2012年 ファシズム関連情報】

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2012年(本文)(Page/Top

2012(ヘッドライン)

12月ヘッドライン)

n  世論を誘導し選挙の公正汚す/一種の報道ファシズム=^立教大名誉教授門奈直樹

n  71年ぶりに届いたXマスカード/戦地から兵士が投函/ドイツ

n  「スターリン秘史」―巨悪の真相に迫る/『前衛』新連載/不破社研所長に聞く/上・下

n  亡命者たちのハリウッド 歴史と映画史の結節点/吉田広明著/評者井上徹日本映画復興会議事務局長

n  水曜エッセー/チャップリンのいま―没後35年、初来日80年/大野裕之/3/独裁者とのたたかい

n  水曜エッセー/チャップリンのいま―没後35年、初来日80年/大野裕之/2/初期作品からの再発見

n  解説/パレスチナ国家格上げ国連決議採択/イスラエル・米国の孤立鮮明に

 

11月ヘッドライン)

n  水曜エッセー/チャップリンのいま―没後35年、初来日80年/大野裕之/1/喜劇王の知られざる一面

n  与党系音楽祭にナチ関連資金か/ドイツ

n  私の西洋音楽巡礼/徐京植著/評者小森香子詩人

n  「戦争医学犯罪」検証を/「医の倫理」考える/京都でシンポ

n  ナチス被害補償拡大/旧ソ連・東欧居住者に/「歴史的責任果たす」/独政府

n  戦争と医の倫理問う/17日にシンポ/日独の検証の歩み比較/西山勝夫

n  にちようシネマ館/映画と恋とウディ・アレン/米

n  煙突から軍用伝書バト/英の民家、骨と暗号文発見

n  「尖閣」平和的解決を

10月ヘッドライン)

n  バルト三国の魅力紹介/桃井かおり案内役/BSジャパン/来月17日に放送

n  言聞録/2012年10月21日〜27日

n  元ナチ親衛隊終身刑判決支持

n  独連邦議会議事堂前にロマ碑建立/ナチスが虐殺の少数民族/ベルリン

n  朝の風/グート演出の「パルジファル」

n  言聞録/2012年10月7日〜13日

n  独大統領、ナチ犠牲者を追悼/チェコの生存者「70年間待った」

n  「慰安婦」問題/日本に謝罪求める/タイムズスクエアに看板

n  文化/「アジアの女性アーティスト展」/社会、戦争、歴史を問う

n  「維新」の危険性告発/明るい会が学習会/大阪・富田林

n  独のようにゼロへ/勤労協学習会で中田氏

n  尖閣問題座談会―今こそ外交交渉で解決を

n  命かけた女性の気高さ/抵抗の歴史心に刻んで/『ヒトラーに抗した女たち』の著者マルタ・シャートさん

9月ヘッドライン)

n  にちようシネマ館/ソハの地下水道/ドイツ・ポーランド

n  大虐殺関与の元看守訴追準備

n  外交交渉による尖閣諸島問題の解決を/2012年9月20日/日本共産党幹部会委員長志位和夫

n  ナチ発見仏像、隕石製だった/大戦前夜チベット探検

n  野田演説に中国談話

n  朝の風/過去の歴史を刻むドイツ

n  外交交渉による尖閣諸島問題の解決を/2012年9月20日/日本共産党幹部会委員長志位和夫

n  映画/「ソハの地下水道」(独・ポーランド)/ナチ下、平凡な男の成長

n  ナチス犯罪の賠償金算出へ/ギリシャ

n  言聞録/2012年9月9日〜15日

n  文化/「ソハの地下水道」/異色のホロコースト映画/アグニェシュカ・ホランド監督

n  大虐殺協力を謝罪/加害責任議論求める/ベルギー首相

n  歴史とどう向き合う/岐阜・九条の会が例会

n  新作DVD/灰とダイヤモンド/ポーランド、1958年

n  そこに僕らは居合わせた 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶/グードルン・パウゼヴァング著、高田ゆみ子訳/評者石井正人千葉大学教授

n  ホロコースト/世界でどう教えている?/ユネスコが研究・調査へ

n  「維新」政治、財界のため/大阪でシンポ開く

n  大阪労連が大会/憲法守り生かそう

 

8月ヘッドライン)

n  潮流

n  草の根対話で改憲阻止/小森陽一さん迎え講演会/浜松

n  英議事堂老朽化、閉鎖も

n  潮流

n  フェルメールの魅力を知る/現代に通じる存在感、精神性

n  少数民族ロマ問題/強制退去に与党内に不和/仏

n  映画/「あの日 あの時 愛の記憶」(ドイツ)/平和の中に走る葛藤

n  トークとーく/原発の怖さ伝えるドイツの小説「みえない雲」を翻訳高田ゆみ子さん/「原発」もの言うとき

n  映画の窓/男はつらいよ寅次郎真実一路/頑張らない人生≠、たう

7月ヘッドライン)

n  朝の風/そのときでは遅い

n  ホロコーストに加担/最重要戦犯拘束/ハンガリー

n  新作DVD/サラの鍵/仏、2010年

n  発言2012/福岡大学人文学部教授(ドイツ現代史)星乃治彦さん/維新対抗勢力結集を

n  文化/今につながる民衆弾圧/『特高警察』を刊行・小樽商大教授荻野富士夫さん/組織の実像、通史に

n  にちようシネマ館/きっとここが帰る場所/伊・仏・アイルランド

6月ヘッドライン)

n  追及・大飯原発再稼働/首相判断おかしい/子どもらに「死の灰」押しつけるな/中嶌哲演さん(70)

n  福岡市南区で5周年つどい/9条の会

n  一海知義の漢詩閑談/3/将軍と寒村の民¢ホ比した魯迅

n  芸能テレビ/監督多士済々カンヌ映画祭/受賞はほとんど欧州勢/中川洋吉

n  橋下「維新」に学生びっくり/民青名大班が講演会

n  熱戦前にアウシュビッツ見学/サッカーオランダ代表

n  橋下大阪市長/独で話題「危険な政治家」/左翼党幹部が紹介

5月ヘッドライン)

n  平和のバラが咲いた/「アンネ」「カズエ」「ピース」/願いはひとつ/横浜・のむぎ

n  憲法記念春のつどい/「維新」の均質教育#癆サ/京都

n  朝の風/ピースおおさかの危機

n  論壇時評/田代忠利/安保廃棄を視野に入れた議論を

n  潮流

n  ドイツ敗北迫り「反ユダヤ」拍車/英・ヒトラー分析

n  芸能テレビ/スポット/文学座釆澤靖起さん/忘我に病みつき

n  憲法施行65周年/各地でつどい/富山/福井/新潟

n  憲法に基づく政治を/施行65周年/岐阜市で講演会

n  憲法を暮らし・復興に/各地で催し/北海道/青森/岩手/秋田/宮城/山形

n  石子順のにちようシネマ館/ある秘密(仏)

n  インタビュー憲法を生かす/憲法研究者小沢隆一さん/憲法的市民感覚で維新批判

4月ヘッドライン)

n  アメリカ・財界中心£fち切ればどんな展望が開けるか/志位委員長の訴え/要旨

n  近畿は一つ、衆院4議席必ず/ブロック後援会/参加者の声

n  近畿が党躍進の先頭に/市田氏講演/ブロック後援会結成

n  党躍進で「二つの害悪」断ち切る大改革を/志位委員長、日本改革のビジョン示す

n  波紋/独著名作家のイスラエル批判/言わねばならない

n  ナチス保養所3億円落札/独

n  潮流

n  ヒトラー「聖地」両親墓石を撤去/オーストリア

3月ヘッドライン)

n  「アンネの木」エルサレムに

n  3・24札幌演説会/参加者の感想/「子どもたちのため、日本を変えるため勝って」

n  共産党「提言」懇談会/大阪/横浜

n  新作DVD/ミケランジェロの暗号(オーストリア・ルクセンブルク、2011年)

n  潮流

n  「提言」は経営者必読/日本商工連盟大阪地区代表世話人小池俊二さんに聞く

n  橋下大阪市長「ヒトラー」と言われ、反論するが…

n  憲法攻撃を批判/9条の会が声明/千葉・銚子

n  3・11から1年/大谷大学教授・哲学者鷲田清一さん/本当のケアを模索し続けて

n  「君が代」処分取り消し/最高裁判決なに物語る/17市民団体集う

n  2012いま言いたい/日本キリスト改革派千里山教会牧師弓矢健児さん/内心の自由侵す「踏み絵」

n  橋下「思想調査」/法律8団体が抗議集会/民主主義の危機に立て/大阪

n  芸能テレビ/ダンサー・俳優大貫勇輔さん/ミュージカル「キャバレー」出演/戦争伝える<vレッシャー

n  アンネ資料、展示へ/手紙など未公開の6000点/15年開館、独・フランク家記念館

n   

2月ヘッドライン)

n  ネオナチ殺人追悼集会/暴力とのたたかい前進を/首相「わが国の恥」と謝罪/独

n  おはようニュース問答/大阪の思想調査「凍結」でなく廃棄が必要

n  「綱領教室」志位委員長の第11回講義/第4章民主主義革命と民主連合政府

n  国家公務員賃下げどう考える/公務員制度に詳しい・専修大学法科大学院教授(行政法学)晴山一穂さん

n  私と「赤旗」/創刊84年/神戸学院大法科大学院教授上脇博之さん/「政治改革」本質つく

1月ヘッドライン)

n  ホロコースト記念日/世界各地で追悼/極右とのたたかい呼びかけ

n  ホロコースト関与を謝罪/ノルウェー首相、国際記念日に

n  試写室/日本人は何を考えてきたのかC幸徳秋水と堺利彦/NHKEテレ29日後10・0

n  「わが闘争」抜粋を黒塗り出版

n  ナチス史跡、博物館に/独ヒトラー暗殺未遂現場

n  潮流

n  ワンゼー会議70年/ユダヤ人虐殺忘れぬ/ドイツ大統領ら訴え

n  潮流

n  ピカソの絵画盗まれる/ギリシャ

n  石子順のにちようシネマ館/善き人(英・独)

n  2012新春インタビュー/経済同友会終身幹事品川正治さん/春≠フ嵐日本でも

12月本文)(Page/Top

 

世論を誘導し選挙の公正汚す/一種の報道ファシズム=^立教大名誉教授門奈直樹

 選挙報道とは本来、何が争点であるかを報道し、浮き彫りにされた争点について政党や候補者の立場をできるだけ明確に示すよう努力し、それらについて各メディアの見解を明らかにしていくことだと思います。しかし、日本の場合、競馬の予想屋記事のように大規模な議席予測報道が繰り返し行われ、有権者の関心は「どの党が勝つか」に集まり、結果として争点隠しを引き起こしています。
 欧米のメディアも議席予測報道はやりますが、これだけ大規模に、しかも公示前、公示後の全選挙期間中に各社が繰り返し、競って行う例は見たことがありません。
 日本では数千人を対象に電話での聞き取り調査が幾度となく行われ、選挙当日には出口調査も行われるため、開票が始まらないうちから、当確が相次ぐことになります。これだけ議席予測報道が行われれば、有権者の意識もなえてしまいます。
 また、話題性のあるテーマに飛びつく傾向が強いのが日本のメディアの特徴です。雨後のたけのこのようにできた「第三極」を面白おかしく取り上げ、対照的に日本共産党などは話題にしませんでした。
 選挙後は、安倍首相の発言で株価が上がったなどと自民党が勝ったことを喜ぶような報道ぶり。これは一種の報道ファシズム≠ナす。こういう状態が続いており、強い警鐘が必要です。
 (ジャーナリズム論)
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2012年12月29日,「赤旗」)

71年ぶりに届いたXマスカード/戦地から兵士が投函/ドイツ

「戦争が早く終わり、みんなが人生を楽しめるよう…」
 【ベルリン=時事】第2次大戦中にナチス・ドイツに占領されたフランス北西沖に浮かぶ英領チャネル諸島のジャージー島で、ドイツ兵が家族に宛てて出したクリスマスカードや手紙が71年ぶりに親族に届きました。
 カードはジャージー島の野戦郵便局で1941年に投函(とうかん)されましたが、ナチスの占領に抵抗する住民が86通を奪取し、そのまま隠し持っていました。2006年になり、保管者がジャージー島の公文書館に寄付。同島とドイツの郵便会社がこのうち10通の受取人の親族を捜し当て、本来なら送付されたはずの日と同じ今月18日に届けました。
 カードにはクリスマスと新年のあいさつとともに、兵士の苦境がつづられ、「戦争が早く終わり、再びみんなが人生を楽しめるよう望む」などと書かれています。
 ジャージー島の公文書館は「占領者がどのように感じていたかをよく理解できる。貴重な史料だ」と指摘。ドイツの郵便会社の担当者は「二つの郵便会社の情熱的な配達員が全力を尽くし、感情のこもったメッセージを71年後になっても届けた」と話しています。
(
2012年12月25日,「赤旗」) (Page/Top

「スターリン秘史」―巨悪の真相に迫る/『前衛』新連載/不破社研所長に聞く/上・下

 『前衛』2013年2月号から、不破哲三社会科学研究所所長による長期連載「スターリン秘史」が始まります。不破さんは「しんぶん赤旗」連載の『スターリンと大国主義』(1982年)以来、スターリンの専制主義、覇権主義の問題を長年研究してきました。新連載の特徴や魅力について不破さんに聞きました。
 (聞き手・山沢猛、若林明)

 ――今回の「スターリン秘史」が、全体としてどういう内容になるか、いままでの研究とのかかわりで話してください。

『スターリンと大国主義』から30年、ディミトロフの日記に至るまで
 不破 私が『スターリンと大国主義』を「赤旗」連載で書いてから、30年ほどになります。スターリン研究の書は日本でも世界でもずいぶん出ているんですが、大国主義という角度から系統的に見るというものはないのですね。それであの連載を書いたのです。9年後(91年)にソ連が崩壊し、「クレムリンの金庫」があいて、ソ連時代の秘密文書が大量に出回りだした。それを一部のマスコミが日本共産党攻撃に使い出したので、私たちもモスクワで関連の文書を集めたのですが、読んでみて驚きました。私たちがたたかってきたソ連の日本共産党攻撃作戦の内情が、彼ら自身の言葉で書かれているじゃないですか。これは、非公開でしまっておくわけにはゆかないと思って、また「赤旗」に連載したのが『日本共産党に対する干渉と内通の記録』(1993年)でした。
 その時、こうして表に出てくる秘密文書から、スターリンの大国主義を追究したら、もっと深い歴史の真相がわかるはずだと考えました。しかし、その後、秘密文書を使ったスターリン時代の研究はいろいろ出るのですが、大体は「大テロル」とかソ連の国内問題の研究で、大国主義、覇権主義という方面に目を向けたものはほとんどないのです。
 そんな中、おととしのことですが、インドシナ共産党の歴史についてのある日本人研究者の本を読んでいたら、スターリンが1941年にコミンテルン(当時の共産党の国際組織)の解散をその書記長ディミトロフに指示したという一節があった。コミンテルンの解散は1943年、ソ連も含めた世界大戦の真っ最中でしたから、その2年前に解散が問題になったなんて聞いたこともないのです。典拠を見ると、ディミトロフの『日記』から、とある。『ディミトロフ日記』なるものが公刊されているということを知ったのは、その時でした。
 そこで調べてまず手に入れたのは、アメリカのエール大学で出した英語版です。続いて、ドイツ語版、フランス語版、中国語版もみつかりました。1933年5月から49年1月まで17年にわたる記録で、英語版はダイジェスト版なのですが、読んでみると実に面白いのです。
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スターリンの近くでの17年の貴重な記録
 ――日記はどんなところから始まるのですか。
 不破 それがヒトラー・ドイツの獄中からなんですね。ディミトロフはブルガリア共産党の幹部で、ベルリンに拠点を設けて国内の運動の指導にあたっていました。その頃、政権に就いたヒトラーが「国会議事堂放火事件」を起こし、これを「国際共産主義運動の陰謀」にでっちあげようとして、ドイツの共産党員だけでなく、たまたまベルリンに帰っていたディミトロフを逮捕したのです。
 日記はその獄中記から始まります。ごく簡単なメモ書きですが、虐待に抗しての奮闘ぶりがよくわかります。そしてライプチヒでの裁判では、誰も名前を知らなかったバルカンの無名の革命家が、ゲーリングとかゲッベルスとかヒトラーの腹心の大物を相手に大論戦を展開して、一躍世界の注目の的になり、無罪を勝ちとりました。しかし、本国では欠席裁判で死刑判決が出ています。そこをスターリンが注目して、この「反ファシズムの英雄」をモスクワに呼び、コミンテルンの中心にすえようと考えたのです。
 モスクワに行ってからも、ディミトロフは日記を書き続けます。日記は、2行の日もあるし、空白の期間もありますが、ともかく17年にわたり、スターリンの近くで仕事をした人物が、スターリンとの対話を含めて書き続けた日記というのは他に例がないし、本当に貴重な記録です。
 身近で見たスターリンのときどきの人物像も見えてきます。たとえば、ディミトロフがモスクワにきた時、スターリンは実に温かい態度で彼を迎えて、何でも相談に乗ります。ディミトロフにとってはそれまでは遠くから仰ぎ見る存在だったスターリンでしたが、この対応で親愛感とともに絶大な信頼を抱くようになるのです。そして、1年もたつと、スターリンの言うことは絶対で、多少疑問をもっても従ってゆく典型的なスターリン体制の官僚的人物に変貌してしまう。日記ではその過程もよくわかるのです。
 もちろん、彼の日記に出てくるのはスターリンの活動の限られた分野ですが、スターリンの足跡を歴史の流れに沿ってたて線≠ナ見るのには、絶好の文献です。そこで、党本部で、社会科学研究所を中心に有志が参加する「スターリン問題研究会」をつくり、昨年から今年にかけて約10回、『日記』の翻訳をもとに私が報告しました。その経験からも、これをたて線≠ノ、横線≠ノは問題ごとのほかの資料を組み込んでゆけば、相当突っ込んだスターリンの覇権主義の歴史を描ける、こういう思いを強くしました。それで『前衛』で来年の2月号から連載を始めることに思いきって踏み切ったのです。
 ――かなり長い連載になりますか。
 不破 予定ですが、2年前後はかかりそうですね。

覇権主義が完全な姿を現す転機となる「大テロル」
 ――スターリンがソ連の権力をにぎって、社会主義とは無縁な権威主義、覇権主義の巨悪に変貌してゆく。まずその過程にも光が当てられるわけですね。
 不破 『スターリンと大国主義』で専制主義、覇権主義が完全な姿を現すのは1930年代半ば、「農業集団化」に始まった専制化の流れが36〜38年の「大テロル」――何十万の人間の生命を奪った暴挙で本格的な体制となる。こう見ていたのです。そのことが今度の研究でもより詳細に立証されたと思います。
 そして、ここをつかむのが大事なのですが、この大量の人間抹殺はスターリンがただこの連中は気に入らないということでやったものではないのです。「ドイツや日本の帝国主義と通じたスパイ・暗殺者の集団だ」という罪をなすりつけ、それを裏付けるシナリオはスターリンが自分でつくるのです。それでそのシナリオに沿った材料を無数に集めて証拠資料とするわけです。ディミトロフにしても、このシナリオの全体がスターリンの創作だとは夢にも思わないのです。だが、スターリンからシナリオを渡されて、「この通りにやれ」といわれた人々、秘密警察のごく少数の幹部だけはことの真相を知っているのですが、この人びとは事が終わると、みな「大テロル」の最後の犠牲者になるのです。
 こうして、自分が創作した偽りのシナリオで罪を勝手になすりつけ、レーニンとともに革命をたたかった歴戦の闘士をはじめ、自分の専制支配の邪魔になると思われる人々を何十万も抹殺し、何百万の規模で弾圧を加えました。
 このような暴虐は、社会主義や革命の精神を、ひとかけらでも胸に残している者には、絶対にできないことです。だから、この時期を経て以後のスターリンは、そういう「巨悪」へと完全な変貌をとげている、ここをきちんと見極めることがスターリン研究では本当に大事になります。
 最近のいろいろなスターリン研究を見ると、「大テロル」はみんな痛烈に批判するのですが、いろいろな国の革命運動との関係や、あれこれの外交問題を取り上げる時は、その本性とは切り離してスターリンの動きをみるといったものに、しばしば出あいます。しかし、スターリンは、世界の共産主義運動の指導者として振る舞うためには、いろいろなことを社会主義の言葉、革命の言葉で語りますが、そこでやっていることの本音は、ソ連の国家的利害以外の何ものでもない。それを、社会主義とも革命とも無縁な人物が、革命の言葉を使って話している。その表と裏を見極めないと、本当の歴史は書けない、それが実感ですね。

 ――スターリンの本体の見極めが大事なんですね。その観点で、コミンテルン(当時の共産党の国際組織)第7回大会(1935年7〜8月)の見方も変わってきますか。

人民戦線時代にソ連では大弾圧が
 不破 新しい側面が見えてきますね。スターリンは、ヒトラー・ドイツという相手に直面して、当面、反ファシズムの戦線を築こうとします。ディミトロフをソ連に迎えたのも、反ファシズムの旗を掲げる闘争の先頭に立つのに、うってつけの人物だったからでした。そのディミトロフを励まし、その知恵と経験を大いに発揮させて、世界が求めていた人民戦線戦術を打ち出した。そういう意味では、第7回大会が運動の大転換をやった輝かしい大会だったことは、間違いありません。
 そして、選挙で人民戦線政府ができたフランス、人民戦線の政府への右派の反乱で内戦に突入したスペイン、日本帝国主義の侵略を前に抗日統一戦線が焦眉の課題となった中国、この三つの国が、大会方針を実践する最大の重要な舞台となりました。
 これがスターリンの歴史でどんな時期にあたるかというと、ソ連の国内で「大テロル」が始まり拡大する時期なんです。「大テロル」の直接の根拠とされたのは、ソ連の政治局員キーロフの暗殺(34年12月)ですが、まさに第7回大会の準備中に起きた事件でした。誰が考えても、この暗殺の受益者はスターリン以外にない。しかも、彼は、事件が起きるとすぐ弾圧体制と偽りのシナリオづくりにとりかかります。そして、第7回大会が開かれ、人民戦線の世界的な展開が問題になる同じ時期に、スターリンは、ソ連で大量弾圧作戦に取り組んでいました。
 池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』に、「人間というものは、いいことをやりながら悪いことをやる」という有名なせりふがありますが、スターリンの場合、世界ではいいことをやりながら、国内では悪いことをやった、というわけにはゆかないのですね。
 実は、コミンテルンの第7回大会で、スターリンは、コミンテルンのどんな決定もスターリンの承認なしには実行されない、という仕組みをつくっていました。その仕組みを活用して、スターリンは、フランス、スペイン、中国の運動に介入しますが、それが全部、表向きは革命の言葉で語られているが、中身はソ連の大国主義的思惑、そういうことが早くも露骨に出てきました。
 たとえば、スペインの内戦でスターリンが何をやったかは、ヘミングウェイの有名な小説『誰がために鐘は鳴る』(1940年)にもかなりリアルに描かれていますよ。

覇権主義の行動を表向きは革命の言葉で
 ――ヒトラー政権とスターリンとの関係にも歴史の謎を解く光があてられるようですね。
 不破 人民戦線に続く時期、1939年に、スターリンは反ファシズムからヒトラーとの事実上の同盟政策に大転換をします。ヨーロッパで戦争が迫った前夜に、突然、ドイツとソ連が握手し不可侵条約を締結したので、世界はびっくりしました。しかも、スターリンは、この大転換を、党にも政府にも事前の相談を何一つしないで、完全にスターリン個人の独断でやってのけるのです。こんなことができるようになったのは、「大テロル」を経て、スターリン専制の体制が出来上がったからなんですね。同時に締結した東ヨーロッパ再分割の秘密条約は、指導部でもごく一部の者しか最後まで知らなかったのではないでしょうか。
 こういう完全な個人専制の体制は、スターリン時代に特有のものです。後継者たちは、覇権主義は引き継ぎましたが、スターリンほどの力はないから、個人専制の体制までは引き継げなかった。だから、どんな覇権主義の悪業も、報告や会議の記録として残るのです。その結果、日本共産党への干渉史は相当なところまで秘密文書から再現できました。スターリンの場合は、誰とも相談する必要がないから、そんな生の記録は少ないのです。そこにスターリン研究の苦労のしどころがあります。それだけに、ディミトロフのように、スターリンとの日常の対話を『日記』に記録した人物がいたということは、たいへんありがたいわけですよ。

スターリンの領土拡張欲にヒトラーがつけこむ
 不破 39年の条約をめぐる重要な資料に、独ソ交渉の経過を記録したドイツ側の外交文書集があります。戦後、アメリカがドイツの一部を占領した時に手に入れ、冷戦の始まりの時期に、ソ連はナチスとこんな取引をしていたんだぞということで、公表したのです。日本語訳も『大戦の秘録』(読売新聞社)があり、若い頃古本屋の店先で見つけました。その時は全部が真実とは思えず、一方的資料として読んだのですが、これは間違いない真実の記録でしたね。
 この中には、40年11月にヒトラーが世界再分割の新条約をソ連に提案した話まで詳しく出ています。今年の党創立90周年の記念講演(7月18日)であらましを紹介しましたが、これは、ヒトラーの大謀略でした。ヒトラーは、40年夏、イギリス本土攻略はだめだと、対ソ連攻撃に方向転換するのです。そのためには独ソ国境からバルカン方面まで大軍を配置しないといけないが、それを隠す煙幕≠ェ必要でした。ヒトラーは39年以来の交渉で、スターリンの領土欲の強さをいやというほど知っていましたから、そこに付け込んで、イギリスを撃滅した後、日独伊とソ連で世界を分割し、それぞれの「生存権」を確保しようじゃないかともちかけたのです。スターリンはその話に乗って受諾の回答をしました。その結果、ヒトラーは、「イギリス作戦のためだ」として平気でバルカンにドイツ軍を進出させました。
 コミンテルン解散の話も、その過程でスターリンが言いだしたことなんです。世界分割の大同盟となると、いくらなんでもコミンテルンの運動とは両立しませんからね。それが1941年4月、ヒトラーのソ連攻撃の2カ月前の話ですよ。ヒトラーがどうしてソ連をあれほど見事に不意打ちできたのかは、歴史家のあいだでも議論がいろいろありますが、答えはそこにあったんですね。

連合国の中で領土拡大を要求した唯一の国
 不破 ドイツの攻撃を受けると、スターリンは反ファシズムの旗を再び取り上げますが、そのなかでも領土拡張の大国主義は止まりません。1945年2月のヤルタ会談で、アメリカのルーズベルトから対日戦への参加を求められた時、日本の千島列島から旧ロシアが中国にもっていた権益の回復まで要求したのは、その典型でした。おそらくスターリンは、これで東と西にツァーリズムの時代以上の領土を手に入れて、ロシア史上最大の大帝国をつくったと、覇権主義の成果を大いに自賛したのでしょうね。
 戦後も、スターリンが死ぬまでの8年間に、その覇権主義はたくさんの問題を引き起こしました。日本に直接かかわる問題でも、「50年問題」や朝鮮戦争の問題があります。これらも、秘密文書を活用した新しい文脈で見ると、より深い真相が浮かんでくるのでは、と感じています。スターリンはこの干渉で、日本に武装闘争を持ちこもうとしたのですが、なぜそんな企てに出たか、まだそこまでは解明されていないのです。発達した資本主義国で、しかもアメリカの軍事占領下にある日本で、そんな方針は見込みがないに決まっています。それをなぜスターリンがあえて強行したのか。独立したばかりのインドにも、同じようなことがやられましたが、このあたりも今度の研究で掘り下げたい謎解きの一つです。

科学的社会主義の立場から真実を明らかにする
 ――今度の「スターリン秘史」にもりこまれる研究の現代的な意義はどこにありますか。
 不破 『ディミトロフ日記』をはじめこれだけ資料が公開されているのに、共産主義運動の本来の立場から研究されていないというのは、科学的社会主義の立場に立つものにとって、重大な欠落なんです。しかも、内外の多くの研究書が、大国主義、覇権主義という角度からはほとんど興味を示していません。
 わが党は、世界の運動の中で、ソ連覇権主義との闘争の先頭に立ち、それをやり抜いた党として、抜群の地位を持っています。それだけに、世界で最初に社会主義への道に踏み出したソ連で、レーニンの後継者を装って、スターリンがソ連を社会主義とは無縁の国に変質させ、覇権主義者として世界に流してきた害悪を歴史的事実そのものに照らして全面的に解明する、これは、社会主義・共産主義の事業の今後の発展のために、どうしてもやらなければならない仕事だし、わが党に課せられている重大な任務だと考えています。いまやれることは限られていますが、今回の連載がその第一歩となることを願っています。研究が進めば、世界の現代史の見方も多くの点で変わってきますよ。
(
2012年12月24-25日,「赤旗」) (Page/Top

亡命者たちのハリウッド 歴史と映画史の結節点/吉田広明著/評者井上徹日本映画復興会議事務局長

政治的切り口でえぐる作家像
 ハリウッドは、20世紀に米国に流入した移民たちを大きな力として発展したことはよく知られている。さらに、第2次大戦後に本格化した赤狩りによって、人材の流出を招いたことも。
 本書は、その移動のダイナミズムに「亡命者」という政治的な切り口を与えることで、アメリカ映画史に深い奥行きを与えている。
 「ナチス・ドイツからの亡命」、「反共アメリカからの亡命」、「共産圏東欧からの亡命」という三つの大きな亡命の波をとらえ、それぞれの大きな見取り図を与える序論を付した上で、各章数名の作家を取り上げて詳説する形で話が進む。
 例えば2番目の赤狩りに関しては、エドワード・ドミトリクら4人の人物を取り上げる。ドミトリクは非米活動委員会に召喚されたハリウッド・テンの一人で、一時英国に亡命したものの米国に戻り、転向して映画界に復帰した人物。その振る舞いは赤狩りの動向に大きな影響を与えた。抵抗を貫いた英雄的人物の対極にあるドミトリクが取り上げられることで、われわれもまた、同様の選択を迫られかねず、しみじみ考えさせられる。
 歴史、作家論、作品論、伝記、ジャンル論、産業論と、さまざまな方法論を駆使しつつ叙述が進むので、ごった煮の印象もなくはないが、文化や政治、社会とが不即不離の関係にありながらつむがれる歴史を描き出すためには、そのように書くしかないのかもしれない。
 いずれにせよ米国映画史の研究の深まりを示す好著である。

 よしだ・ひろあき 64年生まれ。映画評論家。『B級ノワール論―ハリウッド転換期の巨匠たち』ほか。
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2012年12月23日,「赤旗」)

水曜エッセー/チャップリンのいま―没後35年、初来日80年/大野裕之/3/独裁者とのたたかい

 19世紀末の英国に生まれたチャップリンは、生涯を通じてさまざまな戦争を目の当たりにした。幼少からミュージック・ホールの舞台で、イギリス帝国主義のもと戦争礼賛の歌や寸劇に多く触れた。第1次世界大戦開戦の年に映画デビューして、一部からは兵役に行かなかったことを非難された。1931年からの世界旅行では世界恐慌後のヨーロッパの不穏な状況を観察し、日本では五・一五事件の標的とされることで軍国主義の恐怖を肌で感じた。『独裁者』でヒトラーとたたかい、冷戦期には反共主義の狂気のためにアメリカを追われた。
 なかでも、『独裁者』の製作は、最も愛された男と最も憎まれた男とのたたかいという意味で、20世紀のハイライトの一つだ。1889年にわずか4日違いで生まれた2人。偶然はそれだけではない。1914年にチャップリンが映画デビューし、おなじみのチョビひげを生やし始めると、当時ドイツやオーストリアでは作品が上映されていなかったにも関わらず、ヒトラーもその年に同じひげを生やす。
 1938年に喜劇王が『独裁者』製作を開始した時、アメリカでは「何かを変えてくれる英雄」としてヒトラーは人気があった。喜劇王はいち早くその危険性を見抜き、製作に着手した。これを受けて、ドイツのみならず英国外務省やアメリカ当局までもが上映禁止をちらつかせながら製作中止を求めたが、チャップリンはあくまで信念をつらぬいた。第2次大戦開戦とともに撮影を開始し、「今ほどユーモアが必要とされた時期はない」と声明を出す。
 『独裁者』と言えば、なんといってもラストで平和を訴える6分間の演説シーンだが、当初あのラストは平和のメッセージを聞いたナチスと民衆とが手を取り合ってダンスを始めるというファンタジーを構想していた。しかし、その撮影中にフランスは降伏し、いよいよヒトラーが世界を征服せんという勢いのなか、ダンスでは生ぬるいと思ったのだろう、チャップリンはより直接的にたたかうことに決める。そして、ヒトラーがパリに入城した翌日にあの演説シーンを撮影したのだ。
 戦時中に作品を見た作家の高見順は、連戦連勝のヒトラーに立ち向かうとは何事だとばかりに、『独裁者』を「天に唾を吐くがごとき行為」と罵倒した。むろん、天に唾を吐いたのは高見の方で、歴史はチャップリンの正しさを証明する。
 翻って、現代日本でも「何かを変えてくれそうな英雄」待望論が横行しており、選挙戦でも威勢のいい言葉が飛び交う。しかし、その行き着く先にある破綻はすでに歴史が証明している。時勢に流されずに信念を貫くことの大切さを、『独裁者』は教えてくれる。
 (おおの・ひろゆき 日本チャップリン協会会長・脚本家)
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2012年12月12日,「赤旗」) (Page/Top

水曜エッセー/チャップリンのいま―没後35年、初来日80年/大野裕之/2/初期作品からの再発見

 2010年に米ミシガンの骨董市で古い16_フィルムの中に、これまで知られていなかったチャップリン出演作『泥棒を捕まえる人』が発見された。私を含めた世界の専門家が鑑定して、まさに本物のチャップリンであることが分かった。96年ぶりの再発見。作品は、警官と悪漢たちのたあいないドタバタだが、数シーンだけチャップリンが警官役で登場する。端役なのに、登場した瞬間にその場の雰囲気を変えてしまう存在感には驚くばかりだ。
 実は、このたび、その幻の出演作を含んだ63作品の初期短編集が、13枚組のDVDセットで『チャップリン・ザ・ルーツ』と題して発売される(12月21日発売、発売元・ハピネット)。
 喜劇王チャップリンは、1914年にデビューし、山高帽にチョビひげのおなじみの扮装で、瞬く間に人気者になる。1918年には独立して自前の撮影所を建設。以降、『キッド』『街の灯』『独裁者』など歴史的傑作を次々と製作する。
 すなわち、1914年から17年までは「習作期間」なのだが、この4年間でチャップリンは60本以上の短編映画に出演し修行を積んだ。当時のアメリカのドタバタ喜劇のなかで、英国演劇仕込みの独特の個性を発揮して、やがて喜劇のなかにほろ苦いペーソスと弱者の視点を持った「放浪紳士チャーリー」が芽生えていく。
 しかし、初期作品は、長い歴史の中で散逸し、勝手に編集され、何度もコピーされたぼろぼろのプリントで上映されていた。そこで、世界中の博物館やコレクターが所蔵している最良のフィルムを集めて、今回完全修復版を完成させたのだ。世界で初めて完全デジタル修復版一挙収録となる『チャップリン・ザ・ルーツ』は、公開当時の美しさの若きチャーリーを再発見できるDVDだ。
 日本版には、羽佐間道夫・野沢雅子・山寺宏一・平田広明ら当代の声優による吹き替えと、澤登翠ら弁士たちが声を吹き込んだ副音声も収録される。「チャップリンは言葉がなくても分かるから偉大なのだ」という意見があるが、今人気の声優が声をつけることで、若い世代や子どもたちも興味を持ってくれれば、これ以上のことはない。
 それに、従来のファンにも新発見があるはずだ。今回吹き替え版の台本を書き下ろしたが、その過程で今の日本人には分からない当時の世相、宗教上の風習などが多く描かれていることが分かった。それらを分かりやすく伝えることで、子どもからおとなまでが楽しみながら、喜劇のルーツを再発見してくれることを願っている。
 混迷を深める現代だからこそ、温もりのある笑いが必要だ。生涯かけて人間の優しさや残酷さを描き続けたチャップリンの初期作品を今こそ再発見したい。
 (おおの・ひろゆき 日本チャップリン協会会長・脚本家)
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2012年12月05日,「赤旗」)

