2019焦点・論点 

 

t  4月

t  性暴力犯罪で続く無罪判決をどうみる 千葉大学大学院専門法務研究科長(刑事法) 後藤弘子さん

t  5月

t  天皇「代替わり」儀式の問題点 識者に聞く 歴史学者・神奈川大学名誉教授 中島三千男さん

t  天皇「代替わり」儀式の問題点 識者に聞く 宗教学者・上智大学特任教授 島薗進さん

t  天皇の「代替わり」テレビ報道どうみるか 武蔵大学教授(メディア社会学) 永田浩三さん

t  天皇の「代替わり」テレビ報道どうみるか 元NHKディレクター 戸崎賢二さん

t  子どもの権利条約採択30年、批准25年 東京大学名誉教授 堀尾輝久さん

t  外国人と共生するために 同志社大学大学院教授 内藤正典さん

t  多国籍企業の税逃れを告発 税公正ネットワーク会長 ジョン・クリステンセンさん

t  NHKの本格的ネット進出どう見る メディア総合研究所所長・立教大学教授 砂川浩慶さん

t  NHKの本格的ネット進出どう見る 上智大学教授(メディア論) 音好宏さん

t  元号で「時代」を画すことはできない 一橋大学特任教授(歴史学) 吉田裕さん

t  6月

t  都市開発の視点から再稼働に警鐘 元茨城大学教育学部教授 乾康代さん

t  米軍普天間・嘉手納基地周辺の水源汚染 京都大学名誉教授 小泉昭夫さん

t  7月

t  富裕層への負担 当たり前 元文部科学省事務次官 前川喜平さん

t  多様な性と権利保障 日本学術会議副会長・奈良女子大学副学長 三成美保さん

t  8月

t  吉本興業の問題 元芸人として思うこと 日本共産党衆院議員 清水忠史さん

t  「表現の不自由展」中止 どう考える 作品撤去・中止しないでとネット署名を呼びかける美術家 井口大介さん

t  「表現の不自由展」中止 どう考える 同志社大学教授 岡野八代さん

t  「表現の不自由展」中止 どう考える 美術評論家・府中市美術館学芸員 武居利史さん

t  ハラスメント防止 ILO条約採択後の課題は 労働政策研究・研修機構副主任研究員 内藤忍さん

t  監視社会と国の情報隠蔽に抗して 弁護士 三宅弘さん

t  羽田新ルートどう見る 航空評論家(元JAL機長) 杉江弘さんに聞く

t  10月

t  あいちトリエンナーレ補助金不交付問題 日本文化政策学会顧問(アートマネジメント・文化政策) 伊藤裕夫さん

t  米軍「思いやり予算」使い日本を監視拠点に ジャーナリスト・社会学者 小笠原みどりさん

t  「即位の礼」の特徴と問題点 歴史学者・神奈川大学名誉教授 中島三千男さん

t  表現の自由 日本の現状への危機感 ドイツのボン大学教授(日本史研究) ラインハルト・ツェルナーさん

t  11月

t  憲法公布73年 9条改憲・表現の自由の危機とたたかう 青山学院大学教授(憲法、国際人権法) 佐智美さん

t  憲法公布73年 9条改憲・表現の自由の危機とたたかう 東海大学教授(憲法学) 永山茂樹さん

t  教員に変形労働制適用 加藤健次弁護士に聞く

t  安倍政権が狙うケアプラン有料化 東京都介護支援専門員研究協議会理事長 小島操さん

t  12月

t  権力に弱いNHK どう改革 元上智大教授(憲法・メディア法) 田島泰彦さん

t  地球温暖化 最新の科学的知見 地球環境戦略研究機関研究顧問 甲斐沼美紀子さん

t  安倍政権の「全世代型社会保障改革」 鹿児島大学教授(社会保障法) 伊藤周平さん

t  「桜を見る会」の名簿廃棄問題どうみる 元内閣府公文書管理委員会委員長代理・弁護士 三宅弘さん

t   

 

GoTo

4月

性暴力犯罪で続く無罪判決をどうみる 千葉大学大学院専門法務研究科長(刑事法) 後藤弘子さん

2019428

「抗拒(=抵抗)不能」の要件が壁に 裁判官の認識不足は明らか

 性暴力をめぐる裁判で無罪判決が続いたのにたいし、スタンディングデモが行われるなど疑問の声が広がっています。性暴力犯罪に詳しい千葉大学大学院専門法務研究科長の後藤弘子さん(刑事法)に聞きました。

 ―裁判では加害者が強制性交等罪や準強制性交等罪に問われました。どんな罪ですか。

 2017年に刑法が改正され、強姦(ごうかん)罪は強制性交等罪に、準強姦罪は準強制性交等罪に名称が変更されました。被害者・加害者の男女を問わなくなり、被害者からの告訴がなければ起訴ができない「親告罪」の規定が削除されました。法定刑の下限が3年から5年に引き上げられました。けれども、強制性交等罪では抵抗が「著しく困難」なほどの「暴行・脅迫を用い」て、準強制性交等罪では「心身喪失」もしくは身体的または心理的に反抗が不能か著しく困難な「抗拒不能に乗じ」て、性交等をした者という要件は変わっていません。これらの要件を満たすと認定されない限り、合意のない性交であっても犯罪としては成立しません。

 ―疑問が上がっている判決の一つが、父親が19歳の実の娘をレイプして準強制性交等罪に問われ無罪判決が出たことです(3月26日、名古屋地裁岡崎支部)。事実認定はどうでしょうか。

 判決では合意がなかったことや、中学2年生のころから継続的な性的虐待で父親が娘を「精神的支配下に置いていた」こと、娘が専門学校に入学し学費や生活費を父親から借り入れする形をとらされ「支配状態は従前よりも強まっていた」ことは認めています。

 ただ、起訴事実の少し前、娘が父親の性暴力に抵抗したとき、大きなあざが残るような暴行を父親から受けたことは認めつつ「極度の恐怖心を抱かせるような強度の暴行であったとはいい難い」としました。

 さらに娘が親の反対を押し切って専門学校に入学したこともあげ「被告人が娘の人格を完全に支配し、娘が被告人に服従・盲従せざるを得ないような強い支配従属関係にあったとまでは認め難い」などとして、娘が抗拒不能な状態にあったことを認めませんでした。

 しかし、父親は娘が中2のときから性虐待を繰り返すことで、娘に性交については父親の言うなりにならなければならないものだと思い込ませている。親に逆らって専門学校への入学を決めることはできても、性交は親に逆らえない。洗脳の状態にあって、性交については相手に盲従する状態で応じていたと考えるのが実態に即しています。

 性交を断ったときは暴力もあった。暴行は性交との関係で行われれば、それ以後被害者は、拒否すればまた暴行を受けるのではないかと抵抗をできなくする心理的な抗拒不能状態を高めたと言えます。こうした歴史的な経緯のなかで心理的な抗拒不能状態があるのに、判決では歴史的な積み重ねが全然認識されていません。そこには裁判所の性暴力への無理解があると思います。

 また、この判決で私が衝撃を受けたのは、被害者の性暴力から抜け出そう、生き延びようとする努力が全部、抗拒不能でなかったことの認定に使われていることです。抵抗して暴力を受けたが性交を回避できた1回の経験や、弟らに相談したことなどです。抗拒不能状態から抜けだすためにもがいていることをもって抗拒不能ではなかったというのは、どう考えてもおかしい。

 ―被害者が「抗拒不能」と認められても、それに「乗じた」行為でなければ準強制性交等罪になりません。被害者が抗拒不能状態にあると加害者が認識していたかどうか、故意があったかどうかも問題になっています。

 福岡地裁久留米支部が3月12日に言い渡した準強姦事件の判決などです。一気飲みをさせられて眠り込んだ女性と性交した男が準強姦罪(法改正前)に問われました。判決は女性が飲酒の影響で抗拒不能だったことは認める一方、女性がある程度声を発することができ、被告人が抗拒不能を認識していたと認められないとし、故意を認めず、無罪になりました。

 過去にも同様の判決が出ています。ゴルフ教室を主宰する56歳の男性が当時18歳だった女性の教え子をゴルフの指導の一環との口実でホテルに連れ込み性交して準強姦罪に問われた事件の控訴審判決(福岡高裁宮崎支部、2014年12月)では、被害者が抗拒不能の状態にあったことを認めつつ、被告が「女性の心理や性犯罪被害者を含むいわゆる弱者の心情を理解する能力や共感性に乏しく……むしろ無神経の部類に入ることがうかがわれる」とし、抗拒不能を認識していなかったとして、無罪判決を言い渡しています。

 しかし抗拒不能が認定されるのであれば、例外的な事情がない限り抗拒不能であったことを被告人が認識していないとはいえないはずです。加害者が「無神経」なら無罪になるというのは不合理です。

 殺人罪では、殺すつもりはなかったと被告が主張しても裁判官が認めることはほとんどありません。外形からみて殺すだけの有形力の行使があれば、殺すつもりはなかったと主張するのはすごく難しい。性犯罪の場合、殺人のような結果の重大性に対する裁判官の認識が薄い可能性があります。

 ―今後に向けどのような課題がありますか。

 刑法で「暴行・脅迫」や「抗拒不能」が要件になっている以上、それを満たすことが必要ですが、見てきたように事実認定の仕方に大きな問題があります。

 裁判官の性暴力・性虐待にたいする認識の不足は明らかだと思います。また暴力が持つ影響力の軽視も、どの判決にも当てはまると思います。抗拒不能のハードルをこれだけ高くするのは、性犯罪における抗拒不能状態をきちんと認識していないからです。裁判官も検察官も警察官も、性暴力被害者の実態についての組織的な研修が必要です。多くの国では裁判官へのプログラムがあり、必ず研修を受けないといけないようになっています。

 他方で、先にあげたゴルフ教室の生徒への準強姦事件の一審判決では「刑法は、真意にもとづく承諾を伴わない性交のすべてを準強姦罪で処罰しようとしておらず」とのべています。私は、合意がない性交だけでは犯罪が成立しないという日本の刑法が一番の問題だと考えます。諸外国では合意のない性交はそれだけで犯罪とされます。合意がなかったと言われないようにするには、一回一回の性行為に対しきちんと合意をとるようにしていけばいい。復讐(ふくしゅう)的に訴えられることを防ぐには、警察が真偽を見極める捜査技術をあげていくことで対応できます。

 暴行・脅迫や抗拒不能の要件をなくし、合意のない性交を犯罪とするよう刑法を改正するべきだと私は考えています。

 ごとう ひろこ 1987年慶応大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得。立教大学法学部助手などを経て、2004年から千葉大学大学院専門法務研究科教授。現在、同大学院社会科学研究院教授。

GoTo

5月

天皇「代替わり」儀式の問題点 識者に聞く 歴史学者・神奈川大学名誉教授 中島三千男さん

201951

国民主権の意味 あいまいに

 今度の天皇「代替わり」は、憲政史上初の天皇の生前退位によるものです。安倍晋三政権はもともと生前退位には否定的でしたが、国民の世論に押される形でそれを認めざるを得なくなりました。

 ところがそれ以降、4月1日の新元号「令和」の決定・公表過程にみられるように、天皇「代替わり」関連の儀式・行事を政権の絶好の浮揚策として、最大限に利用しようとしています。まさに天皇の政治利用、一政権による天皇の私物化といえます。

 政府は、退位、即位にかかわる儀式挙行の「基本方針」を、(1)憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものとすること(2)平成の「代替わり」儀式は、現憲法下で十分な検討が行われたうえで挙行されたものであり、今回も基本的な考え方や内容は踏襲されるべき―としています。(2018年4月3日閣議決定)

 (2)についていえば、「平成の代替わり」が予想された時期には、国会で野党議員が儀式について質問しても、政府は昭和天皇が重体であることを理由に一切答弁せず、儀式の内容は開始直前の閣議で唐突に決められました。「現憲法下において十分な検討」が行われたとは到底いえないものです。

 (1)については「憲法の趣旨」より「皇室の伝統」を重視するものとなっていますが、そもそもこの「皇室の伝統」とは何かを考えてみる必要があります。

 「代替わり儀式」は天皇権力のあり方や、その時代の支配的な思想、宗教によって大きく変化してきました。政府が喧伝(けんでん)するような王朝絵巻風、純神道式の儀式がずっと続いてきたわけではありません。

 奈良時代以降、仏教の興隆が王権の興隆に直結するという仏教的国家観が優勢になり、鎌倉時代から幕末の孝明天皇までの550年間、「即位灌頂(かんじょう)」という神仏習合的な即位の儀式が行われてきました。

 服制も、律令制が取り入れられ即位の礼が本格的に行われるようになって以降、中国の皇帝にならって中国風(唐風)の服制が孝明天皇までの千数百年間続いてきたのです。

 長く続いてきた神仏習合的、中国風の儀式が1868年8月の明治天皇の即位礼のさいに廃止され、1909年の「登極令(とうきょくれい)」で、国家神道の核心的教義というべき「天皇制正統神話」(神勅神話・建国神話)に基づく諸儀式が整備されました。

 天皇が束帯(そくたい)に身を包む王朝絵巻風、純神道式の儀式は、いまから150年前に始まったもので、伝統というより長い日本の歴史のなかでは新しい儀式であり、明治以降に新たに「創られた伝統」にすぎないのです。

 登極令に規定された「賢所大前(かしこどころおおまえ)の儀」や「剣璽渡御(けんじとぎょ)の儀」、「大嘗祭(だいじょうさい)」などの儀式は、徹頭徹尾、天皇制正統神話を目に見える形で演じるためのものです。

 戦後、日本の「国のかたち」は大きく転換し、神権的天皇像は否定され、国民主権のもと政教分離が規定されました。「代替わり儀式」が時代によって大きく変化するものである以上、戦後初の即位儀礼であった30年前の「平成の代替わり」は、戦前とはまったく異なるものとして行われるべきでした。にもかかわらず、戦前の天皇制正統神話に基づく登極令に準じて行われ、今回もまたそれを踏襲して行われようとしています。

 戦後の変革、「国のかたち」の転換の意味をあいまいにすることにつながるこうした動きに対して、私たちは厳しい目で見つめる必要があると思います。(竹腰将弘)

 

 なかじま・みちお 1944年生まれ。歴史学者。神奈川大学名誉教授。同大元学長。主な著書に『天皇の代替りと国民』(青木書店)、『海外神社跡地の景観変容』(御茶の水書房)

GoTo

天皇「代替わり」儀式の問題点 識者に聞く 宗教学者・上智大学特任教授 島薗進さん

201951

祭祀足場に神聖化狙う動き

 代替わり儀式において一番懸念すべきなのは国家神道とのつながりです。

 明治維新から1945年の敗戦まで、天皇は天照大神(あまてらすおおみかみ)からの「万世一系」の切れ目のない皇統をつぐ神聖な存在で、その天皇が治める日本は世界に比べるもののない「万邦無比」の優れた国だという信念、天皇崇敬が教育や祝祭日、軍隊、メディアなどを通じてつくられました。

 そうした神権的国体論体制をつくるうえで、皇室祭祀(さいし)が中心に据えられました。今の皇室祭祀は明治期に大幅に拡充されたものです。現在、皇居にあるような宮中三殿(賢所〈かしこどころ〉、皇霊殿、神殿)、神武天皇の即位日とされる2月11日の紀元節、神武天皇・皇后を祀(まつ)る橿原(かしはら)神宮なども明治維新後につくられました。天皇自身が祭祀を行う天皇親祭が始められ、それに全国の神社の行事を連動させました。伊勢神宮に天皇が参拝するのも明治天皇からです。

 新穀を天照大神にささげ、天皇が神と共に食するという大嘗祭(だいじょうさい)は、大正期以前は宮中の限られた空間で行われ、国民の多くは関与していません。大規模な代替わり儀式は大正になるときからです。

 天皇が神聖な存在だと国民に印象付ける大がかりな国家的行事や明確な神道儀式である大嘗祭への公費支出には疑念があります。

 即位儀式とされた剣璽(けんじ)等承継の儀は、神話の中で天照大神が天孫に授けたという「三種の神器」を引き継ぐもので、日本の王権が神聖である根拠だという宗教的理念に深く関わるものです。これを国事行為とすることは政教分離の点で問題です。

 戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のいわゆる「神道指令」は、国家神道のうち、神社神道を国家から切り離し民間の宗教団体としました。しかし国家神道の重要部分であった皇室祭祀には手を付けず、皇室祭祀はほぼそのまま残りました。

 天皇の位置づけは、戦前の「万世一系」を掲げた憲法から、新憲法での象徴天皇へと天皇の神聖性を抑える方向に転換しました。

 新憲法の下で皇室祭祀は皇室の私的なものとなりましたが、同時に天皇は日本国の象徴、国民統合の象徴であり公的な存在なので、そこに曖昧さがあり、天皇の代替わりに露呈します。

 皇室祭祀を公的なものとするのは、信教の自由と政教分離を定めた憲法20条に反します。現憲法の下では、特定の宗教や信念体系が国民に押し付けられてはならないのです。

 皇室祭祀を足場として神聖天皇を求める動き、例えば天皇の役割は宮中祭祀にこそあるという主張や、靖国神社に国家的性格を与えようという日本会議などの運動が続いています。

 それに対する歯止めとして、思想・良心の自由を保障した憲法19条、それと結びついた20条、公金の宗教団体への支出を禁じた89条があります。

 戦前、国家神道、天皇崇敬は一般の宗教とは別だとして国民に押し付けられ、広められ、多くの国民が天皇のために命を投げ出すという悲劇的結末に追い込まれました。植民地化や侵略など対外的な膨張主義はむろん、国民自身の命が軽んじられた歴史があります。

 近代の形成期につくられたものは根が深く、新憲法による転換が押し戻される可能性もあるわけです。ことに歴史を肌身で知る世代がいなくなる中で、メディアや教育でも認識が甘くなっています。

 先日の天皇夫妻の伊勢参拝の際にテレビニュースに剣璽が天皇とともに伊勢に行く様子が映りました。「剣璽動座」といって剣璽の宗教性、天皇の神聖性を表すもので、従来は映されなかったものです。戦前、天皇崇敬が猛威を振るった時代の記憶が薄れゆるみが出ている。あらためて歴史を認識しなおすことが求められています。(西沢亨子)

 しまぞの・すすむ 1948年生まれ。宗教学者。上智大学特任教授。日本宗教学会元会長。主な著書に『国家神道と日本人』(岩波新書)ほか、近著に『神聖天皇のゆくえ』(筑摩書房)

GoTo

天皇の「代替わり」テレビ報道どうみるか 武蔵大学教授(メディア社会学) 永田浩三さん

201952

考えさせられた「国民の総意」

 今回の改元、退位、即位の一連の報道に関してNHKを中心にウオッチしました。改元など自分には関心がないとか、否定的にとらえる人だっていたはずなのに、一連のフィーバーのなかでそうした声は報道されない。お祝い一色で異論を封じるようなところが随所に見られたことに、違和感があります。

議論を怠った

 民主主義は少数の意見に耳を傾けることで成り立ちます。放送法一条にも「健全な民主主義の発展に資する」とありますが、それとは逆の、病んだものを見た思いです。

 とくにNHKのニュースは礼賛一色となり、幅のないゆがんだものでした。

 神武天皇以来の系図や天照大神の子孫といった表現を無批判に使うなど、神話と歴史を混同させるようなミスリードもみられました。今回は、日本国憲法下で初めての生前退位であり、課題は山積でした。

 そもそも元号はこのままつづけていいのか、いまの象徴天皇制でいいのかなど、女系天皇の問題に限らず積み残したさまざまな課題を時間をかけて議論すべきでしたが、メディアの多くはそれを怠ったと感じています。

 一方、特集のなかには評価できるものもありました。「天皇 運命の物語」4部作(NHK)からは、象徴天皇制を生身の人間が担うことの問題が浮き上がってきました。闇に包まれた大嘗祭(だいじょうさい)の秘儀に迫ろうとしたもの、国民主権と象徴天皇制の関係についての冷静な解説なども少しあり、そこは救いでした。

戦争への決着

 4部作では、前天皇が、昭和天皇時代の戦争の傷痕に向き合おうと内外の戦地などに積極的に出向いたことなどが強調されました。夫妻の努力は多としながらも、戦争への決着は2人の努力だけに負わせるのではなく、主権者である国民はどう考えればいいのか、市民一人ひとりがしっかりと歴史と向き合うべきことにきちんと言及すべきでしたが、それは不十分でした。

 そうした課題について、メディアとしてこれからでもしっかりやっていってほしいと思います。

 新元号が令和に決まった時、テレビは安倍首相のプロパガンダのために乗っ取られたかのような状況が起きました。安倍政権が次なる戦争を用意しているような状況下で、「新しい時代には新しい憲法を!」などと言いかねないと、心配しています。そんななか、メディア側も、ほとんどの人が象徴天皇制を支持しているのだから、モノが言えないと、お互いを縛り合っているように見えました。

 憲法第一条に記された、天皇は国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく、の「国民の総意」とは何かを改めて考えさせられています。

GoTo

天皇の「代替わり」テレビ報道どうみるか 元NHKディレクター 戸崎賢二さん

201952

「祝賀報道」洪水 はらむ危うさ

 4月30日と5月1日、退位・即位の行事が続いた2日間は、私たちが天皇制について考える重要な機会になりました。

 「天皇の地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」という憲法の規定は、いわば「与えられたもの」であって、現在の国民が作り上げたものではありません。

