経団連「新成長戦略」を読む

 

t  気流 経団連「新成長戦略」新自由主義批判言うが

t  経済研究者 友寄英隆さん(上)

t  経済研究者 友寄英隆さん(下)

t  労働総研顧問 日大名誉教授 牧野富夫さん(上)

t  労働総研顧問 日大名誉教授 牧野富夫さん(下)

t  日本医療総合研究所研究・研修委員 寺尾正之さん(上)

t  日本医療総合研究所研究・研修委員 寺尾正之さん(下)

 

 

気流 経団連「新成長戦略」新自由主義批判言うが

20201114

「改革」スピードアップを強調

 経団連が9日に発表した新たな成長戦略の提言は、新自由主義の影の部分に言及しつつ、菅義偉内閣に「スピード感」をもった改革を求めています。

 A 今回の提言の目新しいところは、経団連が「新自由主義」の影の部分に言及したところだろう。「新自由主義」の流れをくむ「主要国での資本主義は、行き詰まりを見せている」と指摘。「利潤追求のみを目的とした各種フロンティアへの経済活動の拡大は、環境問題の深刻化や、格差問題の顕在化等の影の部分をもたらしたことを忘れてはならない」としている。

 B コロナ禍を受けて、「資本主義の大転換」とか、「サステイナブル(持続可能)な資本主義」などといい、「資本主義」のあり方にも言及している。

 A 現代の資本主義世界の経済システムの危機は深刻だからね。大企業・大金融機関の自由を極大化する新自由主義が国民経済の土台を壊している。

根本的反省せず

 B とはいえ提言は、新自由主義への根本的反省には立っていない。提言が「1980年代以降に台頭した『新自由主義』であり、『小さな政府』のもとでの自由かつ活発な競争環境の確保は、経済の一層の発展に一定の貢献を果たした」と評価しているところからも明らかだ。

 C しかも、中西宏明会長は9日の会見で、「成長に向けてやるべきことは変わっていない」と強調していた。

 A 具体的には(1)デジタル化の加速(2)時間・空間にとらわれない働き方(3)地方創生(4)国際経済秩序の再構築(5)グリーン成長の実現―などである。

 C 提言では、「これまでの延長線上の漸進的な改革の先には資本主義の未来はない」と「改革」のスピードアップを要求。「新政権とともに推進すべき成長戦略を提言する」と強調した。菅政権との一体化宣言だね。

 A 内閣官房の参与には経団連の顧問を務める中村芳夫氏が就任している。中村氏の担当は「産業政策」だ。財界関係者は中村氏の役割について、「官邸と財界団体との調整役が期待されているのではないか」と語っていた。

 B 中西会長は、経済財政諮問会議の民間議員であり、今後とも「政府・与党に強く働きかけていく」と記者会見で決意を語っていた。

 A 成長戦略によって、「時間・空間にとらわれない柔軟な働き方」を実現し、「高い生産性」を上げることを強調。さらに原発の再稼働や建設再開、新増設すらも提言。新型原子炉の建設を「国家プロジェクトとして」取り組むことまで求めている。菅政権は、今後のエネルギー政策を議論中だが、その帰結が早くも見てとれるね。

軍事色が色濃く

 B 菅政権による日本学術会議会員の任命拒否問題について中西会長は、コメントを避けた。ところが一方、軍事目的のための科学研究を学術会議が否定していることについては、「現実とちょっと乖離(かいり)している」と会見で話していたよ。

 A 提言では、「わが国の経済安全保障の確保に不可欠な基盤技術、新興技術や戦略物資について特定を進める必要がある」としたうえで、「安全保障上重要な機微技術に関しては、国内での技術開発・産業基盤の強化に取り組むとともに、国際的な共同研究への参画を可能とするなど、わが国の競争力強化につながるような制度設計とすべきである」と強調している。

 C 経済の分野がどんどん軍事色が強まっている。警戒が必要だ。

 

経済研究者 友寄英隆さん(上)

2020122

デジタル化と新自由主義

 経団連が発表した「新成長戦略」をどう見るのか、識者に寄稿してもらいました。

 「新成長戦略」の特徴は、DX(ディーエックス)という新しい用語をキーワードにして、デジタル化による経済成長や社会変革を強調していることです。「新成長戦略」全文の中で、DXという用語が38回も出てきます。