解説/パレスチナ国家格上げ国連決議採択/イスラエル・米国の孤立鮮明に

 パレスチナの国連参加資格格上げ決議が圧倒的多数の賛成で採択されたことは、和平に背を向けるイスラエルと、その後ろ盾である米国の国際的孤立を浮き彫りにしました。
 イスラエル政府は資格格上げを「一方的な措置」と非難し、とくに欧州各国に対して決議に反対するよう強力な説得活動を行ってきました。ナチス・ホロコーストの過去を持つドイツには反対を強く期待しましたが、同国は棄権に回り、欧州で反対はチェコ1カ国にとどまりました。
 イスラエルの有力紙ハーレツ29日付(電子版)は、外務省幹部の「われわれは欧州を失った」「イスラエルはほぼ完全に孤立している」とのコメントを引用しつつ、「屈辱的な政治的敗北」だとする記事を掲載しました。
 パレスチナが資格格上げを目指した背景には、和平交渉が約2年間にわたり中断していることがあり、その最大の原因となっているのは、イスラエルが国際法違反である占領地での入植地建設を今も推進していることです。ドイツ政府が棄権の理由として入植地建設を挙げたように、イスラエルの姿勢に国際的な非難が集中したことは疑いありません。
 パレスチナ側は繰り返し、資格格上げはイスラエルに打撃を与えるためではないと説明。今回の決議でも、イスラエルが東エルサレム、ヨルダン川西岸、ガザなどを占領した第3次中東戦争前の境界に基づく2国家共存路線を前提に、ただちに和平交渉を再開することが明記されています。
 しかし、イスラエル政府は、資格格上げを強行した場合には、アッバス・パレスチナ自治政府議長を打倒することまでちらつかせながら執拗に妨害してきました。
 今回の投票結果ではっきりしたのは、米国など一握りの国を除く国際社会は、イスラエルの占領者としての態度を認めていないということです。イスラエル政府には、入植地建設を即時中止し、真摯な態度で和平交渉に臨むことが強く求められています。米国も含め、資格格上げの報復としてパレスチナに制裁を科すなどということはあってはならないことです。
 (カイロ=小泉大介)
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2012年12月01日,「赤旗」)

11月本文)(Page/Top

水曜エッセー/チャップリンのいま―没後35年、初来日80年/大野裕之/1/喜劇王の知られざる一面

 チャーリー・チャップリン。―世界中を笑いと涙の渦に巻き込んだ不世出の喜劇王が亡くなって今年で35年。また親日家だった彼が初来日してから80年。チョビひげに山高帽の「チャーリー」は、恐らく映画キャラクターとしては世界でもっとも有名ではないだろうか? そんな、チャップリンの「知られざる一面」がある? というのが、今回のお話。
 先日WOWOWの番組『チャップリンのNGフィルム』の監修・出演をさせていただいた。完璧主義者を貫いたチャップリンの仕事法はこれまで謎に包まれていた。しかし、1970年代後半になり、焼却処分を免れたNGフィルムが発見され、その知られざる仕事法が明らかになってきた。
 筆者は運良くそれらの秘蔵NGフィルムを全て見ることのできた世界で3人のうちの1人であるが、2年がかりで見た感想と言えば、聞きしに勝る完璧主義に見ているこちらの方が疲れてしまうほどだった。単純なシーンでも20回と撮り直す。どれだけ面白いギャグでもテーマやストーリーに関係がなければ容赦なくカット。その結果、最初のテイク(1回分の撮影)では2分ほどあったものが、完成版では10秒ほどになっているのだ。
 チャップリンは5歳の時から大英帝国の大衆娯楽ミュージックホールの芸人として芸を磨いた。当然、帝国主義時代ゆえ、劇場では好戦的な歌に人種差別的なギャグ、性的で下品な笑いが好まれた。そんな環境で20年間過ごしたので、NGフィルムの中にも人種差別的なギャグがある。だが、何度も撮り直して行くうちに、世界中の人が心から笑うことができる笑いを求めて、安易なギャグはカットされていく。
 ギャグだけではない、作品のストーリーが変わることもしばしばだった。例えば、『移民』は、当初おしゃれなカフェを舞台に芸術家たちの恋愛模様とペイソスを描くつもりでいた。だが、撮り直しを経て、お腹を空かせた庶民チャーリーが一食の食事のためにお金に苦労するリアルな場末のレストランになる。そして、さらにチャーリーのルーツは移民だったという前半部を後から撮ることで、作品は社会性を帯びる。そうして最後に撮られたシーン―新大陸アメリカに夢を抱いてやってきた移民たちが希望のまなざしで自由の女神を眺めるが、直後に当局係員にロープで縛られ整列させられる名場面は、「アメリカの自由」や「国境」の問題がますます重要になっている21世紀にこそ胸を突く。
 チャップリンが国境を越える笑い、残酷なまでの強度を持つヒューマニズムを獲得できた秘密は、何度も撮り直した知られざる苦闘のなかにあった。
 (つづく)

 おおの・ひろゆき 1974年大阪生まれ。日本チャップリン協会会長、脚本家。著書『チャップリンの影 日本人秘書高野虎市』など。
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2012年11月28日,「赤旗」)

与党系音楽祭にナチ関連資金か/ドイツ

 【ベルリン=時事】ドイツのメルケル政権を支える連立与党の一角、キリスト教社会同盟の関係財団が主催する毎年恒例の音楽祭に、ナチス関係者の資産が投入されていた疑いが浮上しました。財団は調査を外部に依頼し、結果が出るまで音楽祭を中止することを決めました。
 メルケル首相のキリスト教民主同盟の姉妹政党で、南部のバイエルン州を地盤とする社会同盟系のハンス・ザイデル財団は、1980年代前半に死去した実業家マックス・ブッツ氏とマリア夫人の遺産を受け継ぎ、夫妻の遺志に従い、84年から同州の伝統音楽の演奏を競う音楽祭を開催。伝統を継承する重要な行事として定着していました。
 ところが、有力誌シュピーゲルによると、夫妻はナチスと深い関係にあり、マックス氏は19年、ナチスの前身のドイツ労働者党に入党後、ナチスで会計を担当。オペラ歌手だったマリア夫人は33年、ヒトラーの前でヒトラーが愛した作曲家ワーグナーの歌劇のヒロインを演じました。
 夫妻の死後には、住居からヒトラーが23年に起こしたクーデター未遂事件の参加者に贈られた勲章など、ナチスとの関係をうかがわせる品々が見つかりました。しかし、財団は問題視せずに音楽祭を創設。2010年に外部から夫妻とナチスの関係を指摘された後も開催を続けました。
 財団は「音楽祭は州の文化遺産保護が目的で、イデオロギーとは無関係」と強調。「夫妻が財産を築いたのがナチス入党前か戦後であれば問題ない」と主張しています。
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2012年11月26日,「赤旗」)

私の西洋音楽巡礼/徐京植著/評者小森香子詩人

音楽を鏡に世界・自分史を語る
 著者はすでに『私の西洋美術巡礼』をはじめ『ディアスポラ紀行』等、多くの注目すべきエッセーがあり、最近の『フクシマを歩いて』等で有名だが、この本は在日二世として幼年期からの生活や友人とクラシック音楽との出合い、ザルツブルグ音楽祭など、ヨーロッパ巡礼であり人間の生命の旅でもある。
 音楽との交流は中学時代、兄の影響や友人でヴァイオリンを弾く武田さん等、教員や労働者らアマチュアとの接触に始まる。「鳥の歌」を弾くチェリストは現場労働者、コントラバスは豆腐屋。音楽好きの兄たちは母国留学中に政治犯で投獄され、その救援活動をしながらも彼等アマチュア合奏団とのふれあいが刺激であり歓びとなり、モーツァルトを歌ったFは伴侶となる。
 階級や民族を超える音楽とのふれあいの不可思議。Fは〈灯台守〉の歌に亡き父を想い、自分は〈庭の千草〉に亡き母を想う歌の力。兄たち政治犯の危機を訴えるヨーロッパ人権団体訪問の旅で本物の絵や音楽と出会う。
 以来十数年、Fと共にザルツブルグに巡礼。90周年をこえる音楽祭の歴史的背景、ナチの弾圧の記述や演奏曲目の歴史的解明は貴重だ。また「傷ついた龍―尹伊桑」訪問と氏の活動の記録は、東ベルリン事件や光州事件と音楽表現について深く問いかける。
 モーツァルトやマーラーの墓をめぐり、ヘルマンの「ブーヘンヴァルトの歌」やシューベルトの表現する死への考察は温かい。「音楽という暴力」1〜2でアウシュヴィッツの女囚オーケストラやナチスと第九交響曲に言及し、「耳にはまぶたがない」と「無限の受動性」が人間の聴覚の根拠だと警告も発している。

 ソ・キョンシク 51年生まれ。東京経済大学教員。
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2012年11月25日,「赤旗」) (Page/Top

「戦争医学犯罪」検証を/「医の倫理」考える/京都でシンポ

 戦前の「731部隊」や「アウシュビッツ強制収容所」など医師や医学者の戦争犯罪を検証し、現在の医の倫理を考える国際シンポジウム「戦争と医の倫理」が17日、京都大学(京都市左京区)で行われました。「戦争と医の倫理」の検証を進める会が主催しました。
 パネリストとしてドイツのティル・バスチィアン医師、医学者の刈田啓史郎氏が報告。
 バスチィアン医師は、ナチス時代の医師が障害者施設で大量虐殺を行っていたことなどを告発しました。
 刈田氏は、731部隊で生体実験などを行った医師・医学者が免責され、戦後、医学界の指導的地位についたことを指摘し、「日本の医学会は戦争加担や医学犯罪への反省や検証もなく、タブーを抱えて、医のモラルの低下をもたらした」と批判。
 さらに、ドイツでも医学会の検証がすすまないなか、2010年にドイツ精神医学精神療法学会が犠牲者への謝罪を表明したことなどを紹介し、日本医学会や医師会が戦争医学犯罪を検証することを求めました。
 小島荘明・東京大学名誉教授、川嶋みどり・日本赤十字看護大学名誉教授が座長をつとめました。
 同会の西山勝夫代表世話人が開会あいさつしました。
 21日まで同大学・国際交流ホールでパネル展を行っています。
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2012年11月18日,「赤旗」)

ナチス被害補償拡大/旧ソ連・東欧居住者に/「歴史的責任果たす」/独政府

 ドイツのショイブレ財務相は15日、ナチス・ドイツ時代のホロコースト(ユダヤ人大虐殺)被害者救済のために、新たに約8万人に1人当たり2556ユーロ(約26万3000円)を補償するとした合意文書をユダヤ人団体との間で締結し、署名しました。
 ドイツ政府は、1952年、イスラエルとユダヤ人団体との間で、ナチスの戦争犯罪に対する補償を定めた協定を締結し、これまで約37万人以上のユダヤ人被害者に補償金を支払ってきました。またシンティ・ロマ(ジプシー)などそれ以外の被害者や強制労働への補償、不妊手術被害者への補償などを実施してきました。
 ユダヤ人被害者への補償は92年に、旧ソ連・東欧に住んでいる人にも広げましたが、今回はこれまで政治的な混乱などが原因で補償を受けられなかった人を対象にします。強制収容所やゲットー(ユダヤ人強制居住地区)に3カ月以上入れられた旧ソ連・東欧居住者に年金を月額300ユーロ(約3万円)支給、高齢になった世界各地の被害者約10万人に在宅看護サービスを提供することも盛り込んでいます。
 ショイブレ氏は、ベルリンのラジオ局に「いかなる支援も被害者の苦しみに比べれば見劣りするが、ドイツはホロコーストの犠牲者への歴史的責任を果たす」と強調。「ホロコーストの犯罪は、われわれがまだすべての犠牲者の名前や補償を受ける権利のある人の名を知ることができないほど大きい。(補償などの支援を)その規模に合わせていかなければならない」と語りました。
 (片岡正明)
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2012年11月17日,「赤旗」) (Page/Top

戦争と医の倫理問う/17日にシンポ/日独の検証の歩み比較/西山勝夫

 日本の「731部隊」やドイツの「強制収容所」について、戦後、日本とドイツは、人命を守るべき医師・医学者の「戦争医学犯罪」の実態をどのように検証し、後の医学教育や医の倫理に活かしてきたのか―。その教訓と課題を明らかにしようとするのが、17日の国際シンポジウム「戦争と医の倫理」です。
 旧関東軍防疫給水部、通称731部隊は少なくとも3000人以上の中国人などを人体実験の材料にして殺害しました。関係した多くの医学者・医師に対して、日本を占領したGHQ(連合軍総司令部)は、尋問をしましたが、その研究成果を得るために戦争医学犯罪を不問としました。
 日本医師会は、問題は解決済みとし、日本の医学者・医師の戦争中の行為を真摯に反省し、その後目指すべき医療、人権擁護などを基調とした日本の医学・医療のあり方を示していません。
 このような日本の医学界の風土は、繰り返される医療事故・医療過誤や薬害において人々が犠牲になったことと無縁ではないと思われます。医学会、医師会や関わった学会・大学などが自らの問題として検証に取り取り組むことが必要です。
 2007年の第27回日本医学会総会に際して、組織された「戦争と医学」展実行委員会は、初めて総会としての「戦争と医の倫理」の検証の実施を要請し、独自の展示と国際シンポが実施されました。この活動を継承し、11年春、「戦争と医の倫理」の検証を進める会が設立されました。
 同会は、今回の企画を、石井四郎731部隊長や多くの部隊員と関係があった京都大学で実現しようと今日まで取り組んできました。
 ドイツ精神医学精神療法神経学会(10年11月)は、ナチス時代に精神科医によって死に追いやられた25万人以上の精神障害者について謝罪を表明、会長による追悼講演がなされました。また、ドイツ医師会総会(12年5月)は「様々な人権侵害の罪を犯したことに対して、深い遺憾の意を表」し、「ナチ医学の犠牲者に許しを乞う」という宣言を行いました。
 ドイツの検証の歩みから、日本が学ぶべきことは多々あると考えられます。
 (にしやま・かつお 「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人・滋賀医科大学名誉教授)
 ◇
 国際シンポジム「戦争と医の倫理―ドイツと日本の検証史の比較」17日(土)午後3時開会。京都・京都大学百周年記念館 百周年記念ホール。パネリスト=精神科医のティル・バスチアンさん。刈田啓史郎元東北大学教授。パネル展示=16日(金)〜21日(水)京都大学国際交流ホール。連絡先「戦争と医の倫理」の検証を進める会рO3(3375)5121
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2012年11月14日,「赤旗」) (Page/Top

にちようシネマ館/映画と恋とウディ・アレン/米

 監督・脚本家・俳優のウディ・アレンのドキュメンタリー映画です。監督はロバート・B・ウィード。
 1965年から出演・監督等で関わった映画は59本。作品の断片、本人、制作者、監督、俳優たちの言葉で、幼いころから人生の意味を考えてきたその人間像に迫ります。
 高校生でコントを書き、コメディアンで人気となり映画界入りした才人。ユダヤ人としてナチスを嫌います。劣等感から抜け出す人間悲喜劇を自然体の演出で皮肉っぽく笑わせてきました。ハリウッドの会社ではなく独立派として映画を撮り続けてきたしぶとさ。恋愛とその破局もあり、ラストのつぶやきにまだまだやりぬく思いがこもっています。
 (石)
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2012年11月11日,「赤旗」)

煙突から軍用伝書バト/英の民家、骨と暗号文発見

 【ロンドン=時事】英民家の煙突からこのほど、第2次大戦中にナチス・ドイツの占領下にあったフランスから英軍兵士が本国向けに放ったとみられる伝書バトの骨が、機密文書とともに約70年ぶりに見つかり、話題を集めています。
 デーリー・メール紙などによると、南部サリー州に住むデービッド・マーティン氏(74)が、自宅の暖炉を改修中に煙突からハトの骨を発見。足には小さな赤いカプセルが付いていて、中から暗号化された手書きの文書が出てきました。現在、通信傍受を担う政府通信本部(GCHQ)が内容の解読に取り組んでいます。
 専門家によると、カプセルは特殊部隊が使用していた形のもので、アルミニウム製の足輪からハトは1940年生まれと判明。メッセージは英軍幹部の署名入りで爆撃作戦の司令部に宛てられており、空爆要請の可能性を含む「極めて重要な機密文書」(同専門家)とみられています。
 同紙によれば、英空軍は第2次大戦中に約25万羽の伝書バトを利用し、「英国ハト部隊」と呼ばれました。マーティン氏は「(暗号文は)真のミステリー。解読されるのが待ちきれない」と興奮気味に語りました。
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2012年11月08日,「赤旗」)

「尖閣」平和的解決を

 【ビエンチャン=面川誠】野田佳彦首相は6日、ラオスの首都ビエンチャンで開かれた第9回アジア欧州会議2日目の地域情勢を話し合う場で、「尖閣諸島はわが国固有の領土であり、解決すべき領有権の問題は存在しない」と述べ、「日本はいかなる紛争も国際法に従い平和的なアプローチで克服することを重視している」と強調しました。
 首相は「日本は戦後、平和国家の歩みを堅持し、アジアにおいても平和と安全の実現に尽力し、貢献してきた」として、「これは国是だ」と述べました。
 一方、中国の楊潔○(ようけつち)外相は「反ファシスト戦争の成果は否定できず、戦後秩序を否定してはならない」と主張。尖閣諸島が日本の侵略戦争によって奪われたとする中国政府の主張を改めて強調しました。
 温家宝首相は地域情勢を話し合う前に帰国のため退席。会議期間中に日中首脳の対話はありませんでした。
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2012年11月07日,「赤旗」)

10月本文)(Page/Top

バルト三国の魅力紹介/桃井かおり案内役/BSジャパン/来月17日に放送

 北ヨーロッパ・バルト三国の魅力を紹介する「桃井かおり 世界遺産の歩き方 未知なるバルト三国の街角へ」がBSジャパンで11月17日(後9・0)に放送されます。
 バルト海に面したエストニア、ラトビア、リトアニアの3カ国。旅の案内役は、女優の桃井かおりです。ラトビア人監督との映画制作をきっかけに、同国の首都リガの市民名誉文化大使をつとめている桃井は「各国の首都はすべて世界遺産に登録されているし、日本人にすごく合う気がして、紹介したかった」といいます。
 桃井がバルト三国の魅力の一つにあげるのは歴史です。1918年に旧ロシア帝国から独立するものの第2次世界大戦でドイツ、旧ソ連の領土にくみいれられます。そして、91年に旧ソ連から独立、現在に至ります。
 「過酷な歴史のなかでも、あきらめることのない街の美しさと人びとの美しいものの考え方、強さは、今の日本人のお手本になります」
 今回の旅でぜひ訪問したかったというのがリトアニアの「十字架の丘」です。旧ロシア帝国に支配されていた19世紀に、人民が抵抗運動を起こした地です。旧ロシアやソ連からの独立運動に命をささげた無数の人民の十字架が立ちます。
 さらに、日本人学校や、ナチスドイツの迫害から多くのユダヤ人を救い日本のシンドラー≠ニいわれる、杉原千畝のゆかりの地も訪ね、知られざる日本との関係も紹介します。
 「すごい勢いで変化するだろうこれからのバルト3姉妹≠歩いて、出会って。私がどうヒューマンに生まれ変わっていくのか、画面からもわかってもらえると感じています」
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2012年10月31日,「赤旗」) (Page/Top

言聞録/2012年10月21日〜27日

 ○「民主主義がより強固になれば、(軍人議員枠も)撤廃されるだろう」(ミャンマーのテイン・セイン大統領)=21日、憲法が定める25%の軍人議員枠について、憲法改正に向けた動きを容認する姿勢を示す。

 ○「いまこそ、分裂の章を閉じ、和解の章を開く時だ」(カタールの国家元首ハマド首長=写真、ロイター)=23日、パレスチナ自治区ガザを訪問し、イスラム武装抵抗組織ハマスとパレスチナ解放機構(PLO)主流派ファタハの和解を呼び掛け。

 ○「核兵器使用の直接の結果を知っている日本が(声明に)加わらないのは、ショッキングであり、残念」(オランダの反核組織IKVパックス・クリスティのスージー・スナイダーさん)=23日、スイスなど35カ国が発表した、核兵器の非合法化を求める「共同声明」への参加を日本政府が拒否したことについて。

 ○「言葉で表せないほどの不当な行為を記憶にとどめる慰霊碑だ」(ドイツのメルケル首相)=24日、ナチス・ドイツに虐殺された少数民族ロマを追悼する碑の建立記念式で。

 ○「まるで奇跡。私たち(家族)はとても幸せだ。マララの(回復の)ために祈る」(パキスタンで反政府勢力「パキスタン・タリバン運動(TTP)」に頭を撃たれて治療中の少女マララさんの父ジアウディン氏)=26日、マララさんが急速に回復していることを明らかにして。
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2012年10月29日,「赤旗」)

元ナチ親衛隊終身刑判決支持

 【ジュネーブ=時事】イタリアからの報道によると、1944年にトスカーナ州などで民間人約400人の虐殺に関与したとして一審で終身刑判決を受けた元ナチス親衛隊9人に対する上級審で、ローマの軍事法廷は26日、87〜92歳の3人への終身刑を支持する判決を下しました。
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2012年10月28日,「赤旗」) (Page/Top

独連邦議会議事堂前にロマ碑建立/ナチスが虐殺の少数民族/ベルリン

 【ベルリン=時事】ナチス・ドイツに虐殺された少数民族ロマを追悼する慰霊碑がベルリン中心部の連邦議会議事堂前に建立され、記念式典が24日、開かれました。式典にはメルケル首相やガウク大統領のほか、生存者約100人が参列しました。
 かつてジプシーと呼ばれ差別されたロマは、ナチスの絶滅政策で約50万人が殺害されたとみられていますが、旧西独政府は1982年までジェノサイド(大量虐殺)と認めませんでした。メルケル首相は式典で、「あまりに長い間、無視され続けた犠牲者をしのぶとともに、言葉で表せないほどの不当な行為を記憶にとどめる慰霊碑だ」と語りました。
 ドイツのロマ中央評議会のロマニ・ローゼ会長は「慰霊碑により、虐殺がわが国の歴史的記憶の一部となることを望む」と建立を歓迎する一方、「欧州でロマに対する暴力的な差別が新たに拡大している」と訴えました。
 水がたたえられた黒い円形の慰霊碑は、イスラエル人芸術家のダニ・カラバン氏が設計。「青白い顔、生気を失った目、冷たい唇…」と続くポーランド・アウシュビッツ強制収容所で犠牲になったロマの苦しみをうたう詩が刻まれています。
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2012年10月26日,「赤旗」)

朝の風/グート演出の「パルジファル」

 東京二期会が9月、日本初演以来45年ぶりにワーグナー「パルジファル」を上演した。作曲者にとって最後の作品で、舞台神聖祝典劇と呼んで特別の位置づけを与えたものだ。
 この作品は問題作でもある。登場人物のうち、聖杯騎士団と対立する異教徒クリングゾルとその配下の女性クンドリの人物造型に、ワーグナーの反ユダヤ主義的思想が内包されていると指摘されるからだ。この議論は1980年代にハルトムート・ツェリンスキーが唱え、物議を醸した。
 クラウス・グート演出による今回の舞台はこの議論をふまえたものだろう。時代設定を中世から両大戦間期に移す。全3幕のうち、第1幕は軍の病院のようで、第1次世界大戦によって荒廃したドイツを想起させる。第2幕のクンドリの魔法の花園は、ワイマール共和国時代のダンスホール風。第3幕の最後に聖杯王となるパルジファルは軍服姿で登場、クンドリは亡命者のように立ち去る。
 ナチスが登場し権力を掌握した思想的文脈を追体験させる試みだろう。こうした読み替えには評価が分かれるだろうが、注目すべき問題提起ではあった。
 演奏では飯守泰次郎率いる読売日響の重厚な響き、グルネマンツの小鉄和広、クンドリの橋爪ゆかの歌唱に説得力があった。
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2012年10月17日,「赤旗」) (Page/Top

言聞録/2012年10月7日〜13日

 ○「われわれが武装する理由は、そこに政府との紛争があったからだ。(合意で)争いがなくなれば、喜んで武器を手放す」(フィリピンの反政府武装組織モロ・イスラム解放戦線〈MILF〉のジャーファー副議長)=8日、政府との和平合意について発言。

 ○「すべての当事者が自制し危機のエスカレートを避けることを期待する」(北大西洋条約機構〈NATO〉のラスムセン事務総長)=9日、NATO加盟国のトルコと内戦状態のシリアが互いに砲撃を続けていることについて発言。

 ○「われわれには大きな責任がある。血に染まった恐ろしい歴史を次世代に伝えていかなければならない」(ドイツのガウク大統領=写真、ロイター)=10日、第2次世界大戦中にナチス軍による虐殺の現場となったチェコ北部のリディツェを独大統領として初めて訪問し、犠牲者に謝罪。

 ○「逆らう考え方を持つ人間の声を全てつぶそうとしている。人々を未開時代に逆行させる勢力だ」(パキスタンの教育問題活動家のトルワリ氏)=11日、女性の就学の権利を認めないイスラム武装勢力「パキスタン・タリバン運動(TTP)」を批判していた少女がTTPに銃撃された事件で同組織を糾弾。

 ○「最悪の財政状況で持ちこたえられない」(国連教育科学文化機関〈ユネスコ〉のボコタ事務局長)=11日、パレスチナの正式加盟に対して、米国が分担金拠出を停止している問題で記者団に対して。
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2012年10月16日,「赤旗」) (Page/Top

独大統領、ナチ犠牲者を追悼/チェコの生存者「70年間待った」

 【ベルリン=時事】ドイツのガウク大統領は10日、第2次大戦中にナチスによる虐殺の現場となったチェコ北東部のリディツェを訪れ、犠牲者を追悼しました。ドイツ大統領の訪問は戦後初めて。
 ナチスは1942年6月、幹部がチェコ軍人に殺害された報復として、リディツェで住民の男性約170人を全員殺害する一方、女性と子どもを強制収容所に送りました。
 ガウク大統領は「われわれには大きな責任がある。血に染まった恐ろしい過去を次世代に伝えていかねばならない」と強調し、「慰霊碑」に献花。「謝罪」と受け止めた生存者の女性は地元テレビに、「70年間待っていた」と語りました。
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2012年10月12日,「赤旗」)

「慰安婦」問題/日本に謝罪求める/タイムズスクエアに看板

 【ニューヨーク=山崎伸治】米ニューヨーク一番の繁華街タイムズスクエアに、旧日本軍の「慰安婦」問題で、日本に謝罪を求める看板が掲げられています。これまでも竹島問題などで米紙に広告を掲載してきた韓国の民間団体によるものです。
 看板は、旧西ドイツのブラント首相が1971年にポーランドで、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺について謝罪した際の写真ともに、「彼の行動が欧州の和解を進めた」と指摘。
 そして「2012年、第2次世界大戦中に日本兵の性的奴隷として強制的に働かされた韓国の女性はいまも、日本による心からの謝罪を待っている」と記されています。
 広告主の名前はありませんが、英語で「次の世代のために」というウェブサイトのアドレスがあり、そこにつなぐと、これまで米紙に掲載された慰安婦問題や竹島問題などの広告が閲覧できるようになっています。
 看板が掲示されているタイムズスクエアはいつも観光客でにぎわっているニューヨークでも有数の名所。市内観光バスを待つ観光客からよく見える場所にあります。
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2012年10月07日,「赤旗」) (Page/Top

文化/「アジアの女性アーティスト展」/社会、戦争、歴史を問う

 「アジアの女性アーティスト展 アジアをつなぐ―境界を生きる女たち 1984―2012」が今秋から来年にかけて、福岡、沖縄、栃木、三重の各県を巡回します。女性と社会、歴史などへの問いかけをはらんだ作品が並ぶ美術展です。
 金子徹記者

 「アジアをつなぐ」展は、日本、韓国、中国、ベトナム、シンガポールなどの45人の女性作家による約120点の作品を集めています。
 1980年代から現代にかけて、アジア諸国が急速な経済発展をとげ、社会が激変するなかで、女性作家はどのような問題提起をしてきたのか。「身体」「社会」「歴史」「生活」などのテーマに沿って、女性からの発信を紹介しています。
 女性の身体、産む性に着目したのは、中国のリン・ティエンミャオ。「卵♯3」という立体作品は作家本人の写真に糸でつながる大小無数の玉を配置し、放出される卵子や、女性を束縛するものを象徴しています。
 女性の視点から歴史の暗部に光を当てようとする作品も目立ちます。
 韓国出身でドイツ在住のソン・ヒョンスクの作品は、抽象度の高い作品ながら、日本軍による従軍慰安婦の歴史や、ナチスによるユダヤ人の迫害を下敷きにしています。「靴の集積の上に13筆」は、女性の靴が山積みにされた状態を描いたもの。アウシュビッツに送られたユダヤ人たちの、品目ごとに仕分けされた遺品の山を連想させます。無数の靴が、持ち主たちの「不在」を意識させる絵です。
 出光真子の「直前の過去」は、薄いスクリーンを通して二つの映像を重ねて見せる映像作品です。作者が生まれた1940年の、裕福そうな家庭のモノクロ写真を映すスクリーンが手前にあり、その奥のスクリーンには、同時代の光景としての戦闘、「慰安所」、処刑などの映像が短く編集されて流れてゆきます。幼少期だったとはいえ、自身の生涯に、まぎれもなく戦争がかかわっていたことを直視しようとする作者の姿勢がうかがえます。
 中国のツァオ・フェイの「影夢人生」は、巧みな手さばきで動物から機械までを表す手影絵師の手腕を生かした映像作品。一見メルヘンチックな表現のなかに、「文化大革命」や環境破壊への風刺が盛り込まれています。
 沖縄出身の山城知佳子の「オキナワTOURIST」は3部構成の映像作品。米軍基地のフェンス前で、若い女性がスイーツ(甘味。甘言の意味もある)をうれしそうにほおばる様子を写したものなど、沖縄の抱える問題を皮肉とユーモアを交えながらあぶりだしています。
 アートを通じ、女性を虐げてきた制度や風潮の存在や、組織的暴力としての戦争の残酷さなどが浮き彫りになる展覧会。日本の近代史が広くアジアに影を落としていることも気付かせます。

「アジアの女性アーティスト展 アジアをつなぐ―境界を生きる女たち 1984―2012」=21日まで、福岡市・福岡アジア美術館рO92(263)1100
 11月27日〜2013年1月6日、沖縄県立博物館・美術館。以後、栃木県立美術館、三重県立美術館に巡回

 福岡アジア美術館では「民衆/美術―版画と社会運動」展も同時開催しています。12月11日まで。
 1980年代の韓国で、軍部の独裁に抗議し、民主化のため立ちあがった人々の運動を、美術の側面から支えたキム・ボンジュンらの版画を特集しています。
 社会変革を求め、1930年代の中国で興隆した木版画運動や、戦前の日本のプロレタリア美術などに通じる、力強さと素朴さが特徴的な表現です。韓国ではこの潮流が、イ・ユニョプらの美術家によって現代にも継承されていることを伝えます。
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2012年10月07日,「赤旗」) (Page/Top

「維新」の危険性告発/明るい会が学習会/大阪・富田林

 大阪府富田林市の明るい民主大阪府政をつくる富田林連絡会は4日、橋下・維新の会の暴走を許さない市民学習会を同市内で開きました。満席の100人を超える参加がありました。
 大阪市をよくする会事務局次長の成瀬明彦氏が報告しました。
 橋下「維新の会」がやろうとしている「改革」について成瀬氏は、「大阪都構想」は結局、自民党流の古い大型開発優先政策の焼き直しであると指摘。
 橋下氏が新たに率いる「日本維新の会」の基本政策となる「維新八策」の中身をくわしく解明。「憲法9条を変えるか否かの国民投票」「TPP参加」などを明記しており、「アメリカいいなり」「財界中心」という二つの害悪には指一本触れられない姿が明らかだとのべ、「民主主義を窒息させる恐怖政治、ファシズムにつながる危険性をもった潮流だ」と指摘しました。
 成瀬氏は、「橋下『維新の会』はこの仕組みを全国に広げると公言しているが、大阪の私たちの力で独裁・強権政治を止めることで新しい大阪、新しい日本の方向に変化をあたえ、本格的な流れをつくり出すことができる」と訴えました。
 参加者から「あらためて『橋下改革』の中身と手法がよくわかった。周りの人に伝えたい」「大阪だけの問題ではない。全国的な課題としてとりくまねば」などの、感想が寄せられました。
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2012年10月07日,「赤旗」) (Page/Top

独のようにゼロへ/勤労協学習会で中田氏

 関西労働学校堺教室実行委員会と関西勤労者教育協会は4日、勤労協の中田進副会長を講師に学習会「原発ゼロの社会を ドイツからの報告」を堺市で開きました。60人を超える人たちが参加、熱心にメモを取りながら聞き入りました。
 中田氏は、ドイツが福島原発の事故を受けて原発から撤退することを決めたことを明らかにして、「1970〜2000年の30年間で震度5以上の地震はドイツで2回です。日本は何回あったでしょうか」とまず質問。参加者がそれぞれ首をひねるなか、「答えは3954回。地震列島のこの国に54基も原発があって、とても危険です」と明かすと驚きの声があがります。
 中田氏は、このドイツの決断の裏には原発ゼロを求める広範な国民世論があると指摘しました。
 中田氏はまた、ドイツが第二次世界大戦の過ちを国を挙げて反省していると強調。挙手でナチスに忠誠を誓わせようとした写真を紹介して、右手をあげない人はマークされたと述べ「高校の卒業式で校長が先生の口元を見て『君が代』を歌わない人を見つけることと同じ。橋下・『維新の会』のすることはそっくりだ」と指摘しました。
 堺市の磯田圭介さん(29)は「ドイツ国民の意思で原発から撤退し、戦争責任も謝罪してよい社会をつくっている。日本も変わるときだ」と話していました。
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2012年10月06日,「赤旗」)

尖閣問題座談会―今こそ外交交渉で解決を

日本外交不在は「国有化」でも/成り立たない中国側の主張/日中双方に自制求めた「提言」

読み違えた日本政府
 E 今回の「国有化」の経過をみても外交不在を感じる。4月に石原慎太郎都知事が尖閣購入計画を打ち上げ、政府も「国有化」を検討してきたというが、その間におこなわれた数回の首脳レベルの会談で説明した形跡はない。
 A 野田首相がはじめて「国有化」を表明したのは、日本が中国全面侵略を開始した「盧溝橋事件」(1937年)の7月7日。「国有化」を決定したのが、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で、中国の胡錦濤国家主席が国有化はやめてほしい≠ニ要請した2日後だった。
 D 「国有化」は必要だとしても、相手に徹底的に説明するなど交渉をつくさなければならなかった。
 B 日本外交の稚拙さは、以前からだが、ある大学教授は今回の尖閣「国有化」には二つの読み違えがあったと指摘する。一つは、「国有化」という概念について両国で大きな認識のギャップがあり、中国が「国有化」を抜本的な主権強化とみなしていることを読み違えたし、説得外交を放棄した。もう一つは、胡氏の重い言辞を一顧だにせず、2日後に閣議決定し、メンツをつぶしたことだ。これは日本人の想像を超える重さだという。
 C 思い出すのは、2年前の中国漁船が海上保安庁船舶に衝突した事件だ。当時、前原誠司国交相が「国内法で粛々と対処します」と繰り返した。これは外交上の問題なのに、国内法で済むと思っていることに中国側の怒りがそそがれた。
 A 今週号の『AERA』(10月8日)も、小泉外交で日中関係の基盤が危うくなり、この前原氏の対応で「日中間の『共通認識』が完全に崩壊した」と指摘している。
 B 結局、民主党政権になっても、自民党外交を引き継いできたことが問題だ。尖閣問題で「領土問題はない」とくり返し、思考停止に陥っている。前原氏も日本領土だから国内法でと単純に言ってしまったのだが、これは自民党政権でも言わなかったことだった。そういう意味では、胡氏の要請の受け止めにしても、ことがらの重要性を認識する外交センスがない。

