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12月
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ヘーゲル生誕250周年に寄せて 鰺坂真 貫いた人間の理性への確信
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◆ 10月
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「官邸強権政治」の源流 官房長官時代7年8カ月 菅氏は何をしてきたか
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2020米大統領選 トランプ氏に批判噴出討論会で差別主義に無批判
◆ 9月
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ドイツ「反戦の日」 即時停戦 核廃絶求める 平和団体・労組などがデモ
◆ 6月
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連帯示し世界各地で行動 アラブ諸国 市民・芸術家など訴え
◆ 3月
◆ 2月
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おはようニュース問答 極右が支持の独州首相、世論でやめさせたね
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独に極右が支持の州首相「ファシズムと組むな」 各地で抗議
◆ 1月
【本文】
2020年12月15日
哲学者へーゲルは1770年に、西南ドイツのシュツットガルトで生まれました。今年でちょうど生誕250年になります。
1788年にチュービンゲン大学の神学部に入学。翌年、隣国でフランス革命がおきました。当時のドイツの若者たちはこれに大きな影響を受けました。ヘーゲルもその中の一人でした。彼は、終生フランス革命は「理性の夜明けだ」という意見を持ち続けました。
ヘーゲルの画期的な功績は、弁証法的世界観の最初の最も包括的な叙述を試みたことでした。彼は自然と歴史および人間の認識のすべての過程が、不断の運動・変化・発展の過程に貫かれていることを示し、その内的連関をとらえました。これがヘーゲル弁証法です。ヘーゲル哲学の合理的な核心は、人間社会の進歩と科学の発展の豊かな内容に立脚している点にありました。
しかし彼はその内容を、「絶対理念」という観念的実体が自己実現していくという、現実が逆立ちした観念論的体系として叙述しました。そのため、彼の弁証法は自然からも人間の頭脳からも切り離された、概念の自己展開という不合理な衣に覆われてしまいました。
マルクスとエンゲルスは、このヘーゲルの観念論的弁証法を批判して、その合理的な核心を取り出し、これを唯物論的に改造しました。
マルクスたちがヘーゲルから受け継いで取り出すことのできた合理的な核心とは何か。それは人間理性への確信です。
当時、すでに反動期に入っていたドイツで理性への不信が幅を利かせ、情念や感情が大事などという思想、あるいは感覚的事実がすべてであるという思想がはびこっていたのに対して、ヘーゲルは「真理の理性的認識に対する軽蔑」に憤りを表明し、「学問の確実性」を確信すること、「社会発展の必然性」と「法則性」を徹底して追求することの重要性を強調しました。
マルクスやエンゲルスもこの点でヘーゲル哲学を受け継ぎ、『資本論』で資本主義の科学的分析を進め、「価値」や「貨幣」や「資本」など、直接には感覚できないものを理性的に分析し、資本主義の矛盾を見つけ出し、資本主義社会の克服の道を探究しました。
19世紀後半から観念論陣営は、ショーペンハウアーから、さらにニーチェ、そして20世紀のハイデッガーへと「反理性主義」を強め、ヒトラーのファシズムへの道を準備することになりました。
20世紀に入り、ヒトラーが出てきた時期に、主として欧米で、ヘーゲル主義がファシズムの源流であるという論調がみられました。確かにへーゲルは、19世紀のイギリスなどの議会制民主主義が腐敗選挙で混乱していたのを厳しく批判して、否定的な評価をしているところがあり、それが論拠とされていました。
例えばユダヤ系のオーストリア人のK・ポッパーなどが代表的です。彼はウィーン大学の教授でしたが、ナチスの侵略を嫌ってロンドンに亡命し、ロンドン大学教授として、戦時中、また第2次大戦後も、盛んにナチズム反対と同時にスターリンのソ連にも反対する活動をした人物です。
彼はファシズムの源流はヘーゲルであると主張しました。しかしそれは誤解で、ヒトラーの思想的源流は上記のように「反理性主義」の潮流でした。へーゲルはこれとは違って、「理性の夜明け」を支持していました。
第2次世界大戦も終わり、ドイツのファシズムも打倒された現在は、欧米でもヘーゲル哲学は見直されてきていて、ヘーゲル学会というものも盛んに活動しているようです。ヘーゲル哲学の基本に、以上のような「理性の科学的認識」への信頼があったことは再評価されるべきことでしょう。
あじさか・まこと 1933年生まれ。関西大学名誉教授。『マルクス主義哲学の源流 ドイツ古典哲学の本質とその展開』『時代をひらく哲学』ほか
2020年11月11日
あいちトリエンナーレへの補助金カットや、日本学術会議の新会員任命拒否問題など、国民の思想や表現、学問の自由への抑圧が続いている。桐野夏生の近刊『日没』(岩波書店)はその危機感の表出した作品である。
最近作家の自殺が多いと思っていた矢先、エンタメ作家のマッツ夢井は突然、総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会というところから「召喚状」を受けとる。マッツは崖の上の施設に収容され、更生を強要されるのだ。
「(ヘイトスピーチ法の成立を機に)ヘイトスピーチだけでなく、あらゆる表現の中に表れる性差別、人種差別なども規制していこうということになった」と所長は説明し、「社会に適応した小説」を書けと命ずる。
「ヘイトスピーチは、表現ではありません、あれは扇動です、差別そのものです。でも芸術表現は創作物なんですから創作者が責任を持つものです。一緒にするのは間違ってます」。マッツは必死に抵抗するが、終わりの見えない軟禁の悪夢の中で孤独な闘いが…。
荒唐無稽な作品世界と片付けるわけにはいかないところに現実の深刻さがある。学問、芸術への弾圧はファシズムの常套(じょうとう)手段。その道を許してはならない。学術会議の任命拒否は撤回させなければならない。(聳)
2020年11月2日
日本学術会議の会員6人の任命を拒否する菅政権と正面から対決し、来たる解散・総選挙で岩手県から政権交代を―。県内の3野党は10月31日昼、盛岡市のJR盛岡駅前で合同街頭演説を開きました。
立憲民主党(野党統一)の横沢高徳参院議員は、コロナ禍の下でも大企業と富裕層を優遇しようとする菅政権から、野党共闘で国民の懐を温める政治へ転換すべきだと強調。社民党県連合の小西和子代表は、菅首相が言う「自助」の押し付けでは一人親世帯の貧困は解決しないと指摘し、「いまこそ支え合う社会が必要だ」と語りました。
立憲民主党(同)の木戸口英司参院議員は「日本学術会議法の解釈を勝手に変える菅首相に、新たなファシズムを感じている」と警告。民主主義の危機に国会論戦で立ち向かうと訴えました。
日本共産党県委員会の斉藤信副委員長は、学術会議の独立性や学問の自由は、科学者と国民が戦争に巻き込まれた教訓を踏まえたものだと力説。国会答弁がボロボロの菅政権をさらに追い詰め、総選挙で政権交代を実現するために「市民と野党の共闘に誠実に取り組む」と表明しました。
演説の後、弁士らは聴衆と「がんばろう」を三唱しました。
2020年10月28日
日本学術会議は、学術の進歩に寄与することを使命として1949年に設立され、「学者の国会」とも呼ばれる。戦前、政府による学問への支配、とくに戦争利用の苦い経験をふまえ、日本国憲法の「学問の自由」の理念に立って、政府からの強い独立性をもつ。
会員は学術会議の推薦にもとづいて首相が任命するが、それは形式的なもので首相は推薦された人を拒否できない。政府もこれまでそう解釈してきた。
