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12月
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権力批判の無力化 民主主義の危機 京都 「学者の会」シンポで痛烈批判
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「女性・戦争・人権」学会大会in京都ジェンダー・バッシングと歴史修正主義に抗して 朝岡晶子
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11月
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伊勢市展 「慰安婦像」作品の展示不許可知る権利、誰も侵せない 作者・花井利彦さんに聞く
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シリーズ激動の世界どうみる 日本共産党綱領一部改定案から 人権の多面的発展のなかで ジェンダー平等が国際的な流れに
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きょうの潮流
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2019焦点・論点 憲法公布73年 9条改憲・表現の自由の危機とたたかう 東海大学教授(憲法学) 永山茂樹さん
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新婦人全国大会 小池書記局長があいさつ未来ひらく大きな希望
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10月
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2019焦点・論点表現の自由日本の現状への危機感 ドイツのボン大学教授(日本史研究)ラインハルト・ツェルナーさん
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「慰安婦」問題描く「主戦場」上映中止に抗議しんゆり映画祭 監督・製作会社が声明
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JCPWithYouフラワーデモから刑法改正へトーク&交流イベント作家フラワーデモ呼びかけ人北原みのりさん
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ひと「慰安婦」被害者描くドキュメンタリー映画の監督李承賢(30)
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「沈黙」、妨害はねのけ満員上映 相模原製作者「『慰安婦』問題触れてほしい」
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「大東亜戦争」擁護と解釈できる歴史隠し韓国大手2紙が批判
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「慰安婦」問題 解明して 被害者が訴え 川崎で映画上映会
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9月
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「慰安婦」の過酷な一生 漫画『草』の日本語版進む 戦時下の性暴力 世界が注目
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「慰安婦」・強制徴用問題―歴史修正主義を最優先した安倍政権 韓国・京郷新聞が志位委員長インタビュー
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「慰安婦」合意 日本政府 韓国に「性奴隷」不使用要求許されぬ歴史偽造
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ナヌムの家を訪ねて 「慰安婦」被害者 李玉善さん 強制的に連れて行かれた
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脅しに屈しません 東京で学生ゼミナール 「不自由展」再開へ署名
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8月
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「表現の不自由」考える 「少女像」日韓の懸け橋に 制作の彫刻家キム・ソギョンさん キム・ウンソンさん語る
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植民地支配への真摯な反省を土台にしてこそ解決の道は開かれる――日韓関係の深刻な悪化について 志位委員長が表明
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「慰安婦」メモリアルデー 独ベルリン すべての戦時性暴力根絶を
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終戦74年 植民地支配の歴史に向き合うとき 明治大学教授(日本近現代史)山田朗さん
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終戦74年 植民地支配の歴史に向き合うとき 一橋大学准教授(朝鮮近現代史)加藤圭木さん
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韓国・「慰安婦」解決へ集会「勇気をありがとう」 多くの若者が参加
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「慰安婦」被害女性の尊厳回復へ「諦めない、黙らない」 市民ら東京で集会・デモ
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あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」自由奪う社会 白日にさらす アライ=ヒロユキ
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2019焦点・論点 「表現の不自由展」中止 どう考える 同志社大学教授 岡野八代さん
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「表現の不自由」考える 劇作家協会・出版者協議会など各界から抗議声明
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「表現の不自由展」中止に 愛知・国際芸術祭 脅迫・圧力発言受け
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7月
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「慰安婦」問題 歴史修正主義許さないフェミ科研費裁判 支援集会
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若者BOX 忘れていい歴史ない東京 20代が「慰安婦」問題語る
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性暴力許さない 全国でフラワーデモ差別ない社会へ 選挙で国動かす 大阪
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「慰安婦」問題 開かれた議論ぜひ映画「主戦場」監督が会見
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日韓国際フォーラムでの発言新日本婦人の会会長 笠井貴美代さん
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5月
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5・3憲法集会の発言ジャーナリスト・武蔵大学教授 永田浩三さん
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4月
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3月
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2月
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1月
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自民の杉田議員を提訴 ジェンダー研究者 「雑誌などで誹謗」
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きょうの潮流 日本軍「慰安婦」被害者、金福童(キム・ボクトン)
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きょうの潮流
2019年12月20日
アジア・太平洋戦争開戦から78年。安倍晋三首相は、日本軍「慰安婦」問題で、いまだに謝罪と反省に背を向けています。しかし、侵略した国や地域で軍の管理の下で「慰安所」を開設し、多くの女性の人権を奪い「慰安婦」を強制していた事実は隠すことはできません。マレーシアとシンガポールに、その実態をみました。(山沢猛)
日本軍「慰安所」の跡は、マレーシアの各地にいまも残っています。
西海岸のぺラ州の歴史ある街・イポーで、「慰安所の客や女性にコーヒーや紅茶を運んでいた」という、中国系マレーシア人の梁偉鳳さんが証言しました(2018年当時、89歳)。10代前半に働いていたコーヒーショップ建物の、通りを隔てた向かいに、日本軍「慰安所」跡の4~5棟が並んでいます。
「左端が百花楼でここがいちばん高い特別なところ。あとは彩花楼、萬花楼、聚花楼という慰安所があった」
建物の前に、横書きで「百花楼」とあり、縦書きには、赤い文字で「M」(ミリタリーの意か)、その下に「軍用慰安所」と日本語で書いてありました。
「一つの建物に10人ほど、みな中国系で20~30代で広東語を話していた。マレー系やインド系はいなかった。客は軍服を着た日本人で、マレー人などは入れなかった」といいます。イポーには歩兵第256連隊本部が置かれていました。
「私はコーヒー、紅茶のほか、焼きビーフンなどを出前した。どこも1階は応接室で、2階に4部屋あった。2階の何号室といわれて、ノックして中に注文品を入れた。コーヒーとビーフンは、1バナナドル、チャーハンがだいたい3バナナドルだったと思う」「軍から米が来ていて材料には困らなかった」
バナナドルとは、軍政下で日本軍が正貨に代えて流通させた「軍票」です。敗戦で無価値になり住民は苦境に追い込まれました。
「1週間か10日ごとに、彼女たちの身体検査があった。半袖ブラウスの格好で通りを歩いて病院までいった」。軍の慰安所では「検梅」といわれる性病の定期検査がありました。
英領だったマレー半島は日本軍の占領後、軍政が敷かれ、1943年からシンガポールに置かれたマレー(馬来)軍政監部が半島全体を管轄していました。この軍政監が制定した「慰安施設及旅館営業取締規定」に「稼業婦に対し毎週一回検黴(けんばい)を行うべし」(第21条)という規定があります。梁さんの「1週間か10日ごとに」という証言と符合します。
なぜ日本軍は、占領するとすぐに「慰安所」を設置したのか―。それは第2次上海事件から1937年に南京大虐殺をひきおこす南京城占領にいたるまで、中国各地で住民の虐殺、強姦(ごうかん)が激発し、深刻な反日感情を「激成」させたからでした。マレー半島ではその「教訓」から軍が駐屯する都市などに「慰安所」を設置したのです。しかし、中国系住民への殺りくはつづき、強姦事件はあとを絶ちませんでした。(つづく)
2019年12月22日
占領下のマレーシアでは、主に現地の女性が集められて、各地に慰安所が設けられました。このうち、首都クアラルンプールに近い、ネグリ・センビラン(森美蘭)州を占領していた日本軍が、地元の住民団体に「慰安婦」の提供を強要、大規模な住民殺害(「敵性華僑狩り」)の直後に、「慰安所」を開設していました。
州都セレンバン東方のまち、クアラピラには1942年2月、第5師団(広島)歩兵第11連隊第7中隊の約90人が駐留していました。同中隊の公式記録である「陣中日誌」が87年、林博史関東学院大学教授(日本現代史)によって防衛研修所図書館で発見されました。
その記述によると、42年3月3日から州内各地で「華僑粛清」にあたり、584人を銃剣で刺殺し、280人を憲兵隊に引き渡しています。刺殺された人には抗日ゲリラは含まれておらず、多くがゴム園に住んで働いていた住民と家族でした。
クアラピラ治安維持会の会長代理だった李玉旋さんは当時の体験を、林氏らに証言しました。
―地元の若い女性が日本兵に乱暴される事件が頻発、そこで中隊に女性の保護を申し入れにいった、ところが中隊長は、安全確保のかわりに女性の差し出しを要求した。治安維持会で相談して地元の30歳代の女性数人を集めて軍につれていったところ、仲介者がいきなり殴られた、彼女たちが年を取りすぎていることが理由だった。
李さんは自分が首を切られるかもと心配し、友人と2人で首都に行き、歓楽街で知人の女性に頼んで17歳から24歳までの中国人13人を「招待所」で働くということで集めてもらった。途中、州都セレンバンで娼婦(しょうふ)ではない5人を加えた。
町の端の建物を使った「招待所」と、中隊のそばにあった州のサルタン(統治者)一族の屋敷を利用した「慰安所」の二つに分けて18人を収容したが、すべて中国人だった。招待所が将校や憲兵用、慰安所が一般兵士用だった。彼女たちは外出を禁じられていて、李さんが買い物を頼まれた。「早く帰りたい」と泣きながら訴えられたことが何度かあったという。女性たちには治安維持会が1カ月分ずつ日本の軍票(バナナドル)で支払ったという―。
第7中隊の「陣中日誌」には、「不偵(=不逞)分子」刺殺の記述のすぐあとに、「本日ヨリ慰安所開設セルヲ以テ午後一般ニ休養セシム」と書かれていて、住民虐殺と「慰安所」設置をほぼ同時にすすめたことが裏づけられます。
第7中隊長と小隊長2人は戦後、戦犯裁判にかけられ、住民虐殺の罪で死刑になっています。
林氏は、虐殺の一方で、地元住民に女性の世話を命じていたことは、「被害者を同じ人間として認めていなかったわけで、根が共通している」といいます。
(シンガポール編につづく)
2019年12月23日
シンガポールが日本軍に占領されるのは、1942年2月15日ですが、早くから「慰安所」が開設されたことがわかっています。
改称された「昭南特別市」の幹部だった篠崎護氏は、軍兵站(へいたん)部がさっそく慰安所をつくったと証言。加えて「英国人は植民地を手に入れると、まず道路を整備した。フランス人は教会を建てた。スペイン人は、教会を持ち込んで金銀を持ち出して行った。そして日本人は料亭と女を持ち込んだ」との現地人の言葉を紹介しています。(『シンガポール占領秘録』原書房、1976年)
どのようなやり方で女性が「慰安婦」にされたのでしょうか。
今は観光地の、セントーサ島に駐留した部隊に通訳として配属された、軍属の永瀬隆氏の証言があります。
―1942年11月になってから朝鮮人女性12~13人が送られてきて「慰安所」が開設された。島には近衛連隊の歩兵大隊がいて、その隊長が「朝鮮人の慰安婦がこの部隊に配属になるから、日本語教育をしてくれ」といわれた。なんで通訳がやるのか、と思ったが仕方がないので、女性たちに日本語を3、4回教えた。兵隊でない永瀬氏が「あんたたちはどうしてここに来たんだ」と聞いたら、「実は私たちは、昭南島の陸軍の食堂でウエートレスとして働く約束で、支度金を100円もらって軍用船でここに来たんだけど、着いた途端におまえたちは慰安婦だといわれた」と答えたという。(雑誌『MOKU』1998年12月号の高嶋伸欣氏との対談)
若いインドネシア人が「慰安婦」にされたという証言は複数あります。シンガポール元社会問題担当相オスマン・ウォク氏は「赤旗」特派員に語りました。(92年2月14日付)
―戦争中、港湾局で働いていたが(44年中頃)、インドネシアからたくさんの「ロウムシャ」が船で運ばれてきた、そのなかに白い制服を着た16~20歳ぐらいの少女たちが約30~40人くらい混じっていた。「看護婦になるためにきた」といっていた。しかし、市内の「慰安所」に連れて行かれた。日本が戦争に負けて、カタン・ロードの慰安所から彼女たちが逃げ出してきて「慰安婦として働かされた」と。
同じく、「昭南博物館」にいた英国人E・J・H・コーナー氏は、日本の兵営のそばを通るとき、彼女らがジャワ語で「助けて」と悲鳴をあげるのを、通行人が耳にして胸がしめつけられた、と記しています。(『思い出の昭南博物館』中公新書、1982年)
シンガポールのリー・クアンユー前首相は、92年に来日して講演した際、占領から4週間もたっていない時期に「慰安所」が市内にあり、順番を待つ日本兵の長い列を見たことがあると語っています(「朝日」同年2月13日付夕刊)。
リー氏はシンガポールでの住民虐殺「華人粛清」にふれて、「日本人は我々に対しても征服者として君臨し、英国よりも残忍で常軌を逸し、悪意に満ちていることを示した」と『回想録』で告発しています。(おわり)
2019年12月20日
内閣府は17日、日本共産党の紙智子参院議員の質問主意書への答弁書で、日本軍「慰安婦」問題に関して、慰安婦問題への日本軍関与を示す資料などを、内閣府が2017年と18年に新たに入手したことが明らかになりました。
資料は外務省と国立国会図書館から内閣官房に提出されたもの。内閣府に保存されている行政文書ファイル名称は「いわゆる従軍慰安婦に関する調査14」(17年度分)と「いわゆる従軍慰安婦に関する調査15」(18年度分)です。
資料のうち、1938年6月8日付の有野学済南総領事から宇垣一成外相への回答「支那渡航婦女の取り締りに関する件」には、「済南において兵数の増加と、将来皇軍の前進する場合を見越して、4月末までにはすくなくとも、当地に500の特殊婦女を集中して置き、徐州攻略後に多数を進出せしめたい希望あり」等と記されています。特殊婦女とは「慰安婦」をさし、日本軍の進軍に合わせて政府が「慰安婦」を配置していたことをうかがわせます。
2019年12月17日
あいちトリエンナーレの中での「表現の不自由展・その後」に大量の「抗議」「脅迫」が寄せられいったん中止に追いこまれ、補助金が不交付になったことには、「平和の少女像」への批判があった。
「主戦場」の上映が川崎市のしんゆり映画祭で一時中止されたのも、日本軍「慰安婦」をめぐる論議が問題にされた。韓国を、輸出管理の手続きを簡略化する優遇措置の対象国からはずす要因も徴用工の請求権をめぐる対立であり、今年は日本の朝鮮半島に対する植民地支配をどうとらえるかが改めて問われた年だった。
安倍政権が嫌韓をあおる政策を採るなか、それをフェイクによって補強する論がある。 百田尚樹『偽善者たちへ』(新潮新書)は「日本人は朝鮮人を奴隷労働させていません。日本人と同じ給料、同じ労働、同じ宿舎でした。つまり、すべて同じ条件で働いていた」と書くが、これは最近横行しているデマだ。
岩佐和幸高知大学教授が京都大学で書いた論文には、大阪の工業における民族別・性別賃金で男子は日本人労働者に対して52・5%、女子は82・6%になっている。女子の比率が高いのは日本人の女子が男子に比べて4割以下の低賃金だったからである。植民地支配についての正確な認識を広げたい。(筑)
2019年12月12日
【ソウル=栗原千鶴】韓国のソウル中心部で11日、「慰安婦」問題の解決に向けた水曜集会が開かれ、参加者は日本政府に対し、被害者の名誉回復と心からの謝罪を求めました。集会では声明を発表し、「日本軍性奴隷制問題が反人権的な犯罪だという事実は国際社会が認定している歴史的な真実だ」と指摘。「日本の安倍政権は、真実を隠蔽(いんぺい)し、歴史的事実を歪曲(わいきょく)している」と訴えました。
また参加者は、国会の文喜相(ムン・ヒサン)議長が元徴用工に対し、日韓の企業や両国国民の寄付金などで解決を図る法案を提示していることについて、「日本政府に免罪符を与えるこの案は白紙にしなければならない」と声を上げました。
同集会を主催した「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」のハン・ギョンヒ事務総長は、同案は「結果的に、日本の犯罪を問わないということだ。日本政府の正式な謝罪が必要だ」と語りました。
1992年1月から毎週水曜日に開いている同集会は、この日、1417回目を迎えました。
2019年12月10日
「安全保障関連法に反対する学者の会」は8日、京都市の同志社大学でシンポジウムを開き、「脱政治化」をテーマに議論しました。参加者は450人。「授業でも埋まらない」(主催者)という広い教室は立ち見が出るほどの大盛況でした。「同志社平和の会」との共催。
元日本学術会議会長の広渡清吾東京大学名誉教授が開会あいさつ。安倍政権がメディアや教育、芸能界を使って権力批判を無力化させる「脱政治化」の状態を「民主主義の危機」と捉えて、「究極の姿が『桜を見る会』だ。参加者は飲んで食べて、誰も権力を批判しない」と告発。自立した市民が議論し、その民意によって政府をコントロールできるようにすることを訴えました。
司会の中野晃一上智大学教授が「学者の会でも口の悪い人ばかり集めた」と笑いを誘い、「舌鋒(ぜっぽう)鋭い」パネリストを紹介しました。
トップバッターは内田樹(たつる)神戸女学院大学名誉教授。今の政府を「時間意識がなく、未来への同一性がない」と特徴付けます。「要は未来のことを考えてない。今の利益しか見ず、いつか大変なことになるという想像力がない。公文書破棄のように、今を逃げ切ることしか考えてない政治家、官僚、司法という統治機構に対し、国民の信頼が崩れている」と批判。日本が人口減少という歴史的な事態に何も対策を考えていないと危機感を語り、「悲観的な現実を直視し、何をなすべきか国民的な議論が必要」と力を込めました。
「時間認識の同一性」という問題意識を受けて過去をどう考えるか、岡野八代同志社大学教授は、日本軍の性奴隷=「従軍慰安婦」について発言。韓国だけではなく侵略先のアジア全域の問題だと指摘し、「安倍政権は過去の侵略や植民地政策の歴史をみない」と批判しました。佐藤学学習院大学特任教授は「未来を見ず過去に戻ろうとするのが安倍政権。過去を直視せず、美化している」と指摘。浜矩(のり)子同志社大学教授は「21世紀版の大東亜共栄圏をつくりたいのだ」とずばり。
岡野氏は「異なる人々が集まり議論する場が政治。多様な人々に自分を解釈されることで、新しい自分に出会う。つまり自由を経験すること」と言います。「未来は過去の再現」として、多様な経験を持つ他者と交流すること、その厚みを持った過去(経験)が未来を豊かにすると述べ、元「慰安婦」の女性たちとの交流を通じて自ら新しい自分と出会い、平和な未来を考えたと述べました。
ジャーナリズムの衰退に厳しい目が注がれました。佐藤氏は政治ニュースが激減しているとして「政治を動かしてきた市民連合をマスメディアは報道しない」と批判しました。
浜氏はジャーナリズムの復権に三つの処方箋を示します。「一つは『荒野に叫ぶ』。未来への警告を発すること。二つ目は、叫ぶ内容として『裸の王様』と言い切る徹底的な反権力。最後は、おとなの怒りと笑いを巧みに混ぜた『シャープな言葉』で伝えること」
佐藤氏は教育について発言。世界的に教育が市場化する中で、安倍政権も教育の公共性を崩していると批判しました。「教育現場は疲弊し、『あきらめ』」が覆い、「メルトダウン(溶解)」が起きていると述べました。
会場の学生からの質問で、絶望的な状況の中、「これからどうしたらいいのか。日本から逃げて海外への移住も考えている」と投げかけられました。
浜氏は「打ちのめされているときではない。むしろ武者震いがする。魂が燃える」ときっぱり。「時代が変わり始めているから問題がぼろぼろ出る。アホノミクス(安倍政権の経済政策)を倒すとき、私たちは仲間割れしてはならない。老若手を携えること。アホノミクスは知恵や経験の豊かな高齢者を恐れており、だから若者を取り込もうと、世代間の分断を図っている」と述べました。
佐藤氏は「あきらめている学生も無関心ではない。そこに何か芽がある」として「学びの共和国」という取り組みを30カ国に広げている経験から、未来の可能性を語りました。
司会の中野氏から、武道家として「身体からどう考えるか」と振られた内田氏は「自分の弱さを知っているのが武道家だ。身体能力の複雑さを表現する」と答えて、道場の運営や「寺子屋ゼミ」の取り組みを紹介し「お互いが、それぞれの弱いところをわがことのように受け止めて共同体をつくっている」と語りました。
浜氏は「相手の痛みを分かち合いケアするのが次の社会だ。弱さを見つめ、複雑さを意識できる人が強く賢い人だ。その正反対があのアホだ」と述べ、会場は爆笑に。
「会社で政治が語れるようになるには」と問われた浜氏は「コントを演じたらいい」と意表を突く答え。浜氏の最終講義は学生によるコントづくりだと紹介。「極上の笑いを練り上げるには、問題を深く理解していないとできない。会社では、まず社員の仮面を外して、一市民となってコントのシナリオを考える。政治批判もその中から出てくる」
最後に高山佳奈子京都大学教授があいさつ。「選挙に行くこと」の重要性を述べ、迫る京都市長選(1月19日告示)で民主主義を守る市長の選出を、と訴えました。
2019年12月8日
戦前の日本が、当時イギリス領だったマレー半島のコタバルやアメリカのハワイを奇襲した1941年12月8日から78年です。台湾・朝鮮半島を植民地化し、当時「満州」と呼ばれた中国東北部、さらに中国全土、東南アジアへと侵略戦争を拡大していった日本はこの日、対米英戦争を開始しました。45年8月の敗戦までに、アジア諸国民と自国民に甚大な被害を与えました。戦後の憲法は、その反省に立って制定されたものです。安倍晋三政権の改憲策動が強まる中、悲惨な戦争を許さぬ決意を新たにすることが重要です。
ノンフィクション作家の澤地久枝さんの近著『昭和とわたし』を読みました。89歳の現在も「九条の会」などで活動する澤地さんのこれまでの著作からの文章を収録した一冊です。その中で、“当時生まれていないから戦争を知らない”とおとながいうのは「もういいかげんにしてほしい」という言葉に強く刺激されました。歴史を見つめ、過去から学ぶ大切さを語った中での一節です。さらに憲法を守ることは「譲れない」と強い意志を表明しています。
澤地さんをはじめ、戦争を身をもって知る人たちの思いを受け止め、国民の中で圧倒的多数になった戦後生まれの世代も、「12・8」を機に改めて戦争の悲惨さに思いをはせ、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」(憲法前文)したことの重みをかみしめたいと思います。
当時「満州」に駐留していた日本の「関東軍」が謀略で引き起こした31年の「満州事変」から始まり、37年の盧溝橋事件で中国全土への全面戦争に拡大し、ついに対米英戦争に突入して敗北するまで15年にわたる日本の戦争は、ドイツやイタリアの侵略戦争とともに、第2次世界大戦として世界に巨大な惨害をもたらしました。
日本の侵略戦争によって、アジア諸国民で2000万人以上、日本国民でも310万人以上が犠牲になりました。アジア・太平洋の各地の被害は大きく、朝鮮からの徴用工や中国からの強制連行、日本軍「慰安婦」などの問題は、今も責任が問われています。日本国内も大規模な空襲や広島・長崎への原爆投下、せい惨な地上戦となった沖縄などでおびただしい人命が奪われ、国土は荒廃しました。
戦争末期には、兵力不足を理由に、学業半ばの大学生や専門学校生も戦争に駆り出されました。現在の高校生や大学生と同じ世代の若者が銃を持たされ、海軍や陸軍の「特攻兵」などとして、命を落としたのです。
安倍首相が目指す9条の改憲は、自衛隊が大手を振って海外の戦争に参加する道を開くものです。文字通り「戦争する国」への逆戻りです。若い自衛隊員が、他国の人々を「殺し」、自らも「殺される」ことになりかねません。
日本が敗戦の際受け入れたポツダム宣言は、「日本国国民を欺瞞(ぎまん)し」「世界征服」の「過誤」を犯した権力は「永久に除去」せられると明記しています(第6項)。「安倍改憲」は、こうした原点にも反するものです。侵略戦争への反省もなく、改憲に固執する安倍政権に、国民の世論を集めて退陣を迫ろうではありませんか。
2019年12月3日
「女性・戦争・人権」学会の2019年度大会が10月27日、同志社大学で開催され、「学問の自由と政治―フェミニズム・バッシングの歴史と現在」をテーマにしたシンポジウムが行われました。
パネリストの能川元一氏(神戸学院大学)は、1990年代前半から今日までの右派論壇における日本軍「慰安婦」をめぐる言説の連続性と変化について報告しました。
96年検定の中学校歴史教科書のすべてに「慰安婦」が記述されたことや、国際社会からの批判などに対して、「慰安婦」問題のバックラッシュ(揺り戻し)が開始されたと指摘。とくに第2次安倍政権成立以降、歴史修正主義者による「歴史戦」(歴史問題を「戦場」とする戦い)キャンペーンが開始されたといいます。
牟田和恵氏(大阪大学)は、フェミニズム/ジェンダー・バッシングによって失われてきたものと政治介入について報告しました。フェミニズム・バッシングは、19世紀末以降の、女性が参政権を求めた運動当初からあったことを紹介し、日本では、1999年の男女共同参画基本法制定直後からジェンダー・バッシングが始まったと指摘。ジェンダー・フリーは家族や伝統を破壊するものとされ、その攻撃が性教育にまで及んだことを批判しました。
そして、昨今のフェミニズム研究に文科省の科学研究費を支給するなという攻撃や、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」への妨害など、「慰安婦」問題や性をテーマにしたジェンダー研究や表現へと続くこの20年来のバッシングによって失われてきたものは、とてつもなく大きいと述べました。
矢野久美子氏(フェリス女学院大学)は、ナチスにおける大量虐殺を批判し、全体主義について研究したハンナ・アーレントのテキストを通して、今日の状況を読み解きました。
討論者の倉橋耕平氏(立命館大学)は3人の報告を受けて、「歴史修正主義と性・女性の問題は強くかかわっている」と述べ、フェミニズム/ジェンダー・バッシングによって、人々が政治にアクセスしたり表現したりする空間が奪われてきたと指摘しました。
討論では、歴史修正主義者が学問的分野に侵入しようとしていることや、国連など国際的な場で活動を展開していることへの危惧が語られ、議論されました。前田朗氏(東京造形大学)は、ここ数年、国連人権理事会や国連差別撤廃委員会などに自民党の杉田水脈衆院議員らが参加し、「アイヌ民族はいない」「琉球民族は日本民族である」などと主張しており、「いまは相手にされていないが、今後彼らに対抗する組織的な運動が必要ではないか」と発言しました。
牟田氏は、安倍晋三氏が首相になり、戦後最大の長期政権になったことと右派の台頭の関係性を指摘し、「私たちはさまざまな運動とつながることで反攻していく必要がある」と提起。韓国で♯MeToo運動が盛り上がったのは、「慰安婦」問題への社会の理解や支援を通じて、女性自らが性を語ることについて時間をかけて認識を変え、社会を変えてきたことと関係していると述べ、日本でも女性たち自身が声を上げることの大切さと、それをサポートしていく運動の重要性を強調しました。
植民地支配や侵略戦争、そのなかでの戦時性暴力である日本軍「慰安婦」を否定する勢力と、安倍首相の歴史観がきわめて似通っているところに、今日の日本社会の深刻さがあります。国際的な#MeToo運動、そして国内で声を上げている市民と連帯して、日本社会におけるジェンダー主流化(注)をめざしながら、フェミニズム/ジェンダー・バッシングと親和性の高い歴史修正主義に抗していくことが求められています。
(あさおか・あきこ 党学術・文化委員会事務局員)
*ジェンダー主流化 政治、経済、社会などの領域のあらゆる政策・システムにおいて、ジェンダー平等の視点を取り込むこと
2019年12月2日
安倍政権は、韓国大法院の徴用工判決に加え、文在寅(ムン・ジェイン)政権が2015年の日韓「慰安婦」合意に基づいて設立された「和解・癒やし財団」の解散を進める(昨年11月21日)としたことで「韓国は約束を守らない国」と非難し、貿易制限措置を正当化してきました。「慰安婦」合意の見直しは「約束違反」なのか―。「和解・癒やし財団」の解散に至る経緯を考えます。
15年12月28日、岸田文雄外相(当時)と韓国・朴槿恵(パク・クネ)政権の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相との間で、日韓「慰安婦」合意は交わされました。
注目されたのは、安倍晋三首相が「総理大臣として」「心からおわびと反省の気持ちを表明する」とし、元「慰安婦」支援の財団設立に「日本政府の予算で一括して拠出」するとしたことでした。そのうえで「(慰安婦)問題の最終的かつ不可逆的解決」を確認しました。
政界関係者の一人は「安倍首相は、口が裂けても慰安婦問題で『おわび』など言いたくないし、『おわび』の性格を持つ政府資金の拠出は1円たりともしたくないはず。『合意』を不思議に感じた」と当時を振り返ります。
元日本政府高官の一人は「米オバマ政権は対中戦略上、日韓の対立に神経をとがらせていた。1965年の日韓基本条約から50年の節目の年に、何とか『解決』のめどを見つけようとしていた」と述べます。
ところが安倍首相は、「合意」からひと月もたたない年明けの国会で「性奴隷といった事実はない」「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」(16年1月18日の参院予算委員会)と、日本軍「慰安婦」問題の核心を否定する発言をくり返しました。
また、首相自身が元「慰安婦」におわびの手紙を直接送る可能性を問われると「毛頭考えていない」と発言(同年10月3日の衆院予算委員会)。直接、「おわび」を表明することを固く拒否したのです。「合意」における、おわびの真剣さが疑われました。
決定的転機が訪れたのは17年5月に文在寅政権が誕生してからです。文政権は、朴槿恵政権下の「慰安婦」合意の検証に着手。朴政権が倒れ、文政権が誕生した大統領選挙では「文在寅候補だけでなく、保守系も含めすべての候補が、『慰安婦合意の検証』を公約に掲げていた」(韓国メディア関係者)といいます。
同年12月28日、韓国外務省・作業部会は検証結果の報告書を公表しました。
報告書は、日韓「慰安婦」合意に、「非公開部分」があり「ハイレベル協議において決定された」と明記。その内容は極めて深刻でした。
非公開協議を担当したのは、日本側は谷内正太郎国家安全保障局長、韓国側は李丙琪(イ・ビョンギ)韓国大統領府秘書室長でした。
秘密協議における日本側の要求は以下の3点。(1)「今回の発表により慰安婦問題は最終的かつ不可逆的に解決されるので、挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)などの各種団体が不満を表明した場合であっても、韓国政府はそれに同調せず、説得していただきたい。在韓国大使館前の少女像をどのように移転するか」(2)「第三国における慰安婦関係の像・碑の設置については…適切ではない」(3)「韓国政府が今後、『性奴隷』という言葉は使用しないでほしい」
韓国側は(1)について「関連団体との協議を行う等を通じて、適切に解決されるよう努力する」とし、(2)については「このような動きを支援することなく、韓日関係が健全に発展するよう努力する」と答え、いずれも事実上受け入れました。
(3)に関し、「韓国側は、性奴隷が国際的に通用する用語であることから反対していたが、政府が使用する公式名称は『日本軍慰安婦被害者問題』だけであると確認した」としています。
報告書は、「韓国政府が、少女像を移転したり、第三国で慰安婦の碑を設置できないようにしたり、『性奴隷(sexual slavery)』という表現を使わないことを約束したものでないが、日本側がこのような問題に関与できる余地を残した」としています。
「合意」から間もない年明けの国会で、安倍晋三首相が「性奴隷といった事実はない」と言い放ったことは、「非公開」合意が前提であり、「合意」そのものに歴史偽造の狙いが込められていました。
文在寅(ムン・ジェイン)政権による「慰安婦」合意検証の作業部会の責任者だった呉泰奎(オ・テギュ)氏は、雑誌『世界』2月号のインタビューで「他国の市民運動の活動を抑制させるような要請自体があり得ないことですし、それを(韓国政府が)受諾したということも信じがたい」と指摘。「今回の日韓合意は、被害国に対して何らかの措置を要求し、それを合意の条件にしたという点では、むしろ以前より後退した」と述べています。
検証の報告書は、「合意」について「被害者中心、国民中心ではなく、政府中心で合意した」と認定。文在寅大統領は、報告書発表とともに、「非公開協議の存在は国民に大きな失望を与えた」「この合意では慰安婦問題を解決できない」とし、「日本との正常な外交関係を回復していく」と表明しました。他方、文政権は「合意」について「破棄という言葉を使うのは適切ではない」としました。
外務省元国際情報局長の孫崎享氏は、「歴史問題や人権問題と深い関連を持つ事柄を、一片の政治合意で『最終的かつ不可逆的に解決』すること自体が無理だ。長期に国民を縛る決定なら、国会承認を通す条約にすべきだ」と指摘。また、韓国政府が「秘密協議」を暴露したことについて「機微に触れる部分は秘密にする必要がある。韓国側が自分の都合で蒸し返した」などと“批判”する論調に対し孫崎氏は、「秘密協議の存在は、韓国国民にとって慰安婦合意に重要な付帯条件があったことになる。それを含めなければ合意全体を評価できない以上、公表が必要になる。もともと民主的プロセスを通すべき内容だ」とのべます。
韓国政府にも責任があります。ただ、検証内容をふまえ、さらなる話し合いが必要だという文政権の姿勢を「約束違反」と言えるのでしょうか。
「性奴隷」という事実の存在を認めない安倍政権自身の認識と責任が問われているのです。人権の名のもとに、交渉過程の深い検証が必要です。(中祖寅一)
2019年12月1日
日本婦人団体連合会(婦団連)は30日、東京都内で総会を開き、9条改憲を阻止し、平和と命、くらしを守る女性の共同を広げる方針を採択しました。
あいさつした柴田真佐子会長は、来年が第5次男女共同参画基本計画の策定、女性差別撤廃委員会(CEDAW)への政府報告・審議を迎える年だとして「日本国憲法と女性差別撤廃条約にもとづく平和とジェンダー平等の取り組みを進めよう」と訴えました。
議案を提案した千代崎せつ子事務局長は、第4回世界女性会議から25年となる2020年は、「北京+25」として世界中で女性のエンパワーメント(権利の回復・行使)運動が強まると指摘し、「日本の女性も世界水準をめざし、多様な運動と連帯して取り組もう」と呼びかけました。
討論で「保育無償化やブラック校則見直しなど声をあげれば政治を動かせると実感します」(新婦人)、「LGBT(性的少数者)問題の学習を重ね、性自認に沿った制服を会社に配給させた」(建交労女性部)などの発言が出されました。国際婦人年連絡会の橋本紀子世話人、日本共産党の山添拓参院議員があいさつしました。
総会に先立ち大森典子弁護士が「徴用工問題・『慰安婦』問題の基本にあるもの」と題して講演しました。
新役員は次の通り(新以外は再任)。会長=柴田真佐子▽副会長=堀江ゆり、伍淑子、米山淳子(新)、櫻井幸子、長尾ゆり、塚田豊子、伝法谷恵子、沖津由子▽事務局長=千代崎せつ子
2019年11月24日
三重県伊勢市の市美術展で「慰安婦像」の写真を使ったポスター作品の展示が認められなかった問題について、作者のグラフィックデザイナー、花井利彦さん(64)=伊勢市=に「表現の自由」への思いを聞きました。
(三重県・堀山清信)
「憲法で保障されている『表現の自由』がこれほどまで弾圧される社会になっているのかと驚きました。安倍政権の下で戦前のような暗黒の時代に戻らないか、とても心配です。なんとかしなければならないと身をもって実感しました」
花井さんは、日本グラフィックデザイナー協会の前三重県代表です。1984年に県内の芸術家を集めた「クリエイターズ協会」を設立し、35年間、イベントや展覧会を開催してきました。自身も、人権、戦争、原発、環境などの社会問題をテーマに数多くの作品を発表。市展にも8年前から審査員、運営委員として関わっています。
今回の作品は、あいちトリエンナーレで「表現の不自由展」が政治家の圧力などで中止になったことがきっかけです。非常に憤りを感じました。多くの人の運動で再開され、見に行って「表現の不自由」について、多くの人に考えてもらいたいと思いました。
作品は、生活困窮者、差別されている人たちに思いを寄せました。赤い手に情熱、パワーを込め、小石を配し「弱者よ意思を持て」ともじり、バックの黒は権力の闇を表しました。左上に、中国の「慰安婦像」の写真を小さく入れ、ハングル、中国語、英語、日本語で「私は誰ですか」と書き込みました。
この作品が会場に搬入されると、市教育委員会らが展示を問題視しました。緊急の運営委員会も開かれましたが結論が出ず、市教委と市に判断を委ねることになりました。