歴史認識の欠如も深刻
 C 日本の外交不在というのは二つの問題がある。一つはアメリカの顔をみていれば済む範囲でしか外交をやってこなかったこと。もう一つは、過去の日本の侵略行為への真剣な反省にもとづく歴史認識がないことだ。今回の国連総会でも、中国外相が尖閣を日本が「盗み取った」という激しい言葉で非難し、日本政府が答弁権を使って反論したが、この反論がお粗末だった。
 B 中国側の主張の最大のポイントは、日清戦争(1894〜95年)に乗じて、日本が奪い取ったという点にある。ところが、日本政府の反論は尖閣を日本領に編入したのは、日清戦争の講和条約(下関条約)の3カ月前だというだけのものだった。
 A ここでも、日本共産党は2年前の見解と今回の「提言」でずばり反論している。尖閣諸島は、日本が日清戦争で不当に奪取した中国の領域には入っておらず、中国側の主張は成り立たないということだ。
 B 日清戦争の講和条約である下関条約と関連する文書のなかに尖閣諸島は出てこない。ところが、日本政府は日清戦争が侵略戦争だという認識がないから、不当に奪った台湾と澎湖列島と、そうでない尖閣諸島の違いをきっぱりと主張できない。

「無主の地」の「先占」明らか
 D 中国は、明代や清代にまでさかのぼって昔から中国の領土だったとも主張しているが…。
 C たしかに、いろいろな文書があり、中国は地図に載っているとか、地名をつけていたなどと主張している。しかし、それは領有権の権原の最初の一歩であっても十分ではない。領有を認めるためには、実効支配を証明することが必要だ。
 A 党見解が「中国の住民が歴史的に尖閣諸島に居住していたことを示す記録はなく、明代や清代に中国が国家として領有を主張していたことを明らかにできるような記録も出ていない」と指摘していることだね。同時に、日本側にも領有を示す歴史的な文献はない。
 E だから、1895年の日本による尖閣編入は、どの国の支配も及んでいない「無主の地」を領有の意思をもって占有する「先占」にあたるわけだ。日清戦争に乗じて奪い取られたというが、もともと領有していたということを立証しなければ成り立たない議論だ。立証できない以上は、「無主の地」を「先占」したという日本の主張を否定できない。
 A それに、中国側の最大の弱点は、1895年に日本が尖閣諸島を編入してから、1970年までの75年間、一度も異議も抗議もしていないという事実だ。
 D 2年前に党見解が出たとき、防衛省防衛研究所の中国専門家に見せたら「こういう提言を出されたことに敬意を表する」といわれた。とくに高く評価していたのが、1919年に福建省の漁民が遭難したとき、当時の中華民国長崎駐在領事から届けられた感謝状に「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と明記されていたことの紹介だった。
 C 一部に、「先占」といっても、帝国主義の論理ではないかという疑問も出ている。たしかに、「先占」の法理は、帝国主義の論理として使われてきた。しかし、第2次世界大戦後は他の国際法上の法理と同じく、「先占」も国連憲章の諸原則を踏まえることが当然の前提となっている。それに反するものは見直しの対象となり、植民地体制の崩壊にもつながる。無主の地の占有というその合理的な核心は現在でも有効だ。
 B いま中国は日本の尖閣領有の主張を「反ファシズム戦争の勝利を台無しにする」とまで、議論を広げているが、これも「日清戦争に乗じた奪取」論を精密に詰めていくと成り立たないからだと思う。問題は、にもかかわらず、日本側がなにも反論しないままで、中国が国連総会という場で日本側の行為を国連憲章の目的と原則を否定するものだとまでいわせてしまったことだ。まったくひどい日本「外交」の実態だ。

外交交渉の解決を提起
 A 先日、民放番組で、ある学者が「尖閣問題は武力衝突になるか、交渉による解決かしかない」といっていたが、戦後初めて日中間で「武力衝突」を想起させるほどの危機だという認識が必要だと思う。それだけに、「提言」が外交交渉による解決を提起したことの意味は大きい。
 E 印象的だったのは、「提言」が出されたとき、民主党と自民党の党首選がおこなわれていたが、9人の候補者は「毅然と対応する」「海上保安庁を強化する」「自衛隊の派遣も考える」と強硬策一辺倒だった。それに対して、こんな危機のときだからこそ、外交交渉で解決をという提起が新鮮だった。
 C その点で教訓的なのは東南アジア諸国連合(ASEAN)の対応だ。南シナ海で、中国との領有権紛争が緊張しているが、問題解決の枠組みとなる「南シナ海行動規範」をめぐる中国との外交交渉を途切らせていない。領土問題はすぐに解決するというわけにはいかないが、武力衝突を避けるうえでも外交交渉が保障になる。
 D 外務省の元幹部も、「いま交渉に乗り出すことが少なくとも現状をこれ以上悪化させない条件になる」と言っている。中国側が「争いを認めよ」と語っていることからしても、話し合いのテーブルを強く求めている。だからむしろ日本が交渉に舵を切るチャンスだといっていた。

相手も納得する対応を
 B 志位「提言」の大事なところは、日本と中国の双方に自制を求めていることだ。「物理的対応の強化や、軍事対応論は、両国・両国民にとって何の利益もなく、理性的な解決の道を閉ざす、危険な道」だとして、双方に自制をきびしく求めている。日本で軍事対応をあおる論調はさきほど指摘されたとおりだが、中国にもいろんな声があって、そのなかには軍事対応をあおる危ない声もあるからだ。
 E 志位氏は、中国大使への申し入れでも、率直に提起した。とくに中国の監視船が日本の領海内を航行することをくり返していること、中国の国防部長が平和的交渉による解決を希望するとしながら、「一段の行動をとる権利を留保する」とのべていることを指摘し、「冷静な外交的解決に逆行する」と自制を求めた。
 C 「提言」が最後にいっている「領土問題の解決は…相手国の国民世論をも納得させるような対応が必要」という指摘も大事だ。とくに、「日本軍国主義の侵略」だと考えている中国国民に対して、過去の侵略戦争に対する真剣な反省とともに、この問題をめぐる歴史的事実と国際法上の道理を冷静に説き、理解を得る努力が求められている。
 B 日中ともに国際社会での信頼感を損なっているという問題もある。いま、日本の国連常任理事国入りキャンペーンなど誰にも相手にされない状況だ。中国も大国になっていくにあたって近隣諸国からの信頼が非常に大事なことだ。双方ともそういうことに目を向けて、身近な国の信頼を得る包容力を求めたい。

尖閣諸島
 沖縄県石垣島の北西に位置する島嶼群で、最も大きい魚釣島(中国名・釣魚島)の面積は、3.82平方`。日本政府は現地調査を通じて無主の地であることを確認した上で、1895年、日本の領土に編入。1945年の終戦後、米国の施政権下に置かれ、71年に日本に返還されました。60年代後半、尖閣諸島周辺海域の天然地下資源の存在が明らかとなって以降、中国は1971年12月の外交部声明で初めて領有権を主張し、日中間の懸案問題となりました。

尖閣諸島問題をめぐる年表
1885年     古賀辰四郎氏が尖閣諸島の貸与願いを申請
94〜95年    日清戦争
 95年1月   閣議決定で尖閣諸島を日本領に編入
   4月   下関条約。台湾と澎湖列島を清から割譲
1919年     中国・福建省の漁民が魚釣島付近で遭難。住民が救助し、翌年、中華民国から感謝状
1945年     敗戦により、カイロ宣言やポツダム宣言に基づき台湾など返還
1951年9月   サンフランシスコ条約。尖閣諸島は沖縄の一部としてアメリカの施政権下に
1969年5月   国連アジア極東経済委員会が尖閣諸島付近で石油天然ガスの存在の可能性を指摘
1971年6月   沖縄返還協定調印。尖閣諸島の施政権も日本に返還
   12月30日 中国が外交部声明で尖閣諸島の領有権を公式に主張
1972年     日中国交正常化交渉で両国が「棚上げ」に事実上の合意
1978年     日中平和友好条約締結の際に両国が「棚上げ」で暗黙の了解
2010年9月7日 中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突
2012年4月16日 石原慎太郎東京都知事がワシントンで尖閣諸島の購入計画を表明
   7月7日 野田首相が国有化方針を表明
   9月9日 APEC(ロシア・ウラジオストク)の際に胡錦濤主席が日本の国有化方針に断固反対を表明
   9月11日 日本政府が尖閣諸島を国有化
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2012年10月04日,「赤旗」) (Page/Top

 

命かけた女性の気高さ/抵抗の歴史心に刻んで/『ヒトラーに抗した女たち』の著者マルタ・シャートさん

 『ヒトラーに抗した女たち』(行路社)という本で、ナチズム下のドイツ・独裁国家と命がけでたたかった女性たちを跡付けた、作家のマルタ・シャートさん。この夏アウクスブルクの自宅でその思いを聞きました。
 (聞き手・写真 大内田わこ)

 この本を書いたことで、あの時代に、ヒトラーとたたかう勇気をもった女性たちの魂、精神が、今日に生きるものとなったと、感謝されました。たくさんの知り合いができ、学校講演など、若い人たちにこの問題を知ってもらう機会がふえ、うれしく思っています。

死を意味するヒトラー批判
 1934年から44年の間に、ヒトラー政権下で、1万1900人の人々が処刑されました。形だけの軍事法廷で死刑判決を受け、あるいはナチ親衛隊によって殺害された。この中には、ユダヤ人は含まれていません。
 そのうち、1100人あまりが女性でしたが、一般にはその存在すら、知られていませんでした。
 でも、調べてみると抵抗運動はさまざまでした。この本でもマリオン・デンホフ伯爵夫人は、赤ちゃんを乗せた乳母車にビラを隠したり、ユダヤ人の家族をかくまったり、BBCの放送を聞きそれをドイツ語に翻訳する、その一つ一つが抵抗運動だったと語っています。
 ヒトラー政権は激しい弾圧を加えました。特に1943年、ドイツ軍がスターリングラードで敗北してからというもの、ヒトラーに対する批判自体が、死を意味するようになります。
 そうした中で命を失う危険を承知の上で行動した女性たちは、本当に気高い気持ちを持った人々だったと思います。
 私自身、この本を書くためにミユンヘンの現代史研究所をはじめ各地の記録文書館でたくさんの文献を読み、それはかなりの持久力が必要でした。
 でも、読み進むうちに、歴史を学んだものとして、彼女たちをこのまま歴史の闇に埋もれさせてはならないと、強く思ったのです。
 今では、想像することさえむずかしいかもしれませんが、死刑判決を受けた女性のほとんどが、断頭台で処刑され、その首は、そのままゴミ箱にすてられました。家族は、遺体とさえあうことができなかった。
 なのに、ナチスはその人たちに裁判の費用、処刑代すべてを請求した。同胞にたいしてこれほど非人間的なことがやられていたのです。

人間の尊厳の実現を信じて
 日本でも知られている『西部戦線異状なし』の作家・レマルクの妹、エルフリーデ・ショルツも犠牲者の一人です。
 彼女は、仲良しだった洋品店の客に、ヒトラーと戦争について批判的な意見を言ったことを通報され、逮捕、処刑されます。ドイツ民族の団結と戦意をくじこうとする試みは、容赦なく弾圧された時代、こうした通報は、立派なドイツ人の義務≠セったのです。
 歴史的にも珍しいのは、ベルリンのバラ通り(マリーエン地区)で起きた女性たちの蜂起です。ユダヤ人である夫の移送を、非ユダヤ人の妻たちが捨て身で立ち上がり、夫を取り戻しました。
 彼女たちは、ヒトラーによって禁止されている混血婚を選んだことで散々な目に遭ってきて、集団で行動すれば怖いものはないということを身をもって知っていたのです。
 つい6週間前に106歳で亡くなった女性もいるんですよ。リナ・ハークです。彼女の夫は共産党員で、この夫婦は11年間も離れ離れで監獄を転々とし、一人娘は祖父母に育てられました。
 早朝、気がつくと、監房の床には血まみれの死体が横たわっている…そんな日々を乗り越えながら、きわめて生き生きとした精神の持ち主で、人類の道はそれでもなお、人間の尊厳を尊ぶ世界の実現に向かっている≠ニ語り続けました。
 歴史を学ばないところからネオナチなどの台頭も生まれます。特に若い人たちに学んでほしい。学ばないところからは、何も始まらないのですから。

 マルタ・シャート 1939年、ミュンヘン生まれ。作家。子育てを終え、40歳でアウクスブルク大学に入学。歴史学を学ぶ。1988年、博士号取得。近著に『スターリンの娘』(日本訳未)など。
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2012年10月01日,「赤旗」)

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にちようシネマ館/ソハの地下水道/ドイツ・ポーランド

 監督は「敬愛なるベートーヴェン」のアグニェシュカ・ホランド。
 1943年。ナチス・ドイツのユダヤ人狩りが激化しているポーランドの街ルヴフ。ソハ(ロベルト・ヴィェンツキェヴィチ)は下水修理工の傍ら空き巣稼ぎで妻子を養うしたたかな男。相棒と下水道に盗品を隠そうとしてナチスから下水道に逃げてきたユダヤ人と出くわします。金品目当てにかくまうと言いますが…。
 ユダヤ人虐殺が日常化した地上と生きるための地下の世界。汚水、汚泥に耐えるおとなや子どもの執念がろうそくの灯のようにゆらぎます。ずるがしこい男から生きぬく命をささえる男に変わっていくソハ。闇を希望がつらぬく映画です。
 (石)
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2012年09月30日,「赤旗」)

大虐殺関与の元看守訴追準備

 【ベルリン=時事】ドイツ南部ワイデンの検察当局は29日までに、ナチスによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の舞台となったアウシュビッツ強制収容所でユダヤ人殺害に関わったとして、元看守の訴追準備に着手しました。元看守は米国に住んでおり、訴追が決まればドイツへの移送手続きを進めます。
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2012年09月30日,「赤旗」) (Page/Top

外交交渉による尖閣諸島問題の解決を/2012年9月20日/日本共産党幹部会委員長志位和夫

 日本共産党の志位和夫委員長が藤村修官房長官に申し入れ(20日)、程永華駐日中国大使に手渡した(21日)、尖閣諸島問題での提言の全文を紹介します。

 尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題をめぐって、日本と中国の両国間の対立と緊張が深刻になっている。この問題の解決をどうはかるかについて、現時点での日本共産党の見解と提案を明らかにする。

(1)
 まず、日本への批判を暴力で表す行動は、いかなる理由であれ許されない。どんな問題でも、道理にもとづき、冷静な態度で解決をはかるという態度を守るべきである。わが党は、中国政府に対して、中国国民に自制をうながす対応をとること、在中国邦人、日本企業、日本大使館の安全確保のために万全の措置をとることを求める。
 また、物理的対応の強化や、軍事的対応論は、両国・両国民にとって何の利益もなく、理性的な解決の道を閉ざす、危険な道である。日中双方ともに、きびしく自制することが必要である。

(2)
 日本共産党は、尖閣諸島について、日本の領有は歴史的にも国際法上も正当であるという見解を表明している。とくに、2010年10月4日に発表した「見解」では、つぎの諸点を突っ込んで解明した。
 ――日本は、1895年1月に、尖閣諸島の領有を宣言したが、これは、「無主の地」の「先占」という、国際法上まったく正当な行為であった。
 ――中国側は、尖閣諸島の領有権を主張しているが、その最大の問題点は、中国が1895年から1970年までの75年間、一度も日本の領有に対して異議も抗議もおこなっていないということにある。
 ――尖閣諸島に関する中国側の主張の中心点は、同諸島は台湾に付属する島嶼として中国固有の領土であり、日清戦争に乗じて日本が不当に奪ったものだというところにある。しかし、尖閣諸島は、日本が戦争で不当に奪取した中国の領域には入っておらず、中国側の主張は成り立たない。日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格がまったく異なる、正当な行為であった。
 そして、「見解」では、尖閣諸島問題を解決するためには、日本政府が、尖閣諸島の領有の歴史上、国際法上の正当性について、国際社会および中国政府に対して、理をつくして主張することが必要であることを、強調した。

(3)
 この点で、歴代の日本政府の態度には、重大な問題点がある。
 それは、「領土問題は存在しない」という立場を棒をのんだように繰り返すだけで、中国との外交交渉によって、尖閣諸島の領有の正当性を理を尽くして主張する努力を、避け続けてきたということである。
 歴史的にみると、日本政府の立場には二つの問題点がある。
 第一は、1972年の日中国交正常化、1978年の日中平和友好条約締結のさいに、尖閣諸島の領有問題を、いわゆる「棚上げ」にするという立場をとったことである。
 1972年の日中国交正常化交渉では、田中角栄首相(当時)と周恩来首相(当時)との会談で、田中首相が、「尖閣諸島についてどう思うか」と持ち出し、周首相が「いまこれを話すのは良くない」と答え、双方でこの問題を「棚上げ」するという事実上の合意がかわされることになった。
 1978年の日中平和友好条約締結のさいには、園田直外務大臣(当時)とケ小平副首相(当時)との会談で、ケ副首相が「放っておこう」とのべたのにたいし、園田外相が「もうそれ以上いわないでください」と応じ、ここでも双方でこの問題を「棚上げ」にするという暗黙の了解がかわされている。
 本来ならば、国交正常化、平和条約締結というさいに、日本政府は、尖閣諸島の領有の正当性について、理を尽くして説く外交交渉をおこなうべきであった。「棚上げ」という対応は、だらしのない外交態度だったといわなければならない。
 同時に、尖閣諸島の問題を「棚上げ」にしたということは、領土に関する紛争問題が存在することを、中国との外交交渉のなかで、認めたものにほかならなかった。

(4)
 第二に、にもかかわらず、その後、日本政府は、「領土問題は存在しない」――「尖閣諸島をめぐって解決しなければならない領有権の問題はそもそも存在しない」との態度をとり続けてきた。そのことが、つぎのような問題を引き起こしている。
 ――日本政府は、中国政府に対して、ただの一度も、尖閣諸島の領有の正当性について、理を尽くして主張したことはない。そうした主張をおこなうと、領土問題の存在を認めたことになるというのが、その理由だった。「領土問題は存在しない」という立場から、日本の主張を述べることができないという自縄自縛に陥っているのである。
 ――中国政府は、「釣魚島(尖閣諸島)は、日清戦争末期に、日本が不法に盗みとった」、「日本の立場は、世界の反ファシズム戦争の勝利の成果を公然と否定するもので、戦後の国際秩序に対する重大な挑戦である」などと、日本による尖閣諸島の領有を「日本軍国主義による侵略」だとする見解を繰り返しているが、日本政府は、これに対する反論を一度もおこなっていない。反論をおこなうと、「領土問題の存在を認める」ということになるとして、ここでも自縄自縛に陥っているのである。
 ――尖閣諸島をめぐるさまざまな問題にさいしても、領土に関する紛争問題が存在するという前提に立って、外交交渉によって問題を解決する努力をしないまま、あれこれの措置をとったことが、日中両国の緊張激化の一つの原因となっている。
 日中両国間に、尖閣諸島に関する紛争問題が存在することは、否定できない事実である。そのことは、72年の日中国交正常化、78年の日中平和友好条約のさいにも、日本側が事実上認めたことでもあった。にもかかわらず、「領土問題は存在しない」として、あらゆる外交交渉を回避する態度をとりつづけてきたことが、この問題の解決の道をみずから閉ざす結果となっているのである。
 「領土問題は存在しない」という立場は、一見「強い」ように見えても、そのことによって、日本の立場の主張もできず、中国側の主張への反論もできないという点で、日本の立場を弱いものとしていることを、ここで指摘しなければならない。

(5)
 尖閣諸島の問題を解決するためには、「領土問題は存在しない」という立場をあらため、領土に関わる紛争問題が存在することを正面から認め、冷静で理性的な外交交渉によって、日本の領有の正当性を堂々と主張し、解決をはかるという立場に立つべきである。
 領土問題の解決は、政府間の交渉のみならず、相手国の国民世論をも納得させるような対応が必要である。「日本軍国主義の侵略」だと考えている中国国民に対しても、過去の侵略戦争にたいする真剣な反省とともに、この問題をめぐる歴史的事実と国際的道理を冷静に説き、理解を得る外交努力こそ、いま求められていることを強調したい。
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2012年09月30日,日曜7面 ,「赤旗」) (Page/Top

ナチ発見仏像、隕石製だった/大戦前夜チベット探検

 【パリ=AFP時事】第2次世界大戦勃発前夜の1938年、秘境だったチベットに足を踏み入れたナチス・ドイツの探検隊が発見した約1000年前の仏像は、宇宙から飛来した隕石(いんせき)を彫刻して制作された極めて異色の作品だったことが分かりました。ドイツの調査チームが鑑定結果を26日、学術誌に発表しました。
 この探検隊は、ナチス親衛隊(SS)長官ハインリヒ・ヒムラーの支援の下で派遣されたもので、「アーリア人の優越」というナチスの人種イデオロギーの裏付けを探るためにチベットに送られました。ヒムラーはアーリア人の起源はチベットにあり、その優越性の証拠が同地で見つかると信じていたとされます。
 探検隊が持ち帰った仏像は毘沙門天の座像で、高さ24a、重さ10.6`。「鉄の男」と呼ばれていました。
 化学的に分析したところ、約1万5000年前にシベリアとモンゴルの境界付近に落下したチンガー隕石の一部を加工研磨して作られたと断定されました。ナチスのシンボルであるかぎ十字とは逆向きの「まんじ」が胸に描かれ、探検隊が興味を持ったと言われています。
 仏像はミュンヘンに持ち込まれた後、個人の所蔵になっていましたが、数年前に競売にかけられたのを機会に調査されていました。
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2012年09月28日,「赤旗」) (Page/Top

野田演説に中国談話

 【北京=小寺松雄】中国外務省の秦剛報道局長は27日、野田首相が国連総会で領土問題について「国際法に従って解決を」とのべ、中韓両国をけん制したことに対し、「強い不満と反対」を表明する談話を発表しました。秦氏は尖閣諸島とは関係のないカイロ宣言(1943年)やポツダム宣言(1945年)を持ち出して「日本は世界の反ファシズム戦争勝利の成果を公然と否定した」「日本こそ国際法理を守れ」と指摘。「日本は中国の領土主権を損なう一切の行動を停止しなければならない」と要求しました。
 秦氏は、野田首相の演説が中韓両国を名指ししていないこともあって、27日未明に発表した最初の談話では日本の名は挙げていませんでした。しかし昼すぎに出した二度目の談話では、日本側を名指しで批判しました。
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2012年09月28日,「赤旗」)

朝の風/過去の歴史を刻むドイツ

 ベルリン中央駅に近い地下鉄の入口に絶滅・強制収容所の12の名前を書き込んだ大きな看板がそびえ立つ。ポーランドのアウシュビッツ、トレブリンカ、ドイツのダハウ等々。ユダヤ人、共産主義者、同性愛者、ロマが国籍を問わず送られ、命を奪われた場所である。ドイツ国民よ、過去を忘れることなかれ、と訴えている。
 近くにはホロコースト記念碑があり墓石のようなコンクリートの大小の直方体がたくさん並んでおり、地下の「名前の部屋」には犠牲者一人ひとりの名前、生没年が部屋の壁に映し出される。また歩いていると路面に埋め込まれた金色のプレート、躓きの石があちこちにある。かつてそこに住んでいたユダヤ人の名前と強制収容所で死亡した日が刻まれている。埋めた石の数は92年から1万7千にもなるという(中村正人『素顔のベルリン』)。残っているベルリンの壁の裏側は写真や資料の展示場所になっている。ゲシュタポ本部跡には市民の運動で「テロルの地勢誌」というホロコーストの研究機関ができた。ベルリン市内を少し回るだけでナチスの傷跡をこれでもかと見せられる。
 他方、加害の歴史を隠す政府、知らない国民。日本は歴史健忘症なのか。しかし被害民族は事あるごとに古傷がうずくのだ。
 (春)
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2012年09月25日,「赤旗」)

外交交渉による尖閣諸島問題の解決を/2012年9月20日/日本共産党幹部会委員長志位和夫

 日本共産党の志位和夫委員長が20日、藤村修官房長官への申し入れで発表した尖閣諸島問題での見解・提案は以下の通り。

 尖閣諸島(中国名・釣魚島)問題をめぐって、日本と中国の両国間の対立と緊張が深刻になっている。この問題の解決をどうはかるかについて、現時点での日本共産党の見解と提案を明らかにする。

(1)
 まず、日本への批判を暴力で表す行動は、いかなる理由であれ許されない。どんな問題でも、道理にもとづき、冷静な態度で解決をはかるという態度を守るべきである。わが党は、中国政府に対して、中国国民に自制をうながす対応をとること、在中国邦人、日本企業、日本大使館の安全確保のために万全の措置をとることを求める。
 また、物理的対応の強化や、軍事的対応論は、両国・両国民にとって何の利益もなく、理性的な解決の道を閉ざす、危険な道である。日中双方ともに、きびしく自制することが必要である。

(2)
 日本共産党は、尖閣諸島について、日本の領有は歴史的にも国際法上も正当であるという見解を表明している。とくに、2010年10月4日に発表した「見解」では、つぎの諸点を突っ込んで解明した。
 ――日本は、1895年1月に、尖閣諸島の領有を宣言したが、これは、「無主の地」の「先占」という、国際法上まったく正当な行為であった。
 ――中国側は、尖閣諸島の領有権を主張しているが、その最大の問題点は、中国が1895年から1970年までの75年間、一度も日本の領有に対して異議も抗議もおこなっていないということにある。
 ――尖閣諸島に関する中国側の主張の中心点は、同諸島は台湾に付属する島嶼として中国固有の領土であり、日清戦争に乗じて日本が不当に奪ったものだというところにある。しかし、尖閣諸島は、日本が戦争で不当に奪取した中国の領域には入っておらず、中国側の主張は成り立たない。日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格がまったく異なる、正当な行為であった。
 そして、「見解」では、尖閣諸島問題を解決するためには、日本政府が、尖閣諸島の領有の歴史上、国際法上の正当性について、国際社会および中国政府に対して、理をつくして主張することが必要であることを、強調した。

(3)
 この点で、歴代の日本政府の態度には、重大な問題点がある。
 それは、「領土問題は存在しない」という立場を棒をのんだように繰り返すだけで、中国との外交交渉によって、尖閣諸島の領有の正当性を理を尽くして主張する努力を、避け続けてきたということである。
 歴史的にみると、日本政府の立場には二つの問題点がある。
 第一は、1972年の日中国交正常化、1978年の日中平和友好条約締結のさいに、尖閣諸島の領有問題を、いわゆる「棚上げ」にするという立場をとったことである。
 1972年の日中国交正常化交渉では、田中角栄首相(当時)と周恩来首相(当時)との会談で、田中首相が、「尖閣諸島についてどう思うか」と持ち出し、周首相が「いまこれを話すのは良くない」と答え、双方でこの問題を「棚上げ」するという事実上の合意がかわされることになった。
 1978年の日中平和友好条約締結のさいには、園田直外務大臣(当時)とケ小平副首相(当時)との会談で、ケ副首相が「放っておこう」とのべたのにたいし、園田外相が「もうそれ以上いわないでください」と応じ、ここでも双方でこの問題を「棚上げ」にするという暗黙の了解がかわされている。
 本来ならば、国交正常化、平和条約締結というさいに、日本政府は、尖閣諸島の領有の正当性について、理を尽くして説く外交交渉をおこなうべきであった。「棚上げ」という対応は、だらしのない外交態度だったといわなければならない。
 同時に、尖閣諸島の問題を「棚上げ」にしたということは、領土に関する紛争問題が存在することを、中国との外交交渉のなかで、認めたものにほかならなかった。

(4)
 第二に、にもかかわらず、その後、日本政府は、「領土問題は存在しない」――「尖閣諸島をめぐって解決しなければならない領有権の問題はそもそも存在しない」との態度をとり続けてきた。そのことが、つぎのような問題を引き起こしている。
 ――日本政府は、中国政府に対して、ただの一度も、尖閣諸島の領有の正当性について、理を尽くして主張したことはない。そうした主張をおこなうと、領土問題の存在を認めたことになるというのが、その理由だった。「領土問題は存在しない」という立場から、日本の主張を述べることができないという自縄自縛に陥っているのである。
 ――中国政府は、「釣魚島(尖閣諸島)は、日清戦争末期に、日本が不法に盗みとった」、「日本の立場は、世界の反ファシズム戦争の勝利の成果を公然と否定するもので、戦後の国際秩序に対する重大な挑戦である」などと、日本による尖閣諸島の領有を「日本軍国主義による侵略」だとする見解を繰り返しているが、日本政府は、これに対する反論を一度もおこなっていない。反論をおこなうと、「領土問題の存在を認める」ということになるとして、ここでも自縄自縛に陥っているのである。
 ――尖閣諸島をめぐるさまざまな問題にさいしても、領土に関する紛争問題が存在するという前提に立って、外交交渉によって問題を解決する努力をしないまま、あれこれの措置をとったことが、日中両国の緊張激化の一つの原因となっている。
 日中両国間に、尖閣諸島に関する紛争問題が存在することは、否定できない事実である。そのことは、72年の日中国交正常化、78年の日中平和友好条約のさいにも、日本側が事実上認めたことでもあった。にもかかわらず、「領土問題は存在しない」として、あらゆる外交交渉を回避する態度をとりつづけてきたことが、この問題の解決の道をみずから閉ざす結果となっているのである。
 「領土問題は存在しない」という立場は、一見「強い」ように見えても、そのことによって、日本の立場の主張もできず、中国側の主張への反論もできないという点で、日本の立場を弱いものとしていることを、ここで指摘しなければならない。

(5)
 尖閣諸島の問題を解決するためには、「領土問題は存在しない」という立場をあらため、領土に関わる紛争問題が存在することを正面から認め、冷静で理性的な外交交渉によって、日本の領有の正当性を堂々と主張し、解決をはかるという立場に立つべきである。
 領土問題の解決は、政府間の交渉のみならず、相手国の国民世論をも納得させるような対応が必要である。「日本軍国主義の侵略」だと考えている中国国民に対しても、過去の侵略戦争にたいする真剣な反省とともに、この問題をめぐる歴史的事実と国際的道理を冷静に説き、理解を得る外交努力こそ、いま求められていることを強調したい。
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2012年09月21日,「赤旗」) (Page/Top

映画/「ソハの地下水道」(独・ポーランド)/ナチ下、平凡な男の成長

 ナチス占領下のポーランドの都市ルヴフ(現在はウクライナ共和国)が舞台。実話に基づく映画である。ナチスによるユダヤ人迫害はさまざまに描かれてきたが、これまでの映画とは違う視点が提示されている。
 主人公は下水修理工のポーランド人ソハ(ロベルト・ヴィェンツキェヴィチ)。平凡な中年男だが、コソ泥のようなこともしているしたたかな男だ。彼はユダヤ人たちが地下水道への脱出口を掘っているのを発見し、取引をする。告発はせず、勝手知った地下水道にかくまってやり、食料品を届け、面倒をみることでお金を受け取るのだ。
 1943年のことだから終戦まではまだ2年近くもあった時期だ。厳しいユダヤ人捜索の手をかわしつづけ、ソハと11人のユダヤ人は果たして解放の日を迎えられたのだろうか。
 「敬愛なるベートーヴェン」で知られるポーランド人女性監督のアグニェシュカ・ホランドは、ソハが人間として成長し、変わっていったことに惹かれたという。きわめて打算的で現実派のソハはどのように変わっていったのか。
 耐え難い地下の生活、むき出しになる人間関係、失われる生命。映画はそれらをリアルに映し出している。
 11人のうち唯一生存している女性が、当時の状況そのものが映像化されていると証言している。本作は今年度のグディニャポーランド劇映画祭で、作品、監督、主演男優・女優、撮影、美術など主要9部門の賞を独占した。
 (村瀬広・映画評論家)
 22日から東京・TOHOシネマズシャンテで公開、順次各地で。
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2012年09月19日,「赤旗」)

ナチス犯罪の賠償金算出へ/ギリシャ

 【ロンドン=小玉純一】ギリシャ財務省はこのほど、第2次世界大戦中のナチス・ドイツによる戦争犯罪に関する保存記録を精査し、未払いの賠償金額を算出する方針を明らかにしました。同省は作業グループを立ち上げ、年末までに報告書を提出するよう求めるとしています。
 ステイコラス副財務相は「問題は未解決だ。ギリシャは権利を放棄しない」と強調。一方で「現実的かつ冷静に対処する」として、ユーロ圏の財政・金融危機をめぐって難題を抱える両国の関係に留意する姿勢も示しました。
 債務危機に陥ったギリシャは、ドイツをはじめとするユーロ圏諸国などから、増税やリストラなど緊縮策の実施を条件に、融資と債務一部帳消しの措置を受けてきました。しかし緊縮策を進めた結果、国民の生活苦は増大し、自殺者が相次ぐなど社会問題となっており、市民や労働者は緊縮策に抗議するデモ行進や集会を各地で行っています。
 こうした中、ギリシャ政界では、緊縮策の実施を迫るドイツについて、ナチスによる占領時代を想起する動きが出ています。
 アテネからの報道によると、ドイツは1960年の条約に基づき、ナチス犯罪によるギリシャ人犠牲者に7400万j(約58億円)を支払いました。ドイツ憲法裁は2006年、個人への賠償を不要だとする判断を示しています。
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2012年09月18日,「赤旗」) (Page/Top

言聞録/2012年9月9日〜15日

 ○「当時のベルギーは最も忌むべき犯罪に加担した」(ベルギーのディルポ首相、写真、ロイター)=9日、北部メヘレンでのユダヤ人追放70年追悼式で、第2次大戦中にベルギーがナチス・ドイツにユダヤ人を引き渡したことを謝罪。

 ○「どこまで本気か分からないが、アサド氏(=大統領)はシリア国民が選挙で別の指導者を選べば退陣すると、われわれに明言した」(ロシアのボグダノフ外務次官)=10日、仏紙フィガロ(電子版)に掲載されたインタビューで。

 ○「米国は安全になった」(オバマ米大統領)=11日、同時多発テロから11年にあたり、国防総省で催された犠牲者追悼式の演説で。

 ○「経済制裁によってイランが困窮状態に追い込まれているいくつもの兆候を見いだすことができる」(イスラエルのメリドール副首相)=12日、国会の特別委員会で、イランの核開発を阻止するための外交努力は失敗していないと表明。

 ○「われわれは福島第1原発の爆発から学ぶべきだ」(カンボジアのフン・セン首相)=12日、プノンペンでの東南アジア諸国連合(ASEAN)エネルギー相会合で、原発開発には慎重な態度をとるべきだとASEAN諸国に訴え。
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2012年09月17日,「赤旗」)

文化/「ソハの地下水道」/異色のホロコースト映画/アグニェシュカ・ホランド監督

非道を表現する苦しさ/でも誰かが撮らないと
 ナチス支配下のポーランドで、コソ泥の水道管修理工がユダヤ人救出にかかわった―。「ソハの地下水道」は、異色の切り口でホロコーストを描いています。来日したアグニェシュカ・ホランド監督は、「主人公の人間味が、この作品に取り組ませたもとだった」と語ります。
 児玉由紀恵記者

