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見出し
◆ 12月
◆ 11月
◆ 9月
◆ 8月
◆ 7月
◆ 映画「宮本から君へ」の助成金不交付 東京地裁の判決に 伊藤真
◆ 6月
◆ 社会は変わるし、変えられる――志位さんと語る学生オンラインゼミ
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(1)社会主義・共産主義 具体的なイメージを教えてほしい
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(3)日本の借金 どのようにとらえ、解決していけばいいのか
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(4)政治を話しづらい どうすればそういう空気を変えることができるか
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(5)科学と実証 社会科学の理論は何によって実証されるか
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(7)軍事的・経済的なアメリカ依存 脱却するために何が必要か、その具体的な道筋は
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(8)北東アジアの平和 ASEANのような話し合いのテーブルを本当に実現できるのか
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(10)ジェンダー平等 資本主義の枠内で達成されるものか
◆ 5月
◆ 愛・自由・平和を生きた人 追悼 歌手・ミルバさん 緒方靖夫
◆ きょうの潮流
◆ 4月
◆ 3月
◆ 2月
◆
◆ 1月
◆ 「GIGA・MANGA 江戸戯画から近代漫画へ」展 大衆メディアの光と影 アライ=ヒロユキ
◆ 宮本百合子没後70年に 北田幸恵 時空を超えて語りかける理知と情感の言葉
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【本文】
12月
2021年12月24日
19日に投開票された南米チリの大統領選決選投票では、新自由主義からの転換を訴えた左派のボリッチ下院議員(35)が当選しました。第1回投票(11月21日)では極右のカスト候補を追う2位でしたが、逆転での勝利。地元メディアなどは決定的だったのはボリッチ陣営の「100万軒対話作戦」だと分析しています。
ボリッチ氏を支えていたのは出身政党「拡大戦線」やチリ共産党など左派連合。第1回投票の結果、中道右派や中道左派の候補が姿を消した状況のもと、中道系政党支持者や無党派の人々への働きかけが極めて重要となっていました。
そこで、ボリッチ陣営が5日から始めたのが、有権者の家を訪ね対話する「100万軒対話作戦」でした。投票日までの10日余りで全国の世帯数の2割近くを訪問する異例のとりくみでした。
作戦には5月の選挙で当選した首都圏の中心自治体サンティアゴの共産党員市長イラシ・ハスレル氏など著名な政治家や文化人も参加。全国で数千人のボランティアが活動し、約126万軒を訪問したといいます。
ハスレル市長は「変革と希望のメッセージを持って隣人を一人ひとり訪ねよう」と強調。陣営がこの作戦で特に重視したのは、有権者の声を聞き、ボリッチ候補の公約や提案を伝えることでした。
女性運動の活動家マリソル・ベリオスさん(61)は、首都圏南部の貧困地域で作戦に参加した経験をドイツの左派系紙に語っています。ベリオスさんは、宣伝資材を配りながら一軒一軒を訪ねて回りました。日頃から投票率が低く、右派勢力の宣伝によって「共産主義への恐怖」が広がっている地域でした。「多くの人が投票のやり方もわからなかった。そういう人々と対話しなければならなかった」と振り返ります。
女性運動活動家のベリオスさんは、ボリッチ大統領候補とは意見の違いもありました。しかし、ピノチェト軍事独裁(1973〜90年)を賛美するような極右のカスト候補が第1回投票でトップに立ち、「ファシズムが再び確立されかねないもとで、(意見の違いといった)問題は脇に置く必要がある」と考え、訪問作戦に懸命にとりくみました。
結局、決選投票の投票率は約55%で、投票が非義務化された以降の選挙では最高を記録。投票率上昇はボリッチ氏に有利に働いたとみなされています。メディアは対話作戦の「効果は感動的なほどだった」と報じました。
地元紙テルセラ20日付は、民間機関が投票動向を分析した報告を掲載。これによると、30歳以下の女性有権者の投票率が第1回投票に比べ10ポイント上昇し、63%となりました。この世代のボリッチ支持は68%を記録。女性、特に若い女性が「ボリッチ勝利の原動力」と報じられています。
ボリッチ氏は当選を決めた19日の演説で「多くの犠牲を払って勝ち取った権利を守るために全国で組織的に活動した女性のみなさん、ありがとう」と述べ、新政権を「フェミニズムの政府」にすると改めて強調しました。
ボリッチ氏は、ジェンダー平等を主要政策の一つとして位置づけ、「決定するための性教育、中絶しないための避妊、死なないための合法的な中絶を」と演説。また、コロナ禍で女性の多くが職を失ったことを踏まえ、50万人の女性への雇用創出などを公約してきました。中絶合法化に反対を唱え、女性省廃止を主張したカスト候補とは雲泥の差です。
ジェンダー問題の専門家の多くが、ボリッチ氏のジェンダー平等の政策が女性たちに支持されたと指摘しています。
2021年12月20日
私がドイツの版画家、彫刻家のケーテ・コルヴィッツ(1867〜1945)を知ったのは、まだ学生のころ読んだ、宮本百合子の一文によってであった。
「ここに一枚のスケッチがある。のどもとのつまった貧しい服装をした中年の女がドアの前に佇(たたず)み、永年の力仕事で節の大きく高くなった手で、そのドアをノックしている」
その「ケーテ・コルヴィッツの画業」は1941年、美術雑誌『アトリエ』3月号に発表された。日本軍国主義が中国への侵略戦争をさらに拡大し、米、英を相手に無謀な太平洋戦争へと突き進む年である。百合子はその年の2月、内閣情報局によって戦争が終わるまでの間の執筆禁止を言い渡されていた。だが彼女はその年、2編の小説、50編をこす評論や感想を書いている。ケーテの原稿はそのうちの1編であった。
当時の日本は、1925年4月に天皇絶対の体制の変革をめざす主張や運動に関わるものを罰する「治安維持法」という新たな弾圧法ができ、3年後には、最高刑が死刑、または無期刑に厳罰化されていた。
そんな時代の1930年に百合子はプロレタリア文学運動に参加し、当時非合法だった日本共産党員として生きる道を選ぶ。それは、17歳の時『貧しき人々の群』で文壇デビューして以来、百合子が求め続け苦悩の末つかんだ自分らしく生きる場所であった。
覚悟の上とはいえ、その道は険しく、1932年宮本顕治と結婚後すぐに逮捕されたのを皮切りに、それからの9年間に4回の逮捕・拘留、度重なる執筆禁止に追い込まれ、肉体的にも経済的にも脅かされる日々が続く。夫の顕治は、1933年にスパイの手引きで逮捕され、非転向を貫き、獄中闘争のさなかにあった。
『アトリエ』からの原稿執筆依頼があったのはそんな時だった。1941年1月19日、百合子は獄中の顕治へ書く。「私にケーテ・コルヴィッツのことについてかいてくれと云って来て、私は大変うれしく思って居ります。昨夜、ベルリンで買って来た画集出してみて、新しく真摯(しんし)な仕事ぶりに感服しました。人生的なモティーヴをもっていて」「ケーテなんか女でなければつかまない子供や女の生活のモメントをとらえて、それを深くつよいモティーヴで貫いて、技量も大きいし。…日本の婦人画家は目下展覧会へかいたりする人でこの位生活的なひとはいません。…伝記を学びたいと思います、ケーテの」(『獄中への手紙』)
このころケーテもまたナチス政権下のドイツで、ヒトラー政権に反対する芸術家としてゲシュタポの厳しい監視下に置かれ、あらゆる芸術活動を禁じられていた。強制収容所送りになるかもしれない恐怖とたたかいながら、ひそかに製作を続け、彼女の代表作とされる「ピエタ」の像(1937年)など優れた作品を生み出していく。
戦時下の日本にそうしたリアルな情報は届かないが、百合子は思いをはせる。「一九二九年の世界大恐慌から後一九三三年ナチス独裁が樹立するころ、ケーテの生活はどんなふうであったのだろう」と。そこには天皇支配のもとでの厳しい弾圧とたたかう自分と同じように、ファシズムの下でたたかうケーテによせる百合子の万感の思いが込められているように思う。ケーテの存在は、百合子のたたかう勇気の源泉ともなったのではなかったか。
1941年12月8日、開戦の日の明け方、戦争に反対の見解を持つと思われていた人々が日本中で検挙された。百合子も逮捕されそのまま拘留。巣鴨拘置所に回された。そして翌年の7月20日すぎ、熱射病で人事不省に陥り、もう生きられないものとして家に返されたのだった。そういう意味では「ケーテ・コルヴィッツの画業」は、戦争中に百合子が公表できた最後の原稿でもあった。(おうちだ・わこ ジャーナリスト)
2021年11月19日
中国共産党第19期中央委員会第6回全体会議(6中全会)が11日に採択した「党の100年奮闘の重大成果と歴史的経験に関する決議」の要旨は以下の通り。(北京=小林拓也)
―1921年7月、中国共産党が誕生した。中国に共産党が生まれたことは、時代を画する大きな出来事であり、中国革命の様相が一新した。
―中国人民が抗日戦争で最終的な勝利を勝ち取ったことは、近代以来、中国人民が外敵の侵入に対する抵抗で初めて完全勝利を収めた民族解放闘争であり、世界反ファシズム戦争の勝利の重要な構成部分だった。
―49年10月1日に中華人民共和国の成立を宣言した。民族の独立と人民の解放が実現し、旧中国の半植民地・半封建社会の歴史に完全に終止符が打たれた。中国共産党と人民は「中国人民は立ち上がった」と世界に向けて宣言した。
―毛沢東同志が誤った判断をし、文化大革命(66〜76年)を発動し、指導した。党、国家、人民に新中国成立以来の最も大きな挫折と損失をもたらし、その教訓は痛ましいものだった。
―78年12月、党は11期3中全会を開催し、改革開放と社会主義現代化建設の新時期を開始し、偉大な転換を実現した。党は文化大革命を徹底的に否定した。40年以上、党はここで確立した路線・方針・政策を堅持している。
―89年の春から夏への変わり目に重大な政治的風波が起きた。党と政府は人民に依拠し、旗幟(きし)鮮明に動乱に反対し、社会主義の国家政権と人民の根本利益を守った。
―第18回党大会(2012年)以降、習近平同志を核心とする党中央が全党・全軍・全国各民族人民を指導して紆余(うよ)曲折を経て前進した結果、小康(ややゆとりある)社会の全面的完成の目標を達成し、党と国家の事業で歴史的な成功を収め、歴史的な変革を起こした。中国共産党と中国人民は「中華民族がすでに立ち上がり、豊かになる段階から、強くなる段階への偉大な飛躍を成し遂げた」と世界に向けて宣言した。
―「習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想」は、現代中国のマルクス主義、21世紀のマルクス主義であり、マルクス主義の中国化の新たな飛躍を実現した。党が習近平同志の党中央・全党の核心としての地位を確立したことは、中華民族の偉大な復興という歴史的プロセスにとって決定的な意義がある。
―党と人民の事業を発展させるには、中国共産党員が代々奮闘を引き継ぎ、後継者の育成に取り組む必要がある。「習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想」で人々を教育し、社会主義核心的価値観で人々を育成し、時代の重責を担う後継者を育成する。
党中央は、全党・全軍・全国各民族人民が習近平同志を核心とする党中央の周囲にさらに緊密に団結するよう呼びかける。
2021年11月8日
衆議院選挙投票日。昼過ぎに投票に行くと、小学校の体育館前に投票を待つ長い行列がありました。私が選挙権を得てから初めてのことです。
私が住む杉並区の大半を占める東京8区の投票率は61・03%で、前回の55・42%から5ポイント以上跳ね上がり、東京では最も高い投票率になりました。多くの人が投票したくなる選挙だったのです。
立憲民主党の吉田はるみ候補を、共産党、れいわ新選組、社民党が応援して「市民と野党で政治を変えよう」という大きなうねりが起きました。投票所に向かう人々の顔には「自分が投票することで、何かが変わるかもしれない」という期待を感じました。
そして、変わりました。小選挙区制度導入以来、8回連続当選の石原伸晃自民党元幹事長が落選して、30年続いた石原王国は崩れました。
人々の期待感を生み出すことにテレビ報道も大きく貢献しました。NHK「ニュース7」、テレビ朝日系「報道ステーション」「サンデーステーション」「羽鳥慎一モーニングショー」他が、東京8区を全国放送で大きく取り上げました。
小選挙区比例代表並立制度は、民意を反映しない選挙制度です。でもこの制度で選挙が行われる限り、与党の自民党と公明党が野合している以上、野党は候補者を一本化して共同で戦わなければ絶対に勝てません。選挙後にこの現実から目をそむけ、共産党外しの策動が始まっています。
8区には明るい希望が見えましたが、全国を見ると暗い現実があります。改憲勢力が3分の2を超え、維新の会が4倍の議席を獲得しました。
彼らはテレビ利用に長(た)けていました。大阪知事のコロナ感染症についての記者会見を利用して、知名度アップに活(い)かしました。でも知事や市長が全国に呼びかけて集めたビニール製雨合羽(がっぱ)は、その後どうなったのでしょう。その顛末(てんまつ)を、きちんと続報したテレビ局はありましたか? 権力者に媚(こ)びへつらって彼らの失敗を報道しないのはアンフェアではないですか? ファシズムは、メディアの腐敗堕落と沈黙から始まります。
約1カ月前の自民党総裁選では、連日4候補が生出演して世論に訴えました。せめてあのときくらい、テレビ局が衆議院選挙を熱心に報道していたら、今回の結果も大きく変わったことでしょう。
投票率を上げるのは、なにも選挙管理委員会だけの仕事ではありません。むしろテレビの大切な役割です。そのことを8区の選挙結果が教えてくれました。(放送作家)
2021年9月15日
ムーミン物語の作者として知られるフィンランドのアーティスト、トーベ・ヤンソン(1914〜2001)を描く劇映画「トーベ」。86年の彼女の人生のうち、30代の10年間を描きます。10月1日からの公開を前に、監督のザイダ・バリルートさんに思いを聞きました。(米重知聡)
ムーミン谷で暮らすムーミントロールにパパとママ、スナフキンやリトル・ミイ…独特の姿と個性的なキャラクターが織り成す物語は、トーベが自身の人生や周囲の人々を投影させて生まれた作品です。小説や新聞連載漫画、舞台、バレエ、絵本、アニメなどさまざまな形で愛され続けています。