花井さんは「若手のためにも何としても展示したい」と強く思いました。というのも、「昨年から、市展でグラフィックデザイン部門が独立したばかりだったから」です。県内の公募展で独立しているのは伊勢市展だけです。
みずから作品の修正を提案しました。慰安婦像の写真を黒インクでぼかしたり、目線を入れたり、最後には黒い粘着テープを貼ったり、3回も手直ししましたが、許可されませんでした。「元『慰安婦』の方に本当に申し訳ない、冒涜(ぼうとく)した行為だったと深く反省しています」
市と市教委は10月30日、「展示すれば市民の安全を損なう恐れがある」として展示中止を決めました。11月3日の表彰式では、この問題に誰も触れませんでした。
花井さんは「あいちトリエンナーレとまったく同じ構図だ」と指摘します。「『慰安婦像』はダメ。その理由は『市民の安全』だという。脅迫や暴力に屈するのは為政者として失格でしょう。このままでは表現者は権力に萎縮し、忖度(そんたく)せざるを得なくなる。見る権利、知る権利は誰であっても侵してはならないもの。検閲は権力の横暴です。補助金中止など、絶対に許されることではありません」
2019年11月23日
綱領一部改定案は、20世紀に起こった世界の構造変化が「ジェンダー平等を求める国際的潮流」の大きな発展をもたらしたと指摘しています。どのような経過をたどったのか、振り返ります。
国連は、第2次世界大戦後の創設当初から経済・社会問題への取り組みを重視し、経済社会理事会という機構を設けました。その中に「女性の地位委員会」を置き、女性の地位向上や男女平等を推進する体制をとりました。
国連発足当初の加盟国は51カ国でしたが、植民地体制の崩壊により加盟国が増え、発展途上国の比重が高まっていきました。
国連の構成の変化を背景に、女性問題への取り組み方も変化しました。
初めの頃は、欧米の女性運動と連携して「女性に男性と同じ権利を与える」こと、すなわち政治、教育、職業、家族関係などにおける男女の「平等」が目標でした。こうした初期の活動の集大成として、1967年に「女性差別撤廃宣言」が採択されました。この宣言の趣旨の実現を促進するため、1975年を「国際女性年」とし、「宣言」をさらに強力にするため条約とすることが決まりました。
国際女性年のテーマは当初は「平等」と考えられていましたが、途上国の代表からは「貧しさから解放されなくては女性の地位向上どころではない」との声があがり、「開発(発展)」が提起されました。ソ連圏やアラブ諸国からは「平和」が一番大事だとの意見が出され、国際女性年のテーマは「平等、開発、平和」となりました。
国際女性年の1975年、メキシコのメキシコ市で第1回世界女性会議が開催されます。
「一三三か国、三〇〇〇人の女たちが参加したメキシコ会議は、わたくしが想像していた以上の熱気に満ちあふれていた。この地球は四分の一の富める国と四分の三の貧しき国々から成り立っている。メキシコは第三世界の大国である。メキシコ会議は六分の一の富める国と六分の五の貧しき国々の女たちによって形成されていたのだった」――日本からの会議参加者は、途上国の代表女性らの「まるで活火山のような爆発的な怒りのエネルギー」に触れた衝撃を今に伝えています(吉武輝子氏、『行動する女たちが拓いた道―メキシコからニューヨークへ』、未來社)。
同会議では、政府間会議でもNGO(非政府組織)フォーラムでも「女性の課題」や「男女平等」のとらえ方をめぐる「南」と「北」の違いから、たびたび激論になったといいます。この対立は1980年の第2回世界女性会議(コペンハーゲン)でも見られましたが、徐々に相互理解が進み、1985年の第3回世界女性会議(ナイロビ)で「婦人の地位向上のためのナイロビ将来戦略」をコンセンサス(投票なしの総意)によって採択するに至りました。
法的平等、女性に対する暴力、リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)などを経済や開発との関連で議論する必要性が先進諸国の女性からも理解されるようになり、貧困問題など発展途上国の女性の課題が、国際的な女性運動の課題として統合されたのです。
女性差別撤廃条約は1979年に成立しました。「宣言」の時点では「育児は女性の責任」とされていましたが、条約は「育児は両親の共同責任」と主張し、「男女の役割についての固定的な観念の撤廃」を打ち出すなど前進がありました。
条約成立から40年、草の根のたたかいを背景に「差別」をめぐる認識はさらに深化しました。
差別には直接差別だけではなく、一見中立だが女性に不利に働く「間接差別」や、障害、外国籍、性的マイノリティーの女性などに対する二重三重の「複合差別」があることです。これらを解消するため、条約加盟国は「差別をしない」消極的義務のみならず、差別をなくす積極的な行動をとる義務があるととらえられるようになりました。
1990年代に入り「女性に対する暴力」が国際的課題に躍り出ます。きっかけは、旧ユーゴやルワンダ紛争下での性暴力が世界に衝撃を与えたこと、日本軍「慰安婦」被害者が沈黙を破って世界に人権侵害を告発したことです。国連女性差別撤廃委員会は1992年に「一般勧告19」を出し、女性に対する暴力は女性差別撤廃条約1条が規定する「差別」に該当する、という解釈を打ち立てました。以後、DV(ドメスティックバイオレンス)、レイプ、女性性器切除、戦時性暴力、セクシュアルハラスメントなど多くの問題が、女性差別撤廃委員会で取り上げられるようになりました。
女性に対するあらゆる暴力を撤廃することは、いまや国際社会の大きな課題となっています。(別項参照)
ジェンダー平等という概念は、こうした人権の豊かで多面的な発展の中から生まれました。1995年に北京で開かれた第4回世界女性会議の行動綱領で「ジェンダー平等」が掲げられたことが契機となって国際社会に定着し、2000年の「ミレニアム開発目標」、2015年の「持続可能な開発目標」でも「ジェンダー平等」が中心課題にすえられています。
「諸政府とともに市民社会が、国際政治の構成員として大きな役割を果たしていることは、新しい特徴である」(綱領一部改定案より)―女性問題をめぐっても、市民社会代表が大きな役割を果たしました。
1条 本宣言上、「女性に対する暴力」は、女性に対する肉体的、精神的、性的又は心理的損害又は苦痛が結果的に生じるか若(も)しくは生じるであろう性に基づくあらゆる暴力行為を意味し、公的又は私的生活のいずれで起こるものであっても、かかる行為を行うという脅迫、強制又は自由の恣意(しい)的な剥奪を含む。
4条 国は、女性に対する暴力を非難すべきであり、その撤廃に関する義務を回避するため如何(いか)なる慣習、伝統又は宗教的考慮をも理由として援用してはならない。国は、あらゆる適切な手段を以(もっ)て遅滞なく女性に対する暴力を撤廃するための施策を推進すべきであり、この目的のため、次のことを行うべきである。
(c)女性に対する暴力行為を、かかる行為が国により行われたか又は個人によるものかを問わず、防止し調査しまた国内法に従って処罰するためしかるべき努力を払う。(以上、外務省仮訳より)
◇
従来、国際人権法は公的領域のみを対象としていましたが、この宣言によって私的領域で起こる人権侵害も対象に含まれるようになりました。たとえ私人によって行われる行為であっても、「女性に対する暴力」をなくす義務が国にはあることを、宣言は提起しています。
2019年11月22日
朴寿南(パク・スナム)監督は、旧日本軍「慰安婦」として被害者だったことを戦後、初めて名乗り出た故・裵奉奇(ペ・ポンギ)さんの証言や、被害者の名誉と尊厳を回復するたたかいを記録し、映画を製作してきました。思いを聞きました。(小酒井自由)
朴監督製作のドキュメンタリー映画「沈黙―立ち上がる慰安婦」(2017年)は、17歳で日本人の巡査と日本兵に拉致された故・尹今禮(ユン・グムネ)さんの衝撃的な証言を記録しています。満州の慰安所に連れていかれ、恐怖で身震いするなか日本兵に服をはぎ取られ馬乗りに襲いかかられました。抵抗した尹さんの首を日本兵が日本刀で切りつけたといいます。
1990年代に韓国で声を上げた被害者の、日本政府に対する謝罪と賠償を求めるたたかい、強制連行や慰安所の実態の生々しい証言など貴重な記録を紹介しています。
「『慰安婦』問題では、日本政府の植民地支配に対する歴史認識に問題があると思います。安倍政権は、侵略戦争を認めていません。65年の日韓請求権協定の交渉過程では、植民地支配の不当性を認めず謝罪もしていません。日本政府は植民地支配を認め、被害者に謝罪・賠償すべきです」
「あいちトリエンナーレ2019」の企画展が脅迫・妨害で中止に追い込まれた事件や、同事件をめぐる黒岩祐治神奈川県知事の「『慰安婦』の強制連行は韓国の一方的な見解だ」という暴言、各地で起こる「沈黙」上映への妨害行為の背景にも、政府の歴史認識が関係していると指摘します。
「彼女たちは、銃剣や日本刀で脅され、逆らえば殺されると思っていました。銃剣の下、強姦(ごうかん)が何年も続いた。それを“娼婦”呼ばわりされて本当に怒っていました」と憤ります。
一方で、94年5月、韓国から初来日した被害者と支援に駆けつけた市民との交流や、これまでの自主上映会を振り返り、互いの理解を深めることで生まれる信頼関係に希望を見いだしています。
「日中、都内でデモをしたハルモニ(おばあさん)たちを、日本人の女性が銭湯に連れていった時のことです。一人のハルモニの背中を流した人が、『あなたはこんなに美しいからだなのに、日本軍に蹂躙(じゅうりん)されたかと思うと悔しい』と言って泣き出しました。ハルモニは、身も心も傷だらけなのに、自分のことを『美しい』と言ってくれた驚きとうれしさで涙があふれ、共に涙を流しました」
「沈黙」は、2017年の公開以降、右翼の妨害を乗り越えて市民の手で全国各地で自主上映され、今年はアメリカとドイツでも上映されました。
「ハルモニたちは本当のことを知ってもらいたくて日本に来ました。そして日本人との交流でこれまでの無念を晴らし前向きになりました。映画を見て、『政府が謝罪しないなら、私がハルモニに謝罪したい。一日も早く賠償問題を解決しないといけない』という前向きな感想をもらったことが本当にうれしかった」
「沈黙」は相互の理解を深める日韓親善映画だと思っていると言います。
「日韓関係を悪化させているのは安倍政権です。在日朝鮮人へのヘイトスピーチも、安倍政権下で過激化しています。この状況を変えるには、市民とともにたたかうしかありません」
◇
問い合わせ「アリランのうた製作委員会」電話090(6867)3843
パク・スナム 1935年、三重県生まれの在日2世。朝鮮人被爆者の実態や、沖縄戦に連行された朝鮮人軍属や「慰安婦」の証言を掘り起こした記録映画などを製作
2019年11月18日
長崎市幹部から2007年に取材中に性暴力を受けたとして、女性記者が市を訴えた訴訟をめぐり、新聞労連と「長崎市幹部による性暴力事件の被害者を支える会」は17日、同市で「#MeTooとメディア 私たちは変われるか」と題するシンポジウムを開催しました。新聞労連と一般参加者110人が出席しました。
原告代理人の中野麻美弁護士は「平和は、ハラスメントの根絶と不可分だ。長崎市が平和都市を自認するなら、一日も早く責任を認めてほしい」と声を詰まらせました。
性暴力に抗議する「フラワーデモ」の呼びかけ人で作家の北原みのりさんは「『慰安婦』問題でも、日本の社会は性暴力に向き合わず、放置してきた」と強調。同じ姿勢が、市の態度に表れていると批判しました。
長崎市は14年、日弁連から謝罪を勧告されましたが、5年たった今も応じていません。
討論では、メディア側にも、性暴力に対し不十分な面があるとの声が上がりました。
元テレビ朝日記者でハフポスト日本版記者の湊彬子さんは「テレビの報道局などは人数も少なく、同質性の高い組織。社会の変化にも気づきにくい」と指摘。「建前でなく、報道現場の意識の根本が変わる必要がある」と話しました。
2019年11月12日
8、9の両日、沖縄県で開かれた日本平和大会。9日午前に那覇市と豊見城(とみぐすく)市でおこなわれたシンポジウムや特別企画、分科会を紹介します。
国際シンポジウムでは、非核平和の北東アジアの実現をめざし、日韓の市民運動の取り組みや課題、両国市民の連帯したたたかいの意義を議論しました。
韓国「平和と統一を開く人々」執行委員長のオ・ヘランさんは、朝鮮半島の非核化・平和協定と両立しえない韓米軍事同盟の解体とともに、日本の軍事大国化と軍事的対外膨張の阻止が重要だと述べ、「日韓民衆の連帯で非核・平和を実現し、軍事同盟でない東アジアの未来を切り開こう」と力を込めました。
日本平和委員会常任理事の川田忠明さんは、非核・平和の北東アジア、日米安保廃棄の展望を語り、そのためにも安倍改憲・「戦争する国づくり」阻止、野党連合政権の実現がますます重要だと述べました。日韓関係について「植民地支配への真摯(しんし)な反省こそ、信頼醸成の土台だ」と語り、日韓平和運動の連帯強化を呼びかけました。
琉球大学助教の亀山統一さんは、日本が世界最大の米軍駐留国となっていることを告発。新基地建設反対・普天間基地の閉鎖撤去を求める沖縄でのたたかいは、自然環境を守るとともに駐留米軍の手を縛り、米軍の核兵器体系にも影響を与えると指摘。「民主主義と持続可能な社会をともにつくろう」と提起しました。
会場から、日本軍「慰安婦」問題、徴用工問題の解決になにが必要かなどの質問や発言があり、3氏が答えました。
「辺野古新基地阻止・普天間基地撤去」をテーマにした特別企画では、辺野古の現状をリアルにつかむことの重要性が強調されました。
稲嶺進前名護市長は、辺野古の工事強行報道でもう後戻りできないとの印象をもたれているかもしれないが、全体の進ちょく状況は2%ちょっとだ。生物多様性に富む大浦湾側はまったく手がつけられない」と語りました。
埋め立てに投入された土砂の量について、沖縄県統一連の瀬長和男事務局長は、「キャンプ・シュワブゲート前での監視などで土砂搬入量をチェックしており、数字の根拠は確かです」と説明しました。
沖縄県統一連の中村司代表幹事は、大浦湾が5800種の生物が生息する世界的にも貴重な、生物多様性豊かな海であると強調。沖縄県弁護団の加藤裕弁護士は、辺野古埋め立て承認の撤回をめぐる裁判について説明し、「少なくとも20年かかる辺野古新基地建設が、普天間の危険性の除去にとって適切なのかというところに埋立承認撤回の理由があることに注目してほしい」と語りました。
分科会「日米軍事一体化を止めよう! 米軍・自衛隊基地の強化はゆるさない」では、安保破棄中央実行委員会の小泉親司常任幹事を助言者に迎え、参加者が各地の実態と現場のたたかいを交流しました。
小泉氏は、米軍横田基地(東京都福生市など)のパラシュート訓練の問題などをあげ、「沖縄の属国的状態が全国に拡散している。沖縄のたたかいに学ぶべきだ。それぞれの地域で市民と野党の共闘に取り組むというのがいちばん肝心」と強調しました。
ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会の上里清美さんは、沖縄県宮古島市・石垣市の陸上自衛隊ミサイル基地建設に反対するたたかいを報告。「何かが起こったときに住民がどうなるかは考えずに配備を進めている」と防衛省を批判しました。
埼玉県の大場智子さん(73)は、「本当に一地域の問題じゃない。安倍政権を倒さない限りは、問題解決はできない」と分科会の感想を語りました。
分科会「オスプレイ・低空飛行・基地被害ゆるさない 日米地位協定改定の運動と結んで」では、日米地位協定の問題点を学び、各地の協定改定をめざす運動の経験や米軍基地被害の実態を交流しました。
沖縄県基地対策課の島袋秀樹調査班長は、沖縄県が実施したドイツなど他国の地位協定の調査結果を報告しました。日本では自国の法律や規則を米軍に適用できない一方で、欧州諸国では国民世論を背景に協定を改定し、米軍の活動をコントロールしてきたと指摘。「協定の改定にむけて一緒に取り組みたい」と述べました。
平和新聞の布施祐仁編集長は、日本国民の生命や安全を守るため、地位協定改定の世論を広げることが重要と強調。「『米国に守られている』という論を克服することが必要だ」と訴えました。
山口県岩国市からの参加者は、米海兵隊岩国基地所属の部隊で飛行中に読書などをする規律違反が横行していた問題を知り、「怒り心頭だ。米軍の勝手を許す地位協定の改定が必要だ」と述べました。
2019年11月4日
フラワーデモは、「性暴力で恐怖を感じている人に寄り添いたい」と、一人ひとりが花を持って「With
You」の声をあげようと行っています。必要なのは、痛む声を受け止める場所と、差別や暴力に苦しむ人に寄り添い、「あなたを信じる」という声です。そういう社会をつくりたい。
(日本軍「慰安婦」問題の)被害者が求めているのは、謝罪のない「和解」でも金による「癒やし」でもなく、「正義」と「記憶」です。今の日本は、歴史を忘れ、アジアの平和を脅かす不安要素になっています。だからこそ、韓国の市民とつながっていきましょう。
2019年11月3日
1本の映画をめぐって「市民(みんな)がつくる映画のお祭り」が大きく揺れました。今年で25回目を迎える「KAWASAKIしんゆり映画祭」です▼旧日本軍の「慰安婦」問題を扱ったドキュメンタリー映画「主戦場」の上映を、共催者である川崎市の“懸念”で中止。しかし是枝裕和監督ら映画関係者や市民の強い抗議で最終日の4日、一転上映へ。あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」と相似形をなすような出来事です▼映画「主戦場」は、「慰安婦」の存在そのものを否定する側、認める側双方の意見を両論併記しながら真相に迫るドキュメンタリー。4月20日に公開され全国50館以上の劇場で上映。いまも東京・シアター・イメージフォーラムで異例のロングランを続けています▼監督は日系人のミキ・デザキ氏。「日本における人種差別」に関する動画をネット上で配信したところ、日本のナショナリストから猛烈な攻撃を受けたことが「慰安婦」問題に興味を持ったきっかけでした。自らの疑問を解きほぐすように、約30人の日韓米の論客に直撃。論戦が進むほどに露呈するのは、右派「論客」の差別主義です▼上映中止をめぐって非難されるべきは、予算の半分近くを担う行政の介入でしょう。あいちトリエンナーレでは文化庁が補助金不交付を決定。助成制度を利用した新たな検閲に等しい▼きょうは日本国憲法公布の日。公権力の抑圧は市民の連帯ではねかえす。「表現の自由」を守るには不断の努力が必要と学びました。
2019年11月3日
きょうは、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」(祝日法2条)と定めた文化の日です。1946年のこの日、日本国憲法が公布されました。いま安倍晋三政権の下で、憲法21条の「表現の自由」を脅かし、文化の日の趣旨に反する問題が相次いでいることは深刻です。
最大の問題は、文化庁が9月、国際芸術祭・あいちトリエンナーレへの補助金の全額不交付を決めたことです。事の発端は、8月1日から公開された「表現の不自由展・その後」が、脅迫などでいったん公開中止になったことです。
文化庁は、不交付の理由に「展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実」を認識しながら、その事実を申告しなかったことなどを挙げています。
しかし「不自由展」は、トリエンナーレの企画の中の一つにすぎません。その「不自由展」も実行委員会が対策を講じ、10月8日から再開されました。全額不交付の理由は成り立ちません。
重大なのは、文化庁の決定がテロ予告や脅迫の被害者に責任を押し付け、加害者の行為を追認したことです。補助金の審査委員会に諮らず、会議の議事録もないなど、決定過程も不透明です。
文化庁の仕事は本来、「文化の振興」や「国際文化交流の振興」などを図ることです。
国の文化政策の根幹をなす文化芸術基本法は、前文で「文化芸術の礎たる表現の自由の重要性を深く認識し、文化芸術活動を行う者の自主性を尊重すること」を旨とすると明記しています。
文化庁には暴力から表現の自由を守る責任があります。それを放棄した今回の決定は、テロ予告や脅迫を行えば事業を中止させ、主催者に打撃を与えられるというあしき前例となります。安倍政権は不当な決定を撤回すべきです。
作品の「政治的メッセージ」を問題視する向きもあります。しかし、ピカソの絵画「ゲルニカ」のように、政治的メッセージは表現の自由の核心部分です。文化支援に際し、専門家の判断に任せ、国や地方自治体が「金は出しても口は出さない」原則を貫いてこそ、多様な芸術表現が開花します。
ところが、文化庁所管の日本芸術文化振興会は9月、芸術文化振興基金の「交付要綱」を「公益性の観点」から「不適当とみられる場合」は交付の内定や決定を取り消せるよう改定しました。そして、すでに交付が内定していた映画「宮本から君へ」について、麻薬取締法違反で有罪判決をうけた俳優の出演を理由に取り消しました。
「公益性」というあいまいな理由づけは、拡大解釈の危険をはらんでいます。2012年の自民党憲法改正草案が「公益及び公の秩序」を持ちだして「表現の自由」に制約を加える内容だったことを想起せざるをえません。
川崎市で開催中の映画祭では、「慰安婦」問題を扱った映画「主戦場」について市が主催者に懸念を伝え、一度は上映中止になりました。三重県伊勢市の「市展」で少女像の写真を使った作品が展示できなくなる事態も起きています。
「表現の不自由」が広がり、社会に萎縮の空気がまん延すれば、民主主義の土台が崩れます。今こそ力を合わせ、表現の自由、芸術の自由を守り抜くときです。
2019年11月3日
―安倍政権は、日本の過去の植民地支配への反省を投げ捨て、その一方で「党一丸」となって平和憲法の改定に突き進んでいます。この政治の姿勢をどう見ますか。
そうした政治姿勢は日本国憲法の基本理念とは真逆のものです。
安倍晋三首相は、10月30日で1年を迎えた韓国大法院の徴用工判決に対し、「国際法違反だ」などと非難し、日本軍「慰安婦」に対しては「性奴隷ではなかった」と、事実と責任を認めようとしません。2015年の「戦後70年談話」では、日露戦争を美化し、また将来世代の責任を否定しました。
しかし憲法は前文で「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうに」すると決意したうえで、9条1項で戦争を、同2項で戦力の不保持と交戦権の否認をうたっています。「戦争の惨禍」の事実と責任を正面から認め反省した上で、将来にわたり繰り返さないと表明したのです。
前文が反省する「戦争」には、第2次大戦だけではなく、アジア諸国の暴力的支配も含まれます。前文が「専制と隷従、圧迫と偏狭」を否定し、全世界の人々に「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」を保障したことからわかるように、憲法は植民地支配を否定しているからです。
また憲法は、植民地の放棄や日本の戦争を侵略戦争だと規定したカイロ宣言(1943年)、ポツダム宣言(45年)をベースに制定されました。この経緯からいうと、憲法の平和主義には、日本が国際社会に復帰するための約束という意味があります。首相の姿勢は、約束を一方的にホゴにして、戦後の国際秩序を否定するものです。
―そうした安倍政権が9条改憲を進める危険をどう見ますか。
「自衛隊明記」の9条改憲が実現すれば、「戦争をできる国」づくりがいっそう進むことは避けられません。
すでに「安保法制=戦争法」の下で、安倍政権は、シナイ半島の多国籍軍に自衛官を派遣しました。さらにホルムズ海峡周辺への自衛隊派兵を検討するなど、海外派遣を恒常化させようとしています。
にもかかわらず、9条と、そのもとで培われた「平和を愛する」国民感情という縛りがあります。そのため「戦闘地域にはいかない」「武力の行使はできない」「フルスペック(無制限)の集団的自衛権は行使できない」など、自衛隊の活動にはさまざまな歯止めがかかります。自衛隊明記の9条改憲は、そうした歯止めを外そうとするものです。
安倍政権が過去の戦争・植民地支配をやっきになって正当化しようとするのは、このような「戦争をできる国」づくりと密接にかかわることは明らかです。
―自衛隊を憲法に明記することで日本社会にどんな影響があるでしょうか。
一つ予測できるのは、自衛隊が憲法上の特別な組織として承認されることで、軍事予算の上限は取り払われ、バターよりも大砲を優先するのが当たり前になるということです。
しかしいま国民が政府に求めるのは、台風・大雨・地震など自然災害からのすみやかな復旧、生活の再建、生涯にわたり安心して暮らす権利の保障です。つまり「戦争する国」とは真逆の「人権を尊重する国」づくりです。
市民と野党が今夏の参院選前に合意した13項目の「共通政策」は、安倍9条改憲の阻止、国民生活を優先する財政、ジェンダー平等などの人権尊重を掲げました。こういった政策の魅力が市民に伝わるなら、安倍9条改憲を阻む力はさらに強くなるでしょう。
(日隈広志)
ながやま・しげき 1960年、神奈川県生まれ。一橋大学大学院単位修得。現在、東海大学法科大学院教授。おもな論文に「『戦争法』が狙うもの」(『法と民主主義』497号)
2019年11月3日
日本共産党の小池晃書記局長は2日、新日本婦人の会全国大会であいさつしました。
相次ぐ豪雨・台風災害で被災地の救援に取り組む新婦人の活動に敬意を表するとともに、気候変動問題を含めて抜本的な防災対策を求めて力を合わせようと述べました。
参院選で市民と野党の共闘の力で改憲勢力を「3分の2」割れに追い込んだことにふれ、「この流れをさらに大きく発展・飛躍させ、総選挙で自民・公明とその補完勢力を少数に追い込み、野党連合政権への道を切り開こう」と訴えました。
大学入試の英語民間試験を延期に追い込んだことは、市民と野党が力を合わせれば政治を変えることができることを示したと指摘。高知県知事選では、共産党の国政候補としてたたかってきた松本けんじ氏が野党統一候補となったことにもふれ「野党共闘はとどまることなく前進しています。その支えは、市民の力、草の根の運動です。全国津々浦々で広くつながる新婦人の存在と役割は大きな希望です」と述べると、拍手が起こりました。
世界と日本で大きく広がる「個人の尊厳」「ジェンダー平等」のうねりにふれ、共産党が「個人の尊厳とジェンダー平等のためのJCP With You」というプロジェクトを立ち上げ、ジェンダー平等政策も発表して取り組んできたことを紹介しながら、「新婦人は結成直後から『女性の人権を守れ』と取り組んできた先駆者です」と強調。コンビニから成人誌を撤去させたり、日本軍「慰安婦」問題での世界への発信や職場の男女差別とのたたかい、暮らしのなかのジェンダー差別の根絶など草の根からの取り組みをあげて、ともに手を携えて前進しようと語りました。
日本が世界の中で圧倒的な「ジェンダー平等後進国」になっているのは、財界が利潤第一主義を優先させ、男尊女卑、個人の国家への従属という戦前の国のあり方を美化する「靖国派」が政治の中枢を支配しているからだと強調しました。
小池氏は、安倍首相が参院選の党首討論会で選択的夫婦別姓にただ1人賛成しなかったと指摘。臨時国会の所信表明でも、詩人・金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」を引用しながら「さまざまな意見があるから」と選択的夫婦別姓を否定するのは矛盾していると、小池氏が代表質問でただしたのに対してまったく答弁できなかったことを紹介。「ジェンダー平等に敏感になればなるほど、個人の尊厳を踏みにじる安倍政権を倒すしかない、というところに行きつく」という同志社大の岡野八代教授の言葉にもふれ、「同感です」と述べると、拍手が起こりました。
最後に、野党の連合政権とジェンダー平等社会の実現へ「女性の要求や悩みに心を寄せ、ともに学び行動し、仲間の輪を広げながら活動する新婦人の大きな前進を心から期待します」とエールを送り拍手に包まれました。
2019年11月3日
川崎市で開催中の「第25回KAWASAKIしんゆり映画祭」で、共催の川崎市の圧力を受けて上映中止になったドキュメンタリー映画「主戦場」(ミキ・デザキ監督)が、市民や映画関係者の批判を受け、映画祭最終日の4日に上映されることが決まったと、「主戦場」の配給会社「東風」が、同社ホームページで明らかにしました。
同作は、旧日本軍の「慰安婦」問題をめぐり、論争の双方にインタビューした映画で、「元慰安婦」の主張を否定する側で登場した藤岡信勝氏やケント・ギルバート氏らが、肖像権の侵害などとして上映禁止を求め、6月に提訴しています。
川崎市(運営費の半額近くを負担)からの「提訴されている映画を、市が共催する事業内で行うのは難しい」という発言を受け、同映画祭が上映中止を決めていました。
これに対し、10月30日に開かれた討論集会では、市民や映画関係者らが「『表現の自由』を殺す行為」と批判。是枝裕和監督が同映画祭での舞台あいさつで抗議したほか、SNSでも批判が広がっていました。
2019年11月1日
川崎市で開かれている「第25回KAWASAKIしんゆり映画祭」が、旧日本軍の「慰安婦」問題を描いたドキュメンタリー映画「主戦場」(ミキ・デザキ監督)の上映を中止した問題で、同映画祭が主催する表現の自由を問う討論集会が30日、同市で行われました。市民、運営スタッフなど約170人が参加しました。
同映画祭の中山周治代表は、共催者で、予算の半額近くを負担する川崎市から8月5日に、「主戦場」を上映するなら共催は難しいとの電話を受け、同映画祭側の判断として上映中止を決めたと説明しました。
同作に対しては、元「慰安婦」の主張を否定する側で登場した藤岡信勝氏らが、肖像権の侵害などとして上映禁止を求め、6月に提訴しています。
中山氏は、「川崎市から『提訴された映画を、映画祭で上映することはどうなのか』と言われ、それ以上は理由を聞かなかった」と述べ、「提訴について運営委員会で検討した上で、作品の内容は良いと判断して6月末から上映に向け進めてきたが、8月1日開幕のあいちトリエンナーレで嫌がらせが殺到したことなど状況の変化は大きかった。妨害など危険を想定して中止した」と話しました。
会場からは、「『主戦場』上映に伴う危険は考えられない。上映を再開してほしい」「予算を負担する市の“懸念”は圧力だ」などの意見が相次ぎました。
デザキ監督は「中止は、まだ起こってもいない嫌がらせに降伏したことになる。『主戦場』だけの問題ではない。嫌がらせや圧力に屈せず、勇気ある決断をしてほしい。一緒に言論の自由を守るために行動したい」と発言。
2019年10月29日
国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の展示中止や文化庁の支援打ち切りの問題で、欧米の日本研究者が共同発表した声明の起草に携わったボン大学のラインハルト・ツェルナー教授(日本史研究)に、日本の現状への懸念と声明に込めた思いを聞きました。(ベルリン=伊藤寿庸 写真も)
―どうしてこの声明を出すことになったのですか。
直接のきっかけは、「平和の少女像」を見せてはいけないという声で企画展が中止になり、文化庁が「あいちトリエンナーレ」への支援を撤回したことです。海外の日本研究者が声をあげなければいけないと、文化庁の決定(9月26日)の2日後に声明を起草し、署名活動を始めました。現在約170人から賛同が集まっています。米英仏やオーストリア、ニュージーランドなどの一流の日本研究者です。
4年前、世界の歴史家が安倍首相に対する声明を出したことがあり、私も賛同しました。今回はアートの表現の自由が問われたので、日本美術史の研究者や美術館の学芸員にも広がっています。
―賛同者からどのような反響がありましたか。
あるフランスの研究者は「いままではこういった活動はしてこなかったが、今回はあまりにひどいので署名する」と言っています。米国からは「今の全世界の動きをみると絶対に必要な署名だ。今こそオープンネス(公開性)が必要だ」との声がありました。
―日本で「表現の自由」が脅かされている現状はどう感じていますか。
フランスのNGO「国境なき記者団」が発表する「世界報道の自由度ランキング」で日本の順位はどんどん落ちています。2010年が11位で、今は67位です。米国のNGOフリーダム・ハウスの発表する「報道の自由」ランキングでも同じ時期に21位から27位まで下がりました。国連の「表現の自由」に関する国連特別報告者も、日本の報道の自由を懸念する報告書を出しました。
海外の研究者はみな、これを見て懸念していました。今回、それがアーティストの自由にまで広がったという印象です。
―声明は「民主的かつ多元的な社会において、政治と行政が表現の自由に敵対する勢力から芸術と学問を守る」べきだと述べていますね。
ローザ・ルクセンブルク(ドイツ、ポーランドの女性革命家。第1次世界大戦に対し反戦運動を組織。ドイツ共産党を結成後、1919年に軍によって虐殺)に「自由はいつも反対者の自由だ」という有名な言葉があります。意見が割れていても、表現する自由はとても貴重です。
日本の国立国会図書館の入り口にかけられている「真理がわれらを自由にする」というモットーに、私はとても感動しました。羽仁五郎(歴史家、参議院議員)が残した言葉です。戦後、そういう精神で民主主義を作ろうとした知識人がいた。その遺産を守る責任は、国民と行政と政治家にあると思います。
その点で西欧と日本は共通しています。「表現の自由」のない民主主義はありえないという点も共通しています。
―「ポピュリストの要求を唯々諾々と受け入れ」ることや「テロリストの恫喝(どうかつ)に屈する」など「到底受け入れられるものではありません」というのは強烈な言葉ですね。
民主主義を破壊する勢力に対しては、民主主義の自衛権があると思います。自衛する責任は、政府、行政だけでなく、市民にもあります。とくに外国人、女性、障害者などの少数者、弱者をしっかり守る義務があります。
しかし日本ではそれに触れないで、何を言ってもいい、というスタンスをとっている人が多いようです。「NHKから国民を守る党」なんていう党もそう考えているようです。私はそうではないと思います。差別や暴力を起こすヘイトスピーチに対しては、全力で民主主義を守るべきです。
民主主義は一回作れば大丈夫、というものではありません。民主主義の敵との毎日のたたかいが大切です。
―「日本の政府との間の協力関係」「公的機関に対する信頼」が損なわれたとも指摘していますね。
今回の「トリエンナーレ」の中止で作品を引き揚げさせられた海外のアーティストは、自分の表現の自由も危ないと感じています。
今後文化庁が、海外の研究者やアーティストに対し、「こういう研究はしてはいけない」「こういう展示はしてはいけない」と条件を付けるなら、協力は非常に難しくなるでしょう。
文科省の奨学金について「日韓関係を研究する学者には出せない」という外交官の発言が数年前にありました。これでは、信頼関係はあやうくなります。
―日本と韓国の両方を研究してきて、今の日韓関係についてどう考えますか。
海外での日本研究は、日本の世界的意義という観点から、中国や韓国と並行して研究する必要があります。私の場合は朝鮮半島でした。
豊臣秀吉の朝鮮出兵から100年以上たったころ、新井白石が朝鮮との「未来志向の外交」という言葉を残しています。江戸幕府もこの問題を解決できていなかった。そういう500年間の関係を、日韓の枠組みだけで解決できるのか。
たとえば「慰安婦」問題では、私個人は、海外に「慰安婦」像を立てることには反対でした。しかし「トリエンナーレ」の事件が起き、日本国内で自由な討論ができないのなら、海外でやるしかないのではないかと考え始めています。
ドイツは、戦後責任に向き合ってきましたが、第2次大戦で日本とドイツは「共犯者」でした。両国が歴史的な記憶を共同で研究して、解決案を作れないでしょうか。韓国とドイツの関係も非常にいいので、日韓とドイツの三角形でとりくめばやりやすいのではないでしょうか。米国よりも、ドイツの方がフェアな立場に立てると思います。
ボン大学教授。専攻は日本史。著書に『東アジアの歴史 その構築』(明石書店)、『ドイツ語エッセイ Mein liebes Japan!』(NHK出版)。2017年にドイツで出版された『日韓関係史通史』(ドイツ語)は500ページを超える大著。高校生の時に習った柔道がきっかけで日本の歴史に関心を持つ。1961年南アフリカ共和国生まれ。
2019年10月29日
【アナンデール(米南部バージニア州)=遠藤誠二】米国の首都ワシントン地域で活動する韓国系米国人の市民団体が27日、首都近郊のバージニア州アナンデールで、旧日本軍「慰安婦」を象徴する少女像を設置し、除幕式を行いました。米国での少女像設置は5番目で、首都地域で初めて。今回は公的な場所・施設ではなく、商業施設の一角に置かれました。
式典には、「慰安婦」被害者の吉元玉(キル・ウォノク)さん(93)、「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」の尹美香(ユン・ミヒャン)理事長が出席。ほかに主催団体代表、地元バージニアのフェアファクス副知事や州議会議員らが見守るなか少女像の除幕が行われ、その後、ノーサム知事(代理)、副知事、議員らが連帯のあいさつをしました。
吉さんと尹さんは、自作の詩を朗読。「日本軍による性奴隷制はおぞましい歴史。私たちは目を見開き加害者を見続ける」と訴えました。
主催団体の一つ、「ワシントン希望の蝶」代表の趙賢淑(チョ・ヒュンスク)さんは、「慰安婦被害者は問題解決にむけていまもたたかっている。日本政府が心からの謝罪と補償を行っていないからだ。慰安婦に謝罪と尊厳を」と呼びかけました。
2019年10月29日
映画監督の白石和彌氏、井上淳一氏、映画製作会社若松プロダクションは28日、第25回KAWASAKIしんゆり映画祭でのドキュメンタリー映画「主戦場」上映中止に抗議し、同プロダクション製作の2作品の映画祭での上映を取り下げる声明を発表しました。
「しんゆり映画祭」(27日開幕)は、NPO法人「KAWASAKIアーツ」が主催・運営するもので、川崎市や同市教委などが共催。運営は市民ボランティアが担っています。
「主戦場」(ミキ・デザキ監督)は、旧日本軍の「慰安婦」問題を描き、元「慰安婦」の主張を肯定する側と否定する側の30人近くのインタビューをまとめた映画です。出演者の一部が「『学術研究のため』と説明されたのに、商業映画として公開され、著作権や肖像権を侵害された」と事実をねじ曲げ、上映禁止を求めて6月に提訴しています。
同映画祭は提訴の状況を踏まえた上で映画祭での上映を決めていました。しかし、共催の川崎市からの懸念を受け、「映画館での妨害・いやがらせなど迷惑行為への対応」が、市民ボランティアでは「限界があること」を理由に上映を見送ることを決めていました。
これに対し抗議声明は、「主戦場」は公開以降の半年間、問題なく上映されてきたことを指摘。上映中止は「過剰な忖度(そんたく)」で、「『表現の自由』を殺す行為」に他ならないと批判。「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」中止の流れにあるもので、これを許せば自主規制や「事前検閲により、表現の自由がさらに奪われ」、多様な映画上映が政治的という理由で公共施設から排除され、政府の意向に沿った作品しか上映できなくなりかねないと抗議しています。
2019年10月25日
新日本婦人の会と韓国女性団体連合は24日、同日行われた安倍晋三首相と韓国の李洛淵首相との会談を受けて「北東アジアの平和のための日韓女性共同声明」を発表し、両国政府がただちに対話による日韓関係の解決に踏み出すことを求めました。
「徴用工」問題や日本軍「慰安婦」問題は、「国家間の合意にかかわらず、被害者が受け入れてこそ解決がはかられます。政府と当該企業はその責任を果たすべきです」と指摘。「現在起こっている問題の根底には、日本の侵略戦争と植民地支配、人権侵害を反省しないばかりか、なきものとし、正当化しようとする安倍政権の姿勢があります」としています。
日本政府が植民地支配への「痛切な反省と心からのお詫(わ)び」を確認した日韓共同宣言(1998年)に立ち返ることを強く要求。日韓両政府とも事態を悪化させるいかなる行動も控え、理性的な対話を通じて、北東アジアの平和とジェンダー平等、民主主義を促進することを求めています。
2019年10月23日
日本共産党の「個人の尊厳とジェンダー平等のためのJCP With You」チームが21日、日本共産党本部で開いたトーク&交流イベント「フラワーデモから刑法改正へ」では、作家でフラワーデモ呼びかけ人の北原みのりさん、フリーライターの小川たまかさん、日本共産党の山添拓参院議員(弁護士)が語りあいました。
3月12日の福岡地裁久留米支部の判決に始まって、性暴力事件で無罪判決が続きました。「とにかく集まろう」と東京駅前の行幸通りに集まりました。ビル街のキラキラした場所で声をあげてやろうという気持ちでした。先月は全国で21カ所に広がり、スペイン・バルセロナでも声を上げた人がいます。
私は二十数年前から性の尊厳や喜びを伝えたいと仕事をしてきました。でも性で傷ついている人が多かった。その状況が変わらない日本はおかしい、その答えを見つけたいと韓国のフェミニストたちの日本軍「慰安婦」問題に積極的に関わるようになったことが今回のフラワーデモにつながっています。
日本軍「慰安婦」問題で1991年に金学順(キム・ハクスン)さんが、当事者として声を上げたのは、「私があなたの声を聞きます。信じます」という場所と力があったからです。
初めてデモをした4月11日は、予定になかった人が手を挙げて幼いころの性暴力のトラウマで就学、就労がままならなかったと、性暴力被害にあったことは人生を中断させられることだ、と話しました。発言する人が続き「また集まらなきゃね」となりました。
社会の痛んだ声、社会の一番弱い人の声をすくいとるのが民主主義だと思います。被害者が声をあげやすいフラワーデモはその場だと思います。あったことをなかったことにしない、そういう声を聞くことが民主主義だと実感しています。
