【再批判自民党改憲案】

*     再批判自民党改憲案/1/「個人」が消え国家優先

*     再批判自民党改憲案/2/無制限の武力行使可能

*     再批判自民党改憲案/3/軍機保護・軍刑法の危険

*     再批判自民党改憲案/4/「緊急事態条項」の危険

*     再批判自民党改憲案/5/戦前・緊急勅令の猛威

*     再批判自民党改憲案/6/不戦平和の誓いを削除

*     批判自民党改憲案/7/人権より「公の秩序」

*     再批判自民党改憲案/8/政府への批判許さず

*     再批判自民党改憲案/9/個人に規制、企業に寛大

*     再批判自民党改憲案/10/国の宗教活動大幅容認

*     再批判自民党改憲案/11/首相に権力を集中

*     再批判自民党改憲案/12/地方自治破壊を狙う

*     再批判自民党改憲案/13/最高法規を全面破壊

*     再批判自民党改憲案/14/「排除」されるべき案

*     シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/弁護士永井幸寿さん/災害への備え/改憲論議の出番ない

*     シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/立命館大学教授植松健一さん/緊急事態条項/ドイツの経験と教訓

*     シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/東海大学法科大学院教授永山茂樹さん/緊急事態条項で独裁へ

*     シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/東海大学法科大学院教授永山茂樹さん/自民党改憲案は戦時を想定

*     シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/山口大学名誉教授纐纈厚さん/軍による専制の恐れ

*     シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/名古屋大学教授山形英郎さん/米国の単独行動に協力

*     シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/名古屋大学教授山形英郎さん/米国の単独行動に協力

*     シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/明治大学教授浦田一郎さん/無制限の武力行使に

*     シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/憲法研究者小沢隆一さん/戦争法、噴出する矛盾

*     シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/憲法研究者小沢隆一さん/9条改憲策動に警戒

*     シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/聖学院大学教授石川裕一郎さん/人権と立憲主義/個人より国家を優先

*     シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/明治大学教授佐原徹哉さん/緊急事態条項/トルコが示す危険性

*     9

*     シリーズ安倍改憲を問う/自民改憲案が実現したら/空想小説にした弁護士内山宙さん

*     シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/埼玉大学准教授中川律さん/基本的人権の制約

*     シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/上智大学教授三浦まりさん/家族、婚姻等/「国家家族主義」的な側面

*      

 

(Go2Top

再批判自民党改憲案/1/「個人」が消え国家優先

 安保法制=戦争法を強行し乱暴に憲法秩序を破壊した安倍晋三首相は、夏の参院選に向け明文改憲に踏み込む攻撃的姿勢を強めています。戦争法廃止か安倍改憲か―。憲法施行69年の記念日はまさに歴史的岐路のなかで迎えます。

 改憲・右翼団体「日本会議」が中心母体となってつくる「美しい日本の憲法をつくる会」は、いま「憲法改正を実現する1000万人ネットワーク」運動を展開しています。
 同会は、賛同者向けのメール(4月27日付)で、「本年7月に予定されている参議院選挙を前に、いま、憲法改正問題は、改正発議の対象を検討する段階」と強調。「参議院選挙において改憲勢力が国会の3分の2を占めるか、護憲派がそれを阻止するかが戦後史を画する重大な政治選択として浮上」と呼びかけ、「緊急事態条項」創設を優先課題として取り組みの強化を訴えています。

在任中にと執念
 同会が昨年11月に開いた1万人集会(東京・武道館)にメッセージを寄せていた安倍首相は、年初から、夏の参院選挙で改憲を争点化する姿勢を示し、9条2項の改定にも繰り返し言及。「在任中に成し遂げたい」(3月2日、参院予算委員会)とまで述べています。
 安倍首相は、改憲内容について「自民党の憲法改正草案がある」と強調。「既にわれわれは、衆議院2回、そして参議院1回、このこと(改憲案)についても掲げ選挙をたたかい、大勝させていただいている」(2月4日、衆院予算委)などと発言しているように、自民党改憲案の中身が、重大争点となっています。
 自民党改憲案は、2009年に惨敗して下野した自民党が、「保守政党」としてどんな日本を目指すのかを、新たに全面的に示したもの。いわば自民党の「世界観」「総合綱領」です。
 その内容は、近代立憲主義の成果を受け継ぎ発展させた日本国憲法の核心を全面否定し、歴史を逆戻りさせる恐るべき内容です。
 近代憲法の根本原理である「個人の尊厳」について、「個人」(憲法13条)という根本概念を消し去り、個人の尊厳を守るために認められた基本的人権の「永久不可侵」規定(97条)を全面削除しています。
 それらの規定の根本にある、人は生まれながらにして自由、平等であるという「天賦人権思想」そのものを否定しています。まさに個人の人権を守るための「憲法」が「憲法でなくなる」世界です。

問題改めて検証
 本紙では第2次安倍政権発足(2012年12月)の直後、自民党改憲案の全面批判をいち早く連載し、パンフレット(『全批判 自民党改憲案』)にもなっています。戦争法の強行と新たな明文改憲の動きの強まりのもと、改めてその問題点を検証します。(つづく)
 (特集2・3面)
(
2016年05月03日,「赤旗」)

(Go2Top

再批判自民党改憲案/2/無制限の武力行使可能

 安倍晋三首相は、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」などが3日に開いた改憲集会に自民党総裁としてビデオメッセージを寄せ、「憲法に自衛隊という言葉はなく、憲法学者の7割が違憲の可能性があるといっている。本当に自衛隊は違憲と思われているままでいいのか。国民的な議論に値する」と述べました。自民党の稲田朋美政調会長も「(自衛隊違憲論のもとで)9条2項をそのままにしておくことこそ立憲主義の空洞化だ」と繰り返しています。
 9割以上の憲法学者が戦争法は「違憲」だと批判したことは無視して強行しながら、改憲の口実に自衛隊違憲論≠持ち出す、自民党のご都合主義は通用しません。

2項削除の狙い
 そもそも自衛隊違憲論の「克服」は、便宜的な口実。自民党改憲案の「国防軍」創設=9条2項削除の狙いは「自衛隊の追認」にとどまりません。
 自民党改憲案は、これまで海外での武力行使の歯止めとなってきた9条2項を削除したうえに、新2項で「前項(戦争放棄)の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」との規定を盛り込みました。
 この「新2項」について自民党改憲案Q&Aは、政府が集団的自衛権の行使を禁ずる理由を「9条1項・2項の全体」の解釈によるとしていることから、戦力不保持規定を削除したうえ「新2項」を設け「自衛権の行使に何らの制約もないように規定しました」と説明しています。
 現行憲法9条2項の戦力不保持規定を削除しても、1項の「戦争放棄」の解釈次第で、なお集団的自衛権の行使が禁止されるおそれがある―。その可能性を念入りに排除したということです。
 「専守防衛」の自衛隊追認≠ヌころか、無制限の海外での武力行使を可能とする―。ここに自民党改憲案の最大の狙いがあります。

明文改憲を狙う
 安倍首相は「自衛隊が違憲なら、集団的自衛権も違憲になる」とも述べます。
 これまで政府は自衛隊合憲§_を主張し、それと一体で「集団的自衛権の行使は許されない」と海外での武力行使を禁じてきました。安倍政権が憲法解釈変更で集団的自衛権行使を容認すると、自衛隊を「合憲」とする保守派憲法学者からも「安保法制は違憲」と指摘され、それが国民的批判の爆発の発火点となりました。今度は自衛隊違憲§_を持ち出し、「新2項」を含む明文改憲を狙う―。安倍首相のごまかしはご都合主義で、稚拙です。
 安倍自公政権は、虚構の多数で戦争法を強行したものの、憲法9条2項がある限り、「違憲」「立憲主義破壊」の批判がやむことはありません。集団的自衛権行使のための「存立危機事態」の認定、承認をめぐっても、その都度、国会で激しい憲法論争となることも避けられません。(つづく)
(
2016年05月05日,「赤旗」)

(Go2Top

再批判自民党改憲案/3/軍機保護・軍刑法の危険

 自民党改憲案では、国際の平和と安全のため「国際的に協調して行われる活動」への国防軍の参加を可能としています。あえて「国連」という言葉を外しています。
 イラク戦争のような、国連憲章の平和秩序を踏み破る、米国の単独行動への参加を可能としているのです。

秘密法に根拠
 戦争法の中の、派兵恒久法=国際平和支援法では、何らかの国連決議の存在が、米軍等の武力行使への後方支援の要件ですが、そうした決議は不要となり、「後方支援」にとどまらず共同の武力行使が可能となります。
 改憲案では「国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める」(9条の2第4項)としています。「軍事機密の保持」が憲法上の価値≠ニなり、特定秘密保護法が大手をふるってまかり通る「憲法」です。
 何が秘密かも秘密、秘密を探ろうと相談(共謀)しただけで処罰される異常な弾圧法規に、憲法上の根拠≠与えます。
 改憲案21条は、表現の自由に関し、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動」は認めないと規定。「軍事機密」を侵す報道や調査は、人権として保障しないことになりかねません。

殺害命令の貫徹
 改憲案は、軍人の「職務の実施に伴う罪」などを裁判するため、「国防軍に審判所を置く」としています。
 軍人の「職務の実施に関する罪」を定めるのは「軍刑法」です。軍刑法は軍人を規律するため特別の罰則を規定したもの。例えば、旧陸軍刑法57条では、敵前で上官の命令に服従しなかったものは最高で「死刑」でした。「人を殺すな」という人間の最低の基本倫理に対し、「人を殺せ」という命令が優越します。
 戦場で「殺し殺される」状況のもと、上官の命令は絶対です。それを強制する軍刑法なしに戦争はできません。
 戦争法では自衛隊法にある「上官の職務上の命令に対し多数共同して反抗した者」などを処罰(最高懲役7年)する規定を「国外犯」に拡大。「日本国外においてこれらの罪を犯した者にも適用する」としました。(122条の2)
 自衛隊はこれまで「専守防衛」のもと、外国領土での戦闘を基本的に予定していませんでした。ところが、集団的自衛権の行使が可能となり、他国領土での戦闘で敵兵の殺害をはじめとした命令の貫徹を求めたのです。
 自民党改憲案が実現すれば、さらに軍人処罰の範囲も、処罰の上限も無制限に拡大します。
 (つづく)
(
2016年05月07日,「赤旗」)