フィンランドは第2次世界大戦に突入し、トーベ(アルマ・ポウスティ)は戦争やファシズムを批判する風刺雑誌に、サインと共に最初のムーミンの姿を描き込みます。彫刻家の父親と挿絵画家の母親の間に生まれ、14歳で雑誌の挿絵を手がけていた彼女は、戦火が厳しくなる中、自身を慰めるように「ムーミントロールの物語」を描き始めます。
「彼女の人生を全部描こうとすれば10本の映画を作れます。晩年の島での生活などは有名ですが、若い頃のことはあまり知られていません」
本作でムーミンが誕生し世界的な人気者になっていく時期を選んだことについて、ザイダ監督は「一番興味をそそられる時代」だと言います。
「私自身、トーベの恋人とのことや、キャラクターと彼女自身の関わりの複雑さは知りませんでした。フィンランドで最も愛されたアーティストを描くことに怖さもあり、自分の道を見つけるのに時間がかかりましたが、今はいとおしい思いでいっぱいです」
親子であり、互いに芸術家でもある両親との愛情や葛藤と共に、若き芸術家たちとの友情、恋人であり生涯の友となったヴィヴィカ・バンドラー、アトス・ヴィルタネン、トゥーリッキ・ピエティラの3人との出会いや愛の喜び、苦悩を生々しく描きます。
ヴィヴィカは市長の娘で舞台演出家。ムーミン物語に登場するトフスランとビフスランに、彼女らの姿が投影されています。同性愛が禁じられている中、トーベとヴィヴィカはお互いの頭文字から「トフスラン」「ビフスラン」と呼び合い、互いだけにわかる独特の言葉で愛を語りました。
アトスは政治家で哲学者、スナフキンのモデルとされ、トーベの考え方にも大きな影響を与えました。トゥーリッキはグラフィックアーティストでトゥーティッキ(おしゃまさん)のモデル。晩年までのトーベのパートナーとして生きた人です。映画の中ではこれらの人物とキャラクターとを重ね合わせて描いています。
「彼女の愛した実在の人々がムーミン谷の住人たちのインスピレーションになっているので、逸脱しないよう注意しました」
トーベはアトスと、のちにヴィヴィカと出会い、一時は二人と同時に恋人関係になります。両者とも当時は既婚者。世間の規範に縛られないトーベの姿があります。
「恋人であっても所有できない、嫉妬すべきではない、お互いに自由であるべきという彼女の恋愛観は、アトスの影響です。彼女は家庭を持ちたいとは思っていませんでしたが、人生に愛が必要だと考えていました。ただ、ヴィヴィカと出会ったとき、自由を尊重するそのルールが通じなくなったのです。戦争が終わりダークな時期が終わったばかりの当時、彼女は人生を祝福することに飢え、喜びと愛を求めていました。独立した自由な個人の尊重と、人生に愛を求める思いの両立に悩み、二人との恋愛で自分をより知り、自分自身が幸せになるために何を必要しているのか、越えられない一線を学んでいったのだと思います」
本国フィンランドでは昨年公開と同時に絶賛されました。トーベ没後20年の今年、ムーミンファンも多い日本での公開に「トーベの新しい側面を見いだしてほしい」といいます。
「偉大なレジェンド(伝説)でもある彼女について、これまでと違ったものを感じて、身近な人として共感してもらえたら」
1977年生まれ。「僕はラスト・カウボーイ」(2009)、「グッド・サン」(11)、「マイアミ」(17)ほか。本作は5本目の監督作
2021年8月31日
劇団俳優座は9月、アルベール・カミュ作「戒厳令」を上演します。1948年のパリ初演。海に囲まれたスペインの城塞(じょうさい)都市が舞台です。ある日、彗星(すいせい)の光が街を覆い、疫病(ペスト)が流行。「戒厳令」が敷かれるという、現代を照射するような展開です。出演者の一人、塩山誠司さんに稽古場から寄稿してもらいました。
少し先のことになりますが、2024年に劇団俳優座は創立80周年を迎えます。創立者の一人、1994年に亡くなるまで劇団の代表であり芸術的主柱であった千田是也(これや)は、演劇は科学的なものであり常に成長し時代と共に変化していく、俳優は常に学びその変化を体現しなければならないと語り、自らも止まることなく新たな演劇に挑戦し続けました。私もコツコツと歩み、恐れず、いつも試みることを、千田先生の意志を継いだ先輩諸氏から学びました。
その私も入団して30年が過ぎ、中堅と呼ばれる年代となり、劇団の運営にもかかわるようになりました。芸術と経済という二極の両立の接点を模索し、お客さまの興味をかきたてながらも、現代社会を映し出す作品創りを目指してみんなと知恵を絞っています。
そんな思いの中から生まれたのが、現在稽古に励んでいる「戒厳令」です。作家はフランスのアルベール・カミュで、我が座では今年1月の「正義の人びと」に続いての上演となります。
今私たちが世界的に直面している、いまだ科学的に解明されない新型コロナウイルスと同意の細菌「ペスト」をモチーフに、それに侵される市井の人々の肉体や精神の混乱を巧みに利用しながら、ファシズムへ導いていくという展開です。
その創作の着眼点が実にカミュらしく、人間の本質を見つめ、まるで鋭いナイフで切り付けられるような作品です。混迷の中で葛藤する今の私たちに劇中のせりふが問いかけます。「誰が正しくて、誰が間違っているんだろう? だが、考えてもみてくれ、世界は全てが嘘(うそ)っぱちだ。死ぬこと以外に真実はない」
演出の眞鍋卓嗣(たかし)は、昨年度二つの演劇賞を受賞した気鋭です。彼は戯曲を一度解体し、それを再構築して、まさに「今」を映す作品に仕上げました。演じる俳優16人は劇場中を駆けまわり、その具現化のために連日格闘しています。
役者は肉体労働ですが、汗を流しながらも場面が生き生きとして形作られてゆく稽古の中に身を置くと、疲れていることを忘れます。稽古の後は、クールダウンもそこそこに、多くを語らず、稽古場の消毒を済ませて帰宅を急ぎます。
昨今の感染者数増加はこれまでとは異なり、この先どんなことが起こるのか想像もできません。感染の広がりは我が座にとっても死活問題です。もし座内でクラスターが起こるようなことがあれば一度に信用を失うことになります。「戒厳令」の場面を想起しながら、感染予防対策に二重三重の神経を使って実践しています。
劇団が大切にしている言葉、「汝(なんじ)は人間である、つねにそのことを自覚して忘れるな」をかみしめて、私たちはこれからもより精度の高い作品創りを目指し、努力を惜しまず日々を歩んでいきます。
(しおやま・せいじ 俳優)
*「戒厳令」 翻訳=中村まり子、出演=加藤佳男、山本順子、坪井木の実、塩山誠司ほか。9月3〜19日、劇団俳優座5階稽古場。電話03(3470)2888
2021年8月15日
いま、過去の植民地主義を問い直す動きが世界で広がっています。現在における人種差別や人権の問題から出発し、過去の歴史の中での植民地主義の問題をどう見据えるかが議論になっています。
植民地支配は、政治的な権利、さまざまな人権を侵害しながら行われてきました。いかに人々の権利を奪ってきたかということが、植民地主義の一番根底的な問題です。
1945年の第2次世界大戦の終結は、植民地が独立へと向かう変化を促す節目になりました。同時に、人権などに対する人々の意識の変化ももたらす契機となりました。
第2次世界大戦は、私が比喩的に“帝国の総力戦”と呼んでいるように、世界中の植民地を巻き込んだ戦争になりました。植民地の多くの人々が、自分たちが起こしたわけではない戦争に動員され、さまざまな役割を演じさせられ、犠牲になりました。その中で人々の意識の変化が起こっていきます。
とくに、第2次大戦が反ファシズム戦争という性格を持っていたことは重要です。ドイツ、イタリア、日本というファシズムの国々に対し、連合国側の反ファシズムの国々は「自由や民主主義を守る」ということを掲げました。
ところがこうしたスローガンを掲げた反ファシズムの国々も植民地支配は続けようとします。戦争に加わっていった植民地の人々の中には、「それはおかしい」「植民地支配のもとにおかれている状況から脱却しなければ」という意識が非常に強くなっていきます。
反ファシズムの内実を突き詰めていけば、植民地の解放にいきつかざるを得ません。戦争後の世界を植民地のない世界にしていこうという機運が強まり、終戦でその意識が一挙に噴き出していくことになりました。
戦後、支配国側との独立戦争や、内戦などで多大な犠牲を伴いながら、それぞれの地域で脱植民地化の過程は進んでいきます。さまざまな課題を残しながらも、60年代ごろまでに多くの植民地が政治的な独立を勝ち取っていきました。
第2次大戦までの世界は、主権を奪われた国や地域に住む人々が大半でした。そうした人々が政治的な独立を勝ち取った意味は大きく、新たに独立した国々が国際的に大きな力を発揮しています。そうした中でいま、植民地主義について、人権など普遍的な問題としての問い直しが広がっています。
昨年、米国での白人警官による黒人男性の暴行死事件に抗議する「ブラック・ライブズ・マター」運動から、植民地支配を問う動きが広がったのは象徴的です。日本軍「慰安婦」の問題も、普遍的な人権や性暴力の問題であり、単なる過去の問題ではないという議論が起きています。
支配した国の側の忘却は進みますが、支配された側の記憶は長く続きます。時がたち世代が変わっても、支配に伴う政治的、道義的責任は消えません。
ジグザグや抵抗はあっても、世界でかつての支配国と植民地国の関係は少しずつ前進しています。その中で今の日本政府には、関係を前に進めようという姿勢が見られません。「慰安婦」問題や植民地支配の歴史をきちんと直視することが必要です。その姿勢を示すことなしに真の関係改善はのぞめません。
(伊藤幸)
きばた・よういち 1946年生まれ。専門はイギリス帝国史、国際関係論、国際関係史。著書に『二〇世紀の歴史』『第二次世界大戦―現代世界への転換点』『イギリス帝国と帝国主義』ほか。
2021年7月20日
日本共産党の小池晃書記局長は19日の記者会見で、国民民主党の玉木雄一郎代表が、連合との「政策協定」にある「左右の全体主義」について、「日本共産党のことだ」と発言したことに触れ、「発言は撤回されるべきだ」と表明しました。
小池氏は「わが党は、戦前から軍国主義とファシズムとたたかい続け、いまも綱領に明記しているように、自由と民主主義を何よりも大切にしている政党であり、全体主義とは対極にある政党だ」と強調しました。
小池氏は、玉木氏が問題の発言の一方で、「選挙戦術的な調整は否定しない」と述べたと報道されていることに言及。「その発言と日本共産党を『全体主義』として排除するとしたことは矛盾する」として、「日本共産党を『全体主義』とした発言は撤回されるべきだと考える」と述べました。
2021年7月17日
新型コロナウイルスの感染拡大で住民に身近な自治体の役割がいっそう重要になるなか、第63回自治体学校が17日から始まります。今年も2020年に続き、感染対策のためオンライン(「Zoom」)での開催となります。
哲学者の内山節氏による記念講演と、岡田知弘・京都橘大学教授による特別講演は事前収録し、DVDで参加者に配布されました。
内山氏は、自然災害が続発し、新しい感染症が発生する時代と向き合うためには、経済優先ではない新しい形の社会を創造する必要があるとして、国家や社会のあり方を検証し根本的に改革する努力が欠かせないと主張しています。
同氏は、今の社会は1930年代のドイツで、国による上からの統制が進められ、それに呼応した国民が下からの統制を強めたファシズムの成立過程と「構造的に似ている」と指摘します。そのうえで「コロナ・ファシズム」と言われる統制社会に陥らず、人間が「共に生きる社会」が必要だと強調。国と自治体の関係について、国が中心になるのではなく、市町村や地域といった小さな単位が決定権を持ち、柔軟に動けるよう議論しなければならないと訴えています。
岡田氏は、安倍政治を継承した菅政権は、東京五輪最優先でコロナ対策を怠り、「国民の命と地域社会の持続性を奪った」と指摘。失政の根本原因として新自由主義改革による保健所や公立病院の統廃合で公務員を大幅削減したのに、「デジタル化が遅れた」として、マイナンバーカードのさらなる普及などを打ち出していると批判。これらの財源確保のため高齢者医療費窓口負担の2倍化や病床削減を強行したと語っています。
財界の要求に応じたデジタル化の推進は、個人情報の利活用で民間大手企業の成長を図るためだと指摘。9月に発足するデジタル庁は「自治体を飛び越え、国民一人ひとりの個人情報を監視し、一元的統治を図る中央集権的な国家体制だ」として「戦争ができる国づくりの一環ではないか」と警鐘を鳴らしています。
2021年7月13日
この判決は行政機関の裁量権の逸脱・乱用を認めた事例として高く評価できるものですが、憲法の観点からも以下の3点が画期的だと考えます。
1、文化芸術の自主性・専門性に重きをおいた判決であること。
今日において芸術的表現活動は先端科学技術研究と同様に、単に国家権力から制約を受けなければ足りるとするものではなく、その保障を実質化するために国家の助力が求められます。その際、政府による恣意(しい)的な助成を通じて、政府が言論市場を支配し、人々の価値観や世論を都合のいいように歪(ゆが)め、コントロールすることがあってはなりません。
ドイツ連邦憲法では、「芸術の自由」という人権が学問の自由と並んで明記されて保障されていますし、イタリア共和国憲法においても同じ条文に規定されています。第2次世界大戦において学問や芸術がファシズムに利用されてしまったことへの大きな反省を見て取ることができます。
今回の判決が、「芸術団体等が時に社会の無理解や政治的な圧力等によってその自由な表現活動を妨げられることがあったという歴史的経緯に鑑みると……芸術団体等の自主性について配慮するとともに、各分野における芸術の専門家の判断が行った評価についてはこれを尊重することが求められる」とした点は、高く評価できるものです。
2、助成金交付に際して、「公益性」の独り歩きを阻止する重要な判決といえます。
文化芸術にとって「公益性」という曖昧な概念による規制は極めて危険であり、許してはなりません。これを許してしまうと、暴力的、犯罪的、性的、不道徳、非常識と一般的に思われる作品が規制されかねません。表現の不自由の連鎖は、文化芸術のみならず政治的表現にも波及していく危険があります。これを許してはならないのです。
3、萎縮の連鎖を止めることが出来た判決です。
「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」の展示中止、補助金不交付の問題や、KAWASAKIしんゆり映画祭での映画「主戦場」の上映中止問題が相次ぎ、多くの議論を呼びました。こういった一連の流れを、表現の不自由に関する「萎縮の連鎖」、「萎縮のドミノ」と呼ぶ憲法学者もいます。特に手厚く保障されるべき「表現の自由」の重要性に鑑みると、昨今の表現活動に対する制約は決して看過できません。
文化芸術への受け止め方は皆それぞれであり、極めて個人的な精神の営みであるからこそ貴重です。芸術とは、単に多数人にとって受け入れやすい美しいものだけを意味しません。特に異端、異論、少数派と評価される存在をも認めていかねばならないのです。これこそが憲法が文化芸術を人権として保障することの意味です。
