2009年 ファシズム関連情報】

 

(Goto ファシズムトップ)

 

2009(ヘッドライン)

*                  2009年世界の流れ/その1 その2

*                  ひと/フランス版「アンネの日記」を日本に紹介した飛幡祐規さん

*                  朝の風/「時計じかけのオレンジ」と第9

*                  元収容者が涙の証言/元ナチ看守の公判再開/独の地裁

*                  アウシュビッツ収容所の表示回収/男5人を逮捕

*                  アウシュビッツ収容所/象徴の看板盗まれる

*                  09回顧/映画/理不尽な体制に挑んだ作品群/「いのちの山河」「沈まぬ太陽」など

*                  アンネのマロニエ植樹/アムステルダム

*                  元ナチス親衛隊員民間人殺害認める/ドイツ裁判所

*                  映画評論家の吉村氏が講演/津革新懇が総会

*                  新作DVD/英国王給仕人に乾杯!(チェコ・スロバキア、06年)

*                  政治を国民の手に/参院選挙区候補の横顔/京都・成宮まり子さん/野宿男性「痛みわかる人

*                  ユダヤ人絶滅収容所ナチ元看守を裁く/2万7900人殺害に関与=^公判開始/ドイツの地裁

*                  アフガン空爆民間人死傷/軍が情報隠し/ドイツ撤退要求強まる/野党特別調査委設置求める

*                  憲法フォーラム開く/ドイツと日本がテーマ/松江

*                  石子順のにちようシネマ館/THE WAVE ウェイヴ(独)

*                  本と人と/『アンネ・フランク―その15年の生涯』黒川万千代さん/悲惨な最期、美化してはいけない

*                  ホイッスル

*                  入植地拡大/独、異例のイスラエル批判

*                  映画/「THE WAVE ウェイヴ」(ドイツ)/独裁は過去のものか

*                  朝の風/レオ・ボルヒャルトの悲劇

*                  文化/「荒木経惟広島ノ顔」展/いい顔がいい街にする/大井健地

*                  アフガン撤退論強まる/国防相「戦争」と認識/ドイツ

*                  ナチス戦犯裁判続く/戦後64年へても追及/ドイツ

*                  ワルシャワの日本人形―戦争を記憶し、伝える/田村和子著/評者大内田わこ赤旗編集局次長

*                  ホロコースト存在否定の司教に罰金

*                  演劇/「ショパロヴィッチ巡業劇団」(黒テント公演)/20世紀セルビアの祈り描く

*                  朝の風/へルタ・ミュラーの文学世界

*                  助かった子と助からなかった子/ベルリン

*                  ナチス元看守の裁判11月開廷

*                  マレク・エデルマンさん死去

*                  ドイツ・ナチス不服従軍人の名誉回復/「全国ナチス軍事裁判被害者協会」バウマン会長に聞く

*                  大虐殺の地にホテル建設計画/キエフ市長、待った

*                  国連の支援よびかけ/携帯通じ総会演説/セラヤ大統領

*                  朝の風/シューリヒトの「大地の歌」

*                  朝の風/国歌の存在

*                  潮流

*                  世界キーワード/戦争反逆者包括的名誉回復法

*                  朝の風/懐かしいユースホステル

*                  新作DVD/ディファイアンス(米、08年)

*                  米、東欧MD撤回/「チェコ国民の勝利、運動続行」/平和運動家インタビュー

*                  右派のオバマ氏攻撃人種偏見に基づくか/ホワイトハウスは否定

*                  堀越事件/懲戒にもならない/刑法学者が証言/東京高裁

*                  アフガニスタン対テロ戦争8年/4/派兵国から異論噴出

*                  ナチス抵抗軍人の名誉回復/戦後64年間裏切り者∴オい/全員救済「ようやく」/左翼党主導、法案採択へ

*                  ナチス抵抗軍人の有罪取り消し/包括的名誉回復法が成立/被害者協会の運動実る/ドイツ下院

*                  70年前の脱出劇再現/英国のシンドラー出迎え

*                  潮流

*                  独ソ不可侵条約「不道徳」と批判/ロシア首相

*                  映画/「幸せはシャンソニア劇場から」(フランス・チェコ・ドイツ)/劇場に凝縮された人生と感動

*                  歴史に立ち向かうスペイン/1/抵抗の赤いバラ/2/おじいちゃんを探せ/3/変わる「戦没者の谷」/4/ガルソン判事の挑戦

*                  「アンネの日記」全5回一挙放送/19日NHK教育

*                  登場/俳優ノラ・アルネゼデールさん/「幸せはシャンソニア劇場から」でヒロイン/歌姫役で歌唱力を発揮

*                  原爆遺跡を追う/DVD「原爆ヒロシマ 被爆の街と被爆建物」を見て/御庄博実

*                  第2次大戦開始あす70周年/独、200超す平和行事/左翼党など参加訴え

*                  新作DVD/ワルキューレ(米、08年)

*                  潮流 (スペインに13人の赤いバラ)

*                  映画/「縞模様のパジャマの少年」(英・米)/子どもから見た絶滅収容所

*                  たび/福井・敦賀/国際港の面影と名勝気比の松原

*                  山田和夫の映画案内/硫黄島からの手紙/日本兵の悲劇を直視した力作

*                  戦後64年独で戦犯追及/ナチス元少尉に終身刑/「伊で民間人10人殺害命じた」

*                  アフガン派兵独総選挙の争点に/世論は撤退を支持/継続の与党を追い詰める

*                  本立て/アイヒマン調書/ヨッヘン・フォン・ラング編

*                  「アンネの日記」世界記憶遺産に

*                  平和願い、各地で催し/平和とうろう集会積み上げを/広島県文団連

*                  試写室/海外ドラマアンネの日記/NHK教育後7・0/少女の精神的自立を描いて…

*                  朝の風/シモン・ゴールドベルクと日本

*                  石子順のにちようシネマ館/セントアンナの奇跡(米・伊)

*                  朝の風/『1Q84』とヤナーチェク

*                  新作DVD/ニュールンベルグ裁判(米、61年)

*                  週間日誌/09年7月12日〜18日

*                  山田和夫の映画案内/XーMEN/人類共存のメッセージ込め

*                  元収容所看守を起訴/ユダヤ人2万9000人虐殺関与/ドイツ

*                  NHK台湾番組/右派の介入エスカレート/言論の自由守れ/市民団体

*                  ナチス政権下の「国家反逆罪」名誉回復へ新法/来月成立/左翼党、与党動かす/ドイツ議会

*                  戦争と平和を考える/NHK夏の特集番組/核兵器廃絶へ世界の訴え/開戦から敗戦まで証言構成

*                  ハンガリー極右台頭/首相、国民に対抗呼びかけ

*                  ナチ戦犯9人終身刑/賠償金支払いも/伊軍事法廷

*                  山田和夫の映画案内/ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序TV版/独特の世界創造する庵野作品

*                  試写室/ETV特集戦争を着た時代/NHK教育 後10・0/ファシズムは音もなく

*                  欧州議会選で極右政党躍進/オランダ

*                  「ユダヤ人国家」への忠誠義務付ける法案/イスラエル右派与党提出へ/人権団体、「ファシズム」と非難

*                  ゲルニカ、「歴史の記憶」日本国憲法の道/橋本進

*                  演劇/「犀」(文学座アトリエ公演)/意欲の伝わる舞台

*                  日本のことが気になるこの頃/米谷ふみ子/学問、芸術、スポーツは誇れるが/泥酔大臣≠ヘ一週間も画面に

*                  朝の風/もう一つの「ワルキューレ」

*                  50周年公演きょうから/広島・劇団月曜会

*                  伊首相が右派新党初代党首に

*                  朝の風/トスカニーニの言行の記録

*                  イスラエルの今を語る/ユダヤ人ジャーナリストヨラム・ビヌルさん/政府宣伝信じ右傾化

*                  朝の風/ファシズムに殺されたロルカの詩

*                  野呂栄太郎没後75年記念の集いから/児玉健次/専制政治下で搾取と貧困、戦争を企てる勢力を告発

*                  オバマ大統領の就任演説/要旨

*                  日本共産党知りたい聞きたい/「歴史修正主義」とは?

 

(Page/Top

2009年(本文)

2009年世界の流れ/その1 その2


国際一般
4・2 20カ国・地域(G20)金融サミットがロンドンで開かれ、金融規制の強化などを盛り込んだ共同宣言を採択
7・8〜10 イタリアのラクイラで開かれた主要国(G8)首脳会議が「核兵器のない世界」をめざす声明を発表
9・24 国連安保理が核軍縮・不拡散をテーマにした初の首脳級特別会合。「核兵器のない世界」を目指す条件づくりに取り組む決議を全会一致で採択
9・24〜25 米ピッツバーグでG20金融サミット。金融機関首脳の報酬制限、国際通貨基金(IMF)での新興国の発言権強化などを内容とする共同声明を採択
10・27 国連総会第1委員会が核兵器完全廃絶の実現を求める「新アジェンダ連合」提案の決議を採択
12・7〜19 国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)がコペンハーゲンで開かれ、「気温上昇を2度以内に抑える」などの合意を「留意する」決議を全会一致で採択
(Page/Top
アジア・太平洋
2・17 カンボジアでポル・ポト政権下の大量虐殺を裁く特別法廷始まる
4・16〜5・16 インドの総選挙でインド国民会議派が勝利
5・18 スリランカ政府軍が反政府勢力「タミル・イーラム解放のトラ」を制圧し、内戦が終結
5・23 韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)前大統領が自殺
5・25 北朝鮮が2006年以来2回目となる核実験を強行
6・12 国連安全保障理事会が、北朝鮮に対する制裁決議を採択
7・5 中国・新疆ウイグル自治区でのウイグル族の騒乱を警察が鎮圧。当局発表で市民197人が死亡。7日には漢族も暴動
7・8 インドネシアの大統領選挙で現職のユドヨノ氏が再選
7・22 米国が東南アジア友好協力条約(TAC)に署名
8・18 韓国・金大中元大統領が死去
8・20 アフガニスタン大統領選挙投票。不正が明らかになり、決選投票に
10・11 パキスタンで武装グループが陸軍本部を襲撃。特殊部隊が突入し、人質を救出
10・23〜24 東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議がタイのフアヒンで開催
10・25 フアヒンでASEANと日中韓印豪などが参加する第4回東アジア首脳会議
11・1 アフガニスタンのアブドラ前外相が大統領選決選投票の不参加を表明。現職カルザイ氏の当選確定
11・14〜15 アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議がシンガポールで開かれ、内需主導で経済発展をめざす成長戦略を盛り込んだ首脳宣言と特別声明を採択
11・15 ASEANと米国が初の首脳会談(シンガポール)
12・8〜10 米ボズワース北朝鮮政策担当特別代表が訪朝

中東
1・3 イスラエル軍がパレスチナのガザ地区に大規模地上侵攻。その後停戦
1・8 国連安保理、ガザ地区での即時、永続的停戦とイスラエル軍の撤退に言及した決議案を採択(米国は棄権)
2・10 イスラエル総選挙でリクードなど右派勢力が過半数
3・31 イスラエルでリクードのネタニヤフ党首を首相とする政権が発足
5・18 米・イスラエル首脳会談
6・12 イラン大統領選挙。結果をめぐり抗議デモなどがあったが、最終的には現職アハマディネジャド氏が再選
9・21 イランが新たなウラン濃縮施設を建設中と国際原子力機関(IAEA)に通告
(Page/Top
アフリカ
2・14 ソマリアで穏健派イスラム勢力のアハメド大統領、シェルマルケ首相(元国連職員)の新政府発足
3・4 国際刑事裁判所がスーダンのバシル大統領にダルフール地方での戦犯容疑で逮捕状
3・17 マダガスカルで事実上のクーデターが起こり、ラベロマナナ大統領が辞任し野党指導者ラジョエリナ氏が権力掌握
4・22 南アフリカ共和国総選挙で与党アフリカ民族会議(ANC)が66%を獲得
5・9 南アフリカでANC議長のズマ氏が新大統領に就任
12・23 国連安保理が、ソマリア反政府勢力支援でエリトリアに制裁決議

欧州・ロシア
3・10 欧州連合(EU)は、飲食や介護ホームヘルパーなど地元サービスにかかる消費税(付加価値税)の税率引き下げを加盟国の裁量に任せることで合意
3・17 ブラウン英首相「英国の核弾頭を削減する用意」表明
4・4 北大西洋条約機構(NATO)首脳会議は、来年「新戦略概念」を策定することを確認
5・13 ロシアのメドベージェフ大統領が「2020年までの国家安全保障戦略」に署名。米国との新たな核軍縮合意を優先事項として掲げる
6・4 EU加盟国で欧州議会選挙を実施、全体として保守政党が優位に
7・31 03年のイラク戦争開戦以来、米軍と共に侵攻・駐留してきた英軍の残存部隊が撤退
9・7 ナチス政権に抵抗し、「国家反逆者」として有罪判決を受けた軍人らの名誉を回復する法律がドイツで成立
9・27 ドイツ総選挙で、大連立のキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)と社会民主党が後退し、野党の左翼党と自由民主党(FDP)が前進。CDU・CSUとFDPの連立政権誕生
10・4 ギリシャ総選挙で、中道左派の全ギリシャ社会主義運動が5年ぶりに政権を奪還
11・24 英国のイラク参戦をめぐる問題点を検証する独立調査委員会の公聴会始まる
12・1 EU運営上の新たな基本方針となるリスボン条約発効
(Page/Top
北米
1・20 オバマ氏が第44代米大統領に就任。アフリカ系アメリカ人の大統領は米史上初
2・27 米大統領が、イラク駐留米兵14万人中10万人を来年8月末までに撤退させると表明
3・27 米大統領がアフガン包括戦略を発表し、決定済みの1万7000人に加え、アフガン軍訓練要員として4000人の追加派兵を発表
4・5 米大統領がプラハで、「核兵器のない世界」実現に向け「核兵器を使用した唯一の核保有国として、米国には行動すべき道義的責任がある」と演説
5・4 米大統領が多国籍企業や租税回避地利用企業への課税強化を表明
6・1 経営危機に陥っていた米自動車大手クライスラーの破たん(4月)に続き、ゼネラル・モーターズ(GM)が、連邦破産法11条の適用を連邦破産裁判所に申請
6・4 米大統領がカイロ大学で演説し、「米国はイスラムと決して戦争しない」と言明
7・27〜28 ワシントンで米中戦略・経済対話。両国関係強化を「アジア太平洋地域と世界全体の平和と安定、繁栄に寄与する」と確認
11・25 米政府が温室効果ガスを2020年までに05年比で17%削減する目標を提示
12・1 米大統領が、アフガンへの3万人増派と11年7月からの撤退開始という新戦略発表
12・10 ノーベル平和賞授賞式で、受賞者の米大統領が演説

中南米
1・25 ボリビアの国民投票で、対米従属と新自由主義からの決別を内容とする新憲法案を賛成多数で承認
2・15 ベネズエラで大統領などの3選制限撤廃の是非を問う国民投票。賛成55%で承認
3・15 エルサルバドル大統領選で、新自由主義・対米追従外交からの転換を掲げたファラブンド・マルティ民族解放戦線党のフネス候補が当選
4・17〜19 トリニダード・トバゴで第5回米州首脳会議。オバマ米大統領は中南米諸国との「平等なパートナーシップ」を約束
4・26 エクアドル大統領選で現職のコレア氏が再選
6・2〜3 米州機構(OAS)総会が、革命後のキューバを追放した1962年の決議を無効とする新決議を全会一致採択
6・28 ホンジュラスでクーデターがあり、軍部隊がセラヤ大統領を拘束して国外追放
9・26〜27 第2回南米・アフリカ首脳会議で、「南南協力」強化を目指す宣言を採択
10・28 国連総会が米国による対キューバ経済封鎖の解除を求める決議案を史上最多187カ国の賛成で採択
11・29 ウルグアイ大統領選決選投票で、新自由主義と対米従属を転換する社会変革を進める現政権の政策継続を訴えたムヒカ上院議員が当選
12・6 ボリビア大統領選で、新自由主義反対、国民奉仕路線を進めるモラレス大統領が再選
(
2009年12月31日,「赤旗」) (Page/Top

ひと/フランス版「アンネの日記」を日本に紹介した飛幡祐規さん

 ナチス占領下のパリで、あるユダヤ人女性が「日記」をつづっていました。戦後ずっと、恋人や生き残った家族によって保管され、いま、『エレーヌ・ベールの日記』(岩波書店)として読むことができます。いわばフランス版「アンネの日記」。「私が翻訳しなければと思いました」
 エレーヌは「アンネの日記」で有名なアンネ・フランクと同時期にアウシュビッツからベルゲン=ベルゼン収容所へ「死の行進」を共にし、亡くなりました。
 「エレーヌは周囲から自分が理解されない孤独に苦しんでいました。でも、彼女は迫害を受けるユダヤ人、とりわけ子どもたちの救済に奔走し、連帯をつくりだしたのです」。信念を貫いたエレーヌの姿に自らの生き方が重なります。
 在仏35年。18歳で日本を飛び出し、パリの大学へ。ジャーナリスト、エッセイスト、翻訳家として経験を積み、著作も多数。2007年、パリで開かれた南京事件シンポジウムの開催に協力しました。「取材にきた日本の新聞は『赤旗』だけでした」と微笑。
 08年、「今、日本を見せておかなければ」とフランス人の夫や息子とともに日本「大旅行」を敢行。京都の町家風の宿に長期滞在しました。昨年に続いて今年も来日。街のざわめきを感じながら人々を観察するのが大好き。最近の日本は?
 「『格差』という言葉を使うべきではありません。はっきりと『貧富の差』というべきです」
 文・写真 松田 繁郎
(
2009年12月25日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/「時計じかけのオレンジ」と第9

 ベートーヴェンの第9交響曲は古今の映画に登場するが、飛び抜けて衝撃的なのはスタンリー・キューブリック監督の「時計じかけのオレンジ」(71年)での使われ方だろう。
 主人公アレックスは非行少年グループのリーダー。強盗や略奪、レイプをくり返す。こうした破壊的な暴力性の一方で、ベートーヴェンの音楽を愛し、自室で「第9」のテープに陶然と聴き入る。それはF・フリッチャイ指揮ベルリン・フィルの演奏だ。ここで「歓喜に寄す」は麻薬にも似た効果をもたらす。
 ついに殺人事件を犯し、懲役14年の刑で収監された2年後、アレックスは「ルドヴィコ療法」なる犯罪者更生の人格改造プログラムの実験台にされる。まぶたを閉じないよう固定され、20世紀の残虐行為、特にナチスの大量破壊の映像を続けて見せられる。その間、流れてくる「第9」の音楽。それはシンセサイザー奏者ワルター・カーロスによっていびつに編曲されたもの。彼は「ベートーヴェンに責任はない」と叫ぶが、やがて暴力的場面に吐き気を催すとともに、「第9」にも拒絶反応を示すようになる。
 全体主義国家が作品を利用したことへの痛烈な皮肉だろう。同時に、現代でも芸術作品が暴力装置に転化されうる危険性を鮮烈に映し出している。
 (弩)
(
2009年12月24日,「赤旗」) (Page/Top

元収容者が涙の証言/元ナチ看守の公判再開/独の地裁

 ドイツ南部のミュンヘン地方裁判所は21日、元ナチス強制収容所看守ジョン・デムヤンユク被告(89)の公判を再開、ナチスのユダヤ人大虐殺(ホロコースト)から生き残った証人12人が証言台に立ち、肉親が殺害された体験を生々しく語りました。
 フィリップ・ヤコブ氏(87)=元薬剤師=は、両親と婚約者が死んだポーランドのソビボール強制収容所で生き残ったことを今でも罪悪だと考えていると語り、「ソビボールは決して癒やされることのない傷だ」と語りました。
 兄と両親がソビボール収容所で殺害されたロベルト・コーエン氏(83)=アムステルダム生まれの年金生活者=は、アウシュビッツを含む収容所での体験を語り、「何が起きているかわからなかった。働かなければならないとだけ思った」と証言しました。
 デムヤンユク被告が看守をしていたとされるソビボール収容所ではユダヤ人25万人が殺害されたとされています。同被告は、逃亡先の米国から強制送還され、1943年にユダヤ人2万7900人をガス室に送った殺人ほう助罪で起訴されています。
 同被告はウクライナ生まれで旧ソ連軍に従軍中、ドイツ軍の捕虜となり、のちに強制収容所の看守となりました。ソビボール収容所はナチス親衛隊の20〜30人と元ソ連軍捕虜150人で運営されていたといいます。
 車いすで出廷した同被告は、証人の涙ながらの証言に感情を示さなかったといいます。
(
2009年12月23日,「赤旗」) (Page/Top

アウシュビッツ収容所の表示回収/男5人を逮捕

 【クラクフ(ポーランド)=ロイター】ポーランド警察は21日、アウシュビッツ強制収容所跡地に掲げられていた金属製表示を盗んだ疑いで20歳から39歳までの5人の男を逮捕しました。クラクフ警察は、男らは窃盗犯で、ネオナチ団体メンバーではなかったと発表しました。表示は回収されましたが、三つに切断されていたといいます。
 事件は18日に起き、イスラエルやユダヤ人団体など世界中から非難の声が上がっていました。表示はドイツ語で「働けば自由になれる」と書かれており、ナチスがユダヤ人に対して行ったホロコースト(大虐殺)のシンボルとされていました。
 当局は盗まれた表示の回収を国家的優先課題と位置付け、アウシュビッツ博物館は4万j(約360万円)の賞金を提示しました。市民から100件以上の情報が寄せられました。
(
2009年12月22日,「赤旗」) (Page/Top

アウシュビッツ収容所/象徴の看板盗まれる

 【ベルリン=時事】ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)が行われたポーランド南部のアウシュビッツ強制収容所跡地で18日未明、ドイツ語で「働けば自由になる」との標語が書かれた入り口の金属製看板が盗まれました。看板は同収容所の象徴として知られています。
 警察当局は監視カメラの映像を分析するとともに、警察犬を導入して犯人の行方を追っています。入り口には看板のレプリカが掲げられました。
 アウシュビッツ収容所では1940年の開設から45年の閉鎖までの間に、収容者110万人が死亡したとされます。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録され、現在はホロコーストの史実を伝える博物館になっています。
(
2009年12月20日,「赤旗」) (Page/Top

09回顧/映画/理不尽な体制に挑んだ作品群/「いのちの山河」「沈まぬ太陽」など

 人間の使い捨てに抗し連帯した「年越し派遣村」のニュースで明けた2009年。映画界でも、理不尽な体制に挑む作品が気を吐きました。

新生「蟹工船」は現代的な演出で
 高齢者医療費無料を実現した村の実話「いのちの山河〜日本の青空U〜」(大澤豊監督)は、構造改革で先細りが続く社会保障政策の異常を照射。意義に賛同した人々による自主上映会が広がり、劇場上映も好調です。時宜を得たテーマで、共感を広げました。
 1953年の「蟹工船」リバイバル上映も集客は上々。SABU監督の新生「蟹工船」は現代的演出で青年層に立ち上がれと呼びかけました。「沈まぬ太陽」(若松節朗監督)は、会社の組合つぶしに屈せず誠実に働き続けた労働者の生き様を、ダイナミックな映像で見せ、200万人を超す観客を得ています。
 貴重な証言を収めたドキュメンタリー「嗚呼 満蒙開拓団」(羽田澄子演出)、反戦川柳作家の生涯「鶴彬―こころの軌跡―」(神山征二郎監督)など、歴史の事実を掘り起こし、平和への意志を示した作品も、確かな感動を残しました。
 負の歴史に向き合う力作を次々送り出してきたのが洋画です。ナチスの非人間性と人々の抵抗を描いたのが「縞模様のパジャマの少年」(マーク・ハーマン監督)、「ワルキューレ」(ブライアン・シンガー監督)、「セントアンナの奇跡」(スパイク・リー監督)。アンジェイ・ワイダ監督の「カティンの森」は大戦下のポーランド将校大量虐殺の真実を、クリント・イーストウッド監督の「グラン・トリノ」は朝鮮戦争の傷跡を掘り起こしました。現代の資本主義の醜状を暴いたのはマイケル・ムーア監督「キャピタリズム〜マネーは踊る〜」です。
 これまで「告発のとき」「ブロークバック・マウンテン」などの洋画を日本に配給してきた中堅の配給会社、ムービーアイとワイズポリシーが倒産し、日本の洋画上映に暗雲が立ち込めています。この状況が極まれば、大作ばかりが配給され、作品の彩りが狭まる可能性もあります。