 この規定を実質的なものとするために、天皇の地位がどうあるべきか、私たちひとりひとりが考えなければならないでしょう。

 「総意」を形成する主権者として、これは必要なことです。

 問題はここ数日の大量の退位・即位関連のテレビ報道が、そうした「考える材料」を提供し得ていたかどうかです。

 残念ながらそのような「主権者の意識」を問う報道はテレビではほとんどみられませんでした。

 天皇制や元号制度に批判的な見解はまったく伝えられず、新しい時代が始まる、というメッセージが繰り返され、人びとの期待と喜びの声など、代替わり関連のトピックが洪水のように放送されたのが特徴ではなかったでしょうか。

 貧困・格差が深刻化し、原発災害の被害も沖縄の基地問題も未解決といった状況が、元号が令和になったことで変わるなど幻想にすぎず、こうしたテレビ報道は批判精神を欠くと言わざるをえません。

天皇制と戦争

 天皇制について考えるとき、忘れてはならないのは、過去、天皇の名で行われ、大きな惨禍をもたらした戦争の歴史です。

 5月1日、即位の儀式で、新天皇が受け継いだもっとも重要なものは剣(つるぎ)、勾玉(まがたま)、といった三種の神器です。三種の神器は、これを受け継ぐことが天皇の証しとされる宝物(ほうもつ)です。

 昭和天皇は、敗戦が濃厚になった1945年、アメリカ軍の空襲から三種の神器をどう守るかに心を砕いたと言われています。

 天皇と重臣たちの最大の関心は、降伏後も天皇制を護持できるかどうかであり、三種の神器の無事をはかることでした。

 一方で戦争終結の決断は遅れ、その間に沖縄地上戦があり、アジア各地で日本兵が次々に戦病死していったのです。

 「剣璽(けんじ)」が何かは伝えられましたが、こうした歴史に目を向けた報道は見当たりませんでした。

右派の「本音」

 2012年にまとめられた自民党の「憲法改正草案」は、前文で「日本国は長い歴史と固有の文化をもち、国民統合の象徴である天皇を戴(いただ)く国家…」などとし、第一条で「天皇は日本国の元首」と規定しています。

 これが、自民党はじめ日本の右派勢力の「本音」です。

 一連の代替わり報道は、全体として天皇の権威を高め、敬愛すべきもの、という印象をつくり出すものでした。

 しばらくこのような報道は続くでしょう。

 政治の現実への批判精神と、歴史の検証を欠く天皇報道は、天皇「元首化」という復古的な意図に貢献する危うさがあります。

 主権者である私たちの警戒と自覚が改めて求められます。

GoTo

子どもの権利条約採択30年、批准25年 東京大学名誉教授 堀尾輝久さん

201955

日本に根づかせる施策必要 子の思い受け止め最善の利益を

 1989年に子どもの権利条約が国連で採択されてから今年で30年、日本が1994年に批准してから25年になります。同条約の意義とそれを日本でどう生かしていくかについて、「子どもの権利条約市民・NGOの会」の代表で東京大学名誉教授の堀尾輝久さんに聞きました。

 (高間史人)

 ―「子どもの権利」が認識されるようになった歴史はどういうものでしょうか。

 子どもの権利の思想は、近代人権思想の発展と重なります。近代になるまでは、子どもは「人間でない」、あるいはせいぜい「小さなおとな」だという考えがありました。

 18世紀の思想家ルソーの著書『エミール』は「おとなとは違う子ども」の発見の書です。子どもをおとなになっていない未熟なものとみる考え方にたいし、発達の可能態、発達する可能性に満ちたものとして見るのがルソーです。

 私は孫を見ていて、3、4歳の子どもの変化はすごいなと思います。未熟な子どもなんて言葉はつかえない。そういう子どもの見方が近代に現れたのです。

 そして人権や平和の思想が発展していく流れのなかで、子ども固有の権利があるという思想も発展し、子どもの権利条約に結実したのです。

 子どもに人権を適用するだけでなく、子ども期に固有の発達的要求を子どもの権利として認め、子どもの最善の利益の視点で考えるというのが条約の理念です。子どもに対するまなざしを変えることが求められています。

 子ども固有の権利の視点を深めることは、老人の権利、女性の権利、障害者の権利など人間の権利を捉え直すことにつながります。日本政府はこの条約を根づかせていく施策をとるべきです。

 ―今年2月、国連子どもの権利委員会が、条約の実施状況についての日本政府の定期報告書を審査し、最終所見(勧告)を出しました。

 私たち市民・NGOの会では、子どもにかかわる市民・団体、地域からの報告に基づいて専門委員会で検討し、政府の報告書に対置する形でもう一つの報告書を国連子どもの権利委員会に提出しました。今回の勧告には、私たちの報告書の内容が反映していると感じます。

 勧告は総論部分で、日本政府には子どもの権利の保障、とりわけ子どもの保護に関する包括的な政策が欠如していることを指摘しています。子どもにかかわる施策が縦割り行政のなかで、ばらばらに出されています。それを統合的に子どもの豊かな発達が保障できるような行政にしていくことが必要です。

 勧告が、権利条約を根づかせるために、教師はもちろん裁判官、警察官、報道関係者まで含め子どもとかかわって働くすべての人を対象にした研修講座を定期的に実施するよう求めていることも重要なことです。

 また今回の勧告は、乳幼児期から生命・発達の視点での子ども期の充実を求めています。

 子どもの意見表明権は、乳幼児期から子どもが持っている思いを読み取ってもらう権利として、まさしく受容的、応答的、関係的な権利です。泣いたり笑ったりする子どもの表現にちゃんと目を配り、そこから子どもの最善の利益を考えなければならないということです。

 ―市民・NGOの会が出した報告書では「子ども期の貧困化」ということを強調していますね。

 貧困というとまず経済的な問題を考えます。経済的な貧困と格差は解決しなければならない重大な課題です。

 同時に私たちは関係性の貧困ということを指摘しています。豊かな人間関係がなくなってきているという問題です。

 日本は社会全体が抑圧的になり、過度な競争的環境のもとで、子どもの人間的な成長・発達がゆがめられています。幼児期から親の目を気にし、学校では仲間外れにならないよう気をつかい、学力テスト体制ともいえる競争の中で、順位を気にしなければならない。そこからくる抑圧的心性が、いじめ、暴力、不登校、自殺の背景になっています。

 今回の勧告は教育に関する項で「あまりにも競争的な制度を含むストレスフルな学校環境から子どもを解放すること」といい、生命・生存・発達に関する項でも「社会の競争的な性格により、子ども時代と発達が害されることなく、子どもがその子ども時代を享受すること」と述べています。社会全体が競争的でストレスに満ちているという指摘で、それは裏返せば関係性の貧困ということです。日本社会の競争的環境を変えなければなりません。

 ―堀尾さんは、子どもの権利を考えるうえでも平和的に生存する権利が大切だと指摘されています。

 「平和的生存権」は、子どもの権利の前提ではないでしょうか。現政権による軍事国家化は「平和的生存権」を脅かし、子どもの成長・発達に不可欠な平和的・文化的環境を損なっています。これも子ども期の貧困を加速させる要因です。

 私は憲法9条の精神で「地球平和憲章」をつくろうという「9条地球憲章の会」の代表もしています。9条の精神を世界の人に広げたいと思います。そうしなければ憲法9条は守れないのです。

権利条約が定めた主な子どもの権利

第2条 差別の禁止
第3条 子どもの最善の利益
第6条 生命への権利
第12条 意見表明権
第13条 表現・情報の自由
第14条 思想・良心・宗教の自由
第15条 結社・集会の自由
第16条 プライバシー・通信・名誉の保護
第18条 親の第一義的養育責任に対する援助
第19条 虐待・放任からの保護
第20条 家庭環境を奪われた子どもの養護
第22条 難民の子どもの保護・援助
第23条 障害児の権利
第24条 健康・医療への権利
第26条 社会保障への権利
第27条 生活水準への権利
第28条 教育への権利
第31条 休憩・余暇・遊び、文化・芸術への参加の権利

 ほりお・てるひさ 1933年生まれ。東京大学教授、中央大学教授、日本教育学会会長、民主教育研究所代表運営委員など歴任。教科書裁判や「君が代」裁判で教育の自由、子どもの権利の観点から証言。著書に『現代教育の思想と構造』『人権としての教育』『未来をつくる君たちへ “地球時代”をどう生きるか』など。

GoTo

外国人と共生するために 同志社大学大学院教授 内藤正典さん

201956

相手の声聴き 尊厳傷つけず

習慣の違い 憎しみにしない

 入管法改定により4月から新たな制度が始まり、多くの外国人が日本で労働者としてくらすことになりそうです。『外国人労働者・移民・難民ってだれのこと?』(集英社)の著者で同志社大学大学院教授の内藤正典さんに聞きました。(豊田栄光、写真も)

 ―新制度の問題点はどこにありますか。

 最大の変更は単純労働に従事する外国人の受け入れだといわれます。政府はこれまで単純労働者の受け入れは認めてこなかったといいますが、これはうそです。実際はさまざまな在留資格を与え、外国人の単純労働者を増やしてきました。

 建前は日本の技術を学ぶ「技能実習」。留学生に許されている週28時間までのアルバイトを指す「資格外活動」。日系人に与えられた就労も可能な「定住者」などです。

 どれも「労働者」ではないのですが、「『外国人雇用状況』の届出状況まとめ」という厚生労働省の報告では、「外国人労働者」と明記しています。受け入れないといっていたのに、なし崩し的に認めたことになります。昨年10月末の外国人労働者は146万463人います。

 入管法改定の際、政府は「労働者」とはいわずに「外国人材」といったのも過去の方針との矛盾を隠すためでしょう。しかし、そのために外国人は最初から労働者としての基本権を軽視されているのです。

 新制度では「特定技能1号・2号」という在留資格を新設して、人手不足を理由に外国人の単純労働を追認します。どの業種を「特定技能1号・2号」に指定するかは、制度の根幹でもあるのですが、国会で議論して決めるのではなく役所が決める仕組みです。政治家が介入、業種の指定が利権化する恐れがあります。

 本来、外国人労働者の送り出し国と2国間協定を結び、受け入れ人数や税や社会保障などの権利と義務を事前に決めておく必要がありますが、政府はやろうとしません。

 受け入れる国を限定しないと社会が大混乱します。彼らが事件や事故に巻き込まれたとき、警察での聴取や裁判を受けるとき、全ての言葉に対応できる通訳はいますか。

 労働者として受け入れる以上、来日渡航費や手数料を外国人に払わせるようなことをしてはいけません。かつて集団就職で地方から都会に出てくる若い人たちにさえしなかったはずです。外国人労働者は単なる「労働力」ではありません。人間です。人間と考えるなら、こんなずさんな制度はありえません。

 ―「事実上の移民政策だ」との見方もあります。2008年のリーマン・ショック後、多くの日系外国人労働者が解雇され、地元自治体は対応に困っていました。

 日本政府は「移民政策はとらない」といっていますが、ここにも問題があります。1990年の法改定によりブラジルの日系人などを「定住者」として受け入れてきました。彼らは家族の帯同も許され、子どもは日本の学校教育を受けています。日系であっても、配偶者や子どもたちはブラジルなどの市民だったはずで、日本語を母語としていない人が多数います。

 しかし、政府は彼らが安心して暮らせるような移民政策をとらず、対応は地方自治体にまかせてきました。景気の調整弁として大量に解雇されたとき国は何をしましたか。就労支援、生活相談、教育…。やっかいなことは地方自治体に押し付けた、これは新制度も同じです。

 新制度では「特定技能1号」で5年間働けば、家族の帯同が認められる「同2号」になることが可能で、更新できる仕組みです。外国人が家族と共に長く日本でくらすことになるわけですから、実際は移民です。

 ドイツは戦後復興のために50年代からトルコを中心に外国人労働者を受け入れてきました。90年代、保守系の政党は「ドイツは移民国家ではない」といっていましたが、2000年代に入ると、移民国家か否かの論争はなくなりました。最初は外国人労働者だったが、母国に帰らないのなら社会の一員として受け入れるという考え方が広まりました。

 2014年に国籍法が改正され、出身国との二重国籍も条件つきで認められました。ドイツは人口8200万のうち外国人は11%、これ以外に移民に出自を持つ人が12%です。

 ―外国人と共に生きていくにはどのような心構えが必要ですか。

 外国人に同化を求めると、当然反発が起こります。フランスは、イスラム教徒の女性が顔や髪を覆い隠すスカーフの公的な場での着用を禁止する法律を制定し、あつれきが生じています。個人でも宗教的な象徴を公的な場に持ち込むなというのですが、イスラムはモノに象徴性など認めないので、フランスは勘違いしています。

 しかし、相手になぜ身に着けるのかをたずねず、イスラムのスカーフだから禁止だとして譲りません。ルールはルールですから、それを教えればよいのです。しかし、相手の声を聴かないのでは共生などできません。

 一方で、外国人の文化、習慣をある程度受け入れる多文化主義にも問題はあります。イギリスでは、インド出身者が多数居住する地域に母語を話す保健師を配置するなどの措置をとりました。でも、これをすると同じ言葉を話す人たちはそこに固まってしまいます。

 多文化主義は異文化の人たちにも同じ権利を認めますが、互いをよく知ろうという相互理解を前提にしていません。相手のことを何も知らない場合、何かのきっかけで異文化への恐怖や憎悪を抱くと、一挙に溝が広がってしまいます。

 日本は同化圧力の強い国です。「郷に入れば郷に従え」といいますが、日本のルール、価値観になんでも外国人は従えといっていいのでしょうか。

 どこまでは自分たちの価値観に従えといえるのか、どこから先は彼らの自由にまかせるのか、外国人の声を聴き、私たちの意見を述べたうえで、約束をつくることが必要です。一度にすべて決める必要はありません。

 ゴミ出しや公共の場でのマナーなどは求めてもいいと思います。しかし、宗教や民族のように、その人の生き方に深くかかわっていることがらについて、人の尊厳を傷つけてはいけません。

 ルール違反を注意するときも「〇〇人って××だよね」とか、「だから〇〇人はだめだ」と決めつけてはいけません。外国人が増えるのは嫌、でも安い労働力は必要だという身勝手な対応をするなら、外国人と共生できないどころか、彼らを犯罪に近づけるだけです。習慣の違いから摩擦や誤解が生まれても、それを憎しみにしないようにする人こそが、グローバルな視点を持った人なのです。

 ないとう・まさのり 1956年生まれ。同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。専門は多文化共生論、現代イスラム地域研究。著書に『ヨーロッパとイスラーム―共生は可能か』ほか。

GoTo

多国籍企業の税逃れを告発 税公正ネットワーク会長 ジョン・クリステンセンさん

2019512

資本規制強める国際協力を 消費税増税は貧困家庭直撃

 多国籍企業の税逃れを告発するNGO「税公正ネットワーク」のジョン・クリステンセン会長が来日し、世界の市民社会が主催したC20サミット(4月21〜23日、東京)に参加しました。20カ国・地域(G20)首脳会議(大阪市で6月開催)で焦点となる国際課税見直しの課題についてインタビューしました。

 (聞き手・写真 杉本恒如)

 ―所得と資産の格差が世界史上、空前の水準に達しています。

 所得と資産の格差は資本主義が必然的に生み出すものです。資本主義による所得と資産の分配は極めて不平等なので、19世紀の政治家たちは国家が経済に介入する必要があると認識し始めました。

 ところが、累進課税を通じた所得と資産の再分配は最近の50年間でひどく後退しました。そのために格差はかつてないほどの水準に達したのです。

 私たちは富裕層統治の時代に移行しています。400に満たない大企業が世界経済を牛耳っています。これらの企業は政策を決め、税制や規制を形づくる力を持っています。気候変動対策や社会保障を前進させる努力を押しつぶしています。

 つまり私たちは資本の権力によって民主主義が脅かされる時代に入ったのです。私たちの前には二つの異なる道があります。

 最初の道は現状を継続することです。現状とは「底辺への競争」です。累進課税を弱め、労働者保護を弱め、消費者保護を弱め、環境保護を弱める国際競争が行われています。

 もう一つの道は国際協調を強めることです。資本を規制し、労働者と消費者と環境を保護するために、世界が協力して大胆な一歩を踏み出すことです。いまのところG20はそのような衝動にかられてはいません。市民社会はもっと力強くG20に迫る必要があります。

 ―税制の問題で日本政府の行動をどのように評価しますか。

 日本政府は税の競争が日本への投資を促進すると考えているようです。しかし税の競争は富裕層と権力者を利するだけです。

 課税対象を資本から消費者や労働者に移したら、日本の格差はいっそう悪化するでしょう。消費税の増税は日本の貧困家庭を直撃します。社会の結束を壊し、民主主義の良識を損なうことになるでしょう。

民主主義の脅威 毎年55兆円も 資本「ただ乗り」阻む市民の運動

 ―多国籍企業の税逃れのために全世界が失っている税収はどの程度の規模でしょうか。

 税逃れの総額は毎年5千億ドル(約55兆円)にのぼると私たちは見積もっています。税逃れは人権侵害です。資本の効率的配分を阻害する毒薬でもあります。

 例えば米国の巨大IT(情報通信)企業はカリブ海地域に大きな市場を持ちません。しかしカリブ海地域のタックスヘイブン(租税回避地)で利益をあげたようにみえる場合があります。これが偽りの光景であることは誰でもわかるのに、現在のルールでは合法なのです。経済協力開発機構(OECD)はルールが機能していないことに気づいています。

 民主主義にとって真の脅威は、資本の自由な国際移動です。なぜなら資本はどこにでも逃げることができるからです。政府や労働者と交渉する際に資本が優越的な地位に立つのはこのためです。

 国際移動の自由は資本に絶大な政治力を与え、労働者の力をそぎ落としています。それは税額控除や免税期間、軽減税率を勝ち取る力を資本に与えます。

 資本は「ただ乗り」しています。公共サービスや法制度、教育制度を利用するのに、コストを負担しないのです。資本の経済的「ただ乗り」は民主主義を阻害するだけではありません。競争を損ない、資本主義そのものを壊します。ところが私たちの時代の政府は資本のための減税競争に没頭しています。とても破壊的な行動です。

 ―OECDの税逃れ対策(BEPS)が進み、G20首脳会議ではデジタル経済への課税が焦点になります。

 2012年に始まったBEPS計画のもとで事態はいくらか前進しました。その過程で国際課税の現行制度は時代遅れだということが明らかになりました。特にデジタル経済に適合していません。私たちはもっと前へ進まなければなりません。

 私は先日パリのOECD本部でこの点を議論しました。心配なのは彼らが野心的ではないことです。小さな一歩を踏み出すにとどまっています。特に大きな前進が必要なのはOECDに属さない国々を決定過程に包摂する課題においてです。

 大いなる決意がなければ税逃れ対策は失敗します。すべての国の利害を調整し、多国籍企業に課税する権利を配分しなければなりません。多国籍企業は南の国々で操業しています。南の国々は自国で生じる多国籍企業の利益に課税する権利を持つべきです。二つのことが必要です。

 一つは完全な情報です。新しい国際的な財務報告書の標準をつくる必要があります。多国籍企業の納税状況がわかるものです。

 もう一つは完全な課税権です。国際課税のルールを改める必要があります。現行のルールは多国籍企業を多くの独立企業の集まりとみなします。タックスヘイブンのケイマン諸島に設立された幽霊会社も含めて独立企業とみなすのです。前世紀のこの悪(あ)しき慣行が利益移転による税逃れを可能にしています。

 新しいルールのもとでは多国籍企業のグループを単一の企業として扱うべきです。グループ全体の利益を合算し、各国に課税ベースを再配分するのです。ユニタリー・タックス(合算課税)と呼ばれる課税方式です。

 課税権の配分は雇用や市場や資産などの経済的実体に基づいて行います。ケイマン諸島に置かれた知的財産権に基づいて配分するような、お遊びはもうやめるべきです。

 ―欧州で反移民感情が高まり、英国民は欧州連合(EU)離脱を選びました。現状をどのようにみますか。

 格差は拡大し、民主主義は厳しい圧力にさらされています。

 EU離脱の選択は英国民の不安の表れです。格差、失業、低賃金、増大する債務を懸念しているのです。しかしEU離脱の組織者の背後には悪意を持つ人々がいます。さらなる規制緩和、労働者保護の弱体化、社会保障の破壊、環境保護の後退を後押ししています。資本の側は新自由主義よりもさらに強力に反動的な政策を推し進めようとしています。

 他方で前向きの大きな変化があります。100万人以上がロンドンでデモをするのを私は目撃しました。英国がEUにとどまり、EUを民主的に改革することを望む人々です。気候変動対策を求める運動が力強く広がっています。公正な税制をめざす提案は多くの支持を得ています。

 欧州諸国民はより積極的に政治参加するようになり、民主主義を再建しつつあります。私は楽観的です。

 ―公正な税制をめざすうえで市民社会の役割をどう考えますか。

 市民社会が達成してきた成果を誇りに思います。市民社会が発案し、政治家が支持して進んでいる構想がいくつもあります。

 その一つが「金融口座の自動的情報交換」制度です。外国の金融機関の口座を利用した富裕層の税逃れを阻止するために導入されました。もう一つ、多国籍企業の「国別報告書(CBCリポート)」は、海外子会社を使った税逃れに対処するために導入されました。