この判決は、文化芸術に携わるすべての人に、政治や世間に忖度(そんたく)することなく、堂々と表現すればいいとエールを送ってくれた気がします。コロナ禍の中で、文化芸術界にとって「希望と勇気の灯」となる判決といえるのではないでしょうか。
(いとう・まこと 伊藤塾塾長・法学館憲法研究所所長、弁護士)
2021年7月5日
社会の矛盾に切り込む数々の小説で知られる作家の桐野夏生さんが、日本ペンクラブ第18代会長に就任しました。1935年の設立以来、女性が会長に就くのは初めてです。抱負を聞きました。(平川由美)
女性初の会長であり、長い歴史を持つ日本ペンクラブを代表することに大きな責任を感じています。
第1次世界大戦後の1921年、戦争の反省から欧州の文学者たちによって国際ペンクラブが創設され、その日本センターとして35年に日本ペンクラブが設立されました。「文学の普遍的価値の共有」「平和への希求と憎しみの除去」「思想・信条の自由、言論・表現の自由の擁護」を基本理念に活動してきた実績があります。初代会長の島崎藤村はじめ志賀直哉、川端康成、井上靖、遠藤周作…と、歴代会長の名前を見ると、私でいいのだろうか、務まるのだろうか、と不安でしたが、世界的にジェンダー平等の機運が高まる中で、私がここで引き受けなければ、何年も女性が選ばれなくなるかもしれない、と思い決意しました。
今、不安定雇用や低賃金に苦しむ女性や若い人たちが、さらにコロナ禍で仕事を失い、貧困と格差は広がり続けています。ペンクラブは、時々の社会・政治問題で世界に向けて声明を発信していますが、同時に、困難な状況下で声を上げている人たちと同じ目線でつながっていきたいと考えています。例えばSNSを活用して、いろいろな人が気軽に意見を言い合って、行動を起こすきっかけになる場をつくれないだろうか。
ペンクラブの理念は普遍的で、今も十分通用するものであるにもかかわらず、さまざまな国で言論の弾圧が露骨に行われ、日本でも「表現の不自由展」への妨害や、学術会議会員の政権による任命拒否など、きな臭い動きが起きています。議論のないままにオリンピックの開催が強行されようとしたり、かつて、こうして戦争に突入していったんだろうなと実感します。
言葉に携わる私たちがまず、政権の思い通りになってはいけないと自覚し、政治の嘘(うそ)に切り込み、あらゆる弾圧、差別、分断に敏感に気づくこと。時代のカナリアとなって、これはおかしい、と警鐘を鳴らす必要があると思います。
原発4基が爆発した日本の近未来を描いた『バラカ』を震災後に出版した時、政治的なことには関わりたくないといった周囲の微妙な雰囲気を感じました。原発事故が起きたのは事実で、行き場のない人たちもいるのに、本当のことを書くのはタブーなのか、と。その時、国家による言論統制に市民も加担して、タブーを書く作家が収容所に入れられ、ひどい目に遭う小説が浮かんで、『日没』を書きました。
言葉に携わる私たちは、隠されていることを暴きもするし、世界の残酷さや人間の負の部分も自らの責任で描いて、作品を創っています。ペンクラブは、その表現において権力に迫害されたり、虐げられたりしている人に手を差し伸べ、ともにたたかっていく組織でありたい。不都合な現実などなかったかのように見えなくすることは歴史修正主義につながり、公序良俗に少しでも外れると糾弾するような他者への不寛容はファシズムへの道です。
人間は言葉で救われることもありますが、圧倒的な貧困や飢餓、災厄の前では言葉は無力だと思うこともあります。言葉からこぼれ落ちるものもあれば、何を書いても嘘に感じることもある。でも、言葉で表現し続ければ、思いを伝え、共有することができると信じて、ペンクラブの活動を進めていきたいと思います。
きりの・なつお 1951年金沢市生まれ。著書に『OUT』(日本推理作家協会賞)、『柔らかな頬』(直木賞)、『グロテスク』(泉鏡花文学賞)、『東京島』(谷崎潤一郎賞)、『ナニカアル』(読売文学賞)、『バラカ』『日没』ほか多数
(1) 文学に国境はない。よって政治的また国際的な紛糾にかかわることなく、人々が共有する価値あるものとすべきである。
(2) あらゆる状況下において、特に戦時において、あまねく全人類の遺産である文芸作品は、国家または政治の一時的な激情にさらされることなく保たれねばならない。
(3) ペンの会員は、自らの影響力を諸国間の理解と尊敬のために行使すべきである。会員は人種・階級・国家間の憎しみを取り除くこと、一つの世界に平和に生きる無二の人類としての理想を守ることに最善を尽くすことを誓う。
(4) ペンは国内および諸国間において、思想の伝達を妨げてはならないという原則を支持する。会員は自らが所属する国や地域社会、さらに全世界においても可能な限り、表現の自由に対するあらゆる形態の抑圧に反対することを誓う。ペンは報道の自由を宣言し、平時における専制的な検閲に反対する。ペンはより高度に組織化された政治・経済の秩序へむかうために世界が必要な進歩をなしとげるには、(立法・司法を含む)政府・行政・諸機関への自由な批判が不可欠であると信じる。また自由には自制を伴うゆえ、会員は政治的・個人的な目的のために欺瞞(ぎまん)に満ちた出版、意図的な虚偽・事実の歪曲(わいきょく)を行うといった表現の自由の悪用に反対することを誓う。
2021年6月1日
日本民主青年同盟主催で5月23日に行われた「社会は変わるし、変えられる―志位さんと語る学生オンラインゼミ」が新鮮な共感を広げています。日本共産党の志位和夫委員長がオンラインゼミで語った内容を紙上再現し、テーマごとに連載します。
学生オンラインゼミは、民青同盟の中山歩美副委員長の司会で、日本共産党の志位和夫委員長をメインスピーカーに迎えて、行われました。事前に学生から質問を募集し、それに答えるという双方向の企画となりました。前半では五つの学生班からの質問に、後半では全国から寄せられた質問と、さらに企画の途中にメールで寄せられた質問に答えるという形で進められました。
中山 では、今日はさっそくこれから志位さんに話を伺います。志位さんは東京大学の工学部出身ということですが、学生時代はどんなことを学ばれたのですか。
志位 工学部では、応用物理(物理工学科)が専攻で、超電導というのがありますでしょ。物質の温度をどんどん下げていくと電気抵抗がなくなっちゃうという現象があるのですが、その実験などをやっていました。ただ、あまり授業はきちんと出ていなかったので、物理というよりも“政治学”を学んでいたと。(笑い)
中山 そうなんですね。民青にも入られていたということですよね。なので、民青の大先輩ということで、民青との出会いも教えていただけますか。
志位 大学1年生のときに、当時、田中角栄さんという人が総理大臣をやっていたんですが、小選挙区制というのを出してきた。キャンパスで反対の大運動がおこりました。
当時の自治会執行部のみなさんはたいへんデモが好きで、毎週のように国会に行くんですよ。私が、授業が終わって駅の階段をのぼって、「今日は家に帰って勉強しようかな」と考えていると、後ろの方から声が聞こえてきて、「学友のみなさん、一緒に国会に行きましょう」と呼びかけている。わっしょい、わっしょい、と学内を回っているんです。そうしますといろいろ考えるわけです。「このまま家に帰っていろいろやりたいことがあるな、でも、ここでデモに参加しないで小選挙区制が通っちゃったらあとで後悔するだろうな」と悩むんですよ。当時、純真でしたから。今も純真ですけれども(笑い)。そういうこともあって悩んだ末にやっぱり行こうということになって。
学内のデモの声がする方に行きますと、キャンパスが薄暗くなっているなかでデモをやっている。みると10人ぐらいでやっている。「10人で国会に行くの」と聞いたら「君が入れば11人だよ」と言われて(笑い)、一緒に国会までデモに行ったりして。そういうなかで友だちができまして、民青に入って、党に入った。もう48年前ですけれども。
やっぱり民主主義を守るという民青の姿はかっこよかったですし、共産党もかっこよかったですね。そういう道を選んでよかったなと思っているんですけれども。
中山 はじめてこういうふうに、志位さんと民青との出会いを、詳しく聞くことができました。では、民青の大先輩の志位さんに、さっそく学生からの質問に答えてもらう形で学習会をすすめていきたいと思います。
事前に質問を寄せていただいた五つの班の方々から、質問をしていただこうと思います。志位さんからの回答をうけて、あらためて質問をして、それに答えてもらうという形ですすめていきます。
長野県の学生班 共産・社会主義が実現した未来社会について聞いたとき、「青写真は描かない」と説明されました。具体的なイメージがないと絵空事のように感じてしまいます。何か具体的なイメージを教えてもらえませんか。
志位 具体的なイメージ、まず直球できましたね。私なりに二つ話したいと思います。
第一は、労働時間がうんと短くなる社会ということです。そのことによって、すべての人間が自分の能力を自由に全面的に発展させることができるようになる社会、これが私たちのめざす社会なのです。
(パネル1)これはマルクス、エンゲルスが『共産党宣言』のなかで社会主義について特徴づけた言葉です。「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような一つの結合社会」。こういう特徴づけをしたのです。
「各人の自由な発展」とありますでしょ。これはどういうことかというと、人間というのは、みんな自分のなかに、さまざまな能力や才能をもっています。科学者の才能、芸術家の才能、職人の才能、アスリートの才能、いろいろな才能をみんなもっているのです。ところが、資本主義のもとでは、長時間労働によって、さまざまな才能や能力をもっていても、それを生かせる人は一部で、埋もれたままになってしまう方も少なくありません。社会主義・共産主義になれば、すべての人間が、自らの能力を自由に全面的に発展させることができるようになる。
それでは、その保障をどこに求めるか。マルクスは、若いころからこの問題を探求していくのですけれども、到達した結論というのは、労働時間を抜本的に短くする。ここにこそ、その保障があるという結論に到達するんですね。
たとえば、1日3〜4時間労働、週3〜4日労働、こうなりましたら、どうなるか。自由に使える時間がうんと増えますでしょ。こういう自由時間が増えたらどうなるか。自由時間ですから何に使ってもいい、遊んでもいいんですけれども、そういう自由な時間がみんながもてるようになったら、人間はそれを自分の能力を発展させるために使うようになると思うんです。
そのことが社会全体を素晴らしく豊かなものにして、「万人の自由な発展」につながっていく。一人ひとりが自由に発展することが社会全体の素晴らしい発展につながり、両者の好循環がおこってくる。このことをマルクス、エンゲルスは述べているんですね。
志位 それでは、なぜ社会主義・共産主義になると労働時間が短くなるのか。二つ言いたいと思います。
一つは、生産手段の社会化によって、人間による人間の搾取がなくなるということです。日本の全産業で試算しますと、労働時間の半分以上は搾取されて資本に吸い上げられている。つまり、半分以上は“ただ働き”をさせられている。ですから搾取がなくなったら、大幅に労働時間が短くなります。
もう一つは、資本主義につきものの浪費がなくなるということです。資本主義というのは、一見、効率的に見えるんだけれど、途方もない浪費社会なんですよ。たとえば、恐慌・不況が起こるでしょ。2008年のリーマン・ショックのときを見てください。あのときに何が起こったかというと、「派遣切り」で大勢の失業者が出る。一方で工場は休んでいる。これは、浪費の最たるものでしょ。それから、資本主義というのは利潤第一で、ともかくもうけが最優先ですから、「大量生産・大量消費・大量廃棄」、これが特徴になっています。ほんとうにひどい浪費社会なんですね。こういう浪費を一掃すれば、いまの生産力の水準でも、社会全体がうんと豊かになるし、労働時間をうんと短くすることができます。
志位 具体的なイメージということでもう1点のべますと、資本主義のもとでかちとった価値あるものを、すべて引き継ぎ、豊かに発展させ、花開かせる、そういう社会だということです。
たとえば、資本主義のもとで自由と民主主義の制度がつくられます。日本も、日本国憲法のもとで自由と民主主義のさまざまな制度がつくられてきました。こういう制度はみんな引き継いで、豊かに発展させ、花開かせていく。つぶれてしまった旧ソ連とか、今の中国のような自由も民主主義も人権もないような社会は、私たちのめざす社会ではありません。
それから人間の豊かな個性も引き継いでいきます。資本主義社会は、人類の歴史のなかで初めて、人格的に独立し、豊かな個性をもった自由な人間が、社会全体の規模で生まれてくる社会です。まだ搾取制度がありますから制約はあるけれど、人格的な隷属は過去のものとなり、豊かな個性をもった人間を生みだすという特別の歴史的意義をもつ社会なんですね。個人の自由や権利についての自覚が大きく発展することも可能になります。民主主義の感覚、人権の感覚、ジェンダー平等の感覚なども、成長していきます。こうした人間の豊かな個性をみんな大事にして、未来に引き継いでいく。
資本主義のもとでつくられたあらゆる価値あるものを引き継ぎ、花開かせる社会。これでイメージがだいぶ出てきませんか。
中山 そうですね。自由がなくなるという疑問も青年から出されると思うんですけど、それとは全然違うということですよね。
志位 そうですね。人間の自由、人間の解放こそ、社会主義・共産主義の特徴なんです。
中山 なるほど。ありがとうございました。では、長野の学生の方、いまのお話をうけてさらに質問などありませんか。
学生 社会主義への移行期のなかで、お金とか権力への執着というのは捨てられるのでしょうか。執着というのは、生まれつきの闘争心が元になっていると思うんですけど、そういったものを環境によってなくすということができる根拠は、なんでしょうか。
志位 お金への執着ということを言われましたが、これは資本主義社会のなかで生まれてきているものなんですね。資本主義というのは、生産の目的・動機が何かというと、ひたすらお金を増やすこと、つまり利潤を増やすことにあります。私たちが「利潤第一主義」と呼んでいるものです。利潤を増やすことが、生産の目的・動機であり、それに突き動かされて「生産のための生産」に突き進んでいくのが、資本主義社会なのです。資本主義社会では、生産手段――工場や機械や土地などを、資本が独り占めにしている。根本的に言いますと、そこから自分の富をひたすら増やす、という「利潤第一主義」の衝動が生まれてくるわけです。
私たちのめざす社会主義というのは、生産手段を個々の資本のもとにおくのではなくて、社会全体のものにする。生産手段を社会全体のものにする変革によってつくられる社会です(生産手段の社会化)。そうなってきますと、今度は生産の目的・動機が変わってきます。これまでは、自分の富を増やすのが目的だったんだけど、生産手段が社会全体のものになっていけば、社会全体をよくすることが生産の目的・動機になってきますよね。
ですから、そういうふうに社会が大きく変わることで、お金への執着というのも、だいぶ変わってくると思うんです。もちろん、それが変わるには何世代ものプロセスが必要だと思うけれども、だんだんと今の社会のようなお金もうけへの執着というものに代わって、生産の目的が社会全体をよくするということになってきて、人間の価値観も変わっていくのではないか。これが私たちの見通しなんです。
