2011年 ファシズム関連情報】

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2011(ヘッドライン

n  12月ヘッドライン)

n  映画の窓/踊る大捜査線THE MOVIE3/前作から7年、また危機が

n  仏映画「サラの鍵」/パリのユダヤ人迫害刻む/浦東直子

n  11回顧/演劇/原発・基地など描く/戦争を許さない心多彩に

n  文化/「サラの鍵」フランスのユダヤ人迫害描く/ジル・パケ=ブレネール監

n  映画の窓/借りぐらしのアリエッティ/少女の感性いきいきと

n  アジア・太平洋戦争きょう開戦70年/侵略戦争の歴史伝える努力を/成り立たない「自存自衛」論

n  シリーズ歴史と現代/12・8と東南アジア全面侵攻/根本敬/真珠湾奇襲が始まりでない

n  文化/アウシュヴィッツから奇跡の生還/作家プリーモ・レーヴィの生涯展/地獄と罪悪感と

 

n  11月ヘッドライン)

n  アサド氏に退陣を要求/トルコ首相

n  潮流

n  潮流

n  映画/「やがて来たる者へ」(イタリア)/未来に託した思い

n  潮流

n  潮流

n  神戸で地域人権シンポ

n  日系米国人「我慢の芸術」/大戦中の収容所生活/廃材製の工芸品展示

n  生誕地で語る風刺画家/第3回まつやまふみお研究会/松山しんさく

 

n  10月ヘッドライン)

n  新作DVD/英国王のスピーチ(イギリス、2010年)

n  映画の窓/ヒトラーの贋札/収容所内、極限の抵抗

n  元ナチス側近の引き渡しを要請/チリ

n  戦争に向き合う/岡山市で写真展

n  ガス室に消えた画家/改修の「ヌスバウム館」で/ドイツ

 

 

n  9月ヘッドライン)

n  論壇時評/田代忠利/9・11同時多発テロ10年/米を軸に世界を見てはいけない

n  女性の目アラカルト/イタリア/長いバカンスゆったりと

n  地球ふらいでー/パレスチナ国連加盟問題/国家≠ヨ格上げなるか

n  映画/「ミケランジェロの暗号」(オーストリア)/ナチスを翻弄痛快劇

n  シリーズ歴史と現代/スペイン「歴史の記憶法」/橋本進/平和と人権回復を旅して

n  「満州事変」80年/第2次世界大戦の道開いた/謀略で「十五年戦争」の口火/侵略戦争の免罪は許されない

n  石子順のにちようシネマ館/ミケランジェロの暗号(オーストリア)

n  いま言いたい/元日本教育学会会長・元日本教育法学会会長堀尾輝久さん/憲法違反の大阪2条例案

n  朝の風/ナチスの犠牲になった音楽家

n  月曜インタビュー/映画監督陸川さん/この映画の終着点は日本/南京大虐殺を銀幕に再現

 

n  8月ヘッドライン)

n  橋下「大阪維新の会」2条例案/教育への政治介入ねらう/知事いいなり公務員づくり

n  朝の風/貴重なドキュメンタリー映像

n  指揮者フルトヴェングラー/評伝の出版相次ぐ/ナチスとの関係今なお議論

n  終戦66周年に願う/戦争イヤ、原発ゼロや/「赤紙」を配布/母親連絡会/大阪/奈良/京都/滋賀

n  試写室/こころの時代フクシマを歩いて/NHKEテレ14日前5・0/原発を問う深い思索

n  石子順のにちようシネマ館/黄色い星の子供たち(仏・独・ハンガリー)

n  書架散策/丹羽郁生/ユリウス・フチーク著、栗栖継訳『絞首台からのレポート』

n  劇団ひまわり「コルチャック先生と子どもたち」各地で上演/ナチ圧制下の教師描く

n  映画/「黄色い星の子供たち」(仏・独・ハンガリー)/フランス史の闇リアル

 

n  7月ヘッドライン)

n  朝の風/歴史に向き合う仏映画人

n  イスラエル管弦楽団/ワーグナー作品ドイツで初演奏/批判の声も

n  ユダヤ人大虐殺の証人ヤン・カルスキ/ヤニック・エネル著/評者阪東宏明治大学名誉教授

n  潮流

n  映画の窓/カサブランカ/反ファッショ運動の中で

n  芸能テレビ/スポット/劇団民藝八木橋里紗さん/母が演じたアンネ

n  スペイン内戦開始75周年/英国人志願兵を追悼/人民戦線支援

n  潮流

 

n  6月ヘッドライン)

n  潮流

n  「綱領教室」志位委員長の第5回講義/第2章第6節「ルールなき資本主義」

n  アイヌさまよえる遺骨/和人・尊厳・民主社会/平田剛士

n  イタリア学習社会の歴史像/佐藤一子著/評者新藤浩伸東京大学講師

n  おとなこそ絵本を/ノンフィクション作家柳田邦男さん/『コルチャック先生 子どもの権利条約の父』を翻訳

n  書架散策/亀田美佐子/フリーダ・ナイト著『ベートーヴェンと変革の時代』/時代と格闘する姿が鮮やかに

n  「君が代」条例可決強行/大阪府議会/「維新の会」暴挙に市民ら抗議/府議会定数削減も強行狙う

n  5月ヘッドライン)

n  ヒトラー理解#ュ言の監督追放/カンヌ映画祭

n  憲法生きる民主社会実現へ/レツド・パージ裁判の今日的意義/橋本敦

n  元ナチ看守の釈放判決に控訴

n  御堂関白記と遣欧使節資料/日本初、記憶遺産推薦へ

n  元ナチス看守/禁錮5年も高齢で保釈/ドイツ、落胆の声

n  仏大統領選まで1年/極右の動き国民が注視

n  映画の窓/おとうと/哀歓あふれる姉弟愛

n  4月ヘッドライン)

n  石子順のにちようシネマ館/ナチス、偽りの楽園 ハリウッドに行かなかった天才(米)

n  新作DVD/ラインの監視(米、1943年)

n  ハンガリー「生者の行進」/ホロコースト忘れない

n  風の色/崔善愛/ポーランド人とともに

n  池辺晋一郎の会いたくて/写真家大石芳野さん

n  「平和のバラ」/長崎で写真展

n  レーダー/問われるNHK会長の資質

n  3月ヘッドライン)

n  映画/「英国王のスピーチ」(イギリス・オーストラリア合作)/苦悩越える劇的展開

n  ショパンの手紙72年ぶりに発見/ポーランド

n  文化/パウル・クレー展/ユーモラスで不気味/明快で不可思議

n  劇団月曜会/ブレヒト作品来月上演へ/広島

n  文化/経営学を軸にした青春小説「もしドラ」人気を読む

n  書架散策/福島智/ヴィクトール・E・フランクル著『夜と霧』/苦悩と共に生きる精神の自由

n  ナチ風の衣装を謝罪

n  潮流

n  ナチ風の衣装に抗議

n  2月ヘッドライン)

n  試写室/NHKスペシャル日本人はなぜ戦争へと向かったか/NHKテレビ後9・0

n  国際平和運動家黒川万千代さん死去

n  米基地反対沖縄に連帯/2・11富山県民集会

n  「建国記念の日」不承認/歴史に学び憲法生かす/各地で集会/島根/徳島/佐賀

n  アウシュビッツに3宗教指導者

n  番組改変事件10年/NHKの明日へ/下/メディア研究者松田浩/民主主義と未来につながる問題

n  番組改変事件10年/NHKの明日へ/中/フォーラムで/テレビに絶望してほしくない

n  1月ヘッドライン)

n  番組改変事件10年/NHKの明日へ/上/市民の輪/正義と被害者の名誉のため

n  アウシュビッツ解放66年/女性のたたかい国連総長称える

n  アウシュビッツ解放66年/各地で虐殺犠牲者追悼

n  背表紙/『ゴーマニズム宣言SPECIAL 新天皇論』……教育勅語と同流

n  入場者数が過去最高/アウシュビッツ跡地/ポーランド

n  ナチ戦犯情報伝えず/旧西独、拘束8年前に把握

n  映画の窓/レッドクリフPartT/戦争の愚かさに分け入る描写

n  病院敷地内に集団墓地/ナチス「障害者抹殺」の犠牲者か/オーストリア

 

2011年(本文)(Page/Top

映画の窓/踊る大捜査線THE MOVIE3/前作から7年、また危機が

 かつてに比べると年末の映画放映は少なくなった。
 「踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!」は、前作から7年たって新湾岸署への移転作業中に事件発生。係長になった青島(織田裕二)がすみれ(深津絵里)とともにまた危機に。「M‥I―2」は、トム・クルーズが殺人ウイルスをテロリストから奪還する作戦。「容疑者Xの献身」は、殺人事件解明に福山雅治の天才物理学者と堤真一の本物の天才とが関わっていく。「劇場版イナズマイレブン 最強軍団オーガ襲来」は未来から来る闇の軍団と中学生サッカーチームとの試合アニメ。
 NHKBSプレミアムは「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」。ショーン・コネリーがハリソン・フォードと絶妙な父子関係を見せてナチス・ドイツと聖杯を奪いあう。子どもむけアニメがずらりと。「劇場版きかんしゃトーマス 伝説の英雄(ヒロ)」は日本から来た機関車を助けようとトーマスが―。個性的でおもしろい。「ニルスのふしぎな旅 劇場版」は魔法で体が小さくなった子どもがガチョウに乗って空を飛ぶ。「MARCO 母をたずねて三千里」はアルゼンチンへ行くイタリアの少年の母さがし。ほかに「劇場版 フランダースの犬」は貧乏とたたかう少年と犬との愛と友情、など。
 (石子 順 評論家)
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2011年12月23日,「赤旗」) (Page/Top

仏映画「サラの鍵」/パリのユダヤ人迫害刻む/浦東直子

 ホロコーストへの出発点ヴェル・ディヴ(冬の競輪場)の地獄を見た少女サラの運命は…? ナチス占領下のパリで、フランス政府がユダヤ人を迫害した事件を追うジャーナリストのジュリア(クリスティン・スコット・トーマスの陰影の濃さ!)。彼女は、夫が祖母から相続したアパートは、実はこの時検挙されたユダヤ人家族のものだったかもしれない、と疑うようになる。
 1942年7月16日早朝のパリ。10歳の少女サラ(メリュジーヌ・マヤンスの演技に拍手!)は幼い弟ミシェルとベッドの中で戯れていた。無作法に叩かれるドアの音。おびえる母にすぐ立ち退くよう強制するフランス警官の声。サラはすばやく弟を納戸に押し込み鍵をかける。7月の酷暑の中、黄色い星を胸にした1万3000人のユダヤ人家族が検挙され、そのうち8000人が水もトイレもない屋内競輪場に詰め込まれた。阿鼻叫喚、混乱のシーンは手持ちカメラで撮られ、移動カメラの俯瞰描写に息をのむ。サラは鍵を握り締め、弟を救いたい一心で、もう一人の少女と収容所を脱走。このとき彼女たちを見逃すのは「ジャック!」とサラに呼ばれた仏警官だ。個人としてこんな非道な命令には従えなかったのだ。
 ジュリアは妊娠中の身も顧みず、アパートの住人探しにのめりこむ。パリのホロコースト記念館を訪れ、石碑に刻まれた無数の名前を暗澹と見守る。膨大な記録から館長は「統計ではない。一人一人の命が問題なのだ」とサラの写真を引き出した。ジュリアは夫の父親を執拗に問い詰め、遂に真実を知る。
 サラは今も生きているのか? ミシェルはどうなったのか? サスペンス仕立てでもある結末は省くが、映画は過去と今が交互に入れ替わる趣向で、ナチスや当時の仏ヴィシー政権をなじる前に、悲劇を傍観し利益を得た人たち、サラを救った農民夫婦のような尊い人たち、生き延びたユダヤ人たちのトラウマはその子孫たちにも及ぶ事実を、ものの見事に物語るのである。ル・モンドは「歴史的レッスンを感動に結びつける野心作」と三つ星をつけ、エクスプレスは「まれな気高さ」と言い、テレラマは「アメリカで大成功。オスカーの候補になるのでは…」と言う。フィガロスコープは「美しいメロドラマ」ゆえに五つ星をつけた。
 ジル・パケ=ブレネール監督自身「悲劇を実感してほしい。土曜の夜に見られる美しい映画を目指した」と言い、私も彼の意図は成功したと思う。サラが逃げ惑うフランスの田園風景、初めて見るノルマンディー上陸作戦跡の暗い海岸、それぞれ自然の美しさが悲劇に寄り添って深く心に刻まれるのである。今は内務省に面変わりしたヴェル・ディヴは、日本文化会館の目と鼻の先にある。日本も津波や放射能汚染に苦しんでいる。世界のどこかでいつも誰かが泣いている。今もどこかで続いている戦争や災害で家族や家を失った人々の辛さを噛みしめずにはいられなかった。
 (うらひがし・なおこ フリージャーナリスト/在パリ)
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2011年12月21日,「赤旗」) (Page/Top

11回顧/演劇/原発・基地など描く/戦争を許さない心多彩に

 3・11東日本大震災と原発事故により、被災地をはじめとした演劇関係者は、公演会場が失われたり、使用困難になるなど、多大な被害をうけました。被災地での演劇活動再開の努力や、全国各地の支援活動など、大災害に立ち向かう演劇人の動きは、多彩でした。

深い矛盾を表現
 日本演出者協会は「東日本大震災被災地の舞台芸術家を支援する事業」を行い、「被災地のアーティスト・レポート」と題したディスカッションなど、多様な催しは注目されました。
 非戦を選ぶ演劇人の会は朗読劇「核・ヒバク・人間」を上演(8月)し、原発の非人間性をさまざまな角度から追及しました。
 基地問題を問う芝居「推進派」(燐光群、6月)、「普天間」(青年劇場、9月)が上演され(いずれも坂手洋二作)、国民と米軍基地との間の深い矛盾を舞台で示すものとなりました。一人親家庭の困難と苦闘を笑いと共に描いた「シングルマザーズ」(永井愛作・演出、2〜3月)は、見応えがありました。公立病院の閉鎖・崩壊が相次ぐなど、医療現場が厳しい状況に追い込まれている中、「青ひげ先生の聴診器」(青年劇場、3月)は、その一端を反映しました。
 「南へ」(野田秀樹作・演出、2〜3月)、「イロアセル」(倉持裕作、10〜11月)は、現代のメディアのありようへの疑問符を示す作品でした。

専横や迫害追及
 創立80周年の前進座は歌舞伎公演や、新作「明治おばけ暦」(山本むつみ作、10月)の成功などで気をはきました。大逆事件で幸徳秋水らが死刑執行されて100年の今年、上演された「大逆の影」(黒川欣映作・演出、11月)は、大逆事件が天皇制権力の専横を表すものであったことを見事に舞台化したものでした。
 「コラボレーション」(加藤健一事務所、2月)はナチスの迫害を受けたドイツ人作曲家リヒャルト・シュトラウスと、ユダヤ人作家シュテファン・ツヴァイクを描き、強い印象を与えました。
 「どうしてジャンケンできないの?〜大阪空襲ものがたり〜」(劇団きづがわ、3月)、「月光の海ギタラ」(俳優座、5月)、「骸骨ビルの庭」(劇団文化座、6月)などは戦争で苦難を押し付けられた人々の諸相を新たに舞台化。広島・長崎で被爆した親子を描く朗読劇「夏の雲は忘れない」(「夏の会」)は4年目を各地で展開、同テーマで長い歴史を持つ「この子たちの夏」(木村光一構成・演出)は、4年ぶりに上演されました。戦争を許さない演劇人の心が、多様に花開いた1年でした。
 (大井民生)

★私の選んだ5点

■北野 雅弘(演劇学研究者)
@「南へ」(野田秀樹作・演出、野田地図)2〜3月
A「推進派」(坂手洋二作、燐光群)6月
B「山羊…それって…もしかして…シルビア?」(E・オルビー作、文学座アトリエの会)7月
C―宮澤賢治/夢の島から―「わたくしという現象」(カステルッチ構成・演出)、「じめん」(飴屋法水構成・演出)〔フェスティバル/トーキョー・オープニング委嘱作品〕9月
D「おやすみ、かあさん」(マーシャ・ノーマン作、メジャー・リーグ他)11〜12月
 〔時間順〕

■村井 華代(演劇学研究者)
@「ザ・ショー・マスト・ゴー・オン」(ジェローム・ベル構成・演出、彩の国さいたま芸術劇場ほか)11月
A「無防備映画都市―ルール地方三部作・第二部」(ルネ・ポレシュ作・演出、フェスティバル/トーキョー)9月
B―宮澤賢治/夢の島から―「わたくしという現象」(カステルッチ構成・演出)、「じめん」(飴屋法水構成・演出)〔フェスティバル/トーキョー・オープニング委嘱作品〕9月
C「南へ」(野田秀樹作・演出、野田地図)2〜3月
D「血の婚礼」(清水邦夫作、大規模修繕劇団旗揚げ公演)6〜7月
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2011年12月16日,「赤旗」) (Page/Top

文化/「サラの鍵」フランスのユダヤ人迫害描く/ジル・パケ=ブレネール監督

自国の苦い過去=A若者にはショック
 映画「サラの鍵」の撮影を終えたとき「つくって良かったという喜びがありました」とジル・パケ=ブレネール監督。今はさらに「深い喜びを感じている」と言います。各国を回りながら強い手応えを味わっているからです。日本公開を前に来日した監督に聞きました。
 児玉由紀恵記者

 1942年7月16日、ナチス占領下のパリ。10歳の少女サラが弟とじゃれあっていた朝、家をフランス警察が襲います。弟をとっさに納戸に隠し鍵をかけるサラ。両親やアパートの他のユダヤ人とともにヴェルディブ(屋内競輪場)に連行されてしまいます。
 映画はこのサラの物語と、現代のパリで生きるアメリカ人の女性ジャーナリスト、ジュリアの人生とを交差させながら描きます。ユダヤ人迫害の歴史的事件にフィクションをとけ合わせた巧みな構成。

祖父ら犠牲に
 パケ=ブレネール監督は、ユダヤ系フランス人。祖父、曽祖父、大おじが、ナチス収容所で命を落としています。
 4年半前、タチアナ・ド・ロネの原作小説(邦訳は新潮社)を手にした時、半分も読まないうちに魅せられ、映画化を申し込んだといいます。
 「ホロコーストの題材でいつかは映画をと思っていたので、出合ってしまった≠ニ。プロットに力のある素晴らしい小説で、映画に必要な要素が詰まっています。事件の実際を知らないフランス人が多いので、視覚化するのは大事なことだと思いました」
 サラは両親と引き裂かれ別の収容所へ。弟を救いたい一心で必死に脱出しますが…。
 ジュリアは、雑誌でヴェルディブ事件の担当となる一方で、夫の祖母から譲られ家族で住む予定のアパートに関わる歴史を調べていきます。
 「二つの時代、2人の女性主人公を共存させて、観客に2人を愛してもらうのは至難の業ですね。少女のサラには、観客の関心は当然いくだろうけど、ジュリアにどれだけ思いを寄せてもらえるかはわからない。でも、ジュリア役のクリスティン・スコット・トーマスの才能によって、なしとげられたと思っています」
 アパートは、戦時中ユダヤ人から接収したものでした。ヴェルディブ事件を調べるジュリアと、サラとの接点が明らかになっていきます。
 ジュリアは中年で妊娠したことや、アパートの秘密を探索することで、夫と不仲に。それでも「真実を知りたい」と思いを貫きます。サラの人生の推移に緊張感をはらみながら迎えるヤマ場。命をつないでいく物語に激しく胸をつかれます。

未来開くため
 昨年、東京国際映画祭のコンペ部門に出品され最優秀監督賞、観客賞をダブル受賞。
 「日本の若い人は、アメリカ映画に関心が強いだろうし受けとめてもらえるのかなと思っていましたが、観客賞までいただき、自分の思い込みが誤りだとわかりました」
 イギリス、ニュージーランド、ノルウェー…、多くの国々をキャンペーンで訪れたのは初めてのことでした。
 「どこでも人々の心の琴線に触れている感想を聞きました。つくるべき映画をつくったという感慨があります」
 ヴェルディブ事件では、1万3000人のユダヤ人が検挙され、8000人が競輪場へ。第2次大戦中、7万6000人のユダヤ人がフランスからナチス収容所に送られます。95年、シラク大統領(当時)が、こうしたユダヤ人迫害を、フランス政府と市民の犯した過ちと認めます。
 「フランスの若い観客の中には、自国でこんなことが、と非常にショックを受けた人もいました。過去を見つめることで未来がひらけていくと思います。単に歴史を知れというのではなく、なぜそういう事態になったのか、プロセスに関心を持ってほしい。サラの悲劇は、今も、世界のどこにでもあることですから」

1974年、パリ生まれ。映画監督、脚本家。2001年、マリオン・コティヤール主演の「美しい妹」で監督デビューし多くの賞を受賞。ほかにコメディー、サスペンスなどの監督作品。「サラの鍵」は、脚本も共同で担当

17日から東京・銀座テアトルシネマ、新宿武蔵野館ほか全国で公開。○2010−Hugo Productions − Studio 37 −TF1 Droits Audiovisuel − France2 Cinema
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2011年12月11日,「赤旗」) (Page/Top

映画の窓/借りぐらしのアリエッティ/少女の感性いきいきと

 「借りぐらしのアリエッティ」は米林宏昌が監督。宮崎駿の後継者があらわれてほっとさせた。小人たちの生活描写と14歳の少女の感性と行動がいきいきしている。
 「ワンピース 呪われた聖剣」は人気マンガの劇場アニメで海賊たちがある島の宝刀を求めて妖しい人物にぶつかる。「ゲット スマート」は素人まがいのスパイと整形美女の相棒との活躍。
 NHKBSプレミアム、山田洋次監督が選ぶ100の家族の映画は吉村公三郎監督の「安城家の舞踏会」。「桜の園」をもとに戦後の華族一家の最後を描く。原節子、滝沢修、森雅之らが古い時代の終わりを印象づけた。
 「レイダース 失われたアーク《聖櫃》」はS・スピルバーグ監督+ハリソン・フォードで、考古学者とナチス・ドイツとの伝説の秘宝の争奪活劇。「二百三高地」は仲代達矢が乃木将軍に扮した。莫大な犠牲を強いた日露戦争の愚かさを描くが戦争批判にはならない。「シン・レッド・ライン」はガダルカナル島で、アメリカ兵が目に見えない日本兵と戦う恐怖感を感じさせる。「アラビアのロレンス 完全版」。ピーター・オトゥールのロレンスによって第一次大戦下の英国のアラビア支配の野望を描いた。
 (石子 順 評論家)
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2011年12月09日,「赤旗」) (Page/Top

アジア・太平洋戦争きょう開戦70年/侵略戦争の歴史伝える努力を/成り立たない「自存自衛」論

 8日は、1941年のこの日、日本陸軍が英領マレーに上陸し、海軍がハワイ真珠湾の米艦隊を奇襲攻撃してアジア・太平洋戦争が始まってから70年となります。しかし、70年たった現在も、日本が行った侵略戦争と植民地支配を美化する政治家の発言や歴史教科書問題など、歴史をゆがめようとする潮流が後を絶ちません。戦争体験者が少なくなる中、侵略戦争の真実を伝える努力が引き続き重要です。

 侵略戦争を美化する勢力は、アメリカがイギリス、中国、オランダとともに日本を経済的に圧迫(ABCD包囲網)し、強硬な要求を突きつけてきたために、日本は「自存自衛」のためにやむなく開戦したかのように描こうとしています。
 しかし、こうした主張は、日米の最大の対立点の一つが日本の中国侵略問題だったことをまったく無視するものです。
 1931年に中国東北部への侵略戦争(満州事変)を、37年に中国への全面侵略戦争を開始した日本は、中国の徹底抗戦に直面し、戦争終結を展望できない泥沼に陥りました。中国に権益を持つアメリカ、イギリスなどは日本の中国侵略に反発し、中国を支援しました。
 日本は40年、ナチス・ドイツが電撃戦でオランダ、フランスを占領し、イギリスへの空爆を開始したことに幻惑され、日独伊三国軍事同盟を締結。フランスがドイツに降伏したのに乗じて、ビルマから中国に通じる米英諸国の中国援助のルートの遮断と戦争継続のための重要資源を確保しようと、北部フランス領インドシナに侵攻しました。これは米英諸国との対立を決定的にしました。
 日本はさらに41年8月には南部フランス領インドシナに進駐しました。
 これに対し、アメリカは石油の対日輸出などを禁止し、中国からの日本軍の撤兵を要求しました。ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相は「大西洋憲章」で、第2次世界大戦後の世界が立脚すべき基本原則として、民族自決の原則とともに、いかなる国にも不当な領土の拡大を許さない立場を明らかにしていました。アメリカが日本軍の中国撤兵を求めたのも当然でした。
 しかし、日本は「米国の主張にそのまま服したら支那事変(日中戦争)の成果を壊滅するものだ。満州国をも危くする。さらに朝鮮統治も危くする」(東条英機陸相、後に首相)と撤兵を拒否しました。11月5日、昭和天皇が臨席した御前会議は、11月末までに対日経済封鎖の解除が実現できなければ12月初旬に開戦することを決定。アジア・太平洋戦争に突入していきました。
 このように、アジア・太平洋戦争は、中国侵略戦争の延長線上に発生した戦争でした。この二つの戦争を切り離して、日本がアメリカの不当な要求に対して「自存自衛」のために立ち上がったなどという見方は成り立ちません。
 アジア・太平洋戦争を含む足かけ15年の日本の侵略戦争によって、2000万人を超えるアジア諸国民と300万人を超える日本国民の命が奪われました。
 この痛苦の歴史は過去のことと済ますことはできません。野田佳彦首相が12、13日に計画していた訪中を延期したのは、13日が日本軍による虐殺事件=「南京事件」(1937年)の節目にあたるため、中国側が影響を配慮して再調整を申し入れたと報道されています。
 歴史の過ちを繰り返さず、アジア諸国民との真の友好を築くためにも、歴史をゆがめる侵略戦争美化論を許さないことが必要です。

1931年 日本軍が中国東北部の柳条湖で鉄道を爆破。軍事行動で「満州」制圧
  32年 日本がかいらい国家「満州国」を建国
  33年 日本が国際連盟を脱退
  37年 北京近郊の盧溝橋で日中両軍衝突。全面戦争へ
  39年 ドイツ軍がポーランド侵攻、第2次世界大戦始まる
  40年 9月 日本軍が北部仏印に侵入
      9月 日独伊三国同盟締結
     10月 大政翼賛会発足
  41年 7月 日本軍が南部仏印に侵入
     11月 御前会議で12月初旬の対米英開戦を決定
     12月 日本軍がマレー半島上陸、ハワイ真珠湾を奇襲攻撃、アジア・太平洋戦争に突入
  45年 天皇制政府、ポツダム宣言を受諾して連合国に降伏
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2011年12月08日,「赤旗」) (Page/Top

シリーズ歴史と現代/12・8と東南アジア全面侵攻/根本敬/真珠湾奇襲が始まりでない

 大学生の多くは12月8日の真珠湾奇襲で「太平洋戦争」が始まったと思っている。多くの日本人もそうであろう。しかし、事実は違う。日本の海軍機動部隊による真珠湾奇襲の約65分前に、陸軍を中心とした部隊がマレー半島のコタバルに上陸し「アジア・太平洋戦争」は始まっている。これはこぼれ話的な細かい事実などではない。この戦争の特質を一番よく表している重要な史実なのである。それは二つの点で説明できる。

