変貌する経済/軍事化の足音

1/三菱重「艦艇に特化」進む

2/武器製造「誇り」と三菱

3/自社史料館、魚雷を自慢

4/戦争で「未曽有の好景気」

5/戦争特需で息吹き返す

6/「防衛」部門を独立・強化

7/武器輸出へ米の圧力

8/「軍需で発展」叫ぶ財界

9/民需圧迫し生活壊す

10/機密が生活の自由奪う

 

1/三菱重「艦艇に特化」進む

 戦争できる国づくりに突き進む安倍晋三政権のもとで、日本最大の武器メーカーである三菱重工業の動きが目立ちます。日本の軍需産業の動向を追いました。

 10月上旬、長崎市内の展望台から長崎港を見渡すと、ねずみ色のごつごつした船体がドックに入っていました。そこは三菱重工長崎造船所の立神工場。第2次世界大戦中に戦艦「武蔵」を建造した施設です。

軍需生産に傾倒
 カメラの望遠レンズを通すと、船尾に白い「あしがら」の文字が見えました。2008年に長崎造船所で完成したイージス・システム搭載護衛艦(イージス艦)です。定期点検のために来たのです。
 「軍事と関わりの深い長崎の象徴が、この光景です」。長崎造船所で船内の電気工事をしていた錦戸淑宏さん(70)は話します。かつての勤め先が「軍需生産に傾倒してきている」と心配します。
 三菱重工は神戸でも客船や貨物船などの商船を建造していましたが、12年に打ち切りました。神戸造船所を原子力発電プラントと潜水艦の建造・修理中心に切り替え、商船建造を下関造船所と長崎造船所に集約したのです。大型船に対応してきたのは長崎です。
 その長崎造船所でも軍需中心への衣替えが進みます。立神工場と香焼工場の2カ所で行ってきた商船建造から、立神工場は撤退。建造中の大型客船2隻目の「進水後、新造は艦艇に特化」し、「基本的に艦艇工場として運営する」(13年6月7日開催の会社・重工労組定例長船事業所生産委員会の報告)というのです。

経営戦略変わる
 設備の更新と機能の向上を進める計画も打ち出されています。長崎造船所の広報は「香焼は商船、立神は主に艦艇というすみ分けをする」と説明します。
 三菱重工は、戦中の「超弩級戦艦『武蔵』」の建造をいまも自画自賛しています。「進水の世界記録」「わが国建艦技術の最高水準を結集」(『長崎造船所150年史』)といった具合です。その三菱重工の経営戦略が「ここ数年でがらっと変わってきました」。長崎造船所で働く坂井剛史さん(仮名)の実感です。
 「主眼は世界を股にかけて売ること。私の所属する設計部門も国内向けと輸出向けにグループ分けされている。重視されているのはエネルギー、航空、宇宙、そして武器です」
安倍政権が4月に武器輸出三原則を撤廃すると、途端に軍事がらみの商談が動きだしました。安倍政権は地対空ミサイル「パトリオットPAC2」の目標追尾装置の部品を米国に輸出すると決定(7月)。オーストラリアのジョンストン国防相と江渡聡徳(えと・あきのり)防衛相は日本製「そうりゅう型潜水艦」の技術移転に向けた協議開始で合意しました(10月)。これに先立ち、オーストラリア政府が潜水艦購入の可能性を示唆したと現地の新聞は報じました。
 そうりゅう型潜水艦を建造しているのは三菱重工と川崎重工業だけ。PAC2の部品をつくるのも三菱重工です。
 5月12日、経団連は武器輸出に関するセミナーを開きました。企業、関係省庁、各国大使館などから約240人が参加しました。
 開会あいさつを述べたのは、三菱重工の大宮英明会長(経団連防衛生産委員会委員長)。「大きな政策の転換」を評価し、国際社会への「貢献」は「政府の具体的な施策と官民の協力にかかっている」とはっぱをかけました。
 憲法9条のもと、日本経済はまがりなりにも平和産業≠標ぼうしてきました。しかし安倍政権下で、経済軍事化の足音が高まっています。
 (連載は11回、2回目は11日付経済面に掲載の予定です)
 (この項は杉本恒如が担当します)

( 2014年11月07日,「赤旗」)