中山 なるほど。学生の方、どうですか。
学生 社会主義に変わることによって、労働者の価値観もふくめて変わっていくんだなというのが、すごい画期的な考え方だなと思いました。
2021年6月2日
広島県の学生班 緊急事態宣言が出されているんですけれども、効果がどれぐらいあるのかわかりません。どんなコロナ感染対策が必要だと、委員長は思われますか。あと、「オンライン授業の準備が大変」とか、「バイト先が休業した」という学生に、補償が必要ではないかと思うんですけど、その点いかがでしょうか。
志位 どんなコロナ対策が必要かという質問ですが、私は、日本のコロナ対策は失敗したと考えているんです。いま世界の少なくない国では(収束への)出口が見えてきつつありますね。ところが日本では出口が見えてきていません。ただすべき二つの大問題があると、私は言いたいと思います。
志位 第一は、科学に基づく「封じ込め」の戦略がないという問題です。そのなかでも一番の問題は、PCR検査を軽視してきたことにあります。いまだに人口比で世界144位と、まったく遅れている。なぜこんなに遅れたのか、私は、とっても疑問だったんですけれども、この間、「なるほど」と思ったことがあるんです。
(パネル2)これは、厚生労働省が昨年5月に、秘密裏に作成していた内部文書です。「希望者に広く検査を受けられるようにすべきとの主張」に対する「反論」が書いてある。そんなことをやったら「医療崩壊につながる」「医療崩壊を招く」と書いてあるでしょ。“検査を広げたら医療崩壊が起こる”。こういう文書を、秘密裏につくってばらまいていた。ひどいでしょ。起こったことは反対でした。検査を怠ったために、感染が拡大して、医療崩壊が起こっている。
ワクチンもそうです。日本ではワクチン接種が非常に遅れている。接種回数で世界128位です。これは、国産ワクチンの開発を怠ってきたことが根本にあるのですが、早い段階からワクチン接種に本腰を入れてとりくむ体制をつくってこなかった政治の怠慢が、こういう事態を招いていると思うんです。
検査とワクチン――これは「封じ込め」のための科学的基本です。ところが両方とも真剣にとりくんでこなかった。今からでもここは根本からたださなければいけないと、私たちは主張しています。
志位 もう一つ問題があります。
第二の問題として私が言いたいのは、失敗から謙虚に学び、次の対策に生かすという姿勢がないということです。未知のウイルスとのたたかいですから、政治が失敗することは、私はあると思うんです。失敗したときが大事だと思う。そのときに、きちんと失敗だったと認め、反省し、謙虚に学んで、次の対策に生かす。こういう姿勢が大切ではないでしょうか。
ところが、世界の多くの国ではそういう姿勢でとりくんでいるのに、日本の政府にはそういう姿勢がない。たとえば、安倍政権、菅政権のもとで、誰がみても失敗だったということが、いくつもあるでしょ。昨年3月の全国いっせい休校――子どもを苦しめただけでした。アベノマスク――届いたころには市中にマスクが出回っていた。GoToキャンペーン――全国に感染を広げてしまいました。明らかに失敗をやっている。
ところが、いまあげた三つのうち、政府が「間違っていました」と頭を下げたのは、一つもありません。そういうことでは、国民は、政府のやることが信用できなくなってしまいます。たとえば、GoToキャンペーンのときには、「移動するだけでは感染は広がりません」と言っていたのに、いまは「移動をやめてください」と言っている。つじつまが合わなくなってしまっているわけです。
私は、この二つの大問題をただすことが急務だと思います。
志位 私たち日本共産党としては、先日(5月20日)、政府にたいして緊急要請を行いました。安全・迅速なワクチン接種、大規模検査、十分な補償と生活支援――この「3本柱」で「封じ込め」に責任をもてという要請です。
それから、医療機関への減収補填(ほてん)や支援強化、そして、東京オリンピック・パラリンピック中止の決断をということも提起しています。ぜひこの方向に進むよう、強く求めていきたい。
志位 それから、学生のみなさんにたいして、「オンライン授業の準備が大変」とか「バイト先が休業した」などの学生に補償が必要ではないかというご意見ですが、これは本当にその通りです。
困窮している学生への給付金が1回きりしか出ていません。しかも全学生の12%しか対象になっていない。これを複数回、もっと対象を広げて出す必要があります。
それから、感染対策を考えたら、オンライン授業はどうしてもやむを得ないのですが、オンライン授業だけでは何のために大学に入ったのかとなってしまいます。キャンパスに行きたいですよね。そのためには、大学での検査を大規模にやるべきです。一部の大学で始まっていると聞きましたが、PCR検査を大規模に行って、キャンパスを安全にして、大学でもゼミなどで集えるように条件をつくっていくことも大切です。
それから、何といっても給付型の奨学金を本格的につくって、学費を半分にするということを、政治の責任でやっていく。
そうしたことを、強く求めていきたいと考えています。
中山 ありがとうございます。学生の方から追加の質問ありますか。
学生 オンライン授業で、大学に行っていないのに施設費がかかる問題についてどう思われますか。
志位 これは大きな矛盾だと思います。オンライン授業は、現状ではやむを得ないとしても、施設費などを学生負担にするというのは、政治の責任でただしていく必要があると思います。大学に責任を転嫁するのでなく、政治が責任をもって対応することが必要です。また、先ほどお話ししたように給付金をしっかり出していくことも含めて、必要な支援をやっていくことを求めていきます。
同時に、私が強調したいのは、オンライン授業は、現状ではやむを得ないのですが、大学の一番のだいご味というのはキャンパスでみんなが集う、そのなかで学んでいくことですよね。先ほども言ったように、検査をしっかりやって、大学でも少人数のゼミなどができるように条件をつくっていくことを、今はあわせてやっていかないといけない。そのことも求めていきたいと考えています。
中山 施設費のことで質問でしたけど、学費の半額そのものを掲げているのは、どうしてなんでしょうか。
志位 これは、日本の学費は、年間で約80万円から130万円にもなる。世界最高水準の学費になっています。私が大学生のとき(1973年)は、国立大学で年間3万6千円でした。それでも、その2年前までは1万2千円で、3倍にすることに反対してストライキが起こったぐらい、当時は大問題になったのですが。
中山 ほんとに高いですね。
志位 高いですね。これは下げるのは当たり前です。ヨーロッパの多くの国ぐにでは、無償か、廉価です。そういう方向に変えていかなければなりません。
中山 学生の方どうですか、回答を受けて。
学生 ありがとうございました。学費が高すぎるというのは本当に思っていて、40年くらい前や50年くらい前は、物価の違いもあるんですけれど、いまより、安かったという印象が自分にもあるので、学生が大学をきちんと卒業できるような環境を整備してほしいなと、それに見合った学費が必要だと思いました。
志位 いまのお話を聞いてつけくわえますと、政府が学費を上げていった理屈があるんですよ。「受益者負担主義」というもので、つまり大学で「益」を受けるのは学生だと、だから学生が負担して当たり前でしょうと、こういう理屈で上げていったんです。ところが、学生が大学で学んで「益」を受けるのは個人じゃないんです。社会全体の利益になるじゃないですか。学生が、大学でいろいろな勉強をして、社会に出て行っていろいろな分野で頑張る。これは社会全体の利益じゃないですか。そもそも憲法は教育を受ける権利を定めており、「受益者負担主義」は成り立ちません。
だから、「受益者負担主義」ということで、個人が利益を受けるんだから、その分は払って当然だろうと、この考え方が間違いだということを私はうんと言いたいと思います。ヨーロッパなどでは「益」を受けるのは社会だから、費用は社会が負担する――学費は無償は当然だという議論になるんですね。それが当たり前だと思います。
2021年6月3日
愛知県の学生班 私たちは大学で福祉を学んでいます。班会の中で医療や福祉の分野にもっと予算を拡充してほしいという声がよく上がるのですが、そういうことを話すと、日本は多額の借金を抱えているからそんなところにお金は回せないんだという意見をしばしば耳にすることがあります。そもそもこの日本の借金はどういうものなのか、また、それをどのようにとらえて解決していけばいいのかということを教えてほしいです。
志位 とても大事な問題だと思います。国と地方の借金(長期債務)は、2020年度末で1158兆円、対GDP(国内総生産)比で216%となっています。日本は、OECD(経済協力開発機構)の国ぐにで、断トツで借金が多い国になっています。
志位 借金の問題を考えるときに、なぜ借金がつくられたか、ここから考える必要があると思います。自民党や財界などは、「社会保障にお金を使いすぎたからだ」という議論をすぐしますでしょう。これはうそですよ。
(パネル3)これを見てください。GDP比での社会保障支出の国際比較です。フランスが32・1%、ドイツが27・7%、アメリカが24・9%に比べて、日本は22・9%といちばん少ないじゃないですか。これを、アメリカ並みにしただけでも約10兆円、増やせます。ドイツ並みにしたら約25兆円、フランス並みにしたら約50兆円、いまの経済規模でも社会保障支出を増やせます。ですから、「社会保障にお金を使いすぎたから」というのはうそなんです。
なぜ巨額の借金ができたかというと、二つ原因があります。
第一は、1970年代から90年代のことですが、無駄な公共事業に巨額のお金を使い続けた時期があります。90年代には、年間50兆円も公共事業に使って、社会保障が20兆円だった時期もあって、私たちは「逆立ち」財政だといって、ずいぶん批判したんです。この時期に、無駄な公共事業にお金を使い続けて、30年間で借金が約300兆円も増えてしまいました。これが第一の原因です。
第二に、2000年代に入りますと、さすがに無駄な公共事業に野放図にお金を注ぎ続けることができなくなった。今度は、公共事業に代わって、借金の最大の原因になったのは、大企業と富裕層の減税でした。
(パネル4)これを見てください。1989年に消費税が導入されてから、今日まで、33年間で国民は消費税を累計で447兆円も払っています。ところが、法人税(3税)は累計で同じ時期に326兆円も減っている。所得税・住民税は累計で287兆円も減っている。大企業と富裕層への減税のために、これだけ税収に穴が開いてしまったんです。合わせて約600兆円でしょう。これでは、消費税をどんなに払ったって、穴の開いたバケツに水を注いでいるようなもので、借金がどんどん増えてしまいました。これが二つ目の原因です。
志位 それではどう解決するのか。今の事態の改善はもちろん必要です。ただ、「借金をすぐ返す」とか、「借金の額自体をすぐ減らす」などは、無理なことになります。追求すべきは、「借金が多少増え続けたとしても、経済がそれ以上に成長し、GDP比でみた借金残高は低下していく」というところにあります。そうした方向に進む必要があるというのが、私たちの考えです。
そのさい、コロナ対策と、通常の財政運営を分けて考える必要があります。
コロナ対策というのは、一時的なものです。一時的なものに終わらせなければなりません。これは借金をしてでも、必要な対策はどーんとやって、命と暮らしを守る。そういう姿勢が必要です。
そのうえで、社会保障の財源とか、消費税減税の財源というのは、私たちは、「税金の集め方、使い方を改革する」ことで賄っていこうと、こう考えています。
(パネル5)これをご覧ください。これは、企業の規模別の法人税の実質負担率です。大企業は中小企業に比べて負担率が低いでしょう。小規模企業や中堅企業の負担率はだいたい20%程度、大企業は10%程度で半分しか払っていない。これは、おかしいですよね。大企業には、いろいろな優遇税制があります。そのためにこんな不公平なことが起こっているんです。私たちは、大企業への優遇税制を正し、法人税率はこの間、23%まで下げられてきましたけれども、大企業については安倍政権前の28%まで戻そうということを主張しています。
(パネル6)もう一つは、このグラフを見てください。これは有名なグラフなんですが、所得階級別の所得税負担率のグラフです。わが党の大門実紀史参議院議員が最初に作った。そして、今は財務省も使っている(笑い)というグラフなんです。このように、年収1億円を超えると、所得税の負担率が大金持ちになればなるほど下がっていってしまう。これも、おかしいですよね。なぜそうなるかというと、株取引などにかかる税が軽い。それにくわえて、所得税の最高税率が下げられてきた。こういう大金持ちへの優遇税制を正し、最高税率を上げていくことによって財源をつくろうというのがもう一つなんです。
税金の使い方の方も、5・4兆円まで膨れ上がった軍事費や公共事業の無駄にもメスを入れる。
そういうもろもろの改革で、暮らしを良くすることで、経済成長を実現し、税金の増収をはかる。
私たちの試算では、合計26兆円程度の財源をつくれます。26兆円のうち、12兆円で消費税5%への減税をやる。さらに暮らしを良くする仕事をやる。暮らしを良くしながら借金の問題も解決する道筋をつけていく。こういうプランを示しています。
志位 最後にこの問題で一つ言っておきたいのは、世界の流れも私たちが主張しているような方向にむかっているということです。
いま、コロナ危機のもとで、日本でも世界でも超富裕層がものすごくもうけています。そうしたなかで大企業と富裕層にしかるべき税金を払ってもらおうという動きが世界中で起こっています。
バイデン米大統領は、トランプ政権が21%まで下げた法人税を28%まで戻すと言っています。日本共産党と同じ28%です。先に言ったのは日本共産党ですけれども(笑い)、それをアメリカの民主党がいま言いだした。これはいいことですから、日米協調で法人税を引き上げて、ちゃんと払ってもらえるようにしたい。
世界の流れからみても道理のある道なんです。こういう方向で、きちんと財源の問題も考えながら、暮らしを守っていきたいというのが私たちの考え方です。
中山 では、学生の方から質問などありますか。
学生 ありがとうございます。借金について調べているときに、「日本の円は信頼があるから、借金はとくに問題がないんだ」という意見だとか、そういうものをよく耳にするんですけれど、そういうものについてどうとらえたらいいのか、また、共産党はどう考えているのかを教えてください。
志位 私たちは、「借金を増やしても心配はいらない」という立場には、くみしません。たしかに、日本の場合は、借金のほとんどは外国ではなく、国内で借りたものですし、いざとなれば日本銀行がお金を発行して国債を買ってしまうこともできます。しかし、「財政破たん」というのは、「借りたお金が返せない」ということにかぎらず、別の形で起こることもあるんです。