深くつながる作戦
 第一に、マレー半島への上陸のほうが真珠湾奇襲より先だったことは、この戦争が日本による東南アジアへの全面侵攻と占領を目的としたものだったことを象徴している。まずはイギリスの東南アジアにおける拠点シンガポールを陥落させることが軍事的に重視されたので、マレー半島に上陸し南下作戦を展開したのである。その際、大きな戦力を持つアメリカ太平洋艦隊が早々にやってきて日本軍の侵攻作戦を邪魔したら困るので、事前に鹿児島湾などで飛行士の訓練を十分に積んだうえで、オアフ島の真珠湾を奇襲したのである。この二つの作戦は相互に深くつながっており、どちらがより重要かといえば、作戦上(軍事上)は真珠湾奇襲かもしれないが、歴史上はコタバル上陸のほうだといわざるを得ない。
 第二に、アメリカへの宣戦布告が真珠湾奇襲に間に合わなかったことが「だまし討ち」だったとして議論されることがあるが、たとえ遅れてしまったとはいえ、宣戦布告をしようとした事実が存在する(「日米交渉打ち切り」というあいまいな表現を用いたが)。しかし、マレー半島上陸のほうは「何の断りもなく」おこなわれ、あたかも「植民地だから勝手に侵略してよい」と日本側が思っていたかのごとくである。ここには東南アジアに対する蔑視があったといえ、まさに戦争が「東南アジアへの侵略」だったことをよく表している。
 こうした事実からわかるように、この戦争を「太平洋戦争」と呼ぶのはきわめて一面的である。「太平洋戦争」と呼んでしまったら最後、「日米の戦争だった」という記憶が独り歩きし、その結果、アメリカの「物量に負けた」「レーダーに負けた」「合理主義に負けた」といった解釈だけが重要視されることになる。しかし、戦争は東南アジアへの全面侵攻と占領が目的でおこなわれたのだから、正確には「アジア・太平洋戦争」と呼ぶべきである。もちろんその際に中国での戦争も継続していたことを忘れてはならない。

民衆に負けた史実
 このことに気付くとき、私たちは12月8日を「真珠湾奇襲の日」としてだけではなく、「東南アジアへの全面侵攻開始の日」として正しく記憶することができよう。それによって、日本がアメリカの「物量」や「レーダー」や「合理主義」に負けただけでなく、東南アジアの民衆の日本軍に対する反感とナショナリズムにも負けたのだという史実を認識することができる。最近、ビルマ(ミャンマー)の民主化進展が話題になっているが、同国で民主化運動を指導するアウン・サン・スー・チーは「ビルマ独立の父」アウン・サン(1915〜47)の娘である。アウン・サンがビルマ国民に尊敬される理由は、彼が英国に象徴される帝国主義と戦い、かつ日本軍に象徴されるファシズムとも戦ったからである。娘のアウン・サン・スー・チーが生まれた1945年6月、父アウン・サンは日本軍に対する武装蜂起を指導していた。戦争はまさに「アジア・太平洋戦争」だったのである。
 (ねもと・けい 上智大学教授)
 (随時掲載)
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2011年12月07日,「赤旗」) (Page/Top

文化/アウシュヴィッツから奇跡の生還/作家プリーモ・レーヴィの生涯展/地獄と罪悪感と

 アウシュヴィッツの収容所から生還し、恐るべき実態を記録・告発した作家・プリーモ・レーヴィ。その生涯と仕事を紹介する日本初の展覧会が京都で開催中です。波乱にみちたレーヴィの人生と著作が現代に語りかけるものとは…。
 金子徹記者

 プリーモ・レーヴィ(1919〜87)はユダヤ人としてイタリアのトリノで生まれました。化学を専攻し製薬会社などに勤務。ムソリーニ政権下、42年に反ファシズム運動に参加し、43年にはパルチザン部隊に。同年12月にファシスト軍に捕らえられ、44年2月にアウシュヴィッツ収容所に送られました。
 レーヴィは、収容所についてこう記します。
 「これは地獄だ。我々の時代には、地獄とはこうなのだ」(47年、『アウシュヴィッツは終わらない』)
 到着直後、労働力にならないと即決された女性や老人たちは「選別」されてガス室へ。生かされた者も、荷物はもちろん服や靴が奪われ、頭髪も刈り取られて丸裸にされます。名前も奪われて、代わりに腕には識別番号の入れ墨を施され、過酷な労働を課せられます。
 「これよりみじめな状態は存在しない。考えられないのだ。自分のものはもう何一つない」(同前)
 囚人頭から、繰り返し浴びせられる言葉も残酷なもの。
 「ここは療養所じゃないぞ、ここからは煙突からしか出られないんだ」
 ガス室を経て、焼却されて煙にならなければ出られない。「絶滅収容所」がアウシュヴィッツだったのです。
 展覧会では、日本初公開の資料や写真を含め、生涯と作品がたどれるように解説パネルを展示。レーヴィが、アウシュヴィッツから持ち帰った上着の実物大の写真パネルなどもあります。
 モノとしてあつかわれ、使い捨ての労働力としかみなされない囚人たち。収容所での生活が、いかに人格を破壊するものだったか。人間とは何か。レーヴィの後半生は、アウシュヴィッツを考えぬくためのものでした。
 第1作『アウシュヴィッツは終わらない』は、初版では注目されませんでしたが、58年に再刊された際には高い評価を得ました。
 続く『休戦』(63年)では、ソ連による解放後、不安定な状況下で遠回りを余儀なくされながらも故国へ帰還するまでを皮肉やユーモアを交えて活写。96年に、フランチェスコ・ロージー監督によって映画化(邦題「遥かなる帰郷」)されています。
 レーヴィの「奇跡の生還」は、自身がしばしば記したように、化学者でありドイツ語が分かったことで、収容所内では有利な立場に置かれたことに起因しています。生還後のレーヴィは、自身の特権性について罪悪感にさいなまれながら分析。こう記します。
 「最悪のものたちが、つまり最も適合したものたちが生き残った。最良のものたちはみな死んでしまった」(86年、『溺れるものと救われるもの』)
 克明に体験を記録し、理性的に分析を続けたレーヴィ。晩年は、「ホロコースト(大量殺人)はなかった」とする一部の歴史家の歴史「修正」の動きとたたかいました。
 しかし、例外的に生きのびたこと自体への罪悪感からは、逃れられませんでした。
 87年、レーヴィは自宅の階段から転落して死去しています。遺書はなく、自殺という説も有力です。

 「プリーモ・レーヴィ アウシュヴィッツを考えぬいた作家」展 12月17日まで、京都・立命館大学国際平和ミュージアムрO75(465)8151
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2011年12月04日,「赤旗」) (Page/Top

アサド氏に退陣を要求/トルコ首相

 【カイロ=伴安弘】トルコのエルドアン首相は22日、テレビでの演説で、自国民を武力弾圧しているシリアのアサド大統領の退陣を求めました。退陣に言及したのは初めてのことです。
 同首相はナチス・ドイツのヒトラーやイタリアのムソリーニなど過去の独裁者の最期を引き合いに出しながら、アサド大統領がリビアのカダフィ大佐と同様の「流血の」最期を迎えることになると指摘。「自国の国民や(中東)地域のために、辞任を求めたい」と述べました。
 この演説の前日の21日にシリア政府軍はトルコの一般市民が乗った、少なくとも2台のバスに銃撃を加えています。これはアサド大統領批判を強めているトルコへのシリア軍による報復とみられています。
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2011年11月24日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 「男なら男らしくしろ」「女房、子どもを泣かすのか」。東京のある教師は、卒業式の「君が代」斉唱時に立てと強いる校長から、何度も脅されました▼胸中をかけ巡る怒り、無力感。ついに起き上がれなくなって入院しますが、医師にも迫られます。起立するか。辞めるか。相談にかけこんだ先が、精神科医の野田正彰さんです。野田さんのもとに、同様の相談が相次ぎました▼「君が代」の伴奏を強いられた音楽教師は、ストレスのあまり胃から出血し緊急入院。動脈の8カ所で止血を施すほどの重症でした。良心の自由と強制の間で苦しむ心の危機を、「君が代症候群」とよぶ野田さん。大阪の教育基本条例案に反対するアピールの、よびかけ人でもあります▼条例案は、橋下知事が求める「独裁」の教育版です。翻訳家の池田香代子さんは当初、条例案を「ばかばかしい」とみなしていたそうです。が、心のどこかにおりのようにひっかかる。とある機会に全文を読み、正体を知ります▼条例の7割を「問題教師」の排除に割く。上意下達と監視の義務づけ。首長や議会は民意の代表だからと、政治が教育に乗り出す…。ドイツとかかわりの深い池田さんは、省みます。かつて多くの人があんなばかばかしい連中が政権などとれるはずがない≠ニ高をくくり、ナチスの政権とりを助けた。同じく自分も条例案を軽くみていた、と▼昨年春から、橋下流のやり方を「ハシズム」とよんでいた池田さん。もちろん、アピールのよびかけ人です。
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2011年11月20日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 2カ月以上たちますが、覚えている人は多いはずです。玄葉外相がいいました。「踏まれても蹴られても誠心誠意、沖縄のみなさんに向き合っていく」▼すぐに、抗議をうけました。沖縄を踏みつけているのは政府の方だ、加害者が被害者ぶるとはなにごとだ、と。しかし、玄葉外相はこりません。沖縄を踏みつけるような発言を、くり返しているのですから▼9月末、国会でのべました。「(アメリカの)海兵隊がどうしても沖縄に必要だ」。沖縄の多くの人々が、海兵隊はいらないと思っているのに? 外相は、「どこよりも東アジアに等しく近い地政学的な位置が大きい」からと説明します▼外相の論法では、普天間基地の沖縄外への移転も論外となります。ちなみに地政学とは、政治や軍事と地理との関係を研究する学問です。第1次大戦後のドイツで関心を集め、ナチスが支持しました▼10月下旬、外相は国会で語ります。鳩山元首相が「(普天間基地の移転先は)最低でも県外」と選挙で公約したのは「誤りだった」。沖縄県民が、「最低でも県外」の実行を求めているのに。加えて玄葉外相は、自由貿易について「まずTPP(環太平洋連携協定)をやる」といいます▼沖縄のサトウキビ農業に大打撃を与えるTPP。野田首相は先の所信表明で、神妙に「春風をもって人に接し、秋霜をもってみずから粛む」といいました。しかし、南国に身を切るほど冷たい秋霜をもたらす野田政権、どこまで沖縄を踏みつけるつもりなのか。
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2011年11月10日,「赤旗」) (Page/Top

映画/「やがて来たる者へ」(イタリア)/未来に託した思い

 第2次大戦末期に北イタリアの山村を襲った悲劇が描かれている。当時の北イタリアでは支配するドイツ軍に対して、元兵士や一般市民からなる反ファシズムのパルチザン部隊が、ゲリラ的戦闘でドイツ軍の後方を攪乱していた。
 南から進軍して来る連合軍を迎え撃つために、ドイツ軍はパルチザンを排除する戦略を立て、住民を巻き込んだ戦闘や虐殺が繰り返された。映画の背景になっているマルザボット村の虐殺は、中でも最大規模のものだった。
 主人公は8歳の天使のような少女マルティーナ(グレタ・ズッケリ・モンタナーリ)、大家族の農家の一人娘である。生まれたばかりの弟を自分の腕の中で亡くして以来、口をきかなくなっている。農家の生活が丁寧に描かれる。春の種まきや秋の収穫、牛や豚の飼育。手伝いをするマルティーナ。
 母親が再び妊娠し、新たな生命の誕生を心待ちにするマルティーナや家族たち。マルティーナの家には夜間、パルチザンが食料や物資の調達で秘かに出入りし、日中は若いドイツ兵もやってくる。マルティーナには誰が敵か味方か分からない。
 豊かではないが、質素堅実に生き、家族愛に包まれたマルティーナと家族、村人たちは突然理不尽な悲劇に襲われるが、こうした悲劇は今も繰り返されている。
 ジョルジョ・ディリッティ監督は、インタビューでアフガニスタンの例をあげていた。毎日のように戦闘に巻き込まれて犠牲になる多くの市民のことを。
 映画のタイトルは、未来に生きる者を意味し、マルティーナと彼女が守る生まれたばかりの弟にその思いが託されている。
 (村瀬広・映画評論家)
 東京・岩波ホール、大阪・テアトル梅田ほかで上映中、順次各地で
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2011年11月07日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 戦前のドイツで、イタリアとの友好を記念する切手が発行されました。独裁者2人の顔が並ぶ図です▼右のヒトラーの横に、ナチスの党章だった○印とワシの絵。左のムソリーニの横には、刃物のおのの絵。柄にあたるところを細い棒で囲って束ねたおのです。ラテン語で「束」を意味する「ファスケス」とよばれ、古代ローマの権威の象徴でした▼ファスケスは、イタリア語では「ファッショ」です。やはり、束や団結の意味です。ムソリーニのファシスト党は、あのおのを党章に用いました。ファシズムの語源をたどれば、そこに行き着きます▼いま日本では、「ハシズム」という言葉が聞かれます。語源は橋。大阪の橋下知事のやり方や考え方をさします。知事は、「日本の政治のなかでいちばん重要なのは独裁ですよ」といってはばかりません▼語るだけではありません。知事が教育の目標を定め、2年続いて5段階の最低と評価された教師を辞めさせる、教育基本条例案。2年続いて評価づけが最低の職員の首を切る、職員基本条例案。知事にとってのいい職員∞いい教師≠はべらせ、行政も教育も意のままに、というしくみです▼橋下氏、こんどは大阪市長選へ。市長選に名乗りをあげていた日本共産党の前市議、渡司考一さんが立候補をとりやめました。橋下氏はごめんの、反ハシズム戦線。渡司さんは、「人生でいちばん重い決断」といいます。ハシズムがはびこれば、21世紀日本版ファシズムが興るかもしれないのですから。
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2011年11月06日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 四季折々に表情を変える森と、降り注ぐ陽光が彩る、ゆたかな自然。自然の力にねざして耕す労働。自然と労働の上に繰り広げられる日々の暮らし▼そして、暮らしの中に祈りや恋がある。東京・岩波ホールで上映中のイタリア映画「やがて来たる者へ」は、そんな私たち人間のいのちと生活のなりたちを、山あいの村を舞台に細やかに描き出します▼が、村の生活に戦争が入り込んできます。第2次大戦中の話です。南からの連合軍の進撃に対し、イタリア北部になだれ込んできたナチス・ドイツの占領。彼らにとって、村の美しい自然を形づくり村人に恵みをもたらす山も、作戦上の要の地にすぎません▼やがて、血塗られた事件がおこります。村を、国の解放をめざす市民・住民の抵抗運動の根城とみなす、ナチスの手によって。戦争が、自然を壊し、つい先ほどまで営々と続けられてきた労働と暮らしのすべてを奪ってしまいます▼映画は、一部始終を目撃する8歳の少女の目でつづられてゆきます。生き残った少女は、知っています。一切が奪われる時、なにを守って伝えていかなければならないか、を。誰もいなくなった村の家の前で、生まれて間もない小さないのちを抱く少女の澄み切ったまなざしは、まるで永遠の光をおびているかのようです▼いまも世界で、戦争や世の不幸はやんでいません。しかしやはり、かけがえのない自然を守り、よりよい労働と生活をきずいて未来に伝えようとする人々が、世界を変えてゆくのでしょう。
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2011年11月05日,「赤旗」) (Page/Top

神戸で地域人権シンポ

 マスメディアの人権報道を考える第2回地域人権シンポジウムが10月29日、神戸市内で開かれ300人が参加しました。
 「上方芸能」発行人の木津川計氏が基調講演しました。大阪、京都、神戸の各都市のイメージや文化のストック、景観、情報発信などを比較し大阪の「都市の格」の低下を示し、橋下徹大阪府知事が、わずかな補助金まで文化予算を削減したことや、大阪維新の会が提案した「教育基本条例案」「職員基本条例案」を批判。「秋の市長選で最悪の選択がなされた後では遅い。反ファシズム統一戦線の結成こそ急がれる」と結びました。
 シンポジウム実行委員長の本多昭一京都府立大学名誉教授が、東日本大震災の被災者の運動や復興基本法、基本方針を示し復興をめぐる状況や新建築家技術者集団の活動を報告。震災報道が被災者に必要な情報が提供されず、興味本位で、横並びの発表報道などの問題を提起をしました。
 フリージャーナリストの寺園敦史氏は、マスコミが巨大情報産業だと指摘。取材経験にもとづき、部落解放同盟がらみの事件をまったく報道しないことや部落差別のマイナス面を過剰に強調するなどの問題を示しました。
 参加者から、震災復興の街づくりでの学校の役割や「糾弾会」の実態などの質問、意見が出され活発に議論しました。
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2011年11月01日,「赤旗」) (Page/Top

日系米国人「我慢の芸術」/大戦中の収容所生活/廃材製の工芸品展示

 【シカゴ=時事】第2次大戦中のナチス・ドイツによるユダヤ人迫害を後世に伝える「イリノイ・ホロコースト博物館」(米シカゴ郊外)で、「アート・オブ・ガマン(我慢の芸術)」展が開かれています。展示品の製作者は、日米開戦を機に米国の強制収容所での生活を余儀なくされた日系人ら。
 米政府は太平洋戦争開戦後の1942年、日系米国人ら約12万人に対し、住居からの立ち退きを命令。日系人らは手荷物だけを抱え、主に砂漠に設置された収容所での暮らしを強いられました。
 急ごしらえの粗末な住宅での生活で、多くの芸術家ではない人々が廃材や拾った物を生かし、はさみ、おもちゃ、置物など数々の日用品や工芸品を製作。収容所を出た後、つらい思い出がよみがえるこうした作品は屋根裏などにしまい込まれ、米国に反感を抱かせないよう、苦しい体験は子や孫に語り継がれなかったといいます。
 同博物館のアリエル・ワイニンガー学芸員は「この博物館での展示により、優れた技術や作品の質だけでなく、収容者が受けた不当行為が浮き彫りになっている」と指摘。「ガマンは日本と日系米国社会の文化において伝統であり、将来にも受け継がれていく」と強調しました。
 同展の開催期間は来年1月15日まで。
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2011年11月01日,「赤旗」) (Page/Top

生誕地で語る風刺画家/第3回まつやまふみお研究会/松山しんさく

 まつやまふみおは、本紙の政治漫画を1945年から没年(1983)まで、描き続けた風刺画家。来年は没後30年になります。
 新聞漫画は、翌朝には前日の作品を忘れてしまう宿命にありますが、画業を通して眺めれば、作家の存在した時代の必然性が描かれています。本研究会はその記録を歴史のごみ箱に捨てることなく未来につなげたいと、昨年暮れに発足しました。
 10月13日、故宮下森さんの宝暦義民木版絵物語展(長野県小県郡青木村)に合わせて、ふみおの生誕地、同郡長和町で開催しました。同町で神山征二郎監督作品の映画祭を毎年主催している組織「キュルテュール・ド・ながわまち」(主宰、森田公明氏)が開催の母体となりました。
 主題は、2007年信濃毎日新聞連載記事「美術と戦争」を担当した美術記者、植草学氏の講演。元長和町議会議長、丸山武清氏が所蔵する戦前のふみお代表作「第69議会」について語りました。これは、2・26事件の起きた1936年の5月、立憲民政党の斎藤隆夫の粛軍演説の議場です。「軍人が政治に立ち入る時は遂に武力に訴えて相抗争するに到り立憲政治は破壊され…」と、〈満場嵐のごとき拍手裡に深刻なる感銘を与えた〉(東京朝日新聞5月8日付夕刊)場面。それにしても、演説者は描かれず、無力感漂わせる議員たち。ふみおは、演説というハイライトを描かず、粛軍どころか議場に漂うファシズムへ傾斜する軍政支配を、シニカルに洞察していたのではないか。氏の指摘です。
 石子順氏は、軍服を着てひとりふんぞり返る寺内陸相と、しょぼくれた平服の議員達の対比をふみおは諷刺したとコメント。
 この作品は、同年9月銀座紀伊国屋で開いた近代漫画展に展示。同時に出品した「躍進日本!」という作品は、「特高外事月報」(1963‐10)によれば、「出品34点は何れも左翼的観点より現内外世相を批判諷刺したるものにして、内[躍進日本]…の三点は、警視庁に於いて公安を害するものと認め撤去せしめたり」と。後に押収されて所在不明に。これは天皇が描かれたためではないか、とは会場の議論でした。
 当日は、町内に埋もれていた作品「戦死者の肖像」や「一茶俳句の画帳」なども展示・紹介され、作者を知る人も少なくなった生誕地での画業の一端を語り合う交流となりました。
 (まつやま・しんさく、 日本美術会、美術家平和 会議会員)
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2011年11月01日,「赤旗」) (Page/Top

新作DVD/英国王のスピーチ(イギリス、2010年)

 英国王ジョージ6世(コリン・ファース)は思いがけず国王になり吃音(きつおん)に悩んでいます。王妃の助言で言語療法士ライオネルの治療を受けます。国王といえども臆しないライオネルが痛快。ナチス・ドイツに対する戦争を国民に呼びかけ国民と共に乗りきっていこうとする国王のスピーチが力強い。監督はトム・フーパー。アカデミー賞で作品賞、主演男優賞などを受賞。(ギャガ 3990円)
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2011年10月23日,「赤旗」) (Page/Top

映画の窓/ヒトラーの贋札/収容所内、極限の抵抗

 NHKBSシネマでは米アカデミー賞受賞作品が並ぶ。外国映画賞の「ヒトラーの贋札(にせさつ)」は、第2次大戦下にナチス・ドイツが強制収容所内でユダヤ人技術者たちにニセ札作りを強要した事実を体験者の著書をもとに描く。遂行すれば戦争協力、できなければ死という極限での抵抗。脚色賞の「ミッシング」はジャック・レモンが主演。1973年のチリ軍事クーデター後に行方不明になった息子を嫁とともに捜す父。アメリカ映画のクーデター批判。「アラバマ物語」は、黒人差別とたたかう弁護士の勇気をグレゴリー・ペックが演じて主演男優賞を受賞した。
 山田洋次監督が選ぶ家族の1本は小津安二郎監督の遺作「秋刀魚の味」。岩下志麻が娘で笠智衆が父。娘を嫁に出す父の思いをしみじみ描く。佐田啓二、岡田茉莉子が出演、老いと孤独がテーマ。
 地上波では「ダイ・ハード3」でブルース・ウィリスの刑事が連続爆破テロの犯人を陽気な黒人とともに追いかけていく執念。「X―MEN2」は、人類との共存をめざすミュータント集団が彼らの抹殺をはかる軍人と戦う。日本映画では少女漫画が原作の「君に届け」が多部未華子、三浦春馬で高校生の純愛のもどかしさとその成長をとらえた。
 (石子 順 評論家)
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2011年10月21日,「赤旗」) (Page/Top

元ナチス側近の引き渡しを要請/チリ

 【サンティアゴ=AFP時事】チリ最高裁は18日、同国中部に設けられた広大な居留地でかつて誘拐や殺人、性的暴行といった人権侵害が繰り返された事件で、中心人物の元ナチス党員の側近だった医師がドイツに逃げ込んでいるとして、同国に対し身柄引き渡しを求めたことを明らかにしました。
 この居留地「コロニア・ディグニダ」は、昨年88歳で獄中死した元ナチス党員パウル・シェーファーにより1961年に設立されました。ピノチェト軍政時代(73〜90年)には政治犯に拷問を加える収容所としても機能しましたが、90年の民政移管後、閉鎖されました。
 問題の医師ハルトムット・ホップ容疑者はシェーファーの側近でした。事件を捜査中の判事の申し立てに基づき、最高裁が引き渡し要請の可否を審査していました。両国間に身柄引き渡し協定はありませんが、人道に反する罪として国際法に基づき要請は可能と判断されました。
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2011年10月20日,「赤旗」) (Page/Top

戦争に向き合う/岡山市で写真展

 「懺悔(ざんげ)の記憶〜ここに住んでいた…〜」片山和良写真展が岡山市内のアートガーデン(北区富町1の8の6)で開かれています。
 日本リアリズム写真集団岡山支部で活動する片山さんは、機会を得て2005年と07年、10年の3度にわたってドイツに行き、ベルリンなどの都市やポーランドのクラクフ・オシフィエンチム市(アウシュビッツ)で、ナチス・ドイツが犯した犯罪に真正面から向き合うために保存された戦争遺跡やモニュメントを撮影。
 会場には、アウシュビッツの監房や死体の焼却炉、爆破されたガス室、ベルリンの処刑場などをモノクロで表現した作品、38点が並びます。うち10点の組み写真「懺悔の記憶〜ここに住んでいた…〜」は、11年の日本リアリズム写真集団の「視点」で入賞した作品です。
 写真展は17日(月)までの午前11時から午後6時(最終日は5時)まで。
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2011年10月14日,「赤旗」) (Page/Top

ガス室に消えた画家/改修の「ヌスバウム館」で/ドイツ

 北ドイツのオスナブリュック市にある、ユダヤ人画家、フェリックス・ヌスバウムの美術館「ヌスバウム館」が、開館以来13年ぶりに建物を改修、注目を浴びています。
 これまでは、緑の林の奥にひっそりと建っていた美術館が、市の中心を横切る幹線道路の間際までせり出て、一目でそれとわかる姿を見せています。
 ◆
 第2次世界大戦時ユダヤ人だというだけの理由で、ナチス・ドイツの手によってアウシュビッツのガス室で殺されたヌスバウム。逮捕の寸前まで、亡命先の隠れ家で、迫害された人間の苦悩を描き続け、その作品はナチスの蛮行を今日に告発し続けています。
 戦後、その存在を知った故郷の市民たちは、彼が友人に残した「私が消えても、私の絵だけは死なせないで、人々に見せてほしい」という願いを今日に生かそうと、世界の人々に訴えかけ、美術館をつくりあげたのです。
 世界的な建築家ダニエル・リベスキントの手による斬新なデザインとあいまって、美術館には世界各地から、年間10万人に近い来館者がありました。
 今回の改修のきっかけは「入り口のフロアが狭すぎて、なんとかしなければ」ということからだったと、館長のインゲ・イエーナーさん。
 しかし、これまでの、ヌスバウムの作品と人生を、来館者が身をもって感じられる場所に、という思いが色濃かった美術館の特質を生かしながら、さらに現代の人々との平和の懸け橋になるにはどうあればいいのか、模索も続いていたのです。
 改修中にはパリのユダヤ人博物館で、フランスで初めてのフェリックス・ヌスバウム展を開催。パリ中の話題をさらったことも大きな収穫だったようです。
 「戦争を体験した人々が数少なくなる中、これからを生きる次の世代に、ヌスバウムの絵の芸術性や体験の意味を本当に理解してもらうには、もっと伝える側の工夫がいると思ったのです」(イエーナーさん)。
 ◇
 明るく広いエントランスホール。美術館につながる渡り廊下には、リベスキント特有の斜めに開いた大きな窓から、外の緑が降り注ぎます。
 展示場に足を踏み入れると来館者は、まず子ども時代のヌスバウムの写真と出会います。絵に触れる前に、彼がどんな人生を歩んだのかを知るのです。
 170作を超える作品も、これまでの年代ごとにたどる展示から、「景色と自画像」「ユーモア」など、さまざまなテーマごとにまとめ、そこに現代のアーティストの作品を対置することで、現代の芸術との融合を企画。ヌスバウムの作品の持つ芸術性を問いかけています。
 亡命時代に生活費を得るために描いた教科書の挿絵や、雑誌の表紙を飾った絵など、新しい展示も興味深く、子どもたちのために描いたキリンの絵が、子どもの目線に合うよう低い位置に展示されているのも印象的でした。
 (大内田わこ)
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2011年10月03日,「赤旗」) (Page/Top

論壇時評/田代忠利/9・11同時多発テロ10年/米を軸に世界を見てはいけない

 今月は9・11同時多発テロから10年目です。ソ連崩壊後、世界はアメリカの「一極支配」になるという見方がありました。9・11をきっかけにアメリカはアフガニスタン、イラクを攻撃しましたが両国は不安定のままです。他方、いまの世界はアメリカの意のままにならなくなっていることが明らかになりました。