「規制改革」を狙う

 DXとは、デジタルトランスフォーメーション(Digital Transformation)の略語です。もともとの意味は、企業がデジタル化を進めることによって、製品、業務、組織、企業文化まで根本的に改革するということでした。しかし最近では、企業だけでなく、「行政のDX」、「社会制度のDX」にまで拡張され、「新成長戦略」では「デジタル化によって社会変革を起こす」などと主張しています。

 「DXを通じた新たな成長」を実現すれば、「産業構造が変わり、新たな成長産業が創出される」「資本主義の大変革」が起こり、「サステイナブル(持続可能)な資本主義」に進化するというわけです。

 では、こうした“打ち出の小づち”のようなDXを実行するには何が必要か。「新成長戦略」では、「DX関連業務を一手に担うデジタル庁」を設置して、「企業や個人による革新的な取り組みを阻害しないよう、規制体系の抜本的な改革」が必要だとしています。つまり、DXという新しい課題を掲げながら、それを実現する戦略としては、これまで「新自由主義」路線のもとで推進されてきた「規制改革」だというわけです。

立ち遅れの原因は

 見過ごしてならないことは、コロナ・ショックで破綻した「新自由主義」路線の提唱者たちが、デジタル化を旗印にして復権をもくろんでいることです。例えば、かつて「新自由主義」路線の旗振り役だった竹中平蔵氏は、「世界はすさまじい勢いでデジタル資本主義の時代に入っていく」、「デジタルの新常態をつくるには政府に司令塔が必要だ」「『マイナンバー・デジタル庁』を新設して首相が直轄する」(「日経」7月24日付)などと、「デジタル庁」設置を提案していました。

 菅義偉首相は、こうした提案を受けて「デジタル庁」新設を目玉政策に掲げ、新たに設置した「成長戦略会議」の有識者メンバーにも竹中氏を登用しました。

 経団連の「新成長戦略」は、菅内閣のデジタル化政策と呼応して、「指揮命令権を持つデジタル庁」のもとで、「DXを一気呵成(かせい)に推進」するとしています。

 しかし、現実の日本のデジタル化は、国際的に大きく立ち遅れています。OECD(経済協力開発機構)諸国の中で、デジタル化の達成度は、10位以下の水準です。その原因は、これまで日本の大企業があまりにも目先の極大利潤ばかり追求し、しかももうけを内部留保としてため込んで、デジタル化のための「人材」への投資を怠り、社会進歩のために必要なデジタル技術の研究開発に有効に投資してこなかったからです。また技術革新に適応できる若い労働者を低賃金・無権利の非正規雇用に陥れてきたからです。またこれは、日本大企業が、他の資本主義諸国に比べても、いかに異常な「新自由主義型経営」にどっぷりとつかってきたか、を示しています。

真摯な反省なしに

 「新成長戦略」がDXを掲げるなら、何よりもまず、日本のデジタル化の国際的立ち遅れの原因を深く分析して、これまで財界・大企業が推進してきた「新自由主義型経営」についての真摯(しんし)な反省が必要です。しかし、「新成長戦略」は、言葉の上では「新自由主義」を批判していますが、具体的に提起している政策は、従来の「規制改革」などの「新自由主義」路線の延長にすぎません。

 いくら財界が「DXによる経済成長」の旗を振っても、日本大企業の「新自由主義型経営」のゆがみを正さないならば、決して成功しないでしょう。

 

経済研究者 友寄英隆さん(下)

2020123

ゆがめられる技術の進歩

 デジタル技術の原理は、あらゆる情報(文字、音声、動画など)を「0と1」の要素(ビット=情報量の基本単位)に徹底的に分割して、超高速で処理することです。デジタル技術を基礎に発明されたコンピューターが情報処理と高速通信を結び付け、人間活動のさまざまな部面に浸透して、社会のあり方に大きな変化をもたらしつつあります。

 例えば、スマホが普及し、インターネットによって地球上の情報が瞬時に伝わるようになりました。またAI(人工知能)の進化によって、世界最強の棋士を打ち負かす囲碁ソフトが生まれ、外国語の自動翻訳の精度も飛躍的に向上しています。これらは、すべてその基礎にはデジタル技術の応用があります。その意味で、デジタル技術の発展それ自体は、人類の科学文明の進歩の結果といってもよいでしょう。

