している事実を確認しました。このなかには、日本の裁判所に提訴した十五人も含まれています。彼女らが被害にあった年齢は、最年少の人で十三歳、最高齢の人は二十三歳でした。
現在、彼女たちは山西省、広西チワン族自治区、海南省(島)で暮らしていますが、かつて日本軍にひどく痛めつけられたため健康状況が非常に悪いのが現実です。被害の記憶も薄れつつあります。
十数年間、裁判をたたかい、日本政府の態度は変わっておらず、裁判所は「慰安婦」問題の事実を認めたが賠償はしないという立場であることがはっきりしてきました。被害の事実をきちんと記録し二度と繰り返させないために、ともにたたかい続けましょう。
( 2008年12月02日,「赤旗」) (Page/Top)
【ロンドン=時事】英下院外交委員会は十一月三十日、日本と韓国に関する報告書を公表し、日韓両国が領有権を主張する竹島(韓国名・独島)問題が、日韓関係を阻害していることは「遺憾だ」と表明。第二次世界大戦中の従軍慰安婦の問題について、「韓国国民と政府にとって依然、苦痛を伴う感情的な問題であり、日本を含めて世界がその重要性を認識すべきだ」と明記しました。
( 2008年12月02日,「赤旗」)
国会前で、懐かしい人に再会しました。日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議の参加者が開催した国会前スタンディング・デモを取材したときのことです。「日本政府は事実を公式に認め、謝罪すること」。同会議での決議文を読み上げる女性の声に、聞き覚えがありました。
○…三年前に旅行した韓国で、元日本軍「慰安婦」のハルモニ(おばあさん)たちが暮らす「ナヌムの家」を訪れた際、案内をしてくれた日本人学生でした。韓国に留学中で、ボランティアをしていました。いまは日本の大学に通いながら、同会議の事務局員をしているといいます。「あのころは私もよく分かっていなくて、ちゃんと説明できませんでした。すみません」。ぺこりと頭をさげます。
○…「ナヌムの家」に併設されている資料館で、彼女は展示を一つひとつ丁寧に説明してくれました。そこには当時の慰安所を再現した部屋があります。「最初にきたとき、足を踏み入れられなかった」。うつむきながら語った姿が、いまも鮮明に思い出されます。
○…彼女のおかげで、ハルモニや韓国人のボランティア学生らと語り合うこともできました。日本では、九条の会が広がっていることや、政治の力関係を変えたいと思っていることなどを話しました。通訳していた彼女が一言、付け加えました。「日本では政府の態度を変えようと、多くの人たちが運動しています」。いま、その一員となって活躍している彼女が、頼もしく感じられました。(ち)
( 2008年12月02日,「赤旗」) (Page/Top)
日本婦人団体連合会(婦団連)は十一月三十日、東京都千代田区内で第三十五回総会を開きました。
堀江ゆり会長があいさつし、憲法九条や原水爆禁止、慰安婦問題など平和や人権についての国際的な連帯が広がったとのべました。
榎本よう子事務局長が総会決議を提案しました。今年四月に創立五十五周年を迎えた婦団連が「平和を願う女性の気持ちを一つに」の創立の精神に基づき、憲法を守りいかしつつ真の男女平等・女性の地位向上、平和を実現するため、国内外の女性との連帯・共同行動を広げてきたと報告。麻生内閣のもとで政治を根本から変える世論と運動を進めていこうとよびかけました。
全教女性部の代表は、憲法九条を守り、改悪教育基本法の具体化を許さないたたかいについて発言しました。「六月と十月に女性部全国一斉宣伝週間を設けて工夫をこらした宣伝をひろげ、百人分の署名を集めるピースチャレンジャーは三千八百人を超えました」と話しました。
農民連女性部の代表は、「ミニマムアクセス米輸入の一方で、政府は減反を押し付けてきた。米価も下がり続け、稲作農家の時給は百七十九円です」とのべ、安心・安全な食料、日本の農業を守るたたかいをすすめる決意をのべました。
江尻美穂子国際婦人年連絡会世話人、日本共産党の石井郁子副委員長・衆院議員が来賓あいさつしました。
総会議案とアピールを採択し、堀江会長、榎本事務局長ら新役員を選出しました。
( 2008年12月01日,「赤旗」) (Page/Top)
NHKという放送機関にとって、最高の倫理は何か、と問われたら、それはいうまでもなく政治権力からの自主、自律を貫くことだ。この点で、いまだに問題を投げかけているのが「ETV2001事件」である。
07年の東京高裁判決は、NHKが自民党政治家の意図を忖度(そんたく)して番組を改編した、と断じ、その後の最高裁判決でも事実関係は変更されていない。これに対して、NHKは政治家の圧力はなく、NHKの自主的な編集だったと主張してきた。
この相反する二つの見解は、私たちの前に深い裂け目を見せて未解決のまま横たわっている。現場の心ある制作者たちには我慢がならないだろうし、この事件を契機に誕生したNHK問題を考える全国の市民団体にとっても、このままでは済まされない事態だ。
すでに報じられているように、今年9月、NHK局内の有志とOBが、10月には視聴者団体「放送を語る会」のよびかけで、有識者、市民が、BPOの放送倫理検証委員会にこの問題の検証に取り組むよう申し入れた。同委員会は、この問題を取り上げるかどうか、9月以降、11月の定例会議に至っても結論が出ず、討議を継続すると伝えられている。
番組改変をめぐる裁判で明らかになったように、政治家の圧力を受けたと感じた幹部によって、日本軍「慰安婦」とされた人の証言、また、日本軍のレイプは日常の出来事だったという兵士の証言などが削除された。過去の戦争の真実を伝える証言が視聴者に届かなかった罪は、取り返しようもなく深い。
あの戦争が侵略でなかったなどという田母神論文には、擁護する政治家や、支持する世論もあるという。アジア民衆への加害行為を放送メディアが長く封印してきたことがこのような事態の一因ではないか。
問題の番組は8年前のことだが、今の問題でもある。放送メディアにとって近年最大の倫理問題に迫るBPOの見識に期待したい。
(とざき・けんじ 愛知東邦大学教授 元NHKディレクター)
( 2008年11月30日,「赤旗」) (Page/Top)
第九回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議の参加者は二十五日、政党への要請や集会を行い、この問題の早期解決を訴えました。各国から被害者をはじめ、支援団体の関係者らが多数、国会前に駆けつけました。
集会では、韓国、東ティモールの二人の被害者が、初めて証言を行いました。
韓国人の李秀山さんは、お金がもうかるといわれ、中国に連れて行かれました。「当時は十六歳で、怖くてどうしようもなかった。逃げようとして失敗し、体中に焼きごてを当てられた。妊娠したと告げたら軍の病院でおろされ、子宮までも摘出された」と語ると、その場に泣き崩れました。「いま八十一歳になった。日本政府が謝って賠償してくれれば、堂々と生きていける」と訴えました。
東ティモールのエスペランサ・アメリア・フェルナンデスさんは、「小さい部屋に閉じ込められ、毎晩、三、四人の相手をさせられた」といいます。「日本の兵士が勝手にきたとは思えない。政府として謝罪するのは当然のことだと思う」と語りました。
支援団体の関係者からは、「いつまで被害者に証言させなければならないのか。日本政府は早く事実を認め、謝るべきだ」「いまも戦争で苦しい思いをしている世界の女性たちが、この運動に共感し、応援してくれている。謝罪、賠償が実現するまで頑張る」などの声が相次ぎました。
日本共産党の紙智子参院議員も参加し「被害者の方が元気なうちに、解決したいと改めて強く感じた。他の政党とも力を合わせて、早期解決していけるよう、力を尽くしたい」と発言しました。
( 2008年11月26日,「赤旗」) (Page/Top)
日本共産党の、こくた恵二国対委員長は二十五日に開かれた野党四党国対委員長会談で、日本軍「慰安婦」への補償を行う「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」について、再び今国会へ野党で共同提出するよう呼びかけました。
( 2008年11月26日,「赤旗」) (Page/Top)
日本軍「慰安婦」問題の早期解決を実現するために開催された第九回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議の参加者は二十五日、東京都内で各政党へ要請行動を行いました。同会議は、アジア太平洋地域の女性を連行、性奴隷化した事実を公式に認め、謝罪と賠償を実現し、尊厳を回復することなどを日本政府に要請しており、その早急な実現のための支援を求めました。
日本共産党は志位和夫委員長、こくた恵二国対委員長、紙智子参院議員が応対。韓国、中国、台湾、東ティモール、フィリピンから参加した被害者が、要請文などを次々と手渡し、支援を訴えました。手紙を志位委員長に渡した吉元玉さんは「休まずにもっと頑張ってください」と迫力のある要請をしました。
志位委員長は、「みなさんの勇気ある行動に心から敬意を表します。日本共産党は、この問題に一貫して国会で取り組んできました。いま韓国や米国、EUなどで、日本政府に対して解決を求める決議があがっているのに、日本の国会が動かないというのは情けない話。日本政府は、公式の謝罪と賠償をするべきです。それを促す法律を他党とも共同して国会で通したい。私たちも一日も早い解決に向けて、全力で頑張ります」とのべると大きな拍手に包まれました。
( 2008年11月26日,「赤旗」) (Page/Top)
日中韓三国の歴史研究者・教育者・市民運動家による第七回「歴史認識と東アジアの平和フォーラム」がこのほど北京でひらかれた。
これは「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書問題を契機とする自主活動で、二〇〇二年以降毎年三国交代で開催、教科書問題をはじめ南京大虐殺や慰安婦問題など日本の戦争責任をめぐって議論してきた。それはたんなる日本批判ではなく、史実にもとづき共通の歴史認識を構築、東アジアの平和をめざす模索だった。困難はあったが三国共通の歴史副教材『未来をひらく歴史』(高文研)は、ここから生まれた。
今回は、その方向がより発展したといえる。「歴史の記憶と反省」「東アジアの地域協力」「歴史的和解」等の視点が立てられ、日本から中学高校の平和教育実践、韓国からベトナム戦争における韓国軍のベトナム人虐殺問題、中国から「日本の良心を信じる」「国境を越える歴史認識を」など自国の歴史認識をみつめなおす報告も出されて、感動を呼んだ。
「和解と協力」の途を妨げているのは、こうした動きに背を向ける日本政府や右派勢力である。東アジアの平和と相互協力実現のため、日本の「未清算の過去」克服が問われている。来年日本で開催されるフォーラムの課題は大きい。(佐)
( 2008年11月25日,「赤旗」) (Page/Top)
安倍晋三官房副長官(当時)らの政治介入で番組が改ざんされたNHK番組改変事件。裁判は終わったけれど事件は決着していない、とNHKのOBや研究者・市民で構成する「放送を語る会」が、東京でシンポジウムを開きました。題して、「NHK番組改変事件は終わらない〜政治介入の真相究明を」。
出席者は、番組「問われる戦時性暴力」(2001年NHK教育で放送)の取材協力者でNHKらを訴えた裁判原告の西野瑠美子・バウネットジャパン共同代表、ジャーナリストの野中章弘さん、メディア研究者の松田浩さん。
政治圧力白日に
西野さんが、原告からみた裁判の意義を語りました。この事件が「『慰安婦』問題の裁きを扱った番組に権力が介入し、それを受け入れたNHKが自ら表現の自由を手放した」問題であったこと、「最大の被害者は、女性国際戦犯法廷での証言を不当にゆがめられた元『慰安婦』の女性たち」だと話します。
提訴した当初、「政治圧力が明らかになるわけがないと誰からも言われたが、7年間の裁判闘争で政治圧力の正体、改変のプロセスまで明らかになった」と語り、「政治圧力問題が白日のもとにさらされたことは大きい」と強調しました。政治介入問題の判断を避け、「表現の自由」を脅かす矛先を取材対象者に向けた最高裁判決、それを無批判に報じたメディア報道の問題を指摘しました。
野中氏は、ジャーナリズムのあり方について述べました。番組制作に関与したドキュメンタリー・ジャパンの元ディレクター・坂上香さんが、「この番組が大変なことになっている」と告発していたが、その声に呼応する人たちはほとんどいなかった、と話します。
「日本のジャーナリズムは一制作者であることよりも、組織の一員であることを強いている。NHKの中にもこの問題を機にNHKを変えていこうという人たちはいるが、多数者ではない」と発言。「国家から表現の自由を守るために、ジャーナリズムはもっと頑張らなければならない」と訴えました。
市民運動の成果
「日経」の記者時代、25年間、放送分野を担当した松田さんは、「NHKは政治介入と自己規制のデパート」だと言います。
「今まで介入は密室で行われてきたが、今回、バウネットの告発で、東京高裁判決はNHKが『編集権を自ら放棄したものに等しい』とまで断じた。これは7年間、たたかってきた市民の大きな成果だ」と述べました。
しかし、最高裁で逆転勝訴したNHKが、「編集の自由が守られた」とうそぶいていることから、「このまま検証せずにすますなら同じ誤りが起こる」と、市民の立ち上がりを促しました。
( 2008年11月18日,『赤旗』)(Page/Top)
日本NGO60人が傍聴
ジュネーブの国連欧州本部で十月十五、十六の両日、国連自由権規約委員会が第五回日本政府報告書審査を行いました。審査を傍聴した国際人権活動日本委員会代表委員の吉田好一氏のリポートを紹介します。
第五回日本政府報告書審査にあたっては、国際人権活動日本委員会、日本弁護士連合会など日本の非政府組織(NGО)から六十人以上が傍聴した。
審査に先立つ十四、十五の両日、国連自由権規約委員会委員と日本のNGОとの公式ミーティングが行われた。二日目はえん罪布川事件の桜井昌司被告、大分の選挙弾圧被害者、大石忠昭さん、痴漢えん罪で国家賠償訴訟を行っている沖田光男さんから、当事者としての訴えが行われた。
十四日夜には、えん罪志布志事件の映画上映会が開かれ、自由権規約委員や現地のNGOが多数参加した。
第四回日本政府報告書審査は、十年前の一九九八年に行われた。今回の審査の冒頭、日本政府は提出してある文書を読み上げた。その後、委員の発言があった。
「代用監獄はまだ廃止されておらず、自白の強要が行われている。『推定無罪』の原則が守られていない」「選挙の時の戸別訪問や、ビラ配布を制限したり、禁じたりしている国はほかにない。自由権規約違反ではないか」など、批判が相次いだ。
国連自由権規約委員会は十月三十一日付で同審査にもとづく「最終見解・勧告」を発表した。
「最終見解・勧告」
「最終見解・勧告」の主要点は次の通り。
◇
▽「司法の独立」を理由に日本政府が批准していない第一選択議定書(個人通報制度)の批准。
▽行政府から独立した国内人権機関の設置。
▽女性の離婚後の再婚禁止期間の削除、男女の結婚最少年齢を同一にする。
▽死刑制度の廃止の積極的な検討。
▽代用監獄制度の廃止。取り調べ時間の制限、弁護人の立ち会い、警察記録へのアクセス権、起訴前保釈制度などの実現。取り調べの全面録音録画。
▽「従軍慰安婦」への謝罪、尊厳の回復、補償。
▽人身売買の被害者の保護、加害者への量刑の見直し。外国人研修生の賃金、労働条件の改善。
▽難民申請者の拷問、虐待の恐れのある国への送還の禁止。
▽選挙に際して、戸別訪問、ビラ配布などで逮捕、処罰されていることへの懸念、自由権規約の表現の自由の保障。
▽子どもの虐待を防ぐ、婚外子の差別、同性愛者への差別をなくす。国籍のないものの年金制度からの除外をなくす。朝鮮学校への財政援助。アイヌ民族などマイノリティーへの差別をなくす。
( 2008年11月14日,「赤旗」)(Page/Top)
【ワシントン=小林俊哉】米紙ワシントン・ポストは十二日付で、日本の侵略戦争を美化する論文を発表して更迭された田母神俊雄前航空幕僚長の参考人質疑の模様を、カラー写真入りで大きく報道しました。
同紙は、田母神氏は自身の論文を後悔していないと言い張っており、総選挙を控えた麻生太郎首相にとって「重大な政治的負債」となっていると伝えています。
また同紙は、麻生首相についても、就任前には「国家主義に傾く発言」を相次いでしてきた人物だと紹介。朝鮮半島の植民地化について、日本は良いことをしたとする発言で、韓国や北朝鮮のひんしゅくをかった経過に触れています。
また昨年、安倍晋三首相(当時)が、日本軍「慰安婦」問題で日本政府の関与を否定し、米下院が日本政府に「慰安婦」への謝罪要求決議を可決するなど、米国から不信感を持たれたことも指摘しています。戦後の国際秩序に挑戦する「靖国史観」への米国側の警戒感がうかがえます。
( 2008年11月14日,「赤旗」)(Page/Top)
【台北=時事】台湾立法院は十一日、第二次大戦中の従軍慰安婦問題で、日本に公式の謝罪と国家賠償を求める決議を採択しました。
決議文は、台湾の旧日本軍が大戦中、慰安婦を従軍させたことについて、「日本政府はきっぱりとした態度で歴史的責任を認めるべきだ」としています。
( 2008年11月13日,「赤旗」)
航空自衛隊トップの航空幕僚長が日本の侵略戦争を否定する論文を公表し、解任されました。が、この前空幕長は、これまでも同様の主張を公然と繰り返してきた札付き≠フ問題幹部でした。どうしてそんな人物が空幕長まで上り詰めたのか。その責任は―。
三浦誠記者
解任されたのは、田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長。空幕長は、防衛相の指揮・監督のもとに空自の防衛計画などを立案します。
今年4月に空自のイラク派兵を違憲とした名古屋高裁判決について「そんなの関係ねえ」と暴言を吐き、物議を醸した人物です。
同氏は民間ホテル企業グループが主催する懸賞論文(賞金300万円)に応募。その論文は暴論で塗り固められていました。
―朝鮮や中国などの了承を得ないで「一方的に軍を進めたことはない」
―日米戦争は、「アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であった」
―侵略国家だったというのは「濡れ衣(ぬれぎぬ)である」
日本は自らの権益を確保するためアジア諸国を侵略し、植民地化しました。その事実は、世界の常識です。
政府も1995年に当時の村山首相が談話で「植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」と表明。麻生首相も、この立場を踏襲すると言明しています。
ところが、防衛省は田母神氏を聴取しないまま、退職金が支払われる定年退職としました。
田母神氏は3日夜に記者会見を開き、「誤っているとは思わない」「村山談話は本当に検証されたのか問題がある」などと居直りました。
南京虐殺否定
実は、同氏は数年前から空自の内部雑誌などで侵略戦争を正当化する論陣を張っていました。(表参照)
統合幕僚学校長(02年12月〜04年8月)のときには空自幹部学校幹部会機関誌『鵬友』で、「南京大虐殺は無かった」(04年7月号)と強調しました。
南京大虐殺は責任者だった松井石根大将も東京裁判で認めた事実です。外務省でさえ「多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」としています。
こんな人物が、航空総隊司令官(04年8月〜07年3月)に昇進したのは、小泉内閣の石破茂防衛庁長官のときでした。
田母神氏の暴走は、空自トップの空幕長(07年3月〜08年11月、安倍内閣・久間章生防衛相が任命)になってさらに加速しました。
「日本軍が中国の民間人を組織的に虐殺したことは全く無かった」と南京大虐殺を再び否定。侵略戦争の事実を教える教育を「税金を使って反日教育をやっているようなもの」と批判しました。(『鵬友』07年5月号)
暴言を公然と繰り返してきた人物を、小泉内閣、安倍内閣、福田内閣、麻生内閣の4代政権が任用してきたのです。
特異な歴史観
麻生首相は、更迭と防衛大臣らの減給で沈静化を図ろうとしています。それだけで幕引きしていいのか―。
田母神氏は陸海空の幹部自衛官を教育する統合幕僚学校長として、こう主張していました。
「常日頃学生に対し歴史認識、慰安婦、教科書問題等で中国や韓国にきちんと反論すべきであると言ってきた」(空自連合幹部会機関誌『翼』03年9月号)
「(自衛官は)部内の雑誌への投稿に止まることなく外に打って出ることが大事」(『鵬友』04年7月号)
特異な歴史認識を幹部自衛官に教え込み、マスコミへの宣伝戦≠ワで指示したのではないか――そんな疑念すらあるのです。
歴史的根拠一つもない/一橋大学教授近現代政治史吉田裕さん
制服組トップが侵略戦争を認めた村山談話を否定すること自体が大きな問題だ。
しかも論文の内容は極めて稚拙で右翼的だ。学問的に立証されていることは一つもない。歴史的資料などの根拠も示さず、推測で適当に書いている。コミンテルンの陰謀でアメリカや蒋介石が動いたなどという主張にいたっては、荒唐無稽(むけい)としかいいようがない。
論文を出した背景には、憲法改正をめざした安倍内閣が自壊するなどのタカ派の孤立感、危機感があるのではないか。
同時に自衛隊の幹部教育に疑問を持たざるを得ない。歴代内閣の任命責任だけでなく、どんな歴史教育をしているのか、この機会にメスをいれるべきだ。
(2008年11月09日,「赤旗」)(Page/Top)
札幌市議会は七日、第二次世界大戦中の「従軍慰安婦」問題で、公式な謝罪や賠償などに関する法律制定などを国に求める意見書を賛成多数で可決しました。衆院事務局などによると、地方議会で元「慰安婦」を救済する立場から意見書を可決するのは、今年三月の兵庫県宝塚市、六月の東京都清瀬市の両議会に続き三例目です。
意見書には、議長を除く議員六十六人中、自民党系二会派以外の四十三人が賛成しました。日本共産党は本会議で共同提案しました。
採択された意見書では、問題解決のための法律制定のほか、小中学校の歴史教育などで「慰安婦」問題を取り上げることを求めています。
( 2008年11月09日,「赤旗」)(Page/Top)
3日は「文化の日」、憲法が公布された日です。今年4月から6月にかけて、弁護士100人が呼びかけた「LIVE! 憲法ミュージカル」が全国12カ所で公演し、大成功をおさめました。出演者は一般市民から公募。憲法を学びながら練習を重ね、広める取り組みです。来年の公演に向け、若い弁護士らが中心となって準備がスタートしています。
平井真帆
「ケンポーミュージカルって、健保のミュージカルですよね」
昨年のオーディションで若い女性の言葉に、スタッフ陣はのけぞりました。
始まりは数年前のこと。憲法を変えようとする動きが強まる中、弁護士の小林善亮さん(34)=2009年憲法ミュージカル実行委員会事務局長=は危機感を抱いていました。
憲法を守ろうと集会や学習会を開いても、「同じ顔ぶればかり。これでいいのだろうか」。
憲法の大切さを多くの人に広げたい。特に若い人たちに共感してもらえる方法はないものか。同じ問題意識を持つ弁護士仲間で悩むこと2年。浮かんだのが「ミュージカル」でした。
2007年、小林さんら若手弁護士10人が呼びかけて、東京での公演が好評を得ました。その成功が力になり、2008年は、100人の弁護士が呼びかけ人に名を連ねました。
公募で集まった一般市民は各地域100人、総勢300人。大阪、東京、山梨の3都府県、12カ所で公演し、1万6千人が参加する一大イベントに発展しました。
憲法に近づく
08年公演は、かつて日本軍の占領下にあったフィリピンで、13歳で「慰安婦」にされた実在の女性をモデルにした作品(ロラ・マシン物語 田中暢脚本・演出)でした。
「『慰安婦』の立場になって擬似体験したような感覚。物語だと分かっていても、実際に起こっているような恐怖感があった」。出演したさおりさん(19)は、こう振り返ります。
出演者は本番までに勉強会やプレ企画を重ね、戦争とはどういうものだったのか、理解を深めていきました。
役になりきって、「侵略する側、される側の気持ち」を想像する。声高に「憲法を守ろう」と叫ぶことはなくても、憲法が守っているものが身近に感じられました。
「ケンポーって何?」と言っていた若い人が、歌い踊るミュージカルの魅力で「憲法」に近づいてくるのは、まさに小林さんらの期待通り。
「誰ひとり欠けても作品は成立しない。すべての人の尊厳が尊重される、という作品のつくられ方そのものが、とても『憲法的』なんです」と、小林さんはその魅力を話します。
来年は11月に
「諫早湾のムツゴロウを描いた寓話劇で、国民をだます国のやり方を暴いてやれないか」。10月、都内で開かれた「憲法ミュージカルをまたやるぞ会議」で、演出家の田中暢氏は、次回作の構想を明らかにしました。
来年の公演は11月ごろの予定です。
小林さんらの願いは―。「平和が大事だ、にとどまらず、そのことが憲法に書かれているということを、ミュージカルを通して知ってもらいたいですね」
募集しています公演サポーター
◆実行委員会では、憲法ミュージカル上演を支援する「公演サポーター」を募集しています。
◆サポーターに登録すると公演までの間、ニュースが届き、オーディションの日程、プレ企画情報などを知ることができます。会費は1口3500円です。
◆希望者は、@名前A住所BメールアドレスC電話番号を記入した申込書(書式は自由)を、「LIVE! 憲法ミュージカル実行委員会事務局長 小林善亮」あてにファクス(042・524・4093 三多摩法律事務所内)で送ってください。
◆問い合わせは、実行委員会(電話 042・524・4321 同事務所内 小林さん)まで。
( 2008年11月03日,「赤旗」)(Page/Top)
アジア各紙/警戒と憂慮
アジアのメディアは、戦前の侵略戦争を否定する論文を発表した田母神俊雄航空幕僚長が更迭されたことを速報し、自衛隊幹部のこうした発言に憂慮と警戒を表明しています。
シンガポール英字紙ストレーツ・タイムズ一日付は、「彼の立場はアジアの近隣諸国を怒らせるものだ」とし、「彼の発言は日本の侵略と植民地支配で焦げ付いた記憶を今なお持つ中国や韓国などアジア諸国からの反発を刺激しかねないと憂慮される」と報道。
さらに「日本は公式には平和主義を表明しているが、戦争中の過去の認識ではしばしば非難を浴びてきた。近隣諸国は軍国主義復活のどんな徴候も厳重に監視している」と指摘しています。
香港紙・明報一日付は「多くの人びとが日本は第二次世界大戦で侵略行為をしたと認識しているが、それを否定した自衛隊幹部が更迭された」と伝えました。
怒り回避措置/米紙
米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は十月三十一日、田母神空幕長の解任を「真珠湾攻撃は米国のわなだったといった将軍が解任」との見出しで報道。同空爆長の論文が明らかになった数時間後の解任は、日本政府が「中国や韓国、アジア諸国からの怒りと批判をかわすため」だと指摘しました。
そのうえで、過去の戦争を正当化する見解は日本の右翼的な政治家に珍しくないものの、こうした見解が自衛隊の内部から公然と表明されたのは「まれ」なことだと指摘。麻生太郎首相が以前に朝鮮半島への日本の植民地支配を称賛する発言をしたことや、安倍晋三元首相が慰安婦問題の発言でアジアや欧米から強い批判を浴びたことにも触れています。
英BBCが速報
英BBC放送は十月三十一日、田母神空幕長が解任されることになったと速報。同空幕長の見解を詳しく紹介しながら、「多くの近隣諸国の怒りを呼びそうだ」と指摘しました。
英紙ガーディアン(電子版)も同日、東京特派員電で速報し、同空幕長が、米国の陰謀で日本は第二次大戦に引き込まれたもので、日本は侵略国でなかったと主張したためだと紹介しました。
( 2008年11月02日,「赤旗」)(Page/Top)
【ジュネーブ=時事】日本の人権状況を審査してきた国連の自由権規約委員会は三十日、死刑制度の廃止を前向きに検討するよう日本政府に勧告した最終意見書を公表しました。第二次世界大戦中の従軍慰安婦問題でも、謝罪と補償措置を求めるなど、日本に厳しい注文が多く出されました。
同意見書は、日本での死刑の執行件数が近年、増加したことに懸念を表明。執行当日まで事前の告知がないことや、高齢者に実施されたことなども問題視し、「日本は死刑廃止を前向きに検討すべきだ」と勧告しました。
従軍慰安婦問題では、これまで行われた元慰安婦への補償措置を、「十分ではない」と批判。日本政府に対し、同問題での法的な責任を受け入れるとともに、被害者の大半が受け入れるような十分な謝罪と適切な補償措置を早急に講じるよう求めました。
日本政府は次回の審査会合に向け、二○一一年十月までに今回の勧告への対応を含めた人権状況を報告することを求められました。自由権規約委は各国の人権状況を定期的に審査する組織で、意見書に盛り込まれた勧告に拘束力はありません。
( 2008年11月01日,「赤旗」)
韓国国会は二十七日、日本軍「慰安婦」問題で、日本政府に公式謝罪と賠償などを求める決議を全会一致で採択しました。四月の改選以降、国会がこの問題で決議をするのは初めてです。
決議は日本政府に対し、被害者への公式謝罪と賠償を要求。アジアの女性たちを旧日本軍の「性奴隷」にした「反人権的な犯罪行為」の事実を日本国内の歴史教科書に十分に反映すること、日本の国会が被害者救済に向けた関連法を速やかに制定することなどを求めています。
韓国政府に対しても、問題解決に向けて「積極的で明確な役割」を果たすよう求めています。
国会
( 2008年10月29日,「赤旗」)(Page/Top)
「こんなに女性として悲しみを覚えたことはありませんでした」―。二十二、二十三の両日、青森県弘前市の弘前文化センターで開かれた「『慰安婦』ってなぁに?すべての疑問に答えます?〜あなたのための『慰安婦』展〜」が、反響を呼びました。
「憲法九条つがる女性の会」(安藤はるみ、加藤とし子代表)が主催したものです。
「女たちの戦争と平和資料館」(東京)が製作した「日本軍『慰安婦』制度とは」「教科書から消されていく『慰安婦』」などのパネル二十八点を展示し、DVD「沈黙の歴史を破って〜女性国際戦犯法廷の記録〜」も上映しました。
被害者の女性や加害者の元日本兵士の生々しい証言を伝えるパネルの前で、食い入るように見つめる市民の姿が目立ちました。
来場者からは、「公の場で証言することは、大変勇気のあることです。証言してくれた彼女たちに感謝する」「苦しんできた女性たちに心が痛みます」「日本政府は誠実に謝罪すべきです。風化させてはならないと思います」などの感想が、寄せられました。
(2008年10月25日,「赤旗」)(Page/Top)
【ソウル=ロイター】ノ・ウォンテクさんは第二次世界大戦中に麻生太郎首相の一族が経営する炭鉱での過酷な日々を振り返りました。
「大勢の人が作業中に死んだ。私はこうして生きてしゃべっているが、運が良かっただけだ」。一九三九年から四五年まで、約一万人の朝鮮人が筑豊地方の麻生家の炭鉱で働かされました。ノさんもその一人です。
忠北大学のパク・ホンヨン教授(政治学)は「少なからぬ韓国人にとって、麻生一族の歴史に目をつぶることはできない。韓国と日本の間に問題が起これば、それが取り上げられるだろう」と指摘します。
朝鮮植民地支配(一九一〇―四五年)下での日本による強制連行、日本軍「慰安婦」、財産没収といった行為は、今でも日韓関係に重くのしかかっています。
朝鮮人強制労働を調査している韓国政府の「日本植民地支配下での強制連行被害真相究明委員会」は、麻生首相の資産の源泉に注目しています。同委員会が九月に発表した報告書は「炭鉱はファミリービジネスの一部だったのであり、麻生氏は炭鉱と極めて密接な関係がある」と指摘しました。
強制労働、軍属、「慰安婦」などを強要された多くの被害者は、過去数十年にわたり未払い賃金の支払いや補償を求めてたたかってきました。
麻生炭鉱は無くなりましたが、麻生セメントをはじめグループ企業は繁栄しました。首相は一九七三年から七九年まで、麻生セメントの社長でした。
二〇〇五年に強制連行被害真相究明委員会は、強制連行された朝鮮人を働かせた百社以上の資料提供を日本政府に要請しましたが、日本側はほとんど応じませんでした。当時の外相は麻生氏。百社の中には麻生炭鉱も含まれていました。
麻生炭鉱は労働者の扱いのひどさ、強制連行された朝鮮人の逃亡率の高さで有名だったといいます。多くの朝鮮人が飢え、虐待、過労で死んでいきました。
麻生炭鉱で働かされたノさんは、一九四一年から二年契約という約束でした。しかし、契約期間が過ぎても、炭鉱での労働を強制されました。逃亡を試みましたが、すぐに捕まり連れ戻されました。
ノさんの体は傷だらけです。自分の体験が歴史の中に消えてしまうのではないか、という心配が頭から離れません。
( 2008年10月25日,「赤旗」)(Page/Top)
井上 俊夫さん(いのうえ・としお、本名中村俊夫=なかむら・としお=、詩人)16日午前2時10分、肺炎のため大阪府交野市の病院で死去、86歳。大阪府出身。葬儀は17日午前11時から同府寝屋川市中木田町25の10の自宅で。喪主は長男俊春(としはる)氏。
戦後、農業の傍ら詩作を行い、57年に詩集『野にかかる虹』でH氏賞を受賞。戦争体験を基にしたエッセーなども手掛けました。詩集に『従軍慰安婦だったあなたへ』など。
( 2008年10月17日,「赤旗」)(Page/Top)
晴男 「放送を語る会」や日本ジャーナリスト会議、市民・研究者ら六十人以上が、BPO(放送倫理・番組向上機構)に、NHK「ETV2001」改変事件の真相究明を要請したね。
市民などが要請
秋平 七年前に、安倍晋三官房副長官(当時)の圧力で、番組「問われる戦時性暴力」が改ざんされた事件だね。取材協力した市民団体バウネットジャパンがNHKを訴えて、今年の六月、最高裁で判決が言い渡されたんじゃなかったかい?
晴男 「政治家の圧力による改変ではない」と主張するNHKの勝訴だった。しかし、この事件をこのまま終わらせてはならないという声が、市民らの間であがったんだよ。OBを含むNHKの有志が同様の申し入れをしている。
秋平 どういうこと?
晴男 放送倫理上の問題が未解決のまま残されているんだ。
秋平 二審の東京高裁判決は、「国会議員の意図を忖度(そんたく)した」改変と認定し、「編集の自由」と居直ったNHKの主張を退けたんだよね。「編集権を自ら放棄したものに等しい」という内容だった。
晴男 最高裁では事実認定には立ち入っていない。東京高裁の判断は変更されないまま、ということだ。東京高裁とNHKの公式見解が真っ向から対立しているのは、公共放送であるNHKのあり方を考えるうえで、そのままにできないというのが市民らの立場だ。
秋平 あの番組は日本軍「慰安婦」問題を扱っていた。しかし「慰安婦は商行為」という識者のコメントが入ったり、視聴者に誤解を与える内容になっていた。
事実歪曲の疑い
晴男 BPOの放送倫理検証委員会は、取材・制作のあり方や番組内容に関する問題について審議を行い、必要に応じて「意見」を公表する。申し入れをした市民らは、「取材対象である女性国際戦犯法廷と『慰安婦』制度について事実を歪曲(わいきょく)した内容が放送された疑いが強い」と主張している。
秋平 東京高裁では政治家の圧力を示唆する証言が幾つもあったしね。で、BPOではどうなったんだい?
