そもそも!?集団的自衛権とは 何か?

      

1、国民の命を守る」というが/海外で米国の戦争に参加

2、「必要最小限度」って?

3、立憲主義に反する

4、イラクに行かない?

5、「限定」どころか

6、戦争「抑止」は誤り

7、近隣が気になるが…

8、「駆け付け警護」

「戦闘地域」って?

 

 

1、「国民の命を守る」というが/海外で米国の戦争に参加

 安倍首相は、「国民の命と暮らしを守る」ために、「集団的自衛権を行使できない」という憲法解釈を変えようと訴えています。

 「集団的自衛権」は「自衛」と名がつくから、私たちを守ってくれるものだと思うかもしれませんが、そうではありません。

 日本政府は「自分の国が攻撃されていなくても、密接な関係にある他国が攻撃されたときに武力で反撃する権利」だと説明しています。つまり、集団的自衛権とは他国の戦争に加わる権利なのです。

 日本を守る自衛権は「個別的自衛権」というもので、集団的自衛権とは国際法上も区別されています。

 「集団的自衛」というのだから、共通の敵から自分の国を守るために、みんなで助け合う権利ではないのか、という考えもあります。しかし、これも間違っています。

 国連加盟国が集団的自衛権を行使すれば、国連に報告することになっています。報告された主な事例(表)を見ると、米国や旧ソ連といった強大な軍事力を持った大国が、ベトナムやアフガニスタンなど小さな国に攻め入っている事例がほとんどです。どう見ても侵略戦争です。

 これがどうして「自衛」なのか? 米ソは、狙った国の中に操り人形のような勢力(かいらい)をつくり、その勢力が「助けてくれ」といったから、助けにいったのだという建前にしているのです。

 ただ、どこか後ろめたいのでしょう。米国は単独では攻め込まず、仲間(同盟国)を動員して「連合軍」を作ります。安倍首相が「集団的自衛権を行使できない」という憲法解釈を変えたいのは、米国の同盟国で日本だけが「連合軍」に加わることができないのは、肩身が狭いと思っているからです。

 実際、首相は、米国が英国などを動員してイラクとアフガニスタンで戦争をやっていた2005年、「海外での紛争に米国と肩を並べて武力行使する」ようにするため、「憲法解釈に関する障害を取り除いていく」と述べました。

 自衛隊が米軍とともに敵を殺し、自分たちも殺される―。そんな日本にすることが、真の狙いなのです。

 

( 2014年05月23日,「赤旗」)(TOP

 

2、「必要最小限度」って?

 日本政府は集団的自衛権について、「自衛のための必要最小限度を超える」ので、「憲法上、行使できない」と言っています。安倍首相らは、「それなら、必要最小限度の中に含まれる集団的自衛権もあるのではないか」と難癖をつけています。何だか分かりにくい話ですが、どういう意味なのでしょうか。

 

■論の始まり

 まず、憲法についてみてみましょう。日本国憲法9条は、「国権の発動たる戦争」や「武力の威嚇や武力行使」をしてはいけない(1項)、「陸海空その他の戦力を保持しない」(2項)と決めています。

 この9条を素直に読めば、自衛隊は憲法違反の存在となります。これに対して政府は、国家は自分たちを守る「自衛権」を持っているのだから、「自衛のための必要最小限度」の実力=自衛隊を持つことは憲法上、否定されないという解釈を示しました。これが「必要最小限度」論の始まりです。

 ただ、ここには肝心な点があります。政府は自衛隊ができた1954年、むやみやたらに軍事力を使ってはいけないということで、「自衛権発動の3要件」を決めました(表)。この中でいちばん重要なのは、「日本に対する武力攻撃(急迫不正の侵害)」があったかどうかです。

 

■根本的違い

 では、集団的自衛権とは何か。連載第1回で述べたように、日本が攻撃されていなくても、海外での他国の戦争に参加することです。「日本への武力攻撃」と根本的に違いますね。だから政府は、集団的自衛権の行使は、「自衛のための必要最小限度を超える」と言ってきたのです。

 卑近な例を出すと、サラリーマンが妻から「勤務のための必要最小限度」の出費として昼食代を渡されているとします。安倍首相らの議論は、パチンコ代も「必要最小限度に含まれる場合がある」として、昼食代の一部として無心しているようなものです。

 

( 2014年05月24日,「赤旗」)(TOP

 

3、立憲主義に反する

 安倍政権は、政府が「憲法上、許されない」としてきた集団的自衛権の行使を、憲法解釈を変えることで可能にしようとしています。そのやり方について、「立憲主義に反する」といった批判が出ています。

 