実写にこだわり「劔岳」がヒット
 「3D(立体)映画元年」と騒がれた今年。3Dは映像の可能性を広げるでしょうが、上映館は相応の設備投資を求められ、体力のない劇場には縁遠い話ではあります。CG技術が進化する一方、それに逆行するように、実写にこだわった「劔岳 点の記」(木村大作監督)が興行収入20億円超えのヒットを記録しました。
 テレビ界も含むアニメ分野では、日本アニメーター・演出協会がアニメーターの実態を調査。人材が育たない過酷な労働環境を数字で明らかにしたのは収穫でした。片や、旧政権が打ち出した国立メディア芸術総合センターは、中身がなく「箱もの」先行で批判が集中し取りやめに。担い手が求める支援策を今後どうするのか、問われています。
 振り返れば、あれもこれもとまだまだ佳作が浮かぶこの1年。斜陽産業といわれて久しくも、映画人の確かな活力を感じます。
 (田中佐知子)

私の選んだ5点

邦画/うすいすみえ(映画ライター)
・「いのちの山河〜日本の青空U〜」(大澤豊監督)
・「鶴彬−こころの軌跡−」(神山征二郎監督)
・「のんちゃんのり弁」(緒方明監督)
・「ディア・ドクター」(西川美和監督)
・「沈まぬ太陽」(若松節朗監督)

洋画/村瀬広(映画評論家)
・「カティンの森」(アンジェイ・ワイダ監督)
・「愛を読むひと」(スティーブン・ダルドリー監督)
・「ポー川のひかり」(エルマンノ・オルミ監督)
・「セントアンナの奇跡」(スパイク・リー監督)
・「チェンジリング」(クリント・イーストウッド監督)
(
2009年12月17日,「赤旗」) (Page/Top

アンネのマロニエ植樹/アムステルダム

 「アンネの日記」で知られるアンネ・フランク(1929〜45年)がナチス・ドイツの迫害を逃れて第2次大戦中に隠れ住んだ家の裏庭に立ち、アンネを慰めたマロニエの木から取った苗木150本がオランダ・アムステルダム市内の公園に植樹されました。(写真、ロイター)
 原樹は樹齢150年と推定され、かびの繁殖で枯死、2007年には倒壊しかけ、鉄骨枠で保存措置が取られました。
 アムステルダム市議のボス氏は植樹に際し、「この木はアムステルダムにとってだけではなく、世界の人々にとって特別の意味を持っている」と語りました。
 苗木はパリやマドリードのほか、米同時テロで崩壊したニューヨークの世界貿易センタービル跡の「グラウンド・ゼロ」にも送られます。
 アンネは、ナチスに引き渡される直前の44年5月、「私たちのマロニエの木は満開になった。木は葉で覆われ、昨年より美しい」と書いています。
(
2009年12月11日,「赤旗」) (Page/Top

元ナチス親衛隊員民間人殺害認める/ドイツ裁判所

 ドイツ西部のアーヘン地方裁判所で行われている元ナチス親衛隊員、ハインリヒ・ベーレ被告(88)の裁判で、被告が8日、第2次大戦中にオランダの民間人3人を殺害したことを認めました。
 被告側弁護士が法廷で読み上げた声明で明らかになったもの。被告はなお、殺害は命令に基づいたもので、戦争状態の中での行動だったと主張し続けているといいます。
 ベーレ被告はドイツ生まれで、移住先のオランダが1940年、ナチス・ドイツに占領された直後、同地でナチス親衛隊に入隊。射撃部隊に所属し、44年7月から9月にかけて非武装のオランダ人民間人3人を殺害した容疑が掛けられています。
 同被告は戦後、米軍の捕虜になりましたが、ドイツに逃亡。49年にはオランダでの欠席裁判で死刑判決が出ています。ドイツ検察当局は今年4月に同被告を起訴しました。
(
2009年12月11日,「赤旗」) (Page/Top

映画評論家の吉村氏が講演/津革新懇が総会

 三重県の津革新懇総会記念講演会が5日、津市内で開かれ、映画評論家の吉村英夫氏がチャップリンの創作活動を中心に、映画と平和・民主主義のかかわりについて講演しました。
 吉村氏は『独裁者』(1940年)でファシズムとのたたかいを呼びかけたチャップリンが、その後、「正義の戦争」も否定する絶対平和主義の立場に立って『殺人狂時代』(1947年)を作ったことを映画の名場面を再現しながら解明しました。
 チャップリンをはじめハリウッドが狙われた当時のアメリカの「赤狩り」が、戦争に反対する者や政府に批判的な者を排除するものだったこと、ウィリアム・ワイラー監督の『ローマの休日』(1953年)は、赤狩りで投獄された脚本家ダルトン・トランボのシナリオを秘密裏に使った作品であることを紹介しました。
 参加者から「ハリウッドの裏面史が興味深かった。不当な迫害のなかでもたたかい続けた人たちがいたことに勇気づけられた」などの声が聞かれました。
(
2009年12月08日,「赤旗」)(Page/Top

新作DVD/英国王給仕人に乾杯!(チェコ・スロバキア、06年)

 ホテル王を夢見た給仕人ヤンの、ナチス占領下の生き方を皮肉タッチで描きます。チェコ映画を代表するイジー・メンツェル監督の12年ぶりの新作。ヤンが田舎町のホテルからプラハの大ホテルへと出世しつつ、ドイツ人女性と結婚。ナチス優生学研究所に転職、その変貌に大国にほんろうされつつ生きるチェコ人のしたたかさが見えます。(紀伊国屋書店 5040円)
(
2009年12月06日,「赤旗」)(Page/Top

政治を国民の手に/参院選挙区候補の横顔/京都・成宮まり子さん/野宿男性「痛みわかる人」

 2007年夏、初の参院京都選挙区候補として奮闘した成宮まり子さん。この2年半、党京都国政委員長として京都の北から南まで、どこにでも飛び込み、対話・運動を広げ、たたかいの先頭に立ってきました。「国会でやりたいことがいっぱい。新しい政治を前にすすめるために、今度こそ勝たせてほしい」。2度目の挑戦に全力をあげています。
 ■    □
 府北部の産科・医師不足での病院長らとの懇談をはじめ、農業者との対話・懇談会、高い学費に苦しむ学生からの聞き取り、原油高騰問題で運輸業界を訪ね国や自治体に要請、地球温暖化防止に向け環境NGOと懇談―など、京都中にうずまく無数の悲鳴、切実な願いを受けとめ、行政に届けてきました。
 京都市立芸術大学大学院の修了制作で(山口)華楊賞を受賞した芸術家で、ナチス・ドイツの蛮行を告発したピカソのように、表現者として「社会に向きあって生きる」が原点です。97年には女性として初の民青同盟京都府委員長に。青年運動のリーダーとして活躍し、若い環境NGO・市民運動家から「新しい政治をつくる人」と一目置かれる存在です。小学1年の娘を育てる母親で「子どもの貧困の解決は待ったなし」「平和な未来を」の思いを熱くします。
 ■    □
 昨年末の違法な「派遣切り」では、労働局などに「雇い止め」の調査・指導を繰り返し要請。三菱自動車やジヤトコなどに申し入れ、「『雇い止め』を撤回せよ」と迫りました。「派遣法のしくみを活用させてもらっている」と開き直る企業に「人間の使い捨ては許さない。労働者派遣法の抜本改正をどうしてもやりたい」との決意を強くしました。
 「派遣切り」「使い捨て労働」とのたたかいは、さらに広がります。夜10時の京都駅、路上生活者らに炊き出しを配る成宮さんの姿があります。今年2月から青年らが毎週土曜に行う「反貧困ボランティア」です。駅一帯に寝泊まりする人にも歩いて声をかけ、住居確保に一晩中、駆け回ったことも。「この場所で成宮さんに助けてもらった」とボランティアに加わる人も少なくありません。
 「あったかい部屋に住めるのも成宮さんのおかげ」と話すのは、建築会社を解雇され、京都駅で路上生活していた男性(53)。野宿3日目で所持金200円足らず、「凍え死ぬ寒さ」のなか、成宮さんと出会い仕事とアパートを確保できました。男性は「どうにもならず死のうかと考えていたとき、親身に話を聞いてくれてうれしかった。人の痛みのわかる成宮さんに絶対に国会にいってほしい」と語ります。
 冷え込みが厳しくなるなか、京都駅の「炊き出し」に並ぶ人が増加しています。
 成宮さんは「国民の力で政治が動く時代です。命と暮らしを守るためにがんばりたい」と決意しています。
 
 略歴 1969年滋賀県生まれ。京都市立芸術大卒、同大学院修了。参院比例区、衆院京都4区に立候補。家族は陶芸家の夫、7歳の娘。
(
2009年12月05日,「赤旗」) (Page/Top

ユダヤ人絶滅収容所ナチ元看守を裁く/2万7900人殺害に関与=^公判開始/ドイツの地裁

 ドイツのミュンヘン第2地方裁判所は11月30日、第2次世界大戦中にナチスのユダヤ人絶滅収容所で2万7900人のユダヤ人殺害に関与したとして起訴されている元看守ジョン・デムヤンユク被告(89)の公判を開始しました。
 同被告は、ナチスの戦争犯罪を追及し続けているサイモン・ウィーゼンタール・センターが「生存の見込まれるナチス戦犯」として追跡リストに挙げていた10人のうちの1人。ウクライナ生まれで、1941年にソ連軍に従軍中にナチスドイツ軍の捕虜となり、ユダヤ人絶滅収容所の看守に徴用されました。
 サイモン・ウィーゼンタール・センターによると、同被告は現在のポーランドにあったソビボール絶滅収容所の看守として、ユダヤ人をガス室に送り込むなど、少なくとも2万5000人の殺害に関与したといいます。
 同被告は51年に米国に渡り、自動車工として働き、米市民権を取得しました。その残虐さからイワン雷帝≠ニ恐れられたトレブリンカ絶滅収容所の看守と誤認され、イスラエルの裁判所で88年に死刑判決を受けました。
 判決は93年にイスラエル最高裁により取り消され、同被告は米国に戻りましたが、サイモン・ウィーゼンタール・センターはソビボール絶滅収容所など他の収容所の看守だったことを突き止めました。米裁判所は2005年に同被告の市民権をはく奪。同被告は今年5月にドイツに引き渡されました。
 裁判は来年5月まで続き、同被告の有罪が確定した場合、高齢であることから事実上の終身刑となるとみられています。
 ドイツでは現在、イタリアとオランダでそれぞれ民間人を殺害した元独軍人と元ナチス親衛隊員の戦争犯罪裁判が進行しています。
 (夏目雅至)
(
2009年12月02日,「赤旗」) (Page/Top

アフガン空爆民間人死傷/軍が情報隠し/ドイツ撤退要求強まる/野党特別調査委設置求める

 アフガニスタンで9月、ドイツ連邦軍部隊が空爆指示を出し民間人に多数の死傷者が出た問題で、軍と担当大臣が情報を隠蔽(いんぺい)した疑惑が強くなり、同国でアフガンからの撤退の声がさらに強まっています。
 (片岡正明)
 
 この事件は同月4日、クンドゥズ州駐留のドイツ部隊が反政府武装勢力タリバンに燃料輸送車を奪われた際に、同部隊司令官の要請を受けて北大西洋条約機構(NATO)軍がこの輸送車を空爆したもの。死者約100人中、民間人権団体の調べでは市民70人(アフガン政府発表で30人)が巻き添えになって亡くなりました。
 11月下旬に独紙ビルトが、輸送車が空爆を受けて爆発する直前に、民間人がその周辺に集まっていた様子を上空から撮影した動画をウェブサイトに掲載。「ドイツ軍司令官が空爆を要請したとき、輸送車の周囲に民間人がいる可能性は排除できなかった」という秘密報告を軍当局が出していると報じました。
 このため、11月26日に連邦議会(下院)がこの問題で集中審議を開催。同日、連邦軍制服組トップのシュナイダーハン統合幕僚長とウィヒャート国防次官が辞任。事件当時、国防相だったユング労働相は情報を隠していないと否定しましたが、翌27日に「政治的責任を取る」として労働相を辞任しました。
 これを受け、もともと強かった撤退を求める国民の意見はますます高まっています。
 29日のビルト日曜版の世論調査によると、ドイツ部隊の撤退を求める声は65%に達しました。うち即時撤退の意見は30%。9月末の連邦議会選挙直前のドイツ公共第2テレビ(ZDF)の調査では、派兵に反対が55%、賛成が44%でした。
 ドイツの海外向け公共放送ラジオ、ドイチェ・ウェレによると、ドイツの人道支援団体は、いまや連邦軍の活動が現地の人道支援活動の擁護になるどころか、活動の障害になっていると批判しました。
 野党はいっせいに、連邦議会に特別調査委員会を設置するよう提案しています。
 左翼党のバルチ事務局長は、「アフガン戦争でまず『真実』が死んだ」と語り、事実解明とアフガンからの一刻も早い撤退を要求しました。
 社会民主党のナーレス書記長は、「国民の信頼を回復できなければ、派兵継続はできない」として政府の責任を追及する構え。90年連合・緑の党のトリティン代表も、「真実のもみ消しは構造的な問題で、事件を新たに評価し直さなければならない」と強調しました。
 与党のキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)と自由民主党も、特別調査委員会設置は避けられないとみて、反対はしない方向で論議が進みつつあります。
 ナチス・ドイツの侵略戦争を否定して戦後ドイツの復興を果たしてきた国民にとって、「戦争への加担」は深刻な問題です。ドイツ兵の死者はすでに35人を数えます。
 今のところ、連邦議会に議席を持ち、アフガニスタンからの撤兵を求める党は左翼党(622議席中76議席)だけですが、与党の一部を含めた政治家からも、アフガン派兵からの「出口」論が提唱されるようになってきています。
(
2009年12月02日,「赤旗」) (Page/Top

憲法フォーラム開く/ドイツと日本がテーマ/松江

 島根県憲法会議は29日、松江市で第22回市民憲法フォーラムを開き、約30人が参加しました。今回は「ドイツから見た『日本』『国』『憲法』―2つの『戦後憲法』、2つの『政権交代』―」がテーマです。
 ドイツのビーレフェルト大学に留学した植松健一島根大准教授が、ドイツの政党状況や選挙システム、テロ対策・治安強化策への連邦憲法裁判所の違憲判決、ナチスなど過去に向き合う姿勢や国際平和村の活動、国民生活などを紹介しました。
 日本の8月の総選挙にもふれ、小選挙区で民主党は自民党と得票率で10%程度の差なのに議席獲得率では50%以上の差が出ていると指摘。共産党の比例区得票率は、衆院定数480人で試算すると34議席になるとし、「比例代表の機能を民主主義の点から積極的に打ち出していく必要がある」と、憲法会議の役割を強調しました。
 会場から「徴兵制や徴兵拒否を学生はどう考えているか」「米軍基地への学生や国民の反応は?」などの質問が出されました。
(
2009年12月01日,「赤旗」)

石子順のにちようシネマ館/THE WAVE ウェイヴ(独)

 1973年生まれのデニス・ガンゼル監督の、08年ドイツ国内最高の観客動員となった衝撃作です。
 高校の体育教師ベンガー(ユルゲン・フォーゲル)は独裁性についての実習授業を受け持ちます。生徒にリーダーを選ばせて、自分がなります。規律を重視、制服、独特な敬礼、シンボルマーク作りと授業がエスカレートしていきます。無気力にみえた生徒たちがウェイヴ≠ニ名づけた集団となって狂気じみてきます。
 米国で実際に起きた事件をもとにしたというドラマ展開が恐ろしい。独裁政治を繰り返させないための授業が、生徒をナチスの少年のように変質させていくところに警告がこめられています。白シャツ制服の中で一人だけ赤い服を着続ける少女の変わらない姿が救いです。
(
2009年11月29日,「赤旗」) (Page/Top

本と人と/『アンネ・フランク―その15年の生涯』黒川万千代さん/悲惨な最期、美化してはいけない

 アンネ・フランクとは同年の生まれ。ユダヤ人のアンネも、日本人の自分も、1945年、それぞれ世紀の大虐殺の渦中にいました。片やナチスの強制収容所で飢えて息絶え、片や原爆が落とされた広島で、生きて地獄絵を見ました。
 戦後は被爆者として平和運動ひとすじの人生。アンネが残した日記にも出合い、彼女の足跡を追い続けています。アンネ生誕80年の今年、改めて研究の成果をまとめました。
 2年間一度も外に出ず、トイレの流水音にも気を使う隠れ家で、書き続けられた『アンネの日記』。初めて読んだのは23歳のときでした。戦争を始めた為政者のみならず、止められなかった市民の責任にも書き及んでいたアンネのペンが我が身に突き刺さり、「死ぬほど恥ずかしかった」と言います。
 日本原水爆被害者団体協議会の役員を務めていた79年、オランダに招請された機を逃さず、アンネの隠れ家を訪ねました。翌年、アウシュビッツへ。当時非公開だった第2収容所も見せるべきだと職員に食い下がる「当たって砕けろ」の精神で、現地への渡航を重ねました。アンネの親友やいとこにも面会。隠れ家生活がレジスタンスに支えられていたことも知ります。
 アンネゆかりの地をめぐるツアーも企画し、ホロコーストの資料を収集・公開するNPOで活動。伝えたい思いがあふれ、各地で熱く語る「ガチョウおばさん」だと笑います。
 美談仕立てのアンネ関連本に、ずっと違和感がありました。「汚物だらけの水たまりに顔をつっこんでいたアンネの最期は悲惨でした。美化してはいけない。それが一番言いたいことです」
 (田中佐知子)
 (合同出版・1500円)
 1936年新潟県生まれ。日本民主主義文学会会員。
(
2009年11月29日,「赤旗」) (Page/Top

ホイッスル

 外電によると、ドイツ陸上競技連盟が、1936年にユダヤ人のグレーテル・ベルクマンさんが出した女子走り高跳びの国内記録1b60を公認したと伝えています。
 当時のナチスはベルリン五輪直前で、ユダヤ人迫害に対する国際世論をかわすため、渡英していたグレーテルさんを独代表選手として呼び戻しました。ところが、同五輪ボイコットを示唆していた米国が出場を決めると一変。ユダヤ人であることを理由に五輪代表をはずされ、記録も認められませんでした。
 ドイツ陸連が、ナチスに迫害され、翻ろうされた選手の名誉を回復する努力を現在もつづけている意義は大きい。不幸な過去を忘れず、その反省を今に生かす点で、日本のスポーツ界も学ぶべきところがあるでしょう。
(
2009年11月26日,「赤旗」) (Page/Top

入植地拡大/独、異例のイスラエル批判

 メルケル独首相のウィルヘルム報道官は23日の定例記者会見で、イスラエルがパレスチナ占領地ですすめるユダヤ人入植地拡大計画を厳しく批判しました。ロイター通信が伝えました。
 イスラエルは先週、東エルサレムに900戸の住宅を建設する計画を承認しています。同報道官はこれについて「きわめて遺憾に思っている」と言明。「東エルサレムでの入植地建設は中東和平プロセスの進展の重大な障害となっている」と強調しました。さらに、来週ドイツを訪問するネタニヤフ・イスラエル首相らとメルケル首相がこの問題を話し合うと付け加えました。
 ロイター通信によると、ドイツではナチスが600万人のユダヤ人を殺害したホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の記憶から、これまでイスラエルに対する批判は控えめでした。
 ところが最近ではドイツの政治家による批判が強い調子のものになっており、今回の報道官のコメントについても「異例の明白な言葉での批判だ」と伝えました。
(
2009年11月25日,「赤旗」) (Page/Top

映画/「THE WAVE ウェイヴ」(ドイツ)/独裁は過去のものか

 ドイツのとある高校で一週間の特別授業が始まった。体育教師のライナー・ベンガー(ユルゲン・フォーゲル)は、「無政府主義」をテーマにしたかったが、それは別の教師が担当するので、「独裁制」を受け持つことになった。
 ナチスの苦い経験が国民意識となっているドイツでは、高校生でももう独裁制はあり得ないと考えている。しかし、ライナーをリーダーに選んで絶対的忠誠を誓い、白シャツにジーンズという制服を着用し、ウェイヴという名前をつけ、ロゴまで作り出す独裁制経験授業の過程で、生徒たちは次第に変わっていく。
 独裁制の実験はライナーが持ち出したものだったが、ライナーも含めてクラスが奇妙な高揚感に支配されていったのである。それに同調しないカロという女子生徒は差別され、逆にクラスでバカにされていた男子生徒のティムは極端な親衛隊意識を持ち始め、ライナーの自宅まで押しかけて護衛を申し出る。
 こうしてクラスは独善的、排他的になり、エスカレートして制御不能の状態になっていく。そして最後には、恐るべき結末を迎える。この作品はアメリカで実際にあった事実に基づいたノンフィクション小説をドイツに置き換えて映画化したものである。
 独裁・ファシズムは決して過去のものではない。条件や状況が整えば、独裁を容認する集団催眠現象というべきものは容易に起こることを教える。原作のノンフィクション小説がドイツの学校で教材に推薦されている理由がうかがえる。監督はデニス・ガンゼル。
 (村瀬 広・映画評論家)
 東京・シネマート新宿ほかで上映中。
(
2009年11月19日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/レオ・ボルヒャルトの悲劇

 レオ・ボルヒャルトという指揮者の名を知る人は多くあるまい。ドイツが第2次大戦で敗北した直後、ベルリン・フィル常任指揮者を務めたが、在任期間は3カ月に満たない。
 最近訳出されたドイツ人ジャーナリスト、ヘルベルト・ハフナーの『ベルリン・フィル―あるオーケストラの自伝』(春秋社)は、第5章「チェリビダッケの時代」でボルヒャルトに言及している。
 ボルヒャルトは1899年モスクワに生まれ、ロシア革命後ドイツに亡命する。1930年前後に指揮者として頭角を現し、ロシア音楽を得意としたが、ナチス政権は「政治的に信頼できない」として、音楽活動を制約する。その後、彼は「エミールおじさん」というレジスタンス・グループに属し、反ナチ抵抗運動を続ける。
 45年5月26日、ベルリン・フィルの戦後最初の演奏会で指揮台に立ったのがボルヒャルトだった。楽団は再出発を果たす。だが8月23日、英占領軍将校の家に招かれた帰路、検問所で英国のナンバープレートを見落とした米兵に誤射される。
 輸入盤CDでは、チャイコフスキーやウェーバーのほか、グラズノフの「ステンカ・ラージン」という秘曲を聴くことができる。残された録音の少なさが悲劇的な生涯を物語っている。
 (弩)
(
2009年11月17日,「赤旗」) (Page/Top

文化/「荒木経惟広島ノ顔」展/いい顔がいい街にする/大井健地

 「おっ、いいぞ。美人に撮るからね。よおし」
 「おっ、決まってんじゃん! 手ぇちょっと広げると元気な感じになるよ。いいよ〜、グーじゃん」
 写真家が威勢よく声をかけます。即座にモデルの緊張がほぐれ、人がかわったように生きいきします。「カメラで撮るより口で撮る」と評されるほど。荒木経惟(あらき・のぶよし)が還暦を過ぎてから始めた「日本人ノ顔プロジェクト」の撮影場景です。

1035の表情
 荒木は現在69歳。「さっちん」という少年写真集でデビューして太陽賞を受賞。以来、46年間の写真家生活。世の中のために残してみんなが喜ぶ仕事として、全国47都道府県の住民数万人の顔を写すという同プロジェクトを2002年から始めています。
 大阪を皮切りに福岡、鹿児島、石川、青森、佐賀、そして2009年夏は広島。もっか7都市で写した人数は累計3千組、6千人近くとなります。広島では461組1035人を撮影、その写真を展示する「広島ノ顔」展が広島市現代美術館で開催中です。
 開会式では自分の前立腺がんを告げ、広島から生きる欲情をもらったとあいさつしていました。
 「日本人ノ顔プロジェクト」というこの壮大な企画、写真史上ではドイツ人アウグスト・ザンダーの「20世紀の人間たち」という、ナチスの弾圧で未完に終わったプロジェクトを連想させます。
 実際、荒木は「写真を勉強するのに一冊だけ教科書を選べと言われたら、ザンダーの肖像写真集だね」(『荒木経惟の写真術』)と言います。ザンダーは職業別に分類しますが、荒木のは職業、地位、年齢、性などの分類は一切なし。外国籍も無関係。全部モノクロ。バックは白。被写体のみんな、しっかりレンズを見ています。
 荒木は、写真を撮るのは人とつきあうこと、撮る人が写真を作るのでなく、撮る人撮られる人のコラボレーション(合作)だと言い、このシリーズは人様を敬うという気持ちで、あのころみんな幸せな顔をしていたという結果にしたいと言います。「盗っ人みたいな撮り方はやめなさい」「こういういい顔が街をいい街にする」(『天才アラーキー写真ノ方法』)