しかし、菅内閣は、推薦された105人のうち6人の任命を、理由を示すことなしに拒否した。推薦基準は、日本学術会議法の定める「優れた研究又は業績」が唯一のものであるのに、「総合的・俯瞰(ふかん)的な観点」という判定基準を持ち出した。これは明白な違法行為である。首相は推薦名簿を「見ていない」と弁明したが、それを前提にすると「任命」そのものが成り立たない。
ところが、政府は、これらの違憲・違法の疑問について一切説明しないまま、学術会議のあり方が問題であると、論点をすり替えた攻撃に乗り出した。
このたびの政府の行為の標的は学問の自由の圧殺にある。それは民主主義の根幹を揺るがす。政権によるファシズムを許さない、思想的立場を超えた国民の広範な結束が今求められている。(憲)
2020年10月17日
○…菅政権による日本学術会議への人事介入問題。国民運動部では労働者や平和、学生、女性など20団体以上の抗議声明や談話を紹介。短期間にこれだけ多くの声明が発表されるのは最近ではあまりなく、改めて問題の重さを実感しました。
○…共通するのは、日本学術会議法が定める独立性を脅かし、憲法23条が保障する学問の自由を侵害するとの指摘です。戦前、学問の自由が政府によって侵害され、学界・研究者が戦争に協力させられたことへの反省にたって学術会議が創設されたことに多くの団体がふれています。
○…学術会議だけの問題ではないととらえていることも特徴です。思想・信条の自由や言論・表現の自由を侵害するもので、国民の利益に反すると批判する声もありました。
○…「政府の方針に反対するものを排除していく行為はファシズムそのもの」との指摘も。改憲を狙い「戦争する国」への道を準備する菅政権による立憲主義、民主主義に対する挑戦。これからも、これに抗い新しい政権を求める人びとの動きを伝えていきます。(み)
2020年10月9日
ギリシャの首都アテネの裁判所は7日、極右ネオナチ政党「黄金の夜明け」を犯罪組織と認定し、事実上禁止する判決を出しました。
判決が出ると、法廷内でも裁判所前に詰めかけた数千人の人々からも拍手が起きました。2013年9月、同組織の支持者に殺害された左翼的なラッパー、パブロス・フィサス氏の母親、マグダさんは「パブロスやったよ。私たちは勝った」と涙ながらに語りました。
「黄金の夜明け」は、ギリシャの債務危機の中で排外主義的な主張で勢力を拡大し、12年には21議席(得票率7%)で議会に初進出し、15年には第3党に。しかし外国人、移民、左翼人士や労働組合などに対する襲撃で逮捕者を出すなどし、昨年の総選挙では議席ゼロに終わりました。
急進左派連合(SYRIZA)のチプラス前首相は「反ファシズムの運動に団結したすべての市民に感謝する」とツイート。中道右派のミツォタキス首相も「ナチのグループは選挙で負け、裁判でも有罪になった」「わが国のトラウマのサイクルは終わった」と判決を歓迎しました。
2020年10月8日
菅義偉首相による日本学術会議への人事介入に抗議し撤回を求める各団体の声明や談話が続いています。
■国公労連は浅野龍一書記長の談話で「官邸の意に沿わない者を露骨に排除する政治介入」だと批判。官邸主導人事が行政のゆがみを生じさせていたことを踏まえれば、日本の科学を政治権力のもとにひれ伏せ、民主的発展を大きくゆがめる」とし、内閣府と内閣人事局の抜本的見直しを求めています。
■全教は檀原毅也書記長の談話で「学術会議の存在意義を脅かすものであり、憲法が保障する学問の自由の侵害にほかならず許すことはできない」と強調。民主主義と国民に対する攻撃であり「学問の自由の侵害は真理・真実を追究する教育をゆがめ、教育を受ける権利をも揺るがす」としています。
■全日本年金者組合は金子民夫委員長の声明で、「見せしめ的手法で異論を排除することは、学問研究の領域でも官邸支配を強めるものであり、断じて認めるわけにはいかない」と強調。6人を速やかに任命すべきだとしています。
■婦人民主クラブは櫻井幸子会長の声明で、学問の自由を保障した憲法第23条を踏みにじる暴挙であり「政府の方針に反対するものを排除していく行為はファシズムそのもの」だと批判。「戦争への道につながる重大な憲法違反の行為を許さない」としています。
■日本AALAは声明で「政府の意に沿わない学者を排除するものであり、学問の独立と自由を侵害し、ひいては学問の国家統制の再来につながりかねない」と指摘しています。
2020年10月7日
「任命拒否は違憲! 違法!」「日本学術会議への人事介入に抗議する」―。菅首相による日本学術会議推薦の会員候補の任命拒否に対して首相官邸前で行われた6日の抗議行動では、参加者が異論を排除するやり方に怒りの声を上げました。
自営業の女性(30)=横浜市=はこの日の朝から、「日本学術会議への人事介入に抗議する」と書かれたプラカードを掲げて抗議行動をしていました。「このままでは政権の恣意(しい)的な判断で、不条理や不法がまかり通ってしまうようになる。そんな社会にはしたくないから、こうして少しでもこの問題を『可視化』しようと朝から立っています」
東京都西東京市の上村一男さん(75)は「菅首相は『政府の政策に反対する幹部には異動していただく』と官僚に圧力をかけてきました。学術会議への人事介入も、権力を振りかざして異論を排除する独裁的な手法です。そんなことは通用しないという意思を示していきたい」と語りました。
「菅首相は官房長官の時から何も変わっていない。いつもちゃんと説明せず、大切なことはけむに巻く感じがする」と語る女性(43)=山梨県富士河口湖町=は、ガリレオ・ガリレイが印刷された大きなプラカードを持って参加しました。「今回の6人の候補者が任命されなかったことは、任命された人たちも『自分たちも排除されるかもしれない』という不安で萎縮させることになると思う。政権に不都合なことは言わせないという圧力が見える」と批判しました。
手製のプラカードを持参した東京都世田谷区の女性(60)は「政府による言論統制を許せば、民主主義が破壊されて独裁国家になると危惧しています。国民の怒りの声で任命拒否を撤回させたい」と力を込めました。
道路の向かい側から抗議の声を上げた同品川区の女性(42)は「任命拒否は学問の自由を侵害し、社会全体を萎縮させることにつながる大問題です。国民の一人として黙っていられない」と訴えました。
夫婦で参加した女性(77)は「恐ろしいです。盾突くものは許さないという感じ。民主主義と言っているけどファシズムのよう」と力を込めました。
都内在住の女性(44)は「自民党や政権にとって都合の悪い人は排除するという意図や脅しのようなものが透けて見える」と言います。「政権にとって都合のいい人ばかりを周りに置くような国になってほしくない」と訴えました。
同板橋区在住の男性(72)は「菅さんはソフトな印象で出てきたけど、安倍さんよりも強権発動している」と強調します。「苦労人だとか、たたき上げのように言われているのはちゃんちゃらおかしい」と憤ります。
2020年10月4日
日本学術会議が推薦した会員候補者の任命を菅義偉首相が拒否したことに、「学問の自由への侵害だ」「ファシズムそのものだ」など、厳しい批判がわきおこっています。官僚を「内閣人事局」をテコに脅しつけ、記者には「あなたの質問には答えない」と言い放ち、ついに科学者まで意のままにしようとするものです。「官邸強権政治」がついにここまできました。安倍政権7年8カ月、菅氏はこの間、官房長官・裏の仕掛け人として、官邸で何をやってきたのか、改めて検証します。
官房長官は内閣の要。7年8カ月もその座にあり、戦後最長政権の悪行を記者会見で“正当化”してきた菅氏は、悪政推進の共同責任者です。自ら「私は7年8カ月の間、日本経済の再生、外交・安全保障の再構築、全世代型社会保障制度など重要政策の決定に全て関与していた」「私はアベノミクスをやってきた張本人だ」(9月12日、日本記者クラブでの自民党総裁選公開討論会)と言ってはばかりません。
なかでも、憲法の縛りを解く立憲主義破壊で、菅氏は異論を排除し、悪政を推進する先導役を果たしました。
安倍政権は2013年8月、当時の山本庸幸(つねゆき)内閣法制局長官を最高裁判事に「左遷」し、内閣法制局長官を集団的自衛権行使の積極容認派の小松一郎駐仏大使にすげ替えました。山本氏は直後の判事就任の会見で、憲法を変えずに憲法の中身を変える解釈変更は「難しい」と明言。すると菅氏は官房長官会見の場で「公の立場で憲法改正の必要性まで言及したことについては、私は非常に違和感を感じている」と山本発言を攻撃し、憲法解釈変更を政治主導で行う姿勢を示しました。