日本政府には変化が見えず
 田中孝彦(早稲田大学教授・国際政治史)「『俺様に従え』では秩序作れず」(朝日新聞9月7日付)は、イラク戦争では「力の源が大きいだけでは相手を自分の意思通りには動かせないし、相手が従うという図式は描けない」ことが実証されたと強調します。それはアメリカが「帝国的な行動」をとり、ドイツ、フランス、中南米諸国のような、友好国でありながら戦争に反対した国々との間に亀裂を生み出したからです。2期目のブッシュ政権は、亀裂の修復に動かざるをえませんでした。
 他方小泉政権は国際政治のこうした変化が見えませんでした。田中氏は、「ついていかなくちゃいけない、日本には北朝鮮の脅威がある、見捨てられたら大変だ、という恐怖感にとらわれているようにも見えました」といいます。そして、日米双方は見捨てることができないほど相互関係がすすんでいるので、「アメリカに『捨てられるんだったら、捨ててみろ』と言ってみたらどうだったでしょう」と直言しています。
 アンドルー・サリバン(政治評論家)「恐怖に屈したアメリカの敗北」(『ニューズウィーク日本版』9月14日号)は、テロに戦争で対応したため、アメリカが非人道的な社会に変質したことを論じています。サリバン氏は当初「恐怖で金縛り」になり、政府を支持しました。しかしアルカイダはソ連でもナチスでもない「狂った連中」であり、戦争に訴える必要のない相手でした。ところがブッシュ大統領の対テロ戦争は、国民の恐怖心を取り除くのではなく、さらにあおってしまいました。
 サリバン氏は、「こうした一連の流れの中で、人々はテロの脅威をひしひしと感じ、今は非常時なのだから憲法の原則が踏みにじられても仕方がないと思うようになった」とのべます。そして、「無実の人間に拷問を加え、自国の憲法を軽んじる破産国家アメリカ。そんなアメリカを、誰が相手にするだろう」と憂慮します。対テロ戦争がアメリカの理念を傷つけ、世界の信頼を失わせたことを、自らの反省をこめて指摘した論文です。
 入江昭(ハーバード大学名誉教授)「現代世界史としての日米関係」(『中央公論』)も、アメリカを軸に世界を見てはいけないと主張しています。入江氏は、「世界史の流れを主として大国間の関係を通して見ることには明らかな限界がある」といいます。中小国や個人、市民団体なども国際秩序の形成に重要な役割を果たしているからです。アメリカは対人地雷禁止条約や地球温暖化の京都議定書に参加しなかったように、国際社会に背を向けるような行動もとりました。入江氏は、「そのような国が世界を指導していくことなどできるのだろうか」と、アメリカ依存の思考をたしなめています。

いらだち募る原発推進勢力
 原発反対運動と原発推進勢力のせめぎあいがはげしくなっています。澤昭裕(経団連21世紀政策研究所研究主幹)「原発不信増幅の構造」(『中央公論』)には、原発再稼働や輸出にむけ巻き返すために、いまや論理もモラルもなくした原発推進勢力の姿があらわれています。澤氏は、「表、つまり報道に出てくるのは、過激で極端な事例や声ばかりなので、国民の不安がますます強くなっていくという悪循環」があると、メディアを非難します。しかしこれまでメディアを広告掲載や接待で原発推進にさんざん利用したことには頬かむりします。
 澤氏は、こういう「空気」のなかで「良識派の研究者」が沈黙していると語ります。専門家は「全て比較考量してからでないと、確たることは言えない」ので、「言えることが限定されてしまう」のだそうです。重大事故となれば異質の危険がある原発には、安全性について「確たることは言えない」場合、ゴーサインを出せないはずです。事故の可能性はさまざまに指摘されていました。ところが「良識派の研究者」は「全て比較考量」したらしく、原発は安全だと断言しました。まったくご都合主義の理屈です。
 国民を原発推進に向けようとした澤氏の、ネットやメディアの発達は「民主的な方向というよりもむしろファシズム的な方向に向かう危険性を秘めています」、「皆が同じ方向に向きがちという状況をつくりあげている」という噴飯ものの発言には、推進勢力のいらだちがうかがえます。
 澤氏は九州電力の「やらせメール」問題でも、株主総会を例に、「賛成派が賛同者を募ろうとしたことは、殊更に責められるものではないはず」と開き直ります。利権をてこに動員するという、社会的に指弾された不公正なやり方を当然視しています。原発利益共同体はこのような人びとからなるだけに、なおのこと危険な存在といわなければなりません。
 (たしろ・ただとし)

今月の動向(編集部)
 被災地の復興をめぐって、漁業権「開放」を迫り、これに反対する地元漁協を非難する論調がめだちますが、加瀬和俊『漁業権「開放」は日本漁業をどう変えるか―沿岸漁業秩序の戦前復帰に反対する』(『世界』)は、「陸地から三キロ内外のごく沿岸の狭い海域」に「漁業権」が設定されている漁場に限って、復興構想会議提言などが企業参入を要求しているおかしさを指摘。「面積的には圧倒的に広く、被災地漁業の中でももっぱら企業的漁業が操業している」沖合・遠洋漁業は「何の制度改定も提起されていない」ことと対比します。そして漁業権「開放」はなんら新しい主張ではなく、「漁村の資産家層が優良漁場を独占し、地元漁業者にはその利益が及ぶことが無かった戦前の状態への復帰の要望」であることを歴史的に跡づけています。
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2011年09月28日,「赤旗」) (Page/Top

女性の目アラカルト/イタリア/長いバカンスゆったりと

 
 今年もバカンスシーズンが終わりました。こちらのバカンスと言うと、小・中・高の学校は6月半ばから9月第1週ごろまでと学生は本当に長い期間あります。大学生は本格的に授業が始まるのは10月からと聞きますので、その間に試験もありますが、こちらのバカンスの長さには本当に驚かされます。
 一方、働くおとなたちは、会社勤めの私の友人を見ても、7、8月の中で2週間取るのが通常のようです。行き先は、ギリシャの島やオランダ、仏コルシカ島等々。8月15日に祝日があるので、この週に多くの会社やお店は休みになり、混雑のピークになります。
 毎年話題になるのが、共働きの両親に代わって子どもの世話をする祖父母たちの活躍。ニュースでも、どれだけの経済効果があるのかと取り上げられます。
 私たちは、カラブリア州に2週間、アブルッツォ州に4日間のバカンスに行ってきました。夫の両親も、アブルッツォ州で10日間のバカンスを過ごしました。
 同州のこの建物(写真)は、ファシズム時代にムソリーニによって建てられ、当時、小学生が、夏に運動や勉強したり、海に行ったりと、いわゆる林間学校のような場所として使われていました。今では、退職教員がバカンスを過ごすための施設になっています。全国から約100人近い退職教員が集まってきていました。
 (プラート在住 斎藤春子)
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2011年09月27日,「赤旗」) (Page/Top

地球ふらいでー/パレスチナ国連加盟問題/国家≠ヨ格上げなるか

 第66回国連総会で最大の焦点の一つとなっているのがパレスチナの国連加盟問題です。何が問われているのかをまとめました。

 1974年11月、パレスチナ解放機構(PLO)が国連総会のオブザーバー資格を獲得。88年12月に「パレスチナ」と名称を改め、98年7月には総会での発言権を得ました。しかし投票権はまだありません。
 パレスチナの国連加盟は国連憲章の規定で、安保理の勧告に基づき、総会出席国の3分の2以上の賛成で承認されます。しかし米国は安保理で拒否権を発動する構え。そうなれば勧告は成立せず、正式加盟は認められません。
 ただこの場合でも、総会で加盟国の過半数ないしは出席国の3分の2の支持があれば、オブザーバーの地位は変わらないものの「機構」から、「国家」に格上げされることになります。
 ロイター通信によるとこの場合、国連による国家承認と解釈されて、国際刑事裁判所(ICC)加入の道も開かれます。メンバー国として、イスラエルによるガザの封鎖や入植地拡大に対して法的措置を求めることも可能となります。

和平交渉の相次ぐ失敗
 イスラエルとパレスチナの和平交渉は1993年の暫定自治協定(オスロ合意)の調印時にさかのぼります。
 同合意に基づくパレスチナ自治政府が96年に発足したものの、2000年にはパレスチナ国家の「最終的地位」をめぐる交渉が決裂。その後も米国のブッシュ、オバマ両政権の仲介で新たな和平交渉が試みられました。
 しかし、イスラエルが占領地での入植地拡大を続けたことが主要な原因となって、ことごとく失敗に終わってきました。
 一方で2002年の3月、アラブ連盟(21カ国とPLOが加盟)の首脳会議は、@イスラエルの全占領地からの撤退Aパレスチナ独立Bパレスチナ難民の帰還―の三つを条件に、アラブ諸国とイスラエルの関係正常化をうたった中東和平案(アラブ和平案)を打ち出しました。アラブ側が「イスラエル承認」に初めて言及した和平案でしたが、イスラエルは拒否しました。

イスラエルと米国への不信
 パレスチナ国連加盟の機運の高まりは、イスラエルと、同国寄りの姿勢をとる仲介役の米国に対するアラブ諸国などの不信が限界に達していることを示しています。
 これに対し、イスラエルや米国は「一方的な独立」を目指すものだと反発。米国は安保理での拒否権行使を明言しています。同時に「拒否権を行使すれば反米感情に火が付く」(米政府のオマリ・パレスチナ問題担当者)と国際世論の反発を恐れています。
 欧州連合(EU)は統一した立場を打ち出せず、ドイツ、イタリアなどは加盟に反対、スペインなどは支持を表明しています。

世界の大勢は独立国家支持
 これに対し、国際社会の大半はパレスチナ独立国家に賛成です。
 118カ国が正式加盟する非同盟諸国は5月、インドネシアで開いた外相会議で「パレスチナに関する宣言」を採択し、パレスチナ国家が可能な限り早く国連に加盟できるよう努力すると表明。アラブ連盟も、パレスチナ独立国家を国連加盟国として承認する立場を決めています。
 英BBCと国際世論調査機関グローブスキャンが18日公表した世界19カ国約2万人を対象にした世論調査の結果によると、パレスチナの国連加盟に自国が賛成すべきかどうか≠ノついて、「賛成すべきだ」が49%で、「反対」の21%を大きく引き離し、米国でも賛成(45%)が反対(36%)を上回っています。
 (本特集は、松本眞志、野村説、カイロ=伴安弘が担当しました)

ラマラでのアッバス議長演説(要旨)

 パレスチナ解放機構(PLO)のアッバス議長(自治政府議長)が16日、ヨルダン川西岸のラマラで行った、国連加盟の申請を正式に表明した演説(要旨)は次の通り。

 われわれはパレスチナ国家として国連の正式加盟国になるという正当な権利を安全保障理事会に要請する。
 私は国連の正式加盟国になることによって独立が達成できるという期待を提起しようというのではない。1967年の国境に基づいた正式加盟国という席を得ることで、エルサレムや国境、水、難民、安全保障、入植地、政治囚(の釈放)などについて明確に言及された基礎に基づく交渉に戻ることができる。
 われわれは真剣な交渉に参加しようとしてきた。しかし、イスラエルからは時間の浪費と既成事実の押し付け以外の何も受け取っていない。(これまでの)交渉によって(合意を)達成するというわれわれの真摯(しんし)な継続的な努力と(イスラエルによる)占領を終わらせ独立国家に到達するという決意は行き詰まりに陥っており、死を迎えていた。

パレスチナ問題そもそも

 パレスチナ問題の発生は、アラブ(パレスチナ)人が住む土地に、19世紀末から欧州での迫害を逃れたユダヤ人が入植し、自分たちの「祖国」建設をめざしたことにあります。
 ユダヤ人は、紀元1世紀に支配者であるローマ帝国に対する反乱が鎮圧されて以後、欧州を中心に世界各地に移住、離散し、統一した民族集団もなく、「祖国」というものも持っていませんでした。
 20世紀に入り、ユダヤ人のパレスチナ入植はナチス・ドイツによる迫害によって急増。第2次世界大戦終了時、パレスチナの人口は200万人たらずで、ユダヤ人はその3分の1に達していました。
 ユダヤ人の増加とともに、アラブ人との間で対立も深まり、1947年に国連総会はパレスチナ分割決議を採択しました。
 当時、ユダヤ人が所有する土地はパレスチナ全土の7%。しかし、分割によって配分された土地は、ユダヤ人に全土の56・5%、アラブ人には43・5%というものでした。パレスチナ全土をみずからの土地と考えるアラブ人が、この分割決議を受け入れることはできませんでした。
 48年5月にイスラエルは建国を宣言。その翌日、周辺のアラブ諸国がイスラエル領に侵攻(第1次中東戦争)したものの敗北し、イスラエルの領土拡張と大量のパレスチナ難民の発生という今日に続くパレスチナ問題となっていきました。

パレスチナ「独立」への歩み

1947年11月 国連総会決議181でパレスチナ分割案を採択
 48年5月 イスラエル建国
 67年6月 第3次中東戦争でイスラエルが東エルサレム、ヨルダン川西岸、ガザ地区を占領
   11月 国連安保理決議242で占領地からのイスラエルの撤退を要求
 74年11月 パレスチナ解放機構(PLO)が国連総会のオブザーバー資格を取得
 93年9月 イスラエル・パレスチナが暫定自治協定(オスロ合意)調印
 96年1月 第1回パレスチナ立法評議会選挙。アラファトPLO議長を自治政府議長とするパレスチナ自治政府が発足
2000年7月 パレスチナの最終的地位に関する交渉決裂
 02年3月 アラブ連盟が中東包括和平構想(アラブ和平案)を採択
 05年1月 前年のアラファト氏の死去にともない、アッバス氏が自治政府議長に選任
   9月 ガザ地区からイスラエル軍と入植者が撤退
 09年6月 オバマ米大統領が入植地拡大中止とパレスチナ国家樹立による2国家共存呼びかけ
 10年5月 米国を仲介に間接和平交渉開始
   9月 直接和平交渉開始
   10月 アッバス自治政府議長がイスラエルの入植地拡大を理由に、事実上の直接交渉打ち切りを表明
 11年4月 国連のロバート・セリー中東和平プロセス特別調整官は、自治政府によるパレスチナ国家統治の準備が整っているとした報告書を発表
   5月 アラブ連盟の中東和平プロセス委員会は、9月の国連総会がパレスチナ独立国家を正式加盟国として承認するよう要請することを決定
   9月 アッバス自治政府議長が国連の正式加盟を申請すると表明
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2011年09月23日,「赤旗」) (Page/Top

映画/「ミケランジェロの暗号」(オーストリア)/ナチスを翻弄痛快劇

 舞台は第2次大戦下のオーストリア。ナチスに迫害されるユダヤ人一家の話…といえば悲劇かと思いきや、さにあらず。物語はその歴史の真実を背景とし、受難のユダヤ人が命がけで機知と勇気でナチスを翻弄してみせる痛快なサスペンス・ミステリーなのだ。
 ユダヤ人画商のカウフマンは、秘蔵のミケランジェロの素描をナチスに奪われた上、家族を収容所へと送られる。密告したのは、息子ヴィクトル(モーリッツ・ブライプトロイ)の幼なじみで使用人の息子ルディ(ゲオルク・フリードリヒ)。ナチ親衛隊での己の昇進を図るためだった。
 ナチスは強奪した絵をイタリアとの政治的な取引に使うことを目論んだが、絵が贋作だと判明、計画は頓挫。一方、収容所で死亡した父はヴィクトルへの遺言に本物の絵のありかを示す暗号を残していた。ヴィクトルはその謎が解けぬまま母の命を救うため、執拗に迫るナチスとの危険な取引に応じる…。
 収容所からヴィクトルを移送中飛行機が撃墜され、どさくさに紛れてヴィクトルがルディと服を交換、入れ替わって片やナチスの軍服姿、もう一方は囚人服で、窮地に立つも二転三転、目が離せない。虚々実々の駆け引きがシニカルな笑いや哄笑を誘う。
 ヴィクトルとルディの人間像の対比が鮮やかで、本物と偽物の比喩は絵だけではない。命の危機を、生き抜くチャンスに変える人間の底力。ナチスの暴虐にたじろがないユダヤ人像を描いて爽快。新鮮である。監督はウォルフガング・ムルンベルガー、好評を博した「ヒトラーの贋札」のスタッフが送る第2弾だ。
(うすいすみえ・映画ライター)
 東京・TOHOシネマズシャンテほかで上映中、順次各地で
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2011年09月21日,「赤旗」) (Page/Top

シリーズ歴史と現代/スペイン「歴史の記憶法」/橋本進/平和と人権回復を旅して

 「スペイン―平和と人権の旅」で、本年6月、マリーニョ・メネンデス氏(国連人権委)、ラファエル・エスクデロ氏(ともにカルロス三世大教授)を囲む「歴史の記憶法」をめぐる意見交流会に参加した(マドリード。28日)。同法の正式名称は「市民戦争及び独裁の間に迫害または侵害を受けた者の権利を承認して拡大し、救済手段を設けるための法律」(07年12月)。

長く忘却の契約
 1936年スペイン人民戦線政府が成立するや、フランコら右翼ファシスト軍人が反乱、ヒトラーやムソリーニの支援を受け、国内戦で政権を奪取(39年)、75年のフランコの死去まで、長期にわたり、軍事独裁による苛烈な人民弾圧・支配がつづいた。大量銃殺、拷問・投獄、財産没収、強制労働・強制収容、国外追放……。民衆の惨禍はドイツ・ナチズム以上とすらいわれる。
 同法は犠牲者、遺族に対し、迫害の不当性宣言、補償を規定するが、犠牲者の所在発見、身元確認の条項もある。「行方不明者(デサパレシードス)」は数万におよぶ。世界的詩人、ガルシア・ロルカの遺体の所在はいまだに不明だ。同法は包括的人権回復法であるが、独裁者賛美のモニュメント撤去、歴史の記憶ドキュメントセンター設置、国際義勇兵へのスペイン国籍付与の条項等もあり、「歴史の見直し法」でもある。
 フランコ死後、民主化が始まるが、旧勢力の力は強く、民主勢力は、当面、制度民主化を優先せざるを得なかった。そのため古傷(フランコ時代の数々の悪行)にはふれないという政党間の暗黙の協定=A民間の忘却の契約℃條が長く続いた。

画期的法律と抵抗
 2000年になり、記者エミリオ・シルバ・バレラは、苦心の探索の結果、銃殺された祖父の埋葬地発見に成功、遺体を発掘した。市民戦争時代の証言収集中のサンティアゴ・マシアスと「歴史的記憶回復のための会」(ARMH)を設立。賛同者は急速に増え、支部が全土に誕生。
 2006年、こうした運動やEU理事会のフランコ人権侵害断罪決議(3月)を背景に、スペイン共産党を含む統一左翼の発議により、議会は同年を「歴史的記憶の年」とすることを宣言(6月)、翌年の記憶法制定となった。
 画期的内容の法律だが、旧勢力の抵抗は根強く、法の貫徹はまだまだ不十分であり、歴史記述や歴史教育でも、歴史事実の抹殺・歪曲の動きが絶えない。スペイン、ドイツ(歴史修正主義)、日本(教科書問題等)、どこでも進歩と反動がせめぎ合っている。
 6月29日、スペイン本土から南西へ1千`、アフリカ大陸から西へ100`のカナリア諸島(200万人)を訪ねた。グラン・カナリア島の県庁所在地、ラス・パルマス市で平和活動諸団体と交流した。非合法下の共産党に入党(57年)、官憲に追われてデンマークに逃れ(70年)、帰国できたのは2000年という亡命生活の話など、地元の歴史の記憶協会の人の発言は、ずしりと重かった。

市民の情熱的活動
 「平和と人権のカナリア諸島国際文化区域」の会の人の発言に共感しながら、私は一つの感慨をおぼえた。フランコは、自分の死後、自分が支配したこの島第二の都市、テルデ市に、「ヒロシマ・ナガサキ広場」が出来、そこに日本国憲法第9条のタイルの碑が掲げられ(非核地域宣言の後、市長が提案、議会満場一致、96年に開設)、市民がかくも情熱的に平和・人権活動を展開するようになろうとは、夢にも思い及ばなかったに違いない。
 植民地現地人部隊の反乱、本土炭鉱労働者の反乱への無慈悲な鎮圧で頭角を現したフランコは、参謀総長に出世≠キるが、共和国政府に危険視され、カナリア諸島方面軍司令官に左遷されていた。36年7月17日、モロッコで右翼軍人が反乱をおこした時、フランコは翌日、ここラス・パルマス空港を飛び立ってモロッコに着き、アフリカ反乱軍の指揮をとったのだった……。

大輪の花が咲く時
 歴史とは動と反動をくりかえしながらも、やがては進歩の道を歩むものである。私たちそれぞれの小さな努力が、やがて大輪の花を咲かせる未来は、必ず来る。
 (はしもと・すすむ 元『中央公論』次長、元日本ジャーナリスト会議代表委員)
 (随時掲載)
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2011年09月20日,「赤旗」) (Page/Top

「満州事変」80年/第2次世界大戦の道開いた/謀略で「十五年戦争」の口火/侵略戦争の免罪は許されない

 足かけ15年に及ぶ日本の侵略戦争の口火を切った「満州事変」の開始から18日で80年を迎えます。「A級戦犯(注)は戦争犯罪人ではない」と主張する野田佳彦氏を首相とする新内閣の発足と重なっただけに、過去の出来事とすますことのできない今日的意義を持っています。

「かいらい国家」
 「満州事変」とは、1931年9月18日に始まる日本の中国東北部、内モンゴルに対する侵略戦争です。この日、関東軍(注)が奉天(現・瀋陽)近郊の柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破し、これを中国側の仕業だとして大規模侵攻を開始しました(柳条湖事件)。
 この謀略を計画した中心人物が、関東軍高級参謀の板垣征四郎(A級戦犯として死刑判決、刑死)でした。
 板垣は柳条湖事件前の5月、関東軍の会議で、「満蒙」を日本の領土とする目標をあけすけに述べ、何かの事件を機会ととらえ、「疾風の如き神速なる行動」で目標を達成しなければならないと語りました。
 事態は板垣が話した通りに進み、関東軍は鉄道爆破の謀略によって侵略戦争の火をつけたのでした。
 関東軍は翌32年、かいらい国家「満州国」を建設し、清朝の廃帝・溥儀(ふぎ)を執政(後に皇帝)とし、板垣は執政顧問に座りました。大臣には満州人を据えたものの、実権は関東軍や日本人の次官らが握りました。中でも、戦後自民党総裁・首相となった岸信介(A級戦犯容疑として逮捕・収監、釈放)は満州国総務庁次長、商工次官として経済運営にらつ腕をふるい、対英米戦開戦時の首相・東条英機(A級戦犯として有罪・絞首刑)は関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長として支えました。

領土拡張の野望
 「満州事変」後、日本は領土拡張の野望をさらに強め、37年7月からの日中全面戦争、41年12月からのアジア太平洋戦争へと戦争を拡大していきました。日本は「第二次世界大戦に道を開く最初の侵略国家となった」(日本共産党綱領)のでした。
 首相就任後、「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」との持論を問われた野田氏は「政府の立場で対応する」と述べるだけで、自説を撤回しませんでした。しかし、「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」との主張は、侵略戦争を行った政府・軍部の戦争責任を免罪するもので、不十分ながら日本の「植民地支配と侵略」に「反省」と「お詫(わ)び」を表明した村山首相談話(1995年8月)すら否定するものです。

そのとき軍部を支援・協力した一般紙/戦争の本質見抜いた「赤旗」

 柳条湖事件勃発の翌19日午前6時54分。日本国内ではラジオが、日中両軍が衝突、激戦中との臨時ニュースを流しました。
 当時、日本共産党中央委員で「赤旗(せっき)」編集責任者だった岩田義道は、党支持者から提供された東京の隠れ家でこのニュースを聞きました。「赤旗」はすでに2カ月以上前から、日本が「満州」で侵略戦争を準備していることを警告しており、岩田は「とうとうやったか」とつぶやきました。
 岩田は直ちに手に入るすべての新聞を分析・検討し、徹夜の作業で原稿を書き上げました。それが「赤旗」31年10月5日付の「中国略奪戦争 開始さる!」でした。
 「ブルジョア新聞、雑誌は口を揃(そろ)へて、今度の戦争の『原因』を支那兵の『横暴』『日本を馬鹿にした態度』等々に見出してゐる。そして満鉄の一部の破壊を以て『事変の原因』と決めてゐる。然(しか)し乍(なが)らそれは全然虚偽である。真の原因は日本帝国主義者が当面してゐる危機を切抜ける為に新しい領土略奪の為の戦争を準備してゐたところにある」
 一方、それまで多少とも軍縮を唱えていた一般新聞はいっせいに関東軍の行動を支持する論調に転換しました。
 「暴戻(ぼうれい)なる支那側軍隊の一部が、満鉄線路のぶっ壊しをやったから、日本軍が敢然として起ち、自衛権を発動させたといふまでである」(「東京朝日」9月20日付社説)
 「わが国民の忍耐は、今回の事件によってその限界を超えたのである。ここにおいて、国民の要求するところは、ただわが国政府当局が強硬以て時局の解決に当る以外ない」(「東京日日」=現「毎日」=10月1日付社説)

新聞界の転機に
 各新聞社は侵略戦争をあおる報道を続ける一方で、戦争協力・支援のための慰問運動と戦況講演会を大々的に展開しました。32年12月には、全国132新聞社の「共同宣言」を発表。「満州国の独立」が「同地域を安定せしむ唯一最善の途」だと「日本言論機関の名に於て」声明しました。
 「満州事変」は、新聞界にとっても重大な転機でした。この中で「赤旗」が反戦・平和の旗を掲げ続けたことは、日本のジャーナリズムの歴史に特筆されるものでした。

A級戦犯
 日本の敗戦後、極東国際軍事裁判(東京裁判)で、米・英・ソ・中華民国など11カ国を原告として、「平和に対する罪」「人道に対する罪」などで日本の戦争指導者28人がA級戦犯として起訴されました。48年11月の判決で25人が有罪となりました。

中国侵略関連の年表
1904〜05年 日露戦争。日本はロシアから旅順、大連の租借権、長春〜旅順の鉄道経営権を得る
 15年 日本、中国に21カ条の要求。租借権の延長を迫る
 27年 田中内閣が「東方会議」を開き、対中国侵略政策を公式の方針とする
 28年 関東軍が軍閥・張作霖を爆殺
 31年 関東軍が柳条湖で鉄道を爆破。軍事行動で満州を制圧
 32年 「満州国」建国
 33年 国際連盟総会が日本軍の撤退勧告決議。日本は連盟を脱退
 37年 北京近郊の盧溝橋で日中両軍衝突。全面戦争へ
 39年 ナチス・ドイツがポーランド侵攻、第2次世界大戦始まる
 41年 日本軍がマレー半島上陸、ハワイ真珠湾を奇襲攻撃、アジア太平洋戦争に突入
 45年 終戦
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2011年09月18日,「赤旗」) (Page/Top

石子順のにちようシネマ館/ミケランジェロの暗号(オーストリア)

 ミケランジェロの幻の絵があるという衝撃から始まります。
 1938年、ウィーン。ユダヤ人で、カウフマン画廊を父親と開くヴィクトル(モーリッツ・ブライプトロイ)は、家族同様のルディと再会し、幻といわれるミケランジェロの絵を見せました。ナチス支配下になるとルディは絵の存在を密告。ヴィクトルと両親は、絵を奪われ収容所に送られました。数年後、ナチスはミケランジェロの絵と引きかえにイタリアと同盟強化を計りますが、絵は贋作(がんさく)と判定。ナチスはヴィクトルを追及します。
 武力に知力が抵抗します。ルディの醜さ、ヴィクトルの知恵。絵の行方が二転三転するスリル。ウォルフガング・ムルンベルガー監督は、ナチスのふところに飛び込んだユダヤ人の勇気を描きます。
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2011年09月11日,「赤旗」) (Page/Top

いま言いたい/元日本教育学会会長・元日本教育法学会会長堀尾輝久さん/憲法違反の大阪2条例案

 大阪府の橋下徹知事は、「君が代」起立強制条例を成立させ、今度は教育基本条例案と職員基本条例案をつくりました。この流れは、これまでの日本の保守的な流れとは違った特徴があります。議会政治の否認や、教員・府職員への自由抑圧を通じた新しいファシズムへの動きではないかと心配しています。
 教育基本条例案は、起立条例とセットで「職務命令に従わない教師は排除する」と手続きも権限も強化するというのが狙いです。