 1943年、ナチスのユダヤ人狩りが猛威をふるうポーランドの街ルヴフ。ポーランド人の水道管修理工レオポルド・ソハは、盗んだ品を隠そうと地下の下水道へ。そこで穴を掘って降りてきたユダヤ人一行と出くわします。ナチスの銃殺や強制収容所行きから逃れようとする彼ら。見つけたらドイツ軍に通告しなければ、ソハ自身の命が危い。
 ところがソハは彼らを地下水道にかくまい、代わりに金品を巻き上げて生活費の足しにと画策するのです。
 「ソハは労働者階級出身の普通の男で、善と悪とどちらにころぶか自分でもわからない。すごく人間的ですし、ヒーロー物を描くより、彼の旅路≠描く方がずっと面白い」とホランド監督。
 かくまったユダヤ人も、詐欺師や不倫関係で妊娠する女性、子どもたちなど通り一遍ではありません。ソハは彼らと取引するうちに深みにはまり、手を切ろうとしますが…。その旅路≠ェ、人間というものを考えさせてくれます。
 実話を基にした映画化で、原題は、「IN DARKNESS」(暗闇の中で)。暗闇の中でうごめく人間たちを描き悪臭さえ感じさせる―。地下水道を描く撮影の苦労は大変なものですが、「苦労があるからこそ自分にとっては面白い」と監督。
 「映像で、普通ではない形でこの物語を伝えられるのが魅力の一つでした。リアルに撮ることで観客に普遍的な真実に触れてもらえればと思ったのです。センチメンタルだったり、判で押したような描き方では、当時の出来事が軽んじられているような気がします」

「この物語に呼ばれた」と
 ホランド監督は、85年、90年と、ホロコーストに関わる作品を作っています。その体験が苦しかっただけに、今作の監督を長く断っていたと言います。
 「ホロコーストを扱う映画を作る時は、当時の人々の苦しみ、人の手による空恐ろしいほど非道な行為を自分で消化して表現しなければいけません。これは、心身ともに痛みを伴い、おしつぶされそうになります」
 しかし、「誰かが語らなければ―。この物語に自分は呼ばれた、誘われたのだと思った」と。
 監督の父は、戦時中ソ連でたたかい、その家族はワルシャワのゲットー(ユダヤ人の強制居住地域)で亡くなりました。
 母は、ポーランドで抵抗組織のメンバーと協力してユダヤ人の救出に当たり、ナチスに対して武装決起したワルシャワ蜂起の戦士でした。
 「ホロコーストは、人類にとってのターニングポイントだったと思います。どんなものだったか、そのなかで人間とは? われわれとは? と自問し続けなければ、と思いますね」
 幼い頃は画家になりたかったという監督。10代半ばに絵画のみでは自分が表現しきれていないと感じ、物語を紡ぐ面白さに気付いたと言います。人に指示する資質にも目覚め、そんな諸々の要素を結合して生かせる映画監督の道へ。
 ポーランドの名匠アンジェイ・ワイダからの指導も受け、78年に監督デビュー。
 「ワイダ監督の教えで心に刻まれているのは、映画の作り手としては自分に誠実であらねばということです。でも自分だけのために作っているのではないということを忘れてはいけない、観客のためにもつくっているのだ、と」
 今作に、ワイダ監督へのオマージュ(敬愛)を感じさせる場面がありますね、と聞くと、「無意識のうちに、もしかしたらそうなっていたかもしれません」と楽しそうに答えました。

アグニェシュカ・ホランド 映画監督・脚本家=1948年、ワルシャワ生まれ。71年、プラハ芸術アカデミー卒業後、ポーランドで映画界へ。監督作に「敬愛なるベートーヴェン」「太陽と月に背いて」、脚本に「コルチャック先生」(アンジェイ・ワイダ監督)など。今作は、第84回米アカデミー賞外国語映画賞にノミネート
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2012年09月16日,「赤旗」) (Page/Top

大虐殺協力を謝罪/加害責任議論求める/ベルギー首相

 【ブリュッセル=AFP時事】ベルギーのディルポ首相は9日、第2次大戦中にベルギーがユダヤ人をナチス・ドイツに引き渡し、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)に協力したことについて「痛惜と遺憾の意を表したい」と謝罪しました。北部メヘレンでのユダヤ人追放70年追悼式で述べました。
 首相は「当時のベルギーは最も忌むべき犯罪に加担した」と表明。ベルギーの責任に関する決議採択に向け議論するよう上院に求めました。
 ベルギーには大戦開始時、約5万6000人のユダヤ人が暮らしていたと推定されますが、うち約2万5000人が強制収容所に送られ、生き残ったのはたった1200人とされます。
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2012年09月11日,「赤旗」) (Page/Top

歴史とどう向き合う/岐阜・九条の会が例会

 「岐阜・九条の会」(吉田千秋事務局長)は4日、第201回例会を岐阜市内で開き、「歴史とどう向き合うか―ドイツと日本の違い―」をテーマに、文筆業の安藤彰浩さんから報告を聞きました。
 安藤さんは、ドイツに13年留学した経験から、「ナチス時代は戦後生まれのドイツ人のアイデンティティーの一部になっている」と指摘、正当か不当かの議論は別に、全てのドイツ人が過去に対する重い責任を問われ続けてきたことを知っていると述べました。「日本は歴史の共通認識が欠けている。たとえ不都合なものであっても、謙虚に向き合い、犠牲者の運命に思いをはせることが大事」と述べました。
 吉田事務局長は「過去との向き合い方をどうするかが大事。日本も一人ひとりが変わりつつある中、『私はこう思う』と対話をもっとやっていけば、ドイツの人の過去との向き合い方に近付いていけると思う」と語りました。
 日本とドイツとの戦争認識の違いに疑問を持って参加した女性(75)は、「戦争問題を私自身の問題にしないといかん。多くの人の意見が聞けて勉強になった」と語りました。
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2012年09月08日,「赤旗」)

新作DVD/灰とダイヤモンド/ポーランド、1958年

 ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダの「抵抗3部作」の一つ。
 1945年。ナチスとのたたかいを終えたものの、ソ連の占領で新たな悲劇が生まれた時代が背景です。5月8日、ドイツ降伏の日のポーランドのある都市。ロシア帰りの労働者党地方書記の暗殺を指示された国内軍生き残りの青年マチェク(ズビグニェフ・ツィブルスキ)。終戦の祝宴が開かれる宿で会った女性と恋に落ち、普通の生き方を望みますが非情にも断たれます。黒眼鏡姿は「祖国への報われない愛の記念」と語るマチェク。その像に監督の愛惜がこもり、時代の痛みを鮮烈に描く傑作です。
 (紀)
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2012年09月02日,「赤旗」) (Page/Top

そこに僕らは居合わせた 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶/グードルン・パウゼヴァング著、高田ゆみ子訳/評者石井正人千葉大学教授

迫害に加担した一般市民を描出
 この著者は原発事故を題材にした近未来小説『みえない雲』で知られる。終戦時に17歳だった自らの体験を基に第2次大戦前後のドイツの暗い歴史と向き合う、本書のような作品を精力的に執筆している。高い問題意識と使命感を持った教育者・児童文学者だ。
 ここに集められた20の短編は、平明な文体と構成の中に、ナチス支配・戦争・戦後の東西分断と非ナチ化の混乱の時代を生きた一般市民の姿を少年少女の視線からくっきりと描き出す。
 多くの市民はナチスのユダヤ人迫害や暴力支配を見て見ぬふりをしただけでなく、さまざまな形で積極的に加担した。そしてその罪を隠し偽り、戦後を生き抜いた。
 裕福なユダヤ人一家が強制収容所に連行されると、直ちに近所のドイツ人が空き家へ略奪に群がる様子を描いた第1話「スープはまだ温かかった」から、歴史の真実をくもりなく伝えようとする著者の責任感と誠意の厳しさに読者は圧倒されるだろう。
 「ひとりの人間の中に、これほど違う気持ちや善と悪が存在しているとは」というのが本書を貫く重苦しい主題だ。「自虐史観」は若者が誇りを持つことを妨げるから有害だなどという姿勢は微塵もない。真実を誠実に伝えれば、若者は必ず受け止め、今日の自由と民主主義と人権尊重の尊さを理解してくれる。著者はその希望と確信を、軍国少年だった祖父の手記を読んで衝撃を受けながらも成長する少年を描いた第20話「輝かしき栄誉」ではっきり示す。
 読みやすい優れた訳文である。「国家社会主義」という語は「国民社会主義」という近年の訳語にした方が良い。

 28年生まれ。作家。『最後の子どもたち』『みえない雲』ほか。
(
2012年09月02日,「赤旗」)

ホロコースト/世界でどう教えている?/ユネスコが研究・調査へ

 国連教育科学文化機関(ユネスコ)とドイツのゲオルグ・エッカート国際教科書研究所(GEI、本部=ブラウンシュワイク)は共同で、第2次大戦中のナチスによるユダヤ人大虐殺「ホロコースト」が世界の学校教育や教科書でどう扱われているかを集大成する研究に着手します。ユネスコがこのほど明らかにしました。
 世界でのホロコースト教育の完全な比較・分析は初めてのもの。1年6カ月かけて、世界195カ国の教育カリキュラム、代表的な20カ国の教科書を比較調査します。
 結果は、ホロコーストが実際にどこで、どのように教えられているかを地図やイラストなどで図表化してまとめられるといいます。この調査研究の結果と勧告は、関連するカリキュラムの作成に当たって、教育政策担当者に将来の討論の土台として提供されます。とくにこれまでホロコーストが学校教育で扱われてこなかった国々を視野に入れているといいます。
 ユネスコはホロコーストに関する世界規模での教育促進に権限を持つ唯一の国連機関。GEIは、戦後、ポーランドやイスラエルなどと共同で、歴史教科書の比較研究を行い、相互理解・融和に努めてきました。
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2012年09月02日,「赤旗」) (Page/Top

「維新」政治、財界のため/大阪でシンポ開く

 思想・文化を中心とした雑誌『季論21』編集委員会がよびかけた「橋下・『維新』を考える」シンポジウムが1日、大阪市北区で開かれました。

 編集委員の鰺坂真関西大学名誉教授が主催者あいさつしました。
 石川康宏神戸女学院大学教授が「橋下『維新』がやりたいこと」、久田敏彦大阪教育大学教授が「大阪の『教育改革』が問いかけるもの」、望田幸男同志社大学名誉教授が「『ハシズム』とナチズムの間に立って」と題して報告しました。
 石川氏は、「二大政党」が破綻し、行き詰まりを強権的に打開する橋下氏が財界、米国のための政治を進めるためにやっていると告発。一方で、官邸前で抗議する人たちが主権者らしく語っているとして、「フェイスブックなどで市民が自立した判断力と発言力を高めていくべきです」と強調しました。
 久田氏は、橋下氏らが強行した教育関係条例の問題点を解明。これまでの「競争と強制」の教育を「民意」に名を借りた政治権力による教育支配を実現し、「上意下達」の教育システムを確立することによって、推進しているもので、教育でも「第三極」になりきらないとのべました。
 望田氏は、橋下氏は「右」からの現状打破論を唱え、ヒトラーが敵≠つくって選挙でのし上がり、民衆を翻弄(ほんろう)してきたのと異なり、「上」からの権威主義的な反動をよりどころとし、ナチス運動のインパクトはもちえないと語りました。
 日本共産党の宮本岳志衆院議員が参加し、発言しました。
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2012年09月02日,「赤旗」)

大阪労連が大会/憲法守り生かそう

 「憲法を生かし、つくろう安全・安心社会=Aすすめよう対話と共同、組織拡大」を掲げ、大阪労連(全大阪労働組合総連合)は1日、第45回定期大会を大阪市内で開き、2013年度の運動方針を決定しました。
 川辺和宏議長は、消費税増税、原発再稼働、TPP(環太平洋連携協定)参加や、労働法制の改悪など民主党政権は「改めて政権交代が求められる緊急事態」だと強調。大阪を足場に国政進出をめざす橋下・「維新の会」が強行した思想調査や政治活動禁止条例制定は「労働者や労働組合への弾圧であり、憲法と民主主義を踏みにじる蛮行。府・市民の生活を大幅に切り捨てる『都構想』の具体化と一体になって進められている」と指摘し、いまこそ大阪労連一丸となり、ファシズムを許さない役割を果たそうと呼びかけました。
 運動方針では▽憲法を生かし、改憲と民主主義破壊を許さず、橋下・「維新」とたたかう▽「期間の定めのない正規雇用」を基本に、正社員が当たり前の社会をめざし、くらし・雇用、賃金・権利を改善する―などを盛り込んでいます。
 代議員からは、橋下政治のもとですすむ教育破壊、職場破壊の実態を告発すると同時に、たたかいのなかで地域や若い世代との連帯と共同が広がっているとの報告がありました。
 日本共産党から清水忠史府副委員長(衆院近畿比例候補)が来賓あいさつしました。
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2012年09月02日,「赤旗」) (Page/Top

8月本文)

潮流

 「すべての人間は、…尊厳と権利とについて平等である」。1948年12月に国連総会が発した世界人権宣言の第1条です▼ロンドン郊外にあるストークマンデビル病院の、戦傷者の車いすアーチェリー大会も、同じ年の7月末に開かれました。催したグットマン医師は、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害の魔手からイギリスへ逃れた人です。大会は、今日のパラリンピックに発展します▼生まれ故郷に帰ったパラリンピック。ロンドン大会の開会式は、宇宙の誕生ビッグバンを表すしかけで始まりました。宇宙ができ、人類が生まれ、私たち人類はどこへ? シェークスピアの「あらし」に登場する少女、ミランダを案内人にして旅する趣向です▼世界人権宣言を記す、巨大な本をかたどる島にも着きます。その場面をテレビでみて、手元の「宣言」を読む。「すべて人は…自己の尊厳と自己の人格の自由な発展とに欠くことのできない経済的、社会的および文化的権利を実現する権利を有する」(22条)▼パラリンピックは、その権利を実現して人間の可能性を押し広げてゆく、旅の大舞台です。わずか16人で競ったストークマンデビル病院のアーチェリー大会は、164カ国・地域の約4300人が20競技503種目に集う、ロンドン大会に発展しました▼「あらし」のミランダは、孤島で父と2人だけで育ちます。島に現れた人々をみていいます。「これほど美しいとは思わなかった、人間というものが!」。同様の発見に満ちた大会でしょう。
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2012年08月31日,「赤旗」)

草の根対話で改憲阻止/小森陽一さん迎え講演会/浜松

 静岡県浜松市中区で26日、市内の9条の会21団体、西部地区労連、新婦人で構成する浜松・平和のメッセージを聞くつどい実行委員会が、「九条の会」の小森陽一事務局長を迎えた講演会を行い、300人が参加しました。
 小森氏は、民主、自民の二大政党が行き詰まる中、国民の政党不信を利用して橋下・「大阪維新の会」が総選挙で勢力を伸ばして改憲を行おうとしているが、事態の本質を考えさせないファシズム的な政治手法だと批判。「今こそ草の根からの対話で考えあうことが必要です。改憲を許さず憲法を実践させるための運動をおこしましょう」と訴えました。
 実行委員会を代表して第9条の会・浜松の神田一男事務局長があいさつしました。
 参加した天竜区の男性(30)は「ブームのような流れで国民がだまされないように草の根の対話が大事だと思った」と話していました。
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2012年08月30日,「赤旗」) (Page/Top

英議事堂老朽化、閉鎖も

 【ロンドン=AFP時事】26日付の英紙サンデー・タイムズは、ロンドンの名所で、英議会の議事堂となっているウェストミンスター宮殿が老朽化し、5年間閉鎖される可能性があると報じました。上下水配管や電気配線の改修のほか、アスベスト(石綿)の撤去が必要です。議会報道官は「年内に上下両院の各委員会で話し合う」と述べました。選択肢には、建物の売却、新しいビルの建造も含まれ、議会の休会を利用して少しずつ何十年もかけて改修する案もあります。
 宮殿は19世紀後半には今の姿となり、1940年代以降は本格的な改修が行われていません。議事堂が使えなくなれば、ナチス・ドイツの空爆を受けた第2次大戦以来となります。
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2012年08月30日,「赤旗」)

潮流

 「私にこの嫌疑をかけるなどということは不当でありましょう―あるいは過分の名誉と言ってもよいでしょう。共産主義者になるにしては、私には足りないことが多すぎます」。60年前、ドイツ文学の巨匠トーマス・マンが述べた言葉です▼マンはナチスとたたかうため米国に亡命し、戦後もとどまりました。しかし、1950年ごろから吹き荒れたマッカーシー上院議員らの「赤狩り」がマンの身にも及びます。東独を訪問したことで迫害を受け、米国を去りました▼紹介したのはオーストリアのザルツブルクで52年8月に行った講演の一節です。スターリン主義を批判する一方、共産主義の理念を純粋に実現することは「繰り返し人類に迫られるだろう」と共感を寄せました▼マッカーシズムの名で知られる反共主義はごく単純なデマで米国を席巻します。「国務省に205人の共産主義者がいる」。しかし、その人数は次々に変わり、名前も明らかにされません▼『マッカーシズム』の著者リチャード・ローピアは「多重虚偽」がまかり通ったのはマッカーシーの一言一句に反応する新聞記者がいたからだと書いています。「記者たちはベルの音にこたえるパブロフの犬のようにマッカーシーの召集に反応しはじめていた」と▼暴走する権力の陰には迎合するメディアがいます。消費税増税や環太平洋連携協定(TPP)参加で政府をけしかける。権力者の言葉をそのまま伝える。これではマッカーシズムを支えた新聞から進歩がありません。
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2012年08月28日,「赤旗」) (Page/Top

フェルメールの魅力を知る/現代に通じる存在感、精神性

 17世紀オランダの画家、ヨハネス・フェルメール。現存する作品は、わずか37点です。光あふれる静謐な室内、映画の1シーンを連想させる人物たち、謎めいたテーマなどが見る者の想像力をかきたてます。また、贋作騒動、数々の盗難、ナチスの略奪などもあり、話題に事欠きません。
  * *
 「フェルメールって誰?」という人にも、よくわかるのが朝日新聞出版編『フェルメールへの招待』(朝日新聞出版・1200円)
 人気の高い「真珠の耳飾りの少女」など代表作6点のポイント解説や、@画面に多用した青は、宝石ラピスラズリを粉にした高価な絵の具で、彼の死後、一家の破産の原因ともいわれるA父親の後を継いで宿屋を経営し、14人の子持ちだった、などの画家を「語る」ための5つのキーワードを知ると彼と作品世界がぐっと身近に感じられます。
 また、見開きページを使って作品を原寸大(部分)にする試みは、実物の大きさが体感できます。
  * *
 謎の天才画家≠ニいわれるフェルメール。小林ョ子・朽木ゆり子著『謎解き フェルメール』(新潮社・1300円)は、作品を読み解きながら、神秘化されてきた画家の真実の姿を明らかにします。
 東インド会社を設立し、世界を制した17世紀のオランダ。裕福な市民たちが好んだのは、日常生活を描いた風俗画でした。宗教画などの物語画家から出発したフェルメールも、この分野に才能を発揮していきます。
 小林ョ子は、一見、写実的な《牛乳を注ぐ女》が、実は透視法(遠近法)を無視した画面構成であることを、CGを使って実証しています。リアルでありながら、どこか不思議な非現実感。これもまた、この画家の魅力ですが、試行錯誤を重ね、成長していった姿が見えてきます。
** 欧米14都市に散らばる三十数点の作品巡礼の旅をつづったのは、朽木ゆり子著『フェルメール全点踏破の旅』(集英社・1000円)。オランダ・ロッテルダムの美術館で見たのは、17世紀の人物を描きながら、現代にも通じる存在感を持つ《手紙を書く女》でした。17世紀のほかの画家には見られない存在感、精神性こそ、時代や宗教を超えて、見る人の心を揺さぶり、多くの人の心を捉えるフェルメールの魅力なのではないでしょうか。
 (日高ルミ)

〈いま日本で見られるフェルメール作品〉
 @「真珠の耳飾りの少女」A「ディアナとニンフたち」(マウリッツハイス美術館展)9月17日まで東京都美術館。その後、神戸市立博物館へ巡回。B「真珠の首飾りの少女」(ベルリン国立美術館展)9月17日まで東京・国立西洋美術館。その後、福岡・九州国立博物館へ巡回。
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2012年08月26日,「赤旗」) (Page/Top

少数民族ロマ問題/強制退去に与党内に不和/仏

 フランス国内に不法滞在する少数民族ロマの人たちが相次いで住居からの強制退去処分を受けたことで、人権団体などによるオランド政権への批判が高まるとともに、政権与党の社会党内にも不和が生じています。
 同国では2010年、当時のサルコジ政権が「犯罪抑止」を理由に数千人のロマを国外退去処分としたことに対し、国内外から「政府による人種差別だ」との強い批判が巻き起こりました。
 5月の大統領選でサルコジ氏を破って当選したオランド大統領は「代替措置のない強制退去は行わない」と公約。ところが、新政権のバル内相は今月に入り、「公衆衛生」を理由にパリやリヨン、リールなどでロマの強制退去を実施しました。
 これに対し、ロマ団体や人権団体が公約違反や人権侵害を指摘する一方、欧州議会もフランス政府の動向を注視。さらにオランド政権与党の社会党内部からも異論があがっています。
 デュフロ住宅相は16日、同国のラジオ局「フランス・アンテル」のインタビューに対し「代替措置のない強制退去は人びとをより不安定な状態に追いやるのみで、なんの解決にもならない」と発言。リール市長で社会党第1書記のオブリ氏は、18日付の仏紙パリジャンに対し、強制退去に一定の理解を示しながらも、「フランス国内には、そこで暮らす人びとを受け入れる余地がある」と強調しました。
 世論も大筋でこれらの発言を支持しており、仏世論調査機関IFOPがニュースサイト「アトランティコ」の依頼で行った調査結果(14日発表)では、73%の国民が「退去は問題の解決にはならない」と回答しています。
 批判の高まりを受け、バル内相は16日、ロマ問題を話し合う関係閣僚会議を開催する意向を表明。強制退去の必要性を強調する一方で、ロマを排除するのではなく、雇用保障による問題解決の可能性を示しました。
 (島崎桂)

ロマ
 「ジプシー」と呼ばれた移動民族で主に中東欧に居住。現在では定住する人も多く、欧州全体での人口は約1000万〜1200万人。ナチス政権下のドイツではユダヤ人と同様に虐殺の対象とされ、戦後も多くの欧州諸国で少数民族としての権利が認められず迫害を受けてきました。フランス国内に不法滞在するロマは現在、約1万5000〜2万人。
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2012年08月24日,「赤旗」) (Page/Top

映画/「あの日 あの時 愛の記憶」(ドイツ)/平和の中に走る葛藤

 ナチス・ドイツの絶滅収容所から脱走に成功した恋人たちが4組いたという。その1組をモデルに映画化したのは女性監督アンナ・ジャスティス。
 1944年アウシュヴィツ収容所。ポーランド人政治犯トマシュ(マテウス・ダミエッキ)は、ユダヤ人女囚ハンナ(アリス・ドワイヤー)と恋仲になる。トマシュは抵抗組織からある任務を与えられ、愛するハンナを連れ脱走。トマシュの実家にたどりつくが、彼の母はハンナがユダヤ人と知って拒否した。
 1976年ニューヨーク。ハンナ(ダグマー・マンツェル)は夫と娘にめぐまれて幸せだった。ある日、偶然見たテレビにトマシュが映っていた。封印していた記憶がよみがえり、その断片がつき刺さる。
 収容所でドイツ軍女看守にネズミ以下の扱いを受けるハンナたち。政治犯をかくれみのに地下活動するトマシュ。死に直面する緊張場面と、ハンナの今の生活が交互に挿入され、平和の中に葛藤が走る。ハンナは「命の恩人」が生きていたことに心をゆさぶられ、トマシュを探しはじめる。
 2人をへだてていた32年の長い歳月。その間それぞれに起こったことには触れない。44年と76年の生と死の瞬間、戦争と平和体験のへだたりをとらえる。
 収容所という極限下にも愛が燃え、人間らしさを忘れなかった恋人たちがいたことを、ドイツ人監督がとらえた勇気と演出力に衝撃を受ける。ラスト・カット、過去から立ちあがろうとする強さが静寂となって広がる。
 (石子順・映画評論家)
 東京・銀座テアトルシネマ、大阪・シネ・リーブル梅田で上映中
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2012年08月13日,「赤旗」) (Page/Top

トークとーく/原発の怖さ伝えるドイツの小説「みえない雲」を翻訳高田ゆみ子さん/「原発」もの言うとき

 東京都内で7月28日、ドイツの作家G・パウゼヴァングの小説「みえない雲」(原題・Die Wolke雲=jを基にした同名映画の上映会がありました。上映会で、この小説を翻訳した高田ゆみ子さんが講演しました。その要旨を紹介します。

生活守るなら
 パウゼヴァングさんは、1986年のチェルノブイリ事故当時、小学校の教師でした。若い人たちに原発の怖さを伝えようとこの小説を書き、翌年に出版しています。
 この小説は150万部も売れ、教材にもなっています。ドイツは70年代から原発をなくす運動が広がっていましたが、社会民主党(SPD)政権のもとで2002年に成立した原子力法では約20年後に原発を廃止するとしていたのを、10年秋にメルケル首相は12年延長することを決めていました。
 しかし、その半年後に福島原発事故が起きました。メルケル首相は諮問機関として「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」を招集しました。
 この委員会は「倫理的なエネルギー制度をつくりたいのなら原子力はやめたほうがよい。社会には一時的負担がかかるが、次の世代のことを考えるならかじを切り投資をする必要がある。それは再生エネルギーのためのインフラづくりであり、時間がかかるのは明らかだが、少しずつそこに力点を移していくべきだ」と答申しました。
 メルケル首相は「国民の生活を守るのが政治の仕事だ」と言って全原発の廃止に政策を転換しました。
 「国民の生活を守るため」と言って原発を動かしたある国の首相もいます。どちらが政治家として正しい仕事でしょうか。

いまの時代に
 7月のさようなら原発10万人集会で、音楽家の坂本龍一さんは「福島のあとに沈黙するのは野蛮(やばん)だ」と言いました。ものを言っていかないといけません。
 文科省の放射線副読本は、放射能の役に立つ点ばかり書いています。福島大学の研究者らがつくった「放射線と被ばくの問題を考えるための副読本〜減思力を防ぎ、判断力・批判力を育むために〜」には、減思力(げんしりょく)と書かれています。原発の危険性を考える力を減らす動きに対抗しなくてはいけません。
 パウゼヴァングさんは第2次世界大戦が終わった時、親たちの世代に「なぜ(ナチスによる)あんな恐ろしいことが起こる前に声をあげなかったのか」と詰問したといいます。原発も根っこは同じです。もう一度、いまの時代に、引きつけて考えないといけないと思います。
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2012年08月10日,「赤旗」) (Page/Top

映画の窓/男はつらいよ寅次郎真実一路/頑張らない人生≠、たう

 かつて同時封切りされたシリーズの喜劇映画が2本。「男はつらいよ 寅次郎真実一路」は、大原麗子の美女が忘れられなくなった渥美清の寅さんが、その夫をたすけるためにつくす。牛久沼ののどかな風景にがんばらなくてもいいという人生をうたった。「釣りバカ日誌20 ファイナル」は最終編。スーさん三國連太郎とハマちゃん西田敏行が笑わせ北海道で人助けをしてまわりを豊かにする。
 「チャーリーとチョコレート工場」はジョニー・デップのチョコレート工場に招待された5人の子どもが試される。貧乏な子どものけなげさに家族の大切さを感じさせる。
 NHKBS、山田洋次監督が選ぶ日本映画は「人間の條件」3部作のアンコール連続上映。仲代達矢が熱演。人間としての良心が、満州≠フ鉱山、天皇の軍隊でたえぬき、生きる条件をつかみとろうとするが―。
 「さよなら子供たち」は、ユダヤ人の子どもをナチスからかばおうとする人とそれを見つめる子どもの眼。「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」はいよいよ目的地に到達。世界を滅ぼす邪悪な指輪を葬るたたかいが怒濤のようにはじまった。松山ケンイチと成海璃子との「神童」はピアノの天才と音大浪人生との交流と努力を描く音楽映画。
 (石子 順 評論家)
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2012年08月03日,「赤旗」) (Page/Top

7月本文)

朝の風/そのときでは遅い

 何年か前にフランスで『茶色の朝』という小さなパンフレットが出版された。数年後に日本語への翻訳本が出版された。
 原作は、20世紀末のフランスでの極右勢力の台頭にナチスを重ね合わせて描かれたものである。多くの国民は、自由が奪われていくことに、最初は自分とは無関係であると思っているが、自分も不自由な状態に置かれていることに気付く。でもそのときには遅い。
 この状況を、大阪の橋下・維新の会の動きと重ね合わせてみると、公務員が政治活動の自由を奪われるという状況は、公務員でない人々にとっては人ごとであり、自分には関係のないことだと感じられることなのかもしれない。労働基本権の制約についても同じことが言える。政治活動をしたり、労働基本権を行使することは、自分たちの日常とは異なった空間で起きていることだから。
 大阪で起きていることは、それにとどまらない。マスメディアの宣伝もあって、橋下市長の施策を少なくない人が支持している。これは、奪う側に立つことに他ならない。そして、自分たちまでが自由を奪われていくことになる。
 周りでもそんなことが日常の風景になっているのではないか。真実に気づいてほしい。
 (傘)
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2012年07月30日,「赤旗」)

ホロコーストに加担/最重要戦犯拘束/ハンガリー

 【ベルリン=時事】ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)に加担したとして、反ユダヤ活動監視団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」が最重要戦犯に指定しているハンガリーの元警察幹部で、97歳とされるラスロ・チャタリ容疑者が首都ブダペストで発見され、検察当局が18日、身柄を拘束しました。検察はチャタリ容疑者を自宅軟禁下に置き、戦争犯罪に関わった疑いで取り調べる方針。
 同センターによると、チャタリ容疑者は1944年、ハンガリー支配下にあったスロバキア東部コシツェで、ユダヤ人1万5700人をアウシュビッツ強制収容所に送るのに協力し、41年に300人がウクライナに送られた際も重要な役割を果たしました。同センターは生存する重要戦犯のリストのトップにチャタリ容疑者を載せています。
 チャタリ容疑者は48年に旧チェコスロバキアの裁判所で本人不在のまま死刑判決を言い渡され、カナダに逃走。90年代に同国から市民権を剥奪された後、行方をくらましていました。ウィーゼンタール・センターは昨年9月、ハンガリー検察当局に同容疑者の情報を提供。ブダペストのアパートに潜伏していることが先週末、判明しました。
 検察は当初、「現在は他国が司法権を持つ場所で68年も前に起きた事件」として、捜査に及び腰でしたが、同センターは訴追を強く求めていました。
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2012年07月20日,「赤旗」) (Page/Top

新作DVD/サラの鍵/仏、2010年

 1942年、ナチス占領下のパリ。警察のユダヤ人狩りを逃れ、弟を納戸に入れ鍵をかけた10歳の少女サラは、両親とともに屋内競輪場に閉じ込められます。阿鼻(あび)叫喚の地獄を生き延びたサラが目にした弟は…。姉弟の住んでいたアパートに関わり、彼らの消息を追跡する現代のジャーナリスト・ジュリア(クリスティン・スコット・トーマス)。
 悲惨な過去を現代につなぎ、歴史を受け継いでいかに今を生きるかを痛切に問いかける感動作。監督は、1974年生まれで、祖父や曽祖父らがユダヤ人迫害の犠牲となったジル・パケ=ブレネール。こん身の一作です。
 (紀)
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2012年07月15日,「赤旗」) (Page/Top

発言2012/福岡大学人文学部教授(ドイツ現代史)星乃治彦さん/維新対抗勢力結集を

 橋下徹大阪市長とヒトラーは、閉塞(へいそく)感という時代状況を背景にしている点が似ています。ヒトラーは目先の敵としてユダヤ人や共産党への憎悪をかき立てましたが、橋下氏の場合は公務員バッシングのようです。
 ナチスは社会主義%Iスローガンを掲げていましたが、橋下氏の場合も一時期、反原発の旗手のように振る舞っていました。
 ナチスは過半数の支持で権力を掌握したのではなく、最高得票は4割台でした。過半数の反対勢力を組織することにドイツでは失敗しましたが、日本で同じ過ちを繰り返してはなりません。思想調査など個々の問題で橋下・「大阪維新の会」に対抗する勢力を束ねていくべきです。全国的にも、憲法9条の問題や沖縄の普天間基地撤去、原発ゼロなど課題別の一点共闘という考えは大事です。
 ○……○
 歴史家としては、過去をさかのぼって検証することが重要だと考えます。戦前の共産党とマスメディアの果たした役割についても、戦後正しく検証されていません。マスメディアの戦争責任はあまり触れられません。
 民意を切り捨て、ゆがめる小選挙区制の弊害が明らかになった今、マスメディアが主張していたことを検証すべきでしょう。歴史的には、あのとき小選挙区制反対を主張していた側が、結局は正論でした。
 そしてまた今、マスメディアはギリシャなどの経済危機を誇張し「日本はどうなるのか」と危機感をあおっています。しかし、これはある種つくられた危機だと思います。リーマン・ショック後、円高不況が続き、輸出大企業が大変なのは事実ですが、円安のときに大企業が膨大な利益をあげたことは報道されません。一方的です。新自由主義者たちは、こうした危機を口実に社会保障の切り下げを図ろうとしています。
 ただ、今は潮目で、新自由主義に対抗してフランスやギリシャ、ラテンアメリカでも、福祉を充実させて危機を解決していこうという揺り戻しも起こっています。
 ○……○
 危機があおられるときは用心が必要です。計画停電と原発再稼働、財政危機と消費税増税、いずれも同じ図式です。消費税は金持ち減税と大企業の法人税減税に使われてきたのが現実であり、ウソを見抜く力をつける必要があります。
 日本共産党はちゃんとした正論を対置していると思います。社会保障の財源としては、財力のある人間にもっと負担させるというのが社会的連帯として当然です。ムダを削るのも生活保護を削るのではなく、まずは東京外環道路などの大型公共事業や軍事費を削るべきでしょう。
 聞き手 福岡県・田中陽二
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2012年07月08日,「赤旗」) (Page/Top

文化/今につながる民衆弾圧/『特高警察』を刊行・小樽商大教授荻野富士夫さん/組織の実像、通史に

 日本近現代史が専攻の荻野富士夫さんが、『特高警察』(岩波新書)を刊行しました。勤務先の小樽商科大学で思いを聞きました。
 金子徹記者

 特高警察は、プロレタリア作家の小林多喜二の虐殺など、思想弾圧の最前線で暗躍した悪名高い組織です。『特高警察』では、その歴史と実態を記しています。
 「昨年は特高警察が創設されて100年目でした。それを機に雑誌から原稿依頼があり、改めて特高警察の全体像をまとめたいと思いました。特高関連では、事件の羅列になっている本が多い。前史から戦後の解体、そして公安警察への『継承』までを、通史としてまとめたかったのです」
 特高警察は、大逆事件(注1)を契機に「国家国体の擁護」のため創設されました。総力戦体制が強化されるなかで組織の拡充を重ね、日米開戦直前には、広義の特高警察の陣容は1万人を超えました。
 同書では、1970年代末から続けてきた研究をもとに、官僚機構としての陣容の推移や拷問を容認する体質、朝鮮、「満州」での活動や、ナチスのゲシュタポとの比較などもまじえて広い視野から分析しています。
 「自由や平和を志向する人たちを、抑え込む側から歴史をみるのは、学問的にも必要なことです。特高の歴史は現代につながっているのです。警察の理不尽な抑圧や取り締まりはいまでもおこなわれているし、『共謀罪』や秘密保全法の制定をめざす動きもあります。監視カメラなどの、統制の網の目が張り巡らされた社会のあり方や、公安警察について考える参考にしてほしいですね」