安保法制=戦争法が国会で審議されていた15年6月、200人以上の憲法学者が連名の撤回声明を発表。菅氏は「(安保法制が)違憲ではないという憲法学者も多数いる」と反論したものの、戦争法を「合憲」とする憲法学者を名前で挙げたのは3人だけ。野党議員から追及されると「数ではない。憲法の番人は最高裁だから、その最高裁の見解に基づいて法案を提出させていただいた」と戦争法を正当化しました。
こうした悪政を推進するための機関として安倍政権下でつくられたのが、官邸主導で政策を決定する多数の会議体です。いずれも首相と官房長官が関与。とりわけ外交・軍事の司令塔「国家安全保障会議」では、首相、官房長官、外相、防衛相の「4大臣会合」に権限が集中し、秘密保護法や集団的自衛権行使の憲法解釈変更の方針などが決定されてきました。
安倍前政権の強権・民意圧殺の最たるものが、沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設であり、その司令塔を担ったのが菅氏でした。
官房長官時代、「沖縄基地負担軽減担当相」を兼任し、工事を指揮。沖縄県民が選挙で何度、新基地反対の圧倒的な民意を示しても意に介さず、「(工事を)粛々と進める」と繰り返してきました。
護岸工事や土砂投入などのタイミングはすべて「官邸マター(案件)」(防衛省関係者)。菅氏らは陸上や海上で抗議する住民を弾圧するために警察や海上保安庁、さらに24時間態勢で民間警備員を工事現場に配置してきました。
沖縄県の翁長雄志(おなが・たけし)前知事が法と民意に基づいて辺野古埋め立て承認を取り消したのに対して、行政機関に権利侵害された私人の救済を目的とした行政不服審査法を悪用。司法まで動員して「取り消し処分は違法」との判決を出させるなど、法治主義を徹底的に破壊しました。
15年4月、菅氏は翁長氏と初めて面談。戦後沖縄の苦難を切々と訴えた翁長氏に対し、菅氏は「私は戦後生まれだから沖縄の戦後の歴史は知らない」と言い放ちます。
翁長氏は、こう厳しく批判しました。「官房長官は辺野古の埋め立てに関して『粛々』という言葉を何回も使う。米軍の軍政下でキャラウェイ高等弁務官が『沖縄の自治は神話だ』と言ったが、官房長官がキャラウェイの姿と重なる」
菅氏は翁長氏の訴えに圧倒され、反論不能のまま、逃げるように引き揚げました。
その後、「粛々」という言葉を使わなくなったものの、工事はさらに加速します。急逝した翁長氏の県民葬(18年10月)に参列した菅氏が「基地負担の軽減」に言及した途端、会場に「うそつき」「帰れ、帰れ」のヤジ・怒号が響き渡りました。
菅氏が強権をふるったのは辺野古だけではありません。自民党総裁選への出馬会見(9月2日)で、菅氏は「沖縄の負担軽減では、北部訓練場で、(本土復帰後)最も大規模な返還を実現した」と述べ、米軍への6カ所のヘリパッド(着陸帯)提供と引き換えの、北部訓練場「過半」返還を成果として誇りました。
しかし、新たな着陸帯は東村高江の集落を取り囲むように建設され、住民の基地負担は大幅に増えます。
多くの住民・市民らが抗議に立ち上がりましたが、政府は全国から機動隊を動員して弾圧。抗議行動を避けるため、自衛隊まで動員して工事資材を空輸で搬入しました。
さらに、もともとの工期は17年2月までだったのが、ケネディ駐日米大使(当時)の任期に合わせるため、16年12月に変更。このため、手抜きや違法工事が横行し、赤土流出や崩落などの事故が相次ぎました。騒音激化で高江からの転居を余儀なくされた住民も少なくなく、菅氏主導のヘリパッド建設は深刻な爪痕を残しています。
菅氏は辺野古新基地反対の「オール沖縄」県政を転覆しようと、県内の各種選挙に直接介入を繰り返してきました。18年9月の県知事選では維新も抱き込んで「自公維」体制で臨みましたが、結果は惨敗でした。
それでも今年2月、政府は軟弱地盤の改良工事に伴う辺野古の設計変更申請を提出しましたが、これを不許可にしようと提出された意見書は6000件を超える見通しです。
キャラウェイと並ぶ「悪名」の菅氏が首相になったことで、沖縄県民との矛盾は激化せざるをえません。
菅首相は「森友・加計問題」「桜を見る会」疑惑について、「結果は出ている」などと述べ、疑惑にフタをする姿勢です。7年8カ月の菅氏の“実績”は、どの問題でも、疑惑の解明どころか、もみ消しの張本人であることを示しています。
安倍政権が、「森友学園」に、国有地を不当に値引きして売却した問題をめぐり、虚偽答弁や決裁文書の改竄(かいざん)が行われた「森友問題」。改竄の発端になった安倍晋三前首相の「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」(2017年2月17日、衆院予算委員会)という答弁の5日後の22日に菅官房長官(当時)は、財務省で改竄や隠蔽(いんぺい)を中心的に担っていた佐川宣寿理財局長(当時)らを官邸に呼び出し、説明を受けています。公文書の改竄作業を強いられ自死した近畿財務局職員の赤木俊夫さんの手記によれば、菅氏が官邸で説明を受けた4日後の26日に赤木さんが最初の改竄をさせられています。
安倍前首相の盟友が理事長を務める大学のために獣医学部を開設しようとした「加計学園」問題では、前川喜平元文部科学省事務次官が国会で、菅首相の側近の和泉洋人首相補佐官から官邸に呼び出され、学部新設の動きを早めるように求められたことを証言しました(17年7月10日)。
同問題の批判を強める前川氏に対し、人格攻撃を仕掛けたのも菅氏でした。前川氏が文科省の違法天下り問題の責任をとって17年1月に辞任を申し出たにもかかわらず、菅氏は会見や国会答弁で前川氏が次官の地位に「恋々としがみついた」と批判。事実をねじ曲げた菅氏の発言に、前川氏は「行政の私物化を隠蔽させた。それが菅氏です」(本紙9月27日付)と批判します。
「桜を見る会」私物化疑惑は、安倍首相が地元後援会員を大量招待していた公的行事の私物化疑惑です。同会の招待者の取りまとめた責任者は、官房長官の菅氏です。
また、菅氏自身、官房長官として招待枠を持っていました。16年の同会では、消費者庁から取引停止命令を受けたマルチ企業の幹部と一緒に写真撮影をしたことが発覚し、問題となりました。
菅氏は来年以降も「桜を見る会」を中止するとして、再調査を拒否していますが、私物化の事実は消せません。
安倍政権の7年8カ月、人事権を振り回して官僚を支配してきたのが菅氏です。自民党総裁選でも「私どもは選挙で選ばれている。『何をやる』という方向を決定したのに、反対するのであれば異動してもらう」(9月13日民放テレビ)と言い放ちました。
安倍政権はまず2014年5月に内閣人事局を設置し、官邸が中央省庁の幹部人事に介入する仕組みを作りますが、この中心にいたのが菅氏です。菅氏は同局設置直後の6月の講演で、官僚人事を官邸で行うための法案を成立させたと誇り、そのうえ同局の初代局長を「加藤(勝信)副長官でやりたい」と安倍首相に提起したことまで語っています(『アジア時報』14年9月号)。
実際に菅氏は、「ふるさと納税」制度で高所得者優遇となる改定を進めようとした際に、問題点を指摘した総務省自治税務局長の平嶋彰英さんを左遷するなど、自らの都合の良いように官僚人事に介入。左遷された平嶋氏は「しんぶん赤旗」日曜版9月27日号掲載のインタビューで、「菅さんが左遷や更迭などで“飛ばした”官僚は数え切れないくらい大勢います」「『これはこうです』と意見すると、反抗されたと理解し、“沽券(こけん)に関わる”と反応してしまう。そして、人事で飛ばす」と証言しています。
菅氏自身も、気に入らない金融庁長官を1年で交代させたことを『月刊Hanada』(18年11月号)で述べるなど、強権的な人事を隠そうともしていません。
まさに盾突けば飛ばす恐怖人事で官僚を支配する―。これが菅氏の姿なのです。
官僚支配と同時に菅氏が進めてきたのが「メディア支配」です。政権に批判的な報道をさせないために強権的にメディアの口をふさいできました。
報道の自由を侵害する暴挙として大きな批判を呼んだのが、東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者への“質問封じ”です。菅氏は政権に切り込む質問をたびたび続けてきた望月記者を敵視。官房長官の記者会見での望月記者の質問を「事実誤認」と決めつけ、内閣記者会に「問題意識の共有」を求める異例の申し入れを行い、望月記者の質問を封じる妨害を加えてきました。