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2/武器製造「誇り」と三菱

 防衛省の2015年度予算の概算要求は過去最大の総額5兆545億円に膨らみました。イージス艦2隻の新造や軍事衛星の開発強化を盛り込んでいます。
 自衛隊がもつイージス艦は現在6隻。IHI(旧石川島播磨重工業)による1隻を除き、5隻が三菱重工業の長崎造船所で建造されました。衛星とロケットの姿勢制御装置をつくっているのも長崎造船所です。ミサイル垂直発射装置や魚雷も製造しています。

次つぎ軍需特化
 1950年代には「世界第一位の造船企業に君臨」(『長崎造船所150年史』)した三菱重工の造船所が、なぜ次つぎに生産を軍需に特化していくのでしょうか。造船業を研究してきた嘉悦大学の古賀義弘名誉教授は話します。
 「世界の造船業界の構造が様変わりした。その中での動きです」
 第2次世界大戦後、日本の造船業界は高度経済成長の波に乗って躍進しました。
 しかし80年代半ばから韓国が台頭。2000年代には中国が急成長します。日本のシェアは低下し、13年には世界の新造船建造量の7割を中国(37%)と韓国(35%)が占有するに至りました。
 日本の造船業界は2010年代に新たな対応に踏み出しました。企業合併、海外進出の強化、航空・宇宙・機械工業への移行。「並行して強まったのが、造船を含む総合重機メーカーの軍事への傾斜です」
 古賀さんは、代表的な企業が三菱重工だと指摘します。
 「三菱重工の造船部門は、高度の建造技術を要する『高付加価値船』と、イージス艦や潜水艦などの艦艇の建造に特化して生き残る方向をめざしています。特別に力を入れている宇宙部門は、IHIと並んで衛星打ち上げロケット分野で独占的地位を確立してきました。事実上の軍事スパイ衛星です」
 歴代政権に対して軍事費の拡大と武器輸出の解禁を声高に迫ってきたのが三菱重工です。07年、同社の西岡喬(たかし)会長(当時)は「日刊工業新聞」(3月5、19日付)で述べました。
 「日本は平和のために武器を輸出しないという方針であるが、世界の常識はこれとは正反対」。
 「国際化」による技術力発展の「障害となっているのが武器輸出三原則に代表されるわが国の輸出管理政策である」。これは武器を日米で共同開発するうえでの「足かせとなっており、日米同盟の趣旨に反している」。
 「必要な装備に対する予算はなんとしても確保いただくことが必要である」。「防衛は国家の根幹であり、これに携わる企業も真に誇らしい仕事」をしているのだから、「我々がむしろ積極的に問題提起していかなければならない」。

解禁を財界歓迎
 安倍政権が武器輸出を解禁した4月1日に、経団連の米倉弘昌会長(当時)は「大いに歓迎する」とコメントを発表。「防衛装備の移転(輸出)に係わる案件が決まることを期待したい」と表明しました。
 武器の輸出で利益をあげ、生産基盤や技術力を「発展」させることは、日本の軍需産業の宿願だったのです。
(
2014年11月11日,「赤旗」)

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3/自社史料館、魚雷を自慢

 三菱重工業の長崎造船所本工場(飽の浦町)の真ん中に、「原子爆弾の爆風にも耐えて」残ったという赤れんがの建物があります。
 かつては造船所の鋳物工場に併設された「木型場」でした。現在は三菱重工長崎造船所の史料館として公開されています。

「輝かしい偉業」
 入り口の外壁に、史料館の目的を彫り込んだ金属板が貼り付けられていました。
 「長崎造船所が日本の近代化に果たした役割と、先輩諸賢の輝かしい偉業を、永く後世に伝えんとするものである」
 史料館の内部には白黒写真や工作機械が並びます。その一角に、戦前建造の艦艇コーナー、戦艦武蔵コーナー、戦後建造の護衛艦コーナーがありました。
 建物の奥には「91式魚雷」の模造品が置かれています。全長5b47、重量850`cという大きさです。付属の説明書には「命中率及び破壊力ともに世界に冠たる性能を有していた」。
 三菱重工がたたえる長崎造船所の「輝かしい偉業」は、破壊と殺りくのための武器製造を含んでいるのです。
 第2次世界大戦中、長崎市北部にあった三菱重工の長崎兵器製作所が魚雷をつくっていました。航空機から投下する91式航空魚雷は真珠湾奇襲攻撃にも使われました。米海軍の主力戦艦アリゾナは二つに裂けて沈みました。
 1945年8月9日、その長崎市北部に米軍が原子爆弾を投下しました。爆心地に近い三菱重工の長崎兵器製作所と長崎製鋼所は「一瞬にして壊滅」(『三菱の百年』)しました。労働者3679人が死亡し、7819人が重軽傷を負いました。
 長崎造船所本工場も「動力源は全滅、工事はまったく麻痺」(『長崎造船所150年史』)しました。長崎市北部は廃虚となりました。
 アジア・太平洋地域の人びとに大惨害をもたらした日本の侵略戦争は、日本本土が焦土と化して終わりました。