晴男 審議に入るかは結論を持ち越した。真相を明らかにしてほしい。
( 2008年10月15日,『赤旗』)(Page/Top)
日本軍「慰安婦」を扱ったNHKの番組(二〇〇一年放送)が大幅に改ざんされた問題で、「放送を語る会」など五つの市民団体と研究者ら六十九人が九日、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会に真相究明の取り組みを要請しました。
BPOへの要請文は「裁判は終わりましたが、放送倫理上の問題が未解決のまま大きく残されている」として「政治家の圧力はなかった、編集は自主的なもの」というNHKの主張が真実であるかどうか、番組に虚偽が含まれていないか、大局的見地から調査、検証を行ってほしい、と訴えています。
番組は、制作過程で自民党の安倍晋三官房副長官(当時)らの政治圧力による改変が問題になっていました。取材協力した市民団体バウネットジャパンが、「協力したのに期待を裏切られた」としてNHKなどを相手に提訴。東京高裁は〇七年、NHK幹部が政治家の意図をおしはかって改変したと、NHKらに損害賠償を命じました。それに対し、最高裁は今年六月、政治圧力の事実には立ち入らず、原告の請求を退けました。
この問題では、先ごろ、NHKの現役とOBの有志がBPOに対し、同様の申し入れをしています。NHKの関係者は、「NHKの公式見解と東京高裁の事実認定は全く違う。真実がどこにあるのか、第三者委員会にきっちり検証してほしい」と語っています。
( 2008年10月10日,『赤旗』)(Page/Top)
売買春問題ととりくむ会がよびかけた「日本軍『慰安婦』問題の一日も早い解決」を求める集会が八日、東京都千代田区の参院議員会館で開かれ、女性団体の代表ら約九十人が参加しました。日本共産党の紙智子参院議員や、民主、社民の女性議員が参加し、連帯のあいさつをしました。
集会では、「女たちの戦争と平和資料館(wam)」の渡辺美奈事務局長が講演。一九九一年に韓国の「慰安婦」被害者、金学順さんが名乗りをあげて以来の国内外の動きを説明。とくに、二〇〇七年以降、米国下院本会議など欧米各国や国連機関が、日本政府に謝罪を求める決議や勧告を相次いで採択していることを指摘。「国際社会の変化は、その国の意識というより、運動があったから」と強調しました。
また、渡辺さんは「慰安婦問題を解決してこそ、国際社会で日本政府は変わったとみられる。正義はどんなに時間がかかっても解決するという先例をつくりたい。それを被害者たちは待っている」とよびかけました。
紙議員は「被害者が生きているうちに解決しないといけない。今度の選挙はこの問題を本当にやっていく国会議員を選ぶチャンスです」と訴えました。
( 2008年10月09日,『赤旗』)(Page/Top)
そこは、かつて日本軍の飛行場。木々が生い茂り、木陰になった片隅で、座って休んでいたのは日本軍「慰安婦」たち。「朝鮮ピー」と呼ばれていました。
沖縄県宮古島市の上野野原地区周辺。今ではサトウキビ畑に囲まれた、その場所に忘れないようにと黒い琉球石灰岩を置きました。
昨年五月、宮古島での日本軍「慰安婦」の実態聞き取りのために訪れた、日韓の研究者らでつくる合同調査団に、祈念碑の建立を提案、私有地の無償提供を申し出ました。
第二次世界大戦末期―。宮古島は制空権、制海権を米軍に奪われ、物資の補給が途絶え、飢餓の島と化しました。芋のつるが、最高のおかず。食事は一日に一食でした。
当時十一、二歳。自宅から三百bほどの場所に兵舎がありました。「どうして兵舎に女の人がおるのか」。「慰安婦」を初めて見たときは不思議でした。おとなたちの会話で、日本兵の相手をさせられていることを知りました。
妹三人の四人きょうだい。戦後、高校を卒業し経済的な理由から嘉手納基地で働きました。米兵に小ばかにされながらの労働で反戦・平和の思いを強くしました。その後、宮古島に戻り学校事務に就きました。今では孫も生まれました。
建立された祈念碑の碑文です。「戦争を二度と起こさぬため世界の平和共存の想いをこめこの碑を後世に伝えたい」。おじいの反戦の理念が刻まれています。
文 藤川 良太
( 2008年10月04日, 『赤旗』)(Page/Top)
成田空港の整備の遅れを「ごね得」と誹謗し、日本は「単一民族」といいはる、さらには大分での教員採用汚職にかこつけ「日教組が強い県は学力が低い」と中傷する―異常きわまる発言で批判されてきた、中山成彬国土交通相が辞意の意向を固めました。
中山氏に大臣を続ける資格がなかったのは明白です。中山氏を任命した麻生太郎首相の責任も厳しく問われなければなりません。
一片の道理も真実もない
中山氏の発言に、一片の道理も真実もなかったのは明らかです。
成田空港の整備の遅れが住民の「ごね得」によるものだというのは、中山氏も、所管した国交省の事務当局の説明を受けて撤回したように、事実に反します。国交省も認めるように、政府が住民の理解を得ることなく建設を進めたことが遅れの最大の原因です。中山氏の発言は、国のやることへの反対は認めないという住民敵視の立場を示すだけです。
日本は「単一民族」というのも、全く事実に反します。政府は国連の「先住民権利宣言」に賛成し、ことし六月には衆参両院の本会議が、アイヌ民族を日本の「先住民族」と認め、「総合的な施策の拡充を図る」ことを全会一致で決議しています。中山氏の発言は、アイヌ民族の尊厳を傷つけるとともに、国会の決議をないがしろにする点でも重大です。
大分県教委の教員採用汚職事件に関連して、「日教組が強い県は学力が低い」などと中傷したのは、事実に反するだけでなく、何より子どもたちの心を傷つける、まったく配慮に欠けた発言です。
しかも中山氏は、文部科学相として「全国いっせい学力テスト」を推進したのはそのことを確かめるためで、それは確認されたから「もう学力テストは役目を終わった」とまでいうのです。国民の税金を投入した「学力テスト」を、自らのゆがんだ考えを確認するために推進したというのは驚くばかりです。そんな「学力テスト」はただちに中止すべきです。
中山氏は、「日教組」発言については撤回を拒否し、二十七日になっても「日教組は日本の教育のがん」「ぶっ壊すために火の玉になる」などと発言しています。文字通り確信犯≠ニしての発言というしかありません。
ことは閣僚として自覚を欠いたとか、舌足らずで誤解を招いたというものではありません。発言は中山氏の本音であり、中山氏に閣僚としてはもちろん、国民に選ばれる政治家としても不可欠な最低限の資質、最低限の民主的感覚さえないことを示すものです。閣僚の資質に欠けた中山氏が、その職にとどまることが許されなかったのは当然です。
侵略肯定の「靖国」派
重要なのは、中山氏がこうした資質の持ち主であることはよく知られていたのに、麻生氏が閣僚に任命したという事実です。
中山氏は文科相時代から、「教育勅語にはいいことが書いてある」とか、「教科書から『従軍慰安婦』の記述が減ってよかった」と発言してきた、自民党内屈指のタカ派で、過去の侵略戦争を肯定する「靖国派」の一人です。麻生氏の任命責任は重大です。
首相自身の責任がきびしく問われるのは避けられません。
( 2008年09月28日,「赤旗」)(Page/Top)
記憶と資料から反戦のテーマに迫る
一九四七年の「肉体の門」以来、肉体派の作家として一世を風靡した田村泰次郎には、足かけ七年にわたる中国への従軍体験があった。山西省太行山脈を振り出しに中国各地を転戦、終戦後も河南省保定で戦闘を続けた。その体験にもとづく「肉体の悪魔」「春婦伝」「蝗」などの戦争小説が、中国人や朝鮮人慰安婦の視点から日本軍の上層部や天皇制を鋭く批判する側面を含んでいることはこれまでも指摘されていたが、全体としては「肉体の門」などの風俗小説の陰に隠されてきたといってよい。
本書は、三重県立図書館ほかに遺された資料を精査するとともに、中国山西省、河北省、河南省の旧戦地を訪れ、戦争の記憶を残す現地の人々への取材を通じて、それらの戦争小説のモデルや舞台や背景を明らかにしようとした労作である。
中心に置かれた小説は復員後初めて書かれた「肉体の悪魔」。山西省陽泉で日本軍の一兵士が、俘虜になっても敵意を失わない中国共産党軍の女性工作員と愛し合い、彼女の思想が、彼によって激しく燃え立たされた彼女自身の肉体に敗れそうになるという劇的なテーマの作品だ。
山西省の劇団史から著者は「肉体の悪魔」のモデルとなった女性を特定し、田村泰次郎が持ち帰った資料のなかからその女性の写真を発見して、巻頭のグラビアに掲げている。ほかにも本書には数多くの写真が収められていて臨場感を高めている。
小説のモデルや背景や草稿の調査によって作品の全容が解明されたとはいえないにしても、戦争の記憶が風化されつつある現在、敵、味方の双方から戦争体験者の記憶と語りを集め、戦争を正当化するいかなる論理をも否定しようという著者の姿勢は間違いなく正しい。
おにし・やすみつ 一九六七年生まれ。三重大学教授。『北村透谷論』。
( 2008年09月28日,「赤旗」)(Page/Top)
自公政権の相次ぐ崩壊の背景分析
いま世界の政治・経済構造は急激に変化しています。その世界で日本はいかにあるべきか。一年前の安倍首相の無責任な政権放棄は自公勢力がこの変化に対応できなかったことを如実に証明しました。
安倍辞任につづく福田首相のまたも無責任極まる辞任。本書はその直前に出版されたため、二代もつづく不様な自公政権崩壊には触れていませんが、ことの本質は同じです。
本書を構成する次の五章はそれ自体著者の問題意識と究明の道を示しています。「世界構造の転換と帝国主義」「世界の構造変化と日米関係」「進む『東アジアの共同』と米日の対応」「アジアの中の憲法問題」「『慰安婦』問題に見る世界の構造変化」。
とくに、世界構造の変化については、レーニンの『帝国主義論』が第一次世界大戦時の世界構造の変化を解明しているのに対し、「帝国主義」の判定基準を国家独占資本主義という経済の発展段階に解消せず、その国の政策と行動に侵略性が体系的に現れている場合に、これを帝国主義とよぶという規定に発展させた日本共産党の研究の成果をふまえているのは重要です。
この分析の具体的現れとして、ベトナム戦争でのアメリカ、フランス両帝国主義の敗北とイラク侵略戦争を巡る米仏の鋭い対立、国連におけるブッシュ政権の単独行動主義、覇権主義への批判の広がりなどが指摘されていることは注目すべきでしょう。
さらに中国や東アジア諸国の経済力、政治的発言力の強まり、「東アジア共同体」や東南アジア友好協力条約(TAC)を巡る日本支配層とアメリカとの軋轢があります。自公政権の相次ぐ崩壊の原因に、日米同盟を再編強化しながらアジア政策を転換する、アメリカの二面性に対応できない日本支配層の対米一辺倒が鋭く批判されています。
いしかわ・やすひろ 一九五七年生まれ。神戸女学院大学教授。
( 2008年09月28日,「赤旗」)(Page/Top)
麻生内閣(二十四日発足)の閣僚の顔ぶれは次の通りです。(敬称略。氏名のあとの括弧内は自民党所属派閥名または党名)
暴言繰り返す渡り鳥改憲派/総務・地方分権改革担当相鳩山邦夫(津島派)
祖父は改憲を公約した鳩山一郎元首相。超党派議連「教育基本法改正促進委員会」顧問や「新憲法制定議員同盟」副会長兼常任幹事を務めてきた改憲派です。
二〇〇七年の安倍改造内閣で法相に就任し、福田内閣の改造まで約一年間務めました。その間、「(死刑は)自動的に進む方法を考えたらどうか」など、次々と暴言をはきました。
田中角栄元首相の秘書から政界入りし、宮沢内閣で文相。一九九三年に自民党を離党し、羽田内閣で労相。新進党で政審副会長などを務めた後、九六年離党し兄の由紀夫氏(現民主党幹事長)と旧民主党を結成。その後、都知事選出馬などを経て、二〇〇〇年に自民党に復党しました。
衆院福岡6区、当選10回、60歳。
副大臣時代に年金未納発覚/法相森英介(麻生派)
サラリーマン本人の医療費自己負担を三割に引き上げた二〇〇二年の医療改悪で、衆院厚労委員長として採決を強行しました。
厚労副大臣を務めていた〇四年には、国民年金に十三カ月の未納期間があったことが発覚。野党は辞任を求めましたが、そのまま居座り、年金改悪を強行しました。日本会議国会議員懇談会副会長です。
川崎重工業を経て、一九九〇年初当選。今回初入閣。
衆院千葉11区、当選6回。60歳。
親子二代での風見鶏≠ヤり/外相中曽根弘文(伊吹派)
父・中曽根康弘元首相の秘書を経て一九八六年の衆参同時選で参院選に立候補し、初当選。小渕・森両内閣で文相兼科技庁長官を務めました。新憲法制定議員同盟の副幹事長を務める改憲派で、日本会議国会議員懇談会会長代行です。
二〇〇五年の通常国会(郵政国会)では、参院本会議で郵政民営化法案に反対票を投じ小泉内閣に造反。しかし、同年九月の総選挙での自民圧勝後の国会では同法案に一転賛成し、郵政民営化反対派から「親子二代の風見鶏」とやゆされました。
参院群馬選挙区、当選4回。62歳。
自民党内でも名うてタカ派/財務・金融相中川昭一(伊吹派)
自民党内でも名うてのタカ派。「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」代表時、「従軍慰安婦」について日本軍の関与を認めた河野洋平官房長官談話を「自虐的な考え方」と攻撃。〇一年、安倍晋三官房副長官(当時)とともに「慰安婦」問題を扱ったNHK番組を事前検閲≠オました。日本会議国会議員懇談会の会長代行。
小渕内閣で農水相、小泉内閣で経産相、農水相を歴任、安倍内閣で政調会長を務めるなど「構造改革」路線に共同責任をもっています。『中央公論』八月号で、さらなる法人税減税と消費税の段階的引き上げを主張しました。
衆院北海道11区、当選8回、55歳。
脱税企業から秘書給与900万/文部科学相塩谷立(町村派)
衆院議員の父に続く二世議員。小泉内閣の文科副大臣在任中は与党の「教育基本法改正に関する検討会」に参加し、同法改悪を推進しました。
東京国税局から架空人件費計上などで約二億八千万円の所得隠しを指摘された日本道路興運から二〇〇〇年―〇三年のあいだに秘書給与計九百万円あまりを肩代わりしてもらいながら、政治資金収支報告書に記載していなったことが発覚しています。
「新時代にふさわしい憲法改正」を主張しています。
衆院静岡8区、当選5回、58歳。
後期医療制度実施の責任者/厚生労働相舛添要一(無派閥)
厚生労働相として、後期高齢者医療制度の実施を強行。廃止を求める世論に抗して制度存続に固執してきました。『中央公論』九月号では、「七十五歳で区切るのは合理的」と主張しておきながら、自民党総裁選の最中には、「抜本的見直し」を突然言い出し、「猟官運動」と批判されました。
約五千万件の「宙に浮いた年金」問題で「最後の一人、最後の一円まで頑張ってやる」と公言しながら、昨年十二月、特定が困難だとわかると、「期限はエンドレス。できないこともある」と居直りました。
自民党新憲法起草委員会事務局次長として、〇五年秋に発表された「自民党新憲法草案」取りまとめの中心として活動しました。
参院比例区、当選2回、59歳。
農業分野での構造改革主張/農林水産相石破茂(津島派)
農水総括政務次官の経歴を持ち、自民党の総合農政調査会会長代行も。同党総裁選では「米などの国内の農業生産について、抜本的な構造改革を図り、国際的な競争力を強化する」と、中小農家の切り捨てにつながる政策を主張しました。
小泉内閣で防衛庁長官、福田内閣で防衛相を歴任し、イラクやインド洋への自衛隊派兵、対米軍事協力体制づくりを推進した「国防族」。自衛隊の海外派兵をいつでも可能にする恒久法の自民党原案づくりでも中心になりました。憲法改定も、自民党総裁選で「果断に実行する」と主張しました。
衆院鳥取1区、当選7回、51歳。
道路特定財源一般化に反対/経済産業相二階俊博(二階派)
福田内閣からの留任。自民党の道路族として道路特定財源の一般財源化に反対しました。トラック業界の政治団体や日本道路建設業協会の会員企業から献金をうけています。
二〇〇三年に消費税率引き上げについて「二年ごとに2%というのも一つの方法だ」と主張していました。
一九九三年に宮沢内閣不信任案に賛成して自民党を離党。以後、小沢一郎氏の側近として新生党、新進党、自由党に参加。その後、小沢氏から離れ、保守党を結成し、二〇〇三年の自民党合流とともに復党しました。
衆院和歌山3区、当選8回、69歳。
学力テストの結果公表固執/国土交通相中山成彬(町村派)
第二次小泉改造内閣(〇四年)で文部科学相を務め、教育基本法改悪に向けた地ならしを行いました。
文科相時代、「教育勅語を読むと、本当にいいことが書いてある」と、軍国主義教育を美化。教育現場での競争激化につながる学力テストの結果公表を主張しました。
「従軍慰安婦」問題で教科書攻撃などを行ってきた「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の会長。〇五年六月には「『従軍慰安婦』という言葉は当時なかった」との暴言も行いました。
日本会議国会議員懇談会の副会長。妻は中山恭子前拉致問題担当相。
衆院宮崎1区、当選6回、65歳。
温暖化対策に「原発が有効」/環境相斉藤鉄夫(公明党)
温室効果ガス削減に効果が期待できる排出量取引制度については「最初は(経済界の)自主的な取り組みで」という立場。京都議定書の削減目標達成についても、「原子力(発電所)が現実問題として最も有効だ」と主張しています。
二〇〇六年から〇八年の環境相就任まで公明党政調会長として、後期高齢者医療制度を推進。同制度を「長寿を喜ぶ社会のための医療制度」と擁護してきました。
米プリンストン大学の客員研究員を経て、一九九三年に初当選。
衆院比例区、当選5回、56歳。
父はハマコー恒久派兵推進/防衛相浜田靖一(無派閥)
父・浜田幸一元衆院議員から地盤を譲り受けて一九九三年に初当選。〇三年小泉第二次改造内閣で防衛庁副長官に就任し、自衛隊のイラク派兵を推し進めました。自民党内では国防部会長、防衛省改革小委員会長などを歴任。〇六年には、同法の防衛政策検討小委員会のメンバーとして、自衛隊の派兵恒久法の原案づくりに関与しました。
〇七年十月の衆院本会議で、「(自衛隊の海外派兵恒久法は)もはや議論すべき段階ではなく、早急に実現させるべき喫緊の課題」と主張。自民、民主の「国防族」議員でつくる「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」の幹事として、両党共同の派兵恒久法案づくりを進めました。
衆院千葉12区、当選5回、52歳。
戦前回帰狙い教育勅語賛美/官房・拉致問題担当相河村建夫(伊吹派)
森第二次改造内閣(〇一年)と小泉第一次改造内閣(〇二年)で文科副大臣。〇二年の就任時、「首相官邸より教育基本法改正の特命を受け」たと述べ、同法改悪に血道をあげました。
〇三年九月から小泉内閣の文科相。戦前の軍国主義教育の支柱だった教育勅語について「その精神が全部悪いかと言えばそうではない」と発言しました(〇四年五月)。
〇六年一月から与党の教育基本法改正検討会のメンバーとなり、改悪案の最終的な練り上げに加わりました。
日本会議国会議員懇談会のメンバーです。
衆院山口3区、当選6回、65歳。
日歯連からの迂回献金疑惑/国家公安・沖縄北方・防災担当相佐藤勉(古賀派)
就任会見で、日歯連からの迂回(うかい)献金疑惑を指摘されるなど、国家公安委員長の適格性が問われています。初当選した一九九六年の総選挙で、運動員が買収容疑で逮捕。二〇〇〇年の総選挙でも、後援会地区責任者が供応容疑で逮捕されています。
厚労政務官時代に、厚労省職員に対し歯科医に有利な診療報酬の改定を要求。歯科診療の報酬改定をめぐり日歯連会長が逮捕された事件で、日歯連から自民党の政治資金団体を迂回して五百万円の献金を受けていたことが発覚しました。
栃木4区、当選4回、56歳。
消費税10%と大連立が持論/経済財政担当相与謝野馨(無派閥)
福田内閣からの留任。自民党総裁選で麻生首相とたたかいました。
小泉内閣で金融・経済財政担当相、安倍政権末期に官房長官を務めるなど、「構造改革」路線を推進。
自民、民主「大連立」と消費税10%が持論です。
二〇〇七年十一月には党の財政改革研究会会長として、消費税を一五年度に向けて10%程度に引き上げる報告書をまとめました。
党新憲法起草委員会の事務総長として、自民党「新憲法草案」をまとめた中心人物。新憲法制定議員同盟の副会長も務めています。
衆院東京1区、当選9回、70歳。
派遣法改悪で非正規を拡大/規制・行政改革・公務員改革担当相甘利明(山崎派)
小渕内閣で労相だった一九九九年に労働者派遣法や職業安定法を改悪し、その後の非正規・不安定雇用拡大をもたらしました。
安倍・福田両内閣では経産相を務め、大企業減税策を提言したり、地球温暖化問題で国内排出量取引制度について経済界の立場に立って反対しました。
元は商工族で、持ち株会社解禁や「中心市街地活性化」政策など、大企業・大型店の利益を優先する施策を担ってきました。
〇七年の高知県東洋町長選で核廃棄物処理施設反対の候補が当選すると、「誤解したまま賛否が諮られると、こういう結果が出る」などと民意無視の暴言を吐きました。
衆院神奈川13区、当選8回、59歳。
靖国参拝時に「大臣」と記帳/消費者行政・科学技術担当相野田聖子(無派閥)
八月十五日に靖国神社を参拝し、「国務大臣野田聖子」と記帳しました。
一九九八年、小渕内閣に郵政相で初入閣。小泉政権下の二〇〇五年に郵政民営化に反対し、衆院選に無所属で出馬、当選しました。選挙後、郵政民営化法案に賛成票を投じて転向=B安倍政権下の〇六年十二月に復党しました。
九六年の総選挙では秘書が公職選挙法違反で岐阜簡裁に略式起訴されました。
岐阜県議をへて九三年衆院選で初当選。祖父は元建設相の故・野田卯一氏。
衆院岐阜1区、当選5回、48歳。
教基法改悪の一翼担う若手/少子化・男女共同参画担当相小渕優子(津島派)
故・小渕恵三首相の二女。TBS社員から小渕首相の私設秘書となり、二〇〇〇年五月の小渕首相の死去に伴い、六月の解散・総選挙で立候補し初当選。三十四歳での入閣は戦後最年少。
〇五年の郵政民営化の採決を棄権。安倍内閣で文部科学政務官に就任し、教育基本法改悪の一翼を担いました。
衆院群馬5区、当選3回、34歳。
( 2008年09月26日,「赤旗」)(Page/Top)
福田首相の政権投げ出しにともなって実施された自民党総裁選で、麻生太郎幹事長が二十二日、新総裁に選出されました。あいつぐ問題発言など、国民がいま不安に思ったり、苦しんでいることに正面から向き合うことができるのか―。
尊厳傷つけた反省なし
全国老後保障地域団体連絡会事務局長の後藤迪男(みちお)さん
麻生氏は舛添厚労相に続いて、「後期高齢者医療制度」の抜本見直しを表明しました。
高齢者、国民から総スカンをくった同制度は、軽減策等では選挙に耐えられないと判断したのでしょう。
内容は十分明らかにされていませんが、@「七十五歳以上」など年齢で区分しないA年金からの保険料天引きは強制しないB世代間の反目を助長しない―を原則に一年間かけて現制度を見直す方針としています。
私たち、たたかってきた高齢者は手ごたえを十分感じています。
一方で麻生氏は「基本的にそんなに悪い制度だと思っていない」と発言するなど、高齢者の尊厳を傷つけてきたことへの反省がありません。
「後期高齢者といわれるとむしずが走る。総選挙をまたず、一日も早くこの制度を葬ってもらいたい」というのが私たちの気持ちです。
私たち高齢者の合言葉は「こんどの選挙に勝利して、後期高齢者医療制度にとどめを刺そう」です。二十四日にも、巣鴨・地蔵通りで宣伝をくりひろげる予定です。
国際的孤立いっそう
石山久男・歴史教育者協議会前委員長
麻生さんは創氏改名や韓国との関係で、問題になる発言を繰り返してきた人です。そういう人が首相になるということは、これからの日韓関係ひいてはアジア全体の平和をつくっていくという意味で、非常に大きな障害になると思います。
「従軍慰安婦」の問題では、「慰安婦」の強制を否定する右翼的な政治家グループの中心的人物の一人です。
この問題では昨年、各国の議会で決議がされるなど国際的な問題になっています。それは単に過去のことだけではありません。いま現に戦争のなかで起きている人権侵害を、これから二度と起こさないためにどうすればいいのかという立場から、過去の問題にきちんと決着をつけようというのが国際社会の一つの一致点になっています。
しかし、麻生さんはそういうことにおいての知識が全くなく、いまも「慰安婦」の強制を否定するような考え方の持ち主です。そういう人間が首相になるということは、日本の政治の国際的孤立をいっそう深めることになります。
( 2008年09月23日,『赤旗』)(Page/Top)
河野洋平衆院議長(71)=神奈川17区、自民党を離脱中=は十八日夜、神奈川県箱根町のホテルで記者会見し、次期衆院選に出馬せず、今期限りで政界を引退することを正式に表明しました。河野氏は、宮沢内閣の官房長官だった一九九三年に「従軍慰安婦」問題で「心からのおわびと反省」を表明した談話を発表したことについては「今でも極めて重要な談話だったと思う」と語りました。
( 2008年09月20日,「赤旗」)(Page/Top)
戦時中、旧日本軍の性奴隷とされた中国人女性八人(うち二人死亡、遺族が継承)が、日本政府に損害賠償と謝罪を求めている中国海南島「慰安婦」訴訟控訴審の第六回口頭弁論が十八日、東京高裁(渡辺等裁判長)で開かれました。原告側弁護団は、日中共同声明によって個人の裁判上の請求権は放棄されたとする最高裁判決(二〇〇七年四月)を前提にしても、原告らの賠償請求は認められると主張しました。
最高裁判決は個人の請求権放棄を示す一方、日中共同声明がサンフランシスコ条約による戦後処理の枠内にあると判断しています。原告側はこの立場に照らせば、日本政府がオランダの「慰安婦」被害者などに補償する理由となった同条約二六条の「最恵国待遇」の規定が原告らにも及ぶことになり、賠償請求も認められると主張しました。
国側は最高裁判決を盾に、原告の請求棄却を求めています。
次回は十二月二十五日で、結審の予定です。
( 2008年09月19日,「赤旗」)(Page/Top)
沖縄から西南300`、美しい海に浮かぶ宮古島に、日本軍「慰安婦」の祈念碑が建立され、除幕式が行われました(7日)。長年、「慰安婦」問題にとりくんできた日本共産党の前参院議員、吉川春子さんのリポートです。
12の言語で
アジア太平洋戦争当時、宮古島に16カ所、沖縄全体で130カ所もの慰安所があったことが、これまでの調査でわかっています。慰安所を記憶している島民と日韓の研究者との出会いをきっかけに運動が広がり、「祈念碑」の建立が実現しました。「女たちへ」と刻まれた祈念碑には、こうあります。
「故郷を遠く離れて無念の死をとげた女性たちを悼み、戦後も苦難の人生を生きる女性たちと連帯し、彼女たちの記憶を心に刻み、次の世代に託します」「この思いが豊かな川となり、平和が春の陽のように暖かく満ちることを希求します」
碑の左右にある12のプレートには韓国語、日本語、中国語、ベトナム語など12の言語で、「日本軍による性暴力被害を受けた一人ひとりの女性の苦しみを記憶し、全世界の戦時性暴力の被害者を悼み、二度と戦争のない平和な世界を祈ります」と刻まれています。
土地提供の思い
碑の数b手前には、「アリランの碑」が建立されています。碑には、土地を提供した与那覇博敏さん(75)の思いが刻まれています。
「戦争当時 この近くに日本軍の慰安所があった 朝鮮から連れてこられた女性たちがツガガーにて洗濯の帰りに ここに休んでいたことを記憶している 悲惨な戦争を二度と起こさぬため 世界の平和共存の想(おも)いをこめ この碑を後世に伝えたい」
博敏さんは11歳のとき、「自宅そばの慰安所にいるきれいな2〜3人の姉さんたちを見て、何をする人だろうと思った」と話します。村の中を歩いている朝鮮の女性から日本語で「兄ちゃん兄ちゃん、唐辛子もらいたい」と声をかけられました。この女性たちは無事に終戦を迎えただろうか、と表情を曇らせます。
博敏さんは、「自分にも何かできることはないかと考え、土地を提供しました」と語ります。
当時、人口約6万人の宮古島に日本軍が3万人も駐屯していました。学校は野戦病院にされました。特攻機もここからたくさん飛び立ちましたが、二度とかえりませんでした。連日空襲があり、また食料がなく飢餓の島でもあったのです。
除幕式に先立つ5日、慰安所跡の現地調査を行いました。
今はさら地や野原になっていますが、バラックや幕舎を建てて慰安所にしたことを宮古の古老たちが証言しました。
「碑を建てる会」共同代表のユン・ジョンオク先生は、「終戦のときから『慰安婦』のことを忘れずにきた与那覇さんに何よりも感謝する」と話しました。
証言を聞く会
6日に開かれた元日本軍「慰安婦」パク・スンヒさんの証言を聞く会には、150人が参加しました。86歳とは見えない、かくしゃくとした方で、濃い茶のブラウスと白い上着というすてきなセンスです。当時、朝鮮北部に住んでいました。
「友達の家に行く途中で日本の憲兵に拉致され、満州(中国東北部)の密山病院ですぐ子宮の検査をされた。着いた日から日本兵が次々来た。経験がないので抵抗すると銃剣で刺された。6年間『慰安婦』をさせられた。戦争が終わり、朝鮮半島に向かう列車の中で偶然出会った妹も、『慰安婦』にさせられていた。2人で故郷に帰ったが父親は怒りのあまり亡くなってしまった。結婚できず子どもを産めない。私だけどうしてこんな人生を歩まねばならないのか」
パクさんは涙で絶句し、これ以上話せないといって退席しました。最後に「日本人はみんな鬼みたいだと思っていたが、ここに来て私のことを考えてくれる人がいることを知った。帰ったら日本にもいい人がいることを伝えたい」とお礼をのべました。
米下院やEU議会から「慰安婦」決議を突き付けられても反応しない日本政府。これでいいのか、ということを鋭く問いかけたつどいでした。
(2008年09月14日,「赤旗」)(Page/Top)
いのちを語りつぐ若者たち
かつて、私はこれほど自分の心のすみずみまで、手が届き生きる力と希望を見いだせた書籍にであったことはありません。
私と同世代の九人の若者たちがとりくむ「従軍慰安婦」、南京事件、強制連行・強制労働、靖国神社、東京大空襲、沖縄戦、原爆、朝鮮戦争、イラク戦争。いま突きつけられるこの歴史的事実を、これからを生きる私たちはどう見、検証し、向き合うのか。この許されざる人間の過ちを繰り返さないためにどう行動を起こしてゆくのか。
そのヒントが、九人の真摯で素っ裸な姿、不器用でごつごつした生きざまから伝わります。みずみずしく人間への切なる思いがいっぱいに詰まった現在進行形の本です。
イラクで「人間の盾」としてふんばった相澤恭行氏は「今、戦争体験者が語りはじめたその言葉に、私たちがどのように向き合うのかが問われている。体験者の言葉一つひとつを自らの命に刻み付け、その痛みの一つを受け継いでいくこと。それはとても苦しいことかもしれない。しかし、受け継げる痛みがある限り、そして受け継げる命がある限り、受け継いでいくこと。それが生きるということではないだろうか」と記しています。
また、監修の小森陽一氏は「大きな痛みを内在させた、他者の心の傷を、どのように人として受けとめ、自らの心の傷として引き受けつつ、共に治癒させていくのかという方向をめぐる、深い探求の軌跡を、九人の記録から読みとることができる」とまとめています。
この書籍がシリーズ化されることを熱望します。これこそが、情報が錯綜するいまの世の中で、戦争を語り継ぐ新しい平和活動への道しるべだと実感するからです。
こもり・よういち 一九五三年生まれ。東京大学教授。『理不尽社会に言葉の力を』ほか。
( 2008年09月14日,「赤旗」)(Page/Top)
過熱するテレビの自民党総裁選報道について、識者に聞きました。
自民党の広報番組か/立正大学講師(ジャーナリズム論)桂敬一さん
昨年の安倍さんのときも、今度の福田首相の突然の辞任でも、選挙をせずに新首相を決めていいのか、その点を議論せずに、マスコミは無批判に新総裁、新首相選びの騒ぎに乗っています。
特に今回は、福田首相が本当に突然の個人的判断でやめたのか、それともタイミングや政治的効果について相談の上でのことなのかについては究明が必要なはずなのに、そこを抜きに、総裁選の様子をただたれ流すというのはニュースでもなんでもない。
特にNHKの報道はひどくて、自民党の広報番組のようです。民放では、一応国民の批判を五候補にぶつけるという形にしていますが、根本的には同じです。こうなると一番話題性のある問題ということで、お茶の間にもいや応なしに入ってきて、国民もひきつけられてきます。
「構造改革」推進をめぐっては「改革派」だとか「上げ潮派」だとか「対立」があるかのように言いますが、五人の出来レースで違いは見えてきません。福祉とか、若者の雇用対策などを取り上げても、政府よりの議論に流れ、財源論義で消費税をあげるのは当然かな≠ニいう雰囲気がつくられていきます。
本来ならメディア自身に「今何が問題なのか」を提起する力があれば、政権政党のつくるショーを見せ付けることにならずに済むはずですが、その力がなくなっているところが問題です。
台本つきの選挙対策/落語家立川談之助さん
自民党の総裁選挙は、買収しようが、わいろを贈ろうが、公職選挙法にはひっかからない私的なものです。候補者が何をいってもわれわれは投票することもできない。そんなものを公共の電波で流す必要はありませんよ。
結局、自民党の宣伝になります。誰か頭のいい人が考えているんでしょうけど…。台本ができている選挙対策のおまつりです。
五人の候補者が出てきてわいわいやっているのは「大喜利」と同じです。候補者はテレビのバラエティー番組に出ていた人ばかり。テレビが放送しなければ出馬しなかったんじゃないでしょうか。テレビは中身は関係ない。おもしろければいいんだから。
福田さんが二世議員と批判されましたが、麻生さんもおじいさんが吉田茂元首相で、世襲議員のシンボルですね。「金はうなるほどもっている」という人に庶民の気持ちがわかるはずありません。無駄を削って、必要なところに予算を回すやりくりなんかできないですよ。
政治も悪いし、テレビも悪いですね。選挙の公平・公正からいったらとんでもない話です。
戦略に乗る危険性が/鹿児島大学法科大学院教授(憲法学)小栗実さん
自民党総裁選の報道は、とくにワイドショーがひどいという印象を受けています。自民党の派閥の議員やテレビによく出る議員だけを集めて、総裁選を論じるやり方はいかがなものか。しかも政策にあまり関係のない総裁候補の趣味とかをおもしろおかしく取り上げる傾向が目立ちます。自民党内だけではなく、市民の多様な意見や疑問を反映させるような番組のつくり方が必要ではないでしょうか。とくに政策などについて公正で多面的な報道をすべきです。
新しい首相が直面するのは、新テロ特措法の更新です。アフガンを攻撃する艦船に給油活動をするのは「武力の行使」にあたり憲法違反の疑いが強い。四月に名古屋高裁はイラクでの航空自衛隊の兵員輸送活動が憲法九条一項で禁じられた「武力の行使」にあたると判断しましたが、同じような憲法上の疑義がある新テロ特措法についてどう考えるのか、総裁候補は正当化する理由をしっかりと説明してほしい。テレビの質問者はそういう点をもっと突っ込んで、問いただすべきです。
テレビが自民党の「ちょうちん持ち」になってはなりません。このままでは自民党の広報戦略に乗せられてしまう危険性があるのではないでしょうか。
NHKの責任は重大/NHK問題を考える会(兵庫)事務局西川幸さん
どのチャンネルを回しても総裁候補の笑顔ばかり。五人の候補が正式に立候補して共同会見を開いた十日は、自民党に電波をジャックされた感じです。
自公政権がゆきづまり落ち目になった自民党が、総選挙を有利に運ぼうという狙いは見え見えです。「小泉劇場」の教訓も忘れ、テレビ局は各候補を興味本位で追い回しました。日本の報道機関の程度の低さが恥ずかしい。
とくに、NHKの責任は重大です。とりわけ政治的公平性が求められる公共放送の使命を投げ捨て、共同会見すべてを生中継する異常ぶりは許せません。自民党の広報機関に成り下がったと言われても仕方ないでしょう。
「慰安婦」問題を扱った番組が自民党幹部の圧力で改ざんされた事件をきっかけに、私たちは会を立ち上げました。今回の報道を見ると、NHKと政権党との癒着はいまも続いていることを痛感します。経営委員長と会長というNHKトップ二人が財界出身者で固めてから、その傾向に拍車がかかっているのではないでしょうか。
公共放送を市民の手に取り戻すため、NHK大阪放送局を通じて是正を申し入れたい。
( 2008年09月12日,「赤旗」)(Page/Top)
8月15日は、昭和天皇が「玉音放送」で連合国の「ポツダム宣言」受諾を国民に表明した日でした。それが対外的に決着するためには、連合国との間で「降伏文書」の調印が必要でした。「日本降伏」後編は、調印の9月2日までの19日間に何が起きたかをたどります。
降伏の「伏」は「人に犬がつかえる」ことだからと「降譲」「降服」と言い換えようとしたり、「調印にあたることは公人は破滅、軍人は自殺を意味する」といって調印式の全権委員を政府・軍部の要人、皇族が次々と拒んだため、天皇も関与して式の前日まで紛糾する…。降伏、敗戦の現実と向き合えない指導者が、ただ「国体護持」、天皇制の存続のためにきゅうきゅうとしたことを描きます。
連合軍司令官マッカーサーが厚木飛行場に降り立つ直前、皇族首相の東久邇宮は「国民全体が徹底して反省して懺悔(ざんげ)しなければならぬ」と一億総懺悔§_を唱え、戦争遂行者の責任をあいまいにしました。番組は現在の教科書改ざん問題、日本軍「慰安婦」の人々の告発の姿を映し、日本の歴史認識の問題に決着がついていないことを示します。
(山沢 猛)
( 2008年09月10日,「赤旗」)(Page/Top)
沖縄県宮古島市に日本軍「慰安婦」を悼む祈念碑の除幕式が七日、行われました。集まった百人以上の市民らは、世界の戦時性暴力の被害者を悼み、恒久平和の思いを新たにしました。
除幕式を行ったのは、宮古島で「慰安婦」問題に取り組む女性らのグループや日韓の研究者でつくる宮古島に日本軍「慰安婦」の祈念碑を建てる会(ユン・ジョンオク、中原道子、高里鈴代共同代表)。
ユンさんは、「誰より被害者が望む碑が建った。平和を願う世界中の人々が訪れることを願う」とあいさつし、中原さんは「私たちにできることは、記憶すること。記憶を語り伝えること。そのような気持ちでこの碑が建てられたことをうれしく思う」と言葉を詰まらせました。
日本軍の慰安所に強制連行された体験を語ったパク・スンヒさん(85)に花束が贈呈されました。パクさんは「本当にありがとうございます」と語り、涙を浮かべながら「アリラン」の一節を歌いました。
伊志嶺亮宮古島市長も祝辞を述べたほか、県立宮古高校の吹奏楽部がアリランなどを演奏しました。