テレビ報道にも圧力をかけてきました。NHK「クローズアップ現代」で集団的自衛権行使容認を取り上げた際に、番組に出演した菅氏に対して鋭い質問で追及を重ねた国谷裕子(くにや・ひろこ)氏は、その後、23年間務めた同番組のキャスターを降板。菅氏への質問を問題視した「政権側の抗議」が降板の“きっかけ”だったといわれています。
テレビ朝日「報道ステーション」のコメンテーターだった古賀茂明氏は自身の降板をめぐって番組中に「菅官房長官をはじめ官邸のバッシングを受けてきた」と告発。菅氏は「事実無根だ」と否定しつつも「放送法がある。テレビ局の対応を見守る」と放送への影響をちらつかせる発言で、局を威圧しました。まさにメディアへの介入・支配を実効的に進めてきた張本人です。
菅氏が売り文句として繰り返す「雪深い秋田の農家の長男」「政治家として『地盤』『看板(知名度)』『かばん(政治資金)』なしのスタート」。地方出身を強調することで地方目線を、たたき上げを強調することで庶民目線をアピールしますが…。
菅氏があるべき社会像として掲げるのが「自助、共助、公助」です。まずは自助で対処し、それでもだめなら家族や地域で支え合い、どうにも立ち行かなくなったら生活保護など「公助」で面倒を見るといいます。
「生活保護は生きるか死ぬかという状況の人がもらうべきもの」(片山さつき自民党参院議員)という言葉が示すように、「自助、共助、公助」といっても、死の間際までいかなければ「公助」で救う必要はないという思想です。
菅氏は10年前に既に「社会は自助、共助、公助のバランスが大切です。われわれは、まず『自助』の精神を重んじます」と強調。国の役割を軍事や外交などに特化する「小さな政府」を、自民党は掲げるべきだと主張しています(『Voice』10年2月号)。
たたき上げを強調しても、実像は弱者に冷たい“筋金入り”の自己責任論者です。
「地方を大事に」といいながら、安倍政権の官房長官として、沖縄県には米軍新基地を、選挙区の横浜市にはカジノを、地元住民の民意を踏みにじって押し付けようとしてきたのが菅首相です。
昨秋、安倍政権が突如、地方の“命綱”となっている424の公立・公的病院を名指しして再編統合の検討を求めるリストを発表し、「地方切り捨て」と厳しい批判を浴びました。こうした病院削減の動きにも、菅氏は深くかかわっています。
菅氏は総務相時代の07年、公立病院に「経営効率化」の名で再編統合や病床削減を求める「公立病院改革ガイドライン」の策定に着手。424の病院再編統合リストにつながる地方病院切り捨ての流れをつくりだしました。
2020年10月2日
今年の夏は、新型コロナウイルスのために恒例の日本里帰りを断念しました。子どもたちは3月からの休校措置を含め、6カ月も家にいたことになります。夏の思い出を作ろうと旅に出ました。
子どもたちは、日本に帰っていたら会えなかった、はとこたちと5日間、海辺で一緒に過ごすことができました。また、子どもが生まれる10年前に私と夫が旅行した土地にも行ってきました。
そこは中部アブルッツォ州のグランサッソという2000メートル級の山がある町と海のあるシルビマリーナという町です。
シルビマリーナには全国の教師たちが利用する保養所があり、義理の両親たちが以前何度か利用していたという縁がありました。
今回行ってみると、その保養所が閉鎖されていました。保養所の前のバール(軽食店)のおじさんによると、インプスというイタリアの年金機構が閉鎖し、その敷地を売却したいとのこと。保養所は全国の教師たちによる積立金で管理され、利用されてきたので、勝手に売却すると決めたのはおかしいと思いました。ファシズム時代に建てられた歴史的建造物です。大都市の有名建築物のように大切にしてほしいものです。
前回は2人での旅行でしたが、今度は子どもたちと4人で。とても感慨深く、子どもたちも日本とは違う経験をして喜んでいました。
2020年10月2日
【ワシントン=遠藤誠二】9月29日に行われた米大統領選の民主・共和両党候補による第1回討論会で、トランプ大統領が白人至上主義者を批判せず、極右組織に行動を促すような発言をしたことで、民主党はもとより、共和党からも批判が噴出しています。
討論会でトランプ氏は、白人至上主義者による暴力行為を批判しないのかとの質問に、暴力行為を働いているのは「左翼であって右翼ではない」と返答、白人至上主義者への批判を避けました。さらに、極右組織「プラウドボーイズ」に向け、「後ろに下がりスタンバイしろ」などとけしかけました。
民主党進歩派のサンダース上院議員は30日、トランプ氏が「白人至上主義を非難するのを拒絶した。ネオナチを『とても良い人たちだ』と述べたことがある。この国の近代史のなかで最も危険な大統領だ。打ち負かさなければならない」とツイートしました。
同じく同党進歩派のオカシオコルテス下院議員も「私たちの国は白人至上主義者を大統領に選んだ。ファシズムが近くにある」と警鐘をならしました。
共和党唯一の黒人上院議員のスコット議員は、トランプ氏が「失言した。それは訂正すべきだ」と指摘。同党のマコネル上院院内総務はスコット氏の発言について、「全く正しい。(スコット氏は)『受け入れられない』と言ったが私も同じだ」と同調しました。
同党のサントラム元上院議員はCNNテレビで、「大統領は大きな誤りをおかした。“幻滅”以外の言葉が出ない」と厳しく批判しました。
プラウドボーイズは連邦捜査局(FBI)が過激組織と位置付け、人権団体「南部貧困法律センター」(SPLC)もイスラム教徒や女性への差別的な言動を繰り返す「ヘイトグループ(憎悪集団)」に認定しています。
トランプ氏は30日、「プラウドボーイズがどんな人たちかは知らない。言えることは、行動を慎めということのみだ」と語りました。
2020年9月7日
1923年9月の関東大震災直後、被災者救援中だった労働組合の青年幹部らが亀戸警察署に連行され、虐殺された「亀戸事件」の97周年追悼会が6日、東京都江東区で開かれました。主催は同実行委員会。
事件は当時、産業の先進地だった亀戸地域で、活発な労働運動をつぶすために、天皇制政府が大震災の混乱に乗じて仕組んだもの。日本共産青年同盟(共青)初代委員長の川合義虎や、平沢計七ら南葛地域の労組幹部の10人が軍隊の銃剣で惨殺されました。
追悼会は、犠牲者追悼の石碑が建立されている亀戸・赤門浄心寺で毎年開かれてきましたが、今年は新型コロナウイルス感染症拡大に伴い、関係者のみで行われました。犠牲者の遺影などの前に、実行委員と来賓ら15人が献花しました。
一同の黙とうののち、東巨剛(ひろたか)実行委員長は「この10人は日本ファシズムが侵略戦争を開始しようとする中で殺された。この事件を絶対に忘れず、自民党政権が企てる平和憲法改悪の動きを、芽のうちに摘み取っていく決意を新たにしたい」と語りました。
日本共産党のあぜ上三和子都議は「この権力による暴挙を決して繰り返させない。そのためにも、反動的政治を進める自民党政治を市民と野党の共闘で大本から変えるため、全力を尽くします」とのべました。
共青の後身、日本民主青年同盟の青山昂平中央常任委員は「先輩方の生き方を引き継ぎ、希望ある未来を青年自らの力で切りひらく決意です」と話しました。
参列できなかった一般の人向けに、追悼会を撮影した動画が後日、YouTubeで公開される予定です。
2020年9月3日
【フランクフルト=桑野白馬】ドイツ中部ヘッセン州のフランクフルトで1日、平和団体や労働組合、左翼党などが共催し、すべての地域での即時停戦、軍拡競争の停止、核兵器の全面禁止を求めるデモを行いました。
1939年9月1日に、ドイツ軍のポーランド侵攻によって第2次大戦が始まったことから、ドイツではこの日を「反戦の日」と定めています。共同声明は、「ドイツは平和に対して特別な責任を負うという事実を記憶に留めておく必要がある」と強調しました。
参加者は、新型コロナウイルス対策として距離を保ちながら行進。「ファシズムや人種差別主義者に未来はない」と書いたプラカードや横断幕を掲げ、「戦争を二度と起こさせない」と唱和しました。