憲兵も視野に
 特高が、特別高等警察の名のとおり警察内でもエリート視されていたこと、組織内の功名争いが弾圧に拍車をかけたことなど、組織の実像をリアルに描きだします。
 特高と競合関係にあり、民衆弾圧の一翼を担った思想検事や憲兵、経済警察など、あまりなじみのない組織も紹介され、暗黒時代≠形成した勢力の顔ぶれがみえてきます。
 「特高や憲兵が、同じ役割の組織として競い合うことで弾圧がエスカレートした面があります」
 点数稼ぎのためのでっち上げや、日本共産党を弾圧しつくした後の1940年代も、疑心暗鬼にかられ、ありもしない「主義者」を「えぐりだす」仕事に血道をあげたことなど、「国家のための警察」の姿を浮き彫りにしています。
 「横浜事件(注2)にみられるように、特高の犠牲者は日本共産党員だけではありません。これは特定の組織や人だけの問題ではないのです」
 『治安維持法関係資料集』(全4巻)や『特高警察関係資料集成』(全38巻)など、大部の資料集の編集も手掛けてきました。その原点は―。
 「大学の修士論文は大杉栄や荒畑寒村、堺利彦らの初期社会主義者でした。その序章で、大逆事件以後の社会運動が弾圧される『冬の時代』について書いたことがきっかけです。支配する側の視点に興味がわきました」
 大学の卒論は石川啄木をテーマにし、多喜二への思い入れも強くもっています。今後は、特高と並び強権をふるった憲兵の研究や、「文学ではない多喜二論」を深めていきたいと考えています。
 「多喜二は小樽高商(現在の小樽商科大学)の卒業生ということもありますから、学生には、せっかく多喜二がいた学校で同じ空気を吸っているんだからと、読むように勧めています。2月にシンポジウムで『蟹工船と北洋漁業』を報告する機会がありましたが、多喜二を切り口にした歴史研究はこれからも続けたいですね」

(注1)大逆事件
 1910年、天皇暗殺を企てたとして幸徳秋水らが逮捕され、12人が死刑となり社会に衝撃を与えた事件

(注2)横浜事件
 1942年、日本共産党の「再建」にかかわったとして、党と無関係の雑誌編集者や記者など約60人が逮捕され、4人が獄死した事件

おぎの・ふじお=1953年生まれ。早稲田大学卒。小樽商科大学教授。著書に『北の特高警察』『戦後治安体制の確立』『思想検事』『外務省警察史』ほか
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2012年07月01日,「赤旗」) (Page/Top

にちようシネマ館/きっとここが帰る場所/伊・仏・アイルランド

 元人気ロック歌手のシャイアン(ショーン・ペン)は、妻とアイルランドの広大な屋敷に住んでいます。ある事件から世捨て人のような日々に、ニューヨークから父危篤の報が。死に目にあえません。父はアウシュヴィッツ収容所のユダヤ人生存者で、残忍だったナチス将校に復しゅうを願っていました。シャイアンはその男を捜し米国を横断します。
 30年ぶりの父です。その腕に収容所で彫られた認識番号の入れ墨が。父の人生に、自分もユダヤ人だという思いに突き動かされます。異様な姿の旅で周りをはらはらさせながら自分の道を見いだしていくのです。
 パオロ・ソレンティーノ監督作品、日本初の劇場公開です。
 (石)
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2012年07月01日,「赤旗」) (Page/Top

6月本文)

追及・大飯原発再稼働/首相判断おかしい/子どもらに「死の灰」押しつけるな/中嶌哲演さん(70)

福井県小浜市・明通寺住職、原発反対県民会議代表委員
 野田首相は国民生活を守るため再稼働の判断をした≠ニいいますが、とんでもないことです。大飯原発の再稼働は、国民の生命や生活を危険にさらすものです。
 大飯原発のような出力が100万`h以上の原発を稼働することは、毎日、広島型原発3発分の死の灰をつくることになります。「死の灰」が環境に出たらどのような事態になるかは、福島原発事故で明らかです。だから福島県も「脱原発」を宣言したのです。
 私は宗教者として、稼働すれば必ずできる「死の灰」の管理を、これから長い期間にわたり子どもたちに押し付けることがあってはならないと思っています。
 大飯原発をはじめ若狭湾地域は原発が集中立地しています。私は「原発マネーファシズム」と言っていますが、巨額の電源3法交付金などの原発マネー≠ノよって、住民たちは言論の自由を封じられてきたのです。
 この若狭湾の原発群を「第二のフクシマ」にしないためにも今こそ、再稼働反対の声をあげていきましょう。
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2012年06月17日,「赤旗」) (Page/Top

福岡市南区で5周年つどい/9条の会

 福岡市南区9条の会結成5周年・講演と文化のつどいが10日、開かれました。
 熊野直樹九州大学大学院教授が「『ファシズム』と『ハシズム』&憲法」と題して講演。橋下徹大阪市長率いる大阪維新の会「ハシズム」の内実は経済・社会レベルでは時代遅れの新自由主義、政治的には思想調査に見られるように個人の精神的自由に強権的に介入するものだと指摘しました。選挙での勝利を「白紙委任」とみなし、「民意」の名のもと、人民投票独裁による強制的な画一化を通じて国家主義的な管理・監視体制の構築を目指している点が「ハシズム」の最大の特徴でありナチスや北朝鮮と同種の危険な点だと強調。「ハシズム」の危険性に今こそ皆で木鐸(ぼくたく)を鳴らす時だと呼びかけました。
 文化行事では和太鼓演奏、博多にわか、うたごえ合唱がありました。
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2012年06月17日,「赤旗」) (Page/Top

一海知義の漢詩閑談/3/将軍と寒村の民¢ホ比した魯迅

 漱石と魯迅、どちらが年上? と聞かれて、即答できる人は多くないだろう。
 漱石は一八六七年、魯迅は一八八一年の生まれだから、漱石が十四歳も年上、ということになる。
 魯迅が留学生として日本に滞在したのは、一九〇二年〜〇九年。帰国した時はまだ二十代だったが、漱石はもう四十代になっていた。魯迅は漱石を読んでいたが、『漱石全集』に魯迅の名はない。
 二人の共通点の一つは、現代作家でありながら、漢詩人でもあった、ということである。両者の漢詩の内容は、きわめて異質なものだけれども。
 魯迅の詩句で最もよく知られているのは、次の二句だろう。

  横眉冷対千夫指
  俯首甘爲孺子牛

 読み下せば
  眉を横たえて冷やかに対す 千夫の指
  首を俯して甘んじて爲る 孺子の牛
 「自嘲」と題する七言律詩の頸聯(第五・六句)である。千夫は、千人の、すなわちたくさんの男たち。孺子は幼児。前者は多くの敵をさし、後者は味方、人民大衆をさすだろう。
 魯迅は自国の古典への造詣が深く、その漢詩作品も古典をふまえて作られている。さきの「孺子の牛」も『春秋左氏伝』に見える語。難解さは、時に風刺の気味がこめられることにもよる。
 しかし、次のようなわかりやすい作品もないではない。題して「二十二年元旦」。
 「二十二年」とは、中華民国が成立して二十二年目、一九三三年。ヨーロッパでは、ドイツのナチス政権樹立、アジアではその前年に日本が「満州国」をデッチ上げ、日本軍は中国領土内に侵略を開始していた。
 当時蒋介石にひきいられた国民党の軍隊は、日本軍の攻撃を避けて、江西省の別荘地廬山に総司令部を置き、一般人民を「共匪」と称して空から攻撃し、殺りくをくりかえしていた。魯迅の詩にいう、

  雲封高岫護将軍
  霆撃寒村滅下民
  到底不如租界好
  打牌声裏又新春

 読み下せば、
  雲は高岫を封じて 将軍を護り
  霆は寒村を撃ちて 下民を滅ぼす
  到底如かず 租界の好ろしきに
  牌を打つ声の裏に また新春
 将軍たちは山上の名勝地で雲に守られ、戦闘機をくり出して貧村を襲い、人民たちを殺す。
 一方、上海の租界には金持ちどもが集まり、「こんな好い所はほかにありませんな」。徹夜マージャンのパイの音がひびく中で、また新春を迎える。めでたし、めでたし。
 この数年後、日中戦争が始まり、その前年、魯迅は亡くなった。
 (いっかい・ともよし 中国文学者・神戸大学名誉教授 月1回掲載)
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2012年06月15日,「赤旗」) (Page/Top

橋下「維新」に学生びっくり/民青名大班が講演会

 民青同盟名古屋大学班は8日、同大東山キャンパス(名古屋市千種区)で、橋下大阪市政と「維新の会」をテーマにした講演会を開きました。「名大祭」(7〜10日)の特別企画としてとりくまれたもので、名越正治赤旗関西総局長、大木一訓・日本福祉大学名誉教授が講演しました。
 名越氏は「君が代」起立強制条例強行や一人暮らし高齢者の配食補助廃止など、市民生活を破壊する橋下市政の実態を詳しく報告。その一方で、職員対象の「思想調査」を中止させ「データ」破棄に追い込むなど、「独裁ノー」の一点での日本共産党と広範な市民との共同が急速に広がっていると述べました。マスメディアが橋下市長を持ち上げるなかで、唯一、独裁阻止の論陣を張る「赤旗」の役割を強調しました。
 大木氏は、自身の戦時体験に触れながら、20世紀のファシズムの歴史と橋下独裁の共通性を強調。「ファシズムは、国民から孤立した支配層が局面の打開をねらったものであり、彼らの弱さの表れでもある。若い皆さんが歴史の教訓に学び、徹底して批判し行動して、明るい未来を切り開いてほしい」とエールを送りました。
 案内ポスターをみて参加した男子学生は「橋下市長には期待していたし、反対する人が間違っていると思っていました。『思想調査』の対象が一般市民にも向いているとは想像もしていませんでした。市民サービスを削るのもおかしい。橋下市長がやっていることは間違っています」。別の男子学生も「橋下市長は『普通にいい人』と思っていました。全然印象と違う話で正直、驚きました。名古屋とは関係ないことと思っていたけど、これからは気をつけたい」と話しました。
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2012年06月12日,「赤旗」) (Page/Top

芸能テレビ/監督多士済々カンヌ映画祭/受賞はほとんど欧州勢/中川洋吉

パルムドールの「アムール」/ミヒャエル・ハネケ/死への恐れ、哲学的な手法で
「天使の取り分」/ケン・ローチ/弱者の連帯、失業青年の再出発
「霧の中」/ユースリ・ナスラッラー/ナチとソ連の占領、掘り下げる
「狩り」/トマス・ヴィンターベア/少女の嘘と抹殺されかかる教師

 65回目を迎えたカンヌ映画祭は、5月27日にミヒャエル・ハネケ監督の「アムール」のパルムドール(最高賞)授賞で幕を閉じた。今回、コンペティションへの出品はケン・ローチ、アッバス・キアロスタミ、クリスチャン・ムンジウ等、過去のパルムドール受賞者、そして、フランスの人間国宝的な映画人、アラン・レネ、韓国からは国際映画祭で絶対的人気を誇るホン・サンスと、多士済々の顔ぶれであった。日本からの出品はゼロであった。
 これらの出品作の中にあり、ハネケ監督の「アムール」が突出していた。エマニュエル・リバとジャン=ルイ・トランティニャンの老夫婦の、死を前にした人間劇であり、一度は引退した両名優による、徐々に近づく老いへの立ち向かい方も見事であり、死への恐れから逃れられない普遍的な問題が見る側に迫る。
 妻の認知症、人間としての尊厳の喪失に対し、ハネケ監督は冷徹なまなざしを向ける。もはや、映像よりは哲学に近い手法が、見る者の内奥に深く突き刺さる。
 受賞記者会見でジャン=ルイ・トランティニャンが「もし、人が幸せに生きたいなら、それだけのお手本を見せねばならない」と、プレベールの詩を引用、作品のメーントーンを示した。
 受賞作品のほとんどがヨーロッパ勢で、そのうちの1本、審査委員賞受賞のケン・ローチ監督の「天使の取り分」は、場内を笑いで包み込むほどの受け方であった。
 スコットランドのうだつの上がらないワーキングクラスの一家が主人公。度重なる失業、若者の非行化と、現在の英国を写し出している。何とか、今の生活から脱出したい彼らは友人と語らい、地元の銘醸ウイスキー蔵の年代物の樽(たる)からスポイトで超高価なウイスキーを吸い上げる。それが、オークションで最高値をつけ、失業青年の再出発の糧となる。
 ケン・ローチ監督は、負け組の失業者たちも、時に、非合法的手段を用いることを容認している。又、ローチ作品の特徴として、家族、友人たちの連帯感が確固として押し出されている。この社会的弱者の連帯性がローチ作品の魅力である。
 味わい深い作品として「霧の中」が挙げられる。第2次大戦中のナチスとソ連に占領されたポーランド人の悲劇。誰もが戦時中、密告をはじめとする反モラル行為をせざるを得なかった問題を掘り下げている。ウクライナの初カンヌ出品作品で、監督は、ユースリ・ナスラッラー。
 忘れられないのは、デンマークのトマス・ヴィンターベア監督の「狩り」である。誠実な一教師が幼児性愛の疑いをかけられ、村八分となる。しかし、後に、すべてが幼い少女の他愛ない嘘(うそ)から始まったことが判明。1人の人間が抹殺されかかる重い内容。
 日本関係ではアッバス・キアロスタミ監督の日仏合作「ライク・サムワン・イン・ラブ」がコンペ部門に、「ある視点」部門では若松孝二監督の「11月25日自決の日 三島由紀夫と若者たち」が出品された。2作とも受賞に至らなかった。キアロスタミ作品は物語性が弱く、若松作品は日本の伝統精神の尊重を揚げ、そのアナクロニズムに鼻白む思いであった。
 (なかがわ ようきち・映画評論家)
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2012年06月10日,「赤旗」) (Page/Top

熱戦前にアウシュビッツ見学/サッカーオランダ代表

 ポーランド、ウクライナ両国で8日に開幕する2012年サッカー欧州選手権を前に、オランダ代表チームが6日、ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の舞台となったポーランド南部のアウシュビッツ強制収容所跡地を訪ねました(写真、ロイター)。一行は女性ガイドの説明を聞きながら、跡地を見学しました。
 ナチス・ドイツは1939年9月にポーランド、40年4月にノルウェー、デンマークをそれぞれ侵攻。オランダも同5月に侵攻を受け、占領されました。
 サッカー選手権でオランダは9日、デンマークと対戦します。
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2012年06月08日,「赤旗」) (Page/Top

橋下大阪市長/独で話題「危険な政治家」/左翼党幹部が紹介

 ヒトラーと似ていると指摘されている橋下徹大阪市長。ドイツでは、市職員への入れ墨調査が新聞で大きく紹介され、ドイツ国民のなかで「危険な政治家」だと話題になっています。
 大阪市の友好都市、ドイツ北部のハンブルク市の市議会と経済界の来訪歓迎レセプションのとき、ドイツ左翼党副幹事長のノルベルト・ハックブッシュ氏が明らかにしました。
 1日夜のレセプションで、日本共産党の山中智子市議団幹事長との懇談の席上、ハックブッシュ氏は、橋下市長が実施している入れ墨調査がドイツの新聞「フィナンシャル・タイムズ・ドイチュラント」に大きく報道され、「非常に危険な人が出てきたと思っている」と話しました。
 「ヨーロッパでは、ヒトラーにたとえるのは最大の侮辱」と主張している橋下氏。山中氏が市職員への憲法違反の「思想調査」など橋下市長の「独裁」ぶりを告発すると、ハックブッシュ氏は「ドイツでも10年ほど前に言葉たくみに人をひきつける動きがあった」と警戒しました。
 ハックブッシュ氏はまた、見学した歴史博物館(大阪市)で、大昔の資料は充実しているが、日本では近現代史は若者にどう教えているのかと質問。山中氏は、侵略戦争の反省に立つことを「自虐史観」と攻撃し、侵略戦争を賛美し、加担してきた人物が戦後も復権、君臨していると述べ、ヒトラー率いるナチスに対するドイツの戦争責任のとり方とは大きく違うと語り、交流しました。
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2012年06月06日,「赤旗」) (Page/Top

5月本文)

平和のバラが咲いた/「アンネ」「カズエ」「ピース」/願いはひとつ/横浜・のむぎ

 NPOのむぎ地域教育文化センター・平和のバラ園(横浜市青葉区)で「アンネ」、「カズエ」、「ピース」など平和を願って作り出されたバラが見ごろを迎えています。

 アンネのバラは、赤いつぼみが開いたあと黄、オレンジ、ピンクへと花の色を変えます。ナチス・ドイツの強制収容所で命を奪われた「アンネの日記」の著者アンネ・フランクにちなむバラ。アンネと同年のベルギーの園芸家は、「みんなの役に立つ、あるいはみんなに喜びを与える存在でありたい」とジャーナリスト、作家を志ざしつつ15歳で断ち切られた少女の才能が奪われなければ、多彩に開花しただろうとの思いを込めたといいます。

自転車での旅
 1991年に開設したのむぎオープンコミュニティスクール(OCS)は、学校に居場所を持てない子どもや高校中退の子どもを受け入れ、平和教育に力を入れてきました。98年秋アンネの生涯を学んだ少女3人が、兵庫県西宮市の教会にアンネのバラがあることを知り、自転車で平和の旅をして持ち帰った苗木を育て園芸業者の協力も得て株を増やしてきました。
 98年、平和のバラ園の開設を知って「カズエのバラ」を寄贈したのは土志田勇さん(故人)です。淡いピンクの花です。平和のバラ園から見える山の向こう側の住宅街に、土志田さんの娘の和枝さんと幼い孫が暮らしていました。77年9月27日、アメリカ海軍空母所属の艦載機が墜落し、1歳の裕一郎くんと3歳の康弘くんが「パパ、ママ、バイバイ」という言葉を残して、その日の夜から明け方に亡くなりました。全身やけどの重傷を負った和枝さんも4年4カ月の闘病の末、31歳で亡くなりました。

風化させまい
 この事件を知った、のむぎの青年たちは「裕一郎くん、康弘くんが生きていたらちょうどぼくたちと同じ年ごろだ。もし生きていたら、ぼくたちと同じように悩んで苦しんでそれでもやっぱり仲間と一緒に生きていたかもしれない」と、2002年5月と9月に、事件を風化させまいと和太鼓創作劇「平和のバラ・カズエ」を上演しました。
 のむぎOCSを設立した樋口義博さん(64)は、平和を創造する変革者を育てたいといいます。「青年たちと毎年、歩いてきた横浜から長野県を結ぶ『300`トリップ』の道にバラを植え、平和のバラ街道をつくりたい」と夢を語ります。
 「平和のバラまつり」が6月9、10日(午前10時〜午後3時)に横浜市青葉区寺家町112のむぎ地域教育文化センターで開かれます。
 平和のバラは、「平和のための戦争展インよこはま」(横浜駅西口・かながわ県民センター)でも展示、販売されます。(販売は31日〜6月2日)
 のむぎ・連絡先045(961)6696
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2012年05月31日,「赤旗」) (Page/Top

憲法記念春のつどい/「維新」の均質教育#癆サ/京都

 京都憲法会議、自由法曹団京都支部、憲法を守る婦人の会は26日、京都市中京区のこどもみらい館で「憲法記念春のつどい」を開きました。160人以上が参加し、会場の外まで人であふれました。
 木戸衛一・大阪大学大学院国際公共政策研究科准教授が「『維新の会』がめざす国家像と日本国憲法―ナチス登場の教訓から学ぶ」と題して講演しました。
 木戸氏は、ナチスドイツが政権についた背景を詳しく報告しました。そのうえで、世界各地で、強い国家・集団が弱いものをしいたげる傾向があるとし、ナチスドイツがユダヤ人を排除した問題と同じような動きがあると指摘。日本ペンクラブが昨年、大阪府の教育・職員基本条例に反対した声明で、「均質の教育」「思想信条によって人が序列化され」ると指摘したことを紹介し、橋下徹大阪市長や「維新の会」について、強制的画一化をすすめたナチスドイツの「均質化」と同等だと批判しました。
 消費税増税や選挙制度改革、教育問題についての発言がありました。
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2012年05月30日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/ピースおおさかの危機

 「おかえりなさい。ご苦労さまでした」。戦地から帰還した夫を妻は歓喜の涙で迎える。テレビドラマでおなじみのシーンだ。夫が戦場で何をしてきたかは問われることなく、戦後の日本にすんなりと溶け込む。
 しかし、私が訪問したアジア諸国の博物館は、アジア太平洋戦争の日本軍の残虐行為をリアルに示している。独ラーヘンスブリュック強制収容所博物館や仏パリのショア記念館は、ナチスのユダヤ人虐殺に加担した自国の負の歴史を展示し国民に知らせている。しかし、日本にはこうした公的博物館は皆無に近いのが現状だ。
 大阪府・市が出資する大阪国際平和センター(ピースおおさか)は、日本人が被害者であり加害者でもある事実を展示する数少ない公的施設である。大阪城公園のなかにあり、大阪の空襲の実相とともに、南京虐殺、細菌戦の七三一部隊などについて展示している。
 橋下徹大阪市長は、このピースおおさかを他施設と統合して、子どもが近現代史を学べる博物館を新設するという。「新しい歴史教科書をつくる会」や同会の元会員に展示内容の助言を仰ぐとしている(「読売」5月12日付)。
 侵略戦争美化の歴史博物館にするものとして懸念される。こうした企ては阻止しなければならない。
 (春)
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2012年05月30日,「赤旗」) (Page/Top

論壇時評/田代忠利/安保廃棄を視野に入れた議論を

 今月は日米安保条約にかかわる論考に注目しました。太田昌克(共同通信編集委員)「『3・11』――日米核同盟の帰結=v(『世界』)は、アメリカ原発導入の目的の一つが、「日米核同盟」のもと、核兵器持ち込みへの心理的障害の除去にあったことを実証しています。

「核ならし」へコントロール
 太田氏によると、1954年3月、ビキニ環礁の米水爆実験で第五福竜丸が被ばくし、3000万以上の原水爆禁止署名が集まったことは、「アイゼンハワー政権中枢にとって、つかみどころのない脅威」でした。そこでアイゼンハワー大統領は同年5月、「日本での米国の利益」増進の方策を研究するよう国務省に命じました。それが原子力の「平和利用」でした。
 同月国防総省は国務省に、日本への原爆の持ち込み、在日米軍基地からの核攻撃への許可を日本政府からとるよう要請しました。太田氏は、「核兵器にきわめて敏感な反応を示す日本人にいずれ核戦力配備を受け入れてもらうために、『原子力の平和利用』による『核ならし』をまず敢行することで、日本国内世論のマインドコントロールを図っていった軌跡が見えてくる」と指摘しています。
 原発導入がアメリカの核持ち込みの地ならしでもあったことは、新原昭治氏が『日米「密約」外交と人民のたたかい』でアメリカの解禁文書をもとに紹介し、「しんぶん赤旗」が連載「原発の闇」、「原発の深層」(のちに新日本出版社から出版)で解明しました。安保条約は、日本のエネルギー政策をゆがめてきたという側面からも是非が問われます。
 山田文比古(東京外国語大学教授)「沖縄『問題』の深淵」(『世界』)は、「基地問題に関し、沖縄の内部が一本化し、一枚岩になった」ことで「沖縄に対する差別であるという主張」が「沖縄全体の総意」になったといいます。山田氏はそこから、沖縄の負担を「日本全体で分担していくことこそが、真の意味での日本の安全保障につながる」と主張します。しかし沖縄の負担の根源は安保条約です。沖縄県民の大多数は軍事同盟反対です。安保を廃棄すれば沖縄と本土が対立することなく全国の米軍基地を撤去できる、そのことを視野に入れた議論が望まれます。

「決断」の政治、誰に対してか
 森政稔「独裁の誘惑――戦後政治学とポピュリズムのあいだ」(『現代思想』)は、橋下徹大阪市長の「民主主義観」に対抗しきれない政治学の一潮流を論じています。「強いリーダーシップ」を求める議論が政治学やメディアで有力ですが、森氏はそこに丸山真男の影響を見ます。森氏によると、丸山は、日本が戦争に突入したのは、政治家が官僚化し、「無責任の体系」が生まれたからだと考え、「決断と責任を有する強いリーダーシップが現れることを、戦後の民主主義にとって必須の条件と考えて」いました。森氏は、「決断する政治家がつねに責任的主体である保証はない」、ナチスの指導者は「決断」したかもしれないが、「誰に対して『責任』を負ったなどと言えるのだろうか」と反問します。
 政治家は選挙で選ばれるので責任を担えるという橋下氏の論法には、「政治家は結果がすべて、と言われるようなとき、いつ結果を出さなければならないのかが実は不確定」であり、少数者を抑圧する政治家が当選することもあるので、「選挙で勝利し支持を得ているから結果責任を果たしている、ということになるのだろうか」と批判します。引き続き「橋下政治」の反国民的内実にも踏み込んでほしいと思いました。
 資本主義国の「格差」を扱った新聞インタビューがありました。トマ・ピケティ(仏社会科学高等研究院教授)「米『1%層』が所得17%」(「読売」5月12日付)によると、アメリカでは上位10%が国民総所得の50%、上位1%は17%を得ています。ピケティ氏は、格差拡大の転機は、「レーガン米大統領とサッチャー英首相が『小さな政府』に向け、特に富裕層への大減税を実施した」ことだと指摘します。
 マイケル・J・サンデル(米ハーバード大学教授)「市場第一主義と決別を」(「日経」5月14日付)も、アメリカで過去30年「行き過ぎた『市場勝利(原理)主義』が席巻してきた」ことを問題視し、対案として家族、コミュニティー、労組など「あらゆる組織をつなぎ留め、そこに暮らす人々が確かな絆を感じ、相互に責任感を持てるような社会」を提起しています。社会的連帯をめぐる議論がアメリカでおこなわれていることは注目されます。
 (たしろ・ただとし)
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2012年05月30日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 5月初め、絵の値段の記録が塗りかわりました。ニューヨークの競売で、ノルウェーの画家ムンクの「叫び」が1億1990万jで落札されました▼約96億円。存在が知られている5枚の「叫び」のうち、1895年に描かれた1枚です。20年近く前、東京の美術館の人だかりの中で「叫び」をみた時の、鳥肌の立つような感覚がよみがえります▼その展覧会の記録をひもとくと、ムンクの日記が載っています。歩道を歩いていた。太陽は沈みかけ、突然、空の色が赤に変わる。炎の舌と血とがフィヨルドや町にかぶさるかのように。「私はそこに立ちつくしたまま不安に震え…そして、自然をつらぬく果てしない叫びを聞いた」▼人は、ムンクが描いた「叫び」を、世の不安におののくみずからの叫びに重ねてきたのでしょう。死や孤独への不安。炎と血にまみれる戦争や虐殺の恐れ。「叫び」の値打ちは、お金で計りきれません▼ことしは、競売の話題に事欠きません。1月、若いころ画家を志したナチス・ドイツ総統ヒトラーの絵「夜の海」が落札されました。3万2千ユーロは約320万円。同じ月、旧ソ連の指導者スターリンの死に顔の面(デスマスク)が落札されました。青銅製。1枚4400ポンド、約55万円でした▼戦争と虐殺にあけくれたヒトラー。大勢の共産党員や市民を殺し、一時はヒトラーと組んだスターリン。恐怖の叫び≠よびおこした独裁者のなれの果てを物語る、物珍しさが値打ちの320万円や55万円かもしれません。
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2012年05月25日,「赤旗」) (Page/Top

ドイツ敗北迫り「反ユダヤ」拍車/英・ヒトラー分析

 【ロンドン=時事】パラノイア(妄想症)だったといわれるナチス・ドイツの総統ヒトラーは、ドイツの敗北が近づくにつれ「ユダヤ人嫌い」の感情をますます強めていった―。ヒトラーの精神状態を分析した第2次大戦中の極秘文書がこのほど英国で発見され、話題を呼んでいます。
 文書は1942年4月にヒトラーが行った演説を、BBCの海外宣伝分析部門などに所属していた社会科学者マーク・エイブラムス氏らが分析して作成。ケンブリッジ大歴史学部のスコット・アンソニー博士が発見し、同大が公表しました。
 同博士は「当時戦況はドイツに不利に傾き始めており、ヒトラーはこうした事態への反応として、ドイツ国内により注意を向けるようになった。外敵との戦いに失敗したヒトラーは、代わりにユダヤ人という『内なる敵』への対処に集中するようになった」といったことが文書から読み取れると指摘しました。
 文書はまた、ヒトラーがユダヤ人をドイツへの脅威だけでなく、「普遍的な極悪非道のスパイ」ととらえていたと分析。「悪魔の化身に対する聖戦で人々を率いているという『メサイアコンプレックス(自らを救世主とみなす心理状態)』を抱いていた」としています。
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2012年05月14日,「赤旗」) (Page/Top

芸能テレビ/スポット/文学座釆澤靖起さん/忘我に病みつき

 第2次大戦中、ドイツとソ連に分割支配されたポーランド。圧政下、同国人がユダヤ人虐殺に深く関わった歴史の暗部を描く文学座公演「ナシャ・クラサ 私たちは共に学んだ」に出演します。
 支配者がスターリン、ナチスと変わる町で、ユダヤ対非ユダヤ≠フ憎悪を深める級友たち。渡米し、唯一、惨劇を逃れたアブラムを演じます。
 「想像もつかないほど重い歴史を人間ドラマとして描きたい。人がどう生き、どこで間違えたか考えてもらえたら、うれしいです」
 29歳。住宅会社に3年勤めた後、同座研究所を経て準座員。「戯曲の力を借りて人間を考えられる。こんな職業があったのかと思います」。役に集中し、「本番で忘我の境地に行けた体験」で、演劇が病みつきに。「夢にまで演出家が出るんです(笑い)
 (塚)
 *作/T・スウォボジャネク、演出/高瀬久男。18日〜6月1日=東京・文学座アトリエ。рO3(3351)7265
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2012年05月13日,「赤旗」) (Page/Top

憲法施行65周年/各地でつどい/富山/福井/新潟

緊急事態利用/改憲論を批判/富山
 日本国憲法をまもる富山の会は2日夜、富山市内で日本国憲法施行65周年記念講演会(共催・9条の会富山県連絡会)を開きました。170人が参加しました。
 伊藤真氏(伊藤塾塾長、法学館憲法研究所所長)が「憲法から、明日の日本を考える〜震災、TPP、橋下『改革』」と題して講演。「憲法に国家緊急権がないから改憲が必要」との改憲論が強まっていることについて伊藤氏は、戦前の日本での戒厳令やナチス・ドイツのヒトラーがワイマール憲法の緊急事態条項を利用して、国民を弾圧し戦争につき進んだことなどを例に、国家緊急権を盛り込むことの危険性を厳しく批判しました。
 参加した男性(33)は、「法律と違って、憲法は国家権力を制限して人権を保障するものということが、いまの時代にとってとりわけ大事だと思った。また、相手と話すとき、自分で考えて結論を出したことを事実と論理と言葉で説得していくことも自分たちにとって大切だ」と話していました。

県内九条の会30団体が共催/福井
 憲法記念日の3日、福井県内のさまざまな九条の会30団体が共催した、つどいが福井市のアオッサ8階県民ホールで開かれ、約300人が参加しました。
 福島県九条の会事務局長で福島大学名誉教授の真木實彦氏が「福島は訴える―憲法から見た原発災害」と題して講演を行いました。
 真木氏は、東京電力福島原発事故で地域も生活も生業(なりわい)も奪われ、除染の見通しも立たず、現在も16万人を超える県民が避難を強いられている福島県の深刻な現状を告発。東電と国に全責任を最後まで果たさせる視点の大切さを強調しました。
 同時に、再稼働の動きを厳しく批判し、この動きの背景には、核兵器製造に転用できる原発に対する国の「当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは保持する」との外交政策があるとし、原発推進勢力からも露骨な発言が相次いでいる問題を指摘。
 原発を推進してきた「原子力ムラ」の解体と「熟議民主主義」の大切さを訴えました。
 参加者からは「なぜ再稼働を急ぐのか、その背景を初めて知った」などの感想が出ていました。

亀田九条の会/集会開き鼎談/新潟
 新潟市江南区の亀田地区憲法9条を守る会は3日、区内で集会を開き、3氏による「憲法鼎(てい)談」を行いました。
 弁護士の中村洋二郎氏は、憲法9条や25条(生存権)などの日本と世界の宝ともいえる憲法の条文を紹介しながら、ワーキングプアや生活保護切り下げ、水俣病患者切り捨てなどの憲法を無視する現状を批判。秘密保全法制定や国会議員定数削減など民主主義に反する動きも指摘しながら、憲法は改憲勢力とのせめぎ合いに打ち勝ってこそ守り抜くことができると訴えました。
 元航空管制官の江端正樹氏は、憲法と日米安保条約が相いれない中で存在する異常さを指摘しながら、安保条約にもとづく地位協定によって米軍機が日本の航空法の適用をうけないことから低空飛行を続けている危険性を指摘。「不平等条約をいつまでも続けてはならず、一日も早くアメリカにきちんとものが言える政治実現を」と訴えました。
 県仏教会長の加藤朝雄氏は、戦争になれば人を殺したり、強奪することも手柄になり価値観が逆転する恐ろしさを指摘。紛争を武力でなく、平和的に解決をはかる憲法を守っていく重要性を強調しました。
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2012年05月10日,「赤旗」) (Page/Top

憲法に基づく政治を/施行65周年/岐阜市で講演会

 憲法施行65周年記念岐阜講演会が3日、岐阜市の長良川国際会議場で開かれました。
 約300人が参加し、小沢隆一氏(東京慈恵会医科大学教授・憲法学)の「憲法から考える表現の自由と民主主義」と題する講演に聞き入りました。主催は同実行委員会。
 実行委員長の近藤真氏(岐阜大学教授)は「今年は安保とサンフランシスコ平和条約から60年、沖縄返還から40年です。野田政権の消費税増税やTPP(環太平洋連携協定)問題、橋下徹大阪市長のようなファシズムを許さず、共に打開の道を考えたい」とあいさつしました。岐阜・九条の会代表世話人の吉田千秋氏が連帯あいさつしました。
 小沢氏は「表現の自由は民主主義の基礎。私たちが日々しっかりと表現の自由を行使して、マスコミのいかがわしい報道にも負けないしっかりとした視点を持つことが大切」だと強調。大阪市長が市職員に対して行ったアンケートと称した「思想調査」や、政府が狙っている「秘密保全法案」などの危険性を指摘し、「市民が政治参加とその意欲を阻害する制度があちこちにあり、表現の自由と民主主義が脅かされている。市民の政治活動の自由で憲法に基づく政治を実現させよう」と呼びかけました。
 多治見市でバンド活動をしている大野弦さん(27)は「原発反対や9条を守ろうと声を出した結果、仕事をやめる選択をするこの日本は、表現の自由が保障されていない。僕も歌いたいことを歌えるよう憲法をしっかり守っていきたい」と話しました。
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2012年05月08日,「赤旗」) (Page/Top

憲法を暮らし・復興に/各地で催し/北海道/青森/岩手/秋田/宮城/山形

 憲法記念日の3日、北海道・東北の各地でも、憲法を守り生かそうとの集会や行動がとりくまれました。

北海道
 「2012憲法を語ろう! 道民集会」が札幌市中央区内で開かれ、400人が参加しました。
 安保破棄北海道実行委員会の畠山和也代表委員が主催者あいさつし、「危機に立つ憲法と民主主義」と題して、日本弁護士連合会憲法委員会事務局長の藤原真由美弁護士が記念講演しました。
 藤原弁護士は、2007年に成立した改憲手続き法から今に至る憲法改悪の動きにふれました。今年4月決定した自民党の「憲法改正原案」について、天皇の元首化や震災などでの国の対応の遅れなどを口実とした緊急事態条項の新設、憲法改正の発議要件を衆参の過半数の賛成に緩和するなどの内容を詳述すると、会場から驚きの声が何度も上がりました。
 全石狩札幌教職員組合委員長の神保貴幸さんは道教育委員会が3月、退職・臨時教員などに行った服務実態調査の不当性を告発、北海道生活と健康を守る会連合会副会長の細川久美子さんが札幌市白石区の姉妹孤立死事件について特別報告しました。
 ◇
 北海道江別市の九条の会10団体でつくる「憲法9条を考える江別実行委員会」は、野幌公民館で講演会を開きました。
 江別子どもと教育を考える会の宮田汎(ひろし)事務局長が「原発と安保、フクシマとオキナワ」と題して講演しました。
 宮田氏は、横須賀港を母港とする原子力空母ジョージワシントンは原発2基を持っていて、現に冷却水を放出していると話し、「大地震があったら日本の心臓部が壊滅する危機も抱えている現実を見過ごしては大変。安保廃棄、米軍基地撤去は原発ゼロのたたかいに結びつきます」と述べました。
 集会のあと、参加者は江別中心街をピース・ウオークしました。
 ◇
 建設が凍結されている電源開発の大間原発(青森県大間町)について考える「何が問題? 函館・道南はどうなるの? 市民法廷」が函館市で開かれ、400人以上が参加しました。
 大間原発建設差し止め訴訟で原告代理人を務める弁護士らが大間原発の問題点を説明し、「フルMOX燃料の大間原発で事故が起これば道南の被害は甚大です」と指摘しました。
 「原告」の意見陳述では福島から函館市に避難している小松幸子さんが「対岸には大間原発があり、どこまで逃げても原発はつきまとう」と話し、大間町の奥本征雄さんは「賛成と反対で親戚も友人も引き裂かれ、町の祭りも心から仲良くできない」と訴えました。