琉球岩石に「アリランの碑」のプレートが取り付けられた祈念碑は、木陰で「慰安婦」たちが休憩をしていたという場所に建てられました。
除幕式には、「慰安婦」問題に取り組んできた日本共産党の吉川春子前参院議員も出席しました。
( 2008年09月08日,「赤旗」)(Page/Top)
日本軍「慰安婦」を悼む祈念碑の除幕式が七日、沖縄県宮古島市で行われます。祈念碑の碑文には「故郷を遠く離れて無念の死を遂げた女性たちを悼み、戦後も苦難の人生を生きる女性たちと連帯し、彼女たちの記憶を心に刻み、次世代に託します」と刻まれます。前日の六日には、元「慰安婦」のパク・スンヒさんの証言を聞く会も開かれます。
除幕式を行うのは、宮古島に日本軍「慰安婦」の祈念碑を建てる会(ユン・ジョンオク、中原道子共同代表)。同会には、二〇〇七年に結成された「宮古島の日本軍『慰安婦』問題を考える女たちの会」のメンバーを中心に、日本、韓国などの研究者も入ります。
宮古島市議会では二〇〇七年三月、「慰安婦」についての発言をめぐり、保守系議員が「地方議会にそぐわない」と反発し、市長らが「慰安婦」に関する発言を削除する事態が起きました。この動きに懸念を抱いた女性らが「宮古島の日本軍『慰安婦』問題を考える女たちの会」を結成。研究者や自宅の近くに慰安所があったという住民から証言を聞く会を開きました。
同年五月には、韓国のユン元梨花女子大学教授らが宮古島に日韓合同調査に入り、「慰安婦」の実態について当時を知る住民らから聞き取りました。調査活動のなかで、証言者の与那覇博敏さん(75)が、「慰安婦」の女性たちを記憶し恒久平和を願う碑を建てたいと提案、祈念碑建立の運動へとつながっていきました。
今年八月下旬には、日本共産党の赤嶺政賢衆院議員も、祈念碑の建立予定地などを訪れ、与那覇さんから当時の状況を聞きました。
記念碑の碑文は、日本軍によって被害を受けた女性たちの故郷の十一言語と、今も続く女性への戦時性暴力の象徴として、ベトナム戦争時に韓国軍の被害を受けたベトナム女性のためにベトナム語を加え、十二言語でこう刻まれます。「平和が春の陽のように暖かく満ちることを希求します」
同会では、募金も募っています。
▽連絡先・宮古島市平良西里989の1 電話・ファクス 0980(73)5970
( 2008年09月06日,「赤旗」)(Page/Top)
「慰安婦」問題に対する日本政府の不誠実な態度は二〇〇七年、国際社会の大きな関心を呼び、「慰安婦」らのたたかいへの連帯が広がりました。
この年の七月三十日、日本政府の盟友&ト国の下院本会議は「慰安婦」問題で日本政府に公式の謝罪などを求める決議を採択。十一月にはカナダ、オランダ両国の下院が同様の決議をあげ、その翌月には、欧州二十七カ国を束ねる欧州連合(EU)の議会が続きました。
政府は謝罪を
米議会に決議の採択を求めてきたワシントン挺身(ていしん)隊問題対策協議会のソ・オクチャ元会長は、「二〇〇七年は歴史的な年だった」と振り返ります。
いずれの決議も「慰安婦」制度は「二十世紀で最大の人身売買」だったと非難。日本政府に、「明確であいまいさの残らない」謝罪、生存者・遺族への補償を行うよう求めています。
ソさんらは、元「慰安婦」らとともに全米五十以上の大学で証言集会を開催。参加した学生らが、新たに運動に参加しているといいます。
韓国系米国人のビジュアル・アーティスト、リ・チャンジンさんも、元「慰安婦」の証言に影響を受けました。〇七年三月に開かれた米議会公聴会での元「慰安婦」の証言や、決議採択の動きを伝える新聞記事を読み、心を動かされました。
女性に対する戦時暴力をテーマにした作品の中で取り上げたいと、今月、被害者がいる台湾やフィリピン、韓国を訪問しました。「ナチスのユダヤ人虐殺と同じ問題です。芸術は国を超えて訴える力がある。世界中に知らせて、歴史に残したい」と語ります。
日本人の問題
九月には、日本を訪問し、「慰安婦」問題を調査する計画だといいます。日本国内の歴史をゆがめる動きについて、「ユダヤ人虐殺がドイツ人の歴史でもあるように『慰安婦』問題は日本人の問題です。歴史は過去を知り、未来の方向を考えるためのもの。自分たちの歴史を知らないことは、とても怖いことです」といいます。
「慰安婦」問題の解決を日本政府に迫る国際世論は、今も広がり続けています。英国や豪州の議会で、「慰安婦」決議を採択する動きが進むほか、各国の市民団体が連帯し、国連総会での決議採択をめざしています。
ソさんは、いいます。「各国議会が決議を採択しても日本政府の態度はすぐに変わらないかもしれない。連帯し、草の根の連帯で国際的なコンセンサス(合意)をつくることが必要だ」
(広州=中村圭吾)
(おわり)
( 2008年09月04日,「赤旗」)(Page/Top)
「日本の市民の協力なくしてはつくれなかった」。「日本軍『慰安婦』歴史館(韓国広州市)」の安信権(アン・シングォン)所長はいいます。
同館は一九九八年、「性奴隷」をテーマにした世界最初の歴史館として開館。設立時には、日本の研究者から多数の資料が寄せられました。韓国政府の支援を受けず、日韓両国市民のカンパで運営されています。
国の壁超えて
「ここは、国の壁を超えて平和を愛する人が集まり、被害者の痛みを共有して、戦争犯罪の根絶をめざす場所です。毎年、日本からたくさんの後援をいただいています」と安所長。毎年一万人の来館者中、半数は日本から。今年はこれまで七千人のうち、三千人が日本人だといいます。
日本人来館者について、歴史館の韓国人スタッフは「ハルモニ(元「慰安婦」)の証言を泣きながら、まじめに聞く。誰よりも強い問題意識をもって、学んでくれていると思う」と語ります。
当時の様子を再現した「慰安所」の寝台の上には、たくさんのはがきが展示されています。来館者が被害者にあてて送ったものです。あるはがきには、日本語で「ハルモニが生きている間に人間として生まれてよかったと思えるよう、行動します」とありました。
憲法九条守る
亡くなった被害者を追悼するモニュメントにも、「日本が犯した過去の過ちを反省し、その歴史の上に立って戦争放棄を誓約した憲法九条を守るためにたたかいぬきます」という寄せ書きがささげられていました。
被害者が生活する「ナヌムの家」副院長で曹溪宗僧侶の勝縁(スンヨン)師は、「ハルモニたちは日本に人生を壊され、その後も国から見捨てられるなど多くの痛みを経験されました。日本から、たくさんの人が来てくれることが癒やしになります」といいます。
光復節(日本の植民地支配からの解放記念日)の八月十五日、「ナヌムの家」で開かれたコンサート。日本人歌手きたがわてつさんが、日本国憲法第九条を歌にした「九条」や、被害者への思いをこめた「サラン(愛)」を熱唱し、大きな拍手を受けました。
安所長は、「日本政府を動かせるのは、日本の国民です。加害国で声を上げる人たちは、本当にすばらしい勇気の持ち主です。いつか必ず歴史の壁を壊せると信じています」といいます。
(広州=中村圭吾 写真も)
(つづく)
( 2008年09月03日,「赤旗」)(Page/Top)
韓国で元「慰安婦」らのたたかいは、「静かなたたかい」と呼ばれます。日本軍により強制的に「性奴隷」にされた体験を、自ら告発する高齢の被害女性たち。十六年にわたり、息長く訴え続けてきました。ある被害女性は、「日本政府は、私たちがみんな死ぬのを待っているかもしれない。いま、生きてここにいることを示すことが、私たちのたたかいだ」と語ります。
日本を動かす
日本共産党の吉川春子前参院議員(一九八三―二〇〇七年在任)は九二年、訪日した被害女性らの証言を聞きました。
「初めて聞くあまりにも残酷な話に、顔をあげて聞いていられる人はなかった。『あなたのお父さん、おじいさんが私をこんな目にあわせた』と泣きながら訴える女性たちの言葉に大きなショックをおぼえました」
翌月、吉川さんは、「慰安婦が強制であったことを認め、謝罪、補償せよ」と政府を追及。以来、国会で政府を追及し続けました。
〇一年には、共産、民主、社民の野党三党が、「慰安婦」補償法案を国会に提出。廃案にされるたびに提出し、その回数は、〇八年六月で八度を数えました。
「被害者が存命の間にどうやって日本政府を動かし、謝罪と公的な賠償を実現させるか。若い世代にどう伝えていくかが重要だ。日本政府の政策を変える運動にしたい」。こう語るのは、「女たちの戦争と平和資料館(wam)」の池田恵理子・運営委員長です。
〇五年に開館したwamは、戦時性暴力の被害と加害の資料を集めた日本初の資料館です。日本軍の戦争犯罪を裁いた女性国際戦犯法廷(二〇〇〇年)のために集められた膨大な資料、記録を残すことが出発点でした。
「民衆の手で」
「運動の最初のころ、資料は『ナヌムの家』にしかなかった。日本のマスコミからも、教育の場からも『慰安婦』問題が無視されている中で、国がやらないなら民衆の手でそれをやろうと思った」
市民に一億円のカンパを募り、資料館が完成。資料館が作製した展示パネルは、各国語に翻訳され、欧州、アジアをめぐりました。
「被害者が高齢化する中、資料を残すことがますます切実だ。日本兵の証言など日本側の資料を発掘するのは、日本独自の責任だ」。池田さんの決意です。(中村圭吾)
(つづく)
( 2008年09月02日,「赤旗」)(Page/Top)
元日本軍「慰安婦」が生活する韓国・広州市の「ナヌムの家」で、被害者の一人、李容洙(イ・ヨンス)さん(79)に会いました。ナヌムとは「分かちあう」という意味です。
罪は憎いけど
「(日本の植民地支配から解放された)光復から六十三年だが、私が連れて行かれてからは六十六年だ。(過去に日本が犯した)罪は憎いが、人間は憎くない。日韓の若者が、平和に仲良く手をつなぐことが私の願いだ」。当時の状況を振り返りながら語る李さんの目に涙が浮かびました。
かつて日本軍が侵略した地域に設けた慰安所で、性行為を強要された女性たち(「慰安婦」)は十万―二十万人にのぼります。
韓国の元「慰安婦」らが、日本政府に謝罪と賠償を求めるたたかいにたちあがったのは、一九九〇年代のことです。被害者の一人、金学順(キム・ハクスン)さん(故人)が九一年に実名で被害を告発。翌年から始まった日本大使館前での毎週水曜日のデモは、十六年間欠かさず続き、八月二十日で八百二十七回を数えました。
「私たちがデモをしなくても、日本の首相が自らひざを折り手をついて謝罪をすべきではないのか」。李さんは語ります。
日本政府は九三年、旧日本軍の関与を認める河野官房長官談話を発表。「心からの反省とおわび」を表明したものの、政府による補償は拒みました。その後、政府の責任を否定する流れが強まり、小泉、安倍両政権では、過去の侵略戦争と植民地支配を正当化する「靖国派」が政権中枢を占めました。
事実を認めよ
「日本政府は『もう謝ったから、いいじゃないか』と和解を強要しようとする。しかし和解は、加害者の側から言える言葉ではない」。歴史学者で聖公会大学教授の韓洪九(ハン・ホング)氏は、日本政府の姿勢の問題点をこう指摘します。
「和解の前提は、加害者が事実を認めることだ。加害者が自分は間違ってないといえば、和解は不可能になる」。近年の日本政府の姿勢は、まさにそれを地で行くものでした。
◇
「ナヌムの家」に設置された「日本軍『慰安婦』歴史館」は、今年で開館十周年を迎えました。歴史館と「ナヌムの家」を支えるのは国を超えた市民の固いきずなです。「慰安婦」問題のいまをたずねました。
(韓国・広州市=中村圭吾 写真も)
(つづく)
( 2008年09月01日,「赤旗」)(Page/Top)
鎮魂の月八月、長崎市と宮古島市で、土地の人々の反戦平和の思いがつまった碑との出会いがあった。
長崎の原爆資料館の敷地に「ふりそでの少女像」がある。原爆資料館に展示されている「悲しき別れ―荼毘(だび)」という絵をきっかけにして建立された像だ。その絵には、二人の少女が、材木を積み重ねた上に横たえられ、炎がもえうつろうとしている瞬間が描かれている。
京都綾部の中学生たちが、九十三歳になった少女の母親との交流のなかで建立したのが「ふりそでの少女像」だ。
宮古島市に、千葉県の歌人・高澤義人氏の歌碑がある。高澤氏は、沖縄戦当時、旧日本軍の衛生兵の任務についていた。歌碑は、戦後六十年を機に宮古歴史教育者協議会のメンバーが戦争の惨禍を風化させないために建立した。正面には「補充兵 われも飢えつつ 餓死兵の骸(むくろ)焼きし宮古よ 八月は地獄」とある。
歌碑の裏には「餓死兵を夜毎井桁(いげた)に重ね焼くわれに一粒の涙なかりき」を初め四句刻まれ「食糧や医薬品の補給はなく、マラリヤ、飢餓のため連日のように死んでいく兵を荼毘に付す作業にあけくれた」という説明文がある。
歌碑の隣の場所に、「慰安婦」祈念碑が近く建つ。宮古島の女性たちによってとりくまれている。
宮古島市にはすくなくとも十六カ所の慰安所があった。祈念碑が立つ場所は、与那覇博敏さんが提供してくれた。与那覇さんは、少年時代、自宅の近くに慰安所があったことを鮮明に記憶している。「きれいなお姉さんたちが洗濯の帰りに座って歌を歌っていた場所」が提供される土地だ。碑文は、日本軍によって被害をうけた女性たちの故郷の十一の言語とベトナム語を加え、十二の言語で刻まれる。与那覇さんは、日本兵たちが、毎晩、「明日の知れない命なら お酒飲んだり女郎買いしたり 私や待ちましょう九段坂」と騒いでいたことも記憶していた。
彼女たちの苦難の歴史を記憶し、恒久平和を次の世代に伝えたいという与那覇さんの思いを大切にしたい。
(2008年08月27日,「赤旗」)(Page/Top)
日本の植民地支配からの独立六十三周年を迎えた十五日、韓国各地で記念行事や集会が行われました。元日本軍「慰安婦」が生活する「ナヌムの家」(広州市)では記念コンサートが開かれ、日本人歌手のきたがわてつさんも出演しました。
プラスワン・ウィンド・アンサンブル・オーケストラが、韓国伝統民謡の「アリラン」や「トラジ」を織り込んだメドレーを演奏。きたがわ氏は、「慰安婦」被害者への想いをこめた「サラン―愛―」など、四曲を熱唱。日本国憲法第九条を歌にした「九条」を韓国語で歌い、大きな拍手を浴びました。
演奏後、きたがわ氏は「あの戦争の反省にたってつくられた憲法九条と『慰安婦』の問題は密接につながっていると思います。この日に、ナヌムで歌えてうれしいです」と話していました。
(ソウル=中村圭吾 写真も)
( 2008年08月16日,「赤旗」) (Page/Top)
河野洋平衆院議長は十五日開かれた全国戦没者追悼式での追悼の辞で、「政府が特定の宗教によらない、すべての人が思いを一にして追悼できる施設の設置について真剣に検討を進めることが強く求められている」と述べ、無宗教の新たな国立戦没者追悼施設の建設が望ましいとの考えを表明しました。
河野議長はまた、従軍慰安婦問題を念頭に「(旧日本軍の)非人道的な行為によって人権を侵害され、心身に深い傷を負い、今もなお苦しんでいる方々に、改めて心からなるお見舞いの気持ちを申し上げたい」とも述べました。
( 2008年08月16日,「赤旗」) (Page/Top)
終戦六十三周年の十五日、猛暑のなか、日本共産党中央委員会と日本民主青年同盟は、東京・新宿駅頭で記念街頭演説を行いました。笠井亮衆院議員、谷川智行党衆院東京比例候補、山田花民青同盟副委員長が平和の誓いをあらたにしました。
笠井氏は、侵略戦争と植民地支配に命がけで反対した党として、戦争放棄などを定めた憲法九条の原点に立った国づくりに全力をあげる決意を表明しました。原爆症認定を受けるためにたたかう被爆者や旧日本軍「慰安婦」らにとって戦争はまだ終わっておらず、「悲惨な戦争体験を、消え去ったもの、遠いかなたの記憶にしてはならない」と強調しました。
笠井氏は、米国に言われるがままインド洋での自衛隊による給油活動継続のための新テロ特措法再延長を狙う日本政府は世界の流れに逆行していると批判。「来るべき総選挙で日本共産党を大きく伸ばし、いっしょに平和と命、憲法を守ろう」と訴えました。
谷川氏は、「あの戦争で国のために命をささげろといわれ、七十五歳になったら後期高齢者医療制度で差別され、終戦記念のこの日に年金からの三回目の保険料が天引きされるなど、どうして許すことができるのか」と厳しく批判しました。
山田氏は、「私たち若者は戦争体験を直接聞くことができる最後の世代だ」とのべ、被爆者、戦争体験者と未来をつなぎ、アジアの青年と連帯する役割を果たす決意を表明しました。(13面に関連記事)
( 2008年08月16日,「赤旗」) (Page/Top)
東京都の石原慎太郎知事が二〇〇〇年以降、毎年八月十五日に靖国神社を参拝している問題について、歴史教育者協議会(歴教協)の石山久男前委員長に聞きました。
(聞き手・川井亮)
違憲判決が確定
石原都知事が靖国神社に参拝しているのは、憲法が定めた政教分離の原則に反するものです。
憲法では、国が特定の宗教に対して奨励したり、非難したりすることは禁じられています。首相であれ知事であれ、公人が靖国を参拝することは特定の宗教施設をたたえることになるもので、裁判で何度も違憲判決が確定している問題です。
石原知事はよく「公人であり私人だ」などといって参拝を正当化していますが、それが通るなら私人であることを理由に、何でも許されることになる。石原知事がどういう信条を持っているとしても、参拝すれば公人としての性格が前面に出ることになります。「私人」という理屈は通らない。
靖国神社はまた、神社内にある「遊就館」(ゆうしゅうかん)の展示で明らかなように、日本がかつて行った戦争を、やむを得ず行った「自存自衛」「正義」の戦争として美化しています。「平和に対する罪」で処罰されたA級戦犯を国家の犠牲者として祭る靖国神社の歴史観は、今日の国際社会では通用しません。
有名な「靖国派」だった安倍晋三前首相ですら、首相就任後は、「従軍慰安婦」問題で旧日本軍の関与と強制を認め謝罪した一九九三年の「河野談話」や、日本の侵略と植民地支配への反省を示した一九九五年の「村山談話」を継承するといわざるを得ませんでした。政治家が靖国神社の歴史観に同調する主張を行うことは、国際的に許されないのです。そういう神社に参拝することは、政治家の資格が問われます。
さらに靖国神社が、国民を侵略戦争に動員する精神的な装置だったことも重大です。靖国神社は戦争で戦死した人を神として祭り、国民に「国のために」命を捨てさせる機関として創設されました。戦争中、語られた「死んだら靖国で会おう」という言葉は、それを象徴しています。公人が靖国に参拝することは、国が国民に命を捨てさせることをあおるものです。
「平和祈念館」を
現在は憲法で戦争放棄をうたっているのに、なぜそのような装置をたたえ続ける必要があるのか。いま、海外派兵の恒久法を作ろうという策動が行われていますが、公人が靖国をたたえ参拝することは、海外で戦争する国づくりの一環ともなると思います。
東京都は以前から、都民の世論や歴教協などの運動を受けて、「平和祈念館」(仮称)を建設する計画を進めていましたが、石原都政になって、「財政難」を理由に事実上凍結されています。「平和祈念館」は靖国神社とは反対に、過去の戦争を事実にもとづいて反省し、二度と戦争の惨禍を引き起こさないよう決意する施設です。
現在、国際社会では、紛争は武力でなく外交的な話し合いで解決をはかる動きが主流になっています。東南アジアでもTAC(東南アジア友好協力条約)に北朝鮮も加盟するなど、この方向が強まっています。戦争をたたえる施設ではなく、平和な世界をつくるために何をすべきかを考える施設こそが求められています。
東京都はオリンピック招致にばく大な税金をつぎ込もうとしているほどですから、「財政難」という理由は通用しません。知事は靖国神社参拝をやめ、「平和祈念館」の建設を早急に実現すべきです。
(2008年08月15日,「赤旗」) (Page/Top)
「平和のための戦争展2008」が東京都渋谷区の全労災会館スペース・ゼロで、十四日、始まりました。三百十人が参加、用意したいすが足りなくなるほどの盛況ぶりで、若者の姿が目立ちました。
オープニングイベントとして、詩人で呼びかけ人の一人でもある石川逸子さんが「従軍慰安婦」を題材とした詩の朗読をしました。その中で石川さんは「私はお金も何もいらない。ただ、日本政府が出てきてわびてほしい」という、台湾で日本軍に拉致されむりやり慰安婦にされた、チェンタオさんの証言を取り上げ、彼女の思いを紹介しました。
戦時中は福島県に疎開していたという「全国疎開学童連絡協議会」の小林奎介さんは疎開生活の実態をイラストを使いながら「子どもたちはいつも飢えていて、お国のため、天皇のために必死で集団生活をしていました。脱走する者もいて、見つかると重いお仕置きが待っていた」と説明しました。
「銃剣による捕虜の処刑が現地教育の一環としてなされた」と加害者として証言したのは、小山一郎さん。「生身の人を殺す時、なかなか致命傷を与えられず、震える足で体ごとぶつかった。何人も殺し、最後には何も感じなくなった。残酷で今でも忘れられない」と語りました。
東京都青梅市から数人で来ていた高校生は「テレビじゃなくて実際の戦争の写真を見たのは初めて。戦争は残酷だと思った。この惨劇を後世に伝えていきたい」と話しました。
同戦争展は十六日まで、午前十一時から午後七時まで(最終日は午後四時半まで)。入場無料。連絡先は実行委員会(電話03・3261・0433)。
( 2008年08月15日,「赤旗」) (Page/Top)
【韓国・広州市=中村圭吾】旧日本軍による戦争犯罪「慰安婦」問題を告発する、韓国の「日本軍『慰安婦』歴史館」が十四日、開館十周年を迎え、同歴史館で記念シンポジウムを行いました。
日本から、「女性たちの戦争と平和資料館(WAM)」の池田恵理子運営委員長、日本共産党の吉川春子前参院議員が出席。日韓両国の大学生ら約七十人が参加しました。
吉川氏は、聖公会大学の韓洪九(ハン・ホング)教授、米議会で「慰安婦」決議の採択に尽力した市民団体元会長のソ・オクチャ氏らとともに講演。「慰安婦」問題解決に向けた日本国内の取り組みについて話し、「元『慰安婦』の方たちの勇気ある告発が、女性の人権を大きく前進させたことを忘れてはいけない」と述べました。
同歴史館の安信権(アン・シングォン)所長は、十年の歴史館の歩みを振り返り、「生きた歴史学習の場として、大きな役割を果たしてきた。今後とも大きな関心を寄せてください」と訴え。参加した韓国の高校生は、「日本の文化は好きだが、政治については、あまりいい印象はない。過去の問題で反省する姿勢が見えないのは残念」と話していました。
歴史館は一九九八年に開館。「性奴隷」をテーマにした世界初の博物館で、年間一万人が訪れます。日本や韓国の市民の寄付で運営されています。隣接する「ナヌムの家」では、七人の元「慰安婦」が生活しています。
( 2008年08月15日,「赤旗」) (Page/Top)
日本婦人団体連合会(婦団連、堀江ゆり会長)は十三日、東京都千代田区内で、「戦争はごめん女性のつどい」を開き、八十五人が参加しました。
慰安婦問題解決についてのシンポジウムが行われました。
大森典子弁護士(中国人『慰安婦』損害等賠償請求事件弁護団)は、被害者は八十歳前後であり残された時間が限られていること、五月に国連人権理事会の普遍的定期審査が行われ、十月に規約人権委員会の日本審査が予定されているとの二点をあげ、「今年、慰安婦問題解決をめざすことには特別の意味合いがある」と強調。解決のため、戦争の美化を許さず、具体的事実を一人でも多くの人に知らせていくことをよびかけました。「この問題は女性だけの問題ではない。政府に過去の過ちを認めさせ清算させる運動と九条を守る運動を一致させてすすめることが大切です」とのべました。
川田忠明日本平和委員会常任理事・日本平和学会会員は、「兵士の性暴力は力に勝る者(男性的なもの)が劣る者(女性的なもの)を支配する価値観と構造から生まれるものであり、単なる性衝動によるものではない」と発言。「戦争の本質問題として慰安婦問題をとらえなければならない。戦争根絶と性差別主義根絶は不可分の問題だ。女性のみなさんがよりいっそう、運動をリードしていくことを期待する」とのべました。
参加者からは「地元の九条の会主催の不戦のつどいでキャンドルウオークし、慰安婦問題についても話し合った。青年や子どもたちなど戦争を知らない身近な人に、慰安婦問題を伝えていくことが必要だ」などの意見が出されました。
堀江会長がEU(欧州連合)議会で開いた原爆写真展について報告しました。
( 2008年08月15日,「赤旗」) (Page/Top)
「ひとすぢに世界平和を祈りつつ/円寂の地へいましゆくなり」。BC級戦犯として処刑された学徒兵の、辞世の歌です▼円寂は、仏教の悟りの境地。彼、田口泰正・元少尉は、沖縄の石垣島でアメリカ兵捕虜を一人、切り殺しました。上官の命令で。彼が戦争中、軍刀を生身の人間に振り下ろしたのは、その一度だけでした(森口豁『最後の学徒兵 BC級死刑囚・田口泰正の悲劇』)▼獄中で、軍国主義の教育のままに生きていた過去を反省し、日記に書き残しています。「今夕も………各氏と話し合ったのだが、戦争は二度とやるべきではないというのが一致した意見であった。それぞれ皆、世界の各地で戦争に参加して来た、その人たちが口を揃えて言うのである」▼NHK「モンテンルパの夜はふけて」をみていたら、やはりBC級死刑囚の日記を紹介していました。フィリピンのモンテンルパの刑務所から、戦後八年たって釈放された、代田銀太郎・元憲兵です▼将棋にたとえれば、新憲法の九条は歩が金になることである。思想の威力が武力に勝るものだということを、われわれは信じるべきである。再軍備を唱える人はみずから戦場に出たらどうか。われわれは真っ平(ご免)だ=・終戦から六十三年の記念日。彼らの願いを逆なでする現実があります。戦争がすべて終わっていない人もいます。日本軍「慰安婦」にさせられた人。原爆症と認められない人…。代田さんの言葉を借りるなら、平和の思想の力をきたえる日にしたい。
( 2008年08月15日,「赤旗」) (Page/Top)
「平和を願う山梨戦争展」(同実行委員会主催)が七日から、甲府市の県男女共同参画推進センターを会場に始まりました。十日まで。
大沢英二(山梨YMCA名誉主事)、中原節子(山梨母親大会会長)、佐藤弘(山梨高教組委員長)、浅川保(山梨平和ミュージアム理事長)の四氏が呼びかけたもの。「山梨の戦前の反戦・労働運動」「戦争遺跡」「北富士演習場と北富士闘争」「従軍慰安婦問題」などテーマごとに資料や写真が展示されています。
訪れた人は、『カズノホン』『ヨイコドモ』などの戦時下の教科書や、「日の丸」に書かれた出征兵士への寄せ書きに見入っていました。九日には「戦時下の教育を語る」や「青年の広場」、十日には「被爆者の証言」などの企画が予定されています。開館は午前十時から午後五時まで。入場無料。問い合わせは山梨平和ミュージアム(055・235・5659)。
(2008年08月08日,「赤旗」) (Page/Top)
「慰安婦」問題の解決を求める市民団体は七日、国会内で院内集会を開き、市民や国会議員ら約八十人が参加しました。二〇〇七年に米国やオランダ、カナダの各下院と欧州議会で採択された問題の解決を求める決議を追い風に、さらなる努力で運動を進めようと決意を新たにしました。
台湾の日本軍「慰安婦」被害者、陳桃さん(86)が証言しました。陳さんは十八歳のとき、通学中に日本人の警察官にだまされ、インド洋のアンダマンに連行されました。クレゾールを飲む自殺を二度図りました。「私は何もいらない。ただ、日本政府におわびしてもらいたい」と語りました。
駐日オランダ大使は「きょうのような集会は戦争の歴史的責任が市民に共有されていることを示している」と参加者を激励。米国市民団体のアナベル・パクさんは「日本の歴史だけの問題ではなく、戦争という歴史の普遍的な問題です。世界をよりよくするために協力していきましょう」と話しました。
集会に先立ち、陳さんと市民団体の代表らは横路孝弘衆院副議長と江田五月参院議長を訪れ、問題の解決を要請しました。代表によると、「きちんとした謝罪が必要である」(横路氏)など、被害者の声に応える必要性を語ったといいます。
( 2008年08月08日,「赤旗」) (Page/Top)
人形劇団プークは創立80周年プレ企画として、15日(金)午後6時から「幻燈と新内とおはなしの夕べ」を開きます。
同劇場の壁面中央には、平和の願いをこめて8・15の文字とオリーブの枝が刻まれています。最近では「プーク9条の会」も発足しました。
「夕べ」の1つの柱が、岡本宮之助さんの新内「西部戦線異状なし」です。新内は江戸後期に起こった浄瑠璃の1つで、三味線に合わせ節をつけて物語を語ります。
「西部戦線異状なし」は故岡本文弥さんが創作し、戦前から演じられてきました。原爆詩人・峠三吉の詩を元にした「にんげんを返せ」、朝鮮人従軍慰安婦の告白文を題材にした「ぶんやアリラン」とともに、文弥さんの反戦三部作≠ニして名高い作品です。
宮之助さんはいいます。「文弥師匠は、戦後しばらくはこの演目を演じませんでした。それはたぶん、反戦を訴える必要がなかった時期だったからでしょう。師匠が亡くなり、私も演じるようになったのは、日本が再び戦争へと突き進もうという方向に向かっているから。やらないでよければ一番いいんです」
「西部戦線異状なし」には、「戦争は二度と再びあってはならない」という一文があります。「なぜ今、こんなことを大声で言わなきゃならないのか。将来は、反戦などと言わなくてもいい世の中にしたい」と宮之助さん。「平和という同じ芯を貫いてきたプークで演じるということにも、また大きな意味があると思います」
当日は、作家・池田香代子さんのおはなし「『100人の村』が問いかけるもの」、幻燈「野ばら」(スライド人形劇)の上映も。会場はプーク人形劇場(東京都渋谷区代々木2の12の3、JR新宿駅南口7分)、入場料3000円。申し込みは同劇場рO3(3379)0234まで。
( 2008年08月06日,「赤旗」) (Page/Top)
「私たちに何ができるか―若者たちと考える『慰安婦』問題シンポジウム」が三日、大阪市内で開かれ、百三十四人が参加しました。同実行委員会が主催したもの。大学生らが自主的な取り組みと自らの思いを発表し、参加者も活発に発言し、問題の早期解決について考えました。
冒頭、神戸女学院大学の石川康宏教授が問題提起し、「若者たちに歴史や政治や平和を考える十分な可能性があることは明らか」だと話しました。
かつて日本軍「慰安婦」だった高齢の韓国人女性(ハルモニ)たちが、韓国にある民間施設「ナヌム(分かち合い)の家」で共同生活をおくっています。ナヌムの家歴史館研究員の村山一兵さん(27)は、日本人男性としてこの問題に取り組む意味について、「ポルノ文化や女性への性暴力のある社会に生きている私たちにとって大きなつながりのある問題。自分とのかかわりを考えることが必要です」と語りました。
神戸女学院大学・石川ゼミの学生はハルモニに会い、韓国・ソウル、日本大使館前で行われる「水曜集会」に参加して感じたことを話しました。
大阪での「水曜集会」に参加する青年も発言しました。
フロアから「多くの日本人が自分たちの問題としてやっていることに感動しました」「自分に何ができるか考えていきたい。もっと男性を巻き込んでいかなければ」との声があがりました。
(2008年08月05日,「赤旗」) (Page/Top)
「『鬼太郎』で育った僕としては…」。根っからの水木しげるファン。ラブレターのつもりで演出したNHKのドラマ「鬼太郎が見た玉砕〜水木しげるの戦争」で芸術祭優秀賞、放送文化基金賞本賞、ギャラクシー賞優秀賞を受賞します。
自らの戦争体験を脚色した水木しげるの漫画『総員玉砕せよ!』を基に、メンツのために他人に死を強制する軍の論理を告発。「笑い飛ばしつつ、ズバッと本質を突く」水木しげるの真骨頂を、斬新なドラマ展開で表現しました。
印象的なのは、六十発以上あるビンタの場面です。水木役の香川照之さんの要望もあり、すべて本物。音もあえてつけませんでした。「玉砕」前に兵士らが歌う日本軍「慰安婦」の「くるわ唄」は、音源資料がなく何度も水木家を訪ねて再現します。「表現ってね、汚いものにふたをすると伝わるものも伝わらないんです」
終戦ドラマは、「新しい朝が来た」に続く二作目です。戦争を知らない自分としては、「忠実に描く」「感動的にしない」を鉄則に。英雄をつくりだす、お涙ちょうだいの感動ものは、戦争美化につながることを危惧します。
山田太一の「男たちの旅路」のようなドラマが作りたいとNHKへ入局。「小さなところにこそ、人間の真実がある」が持論です。もう一つのこだわりは、時代への切り口。「テレビをやる人は、誰もがジャーナリストであるべきだと思っています」。明快です。
文 板倉 三枝
( 2008年08月05日,「赤旗」) (Page/Top)
「歴史に学び、平和な世界を」をテーマに歴史教育者協議会(歴教協)の第六十回全国大会が二日、東京都内で始まりました。全体会には社会科教師など七百八十四人が参加。分科会や靖国神社などの現地見学を行い、五日まで交流します。東京大会実行委員会が主催。
石山久男歴教協委員長はあいさつで、愛国心押しつけの新学習指導要領によって教員や子どもを競争に追い込み、管理統制が強められようとしていると指摘。一方、憲法九条改定に反対する人々の力は根深く、戦争する国づくりとそれに連動する貧困と格差の拡大に対し「世論は大きく変化した」とのべました。
石山委員長は「子どもの未来と戦争のない世界へ道を切り開く教育をそれぞれの地域で自信を持って進めよう」と呼びかけました。
都内の公立中学校教師は、かつての教え子九人とともに授業実践を報告しました。同教師は子どもたちが社会の主権者として成長できるよう、子ども自身に体験、実証させる授業を行っています。
卒業生らは平和や差別、児童労働など問題の当事者と直接交流する授業を通して「教科書には書いていない人々の思いの大切さを知った」「(当事者に)寄り添って学習しないと本当の学習にはならない」など、当時の実感を語りました。
林博史関東学院大学教授が講演し、沖縄戦「集団自決」と日本軍「慰安婦」問題を通して、日本の戦争責任を問いました。
( 2008年08月03日,「赤旗」) (Page/Top)
八月。お祭り、汗、青空、セミの声。季節をいろどるさまざまな事象も、人々の戦争の記憶とむすびつく月です▼六日、ヒロシマの朝の青空に姿を現した米軍機エノラ・ゲイ号。十五日、敗戦を告げる天皇の放送の意味など知らずに鳴き続けていたセミたち。歴史を振り返ると、八月はまた、日本が侵略戦争と占領の手を広げていった月です▼日本が宣戦布告し、日清戦争が始まったのは、一八九四年の八月一日。ロシア革命後のシベリア出兵は、九十年前の八月二日。朝鮮・韓国を併合して植民地にしたのが、一九一〇年の八月二十二日。中国とのいくさの火が上海へと燃え移り、全面戦争に入ったのも、一九三七年の八月半ばでした▼ことし八月は、福田内閣の改造で始まりました。改造の目玉は、政権のかなめの自民党幹事長に起用した麻生太郎氏です。首相が、「自民党は存亡の危機にあるから」と、引き受けるよう頼み込んだらしい。迫りくる衆院選で、党の顔≠ノしたいようです▼もちろん、麻生氏の素性をよくよく知ったうえでの話です。植民地時代の朝鮮・韓国人に日本名をつけるよう強制した「創氏改名」について、まるで彼らが望んだかのように語った麻生氏。日本軍「慰安婦」は強制的な性奴隷化≠ニするアメリカ下院の決議案に対し、「事実にまったくもとづいていない」といいはった麻生氏▼八月の歴史から日本の生きる道を学んだ幹事長とは、とても思えません。暑い真夏の、自民党のお寒いお家事情とはいえ。
( 2008年08月03日,「赤旗」) (Page/Top)
奈良県の大和郡山市平和祭が二十五日からやまと郡山城ホールで開催されています。
展示室には従軍慰安婦に関する資料や大阪大空襲の写真パネル、さまざまな戦争遺品が展示されています。
二十五日は、同市在住の元奈良教育大学付属小学校教師の長田光男さんが学徒出陣した体験を語りました。(写真)
長田さんは「毎日が死ぬ訓練ばかりで、『ただ命令のままに』と生も死も意識しなくなっていた。戦争は人間の命を道具の一つにしか考えない」とのべました。そして、「戦争をおこさない国づくりをしっかりやることが大切」と結びました。
会期は二十七日まで。
(2008年07月27日,「赤旗」) (Page/Top)
ETV番組改変裁判は、提訴から最高裁判決まで7年。市民団体が起こした裁判を支えたのは、番組への政治介入に怒り、真相解明を求めて全国的に大きく発展した自覚的な市民運動でした。その市民団体が全国的な連帯を深め、運動と問題意識を公共放送のあり方にまで発展させたことは、放送史上画期的な出来事です。
次つぎ「会」誕生
「私たちは番組改変事件の申し子≠ンたいなものです」。2005年2月に東京を中心に「NHK受信料支払い停止運動の会」(07年に「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」に発展)を立ち上げた醍醐聰・東大教授は振り返ります。
同会は、番組改ざんを呼び込んだ政治家への事前説明を「通常の業務」と正当化した見解の撤回と、改ざんを検証する番組の制作などをNHKに要求。単なる受信料の支払い拒否運動ではなく、「主権者としての権利を行使したもの。微力ながらインパクトを与えることができた」と醍醐さんはいいます。
東京の動きと呼応するように、「NHK問題京都連絡会」、「NHK問題を考える会(兵庫)」はじめ、大阪や札幌、長野、福岡で「会」が誕生しました。05年3月には全国の七つの市民団体が東京に集まり、「NHKへの政治介入問題に関する共同アピール」を出しました。
「私自身、NHKや『慰安婦』問題に無関心でした。しかし、番組を制作した長井暁さんの『政治的圧力で改変された』という告発を知り、事実を隠すNHKに怒りを感じた」と京都連絡会の長谷川長昭事務局長。京都連絡会だけで「公正な裁判を求める署名」を約5千人分を集め、東京高裁に提出しました。
NHK問題を考える会(兵庫)を立ち上げるために奔走した事務局の西川幸さん(65)は言います。「裁判に立ちあがったバウネット・ジャパンや長井さんの勇気に、市民が黙っているわけにはいきません。公共放送で『慰安婦』問題の改ざんがまかり通れば、戦前の誤りを繰り返すことになります」
各地の市民団体は、地元のNHKに申し入れを行ったり、シンポジウムを開催したり、草の根から世論を広げていきました。今年の5月、時の政治権力の言い分を伝えることが「国益」と強弁する古森重隆経営委員長の罷免を要求する署名6300人分を福田首相あてに提出しました。
不当判決出ても
最高裁で不当判決が出された後も、市民団体の動きは盛んです。西川さんは「最高裁の判決はショックでしたが、裁判を通じて安倍元首相ら政府の中心人物が公共放送に介入した実態を明らかにしたことは大きい。視聴者のNHKを見る目も変化したのではないでしょうか」と語ります。
醍醐さんは、NHK裁判を通じて力をつけた市民運動を背景にして、12月に改選を迎える4人のNHK経営委員の「公募・推薦制を導入するよう訴えたい」と言います。