(Go2Top

再批判自民党改憲案/4/「緊急事態条項」の危険

 安倍晋三首相や改憲右翼団体・日本会議が優先事項として新設を狙う「緊急事態条項」は、自民党改憲案にすでに盛り込まれています。
 「緊急事態」とは、「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態」(第98条)と定められています。何よりまず「外部からの武力攻撃」への対処のためのものです。
 首相による「緊急事態」宣言のもとで、何ができるのでしょうか。

国民に服従義務
 法律に基づいて「内閣は法律と同一の効力を有する政令(緊急政令)を制定する」ことができます。これにより、国会審議を抜きに、内閣が人権制約をはじめ「立法権」を行使できます。政令の管轄事項に制限はなく「何でもできる」ことになります。三権分立や国会中心主義などの原則が停止し、首相と内閣に権限が集中します。
 さらに国民保護のための国等の指示に国民は「従わなければならない」と、服従義務が規定されます。緊急政令では、罰則制定も排除されません。
 自民党改憲案取りまとめの起草委員会事務局長を務めた礒崎陽輔参院議員は、「(緊急政令で)人権制約は考えていない」などとツイッターで発信しています。
 しかし、自民党改憲案Q&Aは、従来の「国民保護法制」では国民の服従義務について憲法上の根拠がないため、国民への要請は全て「協力を求める」という形でしか規定できなかったと不満を告白しています。法律レベルの緊急事態法=有事法制の一部である国民保護法制に強制力を持たせるのが大きな狙いです。
 さらにQ&Aでは、「国民の生命、身体及び財産という大きな人権を守るために、そのため必要な範囲でより小さな人権がやむなく制限されることもあり得る」と明言しています。

内閣頂点の軍政
 結局、内閣(国)の措置に強制力が付与され、人権が停止するに等しい状態となります。「緊急事態」のもとで、まさに内閣と首相を頂点とする専断的な体制がつくられます。
 戦争法の発動で米軍への支援が開始される場合、通信傍受やテロ容疑者拘束のための強制手段が拡大され、軍事対応を批判する言論への統制も一気に強化される恐れがあります。意思決定の中心は「国家安全保障会議」であり、事実上の戒厳(軍政)です。
 国会では政府対応を批判する議論がされていても、「緊急事態」を首相が宣言すれば、政府が独断で強権措置を発動できるのです。
 (つづく)
(
2016年05月08日,「赤旗」)

(Go2Top

再批判自民党改憲案/5/戦前・緊急勅令の猛威

 緊急事態法制の最も発達した国―。それが戦前の日本でした。
 戦前の大日本帝国憲法には、四つも緊急事態条項がありました。
@緊急勅令(8条)A戒厳の宣告(14条)B非常大権(31条)C財政上の緊急処分(70条)です。いずれも緊急事態という口実のもと、独裁の強化・確立をめざすものでしたが、最も悪用されたのが緊急勅令でした。

国民の自由奪う
 明治憲法下でも制限的ながら国民を代表する議会が設けられました。緊急勅令は、政府が議会の意思によらず専制を貫き、国民の自由を奪って侵略戦争の道に引き入れる武器として、猛威をふるいました。
 政府が緊急勅令を発動したひとつは、緊急事態の名のもとに国民の運動を弾圧することでした。日露戦争の講和をめぐり国民の不満が爆発した日比谷焼き討ち事件(1905年9月6日)では、緊急勅令による戒厳(行政戒厳)が発せられ、軍隊が出て大量の検挙者を出しました。関東大震災(23年)や2・26事件(36年)でも行政戒厳は使われました。
 もう一つの役割は、議会で否決された法律を緊急勅令で通してしまうことでした。その最悪の例が1928年の治安維持法の大改悪です。
 治安維持法は天皇専制に反対する日本共産党などを弾圧するため25年に作られました。1928年3月15日の共産党大弾圧の後、政府は「国体ヲ変革スルコトヲ目的」として結社した者に対し「死刑又は無期」を導入。さらに「目的遂行ノ為ニスル行為」の処罰を新設し、共産党員でなくとも、同法で処罰できるよう改悪案を出したのです。
 しかし、こんな改悪には帝国議会でも異論が噴出して、審議未了で廃案に。ところが、天皇制政府は緊急勅令で改定を強行したのです。

反省に立脚して
 戦後、新憲法制定の中で「緊急事態条項」は一切置かれませんでした。内閣法制局発行『新憲法の解説』(1946年)は、明治憲法で「これ等の制度は行政当局者にとっては極めて便利に出来てをり、それだけ、濫用され易く、議会及び国民の意思を無視して国政が行はれる危険が多分にあった」と指摘。新憲法は「民主政治の本義に徹し」「立憲的に、万事を措置するの方針をとっている」としました。
 9条2項の戦力不保持とともに、日本国憲法に緊急事態条項がないことは、戦前への明確な反省に立脚するものです。(つづく)
(
2016年05月09日,「赤旗」)

(Go2Top

再批判自民党改憲案/6/不戦平和の誓いを削除

 自民党改憲案は、日本国憲法前文に示された、戦前の侵略戦争への反省と不戦平和の誓いを全面削除しています。(表)
 侵略戦争への反省、不戦の誓い、平和の国際秩序づくりへの貢献、全世界の国民の平和的生存権の確認―。これらは日本国憲法の原点です。9条2項による戦力不保持と一体に、軍事によらない平和を実現する、世界のトップランナーを目指す宣言です。

安倍首相も攻撃
 自民党改憲案Q&Aは、憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」という規定を「ユートピア的発想による自衛権の放棄」と切り捨てています。安倍晋三首相は、「わび証文」「いじましい」と攻撃してきました。
 平和的生存権は、戦争こそが人権に対する最大の脅威であり、平和であってこそ人権保障が可能となることを確認した権利です。憲法学説でも「すべての基本的人権の基礎にあってその享有を可能にする基底的権利」と広く理解されています。また、戦争への反省と平和の国際秩序を目指す立場から「全世界の国民」に対し保障するとされています。
 今、諸国民の「平和への権利」を国際的人権とする動きが強まっています。国連安保理への関与など、平和の実現へ個人の能動的な役割を高める取り組みです。その中で、日本国憲法の平和的生存権は高く評価されてきました。自民党改憲案前文は、まさに歴史に逆行するものです。

9条2項を体現
 安保法制=戦争法の強行の動きに対する「だれの子どももころさせない」というママたちの叫びは、9条2項の非武装平和の理念を体現しています。アフガニスタン・イラク戦争以来10年以上続く「対テロ戦争」で、テロはなくならないどころか、世界中に広がりました。暴力の連鎖をどう断ち切るか、9条と前文の「武力によらない平和」の原理が深い力を発揮し、人々を動かし始めています。
 世界に向けて、平和への対案としていっそう高く日本国憲法の平和主義の精神を掲げるときです。
 (つづく)
(
2016年05月10日,「赤旗」)

(Go2Top

再批判自民党改憲案/7/人権より「公の秩序」

 自民党改憲案は、人権保障の根本規定である日本国憲法13条の「すべて国民は、個人として尊重される」の「個人」から「個」の一文字を削除し、「人として尊重される」としました。「個」の一文字が消える結果、一人ひとりがその人らしさ(個性)をもち、それをかけがえのないものとするという理念から、個性のない均質的な「人としての尊重」に意味が全く変わります。

大幅な制約課す
 憲法13条は、人権の制約原理として「公共の福祉」を規定しています。これは、全ての人に平等に保障される人権相互の衝突を、それぞれの人権を尊重しながら調整する原理と理解されてきました。
 ところが自民党改憲案は、「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に書き換えています。さらに「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」(12条)として、公の秩序優先で人権に制約を課すことを明確にしました。
 自民党の高村正彦副総裁はこれを、「現在の『公共の福祉』を置きかえただけ」などと弁明しています。
 しかし、中身が変わらないならなぜ違う言葉に書き換えるのか。
 自民党改憲案Q&Aは、「公共の福祉」を「公の秩序」に変えた理由を「基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにした」と告白しています。
 まさに他者の人権との調整を超えた「公の秩序」優先で、人権の大幅な制約がまかり通ることになります。秩序の中身は権力者の恣意(しい)的判断で決まる恐れもあります。人権保障のための憲法が権力を制限するという立憲主義に、大きな抜け穴がつくられます。例えば、9条の全面改定で「国防軍」の活動や機密保持が認められるもと、軍事的要請が「公の秩序」とされ、大幅な人権制約をもたらします。
 これでは、明治憲法下で、臣民の権利は「法律ノ範囲内」でしか認められなかったような「法律の留保」への歴史的逆行をもたらしかねません。

過去の反省欠落
 新憲法公布時の政府の『新憲法の解説』は、明治憲法下で多くの諸自由の保障に「法律に定められた場合を除く外」という限界があったと指摘。権力者がこの「法律の留保」規定を「逆用」し、「つひには憲法が死文と化するやうな状態に陥つてしまつた」と反省を示したうえで「新憲法では、法律云々(うんぬん)の抜け道はつけてはいない」と宣言しています。
 自民党改憲案には、こうした反省が完全に欠落しています。立憲主義破壊とは、まさに人権と自由に対する恐るべき総攻撃なのです。
 (つづく)
(
2016年05月11日,「赤旗」)

(Go2Top

再批判自民党改憲案/8/政府への批判許さず

 高市早苗総務相が、放送法4条が定める政治的中立を守らない放送局の電波を止めることは可能だと発言(1月)したことに対し、マスコミ・放送関係者らから厳しい批判が続いています。昨夏の安保法制=戦争法案の審議中には、安倍晋三首相に近い自民党若手議員の会合で、法案に批判的なマスコミを「懲らしめろ」とか「沖縄の二つの新聞をつぶせ」という発言が飛び出しました。
 放送内容への権力的介入や政府批判を押しつぶすことを当然視する姿勢は、自民党改憲案を先取りする危険なあらわれです。

言論の自由制限
 自民党改憲案は、表現・結社の自由について、「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」(21条2項)としています。
 何が「公の秩序」かを判断するのはまず政府です。「公の秩序」を害する「目的」の表現や結社は認めないというなら、政府に都合の悪い言論、結社、ひいては社会的連帯までが憲法で保障されないことになりかねません。「国防軍」創設とセットで軍事機密保護が憲法上の要請となり、知る権利や報道の自由に優越します。
 「目的」で表現・結社を制限すれば、内心そのものに重大な圧迫をもたらすことになります。
 表現の自由は、国民主権および「知る権利」と直結し、民主政治を支える最も重要な人権です。自由な言論プロセスが機能している限り、権力の乱用も是正される保証があります。表現の自由は、「自由の体系を維持する基本的条件」「すべての自由の母体」として、その規制を厳しく限定するのが現代憲法論の重要な到達点です。