青森
 「戦争いやだ、憲法守れ!県民の会」(憲法ネット青森)は、青森市で集会を開きました。雨の中、60人が参加。日本共産党の高橋ちづ子衆院議員もかけつけ、連帯のあいさつをしました。
 代表委員で県労連議長の奥村榮氏が、憲法をめぐる情勢にふれながら、憲法を守る運動の発展を呼びかけました。
 6団体の代表がリレートークでそれぞれの立場から、憲法を守る決意を表明。
 「憲法を生かし、いのちとくらし、平和と民主主義を守る運動を県内各地で展開しよう」というアピールを採択しました。

岩手
 岩手県では盛岡市のプラザおでってで憲法記念日のつどいが開かれ、91人が参加しました。福島大学前学長の今野順夫(としお)氏が「日本国憲法の視点から復旧・復興を考える」と題して講演しました。
 今野氏は、被災地では過疎高齢化が進み、交通機関などの社会資本が立ち遅れ、医療・福祉介護のサービス体制が不十分だったために、被害が深刻化したと指摘しました。
 岩手憲法会議、いわて労連、自由法曹団、県革新懇、憲法改悪反対共同センター、県平和委員会が主催しました。
 ◇
 岩手県釜石市では、「憲法記念日・釜石のつどい」が釜石ベイシティホテルで開かれました。
 DVD「どうするアンポ〜日米同盟とわたしたちの未来〜」を上映、観賞し、「私たちのねがいと憲法」のテーマで語り合いました。

秋田
 憲法改悪反対秋田県センターは、秋田市文化会館で第34回平和憲法をまもる県民集会を開き、全県から500人が参加しました。
 主催者あいさつした虻川高範同センター代表は、震災復興を口実とした改憲論の活発化にふれ、「(改憲論には)自由、平等、生存権、社会保障などへの言及がないのが特徴だ。いま求められているのは、家、家族、故郷を奪われた人たちの権利や人権を守ることだ。憲法を暮らしに生かす運動を続けよう」と訴えました。
 石川康宏神戸女学院大学教授が「人間の復興か、資本の論理か 3・11大震災後の日本」と題して講演しました。
 「あきた年金者ボランティアの会」メンバーが、被災地支援の活動を報告しました。

宮城
 宮城県では、仙台市国際センターで「憲法を活(い)かす県民集会」が開かれ、集会アピールを拍手で採択しました。
 主催者を代表して県憲法会議の安孫子麟代表委員は、震災後強まってきた改憲運動に警戒し、憲法を守り、生かす運動を広げようとあいさつしました。
 フリールポライターの鎌田慧氏が講演し、危険な原子力発電所が広範囲な周辺住民の居住権を侵害していると強調。原発は核兵器技術の商業利用で、マスコミを使って平和利用というフィクションを日本に定着させたものだと批判しました。

山形
 山形県では、青年法律家協会山形県支部など6団体が山形市内で「憲法を考えるやまがた集会」を開きました。大阪弁護士会の増田尚弁護士を講師に招いて、橋下徹大阪市長による思想信条と人権侵害の状況を聞き学習しました。
 増田弁護士は、橋下市長が当選直後から、労働組合適正化条例、職員基本条例、教育基本条例などをつくろうとしているが、「共通するのは自分に反対する者は許さないというファシズム、独裁が基本姿勢」だと厳しく批判しました。
 橋下市長と「大阪維新の会」による「維新塾」について増田弁護士は、大阪でやっていることを全国に広げようとするもの。国のあり方を根本から変えていこうとする危険なものであり、これを利用しようとする勢力もあると指摘。憲法に保障された権利を守り日本国憲法の意義を考えてほしいと述べました。
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2012年05月08日,「赤旗」) (Page/Top

石子順のにちようシネマ館/ある秘密(仏)

 1985年、失踪した老父を探していてフランソワ(マチュー・アマルリック)は少年時代を思い出します。55年、フランソワが古いぬいぐるみを見つけると母(セシル・ドゥ・フランス)と父(パトリック・ブリュエル)は困惑します。62年、両親の古い友人ルイズから両親の秘密を聞くフランソワ…。
 現在と過去とがまざりあってナチス・ドイツに協力したヴィシー政権下でのユダヤ人の生と死が浮かびあがってきます。フランソワは、両親の強さと自分の分身のような存在とを知ります。死んだ者の悲しみと生き残った者のつらさ―。肉親の多くを強制収容所で失ったユダヤ系のクロード・ミレール監督が、人気小説をもとに忘れられない時代を新しい切り口で刻みました。
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2012年05月06日,「赤旗」) (Page/Top

インタビュー憲法を生かす/憲法研究者小沢隆一さん/憲法的市民感覚で維新批判

 橋下徹大阪市長率いる「大阪維新の会」が「決定できる民主主義」を掲げて国政進出を目指しています。
 民主、自民の二大政党が、国民の世論を無視した政治を続けて決定力を失い、政争・政局を繰り返し、「決定も、実行もできない不毛な政治」という国民の不満が拡大しています。そうした中で「決定できる民主主義」というスローガンは、決定の内容や方向性を不問にしてさまざまな国民の期待を寄せ集めやすい便利な押し出し文句です。

恐るべき攻撃
 しかし実際にやっているのは、思想調査や「君が代」斉唱の口元チェックなど、恐るべき人権侵害、憲法攻撃です。
 歴史のさまざまな局面で、議会運営が行き詰まるなか、政治的パフォーマンスで市民を引き寄せ、強権政治が台頭することはありうるし、現にありました。ワイマール憲法下のドイツがひとつの典型で、ベルサイユ条約の重圧と世界大恐慌による経済混乱を前にして各党が拮抗する議会が対応できない中、民族主義を扇動するナチスが急速に台頭しました。
 このような状況で問われるのは、民主主義の断片的な強調に対し、憲法全体をとらえ直すことで、その主張のおかしさをしっかりつかむことではないか。
 例えば橋下氏は、住民に直接選ばれた首長は「白紙委任」を受けると主張しますが、知事、市長にはそれぞれ憲法が与えた範囲内の権限という制約がかかっています。憲法尊重擁護の義務もあり、多数決で決めたとしても、憲法に反する人権侵害は許されないことは当然です。思想調査は言語道断で、特に内心の自由の侵害は絶対に許されない。

そもそも論を
 ところがそういう基本的問題についての一般マスコミや市民の反応に鈍いところがあります。「これは違うぞ」という憲法的市民感覚をどこまでしっかり形成できるか、今こそ憲法のそもそも論が必要になっています。
 「9条の会」が草の根に広がったときは、「憲法は権力者の手を縛るものだ」という立憲主義の基本が、改めて感銘をもって受け止められ、幅広い人々の結集の土台になりました。そこまで築いた貴重な体験を、ここでもう一歩前に進めたい。とりわけ、自由と民主主義をともに豊かにしていくという視点が重要ではないかと思います。
 橋下氏の攻撃目標の焦点は、教育と公務員制度にあります。
 教育をめぐっては、親の持つ教育権を、専門家である教師集団が直接引き受け、最も良い教育は何であるか、教育内容を学識に基づき自治的・自律的に決めていくという原理の再確認が重要です。
 こんにちの公務員は、国民生活の安全や社会保障など人権保障の上で重要な役割を担っています。公務員の削減は人権保障の低下を引き起こします。政治家の勝手な思惑で人権保障を担う専門性をもった公務部門が破壊されないよう、その政治的中立性と自律性を確保することが重要です。
 (中祖寅一)

 おざわ りゅういち 1959年東京生まれ。著書に『ほんとうに憲法「改正」していいのか』(学習の友社)など。
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2012年05月05日,「赤旗」) (Page/Top

4月本文)

アメリカ・財界中心£fち切ればどんな展望が開けるか/志位委員長の訴え/要旨

 日本共産党の志位和夫委員長が21、22両日、静岡市と名古屋市でそれぞれおこなった演説「アメリカ・財界中心£fち切ればどんな展望が開けるか」の詳報を紹介します。

 2009年の政権交代から2年半――。冒頭、志位氏は、環太平洋連携協定(TPP)参加や消費税10%への大増税に突き進む民主党政権について「いまや自民党以上の自民党的政権≠ノ落ちぶれた」と厳しく批判し、次のように語りかけました。

 志位 なぜこうなったのか。それは、民主党政権が、アメリカいいなり・財界中心≠ニいう古い政治の「二つの害悪」に縛られ、そこから抜け出すことができなかったからです。「政治を変えてほしい」という国民の願いにこたえようとすれば、「二つの害悪」を断ち切る改革に踏み出す必要があります。そういうホンモノの改革を進めたら、どんな展望が開けるか。今日は、私たちの日本改革のビジョンをお話しします。

「原発ゼロの日本」への展望――財界中心の政治≠断ち切ってこそ

 まず志位氏は、「財界中心の政治≠ゥら転換するとどんな展望が開けるのか」について、原発再稼働と消費税大増税の二つの大問題にかかわって明らかにしました。
 原発の問題では、関西電力大飯(おおい)原発の再稼働をめぐって政府が決めた「安全新基準」を厳しく批判し、こう指摘しました。

 志位 だいたい、福島原発の事故原因の究明もできていない、いまなお16万人もの人々が避難生活を強いられ事故収束の見通しもない、原子力に対するまともな規制機関もない、事故が起きたときの住民避難計画もない、「ないない」づくしです。私は、国民を危険にさらす再稼働の押し付けをただちに中止することを要求します。「政治判断」というなら、「原発ゼロの日本」への政治決断こそおこなうべきです。想定震源域の真上にたち、「世界一危険」といわれる浜岡原発はただちに廃炉の決断をせよ――このことを一緒に求めていきましょう。

 政府の再稼働への暴走の背景には何があるのか。志位氏は、5月5日に北海道の泊原発が停止すれば「原発ゼロ」となり、そのまま電力需要のピークになる夏を過ぎれば原発なしでもやっていけることがばれてしまう――これを避けたいという政府の「よこしまな政治的思惑がある」と指摘するとともに、つぎのように続けました。

 志位 圧力をかけたのは誰でしょう。日本経団連です。経団連は、昨年11月に「エネルギー政策に関する第2次提言」を発表し、そのなかで原子力は、電源のなかで「基幹的役割を担ってきた」「再稼働が非常に重要」といっています。
 「基幹電源」という同じ言葉が、政府閣僚の口からも出てきました。枝野幸男経産相は福井県知事との会談で、「これまで基幹電源として電力供給を担ってきた原発を、今後も引き続き重要な電源として活用することが必要だ」と言いました。一時は、「脱原発依存」と言ってきた民主党政権ですが、ここには「原発=基幹電源」という財界の圧力に屈した惨めな姿があるではありませんか。
 これは、財界いいなりでは国民の命と安全は守れないことを示しているのではないでしょうか。財界中心の政治≠断ち切ってこそ、「原発ゼロの日本」への展望が開けます。その願いを託せるのは日本共産党です。

消費税に頼らない道――「財界権益」に切り込む立場に立ってこそ

 つづいて、消費税大増税問題に話を進めた志位氏。国会論戦を通じて浮き彫りになった消費税大増税の「四つの害悪」――@暮らしと経済をどん底に突き落とす、A財政危機をさらに深刻にする、B「貧困と格差」に追い打ちをかける、C社会保障改悪との「一体改悪」――について、自身の国会論戦の体験もまじえて明らかにし、「消費税大増税の道は、国民にたいへんな苦難を強いるだけではない。暮らしも経済も財政も壊す先のない道です。消費税に頼らない別の道を真剣に探求する必要があります。日本共産党は、『社会保障充実、財政危機打開の提言』を明らかにしています」とのべました。
 志位氏は、@「社会保障の段階的充実」をムダ遣いの一掃と応能負担の原則にたった税制改革によって進める、A「国民の所得を増やす経済改革」――という二つの柱の改革を同時並行で進めるという、党の「提言」の特徴を詳しく説明し、つぎのようにのべました。

 志位 二つの柱の改革によって、10年後には年間で約40兆円の新たな財源が生まれ、このお金で、社会保障と暮らしを充実させ、財政危機打開も進めようというのが日本共産党の「提言」です。いま税収(国と地方)は年間で約70兆円から80兆円にまで落ちています。しかし、「提言」を実行すれば10年後には、税収が約1・5倍になります。それだけの力を日本経済は持っているのです。この力を引き出そうというのが日本共産党の「提言」です。財界中心の政治≠断ち切れば、そういう展望が大きく開けてきます。

 「提言」は、各地の経済懇談会で、「財源が具体的で現実的。一つとして無理というところがない」(経済学者・山家=やんべ=悠紀夫氏)、「消費税増税に反対する根拠がわかりやすくまとまっている。経営者は必読だ。二大政党の劣化のなかで、第3の政党はどこにあるか。その位置にあるのが共産党だ」(日本商工連盟大阪地区代表世話人・小池俊二氏)など、専門家や保守の立場の人からも高い評価を得ています。

 志位 この「提言」は、山家さんが評価してくださったように、「一つとして無理というところがない」、同時に、こういう提案をできるのは日本共産党しかありません。財界・大企業の横暴とたたかう党ならではの提案だということを強調したいと思います。
 先日、BSテレビに出演する機会がありました。「提言」について話しますと、富裕層と大企業に応分の負担をという方針について、司会者が、「日本経団連がみたら目をむいて怒りそうですね」といいました。「たしかに財界は抵抗するでしょう」と答えました。
 大企業は、消費税を全て販売価格に転嫁できますから、1円も払っていません。それどころか輸出大企業には「輸出戻し税」といって、仕入れにかかった消費税を税務署が輸出業者に「返す」という仕組みがあり、場合によっては、消費税で逆に「もうかる」場合さえあります。財界にこれだけ甘い税金はありません。この「財界権益」に正面から切り込んでこそ展望が開けます。
 この「提言」は、党をつくって90年、企業・団体献金をびた一文受け取ってこなかった日本共産党ならではの提案なのです。消費税に頼らなくとも社会保障を充実し、財政危機を打開する別の道がある――ここに大いに確信をもって、消費税増税法案を廃案に追い込むためにがんばろうではありませんか。

NHKの世論調査――「日米同盟基軸」論を国民は乗り越えつつある

 つぎに志位氏は、「アメリカいいなり政治≠断ち切ると、どんな展望が開けてくるか」について語りかけました。
 普天間基地問題、TPP問題という二つの熱い焦点について、日本共産党の立場を詳しく解明するとともに、つぎのように続けました。

 志位 沖縄の米軍基地問題でも、TPP問題でも、「こんなアメリカいいなりの政治でいいのか」ということが、問われています。それぞれで一致点にもとづく共同を大切にしながら、その根源にある日米安保条約の是非を国民的に問うべき時期に来ているということを、私は、訴えたいのです。
 興味深い世論調査があります。NHKがおこなった「日米安保のいま」(2010年)という世論調査です。「日米安保は役立っているか」という問いには、「役立っている」「どちらかといえば役立っている」の合計で72%という数字が出ています。
 ところが、「これからの安全保障体制(をどうするか)」という問いには、「日米同盟を基軸に、日本の安全を守る」と答えたのはわずか19%、「アジアの多くの国々との関係を軸に、国際的な安全保障体制を築いていく」とした人が55%、「外交によって安全を築いていく」とした人が12%で、合計67%にのぼっています。他の党は「日米同盟を基軸」と頭から思い込んでいますが、そんな考え方を国民は乗り越えつつある。そのことが、この世論調査にあらわれています。

安保条約をなくしたら、どういう展望が開けてくるか

 こう指摘した志位氏は、「安保条約をなくしたらどういう展望が開けるか。少なくとも三つのことがいえます」とのべました。

米軍基地の重圧から日本国民が一挙に解放される
 第一は、「米軍基地の重圧から日本国民が一挙に解放される」ということです。

 志位 安保条約のもとでは、普天間基地一つでも日米合意がないと動かせません。ところが、安保条約をなくすのは、条約の第10条にそくして、どちらか一方の国が通告すれば、1年後にはなくすことができるのです。日本国民の意思がまとまれば安保条約はなくせます。そうすれば日本国民は基地の重圧から一挙に解放されます。
 09年に嘉手納町にうかがったさい、当時の宮城町長から、「普天間基地が『世界一危険』というが、嘉手納基地も『世界一危険』です。安保条約の是非に関する新たな議論を巻き起こしてほしい」ということを言われました。たしかにアジア最大の巨大空軍基地を動かそうと思ったら、安保をなくすことが早道ではないかと実感しました。
 曲がりなりにも独立国に、半世紀以上にわたって、外国軍の基地が置かれ、しかも海兵隊と空母という海外への「殴りこみ」専門の部隊が置かれ、この状態を異常と感じない政治が異常です。

日本が戦争の震源地から、9条を生かした平和の発信地に変わる
 第二は、「日本が米国の戦争の震源地から憲法9条を生かした平和の発信地に変わる」ということです。

 志位 安保をなくせば、日本から「大軍縮の波」が起こります。4万から5万の兵力を持つ在日米軍がいなくなる。自衛隊の抜本的な軍縮にも踏み出すことができるでしょう。日本から率先して「大軍縮の波」を起こしたらどうなるか。中国や東南アジアの国々にたいしても、「ともに軍縮に進もう」と平和のイニシアチブをとることができるではありませんか。

 志位氏は、「それでは日本の安全保障をどうするのか」と問いかけ、「国民世論はその方向を示しています。さきに紹介したNHK世論調査に示されたように、『アジアの多くの国々との関係を軸に、国際的な安全保障体制を築いていく』――この方向で知恵と力をつくすことが大切です」と強調し、つぎのように続けました。

 志位 これは決して理想論ではなく、東南アジアに見習うべき実例があります。この地域には、かつて米国中心の軍事同盟――SEATO(東南アジア条約機構)がありました。東南アジアの一部の国は、アメリカの側に立ってベトナム侵略戦争に参戦しました。ベトナム戦争でのアメリカの敗北と撤退の後、軍事同盟によっては平和や安定は守れないとの反省からSEATOは解消されました。
 軍事同盟が解消されるもとで、東南アジアの国々はASEAN(東南アジア諸国連合)を発展させることに努力をそそぎました。これは、軍事同盟と違って、仮想敵を設けず、外部に開かれた平和の地域共同体です。紛争が起こっても戦争にしない――平和的・外交的解決に徹することが、ASEANの根本精神とされています。米国との関係は、対等・平等の友好関係がつくられています。中国とも友好関係が築かれ、南シナ海での領有をめぐる紛争があっても平和的・外交的に解決する「南シナ海行動宣言」がつくられ、さらに法的拘束力のある「行動規範」の合意にむけて交渉を続けるなど、紛争を拡大しない仕組みづくりにとりくんでいます。
 東南アジアでつくられている平和の地域共同体を、北東アジアにも広げようというのが私たちの提案です。北東アジアには、北朝鮮問題など難しい問題もあります。北朝鮮はいろいろな問題を抱えた国であり、国際社会の合意を無視した行動には厳しい批判が必要ですが、「この地域で絶対に戦争をやってはならない」というのは、どの国も共通の思いだと思います。それならば、どんな問題も平和的・外交的に解決するしかありません。困難はあっても、「6カ国協議の共同声明に立ち戻れ」という声をあげて、この枠組みのもとで、「非核の朝鮮半島」をつくり、さらにこの枠組みを、北東アジアの平和と安定の仕組みへと発展させるという努力が大事ではないでしょうか。憲法9条を生かした平和外交、道理にたった自主・自立の外交で、日本の安全保障をはかるというのが日本共産党の立場です。

 志位氏は、さらに、「安保条約をなくせば、世界的問題でも、平和のイニシアチブがとれるようになる」として、米国の「核の傘」から抜け出し、被爆国の政府として「核兵器のない世界」へのイニシアチブを発揮できるようになるとの展望を語りました。

日本の経済主権を確立するたしかな保障がつくられる
 第三は、「日米安保をなくせば、日本の経済主権を確立するたしかな保障がつくられる」ということです。
 志位氏は、「経済面でも、アメリカいいなり政治≠ナ、どれだけ日本経済がゆがめられてきたか」について、農産物の輸入自由化、「原発列島」にされた経緯、金融政策での従属、労働の規制緩和などについて言及。つぎのように続けました。

 志位 日米安保をなくせば、日本経済をあらゆる面でゆがめ、国民を苦しめてきた経済の面でのアメリカいいなり≠根本から断ち切ることができます。日本経済が生き生きとした自主的発展の道を進むことができるようになります。
 地球環境の問題、投機マネー規制の問題など、世界で問題になっている経済問題でも、日本がイニシアチブを発揮し、民主的な国際経済秩序をつくるうえでの貢献もできるでしょう。
 日米安保条約をなくせば、これだけの素晴らしい展望が開けてきます。アメリカとの関係も、日米安保条約に代えて日米友好条約を結ぼうというのが、私たちの方針です。自主独立と平和の新しい日本への道を、ご一緒に切り開いていこうではありませんか。

橋下「大阪維新の会」の正体――人権と民主主義守る共同を

 志位氏が最後に取り上げたのは、「二大政党」に国民がうんざりし、巨大メディアが「既成政党はみんなだめ」などとキャンペーンするもとで出現してきた、橋下・「大阪維新の会」の動きです。
 国政進出を狙う同会が出した「維新八策(レジュメ)」について、小泉「構造改革」をより極端にした競争至上主義、憲法9条改憲論、「日米同盟基軸」論など「手あかのついた古い政治が八つ並んでいるだけです」と指摘しました。
 同時に、「この潮流は、民主主義を窒息させる恐怖と独裁の政治、ファシズムにつながる異質の危険を持った流れだということを正面から捉える必要があります」とのべました。
 橋下市長が市の職員におこなった違憲・違法の「思想調査」について、「住民福祉の機関である市役所を、住民を監視する秘密警察的な機関にするもの」ときびしく批判。橋下氏が、大阪市でも成立を狙う「教育基本条例」や「職員基本条例」の問題点を明らかにし、「公務員は『すべての国民の奉仕者』です。『公僕』であるべき公務員を、橋下市長の『下僕』にかえてしまうことは許せません」と告発しました。
 さらに岸和田市の府立高校で、卒業式の「君が代斉唱」の際、教職員が歌っているかどうかを、校長が口元をチェックするという事件にも言及した志位氏。「無理やり歌わせるのは、その人の人格を丸ごと支配下におこうという独裁・恐怖政治以外の何物でもありません」と指弾したうえで、こう訴えました。

 志位 「維新の会」はこの恐ろしいやり方を、法律にして全国に広げると公言しています。日本共産党は、党をつくって90年、戦前の暗黒の時代でも、命がけで反戦平和と民主主義の旗を掲げ続けた政党として、民主主義破壊の反動的潮流の野望を打ち砕くために知恵と力を尽くす決意です。人権と民主主義を守るために、力を合わせましょう。

民主連合政府の樹立にむけた第一歩を踏み出す躍進を

 演説の最後に、志位氏はつぎのように訴えました。

 志位 お話ししてきたように、アメリカいいなり≠ニ財界中心≠ニいう「二つの害悪」を断ち切る大改革を進めれば、日本のいまの行き詰まりを打開して、素晴らしい希望と展望が開けてきます。
 私たちは、来るべき総選挙で、そうした大改革を実行して、「国民が主人公」の新しい日本をつくる政府――民主連合政府の樹立に向けた第一歩を踏み出す躍進をかちとるために全力をつくします。どうか「政治を変えたい」というみなさんの願いを、ホンモノの改革の党――日本共産党に託してください。
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2012年04月27日,「赤旗」) (Page/Top

近畿は一つ、衆院4議席必ず/ブロック後援会/参加者の声

二つの政治悪語る/経済「提言」を若者に/橋下独裁にストップ/保守との共同に力
 結成総会に出席した各府県の単位・分野別後援会代表から「来るべき総選挙で近畿の果たす役割が重要だと実感した」との感想が相次ぎました。
 兵庫県の尼崎後援会会長の三木俊一さん(80)は「有権者に対米従属と財界・大企業の横暴支配の『二つの政治悪』を話すのは難しいですが、市田さんの話を聞いて、日米安保を深くつかんで語りたいと思います」。
 今年4月から京都府委員会青年・学生部に勤める山本裕太さん(22)=上京区=は「若い人が元気で生きていくうえで雇用を重視しています。誰が見ても実効性がある党の経済『提言』を伝えていきたい」といいます。
 党を語る「つどい」に取り組みたいという、同府亀岡市後援会事務局長の山木潤治さん(70)は「近畿ブロックを先頭に、全国を励ますことが非常に大事だと感じました」とのべました。
 大阪市の新日本婦人の会中央支部内後援会アトムクラブ副会長の山内紘子さん(67)は「4人のすばらしい比例候補を勝たせないといけません。橋下市長のファシズムを許さず、女性パワーをもっと生かしていきたい」と意気込みます。
 奈良県の業者後援会会長の竹花祥隆さん(72)は、近畿の業者後援会の結成を各府県に呼びかけたいとのべ、「消費税は価格に転嫁できず、中小業者は商売ができません。今から自分たちの選挙としたい」。
 「近畿にいるからこそがんばらなあかんと思いました」と話すのは須田和子さん(44)=大阪市=です。「若い人の中にも声をつくっていって、身近に政治を感じられるようにしていかないと」
 京都府精華町から参加した小坂勝之(69)さんは「保守層との共同に力を入れていきたい。今日の報告のように、1600のニュースを倍にできたら」と話します。
 大学4年生の女性=滋賀県彦根市=は「橋下市長で何が影響するのかわかっていなかったけれど、市田さんの話で危険さがわかりました」と語り、「民青同盟や若い仲間と一緒に危ないと考えていることを訴えていきたい」と語りました。
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2012年04月24日,「赤旗」(Page/Top

近畿が党躍進の先頭に/市田氏講演/ブロック後援会結成

 日本共産党近畿ブロック後援会連絡会は22日、大阪市内で結成総会を開き、次期総選挙勝利へ向け、党の大きな役割を占める近畿での後援会活動を発展させようと決意を固めあいました。
 市田忠義党書記局長がかけつけて講演。同ブロックの穀田恵二、宮本岳志両衆院議員、清水忠史、堀内照文各衆院比例候補と、山下芳生参院議員、大阪、京都、兵庫、滋賀、奈良、和歌山の2府4県の後援会員270人余が参加、熱気があふれました。
 講演で市田氏は、近畿ブロックの得票や党の勢力は日本トップクラスだと語り、「近畿の動向が日本全体の共産党の消長を決める。誇りと同時に責任を感じて頑張ろう」と呼びかけました。
 総選挙に向けた論戦上の考え方について、経済と外交の二つの角度から示し、「財界・米国いいなり政治の大本を変えようとしているのは日本共産党だけだと確信を持ち、現状の告発と同時に、打開の展望を語っていこう」と訴えました。
 橋下・「維新の会」とのたたかいについて、市田氏は「国民の閉塞(へいそく)感に乗じた反動的な逆流だ。その震源地が大阪であり、近畿だ」と指摘。極端な新自由主義と9条改憲、強権政治を告発し、「ファシズムに導く異質の危険に勇気を持って立ち上がる党は日本共産党しかいない。この近畿こそ党躍進の先頭に」と党と後援会の奮起を強調しました。
 清水候補は「4議席を獲得するため、近畿のみなさんと力をあわせて頑張りぬきます」と力を込め、堀内候補は「党の前進で明るい未来を築いていく第一歩を踏み出したい」と表明しました。
 宮本議員は「中等・高等教育の段階的無償化が、31年の長期にわたる父母や教職員の粘り強いたたかいで前進した」と報告しました。
 穀田議員は「党の力を大きくして何がなんでも勝ち抜き、国民に責任を果たしたい。日本の夜明けは近畿から」と訴えました。
 山口勝利近畿ブロック責任者(党大阪府委員長)があいさつ。2府4県の後援会代表が活動を交流しました。
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2012年04月23日,「赤旗」) (Page/Top

党躍進で「二つの害悪」断ち切る大改革を/志位委員長、日本改革のビジョン示す

 日本共産党の志位和夫委員長は21日の静岡市内での演説で、「日本改革のビジョン」を示し、党躍進を力強く訴えました。
 冒頭、志位氏は「財界中心の政治からの転換」を、大きく二つの問題から訴えました。
 一つは、原発の再稼働問題です。志位氏は、大飯原発の再稼働をめぐって「安全新基準」など取り繕いの対策を、政府が「政治判断」で決めたことを厳しく批判しました。これら政府の暴走は「原発=基幹電源」という財界の圧力に屈したものだと指摘。「財界いいなりでは国民のいのちは守れない。財界・大企業の身勝手な横暴と正面からたたかう姿勢があってこそ『原発ゼロの日本』への展望が開けます。その願いを日本共産党に託してください」と訴えました。
 もう一つは、消費税大増税問題です。政府の大増税計画は「暮らしも経済も財政も壊す行き詰まりの道だ」と明らかにしたうえで、消費税に頼らず、社会保障を充実させ財政危機打開をすすめる別の道―党の「提言」を示しました。
 消費税について「大企業は1円も負担せず、逆に『もうかる』場合さえある。こんな財界・大企業に甘い税金はありません。この『財界権益』に正面から切り込んでこそ展望が開けます。日本共産党ならではの提案に確信をもち、増税法案を廃案に追い込もう」と呼びかけました。
 「アメリカいいなり政治からの転換」に話を進めた志位氏。米軍普天間基地問題、環太平洋連携協定(TPP)参加問題の中心点を解明するとともに、「根本にある日米安保条約の是非を国民的に問うべき時期に来ています」と提起しました。
 志位氏がふれたのは「日米安保条約のいま」をテーマにしたNHK世論調査。「これからの安全保障体制をどうするか」の問いに、「日米同盟を基軸」としたのはわずか19%、「アジアや多くの国々との関係を軸に」「外交によって安全を築く」としたのは合計67%でした。
 志位氏は「『日米同盟基軸』論を国民は乗り越えています」と強調し、日米安保条約をなくせば三つの展望が開けてくると訴えました。
 第一は、米軍基地の重圧から日本国民が一気に解放されることです。「日米合意がないと普天間基地一つ動かせないが、安保条約をなくすのは一方が通告すれば1年後にはなくなるのです。日本国民の多数意思がまとまれば安保はなくせます」と強調しました。
 第二は、日本が戦争の震源地から憲法9条を生かした平和の発信地になることです。日本から「大軍縮の波」が起きることを示し、日本の安全保障は平和の地域共同体を北東アジアに広げ、9条を生かした平和外交で図るという道筋を明らかにしました。
 第三は、経済主権を確立する確かな保障がつくられることです。志位氏は農産物の輸入自由化など日本経済をゆがめてきた経済面での対米従属から解放されると力説。「日米安保条約をなくし、自主独立と平和の新しい日本を切り開きましょう」と訴えました。
 最後に志位氏は「二大政党」に国民が失望し、巨大メディアが既成政党#癆サを展開するもとで出現してきた「大阪維新の会」の動きにふれました。
 同会の政策・「維新八策」について、小泉「構造改革」をより極端にした競争至上主義など、「手あかのついた古い政治を八つ並べただけです」と指摘。他方で、「思想調査」を実施するなど「民主主義を窒息させる恐怖と独裁の政治で、ファシズムにもつながる異質の危険をもっている」と強調しました。
 「戦前の暗黒時代から民主主義の旗を降ろしたことのない歴史にかけて許さず、この反動的逆流を打ち砕こう」と呼びかけました。
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2012年04月22日,「赤旗」) (Page/Top

波紋/独著名作家のイスラエル批判/言わねばならない

 小説「ブリキの太鼓」で知られるノーベル文学賞作家、ギュンター・グラス氏のイスラエル批判が同国内外で波紋を広げています。
 「言わねばならないこと」と題されたグラス氏の詩は、4日に南ドイツ新聞などに掲載されたもの。
 詩では、「なぜ私は今、言うのか? 核保有国であるイスラエルがそうでなくてももろい世界平和を危険に陥れているからだ」とイスラエルによるイラン攻撃が現実的になっていると告発。イスラエルへの批判がドイツではタブーとされ、長い間、沈黙をしてきたが、「明日では遅すぎる」と詩を書いた動機を説明しています。また、ドイツのイスラエルへの潜水艦引き渡しも、「間違った罪の償い方だ」と批判しました。

事実上タブー
 第2次世界大戦でのナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)以来、イスラエル批判は同国の事実上のタブーとなってきました。イスラエルと外交関係を結んでからは、ドイツの外交目標の一つは「イスラエルの生存権の擁護」。メルケル首相が2008年にイスラエルを訪問したときにも、「ドイツはイスラエルの安全に責任を持つ義務がある」と表明しました。こうした政治文化の中での、ドイツの誇る人気作家の爆弾発言≠セけに賛否両論が噴出しました。
 イスラエルのネタニヤフ首相は「イスラエルとイランを比較するとは恥ずべきだ」とし、グラス氏を「好ましからざる人物」として8日に渡航禁止の対象に指定。ユダヤ人団体も「反ユダヤ主義」と猛反発しています。
 グラス氏はこれに対し、「イスラエル一般とせずに、現在のイスラエル政府が危険だとすべきだった」とする一方、「渡航禁止措置は、旧東ドイツのやり方を思い起こさせる」と再批判しています。
 メルケル首相与党のキリスト教民主同盟(CDU)の幹部のポレンツ下院外交委員会委員長はイスラエルの存在を脅かしているのがイランで、「因果関係が逆である」として、ドイツ・イスラエル間の外交関係悪化への懸念を表明しました。
 グラス氏が選挙ごとに支持を表明してきた社会民主党(SPD)では、ナーレス書記長が詩について、「不適切な表現だ」としながらも、イスラエルの措置について「ドイツの政治的文化を象徴するグラス氏を『好ましからざる人物』とするのも間違い」と批判しました。
 一方で、左翼党議員からは「グラス氏は政治上のタブーに触れる勇気を示した」と評価の意見が出ています。
 ドイツ政府報道官は「芸術の表現の自由がある」としながら、「個々の芸術作品に意見を述べない政府の自由もある」と、評価を避けました。

過半数が支持
 国民の受け取り方もさまざまですが、ドイツの海外向け公共放送ドイチェウェレによると、世論調査では28%が「論議あるところだ」と中立なのに対し、「反ユダヤ主義だ」などと同氏を批判する意見は16%にとどまり、56%と過半数の人がグラス氏の意見が正しいと支持しています。
 (片岡正明)
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2012年04月19日,「赤旗」) (Page/Top