「幸せ」引き出す
 企画に応募し被写体になった一同から荒木が親近感を持たれているのは明白。天才アラーキー≠フ多様な仕事ぶりの中には社会通念から見ていかがわしいものもあるはずですが、ここではスター写真家の名声に信頼感は万全という具合。ヌード写真は卒業ですかという皮肉な問いも多いそうですが、「顔は究極のヌード」との荒木の返答。
 雑多な応募者の、きれいに撮られたい、カッコよく写りたいという熱意をうまく仕切って、撮影というあらたまった場面、記念的な機会に被写体から幸せな面の表情が引き出されます。笑顔のコラボレーションが生まれています。
 「日本人ノ顔プロジェクト」は、はじめは個々人のアップされた「顔」でしたが、徐々に全身像が増え、さらに家族像、友人同士のグループ写真に拡大傾向です。構図は撮る人・荒木が決めますが、人の配置は撮られる側にまかせているようです。
 荒木も自覚するように、写真家対被写体の一対一の関係より、被写体集団の内部からの関係する力≠ェ興味深い。そこに荒木もたじたじとなっている庶民の力を見てもいい。逆に、その力に感応できる荒木の庶民性も立派。家族、友人の人間関係のなごやかさを大切にしたい気持ちが自然にわいてきます。
 荒木は自分は無思想だと広言していますが、「誰にとっても特別な」意味のヒロシマを意識しています。毎年8月6日は空を写すと記します。ヒロシマをどう写真にするかは、この人にもひとつの課題だったはず。
 広島人の元気な顔のほかに、会場には花の写真がささげられています。カラーの大量の花の表情はこの世のものではないようで、圧倒されます。華やかさの奥に潜む、生と死のイメージが相反しながら強烈に襲ってきます。
 (おおい・けんじ 広島市立大学教授・美術評論)

「荒木経惟 広島ノ顔」展は、広島市現代美術館で12月6日まで。問い合わせ先 рO82(264)1121 同美術館
(
2009年11月08日,「赤旗」) (Page/Top

アフガン撤退論強まる/国防相「戦争」と認識/ドイツ

 ドイツで国防相がアフガニスタンの現状を事実上「戦争」と認める発言をしたことが波紋を広げています。ナチス・ドイツの侵略戦争を否定して戦後ドイツの復興を果たしてきた国民にとって、「戦争への加担」は深刻な問題です。発言の翌日には兵士の経済・社会的利益の維持などを目的とするドイツ連邦軍協会が、米国のアフガン増派要求を受け入れない姿勢を明らかにしました。
 10月末に就任したばかりのグッテンベルク国防相は、3日付ビルト紙へのインタビューでアフガンの現状を「戦争に似た状況だ」と述べ、ドイツ政府として初めて「戦争」という言葉を使いました。
 発言はドイツの「参戦」を追認したものですが、同国では世論調査で派兵反対が過半数を占めており、改めてアフガン派兵への批判が強まることは必至とみられます。
 アフガンでのドイツ部隊の死者はすでに35人。民間人を含め100人近い死者を出した9月の米軍機によるクンドゥズ州の空爆事件では、爆撃の指示を出したドイツ軍司令官に対し国際的にも軍事規範に違反しているとの批判が起こっていました。
 戦争に踏み込むことには強い抵抗がある国民に対し、派兵は平和維持を目的にアフガン復興や人道援助を手助けするものだ≠ニいう政府説明ではもはや説得力がないと、同国防相は決断したものとみられます。
 一方、ドイツ連邦軍協会のキルシュ会長は4日、「アフガニスタン派遣のドイツ兵士の数を増やす必要性は見当たらない」と述べました。会長の発言は兵士全体の「えん戦」気分を反映しているとみられます。
 アフガンからの撤退を主張する左翼党のゲールケ連邦議会議員は3日、「戦争だ」と認めるのなら「ドイツ部隊を即時撤退させることが唯一の解決の道だ」と語りました。
 (片岡正明)
(
2009年11月06日,「赤旗」) (Page/Top

ナチス戦犯裁判続く/戦後64年へても追及/ドイツ

 ドイツ西部のアーヘン地方裁判所で10月28日、第2次大戦中のオランダで民間人を殺害した元ナチス親衛隊員の戦争犯罪裁判が始まりました。戦後64年を経ても、ドイツでは今年、これを含め三つのナチス戦犯裁判が行われています。
 (夏目雅至)
 告訴されているのは元ナチス親衛隊員、ハインリッヒ・ベーレ被告(88)。12月18日までに12回の公判が予定されています。最後のナチス戦犯裁判といわれています。
 ドイツ生まれのベーレ被告は、移住先のオランダが1940年、ナチス・ドイツに占領された直後、ナチス武装親衛隊に入隊。射撃部隊に所属していた44年7月から9月にかけて非武装のオランダの民間人3人を殺害した容疑が掛けられています。
 同被告は戦後、米軍の捕虜になり、民間人殺害を自白しましたが、裁判開始前にドイツに逃亡。オランダの裁判所は49年、同被告不在のまま死刑判決を言い渡しました。しかし、ドイツ国籍者は外国への身柄引き渡しができないという同国の法の抜け穴から、これまで法の裁きから逃れてきました。

米国に逃亡
 ドイツでは今年7月、ポーランドにあったナチス強制収容所でユダヤ人2万9000人の殺害に手を貸した元看守ジョン・デムヤンユク容疑者(89)がミュンヘン地方裁判所に殺人ほう助罪で起訴され、公判が今月中に始まります。
 同容疑者は米国に逃亡していましたが、戦犯容疑でイスラエルに送還。88年、トレブリンカ絶滅収容所(ポーランド)でユダヤ人に残虐行為を行った看守「イワン雷帝」だったと認定され、死刑判決を受けました。
 しかしその後、証拠があいまいだったとして釈放。米国に戻り、年金生活を送っていました。ところが別の三つの収容所で看守を務めた経歴が新たに判明し、米司法当局は今年5月にドイツに身柄を引き渡しました。

民間人殺害
 また、ミュンヘン地方裁判所は8月、44年にイタリアのトスカーナ地方で民間人10人の殺害を命じたナチス・ドイツ軍元少尉ヨゼフ・ショイングラバー被告(90)に終身刑を言い渡しました。
 イタリア軍事法廷は06年、ドイツにいる同被告に対して終身刑を言い渡していました。しかし、身柄引き渡しができないことから、代わりにドイツ検察当局が08年に国内で同被告を起訴しました。
 いずれの被告も高齢ですが、ナチス戦犯の追及を続ける「サイモン・ウィーゼンタール・センター」は「歳月は罪を軽減することなく、高齢であることは法的な保護にはならない」との見解を取っています。
(
2009年11月05日,「赤旗」) (Page/Top

ワルシャワの日本人形―戦争を記憶し、伝える/田村和子著/評者大内田わこ赤旗編集局次長


彼女はなぜ獄中で人形を作ったか
 「ワルシャワヘ行ったら、ぜひパヴィヤクに寄って、日本人形を見てくださいね」、田村さんの真剣な問いかけに押されるようにパヴィヤク収容所跡(今は監獄博物館)を訪ねたのは、05年の冬、3度目のアウシュビッツからの帰りのことだった。
 暖冬と言われたその年の冬も、日本のやわな冬しか知らない身には、身を切るような寒さだった。凍えるような監獄の陳列棚の中ほどにその人形はあった。
 ちゃんと黒髪を日本まげに結い上げ、振り袖姿で凛と立っていた。紛れもなく日本人形だった。思わず駆け寄った私は、薄暗い陳列棚のそこだけが、やわらかい光に包まれているような感じにおそわれた。
 その日本人形を作ったのは、ポーランドの地下レジスタンス組織の一員で、ナチスによって殺害されたカミラ・ジュコフスカだった。
 彼女はなぜ獄中でこの人形を作ったのか、なぜ日本人形でなくてはならなかったのか著者の謎解きは、若き日のカミラと日本のオペラ「蝶々夫人」との出会いにまでも及んでいく。
 カミラの人生とともに明らかになっていく、ワルシャワでの人民のたたかい。ナチスはパヴィヤクを占領地における最大の監獄として利用。10万人を収監、拷問し、そのうち3万7000人が虐殺されたといわれる。カミラはそのうちの一人であった。
 本書で著者は、表題の作品のほか、アウシュビッツへ送られたマクシミリアンコルベ神父、絶滅収容所トレブリンカへ送られたコルチャック先生と子どもたちなど、ワルシャワで第2次世界大戦を生き、犠牲になった多くの人々を振り返るとともに、戦争を記憶し、伝え、未来につなげることの大事さを、しなやかに説き続ける。

たむら・かずこ 1944年生まれ。ポーランド語翻訳者。
(
2009年11月01日,「赤旗」)

ホロコースト存在否定の司教に罰金

 【ベルリン=ロイター】ドイツ南部のバイエルン州のニュルンベルク裁判所は27日、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)がなかったと公言したことを理由に、カトリック分派の超伝統派「聖ピオ10世会」(SSPX)のリチャード・ウィリアムソン司教に1万2000ユーロ(約160万円)の罰金刑を言い渡したことを明らかにしました。被告側が2週間以内に要求した場合には公判が開かれます。
 ホロコースト否定はドイツでは犯罪とされています。ナチスによるホロコーストではユダヤ人600万人が殺されていますが、ウィリアムソン司教は、ナチスのガス室は存在せず、殺害されたユダヤ人は30万人にすぎないと発言していました。
(
2009年10月30日,「赤旗」) (Page/Top

演劇/「ショパロヴィッチ巡業劇団」(黒テント公演)/20世紀セルビアの祈り描く

 第2次世界大戦中、ナチス占領下のセルビアの町に、4人組の小さな巡業劇団がシラーの「群盗」を上演しようとやってきた。が、「ドイツ人が1人殺されるとセルビア人が100人殺される」という現実に苦しむ町の人々は、彼らを歓迎しない。市民からは虐待され、町兵からは逮捕され、受難続きの一行はなかなか上演にこぎつけない……。
 1935年生まれのセルビアの劇作家リュボミル・シモヴィッチによる86年の戯曲の日本初演。これを日本人俳優がフランス人の演出家の下で上演するという、難しい越境の舞台だった。が、シモヴィッチの戯曲は、蹂躪され分裂した故郷の記憶をコミカルに、しかも詩的に描いて見事である。巡業劇団の俳優たちは、「50メートル先はイングランド。5分経ったら16世紀」と言いながら、どこへともなく消えてゆく。舞台の上で変身し、国境も時間も自在に越える「俳優」。それは抑圧の時代を生きた人々の、不可能な夢そのものだろう。また彼らは常に理性的で、演劇的機転で窮地を切り抜けて見せる。対照的に町の人々は、ナマの怒りや不安から、被抑圧者から暴力的抑圧者へと変身してしまう。前世紀の歴史を丸ごと盛り込んだような、皮肉な現実の描写である。
 黒テントの俳優は実力にバラつきがあり、人物の魅力を発揮するに至らなかった部分がある。が、同胞を拷問する職に就いてしまった悲しき「潰し屋」(木野本啓)と、現実に振り回される中年主婦ギーナ(横田桂子)が、台詞の意味を明瞭に活かして光った。シアターイワトの内壁に溶け込んだ、寒々しい壁の装置も秀逸だった。
 (村井華代・演劇学研究者)
 22日まで、東京・シアターイワト
(
2009年10月19日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/へルタ・ミュラーの文学世界

 8日、スウェーデン・アカデミーはルーマニア生まれのドイツ人作家ヘルタ・ミュラー(53年生)にノーベル文学賞を授与すると発表した。「韻文の濃密さと散文の正確さで疎外された人々の風景を描き出した」ことが授賞理由という。
 1999年のグラスに続きドイツ人としては10人目の受賞だ。
 ミュラーはルーマニアでバナート・シュヴァーベンと呼ばれるドイツ系少数民族の出身で、ドイツ語を母語とする。ルーマニアの大学で学ぶが、チャウシェスク独裁政権下で、84年に就業と執筆を禁止され、87年に出国、以後ドイツで暮らしている。
 グラスと共通するのは「二重の意味での故郷喪失者」という点である。グラスは自由都市ダンツィヒの生まれで、故郷はナチスに蹂躙され、ドイツ帝国に強制的に組み入れられた。戦後はポーランド領グダンスクになっている。ルーマニアにも、出国後のドイツにもなじむことのなかったミュラーの姿が重なる。
 アコーディオンのように伸び縮みしてきた東欧の国境。歴史に翻弄される弱小国や少数民族。ミュラーが描き出しているのはまさしく故郷喪失の風景なのだ。『息のブランコ』(09)などには戦争被害や抑圧的な権力機構に立ち向かう作者の真摯な姿がある。
 (藍)
(
2009年10月15日,「赤旗」) (Page/Top

助かった子と助からなかった子/ベルリン

 ドイツの首都ベルリンでは毎年のように、ナチ時代の克服をめざす新たな記念碑ができます。その一つが、中心部フリードリヒシュトラッセ駅にありました。2008年11月30日に完成した「助かった子と助からなかった子の像」です。
 駅に向かう2人の「助かった」子どもと、駅とは逆方向を向く「助からなかった」5人の子ども。助からなかった1人のカバンの中には、赤ちゃんの遺体もあります。
 1938年、ナチス・ドイツのユダヤ人抑圧政策に対し、英国がユダヤ人の子どもの受け入れを決めました。その最初の子ども190人が同年11月30日、このフリードリヒシュトラッセ駅からロンドンへ旅立ちました。
 英国はその後、9カ月間に約1万人の子どもを受け入れました。一方で、1941年からユダヤ人大虐殺が始まり、アウシュビッツなどで150万人以上の子どもが殺されました。
 像は190人の子どもが英国に旅立って70周年に当たる昨年、イスラエルの彫刻家が彫像しました。
 (ベルリン=片岡正明)
(
2009年10月15日,「赤旗」) (Page/Top

ナチス元看守の裁判11月開廷

 【ベルリン=ロイター】ドイツ・ミュンヘンのバイエルン州裁判所は2日、ナチス強制収容所の元看守で、第2次大戦下でユダヤ人2万7900人の殺害に関与した疑いで起訴されているジョン・デムヤンユク被告(89)の裁判を11月初めに開始することを明らかにしました。
(
2009年10月04日,「赤旗」) (Page/Top

マレク・エデルマンさん死去

 マレク・エデルマンさん(第2次大戦中にユダヤ人強制居住区域「ワルシャワ・ゲットー」で起きた民衆蜂起の指揮官)。ロイター通信が友人の話として伝えたところによると、ワルシャワで2日死去、87歳。AFP通信は90歳としています。
 1943年のワルシャワ・ゲットー蜂起で、ナチスに抵抗するユダヤ人戦闘部隊を指揮しました。89年の民主化で主導的な役割を果たした労働組合「連帯」にも参加しました。(時事)
(
2009年10月04日,「赤旗」) (Page/Top

ドイツ・ナチス不服従軍人の名誉回復/「全国ナチス軍事裁判被害者協会」バウマン会長に聞く


抵抗した人こそ模範
 ドイツ連邦議会は9月8日、第2次大戦中にナチス政権に従わなかったとして「国家反逆罪」の汚名を着せられた元軍人の死刑などの判決を取り消す包括的名誉回復法案を採択しました。同法採択を一貫して要求してきた元軍人と遺族で結成された「全国ナチス軍事裁判被害者協会」のルードウィッヒ・バウマン会長(87)に聞きました。
 (ブレーメン=片岡正明 写真も)
 この法律は私たち「全国ナチス軍事裁判被害者協会」とそれを支援する人たちの長年にわたるたたかいがやっと実を結んだものです。
 協会は、元脱走兵の組織として1990年に36人の男性と1人の女性が集まり結成されました。
 連邦議会は98年に初めてナチス政権での不当な判決を無効とする名誉回復法を採択しました。しかし、軍事裁判については、個別の無罪証明が必要でした。
 2002年の法改正で、兵役拒否者や脱走兵についても名誉回復がされました。このとき私は名誉回復されたのです。
 この法改正で適用外とされたのが、国家反逆罪です。反逆行為によって、他のドイツ兵の命が危うくなったというのがその理由でした。国家反逆罪で死刑になった人たちもいますが、今のドイツ基本法に照らすならば、このナチの軍隊に反抗した人たちこそ模範といわなければなりません。今回の法改正でやっと名誉回復されたのです。
 私自身は脱走兵でした。19歳のときに海軍に入り、フランスのドイツ占領地に配属され、宣伝映画で見せられるソ連軍捕虜へのひどい扱いに嫌気がさしました。
 42年6月、知り合いになったフランス人のレジスタンスに助けてもらい、脱走しました。でも結局は捕まり、拷問を受けましたが、脱走を助けたフランス人の名前については沈黙を守りました。軍事裁判所で死刑判決を受け、10カ月の間、死刑執行を待ちました。毎朝、今日こそ終わりだと思う恐怖は今もときどき夢に見ます。
 刑は執行されませんでしたが、私は東部戦線での懲罰部隊行きとなりました。多くの仲間が死に、私も負傷しました。
 戦後、脱走兵だった人には「裏切り者」「臆病者」というののしりが待っていました。法的には前科者として扱われ、そのためにまともな職にもつけません。私は自暴自棄となりアルコール中毒になりました。
 66年、私を支えてくれていた妻が亡くなりました。私は一人で子どもを育てなければならなくなり、お酒をやめました。だんだんまともになる中で、ヒトラーがやったような戦争を二度と起こしたくない思いがわき、平和運動に参加しました。
 自分の尊厳のために、生き残っている仲間のため、死んだ仲間のために、国に名誉回復をさせよう。その思いがやっと、実現したと思います。
(
2009年10月02日,「赤旗」) (Page/Top

大虐殺の地にホテル建設計画/キエフ市長、待った

 【キエフ=AFP時事】ウクライナの首都キエフで、第2次大戦中のユダヤ大虐殺の地「バビヤール」にホテル建設計画が浮上、ユダヤ人団体の猛抗議を受け、チェルノベツキー・キエフ市長が拒否権を発動、計画に待ったを掛けました。地元紙などが26日伝えました。
 バビヤールはキエフにある渓谷。1941年9月、侵攻したナチス・ドイツ軍とウクライナ人協力者らによってユダヤ人約3万4000人が虐殺されました。43年のナチス撤退までにユダヤ人のほかロマ人やレジスタンス、ソ連軍捕虜ら6万人以上がここで殺害されました。荘厳な追悼式典が毎年、行われています。
 建設計画はキエフ市議会で認められていました。ウクライナは2012年のサッカー欧州選手権をポーランドと共催します。しかし、宿泊施設をはじめ準備の遅れが著しいとして欧州サッカー連盟(UEFA)から繰り返し批判されています。
(
2009年09月30日,「赤旗」) (Page/Top

国連の支援よびかけ/携帯通じ総会演説/セラヤ大統領

 ニューヨークからの報道によると、ホンジュラスのセラヤ大統領は28日、電話を通じて国連総会で演説しました。
 演壇にはロダス外相が立ち、同氏が持つ携帯電話を通じてセラヤ氏が演説。「ホンジュラスはファシストの支配下に置かれ、人民の権利が抑圧されている」と述べ、メディア2局の閉鎖はその最新の事例だと指摘しました。
 「このクーデターを覆し、法の支配と自由の回復のため、国連の支援を呼びかける」と訴えると、出席者から拍手が起こりました。
(
2009年09月30日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/シューリヒトの「大地の歌」

 70年前の1939年9月、ドイツのポーランド侵攻を皮切りに第2次世界大戦が開始された。その年の10月5日、オランダのアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が、本拠地でマーラーの交響曲「大地の歌」を演奏した。指揮はドイツ人カール・シューリヒト。その録音が残っていて、輸入盤CDで聴くことができる。
 第6楽章「告別」が始まって19分30秒ほどたったところで、女性の聴衆の声が聞こえてくる。それは「世界に冠たるドイツ、シューリヒトさん」という意味だ。すでにドイツではユダヤ人作曲家マーラーの作品は演奏禁止になっていた。隣国とはいえ、その作品をドイツ人が指揮するのは「大胆不敵な行動」であり、おそらくナチスの支持者による妨害に遭ったのだろう。
 シューリヒトは44年にスイスに亡命するまで、ドイツにとどまった。今年訳出されたミシェル・シェヴィ著『大指揮者カール・シューリヒト―生涯と芸術』(アルファベータ)によると、彼は当時「カール・ヤスパースのユダヤ人の義理の兄弟夫妻と二人の子供、そして作曲家オブシエの友人たちの保護を引き受け、密かにオランダへ逃がしたところであった」という。
 先のCDは大指揮者の気骨を示す貴重な記録でもある。
 (弩)
(
2009年09月28日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/国歌の存在

 2006年のサッカー・ワールドカップ、8月の世界陸上とドイツではここ数年、大きなスポーツの大会が開かれている。会場(の一つ)となったのはベルリンのオリンピックスタジアムだ。
 ヒトラーの命令で1936年のベルリン・オリンピックのために作られた。当初は10万人の観客を収容する大きなものを考えていたという。この種のスポーツ大会ではナショナリズムがよく問題にされるが、ドイツ人が過度なナショナリズムを警戒する背景には、ナチスが生んだドイツの悲惨な歴史がある。
 世界陸上で圧倒的な強さを示したボルト選手が、表彰式で懸命に国歌を口ずさんでいたことも忘れられない。ジャマイカのような国では植民地からの解放の歌として国歌が必要なのかもしれない。
 一方ヨーロッパの人たちには、ヨーロッパ国という言葉が普通に使われるようになった現在、国歌そのものが意味を成さなくなってきている。ドイツで国歌を聞くのは、これらの大会の表彰式などに限られており、メロディーは知っていても歌詞を知らない人も多い。学校で国歌を歌うことはないし、歌う理由もないとドイツ人は言う。多様な人種が学ぶ学校で、国歌斉唱、国旗掲揚は民族差別にもつながりかねないからだ。
 (藍)
(
2009年09月25日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 「尊厳をようやく取り戻すことができた」。メディアが伝える犠牲者と遺族の表情は晴れやかでした。ナチス軍事法廷で国家反逆罪の汚名を着せられた人たちです▼ドイツ連邦議会が先ごろ成立させた包括的名誉回復法は、これまで個別的にしか救済されなかった抑圧判決を一律に取り消すもの。ヒトラーとたたかった英雄なのか、自国を敗戦に導いた裏切り者なのか。長く続く論議にも影響を与えそうです▼たとえばローテ・カペレ(赤いオーケストラ)。ナチスの国家秘密警察ゲシュタポが、こう名づけた組織には「ソ連のスパイ網」のレッテルが張られたままでした。最近、米国の女性作家がその活動記録を改めて掘り起こしました。出版された同名のタイトルの本には、抵抗運動の姿が冷静に再現されています▼空軍の将校や官僚、脚本家や映画関係者に広がった人脈。荒れ狂うナチスの暴虐をどう止めるのか。命がけの反ナチ行動は、ユダヤ人支援から、ヒトラーの侵略性と計画を連合国に伝えて警鐘を鳴らす情報活動に発展していきます▼1942年秋に117人が一網打尽となり、49人が国家反逆罪で処刑されました。軍事法廷は全員を、「金銭目当てのスパイ」として断罪したのです▼その影響は戦後も尾をひきました。ユダヤ人犠牲者や周辺諸国への謝罪と国家賠償を積極的にすすめた政府も国民も、自国の抵抗者の評価には二の足を踏んできました。それを乗り越えようとする今回の決定。歴史の清算へまた大きな一歩です。
(
2009年09月24日,「赤旗」) (Page/Top