破防法復権狙う
 これに真っ向から挑戦するのが自民党改憲案で、憲法が弾圧の根拠になりかねません。
 実際、改憲案Q&Aでは、「オウム真理教に破壊活動防止法の適用ができなかったことの反省を踏まえ(た)」としており、破壊活動防止法(破防法)の復権に直接の動機があることを認めています。
 破防法は、結社の自由に介入する危険な弾圧立法として戦後一度も発動できずにきました。明確な根拠のないまま、日本共産党や民主団体への不法なスパイ・調査活動の根拠とされてきました。その出番を確保するという異常な動機です。
 さらに改憲案64条の2で政党条項を創設。政党について「国は…その活動の公正の確保及びその健全な発展に努め(る)」として、「政党に関する事項は、法律で定める」としました。結社の一種である政党を憲法上の存在に取り込みつつ、特殊な規制・介入をもたらす意思が明確に示されています。改憲案Q&Aでは「政党助成や政党法制定の根拠になる」と明記しています。
 (つづく)
(
2016年05月14日,
「赤旗」)

(Go2Top

再批判自民党改憲案/9/個人に規制、企業に寛大

 内閣法制局発行の『新憲法の解説』(1946年11月3日)は、婚姻は両性の合意のみに基づいて成立することや、夫婦は同等の権利を有すること、家族関係における個人の尊厳と両性の本質的平等を規定した憲法24条について「封建的家族制度に一大革新を要請するもの」としています。

古い価値観復活
 戦前の「家」制度のもと、結婚は家長(戸主)の同意なしに認められず、家と家との関係でした。妻には財産の管理権も相続権も認められず、契約締結の能力も否定されていました。家長によって統率される「家」を単位に、全ての臣民を天皇中心の国家体制に動員する仕組みでした。こうした古い「家」制度と男尊女卑を否定し、家族関係を革新する規定が24条でした。
 ところが自民党改憲案は24条に新たに1項を新設。「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」と規定しました。
 「個人」とその尊厳を否定する一方で、「家族」を「社会の基礎的単位」とあえて位置づけ直す―。ここには古い価値観の復活の危険があります。自民党改憲案が、戦前との歴史・文化の継続性を基調としていることからも軽視できません。
 安倍政権は「女性活躍」を掲げますが、自民党は選択的夫婦別姓について「わが国を根底から覆そうとする意識が働いているとしか考えられない」として頑強に反対。改憲右翼団体「日本会議」も反対運動を続けています。
 自民党は改憲案24条に、「家族は、互いに助け合わなければならない」という言葉を入れ、前文で「家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」と規定しています。
 これらは、国民がまず自ら助け(自助)、次に家族や社会関係で互いに助け(共助)、国の社会保障に対する責任はその不足を補うものへと大きく変質させるものです。
 財政の章では「財政の健全性の確保」規定を新設(83条2項)しています。消費税増税や社会保障切り捨ての根拠となるものです。

新自由主義導入
 他方、日本国憲法で経済活動の自由(22条)や財産権(29条)について明記された「公共の福祉」による制約が、自民党改憲案では削除されています。生存権保障のため、資本の横暴に制約をかける必要性を明らかにする規定ですが、自民党改憲案は巨大企業への制約を「否定」する態度です。個人の自由に対しては「公の秩序」による規制を強めながら、巨大企業には寛大。巨大企業の利益最優先の新自由主義「構造改革」を進める「憲法」にする狙いです。
 地方自治の章では、経団連が「究極の構造改革」と位置づける「道州制」の導入を可能としています。
 古い価値観と企業利益優先の新自由主義が混在し、一見、支離滅裂な改憲案ですが、「個人の尊厳」を否定する点では一貫しています。(つづく)
(
2016年05月16日,
「赤旗」)

Go2Top

再批判自民党改憲案/10/国の宗教活動大幅容認

 自民党改憲案は、日本国憲法の信教の自由(20条1項)と一体の政教分離原則(同3項)を緩和しています。

靖国参拝正当化
 国や自治体が「特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない」としつつ、「ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない」と規定。改憲案Q&Aでは「これにより、地鎮祭に当たって公費から玉串料を支出するなどの問題が現実に解決されます」としています。「社会的儀礼」「習俗的行為」という名目で、国の宗教活動を大幅に容認することになります。
 自民党は毎年の運動方針で「靖国神社参拝を受け継(ぐ)」という方針を掲げ続け、春秋の例大祭や8月15日の終戦記念日には政治家の集団参拝も繰り返されています。改憲案は、日本の侵略戦争を正当化する宣伝センターである靖国神社への政治家の参拝を既成事実化し、「社会的儀礼」として「憲法の範囲内」とするのが狙いです。
 日本国憲法が信教の自由を保護するために厳格な政教分離を定めた背景には、戦前、国家神道の強制で国民の信仰の自由が破壊され、国民の戦争動員に利用されたことへの痛切な反省があります。自民党改憲案は、その反省を踏みにじるものです。

「戦死」と「合祀」
 安保法制=戦争法の中で、過去の戦死者の問題でなく、自衛隊員の「戦死」が現実的危険として浮上しています。「戦争する国づくり」の課題として戦死者の国家的追悼が不可避となります。その中で、靖国神社の位置づけが新たに浮上する可能性があります。
 自衛隊制服トップの統合幕僚長を務めて2009年に退官した齋藤隆氏は戦争法案審議開始直後の昨年5月26日、日本記者クラブで講演し、「国家国民に、戦死者にどう向き合うか考えてもらう必要がある」とし「国家に殉じた人たちの合祀(ごうし)を考える」必要性に言及しました。他方、靖国神社への「合祀」については、「まさに各国どこでもナショナルセメタリー(国家墓苑)を持っている。基本的には、中立で国民誰もが尊敬の意を示せるようなメモリアル(記念施設)を考える必要がある。私自身は『靖国』というイメージではない」と述べました。
 地方の護国神社では、自衛隊の隊友会の申請により殉職自衛官が合祀されたケースがあり、今後、戦死者が出た場合、合祀が問題となりえます。
 過去の戦死者については、国立追悼施設の建設が検討されてきましたが、「靖国」派の反対などで進んでいません。13年秋には、米国のケリー国務長官とヘーゲル国防長官(当時)が訪日に際して千鳥ケ淵戦没者墓苑に献花し、日本の政治家の靖国参拝へのけん制として注目されました。しかし、安倍首相は同年12月26日に靖国参拝を強行し、内外の厳しい批判を浴びました。(つづく)
(
2016年05月17日,
「赤旗」)

Go2Top

再批判自民党改憲案/11/首相に権力を集中

 国会、内閣、裁判所などの「統治機構」は本来、人権保障に奉仕するためのものです。
 日本国憲法は立法、司法、行政の三権分立を定めています。国民主権を基礎に代表民主制をとり、国会を「国権の最高機関」(41条)とする国会中心の政治システムです。行政権は内閣に属しますが、法律に基づく行政の原則(法治主義)に加え、内閣は国会の信任に基づいて成立し、行政権の行使について国会に対し連帯責任(66条3項)を負います。権力の行使を民主的にコントロールすることで人権保障をまっとうする趣旨です。

国会の関与弱め
 ところが自民党改憲案では、「行政権は、この憲法に特別の定めのある場合を除き、内閣に属する」(65条)とし、「特別の定め」として
@行政各部の指揮監督権・総合調整権A国防軍の最高指揮権B衆議院の解散の決定権の三つの重要な権限を設け、「内閣総理大臣の『専権事項』」(改憲案Q&A)としています。改憲案Q&Aでは、「行政権が合議体としての内閣に属することの例外となる」としています。
 「内閣総理大臣の専権」とされたこれらの権限行使は、閣議に諮られず、内閣は国会に対し連帯責任を負わないことになります。国会は内閣の権限行使に対しては「内閣不信任」を問えますが、「内閣総理大臣の専権」については特別の責任も規定されません。
 特に「国防軍の指揮」という最も重大な権力の発動について、だれも責任を問われない構造は、立憲主義の観点から極めて異常です。
 自民党改憲案は、63条2項で内閣総理大臣その他の大臣の国会への出席義務について「職務の遂行上特に必要がある場合は、この限りでない」として、出席義務を免除しました。「国会に拘束されることで国益が損なわれないように」(改憲案Q&A)配慮したなどとしています。国権の最高機関である国会に対する説明義務を緩和するもので、ここでも行政に対する国会のコントロールを弱めています。

一院制の検討も
 自民党改憲案には、「二院制の見直し」は明記されていませんが、改憲案Q&Aでは「一院制を採用すべきか否かは、今回の草案の作成過程で最も大きな議論のあったテーマ」だったとし、今後「一院制についても検討する」としています。
 また、「ねじれ現象ができるだけ起きないようにすべき」(同前)という観点から、参院で否決された法案を衆院で再議決する場合に、出席議員の3分の2以上の賛成を必要とする要件(59条2項)の緩和の主張をはじめ、衆院優越の強化が主張されたとしています。
 首相権限の強化、衆院優越の強化で「効率的」決定を優先する発想です。しかしこれは、権限を分割し、権限相互に均衡をもたせることで判断を慎重にし、個人の尊厳を維持するという日本国憲法の立憲主義の構想とは逆です。(つづく)
(
2016年05月19日,
「赤旗」)

Go2Top

再批判自民党改憲案/12/地方自治破壊を狙う

 地方自治は日本国憲法で定められた民主政治の柱の一つです。その理念は、戦前への反省から、中央集権を排し平和と国民の自由を保障するとともに、住民の直接参加による民主主義の発揚を図るものです。さらに、住民の要望にきめ細かく応え、国民の生存権保障の充実を図ることです。
 ところが自民党改憲案は、この理念を切り縮め、地方自治そのものを破壊しようとしています。