「省みて恥じず」
 45年8月14日に日本が受諾したポツダム宣言の第11項は「再軍備を可能にするような産業は許されない」と記し、日本の武器生産を禁じました。
 日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)は、三菱、三井、住友、安田など侵略戦争を支えた財閥の「解体」を指令しました。三菱本社は46年10月に解散し、本社と被支配会社の役員が総退陣しました。三菱重工は50年1月に東日本重工業、中日本重工業、西日本重工業に3分割されました。
 しかし、日本を「反共の防壁」にするというアメリカの政策転換により、軍需産業は息を吹き返します。
 今日、三菱グループは侵略戦争に協力した歴史をつゆほども反省していません。その姿勢は、財閥解体に抵抗した三菱本社の岩崎小弥太社長(当時)の「考え方」を引用した『社史』が象徴しています。
 「三菱は創業以来、国家社会に対して積極的に寄与することを根本信条としている」。「戦争遂行に全力を挙げて協力したが、これは国策に従って国民のなすべき当然の義務を果たしたものである」(『続三菱重工業社史』)
 「省みてなんら恥ずるところはない」(『三菱の百年』)(つづく)
(
2014年11月12日,「赤旗」)

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4/戦争で「未曽有の好景気」

 三菱重工業の歴史をたどると、あまりにも深い戦争との関係が浮かび上がります。
 「三菱重工の創立日」(『長崎造船所150年史』)とされるのは1884年7月7日。徳川幕府が海軍創設のために設置し、明治政府が管理していた長崎造船所(当時は長崎造船局)を、三菱創業者の岩崎弥太郎社長が借りた日です。87年に払い下げを受けました。

2度の生産急増
 『150年史』によると、20世紀半ばまでに長崎造船所の生産高と人員が急増する時期が2度あります。1916〜18年と、33〜44年にかけてです。第1次世界大戦の期間、日本の中国侵略および第2次世界大戦の期間と符合します。(グラフ)
 『150年史』も認めています。14年に勃発した「第一次世界大戦は、我が国産業経済に未曽有(みぞう)の好景気をもたらし、大戦後も八八艦隊計画などで1921年まで繁忙が続いた」。八八艦隊計画では戦艦8隻、巡洋戦艦8隻を根幹とする艦隊を整備する予定でした。
 しかし繁栄は続きませんでした。20年、規約前文に「戦争に訴えざるの義務」を明記した国際連盟が成立。22年のワシントン海軍軍縮条約で八八艦隊計画は中止になりました。
 「(戦艦の)あいつぐ建造中止は当所に深刻な影響を与えた」。さらに29年、アメリカ・ウォール街に端を発した経済恐慌で「長崎の町は火の消えたような寂しさとなった」。
 平和が訪れるやいなや深刻な危機に陥った三菱重工を救ったのは、日本がしかけた侵略戦争でした。
 31年、「満州事変勃発を契機として、国内経済はようやく活気をとりもどし始めた」。日本政府は33年に国際連盟から脱退し、34年にワシントン海軍軍縮条約を破棄。軍艦の建造に熱中しました。35年には長崎造船所の「船台が満杯状態となり、また、舶用機械および陸用機械の需要も増加の一途をたどり、事業は繁忙を極めた」。
 37年に日本は中国への全面侵略を開始します。41年に対米英戦争に踏み切り、「太平洋戦争が始まると、輸送力の増強が重視され、船舶建造は重要産業の筆頭となり軍事生産が強行され、艦艇建造と同時に貨物船、油槽船の建造も急増した」。
 こうしてつくった戦艦や戦闘機を、戦後も三菱グループは誇ってはばかりません。
 「軍需生産部門では、三菱は重要な役割をはたした」。「零式艦上戦闘機は、きわめて高い性能をもっていたので、米軍よりゼロファイターとしておそれられた」。「世界最大の戦艦武蔵をはじめ、航空母艦5隻、駆逐艦5隻、海防艦41隻、潜水艦16隻など多数を建造した」(『三菱の百年』)