左翼党のヤニーネ・ウィスラー・ヘッセン州議会議員は、イラク戦争などあらゆる軍事介入が「暴力、恐怖を呼び、難民を生んできた」と述べ、「今こそ国際的な連帯、平和と平等という価値を守っていかなければならない」と訴えました。
「ヒロシマ・ナガサキを繰り返さない」と書いた横断幕を持ち参加したギザ・ルーさん(70)は「核の全廃に向けヒバクシャと連帯して行動したい。戦争と核をなくすために地道に活動を続ける」と語りました。
2020年6月8日
【カイロ=秋山豊】米国で広がる人種差別への抗議行動に、アラブ諸国でも連帯する動きが出ています。
チュニジアの首都チュニスでは6日、約200人が座り込みを行い、「息ができない」「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大事)」などと書いたプラカードを掲げました。米国で白人警官に殺害された黒人男性ジョージ・フロイドさんは、「息ができない」と訴えていました。
行動を呼びかけた団体の一つ、チュニジア人権連盟のバシル・オバイディさん(65)は電話取材に、「人種差別に苦しむ米国民に連帯する。反ファシズムを敵視するトランプ大統領と、暴力で国民を抑圧する警察を非難する」と語りました。
紛争が続くシリアからの報道では、北西部イドリブ県で、芸術家アズィス・アスマルさんらが、破壊された建物の壁に「人種差別にノー」という言葉を添えてフロイドさんの顔を描いています。アスマルさんは、フロイドさんの死が「化学兵器で窒息死させられたシリアの人びとを想起させる」と地元メディアに話しました。
ヨルダン在住のパレスチナ人芸術家リナ・アボジャラダさんは警官に膝で押さえつけられた黒人男性とパレスチナ人らを描き、差別反対を訴えました。米国での事件の数日後、イスラエル警察はエルサレムで丸腰のパレスチナ人男性を射殺しています。
エジプト人権協会は6日までに声明を出し、米国での事件は人権と平等の原則、人間社会がめざす理想に反していると非難。「フロイドさんへの正義を求める」と訴えました。
2020年6月4日
米ミネソタ州で起きた白人警察官による黒人男性殺害に世界で抗議の声が上がっています。米国では分断と対立をあおるトランプ大統領に対して、人種差別に反対する行動が全国的に広がっています。治安維持を担う保安官がデモ行進に加わり、出動した警察官も片膝をついて殺害された男性を悼みました。恥ずべき人種差別とその暴力を許さない連帯の運動こそ、米国の未来を代表しています。
路上に押さえつけられ、抵抗できない黒人男性の頸部(けいぶ)に乗る警察官の映像は世界に衝撃を与えました。「息ができない」とうめく男性の首を締め付けて殺害したといいます。信じがたい蛮行ですが、米国では警察官による黒人殺害が後を絶ちません。
「すべての人間は生まれながらにして平等である」。1776年の米国独立宣言が掲げた建国の精神です。奴隷解放宣言から157年、人種差別を禁じた公民権法の制定から56年になります。全米に広がっているのは、いつまでもなくならない人種差別への憤りであり、今度こそ差別をなくさなければならないという、やむにやまれぬ思いです。新型コロナウイルスの感染と、感染による死亡も黒人が白人より高い比率を占め、命にも人種による格差があることが明らかになっています。
国連人権高等弁務官、アフリカ連合も今回の事件に抗議の声を上げています。人種差別をなくし、人権を擁護、発展させることは国際的に各国が負う義務です。1945年の国連憲章、48年の世界人権宣言、66年の国際人権規約などを通じて第2次世界大戦後、人権保障は単なる各国の内政問題でなく、国際的課題と規定されました。ファシズムと軍国主義による人権蹂躙(じゅうりん)が戦争への道を開いたという歴史の教訓があったからです。
人種差別撤廃条約もあらゆる形態の人種差別を根絶することを締約国に義務づけています。米国の事件に国際社会が懸念と非難の声をあげたのは当然です。
市民の抗議の声に包まれたホワイトハウスで1日に演説したトランプ大統領は、人種差別への批判を一言も口にせず、その一方で「暴徒」の鎮圧に連邦軍の動員も辞さないと宣言しました。もちろん商店や街を破壊する暴力は許されません。人種差別反対の運動とは無縁です。だからこそ大統領には、差別根絶のために社会の連帯を強める政治が求められます。それを軍まで動員して武力弾圧する、その威嚇をすることは、大統領自ら差別と分断をあおるだけであり、極めて危険です。
「略奪が始まれば銃撃も始まる」とツイッターに投稿したことをはじめ、今回の事件をめぐるトランプ大統領の強権を振りかざす姿勢は人権擁護の歴史の流れに逆らっています。
殺害された男性の弟は事件現場を訪れ「私の怒りはみんな以上だ」と述べつつ、破壊活動には「そんなことをしても兄は帰ってこない」と反対し、選挙で投票して社会を変えようと訴えました。主権者として権利を行使し人種差別をなくそうと呼びかける被害者家族に連帯し、差別や抑圧のない公正な社会をつくる運動は、米国で、そして世界でいま切実に求められています。
2020年3月10日
日本の植民地支配下におかれた朝鮮では、朝鮮総督府の経済政策によって、大多数の朝鮮農民が貧困状態に追い込まれていました。自作農・自小作農が没落し、小作料の高率化や小作権の移動が激しくなるなかで、土地を失ったり、生活が窮迫した農民が日本や満洲へ移住しました。さらに、山林に入って火田民(焼畑農民)となったり、都市で土幕民(バラック住民)となる動きが進みました。
1930年前後の朝鮮では、社会主義運動の影響力が拡大し、農民組合・労働組合運動が高揚しました。社会主義勢力は、貧困層向けの教育施設を各地で整備するなど、人びとの要求を踏まえた活動を展開しました。大衆的基盤をもって民族解放運動を展開していたのです。
1931年に朝鮮総督に就任した宇垣一成(かずしげ)は、社会主義運動の高揚に危機感を抱き、1933年より官製運動の「農村振興運動」を展開し、農民の不満を抑えようとしました。「自力更生」をスローガンとして、営農技術向上や副業奨励、また貯蓄や家計簿作成などが推奨されました。
しかし、地主制や高額な小作料といった根本的な矛盾を放置し、天皇制イデオロギーを押しつける精神主義的運動としての側面が強かったため、農民の悲惨な状況は変わりませんでした。
朝鮮総督府は、もう一つの方策として人口移動政策を実施しました。それが、1934年に開始された朝鮮南部の農民を北部の労働現場に送り込む「労働者移動紹介事業」です。深刻な貧困状態におかれた農民達は、主として稲作地帯である朝鮮南部に集中していましたので、これを「工業化」や軍事拠点化が進みつつあった北部に送ることにしたのです。
当時、朝鮮では総力戦体制の構築という観点から、「朝鮮北部重工業地帯建設計画」が進められ、満洲への接続拠点として朝鮮北部の羅津(ラジン)港の建設が行われていたのです。
「労働者移動紹介事業」によって労働者のあっせんがはじまると、南部の農民の中には、このまま農村に残って死ぬよりはましだろうと考えて応じる人がでてきました。経済的条件による構造的な強制だったわけです。
しかも、あっせんに応じたところで、人びとの困難な状況は変わりませんでした。北部の労働現場では、事前に聞いていた額よりもはるかに低賃金であったり、過酷な労働条件だったりしました。さらに、到着したところで住居すら整備されていないこともあり、そもそも仕事自体がないということもありました。これらはいずれも就業詐欺です。また安全対策も不十分で、土木現場や炭鉱では事故が続発しました。あっせんされた人びとの不満が爆発し、抗議したり、逃亡する人も相次ぎました。
1930年代半ば、朝鮮北部「工業化」の進展度は低く、大量の労働者の生活を支えられる状況ではありませんでした。しかし、社会主義の抑制という目的のために南部の農村から農民を引き剥がし、北部に送ったのです。これは棄民政策に他なりません。
「労働者移動紹介事業」は日中戦争以降の強制労働動員の原型となった政策です。戦時期には労働力不足から、朝鮮北部や日本などへの大規模な動員が行われますが、それ以前にすでに人権無視の労働あっせんが存在したのです。なお、いま、主に問題になっているのは日本での強制労働ですが、朝鮮内での労働動員の実態は部分的にしか明らかになっていません。
こうして日本側は、支配の矛盾を何ら解消させることなく、侵略戦争を拡大させ、ファシズムへと突き進んでいきました。そうした中で、朝鮮の人々との間の矛盾はますます拡大していったのです。