理念縮めるもの
 改憲案92条1項は、「地方自治は…住民に身近な行政を自主的、自立的かつ総合的に実施することを旨として行う」と規定。同93条3項では「国及び地方自治体は、法律の定める役割分担を踏まえ、協力」するとしました。
 しかし、地方自治が果たす役割を「身近な行政」と割り切ることは、立憲・民主・平和・社会保障という地方自治の広範な理念を著しく切り縮めるものです。
 生存権保障・社会保障の第一の責任を負うのは国です(日本国憲法25条)。ところが自民党改憲案では、国と地方の「役割分担」を強調しつつ「住民に身近な行政」の名のもとに、社会保障を地方に押し付ける態度です。しかも身近な行政は地方が「自立的」に行うと規定し国に頼るな≠ニいう姿勢です。
 93条3項では「地方自治体は、相互に協力しなければならない」とするなど、苦しくても自治体同士でやりくりしろ≠ニ言わんばかりです。
 自民党改憲案は前文や家族の規定(24条)で自助・共助を強調し、さらに地方に責任を押し付け「自立」を迫ることで、国の社会保障に対する責任を免れる狙いです。
 財源問題では、96条で地方の「自主財源」の原則を定め、「地方自治は自主的財源に基づいて運営されることを基本」(改憲案Q&A)とする一方、92条2項では、住民はサービスを受けるが、「その負担を公平に分担する義務を負う」と住民の負担義務を明記。「財政の健全性」の規定(83条2項)も準用しました。徹頭徹尾、国の社会保障の役割を地方と住民に押し付ける発想で貫かれています。これでは自治体の規模による格差が極端に広がります。

道州制に道開く
 さらに財界が究極の「構造改革」と位置づける「道州制」に道を開こうとしています。
 改憲案93条で「地方自治体は、基礎地方自治体及びこれを包括する広域地方自治体とすることを基本とし、その種類は、法律で定める」と規定。改憲案Q&Aでは「道州はこの草案の広域地方自治体に当たり、この草案のままでも、憲法改正によらずに立法措置により道州制の導入は可能」と明記しています。
 歴史的に形成されたコミュニティーとかけ離れた巨大な「自治体」を強制的につくりだせば、自治体そのものが現実の人々の生活からかい離し、住民の政治参加も自治の機能も失われます。
 (つづく)
(
2016年05月23日,
「赤旗」)

Go2Top

再批判自民党改憲案/13/最高法規を全面破壊

 自民党改憲案は、憲法が最高法規として国家権力を縛るものであることを根本的に破壊します。
 安倍晋三首相は、2012年末に再度、首相に就任後、まず憲法96条にある改憲手続きの緩和を主張しました。改憲のための国会発議の要件を、衆参両院の3分の2以上の賛成から、過半数の賛成へと引き下げようとしたのです。改憲の中身を示さず、まず手続きを緩和し、改憲をやりやすくする手法は、憲法の縛りを解く最悪の「裏口改憲」=立憲主義破壊だと批判されました。
 96条の厳格な手続きは、通常の法律と同じレベルの手続きによって憲法が変えられなくすることで、最高法規性を担保するものです。

人権不可侵削除
 自民党改憲案が全面削除を企てる、97条の基本的人権の永久不可侵規定―。これは、最高法規の章(97、98、99条)の冒頭に示され、憲法が人権を守る法であるからこそ「最高法規」であることを示す、重要な思想的意義をもつと理解されています。これを乱暴に削除することは、13条の「個人の尊重」から「個」の一文字を削ることとあわせ、個人の尊厳を守るという憲法の本質を踏みにじるものです。
 自民党「改憲案Q&A」では、憲法11条と97条が「内容的に重複していると考えたために削除」したと述べています。これは、人権の永久不可侵が「最高法規」の章に位置づく重みを全く理解しないものです。

国民を縛る法へ
 さらに99条の憲法尊重擁護義務の規定に、「国民」を追加する一方で、同規定から「天皇」を削除しました。99条で、国会議員や国務大臣に憲法尊重擁護義務が課され、国民に義務が課されないことは、憲法が国家権力を縛る法であることを端的に示すものです。
 これに対し、国民に憲法尊重を義務付けることは、まさに国家を縛る*@から国民を縛る*@へ逆転することを意味します。まして「良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため」の自民党改憲案です。
 改憲案Q&Aは、「立憲主義は、憲法に国民の義務規定を設けることを否定するものではありません」などとし、日本国憲法の「勤労の義務」「納税の義務」などをあげています。しかし、憲法理念を維持するための個別の課題での義務付けと、個人が消えた国家優先の憲法全体を「国民が尊重せよ」と義務付けることは、比較の対象になりません。
 (つづく)
(
2016年05月25日,
「赤旗」)

Go2Top

再批判自民党改憲案/14/「排除」されるべき案

 日本国憲法前文の第1文は、@国民主権と代表民主制A自由主義・人権尊重主義B政府による戦争の阻止・平和主義を宣言しています。主語は「日本国民」であり、国民が憲法をつくりだすことを明らかにしています。
 リンカーン米大統領のゲティスバーグ演説で有名な「人民の、人民による、人民のための政治」の一節の趣旨も盛り込まれ、民主政治の充実が立憲主義の重要な内容であることが示唆されます。

「改正」には限界
 これらの日本国憲法の基本原理を「人類普遍の原理」と宣言し、「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」とされています。
 憲法の基本原理に反する法令や詔勅が排除されるのは憲法の「最高法規」性(98条)のあらわれです。
 憲法の基本原理に反する「憲法」を「排除する」とはどういうことか。憲法は「改正」手続きを定めています(96条)。しかし、憲法の基本原理を無視する「改正」は許さないとしているのです。
 厳格な改憲手続きで憲法の最高法規性を担保したうえに、その厳格な手続きを踏んだとしても「改正」には限界がある―。「個人の尊厳」を中核に、人権尊重と国民主権、徹底した平和主義の諸原理を「改正の限界」と宣言しているのです。「憲法制定の根本目的が改正権限を制限する」とも説明されます。
 立憲主義の構想は、二重三重に個人の尊厳と自由を守る、人類の深い知恵を含んでいます。

基本原理を否定
 これに対し自民党改憲案は、「個人」とその尊厳という立憲主義の根本を消し去り、天皇中心の国家の継承を強調。天賦人権思想を排除し「公の秩序」優先で人権を制約します。平和主義の核心である戦力不保持規定(9条2項)を削除し、無制限の武力行使を可能にします。さらに生存権保障のための大企業への規制は否定し、地方自治も破壊する―。日本国憲法の基本原理を乱暴にじゅうりんする内容です。
 自民党改憲案はまさに日本国憲法を否定するもので、「排除」されるべき憲法≠ナす。その根源には、日米同盟強化、大企業の利益最優先の新自由主義、過去の侵略戦争を正当化する歴史修正の流れがあります。
 改憲案に示される自民党の「世界観」は歴史の逆流そのもの。自民党が、もはや立憲・民主政治を担う資格を持たないことは明らかです。主権者・国民が力を広範に結集して、自民党に退場を迫るときです。(おわり)
 (この連載は中祖寅一が担当しました)
(
2016年05月29日,「赤旗」)

Go2Top

シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/弁護士永井幸寿さん/災害への備え/改憲論議の出番ない

 自民党改憲案では、緊急事態条項の創設の口実として「災害対策」を強調しています。その問題点について阪神・淡路大震災以来、災害問題に取り組んできた弁護士の永井幸寿さんに聞きました。
 (聞き手 中祖寅一)

 日本国憲法には国家緊急権がありませんが、災害に対して何も準備がないかというと、そうではありません。二つあります。
 一つは、参院の緊急集会で、衆院が解散されているときに大災害が起きたら、参院を国会の代わりに機能させます。もう一つが、憲法73条6号の政令への罰則の委任の制度です。緊急時に参院の緊急集会も召集できないとき、内閣が政令で対処するしかありません。他方で、政令による罰則が乱用されないように、特に法律の委任があるときにだけ政令に罰則を設けられるという規定を作りました。
 この規定に基づいて災害対策基本法が制定され、同法に「緊急政令」の制度がつくられました。緊急政令では緊急時の買い占め制限や取引価格の制限などが可能とされます。

がれきの撤去も
 自民党や「日本会議」の人は、よく「がれきの中に車両が入っていて撤去ができない」といいますが、同法64条2項で、市町村長は災害を受けた工作物や物件に対し、除去その他の「必要な措置」をとることができます。所有者の同意なしで撤去でき、市場価値がなければ廃棄できます。
 自衛隊のヘリコプターが緊急着陸するとき、土地の所有者がわからないともいいますが、64条1項では、他人の土地、建物を一時使用し、若しくは収用できる。さらに家の中に人が閉じ込められ、助けるために家を壊そうとしたが壊せず命を救えないともいうが、「必要な措置」には必要最小限度の破壊も含みます。法律として完備しており、不足はありません。
 緊急事態条項がないから困るということはないのです。これに対し、医療、建築、法律などの災害の専門家が口をそろえる災害対策の大原則は「準備していないことはできない」ということです。
 例えば、3・11の福島原発事故で、たくさんの人が放射性物質が流れた方向に避難し、避難の過程に大混乱が生じて病気やストレスによる多くの関連死が発生しました。法律では、国は防災基本計画をつくり、市町村はそれに基づき地域防災計画をつくり、避難訓練や避難教育もやることになっていたのに、原発事故は起きないことになっていたのです。
 原発事故が起きたとき、どの避難ルートをとるか、放射性物質がきたときのサブのルートをどうするか、渋滞が起きたときどうするか、車両やドライバーをどう確保するか、いったん避難した後の生活再建をどうするか。それらは全く防災計画で策定していなかった。もちろん計画への住民参加もなく、訓練もなかった。

権力より準備を
 国家緊急権とは災害が起こってから権力を集中する制度ですが、いくら強力な権力があっても準備していないことはできません。
 災害対策の全ての出発点は、目の前の個々の被災者の人権をどうやって守るかです。国にどんな権力を持たせるかではありません。そのためには、現に発生した災害を検証して、被災者からヒアリングし、現地を見て課題を抽出し、災害を予想して策定するべきです。もし災害が起きたら、被災者に一番近い自治体がその準備にしたがって活動する。国はその後方支援に徹する。改憲論議に出番はありません。

 ながい こうじゅ 1955年生まれ。弁護士。日本弁護士連合会災害復興支援委員会前委員長。著書に『よくわかる緊急事態条項Q&A』(明石書店)など。
(
2016年08月28日,「赤旗」)

(Go2Top

 

シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/立命館大学教授植松健一さん/緊急事態条項/ドイツの経験と教訓

 緊急権をめぐる戦前のドイツの経験と教訓について立命館大学の植松健一教授(憲法学)に聞きました。
 (聞き手・中祖寅一)