世界キーワード/戦争反逆者包括的名誉回復法

 ドイツ連邦議会は8日、第2次大戦中にナチス政権の軍事裁判で戦争反逆罪に問われた人々全員の判決を取り消す包括的名誉回復法を成立させました。
 ナチス政権は、国防軍刑法に戦争反逆罪条項を追加。利敵行為、捕虜、ユダヤ人の逃亡援助、反戦言動などに死刑を含む重罰を科しました。3万人が死刑判決を受け、2万人が処刑されました。
 戦後も判決は取り消されず、犯罪人扱いされてきた元軍人と遺族は1990年に全国ナチス不当軍事裁判被害者協会を設立、名誉回復を求めてきました。
 98年成立の「ナチス軍事裁判不当判決取り消し法」で必要だった個別裁判手続きは、民主的社会主義党(PDS=左翼党の前身)の提案による2002年の第1次法改正で脱走行為などに関しては撤廃されました。
 今回成立した新法は、この法律を再改正し、裁判手続きによらない判決取り消しを戦争反逆罪にも適用、軍事裁判による被害者全員の名誉回復を図るものです。左翼党が06年に提出した法案が基本となっています。歴史学者と法務省の研究で、戦争反逆罪条項は、ナチスが政敵弾圧を目的として利用し、法治国家の原則とも相いれないことが立証されています。
(
2009年09月22日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/懐かしいユースホステル

 国内だけでなく、海外の旅行でもユースホステルをよく利用する。1泊2000円ほどで安くて便利だ。3年前にエジンバラの演劇祭に参加した。三つのメイン会場のほかにフリンジと呼ばれるオフシアターが300以上あり、その規模に圧倒される。ホテルは全部満室だったのでユースの世話になった。
 今年の夏はアイルランドに1週間いたが、ずっとユース暮らしだった。ここはヨーロッパでも珍しく男女混合型だ。世界各国から来た男女の学生と同室で、旅の情報を提供しあった。朝食つきのものもあるし、自炊型のものもある。
 ユースホステルの発祥の地はドイツだ。小学校の教師だったシルマンが生徒を連れてよく旅行に出かけたが、宿泊場所にいつも困り、古城にみんなで泊まったことが始まりだという。1909年のことで、以降ユースホステルは一気に広まった。第1次世界大戦で中断、ナチスによってユースホステルは閉鎖されたが、その後見事によみがえった。
 今は世界的規模でユースホステルは広がっている。日本におけるユースは68年世代の文化の産物ではないかとふと思った。歌うことや、芸術を鑑賞すること、旅すること、すべてを革命運動に結び付けようとしたあのころが懐かしい。
 (藍)
(
2009年09月21日,「赤旗」) (Page/Top

新作DVD/ディファイアンス(米、08年)

 タイトルは「抵抗」の意味。1941年、ポーランド。ナチス・ドイツの侵略で両親を殺された兄弟がベラルーシの森に逃れます。生き抜くための自然発生的なたたかいの中から同胞たちと抵抗軍を結成。抵抗の波が高まっていきます。「生き残ることが復しゅうだ」を合言葉に終戦までに救われた1200人。実話をよみがえらせたのはエドワード・ズウィック監督です。(東宝東和/ポニーキャニオン 3990円)
(
2009年09月20日,「赤旗」) (Page/Top

米、東欧MD撤回/「チェコ国民の勝利、運動続行」/平和運動家インタビュー

 【ロンドン=小玉純一】米国が17日、ミサイル防衛(MD)基地の東欧配備計画を撤回したことについて、レーダー基地をチェコに建設することに反対してきた平和活動家は同日、本紙の電話インタビューに対し、歓迎を表明するとともに、反対運動を継続することを強調しました。

「反基地イニシアチブ」の広報担当ヤン・マーイーチェック氏
 オバマ大統領のイニシアチブを歓迎する。
 われわれはたたかいを続ける。ゲーツ米国防長官がミサイル配備を続けるといったという話があるからだ。
 チェコ人はナチスとソ連に占領された歴史を持つ。われわれに外国軍基地は不要だ。重要なことは国民多数の意思に従って決めるべきだ。

「非暴力運動」の広報担当ヤン・タマス氏
 チェコ国民の7割がレーダー基地に反対した。阻止はチェコ国民の大きな勝利だ。それに欧州や世界の人々にも良い知らせだ。
 この3年間、とても多様な人々がレーダー反対の運動に参加した。活動家だけでなくて各地の町村の首長も参加した。署名、デモ、会議とさまざまな形態で運動が取り組まれた。
 これからも基地反対運動は続く。チェコの一つの基地に反対するだけじゃなくて、世界中の軍事基地に反対する。欧州にも核兵器があり、大きな脅威だ。核軍縮の運動を続けていきたい。

ミサイル防衛(MD)
 敵の発射した弾道ミサイルを早期にレーダーで捕捉し、目標に到達する前に陸上・海上発射型のミサイルで撃ち落とすことを狙った兵器システム。米国が同盟国を巻き込んで全世界的に展開を計画。欧州ではチェコにレーダー基地、ポーランドに迎撃ミサイル基地を建設することで、両国政府が2008年、ブッシュ前米政権と協定を交わしていました。
(
2009年09月19日,「赤旗」) (Page/Top

右派のオバマ氏攻撃人種偏見に基づくか/ホワイトハウスは否定

 【ワシントン=小林俊哉】米国で右派がオバマ大統領への攻撃を強めていることをめぐり、背景に人種偏見があるかどうかが議論になっています。
 医療保険改革に反対する中絶反対グループなどの右派はこの間、首都ワシントンなどで集会を開いてオバマ政権批判を強めています。この中で、オバマ氏を社会主義者≠ニ呼んだり、ナチスのヒトラーと同列視したりするプラカードを掲げる者もあらわれています。
 9日にオバマ大統領が米議会で演説した際には、サウスカロライナ州選出の共和党下院議員が「うそつき」とやじを飛ばして問題となりました。
 一連の動きについて、カーター元米大統領が15日放映のNBCテレビのインタビューで「大統領への激しい敵意のかなりの部分は、彼が黒人だということに基づいている」と主張。「人種差別の傾向は依然として存在している。南部だけでなく国全体で、白人のなかには、アフリカ系米国人に大統領の資格はないと考える者がいる。それがいま、表面にあらわれてきた」と述べました。
 これに対しホワイトハウスのギブズ報道官は16日の記者会見で、「オバマ政権の政策に異論をもつ人でも、その大部分が肌の色に基づいて判断していると(大統領は)思っていない」と指摘。政権の政策への批判と人種問題を区分けしてとらえるべきだとの見方を示しています。
(
2009年09月18日,「赤旗」) (Page/Top

堀越事件/懲戒にもならない/刑法学者が証言/東京高裁

 社会保険庁職員だった堀越明男さんが休日に勤務と無関係の場所で「しんぶん赤旗」号外を配布したことが、国家公務員法と人事院規則違反に問われた「国公法弾圧堀越事件」の第11回控訴審公判が16日、東京高裁(中山隆夫裁判長)で行われました。
 弁護側証人として、早稲田大学の曽根威彦教授(刑法)が証言。国家公務員の政治活動を禁じた国家公務員法について「公務員でありさえすれば罪に問えるものではない。(本事件は)政治活動と職務行為との関連性が欠落している。刑事罰はおろか懲戒処分になる前提すらない」とのべました。
 堀越さんが今回の件で社保庁から処分などをうけていないことについて、曽根教授は「公務員内の規律でもおとがめなしとされた行為に、懲戒処分より制裁性が高い刑事罰を加えるのは本末転倒」だと指摘。「社会秩序の維持を名目に行為者の危険性を早期に処罰することがナチスや戦前の天皇制国家では行われた。今回の処罰の仕方がそれに近いと危惧(ぐ)をしている」とのべました。
 また曽根教授は「行為の結果が、具体的な弊害、危険性をもたらさなかった場合は刑罰を差し控えるべき」だとのべ、逮捕の不合理性を指摘しました。
 今回の公判で、警視庁が堀越さんを隠し撮りしたビデオテープ22本と関連の報告書の開示が決まりました。次回公判は11月4日午後1時15分からです。
(
2009年09月17日,「赤旗」) (Page/Top

アフガニスタン対テロ戦争8年/4/派兵国から異論噴出

 「投票操作、票の水増し、脅迫の広がりが明らかになった。英兵死者は(2001年の戦争開始以来)210人だ。不正のために血をささげ続けるのは、できない話だ」
 アフガニスタンの大統領選挙での不正疑惑が強まるなか、英紙タイムズ2日付は、社説でこう書きました。

兵士の死
 米国に次ぎ9000人の兵を駐留させる英国。兵士の死者はイラク戦争での179人を上回ります。
 デーリー・テレグラフ紙8月29日が発表した世論調査では、英軍のアフガン駐留に62%の人が反対。賛成は26%でした。
 同紙は「これまでの調査では、ほとんどの人がイラク戦争と違ってアフガン戦争を支持した。英国を狙うテロ集団とのたたかいの一部という議論を受け入れていたのだ。しかし今、(こうした主張は)あまり受け入れられていないようだ」
 ブラウン首相は3日、「派兵はテロとのたたかいのため」と演説し、部隊の増派に言及しました。その前日、ジョイス国防相補佐官が辞任しました。同氏は首相あての手紙で「兵士の死をテロの脅威で正当化することを国民は受け入れない」と主張しました。
 総選挙を2週間後に控えたドイツでも、アフガニスタンからの撤退が「総選挙の一大争点に浮上」(ARD=ドイツ公共第1テレビ)しています。
 とりわけ、空爆で民間人ら100人前後が死亡した4日の事件が大きな影響を与えています。空爆はアフガン北部クンドゥズ州でタリバンに乗っ取られた燃料用トラック2台を奪還するためドイツ軍部隊の将校が要請して米軍爆撃機が実施。
 ドイツ政府は死者数を56人としか認めていませんが、それでも「第2次大戦後、ドイツが関与した軍事作戦でもっとも多い死者を出した」(ロイター通信)事件でした。

辞任要求
 ドイツ部隊は比較的治安が安定しているといわれたアフガン北部に駐留していますが、死者はすでに35人を数えます。
 ナチス・ドイツの侵略戦争を否定することから戦後を歩んだドイツでは、戦争に踏み込むことに強い抵抗があります。政府の説明では、ドイツ軍部隊の派遣の目的はアフガン復興や人道援助の手助けとしての平和維持のはずでした。それがいつの間にか戦争に巻き込まれていることに対し、世論調査では撤退を求める声が7〜8割に達しています。
 空爆をめぐる9日のドイツ連邦議会でのメルケル首相の苦しい弁明に野党側からは批判が噴出。国防相の辞任要求も飛び出しました。連邦議会に議席を持つ党で唯一アフガン撤退を要求している左翼党のラフォンテーヌ共同議長は「ドイツ兵の犠牲者もアフガン市民の犠牲者も増え続けている。部隊は撤退すべきだ」と迫りました。
 メルケル与党が選挙後の連立相手としている自由民主党(FDP)からも「アフガン撤退は急がなければならない。可能なら来年にも」という声が上がっています。
 (ロンドン=小玉純一、外信部=片岡正明)
 (おわり)
(
2009年09月15日,「赤旗」) (Page/Top

ナチス抵抗軍人の名誉回復/戦後64年間裏切り者∴オい/全員救済「ようやく」/左翼党主導、法案採択へ

 ドイツ連邦議会(下院)が7日、第2次大戦中にナチス政権に従わなかったとして「国家反逆罪」の汚名を着せられた元軍人の死刑などの判決を一律に取り消す「包括的名誉回復法案」を成立させたことは、ナチスの戦争犯罪が厳しく追及されきたドイツで、戦争抵抗者が戦後64年間も犯罪人扱いされてきた不正常な状態に終止符を打つものとなりました。
 (夏目雅至)
 1933年に政権を握ったナチスは、軍刑法を強化、国家反逆罪を脱走、兵役拒否や戦争批判発言にまで拡大し死刑の対象としました。戦後も軍事裁判の判決は取り消されませんでした。

仲間しのぶ
 名誉回復を推進したのは90年に元軍人と遺族で結成された「全国ナチス軍事裁判被害者協会」。会長のルードウィッヒ・バウマンさん(87)は元脱走兵です。脱走兵などへの判決が取り消された2002年の法改正で自身は名誉回復しましたが、全員の救済をめざし運動を続けました。
 バウマンさんは42年にフランス駐留軍から「ヒトラーの戦争はしたくない」と脱走。逮捕され、死刑判決を受けました。軍刑務所などで拷問を受けましたが、援助を受けた仏レジスタンスについて沈黙を守りました。
 連邦議会の法案成立に立ち会ったバウマンさんは、英BBCのインタビューに「長いたたかいの成果」と喜びを表明しながらも、「多くの人々が実現を見ずに亡くなった」と仲間をしのびました。
 同氏は「(裁判被害者は)戦後もいつも裏切り者として扱われてきた」と述べ、「連邦議会内の反対者は、(包括的名誉回復が)兵士全体にとって不公平だとか、兵士の士気に有害だと言ってきた」と、困難だったたたかいを振り返りました。

与党の抵抗
 ナチス抵抗軍人の名誉回復が放置されてきた要因の一つに、反逆行為が他の兵士を危険にさらしたとの主張があります。ドイツ再軍備が進む中で、軍批判を認めることは軍の士気を損なうとの思惑も働きました。
 与党勢力の抵抗とたたかい、法案成立への主導権を握ったのは左翼党でした。被害者協会と協力、06年に法案を提出、公聴会開催などで反対の論拠を崩し、法案支持を全会派の議員に広げました。
 キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)は6月末になって法案賛成を余儀なくされます。しかし最後まで抵抗したのは、法案が左翼党の提案だということでした。採択された法案は左翼党を除く4党が7月に提出し直したものです。しかし、その条文は元の法案と同じ。ウェルト紙(電子版8日付)などは、法成立での左翼党の役割を評価しています。
(
2009年09月12日,「赤旗」) (Page/Top

ナチス抵抗軍人の有罪取り消し/包括的名誉回復法が成立/被害者協会の運動実る/ドイツ下院

 ドイツ連邦議会(下院)は7日、月末の総選挙を前に最後の本会議を開き、第2次大戦下の軍事裁判で軍人らに「国家反逆者」として言い渡された有罪判決を一律に取り消す「包括的名誉回復法案」を全会派の賛成で採択、成立させました。ナチスに抵抗し、有罪判決を受けた旧軍人が戦後64年にわたって「犯罪者」と扱われていたことは同国の「最後のタブー」とされていました。
 (夏目雅至)
 ナチス政権は、1943年に軍事刑法を改定し、軍人の脱走、ユダヤ人の逃亡支援、戦争批判発言などにも死刑適用を拡大しました。第2次大戦中に軍事裁判で死刑判決を受けた人々は約3万人におよび、うち約2万人が処刑されました。戦後も迫害を受けてきた旧軍人やその遺族は90年に「全国ナチス軍事裁判被害者協会」を結成、名誉回復を求めてきました。
 ツィプリース法相は「長い間忘れ去られていたナチス裁判の犠牲者の尊厳が回復された。兵士のナチスに対する抵抗を高く評価することになる」と語りました。被害者協会会長で元脱走兵のルードウィッヒ・バウマン氏(87)はドイツのメディアに「第2次大戦開始後70年にしてやっと夢がかなった」と話しました。
 98年制定の名誉回復法はナチス軍事裁判での不当判決を無効とするものでしたが、個別の裁判手続きを必要としました。2002年の法改正でも適用範囲は脱走兵と兵役拒否者に限定され、「国家反逆者」は除外されました。
 左翼党は、ナチス軍事裁判被害者全員を名誉回復するよう同法修正案を06年に提出。しかし、メルケル連立与党のキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)、社会民主党の抵抗で審議は進みませんでした。
 与党側の反対理由は、「反逆行為」でドイツ軍兵士が危険にさらされたとするもの。軍事史研究者の判例調査でこの論拠は崩れました。軍人によるヒトラー暗殺計画を描いたトム・クルーズ主演の映画「ワルキューレ」も世論を喚起。左翼党提出法案支持は議会内全会派に広がり、6月中旬には164議員の共同提出法案となりました。CDU・CSUも同月末、名誉回復法案の今期内議会での成立を受け入れました。
(
2009年09月10日,「赤旗」) (Page/Top

70年前の脱出劇再現/英国のシンドラー出迎え

 【ロンドン=AFP時事】70年前の第2次大戦開戦年に、当時のチェコスロバキアからユダヤ人の子どもら669人を救出し「英国のシンドラー」と呼ばれる同国のニコラス・ウィントン氏(100)が4日、当時の脱出劇を再現する旅をしてロンドンに帰着した当時の子どもたちと駅で再会しました。
 ウィントン氏は1939年3〜9月、ナチスの収容所に送らせまいと列車を使って子どもらを英国に大量避難させたことで知られます。
 今回の旅には、70年前は子どもだった生存者22人が参加。1日にプラハを出発後、ドイツ、オランダを経由、70年前と同じルートをたどって英国入りし、当時を振り返りました。
(
2009年09月07日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 厚い雲の上を飛ぶ飛行機。やがて、雲間から古い街なみが望めてくる。ドイツ・ニュルンベルクだ▼いま東京で上映中の記録映画、「意志の勝利」の出だしです。飛行機から降りたつのは、ナチス総統アドルフ・ヒトラー。ニュルンベルクで開かれるナチ党大会にやってきました。1934年9月はじめのことです▼「意志の勝利」は、1週間続いた大会のもようを収めています。6年前に101歳で亡くなったレニ・リーフェンシュタール監督が、ヒトラー直々の命を受けて撮りました。宣伝映画の成功作≠ナす▼競技場を埋める突撃隊や労働者の行進。夜の集会で手に手にともす、たいまつの光の群れ。一面に波打つ党旗。ヒトラー青年団の少年たちの無邪気なたわむれ。市民の熱狂。そして、ヒトラーのほえるような演説。映画は、勇壮な音楽とともに秩序と躍動を織り交ぜ、みる者を酔わせ惑わす映像表現の魔力を放ちます▼ヒトラーは、「団結」「民族」「ドイツ」といった言葉を連発します。閉会式。歓呼にこたえ、副総統ヘスが叫びます。「党とはヒトラー。ヒトラーとはドイツ!」。その瞬間、ヒトラーは全能の独裁者となります▼5年後の39年9月1日、ドイツはポーランドを侵攻、3日に英仏がドイツに宣戦布告し、第2次大戦が始まりました。偏見や無法を国家の「意志」に変え、ユダヤ人虐殺や侵略にあけくれたナチス。「千年王国」を夢みたものの、世界人民の団結の前に滅びました。大戦の開始から、70年がたちます。
(
2009年09月05日,「赤旗」) (Page/Top

独ソ不可侵条約「不道徳」と批判/ロシア首相

 【モスクワ=時事】ロシアのプーチン首相は1日までにポーランド紙に寄稿、1939年9月の第2次大戦開戦の直前にヒトラーとスターリンが手を結んだ独ソ不可侵条約に関し、「今日、われわれはナチスとのいかなる共謀も道徳的に容認できないことを理解している」と述べ、「不道徳」との認識を示しました。
 ナチスのポーランド侵攻、第2次大戦開戦につながった同条約について、ロシア政府首脳が批判的に言及するのは極めて異例です。
 一方でプーチン首相は、「当時のソ連はナチスと対峙(たいじ)していただけでなく、ハルハ河(ノモンハンのロシア側呼称)での戦闘が激化していたため、二つの戦線で戦争の脅威に直面していた」とも指摘。満州国西部で起きた日本の関東軍とソ連軍の国境紛争ノモンハン事件(39年)を引き合いに出し、独ソ不可侵条約締結の正当化を図りました。
(
2009年09月03日,「赤旗」) (Page/Top

映画/「幸せはシャンソニア劇場から」(フランス・チェコ・ドイツ)/劇場に凝縮された人生と感動

 庶民に愛されてきたパリ下町のシャンソニア劇場。物まね、寸劇、ミュージカル。時代は1936年。不況で劇場は不動産屋ギャラピアの手に渡り、閉鎖されてしまう。しかし、裏方として劇場とともに生きてきたピゴワル(ジェラール・ジュニョ)や、物まねのジャッキー(カド・メラッド)は、何とか劇場を再生しようと奮闘する。
 ギャラピアから1カ月の猶予をもらったピゴワルたちは、若く美しい歌手ドゥース(ノラ・アルネゼデール)を中心にシャンソニア劇場を復活させる。その盛況ぶりがミュージカルそのもののように楽しく展開される。
 しかし、ナチスが台頭し、フランスにもファシズムの嵐が吹き荒れる。劇場はマンネリ化して客足が遠のき、ドゥースも活躍の場を求めて去っていく。ピゴワルは再び失業し、愛する息子ジョジョの親権も失い、ジョジョは別れた妻に引き取られていく。再びシャンソニア劇場が輝きを取り戻すことはあるのだろうか。
 戦争や不況など不安の時代でも、人々は音楽や娯楽を求める。不安な生活だからこそ、希望と笑顔の糧になる音楽や娯楽がかけがえのないものになる。その音楽や娯楽に命をかける人々がいる。ピゴワルやジャッキーなど、シャンソニア劇場のスタッフだ。彼らは悪徳不動産屋のギャラピアと戦い、劇場の灯を守ろうとする。
 上質のミュージカル・コメディーでもある。当時のステージの再現は、楽しく見応えがある。劇場の装置や構造や演目には、「天井桟敷の人々」やハリウッド・ミュージカルへのオマージュが観察される。監督・脚本は「コーラス」のクリストフ・バラティエ、製作は祖父の代からの芸能一家出身で、俳優、監督でもあるジャック・ペラン。
 (村瀬 広・映画評論家)
 東京・シネスイッチ銀座、大阪・シネ・リーブル梅田ほかで5日公開
(
2009年09月03日,「赤旗」) (Page/Top

歴史に立ち向かうスペイン/1/抵抗の赤いバラ

 スペインの首都マドリード。東部にある市民墓地の一角で8月5日、フランコ独裁の犠牲になった若者の追悼行事がおこなわれました。死から70年ぶりの弔いでした。

若者たちの勇気
 ヒトラーとナチズムの脅威が欧州を席巻しつつあった1939年の同じ日、この場所で53人の若者たちが銃殺刑になりました。ほとんどがスペイン共産党と統一社会主義青年同盟のメンバーでした。そのうち13人は18歳から23歳の女性でした。
 両党の関係者やゆかりの人たちが集まって往時をしのび、ナチス・ドイツが後ろ盾となった独裁政治に抵抗を続けていた若者たちの勇気をたたえました。犠牲者の名を刻んだ碑が据えられました。
 若者たちが処刑されたのは、数日前に警察長官一家が暗殺されたことへの仕返しと見せしめのためでした。獄舎から引き出された彼らは、一日の即決裁判で「反逆への加担の罪」で死刑を宣告されました。
 彼らの名も処刑の事実も、長く封印されてきました。75年まで続いたフランコ独裁時代はもちろん、その死後78年に民主的な憲法が制定された後も、国家反逆罪の汚名を着せられたままでした。
 忘れられた出来事がようやく公にされたのは85年の新聞記事でした。その後、小説やドキュメンタリー映画「私の名は消せない」で世間の知るところとなり、関係者の間で名誉回復の運動が続けられました。
 その運動が結実したのが、一昨年12月に制定された「歴史の記憶に関する法律」でした。この法律は、スペイン内戦とその後のフランコ独裁の間に、政治的、思想的理由でなされたすべての裁判を「非合法」とし、刑罰、制裁、迫害を「不正義」と宣言。その犠牲者に名誉回復と認知を求める権利を与え、本人と遺族にたいし補償金と年金を国が支給するというものです。

法案制定に弾み
 国民党やカトリック教会など右派勢力の抵抗で成立が遅れていましたが、2004年の選挙で、米軍のイラク侵略戦争に加担した国民党のアスナール政権が敗北。戦争反対を押し出したサパテロ氏率いる社会労働党が政権を奪回すると、法案制定の動きに弾みがつきました。
 名誉回復された女性たちは「13の赤いバラ」と呼ばれています。その一人フリア・コネサさんは当時19歳。共和国政府で路面電車の車掌をしていました。死を前にして母親にこう書き送っています。
 「母さん、天国にいる姉さんとパパのところにいきます。わたしが死ぬのは誠実さのためだということを覚えておいてね。これからはキスも抱擁もしてあげられないけど、泣かないで。私の名は歴史から消えないのだから」
 (田中靖宏)