教訓何も学ばず
 しかし「不沈戦艦」と呼ばれた「武蔵」は44年10月、乗組員約2400人を乗せてフィリピン近海で撃沈されました。建造は極秘とされ、工事関係者は「機密を漏らしたなら会社または海軍から適当な処置をとられても異存はない」という趣旨の宣誓書に署名押印させられました。
 長崎造船所の元労働者で三菱重工の歴史を調べてきた大塚一敏さん(80)はいいます。「ときの権力者と軍需産業がひき起こした戦争は科学者や技術者を機密に包み込んで最新の科学・技術を『死の兵器』に利用しました。その結果は人道に反する文明の破壊と大量殺りくでした。戦前の教訓から何も学ぼうとしない三菱重工が今日も、軍需産業の強化を国策にせよ、と行動している。恐るべきことです」(つづく)
(
2014年11月13日,「赤旗」)

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5/戦争特需で息吹き返す

 三菱重工業が戦後、日本最大の軍需企業として復活する道を開いたのは米国でした。
 1945年9月、日本を占領していた連合国軍総司令部(GHQ)は一般命令第1号として軍需生産の停止を命じました。
 旧三菱重工は同年10月の臨時株主総会で定款を変更。会社の事業目的から艦艇、航空機、魚雷など武器関係を削除し、経営陣を一新しました。『社史』は当時を次のように振り返ります。
 「戦後への道は、平和産業への全面的転換以外にはあり得なかった」(『続三菱重工業社史』)。「航空機・発動機・戦車などの工場では、ナベ、カマなどの日用品から自転車、スクーター、トラックなどまでつくれるものはなんでもつくらざるをえなかった」(『三菱の百年』)

武器の生産命令
 ところが米国は、「平和産業への全面的転換」の道を早々に閉ざしてしまいました。
 中国革命の前進を受け、米国は日本をアジア戦略の拠点とする政策に転換します。
 50年に朝鮮戦争が始まると、GHQのマッカーサー最高司令官は吉田茂首相に書簡を送り、警察予備隊をつくらせました。「警察力を補う」と称されましたが、憲法9条に反する軍事組織でした。
 続いて52年、GHQは武器製造禁止措置を緩和するという覚書を日本政府に提示しました。実質的に武器の生産命令でした。
 50年に分割されていた旧三菱重工3社はすべて52年中に定款を改め、事業目的に武器の生産を加えました。旧財閥の商号・商標の使用禁止措置も解かれました。東日本重工業は三菱日本重工業へ、中日本重工業は新三菱重工業へ、西日本重工業は三菱造船へ、それぞれ社名を改めました。
 戦争責任者の公職追放も解除されました。A級戦犯容疑者として逮捕され、後に釈放された郷古潔三菱重工元社長は、53年に発足した日本兵器工業会(以前は兵器生産協力会、後の日本防衛装備工業会)の初代会長となりました。
 同会は、「国内唯一の兵器生産を担当する産業団体」として、「(朝鮮戦争の)特需によって創立され、いわば武器輸出によって成長した団体」(『日本兵器工業会三十年史』)です。

「願ってもない」
 三菱重工長崎造船所は、朝鮮戦争時の米軍からの特需の恩恵を次のように強調しています。「朝鮮動乱勃発により特需の増大、輸出の伸長とともに景気は好転し、当所の業績も向上に向かった」(『長崎造船所150年史』)
 日本兵器工業会も回想します。「この特需は、戦後苦難の道を歩んでいた日本の産業界にとって願ってもない救いとなった」
 52〜58年に「総額520億円が発注」され、「発注量の98%は鉄砲弾で、残りが迫撃砲、無反動砲、ロケット弾発射機などの小火器類」(『三十年史』)だったといいます。
 64年6月には、旧三菱重工3社の「宿願」だった合併が実現。「新生三菱重工業」が発足しました。
 三菱重工の戦後の再出発も、戦争する米国への武器輸出によって血塗られた歩みとなったのでした。
(
2014年11月14日,「赤旗」)