格差いっそう拡大

 しかし、資本主義社会のもとでのデジタル技術の応用は、資本の「利潤獲得の目的」によってゆがめられ、さまざまな矛盾を引き起こします。

 例えば、社会のあらゆる分野でデジタル化が進むことは、それを利用できる人とできない人との間の格差(デジタルディバイド)を拡大し、それによって富者と貧者の格差をいっそう広げて、社会全体の分断・亀裂を招きます。

 また、「指揮命令権を持つデジタル庁」によって、国民の個人情報が国家に集中すると、国民の民主的な権利を踏みにじり、自由を抑制する「監視社会」になる懸念もあります。

 資本主義的な経営では、利潤追求のためのデジタル化は、個々の企業レベルの「生産性上昇」のための人減らし「合理化」に拍車をかけ、失業者を増大させます。

 コロナ禍の中で、テレワークによる在宅勤務が増えるとともに、最新のデジタル技術を応用した「勤怠管理」ソフトを使って労働者の家庭内での位置情報を四六時中収集するなど、プライバシー侵害の懸念も生まれています。

 経団連の「新成長戦略」では、こうしたデジタル技術の資本主義的応用によって生じる矛盾については、まったく触れていません。

 さらに、デジタル化やDX(デジタルトランスフォーメーション)については、デジタル化された情報がコンピューターの内部で電子的に高速処理されるために、その過程は、人間にはまったく見えなくなり(情報処理の不可視性)、それを人間がチェックすることが難しくなるという問題もあります。

サイバー上の脅威

 例えば、資本主義企業や国家を危機にさらすサイバー攻撃は、コンピューター処理の不可視性を悪用したものです。そのために、サイバー攻撃を防ぐ完全な方法はないともいわれています。

 IPA(情報処理推進機構)は毎年「情報セキュリティ10大脅威」を発表していますが、デジタル化経営の進展とともに、経営情報の外部漏えい、サイバー攻撃、予期せぬICT(情報通信技術)基盤の故障など、セキュリティー上の脅威が増大すると警告しています。

 経団連の「新成長戦略」は、DXによってデジタル化を社会全体で推進すれば、「資本主義はサステイナブル(持続可能)」になると強調しています。つまり、技術が発展し、それが社会的生産力として浸透すれば、資本主義は永遠に続くというわけです。

 こうした「新成長戦略」の主張は、社会理論としては、技術の発展、生産力の発展によって社会革命なしで資本主義がいつまでも続くという「資本主義永久論」の情報技術版にほかなりません。

 

労働総研顧問 日大名誉教授 牧野富夫さん(上)

2020124

美辞の裏に雇用破壊の危機

 経団連(日本経済団体連合会)が先月、菅新政権への注文も兼ね、「。新成長戦略」を発表しました。そのタイトルが独特です。終止符(。)が前に飛び出しています。中西宏明経団連会長によれば、「これまでの成長戦略の路線に一旦、終止符『。』を打ち、『新』しい戦略を示す意気込みを表している」のだそうです。意気込みどおり「。新成長戦略」(以下「新戦略」)は、「新自由主義」に輪をかけた「新々自由主義」とでも評すべき内容になっています。

 小文では雇用関連部分を中心にみます。「新戦略」全体が雇用問題に傾いているため、選別が難しいのですが、まず「2030年の雇用の未来像」からみましょう。それは「柔軟な働き方や多様で複線的なキャリアが実現する社会」であるとして、つぎのように敷衍(ふえん)しています。

「未来像」示すが

 「デジタル技術の発展により、業務のオンライン化、遠隔化、無人化が進み、定型業務から創造的業務への移行もあいまって、幅広い職種について時間・空間にとらわれない柔軟な働き方が可能になる。それに伴い、時間を柔軟に活用した副業・兼業や、リモートワーク、二地域居住なども普及する」と。さらに「個人のキャリアの形も変化する。一生の間に大企業、中小企業、スタートアップ、学術界、官庁、NPO等、時に学びを繰り返しながらさまざまな立場を渡り歩く、あるいは同時にさまざまな立場に身を置く、多様で複線的なキャリア形成が普通になる。それによって…多様な主体による価値協創が促進され、社会全体の生産性が向上している」という「未来像」です。