ナチス保養所3億円落札/独

 【ベルリン=時事】ナチス・ドイツが保養所として建設した同国北東部リューゲン島の巨大施設の一角が先週末、オークションにかけられ、275万ユーロ(約3億円)で落札されました。約5000万ユーロ(約54億7000万円)かけ、ホテルや高級アパートに再開発されます。
 ナチスはバルト海に面する同島プローラ海岸で1930年代に保養所建設に着手しました。2万人収容の施設にする計画でしたが、第2次大戦の勃発で39年に建設を中断。全長4・5`の施設はその後、旧東独の軍事施設などに利用され、現在は一部がユースホステルとなっているほかは廃虚と化しています。
 競り落とされたのは全長500b、6階建ての建物で、競売商によるとベルリンの著名投資家が落札しました。ネオナチの「聖地」となるのを防ぐため、極右に利用させないよう落札者に求めています。
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2012年04月06日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 「この国には乾いた時期、涼しい時期、暑い時期、雨の時期があるけれど、春はない」。3月30日、アウン・サン・スー・チー氏が語っていました▼3日後、スー・チー氏は宣言しました。「新しい時代の幕開けです」。彼女の率いる国民民主連盟(NLD)が、1日投票のミャンマーの国と地方の議会補選で、発表された40議席すべてを得ました▼人々は、国土の多くが春のない熱帯の、ミャンマーに政治の春がくる日を望んでいます。NLDは求めます。連邦議会の議席の4分の1を軍に割り当て、非常時に軍の最高司令官が権力を一手に握れると定めた、憲法の改正を、と▼その国軍の「建軍の父」とよばれる人が、スー・チー氏の父、アウン・サンです。1915年生まれの彼の一生は、新しい国の産みの苦しみと希望を物語ります。支配者イギリスを追い出すため、日本軍の機関の援助をえてビルマ独立軍を結成する。日本の占領に対しては、国軍や共産党が組む反ファシスト人民自由連盟の議長としてたたかう…▼戦後、独立めざしてイギリスと交渉し、独立間近の32歳で暗殺に倒れます。「民主主義」「共和制」「社会主義」の国を望んだ彼。独立後の国で軍の権力独り占めが長く続くとは、思いもよらなかったでしょう▼アジアにあった、韓国、フィリピンやインドネシアの軍事独裁政権は倒れ、「アラブの春」もおしとどめられません。いよいよ、すでにアウン・サンの時代から民衆の根づよい抵抗の歴史を刻む、ミャンマーの出番です。
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2012年04月04日,「赤旗」) (Page/Top

ヒトラー「聖地」両親墓石を撤去/オーストリア

 【ベルリン=時事】オーストリア北部レオンディングでこのほど、ナチス・ドイツ総統ヒトラーの両親の墓石が撤去されました。クリア紙などによると、「聖地」として巡礼するネオナチが後を絶たないため、ヒトラーの親族の一人が撤去を決めました。
 ヒトラーの父アロイスと母クララの墓には昨年、ナチス親衛隊のマークが描かれた花瓶が供えられたこともあり、反ファシズム団体は墓の撤去を求めていました。ブルンナー市長は「良い解決策だ」と歓迎しました。
 ヒトラーはレオンディングで幼少期を過ごしました。しかし、1933年の政権掌握後は1、2度しか両親の墓を訪れなかったといいます。
 ドイツでは昨年7月、ナチス副総統ルドルフ・ヘスの墓がやはり「巡礼地化」したため、撤去されています。
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2012年04月02日,「赤旗」) (Page/Top

3月本文)

「アンネの木」エルサレムに

 【エルサレム=時事】「アンネの日記」で知られるユダヤ人少女アンネ・フランク(1929〜45年)が、第2次大戦中にナチス・ドイツの迫害を恐れ、オランダ・アムステルダムで隠れ住んだ家の窓から眺めていたマロニエの木から取った苗木が26日、エルサレムのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)記念館に植樹されました。
 植樹式典に出席したアンネの友人でホロコースト生存者のハンナ・ピックさん(83)は「アンネを思い出させてくれるものが残ることは素晴らしい」と語りました。
 日記の中で何度も触れられたこのマロニエの木は樹齢150年を超え、2010年8月、強風のために折れてしまっていました。
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2012年03月28日,「赤旗」) (Page/Top

3・24札幌演説会/参加者の感想/「子どもたちのため、日本を変えるため勝って」

 24日に札幌市で開かれた日本共産党演説会では、市田忠義書記局長、はたやま和也衆院北海道比例ブロック候補が演説し、勇気と確信を広げました。参加者の感想を紹介します。

 「はたやまさん(の話を聞くのは)2度目ですが、実直さが伝わってきて頼りがいがあります。(「アカだけにはなるな」と言っていた母親が80歳に入党したという)市田さんの母上のお話、感動しました」(61歳・女性)
 「小学1年、中学1年の男の子がいる母子家庭です。働きたくても、つかってくれるところがありません。市田さんのお話、私も同じ考えです。今の日本は仕事がなく、給料も引き下げられているのに(消費税)増税なんてひどすぎます。税金はお金がある人からとった方がいい。税金の使い方も間違っています。私も、はたやまさんを友だちに紹介して応援します。どうかどうか、子どもたちのために、日本を変えるために選挙に勝ってください」(37歳・女性・札幌市北区)

財政再建できる
 「選挙本番を感じながら会場へ来ました。消費税を上げないで、福祉充実、財政再建できる道筋を詳しく、簡潔に話してくれ、よくわかりました。絶対に負けられない選挙です。私も病身ながら、この話を一人でも多くの有権者に話し、当選に必要な課題達成のために力を尽くしたい」(74歳・男性・札幌市白石区)
 「子どもたちの将来のためにも、政治のやり方を切り替えることが絶対に必要です。日本共産党の『消費税大増税ストップ! 社会保障充実、財政危機打開の提言』こそ、社会保障の充実、財政再建が同時にできるということが明らかになった。多くの人たちに知らせることが大切だと痛感した」(74歳・男性)

希望が出てきた
 「TPP(環太平洋連携協定)は絶対にだめです。原発もなくしましょう。はたやまさんには国会に本当に行ってほしい」(41歳・女性・札幌市白石区)
 「橋下(大阪)市長のやり方に疑問を感じて恐怖ばかりが先に立っていましたが、(ファシズムとたたかい、政治の行き詰まりを打破する展望を示す、日本共産党を伸ばしてほしいと訴えた)市田さんの話に少しばかりの希望が出てきました」(年齢・性別不明)
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2012年03月27日,「赤旗」) (Page/Top

共産党「提言」懇談会/大阪/横浜

 消費税増税に頼らないで社会保障充実、財政危機打開の道がある―。そんな日本共産党の「提言」(別項)がいま、各地で注目されています。日本共産党の志位和夫委員長が参加して開かれた横浜市(15日)、大阪市(17日)での経済懇談会。参加した各界の発言から要約して紹介すると―。

大阪

経営者「必読」の文献だ/日本商工連盟大阪地区代表世話人・サンリット産業会長小池俊二さん
 私は「提言」に線を引いて熟読しています。経営者は必読です。非常にわかりやすい。
 民主党政権は大企業と大企業労組を基盤とした政権という印象です。中小企業のための政策は、金融円滑化法以外、何もやっていない。
 民主党も自民党も政権担当能力が疑問です。6年間で6人の総理大臣が変わった。こういう状態で落ち着いた政治ができるでしょうか。
 約90年前、関東大震災では15万人の犠牲が出ました。震災の後は大恐慌がおこり、10年間で内閣が10回変わりました。
 政友会と民政党という二大政党が国民の信頼を失い、軍国主義とファシズムが台頭しました。いまと非常に似ています。
 いま、二大政党が劣化するなかで共産党に頑張ってもらわなければいけない。こんな素晴らしい「提言」があれば、夢ではないと思います。
 いまは第一に、震災復興に全力を挙げることと、原発廃止にむかうことです。
 第二に消費税の増税に私は反対です。今の経済状況で中小企業は消費税を価格に転嫁できない。
 ぜひ、歴史の轍(てつ)を踏まないようにしてほしい。

「中小が重要」世界の常識/阪南大学名誉教授・前阪南大学学長大槻眞一さん
 今回の「提言」は、日本の目指すべき新しい社会と、そこにいたる道筋が整然と述べられています。
 中小企業が社会、経済の中できわめて重要な役割を果たしていることは世界の常識です。その役割にふさわしい支援を積極的に行うことも世界の潮流です。
 アメリカは、日本の自動車の高い品質が下請け企業に支えられていることを学んで、1982年に中小企業の研究開発支援の法律をつくって、そのための予算が回るようにしました。
 欧州連合(EU)も国際労働機関(ILO)も中小企業の重要性を何度も確認しています。
 世界の常識を日本の常識にしていくことが必要だと思います。

政治の展望示してくれた/藤原電子工業社長藤原義春さん
 大変いい内容の「提言」だと思います。
 今日の志位さんの話は展望を示してくれるものでした。
 こうすれば、政治が良くなるよと、もっとみんなが展望を語れるようになることが重要だと思います。
 いま、経済不況という津波≠ェ押し寄せています。さらに消費税という津波≠ェくるのを阻止するために、本当に共産党に大きくなってほしい。

客が貧乏では商品売れない/全国小売業連合代表多喜正男さん
 私たちの会社は、大型店に対抗するため小売商が衣料品を共同仕入れする会社です。2001年に64億円あった年商が現在40億円にダウンしました。
 私たちとお客様は運命共同体です。お客様が貧しいのに商品が売れるということはありません。
 消費税増税阻止のため、私たちは必死で運動しなければなりません。その必死さが国民の心を揺り動かし、増税をストップさせることができます。
 党派を超えた運動でがんばりましょう。

母子家庭に安心の生活を/大阪府母子寡婦福祉連合会事務局長原淳子さん
 今日は大変勉強させていただきました。
 私たちは母子家庭が安心して暮らせる社会を目指して活動しています。
 いま、母子家庭が非常に増えています。ダブルワーク、トリプルワークで必死に働いても収入は生活保護基準以下という人がほとんどです。
 どんなにスキルアップしても正社員を望んでも仕事がありません。ぜひ国の力で突破口を見いだしてほしい。
 母子家庭にとって保育所の優先入所が不可欠です。何十年も要望していることです。ぜひよろしくお願いします。

横浜

秩序ある出店規制必要/第一川崎青果商組合理事長大場輝行さん
 私は八百屋を50年やっています。20年前100人いた組合員がいま、20人です。周りに大型店が増え、商店街はくしの歯が欠けたようです。
 地域の台所として営業してきた店が、資本の力で一晩で廃業させられる。非常に理不尽です。政治の力で秩序ある出店規制をしてほしい。
 野菜は売れ残れば、値引きして売ります。消費税など転嫁できません。納税する時は身銭を切り、自分の年金を入れて消費税を払っています。10%は絶対反対です。

増税よりやることがある/神奈川県社会保険労務士会会長山本暁さん
 私は消費税10%に賛成の立場ですが、前提があります。社会保障の充実に使われるという保証がないと絶対に賛成しない。
 いまの社会保障と税の論争は、国民のために何をするかを考えず、財源集めだけに重点をおいています。
 消費税増税やむなしの風潮を、政府、財界、共産党以外の野党、「連合」、大メディアが五人六脚≠ナあおっています。
 増税の前にやることがある。不公平税制の是正や政党助成金の即時廃止、大企業向けの租税特別措置の廃止をすれば、消費税を5%あげる必要はなくなると思います。

社保料払えぬ現場労働者/横浜建設業協会名誉会長白井享一さん
 建設業でいま、持ち上がっているのは、技能労働者(職人)の社会保険未加入問題です。
 現場の技能労働者の雇用は極めて不安定で、年収200万円以下の人も多い。社会保険料を払いたくても払えないのが現状で、払えるようにするには行政の力添えが必要です。
 TPP(環太平洋連携協定)について、私たちは反対です。
 日本の市場は十分世界に開かれています。これをすべて関税ゼロにしろというのはアメリカの横暴です。その尻馬に乗っているのが、日本のいまの政府です。

「提言」
 「消費税大増税ストップ! 社会保障充実、財政危機打開の提言」は2月7日に日本共産党が発表したもの。懇談会で志位委員長は、野田内閣のねらう消費税大増税では社会保障も財政もダメになると批判。政治姿勢を根本から変え、消費税に頼らずに、▽社会保障の段階的充実▽内需主導の経済成長▽財政危機の打開―を一体的に進め、展望を開く「提言」の特徴を詳しく説明しました。
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2012年03月25日,「赤旗」) (Page/Top

新作DVD/ミケランジェロの暗号(オーストリア・ルクセンブルク、2011年)

 1938年、ウィーンのユダヤ人画商所有のミケランジェロの幻の名画が密告でナチスに没収され、画商は収容所で死亡。ナチスは名画を独伊同盟強化に利用しようとしますが偽物と判明。画商の息子は、母の自由を条件にナチスに本物のありかを教えますが―。ユダヤ人の対ナチス頭脳戦です。監督=W・ムルンベルガー。(アルバトロス、クロックワークス 3990円)
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2012年03月25日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 この世でもっとも強力な変革を起こす原動力は、…大衆に生気をふきこむ熱狂・狂信と、彼らをかり立てるヒステリーだ=・ヒトラーが書き残した言葉です。総選挙に勝って政権を握ったあと、ヒトラー・ナチスの動きは素早い。1933年1月に彼が首相になると、3月に「民族および国家の危難を除き去るための法律」を成立させます▼いわゆる「全権委任法」。議会の立法権を、行政府のヒトラー政権に与える法律でした。7月、ヒトラーはその権限をつかって、政党を禁止する法律をつくります。政権をとってわずか半年後、ナチスの一党独裁のできあがりです▼「読売」グループの渡辺恒雄会長が、全権委任法をよりどころに橋下徹大阪市長を評しています。橋下氏は選挙を「ある種の白紙委任」というが、ヒトラーを思い起こさせる、と。同様に考える人は多いでしょう▼さあ、選挙で勝ったのだ。有権者に「やってくれ」と任されたのだから、反対の意見など聞かなくていい。それゆけ、どんどん。たしかに橋下氏の発想は、選挙に勝ったとたん自分がすべて≠ニ権力を独り占めした、ヒトラー流の一変種にみえてきます。行き着く先が、一党独裁でないにしても▼ところで、書き出しで紹介したヒトラーの言葉にも、従わない者をまくし立てる口調で攻撃する橋下氏の姿が重なります。物事の筋道より熱狂と興奮。かりに、本人にあおりたてるつもりがなくとも、です。ヒトラーは、大衆を暗示にかける魔法≠ニよびました。
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2012年03月24日,「赤旗」) (Page/Top

「提言」は経営者必読/日本商工連盟大阪地区代表世話人小池俊二さんに聞く

いま、政治は危険な状態/共産党は「王道」歩んで
 当時でいえば、国民が大変な窮乏に陥っているのに、政友会と民政党が足をひっぱりあっていました。政党政治が汚辱にまみれて国民の信頼を一挙に失っていきました。そのとき、共産党は地下にたたき込まれていました。

ファシズム台頭
 そこで台頭してきたのが、軍国主義であり、ファシズムです。そして1932年の5・15事件以降、政党内閣制は終止符を打ちます。それから、軍人内閣が続き、戦争の道に走っていったのです。
 いま、自民党がこの体たらく、民主党がこんな状況という中で、いったいどうしたらいいかと国民が非常に迷っています。場合によったら、国民の中に「独裁者」に対する期待が生まれてくる可能性だってないわけではありません。
 ですから、私はいま、極めて政治的に危険な状態にあると思います。
 この1月、大阪の公明党の新春年賀会であいさつしたさい、私は出席した松井一郎知事や橋下徹市長らの前で、そうした趣旨のことを訴え、続けてこう申し上げました。
 柔道の父・嘉納治五郎が、政治というたたかいには「王道」と「覇道」という二つの道があるといっています。「王道」はおごれるものの風を嫌って天下のためにたたかう。「覇道」は仁義の名をかりてたたかいを好み、己のためにたたかう。ぜひ「王道」を走ってもらいたい、と。
 いまのところ、つまらない駆け引きや己のためのたたかいをせず、「王道」を走っているのは共産党だけではないでしょうか。共産党には堂々と「王道」を歩んでもらいたいと思います。
 私が消費税の増税に反対しているのは、第一に民主党が総選挙でこれを掲げていなかったからです。菅さんになって突如自民党と同じ10%にと言い出し、野田さんになってもう必死になっています。
 選挙では、政治家がきちんとした公約を掲げ、国民はそのことに信託を与えるのであって、勝者に白紙委任を与えるものではありません。
 最近、橋下さんも「選挙では国民に大きな方向性を示して訴える。ある種の白紙委任」と述べたそうですが、そこははき違えないでいただきたい。
 そして、消費税が増税されると、「提言」にも分析されているように、大変な需要の減退を招き、景気も税収もぐっと落ち込むでしょう。中小企業は価格に転嫁できませんから、中小企業政策が何もない現状で消費税の増税までやられたら日本経済の姿が根底から変わってしまいます。

震災の復興こそ
 私は、今回の共産党の「提言」を、「社会保障と税の一体改革」に対する一つのアンチテーゼと位置づけたらいいと思います。民主党のマニフェストには、何の裏づけもありませんでしたが、「提言」には、感情論ではなく根拠と数字が示されているからです。
 本来、いまの政権にとっては震災復興こそ大問題です。遅れに遅れているガレキ処理という喫緊の課題と、原子力から自然エネルギーへの転換という大問題をそっちのけで消費税、消費税と騒いでいる場合ではないはずです。
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2012年03月23日,「赤旗」) (Page/Top

橋下大阪市長「ヒトラー」と言われ、反論するが…

 橋下徹大阪市長は19日、自身の政治手法についてナチス・ドイツのヒトラーを想起させる≠ニ相次いで批判されたことに対し、「時代も世の中の仕組みも全然違う」「状況が違う」と反論≠オました。
 批判者の一人は、読売新聞グループ本社の渡辺恒雄会長。渡辺氏は『文芸春秋』4月号で、「選挙では国民に大きな方向性を示して訴える。ある種の白紙委任なんですよ」という橋下氏の発言を引用して、「この発言から、私が想起するのは、アドルフ・ヒトラーである」と批判しています。
 渡辺氏は「ヒトラーは、首相になった途端『全権委任法』を成立させ、これがファシズムの元凶となった」と指摘。自民党の谷垣禎一総裁も、京都府内の講演で「大阪維新の会」の躍進を戦前のファシズム台頭になぞらえたと報じられています。
 これに対する橋下氏のコメントが冒頭の「状況が違う」の一言。肝心の白紙委任§_についての批判には答えていません。逆に、インターネット上のツイッターで同氏は、「政治家は大きな方向性、価値観を示し、それが(選挙で)支持されたのであればその範囲である種の白紙委任となる」「その大きな方向性、価値観が、今まとめている維新八策である。個別の政策は、維新八策の範囲内で展開していく」と開き直ったコメントをくり返しています。
 この白紙委任§_で、議会と民主政治を根底から否定してきたのが橋下氏です。まともな議論もなく、定数削減条例や「君が代」強制条例を強行採決したのがその表れです。
 「何を話し合う必要があるのか」「そもそも議論がいらない」と言い放ち、行き着いた先が、首長いいなりの教育・職員をつくる教育・職員基本条例案であり、人権無視の市職員に対する「思想調査」です。これを「独裁」といわずになんというのかという問題です。
 「維新八策」では、この大阪での独裁的やり方を全国に広げることを柱にしています。橋下氏が「渡辺氏の方が…堂々たる独裁」などと切り返してみても、その独裁の実態を覆い隠すことはできません。
 (藤)
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2012年03月21日,「赤旗」) (Page/Top

憲法攻撃を批判/9条の会が声明/千葉・銚子

 千葉県銚子(ちょうし)市の「9条の会・銚子」は16日、声明「橋下『維新の会』一派の憲法攻撃を許さない」を発表しました。
 声明では、橋下徹大阪市長、石原慎太郎東京都知事、河村たかし名古屋市長の3首長による「思想調査」や「核武装論」、「南京大虐殺否認」の言動を「新たなファシズムの台頭に他ならない」と批判。「憲法の平和・人権原則の確認とさらなる定着に向け、大阪と全国の護憲勢力に連帯する」としています。
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2012年03月20日,「赤旗」) (Page/Top

3・11から1年/大谷大学教授・哲学者鷲田清一さん/本当のケアを模索し続けて

「見守る人」がいるという感覚
 東日本大震災から1年。阪神・淡路大震災を経験した哲学者の鷲田清一さんは、重い被災を背負った人々にどう寄り添っていけばいいのか、傷ついた人々はいかにして癒えていくのか、模索し続けてきました。本当のケアとは何かを考えます。

 3・11を単なる記念日にしてはならない。被災地外の場所で、まず私たちがしなければならないことは、家族や家、職場、故郷を奪われた被災地の人たちの苦難と痛みから目を離さず、心を寄せ続けることだろうと思います。

聴くことと待つ大切さ
 しかし被災者といっても一色ではありません。被災のありようも、復興や賠償の見通しも、地域や人によって異なり、格差が生まれています。そこにとどまるか否かで男女間・世代間の対立が起きて、崩壊している家族もあります。こうした複雑な現状をしっかり見なければいけない。被災地の方々に一元的な「被災者役割」を押し付けて、さらに傷つけるようなことは避けるべきだと思います。
 私は大阪大学の教員だった1995年、阪神・淡路大震災を経験し、哲学者として何ができるかを必死に考えました。被災地に通い、被災者の話を聴くことから始めて、問題は何なのかを、その人の言葉で一緒に考える「臨床哲学」を進めてきました。そして、聴くことが、心に傷を負った方のケアの核になるものだと確信しながらも、その難しさを思い知ったのです。
 言葉をさえぎって励ますこと、言葉を先取りすることが、相手に言葉をのみ込ませてしまったり、力を奪ったりする。相手が語りきるまで待つこと、相手が納得するまで自分の時間をあげることが、本当のケアではないかと思います。
 もともと東北には、人々が互いに時間を与え合う関係の残っている集落が多かった。そうしたコミュニティーを壊さないようにすることが、これからの復興過程では大事だと思います。
 たとえ離れていても、じっと見守ってくれている人がいる、案じてくれているという感覚は、人間にとって大きな支えになります。ナチスの強制収容所で最後まで命をつないだのは「待つ人」がいる人だった、とフランクルは『夜と霧』で述べています。

10年、20年息長く支援
 ですからボランティアも、10年、20年と長く続けることが大事です。見放された、見捨てられたという感覚を被災者に与えることだけは、絶対にしてはいけない。3カ月に1回、年に1回でもいいから、「おじいちゃん、おばあちゃん元気にしてるか見に帰るわ」という感覚の、息の長い活動が大切だと思います。
 今回の大震災でわかったことは、これまでの日本は高度消費社会として、いかにニーズに応えるかを至上命令にしてきたけれども、何が本当のニーズなのかを見極める視線が重要だということです。そのために私は「価値の遠近法」という考え方を提唱しています。@絶対に手放してはいけないもの、Aあったらいいもの、Bなくていいもの、C絶対にあってはならないこと、の四つに適切に分けられる能力を持ちたい。
 しかし、人によって四つのカテゴリーに入ってくるものが違う。だからこそ、対話やコミュニケーションが必要になってくるわけです。「なぜ、これが大事なの?」という対話を重ねる中で、合意を作っていく。それが市民として成熟し、新しい社会を創造することにつながります。
 復興事業も原発問題も、この対話の過程が問われているのではないでしょうか。専門家と市民各人、社会の各セクターが、それぞれの価値判断をすり合わせて意思決定をしていくプロセス自身が、文化そのものなのだと思います。
 (聞き手 平川由美)

 わしだ・きよかず 1949年京都生まれ。前大阪大学総長。著書に『「聴く」ことの力』(桑原武夫学芸賞)、『モードの迷宮』(サントリー学芸賞)など多数。新刊に『語りきれないこと―危機と傷みの哲学』(角川学芸出版)。
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2012年03月19日,「赤旗」) (Page/Top

「君が代」処分取り消し/最高裁判決なに物語る/17市民団体集う

 教育現場での「君が代」斉唱強制に反対する17の市民団体は14日、衆院第2議員会館で「最高裁判決は何を物語るのか」と題した集会と、文科省への申し入れを行いました。
 「君が代」起立斉唱の職務命令に従わなかった東京都の教職員への処分をめぐって、最高裁は1月16日、停職と減給処分を取り消す判決を出しました。
 東京教育の自由裁判弁護団の澤藤統一郎弁護士は、「公権力の横暴を司法が容認しており、司法をも萎縮させている」と指摘。「この一連のたたかいは、民主主義を再生させるために大変重要です」と述べました。
 千葉大学の三宅晶子教授は、戦前のナチスへの反省から「良心に反して武器を持たなくてよい」と定めているドイツの憲法を紹介。「強制に従い、服従することが今の教育に求められる改革なのでしょうか」と話しました。
 「日の丸・君が代」強制反対ホットライン大阪事務局の寺本勉さんは、大阪府の現状を報告。今年度の卒業式で「君が代」斉唱時に校長が教員の口元をチェックしていたと話すと会場からは驚きの声があがりました。「大阪維新の会の暴挙を全国に広げないよう、たたかっていきたい」と決意を述べました。
 日本共産党からは宮本岳志衆院議員、田村智子参院議員が出席し連帯のあいさつをしました。
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2012年03月15日,「赤旗」) (Page/Top

2012いま言いたい/日本キリスト改革派千里山教会牧師弓矢健児さん/内心の自由侵す「踏み絵」

 大阪府に続き、大阪市でも全国初の「君が代」起立強制条例が可決されたことに大きな危機感を抱きます。「君が代」条例も、橋下徹市長が制定しようとしている「教育」「職員」基本条例案、「職員アンケート」もすべて重大な憲法違反です。

精神的な苦痛
 「君が代」起立強制ですが、「君が代」は天皇賛美の「讃美歌」です。東京都でピアノ伴奏を拒否した音楽教師はキリスト者で、天皇を神とする考えに基づき礼賛に用いられた「君が代」を伴奏することは、命を断つことも考えたというほどの精神的苦痛なのです。「国歌・国旗法」が制定されたとき、政府は「強制してはならない」と答弁しています。橋下市長の「組織マネジメント」とは全く違う問題なのです。
 松井一郎知事が府議会に提出した「教育」「職員」条例案は、「大阪維新の会」の案を修正したものの、教育への政治介入にあたる首長の教育目標決定権や教育委員の罷免権は変えませんでした。
 「君が代」起立を含め、「職員」条例は3回連続で職務命令に違反すれば免職できるという規定は変えませんでした。
 教育は人格の完成が目標です。だからこそ内心の自由は何より尊重されなければなりません。「教育」条例がめざしているのは、権力に都合のいい人間を育成する現代版の「富国強兵」策です。
 そのために異を唱えるものは徹底排除し、上意下達の組織にする。そのためには思想・良心の自由、内心の自由などといわれては困るのです。それだけではなく、橋下市長は道徳教育を監視すると言い出しました。戦前の教育体制を思わせます。恐ろしいことです。

阻止するため
 市職員への「アンケート」も、まさにこうしたことと一体にあると思います。「君が代」起立が教師の「踏み絵」にされているように、アンケートを「踏み絵」に、どういう信念や主張をもっているかを権力が明らかにさせようとしています。とんでもないことです。
 思想・良心の自由を侵してはならないとする憲法第19条が求めていることは、言いかえれば政治的な信条を明らかにすることを強制してはいけないということです。
 橋下市長と「維新の会」のやり方は、戦前のように社会を全体主義化していくやり方です。橋下さんは選挙や議会があるから独裁じゃないといいますが、ヒトラーもそうでした。何度も国民投票して圧倒的支持で独裁者となりました。多数派、「民意」、「民主主義」の名のもとの独裁です。非常に危険な方向にすすんでいます。
 ヒトラーの支配に抵抗したマルチン・ニーメラー牧師が第2次世界大戦後、なぜナチスを阻止できなかったのかとして、共産党や社民党が弾圧された時、学校や組合が弾圧された時、自分は関係なかったので黙っていたが、教会が弾圧された時、私は牧師なので立ち上がったが、もう遅かったという詩を書いています。絶対にそうしてはなりません。
 聞き手・大阪府・小浜明代
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2012年03月07日,「赤旗」) (Page/Top

橋下「思想調査」/法律8団体が抗議集会/民主主義の危機に立て/大阪

 橋下徹大阪市長が行った憲法違反の「思想調査」に抗議し、「教育・職員基本条例案」に反対しようと、民主法律協会、連合大阪法曹団、自由法曹団大阪支部など法律家8団体は5日、「2条例案にNO! 大阪『維新』を考えるつどい」を大阪市内で開きました。雨をついて参加した約170人で会場が埋まり、「民主主義の危機に立ちあがろう」と訴えたアピールを採択しました。
 講演した浦部法穂神戸大学名誉教授は、橋下氏とナチス・ヒトラーの酷似点を示し、「思想調査」は「憲法を大事にしない風潮の中で出てきた」と批判。「どこまで多様な民意をくみ上げてきたかが民主主義で最も重要なことです。(橋下氏の)民主主義の考え方が根本的に間違っていることを共通認識にしなければいけない」と強調しました。
 城塚健之民法協幹事長があいさつし、北本修二連合大阪法曹団代表幹事が情勢報告。府・市職員、教員らが実態を報告しました。
 大阪市内で働く大椿裕子さん(38)=神戸市=は「職員アンケートで監視し合うようなぎすぎすした人間関係ではいい仕事はできません。アンケートの違法性は明らかなのに、きちんと伝えないメディアの責任も大きい」と話していました。
 主催はほかに大阪労働者弁護団、大阪社会文化法律センター、青年法律家協会大阪支部、大阪民主法曹協会、日本労働弁護団大阪支部です。
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2012年03月06日,「赤旗」) (Page/Top

芸能テレビ/ダンサー・俳優大貫勇輔さん/ミュージカル「キャバレー」出演/戦争伝える<vレッシャー

 華やかなエンタテインメント。でも底に、切実なテーマが横たわっています。ブロードウェイ・ミュージカル「キャバレー」で、俳優に初挑戦する大貫勇輔さん。「心に刺さる作品」のけいこに励みます。
 大塚武治記者

 けいこは連日8時間。それでも足りないと、休憩時間も自主練習にあてます。「毎日くたくた。頭は作品でいっぱいで、夜は気がついたら、眠っている感じ。でも、発見の連続です」と大貫さん。
 ナチズムが台頭する1929年のベルリン。
 放浪の米国人作家クリフ(大貫)は、にぎやかなキャバレーで歌姫サリー(藤原紀香)と出会い、同せいを始めます。下宿の女主人(杜けあき)や優しいユダヤ人果物商(木場勝己)らと心を通わせますが、ナチスの影が迫ります。
 恋の行方は―。
 「明るく、ハッピーなキャバレーの雰囲気と、重く残るラスト。クリフの体験を通して、人を人とも思わない差別や戦争を二度としてはいけないと伝える作品です」
 クリフは、ユダヤ人迫害に怒る正義感があり、でも時流にあらがえない弱さを持つ青年。終盤、ナチスの手を逃れ、祖国に帰ります。修辞・訳詞・演出の小池修一郎さんは、原作にはない、彼が戦争に巻き込まれる「その後」を加えました。
 「『それは、あなたの身にも起きるかもしれない』と問いかけます。だから、クリフの深さをどれだけ表現できるかがカギ。ますます、プレッシャーです」

ダンスは言葉
 母がダンス教室を主宰し、7歳でダンスを始めた大貫さん。ジャズ、バレエ、ストリート、アクロバット、コンテンポラリーと多彩なダンスを習得し、17歳でプロになりました。昨年は、ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」の死のダンサー役で注目されました。
 ダンスは、自分にとって言葉のようなものといいます。「人間の感情って、言葉にできないものもたくさんありますよね。でもダンスなら伝えられる。肉体さえあれば会話≠ナきると思うんです」
 10歳のときから、母親たちと月1回ペースで、知的障害児施設でのダンス教室を続けています。「踊りたい」という意欲が芽生えることで、自閉症児やダウン症児が感情を豊かに表し…。驚くような変化を見せるといいます。
 「お菓子とゲーム漬けで太っていた男の子は、自分から柔軟体操に取り組むようになり、今ではみんなのリーダーです。ダンスと出あい、表現の種≠ェまかれ、次第に心が開かれていく。芸術の力はすごいです」
 23歳。ダンス教室では「先生」ですが、今作は一生徒≠フ気構え。「ダンスで培ったものを生かせればと思います」

*脚本/ジョー・マステロフ、作曲/ジョン・カンダー、作詞/フレッド・エブ。18日まで=東京・東京国際フォーラム。рO3(3490)4949
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2012年03月04日,「赤旗」) (Page/Top

アンネ資料、展示へ/手紙など未公開の6000点/15年開館、独・フランク家記念館

 【ベルリン=時事】「アンネの日記」で知られるアンネ・フランク(1929〜45)の手紙など、フランク家の未公開資料がドイツ西部フランクフルトに新設される記念館「フランク家センター」で展示されることになりました。記念館はユダヤ博物館に設置され、開館は2015年の予定。
 資料はアンネの父、故オットー・フランク氏が設立したアンネ・フランク基金(スイス・バーゼル)が保有していました。写真や肖像画、家具など約6000点に上り、アンネが38年12月に書いた祖母の誕生日を祝う手紙が含まれています。
 また、アウシュビッツ強制収容所に送られたオットー氏が解放直後の45年2月、同氏の母に宛てた手紙には、離れ離れになった妻とアンネら娘2人が「無事でいてほしい」とつづられていました。しかし、妻は1月に既に死去、娘2人も直後の3月、別の収容所で亡くなりました。
 フランクフルトはアンネの生誕地。ナチスの迫害から逃れるため、42年にオランダのアムステルダムに移るまで家族で過ごしました。基金の理事長を務めるアンネのいとこのバディ・エリアス氏は「フランク家の故郷であるフランクフルトこそ、資料の保管場所にふさわしい」と話しています。
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2012年03月04日,「赤旗」) (Page/Top

2月本文)

ネオナチ殺人追悼集会/暴力とのたたかい前進を/首相「わが国の恥」と謝罪/独

 ドイツ各地で23日、ネオナチ犯行グループによる殺人で犠牲になった10人を追悼し、ネオナチ・極右の暴力を決して許さないとする集会が開かれました。
 外国人を敵視するネオナチの3人組が2000年から07年にかけ、北部ハンブルクや南部ミュンヘンなどでトルコ人8人、ギリシャ人1人、警官1人の計10人を殺害した容疑が強くなっています。3カ月前に、3人組の1人の女が出頭して発覚しました。
 ベルリンで催された追悼集会では、メルケル首相が犠牲者と家族に許しを請い、「出身や肌の色、宗教の違いで人間を迫害するようなことがあってはならないし、憎しみやさげすみ、暴力を許してはならない」と強調。この殺害事件は「わが国にとって恥辱だ」として、あらゆるところで「偏見、侮辱、排外主義とのたたかいを進めよう」と訴えました。
 ドイツでは、ナチス・ドイツが第2次世界大戦で、ユダヤ人やロマを大量虐殺したことから、戦後、ナチスの蛮行を徹底して批判し反省する「過去の克服」に取り組んできました。それだけに、今回の事件は大きなショックを与えています。
 同日、各地で、労組、企業、自治体、教会などがそれぞれ追悼集会を開き、黙とうしました。
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2012年02月25日,「赤旗」) (Page/Top

おはようニュース問答/大阪の思想調査「凍結」でなく廃棄が必要

 秋平 大阪市の思想調査に大阪府労働委員会の勧告が出たね。
 晴男 労働組合加入の有無についての設問など、「(労組への)支配介入に該当するおそれのある項目が含まれているといわざるを得ない」と批判しているね。

異例中の異例
 秋平 不当労働行為かどうかの判断が出るまで「調査の続行を差し控えるよう」に勧告しているけど、労働委員会がこういう中間的な勧告を突きつけるのは異例中の異例≠セそうだ。それだけ重大な問題があるということだね。
 晴男 職務と関係のない「政治家を応援する活動」への参加の有無や、「誘った人」など一般市民の名前まで答えさせるような、思想信条の自由を侵害する憲法違反の「アンケート調査」だから当然だよ。
 秋平 でも、市当局はすでに調査を凍結≠オたといっているが。
 晴男 大阪市の特別顧問を務める野村修也弁護士が「凍結」を発表したのは、「アンケート」回答期限(16日)の翌17日だったから、多くの職員が回答ずみだろう。しかも、紙の調査票でなく、コンピューター端末上で入力させる方式だから、勝手にデータを利用される恐れもある。
 秋平 勧告も「もはや救済の基礎が失われているおそれがある」と指摘しているね。でも、交友関係を答えさせる調査って、どこかで聞いたようなやり方だな。