いざとなれば日銀がお金を発行できるといっても、好き勝手にいくらでもできるわけではありません。お金というのは、物やサービスを売り買いするための手段ですから、物やサービスの流通量に見合ったお金の量が必要になります。物やサービスとの関係で、お金ばかりがどんどん膨らんでいったらどうなりますか。お金の価値が下がってしまいますね。お金の値打ちが下がるということは、「インフレ」になるということです。
多少の「インフレ」ならともかく、年に10%とか20%もの急激な「インフレ」になったらどうなるか。そうなると、働く人の実質賃金がどんと下がってしまう。あるいは、なけなしの貯金もぼーんと目減りしてしまう。国民にとっての大被害が起こります。戦後の一時期、ものすごい「インフレ」が起こって、そういう大被害が起こったことがありましたが、そういう問題があるのです。
「インフレになったら、その時は政府の財政支出を減らしたり、増税したりして、借金が増えるのを減らせばいい」という議論がありますが、これは理屈ではそうだったにしても、実際にはできません。「インフレ」で物価が上がって、ただでさえ暮らしが苦しくなっているときに、「消費税を増税する」とか、「社会保障を削る」ということをしたら、暮らしの破壊に追い打ちをかけることになってしまいます。
ですから、私たちは、「借金を増やしても心配ない」という立場にくみするわけにはいかないということを、言いたいと思います。
大企業、富裕層にきちんと税金を払ってもらって、あるいは、5・4兆円にもなった軍事費にメスをいれて、財源をつくっていくという道を進みたいと思います。財政について考えの違う人とも、そういう点は一致すると思うんですよ。そういう一致点で協力するということもやっていきたいと思います。
中山 なるほど、お金をいくら刷ってもそのお金がどこから出て、どこに使われるかという仕組みが変わらないと意味がないということでしょうか。
志位 そうですね。「日本経済が停滞しているのは、政府の借金が少なすぎるからだ」という議論がありますが、経済が停滞している原因がどこにあるかといえば、借金を増やしても、それが国民の暮らしのために使われていない。先ほどお話ししたように社会保障に回っていない。ゼネコンをもうけさせるための公共事業や、大企業・富裕層への減税だとかに使われてしまったからです。日本経済を良くするためには、ただむやみに政府の借金を増やすというのではなく、「税金の集め方、使い方」を全体として改革していくことが大切です。あわせて、派遣・パート・アルバイトなど、「使い捨て」の労働を広げてしまった雇用の規制緩和を大もとからただしていくことが必要です。
2021年6月4日
京都府の学生班 僕たちは、去年から食料支援をやってきたんですけれど、食料支援の時は社会への関心や疑問、政治を変えたいという学生がたくさんいると思いましたが、普段、自分の周りでは、政治や社会のことを話しづらい空気も感じます。どうすればそういう空気を変えることができると思いますか。
志位 とっても大事な質問ですね。どうすればそういう空気を変えられるのか。私としては二つのメッセージを送りたいと思うんです。
志位 一つは、「あなたのせいじゃない」ということを言っていこうということなんです。つまり、「自己責任」論を乗り越えて、社会的連帯を広げていこうということを訴えたいと思います。
菅首相のセリフで、「まずは自分でやってみる」、「自助が大事だ」というのがあるでしょう。そんなことを言うんだったら答弁も「自助」でやってくださいなと言いたくなりますけれど(笑い)。ただ、そういう議論が繰り返されるもとで、少なくない学生のみなさんが、「自己責任」論のいろいろな呪縛にしばられているという状況もあるのではないかと思うんです。たとえば、「正社員になれずに非正規雇用なのも自分の努力が足らないからだ」とか、「奨学金は借りたら返すのが当たり前」とか、そういういろいろな「自己責任」論にしばられている状況もあるんだと思うんです。
ただ、ここで大事なのは、コロナ危機に直面して、「自己責任」論はもう通用しなくなるという状況が生まれていると思うんですよ。民青のみなさんがとりくんでいる食料支援は、まさにそういう状況のもとでのとりくみだと思います。アルバイトの休業で収入がなくなって、途端に生活が成り立たなくなる。これは学生のみなさんの責任でしょうか。誰がどう考えても、そうじゃない。学生を「使い捨て」の労働でこき使う。学費が高すぎる。奨学金が貧しすぎる。そこから来ているわけです。これが、まさに政治の責任だということが見えやすくなっていると思います。食料支援の時には、政治や社会の話題がはずんだというのも、そういうことではないかと思うんです。
ですから、私は、ぜひ、「あなたのせいじゃない」ということを言っていってほしい。「自己責任」論を乗り越えて、社会的連帯で社会を変えていこう、そういう動きや対話をいろいろな分野ですすめてほしいということが一つなんです。
志位 もう一つ、言いたいのは、今日のゼミナールの主題ですけれど、「社会は変わる、変えられる」、この希望を伝えていくことが大事だと思います。「社会はそうはいっても変わらないのではないか」というところから、政治や社会について話しづらい空気も生まれてきていると思うんです。
しかし、私は、社会というのは変わる、変わるときには一気に変わるということを言いたいと思います。
最近そのことを実感したのは、ジェンダー平等を求める深い巨大なうねりが起こっていることです。東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗前会長がとんでもない女性蔑視の発言をしました。一昔前だったら笑い話でごまかすということが通ったかもしれません。しかし、ごまかしがまったく利かなかった。瞬く間に怒りの声が広がって、辞任に追い込まれました。
それから先日、札幌地裁で、「同性婚を認めないのは憲法違反」という画期的な判決がでました。これも一昔前なら考えられない画期的判決です。原告側の弁護団が、「2年前に提訴した時には、こんな素晴らしい判決、予想もしていなかった」と言われていたのが印象的でした。たたかいの先頭にたった当事者の予想すらこえた画期的判決がでる。私は、ジェンダー平等にむけて、いま日本社会がガラガラと変わりつつあると思います。
志位 もう一つ言いますと、世界史を見てほしいと思います。私たちの綱領にも書いてあるんですけれど、20世紀とはどんな世紀だったか。20世紀を振り返ると、二つの世界大戦があった。軍国主義とファシズムがあった。暗いことの連続だったという見方もあるでしょう。でも、そうじゃないんですね。もちろん悲劇がたくさんあったけれども、1世紀というスパン(期間)で世紀を見ていきますと、たいへん巨大な変化をしている。
その最大のものは、20世紀の最初には一握りの帝国主義の大国が、全世界を植民地、あるいは従属国として支配していた。こういう世界だったんです。この植民地体制が、100年間のうちにガラガラと全部崩れて、100を超える主権国家が誕生しました。これを私たちは、「世界の構造変化」と言っているんですけれども、100年単位でみると、人類は巨大な進歩をしているんです。
20世紀に起こった「世界の構造変化」が、21世紀のいまになって、いろいろな素晴らしい力を発揮しだしています。その一つが、今年1月に発効した核兵器禁止条約です。核兵器保有国がみんな反対したのに、世界の多くの国ぐにと市民社会が共同して、ついに、核兵器を違法化したのです。
オーストリアの国連大使でトーマス・ハイノッチさんという方がいます。核兵器禁止条約の先頭にたった外交官で、私も国連本部で懇談したことがある方なんですが、ハイノッチさんが、今年4月の講演で、核兵器禁止条約の誕生は「ある種の革命」だと言いました。つまり、これまでは核軍縮交渉というのは、核保有国が独占していた。ところがついに主役が交代して、世界の多くの国ぐにと市民社会が核軍縮の主役になった。「ある種の革命」というような巨大な変化が起こったというのです。私は、ハイノッチさんのこの見方に全面的に賛成します。
「社会は変わるし、変えられる」。ただ、自動的には変わりません。人民のたたかいによって変わる。この希望をぜひ、広げていってほしいと思います。
中山 では学生の方はどうでしょうか。
学生 政治って一般的に難しい話だとか、話していて、楽しくないというふうに思われたりして、話を持ち出すときに、すごく難しいけれど、志位さんは学生時代に周囲の人にたいして政治の話ということで、どういうふうに話していったのかというのを、経験談とか教えていただいて、自分たちに生かせるようなアドバイスとかも欲しいのですが、よろしいでしょうか。
志位 私たちがやっていた当時の学生運動というのは、だいぶ状況も違うもとでのものなので、参考になるかどうかわからないんですが、学生運動をやっているときに一番心掛けたのは、シンプルな話ですが、「学生の要求実現」なんです。当時も学費の問題が大きかったですし、大学の条件整備の問題もたくさんありました。学生にとって身近な、身のまわりの要求を掲げて、みんなで解決していこうという運動にとりくみました。
もう一つ、当時は、「暴力一掃」というのも切実な課題でした。当時は、ニセ左翼のいろいろな集団が「内ゲバ」をやっていまして、大学のキャンパスでも「内ゲバ」をやったりするんです。ですから、「暴力一掃」は本当に切実だった。私たちが学生の時は、「要求実現」、「暴力一掃」というところで頑張ったわけです。
今は条件が違うと思うので、あまり暴力とかはないと思うんですけれども、やっぱり、いまの切実な要求、先ほどいったコロナ危機のもとでの暮らしの願い、キャンパスでもっと勉強したいという願い、そういうみんなの願い、要求から出発して、その実現のために力をあわせる。これは今も昔も変わらないのではないでしょうか。
中山 食料支援ですでに、いろんな関心や疑問を聞いているということなので、そこを出発点にまた、学生のみなさんで話しあってみたらいいかなと思います。(つづく)
2021年6月5日
東京都の学生班 社会科学には、実験による仮説検証の難しさだったり、攪乱(かくらん)要素の複雑さがあるといわれています。こういったことから私自身、理学を専攻しているんですが、そこで扱う自然科学にくらべて、社会科学は理論の実証性に劣るのではないか、という批判がよくあります。これを踏まえたときに、科学的社会主義や綱領において言われる、科学的に社会をとらえるということは、どのようなものとして解釈されるでしょうか。ぜひ、教えてください。
志位 いま言われた、社会科学と自然科学の実証性の違いについての議論というのは、大学で使うテキストなどにもよく出てくる議論ですね。
志位 私たちが世界観としている科学的社会主義は、人間の社会にも、自然界と同じように、人間の意識から独立した客観的な運動の法則が存在するという立場に立っています。それでは、その法則が真実かどうかは何によって検証されるか。
自然科学の場合は、理学をやっているということでしたが、ある理論の真実性というのは、実験や観測で確かめられます。たとえば、アインシュタインが一般相対性理論を提唱しました。この理論が何によって確かめられたかといったら、強い重力を持っている天体のそばを光がとおると曲がる、このことが観測されたことによって正しさが確かめられたわけです。
それでは、社会科学の場合は、ある理論が真実かどうかは何によって確かめられるかと言いますと、実験をやるというわけにはなかなかいきません。私は、二つ大事なことがあると思っています。
志位 一つは、社会と経済の現実の運動によって確かめられます。
たとえば、マルクスは、『資本論』のなかで、資本の蓄積が進みますと、一方では、富の蓄積が、他方では、貧困の蓄積が起こる。貧富の格差が必然的に拡大する。このことを、徹底的に論じ詰めて明らかにしています。この理論というのは、今日起こっている世界的規模での貧富の格差の途方もない拡大によって、日々、実証されています。そういう形で私は真理性が確かめられていると思います。
それから、マルクスは、同じ『資本論』のなかで、環境破壊についても、とても先駆的な解明をやっています。資本主義の下での、もうけ第一の生産によって、人間と自然との「物質代謝」が「攪乱」されるという指摘です。19世紀の当時、環境破壊で何が問題だったかというと、その一つは、農業生産での環境破壊でした。資本主義的なもうけ第一の農業生産によって、土地の栄養分がなくなってしまって荒れ地になってしまう。それをマルクスは、「物質代謝」の「攪乱」だとズバリ指摘するのですが、これはいま、まさに、21世紀の今日、地球規模での気候危機とか、感染症の多発とか、深刻な環境破壊によって日々、実証されています。
みなさんもマルクスの『資本論』をぜひ、読んでいただきたいと思います。そこでは資本主義というシステムのもつ矛盾をさまざまな角度から徹底的に明らかにしていますが、その理論の真実性は、21世紀の世界の現実そのものによって、豊かな形で裏付けられていると思います。
志位 同時に、もう一つ大事な問題があります。
それは、社会と経済の運動法則のなかでも、社会を変える法則――社会変革の法則は、自然には進まない、自動的には進まないということです。人民のたたかいによってはじめて、社会変革の法則は現実のものになる。これが自然の法則と社会の法則の大きな違いだと思います。
たとえば、日本共産党は戦前、天皇絶対の専制政治に反対して主権在民の日本をつくろう、侵略戦争や植民地支配に反対して平和な日本をつくろうと訴えました。いろいろなひどい攻撃や迫害が行われましたが、不屈に頑張りぬきました。民青同盟の前身の日本共産青年同盟も、そうした旗を掲げて一緒にたたかいぬいたのです。若い女性の革命家で、迫害によって20代前半で命を落とした先輩たちも歴史に刻まれています。
戦前の日本共産党や共産青年同盟の主張の正しさが、何によって確かめられたかといったら、歴史によって真実性が確かめられています。戦前、日本共産党や共産青年同盟が掲げた旗印は、戦後の日本国憲法の国民主権や恒久平和主義などに実っています。そういう形で真実性が実証されたのですが、そういう歴史の進歩は、自然現象ではなく、たたかいによってはじめて勝ち取ったものです。日本国民の不屈のたたかい、さらには平和と民主主義を求める世界のたたかいと世論によって、日本の社会変革の巨大な一歩前進が実現したのです。
私たちがいま掲げている日本共産党綱領も、その真実性は、たたかいによって綱領を実現することによって確かめられていく。そういう立場で頑張りたいと思います。
中山 学生の方、どうでしょうか。
学生 はい、ご回答ありがとうございます。先ほど、社会変革の法則は自動的には進まないというお話でしたが、例えば、最近綱領が(一部)改定されましたけれど、2004年に綱領が変わったじゃないですか。それより、昔のものもありますけれど、綱領において述べられていることが、社会変革の法則について実践的に生きてきた例とかありましたらぜひ、教えてください。
志位 歴史が決着をつけた点ではいくつかあるのですけれど、今お話しした戦前のたたかい――国民主権、反戦平和を掲げたたたかいは、日本の歴史の歩みによってそれらの旗が正しい旗だったということは、日本国憲法に書き込まれたことで、私は実証されたと思います。