 これを読んで当の労働者が「すばらしい未来像」だと感じるでしょうか。10年後が待ち遠しいと思うでしょうか。よろこぶのは財界人・資本家でしょう。

 そもそも上記の「未来像」は、あれこれの雇用の新展開に言及していますが、コロナ以前から財界が求めていたことばかりではありませんか。それらはコロナ危機をテコに実現した事象です。正確には、ほとんどがコロナ危機をテコにデジタルトランスフォーメーション(DX)に助けられて実現しているのです。

 経団連によればDXとは「デジタル技術とデータの活用が進むことによって社会・産業・生活のあり方が根本から革命的に変わること」です。もともとはスウェーデンのストルターマン提唱の「ITの浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させる」という概念ですが、いずれも一面的でDXを美化し過ぎています。DXは条件次第で人々・労働者に幸せや逆に不幸ももたらします。

驚くほど楽観的

 経団連のコロナ禍とデジタル利用の「新戦略」のねらいは2点です。一つは企業の生産性を上げ、低迷する日本の経済成長を上向きに転換させること、いま一つは出生率の低下による人口減少・搾取材料としての労働力「不足」を解消することです。

 経団連の「新戦略」による出生率アップへの期待は大きく、「このように柔軟な働き方や多様で複線的なキャリアがあたりまえになっている社会では…出生率が劇的に回復し、わが国経済社会の持続可能な成長を支えている」と驚くほど楽観的です。こうして「働き方改革」が「新戦略」の理念である大企業や大株主の「サステイナブル(持続可能)な資本主義」に連動しています。

 コロナ禍で私たちはいま、以前には当たり前だった職場や学校などで群れたり、口角沫(あわ)を飛ばし談笑したりすることができなくなりました。そのフラストレーションが経団連の提起する上記のような「時間・空間にとらわれない柔軟な働き方」という美辞で彩られた「新戦略」の「未来像」についつい魅(ひ)かれるのではないでしょうか。「柔軟な働き方」(雇用の「流動化・多様化」)が雇用破壊のリスクに満ち満ちていることに注意を喚起したいのです。

 

労働総研顧問 日大名誉教授 牧野富夫さん(下)

2020125

労働者の運動広げるとき

 経団連の「。新成長戦略」(以下「新戦略」)が掲げる「雇用の未来像」を前回(上)確認しました。それは「柔軟な働き方や多様で複線的なキャリアが実現する社会」というものでした。

コロナに乗じて

 また「新戦略」の理念は「サステイナブル(持続可能)な資本主義」ということでした。経団連は、「この成長戦略に掲げたアクションを今すぐできることから着実に実行していく」(要約版の「おわりに」)としています。この「今すぐできることから」には特別の意味があります。コロナ危機が「変革」の背中を押してくれる今、ということです。

 呼応して内閣府の2020年版『経済財政白書』もサブタイトルを「コロナ危機 日本経済変革のラストチャンス」とし、「感染症拡大の下で進んだ柔軟な働き方と働き方改革」を称賛しています。東京商工会議所の調査もコロナ禍で2020年3月中下旬のテレワーク導入企業の割合が26%となり、6月第1週の調査結果は67・3%へと激増しています。

 このようなコロナ危機下のテレワークの増大がワーケーション(休暇中の労働)など他の種々のリモートワークを誘発増大させ、副業・兼業さらに雇用によらないフリーランスと呼ばれる働き方も広げています。こうして「新戦略」の掲げる「柔軟な働き方や多様で複線的なキャリアが実現する社会」という「雇用の未来像」の前半部分はすでに軌道に乗ったと経団連はみています。そこで今後追求を強めるべきは「多様で複線的なキャリアの実現」(「雇用の未来像」の後半部分)というのが「新戦略」のベクトルです。

雇用慣行を攻撃

 その後半部分の焦点が新卒一括採用・年功序列・終身雇用などに特徴づけられる「日本的雇用」です(財界人らはこの雇用慣行を「メンバーシップ型雇用」と嘲笑)。これは「新戦略」がめざす「多様で複線的なキャリアの実践」とは正反対の働き方です。この「日本的雇用」が「雇用の流動化・多様化」の障害であるとして1970年代の後半から財界や御用学者などが攻撃を強めてきました。