狙いは教育支配
 両基本条例案は「条例に反するいっさいの条例、規則、要綱などは無効」として、「最高規範性」を持つといいます。よくもこういう表現を使いますね。
 「最高規範」というと私たちが考えるのは何よりも憲法です。府職員・教員に最高規範だと押し付けるのは、知事自身が憲法を変えたいと思っているのでしょう。条例案は憲法違反だといわなければなりません。
 知事は「政治には独裁が必要」と討論会で発言していますが、両基本条例案で知事の権限を圧倒的に強化する、行政の統制的な筋道をはっきりさせるという狙いがすけてみえます。統制することで、時の政治に忠実な教師をつくり、教育を支配したいのでしょう。
 橋下知事から見れば民意を代表するのは選挙で選ばれた首長である。選挙で選ばれ、政治を担うから首長に権限があるのは当然だ。部下の公務員に注文するのは当然だ≠ニいうことになります。
 基本条例案は、それと同じ論理で教育委員会を批判します。戦前の国家による教育統制の反省から、教育委員会は教育の中立性や自立性の原則のもとに政治の介入を拒んできました。条例案前文にはそれがおかしいんだ≠ニ書いているのです。知事は教育委員会を骨抜きにし、教育そのものを政治が支配するようにしたいのです。

校長も処分対象
 教育は、子どもの成長、発達を助ける仕事です。そのため、教師は専門性をもって指導するのです。父母も自分の子どもにどう育ってほしいかの願いを教師に伝え、国民全体、地域全体が子育てをする。それが国民の教育に関する権利の構図なのです。
 政治が介入し、教育を統制する筋道のもう一つは、校長の権限です。一見、権限強化にみえて校長の仕事は大変なものになります。統制的にやろうとすればいくらでもできる仕組みになっています。
 教科書の採択も、校長の権限が一見強くなります。一方、目標が達成できなければ、校長自身も評価処分の対象です。校長は教育者ではなく、管理・経営者なのです。
 「大阪維新の会」幹部がいう「戦後レジーム(体制)からの脱却」という言葉は、教育基本法改悪の際に安倍晋三首相=当時=が打ち出したもので、改憲論と一体でした。改憲と結んだ条例案を許すなら、子どもたちの将来を危うくすることにつながっていくのです。
 聞き手 北野ひろみ
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2011年09月07日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/ナチスの犠牲になった音楽家

 ヤロスラフ・イエジェクは、ナチスのブラックリストに載ったため米国に亡命し、1942年に客死。エルヴィン・シュルホフは同年、ヴュルツブルク強制収容所で落命。ハンス・クラーサ、ヴィクトル・ウルマン、パヴェル・ハースの3人はテレジーン収容所に送られた後、44年アウシュヴィッツで抹殺。ギデオン・クラインはテレジーンからアウシュヴィッツを経て、さらに北部の炭鉱で重労働を課せられ、45年に死去。いずれも20世紀チェコの音楽家たちだ。
 8月最後の週末、東京都内で開かれた「チェコ音楽祭2011」では、彼らナチスの犠牲になった音楽家たちの作品が特集された。
 この日最後に上演されたのは、クラーサの子どもオペラ「ブルンジバール」だった。幼い兄妹が病気の母親のためにミルクを買う金を稼ごうと広場で歌うが、意地悪な手回しオルガン弾きブルンジバールに追い払われる。その兄妹を犬と猫と雀が励まし、近所の子どもたちも加勢してオルガン弾きをやっつける物語。最後は子どもたちの勝利の歌が響く。
 この作品は収容所内で55回も上演された。それを見た子どもたちは、ブルンジバールとヒトラーの姿を重ねたであろう。だが、そのほとんどは生還できなかったという事実が胸に重く残る。
 (弩)
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2011年09月06日,「赤旗」) (Page/Top

月曜インタビュー/映画監督陸川さん/この映画の終着点は日本/南京大虐殺を銀幕に再現

 密猟からチベットカモシカを守る男たちの物語「ココシリ」で、東京国際映画祭ほか世界で評価を得た中国の陸川監督。張芸謀監督らに続く「新世代」として台頭してきた気鋭の監督は、4年の歳月を費やし、南京大虐殺をスクリーンに再現してみせました。

 2009年に中国で公開された「南京!南京!」は、興行収入1億7000万元(約20億円)を超す大ヒット。スペインのサンセバスチャン国際映画祭で最高賞を受賞し、国際的にも話題を集めました。しかし日本では配給先が決まらず、有志による「史実を守る映画祭実行委員会」が、今夏1日限りの上映会を企画。8月21日に東京で開かれたこの上映会に合わせ、陸監督も来日しました。
 「日本で上映するのは本当に難しかったので、こうした形で実現していただき、とても感謝しています。これで終わりでなくスタートにしたい。日本で商業的に公開したい思いは、今も強くあります。勇敢な配給会社に出てきてほしい」

資料読み2年/リアルな表現
 日中戦争初期の1937年12月、日本軍が中国兵捕虜や一般市民に暴虐の限りを尽くした南京大虐殺。日本政府はいまだ明確な謝罪や補償をせず、この歴史的事件は、加害認識を欠いたでたらめの議論にさらされています。中国と日本の間には、もっと民衆自身の声が必要だと陸監督。「この映画を歴史を知る道具にして、事実に向き合ってほしい」と、リアルな表現に徹しました。「ほとんど全てのシーンに証拠があります」。資料を読み込むのに2年。南京に関する中国の文献数百冊、個人収集家が所蔵する当時の写真4万点等々に目を通し、日本や台湾の友人からも資料を得ました。
 「日本兵の日記や手紙をたくさん読み、彼らは鬼ではなく一人ひとり人間だと気付いたんです。戦争がなければ普通の家庭のお父さん、息子だった。私の映画ではそこを強調したいと考えました」
 からくも人間らしさを見せる日本兵を主要人物として描いた本作。それが賛否両論を呼び、中国ではあまりの騒ぎに上映が2週間で打ち切られ、国内の映画祭には出品できなくなったといいます。
 「遺恨はものすごく深いです。ただ支持してくれる人も多かったんですよ。映画で実際以上に醜く描く必要はない、敵であっても尊重しなければならないと、私は考えています」
 なぜ日本兵が鬼畜と化したのか。演じる俳優には、その経緯や理由までをも内包した表現を求めました。命と尊厳を奪われた名もなき人々を、かけがえのない一人ひとりとしてスクリーンに映し出す一方で、日本兵の単純な表現を許さなかった演出手腕には、「私たちの問題」としてこの悲劇を突きつける厳しさがあります。
 「私が描いたのは、中国と日本の問題ではなく、人間と戦争の関係です。戦争を反省し今の平和について考えてほしかった。戦争への反省は人間の精神的な財産ですから」

「絶対できる」/スタッフ鼓舞
 あまりに凄惨な南京大虐殺。受け入れがたい事実を再現する撮影は、監督はもちろんスタッフ、俳優を激しく消耗させました。
 当時の南京を吉林省に復元する歴史大作ゆえ、資金難もついて回りました。翌日の撮影資金にも事欠く自転車操業で、設営工事を一時止めざるを得ない苦境にも立たされました。監督自身が資金繰りに時間を奪われ、撮影が止まることもあったといいます。本当にこの映画は完成するのか。重苦しい空気が充満する現場で、「大丈夫、絶対できる」とスタッフを鼓舞し続けました。それでも疲労の色は濃く、盲腸炎で幾度も病院へ。点滴を打ちながらホワイトボードに撮影手順を書きつけ、手術を固辞して現場に戻り、「大丈夫」と繰り返しました。
 予定を大幅に超過してたどりついたクランクアップ。硬い表情で握手を交わすうち、スタッフの肩に手を回し嗚咽していました。
 東京で開かれた1日限りの上映会に集まった観客は800人。「この映画の終着点は日本です。ドイツはナチスの罪を認め謝罪しました」。堂々と語った監督に、会場は沸きました。
 (田中佐知子)

 ルー・チュアン 1970年生まれ。「ミッシング・ガン」(01年)で監督デビュー。「ココシリ」(04年)で中国の金鶏賞最優秀劇映画賞、台湾の金馬奨・最優秀作品賞、東京国際映画祭審査員特別賞など。
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2011年09月05日,「赤旗」) (Page/Top

橋下「大阪維新の会」2条例案/教育への政治介入ねらう/知事いいなり公務員づくり

 大阪府の橋下徹知事が率いる「大阪維新の会」は「君が代」起立強制条例の強行につづき、こんどは教職員や府職員を免職にできる「教育基本条例案」「職員基本条例案」を9月府議会と大阪・堺両市議会に提出することを狙っています。「知事いいなりの、ものいわぬ教師、公務員づくりは許せない」との怒りが広がっています。
 (大阪府・小浜明代、北野ひろみ)

戦後教育の原則を放棄
 今回の「教育基本条例案」には、「我が国及び郷土の伝統文化を深く理解し、愛国心及び郷土を愛する心にあふれる」「規範意識を重んじる人材を育てる」「義務を重んじる人材を育てる」などを「基本理念」に明記しています。
 さらに、▽知事は、教育目標を設定し、教育委員が目標を実現する責務を果たさない場合、議会の同意を得て委員を罷免できる▽府教育委員会は具体的な指針を府立高校の校長に提示。学力テストの結果を市町村別、学校別に公表すると規定。さらに▽校長、副校長は任期付きとする。校長を公募し、府教委はマネジメント能力の高さを基準として任用する▽校長は教員採用に関与し、教科書を推薦する―ことが主な内容となっています。
 条例案は「教育行政の一般行政からの独立という戦後教育行政の重要な原則を放棄し、…教育への政治介入をより一層広範なものにする」(大阪憲法会議の梅田章二幹事長談話)ものです。
 そのために、上意下達で知事の思うままの意向を反映させる内容を盛り込んでいます。
 「戦後レジーム(体制)の脱却を国でしようとしたが、何も変わってこなかった。大阪から変えていきたい」。22日、「維新」を代表して会見した坂井良和大阪市議団長は、両条例案の狙いをこう語りました。「戦後レジームの脱却」は、改悪教育基本法、改憲手続き法を押し通し、国民の厳しい審判を受けて崩壊した靖国派∴タ倍政権が多用した言葉です。
 先の府「君が代」強制条例では、提出者14人の府議中6人が靖国派≠ニよばれる9条改憲を唱える日本会議地方議員連盟に名を連ねていました。同連盟の設立趣旨は「地方議会から日本の国柄(戦前・戦時に使われた「国体」の言い換え)に基づいた新憲法、新教育基本法の制定へ向け、設立する」としています。「維新」市議団も坂井氏ら中心メンバーは靖国派≠ナす。

ものいわぬ職員≠ノ
 「目標を実現する職員を評価し、そうでない職員は評価しない。士気が下がるという職員は府庁を去ればよい」。橋下知事は、自身のツイッター(短文投稿サイト)でこうのべています。
 「職員基本条例案」では、同一の職務命令に3回違反したら免職、職員を5段階評価し、2年連続最低ランクだと免職、「余剰人員」がでたといっては免職と極端なリストラの方針が明記されています。これでは一方的な処分を恐れ、ものいわぬ職員≠つくることになります。
 憲法15条の「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」との規定や、地方公務員法を乱暴に踏み破るいい分です。
 「職員条例案」はまた、部長、次長を任期付きで広く公募し、知事の政策に賛同する人材からなる「大阪内閣」を実現すると書いています。
 両条例は、いずれも最高規範と位置付け、「条例に反するいっさいの条例、規則、要綱などは無効」とするという中身です。

共同のたたかい広がる/あさのあつこさん、山田洋次さんも訴え
 教職員・府職員、府民への攻撃に対し、両条例案を許すなという共同のたたかいが「君が代」起立条例反対のたたかい以上の規模で広がりつつあります。
 「君が代」起立強制条例や「教育基本条例案」を批判した学者・著名人51氏がよびかけた共同アピールには、元日本教育学会会長の堀尾輝久さんや作家のあさのあつこさん、映画監督の山田洋次さんらが名を連ね、第1次分として653人が賛同しました。
 「君が代」条例反対のたたかいで大阪労連や民主法律協会など法曹・労働7団体でつくっていた共同行動には24日、新たに大阪自治労連が参加。「政治の介入による公教育破壊とものいわぬ府民・職員づくりを狙う両条例案を許すな」を合言葉に、8団体で新たなビラを作製し、全駅頭・ターミナル宣伝を強化することを確認しました。
 9月6日には、教育関係者など広範な各界・各層によびかけ、府民集会を開きます。

その時の政治の在り方で教育を変えてはいけない/元府公立学校管理職員協議会会長・元校長佐藤順一さん
 橋下徹知事を見ていると、議会で過半数をとり、侵略戦争へと導いたヒトラーとナチスを見ているようです。日本でも戦前、政治主導で教育をコントロールしてきた過ちを繰り返そうとしているように思います。戦後の反省から、教育委員会制度がつくられた背景を全く無視しています。
 「民意を反映させる制度だ」という「維新の会」の言い分は、全くの詭弁ですね。教育はその時の政治の在り方でころころ流れが変わってはいけない。「民意」という言葉を借りて、自分の思いを押し通そうとしているのでしょう。大阪でこの条例を許せば全国に広がっていく危険があり、許せません。
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2011年08月26日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/貴重なドキュメンタリー映像

 昨年に続いて今年もバイロイト音楽祭の生中継が14日深夜にNHKの衛星放送で行われた。演目は「ローエングリン」で、ハンス・ノイエンフェルスの新演出で上演された舞台の再演である。
 ネズミの衣装で登場する合唱団や、終幕でエルザの弟が胎児の姿であらわれるなど、昨年の初演時に論議をよんだ舞台である。
 こうした舞台もさることながら、今回は中継の幕間に「神々のたそがれ〜バイロイト音楽祭の諸相」という2008年制作のドキュメンタリーが放映されたが、これがすこぶる面白かった。
 内容は記録映像と関係者のインタビューでバイロイト音楽祭の歩みをつづったもので、特にナチス時代から戦後の音楽祭再開までの過程が興味深かった。
 映像にはナチスの突撃隊が祝祭劇場前を行進する場面やヒトラーと談笑するワーグナー家の人々の姿があり、バイロイトがナチスの聖地となった様子が生々しく伝わる。
 またアメリカに亡命した孫の長女フリーデントがラジオでナチス支配に抗議する様子や、長男ヴィーラントと次男ヴォルフガングの確執も赤裸々に語られ興味が尽きない。
 今回は幕間での放映だったが、優れたドキュメンタリーだけに、ぜひとも再放送を希望したい。
 (韶)
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2011年08月24日,「赤旗」) (Page/Top

指揮者フルトヴェングラー/評伝の出版相次ぐ/ナチスとの関係今なお議論

 ドイツに生まれ、20世紀を代表する指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886〜1954年)。その重厚でドラマティックな演奏は、半世紀以上を経た今も音楽愛好家の根強い人気を誇っています。
 しかし、1945年2月にスイスへ出国するまで、入党はしなかったものの、ナチス支配下のドイツで活動を続けたこともあり、その生涯と業績はさまざまな議論をよんできました。生誕125年を前後して、彼の思想と行動をたどる著作が相次いで出版されました。

危険な綱渡り
 ヘルベルト・ハフナー著(最上英明訳)『巨匠フルトヴェングラーの生涯』(アルファベータ・4700円)は、ドイツの文化ジャーナリストによる、上下2段組み500n近くに及ぶ本格的な評伝です。
 従来の研究で評価の定まった資料にくわえ、未発表資料を博捜し、周囲の人物へのインタビューもふまえて、幼少期から最晩年に至る足跡を史実にそくして丹念にたどっています。
 例えば、ヒトラーが嫌悪した作曲家を新聞紙上で擁護して政権と対立し、楽壇の主な役職を解かれた1934年の「ヒンデミット問題」や、個々のユダヤ人音楽家を救った事実などがくわしく紹介されます。
 他方、彼は「反ユダヤ主義」を口にし、35年にはゲッベルス宣伝相と妥協して「故国に残る」と決意します。ヒトラーの誕生日やナチス党大会にあわせた演奏会にたびたび出演、ドイツの侵略にともない占領地のプラハやコペンハーゲンで演奏活動を展開しました。
 同書の表現を借りれば、フルトヴェングラーは、ナチスへの抵抗と譲歩の「危険な綱渡り」を続けたということになるでしょうか。

批判も擁護も
 エバーハルト・シュトラウプ著(岩淵達治ほか訳)『フルトヴェングラー家の人々―あるドイツ人家族の歴史』(岩波書店・3800円)も、ドイツのジャーナリストの著作です。表題のとおり、曽祖父以来の家系をたどり、一家がドイツ市民階級の典型的な姿を表していることを社会史的に浮き彫りにします。
 考古学者の父が息子にかけた期待の大きさと親子の葛藤など、生育過程も興味深く描かれます。ドイツ教養市民の保守性を指摘したうえで、フルトヴェングラーの弱点がそれと結びついていることを強調します。
 ナチス政権下の彼の言動については、ハフナーの著作に比べ断定調で厳しい批判をくわえています。
 奧波一秀著『フルトヴェングラー』(筑摩書房・1800円)は、哲学・文化論研究の角度から、その思想と行動を論じています。
 ドイツ至上主義を指摘する一方で、ヤスパースの罪責論も念頭に、ナチス党員となったカラヤンやアーベントロートなど他の指揮者とも比較しつつ、弁護的評価に軸足をおきます。同時に、彼の弁明がトスカニーニやワルターらに批判されたことにも言及しています。
 フルトヴェングラーは47年、連合国による非ナチ化審理で「同調者」と判定され、その後楽壇に復帰します。いまなお評価が分かれること自体、問題の奥深さを物語っています。
 (土井洋彦)
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2011年08月21日,「赤旗」) (Page/Top

終戦66周年に願う/戦争イヤ、原発ゼロや/「赤紙」を配布/母親連絡会/大阪/奈良/京都/滋賀

 終戦から66年の15日、平和を願い、戦争も原発もない未来をともに切り開こうと、近畿各府県で母親大会連絡会や平和・民主団体が多彩な催しを行いました。(日本共産党の宣伝は続報)

大阪
 大阪母親大会連絡会は、大阪市中央区の難波・高島屋前で「赤紙」(召集令状)ビラを配り、核兵器廃絶や原発ゼロ署名などを集めました。100人を超える女性たちが、大震災・原発事故被災者にも思いを寄せ、二度と戦争を繰り返さないという決意を新たに、「世界に誇る憲法を守ろう」「自然エネルギーへの転換を」と訴えました。
 同連絡会の植田晃子委員長は、大阪府の「君が代」起立強制条例を批判し、「戦争をしたいという勢力がうごめくなか、(橋下徹府知事は)教職員に対して『君が代』を歌わなければクビにすると言っていますが、これはファシズムです。絶対に許してはいけません」とマイクを握りました。同連絡会に参加している各団体の代表が、戦争体験や核兵器廃絶の世界の動き、原発からの撤退などを訴えました。
 兵庫県尼崎市の馬場昭さん(58)は、「若い人の中では、戦争が忘れられている。日本の侵略の歴史や戦争の悲惨さをちゃんと伝えていく必要がある。運動を盛り上げてほしい」と語りました。
 祖母の家に帰省中の女子中学生(14)は、「戦争では兵隊だけでなく、空襲などで子どもたちも含め多くの人が亡くなっていく。世界中から戦争をなくしてほしい」と話しました。

奈良
 奈良県母親大会連絡会などは、奈良市の近鉄奈良駅前で戦時中の召集令状「赤紙」のコピーを配布しました。
 「赤紙」が二度と息を吹き返すことのないよう戦争の被害者にも加害者にもならないという決意を込めて行われてきた宣伝行動です。
 この日は同連絡会のほか、奈良革新懇、新婦人、奈良のうたごえ協議会の人たち約30人が参加しました。「青い空は」など平和の歌を合唱しました。
 宣伝の参加者は、通行する子どもたちと対話し、「赤紙」一枚で若者が戦地に送られたことなどを語っていました。

京都
 京都母親連絡会(吉田文子会長)は終戦記念日の15日、京都市内の2カ所で宣伝し、戦時中の召集令状を印刷した「赤紙」を配り平和を訴えるとともに、原発からの撤退を求める署名をよびかけました。毎年、終戦記念日と太平洋戦争開戦の日(12月8日)に取り組んでいます。
 会員らが、不戦の願いが込められた憲法を守る決意や、原発事故に触れ、「アメリカの核戦略のために持ち込んだのが原発です。核兵器も米軍基地も原発もいらない。声をあげていきましょう」などと訴えました。
 署名に応じた歯科医師の男性(52)=京都市左京区=は「撤退しないと人類が破滅する。撤退しないのは自分で自分の首をしめるようなものだ」と語りました。

滋賀
 滋賀県母親大会連絡会はJR草津駅西口で「平和のための8・15母親行動」にとりくみ、「赤紙」(召集令状のコピー)を配りながら、反戦・平和を訴えました。
 行動には会員ら約20人が参加。リレートークでは、「戦後最悪の災害の中で迎えた8月15日。命の重みと平和を考える日にしましょう」とよびかけました。会員のなかには、戦時中に防空壕(ごう)から遺体を運び出す手伝いをさせられた時の体験を話す人もいました。
 中学1年生の子どもといっしょに「赤紙」を受け取った女性(47)=日野町在住=は、「娘は『赤紙』を見るのは初めて。これで戦争に行かされたということを教えたい」と話していました。
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2011年08月17日,「赤旗」) (Page/Top

試写室/こころの時代フクシマを歩いて/NHKEテレ14日前5・0/原発を問う深い思索

 福島第1原発事故は人類にとってどんな意味を持っているのか、さまざまな角度から語るべき時です。在日2世の作家、徐京植(ソ・キョンシク)さんが被災地を歩き考えます。
 キーワードとしたのが「根こぎ」。徹底的に引き抜くことです。徐さんは原発事故を「根こぎ」ととらえます。多くの人が避難した南相馬で、認知症が進んだ妻とともに、その地に残り生活を続けるスペイン思想研究家・佐々木孝さん、耕作禁止の田で草を刈る農民と語らいます。いわきでは子どもが消えた朝鮮学校へ。対話には「根こぎ」に抵抗する人々への真摯(しんし)な共感があふれます。
 徐さんは、ナチスによるアウシュビッツ、原爆投下という歴史の文脈に「フクシマ」を置きます。そしてアウシュビッツを生きた作家、プリーモ・レーヴィ、被爆を生きた詩人、原民喜をよりどころに「根こぎ」により「非現実が現実になってしまった」とき、人はどうすべきか、「根」とは何かを問うのです。深い思索が詰まっています。
 (荻野谷正博)
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2011年08月13日,「赤旗」) (Page/Top

石子順のにちようシネマ館/黄色い星の子供たち(仏・独・ハンガリー)

 「子どもたちにもう一度生命を与えたい」という思いで女性監督ローズ・ボッシュが撮った痛切な映画です。フランス政府もナチス・ドイツのユダヤ人絶滅計画に協力した70年近く前の事実を生存者の証言を基に暴いたのです。
 1942年7月16日早朝、パリ市内のユダヤ人一斉検挙が始まります。11歳のジョーも家族と捕らわれ冬季競輪場に収容され、5日後には強制収容所に…。
 黄色い星をつけられても元気に遊ぶ子どもたち。それが一転する死の恐怖。8000人も押しこめられた競輪場がすさまじい。ユダヤ人絶滅をはかるヒトラーとフランス上層部。迫害された人々を救おうとするユダヤ人医師(ジャン・レノ)とフランス人看護師(メラニー・ロラン)の勇気と献身。ラストに感動します。
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2011年08月07日,「赤旗」) (Page/Top

書架散策/丹羽郁生/ユリウス・フチーク著、栗栖継訳『絞首台からのレポート』

原稿の削除・改ざんの事実に驚き
 フチーク(1903〜43年)は、チェコのジャーナリスト・評論家で、ナチス・ドイツ占領下の共産党地下中央委員であった。プラハの監獄で看守らの命懸けの協力を得て密かに書かれ、獄外に持ち出された原稿は172枚。42年4月に逮捕、せいさんな拷問で死にひんしたその1年後、別の刑務所へ移送される前日6月9日までの2カ月余りの短期間である。
 フチークがベルリンで処刑されたのは、そのわずか3カ月後のことであった。残された原稿は、解放後の45年10月に出版されて大反響を呼び、国外でも日本語も含め80言語に翻訳・出版された。
 私が作品に出合ったのは遅く、イラク戦争勃発前年の02年、栗栖継氏が3度目の翻訳に挑んだ77年発行の文庫版であった。作品の外に、訳者の大部の訳注や詳細な年譜と解説などが収められていた。
 開巻と同時に作品世界に引き込まれた私は、読み進むごとに衝撃と感動を覚えた。作品は、反ナチ抵抗闘争に生きた数多くの戦士たちの姿や、残忍な拷問を繰り返すゲシュタポの姿など、多くの人間像が生き生きと描かれていた。読了時、半世紀を生きた自分の立ち位置が問われているように思った。フチークの声が聞こえ、背中を突かれた。「君は今、時の逆流に流され、眠ってはいないか」と。
 この驚愕の書に導かれて、私は4年後に拙い中編小説を書いた。その折、栗栖氏に引用の了解を請い、快諾のご返事をいただいた。驚いたのは手紙にあった、原典内でのフチーク原稿の少なくない削除・改ざんの事実であった。
 それはフチークの短見的美化のために、原稿を秘匿していた共産党によって行われ、89年の民主化革命後の全面公開で明らかになったことという。氏は述べた。若くして非業の死を遂げたフチークや多喜二の果せなかったことを、命のある限り果たさねばならない。絶版となっている本書の完全改訳で、逆に真の英雄の姿が明らかになることを氏は強く望まれている。
 (作家)
 岩波文庫
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2011年08月07日,「赤旗」) (Page/Top

劇団ひまわり「コルチャック先生と子どもたち」各地で上演/ナチ圧制下の教師描く

 劇団ひまわりが「コルチャック先生と子どもたち」を各地で上演します。第2次大戦の荒波の中、ナチス圧政下のポーランドでユダヤ人孤児たちと最後まで行動をともにした作家・教師・医師コルチャックを描いた舞台です。
 「コルチャック先生と子どもたち」(脚本=いずみ凜、音楽=加藤登紀子、演出=山下晃彦、劇団ひまわり創立60周年記念公演)は、ユダヤ系ポーランド人コルチャックを描いた芝居。彼はポーランドの首都ワルシャワで、孤児院「みなしごの家」の200人の子どもたちとともに生きていました。ナチスの迫害が激しくなる中、子どもたちの自治を守り、劇を上演し暮らしていました。しかし、ついに「みなしごの家」にも強制移送の命令が下されます。家畜用の貨車にコルチャックが子どもたちと共に乗り込もうとしたその時、コルチャック特赦の知らせが届きます。それが自分だけの特赦だとわかると、コルチャックは自ら子どもたちと貨車に乗り込んでいきました…。
 出演(東京・さいたま公演)=青山伊津美、日向薫、福島靖夫、飯泉学・有川蒼馬(Wキャスト)ほか。
 4〜7日=東京・渋谷区文化総合センター大和田伝承ホール、4、5日=北海道鍼灸専門学校かでるホール、11、12日=福岡・ももちパレス大ホール、16、17日=熊本はあもにいメインホール、20〜29日=大阪・シアターぷらっつ江坂、9月17〜19日=大宮ソニックシティ・小ホール、9月23〜25日=愛知県芸術劇場小ホール。рO3(3476)0118劇団ひまわりチケットセンター
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2011年08月02日,「赤旗」) (Page/Top