「経営委員の選出は国会の同意人事ですが、それに視聴者の意見を反映させる仕組み作りは大切なことです。候補者には、NHKをこうしたいという抱負を公表してもらう。場合によっては、私たちの候補も検討したい」
主権者としての視聴者運動が広がっています。
(おわり)
( 2008年07月19日,「赤旗」)(Page/Top)
歴史教育者協議会の石山久男委員長ら三氏のよびかけによる「慰安婦」問題を考えるつどいが、十二日、東京都内で開かれました。
大森典子弁護士は、「『慰安婦』問題の核心は、女性たちを軍の管理する『慰安所』に監禁して兵士の相手をさせたという事実。アメリカやヨーロッパの議会での『慰安婦』問題の決議に対する日本政府の人権感覚は問題」と話しました。
日本共産党元参院議員の吉川春子さんは、二十四年間の議員生活の中で行った四十八回の「慰安婦」問題での質問、その間に訪れた国々での「慰安婦」とされた方々や関係者との出会いから学んだことを紹介しました。
両氏は「慰安婦」問題の早期解決に向けて、「明確であいまいさのない謝罪、その証しとしての補償、歴史の教訓として正しい歴史認識、歴史事実についての国民教育」などの重要性を指摘しました。
参加者からは、「国連人権理事会が『慰安婦』問題の解決を促す等の勧告を出しているのにこれを受け入れない政府の態度を変えさせる運動を」「憲法改悪反対のたたかいとも結んで、全国で『慰安婦』問題の世論を高める運動をひろげよう」などの発言が相次ぎました。
( 2008年07月17日, 「赤旗」)(Page/Top)
ETV番組改変裁判を、NHK職員たちはどう受けとめ、何を考えてきたでしょうか。
番組制作局の職員は言います。
「NHKは、内部の抗争を外にはほとんど見せないできました。ところが、今回、裁判を通して政治権力との抗争が具体的な形で見えることになった。そこに大きな意義があると思います。権力の意向が放送にどう影響するのか。はっきり見えたわけです」
最高裁は、番組改変と政治家のかかわりについての判断は逃げました。しかし、NHK幹部が安倍晋三官房副長官(当時)に会い、「中立に」と告げられたこと、その後、大幅に番組を作り変えたことは認定しています。
政治との距離を
「公共放送NHKが政治との距離を置く」ことや、「番組制作者の内的自由」の確保が可能かどうか。NHKで仕事する心あるスタッフにとっては、そこがもっとも肝心なところです。
複数の職員は「少なくとも、幹部が制作の現場に来てあれこれ指示することはできなくなった」と口をそろえます。
1981年、NHKのロッキード事件報道が自民党幹部の圧力でつぶされたことは、有名な話ですが、その後も大なり小なり、その種のことは続きます。「さる省庁筋の圧力」で、ニュース原稿が差し替えられたり、インタビューが没になったりもしました。
「そんな中で、いつしか自己規制が働くようになって、これは『上』から何か言われかねないから、やめておこうという雰囲気がまん延していました」
ETV番組改変当時、職員の間では「海老沢体制」と呼ばれていました。海老沢勝二会長は政治部出身で、自民党国会議員らと強いつながりがありました。その海老沢会長は、ETV番組改変と番組制作費の流用などの不祥事で視聴者から不信を突きつけられ、2005年に退陣します。
「みんな口には出しませんが、(ETV番組改変のような)自己規制は二度とやってはいけないと思っている」。「番組改変に怒りを持った制作者もいます。海老沢会長のもとでは、とても通りはしなかっただろうと、提案するのもちゅうちょしていた企画が次々実現した」。現場の声です。
この時期に放送したのが、「靖国神社」「日中戦争」「日本国憲法誕生」「ワーキングプア」など。いずれも、今の政治や社会のあり方を問いかけ、反響を得ました。
少数の職員の間ではありますが、幹部はETV番組改変について職員や視聴者に説明責任を果たし、検証番組を作るべきだとする意見も出ています。
「現場に自由の風が吹き始めているのは間違いありません。それを大切に少しずつでも声をあげていくことだと考えています」(報道局職員)
いまが正念場
しかし、昨年、就任した古森重隆経営委員長が「歴史番組は注意を」「国際放送は『国益』論で」と政治的発言を繰り返し、制作現場を揺さぶります。職員のインサイダー株取引問題も明るみに出ました。
番組制作スタッフは、いまが正念場と考えています。「公共放送として生き残るには、何を放送し伝えていくかが大切だと思う。作ったものを受けとめてくれる視聴者がいます。視聴者の思いと響き合っていきたい」
(下)は19日付
( 2008年07月17日,「赤旗」) (Page/Top)
「岐阜空襲の夕べ」がこのほど、岐阜市内で開かれました。主催は、岐阜市平和資料室友の会と岐阜県歴史教育者協会です。
昨年に引き続き鈴木頼恭氏(岐阜九条の会・呼びかけ人)が「私の憲法九条」と題して講演し、軍国少年だった当時や教科書を紹介し、日本の侵略の様子を世界地図で説明しました。(写真)
鈴木氏は、「『従軍慰安婦問題』『強制連行』『残留孤児』『不発弾、毒ガスの放置』など日本が解決しなければならないことはたくさんある。そして、戦争をビジネスにしている国と一緒になって九条をかえたら日本は侵略国になってしまう。戦争は自由を守るのではなく、自由を奪うことになる」と強調しました。
(2008年07月16日,「赤旗」) (Page/Top)
尊厳の回復をもとめる日中協力の芽を大切に
七日、東京の《アクティヴ・ミュージアム女たちの戦争と平和資料館、略称wam》で、中国の戦場における日本軍の強かんと慰安所の実態を伝えるパネル展が始まりました。一年間にわたって行われるこの展示には、早くも多くの方が見に来られていますが、なかでも高校生や大学生のグループ参観の申し込みが次々とあり、若い世代に伝えたいという思いがかなった好調のスタートです。
沈黙やぶって勇気ある訴え
日本の侵略を受け、戦場となった中国においては、住民は日本軍によって残虐を極める被害を受け、「敵」の女とみなされた女性たちはいたるところで襲いかかる日本軍の性暴力にさらされました。
軍が作戦を展開するところではどこでも住民虐殺と強かんは発生しましたが、南京大虐殺における集団強かんは、その最大規模のものです。また日本軍は部隊の司令部・本部を置く大小の都市や補給基地となる拠点に慰安所を設け、朝鮮・台湾・日本の女性を連行し、さらに現地中国の女性をここに送り込みました。前線の戦場にあっては、掃討に出た村での強かん、拠点のある村の民家での強かん、拉致してきた女性の拠点内施設=強かん所での監禁・輪かん、周辺の村からの強かん所への女性の提供の強要などが常態化していました。
中国におけるこのような日本軍性暴力は、心身に受けた深く重い傷を沈黙のうちに封じ込めて生き抜き、すでにその最晩年に至っていた被害女性たちが、自らの被害を証言し、日本政府を相手に裁判を起こした一九九〇年代から、やっと解明が始まりました。彼女たちの勇気ある訴えと自らの尊厳回復のためたたかいがなければ、この事実は歴史の闇の中に忘れ去られていったでしょう。
若い世代にも事実伝えたい
今回の特別展「中国展」は、このような被害女性たちと共に歩み、たたかおうとする私たちの活動の一環として企画・制作されたものです。
「中国展」では、山西省盂県、南京、海南島の被害実態を中心に、日本軍の中国における性暴力の全ぼうを明らかにします。それは、この三地域で、被害女性や住民からの聞き取り、資料調査、元兵士の証言の聞き取りなどを重ね、被害実態をあきらかにしてきた山西省・明らかにする会、中国人「慰安婦」裁判を支援する会、南京大虐殺六十カ年大阪実行委員会、ハイナンNETなどのグループがあるからです。wamを中心に、これらのグループがプロジェクト・チームを組んで、共同作業によってこのパネル展を実現しました。
どうか、それぞれの方の既存の知識・常識をいちど横に置いて、パネルの中の一人ひとりの被害、それぞれの地域の被害にじっくりと向き合って下さい。
この秋九月から、中国山西省武郷県にある八路軍記念館で、日本の市民グループの実行委員会が企画・制作する「第二次大戦期日本軍性暴力パネル展」が一年間開かれます。前半はアジア全域における日本軍の性暴力と女性たちのたたかい、後半は今回の「中国展」を拡充した内容です。
女性たちの被害事実とたたかいが中国の歴史の中にしっかりと位置づけられ、若い世代にこの事実が伝えられ、そのことによって被害女性たちの尊厳が中国社会の中で守られることを私たちは希望し、このような協力の芽を大切に育てたいと思っています。
(いしだ・よねこ 中国展プロジェクト・チーム)
開館時間 水―日曜日の午後1時から6時(月・火・祝日休館) 地下鉄東西線・早稲田駅から5分(東京都新宿区西早稲田2の3の18、AVACOビル2F)、рO3(3202)4633
( 2008年07月16日,「赤旗」) (Page/Top)
「知る権利」が問われ、社会的な注目を集めたNHK番組改ざん事件。6月12日に最高裁判決が出た後も波紋は広がっています。NHK裁判が残したものは、何だったのでしょうか。
原告の思い
「私たちは負けたわけではない。政治家の意思を忖度(そんたく)して番組改ざんした事実を人々の記憶に残すなど、7年のたたかいで大きな道を開くことができました」
NHK裁判の原告バウネットジャパンの共同代表・西野瑠美子さんは、判決後の会見でそう語ります。
裁判の意味は、どこにあったのか。提訴を決意したときの松井やより代表(故人)の言葉を引用します。「このまま私たちが沈黙すれば、暴力による言論弾圧や権力に迎合する報道の自主規制を許すことになる…」
被害女性の声を
ETV番組「問われる戦時性暴力」(2001年放送)は、戦後初めて日本軍の戦時下性暴力を裁いた、女性国際戦犯法廷を取り上げたものでした。
主催団体の一つであるバウネットにNHKから説明された企画趣旨は、女性国際戦犯法廷を「つぶさに追い…半世紀後に戦時性暴力を問うことの意味を考える」というもの。ところが放送された番組は、「法廷」の意義や誰がどんな罪状で起訴され、どんな判決が出されたのかを全く伝えませんでした。
「慰安婦はでっちあげ」とする勢力が影響力を強めるなか、被害女性たちの名誉を再び傷つけることがあってはならないと、バウネットは提訴します。
代理人は、報道被害救済弁護士ネットワーク「ランビック」で活動していた飯田正剛さんら5人の弁護士が引き受けることになりました。弁護団は話し合いを重ねるなかで、取材協力者の「信頼利益」の侵害、取材者の「説明義務」違反という新しい法的構成をつくりだします。
様相変えた告発
裁判の様相を大きく変えたのは、一人のNHKスタッフの内部告発でした。番組改ざんの背景に安倍晋三官房副長官(放送当時)らの政治介入があったという長井暁デスク(放送当時)の証言は、世間の注目を集め、政界を震撼(しんかん)させます。
「奇跡でした。普通なら闇から闇に葬られる事実が出てきた。その奇跡をどう受け止めるか。僕自身の生き方が問われていると思いました」と飯田さん。
事件の核心は、番組への政治介入問題に。裁判で番組の異常な編集過程が明らかになるなかで、現場の意見がねじまげられたこと、安倍氏らの意図をおしはかったNHK幹部の命令で、元日本軍「慰安婦」たちの証言が大幅にカットされたことが明らかになります。
一方、法廷で証言した長井デスクと永田浩三チーフプロデューサー(当時)は制作現場から外されました。
「彼らを思うと、胸が苦しくなります。彼らの行為こそが『表現の自由』を守る現場のたたかいだったといえます」と西野さん。
東京高裁判決は、これらの事実を認定し、「番組制作担当者の制作方針を離れてまで国会議員等の意図を忖度して当たり障りのないように番組を改編した責任は重大」とNHKを断罪しました。制作現場での改変は、「編集の自由」とする一方で、国会担当者らの改変は「自主性、独立性を内容とする編集権を自ら放棄したものに等しい」と批判しました。
報道の自由こそ
しかし、最高裁判決は、政治介入には目をふせ、抽象的な「編集権」に終始。西野さんは、「報道の自由を侵害したのは誰なのか。明らかになった政治介入の事実は、不当判決をもってしても消し去ることはできません」と力を込めます。
7年の裁判闘争で得たものは大きい、と語る西野さん。これまでつながりのなかった多くの人が、民主主義と「知る権利」を守るために、ともにたたかってくれたことに、思いをはせます。
飯田さんは、自分たち法律家の責任は、最高裁の誤りを徹底分析することだと考えています。「裁判は終わりましたが、この事件はまだ終わっていません」。最高裁判決の後も、真相究明を求める声があがっていることに期待をつなぎます。
(つづく)
NHK裁判
2001年1月30日放送のETV番組「問われる戦時性暴力」に取材協力した市民団体バウネットが、NHKらを提訴。一審判決は番組制作会社ドキュメンタリー・ジャパンのみに賠償を命じ、NHKについては免責。昨年1月の東京高裁判決は一審判決を変更し、NHKの責任を認めたが、最高裁判決はバウネットの逆転敗訴となった。
( 2008年07月16日,「赤旗」) (Page/Top)
古屋剛さん(90歳)神奈川県南足柄市
シンガーソングライターのきたがわてつさんが各地で懸命に生きる人を紹介する、「人間ばんざい」。神奈川県南足柄市の古屋剛さん(90)は、9条の会などで活動し、平和の実現へ、現役でがんばっています。
2度の召集で8年間中国に
神奈川県の南足柄市で6月、「南足柄9条の会」2周年記念のコンサートがあり、僕も出演した。当日、参加者に戦争体験を語った古屋剛さんは、現在90歳。21歳の時から2度召集され、8年にわたり、中国の上海や漢口(現在の武漢)などの戦地で青春時代を送った。
「戦争は人の殺し合い。命の奪い合いです」と語り、「むごいことの裏では、利益をむさぼる仕掛けもあります」と生々しい証言をした。
例えば、軍司令部から「特殊薬品の輸送の件」という作戦指令を受けて、実際に運んだのは大量のアヘンで、金もうけに使われたという。また、「従軍慰安婦」に支払われたはずの金が、業者や軍にピンはねされていたことも告発した。
旅に慣れてユーモアが
僕が初めて古屋さんにお会いしたのは2年前。僕が呼びかけた、中国シルクロードの旅に参加してくださり、ウルムチや敦煌などでコンサートをしながら、思い出深い時をともに過ごした。高齢なので、最初は心配だったものの、旅慣れていてユーモアがあり、中国についてはよくご存じなので、逆に助けられることも多くあった。
敦煌の街の中心で、「反弾琵琶像」という背中で琵琶を弾く美しい女性の像を共に見ていたら、「ワシも男じゃのう」という古屋さんの一言。思わず吹き出してしまった。
また、昨年90人ほどで韓国を訪れ、「従軍慰安婦」にされたハルモニ(おばあちゃん)たちが住む「ナヌムの家」でコンサートをした時も、古屋さんは地元の取材に応えて、戦争の悲惨さや9条の大切さを心から訴えた。
レッドパージで会社を辞め
古屋さんは、1917年の11月、東京の江東区砂町の生まれで、世田谷で育った。戦後、富士フイルムに入社し、組合専従として活動。1950年に、レッドパージで会社を辞めさせられた。
仕事がなく、誘われて保険の外交員となった古屋さん。当時の富士フイルムの社長が足柄工場に来た際、訪ねて行ったという。「『保険を勧めに来た』といったら、応接間に通してくれ、開口一番『古屋君、クビにして申し訳ない』と。『古屋君が来たんじゃ断るわけにもいかないよな』と契約してくれ、部長、課長にも勧めてくれて、4、5人保険に入ってくれました」といいます。川越、松本の支社長を務め、「職員さんを大事にしたんです」と、うれしそうにちょっと胸を張った。
現在は年金者組合や南足柄9条の会の会員として活躍し、毎年の原水爆禁止世界大会で広島や長崎、そしてビキニデーには静岡へも足を運ぶ。海外ではキューバやベトナム、フランスなどにも平和の旅を重ね、今年9月の「きたがわてつと行く中国・チベットツアー」参加をとても楽しみにしてくれている。一緒に住んでいる息子さんに「『おまえも準備しとけよ』と言っているんだ」と、笑う。古屋さんの平和への熱き思いは、僕を奮い立たせてくれる。
(月1回掲載)
( 2008年07月09日,「赤旗」) (Page/Top)
従軍慰安婦問題を取り上げた特集番組が改編されたとして、NHKなどに損害賠償を求めた訴訟の最高裁判決で、原告側の民間団体が敗訴した翌日、日本経済新聞社編集局の記者が「ばか者」「常識をもて」といった文言のメールを同団体に送っていたことが五日、分かりました。日経は団体側に謝罪し、社内規定に従って同記者を処分しました。内容は明らかにしていません。
メールが送られたのは、民間団体「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク」(バウネットジャパン)。
バウネットによると、最高裁判決翌日の六月十三日、日経のドメイン名が付いたメールアドレスで送付されました。メールには「取材先の『期待』に報道が従うわけないだろ。常識を持て。ばか者」などと書かれていたといいます。
バウネットは、記者による説明と謝罪を要求。日経は対応を検討するとしています。
( 2008年07月06日,「赤旗」) (Page/Top)
東京都清瀬市議会は六月二十五日、旧日本軍の「従軍慰安婦」問題で、政府に誠実な対応を求める意見書を可決しました。与党の自民系会派を除く、日本共産党など各会派が賛成しました。
意見書は、政府が被害者に公式な謝罪や十分な賠償をせず、教科書から記述を削除したことを「恥ずべき態度」とし、真相究明、陳謝、賠償責任を果たし、学校で教えて被害者の尊厳回復に努めるように求めています。
意見書は、市民グループ「清瀬子どもと教育ネット」の陳情を受けたもの。
市議会文教常任委員会副委員長を務める日本共産党の原田ひろみ市議は「委員会では与党議員が歴史をゆがめる発言を繰り返しており、『なんとしても清瀬で』との思いだった。政府は歴史の事実と向き合って、責任を果たすべきだ」と語りました。
(2008年07月01日,「赤旗」) (Page/Top)
ブリュッセルにある欧州連合(EU)議会で六月十日から十三日まで、原爆写真展が開かれました。同地で国際民主婦人連盟(国際民婦連)執行委員会が開かれるのを機会に、日本婦人団体連合会(婦団連、国際民婦連加盟)が提案し実現したものです。会長の堀江ゆりさんの手記を紹介します。
原爆写真展は被爆の実相を伝える貴重な手段として各国各地で開かれていますが、EU議会内では初めてです。六十年を超える国際民婦連の歴史でも初のとりくみです。
国際民婦連執行委員会が欧州議会内で開催されることが決まり、マルシア・カンポス会長に原爆展を提案したところ、ぜひ実現しようという返事がありました。執行委員会開催に尽力したエヴァ・スヴェンソン議員(欧州統一左翼・GUE)も全面協力を約束してくれました。彼女は、昨年の欧州議会での「慰安婦」問題決議の起草者の一人でもあります。
千羽鶴持って
写真セットは広島平和記念資料館から発送してもらい、私は婦団連加盟団体や協力者から寄せられた千羽鶴や絵手紙カードなどを持ってブリュッセルへと向かいました。
執行委員会に先立ち、欧州統一左翼主催の公開シンポジウム「女性の権利の侵害」が百六十人規模の会議場で開かれました。
各国代表が、紛争下の人権侵害、貧困、人身売買、職場や家庭での暴力などを報告。私は、最大の人権侵害である戦争と核兵器の廃絶をめざす日本の女性運動について発言し、原爆写真展実現のお礼を述べました。会場に飾った千羽鶴は原水爆禁止運動のシンボルであることも説明しました。司会者は、会議場前ロビーで開催中の写真展を紹介し、核兵器廃絶署名をよびかけてくれました。
展示を見た人びとの中には署名用紙やカード、折り鶴を持ち帰る人もあり、十カ国の女性がメッセージノートに日本の女性たちへの連帯の言葉を書き込んでくれました。とりわけ千羽鶴には人気が集中し、長くつなげた鶴を持ち帰ろうと、束ねた糸を懸命にほどく人までいました。
4枚が不許可
今回は日程が急だったために正式な展示場は使えず、もともと一部の写真のみを展示する予定でした。しかも、展示前日に四枚の写真の展示が不許可になるという予期せぬ出来事がありました。施設管理責任者は「死体や傷ついた体の写真だから」とのべたとのこと。今回はとりあえず可能な範囲で展示をしたという経過がありました。
残酷なのは写真ではなく、そこに写された事実です。原爆写真展のもつ意義を改めて実感しました。
同時に、シンポジウムと原爆展主催者として、議長席から「不許可事件」への抗議を表明し、来年三―四月には三十枚の写真セット全部の本格的な展示を実現したいという、欧州統一左翼のきっぱりとした態度に感銘を受けました。
二〇一〇年の核不拡散条約再検討会議を前に、世界の人びととともに核兵器廃絶の合意を実行させるための運動を強めよう、という決意を新たにしています。
( 2008年06月30日,「赤旗」) (Page/Top)
旧日本軍「慰安婦」による証言集会「消せない記憶」が二十六日、神戸市中央区内で開かれ、百五十人が参加しました。「旧日本軍『慰安婦』問題の早期解決をめざす会」が、「戦争と女性の人権博物館」(韓国ソウル市)建設のためのチャリティーコンサート(二十一日)に来日した李容洙(イ・ヨンス)さんを招いて開いたものです。
集会で李さんは、十五歳で日本軍によって自宅から強制連行された様子や軍人の暴力で死にそうになったこと。爆撃を受けながらも生き延びてきたことなど、時おり涙をぬぐいながら、生なましく語りました。
参加者を代表して大森奈美さん(40)=兵庫県明石市=が、日本政府の公式謝罪と被害者への補償、歴史の事実を次世代に伝えることなど、「慰安婦」問題の一日も早い解決を実現させる決意を李さんに語りました。
集会は若者の参加も目立ち、大学生の神前翼さん(20)=同川西市=は、「『慰安婦』の存在は知っていましたが、実際に話を聞くのは初めて。胸が痛みます。日本政府は謝罪と補償を絶対にすべきです」と話していました。
(2008年06月28日,「赤旗」) (Page/Top)
ふゆみ もう、NHK番組改変訴訟の最高裁判決にははらがたつわ。
賠償認められず
のぼる NHKに取材された市民団体の番組に対する「期待権」が否定され、損害賠償が認められなかったんだよね。
ふゆみ 裁判の焦点は権力の介入と、その意見を酌んだNHKが番組を大幅に改ざんしたこと。この点をどう判断するかだったはずなのに、その判断は避け、NHKには編集権があり、一般的に番組は編集で変わることがあるから、期待権は成り立たないという判決よ。
のぼる そもそもどんな番組だったの。
ふゆみ 2001年1月、NHK教育で放送された「戦争をどう裁くかA問われる戦時性暴力」で、旧日本軍による「慰安婦」問題の責任を問う「女性国際戦犯法廷」をとりあげたの。
のぼる その番組に口を出したのが、安倍前首相(当時官房副長官)たちというわけだ。日本の侵略戦争を美化する靖国派の連中だな。
ふゆみ 番組はNHK内部の試写も済み、できあがっていた。
のぼる ところがNHKの幹部が安倍氏らと会った直後から、異常な改変がおこなわれた。
ふゆみ 「慰安婦」たちや識者の証言は大幅にカット。「慰安婦」の証言を否定する学者のコメントを補充する。おお慌てでやったものだから番組は4分間も短くなってしまったの。番組は主催者の名前も紹介せず、判決結果も報道しなかった。
のぼる その模様は当時の番組デスクが内部告発し、裁判でも証言したよね。だから高裁判決はNHKは「政治家の意向を忖度(そんたく)し」「編集権を自ら放棄」したと断罪したんだ。
知る権利を奪う
ふゆみ 最高裁は、この肝心な点の判断を避けた。NHK幹部は編集権の名で元慰安婦たちの必死の告発を投げ捨て、視聴者の知る権利を奪ったといっていいわ。「権力に介入された編集権」なんて保護に値しない。でもね、原告の人たちが声をあげ裁判をたたかったことで、多くの市民が「放送に民主主義を」と立ちあがったの。
のぼる 黙ってはいられない。ぼくらもメディアを監視しなきゃね。それが市民にとって「知る権利」の保障だね。
( 2008年06月25日,「赤旗」) (Page/Top)
6月12日、最高裁は番組を不当に改変されたとしてNHKに損害賠償を求めていたバウネット・ジャパンの請求を棄却する判決を下した。判決を報道の自由を守る結果になったと歓迎するメディアの記事や論説が多い。
事実は変化なし
しかし、事件の核心は政治家の介入が番組改変の結果を生んだか否か、である。原審の東京高裁は、迂回(うかい)的な表現ながらその因果関係を認めている。次の事実である。
1、(放送前日の)1月29日午後、安倍晋三内閣官房副長官(当時)が従軍「慰安婦」問題の持論を展開し、番組について公正中立の立場で放送すべきと述べたこと。特に同副長官のホームページに言及し、番組の偏りが拉致問題での沈静化をはかる北朝鮮の工作宣伝活動の一翼も担っていると睨(にら)んでいたとの「持論」の内容を指摘している。
2、(普段番組制作にたずさわることのない)松尾・NHK放送総局長と野島・国会担当局長が相手方(安倍晋三氏)の発言の意図を忖度(そんたく)して放送直前の改変が行われた。
最高裁は法律審であって、特に著しく正義に反する事情がなければ新たな事実認定をしない。この判決でも事実認定に変化はない。だが、原審判決の要約の形をとりつつ、右の1をあいまいにして、因果関係を切り落としてしまったのである。政治家の発言の位置づけをただのエピソードにしてしまった。
加えて、最高裁はNHK免責のための論理を構成した。報道機関の取材の際に取材の相手方に、必ずこう報道するからと約束に近い説明をすること、相手方に新たな負担をさせることなどの格段の事情がなければ、報道機関は直前の改変をしても法的責任もなく、特別の説明義務も負わないという。
こうした上で、松尾、野島氏の指示による放送直前の大改変も、政治家の干渉と関係のないNHK内部の編集努力にすぎず、取材対象者の信頼と期待を裏切ることもなかったとしたのである。
最高裁の歪曲
最高裁判決には、政治家の介入と報道の改変という重大な事実の意味を極小にしたい、との意図が貫かれている。それは司法の衣をまとった、もう一つの政治である。憲法21条の保障する報道の自由は、自由にして平等であるべき市民一人ひとりのためにある。人々が自らとこの国の将来を決するために必要な真実を知るためのものである。それは、NHKのような巨大な組織を守ろうとする自由ではない。
最高裁が事実を歪曲(わいきょく)し、報道機関の間違いを正すせっかくの機会を奪ったのであるから、メディアはこのときにこそ、報道の自由は危機にさらされたと警鐘を鳴らすべきであった。「信頼と期待」の論理は否定されたから報道の自由は守られた、とするメディアの論調は、報道の自由が何のために存在しているかをふりかえっていない論である。
巨大メディアを少しでも真実のために働くようにする動因は、現場で歯をくいしばって良心をつらぬく人々とバウネットのような、報道のありかたを粘り強くただしていく市民の運動であろう。番組改変以降の人々の歩みは、それを明らかにした貴重な歴史であった。
韓国では、政権を揺るがす巨大なデモが続いており、その人々をつなぐのは、インターネットだという。「報道の自由元年の旗」はいったん、じゅうりんされた。しかし、澎湃(ほうはい)として起こりつつある市民メディアの動きは、この旗を拾いあげて再び掲げる動きがすでに始まっていることを告げている。
(弁護士、NPJ代表)
( 2008年06月24日,「赤旗」) (Page/Top)
問題の番組は、01年1月放送のNHK教育テレビの特集番組。日本軍「慰安婦」問題を裁いた、2000年の女性国際戦犯法廷を取り上げたものでした。
放送された番組は、市民団体「バウネットジャパン」にたいする当初の説明とまったく違う内容でした。「慰安婦」への日本政府・軍の責任、昭和天皇の戦争責任に触れた部分などをすべてカットしたのです。バウネットは01年7月、NHKなどを訴えました。
一審の東京地裁は、制作会社の賠償しか認めませんでしたが、二審の東京高裁はNHKも含めて賠償を認め、原告勝訴。
高裁判決は、NHK上層部が、安倍氏ら与党政治家の意図を、「必要以上に忖度して当たり障りのない番組」にした、と事実認定しました。
ところが、最高裁は政治介入など番組改変の原因には触れないまま、番組編集は放送局の「自律的判断に委ねられ」るとして、二審判決を破棄。原告敗訴の判決を出したのです。
(2008年06月22日,「赤旗」) (Page/Top)
最大の焦点だった政治介入について、最高裁は触れずじまい―。日本軍「慰安婦」問題を扱ったNHK番組の内容が、当時の安倍晋三官房副長官らの介入によって改変された事件の裁判で、最高裁は、介入の判断を避け、市民団体の訴えを退けました。
最高裁判決を受けて、原告の市民団体、バウネットジャパン共同代表の西野瑠美子さんに聞きました。
◇
私たちは負けたのではない。真実に目をふさいだ不当判決です。負けたのは、公正・公平の目をくもらせた最高裁ではないでしょうか。
裁判に寄せられた多くの市民の最大の関心事は番組への政治介入であり、制作現場の表現の自由、編集の自由をいかに守るかにありました。
「慰安婦」制度の責任者処罰に向き合った女性国際戦犯法廷を取り上げておきながら、番組は最大のポイントである判決を消し去り、放送直前には被害者の証言さえ消しました。
高裁判決は、異常な改変が、面会した政治家の意を忖度(そんたく)するよう行われたことを認定しました。そして政治家の意図をくんだ改変は、NHKが「編集権を自ら放棄した」に等しいと断じ、「特段の事情」を認めて信頼利益の侵害と説明義務違反を認めたのです。
しかし最高裁判決は、なぜ改変されたのかの核心部である政治介入は、かやの外に置きました。放送の自律を脅かすのはあたかも取材対象者であるかのようにのべ、私たちの主張を退けました。
報道の自由を制約・侵害したのは誰なのか、放送番組編集に介入したのは誰なのか、問い返したい。被害者を加害者にすり替えるこのような暴挙が、司法の場で行われていいのでしょうか。
問題の核心は、番組編集への政治介入だったはずです。
しかし、全国紙の多くが最高裁判決を「編集の自由が守られた」と報じたのには、がくぜんとしました。編集の自由を主張すべき相手は市民でなく、権力であるはずなのに、本末転倒の議論です。
◇
私は、この7年のたたかいを誇りに思います。
多くの人々がこの問題を日本の民主主義を守るたたかいと受け止め、ともにたたかってくださいました。何より、明らかになった政治介入は、不当判決をもってしても消し去ることはできません。
法廷で異常な改変の実態を証言したNHKの長井暁さん(当時の番組デスク)や永田浩三さん(同チーフプロデューサー)、真っ先に不正義に声を上げた元ドキュメンタリー・ジャパン(番組の制作会社)の坂上香さんの勇気は、人々の記憶に残り続けるでしょう。
今も制作現場から外されたままの彼らを思うと、胸が苦しくなります。しかし、真実に目を閉ざさず、ジャーナリストとしての良心を選択した彼らの行為こそが、「表現の自由」を守る現場のたたかいであったと思います。
日本の民主主義をあきらめないたたかいに、さらに歩みを進めていきたいと思います。
(2008年06月22日,「赤旗」) (Page/Top)
「判決は、いわゆる期待権が法的保護の対象にならないことを明確にしており、そのことは非常に良かった」。NHKの日向英実放送総局長は18日の記者会見で、NHK番組改変裁判の最高裁判決について問われ、こう答えました。これで終わり、といわんばかりです。
しかし、「非常に良かった」といえるのかどうか。番組への政治介入と表現の自由が問われたこの裁判。視聴者は判決に納得して、NHKへの信頼を取り戻したでしょうか。
判決後の報告集会で、原告の市民団体「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク(バウネットジャパン)」や弁護団、支援者から、あきらめの声は聞かれませんでした。
バウネット共同代表の西野瑠美子さんは「これから、この判決を反面教師として生かしていく運動をつくっていきたい」と決意をのべました。
2001年の提訴から7年。05年には、番組デスク・長井暁さんが「政治的圧力」があったと衝撃的な内部告発をしました。それを受けた東京高裁判決は、政治介入の事実を否定せず、NHKは「編集の自由を自ら放棄した」と断じたのです。
西野さんはいいます。「NHKが政府の意向を忖度(そんたく)して番組を改ざんしたことは、7年のたたかいの中から出てきた事実です。メディアの報道の自由に向けた、大きな道の一歩だと信じてやみません」
裁判を通じ、市民や放送関係者、団体による支援の輪が運動の枠を超えて広がりました。バウネットジャパンは女性の人権≠フ視点から、日本軍「慰安婦」の実態調査や被害者支援などをしてきた団体です。今回の訴訟を通じて、放送の民主主義≠求める関係者、市民団体との交流が始まり、深まりました。「これまでまったくつながりはなかった」(西野さん)という人たちです。
きずなの強さを感じる発言がありました。報告集会でメディア研究者の松田浩さんは、「メディアが権力監視の役割を果たさなくなっている。その現実を変えるための、われわれの運動だ」と語りました。あなたの運動∞私の運動≠ナはなく、「われわれの運動」だと。さらに「運動を通して、民主主義は発展していく」と訴えました。
私たち国民が、いつの間にか政府に都合のいい放送だけ見させられているとしたら、どれほど恐ろしいことか。7年の裁判闘争は「物言えぬ社会」を許さぬ人々の存在を示しました。本当の民主主義を求める連帯の輪はさらに広がるに違いありません。
(和)
( 2008年06月21日,「赤旗」)(Page/Top)
さる十二日、最高裁判所第一小法廷(横尾和子裁判長)はNHK・ETV番組「問われる戦時性暴力」の改ざん事件に対して原告(バウネット・ジャパン)の訴えを全面的に退ける判決を言い渡しました。今回の最高裁判決はNHKの放送の自由は何のためにあるのかという根源的な問題への判断をはぐらかした最悪ともいえる内容です。
判断をしたことしなかったこと
裁判では二つの点が争われました。一つはNHKによる番組改ざんに政治家の介入があったのかどうかであり、もう一つは原告がNHKに対して抱いた期待権――取材を受けた時の企画の趣旨通りに放送されるであろうと期待し信頼する権利――をNHKが侵害したのかどうかでした。しかし、最高裁判決は一つ目の争点には何の判断も示さず、二つ目の争点について要旨次のように判断しました。
@放送法第一条〜第三条が定めた放送の自由は国民の知る権利に奉仕するものとして表現の自由を規定した憲法二一条の保障の下にある。
A番組の編集に当たって放送事業者の内部で、さまざまな立場、観点から検討されるのが常であり、その結果、最終的な放送の内容が当初企画されたものとは異なるものになる可能性があるのは当然である。
Bしたがって、NHKから取材を受けた者が、取材の過程で提供した素材が放送に使用されると期待したり信頼したりしたとしても、そうした期待や信頼は原則として法的保護の対象とはならない。
知る権利めぐる支離滅裂な判断
放送法が定めた放送による表現の自由は最高裁判決の要点@にあるように、「国民の知る権利に奉仕するため」にあります。ところが、NHKが行った番組改ざんは、戦時性暴力の実態を伝えようとした元「従軍慰安婦」と元日本軍兵士が女性国際戦犯法廷で行った証言をカットするなどしたものでした。こうした証言は日本の歴代政府、与党政治家があいまいにしてきた日本の戦争責任を国民が判断する上で貴重な資料となるものでした。
このような証言をNHKが切り捨てたことは放送の自由が奉仕するものとされた国民の知る権利に背く行為にほかなりません。このような番組改ざんまで「表現の自由」を持ち出して免罪した最高裁裁判官の憲法解釈の稚拙さ、自己矛盾はあきれるばかりです。
レトリックでの政治介入の放免
最高裁判決のもう一つの問題は、政治家の発言を忖度してなされた番組改ざんをNHK内部の自律的な検討の結果であるかのようにすり替えている点です。確かに番組改編のなかにはNHK内部の番組制作者相互の議論を経てなされた部分もないわけではありません。
しかし、少なくとも番組放送の直前の二〇〇一年一月二十九日に行われた元「従軍慰安婦」らの証言場面の削除は、同日、安倍晋三氏(当時、官房副長官)と面会し安倍氏から本件番組を「公平公正」なものにするよう求められた松尾放送総局長や野島国会担当役員ら(いずれも当時)がNHKの制作現場に戻り、番組制作とは無縁な野島氏が主導・指示する形でなされたものでした。これも「NHK内部での」検討の結果であるかのように描いた最高裁の事実認定は番組改ざんの圧力をかけた政治家を放免する悪質なすり替えのレトリック(修辞)です。
政治に弱い体質監視への再出発
以上をまとめれば、今回の最高裁判決は政治に弱いNHKを政治に弱い司法がかばい立てした判決といっても過言でありません。しかし、番組制作に関わった永田浩三、長井暁の両氏の勇気ある証言で浮かび上がった政治介入とそれを忖度したNHK幹部の政治におもねる根深い体質は今後も視聴者の記憶から消えることはありません。視聴者はNHKの優れた番組には激励を送る一方で、政治に弱いNHKの体質を厳しく監視し、視聴者主権の公共放送を確立する運動を今後も粘り強く続けていくことが重要です。
(だいご・さとし 東京大学大学院教授、NHKを監視・激励するコミュニティ共同代表)
( 2008年06月18日,「赤旗」)(Page/Top)
石井郁子衆院議員 後期高齢者医療制度の中止・撤回を求める東京連絡会主催の「後期高齢者医療制度の廃止を求める国会座り込み行動」で激励あいさつ
紙智子参院議員 「慰安婦」問題解決オール連帯ネットワーク主催の慰安婦問題「私たちの公聴会」院内集会で激励あいさつ
…9日
笠井亮、佐々木憲昭衆院議員、井上哲士参院議員 5・3憲法集会実行委員会の「自衛隊海外派兵恒久法と憲法審査会始動に反対する」院内集会であいさつ
大門実紀史参院議員 後期高齢者医療制度の中止・撤回を求める東京連絡会主催の「国会座り込み行動」で激励あいさつ
…7日
井上哲士参院議員 日中友好協会第57回全国大会で党代表あいさつ
…6日
穀田恵二衆院議員 全国老地連の「後期高齢者医療制度廃止を求める」厚労省前座り込み終結集会で激励あいさつ
山下芳生参院議員 全教など全国寄宿舎共同行動実行委員会主催の「寄宿舎教育の充実・発展を求める」院内集会であいさつ
…5日
笠井亮衆院議員 党中央委員会主催の「定例街頭演説」(JR五反田駅北口)で国会情勢報告
佐々木憲昭衆院議員 後期高齢者医療制度の中止・撤回を求める東京連絡会主催の「国会座り込み行動」で激励あいさつ
高橋千鶴子衆院議員 DPI(障害者インターナショナル)日本会議主催の「障害者自立支援法の見直しに向けての政党シンポジウム」に出席
…4日