 「新戦略」は、コロナ危機という「ラストチャンス」をテコに「メンバーシップ型雇用」を打破しようと懸命です。経団連がめざすデジタルトランスフォーメーション(DX)や「ソサエティ5・0」にとってもこの「日本的雇用」が有害だとされ、コロナ危機下いっせいに新卒一括採用・年功序列・終身雇用が攻撃されています。

 まず「新卒一括採用」について。「企業が求める能力を明確にし、在学中から専門性の向上を促すジョブ型採用の導入」が増えている一例として、「KDDIは21年春の入社者のうち4割にあたる120人をジョブ型採用とした」(11月24日付日本経済新聞)などと報じています。

 ついで年功序列について。急増した在宅テレワークの労働時間管理が困難だとして年功賃金の「成果主義賃金」への切り替えが目立ちます。さらに終身雇用について。それが随伴する非正規雇用問題は容認し、存在するのは「正社員問題」だとして、在来の正社員の「職務限定社員」化・「地域限定社員」化・「時間限定社員」化があいつぎ、終身雇用の切り崩しがあの手この手で広げられています。

 「日本的雇用」には性差別や非正規差別など問題点もあります。問題点は改め、雇用を比較的安定させ、生活設計を立てやすくしている長期雇用の利点は断固守り抜くべきです。

 それにつけても集団的労資関係忌避など経団連の「新々自由主義」思考は許せません。テレワークなど「柔軟な働き方」の拡散のもと、いかに労組活動など労働者の自主的な運動を強め広めるかが、とてもとても重要になっています。

 

日本医療総合研究所研究・研修委員 寺尾正之さん(上)

20201215

健康の自己責任論に終始

 経団連の「新成長戦略」は、新型コロナウイルス感染症の大流行が「資本主義のもとで進行していた格差を浮き彫りにした」と指摘しました。しかし格差を広げた自らの路線を転換する意思はみられません。

 経団連は企業の利益を優先する新自由主義的医療改革の旗を振り続けてきました。政府はそれに呼応して、需要面では医療費の窓口負担を増やし、供給面では病床削減や病院統廃合、医師養成数の抑制などを進めました。

早期対応が重要

 「受益者が負担する」という市場原理に沿った患者負担の増大によって経済的弱者は意図的に受診抑制に追い込まれました。この結果、社会経済的要因で健康状態や病気のリスクが生じる健康格差が拡大し、社会全体の健康が悪化しました。コロナ禍による経営悪化や解雇・雇い止めで経済的に厳しい人々が増えており、健康格差のさらなる拡大が懸念されます。そのため、病気やフレイル(虚弱)などの早期発見・早期対応が極めて重要になっています。

 また、病床を減らし「効率的」な医療体制に変えてきた結果、コロナ禍に伴って各地で医療崩壊の危機が迫りました。ウイルス感染の大流行、大地震や災害などの非常時に対応できる「余力と備え」を持った医療体制の構築は待ったなしです。

 いま求められるのは、医療を抑制してきた新自由主義的改革の転換です。経済的弱者の医療へのアクセスを確保し、病気の重症化を防ぐためには、医療費の窓口負担を軽減することが不可欠です。

 誰でも病気にかかる可能性があり、医療には負担(支払い)能力と関係なく必要性が生じます。自己責任や助け合いで解決できる問題ではありません。したがって、所得の多寡にかかわらずにすべての国民が平等に医療サービス給付を受けられるようにすることが、社会保障の本来のあり方です。「負担(支払い)能力に応じた負担」は、医療費の窓口負担ではなく、税と社会保険料に求めるべきです。

 「社会保障は、経済成長と社会の安定に寄与し、雇用を創出する」(2012年版「厚生労働白書」)という経済効果を持っています。公的責任で必要に応じて給付を行う医療政策、社会保障政策へ大転換すべきです。その土台となるのは、国の社会保障支出と所得再分配機能の抜本強化です。

社会保障を抑制

 ところが経団連の「新成長戦略」は、社会保障の「持続性確保」を名目に、医療・社会保障の抑制政策を継続するよう求めています。さらに自分の健康は自分で守ることだとして「個人起点のヘルスケア」を主張します。国民全体の健康増進や医療の向上を図るのではなく、ヘルスケアを新たな成長産業にすることを狙っています。