映画/「黄色い星の子供たち」(仏・独・ハンガリー)/フランス史の闇リアル

 1942年7月、ナチス・ドイツ占領下のパリで起きた、約1万3千人の外国籍ユダヤ人一斉検挙。ヴェル・ディブ(冬季競輪場)に移送された8千人のうち、半数が胸に星を付けた子どもたちだった。フランス政府が事件に深く関与していた事実は、半世紀ものあいだ歴史の闇のなかに葬られていた。
 そうした権力側の意図も織り交ぜながら、ガス室に送られた子どもたちの運命を見つめた本作は、ローズ・ボッシュ監督が、5年の歳月をかけて完成させた秀作である。
 11歳の少年ジョー(ユーゴ・ルヴェルデ)、子どもたちを守ろうと献身する若きフランス人看護師アネット(メラニー・ロラン)、彼女になつく幼子ノノなど、極限下に生きる人物の造形や、シチュエーションが、生き残った人たちの証言や記憶に基づいているだけに、ドキュメンタリーでは描き切れないリアルさで、見る者の心に迫ってくる。
 ヴェル・ディブから、遠く離れた収容所へ。ふたたびおとなたちだけが別の収容所へ。そのなかには、1人で病人たちの診療に携わってきた医師(ジャン・レノ)も。自らの運命を悟ったジョーは、脱走を決行。子どもたちが乗せられた貨車の通過を、憤然と見届けるジョーの姿と、終幕で何かを凝視し続ける彼の瞳には、歴史の真実から目をそらしてはならぬ、という監督の強い意志が込められているのだろう。
 当初2万4千人だった目標が、1万3千人余りの検挙にとどまったのは、勇気あるパリ市民が1万人のユダヤ人を匿ったからだと明かされる字幕に、思い当たるいくつかの場面が、感銘深く甦ってくる。
 (山形暁子・作家)
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2011年08月01日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/歴史に向き合う仏映画人

 第2次大戦中のフランスで、フランス警察とナチスドイツが組んでユダヤ人を迫害した。1942年7月16日、パリ。1万3千人近いユダヤ人が検挙され、8千人近くが冬季競輪場(ヴェル・ディヴ)に連行された。
 映画「黄色い星の子供たち」は、当時11歳だったジョゼフ・ヴァイスマンさんの体験などを基に作られた。ヴァイスマンさんは、競輪場から別の収容所へ移送され肉親と引き裂かれた後、必死で逃走し生き延びた。戦後、父母や姉妹らがアウシュビッツのガス室送りになったことを知る。
 映画の公開前に来日したヴァイスマンさんは、自分の子ども達が幼い頃は、体験を話さなかったと語った。なぜ自分たちには祖父母がいないの? 子ども達の問いに答える時、ドイツ人への憎しみだけをあおることになるのを避けたかったからだと言う。語りながら涙ぐむ姿に、癒えない傷の深さが思われた。
 ヴェル・ディヴ事件が題材のフランス映画「サラの鍵」も公開される。現代の女性ジャーナリストが、事件に遭ったユダヤ人少女の悲劇を探索していく。確かな未来のために過去の歴史を追究しなければ、というジル・パケ=ブレネール監督の問題意識が鮮烈だ。両作とも歴史に向き合うフランス映画人の真摯さに打たれる。
 (響)
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2011年07月29日,「赤旗」) (Page/Top

イスラエル管弦楽団/ワーグナー作品ドイツで初演奏/批判の声も

 【エルサレム=時事】イスラエルの管弦楽団が26日、ナチス・ドイツのヒトラー総統が好んだことで知られるワーグナーの作品をドイツのバイロイトで演奏しました。イスラエルの楽団がワーグナーをドイツ国内で演奏するのは初めて。
 AFP通信などによると、イスラエル室内管弦楽団は、マーラーなどユダヤ系音楽家の曲目を中心とした約2時間の演奏の最後をワーグナーの「ジークフリート牧歌」で締めくくり、700人余りの聴衆から拍手喝采を浴びました。
 ワーグナーの演奏は、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を引き起こしたナチスを連想させることから、イスラエルでは今でもタブーとなっています。今回の企画も「ワーグナーと和解する必要などない」との批判の声が上がり、一時は暗礁に乗り上げかけましたが、同国内でリハーサルを行わないなどの配慮をし、実現にこぎ着けました。
 同楽団の指揮者ロベルト・パーテルノストロ氏は演奏を前に、ロイター通信に「ワーグナーの思想や反ユダヤ主義は恐ろしいものだったが、彼は偉大な作曲家だった」と語りました。
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2011年07月28日,「赤旗」) (Page/Top

ユダヤ人大虐殺の証人ヤン・カルスキ/ヤニック・エネル著/評者阪東宏明治大学名誉教授

「人類全体の犯罪」とする視点
 ナチス・ドイツによる占領下のポーランドで組織的に断行されたポーランドとヨーロッパのユダヤ人に対するショアー(大虐殺)については、内外で研究が公刊されている。フランスの新進文学者による本書は、ショアーを人類全体による犯罪とする新しい視点によって描いている。
 第一部ではC・ランズマン作製の長編映画「ショアー」に登場する対話がある。ここでカルスキはしばしば返答に窮し、沈黙する。自ら直面した事態を思い出すのが苦しみなのだ。
 第二部はカルスキの著作『ある秘密国家の物語』(1944年)の要約である。カルスキはドイツ占領下のポーランドで形成されつつある「秘密国家」(地下の軍事・政治組織)に属し、その軍事組織の指令により、ワルシャワ・ゲットーでユダヤ人が直面している飢えの悲惨を海外に伝える任務につく。彼は長文の報告書のマイクロフィルムを持ってロンドンに到着する。
 在ロンドン・ユダヤ人組織の代表ジギェルボイムの問いに、カルスキは答える。ワルシャワ・ゲットーのユダヤ人代表は、海外のユダヤ人も「[私たちと同じように]飢えによってゆっくり死んでほしい」、そうすれば世界はユダヤ人の運命に気づくだろう、と。これを聞いたジギェルボイムは自殺するが、世界≠ヘ知らん顔のままである。
 第三部はエネルの創作である。文中僕≠ニあるのはカルスキのことである。ここで著者は何を言いたいのか。
 「もちろん罪を犯したのはナチスである…だが[そのことは]ヨーロッパとアメリカを無罪にしない。ニュルンベルクの裁判はナチスの有罪を証明しただけでなく、連合国を正当化した」
 そのことをエネルは許せない。ショアーについての独自な作品である。

 1967年フランス生まれ。作家。
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2011年07月24日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 1936年のベルリンオリンピックは、「ヒトラーの大会」とよばれます。初ものも目立った大会です▼いまでは当たり前の、ギリシャからの聖火リレーは、近代オリンピック史上初めてでした。ラジオ中継も初。ドイツは、世界初のテレビ中継放送も、ベルリンオリンピックの機会を利用して試みました▼ナチス・ドイツの力と威信を、国の内外にみせつけよう。テレビ中継だってできるんだぞ。というわけで、権力とテレビは、当初から相性がよかったようです。第2次大戦後、テレビは電機会社のもうかる商品に育ち、世界中の家庭に広まります▼さて、「地デジ」です。24日が過ぎると、アナログ放送は止まり、画面が砂嵐≠ノ変わります。NHKに受信料を払っていても、災害情報や熱中症の危険度を知りたくても、番組を映してくれません▼生活保護を受ける世帯などは無償で地デジに切り替えられる事実もよく知らされないままで、数百万人のテレビ難民が生まれるおそれさえあります。新品のテレビを国民に買わせたい会社。地デジ移行を法律で強いる国。「もうけ」と「権力」がよりそいます▼もともと、テレビの「テレ」は、「遠い」「遠距離の」を意味します。テレビは、目に映らない遠くの事物をみたい人間の願いを実現する道具です。鮮やかに映る地デジは、すぐれた道具でしょう。しかし、国が新しい道具を使えと強制し、こぼれる人を勝手に切り捨てるとは、本末転倒です。ここにいたっても、憤りを抑えられません。
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2011年07月23日,「赤旗」) (Page/Top

映画の窓/カサブランカ/反ファッショ運動の中で

 「トランスフォーマー」は、日本の玩具をヒントにした自動車が巨大ロボットに変形するというもの。金属生命体の変形瞬間を見どころに少年が人類の危機を救うために活躍する。「インビジブル2」は、軍が開発した新兵器・透明人間化した兵士の連続殺人を阻止する刑事が軍の謀略に迫る。
 NHKBSシネマ。山田洋次監督の選ぶ日本映画家族編の1本は山田太一原作の「異人たちとの夏」。浅草で亡き父母そっくりの夫婦に出会った青年。それはじつは―と風間杜夫が両親を早く亡くしたさびしさを好演。
 戦時中に撮られたイングリッド・バーグマン主演の反ファシズム映画が2本。ハンフリー・ボガートと共演の「カサブランカ」は、対独抵抗運動の指導者と結婚した女性役で元恋人との再会と別れ。ゲーリー・クーパーと共演の「誰が為に鐘は鳴る」は、スペイン内戦でフランコ軍と戦う女兵士役で義勇軍のアメリカ人教授と戦火の中の恋。子どもが主人公の「プロヴァンス物語 マルセルの夏」は、夏休みで田舎に来た少年の夢のような楽しい日々。「罠にかかったパパとママ」は、別れた両親を再婚させようとする双子の姉妹の可愛らしいたくらみをヘイリー・ミルズが一人二役で見せた。
 (石子 順 評論家)
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2011年07月22日,「赤旗」) (Page/Top

芸能テレビ/スポット/劇団民藝八木橋里紗さん/母が演じたアンネ

 劇団民藝「アンネの日記」に主演します。ナチスのユダヤ人狩りから逃れ、2年間も屋根裏に身を隠した家族の物語。自由を奪われても、夢と明るさを失わない13歳のアンネ役です。
「けいこは走り通し。13歳って若い〜(泣)」
 「人生で一度は挑戦したかった役」です。
 32年前、同劇団でアンネを演じたのは、今は亡き母。楽しかった旅公演の思い出を、よく聞かされました。「私もいつか」と舞台活動をする中、10年ぶりのアンネ役公募を知り、応募。195人から選ばれました。
 少しでもアンネに近づきたいと、オランダ・アムステルダムの隠れ家も訪ねました。
 「日の差さない部屋で、飢えと恐怖におびえながらも、絶望しなかった。本当に驚くし、希望を感じます。アンネの成長する姿を出したい」。思いひとしおの23歳の夏です。
 (塚)
 *21〜31日=川崎市・アルテリオ小劇場。рO44(987)7711
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2011年07月17日,「赤旗」) (Page/Top

スペイン内戦開始75周年/英国人志願兵を追悼/人民戦線支援

 人民戦線政府に対してファシズム勢力が反乱を起こしたスペイン内戦(1936〜39年)の開始75周年を記念して、2日、ロンドンで、人民戦線を支援した「国際旅団」の志願兵だった英国人の追悼式典が開かれました。同旅団に参加し、存命の4人の英国人のうち2人が参加し、大きな拍手で歓迎されました。
 ロイター通信によると、式典はテムズ川沿いの公園にある国際旅団記念碑前で開かれました。元志願兵の親族や支援者は、こぶしを突き上げ、花輪を供え、連帯の歌を歌いました。
 生存者の1人、デービッド・ロモン氏(93)は旅団に加わった理由を「私はユダヤ人でファシズムに反対していた」と説明。18歳で参加し、すぐに最前線に送られましたが、「スペインのとりこになってしまった。スペインのためにたたかう価値はあった」と振り返りました。
 もう1人の生存者、トーマス・ワッターズ氏(98)はスコットランド救急部隊の一員。「行かねばならなかった。多くの負傷者がいた。有志を募っていたので私がやらねばならなかった」とロイター通信に語りました。
 英国政府は6月末、新たに情報文書を公開し、国際旅団に参加した英国人が約4000人だったことを明らかにしました。これまでは約2500人とされていました。
 英国の情報機関MI5は、国際旅団参加者と共産主義者とのつながりを恐れ、この記録を1950年代まで保有。その中には「カタロニア賛歌」などの作品があるジョージ・オーウェルなども含まれています。

スペイン内戦
 1936年2月の総選挙で共産党、社会党、共和党などが参加する人民戦線政府が成立。同年7月、フランコ将軍率いる極右・軍が反乱を起こし、ドイツのヒトラーやイタリアのムソリーニがそれを支援しました。これに対し、反ファシズムを掲げる国際旅団が組織され、55カ国からのべ6万人の志願兵が参加しました。
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2011年07月08日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 イスラエルに「世界の諸国民の中の正義の人」という称号があります。第2次世界大戦の時、ナチス・ドイツがおこなったユダヤ人の絶滅、ホロコーストから、命がけでユダヤ人を救済した人々に与えられます▼日本人では唯一、数千人のユダヤ人を救った外交官・杉原千畝さんが顕彰されました。ポーランドでは6000人を超す人々が顕彰されています▼『ブリギーダの猫』(ヨアンナ・ルドニャンスカ著・田村和子訳)は、そんなポーランド人一家の物語です。主人公は、6歳の少女・ヘレナ。少女の両親もまた、「諸国民の中の正義の人」の受賞者でした▼ヘレナの両親は、命の危険を冒してユダヤ人をかくまいました。ある日、幼い娘をゲットー(ユダヤ人の強制居住区)に連れて行きます。狭くて、暗い街…。家の窓からこぼれ落ちそうなくらい、人があふれています。父親はヘレナに、「よく見て、記憶するんだ」と語ります。どんなにつらい現実でも、見て見ぬふりはしない、直視することを求めたのです▼ヘレナの記憶は、戦後『ブリギーダの猫』となって実り、ナチスの暴虐を告発します。体験を継承するとは、こういうことなのでしょう。子どもの世代から孫の世代へ。少しでもましな世界をつくってほしい、との願いを込めて▼今回の原発事故も、何が問題だったのか、どうすればいいのか、しっかり見据える必要があります。未来へとつないでいくために。なし崩し的に原発を再開することだけは、あってはなりません。
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2011年07月05日,「赤旗」)

潮流

 ジョン・ガリアーノ氏は、イギリス生まれの50歳。パリで活躍する、現代を代表する服飾デザイナーです▼大胆なデザインで、老舗クリスチャン・ディオールを立て直しました。しかし、いまは被告の身。ユダヤ人差別の言葉をはいたとして、侮辱罪に問われています。先日、公判が始まりました▼訴えでは、彼は2月、カフェで女性に「汚らしいユダヤ人の顔をした売女は死ね」などとののしったそうです。映像も流出しました。彼が、「ヒトラーが大好き」と語ったりしている動画です▼公判では、「覚えていない」「私はアルコールや薬物の中毒に苦しんでいる」とのべたガリアーノ氏。ヨーロッパでは、デンマーク人映画監督ラース・フォン・トリアー氏の事件も記憶に新しい。彼は記者会見で「ヒトラーに共感する」と話し、カンヌ映画祭から追放されたのでした▼しかし、そんな風潮に立ち向かうようにヒトラーの時代≠フ真実を伝える努力もやみません。日本で7月に公開される映画「黄色い星の子供たち」は、実話にもとづき、ナチス占領下パリのユダヤ人狩り≠描きます。1942年、1万3千人近くがいっせいに捕まり収容所へ送られた、ヴェル・ディヴ事件です▼引き裂かれる家族、子どもたちの友情。襲う飢え。陰ながら1人でも多く救おうと試みるパリの警官や消防士、看護師。ナチスに協力する政権が起こした祖国の恥の歴史と向き合った、フランス映画人の勇気から、わが国も教えられるところが多いようです。
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2011年06月25日,「赤旗」) (Page/Top

「綱領教室」志位委員長の第5回講義/第2章第6節「ルールなき資本主義」

ここに問題/雇用・男女平等・社会保障…日本社会の重大な弱点
 21日の第5回「綱領教室」で、前回に続いて日本の情勢を明らかにした綱領第2章6節の学習に入りました。講義は、志位和夫委員長の「地底(ぢぞこ)のうた」(荒木栄作詞・作曲)で幕を開けました。党の前の綱領と同じ1961年に作られ、指名解雇をめぐって国民的な大闘争となった三井三池闘争(注1)を歌った労働歌です。「大好きな歌」と志位さん。若い人たちは聞き入り、声を合わせる年配者もいました。
 志位さんは最初に、この歌と関連づけて、前の綱領では政治支配と経済支配をひとまとめにして「日本独占資本」と規定していたが、現在の綱領では日本国内の階級的な支配勢力の中心を「大企業・財界」と規定したとのべ、その意味を説明しました。
 そして日本の「大企業・財界」の全体的な特徴として「同じ資本主義でも、ヨーロッパとは『顔つき』が違います」と指摘しました。イギリスでは産業界が率先して地球温暖化阻止にとりくみ、ドイツの大企業シーメンスが「国際競争力の持続可能な確保」として無期限の雇用保障に踏み切ったことを紹介。「一人ひとり労働者を大切にしないと競争力が持続可能なものにならない。視野が中長期なんです」とのべると、深くうなずく人もいました。
 もう一つの特徴は、ヨーロッパと比べて大企業・財界が政治と癒着し、政治介入が根深いことです。リストラと原発の問題を例に、ヨーロッパでは政治と労働界と経済界が対等の立場で労働条件から社会の仕組みまで決める「3者構成主義」が根付いていることと比べて、日本は腐敗した結合の3者癒着主義≠セとのべました。
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 「大企業・財界の横暴な支配のもと、国民の生活と権利にかかわる多くの分野で、ヨーロッパなどで常識となっているルールがいまだに確立していないことは、日本社会の重大な弱点となっている」と指摘する綱領にそって、個別分野の解明に話をすすめた志位さん。「綱領の分析は一般的な分析ではありません。変革の立場で、どこに問題があるかという角度で日本経済論をやっています」とのべ、用意した二つの資料(@「ルールなき資本主義」――日本とヨーロッパとの比較A世界からみた「ルールなき資本主義」)を縦横に使い、雇用、男女平等、社会保障、中小企業、農業、環境、教育の各分野について、ヨーロッパとの違い、国際水準との違いをリアルに示していきました。
 雇用の課題では、労働時間がドイツやフランスと比べて年間500時間も多いことを指摘。40年働くとすると2万時間になると試算し、「日本に住んでいるだけで懲役≠Q年半ということになります」とのべると、笑いと驚きの声があがりました。
 男女平等の課題では、高卒男女の生涯賃金を比較すると、女性は男性より7580万円も少ないことを暴露。「ベンツが10台買える金額です。年金額にも格差が生まれる。これは女性の尊厳への侵害であり、まともな国と言えるでしょうか」と怒りを込めて告発し、女性の地位向上を「『ルールなき資本主義』をただす全体の要と位置づけるべき問題だ」と強調しました。
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 志位さんは講義の後半で、日本経済に対する「アメリカの介入」に話を進め、「誤った方向づけ」を与えている実例がいろいろな分野にあると指摘。1950年代から始まり原発列島のレールを敷いたエネルギー支配、学校給食に小麦と脱脂粉乳を押し付けた食糧支配、1985年のプラザ合意から始まった金融支配などを紹介し、これらが日本の「もろくて崩れやすい経済基盤をつくってきた」と解説しました。
 「では、日本とヨーロッパの違いはどこからくるのでしょうか?」と問いかけた志位さん。人民のたたかいがルールをつくってきた五つの転機――@1日の労働時間を上限10時間と規制した19世紀半ばのイギリスの工場立法、A社会権をうたい各国に大きな影響を与えたロシア革命と、労働者の権利を守る国際機関のILO(国際労働機関)創設、B世界初の2週間の有給休暇(バカンス)をかちとったフランスの反ファシズム人民戦線、C平和のためにも人権と生活向上にとりくむと宣言した国際連合の創設、D労働者側と経営者側が対等の立場で交渉し、法制化するルールをつくっている欧州連合の動きを詳しく紹介しました。
 その上で日本の歴史的立ち遅れを指摘。ILO創設時、理事国だった日本は、8時間労働制を定めた第1号条約を「時間短縮は不可能なり」と拒否し、その後も労働時間にかかわる条約を「一つも批准していない」と紹介すると、「ほーっ」という声がもれました。

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注1)三井三池闘争
 1959年から60年に三井三池炭鉱でたたかわれた大量解雇反対闘争。1278人の指名解雇の攻撃に、労働者は、民主勢力の支援をうけ、数万の武装警官、右翼暴力団などの弾圧に立ち向かい、「合理化」反対闘争の頂点をなす歴史的なたたかいを展開しました。

みえた展望/国民のたたかいがルールをつくり、発展させる
 志位さんは、「こうした実態を直視しつつ、強調したいのは、日本は『ルールなき資本主義』といわれるが、『ルールがまったくない』のではないということです。日本にも国民のたたかいによって築かれたルール、到達点はあります。それを受け継ぎ、発展させる必要があります」とのべました。「地底のうた」を生んだ60年代の三井三池闘争にはじまる労働者の闘争がかちとった「整理解雇4要件」(注2)を最初にあげ、「憲法の権利を、たたかいによって生きて働く権利にしたもの。現在のJALのたたかいはこの権利を守り抜くたたかい。勝ち抜くために頑張りたい」とのべました。
 もう一つあげたのが、憲法25条の生存権を問うた朝日訴訟です。最低限の生活保障は国の義務で、予算も「指導支配」して優先的に配分すべきだとした判決の今日的な意味について解説。原告の朝日茂さんが最後に残した日本共産党員としての証言を読み上げると、会場はしんとして耳を澄ましました。「先輩のたたかいを引き継いでいこう」と語りかけました。
 志位さんは、「社会的ルールは外から与えられるものでもなく、自然にできるものでもない。人民のたたかいがルールをつくる力です。力をあわせてルールをかちとろう」と力を込めました。
 世界共通の「社会的ルール」を生かすとともに、日本の憲法には30条にわたる人権規定があることに触れ、「それを生かすたたかいをやろう。自信と誇りをもって憲法を、暮らし、職場に生かすたたかいの前進をめざそう」と語りました。
 最後に、「労働運動の社会的地位はヨーロッパに比べ遅れている。しかし、すすんでいるものがあります。自主独立の日本共産党です。この党を強く大きくすることこそ、資本主義を乗り越え、未来へ前進する大きな力となります。強い大きな党をつくろう」と呼びかけると、受講者は拍手でこたえました。

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注2)整理解雇の4要件
 労働者の1970年代からの長いたたかいの中でかちとった成果。@人員削減の必要性A解雇回避の努力B人選の合理性C解雇手続きの妥当性―この四基準を満たさない解雇は無効であることが、最高裁などの判例で確立されています。

感想/各地/憲法の大切さ納得/党の存在意義鮮明
 雇用、福祉、教育、いろんな面が貧しく、生きていくのは本当に厳しい国だと感じます。だからこそ学ぶこと、そして行動することが本当に大切だと思います。前半は欧州と日本を比較して落ち込みましたが、後半の講義では、日本にも、たたかい勝ちとったルールがあること、日本でも、たたかい今≠つくってきた人々がいるという話を聞き、励まされました。
 最後に志位さんが、ヨーロッパ社会と比較して進んでいるものは、日本共産党だと言っていましたが、「日本だけに目を向けるのではなく、世界に目を向けると、共産党が進んでいる政党だと分かるよ」と言っていた母の言葉を思い出しました。(栃木 女性)
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 日本とヨーロッパの違いにびっくりしました。日本で当たり前におこなわれていることが、世界からみれば異常なことなのだと感じました。欧州並みの待遇になる日が本当にきてほしいと思います。
 高校入試、大学入試と競争教育の中にいて、そのおかしさを知ることなく過ごしてきましたが、今思えばかなり異常な教育を受けてきたんだと思いました。
 歴史の違いが現在の大きな違いをつくっているんですね。日本でもルールある社会を要求する運動を強くしていかなければいけませんね。
(山口 女性 25歳)
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 日本共産党がなぜ憲法を大切にするかが分かりました。私も大切にはしてきましたが、深い意味で本当に大切なんだと思います。国際レベルでの生活や考え方などを勝ち取っていくのには、大変なたたかいが必要なのだと思いました。日本共産党は、絶対に必要です。(埼玉 女性)
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 日本の財界・大企業が目先の利益を追求するためにやってきたことが表にまとめられ、また世界との比較がされて、あらためて「ルールなき資本主義」といっている内容がよくわかりました。
 アメリカの対日支配が日本経済の誤った方向づけがされている例として、エネルギー、食料、金融があげられました。日本経済の弱体化がもたらされているという指摘には、今さらながら憤りを感じました。
 ルールなき資本主義とはいえ、日本国憲法があるということ、世界共通の社会的ルールを生かしていく、それらを実現していくのは人民のたたかいだという指摘を胸に頑張りたいと思います。(本部会場 男性 55歳)
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 圧巻は、日本におけるルールなき資本主義とのたたかいで、独占資本の構造と命がけでたたかった三池闘争の意義を、今日の整理解雇の4要件に連なるものとして話されたことと、憲法25条の生存権を生きた権利として勝ちとるうえで、朝日茂さんの人間裁判≠ェ土台になったことを、志位さんが情熱を込めて話されたところ。心をゆさぶられ、このたたかいの歴史をひきつぎ発展させねばと思った。
 党の綱領路線を歴史の流れ、世界の動き、たたかいの成果の中において深くとらえる力になる講義でした。(鹿児島 男性 68歳)
 ◇
 きょうの講義は、ルールなき資本主義、アメリカいいなりという日本社会の異常さの全体像がつかめるものだったと思います。具体的に紹介されたどの例も、国民的な模索に深くつきささるものであるし、同時に、志位委員長が指摘していたように、改革の方向が見えるものだったと思います。きょうの内容は、私たちが解決のために取り組んでいる問題の所在を明らかにし、党の存在意義をあらためて鮮明にするものだと思います。
 綱領路線のもと、ルールなき資本主義の社会で、くらしと権利を守り、発展させるためにたたかってきた先輩たちの姿に、心を強く動かされました。(千葉 男性 34歳)
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2011年06月23日,「赤旗」) (Page/Top

アイヌさまよえる遺骨/和人・尊厳・民主社会/平田剛士

 北海道旅行を計画している人に、ぜひ訪ねてほしい場所があります。北海道大学キャンパスの一角。ただし観光案内には出ていないので、迷うかもしれません。モダンな大学病院ビルの裏手の駐車場の片隅にポツンとある小さな建物です。壁の小さな板に「アイヌ納骨堂」と書かれています。
 普段は施錠され、入れません。来歴を教える看板もなし。訪問者は途方に暮れてしまいます。
 でもこの不親切さをこそ感じてほしい。先住アイヌ民族に対する多数派民族(和人社会)の態度が表れていると思うからです。

 アイヌ最大の団体である北海道アイヌ協会(本部・札幌)は毎夏、ここでイチャルパ(慰霊祭)を開いています。何年か前のイチャルパのおり、祭司に了解をもらって堂に入れてもらいました。コンクリート造りの室内いっぱいに、遺骨を納めた箱が整然と並んでいました。その数、969柱。ラベルには「八雲」「静内」「浦幌」……。全道各地どころか、クリル諸島(千島)やサハリン島(樺太)の地名もあります。
 すべて先住民族たちの頭蓋骨です。同大医学部が1930年代から60年代にかけて、各地のアイヌ墓地から「発掘」してきました。
 背景には、19世紀末の「人種学」ブームがありました。片方で先住民族の同化政策を進めながら、和人学者たちは、彼らと自分たち民族との差異を解剖学的に♂明しようと、墓地を「遺跡」と言い換えて掘り返しまくったのです。
 人種学はやがて欧州でナチスによるユダヤ大虐殺を引き起こし、「人種は生物学的現象というよりむしろ社会的神話」(50年のユネスコ声明)と断罪されます。北大での研究も自然消滅。後に遺骨だけが残りました。ほとんど放置状態だったのを、アイヌ民族側からの要請を受けてようやく84年、納骨堂に移し替えたのです。
 でも今にいたるも、大学が謝罪や返還に動く気配はありません。
 札幌在住のアイヌ民族、小川隆吉さん(75歳)は2008年、「発掘」当時の実態を解明すべく、北大に資料公開を請求し、これまで文書35点の開示を受けました。
 このうち、たとえば「アイヌ民族人体骨発掘台帳」(医学部解剖学第二講座、作成年不明)には、1000人以上の骨について、発掘地・性別・年齢などが記されています。しかし個人名はありません。遺骨が持つ尊厳を剥ぎ取る「データ化」の一端が、改めて明らかになりました。