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6/「防衛」部門を独立・強化

 三菱重工業は現在、防衛省による武器などの購入額(防衛調達額)のランキングで多年にわたり1位の座を占めています。2013年度の防衛調達額に占める同社の割合は24・9%に達します。
 中国を除く世界の軍事企業(軍事部門)の売上高ランキングでは、武器輸出国の企業がひしめく中で29位に食い込んでいます(12年、ストックホルム国際平和研究所調べ)。日本企業ではNEC(45位)、川崎重工業(51位)、三菱電機(55位)、DSN(56位)、IHI(76位)が100位以内に入っています。
 三菱重工の主な造船所や製作所は国内に13カ所ありますが、そのうち8カ所までもが「防衛・宇宙」分野に関係しています。つくっているのは戦車、護衛艦、潜水艦、戦闘機、ミサイル、ロケット、魚雷などです。

どんな武器でも
 三菱重工長崎造船所で自衛艦の修理に携わったこともある錦戸淑宏さん(70)によれば、「核兵器も含めて、つくろうと思えばどんな武器でもつくれるのが三菱重工です」。
 三菱重工は13年に大規模な組織再編を始動させ、14年4月に「ドメイン(分野)制」に完全移行しました。それまでの9事業本部制をやめ、「顧客・市場を重視した4ドメイン」に集約しました。
 防衛事業と宇宙事業は統合され、「防衛・宇宙ドメイン」となりました。「『防衛』部門を独立させて強化し、軍需の拡大を推し進める体制です」と嘉悦大学の古賀義弘名誉教授は指摘します。
 「本社が全体を統括するのが、事業部制でした。ドメイン制では、社長の権限と責任を一部委譲された各ドメインCEO(ドメイン長)が、事業推進権をもって利益を追求します」
 三菱重工の「2012事業計画」は、ドメイン制導入と「グローバル展開」で売上高を2・9兆円(10〜11年)から5兆円に増やす目標を定めました。

宇宙事業拡大へ
 防衛・宇宙ドメインでは売上高を0・4兆円から0・5兆円に増やす計画です。「(11年に民主党政権が行った)武器輸出三原則緩和への対応」を柱の一つにあげました。さらに、安倍政権による武器輸出三原則の撤廃を受けた次期中期計画(15年以降)では、「追加施策」として「防衛宇宙事業の強化」を検討すると表明しています。
 今年1月28日、三菱重工と三菱重工労組の中央経営協議会が防衛・宇宙ドメインの基本方針を確認しました。強調したのは、「陸海空の統合運用に対応した統合防衛事業を拡大」すること。そして「対官調整を一元化し輸出案件を掘り起こし、積極推進」することです。
 13年度の三菱重工の売上高をドメイン別にみると、宇宙・防衛ドメインは14%を占めるにすぎません。
 しかしこれは国内と海外を合わせた数字です。国内だけに限れば、同ドメインが占める売上高は27%に跳ね上がります。国内での売り上げの4分の1以上を軍事関連で稼いでいる形です。
 同ドメインの海外での売り上げは13年度、ゼロでした。「今後、武器の輸出が拡大していけば、軍需生産の占める割合が増し、日本の産業構造が変化しかねない」と古賀さんは危ぐします。
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2014年11月15日,「赤旗」)

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7/武器輸出へ米の圧力

 日本の財界は戦後、たびたび武器輸出に言及してきました。
 朝鮮戦争の特需終了の「打撃は、当然とはいえ大きかった」ため、東南アジアへの武器輸出をもくろみました。しかし「実績は厳しいもの」でした。政府が紛争当事国など3地域への武器輸出を禁じた「三原則」を67年に定めると、財界は「政府の方針に従う」(『日本兵器工業会三十年史』)と表明しました。
 ベトナム戦争を経て平和を求める世論は高まります。政府は76年、3地域以外への輸出も「慎む」という「統一見解」を表明し、事実上の武器輸出全面禁止を原則としました。