 私は「国境なき税務調査官」の委員を務めています。これはOECDと国連開発計画(UNDP)が共同で推進する多国参加の新しい国際組織です。貧しい開発途上国を助け、多国籍企業への複雑な課税をやり遂げられるようにしています。

 貧しい国々を支援するための最良の方法は、多国籍企業の略奪を阻止すること、そのための複雑な技術的援助を提供することなのです。国際援助は新時代を迎えつつあります。

 理想を高く掲げましょう。格差と気候変動の問題に取り組むという大いなる挑戦に、資本は後ろ向きです。市民社会はもう一つの世界に向けた対案を、もっと鮮明に示していかなければなりません。

 1956年、英国王室属領ジャージー島生まれ。経済学者、訴訟会計検査官。英国のレディング大学などで経済学を学び、ジャージー島で会計事務所に勤務。98年に英国に移住し、2003年に税公正(タックス・ジャスティス)ネットワークを設立。現在、「国境なき税務調査官」の委員を務める。

GoTo

NHKの本格的ネット進出どう見る メディア総合研究所所長・立教大学教授 砂川浩慶さん

2019521

ニーズなし 民業圧迫も

 NHKをインターネットで同時配信してほしいというニーズ(需要)はあるのかというと、日常的に大学生と接していて、大学生は一切興味ありません。ネットというのは自分が欲しい情報を欲しい時にどこでも取れるのがメリットだからです。放送型の編成、例えば夜7時のニュースのためにチャンネルを合わせるなんて習慣は今の若者にはまったくないんです。

 今回実施する枠組みだと、受信料を払っていない世帯には画面に“受信契約してください”という表示が出ます。非常に見にくい。若年層と未契約世帯へ拡大するのが目的の一つなのに、誰が見るんだろうかとはなはだ疑問になります。

 他方、「民業圧迫」という批判があります。ドラマなどにかかわっている芸能プロダクションの話ですが、NHKのギャラは1万円だけど、民放は10万円というタレントはたくさんいます。NHKは全国放送なので顔を売ってあとは営業で稼いで、というのを昔からやっています。

 今、NHKはギャラをアップするのでネットも込みで支払いたいと言っているんです。従来の1万円+10%で千円増とか。NHKなら千円で済みますが、民放なら1万円増になります。そういうふうにして民業圧迫になるんです。

 それから、テレビ番組で使う音楽の著作権の問題があります。同じ放送番組でも、ネットに流すと送信可能化権という権利が発生するので処理しないといけないんですが、非常に大変なんです。

 例えばCMでビートルズを5秒使うと4千万円といわれますが、インターネットでもCM同様の了解・支払いが必要です。今までですと、ドラマなりバラエティーなり、人気が出たらあとで権利処理をしてネットで流していましたが、同時に流すなら事前に全部権利処理をしておかなければなりません。

 逆にNHKは委嘱楽曲といって自分の楽曲で全部やるので権利処理はいりません。今、民放にNHKと同じように同時配信をやれと言っても、権利処理できない番組だらけだと思います。

 民放もそれなりに一生懸命やっていますが結局お金にならない分野です。いわんやこれが地方でも始まった時にどうするのか。NHKがやるんだから民放もやればと言われてもおいそれとはいかないというところです。

 今回の放送法改正には「NHKグループの適正な経営を確保するための制度の充実」というのがあります。悪くないけれど、もっとやることがあるのではと二つほど挙げます。

 一つが、今の上田良一会長が経営委員から会長に就任したということです。経営委員会が執行部を選ぶのですが、その経営委員でしかも監査をしていた人が会長になっては、いくらコンプライアンス(法令順守)を叫んでも口ばっかりという話です。だって、社長を選ぶための外部役員会の人が社長になっているんですから。

 もう一つ、NHKグループ企業に異動していた板野裕爾元専務理事が復帰しました。籾井勝人元会長の腰巾着といわれた人がなぜ復帰するのか。聞いたところでは官邸の強い意向だと。そうした人事を制御するルールが今回の改正にないところが問題です。

 

GoTo

NHKの本格的ネット進出どう見る 上智大学教授(メディア論) 音好宏さん

2019521

 NHKがテレビと同じ番組をインターネットでも流す「常時同時配信」を可能にする放送法改定案が国会で審議されています。スマートフォンやパソコンで手軽に見られるようになる一方、組織の肥大化など懸念の声も聞かれます。NHKを本格的にネット参入させる法改正で、公共放送の役割がどう変化し、視聴者に何をもたらすのでしょうか。放送問題の専門家に聞きました。

視聴者へ説明責任ある

 NHKにとってインターネットサービスへの進出は20世紀末からの悲願でした。民放や新聞業界から「NHKが大きくなり過ぎると自分たちのマーケットが狭くなる」と批判されながらも、2020年の東京オリンピックを実現の好機と捉え、それまでに常時同時配信を始められるよう根回し、環境整備を進めてきました。

 しかし、反発するメディアもここ数年、事情が変わってきています。最大の理由は、民放にとっても将来のインターネット展開は必須であるという考えを強く持ったから。とくにローカル局の経営が厳しくなってきて、デジタルに向き合わないと自分たちの将来はないという意識が強くなりました。

 現在の広告市場をみると、来年は間違いなくテレビはインターネットに抜かれます。「Netflix」など動画配信事業者に既存の放送事業者が息の根を止められるのではないかという懸念も出てきています。民放が同時配信をやるのに法的な縛りはありませんが、ビジネス・モデルが見えないのが実情です。NHKに先に市場開拓をしてもらって、後から参入できればいいだろうと思っています。

 この間、最高裁判所で「NHKの受信契約義務は憲法違反ではない」(2017年12月)、「ワンセグも契約をしなければならない」(19年3月)という二つの判決が出ました。NHKにとってものすごい追い風です。これから大手を振ってバンバン裁判をやればフリーライダー(タダ乗り)は減りますが、そんな剛腕を振るうNHKを視聴者は支持するのでしょうか。

 放送法上、受信料を支払い義務ではなく契約義務としているのは、NHK側が視聴者に説明することを強く求めている制度だからです。国民が共通に知っておくべき情報をちゃんと伝える、多様な意見を伝えるという装置は私たち視聴者にとってすごく大切なものだから、ちゃんと説明しなくてはいけない。NHKには一軒一軒説明して歩く義務があるのです。

 追い風の一方で、今回の法改正の地ならしとして受信料の値下げという選択をせざるを得ませんでした。右肩上がりで収入が増えるなか、また値下げをしろという「圧力」が生まれる可能性があります。現に、今回の値下げの背景の一つは、政権与党の中にある情報通信戦略調査会の放送法改正小委員会が2年半前に出した提言でした。NHKのインターネット展開の法改正は積極的に進めるべきだと指摘する一方で、受信料制度の見直しを強く主張しました。その時々の政治状況を読みながらふらついてしまう公共放送で本当にいいのでしょうか。

 現状の大きな流れからすると、NHKのインターネット展開を批判する状況ではありません。ネット展開がどういう形で視聴者の利益になるのか、視聴者に理解してもらうためにどういう活動をするのか―。法律は通すけれども、NHK執行部により一層の説明責任を果たさせるよう国会で付帯決議を行い、記録に残していくことも一つの方法だと思います。

 NHKは「知的なサンドバッグ」です。いわば殴られ役。みんなに文句を言われることによって日本の民主主義というものを健全化させていくための装置だと思っています。

 

GoTo

元号で「時代」を画すことはできない 一橋大学特任教授(歴史学) 吉田裕さん

2019529

 新天皇の即位と改元で「新しい時代」が始まったというキャンペーンが盛んです。「行く時代、来る時代」「ありがとう平成」「ようこそ令和」などといわれる中で、安倍晋三首相らは「新しい御代(みよ)に新しい憲法を」とブームに乗せて改憲を煽(あお)っています。こうした状況について歴史学者の吉田裕一橋大学特任教授(歴史学)に聞きました。

憲法の継続性と価値を再確認 現状に絶望せず声上げ続ける

 ―そもそも「時代」とはどのような物差しではかられるものでしょうか。

 歴史的にある時代を構成する諸要素がどの段階でどのように変化したのかを認識する。それが基本的な歴史認識だと思います。

 一つの時代が終わり、新しい時代が始まるというのは、国際的な、経済的な、あるいは政治社会的な、思想的な変動の中で時代が変わることです。日本の近現代史の中で、政治、経済、社会、思想の全てにわたって一番大きな変動があったのは敗戦です。

 そういう時代認識、どこに大きな節目があり、何が変わり、何が変わらなかったのか。その認識が、新しい時代の課題は何かという次の認識の前提になります。

 ところが「いま」はそういう時代の節目ではない。天皇の交代で政治社会の大きな構造変化が起きているわけではありません。元号が変わることで時代が変わるというのは倒錯した認識です。時代の変化の結果として新元号があるわけではないからです。

 ―元号で時代を区分する考え方には問題がありますね。

 元号とは、一人の天皇が一つの元号で仕切られた時間を支配するという考え方です。一世一元といわれます。これは近代の天皇制国家がつくられる段階でできあがった制度です。江戸時代までの前近代は、一世一元ではありません。天変地異やおめでたいことがあった時に改元するなど、一人の天皇の時代に何度も変えている例があります。改元で時代が変わるという発想は、大日本帝国憲法下の天皇絶対の体制と結びついて形成されたものです。

 ―現在の風潮は改元=「時代の変化」という考えを押し付けるように感じます。

 元号によって時代や時間を区切る考え方は、時代という大きな流れの中で、自分が今どこに立っているのかを考える場合、非常に障害になります。

 例えば、西暦で考えると、日本国憲法は1946年公布、明治憲法は1889年。1946から1889を引くと57年という数字になる。また日本国憲法は現在の2019年から1946を引くと、73年。つまり明治憲法の下にあった時代は57年、日本国憲法の下では73年と、はるかに日本国憲法の時代の方が長い。しかし、元号で時代を見ようとするといちいち換算しないとわからない。大きな流れの中で「現在」を見る目を失ってしまうのです。

 また明治維新から敗戦までは1868年から1945年で77年。敗戦から現在までは74年です。もうあと数年で、明治維新以降の軍国主義の時代より、戦争の直接の当事者とはならなかった戦後の時代の方が長くなろうとしています。そういう大きな流れの中で「現在」を位置づけるには元号は適切ではない。縦の時代の変化も、さらには横の国際社会の変化の中での日本の位置も見ることができない。時代をはかる物差しとして機能しないのです。

 ―「新しい時代」ブームと改憲を結びつける動きの問題をどうみますか。

 即位奉祝・改元キャンペーンの一番の問題は、憲法の原則や人権との関係で物事を考える思考を鈍らせることではないでしょうか。

 天皇の行動が、憲法違反にならないか、政治利用にならないかという問題は常にあるわけです。「公的行為」の拡大もあります。

 天皇の人柄を称揚し、「新しい時代」を称揚することで、憲法に定められた国民主権や政教分離などの基本原則との関係で天皇の行動を見る思考を鈍らせる。現に例えば、「剣璽(けんじ)等承継の儀」は、三種の神器を使った宗教的色彩が強く政教分離違反の疑いが濃い。あるいは「即位後朝見の儀」は、臣下が天皇に拝謁するという形式にのっとっており国民主権に反する。しかし、マスコミはこれらを無批判に大々的に取り上げました。皇室の私的行事にすぎない宮中祭祀(さいし)を公的行事のように宣伝しました。

 マスコミが批判せず、奉祝ムードが煽られ、国民の側で日本国憲法の原則にのっとる思考が鈍り、思考停止になる。これは「憲法改正」を容易にする危険性があります。

 ただ昭和から平成への代替わりの時に比べると、「生前退位」として行われたこともあり、キャンペーンの規模はずっと小さくなっています。昭和天皇の死去の時は、容態(ようだい)悪化に伴う自粛の時期、死去後の喪に服す時期、そして即位の礼以降の時期の3段階、3年間にわたる大キャンペーンでした。それに比べると一極集中、短期決戦で、一過性のものにとどまる可能性もある。安倍首相らの目論見(もくろみ)どおりになるかは微妙な面もあります。

 ―まさに「新時代」キャンペーンの中で、改憲の真の争点をぼかす意図が働いていますね。

 改憲の真の狙いがどこにあるか、9条改憲の危険をあいまいにする狙いがある。そこが「新時代キャンペーン」の本丸でしょう。

 これに対抗するためには日本国憲法の諸原則やその基盤にある価値観を確認していくことが大事になると思います。戦争の大惨害から9条が生まれた経緯などをしっかり再確認することは重要です。

 象徴天皇制との関係では、新天皇の「お言葉」や今後の「公的行為」の内容、政権による政治利用などを憲法との関係でつねにチェックしていく姿勢が必要です。

 また9条の平和主義に関連して歴史学の立場からいうと、昭和天皇の戦争責任を風化させない取り組みが重要です。

 今年4月、『昭和天皇 最後の侍従日記』が公刊されました。その中で1985年3月29日のところに、「一昨日『天皇の昭和史』について内容お尋ねあり。今日図書館で借用、天皇制批判の書」とあるのを見て驚きました。昭和天皇は、長生きをすると戦争責任のことを言われてつらいとも言っている。

 『天皇の昭和史』(新日本出版社)は、恩師の藤原彰先生や私たちが書いた本です。「菊タブー」が非常に強く、昭和天皇の戦争責任を否定し、「平和主義者」として一方的に描き出す言説が幅を利かせていた時代でした。そのとき私たちは、天皇の戦争責任を書いた。

 当時19刷まで売れましたがマスコミは黙殺した。しかし、昭和天皇のもとに批判の声は届いていたし、天皇は、戦争責任について言われることを非常に気にしていた。それが35年後にわかったのです。やはり意味があったと確認できました。藤原先生が生きておられたらと思います。

 ですからマスコミが奉祝一色になっていたとしても、現状に絶望しないで抗議の声を上げ続けることが重要です。

 よしだ・ゆたか 1954年生まれ。一橋大学特任教授。著書に『天皇の昭和史』(共著)、『日本人の戦争観』『現代歴史学と軍事史研究』ほか。

 

GoTo

6月

都市開発の視点から再稼働に警鐘 元茨城大学教育学部教授 乾康代さん

201966

安全ゆがめた「東海モデル」 命脅かす原発と共存できぬ

 日本原子力発電株式会社が再稼働を目指す、茨城県東海村の東海第2原発。都市計画の視点から住宅地の安全確保を無視した同村の原子力開発の在り方を批判し、再稼働の動きに警鐘を鳴らしてきた乾康代さんに話を聞きました。(聞き手 茨城県・高橋誠一郎)

 ―福島原発事故の究明と復興が進まない中、近接する東海第2原発が再稼働されようとしています。

 福島の原発事故から8年が過ぎましたが、福島県では今もなお4万人を超える人々が長期の避難を余儀なくされています。避難指示が解除された地域でも被ばくリスクは高く、帰りたくても帰れない人々が多数に上ります。二度と原発事故を起こさない、私たちはこの誓いを守らなければなりませんが、東海第2原発の再稼働はこの誓いに対する重大な挑戦です。

 日本の原発立地は、原発周辺に開発規制を設けないまま進んできました。住宅地を工業地域から遠ざけるというのは都市計画では普通に行われることです。これに照らせば、原発周辺に開発規制を設けないことがいかに異常かが分かると思います。

 私は、この周辺開発規制のない原発立地を「東海モデル」と名づけました。日本で最初に商業原発を設置した東海村で形作られたからです。ここでは、住宅地が原発に隣接しているという異常な事態が起こっています。

 ―そもそも東海村に原子力施設が集中立地するようになった背景とはどのようなものでしょうか。

 米・アイゼンハワー政権の「アジア原子力センター」の日本誘致に失敗した直後の1956年4月、日本政府が日本原子力研究所(原研、現在は日本原子力研究開発機構)の設置を決めたことがきっかけです。政府は原研設置を足場にして、東海村に日本の「原子力センター」をつくることにしました。

 この「原子力センター」設置に無視できない役割を果たしたのが「東海原子力都市開発株式会社」(東海都市開発)です。この「会社」の実像はまだ描きだせていませんが、正力松太郎初代原子力委員長(元読売新聞社主)に原子力の平和利用を勧めたとされる柴田秀利氏(元日本テレビ専務)の文書から、この「会社」の「設立趣意書」が見つかりました。

 この「趣意書」は1957年に作成されたものですが、この時点でこの「会社」は、村内14カ所で事業所用地を確保していたことが書かれています。

 これらの用地は、現在の原子力関係事業所や給与住宅団地の位置と合致します。東海都市開発は、東海村の「原子力センター」の建設を担い、今日の東海村を形作りました。

 ―東海第2原発の周辺30キロ圏内は94万人が住む人口密集地です。原発周辺の開発規制を設けない「東海モデル」はなぜ生まれたのでしょうか。

 「東海モデル」は政府の都市計画規制の取り組みと、これを受けた茨城県の計画策定という二つの過程を経てつくられました。

 まず政府が取り組んだのは「原子力都市計画法」の制定でしたが、原子力開発勢力に押されて挫折。これに代わり原子力委員会答申が出されました。「答申」で注目されるのは「グリーンベルト構想」です。これは、都市の拡大と緑地保全を目的に都市周辺の農地や林地の開発を規制するものです。これを原発の2キロ圏に指定し、その外側6キロ圏は人口が集中しない地区とするもので大変重要でした。しかし茨城県は、「人口抑制につながる」として構想を取り入れませんでした。その結果、東海村の原発周辺の開発規制は何一つ形に残らないまま、住宅地が原発に近づいて開発されていきました。この開発規制なき「東海モデル」はその後全国に広まりました。

 また、周辺開発規制なしで原発立地をすすめる役割を果たしたのが、原子炉立地審査指針です。「指針」は、原発立地の安全性について妥当であるかどうかを判断するものです。ここでは、原子炉の周辺に「非居住区域」、その外側に「低密度人口地帯」を設けることを規定していますが、明確な数値で「距離」の規定をしませんでした。

 東海村での原子力開発は、安全を担保すべき都市計画をゆがめるもので、このゆがんだ「東海モデル」が全国の原発立地に広がっていったわけです。

 ―環境の観点から、東海第2原発再稼働の動きをどうみますか。

 住環境の基本条件として「安全」「健康」「快適」「効率」がありますが、一番大事なのが「安全」です。安全が保障されなければ住環境としては成り立たないからで、安全は住環境の成立条件です。

 いま政府と日本原電は、東海第2原発の再稼働を目指していますが、これは大変な問題です。この原発は東日本大震災で被災した老朽原発で、30キロ圏内には94万人が住み、復興途上の福島や首都圏にも近すぎる立地です。もし事故を起こせば、被害は周辺住民にとどまらず、福島県の被災者・避難者や首都圏数千万人を巻き添えにする可能性もあります。

 さらに日本全体を見渡せば、人口が密集する狭い国土に、原発が60基もひしめくように立地しています。市民の生命と安全を脅かす原発は、絶対に再稼働させてはいけません。

 いぬい・やすよ 1953年生まれ。元茨城大学教育学部教授。都市計画、住環境計画などが専門。現在、水戸市空家等対策協議会副会長。著書に『原発都市〜歪(ゆが)められた都市開発の未来』など。

 

GoTo

 

米軍普天間・嘉手納基地周辺の水源汚染 京都大学名誉教授 小泉昭夫さん

2019613

 沖縄県の米軍普天間基地や嘉手納基地の周辺の河川・湧き水で、有機フッ素化合物が高濃度に検出され、水道水・水源の汚染、健康への懸念が高まっています。4月に周辺住民の血中濃度を調査した京都大学の小泉昭夫名誉教授(京都保健会社会健康医学福祉研究所所長)に、基地が汚染源と思われるこの問題の解決には、何が大事なのか聞きました。(前田泰孝)

 ―これまで河川等で検出された高濃度の有機フッ素化合物が、住民の血中からも確認されましたが。

 調査は京都大学医学部研究科が京都保健会、沖縄医療生協の協力を得て実施しました。普天間基地に接する宜野湾市大山地区の住民の血中濃度の調査を行い、有害物質PFOS(ピーホス)が全国平均の4倍、同類のPFOA(ピーホア)が2・2倍、PFHxS(ピーエフヘクスエス)が53倍との結果が出ました。

 しかしまず強調しておきたいのは、健康に影響があるレベルとは考えにくく、水道水の利用は、現在の知識で判断すると安全なレベルだということです。

 ただ、PFOS等は体内の残留性が高く、回復可能ではあるものの胎児が低身長・低体重で生まれる発達毒性や、脂質代謝異常作用が報告され、発がん性の指摘もあります。

 PCB(ポリ塩化ビフェニール)のように、初めは人体に影響はないと思われていたのに、後になって有害だと分かる可能性があります。

 現在、疑わしきものは規制措置を可能とする予防原則の考えが国際的な流れであり、PFOSやPFOAは残留性有機汚染物質の製造・使用・輸出入を制限・禁止するストックホルム条約の対象となっています。PFHxSも禁止が検討されています。

 ―国際的に禁止の流れにある中で、日本政府はどのような対策を講じる必要があるのでしょうか。

 まずなすべきことは、国がPFOS等の水質安全基準をつくることです。基準がないことが問題です。

 約10年前からPFOSは、健康障害を発生させる、もしくはその可能性が高い特定化学物質に分類されています。他の特化物には安全基準があるのに、PFOS等にないのは国の不作為です。