 国民に対しては、本人の意思で個人の「ライフコースデータ」(胎児期から亡くなるまでの生涯にわたるデータ)を活用するよう求めています。自身で健康管理や予防行動に取り組み、医療従事者とデータを共有しながら医療を受けるならば、幸福度が向上すると主張しています。

 経団連が主張する「個人起点」は、新自由主義の推進者が強調する自己責任や自助そのものです。「新成長戦略」は、「『新自由主義』の流れをくむ、わが国を含む主要国での資本主義は、行き詰まりを見せている」といいながら、健康の自己責任論の立場に終始しています。新自由主義型の資本主義が広げた二つの格差、社会経済格差と健康格差を解消していくための方策は、そこにはまったく見られません。

 

日本医療総合研究所研究・研修委員 寺尾正之さん(下)

20201216

個人データ使い利益狙う

 経団連の「新成長戦略」は、あらゆる個人情報をデジタルデータ(コンピューターで処理可能な数値の系列で表した情報)化し、そのデータを企業が活用することが、成長戦略の死活にかかわる問題だと強調しています。

 個人データ活用の「共通基盤」を構築するため、産学官が一体で集中投資を行うよう求めています。企業の利益のために個人データを使う狙いです。

健康教育など蓄積

 例として挙げているのは、個人の胎児期から亡くなるまでの健康状態、学校・社会教育における学習履歴などの個人情報をデータ化し、企業や行政が持っているそれ以外の個人データとひも付けて、データ共通基盤に蓄積することです。この膨大な個人データを、企業や行政が人工知能(AI)を使って分析・活用することを主張しています。

 医療分野では、個人の医療データを蓄積し、企業が活用できる仕組みを構築するよう求めています。医療保険のレセプト(患者別の診療報酬請求明細書)に、新たに検査データなどの医療データを載せた上で、個人のマイナポータル(マイナンバーを利用した政府運営の個人専用サイト)に蓄積します。それらのデータを、「本人の同意」のもとで、企業が蓄積する個人の健康データ(パーソナルヘルスレコード=PHR)につなげるといいます。

 医療データの多くは個人情報保護法で「要配慮個人情報」と定められ、活用が限定されています。しかし経団連は、「産学官医」が連携して医療データを活用し、新たなヘルスケアサービスや医薬品を開発すると主張しています。

 健康状態や学習履歴に関する個人データは、活用の仕方次第で、深刻な差別や排除を引き起こす恐れがあります。実際、経団連は学習履歴を企業の「採用、処遇、評価」に使うと明言しています。

 また個人データを取り扱う際にはプライバシーの保護が不可欠ですが、経団連は「公益」とのバランス論を持ち出しています。企業などのデータ活用を公益の名目で優先させることが懸念されます。

 さらに、さまざまな個人情報を収集・蓄積するために、マイナンバー制度を「徹底活用」することも主張しています。公的証明書(健康保険証、運転免許証、在留カード)や診察券、学生証などをデジタル化し、マイナンバーカードへ集約することを求めています。

マイナンバー連結

 マイナンバーカードがなければ健康保険で医療を受けられない、日本国内に在留できない、となれば事実上の取得強制です。膨大な個人情報がマイナンバーカードによって政府に一元化されることで、社会の画一化が進み、政府が国民の行動を監視できる社会となる恐れがあります。

 国民の生活を支え、利便性を高めるデジタル化は大切ですが、デジタル化はあくまで自動化やデータベース化の手段でしかありません。デジタル化のカギとなるのが個人データです。2020年版「情報通信白書」によれば、情報漏えいのリスクや不正利用など、国や企業などに個人情報を提供することへの不安や疑念を多くの人が感じています。また、利便性よりもプライバシーやデータ保護の安心・安全性を重視する人が大多数を占めています。

 医療のデジタル化が進んでいるドイツでは、医療保険制度への加入者の信頼を確保するため、今年7月に患者データ保護法が連邦議会で成立しました。企業の利益ばかりを追求するのではなく、経済協力開発機構(OECD)や欧州連合(EU)の個人情報保護に倣い、国民が信頼できる情報管理の透明性を確保し、プライバシーを守る権利を拡充することが求められます。