解禁求め発言
 逆流は直後に表面化しました。73年のオイルショック(石油価格高騰)に端を発した不況が長期化すると、あからさまに武器輸出の解禁を求める発言が続出したのです。
 77年10月には川崎重工の砂野仁元会長が主張しました。「他の先進国ではどこでも武器の輸出をやっているのに、なぜ日本だけ遠慮しなければならないのか」。自民党の政治献金受け入れ機関だった国民政治協会の理事会で、自民党首脳に対して述べたものでした。
 同年11月には経団連の稲山嘉寛副会長(新日本製鉄会長=当時)の記者会見での発言が物議をかもしました。「日本経済の発展のうえで朝鮮戦争、ベトナム戦争で需要が伸びたことの影響は大きかった」。「どこかで戦争でもないと、不況脱出はむずかしい」
 81年には「堀田ハガネ事件」が発覚し、一大騒動となりました。大阪の商社「堀田ハガネ」が通産省の承認を得ずに半製品の火砲砲身を韓国に輸出していたのです。事件を受け、衆参両院は武器輸出への「厳正かつ慎重な」対処を求める決議を可決しました。
 しかし武器輸出三原則は、米国の要求で空洞化させられていきます。突破口となる事件は82年に起こりました。日本電気(NEC)が米国防総省に対して大量の光通信機器を軍事用に納入していたことが発覚したのです。
 暴露したのは同業の富士通でした。富士通は、米国で行われた光通信網整備の公開入札に最低価格で応札しながら、逆転敗退しました。米国防総省が国防上の理由を挙げて横やりを入れたのに対し、富士通は軍事用に光通信機器を納入した日本電気の前例を示して反論したのです。
 結果として米国側は「入札をえさに富士通の技術情報をただ取りした」と評されました。
 武器輸出を禁じている日本では、どたばた劇が演じられました。日本電気が通信機器納入は「事実無根」と声明を発表し、富士通が謝罪会見を開いた後に、米国防総省が日本電気から「純粋に軍事用」に機器を購入したと認めたのです。
 ハイテク通信技術の軍事化に詳しい大東文化大学の井上照幸教授は語ります。「このいきさつが示すのは、日本の情報通信業界が不況脱出のためにいかに対米輸出に力を入れたか、そして米国がいかに日本の技術をほしがっていたか、です」

大山鳴動して
 事件の結末は、汎用(はんよう)的な民生品の輸出は軍用に供されても問題ないとの立場を通産省が示したことでした。次いで83年、訪米を控えた中曽根康弘首相(当時)は「米国の要請に応じ」て「米国に武器技術を供与する途(みち)を開く」と決めました。
 井上さんはいいます。「大山鳴動して凶暴なねずみが出てきた。高水準の日本の民生品と技術は米国に輸出され、軍事に使われることになりました」(つづく)
(
2014年11月19日,「赤旗」)

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8/「軍需で発展」叫ぶ財界

 日本が米国の世界戦略に深く組み込まれるにつれ、日本の財界の要求は露骨さを増します。
 1994年、米国が進める「ミサイル防衛」の日米共同研究が立ち上がりました。ミサイル防衛は、他国が発射した弾道ミサイルを迎撃ミサイルなどで撃ち落とすシステム。報復の心配なく先制攻撃できるようにし、米国の絶対的な優位を確立するのが狙いです。
 日本企業が米国との共同開発に進む場合、技術の供与にとどまらず、部品の輸出が必要になることから、武器輸出三原則が「障害」とみなされました。
 経団連は95年以降、米国との「共同研究開発・生産を円滑に実施」するためとして、「輸出管理政策の見直し」を求め続けました。2004年の「提言」は、「世界の装備・技術開発の動向から取り残され」つつあるなどと、武器輸出三原則を攻撃しました。
 その04年12月、小泉純一郎内閣(当時)は、武器輸出三原則の緩和を決めます。ミサイル防衛に関連する部品輸出は禁輸の例外としたのです。05年12月には、日米共同開発への移行を閣議決定しました。

最大の受益者
 迎撃ミサイルSM3の共同開発をとりまとめたのは、三菱重工業と米社レイセオンでした。ミサイル防衛には、他国を監視する軍事偵察衛星と、衛星を打ち上げるロケットが必要で、イージス艦からの迎撃ミサイル発射も想定されています。三菱重工は、これらすべての生産に関わっており、ミサイル防衛推進による日本側の「最大の受益者」といわれます。
 日米の軍需産業や関係省庁が集まる日米安全保障戦略会議で、三菱重工の西岡喬会長(経団連防衛生産委員会委員長=当時)は力説しました。