スペイン内戦
 1936年、共産党、社会党、共和党などが参加する人民戦線が選挙で勝利し、人民戦線政府が成立すると、右翼ファシストのフランコ将軍が反乱を起こして内戦状態に。独伊の支援をうけたフランコ軍が1939年に全土を制圧。1975年死去するまで独裁政治を続けました。
(
2009年09月03日,「赤旗」) (Page/Top

歴史に立ち向かうスペイン/2/おじいちゃんを探せ

 6月初め、ロンドンのスペイン大使館に7人の英国人が招かれました。スペイン内戦に参加した国際旅団のメンバーとその遺族たちです。
 国際旅団には、当時スコットランドとアイルランドを含め英国から約2000人が参加しました。

政府として感謝
 この人たちにスペイン政府として「感謝を示し、スペイン国籍と年金受給資格を与える」式典が行われました。2007年に成立した「歴史の記憶に関する法律」で、国際旅団の義勇兵にたいするスペイン国籍付与がきめられたことにもとづくものでした。
 スペインのEFE通信によると、カサフナー駐英大使が「みなさんのたたかいは、私たちの民主主義の基礎になっている」と感謝を表明。出席したサム・レッサー氏(94)があいさつしました。
 大学でエジプト史を専攻していた同氏は、国際旅団に志願して共和国の首都マドリード防衛戦に参加。敗北のあと1938年にバルセロナからスペインを離れました。そのときスペイン共産党幹部だったイバルリ女史(後の書記長、議長)が「平和のオリーブが咲いたら、また帰ってきてください」と見送ったことを昨日のことのように覚えていると述べました。
 6月末、スペイン会計検査院は、同院の施設に残されていたフランコ独裁時代の政治犯収容所についての3000箱分の資料をデジタル化し、「歴史の記憶資料センター」に送付したと発表しました。「フランコの奴隷」と呼ばれて収容所で強制労働を強いられた人びとの詳細な記録が公開されることになるといいます。
 この資料センターは「歴史の記憶法」が設置を決めたもので、本部はサラマンカ市におかれています。同法は内戦や抵抗運動の資料を集中し保存することをきめ(第20条)、これらの文書を閲覧し、必要な写しを取得する権利を市民に保障しています。

始まる名誉回復
 「記憶法」はまた、行方不明者や身元不明遺体の捜索と識別を行政の手でおこなうことを規定。これにもとづいて「歴史の記憶回復協会」などの手で全国で集団埋葬地の調査、掘り起こしが行われています。
 高校生たちが「おじいちゃんを探せ」という全国的な運動を組織して、行方不明になっている共和国運動や抵抗運動参加者の資料集めをしています。
 サンティアゴ大学のグループは3年がかりで、1万4000件の被害者リストにもとづいて、遺族たちからの聞き取り調査をして「歴史の再現」に取り組んでいます。
 スペイン内戦による共和国側の死者は推定15万人。さらに数万人の行方不明者、海外亡命者がいます。資料の公開にともなって、その遺族たち150万人以上が名誉回復の手続きを始めると報じられています。
 (田中靖宏)

国際旅団
 スペイン内戦の際、共和国政府が編成した外国人義勇兵による国際部隊。55カ国からのべ6万人が参加し、約1万人が戦死しました。米国人主体のリンカーン大隊やイタリア人主体のガルバルディ大隊などが有名。
(
2009年09月04日,「赤旗」) (Page/Top

歴史に立ち向かうスペイン/3/変わる「戦没者の谷」

 マドリード市議会は6月末、フランコ独裁の間に市がフランコ総統一族に贈った名誉市長など一切の称号を撤回することを決議しました。
 そのもとになったのは「歴史の記憶法」でした。同法は、公共機関に対してフランコ独裁の犠牲者の救済だけでなく、独裁時代を賛美する決議や決定、法律を廃棄するよう求めています。

右派議員も同意
 提案した統一左翼(IU)のヘルナンデス議員は「独裁者にこうした栄誉を与えたままにしておくのは、民主主義のためにたたかった人たちへの冒涜(ぼうとく)だ」と強調。右派の国民党議員も「フランコだけでなくあらゆる独裁政治に反対だ」と述べて拍手を浴びました。
 マドリード郊外にある「戦没者の谷」は1956年にフランコ総統がつくりました。反乱軍だけでなく共和国側の犠牲者も埋葬されていました。ファランヘ党など右翼勢力は、ここで内戦勝利とフランコ独裁を顕彰する儀式を毎年開催し、国威発揚≠ノ利用していました。
 歴史の記憶法はこの儀式を禁止しました。そして、施設を民主化後の憲法が基礎とする「価値観や平和、民主的記憶について学ぶ施設に改修」することを決めています。同法はまた、公共施設からフランコの軍事蜂起や内戦、独裁に関連する紋章や記章、プレート、関連する個人や集団を賛美する文言の撤去を定めています。

碑文や記念碑も
 各地にあったフランコの銅像は法制定以前にも撤去されていましたが、最後まで残っていた北部のサンテンデル市の中央広場にあった銅像も記憶法に基づいて昨年末、撤去されました。その後も、各地に残存する碑文や記念碑の撤去を求める運動が続いています。
 ただ歴史的な建造物の改修だけに、論争もおきています。リオハ州にあるラレドンダの聖マリア大聖堂もその一つ。大聖堂の壁面には「この日の蜂起で共産主義に勝利したスペインは帝国の平和を求め、フランコの下で偉大さを求めてたたかった」との碑文が刻まれています。
 州政府はそのまま残すとの方針ですが、共産党などIUは歴史の記憶法に基づいて、この碑文の撤去を求めています。
 大聖堂の改修には190万ユーロ(約2億5千万円)の補助金が支出されています。公的資金による改修である以上、大聖堂は「公共施設」に該当し、同法が適用されなければならない、というのがIUの主張です。
 そのほか公道に残った数多くの碑文の扱いについては、法解釈をめぐって政府内にも違いがあります。国防省が歴史的遺産として残すことを主張しているの対し、ゴンサレス文化相は、「遅い早いの違いがあっても撤去に例外があってはならない」と強調しています。
 (田中靖宏)
(
2009年09月05日,「赤旗」) (Page/Top

歴史に立ち向かうスペイン/4/ガルソン判事の挑戦

 スペイン全国管区裁判所のガルソン判事は11年前、チリの独裁者ピノチェトの人権侵害を追及して有名になりました。判事はその後も、各国の独裁政権による弾圧犠牲者の救済と責任追及を続けています。
 そのガルソン判事が昨年11月、歴史の記憶法に基づいて自国の内戦、独裁時代の人権弾圧について法的な調査を開始すると表明しました。歴史の記憶回復協会など、犠牲者の名誉回復を求める団体の要請に応えたもので、行方不明者の実態調査をする作業チームを立ち上げました。
 これに対して右派勢力から強い反発が起きました。極右組織「マノス・リンピアス(汚れなき手)」は今年初め、ガルソン判事の決定を「違法な越権行為」として刑事告発しました。

「歴史家の仕事」
 事後法で過去の犯罪を裁くことはできないとする刑法の不遡及原則や1977年の特赦法で、過去の責任追及ができないことを判事が知りながら、権限のない調査を命じたとの非難です。最高裁のプレゴ判事は8月、この訴えを受理し、訴訟手続きを始める決定をしました。
 同判事は8月6日、マスコミに「歴史的出来事を法律で整理したり命じたりすべきでない。それは歴史家の仕事であり、法によって断罪すべきものではない」と強調し、歴史の記憶法そのものに反対する立場を表明しました。
 こうした主張は、歴史の記憶法制定の過程を通じて右派勢力が一貫して行ってきたものです。
 もともとフランコ死後の民主化では、過去の責任を問わないことが暗黙の国民合意とされました。歴史の記憶法は、犠牲者の救済と名誉回復を求める勢力と個々の責任追及に及ばない範囲にとどめようとする勢力の、せめぎあいと妥協の産物という性格をもっています。

忌避を申し立て
 右派勢力からの攻撃に対し、スペイン人権協会は、独裁時代の人権侵害の重大性を強調。民主主義の発展にとって責任の明確化は避けられないと述べ、ガルソン判事への全面支持を表明しました。
 歴史の記憶回復協会の関係者は6月4日、自分たちもガルソン判事の協力者であり、被告として裁判手続きに関与すると表明。そのうえで最高裁の訴訟責任者の忌避を申し立てました。
 右派の国民党は、最高裁の決定を歓迎しています。法律家の間では「ガルソン判事の越権行為は否めない」とする人と「最高裁の決定は政治的すぎる」と批判する人々に分かれ、論争が続いています。
 歴史の記憶回復協会では、記憶法の制定後も、多くの妨害とのたたかいなしに真の犠牲者救済も名誉回復もできないと強調しています。
 (田中靖宏)
 (おわり)
(
2009年09月07日,「赤旗」) (Page/Top

「アンネの日記」全5回一挙放送/19日NHK教育

 
 8月、NHK教育で放送されたイギリス制作のドラマ「アンネの日記」が、19日(教育、土、後2・30〜5・0)に再放送されます。全5回を一挙に放送します。
 第2次世界大戦中、ユダヤ人へのナチス・ドイツの迫害が激しくなり、父・オットー(イアン・グレン)の営む食品会社の屋根裏に身を隠すアンネ・フランク(エリー・ケンドリック)の一家。家族や同居人たちが神経をとがらせるなか、アンネの救いは日記をつけることでした。
 物語は、同居する少年ペーター(ジェフ・ブルトン)への揺れる心や、おとなたちへの批判、少女の精神的な成長を描きます。
 なお、実物の「アンネの日記」は、7月30日、「世界記憶遺産」に指定されました。
(
2009年09月02日,「赤旗」) (Page/Top

登場/俳優ノラ・アルネゼデールさん/「幸せはシャンソニア劇場から」でヒロイン/歌姫役で歌唱力を発揮

 「私は歌と芝居しか出来ない」と言うけれど、歌も芝居も出来るのが強み。子どものころからジャズが好きでした。パリのダンススクールで、歌、ダンス、演技を学び、2007年に映画デビュー。2作目となる「幸せはシャンソニア劇場から」で才能豊かな歌手・ドゥースを演じました。
 監督は前作「コーラス」で、少年合唱団を描いた元ギタリストのクリストフ・バラティエ。歌える俳優ではなく、芝居が出来る歌手を探していたという監督の肥えた耳を満足させる歌唱力で、ばってきされました。
 1936年のパリ、不況で閉館した劇場をよみがえらせる人々の物語。舞台の花形であるドゥースは、さらなる飛躍を求め、一度は劇場を去りますが、仲間の窮地を知れば心揺れます。「彼女は自分の個人的成功より、皆で幸せになること、集団的な幸せを優先させますが、当時、左翼の政治にも『共有する、分配する』という愛があったのではないでしょうか」
 見所の一つに、当時のパリの生活を挙げます。反ファシズムの人民戦線内閣が成立するも、第2次世界大戦を3年後に控えた不穏な時代背景。タイトル通り、劇場の活況は町の人々に笑顔をもたらします。「第2次大戦中も、たくさんの人々が芝居を見に行ったといいますが、戦争の非人間的側面を忘れるためではないかと思います」
 本作のヒットで「フランスの次世代スター」と呼ばれるようになりました。「スターになられたそうですが…」と話を向けると、くすぐったそうに足をばたつかせる、まだ20歳。
 (田中佐知子)
 ◇
 5日からシネスイッチ銀座ほかで公開
(
2009年09月01日,「赤旗」) (Page/Top

原爆遺跡を追う/DVD「原爆ヒロシマ 被爆の街と被爆建物」を見て/御庄博実


深い傷跡が心に刻み込まれる
 20世紀の終わる年に、その100年のうち最大の事件は、ヒロシマ・長崎への原爆投下であったことが、世界の主要メディア71社の投票結果だとAP通信が伝えた。ちなみに、2位ロシア革命、3位ナチスのポーランド侵攻という。
 「原爆ヒロシマ 被爆の街と被爆建物」。戦前のヒロシマの平和な風景が、一瞬のうちに焼き溶かされて瓦礫の街になった傷跡を、150分のDVDは追い続ける。
 広島は軍都であったが、その日も満員の客をのせてチンチン電車は走っていた。35万の市民にはそれぞれの生活があった。学校、新聞、家族と子供たち。路面電車123両のうち108両が全半壊した。黒こげた遺体を抱いて腹を返した車両の間を縫って僕も知人を探して歩いた。
 「振り向くと社の窓という窓から全部火が吹き出ていた」という中国電力、中国新聞、自らも傷つきながら3万人を超える被災者を救援し続けた「いのちの塔」と呼ばれる日赤。唯一の百貨店・福屋も猛烈な爆風と熱線で「火事嵐」に見舞われたが8階の鉄筋ビルは「廃墟の中で厳然と残って」翌日からの救援・復興の中心となった。朝鮮戦争下で占領軍の圧力を跳ね返し「原爆反対」のビラが8階の窓から平和集会に向けて降ってきた。
 原爆投下後すでに64年が過ぎる。被爆者の平均年齢も74歳を超えて生き残る数も減ってきている。26万を超える被爆者の霊が慰霊碑に眠っている。今年も5600余名の被爆者名簿が追加された。
人間を抹殺できない/俺たちを抹殺できない/俺たちとは、だれか/俺たちとは追う者、追いかける者だ。/おまえたちの犯した事実を血まつりにあげて/おまえたちの生涯を審判する者だ=B(長谷川龍生・「追う者」より)
 今年4月には米国のオバマ大統領がプラハで「核兵器を使った唯一の国として、核兵器のない世界実現に努力する道義的責任がある」と歴史的な声明を発表した。「廃絶することにしか意味のない核兵器」の位置付けは確固としてきた。
 8月6日、広島のこども代表は「いまの私たちに出来ることは、小さな一歩かもしれません。けれど、私たちは、決してあきらめません。(中略)核兵器を放棄する本当の強さを持つために、原爆や戦争という闇≠ゥら眼をそむけることなく、しっかりと真実を見つめます」と平和を誓った。
ちちをかえせ ははをかえせ/としよりをかえせ/こどもをかえせ//わたしをかえせ わたしにつながる/にんげんをかえせ//にんげんの にんげんのよのあるかぎり/くずれぬへいわを/へいわをかえせ=i峠三吉『原爆詩集』の序)
 被爆の街「ヒロシマ」が語り続けている深い傷跡が心に刻み込まれるドキュメントである。
 (みしょう・ひろみ 詩人・医師)
(
2009年08月31日,「赤旗」) (Page/Top

第2次大戦開始あす70周年/独、200超す平和行事/左翼党など参加訴え

 ドイツでは第2次大戦の開始となったナチスドイツ軍のポーランド侵攻(1939年)の70周年に当たる9月1日を反戦の日・世界平和の日として、全国各地でデモや集会、シンポジウムや展示などさまざまな行動が計画されています。ポーランド政府が同日、侵攻の場となったグダニスクで開く式典にはメルケル独首相、プーチン・ロシア首相らも参加します。
 (夏目雅至)
 左翼党やドイツ労働組合総同盟(DGB)などは、反戦の日の行動への参加を呼びかけるメッセージを発表、ドイツ軍のアフガニスタン撤兵と核兵器廃絶を要求するとともに、ネオナチ台頭などに警戒を表明しました。
 ドイツの反戦平和団体情報を紹介している「平和共同ネットワーク」の30日までの集計によると、ドイツ国内でさまざまな課題を掲げて行われるデモや集会、展示会、講演会は当日の1日だけで108都市で137。前後して開催される行事を含めると220近くに達します。
 首都ベルリンでは、ポーランドからの参加者も加わって、DGBベルリン・ブランデンブルク支部の主催の討論会・朗読会などが開かれます。ドイツ最西端の都市アーヘンでは、恒例の「アーヘン平和賞」の授与式が行われ、ドイツ軍のアフガン派兵反対の行動を続けてきた団体「ベルリン・キャンペーン」が顕彰されます。
 また、第2次大戦中にナチス刑法で有罪とされた逃亡兵や抵抗運動参加者の刑を取り消し、名誉回復をはかる法律を9月8日に可決、成立させる予定。元受刑者や遺族の長年の運動が実ります。
 DGBは8月下旬の声明で、「ドイツ軍はアフガンで戦争にますます深く関与している。戦争は軍事手段では勝利できない」と強調し、ドイツ軍早期撤退を要求。連立政権内の社会民主党(SPD)との違いを際立たせました。声明は、オバマ米大統領の「核のない世界」へのイニシアチブへの支持を表明しドイツ領土からの核兵器撤去を要求しています。
 左翼党も、同党党員と支持者への反戦の日の行動への参加を求める呼びかけを発表。「開戦70年後の今も世界中で戦争と武力紛争が続いている」として、ドイツの戦争関与に憂慮を表明し、アフガンからの即時撤退とともに、ドイツの武器輸出禁止と核兵器廃絶を訴えました。
 カトリック系平和団体パックスクリスティも声明を発表、ポーランドとの平和友好、アフガン撤兵を呼びかけています。
(
2009年08月31日,「赤旗」) (Page/Top

新作DVD/ワルキューレ(米、08年)

 トム・クルーズがヒトラー暗殺を謀る高級将校にふんして歴史的事実に肉薄します。1944年7月20日に決行されたヒトラー暗殺計画は、ヒトラーへの反乱に備えて立案されていたワルキューレ作戦を逆用し、クーデターに突入。状況が抵抗派の不利になっていく一進一退に緊迫感が高まります。軍人たちの反ナチスの抵抗を現代に再現したのはブライアン・シンガー監督です。(ポニーキャニオン 3990円)
(
2009年08月30日,「赤旗」)

潮流

 スペインに13人の赤いバラとよばれる若い女性たちがいます。第2次世界大戦の直前、ナチスの支援をうけたフランコ独裁軍に抵抗し、銃殺されました▼その死から70年後の8月初旬、処刑があった同じマドリードの一角で追悼行事がおこなわれました。左翼諸党や関係者が往時をしのび、乙女の勇気をたたえました▼選挙で勝利した左翼の人民戦線政府軍とファシスト反乱軍との間でたたかわれた内戦。その後の軍事独裁の弾圧による犠牲者は、亡命者を含め十数万とも数十万ともいわれます。その人たちを探し出し、反逆罪の汚名をそそぐ運動が各地でおこなわれています。一昨年、成立した「歴史の記憶に関する法」に基づく活動です▼歴史の記憶法は、この期間に政治信条や思想を理由におこなわれたすべての刑罰と制裁、迫害を違法と宣言しました。犠牲者とその遺族への名誉回復と年金、賠償金の支払いが決められました。抵抗運動の資料センターが設置され、公共施設から独裁者の銅像やファシズム賛美の紋章、銘文が撤去されています▼歴史の記憶法は、後ろ向きだった右派の国民党政権が2004年の総選挙で退場。社会労働党が政権復帰したことで成立に弾みがつきました。9月に総選挙を控えたドイツでも、ナチスに反逆罪で迫害された犠牲者を名誉回復する法案が合意されています▼侵略戦争に反対し、主権在民を叫んで処罰された日本の治安維持法被害者たち。国による名誉回復ができる国に、一日も早く近づけたい。
(
2009年08月23日,「赤旗」) (Page/Top

映画/「縞模様のパジャマの少年」(英・米)/子どもから見た絶滅収容所

 8歳だ。子どもは何も知らない。昼間から縞模様のパジャマを着た子どもがなぜいるのか。やさしい父が、農場≠ナ何をしているのか。父の部下でかっこいいお兄さんがなぜ突然老人を殴りつけるのか。―問いつづける映画である。
 このブルーノ(エイサ・バターフィールド)は純粋なドイツ人。ナチス将校の父が昇進してベルリンから母と姉と移ってきた所は田舎で友だちもいない。遠くに農場らしい建物が見えて、煙を吐く煙突があって、時々ヘンな匂いがして。ある日、探検≠して森をこえた。農場があってフェンスの向こうにパジャマ姿の子ども(ジャック・スキャンロン)がいた―。
 「ブラス!」のマーク・ハーマン監督は子どもの目から見たユダヤ人絶滅収容所をとらえる。原作はジョン・ボイン。
 フェンスごしに同じ年の子どもはブルーノの友だちになった。パジャマ℃pで台所で働く男は「ちゃんとした人間じゃない」からだと父はいったがこの子はちがう。
 家庭教師と父の部下に感化されて姉はたちまちヒトラー少女≠ニなった。そんな変化にかかわりなく、おとなの目を盗んでフェンス通いをするブルーノのユダヤ少年への友情がスリリングだ。無邪気な二人の会話に希望も感じさせる。父の昇進を喜び仕事を信頼してきた母が煙≠フ正体を知って異常になる。
 ドイツの典型的な家族によって、今何が起きているのかということに目をそむけた戦時下ドイツ人の真実があかされていく。ブルーノは一度、友だちを裏切った。その痛みが次の行動となり希望のいきつく先となる。ここにこの作品のすごさがあり、非人間性を裁く映画となって胸を打つ。
  (石子順・映画評論家)
 東京・恵比寿ガーデンシネマほかで上映中
(
2009年08月20日,「赤旗」) (Page/Top

たび/福井・敦賀/国際港の面影と名勝気比の松原

 湖北路を訪ねた帰りに、日本海が見たくなって敦賀へ。木ノ本駅を出ると、車窓は今までののどかな琵琶湖の景観から、グッと山が迫る山間へと一変します。
 やがて滋賀と福井の県境の深坂トンネルを抜け、まもなく敦賀です。
 敦賀は、かつて中国やシベリアとの直通航路も開かれた国際港でした。市内散歩は後にして、まずは敦賀湾に面した気比の松原に、駅前から車で向かいます。
 白砂の浜に立つと、海水浴を楽しむ家族連れ、こんなに澄んだ青空は珍しいとカメラを構える男性、波打ち際を散歩するカップル…思い思いに美しい海岸を楽しんでいます。深く切れ込んだ敦賀湾、水平線ははるかかなたにかすんでいました。
 浜辺から松林に足を向けると、赤松や黒松が涼しい木陰をつくり、吹き抜ける乾いた風がさわやかです。眺めていると地元の人が「私が子どものころは、松林は今よりもっと生い茂っていたので昼間でも暗かったよ、怖いくらいにね」と言って行き過ぎました。害虫や台風の被害で本数も減ったとか。それでも赤松・黒松約1万7千本が茂る、国の名勝地です。
 気比の松原からは、町の中心までブラブラ散歩を楽しむことに。
 笙の川に架かる港大橋を渡ると、戦火をまぬがれた川崎町の軒を連ねる家並みが旅情を誘います。陰陽師安倍晴明にちなんだ晴明の朝市通りから、再びベイエリアへ。
 目に留まる洋館はとんがり屋根が印象的な旧敦賀港駅舎。かつて「欧亜国際連絡列車」の発着駅でした。
 この先の美しい緑の芝生が金ケ崎緑地。敦賀湾を望む市民の憩いの場所です。その中に、港を正面に望んで敦賀ムゼウムがあります。
 第2次大戦中、当時リトアニア領事代理・杉原千畝は、人道的立場からポーランド系ユダヤ人に日本通過ビザを発給。敦賀港に上陸した人々はナチスの迫害から逃れることができました。館内にその「命のビザ」(複製)を展示しています。
 敦賀湾は、杉原氏の心の優しさを映すかのように、穏やかな表情を見せていました。
 金ケ崎緑地をひとめぐりして、道路を挟んだ反対側、港の東側にある赤レンガ倉庫へ。
 1905年外国人技師の設計で建てられました。今は倉庫に近づくことはできませんが、色あせた赤レンガ壁に、貿易でにぎわった敦賀の港を垣間見た思いがします。
 この通りを、気比の松原からの戻りに渡った港大橋へと歩けば、上下にひさしがついた窓が特徴の古い倉庫群が並んでいます。
 敦賀駅へは「銀河鉄道999」などキャラクターのモニュメントを見ながら歩いて行こう…。
 市川礼子

【交通】北陸線敦賀駅下車。観光ポイントへはコミュニティバスはぎ号が便利
【問い合わせ】敦賀観光協会рO770(22)8167
(
2009年08月16日,「赤旗」) (Page/Top