 戦前のドイツのワイマール憲法は、その48条に「非常措置権」の規定を持っていました。
 ヒトラー率いるナチス党が1933年に制定した全権委任法によってワイマール憲法は崩壊に至ったことが強調されますが、ナチスが権力を握る以前の政治過程において、「非常措置権」が乱用的に発動されたことが、憲法体制の崩壊をもたらした側面を見逃すことはできません。
 1919年に成立したワイマール共和国は、ラントといわれる州政府の連合体で、各州と中央政府が対立する局面も多く、州が中央政府に抵抗したときに強権発動する余地を残すという目的から「非常措置権」が設けられました。

恣意的に乱用
 48条には、ラント(州)が法律上の義務を履行しないとき等に、「武装兵力を用いて義務を履行させる」と規定されました(1項)。そして公共の安全及び秩序に著しい障害が生じるときライヒ(帝国)の大統領は秩序の回復に必要な措置のために、「武装兵力を用いて介入できる」ことや、「通信・電話、意見表明、集会、結社の自由」などの基本権の「全部または一部を停止」できるとされていました(2項)。
 第1次大戦敗戦国のドイツでは、賠償金問題で経済的困窮が続き、政治的にも不安定な状況が続く中で、政府は法の枠組みを無視し、この48条を使って経済的な緊急命令を次々と出しました。さらに、左右の批判勢力の内乱的な動きに対し非常措置を乱発し、ナチスなど右派には甘く共産党に対しては過酷な適用がなされました。
 ナチスが政権をとる直前の1932年には、当時政権にあったパーペンという保守的な伯爵が、政府の閣僚をすべて罷免して自分の息のかかった政権をつくりだすクーデターまでやりました。1933年1月のヒトラー内閣成立後、共産党による国会放火事件をでっちあげ、その直後に基本的人権停止の大統領令(ヒンデンブルク大統領)が出されましたが、これも「非常措置権」に基づくものでした。
 このように「非常措置権」は、政治的な対抗者を恣意的に弾圧するために乱用され、また経済危機への対策に頻発された結果、国民的にも憲法秩序を軽視する風潮を拡大しました。その中でヒトラーが政権を掌握し、全権委任法という形で議会から憲法に縛られない権限の委任を受けるという事態に至ったのです。

危険な自民案
 こうした経験から、戦後のドイツ憲法は、非常事態システムを残しつつも、内乱や治安維持のための「非常措置権」の発動を認めないことにしています。また、防衛上の緊急事態の場合にも、緊急事態の確定に議会の関与を認めるなど、行政権が恣意的に権限を拡大することへの制限や配慮を設けています。
 これに対し、自民党の改憲案における「緊急事態条項」は、緊急事態の種類が無制限に拡大する恐れがあるうえ、事態の認定も政府の広い裁量に任されています。非常事態における内閣と首相の権限も無制限で、日本の戦前の国際的経験や教訓を踏まえないどころか、日本の戦前の政治で緊急権が猛威をふるったことへの反省も皆無です。

 うえまつ・けんいち 1971年生まれ。島根大学法文学部助教授を経て現職(憲法学)。著書に『憲法「改正」の論点』(共著、法律文化社)など。
(
2016年08月26日,「赤旗」)

(Go2Top

 

シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/東海大学法科大学院教授永山茂樹さん/緊急事態条項で独裁へ

 シリーズ「自民党改憲案の論点 識者に聞く」の二番目のテーマは「緊急事態条項」です。第1回は、東海大学法科大学院の永山茂樹教授です。
 (聞き手・秋山豊)

 安倍首相と自民党が創設を狙う緊急事態条項は、「内閣独裁制」をつくるものです。緊急事態宣言を発することで、人権を制限して首相と内閣に権力を集中し、国の命令に国民を従わせる条項です。
 自民党改憲案98条1項は、「外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態」が発生した場合、内閣総理大臣の独断で緊急事態を宣言できるとしています。「その他の法律で定める緊急事態」とあり、法律でいくらでも緊急事態≠増やせる無限定な構造です。
 99条1項では「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」と定めています。

国会を弱体化
 現行憲法は、国会が唯一法律をつくれる国権の最高機関と定めています。緊急事態宣言のもとでは、権力分立からはずれて国会の力を弱め、内閣に権力が集中するのです。
 このように緊急事態条項は、内閣総理大臣が思い通りに緊急事態宣言を発することができ、事実上の法律をつくり、地方自治権も奪い、財政面でも自由に支出できるなど内閣が非常に大きな権力を握ることになります。
 さらに99条3項に「何人も…国その他公の機関の指示に従わなければならない」とあります。緊急事態宣言のもとでは、国民は国の命令に黙って従えということです。これは、まさに独裁政治ではないでしょうか。

本丸の一つに
 緊急事態条項はお試し改憲≠セという議論があります。憲法9条の改定は反対世論が強くて難しいので、まずは緊急事態条項を試しに創設しようという議論ですが、とんでもない。緊急事態条項創設こそ、自民党が狙う戦争する国づくりの本丸の一つです。(2面につづく)

 ながやま・しげき 1960年、神奈川県横須賀市生まれ。
一橋大学大学院単位修得。現在、東海大学法科大学院教授。おもな論文に「『戦争法』が狙うもの」(『法と民主主義』497号)
(
2016年08月25日,「赤旗」)

(Go2Top

 

シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/東海大学法科大学院教授永山茂樹さん/自民党改憲案は戦時を想定

 「改憲案」に貫かれているのは、人権、民主主義、平和主義を破壊し、軍隊を持って戦争できる国づくりを進める考え方です。緊急事態条項は、自民党の国家構想≠具体化するのに有効です。

「日米同盟」強化
 憲法9条を変えなくても、緊急事態条項があれば人権を停止して憲法違反の命令をどんどん出せます。戦争法のもと、日本が米国と一体となって戦争できる国にすることへ直結するのです。さらに憲法9条2項を削除し、「国防軍」を創設すれば軍事優先の人権制限はいっそう拡大します。
 緊急事態の事例には「外部からの武力攻撃」とありますが、これは、他国からの一方的な侵略を想定したものではありません。
 集団的自衛権の行使が可能となり、米国の起こす世界戦争に自衛隊が参戦することが可能となった日本が前提です。日米同盟体制の強化を進める一環で起こりうる戦時を想定しているのです。
 日本国憲法は前文で人権と民主主義は「人類普遍の原理」と謳(うた)っています。この原理に外れ、戦争に反対する世論を抑え込む緊急事態条項と自民党改憲案は憲法の名に値しません。
(
2016年08月25日,「赤旗」)

(Go2Top

 

シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/山口大学名誉教授纐纈厚さん/軍による専制の恐れ

 自民党改憲案では、現行の9条2項の戦力不保持規定を削除して「国防軍」を創設するとした上で、「国防軍に審判所を置く」(9条5項)と明記しています。その問題点について山口大学名誉教授の纐纈(こうけつ)厚さんに聞きました。
 (聞き手・中川亮)

 自民党は、改憲草案に盛り込んだ「審判所」について「いわゆる軍法会議のこと」と説明し、「国防軍に属する軍人その他の公務員」による職務上の犯罪や、軍機の漏えいを処罰するとしています。

別次元≠フ制度
 軍法や軍事裁判所がつくられる理由は、通常の道徳規範に反して人の殺傷や器物の破壊という行動が求められる軍隊には、一般社会とは別次元≠フ司法制度が必要とされるからです。
 軍の体質は専制主義であり、軍人の特権化が不可欠だと考え、一般社会で保障されるべき透明性や民主性といったものはなじみません。たとえば自民党改憲案は、慎重・公正な裁判のための審級制・上訴について、認められるかどうかは「立法政策による」とあいまいにし、上訴を認めない可能性があります。
 自民党は軍法会議の裁判について「迅速な実施が望まれる」と述べており、慎重な裁判を行うことが事案解決を長期化させ、戦争遂行や戦争指導の阻害になるとの考えです。上訴が認められなければ、現行憲法も自民党改憲案も明記している「特別裁判所」の設置禁止(憲法76条2項)に違反する可能性があります。

一般人も対象に
 軍法会議で裁かれるのは軍人だけではありません。戦前、陸海軍に置かれた軍法会議は、軍人に限らず一般人の「犯罪」も対象にしました。軍が行政権や司法権を握る戒厳令が敷かれると、軍法会議の裁判権を拡大し、「戦時事変に際し軍の安寧を保持する」ためなどとして、一般人も裁くとしました。
 また、軍機漏えいを厳しく取り締まった戦前の政府・軍当局は、秘密を漏えいしなくても偶然に「探知」「収集」しただけで処罰対象とし、次々に一般人を不当に逮捕・拘束しました。
 自民党改憲案が新憲法となれば、同様に一般人への処罰規定が整備されることは否定できません。憲法に「軍機保護」が掲げられ、報道関係者や研究者、一般人も含め、外交防衛に関する発言をする人の言論・活動が脅かされます。
 自民党改憲案は軍法会議について、「裁判官や検察、弁護側も、主に軍人の中から選ばれることが想定されます」(自民党草案Q&A)としています。軍人が事実上、裁判審理を完全に掌握すると考えられます。そうなれば軍人による専制状態が出現し、民主主義にとってこれ以上危険なことはありません。
 すでに特定秘密保護法が施行されています。軍法会議は、これと連動して国家権力や軍に反抗する人々を事前にチェックし、恒常的に逮捕権や裁判権を振りかざし、戦争政策の遂行を円滑にしようとするものです。平時から、どう喝と抑圧をもたらし、まさにファシズム国家の到来です。

こうけつ あつし 1951年生まれ。83年一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了、現在は山口大学名誉教授。専攻は日本・アジア近現代政治・軍事史、現代政治論。『侵略戦争と総力戦』『集団的自衛権容認の深層』ほか。
(
2016年08月23日,「赤旗」)

(Go2Top

 

シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/名古屋大学教授山形英郎さん/米国の単独行動に協力

 自民党改憲案は9条2項の戦力不保持規定を削除し「国防軍」を創設したうえ、その役割として「国際的に協調して行われる活動」を盛り込んでいます。その問題点について名古屋大学の山形英郎教授(国際法)に聞きました。
 (中祖寅一)

 国際法の原則を確認しておくと、武力の行使と武力による威嚇は禁止されています。例外として、「自衛権」と「国連憲章42条による軍事的強制措置(集団安全保障活動)」が定められています。