2019年10月10日
一つ一つ言葉を選んで語るその口調から、誠実な人柄が伝わってきます。
「慰安婦」被害者が共同生活を送る「ナヌムの家」で暮らすハルモニ(おばあさん)の生き生きとした日常が印象的な映画「まわり道」を完成させました。韓国で6月に公開され、日本でも10月、自主上映が始まりました。
もともとは映画俳優で、「慰安婦」被害者を描いた劇映画「鬼郷」(2016年)に出演。「この問題は教科書にも載っていますが、映画製作を通して初めて深く知りました。ここからハルモニたちとの交流も始まりました」
役作りに生かしたいと、20年にわたり記録された被害者の映像1600時間分すべてに目を通しました。それまで抱いていたハルモニたちの印象が一変したといいます。
「マスコミから流れてくる姿は、常に闘争的でした。でも20年前の元気なハルモニたちは、笑ったり、踊ったり、冗談を言い合ったりしていた。笑顔のあふれる日常を映画にしたいと思いました」。追加取材も行って、一編の記録映画に仕上げました。
「ナヌムの家」の安信権(アン・シングォン)所長は「まじめで、根気強く、愛情深い青年」と評します。
日韓の関係が難しい今だからこそ見てほしいといいます。「映画を見た日本の方から母親を思い出したと言われました。穏やかで親しみのあるハルモニの姿を通して被害者の痛みに寄り添い、共感してもらえたら」
2019年10月7日
映画「沈黙―立ち上がる慰安婦」の上映会が6日、神奈川県相模原市で行われました。主催は、相模原上映実行委員会。右翼街宣車の妨害を受けながらも、会場満員の180人が鑑賞しました。
「沈黙」は、日本軍「慰安婦」が、名誉と尊厳を回復するたたかいを描いた記録映画。これまで県内の上映会で右翼団体等から妨害行為を受けてきました。この日、上映会を守るため約50人が駆け付けました。
上映後、在日朝鮮人の女性監督・朴壽南(パク・スナム)さんは、在日朝鮮人差別について語り「(差別は)差別を受けた人を死に追いやります。じつに恐ろしいことです」と訴えました。
同映画プロデューサーで同監督の娘の麻衣さんが、妨害をはねのけて満席で上映できたことに「紛れもない勝利です」と述べると、会場から拍手が送られました。また、「(いまや)表現の自由や歴史の事実は、たたかわないと勝ち取れなくなっている。『慰安婦』問題を知らない若い人に、この映画に触れてほしいです」と話しました。
同市在住の女性(73)は「『慰安婦』は戦争の歴史の一つの傷痕です。胸が痛みました」と話しました。
2019年10月6日
安倍晋三首相が4日に行った所信表明演説で、第1次世界大戦後のパリ講和会議(1919年)で日本が「人種平等」を掲げたことを挙げ、植民地支配に反対したかのように語ったことについて、韓国の大手全国紙「朝鮮日報」と「中央日報」は「安倍首相の詭弁(きべん)」「周辺国の反発を招く」などと批判しました。
朝鮮日報(電子版)は5日付で、安倍氏の発言は、「日本の植民地支配の歴史を全否定する深刻な歴史歪曲(わいきょく)だ」と断罪し、「西欧からアジア人を解放するという名分を掲げた日本の『大東亜共栄圏』や『大東亜戦争』を擁護するものと解釈できる」と指摘しました。
また、徴用工や「慰安婦」被害、南京大虐殺などの歴史に触れなかったと報じました。
中央日報(電子版)5日付も、「第2次世界大戦当時に日本が歩んだ帝国主義侵略史に言及しないまま、それ以前のことだけを前面に出す『歴史隠し』であり『歴史ロンダリング(洗浄)』という論争を呼びかねない」と指摘しました。
2019年10月6日
国際芸術祭・あいちトリエンナーレ2019の企画展「表現の不自由展・その後」の実行委員会などは4日夜、「慰安婦」を象徴する「平和の少女像」を作った韓国の彫刻家を招き、名古屋市でトーク集会を開きました。
不自由展は、少女像などに抗議が集中し、開幕から3日で中止されました。6~8日の再開に向けて協議が進んでいます。
少女像を作ったキム・ソギョンさんとキム・ウンソンさん、不自由展実行委の岡本有佳さんが登壇。少女像への抗議にジェンダー視点から反論する声明を作った碓井ゆいさん、大橋藍さんも発言しました。
キム・ソギョンさんは不ぞろいの髪の毛や握りこぶしなど、少女像の細部に宿る意味を説明。「過去の苦痛、現在のたたかい、被害者と私たちの思いが込められている」と述べ、作品を通して自分が何をすべきか考えてほしい、と話しました。
キム・ウンソンさんは「企画展は、少女像が『反日の象徴』ではなく平和の象徴だという真実を、見に来た人に伝えられるいい機会になる。多くの人が“再開すべきだ”と声を上げてくれたことに勇気をもらった」と話しました。
岡本さんは「女性の人権と尊厳の回復を願う少女像は、表現と交流の場をつくる上で欠かせない作品だ」と話しました。日本共産党の池内さおり前衆院議員、須山初美愛知県常任委員が参加しました。
2019年10月6日
「川崎から日本軍『慰安婦』問題の解決を求める市民の会」は5日、川崎市内で「慰安婦」被害者のドキュメンタリー映画「まわり道」の上映会を行いました。日本初公開です。会場には用意したイスを埋めつくす180人が参加しました。
映画は旧日本軍「慰安婦」被害者が共同生活を送るナヌムの家で撮影した過去20年間を、李玉善(イ・オクソン)さん(92)を中心にまとめています。
上映後、来日した李さんが被害を語りました。李さんは「私たちは『慰安婦』ではありません。強制労働の被害者です。日本人が名前をつけたのです」と訴えました。「日本政府は私たちが死ぬのを待っているようですが、私たちが死んでも『慰安婦』問題は解明されないといけない。支援してくれる若い世代が必ず解明してくれると信じています」と話しました。
ナヌムの家の安信権(アン・シングォン)所長は「韓国は若い人が『慰安婦』問題に関心を持っていて、とても明るい雰囲気です」と紹介。「日本軍性奴隷被害者という言葉を積極的に使っていこうと思っています」と話しました。
「女たちの戦争と平和資料館」(wam)名誉館長の池田恵理子さんが講演しました。
2019年9月28日
日本軍「慰安婦」だった、ある韓国人おばあさんの一生を描いた漫画『草(プル)』。今月14日、フランスの第1回ユマニテ漫画賞審査委員特別賞に選ばれました。フランス語、英語、イタリア語などで翻訳されていて、現在、日本語版の作業がすすめられています。(都光子)
韓国漫画『草』は、韓国の「ナヌムの家」(※1)に暮らす李玉善(イ・オクソン)ハルモニ(おばあさん)の一生を描いています。作者である金錦淑(キム・ジェンドリ・グムスク)さん自身が登場し、「慰安婦」になった経緯やそこでの扱い、戦後どう生き延びてきたのかをインタビュー。ときには、ハルモニがいたという中国の慰安所を探しにいき、過酷な旅を追体験します。
2017年、450ページを超す大作となって出版。作者本人によるフランス語版を出したところ、すぐに英語版も出版されました。
フランスのユマニテ漫画賞は、日刊紙「ユマニテ」が、人間の人生と人権を扱った作品を選定する賞として今年初めてつくったもの。その審査委員特別賞に『草』が選ばれました。さらにフランス漫画批評家協会が選定する2019アジア漫画賞の最終候補にも、ノミネートされています。
『草』の日本語訳に取り組んでいる広島県福山市の都築寿美枝さんは「私の知りあいの作家が、私の知っているハルモニを描いていて、運命を感じた」と喜びます。現在、韓国の大学院に在学中です。
中学教員として、1990年代から「従軍慰安婦」の証言を教材に、平和教育、性教育にとりくんできました。「この問題は男性の問題でもある、と授業で言ってきました。軍国主義は兵士たちの性までをも管理し、人間性が奪われていったと話すと、男子生徒も真剣に聞いてくれました」
初めて韓国で証言を聞いたときのことを今でも思い出します。「『日本軍の関与? 軍そのものがやったことよ』と語気を強めて話されたんです」
「慰安婦」たちを招いての証言集会が日本各地で開かれたときには、同行支援することも。証言をしていると、PTSD(心的外傷後ストレス障害)で体調を崩す人もいました。「一緒にお風呂に入った時に、おなかに大きな傷があって、『日本軍にやられた』と教えてくれました。心と体に本当に大きな傷を負っているんだと改めて感じました」
関釜裁判を支援する福山連絡会の代表にもなりました。釜山市などの元日本軍「慰安婦」と元女子勤労挺身(ていしん)隊が山口地裁下関支部に、日本の公式謝罪と賠償を求めた裁判です。
もっと韓国語を学びたい、と語学留学をしているなかで出会ったのが『草』の作者キム・ジェンドリ・グムスクさんでした。「彼女が作品の中で韓国社会における女性の地位をめぐって葛藤します。ジェンダー問題・人権問題にも及ぶ内容で、絵も引き寄せられる。漫画だからきっと日本の若い人も読んでくれるはず」と日本語訳を始めました。
昨年、アクティブミュージアム女たちの戦争と平和資料館名誉館長の池田恵理子さん、日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワーク事務局長の岡原美知子さんとともに『草』日本語出版委員会を発足。東京で大学非常勤講師をするリ・リョンギョンさんに訳の監修を頼みました。出版社は「ころから」。
現在、クラウドファンディング(ネットを通して資金を募る)中(※2)。第1次目標は達成しました。発行は来年1月末の予定です。
「『はだしのゲン』が世界中で読まれています。韓国には広島で被爆した人たちが多く住んでいる陜川(ハプチョン)という町があります。そこで被爆者を支援している若者に聞くと、『はだしのゲン』を読んだのがきっかけだというのです。『草』が世界中の言葉に訳され、読んでもらいたい。被害者、加害者という二分論ではなく、戦争がいかに一般市民を傷つけ、ふみにじるのか、知ってほしい」
※1ナヌムの家 日本軍「慰安婦」だった女性たちが共同生活を送る施設
※2クラウドファンディング「世界で読まれている『慰安婦』漫画『草』を翻訳刊行したい!」 https://readyfor.jp/projects/pulpublishinginjapan
2019年9月25日【文化】
メディアが連日「嫌韓」をあおる報道を繰り広げる中、論壇でも「『NO文在寅』を叫ぶとき」(『Voice』10月号)、「文在寅では大韓民国が地球から消える」(『文芸春秋』同)などと韓国や文大統領を口をきわめて非難し、安倍政権の外交姿勢を正当化する論調が目立ちます。この中で冷静な議論を呼びかける特集・論考に注目しました。
『世界』10月号は「日韓関係の再構築へ」と題する特集を組みました。元外務省アジア大洋州局長の田中均(ひとし)氏は「『韓国にどう対抗するか』といったナショナリスティックな姿勢」での外交は危険だと指摘し、「日本が過去におかしてきた歴史的な問題は、ぬぐえないものです。そのことをきちんと若い世代に伝えて、継承していく必要があります」と述べています。
梁澄子(ヤン・チンジャ)氏(「希望のたね基金」代表理事)は、8月に開かれた「慰安婦」問題の集会における大学生の発表を紹介します。その学生は、従来の日本の「お詫(わ)び」は「曖昧で限定的」で、しかも政治家らがそれを「帳消し」にする言動を繰り返すことで、被害者を傷つけてきたと指摘。必要なのは「被害者が受け入れられる解決策」を示し、それを起点に「継続的な謝罪」と「不断の努力」をすることだと提起しました。梁氏は「このような認識が日本社会で広く共有されることを願う」と若者に希望を託しています。
『世界』の川田文子氏(ノンフィクション作家)と石川優実(ゆみ)氏(女優、ライター)との対談「慰安婦問題と現代の性暴力 共通の『病根』を批判する」で、石川氏は、グラビアアイドル時の性被害をブログで公表した自らの経験と、「慰安婦」問題とを重ね合わせ、「すごく似ていると思うのが、被害者に対するバッシングです」と発言。川田氏も、石川氏のブログを読み、「経験が浅く未熟な子」をだまし脅して脱出不能の状態に追い込む旧日本軍同様の手口が、現代も続いていることを知って驚いたと語ります。
世代を超えて連帯を育む中で「記憶の継承」が行われている姿に意を強くしました。
10月の消費税増税を憂慮する論考も引き続き出ています。柴山桂太氏(京都大学准教授)は「世界経済をも蝕(むしば)む消費増税」(『Voice』)で、「世界経済は来年にも景気後退に入る」との米国識者の見通しを紹介し、いま増税すれば「個人消費の落ち込みが長期にわたって続くのは明らか」、「その後にグローバルな経済危機の津波が押し寄せると、消費の低迷に輸出の減退が加わる」と警鐘を鳴らします。
星野卓也氏(第一生命経済研究所副主任エコノミスト)は増税がもたらす実質所得減の影響に注意を喚起。“駆け込み需要が起きていないから増税後の景気への悪影響は少ない”との楽観論にクギをさしています。(『週刊エコノミスト』9月17日号)
国連軍縮部門トップが4人全員女性に(「しんぶん赤旗」9月15日付潮流)―この一報は改めて、あらゆる分野でのジェンダー平等実現に努力する国際社会の意思を感じさせました。『世界』の特集「AI兵器と人類」に中満泉氏(国連事務次長・軍縮担当上級代表)ら複数の女性筆者が寄稿、登場しているところにも同様の傾向が現れています。
一方、日本政治の現状はどうか。角田由紀子氏(弁護士)は「性暴力が無罪になる国」(9月6日付「朝日」)で、この間、性暴力事件に相次いで無罪判決が出されている現状に触れ、「(ジェンダーギャップ指数)110位の国でこういう判決が出るのは相応」「日本は性差別が色濃く残っているのに、それが認識できていない国なのです」と批判を述べます。性被害の実態を語り合うフラワーデモについて「何かが沸点に達し、フタが開いた」「『女・子どもの問題』として社会の片隅に追いやられてきたテーマが、中心課題になりつつある」と潮目の変化を語っています。
ジェンダー平等に向けて動きだした世界の流れに合流し、すべての人の尊厳が守られる日本社会に変えていくために、その流れを妨害する安倍政権を一刻も早く退場させることが必要です。
(さかい・のぞみ)
・河野洋平(自民党元総裁)、青木理(おさむ=ジャーナリスト)「日本人と戦後70年」(『熱風』9月号) 青木氏がゲストに戦後70年の意味を問う連載。河野氏は自民党政治の劣化と四面楚歌の外交を嘆き、核の傘を放棄し、日米安保体制をゼロベースで考え直してはどうかと提言。
・南丘喜八郎(『月刊日本』主幹)「危うし!日韓関係」(同誌9月号) 日本政府は、日韓請求権協定締結後も個人の請求権は存続すると認めていると指摘。日本が朝鮮を植民地化し、戦後は朝鮮戦争を契機として経済復興を遂げた歴史的事実を忘れてはならないと強調。
・『週刊東洋経済』(9月21日号)は「子どもの命を守る」と題して特集を組み、虐待や保育園での事故など子どもの命の危険とその解消策を多角的に検証。
(編集部)
2019年9月7日
韓国の全国紙・京郷新聞は4日付に日本共産党の志位和夫委員長のインタビュー記事を掲載しました。「志位和夫日本共産党委員長『歴史修正主義を最優先した安倍政権、慰安婦・強制徴用問題を放置』」と題する記事で、志位氏は日韓関係悪化の原因や安倍政権による政経分離原則に反する対韓輸出規制強化の問題点や、植民地支配への反省が不十分な原因などを解明しているほか、安倍外交の相次ぐ失敗などについても解説しています。同記事のうち、一問一答部分の日本語訳は次の通りです。
―韓日関係が悪化している。
「安倍政権に原因がある。大法院の強制徴用判決を国際法違反だと言って、被害者の尊厳と名誉を回復する責任を放棄し、韓国に対する一方的な非難を続けた。対抗措置として輸出規制を使い、政経分離の原則に反する禁じ手を使った。そうしておきながら、安保上の輸出管理(体制の)再検討だと言った。欺瞞(ぎまん)的な態度だ。根本原因は安倍政権が植民地支配への反省を放置してきたことだ。1995年の村山談話、1998年の金大中・小渕宣言などは、1990年代後半に植民地支配への反省を語った。当時、安倍首相は歴史修正学派の若手旗手として(登場し)、歴史を書き換えること、戦争は正しかったのでありこれを遂行した日本は美しい国だと言うことに力を注いだ。2015年の安倍談話で、韓国の植民地化を進めた日露戦争が植民地支配に苦しんでいるアジアの人々に勇気を与えたとあべこべに語った。黒を白だと言って、侵略戦争を正当化した。歴史修正主義を繰り返しながら、慰安婦であれ徴用問題であれ、正直な対応をしなかったことが今の問題を生み出した」
―日本国民の支持が高い。
「政治が韓国蔑視と排外主義をあおり、メディアの多くも同調している。日本政府は、徴用問題は1965年の日韓請求権協定で解決済みだというが、(被害者の)個人請求権は消滅していない。日本政府もこの点を認めている。日本の最高裁判所も2007年、中国の強制連行被害者の裁判で、個人請求権が実体的に消滅したものではないとして、西松建設が和解して賠償金を支払った。中国にできたことが、なぜ韓国にはできないのか。日韓の政府と最高裁判所が、個人請求権は消滅していないということで一致している。これを重視して、民間訴訟を政治問題に拡大せず、被害者の尊厳と名誉を回復する措置を取らなければならない」
―他の目的があるのだろうか。
「安倍政権は一貫して隣国を侮辱して、自らの支持層にアピールして、支持率を上げようとしている。たとえば、韓国に対する仲裁委員会の要請の回答期限を参院選(投票日の)直前に定めた。見え見えだ。そういうふうに自らの支持率を上げようとしているのであり、そういうやり方にメディアの多くが同調しているのが大きな問題だ。政治家としてやってはならないことだが、安倍首相はずっとそれをやってきた政治家だ。前回の総選挙では、北朝鮮(問題)を『国難』だとまで言って衆議院を解散した。北朝鮮問題をさんざん利用したが、トランプ大統領が対話路線に行ったので、今はそういうわけにはいかないので、ほかのところに矛先を向けている。ただし、それにとどまらない動きも生まれている。最近の(貿易規制拡大)行為は、日本が自ら首を絞めるものだ。韓国の観光客が急減するなど、経済にも悪影響が出ている。こういう過程のなかで、日本国内でも理性と良識の声が次第に広がっている」
―「嫌韓」雰囲気が広がっている。
「日本にもまともな、理性的な声を出す人が多い。(嫌韓は)政治が意図的に拡散させている。多くの日本国民は侵略戦争への反省の気持ちをもっている。ただ、植民地支配に対する反省は、戦争に対する反省より弱い。36年間の朝鮮半島支配がどのように行われたのか、基本的な事実がちゃんと知られていない。戦争をしたことは悪いと考える日本人の中でも、植民地支配についてよく知らない人が少なくない。何が誤っていたのか、ひとつひとつ明らかにしなければならない。私たちの責任だと思う。ただし韓国も、安倍政権の政策に対して批判するのは当然だが、反日は困る」
―安倍外交を評価すると。
「安倍外交にはうまくいったものが一つもないではないか。四方八方、行き詰まっている。トランプ米大統領の言いなりに兵器を大量購入し、農産物市場を開放するなど、米国従属外交が極みに達している。ロシアにおべっかを使うような(領土交渉)外交は失敗した。韓国に対するどう喝外交も破たんした。安倍首相は『地球儀を俯瞰(ふかん)する外交』だと言うが、地球儀の『蚊帳の外』外交だ。対北朝鮮外交も大失敗ではないか。今までは圧力一辺倒で、『対話のための対話はない』と言っていたではないか。それに対する反省なしに(北朝鮮に対して)対話しようと言うからうまくいかない。さらに、安倍首相が力を注いだ原発輸出もうまくいかなかった」
2019年9月3日
安倍政権は、2015年12月の日韓「慰安婦」合意を、文在寅(ムン・ジェイン)政権がほごにし、韓国が「約束を守らない」ことに対する制裁として、「貿易制限措置」の正当化をはかっています。
日韓「慰安婦」合意は、当時の岸田文雄外相と韓国・朴槿恵(パク・クネ)政権の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相との間で交わされましたが、17年5月に誕生した文政権は、同年12月28日に韓国外務省・作業部会による検証結果の報告書を公表しました。
その中で重大なことは、「慰安婦」合意には、「(日韓)外相共同記者会見の発表内容以外の非公開部分があった。このような方式は、日本側の希望により、ハイレベル協議において決定された」との指摘です。非公開協議を担当したのは、日本側は谷内正太郎国家安全保障局長、韓国側は李丙琪(イ・ビョンギ)韓国大統領府秘書室長でした。
その非公開部分の内容として、日本側は(1)「今回の発表により、慰安婦問題は最終的かつ不可逆的に解決されるので、挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)などの各種団体が不満を表明した場合であっても、韓国政府はそれに同調せず、説得していただきたい。在韓国大使館前の少女像をどのように移転するか、具体的な韓国政府の計画をうかがいたい」(2)「第三国における慰安婦関係の像・碑の設置については、このような動きは…適切でない」(3)「韓国政府が今後、『性奴隷』という言葉は使用しないでほしい」―と要求したとされています。
韓国側は当時、(1)(2)について事実上受け入れ・譲歩し、(3)「性奴隷」という表現を使うなとの日本の要求に対して、「韓国側は、性奴隷が国際的に通用する用語であることから反対していたが、政府が使用する公式名称は『日本軍慰安婦被害者問題』だけであると確認した」と指摘。不使用の「約束」はしていないものの、「日本側がこのような問題に関与できる余地を残した」としています。
報告書はこれらの確認のうえで、韓国政府は「被害者中心、国民中心ではなく、政府中心で合意した」と認定。安倍晋三首相の「おわび」の表明など「ある程度進展として評価できる部分さえもその意味が薄れてしまった」としています。文在寅大統領は、報告書発表とともに、「非公開協議の存在は国民に大きな失望を与えた」「この合意では慰安婦問題を解決できない」とし、「日本との正常な外交関係を回復していく」と表明しました。
秘密協議の存在とその内実は、「最終的かつ不可逆」とされた合意の狙いを浮き立たせます。戦時中、多くの韓国人女性を「性奴隷」とし、その尊厳を踏みにじった事実を「不可逆的」に封じ込めていく。恐るべき歴史偽造の意図です。当時の韓国政府にも責任はあります。人権の名において、「合意」の過程がより深く検証されるべきです。
(中祖寅一)
2019年9月2日
「ハルモニ(おばあさん)が日本の新聞記者に話したいことがあると言っている」―。そんな知らせを受けた8月中旬、「慰安婦」被害者が共同で暮らす「ナヌムの家」(韓国京畿道広州市)に李玉善(イ・オクソン)さん(93)を訪ねました。(韓国京畿道広州市)
李さんの部屋に入ると、写真が壁の一角に張られています。被害の実態を証言するために日本や米国、ドイツなどを訪問したときの写真です。
李さんは1927年に朝鮮半島東南部の釜山(プサン)で生まれました。家は貧しく15歳のころ、養女として釜山の約60キロ北にある蔚山(ウルサン)へ。主人に頼まれた買い出しの途中、日本人と朝鮮人の2人組によってトラックに押し込められます。連れて行かれた先は中国東北部・延吉の慰安所でした。「服も靴も、ろくなものがなかった。無償で支給されるわけでもない。買うために借金をさせられた」
1日、何人もの軍人の相手をさせられました。「靴やゲートルを脱がすことまで女性たちがやらされたよ。ありとあらゆる手段で強要された」。李さんは逃亡を図りますが連れ戻されます。暴行を受け、刀で刺された傷痕が残っています。「あそこは死刑場のようだった。私たちは強制的に連れて行かれた。自らすすんで慰安しに行ったわけではない。私たちは『慰安婦』じゃない」と力を込めました。
45年の解放後も苦労の連続でした。道も分からず、お金もない―。物乞いで飢えをしのいでいるときに出会ったのが、中国人で朝鮮族の男性でした。後に結婚し、李さんは中国に定着します。
夫から、故郷に帰りたくないかと聞かれたことがあります。「帰りたくても帰れなかった。私のおでこには『慰安婦』と書いてあるようなものだ。家族の前に二度と出られなかった」。家父長制で大家族だった当時の朝鮮。李さんのように帰国できなかった人、帰国後も家族から離れて暮らす人がいました。
李さんは夫と死別後、2000年に帰国が実現します。「ナヌムの家はいいところ」とにっこり。体調がいいときはソウル市内で行われる「慰安婦」問題解決のための水曜集会にも参加します。
「こんなにひどいことをしたのに、日本は歴史の問題に向き合わず、いま経済制裁までしている。これは本当にひどいよ」
でもね、と言葉をつなぎます。「ここでいいたいのは、日本の政府が悪いということ。日本には、一緒にたたかってくれる人がいることも知っているよ」
「悪いのは必ずしも日本だけじゃない」とも。15年12月に日韓外相が交わした日韓合意について、当時の朴槿恵(パク・クネ)大統領が「もう日本に謝らなくていいと言ってしまった」といいます。
自発的に行ったのなら賠償は求めないと李さん。「直接、経験したことだから声を上げ続けている。うそはついていない。日本政府には、心からの謝罪をしてほしい」
◆
韓国政府が承認した被害者は240人。存命の20人の平均年齢は90歳を超え、認知症や寝たきりの人もいます。ナヌムの家は現在6人の被害者が共同生活し、介護にあたる職員や看護師などが常駐し見守っています。「慰安婦」問題の展示や、被害者の遺品が並ぶ二つの歴史館も併設されています。
2019年9月1日
愛知県で開かれている国際芸術祭の企画展「表現の不自由展・その後」の中止は、表現の自由の侵害にとどまらない―。多摩美術大学の学生・研究者を中心にした有志グループは31日、東京都内で緊急自主ゼミナールを開き、会場いっぱいの50人が参加しました。
同グループは、旧日本軍「慰安婦」問題の解決を願いつくられた「平和の碑」(少女像)の展示中止は、日本の侵略戦争の歴史を書き換える狙いがあり、民族・性差別だとして、展示再開を求める署名をインターネット上で集めています。
署名を発案した学生は、河村たかし名古屋市長の「(少女像展示は)日本人の心を踏みにじるものだ」との発言、菅義偉官房長官の芸術祭への補助金交付の精査を示唆などの政治的圧力、テロ予告などの脅迫が行われて企画展が中止に追い込まれたことに対し、「沈黙していたら民主主義の危機だ。抗議の声を可視化しなくてはいけない」と思い取り組んだと述べました。現在署名は6千を超え、9月7日中に1万を目指すといいます。
研究者が、米サンフランシスコ市議会が女性差別撤廃を決議し、「慰安婦」メモリアルを設置したことを紹介し、「幅広い対話をあきらめなかった成果だ。愛知でもきっとできる」と強調しました。
病気で出席できなかった池田恵理子・女たちの戦争と平和資料館名誉館長から「脅しに絶対に屈しない。吠(ほ)えまくりましょう」とのメッセージが寄せられました。
8月
2019年8月30日
新日本婦人の会神奈川県本部は29日、神奈川県庁(横浜市中区)を訪れ、日本軍「慰安婦」や同市へのカジノ誘致をめぐる黒岩祐治知事の発言について抗議文を提出しました。
黒岩知事は27日の定例会見で、「慰安婦」を象徴する「平和の少女像」を、事実を歪曲(わいきょく)したような「政治的メッセージ」だと述べ、「慰安婦」の強制連行は韓国側の「一方的な主張」だと発言。あいちトリエンナーレで中止に追い込まれた企画展についても「(神奈川県なら)開催を認めない」と話しました。
カジノを中核とする統合型リゾート(IR)誘致については、観光の活性化に有効だとして実現に期待しました。
申し入れで田中由美子会長は、「慰安婦」問題での発言について「人間の尊厳を守るべき立場の知事が、公的な場で事実を否定するような発言をすることは問題です」と指摘。開催を認めないと言うのではなく、中止への怒りの声を上げ、表現の自由を守るエールこそ送ってほしかったと話しました。
応対した県職員は、質問は会見の主題ではなかったなどと弁明しましたが、一方で、表現の自由の問題について、電話やメールなどで黒岩知事の発言に反対する意見が多く寄せられていると明かしました。
2019年8月28日
28年にわたり韓国ソウルの日本大使館前で「慰安婦」問題の解決を目指したたかってきた被害者の若かりし日をモチーフにつくられた「平和の碑」(少女像)。制作した韓国の彫刻家キム・ソギョンさんとキム・ウンソンさん夫妻に、「少女像」に込めた思いや、展示が中断された国際芸術祭・あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」について聞きました。(ソウル=栗原千鶴 写真も)
少女像は1992年1月から現在も毎週行われている「慰安婦」問題解決のための水曜行動が、1000回を迎えたことを記念して2011年12月に建てられました。日本の一部の政治家や保守系のメディアは、少女像を「反日の象徴」などといいますが、それは違います。「慰安婦」被害の歴史を記憶し、人権のためにたたかい続けるハルモニ(おばあさん)をたたえ、運動を継承するためのものです。
少女像には、ハルモニの苦しく長かった人生や未来への夢など、すべてを込めました。
少女の後ろに伸びている影は、ハルモニの姿になっています。少女の時代に動員され、謝罪を受けることのないまま年を重ねたハルモニの悲しみを表現しました。肩に乗っている小鳥は、平和と自由を象徴し、いまもこの地でたたかい続けているハルモニと亡くなって天にのぼったハルモニをつなぐ絆です。
被害に遭った当時、朝鮮の女性は長い髪を三つ編みにするのが一般的でしたが、あえて短く、毛先のそろっていないおかっぱ頭にしました。それは大切な家族や故郷から無残に引き離されたことを意味します。当初そっと重ねようと考えていた両手は、日本政府が建立を妨害していると聞き、ハルモニのたたかいを表す握り拳にしました。
擦り切れているはだしの足は、彼女たちの歩んできた人生の険しさを表しました。その足は少し、かかとが浮いています。これは被害者たちを受け入れることをしなかった韓国社会の偏見と、無策だった韓国政府の無責任さを表しています。
韓国は、大家族の家父長制でした。被害を受けたことが恥ずかしく、解放後も故郷に戻れなかった人がいます。帰ることができても、家族や親せきにさえ疎まれ、再び故郷を去らざるを得なかった人もいる。被害者が、罪人のようにひっそりと生きていかなければならなかったのです。
金学順(キム・ハクスン)さんが実名を公表し、被害を告発したのは1991年8月でした。その時、私たちは、その事実に心を痛めつつも、被害者がいて加害者もはっきりしている、解決はそう遠くないだろうと考えていました。
しかし2011年1月、水曜集会に遭遇しました。まだ解決していなかったのかという驚きと、そのことを知らなかったという申し訳なさが募りました。集会の主催団体を探し訪ねると、支援者から寄付を募り「平和の碑」建立プロジェクトが進行中で、芸術家としてできることをやろうと決意しました。
芸術家たちの表現の自由が守られることは民主主義の基本です。「表現の不自由展」で、少女像が最後まで展示することができれば、日本に民主主義があるということが証明されると考えていましたが、そうはなりませんでした。
短い時間でしたが、私が会場にいて感じたのは、日本の市民の成熟した姿勢です。
説明を熱心に読みメモをとる人や、ハルモニたちの境遇を思って涙しながら鑑賞する人もいました。多くの人から「展示してくれてありがとう」「反日の象徴だと誤解していた」と声をかけられました。中断している「不自由展」の再開を求め行動する市民もいて、被害者の人権を無視している安倍政権とは違うと感じ、本当にうれしく思いました。
少女像の隣には誰も座っていない椅子を置きました。亡くなったハルモニたちが隣で見守っているよ、という意味があります。そして通りかかった人が、なぜここに椅子があるのかと考え、座って少女像の手を握り、ハルモニが夢見る平和を想像したとき、この作品は完成します。
少女像を訪れた人は、暑い日には帽子をかぶせたり、寒い日にはマフラーをまいたりします。手紙を書いてくる人もいます。そこにあるのは「反日」ではなく、つらい人生を歩んできた被害者への「共感」です。
安倍政権は憲法9条を変えて戦争ができる「普通の国家」になろうとしていますよね。いま、戦争は絶対にダメだという日韓の市民の連帯が大事だと思います。
少女像が、その懸け橋になることを願います。一人ひとりの小さな行動、その小さな炎が、大きな歴史をつくるはずです。
2019年8月28日
安倍首相らの侵略戦争肯定の姿勢は、憲法、表現の自由、日韓関係などに深刻な障害をもたらしています。他方で道理ある声も広がっています。
元自民党幹事長で日本遺族会名誉顧問の古賀誠氏は、「現行憲法で守るべきは九条。とりわけ立憲主義と平和主義」とのべ、自衛隊は災害出動で国民に感謝されているから「あえて憲法に書く必要性が本当にあるのか」と憲法への明記に反対しています(「東京」12日付)。
古賀氏は「七十四年間、日本は戦争に巻き込まれないできた。同時に九条には、世界の多くの国に迷惑をかけたという償い、謙虚な気持ちが含まれている。だから九条は世界遺産だ」と語り、安倍政権を「議論がない」、「危うさが感じられ」ると批判します。良識ある保守派らしい立論です。
吉田裕(一橋大学特任教授)「大元帥たる昭和天皇」(「朝日」7日付)は、山田朗明治大学教授の研究もふまえ、昭和天皇の戦争指導を問題にしています。吉田氏によると、天皇は沖縄戦など作戦に介入し、特攻作戦も認めました。天皇は自分が統帥の最高責任者だと考えていたそうですが、これは各作戦の失敗を悔やむ様子を記した田島道治(みちじ)初代宮内庁長官のメモで確証されました(20日、NHK「ニュースウオッチ9」)。
吉田氏は、兵士の惨状を描き20万部も読まれた著書『日本軍兵士』について、「疲労の激しいパイロットに覚醒剤を打って出撃させる発想と、基本的には変わってない」ブラック企業など、「いまの問題に引きつけて読んでいる人も多い」と語っています。
「慰安婦」を象徴する「平和の少女像」が出展された「あいちトリエンナーレ」の企画展を、河村たかし名古屋市長らが中止に追い込んだことは、表現の自由の点で三重に問題です。
第一に、「アジア各地の女性を強制的に連れて行ったというのは事実と違う」という河村氏(5日、記者会見)こそ事実に反します。政府は河野談話で、韓国人「慰安婦」が意思に反して集められた事例を認めています。吉見義明(中央大学名誉教授)「『従軍慰安婦はデマ』というデマ」(「毎日デジタル」15日付)は、日本軍が慰安所を設置し、軍が中国やインドネシアで強制連行した事実は確認されたと反論。「慰安婦」問題は「日本軍が女性の自由を奪い、性行為を強制したという女性の人権問題そのもの」だと本質をつきました。
第二は、公金を支出する当局は口を出せるという姿勢です。横大道聡(よこだいどう・さとし)慶応大学教授は、「政治的に気に食わない作品の展示に公金が用いられたとしても、その表現を支持したことにはなりません」と指摘します(「朝日デジタル」14日付)。また川岸令和(のりかず)早稲田大学教授は、芸術は金がかかるので「国家が口を出すことを認めてしまうと、圧倒的な資金、マネジメント力を持つ国家に、芸術の自律性が押しつぶされ、結局、社会の多様性が失われてしまう。だからこそ、芸術への助成と、その表現内容への介入は直結させないという考え方が、憲法学者の間では一般的だ」と解明しています(「朝日」18日付)。
第三は、企画に殺到した脅迫を河村氏らが放任したことです。青木理(おさむ)氏(ジャーナリスト)は、「だからこそ、企画展を攻撃する側は公儀公認を得たとばかりに勢いづき、エスカレートしたのではないか」、「実行犯は直接の攻撃者だが、公権力が芸術や表現に介入したばかりか、攻撃を煽(あお)って恥じぬところに事態の絶望的な深刻さがある」と批判しています(『サンデー毎日』9月1日号)。
安倍政権は「徴用工」問題の報復として、韓国への輸出規制を拡大しました。河野太郎外相は南官杓(ナム・グァンピョ)韓国大使に「極めて無礼だ」と声を張り上げました。美根慶樹(みね・よしき)氏(平和外交研究所代表)は「こんな振る舞いをすれば、韓国国民は自分たちの代表が侮辱されたと受け取り、反日ナショナリズムに油を注ぐことになりかねない」と危惧し、政府に韓国との協議を求めています(「朝日」8日付)。しかし美根氏の懸念は現実となっています。
(たしろ・ただとし)
・師岡(もろおか)康子(弁護士)「差別を犯罪とする日本初の川崎市条例素案」(『世界』9月号) ヘイトスピーチを刑事規制する川崎市の条例素案について、同市の被害の実態、「表現の自由」をはじめとする憲法との関係、国際的な人権規範の到達などを示して解説。
・竹信三恵子(ジャーナリスト)「なぜ日本の賃金は上がらないのか」(『世界』同) 非正規労働増大による人件費圧縮、官製ワーキングプアの拡大、正規の低賃金化という三つの賃下げ政策からの転換を主張。
・内田聖子(しょうこ=アジア太平洋資料センター共同代表)「片務的かつ非対称な異形の貿易交渉」(『世界』同) 米国では日米貿易協定の目的が公開され、公聴会や意見公募が実施されている一方、日本ではほとんど情報が開示されていないなど、日米貿易交渉の異常ぶりを指摘。(編集部)
2019年8月27日
日本共産党の志位和夫委員長は26日の記者会見で、記者団から「軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の韓国による破棄など日韓関係についてどう見ているか」との質問を受け、次のように表明しました。
◇
一、日韓関係の深刻な悪化を深く憂慮している。
一、今日の日韓関係の深刻な悪化を招いた直接の原因は、安倍政権が、「徴用工」問題で被害者の名誉と尊厳を回復する責任を放棄したうえ、わが党の強い警告を無視して、この問題での政治的対立の「解決」の手段として対韓貿易規制の拡大――韓国の「ホワイト国」からの除外という、政経分離の原則に反する「禁じ手」を使ったことにある。
しかも、安倍政権は、「ホワイト国」からの除外の理由を「安全保障のための輸出管理の見直し」と説明するという欺瞞(ぎまん)的態度をとった。
この過程で、河野外務大臣が、駐日韓国大使を呼びつけ、メディアの前で居丈高に「無礼」と面罵したことをはじめ、およそ外交的礼儀を欠く態度が繰り返されたことも、恥ずべきことである。
一、さらに日韓関係の深刻な悪化の根本的要因としては、安倍首相が、韓国の植民地化を進めた日露戦争を美化した2015年の「安倍談話」に象徴されるように、1995年の「村山談話」、1998年の小渕首相と金大中(キム・デジュン)大統領の「日韓パートナーシップ宣言」で明記された「植民地支配への反省」の立場を投げ捨てる態度をとり続けていることを、あげなければならない。
日本軍「慰安婦」問題にせよ、「徴用工」問題にせよ、過去の植民地支配への真摯(しんし)な反省の立場を土台にしてこそ解決の道が開かれることを強調しなくてはならない。
一、歴史を偽造し、他国を侮辱し、排外主義をあおることによって、自らの延命をはかることは、政権をあずかるものの態度として決して許されるものではない。それは北東アジアでの平和構築にとってもきわめて有害である。こうした態度を根本からあらためることを強く求める。
一、(GSOMIA〔軍事情報包括保護協定〕の破棄そのものをどう見ているか)わが党は、もともとまず日米間で、続いて日韓間で締結されたGSOMIAそのものに反対してきた。
2007年に米国の強い要求で締結した日米GSOMIAは、日米が軍事情報でも一体化を加速させ共同で戦争をする仕掛けづくりであるとともに、「軍事情報保護」の名で国民の知る権利を侵害し、13年の秘密保護法の強行へとつながっていった。
2016年に締結された日韓GSOMIAは、米国主導の「ミサイル防衛」体制に日韓両国を組み込み、中国や北朝鮮を念頭に軍事的圧力を強めようというものであり、これにも私たちは反対を表明してきた。
軍事的挑発に対して、軍事的圧力の強化で構えるというやり方では、軍事対軍事の悪循環になる。そういうやり方ではなく、いかに対話による解決の局面へと転換するのかが重要だと主張してきた。GSOMIAが解消されることで、北東アジア地域の平和と安定が危険にさらされるとは考えていない。
2019年8月24日
韓国がGSOMIAの破棄に踏み切ったことは、日本の安全保障や、韓国の安全保障以上に、米国の東アジア戦略に痛手です。米国はいま、安全保障上の主敵を中国と位置づけ、東アジアにおいては日米韓軍事協力体制を強化したいと思ってきました。GSOMIAは、米国主導で中国を敵視する軍事協力体制の一歩でした。今後、日本、韓国双方に米国から圧力がくると思います。
米国は第2次安倍政権発足にあたり、基本的には安倍晋三首相の考えを支持していましたが、唯一、歴史問題を背景に、日韓関係が悪化することには警告を発していました。その警告が無視され、2012年に米国が警告を発したころより悪い状況をつくったことになります。
深刻化する日韓関係の打開が問題になりますが、安倍首相は1965年の日韓基本条約や日韓請求権協定があり、「そこから少しも離れるな」という姿勢です。
しかし、日韓基本条約は、植民地化など日本の戦前の行動に対する反省も、謝罪も、償いも、何もしないという前提でできています。
ところが現在は、「慰安婦」への反省とおわびを示した河野談話、北東アジアへの侵略に反省を示した村山談話があり、戦前における日本の行動を反省する姿勢が出ている。また「慰安婦」の問題では、政府が直接お金を払うことはないが、政府の働きかけの下に、民間がお金を払う仕組みもつくった。ですから、65年の基本条約ですべて処理したというのは、韓国の人々の理解は得られず、外交に臨む姿勢として正しくない。
また当時は、経済的に大きな力の差があった日本と韓国で、韓国政府が日本の謝罪を求めずに経済援助を受けて手を打ったが、それでよかったということにはならないという意見が韓国内にあります。
こうした状況で、解決のあるべき姿について真摯(しんし)に話し合う姿勢を見せないから韓国の人たちは怒っています。
日韓基本条約だけで日韓関係を処理できないという認識をもち、新たな関係を構築する姿勢で臨むこと。そして加害者には被害者の気持ちが理解できないとすれば、ひとまず被害者から問題解決の方向を出してもらい、そのうえで話し合うことも現実的な道ではないでしょうか。(中祖寅一)