■先行の方針

 立憲主義とは、「憲法が国家権力を縛り、その乱用を防ぐ」という考え方です。憲法には、国民の自由や権利を守るため、国がやるべきこと、やってはいけないことが書いてあります。

 安倍晋三首相らは、まず憲法9条を改定しようと考えていました。しかし、憲法改定には最終的に、国民過半数の賛成が必要です。首相は、国民の多数が9条改定に反対していることから、憲法の解釈変更を先行する方針に変えたのです。

 首相は「私が最高責任者だ」と述べ、内閣の意思決定である「閣議決定」で解釈変更を行う考えを示しました。国会に諮るのは、その後だといいます。

 「立憲主義に反する」とは、こうした手法への批判です。こうしたやり方を許せば、国民が政府を縛る憲法の内容を、国民の意思とは無関係に、政府の一存でいくらでも変えることができるようになるからです。

 首相は、閣議決定のたたき台として、解釈改憲派が顔をそろえた、結論ありきの私的諮問機関「安保法制懇」の報告書(15日提出)を重要な根拠にしています。何の法的根拠もない機関の報告書をタテに解釈変更をするのは、「改憲クーデター」といえる手法です。

 「時代が変わったから、憲法の解釈を変えてもいいじゃないか」との声も聞かれます。

 

■意図的変更

 一般論として、憲法の解釈の変更はありえないことではありません。ただ、政府は2004年6月18日付の閣議決定で、政府の憲法解釈は「論理的な追求の結果として示されてきたもの」と指摘。「便宜的、意図的に変更すれば、政府の憲法解釈や憲法規範そのものに対する国民の信頼が損なわれかねない」と述べています。

 安倍首相のたくらみは、この便宜的、意図的な変更そのものです。

 

( 2014年05月25日,「赤旗」)(TOP

 

4、イラクに行かない?

 安倍首相は15日の記者会見で、集団的自衛権の行使を「研究」する一方、「湾岸戦争やイラク戦争にはいかない」といいました。でも、「なんだ、自衛隊は多国籍軍には参加しないのね。安心した」と考えるのは早合点です。

 そもそも首相は本気でそう思っているのか疑問です。自民党の石破茂幹事長は、17日のテレビ番組で、湾岸戦争やイラク戦争のような戦争に「日本だけが参加しないというのは、やがて国民の意識が変わるときに、また(政府対応が)変わるかもしれない」と語りました。

 

■行使が本音

 国民の批判が強い今はともかく、将来は多国籍軍に参加できるようにしたい=B石破さんは、安倍政権の本音を語っているのでしょう。

 加えて首相の記者会見で注目すべきは、米国のアフガニスタン報復戦争には一言も触れていない点です。

 この戦争は、米国が「テロとのたたかい」を口実にアフガニスタンを攻撃し、集団的自衛権の行使を理由に、英国などの北大西洋条約機構(NATO)諸国が参戦した戦争でした。典型的な集団的自衛権行使の例です。

 

■米国の要求

 湾岸戦争やイラク戦争≠フような戦争も安心できません。

 日本は米国の要求に基づいてインド洋やイラクに海外派兵を繰り返してきましたが、派兵法で武力行使をしてはならないという「歯止め」がかかっていました。自衛隊の活動も「後方地域支援」での活動にとどまってきたのです。多国籍軍参加も、他国の武力行使に参加する(武力行使との一体化)ことだから、だめですよ、という立場でした。

 集団的自衛権の行使は、他国の戦争に参加することであり、「海外での武力行使」そのものです。従って、これを認めてしまえば、「海外で武力行使をしてはならない」といった「歯止め」がなくなり、多国籍軍への参加も時の政権の判断で可能になってしまいます。

 

( 2014年05月26日,「赤旗」)(TOP

5、「限定」どころか

 安倍首相は、「わが国の安全に重大な影響を及ぼす可能性があるとき、限定的に集団的自衛権を行使することは許される」としきりにいっています。「〜のとき」「〜の場合」と、行使するときの基準を付けるから集団的自衛権行使は「限定」されるので安心をというわけです。

 

■政府判断で

 そもそも、だれがどのように「限定」するのでしょうか。安保法制懇(首相の懇談会)の報告書は、「政府が総合的に勘案しつつ責任をもって判断する」といっています。結局、時の政府の判断次第というわけです。

 では、その判断の基準とは何でしょうか。

 報告書は、「日米同盟の信頼が傷つくかどうか」、ということをあげています。集団的自衛権を行使しなければ日米同盟が傷つく≠ニ政府が判断すれば、行使に踏み切るというのです。