国連決議なしで
 自民党改憲案9条の2の第3項にある「国際的に協調して行われる活動」とは、国連の軍事的強制措置や平和維持活動だけでなくNATO(北大西洋条約機構)のような地域的機関による行動を含むと考えられます。
 しかし国連の現実からすれば、軍事的強制措置は、湾岸戦争のように国連の安保理のコントロールを受けない授権決議という形で実施されています。またイラク戦争(2003年〜)では、明確な安保理の授権のないまま軍事行動がとられ、イラク政府の転覆という事態になりました。アメリカの単独行動との批判も出る一方、黙示の授権があるという主張もアメリカ、イギリスから出されました。
 自民党改憲案では「国連の決議に基づく」とは書かれておらず、イラク戦争のような事態においてアメリカの一方的な判断に基づいて武力行使に参加する可能性を残すことになります。
 日米安保体制のグローバル展開の必要が言われ、日本がアメリカを補完する役割を担わされている状況からすれば、このような9条改定は、いっそう危険なエリアに足を踏み入れることになります。

自衛権の「拡大」
 国際法研究の中で私が一番気になっているのは、いま国際法上の自衛権が国家実行においても学説においても大幅に拡大していることです。自衛権は本来、国家が他国に対し武力を行使することを想定し、侵略を受けた国が侵略国に対し防衛行動をとることだと理解されていました。
 ところが9・11テロのときに、テロ組織アルカイダの攻撃に対し、アルカイダをかくまうアフガンを自衛攻撃するという形が表れ、今、過激組織ISという国家ではない主体に対し自衛権を認めるというように、自衛権の枠組みを広げる動きが出ています。国家との関連がなくても、武力攻撃に匹敵するものがあれば、外国にいるテロ組織に対して自衛権を行使してよいというのです。
 このように自衛権概念が拡大している中で、安易に自衛権、特に集団的自衛権に乗っていくのは大変大きな危険をはらんでいます。
 それに加え、自民党改憲案9条の2第3項後段では自国民保護のための武力行使が射程に置かれています。事実、25条の3では、在外国民の保護を国の義務と規定しています。
 しかし、国連憲章の原則を厳格に理解すべきです。領域国の同意無しに、自国民保護の武力行使を認めるのは極端な少数意見です。
 これは自衛権・集団的自衛権を無制限に認めていくことの危険にかかわる問題ですが、米国をはじめ国際社会の動向とあわせ、慎重に見ていく必要があります。

 やまがた ひでお 1959年生まれ。京都大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。立命館大学助教授などを経て、現在、名古屋大学大学院国際開発研究科教授。著書に『集団的自衛権容認を批判する』(共著、日本評論社)など。
(
2016年08月20日,「赤旗」)

(Go2Top

 

シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/名古屋大学教授山形英郎さん/米国の単独行動に協力

 自民党改憲案は9条2項の戦力不保持規定を削除し「国防軍」を創設したうえ、その役割として「国際的に協調して行われる活動」を盛り込んでいます。その問題点について名古屋大学の山形英郎教授(国際法)に聞きました。
 (中祖寅一)

 国際法の原則を確認しておくと、武力の行使と武力による威嚇は禁止されています。例外として、「自衛権」と「国連憲章42条による軍事的強制措置(集団安全保障活動)」が定められています。

国連決議なしで
 自民党改憲案9条の2の第3項にある「国際的に協調して行われる活動」とは、国連の軍事的強制措置や平和維持活動だけでなくNATO(北大西洋条約機構)のような地域的機関による行動を含むと考えられます。
 しかし国連の現実からすれば、軍事的強制措置は、湾岸戦争のように国連の安保理のコントロールを受けない授権決議という形で実施されています。またイラク戦争(2003年〜)では、明確な安保理の授権のないまま軍事行動がとられ、イラク政府の転覆という事態になりました。アメリカの単独行動との批判も出る一方、黙示の授権があるという主張もアメリカ、イギリスから出されました。
 自民党改憲案では「国連の決議に基づく」とは書かれておらず、イラク戦争のような事態においてアメリカの一方的な判断に基づいて武力行使に参加する可能性を残すことになります。
 日米安保体制のグローバル展開の必要が言われ、日本がアメリカを補完する役割を担わされている状況からすれば、このような9条改定は、いっそう危険なエリアに足を踏み入れることになります。

自衛権の「拡大」
 国際法研究の中で私が一番気になっているのは、いま国際法上の自衛権が国家実行においても学説においても大幅に拡大していることです。自衛権は本来、国家が他国に対し武力を行使することを想定し、侵略を受けた国が侵略国に対し防衛行動をとることだと理解されていました。
 ところが9・11テロのときに、テロ組織アルカイダの攻撃に対し、アルカイダをかくまうアフガンを自衛攻撃するという形が表れ、今、過激組織ISという国家ではない主体に対し自衛権を認めるというように、自衛権の枠組みを広げる動きが出ています。国家との関連がなくても、武力攻撃に匹敵するものがあれば、外国にいるテロ組織に対して自衛権を行使してよいというのです。
 このように自衛権概念が拡大している中で、安易に自衛権、特に集団的自衛権に乗っていくのは大変大きな危険をはらんでいます。
 それに加え、自民党改憲案9条の2第3項後段では自国民保護のための武力行使が射程に置かれています。事実、25条の3では、在外国民の保護を国の義務と規定しています。
 しかし、国連憲章の原則を厳格に理解すべきです。領域国の同意無しに、自国民保護の武力行使を認めるのは極端な少数意見です。
 これは自衛権・集団的自衛権を無制限に認めていくことの危険にかかわる問題ですが、米国をはじめ国際社会の動向とあわせ、慎重に見ていく必要があります。

 やまがた ひでお 1959年生まれ。京都大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。立命館大学助教授などを経て、現在、名古屋大学大学院国際開発研究科教授。著書に『集団的自衛権容認を批判する』(共著、日本評論社)など。
(
2016年08月20日,「赤旗」)

(Go2Top

 

シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/明治大学教授浦田一郎さん/無制限の武力行使に

 自民党改憲案が現憲法9条2項の戦力不保持規定を削除し「国防軍」を創設すると明記している点について、浦田一郎明治大学教授に聞きました。
 (若林明)

 安倍晋三政権の改憲の最終目標は憲法9条です。安倍首相が9条の改憲を公言し、衆参両院で改憲勢力が3分の2以上を占めている状況は、戦後の憲法史の中でも一番危機的といえます。
 安倍首相が改憲議論の「ベース」にするという「自民党改憲草案」(「改憲草案」)は憲法9条をどう変えているか見ると、9条の1項は、自民党が作成した「自民党改憲草案Q&A」で「基本的には変更しない」としながら、重大な変化があります。現在の日本国憲法で「戦争」と「武力」を放棄するとしているのに対して、戦争は「放棄する」としていますが、武力については「用いない」としています。これは「放棄」はしない「留保する」と理解できます。

「限定的」から全面容認要求
 「改憲草案」は憲法の平和主義の核心である、戦力不保持、国の交戦権の否認を規定した2項を削除し、新しい9条2項で「自衛権の発動は妨げない」としています。つまり、海外での武力行使を可能にする集団的自衛権を含む自衛権発動としての武力行使は放棄しないということです。
 戦争法によって集団的自衛権は容認されました。しかし、まだ限定的な容認です。アメリカが求めているのは全面容認です。アメリカはアフガニスタンへの軍事介入やイラク戦争において、自衛隊に前線の戦闘に参加できるようになってほしいと考えています。安倍政権は、アメリカの要求に応えるために、無制限の集団的自衛権の行使が可能となる明文改憲に向かおうとしています。それがこの「改憲草案」にはっきり表れています。
 「改憲草案」は第9条の2で国防軍の創設を掲げています。「Q&A」で軍隊を持つことを「現代世界では常識です」と言っています。集団的自衛権を行使できる普通の軍隊が国防軍だということです。しかし、普通の軍隊を持つ国になることは、かなり大変なことです。いざとなれば、国民の人権は制限され、夜間外出が制限され、表現の自由が制限され、令状なしに逮捕されたりする。これらを本当に「普通」だから「良し」としていいのでしょうか。「改憲草案」の考え方は、戦争をしない国として守ってきた人権を制限し、憲法全体の性格を変えてしまう危険性があります。
 「改憲草案」は第9条の3で「国民と協力して、領土、領海、領空を保全し」としています。条文が必ずしも整備されていない印象を持ちますが、これは、「国民の協力義務」と読めます。条文自体からはなんらかの軍事的な協力を国民に求める条文と考えられます。

軍事の合理性受け入れない
 戦後70年の中で国民は軍事的なものに否定的、警戒的な感覚を身につけてきています。軍隊を持っている多くの国で国のために戦死することは名誉とされています。しかし、日本国憲法を持っている日本では違います。戦争をして「人殺し」をすることはいやだと考える人が多いと思います。そう考えるほうが人間的で「普通」ではないでしょうか。
 広島、長崎の原爆投下を経て、憲法9条で「武力」を否定してきた日本人の中に軍事の合理性を究極的には受け入れないという意識が定着していると思います。
(
2016年08月18日,「赤旗」)

(Go2Top

 

シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/憲法研究者小沢隆一さん/戦争法、噴出する矛盾

 安倍晋三首相は安保法制=戦争法に続き、明文改憲への動きを強め、「いかにわが党の案(自民党改憲案)をベースにしながら、(衆参両院に改憲発議の)3分の2を構築していくか。これは政治の技術」などと発言しました。9条改定、「緊急事態条項」創設、基本的人権の制約など、憲法原則を破壊する同党改憲案の論点をシリーズで検証します。1回目は、戦争法の強行と明文改憲の動きの背景について、憲法研究者の小沢隆一さんに聞きました。
 (聞き手・佐藤高志)

 参院選挙をへて、改憲勢力が衆参両院で3分の2を超える議席を確保しました。改憲勢力は、秋の臨時国会から憲法審査会を開いて、改憲議論を進める意向を示しており、明文改憲の動きが強まることが予想されます。
 とりわけ、昨年成立させられた戦争法=安保法制は、憲法9条の解釈を強引にねじ曲げて制定されたために、内部に多くの矛盾を抱えています。戦争法を実際に発動すれば、その矛盾が噴出してくるため、明文改憲によって矛盾を解決しようという圧力が強まることへの注意が必要です。

南スーダンで高まるリスク
 たとえば、安倍政権は、戦争法を根拠にして、南スーダンPKО(国連平和維持活動)に参加する自衛隊部隊に「駆けつけ警護」「宿営地の共同防衛」といった新たな任務を追加し、任務遂行のための武器使用権限の拡大を認めようとしています。自衛隊が他国軍隊と同じように戦闘に巻き込まれ、現実に人を「殺し殺される」リスクは高まるでしょう。
 そこで仮に、自衛隊員が民間人を殺傷してしまったら、国際人道法違反に問われるケースも出てくると思われます。その時、自衛隊内部から「軍事についてわからない普通の裁判所の裁判官に裁かれるのは嫌だ」、「軍の活動を理解している人間に裁いてもらって、正当な武器使用だったと判断できるような裁判所組織であってほしい」という声が上がってくることも考えられます。
 