かとう・けいき 1983年生まれ。一橋大学准教授。『植民地期朝鮮の地域変容』、『だれが日韓「対立」をつくったのか』(共著)、『歴史を学ぶ人々のために』(共編著)
2020年2月17日
【エアフルト(独テューリンゲン州)=伊藤寿庸】極右政党の支持で州首相が選ばれ、世論により辞意表明を余儀なくされたドイツ東部テューリンゲン州の州都エアフルトで15日、「ファシズムと手を組むな」と約1万8000人が集会とデモ行進を行いました。隣のザクセン州ドレスデンでは、ネオナチの「追悼行進」を市民が対抗デモで包囲しました。旧東独部では、ナチスを免罪し、移民排斥を主張する極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の台頭に市民の危機感が強まっています。
エアフルトのデモは50を超える団体の共同組織「分断させない」が呼び掛け、幅広い市民や労組、団体、宗教者が参加しました。
プラカードの中には、AfDだけでなく、同党に協力したリベラル派の自由民主党(FDP)、中道右派のキリスト教民主同盟(CDU)を批判し、「ナチに権力は渡さない」と書かれたものが数多く見られました。
呼び掛け団体のアナ・カナ・ラテマン氏は「CDUとFDPがAfDと組んで、ファシズムに権力へのドアを開いたが、市民の抗議でドアを再び閉じることができた」と演説しました。
ユダヤ人団体のラインハルト・シュラム氏は「現在のAfDの考えはナチにつながっている」と警告。アウシュビッツ・ビルケナウ収容所の生存者エステル・べハラノ氏はメッセージで、「収容所の解放からわずか75年と9日で、なぜ何百万人の死によって得られた教訓を忘れ去るのか」と訴えました。
「未来のための金曜日」の10代の少年も「気候変動とのたたかいはファシズムとのたたかいと一体だ」と訴えました。
夫と息子(9)と参加したアニカさん(32)は「ナチが台頭してきた時と同じ状況が生まれている。極右との協力は絶対に反対」と語りました。1995年に難民としてセネガルからドイツに来たフランシスコ・ペレイラさん(53)は「ドイツの民主主義を支えるためにここにいる。ドイツ人として生まれた子どもの未来のためだ」とデモの先頭を歩きました。
第2次大戦中の大空襲から75年を迎えたドレスデンでは15日、極右政党・ドイツ国家民主党が大空襲犠牲者の「追悼行進」を主催し、ネオナチなど1200人が集まりました。これに対し、3000人の対抗デモが包囲。「追悼行進」の予定コースに座り込み、大音量の音楽を鳴らすなどして、反対の意思を示しました。
極右勢力はドレスデン空爆を「米英によるホロコースト(大虐殺)」などと主張。これには、ナチの加害責任を免罪するものだと厳しい批判が向けられています。
同市では13日、空襲とナチスドイツによる戦争・虐殺の犠牲者を悼む行事が行われ、シュタインマイヤー大統領が記念式典で「ドレスデンとアウシュビッツの犠牲者を相殺し、ドイツの犯罪を軽視し、歴史的事実を偽造する者たちに対し、民主主義者として断固として立ち向かわなければならない」と演説していました。
2020年2月13日
晴男 ドイツでこんなことが起きるとは、衝撃的だったな。
のぼる なんのこと?
晴男 旧東独のテューリンゲン州で5日、極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)の支持を受けた首相が初めて誕生した。各地で抗議行動が起き、翌日には辞任を表明したけど、選ばれたこと自体が驚きだった。
のぼる 欧州で極右が台頭しているとは思っていたけれど、いよいよドイツも一線を越えたなと思ったよ。
晴男 昨年10月の州議会選挙で第1党となった左翼党の現職首相が再選されるというのが大方の予想だった。議会の2回の投票は、第2党のAfDの候補と一騎打ちだったけど、両者ともに過半数に達しなかった。
のぼる 3度目の投票では中道右派の自由民主党(FDP)候補と三つどもえになったんだよね。
晴男 そこでAfD議員はFDPの候補に票を集めたんだ。そして左翼党候補に1票差でFDPの候補が勝利した。
のぼる 世論の反応は早かった。各地で「ファシズムと組むな」と抗議デモが起き、左翼党には1日で100人以上も入党申し込みがあった。
晴男 メルケル首相ら政治家たちもすぐに発言した。マース外相は、ナチス・ドイツを念頭に「歴史から何も学んでいない」と、痛烈だった。
のぼる AfDのテューリンゲン州議員団長のヘッケ氏は党内でも最も右派だと聞いたよ。
晴男 ヘッケ氏は、ベルリンにある「虐殺された欧州のユダヤ人のための記念碑」について「ドイツ人は首都の真ん中に恥の記念碑を建てている世界で唯一の民族だ」と発言した人物だ。独メディアも「民主政党、政党制度、市民の政治家への信頼に大きな打撃を与えた」「戦後規範の決壊」などと批判したんだ。
のぼる 選出された新首相も、AfDの支持を受けたという汚名をそそぎたいと言って、解散・再選挙も視野に入れているね。
晴男 AfDは旧東独で支持を集めている。1990年の東西統一後、旧東独地域は企業の閉鎖が相次ぎ、貧困と格差にあえいでいる。極右の台頭に、どう対応していくかが求められるね。
2020年2月7日
【ベルファスト(英・北アイルランド)=伊藤寿庸】旧東独部のテューリンゲン州の州議会(定数90)で5日、極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)からの支持を得た州首相が選ばれました。AfDの支持を得て主要政党所属の州首相が誕生するのは初めてです。「タブーが破られた」とドイツの政界や社会に大きな衝撃を与えており、各地で抗議デモが起きています。
昨年10月の州議会選挙で第1党となった左翼党のラメロウ前首相の再選が有力視されていましたが、第2党AfDの候補者との一騎打ちとなった2度の投票では過半数に達しませんでした。相対多数で決まる3度目の投票では、初めて中道右派の自由民主党(FDP)のケンメリヒ氏が立候補し三つどもえに。ところがAfDの議員は全員ケンメリヒ氏に投票したため、中道右派のキリスト教民主同盟(CDU)の支持と合わせて、1票差でラメロウ氏を上回りました。
これまで連邦議会に議席を持つ主要政党は、AfDとの協力を拒否してきました。他方、旧東独部のCDU州組織の一部には、連邦党組織の意向に反して、AfDとの協力を模索する動きが出ていました。
予想外の敗北を喫したラメロウ氏は、「明らかに事前に準備されていた茶番」だと非難。左翼党のリキシンガー共同党首は、ラメロウ再選阻止のため「CDUとFDPはAfDの支援者となった」「民主主義にとって苦い日だ」と厳しく批判しました。
マース外相(社民党)はツイッターで「極右の支持で州首相に選出されるのはきわめて無責任」「(ナチス・ドイツの)歴史から何も学んでいない」と述べました。他の地域のCDUやFDPの政治家からも批判が出ています。
AfDのヘッケ州議会議員団長は、「左翼党・社民党・緑の党による連立政権を終わらせるという公約を果たした」と発言。同氏は、ナチスの免罪につながる発言を繰り返す、同党内の最強硬派として知られます。
ドイツ各地で抗議デモが行われ、「ファシズムはパートナーではない」などと、CDU、FDP両党に抗議しました。
テューリンゲン州では昨年10月の州議会選挙で、左翼党が29議席を獲得し初めて第1党となる一方、AfDが倍増し22議席で第2党になりました。CDUは21議席で第3党。社民党8、緑の党5、FDP5の各議席となりました。
2020年1月19日【特集】
第28回党大会で18日に採択された日本共産党綱領(一部改定)の全文は、次の通りです。
※傍線部分は改定案の修正箇所。ゴシックは挿入、〔 〕は削除。ゴシックと〔 〕が続いている所は、〔 〕内の部分をゴシック部分に修正するとの意味。
(一)日本共産党は、わが国の進歩と変革の伝統を受けつぎ、日本と世界の人民の解放闘争の高まりのなかで、一九二二年七月一五日、科学的社会主義を理論的な基礎とする政党として、創立された。
当時の日本は、世界の主要な独占資本主義国の一つになってはいたが、国を統治する全権限を天皇が握る専制政治(絶対主義的天皇制)がしかれ、国民から権利と自由を奪うとともに、農村では重い小作料で耕作農民をしめつける半封建的な地主制度が支配し、独占資本主義も労働者の無権利と過酷な搾取を特徴としていた。この体制のもと、日本は、アジアで唯一の帝国主義国として、アジア諸国にたいする侵略と戦争の道を進んでいた。