 墓から持ち去られた副葬品の多くが行方不明になっていることも分かりました。小川さんを支援する市民グループは09年、北大に公開質問状を届けて、大学自ら当時の実態を解明するよう促しましたが、大学側は一切の回答を拒んでいます。
 研究の名のもとになされる人権侵害を「学問の暴力」と呼ぶ植木哲也・苫小牧駒澤大学教授(科学技術社会論)は、「現役の研究者たちも知らぬフリをしていて良いのでしょうか」と問いかけます。「東京大・京都大・東北大・大阪大なども相当数の遺骨を集めたはずだが、大学自身が動かないと全貌は明らかにできません」
 グループが6月、札幌で開いたシンポジウムで、遺族の城野口ユリさん(72歳、北海道浦河町在住)は、こう語りました。「(学者に親の遺骨を持ち去られた)母が、死に際まで語り続けていた無念を晴らすまで、私は訴え続けます。でも、私らアイヌが騒ぐより先に、和人が自らやるべきではないですか?」
 多数派が少数派の声に真摯に耳を傾けることなしに、民主社会は実現しません。
 (ひらた・つよし フリーランス記者)
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2011年06月20日,「赤旗」) (Page/Top

イタリア学習社会の歴史像/佐藤一子著/評者新藤浩伸東京大学講師

悩み共有し支え合って生きる人々
 本書は、イタリアの教育、特にこれまで十分注目されてこなかった成人教育すなわち大人の学びの歴史を叙述している。著者がこれまで現場に根ざして日本の社会教育の研究を重ねつつも、30年以上にわたり取り組んできた、イタリア研究の成果である。
 イタリアは、芸術やファッションなどの華やかな面が注目されがちだが、貧困や移民、低識字率、南北格差、若年失業率の増大など多くの問題を歴史的に抱えてきた。これに対し、学校教育制度の普及が遅れたイタリア社会は、地域で人々が学習することで課題解決をはかり、成人教育の制度を積み上げてきた。
 こうした大人の学びは、ファシズム政権下ではレジスタンスの基盤になり、戦後は労働者の学ぶ権利の保障、市民文化運動の支援、近年は少子高齢化、地方分権改革、職業訓練への対応など、歴史の中でさまざまな役割を果たし、現在もEU諸国で注目を集めている。その背景には「アソチアツィオニズモ(市民や労働者の協働的な関係)」と呼ばれる、社会連帯の伝統がある。
 人が学ぶのは、学校だけにとどまらない。また、学習だけでなく、余暇も含めた多様な活動の中で、知性や感性が育まれていく。生活者、労働者の現実に迫り、かれらの等身大の言葉から歴史を叙述していく著者の筆致は、書名が重厚であるにもかかわらず、しなやかで、あたたかい。
 イタリアが経験してきた社会問題の多くは、日本も共有しうる。「自己責任」、自立した強い個人ばかりが強調される現在、悩みを共有し支え合って生きるイタリアの人々の姿は、別の「強さ」を持ち、輝いている。そうしたイタリア学習社会の歴史と、人々の営みを描き出した著者のまなざしから、読者は震災以後の日本社会の未来に何らかの展望を見いだすことだろう。

 さとう・かつこ 1944年生まれ。法政大学教授、東京大学名誉教授。
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2011年06月19日,「赤旗」) (Page/Top

おとなこそ絵本を/ノンフィクション作家柳田邦男さん/『コルチャック先生 子どもの権利条約の父』を翻訳

心開く読み聞かせの力/つらい体験した人こそ
 ノンフィクション作家の柳田邦男さんが『コルチャック先生 子どもの権利条約の父』(トメク・ボガツキ作 講談社)を翻訳しました。絵本や読書の活動支援とともに、事故や災害現場にもかかわってきた柳田さんに聞きました。
 君塚陽子記者

 コルチャック先生(※)は、差別されたユダヤ人の孤児院の院長として、子どもの自主性を重んじ自治の力を引き出し、すばらしい教育をした人です。第2次大戦のときにナチスドイツによって、子どもたち200人と一緒に強制収容所のガス室で殺されました。
 友人たちは脱出の手はずを整えましたが、すべて断り、最期まで子どもたちと一緒でした。命をかけて最後まで子どもを守る、そういうおとなの生き方は今の時代こそ問われていると思います。
 絵本の表紙のコルチャック先生の目。貧民街の少年のうつろな目。強制収容所へ行進する威厳に満ちた子どもたちの目。すごい絵だなと思いました。むずかしい言葉を使わなくても、戦争や民族差別の非人道性がしっかり伝わってくる。はっきりノーという感情を持つことができる。この本に出合うために、これまで絵本の翻訳をしてきたと思うぐらい引きずり込まれ、訳しながら涙が止まりませんでした。

被災
 絵本というのは、言葉が発達していない幼い子のためのもの、成長すれば絵本は卒業する、そう思っている方が少なくないと思います。実はそうではないのです。
 人間が生きていくうえで大事なこと、人間関係や生き方、生と死の問題を子どもでも分かる形で表現できるのが絵本だと思います。読み手の発達や成熟に応じて無限に語りかけてくれます。
 私自身は、60歳ぐらいから絵本を意識的に読みだしました。1995年に息子を亡くし、宮澤賢治の『よだかの星』を手に取ったのがきっかけです。「疎外と孤独」の世界に胸打たれました。
 絵は文章を補うものでなく、文章は絵を補うものでない。独立した両者が一体化して一つの世界ができあがっています。
 すばらしい絵本を手に取るたびに圧倒され、99年から「おとなこそ絵本を読もう」というキャンペーンを始めたのです。
 大切な人を失ったり、人生でむずかしいことに直面したり。そんなとき、絵本が立ち上がってくる≠アとがあります。突然リアリティーを持って語りかけてくるのです。つらい体験をした人ほど絵本を深く読むことができるのだと思います。
 震災や原発事故で苦しむ福島県郡山市で、子どもにかかわる関係者が集まって「子どもの心のケアプロジェクト」を発足させました。私も応援団の一人です。
 被災地では絵本を配るだけでなく、誰かが読んであげてほしいですね。読み聞かせは肉声を通した人間同士の触れ合いです。私は子どもたち一人ひとりと握手して「よく来たね」と声をかけてから始めます。そうすると子どもたちが集中して、絵本の世界に入り込むことができます。
 「あー、おもしろかった」「へぇ、自分も同じだ」。そんなふうに心が動くと、何かにとらわれてこもった状態の心が少し開く。光が差すといってもいいかもしれません。そういう機会をつくってあげることが大事ですね。
 時には、子どもがおじいちゃん、おばあちゃんに読んであげてもいいのですよ。子どもにとって自分が役に立ったというのは大きな喜びでしょう。

再生
 災害は人災でもあります。地震や津波が巨大な災害になったのは、不用意な構造物をつくり、神話的に「安全」とされていたからです。災害・安全対策にコストで限界を設けると必ずしっぺ返しを受ける。全システムをていねいにつくる必要があるのに中枢部≠守れば大丈夫のような錯覚に陥って辺縁≠ェ中途半端になる。ほころびは必ずそこから起こってくる。原発の場合は、非常用電源と配水管でした。
 「想定外」というのは結局、それ以上は考えないことにしよう≠ニしてきた思考様式に免罪符を与えるキーワードではないかと思います。いま必要なのは、防災の面で効率主義と手を切ることです。
 これからの復興を考えたとき、漁業や農業をやっていた人たちが再び続けられるようにすることがとても大事だと考えています。
 先日、ある漁協のアンケートで9割以上の会員が海に帰りたいと答えた、という報道を聞き、私は感動しました。この人たちが海で生業を営み、子どもを育て、地域を守ってきた。そこを壊れたままにしたら、日本はますますふるさと喪失≠フ国になってしまう。
 ふるさとは人間の精神的な支柱です。再生したいという農民や漁師の願いを公的な支援で実現することは、ふるさとのない国にしない、という日本の未来像につながる大変大事な問題だと思います。

※ヤヌシュ・コルチャック(1878〜1942)ポーランドの小児科医で児童文学作家。孤児院「孤児たちの家」での実践や理論は、1989年に国連総会で採択された「児童の権利条約」に生かされています。

やなぎだ・くにお=1936年生まれ。さまざまな社会問題・医療問題などをテーマに執筆。『犠牲(サクリファイス)』で第43回菊池寛賞など受賞多数。翻訳絵本に『エリカ 奇跡のいのち』など
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2011年06月05日,「赤旗」) (Page/Top

書架散策/亀田美佐子/フリーダ・ナイト著『ベートーヴェンと変革の時代』/時代と格闘する姿が鮮やかに

 十九歳のルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは一七八九年、ボン大学に入学し、教授オイロギウス・シュナイダーと出会った。
 人間の真の価値と「真の高貴性は、精神の偉大さと善良さによって、達成されるのみである」と説く、フランス革命を支持する共和主義学者の言葉に触れ、べートーヴェンは一生を通じて鳴りつづける基調を、心のうちに響かせた。
 著者はベートーヴェンの生涯と作品を、社会的・政治的背景に焦点をあてて考察する。そこには、民主主義の理想に燃えて時代と情熱的に格闘し、理念を交響曲やソナタなどの偉大な作品群に結実させた姿が鮮やかに浮上する。
 一八一五年からの一時期、作品を書かず困窮したのは、メッテルニヒ体制による徹底的な国民監視、自由の窒息、ウィーンの文化的退廃など、専制政治の凶害が彼の霊感と創造力を削いだためだと著者は述べ、それは現代にも共通する問題であると警句をつづる。絶対王制にとってかわった独占資本主義もまた、人びとの政治への関心をそらし、危険思想を根づかせないように「文化の息の根をとめ、二流のものを押しつける」と。
 ベートーヴェンは気概を秘めて時を待ち、ついに当局の妨害をはねのけて第九交響曲(合唱付)を発表した。歌詞のなかで、古きを脱して同胞愛で結び合えと呼びかけて封建体制に衝撃を与え、自由に飢えた民衆には歓喜で迎えられたのだった。
 著者フリーダ・ナイトは英国生まれのヴァイオリニスト。大学セツルメントで文化運動を組織。スペイン内戦の際は、難民の救済に奔走した。一九四〇年ナチス・ドイツにより収容所に囚われるが、二年後、脱走に成功し帰国。戦後は音楽の研究に専念した。
 芸術と思想と人生が、協和音で響きあう彼女にして迫り得たベートーヴェン像。彼の魂は同じくナイトの心にも宿って、幾多のベートーヴェン研究のなかで珠玉の輝きを放っている。
 (ヴァイオリニスト)
 法政大学出版局
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2011年06月05日,「赤旗」) (Page/Top

「君が代」条例可決強行/大阪府議会/「維新の会」暴挙に市民ら抗議/府議会定数削減も強行狙う

 大阪府の橋下徹知事が率いる「大阪維新の会」が提出していた「君が代」起立強制条例が3日夜、まともな審議もなしに府議会本会議で「維新」などの賛成で可決しました。日本共産党、自民党、公明党、民主党は反対しました。文部科学省は義務づけ条例について「聞いたことがない」としており、前例のない暴挙です。
 強制条例は、第1条で「国歌の斉唱について定めることにより、府民、とりわけ次代を担う子どもが伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する意識の高揚に資する」「服務規律の厳格化を図る」と目的をうたっています。
 「君が代」斉唱時に教職員に起立を強制する条例は、憲法の「思想・良心の自由」を侵すもの。橋下知事はさらに9月府議会で起立しない教職員を懲戒解雇にする条例案の提出を狙っています。
 教職員でつくる大阪教職員組合(全教加盟)は、「数の暴挙による強行可決を糾弾する」との小林優書記長の談話を発表し、条例の廃止と「免職を含む懲戒処分」条例案を阻止するたたかいを断固すすめると表明しています。
 大阪労連の川辺和宏議長は「権力を掌握したら何でもできるというのは、戦前のヒトラーにも通じるファシズムのやり方にそっくりです。橋下知事の蛮行を多くの府民に知らせ、ストップさせる」と話しています。
 同日昼には、大阪労連など憲法、労働、教育7団体が暴挙に怒りを込めて抗議し、府庁前で宣伝しました。
 「憲法を守れない知事はやめてもらいます」と書いた横断幕を掲げ、通路を埋めた80人余が「『君が代』起立強制反対」と力強く唱和しました。
 大阪母親大会連絡会の植田晃子委員長は「話をすればするほど、『維新』に投票した母親たちのほとんどが『こんなことされたらたまらん』と声をあげています。子どもたちが被害者にならないよう頑張りましょう」とよびかけました。(15面に関連記事)

府議会定数削減も強行狙う
 一方、「大阪維新の会」は、府議会定数削減条例案を同日深夜にも、本会議のわずかな「討論」だけで強行成立させようとしています。
 同条例案は、府議選挙区の9割を1、2人区にして府民の多様な要求や意見を締め出すという民主主義破壊の暴挙です。先のいっせい地方選の得票にてらすと、4割の得票の「維新」が6割強の議席を占めることになると、自由法曹団大阪支部が試算しています。
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2011年06月04日,「赤旗」) (Page/Top

ヒトラー理解#ュ言の監督追放/カンヌ映画祭

 【カンヌ(仏)=AFP時事】開催中の第64回カンヌ国際映画祭の運営委員会は19日、ナチス・ドイツ総統ヒトラーに理解を示す発言をしたデンマーク出身のラース・フォン・トリアー監督を「好ましからざる人物」とし、映画祭からの追放処分にしたと発表しました。トリアー監督は「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(2000年)で同映画祭最高賞パルムドールを受賞した実績があります。
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2011年05月21日,「赤旗」) (Page/Top

憲法生きる民主社会実現へ/レツド・パージ裁判の今日的意義/橋本敦

一 日本戦後史の一大汚点正せるか
 朝鮮戦争前夜、レッド・パージの嵐が吹き荒れてから60年、今や90歳を迎える3名の犠牲者が、「生きているうちに名誉回復を」と提訴した神戸地裁のレ・パ裁判が、この26日に判決を迎える。
 思想・信条の自由を踏みにじるレッド・パージは、日本共産党をはじめ、わが国民主勢力に加えられた憲法違反の暴挙であって、それは戦前の治安維持法弾圧の再現とも言うべき戦後史の一大汚点である。これをたださずして、日本の戦後史は終わらない。

二 政府の責任が各企業以上に重大
 レッド・パージの歴史的経過をみると、労働者を解雇した各企業の責任以上に、全国的国家的体制をとってレッド・パージを強行した日本政府の責任が重大である。
 この神戸裁判で証言された北海道教育大学の明神勲名誉教授は、裁判所に提出した意見書で「国家の犯罪」とも言うべきレッド・パージの歴史的特質を次の通り論述されている。
 「思想・信条そのものを処罰の対象とするレッド・パージは、本来、憲法をはじめとする国内法の容認するところではなく、かつ最上位の占領法規範であるポツダム宣言の趣旨にも反するものであったが、占領下においては超憲法的権力であったGHQの督励と示唆により、それを後ろ盾とした日本政府、企業経営者の積極的な推進政策により強行された。レッド・パージという不法な措置を実施するにあたり、GHQ及び日本政府は、事前に裁判所、労働委員会、警察をこのために総動員する体制を整え、被追放者の『法の保護』の手段を全て剥奪した上でこれを強行したのであった。違憲・違法性を十分に認識し、法の正当な手続を無視したレッド・パージは、『戦後史の汚点』とも呼ぶべき恥ずべき『国家の悪事』であった。」
 そこで、神戸レッド・パージ裁判は、この「国家の悪事」を正面から追及するため、これまでの裁判と違い、国を被告としてその責任を問い、原告らの名誉回復と損害賠償を求めているのである。

三 思想・信条の自由保障が不十分
 過去の歴史のあやまりをただす運動は、スペインのフランコ政権による迫害をただす「歴史の記憶に関する法律」(2007年12月)や、ナチスに抵抗して国家反逆罪に問われた犠牲者を救済するドイツの「包括的名誉回復法」(09年6月)などで明らかなように、今世界でも大きく前進している。
 しかし、日本には思想・信条の自由がまだ十分に保障されていない現状がある。
 そのため、日本共産党の市田忠義書記局長がレッド・パージ反対全国センター第5回総会(09年11月)への激励メッセージで、次のように述べられていることが重要である。
 「みなさん方のたたかいは歴史の一大汚点を正すという点で大きな意義を持つにとどまらないで、現在も根絶されていない職場における思想差別を克服する労働運動、民主運動の大事な一翼を担う今日的な意義を持ったたたかいだと思います。」
 このように、レッド・パージ反対のたたかいは、犠牲者の過去の名誉と権利を回復するだけでなく、思想・信条の自由を保障するわが憲法が生きる民主社会を実現する今日的課題のたたかいなのである。
 憲法と法の正義にもとづく神戸レッド・パージ裁判の勝利判決を心から願う。
 私が神戸の裁判の弁護団に加わったのは原告の皆さんから「私たちはこの裁判のたたかいを神戸だけでなく広く訴えていきたい。そのために神戸で佐伯雄三弁護士を団長に弁護団を作ってもらったが、東京からは坂本修弁護士に、大阪からは橋本弁護士にぜひ参加してほしい」との要請を受けたからであった。
 私は弁護士になって五十余年、いくつもの困難な事件にも加わってきたが、なかでも大阪市立大学本多淳亮名誉教授が「占領軍当局の巨大な魔手におびえて司法権の独立を放棄した」とまで言われている最高裁の共同通信社事件などの不当な判決によって、担当したいくつかのレッド・パージ裁判が全部敗訴した無念は今もなお痛切であった。いつかはこの無念をぬぐい去りたいと心に期していた私は、即座にこの要請に応じて神戸の裁判の弁護団に加わったのであった。
 (はしもと・あつし 弁護士)

レッド・パージ
 米軍占領下の1949年から50年にかけて、日本共産党員とその支持者を職場から追放した占領軍と政府による反共攻撃のこと。官民あわせて数万人の労働者が犠牲になったといわれています。
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2011年05月18日,「赤旗」) (Page/Top

元ナチ看守の釈放判決に控訴

 【ベルリン=ロイター】ユダヤ人2万8000人の殺害に関与したとして殺人ほう助罪に問われたナチス収容所の元看守ジョン・デムヤンユク被告(91)の釈放を決めたミュンヘン地裁の判決に対し、検察側が16日、控訴しました。検察側は禁錮6年を求刑。同地裁は禁錮5年の刑を言い渡す一方、同被告の年齢を理由に身柄の即時釈放を命じました。
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2011年05月18日,「赤旗」) (Page/Top

御堂関白記と遣欧使節資料/日本初、記憶遺産推薦へ

 文部科学省は11日、いずれも国宝の「御堂関白記」と「慶長遣欧使節関係資料」について、世界の貴重な資料の保存や認知度向上を目的とした国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産に推薦すると発表しました。日本の同遺産推薦は初めて。
 日本ユネスコ国内委員会が来年3月、ユネスコへ推薦。隔年で行われる選考を経て、2013年5月ごろに登録可否が決まる見通しです。
 御堂関白記(みどうかんぱくき・財団法人陽明文庫=京都市=所有)は、現存する国内最古の自筆日記。摂関時代、最高実力者として栄華を極めた藤原道長が政務や儀式のほか、日常生活の様子について漢字と平仮名で書き残しました。
 慶長遣欧使節関係資料(仙台市所有)は、仙台藩主伊達政宗が使節としてローマに派遣した支倉常長が欧州から持ち帰った、当時のローマ教皇や常長の肖像画、キリスト教の祭具などの遺品。鎖国直前の日欧交渉について伝えるもので、同省は「大航海時代の外交、文化交渉史上、一級の遺産」としています。
 記憶遺産は1992年に事業が開始されましたが、これまで国内の推薦はありませんでした。ナチス・ドイツの迫害を逃れ、隠れ家でつづられた「アンネの日記」が2009年に登録されたことで関心が高まり、日本でも昨年委員会を設置、選考を進めていました。
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2011年05月16日,「赤旗」) (Page/Top

元ナチス看守/禁錮5年も高齢で保釈/ドイツ、落胆の声

 ドイツ南部のミュンヘンからの報道によるとミュンヘン第2地方裁判所は12日、第2次大戦中のナチス絶滅収容所の元看守ジョン・デムヤンユク被告(91)に、ユダヤ人2万8000人以上の殺害に関与したとして、禁錮5年の判決を言い渡しました。
 しかし同裁判所は同時に被告が高齢であることを理由に保釈を決定。絶滅収容所元収容者やナチス犯罪の追及を続けている民間機関「サイモン・ウィーゼンタール・センター」関係者などから落胆の声があがっています。
 同被告は、ウクライナ出身で、ソ連軍に徴兵され1942年にナチスに捕らえられた後ポーランドにあったソビボール絶滅収容所などで看守を務めました。2009年5月にドイツに身柄が引き渡され、同年7月に裁判が始まっていました。
 ドイツでは戦後66年が経過した今もナチスの犯罪の追及が続いています。昨年7月、ポーランドのベルジェツ収容所でのユダヤ人43万人殺害に関与した元看守(88)の裁判が始まりましたが、11月に被告の死亡で終結しました。
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2011年05月14日,「赤旗」) (Page/Top

仏大統領選まで1年/極右の動き国民が注視

 来年春に大統領選を控えるフランス。サルコジ現大統領は再選を目指しますが、国民の注目は、先の地方選挙で好成績を収めた極右政党・国民戦線(FN)が決選投票に進むのかどうかに集まっています。
 (山田芳進)

02年の悪夢
 3月の県議会選挙第1回投票でFNは15・06%を獲得。第2回投票の結果、県議会レベルで初議席を獲得しました。しかしこの躍進≠ヘ、多くの国民にある悪夢≠よみがえらせています。
 2002年4月21日に行われた大統領選挙第1回投票。再選を目指すシラク大統領の対抗馬の最右翼と目されていた社会党のジョスパン候補(当時首相)が落選。代わりに決選投票に進んだのは、FN党首のジャンマリー・ルペン候補でした。
 この結果は、当時の「複数左翼」内閣を構成する共産党や緑の党などの各政党が、それぞれ独自候補を立てたことによる左翼側の自滅≠ニも言えます。決選投票でシラク候補が82・21%を獲得し圧勝したとは言え、フランスはショックにつつまれました。
 FNは1972年に誕生した極右政党で、「移民排斥、フランス人優先」などの政策を掲げています。ルペン党首は、イスラム教徒をさげずむ発言やナチスによるホロコースト(第2次世界大戦中のユダヤ人大量殺りく)を矮小(わいしょう)化する発言を繰り返してきました。
 86年の国民議会選挙で35議席(得票率9・65%)を獲得して以来、大統領選挙で安定した結果(88年14・38%、95年15%、02年16・86%)を残してきました。ところが07年に10・44%へと後退。同年の国民議会選挙でも全敗したことで、本部建物の売却を迫られるなど、党は存亡の危機に陥っていました。
 一方、この4年間で、サルコジ大統領の「より稼ぐために、より働け」の号令のもと、労働時間の週35時間制は骨抜きにされ、購買力は決して向上していません。こうした「公約破りに対する政治への失望感」(仏民主労働連盟のシェレック書記長)が広がっていました。
 この状況下でFNは今年1月、82歳のジャンマリー氏から娘のマリーヌ氏(42)に党首を交代。メディアへの露出による、「父よりまし=vとの好印象≠ニ相まって、地方選で躍進しました。

現職に危機感
 危機感を燃やしているのが再選をめざすサルコジ陣営です。サルコジ氏は前回、「治安対策の強化」や「移民の規制」など、FN支持層受けする公約を掲げ、FNから票を奪う形で当選しました。
 しかし就任直後65%だった支持率も、一時期を除いて下がる一方で、先月の世論調査の支持率は過去最低の22%を記録。1958年にド・ゴール大統領による第5共和制が始まって以来、初めて保守本流の候補が決選投票に進出できない事態も予想されます。
 一方社会党では、国際通貨基金(IMF)代表理事のドミニク・ストロスカーン氏、元第1書記(党首)フランソワ・オランド氏(以上男性)、マルチヌ・オブリ第1書記らの間で予備選が実施される見込みで、各種世論調査では、候補者が誰になっても第1回投票で2位以上になると予想されています。
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2011年05月09日,「赤旗」) (Page/Top

映画の窓/おとうと/哀歓あふれる姉弟愛

 今週は見たい映画がいっぱいだ。山田洋次監督の「おとうと」は、ダメな弟をかばいつづける姉。吉永小百合と笑福亭鶴瓶の哀歓あふれる姉弟愛にじんとくる。「幸せのちから」は、金も家も失った子連れ男ウィル・スミスが、努力と才覚で成功していく。
 NHK衛星プレミアム。山田洋次が選ぶ100本は「名もなく貧しく美しく」。聴覚障害夫婦の愛と暮らしを高峰秀子と小林桂樹が演じた。手話をはじめて真正面から松山善三監督がとらえた。中村錦之助の演技力の成長を見られる時代劇が3本。「反逆児」は大仏次郎の戯曲をもとに伊藤大輔監督が、徳川家康の息子・信康の悲劇を演じさせた。「関の彌太っぺ」は、長谷川伸の名作の映画化で、弱いものを2度助けることになる流れ者の運命。「仇討」は今井正監督が、斬れない刀で戦わされる侍に武家社会への抵抗を熱演させた。
 外国映画は社会派映画。「ミッシング」はチリの軍事クーデターをジャック・レモンの米国人父親の目で告発した。「ノー・マンズ・ランド」は、ボスニア紛争で中間地帯に取り残された敵同士の兵士による戦争風刺劇。「ヒトラーの贋札」は、絶滅収容所内でニセ札作りを強制されたユダヤ人たちの苦悩と葛藤からナチスの謀略をあばく。
 (石子 順 評論家)
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2011年05月04日,「赤旗」) (Page/Top

石子順のにちようシネマ館/ナチス、偽りの楽園 ハリウッドに行かなかった天才(米)

 マルコム・クラーク監督の長編ドキュメンタリー。1920〜30年代のドイツ映画界にクルト・ゲロンという俳優・監督がいました。マレーネ・ディートリッヒとも「嘆きの天使」で共演しています。
 ゲロンは人気者でしたが、1933年、ユダヤ人であるため映画界から追放され、パリへ脱出します。オランダで捕らえられてチェコのテレージエンシュタット強制収容所に送られます。1944年に、そこでゲロンが得た仕事とは…。
 名声をわが物にしていたゲロンの人柄、仕事ぶりなどが同僚や強制収容所の生き残りの人から証言されていきます。米国亡命も可能だったのにその機会を逃して映画監督を続けようとしたゲロン。ナチス・ドイツの謀略のなかで、天才といわれた俳優の幻想と悲劇が描かれていきます。
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2011年04月24日,「赤旗」) (Page/Top

新作DVD/ラインの監視(米、1943年)

 戦後、ハリウッドの赤狩りに抵抗した女性劇作家リリアン・ヘルマンの戯曲をハーマン・シュムリン監督が映画化。1940年。サラ(ベティ・ディヴィス)は、ドイツ人の夫、3人の子どもと欧州から18年ぶりに米国の実家へ。母も弟も歓迎しますが、夫が反ナチ活動家だと知られてしまい…。ファシズムとたたかう夫婦像に反ナチ闘争を支える米国の良心を示した名作。(ジュネス企画 5040円)
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2011年04月24日,「赤旗」) (Page/Top

ハンガリー「生者の行進」/ホロコースト忘れない

 ハンガリーの首都ブダペストで17日、第2次世界大戦中にナチスのホロコーストの犠牲になった人を忘れないことを誓う「生者の行進」が催されました(写真、ロイター)。ハンガリーでは1944年5月から2カ月の間に44万人のハンガリー系ユダヤ人などがアウシュビッツ収容所に送られ、その多くが命を落としました。
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2011年04月20日,「赤旗」) (Page/Top