 おざわ・りゅういち 東京慈恵会医科大学教授。著書に『憲法を学び、活かし、守る』(学習の友社)、『はじめて学ぶ日本国憲法』(大月書店)など。
(
2016年08月17日,「赤旗」)

(Go2Top

 

シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/憲法研究者小沢隆一さん/9条改憲策動に警戒

 重要影響事態や国際平和協力という形で、自衛隊が「後方支援」を行う場合、事実上、活動地域に地理的限定はなく、従来禁じられていた弾薬などの提供まで可能になります。

拘束後の扱い、捕虜ではない
 自衛隊の支援活動はまさに外国の武力行使と一体化したものとなるのですが、政府は「自衛隊の支援活動は武力行使を目的としていない」などとして、武力行使を禁じた憲法9条1項に違反しないと強弁してきました。
 深刻なのは、このことにより、支援活動中に武力紛争の相手方に拘束された自衛隊員が捕虜としての扱いを受けない事態が生まれてしまうことです。自衛隊員は「戦闘員」ではないのだから、捕虜扱いされず、また、文民としての保護も受けられない危険な状態に置かれることになります。
 自衛隊の中からは「そんな中途半端な身分ではなくて、『正式な軍隊』として送り出してほしい」「そうでなければ戦闘地域近くで活動できない」という声も当然、高まってくるでしょう。

より実戦的に/米から圧力も
 一方、戦争法によって、自衛隊による米軍などへの「後方支援」という協力のパターンはほぼ全面的に解禁されました。
 米軍が戦闘現場近くで、より実戦的な「後方支援」を自衛隊に要求してくる場面も増えると思います。そのとき、戦闘が激化したからといって、自衛隊が撤退するような支援であっては、米軍は困るでしょう。
 武力行使を禁じた憲法9条が、自衛隊による米軍への協力の障害となるのであれば、米国から9条改憲を求める圧力が強まる可能性もあります。
 他にも、違憲訴訟や戦争法の廃止を求める運動の高まり、国会での追及などで、戦争法の発動が困難になる場合も想定されます。
 今年の2月には、衆院予算委員会で、安倍晋三首相と稲田朋美・自民党政調会長(当時、現防衛相)が掛け合いのような形で憲法9条2項削除と「国防軍」創設を主張しましたが、戦争法の確実な実行のためには明文改憲が必要だ、と本気で9条改定に乗り出してくる可能性があります。
 仮に9条2項が削除されれば、「専守防衛」という考え方は成り立たず、海外での武力行使が無制限に可能になります。
 また、「国防軍」「国防軍の審判所」「緊急事態条項」の創設は3点セットで、正式な軍隊を憲法上、位置づけることにつながります。
 憲法9条を「本丸」とした明文改憲の動きには、迂回(うかい)路的な見せ方も含め、さまざまあると思いますが、今後も十分な警戒が必要です。

平和探求への努力こそ必要
 安倍首相は、昨年の戦争法審議の中でも、日米同盟が果たす抑止力を高めるためには戦争法が必要だと述べています。
 しかし、「『同盟による平和』という考え方では、平和は守れない」として出発したのが、第2次世界大戦後の国際社会であったことを思い起こす必要があります。
 第1次世界大戦前までは、「同盟による平和」という考え方が全盛でした。しかし、軍事同盟をつくって相手を威嚇して守る平和では、相手国も怖がって軍事同盟をつくるので、軍事と軍事の対立が生じます。そして、第2次世界大戦までもが引き起こされてしまいました。
 「同盟による平和」という考え方は失敗し、人類は二度にわたる戦争の惨害を受けることになったのです。国連憲章は、その反省に立ち、軍事同盟によって仲間をつくって身を守るというやり方はやめ、国際社会全体が平和の機構になるという「集団安全保障」の考え方を編み出しました。
 国連憲章と踵(きびす)を接してできた憲法9条もまた、集団安全保障のなかで、非武装という立場を表明してつくられています。
 もちろん、このような理念は、現実の国際社会の中では完璧な形で実現しているわけではありません。しかし、平和探求の努力を国際社会は一歩一歩の積み重ねの中で続けています。この成果を受け止めて、改憲をはねのける運動を広げていく必要があると思います。
(
2016年08月17日,「赤旗」)

(Go2Top

シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/聖学院大学教授石川裕一郎さん/人権と立憲主義/個人より国家を優先

 自民党改憲案が、立憲主義を根本から否定し、国民に憲法尊重義務を課していることなど、人権をめぐる問題について聖学院大学の石川裕一郎教授(憲法学)に聞きました。
 (聞き手・秋山豊)

 自民党改憲案102条は「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」と定めて国民に憲法尊重義務を課す条項を加え、憲法を国民を縛るものへと逆行させています。他にも国旗、国歌の尊重を押しつける規定や、人権を停止して国に従わせる緊急事態条項など国民に義務を課す条項がいくつも加えられています。

現行97条を削除
 憲法が権力を縛るという立憲主義から大きく外れ、復古主義的で個人より国家を優先する意図が改憲案全体にあふれているのです。
 安倍首相は、立憲主義について君主が権力を持っていた時代に主流だった考え方で、民主主義には合わない≠ニ発言しましたが、間違っています。ナチスは、ドイツ国民の大きな支持を得て、議会制民主主義のルールにのっとって政権につきました。立憲主義は、「民主的」に選ばれた権力の暴走を止める点でこそ重要な意味を持つのです。
 また、現行憲法97条は、人権を「侵すことのできない永久の権利」とし、人権を保障する憲法が最高法規たる理由を示しています。改憲案は、この97条をまるごと削除しています。
 人権は人間が生まれれば当然持っているものであり、国家から与えられるものではありません。これは自然権思想といい、立憲主義の柱となる考え方なのですが、これについて自民党は否定的なのです。

個人の尊重敵視
 日本国憲法13条は「すべて国民は、個人として尊重される」としています。国民一人ひとりが自分の生き方を自由に追求できることを保障しています。
 これを自民党改憲案は「全て国民は、人として尊重される」と書き換えました。単に「個」の一文字を削除したということではありません。自民党や改憲右翼団体「日本会議」は、個人主義が、日本人を自己中心的に変えて戦後の日本をだめにしたと主張しています。一人ひとりがかけがえのない存在だという考え方が許せないのです。
 さらに改憲案は憲法13条の「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」と書き換えました。それが具体的に何を指すのかわかりませんが、国家のために個人に犠牲を強いることを正当化する意味で理解される危険があります。
 戦前、日本のさまざまなシステムでは、徹底して「個」が否定されました。それは軍だけではありません。生産体制も教育制度も家制度もまずは国家ありきでつくられました。国を強くするために型にはまった国民をつくる仕組みが築かれ、これにかなわない者は排除され、あるいは非合理ないじめやしごきに遭いました。国民は国家からかけがえのない「個人」ではなく取り換え可能な「駒」として見られていたのです。
 自民党改憲案も基本的なメンタリティーはそれと同じです。日本国憲法の考え方は国民の権利を守るために国家が存在するというものですが、改憲案は国家を発展、継承させるために国民がいるという形になっているのです。もはや憲法と呼べるものではありません。

 いしかわ ゆういちろう 1967年生まれ。専門は憲法、フランス法。著書に『憲法未来予想図』(現代人文社)、『リアル憲法学』(法律文化社)など。
(
2016年08月31日,「赤旗」)

(Go2Top

シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/明治大学教授佐原徹哉さん/緊急事態条項/トルコが示す危険性

 自民党改憲案には、内閣と首相に権限を集中させる緊急事態条項が盛り込まれています。トルコでは7月15日に軍の一部によるクーデター未遂事件が起き、エルドアン大統領が3カ月にわたる「非常事態宣言」(7月20日)を出して、大統領への権限集中を図っています。トルコの現状と緊急事態条項の危険性について明治大学教授の佐原徹哉さんに聞きました。
 (聞き手・中川亮)

 エルドアン大統領が「非常事態宣言」を出した後、軍や警察、司法、大学、マスコミを標的とした公職追放が横行しています。
 本来、議院内閣制のトルコでは、行政トップは首相で、大統領には行政も司法も軍事も直接統括する権限がありません。今回、エルドアン大統領は憲法120条の「非常事態宣言」を行い、自身が議長を務める閣議での決定により、法律と同等の効力を有する政令を発布できます。さらに、基本的な人権についても一部あるいは完全に制限できます。

権力掌握に利用
 エルドアン氏は、大学を所管する高等教育庁を通じて大学の学部長を解任に追い込み、大学の末端まで政府の統制が及ぶような下準備を始めています。マスコミに関しても、非常事態宣言に基づく政令を出して約130社のメディアを閉鎖すると発表(7月27日)し、政治的に中立な独立系メディアへの弾圧やジャーナリストの逮捕にも踏み出しています。
 今回のクーデターは軍が政権奪取を狙い計画したとされ、トルコ政府は「首謀者」をイスラム組織指導者のギュレン師だと主張し、「ギュレン派」とされる人々を弾圧しています。しかしその証拠はありません。マスコミ、学界へ集中的に人材を送り込み、影響力を増してきたギュレン師側に、エルドアン氏が警戒を強めたのが理由でしょう。
 しかも今回の事件を受けて実際には、「ギュレン派」だけでなく、そうでない人を含めた反政権勢力を弾圧しています。
 結局、エルドアン大統領は「非常事態」そのものを乗り切るためではなく、独裁的な権力を握ろうとして非常事態宣言を利用しています。そもそもクーデターは失敗し、非常事態宣言の必要もなく、一過性の事件として終わるはずでした。
 「非常事態」のもとでエルドアン氏が狙うのは、米国のように大統領に権限を持たせるシステムの実現です。今回の「非常事態」が残り2カ月続き、議会と首相を中心とする議院内閣制のシステムを壊して、大統領の権限強化をそのまま平時の制度≠ニし、事実上の大統領制をつくろうと企図しているのではないかと思います。