党は、この状況を打破して、まず平和で民主的な日本をつくりあげる民主主義革命を実現することを当面の任務とし、ついで社会主義革命に進むという方針のもとに活動した。
(二)党は、日本国民を無権利状態においてきた天皇制の専制支配を倒し、主権在民、国民の自由と人権をかちとるためにたたかった。
党は、半封建的な地主制度をなくし、土地を農民に解放するためにたたかった。
党は、とりわけ過酷な搾取によって苦しめられていた労働者階級の生活の根本的な改善、すべての勤労者、知識人、女性、青年の権利と生活の向上のためにたたかった。
党は、進歩的、民主的、革命的な文化の創造と普及のためにたたかった。
党は、ロシア革命と中国革命にたいする日本帝国主義の干渉戦争、中国にたいする侵略戦争に反対し、世界とアジアの平和のためにたたかった。
党は、日本帝国主義の植民地であった朝鮮、台湾の解放と、アジアの植民地・半植民地諸民族の完全独立を支持してたたかった。
(三)日本帝国主義は、一九三一年、中国の東北部への侵略戦争を、一九三七年には中国への全面侵略戦争を開始して、第二次世界大戦に道を開く最初の侵略国家となった。一九四〇年、ヨーロッパにおけるドイツ、イタリアのファシズム国家と軍事同盟を結成し、一九四一年には、中国侵略の戦争をアジア・太平洋全域に拡大して、第二次世界大戦の推進者となった。
帝国主義戦争と天皇制権力の暴圧によって、国民は苦難を強いられた。党の活動には重大な困難があり、つまずきも起こったが、多くの日本共産党員は、迫害や投獄に屈することなく、さまざまな裏切りともたたかい、党の旗を守って活動した。このたたかいで少なからぬ党員が弾圧のため生命を奪われた。
他のすべての政党が侵略と戦争、反動の流れに合流するなかで、日本共産党が平和と民主主義の旗を掲げて不屈にたたかい続けたことは、日本の平和と民主主義の事業にとって不滅の意義をもった。
侵略戦争は、二千万人をこえるアジア諸国民と三百万人をこえる日本国民の生命を奪った。この戦争のなかで、沖縄は地上戦の戦場となり、日本本土も全土にわたる空襲で多くの地方が焦土となった。一九四五年八月には、アメリカ軍によって広島、長崎に世界最初の原爆が投下され、その犠牲者は二十数万人にのぼり(同年末までの人数)、日本国民は、核兵器の惨害をその歴史に刻み込んだ被爆国民となった。
ファシズムと軍国主義の日独伊三国同盟が世界的に敗退するなかで、一九四五年八月、日本帝国主義は敗北し、日本政府はポツダム宣言を受諾した。反ファッショ連合国によるこの宣言は、軍国主義の除去と民主主義の確立を基本的な内容としたもので、日本の国民が進むべき道は、平和で民主的な日本の実現にこそあることを示した。これは、党が不屈に掲げてきた方針が基本的に正しかったことを、証明したものであった。
(四)第二次世界大戦後の日本では、いくつかの大きな変化が起こった。
第一は、日本が、独立国としての地位を失い、アメリカへの事実上の従属国の立場になったことである。
敗戦後の日本は、反ファッショ連合国を代表するという名目で、アメリカ軍の占領下におかれた。アメリカは、その占領支配をやがて自分の単独支配に変え、さらに一九五一年に締結されたサンフランシスコ平和条約と日米安保条約では、沖縄の占領支配を継続するとともに、日本本土においても、占領下に各地につくった米軍基地の主要部分を存続させ、アメリカの世界戦略の半永久的な前線基地という役割を日本に押しつけた。日米安保条約は、一九六〇年に改定されたが、それは、日本の従属的な地位を改善するどころか、基地貸与条約という性格にくわえ、有事のさいに米軍と共同して戦う日米共同作戦条項や日米経済協力の条項などを新しい柱として盛り込み、日本をアメリカの戦争にまきこむ対米従属的な軍事同盟条約に改悪・強化したものであった。
第二は、日本の政治制度における、天皇絶対の専制政治から、主権在民を原則とする民主政治への変化である。この変化を代表したのは、一九四七年に施行された日本国憲法である。この憲法は、主権在民、戦争の放棄、国民の基本的人権、国権の最高機関としての国会の地位、地方自治など、民主政治の柱となる一連の民主的平和的な条項を定めた。形を変えて天皇制の存続を認めた天皇条項は、民主主義の徹底に逆行する弱点を残したものだったが、そこでも、天皇は「国政に関する権能を有しない」ことなどの制限条項が明記された。
この変化によって、日本の政治史上はじめて、国民の多数の意思にもとづき、国会を通じて、社会の進歩と変革を進めるという道すじが、制度面で準備されることになった。
第三は、戦前、天皇制の専制政治とともに、日本社会の半封建的な性格の根深い根源となっていた半封建的な地主制度が、農地改革によって、基本的に解体されたことである。このことは、日本独占資本主義に、その発展のより近代的な条件を与え、戦後の急成長を促進する要因の一つとなった。
日本は、これらの条件のもとで、世界の独占資本主義国の一つとして、大きな経済的発展をとげた。しかし、経済的な高成長にもかかわらず、アメリカにたいする従属的な同盟という対米関係の基本は変わらなかった。
(五)わが国は、高度に発達した資本主義国でありながら、国土や軍事などの重要な部分をアメリカに握られた事実上の従属国となっている。
わが国には、戦争直後の全面占領の時期につくられたアメリカ軍事基地の大きな部分が、半世紀を経ていまだに全国に配備され続けている。なかでも、敗戦直後に日本本土から切り離されて米軍の占領下におかれ、サンフランシスコ平和条約でも占領支配の継続が規定された沖縄は、アジア最大の軍事基地とされている。沖縄県民を先頭にした国民的なたたかいのなかで、一九七二年、施政権返還がかちとられたが、米軍基地の実態は基本的に変わらず、沖縄県民は、米軍基地のただなかでの生活を余儀なくされている。アメリカ軍は、わが国の領空、領海をほしいままに踏みにじっており、広島、長崎、ビキニと、国民が三たび核兵器の犠牲とされた日本に、国民に隠して核兵器持ち込みの「核密約」さえ押しつけている。
日本の自衛隊は、事実上アメリカ軍の掌握と指揮のもとにおかれており、アメリカの世界戦略の一翼を担わされている。
アメリカは、日本の軍事や外交に、依然として重要な支配力をもち、経済面でもつねに大きな発言権を行使している。日本の政府代表は、国連その他国際政治の舞台で、しばしばアメリカ政府の代弁者の役割を果たしている。
日本とアメリカとの関係は、対等・平等の同盟関係では決してない。日本の現状は、発達した資本主義諸国のあいだではもちろん、植民地支配が過去のものとなった今日の世界の国際関係のなかで、きわめて異常な国家的な対米従属の状態にある。アメリカの対日支配は、明らかに、アメリカの世界戦略とアメリカ独占資本主義の利益のために、日本の主権と独立を踏みにじる帝国主義的な性格のものである。
(六)日本独占資本主義は、戦後の情勢のもとで、対米従属的な国家独占資本主義として発展し、国民総生産では、早い時期にすべてのヨーロッパ諸国を抜き、アメリカに次ぐ地位に到達するまでになった。その中心をなす少数の大企業は、大きな富をその手に集中して、巨大化と多国籍企業化の道を進むとともに、日本政府をその強い影響のもとに置き、国家機構の全体を自分たちの階級的利益の実現のために最大限に活用してきた。国内的には、大企業・財界が、アメリカの対日支配と結びついて、日本と国民を支配する中心勢力の地位を占めている。
大企業・財界の横暴な支配のもと、国民の生活と権利にかかわる多くの分野で、ヨーロッパなどで常識となっているルールがいまだに確立していないことは、日本社会の重大な弱点となっている。労働者は、過労死さえもたらす長時間・過密労働や著しく差別的な不安定雇用に苦しみ、多くの企業で「サービス残業」という違法の搾取方式までが常態化している。雇用保障でも、ヨーロッパのような解雇規制の立法も存在しない。
女性差別の面でも、国際条約に反するおくれた実態が、社会生活の各分野に残って、国際的な批判を受けている。公権力による人権の侵害をはじめ、さまざまな分野での国民の基本的人権の抑圧も、重大な状態を残している。