 県は、PFOS等除去のために、浄水場のフィルターを取り換えたことの補償を求めていますが、国は安全基準がないから応じないという理不尽な状況が起きています。

 安全基準値を定めて、はじめて予算措置等、国の責任が明確になるのです。県・地方自治体、国民も冷静な対策をとることができるのです。

 ―県は翁長雄志県政下の2016年以降、水道水源地の有機フッ素化合物濃度を継続調査し、浄水場活性炭フィルターを取り換えて対応しています。

 調査では、1981年に私たちが採取し保存していた沖縄市美里の男性5人の血液も調べました。嘉手納基地そばの地域です。その結果を見ると、有機フッ素化合物の曝露(ばくろ)は、現在(宜野湾市大山の結果)よりも大きかったことが分かりました。現状では、PFOS、PFOAは81年に比べ大幅に減少し、PFHxSも含めて健康影響があるレベルとは考えにくい。

 16年、翁長雄志前県政が、浄水場に活性炭フィルターを導入したことの効果もあったと考えられます。県の努力は評価できます。

 しかし沖縄でのPFOS等の汚染が確認されて約40年、曝露は続いています。地域ごとに時期をさかのぼって疫学調査を行い、影響の有無を、予算や専門家の多さからいっても、国が責任を持って調べる必要があります。

 PFOS等は現在、企業はほとんど使っていません。汚染源が米軍基地で使用している消火剤であると考えられます。根本的には、基地の立ち入り検査を実現させ、汚染源の実態を把握し対策を行わないといけません。基地の立ち入りを困難にしている日米地位協定を改定し、米軍基地に日本の法律を適用させることが必要です。

 米軍基地を容認した上に、安全基準を10年近くも検討中としてつくらず放置し、基地による環境汚染を放置している政府の姿勢は、二重の意味で沖縄県民・国民を裏切っていると思います。

 ―今後、どのような調査を続けていくのですか。

 今回、宜野湾市大山とともに、米軍基地から遠い、南城市津波古(つはこ)の住民も調べました。全国平均と比べ、PFOS1・9倍、PFOA1・8倍、PFHxS12・6倍でした。津波古も全国平均と比べると高いのです。

 私のこれまでの研究では、PFOS等を摂取する割合は、水道水より呼吸によるものの方が多いことが分かっています。PFOS等が遠くまで飛散し影響を及ぼしている可能性があります。私は6月以降、沖縄を再び訪れ、大気飛散の調査にとりかかる考えです。

 こいずみ・あきお 1952年兵庫県尼崎市生まれ。京都大学教授を経て、現在、公益社団法人京都保健会の社会健康医学福祉研究所所長。有機フッ素化合物等の難分解性物質を研究し、2000年代初頭、大阪・淀川水系で起きた有機フッ素化合物汚染を調査。

 

GoTo

 

富裕層への負担 当たり前 元文部科学省事務次官 前川喜平さん

201973

 安倍晋三首相の「腹心の友」を優遇したとされる加計学園疑惑で、「総理の意向」があったと証言した元文部科学省事務次官の前川喜平さん(64)。6月から実名でツイッターを公開し、自己紹介文で「アベ政権の退陣を求めています」と宣言しています。元官僚トップがみた安倍政権の“正体”とは―。(聞き手・三浦誠 写真も)

 ―年金2000万円問題で、金融庁審議会の報告書を受け取らない安倍政権の姿勢をどう見ていますか。

 「あったことを、なかったことにする」。この手法を安倍政権は繰り返してきました。加計学園疑惑では、「総理の意向」を記した文部科学省の内部文書を当初、「なかった」と言いました。

 金融庁の報告書でも、麻生太郎金融担当相が、「なかった」ことにしようとしています。あまりにも国民をばかにしています。

 報告書は、マクロ経済スライドで今後は年金が減っていくから老後の生活がまかなえなくなる―という内容です。この見通しは、金融庁の役人や審議会委員が誠実に検討した結果でしょう。

 報告書を出すにあたって、官邸などに事前説明していると思いますよ。少なくとも麻生氏が、報告をうけて了承していたことは間違いない。麻生氏は記者会見で、「人生設計を考えるときに、100(歳)まで生きる前提で退職金を計算してみたことがあるか」「きちんとしたものを今のうちから考えて、頭に入れておく必要がある」と報告書の内容を認めていたのですから。

 報告書を受け取らないだけでなく、年金財政検証の公表を参院選後にしようとするなど政府は逃げ回っています。自民党の三原じゅん子参院議員が「年金を政争の具にしないでいただきたい」と本会議で発言しましたが、年金は国民が注目している問題です。与野党間の争点にしなければおかしいでしょう。

 ―日本共産党の志位和夫委員長は党首討論(6月19日)で、マクロ経済スライドを廃止し、高所得者を優遇した保険料のあり方を正すことで1兆円の保険料財政を増やすなどの提案をしました。

 志位さんは当然のことを提案されています。建設的な対案というだけでなく、一番まともです。

 格差が拡大しているなかで、富裕層や大企業に対する負担を見直す必要があります。能力に応じて払うという応能負担と所得再配分を年金でも税金でもしないといけないのです。

実名出して伝えたい

安倍政権 ファシズムへの危険

憲法破壊阻止へ 野党は連帯を

 ―安倍首相は参院選で改憲を国民に問うと表明しました。

 ツイッターで実名を出したのは、「安倍政権は危ない」ということを、自分の名前を出して世の中の人に伝えたいと思ったからです。

 憲法の国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という大事な原理を、安倍政権はひっくり返そうとしています。

 大きな転換点が安保法制です。2014年に集団的自衛権の行使を認める違憲の閣議決定をし、それに基づき違憲の法案をつくりました。

 参院本会議で強行採決される直前の15年9月18日に、私は国会前で抗議のデモに参加していました。当時は文部科学審議官で、翌年6月に事務次官になりました。デモにいったのがばれていたら、次官にはなっていなかったですね。安倍政権ですから。

 一個人、一国民として「こんな立法は許せない」と。法案が法律になる前に、「おかしいでしょう、これ!」って言わなければ、という気持ちでした。憲法違反の法律を通すわけにいかないじゃないですか。

 いまイラン情勢が緊迫しています。アメリカが「一緒に戦争してくれ」といってきたらどうするのか。日本はイランに対して何の恨みもないのに。集団的自衛権で日本が戦争に引き込まれるなんて絶対にあってはならない。

 安倍政権の危険性はいままでの保守政権の比ではないですよね。私は自民党が変質したと言っています。かつては自民党にも護憲派がいたし、新自由主義に疑問をもつ議員もいました。いまは「アベ党」です。ものすごく強権的なファシズムに入ろうとしています。

 安倍首相が考えている改憲には「緊急事態条項」が盛り込まれています。「緊急事態」を宣言すると内閣が立法権限を持ちます。ドイツでヒトラーの独裁に道を開いた要因のひとつは、大統領緊急令を連発したことです。国会という国民の代表が物事を決めるのではなく、独裁者が決める―ヒトラーが生まれたようなことが、日本でおこる危険性があります。

 憲法を破壊してはいけないというところで、野党は連携してほしい。「お前は共産党のシンパになったのか」と言われることがあります。別に共産党のシンパになったわけではなく、安倍政権に対して「おかしいでしょう」という人は応援しなくてはならないと思っています。野党統一候補であれば、共産党公認でも応援しますよ。共産党はよくがんばっています。この先も粘り強く、市民と野党との連帯を追求してほしいですね。

 ―若い世代に、自分の政治的意見を持つことの大切さを訴えておられます。

 主権者が政治を考えなくなると独裁への道が開かれます。私は学校でもっと政治教育、つまり主権者教育をすべきだと考えています。ドイツには「ボイテルスバッハ・コンセンサス(合意)」という政治教育のガイドラインがあります。1976年にボイテルスバッハという町に教育者や学者が集まって作りました。

 三つの原則からなっており、第一は「圧倒の禁止の原則」です。教師が自分の見解を生徒に押し付けてはいけないと。ただ教師が自分の政治的見解を述べることは許されるという前提です。第二は「論争性の原則」。実際の政治や学問の上で論争がある場合は、両方を伝える、理解させます。第三は、「生徒志向の原則」です。生徒自身が自分のこととして当事者意識をもって考えるようにすることです。生徒自身が自分の頭で考え批判的な精神の持ち主になることが大事なのです。

 日本では18歳選挙権の導入にあわせて、4年前に文科省が政治教育についての通知を出しました。通知は、教師に「政治的中立性」を強く求め、自分の政治的見解を述べてはいけないとしています。これは萎縮効果を非常に強く持っています。政治的問題を扱うと、「右翼政治家から攻撃されるのではないか」と萎縮してしまうのです。

 文科省が「政治的中立性」を求める背景には、日本会議のような団体をバックにした右翼政治家の存在もあります。彼らはちょっとでも安倍政権の政策を批判すると「反日」「偏向」とか言い出す。政権側が「政治的中立性」という言葉を乱用し、教育の世界で活発な政治教育が行われることを阻害しています。

 ―官僚時代の座右の銘は「面従腹背(めんじゅうふくはい)」でしたね。

 国家公務員でいた38年間は、自分の内心の声を表で言うことができなくて。とくに安倍政権で国民の側にたって仕事をしようとすると、表面では従いながら腹の中で背く「面従腹背」にならざるをえなかったのです。

 役所を辞めたいまは曹洞宗の開祖、道元の言葉である「眼横鼻直(がんのうびちょく)」が座右の銘です。「目は横、鼻は縦についている」ということで、当たり前のことを当たり前に認識するという意味です。「あったことをなかった」とは言わないということです。(笑)

 いま「目は縦だ」とだまされている人が多い。自分の見たことをそのまま受け止め、自分の頭で考えれば、だまされないですよね。

 まえかわ・きへい 1955年、奈良県生まれ。東大法学部卒業。79年、文部省(現・文部科学省)入省。13年、初等中等教育局長。14年、文部科学審議官、16年、文部科学事務次官。17年に退官。現在、現代教育行政研究会代表。

 

GoTo

 

多様な性と権利保障 日本学術会議副会長・奈良女子大学副学長 三成美保さん

2019712

 同性どうしのカップルにパートナーシップの認定を行う自治体が増えるなど、多様な性のあり方を認め合う動きが広がっています。多様な性と権利保障について、日本学術会議副会長の三成美保さん(奈良女子大学副学長)に話を聞きました。(武田恵子)

国連人権機関からの勧告尊重し法律制定することが日本の課題

 ―同性婚を容認することを求める訴訟が全国4カ所で始まり、同性パートナーシップ条例・制度を持つ自治体は20を超えています。最近の動きをどう見ていますか。

 歓迎すべき動きです。同性間の結婚を支持する割合が過半数を超えているとの調査結果もあります。愛する人と共同生活を行う権利をだれが奪えるでしょうか。しかも、その共同生活は他のだれの権利も侵害しません。同性間の結婚を禁じる合理的根拠はないのです。

 同性パートナーシップ条例・制度の急速な広がりの背景には、来年の東京オリンピックがあります。オリンピック憲章は、性的指向による差別を禁止しているからです。

 諸外国の例を見ると、自治体の同性パートナーシップ制度が、パートナーシップ法制定へと発展しています。その後、同性婚の容認が続きます。日本でも、同性パートナーシップ法制定への前進と合わせて、婚姻の性中立化(性別を問わないこと)が必須です。フランスと同様に、民法に「婚姻は二人の同性の者、異性の者が結婚することができる」という一文を設ければ、現行の憲法の枠内で同性間の結婚を認めることができると考えています。大事なことは選択肢を保障することであり、そのベースにあるのは個人の尊厳を保障するという観点です。家族をつくる自由も家族をつくらない自由も保障すべきです。

 ―民間の調査によると、LGBTを含む性的少数者=LGBT層=に該当する人は2015年7・6%、18年8・9%です。少数者という言葉は適切でしょうか。

 8・9%というと、高校40人クラスで3〜4人のLGBTがいる計算になります。数の上では、LGBTはもはやマイノリティーとは言えません。しかし、当事者であることを隠さざるをえないとか、権利保障が不十分という点で、LGBTは社会的にはマイノリティーの立場にあります。

 最近、SOGI(ソジ)という言葉もよく使われるようになりました。SOGIは、「性的指向」と「性自認」の頭文字であり、当事者を超えて、すべての人の性に関する属性を包括する表現です。

 当事者の権利保障を問うときにLGBTの視点は必要であり、すべての人の性のあり方を考えるときにはSOGIの視点が有効です。これら二つをうまく組み合わせて使っていくことが大事です。

 ―奈良女子大学が、戸籍上は男性でも自身の性別が女性と認識しているトランスジェンダー女性を来年4月から受け入れる方針を明らかにしました。同じ国立のお茶の水女子大学に続く受け入れですね。

 「学ぶ権利の保障」という観点から、女子校や女子大学へのトランスジェンダー女性の受け入れが進められるべきです。

 EU諸国を中心に、性別を性自認にしたがって決定する方向へと動いています。しかし、日本では、戸籍上の性別の変更は非常に難しく、当事者に大きな負担を強います。03年の性同一性障害特例法は、性別変更には20歳以上であることや生殖不能・身体変更の手術が必要と定めています。これを改正して、年齢制限や手術の要件をなくせば、もっと早い段階で戸籍上の性別を変更できます。

 WHO(世界保健機関)は、法的性別変更にあたって生殖不能や身体変更を強制することを禁じています。性別適合手術の強制は人権侵害なのです。現在、生殖不能が法的性別変更の要件とされているのは日本だけです。また、「性同一性障害」という用語は、WHOをはじめ、国際社会ではもはや使われておらず、「性別違和」や「性別不合」に変わりました。名称の変更と要件の緩和は急務です。

 ―国際社会の動きに照らすと、今後の日本の課題は何ですか。

 国際社会は二極化しています。欧米諸国が権利保障、差別解消に向かっているのに対し、イスラム諸国を中心に差別を維持、むしろ拡大する傾向があります。中国やロシアは同性愛の表現規制を行うようになっています。国際社会が二極化するなかで、日本政府は、国連主導によるLGBT権利保障を積極的に支持しています。一方、日本は、国内における権利保障が不十分と国連から何度も指摘されています。

 日本学術会議は、17年に提言「性的マイノリティの権利保障をめざして」を出しました。そこでも指摘していますが、日本の課題は、包括的な権利保障を行うための法律を制定することです。国連人権諸機関が日本政府に対して発した勧告を尊重し、性的指向の自由、性自認の尊重、身体に関する自己決定権の尊重などを含む包括的な根拠法の制定や関連法の改正が求められているのです。

 目下、法律制定に向けた取り組みが進んでいます。与党はLGBT理解増進法、野党はSOGI差別解消法と方向性は異なりますが、ぜひ国会で議論を尽くし、一刻も早い法律の制定を期待しています。

 みつなり・みほ 1956年生まれ。2016年から奈良女子大学副学長。編著に『LGBTIの雇用と労働』、『教育とLGBTIをつなぐ』、『同性愛をめぐる歴史と法』など

 

GoTo

8月

吉本興業の問題 元芸人として思うこと 日本共産党衆院議員 清水忠史さん

201985

笑いの原点は権力批判――その矜持を取り戻してほしい

 所属芸人が反社会的勢力の集まりに出席し金銭を受け取っていた「闇営業」や、所属芸人との間に契約書を交わしていなかったなど吉本興業をめぐる一連の問題について、元芸人で日本共産党衆院議員の清水忠史さんに聞きました。(松浦裕輝)

 ―闇営業の背景は。

 清水 ほとんどの芸人、とくに若手は、芸の仕事だけでは食えないですよね。私も芸人だった当時はアルバイト中心でした。ギャラがアルバイトを超えるというのはなかなか難しかった。皆、友達や知り合いから漫才のステージや司会など仕事の誘いがあれば受けていました。事務所を通さずに受けると「闇営業」です。

 問題は報酬の最低保障がないことです。「食えない分は自分たちで稼げ」と事務所が闇営業を容認してしまっている。闇営業だと反社会的勢力とのつながりを見抜くのが難しい。事務所がタレントを守るために最低保障や仕事の見極めに責任を負うべきです。

 ―吉本興業は所属芸人と契約書を交わしていませんでした。

 清水 これはタレントだけでなく、個人で仕事を請け負うフリーランスにも共通する問題です。公正取引委員会は、口頭契約だけでは、発注者の「優越的な地位の濫用(らんよう)」によって不利益を被る場合があると注意を促しています。公取委の検討会がまとめた報告書では、事前に金額を確認せずに仕事を受けているという人が3、4割ほどいる。今回の場合も吉本興業の方が立場が強い。書面がなければ十分な対価を得られない結果も生まれます。

 今回、ギャラの比率が話題になりました。私が所属していた事務所の場合は、若手で半々くらいだったと思います。当時は契約書がありませんから、この仕事がいくらということも分かりません。ギャラの話を先にするような若手芸人は生意気だから使わないなどと言われてしまう世界です。やっぱり売れたいし、たくさん仕事がほしいじゃないですか。ほとんどのタレントさんはそういう弱い立場でやっています。

 ―どういう方向で解決をはかるべきでしょうか。

 清水 文書での契約にシフトしていくことが大事です。しかし、それだけではだめです。吉本が養成所の合宿参加のため「死亡しても責任は一切負いません」という誓約書の提出を求めていたことが発覚しました。「参加する人は法律を守ること」とも書いてあったといいます。法律違反のことを誓約させといて、法律を守れと迫るのはこれこそ笑えないギャグです。

 基本的には発注側とタレントが対等の立場で契約書を交わす。闇営業をしないでいいように、生活できる最低限の報酬は保障するなどの仕組みを考えることです。そういうふうに芸能界も変わっていってほしい。

 ―吉本興業の体質や政権との距離も批判をよんでいます。

 清水 反社会的勢力からの金銭は受け取っていないとうそをついていたタレントが、正直に言おうとしたら、「全員連帯責任、クビにする」(吉本興業・岡本昭彦社長の会見、7月22日)と止められた。問題をもみ消そうとしたといえます。これは企業の体質の問題です。タレントだけに責任を負わせてすむ問題じゃありません。

 政治との距離でいえば、吉本は経済産業省所管の官民ファンド「クールジャパン機構」から最大100億円の出資を受ける事業に参入しています。行政との関係では、所属タレントが大阪万博の誘致に協力したり、大阪市と吉本で包括連携協定を結んだりしている。吉本新喜劇に安倍首相が出演したり、吉本の芸人が首相官邸を訪問したりしたことも政権との深いかかわりを示しています。

 お笑いの原点というのは、権力批判、権力風刺だと思います。とくに上方大阪というのは庶民の笑いですからね。弱者の視点で強いものを笑い飛ばしてスカッとする。それが大阪の笑いなのに、権力におもねるようなものが笑えるのか。権力側の政府や行政と深く結びついて果たして批判や風刺ができるのか。お笑いの矜持(きょうじ)を取り戻してほしいです。

 ―なぜ大阪にいながら吉本でお笑い芸人を目指さなかったのですか。

 清水 もちろん、吉本への憧れは子どもの頃からありました。ただ、私の場合、弱い人をいじって笑いをとったり、一部の人に嫌な思いをさせることで喜んでもらったりするのではなく、自分のカッコ悪いところを見せたりしながら、全てのお客さんに笑顔になってもらう芸風を目指していましたので「下ネタ」や「どつきネタ」を自粛する当時の事務所の方針が合っていたのだと思います。

 阪神・淡路大震災で仕事がなくなり、タレントへの夢をあきらめたのですが、ボランティアに参加する中で日本共産党と出合いました。懸命に被災者支援に励み、政治を良くするために頑張っていた共産党は、まさしく全ての人を笑顔にする政党だと思い入党しました。

 テレビや演劇の舞台ではなく、政治の舞台から、みんなを幸せにすることのできる今の仕事に生きがいを感じています。これからも頑張ります。

 しみず・ただし 日本共産党衆院議員(2期)。1968年大阪府生まれ。93年、松竹芸能タレントオーディションに合格し養成所へ。漫才コンビ・ツインタワー結成。テレビ出演も果たす。95年の阪神・淡路大震災のボランティアの中で政治に関心を寄せ、97年に日本共産党に入党。2014年12月、第47回衆院選で初当選。19年4月、共産党の宮本岳志氏(比例近畿ブロック)の衆院大阪12区補欠選挙立候補を受け繰り上げ当選

 

GoTo

 

「表現の不自由展」中止 どう考える 作品撤去・中止しないでとネット署名を呼びかける美術家 井口大介さん

2019811

「展示再開」が市民の声

 憲法21条の「表現の自由」には見る自由も含まれています。作品を見ないことには肯定も否定もできません。手段を尽くして展示を継続しようとせず、見て考えて議論する権利まで阻害した中止は重大です。

 政治家の発言が、常軌を逸した「抗議」に拍車をかけました。松井一郎大阪市長が「平和の少女像」の展示を「にわかに信じがたい」とツイート、河村たかし名古屋市長が「日本国民の心を踏みにじる行為」と中止を求め、極め付きは菅官房長官が補助金交付を「精査」すると発言したことです。国家が補助金をたてに展示の内容に介入するなどありえません。

 前代未聞の弾圧だと感じたので、急いで意思表示をしなければと3日午後1時頃に署名を呼びかけました。直後に中止が発表されたのですが、署名はその後もどんどん集まり、これまでに2万5500人を超えました。(10日午後6時30分現在)