それでは、戦後のたたかいはどうかというと、いろいろな問題があるけれど、日本共産党は、相手がどんな大国であれ、覇権主義を許さないというたたかいをやってきました。1960年代、旧ソ連、中国・毛沢東派などが、自分たちの方針を押し付けよう、そのために日本共産党の指導部を転覆して自分たちの言いなりになる勢力にとりかえよう、こういう悪辣(あくらつ)な覇権主義の干渉攻撃を行ってきました。そういうやり方は、社会主義とは無縁だという厳しい論争をやりました。ソ連との関係では、ソ連が最終的に崩壊して、決着がついたと思うんですよ。
中国との関係はどうかというと、中国も毛沢東の時代に、日本共産党にたいするひどく乱暴な干渉をやりました。ただ、これにたいしては、中国は誤りを認めました。1998年に両党が関係を正常化したさいに、先方から干渉は間違いだったと認めました。そういう意味では、これも歴史が決着をつけたのです。ただ、その後、しばらくたって、中国は、覇権主義や人権侵害の問題を起こしていますので、私たちはそれについては批判していますが、毛沢東時代の干渉の誤りという点では、決着がついたと思うんです。
もう一ついうと、1980年に当時の社会党と公明党が「社公合意」という「日本共産党排除」の政権合意を結んだんです。それから後、日本共産党は、長い期間にわたって、日本の政界から排除されるという状況が続きました。そういうもとでも、私たちは、一致点にもとづく共闘の努力をずっと続けてきましたが、とくに2015年の安保法制反対のたたかいをつうじて市民と野党の共闘が生まれ、最近の共闘では、日本共産党をふくめた共闘が当たり前になっています。これも、長年にわたって続いた「日本共産党排除の壁」が崩れたという点では、歴史が決着をつけた。
このように、歴史が決着をつけた問題もあります。1961年にいまの綱領の土台となる綱領をつくったとき以来掲げている民主主義革命の旗――アメリカ言いなり、財界中心という政治のゆがみをただして、「国民こそ主人公」の日本をつくるという旗は、まだ、実現はしていませんが、この方向にこそ日本の未来があるということは、60年のたたかいをつうじて明らかになっていると思います。
「国民が主人公」といえる民主主義の日本をつくる、さらに社会主義・共産主義の日本をつくる――これは現在から未来のたたかいにかかっていますが、これは若いみなさんがぜひ、これからの歴史で決着をつけてほしいと願っているところです。
2021年6月6日
オンラインゼミの後半では、事前に寄せられた質問に志位氏が答えました。
質問 野党共闘はどこまで進んでいますか。野党共闘で新しい政権が実現し、意見が全く合わない問題が発生した場合にどのように対応しますか。さらに共通政策が実現した後、政権はどうしますか。
志位 ずいぶん先のことまで考えている質問ですね。
まず、どこまで進んでいるかということですが、メディアなどは野党間に違いがあると針小棒大に書いて、「うまくいってない」という調子のものが多いんですが、私は、この間、共闘を前に進めるうえで大事な動きがあると思っているんです。
4月25日に行われた北海道、長野、広島――三つの国政補欠選挙・再選挙で、野党は3戦3勝でした。国民のなかに菅政権への怒りや批判がぐっと広がっている、野党が候補者を一本化してたたかえば勝てる、そのことが示されました。
それを踏まえて4月27日に私と立憲民主党の枝野代表との党首会談を行いました。党首会談では、「総選挙での協力にむけての協議を開始する」ということで一致をしました。とても重要な確認で、これも一歩前進だと思います。
志位 それでは今後、共闘を前に進めていくうえで何が大事か。
(パネル7)これを見てください。市民と野党の共闘をどうやって発展させるか。日本共産党の立場を簡単にまとめました。
まず「共闘の基本的姿勢」については、「対等平等」「相互尊重」を貫く。当たり前のように見えますけれど、この姿勢を貫いてこそお互いに力を発揮できますよね。共闘というのは、そこに参加するパーティーがみんな躍進する――ウィンウィンになることで、はじめて力を発揮することができます。そういう立場でやっていきたい。
次に、「協議していく中身」ですが、私たちとしては、「共通政策」「政権のあり方」「選挙協力」、この三つの分野で話し合いを進めていきたい。これが党首会談で私が提起したことです。この三つの分野のどれも大事なんだけど、とくに「政権のあり方」――自公政権を倒した後にどういう新しい政権つくるか、これについて前向きの合意をつくることが、全体を前に進めるうえで画期的な力になると考えています。
その政権についてよく聞かれるのは、「閣内協力か、閣外協力か」という質問なんですが、私は、「どちらもありうる」、「一致点を大切にして対応」すればいいと言っています。「閣内であれ、閣外であれ、政権協力で合意がつくられれば、共闘の画期的な新局面が開かれる」。このことを強調したいと思います。
閣内協力であれ、閣外協力であれ、どちらであっても、菅政権を打倒した後に、こういう新しい政権をつくるという、日本共産党を含めた政権協力の合意ができれば、共闘の画期的な新局面が開けてきます。その場合は「共通政策」だって、政権が実行する政策になるでしょう。「選挙協力」だって、うんと力が入りますよね。何よりも新しい政権の姿が見えてきたら、国民のみなさんのなかに大きな変化が起こると思う。これならばまかせてみようという大きな変化が起こってくると思います。いろいろと困難はあるでしょうが、そういう方向に向けて努力中というのが、今の到達点です。
志位 質問に戻りますが、「意見が全く合わない場合はどうするのか」という質問ですが、私たちとしては不一致点は新しい政権に持ち込むことはしません。
たとえば、日米安保条約を廃棄して、本当の独立国と言える日本をつくるというのは、私たちが党綱領に掲げている大方針です。このことを党独自の主張としては大いに訴えていきますが、それを新しい政権に持ち込むことはしません。自衛隊に対する政策、天皇の制度に対する政策などでも、党独自の方針や立場を持ち込むことはしません。
新しい政権はあくまで一致点で結束し、実行していく。すでに5年半以上もの期間、共闘を積み重ねていますから、この共闘は、まず安保法制廃止と立憲主義の回復を「一丁目一番地」として始まったのですが、それだけじゃなくて、暮らしと経済、民主主義、ジェンダー平等、米軍基地、原発、いろいろな分野で一致点が広がっていますから、そういう一致点を大切にして政権を発展させていきます。
志位 質問では最後に「共通政策が実現した後、政権はどうしますか」とあります。ここまで心配してくれてうれしいんですけども、これはだいぶ先の仮定の話ですから、いまから言うのはちょっと早いと思いますし、やりながら考えていきたいと思います。
ただ、一般的な立場を述べるとしますと、国民のみなさんへの公約を果たしたら、次にどういう道を進むかは、国民と相談しながら進める――つまり解散・総選挙で国民の審判を仰いで、国民多数の意思を踏まえて次の道へ進んでいくというのが、民主政治の常道ではないかと思っています。
共闘の前途については、だいたい今お話しした立場で頑張っていきたいと思っていますが、何しろ総選挙での本格的共闘は初めてであり、困難もたくさんあると思います。そのときに共闘を後押しする最大の力は、市民的・国民的な世論と運動なんです。若いみなさんが「野党は共闘」、「共闘して新しい政権」という声を、どんどんあげていってほしいと思います。
中山 市民や青年の声でこそ共闘が進むっていうのはどんな場面で感じますか。
志位 安保法制が強行採決された2015年の9月19日、そこにいたる時期に、私は、国会前の集会に何度も行きました。そこには若いみなさんが、たくさん詰めかけてきていて、最初は「戦争法案絶対反対」というコールだったんですけど、最後は「野党は共闘」というコールに変わっていきました。「志位さん頼みます。共闘でやってほしい」と、ずいぶんその場でも言われました。そういう声に背中を押されて、共闘の道に踏み出していったんです。
やっぱり、共闘の力がないと、今の政治を変えられません。いろいろと立場に違いがあっても、それを横に置いて、今のここまで腐ってしまった政治を大本から変えるという点で力を合わせて頑張りたいと思っているんです。
2021年6月7日
質問 軍事的・経済的にアメリカ依存から脱却するために何が必要か具体的な道筋を教えてください。
志位 これは日本の改革の根本問題です。そのためには「二重のとりくみ」が大事だということを言いたいです。
志位 第一は、日米安保条約にたいする賛成、反対の違いを超えて、いろいろな緊急の課題で協力していくことです。
野党間では、憲法違反の安保法制を廃止する、辺野古新基地建設は中止する、日米地位協定を抜本改正するなどの一致点が、すでにつくられています。こういう緊急の課題では、安保条約にたいする賛成、反対の垣根を越えて、一致点を大切にして協力していきたいと考えています。
この点にかかわって、私がとても印象深く思い出すのは、亡くなった沖縄県の翁長前知事がおっしゃった言葉です。
「これまで沖縄では、米軍基地を真ん中に置いて、保守と革新がたたかってきた。そのことで一番喜んだのは日米両政府です。これからは、保守は革新に敬意をもち、革新は保守に敬意をもち、お互いに協力してやっていきましょう」
とてもいい言葉だとジーンときました。そういう精神で、一致点を大切にしてやっていきたいというのが一つなんです。
志位 同時に、第二に言いたいのは、日米安保条約を廃棄して、本当の独立国といえる日本をつくる、アメリカとの関係は対等・平等の日米友好条約を結ぶ、そこにこそ私たちは、日本の未来があると確信していますが、そのための国民的多数派をつくる独自の努力を行うことがとても大切だということです。
そのためには、一つの「神話」を打ち破る必要があります。どういうことかというと、「在日米軍は日本を守ってくれている」。この「神話」がずいぶんと浸透している。これを打ち破ることがとても大切だと思うんですね。
(パネル8)これを見てください。在日米軍は、四つの「殴り込み」部隊――つまり海外への侵略と干渉を専門にする部隊で構成されているんです。
第一は、「海兵遠征軍」です。沖縄県と山口県岩国基地を根城にしています。アメリカは三つの「海兵遠征軍」を持っており、「第1海兵遠征軍」と「第2海兵遠征軍」は本拠地がアメリカにあります。「第3海兵遠征軍」だけが、沖縄と岩国を本拠地にしている。アフガニスタン戦争、イラク戦争など、「殴り込み」を専門でやっている部隊です。海兵隊に基地を提供しているのは、世界に日本だけしかありません。
第二は、「空母打撃群」です。神奈川県の横須賀基地を母港にしています。米海軍というのは11の空母を持っているんですけども、母港を海外に置いているのは横須賀基地だけです。「空母打撃群」も「殴り込み」専門の戦闘部隊です。
第三は、「遠征打撃群」です。長崎県の佐世保基地を、強襲揚陸艦という空母並みの巨大な戦闘艦が母港にしています。強襲揚陸艦は、佐世保を根城にして、沖縄まで行って、沖縄で海兵隊を積んで中東に行く、これを繰り返してきました。強襲揚陸艦に母港を提供しているのも日本だけです。
第四に、「航空宇宙遠征軍」というのがありまして、青森県の三沢基地、東京都の横田基地、沖縄県の嘉手納基地などに駐留する爆撃機とか、空中給油機とか、輸送機とか、戦闘機とか、そういう軍用機が一つのグループを構成して、地球のはてまで攻撃に行く。これも「殴り込み」専門の部隊です。
これが在日米軍の正体です。この四つのすべてが、海外への「殴り込み」を専門にしています。「在日米軍が日本を守っている」というのは「神話」なんです。これはアメリカの歴代の国防長官自身が「日本を守る任務を与えている部隊はない」というくらい、はっきりしていることなのです。
中山 自分で言っている。
志位 自分で言っている。こうして日本は、海外への戦争の「殴り込み」の本拠地にされている。しかも今の危険は、米軍が「殴り込む」だけじゃなくて、安保法制を発動して自衛隊もつれていこうというところにあります。
ここまで日米安保体制の危険が深刻になっているわけですから、緊急の課題として安保法制廃止で力をあわせながら、日本共産党の独自の努力として、日米安保条約をなくして本当に独立国といえる日本をつくることにこそ、日本の平和と安全を守る道があるということを大いに訴えていく、そういう「二重のとりくみ」を行うことが大事になっているのです。
志位 「二重のとりくみ」ということで、もう一つ言いたいのは、日米安保条約廃棄の流れをうんと強めることは、さまざまな緊急の課題を前に進めるうえでも一番の力になるということです。
どういうことかといいますと、さきほど冒頭に述べた緊急の課題のどれをとっても、本気でやろうとしますと、日米安保体制の現状を絶対だという勢力、今の現状には指一本触れさせないという勢力からの激しい妨害が起こります。
たとえば辺野古新基地建設を中止する、これは野党共通の政策ですけれども、本気で実行しようと思ったら、激しい妨害が出てくるでしょう。「そんなことをしたら日米安保体制が弱まってしまう」という妨害が必ず出てくるでしょう。現に民主党政権のさいにも、そういう妨害がありました。
そのときに、「日米安保条約は、日本の平和にとって有害無益であって、日米安保条約を廃棄した独立・平和の日本にこそ未来がある」ということを堂々と主張する流れが強くなってこそ――日本共産党や民青同盟はそうですけど――、そういう流れが強くなってこそ、辺野古新基地を止めるという緊急の課題一つとっても、それを前に進める力になる。こういう関係にあります。
緊急の課題を本気で実行するうえでも、「二重のとりくみ」が大切になってくる。このことを私は言いたいと思うんですね。
中山 ありがとうございます。軍事的に「米軍が守ってくれる」というのが「神話」だという話をおっしゃったんですけど、経済的にもアメリカ依存じゃないかっていう質問で、そこから脱却するには何が必要かということはどうでしょうか。
志位 日米安保条約というのは、第2条に日米経済協力という条項があって、この条項も一つのテコにしながら、日本経済をアメリカの支配下に組み入れていくということが戦後一貫して続けられてきました。
たとえばエネルギーも、石炭産業をつぶしてアメリカの支配下にある石油に置き換え、原発を押し付ける。食料も、日本人の食生活を変えて、お米を減らして小麦に変えるなどのことをやってきた。食料自給率は38%まで下がってしまいました。
最近で言えば、TPP(環太平洋連携協定)交渉などを通じて、あらゆる関税、非関税障壁を撤廃して、アメリカの多国籍企業が日本でもうけたい放題の状況をつくるということを散々やったあげく、最後には交渉から離脱し、今度は日米の2国間交渉で無理難題を押し付けた。
本当に身勝手な内政干渉を繰り返してきたわけですが、そのために日本経済全体がゆがめられてきた。矛盾がひどくなり、もろく弱い経済になってしまった。この面からも、アメリカ依存からの脱却が、各分野の強い要求になっていると思います。そうした各分野のたたかいを発展させ、合流させることが大切です。
日本経済もアメリカ依存・従属から抜け出さないと、独立国としてのまともで健全な発展の道が開けてきません。