 「日米同盟」といえば、政府が10年前にイラクへ自衛隊を派兵したときもそれが理由でした。今後も、米国が強く要求すれば、自民党政府が「日米同盟」を理由に米国の戦争に参加することは想像に難くありません。現にこれまで米国の軍事行動に反対したことはありません。

 報告書はわざわざ、集団的自衛権を行使する自衛隊の活動について「憲法解釈上、地理的な限定を設けることは適切でない」と明記しています。政府の判断で地球のどこへでも自衛隊を派遣できるという主張です。

 「風が吹けば桶屋がもうかる」式の発想で、「地球の裏側」で起こったできごとも「わが国の安全に重大な影響を及ぼす」ということになりかねません。

 

■中東も想定

 実際、今度、政府が与党に示す事例には中東・ペルシャ湾への自衛隊派兵があります。ペルシャ湾などでの機雷・除去や商業船襲撃への反撃という戦闘行為を想定しています。

 自衛隊はいまアフリカのジブチに海外基地を設けています。いまの任務はジブチ周辺の海賊対策。中東・アフリカ地域で集団的自衛権を行使するとき、この基地を活用するという予想もあります。

 

( 2014年05月27日, 「赤旗」)(TOP

 

6、戦争「抑止」は誤り

 集団的自衛権を行使すれば、抑止力≠ェ働いて、かえって戦争は抑えられるという考えがあります。

 たとえば15日の会見で、「安保改正で、むしろ日本の抑止力は高まった。米軍の存在で平和がより確固たるものになるというのは、日本人の常識だ」と述べています。

 

■他国を脅す

 「抑止力」とは、何だかよく分からない言葉ですが、これまでは、圧倒的な軍事力=在日米軍が周辺国を脅し、攻撃を思いとどまらせる、という意味で使われてきました。日本も集団的自衛権を行使できるようになれば、周辺の国も恐れて戦争をしかけなくなるという立場です。

 しかし、実態はどうでしょうか。在日米軍は単なる脅しではなく、ベトナム戦争やイラク・アフガニスタンでの「対テロ」戦争など、アジアや中東へ出撃し、多くの罪のない人々を殺してきました。

 米政府高官からは、「米国は日本の直接防衛に関する通常兵力は、日本に持っていない」といった発言が相次いでいます。実際、主力部隊の空母や海兵隊は、1年の半分は海外に展開しています。在日米軍は「抑止力」どころか、「侵略力」です。

 

■懸念は当然

 日本がこれまでに集団的自衛権を使えていれば、どうなっていたでしょうか。

 例えば、米国が集団的自衛権を行使して参戦したベトナム戦争では、自衛隊もいっしょに参戦させられていたかもしれません。お隣の韓国はのべ31万人が参戦し、5千人近い死者を出しています。

 多くの人々が、集団的自衛権の行使で「戦争に巻き込まれる」という懸念を持つのは当然のことです。

 日本が曲がりなりにも平和≠セったのは、米軍の「抑止力」があったからではありません。集団的自衛権を行使せず、米軍といっしょに海外で戦争をしない、という憲法の歯止めがあったからです。憲法の平和主義のおかげで、日本はほとんどの国と敵対的な関係をつくらずにすんだ、ということが真相です。

 

( 2014年05月28日,「赤旗」)(TOP

 

7、近隣が気になるが…

 「中国や北朝鮮が怖い」。安倍政権は、そんな国民感情につけこんで「だから集団的自衛権の行使が必要なのだ」という雰囲気づくりをしています。ちょっと冷静に考えれば、これは何の根拠もありません。

 

■中国の侵犯

 尖閣諸島での中国公船による日本の領海侵犯や、中国機の領空侵犯が連日、報じられています。でも、これらはそもそも、武力攻撃ではありません。海上保安庁などの警備活動で対応すべきですし、日中間の話し合いで解決すべき問題です。

 この連載で繰り返し述べているように、集団的自衛権とは「日本防衛」のことではなく、密接な関係にある他国が始めた武力行使に日本が参加する権利のことです。この条件を満たすのは、「中国が米国を武力攻撃し、米国が日本に救援を要請」した場合です。ただ、こんな事例はまずありえません。

 米中はお互いに警戒しつつ、建設的な「新しい大国間関係」を望んでいます。軍当局同士の「ホットライン」も開設しており、軍事衝突を避けるための対話を続けています。

 逆に、米国内には、日中間の争いに巻き込まれることへの懸念から、日本の集団的自衛権行使容認に慎重な意見もあります。

 

■北朝鮮の核

 集団的自衛権行使などを協議している与党会合に政府が示した15事例中、7事例は北朝鮮の動向を想定したものです。北朝鮮が韓国に攻め込む「朝鮮半島有事」や、弾道ミサイルによる米本土への攻撃などです。