 予想を超える反応に驚き感動しています。コメント欄を読むと、みな当事者として怒っている。「こんなことを許したら自分の自由も奪われる」と。声なき声が問題を共有し横につながって立ち上がっています。侵略戦争の加害責任を認めず、戦前のような一元的なモノの見方に集約させようとする安倍政権への大きなカウンター(反撃)だと思います。「展示の再開を」が市民の声です。

 (内藤真己子)

 いぐち・だいすけ 1958年東京都生まれ、多摩美術大学油画科卒

 

GoTo

 

「表現の不自由展」中止 どう考える 同志社大学教授 岡野八代さん

2019811

安倍政権の姿勢が土壌

 「表現の不自由展・その後」を中止に追い込む過程で、河村たかし名古屋市長や松井一郎大阪市長らが「『慰安婦』問題というのは完全なデマ」などと公然と歴史の事実を否定し、メディアが無批判にあるいは増幅するかのような報道をしています。国際社会では到底通用しない暴論です。

 日本軍当局の要請で慰安所が設営され、設置・管理・「慰安婦」の移送に日本軍が直接・間接に関わった▽軍の要請で行われた「慰安婦」の募集は、甘言・強圧など本人の意に反し徴集され、官憲が直接加担した例もある▽慰安所での生活は強制的な状況下「痛ましいもの」だったと、日本政府自身の調査に基づき1993年の河野洋平内閣官房長官談話がはっきりと認めています。

 日本軍が設置した慰安所で、女性を事実上監禁し、1日に多い時には何十回も兵士の相手を強要したことは「性奴隷」というほかない著しい人権侵害で、国連や欧米諸国で謝罪や補償、歴史教育を求める勧告や決議があげられています。

 安倍晋三首相はこれを否定しようと躍起となってきました。2007年には「強制」を「家に押し入って人さらいのごとく連れていく」と狭く解釈したうえで「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と閣議決定。これは維新の橋下徹氏や松井一郎氏らに最大限利用され「強制の証拠はない→『慰安婦』はデマ」というすり替えに使われています。

 14年に朝日新聞が吉田清治氏の証言に基づく記事の誤りを認めると、それをもって「慰安婦」問題すべてを否定する議論が展開され、論理がどんどん粗雑になっています。

 しかし、インドネシアで官憲がオランダ人女性を強制連行して「慰安婦」としたことはオランダ政府の調査も明らかにしており、狭義の意味でも強制連行はありました。

 中学校教科書からは04年の検定以降、「慰安婦」という言葉が事実上消え、アメリカの教科書に介入して政府として「慰安婦」問題の記述の訂正を求めることまでしています。

 徴用工問題でも個人の請求権が消滅していないことは日本政府も認めているのに、「赤旗」以外のメディアはそれに触れず、日本政府の言うまま“韓国が国際法に違反した”と書き、市民に「韓国が悪い」という思い込みを広げています。

 安倍首相に近い自民党議員が、政府の見解と違う研究に助成金を出すなと攻撃する。ヘイトデモを警察が放任する。安倍首相らの誤った発言をメディアがたださない。そうしたなかで“何を言ってもいい”という空気がつくられ、「表現の自由」を抑圧する者を活気づけています。今回の事態は安倍政権がつくってきたその土壌の上に起きたことです。

 企画展の再開を求め「表現の自由」を守るとともに、歴史修正主義と排外主義を許さず、歴史の事実を伝える取り組みが求められています。

 (西沢亨子)

 おかの・やよ 1967年生まれ。同志社大学教授(政治思想、フェミニズム思想)。『フェミニズムの政治学』『戦争に抗する』ほか

 

GoTo

 

「表現の不自由展」中止 どう考える 美術評論家・府中市美術館学芸員 武居利史さん

2019811

 愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が、政治的圧力や脅迫により中止に追い込まれた問題は、日本の民主主義の深刻な現状を見せつけました。同時に、「表現の自由」への抑圧とたたかい、展示の早期再開を求める声が広がっています。関係者、識者にこの問題をどうみるか聞きました。

継続へ向け国が尽力を

 中止された「表現の不自由展・その後」は、過去に公立美術館などで抑圧された作品を一堂に集めたもので、表現の自由について議論するきっかけをつくりたいという津田大介芸術監督のジャーナリストの視点が生きたよい企画だと思います。これを認めた愛知県も英断でした。

 それが開幕後、外部からの脅迫と河村たかし名古屋市長の圧力で中止に追い込まれた―。あいちトリエンナーレは国内だけでなく世界から作家や観客が集まる、日本でも有数の国際芸術祭です。今回の中止は表現の自由を主催者自らが否定し、日本は表現の自由が保障されない国だと世界に発信するもの。文化面における日本の国際的信用を失わせるものです。

 テロの予告や抗議の殺到で、芸術祭の円滑な運営や安全を確保することが県の通常の行政能力を超えたとは思います。そうであれば中止ではなく、国も協力して暴力を許さない断固とした姿勢を示し、万全の対策を取って企画展を続けるべきではないでしょうか。

 たとえば、オリンピックで今回のような脅迫があったとしたら競技を中止するのか。あらゆる対策を取り実施できるよう全力を尽くすでしょう。

 ところが、菅義偉官房長官は記者会見で「一般論で言えば暴力や脅迫はあってはならない」と言いました。その言い方に、例外もありうるという含みを感じます。

 暴力の危機によって表現の自由が脅かされているのに国が何もしないでいいのかが問われます。「文化に対する暴力を許さず、表現の自由を守る」と発信すべきです。国民は安倍政権だからとあきらめてはいけません。

 個々人の多様な価値観、意見表明が尊重されるのが民主主義の大前提で、表現の自由は基本的人権の中でも特段の重みを持ちます。制約がかかるのは他の人権を侵害する場合で、今回はそれに当たりません。河村市長が自分が見て不愉快だから特定の作品を撤去せよと市長の立場でいうのは検閲です。むしろ作品を非公開にすれば見たい人の権利を侵害することになります。

 今回であれば、行政は内容について責任をもつ芸術監督の判断を尊重すべきです。一般的に行政が文化事業を行う場合、行政が直接内容に介入するのを防ぐため、権力と距離を保った専門家や機関を置き、彼らが内容を決めていく「アームズレングス(腕の長さの距離)の原理」が重要だとされています。

 表現の自由の抑圧が進めば特定の価値観・思想しか認めない独裁社会を招きます。公金が出ているから行政の方針に従えというのは、行政の役割をはき違えています。その考えをつきつめていけば、公立図書館には政府の認める本しか置けないことになる。それを現実に示しているのが、戦前の日本社会です。

 表現の自由は、芸術家やジャーナリストのような一部専門家だけのものではなく、すべての人に関わるものです。見たり聞いたりする権利が制限されたらどうかと考えてほしい。発信する側と受け手の側の連帯が重要だと思います。

 (中村尚代)

 たけい・としふみ 1968年生まれ。東京芸大芸術学科卒。美術評論家連盟会員。「画家・新海覚雄の軌跡」展など手がける。『九条俳句訴訟と公民館の自由』(共著)

 

GoTo

 

ハラスメント防止 ILO条約採択後の課題は 労働政策研究・研修機構副主任研究員 内藤忍さん

2019819

禁止規定ない日本の法は不十分 批准できる水準へ改正議論早く

 #MeToo運動など、ハラスメントの根絶を求める声が世界的に広がるなか、国際労働機関(ILO)が6月の総会で「仕事の世界における暴力とハラスメントの除去に関する条約」を採択しました。ハラスメントに特化した初めての国際労働基準です。一方、国内ではまもなく、通常国会で成立したパワハラ防止を措置義務とする改定女性活躍推進法などの「指針」の議論が始まります。条約の意義と、日本におけるハラスメント対策の課題について、労働政策研究・研修機構副主任研究員の内藤忍さんに聞きました。(内藤真己子)

 ―条約のポイントはどのようなものですか。

 条約でもっとも重要なのは「暴力とハラスメントを法的に禁止する」ことが各加盟国に求められたことです。

 対象の範囲は広く、契約上の地位にかかわらず就労する者すべて、インターン・実習生を含む訓練中の者、雇用が終了した労働者、ボランティア、求職者および就職志望者、使用者の権限等を行使する者(社長・役員など)を含む、仕事の世界のすべての者を対象にしています。

 「制裁を設ける」とされたことも特徴的です。ILO事務局は、行為と状況により、加害者にたいする罰金、企業への許認可の取り消し、また加害者の企業内の処分、懲役などがあり得るとしています。

 さらにハラスメント防止と根絶へ「法の実施および監視のための仕組みの確立・強化」や、「効果的な監督・調査手段の確保」も規定されました。「被害者が救済・支援を受けられるよう確保する」とされたことも重要です。

 ―条約に照らして日本の法制度にはどんな課題がありますか。

 最大の問題は日本の法にハラスメントの禁止規定がないことです。先の通常国会で女性活躍推進法等改正案が成立し、セクハラ、いわゆるマタハラに加え新たにパワハラにも事業主に防止措置義務が課されました。しかし禁止規定はありません。経営側が強く反対し政府が盛り込まなかったためです。OECD加盟36カ国のなかでセクハラ禁止規定がない国はわずか3カ国しかありません。

 禁止規定がないと「ハラスメントをしてはならない」というルールが社会で共有されません。福田淳一元財務次官のセクハラ事件で、麻生財務相から「セクハラ罪という罪はない」という発言が出たことが象徴しています。「ハラスメントは行為者が悪い」という規範ができず、被害者バッシングや二次被害が起き続けています。

 日本の法では事業主に防止措置義務が課され、履行しない場合は企業名を公表することになっています。ところがセクハラが措置義務になって十数年、一度も発動されたことはありません。

 措置義務を確実に履行させる監視監督や調査ができていません。履行状況を全社に提出させることを義務付けていないし、組合など労働者代表制度をつかってフォローさせる仕組みもない。ここを改善することがまず重要です。

 対象範囲が狭いことも問題です。女活法等改正案の国会審議で日本共産党の吉良よし子参院議員が、就職活動中の学生がOB訪問などで被害にあう「就活セクハラ」の深刻な実態を示し対応を迫りました。個別労働紛争解決促進法によって都道府県労働局の総合労働相談コーナーで就活生の相談対応や事業主への助言・指導を行えることを政府に明らかにさせたのは大きな成果でした。

 しかし就活生など求職中の人、教育実習生、フリーランスの人は措置義務の適用対象に含まれていません。大きな問題になっている取引先や顧客等、第三者からのハラスメントの規制も見送られました。労働は職場の中で完結するわけではなく、立場や属性による力の差があるところでハラスメントが起きがちです。だから条約ですべての人を規制の対象にしていますが、日本の法制度は極めて限定的で問題です。

 ―条約に照らし被害者救済や支援では日本にどんな課題がありますか。

 ハラスメントを受けて裁判をできる人はわずかで、行政救済が重要です。しかしセクハラの場合、都道府県労働局への相談は年間7000件前後あっても、紛争解決制度(紛争解決の援助・調停)を利用している人は140件程度しかありません。しかも紛争解決制度は「相互互譲」を前提とする、主に金銭解決です。被害者の願いである(1)「行為がセクハラであって違法な行為である」と認められ(2)謝罪・賠償され(3)もう二度と起こらないようにしてほしい―と大きく乖離(かいり)しています。

 条約が求めている被害者救済策として極めて不十分です。相互互譲の調整型紛争解決ではなく、裁断・判定型の救済システムを設けることが必要です。そのためにも行政が判断に利用できるハラスメントの定義と禁止規定が欠かせません。

 現状ではハラスメント被害者への支援制度は皆無です。性暴力被害者のワンストップ支援センターのようなイメージで、医療サービス、カウンセリング、労災申請、雇用保険の手続き、紛争解決、復職などを一体で支援できる体制が求められます。

 ―条約と日本の法制度では、かなりの違いがありますね。

 日本ではハラスメント禁止がない、対象範囲が狭いことなどがハードルになり、現行法制度では批准は難しいでしょう。しかし日本政府も賛成して新しい国際基準の条約ができたのですから、批准できる水準の法改正を目指し、すぐに議論を始めるべきだと思います。参院厚生労働委員会の付帯決議では、さらなる制度改正に向けて、法付則の検討規定の「施行後5年」を待たず、必要に応じて検討を開始することを求めています。

 法改正を受け、厚労省の労働政策審議会では今月、パワハラ措置義務の内容を定める「指針」などの議論が始まります。同付帯決議では、フリーランスや就活生、教育実習生へのハラスメントを防止するため、「指針等で必要な対策を講ずる」とされており、これも課題です。これまでの議論の延長ではなく新しい国際基準である条約が採択されたことを踏まえ、でき得る限り高い水準の指針の策定を目指すべきです。

 ないとう・しの 2006年早稲田大学大学院博士後期課程単位取得後、労働政策研究・研修機構へ。専門は労働法。厚労省「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議ワーキンググループ」委員、同「ハラスメント対策企画委員会」座長など歴任。

 

GoTo

監視社会と国の情報隠蔽に抗して 弁護士 三宅弘さん

2019823

人権侵害チェック機関必要 頑固に憲法にこだわらねば

 国民が権力に監視される社会へすすむ日本。一方で政府による公文書の改ざん・隠蔽(いんぺい)が横行しています。この問題について、長年、情報公開、公文書管理、個人情報保護の立法と解釈運用に携わってきた弁護士の三宅弘さんに聞きました。(伊藤紀夫)

 ―共謀罪法が成立し、監視カメラの拡大、インターネット、GPS(全地球測位システム)などの大量情報技術が発展し、国民は知らない間に監視社会の中にのみ込まれていく状況ですね。

 そうなっていることを多くの国民はわからない。情報を権力に握られていますからね。顔認証付き監視カメラなどでみんな管理されているのに、監視カメラで犯人が特定されるから、それは有効だと思うだけ。その情報が政府によって蓄えられ、個々人について人物像を描き切ることができるところまでいってしまう危うさを知りません。

 コンピューターやスマートフォンを使い、フェイスブックやツイッターでお互いに自己情報を流すわけです。その情報や、民間に流れている情報も、集積してプロファイリング(データをもとに分析し犯人像などを割り出す方法)したりしていくと、この人はこういう人だということを性格付けられる。いわば思想チェックまでいってしまいかねない社会です。

 共謀罪については組織的犯罪集団という限定付きですが、要件は無限定で一般市民が捜査の対象になる危険があります。戦前の「壁に耳あり、障子に目あり」の再来です。近くにいる人のプライバシーを暴き、報告していくシステムになったら、大変です。保護されるべき個人情報を警察や情報機関が自由に収集し、利用できる。プライバシー侵害の最たるものです。

 ―どうしてこんな怖い社会になったのでしょうか?

 戦前は治安維持法の下に特別高等警察があって、当時の天皇制を守るためとして軍事機密など重要な機密を国民に知らせないよう目を光らせ、なにか疑わしいことがあれば、「国体の護持」に反すると全部捕まえていました。それは戦後なくなったが、組織としては警視庁公安課や公安調査庁などに受け継がれた。戦前の捜査手法などが反省されず、人権侵害だという感覚もない。監視社会のベースが戦前からつながっていると思います。

 日米安保条約ができて日米の同盟関係の下で、安保条約に基づく関係法令ができて、集団的自衛権を容認する安保法制まで成立してしまいました。

 その関連で、米国はイギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどと同等に日本に秘密情報を渡したいから秘密保護法をつくってもらわないと困るということになった。米国の国家ぐるみの大量情報監視の実態を内部告発した元NSA(米国家安全保障局)局員のスノーデンは「日本の秘密保護法は米国のものと違っていてはいけない、罰則をもっと厳しくしなければいけないという米国の要求に、安倍政権はこたえたのです」と言っています。「今年(2017年)になって、似たような法律が出てきました。共謀罪、テロ等準備罪です」とも話しています。秘密保護法、安保法制、共謀罪は一体の戦時立法とも言えます。

 ―公文書の改ざん・隠蔽問題については、どう考えますか。

 森友問題では佐川財務省理財局長が国会答弁で「記録にない」「記憶にない」と開き直って大問題になりました。公文書改ざんはひどいものです。交渉記録は1年未満保存として廃棄し、交渉後の売り渡し契約書だけあればよいとした上で、公文書管理法を正しく適用しないで、ファイルされた文書を入れ替えたのです。

 森友、加計問題で起こったことは、経緯や意思決定過程を含めた文書の保存義務を定めた公文書管理法4条違反です。市民に公開されるべき公的情報を国会にも公開せず、隠蔽・改ざんする。安倍政権による無法な「知る権利」の侵害でした。

 ―監視社会から人権を守り、公的情報を公開させていくには?

 ドイツでは警察や情報機関によるテロ対策法捜査・情報収集に対し、プライバシーや表現の自由への侵害がないかを調査する組織があります。連邦と州のデータコミッショナーといって、個人情報と情報公開の解釈・運用についてチェックする組織で、2年に1回、組織の中に立ち入り調査し、だれがどういうふうに評価されているかをチェックし、不正があれば収集データの削除を要求することもやっています。ナチス・ドイツの下で、ユダヤ人一人ひとりをデータ化し、虐殺してしまった反省の上につくられた制度です。

 ところが、日本は、警察法2条で「公共の安全と秩序の維持」ということで警察は情報収集のためには何でもできます。日本でも、人権侵害が起きていないかをチェックするドイツのような機関を検討し、省庁の組織の中まで入って検証できるシステムが必要です。

 個人情報保護法の下での本人情報の開示請求権が民間部門にあります。例えば、米軍辺野古新基地建設反対運動をしている人が、警察の下請けで反対住民側のデータを集めている私企業に対し、自分の情報をどう整理しているのか明らかにさせ、利用停止、個人情報の消去を求めていく訴訟があってもいい。情報公開法や個人情報保護法を使って監視社会を打ち破っていく運動を展開しなければいけないと思います。

 公文書については、行政側が文書の不存在を言うところに問題があるから、行政文書管理ガイドラインを変え、役所全体の規則、細則も含めてそういうことがないよう求め、一定変えてもらいました。各省庁が政策決定に関わる意思決定過程の公的情報を記録・保存し、データが残るシステムにし、恣意(しい)的に秘密指定や廃棄を許さないようにすべきです。

 ポツダム宣言の受諾で治安維持法も軍機保護法も廃止されたわけですから、秘密保護法や共謀罪法も廃止する希望を捨ててはいけません。日本弁護士連合会が提言しているように、憲法21条の保障する市民の知る権利を具体化して発展させるため、公文書管理を含めた「情報自由基本法」を制定すべきです。

 ―憲法に反する日米軍事同盟に基づく体制づくりと監視社会の問題は表裏の関係ですね。

 そうです。現行憲法は、日本が戦争に負けて本来あるべき平和の究極の姿は「戦力はもたない」「交戦権は行使しない」という、平和をもたらす方向を示しています。その意義を絶えず、問い続けていく。常にたたかい続ければいい、たまには勝つから。そうやって、人々の記憶の中に残していかないといけない。頑固に憲法にこだわっていかなければならないと最近、思うんですよ。

 みやけ・ひろし 1953年、福井県生まれ。東京大学法学部卒。獨協大学特任教授。日本弁護士連合会情報問題対策委員会委員長、日弁連副会長、関東弁護士会連合会理事長、内閣府公文書管理委員会委員長代理を歴任。著書は『監視社会と公文書管理』など。

 

GoTo

 

羽田新ルートどう見る 航空評論家(元JAL機長) 杉江弘さんに聞く

2019831

都心低空飛行は世界の非常識

 国土交通省は2020年東京五輪に向けた羽田空港の「機能強化」として、来年3月29日以降、都心部を低空飛行するコースの運用を開始することを決めました。都心低空飛行計画の問題点について、航空評論家で航空機の安全対策立案にも携わった杉江弘さん(元日本航空=JAL=機長)に聞きました。(東京都・川井亮)

 ―国交省が決めた羽田新ルートは、世界の流れから見てどうなのでしょうか。

 私はJALの安全推進部に5年ほど在任し、運航安全ポリシーを策定する部署で調査役を務め、パイロットの操作上の“憲法”にあたるオペレーションマニュアルの原案をつくる仕事に取り組んできました。

 世界の大空港は環境と安全を守るため、郊外に建設するのが主流です。例えばフランスのシャルル・ド・ゴール空港は、パリ市街から50分ぐらい離れています。イタリアのミラノ・マルペンサ空港も郊外にあります。台湾の桃園空港も台北市街から1時間以上かかります。

 羽田空港の都心低空飛行計画は、世界のすう勢に反しています。

 羽田ではかつて、大田区、品川区上空を飛んで騒音が激しくなったことから、上空を飛ばない約束を両区と結んでいました。今回の計画は、この約束にも反するものです。

 世界の大空港で都心上空を飛行しなくなったのは、不測の墜落事故や落下物事故が起きれば、人や建物が深刻な被害を受ける危険性が高いからです。

 

 ―航空機の機体の観点から問題はないのでしょうか。

 今の航空機は複雑なシステムを持つハイテク機です。現在運航停止になっているボーイング737MAXの事故に見られるように、コンピューターの暴走や少しの操作間違いから制御不能になり、大事故につながる危険があります。

 1994年には名古屋空港(愛知県)で中華航空機の墜落事故が起きましたが、名古屋市内に墜落しても不思議ではなかった。都心の上空で墜落事故が起き得ないと考えるのは、非常に甘い考えです。

 もう一つ大きな問題は、落下物の危険です。国交省の落下物対策は、国内外の航空会社に部品の落下を起こさないよう整備を要求し、人や物が落下物被害を受けた場合、補償すると示しました。