中山 今の話を聞くとアメリカ依存の経済って全然発展性がないですね。
志位 発展性がないです。それにくわえて今の状況を言うと、バイデン米政権は、まず対中国の軍事・経済戦略をつくり、それに全面的に日本を組み入れるというやり方をとっています。米軍の戦略に自衛隊を動員し、日本経済も米国の対中戦略に組み入れていくというやり方をしています。これは日本にとって、たいへん有害で危険な道だということも、言っておきたいと思います。
2021年6月8日
質問 志位さんは北東アジアでもASEANのような話し合いのテーブルをつくることが、憲法9条実現のための政策だと話していますが、中国や北朝鮮が話し合いのテーブルについてくれるとは思えません。本当に実現できるでしょうか。
志位 北東アジアでもASEAN(東南アジア諸国連合)のような話し合いのテーブルをつくろうと、私たちが言っているのは、2014年の第26回党大会で提唱した「北東アジア平和協力構想」というものです。
志位 私たちが、党大会でそういう提唱を行ったのは、東南アジアの国ぐにを何度も訪問して、この地域で目をみはるような平和の地域共同体がつくられていることに、びっくりしたんですね。そういう体験を踏まえて、この流れを北東アジアにも広げようというのが、私たちの提唱なんです。
実は、東南アジアでも、かつては、1960年代〜70年代までは、ベトナム戦争など互いに戦争をやっていました。ところが今では、東南アジアで戦争が起こるということは考えられなくなっています。なぜそう変わったかと言いますと、1976年にTAC=東南アジア友好協力条約というのを結び、武力行使を禁止し、あらゆる紛争問題を平和的な話し合いで解決することを地域のルールにして、実行しているのです。
私は、2013年9月に、インドネシアのジャカルタに行きまして、ASEANの本部を訪問しました。そこでいろいろな話を聞いたときに一番驚いた話は、こういう話でした。
「ASEANでは年間1000回を超える会合をやっています。あらゆるレベルで対話と信頼醸成を図っています。だからこの地域にもいろいろな紛争問題はあるけれど、戦争になりません。何でも話し合いで解決しています」
中山 年間1000回ってどうやったらできるんでしょうね。
志位 1年は365日ですから、毎日3〜4回の会合をやっているという計算になりますね。それだけ年がら年中、会合をやっていましたら、お互いの立場が分かりますし、信頼もできてくる。ですから紛争があっても戦争にならない。これが今のASEANなんですね。もちろん、この地域でもいろいろな難しい問題があって、たとえば中国が覇権主義的な行動をやる、アメリカも影響力を強めるためにいろいろな行動をやる。でもASEANは、どんな大国の言いなりにもならない自主的なまとまりとして、団結を保ちながら前進しています。年間1000回もの会合をやって、紛争を戦争にしない――紛争の平和的解決を実践しています。
私たちが呼びかけている「北東アジア平和協力構想」は、現にASEANが実行している平和の地域協力の流れを、北東アジアにも広げようという提唱です。北東アジアと言った場合、日本、韓国、北朝鮮、中国、ロシア、アメリカ、モンゴルなどを想定しているんですけれど、そういう国ぐにで北東アジア版のTACを結んで、あらゆる紛争問題を平和的に解決していくことを域内のルールとして確立するというのが私たちの提案です。
志位 そこでこの質問です。本当に実現できるのか。
中山 どうなんでしょう。
志位 たしかに困難はあるのですが、私は十分に現実性があるということを言いたいんですね。私たちが注目しているのは、2011年の11月に、インドネシアのバリで開催された東アジアサミット(EAS)で、「バリ原則」が調印されているということです。この「バリ原則」を見ますと、武力行使の放棄、紛争の平和的解決など、TACが掲げている諸原則がそっくり入っているんです。政治宣言という形でそういう合意が交わされている。EASの会議には、ASEANの10カ国に加えて、日本、中国、韓国、米国、ロシア、インド、オーストラリア、ニュージーランドが参加し、みんな賛成しているんです。政治宣言にまではなっている、それを条約にすればいいだけなのです。ですから、私は十分な可能性があると考えています。
私自身、「北東アジア平和協力構想」について、関係各国の大使館をずっと訪問し、懇談してきましたが、韓国、中国、ロシア、モンゴルなどの大使館では、そういう方向にだいたい賛成ですという話なんです。肝心の日本政府はどうかというと、私は、代表質問で聞いたことがあるんです。「北東アジア平和協力構想」についてどう考えるかと。安倍首相(当時)の答えは否定はしないというものでした。積極的に進めようとも言わないけど、日本政府も否定はできない話なのです。
志位 ですから、私たちも参加する新しい政権が、北東アジアにも平和の地域協力の枠組みをつくろうという外交のイニシアチブを発揮していくことができれば、現実のものになる可能性はあると思います。何でも平和的な話し合いで解決する、領土に関する紛争問題も、北朝鮮の問題も、中国の問題も、何でも話し合いで解決する。そういう方向に進むことは、その意思さえあれば、可能だと思います。
中山 すごい力強いです。ありがとうございます。
2021年6月9日
質問 コロナ禍でバイトがなくなり、就職率も悪化して今も未来も心配です。このまま日本に住んでいて経済はよくなるんでしょうか。起業や投資など、特別なことをしないで普通に就職してまともに暮らしていけるんでしょうか。
志位 「このまま日本に住んでいて経済はよくなるか」「普通に就職してまともに暮らしていけるか」。こういう心配をしないといけないところまで若い人がきているということは、ほんとうに大変な事態だと思うんですね。
それでは、どこをどう変えたらいいかと考えますと、一番の深いところで日本経済のあり方を変えていく必要があります。
志位 日本経済というのは、「ルールなき資本主義」とよくいわれるんです。つまり、国民の暮らしや権利を守るルールがない、あってもとても弱い、そういう体質を抱えていて、それが経済のまともな発展にとっても大きな障害になっている。
(パネル9)これをご覧ください。少し細かいですけれども、今回のゼミナール用につくったので見てください。これは、日本とヨーロッパの暮らしと経済についての比較なんです。10年ほど前に行った「綱領教室」でつくった表をもとにして、直近のデータに置き換え、一部項目を変えたものです。
雇用でみると、労働時間は、日本は年間2021時間、ヨーロッパは年間1400〜1700時間くらいです。フランスと比べると600時間も長い。一生のうち40年間働くとして、2万4000時間も長く働かされる。そうすると1日24時間で割ると、一生で1000日間、まるまる拘束されていることになります。
中山 そんなにですか。
志位 日本に住んでいるおかげで、“3年懲役”というくらい長い労働時間で、「過労死」がいまだに後をたちません。
非正規雇用の率は39・8%です。ヨーロッパは1割前後です。この間、派遣・パート・アルバイトなど「使い捨て」の労働がうんと広がりました。
最低賃金は、全国のたたかいで多少、上がってきたけれど、時給で902円です。ヨーロッパではだいたい日本で目標にしている1500円前後ですから、これもうんと遅れている。世界最低水準の最低賃金です。
ジェンダー平等では、賃金格差が73・3%という数字が出ています。ただこれはフルタイムの常用労働者の比較なんです。国際比較ではこの数字しかありません。日本について、非正規も含めて計算しますと、こういう数字が出てきます。男性が540万円、女性が296万円、女性は男性の55%なんです。ですから、40年働くとすると、生涯賃金では1億円もの格差がでてくる。
中山 大きいですね。
志位 豪邸が建ってしまいますね。それくらい男女の賃金格差がひどい。国会議員の女性比率も10%足らずです。
中山 少ないですね。
志位 ヨーロッパはだいたい3割を超えていますからね。日本共産党は50%を目標に努力していますが、日本全体の立ち遅れは深刻です。
さらに、社会保障、中小企業、農業、環境、教育と比較表をつくりましたので、活用していただければと思います。
たいへんな違いがあります。あらゆる分野で国民の暮らしと権利を守るルールがない。そのことが日本経済をもろく、弱くしている。健全な発展を阻害し、長期停滞と衰退を招いている。これを変えなくちゃいけません。
志位 それではどう変えるか。私たちは、「ルールなき資本主義」という現状を変えて、ヨーロッパで当たり前になっているような暮らしを守るルールをつくる――「ルールある経済社会」に変えていこうということを提唱しています。
そのための政策手段として私たちが提案しているのは、「大企業の民主的規制」ということなんです。「大企業の民主的規制」というのは、大企業をつぶすという話じゃないですよ。大企業を敵視するものでもありません。大企業の横暴勝手を法律などいろいろな手段で抑えて、大企業にその力にふさわしい社会的責任を果たしてもらいましょうということなのです。
これは日本経済のまともな発展にとっても避けて通れません。これにかかわってマルクスの『資本論』の有名な一節を紹介したいと思います。
「“大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!” これがすべての資本家およびすべての資本家国家のスローガンである。それだから資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない」
これはフランスの国王ルイ15世の愛人の言葉だったと言われています。この人はひどい贅沢(ぜいたく)三昧をやっていた。「そんな贅沢三昧をやっていたら、国家財政が破綻して、たいへんなことになりますよ」と忠告されて、「大洪水(財政破綻)が来るのだったら、私が死んだ後にして」と言ったというのですが、日本語で言えば「あとは野となれ山となれ」ということですね。
マルクスはここで、とても大切なことを言っているんです。資本というのは労働者の健康や寿命に対してなんらの考慮も払わないで、ひたすら労働時間の非人間的な延長を追求する。しかし、そんなことをやってしまったら、労働者階級の全体の健康が壊されてしまい、衰退してしまいます。そうしたら社会全体も成り立ちません。「大洪水」がやって来る。
それではその「大洪水」をどうやって止めるのか。マルクスは、「社会によって強制されるのでなければ」と言っています。逆に言えば、「社会による強制」によって資本の行動を規制する、横暴勝手を抑える。このことによってはじめて「大洪水」を防止できるんだと言っているわけです。
これは、私たちの言う「大企業の民主的規制」と一緒ですね。「普通に就職してまともに暮らしていける」ような社会をつくろうと思ったら、「大企業の民主的規制」が必要だし、それは社会的必然――日本社会をまともに発展させようと考えたら必然的な道なんだということを言いたいし、ぜひ力を合わせて実現しようということを、若いみなさんに訴えたいと思います。
2021年6月10日
質問 ジェンダー平等は、資本主義の枠内で達成されるものでしょうか。社会主義下でのセクシュアリティーやジェンダーは、どのようなものになると考えられますか。
志位 この問題は、とても大きな理論問題であって、私たちもいろいろな探究の途上にあるので、きょうは話すことのできる範囲で話そうと思います。
志位 私たちは、ジェンダー平等というのは、資本主義の枠内で最大限追求すべき課題ですし、資本主義の枠内で実現のために力をつくすべき課題だと考えています。ですから、私たちの綱領でも、「ジェンダー平等社会をつくる」という課題は、資本主義の枠内での民主的改革の課題として位置づけています。
同時に、私たちは、社会主義・共産主義社会に進んだときには、当然、ジェンダー平等が全面的に実現する社会になるのではないか、という展望をもっています。
志位 その手がかりを与えてくれる古典が、エンゲルスが1884年に書いた『家族・私有財産・国家の起源』です。これは、マルクスが亡くなった後に、エンゲルスがマルクスの遺(のこ)した膨大なノートを調べるのです。そこには『資本論』の草稿もあったけれど、モーガンというアメリカの学者が書いた『古代社会』という本からの抜き書きのノートが出てきました。モーガンのこの本は、アメリカの先住民の社会を詳しく研究して、世界の原始社会がどういうものだったかを初めて明らかにしたものでした。
そのなかには、女性の歴史についての発見もあったのです。モーガンの研究は、人類最初の社会は、男性と女性との間に差別のない平等社会だったことを明らかにしていました。マルクスは、それを知って驚くのです。マルクスはそれまでは、人類の社会というのは、最初から女性差別があって、社会の進歩とともに差別がなくなっていく、と考えていたのです。ところが、最初の出発点が、男女平等だったと知って驚く。マルクスは感激して、モーガンの著作の詳細なノートをつくりますが、そこで亡くなってしまった。エンゲルスはそれを発見し、エンゲルスも同じように感激して、このノートは大事だから本にしなければ、と執筆したのが、『家族・私有財産・国家の起源』です。
志位 (パネル10)これをご覧ください。『起源』のなかでエンゲルスが明らかにした女性解放の展望は、4点ほどにまとめることができます。
第一は、法律的な平等だけではなくて、社会的な平等が大事だということです。日本の場合も、法律的な差別が残っているのはごく一部です。ところが社会的な差別というのは、たくさんありますね。ここまで差別をなくさなければならない。
第二は、そのためには「女性の公的産業への復帰」が決定的な意義をもつということです。「公的産業」という言い方をしていますが、女性があらゆる公的活動の領域に復帰していくということです。「復帰」という言葉を使っています。これは、原始共同体では、もともと女性は「公的産業」を担っていた。そこに「復帰」しようという、すごく深い意味をもった言葉なのです。
第三は、そのためには、家事の義務が女性に押し付けられている現状を打破する社会変革が必要だということです。そういう社会変革ぬきには、「女性の公的産業への復帰」はかないません。
第四に、男女の不平等の経済的基盤を根本的に取り除いてこそ、両性の対等平等が実現するということです。先ほどの男女の賃金格差なども、まさにそうした不平等の経済的基盤そのものです。日本ではひどい状態にありますが、ヨーロッパでもまだ解消はしていません。そういう不平等の経済的基盤を根本的に取り除いてこそ、両性の対等平等が確かなものになる。
こういう改革をやろうと思ったら、社会主義に進むことが必要だ、というのがエンゲルスの立場でした。
志位 ただ、現実の世界史の進展は、エンゲルスの見通しを超えるものとなりました。1979年に成立した女性差別撤廃条約では、「女性の公的産業への復帰」と、それを支える社会的条件づくりを、文字通り緊急課題として位置づけ、現実にとりくまれています。資本主義の枠内でも、ジェンダー平等の実現は可能であり、最大限のとりくみが必要だということが、現に世界的な規模で実践されているのです。