山田和夫の映画案内/硫黄島からの手紙/日本兵の悲劇を直視した力作

 クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」(2006年)。太平洋戦争末期の硫黄島攻防戦を第1部「父親たちの星条旗」で米側から描いた監督が、この第2部では日本側に照明を当て、日本軍の非合理な戦闘、兵士たちの悲劇を直視した力作。とくに召集令状で引き裂かれる家族の悲痛が胸をつく。
 浦沢直樹のヒット・コミックスを実写化した大作「20世紀少年第1章終わりの始まり」(08年)。少年時代の友人グループが成人してカルト教団「ともだち」の恐怖に立ち向かう。大がかりな物語仕立ての割に空虚な感じが…。堤幸彦監督。
 「クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち」(04年)。キリストになぞらえた陰惨な殺人事件の謎。ジャン・レノら主演、オリビエ・ダアン監督のフランス・ミステリー。
 カーアクションの犯罪映画「トランスポーター2」(05年)も。
 NHK衛星には黒木和雄監督晩年の反戦映画力作「TOMORROW/明日」、ナチスの戦争犯罪と米の国益による変節をつく力作「ニュールンベルグ裁判」(スタンリー・クレーマー監督)も。
 (映画評論家)
(
2009年08月14日,「赤旗」) (Page/Top

戦後64年独で戦犯追及/ナチス元少尉に終身刑/「伊で民間人10人殺害命じた」

 ドイツのミュンヘン地方裁判所は11日、第2次世界大戦中の1944年にイタリア中西部トスカーナ州で民間人10人の殺害を命じたとして、ナチス・ドイツ軍元少尉のヨゼフ・ショイングラバー容疑者(90)に終身刑を言い渡しました。ドイツでは戦後64年を経過した今も、戦争犯罪に対する追及が続いており、7月には米国に在住していたナチス収容所元看守がドイツ司法当局に引き渡され、近く裁判が始まります。
 (夏目雅至)
 ショイングラバー容疑者指揮下の部隊は、44年6月26日、2人のドイツ兵が死亡したイタリアの抵抗運動パルチザンによる攻撃への報復として、同州アレッツォ近郊の村ファリツァノ・ディ・コルトナで74歳の女性を含む民間人4人を射殺。さらに11人を拘束して民家に閉じ込め、家ごと爆破、重傷を負いながらも助かった当時15歳の少年を除く10人を殺害しました。
 この少年が裁判で証言しました。地裁判決は4人射殺については、証拠不十分としています。
 同容疑者は戦後、ミュンヘン近郊のオットーブルン村で家具商を営み、村議会議員を務めていました。しかし、イタリア軍事法廷は2006年9月、ファリツァノの虐殺容疑で同容疑者に欠席裁判で終身刑を判決。同容疑者は、ドイツ国籍のため外国への身柄引き渡しはできませんでしたが、ドイツ検察当局は08年10月、同容疑者をミュンヘン地裁に起訴していました。
 ロイター通信によると、ナチス戦犯を追及しているサイモン・ウィーゼンタール・センターのエルサレム事務所は声明を発表、「歳月は犯罪者の罪を軽減することはなく、高齢であることは殺人者の法的保護にはならないとの見解を強めるものだ」と判決を歓迎しました。
 米国から身柄引き渡しを受けた元看守、ジョン・デムヤンユク容疑者も89歳の高齢者。ウクライナ生まれで、ソビボール収容所(現ポーランド東部)など3カ所のナチス収容所で、ユダヤ人2万7900人の殺害に関与したとされています。
(
2009年08月14日,「赤旗」) (Page/Top

アフガン派兵独総選挙の争点に/世論は撤退を支持/継続の与党を追い詰める

 1カ月半後に総選挙が迫ったドイツで、アフガニスタン派兵の継続か撤退かが争点の一つに浮上しています。国民の過半数が撤退を求める世論調査結果も相次ぎ、派兵継続を訴える政府・与党を追い詰めています。
 (片岡正明)
 比較的治安が安定しているといわれたアフガン北部で、今年の春以降、反政府武装勢力タリバンによるドイツ兵を狙った爆弾テロや銃撃などが目に見えて増えました。6月22日には3人の兵士が攻撃され死亡。戦闘で亡くなったドイツ兵は35人を数えました。

重火器を投入
 これに対し、ドイツ部隊はアフガン政府軍と共同のタリバン掃討作戦に打って出ました。初めて軽戦車や装甲車、迫撃砲などの重火器を投入し、ドイツ部隊300人とアフガン政府軍900人が7月いっぱい、作戦を繰り広げました。
 マスコミではドイツ第一テレビ(ARD)が「これは戦争だ」との見方を紹介。保守系のビルト紙日曜版は「あと何人、ドイツ兵は死ななければならないのか」とショッキングな見出しで戦争の内容を問いました。
 マスコミの世論調査でも、アフガン撤退を求める人は、6月に調査した『シュテルン』誌で61%、ビルト紙日曜版8月9日号で55%、7月末の英BBCの報道で約70%と、いずれも過半数です。

強い抵抗感が
 ナチス・ドイツの侵略戦争を否定することから戦後を歩んだドイツでは、戦争に踏み込むことには強い抵抗があります。政府の説明では、ドイツ部隊はもともとアフガン復興や人道援助の手助けとして、平和維持を目的に派遣されたはずでした。それがいつの間にか、本格的な戦争に巻き込まれています。
 連邦議会では、左翼党が「戦争は憎しみを増すだけだ。直ちに撤退を」と主張。90年連合・緑の党は「政府は軍の任務を限定すべき」とドイツ部隊の軍事行動にくぎをさしています。
 しかし、ドイツ政府はこの間、一貫して「アフガン安定化とテロとのたたかいに必要だ」(メルケル首相)と派兵を正当化。北大西洋条約機構(NATO)の求めるアフガン増派に応えてきました。

ドイツのアフガニスタン派兵
 ドイツは国際治安支援部隊(ISAF)派遣には応じてきましたが、戦闘の激しい南部や西部への派兵は拒否。アフガニスタン北部のクンドゥズなどにISAFとして4500人を駐留させ、別に早期警戒管制機AWACS要員として300人を確保しています。
(
2009年08月13日,「赤旗」) (Page/Top

本立て/アイヒマン調書/ヨッヘン・フォン・ラング編

 ナチス・ドイツのユダヤ人大量虐殺の責任者、アドルフ・アイヒマン。第二次世界大戦終結後、60年に逃亡先のアルゼンチンで逮捕されます。翌年、イスラエルで275時間にわたったアイヒマン裁判で、イスラエル警察のレス大尉の尋問に答えた記録です。
 ハンガリーから40万人のユダヤ人をガス室に送りながら、「命令によって」「命令を受けるだけの立場だった」をくり返すアイヒマン。彼が「凡人と変わらない人物」であっただけに、時代が必要とすれば彼のような人物が再び出てくる、と編者は危ぐします。
 (岩波書店 税別3400円)
(
2009年08月09日,「赤旗」) (Page/Top

「アンネの日記」世界記憶遺産に

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)は7月30日、世界の貴重な資料の保存と認知度向上を目的とした「世界記憶遺産」に「アンネの日記」が登録されると発表しました。
 「アンネの日記」は、アンネ・フランクが第2次世界大戦中にナチス・ドイツの迫害を逃れて送った隠れ家生活の記録。ユネスコは「世界中で読まれた書籍トップ10のうちの1冊」としています。
 今年はこのほか、英国憲法の基礎となった「マグナカルタ(大憲章)」や、タイの近代化に尽力した元国王ラマ5世(チュラロンコン王)の政策を記した文書など35点が新たに加わります。
 ユネスコの世界遺産認定活動の一環として1995年に創設された「世界記憶遺産」は、専門家委員会の勧告をもとに選ばれます。これまでにベートーベンの交響曲第9番など158点が登録されていますが、日本からの登録はありません。
(
2009年08月05日,「赤旗」) (Page/Top

平和願い、各地で催し/平和とうろう集会積み上げを/広島県文団連

 広島県文化団体連絡会議(文団連)は2日、広島市中区で「第26回平和とうろう集会」を開き、約70人が参加しました。広島の文化団体による原水爆禁止世界大会として毎夏、開いているもの。
 参加者全員で「青い空は」を合唱してオープニング。丸屋博代表委員は「アメリカのオバマ大統領が核兵器をなくすと発言し、戦争勢力に大きなショックを与えた。平和集会を積み上げていくことが、核兵器廃絶の大きな力になる」と開会のあいさつをしました。
 6日の原水爆禁止2009年世界大会の広島大会で上演する、原爆投下を告発した合唱構成が披露され、田村栄子元佐賀大文化教育学部教授が「ナチスとは何であったか―ワイマール憲法、ナチスの政権掌握、ホロコースト」と題して講演しました。
 各団体からの活動報告があり、広島詩人会議は原爆詩人の峠三吉の詩を朗読しました。
(
2009年08月04日,「赤旗」) (Page/Top

試写室/海外ドラマアンネの日記/NHK教育後7・0/少女の精神的自立を描いて…

 これまで何度もドラマ化されたこの日記、今回はイギリスの制作で、全5回。演出ジョン・ジョーンズ、脚本デボラ・モガー。
 1942年、アムステルダム。アンネ・フランク(エリー・ケンドリック)は、13歳の誕生日に家族から日記帳を贈られた。ナチスの迫害で友だちとも会えなくなっていた彼女は、架空の親友キティーに語りかけるように日記をつけ始める。
 数週間後、ナチスからの出頭命令が届いた。一家は父親の会社の屋根裏に身を隠す。階下に人がいる日中は、会話もトイレの水を流すのもままならない。緊張だらけの暮らしは家族や同居人たちの神経を次第にいら立たせるが、アンネの救いは日記だった。
 争いの絶えないおとなたちへの批判や子ども扱いされる不満、同居する少年ペーター(ジェフ・ブルトン)への揺れる心などをキティーに打ち明けながら、自分を客観視するようになってゆく…。
 少女の精神的自立の物語でもあるこの作品、ぜひ親子で見ていただきたい。それにしても、ここに登場する人ほとんどが数年後に抹殺される運命だったと思うと心が凍る。
 (口山衣江 ライター)
(
2009年08月03日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/シモン・ゴールドベルクと日本

 ヴァイオリニストのシモン・ゴールドベルクは1909年、ポーランドに生まれた。生誕100年の今年、EMIが5枚組CD「シモン・ゴールドベルクの遺産」を発売、ユニバーサルからは6種類のCDが再発された。かねて清澄で格調高い演奏には定評がある。
 前妻の死後、3度目の来日時に通訳を務めたピアニスト山根美代子と88年に再婚。93年までの最晩年を富山県の立山で暮らした親日家でもあった。
 ゴールドベルクは29年、20歳でベルリン・フィルのコンサートマスターに抜てきされる名手だった。だが、ユダヤ人だったため、ナチスの政権掌握のもとで、34年に英国へ亡命をよぎなくされた。その後、ピアニストのリリー・クラウスと演奏活動を展開し、36年には来日もした。ところが42年、ジャワ島での演奏旅行中、侵攻した日本軍の憲兵に捕らえられ、45年までの3年間、収容所生活を強いられた。その間、ヴァイオリン演奏からは遠ざけられた。
 EMI盤の青澤唯夫氏の解説によると、彼は美代子夫人に「生涯に2度、日本人に捕らえられた」と語っていたそうだ。1度目は日本軍のこと、2度目は夫人のことをさす。
 その足跡にファシズムと戦争が影を落としていたことは、記憶しておきたい。
 (弩)
(
2009年08月03日,「赤旗」) (Page/Top

石子順のにちようシネマ館/セントアンナの奇跡(米・伊)

 スパイク・リー監督が初めて黒人兵の戦争体験を描きました。
 1983年、ニューヨークで殺人事件が起こり、画面は一気に44年のイタリア戦線へ。ヘクター(ラズ・アロンソ)たち4人の黒人兵はイタリア人孤児を助けたためにある村に。そこは村人の対独抵抗組織(パルチザン)とドイツ軍との戦場でした。
 敵とたたかうだけでなく米軍の中の差別ともたたかう黒人部隊の、過酷な状況をとらえます。異郷でイタリア人と接して初めて人種差別からぬけ出せた兵士たちの解放感があふれます。ナチス・ドイツ軍のトスカーナ地方での住民虐殺の事実も描きます。兵の一人がお守りとして持ち歩く女神彫像の壊れた頭部の秘密。40年近くかかって明かされていく戦争の傷跡の痛みがしみてきます。
(
2009年07月26日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/『1Q84』とヤナーチェク

 村上春樹の小説『1Q84』の大ヒットに伴い、そこにくり返し登場するヤナーチェクの管弦楽曲「シンフォニエッタ」のCDが売れ行きを伸ばしているという。1巻で女性主人公の青豆が購入するジョージ・セル指揮クリーブランド管弦楽団や、2巻で男性主人公天吾が聴く小澤征爾指揮シカゴ交響楽団のCDは、急きょ追加プレスされたそうだ。
 ヤナーチェクは1854年、チェコのモラビアに生まれた。チェコは第1次世界大戦までオーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあった。1926年作曲の「シンフォニエッタ」について、巻頭の一節が印象深い。
 「冒頭のテーマはそもそも、あるスポーツ大会のためのファンファーレとして作られたものだ。青豆は一九二六年のチェコ・スロバキアを想像した。第一次大戦が終結し、長く続いたハプスブルク家の支配からようやく解放され、人々はカフェでピルゼン・ビールを飲み、クールでリアルな機関銃を製造し、中部ヨーロッパに訪れた束の間の平和を味わっていた」
 ヤナーチェクの音楽からは民族的熱気がほとばしる。だが、チェコはやがてナチス・ドイツに支配される。その音楽は「システム」にあらがい翻弄される主人公の胸中と重なるのだろうか。
 (弩)
(
2009年07月24日,「赤旗」) (Page/Top

新作DVD/ニュールンベルグ裁判(米、61年)

 48年にドイツで開かれたナチスの戦犯を裁く国際軍事裁判を描く3時間の大作。スタンリー・クレイマー監督は、元法務大臣らの戦争犯罪に焦点をあてます。証言と検事対弁護士の白熱した法廷描写で戦争と人間の内面にまで迫ります。裁判で「生命の重さ」を思い起こしてほしいという裁判長の言葉が響きます。発売中。(20世紀フォックス ホーム エンターテイメント ジャパン 3990円)
(
2009年07月19日,「赤旗」) (Page/Top

週間日誌/09年7月12日〜18日


政治・経済
 ◆都議会議員選挙、共産党得票70万票 東京都議会議員選挙で、日本共産党は8人が当選、前回より2万7402票ふやし、70万7602票得票(12日)
 ◆衆院外務委員長、日米核密約を確認 衆院外務委員会の河野太郎委員長が記者会見で、村田良平元外務事務次官と面会し、核兵器を搭載した米軍艦船・航空機の日本への立ち入りを認めた日米核密約を確認(13日)
 ◆改正臓器移植法が成立 臓器提供時に限って「脳死を人の死」としていた現行法をあらため、一律に「脳死は人の死」とし、本人の同意なく臓器移植を可能にする改正臓器移植法が、議論不十分のまま、参院本会議で可決・成立(13日)
 ◆日銀、企業支援を延長 日銀は金融政策決定会合で、社債の買い取りなどの企業金融支援策を3カ月延長することを決定(15日)
 ◆工作機械受注8割減 日本工作機械工業会は09年1〜6月期の工作機械受注が前年同期比81%減の1481億円に激減したと発表。過去最低を大幅に割り込む(15日) 

社会・国民運動
 ◆シンドラー元部長ら起訴 2006年に都立高校2年生が死亡したエレベーター事故で、製造元のシンドラーエレベータ社元部長らを業務上過失致死容疑で在宅起訴(16日)
 ◆就職連絡会が政府・経済団体に要請 高校・大学生、青年の雇用と働くルールを求める連絡会(就職連絡会)が来春新卒者の求人確保や内定後の就職保障を求め国会内集会。厚生労働省や文部科学省、中小企業家同友会全国協議会などに要請(16日)
 ◆大雪山系で10人が遭難死 北海道大雪山系のトムラウシ山と美瑛岳に登っていたツアー客ら2パーティーと1人が遭難し、10人が死亡。当時十勝地方には強風注意報が出ていた。北海道警が業務上過失致死の疑いで捜査(17日)
 ◆西松建設判決で「小沢氏側の影響力」認定 西松建設の偽装献金事件で、東京地裁が元社長国沢幹雄被告に禁固1年4月、執行猶予3年を言い渡し。公共工事の受注業者決定に強い影響力を持つ小沢一郎民主党前代表秘書との関係を築くためだったと認定(17日)

国際
 ◆ユダヤ人虐殺関与で起訴 ドイツ南部ミュンヘンの検察院が、ナチス・ドイツの強制収容所元看守ジョン・デムヤンユク容疑者(89)を、ユダヤ人2万9000人の殺害に手を貸したとして、殺人ほう助罪で起訴したと発表(13日)
 ◆三宅一生氏が核廃絶訴え 世界的な日本のデザイナー、三宅一生氏が米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)に寄稿し、「核兵器のない世界の実現」を呼びかけたオバマ米大統領の演説に感銘を受けたとして、広島での自らの被爆体験も紹介し、核兵器廃絶と世界平和の実現を訴え(14日)
 ◆非同盟諸国、核廃絶で呼応 エジプトのシャルムエルシェイクで開かれていた第15回非同盟諸国首脳会議(写真、ロイター)が「シャルムエルシェイク宣言」を採択し閉会。「宣言」は「非核の世界」実現に向けた最近の核大国指導者の誓約に前向きに対応すると公約(16日)
 ◆印パ首相が会談 インドのシン首相とパキスタンのギラニ首相が、非同盟諸国首脳会議への出席のため訪れたエジプトで会談し、「対話が唯一の道」とする共同声明を発表(16日)
(
2009年07月19日,「赤旗」) (Page/Top

山田和夫の映画案内/XーMEN/人類共存のメッセージ込め

 異色作「ユージュアル・サスぺクツ」などのブライアン・シンガー監督作品「X―MEN」(2000年)。DNAの突然変異で生まれた超能力人間ミュータント≠ェ善悪に分かれ、人類滅亡をかけて死闘。ヒュー・ジャックマン、イアン・マッケラン、ハル・ベリーらぜいたくな配役とハイテク特殊効果で見せ、人類とミュータントの共存というメッセージも。
 「踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」(03年)。織田裕二主演の新作公開を記念して、前週の第1部に続いて、たくみなサスペンス仕立て、現場対キャリアの対立のおもしろさ。本広克行監督。
 「ザ・グリード」(1998年)。深海のモンスターが豪華客船をおそうパニックとホラー。スティーブン・ソマーズ監督。
 NHK衛星はエルサルバドル内戦における少年兵の運命を描く力作「イノセント・ボイス 12歳の戦場」、イスラエルにおけるユダヤ人の人種差別をつく「約束の旅路」、ナチスの暗号解読機をめぐる米独潜水艦の死闘「U―571」ほか。
 (映画評論家)
(
2009年07月17日,「赤旗」) (Page/Top

元収容所看守を起訴/ユダヤ人2万9000人虐殺関与/ドイツ

 ドイツ南部ミュンヘンの検察院は13日、ナチス・ドイツの強制収容所元看守ジョン・デムヤンユク容疑者(89)を、ユダヤ人2万9千人の殺害に手を貸したとして、殺人ほう助罪で起訴したことを明らかにしました。ドイツではナチスの重大な戦争犯罪については時効をなくし、容疑者が生きている間は刑事責任を追及しています。
 同容疑者は、ウクライナ生まれ。旧ソ連軍に従軍中の1942年にナチス・ドイツ軍の捕虜となり、ナチス親衛隊に参加、44年まで強制収容所で看守を務めました。ミュンヘン地裁は、同容疑者が現在のポーランドにあったソビボール絶滅収容所でユダヤ人虐殺に関与したとして、ことし3月、国際逮捕状を発行。これに応じた米司法当局が5月12日に身柄をドイツ側に引き渡していました。同容疑者は戦後、ドイツで暮らしていましたが、51年に米国に移民、58年に米市民権を取得しました。
 その後70年代に、同じくポーランドにあったトレブリンカ絶滅収容所の看守だったとして告発され、イスラエルで88年に死刑判決を受けました。しかしイスラエル最高裁は93年、別人だった可能性があるとして判決を取り消しています。
 しかし米司法省は99年に、ソビボール収容所など三つのナチス収容所で看守をしていた証拠が見つかったとして同容疑者を再告発しました。
 ナチス戦犯追跡で有名なサイモン・ウィーゼンタール・センターは同容疑者を生存しているナチス戦犯リストのトップ10の1人に挙げています。
(
2009年07月15日,「赤旗」) (Page/Top

NHK台湾番組/右派の介入エスカレート/言論の自由守れ/市民団体

 公共放送のNHKが掲げる「自主・自律」の看板が、大きな危機にさらされています。日本の台湾植民地統治の実態を描いた「シリーズ・JAPANデビュー第1回『アジアの一等国=x」(4月5日放送)が「反日的」だとして、自民党国会議員が議連を立ち上げ、6月下旬に8000人がNHKを集団提訴。このような右派勢力の圧力と介入に、市民団体やジャーナリスト、放送研究者らが「言論の自由を守れ」と立ち上がっています。

「第一級史料に当たり制作」
 4日、NHK福岡放送局で開かれた「視聴者のみなさまと語る会〜NHK経営委員とともに」。公募の視聴者から経営委員や執行部が直接意見を聞く会合のなかで、集団提訴の「原告」を名乗る男性が「番組が偏向しているという声にどう答えるのか」と迫りました。
 NHKの日向英実放送総局長は「事実関係を調べた結果、間違いは発見されていない」と回答。小丸成洋経営委員長も「経営委員は放送法により個別番組の編集に立ち入ることはできないが、事実を曲げたことは一切ないと執行部から説明を受けた」と語りました。
 自民党議員や右派勢力がやり玉にあげているのは@日本はインフラ整備などいいことをした点を取り上げていないA「日台戦争」「人間動物園」などの用語は使われていないB台湾人へのインタビューが意図的に編集された、というもの。
 これに対し、NHKではホームページ上で番組の姿勢や事実関係について丁寧に説明しています。番組は、日本の台湾統治50年を記録した2万6千冊におよぶ「台湾総督府文書」など第一級の一次史料に当たり、Aのような用語に間違いはないこと、Bも不適切な取材はなく、「当人からも抗議を受けていない」としています。
 福岡の「語る会」で、経営委員の安田喜憲さんは「個人的な見解」と断りながらも、番組の意義を語りました。
 「植民地で(日本の待遇が)いかに良くても、それが善ということではない。21世紀の未来に、強い民族が弱い民族を支配するような植民地の時代を二度と引き起こしてはならないという見識が、番組の底流に流れていると思います」
 しかし、右派勢力の攻撃は激しさを増しています。5月に行われた東京・NHK放送センターへのデモで、約100人が放送局内に侵入。自民党国会議員の議連の立ち上げや集団提訴と歩調を合わせるように、千葉県議会では7月8日、「NHKの偏向報道に関する調査と行政指導」を総理大臣と総務大臣に求める意見書を、自民党が可決強行しました。
 メディア研究者の松田浩さんは「かつてない危険な流れ」と警鐘を鳴らします。「地方議会であろうと、個別番組について総務大臣に圧力を求めることは放送法違反。集団訴訟も含め、ファシズム的な動きを感じます」

圧力へ、き然とした対処要請
 松田さんら研究者・学者、ジャーナリスト、各地の市民団体が共同して「開かれたNHKをめざす全国連絡会」をこのほど結成。7日にNHKを訪れ、福地茂雄会長はじめ理事、職員、経営委員あてに激励のメッセージと「圧力」にき然と対処するよう求めた要望書を提出しました。
 提出後に開いた記者会見で、世話人の岩崎貞明さん(『放送レポート』編集長)は「番組への評価は自由だが、大勢で局に乱入したり、個別番組で司法を利用するのは表現の自由の範囲を逸脱している」と右派勢力の動きを批判。
 醍醐聰さん(東大教授)は「NHKと制作現場への何よりの激励は、番組が伝えたかったことを私たちが積極的に評価すること」だと述べました。
 松田さんは、番組を攻撃している中心に安倍晋三元首相や中川昭一前財務・金融相らが座るなど、「2001年のETV番組が改変された事件の構図と似ている」と指摘して言います。
 「圧力で公共放送のNHKを右寄りに変えようという意図が、前回より大がかりになっています。今回は単なるNHK攻撃でなく、放送の自由と日本の言論活動そのものへの攻撃だと考えていただきたい」
(
2009年07月14日,「赤旗」) (Page/Top