 ただ、これらの事態は、北朝鮮の軍事的・経済的な状況から見てほとんど不可能であることは、専門家の一致した見方です。

 北朝鮮の核・ミサイル開発や拉致問題などは、6カ国協議など外交交渉で解決することで関係国が一致しています。

 人口が多く、経済活動も活発な北東アジアで紛争になれば、世界に与える影響は計り知れません。日本は憲法解釈を変えて軍事での脅しをかけるより、憲法の平和主義にのっとって外交交渉をリードしていくべきです。

 

( 2014年05月30日,「赤旗」)(TOP

 

8、「駆け付け警護」

 「海外で戦争する国」づくりを進める安倍政権は、集団的自衛権行使のほかにもさまざまな検討を行っています。その一つが「駆け付け警護」です。これはどういうものでしょうか。

 

■歯止め

 国連平和維持活動(PKO)や多国籍軍に参加する自衛隊が、他国の部隊やPKOの文民要員、非政府組織(NGO)の人々が襲われたときに、駆け付けて武器を使って助けることとされています。与党協議でも議題の一つになっています。

 自衛隊は1992年のカンボジアPKO以来、海外派兵を進めてきましたが、武器の使用は自己防衛に限られてきました。ここで言う「駆け付け警護」のような活動は、現行のPKO法では認められていません。「海外で武力行使をしない」という憲法上の歯止め≠ェあるためです。この歯止め≠はずしたら、武力行使ができるようになり本格的な戦闘となります。

 実際、この問題が大きく取り上げられたのは、自民党の佐藤正久参院議員(元陸上自衛隊イラク復興業務支援隊長)が2007年、イラクで自衛隊が活動する近くのオランダ軍が攻撃された場合、「駆け付け警護を行う考えだった」とテレビ番組で発言したことがきっかけでした。米軍主導の多国籍軍に参加して、公然と武力行使できるようにすることが、もともとの狙いです。

 

■「自己完結」

 政府はPKOの事例を持ち出して、「自衛隊といっしょに平和構築で汗を流す仲間を助けなくていいのか」などと言いますが、PKOでの「駆け付け警護」自体、現実的には想定されません。政府の事例説明は、他国部隊が「救援を要請」した場合としていますが、各国部隊は自分の身は自分で守るという「自己完結」が前提です。多くの場合は担当区域が分かれており、他国の部隊が近くにいること自体そうありません。

 NGO関係者からは「自衛隊に助けられる方が中立性が失われて危ない」との声も聞かれます。

 

( 2014年05月31日,「赤旗」)(TOP

9、「戦闘地域」って?

 安倍晋三首相の記者会見(5月15日)を受けて、国会で集団的自衛権に関する質疑が本格化してきました。

 日本共産党の志位和夫委員長は5月28日の衆院予算委員会で、集団的自衛権を行使すれば@海外で武力行使しないA「戦闘地域」にいかない―という憲法上の二つの歯止め≠ェなくなると追及しました。

 首相はこれに対して、海外での米軍の戦争に「武力行使を目的としては参加しない」と繰り返す一方、自衛隊が「戦闘地域」に出かけて医療や輸送などの後方支援を行うことを否定しませんでした。

 

■戦力でない

 ここで言う「戦闘地域」は、何を意味するのでしょうか。

 日本は憲法9条2項で戦力を持つことを禁じています。このため、自衛隊は「戦力ではない」という建前を取ってきました。戦力ではない以上、「自衛」以外の武力行使=つまり海外での武力行使は禁じられてきました。

 さらに、他国の武力行使に参加する「武力行使との一体化」も禁じてきました。

 

■一体化せず

 しかし、1990年代以降、日本は米国から海外派兵を迫られます。政府は憲法と日米同盟を天びんにかけ、海外派兵には応じるが@武器使用は自己防護に限るA「戦闘地域に行かない」―という歯止めをかけました。

 「戦闘地域」に行かなければ、「他国の武力行使と一体化」しない、という理屈です。

 もちろん、戦場を「戦闘地域」「非戦闘地域」に線引きすることなど不可能です。ただ、この歯止めにより、アフガニスタンでの「対テロ」戦争ではインド洋での給油にとどまり、イラクでも相対的に「安全」な場所での給水や空輸などにとどまりました。

 アフガニスタンでは、NATO(北大西洋条約機構)軍は後方支援活動に従事していても多数の死傷者を出しました。それは、文字通りの最前線で活動していたからです。

 仮に武力行使を目的としなくても、「戦闘地域に行かない」という歯止めをなくせば、相手側の攻撃対象になり、自衛隊員が血を流すことは避けられなくなります。

 (連載おわり)

( 2014年06月01日,「赤旗」)(TOP