風の色/崔善愛/ポーランド人とともに

 私は、タクシーの運転手さんと話すことが大好き。先日も京都に立ち寄った際、運転手さんのたくみな話術に負けじと張りあってしまった。
 ちょうど1年前の4月、ショパンコンクール予備予選を聴くためワルシャワにいた。が、アイスランドの火山の噴火で空港が閉鎖され、帰国できなくなってしまった。そこで、私はショパンの生家までタクシーで足をのばした。その運転手さんと往復2時間半、話がはずみ時間が飛ぶように過ぎた。
 彼の名前はジプリンゲル、ドイツ名を持っていた。祖先はショパンの父がフランスから移住したと同じ1787年、ドイツから移住し、彼は7世になる。当時、農家に生まれても長男しか土地を継承できなかった。ドイツ政府はポーランドに行けば、家畜と土地、そして1年分の生活費を与える、と移住を推進した。これはポーランドにとっての植民地政策だった。
 現在も彼の実家は、ドイツから一緒に移住した人たちの村にある。第2次世界大戦時、ナチスがポーランドに侵攻し、その村にドイツ軍が来て、村民にドイツ側につくよう、誓約書へのサインを求めた。しかし彼のおじいさんはこれを断り、侵略される側のポーランド人とともに生きる、と宣言した。その書類は今も保管されているという。
 ショパンの父もフランス人だったが、列強国に分割されるポーランドのためにポーランド兵となり、負傷までしている。「フランス人なのに、なぜポーランド独立のために戦ったのでしょうか」とジプリンゲルさんに聞くと、「人間として戦ったのでしょう」と答えた。
 (ピアニスト)
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2011年04月17日,「赤旗」) (Page/Top

池辺晋一郎の会いたくて/写真家大石芳野さん

戦地の子のあふれ出た涙に・大石/想像を絶する傷癒やす責任・池辺
 作曲家の池辺晋一郎さんが、各界の会いたい人≠ニ語り合うシリーズ。今回は写真家の大石芳野さんです。

 池辺 お久しぶりです。お互い20代からの、長いつき合いですね。
 大石 本当に。長いおつき合いです。
 池辺 僕が東京芸大の大学院の頃、作曲家5人でグループをつくったんですよ。1学年上の三枝成彰もメンバーの一人でした。5人だから「白浪」って名前をつけたの。
 大石 「白浪五人男」ね。
 池辺 そのグループ「白浪」のチラシやプログラムに写真が必要になって、知人のデザイナーの紹介で、大石さんにお願いしたんですよね。
 大石 私は大学を卒業してフリーのフォトグラファーになったばかりで、広告など、もらえた仕事を夢中でこなしていた頃でした。

世界走り回り
 池辺 それからしばらくして、あちこちで大石さんの写真を見るようになり、NHKなどにも出演して社会的な発言をされるようになりました。小柄でおとなしそうな大石さんが、世界中の戦禍や災害の地域を走り回って写真を撮り、それを40年も積み重ねている。その勇気には感服します。
 大石 何をおっしゃいます(笑)。行く先々で、いい人たちに出会えたから、続けてこられました。日常を普通に生きている人に、深い感動を覚えたこともたくさんあります。
 池辺 最初に行かれたのはどこですか?
 大石 ベトナム戦争中の南ベトナムです。1966年、学生交流の一員として渡航しました。サイゴン(現ホーチミン)から北上して、軍事境界線である北緯17度線まで足をのばしました。ドーンと砲撃の音が聞こえてくるなかで、ベトナムの若者たちと何度もディスカッションして、平和について考えました。ベトナムへはその後も頻繁に通って、戦後を見続けています。
 池辺 写真集『ベトナム凜と』は、その集大成ですね。一見、平和が戻ったかに見えても、戦争の傷は今も生々しく残っていますね。大石さんは同じ地域に何度も通われるんですね。
 大石 そうなんです。最初に行くきっかけは、本当のことを知りたい、という気持ちです。自分の目で見て知った以上は、知らない人に伝えたい。伝えたからには責任が生じる。あの人たちがどうなったか、また訪ねる。見たことを伝える。その繰り返しです。

一番の犠牲者
 池辺 仕事でレバノンに行った時、非常に印象的なことがありました。子どもたちに「平和って何?」と尋ねると、「イスラエルの飛行機が飛んでこないこと」と答えたんです。この一言をもって平和だとする子どもがいることを日本人は知ってなきゃいけない。一番の犠牲者は子どもですね。
 大石 不条理ですね。
 池辺 新しい写真集『それでも笑みを』にも、子どもたちの姿を中心に、カンボジア、ベトナム、アフガニスタン、コソボなど35の地域の写真が収められています。表紙の男の子の涙には、胸をつかれますね。
 大石 この子はコソボの子で、9歳のヴァルドリン君といいます。私が学校を訪ねて「今度の紛争で家族を殺された人はいますか」と聞くと、たくさんの手が上がりました。その中のヴァルドリン君に話を聞こうとしたら、「僕のお父さんは……」と言って言葉を詰まらせ、ワッと涙があふれたんですね。彼は目の前で父親を銃殺されたんです。家も破壊されて難民になり、戻ってきて、このときは小屋に住んでいました。
 池辺 その傷の深さは想像を絶する…。おとなの責任で癒やしていかなければならない。
 大石 私は泣いている顔はあまり撮らないんですが、この子の場合は、思わずあふれ出た不覚の涙だということで、互いに響き合うものがあったんです。彼はすぐに手で涙をぬぐいましたから、本当に一瞬の表情です。

目を背けずに
 池辺 旧ソ連で徴兵されて、アフガニスタンに派兵された直後に負傷したニコライさんの写真も衝撃的です。
 大石 両目、両足、左腕、右手の指を失って、まだ23歳でした。「この体を見せるのはつらいけど、日本の人たちに伝えてほしい」と言ってくれたから、撮りました。戦争で人生を台無しにされて、こんな理不尽なことないですよね。こういう人たちが同時代に生きていることを知ってほしい、目をそむけないで、直視してほしいと思います。
 池辺 大石さんにとっても、つらい撮影ですね。
 大石 つらくても、私にできることはそれしかないですもの。この彼がこんな目に遭っても、私には何もできない。私にできるのは、みんが考える材料を提供することだけです。それぞれが自分のやれることをやって、伝え合い、響き合い、つながり合う。それが大事ではないかと思って、写真を撮っています。
 (つづく)

 いけべ・しんいちろう 1943年茨城県水戸市生まれ。東京音楽大学教授。オーケストラ・吹奏楽・合唱作品、オペラ、ドラマ・映画音楽など作曲多数。尾高賞など受賞多数。著書『シューマンの音符たち』ほか。

 おおいし・よしの 1943年東京生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業。写真集『カンボジア 苦界転生』『アフガニスタン 戦禍を生きぬく』『子ども 戦世のなかで』『〈不発弾〉と生きる―祈りを織るラオス』ほか多数。芸術選奨、土門拳賞など受賞多数。
(上)( 2011年04月14日,「赤旗」)
 池辺 大石さんは、伝えることが自分の使命だとおっしゃる。アメリカの従軍カメラマンだったジョー・オダネルを思い出しました。彼は、広島、長崎で原爆投下後の惨状を撮影しました。帰国後、その記憶に苦しみ、あまりにもつらくて、全ての写真をトランクにしまったまま43年間、封印します。ところが晩年、「伝えなきゃ」と思って写真を公表するんですね。「焼き場の少年」という写真は、とても印象的です。

気持ち重ねて
 大石 オダネルさんには広島でお会いしたことがあります。写真を公表し、戦争はいかにひどいか、原爆がいかに残虐かを告発したことで、原爆投下は正しかったと信じる周囲のものすごい非難を受けて、家庭も崩壊してしまったんです。
 池辺 伝えるという意志がとても大事で、伝えなければ、隠蔽されてしまうことがたくさんあります。ことに日本では、戦争の記憶の風化が加速しているように思えてならない。忘れてはいけないことを伝えていく仕掛けが必要です。僕も音楽でそういう仕事をしているけれど、写真家はもっと具象的に残していく仕事ですよね。写真から人がくみ取り、感じ取るものが、風化をくい止める一つの手段になると思います。
 大石 写真は文章や絵と違って、そこにあるものしか写らないので、撮る方の力量にもかかってくるんですが、写真を見て自分のいろんなことを思い出してほしいし、自分の気持ちを重ねてほしい、と思います。そして、考えてほしい。
 池辺 いい写真は、写っている人や光景の奥に何があるのか、想像したくなります。写真が、見る者に一歩踏み込むことを要求してくる。それをしなければ見ている意味ないよ、と。
 大石 写真ってね、どんなにたくさんシャッターをきっても、結局、これと思えるのは1枚だけなんですね。シャッターチャンスは1回で、写真は1枚。
 池辺 普遍的な何かを引き出した瞬間ですね。
 大石 そうですね。表現者の共通の課題ですね。

血管を鋼鉄に
 池辺 大石さんは、「希望」という言葉がお好きだと聞きましたが。
 大石 希望というものの力を教えてくれたのは、ポーランドのワルシャワで会ったスタシャックさんという男性です。彼は、ナチスの強制収容所から奇跡的に生還した人なんですが、「自分は、希望という血を流し通すことで、血管を鋼鉄のように強くして生き延びることができた」と話してくれたんです。この言葉を広く知らせたいと思いました。さまざまな理由で苦境に陥った人が、勇気づけられ、前向きに生きる力を得られればいいな、と。
 池辺 希望の力…ですね。写真集『それでも笑みを』には、原発事故の後遺症に苦しむチェルノブイリの子どもたちや、インドネシアのスマトラ沖大地震の大津波で家族を失った子どもたちの姿もあります。今の日本の状況にも重なりますね。
 大石 今、日本の被災者や被害者の皆さんと、どうやってつながっていったらいいのか、考えています。自分に何ができるのか…。
 池辺 音楽家として、同じ気持ちです。
 大石 これからも体が続く限り、現地に行って、見て、記録して、伝えていきたいと思っています。

対談を終えて/池辺晋一郎

 大石芳野さんの驚異的な行動の根幹にあるのは、その「眼」だ。僕がそこから読みとるすべてを、今ここに記すわけにはいかないが、何より明確なのはその「視座」のたしかさ。そして、ヒューマニズムという一言では表しようもないほど深い、人間へのまなざしだ。対談の中にあるように、僕は若いころ被写体として、写真家・大石芳野の「眼」を、仲間とともに浴びている。数え切れない悲しみの涙を、苦悩を、また笑顔をすくい取ってきたその眼に見つめられたことのある者として、大石さんの命をかけた、そして稀有な行動力の底に流れるものを感じ取り、読者へ伝えたかった。大石さんの写真が語るものの何百分の一にすぎないことはわかっているが…。
(下)( 2011年04月15日,「赤旗」) (Page/Top

「平和のバラ」/長崎で写真展

 長崎市松ケ枝の「ナガサキピースミュージアム」で、長崎「平和のバラ」展が開かれています。5月1日まで。
 第2次世界大戦でナチスの犠牲となった少女アンネ・フランクをしのんで生まれた「アンネのバラ」をはじめ、「プレイ(祈り)」「ピース」「セント・コルベ」の4種類のバラの写真を展示しています。
 同ミュージアムの増川雅一さんは「文化を破壊するのが戦争です。平和に関連した展示物に何かを感じてください」と話しています。
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2011年04月14日,「赤旗」) (Page/Top

レーダー/問われるNHK会長の資質

 1月に就任した松本正之NHK会長。早くも公共放送のトップとしての資質に疑問符が付いています。
 NHK予算が審議された3月31日の参院予算委員会で日本共産党の山下芳生議員は、NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったのか第3回熱狂≠ヘこうして作られた」(2月27日放送)を紹介、松本会長に問いました。
 「日本とアジアであまたの命を奪った侵略戦争にラジオが深くかかわった。放送の痛苦の歴史についてどのような認識をお持ちか」
 松本会長も「番組を見た」と言います。ところが、「不偏不党・自主自律の放送法の規定を踏まえて業務に当たっている」と繰り返すだけで、戦争との関係については一切語ろうとしません。
 山下議員が「放送の不偏不党・自主自律という放送法の規定は、戦争と放送の教訓から導き出されたものだと認識することが大事ではないか」と迫ると、松本会長は「そのこととは別に放送法がきちっと制定されて、その原点に基づいてやっていく」と答えたのです。
 戦争中、ナチスドイツを手本に軍や政府の演説、過大な戦果を垂れ流し、国民の「熱狂」をつくりだした過程は、NHK番組自身が詳細に検証しました。こうした反省を踏まえて、1950年に放送法が成立しました。
 放送法の精神について、メディア研究者の松田浩氏は著書『NHK』(岩波新書)でこう述べています。「戦前の放送が政府の介入と統制によって…国民を誤った方向に導いたことへの反省と、放送を市民社会の公共的メディアとして生まれ変わらせようとする意図が、この法律に込められている」。その役割を先頭に立って果たすことが「公共放送NHKの第一義的役割」だと。
 JR東海副会長という「経営手腕」だけを頼みに、たった数日で松本氏を会長に選出したNHK経営委員会の見識も問われます。
 (佐)
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2011年04月11日,「赤旗」) (Page/Top

映画/「英国王のスピーチ」(イギリス・オーストラリア合作)/苦悩越える劇的展開

 幼いころから強度の吃音に悩まされ、人との接触を避けてきた英国のジョージ王子(コリン・ファース)が、大観衆を前にして言葉を発せられなくなってしまう悲痛な姿が、冒頭に映し出される。
 何人もの言語療法士の助けを借りても、いっこうに改善の兆しが見えてこない。そんな夫を案じて、妻のエリザベス(ヘレナ・ボナム=カーター)が、最後に探し当てたのが、オーストラリア人のライオネル・ローグ(ジェフリー・ラッシュ)だった。
 のっけから、「信頼と対等な立場で」、治療は「この診療室で」と宣言、愛称で呼んだり、いきなり型破りな治療法で驚かしたりするライオネル。かんしゃくを起こして、部屋を飛び出してしまうジョージ。
 そんな2人が、どのようにして本当の友人同士になり得たのか。そして心ならずも王の座を継ぐことになったジョージが、無事に王の務めを果たせるようになるのか。
 予想がつく結末だけに、トム・フーパー監督の演出は、さまざまなエピソードをドラマチックに展開させながら、観客の心を最後まで引っ張っていくやりかただ。シェークスピア劇の役者を夢見るライオネルらしいユニークな治療風景や、ジョージが幼少時のつらい思い出を初めて明かす場面などは、とくに印象深い。
 クライマックスに迎えるのは、ナチスドイツとの開戦を前に、国民の心を鼓舞するための国王のスピーチ。ベートーべンの交響曲7番第2楽章の調べにのせて流れる力強い王の声。後に「善良王」として国民から親しまれるジョージ6世を暗示する見事なラストである。
 (山形暁子・作家)
 東京・TOHOシネマズシャンテ、大阪・TOHOシネマズ梅田ほか
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2011年03月28日,「赤旗」) (Page/Top

ショパンの手紙72年ぶりに発見/ポーランド

 【ベルリン=時事】ポーランド出身の作曲家ショパン(1810〜49)の手紙6通が72年ぶりに見つかり、ワルシャワのショパン博物館で24日、公開が始まりました。
 発見されたのは1845〜48年の間に、滞在先のフランスからポーランドの家族に宛てた手紙で、日常生活がつづられています。ナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、第2次大戦が始まった1939年以降、行方が分からなくなっていましたが、2003年に現存していることが判明し、同博物館が匿名の所有者から美術商経由で入手しました。
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2011年03月28日,「赤旗」) (Page/Top

文化/パウル・クレー展/ユーモラスで不気味/明快で不可思議

 「パウル・クレー展 おわらないアトリエ」が、京都国立近代美術館で開催中です。クレーは幾度となく展覧会が開かれる人気画家。その魅力とは…。
 金子徹記者

 唐突に絵のなかに「↓」が描かれていたり、文字がちりばめてあったりと、詩的で謎めいた絵を1万点近く描いたスイス生まれの画家クレー(1879〜1940年)。何度も展覧会が開催されています。なぜこれほど日本で人気なのでしょう。同館主任研究員の池田祐子さんは、「色彩や構図、タイトルなど、作品ごとに新しい驚きがある」といいます。
 広島市立大学芸術資料館館長の大井健地さんは、「見る人がそれぞれ、自分のなかで反応するものを絵から見つけられます。子どもからお年よりまで受け入れる間口の広さがある」と語ります。
 今回の展覧会は、クレーが非売品として手元に置いた作品群や、独特の制作技法に焦点をあてています。前出の池田さんは、「複雑で繊細な制作プロセスをとった作家の多様性をたどる」ことがテーマだといいます。
 手法は実に型破り。描いて完成、ではなくて、出来上がった絵を切断して再構成したり、一枚の絵を切り分けて別々の作品にしたり、あるいは素描を油彩に転写したり。多様な工程を経た出品作から、常識にとらわれない、絵画の探究者の姿が浮かび上がります。
 前出の大井さんは、クレーの絵のもうひとつの顔≠指摘します。
 「よく見ると、不気味さや不確かさも見えてきます。クレーの生涯は、友人の戦死やヒトラーの台頭など、時代に翻弄(ほんろう)されたものでした。クレーの絵は、時代や世の中の動きも教えてくれます」

受難の時代経て
 ヒトラーが首相に就任した1933年、クレーはナチスの家宅捜索をうけ、務めていたデュッセルドルフの美術学校からは無期限休職の勧告が。スイスに亡命し、35年以降は闘病生活を送りながらも創作は活発に。39年には1253点もの作品(うち957点は素描)を制作。40年に60歳で死去しました。
 ナチスはクレーの絵を「退廃芸術」と決めつけ、「退廃芸術展」(37年)でさらしものにしました。その背景には、クレーがナチスからユダヤ系と目されていたこと、20年代に革新的な芸術運動を展開した造形芸術学校であるバウハウスの教員を務めたこと、さらにはヒトラーの、抽象的な絵画への嫌悪などが考えられます。
 受難の時代を経て、さまざまな角度から探究の的となっているクレー。音楽一家に育ったバイオリンの名手で、詩人でもあった画家は、こんな言葉を残しています。
 「此岸(しがん、現実世界)でわたしを捕まえることはできない。わたしは好んで死者たちと、未(いま)だ生まれざるものとの領域に住みついているから」
 ユーモラスで不気味、明快で不可思議な、奥深い世界が現代人をひきつけています。

 「パウル・クレー展 おわらないアトリエ」=5月15日まで、京都国立近代美術館(月曜休館)рO75(761)4111
 5月31日〜7月31日(予定)、東京国立近代美術館(月曜休館)рO3(5777)8600
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2011年03月27日,「赤旗」) (Page/Top

劇団月曜会/ブレヒト作品来月上演へ/広島

 広島市で反戦や民主主義をテーマに芝居づくりを続ける劇団月曜会(原洋子代表)は連日、ブレヒト作の戯曲「カルラールのおかみさんの銃」の稽古に励んでいます。今年の前期公演として来月16、17、23、24の4日間、西区の芝居小屋ACCA(アッカー)で計8ステージ上演します。
 戯曲は1937年、スペイン・アンダルシアの貧しい漁村に迫るフランコ将軍の暴動に対して、おかみさんが亡夫の銃を隠し、2人の息子を戦線に行かせまいとした実話がモチーフ。
 原代表は「ブレヒトが『ファシズムに対する戦いでは中立的な立場などあり得ない』と呼びかけたように、日本の閉塞(へいそく)状況で一人ひとりが今、一歩を踏み出すことが大事だと思う」と意気込みます。
 入場料=一般1800円、学生1000円、中高生500円。問い合わせ=ACCA082(234)9656。
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2011年03月22日,「赤旗」) (Page/Top

文化/経営学を軸にした青春小説「もしドラ」人気を読む

 アメリカの経営学者ドラッカー(故人)が注目されています。彼の著作を軸にした青春小説の大ヒットを契機に、関連書籍が相次ぎ、小説の映像化も進行中です。ドラッカー現象を、どうみたらいいのでしょうか。
 金子徹記者

大学のサークルにまで企業と同じ人間関係。組織論≠ェ身につまされる

 通称「もしドラ」。正式な書名は、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(岩崎夏海著、ダイヤモンド社)。長いタイトルをもつ小説が、ドラッカー現象のけん引車です。09年末の刊行以来、200万部を突破。今月からNHKでアニメの放映が始まり、夏には実写版映画が、公開されます。
 公立高校の野球部の女子マネージャーが、ドラッカーの『マネジメント』に感動し、その理論をチームづくりに生かしながら甲子園をめざす物語。「もしドラ」に連動し、ドラッカー著『マネジメント[エッセンシャル版]』(ダイヤモンド社)も売れています。エッセンシャル版は1974年刊行の『マネジメント―課題・責任・実践』の抄録です。
 経営学というと、経営者やビジネスマン以外には縁遠いもの。これが若い世代に受けているところが新しい動向です。
 若者の生活や意識に詳しい、横浜市立大学の中西新太郎教授は、「もしドラ」人気のポイントについて、「経営学を、ライトノベルという若い人に身近なスタイルにのせて書いたこと。高校野球を舞台にしたのも新鮮です」と話します。
 さらに学生の人間関係の今日的特徴に重ねて、こう分析します。
 「いま、大学では学生サークルが、企業のようなものになっています。従来のような、同じ趣味の人たちの集まりというだけではなくなっている。学生サークルには、企業の上下関係などに通じるしんどい人間関係があり、どのサークルに入るかということ自体がキャリアに関係します。だから、ドラッカーの組織論は、若い人にも日常的で身につまされるのでしょう」
 実際に、小説では部員のひとりのこうした心理描写があります。
 「日本においては『体育会系』というキャリアが、ものすごく有利」だから、スポーツは苦手なのに野球部で、「人脈を築いたり、人間関係のスキルを育んだり」するんだ、と。

実利と効率
 実利と効率を優先する「企業の論理」を、学生が自発的に先どりする世相は息苦しさも感じさせます。
 中西教授によれば、こうした傾向は1990年代後半から。「大学が企業システムに、より強く密着していくなかで、サークルも企業と照応するものになってきた」といいます。
 「もしドラ」ブームは、就職難や人間関係のストレスなど、若者を取り巻く状況の厳しさを反映した側面がありそうです。

ドラッカーの著作と日本の経営/企業の社会的責任を指摘したが

 資本主義社会において、企業や組織をいかに効率的に機能させるか、を研究するのが経営学です。それが、ビジネスを超えて着目されているのが現代です。では、ドラッカーの経営学をどう見たらいいのか。「今日のブームは、ドラッカーのマネジメント論の、ある一面だけを注目しているようです」というのは龍谷大学の夏目啓二教授(経営学)

顧客の創造
 つまり―。
 「ドラッカーは、企業の目的は利潤が動機ではなく、顧客の創造≠ェ目的だと説きます。彼のマネジメント論の出発点です。伝統的経営学は、利潤獲得のために企業があるというのが前提。ドラッカーはそれを否定した。そこが注目されるポイントであり、批判される点でもあります」
 ドラッカーの実業界での人気は絶大、と指摘する夏目教授は、ブームの陰で見落とされている「視点」を語ります。
 「ドラッカーは企業の社会的責任が重要である、とする論客。現在のブームでは、この視点が欠落しています。格差や非正規雇用の増大、環境などが問題になる今日、大切な観点です。経営者だけでなく、市民の側から企業の社会的責任を問い、現実の厳しさを直視し、この現実を変えていく視点がいま必要です」

ピーター・ドラッカー=1909年、ウィーン生まれ。ナチスを避け、英国を経て渡米。『現代の経営』などの著作で、日本では戦後早くから財界人の支持を集めてきた。05年没
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2011年03月13日,「赤旗」) (Page/Top

書架散策/福島智/ヴィクトール・E・フランクル著『夜と霧』/苦悩と共に生きる精神の自由

 ナチスの強制収容所を奇跡的に生き延びたユダヤ人の精神医学者・フランクルが、極限状況の体験を記した書。
 18歳で視覚と聴覚の両方を失い、「盲ろう状態」という、一種の「認知的極限状況」を生きる運命を背負った私は、学生時代に本書を読み、深い感銘を受けた。私とフランクルではその体験の質もレベルもまったく異なるけれど、苦悩と共にある生の本質に関わる洞察は、私の内面と深く共鳴した。
 収容所の中で、あらゆる自由を奪われた状況にあってなお、苦悩と共に生きる精神の自由を彼は述べる。
 「被収容者は、行動的な生からも安逸な生からもとっくに締め出されていた。しかし、行動的に生きることや安逸に生きることだけに意味があるのではない。そうではない。およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。」
 強制労働に駆り立てられているとき、隣を歩く囚人が彼に語りかけた。
 「『ねえ、君、女房たちがおれたちのこのありさまを見たらどう思うだろうね……! 女房たちの収容所暮らしはもっとましだといいんだが。おれたちがどんなことになっているか、知らないでいてくれることを願うよ』
 そのとき、わたしは妻の姿をまざまざと見た!(中略)収容所に入れられ、なにかをして自己実現する道を断たれるという、思いつくかぎりでもっとも悲惨な状況、できるのはただこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより、満たされることができるのだ。」
 生は苦悩と共にあり、苦悩は愛と共にある。生きる意味は、業績にあるのではない。生と死に向き合う精神のありかた自体にある。こうした認識を、観念としてでなく、重い体験をとおして静かに語りかけてくる不朽の名著だ。
 (東京大学教授)
 みすず書房
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2011年03月06日,「赤旗」) (Page/Top

ナチ風の衣装を謝罪

 ロックグループの氣志團がナチス・ドイツの親衛隊(SS)に酷似した衣装でテレビ出演し、反ユダヤ活動を監視する米有力人権擁護団体サイモン・ウィーゼンタール・センターから抗議された問題で、氣志團が所属するソニー・ミュージックアーティスツは2日、「ショックを与えたことを深く謝罪するとともに、深く反省します」と記した謝罪文をホームページに掲載しました。
 謝罪文は日本語と英語で併記され、氣志團のメンバーも深く反省していると説明。その上で「今後は、指摘のあった衣装は一切使用せず、直ちに廃棄します」としています。
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2011年03月03日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 洗濯物を干していたら、雨が落ちてきました。薄日がさしています。洗濯物をしまうかどうか迷う、ほんの少しの雨滴、涙雨▼涙雨は、あるいは涙雨という言葉は、さまざまな情景をよび起こします。たとえば、ジャズ演奏の一瞬。ピアノのさりげない一打やトランペットの弱奏、ベースのうなりから、涙のようにこぼれ落ちる音▼1960年代初め、ある女性がアメリカでジャズ音楽家300人に問いました。特別な三つの願いは何? 答えを読み、意外な感じを受けました(鈴木孝弥訳『ジャズ・ミュージシャン3つの願い』)▼「平和」や「愛」の答えは多い。「社会主義」を望む人もいます。しかし、もっとも目立つ答えは「お金」「カネ」。改めて考えると、意外ではありませんでした。差別されてきた貧しい黒人音楽家の、差し迫った本音でしたから▼三つの願いを尋ねた女性はパノニカ・ドゥ・コーニグズウォーター、愛称ニカ。ロスチャイルド財閥の家系の生まれ。第2次大戦中はフランスの反ナチス運動に加わり、戦後アメリカでジャズ音楽家と親交を深め、彼らを助けます。才能を見いだし、彼らの仕事の場をふやし、居所を失った人を自宅に住まわせ…▼白人女性と黒人男性が一緒にいれば人が避けて通った時代、彼女は黒人と腕を組んで歩きました。1988年、75歳で死去。感謝とたたえる言葉に包まれた彼女の遺灰は、遺言通り真夜中のハドソン川にまかれました。「葬式などの悲しい時に降る雨」も、涙雨といいます。
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2011年03月03日,「赤旗」) (Page/Top

ナチ風の衣装に抗議

 【ニューヨーク=時事】反ユダヤ活動を監視する米有力人権擁護団体サイモン・ウィーゼンタール・センターは28日、ナチス・ドイツの親衛隊(SS)に酷似した衣装でテレビ番組に登場したとして、日本のロックグループの氣志團と番組を放映したエム・ティー・ヴィー・ジャパン(MTVJ)などに抗議したと発表しました。氣志團などに対し、謝罪して衣装を二度と用いないよう求めました。
 氣志團とMTVJのほか、氣志團が所属する芸能事務所のソニー・ミュージックアーティスツと音楽会社のエイベックス・グループに抗議書を送付しました。
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2011年03月02日,「赤旗」) (Page/Top