ナチス政権下の「国家反逆罪」名誉回復へ新法/来月成立/左翼党、与党動かす/ドイツ議会

 ドイツ連立政権与党のキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)と社会民主党(SPD)は、第2次大戦下でナチス政権に「国家反逆者」との汚名を着せられた軍人や民間人を名誉回復する新法を8月末までに成立させる方針を確認しました。保守与党CDU・CSUのカウダー連邦議会(下院)議員団長が6月末明らかにしました。
 新法の目的は、ナチス時代に処刑された人も含め、脱走や国家反逆の罪名で有罪とされた人々全員の名誉回復。生存者や遺族などの声を受け、野党の左翼党がこの数年間、新法制定の動きを強めてきました。
 CDU・CSUが立法化に消極的で、拘束力のない下院決議に固執してきました。しかし左翼党が提出した法案に90年連合・緑の党が同調し、社民党議員60人も支持を表明。1日までに下院614議員の内、全政党にまたがる162議員が支持を明らかにしました。社民党も会派としての支持に傾き、CDU・CSUは最終的に政府としての法案提出を余儀なくされました。
 カウダー氏によると、政府案は社民党との与党内協議で数日内に起草され、9月の下院選挙の運動期間が始まる直前の8月26日の成立を目指します。政府法案提出で左翼党の法案は取り下げられます。
 歴史学者の調査・研究によると、ナチス軍事法廷は軍人、民間人約3万人に死刑を言い渡し、うち3分の2の人々が実際に処刑されました。ナチスは、脱走や反逆罪などの罪名を、政治的反対派やユダヤ人を虐待から守ろうとした人々を抹殺するために使いました。戦後歴代政府は東西分断時代を含め、補償問題などが生じることから名誉回復に消極的で、判決の多くは取り消されることがありませんでした。
 左翼党のコルテ議員は「戦後64年にしてやっと連邦議会はもはやあなた方の父親や祖父を反逆者として扱っていない≠ニのメッセージを遺族に伝えられる時がきた」と政府法案提出を歓迎しました。
 (夏目雅至)
(
2009年07月04日,「赤旗」) (Page/Top

戦争と平和を考える/NHK夏の特集番組/核兵器廃絶へ世界の訴え/開戦から敗戦まで証言構成

 戦後64年。NHKは8月、戦争と平和≠考える番組を特集します。

ドキュメンタリー
 「ヒロシマ 少女たちの日記帳〜8時15分までの物語」(6日、NHKテレビ、後8・0)。広島第一高等女学校の1年生223人は、爆心地から0・6`地点で建物疎開の作業中に被爆、全員が亡くなりました。残された日記帳には、戦争に追い詰められながらも精いっぱい生きる少女たちの日常がつづられていました。再現ドラマと日記、遺族の証言をもとに生徒たちの悲劇を描きます。
 NHKスペシャル「大地に刻まれた核=`旧ソ連・核実験村からの警告(仮)」(6日、NHKテレビ、後10・0)。旧ソ連の核実験場があったカザフスタン東部のセミパラチンスク。467回の核実験が繰り返され、150万人が被害に遭ったとみられています。広島の科学者らによる調査で、残留放射能による被ばくと、体内に放射性物質を取り込んだ内部被ばくの脅威が明らかにされます。
 「ノーモア・ヒバクシャ〜核兵器のない世界を目指して」(7日、NHKテレビ、後7・30)。アメリカのオバマ大統領が核兵器のない世界を宣言。広島・長崎をはじめ、核実験場の周辺で被ばくした人々が連携し、行動を始めています。広島、長崎、セミパラチンスク、アメリカを中継で結び、ノーモア・ヒバクシャ≠フ訴えを生放送で発信します。
 「渡辺謙 アメリカを行く 日米の狭間に生きたヒバクシャたち」(7日、NHKテレビ、後10・0)。在米被爆者の戦中戦後史を、渡辺謙のリポートで伝えます。
 「あの日 僕らの夢が消えた〜幻の被爆学校$カ徒たちの64年(仮)」(8日、NHKテレビ、後10・0)。爆心地からわずか500bで被爆した長崎の旧制・鎮西学院中学校。60年以上を経て消息が判明した当時の生徒たちを追います。
 「戦争 家族の肖像〜あの時・私たちはどう生きたのか」(14日、NHKテレビ、後7・30)。太平洋戦争における日本人犠牲者は330万人。戦闘だけでなく多くの兵士が飢餓で倒れ、空襲で女性や子ども、高齢者など市民も犠牲になりました。これまでNHKが記録してきた元兵士や市民、200人を超える証言を基に、真珠湾から敗戦に至る過程を立体的に再構成、太平洋戦争の現実に迫ります。
 「日本の、これから」(15日、NHKテレビ、後7・30)。「終戦の日」の夜に「核」について市民と有識者が討論します。

ドラマ
 ドラマ「アンネの日記」(3日〜7日、教育、後7・0)。ナチスから逃れ、アムステルダムで家族と隠れ住んだ少女アンネ・フランクの生活を、ドキュメンタリー・ドラマで再現します。
 NHKスペシャル終戦ドラマ「気骨の判決」(16日、NHKテレビ、後9・0)。1945年、「翼賛選挙は無効」と断じる判決を出した大審院(今の最高裁)判事・吉田久たちの生き様を描きます。東条英機内閣のもとでの総選挙では、政府に非協力的な候補者に露骨な選挙妨害が行われました。吉田は真相を究明すべく鹿児島で大量の証人尋問を断行。「なぜ人々は戦争を支持するのか」と苦悩しながら、思いを判決に注ぎ込みます。NHK大分放送局・清永聡記者のノンフィクションをもとに脚本を西岡琢也が担当。演出・柳川強。出演は小林薫、田辺誠一、麻生祐未ほか。名古屋放送局制作。

ラジオ
 ラジオ深夜便「戦争インタビューシリーズ」(10日〜14日、ラジオ@、FM、深夜1・10)。太平洋戦争体験者や、世界の紛争地帯で平和のために活動する人たちの証言を聞く40分サイズのインタビューを送ります。
(
2009年07月02日,「赤旗」) (Page/Top

ハンガリー極右台頭/首相、国民に対抗呼びかけ

 東欧のハンガリーで少数民族排斥を叫び、ナチスによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を虚構だと主張する極右の台頭に懸念が強まっています。社会党などの推薦で4月に就任したバイナイ首相は、全民主勢力に対し、国民に極右への対抗を呼びかけています。
 今月7日の欧州議会選挙では極右政党「ハンガリーのために」(ヨービック)が得票率約15%で、ハンガリー配分議席22のうち3議席を獲得。同党は極右の暴力組織「ハンガリー防衛隊」が事実上の設立母体です。ハンガリー民族至上主義を唱え、特にロマ(ジプシー)排斥を政策の柱としています。ハンガリー防衛隊は第2次大戦中のドイツ軍占領下でユダヤ人殺害に手を貸したファシスト政党「矢十字党」にそっくりな制服を着用しています。
 昨年以来、ロマの射殺事件が相次いでいます。英紙タイムズ(電子版)によると、今年2月、ハンガリー中部の村でロマの家に火炎瓶が投げつけられ、男性と5歳の息子が射殺されました。4月にはハンガリー東部で54歳のロマ、コカさんが胸を撃たれて死亡しました。いずれも犯人は不明です。ロマはハンガリー人口1000万人のうち60万人を占めています。
 ハンガリーのメディアは、極右の進出を同国の経済悪化と結びつけています。米国発の金融危機の影響で経済成長はマイナス7%、失業率も10%に迫っています。また、最大野党の右派政党、フィデス・ハンガリー市民連盟が極右を政府への抗議行動に利用してきたのも、極右進出の原因といわれます。
 ヨービックはまた、バルカン地方一帯に居住するハンガリー人の自治を要求しています。隣国スロバキアのフィツォ首相は、ハンガリーの極右伸張は「地域一帯の不安定化をもたらす」と警告しました。
 バイナイ首相は21日のハンガリー通信(MTI)のインタビューで、ホロコースト否定には法的に対処すると述べました。
 (片岡正明)
(
2009年07月01日,「赤旗」) (Page/Top

ナチ戦犯9人終身刑/賠償金支払いも/伊軍事法廷

 【ローマ=ロイター】イタリア・ローマの軍事法廷は27日、第2次世界大戦中の1944年に同国中部トスカーナ地方で、市民350人以上を大量殺害したナチス・ドイツの親衛隊(SS)隊員9人に対する欠席裁判で、全員に終身刑の判決を出しました。9人はすべて84〜90歳の高齢者のため、イタリアは他のナチス戦犯同様、刑の執行を強く求めないとみられます。
 しかし、トスカーナ地方議会議長のクラウディオ・マルティーニ氏は「ナチスの残虐行為の犠牲になった人々に、やっと正義と真実がもたらされた」と強調。「報復の意思はなかったが、歴史のこの恐るべきページに、真実という言葉を書き込む必要があった」と強調しました。
 この裁判は、1994年にナチスによる695件の未調査の戦争犯罪に関するファイルが発見されたことがきっかけとなりました。
 軍事法廷は、虐殺の現場となった町と犠牲者の家族50人に対し、ドイツが計125万ユーロ(約1億6750万円)の賠償金を支払うよう命じました。
 この虐殺では、犠牲者の一部が木などに縛り付けられて射殺され、放置されました。SS隊員は「これはパルチザン(対独抵抗運動参加者)を助けた報いだ」との「警告」を残していました。

親衛隊(SS)
 ナチス党首のアドルフ・ヒトラーを護衛する組織として1925年に創設。ナチスが政権を獲得した33年以降は国内外の敵対勢力を諜報(ちょうほう)、摘発、抹殺する準軍事組織に拡大。さらに占領地支配、ユダヤ人迫害、戦争拡大の有力な道具となり、戦後、ナチス・ドイツの戦争犯罪を裁くニュルンベルク裁判で犯罪組織と宣告されました。
(
2009年06月29日,「赤旗」) (Page/Top

山田和夫の映画案内/ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序TV版/独特の世界創造する庵野作品

 独特のアニメ世界を創造する庵野秀明の「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 TV版」(2007年)が登場。エンターテインメントを超えた未来戦争スペクタクルに、人類の未来を透視する精神的イメージを探る。結構難解だが熱狂的なファンも少なくない。
 「チャーリーズ・エンジェル フルスロットル」(03年)。C・ディアス、D・バリモア、L・リューの女性スパイアクション。
 NHK衛星には秀作、力作が並ぶ。米紡績工場における労働組合結成を描く感動作「ノーマ・レイ」(79年)。G・スティーブンスの西部劇名作「シェーン」(53年)。ジョン・フォードの「荒野の決闘」(46年)。さらにイタリア映画のネオリアリズムからマカロニ西部劇まで話題作が。ファシズム治下の先駆作、ルキノ・ビスコンティ「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(42年)。M・アントニオーニ初期の「女ともだち」(55年)、F・フェリーニの名作「道」(54年)、P・ジェルミ「鉄道員」(56年)、同「刑事」(59年)、C・イーストウッドのマカロニ西部劇「荒野の用心棒」(64年)その他。
 (映画評論家)
(
2009年06月26日,「赤旗」) (Page/Top

試写室/ETV特集戦争を着た時代/NHK教育 後10・0/ファシズムは音もなく

 初めて見る図柄ばかりです。大砲や軍艦、戦闘機。上海事変で「軍神」となった爆弾3勇士は、子ども姿のかわいいものから劇画タッチのリアルなものまであります。日清・日露戦争から昭和10年代に大流行した着物の戦争柄。その変遷から私たちは何をくみ取るのか。戦争柄研究・第一人者の乾淑子東海大学教授と作家の澤地久枝さんを道案内に着物という新たな切り口で迫ります。
 興味深いのは、そこに時代の空気が閉じ込められていることです。一番古い日清戦争の図柄は、日本の軍人がおもちを食べている場面です。おわんの表面には中国の地名。「攻略して自分の物にしましたという絵ですね」と乾さん。国際連盟脱退をイメージしたものでは、時の外相・松岡洋右を子どもが花束を持って出迎えているところが描かれていました。
 戦争柄が最盛期を迎えるのは全面戦争に突入する時代です。将校が中国人を切る戦場の光景まで図柄にしていることにショックを覚えました。これらの戦争柄が、政府や軍部の指導でなく、図案家が「売れる」から作ったことの意味を掘り下げる必要があるでしょう。
 ファシズムは音もなくやってくる。時代の変わるにおいに敏感になれ、との澤地さんの言葉をかみしめたい。
 (板倉三枝)
(
2009年06月07日,「赤旗」) (Page/Top

欧州議会選で極右政党躍進/オランダ

 【ロンドン=小玉純一】4日投票されたオランダの欧州議会選挙で、同国の議会第5党の極右政党・自由党が躍進する見通しとなりました。メディアの出口調査によると、自由党の得票は約15%。国会与党第1党のキリスト教民主勢力(CDA)の約20%に次ぐ第2位となっています。
 イスラム教徒の移民排斥を主張する自由党は2006年に結成。党首のヘルト・ウィルダース下院議員が08年にイスラム教聖典コーランをファシストの書と非難する自作映画を公表し、国際社会の非難を受けています。
(
2009年06月06日,「赤旗」) (Page/Top

「ユダヤ人国家」への忠誠義務付ける法案/イスラエル右派与党提出へ/人権団体、「ファシズム」と非難

 イスラエルのリーベルマン外相が率いる右派与党「わが家イスラエル」は、すべての国民に「ユダヤ人国家」への忠誠を義務付ける法案を提出する意向です。これには国内の人権擁護団体などから、同国国籍を持つアラブ人だけでなく、他の多くのイスラエル人の人権を侵害するものだという批判の声が上がっています。ロイター通信が伝えました。
 同党は三十一日の閣議での承認後、議会での法案可決を目指しています。
 同党報道官によると、法案の内容は、住民が身分証明書の発行を受ける際に「ユダヤ人かつシオニストの民主国家としてのイスラエル国家への」忠誠を宣誓しなければならないというものです。また、十六歳以上のすべての住民が身分証明書を常時、携行しなければならないとしています。
 宣誓を拒否した場合は、日々の仕事や銀行口座の開設、車の運転免許証取得に欠かせない身分証明書が取り上げられることになります。
 法案はまた、兵役や国の役務を拒否した者の市民権をはく奪する権限を内相に与えています。イスラエルでは、ユダヤ人やドルーズなどの少数民族の国民には兵役の義務がありますが、アラブ人はこの義務が免除されています。
 イスラエルの人口の二割はアラブ人です。これらの人々は、一九四八年のイスラエル建国と同時に起きた第一次中東戦争で現在のイスラエル領にとどまったパレスチナ・アラブ人とその子孫です。この戦争では、他のパレスチナ・アラブ人約七十万人が同地から追われ、難民となりました。
 イスラエルの「市民権協会」の弁護士、オデド・フェラー氏は法案を「ファシズム」だと厳しく非難。「人権侵害であるだけでなく、市民の基礎的権利へのあからさまな干渉、民主主義の破壊だ」としています。
 リーベルマン氏の議員グループは二〇〇七年にも同様の法案を議会に提出しましたが、可決されませんでした。今回は二月の総選挙で同党の議席が増えただけに、議会で可決される可能性は強まっているとみられています。
 同党はまた、アラブ人の多くがイスラエル建国記念日(五月十四日)を「ナクバ」(大災厄)の日とみていることに対し、イスラエルの独立を傷つけるデモを行う者に三年の禁固刑を科すとの法案も議会に提出しました。
 (伴安弘)
(
2009年05月30日,「赤旗」) (Page/Top

ゲルニカ、「歴史の記憶」日本国憲法の道/橋本進

 ゲルニカ=スペイン北部、バスク地方の小都市。一九三六年二月、スペイン人民戦線政府成立。七月、植民地軍のフランコ将軍が反乱(内戦、市民戦争ともいう)。ヒトラー・ドイツ、ムソリーニ・イタリアが武力支援。三七年四月二十六日、コンドル軍団(ドイツ空軍)とイタリア空軍が、ゲルニカを爆撃した。大型爆弾と焼夷弾による無差別、長時間の爆撃で、非戦闘員の多数住民が犠牲となり、町は壊滅した。後年の東京大空襲の原型である。ピカソは大作「ゲルニカ」を描き、暴挙を告発した。
 四月二十六日、私たち「スペイン・戦争と平和の旅」(国際人権活動日本委員会・吉田好一氏呼びかけ)一行は、ゲルニカ共同墓地における空爆七十二周年追悼式典に参列した。午後四時半、教会の鐘が鳴り、サイレンが鳴らされた。七十二年前のこの日、ドイツ・コンドル軍団が来襲した時刻だ。市長挨拶のあと、少年少女のコーラス、男性歌手のソロがつづいた。レクイエムであろうか、いずれも心にしみ入る調べと響きであった。二人の神父の語りがつづき、しっとりした雰囲気で式典は進められた。

ドイツ政府謝罪と献花
 祭壇への献花のとき、私は胸をつかれた。市長のあとに、ドイツ政府、ドイツ・ゲルニカ協会のそれが捧げられたのだ。この背景をみてみよう―。空爆の三日後、フランコ軍は町を占拠した。彼らは生き残った住民の口を封じ、町の炎上は共和国政府軍の放火と宣伝した。惨事は外国特派員の報道とピカソの名画によって世界の人々が知るところとなったが、フランコ政府は一九七〇年まで真相を隠蔽した。一九九七年、ヘルツォーク・ドイツ大統領はゲルニカへの謝罪の手紙を書き、二〇〇七年には、広島、ドレスデン、ワルシャワ、アウシュヴィッツからの参加者を含む平和集会がゲルニカで行われ、「平和のための世界首都宣言」が発表された。ドイツ政府の献花は、この流れの中のものなのだ。
 私は日本政府を思い浮かべた。三千人の住民の大半を虐殺した中国・平頂山事件(一九三二・九・一五)につき、謝罪したか。南京大虐殺(一九三七)は? 朝鮮の三・一独立運動(一九一九)を全土にわたって残酷に弾圧(たとえば堤巌里事件)したが、そのうちの一つに対してでも謝罪したか。花束を捧げたか。

真実記憶し協力を誓う
 式典の前に、私たちはゲルニカ平和財団博物館を訪れた。日本語の刷り物には、「回想のための、同時に未来のための博物館」とか「決して忘れず、復讐もせず」の文字があった。同博物館の一室で、数少ない生存者の一人、ルイス・イリオンド氏の話をうかがった。氏の話と博物館展示内容の共通点は、真実の記憶のだいじさ、未来の平和への強い願いであり、怨念や報復ではなく、「和解」の強調であった。
 和解とはすべてを忘れ去ることではない。支配者の隠蔽や歪曲に抗して真実を永久に記憶し、その上で未来への協力を誓うことである。そのためには、歴史のけじめ、つまり加害者側の謝罪と誠意の表明(補償等)が必要である。
 ドイツにおける過去の克服が十全であるとは思わない。しかし、この点での日本の立ち遅れはかくしようもない。ヴァイツゼッカー大統領演説(一九八五・五、「荒れ野の四〇年」)と村山首相談話(一九九五・八)をくらべれば一目瞭然ではないか。村山さんには悪いが、その内容の深さ、濃さ、格調の高さにおいて雲泥の差といわねばならぬ。しかも歴代政権担当者で、村山談話以上の言葉を口にした者は一人もいない。
 私たちのゲルニカ訪問は、スペイン「歴史の記憶」法意見交流会(本紙四月二十九日付国際面)とつながる行動であった。いま、東京大空襲をはじめ、原爆、沖縄、教科書、治安維持法、横浜事件、従軍慰安婦、強制連行等々、過去の克服にかかわる訴訟、運動が各様に取り組まれている。これらの運動の志すところは共通するから、協力して「歴史の記憶」法のような戦争と人権の総括立法を展望してもよいのではないか。この道は、過去の戦争への痛切な反省の上に立ち、平和で豊かな未来をめざす、九条を要とする日本国憲法の道でもある。
 (はしもと・すすむ 元『中央公論』次長、元ジャーナリスト会議代表委員)
(
2009年05月19日,「赤旗」) (Page/Top

演劇/「犀」(文学座アトリエ公演)/意欲の伝わる舞台

 日曜日、事務員のベランジェ(大場泰正)がジャン(城全能成)とカフェで議論をしていると、急に目の前を一頭の犀が駆け抜けてゆく。人々は驚愕するが、すぐに日常が取り戻される。しかし、やがてその犀は町の人々が変身したものだと分かる。
 親友のジャンが目の前で犀に変わってベランジェはパニックに陥るが、人々は老若男女を問わず次々に犀になってゆく。ベランジェは同僚デイジー(松岡依都美)との愛に、人としての拠り所を求めようとするが…。
 ベケットとともに不条理劇の作家として知られるイヨネスコの『犀』は、『授業』と並ぶ彼の代表作で、日本でも、文学座アトリエが一九六〇年に初演して以来しばしば上演されてきた。彼の作品の中では、国中の人々が犀に変わってゆくという不条理な状況が、ファシズムに代表される全体主義の比喩として比較的分かり易いこと、主人公が、少しだらしないが常識的な人間で感情移入しやすいことも人気の理由だろう。
 文学座は六〇年代にこの作品を二度取り上げているが、それ以来の再演で、意欲の伝わる舞台だ。とりわけ、ジャンが心も身体も徐々に犀になって行く場面は、城全の熱演もあって見せ場になっている。
 しかし、犀を敵視していたベランジェがひとり取り残され、犀になりたいと叫ぶラストには、ファシズムの恐怖を観客に浸透させる深さが欲しい。これはB級ホラーとして観客を楽しませたい、という演出意図(松本祐子)の反映だろう。その点は成功していて、随所に笑いをよぶ舞台だったが、ラストシーンでのホラー映画からのイメージの借用はややチープだ。
 (北野雅弘・演劇学研究者)
 29日まで、東京・文学座アトリエ
(
2009年04月20日,「赤旗」) (Page/Top

日本のことが気になるこの頃/米谷ふみ子/学問、芸術、スポーツは誇れるが/泥酔大臣≠ヘ一週間も画面に

 最近、日本のことがこちらのメデイアに良く出る。

一時間ごとに同じ映像写す
 先ず、ケーブル・TV、MSNBCの六時のニュースで東洋人男性の朦朧とした顔が写り、「うー、あー」と声を発しているのがズームアップされた。司会のマドウが、「私には日本語は分からないが、彼は何も意味のあることを話していないことは確かだ。日本の中川財務大臣」と言った。夫が「可哀想に、時差が大変なんだよ」と同情した。
 その後も、一時間毎に同じ映像を写し、その状態が明瞭になりだした。大臣は酔っ払っていたのだった。MSNBCはニュース放映の画面の片隅に前の重要なニュースとか面白い話題の小さい画面を流すことがある。彼の顔は一週間入っていた。小泉元首相がブッシュの前でプレスリーの真似をしたのも恥ずかしかったが、これはもっと醜態である。
 周知のローマであったG7での国際記者会見での失態。今無いに等しい日本の信用ががた落ちである。麻生首相は親友だからと彼を任命したらしいが朝から酔っ払う人を財務大臣に任命したとは! 親友なら、彼の判断力や行動も知っているはず。世界で第二の経済大国が世界が経済危機だと大騒ぎしているときに無責任だ。

日本のように「頭を下げ…」
 その次はアメリカの経済危機で一番話題になっているのが政府援助金を何十億ともらったAIGのことだが、去年八月にウォール・ストリートに援助金を出さないと世界の経済が麻痺するとブッシュとポールソン財務長官が電撃を放った時、AIGの幹部にはボーナスは払ってよいと言ったという。二月になってから市民が破綻している会社幹部のボーナスが莫大なのに気がつき、多くの人々がデモをしたりオバマ大統領にボーナスを取り返せとEメールを送り出した。
 「重役の雇用の際の契約がある。取り返すと契約違反で訴えられるし、有能な幹部が他社に引き抜かれる懸念がある(私注=こんな不況に誰も高いボーナスをつけて人を雇わない)から」との理由でAIGは拒み、政府も躊躇していたが、世論に押されて議員達も意見を吐き始めた。共和党上院議員のグラスリーは「AIGの役員はこんな莫大な損害を齎したのだから、日本の銀行の幹部がしていたように、頭を深く下げて謝れ、そして辞任するか自殺せよ!」と言ったのには皆驚いた。また日本が出てきた。一日中テレビで流されていた。
 次はいい話。国際野球の試合がドジャー・スタジアムで最終に残った韓国と日本が戦っていると夫がテレビを観ながら言った。私はスポーツの中継の音が嫌いで、いつもその音が聞こえるとその部屋に入らない。が、ふとテレビを観ると三対三で伸るか反るかという状態。イチローがバットを持って立っている。三回バットを振った時はなんだ大したことは無いと去ろうとした時、彼はフィールドの真ん中の誰もいないところに球を打ち込んだ。韓国側は虚を突かれその球が拾えず、二人の日本の選手がホームインしたのを観て、イチローはなんと勘が良いのだろうと感心したのだった。いい技ははっと人の注意を引くものだ。野球を観たのは野茂選手が初めてアメリカに来て以来で、勝った瞬間を偶然観たのは幸運なことだった。アメリカでは彼は何でもできる選手として高く評価されていると夫は言った。