まるで「赤狩り」
 晴男 1950年代に米議会などで横行した「赤狩り」だよ。映画監督や脚本家、俳優などが「共産主義者」として疑われ、交友関係の自白や密告を迫られたのは有名だね。自白を拒否すれば「議会侮辱罪」で処罰されたりしたんだ。
 秋平 旧東ドイツの秘密警察も同じ方法で「反体制」的な市民のリストをつくり上げて弾圧し、市民間の疑心暗鬼をつうじた恐怖政治を敷いていたわけだね。
 晴男 現状に不満や不安を持つ人たちに、税金で食っている公務員≠ヨの反感を広げるやり方も、かつて金持ちのユダヤ人≠標的にしたナチスとそっくりだ。
 秋平 橋下氏らのさらなる横暴をくい止めるにも、凍結≠ネどでなく、調査の撤回とデータの廃棄こそ必要だね。
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2012年02月25日,「赤旗」) (Page/Top

「綱領教室」志位委員長の第11回講義/第4章民主主義革命と民主連合政府

民主主義革命の道すじ/「一点共闘」は統一戦線に向けての萌芽/巨大メディアの影響―上部構造でのたたかいは粘り強く
 志位和夫委員長は21日、党本部で第11回「綱領教室」の講義を行いました。綱領第4章「民主主義革命と民主連合政府」の3回目です。
 民主主義革命を進める道すじについて志位さんは「根本にあるのは多数者革命の立場です」と、「古典教室」(第10回)で学んだ革命論を振り返り、「この立場に立って綱領は組み立てられています」と話して本論に入りました。
 ○○○
 多数者革命について、「革命のためには、多数者が目標をあらかじめ理解しなければならない。『長い間の根気強い仕事』(エンゲルス)が必要です。多数者革命こそ新しい時代の革命の形態です」とのべました。
 志位さんは、政治を民主的に変革するために共通の目標をもってたたかう組織である「統一戦線」について、五つの角度から解明しました。
 第一は、「どういう勢力・階級が、統一戦線の基礎か」です。
 綱領は、統一戦線を構成する諸階級・階層について、労働者、勤労市民、農漁民、中小企業家、知識人、女性、青年、学生などの階層をあげています。国勢調査と法人企業統計をもとに、階級ごとの人口構成を明らかにしました。
 労働者82・1%、農林漁業従事者3・2%、都市型自営業者9・6%。合わせると95%になります。資本金10億円以上の大企業の役員は6万人、0・1%だと指摘。これは、党が先に発表した「消費税大増税ストップ! 社会保障充実、財政危機打開の提言」の「富裕税」の対象者とも重なります。「文字通り、『私たちは99・9%』になります。この階級構成に、私たちが多数派を結集できる客観的な根拠があります」とのべました。
 第二は、「政党の組み合わせ」ではなく、日本社会が求める民主的改革の目標から出発するということです。
 綱領は、「独立、民主主義、平和、生活向上を求めるすべての人びとを結集した統一戦線」とのべています。政党の共同は統一戦線の大事な側面ですが、統一戦線全体にとっては部分だという位置づけです。「綱領では、政党の名前をあげて規定はいっさいしていません」。この説明にハッと顔をあげた受講生も。「政党には絶えず離合集散があります。一つの政党でも固定的ではありません。『政党の組み合わせ』でなく民主的改革の目標で統一戦線を発展させていくというのが61年綱領以来の立場です」と強調しました。
 志位さんはここで、年表で統一戦線の探求の歴史に言及しました。
 統一戦線は、レーニンの最後の時期の創造的探求の一つで、その後の一時期に、コミンテルンでの反ファシズム人民戦線の提起(1935年)と各国での実践がありましたが、ソ連の外交戦略に合わなくなると、スターリンによって、投げ捨てられるという歴史をたどりました。
 日本では、戦後、1100万人を結集した民主主義擁護同盟の結成(1949年)という歴史があります。
 61年綱領では、社会発展のあらゆる段階を統一戦線によってすすめるという立場を明記したと語りました。
 その後の歴史は大きくいって二つの時期があります。第一の60年代から70年代の時期には、「安保共闘」、「革新自治体」、社会党との間で国政レベルでの革新統一戦線の合意などを記録しました。第二の時期は、1980年の「社公合意」以降です。社会党が右転落するもとで、「政党の組み合わせ」論でなく、民主的改革の目標でという、綱領の統一戦線政策が大きな生命力を発揮しました。
 党は無党派との共同を提唱し、81年に「全国革新懇」が結成されます。政党として参加したのは日本共産党だけという勇気ある道でしたが、いまでは、構成員450万人、799の草の根の組織に発展し、保守も含めた広い共同の大きな流れをつくっています。
 第三は、統一戦線の発展に向けた新たな動き、「一点共闘」の大きな広がりです。
 志位さんは、2009年夏の「政権交代」以降の新しい特筆すべき動きとして、環太平洋連携協定(TPP)反対、原発ゼロ、米軍基地問題、独裁政治ストップなど、さまざまな分野で、政治的立場の違い、党派の垣根をこえ、「一点共闘」が大きな広がりをみせていることを、体験を交えて生きいきと紹介しました。消費税大増税反対でも、「提言」を発表後、共感が大きく広がりつつあります。
 志位さんは、「一点共闘」の発展について、「これは部分的な一致点にもとづく共同ですが、従来の保守の人びとを含めて、文字通りの超党派的な共同が、さまざまな分野で広がるというのは、これまでにない新しい質をもった動きです」と強調しました。
 「課題ごとの『一点共闘』は、統一戦線に向けた『萌芽』ともいえるものです。重層的に発展させるなかで、統一戦線をつくりあげていく新しい可能性に挑戦したい」と力を込めました。
 第四は、一致点を大事にしながら、綱領が示す民主的改革の必要性を太く明らかにするという「二つの仕事」を統一的に追求するという問題です。
 「どんな課題でも、根本的打開をはかろうとすれば、綱領が示した国政の民主的改革が必要となってきます」とのべました。
 沖縄の基地問題では、嘉手納町の宮城篤実町長(当時)との会談のなかで、「地位協定をちょこちょこといじっても基地問題の解決にはならない。安保条約の是非に関する新たな議論を国会の中で巻き起こしてほしい」と要望されたことを紹介。
 この点で、当面の要求実現と国政を変える「三つの目標」(くらし、平和、民主主義)での多数派結集を統一して活動している革新懇運動の果たす役割の大事さについて言及しました。
 第五は、「強大な日本共産党の建設こそ、統一戦線の発展のための決定的条件」だということです。
 綱領は「日本共産党が…強大な組織力をもって発展することは、統一戦線の発展のための決定的な条件となる」とのべています。「綱領で党建設について言及したのはこの1カ所だけです」と、多数者革命と統一戦線の決定的条件と位置づけられていることに深い意味があるとのべ、「『党勢拡大大運動』の成功のためにがんばりましょう」と呼びかけました。
 つづいて、綱領の国会活動の位置づけ――国民多数の支持を得て、国会で安定した過半数を占めて政府をつくるなどの人民的議会主義について語りました。
 志位さんは「国会外の運動と結びついて」とあることに注意を促しました。主権者としての国民の役割は、選挙でおしまいとはなりません。要求実現のために、国会内外のたたかいを結合することが大切です。「人民的議会主義」をかかげるわが党ならではの態度だとのべました。
 その実例として、志位さんは、過去11年間の請願署名の受付数を紹介しました。日本共産党が受け付けた署名数は2億5千万人分。全政党の53・3%にあたると紹介すると、「ほーっ」という声があがりました。「請願数で議席が配分されるなら、国会で過半数の議席になりますね」と笑いを誘いました。
 「日本共産党は『国民が主人公』を一貫した信条として活動してきた政党として、国会の多数を得て民主連合政府をつくるために奮闘する」という確固たる路線について、「戦略・戦術の次元ではなく、『国民が主人公』の日本にいたる道も『国民が主人公』で進むという『一貫した信条』が強調されていることは深い意味があります」とのべました。
 綱領は、政府について、@「統一戦線の政府・民主連合政府」をつくることを目標とすること、Aそれにいたる過程では、「さしあたって一致できる目標の範囲」での統一戦線の形成とその上にたつ「統一戦線の政府」がありうることを規定しています。
 志位さんは、「選挙管理内閣」「暫定政権」など、「さしあたっての一致できる目標での政府」を提唱してきた歴史をたどり、「こういう原則的で弾力的な構えを持っていれば、過渡的情勢が起こったときにも的確に対応ができます」と話しました。
 ○○○
 講義は、民主連合政府の樹立への過程、政府が国の権力を握る問題に入りました。ここでは「支配勢力の妨害や抵抗をうちやぶる粘り強いたたかいが必要となります」。「古典教室」(第5回)で学んだ内容を復習しながら、経済的土台の変化は革命の条件となるが、革命の「決着をつける場」となるのは上部構造であり、古い社会にしがみつこうという勢力による政治や思想の舞台での激しい妨害や抵抗とのたたかいが必要になると強調。「この上部構造でのたたかいが、現代の日本では、とりわけ複雑かつ困難で、粘り強いたたかいが必要となります」とのべた志位さん。その一つとして、日本の巨大メディアの問題について、立ち入って解明しました。
 まず、巨大メディアが国民に与える影響の大きさを、マルクス、エンゲルスが活動した19世紀の欧州と比べました。当時のイギリスでは、最大の新聞タイムズが5万5千部(人口の0・3%)。現代日本の日刊紙の発行部数は、人口の半分に迫る5100万部。「19世紀の欧州と比べて、革命の『決着をつける場』である『上部構造』がはるかに巨大になっている」と語りました。
 さらに、志位さんは、日本の巨大メディアの異常さを、世界の他の国との比較で語りました。欧米では「クロスオーナーシップ」(異業種メディアの所有)が、相互チェック、報道の多様性がなくなるとして原則禁止されているのに、日本では、5大全国紙がテレビを系列下におき、新聞メディアと放送メディアの相互チェックが働かず、国民の意識に圧倒的な影響力をもっているとのべました。
 「権力のチェック役」としてのメディアの役割という点ではどうか。アメリカのメディアには、多くの問題もあるが、ニューヨーク・タイムズがベトナム・トンキン湾事件が米軍部のねつ造であったことを示す国防総省の文書(ペンタゴン・ペーパー)を暴露したこと、ワシントン・ポストがニクソン陣営が民主党本部を盗聴したウオーターゲート事件を暴露したこと――ジャーナリズム史にのこる二つの金字塔があることを紹介。イギリスではイラク戦争報道で公共放送のBBCが批判的立場を貫いたこと、最近ではフランスのルモンドが人権宣言(1789年)を引用して富裕層への課税を求める社説を掲げたことをあげました。
 これと比べて日本ではどうか。「個々のジャーナリストの奮闘はありますし、地方紙からは真実の声も聞こえてきますが、巨大メディアには『権力のチェック役』というジャーナリズム本来の仕事を投げ捨てたさまざまな問題があります」と指摘しました。
 「決定的な転機となったのは、90年代の小選挙区制導入でした」と志位さん。当時、民放テレビの報道局長は、「共産党に公正な時間をあたえると、かえって公正でなくなる」とのべ、「非自民政権」に露骨な肩入れをおこないました。志位さんの初質問となった小選挙区制導入をめぐる国会論戦では、当時の細川首相が「民意をゆがめる」と認めた答弁を、新聞が一切無視したことを、実感を込めて語りました。
 背景には、選挙制度審議会の27人の委員中11人がメディア関係者だったという実態があることを指摘。財界と一体に「二大政党づくり」「政権選択選挙」の大キャンペーンをすすめた「民間政治臨調」(1999年から「21世紀臨調」)でも、155人の運営委員中73人がメディア関係者となっていることをあげ、「権力のチェック」どころか「権力の暴走のしりたたき役」をしていると告発。「巨大メディアの権力との癒着、一体化は行き着くところまで行った」と批判しました。
 こういう状況のもとで、いかにして「上部構造」で、国民の多数派を民主主義革命の側に結集するか。
 志位さんは、「新しい探求と開拓が必要な分野です」として、各分野で国民運動を発展させ、メディアも無視しえない流れをつくることを強調するとともに、次のようにのべました。
 「日本には他の国にはないすばらしい人民的メディアがあります。『しんぶん赤旗』です。一人ひとり読者を増やし、結びついていくことがどんなに大切か。この人民的メディアを大きくすることが多数者革命への道です」
 ○○○
 革命は、政府の樹立では終わりません。政府は、国家の頭部にすぎないからです。実際の行政は膨大な官僚集団からなる行政機構が執行しています。「改造」や「つくりかえ」が必要になるというマルクス、エンゲルスの言葉を紹介し、日本での特権的高級官僚と財界、自衛隊とアメリカの深い結びつきを、具体的に指摘。「政府を樹立した後、革命を前進させる基礎となるのは、民主勢力の統一と国民的たたかいです」とのべました。
 志位さんは最後に、民主主義革命の日本とアジア、世界にとっての歴史的意義に言及しました。
 とくに綱領が、民主主義革命によって「日本国民がはじめて国の主人公となる」としていることの深い意味について、「たんに政治と社会の仕組みが変わるというだけでなく、国民自身が、さまざまな困難を乗り越えて、民主主義革命を自ら遂行することによって、主権者としての認識を前進させ、成長し、力量をつけていく。そういう意味でも主人公となる」と力説しました。
 「21世紀におけるアジアと世界の情勢の発展にとっての重要な転換点となり、日本が世界とアジアの平和の発信地となります。壮大な展望を持ち、この課題に挑戦しよう」とよびかけ、講義をしめくくりました。

感想/希望あるたたかいを/「大運動」へ力尽くす/統一戦線発展が要と確信/人民的メディア「赤旗」の役割を痛感
 革命の決着をつけるのは上部構造≠ニの指摘、その上部構造をにぎる権力の中枢にメディアがとりこまれ、国民に政治の真実を隠し続けていることが、具体的に明らかにされ、改めて綱領が記述している民主連合政府の樹立を妨害する力の大きさも実感された。また、海外メディアと日本のメディアの歴史や戦後のあり様、なぜこんなに違うのかと怒りがふつふつわいてきました。人民的ジャーナリズム「赤旗」の役割と、それを支え広げる党員の責務も痛感しました。「大運動」の取り組みの一つひとつが、政府をたぐり寄せるたたかいだということを改めて感じさせてくれました。(栃木 女性)
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 綱領で党建設にふれているのは統一戦線論だけという話にハッとしました。あらためて綱領実現の要中の要が統一戦線の前進・発展にあるということを強く感じました。
 後半の「マルクスの時代に比べてマスメディアが巨大になっている」という話はとても面白く聞けました。
 志位さんが「これも日本にしかないもの」として「赤旗」を取り上げていましたが、いまなお100万部を超えて発行される「人民的メディア」が日本に存在することの意義はやはり大きいと確信しました。(千葉 男性 35歳)
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 統一戦線の発展のためには、今すすんでいる「一点共闘」の広がりとともに、根本的解決のためには、アメリカ、財界いいなりの状況を変える必要があることを大いに国民の認識にしていくことが大事だと思いました。また、その中で日本共産党が強く、大きくある必要があると感じました。
 日本の巨大マスメディアが、世界と違って権力のチェック役を果たさず、悪政推進の片棒をかついでいる状況で、人民的ジャーナリズムにたった「赤旗」の役割が非常に大きいと思いました。
 「大運動」の成功のために力を尽くすことを改めて決意できる内容でした。(香川 男性)
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 衆議院の解散、総選挙が迫るなか、第三の躍進をつくり出し、民主連合政府への第一歩にしようと活動している今の取り組みに直結する講義の内容で、確信になりました。
 「一点共闘」の広がりも具体的でよく分かりました。日本のマスメディアの反動性を突破するためにも、人民的メディアである「赤旗」を拡大しなければと思います。
 選挙に勝利して、民主連合政府にむけた希望あるたたかいをしてゆきたいと思います。(徳島 男性 64歳)
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2012年02月23日,「赤旗」) (Page/Top

国家公務員賃下げどう考える/公務員制度に詳しい・専修大学法科大学院教授(行政法学)晴山一穂さん

世界では労働基本権を保障
 私は1995年から2年間フランスで生活しました。当時フランスでは増税や年金改悪に反対し、数百万人規模の全国ストライキが頻発していました。ストの中心は教員や国鉄、電気などの公務員でした。
 電車がとまったにもかかわらず、国民の6〜7割がストを支持していました。「公務員の生活が守られずして、国民の生活は守られない」というのがフランスの感覚だったのです。
 フランスやドイツの公務員は労働基本権が原則的に保障されています。フランスでは警察官もスト権はありませんが、労組をつくって労働条件改善を求めています。テレビの刑事ドラマでは上司の刑事が部下に「この問題を労組はどう考えている?」と聞くセリフがごく当たり前に出てきます。
 職務命令がおかしいと感じれば上司に意見を述べる権利も法律で保障しています。ドイツではファシズムの反省から、人間の尊厳をおかす命令には従ってはならないとされています。
 これにたいし日本の公務員は異常な無権利状態におかれています。憲法で保障されている団体交渉権が一部制限され、争議権がはく奪されています。ILO(国際労働機関)も日本政府に対し、公務員に労働基本権を付与せよと数回にわたり勧告しています。人事院の給与勧告は国際的にも異常な労働基本権制限の代償措置≠ニして制度化されてきたのです。民主党政権はそれさえも、無視して給与を引き下げようとしています。
 日本では上司に意見を述べる権利も法律で明文化されていません。本来公務員は「国民全体の奉仕者」(憲法15条)です。憲法が定める国民の権利と福祉を実現することが公務員の役割です。
 しかし歴代政権は、公務員を抑圧してきました。公務員は「全体の奉仕者」の性格をそぎ落とされ、財界に奉仕する役割が強化されました。その結果、福祉や教育など国民生活擁護の行政分野は大きく後退し、国民が被害をうけてきたのです。
 他方、早急に改革すべき高級官僚の特権は温存されたままです。民主党政権でも「天下り」がより露骨になっています。政官財癒着を形成している特権的官僚制度の改革こそが必要なのです。
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2012年02月05日,「赤旗」) (Page/Top

私と「赤旗」/創刊84年/神戸学院大法科大学院教授上脇博之さん/「政治改革」本質つく

 創刊当時は天皇制ファシズムとたたかい、戦後も民主主義のために奮闘してきた「赤旗」に敬意を表します。「84年」というのは政党機関紙として世界的にも特筆すべき歴史ではないでしょうか。
 1994年の「政治改革」では、財界や米国の要求で、民意を歪曲する小選挙区中心の選挙制度に改悪されました。福祉国家政策を否定する新自由主義政策と米国の戦争に協力するための憲法9条改悪が狙いでした。
 「赤旗」は、当初から「政治改革」の本質を明らかにし、真っ向から反対する論陣を張ってきました。主権者・国民の視点で、比例定数削減の問題点を図表なども駆使してわかりやすく説明しています。
 それに比べ、商業マスコミは、財界や米国のための比例定数の削減を主張する論調が少なくありません。両者の違いは決定的です。
 日本が真の国民主権、議会制民主主義の国といえるためには普通選挙の実現だけでは不十分です。選挙運動の原則自由化、民意を正確に反映する比例代表制の採用、政治腐敗の温床である企業・団体献金の全面禁止、政党を国民から遠ざけてしまう政党助成金の廃止は、最低条件です。
 「赤旗」には、この「条件」が充足されるよう今後も奮闘してもらいたいと思います。
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2012年02月02日,「赤旗」) (Page/Top

 

(1月本文)

ホロコースト記念日/世界各地で追悼/極右とのたたかい呼びかけ

 国際ホロコースト記念日の27日、ナチス・ドイツによる犠牲者を追悼する行事が世界各地で行われました。
 最近の世論調査では、ナチス・ドイツがユダヤ人を虐殺したホロコーストについて、ドイツの若者(18〜30歳)の約20%が、アウシュビッツで何が起きたのか知らないと回答。こうしたもとで、ネオナチグループの犯行とみられる移民系住民9人の連続殺害事件も起きています。
 ドイツ連邦議会での追悼行事でラマート下院議長は「20%というのは、ドイツにとって多すぎる」と指摘。「最近明らかになった連続殺害事件は、われわれがまだ(人種による憎悪の克服という)目標を達成していないことを示している」と述べ、極右勢力とのたたかいを呼びかけました。
 写真(ロイター)は、ドイツ連邦議会で行われた追悼行事。
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2012年01月29日,「赤旗」) (Page/Top

ホロコースト関与を謝罪/ノルウェー首相、国際記念日に

 ノルウェーのストルテンベルグ首相は国際ホロコースト記念日の27日に首都オスロで行った演説で、「ユダヤ人の逮捕と強制移送に、警察やその他のノルウェー市民がかかわったことを認めなければならない」と述べ、ナチス・ドイツのホロコースト(ユダヤ人虐殺)に関与したことを公式に謝罪しました。
 同国首相がホロコースト関与についてこれほど明確に謝罪するのは初めてといいます。
 同首相はこの日、国内のユダヤ人が強制移送された港で演説。「虐殺したのは間違いなくナチスだ。だが(ユダヤ人を)逮捕し、(移送用の)トラックを運転したのはノルウェー人だ。それはノルウェーで行われた」と語りました。
 その上で、「この国で起きたことについて、最も深い謝罪を表明するときだ」と述べました。
 ノルウェーは第2次大戦時、ドイツ軍に占領されました。当時国内にいた約2000人のユダヤ人の3分の1以上が収容キャンプに送られ、残りは参戦していなかった隣国スウェーデンに逃れたといいます。
 英国放送協会(BBC)によると、ノルウェー政府は1998年にホロコースト関与を認め、ユダヤ人らへの賠償も行いましたが、全面的な謝罪はなかったといいます。
 (関連6面)

国際ホロコースト記念日
 67年前の1945年1月27日にポーランドのアウシュビッツ・ビルケナウ絶滅収容所がナチス・ドイツから解放されたことにちなみ、2005年の国連総会で制定された記念日。世界各地でナチス・ドイツによる虐殺の犠牲者を追悼する行事が行われます。
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2012年01月29日,「赤旗」) (Page/Top

試写室/日本人は何を考えてきたのかC幸徳秋水と堺利彦/NHKEテレ29日後10・0

現代の「閉塞」突く明治の情熱
 日本人の思想の営みを、明治、大正、昭和と探るシリーズの明治編最終回「非戦と平等を求めて」です。19世紀から20世紀へ、幸徳と堺は、日露開戦論が席巻した中で敢然と非戦を唱えました。その非戦論は社会主義と分かちがたく結びついていました。「坂の上の雲」が触れなかった非戦を正面から取り上げた見識は貴重です。
 ナチスに殺されたユダヤ人の伯父を持つフランスの幸徳研究家、クリスチーヌ・レビさんが2人の足跡をたどり進行します。若い社会主義者が、自由・平等・博愛の延長上で苦闘したさまがうかがえます。
 日露戦争後、社会主義を一網打尽にすることを狙った政府は、天皇暗殺を謀ったという「大逆事件」をでっち上げ、1911年、幸徳ら12人を絞首刑にします。「時代閉塞」、社会主義冬の時代を余儀なくされます。
 番組は、近代日本がはらんでいた「非戦」というもう一つの可能性と、国家と相いれない思想を排除した大逆事件が、太平洋戦争に至る歴史に果たした役割を示します。明治の社会主義者の情熱が、現代の「閉塞」に突き刺さります。「大正編」は7月の放送です。
 (荻野谷正博)
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2012年01月28日,「赤旗」) (Page/Top

「わが闘争」抜粋を黒塗り出版

 【ベルリン=時事】ドイツでナチス総統ヒトラーの著書「わが闘争」の抜粋を雑誌の付録として発行する計画を進めていた英国の出版社は25日、反発が広がったのを受け、抜粋部分を黒塗りなどして隠す措置を施した上で、販売すると発表しました。
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2012年01月27日,「赤旗」) (Page/Top

ナチス史跡、博物館に/独ヒトラー暗殺未遂現場

 ポーランド森林管理当局は、ナチス・ドイツの指導者アドルフ・ヒトラーが第2次大戦時に総統大本営として使用した「オオカミの巣」の要塞(ようさい)跡を通年開館できる博物館として整備し、観光地にしたいと考え、投資家を募っています。ロイター通信などが報じました。
 要塞跡は、同国北東部のロシア国境に近いケントシン市にあり、「ワルキューレ作戦」として知られる1944年7月のドイツ軍将校によるヒトラー暗殺未遂事件の舞台として有名。トム・クルーズがナチスに反逆した将校の中心人物、シュタウフェンベルク大佐を演じたハリウッド映画「ワルキューレ」が2008年に公開され、再び脚光を浴びました。
 要塞はもともと、41年6月、ナチス・ドイツのソ連(当時)奇襲攻撃「バルバロッサ作戦」の際、作戦行動を指揮するヒトラーやナチス幹部を空爆から守るために建設されました。ナチス・ドイツが45年初めに撤退した際に破壊。広大な地雷原に囲まれていたため、戦後、除去作業が10年間かかりました。
 現在、荒廃したまま、一般にも開放されています。しかし、深い森林の中にあり、泥道を通らなければたどり着けないため、多くの観光客を呼べる状態にはなっていません。
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2012年01月27日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 「一月二十七日。朝が来た。床にはやせこけた四肢が…」。イタリアの作家プリーモ・レーヴィは、1945年1月27日のできごとを淡々と記しています▼アウシュビッツ強制収容所にとらわれていた彼は、病気にかかり「伝染病室」にいました。ドイツ軍はすでに逃げ、いません。床のやせこけた人は、亡くなったばかりの「病室」の仲間でした▼レーヴィたちが、すっかり軽くなってしまった彼の遺体を離れた場所に運んでいるときです。ソ連軍がやってきたのは。「私たちは灰色の雪の上にたんかをひっくり返した」。この瞬間、アウシュビッツ収容所は解放されました▼しかし、衰弱していた「病室」の仲間は、ソ連軍の臨時病棟で相次いで死んでゆきます。レーヴィが戦後に著した『アウシュヴィッツは終わらない』は、世界中で読まれてきました。彼自身、若者に、強制収容所の記憶を語り継いでほしいと願ったのです▼国連は2005年、アウシュビッツの解放日を「国際ホロコースト記念日」と定めました。ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺をさす「ホロコースト」。もともとは、「焼かれたいけにえ」を意味する言葉といいます。国連は加盟国に対し、犠牲者を悼み、ホロコーストについての教育を発展させるよう求めています▼最近、ドイツの世論調査が伝えられました。ドイツの若者の2割は、アウシュビッツがナチスの「死のキャンプ」だと知らない、と。歴史から学ぶ授業≠ノ休みがあってはならない、と教えます。
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2012年01月27日,「赤旗」) (Page/Top

ワンゼー会議70年/ユダヤ人虐殺忘れぬ/ドイツ大統領ら訴え

 【ベルリン=時事】ナチス・ドイツが欧州のユダヤ人を虐殺する「ユダヤ人問題の最終的解決」を決定し、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)に突き進む節目となった1942年1月のワンゼー会議から20日で70年となりました。会場となったベルリン南西部の邸宅を訪れたウルフ大統領は「信じ難いことが起きたという事実を忘れてはならない」と訴えました。
 大統領は演説で、「(ホロコーストの)記憶を保つのが国家の使命。ドイツは常にイスラエルと共にある」と強調。一緒に邸内を回ったイスラエルのペレッド無任所相(ホロコースト問題担当)は「70年たったが、700年が経過しても忘れない」と語りました。
 ワンゼー会議にはナチスの関係省庁の高官ら15人が出席し、各省庁が職務を分担して「最終的解決」に当たる方針を確認。わずか1時間半の会議でユダヤ人の運命が決められました。ナチスによるユダヤ人殺害は既に始まっていましたが、大量移送や大虐殺は会議後、組織化されました。
 風光明媚(めいび)なワンゼー湖に面している邸宅は当時、ナチス親衛隊が所有していました。92年に記念館に改装され、ナチスに関する史料や会議の議事録の写しが展示されています。
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2012年01月22日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 あの「エストニアの怪人」は、巨体で怪力だからついた異名です。大関・把瑠都の青い目の笑顔は、ちゃめっ気たっぷりで人なつこい▼異国の土をふんで8年。史上2番目の速さで新入幕をはたして6年。ついに彼は、初優勝を飾りました。「夢みたい。人間、やればできる」。けがに泣いたり角界のしきたりになじめなかったりで、落ち込んだときもあった怪人は、感極まりました▼お母さんに感謝、感謝です。把瑠都が2歳のとき離婚したお母さんは、ひとりで兄弟3人を育て養いました。把瑠都は少年時代、柔道選手でした。2年前、大関に昇進して本紙「ひと」欄に登場し、こう語っています▼「お母さんがお金を持っていなくて、大学の学費が高いから(入学して)1カ月で行けなくなりました。ナイトクラブのガードマンの仕事を始めたけど、相撲をやりたくなって、日本に行こうと決めました」▼バルト3国の一つ、エストニア。国民の約7割がエストニア人、4人に1人がロシア人です。エストニア人は、フィンランド人に近いアジア系民族といいます。ロシア支配下のエストニアの独立を認めたのが、レーニンの革命政権です。ところが1940年、スターリンがナチス・ドイツとの密約にもとづいて占領しました▼ソ連が崩壊した年、91年に独立を回復したエストニアは、ロシア人とどう共存するかの難問もかかえます。把瑠都の妻エレナさんは、ロシア人です。エストニア国民こぞって喜べる、バルトの優勝かもしれません。
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2012年01月22日,「赤旗」) (Page/Top

ピカソの絵画盗まれる/ギリシャ

 【アテネ=AFP時事】ギリシャ警察は9日、首都アテネの国立美術館で同日早朝、ピカソの1939年の油彩画「女の頭部」を含む絵画3点が何者かに盗まれたことを明らかにしました。
 「女の頭部」は、第2次大戦中にギリシャ国民がナチス・ドイツに抵抗したことを評価したピカソが49年に寄贈したもの。このほかオランダの画家モンドリアンの作品などが盗まれました。美術館の警備は3日間のストのため手薄になっていました。
 地元テレビは、3点で計約550万ユーロ(約5億4000万円)の価値があると伝えています。
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2012年01月11日,「赤旗」) (Page/Top

石子順のにちようシネマ館/善き人(英・独)

 善良な知識人がナチスにとりこまれていくこわさをヴィセンテ・アモリン監督がとらえました。
 1937年、大学教授ハルダー(ヴィゴ・モーテンセン)は突然、総統官邸に呼び出されました。ナチス党検閲部長から、ヒトラーが彼の小説を気に入ったので安楽死について論文を書けと命令されます。ハルダーはナチス党に入り妻子をすてて教え子と再婚し、文学部長に昇進。ユダヤ人の親友がそれに反発します。38年、ユダヤ人迫害が激化する中、親友が国外脱出の助けをもとめてきて…。
 背広姿だったハルダーが親衛隊の軍服姿になった瞬間、悪魔に身を売ったように見えます。人間の良心が強権に屈服していくさまをナチスの時代のことだけではなく、今でもありうることとして描いているのが鋭い。
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2012年01月08日,「赤旗」) (Page/Top

2012新春インタビュー/経済同友会終身幹事品川正治さん/春≠フ嵐日本でも

 2012年はどんな年になるのか。どんな年にするべきなのか。経済同友会終身幹事の品川正治さんに聞きました。

臨界点に達した怒り
 閉塞感という言葉がよく使われます。しかし、今年は閉塞感とかいう言葉はもう使われないほど激動の年になるのではないでしょうか。抑えられてきた人々が、もうがまんできないと、本格的に動きだす年になるのではないか。世界の主だった国で指導者がかわり、大統領選挙があります。日本ではいつ総選挙があるかわかりません。激変する可能性があります。
 すでに中東では「アラブの春」といわれる変化が起き、アメリカのウォール街で起きた貧困と格差の是正を求める若者の行動は、全米、世界中に広がりました。日本では、自民・公明政権から、民主党政権へと政権交代が起きたものの、失望感が広がっています。では、自民・公明政権に戻すかといえば、それもいやだとなっています。
 かなり荒れる#Nになるでしょうが、問題はいい意味で荒れる≠ゥどうかです。大阪の橋下・維新の会のようなファッショ的な動きもありますからね。戦前のドイツでは、ワイマール憲法ができたことで、民主的な政権ができました。ところが、ヒトラーが政権を握り、憲法を停止し、共産党を弾圧する。当初は、ナチスに一度やらせてみようみたいな雰囲気だった。それが、世界をひっくり返すようなことになったわけです。
 いい意味での大きな変化を生み出す必要があります。いまの枠組みをそのまま続けるのは無理でしょう。大手メディアも操れないようなもっと根強い政府批判が出てくるでしょう。環太平洋連携協定(TPP)、原発、消費税など問題は山積です。沖縄の米軍普天間基地問題をめぐる県民の怒りは、もう臨界点に達していると思います。原発については、事故が起きたいま、1万分の1とかいう確率で安全性を論じることは通用しません。なくす以外にありません。貧富の格差の問題も、日本の弱点、資本主義の弱点を表面化させました。「いざなぎ景気」を超える景気回復といっても、大企業がよくなった分、国民生活が悪くなっただけじゃないか。東京・日比谷公園での「派遣村」を超える事態に発展してもおかしくありません。

どの矛盾にも本気で
 私は、戦争に行き、戦闘をし、阪神大震災で母を亡くしています。私個人の経験からいって、いつの時代と比較してみても、これだけいろんな問題がそろって表に出てくることは珍しいことです。
 日本の場合、あいまいにしてきたものが、あいまいに処理できなくなってきたということでしょう。たとえば、日本の憲法と日米軍事同盟とどっちが大事なんだという問題。どっちも大事だと適当にごまかしてきた。それが、普天間問題で矛盾が爆発してしまったわけですよね。武器輸出三原則を守っているというが、基地ほど大きな兵器はないじゃないか。日本列島は、アメリカにとって「不沈空母」のような存在になっています。
 上から目線で閉塞しているというのではなくて、国民は自発的に動きだす。同時に対抗勢力が動きだす。憲法改悪の動きも強まるでしょう。すべての問題が表面化したなか、それをめぐって左右がたたかう年になるのではないでしょうか。
 国民のなかには、反TPPの人もいれば、反原発の人もいる。「いまどきの若い人は」などという議論は必要ありません。若者は若者なりの形で、反貧困の行動であったり、反原発であったりの行動に立ち上がっています。
 反TPPの人すべてが反原発ではない。すべての矛盾に、すべて「解」を与えてほしいという形で、国民が立ち上がっているのではなくて、一つひとつの問題で立ち上がっている。それを、革新の側が、一つひとつの問題でいっしょにたたかいましょうという時代になってきたと思います。共産党がいっておられる「一点共闘」の広がりですね。
 根底には、いろんな矛盾がごまかしでは通らなくなった。どの矛盾でも、みな本気で立ち上がるようになってきたということではないでしょうか。

「赤旗」の役割大きく
 「しんぶん赤旗」の果たす役割はものすごく大きいと思います。
 たとえば、「赤旗」は、対米従属は日本の大きな矛盾だと一貫して主張してきました。ところが、大手メディアは、アメリカと日本の価値観はいっしょだということで、ごまかしてきました。そのごまかしが通用しなくなってきた。イラク戦争やリーマン・ショックなどを経て、アメリカは自国の覇権、自国の国益しか考えていないのではないかと、国民にもわかってきました。また、大手メディアは、憲法9条と日米安保条約は矛盾しないという姿勢でした。普天間問題などを通してもう、そんなことはいえなくなった。大手メディアを、国民がしだいに信用しなくなってきた。そんななか、矛盾を矛盾として一貫して鋭く指摘し、たたかいを励ます「赤旗」の役割は、ますます大きくなっていると思います。
 聞き手 渡辺 健
 写 真 林 行博

 しながわ・まさじ 1924年、神戸市生まれ。現在、経済同友会終身幹事、財団法人国際開発センター会長、全国革新懇代表世話人。東京大学法学部卒。日本興亜損保(旧日本火災)社長・会長、経済同友会副代表幹事・専務理事を歴任。著書に『これからの日本の座標軸』『9条がつくる脱アメリカ型国家』『戦争のほんとうの恐さを知る財界人の直言』『反戦への道』など。
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2012年01月06日,「赤旗」) (Page/Top