試写室/NHKスペシャル日本人はなぜ戦争へと向かったか/NHKテレビ後9・0

破滅への道に加担、新聞・放送
 太平洋戦争開戦70年シリーズで、今回問われるのは新聞・放送の戦争責任。日清・日露戦争勝利で高ぶる日本は1931年「満州事変」で15年戦争へと突き進む。このとき商業新聞は戦争の真相を伝える役割を放棄した。番組は、元記者らから聴き取った大量の証言テープで構成する。
 発端となった満鉄爆破。関東軍の謀略の事実を知りながら、新聞は報道しなかった。むしろ戦火の拡大を部数拡大の好機とする。
 大手新聞の発行部数を凌ぐ契約台数を持つラジオ(日本放送協会)も、戦争への「熱狂」を演出した。ナチスドイツの国民扇動方法を手本に前線中継や誇大戦果報道、軍・政府首脳の演説を中継する。つくられた「国民の熱狂」のもと、言論の自由は抹殺され、明治の「坂の上の雲」時代が生み育てた軍人たちによって太平洋戦争の破滅へと踏み出す。
 国際連盟脱退の外交方針を支持する新聞132社の共同宣言。近衛首相はメディア代表40人を集め、協力を要請する。戦争遂行という「国益」で一色になっていく報道。これは現代にも通じる。メディアが厳しく自らに問い直す鏡とすべきだ。
 (二葉 恵 ライター)
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2011年02月27日,「赤旗」) (Page/Top

国際平和運動家黒川万千代さん死去

 国際平和運動家の黒川万千代(くろかわ・まちよ)さんが17日、急性骨髄性白血病のため死去しました。81歳。通夜は22日午後6時から、告別式は23日午前11時から、いずれも横浜市西区元久保町3の13の一休庵久保山式場で行います。喪主は夫、俊雄さん。
 1929年東京都生まれ。45年、広島で被爆。ナチスによるホロコーストの研究調査や被爆の実態と核兵器のない世界を訴え世界中を駆け巡りました。著書に『「アンネの日記」への旅』『アンネ・フランク―その15年の生涯』など。86年、横浜市長選挙に「市民の市長をつくる会連絡会」から立候補しました。
 日本共産党神奈川県後援会代表委員を務めました。
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2011年02月19日,「赤旗」) (Page/Top

米基地反対沖縄に連帯/2・11富山県民集会

 「建国記念の日」に反対する2・11富山県民集会が11日、富山市内で開かれ、70人余が参加しました。
 琉球大学名誉教授の高嶋伸欣氏が「近隣アジアの人びととの共生、信頼構築をめざして―歴史歪曲(わいきょく)・戦争美化を阻止するのは私たちの役割」と題して講演。高嶋氏は、普天間基地をはじめ米軍基地が沖縄県に集中している問題をとりあげ、沖縄県民の置かれている現状を説明。全国で沖縄県民のたたかいに連携し、基地反対のとりくみをすすめてほしいと訴えました。
 最後に、戦争とファシズムの一切の動きに反対し、憲法9条を要とする平和憲法を守り、天皇の元首化や侵略戦争美化の動きに反対し、真の自由と民主主義、平和を求めて粘り強くたたかうことを呼びかけた集会アピールを採択しました。
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2011年02月15日,「赤旗」) (Page/Top

「建国記念の日」不承認/歴史に学び憲法生かす/各地で集会/島根/徳島/佐賀

 「建国記念の日」の11日、これに反対し「歴史に学び憲法を守り生かそう」と集会などが西日本地方の各地で取り組まれました。

島根
 島根県松江市では島根大職組など4団体の主催で第23回「『建国記念の日』に考える集い」が開かれました。
 加藤克夫島根大法文学部教授が「フランスにおける第2次世界大戦の記憶と歴史教育〜ユダヤ人大量虐殺への加担とその記憶をめぐって」と題しメーン報告。ナチスのホロコーストに加担した責任を国家として認め犠牲者に謝罪したこと、独仏共通歴史教科書での歴史認識共有化の試みなどを語り、「過去の克服の努力は近隣諸国との関係改善の上でも必要。それ自体は日本の価値を高める」と話しました。

徳島
 徳島県では「『建国記念の日』に反対し、憲法にふさわしい平和をつくる政府をともに考えあう2・11集会」が徳島市で開かれ47人が参加しました。
 「『建国記念の日』の不承認運動の原点に立ち、国民主権・平和主義・基本的人権の尊重という憲法の基本精神に則(のっと)り、21世紀を平和の世紀とする」との県民へのアピールを採択しました。
 歴史教育者協議会の中内輝彦氏が基調報告をし、「戦争の惨禍という歴史の教訓をしっかり学び平和を実現するため運動を強めよう」と呼びかけました。

佐賀
 佐賀県の「2・11県民集会」(県高教組など4団体での実行委主催)は、佐賀市内で開かれました。
 集会では教育や女性、障害者、農民、医療などの団体から7人が発言し、「日本の政治や経済の閉そく感を打ち破るため協力・共同のたたかいを」との意見が出されました。
 講師の関家敏正県平和委員会代表が「日本の建国を考える」と題して講演しました。
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2011年02月12日,「赤旗」) (Page/Top

アウシュビッツに3宗教指導者

 ナチス・ドイツのユダヤ人絶滅収容所アウシュビッツで1日、イスラム教指導者も加わった追悼行事が行われました。イスラム諸国、イスラエル、欧州諸国から約200人のキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の3宗教の聖職者が集まり、ホロコースト犠牲者に祈りをささげました。写真(ロイター)は、アウシュビッツ収容所の正門をくぐる聖職者ら。
 行事は、米ホロコースト被害者遺族協会などの団体が国連教育科学文化機関(ユネスコ)とともに開催したもの。
 イスラム国であるイランのアハマディネジャド大統領が「ホロコーストはなかった」との主張を繰り返す中で、宗教間の連帯を示すのが目的です。
 参加者の一人、ボスニア・ヘルツェゴビナのイスラム教最高位法学者大ムフティのセリック師はロイター通信に「若い人々にモスク、教会、シナゴーグ(ユダヤ教会)で、ここで起きたことを教えなければならない」と語りました。
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2011年02月03日,「赤旗」) (Page/Top

番組改変事件10年/NHKの明日へ/下/メディア研究者松田浩/民主主義と未来につながる問題

 NHK番組改変事件は、2001年、「女性国際戦犯法廷」の取材を通して戦時中の「慰安婦」問題など日本軍による性暴力の実態を検証しようとした番組が、当時の安倍官房副長官らの圧力と、それを受け入れたNHK上層部の改変命令によって、大幅に削除、改変された事件である。

真相が明らかに
 これまで放送に対する政治介入事件は数限りないが、当事者が真相を語らないまま、うやむやに済まされることが多かった。それだけに、今回、事件が裁判で争われ、そのなかで長井暁デスクが政治的改変の実態を内部告発し、永田浩三チーフ・プロデューサーが勇気を持って真実を証言したこと、そしてそれをきっかけに制作者、視聴者、市民、研究者一体となって事件の真相が解明され、放送倫理・番組向上機構(BPO)のような放送事業者の自主規制機関までを含めてその問題点がオープンに論議されたことの意義は、たいへん大きい。
 一つの勇気が、次の勇気と行動を生み、それが政治的圧力や改変の実態に迫った東京高裁の画期的判決やBPO放送倫理検証委員会(川端和治委員長)の「意見書」を導き出す結果になった。BPO放送倫理検証委員会の「意見書」についていえば、もし事態が最高裁判決で幕引きされていたら、番組改変事件の真実は、またもうやむや≠ノ済まされていたに違いない。だがNHK制作者の有志と「放送を語る会」がBPOに番組改変事件の検証を要請し、BPOの放送倫理検証委員会がこれに応えて、「改変は公共放送の自主・自律を危うくし、視聴者に重大な疑念を抱かせた」と、最高裁が避けて通ったジャーナリズムの報道倫理に真正面から向き合った意見書を明らかにしたことで、問題が深められた。

開かれた論議を
 意見書が、公共放送がよって立つ視聴者の信頼感の根底に政治からの自主・自立の問題があることを強調したうえで、NHKに検証番組の放送を求め、あわせて「内部的自由」の確立や「編集権」の問題にまで踏み込んで放送の担い手たちに開かれた議論を求めた意義も大きい。
 事件の全面解明と検証番組の放送を求める視聴者・市民の運動は、長井、永田両氏もこれに合流し、シンポジウムの開催、出版活動などを中心に、なお粘り強くつづいている。それは、日本社会が戦後半世紀以上たった今日なお、「従軍慰安婦」問題や過去の侵略戦争の責任に向き合えないのはなぜか、また、メディアはなぜ、そうした加害の歴史に沈黙するのかを深く考えさせる貴重な契機ともなっている。
 理解できないのは、ここまで疑惑を持たれ、海老沢会長(当時)の事件への関与を裏付ける有力証言まで突きつけられながら、ひたすら沈黙を続けるNHK執行部や経営委員会の無責任な態度である。BPO放送倫理検証委員会の意見書とNHKの見解をまとめたブックレットの序文で、川端委員長が「番組の公開を含めNHKが保有している資料を可能な限り公開することこそ、NHKの自主・自律の堅持のために今もっとも求められている」と書いていることの意味は、きわめて重い。

温存された体質
 事件を生んだ政治介入の仕組みとそれを受け入れるNHKの体質は、いぜんとして温存されており、克服されていない。NHK番組改変事件は、その意味で決して過去の事件ではなく、日本の民主主義と未来につながる問題であり、真相の全面解明と自己検証を迫られている今日的課題なのである。視聴者の「知る権利」がかかっているこの問題を、私たちは決して、うやむやに済ませてはならない。
 NHKが自ら事件を検証し、その教訓を組織全体で共有したうえで、そこから視聴者の「知る権利」に責任を負う自主・自立の公共放送として再出発しないかぎり、番組改変問題の解決はないということを、最後に強調しておきたい。
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2011年02月03日,「赤旗」) (Page/Top

番組改変事件10年/NHKの明日へ/中/フォーラムで/テレビに絶望してほしくない

 2000年12月の女性国際戦犯法廷には、海外から95社が取材に訪れ、イギリスのBBCやフランスのル・モンド紙など、多くのメディアが連日ニュースにしました。開催地の日本では、真正面から取り上げたのがNHKのETV2001「問われる戦時性暴力」(01年に教育テレビで放送)でした。その番組が自民党幹部の圧力を受けて改変されたのです。番組が放送されてちょうど10年となる1月30日、市民、研究者の団体「放送を語る会」が、「日本軍『慰安婦』問題の現在とメディア」をテーマに、第40回放送フォーラムを都内で開きました。

戦争加害の問題から
 
 講演したのは元NHKディレクター・池田恵理子さん。「戦争責任をどう取るのか、『慰安婦』問題が解決しない現実をどう変えるか。そういうことを考えるとき、抑圧の構図をこの番組改ざん事件は政治家の名前までもはっきりと明らかにした、まさに画期的なものでした。戦後、日本が避けてきた戦争加害の問題から見直していく重要性を感じます」と強調しました。
 講演の中で、池田さんが自ら作成した20分のドキュメンタリー「私たちはあきらめない」を上映。このドキュメンタリーは日本政府に謝罪と補償を求める「慰安婦」たちのたたかいや、NHK番組改変事件をめぐる一連の動きなど、女性国際戦犯法廷からの10年を振り返ったものです。

在職中も活動
 池田さんは73年にNHKに入局。昨年NHKを定年退職しました。ETV特集「シリーズ〜50年目の慰安婦*竭閨v(95年)など、「慰安婦」を取り上げた八つの番組を制作しました。97年に「慰安婦」の証言を映像で記録する女性グループ「ビデオ塾」の活動を開始。98年から「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク(バウネット)」の運営委員に。2000年の女性国際戦犯法廷はバウネットが主催したものです。
 バウネットは01年7月に、NHKを相手に番組改変問題で提訴。池田さんも原告として裁判をたたかいました。「被害者は高齢になり、あと数年したら誰もいなくなってしまいます。戦後補償問題で、苦しみぬいているところです。しかし必ず不正義は滅びて、いつか歴史がきちんと正しいことを証明してくれると信じています」
 NHKに対して、「過去にNHKが放送した番組には、ものすごい番組がいくらもあります。少数であってもいい番組をつくっている人はいます。まだテレビに絶望してほしくありません」と、池田さんは語りました。

自分の痛みとして
 
 フォーラムでは、ETV2001「問われる戦時性暴力」を担当した元NHKプロデューサーの永田浩三さんが発言しました。
 岡本喜八監督の映画「独立愚連隊西へ」(1960年)の一部を上映。慰安所に日本兵が駆け込むシーンなどを見ながら、「慰安所を日本軍が管理していたことは明らかです。『慰安婦』問題は日本軍の責任を問うことでもあります」と指摘しました。
 「慰安婦問題がなぜ解決しないのかには、いろいろな理由があります。日本人が自分の痛みとして、こんなひどいことを放置していてよいのか、と問い続けないといけないと思います」

女性国際戦犯法廷
 2000年12月に東京で開かれた民衆法廷。日本軍の性暴力を裁く目的で、韓国、北朝鮮、中国、台湾、フィリピン、インドネシア、日本の七つの人権・市民団体が、国際実行委員会をつくって主催。日本政府と昭和天皇が有罪に。

……参加者の発言……
 〇…NHKの番組は私たちの受信料で作られている。改変された「ETV2001」も、アーカイブスに当然入れて、視聴者が見られるようにするべきだ。「慰安婦」の問題は過去の話と言われるが、紛争下の女性への性暴力は、現代もコンゴなどで問題になっている。世界とつながる大きな問題として扱ってほしい。
 〇…戦争中、飢えていた私は、マスコミのカメラマンが、ご飯をいっぱい食べている少年兵の写真を撮っているのを見て、早く兵隊に行きたいと思った。昔も今もマスコミの影響は大きい。マスコミは国民を不幸にするものであってはならない。
 〇…NHKにもがんばっているスタッフがいる。その人たちを激励するために、番組を見て、放送局に毎回感想を言おう。頑張って、よかったよと言うのは視聴者の権利。自分ができることを作り出してやっていこう。
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2011年02月02日,「赤旗」) (Page/Top

番組改変事件10年/NHKの明日へ/上/市民の輪/正義と被害者の名誉のため

 自民党幹部の圧力で改ざんされたNHKのETV番組「戦争をどう裁くか第2回 問われる戦時性暴力」の放送から、30日で10年がたちます。市民や番組制作者らをはじめとした、今も続く真実の解明を求める運動。「番組改変事件」が問いかけたものとはなんだったのか、3回連載で考えます。
 
 番組が放送された10年前のことを、鮮明に覚えている人たちがいます。その前年、2000年12月に市民の手で開かれた「女性国際戦犯法廷」(以下「法廷」)。実行委員団体の一つ、バウネットジャパン(「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク)で運営委員を務める田場祥子さんは、「当時の話をすると今でも涙が出る」と目頭を押さえます。
 「放送は、『法廷』の感動は何も伝わらないズタズタなもので、主催者すらも出てこない。ショックでした」

核心をカット
 改変された番組は、「法廷」を軸に日本軍「慰安婦」問題を取り上げ、女性への性暴力について考えると新聞などで事前に予告されました。「ボランティアで参加していた『法廷』を取り上げるときいていたので、放送にはとても期待していました」と田場さん。
 「人道に対する罪」という視点から、加害者の責任を問い直そうという世界世論の流れの中で「法廷」は開かれました。しかし、放送された番組は、「法廷」の核心部分である「天皇と国に戦争責任がある」とした判決には全く触れませんでした。肝心の被害女性や元日本兵の証言もカットされたものでした。「各国のいろんなところから被害にあった方が参加していたのに、それが全く無視されていた。証言者のハルモニ(おばあさん)たちは二度殺された≠です」(田場さん)
 01年7月にバウネットはNHKらに対して、なぜ当初の企画趣旨と全く違った番組になってしまったのか、真実を明らかにすることを求め東京地裁へ提訴。07年の二審判決では、NHKが自民党国会議員の発言を「忖度(そんたく)して…()その結果、修正を繰り返して改編が行われた」と政治介入があったことを認めました。しかしその後NHKが上告した最高裁判決では政治介入の問題には触れず、「編集権の自由」という抽象的一般論に終始しました。「番組改変事件を、ほとんどのメディアが取り上げないですから。裁判所もそれを見ていたんでしょう」と振り返る田場さんの口調に悔しさがにじみます。

アーカイブスに
 NHKは最高裁判決を「正当な判断」とし、ホームページ上に「説明文章」を公開しただけで、事実解明を拒否し続けています。
 事件を機にNHKや放送の在り方を問う市民集会やシンポジウムが全国で開かれています。番組に関わった当事者でない市民も加わって、運動はかつてなく広がりました。
 田場さんは「正義の実現のため、彼女たち(被害者)の名誉回復のために立ちあがった、それが『法廷』でした。けれどその『法廷』がゆがめて伝えられたわけです。それに怒りを感じた人たちが出てきたんだと思います」と話します。
 「NHKアーカイブスにもETVの4回シリーズは入っていない。みんなが見られるようにアーカイブスに入れてほしい。そして検証番組を作ってほしい」と求める田場さん。番組改変事件から10年の今こそ、NHKは市民の思いに向き合う時です。(「中」は2月2日付に掲載)

改変事件の経緯
 2001年1月24日〈放送6日前〉 ザッと編集したものを試写した教養番組部長が「『法廷』との距離が近すぎる」と意見。NHKの制作スタッフの合意で番組の基本方針を確認し、編集し直す。
 26日 国会担当局長も試写。放送総局長らの求めで、法廷に批判的な学者の意見を追加取材。番組制作局長は「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の本にある中川昭一、安倍晋三の名を指し「この人たちだ」と言う。このころ、右翼がNHKに押しかける。
 29日 放送総局長と国会担当局長が、安倍晋三官房副長官に面会。国会担当局長の指示で、日本政府と天皇の戦争責任に触れた部分を削る。
 30日〈放送当日〉 番組制作局長が会長に呼ばれる。番組制作局長、放送総局長の指示で元「慰安婦」や日本兵の証言シーンをカット。完成したのは、放送1時間半前。

〈ETV番組とは〉
 ETV2001「戦争をどう裁くか」はNHK教育で2001年1月29日から4夜連続で放送。20世紀の戦争の中で起きた犯罪を検証し、和解を目指す世界の潮流を見つめるシリーズです。
 第1回「人道に対する罪」。ナチス被害へのドイツの謝罪と補償、アルジェリア独立運動を弾圧したフランスの状況から、戦争を裁く取り組みを考える。
 第2回「問われる戦時性暴力」。日本軍の性暴力を裁くことを目的とした「女性国際戦犯法廷」に焦点を当てる。7カ国の団体が国際実行委員会を構成する民衆法廷で、被害女性64人が証言に立った。
 第3回「いまも続く戦時性暴力」。「女性法廷」の一環として開かれた「国際公聴会」を取り上げ、どのように性暴力の根絶を目指すか話し合う。
 第4回「和解は可能か」。アパルトヘイト(人種隔離)から、和解を模索する南アフリカの姿を伝える。
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2011年01月29日,「赤旗」) (Page/Top

アウシュビッツ解放66年/女性のたたかい国連総長称える

 潘基文(パン・ギムン)国連事務総長は27日、ホロコースト追悼の日に当たって声明を発表し、ユダヤ人など600万人といわれるナチス・ドイツによる虐殺の犠牲者を追悼、ジェノサイド(大量虐殺)を地球上から一掃しようと訴えました。
 潘氏は、今年のホロコースト追悼の日が女性の被害に特別の重点を置いていることを念頭に発言。女性らは「家族が引き離され、伝統が破壊されるのを目にした」と指摘しました。
 そのうえで、「しかし、彼女たちは、差別、残虐行為にもかかわらず、迫害を行うものに反撃する道を切り開いてきた」と女性のたたかいを称えました。「彼女らはレジスタンスに参加し、危機にさらされた人々を救い、ゲットー(ユダヤ人居住区)に食料を持ち込み、子どもの命を救うために犠牲になった」と強調しました。
 ピレイ国連人権高等弁務官も「憎しみの言葉は憎しみの行為に転化する。ジェノサイドの危険は依然として残っている」と警告しました。
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2011年01月29日,「赤旗」) (Page/Top

アウシュビッツ解放66年/各地で虐殺犠牲者追悼

 国際ホロコースト記念日の27日、ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を過去のものにさせまいと、世界各地で関連行事が取り組まれました。1945年のこの日、当時のソ連軍によって解放されたポーランドのアウシュビッツ・ビルケナウ絶滅収容所跡でも、生存者などが参加して追悼式典が開かれました。(写真、ロイター)
 ナチスによる大虐殺の対象は、ユダヤ人だけではなく障害者、同性愛者、ロマ人などにも及びました。ロイター通信によると、両親や親族がアウシュビッツで殺害されたロマ人のバイスさん(73)はこの日、ドイツ連邦議会に招待され「社会は歴史から何も学んでいない。そうでなければ、われわれをもっと正当に扱っているはずだ」と、昨年フランスなど欧州各国政府が、ロマ人を追放したことを批判しました。
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2011年01月29日,「赤旗」) (Page/Top

背表紙/『ゴーマニズム宣言SPECIAL 新天皇論』……教育勅語と同流

 小林よしのり著『ゴーマニズム宣言SPECIAL新天皇論』(小学館・1700円)は、「皇位継承」を論じています。
 本書で批判する相手は、女性天皇を認めない「(天皇)男系絶対主義者」の「保守系知識人」。過去の日本の侵略を正当化する靖国史観≠、かつて一緒に主張していた人びとです。
 著者は、皇位継承を「男系の男子」に限定している皇室典範の改定を求めています。古代の例をあげ女帝が例外ではないこと、明治期に男尊女卑が持ち込まれ、皇位継承を男系に限定したことなどをあげ、小堀桂一郎氏、桜井よしこ氏など、各氏を批判します。「皇統を絶やそうとする」勢力は、「左翼」ではなく保守派だったと嘆きます。
 しかし、「昭和天皇はファシズムの防波堤」、主権は「『国』にあるべき」という歴史的事実を無視した特殊な歴史観・国家観が前提。天皇家は「天照大神」から始まるなど、神話と歴史を判別せずに天皇家の血統を強調する著者の議論は、戦前に教育を通じ国民を戦争に駆り立てた「教育勅語」の考えと同じであり、とうてい主権在民をうたう憲法の精神に合致するものではありません。
 (蛸)
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2011年01月23日,「赤旗」) (Page/Top

入場者数が過去最高/アウシュビッツ跡地/ポーランド

 【ベルリン=時事】ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の舞台となったポーランド南部のアウシュビッツ強制収容所跡地の博物館はこのほど、2010年の入場者が前年比8万人増の138万人に達し、2年連続で過去最高を更新したと発表しました。
 同館は「昨年は洪水被害やアイスランドの火山噴火に伴う航空網の混乱に見舞われたが、入場者に大きな影響はなかった」としています。
 外国人で最も多かったのは英国で8万4000人。イタリア7万4000人、ドイツ6万8000人と続き、アジアでは韓国の4万7000人が最多でした。
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2011年01月21日,「赤旗」) (Page/Top

ナチ戦犯情報伝えず/旧西独、拘束8年前に把握

 【ベルリン=時事】旧西独の情報機関がナチスの元親衛隊幹部で重要戦犯の一人だったアドルフ・アイヒマンについて、イスラエルの対外情報機関モサドが拘束する8年も前に居場所をつかんでいたことを示す機密文書が見つかりました。西独がナチスの過去と向き合うのを避け、イスラエルなどへの情報提供を渋っていた事実を証明する史料として、歴史学者の注目を集めています。
 アイヒマンは強制収容所へのユダヤ人列車移送を統括し、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)で重要な役割を果たしました。イスラエルは戦後、逃亡したアイヒマンの行方を追い、1960年にアルゼンチンで拘束。62年に処刑しました。
 ビルト紙が入手した52年の西独連邦情報局の文書には、「アイヒマンはクレメンスという偽名でアルゼンチンに滞在。同国のドイツ紙編集局長が住所を把握」と記されていました。アイヒマンは実際、「リカルド・クレメント」という似た偽名でアルゼンチンに潜伏していました。
 アイヒマンをめぐっては、2006年に公開された米中央情報局(CIA)の機密文書でも、西独情報機関は消息を知りながら拘束しようとしなかったと指摘されています。
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2011年01月17日,「赤旗」) (Page/Top

映画の窓/レッドクリフPartT/戦争の愚かさに分け入る描写

 今週は中国・香港の大作「レッドクリフ PartT」が見もの。「三国志」でもっとも劇的な赤壁の戦いまでを描く。蜀の軍師・孔明が呉の将軍・周瑜に、呉蜀同盟で魏の曹操に対抗と提案。ジョン・ウー監督は白いハトを飛ばして戦争のおろかさに分け入っていく。
 「60歳のラブレター」は3組のカップルの愛の迷走。60歳になって本当の愛情のあり方に気づいたおとなたちの生きていく希望を描く。「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」は、考古学者が長年行方不明の父と再会、父子ともにナチスとたたかいながら秘宝を入手しようとする活劇。「DEATH NOTE デスノート」とは名前を書くだけで死ぬという死神ノートのこと。犯罪のない世界を願う学生と連続殺人を追う探偵とが正義をめぐって―。
 NHK衛星は「L.A.コンフィデンシャル」が1950年代ロサンゼルス市警内部腐敗をあばいていく強烈な告発作品。「影なき男」は黒人俳優シドニー・ポワチエが10年ぶりに復帰しての犯人追及劇。「翼よ!あれが巴里の灯だ」は大西洋横断初飛行に成功した青年飛行家の心理状況までとらえた。「リクルート」はCIAの新人発掘、スパイ育成の内情に迫った。
 (石子 順 評論家)
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2011年01月14日,「赤旗」) (Page/Top

病院敷地内に集団墓地/ナチス「障害者抹殺」の犠牲者か/オーストリア


「歴史の暗黒明るみに出さねば」州が徹底調査へ
 オーストリア・チロル州の町ハルからの報道によると、同地で220体の遺体が埋められた墓地が発見されました。墓地は同地のチロル州立ハル病院の精神科病棟敷地内で発見されたもので、埋葬されていた人々の少なくとも一部は、1942年から45年にかけてナチスが精神障害者の抹殺をはかった「安楽死計画」で殺害された犠牲者だとみられています。オーストリアは38年にナチス・ドイツに併合されていました。
 墓地の発見は、チロル州立病院などの運営会社TILAK社が3日、明らかにしました。雪解けを待ち3月から州政府が任命した専門家による本格的発掘調査が行われることになりました。専門家による調査は、病院の記録との照合やDNA鑑定も含め、遺体の身元や死因を確定するもので、2年間を要する予定です。
 ナチスは、特異な優生学的思想に基づき、身体障害者や精神障害者は「生きる資格がない」と断定、強制的な不妊手術を行い、社会から排除したほか、39年から41年にかけて「T4作戦」と称する安楽死政策を実行しました。この作戦で死亡した障害者は20万人以上とされています。この作戦の中心の一つになったのは、オーストリア中部のリンツ近郊アルコベンにあったハルトハイム城など。ハルトハイムでは40年5月から41年8月にかけての1年4カ月間だけで約2万人の障害者が殺害されたといい、この数字は45年の終戦までには3万に達したといいます。ハルの精神病棟からはこの間に少なくとも360人がハルトハイム城などに送られました。
 T4作戦は41年8月にヒトラーの命令で公式には中止となりましたが、精神障害者の殺害はナチスの医師により個々の精神病院で続きました。この時期の安楽死は政府の命令を公式に受けたものではないという意味で「野放しの安楽死」の時期と呼ばれています。歴史学者は、ハルに集団墓地が開設されたのは42年で、この新たな時期と一致すると指摘しています。
 チロル州のプラッター知事は、墓地発見に大きな衝撃を受けたと語るとともに、チロル州には歴史的な責任があるとして「この歴史の暗黒の章を今徹底して明るみに出さなければならない」と語り、独立専門家委員会を発足させることを明らかにしました。
 (夏目雅至)
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2011年01月07日,「赤旗」) (Page/Top

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