塩川鉄也衆院議員 後期高齢者医療制度の中止・撤回を求める東京連絡会主催の「国会座り込み行動」で激励あいさつ
塩川鉄也衆院議員、井上哲士、紙智子、仁比聡平参院議員 被団協主催の「原爆症認定集団訴訟全面解決を求める」国会請願デモ激励
高橋千鶴子衆院議員 被団協主催の原爆症認定問題での厚労省前座り込みで激励あいさつ▽全国老地連の「後期高齢者医療制度廃止を求める」厚労省前座り込みで激励あいさつ
…2日
塩川鉄也衆院議員 党金属労働者全国後援会決起集会で国会情勢報告
紙智子参院議員 後期高齢者医療制度の中止・撤回を求める東京連絡会主催の「国会座り込み行動」で激励あいさつ
…1日
笠井亮衆院議員 全国肢体障害者団体連絡協議会(全国肢障協)の「結成30周年記念レセプション」であいさつ
( 2008年06月16日,「赤旗」)(Page/Top)
政治・経済
◆沖縄県議選、共産党5議席へ躍進 共産党は現有3議席から5議席となり、議案提案権を獲得。与党は過半数割れに(8日)
◆「景気拡大」終了か 内閣府は4月の景気動向指数を受け「局面変化」と指摘。「景気拡大」が数カ月前に終わった可能性を示す(9日)
◆企業物価4・7%上昇 日銀が発表した5月の企業物価指数は前年同月比4・7%上昇。原材料高で27年ぶりの伸び率(11日)
◆首相問責決議が可決 民主、社民、国民新の野党3党が提出した福田康夫首相に対する問責決議案が参院本会議で可決。首相問責の決議案が可決されたのは国会史上初めて。日本共産党は決議案を「いま出すことは適切ではない」として共同提出には加わらず、採決では賛成(11日)
◆後期医療廃止法案審議入れず 野党4党が提出した後期高齢者医療制度廃止法案が民主、社民、国民新各党のボイコットで衆院本会議での審議に入れず。日本共産党の志位和夫委員長は自ら提出した法案をボイコットする無責任を批判(12日)
社会・国民運動
◆秋葉原で無差別殺傷、7人死亡・10人けが 東京・秋葉原駅近くの歩行者天国の路上で、トラックで人をはね、降りてきた男がナイフで次々と通行人を刺す。男性6人、女性1人が死亡、10人が重軽傷(写真)。静岡県裾野市の派遣社員、加藤智大容疑者(25)を現場で殺人未遂の現行犯で逮捕(8日)
◆ヤミ金、元本も損害賠償対象 指定暴力団山口組旧五菱会系のヤミ金融事件で、被害者が同会元幹部に損害賠償を求めた訴訟で、最高裁小法廷が被害者は業者から最初に受け取った元本額についても損害として請求できる、とする初の判断を示す(10日)
◆原爆症集団訴訟の控訴審判決が確定原告全員が原爆症と認定された仙台、大阪両高裁判決にたいし、国が上告を断念(10日)
◆NHK番組改変訴訟で最高裁が不当判決 日本軍「慰安婦」問題を扱ったNHK番組が改ざんされたとして、市民団体がNHKと制作会社を訴えていた損害賠償請求訴訟で、最高裁小法廷は賠償を認めた東京高裁判決を破棄する不当判決(12日)
国際
◆印首相「核保有国は核廃絶誓約再確認を」 インドのシン首相が核兵器保有国に対し、2000年の核不拡散条約(NPT)再検討会議での核廃絶達成への「明確な約束」再確認を要求(9日)
◆韓国で数十万人が抗議 韓国の首都ソウルなど100カ所以上で、米国産牛肉の輸入再開反対、「大運河計画」や公営企業民営化撤回など求め抗議行動(10日)
◆EU、派遣労働者も正規と同じ待遇で 欧州連合(EU)雇用社会問題相理事会が派遣労働者に賃金、休暇などで正規労働者と同等の権利を認める指令に合意(10日)
◆カナダ首相、先住民同化政策で謝罪 カナダのハーパー首相がイヌイットなど15万人の先住民に、1970年代まで約100年間、英語使用やキリスト教信仰を強制した同化政策で謝罪(11日)
◆アイルランドでEU新基本条約否決 アイルランドで欧州連合(EU)の新基本条約「リスボン条約」批准を問う国民投票があり、反対多数で否決(13日)
◆中国、台湾の実務者が10年ぶりに会談 台湾の海峡交流基金会の江丙坤(こうへいこん)理事長と中国の海峡両岸関係協会の陳雲林会長が北京で会談し、中台直行チャーター便の週末運航実現などで合意書(13日)
( 2008年06月15日,「赤旗」)(Page/Top)
市民団体の提訴から七年。取材を受けた側は番組への信頼(期待)を問えるのか、政治介入で番組が作り変えられたのかを争ったNHK番組改ざん事件にたいして十二日、最高裁が判決を出しました。NHK側に二百万円の支払いを命じた東京高裁判決を破棄して、原告の請求は退けられましたが、放送の歴史の中で市民が政府・自民党の介入の事実を告発したのは初めてです。
焦点となったのは日本軍「慰安婦」問題を扱ったETV番組でした。取材依頼を受けた市民団体バウネットは、NHKに便宜を図り、全面協力しました。ところが、できあがった番組は、当初の説明と全く違うものでした。
取材に協力したバウネットには番組趣旨の変更を全く説明しないまま、NHK上層部は、番組と無関係な安倍晋三官房副長官(当時)のところに出向いて説明。その直後、安倍氏の意向に沿って番組を改ざんしたのが、高裁判決が事実認定した事件の真相でした。
そんな行為が許されていいのか。当然の疑問を取材対象者の「期待権の侵害」、取材者の「説明義務違反」という言葉で争ったのが、今回の裁判だったのです。
ところがNHKは、政治介入を内部告発した現場スタッフを制作現場から外し、あくまで自主的な編集であったとシラを切りました。裁判で、憲法二一条の「表現の自由」を持ち出し、「報道の自由は、国民の知る権利に奉仕するものであるがゆえに、軽々に制限されてはならない」と、取材に協力したバウネットに矛先を向けました。
政治介入でゆがめられた編集まで、憲法二一条の「表現の自由」の名で守られていいのか。昨年の東京高裁は、番組を良くするために修正を重ねた制作現場と、国会議員らの意図をおしはかって改変したNHK上層部を明確に区別し、上層部による改変は、「当初の番組の趣旨とはそぐわない意図からなされた」と判断。「編集権を自ら放棄したものに等しい」と、NHKの主張を退けました。
そのうえで、番組変更の説明があれば、取材協力を撤回することもできたとして特段の事情を認めた上で、バウネットの主張する「期待権」の侵害、「説明義務違反」を認定したのです。
しかし、最高裁判決は形式的な「番組編集の自由」に終始し、なぜ番組は変えられたのか、安倍氏らの関与がどのような影響を及ぼしたのか、目を向けませんでした。
NHKが「編集の自由」を主張すべき対象は、取材に協力したバウネットではなく、圧力を加えた自民党です。政治との近すぎる距離にどうけじめをつけるのか、NHKの対応が厳しく問われます。
■NHK番組改ざん訴訟の経緯
2001年
1月30日 NHKで「問われる戦時性暴力」が放送される
7月24日 バウネットが、NHKなど3社を東京地裁に提訴
2003年
3月31日 BRC(放送と人権等権利に関する委員会)が出演者の米山リサさんへの権利侵害があったとしてNHKに放送倫理違反の見解を発表
2004年
3月24日 1審判決。制作会社の責任が問われるが、NHKへの損害賠償請求は棄却→原告控訴
2005年
1月13日 長井暁NHKデスクが記者会見で「政治的な圧力」を告発
12月21日 長井デスクが証人尋問で「政治介入があった」と証言
2007年
1月29日 東京高裁判決。政治家の発言を「必要以上に忖度(そんたく)して当たり障りのない番組」にしたと事実認定。NHKに賠償命令→NHK上告
2008年
6月10日 高裁判決を報じたNHKのニュース(07年1月29日)は「公平・公正を欠いた」とBRCが見解
( 2008年06月14日,「赤旗」)(Page/Top)
日本軍「慰安婦」問題を扱ったNHK番組が改ざんされたとして、市民団体「バウネット・ジャパン」がNHKと制作会社二社を訴えていたNHK裁判の上告審判決が十二日、最高裁第一小法廷でありました。横尾和子裁判長は、NHKに損害賠償を認めた東京高裁判決を破棄しました。
判決は、放送法で規定されている報道・編集の自由をあげ、「取材を受けた側の期待や信頼は原則的に法的保護の対象にならない」と述べ、保護の対象となるのは「取材対象者に格段の負担が生ずる場合」と限定し、バウネットはこれに当たらないとしました。高裁判決では、取材に協力したバウネットの番組への期待を違法に侵害し説明義務を怠ったとしていました。
番組が改変されたことへのバウネットへの「説明責任」についても、「特段の事情」がない限り「法的な説明責任が認められる余地はない」と退けました。
焦点の「政治の介入」について、高裁判決ではNHK幹部が自民党の安倍晋三官房副長官(当時)らの発言を忖度(そんたく)して番組改変を行った事実を認めました。しかし、判決ではNHK幹部との接触を認めただけで、改変に至った過程で与党政治家がどのような影響を与えたかなどの判断を避けました。
原告弁護団は「政治家の圧力を正面から取り上げないまま、取材協力者の期待や信頼が保護されるのはきわめて例外的とした不当判決。憲法二一条を『政治家のための表現の自由』に変ぼうさせ、国際的に批判を受けるのは間違いない」とのコメントを発表しました。
バウネットの西野瑠美子共同代表は記者会見で「政治家の介入を容認した判決に怒りを感じる。裁判には負けたが、政治家の意思を忖度(そんたく)して番組を改ざんした事実を人々の記憶に残すなど、七年のたたかいで大きな道を開くことができた」と語りました。
( 2008年06月13日,「赤旗」)(Page/Top)
本欄で「どうしても書いておかないと、気がすまない……異様」と書いたのは、一年半ほど前です。〇七年一月二十九日のNHK夜九時のニュースをみて、背筋に寒けが走ったのでした▼その日東京高裁は、「日本軍慰安婦」番組をめぐる裁判で判決をいい渡していました。NHKは取材に協力した人たちの信頼と期待を裏切り、自主・独立の編集権をみずから放棄したに等しい、と▼なぜ、どのように放棄したのか。判決によれば、政治家の意見を必要以上に重くうけとめ、彼らの意図をおしはかり、番組の趣旨を変えてしまいました。ところが、NHK九時のニュースは異様でした▼番組づくりに協力し、勝訴した当の原告でもあった人たちを、一切映さない。語らせない。加えて安倍晋三氏を登場させ、「(裁判で)政治介入していないことが明確になった」といわせます。政治家が番組に影響をおよぼしたいきさつをのべた判決だったのに、です▼裁判で負けたNHKが勝ったかのように描いたニュース。一年半がたち、放送界の設ける「放送と人権等権利に関する委員会」が見解をまとめました。「公平・公正を欠き、放送倫理違反があった」▼委員会の見解を、NHKの夜九時のニュースも紹介しました。さすがに知らん顔はできなかったようです。同じ日、NHK会長は、受信契約を結んでいない視聴者を裁判に訴えるといいました。しかし、権力との陰の結びつきを断ち切らない限り、信頼を取り戻すまで容易な道のりではありません。
( 2008年06月12日,「赤旗」)(Page/Top)
問題になった「ニュースウオッチ9」で、NHKは原告・バウネットの見解に一切触れないばかりか、政治介入の当事者である安倍晋三首相と中川昭一政務調査会長(いずれも本件放送当時)のコメントだけ一方的に流しました。
それが、公平・公正といえるのか。意見が対立する問題については、多角的に問題点を明らかにする、としたNHKの「国内番組基準」や「新放送ガイドライン」に照らしてどうなのか。高裁判決報道が「公平・公正を欠き、放送倫理違反があった」とするBRCの見解は、政府自民党との距離が近すぎるNHKに対し、一石を投じたといえるでしょう。
NHKは、日本軍「慰安婦」問題を扱ったETV番組「問われる戦時性暴力」で、安倍氏らの主張をそんたくし、番組内容を大きく改ざんしました。その姿勢を断罪した高裁判決の報道で、再びNHKは自民党の意に沿った報道をしました。
それが視聴者・市民の「知る権利」からみてどういう問題があるのか。BRCの見解が「放送がもつ社会的影響の大きさを軽視すべきでない」とし、申立人であるバウネットが「公平・公正を欠いた放送により著しい不利益を被った」と認めたことは、電波は誰のものかを考えるうえで、大きな意味があります。
(板倉三枝)
( 2008年06月11日,「赤旗」)(Page/Top)
「放送と人権等権利に関する委員会」(BRC)は十日、NHK番組改変訴訟の高裁判決を報じた二〇〇七年一月二十九日のNHK「ニュースウオッチ9」について「放送倫理違反があった」との見解を示しました。BRCは、NHKと民放でつくる第三者機関BPO(放送倫理・番組向上機構)の中の委員会です。
申し立てていたのは、市民団体「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(バウネット・ジャパン)。同番組が、ETV番組「問われる戦時性暴力」(二〇〇一年放送)の高裁判決について、一方的な解釈とETV番組への介入が疑われる自民党の政治家二人のコメントのみを報じており、公平原則に違反している、などと訴えていました。
BRCの竹田稔委員長は、「申立人らの意見に一切触れることなく、自らの解釈だけを報じたことは、申立人らに対して公平・公正を欠き、放送倫理違反があった」と指摘。NHK自身が当事者という特殊性も考慮すると「よりいっそう慎重な取り扱いが求められる事案」だとしました。さらに、「意見が対立している問題については、できる限り多くの角度から論点を明らかにするよう」求めました。
一方、判決の内容を誤って伝えたとまではいえないとして、訂正放送などは求めませんでした。右崎正博委員は、NHKに対して「本件の趣旨が報道されることで、申立人の救済になる」との考えを示しました。
見解を受け、バウネットは「主張が認められて大変うれしく思います。今後、(NHKは)当事者としての立場と客観的な報道をしゅん別する報道姿勢を持つよう期待したい」とのコメントを発表しました。
NHKのコメント 今回の決定を真摯(しんし)に受け止め、さらに放送倫理の向上に努める。
( 2008年06月11日,「赤旗」)(Page/Top)
日本共産党、民主党、社民党と無所属議員は十日、日本軍「慰安婦」への補償を行う「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」を参院に提出しました。同法案の参院への提出は八度目です。
日本共産党の紙智子議員が発議者として名前を連ねたほか、日本共産党と社民党の参院議員全員が法案の賛成者となっています。
法案は、旧陸海軍の関与の下に、女性に対して組織的かつ継続的な性的な行為の強制が行われ、尊厳と名誉が著しく害された事実を踏まえて謝罪の意を表明。女性の名誉等の回復のための措置など必要な基本的事項を定めることにより、戦時性的強制被害者問題の解決の促進を図ることなどを目的としています。
内閣府に「戦時性的強制被害者問題解決促進会議」(仮称)を設置することも求めています。
( 2008年06月11日,「赤旗」)(Page/Top)
立法措置による問題解決をめざす「『慰安婦』問題解決オール連帯ネットワーク」は十日、被害者を招き、国会内で「私たちの公聴会」を開きました。国会で正式な公聴会を実施し、被害者の声を直接聞いてほしいと開いたもの。
日本共産党の紙智子参院議員、笠井亮、高橋千鶴子両衆院議員と、民主、社民、新党日本の各党と無所属の議員十一人が参加しました。
EUやオランダ議会で証言した韓国の吉元玉さん(80)と、一九九二年に開かれた国際公聴会で中国人として初めて被害を証言した万愛花さん(78)が体験を語りました。
十三歳でだまされ、「慰安婦」にされた吉さんは性病がなかなか治らず、手術を受けさせられました。その際、故意に卵管を摘出されたか閉じられたといいます。頭には酔った日本兵に刀のさやで殴られた傷が残っています。
吉さんは「政治家が心を合わせ、私たちの味方になってほしい。私が土にかえる前にたった一言でいいので真実を認める言葉を聞かせてください」と訴えました。
万さんはくぎが刺さった板に頭を何度も打ちつけられたり、水の中に沈められたりする拷問を受けました。「当時を口にすることは苦痛の極致」と、被害について詳しく語れませんでした。「日本は戦後六十年の間に学ぶべきことを学んできたのか」と厳しい言葉を投げかけました。
( 2008年06月11日,「赤旗」)(Page/Top)
日本軍占領下のフィリピンで慰安婦にさせられた実在の女性を主人公にしたミュージカル「ロラ・マシン物語」(田中暢脚本・演出)の甲府公演が八日、山梨県民文化ホールで行われ、昼と夜の二回公演に、合わせて四千人がつめかけました。
「わっしょい!憲法9条ミュージカル実行委員会」(小笠原忠彦委員長)が企画したもので、山梨県内から公募に応じた五歳から七十歳まで百七人の出演者、スタッフが半年間の練習の成果を披露しました。同ミュージカルは大阪(四月二十六日)をスタートに五回、東京でも五回の公演が地元の公募による出演者で上演されており、山梨公演が最終日となりました。開演にあたって小笠原氏が「『憲法が変えられてしまう。何かしなければ』と始まった活動です。平和の尊さを感じ取ってください」と満員の観客にあいさつしました。
カーテンコールには、大阪、東京公演の出演者もかけつけ、全員で劇中曲「尊厳の門」を合唱しました。
笛吹市から親子で見にきた女性は「戦争のむごさや悲惨さをあらためて感じることができた。踊りや歌の迫力にも圧倒されました」と話していました。出演者の一人で高校三年生の雨宮るりさんは「内容はむずかしいと最初思ったけど(観客にも)絶対伝わったと思う。きつい練習もがんばって良かった。友達も増えたし」と息をはずませました。
( 2008年06月10日,「赤旗」)(Page/Top)
「女たちの戦争と平和資料館(wam)」は八日、第六回特別展「ある日、日本軍がやってきた―中国・戦場での強かんと慰安所」のオープニング証言集会を東京都内で開き、百余人が参加しました。中国・山西省の日本軍「慰安婦」被害者と遺族は「真実を取り戻したい」と訴えました。
証言したのは万愛花さん(78)と楊秀蓮さん(44)。二人は一九九八年に日本政府を訴えましたが、二〇〇五年に最高裁で敗訴が確定しました。
「私は戦争の生き証人だ。日本政府はなぜ日本軍が中国で犯した罪を認め、謝罪しないのか」と何度も訴えた万さん。「どうして裁判に勝つことができなかったのか。日本の侵略戦争は正しかったのですか。道理はありましたか」と参加者に問いかけました。
万さんは十五歳で拷問と性暴力を繰り返され、体中を骨折、骨盤も折れて身長が二十a縮むという被害を受けました。「当時を思い出すと心が痛む」。いまも被害の実態について多くを語ることはできません。
楊さんは養母の南二僕さんの遺志を継いで原告になりました。養母は楊さんが三歳だった六七年に自殺。「母は日本軍のせいで被害に遭い、日本軍のせいで亡くなった。日本の若者には歴史の真実をきちんと心にとめてほしい」と話しました。
◇
特別展は中国・山西省、海南島、南京を中心に性暴力被害と加害の実態を展示。早稲田奉仕園内AVACOビル二階の同資料館で来年五月二十四日まで(午後一時から六時。休館日は月・火・祝日・年末年始)。問い合わせ=03(3202)4633。
( 2008年06月10日,「赤旗」)(Page/Top)
「子どもと教科書全国ネット21」は七日、結成十周年を迎え、記念講演と総会を東京都内で開きました。百三十人の参加者は、改定された学習指導要領の問題点や憲法問題を学び、運動の力にしました。
国際基督教大学教授の藤田英典さんが記念講演しました。藤田さんは学習指導要領の改定案に最終段階で「君が代」を「歌えるよう指導する」などの修正と追加がされたことについて「手続き的にも内容的にも問題がある」と指摘。修正・追加された部分は国家主義的なイデオロギーが強く、改憲勢力がかかわっているのではないかとのべました。
またテストによる「学力」重視と教育現場の統制がさらに強まる危険性があるとのべました。「学校教育に成果主義はなじまない」と政府や文部科学省を批判しました。
憲法をめぐる現状を報告した同ネット代表委員で東京大学教授の小森陽一さんは、九条改定の問題で見落とせないのは教科書問題だと指摘。
日本軍「慰安婦」や沖縄戦「集団自決」問題を例にあげ「政府が戦争する国へ大転換しようとするとき、必ず教科書や子ども、教育現場への攻撃が始まる。(それに対して)危険だとのろしをあげられる一番の勢力は歴史認識を保持している組織の力だ」と参加者を励ましました。
総会では、沖縄戦「集団自決」に関する「日本軍強制」の記述を削除した文科省の教科書検定問題が報告されました。今後の運動の柱として▽検定意見撤回と記述回復▽教科書検定制度の抜本的見直し▽大江・岩波沖縄戦裁判の支援―が提起されました。教科書検定制度の廃止などをめざす「教科書制度改善に向けた提言」を拍手で承認しました。
( 2008年06月08日,「赤旗」)(Page/Top)
日本軍占領下のフィリピンで慰安婦にさせられた実在の女性が主人公のミュージカル「ロラ・マシン物語」を上演する「わっしょい! 憲法9条ミュージカル実行委員会」(小笠原忠彦委員長)は6月の山梨公演を前にこのほど、甲府市内で公開レッスンを行いました。(写真)
山梨公演には6歳から70歳までの出演者100人が県内から公募で集まりました。公開レッスンでは物語のモデルとなった元「慰安婦」のトマサ・サリノグさん(昨年4月死去)を支援してきた来日中のスーザン・マカブアグさんが出演者を激励。「戦争下では女性が女性であるがゆえだけで権利を侵害され、尊厳を破壊された。憲法9条を守りぬいてください」と公演成功への期待を語りました。
6月8日(日)午後2時と6時の2回、甲府市の県民文化ホール大ホールで上演されます。問い合わせは、実行委員会0551(32)8142(田嶋節枝事務局長)。
(2008年05月31日,「赤旗」)(Page/Top)
被爆者の語りと音楽で/札幌
札幌市厚別区の厚別北地域の住民を中心に結成された森林公園九条の会は二十五日、被爆体験者の語りと音楽で構成した「平和を語るつどい」を区内で開催しました。
西村茂樹代表世話人が開会あいさつしました。
原爆投下後に広島市内に入って被爆した脇神昭悦さん(81)は「被爆者は、自分の体験から核兵器廃絶と世界平和を訴えています。憲法を守るたたかいに自信を持ってとりくんでいきましょう」と訴えました。
四十人の参加者は、脇神さんの体験をうなずいて聞き入り、会場に展示していた原爆パネルを見つめる姿もありました。
同会の賛同者で、「歌い手九条の会」にも所属しているシンガーソングライターの稲村一志さんは、憲法九条の条文にメロディーをつけて「歌で憲法を守ることを広げたい。おおらかに自由に憲法を語っていける活動をしていきましょう」と参加者と一緒に歌い、会場を盛り上げました。
事務局長の工藤保己さんは「『九条の会』をあなたの口や足で一人でも多くの人に広げてください」とよびかけました。
75歳以上医療制度は違憲=^岩見沢
岩見沢九条の会は二十六日朝、岩見沢市のJR幌向駅で早朝宣伝をしました。今年八回目です。
卜部喜雄代表がマイクを握り、四月から始まった後期高齢者医療制度が憲法二五条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」に違反すると訴えました。
政財界から声があがっている消費税増税問題について、アメリカへの思いやり予算を含む軍事費を削ることや、大企業や大資産家への大幅減税を元に戻し、ルールある税負担を求めること、政党助成金など憲法違反の無駄な支出をやめて税金の使い方を変えれば、財源はあるとのべました。
憲法九九条の条文を紹介し、改憲をとなえる議員を批判すると、手をふる通勤客や、一列車遅らせて、訴えに耳を傾ける乗客もいました。
署名過半数を記念し講演/深川
憲法署名が有権者の過半数を達成したことを記念して、深川平民懇は二十五日、高崎裕子弁護士(道革新懇代表世話人)を招いて講演会を深川市経済センターで開き、約九十人が参加しました。(写真)
高崎さんは「憲法が輝く時―憲法九条を持つ国に生きて」と題して講演。韓国で会った「従軍慰安婦」の体験を持つ女性の話には、多くの参加者が涙しながら聞いていました。
高崎さんは「憲法二五条と九条は双子」とのべ、いまこそ憲法を守るための「一人ひとりの意志が問われる時代」と強調しました。
深川平民懇の北名照美事務室長(党深川市議)と、道憲法改悪反対共同センターの山口康夫代表がそれぞれあいさつ、新婦人深川支部が活動の経験を発言、参加者全員で憲法前文を音読しました。
山口氏は「深川のみなさんの奮闘で全道のトップを切って有権者の半数を突破したことは、全道の運動を勇気づけています」と激励しました。
(2008年05月31日,「赤旗」)(Page/Top)
国際婦人年連絡会はこのほど、日本軍「慰安婦」問題に関する要望書を、福田康夫首相をはじめ外務・文科相、男女共同参画会議議員、各党党首、女性国会議員などに提出しました。
要望書は、国連人権委員会をはじめ女性差別撤廃委員会、ILOなどの国際諸機関から日本政府が勧告を受けているにもかかわらず、責任ある対応をしていないことを批判。「慰安婦」問題の反省と謝罪の国会決議、政府の責任による被害者への謝罪と補償、中学校社会科教科書から削除した「慰安婦」に関する記述を復活させ事実に基づく歴史教育を行うことを求めています。
( 2008年05月28日,「赤旗」)(Page/Top)
四月十二日のNHK経営委員会。古森重隆委員長が、委員や福地茂雄会長らを前に釈明しました。二月の「自民党衆院議員を励ます会」に出席したことを認めた上で、「あくまで富士フイルム社長という個人の立場で出席した」と弁解しました。続けて古森氏は「NHKの経営委員長もしている。NHKを応援してください」とあいさつしたと述べました。
この問題は、「しんぶん赤旗」(三月一日付)が取り上げ、三月三十一日の参院総務委員会では、日本共産党の山下芳生議員が「不偏不党であるべきNHKを監督する経営委員長として、視聴者に誤解を与えることはやめるべきだ」と追及しました。
署名4倍化
政府与党との関係が問われているNHK。そのトップである経営委員長が、自民党議員の「励ます会」へ出席したことに視聴者から、強い批判が上がります。「政治から独立し自主・自立を堅持するNHKの責任者としての適格性を疑わせる」として、四つの市民団体が「古森委員長の罷免を求める署名」運動に取り組みました。NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ、NHK問題京都連絡会、NHK問題を考える会(兵庫)、NHK問題を考える大阪の市民の会です。
集まった「署名」は、六千人分を超えました。昨年、市民がメディア研究者、ジャーナリストらとともに取り組んだNHK会長の公選制を求める署名で集まったのは千五百人ほどでしたから、今回はその四倍以上。関心と活動の広がりを示しました。
九日の記者会見で視聴者コミュニティ共同代表の醍醐聰東京大学教授は「古森氏の終わりの始まり≠ニ思う」と報告しました。兵庫の会の中野明彦運営委員は「活動は東京と関西が主だったが、全国で取り組めれば署名はもっと集まった」と言います。
放送の自由
四つの市民団体はいずれも二〇〇五年、NHKの「慰安婦」番組改変が明らかになったのを契機に結成されました。
以来、京都連絡会は、NHK京都放送局と継続的に話し合いの場を持ってきました。今年二月の懇談では、古森経営委員長の選出が、放送法では経営委員の互選であると決められているのに、委員長として「内定」してしまった問題を取り上げました。また、職員の株インサイダー取引にたいしては徹底した調査と結果の公表を求めました。
連絡会事務局担当の長谷川長昭さんは言います。「テレビ、とくにNHKの影響力は大きい。自立した市民として公共放送をとらえていきたい」
連絡会のメンバーの西村千津さんは「このままでは放送の自由がゆがめられてしまいます。黙っていてはあかんと思う」と話します。
改定放送法に、NHK経営委員に視聴者の意見を聴取することが新設されました(一四条)。全国各地方で毎年六回以上開き、NHKの基本方針や運営に関する重要事項を説明すること、内容を経営委員会事務局が報告書を作って経営委員会に報告することとしています。
第一回は三十一日、名古屋放送局で開催。続いて七月十二日に大阪放送局で実施します。
連絡会の湯山哲守さんは「受信料を払っているのは国民。その代表が何らかの形で参加できる仕組みが必要です。みんなで知恵を出し合っていきたいと思っています」
(おわり)
(この連載は佐藤研二、板倉三枝、渡辺俊江が担当しました)
( 2008年05月28日,「赤旗」)(Page/Top)
『月刊憲法運動』(憲法会議発行)五月号(写真)が好評です。
「憲法をめぐる新たな局面と改憲阻止の展望―改憲を阻止してきた力で壊憲を阻止する」は、森英樹龍谷大学教授の「憲法学習討論集会in近畿」での講演です。
「沖縄戦への教科書検定が問いかけるもの―沖縄戦・『慰安婦』そして日本の戦争責任」は、建国記念の日反対「2・11集会」での林博史関東学院大学教授の講演です。
憲法会議全国総会方針全文を掲載しています。武力行使恒久法を全面的に解明した学習資料集(二月特別号)も増刷されました。
五月号の定価は四百円(送料六十八円)、「学習資料集」は六百円(送料七十六円)。申込先=憲法会議 電話03(3261)9007、ファクス03(3261)5453
( 2008年05月27日,「赤旗」)(Page/Top)
NHKは今年度の「事業計画」の中に、「信頼される公共放送のための業務運営の改革」として三つを掲げています。@内部統制機能の整備、コンプライアンス(法令順守)の徹底A経費削減B三年間で千二百人のリストラ―です。
四年前、「紅白歌合戦」の制作費の使い込みが明らかになりました。以来、「慰安婦」番組への政治介入、昨年の株インサイダー取引と不祥事はやむことがありません。そのたびに執行部が言うのは「コンプライアンスの徹底」。身を引き締めてやれ≠ニいう号令の意味です。
職員の間では、「閉塞(へいそく)感がある」「仕事が忙しいばかり。職場で話し合ったり、じっくり考えたりする間がないまま過ぎていく」と声がもれてきます。
不祥事響く
取材の現場はいま、どうなっているのでしょうか。『NHK放送研究と調査』二、三月号で、興味深い実態が報告されています。現場スタッフからアンケートを取ったものです。二〇〇七年に全国の記者、カメラマンを対象に実施。60・6%に当たる六百八十一人から回答がありました。
「現状の変化」として、65%が「報道機関への社会の目が厳しくなった」と回答。そのうちの記者51%、カメラマン34%が「マスコミ不信」を挙げました。不信の原因として55%近くが「不祥事」と答えています。「不祥事」を挙げた記者の60%近く、カメラマンの70%近くが「NHKの不祥事」と特定しました。
増員求める
記者たちからは次のような声があがっています。
「事件取材で聞き込みをしていると、一般の人から取材拒否にあう」(二十代記者)、「NHKに対する姿勢は厳しく、『NHKにそんなことが言えるのか』と言い返された」(四十代記者)
「不祥事を起こす報道機関に公正な報道は期待できない、と現場で聞かされる」(三十代記者)
一方で、「報道を一層充実させるために必要なことは?」の問いに対して、トップは「増員」(52%)、次いで「ゆとりの確保」(32%)です。
さらに「独自の取材でニュースや企画を報じていく調査報道をしてみたいか」を問うと、なんと89%の記者が「やってみたい」という気持ちを示しました。
一線に立つスタッフが求めているのは、充実した仕事であり、そのための職場環境の整備であることがわかります。それが公共放送NHKの信頼を取り戻すことにつながると考えているのが、うかがえます。執行部の提起する空虚な「事業計画」にはないことです。
番組制作にかかわるスタッフに聞いてみると異口同音に、「公共放送としてどんな番組を作ったらいいか、考えながらやっている」と言葉が返ってきます。
( 2008年05月25日,「赤旗」)(Page/Top)
ジュネーブの国連欧州本部で九日、日本の人権状況に関する審査が行われました。二〇〇六年の国連改革で人権委員会が人権理事会に改組され、今年四月から加盟国百九十二カ国を対象にした初めての「普遍的・定期的審査(UPR)」を四年間で行うことになっています。日本の審査は、その一環です。
◇
最初に秋元義孝審議官から政府代表発言があり、そのあとで四十二カ国の代表が発言。厳しい指摘が相次ぎました。
一番多かったのが差別問題で、十七カ国が言及しました。女性、子ども、高齢者、障害のある人、在日外国人、移住労働者、人身取引、先住民族(アイヌ)に対する差別・抑圧が指摘されました。
死刑制度・死刑確定者の処遇についての発言は十三カ国からありました。国連加盟国の中では百三十三カ国が事実上死刑制度を廃止するか停止しており、多数になっています。国連総会では死刑制度廃止を目指し、執行の一時停止(モラトリアム)が決議されています。
日本政府は、「廃止は考えていない。最近の確定判決数などの資料は持ってきていない」と回答していました。
昨年の拷問禁止委員会の勧告をはじめ、自由権規約委員会などからもたびたび指摘されてきた代用監獄の廃止と可視化について、七カ国から指摘されました。政府は「警察部内で捜査と拘禁の機能を分離している」と国内での説明と同じ発言をしていました。
日本軍「慰安婦」問題は国連人権機関から何回も謝罪と補償を勧告され、米下院や欧州議会などでも決議されていて国際的関心の高い問題です。これについては四カ国が発言しました。日本政府は「一九九三年の官房長官談話、アジア女性基金、サンフランシスコ平和条約、二国間条約で解決済み」と従来と同じ主張でした。
◇
日本に対する審査内容は五月十四日に担当の三カ国(フランス、インドネシア、ジブチ)によってまとめられ、六月十二日の人権理事会で勧告を含む結論が採決される予定です。
審査に向け、国際人権活動日本委員会、日本弁護士連合会(日弁連)、アムネスティ・インターナショナル、日本婦人団体連合会(婦団連)など二十三の非政府組織(NGО)が国連人権高等弁務官事務所に報告書を提出し、そのまとめが高等弁務官事務所により作成され各国に配布されていました。
百九十二カ国すべてを対象にしたこうした審査は、世界の国々の人権状況を少しずつでも改善していこうという国連の歴史的な試みだと思います。
( 2008年05月21日,「赤旗」)(Page/Top)
日本婦人団体連合会(婦団連、堀江ゆり会長)は十九日、衆議院第一議員会館で、男女平等・女性の地位向上を求める要望書にもとづいて、厚労、文科、農水の各省、内閣府と交渉しました。「慰安婦」問題の解決をめざす院内集会を開き、五十人が参加しました。
要望したのは、雇用分野での男女平等と均等待遇の推進、農山村での男女共同参画の確立、子育て支援策と高齢者が安心して暮らせる条件整備など。加入団体代表から「後期高齢者医療制度は人生を年齢で輪切りにする制度、すぐに廃止を」「労働者派遣法を抜本改正し、登録型派遣・日雇い派遣を早急に禁止してほしい」「子どもの学力向上のためには一斉学力テストではなく、教員定員増と国の責任での三十人学級実現が必要だ」の声が出されました。
日本共産党の紙智子参院議員に、一万人分の選択的夫婦別姓導入など民法改正を求める請願署名や、戦時性的強制被害者問題解決促進法制定を求める請願署名などの三つの署名を手渡しました。
「慰安婦」問題では、国連人権理事会が日本の人権状況について九日に実施したUPR(普遍的定期審査)で、日本政府が「慰安婦」問題を解決するよう指摘されたことが報告されました。日本共産党前参院議員の吉川春子さんが、国連や国会でかたくなに解決を拒んできた日本政府の対応や経緯について講演しました。
( 2008年05月20日,「赤旗」)(Page/Top)
日本軍「慰安婦」問題を考えるつどい(同実行委員会主催)が十四日、札幌市のエルプラザで開かれ、ホールを満席にする三百六十人が参加しました。学生や若い世代が目立ち、朝鮮半島の民族衣装チマチョゴリ姿の高校生たちもいました。
戦前、日本軍に強制されて性暴力の被害を受け、韓国の福祉施設「ナヌムの家」で共同生活を送るハルモニ(おばあさん)の一人、李玉善(イ・オクソン)さん(81)と、ナヌムの家の隣の歴史館に勤めながらハルモニの世話をしている日本人、村山一兵さん(28)を招き、話を聞きました。
貧しい家に生まれた李さんは、学校で勉強できるとだまされて旅館で働いていた十五歳のとき、日本人によって無理やりトラックに乗せられ、飛行場工事をさせられたあと、「慰安婦」として性暴力を受けました。
李さんは、袖をまくって右腕を掲げ、「日本軍将校に殴られ、刀で刺された跡です」と見せました。脚にも「慰安所」を逃げ出したとき、憲兵に刺された跡があります。
「私は人生を奪われ、父母の顔もふるさとも覚えていません」とハンカチで涙をぬぐいました。
「日本の首相は、なぜ被害者の前で謝らない。お金がないのではなく、そのお金で戦争の準備をしている」と厳しく指摘し、「ハルモニは高齢で力がありません。ここに来てくれたみなさんが力です。信じています。若い世代に解決してほしい」と訴えました。
ハルモニの話を聞いた千葉麻衣さん(28)は「柔らかい口調のなかに怒りが込められ、心を打たれました。同じ世代の日本の男性がハルモニの世話をしていると知って、すごいなと思いました」と語っていました。
(2008年05月16日,「赤旗」) (Page/Top)
映画「靖国」に自民党国会議員が圧力をかけ、上映を中止する映画館が出た事件について、フランス人映像作家で、日中間の歴史問題についての著書もあるミカエル・プラザン氏に話を聞きました。
今回の問題が起きた時、私自身驚きはありませんでした。これまで、「南京1937」に対する右翼の暴力(スクリーン切り裂き)や、日本軍「慰安婦」問題を扱ったNHKの番組が政治的圧力によって内容を改変させられた事件があったからです。右翼の側が、自分たちの意見を表明するのに、力を誇示するのは、今に始まったことではありません。
二〇〇六年に、フランスの公共チャンネルで放映された靖国にかんするルポルタージュに対し、内容が真実ではないと、在仏日本大使館が抗議しました。外国人が靖国を語ることへの拒否感、内輪の議論でとどめておきたいのだと感じます。
私が南京大虐殺についての取材をしていた時、協力を求めた日本外務省の反応は冷たいものでした。そこで私は、まず中国での取材を行いました。そして、外務省に対し、「このままでは、中国の言い分のみを紹介することになるがいいか」と言うと、翌日には取材に応じるとの回答がありました。
フランスという国には、矛盾する文化が共存しています。フランスとはビシー政府(第二次大戦中のナチスかいらい政権)であり、極右であり、君主制であり、一方でレジスタンスであり、フランス革命であり啓もう思想である。これらはすべて、文化的遺産という点で同じなのです。