2019年8月20日
1965年の国交正常化以降、日韓の関係は、ゆっくりですが前進してきました。日本は95年の村山談話、98年の日韓パートナーシップ宣言、2010年の菅談話で、植民地支配を「不法」とは言わないまでも、「不当だった」としてきました。
「不当だった」というのは韓国からするとまだ物足りないのですが、安倍首相にはその認識すらありません。15年の戦後70年談話では、世界が帝国主義の時代だったので日本だけが間違ったわけではない、1930年代から過ちが始まったとしました。「韓国併合条約」で朝鮮を植民地としたのは1910年です。
いま韓国の集会が「NO日本」ではなく「NO安倍」を掲げているのも、一歩も二歩も後退した認識を示す安倍政権に、もう我慢できないという怒りがあるからです。
安倍首相は65年の日韓請求権協定で、戦後補償問題は解決したと言います。しかし協定締結後も、被害者がいる現実から出発し、植民地支配は「不当だった」との認識に立って、サハリン在住韓国人や韓国の被爆者など、残された問題を日韓で努力し一定の補償を実現してきました。
日本政府は2015年12月、「慰安婦」被害という歴史の事実があり、被害者が心の傷を受けたと認め、「おわびと反省の気持ち」を表明しました。一方で、今後は謝罪する必要はない、もう忘れようという態度をとりました。謝罪や反省は一度で終わるものではなく、それをどう守っていくかが大切です。安倍首相は直接、自分の言葉で謝罪と反省を公に語り、積極的に記憶していこうと呼び掛けることが大事だと思います。
昨年10月に韓国の大法院(最高裁)が日本企業に、徴用工被害者に対して賠償命令を出した判決は、安倍首相に植民地支配の清算が終わっていないことを思い起こさせるものだったでしょう。日本の最高裁は07年の徴用工裁判で企業に自発的な和解を促し、実際に和解が成立しました。大法院判決に基づき、日本企業はいますぐ原告と対話を始めるべきです。政府はそれを妨げるべきではありません。
安倍首相は、韓国がゴールポストを動かしたと言います。私はフィールド全体が変わったのだと思います。1965年当時は国家と経済のフィールドでしたが、いまは個人の人権が加わってフィールドが広くなった。ゴールポストが動くのは当然です。
サッカーの日韓戦は切磋琢磨(せっさたくま)し互いを強くしましたが、経済の争いは両国の国民が傷つくだけです。文在寅(ムン・ジェイン)大統領は15日、話し合いを呼び掛けました。日本もそれに応じて、すぐに対話を始めるべきでしょう。
2019年8月17日
【ソウル=栗原千鶴】韓国ソウル中心部の光化門広場で15日、日本の安倍政権による歴史の歪曲(わいきょく)や対韓輸出規制を糾弾する、ろうそく集会が開かれました。韓国はこの日、日本の植民地から解放された日を祝う「光復節」。子ども連れや若者の姿も多く見られ、「侵略支配を謝罪しろ」「国民の力で新しい歴史をつくろう」などと訴えました。
主催したのは市民団体や労組など750団体で構成する「安倍糾弾市民行動」や市民社会団体連帯会議など4団体。日本が植民地支配していた朝鮮半島から強制動員され労働を強いられた女子勤労挺身(ていしん)隊の被害者、梁錦徳(ヤン・クムドク)さんが参加し、被害を証言しました。
小学2年生のめいを連れていた女性(41)は、植民地時代に刑務所だった西大門刑務所歴史館を集会前に見学したといいます。「めいには昔のことだけでなく、いま起きている問題もしっかり見てほしいと思った」と集会参加の動機を語りました。
「安倍政権は、まだ韓国を植民地と考えているのではないか」と話すのはキム・ジナさん(23)。いまの経済や政治問題だけでなく、「『慰安婦』問題をお金で解決しようとする姿勢を見て、以前から日本側の対応に疑問を感じていた」。日本から集会参加者があったと聞き驚きました。「日韓市民は交流し、互いの考えを理解しあえたら、安倍政権を変える力になる」と述べました。
元国会議員などでつくる東アジア平和会議の李富栄(イ・ブヨン)運営委員長は、「日韓の関係はとても悪い」と指摘しました。根底に安倍政権の歴史認識があるとし、「彼らは認識を変えないでしょう。いまも大東亜戦争の価値観をそのまま実現しようとしているのですから。しかし日本市民が選挙を通し彼らを国会から追い出すでしょう。ともにたたかいましょう」と述べました。
日本の総がかり行動共同代表の高田健さんは舞台にあがり、安倍政権打倒へ、日本での運動を強める決意を語りました。
2019年8月16日
【ベルリン=伊藤寿庸】日本軍「慰安婦」国際メモリアルデーにあたる14日、ベルリンのブランデンブルク門前広場で、慰安婦問題での日本政府による謝罪と補償、すべての戦時性暴力の根絶を求める集会が開かれました。在独韓国人でつくるコリア協議会、在独コリア女性グループ、日本人女性でつくる「ベルリン女の会」などが主催しました。
韓国の伝統芸能などが披露され、「戦時性暴力・奴隷反対」「安倍首相は歴史的責任を果たせ」といった横断幕、プラカードが掲げられました。アムネスティ・インターナショナルや、イラクで過激組織ISによって性奴隷の犠牲となった少数派ヤジディ教徒の女性なども発言しました。
この日は、市内のギャラリーで展示中の日本軍「慰安婦」を象徴する「旅する平和像」が運ばれ、韓国KBSテレビが取材するなど、多くの注目を集めました。この像は、ソウルの日本大使館前に設置された少女像と同じ作者が製作し、バスに乗せるパフォーマンスなどに使われてきました。司会者が「平和を求める人は一緒に写真を撮って、SNSでシェアしてほしい」と呼び掛け、訪れた観光客なども応じていました。
コリア協議会の任多慧(イム・タヘ)さん(28)は、「ソウルの水曜デモが1400回になったことはうれしい半面、1400回やっても日本政府が慰安婦問題で謝罪していない。この問題は日本対韓国の問題ではなく、軍事紛争の下での性暴力の問題であり、女性の権利の問題だ」と語っていました。
2019年8月15日
【ソウル=栗原千鶴】韓国のソウルで14日、日本軍「慰安婦」問題の解決を求める水曜集会が開かれ、日本政府に対し、「慰安婦」被害者への心からの謝罪と名誉回復などを求めました。1992年1月8日から毎週水曜日に開かれている同集会は1400回を迎えました。(関連5・10面)
被害者の吉元玉(キル・ウォンオク)さん(90)が参加し、「最後までたたかい勝利しよう」と呼びかけると「お元気で」「愛しています」などの声が飛びました。
主催した「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」の尹美香(ユン・ミヒャン)理事長は、「互いを尊重し、平和な世界を作ろうと行動してきた。たくさんの被害者の叫びから、平和や人権の価値を学んだ」と語りました。
参加者は声明を発表し、「28年前、被害者が始めたMeTooは私たちのWithYouとなり、連帯をつくった」と評価。日本政府は被害者の名誉と人権を損なう行為をやめるよう要求しました。
8月14日は、1991年に被害者の金学順(キム・ハクスン)さんが「慰安婦」被害者として初めて実名で名乗り出た日で、韓国では公式に「慰安婦をたたえる日」とされています。日本や台湾などでも連帯の集会などが開かれました。
2019年8月15日
アジアと日本の国民に甚大な犠牲をもたらしたアジア・太平洋戦争で日本が敗れた1945年8月15日の終戦から74年になります。
先の参院選で国民は「改憲勢力3分の2割れ」の審判を下しました。それにもかかわらず、安倍晋三首相は改憲を議論する「審判は下った」と居直り、憲法9条に自衛隊を書き込む改憲への動きを加速させようとしています。世論を無視した強権政治、国民を欺く政治を許せば、民主主義は壊され、戦争とファシズムへの道につながることは、歴史が明らかにしています。暴走政治を終わらせるたたかいが重要になっています。
41年12月にアメリカのハワイ・真珠湾や当時イギリス領だったマレー半島のコタバルを奇襲し、アメリカやイギリスを相手にした戦争を始めた東条英機内閣は、絶対主義的な天皇制の下、首相が陸相や内相、参謀総長を兼任して強力な権力をふるう「東条独裁」と呼ばれる体制でした。改悪した治安維持法や国防保安法を使い、戦争や政府を批判する言論・政治活動を厳しく弾圧しました。陸相の地位を使い、憲兵を私兵にして、政敵を抑え込むことまでしました。「東条独裁」は戦争と国民抑圧の専制政治が一体不可分であることを示す一つの象徴です。
15年にわたる侵略戦争の発端となった31年9月の「満州事変」は日本軍のでっち上げで始まりました。当時「満州」と呼ばれた中国東北部で日本軍が仕かけた鉄道爆破を中国側によると偽り、国内外を欺いて戦争につき進んだのです。その後の日中全面戦争への拡大(37年)や、41年の米英などとの開戦も、「自存自衛」などと主張し、盛んに繰り返した「大東亜新秩序」という言葉も、侵略と領土拡大の目的をごまかすためでした。日本の戦果を過大に宣伝した「大本営発表」は、ウソで固めた戦争の異常な姿を浮き彫りにしています。
アジア・太平洋戦争の結果、310万人以上の日本国民と、2000万人を超すアジア諸国民が犠牲になりました。原爆投下や空襲で日本各地は焦土と化し、日本の侵略と植民地支配はアジア諸国などに大きな被害を与え、その深い傷あとは、いまも消えていません。日本軍「慰安婦」問題や、中国大陸からの「強制連行」、朝鮮半島からの「徴用工」問題は、日本の責任が問われ続けている大きな課題です。
いま日韓間の焦点になっている「徴用工」問題は、被害者の名誉と尊厳が回復できるよう、日本と韓国の政府間で話し合って解決すべきなのに、貿易問題をからめて一方的な措置をとる安倍政権の姿勢は重大です。過去の歴史と真剣に向き合わなければ、国際社会での信頼・友好は築けません。
安倍首相は、改悪した憲法を2020年に施行したい思いはいまも変わらないと公言しています。戦後75年の節目に、そんな野望を許してはなりません。まさに日本は歴史的な岐路に立っています。
侵略戦争への痛苦の反省のうえに制定された日本国憲法は、その前文で、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」とうたっています。この言葉を心に刻むときです。安倍政権が目指す「戦争する国」への道を必ず阻みましょう。
2019年8月15日
「慰安婦」や元徴用工をめぐる問題で、日本と韓国との間で大きな摩擦が起きている背景には、日韓両国民の歴史認識のギャップがあります。
私たち日本人にとっては8月15日とは「悲惨な戦争が終わった日」です。しかし、韓国・北朝鮮・台湾、あるいは旧「満州国」や日本軍占領地だった所に住んでいる人々にとっては「植民地支配が終わった日」です。この歴史認識のギャップは、加害と被害という立場の違いから生まれたものです。
戦後の日本社会は「もう戦争はこりごりだ」という「体験的平和主義」が強く根を下ろし、憲法9条を支えてきました。それは大事なことです。しかし、植民地支配は日本人の歴史認識から抜け落ちてしまい、記憶が継承されていません。その問題点が、「慰安婦」問題や徴用工問題として今、現れているのです。「慰安婦」問題を認め謝罪した河野官房長官談話(1993年)や戦後50年の村山首相談話(95年)など進展した部分はありました。しかし、それに対する揺り戻しが思いのほか強かった。
背景には「明治150年史観」ともいうべきものがあります。アジアの近隣諸国を一段格下に見る、欧米は文明的でそれを受け入れないアジアは遅れているという「脱亜入欧」の価値観が戦後もいろいろな形で温存されてきたのです。克服しなければならない問題がここにあります。
なぜそうなったのか、一つは植民地支配を行った勢力の人脈が戦後も生き残ったからです。旧陸軍への批判は強かったのですが、旧海軍、旧内務省は戦争責任を陸軍に転嫁して生き残りました。例えば大達茂雄という人物は、内務省に入り、「満州国」法制局長や昭南(シンガポール)市長、初代東京都長官を経て小磯国昭内閣の内相となり、敗戦後公職追放されますが、解除後、自由党に入り、参院議員、第5次吉田内閣の文相となりました。
中曽根康弘元首相は内務省から海軍に進んだ内務省と海軍の合体の象徴的人物で、「戦後政治の総決算」を唱えました。岸信介元首相は内務省ではありませんが、農商務省に入り、「満州国」経営に携わった人物です。そういう人たちが戦後も生き残って政界に影響力を行使しつづけた意味は大きい。今の自民党はこうした人脈とつながっているのです。
戦争体験者が少なくなっている以上に植民地支配の体験者は少なくなり、その記憶は薄らいでいます。自然の流れで放っておくと、本当に記憶は消え去ってしまいます。
現代における戦争責任、植民地支配責任の追及とは、単に過去の誤りの糾弾ではなく、過去の歴史に対して私たちが一定の歴史認識を示し、二度と過去の過ちを繰り返さないために、歴史としての「戦争の記憶」や「植民地支配の記憶」を次世代に正確に伝承することです。そのために、メディアや研究者は発言を続けなければなりません。
2019年8月15日
日韓の歴史問題をめぐり繰り返し立ち返るべきは、日本の加害、朝鮮半島の被害の実態を知ることです。安倍政権やマスメディアの影響で、日本側が加害者で朝鮮半島の側が被害者であることが忘却され、そこで本当に深刻な被害があったことが意識されていないため、表面的な議論に終始し、本質が見えなくなっています。
徴用工問題をめぐっては、人権問題として被害者の尊厳をどのように回復するかが重要です。日本の国家も企業も、その意義を踏まえたうえで、きちんと不法行為を認め賠償することがどうしても必要です。
徴用工被害の賠償を求めるなどの韓国側の運動に対し、差別的な認識がますます広がっていることが憂慮されます。日本側の報道だけ見ていると、感情的で非常に狂信的な行動であるかのような、民族差別的な認識も出ています。しかし、この運動自体、植民地支配下の人権侵害という不法行為を認めさせ、誠実な謝罪を求めることを核心とする正当なものであり、韓国側の主体的な取り組みとして受け止めるべきです。
まして今年は三・一独立運動100年でした。1919年に起こった三・一独立運動は、民族解放を目指した運動であり、現在の運動も植民地支配の被害の回復を目指すという共通点があります。そういう朝鮮半島側の主体的な抗議行動の意義について、歴史も含めてきちんと認識していくことも重要です。
米朝協議が開始される中、朝鮮半島の和解と統一、平和体制の構築が課題となるもとで、歴史問題を否定する安倍政権の動きは、朝鮮半島の平和を目指す韓国に対する挑戦だと批判されています。植民地支配によって否定されてきた民族の自主的な国家建設が「回復」されようとしている局面で、安倍政権がそれを攻撃しているという批判です。朝鮮半島の大きな変化をとらえ、日本側の認識を正していく必要があります。
今後に向け、若者の歴史認識がとても大事だと感じます。市民団体の「慰安婦問題を学ぶツアー」などに参加した学生たちは、現地で話を聞き衝撃を受けています。事実を知らされていないし、考える機会もなかったのです。大学のゼミでも韓国を訪問し、植民地支配の実態や南北分断の問題に触れると、日本に生きる人間として、朝鮮半島に対する日本の暴力を実感する。そうすると、「単純に韓国が好きだというだけでは不十分で、植民地支配に対する責任を認識しないと、本当の意味で友好関係を築けない」という感想をたくさんの学生が出してくれます。この間の情勢を受け、日韓の若者同士の交流の場を確保し、支援することが重要だと感じています。
2019年8月15日
【ソウル=栗原千鶴】35度を超える猛暑となったソウルで開かれた「慰安婦」問題解決のための水曜集会には、夏休みということもあり、多くの若者が参加しました。
南西部・光州市の中学生グループが舞台に上がり、参加した「慰安婦」被害者に向かって「勇気をくれて、いままで頑張ってくれてありがとう。あなたたちのMeTooに、私たちはWithYouで応えます」と述べると、大きな拍手に包まれました。
南部・金海市から一人で来た中学3年生のキム・テリンさん(15)は、「ゆがめられた歴史によって涙を流す人がいなくなるよう頑張りたい」と語りました。
「いっしょに平和」と日本語で書いたプラカードを持って参加したユン・ドンギュさん(39)は、中学校の歴史教師。「日韓が互いに歴史と向き合い、一緒に考え、知恵を出せば、良い社会をつくることができると思います」と語りました。
2019年8月15日
日本軍「慰安婦」メモリアルデーの14日、台北市内の日本台湾交流協会前で、日本政府に謝罪と賠償を求める集会が開かれました。「慰安婦」被害者を支援してきた婦女救援基金会が主催しました。
同基金会は、(1)「慰安婦」制度の策定と管理に関与し、女性たちを強制的に日本軍の性奴隷にした事実を認めよ(2)被害者に対し経済的・精神的損失を賠償せよ(3)資料を公開し、調査を行い、戦争の責任を反省し、二度と繰り返さないため、日本の教科書に事実を正確に記載せよ―の3点の要求を日本政府に提出しました。
黒い服を着た参加者は「歴史をもみ消すことはできない」「アマ(おばあさん)の尊厳を取り戻せ」などのスローガンを叫び、抗議しました。
同基金会によると、今までに台湾で59人が日本軍「慰安婦」被害者だと名乗り出ました。うち生存者はわずか2人です。
2019年8月15日
旧日本軍「慰安婦」の被害女性の尊厳を回復し、問題を解決しようと200人の市民が14日、東京都千代田区の日比谷公園で集会を行い、銀座までデモ行進しました。「戦時性暴力問題連絡協議会」と「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動」の主催。同様の行動が各地で行われました。
集会で白梅学園大学の新妻さくらさん(23)は、台湾の盧満妹(ろ・まんめい)さんの「看護婦の仕事があると言われて心が動いた。収入が増えれば母を楽にできると思った。私はだまされていた」という証言を紹介。「私も母子家庭だった。母を助けたい気持ちを利用することは許せない」と述べ、だますことも本人の意思に反することで、強制連行だと指摘しました。
その上で「人さらいのように家に入ってさらってきて、慰安婦にしたということを示すものはなかった」と安倍首相が述べたことを偽情報、フェイクだと指摘し、「私たちは、フェイクをうのみにするのではなく想像力を持たなければならない」と訴えました。
全国行動の梁澄子(ヤン・チンジャ)共同代表は「表現の不自由展・その後」の中止問題で「展示が日本人に対するヘイト」という世論があることを受け、「歴史だけでなく慰安婦の30年のたたかいの歴史が否定されている」と訴え、「慰安婦」たちのたたかいの歴史を紹介。運動が世界中の性暴力被害者に広がったことも紹介し、「被害者は『諦めない、黙らない』と言った。私もこの運動を諦めないし、黙らない」と述べました。
参加した高橋芳弘さん(32)は「未来に同じことを起こさないために被害者に尽くすことができるんじゃないか。安倍政権はそれを実行していない」と話しました。
2019年8月14日
多くの人に衝撃を与えた、あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」の展示「強制終了」事件。5人いる実行委員のひとりである筆者の意に沿わぬことだが、結果的に日本社会の暗部を白日にさらした。
企画のルーツは、2015年に東京のギャラリー古藤で開催の「表現の不自由展」。主に国内で検閲や規制などの圧力を受けた美術作品を集め展示。主題には、強制連行や日本軍「慰安婦」、天皇制、政治と社会の右傾化、福島の放射性物質汚染がある。感銘を受けた津田大介氏から、自身が芸術監督を務める今回のあいちトリエンナーレの企画「表現の不自由展・その後」として取りあげたいと申し出があり、拡大バージョンの登場となった。
今回もキム・ソギョン&ウンソンの《平和の少女像》(いわゆる日本軍「慰安婦」の少女像)が出品された。扱いをめぐって全体の本展実行委員会と津田芸術監督、私たちこの企画展の実行委員会の間でじゃっかんの議論があったが、なんとか公開までこぎ着けた。政治的にデリケートな問題を扱う作品が多いため、展示空間の安全確保は至上の課題だった。私たち実行委員会はヘイトスピーチなどの問題に取り組む専門家に協力を仰いだ。ただ本展事務局側とは多少の温度差があり、十全な環境を結果的に確保できなかったのが悔やまれる。
16組の作家が参加した展示の一端を紹介する。《平和の少女像》は少女の横に空いた椅子のある参加型作品。座るか否かの判断を迫るものだが、負の歴史の思索喚起の意味がある。大浦信行の《遠近を抱えて》は、天皇という日本社会の象徴的偶像を用いてコラージュした、日本人の自画像だ。天皇は世界観を描くための手段だ。
白川昌生の《群馬県朝鮮人強制連行追悼碑》は、県知事による群馬県の公園からの立ち退き要請をめぐって県と係争中の碑がモチーフ。おおった布は隠蔽(いんぺい)のメタファー(隠喩)で、事件の写し絵の意味がある。岡本光博の《落米のおそれあり》は沖縄の米軍機墜落を風刺して商店街のシャッターに描かれたグラフィティ(壁画)。地域の美術展で拒否されたもので、いまの美術のあり方に一石を投じる。
展示には官民からの圧力があった。まず、官は河村たかし名古屋市長による作品展示中止の要請、さらに菅義偉官房長官によるあいちトリエンナーレに対する補助金交付見直しを示唆する発表だ。いずれも憲法21条に違反する権力者の検閲行為だ。「民」の圧力は不特定多数の言論テロ。初日に撤去を求める批判の電話が200件、メールが500件押し寄せた。翌日も同様。この圧力が展示施設のスタッフと通信インフラに大きなダメージを与え、本展実行委員会会長の大村秀章愛知県知事は3日目で展示終了を決定した。
問題はこの最終決定が事前に実行委員会に知らされなかったこと。作家への事前説明もなかった。ここに拙速と批判される理由がある。
ペンクラブやアムネスティ・インターナショナル日本など多くの団体は展示再開を要求する声明を発表した。このような言論テロを許せば、次は言論の機能しない全体主義が普通となる。再開のためにあげられた抗議の正当性だ。
奪われた自由を取り戻すために何ができるか。広範な議論と勇気ある行動が必要だ。
(美術・文化社会批評)
2019年8月11日
「表現の不自由展・その後」を中止に追い込む過程で、河村たかし名古屋市長や松井一郎大阪市長らが「『慰安婦』問題というのは完全なデマ」などと公然と歴史の事実を否定し、メディアが無批判にあるいは増幅するかのような報道をしています。国際社会では到底通用しない暴論です。
日本軍当局の要請で慰安所が設営され、設置・管理・「慰安婦」の移送に日本軍が直接・間接に関わった▽軍の要請で行われた「慰安婦」の募集は、甘言・強圧など本人の意に反し徴集され、官憲が直接加担した例もある▽慰安所での生活は強制的な状況下「痛ましいもの」だったと、日本政府自身の調査に基づき1993年の河野洋平内閣官房長官談話がはっきりと認めています。
日本軍が設置した慰安所で、女性を事実上監禁し、1日に多い時には何十回も兵士の相手を強要したことは「性奴隷」というほかない著しい人権侵害で、国連や欧米諸国で謝罪や補償、歴史教育を求める勧告や決議があげられています。
安倍晋三首相はこれを否定しようと躍起となってきました。2007年には「強制」を「家に押し入って人さらいのごとく連れていく」と狭く解釈したうえで「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と閣議決定。これは維新の橋下徹氏や松井一郎氏らに最大限利用され「強制の証拠はない→『慰安婦』はデマ」というすり替えに使われています。
14年に朝日新聞が吉田清治氏の証言に基づく記事の誤りを認めると、それをもって「慰安婦」問題すべてを否定する議論が展開され、論理がどんどん粗雑になっています。
しかし、インドネシアで官憲がオランダ人女性を強制連行して「慰安婦」としたことはオランダ政府の調査も明らかにしており、狭義の意味でも強制連行はありました。
中学校教科書からは04年の検定以降、「慰安婦」という言葉が事実上消え、アメリカの教科書に介入して政府として「慰安婦」問題の記述の訂正を求めることまでしています。
徴用工問題でも個人の請求権が消滅していないことは日本政府も認めているのに、「赤旗」以外のメディアはそれに触れず、日本政府の言うまま“韓国が国際法に違反した”と書き、市民に「韓国が悪い」という思い込みを広げています。
安倍首相に近い自民党議員が、政府の見解と違う研究に助成金を出すなと攻撃する。ヘイトデモを警察が放任する。安倍首相らの誤った発言をメディアがたださない。そうしたなかで“何を言ってもいい”という空気がつくられ、「表現の自由」を抑圧する者を活気づけています。今回の事態は安倍政権がつくってきたその土壌の上に起きたことです。
企画展の再開を求め「表現の自由」を守るとともに、歴史修正主義と排外主義を許さず、歴史の事実を伝える取り組みが求められています。
おかの・やよ 1967年生まれ。同志社大学教授(政治思想、フェミニズム思想)。『フェミニズムの政治学』『戦争に抗する』ほか
2019年8月11日
【ソウル=栗原千鶴】韓国の女性家族省と、「慰安婦」被害者が共同生活を送る「ナヌムの家」が主催した展示会「ハルモニ(おばあさん)の明日」が8日、ソウル市中心部で始まりました。
日本の植民地下での「慰安婦」制度の説明や、当時の軍票などが展示されています。被害者が受けた苦痛を癒やす治療の過程で描いた絵画や、日常生活を写した写真、映像も見ることができます。
ナヌムの家の安信権(アン・シングォン)所長は「ハルモニたちはいつもたたかっていましたが、泣いたり笑ったりする日常もありました。それを見てもらい、ぜひ身近に感じてほしい」と語ります。
展示の中には、「慰安婦」被害者を象徴する「平和の少女像」のレプリカもあります。
少女像が日本での展示会から撤去されたことについて、「慰安婦」被害を描いた映画「帰郷」のスタッフだったイ・ヘジンさんは「韓日の歴史においてあまりにも象徴性があり、ハルモニたちの怒りを表現している像なので撤去されたのでしょう」と語ります。「公権力が政治的に見て撤去させたことは不当だし、怒りを感じた。日本は先進国として成熟した態度を見せてほしい」
現在、韓国政府が認定している被害者240人のうち、生存者は20人です。
2019年8月8日
旧日本軍「慰安婦」を象徴する少女像などを展示した、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」の中止について、各界から抗議声明などが相次いで出されています。
日本劇作家協会(渡辺えり会長)は6日、「民主主義の危機」だとする緊急アピールを発表しました。中止は、日本の「表現の不自由」さを世界にアピールするだけでなく、国内の表現活動のさらなる萎縮を招くと強い危惧を表明。こうした状況を「いっそうあおった」河村たかし名古屋市長と菅義偉官房長官の発言は表現の自由への介入であり、検閲の「実質的な復活」につながると抗議。自国の現在、過去への批判的表現活動ができないような国が民主主義国と言えるのかと問うています。
ドキュメンタリー映画「誰がために憲法はある」(監督・井上淳一、製作・馬奈木厳太郎)製作運動体は4日、速やかな再展示を求める声明を発表。「歴史を直視しない不寛容な風潮」に屈しないと述べています。
「第68回関西平和美術展実行委員会」と同平和美術展を主催する「関西美術家平和会議」は5日、大村秀章実行委員会会長(愛知県知事)宛てに「憲法21条の表現の自由を守り、展示再開を望みます」とする文書を送付しました。
中小出版社が参加する日本出版者協議会は7日、声明を発表しました。展示打ち切りの理由とされた脅迫行為が威力業務妨害であり、河村たかし名古屋市長の行為や菅義偉官房長官の発言、脅迫を事実上黙認した警察の不作為を批判。中止は「政権に対して批判的な政治的な言説を公共の場から閉め出す」と指摘。愛知県に展示の再開を求めています。
出版労連は6日、抗議声明を発表。声明は、表現とはすべての人に心地よいものではなく、多様な表現が共存することが重要だと指摘し、「少女像」の撤去を要請した河村名古屋市長、補助金支出見直しを示唆した菅官房長官らの言動を批判しています。
2019年8月6日
愛知県内で開催中の芸術祭で、旧日本軍「慰安婦」を象徴する少女像を展示した企画展が中止された問題で、日本維新の会代表の松井一郎大阪市長は5日、「慰安婦問題というのは完全なデマ」などと言い放ち、「デマの象徴の慰安婦像は行政が主催する展示会で展示するべきものではない」などと述べました。同市役所で記者団に語りました。
松井氏はさらに、芸術祭の実行委員会の会長を務める大村秀章愛知県知事が展示の内容を「もっと精査すべきだった」などと述べ、「検閲」を当然視する立場も示しました。旧日本軍に「慰安婦」とされた女性たちに強いられた被害もまったく顧みず、憲法が保障する「表現の自由」を踏みにじる暴論です。
松井氏はインターネットで展示の内容を知り、1日、「にわかに信じがたい」として、盟友でもある名古屋市の河村たかし市長に連絡。「日本で公金を投入しながらイベントをやるときに、我々の先祖があまりにもケダモノ的に取り扱われるような展示物を展示されることは違うと思っている」などという話をしたといいます。これを受け、2日に会場を視察した河村氏が「日本国民の心を踏みにじる行為だ」と展示を非難し、大村知事に中止を求めました。
2019年8月4日
愛知県で1日開幕した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」(津田大介芸術監督)の企画展の一つ「表現の不自由展・その後」が、3日限りで中止に追い込まれる事態が起きました。同芸術祭の実行委員会会長である大村秀章愛知県知事が3日、会見して発表しました。
同企画展は、日本の公立美術館で展示を拒否されたり、一度は展示されたものの撤去されたりした作品を、その経緯とともに展示するもの。「従軍慰安婦」を象徴する「平和の少女像」や昭和天皇をモチーフとした作品、公民館だよりに掲載拒否された「9条俳句」、安倍政権批判のメッセージが問題視された作品などが含まれています。
企画展が報道された7月31日以降、「ガソリン缶をもってお邪魔します」などのテロ予告や脅迫を含むメール、電話などが2日間で1400件に上ったといいます。
同企画展をめぐっては、河村たかし名古屋市長(同芸術祭実行委員会会長代行)が2日、少女像について「日本の国民の心を踏みにじるもの。即刻中止を申し入れる」と表明。あいちトリエンナーレには「10億円を超える多額の税金が使われている」のに「行政の立場を超えた展示が行われている」として、「即時、天皇陛下や慰安婦問題などに関する展示の中止を含めた適切な対応」を求める抗議文を大村知事に提出していました。
菅義偉官房長官も同日、今後の補助金の交付決定について「事実関係を確認・精査して適切に対応したい」と圧力といえる発言をしていました。
会見で大村知事は「展示の中身に行政が介入したら、芸術祭というものは成り立たなくなる」としつつ、「抗議電話が殺到しスタッフの対応能力を超えた。芸術祭全体の安心安全、今後の円滑な運営のために判断した」とのべました。
同時に会見した津田芸術監督は「(会期末までの)75日間展示を続けることが最大の目標だった。このような形で中止になったことは断腸の思い」と語りました。河村、菅両氏の発言については「安全管理上の問題が唯一の中止理由だが、政治家の発言が(安全上の問題を起こさせる)きっかけになったことは否定しない」とのべました。
2019年8月3日
在野で日韓交流や歴史認識の共有を進めてきた人たちの思いを聞きました。
日・中・韓共同編集の歴史教材を編集してきた日朝協会の俵義文事務局長は「閣議決定は『徴用工』『慰安婦』問題を含めた報復だといえる。政治的課題を経済・貿易問題に持ち込む筋違いのやり方だ。こんな強硬姿勢を続ければ日本製品の不買運動や韓国からの観光客減、青少年らの交流のキャンセルが広がる恐れがある」と事態を憂います。「安倍政権には植民地支配の責任についての正しい歴史認識を持ち、外交的な話し合いの席に着くことを求めたい」
戦前の歴史の学びや戦跡をめぐる韓国の旅を行い、民間レベルでの日韓交流を深めてきたのが、山形県の基督教独立学園高等学校です。7月末に生徒たちと訪韓した後藤正寛校長は「日本大使館前でデモ行進が行われていたが、姉妹高校のプルム学園農業技術高等学校では温かく迎え入れられた」と話します。
日韓両国で「徴用工」「慰安婦」問題を含めた歴史を知り、未来を構築すべきだという後藤校長。「姉妹高校とはお互いに今後も生徒や職員間で交流を実らせていくビジョンを持っている。平和についても学び合い、広めたい。歴史問題については国家レベルの話し合いと同時に、一般レベルでも率直に話し合い、つながりを太く広げて深めていくことが大事だ」
強制連行・企業責任追及裁判全国ネットワーク事務局長で日本製鉄元徴用工裁判を支援する会の矢野秀喜さんは「ホワイト国」除外の閣議決定について「食料品と木材以外の全品目に規制をかけることが可能で影響が大きい」と危惧(きぐ)します。「こうした対立のなかで強制労働の被害や実態、解決への議論がかすんでしまうことが心配。ホワイト国除外を撤回し、冷静な2国関係に戻して話し合いを進めてほしい」とのべました。
2019年7月31日
「反日学者に科研費を与えるな」と攻撃した自民党の杉田水脈衆院議員を、ジェンダー研究者4人が名誉棄損で提訴した「国会議員の科研費介入とフェミニズムバッシングを許さない裁判(フェミ科研費裁判)」の第2回口頭弁論が30日、京都地裁で開かれました。
法廷で裁判官は、杉田氏の発言について原告側が「事実の摘示」、被告側が「論評」としていることを確認し、引き続き協議を行うと述べ、ごく短時間で閉廷しました。
閉廷後の支援集会では、本裁判呼びかけ人の中野晃一・上智大学教授が「慰安婦問題に関わる言論・表現・学問の自由の抑圧」と題して講演しました。
中野氏は、日本会議などの思想である歴史修正主義が、第2次安倍政権によって「公式な政策」になったと指摘。「慰安婦」問題を扱った研究に対する「ねつ造」「反日」などの杉田氏の発言は「杉田氏単独で行っているとは思えない」と述べ、このような政治状況について傍観している人を増やさないため、凝視し、声をあげていこうと呼びかけました。
弁護団からは、杉田氏が準備書面で「社会的な評価を低下させることは言っていない。一個人として言っただけであり、名誉毀損ではない」と述べていると報告されました。
集会では、「慰安婦」の授業を行い、さまざまな攻撃を受けてきた大阪の中学社会科教員の平井美津子さんなど3人がそれぞれの立場から「一緒にたたかっていきたい」と発言し、参加者から大きな拍手を受けました。
2019年7月23日
東京・中野区で開かれた「慰安婦」被害を伝える「となりの宋(ソン)さん」写真展(14~21日、同実行委員会)には、連日たくさんの人が訪れました。宋さんとは在日朝鮮人として唯一、被害を訴えた宋神道(シンド)さんのことです。笑ったり、踊ったりする宋さんの写真約80点が展示されました。
宋さんは1922年、日本の植民地下だった朝鮮・忠清南道で生まれました。16歳のとき、だまされて中国・長江中流域の武昌、漢口などの「慰安所」に連れて行かれ性暴力を受けます。終戦後、日本に渡り宮城県女川町に定着。93年に東京地裁に日本政府の謝罪を求めて提訴するなど、たたかい続けました。2011年の東日本大震災で津波被害に遭い、東京に移住。17年には支援者に見守られ95歳で亡くなりました。
写真展の副題は「『慰安婦』被害を訴え、生き抜いた宋神道さんを記憶する」です。オープニングイベントでは20代の4人がパネリストとなり、被害や運動を継承することについて葛藤や思いを語りました。
なかでも議論を呼んだのは「責任」についてです。「僕たちに責任があるのか、責任って何だろうと考えている」と切り出したのは石田凌太さん(20)。「直接、関わってはいないが、責任がないとは言えないと思う。真実を記憶する責任は全世代にある。無関心であることや、いまの政治に疑問を持っているのに選挙に行かないのは無責任だ」と語りました。
鄭優希(チョン・ウヒ)さん(25)は「(在日3世である)私に、『日本人として申し訳ないことをした』と謝る人がいるが、私に謝ることなのかと疑問に思う」といいます。鄭さんは自身も日本社会を構成する一人だと述べ、「選挙権がなく、直接政治には関われないが、別な方法があると思うし、事実を知ったいま私にも次世代につないでいく責任がある」と力強く話しました。
これを受けて阿部あやなさん(27)は、韓国に行ったときの経験を語りました。「大学生と活動交流した時、『私は、韓国に謝りに来た』といってしまった。すると彼女たちは『謝ってほしいわけではない。日本政府に憤りは感じるが、勉強しようとする人は仲間だ』と言ってくれた」
日本の中学校の歴史教科書から「慰安婦」の文字が消えたのは2006年のこと。パネリストたちは、被害者から直接、証言を聞いたこともありません。そうした状況にあっても、被害を自らのこととして受け止め、過ちを繰り返さないためにどう行動するのか苦悩する発言を聞き、問題は解決できるとの確信を持ちました。
2019年7月15日
若い世代が「慰安婦」問題について語り合うイベントが14日、東京都内で開かれ、この問題とどう向き合い、受け継いでいくのか考えあいました。登壇したのは20代の若者たち4人。教科書からも「慰安婦」の文字が削除された時代に、中高校生だった人たちで、「教科書に載っていない世代が語り合う」というコンセプトです。
在日3世の鄭優希(チョン・ウヒ)さん(25)は「被害にあってからでないと痛みに気づけない社会になっている。被害にあわないためにも痛みの記憶をつないでいくことが大事」と語りました。
東京外国語大学で学ぶ石田凌太さん(20)は「無関心だったり、いまの政治に疑問を持っているのに選挙にいかなかったりすることは、歴史の修正に加担することにつながっていると思う」と発言。会社員の阿部あやなさん(27)は「歴史の教訓を得ることが大事で、忘れていい歴史はないと思う」と述べました。
慶応大学の谷虹陽さん(22)は「日本では日本人は多数派で、日本人であるということを問われずに生きていける。多数派である側が(被害者の)声を届けていく必要あると思う」と語りました。
参加した大学生は「歴史を記憶する責任は一人ひとりにあるという発言に共感しました」と語りました。同イベントは、「慰安婦」被害を訴え続けてきた故、宋神道(ソン・シンド)さんを記憶しようと東京・中野区なかのZERO本館展示ギャラリーで開かれている写真展「となりの宋さん」の一環として開催されました。21日まで。入場無料です。
2019年7月13日
フラワーデモが11日に全国各地で行われ、大阪市では100人以上が参加しました。
父親が在日朝鮮人1世で母親が2世という女性は、ヘイトスピーチとたたかう中で、民族差別と女性差別が合わさった「複合差別」があると知ったといいます。「複合差別の最たるものが『慰安婦』問題だと思います。差別のない社会にするには、選挙に行き国を動かすのが一番だと思います。来週は参院選です。明るい未来をつくるため、心から信頼できる政治家に一票を投じてほしい」と呼びかけました。
匿名でメッセージを寄せた新聞記者の女性は、学生時代は痴漢被害に悩まされ、記者になってからは社内外でセクハラに苦しめられたことを告白。「私は後輩に同じ苦しみを引き継いでしまうと、自分を責めてきました。でももう終わりにしたい。日本中に転がっている性被害をなくしたい」と訴えました。
2019年7月6日
韓国の市民団体は5日、ソウル市内の日本大使館前で記者会見を開き、日本政府が4日に韓国向け半導体材料の輸出管理強化措置を発動したことは、昨年11月の徴用工への賠償を命じた最高裁判決に対する報復だとして、「経済報復はやめよ」と抗議しました。
現地からの報道によると、民族問題研究所や市民団体「キョレハナ」などで構成する「強制動員問題と対日過去清算のための共同行動」は、「日本政府と日本企業は判決を履行しろ」と主張。さらに「一方的な規制で葛藤をあおる対決の姿勢ではなく、平和的な方法で、強制動員被害者の人間の尊厳を回復し、歴史の正義を実現できるよう世界の市民とともに行動することが大事だ」と述べました。
太平洋戦争被害者補償推進協議会の李煕子(イ・ヒジャ)代表は、「強制動員被害を受けた当事者は、まだ何も終わっていない。後世に痛みを残してはならない」と述べ、早期解決を訴えました。
自営業者らでつくる韓国中小商人自営業者総連合会も5日、声明を発表。日本の措置について「侵略行為から生じた『慰安婦』や徴用工賠償問題での報復だ」と述べ、抗議しました。
2019年7月4日
韓国外務省は2、3の両日、ソウル市内で戦時下の性暴力への対応や予防などを論議する国際会議を開催しました。参加者からは問題解決にあたり、被害者を中心にすえることの重要性を訴える発言が相次ぎました。
外務省によると会議には、康京和(カン・ギョンファ)外相や2018年にノーベル平和賞を受賞したコンゴ(旧ザイール)の医師ムクウェゲ氏、アフリカ連合(AU)の代表や国連の担当者らが参加しました。
康外相は開会のあいさつで、性暴力の完全な停止と被害者中心の問題解決に向けた支援を行うよう促した国連安全保障理事会決議2467が今年4月に採択されたことを歓迎。「被害者中心の考え方は二次被害を予防するためにも重要だ。被害者の要求を満たし、サポートするためのすべての計画、政策に反映させる必要がある」と述べました。
また、旧日本軍「慰安婦」問題に関して、「韓国政府は被害者中心の考え方が欠如していたことを謙虚に受け止めている」とし、「被害者の声に耳を傾け、尊厳と名誉回復のために努力をしていく」と語りました。
基調講演したムクウェゲ氏は、「被害者中心のアプローチは、被害者に沈黙を破る力を与える」と強調。「権力者たちが性暴力の罪を犯しても処罰を受けていないのは恥ずかしいこと」と指摘し、「性暴力を主導したり、黙認したりした指導者は、責任を負わなければならない。刑事告発を経て、処罰されなければならない」と語りました。
2019年6月30日
「安倍政権とメディアの攻防7年」のテーマで29日、東京都内でシンポジウムが開かれました。日本ジャーナリスト会議と法政大学図書館司書課程が主催。