恣意的な運用も
 一方、自民党改憲案の「緊急事態条項」を見ると、「緊急事態」を宣言できる条件に「外部からの武力攻撃」を挙げています。現実には国家間戦争はほとんどなくなっており、時代遅れの規定ですが、拡大解釈ができるため、テロや北朝鮮によるミサイル発射などを「軍事的危機」として、「緊急事態」を発する理由にすることも考えられます。さらに、「その他の法律で定める緊急事態」というのは、まさに恣意(しい)的運用を可能とするものです。
 「非常事態宣言」も「緊急事態条項」も、権力者に都合のいい政治を行うために利用される危険をはらんでいます。

 さはらてつや 1963年生まれ。専門分野は東欧史、アジア史、国際テロ研究、紛争の比較研究。著書に『中東民族問題の起源 オスマン帝国とアルメニア人』『ボスニア内戦 グローバリゼーションとカオスの民族化』など。
(
2016年08月30日,「赤旗」)

(Go2Top

9月)

シリーズ安倍改憲を問う/自民改憲案が実現したら/空想小説にした弁護士内山宙さん

「個性は尊重しない。人並みでがまんを」
 自民党改憲草案が実現したらどんな世の中になるのか―。それを小説『未来ダイアリー』として出版した弁護士がいます。「明日の自由を守る若手弁護士の会」のメンバー、内山宙さん。自民党改憲草案の危うさや、日本国憲法の魅力について聞きました。
 佐藤幸治記者

 物語は、主人公の大学生が「改正」前の憲法(現憲法)を調べようとして「公の秩序違反」に問われて警察に任意同行を求められるシーンから始まります。以前の憲法を学ぶことは、憲法秩序を破壊しようとする行為と見なされたのです。
 「現憲法にも『公共の福祉』という言葉はありますが、それは権利と権利がぶつかるときの調整、バランスをとるものです。ところが草案では『自由や権利には責任や義務が伴う』、『公益及び公の秩序に反してはならない』とあり、国が個人の権利を制約できるものになっています」
 改憲草案に「家族は互いに助け合わなければならない」との家族観が明記されています。小説では、そのために子育てを家庭に押し付けられ、働き続けられなくなって苦しむ母親がでてきます。また、デモに対して「緊急事態の宣言」を発令したい内閣と市民との緊迫した攻防が描かれています。
 「『緊急事態の宣言』は、首相の一存で発令でき、強大な権限を手にして国民主権を停止する余地があるのに、歯止めが不十分です」
 「自民党改憲草案は、国民を縛るものです。国民の義務を強調して『義務を果たさないと権利を与える必要はない』というニュアンスで書かれています。これは憲法が権力をしばるという立憲主義に反します」

現憲法知って
 憲法は変えた方がいいという前に、今の憲法をよく知ってほしいという内山さん。その一例として内山さんは、「個人の尊重」をうたう憲法13条をあげ、一番好きな条文だといいます。
 「みんなそれぞれ違っていいんだよ≠ニいうメッセージを憲法が送っているというのはすごいことだと思います。つい、自分を周りの人と比較して、落ち込むことがあっても、『違っていいんだ』と前向きになれます」
 その「個人」を自民党改憲草案では「人」に置き換えています。
 「たとえばLGBT(性的マイノリティー)の人たちや、夫婦別姓を求める人たちが『私はこういう権利がないと幸せじゃないんだ』と言っても、『あなたの個性は尊重しない。人並み程度でがまんしてね』と片付けられてしまう恐れもあります」
 物語では、同性婚や夫婦別姓が認められず、在日コリアンや障がい者が差別されている現在の日本が抱えている問題にも触れています。
 「こうした問題は、憲法の適切な解釈や平等原則を生かすことで解決できます。少数者に配慮して運営していくのが本来の政治の役割だと思います」
 内山さんは憲法の講演などで、フランス革命が舞台の漫画『ベルサイユのばら』を引用したり、『スターウォーズ』のエピソードと絡めたりして、聞き手の興味を引き出す工夫をこらしています。
 「共感を得る伝え方が重要だと思います。小説もその取り組みの一つで、無党派層の人にも関心を持ってもらいたい。これまでの運動が憲法に関心が無い人の共感を得られるものだったのか見直すきっかけにしてもらいたい。そして、諦めないでほしいという思いで書きました。あなたでないと動かせない人がいるはずだからです」

うちやま・ひろし=1974年生まれ。日弁連法科大学院センター幹事。静岡県弁護士会憲法委員会委員
(
2016年09月04日,「赤旗」)

(Go2Top

シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/埼玉大学准教授中川律さん/基本的人権の制約

「公の秩序」で広範囲に
 自民党改憲案は、憲法で保障された基本的人権を制約する根拠となる「公共の福祉」について「意味が曖昧(あいまい)」だなどとして、「公益及び公の秩序」に置き換えています。現行憲法をどう変質させるものなのか。埼玉大学准教授の中川律さんに聞きました。
 (聞き手・中川亮)

 「公共の福祉」を根拠とする人権制約とは、憲法上保障された人権であっても無制限に認められるのではなく、社会で共存する他人の人権との関係で相互の衝突を避けるために行われるものです。

必要性や合理性
 自民党は概念があいまいだといいます。しかし実際、憲法学や裁判所の判決では「なぜ制約が必要か」という具体的な必要性や合理性を示して、人権制約が不当に広げられるのを回避する努力を積み重ねてきました。
 自民党改憲案は「基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではない」としています。人権制約がこれまでの「公共の福祉」よりも広い範囲で、抽象的な「国家の利益」のため、より簡単に正当化される恐れがあります。
 改憲案では、13条の「幸福追求権」の規定で、「個人として尊重」を「人として尊重」に書き換えています。「個」が尊重されず、国家が求める「人」としてのあり方が強制される懸念がぬぐえません。例えば、改憲案3条の「国旗・国歌」の尊重は、日本「人」として当然の義務だとして、式典での国歌斉唱時の不起立など、個人的な思いの表出は公の場では差し控えるべきだということになることも考えられます。
 そして重大なことは、21条の「表現の自由」の中で、「公益及び公の秩序」を害する活動や結社を「認められない」と明記したことです。自民党は「公の秩序」の意味として「平穏な社会生活のこと」「人々の社会生活に迷惑をかけてはならない」ことだと説明しています。

国家権力が調査
 これは裏を返せば「迷惑をかけるもの」と国家が判断すれば制約できると読めます。国家が「公益」と考えるものに対して、異を唱える街頭でのデモや集会などの表現活動が大幅に制約されることになりかねません。こうした活動は人によっては「迷惑」と受け取られることもあります。しかし、民主主義社会にとってその表現活動は大きな意義を有すると判断し、保障してきたのが、日本国憲法です。デモや集会を含めて自由な表現活動が十分保障される中で政治が行われることこそ民主主義だからです。
 さらに警戒すべきことは、「公の秩序」を害する目的の団体や個人であるかどうか、国家権力が調査することを広く認めるという問題です。いわゆる公安警察活動の拡大を正当化する条文だと言えます。警察の目が光れば、表現活動をためらう人が増え、萎縮効果が働き、大変怖い社会になると危惧します。
 自民党改憲案は、個人の尊重を基軸に、人権保障のために国家権力を構成するという近代立憲主義とは、根本的に相いれません。市民ではなく、国家のための「憲法改正」にほかなりません。

 なかがわ りつ 1980年生まれ。明治大学大学院法学研究科博士後期課程退学。専門は憲法学・教育法学。主に米国を比較対象として教育と憲法との関係について研究。
(
2016年09月02日,「赤旗」)

(Go2Top

シリーズ自民党改憲案の論点/識者に聞く/上智大学教授三浦まりさん/家族、婚姻等/「国家家族主義」的な側面

 自民党改憲案は、家庭における個人の尊厳と両性の本質的平等を定めた日本国憲法24条のはじめに新たに「家族」の項目を設けるなど、家族にかかわる条文を変えようとしています。その問題点を上智大学教授の三浦まりさんに聞きました。(聞き手・若林明)
 自民党改憲案全体に通じる特徴ですが、改憲案の24条(家族、婚姻等に関する基本原則)には、福祉切り捨ての新自由主義的な側面と古色蒼然(そうぜん)たる国家家族主義的な側面が表れています。

福祉は「自助」で
 第1項として「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」と新しい項目が加えられています。改憲案前文で「家族と社会全体が助け合って国家を形成する」と明記していることとあわせて、福祉において「自助」「共助」を基本とする発想が表れています。
 自民党が作成した「日本国憲法改正草案Q&A」は24条について、世界人権宣言の「家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する」を参考にしたと書いています。後半の権利規定をあえて無視しています。国家や社会は家族を支援する(公助)への消極的な姿勢がうかがえます。現実に家庭が助け合えない状況にある場合、貧困やDV(家庭内暴力)などがある場合に「国家は手を差し伸べない」と言っていると考えられます。

結婚は親意向も
 婚姻の成立について、現憲法が「両性の合意のみに基づいて」としているのに対して、改憲案24条の2項は「のみ」を削除していることも重大です。結婚する当事者以外の親の意向を考慮することを示唆しており、戦前の家父長制的な考えを復活させようとしています。そもそも、権利保障でも国家権力をしばることでもない「道徳律」のような規定を憲法に入れていることに違和感を持ちます。
 同時に、今後福祉を切り詰めていくうえで、親の面倒や子どもの面倒を家庭内で「自給自足」でやってもらう。そのためには、結婚相手は親の意向も考慮すべきという考えがあると思います。
 同条3項では、個人の尊厳と両性の平等に基づいて決められる事項として、「配偶者の選択」と「居住の選択」が削除されています。住む場所についても「個人の尊厳と両性の平等」で決められない。ここにも、三世代居住を想定し、そこでの介護や子育てを当然の「助け合い」だとして、公的な福祉をできるだけ小さくしようという意図がうかがえます。
 人間は「世話」=ケアをうけないと生きていけません。子どものときや高齢になれば顕著にわかります。日常生活でも食事や睡眠など、ほとんどの人がケアを受けて生きていきます。家族の中でケアを抱え込んで、国や社会の世話にはなるなという考えが改憲案にあります。
 改憲案をつくった自民党の人たちは、自分たちが国家を動かしていると思い、それ以外の人たちは国家を支えたり、奉仕したりする存在だと考えている。国民は国家から何かしてもらおうと期待するな。そんなわがままな権利を言うなと考えているのではないでしょうか。

 みうら・まり 1967年生まれ。上智大学法学部教授。専攻は政治学、ジェンダーと政治。主な著書に『私たちの声を議会へ―代表制民主主義の再生』など。
(
2016年09月06日,「赤旗」)

 

 

(Go2Top