「平和憲法」に守られて発達
 最近、日本人の中には世界に誇れる人々が多く出ている。物理学者が三人と化学者が一人去年の暮れにノーベル賞を貰ったし、映画界では、アニメ「つみきのいえ」と外国語映画部門で「おくりびと」がアカデミー賞をもらい、今度の野球での勝利と誇れることが多くある。
 これに反して政治家は内政も外政も足を引っ張ることばかり。保守的な日本の政治家の多くは倫理観も判断力も無い。女性に子どもを産ませ、日の丸に敬礼、君が代を強制して歌わすのが政策と思っている。このために酷い目にあった人々の心情なんて憶測もできない者ばかり。麻生首相が決めた給付金は金持ちはもらわないと思っていると、政治家たちももらうといっているので呆れてしまった。ブッシュでもしなかった。
 テレビに出てくる政治家はどの派閥に属するか、誰が派閥の頭になるかの順番の話。こんなのでは平和憲法の大切さは分からない。今日本が誇れる学問、芸術、スポーツなどは戦争やファシズムになれば存在しなくなる。永年の平和憲法に守られてこういう分野が発達したのだ。アメリカでは、戦争を六年もして国庫を使い果たし、学校では人間の土台をつくる芸術のクラスはカットされていることを皆知るべきだ。
 こめたに ふみこ=一九三〇年大阪生まれ。作家・画家。二科会に3年連続入選、関西女流美術賞を受賞。六〇年渡米。作家ジョシュ・グリーンフェルドさんと結婚。八五年「遠来の客」で文学界新人賞、「過越しの祭」で新潮新人賞、芥川賞を受賞。九八年「ファミリー・ビジネス」で女流文学賞を受賞。『なんもかもわやですわ、アメリカはん』ほか。新刊に『年寄りはだまっとれ!?』(岩波書店)。16日6時半から東京・女性と仕事の未来館(JR田町駅西口下車)で来日記念講演。
(
2009年04月15日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/もう一つの「ワルキューレ」

 第二次世界大戦末期、未遂に終わったヒトラー暗殺事件を描く映画「ワルキューレ」が公開中。題名はリヒアルト・ワーグナーのオペラからとった反乱計画名だが、この事件が起きる数年前、ワーグナーのオペラ自体が騒動を起こしていた。
 一九四〇年十一月二十二日、モスクワのボリショイ劇場が「ワルキューレ」を上演した。演出は「戦艦ポチョムキン」の巨匠セルゲイ・エイゼンシュテイン。前年スターリンがヒトラーと結んだ不可侵条約で、反ナチを掲げていたソ連はドイツの侵略まで奇妙な「友好」期間を持つ。「ワルキューレ」上演もその副産物で、世界は強烈な反ファシスト、エイゼンシュテインが「なぜ?」と首をかしげた。
 当時モスクワにいたオーストリアの共産主義者エルンスト・フィッシャーは、疑問と不安の気持ちで当日の上演にのぞんだが、その結果は痛快だった。
 「ワーグナー歌劇の大胆なパロディ。ハイル・ヒトラーの怒号のようなワルキューレたちの叫び声」など。劇場に来ていた駐ソドイツ大使館のメンバーは「ワーグナーを侮辱した」とソ連外務省に抗議する一幕もあった。ソ独不可侵条約に釈然としていなかったフィッシャーは快哉を叫びエイゼンシュテインは強靭な信念の程を証明する結果となる。()
(
2009年04月14日,「赤旗」) (Page/Top

50周年公演きょうから/広島・劇団月曜会

 今年で創立五十周年を迎えた広島市の劇団月曜会は五日から、五十周年記念公演を中区榎町の芝居小屋「アッカー」で六ステージ上演します。五十周年を記念して昨年十月に上演した「動員挿話」を俳優六人が再演し、さらに、若手女優二人が「対話」を上演。両戯曲ともファシズムが台頭する一九二七年に劇作家岸田国士が書いたもので、現代日本の軍事大国化に警鐘を鳴らします。
 アッカーでの連日のけいこで演出を担当する原洋子さんは「日本が破局への道を突き進む時代にあって、岸田は自分の目で見、自己を主張する女性を登場させている。現代を生きる私たちへの並々ならぬメッセージを感じてほしい」と語ります。
 「動員挿話」で夫の出兵に反対する妻を演じる見宝(けんぽう)直美さんは「自己主張する妻を演じるけいこを重ねて、どこにでもいる女性なのだと気付いた。愛する人を戦地に行かせたくないというのは、女性の本能的なものだ」と言います。
 上演日程は、五日(日)午後二時と六時、十一日(土)午後三時と七時、十二日(日)午後二時と六時で、入場料は一般千五百円、中高生五百円。問い合わせ=アッカー082(234)9656
(
2009年04月05日,「赤旗」) (Page/Top

伊首相が右派新党初代党首に

 【ローマ=AFP時事】イタリアの新党、中道右派「自由国民」は二十九日、党大会でベルルスコーニ首相を初代党首に選出しました。同党は首相率いるフォルツァ・イタリアと、旧ファシスト党の流れをくむ国民同盟が統合して誕生しました。
(
2009年04月01日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/トスカニーニの言行の記録

 イタリア出身の指揮者アルトゥーロ・トスカニーニは最晩年、こんな辛らつな言葉を吐いていたそうだ。
 「あの日和見主義者のフルトヴェングラーとは違う。彼はナチスの旗の下で指揮することを選んだ。人間は何でできているのだろうか。勇気でないことだけは確かだろう」
 NHK・BS2で先月放映されたドキュメンタリー「トスカニーニとの会話」のひとこまだ。番組は昨年フランスで製作された。トスカニーニの子息ウォルターが百五十時間以上もひそかに録音していた家庭での会話をもとに、大指揮者の生涯と音楽観を伝えた。
 トスカニーニはムソリーニと対立し、ヒトラーのバイロイト出演依頼も拒み、一九三七年、米国に亡命。当時ドイツにとどまるフルトヴェングラーと口論になった事実もある。
 同日「トスカニーニのワーグナー」という映像も放映された。最後に一九四四年、ムソリーニ政権倒壊を祝いヴェルディ「諸国民の賛歌」を指揮した場面が出てくる。英仏国歌が登場する原曲にトスカニーニは「星条旗よ永遠なれ」と「インターナショナル」を加えた。反ファシズムの気骨を伝える逸話だが、後者は戦後、米国人の手で映像から削除されていたという。米ソ対決の異常さも映しだした番組だった。
 (弩)
(
2009年03月27日,「赤旗」) (Page/Top

イスラエルの今を語る/ユダヤ人ジャーナリストヨラム・ビヌルさん/政府宣伝信じ右傾化

 イスラエルでは二月の総選挙で伸長した右派リクードによる組閣工作が進められています。この選挙結果は顕著な右傾化を示しました。イスラエルの現状をどうみるか。各界で活動する人たちに聞きました。
 (テルアビブ=松本眞志)
 右派政党の伸張に示されるイスラエルの総選挙結果は、今日のイスラエル国民の感情を象徴しています。
 二〇〇〇年のアルアクサ・インティファーダ(民衆蜂起)以降、イスラエル国民のパレスチナに対する感情は変化し、右傾化の道をたどってきました。かつては政府の占領政策は国民のあいだで議論の対象とされてきました。二〇〇〇年以降、それが消えたのです。
 イスラエル国民は、インティファーダがパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト前議長の指示で起きたとする政府の宣伝を信じました。このとき以来イスラエル・パレスチナ間の対立が決定的となりました。
 それまで私はパレスチナ人の被害をイスラエル国民に語ることができました。政府がいかにパレスチナ人を不法に殺害し彼らの家を破壊しているかを。
 しかし、今は国民の多くは「パレスチナ人をやっつけてしまえ」に変わっている。その空気は民族差別のにおいすら感じます。同じとはいえませんが、かつての南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)を想起させます。
 新極右政党「わが家イスラエル」の出現もファシズムの到来を予感させるものです。彼らは巧妙に国民を取り込んで勢力を伸ばしてきました。五年前からでしょうか。
 リベラルでとても好感のある友人が「私にアラブのことを口にするな」というようになりました。彼らは「アラブの現実を知りたくない」というのです。
 ヨルダン川西岸の分離壁建設は非常にばかげた政策ですが、問題は物理的な壁であると同時に、国民の頭のなかにつくられた壁にあります。同時に、パレスチナ人もユダヤ人に対して警戒を抱くようになり、以前のように自由に話ができなりました。
 国民がイスラエルとパレスチナの歴史を知ることができないのも大きな問題です。義務教育ではイスラエルが第三次中東戦争でパレスチナの土地を占領したことは教えません。
 ユダヤ人の二十代の若者と話をして驚いたのですが、彼らはパレスチナ自治区の存在さえ知らない。ヨルダン川西岸とガザ地区はイスラエル固有の領土だと思っています。
 義務教育での語学授業では英語が必修でフランス語、アラビア語は選択科目です。しかし、ほとんどのユダヤ人の生徒はフランス語を選択します。アラビア語は彼らにとっては「敵の言葉」なのです。
 相互の交流の断絶からくる不理解と憎悪の感情。これらは現在の国民の右傾化を助長しているのだと思います。

ユダヤ人ジャーナリスト/ヨラム・ビヌルさん
 イスラエルのフリージャーナリストで元民間テレビ局「チャンネル2」コメンテーター。エルサレム生まれ、55歳。テルアビブ在住。(写真、松本眞志撮影)

インティファーダ
 イスラエルの軍事占領に対するパレスチナ民衆の蜂起(抵抗運動)。一九八七年にガザ地区で起きた第一次インティファーダでは若者たちが投石で立ち向かいました。第二次インティファーダは、二〇〇〇年九月に右派政党リクードのシャロン党首(当時)が、アルアクサ・イスラム寺院のあるエルサレム旧市街の「ハラムアッシャリーフ(神殿の丘)」を訪問したのをきっかけに発生。「戦争」行為ともいえるイスラエルの過剰な反応と、パレスチナ側の一部過激派による武力攻撃で悪化。その後三年間にパレスチナ側二千六百人以上、イスラエル側八百人以上の死者を出しました。
(
2009年03月25日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/ファシズムに殺されたロルカの詩集

 「ベルナルダ・アルバの家」の作家ガルシア・ロルカが、ファシズムに虐殺されたことは、広く知られている。一九三六年、フランコ派の軍隊によって銃殺されたこのスペインの詩人・劇作家の『対訳 タマリット詩集』(平井うらら訳・影書房)が、ようやく刊行された。
 スペインの人民戦線政府が活躍していた時期、巡回劇団バラッカをつくったロルカは、その活動の間に、タマリット詩集を一編ずつ書き上げていったのだが、内乱の勃発とロルカの突然の死によって、スペイン国内では出版されなくなった。刊行された『タマリット詩集』は、生前最後に発表された作品と、死後に残されたものとを、まとめたものだ。
 生前に発表されなかった「水に傷つけられた子どものカシーダ」は、「アラブ音楽の詩の形」をとりながら「降りて行きたい 井戸の底へ、/よじ登りたい グラナダの壁を、/人知れぬ 水の錐で/ぼろぼろにされた心臓を 見届けるために。」と歌われている。生地グラナダと、祖国スペインにたいする深い悲しみが、象徴的に表現されている。「みんな知っていて欲しい 僕が死んだのではないことを、」と、この詩集のなかで歌い上げたロルカの思いは、国をこえて、われわれの心にひびいてくる。
 (直)
(
2009年02月13日,「赤旗」) (Page/Top

野呂栄太郎没後75年記念の集いから/児玉健次/専制政治下で搾取と貧困、戦争を企てる勢力を告発

 二月十九日は天皇制政府の暴虐とたたかいぬき、警察の拷問で病状を悪化させ三十三歳で生涯をおえた野呂栄太郎の没後七十五年にあたります。野呂の遺骨は厳重な監視のなか弟武男(故人)の手により郷里北海道長沼の佛現寺に運ばれ、葬儀も許されませんでした。記念の集いはその佛現寺で行われました。これは初めてのことです。本堂は九十名をこす参加者でいっぱいになりました。
 土田玄住職の読経、何人もの方が唱和しました。続いて「21世紀に野呂栄太郎が残したもの」と題して私はいくらかのことを話しました。
 長沼の小学校から札幌市の北海中学に入り、義足の野呂は野球部スコアラーになりました。自らが編集主任を担当した協学会会誌19号(一九二〇年一月)野球部の頁で、P(ピッチャー)大坂「天性の頑強な体から投出される球には一種の魔力が潜んで居るかと思われる」などと各選手の特徴を紹介しています。参加者は野呂を身近に感じたようです。

『日本資本主義発達史』に結実
 二〇年四月、慶応義塾大学に進学、やがて労働学校で『資本論』を講述します。「労働者の科学的要求は、私をして、進んで明治維新を契機とする日本の政治的、経済的、社会的変革及び発展過程の分析に没頭せしめた」、これが『日本資本主義発達史』に結実します。遅く出発した日本資本主義の特徴を、『資本論』に導かれながら官庁統計などを駆使して解明していきます。天皇の絶対的支配権が「資本家階級と地主階級のブロック」を支柱とし、地主が小作農民からとりあげる封建的「年貢」が収穫の五割内外に及ぶことを事実に基づいて明らかにします。これは、雑誌『労農』に依拠する論者が、「わが地主の多くは消極的に地代を収得するにすぎない」「地主階級はもはや支配の実権を失っている」(猪俣津南雄)などと議論を展開することへのきびしい批判でした。野呂は、数多くの社会科学者を結集して三一年から『日本資本主義発達史講座』の刊行に向けて協議を始めました。ちなみに、「講座」の最初の印刷は三二年五月十五日、犬養毅首相が軍部ファシストによって「問答無用」と暗殺された日です。
 コミンテルンでは、片山潜、山本懸蔵なども参加して日本問題が検討され、三二年五月「日本における情勢と日本共産党の任務にかんするテーゼ」が決定されました。野呂は、自分たちの研究が、これを学問的に支えるものとなったことを喜びました。
 いま、日本共産党綱領は、戦前の日本社会を「国を統治する全権限を天皇が握る専制政治(絶対主義的天皇制)がしかれ…農村では重い小作料で耕作農民をしめつける半封建的な地主制度が支配し、独占資本主義も労働者の無権利と過酷な搾取を特徴としていた」とし、これとのたたかいに党活動の原点があることを示しています。

世界恐慌、 中国侵略拡大のさなかで
 野呂は、三〇年一月、日本共産党員になります(宮本顕治「野呂栄太郎の思い出」)。
 二九年十月、世界恐慌始まる。三一年九月、満州事変。この状況で野呂は国民のたたかいを組織するために、日本共産党の指導的幹部の一人として結核の病状をおして全力をあげます。野呂が執筆した失業、飢餓反対闘争の要求(「赤旗」三三年二月十五日所載)を参加者に配りました。
 政府、資本家全額負担の失業保険即時実施、二十二億の軍事予算を失業者、労働者、農民にふりむけろ、失業者の要求どおり仕事を出せ、臨時工を即時本雇いにしろ、植民地より即時撤兵しろ――

学びつつ国民のたたかいに参加
 派遣切り、期間切りをやめ雇用の確保、消費税の食料品非課税、あらゆる形態の自衛隊海外派兵反対―現在私たちが国民的緊急課題としている諸要求と重なりあっているではありませんか。
 搾取と貧困、戦争を企てる勢力へのきびしい告発、学ぶことと国民のたたかいに参加することをしっかり統一する、野呂栄太郎の生き方に深く学びたいと願います。
 (こだま・けんじ 元衆議院議員)
(
2009年03月12日,「赤旗」) (Page/Top

オバマ大統領の就任演説/要旨

 米国のオバマ新大統領が二十日に行った就任演説の要旨は次の通り。
 今、われわれが危機のただ中にあることはよく理解される。わが国は暴力と憎悪のネットワークに対する戦争の中にある。われわれの経済はひどく弱っている。それは、一部の者の貪欲(どんよく)と無責任の帰結であるが、困難な選択を行わず、新たな時代のための準備を怠ったためである。
 深刻度では劣らないものが、わが国の津々浦々における信頼の弱体化であり、米国の衰退は不可避であるとする執拗(しつよう)な恐れである。
 課題は深刻であり、その数は多い。これらの課題は短期間ないし容易には解決できないだろう。だが、米国は克服できるのだ。
 本日、われわれは恐れでなく希望を、争いと不和ではなく、目的への団結を選択したがゆえに、この場に集まっている。
 われわれは本日、あまりにも長い間、わが国の政治を窒息させてきた狭量な不平、間違った約束、擦り切れ果てた教条に終止符を打つと宣言するためにここに来ている。
 国民の偉大さは与えられるのではなく、勝ち取られなければならない。われわれの旅が仕事よりも余暇を好み、富と名声だけを求めるだけの意気地のない者の旅であったことはなかった。彼らは危険を冒し、行動する者であり、粗末な荷物をまとめ、新たな生を求めて大洋を渡った。彼らは過酷な労働に従事し、西部に移住し、むち打ちに耐え、硬い大地を耕してきた。彼らはコンコードやゲティズバーグ、ノルマンディー、ケサン(ベトナム)のような戦場でたたかい、死んだ。
 われわれの旅は続いている。現状を維持し、私利私欲を守り、嫌な決定を先送りする時は確実に終わった。今日から、われわれは起き上がって、ほこりを払い、米国再生の仕事を再び始めなければならない。

迅速な行動を
 経済の現状は大胆かつ迅速な行動を求めている。われわれは、雇用創出だけでなく成長の新たな基盤を築くために行動する。
 長きにわたる古い政治論争はもはや当てはまらない。今日われわれが問うのは大きな政府か小さな政府かではなく、機能するかどうかだ。
 市場が良い力か悪い力かどうかは問題ではない。富を生み出す力と自由を拡大する力は比類がないが、この危機は、監視がなければ、市場は抑制が効かなくなることを思い起こさせた。国家は富める者だけを優遇していたのでは長く繁栄することはできない。
 われわれの共同防衛に関して、安全か理念かの二者択一という誤った選択を拒絶する。建国の父らは、法の支配と人間の権利を保証する憲章を起草した。われわれは私利のために、この理念を断念することはない。
 きょうこれを見ている世界中の人々や政府に言いたい。米国は平和と尊厳を追求する各国国家とすべての男女や子どもの友人であり、われわれはいま一度、指導的立場に立つ用意がある。
 先人たちが、ミサイルや戦車だけではなく、揺るぎない同盟と不朽の確信をもってファシズムや共産主義と対峙(たいじ)したことを思い出そう。彼らはわれわれの力だけでは自身を守れないことを、その力を好き勝手に使うのは許されないことを理解していた。代わりに思慮深く活用することで力が伸長していくことを、われわれの安全は公正な大義と模範の力、謙虚と自制から生じることを知っていた。
 われわれはこの遺産を守る。これらの理念に導かれることで、われわれはさらなる努力と国際協力・理解を必要とする新たな脅威に立ち向かうことができる。
 われわれは、責任ある形でイラクからの撤退を開始し、アフガニスタンに和平を築く。核の脅威を減らし、地球温暖化の恐怖を克服するため、たゆみない努力を行う。
 テロを引き起こし、罪のない市民を惨殺することで目的を達成しようとする者たちに告げる。われわれはあなたたちを打ち負かす。
 南北戦争と人種隔離の苦い経験を味わい、暗黒の時代からより強く団結して立ち上がったわれわれは信じずにはいられない。旧来の憎悪がいつの日か消え去り、民族の線引きがまもなく消滅することを。米国が新たな平和の時代を導く役割を果たさなければならないことを。
 イスラム世界に対してわれわれは、互いの利益と尊敬に基づいた新しい道を模索する。もしあなたが握っているそのこぶしを開くならば、われわれは手を差し伸べる。
 貧しい国々に対し、あなた方の農場が繁栄し、水の流れを浄化し、飢えた人々が食べられるようにあなた方と共に働くと約束する。

責任の新時代
 世界は変わった。われわれも変わらなければならない。
 どれほどのことを政府が実行しなければならないかは結局、米国民の信念と決意が決める。
 今、われわれに求められているのは、責任の新たな時代である。それは、われわれは自身や国家、世界に対して義務を負っているという認識である。
 こうした義務こそ、市民であることの値打ちであり、約束であり、信頼の源であり、未知の未来を形作るよう神が求める英知である。
 これらの義務はわれわれの自由と信条の意義である。なぜ、あらゆる人種、宗教の老若男女がこの壮大なモールの祝典に参加することができるのか。なぜ、一人の男があなた方の前で最も神聖な宣誓ができたのだろうか。その男の父親は、六十年足らず前ならば、地方のレストランで給仕を受けることができなかったかもしれないのだ。
 われわれが誰であり、どれほど長い旅を経てきたかを記憶しながら、この日を記念しようではないか。
 困難な冬に共通の危険に直面している米国よ。希望と徳によって、もう一度、冷たい川を渡り、襲来する嵐がどんなものであれ、耐え抜いていこう。
 われわれは試練の時に、この旅を終えることを拒み、引き返さず、くじけなかったと子孫によって語り継がれるようにしようではないか。
(
2009年01月22日,「赤旗」) (Page/Top

日本共産党知りたい聞きたい/「歴史修正主義」とは?

 〈問い〉大江健三郎さんの『沖縄ノート』をめぐる訴訟の控訴審判決の記事で「さらに力を込めて歴史修正主義とたたかっていく」という言葉がありました。「歴史修正主義」とはどういうことをさすのですか?(兵庫・一読者)
 〈答え〉「歴史修正主義」とは、一般に、侵略戦争や植民地支配、軍隊等による組織的残虐行為など、こんにち批判的な評価が定着している事象について評価を逆転させて支持・擁護する主張をさす用語です。
 もともとは、欧米で「ナチス・ドイツによるユダヤ人大量殺りく(ホロコースト)はでっちあげ」などと主張する論者が、自らをリビジョニスト(修正主義者)と名乗って活動していたことから、広く使われるようになったとされています。
 歴史学は、過去の事実を確定し、批判的に評価してそれを再構成する学問ですから、その通説が時代の変化や新たな史料の発見などによって「修正」されるのは当然のことです。しかし「歴史修正主義」は、それとは次元を異にするものです。
 日本では、1990年代後半以降、「新しい歴史教科書をつくる会」のように、日本が過去に起こした戦争を侵略戦争とする見方にたいして「自虐史観」と非難する勢力の動きが強まり、それが「日本版歴史修正主義」とよばれるようになりました。
 たとえば、1931年の中国東北部侵略戦争開始以後、日本が中国大陸や東南アジア・太平洋地域で起こした戦争を「自存自衛の戦争」「アジア解放のための戦争」として正当化する靖国神社などの歴史観は「歴史修正主義」の典型といえます。
 また、「南京大虐殺はなかった」「『従軍慰安婦』の強制連行はなかった」といった議論や、沖縄戦訴訟での「軍の『集団自決』命令はなかった」という原告側の主張なども、それに該当するといえるでしょう。
 このように侵略戦争や組織的残虐行為への批判的評価を「修正」しようとする動きは、必ずしも日本だけの現象ではありません。ドイツでは、先にのべたように、極右勢力から「アウシュビッツのうそ」といった議論がくりかえし唱えられてきました。イタリアでも、第2次世界大戦下の反ファシズムのレジスタンス闘争の意義を否定し、レジスタンスや憲法を詳述した学校教科書を「偏向」とする議論があります。
 しかし、こうした主張を公然と唱えてきた勢力が政権に参加した例は、一時期のオーストリアなどを除き、欧米ではほとんどありません。(土)
 〈参考〉歴史学研究会編『歴史における「修正主義」』(青木書店)、高橋哲哉『歴史/修正主義』(岩波書店)、山田朗『歴史修正主義の克服』(高文研)
(
2009年01月08日,「赤旗」) (Page/Top