だから活発な議論があり、常に社会的緊張感があり、それがフランスのエネルギーになっています。フランスとは、常に、どちらか一方の価値ではなく、どちらもフランスなのです。
フランス人は、体制順応主義、専制主義を嫌い、「国民的統一」に懐疑的で、そういうものは存在しません。「国民的統一」は、ナショナリズムを創出し、「レゾンデタ」(個人に対する国家の優越)を生み出し、民主主義の喪失につながると考えるからです。
今回の問題で一番の被害者は歴史だと思います。欧州で戦後、歴史学者による検証の努力があったのは、民主主義があったからです。
その意味で、逆説的ではありますが、今回のような事件は「いいこと」です。なぜなら、議論を引き起こし、異議を唱える機会になります。人々は、反対・賛成、自らの意見を求められます。ナショナリズムの高揚という危険に対し、それを食い止める大きな前進です。「表現の自由」という権利を、もっと自分のこととして開花させる必要があると思います。
1970年生まれ、パリ出身。作家、ドキュメンタリー映像作家。現代史や、あらゆる過激思想(国粋主義、極左冒険主義、歴史修正主義、イスラム過激主義、反ユダヤ主義など)を研究。著書に『南京虐殺、記憶と忘却の間』(同タイトルのドキュメンタリー映画も)。最新作に「アリエル・シャロン、最後のたたかい」(テレビ用長編ドキュメンタリー)。仏語教師として2年間、日本に滞在経験あり。
( 2008年05月15日,「赤旗」) (Page/Top)
韓国で平和博物館の建設をめざし活動しています。建設運動は、ベトナム戦争に参加した韓国の兵士たちがベトナム民間人を虐殺したことに対する謝罪から、二〇〇三年に始まりました。在韓被爆者の支援運動もしています。
私は、靖国問題、日本軍「慰安婦」問題あるいは歴史教科書の問題にかかわってきました。
記憶の差異
日本での戦争の記憶は広島・長崎です。しかし、韓国、中国から考えると、日本はアジアに侵略して加害者なのになんで被害者なんだというわけです。両国の人にとっては「慰安婦」や靖国神社や、強制連行、悪魔の飽食の七三一部隊問題が戦争の記憶です。そういう記憶のギャップがあります。
憲法九条が一九四七年五月三日施行されました。その前日の五月二日には捨てられた人々がいます。
天皇の最後の勅令で、今まで日本人だった朝鮮、台湾の人々すべてを外国人とみなすとされました。これらの人々はすべての戦後補償からはずされ、日本軍として戦争に参加した朝鮮の人々には恩給も出ない、年金も入らないという歴史がありました。憲法が生まれた喜びの脇で捨てられた人々がいて、今もそれは続いているということを忘れてはいけない。
歴史を学び
しかし、われわれは東アジアの未来のためには一緒にやらなければならない。北朝鮮の核問題では韓国も日本も危険にさらされています。しかし、北朝鮮という国が歴史的経緯からどうしてそういうふうになったのか、あるいはどうして分断されたのか、歴史を学んで話し合いをするしかありません。
私は韓国の人々を日本に、広島・長崎に連れてきて日本の長い原水禁運動の歴史を学びたい。日本のみなさんは、アメリカの人を呼んで原爆のひどいことを知らせることが大事です。市民の連帯でできることはそういうことだと思います。みなさん、ぜひ、韓国にいらして韓国の被爆者や「慰安婦」の人たちに会ってください。
( 2008年05月15日,「赤旗」) (Page/Top)
九日にジュネーブで開かれた国連人権理事会の会合では、韓国、北朝鮮、中国の政府代表から、日本軍「慰安婦」や歴史教育問題での日本政府への批判が相次ぎました。
現地からの報道によると、韓国代表は「これまで国連人権機関は、第二次世界大戦中の『慰安婦』問題に憂慮を表明し、日本政府がこの問題をきちんと解決していないとみなし、日本に(問題解決を)勧告してきた」と指摘。「正確な歴史教育は、日本が隣国と未来志向的な関係を固めていく上で重要な要素だ」と強調しました。
北朝鮮代表は「慰安婦」問題が依然として解決されていないと述べ、「日本が朝鮮をはじめ他国に対して強行し、まだ解決されていない人権じゅうりん事件をきれいに清算する措置を取るべきだ」と主張しました。
このあと中国政府代表も発言し、歴史問題について日本政府の「誠実な対応」を求めました。
これに先立ち、日本政府代表の秋元義孝国連担当大使は基調報告で、人権保護について「いっそうの努力をする」と述べました。
この会合は、国連加盟国の人権状況を審査する枠組みとして昨年つくられた「普遍的・定期的レビュー」。人権理事会の作業部会にあたり、今回が初めての開催です。
九日は日本の人権保護状況についての審査が行われました。
( 2008年05月12日,「赤旗」) (Page/Top)
【ジュネーブ=時事】国連人権理事会は九日、日本の人権保護状況を検証する作業部会を開きました。会合では、北朝鮮、韓国、フランス、オランダが旧日本軍による戦時中の従軍慰安婦の問題を提起し、日本政府に誠実な対応を求めました。
これに対し日本政府は、「女性のためのアジア平和国民基金」(二○○七年に解散)を通じて元慰安婦への支援を行ったことなどを説明しました。
作業部会ではまた、多くの国が死刑制度の廃止を視野に死刑執行を一時停止するよう要請。日本政府は、裁判所が重大な犯罪に限定した上で慎重に判断しているとして、死刑制度の廃止に否定的な姿勢を崩しませんでした。
( 2008年05月11日,「赤旗」)
憲法ミュージカル「ロラ・マシン物語」主演/歴史に学び未来開きたい
舞台女優の有馬理恵さんは三月上旬、フィリピンを訪れました。日本軍「慰安婦」にさせられた実在の女性を通して人間の尊厳を問う憲法ミュージカル「ロラ・マシン物語」(大阪、東京、山梨で公演)に主演するにあたり、加害の歴史をたどり、未来へ歩む道標を見つける旅となりました。有馬さんは次のように語りました。
(浜島のぞみ)
マニラから五十マイルの位置にあるパナイ島。トマサ・サリノグさんの生家で、戦後、ストアを営んでいた小さな家はすでにありません。監禁された大佐の家も取り壊され、石段のみ残されていました。
被害者に二重の傷
トマサさんのいとこのウィリアムさんが案内してくれました。彼の両親も日本兵に殺され、孤児となったため、トマサさんが育てたのです。
「ぼくの父がここで殺された」という場所を指したウィリアムさん。日本軍は穴を掘って、その上に丸太を渡し、連行してきた市民を並ばせて日本刀で首を切り落としていったといいます。「二度とこんな過去を繰り返さないために」と何度も言って、事実を伝える立場で語った彼に強さと深い優しさを感じ、彼を育てたトマサさんの人柄が思われました。
なぜ、日本軍がこの島に上陸したのか。現地の人から「イシハラサン」という言葉を聞きました。「石原産業」が所有していた銅山警備が眼目だったのです。トマサさんが監禁されたのは「石原産業」に隣接する民家です。戦争でもうけたのは日本企業でした。
財界に支えられている日本政府が謝らず、民間の基金で「慰安婦」の怒りを抑えようという姑息なやり方をとったために、被害者に二重に傷を負わせました。政府が謝罪していれば、支援者間の対立を生むこともなかった。
トマサさんの人生があったからこそ、無念のうちに亡くなった多くの被害者に光を当てることができました。歴史に学ばせていただいた次の世代の私たちは、ほんろうされないで生きていこう、今回のミュージカルがそういう一歩になればという気持ちになりました。
記者と連帯の握手
マニラに戻ると、大々的な記者会見が開かれ「なぜ日本政府は教科書から『慰安婦』問題を削除するのか?」「ミュージカルが政府を動かすのか」と現地の記者から厳しい口調で問われました。私は「知らなかった歴史を出演者が追体験し、それを見てもらうことが大きな動きになると思っています」と答えました。記者から「連帯しましょう」と言われ、力強く握手をかわしました。
今の日本にも、深く傷つき苦しんでいる人がいます。市民百人のけいこ場は社会の縮図。自分の人生をかけて歌い踊って、大ゲンカも起きたけれど、排除する人は誰もいない。人間って素晴らしいと思いました。憲法九条が実践されていると感じながら半年間かけて作り上げた舞台です。
◇
公演日程 (大阪公演)11日=堺市民会館。問い合わせ06(6180)6900。(東京公演)17日=多摩市・パルテノン多摩、18日=福生市民会館、24・25日=立川市市民会館。問い合わせ042(513)4048。(山梨公演)6月8日=山梨県民文化ホール。問い合わせ0551(32)8142
トマサ・サリノグさん(昨年四月六日、七十八歳で死去。愛称「ロラ・マシン」)は、アンティケ州サン・ホセ市(パナイ島)に生まれました。一九四二年、日本軍がフィリピンに侵略した十三歳のとき連れ去られ終戦まで監禁、レイプされます。二〇〇〇年十二月に東京で開かれた「女性戦犯国際法廷」に参加。「慰安婦」に強制性はなかったとする安倍首相あてに亡くなる直前、「わたしたちが語った真実を認めるよう要請します」と手紙を書きました。
民間の募金で設立された「アジア女性基金」の受け取りをフィリピンで拒否し、日本政府の謝罪と補償を求めつづけました。
( 2008年05月06日,「赤旗」) (Page/Top)
「9条世界会議」は五日、二日目の「九条を生かす分科会」を開き、会場の幕張メッセ国際会議場にはのべ六千五百人がつめかけました。大小三十近い多彩なシンポジウムやパネル討論、各団体の自主企画が催され、どの会場も立って聞く参加者がでる盛況でした。ミニライブや映画上映も行われました。
「九条の危機と未来」の分科会で、経済同友会終身幹事の品川正治さんは「九条改憲にノーということはアジアを変え、アメリカの世界戦略も変える。われわれ日本国民は世界史を変える立場に置かれている」と訴えました。「核時代と九条」では、広島平和研究所所長の浅井基文さんが「九条と核廃絶は切っても切れない」とのべ、「力によらない平和」という九条の思想の大切さを強調しました。
「アジアの中の九条」では、フィリピン代表が米軍基地追い出しの経験から、九条が平和運動発展の契機になったと発言。「平和を創る女性パワー」では、バウネット・ジャパンの西野瑠美子さんが「慰安婦問題の解決は、真のアジア和解に欠くことのできないプロセスであり、九条の要請だ」と発言。米陸軍元大佐のアン・ライトさんは米軍の性暴力について「部隊ではなんのとがめもない」と告発しました。
新日本婦人の会の高田公子会長は、「九条の会」などでの活動を紹介し、「草の根でのがんばりが改憲キャンペーンの影響を押し返している」と報告しました。
「世界の紛争と非暴力」では、アフガニスタンで軍閥の武装解除を成功させた伊勢崎賢治東京外国語大学教授が自らの体験を踏まえ「いかに紛争を起こさないかが現代の最大の問題だ」と提起。ボスニア出身のジャーナリスト、ヤスナ・バスティッチさんは、紛争を未然に食い止める市民の取り組みの重要性を語りました。
また、いくつかのパネル討論では、九条にかんするグローバル・ネットワークづくりの提案も出ましたが、「それぞれの国の政治状況、実情に応じてそれぞれが頑張ることが重要だ」など各国の自主的な取り組みを尊重するべきだとの発言が相次ぎました。
◇
五日、多彩なテーマで分科会が開かれた二日目の「9条世界会議」。会場の千葉・幕張メッセでは、実行委員会を構成する団体が出店したブースには人だかりができ、シンポなどの自主企画に参加者が熱心にきき入りました。
「女性こそが平和を広げたい」と九条グッズ≠並べるのは全労連女性部のブース。建交労、国公労連、全教などの女性部でつくったステッカーやシールなどが目をひきます。大西玲子・全労連女性部事務局長は、「九条グッズ≠見れば、『これなに』と対話が始まります。世論調査でも憲法改定反対の声がたかまってきました。私たちの一つひとつの対話が世論を変えてきたんだと確信がわいています」と語りました。
新日本婦人の会のブースで全国の会員から寄せられた憲法絵手紙を配っていた中央本部の五十嵐吉美さん(61)は、「さまざまな活動をしている団体が一堂に会すこうした場に居合わせることができてよかった」と顔をほころばせました。
米軍横田基地の航空写真を掲げた東京平和委員会のブースでは、基地について熱心に説明。日本被団協とノーモア・ヒバクシャ九条の会は「被爆者のコーナー」を設けました。
日本原水協が「原爆と九条」を開催。被爆者の岩佐幹三・日本被団協事務局次長や、被爆者でもある日本原水協の沢田昭二代表理事をはじめ、フィリピンやアメリカ、韓国の代表が語り合いました。二度と核兵器を使わせないためにも、九条を守っていこうなどの発言がありました。
同じく自主企画で日本平和委員会は、「沖縄・米軍基地と九条」を開催。憲法学者の小沢隆一氏やアメリカ、ドイツ、フィリピンの代表が討論。沖縄県名護市で米海兵隊基地建設に反対してたたかう大西照雄さんが発言しました。
高知県から参加した島崎保臣さん(25)は、「九条が世界中から希望の目で見られていることを強く感じ、自分は一人でなく多くの仲間がいることを心強く思った」と話します。友人に誘われ愛知県から夜行バスで参加した女子学生(21)は、「世界は九条を強く意識しているとわかりました」と語りました。
( 2008年05月06日「赤旗」) (Page/Top)
私は軍国主義少年時代、自由とはどういうことか、全く知りませんでした。新憲法で初めて、戦争中の日本は人間の生きる社会じゃなかったんだと悟りましたよ。天皇も政府も自由に批判できる世の中になって、民主主義とはこのことかと、思ったんです。
それから六十数年たちましたが、法律的には問題がないのに、いまだ「法律外的強制」によって、表現の自由が侵害されています。
自民党の一部議員が圧力をかけ、ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」が幾つかの映画館で上映中止に追い込まれました。議員側は、中止は残念などと言ってるようですが、それなら初めから映画が公開されてから見ればいい。助成金を出したとの理由で、事前に国政調査権で審査しようというのは、表現の自由に対する介入です。
おぜん立てした文化庁も、表現の自由への干渉とは何かが分かっていません。文化を扱う役所はもっと毅然として、事前上映は政治干渉になると断るべきだったんです。文化が政治の召し使いになるようでは、民主主義社会ではありません。
「自由」の行使
映画館も、それから日教組の予約を解除したホテルも、トラブルがおきて損をするのは自分たちだと、今の日本社会の空気を読んでいますね。KY馴れじゃないでしょうか。けれど右翼の妨害から、警察がちゃんと守ってくれる保障もないんですよ。政府がそういう世の中にしているんです。それをどう変えるのか。みんなの前に宿題が出されたと思いますね。
「靖国」の上映中止については、新聞界最右翼の産経まで批判せざるを得ませんでした。特にフリーの映像ジャーナリストたちが機敏に動きましたね。しかしマスコミが今の自由を十分使いこなしているとは言えません。君が代を歌わない沈黙の自由ひとつ、きちんと守ろうとしない。権力の監視もしばしば及び腰だと感じますし、草の根の自由にも目配りが足りませんね。
NHKの従軍慰安婦法廷の番組改変は、法律外的な政治的圧力に屈した典型だと思います。よくNHKは予算も人事も政府与党に権限を握られているからと言いますが、法律的な放送の自由はちゃんと保障されているんです。それなのに政治家の言動に過剰反応してしまう。こういう手口が横行している日本は、まだ法治国と言えません。それを日本最大のマスコミであるNHKがやっているんです。新聞も放送も、自由を守る前に、今の自由を100%行使せよ、と言いたいところですよ。
反対する癖を
中国潜水艦事故の報道記事で自衛隊員が捕まり、少年事件を書いた作品で鑑定医が逮捕、イラク派遣反対ビラで有罪にされたり、ここのところ表現の自由をめぐる露骨な取り締まりが後を絶ちません。表現の自由は社会の根っこですから、どんなに小さくとも、それを侵害しそうな動きには、すぐ反対する癖をつけることが大事です。それに貧困・格差・社会保障の劣化など、社会の矛盾が噴出していますね。ジャーナリストが鈍感でいられる情勢ではありません。
一九三一年の満州事変は、日本の新聞が戦争礼賛へ足並みをそろえた転機でした。後になって、あの「靖国」問題が転機だったと、また後悔するようなことは絶対に許されませんよ。
聞き手 田中佐知子
写 真 橋爪 拓治
はら としお 1925年神奈川県生まれ。共同通信編集局長、編集主幹などを歴任。退社後、民放連放送番組調査会委員長、放送と青少年委員会委員長なども務める。著書に『デスク日記』『ジャーナリズムの思想』、編著に『市民社会とメディア』など
( 2008年05月04日,「赤旗」) (Page/Top)
車いすで風を切り、その風を体で感じる喜びを得ました。「障害持ってても、生きてるっていいなあと思った」。五月から始まった市民参加型の「LIVE! 憲法ミュージカルinさんたま」に出演します。
きっかけは昨年も舞台に出た友人の誘いでした。憲法ミュージカルと出合って「ありのままに生きていい」と実感。「人とかかわって生きていくことこそが人間らしい生き方」と仲間と接する中で体感しました。
物語は十三歳で日本軍に父を殺され、「慰安婦」にされたトマサ・サリノグさんの人生について。愛称ロラ・マシン。「ロラは優しくて、あったかい、信念を曲げない、すごい人」。民衆の一人を演じます。
障害は生まれたときからありました。親は心配して一人暮らしを許しませんでした。「それ以上、他人に迷惑かけてどうするの?」ともいいました。トイレ、階段、駅、駐車場…。援助なしに移動できない場所はいくつもあります。
「でも、どんな人も地域の中でいろんな人の手を借りながら生きてます。障害者だからと、生活の範囲が限られるのではなくて、自分らしく生きたい」。知人らの協力を得て二年前、一人暮らしを実現しました。
舞台本番は間近。「もうドキドキで不安です。でも、私が出ることで何か感じとってもらえたら、うれしい。『良かったよ』といってもらえる手応えはあります」。連絡先=рO42(513)4048
文 本吉 真希
( 2008年05月03日,「赤旗」) (Page/Top)
「防衛省 依然多いセクハラ」―最近の本紙の記事である。かつての「慰安婦問題」を反省しない国だからか、と腹立たしい。同時に男性自衛官が性暴力を繰り返す背景として、歴史的に形成された「兵士像」「男性像」を問題にすべきだと思う。
ここ数年「男性史」という分野が注目されるようになり、阿部恒久・大日方純夫・天野正子編『男性史』全三巻(日経評論社)も出版された。それは決して「女性史」に対抗しているのではない。女性史は、もともとフランス革命の「人権宣言」が「オム」=市民としての男性の権利宣言であったように、これまでの歴史叙述が自明のこととして男性中心であったことへの批判から生まれた。ではこれまで歴史は男性については「十分に」描いてきたか。じつはそこでも「男であること」によって家父長制や戦争、暴力、支配、差別といった権力性を担わせられてきた男性の歴史が問われることはほとんどなかった。「慰安婦」を強姦した男性兵士を責めるだけではなく、なぜ彼らが当然のように性暴力をふるうに至ったのかを解明することは、そうした呪縛から男性を解放する視点に立つことでもある。
「男性史」は男性解放史であり、「男らしさ」「女らしさ」を越えてジェンダー平等の確立を求める点で「女性史」と問題意識を共有、現代の人権と民主主義のあり方を問う方向性を持っているといえるだろう。
(佐)
( 2008年04月30日,「赤旗」) (Page/Top)
多くの人たちと憲法について考え、表現し、学び合いたいと始まった「LIVE! 憲法ミュージカルinさんたま」が五月五日から東京都多摩地区の四市で上演されます。出演者は公募で集まった五―七十七歳の市民九十三人。企画は同地区の弁護士たち。合宿を行うなど、練習に熱が入っています。
昨年に続き二度目です。今回のテーマは日本軍「慰安婦」。日本の占領下にあったフィリピンで十三歳のとき「慰安婦」にされたトマサ・サリノグさん(二〇〇七年四月死去)、愛称ロラ・マシンの物語です。出演者は一月から練習を重ね、憲法や「慰安婦」問題について学んできました。
「『慰安婦』問題というのは日本人にとって公にできない気恥ずかしい問題。それを真正面から問いただしたかった」。そう話すのは今年も作・演出を務める田中暢(のぶる)さんです。
ロラ・マシンは日本軍に性的暴行を受けたうえ、目の前で父親を殺されました。戦後、日本政府を相手に、正義と尊厳の回復を求めてたたかい続けてきました。
田中さんはそんなロラ・マシンを「愛を壊された人」といいます。「戦後、彼女は人一倍、愛を求めて生きたのではないか。彼女の人生を追体験し、表現として観客に届けたい。舞台を通して人間一人ひとりの尊厳を伝えたい」
昨年も出演した府中市の中山香さん(30)は二歳の長男を連れて練習に参加しました。もともと舞台演劇をしていた中山さん。「出演者もスタッフも家族という感じ。子どもも受け入れてもらえるし、車いすの人もいる。誰にでも表現の自由があるんだということを実践している。憲法も遠いものだと思っていたけど、近いものだとわかった」
山梨学院大学で講師をしているブラジル生まれのアルベルト・アルバカーキさん(36)は、ロラ・マシンの物語が気に入って応募しました。「戦争は何もうみださない。この物語はロラだけでなく、世界の問題。憲法九条は世界中の国が持つべきものだ」と話します。
「けいこが進むにつれて出演者が自発的に『慰安婦』問題を勉強しようという雰囲気ができてきた」という同制作委員会事務局長で弁護士の山下太郎さん。「自由に考え、学び、表現することができて、大げさだけど『憲法は生きている』と実感する」と語ります。
田中さんと古くからの友人という映画監督の山田洋次さんが、公演にあたりメッセージを事務局に寄せました。「市民の力で作られるこの作品の力強い完成が、今から待たれます」と。
東京・多摩地区で上演
「LIVE! 憲法ミュージカルinさんたま
『ロラ・マシン物語』」の上演日程
5月5日(祝)開演午後2時、日野市民会館
17日(土)同午後4時、パルテノン多摩
18日(日)同午後3時、福生市民会館
24日(土)同午後6時、立川市市民会館
25日(日)同午後2時、立川市市民会館
チケットは一般2500円、高大学生2000円、中学生以下・障害者1500円。問い合わせは同実行委員会042(513)4048
( 2008年04月29日,「赤旗」) (Page/Top)
上映中止が相次いだ映画「靖国 YASUKUNI」が憲法記念日の五月三日、東京の渋谷シネ・アミューズを最初に順次、全国で公開されます。封切られる前に、これほど政治家の間で話題になった映画は珍しいでしょう▼七年前、やはり放送前に一部の政治家の間で話題になった番組がありました。最高裁で係争中のNHK番組「問われる戦時性暴力」です。「公平公正に」という言葉で横やりを入れたのは、当時、内閣官房副長官だった安倍晋三氏でした▼日本軍「慰安婦」の問題をとりあげた番組は、NHK幹部が安倍氏と面会した後、核心部分が削られました。NHK現場スタッフの告発で、政治介入が明らかになるまで四年の月日が流れました▼映画「靖国」の試写を要望した自民党の稲田朋美議員も、安倍氏につながる人物でした。二〇〇五年の「郵政」選挙で、弁護士だった稲田氏に出馬を促したのは安倍氏。「表現の自由」への圧力は「靖国」派議員のDNAのようです▼番組で消されたのは、元加害兵士の証言や「慰安婦」とされた女性の告発でした。NHKが検証番組を作らない限り、国民の「知る権利」は奪われたままです。その意味で、今回、「靖国」の上映に踏み切る映画館の出現は尊い▼広島サロンシネマ・シネツインには二百件近くの激励が寄せられました。館主の蔵本順子さんは、「作られた映画はお客さんが見て初めて完成します。正規の配給ルートを通った作品を上映しないなら映画館の存在理由はない」。至言です。
( 2008年04月29日,「赤旗」) (Page/Top)
市民参加の憲法ミュージカル「ロラ・マシン物語」が大阪、東京、山梨で上演されます。
かつて日本軍の占領下にあったフィリピン。そこで十三歳で慰安婦にされた少女。目の前で見た父の死、人々の差別の目…。母の形見のミシンと、おじさんの子どもたちがいたから、彼女は生きることができました。人間の尊厳とは何かを問いかける物語。
〈大阪〉29日=大東・サーティホール、5月3日=柏原・リビエールホール、同11日=堺市民会館〔以上の問い合わせ先рO6(6180)6900〕、〈東京〉5月5日=日野市民会館、同17日=パルテノン多摩、同18日=福生市民会館、同24、25日=立川市市民会館〔以上の問い合わせ先рO42(513)4048〕、〈山梨〉6月8日(2回公演)=山梨県民文化ホール〔рO551(32)8142〕
( 2008年04月28日,「赤旗」) (Page/Top)
四歳から七十一歳の百八人の市民らによる、大阪・憲法ミュージカル2008「ロラ・マシン物語」の初公演が二十六日、大阪市でおこなわれました。「楽しみながら、私たちの憲法がうたうメッセージを感じ、発信していきたい」と大阪弁護士会の若手弁護士が企画したものです。
物語には、日本軍「慰安婦」にさせられたフィリピン女性、トマサ・サリノグさん(愛称ロラ・マシン)の人生が織り込まれています。
フィリピンの弁護士で三十年来、平和運動に取り組んでいる非核フィリピン連合事務局長のコラソン・ファブロスさんは「素晴らしい。エンターテインメントとしてフィリピンの歴史の深刻な課題を日本の人に理解してもらえると思います。世界中で上演されたらいいのに」と話しました。
最前列で見ていた中田裕美子さん(56)=大阪市=は「感動して泣いてしまいました。主役の有馬理恵さんがきれいで圧倒されました。フィリピンであったことを知らなくて……。戦争の被害を垣間見ました」と語りました。
大阪であと三回の公演後、東京、山梨でも市民百人以上の参加でそれぞれ上演されます。
( 2008年04月27日,「赤旗」) (Page/Top)
4月24日、NHK番組「ETV2001」改変をめぐる訴訟で最高裁の口頭弁論が開かれた。第二審の東京高裁判決は、NHK幹部が政治家の意図を忖度(そんたく)して番組を改変した結果、取材を受けた市民団体の番組にたいする期待と信頼を侵害したことを不法行為と判断していた。NHK側の弁論は、このような「期待権」を認めるのは報道の自由を制限し誤りだと主張し、「報道の自由」の一般論に終始したと伝えられている。肝心なことが避けられているという印象が強い。
日本軍の戦時性暴力を扱ったこの番組には、放送前から右翼と政治家の干渉、働きかけがあり、放送の前日、NHK幹部が安倍晋三議員と会ってから、現場が作成した番組に大幅な改変が加えられた。また放送直前に「慰安婦」とされた女性と日本軍兵士の証言が削除された。政治家対策を担当する幹部が現場のプロデューサーに直接削除を指示するという異様なことも起こっている。番組の経過が政治家の圧力に屈した「自主規制」であったことは動かしようのない事実なのである。
戦前戦中、厳しい言論統制のもとでメディアは国民を戦争に動員したが、そこには無数の「自主規制」があったはずだ。NHKのこのような「自主規制」が反省されずメディアに日常化すれば、その先はファシズムが待っている。
NHKは少なくとも三つボタンのかけ違いをした。第一、制作時に政治家の介入を許したこと。第二、その過程を自ら検証するのを放棄したこと、第三、事実を告白した二人のプロデューサーを報復人事で現場から外したこと、この三つの罪はトゲのように残ったまま、今後、後継のNHK幹部を苦しめるだろう。
権力者の意向を忖度したことを誤りと認めない姿勢は、今後もそのようなことがありうるというメッセージをいまだに局内外に示し続けることになる。現場で懸命に働く者のためにも、このボタンのかけ違いを速やかに清算し、出直すとよい。
(元NHKディレクター)
( 2008年04月27日,「赤旗」) (Page/Top)
市民参加の憲法ミュージカル「ロラ・マシン物語」が4月末から大阪、東京、山梨で連続上演されます。多くの若者が出演し、人間の尊厳、平和をうたう憲法を体感しようとしています。
関西総局・浜島のぞみ記者
写真・森保和史記者
物語には、13歳のとき日本軍にレイプされ性奴隷にさせられたフィリピンの元「慰安婦」、トマサ・サリノグさん(昨年4月6日死去)の人生が織り込まれています。「ロラ」はフィリピンの言葉、タガログ語で「おばあちゃん」の意味です。
憲法ミュージカルは大阪では初の取り組み。大阪弁護士会所属の弁護士38人が呼びかけ人となって実行委員会がスタートし、1月からけいこをしてきました。
出演者108人の市民の中に、フィリピンで元「慰安婦」の支援をしていた女性がいて、けいこの合間に被害者の「ロラ」たちとの交流を伝えてきました。
戦争は人を変える
岩城陽(あきら)さん(19)=大阪・堺市、学生=はストリートダンスが好きで、「舞台に立ちたい」と応募しました。
父親は弁護士です。
「父は周囲の人から信頼の厚いすごい人です。でも、自分はそうなれる自信はない。やりたいことが何なのかもまだ分からない。親には申し訳ないですけど。でも人の役に立てる仕事がしたい」
進路を模索するなかで出合った憲法ミュージカル。「戦争のイメージを浮かび上がらせて、戦争はダメと伝えることができたら少しは役に立てるのかな」とはにかみます。
休憩時間には出演する子どもたちから常に抱っこをせがまれる人気者。
「子どもは楽しいことを体中で表現していてすごい。いろんな世代がいてあたたかくて家族みたい。こんなのがもっと大きくなって目的意識を持てば平和な方向に変わると思う」
世代を超えた取り組みを通じ、構成員一人ひとりがかけがえのない存在だと気づきました。
若手の男性出演者に与えられたのは日本兵役。主人公のロラをじゅうりんする役です。陽さんは「殺す側、加害者の立場なんて…」と悩みました。
「人に伝えるには勉強せなあかん」。トマサさんの演説ビデオを見、トマサさんの足跡を訪ねて現地で証言を聞いてきた主演女優・有馬理恵さんの報告を聞いて言葉を失いました。フィリピンに出征した父親が戻らなかったという出演者からも話を聞きました。
「戦争は人を変えてしまう。殺す方も殺される方も幸せになられへん。日本兵はロボットにされ、何も感じなくなってしまっていたのかもしれない。今まで『戦争になったらしょうがない』って思ってた。でも、このミュージカルに取り組んで『戦争にならんようにせなあかん。そのために憲法9条を守りたいし、戦争が起きないように投票して国を動かそう』って思う」と陽さん。
韓国だけじゃない
穂積亜由さん(23)=法律事務所勤務、河内長野市=は、名画「サウンド・オブ・ミュージック」にあこがれて参加しました。
図書館で、翻訳されたフィリピンの教科書を読み、「慰安婦」が韓国だけではなかったことを知りました。
「戦争になったらレイプが発生する。最近の戦争もそうですよね。暴力が勝つのが戦争。女性のパワーが発揮されるのは平和。DVなど、今の社会にも通じることだと思う。忙しいからって、政治の判断を専門家に投げちゃうんじゃなく、市民一人ひとりが考えようというのが憲法ミュージカルです。男の人にも女の人にもいろんな観点で見てもらいたいです。」
本番間近。けいこに熱が入ります。「僕ら星の忘れがたみ」と歌う出演者たちは、きらきらしていました。
【公演日程】26日クレオ大阪中央(大阪市)、29日サーティホール(大東市)、5月3日リビエールホール(柏原市)、11日堺市民会館(堺市)。その後東京、山梨へ 問い合わせ=рO6(6180)6900 http://music.geocities.jp/kis_hrn/
(2008年04月20日,「赤旗」) (Page/Top)
「海自の根底に潜むものを考えたい」。イージス艦によるマグロ漁船への衝突・沈没事件など相次ぐ「不祥事」の対策会議でこう語った吉川栄治海上幕僚長(当時)。しかし「不祥事」は海上自衛隊に限ったことではありません。自衛隊の「不祥事」から見えるのは――。
「私行上の非行による懲戒処分」と題した一覧があります。防衛省がまとめた陸・海・空各自衛隊ごとの処分一覧です。
航空自衛隊の男性隊員による女性隊員へのセクシュアルハラスメント(性的嫌がらせ)問題を追及する日本共産党の紙智子参院議員の求めに応じて防衛省が作成しました。
一覧は二〇〇五年度と〇六年度分。陸海空ごとに被処分者の階級、年齢、「事案の概要」、処分年月日、処分量定が記されています。
暴行・殺人も
それによると、「懲戒処分」数は両年度とも百六十件強。自衛隊員がほぼ二日に一件の割合で規律や刑法に係る事件・犯罪をくりかえしている、という数字です。
〇五年度の処分総数は百六十一件(陸自・八十件、海自・六十件、空自・十五件、防衛大学など六件)で、〇六年度は百六十七件(陸自七十件、海自六十七件、空自二十五件、防衛大学など五件)。
「事案の概要」は深刻です。暴行・殺人、児童虐待死、公然・強制わいせつ、児童買春、セクシュアルハラスメント、覚せい剤などの凶悪・破廉恥罪が続きます。
このうち陸海空の各自衛隊で共通して多いのが性的破廉恥行為。陸自では〇五年度で三十七件、〇六年度は四十五件です。空自は九件、十三件。海自は十八件、十四件です。防衛大なども各三件となっています。両年度とも毎週のように性犯罪をおこしていることになります。
見過ごせないのは、こうした犯罪に手をそめているのが一般隊員だけでなく幹部自衛官も例外ではないこと。
――〇五年七月、杉並区の路上で通行中の女性に公然わいせつ行為を行ったとして三等陸佐を逮捕
――〇七年三月、北海道のホテルで出会い系サイトで知り合った十六歳の少女に現金三万円を渡して買春した容疑で三等空佐を逮捕
男性自衛官などによる女性隊員(職員)への性的嫌がらせは多発しています。
精強≠ノ恐怖
これに「強い恐怖を感じる」と指摘するのは男性航空自衛官によるセクハラ被害で国家賠償請求訴訟を起こした女性自衛官を支援している、アジア女性資料センターの丹羽雅代運営委員長です。
丹羽さんは、腕力と刃物を使った暴力的な性的行為の強要や、児童買春などが目立っていることをあげ強調します。
「処分されているのは氷山の一角です。それでもこれだけの数は異常です。ここには自衛隊内の女性観、男はこういうものという神話≠ェ根強くはびこっているのではないか。旧日本軍の慰安婦*竭閧ニ同じで、こうしたことが士気高揚に欠かせないという発想です。だから処分も軽い。米軍でもイラク派兵部隊でセクハラ、レイプが横行しています。イラク派兵など海外任務の拡大とともに自衛隊内で強調される精強≠ニいう言葉に怖さを感じる」
( 2008年04月20日,「赤旗」) (Page/Top)
兵庫県宝塚市の予算議会(三月二十六日閉会)で、福祉切り捨てや市民負担増をもたらす市当局の議案が否定される一方、日本共産党提出の議案が可決され、子どもの医療費助成は拡充されるなど、市民の願いが生きる成果が一挙に実現しました。(表)
弱者の苦しみ
「うれしかった。議員さんはみてくれてはるんやな、と。障害者はわずかな障害基礎年金だけで生活している人が多く、福祉金廃止は命にかかわります」
市内のほとんどの障害者団体が加わる宝塚市障害者(児)団体連絡協議会の王見宣彦会長は、福祉金廃止案の否決について語ります。
宝塚市(阪上善秀市長、元自民党衆院議員)は、二〇〇八年度を「財政再建元年」として各種市民サービスの削減をはかり、母・父子、遺児、障害者に支給する市民福祉金(年一万四千―四万二千円)は段階的に削減して三年後に廃止を計画。一月に知った王見氏らは、市に二度説明会を開かせ、撤回を求める請願を提出します。審議には、入りきれないほど障害者が傍聴につめかけました。
こうして福祉金廃止の議案は、野党の日本共産党、社民党のほか、自民党、公明党、民主党なども反対し否決されました。
ほかにも、学童保育料を四千円から八千円に上げる議案にたいし、引き上げを六千円に抑える修正案を共産、自民など多数の賛成で可決。算定根拠や入札経過が不明朗なプラスチックゴミ選別処理費を減額する日本共産党提出の予算修正案も、公明以外の全会派が賛成し可決しました。また、子どもの医療費助成拡充を可決し、無料の対象が通院は三歳未満から五歳未満に、入院は小六までに広がりました。
ある自民市議は、「福祉金は阪神間で五市が廃止して三田市と宝塚市だけになっており、厳しい財政状況だが、小泉首相のときの急激な規制緩和のせいで宝塚でも格差がひどく、弱者の苦しみはよくわかる。今回は続けざるをえない」といいます。プラスチックゴミ処理費を減額する日本共産党の予算修正案については、「共産党が出したものやから反対、ではおとなげない。財政危機でもあり、念入りに計画を立てて外注すべきだった。主義主張は違うが、誤りは他党と協力して正さなくてはいけない時代だと思う」
「市民ネット宝塚」の寺本早苗市議(無所属)は、「少子化対策が求められているのに、サラリーマン家庭の多くは、何の支援もなく、教育費が高くなって大変なのに学童保育料を上げられる。こうした不満と、弱者にしわ寄せしていいのかという声が一つになって、今回の結果につながったと思う」と指摘。また、「中身で判断しているので、共産党案に賛成しました。政治信条は違うけど、共産党の議員は質の高い議論をされますね」と語ります。
「論戦が力に」
日本共産党は、昨年のいっせい地方選で議席が三から四に前進。三月議会では、福祉金受給者九千二百四十二人中、所得百万円以下が七千百九人にものぼる厳しい生活の実態や、「財政難」の原因がムダな公共事業などにあることを明らかにし、市民の暮らしを守るために奮闘しました。
草野義雄・党宝塚市議団長は、「この成果は、生活苦、貧困と格差の広がりのもとで、与党も市民の願いを無視できないことや、国民の声と正論が通る参院選後の情勢が背景にあります。そして、私たちの論戦が大きな力になったと思います」と話します。
(兵庫県・喜田光洋)
宝塚市3月議会での成果
学童保育料値上げの議案にたいする修正案 可決
プラスチックゴミ処理費減額の予算修正案(共産党提出) 可決
子ども医療費助成拡充の議案 可決(全会一致)
日本軍「慰安婦」問題で被害者の尊厳回復など国に誠実な対応を求める意見書 可決(全会一致)
沖縄の米兵暴行事件での国への意見書(共産党提出) 可決(全会一致)
市民福祉金削減・廃止の議案 否決
「文化創造館」の指定管理者選定の議案(ふさわしくないホテル業者を選ぶもの) 否決
宝塚市議会
定数二十六で、与党が自民(三人)と公明(四人)。野党は日本共産党(四人)と社民(二人)。ほかに、三月議会までは民主(三人)など与党的な会派と非与党の会派が合計四つありましたが、四月一日に民主を含む三会派が合同して「市民ネット宝塚」(九人)に。
( 2008年04月20日,「赤旗」) (Page/Top)
大阪で初めての、憲法をテーマにした市民公募によるミュージカル「ロラ・マシン物語」の火付け役。十三歳で日本軍「慰安婦」にされたフィリピン女性の物語です。四月下旬から、大阪、東京、山梨と三都府県でリレー上演します。