コーディネーターの和光大学名誉教授の竹信三恵子さんは、第2次安倍政権になって報道の自由度が国際的なランキングで大幅に下がっていることを報告。沖縄タイムス編集委員の阿部岳さんは、沖縄基地問題を伝える地元メディアへの攻撃を繰り返す政権の狙いについて、現場に日々記者を派遣できる2紙の「目をふさぎ、報道の正当性を疑わせれば『なかったこと』にもできると思っているのではないか」と指摘しました。
元NHK記者の相澤冬樹さんは、森友事件の報道で感じた圧力を語り、報道を変えるために「視聴者の具体的な批判が大切」と述べました。東京新聞社会部記者で「メディアで働く女性ネットワーク」の柏崎智子さんは、セクハラ問題で自民党議員らが暴言を繰り返す背景に「彼らの安心感を支えているのがメディアの忖度(そんたく)だ」と指摘。科学ジャーナリストの林勝彦さんは、「今進んでいることは放射能安全神話つくりだ」と語りました。
元朝日新聞記者の植村隆さんは、1991年の日本軍慰安婦報道を右翼メディアから捏造(ねつぞう)と集中的にバッシングされた経過を報告。「誰にでも起こりうること」と警告しました。
シンポジウムでは、真実のために社を超えたジャーナリストの連携の大切さなどが語られました。
2019年6月19日
昨年翻訳された韓国の小説2冊。その一つチョ・ナムジュ著『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)は不平等と差別にさらされてきた女性の現実を告発した話題作である。日本でも注目されたのは、同様の実態があるからだ。
同書ほど話題にはなっていないが、キム・スム著『ひとり』(三一書房)は、「韓国女性の歴史においても最も痛ましく理不尽な、そして恥辱のトラウマ」である、日本軍「慰安婦」を描いた作品。「性奴隷」にされた女性たちの証言記録をもとにフィクションとして再構成、300を超える注がついているのも異例だ。
「これは歳月が流れ、生存されている旧日本軍慰安婦の被害者がただひとりになったある日からはじまる物語です」と扉にかかれている。主人公の「彼女」は、13歳の時に村から拉致され、「満州」で日本軍「慰安婦」とされた。他の10代の少女たちもまた看護師にしてくれる、工場で働いて金を稼げるなどの理由でだまされて連れてこられたのだ。
作者が「気の重い読書になるでしょう」というように、読み進めるのがつらい。「どんな言葉でも自分の苦痛を説明することはできない」という彼女らの思いを胸に刻むのは、現代に生きる私たちの責務でもある。
2019年6月11日
若者憲法集会(9日、東京都内)では、憲法9条と朝鮮半島の平和、参院選、労働組合、消費税、入試差別問題など九つのテーマで憲法について考える分科会が開かれました。
学生分科会には、会場いっぱいの約100人が参加しました。「9条がうまれたわけ」をテーマに、太平洋戦争で日本が行った加害の歴史について学習。「若い世代が自分のこととして戦争の歴史を学び、周りの人に広げていきたい」と語りあいました。
首都圏にある各大学の9条の会メンバーでつくる「Peace Night9(ピースナイト・ナイン)実行委員会」と、青山学院大学憲法問題研究会が共催しました。
代表して、ピースナイト9実行委メンバーで、大学3年の女性(20)があいさつ。安倍政権が9条改憲を狙うなか、「私たちがどのような未来をつくりたいのかを考えるきっかけにしたい。そのために、日本が行ってきた戦争の歴史を学ぼうと考えました」と趣旨説明しました。
ゲストとして、日本軍「慰安婦」訴訟に長く取り組んでいる大森典子弁護士が講演しました。「慰安婦」問題をめぐる、これまでの経過や日本政府による対応の問題点を丁寧に説明。「この問題を知ることで、現在の日本社会で起こっている問題にも目を向けてほしい」と語りました。
トークセッションでは、学生から「戦争を知らない同世代に、9条の大切さをどのように伝えたらよいのか」との質問がだされました。
大森さんは、「私は終戦間際に生まれました。戦争の醜さやむごさを肌感覚で感じてきた世代です。若いみなさんは、ぜひ今日のような機会に学んだことを、周りの人に自分の言葉で発信してほしい」とエールを送りました。
2019年6月5日
旧日本軍の「慰安婦」問題を描くドキュメンタリー映画「主戦場」のミキ・デザキ監督が3日、東京で記者会見しました。元「慰安婦」の主張を肯定する側と否定する側の30人近くがインタビューを受けた作品で、否定する側で登場した藤岡信勝氏や桜井よしこ氏ら7人が5月30日、この映画の上映差し止めを求める声明を発表したのに対して行ったもの。
藤岡氏らの、“商業映画への「出演」は承諾していない”“「学術研究」だから協力した”などの言い分に対し、デザキ監督は、撮影前に交わした「合意書」「承諾書」を示し、劇場公開の可能性も伝えており、商業的公開を知らなかったというのは事実ではない、また、ドキュメンタリー映画と明記されており、学術プロジェクトとはいっさい書かれていない、など、藤岡氏らの言い分は当たらないと指摘。「課せられた合意の義務は果たしています」と語りました。
藤岡氏側が声明の中で「主戦場」を「グロテスクなプロパガンダ映画」と評していることについて言及。データを示し、リサーチを重ね、否定する側と肯定する側の双方の主張を聞いた後、自分の考えと結論を入れるのが責任あるやり方だと思ったと言い、そのプロセスがわかるがゆえにプロパガンダ映画ではないと表明し、「それぞれの論点について観客自身が検証することを推奨しています」とのべました。
また、作品への興味が広がって「慰安婦」問題へのタブー視がうすれ、「よりオープンなディスカッションに導く一つのきっかけになるのではないか」と期待を表明。監督は、「いわゆる歴史修正主義者」と呼ぶ否定派の人々に対して、「(自分たちの)考え方や論点についてもう少し反芻(はんすう)する余地があるのではないか」と語りました。
2019年6月4日
ジェンダー・フェミニズム研究者4人が、自民党の杉田水脈(みお)衆院議員を名誉毀損(きそん)による不法行為で提訴した損害賠償請求事件の第1回口頭弁論が5月24日、京都地方裁判所大法廷で開かれました。
「国会議員の科研費介入とフェミニズムバッシングを許さない裁判」(フェミ科研費裁判)と呼ばれるこの裁判で杉田氏を提訴したのは、「ジェンダー平等社会の実現に資する研究と運動の架橋とネットワーキング」研究グループの共同研究者である、牟田和恵大阪大学教授、岡野八代同志社大学教授、伊田久美子大阪府立大学教授、古久保さくら大阪市立大学教授の4人。
杉田氏は、2018年来、「反日学者に科研費を与えるな」という攻撃をインターネットテレビや自身のツイッターなどでくり返し、国会質問でも取り上げてきました。同年3月にはフォロワー(13万人超)に向けて科研費について検索することができるサイト先を示し、「誰がどんな研究で幾ら貰(もら)ったかすぐわかります。『慰安婦』とか『徴用工』とか『フェミニズム』とか入れて検索もできます」とツイート。こうした扇動により、ネット上では一部の研究者に対する誹謗(ひぼう)中傷が起きました。
4月には、牟田氏に対して「学問の自由は尊重します。が、ねつ造はダメです。慰安婦問題は女性の人権ではありません。国益に反する研究は自費でお願いいたします。我々の税金を反日活動に使われることに納得いかない」と書くなど、公正に審査された研究に対して根拠のない批判をくり返し、相当数の拡散がされています。
24日の口頭弁論に被告の杉田氏と代理人は欠席しました。意見陳述を行った原告の牟田氏は、「慰安婦」研究に対する「ねつ造」発言は、日本政府の公式見解をも否定すると指摘。ジェンダー平等実現のための研究への杉田氏の無知と無理解からの中傷は、男女平等を推進すべき国会議員の立場に逆行すると批判しました。そして、牟田氏らの科研費に不正使用があるかのような非難は「学問上の常識を知らず杜撰(ずさん)」であるとし、「裁判所にはこの屈辱を理解していただきたい」と述べて意見陳述を締めくくりました。
閉廷後、法廷に入りきれなかった人も含め200人を超える支援者で埋まった集会では、弁護団の報告のあと、原告4人が発言しました。牟田氏とともに杉田氏から名前を挙げて批判された岡野氏は「25年以上『慰安婦』に対する研究をしてきたが、こんな侮辱は初めて。これは人類が積み上げてきた知に対する嘲笑であり、日本社会の現状を表してもいる」と発言。
伊田氏は「女性のセクシュアリティーに関する研究が価値のないことのように中傷された。研究を切り開いてきた世代、後に続く世代にも冷や水を浴びせる。国会議員の発言として、今後の『忖度(そんたく)』も気になる」と述べ、科研費の選考や政府の政策への影響に不安を示し、古久保氏は「杉田氏の発言を許せば、ジェンダー平等・セクシュアリティー平等教育に大きな打撃を与える。ここで歯止めをかけなければならない」と原告団の一員に加わった理由を語りました。
会場からは近現代史研究者の住友陽文さん、ジャーナリストの竹信三恵子さん、フリーライターの李信恵さんらが裁判の重要性などについて発言しました。
杉田氏は日本維新の会から自民党にくら替えした経歴を持ち、「新しい歴史教科書をつくる会」の理事も務めています。科研費への攻撃のみならず、LGBTのカップルを「生産性がない」と中傷するなど国会議員としての資質が問われており、杉田氏を公認する自民党・安倍政権の責任も同時に追及されるべきです。
裁判への支援とともに、学術研究への政治的介入を許さず、ジェンダー平等社会をめざす世論と運動の発展が求められています。
2019年6月1日
日本婦人団体連合会(婦団連)は31日、ジェンダー平等社会(性差による差別のない社会)の実現と女性の地位向上を求める署名16万9199人分を国会に提出するとともに、省庁要請を行いました。
署名は、選択的夫婦別姓制度の導入など、民法の改正▽「慰安婦」問題の解決▽個人通報による救済を認める女性差別撤廃条約選択議定書の批准▽家族従業者の給与を認めない所得税法56条の廃止―を求めるもの。選択議定書の署名4万人分は6月に提出する予定。
柴田真佐子会長は、ジェンダー平等に背を向け続ける安倍政権のもと、ハラスメント禁止や性暴力の根絶など、女性の権利を国際基準に引き上げようと運動が広がっていることを強調。「憲法と女性差別撤廃条約に基づくジェンダー平等が実現されるよう求めます」と述べました。
日本共産党の高橋千鶴子、畑野君枝、本村伸子の各衆院議員、山下芳生、紙智子、吉良よし子、仁比聡平、武田良介の各参院議員、立憲民主党の大河原雅子衆院議員が署名を受け取りました。
高橋氏はジェンダー平等に向けた共産党の取り組みを紹介し、「みなさんが積み上げてきた運動が世論になっている」と強調。本村氏は、「国際的認識とかい離した自民党政治を変えるために頑張る」と話しました。
署名提出後、内閣府と各省庁にハラスメント禁止の実効ある法整備などを要請。「公務職場の人員削減でハラスメントが横行している」などの実態を示し改善を求めました。
2019年6月1日
日本の女性たちは、安倍政権に立ち向かって、9条改憲を許さず、核兵器禁止条約の批准を求め、ジェンダー平等でも、セクハラや性暴力、性差別を許さないと行動に立ち上がっています。
来年のNPT(核不拡散条約)再検討会議は、禁止条約の発効と、核保有国と同盟国でのたたかいが成否を握っています。被爆国日本こそ役割を果たせと、草の根から安倍政権を包囲する活動を強めています。
私たちは、「慰安婦」問題の解決を求めてきました。日本政府は侵略戦争と植民地支配に対する真摯(しんし)な反省が求められます。参院選では、安倍政治に代わって、非核・平和、ジェンダー平等を発信する政治の実現へ全力を挙げます。
2019年5月22日
一般紙の安倍晋三首相の「動静」欄(9日付)に、海老沢勝二NHK元会長の名前を見つけました。都内のホテルの宴会場で、8日夜、「読売」本社主筆、共同通信社長、「産経」会長らとともに、首相と会食していたのです。
海老沢氏は、NHKの政治部記者時代、自民党の当時の最大派閥、佐藤派を担当しました。政権中枢に人脈を広げ、管理職として“出世”、島桂次会長のもと、専務理事となりましたが、1991年、子会社の「NHKエンタープライズ」(NEP)に出向、社長に就任。その後、本体に復帰、93年、専務理事に復職し、97年から約7年半、会長を務めたという経歴の持ち主です。
会長時代には、「小泉さん(純一郎首相)はいろいろいいことをやろうとしている」と政権寄りの姿勢を強め、官房副長官だった安倍首相らが介入した「慰安婦」番組改変事件が起きています。
何やら似たような人が―。4月25日付で、NEP社長からNHK専務理事に復帰した板野裕爾氏です。板野氏は、経済部長、内部監察室長などを歴任し、籾井勝人会長時代の2014年4月に理事から専務理事(放送総局長)に昇格。「政府が右と言うものを左と言うわけにはいかない」など、安倍政権べったりの姿勢に批判があった籾井会長を支えてきました。
今回の復帰人事には、「官邸の強い意向があった」といわれ、上田良一会長は、9日の会見で、「物議をかもしている」との質問に、「より強力な経営陣を実現するための適材適所」と説明。官邸からの推薦の有無については、「私は承知していない」と答えました。
しかし、視聴者団体のもとには、NHK関係者から「通常の退任年齢である65歳の人を専務理事に戻すのは異常。その先の副会長、会長への昇任を見据えた人事ではないか」という声が寄せられました。「官邸とのパイプが太い」といわれる板野氏が今後、どういう動きをするのか―。
NEPが、ある種の復権の“隠れみの”となっているとしたら、放送法改定案の「NHKグループの適正な経営を確保するための制度の充実」は、絵に描いた餅となってしまいます。NHKと政権との距離が改めて問われます。(藤沢忠明)
2019年5月21日
北方四島の返還に関し、「戦争しないと」などと元島民に詰め寄り、市民と野党から辞職を求められている丸山穂高衆院議員(日本維新の会から除名処分)が居座りを決め込む態度をみせています。同党の松井一郎代表(大阪市長)は「今回の丸山議員の問題については、個人の資質っていうのが大きな話だ」(16日)と語っています。しかし、維新の政治家の言動を振り返れば、まさに維新の体質が露呈したものと言わざるをえません。
(藤原直)
維新の創始者・橋下徹氏は大阪市長を務めていた2013年5月13日、国際的に性奴隷制と批判されてきた旧日本軍「慰安婦」問題にかかわって、「慰安婦制度が必要なのは誰だってわかる」などと言い放ちました。まさに「人間の血が流れているのかと思うぐらい」(当時の日本共産党の市田忠義書記局長)の暴言に、世界中から厳しい批判の声が巻き起こりました。
ところが当時、延々と言い訳やすり替えを続けた橋下氏を、維新の政治家たちは「現実に(慰安婦制度が)あったというのは、必要とされていた(からだ)」(松井氏)などと党ぐるみで擁護。同党全体で人権感覚が麻痺(まひ)していることをさらけだしました。
維新は、日本の国政や外交を担うに値する勢力なのか、この一事をもってしても答えは明らかです。
松井氏自身も府知事だった16年10月、沖縄県東村高江の米軍ヘリパッド建設現場周辺で、建設に反対する住民に「土人」「シナ人」と差別発言を行った大阪府警の機動隊員を「出張ご苦労様」などと擁護。市民から発言の撤回と謝罪、辞任を求められたことがあります。
彼らが維新の衆院比例候補として公認をしてきた政治家たちの発言も異常です。
のちに自民党議員となり、LGBT(性的少数者)を差別する論文を月刊誌に寄稿して大問題になった杉田水脈衆院議員を最初に国会に送り込んだのも維新です。杉田氏は維新の比例票で当選した1期目から「男女平等」は「反道徳の妄想だ」などと国会で異様な主張(14年10月31日、衆院本会議)を展開していました。
維新の足立康史衆院議員の暴言・暴挙も枚挙にいとまがありません。とりわけ、17年11月に、ツイッターで「朝日新聞、死ね」と報道機関への脅しともとれる暴言を発信したのは深刻な問題でした。
にもかかわらず、維新はまだ、自身のブログに「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ! 無理だと泣くならそのまま殺せ!」などと題する文章を投稿した長谷川豊氏(元フジテレビアナウンサー)を参院全国比例区候補として国会に押し上げようとしています。
維新に1票を投ずることでどんな政治家を誕生させることになるのか、個別の政策で維新に期待する有権者にも真剣に考えてもらう必要があります。
地元大阪でも、維新議員は、不正・不祥事、居直りと居座りの多さで際立っています。
17日にも大阪市議選で再選されたばかりの維新市議が買収の容疑で逮捕されました。
堺市議会では、前の市議任期中、政務活動費の不正使用で辞職勧告決議を突き付けられたのに居座りを続けた2人の元維新市議や、同決議に反対した維新に市民の厳しい批判の声が広がり、リコール署名運動に発展。両議員が辞職に追い込まれた経過もあります。
12年には、元日に飲酒運転でひき逃げ事件を引き起こした別の維新堺市議(事件後、維新を除籍)が有罪判決と2回の辞職勧告決議を受けたにもかかわらず同年6月まで居座ったこともありました。
2019年5月16日
韓国で「慰安婦」被害者を支援している市民団体が14日、ソウル市内で記者会見を開き、同国政府に対し、「慰安婦」問題に関する国立の歴史館を設立するよう求めました。会見したのは「日本軍性奴隷問題解決のための正義記憶連帯」や「日本軍『慰安婦』研究会」など5団体で構成する「国立日本軍『慰安婦』歴史館(仮称)設立のための全国行動」。
現地からの報道によると、同全国行動は「日本政府が歴史を否定し、歪曲(わいきょく)するなかで被害者は大部分が亡くなり、存命なのは21人だけになった」と強調。文在寅(ムン・ジェイン)政権は発足時、国政課題の一つに「『慰安婦』問題は被害者や国民が同意できる解決策を導く」としていたことに触れ、「昨年8月に研究所を設置したが、独立性と安定性が担保されず、所長が辞退することになった」と指摘しました。
2019年5月13日
日本共産党の池内さおり衆院東京12区候補(比例重複)と市民連合(安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合)呼びかけ人の山口二郎法政大教授のトークセッション「安倍政治にサヨナラを!市民&野党ホンキで変える」が11日、東京都北区内で行われました。主催は、党の北、足立、豊島、板橋の各地区委員会と池内さおり事務所です。
山口氏は米国とイランの緊張が高まる中、「安保法制の廃止は急務だ」として安倍9条改憲の阻止を訴え。参院選に向け、市民と野党の政治と安倍政治の対立構図は「国のために人がいるのか、人のために国があるのかだ。人の権利を守るために国があるという観点から、人権を打ち出していく」と強調しました。
日本共産党について、2017年総選挙など「共産党なしに野党協力はあり得なかった。小異を残しながら大同につき、日本政治の一番の矛盾に立ち向かったたたかいには敬意と感謝しかない」と述べると大きな拍手が起きました。
池内氏は、日本軍「慰安婦」だった韓国のハルモニ(おばあさん)らから深刻な人権侵害の被害を聞いてきたと述べ、「民族、女性の差別と、究極の暴力の戦争とが交差しているのが慰安婦問題だ。差別と暴力を許さないことが私の根幹にある」と強調。衆院議員として110年ぶりの刑法の性犯罪規定の改定にとりくんだ自身の経験を語りました。
山口氏は安倍首相はじめ改憲勢力が「権利がなかった戦前の女性像を現代に押し付けようとしている」と批判。「池内さんには次の選挙でぜひ国会に戻ってほしい」とエールを送ると、池内氏は「12区で勝ち抜き、必ず風穴をあける」と表明し、応えました。
新社会党の福田光一北区議、市民らが池内氏への応援メッセージを述べました。
2019年5月4日
私は安倍首相と同じ1954年生まれ。戦後の民主主義教育で国民主権、基本的人権の尊重、平和主義がどれほど大事なのかを授業で学びました。
私が編集長を務めたNHKの日本軍「慰安婦」を扱った番組が放送される直前、官房副長官だった安倍首相がNHK幹部にちょっかいを出し、番組は大きく変えられてしまいました。私は告発できませんでしたが、いまはジャーナリストと市民の連帯が広がっています。
再び戦争への道を進んではいけません。心あるジャーナリストと市民との連帯で言論や表現の自由を守り、安倍政権を終わらせましょう。
2019年4月25日【国際】
国連安保理は23日、戦時や紛争下の性暴力に関する討論を行い、性暴力の完全な停止と被害者中心のアプローチで必要な支援を行うよう関係各国に促す決議を採択しました。市民社会を含む90超の代表が発言した討論では、ノーベル平和賞を受賞した、イラクのナディア・ムラドさんとコンゴ(旧ザイール)の医師デニ・ムクウェゲさんの2人も参加し、性暴力加害者の責任追及を強く求めました。(鎌塚由美)
過激組織ISによるイラクの少数派ヤジディ教徒への性暴力の被害者でもあるムラドさんは、「これまでにヤジディ教徒を性奴隷にした罪で裁判にかけられた人はいない」と述べ、IS戦闘員を裁く特別法廷の設置を訴えました。
ムクウェゲさんは、武器としての性暴力は国際人道法違反だと強調。国連や各国政府が加害者に制裁を行うよう求め、「裁きなしに被害者(の傷)は完全に癒えない」と述べました。
国連のグテレス事務総長は、国連が2010年に「紛争下の性暴力担当事務総長特別代表」を創設したことは同問題に取り組む画期となったと指摘。「性暴力は紛争に油を注ぎ永続的な平和に深刻な影響を与え続けている」と強調しました。
決議案を主導したドイツのマース外相は、各地で性暴力加害者への免責が続いていると指摘し、「被害者は、犯罪後も苦しみ続けている」と述べ、被害者支援の重要性を訴えました。
一方、今回採択された決議では、被害者支援に関し「性と生殖に関する健康」への言及がなくなりました。ロイター通信によると、同表現には人工妊娠中絶が含まれると理解するトランプ政権が、拒否権発動をちらつかせ、文言を薄めたといいます。これまで、国連総会や安保理の決議で合意されてきた文言ですが、中絶に反対するキリスト教右派にすり寄るトランプ政権が握りつぶした形です。
同会合では、韓国外務省の李泰鎬(イ・テホ)第2次官が、「慰安婦」問題は普遍的な人権問題だと言及。李氏は「韓国政府は被害者の名誉と尊厳を回復し、この問題を歴史的教訓とする努力を続けていく」と表明しました。これに対し、日本の別所浩郎大使は、日韓両国は15年に「慰安婦」問題を「最終的かつ不可逆的に」解決すると合意していると述べました。
2019年4月24日
20日の国際シンポジウム「戦争及び植民地支配下の人権侵害の回復と平和構築に向けて」(日本弁護士連合会主催、大韓弁護士協会共催)では、植民地支配の不法性を問い直す国際的流れも生まれる中で、強制動員被害者の人権回復のための手だてについて、活発な議論が交わされました。
昨年10月末の韓国・大法院判決が元徴用工らの被害を「日本の植民地支配と直結した反人道的不法行為」としたことをどう受け止めるのか。パネルディスカッションで阿部浩己明治学院大教授は、国際法は強国の支配を正当化する役割を果たしてきたが、現在は「人権」を中心に抑圧された側の声を反映する方向に発展しつつあると指摘。過去の植民地支配を国際法上も問題だとする機運も生まれ、植民地支配下での重大な人権侵害に対して旧植民地宗主国が被害者に謝罪し補償する事例が生まれていることも紹介し、「この流れを東アジアではっきり示したのが大法院判決だ」と強調しました。
吉澤文寿新潟国際情報大教授は「日韓請求権協定の交渉過程で、日本政府は一貫して植民地支配が不法で賠償責任に値すると認めていない」と指摘。そのため、被害者の慰謝料請求権が請求権協定の「範囲外」だとした大法院判決の判断が「出てくる余地がある」と述べました。また、日本政府は旧日本軍「慰安婦」問題など強制動員被害の実態を認めながら「強制はなかった」と述べるなど、「責任を回避する狙いだ」と批判しました。
韓国の崔鳳泰(チェ・ポンテ)弁護士は、「韓国国民にとって植民地支配が合法などと絶対に認められない」と述べ、日本政府の認識をただす一方で、被害者の早急な人権回復の重要性を強調。日本共産党の穀田恵二衆院議員が昨年の外務委員会で日本政府に「個人の請求権が消滅していない」と答弁で認めさせたことを紹介し、この点で日韓の行政府と司法府が一致しているのだから「被害者の声を聞きながら行えば十分に解決できる」と述べました。
阿部氏は日韓の最高裁が被害の実態を事実認定し、「反人道的であったことは間違いない。当時も強制労働、強制連行は国際法上禁止されていた」と指摘し、まずは「植民地支配の合法性、違法性を問わず、きちんと損害賠償し、謝罪するという合意をすべきだ」と話しました。
強制動員被害の和解に関わってきた内田雅敏弁護士は「何より被害の実態に目を向けるべきだ」と強調。歴史問題の解決には加害者側が「加害の事実を認め謝罪する、謝罪の証しとして和解金を支給する、将来に再び過ちを繰り返さないために歴史教育として未来に伝え、語り続ける。この三つの原則が必要だ」と述べ、この取り組みを通じて「和解を深めることができる」と語りました。
コーディネーターを務める川上詩朗人権擁護委員会副委員長は「過去に向き合うことは、未来に真に人権が保障される社会をつくるために必要なこと」だと結びました。
2019年4月22日
日本初のセクハラ裁判(福岡事件)の支援代表はじめ、さまざまな立場で裁判支援をしてきたが、このたび自身が裁判の原告になった。研究代表者をつとめていた科学研究費グループが、当該研究への誹謗(ひぼう)中傷をおこなった杉田水脈(みお)衆院議員を名誉毀損(きそん)で提訴したのだ(京都地裁、2月12日)。
私たち原告が裁判に踏み切ったのは、研究がねつ造である・ずさんな研究費使用をしている等の事実に反する、研究者生命を損なわれかねない発言を繰り返されたからである。
しかし、それ以上に、学問研究の根幹にかかわる攻撃と考えたからだ。「慰安婦」問題を扱ったのを「反日」研究だとし、そうした研究に科研費を助成すべきではないと杉田議員は広言したが、これは権力による学問の自由への介入に他ならない。
(提訴の詳細は「国会議員の科研費介入とフェミニズムバッシングを許さない裁判」を支援する会〈http://kaken.fem.jp/〉をご覧いただきたい)
さらに同議員は、さまざまな社会運動や活動と連携してジェンダー平等への道を探っていこうとする私たちのプロジェクトを「活動であって研究でない」と貶(おとし)め、性や身体をテーマとするイベントに嘲笑(ちょうしょう)をあびせ、こんなのは学問ではないと評した。
ジェンダー研究・フェミニズム研究は、1970年代の第二波フェミニズム運動から発した、社会や学問から無視排除されてきた女性たちの経験や怒り、疑問に根差したものであるがゆえに、当初は「そんなのは学問ではない」とされてきた。
それを先駆者たちが大学の自主ゼミで、在野のグループで、研究と議論を積み重ね、ようやく一つの学問領域として認められ、科研費のジャンルにもなったのだ。
女子受験生を不利に点数操作していた医大、性暴力にきわめて甘い判決の連続等、この社会の現状をみれば、ジェンダー研究やフェミニズム研究が果たすべき役割は極めて大きい。こんな攻撃を放置していては、これまでの蓄積を無にしてしまい、ますます平等への道から遠ざかってしまう。そんなことを許すわけにはいかない。
杉田議員といえば、現政権中枢に気に入られて比例区のトップ候補となり議員となった人物で、熱心なファンも多い。裁判は決して容易ではないだろうが、負けるわけにはいかない責任の大きさを感じている。(第4月曜掲載)
2019年4月19日【文化】
侵略戦争を美化・肯定する“歴史修正主義”の台頭に日韓関係の軋轢(あつれき)が強まる現在、本作は対立する主張を突き合わせる構成で、“従軍慰安婦”問題の真相に迫る討論ドキュメンタリーだ。“ネトウヨ”に攻撃・脅迫されたことから製作を思い立ったという、日系米国人ミキ・デザキ監督のデビュー作である。“従軍慰安婦”被害を認める側(支持派)・否定する側、双方の日韓米30人ほどの論客を直撃インタビューする。関連映像や資料も駆使し、論争の渦中へ身を投じる。
まず、杉田水脈(みお=自民衆院議員)、藤岡信勝(新しい歴史教科書をつくる会)、ケント・ギルバート(タレント・弁護士)、櫻井よしこ(ジャーナリスト)、米国の“慰安婦”像設置に反対する修正主義者の米国人ら、否定派の意見に耳を傾けていく。
そこに支持派の吉見義明(歴史学者)、ユン・ミヒャン(韓国挺身=ていしん=隊問題対策協議会)、林博史(歴史学者)、渡辺美奈(女性たちの戦争と平和記念館)、中野晃一(政治学者)らの反論を“両論併記”的に対比させ、論点を整理・明確化していく。
否定派は、“慰安婦”数20万人は誇張で、日本軍が強制連行した証拠はなく、業者の仕業だった、“慰安婦”は性奴隷とはいえず多額の報酬を得ていた“売春婦”だった、と指摘する。
これに対して支持派は、日本政府も「河野談話」で日本軍の“慰安所”の関与と強制連行を認めて謝罪したように、これは否定しようのない事実だ、証言以外にほとんど証拠がないのは不都合な文書を廃棄したためである、奴隷とは自由意思が奪われることで金銭の授受とは無関係であり、そもそも“慰安婦”は、多額の報酬など受け取っていないと反論する。
なお“慰安婦”20万人は検証できない部分があり、支持派も不用意な言及には注意を促しているが、数字の争いにもちこんで事実をあやふやにするのは否定派の常とう手段だ。
随所で“慰安婦”を侮蔑する民族的・性的差別をあらわにする否定派の暴論を、支持派は具体的な事実でことごとく反駁(はんばく)する。支持派に理のあることが鮮明になっていく論破の過程は、痛快で留飲が下がる。
教科書問題など、その他のさまざまな論点も洗い出して分析を深める。謝罪したといいながら、首相や閣僚が靖国神社へ参拝したり、“慰安婦”への賠償と謝罪を公式に認めようとしない日本政府の不誠実さや、「日韓基本条約」(1965年)、「日韓合意」(2015年)で、「日韓同盟」強化の米国の軍事的思惑が優先され、戦争被害の解決がないがしろにされた実態など、日韓関係が修復されない原因を掘り下げる。
さらに国会答弁で強制連行を否定し、“慰安婦”問題を告発するNHKの番組に介入した安倍晋三氏の改憲策動と、これと密接に連動する「日本会議」の復古的で危険な勢力の伸張に警告を発する。
修正主義から脱却した女性が、否定論者の妄動が日本の評判を落としていると、諸外国との矛盾の拡大を危惧する証言や、サンフランシスコなど各地で“慰安婦”像を設置する人権を擁護する取り組みの広がりなど、友好と問題解決への希望も示されている。
沈黙を強いられた被害者の無念に寄り添い、“従軍慰安婦”の真実を映像化した本作は、歴史の逆行を押し返す快作である。
2019年4月8日
北朝鮮の「慰安婦」被害者を10年にわたって追い続けてきた日本人の写真家・伊藤孝司さん(67)の写真展が3月上旬、韓国の首都ソウルで開催されました。「遺言を託されたという思いで撮影してきた」という伊藤さんの作品を、来場者は静かに見つめ、ときには涙を流す人も。初日のトークショーには100人以上が集まり、テレビでも紹介されるなど、強い関心が寄せられました。
伊藤さんは北朝鮮で広島長崎での原爆被爆者や強制連行された人など、日本の植民地支配の被害者80人に会って証言を聞いてきました。そのうち14人が「慰安婦」被害者です。
「物をぶつけられたこともあった。つかみかからんばかりの勢いで話してくる人もいた。どんなことを言われても被害者の話に向き合い、怒りを全部受け止めようと決めました」
朝鮮半島に目を向けはじめたのは広島に通い詰めた写真家の土門拳氏に影響を受けたからでした。自身も広島・長崎へ取材に行くようになります。そこで朝鮮人の被爆者がいることを知り、「日本社会で知られていない被爆者に光をあてよう」と決意。当初は在日朝鮮人・韓国人を取材し、1985年に韓国へ。92年には訪朝が実現しました。
北朝鮮でも韓国と同様、「慰安婦」被害者として、顔や実名を公表できる人は限られていました。「ハルモニ(おばあさん)たちは、植民地支配から朝鮮が解放されたあとも、体に刻まれた傷や記憶と向き合わなければなりませんでした。結婚を諦めた人もいるし、夫が亡くなってから名乗り出た人もいます」
印象に残っているのは鄭玉順(チョン・オクスン)さんです。
鄭さんの体には全身に入れ墨がありました。胸やおなか、背中、そして口の中まで。それは中国・広州の慰安所から逃亡し連れ戻された際、日本軍の兵士が鄭さんを殺す前に書いた「いたずら書き」でした。鄭さんは重傷を負いますが、その様子を見ていた中国人に助けられ、歴史の証言者となりました。
日本軍の性奴隷制度について伊藤さんは「植民地支配の残虐さが端的に現れた制度だった」と指摘します。「加害側の日本人として取材したことに意味があると感じています。日本にとって目を背けたいことであっても、二度と侵略しないという思いを込めて次の世代に伝えていく必要がある」と力強く語りました。
これらの写真と同時に撮影された「慰安婦」被害者の映像は、デジタル化され韓国国家記録院に贈呈されました。「朝鮮半島と長年かかわってきた者としていまの日本を見ると、排外主義的な安倍政権のもと空気が変わったと感じます。いま日本で『慰安婦』写真展を開くことは大変困難です。そういう状況のなかですが、韓国でできることは積極的にやっていきたい」
ソウル市近郊の水原市からきた女性(25)は「北朝鮮のハルモニたちの写真を見る貴重な機会になった。初めて知ることも多く、伝えていこうとしてくれている人たちに感謝の気持ちです」と話しました。
2019年3月27日【文化】
東日本大震災・福島原発事故から8年目となる今月は、震災復興や原発にかかわる論考、現地ルポ、インタビュー、対談などが各誌に掲載されました。
武藤類子(福島原発告訴団長)「違う社会をつくる礫(つぶて)になれば 出発点は罪を問い、反省すること」(『ジャーナリズム』3月号)は、福島原発事故をめぐり、東京電力の旧経営陣を刑事告訴して裁判をたたかう団長へのインタビューです。
武藤氏は、多くの人々が住む家や生業を奪われた原発周辺地域の荒廃、引き続く放射線被害の危険にふれながら、原発災害の罪を問うことが社会を変えることにつながるという信念を語ります。ここで同氏が、自分たちの活動と、韓国の元徴用工・元慰安婦の訴えとを重ねあわせ、戦後の公害問題などで国と企業の責任があいまいにされてきた歴史にもふれながら、「国家」を「個人」の上に置く考え方の克服を語っていることは注目されます。
国家の犯罪とその責任を明らかにすることの重要性は、『世界』4月号での渡辺美奈(「女たちの戦争と平和資料館」館長)、石田智恵(早稲田大学専任講師)の対談「不処罰の連鎖・無責任の体制に抗する」でも強調されています。今、南米のアルゼンチンでは、旧軍政時代に強行された国家による人権弾圧の告発が進められ、とくに女性たちに加えられた性暴力について、単なる拷問とは区別して独自に訴追・断罪する動きが起こっています。両氏は、この取り組みの状況を紹介しながら、そうした諸外国の流れと対照的に、日本では、昭和天皇の戦争責任を不問に付した「一億総懺悔(ざんげ)」や、福島原発事故における関係者の言い逃れなど、「みんなどこかに責任がある」という発想のもと、「国家の暴力を許容するという前例」が積み重なっていると指摘します。
「不処罰の連鎖」を断ち切り、いつ、どこで、だれが下した判断によって人権侵害が実行されたかという責任の所在を明らかにしないで、過ちの再現の防止は不可能だという渡辺氏の直言が重く響きます。
地方政治のあり方が鋭く問われるなか、大阪で日本維新の会が行っている政治の矛盾と欺瞞(ぎまん)をつく論考も見られました。
森裕之(立命館大学教授)「都構想・万博・カジノ」(『世界』同)は、2015年5月の住民投票で否決されたはずの「都構想」を、公明党との水面下の取引や不当極まる「ダブル選挙」によって復活させようとする、維新の暴政を批判。「新自由主義の理念」をかかげ、「敵」と認定した相手を罵詈(ばり)雑言でたたき、「勝ち組」の気持ちに火をつけて「社会的弱者への怨嗟(えんさ)」を増幅してきたのが、「維新政治の本質」だと喝破します。
2025年の万博開催を口実に、市民が反対してきた大型開発を復活させ、市民が望んでもいないカジノ誘致に奔走する維新の欺瞞を明らかにしながら、森氏は、市民・府民が「分断」を乗りこえ、共同の力で悪政に終止符を打つことに期待を表明しています。
大沢真幸(まさち=社会学者)、平野啓一郎(小説家)の対談「『自分探しの三〇年』から脱却し、日本史像を編み直せ」は、“平成が終わる”ことを前面にした『中央公論』4月号の特集の一環ですが、大沢氏も平野氏も、グローバル化する世界の一員という意識が広まった今、元号で時代を区分する感覚は日本国民のなかで希薄になったと指摘。今後、日本人が持つべきアイデンティティーについて語り合うなかで、両氏が、戦後の対米従属の歴史やそれが国民の意識に及ぼしている影響を、それぞれの言葉で語っていることに注目しました。
中野晃一(上智大学教授)「見過ごされる『ポピュリストなき独裁』」(『世界』同)も、安倍政権のもとで「権威主義的な権力行使」が横行する背景に「対米追随路線」があると指摘。秘密保護法、安保法制、米軍基地建設の強行など、安倍首相の独裁的手法がいずれも、米国にとって「良い目的」を達成するため行使されていることに注意を喚起しています。
安倍政権の暴走の大本にある対米従属・財界奉仕の政治を問う議論がさらに活発化することを願います。(たにもと・さとし)
・岡野八代(同志社大学教授)「『平和の少女像』とは、誰なのか?」(『現代思想』3月臨時増刊号) 米国の思想家ジュディス・バトラーの理論に触れて、日本軍「慰安婦」にさせられた一人ひとりの複雑なありようを指摘し、処女性を表象する「平和の少女像」は誰なのかと問い続ける重要性を考察。
・御厨貴(みくりや・たかし=東京大学客員教授)「小選挙区制、二大政党制の改革で劣化した“政治家気質”」(『中央公論』4月号) かつて小選挙区・二大政党制を推進した筆者が、それらは「失敗」したと「反省」を表明。安倍政権のもとで自民党議員は「語る自由」を失い、「政党政治は危機的状況」にあると嘆く。(編集部)
2019年3月17日
朴慶植(パク・キョンシク)著『朝鮮人強制連行の記録』は、いまから54年前、日韓条約締結直前の1965年5月に刊行された。もとになった文章も、日韓会談の大詰めの交渉から妥結に向かう時期に発表されている。
独立国家となった韓国と日本との国交樹立にあたっては、植民地支配への反省と賠償が本来、問題にされるべきであった。韓国における日韓会談反対闘争はそれを問題にしていた。だが、当時、日本人の間ではそれについての意識は極めて薄かった。植民地支配を恩恵のように語る者は珍しくなかった。「革新勢力」の間でも、植民地支配の反省や被害の補償の問題は十分認識されていなかった。加害の史実に向き合い、自分たちの責任を真剣に考える日本人は少数だった。
朴慶植は、韓国における韓日会談反対闘争について、何か「反日」的な運動をしているかのようにとらえる日本の思想状況、植民地支配についての研究の欠如を批判し、この本をまとめた。そして、それを通じて「朝鮮と日本の友好親善と連帯をより強化」することを願っていた(本書「まえがき」)。
「強制連行」という語をタイトルに入れている本書は、必ずしも戦時期の動員のみを扱ったものではない。「序」では植民地支配の具体的加害を明らかにしていない歴史研究への批判を論じ、「一」では戦時動員以前の在日朝鮮人の形成とその労働・生活を明らかにしている。そして「二」が戦時動員(軍人軍属、慰安婦への言及も含む)を論じており、「三」と「四」は、在日朝鮮人一世の生活史や動員された現場での関係者からの聞き取りなどをまとめた文章となっている。さらに「五」では朝鮮人迫害に関連する1次資料が紹介されており、これらを受けた「むすび」は、戦後在日朝鮮人政策について述べて、日本政府の姿勢を批判している。
本書全体を通じて示されているのは、朝鮮人が受けてきた非人道的な取り扱い、不当な差別の実態である。それは、行政当局自身が作成した文書、企業の労務管理関係資料、被害者の証言などに基づき説得力をもって語られている。とりわけ証言は、今日、新たに収集することは不可能で、貴重である。
また本書で筆者は、強制連行の被害の調査、犠牲者の遺骨返還や補償などを政治的取引とするのではなく、日本政府の責任で行うべきと述べている。現在、それは実現していない。そのことを私たちは恥じ、重く受けとめるべきである。
本書以降、在日朝鮮人の歴史、労務動員の歴史に取り組む研究者も現れ、研究もそれなりの蓄積を見た。評者も『朝鮮人強制連行』(岩波新書)をまとめている。そこでは、50年前の朴が意識していなかったであろう現代の外国人労働者問題との類似にも触れている。
(とのむら・まさる 東京大学教授)
(未来社・2500円)
2019年3月13日
陽子 NHKが組織再編をするということが波紋を広げているわね。
晴男 6月に予定している。現在、NHKは、報道局と制作局に分かれて主に番組を作っている。そのうち、制作局に八つある部を、六つの「制作ユニット」に再編する案が浮上しているんだ。
陽子 週刊誌などで、「“NHKの良心”と言える拠点が解体される」「番組全体の多様性が失われる」などといった関係者の声が紹介されていたわ。
晴男 戦争や憲法問題などを取り上げた「ETV特集」(Eテレ)や、福祉情報番組「ハートネットTV」(同)などを制作している「文化・福祉番組部」が分割される可能性がある。
陽子 「ETV特集」といえば、2001年に放送された「戦争をどう裁くか『問われる戦時性暴力』」をめぐって政治家の介入があったわね。
晴男 従軍「慰安婦」制度を裁く民衆法廷を扱ったことに、当時官房副長官だった安倍首相らが「偏った内容がある」と、NHKに圧力をかけた「番組改変」事件だね。
陽子 それで、「NHKは、安倍首相との間に残った“最後のしこり”を取り除こうとしているのだろうか」とも書かれているのね。
晴男 ネット上でも批判する声が噴出し、NHKはホームページに、「制作局の組織改正の検討について」という文書を公表した。NHKが視聴者に向けて見解を発表するのは異例のことなんだ。
陽子 どんなことを言っているの?