 しかし、機体が経年劣化すれば、パネルや部品が落ちやすくなります。世界的に整備士が不足し、整備士の労働条件が過酷になっている中、国交省のデータでもヒューマンエラーが急増し、日常の整備では落下物を完全に防ぐことは困難です。

 もっと難しいのが氷塊の落下を防ぐことです。長距離の国際線は気温が氷点下になる高度を飛ぶので、氷塊は大きな物で直径10センチ前後にもなります。上空約1000メートルで着陸体勢に入り、車輪を出す時に氷塊が落下するのです。

 直径10センチ程度の物でも、上空から落ちれば大変な被害を引き起こすことになります。落下物に関する情報提供や補償の上乗せなどは、事後対策にすぎません。

 (1面のつづき)

住民から騒音に懸念の声

安全脅かす無謀な降下角

 ―新ルート直下の住民からは、騒音への懸念の声が上がっています。

 着陸する飛行機が出す騒音も大きな問題です。国交省が示している着陸時の騒音データは、実際の飛行機を飛ばしたデータではなく、シミュレーターを使った科学的なデータでもありません。このデータは単に他の空港で採取した騒音量を参考にしただけです。

 しかも、同じ機体でも重量や、2種類あるフラップの角度の使い方によって、騒音量に違いがありますが、これも示されていません。来年以降には、やはり大型のエアバスA380も来るといわれていますが、国交省はそれらの騒音データを出していません。

 また、パイロットは着陸時、風や気温の変化、それに加えて操作上、エンジンの出力を上げたり下げたりするので、より大きな騒音が出ることもあります。「騒音は最大でも80デシベル」という国交省の説明は、机上の空論です。

 

 ―国交省の打ち出した騒音対策に、現役のパイロットからも驚きの声が上がっているそうですね。

 国交省は最近、「騒音を少しでも軽減する」として、飛行機の着陸時の降下角を現行の3度から3・5度に引き上げると打ち出しました。

 世界の大空港では、降下角は3度です。パイロットにとっては、降下角が0・1度変わるだけで外の景色、高さが全く違って見えます。かつて「世界一着陸が難しい」と言われた香港啓徳空港(現在は閉鎖)でも、降下角は3・1度でした。

 降下角3・5度は世界のほぼ全てのパイロットが経験したことのない急角度になる大問題です。着地の際、機首を上げなければなりません。現行の降下角3度でも、着地時に機体の後部と滑走路との間が1メートル程度しかないこともあります。特に胴長のストレッチタイプの飛行機では、機首を上げることで尻もち事故が起こりやすくなります。

 加えて、急角度で進入することで、滑走路にたたきつけるような着陸(ハードランディング)が起きやすくなり、主翼の前の「セクション41」と呼ばれる胴体や脚部分に、ひび割れやトラブルが生じる危険性もあります。

 私の周りの現役やOBのパイロットも、降下角3・5度の話に驚いています。

 日本の航空会社はいずれも「スタビライズド・アプローチ」(安定的な進入着陸方式)を採用しています。これは高度1000フィート(約300メートル)、今回の計画で言えば大井町(品川区)上空で、降下率が毎分1000フィート以下などあらかじめ定めた条件を満たしていなければ、危険になるので、着陸を中止して再上昇(ゴー・アラウンド)し、やり直さなければならないというものです。

 ちなみに、この時に生じる音量は離陸時とほぼ同じ程度になります。

 

 降下角を3・5度にすると、ボーイング777やA380などの重い機体では、着陸重量や風の変化によっては降下率が毎分1000フィートを超えてしまい、着陸が大変難しくなる危険があります。国交省はこの問題をどう解決するのか、明確に答えていません。

 国交省はまた、降下角の引き上げで、騒音の低減を図るとしていますが、大井町では変更前に比べ高度30メートルしか上がらず、「騒音は1デシベルしか変わらない」とする報道もあります。実際、国交省は、騒音がどの程度変わるかという具体的データを明らかにしていません。騒音低減の効果もなく、危険なアプローチに変更することは許されません。

 羽田空港の低空飛行計画は結局、政府が「訪日客を3000万人から20年に4000万人に増やす」というアドバルーンを上げたのに合わせて、国交省が無理やり出した計画だということです。このような方法で安全運航が脅かされる計画は、やめるべきです。

 すぎえ・ひろし JAL機長として、DC8、ボーイング747、エンブラエルE170に乗務。JAL安全推進部調査役時代には「スタビライズド・アプローチ」などの安全運航ポリシー立案、推進に従事。首相フライトなど政府要請による特別便の経験も多く、退役までの総飛行時間は2万1千時間超。航空安全に関する著作も多い。

 

GoTo

10

あいちトリエンナーレ補助金不交付問題 日本文化政策学会顧問(アートマネジメント・文化政策) 伊藤裕夫さん

20191013

自主的な検閲求める異常な決定

 採択が決まっていた国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」への補助金約7800万円を、文化庁が全額不交付とした問題で、アートマネジメントと文化政策が専門で日本文化政策学会顧問の伊藤裕夫さんに聞きました。

 (聞き手・田中佐知子)

 ―全額不交付の決定をどう見ていますか。

 文化庁は、トリエンナーレ側が申告すべきことを申告せず、実現可能性と事業の継続性について適正な審査ができなかったことを理由にあげていますが、あら探しとしか言いようがない「異常」な決定です。今回のようなケースは、これまでにないと文化庁も認めています。完全に事業をとりやめたりしない限り、考えられないことです。

 通常、「実現性」「継続性」等の「視点」で審査するのは、外部有識者による審査委員会です。私も、文化庁の助成金の審査委員として、実現性や継続性といった運営面から審査した経験があります。そこで採択が決まった後で、文化庁が審査するのは、主に交付金額の積算の根拠です。

 「あいちトリエンナーレ2019」は、良くも悪くも愛知県や名古屋市が巨額の資金を出し、既に3回の開催実績がある企画です。審査委員会としては、実現性があり、継続性も問題なしと判断するのが当然でしょう。実際トリエンナーレ全体は継続して実施されています。

 ―萩生田光一文科相は不交付の理由として「県が、批判や抗議が殺到して展示継続が難しくなる可能性を把握していながら、文化庁に報告がなかった」ことを挙げています。

 波紋を起こすような内容のアートイベントはいくらでもあります。審査する側は、一定の対策は当然されているものとして考えますし、申請側が、計画書に申告する特段の規定・書式もないのに、不測の事態が起こる可能性をわざわざ特記することは通常ありませんし、必要もないでしょう。

 「不自由展・その後」が3日で中止になった責任は、ネットで電話による攻撃「電凸」を示唆した人や、それに乗ってテロ予告までした人たち、無責任に発言しそれをあおった政治家たちにあります。それを「手続き上の不備」といって不交付にするなら、ある事業への公的資金をつぶしたければ、電凸で不測の事態を引き起こせば可能になることになります。最悪の前例になります。

 そもそもアートイベントに100%の実現可能性を求めることはできません。作家の新作の場合、創作過程で当初の予定が変わるのは当然で、開催直前まで具体的内容は分かりません。

 大津波という不測の事態を予期しつつ対策を講じなかった東京電力には、原発事故被害対策への公的資金が垂れ流され、当時の幹部は責任もとっていませんが、これはどう説明するのでしょうか。

 ―展示の内容によって不支給にしたのではないかと疑われています。

 政府は、あくまで手続き上の問題で検閲ではないと言い抜けしていますが、結局、主催者である自治体や実行委員会、美術館などに対し、補助金が欲しいなら騒ぎをおこさないような内容に自主的に検閲して申請しなさいと、間接的に言っているのです。こうした傾向は20年ほど前から続いていますが、それが決定的になった極めて重大な事態です。

 ―文化庁が本来果たすべき役割は?

 文化芸術基本法に、文化芸術の振興を図るために「表現の自由の重要性を深く認識し、文化芸術活動を行う者の自主性を尊重する」とあるように、不自由展の再開を後押しするなど、芸術家たちを励ますのが本来やるべきことです。

 ところが逆に、補助金の全額不交付によって、あいちトリエンナーレの継続性を奪おうとしています。次回の3年後について愛知県議会でどういった声がでるか分かりませんし、河村たかし名古屋市長のもとでは名古屋市から資金が出ないおそれがあります。

 政治の介入をさせないためには、行政と距離を置いた専門家らによる第三者機関が助成対象を審査し決定するイギリスのアーツカウンシルのような本格的組織が日本にも必要です。

 日本の文化庁も8年ほど前から日本版アーツカウンシルを模索し始めていますが、ここ数年で急に動きが止まった印象です。

 フランスで今回の日本のような問題が起きたとしたら、多くの芸術機関でストライキが起こるでしょう。

 アメリカで1965年に設立された大統領直轄の法人「全米芸術基金(NEA)」は、組織のミッション(使命)に、「芸術のための弁護」が入っています。芸術家の活動を推進するために、社会や政治に対して専門家の立場から芸術家の弁護をしていくということです。

 80年代以降、同性愛の芸術家たちのアートプロジェクトにNEAが公的資金を出すことに、共和党の支持基盤であるキリスト原理主義の人々が反対する動きが出てきました。下院で共和党が多数を占めていた90年代に、議会がNEA廃止の決議案を出し、結局、予算の減額という形で妥結したこともありましたが、NEAは何か問題が起きた時にはやはり芸術家の立場に立ちます。NEAと芸術関係者が連帯してたたかうのがアメリカの現状で、表現の自由は法律で守られるのではなく、たたかって守るという意識が徹底しています。

 日本の芸術界の反応の鈍さは気になり、既に相当萎縮しているのではないかと危惧していましたが、今回、多くの市民とともに芸術関係者たちも立ち上がり、再開を求める声が広がって、8日から再開されたことは「成果」です。声をあげれば勝てると、不交付撤回を求めていくことが大事です。

 いとう・やすお 1948年生まれ。元富山大学教授。著書に、『芸術と環境』(共編著)、『アーツマネジメント概論』(共著)ほか

 

GoTo

 

米軍「思いやり予算」使い日本を監視拠点に ジャーナリスト・社会学者 小笠原みどりさん

20191021

スノーデン文書で浮き彫り 違法監視 規制の議論をいま

 デジタル技術の発達は、国家権力による市民の監視強化という作用を世界中でもたらしています。とりわけ日本では、米軍への「思いやり予算」が米国の監視網強化に使われ、米軍基地が「対テロ戦争」の拠点になってきました。近著『スノーデン・ファイル徹底検証 日本はアメリカの世界監視システムにどう加担してきたか』(毎日新聞出版)で米諜報機関の中枢であるNSA(米国家安全保障局)による監視実態を告発したジャーナリスト・社会学者の小笠原みどりさんに聞きました。(聞き手・斎藤和紀)

 ―元NSA職員のエドワード・スノーデン氏が暴露した内部文書から、日本に関して明らかになったことはなんですか。

 まず、米空軍三沢基地(青森県)、横田基地(東京都)、米海兵隊キャンプ・ハンセン(沖縄県)が世界有数の監視拠点であることがわかりました。

 「沖縄の負担軽減」を目指した1996年のSACO(沖縄に関する日米特別行動委員会)合意に基づいて、通称「象のオリ」と呼ばれた楚辺(そべ)通信所は解体されましたが、キャンプ・ハンセンに最新型アンテナが建設されていました。この「移設」費用は全額、日本側が負担しました。オーストラリアの安全保障研究者であるデズモンド・ボールとリチャード・タンターの調査(『1945―2015年の日本におけるアメリカ通信諜報活動・ビジュアルガイド』)によると、象のオリはNSAの重要拠点で1960年代には主に中国の通信傍受を担い、冷戦のピーク時には要員は500人に上りました。

 NSAの中枢である通信諜報本部(SID)の内部紙「SIDトゥデイ」2003年12月15日付によれば、「移設」費用を日本に支払わせる秘密計画は「カメラス」と呼ばれ、07年3月16日付文書では「日本の納税者が支払った額はすでに5億ドル(約600億円)を超えると見積もられる」と計画成功を喜んでいます。

 NSA監視システムへの国家予算支出の是非が国会で議論されたことはありません。巨額の資金提供はまさに密約です。世論に問うことなく決められた税の使途は、平和憲法に反する戦争協力だったのです。

 ―監視拠点は米軍の戦争にどんな役割を果たしていますか。

 対テロ戦争はアンテナやドローンを駆使する戦争です。アンテナは米軍の行く先々に設置され、携帯電話やコンピューターのデータを吸い上げ、標的の位置情報を特定します。

 そのアンテナを世界中に配給する工場が横田基地にあります。「SIDトゥデイ」04年7月21日付は、「工学支援施設」と呼ぶアンテナ工場を横田基地に建設したと記載しています。設備費の660万ドル(約8億円)のほとんどや人件費は日本政府が支払ったといいます。アンテナの使用例にアフガニスタンでの対アルカイダ攻撃などをあげています。

 ただ、データによる行動予測は限界があり、無関係な市民への誤爆は後を絶ちません。

 三沢基地は米軍のハッキング攻撃の拠点です。同基地は1980年代から大規模監視システム「エシュロン」計画の一端を担い、ソ連などの衛星通信を傍受する巨大アンテナを設置してきました。

 2008年12月11日付のNSA文書には、傍受だけではなく通信者の位置を即座に特定する「亡霊」と呼ばれるシステムが同年9月から使用されているとの記述があります。過去に蓄積したデータから衛星端末の位置を事前に予測し、「位置情報を標的がオンライン上に現れてから数秒以内に提供できる」と誇っています。文書は「亡霊はすでにアフガニスタンのカブールやパキスタンなどで特定の標的について結果を出している」といいます。「結果を出す」とは「捕捉・殺害」を意味しています。

 ボールとタンターは、現在も米諜報機関の計1000人が日本で盗聴・監視活動に従事していると見積もっています。日本はなぜ世界1位、2位を争う米国のグローバルな監視拠点になったのか。それは日本の米軍基地が他国と比べて自由に使え、「思いやり予算」の名の下で資金援助を受けられるからです。

 対テロ戦争に従事するNSAへの支出は、憲法だけでなく「日本の防衛」や「極東の平和と安全に寄与する」とした日米安保条約からも逸脱しています。

 ―日本政府もNSAのような監視活動をしているのですか。

 防衛省はNSA本部から米国の監視システムの説明を直接受け、12年末にインターネット監視プログラム「マラード」を実行しました。防衛省情報本部電波部が13年2月にNSA向けに作成した資料によると、同省情報本部の太刀洗通信所(福岡県)で、1時間に50万件の通信を収集したと報告しています。市民も対象になるネットの無差別監視には防衛省から慎重意見が上がったとNSA文書は記しています。基本的人権の尊重や通信の秘密をうたう憲法に違反するからです。防衛省を押し切ってネット大量監視に踏み切ったのは内閣情報調査室(内調)でした。

 13年1月29日付のNSA文書は、内調のトップである北村滋内閣情報官(当時)が12年9月にNSAを訪問したと記録しています。北村氏は公安警察出身で、安倍首相の最側近です。内調は「重要政策に関する情報の収集」を建前にしながら、政権維持のために個人情報を集めていることがすでに報道されています。

 ―日本共産党の宮本徹衆院議員はスノーデン文書について17年5月に国会で質問しましたが、政府は「出所不明の文書」と回答を拒否しています。

 「出所不明」は現政権の決まり文句ですが、出所は明らかです。米政府すら文書を事実だと認めています。日本政府は否定しながら、NSAと関係を深め、違法監視を拡大しています。北村氏は9月に、首相官邸で外交・安全保障政策を取り仕切る国家安全保障局長と内閣特別顧問に就任しました。政権を批判する人をどう監視し、抑えこむのかを相談していることは容易に想像できます。

 欧州ではスノーデン氏の暴露が動かぬ証拠として受けとめられ、データ監視への議論が巻き起こり、市民の人権を守るため情報技術(IT)企業による個人情報収集を厳格に規制する一般データ保護規則の施行につながりました。日本社会もスノーデン文書と向き合い、監視を規制する法制度をいま議論しなければ、民主主義の土台が崩されてしまいます。

 おがさわら・みどり 1970年、横浜市生まれ。ジャーナリスト・社会学者。1994年に朝日新聞に入社し、沖縄米軍基地や盗聴法など監視社会問題について報道。2004年に退社。カナダ・クイーンズ大学で監視研究により社会学博士号を取得。現在、オタワ大学特別研究員。

 

GoTo

 

「即位の礼」の特徴と問題点 歴史学者・神奈川大学名誉教授 中島三千男さん

20191023

「天孫降臨神話」の具現化が憲法原理にふさわしいのか

 今回の天皇の「即位の礼」の特徴や問題点について、歴史学者の中島三千男・神奈川大学名誉教授にききました。(聞き手 竹腰将弘)

 今回の「即位礼」の中心的儀式で、国事行為として行われる「即位礼正殿の儀」は、戦前の即位儀礼を定めた登極令(とうきょくれい、1909年・明治42年制定)の「即位礼当日紫宸殿(ししんでん)の儀」の名前を変えたものにすぎません。

 登極令で定められた即位礼は、即位を天照大神(アマテラスオオミカミ)やその他の神々に奉告(ほうこく=神に告げる)する「即位礼当日賢所(かしこどころ)大前の儀」や「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」と一体の、国家神道の教義である天皇制正統神話にもとづく儀式の一環です。

 この性格は、即位礼正殿の儀の中核的な装置である高御座(たかみくら)に象徴的に現れています。政府は、明仁天皇の即位の際と同じく大正、昭和両天皇が使った高御座を今回も使用します。

 高御座は、ニニギノミコトが高天原(たかまがはら)から日向高千穂の嶺に降臨する際、天照大神から三大神勅や三種の神器を授けられたときの神座を模したものとされています。

 まさに戦前の天皇の位置、主権者、神としての地位を象徴するものであり、その地位の源泉が天皇制正統神話、「天孫降臨神話」にあることを具現化したものです。

 近代以前に行われていた天皇の即位儀礼は私たちが思い描く純神道式のそれとは大きく異なりました。長く行われてきた中国(唐)風や神仏習合的儀式が、明治に入り、国家神道の核心的教義である天皇制正統神話にもとづくものにとってかえられました。

 明治維新にはじまる日本の近代国家は、国民的統合を神権的天皇の押し出しによって成し遂げようとしました。そのために維新直後から神道中心主義をつくり上げ、一世一元制を定め、さらに後には、教育勅語を中心とする教育政策や国家神道体制の確立など、あらゆる機会をとらえて、神権的天皇像を浸透させようとしました。

 登極令によって近代に創られた「代替わり」儀式も、天皇制正統神話を目に見える形で国民と国際社会にむけてパフォーマンスするものでした。

 1945年の日本の敗戦で、明治以降につくられた主権者・統治権者としての神権的・絶対主義的天皇制と、それを支えた天皇制正統神話、国家神道は否定されました。日本国憲法は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」(第1条)と象徴天皇の存在理由を主権者である国民の総意に求め、戦前とははっきり異なることを示しました。

 そうであるならば、国民主権のもとで最初であった「平成の代替わり」儀式は、戦前とは異なる形で行われるべきでした。

 しかし、現実には、戦前の登極令に規定された30余の儀式がほぼそのままの形で行われ、今回もその前例が踏襲されています。そこでは、宗教的性格が薄いと強弁できる五つの儀式は「国事行為」として行い、それ以外は「皇室行事」と位置付ける「読み替えのトリック」が使われています。

 完全な宗教的儀式である大嘗祭(だいじょうさい)をはじめ、本来なら内廷費から支出すべき皇室行事に「大礼関係の儀式」という概念をかぶせ、公費である宮廷費を使用することは、重大な政教分離原則違反です。

 天皇制正統神話と決別し、憲法原理にふさわしい即位儀礼なのかどうかということについての検証と議論がなされるべきです。

 春からの一連の代替わり儀式で、多くの報道がされています。

 しかし、儀式の内容は歴史的に変化してきており、現在の多くの儀式は近代以降に新しく創られたものです。その目的は神権的天皇像の創出にあり、そうしてつくられた天皇制国家が日本国民とアジア諸国民に大きな不幸をもたらしました。その国家体制は1945年に破滅し、その反省の上に国民主権や政教分離の原則をうたった現憲法ができました。こうした視点を欠く報道は、結果として戦前の天皇制正統神話を再び国民の間に垂れ流すことになっているのでは、との危惧を抱きます。

 なかじま・みちお 1944年生まれ。歴史学者。神奈川大学元学長。主な著書に『天皇の代替りと国民』(青木書店)、『天皇の「代替わり儀式」と憲法』(日本機関紙出版センター)

 

GoTo

 

表現の自由 日本の現状への危機感 ドイツのボン大学教授(日本史研究) ラインハルト・ツェルナーさん

20191029

民主主義破壊の勢力に対しては民主主義を自衛する責任がある

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の展示中止や文化庁の支援打ち切りの問題で、欧米の日本研究者が共同発表した声明の起草に携わったボン大学のラインハルト・ツェルナー教授(日本史研究)に、日本の現状への懸念と声明に込めた思いを聞きました。(ベルリン=伊藤寿庸 写真も)

 ―どうしてこの声明を出すことになったのですか。

 直接のきっかけは、「平和の少女像」を見せてはいけないという声で企画展が中止になり、文化庁が「あいちトリエンナーレ」への支援を撤回したことです。海外の日本研究者が声をあげなければいけないと、文化庁の決定(9月26日)の2日後に声明を起草し、署名活動を始めました。現在約170人から賛同が集まっています。米英仏やオーストリア、ニュージーランドなどの一流の日本研究者です。