欧米を手本に
 「(日米による武器共同開発の)実績を積み重ねることで自動車や家電製品のように国際マーケットでの評価を高めることができ、さらなる技術力の向上や生産基盤の維持につながる」「日米両政府の積極的なご協力により日米同盟の堅固さを高め、日米防衛装備を次の段階へ進化させ、わが国防衛産業の競争力強化にもつなげたい」(06年8月)
 「日米同盟」を前面に押し出すことで、自社の利益を確保した格好です。05年11月の同会議で西岡氏は、「新戦闘機や無人機、テロ生物化学兵器対処など」の「共同生産を進める提案を今後行っていく」とも発言。武器輸出三原則のさらなる緩和を求めました。
 09年からは経団連の「提言」に新たな観点が加わります。「民生部門の業績の急激な悪化により、これまでのような民生部門の技術やリソースの活用による防衛事業の運営は困難」になったと主張。「武器輸出三原則等の見直し」を正面から求め、「防衛産業の振興を通じた経済発展」まで提起したのです。
 11年、民主党政権が武器輸出三原則をいっそう緩め、国際共同開発・生産に伴う武器輸出は可能としました。ただし、共同生産国から第三国への輸出は日本の事前同意を条件としたため、「米国から相手にされない」との不満がくすぶりました。
 13年の経団連「提言」は、「海外展開を積極的に進め」る欧米を手本として「グローバル化を進め、防衛生産・技術基盤の維持につなげていく」よう要求。「国内産業の発展や雇用の創出につながる」と強調しました。
 日本の財界は、軍需拡大による「発展」という戦前型経済≠ヨの逆戻りを公然と唱えるまでに至ったのです。
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2014年11月20日,「赤旗」)

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9/民需圧迫し生活壊す

 安倍政権は4月1日、武器輸出三原則を撤廃して武器「移転」三原則を定めました。武器輸出の容認へ原則を百八十度転換しました。
 新原則は「安全保障面で協力関係がある国」との共同開発に伴う武器輸出を認めました。輸出先の国が日本の同意なしに武器を他国へ輸出することも、製品開発元に部品を納入する場合など6例をあげて容認しました。
 三菱重工業が生産する地対空ミサイル「パトリオットPAC2」の部品は、米国で組み立てられ他国へ輸出されることになりました。部品生産を終了していた製品開発元の米企業レイセオン社の要請にもとづくものです。
 三菱重工は米国を中心に共同開発されている最新鋭戦闘機F35の最終組み立てラインも整備中。三菱電機とIHIは部品を製造・輸出する計画です。新原則は、日本製部品を使って米国が組み立てたF35をイスラエルなどに輸出することも黙認する内容です。
 共同開発と関係がない武器についても輸出を認めます。「安全保障面で協力関係がある国」に対し、輸送や掃海に関わる武器を輸出する場合などです。

マッチポンプ
 安倍政権はイギリスと武器共同開発に関する協定を締結し、共同研究を開始。フランスとも武器輸出に関する協定締結に向けて交渉を始めました。オーストラリアとは武器輸出協定に実質合意し、三菱重工と川崎重工業が建造する潜水艦の技術移転に向けた協議開始でも合意しています。
 軍事に詳しい長崎大学の冨塚明准教授は警鐘を鳴らします。「イラクやシリアで残虐行為を繰り返すイスラム過激組織『イスラム国』が大量の武器を持つ背景には、世界の武器輸出があります。武器輸出国は紛争を助長し、火消しと称して武力を行使する。まさにマッチポンプです。日本もそういう国の仲間入りをすることになる」
 武器の輸出は防衛省予算の枠を超えた武器の生産を意味し、軍需産業の肥大化を招くといいます。「米国では軍需産業が政治に口出しし、無視できない力を持つ。同様の事態になりかねません」
 嘉悦大学の古賀義弘名誉教授も指摘します。「軍需生産は民需を圧迫し、経済を病気にする危険な道です」
 戦前の日本では軍需生産の拡大が資源と労働力を浪費し、生活物資を欠乏させました。猛烈な物価上昇と増税で国民生活は破滅しました。「利益をあげるのは一握りの『死の商人』だけ。国内外の人びとの生活を壊すのが軍需生産です。しかも戦時のブームが去ると一転して危機に陥る。不健全な経済になります」