晴男 「当協会があたかも政権に忖度(そんたく)し、『ETV特集』等の番組を制作させないために組織改正を行うかのような印象を強く与える一部報道があります。しかし、このような事実は一切ありません」といっている。
陽子 自分で「忖度」なんて言っているのね。でも、森友・加計問題など、NHKの政治報道を見ていると、政権との距離には疑問を感じるわね。
晴男 NHKは、国民の受信料によって成り立っているんだから、社会のさまざまな声を公平に伝える、国民のためのメディアであることを自覚してほしいね。
〔2019・3・13(水)〕
2019年3月8日
三・一独立運動100年を記念して、韓国ソウル市とソウル大学チョン・ジンソン教授の研究チームは同市内で「記録、記憶―日本軍『慰安婦』の話、聞くことができなかった言葉」と題した展示会を開催し、被害者の写真を公開しています。同市と同チームは2016年から米国などで資料を発掘してきました。(ソウル=栗原千鶴 写真も)
今回公開された写真は3枚です。1枚は、1944年9月に捕虜収容所に収容された朴永心(パク・ヨンシム)さんの臨月の姿(中国雲南省で撮影)。あとの2枚はビルマ(現ミャンマー)で被害者の様子を写したものです。
いずれも米兵が撮影し、朝鮮人の「慰安婦」被害者が写ったものとして知られていましたが、原画が韓国で公開されたのは今回が初めてです。
写真は米軍が焼き付けてアルバムに保管していたもので、研究チームは米国の古文書収集家から購入しました。同チームのキム・ソラ研究員は「本物は情報も多く、貴重だ」と語りました。
朴さんは北朝鮮に暮らし、2000年に東京で開かれた日本軍性奴隷制を裁く民間法廷「女性国際戦犯法廷」で証言。06年に亡くなりました。
3日に行われた対談企画では、同法廷に検事団として参加したソウル市の朴元淳(パク・ウォンスン)市長が出席。「清算されていない過去は清算されない限り終わらない。韓国の現代史は苦難と悲劇と悲しみの歴史だ」と語りました。
また、現在の日韓関係について「敵対関係が悪化すれば双方にとって不幸だ。若い世代や地方行政では、絶えず友情を蓄積し、根本的に持続可能な平和体制にしていかなければならない」と述べました。
展示では、沖縄県に住んでいた裴奉奇(ペ・ポンギ)さんも紹介されています。裴さんは沖縄の慰安所に連行され、戦後、韓国に戻ることができませんでした。
1975年、自らの被害を公表します。
読み書きができなかった裴さんは、沖縄の本土復帰の際、在留許可を受けるための書類を期限内に提出できず、強制追放される危険に直面。周囲の支援で、経緯を書いた嘆願書を沖縄県に提出し、永住資格を得ました。
韓国で金学順(キム・ハクスン)さんが被害者だと名乗り出て大きな社会問題となった91年、裴さんは那覇市で亡くなりました。
展示会は20日まで行われます。
2019年3月8日
世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会(理事長・植松誠日本聖公会首座主教)が7日、大阪市内で「慈しみの実践―共通の未来のための宗教者の役割を考える」と題する平和大学講座を開き、230人余が参加しました。
庭野光祥・立正佼成会次代会長が、8月にドイツで開く世界大会に向け、武力紛争や環境破壊、貧困問題など人道的課題での宗教者の役割を学び、深めたいと基調講演。そのなかで「慰安婦」問題について「『一度謝れば終わり』という態度には疑問を持つ」と発言し、さらに「それぞれの宗教にはもともと独自の『積極的平和』の主張があり、その実現に向けて努力してきました」とのべました。
金子昭・天理大おやさと研究所教授をコーディネーターに森伸生拓殖大イスラーム研究所長、吉川まみ上智大神学部准教授が語り合ったパネルディスカッションでは「効率主義の追求で自然と貧しい人が軽視されている悪循環から脱する必要がある」(吉川氏)などの発言がありました。
会場とのやりとりで、天理教平和の会の男性から「慰安婦」問題での発言について質問が出され、庭野氏は「政治家のレベルでは『子孫がいつまでも謝り続けなくてもいいようにする』というのはあるかもしれないが、人間としてそういうことがあったことに謝罪をし続けたい」とのべました。
2019年3月7日
【ソウル=栗原千鶴】「慰安婦」被害者を支援し続けている「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」(正義連)は6日、ソウルの在韓日本大使館前で、1337回目の水曜集会を開催しました。8日の国際女性デーを前に開かれた今回の集会では、参加者が「差別と嫌悪のない世界を私たちがつくろう」と書いた紫色のプラカードと風船を掲げました。
今月2日には、被害者のクァク・エナムさんが94歳で死去しました。集会参加者はクァクさんを追悼し、黙とうしました。クァクさんは19歳だった1944年に、日本軍によって中国に連行されました。終戦後も帰ることができず、約60年の間、中国で暮らし、2004年に帰国しました。
今年に入り、被害者3人が亡くなり、韓国政府に登録している存命の被害者は22人となりました。正義連の尹美香(ユン・ミヒャン)共同代表は「私たちは(被害者の)おばあさんたちを忘れない」と述べ、女性デーのシンボルカラーの紫色には「死を乗り越えて、痛みにも勝ってきた私たちのたたかいの意味が込められている」と語りました。
自由発言で舞台に立った「青少年フェミニズムの会」のヤン・ジヘさんは、学校でのセクハラなどを告発するスクールMeToo運動の状況を報告。1991年に「慰安婦」被害者の故・金学順(キム・ハクスン)さんが初めて証言したことがいまの運動につながっていると述べ、「これからも歩みを止めず、声を上げ、これまで事実を告発してきた被害者が歩んできた道に続いていきたい」と語りました。
参加者は声明で、被害者の運動をたたえ「女性という理由で誰も差別されず、苦しまない世界をつくるために、さらに大きく連帯する」と述べました。
2019年3月2日
韓国の建国大学の招待を受けて訪韓している小木曽陽司・赤旗編集局長は2月28日、同大のKU中国研究院の韓仁熙(ハン・インヒ)院長らと会い、親しく交流しました。近藤正男・編集局次長が同行しました。
今回の韓国訪問は昨年に続くもので、赤旗編集局編『戦争の真実 証言が示す改憲勢力の歴史偽造』(新日本出版社)が同研究院の海外翻訳学術叢書として出版されたのを機会に、相互の交流を深めようと、同大から招待があったものです。
同書は、1919年、日本の植民地支配のもとでの圧政に抗し、朝鮮独立を宣言、朝鮮全土で約200万人が参加した三・一独立運動から100年にあたる3月1日付で発行されました。これについて韓院長は、「日韓両国の真の友好関係の発展と北東アジアの平和につながることを願う気持ちが込められています」と、韓国での出版の意義を語りました。
小木曽局長は、「日本が過去の歴史問題に誠実な態度をとることが、平和と友好の不可欠の土台となります。韓国での出版がその一助になれば、とてもうれしいことです」と、本の出版と招待への感謝を述べました。
交流では、合意に至らなかった同日の米朝首脳会談の結果と今後、日本軍「慰安婦」、元徴用工判決などの問題をめぐって悪化する日韓関係をどう打開するかなどをめぐって、意見交換しました。
これに先立つ2月27日、日刊全国紙を発行する京郷新聞社を訪問し、李東炫(イ・ドンヒョン)社長、李琪洙(イ・ギス)編集局長と懇談。日韓関係をめぐる状況や、日韓双方のメディアの役割などについて意見交換しました。
小木曽局長が「しんぶん赤旗」の歴史と役割について紹介すると、李社長は「日本の新聞を調べたところ、『赤旗』が多くの発行部数をもち影響力を持っている存在であることがわかった。『赤旗』が目指す方向に同意する人が増えることは、日本社会をよくすることにつながると思う。頑張ってほしい」と述べました。悪化する日韓関係の現状を打開し、友好を発展させるためにはメディアの役割が決定的だとして、この点でお互いに協力することを確認しました。
小木曽局長はこのあと、『週刊京郷』のインタビューに応じました。
2019年3月1日
100年前の1919年3月1日、日本の植民地支配下にあった朝鮮の京城(現・ソウル)で独立宣言書が発表され、街頭で「独立万歳」を叫ぶ示威行動が全土に広がりました。「三・一独立運動」です。宣言書は、独立が民族自決の正当な権利であるだけでなく「東アジアの平和を重要な一部とする世界の平和、人類の幸福に必要となる階段」であり、「日本を正しい道に戻して、東アジアを支えるための役割を果たさせようとするもの」と強調しました。三・一独立運動は、日本との真の友好と平和のための協力に向けた展望までも先取りしたことを示しています。
三・一独立運動は激しい弾圧を受けましたが、45年の日本の敗戦による朝鮮の解放、65年の日韓国交正常化を経て、98年に金大中(キム・デジュン)大統領と小渕恵三首相が発表した「日韓パートナーシップ宣言」で三・一独立運動が示した展望は実現へ大きな一歩を踏み出しました。植民地支配に対する「痛切な反省と心からのお詫(わ)び」を日韓の公式共同文書として初めて明記するとともに、「和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させる」ことを約束したのです。
日本が歴史の過ちを直視した上で、友好と協力を深めようと合意したという点で、真の「未来志向的な関係」に向かう出発点に立った画期的な共同宣言でした。
しかし、日本の首相や閣僚による靖国神社参拝、日本軍「慰安婦」に加え、最近では徴用工問題が浮上し、歴史問題が日韓関係をこじらせています。日本政府は65年の日韓請求権協定、2015年の「慰安婦」問題についての日韓外相合意を挙げて、植民地支配下の朝鮮半島出身者の被害は全て「解決済み」の一言で片づける態度です。
政府間の外交合意があるとはいえ、被害者一人ひとりが抱える深刻な心の傷を癒やしてこそ「解決」と言えるはずです。日本政府の姿勢は、そこからかけ離れていると言わざるを得ません。
政府間関係が冷え込んでいる一方、国民レベルの交流と相互理解は著しく進展しています。「韓流」はすっかり日本に定着し、世界的スター「防弾少年団(BTS)」が昨年11月から日本で行った9公演には、38万人のファンが詰めかけました。韓国の最大手書店で09年から10年間に最も売れた小説は東野圭吾の127万部、2位は村上春樹の100万部です。昨年、訪韓した日本人は295万人、訪日した韓国人は753万人、初めて合計1000万人を超えました。
日韓パートナーシップ宣言が指摘している通り、「政府間交流にとどまらない両国国民の深い相互理解と多様な交流」が日韓協力の基礎になります。
困難を抱えつつも朝鮮半島で平和への激動が始まりました。朝鮮半島の非核化、恒久的な平和の構築が進めば、戦争の脅威にさらされてきた北東アジアは、平和と繁栄の地域へと一変します。三・一独立運動が目指した「東アジアの平和を重要な一部とする世界の平和」への旅程が始まろうとしています。日韓両国政府も協力して、北東アジアの平和と安定に向けた大転換を促進すべきときです。三・一独立運動100年を機に、日本政府が歴史を直視する誠実な姿勢を取り戻すことを求めます。
2019年2月26日
日本の植民地だった朝鮮全土で独立・自主を宣言し、民衆が万歳を叫んだ三・一独立万歳運動が、3月1日で100年となります。ソウル市内のあちこちに、記念の横断幕が掲げられ、その日を迎える準備が進んでいます。自主、平和、公正を求め、たたかい抜いた独立運動の精神は、いまも韓国社会に息づいています。
ソウル中心部にある植民地歴史博物館を訪ねると、三・一運動に参加した詩人で小説家の沈薫(シム・フン)の予審調書の資料を見ることができます。1919年3月1日、京城高等普通学校の生徒だった沈は、友人とともに京城(現・ソウル)のタプコル公園で行われた万歳運動に参加し、逮捕されました。
検事から独立を支持する理由を問われ、沈はこう答えます。
「民族は、他の干渉を受けずに独立して政治をすべきものである」「教育制度が不完全なため、朝鮮人は生存競争の敗者となって、ついには日本人の奴隷となる。朝鮮に対する政治は文官まで剣を帯同していることを見れば朝鮮人を敵視している。その他、数々の不平がある」
日本が朝鮮を「併合」したのは1910年のことです。朝鮮を支配するための朝鮮総督府が設置されました。陸軍大臣の寺内正毅は、その地位のまま初代総督に就任。民衆を軍隊と警察力によって統制する「武断政治」で、植民地支配の土台を固めていきます。
全国に武装した憲兵を配置し人々を監視。憲兵は、いまでいう裁判所や税務署、役所など、生活すべてにかかわる任務を担い、絶大な権限を持ち、自由は大きく制限されました。新聞は廃刊、出版物は検閲されるようになり、結社は解散させられました。
11年には朝鮮教育令を交付します。総督府は教育勅語に基づいて、朝鮮人を「忠良なる国民」、つまり天皇への忠誠を尽くす国民になるよう教育しました。学校では朝鮮の地理や歴史は教えず、日本語が国語、日本史が国史となります。
宣言は、このような不法な植民地支配への抗議の声となり、全国に瞬く間に広がっていったのです。
この時期、民族が自らの意志に基づき、進む道を自らが決めるという「民族自決」への機運が世界的に高まりました。17年にロシア革命が起きて「平和に関する布告」を出し、18年には米国のウィルソン大統領が、第1次世界大戦後の構想として「14カ条」を発表。いずれも民族自決を掲げたものでした。宗教家らは、この世界の流れを朝鮮でも実現しようと、独立宣言書を練り上げます。当日は、学生がタプコル公園で宣言書を朗読。民衆は、独立万歳を叫び、行進しました。
日本政府は警察や軍隊を動員し、弾圧しました。京畿道水原郡(現・華城市)の堤岩里教会では、複数の男性教徒を閉じ込め銃殺し、教会そのものも焼き払うという虐殺事件が発生しました。しかし、日本の将校は不起訴となります。このようなむごいやり方は、朝鮮の人々を下に見る、日本の朝鮮観が現れた事件だったといえます。
こうして3カ月あまり続いた万歳運動には全国で、約200万人が立ち上がりました。武力によって鎮圧されたものの、日本政府は民衆の力に大きな衝撃を受け、朝鮮総督だった長谷川好道を更迭。表面的ではありましたが、武断政治から文化政治への転換を余儀なくされました。
また、この流れを受け、宗教者や学生らは4月に上海で、国民主権を主張する臨時政府を設立。45年8月15日の解放後の政府設立に影響を与えました。
韓国の憲法前文には、三・一運動により建国された大韓民国臨時政府の理念を継承すると記されています。文在寅(ムン・ジェイン)大統領は昨年の三・一記念日の演説で臨時政府の憲法には主権が国民にあると明確に刻んであると強調。「韓国を国民が主人である民主共和国にしたのが、まさに三・一運動だ」と語りました。
李洙勲(イ・スフン)駐日韓国大使も今月8日、都内で「私たちは植民地と独裁から脱し、国民主権の民主共和国を実現させた。(朴槿恵〈パク・クネ〉政権を打倒した)ろうそく集会を通じ、世界でも類を見ない平和的な方法で民主主義を守り抜いた」と胸をはりました。
韓国と北朝鮮の融和が進むなか、宗教者や市民らで構成する「記念事業推進委員会」は18日、記者会見を行い、三・一運動の遺跡の南北共同調査を提案しました。
パク・ナムス常任代表(天道教)は、運動の主導的役割を果たした天道教の拠点が北部に集まっており、「北部で、より徹底して準備され、平壌、鎮南浦など6カ所で万歳運動が起きた」と紹介。三・一運動の精神を、未来への100年を開く取り組みの出発点にしなければならないと語りました。
三・一運動は、一方の当事者である日本では、あまり知られていません。100年前に朝鮮半島で起きた出来事ですが、契機となったのは日本に留学していた朝鮮人学生による「2・8独立宣言」の発表でした。
1919年2月8日、東京・神田で行われた学生大会で宣言が読み上げられると、警察は27人を逮捕しました。その時、裁判で弁護を務めたのは日本人の弁護士、布施辰治でした。布施は「世の中に一人も見殺しにされていい人はいない」という信念で行動し、裁判でたたかいました。韓国政府は2004年、独立に寄与した人を称える「建国勲章」を送っています。
韓国の平和財団理事長の法輪僧侶は「三・一独立宣言の精神は、抑圧して併合したのは過ちなので、これを正そうということ。日本に対する恨みを持って韓日関係を解決しようというのではない」と強調し、日本側の前向きな取り組みを求めました。
日本政府は、植民地下で起きた朝鮮人徴用工の問題や「慰安婦」問題などについて、解決済みとの立場から、被害者の声に耳を傾けようとしていません。
今年の3月1日は、昨年から続く南北融和や米朝首脳会談など、平和の大きなうねりのなかで迎えます。日本が植民地支配という加害の歴史に正面から向き合い、どう責任を果たすのか、いま問われています。
わたしたちは、わたしたちの国である朝鮮国が独立国であること、また朝鮮人が自由な民であることを宣言する。このことを世界の人々に伝え、人類が平等であるということの大切さを明らかにし、後々までこのことを教え、民族が自分たちで自分たちのことを決めていくという当たり前の権利を持ち続けようとする。
わたしたち朝鮮人は、もう遅れた思想となっていたはずの侵略主義や強権主義の犠牲となって、初めて異民族の支配を受けることとなった。自由が認められない苦しみを味わい、10年が過ぎた。支配者たちはわたしたちの生きる権利をさまざまな形で奪った。
もともと日本と韓国(大韓帝国)との併合は、民族が望むものとして行われたわけではない。その結果、威圧的で、差別・不平等な政治が行われている。支配者はいいかげんなごまかしの統計数字を持ち出して自分たちが行う支配が立派であるかのように言っている。
ああ、いま目の前には、新たな世界が開かれようとしている。武力をもって人びとを押さえつける時代はもう終わりである。
わたしたちはここに奮い立つ。良心はわれわれとともにあり、真理はわれわれとともに進んでいる。
(3・1朝鮮独立運動100周年キャンペーン訳から)
2019年2月14日
日本共産党の志位和夫委員長は12日、国会内で行った記者会見で、韓国の文喜相(ムン・ヒサン)国会議長が行った日本軍「慰安婦」問題に関わる発言について記者団から問われ、見解をのべました。やりとりを紹介します。
――(米通信社)ブルームバーグのインタビューで、韓国の文国会議長が従軍慰安婦問題で天皇の謝罪を求めました。(文議長はインタビューで)「一言でいいのだ。日本を代表する首相かあるいは、私としては間もなく退位される天皇が望ましいと思う。その方は戦争犯罪の主犯の息子ではないか。そのような方が一度おばあさんの手を握り、本当に申し訳なかったと言えば、すっかり解消されるだろう」と語りました。この発言について、志位委員長はどう受け止めますか。
志位 私たちは、日本政府として、真剣な謝罪が必要だと繰り返し言ってきました。とくに(安倍)首相が自らの肉声できちんと謝罪しなければいけないということは、強く言いたいと思います。
ただ、天皇は、日本国憲法で「政治的権能を有しない」となっているわけですから、そういうことはできないということは当然だと思います。
――昭和天皇が亡くなったときの(日本共産党)中央委員会声明では、「天皇裕仁は侵略戦争の最大かつ最高の責任者であった」と指摘されてきましたが、このところは綱領も変わったところもありますが、変えられるのでしょうか。
志位 前天皇は、私たちは、侵略戦争の最高責任者だと考えています。そういう歴史的な批判を、私たちは前天皇の死去のさいにも率直に表明しました。しかし、現天皇は戦争責任ということは問題にならないと思っています。在位期間中にそういう問題についてかかわったことはありませんから。
2019年2月13日
女性の地位向上をめざすフェミニズムや社会的につくられた性=ジェンダー論の研究者らが12日、自民党の杉田水脈(みお)衆院議員を相手取り、共同研究に対して誹謗(ひぼう)をくり広げ研究者としての社会的評価を低下させたとして、京都地裁に名誉毀損(きそん)の損害賠償請求の訴えを起こしました。
原告は、牟田和恵大阪大教授、岡野八代同志社大教授、伊田久美子大阪府立大教授、古久保さくら大阪市立大准教授。
牟田氏は提訴後の会見で、杉田氏について▽原告らの「慰安婦」問題研究を「ねつ造」として発信した▽研究に価値がないかのように発言し原告らをおとしめた▽科学研究費助成を「不正使用」していると事実無根の発言をした―と批判しました。
原告らは、事実に反する誹謗をネットや雑誌で発信され「侮辱を受け、許し難い」と述べました。
また、2000年代に入ってようやくジェンダー研究に助成金がつくようになったときに、国会議員から攻撃されたことについて「権力の介入であり、学問研究の自由への危機」として、裁判への支援を訴えました。
研究者・弁護士31人が裁判への支援を呼びかけています。
2019年2月8日
最期までたたかい抜いた人生でした。先月92歳で亡くなった日本軍「慰安婦」被害者、金福童(キム・ボクトン)さん。日本政府に心からの謝罪を求めてきた金さんから戦後70年の節目の年、その過酷な半生を直接聞く機会に恵まれました▼14歳のときでした。現在の韓国南部・慶尚南道梁山の家に日本人と一緒に区長と班長がきて「娘を、軍服を作る工場に出せ。拒否すれば反逆者だ」と脅します。連れて行かれた先は中国・広東の慰安所▼1日に15人、時には50人を超える軍人の相手をさせられます。インドネシアやマレーシアなど前線を連れ回され、米軍の捕虜収容所などをへて、終戦から2年後の1947年に帰国を果たしました▼92年に公表し、世界で体験を語ってきました。なぜこんなに力強く歩みを進められるのか―。疑問をぶつけると「私たちはお金がほしいわけじゃない。女性だもの、知られるのがつらいときもあった。でも私たちは尊厳を回復したいのです」▼晩年は戦時性暴力の根絶に尽力するとともに、日本にある朝鮮学校への支援を惜しみませんでした。植民地支配下で名前も言葉も青春までも奪われた金さんにとって、いま日本政府によって高校無償化制度から排除される朝鮮学校の子どもたちの姿が自らと重なったのでしょうか▼「日本人が憎いわけではありません。安倍政権が始めたことではなくても、日本がやった戦争の責任はとるべきです」。韓国政府に登録した存命中の被害者は23人。私たちに残された時間は長くありません。
2019年1月31日
2月10日号(1月29日発売)の『サンデー毎日』の「倉重篤郎のニュース最前線」が、「日韓緊迫! 緩和への緊急直言」と題してこの間の日韓関係の「危機的状況」の打開について日本共産党の志位和夫委員長のインタビューを掲載しました。この中で志位氏は韓国人元徴用工問題の本質が「侵略戦争と植民地支配の遂行と一体に行われた深刻な人権侵害」だと指摘。まずは被害者の名誉と尊厳を回復すべきだと提言し、安倍晋三首相は歴代政府の立場すら「全部ぶち壊している」と厳しく批判しました。
倉重氏は、徴用工問題、レーダー照射問題をめぐる日韓両政府の非難の応酬に対し、冷静な政治的解決が必要だとし「今の安倍晋三政権にその意志と能力があるのか」と批判。閉塞状況打開の糸口を切ってもらうとして、志位氏と田中均・元外務審議官の見解を紹介しました。
志位氏は、新日鉄住金に対し韓国人元徴用工への損害賠償を命じた韓国大法院(最高裁)の判決(昨年10月30日)について「政府が韓国を非難、国内メディアも批判一色になった。私はこれは違う。冷静に考える必要がある」と述べ、「大切な二つの材料」を提示。一つは、日韓請求権協定(1965年締結)について、柳井俊二・外務省条約局長が「個人の請求権を国内法的な意味で消滅させたものではない」と述べた参院予算委での答弁(91年8月27日)。もう一つは、中国の強制連行被害者の西松建設に対する訴訟での最高裁判決(2007年4月27日)が個人の請求権は消失していないと判断し、企業に自発的対応を促して和解が成立したことです。
志位氏は日韓両政府と両国最高裁による「個人の請求権は消滅していない」という一致点による問題解決は可能だと強調しました。
また、大法院判決が協定の交渉過程で日本側が植民地支配の不法性を否認したことなどを挙げて強制動員に対する慰謝料請求権は協定の適用対象外だと判断したことについて、「この論理は検討されるべきだ」と指摘。そのうえで「この国と国との請求権の問題の解決は、将来の課題となる」と述べ、まずは被害者の名誉と尊厳の回復のために西松建設の和解方式が現実的であり、「日本政府は和解を促す対応をすべきだ」と訴えました。
志位氏は、日韓の外交文書で『植民地支配への反省』が初めて明記された小渕恵三首相、金大中(キム・デジュン)大統領間の「日韓パートナーシップ宣言」(1998年)をはじめ日本軍「慰安婦」をめぐる河野洋平談話(93年)など「90年代の自民党は歴史認識問題で今に残るいい決断をしている」と述べ、「小渕・金大中宣言の原点に戻れ」と強調しました。
田中氏は「国内の反韓感情を代弁し結果的に両国民の反感を煽ることになっても問題を外交的に解決することにはつながらない」と安倍政権を厳しく批判しました。
倉重氏は「ここは一回頭を冷やし、真の国益とは何か、朝鮮半島の非核、平和化の流れの中で我々が何をすべきなのか、何ができるのかを考え抜く時ではないか」と結びました。
2019年1月31日
韓国で「慰安婦」被害者支援を続ける「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」(元・韓国挺身〈ていしん〉隊問題対策協議会)は30日、ソウルにある日本大使館前で1372回目の水曜集会を開催し、28日に92歳で亡くなった金福童(キム・ボクトン)さんを追悼しました。同日には93歳だった被害者(氏名は非公表)も亡くなっており、韓国政府に登録している存命中の被害者は23人になりました。
集会には中学生や高校生、市民ら約500人が参加し、「平和が訪れるまで共に歩みます」「ハルモニ(おばあさん)、愛しています」などと書いたプラカードを掲げました。
参加者は、「二人のおばあさんが痛く、苦しかった思い出を忘れて、ゆっくりしてくれることを願う」「金ハルモニは被害者の象徴であり、人権、平和を願った活動家だ」などと語りました。
声明文は「金ハルモニは、最後までたたかってくれと言って日本政府に強い怒りを表していた」とし、韓国政府が問題解決に向け積極的に臨むよう要請。また「自身が犯した蛮行が違法行為であり、明白な人権侵害であったことを認めた公式の謝罪と、それに伴う賠償を日本政府から受けることがハルモニたちの真の解放になる」と述べ、一日も早い謝罪を求めました。
ソウル市内に設けられた葬儀場には29日、被害者の吉元玉(キル・ウォノク)さん、李容洙(イ・ヨンス)さんの姿がありました。
2019年1月18日
日韓関係を学ぶためにソウルの高麗大学に留学して、もう1年です。先日、友人の紹介で、日本大使館前にある「慰安婦」を象徴する少女像を守る運動に携わる大学生を訪問しました。
学生たちは少女像の隣にビニールのテントを張り、昼夜を問わず常に1人は滞在しています。中にはヒーター、寝袋、生活用品一式がそろえられていました。2015年の日韓合意の取り決めの一つ、少女像撤去への抗議です。
彼らに対し、私は当初、今の世代に感情的に謝罪を強いるような、メディアでよくみる「反日」なのではと身構えていました。テントの前に立つ学生は一見普通です。恐る恐る話しかけたのですが、対話はまさに目からうろこでした。
「日韓という政治的枠組みにとらわれず、搾取する支配層と搾取される市民という対立構造を理解し、人道的な立場に立つ必要がある」。学生の言葉にはっとしました。彼らはやみくもに日本を憎む「反日」ではなく、搾取が根底にある帝国主義に抗する「反帝」なのです。民意を反映せずに日韓合意を締結した朴槿恵(パク・クネ)前政権への批判からも、権力の横暴に怒っているのだと分かりました。
「慰安婦」問題をはじめ、かつての日本帝国主義の行いを肯定する言動を繰り返す日本の政治家が批判されるのは当然でしょう。歴史修正主義、ナショナリズムが席巻する今、一国民である前に1人の人間として他者の痛みに共感する必要性を感じます。この一点で国境を越えて連帯していきたい。
2019年1月12日
「朝鮮人来朝図」という江戸時代の絵があります。朝鮮通信使の一行に、警護や案内役の対馬藩士を加えると2000人もの大行進。ラッパや銅鑼(どら)、太鼓。楽隊の演奏にあわせて江戸町人の歓声が聞こえてくるようです▼外交使節団である通信使が李朝から徳川幕府に初めて派遣されたのは1607年。その後、200年余の間に12回の派遣があったとされています。朝鮮の首都・漢城(現ソウル)から江戸を往復する、ときに1年近くにも及んだ長旅は、善隣友好の証しでした▼「信(よしみ)を通(か)わす」という通信は、親しく交わる意味をもちます。〈高麗船(こまぶね)の寄らで過ぎ行く霞(かすみ)かな〉。江戸中期の俳人・蕪村は通信使の船が港に寄らなかったことを残念がるような句を詠んでいます▼朝鮮通信使に関する資料は日韓の関係自治体や民間団体が共同で申請して2年前、世界記憶遺産に登録されました。いま都内にある高麗博物館では「朝鮮通信使随行画員展」が開かれています▼元徴用工の賠償訴訟やレーダー照射事件をはじめ、なにかとぎくしゃくする両国関係。植民地支配や「慰安婦」問題など、過去の侵略行為に無反省な安倍政権の姿勢が不信感に拍車をかけています▼先月、ソウルで開かれた日韓・韓日議員連盟の合同総会。参加した日本共産党の志位委員長は、植民地支配への反省を明記した「日韓パートナーシップ宣言」の精神に立ちかえり、ともに努力していく大切さを訴えました。両国がふたたび手を結び、信を通わす道がここにあります。
2019年1月3日
1~2月にも2回目の米朝首脳会談が予定されるなど、今年も平和の激動が予想される北東アジア。昨年は3回の南北首脳会談や、朝鮮半島での軍事的な緊張緩和が進みました。この平和の流れをさらに進めるために、いま何が必要か、そのためにも歴史にどう向き合うのか考えます。
朝鮮半島のほぼ中央に位置する韓国北部・鉄原郡。長年、軍事境界線をはさんで北朝鮮と対峙(たいじ)してきたこの町では、軍の車両が頻繁に行き交い、地雷があることを示す標識や北朝鮮軍の侵入を防ぐための対戦車防壁などが目に飛び込んできます。
しかし昨年、この地に変化が起きました。
遺骨発掘
南北が9月に締結した緊張緩和をすすめる「軍事分野合意書」に非武装地帯(DMZ)内に残された朝鮮戦争時(1950~53年)の遺骨の共同発掘事業が盛り込まれました。激戦地となった鉄原郡の「矢じり高地」がその現場に。11月には発掘に向けた地雷撤去が完了し、作業用の南北道路が65年ぶりに連結しました。今年4月には本格的な作業が始まります。
かつて朝鮮半島の交通の要衝として栄えた鉄原郡は、朝鮮戦争でも戦況を左右する場所として、南北が争奪戦を繰り広げました。
「ほら、あそこに見えるだろ」
鉄原平野が見渡せる高台に上がると、散歩に来ていた男性(76)=鉄原郡官田里在住=が激戦地の一つ、「白馬高地」を指さしました。矢じり高地とは3キロほどしか離れていません。
52年10月6日からの10日間、支配勢力が24回も入れ替わった白馬高地。30万発近い砲弾が使用され、北朝鮮軍とそれを支援した中国義勇軍、また韓国軍と米軍を中心とした国連軍の計約2万人が戦死しました。
矢じり高地も含め、一帯にはいまだ多数の遺骨が残っています。
男性は「最近は南北の関係はよくなった。北朝鮮を怖いと感じたこともあったが、いまは心配していない。戦争がないのはいいこと。ずっと続いてほしい」。
スムーズ
鉄原郡は10月、合意書の履行に伴う実務的な処理をする「南北平和地域発展チーム」を立ち上げました。チーム長を務めるカン・ボンイさんは「この部署ができたこと自体、変化ですよね」と笑顔で語ります。
カンさんによると、11月に撤去されたDMZ内の監視所11カ所のうち、2カ所が鉄原郡にあったものです。「軍部の変化には驚いています。合意書を積極的に履行しようとしている。話もスムーズに進むようになった」
今後は遺骨発掘事業に向けた南北共同事務所設置や、北朝鮮の元山と結ぶ鉄道の復活、さらにはDMZ内にある古代遺跡の共同発掘も視野に入れています。
「困難はあっても、一歩ずつ進んでいく」。カンさんは力強く語りました。
対話重ね緊張緩和
2019年1月4日
米朝関係には懸念も
韓国と北朝鮮は昨年11月1日から、陸・海・空のすべての空間で、相手に対する一切の敵対行為を中止しました。9月に南北が締結した「軍事分野合意書」に基づく措置で、米軍を中心とした国連軍司令部も、支持と共感を表明しました。
この日、韓国側は軍事境界線一帯での砲兵射撃訓練や一定規模を超える野外機動訓練を中止し、北朝鮮に近い西海の延坪島などにあるすべての海岸砲の砲門を閉鎖。これを受け北朝鮮側も海岸砲の閉鎖措置をとりました。
心配減る
「北朝鮮との戦争の心配が減った。これだけでも大きな変化で、喜ばない人はいないでしょう」。韓国の市民団体「アジア平和文化交流会」のキム・ソンヨン会長は感慨深げに語ります。この「合意書」や4月と9月に行われた南北首脳会談で交わされた「板門店宣言」「平壌共同宣言」の履行は、平和を願う人々に希望を与えています。
「合意書」に基づく軍事的緊張緩和の措置は、敵対行為の中止のほかにも▽非武装地帯(DMZ)内の監視所南北各11カ所の撤収▽板門店(JSA)の非武装化▽朝鮮戦争犠牲者の南北共同遺骨発掘作業に向けたDMZ内の地雷除去▽信頼醸成のための軍当局者間の直通電話の設置―などが実行されています。
慶南大学極東問題研究所の趙眞九(チョジング)准教授は「保守政権だった9年の間に途絶えていた関係が新たに始まろうとしている」といいます。1年以上、核実験やミサイル発射実験が行われていない状況や軍事的緊張が緩和されていることに触れ、「事実上の『終戦』状態でしょう。この1年の動きは大きな意義があった」と評価しました。
両国は軍事分野のみならず鉄道や体育、森林、保健医療分野など、さまざまな問題で話し合い、交流を重ねてきました。趙氏は「南北は一歩一歩進んでいます。いまは、互いに行動を積み重ねることで、敵対的な感情を薄め、信頼関係を深めていくことが大事です」と語りました。
周辺国も
一方で、米朝関係の停滞には懸念を抱いています。
北朝鮮は非核化の措置として、5月には豊渓里核実験場を爆破。平壌共同宣言では、米国側の「相応の措置」があれば、寧辺核施設の永久廃棄に言及しました。
趙氏は「米国は非核化措置が足りないといい、北朝鮮は米国に対して『相応の措置』を求めています。いまだ信頼関係が構築されていないということ。解決には、対話をするしかありません。北朝鮮は、もう後戻りできない。日本をはじめ中国、ロシアなども一緒に北東アジアの平和構築に向け努力すべきです」
市民社会の連携が大事
2019年1月5日
「対話によって軍事緊張をコントロールする。これはもう疑いようがない。言葉に出して言うかどうかは別にしてそれ以外のオブザベーション(観察)はない」
元外務省高官の一人はこう述べます。
戦略破綻