 4年前、世界の歴史家が安倍首相に対する声明を出したことがあり、私も賛同しました。今回はアートの表現の自由が問われたので、日本美術史の研究者や美術館の学芸員にも広がっています。

 ―賛同者からどのような反響がありましたか。

 あるフランスの研究者は「いままではこういった活動はしてこなかったが、今回はあまりにひどいので署名する」と言っています。米国からは「今の全世界の動きをみると絶対に必要な署名だ。今こそオープンネス(公開性)が必要だ」との声がありました。

 ―日本で「表現の自由」が脅かされている現状はどう感じていますか。

 フランスのNGO「国境なき記者団」が発表する「世界報道の自由度ランキング」で日本の順位はどんどん落ちています。2010年が11位で、今は67位です。米国のNGOフリーダム・ハウスの発表する「報道の自由」ランキングでも同じ時期に21位から27位まで下がりました。国連の「表現の自由」に関する国連特別報告者も、日本の報道の自由を懸念する報告書を出しました。

 海外の研究者はみな、これを見て懸念していました。今回、それがアーティストの自由にまで広がったという印象です。

 ―声明は「民主的かつ多元的な社会において、政治と行政が表現の自由に敵対する勢力から芸術と学問を守る」べきだと述べていますね。

 ローザ・ルクセンブルク(ドイツ、ポーランドの女性革命家。第1次世界大戦に対し反戦運動を組織。ドイツ共産党を結成後、1919年に軍によって虐殺)に「自由はいつも反対者の自由だ」という有名な言葉があります。意見が割れていても、表現する自由はとても貴重です。

 日本の国立国会図書館の入り口にかけられている「真理がわれらを自由にする」というモットーに、私はとても感動しました。羽仁五郎(歴史家、参議院議員)が残した言葉です。戦後、そういう精神で民主主義を作ろうとした知識人がいた。その遺産を守る責任は、国民と行政と政治家にあると思います。

 その点で西欧と日本は共通しています。「表現の自由」のない民主主義はありえないという点も共通しています。

 ―「ポピュリストの要求を唯々諾々と受け入れ」ることや「テロリストの恫喝(どうかつ)に屈する」など「到底受け入れられるものではありません」というのは強烈な言葉ですね。

 民主主義を破壊する勢力に対しては、民主主義の自衛権があると思います。自衛する責任は、政府、行政だけでなく、市民にもあります。とくに外国人、女性、障害者などの少数者、弱者をしっかり守る義務があります。

 しかし日本ではそれに触れないで、何を言ってもいい、というスタンスをとっている人が多いようです。「NHKから国民を守る党」なんていう党もそう考えているようです。私はそうではないと思います。差別や暴力を起こすヘイトスピーチに対しては、全力で民主主義を守るべきです。

 民主主義は一回作れば大丈夫、というものではありません。民主主義の敵との毎日のたたかいが大切です。

 ―「日本の政府との間の協力関係」「公的機関に対する信頼」が損なわれたとも指摘していますね。

 今回の「トリエンナーレ」の中止で作品を引き揚げさせられた海外のアーティストは、自分の表現の自由も危ないと感じています。

 今後文化庁が、海外の研究者やアーティストに対し、「こういう研究はしてはいけない」「こういう展示はしてはいけない」と条件を付けるなら、協力は非常に難しくなるでしょう。

 文科省の奨学金について「日韓関係を研究する学者には出せない」という外交官の発言が数年前にありました。これでは、信頼関係はあやうくなります。

 ―日本と韓国の両方を研究してきて、今の日韓関係についてどう考えますか。

 海外での日本研究は、日本の世界的意義という観点から、中国や韓国と並行して研究する必要があります。私の場合は朝鮮半島でした。

 豊臣秀吉の朝鮮出兵から100年以上たったころ、新井白石が朝鮮との「未来志向の外交」という言葉を残しています。江戸幕府もこの問題を解決できていなかった。そういう500年間の関係を、日韓の枠組みだけで解決できるのか。

 たとえば「慰安婦」問題では、私個人は、海外に「慰安婦」像を立てることには反対でした。しかし「トリエンナーレ」の事件が起き、日本国内で自由な討論ができないのなら、海外でやるしかないのではないかと考え始めています。

 ドイツは、戦後責任に向き合ってきましたが、第2次大戦で日本とドイツは「共犯者」でした。両国が歴史的な記憶を共同で研究して、解決案を作れないでしょうか。韓国とドイツの関係も非常にいいので、日韓とドイツの三角形でとりくめばやりやすいのではないでしょうか。米国よりも、ドイツの方がフェアな立場に立てると思います。

 ボン大学教授。専攻は日本史。著書に『東アジアの歴史 その構築』(明石書店)、『ドイツ語エッセイ Mein liebes Japan!』(NHK出版)。2017年にドイツで出版された『日韓関係史通史』(ドイツ語)は500ページを超える大著。高校生の時に習った柔道がきっかけで日本の歴史に関心を持つ。1961年南アフリカ共和国生まれ。

 

GoTo

11月

憲法公布73年 9条改憲・表現の自由の危機とたたかう 青山学院大学教授(憲法、国際人権法) 佐智美さん

2019113

異論認める寛容さと理性を

 ―「あいちトリエンナーレ・表現の不自由展」への補助金交付決定が覆される事件が起こりました。これをどう見ていますか。

 健全な民主主義社会は、表現の自由に基づいて政権批判ができます。だからこそ表現の自由は抑圧されてはいけないし、また、だからこそ抑圧されやすい自由でもあります。表現の自由は、自由と民主主義の基盤といわれます。

 「表現の不自由展」への補助金不交付をめぐって政府は、脅迫がありトラブルの可能性があると説明していますが、論理が逆です。

 かつて日教組が京都で教研集会を開こうとして、右翼の妨害があるからとして会場使用を拒否された事件で、地裁は、妨害があるからといって政府や自治体が会場使用を拒否したら、暴力行為を容認することになる。妨害をいかに排除して集会を安全に開くかを考えるのが、自治体の義務だと判示しています。

 「嫌だ」と拒否反応を示す人もいるからこそ、多様な表現を守るのが本来の公共の役割です。表現が政治的であるなら、なおさら権力は中立的であるべきで、政治的だといって公共の場から締め出すことは許されません。

 ―自民党の稲田朋美幹事長代行は、「日本人の民族的人格権を侵害する恐れ」があるから、公金を出すべきではないと発言しています。

 非常に危険な発想です。個人ではなく「日本民族全体」で考え、「日本人ならみんな嫌でしょ」という価値判断を権力者が押し付けるもの。はっきり言ってびっくりです。背景には、侵略戦争を正当化するこの人たち独自の考えがあるのでしょう。

 安倍首相の選挙中のスピーチにヤジを飛ばした市民が、警察に実力排除される事件も起こっています。

 政治家や権力者は批判・反論を受けたら、それは違うと対話し、説明するべきです。対話すら拒否し、ヤジを飛ばすことも許さない権力者の態度は恐ろしいことです。

 徹底して表現の自由が軽んじられ、抑圧される状況です。過去にも表現の自由に対する抑圧はありましたが、これほど恥も外聞もない形での露骨な弾圧、抑圧はなかった。憲法研究者の中でも危機感は強く、ネットワークをつくり社会に訴えています。

 ―私たちは市民としてどう行動すべきでしょうか。

 表現の自由は、自分にとって好ましくない異論も認めるもので、ある意味「面倒くさい自由」です。多くの市民が素朴な感情に従って排除してしまう傾向がある。世論を誘導する権力者に足をすくわれないためにも、一歩踏みとどまって、異論に対し耳を傾け対話する、寛容さと理性を持たなければなりません。異論を認めないことは、自分の意見も排除される危険を認めることですから、表現の自由を認めることで、自分の自由も確保されます。

 安保法制では、世論も高揚しましたが、法律が強行され一部には閉塞(へいそく)感もあります。大事な割に、表現の自由は壊れやすい自由でもあります。だからいま、市民が声を上げることで、状況を変えることができるという希望を語ることが大切ではないでしょうか。

 (中祖寅一)

 たかさ・ともみ 1969年佐賀県生まれ。一橋大学法学部卒、同大学院修了。1997年同大学博士(法学)取得。著書に『アメリカにおける市民権』、『憲法四重奏』(共著)など。

 

GoTo

 

憲法公布73年 9条改憲・表現の自由の危機とたたかう 東海大学教授(憲法学) 永山茂樹さん

2019113

「人権尊重の国」を対置して

 ―安倍政権は、日本の過去の植民地支配への反省を投げ捨て、その一方で「党一丸」となって平和憲法の改定に突き進んでいます。この政治の姿勢をどう見ますか。

 そうした政治姿勢は日本国憲法の基本理念とは真逆のものです。

 安倍晋三首相は、10月30日で1年を迎えた韓国大法院の徴用工判決に対し、「国際法違反だ」などと非難し、日本軍「慰安婦」に対しては「性奴隷ではなかった」と、事実と責任を認めようとしません。2015年の「戦後70年談話」では、日露戦争を美化し、また将来世代の責任を否定しました。

 しかし憲法は前文で「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうに」すると決意したうえで、9条1項で戦争を、同2項で戦力の不保持と交戦権の否認をうたっています。「戦争の惨禍」の事実と責任を正面から認め反省した上で、将来にわたり繰り返さないと表明したのです。

 前文が反省する「戦争」には、第2次大戦だけではなく、アジア諸国の暴力的支配も含まれます。前文が「専制と隷従、圧迫と偏狭」を否定し、全世界の人々に「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」を保障したことからわかるように、憲法は植民地支配を否定しているからです。

 また憲法は、植民地の放棄や日本の戦争を侵略戦争だと規定したカイロ宣言(1943年)、ポツダム宣言(45年)をベースに制定されました。この経緯からいうと、憲法の平和主義には、日本が国際社会に復帰するための約束という意味があります。首相の姿勢は、約束を一方的にホゴにして、戦後の国際秩序を否定するものです。

 ―そうした安倍政権が9条改憲を進める危険をどう見ますか。

 「自衛隊明記」の9条改憲が実現すれば、「戦争をできる国」づくりがいっそう進むことは避けられません。

 すでに「安保法制=戦争法」の下で、安倍政権は、シナイ半島の多国籍軍に自衛官を派遣しました。さらにホルムズ海峡周辺への自衛隊派兵を検討するなど、海外派遣を恒常化させようとしています。

 にもかかわらず、9条と、そのもとで培われた「平和を愛する」国民感情という縛りがあります。そのため「戦闘地域にはいかない」「武力の行使はできない」「フルスペック(無制限)の集団的自衛権は行使できない」など、自衛隊の活動にはさまざまな歯止めがかかります。自衛隊明記の9条改憲は、そうした歯止めを外そうとするものです。

 安倍政権が過去の戦争・植民地支配をやっきになって正当化しようとするのは、このような「戦争をできる国」づくりと密接にかかわることは明らかです。

 ―自衛隊を憲法に明記することで日本社会にどんな影響があるでしょうか。

 一つ予測できるのは、自衛隊が憲法上の特別な組織として承認されることで、軍事予算の上限は取り払われ、バターよりも大砲を優先するのが当たり前になるということです。

 しかしいま国民が政府に求めるのは、台風・大雨・地震など自然災害からのすみやかな復旧、生活の再建、生涯にわたり安心して暮らす権利の保障です。つまり「戦争する国」とは真逆の「人権を尊重する国」づくりです。

 市民と野党が今夏の参院選前に合意した13項目の「共通政策」は、安倍9条改憲の阻止、国民生活を優先する財政、ジェンダー平等などの人権尊重を掲げました。こういった政策の魅力が市民に伝わるなら、安倍9条改憲を阻む力はさらに強くなるでしょう。

 (日隈広志)

 ながやま・しげき 1960年、神奈川県生まれ。一橋大学大学院単位修得。現在、東海大学法科大学院教授。おもな論文に「『戦争法』が狙うもの」(『法と民主主義』497号)

 

GoTo

 

教員に変形労働制適用 加藤健次弁護士に聞く

2019119

労基法の役割を否定する二重三重の憲法違反

 安倍内閣は7日、公立学校の教員に1年単位の変形労働時間制(変形制)を適用できるようにする教職員給与特別措置法(給特法)改悪案を衆院に提出、同日の本会議で審議入りしました。教育問題に詳しい加藤健次弁護士に問題点を聞きました。(佐久間亮)

 ―1年単位の変形制とはそもそもどういう制度ですか。

 1年単位の変形制は、労働基準法(労基法)で定められています。労基法は労働時間について1日8時間、週40時間という原則を定めています。1年単位の変形制はこの原則の例外を認めるもので、業務の繁閑に合わせて年間を通して所定労働時間をならす仕組みです。文科省は、学期中の所定労働時間を延ばし、その分、夏休み期間中に休日としてまとめ取りすることをイメージしています。

 学期中は教師にとって通常期間です。そこを繁忙期ということ自体が論理矛盾です。

 しかも、1年単位の変形制は生活リズムに大きな影響を与えます。そのため、労基法は、30日前までに労働日ごとの所定労働時間を決めなければならず、一度決めたら基本的に変更できないなど特別の条件をつけ、かつ労働者の対象範囲や対象期間については労使協定を必要とする縛りを設けています。

 ―現在、教員を含む地方公務員は、地方公務員法(地公法)で1年単位の変形制は適用除外になっています。政府は、給特法に地公法と労基法を読み替える条文を盛り込むことで、教員への適用を可能にし、自治体が条例で定めれば労使協定も必要ないことにするとしています。

 憲法27条は、賃金や就業時間など勤労条件に関する基準は法律で定めるとしています。その最も基本的な法律が労基法です。

 その労基法を給特法で読み替えるのは、労基法の最低基準としての役割を否定し、憲法27条を否定するものです。法案の中身も問題ですが、やり方が非常に姑息(こそく)です。

 労基法の基本原則の一つが労使対等原則です。給特法で労基法を読み替え、1年単位の変形制の適用要件から労使協定を外すのは労基法の労使対等原則の改悪にほかなりません。こんなやり方を認めれば、いくらでも労基法改悪が可能になります。

 給特法による地公法の読み替えも問題です。地公法は、地方公務員の権利や義務、労働基準を定めた最も基本的な法律です。労基法や地公法といった基本的な法律を読み替えで改悪するのは、給特法による“クーデター”です。

 そのうえ、地方公務員は、憲法28条で保障された団体交渉権や争議権が地公法で制約されています。そうした問題を放置したまま、変形制の適用にあたって労使協定がなくてもいいとなると、二重の意味で憲法28条違反という問題が出てきます。

 ―文科省は変形制について、長時間労働が是正されないままでは適用できない、休日のまとめ取り以外の適用の仕方は想定していないなどといいます。ところが、制度の細部はすべて、法案成立後に策定する指針で扱うとしています。

 指針が、今国会に出てこないのは問題です。同時に、法形式としては、いくら文科省がひな型をつくったとしても、自治体が条例で決めることになっているので、実際は自治体に丸投げになるでしょう。学校ごとに現場の実情は異なるので、結局、自治体から教育委員会、校長へと次々丸投げになっていかざるを得ない。運用面でも非常に無責任になりかねません。

 そもそも、指針は努力目標にすぎないので法的拘束力がありません。勤務時間を減らすために努力するという政治的アナウンス効果はありますが、条件が整わなければ勤務時間は減らないでしょう。

 一番の問題は、これまで所定労働時間からはみ出した部分を、政府が超過勤務と認めず、「自主的労働」としていることです。“給特法が教員の超過勤務を原則禁じているから超過勤務は存在しない”という逆立ちした考えです。ここが変わらなければ、どんな制度を入れたところで、はみでた部分は「自主的労働」になる。超過勤務の存在を認めずに変形制を持ち出すこと自体、おかしな話です。

 現在、多くの自治体で教員の勤務時間は1日7時間45分、週38時間45分で、そこを超えると「自主的労働」とされています。ところが、変形制を適用して勤務時間を1時間延ばしたら、やっていることは変わらないのに、延ばした分は「自主的労働」ではなく労働時間になる。まるで手品です。

 ―変形制が長時間労働を固定化・助長すると懸念されています。

 変形制が教員に適用されれば、教員の所定労働時間が週38時間45分で収まらないことを容認することになり、そのこと自体が長時間労働を助長します。学期中の所定労働時間は確実に延びます。

 延びた時間帯に職員会議など拘束的な業務が入ってくることも考えられます。家庭的な事情がある人には変形制は適用しないといいますが、帰りづらい雰囲気が生まれるでしょう。

 なにより、変形制によって超過勤務が見かけ上少なくなり、見えにくくなります。変形制を入れたのにそれ以上働いているのはやっぱり自発的なんだとか、能率が悪いんだという議論も出てきかねません。

 学期中の業務を所定時間内に終われるようにするのが本筋です。そのためには、日本共産党も提言しているように、抜本的な教員増と授業時数削減が欠かせません。

 

GoTo

 

安倍政権が狙うケアプラン有料化 東京都介護支援専門員研究協議会理事長 小島操さん

20191125

無料で相談は介護保険の良心 入り口の平等失い虐待増加も

 安倍政権は来年の通常国会に提出を予定している介護保険制度改定案で、いまは無料のケアマネジャーによる居宅介護支援(ケアマネジメント)費に1割負担を導入しようとしています。これに反対する「要望書」を加藤勝信厚生労働相に提出した、東京都介護支援専門員研究協議会(会員約2200人)の小島操理事長に聞きました。(聞き手 北野ひろみ、内藤真己子)

 ―ケアマネジャーによる居宅介護支援とは、どんなことをするのでしょう。

 介護が必要な状況に直面すると、利用者や家族は分からないことがいっぱいですよね。そんなとき相談に乗るのがケアマネジャーです。生活の困り事や、利用者がどんなふうに暮らしたいか希望をお聞きし、デイサービスやホームヘルパーなど介護保険サービスを利用できるようにします。それが居宅介護支援で、その計画書をケアプランと言います。

 居宅介護支援の報酬は介護保険から出ており、現在は10割給付です。だから利用者さんには「私たちは月これくらいの報酬を保険から頂いていますが、みなさんのご負担はないですよ」とお話しするわけです。介護の相談・支援は無料です、ということです。ところがここに1割負担が入ると、かなりの方向転換になると思います。

 ―どんなふうに変わるのでしょう。介護保険制度がはじまったときは、居宅介護支援は非常に重要なサービスなので10割給付にする、と言われていましたね。

 その通りです。私たちの相談は介護保険の入り口です。誰もが相談を受けられるという平等性は、不可欠なものではないでしょうか。

 1割負担が導入されれば、払える人は介護保険にたどり着けるけれど、払えない人は保険制度の中にさえ入っていけないことになる。みんな保険料を払って、だれもが介護保険を使って良いはずなのにそこが崩れる。それは変でしょう。介護保険の各サービスは、デイサービスもショートステイも1割負担があるじゃないかというけれども、入り口で負担を求めるのは訳が違います。

 負担なくケアマネジャーが相談に乗ってくれるということが介護保険の良心であると思います。その施行当時の良心をなくしてしまっていいのでしょうか。居宅介護支援が1割負担になれば介護給付費は500億円削減できると言われます。その500億円のために介護保険にアクセスできない人をつくっていいのかということです。

 ―「利用者が自己負担なく居宅介護支援を受けられる環境の維持」を要望書の「重点」とされていますね。

 私たちは会員を対象としたアンケートを行いました。「利用者負担の導入に反対」が68%を占めました。

 その理由として、たとえば、「利用者負担が導入されると、費用負担を理由に虐待ケースへのケアマネジャーの介入が妨げられる状況が発生し得ると思う」が77%にのぼりました。

 「高齢者虐待防止法」によって虐待を発見した人に市町村へ通報する義務が定められています。統計上、在宅の高齢者の虐待通報者で一番多いのがケアマネジャーです。虐待をしている家族や同居人は、それに気づいていないことや自覚がないことが多くあります。そこでケアマネジャーが毎月、居宅介護支援の一環として自宅を訪問することで虐待が発見され、被害者がずっとその状況にいることを防いでいます。

 私たちは虐待を通報したらそれで終わりではありません。その後も利用者や家族と関わり続けていきます。でも虐待している家族とコミュニケーションをとるのは困難なことが結構多いんです。1割負担が導入されれば、家族との関係がうまくいかなくなって「利用料を払わない」と言われたら、ケアマネジャーがやむを得ず手を引かざるを得ない状況が生じかねません。それでは介入が妨げられ、虐待が放置されてしまうのではないかと危惧します。その後、行政の人が調査に行っても、家族がドアを開けてくれるかは分かりません。

 ―介護現場の実態を踏まえ、ケアマネジャーの職能団体として他にどんな要望がありますか。

 現場では介護職員が不足し、介護施設がなかなか満床で可動できない状況があります。ケアマネジャーも人材がいないのがとても深刻です。募集しても新たにケアマネジャーになる人が来ない。このままではいいサービスができていかないんじゃないかなと心配です。ですから処遇の改善は介護職員だけでなく介護に関わる全てに検討が必要です。

 ケアマネジャーは先にのべたように市民が介護に直面したときの相談機能を期待され、実際に担っています。ところが介護保険以外のインフォーマルサービスや、関連領域の社会資源のみで支援するケアプランを作成した場合、また病院から退院して在宅で暮らす支援をしても実際に退院できなかった場合などは、介護報酬が算定されません。ですからこういった無報酬のサービスへの財政支援をともなう評価システムの構築も要望しています。