平和こそ前提
 財界内部の矛盾もあらわになっています。防衛省の「防衛生産・技術基盤戦略」(6月)は、「企業の経営トップ」に「防衛事業の重要性・意義を適切に認識」させる「環境整備」を打ち出しました。企業が「死の商人的なイメージが防衛産業を含む産業界全体についてしまうのを嫌がる」(森本敏編著『武器輸出三原則はどうして見直されたのか』)ためです。
 中央大学の今宮謙二名誉教授はいいます。
 「国民生活が豊かになる健全な経済発展の前提は平和です。戦後の日本が『経済大国』となった理由の一つは憲法9条の存在です」
 他方、憲法9条と25条(生存権)を踏みにじる政治によって、「軍事大国・生活小国」化が進んできました。
 「世界に平和の流れが広がる21世紀は、戦争のない自由で平等な関係のもとで、各国民の生活向上を通じた経済発展が可能になる時代です。導きとなるのは日本国憲法です」
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2014年11月21日,「赤旗」)

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10/機密が生活の自由奪う

 海外旅行で「自分の身分を明かさない」。
 第三者の前で「仕事の話はしない」―。
 軍事機密保護のための「生活上の留意事項」などが書かれた「取扱注意」の資料を本紙は入手しました。

米国との関係
 表紙には「三菱重工業株式会社横浜製作所」の「保全教育資料」と書かれています。日付は「平成15(2003)年11月」。社員や関連社員への「秘密保全教育」を行う目的で作成されていました。
 武器に関する技術や性能、構造、使用方法などの情報は厳格に秘密とされます。それを取り扱う労働者らは日常生活上の自由まで束縛され、漏えいすれば重罰を科されます。
 憲法で保障されている基本的人権が、米国従属下の軍需生産では守られません。日米安保条約が国民の諸権利の上に置かれるのです。資料には、そうした秘密保護の実態が赤裸々に書かれています。
 「資料作成の主旨」にはこうあります。
 「当社では、艦艇、航空機、ミサイル」などの生産・修理を行っており、「秘密として扱われる図面や機器がある」。このため「秘密を守ることが義務づけられている」。秘密が漏えいすると会社は信用を失い、「場合によっては米国との関係においても重大な影響を及ぼす」。「秘密を守る堅い意志」と「正しい知識」が必要である―。
 資料によれば、「防衛」関係の秘密には2種類あります。「日本(防衛庁=当時)独自の秘密」と「米国政府から供与された秘密」です。前者は「秘密」「防衛秘密」、後者は「特別防衛秘密」「特定特別防衛秘密」と呼ばれます。漏えいは「アメリカ合衆国の不利益」になると重ねて強調しています。
 日本独自の「防衛秘密」に関する罰則は「5年以下の懲役」。自衛隊法によって契約業者の社員も罰せられます。

国民にも重罰
 米国から供与された「特別防衛秘密」に関する罰則は官民を問わず「10年以下の懲役」。「日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法」に基づくものです。
 米国、中国、韓国などでは軍事機密漏えいの「最高刑が『死刑』」だと付記しています。
 秘密情報が処理される施設は「立入禁止区域」に設定され、関係者しか入れません。関係者は秘密の種類に応じて「記章」を着用します。火災などの災害時に消防署員や警察官を立ち入らせる場合には「防衛庁の許可を得る」必要があります。
 しかし米国は、こうした「秘密保全体制」でも「不備」だと主張しました。三菱重工やIHIが加盟する日本機械工業連合会が「秘密保護関連法の充実」を求めたのもこのためです。
 「米国国防省は日本との防衛装備の共同開発生産における障害は『武器輸出三原則』と『秘密保護体制の不備』であると認識している」。「日本政府が政府全体の情報保全政策を持ち実施することが必要である」。「これらの体制が整えば」米国だけでなく諸外国との武器の「共同開発・生産も円滑に実施できる環境が整う」(11年3月「産業のグローバル化が我が国の防衛機器産業に及ぼす影響の調査研究報告書」)。
 安倍政権による武器輸出解禁と秘密保護法の強行成立が一体だったことを示します。
 秘密を知ろうとするメディアや一般国民にまで重罰を科す秘密保護法。その背後には、武器の共同生産を求める米国と、海外市場拡大を急ぐ日本の財界の存在があるのです。
 9条を柱とする憲法体系と、米国に従って海外で戦争する安保体系との激突は、激しさを増しています。
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2014年11月22日,「赤旗」)

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