米朝、南北の対話による平和プロセスが開始され、北朝鮮のミサイル発射も米韓合同軍事演習も中止されています。一昨年から昨年初頭まで一触即発の戦争の危機が深まった状況は一変しました。元高官は「戦争一歩手前の緊張の中で、戦争は破滅的で、平和が最も望ましい転換だった。しかし安倍政権に平和への準備はなかった」と指摘します。「今は対話の時ではない」(2017年9月20日)などとし「圧力一辺倒」だった安倍政権の戦略破綻を認めたのです。
元外務省国際情報局長の孫崎享氏(うける)も「対話を前面に立てた安全保障戦略が新しい現実性を持ち始めている。さらに対話の量とチャンネルを増やし、緊張の緩和を追求することが重要だ。例えばドイツをはじめヨーロッパ諸国やASEAN諸国を対話に巻き込むことも考えられる」と指摘します。
他方、米朝の実務者協議はこう着し、昨年7月以降は開かれず逆行も懸念されます。前出の元外務省高官は「対話で緊張緩和したと言いすぎると現状維持になる。非核化問題をもう一歩前にという話になると途端に難しくなっている面もある。プログレス(前進)を求めていくべきだ」と語ります。
元日朝国交正常化交渉日本政府特別代表の美根慶樹(みね・よしき)氏は「実務者協議の本丸は非核化のリストと工程を北朝鮮が明確に申告することだ」と指摘。美根氏は「相互不信もある中で北朝鮮にとって一方的で深刻な要求であることはその通り」としつつ、「米国の北朝鮮に対する敵視政策を終わらせ、朝鮮半島全体の平和を実現するためにもそれが必要だ」と強調します。そのうえで「米国側の丁寧な対応、説得」を求めつつ、「現在の段階では大事なところを空白にして出すのも一つの方法」と提起します。
終止符を
韓国出身の李泳采(イ・ヨンチェ)恵泉女学園大准教授(平和学)は「今の日本の政権は北朝鮮の脅威を語ることで改憲や安保法制を進める立場なので、プロセスの進展に積極的になれるかはわからない。大事なことは日韓の市民社会の連携だ」と強調。市民社会が日本を含む東アジア全体の冷戦構造を解体する視点を共有することの重要性を指摘し、「朝鮮戦争に終止符を打ち平和体制をつくることは、東アジアの日本の植民地支配に終止符を打つことだ」と述べました。
「歴史」への誠意がカギ
2019年1月6日
「被害者個人の請求権を消滅させることはないということは、日本政府も最近も国会答弁で公式に表明している」「被害者の名誉と尊厳の回復にむけた前向きの解決がはかられるよう日韓の冷静な話し合いが必要だ」
日本共産党の志位和夫委員長は昨年12月14日、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領を前にこう述べました。元徴用工問題と日韓請求権協定をめぐる発言です。「日韓パートナーシップ宣言」20周年を機に日韓議連代表団がソウル・青瓦台(大統領府)を訪問したときの会談の席上で促されての発言でした。志位氏に続いて額賀福志郎議連会長(自民党衆院議員)も「個人の請求権については消滅していない」と明言しました。
局面開く
文大統領は、志位、額賀両氏に謝意を表明し、「個人の請求権が消滅していないという立場に立てば、円満な解決が図られるのではないか」と述べました。
昨年10月30日に韓国大法院が、新日鉄住金に対し元徴用工への慰謝料の支払いを命ずる判決を下して以来、日韓では激しい議論の応酬もありましたが、問題の冷静な解決へ新たな局面が切り開かれました。
一方、大法院(最高裁)判決は元徴用工の請求について「朝鮮半島に対する不法な植民地支配および侵略戦争遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする慰謝料請求権」だと指摘。請求権協定の締結時において日本政府は、植民地支配の不法性を一切認めてこなかったのであり、植民地支配下での強制動員に対する慰謝料請求権は、同協定によって消滅させる対象に含まれていなかったと判断しました。朝鮮半島に対する植民地支配の不法性という根本問題を改めて提起したのです。
一橋大学の加藤圭木准教授(朝鮮近代史)は「朝鮮は自主的な近代国家形成を進めていたにもかかわらず、それを日本国家は強圧と暴力によって数多くの人々を殺りくしながら押しつぶした。こうした植民地支配がなければ朝鮮は分割占領されることもなかった。この点で日本側の責任は大きい」と指摘します。また加藤氏は「日本は、冷戦体制のなかで米韓日軍事同盟を結び、朝鮮民主主義人民共和国との敵対政策をとって分断を固定化してきたことの責任もある」と語ります。
世界でも
植民地支配を含むこうした歴史的責任に向き合ってこそ、日本は平和プロセスの中でアジア諸国と心を開いた協力関係を結べます。
いま、植民地支配の中で起きた人権侵害を一つ一つ掘り下げ清算しながら、被支配国の市民と支配国の市民が未来へむけ協力を進める流れが世界で起きつつあります。徴用工問題や日本軍「慰安婦」問題での対話を進めることが、日韓協力を進める最大のカギです。
被害者救済に知恵絞る時
2019年1月8日
「一緒に勝てたらよかったが、私一人で涙が出た」
日本企業の新日鉄住金を相手にたたかった李春植(イ・チュンシク)さん(94)は、昨年10月30日に韓国大法院(最高裁)で出された勝利判決を共に喜ぶことができなかった仲間を思って涙しました。
人権侵害
原告らは朝鮮半島が日本の植民地にされていた1940年代前半に日本で強制的に奴隷労働をさせられた徴用工で、4人のうち3人はすでに亡くなっています。判決文によると「賃金は全く支給されなかった」「(逃走発覚時には)約7日間ひどく殴打され、食事も与えられなかった」―など重大な人権侵害を受けました。
「判決が出て以降、当事者から連絡がきています。まだ解決していないということです。ある意味、問題解決の好機でしょう」。こう指摘するのは植民地歴史博物館の金英丸(キム・ヨンファン)さんです。
「1965年の韓日請求権協定は、国家権力の下で韓米日が個人の権利を無視して交わしたものです。二度と国益の名のもとに個人の権利救済が妨げられてはいけない。国際人権法の変化もあり、救済をすることは世界の流れです」と力をこめます。
たとえ、すべての被害者が亡くなっても問題は終わらないと金さん。「歴史問題というのは社会が持っている基本的な哲学、価値観の問題です。反日などという浅いものではなく、自らの過去をどうとらえ、どのような未来を切り開いていくかということ。日韓両国は、こうした立場で話し合いをすすめるべきです」
4者基金
長年、強制動員に関わる裁判を行ってきた崔鳳泰(チェ・ボンテ)弁護士は、「両国の司法も政府も『個人の請求権は消滅していない』としています。日韓の紛争になることはありえない」と強調します。崔氏は、被害者の人権をどう救済するのか、日韓で知恵を絞るときだと指摘。日韓両政府や加害企業、さらに請求権協定で韓国が受け取った経済協力資金が投じられた韓国鉄鋼最大手ポスコの4者で基金をつくる方式を提案します。
徴用工被害者は2006年、自らが受け取るべき資金で成長したとしてポスコに慰謝料の支払いを求め提訴しました。09年、ソウル高裁は、請求は退けたもののポスコの社会的責任を認め、問題解決に取り組むよう促しました。ポスコは社会貢献として、被害者の支援目的で設立された財団に70億ウォン(約7億円)を拠出しました。
崔氏は、「日本でも07年に最高裁が個人の請求権は消滅していないとの判断を下しました。徴用工問題の本質は人権問題です。解決されれば、世界での日本の地位も高まるはず。日本の企業には司法の判断を尊重することを望みます」
サ条約が不問にしたもの
2019年1月9日
韓国強制動員被害者の賠償請求を認めた昨年10月30日の大法院判決は、日韓請求権協定(1965年締結)とその基礎となったサンフランシスコ平和条約(51年締結)が日本の植民地支配の責任に言及していないと指摘しました。
共犯関係
この問題に詳しい同志社大学大学院の太田修教授(朝鮮近現代史)は、日本政府が請求権協定の交渉過程で植民地支配を「国際法上、普通」「世界各国も承認」「近代化に貢献」などと正当化したことについて、「連合国側も『植民地支配は文明化に貢献した』と考えるなど、植民地支配を正当化する意識があった。連合国と日本政府とは共犯関係にある」と語ります。
日本は48カ国と結んだサンフランシスコ平和条約で、沖縄や千島の米ソによる占領を認め、形の上で国際社会に復帰。同条約は日本と韓国・台湾など旧植民地との「財産」「請求権」の処理を両者の「特別取極」(第4条a項)とする一方、植民地支配の責任やその被害への言及、返還・賠償の条項を有しませんでした。
米国は講和会議に向かう49年12月、「対日講和条約における大韓民国の参加」と題する国務省の調査報告で、10年の韓国併合が「合衆国を含むほとんどすべての国家によって承認」されたと主張。韓国を第2次大戦の日本の交戦国でないとみなして条約参加から排除し、植民地支配と戦争への賠償請求はできないと結論付けました。それが平和条約に反映されています。
同条約は、50年6月25日に勃発した朝鮮戦争で南北朝鮮と米中ソが参戦した「熱戦」の中で締結されました。太田教授は日韓交渉につながる第4条の背景に「米国が日本を反共の防波堤とし、米日韓間での軍事・経済的協力関係の構築をめざすなど東北アジアの政治情勢を見る必要がある」と言います。
これに先立つイタリア講和条約(47年締結)では、ファシスト政権(35~43年)が占領した国に対して賠償金支払いなどを義務付ける一方、19世紀末から20世紀初めに植民地にされたリビアなどを返還・賠償規定から除外していました。両条約は植民地支配の責任を不問に付すという点では共通していました。
被害隠す
太田教授は「このような植民地正当化論に基づく国家間の戦後処理は結局、市民一人ひとりの植民地支配の被害や戦争被害にふたをした」と指摘し、日本政府とともに欧米の旧植民地帝国をも批判する必要性を強調します。
「大法院判決が日本の植民地支配の責任を正面から問うたことは、大国間の戦後処理の問題を議論する素地も広げた。判決は過去の植民地支配の反省と償いを求める世界の流れをさらに発展させる可能性を持っている」
「植民地支配責任」の攻防
2019年1月10日
21世紀に入り、欧米によるアジア・アフリカの植民地支配の責任を問い直す流れが世界で起こっています。
衝撃二つ
「21世紀の最初の年の衝撃は大きかった」。京都大学の永原陽子教授(歴史学)はこう指摘します。アフリカのナミビアの市民が2001年、1904年に起きたドイツ軍による民衆の大量虐殺を告発し、賠償を求めて米国の裁判所に提訴しました。1904年は日本とロシアが朝鮮半島の支配をめぐり戦争(日露戦争)を始めた年です。
帝政ドイツは当時ナミビアを保護領としていましたが、民衆反乱に初めて陸軍を派兵し徹底弾圧しました。100年前の事件であり当事者性の問題などで裁判は成立しませんでした。しかし「ユダヤ人には賠償したのに黒人には賠償しないのか」という主張はドイツで強いインパクトを持ちました。
2001年に起きたもう一つの衝撃は、国連主催で南アフリカのダーバンで開かれた「反人種主義・差別撤廃世界会議」でした。そこで、奴隷制と人種差別はもちろん、植民地支配は罪なのか、償われるべきではないかという問題が提起されたのです。
その後、イギリスによるケニアの「マウマウ」土地解放運動への弾圧(1950年代)、オランダのインドネシアにおける虐殺(1947年)が告発され、原告が勝利和解、勝訴しています。
「イギリスでは訴訟が提起され、研究者が資料を探求する。すると政府が『ない』としてきた資料がごっそり出て、資料を『抹殺せよ』と政府が指示した資料まで出てくる。それで政府も責任がないとは言えなくなった」と永原氏は語ります。冷戦後、被害を受けた側が声をあげ、西欧の市民社会が呼応する中での変化です。ドイツでも研究が進み、「ナミビアの虐殺はジェノサイド(大量虐殺)だ」という理解が広がると、メルケル首相も公式謝罪の意向を示しました。
甘くない
他方、永原氏は「植民地支配の責任を問う流れが一方向で進んでいるかというと甘くはない。旧宗主国にとって最も恐れる問題であり、反発が強まっている」と指摘。イギリスもケニア側の主張を「これ以上は認めない」という姿勢を強め、「ダーバン会議」がイスラエルのパレスチナ軍事占領を批判したことを「反ユダヤ主義」だとして、植民地主義を批判した同会議の成果そのものを否定する国々も出ているといいます。
永原氏は「植民地時代の罪・犯罪性をどうするかは世界の決定的な対立点の一つであり、被害者の要求を認めざるを得ない一方で、巻き返しも強くなりかつてより激しく攻防している」と述べます。
日本の朝鮮半島に対する植民地支配の責任を明確にするたたかいも世界的せめぎ合いの中にあります。
2019年1月8日
植民地支配の不法性認めず 徴用工「解決済み」は強弁
韓国の大法院(最高裁)で、元徴用工の植民地支配下での強制労働に対する日本企業の賠償責任を認める判決がだされ、日本政府は、1965年に結ばれた「日韓請求権協定に明らかに反する」と批判しています。同協定に詳しい新潟国際情報大学の吉澤文寿教授に聞きました。
(聞き手 中祖寅一)
―請求権協定1条では韓国への経済協力が定められ、2条1項で請求権の問題が「完全かつ最終的に解決された」と書かれています。どのような関係でしょうか。
まず協定の前文では請求権問題の解決と経済協力の実施が併記されているのみで「請求権問題の解決のために経済協力する」とは書いていません。そもそも経済協力は国に対する経済支援ですから個人の権利と対価関係にするのは無理があり、論理的な説明はできません。
「経済協力」とした狙いは、当時、韓国への経済支援は日本にも利益になると考えたからです。また、韓国も日本からの資金で経済開発を進めようとしていました。
このような経済協力の実施に付随して2条1項で請求権の問題が「完全かつ最終的に解決された」と読むことはできます。しかし経済協力が、そのような請求権の代価であると読むことはできません。
―とすると請求権協定に基づけば、元徴用工の請求権もすべて消滅していることになるのですか。
そこは違います。政府は最初から個人の請求権がすべて消えるのではなく、外交保護権が消えるだけだとしていました。国会での外務省の答弁(議事録)にも残っています。昨年11月に国会で、河野太郎外相が、日本共産党議員の質問に対し明確に確認しています。
政府の思惑は、個人の請求権まで消えてしまうとなると、日本人の朝鮮(韓国)に対する権利もすべて消えることになり、逆に日本政府として日本人に対する補償の問題が出てくることになる。それを嫌ったのです。
条文では「完全かつ最終的に解決」とか「いかなる主張もできない」(2条3項)と書いてある。日本側としては、外交保護権を完封すれば、韓国側から一切の請求ができないと考えたのでしょう。
しかしながら、個人の請求権が消滅していない以上は、その実現、救済の問題は残っていることになります。韓国の大法院判決に対し日本政府が言うように「請求権協定に明らかに反する」とは言えないと思います。
―植民地支配の不法性は請求権協定にはどのように反映されているのでしょうか。
結論からいうと日本は徹頭徹尾、植民地支配の不法性を認めないという立場でした。1条で「経済協力」として資金供与が示されたのも「これは償いではない」という思想をあらわしています。
協議の過程では当初「債務の履行」としての金銭支払いも検討されました。これも「植民地支配は合法」で、未払い賃金や恩給などの法的根拠のある金銭は当然支払うべきという考えでした。それが「経済協力方式」へと転換されて「債務の履行」すら韓国側に放棄させたのです。
請求権協定の「前提」として同年(65年)に締結された日韓基本条約では、1910年の韓国併合までに日韓間で結ばれたすべての条約について「もはや無効」と規定されています(2条)。この条文は韓国側から提案されたもので、原案は「無効(null and void)」でした。これに対して日本側は「もはや(already)」という語の挿入を提案し、「今となっては無効だが、当時は有効だった」と解釈できる余地を残そうとしました。このnull and voidという言葉は相当に強い表現であり、「当初から無効」と解釈することもできます。このように「解決せざるをもって、解決したと見なす」条文化作業の典型であいまいな決着がなされた。根本問題で合意のない「合意」だったのです。
―そこに混迷の起源があるのですね。どうしてそんなことになったのですか。
日本側と韓国側で植民地支配の不法性について最後まで認識が折り合わなかったのです。交渉は予備会談を含めると51年から65年まであしかけ14年かかっています。その間には日本側の交渉担当者が「植民地支配には恩恵もあった」と暴言を吐いて4年半も交渉が中断したり、暴言が繰り返され当局間でもみ消したこともありました。日本側の「合法性」の認識は確信犯的でした。
妥協と決着を急がせたのは冷戦の激化でした。朝鮮戦争を経て、北朝鮮やソ連、中国に対抗する日米韓の軍事連携を確立する動きが進みました。60年には日本で安保改定が強行され、64年から米国がベトナム戦争に突入した。日韓が米国に協力するとともに日本が韓国を経済支援することが急がれたのです。
―そうすると大法院判決のように、植民地支配の不法性と結合した違法な強制労働などの賠償請求権は、請求権協定の対象外だともいえるのでしょうか。
もともと韓国側が求めたのは、朝鮮から日本へ持ち出された金や財産の返還、朝鮮総督府の日本政府への債権、韓国人の日本及び日本人への債権やその果実(利息)の弁済などでした(いわゆる対日請求要綱8項目)。これらの請求は植民地支配下の法律関係を前提としたものであり朝鮮の日本からの分離、独立に伴う民事的、財産的な性格のものでした。韓国側は植民地支配の合法性を前提にした請求でなければ日本が交渉に応じないと考えていたと推測されます。
もし植民地支配と結びついた不法行為の慰謝料請求のようなものも含めて「解決」だというなら、そう明確に書くべきだった。しかし結果はそうなっていない。私は日韓双方の会議録や資料を見ていますが、日本が言うように植民地支配の不法性を理由とする請求権も封ずる合意ならばそういう条文化が必要だったはずです。
そこで今回の大法院のような法解釈も可能になると思います。
日本軍「慰安婦」の問題や韓国人被爆者、今回の徴用工の強制労働など請求権協定によって「解決済み」と強弁してもなかなか理解を得られません。
―植民地支配の責任を問い直す動きが世界でも起こっています。
日韓基本条約と請求権協定は植民地支配の責任をあいまいにして「決着」しました。当時から韓国側は不法性を主張してきました。その問題が未解決のまま現在も継続しています。
世界では国際人道法が発展し、2001年の「ダーバン会議」などで人種差別や奴隷制の問題とともに植民地支配を問う動きが広がっています。植民地支配の責任をあいまいなままにし「いったん約束した以上は維持すべきだ」というだけでは耐え切れなくなっています。過去に正面から向き合わない「未来志向」は手詰まりだと思います。
よしざわ・ふみとし 1969年群馬県生まれ。一橋大学大学院社会学研究科地域社会研究専攻博士後期課程修了。現在、新潟国際情報大学国際学部教授(朝鮮現代史、日朝関係史)。著書に『日韓会談1965戦後日韓関係の原点を検証する』など。
2019年1月3日
南北、米朝の昨年の首脳会談により始まった朝鮮半島をめぐる平和の流れの中で、それを後押しするためにも、日本と韓国の関係改善が急務です。日本軍「慰安婦」、元徴用工の問題などでの対立を打開するには、両国の努力が必要です。日本側には、相手への一方的非難ではなく、過去の歴史に向き合い、国際的な人権規範もふまえた冷静な外交が求められます。
植民地支配の被害直視し
韓国の裁判所で日本企業への賠償命令が相次ぐ徴用工問題は、日本の過去の侵略戦争・植民地支配と結びついた重大な人権問題です。「悲惨な条件での企業のための大規模な労働者徴用は、強制労働条約違反」(国際労働機関〈ILO〉勧告)であり、被害者には救済を求める正当な権利があります。
安倍晋三政権は1965年の日韓請求権協定で「解決済み」と繰り返しますが、日本の最高裁も政府も韓国と同様、個人請求権は消えていないと認めています。救済の道は協議できるはずです。日本政府の有識者懇談会では経済人とみられる委員からこんな指摘もありました。
「われわれは戦争中相当ひどいことをしてきたが、その原罪について果たして真摯(しんし)に申し訳なかったと反省してきたか。ドイツは国家賠償を行っていないが、巨額の個人補償を犠牲者に対して行ってきた」「ここのところを常に意識しておかないと、われわれはなぜ国際社会から心底許されていないのかという問題には答えることはできない」(2015年4月)
日本軍「慰安婦」問題でも世界は厳しい目を向けています。安倍首相が15年12月の日韓両政府の合意後も「性奴隷といった事実はない」などと「慰安婦」問題の核心を否定したことに、国連の女性差別撤廃委員会は「国の指導者や公職にある者が『慰安婦』問題に対する責任を過小評価し、被害者を再び傷つけるような発言はやめるよう」勧告しました。日韓合意の実施では「被害者・生存者の意向をしかるべく考慮し、被害者の真実、正義、賠償を求める権利を確保するよう」求めています。日韓合意に基づく「和解・癒やし財団」を韓国が解散したことについても、両国は誠実な話し合いで対立を解消すべきです。
日韓・韓日議員連盟の合同総会は12月、歴史問題の解決のため「被害を訴える当事者の名誉と尊厳が回復されるよう日韓パートナーシップ宣言の趣旨に基づき相互互恵の精神で共に努力していく」と確認しました。1998年の同宣言は、日本の韓国に対する植民地支配への「痛切な反省と心からのお詫(わ)び」を両国の公式文書では初めて盛り込みました。この表明を守り生かす政治が必要です。
未来へ教訓いかす政治を
今年は日本による「韓国併合」=植民地化に反対し朝鮮半島全土で人々が立ち上がった「三・一独立運動」から100年です。日本の官憲と軍隊はこれに残虐な弾圧を加えましたが、抵抗は1945年の日本の敗戦による解放まで続きました。朝鮮半島の人々との友好発展は、民族抑圧の否定や植民地支配の美化ではなく、歴史に正面から向き合い、誤りを認め、未来への教訓にする姿勢を土台にしてこそつくられます。その方向に日本政治を進める世論と運動の広がりが求められる年です。
2019年1月1日
聞き手 小木曽陽司・赤旗編集局長
小木曽陽司 あけましておめでとうございます。
志位和夫 あけましておめでとうございます。
小木曽 今年はいよいよ統一地方選、参院選の年です。安倍政治とのたたかいも正念場です。昨年1年をふりかえりつつ、新年の抱負についてうかがいます。
志位 昨年の「党旗開き」で、私は、「今年は絶対に負けられない二つのたたかいがある」と訴えました。一つは、沖縄県知事選挙で必ず勝利を勝ち取ること。いま一つは、安倍首相による憲法9条改定を許さないことです。
沖縄県知事選では、「オール沖縄」の玉城デニー候補が、安倍官邸が総力支援した丸抱え候補に8万票の大差をつけて、知事選史上最高得票で圧勝しました。改憲を許さないたたかいでは、安倍首相は憲法審査会を動かして自民党改憲案を提示しようと執念を燃やしたわけですが、それを水際で撃退し、昨年の国会では断念に追い込んだ。この二つは大きな成果です。
もちろん、どちらのたたかいも決着はついていません。今年は沖縄も憲法も正念場を迎えますが、安倍政権の思い通りにさせなかったことは、今年のたたかいを展望しても、大きな土台になるものです。
小木曽 二つのたたかいでは、やはり「共闘の力」が大きかったですね。
志位 そうですね。私たちは「市民と野党の共闘で政治を変える」という立場を堅持して、あらゆるたたかいにのぞみました。
昨年を振り返って、野党の国会共闘の画期的な発展は特筆すべきです。昨年1年間で、5野党・1会派による「合同ヒアリング」が、通常国会、閉会中審査、臨時国会をあわせて167回も開かれました。野党が一致結束して安倍政権を追い詰め、政治を動かすいろいろな成果もあげてきました。
「働き方改革」にかかわって、裁量労働制に関するデータのねつ造を暴いて、裁量労働制拡大の部分を法案から削除させたこと、外国人労働者の受け入れ拡大問題で、失踪した技能実習生から聞き取った「聴取票」のデータ改ざんを明らかにし、その実態を明るみに出したこと、などです。野党議員が力をあわせて「聴取票」を閲覧し一枚一枚書き写しする“写経共闘”も取り組まれました。安倍政権をボロボロになるまで追い詰め、そういうたたかいとあいまって、自民党改憲案を憲法審査会に出すことを許さない抵抗線がはられて、実際に水際でくいとめることができたのです。
小木曽 なるほど。「オール沖縄」の共闘も、こうすれば勝てるという共闘のお手本を示すものでしたね。
志位 ええ。何といっても明確な対決軸――辺野古新基地建設反対をひるむことなく掲げたことです。もう一つは、「心一つの共闘」――私たちは「本気の共闘」という言い方をしていますが、共闘の中にはいろいろな立場の人がいる、その立場の違いをお互いにリスペクト(尊敬)し合い、大義のもとに結束して頑張るということです。「沖縄のようにたたかえば勝てる」――このことをみんなの確信にして、今年は、日本を変えるたたかいに挑戦したい。
統一地方選挙、参議院選挙は、日本の命運を分けるたたかいになります。市民と野党の共闘の勝利、日本共産党の躍進で、安倍政治を終わらせ、希望ある新しい政治に踏み出す年にしていきたいと決意しています。
安倍政治をどう倒すか――「忘れず、あきらめず、連帯して」
小木曽 安倍政権とのたたかいは昨年暮れで7年目に入りました。安倍政治をどうみて、どうたたかうかは、引き続き大きなテーマです。委員長は昨年衆院在職25年を迎えましたが、安倍政治をどのようにみていますか。
志位 戦後政治史に類を見ない悪質な政権ですね。この戦後最悪の政権にはメダルの表裏のような特徴があると思います。
一方で、国民の民意を踏みつけにする強権政治です。国民多数が反対した安保法制=戦争法、共謀罪、秘密保護法を「数の力」で強行する。沖縄県民が何度選挙で「ノー」の審判をつきつけても辺野古新基地を力ずくで押しつける。
もう一方では、ウソと隠ぺいの政治です。「森友・加計疑惑」にみられるように、総理大臣自身がウソをつく。そのウソにつじつまをあわせるために、まわりがウソをつくという“ウソの連鎖”が広がりました。隠ぺい・改ざんが、「森友・加計疑惑」だけでなく、「働き方改革」、南スーダンの自衛隊「日報」、外国人労働者問題などあらゆるところで起こった。政治モラルの一大崩壊が起こっています。
強権政治を押し通すために、ウソをつき隠ぺいする。まさにメダルの表裏です。類をみない悪質さだと思います。
小木曽 強権とウソ、そういうやり方に頼るしか、もはやこの国を統治する術(すべ)をなくしているということですね。その意味では大変もろい政権ですね。
志位 そうです。どちらも決して政権の強さを示すものではなく、破たんの表れです。国民に説明がつかないことを無理押ししようとするから、強権に頼り、ウソや隠ぺいに頼る。
小木曽 もっとも、これほど悪事を次から次へと続けられると、悪慣れし、あきらめてしまうということにもなりかねない。どう押し返していくか。
志位 昨年各地で行われた演説会で、私は、「安倍政権がこれだけ悪事を重ねているのに倒れないのはなぜか。その理由と倒す方法をお伝えしましょう」(笑い)とのべ、安倍首相が権力を維持してきた「三つの卑劣な手口」を告発したんです。
一つは、次々に目先を変えて国民に悪事を忘れさせる。二つ目は、強権に次ぐ強権を振るうことで国民をあきらめさせる。三つ目は、自分を批判する者は敵だと国民の中に分断を持ち込んでいくというものです。
「忘れさせる」「あきらめさせる」「分断を持ち込む」というのが、相手側の常とう手段だとすると、国民がこれを倒す方法がはっきりする。第一は、安倍首相がやってきた悪事を一つ残らず覚えていて、忘れないで選挙で審判を下す。第二は、相手があきらめることを狙ってくるのだったら、沖縄のみなさんがやっているように、勝つまであきらめずにたたかい続ける。そして第三は、分断を持ち込むのなら、立場の違いを超えて連帯でこたえよう、市民と野党の共闘でこたえよう。「忘れず、あきらめず、連帯して」――この姿勢を堅持してたちむかうことが大切ではないでしょうか。
小木曽 これは非常にわかりやすいですね。「忘れず、あきらめず、連帯して」を合言葉にたたかっていきましょう。
こんなアメリカ言いなり政治でいいのか(1)――沖縄への連帯のたたかいをさらに
小木曽 強権政治の最たるものは沖縄の新基地建設強行だと思います。昨年12月14日に辺野古の海を埋め立てるための土砂投入が強行され、怒りと抗議の声が一気に広がっています。
志位 辺野古の海への土砂投入は、絶対に許せない。政府がここまで無法に無法を重ねているのは、もはや法治国家とはいえないし、民意を踏みにじるという点では、民主国家ともいえない。本当に許されないことです。
ただ、展望がないのは政府の側です。沖縄の地元紙の報道によると、防衛省は2018年度に予定していた大浦湾側の護岸工事を20年度以降に見送ることにしたといいます。大浦湾には厚み40メートルものマヨネーズ状の「超軟弱地盤」が存在するため、大規模な地盤工事が必要となり、そのためには設計変更が必要です。設計変更には知事許可が必要ですが、デニー知事は断固反対です。だからこの報道によれば、防衛省担当者も大浦湾側での護岸工事に「着手できる見込みがない」といっているとのことです。
追い込まれているのは政府の側です。デニー知事が頑張り、「オール沖縄」のみなさんが頑張り、全国が連帯すれば辺野古新基地は絶対つくれません。
小木曽 土砂投入に対する怒り、抗議の広がりがすごいですね。
志位 土砂投入という一大暴挙を転機にして、抗議の質が変わってきたと思います。
一つは国内世論です。昨年12月の報道各社の世論調査では辺野古の土砂投入について、「反対」「不支持」がどれも50~60%台で多数です。沖縄のことを「わが事」として考える流れが日本列島に広がったというのは、大きな変化だと思います。
もう一つ、世界からの批判が広がっている。ハワイ在住のロブ・カジワラさんが提起して、今年2月の県民投票までは埋め立てをやめるようトランプ米大統領に求める電子署名が始まり、16万人を超えたと報じられています。日本国内でも、タレントのローラさんなど多くの著名人が署名をよびかけ、大きな話題になっています。
土砂投入を契機に、沖縄の怒りが、全国に、さらに世界に、あふれるように広がっています。
小木曽 街で訴えていても反応が変わったという声が全国から寄せられます。
志位 思いがけないところから発言が飛び出しています。ロシアのプーチン大統領が、辺野古新基地に対する日本政府の姿勢を引き合いに、ロシアが領土を日本に返した場合に米軍基地が置かれる可能性について、「日本の決定権に疑問がある」とのべたのです。「知事が基地拡大に反対しているが、何もできない。人々が撤去を求めているのに、基地は強化される。みなが反対しているのに計画が進んでいる」と。千島を占領し、クリミア半島を併合したロシアに言われたくはありませんが(笑い)、「日本の決定権に疑問がある」というのは、従属国家の真実を言い当てています。
朝鮮半島で非核化と平和への流れが開始されているというのに、20年も前に決めた基地の計画を「見直してくれ」ということを一言もいわず、ただ決まったことだからと押しつける。これは最悪の「アメリカ言いなり政治」ですよ。
小木曽 2月には県民投票も予定されています。
志位 大成功させたいですね。今年も沖縄への連帯のたたかいをさらに強めましょう。
こんなアメリカ言いなり政治でいいのか(2)――異常な大軍拡にストップを
小木曽 昨年末、日本の新たな軍事方針「防衛計画の大綱」(大綱)と2019~23年度の武器調達計画を示す「中期防衛力整備計画」(中期防)が閣議決定されました。安倍政権は、これに基づいて総額27兆4700億円というとんでもない大軍拡をたくらんでいます。メディアも「軍事への傾斜 一線越えた」「『専守』の歯止め どこへ」と厳しい批判をしています。
志位 この異常な大軍拡には二つの側面があります。
一つは、安保法制=戦争法のもとで一線を越えた質的変化がはっきりあるということです。これまでまがりなりに掲げていた「専守防衛」をかなぐり捨てたことです。
その象徴は、海上自衛隊「いずも」型護衛艦を改修し、米国製のF35Bステルス戦闘機を運用できるように空母化することです。政府は、「戦闘機を常時搭載しないから、攻撃型空母にあたらない」などといっていますが、横須賀を母港とする米空母ロナルド・レーガンでも、艦載機は1年のうち半分くらいしか載せていない。「戦闘機を常時搭載しないから……」というのは、専門家の間ではおよそ通用しないデタラメです。対地攻撃能力のあるF35Bを「いずも」に載せれば、その搭載頻度にかかわりなく、地球の果てまで行って対地攻撃ができる能力を得ることなる。文字通り空母化です。
小木曽 まさに安保体制のもとでの日米共同での海外での戦争体制ということですね、「専守防衛」の一線は完全に越えてしまいます。
志位 もう一つの側面として、トランプ大統領いいなりで、「言われたから買います」という「浪費的爆買い」の問題です。日本政府は米国製のF35戦闘機を147機導入しようとしています。関連経費をふくめると2兆円を超える。これは安保法制=戦争法からも合理的な説明がつかない。航空自衛隊の元幹部は「100機以上も買って、いったい何をするのか。目的が全く見えない」といっています。元陸将の山下裕貴氏は「トランプの言いなりで兵器を買うな」、「貿易摩擦が起きるたびにアメリカから兵器を購入していたら、安全保障上の自主性が失われてしまう可能性もある」(『文芸春秋』19年1月号)と批判しています。もともと日本政府に「安全保障上の自主性」はありませんが(笑い)、いよいよなくなるということでしょう。
「専守防衛」をかなぐり捨てる、「浪費的爆買い」に走る――いま進められている大軍拡計画は、二重の意味で最悪の「アメリカ言いなり政治」といわなければなりません。
小木曽 ここまで軍事費が膨らみますと暮らし・福祉への圧迫もひどくなります。
志位 2019年度予算案をみても、低所得者の後期高齢者の医療保険料の値上げ、生活保護をさらに削るなど、社会保障はわずかなものまで削っているのに、兵器は「爆買い」。冗談ではありません。「軍事費を削って福祉と暮らしにまわせ」――これは私たちの一貫したスローガンですが、いまこのスローガンが切実な重みをもって国民のみなさんの心に響くと思います。ぜひ大きな運動を起こしたいと思います。
私たちは、安保法制の廃止、日米地位協定の抜本的見直し、辺野古新基地を許さない、大軍拡ストップなど、日米安保条約に対する態度の違いを超えて、切実な一致点での共闘に誠実に取り組みます。同時に、こういう異常な「アメリカ言いなり政治」の根っこには日米安保体制がある。日本共産党は、この根っこまで変えようという大志をもっている党だ、日米安保条約を国民多数の合意で廃棄して、対等・平等・友好の日米関係に切り替えることを、日本改革の方針の根幹にすえている党だ、ということも大いに訴えていきたいと思います。