 ―政府・厚生労働省は改定で、ケアプラン有料化以外にも、要介護1、2の訪問介護のうちホームヘルパーが家事支援をする「生活援助」を保険給付から外して市町村による「総合事業」へ移すなど負担増と給付削減とを検討しています。どうお考えですか。

 政府は今年「認知症施策推進大綱」をまとめ、認知症になっても地域で暮らせる「共生」と「予防」を言っていますね。要介護1、2の方たちの中には認知症の初期症状を持つ人が多いと感じています。それなのに要介護1、2の人たちの生活援助を「総合事業」に移すというのはどうなのでしょう。「総合事業」は専門性を持たない職員体制でもやれるような仕組みになっています。ですから、認知症の初期の方に適切な対応ができなくなるのではないか、という大きな危機感を持っています。

 こじま・みさお 1984年から東京都社会福祉総合センターで福祉機器利用を中心とする相談員として15年勤務し、福祉用具の普及啓発に尽力。2000年介護支援専門員となり、居宅介護支援事業所の管理者等をつとめる。社会福祉士、精神保健福祉士、主任介護支援専門員。17年から現職。

 

GoTo

 

権力に弱いNHK どう改革 元上智大教授(憲法・メディア法) 田島泰彦さん

2019121

 メディアに関する全国世論調査(新聞通信調査会)でNHKの信頼度が初めて新聞を下回りました。安倍政権に忖度(そんたく)するような政治・外交報道が影響した可能性があります。なぜNHKは権力に弱いのか、改革はできるのか―。憲法・メディア法研究者の田島泰彦・元上智大教授は、市民と野党が交わした「共通政策」の第13項が手掛かりになると語ります。

 (NHK問題取材班)

経営委の透明化必要 手掛かりは「共通政策」第13項

 ―権力に毅然(きぜん)と対応できないNHKに対する不満が高まっています。

 重大な問題です。かんぽの不正販売を告発したNHKの「クローズアップ現代+」に対し、郵政3社が言いがかりをつけました。すると経営委員会がNHK会長を「厳重注意」し、続編の放送を1年以上も遅らせた。国民・市民の知る権利を大きく制約し、妨げたことになります。

 長い目で見ると、日本政府は表現や報道の自由を規制し、統制する方向で進んできました。その流れを格段に強めたのが第2次安倍政権です。特に放送への介入も顕著です。

 NHKの最高意思決定機関である経営委員会の委員は国会の同意の下、首相が任命します。安倍政権は首相に近い人を経営委員にし、会長人事にも重大な影響を与えています。

 NHKの在り方を定めた放送法の基には憲法の枠組みがあり、報道の自由や知る権利などを保障するのが本来の方向です。安倍政権はそれをねじ曲げた。ある種のクーデターでNHKの支配をもくろんだのです。

 ―ゆがみを正す方法はありますか。

 現状でも党派的な人事をやっていいという話ではありません。しかし、安倍首相のお友達が経営委員に任命される要因として、総務省が出す候補者のリストが不透明なことが挙げられます。どのような基準でその人を選んだのか。リストの透明化が必要です。また国会で公聴会を開くなど、候補者の適正について公の場で諮ることもやるべきです。

 さらには、野党や市民からの推薦制度も取り入れていくなど試みるべきでしょう。経営委員会に多様性を持たせ、バランスをとるべきです。

 ―政府・与党の影響を排除すべきではないでしょうか。

 NHKを含めそもそも放送を一部の権力を持つ人が政治的・恣意(しい)的にダイレクト(直接)に支配してはいけません。アメリカやイギリス、フランス、ドイツ、韓国や台湾でも、権力と距離を置いた独立機関が放送を規律し、管理しています。政権党の大臣がトップとして率いる総務省に放送がコントロールされるなど、異常・異例なこと。これが民主主義の国かと問うていい。

 ―市民と野党の共通政策の第13項では、報道の自由を徹底するため放送事業者の監督を総務省から切り離すとなっています。

 人間の精神活動に深くかかわる報道や放送は独立・自立した営みであるべきで、国営や政府の放送であってはいけないということです。

 民主党政権の時も同様の議論はありましたが、頓挫しました。本気で成し遂げようとするなら、市民の間にも日本の放送制度の問題点を広く知らせ、議論を提起する必要があります。立憲野党などとも連携し、市民が本気になって制度自体を変えていく。展望はあります。手掛かりが共通政策の第13項なのです。

 たじま・やすひこ 早稲田大非常勤講師、2018年3月まで上智大教授。憲法・メディア法専攻。特定秘密保護法や共謀罪法など権力による表現規制を批判してきた。近著に『表現の自由とメディアの現在史』(19年、日本評論社)。

 

GoTo

 

地球温暖化 最新の科学的知見 地球環境戦略研究機関研究顧問 甲斐沼美紀子さん

2019122

上昇1.5度と2度では大きな違い 南極もすでに影響 脱炭素化早く

 スペイン・マドリードで地球温暖化対策に向けた国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議(COP25)が2日から開かれます。国際交渉の議論のベースになっているのが、地球温暖化の自然科学的根拠やその影響、対策について国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が1990年からほぼ5年おきに発表してきた評価報告書です。現在は第6次評価サイクルにあたり、昨年10月の「1.5度特別報告書」を皮切りに報告書が作成されています。1.5度特別報告書の執筆者の一人、公益財団法人・地球環境戦略研究機関研究顧問の甲斐沼(かいぬま)美紀子さんにその科学的知見について聞きました。(三木利博)

 ―評価報告書はどうまとめられるのか。

 1・5度特別報告書の本編は40カ国、91人の研究者が執筆しました。特別報告書をまとめるIPCCの総会では、報告書を要約した「政策決定者向け要約」を190カ国の政府関係者が一堂に会して、1行ずつ確認し、全会一致を原則に承認していきます。5日間かけてこれを行い、すべての参加国が承認したものが、IPCCの報告書です。1・5度特別報告書が承認された後、英国では、独立した諮問機関である気候変動委員会に、報告書に基づいて提言を出すよう政府が要請しました。委員会は2050年までに温室効果ガス排出量を実質ゼロにする提言を発表し、英国政府はこれを法制化しました。

 ―1・5度特別報告書の特徴は。

 2015年に採択された地球温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」では産業革命前と比べ上昇幅を2度より十分低く抑え、さらに1・5度に抑える努力をするとしました。その「1・5度」に抑えることがどんな意味を持つか、まとまった情報がなかったため、国連気候変動枠組み条約がIPCCに対して報告書を作るよう要請したのです。

 報告書は、現在すでに産業革命前と比べ、世界の平均気温が人間の活動によって約1度上昇しており、気温の変化がこのまま続けば、2030年から52年の間で1・5度に到達する可能性が高いとしています。そしてサンゴ礁や低緯度の小規模漁業、陸域の生態系、沿岸地域の洪水、食物の収穫量、暑さや熱に関連する疾病や死亡などの影響やリスクが、1・5度上昇の時と2度上昇の時はかなり違うことが明らかになりました。その影響の違いは大きく、気温上昇を1・5度に抑えようとするなら、一刻も早い対策が必要であるとしました。

 ―その後、IPCCは「土地関係特別報告書」「海洋・雪氷圏特別報告書」も公表しています。温暖化はどんな影響をもたらしますか。

 温暖化といっても、地域や季節によって異なります。北極圏ではすでに3度以上上昇しているところがあります。グリーンランドでは氷床が加速度的に解けており、シャンパンのコルクが抜けかかっている状態だといわれます。

 また南極大陸の氷は雪が降り積もったものですが、2100年ごろまでは大丈夫だろうといわれていました。それが海水温が上がり、氷床が下から崩れることで、上に積もった棚氷が滑り落ちるという事象が観測されています。南極の氷が解けると、たいへんな海面上昇を引き起こします。

 漁業も影響を受けます。世界気温が1度上昇するごとに、300万トン以上漁獲高が減少するとされています。海の貧酸素化や貧栄養化によって魚の生態系に影響が出るためです。また、酸性の二酸化炭素を吸収すると海が酸性化し、魚の餌となるプランクトンが減って、漁業に影響を与えます。こうした事象は人が出した温室効果ガスをなくさない限り、今後何世紀も続くとされています。

 食料でも、インドではすでに小麦の生産に温暖化による影響が出ています。日本でも、これまでその土地で生産できていたものが、うまく育たなくなっているといったことがあるそうです。温暖化で生産地の北限が上がれば、従来収穫できていたところで被害を受けることになります。

 水資源にも影響があります。近年、ヒマラヤの雪氷が解けることで、下流では水量が増えているといわれていますが、すべて解けだしてしまえば水不足が起きるでしょう。

 ―影響は表れ始めていると。

 専門家は、南極を眠れる巨人と表現していましたが、それが起き始めているといっています。いったん始まるとこれは止められません。

 1・5度の特別報告書が発表された時、IPCCの第3作業部会のジム・スキー共同議長は「1・5度に抑えるためには、この10年が正念場だ」といいました。それがさらに短くなっているのです。

 どの報告書も「非常事態だ」としています。スウェーデンのグレタさんのような若者が怒るのも当たり前な状況です。将来に先送りすることなく、新しい技術の開発を待つことなく早急な対策が必要です。

 脱炭素社会への転換が必要です。温室効果ガスを排出している限り、温暖化の影響は増加します。各国の現在の温室効果ガスの削減目標を達成しても、上昇幅は3度になるといわれています。そのためCOPでは野心、目標の引き上げが議論されているのです。日本の目標(2030年に13年比で26%削減)は高いとはいえず、石炭火力に対する姿勢も、今後ますます国際社会で批判されることでしょう。

 かいぬま・みきこ 専門は環境システム工学。1977年に国立公害研究所(現・独立行政法人国立環境研究所)入所。地球環境研究センター温暖化対策評価研究室長など歴任。

 

GoTo

 

安倍政権の「全世代型社会保障改革」 鹿児島大学教授(社会保障法) 伊藤周平さん

20191212

公平というなら真の応能負担を 世代間対立ではなく1%対99%

 安倍晋三首相が議長を務める「全世代型社会保障検討会議」が今月中旬にも中間報告を取りまとめ、介護をはじめとする社会保障制度の改定案を打ち出そうとしています。安倍政権が進める「全世代型社会保障への改革」の狙いと特徴について鹿児島大学の伊藤周平教授(社会保障法)に聞きました。

 (藤原直)

 ―政府は、現在の日本の社会保障は高齢者に偏っており、全世代型に改める必要があると主張してきましたがどう考えますか。

 社会保障の「全世代型への転換」ということを高齢者への給付を抑え込む口実にしており、非常に問題があると思っています。

 75歳以上の医療費にはいくらかかっているとか、まるで高齢者が悪いかのような説明をして、世代間の対立をあおっています。しかし、日本では別に高齢者の社会保障が手厚いわけでもありません。

 同時に子育て支援などの充実に関しては、全世代が公平に負担を分かち合うべきだと言って消費税の増税をかぶせています。そこには大企業などに応分の負担を求める発想がまったくありません。消費税は低所得者ほど負担割合が重い税制です。こんなものは公平でもなんでもありません。

 結局、人口の多い「団塊の世代」が75歳以上になり始める2022年の前に医療・介護・年金に大ナタを振るわなければいけないという発想です。そして、国民に給付減や負担増を押し付けるのは、参院選が終わったいましかないというわけです。

 なかでも中心は、75歳以上の医療の窓口負担や介護保険の利用料で、現在の原則1割負担を2割負担へともっていくという改悪です。これらは以前から財界が求めてきたことです。それを実際に経団連の会長や経済同友会の代表幹事という財界ツートップが入った全世代型社会保障検討会議でまとめようとしているのです。

 ―高齢者の窓口負担を増やすのは、「世代間の公平性」をはかるものであり、「能力に応じた負担」を求めているだけだという主張についてはどう考えますか。

 本来、医療の給付は現物給付ですから、窓口負担をとるべきではありません。ヨーロッパ諸国やカナダでは、公的医療制度の窓口負担はゼロか、あっても少額の定額制です。日本も1980年代半ばまでは健保本人は無料、70歳以上の高齢者の窓口負担も原則無料でした。

 現在は、現役世代は3割、70歳から74歳までは原則2割、75歳以上は原則1割ですが、もともと受診のたびにかかる応益負担そのものが公平性に欠けています。というのは、生活保護を受けていない限り、お金のある人もない人も3割とか1割といった負担金がとられるわけじゃないですか。それも医療を必要としている人ほどお金がかかる仕組みです。お金のない人は当然、受診を抑制してしまいます。その率を引き上げるということは、負担金が払えずに医療が受けられないという事態を拡大することになります。しかし、命は平等なはずです。

 一番のポイントは困っている人が医療を受けられなくなるような仕組みは、公平ではないということです。

 「能力に応じた負担」というのなら、お金はあるところからとるという「応能負担」の原則にそって負担は保険料や税で求めつつ、患者負担は低額に抑え、必要な医療を給付するというのが公的医療制度の本来のあり方です。

 それを世代間の対立にしてしまうのはおかしい。やはり人口比では1%にすぎない富裕層は、99%を占める圧倒的多数の庶民が団結するのが怖いんでしょうね。庶民の中での対立をあおって本当の高所得者や大企業には負担がいかないようにしているようにみえます。

 ―官邸からは、高齢者の多くは働きたがっており、医療・介護の予防へのインセンティブ(刺激策)も強化するので、働けるうちは働いて社会保障の受け手ではなく支え手になってほしいという話も宣伝されています。

 年をとっても生きがいをもって働けるならいいけど、多くの人がしんどくても働いているのは、年金だけでは食べていけないからです。実際には、高齢者をいま以上に低賃金労働に動員しようという政府・財界の意図が透けてみえています。

 雇用に関して財界が強く望んでいるのは、保険料などの事業主負担を免れることです。非正規雇用だってそれで増やしてきたようなものです。70歳までの就業機会確保の法案も来年出すようですが、そこに入っているフリーランスなどの働き方も非常に不安定な形になると思います。

 病気の予防についていえば、介護や医療の予防事業など保健事業は、本来は税金でやるべきことです。政府がいま進めている予防はいわゆる「健康自己責任」論のニュアンスが非常に強くて、生活習慣病だって予防をやったらインセンティブがあるってことは、逆に予防していないとペナルティーをかけられるかもしれない。

 でも、お金のない人は、健康管理自体が、難しいんです。所得格差など社会的な要因で健康格差が生まれることはもう実証されているのですから、本当に国民の病気を予防しようと思ったら一番いいのは、貧困や格差社会をなくしていくことです。だから、最大の予防は、消費税の廃止なのではないでしょうか。

 ―現在の衆院議員の任期が満了となる2021年10月までには総選挙も必ず行われますが、一連の社会保障改悪を食い止める展望をどこにみていますか。

 政府内で今メニューにあがっている医療や介護の改悪案をみると、繰り返し出されてきては国民の抵抗で先送りされてきたものも多い。だからこっちも諦めたらだめなんです。そして、「消費税減税」と「応能負担」を選挙の争点にして安倍政権を過半数割れに追い込む。そうすればもう負担増なんてできないはずです。

 いとう・しゅうへい 1960年生まれ。鹿児島大学法文学部教授。東京大学大学院博士課程単位取得退学。労働省(現厚生労働省)、社会保障研究所(現国立社会保障・人口問題研究所)、法政大学助教授、九州大学助教授などを経て現職。『社会保障入門』など著書多数。

 

GoTo

 

「桜を見る会」の名簿廃棄問題どうみる 元内閣府公文書管理委員会委員長代理・弁護士 三宅弘さん

20191217

公文書管理と情報公開を覆す 権力の乱用許さず追及を

 安倍晋三首相が主催する「桜を見る会」の私物化問題では、内閣府が招待者名簿を廃棄したことも大問題になっています。公文書管理法の制定や運用、情報公開に長年、尽力してきた元内閣府公文書管理委員会委員長代理の三宅弘弁護士に聞きました。(伊藤紀夫)

 ―内閣府は、日本共産党の宮本徹衆院議員が国会質問のために資料要求した5月9日に「桜を見る会」の招待者名簿を廃棄しました。政府は、保存期間は1年未満だから「適正」なんだと正当化していますが、どう考えますか?

 4月23日の公文書管理委員会に出した内閣府公文書監察室の調査報告書に「保存期間を1年未満とすることについて十分な検討が必要なもの」というところに、さらなる具体化が必要なものとして「式典の招待状」などが入っています。

 この項では「当てはめによっては1年以上とすべきものも含まれ得るものが確認された」と書き、まさに1年未満の見直しに言及しているのです。招待者名簿は、招待状の元になるもので検証に必要だから、保存期間は1年以上にしなければならないでしょう。

 ところが、内閣府はこの報告書を無視して、宮本議員がこの問題で資料要求した5月9日にシュレッダーにかけて廃棄しました。

 菅義偉内閣官房長官は、名簿の保存期間は1年未満だから廃棄は当然だといっていますが、これは内閣府公文書監察室の報告書にも反するものです。内閣府公文書監察室は、森友事件で公文書の改ざんと廃棄が問題になったことをきっかけにできた部署です。その報告書を菅官房長官自らが踏みにじったとすると、だめですよね。

 ―名簿のバックアップデータも廃棄した問題について、菅官房長官は、バックアップデータは行政文書ではないといっていますが?

 バックアップデータについてもちゃんと議論しなければならないが、全然できてない。内閣府大臣官房公文書管理課が出した「行政文書の電子的管理についての基本的な方針」には、バックアップデータのことは何も書いていません。

 議論もしていないのに、内閣官房長官がバックアップデータは行政文書でないと決めつけて自動的に廃棄するのは、おかしい。この方針では「電子メールの自動廃棄システムは今後採用しない」と良いことも書いています。そういうことであれば、バックアップデータの自動的廃棄も止めなければいけなかったと思います。

 菅官房長官は、バックアップデータは組織共用じゃないから行政文書ではないといっていますが、正解は組織共用の行政文書です。

 組織共用というのは、行政の組織として共用しているもので、官僚個人のメモだけを除外しています。官僚のなかで1枚の紙をAからBに渡したら共用になる。メールもAからBにいったら共用です。

 バックアップデータとは、共用になった電子データを万一のために保存するものです。今回は名簿の紙をシュレッダーにかけ、その電子データも削除し、バックアップデータも8週間で自動的に削除しました。

 しかし、国会は国権の最高機関で国政調査権をもっており、その国会の議員がこの問題で資料要求しているのに、現に残っていたバックアップデータをひそかに削除することは許されません。

 もともと、公文書は「国民共有の知的資源」(第1条)だから文書作成義務(第4条)があるというのが、公文書管理法の大原則です。この大原則に反するやり方はあり得ません。最高権力者の安倍首相や菅官房長官が自分たちの招待者の検証を不可とするために、個人メモだけを除く「組織共用」という分かりにくい言葉を曲げて解釈しているのです。こんなことを許せば、日本の公文書管理と情報公開の積み重ねを覆し、私たちの長年の努力を無にすることになります。事の本質を見誤っています。

 ―「桜を見る会」は「功労、功績のある方々を招待して慰労」するという目的から外れ、自分の後援会員を多数招いて公的行事を私物化しています。これは国の予算の目的外使用で、財政法に違反するのではないでしょうか。

 私は、功労者枠で2013年から18年まで6回、「桜を見る会」の招待状をもらい、17年以外5回行っています。私は公文書管理委員会特定歴史公文書等不服審査分科会会長として、毎年、招待状を手渡されていました。参加者は年々、大勢になっていましたが、一般人の入場を制限して、普段は禁止されているお酒まで特別に振る舞う会が、華美になっていいのかと疑問でした。

 19年までの過去6年間、会の予算は1767万円でしたが、実際はその枠を毎年どんどんはみだして勝手に支出し、19年は5519万円と予算の3倍以上にまで膨らみました。こんな予算の使い方は許されません。

 われわれ納税者の「知る権利」という観点からも、これをきちんと正さなければいけません。国の予算を使わず、自腹を切ってこんなことやったら、買収に当たり、公職選挙法違反になります。総理大臣と官房長官が国の予算を使って、公職選挙法から免れるなどということ自体がおかしい。これは権力の乱用です。罪深いです。

 ―安倍政権は、臨時国会の閉会で逃げおおせると思っているようですが、来年1月開会の通常国会でもいろんな角度から追及していかなければなりませんね。

 甘く見られているのは、野党が早く連合政権構想を打ち出していないからです。連合政権構想を持って野党ががっちり手を組んで、安倍政権に代わる方向を示せるかどうか、国民は見ています。

 その連合政権構想の中では、公文書管理と情報公開を徹底することを軸にすべきです。野党は公文書管理法の改正を共同提案していますが、与党は無視してたなざらしにしていますからね。それを政権を取って実現する気構えで行動すべきではないでしょうか。

 野党は違いを乗り越えて、安倍政権に対する対抗軸を国民に示すべきです。健全な政権交代がなければ民主主義が成り立たないと思います。

 みやけ・ひろし 1953年、福井県生まれ。東京大学法学部卒業。獨協大学特任教授。日本弁護士連合会情報問題対策委員会委員長、日弁連副会長、内閣府公文書管理委員会委員長代理を歴任。著書は『監視社会と公文書管理』など。

 

GoTo

 

GoTo