昨年五月、東京・三多摩の公演「キジムナー」を見て完成度の高さに感動、大阪に帰ってすぐ弁護士仲間に提起。「面白そうと思ったら飛びつくたちです」。ほんわか楽しそうな匂い≠漂わせています。
弁護士経験十年前後の、大阪の若手弁護士三十八人が呼びかけ人に名前を連ねます。実行委員会の「裏方の元締め」として、昨年夏からキャリーバッグにチラシを詰め、協力者を増やそうと走り回っています。
出演者は、四歳から七十一歳まで百人余。憲法への関心も十人十色です。「あうんの呼吸というわけにはいかない人たちと、一緒につくり出すのが楽しい」
両親も弁護士。同じ道を選ぶことにためらいもありましたが、経験を積むなかで「私は私を生きる」と思えるように。「法の光を当てることで権力も財力もない人の権利実現を、お手伝いできるのが魅力です」
世代を超えて共有できる舞台の魅力。「戦争は人間の尊厳をふみにじった。徹底した平和主義の上に、それぞれの生き方が尊重され、その実現をめざす憲法。それが、どうやって生まれたのか、考えてもらうきっかけになれば」
足裏マッサージが至福の時です。好きな動物は猫。
連絡先 実行委員会06(6180)6900
文・写真 浜島 のぞみ
大阪・憲法ミュージカル2008実行委員会事務局長。大阪市在住。32歳
( 2008年04月12日,「赤旗」) (Page/Top)
権力におもねるTV・新聞生々しく
護憲、住民運動、社会保障、労働運動など、市民のいろいろな集まりに話をしにいって最近感じるのは、ディスカッションになると、かならず「マスコミはいったい何をしているのか」とするメディア批判が出てくることだ。とくに大メディアに対する不満が目立つ。
本書の著者は、ひとりが朝日新聞の社会部記者OB、もうひとりがNHKの政治部記者OBで、ふたりは高校の同級生で大学も一緒だ。ふたりは、自分がいたころのメディアがいつからおかしくなったのかを、二〇〇一年の従軍慰安婦問題を扱ったNHKの番組改変事件をめぐり生じた、朝日対NHKの「大喧嘩」の内情を徹底的に洗い直しながら、本書で生々しく追及していく。
その過程からみえてくるのは、政府・政治家・財界・市場の顧客などにおもねりながら自己肥大をつづけていくことが習い性となった「組織ジャーナリズム」の劣化、会社のなかのジャーナリストの委縮・閉塞だ。これでは民主的な立ち位置を固め、そこに足を置いて市民の立場から金権支配を監視していくことは、とてもできない。だから渡辺恒雄氏の「大連立」も出てくるわけだ。
正直いって読後感はけっして明るくない。むしろ暗い。だが、番組改変問題を、番組制作に協力した女性たちのNHKに対する裁判記録や、NHK制作者の内部からの告発証言、スクープ記事を書いた朝日記者の不屈な活動のレポートなどを積み重ねながら解明するふたりの著者は、個人としてのジャーナリストが市民と手を携えてたたかっていけば、その先に「組織ジャーナリズム」からの脱出路があることも、随所で示唆する。
マスコミ、メディアに不満や批判を抱く市民の方がたには、自分もメディアの受け手としてあるだけではない―ジャーナリストと協働可能な立場にも身を置くのだと、本書から感じてもらえるのではないかと思う。
評者 桂 敬一 立正大学講師
かわさき・やすし 一九三四年生まれ。しばた・てつじ 一九三五年生まれ。
( 2008年04月06日,「赤旗」) (Page/Top)
「楽しみながら、私たちの憲法がうたうメッセージを感じ、発信していきたい」―大阪弁護士会所属の成見暁子弁護士(32)をはじめ、若手弁護士三十八人が呼びかけ人の「大阪・憲法ミュージカル2008 ロラ・マシン物語」(四月末から五月上旬の連続公演)の練習が熱を帯びています。
舞台に立つ市民は百八人。三月二十九日、三十日、大東市内の小学校の体育館に、出演する市民が集まりました。群舞の迫力に圧倒されます。
物語は、フィリピンの元「慰安婦」トマサ・サリノグさん(二〇〇七年四月六日死去)の一生が織り込まれ、人間の尊厳や平和を問いかけます。
出演者の中には、フィリピンで元「慰安婦」の支援をしていた女性がいます。練習の合間に、若い世代に伝えてきました。
それを受けとめた一人、九歳の前田さららさん=小学四年生=は台本のトマサさんが今生きていたら何歳か計算してみました。トマサさんは一九二八年十二月八日生まれだから、今年八十歳と知りました。「けいこの合間に、内容について話してくれるようになって、分かってきた」
百人目に応募した楠田有子さん(37)は「日本人はもう二度と戦争を起こしたくない、ということを、体を動かし声をあげるなかで伝えたい」と話します。
あすプレイベント
大阪・憲法ミュージカル2008実行委員会は五日(土)午後六時半、エルおおさか六階 大会議室でプレイベント「戦争が生んだもの―世界の紛争地を取材して、日本国憲法の意味を考える」を開きます。参加費500円(中学生以上)。
このミュージカルに出演するためフィリピンを取材した有馬理恵さん(舞台女優)、紛争地を取材する郡山総一郎さん(写真家)が講演します。問い合わせは同実行委員会06(6180)6900。
(2008年04月04日,「赤旗」) (Page/Top)
日本の苦界(くがい)の女は、古代からの女奴隷法による遊女や、幕末からのからゆきは、海外に向けられた娼婦であり、外は慰安婦である。
一九一〇年パリ国際会議で、婦女売買禁止が論議されたが、日本は反応せず、日本の売春防止法は、昭和三十一年五月二十四日、法律第一一八号で施行された。
私は女性哀史と向きあって、三十年をやりすごした。侵攻先のアジア、太平洋諸島を取材し、『慰安婦たちの太平洋戦争』を刊行し、からゆきでは、シンガポール、インド、アフリカ各地、アメリカ、カナダ、ブラジルまで取材し、次々と発表した。
戦中慰安婦は四十五万、からゆきは百万である。遊女の数はもっと多いだろう。
一九九六年、私のもとに、外務省のお偉(えらい)さんがみえ、「慰安婦の強制は無かった」と主張、私は取材先の、太平洋の小さな島の、男たちが殺され、娘たちを強奪、慰安婦に拉致した所もあったと答え、二時間の対峙(たいじ)で、お上の腹がよめた私は、翌朝高野山に向かい、慰安婦の永代供養の許しを得て、通りの店で位牌(いはい)を作ってもらい、女人堂にて、全山あげての、供養式典をいただいた。
からゆきの件では、その以前に、島原の大師堂から乞(こ)われ、「紅怨の娘子(じょうし)軍」の詩碑を建て、市長はじめ、市民ぐるみでの供養式をなした。
戦後の占領軍慰安婦の霊は、浅草のカッパ寺で、厚志をお寄せ下さってる、かづさ屋さんを始め、多数の有志の集いを得て、供養をなした。その後土肥の栄源寺さんに、私と知人の石川氏、名越氏等と、娘子軍の碑を建て、町の方々のおまいりをいただいている。
私が今住んでいる所(埼玉県東松山市)は、江戸期から遊女屋が数軒あった、馬頭観音の宿場町の奥である。
遊女の霊を見た人が、私に自殺した遊女の話をしてくれ、観音の裏手にある妙安寺の入口に、私は、「女郎花(おみなえし)は詩(うた)えたか」の碑文をすえ、側に女人像を建てて、おまいりをいただいている。日本の奴隷法による遊女や、からゆき、慰安婦の死者だけでも、靖国の死んだ兵士の、何倍かであろうというのに、お上は詫(わび)も悼みも、みせてはくれない。
昨年各国下院で、アメリカは七月三十日、オランダは十一月二十日、カナダは十一月二十八日、欧州議会では十二月十三日に、日本に向かって、「慰安婦は二十世紀最大の、人身売買」とし、謝罪せよと決議をした。
臭(くさ)い物にふたのお上は、何の動きもみせなかった。
戦中慰安婦のうちわけは、朝鮮女性二十万、中国女性十万、日本女性十万、インドネシア、アジア女性の外、現地に住んでいたオランダ女性、オーストラリア女性等をふくめて五万、それに戦後の、占領軍の日本慰安婦五万をたすと、合計五十万人である。
私は命題の女性哀史の取材や書き物を終え、女たちの悼みの仕事に熱意をもっている。
どうか各寺で「苦界の女、遊女、からゆき、慰安婦」の、位牌での祀(まつ)りでもよろしいですから、悼みをくれないお上にかわって、苦界の女達を、祀っていただきたい。
(やまだ・めいこ ノンフィクション作家)
( 2008年04月02日,「赤旗」) (Page/Top)
兵庫県宝塚市議会で二十六日、「日本軍『慰安婦』問題に対して、政府の誠実な対応を求める意見書」を全会一致で可決しました。
市民団体から出されていた、「慰安婦」問題で政府に誠実な対応を求める請願が、採択(一人反対)されたのを受けたものです。
意見書は、昨年、アメリカ、オランダ、カナダの議会や欧州議会で、日本政府に謝罪や賠償などを求める決議が採択されたのに、日本政府は「慰安婦」の被害女性たちにいまだに公式の謝罪も補償もせず、教科書からも記述を消し去ってなかったことにしようとしていると批判。「『慰安婦』問題の真相究明を行い、被害者の尊厳回復に努め誠実な対応を」と政府に求めています。
「慰安婦」問題でのこうした趣旨の意見書は、全国市議会議長会によると「把握している範囲では、一九九二年にはあったが、それ以降は全国の市議会で例がない」といいます。
(2008年04月01日,「赤旗」) (Page/Top)
日本出版労働組合連合会(津田清委員長)は三十一日、作家の大江健三郎さんら被告側が勝訴した大江・岩波沖縄裁判の大阪地裁判決を受け、声明を発表しました。
声明は、判決は「きわめて妥当」と評価。二〇〇六年度の高校日本史教科書検定で、原告の元戦隊長の陳述書を根拠に沖縄戦「集団自決」における「日本軍強制」を削除した文部科学省に対し「裁判所は元戦隊長の証言および陳述書は信用に足らないと判断した」と指摘。検定意見の誤りを認め、即刻撤回し、記述回復をするよう求めています。
また、原告側控訴の背景には日本軍の犯罪行為である南京大虐殺、「従軍慰安婦」、沖縄戦の実相を隠ぺいしようとする政治的圧力があり、「憲法改悪と戦争国家への道につながっている」と指摘。今後も検定意見撤回のとりくみと裁判支援を行うとしています。
( 2008年04月01日,「赤旗」) (Page/Top)
「慰安婦」問題で、被害女性の姿を追ったドキュメンタリー映画の上映と講演が二十九日、神戸市中央区の県民小劇場で開かれました。九年の歳月をかけ、中国山西省一の美人を意味する「蓋山西(ガイサンシー)」と呼ばれた女性と、その姉妹≠スちが受けた性暴力の実態や、その後の過酷な人生に迫った作品です。あわせて三百十人を超す観客が、じっと耳目を傾けました。
主催したのは中韓両国などの被害者を呼んだ証言集会や、講演会を行ってきた「旧日本軍『慰安婦』問題の早期解決をめざす会」です。
映画では、すでに亡くなった蓋山西を「お姉さん」と呼んでいた被害女性らが証言。多い日で一日に三十人からレイプされ、暴行で左足を骨折といった「慰安婦」の実態とともに、証言が割れる元日本兵の姿も映されました。
上映に先立ち、神戸女学院大の石川康宏教授が講演しました。卒業旅行でゼミ生と韓国を訪れた体験から、ゼミ生と「慰安婦」問題を学び始めた経過を紹介。また政府が「慰安婦」制を推進した国家的犯罪≠指摘すると同時に、誠実に対応しない政府を選んだ国民の責任にも触れました。
「『慰安婦』のことは一応知ってはいたが、本当にひどい」と、西尾桂子さん(66)=看護師=は涙ぐみます。「戦争が人をおかしくした。ちゃんと謝らないと」と、声を詰まらせました。
(2008年03月30日,「赤旗」) (Page/Top)
数十年の沈黙を破り、壮絶な性暴力の被害体験を告発した金学順さんをはじめアジア各地の被害女性たちが名乗り出てから、十八年という歳月が流れた。しかし、まだ、被害者が納得する解決はなされていない。
この数年、高齢になった被害女性たちの訃報が相次ぐ。今年になっても文必〇さんや池石伊さん、李温紅さん、陳妹さんらが相次いで亡くなられた。そんな知らせが届くたび、胸が締め付けられるような息苦しさを覚える。昨年の米下院決議を巡り、責任否定に奔走する日本の政治家たちの不誠実さに怒りと深い失望感を味わったが、本書を読み、真の解決のために奮闘した誠実な政治家たちがいたことを忘れてはならないと思った。
私も「慰安婦」問題に向き合って久しいが、思い起こせば、私たちの国会請願行動や国会前のスタンディングはもとより、「慰安婦」立法の制定運動には、いつも吉川春子さんや岡崎トミ子さん、福島瑞穂さんら女性議員の姿があった。昨年は米下院決議を巡り、日本の国会でも「慰安婦」問題は何度も取り上げられた。昨年三月の参院予算委員会の質問で吉川さんは安倍首相(当時)から「謝罪」の言葉を引き出したが、それは、日本政府のダブルスタンダードを浮き彫りにした。米下院決議は日本政府に対して口先だけでない明確で公的な謝罪とその証しを形にすることを求めているが、参院予算委員会での首相答弁が決議採択の追い風を作ったと、私は感じている。
吉川さんは「慰安婦」立法の制定を目指して、韓国やインドネシアなどにも足を運び、被害者の声を聞いてきた。被害者に向き合い、被害者の尊厳の回復のため、また、二度とこのようなことを繰り返さないためには、明確な謝罪・補償の実現が不可欠であることを確信し、全力で取り組んできた。本書は、「慰安婦」問題に魂を注いだ一人の女性議員の足跡であるが、と同時に、十八年に及ぶ「慰安婦」問題の解決を目指した政治家の闘いの記録でもある。
評者 西野瑠美子 「VAWW−NETジャパン」共同代表
よしかわ・はるこ 日本共産党前参院議員。
( 2008年03月30日,「赤旗」) (Page/Top)
大阪地裁(深見敏正裁判長)は二十八日、太平洋戦争末期の沖縄戦での「集団自決」に日本軍が「深く関与」したと認める判決を、言い渡しました。
裁判は、旧日本軍が住民に「集団自決」を命じたとする岩波新書『沖縄ノート』などの記述で名誉が傷つけられたとして、当時の戦隊長らが著者の大江健三郎さんと出版元の岩波書店を訴えていたものです。
判決によって、元戦隊長らの訴えを理由に、高校教科書から日本軍の「命令」「強制」を削除させた政府・文部科学省の教科書検定も、誤りがうきぼりにされたことになります。
軍が「深くかかわった」
沖縄戦では、座間味島で百七十八人、渡嘉敷島で三百六十八人の住民が集団死しており、いわゆる「集団自決」(強制集団死)の数の多さではこれらの島々が突出しています。
判決は座間味島、渡嘉敷島の元戦隊長が住民に「集団自決」を命令したかどうかについては、「伝達経路等が判然としない」ことを理由に「ただちに真実であると断定はできない」としましたが、「集団自決」そのものについては「日本軍が深くかかわったもの」と認め、元戦隊長が関与したことは「十分に推認できる」と認めました。
判決がその理由として、両島守備隊にとって貴重な手榴弾を住民に渡したこと、日本軍が駐屯したところでしか「集団自決」が発生していないことなどをあげているのは、当時の沖縄県民の証言などとも一致しています。
沖縄戦末期、両島の守備隊は補給路を断たれ、短機関銃と拳銃、軍刀、手榴弾が最大の武器でした。手榴弾は守備隊にとって死活的に重要な武器であったはずです。にもかかわらず、判決も認めるように、住民は手榴弾を使って「集団自決」しています。手榴弾は、守備隊が渡さなければ絶対に住民が手に入れることのできないものです。
軍隊は指揮官の命令で動きます。兵隊が勝手に渡したなどという言い訳は通用しません。これ一つをとってみても、「軍官民共生共死」の沖縄守備軍の方針にもとづいて、元戦隊長らが「集団自決」を強制したことはあきらかです。判決が逆に、住民が補償ほしさに軍命令を主張したなどという原告の主張を退けたのは、原告らの主張に道理がないことを証明したことになります。
元戦隊長らがおこしたこの裁判のねらいは、原告がつけた「沖縄集団自決冤罪訴訟」というタイトルでわかるように、日本軍の命令・強制を否定することにあります。南京事件では「大虐殺はなかった」、「従軍慰安婦」問題では「日本軍が強制した証拠はない」などといった、侵略戦争と日本軍の蛮行を正当化する動きと軌を一にしています。
かつての誤りを再来させないためにも、歴史的事実の改ざんを許すわけにはいきません。
政府は誤りを認めよ
原告敗訴の判決によって、改めて問われるのは政府・文部科学省の教科書検定です。
文部科学省は昨年、この裁判をおこした原告の主張を理由にして、高校教科書から、日本軍が「集団自決」を命令・強制したとの文言を削除しました。
原告の一方的な主張で築いた教科書検定に道理がなく、誤りであったことは明白です。政府は、日本軍による命令・強制を削除した高校教科書検定の誤りを認め、検定意見を撤回し、是正措置をとるべきです。
( 2008年03月29日,「赤旗」) (Page/Top)
何にニュースの価値を置くのか/政治からも経済界からも自立を
職員のインサイダー取引をはじめとする不祥事や、NHK会長選出をめぐる経営委員会の不透明な議事運営など、視聴者の信頼が揺らぐ公共放送をどう立て直すのか―。「NHK『再生』の道」(メディア総合研究所主催)と題したシンポジウムがこのほど東京で開かれ、NHK問題に精通する5氏によるパネルディスカッションが行われました。
出席したのは、岸博幸(慶応大学准教授)、隈元信一(朝日新聞論説委員)、醍醐聰(NHKを監視・激励するコミュニティ共同代表)、戸崎賢二(愛知東邦大学教授)、日隅(ひずみ)一雄(弁護士)の各氏。司会は服部孝章・立教大学教授。
「(NHKは)権力の監視が弱い」と強調する醍醐氏は、その実例として、2月7日の「『日の丸・君が代』訴訟判決」の扱いをあげます。当日夜7時のニュースで、「日の丸」への起立と「君が代」斉唱をしなかった教員の再雇用を拒否した東京都に賠償を命じた判決は報道しませんでした。「個人の人権に国家が踏み込むことに対する重大な判決が出されたのに取り上げない。何にニュースの価値を置くかが問われる」と語ります。
長年にわたってNHKディレクターを務めてきた戸崎氏は、看板番組以外は制作を外部に委託する最近の職場状況を懸念します。「先輩から後輩へ、倫理も含めた放送文化の継承が困難になっているのではないか」と指摘。職員の自覚とともに、ジャーナリスト教育を行う研修体制を整えるべきだと提案します。
日隅氏は、従軍「慰安婦」を扱ったETV番組が安倍前首相らの「圧力」で改変させられた問題をめぐる裁判を振り返り、「政治の『圧力』に対抗するシステムがNHKになかった」ことを問題にします。「ドイツでは、現場のスタッフが上司から圧力が加えられた場合、きちんと解決できるシステムがある」と紹介しました。
隈元氏は、NHKが果たす「文化的公共圏」の役割を再生させるために、「政治からの自立」だけでなく「経済界からの自立」を求めます。「経営委員長(古森重隆・富士フイルムホールディングス社長)や会長(福地茂雄氏・元アサヒビール社長)、経営計画をつくる専務理事(金田新・トヨタ自動車専務)のNHKトップが3人とも財界出身でいいのか」と疑問を呈します。
一方、竹中平蔵元総務相政務秘書官として「放送と通信の融合」を先導してきた岸氏は、日本の経済力がピークを過ぎるなか、世界に向けて新たな存在価値を示すことができるのは「ソフトパワーしかない」と断言します。放送と通信の融合の中心にテレビメディアが座ることを求め、「ビジネスでリスクが大きく民放でできない部分をNHKが先導すべきだ」とのべました。
原寿雄氏の基調講演/視聴者意見の反映は緊急課題
討論に先立ち、原寿雄さん(ジャーナリスト・元共同通信編集主幹)が「NHKは誰のものか」というテーマで基調講演しました。
「NHKは本来、国家や政府とは関係ない。主人公は視聴者・市民であることを確認した上で議論を始めたい」と切り出した原さんは、「20年来、世論のマスメディア批判に便乗した形で権力のメディア規制が強められてきたが、NHKの今の現状はそこから新しい段階にきている」と問題提起。NHKが国策放送に変えられようとしている危険性を訴えました。
「経営委員会による政治支配の進化」として、「経営委員会が視聴者代表であれば、独立性の強化は望ましいことであるが現状はそうではない」と強調。委員長と内定して送り込まれた古森重隆氏は、安倍前首相を囲む財界人グループ「四季の会」のメンバーで、その古森氏の意向に沿って仕上げられたのが新しい執行部であるとし、「自民党のグループと財界に乗っ取られたといってもいい配置だ」と語りました。
そのうえで、NHKが1万1千人の職員を抱える日本最大のメディアであること、国際的にみてもイギリスのBBCに次ぐ組織であると指摘。「そのような大規模なメディアの質が変わろうとしている」と視聴率調査でははかれない影響力の大きさを見る必要があると話しました。
政治からNHKを取り戻すために、視聴者市民によるNHKのコントロールをどう強めるか。視聴者の意見を反映させる道をつくることは、緊急の課題だと語りました。
NHKが公共放送としてやるべきこととして、公共性の要件を提示。多様性の原則、情報公開、非国家性、非市場性、平等性、自律性を挙げました。外国の公共放送での視聴者がつくった番組を放送するパブリックアクセスの試みも紹介し、「放送文化は視聴者と放送局にいる人たちの協同でつくりあげるもの」と視聴者との協同性を強調しました。
最後に、「デジタル時代のNHK懇談会」が、1年以上かけてNHKのあるべきビジョンを話し合いながら、NHKがそれを棚上げしている問題にふれ、NHKはもう一度、報告書を読み直し、理念を視聴者の前に明示すべきだと話しました。
( 2008年03月19日,「赤旗」) (Page/Top)
第四十六回国際女性デー帯広集会(同実行委員会主催)が八日、帯広市で開かれ、二百十人が参加しました。
韓国「ナヌムの家」のカン・イルチュルさん、日本軍「慰安婦」歴史館研究員の村山一兵さん、日本共産党前参院議員の吉川春子さんがそれぞれ講演しました。
金子かおる実行委員長があいさつ。カン・イルチュルさんは「帯広のみなさんに二年連続お会いできてうれしい。中国の慰安所で一緒だった友人が亡くなり、心が火のように燃え、涙でうまっている」と訴えました。
吉川さんは、国会生活二十四年間、「慰安婦」問題を四十八回質問し、野党三党共同提出の法案が七回も提出され、廃案になっているが、参院に提出し成立させることが急がれていると強調。政府を動かすための世論と運動を盛り上げましょうとのべました。
畑中恵美子事務局次長は「歴史の真実を隠そうとする流れのなかで世論と運動を広げていきましょう」と結びました。
(2008年03月14日,「赤旗」) (Page/Top)
【マニラ=時事】フィリピン下院外交委員会は十一日、第二次大戦中の旧日本軍による従軍慰安婦問題で、フィリピン政府に対し、日本政府に公式謝罪や歴史的事実、責任の受け入れを促すよう求める決議案を採択しました。フィリピンで従軍慰安婦に関する決議案が採択されたのは一九九八年以来。本会議での審議日程は今後、議院運営委員会で調整します。
決議案は昨年七月末に米下院で従軍慰安婦決議が採択されたことを受けて、七人の議員が提出していました。クエンコ外交委員長は「(本会議でも)すべての政党の支持が得られると考えている」と語りました。
外交委に出席した外務省の担当者は「戦争に関するすべての賠償請求は一九五一年のサンフランシスコ講和条約と五六年の日比賠償協定で決着している。決議案に含まれる補償要求は従来のフィリピン政府の立場と両国政府の理解に反する」との見解を表明しましたが、決議案に反対する考えは示しませんでした。
( 2008年03月12日,「赤旗」) (Page/Top)
文部科学省が改悪教育基本法(二〇〇六年十二月施行)に基づき今月末までに学習指導要領を改定しようとする中、日本の侵略戦争を正当化している「靖国」派が、「愛国心の育成」や「国防の意義」などを盛り込むよう同省に働きかけています。
巻き返しの動き
「靖国」派の総本山・日本会議と連携する日本会議国会議員懇談会の教育改革刷新委員会(委員長・衛藤晟一参院議員)は五日、「新教育基本法に基づく学習指導要領の改訂を!これでは教育現場・教科書は変わらない」とする会合を開きました。会合には民主党の西岡武夫参院議院運営委員長も参加しました。
同刷新委員会は、改悪教基法の成立を受け「愛国心」「公共の精神」「宗教」などについて学習指導要領の改定の項目を列挙して、文科省に要請してきました。関係者によると、会合では「文科省から十分な対応を得られなかった」と、相次いで不満が出たといいます。
衛藤氏は五日の会合後の会見で「新教育基本法に基づく学習指導要領の改訂、教育振興基本計画の策定という非常に大事な時期。教育基本法改正までに苦労した内容を要望項目としてまとめ、反映させていきたい」とし、歴代文科相の力も借りて文科省への働きかけを強めたいと述べました。安倍晋三前首相の政権投げ出しで、「靖国」派の政治的影響力が低下する中での、焦りを伴った巻き返しの動きです。
16項目におよぶ
衛藤氏は、「要望項目」の中身を明らかにしませんでしたが、日本会議機関誌『日本の息吹』三月号は「学習指導要領改訂にあたり16項目の改善点を提案する」として要望項目≠列記。「愛国心育成を全ての教育活動の目標とする」「天皇に対する理解と敬愛の念を社会科や国語科において育む」「国防の意義や自衛隊が我が国と世界の安全に果たす役割について教える」「日本人の自然観・宗教観の土台にある神道についても教える」などをあげています。
「近代以降の戦争における当時の我が国の立場や主張についても教える」では、「慰安婦、南京事件、沖縄集団自決などの政治的かつ学説が分かれるテーマについては特に慎重な姿勢で臨み」、「児童生徒の情操、心身の発達に配慮し、戦争などに関する残酷な写真や図版、記事については使用を控える」としています。
特異な歴史観の教育への持ち込みです。
( 2008年03月10日,「赤旗」) (Page/Top)
兵 庫
第九十八回3・8国際女性デー兵庫県集会が八日、神戸市中央区の中央労働センターで開かれ、百六十人が参加しました。
同集会実行委員会の松山和子・兵庫県高等学校教職員組合女性部長は、「慰安婦問題についてもう一度学習して、早期解決に向けてがんばっていきたい」とあいさつしました。
「戦争と女性への暴力」日本ネットワークの西野瑠美子共同代表が記念講演し、沖縄の女子中学生暴行事件で「米兵についていったのが悪い」と被害者に落ち度があるかのようなひぼう・中傷の報道や発言を批判。被害者に向かう攻撃は「慰安婦」問題でも同じだとのべ、性暴力は犯罪であり、女性に対する重大な人権侵害であるとし、「慰安婦」にされた女性たちの実態を紹介しました。
渡辺悦郎さんと増井一友さんによるファゴットとギターの二重奏や、慰安婦全国証言集会実行委員会代表者の村上麻衣さんと西野氏とのトークがあり、「青年ユニオン〜波〜」の赤木涼子書記長と宝塚母親大会連絡会の高橋章子会長が活動報告をしました。
参加者は集会後、ミモザの花を持ち元町商店街をピース行進しました。
京 都
「平和大好き! 憲法九条は世界の宝」などの横断幕を掲げ、三・八国際女性デーの京都女性パレードが八日、京都市内で行われました。同実行委員会が主催しました。
伊藤啓子実行委員長らを先頭に、ミモザの小枝と、色とりどりの九条プラカードや風船などを持った女性たち五十人が、京都市役所前(京都市中京区)から四条大橋までを、元気にパレードしました。
春めいた日差しのなか、女性たちは「憲法九条を守ろう」「男女の賃金差別をやめさせよう」「時給は千円以上に」「食の安全を守ろう」「イージス艦より老朽校舎に予算を」などと訴えました。パレードに沿道からのエールやカメラを向ける人もいました。
(2008年03月09日,「赤旗」) (Page/Top)
三月八日の国際女性デーを前に、「第九回日本軍『慰安婦』問題アジア連帯会議実行委員会」は七日、国会前で日本政府に「慰安婦」問題の早期解決を求める世界同時連帯行動を行いました。参加者約七十人は横断幕や被害者の写真を掲げ、政府は事実を認め、被害者に謝罪するよう訴えました。
今回は連帯会議実行委員会としての初めての行動。同じ場所では右翼団体が「従軍慰安婦は歴史のねつ造」などと真実に背く暴言を繰り返し、妨害しました。
参加者はマイクをとり、裁判所での事実認定や、軍関与を認めた一九九三年の河野官房長官談話が調査にもとづいて作られた経過を語るなど、真実とは何かを明らかにしました。
今年初めから日本で平和活動をしているドイツ出身のフラウケ・アートンさん(26)は「(右翼団体の)『慰安婦がウソをついている』という発言にショックを受けた。被害者の話をちゃんと聞いて謝るべきだ。過去と向き合う努力をしなければ、同じ被害が起こる」と話しました。
元社会科教師の大谷猛夫さん(61)=東京都=は「日本の民主主義と平和を貫くために、日本政府は歴史の事実を認め、謝罪することが解決への道筋をつくる。同じ過ちを二度としないと決意することが私たちの責務だ」と語りました。
日本共産党の紙智子参院議員がメッセージを寄せ、社民党の福島瑞穂参院議員があいさつしました。
連帯行動は福岡、兵庫などの日本各地や韓国、フィリピン、イギリス、オーストラリアなどでも行われました。
( 2008年03月08日,「赤旗」) (Page/Top)
旧日本軍「慰安婦」問題に取り組む韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会は五日、ソウル市内の日本大使館前で「世界連帯集会」を開きました。
元「慰安婦」や支援者が「希望」を象徴する風船とプラカードを手に、「女性に対する暴力の追放」「日本政府はただちに賠償を」と訴え行進しました。
集会は、八日に百周年を迎える「国際女性デー」に合わせたもの。同協議会によると、台湾、フィリピン、インドネシア、オーストラリア、英国などで同日、連帯集会が開かれました。
( 2008年03月06日,「赤旗」) (Page/Top)
日本軍「慰安婦」だった女性が共同生活を送る韓国の施設「ナヌムの家」の李玉善(イ・オクソン)さんを招いて「慰安婦問題を考える会」を開こうと二月下旬、よびかけ人の会が発足しました。
韓国旅行でナヌムの家を訪れた人が、李さんら元「慰安婦」のハルモニ(おばあさん)の体験をより多くの人に聞いてもらいたいので企画したと経過報告がありました。会の役員や事務局、日程、予算などを確認しました。
「慰安婦問題を考える会」は五月十四日午後六時から、札幌市のエルプラザホール(北区北八条西三丁目)で開きます。
参加費千円(大学・高校生五百円、中学生以下無料)。連絡先=旅システム、青木さん011(742)2260。
(2008年03月05日,「赤旗」) (Page/Top)
埼玉県議会は二十五日の代表質問、二十六―二十八日の一般質問に自民、民主、公明の各議員が登壇しました。主な論点を紹介します。
八ツ場ダム
県議会には、ムダ遣いと批判が集中している八ツ場ダム(群馬県)の工事期間を五年間延長することに異議がないと国交相に回答する議案が提出されています。代表質問で自民と民主がこの問題を取り上げました。
自民党の滝瀬副次議員は「県民はもちろん、地元の方とともに完成を心待ちにしてきた」とダム建設推進の立場から賛成。ただし、事業費負担の増額はないかどうか念を押しました。
民主党には、二〇〇四年の事業費見直しの際、県負担の大幅増に賛成した「地方主権の会」と、反対した「民主党」のメンバーが同居しています。高橋努県議は「本県の人口は長期的に減少傾向にあり、水需要も減少するはず」とのべ、八ツ場ダム計画への参加中止を求めました。
上田清司知事は、工期延長や事業費増額が相次いだことに「不愉快を感じている」としながらも、「治水、利水を含めた危機管理の観点から八ツ場ダムは必要」と答弁しました。
道路特定財源
国会で焦点の道路特定財源の問題も取り上げられ、自民の滝瀬議員は道路づくりの重要性を強調し、暫定税率の維持が必要とのべました。
民主党の衆院議員出身の上田知事ですが、「(暫定税率の廃止で)ガソリンが二十五円下がることだけを想定して解散総選挙というようなことは、あまりいいことではない」と表明。道路整備がまだまだ必要だとして、「道路財源は当面しっかりと確保すべきだ」との見解を示しました。
教育・歴史認識
一般質問では複数の自民党議員から、「県平和資料館の展示は、いまだ自虐的な域を脱していない」(小島信昭議員)との歴史認識の問題や、「公表された(国の新しい)学習指導要領案には、愛国心など改正教育基本法に新たに盛り込まれた理念がほとんど反映されていない。子どもたち自身と国の将来を考えれば、道徳教育の教科化は待ったなしだ」(森田光一議員)といった戦前の愛国心教育を肯定する発言がありました。
同じ知事与党の公明党は畠山清彦議員が、池田大作・創価学会名誉会長の著作などを引きながら、「先の十五年戦争を『正義の戦争』や『致し方なかった戦争』ととらえていては、軍国主義に走ってしまった当時の日本から学ぶべきものは何もなくなってしまう。一時の間違いを謙虚に反省し、二度と起こさない誓いを立てることがなぜ『自虐的』と言えるのか」と発言しました。
「従軍慰安婦はいなかった」などと公言する上田知事と一線を画そうとしているのか、発言の狙いに関心が集まっています。
日本共産党は一議席のため代表質問には立たず、柳下礼子県議が三月七日からの常任委員会で質疑に立つ予定です。
(2008年02月29日,「赤旗」) (Page/Top)
【北京=山田俊英】中国各紙によると、南京市にある旧日本軍「慰安所」跡で春節(旧正月)初日の七日、火災が発生し全焼しました。春節祝いの爆竹、花火が原因とみられています。
南京では、一九三七年に日本軍が侵略、占領した後、「慰安婦」を置いた場所が四十カ所ほど判明しています。市政府や南京大虐殺遭難同胞記念館は史跡に指定。焼けた建物には、朝鮮人「従軍慰安婦」がいたことがわかっています。
現場は市中心に近い住宅街。二階建ての建物の外壁が残っているものの、屋根が落ち、内部は全焼しました。火災発生前、近くで爆竹、花火が激しかったことが目撃されています。
「慰安所」跡としては最も大きく、保存状態がよかったため、関係者は衝撃を受けているといいます。
( 2008年02月18日,「赤旗」) (Page/Top)
茨城県つくばみらい市で1月20日に予定されていた市主催のDV(ドメスティックバイオレンス=配偶者からの暴力)防止講演会が、「DV防止法は家族を破壊する」などと主張する団体の抗議を受けて、突然中止されました。市は「混乱を避けるための苦渋の選択だった」と説明。講演会の再実施を求める声が広がっています。
平川由美記者
暴力防止担うべき自治体が
つくばみらい市は男女共同参画事業の一環として、講演会「自分だけガマンすればいいの? DV被害実態の理解と支援の実際」を予定していました。講師は東京フェミニストセラピィセンターの平川和子所長(内閣府専門調査会委員)。心に傷を負った女性や子どものケアを長年続けながら、DV被害女性のための緊急介入と自立支援の活動を行ってきました。
平川さんが市から講師を依頼されたのは昨年10月。以来、市と共同作業で準備を進めてきました。市は女性市民の10%以上が「殴るけるなどの身体的暴力を受けたことがある」と回答した調査結果を提示。DV防止の取り組みが急務であることを確認し合いました。
ところが今年に入って「DV防止法犠牲家族支援の会」「主権回復を目指す会」などが講演会の中止を市に要請。中止しない場合は反対意見を述べる時間を設けるよう求めました。市は、DVを犯罪とする法のもとでの啓発事業である講演会に、DVを肯定する意見のための時間を設けることはできないとして拒否。
これを不服として両団体の会員数人が1月16日早朝、市役所内に拡声器を持って押しかけ、職員に対するひぼう中傷をまくし立て、講演会の中止を詰め寄り、当日には街宣活動を行うと予告。市は参加者に危険が及ぶことを恐れ、やむなく中止を決めました。
平川さんは言います。
「これは講演会主催者と私に対する暴力であり、参加市民に対する暴力です。暴力で言論を封殺する団体に憤りを感じるとともに、市側の安易な決断と危機管理のなさが残念でなりません。DVという暴力を防止する責務を担う自治体が、少数の暴力に屈するようでは、DV被害者や子どもの安全をどうやって確保していけるのでしょうか」
折しも今年1月11日に改正DV防止法が施行されたばかり。これまで都道府県のみに義務づけられていたDV防止と被害者支援に関する基本計画の策定が、市町村の努力義務となり、つくばみらい市でも施策をより充実させていこうとする矢先でした。
よい家族とは
DV問題に取り組んできた鈴木隆文弁護士は、「DV防止法は、国連の女性差別撤廃条約や女性に対する暴力撤廃宣言など、国際的な男女平等の流れと連動してつくられたもの」と指摘します。
「DV防止法に反対する団体は『夫の暴力を理由にした離婚は家族を破壊する』と主張していますが、女性の犠牲の上に成り立つ家族って何ですか? 家族の出発点は安全と安心です。よい家族とは、笑顔があふれる家族ではないでしょうか。そんな家族を築くためにこそ、DVについての十分な啓発が必要なのです」
開催待ち望む市民/署名2600人
一方、つくばみらい市と同じく平川さんの講演会を1月27日に予定していた新潟県長岡市は、「DV防止法犠牲家族支援の会」などの抗議を受けながらも、予定通り開催しました。
主催の長岡市教育委員会によると、「家族の中の暴力を見聞きして傷ついた子どもの心の回復のために何ができるのか、実践に基づいたお話でした。120人が参加し、質疑応答もなごやかに進みました」。
焦る♂憲派
福島大学の中里見博准教授(憲法学)は、「今回の事件によって、他の自治体などがDV根絶のための啓発活動を自主規制するようなことがあっては絶対にならない」と強調します。
「家庭という密室で起きるDVはずっと見過ごされ、深刻化してきました。しかし被害女性と支援者の長い間の運動が実って『DVは重大な人権侵害であり、犯罪である』と法的に位置付けられたのです。社会がDV防止の活動をタブーにしてしまったら、この問題をまた密室の中に封じ込めてしまうことになります」
今回のDV防止法への攻撃は、性教育や夫婦別姓、日本軍「慰安婦」問題などへの一連の攻撃と軌を一にしている点でも、重大な事件です。中里見准教授は「憲法9条改悪とつながっている。男女平等家族では、国のためにたたかう男性もそれを支える女性も育たないという焦りがあるのではないか」と分析します。
今月1日つくばみらい市に対して、講演会中止に抗議し、再実施を求める2600人分の署名が提出されました。市は「再実施は未定。検討していきたい」と話しています。
DV防止法
夫婦間の暴力を犯罪と規定し、暴力防止と被害者保護を目的に、通報、相談、保護、自立支援について定めています。裁判所が加害者に対して保護命令を出し、被害者などへの接近禁止、住居からの退去を命じることができます。01年に成立後、04年、07年に改正され、被害者の保護が進んでいます。
(2008年02月17日,「赤旗」) (Page/Top)
政治・経済
◆企業倒産、4年連続で増加 帝国データバンクが発表した1月の企業倒産(負債額1千万円以上、法的整理)は888件。1月としては4年連続増加(13日)