こんな財界中心の政治でいいのか(1)――消費税10%ストップで大同団結を
小木曽 経済と暮らしの面で、今年の大きなテーマになるのが、10月からの消費税10%引き上げです。
志位 私たち日本共産党は、消費税という税金そのものに反対です。立場の弱い方に重くのしかかる逆進性のもっともひどい悪税ですから。同時に、いまの経済情勢のもとで増税したらどうなるか。これは2014年4月に8%へ引き上げたときに証明されているわけです。
8%への増税を引き金にして、長期にわたる消費の冷え込みが続いている。8%増税から5年近くたってもなお、消費の落ち込みがずっと続き、増税前に比べて1世帯あたり年間25万円も消費が落ち込んでいます。ここで10%となると、日本経済が破滅に落ち込むというのは、立場の違いを超えた声になっています。
「しんぶん赤旗」日曜版に内閣官房参与の藤井聡京都大学大学院教授が登場し、「栄養失調の子どもに絶食を強いるようなものだ」「日本経済を破滅させる」と反対の声をあげました。『文芸春秋』1月号には、セブン&アイ・ホールディングスの名誉顧問の鈴木敏文さんが、「いまのタイミングで消費税を上げたら、間違いなく消費は冷え込む」と反対しています。消費税は必要という立場の方からも、いま上げるのは自殺行為だという声が共通して出されている。ここが大切なところです。
小木曽 政府は総額5兆円もつぎこんで「増税対策」を行うとしています。
志位 「増税対策」が、「ポイント還元」やら「プレミアム商品券」やら「複数税率」やら、奇怪な形で膨れ上がりました。これは10%への増税を実施した場合に、どれほど景気、経済を痛めるかわからない。そのことへの「怯(おび)え」の表れだと思います。
ただ、これは、混乱必至の事態をつくりだす。オロナミンCが8%、リポビタンDが10%(笑い)。税率だけでも、3%、5%、6%、8%、10%と5種類の税率になる。食料品か非食料品かで違いが出てくる。大手スーパーで買うのか中小小売店で買うのかコンビニで買うのかでも違いが出てくる。現金かカードかでも違いが出てくる。この三つの要素の組み合わせで税率が変わるから、とてつもない複雑な税率になってしまう。(笑い)
小木曽 とても覚えきれません(笑い)。消費者にとっても、業者にとっても、とんでもない負担と混乱を招くことは必至ですね。日本スーパーマーケット協会、日本チェーンストア協会、日本チェーンドラッグストア協会の小売り3団体がポイント還元は「混乱を招く」と政府に異例の再考を要求しました。
志位 そんなに景気が心配で奇怪な「増税対策」をやるくらいなら、初めから増税しなければいい。批判の角度はさまざまですが、「10月からの10%は中止せよ」の一点で大同団結することが大切ですね。
小木曽 やはり消費税に頼らない道を追求しないと。
志位 そうですね。歴史的にみて、日本の経済の長期停滞がどこから始まったかというと、消費税を5%に上げるなどした97年の9兆円負担増が大きな要因の一つであることは誰も否定できません。それだけの破壊的影響を日本経済に及ぼすことが、すでに実証されているんだから、根本的に別の道を選択する必要があります。
日本共産党は、富裕層と大企業に対する優遇税制をなくして、一番大もうけしているところに世間なみに払ってもらうという対案を出しています。さらに、下げすぎてしまった法人税、下げすぎてしまった所得税・住民税の最高税率を元に戻す措置を取っていく。軍事費、原発推進予算、大型巨大事業などの無駄遣いにメスを入れるなど歳出改革も進めていく。これらによって当面17兆円の財源をつくろうと提案しています。日本共産党が、消費税に頼らない別の道を示していることを大いに伝え、「この道にこそ未来がある」と大いに訴えていきたいと思います。
こんな財界中心の政治でいいのか(2)――財界主導の「成長戦略」の切り替えを
小木曽 もう一つ、財界主導の「成長戦略」がどれも行き詰まって、破たんが明確になってきているという問題があります。
志位 安倍首相の「成長戦略」なるものは、大企業にもうけさせる、そうすればもうけの果実が国民に広く及び、日本経済が成長するという、大企業の応援政策だったわけですけど、その「成長戦略」がどれもこれもうまくいっていません。大企業にはたしかに巨額のもうけが転がり込み、空前の内部留保が積みあがっているが、日本経済はさっぱり成長しない。国民の暮らしは冷え込んでいる。ここでも行き詰まりなのです。
そのなかで、武器輸出、原発輸出、カジノ解禁など、“禁じ手”に手を出し始めたというのが、この間の動きです。邪道に足を踏み入れた。
小木曽 臨時国会閉会の議員団総会で委員長が、臨時国会で強行した悪法の名をあげ、すべて経団連発で“禁じ手”に踏み込んでいるという話を大変印象深く聞きました。
志位 外国人労働者、沿岸漁業、水道事業という、きちんとした公的規制がなければ成り立たない分野まで規制緩和を押しつけ、財界の食い物にしようという法改悪をやりました。“禁じ手”中の“禁じ手”に踏み込んだものです。
そうした“禁じ手”の政策の大破たんが目に見えてはっきりしたのが、原発輸出だと思います。年末に、日立のイギリスへの原発輸出計画が延期になったというニュースが伝えられました。日本の原発輸出の計画は、米国、台湾、ベトナム、リトアニア、トルコ、インド、そして英国と、軒並み断念・保留に追い込まれた。全滅ですよ。
東京電力福島第1原発の大事故で、原発の危険性が全世界に広く明らかになった。同時に、原発事故で安全コストが急騰した。原発はもうビジネスとして成り立たないということです。輸出できないものを「コストが安い」とウソをついて再稼働などというのは、まったくの論外だと強くいいたいですね。
小木曽 しかも、この問題は安倍首相自身がトップセールスで売り込んだものですから、首相の責任が真っ先に問われなければいけませんね。
志位 その通りです。安倍政権の「成長戦略」――大企業のもうけ口を政治がつくってやって、大企業をもうけさせれば日本経済が成長するというのは幻想だった。それがこれだけ証明されているわけですから、大転換が必要です。働く人の所得を増やし、国民の暮らしを良くすることを最優先において、日本経済の安定した健全な成長をはかるというところに、大きく切り替えていかなければなりません。
働く人の長時間労働を是正する、最低賃金を抜本的に引き上げる、非正規の方を正社員にする、大企業と中小企業の公正な取引を保障する――国民の暮らしを守るルールをつくっていく。ルールをつくることで働く人の所得を増やし、大企業のなかにたまった400兆円を超える内部留保が、働く人や中小企業にきちんと流れるようにする。そうしたまともな循環が起こるようにして、経済を草の根から温め、健全な成長をはかるというところに切り替えようということを、大いに訴えていきたいと思います。
安倍9条改憲を許さない――野党共闘と「草の根のたたかい」の力で
小木曽 安倍9条改憲については、昨年は首相の思い通りにさせなかったわけですが、決着がついたわけではありません。首相は臨時国会の最終日に、「2020年は新しい憲法が施行される年にする意思は」と問われて、「その気持ちは変わりがない」と言い切っています。まったくあきらめていません。
志位 安倍首相がここまで9条改憲に執念を燃やす理由はどこにあるのか。
一つは、彼の個人的な野望があると思います。自分の祖父――岸信介首相は日米安保条約改定で歴史に名を残した。自分は戦後初めて憲法を変えた総理大臣として歴史に名を刻みたい。将来の学校の教科書にもそう書かれたい(笑い)。そうした個人的野望です。
ただそれだけではない。より本質的な理由は、安保法制=戦争法をつくって「戦争する国」づくりに向けて駒を大きく進めたが、その安保法制でも越えられない壁がある。武力行使を目的にした海外派兵はできない建前になっている。集団的自衛権の全面的行使もできない建前になっている。だから南スーダンに派兵したが内戦状態になると撤収しなければならない。まだ憲法9条――9条2項は生きているのです。これを文字通り亡き者にしてしまおう。そのためには、憲法9条に「自衛隊の保持」を書き込めばいい。そうなれば、「後からつくった法は、前の法に優越する」という法の原則から、9条2項を「立ち枯れ」にすることができる。海外での武力行使が何の制約もなくできるようになる。こうした執念・衝動が働いていると思います。
小木曽 それだけに、この9条改憲の野望をどうやって阻むかが、今年の大きな課題ですね。
志位 今年は、9条改悪の企てを、安倍政権もろとも葬り去るという年にしていきたいですね。
そのために大切なことの一つは、野党共闘を揺るがないものにすることです。野党各党は、憲法に対する態度はさまざまですが、「これだけ憲法をないがしろにする安倍政権のもとでの9条改憲は認められない」という点では一致しています。「安倍首相に憲法を語る資格なし」――憲法改定という土俵に上がる資格がないということを大いに訴えて、結束して頑張りぬくことが第一です。
もう一つ、何よりも強調しておきたいのは、勝負は「草の根のたたかい」だということです。自民党の下村博文憲法改正推進本部長が昨年末、日本会議系の集会で、全国289の小選挙区支部で、日本会議と連携しながら、地域の憲法改正推進本部設置を進めるよう要請したというニュースが流れました。下村氏は「国民投票に向けて連絡会をつくりたい。202(支部)までめどが立った。まだ90弱残っているが、何とか年内に達成したい」と発言した。相手は国民投票の準備を始めているわけです。
私たちは、草の根で安倍改憲に反対する3000万人署名に取り組んでいますけれど、これを集め切って、圧倒的な世論をつくりあげ、相手が恐ろしくて改憲の発議などできないという力関係を草の根でつくりあげる。ここが何よりも重要です。
小木曽 「国民投票にかけたら敗北必至だ」と、彼らにそう思わせるような草の根の運動をどれだけ広げることができるかにかかっていますね。
韓国訪問について――青瓦台でのやりとりで徴用工問題の解決への道筋が
小木曽 志位委員長は昨年末、韓国とベトナムを訪問されました。どういう目的の訪問で、両国でどのような活動をし、どんな成果があったのか、お話しください。
志位 まず韓国ですが、日韓・韓日議員連盟合同総会が12月13、14両日にソウルで開催されて、それに参加しました。今回の総会は、朝鮮半島の非核化と平和という新しい画期的情勢が進展する一方、徴用工問題などをめぐって日韓両政府の関係が悪化するというもとで開催されました。
ですから、日本共産党としてはこの総会を重視し、議員6人、秘書3人の総勢9人を派遣して、この総会が、朝鮮半島の平和のプロセスを促進するとともに、日韓の歴史問題の解決にも資するものとなるよう、力を尽くしました。日本側の参加者は全体で30人だったので、共産党の“議席占有率”は20%、自民党13人に次ぐ“第2党”でした(笑い)。積極的な役割を果たせたと思います。
小木曽 文在寅(ムン・ジェイン)大統領との会談もあったのですね。
志位 14日に、日韓議連の代表団として青瓦台の大統領府を訪問し、文大統領と会談しました。日本共産党からは私が参加しました。会談では徴用工問題が焦点となり、やりとりのなか文大統領が、昨年10月の韓国大法院(最高裁)での徴用工問題での判決以降では初めて「被害者個人の請求権は消滅していない」という認識を表明したことは重要であり、韓国では大きなニュースとして報じられました。
会談のやりとりを紹介しますと、冒頭、文大統領が、日韓議連代表団を歓迎し、「歴史を直視し、未来志向で、平和と繁栄に向けて協力していきたい。不幸な過去をともに克服し、真の友達の関係を築いていきたい」と表明しました。
日本側からは、額賀福志郎日韓議連会長が発言し、「(出発前に)安倍首相と意見交換を行った。安倍首相と共有したことをのべる」として、「慰安婦問題で『和解・癒やし財団』が解散されたこと、『徴用工』問題で韓国大法院で(賠償命令の)判決が下ったことに、安倍首相も私も、韓国の今後の対応を憂慮している。韓国政府に適切な対応を期待する」とのべました。
それに対して文大統領は、徴用工問題について、「この問題では、労働者個人が日本企業に対して請求した損害賠償請求権まで消滅したのではないと見ている。十分に時間をかけて、知恵を集めて解決したい。この問題で両国民の敵対感情を刺激しないよう、慎重で節制された表現が必要だ。両国間の友好な情緒を損なうことは韓日の未来の発展に役立たない」と語りました。
ここで、私は発言を促され、日韓両政府には前向きな一致点があり、打開の方策もしっかりあるということを短い発言で表明しようと考え、こう発言しました。
「私は、徴用工問題の本質は植民地支配と結びついた人権侵害というところにあると考えている。だから、『植民地支配の反省』を明記した(1998年の)『日韓パートナーシップ宣言』の精神に立って、被害者の名誉と尊厳が回復されるよう、日韓がともに努力していくことが大切だ。
そのさい、(1965年の)日韓請求権協定によって、両国間の請求権の問題が解決されたとしても、被害者個人の請求権を消滅させることはないということは、日本政府も最近も国会答弁で公式に表明していることだ。(日韓)両国政府はこの点で一致している。この一致点を大切にして、被害者の名誉と尊厳の回復に向けた前向きな解決が得られるよう、日韓の冷静な話し合いが大切だと思う」
私の発言を受けて、額賀氏が次のような発言を行いました。「個人の請求権については、志位委員長が言われたように消滅していないが、外交保護権については消滅している」
それを受けて文大統領は最後にこう言いました。
「額賀会長、志位委員長の発言に感謝する。不幸な歴史の解決に向けて両国の合意をはかりたい。個人の請求権は消滅していないということは重要なことだ。この立場に立てば、円満な解決がはかられるのではないか」
小木曽 「個人の請求権」をめぐって、そんな重要なやりとりがあったとは驚きました。
志位 このやりとりについては、青瓦台(大統領府)が発表した「書面ブリーフィング」でも詳細に明らかにされています。
短い40分程度の会談でしたが、問題解決に向けての前進の手がかりになりうる重要なやりとりになったと思います。会談が終わったあと、私の発言に対して、同席していた他党の議員から「よく分かりました」「胸がすっとした」などの賛意、歓迎の声も寄せられました。
小木曽 論点が整理されたということですね。
志位 韓国大法院の判決というのは二重にできていて、(1)個人の請求権は消滅していない、(2)国と国においても請求権が解決していない問題があるというものです。私は、この論理は全体として検討されるべき論理だと考えています。同時に、両方をいっぺんに解決するのは、現状では不可能だと思います。
ではどうするか。「被害者個人の請求権は消滅していない」という点では日韓両国政府が一致しているわけですから、まずは、その一致点を大切にして前向きの解決方法を見いだす。国と国との請求権の問題の解決は、将来の課題とする。こういう段階的な解決が、現実的な解決法ではないかと思います。
2007年の日本の最高裁の判決では、中国の強制連行被害者が西松建設を相手に起こした裁判について、日中共同声明によって「(個人が)裁判上訴求する権能を失った」としながらも、「(個人の)請求権を実体的に消滅させることまでも意味するものではない」と判断し、日本政府や企業による被害の回復に向けた自発的対応を促しました。この判決が手掛かりになって、被害者は西松建設との和解を成立させ、西松建設は謝罪し、和解金が支払われました。朝鮮半島からの強制動員の場合も、同じように和解による解決が一番現実的な解決法ではないか。和解を促進するために日韓両国政府が冷静な話し合いを行うことが大切ではないかと考えています。
小木曽 なるほど。「個人の請求権は残っている」という一致点で冷静に話し合うというのが、もっとも現実的な解決法といえますね。
志位 ええ、ぜひとも、そういう方向で解決のために努力したいと思っています。青瓦台での会談は、そうした解決が可能だということを明らかにした話し合いになったと思います。
「戦争の危険が遠のき、平和への大転換が起こった」――このプロセスの成功を
志位 それから、合同総会ですが、五つの分科会すべてに、わが党議員が参加し、それぞれ積極的に発言し奮闘しました。吉良よし子議員は、未来委員会の委員長代理を務め、閉会総会では、日本側の責任者として堂々と報告しました。
採択された合同総会の共同声明では、歴史問題について、「被害を訴える当事者の名誉と尊厳が回復されるよう、日韓パートナーシップ宣言の趣旨に基づき、相互互恵の精神で共に努力する」と明記されました。これは重要な確認になったと思います。
北東アジアの情勢の対応については、「南北・米朝首脳会談などが北東アジアと朝鮮半島の平和に寄与するとの認識で一致し、今後とも北朝鮮の核・弾道ミサイルの廃棄と平和体制の構築に向けて、国際規範の下での安全保障分野における協力を強化していく」と明記されました。
共同声明は、全体として積極的な内容となったと思います。
それから、韓国の国会議員のみなさんとさまざまな場で懇談する機会がありました。韓国の議員のみなさんからは、南北・米朝関係の前途については希望と懸念が入り混じる見方が語られましたが、「戦争の危険が遠のき、平和への大転換が起こった」ことへの喜びは共通して語られたことがとても印象的でした。「この時計の針を逆に巻き戻すことは、韓国国民の誰も望んでいない」という発言もありました。
昨年、朝鮮半島で開始された、非核化と平和体制構築のプロセスを何としても成功させるため、今年、私たちもあらゆる力をつくしたいと考えています。
ベトナム訪問について――核兵器禁止条約早期発効、東アジアの平和へ協力強化
小木曽 韓国に続いてベトナムを訪問されました。これはどういう経緯だったのでしょうか。
志位 ベトナム共産党中央委員会から私あてに「早い時期にベトナム訪問を」との招請があり、今回の訪問が実現しました。ベトナム側は、わが党の代表団の訪問をきわめて重視し、熱い友情をもって、丁重に迎えてくれました。
12月17日に、ファム・ミン・チン政治局員、ホアン・ビン・クアン対外委員長と会談し、18日に、グエン・フー・チョン書記長・国家主席、チャン・クオック・ブオン書記局常務と会談しました。19日にはベトナム外交学院で講演、20日にはハノイの南に位置するニンビン省に行き、世界自然遺産のチャンアンの美しい自然に接し、地元のニンビン省の党のみなさんと交流するなど、とても充実した日程でした。
小木曽 会談ではどういう話し合いが行われましたか。
志位 チョン書記長、ブオン書記局常務との会談は、夕食会を含めて計4時間半に及びましたが、たいへん重要な合意が得られました。
私は、今回の訪問では、両党が共通して直面している国際問題で集中して意見交換を行い、協力の強化をはかりたい考え、わが党の立場をまとまって話しました。
――署名69カ国、批准19カ国となっている核兵器禁止条約の一日も早い発効を国際社会が推進することが重要だとのべ、10番目の批准国であるベトナムとの協力の強化を願っていると話しました。
――東アジア地域に平和と安定を築いていくことについて、米朝・南北首脳会談など朝鮮半島の非核化と平和体制の構築へのプロセスを促進するとともに、北東アジア地域に多国間の安全保障の枠組みをつくることが重要だと考えていると話しました。東南アジア諸国連合(ASEAN)が果たしている中心的役割を支持するとともに、日本共産党が提唱している「北東アジア平和協力構想」を紹介し、両地域での平和の取り組みが東アジア全体の平和と安定につながるように力をあわせたいとのべました。
――南シナ海問題については、国連海洋法条約(UNCLOS)など国際法に従った紛争の平和解決などASEANの原則を支持し、法的拘束力と実効性ある南シナ海行動規範(COC)の制定などの外交努力を支持すると表明しました。
小木曽 それぞれの問題について、ベトナム側はどういう態度を表明したのですか。
志位 グエン・フー・チョン書記長・国家主席との間で、焦眉の国際問題への対応で多くの一致が確認できました。
チョン書記長は、核兵器禁止条約の早期発効について、「ベトナムは禁止条約を10番目に批准しました。ともに全力をあげましょう」と語りました。
朝鮮半島の非核化と平和体制構築の問題については、ベトナムが韓国、北朝鮮の双方と友好関係にあることを強調し、「平和と非核化を支持する」、そのためにあらゆる可能なことをやる用意があると発言しました。
わが党の「北東アジア平和協力構想」について、支持が表明されました。
ASEANについては、何よりも大事なのは自主独立、団結と統一だということが強調されました。南シナ海問題については、非常に複雑なこの問題について、日本共産党が共通の立場をもっていることへの感謝が表明されました。
私は、これまでも何度かベトナムを訪問して、当面する国際問題の協力について話し合ってきましたが、これまでと比較しても、よりいっそう具体的に踏み込んで、意見の一致を確認し、協力することで合意することができました。たいへんに重要な成果だったと考えています。
両党関係の発展――新たな高みに引き上げる3点の重要な合意
小木曽 日本・ベトナムの両党関係でも発展があったのですね。
志位 私とチョン書記長は、この間の両党関係について、とりわけ2007年以来8回におよぶ理論交流と、国連やICAPP(アジア政党国際会議)など国際会議での協力などを通じて、両党関係が大きく発展してきたことを確認しました。チョン書記長は、「両党の理論交流はとても有益であり、とても必要だ」と強調していましたが、一連の会談で、理論交流が有益で重要だということが共通してのべられたことは、たいへんうれしいことでした。
さらに、私とチョン書記長は、今後の両党関係について、(1)ハイレベルの交流を維持・促進すること、(2)理論交流を継続・発展させるとともに、急速に変わる国際情勢について国際部門で機動的に意見交換を行うこと、(3)世界と地域の平和と発展のために、国連、政党会議などさまざまな国際会合・フォーラムで緊密に連携していくこと――の3点について合意しました。これは両党関係を新たな高みに引き上げる重要な合意で、訪問の大きな成果となったと思います。
今後の実際の活動を考えてみても、この合意のもつ意義は大きいと思います。ベトナムは2020年1月から国連安全保障理事会の非常任理事国になる予定です。これまでもベトナムとは核兵器廃絶にむけ国際舞台で協力してきましたが、今回の合意をふまえ、20年のNPT(核不拡散条約)再検討会議などでの協力がより緊密にできることになるでしょう。
ドイモイについて、「社会主義をめざす探求」の真剣さについて
小木曽 ベトナムは、市場経済を通じて社会主義をめざすというドイモイの事業を進めていますが、今回の訪問ではどのように感じられましたか。
志位 今回の訪問で、私は「二つの点に注目しています」と話しました。
一つは、貧困削減に目覚ましい成果をあげていることです。貧困率を1990年の58%から、2010年には10%、近年には5・9%に激減させたとのことです。世界銀行からも、「7割の世帯が安定した生活を営めるようになっている」と高く評価されていることは、うれしいことです。
いま一つは、原発輸入を中止するという勇気ある決断を行ったことです。5年前にチョン書記長と会談した時に、私は、原発を導入するかどうかはベトナムの内政問題だが、福島の原発事故をみても、原発はとても人類が使いこなせるような技術ではないと考えているという話をしました。その後、原発輸入の中止という決断をしたということは、社会主義の精神の発揮だと思います。
小木曽 社会主義の精神の発揮と。
志位 そう感じます。ドイモイの外交路線について、チョン書記長が次のように語ったことは、たいへん印象深く受け止めました。
「ベトナムは、独立、自主、平和、協力、安定、多角化の路線をもっている。各国とは友邦になるが、自主独立を守り、溶解してはならないし、従属してもならない。諸問題に臨機応変に対応するが、社会主義、マルクス主義、ホーチミン思想を一貫して堅持する」
この言葉は、今回の訪問における、わが党に対するベトナム側の誠実で真摯(しんし)な対応とあわせて、ベトナム党指導部の「社会主義をめざす探求」の真剣さを感じさせるものであったことを、報告しておきたいと思います。
小木曽 ベトナムの技能実習生の問題も取り上げられて話題になりました。
志位 ベトナム人の技能実習生の問題について、私たちの側から、「日本の政党の責任として劣悪な実態の解決に力をつくす」ことを約束するとともに、必要な情報の提供をお願いしました。ベトナム側は、「感謝し、歓迎します」と応じました。NHKもこの問題に注目して報道しました。
ベトナム外交学院での講演――「自由ベトナム行進曲」の大合唱
小木曽 ベトナム外交学院ではどのような講演をされたのですか。
志位 ベトナム外交学院は、1学年200人ぐらいの学院ですが、卒業生の4分の1ぐらいが外交官になり、他の学生も多くが政府などの重要な行政機関の働き手になると聞きました。
「21世紀、世界と東アジアの平和の展望」と題して講演し、質疑に応じました。政治会談とは角度を変えて、日本共産党の綱領の世界論に立って、20世紀に進行した「世界の構造変化」とはどういうものだったか、ベトナム革命はどういう役割を果たしたか、21世紀の世界を全体としてどうとらえるか、東アジアにどうやって平和を築いていくかなどについて、わが党がこの間の理論と実践を通じて考えていることをまとまってお話しする機会となりました。(講演と質疑は4日付に掲載します)
小木曽 歌も披露されたことが、話題になりました。(笑い)
志位 講演の冒頭、「自由ベトナム行進曲」という、ベトナムがフランスからの独立を獲得した時の革命歌で、日本に1954年に紹介され、日本でもベトナム侵略戦争に反対する連帯闘争のなかで歌われていた歌について、若いみなさんに「知っていますか」と尋ねたところ、「知っています」との答え。私も、若いころよく歌った歌で、たいへん懐かしく、一節を歌いました。
そうしたら、講演と質疑を終えて、最後に、司会の方が、「志位委員長に対するお礼に、みんなで『自由ベトナム行進曲』を歌いましょう」とよびかけ、全員で大合唱となりました。ベトナム革命の精神が、若い世代に受け継がれていることを感じ、とてもうれしい思いでした。
小木曽 革命精神の「世代的継承」ですね。(笑い)
志位 そうですね。抗米救国戦争に勝利してから40年余がたち、若い世代には直接の記憶はないわけですが、革命精神の「世代的継承」は成功しているように感じました。
私自身、3回目のベトナム訪問となりましたが、回数を経るに従って相互理解と相互信頼の深まりを感じます。日本共産党への特別の信頼を強く感じました。また、ドイモイの事業に対する自信、ベトナムの国際的比重の高まりと役割への強い自信を感じました。そのもとで、両党が国際問題でのいっそう緊密な協力、両党関係の新たな発展について合意したことは、今後にとって画期的な意義をもつものとなったと思います。
統一地方選挙、参議院選挙での勝利に向けて
小木曽 さて、今年はいよいよ選挙の年です。統一地方選挙、参議院選挙という連続した選挙をどうたたかいますか。
志位 目前に迫っているのは統一地方選挙ですから、ここで躍進を勝ち取るということを前面にすえて奮闘しつつ、同時に「参院選は統一地方選が終わってから」という段階論に陥らないで、「比例を軸に」すえた参院選での躍進を一貫して追求していきます。参院選では、比例代表で「850万票、15%以上」を獲得し、7人以上を当選させ、選挙区では現有3議席を絶対に確保し、さらに増やす。こういう躍進にむけた取り組みを、統一地方選勝利と同時並行で追求していきたいと思います。
統一地方選挙についていいますと、躍進するのは容易ならざる課題です。前回、4年前の選挙は、21議席に躍進した2014年の総選挙の直後の選挙で、道府県議の選挙では80議席から111議席へ31議席増となりました。ですから、現有を守ること自体が、なかなかの大事業で、それにプラスをしたら大勝利となります。現有議席を絶対確保することを最優先にすえ、新たな議席増に攻勢的にかつ手堅く挑戦する。そういう構えでたたかいたいと思います。
前回の選挙では、すべての道府県議選で議席を獲得し、空白県議会をなくしました。これは史上初めての快挙でした。今回は、絶対に新たな空白をつくらないということも、とくに心がけたい。2回続けて空白ゼロとなりましたら、これも「史上初めて」(笑い)の大記録になりますから。
小木曽 ぜひ、そういう記録を打ち立てたいものですね。
志位 躍進するのは容易ならざる課題だとのべましたが、その条件は大いにあります。何よりも、安倍政治に対するもっとも痛烈な対決者として、いま共産党を伸ばしたいという期待を感じます。そして、市民と野党の共闘の推進者として、共産党を大きくしたいという期待も感じます。
地方政治においては、全国の自治体の多くは、依然として共産党をのぞく「オール与党」なんですね。そういうなかで、福祉と暮らしを守るうえでも、巨大開発の無駄遣いをやめるといううえでも、議会と自治体の民主的な運営でも、あらゆる問題で、日本共産党議員団は抜群の役割を果たしています。前回、空白を克服した七つの県に伺いますと、共産党の議席が生まれて県議会の雰囲気が一変したということが、どこでも語られていました。
そういう条件をすべて生かせば、躍進は可能です。
小木曽 参院選では市民と野党の共闘をぜひ実らせたいですね。
志位 その通りです。32の1人区での「野党候補の一本化」では野党の間で足並みがそろってきているわけですから、一刻も早く政党間でその具体化のための協議を始めることを、重ねて呼びかけたいと思います。「本気の共闘」を実現し、安倍政権を退場させる選挙にしていきたい。
同時に、「本気の共闘」を成功させるうえでも、統一地方選挙で共産党が勝利・躍進することが決定的に重要です。
「強く大きな党をつくりながら選挙に勝つ」ということを追求し、「前回参院選時比3割増」を目標に、党員を増やす、「しんぶん赤旗」読者を増やす、後援会員やJCPサポーターも増やす。そうやって党の新しい活力を強めながら、選挙を大いに楽しく、元気いっぱいたたかいたいと決意しています。頑張ります。
小木曽 「しんぶん赤旗」も連続選挙勝利、安倍政権打倒へ全力をつくします。今日はどうもありがとうございました。
2019年1月1日
“事実を知ってこそ理解しあえる”
「われらはここに、わが朝鮮が独立国であり朝鮮人が自由民であることを宣言する」―。日本の植民地だった1919年3月1日午後2時、この一文から始まる独立宣言文を読み上げる学生らの声が響き渡りました。京城(現ソウル)のタプコル公園から朝鮮全土に広がった三・一独立万歳運動は、日本による弾圧の下でも3カ月にわたり、およそ200万人が参加したといいます。100年という節目の年を前に、ゆかりの地を訪ねました。文・写真 栗原千鶴
契機となる在日留学生 2月8日 東京・神田
最初に向かったのは東京・神田。三・一独立万歳運動の一つの契機となった「2・8独立宣言書」が朗読された在日本東京朝鮮YMCA(現・在日本韓国YMCA)会館のあった場所です。
19年2月8日、日本の大学に留学していた朝鮮人学生らは同会館で開いた学友会で宣言書を読み上げ、「独立万歳」を叫びました。警察は集会を解散させ27人を逮捕。しかし宣言書はひそかに朝鮮へ持ち込まれ、朝鮮の運動家を大いに刺激しました。
「学生らしい独立へのまっすぐな思いがこもっている宣言書だった」。こう語るのは会館内の「2・8独立宣言記念資料室」の室長を務める田附和久(たづけかずひさ)さんです。資料室には宣言書(写真)や当時の背景がわかるパネルを展示。100年に向け、さらなる充実を目指しています。
宣言文を読み上げ行進 3月1日 タプコル公園
朝鮮半島では、運動の中心だった宗教家らが協議を重ね、宣言文を練り上げました。
3月1日、京城の泰和館(現・泰和ビル)で33人が宣言文に署名します。同じころ、すぐ近くのタプコル公園では学生たちが宣言文を読み上げ、民衆は「独立万歳」を叫びながら街頭を行進しました。同公園は現在、記念碑(写真)やレリーフが建立され、国内外の人が歴史を学びに訪れる場所となっています。
瞬く間に全国へ拡大 4月1日 柳寛順の生家
瞬く間に全国に広がった万歳運動。京城の梨花学堂(現・梨花女子大)に通っていた柳寛順(ユグァンスン)も、実家のある忠清南道天安郡(現・天安市)に戻り、4月1日の万歳運動で主導的役割を果たしました。
両親は射殺され、自身も検挙、投獄の末、17歳で獄死します。韓国では教科書に記載され、知らない人はいないといわれる人物です。
生家は天安市街からバスに揺られること1時間、柳寛順が万歳運動前日に決起の合図ののろしをあげた梅峰山のふもとに復元されました。市内に住むイ・イェジさん(26)と出会いました。日本のアニメが大好きだというイさんは「日本ともっと仲良くなりたい」と笑います。「でも歴史は変えられない。互いに知り合えば、いい関係を築けるはず」と語りました。
激しさ増す日本の弾圧 4月15日 堤岩里の共同墓地
万歳運動が広がる中、日本は鎮圧に憲兵隊や軍隊を投入、デモ隊への発砲など弾圧は激しさを増します。
京畿道水原郡郷南面(現・華城市郷南邑)の堤岩里では4月15日、日本の軍隊が15歳以上の男子を教会に閉じ込め、建物ごと焼き討ちにするという残虐行為が発生しました。その場所は遺跡地と指定され、記念館が建てられています。当時の軍隊の責任者が無罪となった裁判記録や華城地域の運動をまとめた年表などが展示されています。
焼き討ちにあった人々の遺体は、住民の証言から82年に発見され、この地に作られた共同墓地に埋葬されました。
壁一面に受刑記録票 20年 3月1日 西大門監獄
多数の運動家が逮捕された万歳運動ですが、正確な数字は分かっていません。当時、京城にあった朝鮮半島で最大規模の西大門監獄(現・西大門刑務所歴史館)には多くの人が送られてきました。柳寛順もその一人。万歳運動から1年となる20年3月1日、仲間とともに獄中から「独立万歳」を叫んだといいます。
現在はレンガ造りの獄舎2棟が原形のまま公開され、監房にも足を踏み入れることができます。強烈な印象を受けた展示は、顔写真や名前が記された受刑記録票が壁一面に張り巡らされた「追慕空間」です。
目を凝らしているとガイドを務めるク・ボンシクさん(68)に声をかけられました。「約5000人分あります。この歴史館は、日本の人を責めるための施設ではありません。事実を知ってほしいのです。そうしてこそ理解しあえる。ともに平和な北東アジアをつくっていきましょう」
取材を終えて
日本の植民地支配からの独立を求め朝鮮全土で沸き上がった三・一独立運動は、各地に、ゆかりの地、人々の歴史があります。今回訪ねたのは、その一部でしたが、どこでも「何があったのか、日本の人たちに伝えてほしい」と歓迎されました。「慰安婦」問題や徴用工問題など、日本が向き合うべき侵略戦争や植民地支配の傷痕は深い。100年を迎える今年、改めて見つめ直したいとの思いを強くしました。