日本の工業や商業に大きな比重を占め、日本経済に不可欠の役割を担う中小企業は、大企業との取り引き関係でも、金融面、税制面、行政面でも、不公正な差別と抑圧を押しつけられ、不断の経営悪化に苦しんでいる。農業は、自立的な発展に必要な保障を与えられないまま、「貿易自由化」の嵐にさらされ、食料自給率が発達した資本主義国で最低の水準に落ち込み、農業復興の前途を見いだしえない状況が続いている。
国民全体の生命と健康にかかわる環境問題でも、大企業を中心とする利潤第一の生産と開発の政策は、自然と生活環境の破壊を全国的な規模で引き起こしている。
日本政府は、大企業・財界を代弁して、大企業の利益優先の経済・財政政策を続けてきた。日本の財政支出の大きな部分が大型公共事業など大企業中心の支出と軍事費とに向けられ、社会保障への公的支出が発達した資本主義国のなかで最低水準にとどまるという「逆立ち」財政は、その典型的な現われである。
その根底には、反動政治家や特権官僚と一部大企業との腐敗した癒着・結合がある。絶えることのない汚職・買収・腐敗の連鎖は、日本独占資本主義と反動政治の腐朽の底深さを表わしている。
日本経済にたいするアメリカの介入は、これまでもしばしば日本政府の経済政策に誤った方向づけを与え、日本経済の危機と矛盾の大きな要因となってきた。「グローバル化(地球規模化)」の名のもとに、アメリカ式の経営モデルや経済モデルを外から強引に持ち込もうとする企ては、日本経済の前途にとって、いちだんと有害で危険なものとなっている。
これらすべてによって、日本経済はとくに基盤の弱いものとなっており、二一世紀の世界資本主義の激動する情勢のもとで、日本独占資本主義の前途には、とりわけ激しい矛盾と危機が予想される。
日本独占資本主義と日本政府は、アメリカの目したの同盟者としての役割を、軍事、外交、経済のあらゆる面で積極的、能動的に果たしつつ、アメリカの世界戦略に日本をより深く結びつける形で、自分自身の海外での活動を拡大しようとしている。
軍事面でも、日本政府は、アメリカの戦争計画の一翼を担いながら、自衛隊の海外派兵の範囲と水準を一歩一歩拡大し、海外派兵を既成事実化するとともに、それをテコに有事立法や集団的自衛権行使への踏み込み、憲法改悪など、軍国主義復活の動きを推進する方向に立っている。軍国主義復活をめざす政策と行動は、アメリカの先制攻撃戦略と結びついて展開され、アジア諸国民との対立を引き起こしており、アメリカの前線基地の役割とあわせて、日本を、アジアにおける軍事的緊張の危険な震源地の一つとしている。
対米従属と大企業・財界の横暴な支配を最大の特質とするこの体制は、日本国民の根本的な利益とのあいだに解決できない多くの矛盾をもっている。その矛盾は、二一世紀を迎えて、ますます重大で深刻なものとなりつつある。
(七)二〇世紀は、独占資本主義、帝国主義の世界支配をもって始まった。この世紀のあいだに、人類社会は、二回の世界大戦、ファシズムと軍国主義、一連の侵略戦争など、世界的な惨禍を経験したが、諸国民の努力と苦闘を通じて、それらを乗り越え、人類史の上でも画期をなす巨大な変化が進行した。
多くの民族を抑圧の鎖のもとにおいた植民地体制は完全に崩壊し、民族の自決権は公認の世界的な原理という地位を獲得し、百を超える国ぐにが新たに政治的独立をかちとって主権国家となった。これらの国ぐにを主要な構成国とする非同盟諸国会議は、国際政治の舞台で、平和と民族自決の世界をめざす重要な力となっている。
国民主権の民主主義の流れは、世界の大多数の国ぐにで政治の原則となり、世界政治の主流となりつつある。人権の問題では、自由権とともに、社会権の豊かな発展のもとで、国際的な人権保障の基準がつくられてきた。人権を擁護し発展させることは国際的な課題となっている。
国際連合の設立とともに、戦争の違法化が世界史の発展方向として明確にされ、戦争を未然に防止する平和の国際秩序の建設が世界的な目標として提起された。二〇世紀の諸経験、なかでも侵略戦争やその企てとのたたかいを通じて、平和の国際秩序を現実に確立することが、世界諸国民のいよいよ緊急切実な課題となりつつある。
これらの巨大な変化のなかでも、植民地体制の崩壊は最大の変化であり、それは世界の構造を大きく変え、民主主義と人権、平和の国際秩序の発展を促進した。
(八)一九一七年にロシアで十月社会主義革命が起こり、第二次世界大戦後には、アジア、東ヨーロッパ、ラテンアメリカの一連の国ぐにが、資本主義からの離脱の道に踏み出した。
最初に社会主義への道に踏み出したソ連では、レーニンが指導した最初の段階においては、おくれた社会経済状態からの出発という制約にもかかわらず、また、少なくない試行錯誤をともないながら、真剣に社会主義をめざす一連の積極的努力が記録された。とりわけ民族自決権の完全な承認を対外政策の根本にすえたことは、世界の植民地体制の崩壊を促すものとなった。
しかし、レーニン死後、スターリンをはじめとする歴代指導部は、社会主義の原則を投げ捨てて、対外的には、他民族への侵略と抑圧という覇権主義の道、国内的には、国民から自由と民主主義を奪い、勤労人民を抑圧する官僚主義・専制主義の道を進んだ。「社会主義」の看板を掲げておこなわれただけに、これらの誤りが世界の平和と社会進歩の運動に与えた否定的影響は、とりわけ重大であった。
日本共産党は、科学的社会主義を擁護する自主独立の党として、日本の平和と社会進歩の運動にたいするソ連覇権主義の干渉にたいしても、チェコスロバキアやアフガニスタンにたいするソ連の武力侵略にたいしても、断固としてたたかいぬいた。
ソ連とそれに従属してきた東ヨーロッパ諸国で一九八九〜九一年に起こった支配体制の崩壊は、社会主義の失敗ではなく、社会主義の道から離れ去った覇権主義と官僚主義・専制主義の破産であった。これらの国ぐにでは、革命の出発点においては、社会主義をめざすという目標が掲げられたが、指導部が誤った道を進んだ結果、社会の実態としては、社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会として、その解体を迎えた。
ソ連覇権主義という歴史的な巨悪の崩壊は、大局的な視野で見れば、世界の平和と社会進歩の流れを発展させる新たな契機となった。それは、世界の革命運動の健全な発展への新しい可能性を開く意義をもった。
(九)植民地体制の崩壊と百を超える主権国家の誕生という、二〇世紀に起こった世界の構造変化は、二一世紀の今日、平和と社会進歩を促進する生きた力を発揮しはじめている。
一握りの大国が世界政治を思いのままに動かしていた時代は終わり、世界のすべての国ぐにが、対等・平等の資格で、世界政治の主人公になる新しい時代が開かれつつある。諸政府とともに市民社会が、国際政治の構成員として大きな役割を果たしていることは、新しい特徴である。
「ノー〔・〕モア・ヒロシマ、ナガサキ(広島・長崎をくりかえすな)」という被爆者の声、核兵器廃絶を求める世界と日本の声は、国際政治を大きく動かし、人類史上初めて核兵器を違法化する核兵器禁止条約が成立した。核兵器を軍事戦略の柱にすえて独占体制を強化し続ける核兵器固執勢力のたくらみは根づよいが、この逆流は、「核兵器のない世界」をめざす諸政府、市民社会によって、追い詰められ、孤立しつつある。
東南アジアやラテンアメリカで、平和の地域協力の流れが形成され、困難や曲折を経〔へ〕ながらも発展している。これらの地域が、紛争の平和的解決をはかり、大国の支配に反対して自主性を貫き、非核地帯条約を結び核兵器廃絶の世界的な源泉になっていることは、注目される。とくに、東南アジア諸国連合(ASEAN)が、紛争の平和的解決を掲げた条約を土台に、平和の地域共同体をつくりあげ、この流れをアジア・太平洋地域に広げていることは、世界の平和秩序への貢献となっている。
二〇世紀中頃につくられた国際的な人権保障の基準を土台に、女性、子ども、障害者、少数者、移住労働者、先住民などへの差別をなくし、その尊厳を保障する国際規範が発展している。ジェンダー平等を求める国際的潮流が大きく発展し、経済的・社会的差別をなくすこととともに、女性にたいするあらゆる形態の暴力を撤廃することが国際社会の課題となっている。
(一〇)巨大に発達した生産力を制御できないという資本主義の矛盾は、現在、広範な人民諸階層の状態の悪化、貧富の格差の拡大、くりかえす不況と大量失業、国境を越えた金融投機の横行、環境条件の地球的規模での破壊、植民地支配の負の遺産の重大さ、アジア・中東・アフリカ・ラテンアメリカの国ぐにでの貧困など、かつてない大きな規模と鋭さをもって現われている。