◆サブプライム損6000億円 金融庁の発表によると、米国の低信用者向け(サブプライム)住宅ローン問題による国内金融機関の損失は、昨年12月末時点で約6000億円(13日)
◆08年度診療報酬改定まとまる 中央社会保険医療協議会が舛添要一厚労相に答申。後期高齢者医療制度で75歳以上の医療を差別・制限する別建ての診療報酬体系を盛り込む(13日)
◆志位委員長、基地の縮小・撤去求める連帯をよびかけ 日本共産党の志位和夫委員長が記者会見で、沖縄での米兵による女子中学生暴行事件などを受け、米軍基地の縮小・撤去を求め連帯してたたかうことを呼びかける(14日)
社会・国民運動
◆沖縄米兵が中3少女暴行 沖縄県北谷町の公園近くに止めた車内で、米海兵隊員が中学3年生の女子生徒を暴行。北中城村の同海兵隊員の自宅でわいせつ行為を迫ったうえ、逃げ出した女子中学生を追いかけ、車に乗せ乱暴したもの。県議会などで決議があがるなど、県民の抗議の声広がる(10日)
◆8社が低強度鋼材で昇降機 エレベーターに設計より低い強度の鋼材が使用されていた問題で、東芝エレベータなど8社のエレベーターやエスカレーター約2万2千基で、低強度鋼材が使われていたことが国土交通省の再調査で判明(12日)
◆「志布志事件は冤罪(えんざい)でない」と法相 鳩山邦夫法相が検察長官会同で訓示し、違法な取り調べが問題となった鹿児島県議選の買収無罪事件(志布志事件)について、「冤罪と呼ぶべきでない」と発言(13日)
◆貧困なくせ2・13総行動 全労連、全商連、農民連、新婦人、全日本民医連、全生連、東京地評のよびかけた集会に3000人、土建労組などでつくる建設首都圏共闘の行動に3800人が参加し、東京の官庁街、経団連、銀座で政治の流れを変えようと訴え(13日)
◆学習指導要領改定案発表 文部科学省が、小中学校の学習指導要領と幼稚園教育要領の改定案を発表。改悪された教育基本法を冒頭に掲げ、国が決めた通りの「道徳教育」の推進を前面にだし、指導方法まで制約(15日)
国際
◆韓国国宝「南大門」が焼失 ソウル中心部の国宝・崇礼門(通称・南大門)が放火され、土台部分を残して焼失(写真、AFP時事)。朝鮮時代に建造された崇礼門は、ソウル市内に残された最古の木造建造物で、国宝第1号に指定されていた(10日)
◆東ティモール・ホルタ大統領撃たれ重傷 東ティモールのホルタ大統領とグスマン首相が首都ディリで襲われ、ホルタ大統領が重傷。グスマン首相が非常事態を宣言(11日)
◆米民主党予備選でオバマ氏が首位に 米大統領選に向けた民主党の指名争いで、オバマ上院議員が首都ワシントンとメリーランド、バージニア両州の予備選に勝利。獲得代議員数でクリントン上院議員を抜いて首位に(12日)
◆豪首相アボリジニ同化政策を謝罪 オーストラリアのラッド首相が議会で、過去に政府が行った先住民アボリジニに対する白人への「同化政策」を謝罪(13日)
◆韓国「水曜デモ」が800回 韓国の元日本軍「慰安婦」による日本大使館前での「水曜デモ」が通算800回に。デモは92年に始まり、16年にわたり、日本政府に公式謝罪と賠償などを要求(13日)
◆ギリシャ年金改悪反対で200万人デモ ギリシャのカラマンリス政権の年金改悪案に反対するデモが全国各地で行われ、200万人が参加(13―14日)
( 2008年02月17日,「赤旗」) (Page/Top)
韓国の元日本軍「慰安婦」らが、日本政府の謝罪と賠償を求めてソウルの日本大使館前で続けてきた「水曜デモ」が十三日、八百回を迎えました。参加者は「八百回の集会をつないできた女性の力は、日本軍『慰安婦』問題が解決されるその時まで続く」と指摘しました。
元「慰安婦」らの毎週水曜日の大使館前でのデモは、一九九二年一月から、十六年にわたり続いてきました。この間、二百四十三人の被害者のうち、百二十六人が亡くなっています。
この日のデモには、高校生や市民団体など約百人が参加。元「慰安婦」の李容洙(イ・ヨンス)さんは、「デモに参加されるみなさんがいたから、ここまでこられた」と語り、声をつまらせました。
参加者らは、日本政府が「公式謝罪」し、損害賠償を行うよう主張。米、カナダなど各国議会の日本政府非難決議を受け入れ、法的責任をとるよう求めました。
( 2008年02月15日,「赤旗」) (Page/Top)
本棚には歴史の文献など書物がびっしり。五十五歳のとき、県立の高校教師の仕事を辞め、「第二の人生を日本列島と朝鮮半島の懸け橋に」と夢を抱きました。
これまで、韓国語の翻訳を手掛け、世界の教科書シリーズH『韓国の歴史』(明石書店)や『年表でみる韓国の歴史』(同)など出版してきました。「四十年ぐらい前から、独学で勉強し、ハングル文字を見たら漢字が浮かぶ」とも。
一九四〇年、熊本県生まれ。戦争中の空襲警報の中、母に布団ごと背負われ逃げた記憶も。六〇年安保闘争のころ「一人の在日朝鮮人と知り会った」。日本軍「慰安婦」の事実も知りました。「日本が朝鮮に何をしたのか」。これが朝鮮問題を生涯のテーマにするきっかけでした。
訪韓は、教師のころから、労働組合の「韓国平和の旅」を含め四十数回。在職中、元日本軍「慰安婦」のハルモニたちを招き、佐賀、福岡、長崎で講演してもらったことも。藤井さんは「『儒教の国』韓国では九〇年代の民主化運動まで、ハルモニの存在はタブーだった。生活は九〇年代初め、極寒の冬にストーブで石油もたけないときもあった」と語りました。
日本での韓流ブーム≠歓迎する一方、「歴史の真実を一方の国の歴史からだけでなく、侵略された側の歴史から多元的に見ることも必要」といいます。
(2008年02月14日,「赤旗」) (Page/Top)
宮城/450人がデモ行進
「建国記念の日」を批判し、信教・思想・報道の自由を守る宮城県民集会が十一日、仙台市民会館で開かれ、改憲手続き法を強行採決で成立させたことに抗議し、首相らの靖国神社参拝、教科書検定などの教育への不当介入に反対する宣言を採択しました。
主催は、宗教団体や労働組合、市民団体など四十八団体でつくる靖国神社国家管理反対宮城県連絡会議で、四百五十人の市民が参加しました。
集会では、事務局が自衛隊による国民監視が発覚するなどの「自由と平和」をめぐる状況を報告。高嶋伸欣琉球大学教育学部教授が、沖縄戦で日本軍が住民に集団自決を強制したとの記述を削除した教科書検定の撤回を求め、昨年九月に十一万人が参加して集会を成功させた沖縄県民のたたかいを報告しました。
高嶋氏は、沖縄戦が天皇制存続の交渉時間を稼ぐためにたたかわれた捨て石だったことを複数の資料で示し、「『日本軍関与』では沖縄県民は納得しない」とのべました。
集会後、参加者は「平和憲法を守ろう」「子どもたちの笑顔あふれる学校を」などと描かれた色とりどりの手づくりプラカードを持ち、一番町商店街をデモ行進。「信教・思想・報道の自由を守ろう」「自衛隊はインド洋へ行くな」と市民に訴えました。
青森/戦争認識をどう教える
「建国記念の日」を批判する「第二十八回平和と民主主義を考える集会」が十一日、青森市で開かれ、「憲法の理念を高く掲げ、平和・民主主義・人権尊重の日本を追求しましょう」とのアピールを採択しました。同集会実行委員会と県国民教育研究所が主催、五十人余が参加しました。
集会では、大日方純夫早稲田大学教授が、「過去を未来にどう架橋するか―戦争認識から問う日本のゆくえ―」と題して講演しました。
大日方氏は、沖縄戦「集団自決」、「従軍慰安婦」、南京事件をめぐる国内外の動向、歴史認識・戦争認識をめぐるせめぎあいを詳しく明らかにしました。
この中で大日方氏は、マスコミの世論調査で「大戦を何によって知っているか」という問いに二十歳代では約六割が、「学校・教科書で」と回答し、若い世代ほど侵略戦争という認識が希薄になってきていることを紹介し、「どう教えるかが、若い世代の認識に大きく影響している」とのべました。
大日方氏は、日中韓三国共通歴史教材委員会編『未来をひらく歴史 東アジア三国の近現代史』の出版の意義、歴史認識と憲法とのかかわりを話しました。
岩手/草の根から憲法守ろう
「建国記念の日」に反対し、憲法を守る運動を強めようと「2008年『建国記念の日』について考える県民のつどい」が十一日、盛岡市で開かれました。参加者は百二十人を超えました。
主催は、いわて労連をはじめとする県内の六団体。主催者を代表して、弁護士の菅原一郎氏(盛岡政教分離の会)があいさつしました。
福島大学元学長の吉原泰助氏が、「歴史の英知から生まれた日本国憲法」と題して講演しました。憲法九条の持つ意義を歴史的に明らかにし、「自主憲法制定」などと訴える改憲勢力に対して「九条の会など、草の根の自主的な運動を強めて憲法を守ろう」と訴えました。
集会は、「九条を守るための大きな連帯の輪をつくろう」とするアピールを採択しました。
九条を守る運動に取り組む釜沢稔さん(68)=盛岡市=は「改憲を推進する人も『草の根』の言葉を言いだしている。彼らに負けない運動を進める上で、参考になった」とつどいの感想を語りました。
山形/平和を守るたたかいを
山形平和集会実行委員会は十一日、山形市内で2・11憲法改悪反対山形平和集会を開き、二百人近い人が参加しました。
集会では、弁護士・伊藤塾塾長・法学館憲法研究所所長の伊藤真氏による、「憲法の力」をつけよう・今を生きる私たちの責任と題して記念講演がありました。
伊藤氏は、「九条は国民を守るもの。軍事力でテロから国民を守れない。テロの標的にならない国をつくることが大切だ」と話し、「九条は世界の宝です。私たちが最もしなければならない国際貢献は九条を守ること。憲法の理想に向かって進むことが今を生きる私たちにできることです。地域、職場、学園で憲法を語ろう」と述べました。
集会は、「憲法の改悪に反対し、平和と国民の生活を守るたたかいを大きく前進させていきましょう」と集会宣言をしました。
秋田/建国記念の日を考える
憲法改悪反対秋田県センターと県歴史教育者協議会が十一日、秋田市で「2・11『建国記念の日』を考えるつどい」を開きました。市民ら約四十人が参加しました。
茶谷十六・民族芸術研究所研究員、県歴教協副会長が「東アジアの中の日本を考える―真の国際連帯とは何か―」と題して講演しました。
茶谷氏は、太田町(現大仙市)の町史編さんで、戦没者がアジア太平洋戦争の末期に急増しかつ死亡日二月十一日が圧倒的に多いことをあとづけ「(戦前の教育は)紀元節≠ノ突撃する人間をつくり出したのだ」と指摘しました。
参加者からは、「一九四〇年の『紀元二六〇〇年』が境目の時期。儀式式典を通して『日の丸・君が代』が徹底され全部戦争につながっていった」などの発言が続きました。
福島/国際貢献と9条考える
靖国神社国家管理反対福島県連絡会議(代表・真木實彦福島大学名誉教授)は十一日、「思想・信条の自由を守り軍事大国化に反対する2・11福島県集会」を福島市で開きました。東京外国語大学の伊勢崎賢治教授が、「九条と国際貢献」と題し講演し、八十人余が熱心に聞き入りました。
伊勢崎氏は、アフガニスタンで国連の代表として、「北部同盟」の武装解除を完了したことなどについて話しました。
伊勢崎氏は、「アフガニスタンでは日本人が尊敬されている」理由として、「アメリカが信用されていない中で、日本がテロ特措法で軍事的貢献をしていることをアフガンの人は知らない」として、「また給油に自衛隊が出動する、あるいは民主党案のようにISAF(国際治安支援部隊)に参加し、NATO(北大西洋条約機構)の指揮下に入るようなことをすれば、日本への尊敬もなくなる」と強調しました。
「テレビに出演した伊勢崎氏の話を聞いてみたい」と二人で参加した福島市内の男子学生(23)と女性の会社員(23)は、「平和のために自分や日本が何ができるのか考えさせられた。非軍事でもできることもあることがわかった」と感想を話しました。
(2008年02月13日,「赤旗」) (Page/Top)
【ワシントン=西村央】ラントス下院外交委員長(民主)が十一日、メリーランド州ベセスダの海軍病院で食道がんのため死去しました。八十歳でした。昨年七月末にアジア・太平洋戦争中の日本軍「従軍慰安婦」問題で、日本政府に明確な謝罪を求める下院決議の採択を主導しました。
日本の一部国会議員が「従軍慰安婦」の強制性を否定する意見広告をワシントン・ポスト紙に掲載したことに対して、「いまだに日本には被害者を非難する人たちもいる」と委員会で批判しました。
ハンガリー出身で、ユダヤ系住民としてナチス・ドイツのホロコースト(大虐殺)を生き延びました。
( 2008年02月13日,「赤旗」) (Page/Top)
過去の問題でない「自縄自縛」状況
昨年、鹿児島の文学館で織田作之助の小説「続・夫婦善哉」の未発表原稿などが多数発見され、話題になりました。番組はこの話題を切り口に、戦前日本の代表的な総合雑誌『改造』にくわえられた言論統制の実態と編集者の苦悩を伝え、見ごたえがありました。
番組は、当時の統制の内容として発売禁止のほかに@伏せ字A切り取りB未発表の三つがあったと指摘します。編集者が内務省の担当者に事前に原稿を見せる「内検閲」もおこなわれました。しかし伏せ字は、読者の興味をかきたてる逆効果をもたらしました。
統制強化の転機になったのは一九二七年、中里介山の小説「夢殿」での蘇我氏による崇峻天皇暗殺を暗示した記述にたいして、切り取り処分がくわえられたことでした。改造社の社員たちは雑誌の該当部分の切除のため、書店に走らされました。経営上の打撃と心理的徒労感は編集者を自主規制強化へ向かわせます。
日中十五年戦争が開始され、一九四〇年に情報局が設立されると、軍部が言論統制を強めます。そのもとで、特に反軍的要素のない市井の生活を描いた織田の風俗小説でさえ、掲載をためらわせる空気がつくりだされていったのです。
作家の澤地久枝氏が「自縄自縛」と呼ぶ状況は、過去の問題ではありません。「慰安婦」番組の改変問題でゆれたETV特集枠でこのテーマを扱ったことに制作者の気骨を感じました。
(土井洋彦 党学術・文化委員会事務局長)
( 2008年02月13日,「赤旗」) (Page/Top)
「赤旗」にしても日本共産党にしても、人間主義という出発点が、本来の成り立ちだと思うんですね。人間本位の暮らし向きを主体にして成り立っている政治集団でしょうから、なんで抵抗がある人がいるのかなと思いますね。
やっぱり保守勢力から嫌な印象が根強く宣伝されたからでしょうか。しかし、戦前は共産党を非合法にする裏側で戦争に突っ込んでいった。そういうことがいえると思います。
見えない圧力
僕たちの若いときはそんな時代でした。旧制中学に入ったら制服がカーキ色になって、ゲートルを巻いて登校することが規則になりました。最初はバラバラだった登校が、だんだん整然と乱れなく、歩調をとって歩くようになるわけです。
僕はその体質が嫌で、中学に行くのが苦痛でした。四、五年の生徒はストライキをやっていました。見えない大きな圧力を感じて反抗したんじゃないかと思います。その辺からサーベルをさした配属将校が軍事教練をするようになったんです。たばこを吸って停学になった時は、将校の家で毎日「教育勅語」を書かされました。従順になれなかった僕は中学を二年で退学し、十六歳で伊豆の田舎を飛び出したんです。
僕みたいなのを不忠の民というんでしょうね。徴兵忌避で捕まって静岡の三十四連隊に入りました。中国に出征しても、なぜ自分が前線にいるのか理由づけられない。中学の同級だった軍医の助言で仮病を使い、陸軍病院に入院しました。それで命が助かったわけです。一緒に原隊を出発した仲間はその後にガダルカナルに渡り、ほとんど帰ってきませんでした。
二年半、中国にいて終戦を迎えたんですが、戦争が終わったと思ったら体中がカッカッしてきましてね、これで生まれ故郷に帰れると思いました。韓国から連れてこられた「慰安婦」の人たちも、どよめいていました。従軍「慰安婦」はいなかったという人もいますが、実体を見たのは僕の錯覚だったのかなと現実に確信が持てませんね。今となっては何が真実か見えなくされてるような気がしますね。
僕たちの仲間は何十万という犠牲者を出しました。映画「北辰斜にさすところ」ではその思いをせりふとして入れてもらいました。海の向こうには帰ってこれない者がいっぱいいるんだと。生き残ったわれわれはその犠牲に報いることができているのか、不特定多数の犠牲者に訴えられる唯一の場だと思ったんですね。
孫と軍靴の音
僕は音には敏感でしてね。何か最近の情勢を見ていますと軍靴の音が高く迫ってくるような気がしてならんのです。国会中継でも自己権益だけが先行しているために詭弁(きべん)をろうしているように思えてなりません。政治家は国民一人ひとりの生命を預かっているわけですから、発言の一句一句には重い責任があると思うのです。
近ごろは眠れないときにたまに孫の写真を見たりしますね。小学校の五年生なんですが、この子の顔に軍靴の音が重なることがたびたびあります。何とかこの子たちには、同じ思いをさせたくないと思っています。
平和をゆるがせにする権利は誰にもあるわけはないのです。今は戦前のように思想の制限はないでしょ。たくさんの犠牲を払って自由を獲得したわけですから、「赤旗」はその遺志を継いで、不特定多数を納得させる難しくない言葉でおおいに本当の報道を伝えて、平和の権利を守る手助けを続けていただきたいと思います。
聞き手 板倉三枝
写 真 佐藤光信
みくに・れんたろう 1923年群馬県生まれ。51年に映画「善魔」でデビュー。映画出演は180本を超える。「異母兄弟」「飢餓海峡」「にっぽん泥棒物語」「戦争と人間」「神々の深き欲望」「息子」「釣りバカ日誌」など。原作・脚本・監督作として「親鸞 白い道」がある。
( 2008年02月10日,「赤旗」) (Page/Top)
「だまされない」「屈服しない」/主権者の誇り持って
明治維新後の日本の国家は、第一に「歴史の偽造」による「だまし」、第二に「日中戦争」と認めず「支那事変」といったり、「大東亜を解放する戦争」と呼んだりする「ごまかし」、第三には治安維持法などで戦争に反対する人を弾圧する「おどし」、第四に教育などによってマインドコントロールする「ならし」という「四つのし」をくみあわせた政策によって次第に民衆を「死」においやっていきます。
そして天皇制国家への忠誠心を強要し、「天皇のためには命を投げ出す臣民」をつくりあげました。
天皇即位日も天皇陵も偽造
「紀元節」はそうした政策の典型的な事例でした。明治政府は神武天皇即位日を紀元と定めました。神武天皇が即位した時期とされる時代は、縄文時代末期であり、天皇のような権力者は存在していません。したがってそれは全くの「歴史の偽造」でした。しかし、それを「真実」と見せるために神武天皇陵(現、橿原市)も偽造されたのです(「だまし」「ごまかし」)。また、二月十一日を紀元節とし、祝日とし儀式を「強制」する一方、民衆が大切にしていた行事である五節句(春の七草・ひな祭り・端午の節句・七夕・重陽)をやめるよう命じたのです(「おどし」)。さらに教育面では明治末期からは、日本という国が神武天皇からはじまることを「正当な歴史」として国定教科書で教えられることになりました(「ならし」)。こうした結果が天皇の神格化を特徴とする軍国主義や超国家主義を生み出し、アジアへの侵略戦争を起こしていく原因となったことは明らかです。
したがって戦後改革の過程で「国民の祝日」が制定されたとき、紀元節が廃止されたのは当然のことでした。ところが政権与党は、一九五一年から「紀元節復活」の動きをおこしました。それは、国民の批判の前になかなか通りませんでしたが、六六年に「建国記念の日」をおくことを無理やり決定し、政令で戦前の「紀元節」と同じ二月十一日と定めて六七年から「祝日」としたのです。そして一時は政府主催の行事として式典を行っていた時期もありましたが、国民の批判も多く、二〇〇五年からは政府主催行事は中止されました。
「強制」許さず憲法をいかす
しかし、東京都杉並区など一部で使用されている現行の中学歴史教科書に「神武東征」や「神武天皇即位」が歴史叙述の流れの中で記述されていることは軽視することが出来ません。また各地の教育委員会が学校式典で「国旗掲揚」「国歌斉唱」を職務命令や懲戒処分という手段をとって「強制」する動きも出ています。さらに教育の憲法として存在していた教育基本法が変えられ、「愛国心」を「強制」する方向がだされています。それはアメリカと共に戦争する動きと軌を一にしているものでもあります。
私たちは「建国記念の日」にあたって、国家の政策に「だまされない」「ごまかされない」「屈服しない」「事実をみきわめる」という立場から、主権者としての誇りを持って、国家による「歴史の偽造」とその「強制」を認めず、日本国憲法を真に活(い)かす行動をすることが求められていると思います。
(わたなべ・けんじ 明治大学非常勤講師)
◇
東京 午後1時半、中央区・日本橋公会堂4階ホール、講演=林博史・関東学院大学教授「沖縄戦への教科書検定が問いかけるもの―沖縄戦・『慰安婦』そして日本の戦争責任」、小沢隆一・東京慈恵会医科大学教授「憲法9条 過去・現在・未来」
( 2008年02月07日,「赤旗」) (Page/Top)
二月十一日の「建国記念の日」に反対する各地の集会を紹介します(日付のないものは11日)。
◇
北海道 午前10時、札幌市・共済ホール、講演=斎藤貴男氏(ジャーナリスト)「改憲潮流は人々に何をもたらすか」、特別報告=石田明義弁護士「砂川政教分離訴訟について」 午後1時半、札幌北光教会、講演=深谷松男・宮城学院学院長「信仰良心の自由と平和への意志―新教育基本法の問題性と憲法の将来」 〔旭川〕午後6時半、日本基督教団旭川六条教会、講演=荒川巌氏 〔苫小牧〕午後1時半、苫小牧市民会館、パネルディスカッション「真の自由と民主主義を求めて」 〔帯広〕午前9時半、とかちプラザ2階視聴覚室、講演=宮田汎・北海道高等学校教職員センター付属教育研究所相談所長「朔北の青春にかけた人びと―北海道初の治安維持法弾圧に学ぶ」
青森 午後1時、青森市・県民福祉プラザ4階大研修室、講演=大日方純夫・早稲田大学教授「過去を未来にどう架橋するか―戦争認識から問う日本のゆくえ」 〔弘前〕午後1時半、弘前参画センター、講演=岩田雅一・八戸北伝道所牧師「基本的人権と核燃問題―六ケ所村の現地の声から」
秋田 午後1時半、秋田市・県生涯学習センター分館ジョイナス、講演=茶谷十六・秋田県歴教協副会長「東アジアの中の日本を考える―真の国際貢献とは何か」 〔能代〕午後1時半、能代市中央公民館、学習「『真の戦後レジームからの脱却』とは―東京大学高橋哲哉教授から学ぶ」
岩手 午前10時、盛岡市・県水産会館、講演=吉原泰助・元福島大学学長「歴史の叡智から生まれた日本国憲法―改憲派=靖国派改正論の虚妄と倒錯」
宮城 午後1時半、仙台市民会館小ホール、講演=高嶋伸欣・琉球大学教授「歴史歪曲を阻む主権者ここにあり!―世代を超えて引き継ぐ日本の民主主義」
山形 午後2時、山形市・山交ビル7階大ホール、講演=伊藤真弁護士「今こそ、『憲法の力』をつけよう―今を生きる私たちの責任」
福島 午後1時半、福島市市民会館第2ホール、講演=伊勢崎賢治・東京外国語大学教授「9条と国際貢献」 〔郡山〕午後1時半、男女共生センター、講演=杉本友明・ふくしま民研センター事務局員「教育はどう変わるのか? 教育基本法改悪後の現状と教育のゆくえ」
東京 午後1時半、中央区・日本橋公会堂4階ホール、講演=林博史・関東学院大学教授「沖縄戦への教科書検定が問いかけるもの―沖縄戦・『慰安婦』」そして日本の戦争責任」、小沢隆一・東京慈恵会医科大学教授「憲法9条 過去・現在・未来」
神奈川 午後1時、横浜情報文化センターホール、講演=品川正治・経済同友会終身幹事「貧困と戦争」
埼玉 午後1時、埼玉教育会館2階、講演=水島朝穂・早稲田大学教授「憲法9条と『自由』―『2・11』を考える」
千葉 〔茂原〕10日午後1時半、茂原総合市民センター、講演=俵義文・子どもと教科書全国ネット21事務局長「教科書問題と憲法」 〔松戸〕午前10時、松戸市勤労会館3階ホール、講演=川喜田敦子・東京大学准教授「ドイツの『過去の克服』に学ぶ日本の歴史認識と戦争責任」 〔香取〕9日午後2時、香取市佐原中央公民館第3研修室、講演=佐久間美弥子・千葉県高教組委員長「平和憲法を守るために―教科書検定意見撤回を求める沖縄の声と連帯して」 〔木更津〕午後2時、木更津市民会館第4会議室、講演・川上詩朗弁護士「平頂山事件訴訟が問いかけるもの―アジアから見た憲法9条」 〔船橋〕10日午後2時、船橋市薬円台公民館、講師=宮原武夫・元千葉大学教授「『沖縄戦・集団自決』教科書検定をめぐって」
群馬 午後1時半、前橋プラザ元気21内5階学習室。講演=荒川雅夫牧師「宗教者と日本国憲法」
山梨 午後2時、甲府市・県男女共同参画推進センター、講演=吉田裕・一橋大学教授「ヤスクニ・天皇制問題と日本人の歴史認識」
静岡 午後1時半、静岡市産業会館3階、講演「きょうは何の日―『祝日』から考える天皇制とファシズム」 〔浜松〕午前9時半、浜松市地域情報センター、講演=塩入隆・元長野県立短期大学長「平和の砦(とりで)を一つ一つ守る―九条を守り、平和を守り抜く」
愛知 午後2時、名古屋公会堂4階ホール、講演=辻井喬・セゾン文化財団理事長「今日の日本の問題点と憲法―白洲次郎を回顧しながら」
岐阜 9日午後2時、岐阜市北部コミュニティセンター大研修室、講演=小牧薫氏(大江・岩波沖縄裁判支援連絡会事務局長)「靖国派の動きと沖縄集団自決裁判」
石川 午後1時半、金沢市・県生涯学習センター2階22号室、講演=河崎俊栄・本延寺住職「宗教者として憲法とどう向き合っているか」
富山 午前10時、富山市・サンシップ603・604号室 報告=松浦晴芳氏「歴史を直視し、平和の共同体を―南京事件70周年と平和友好の旅から」
福井 午後2時、福井市・県教育センター4階ホール、講演「『テロ特措法』と『恒久法』の何が問題なのか」
大阪 午後1時半、大阪市・たかつガーデン8階、講演=山口剛史・琉球大学准教授「歴史の真実を次代へ―沖縄から 21世紀の子どもたちに何を教え、伝えるのか」
兵庫 午後1時半、兵庫県民会館10階、講演=豊下楢彦・関西学院大学教授「『テロとのたたかい』と大連立の行方」
京都 午後1時半、京大会館、講演=渡辺治・一橋大学教授「日本社会はどこへ向かっていくのか―新自由主義/新保守主義のゆくえ」
奈良 8日午後6時半、奈良県教育会館4階大会議室、講演=笠原十九司・都留文科大学教授「世界の中の南京事件」
和歌山 午後1時半、和歌山市勤労者総合センター6階、講演=芳沢章子・基地のない平和で豊かな沖縄をめざす会事務局長「沖縄―人魚の海からの伝言」
岡山 午後1時半、岡山大学文法経済学部第10番講義棟、講演=栗原桂子氏(ジャーナリスト)「狙われた沖縄戦―大江・岩波沖縄戦裁判と教科書検定」
広島 午後1時半、広島ロードビル・ホール、講演=西島有厚・福岡大学名誉教授「原爆投下62年終戦論の真実―アメリカの原爆投下とソ連参戦」
山口 午後1時、山口市・県社会福祉会館4階大ホール、講演=永田秀樹・関西学院大学教授「還暦を迎えた日本国憲法―憲法の存在意義から改憲問題を考える」 〔下松〕午後2時、下松市中央公民館、講演―東條正年氏(日本脚本家連盟会員)「シナリオを通して見えてくる世界」 〔周南〕午前10時、周南市保健センター3階、「不屈の沖縄、岩国の闘い」(上映と日本平和大会・沖縄の報告)など
鳥取 午後1時半、鳥取市・県民文化会館第2会議室、講演=荒川庸生氏(僧侶)「ビラ配布がなぜ罪となるのでしょうか―葛飾ビラ配布弾圧事件について」、伊藤昭二・治安維持法国賠同盟鳥取県本部会長「言論と表現の自由を守る戦前の鳥取県での運動」 〔米子〕午後1時半、ふれあいの里1階大会議室、講演=高橋敬幸弁護士「建国記念の日に憲法、平和、信教の自由を考える」
島根 午前10時、松江市・県民会館303会議室 報告=西山昭子・新日本婦人の会島根県本部元会長「わたしの戦争体験と日本国憲法―『あたらしい憲法のはなし』に込められた戦後の初心とは」、植松健一・島根大学准教授「憲法研究者が読む『あたらしい憲法の話』」
徳島 午前10時、徳島市文化センター3階2号室、基調報告=中内輝彦氏、報告=井内哲也氏「9・29沖縄県民大会に参加して」
高知 午前10時、県民文化ホール、講演=謝花直美・沖縄タイムス編集委員「『集団自決』問題―沖縄の声」
佐賀 午前10時、佐賀市・メートプラザ2階、講演=長野暹・佐賀大学名誉教授「激動する世界と日本の経済―サブプライム・ローン問題から見えてくるもの」
長崎 午後1時、長崎市・教育文化会館、講演=李博盛弁護士「教育基本法『改正』から何が始まるか」
熊本 午後1時半、熊本市民会館大会議室、講演=山室信一・京都大学教授「明日への記憶―憲法9条の思想水脈と熊本」、合唱構成「いま、選びなおしの時!」(合唱団しらぬい)
宮崎 午前10時、宮崎中央公民館3階大会議室、講演=伊藤千尋・朝日新聞記者「世界から見た平和憲法」
沖縄 午後2時、那覇市・教育福祉会館2階中ホール、シンポジウム「『沖縄戦』を語ること 伝えること―史実歪曲を問う」(パネリスト=大城将保氏、中山きく氏、上江洲由直氏、津多則光氏、コーディネーター=平良宗潤氏)
( 2008年02月06日,「赤旗」) (Page/Top)
就任一年をむかえた東国原県政をどうみたらいいのか。昨年のいっせい地方選で議席を回復した日本共産党の前屋敷えみ県議に聞きました。
(聞きて=宮崎・大西由美子)
高支持率だが
―新聞の世論調査などでは現在でも、県民からの高い支持率を得ていますが…。
前屋敷 前知事による官製談合事件に対して起こった「もうこんな県政はいやだ」「なんとかしてほしい」といった県民の声と、東国原氏が「どげんかせんといかん」と訴えたフレーズとがピッタリ合って当選しました。一方では「タレントに知事が務まるのか」と不安の声もありました。しかし、トップセールスで「宮崎」の名を全国へ広め、就任直後に起こった鳥インフルエンザや台風災害への対応でも「初めてにしては、よくがんばったのではないか」ということで県民から評価をされていると思います。
テレビで見ない日はない≠ニいっていいほどメディアへの出演が多いことにたいして、県民からしっかり腰を落ち着けて、県政にあたってほしいという声も少なからずあります。そういった批判は真摯(しんし)に受け止め、県民の思いにこたえないといけないと思います。
訓練移転では
―知事が、米軍再編による新田原基地への訓練移転問題で、傍観者的な立場をとったことについて。
前屋敷 協定書をかわしたさい、立会人になった知事の責任は大きいんです。しかし、アメリカに都合よく解釈され運用されようとしている協定書自体が問題なのに、知事は国家間の取り決めだから口出しできないという立場をとっています。政府の対応は適切である、とまるでひとごとです。米軍訓練が移転されて一番被害をこうむるのは地元住民、つまり宮崎県民なのに、自分たちの問題と受け止めないのは知事として果たす役割が何なのか、その責任を分かっていないと思います。
「徴兵制あってしかるべき」(二〇〇七年十一月)や「従軍慰安婦の存在に確証はない」(〇七年三月)といった発言、靖国神社への参拝(〇七年八月)など、東国原氏のタカ派的政治信条がかいまみえてきた一年といえます。
―その点では今年一月に入ってから、東国原知事が、自民党の賀詞交換会に出席して自公の与党への支持を表明しましたね。
前屋敷 パフォーマンスに惑わされて問題点が見えなくなるのは怖いことです。まだ知事は一年だけなので、総合評価はできないのが実態です。しかし、これからの県政に県民が期待しているのは確かです。単に自分の政策を実現するためには政権与党の中でいいんだというようなことでは、県民を苦しめる政治を評価することになってしまいます。
自公政権の悪政から県民のくらし、経済を守る、「防波堤」の役割をどう果たせるのか、しっかり見ていきたいですね。
(2008年02月01日,「赤旗」) (Page/Top)
佐賀県嬉野市で十九日、「日本と韓国の心と歴史を考える集い」(同実行委主催)が開かれました。
講師の藤井正昭さん(朝鮮近現代史研究家)は第二次世界大戦における日本軍性奴隷制(「従軍慰安婦」)問題について語りました。
藤井さんは、昨年九月に嬉野市議会が「強制された『従軍慰安婦』の証拠がなく、性奴隷ではない」などとする意見書を多数で可決したことを批判。これまで韓国を四十数回訪れて性奴隷で被害を受けた女性たちと会った体験などを紹介し、「日本軍による性奴隷は当時の日本政府が政策として組織的に行い強制した」と、「慰安婦」制度の存在を指摘しました。
一九九〇年代に入り、韓国の民主化にともない口を固く閉じた被害女性が日本政府に謝罪と賠償を求める声をあげてきたことを紹介。「被害女性は高齢者で一日も早く日本の責任を認めさせないといけない。そのためには歴史の真実を知ることが大切」としました。
参加者から「『従軍慰安婦』問題で謝罪した河野談話の一方、安倍前首相のように、平気で『強制がなかった』という日本はアジア諸国の人たちに、おかしな国と映っていると思う」との感想が語られました。
(2008年01月22日,「赤旗」) (Page/Top)
日本共産党の紙智子参院議員は十七日、国会内で、中国海南島「慰安婦」訴訟原告の黄有良さん(80)と懇談しました。笠井亮衆院議員と仁比聡平参院議員の各秘書も同席しました。
戦時中に日本軍の性奴隷とされた中国人女性八人が日本政府に損害賠償と謝罪を求め、東京高裁控訴審で現在、係争中です(うち二人死亡、遺族が承継)。十五日に法廷で証言をした黄さんは、十四歳で日本兵から性暴力を受け、約一年三カ月の間に二カ所の兵営で監禁され、数え切れないほどの兵士に性行為を強要されました。
黄さんは、「公正な判決を下してほしい。国会議員の力をお借りしたい。日本政府に謝罪してもらい、名誉回復と賠償をしてほしい。法廷で事実を述べたので、身の潔白を証明してほしい」と語りました。
紙さんは、「本当に大変な思いをされ、非常に胸の痛くなる体験をされたと思います。立ち上がって、裁判をたたかっておられることに敬意を申し上げたい」と述べました。その上で「かつての日本軍の許されない犯罪行為を明らかにして謝罪し、補償していくのは国として当然の姿です。国の責任があいまいであることに怒りを覚えます。国会でも議論し、野党で法案も出しているので、ひきつづき取り上げて成立できるよう努力したい」と表明しました。
黄さんは、「あたたかい言葉に感謝します。最後まで支えてほしい」と述べ、紙さんと抱き合いました。
( 2008年01月18日,「赤旗」) (Page/Top)
戦時中、旧日本軍の性奴隷とされた中国人女性八人(うち二人死亡、遺族が継承)が、日本政府に損害賠償と謝罪を求めている中国海南島「慰安婦」訴訟控訴審の第四回口頭弁論が十五日、東京高裁(浜野惺裁判長)で開かれました。原告一人が来日し、本人尋問が行われました。
原告の黄有良さん(80)は、十四歳のときに日本兵から性暴力を受けました。その後、約一年三カ月の間に二カ所の兵営で監禁され、一日に数え切れないほどの兵士に性行為を強要されました。
原告側弁護団に一番つらかった体験を聞かれると、ある日本兵に強要された性暴力について証言。「目まいで倒れそうになると殴られ、また同じ姿勢にさせられて集団暴行された。何時間続いたか覚えていない」と語りました。
黄さんは六十数年前の記憶がいまだに鮮明で、監禁された部屋のベッドの位置や窓の大きさを紙に示したりしました。いまも当時の光景がふと頭に浮かんだり、悪夢に襲われて飛び起きることがあるといいます。
「被害直後にも同じような症状があったか」と浜野裁判長が問うと、黄さんは「精神的に受けたものは六十数年前と現在を比較しても全く同じだ」と答えました。
原告側弁護団は被害がPTSD(心的外傷後ストレス障害)やそれを上回る後遺障害として、現在も続いていると主張しています。
黄さんは、裁判長に「(政府は)真摯(しんし)な謝罪と賠償をしてほしい。(私の)身の潔白を証明してほしい」とのべ、事実を直視するよう訴えました。
( 2008年01月17日,「赤旗」) (Page/Top)
「いまさら? いまなお? いま、ここから。日本軍『慰安婦』問題ユースフォーラム2008」が十四日、東京都内で開かれ、若者を中心に約六十人が参加しました。
韓国にある日本軍「慰安婦」歴史館で研究員をしている村山一兵さん(27)が講演。昨年、アメリカ、カナダ、オランダ、EUで、日本政府に対し公式謝罪を求める決議が可決されたことに触れ「世界から日本が問われているなかで、私たちはこの問題を考えている」と指摘しました。
司会者が「なぜ『慰安婦』問題が周りに話しにくいのか」と提起。パネリストの青年からも自分の活動について家族や友人に話しにくいという意見が多く出されました。
村山さんは性的問題とだけで考えられたり、重い、つらいと受け止められてしまう傾向があると指摘。「実際は人間が人間の人生を奪った問題であり、本当は身近な問題だ」と話しました。
高知県の「平和資料館・草の家」事務局長の日渡(ひわたし)あゆみさん(23)は「私たちには知識がない、でも気持ちはある。社会を見つめ、自分たちの方向を決めるとき、運動を積み重ねてきたおとなから学ぶことは多い」と語りました。今後の運動について、中国・海南島の「慰安婦」訴訟を支援する「ハイナンNET」の梁英聖さん(25)は「関心はあるけど、きっかけがつかめない学生は多い。わかりやすい言葉で伝えていかなければいけない」とのべました。
( 2008年01月15日,「赤旗」) (Page/Top)
アジア・太平洋戦争中の日本軍「慰安婦」問題で日本政府に歴史的責任を認め公式な謝罪を行うよう求めた米下院決議が昨年七月末に採択されましたが、同決議の提出者マイク・ホンダ米下院議員(民主党)が八日、参院を表敬訪問し、江田五月議長らとなごやかに懇談しました。
懇談には、日本共産党の紙智子、仁比聡平両議員、民主党の神本美恵子、水岡俊一両議員が同席しました。
紙、仁比両氏は、それぞれ自己紹介。仁比氏が「米下院で決議を上げたことに敬意を表します」と述べると、ホンダ氏は「困難な課題だが、みなさんとセイム・ハート(同じ気持ち)だ」と語りました。
ホンダ氏らが米下院に提出した決議に対しては、自民党や民主党の「靖国」派国会議員が米紙に「故意のわい曲」とする意見広告を出して攻撃するなど、あの手この手の妨害工作に出ました。しかし、決議は米下院で全会一致で採択されました。
米下院決議が採択されて以降、十一月にオランダ、カナダ両国下院で、十二月にはEU(欧州連合)の欧州議会で同様の決議が採択されています。
( 2008年01月09日,「赤旗」) (Page/Top)
【ワシントン=時事】米下院外交委員会のトム・ラントス委員長(79)=民主、カリフォルニア州選出=は二日、食道がんにかかっていることを明らかにし、闘病のため、二○○九年一月の任期満了とともに引退すると表明しました。ラントス氏は、旧日本軍従軍慰安婦問題をめぐる昨年七月の対日謝罪要求決議採択に当たり、主導的な役割を果たしました。
( 2008年01月04日,「赤旗」) (Page/Top)