同時に、私は、資本主義を乗り越えた未来社会――社会主義・共産主義の社会に進んでこそ、両性の真の意味での平等が実現するという大展望は、今日においても真理ではないかと考えています。社会主義・共産主義の社会にまで進んでこそ、真に自由で平等な人間関係がつくられる。搾取がなくなり、抑圧がなくなり、あらゆる強制がなくなり、国家権力もなくなる。人間の間に、あらゆる支配・被支配の関係――権力的な関係がなくなる。ここまで進めば、当然、ジェンダー不平等の根っこもなくなる、と展望できるのではないかというのが私たちの考えです。
2021年6月11日
この先は、企画中にメールで寄せられた質問に答えるという形で進みました。
質問 鹿児島県には原発があり、不安です。気候危機が叫ばれるなか、日本は地震が多く、原発はなくしてほしいですが、可能ですか。
志位 可能です。いま自民党は、気候変動への対応を口実に、老朽化した原発まで使い続けようという、とんでもない路線を走っています。
私は、気候危機の打開のためには、再生可能エネルギーへの抜本的な切り替えをはかる、そして低エネルギー社会にしていく、社会のあり方の全体を変えていく。脱炭素、脱原発でそれを達成すべきだと強く言いたいと思います。
志位 可能かということですが、可能かどうかの前に、原発というのは環境破壊という点では、大事故を起こしてしまったら、最悪の取り返しがつかない事態を引き起こす。このことを東京電力福島第1原発の大事故で、私たちはさんざん体験しています。事故から10年たつのに、故郷に戻れずに苦しんでいる方がたくさんいらっしゃる。
原発は、環境破壊という点では、いまの気候危機に負けず劣らず危険なものです。原発頼みで気候変動に対応するというのは、本当に邪道中の邪道だと思います。
志位 それから、可能だという点では、いま再生可能エネルギーのコストがどんどん下がっています。風力にしても、太陽光にしても、どんどんコストが下がって、原発のコストよりも下回ってきています。
コストの面でも、原発のほうが高コストになっている。いろいろな「安全装置」をつけると、ますます高コストになってしまいます。さらに、核のゴミの処分を考えたら、計算のしようのない高コストになる。超高コストなのが原発なのです。コストの面でも、再生可能エネルギーのほうにすでに軍配が上がっているのです。そういう面からも、私は、原発頼みをきっぱりやめることが大事だと思っています。
質問 最初の質問に関連して、労働時間が短くなれば、当然、自由な時間は増えますが、その時間を多くの人は娯楽にあてることになり、社会の発展を生むことにはならないのではないでしょうか。
志位 自由な時間ですから、娯楽に使ってもいいのですよ。旅行に使ってもいいし、遊びに使ってもいい。娯楽そのものが、人間の文化の営みの一つですから、そこから新しい価値あるものがたくさん生まれてくるということもあると思います。
同時に、すべての人間が、たくさんの自由な時間をもつことができるような社会になったら、私は、人間の考え方、価値観が変わってくると思います。人間の考え方、価値観というのは、決して固定的なものではありません。これまでの人類史の発展を考えてもわかるように、社会の変化とともに、考え方、価値観は変化すると思うのです。
志位 たとえば、社会主義・共産主義社会に進んだ場合にも、物質的生産をきちんと支えるだけの労働は必要になってきますが、マルクスは、そうした労働の性格も変わってくると言っているんですね。労働自体が喜びに満ちた、楽しいものに変わる。マルクスは、「自発的な手、いそいそとした精神、喜びにみちた心で勤労にしたがう結合的労働」という言葉で表現しています。資本主義のもとでは、少なくない場合、苦役だった労働が、社会主義・共産主義社会になって、労働者が生産の主人公になったら、自分たちで計画して、自分たちで自発的にする労働ですから、労働自体が喜びに変わってくるという展望を言っているのです。
労働自体の性格が変わる。そのうえに「自由な時間」があるわけです。この「自由な時間」についての考え方も、労働自体の性格が変わっていくような社会が土台にあるわけですから、その土台のうえに「自由な時間」を持つことができれば、多くの場合、人間はそれを最も積極的な使い方をするのではないか。自分の持っているいろいろな能力や才能を発展させるために使うようになるだろう、というのが私たちの展望です。
志位 人間にとって人生が一度きりしかない貴重なものであることは、社会主義・共産主義になっても変わりません。たった一度きりしかない人生です。みんな素晴らしい能力を持っているのです。それは人によってみんな多様だけれど、自分の持っている能力をもっと生かそう、自由に全面的に発展させよう、そうした目的のために「自由な時間」を使うようになるだろう、というのが私たちの展望です。
中山 なるほど。個人の意識が変わるということは、なかなかそこまで学ぶ機会というのはないので、やっぱり社会が変わって人間の意識も変わっていくという、そのなかで人間をとらえるというのが、とても大事なんだな、と思いました。
質問 国防の問題は、左派にとって避けて通れない問題だと思います。国民国家のなかで、人民を統制する役割を担う、そのような文脈の自衛隊は批判するべきですが、他方で、現実問題として、国防は必要だと思います。現状の体制のなかで、どのように自衛隊を批判しつつ、日本の安全を確保するのか、お考えをお聞かせください。
志位 これはたいへん大きな問題で、私たちもいろいろな政策的な探求をやりながら、2000年に開催した第22回党大会で、自衛隊問題の段階的な解決という方針を打ち立て、綱領にもその方針を書き込みました。
志位 まず、憲法9条と自衛隊、これは両立するだろうか、ということから出発しますと、誰が考えても両立しません。なぜならば、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と憲法9条には書いてあります。あの自衛隊が「戦力」でないというのは、誰が考えても成り立ちません。
両立しない以上、この矛盾を解決するには二つしか方法はありません。一つは、自衛隊の現状に合わせて、憲法9条を変えるということです。もう一つは、9条という理想に向けて、自衛隊の現状を変えるということです。この二つしかない。
私たちは後者を選びたい。なぜなら、憲法9条というのは、世界のなかでももっとも先駆的な、恒久平和の理念をうたったもので、この条項があったおかげで、日本の国は、戦後、自衛隊がつくられたけれども、一人の外国人も殺していませんし、一人の戦死者も出していません。ここには憲法9条の力が働いているわけです。この世界に誇るべき恒久平和の原則を守りながら問題を解決したい、というのが私たちの立場です。
志位 ただ、一挙にこの矛盾をなくすことはできません。憲法9条という理想に向けて、段階的に、一歩一歩、自衛隊の現実を、国民多数の合意で改革していくプロセスがどうしても必要になります。
国民多数の合意で日米安保条約の廃棄が実現したとしても、その時点で、自衛隊をなくすことはできません。なぜならば、安保条約を廃棄するのには賛成だという人でも、自衛隊をなくすことに賛成という人は少数であって、多くの国民が自衛隊は必要だと考えているだろうからです。日米安保条約を廃棄した段階で、抜本的な軍縮は可能になると思いますが、自衛隊は存続することになる。私たちはそういう展望をもっています。
それでは、どの段階で矛盾の解決に踏み出せるか。安保条約をなくした独立国・日本が、世界中のどの国とも平和的な友好関係を結び、日本をとりまくアジアと世界の平和的環境が成熟して、日本国民が世界中を見渡して、「もう自衛隊なしでも安心だね」という圧倒的多数の合意が成立したときに、はじめて、憲法9条の完全実施に向けた措置に着手する。これが私たちの方針なのです。
ですから、私たちが政権に参加したとしても、自衛隊と共存する期間がかなり続くと思います。その共存する期間に、仮に、急迫不正の主権侵害などがあった場合には、当然、国民の命と安全を守るために自衛隊を活用します。そこまで私たちは方針として決めています。国民多数の合意で一歩一歩、9条の理想に向けて、自衛隊の現実を改革していく。その過程で万が一ということが起こったら、自衛隊を活用するということです。
質問 20世紀の歴史的成果といえば、ロシア革命であり、植民地体制の崩壊も、レーニンが民族自決をとなえたことに大きく由来すると考えています。ロシア革命をどう評価しますか。
志位 ロシア革命は、世界史的な影響をさまざまな分野に及ぼし、その影響は21世紀の今日の世界にもなお続いていると思いますが、そのなかでも最大のものは、地球的規模での植民地体制の崩壊の引き金を引いた、というところにあると思います。
ロシア革命が起こった直後に、レーニンは「平和に関する布告」という歴史的宣言を発表します。それは民族自決の原則を高らかにうたった人類最初の歴史的文書となりました。そして、レーニンは宣言しただけでなく、それを実行に移しました。革命前のロシア帝国は、たくさんの民族を支配下に置き、「民族の牢獄(ろうごく)」と言われていました。レーニンは、ロシア帝国が支配下においていた民族の自決を実際に認めていくのです。フィンランド、ポーランド、バルト3国などは完全な独立国となりました。
志位 こうした実際の行動を通じて、ロシア革命は、世界史に巨大な影響をあたえ、20世紀に進んだ植民地体制の崩壊を促進し、それを土台にした21世紀の世界をつくるうえでも、きわめて重要な世界史的な影響力を発揮し続けているということを、強調したいと思います。
ソ連のその後は、スターリンのもとで専制政治、覇権主義の誤りが深刻となり、崩壊にいたるわけですが、ロシア革命のこうした世界史的意義は、過去のものになったわけでは決してない。21世紀の世界に生きていると考えます。
2021年6月12日
質問 共産主義社会、社会主義社会が実現した場合、北欧型の福祉国家との違いはどのようなものでしょうか。
志位 北欧型の福祉国家といわれるものは、日本と比べると、いろいろと進んだ特徴をもっていますが、資本主義の枠内の社会です。
志位 デンマーク、フィンランド、スウェーデンなどは、かなり共通した特徴があって、先ほど日本とヨーロッパとの比較表をお示ししましたが、あの比較表でみたら、国民の暮らしを守るルールという点で、多くの点で進んだ達成があります。どこかの国をモデルにするわけにはいかないけれど、北欧諸国で達成しているような暮らしと権利を守るルールある社会は、資本主義の枠内でめざすべき社会としては、日本共産党のめざすべき社会と、かなり共通点の多い社会だと思っています。
一つ付け加えていいますと、フィンランドもデンマークもそうですけれど、日本のような競争教育がないのです。日本の教育のいちばん悪いところは、子どもたちを競争に追い立てて、順番をつける。私は、これが一番、子どもを傷つけていると思います。これでは本当の意味での学力も育たない。ところが、フィンランドにしてもデンマークにしても、日本のようなランク付けのためのテストはやらない。そうすると、子どもたちのなかにも、みんなで協力するのが大事だという価値観が育っていくんですね。
志位 そうしたことも含めて、私は、北欧社会には学ぶべきものがたくさんあると思っているのですけれど、それでも資本主義の枠内です。資本主義に固有の矛盾、たとえば格差がなくなっているかというと、なくなっていない。格差の拡大は続いています。そういう問題から自由になってはいないのですね。
「利潤第一主義」という資本主義のいちばんの問題からくる矛盾は、北欧社会にもありますから、そこは北欧社会を、私たちのめざす社会主義、共産主義とイコールというわけには、もちろんいきません。
中山 北欧社会は、すごい福祉国家の素晴らしい面をいっぱい聞くのですけれど、それでも資本主義の枠内という限界からは、逃れられないということですね。
志位 そのとおりです。たとえば、ジェンダー平等なども、北欧社会では、達成が高いですよね。でも、性暴力がなくなっているかというと、そうはいえない。そうした面もよく見ておく必要があると思います。
オンラインゼミの最後に、志位委員長は次のようなメッセージを送りました。
志位 私から一言、若いみなさんにメッセージを送りたいと思います。
まず今日は、たいへん楽しい対話ができて喜んでいます。みなさんの質問も本当によく考えられた、みなさんがいちばん知りたいという質問をぶつけていただいたので、私も一生懸命、お答えしたつもりです。
最後に、みなさんにお伝えしたいのは、戦前、戦後、日本共産党のリーダーを務めて、今日の党の基礎を築いた大先輩に宮本顕治さんという方がいるのです。若いみなさんは、名前は聞いているけれども、話を聞いた方は少ないと思うのです。2007年に亡くなっています。私も書記局長になった最初の7年間は、宮本さんが議長で、同じ党の指導部で活動して、数えきれないほど多くを学んだ大先輩です。
宮本さんは戦前、国民主権と反戦平和を貫いて弾圧され、暗黒権力によって投獄され、激しい拷問を受けるのですが、信念を貫いて、敗戦までの12年間、獄中で頑張りぬいた。あの時代に、よくぞここまでと感嘆するような、本当に理性的なたたかいを貫いた方です。妻の宮本百合子さんとの往復書簡が残っているのですけれど、そのなかで私がとても好きな一節があるので、最後に紹介したいと思います。
1944年10月10日付の宮本百合子さんへの手紙です。
「人生を漂流しているのでなく、確乎(かっこ)として羅針盤の示す方向へ航海しているということは、それにどんな苦労が伴おうと、確かに生きるに甲斐(かい)ある幸福だね。漂流の無気力な彷徨(ほうこう)は、生きるというに価いしない。たとい風波のために櫓(ろ)を失い、計器を流されても、尚(なお)天測によってでも航海する者は祝福されたる者哉(かな)。そして生活の香油も、そういう航海者にのみ恵まれる産物であって、その輝きによって、生存は動物でなく人間というに価する生彩と栄誉、詩と真実に満されてくるものだね」
とても文学的な一節なんですけれども、羅針盤――確固とした科学的な指針をもって生きることにこそ、生きるに甲斐ある幸福がある、と言っている。宮本さんのこの言葉を贈りたいと思うんです。
私は、今日、その一端をお話しした科学的社会主義の立場、日本共産党の綱領こそ、若いみなさんの生きる羅針盤となりうるものだと思っています。どうかこの機会に、科学的社会主義と日本共産党綱領を学び、若いみなさんの願いを実現する先頭に立っている日本民主青年同盟に、加盟されていない方はぜひ加盟していただきたいと、私からもお勧めしたいと思います。私も若い時分は、ずいぶんお世話になった民青同盟です。そしてまた、日本共産党に入党されていない方は、ぜひ入党されて、生きるに甲斐ある幸福をつかんでほしいと考えます。そのことを最後に訴えまして、終わりにしたいと思います。ありがとうございました。
中山 志位さん、本当に2時間、ありがとうございました。以上で、今日の企画を終わります。志位さん、今日やってみてどうでしたか。
志位 楽しかったですね。
中山 よかったです。私もとても楽しかったです。
志位 またやりましょうか。
中山 ぜひ、いろんな機会でやりましょう。それでは、春のオンラインゼミを、これで終了します。ありがとうございました。
(おわり)
5月
2021年5月17日
世界を舞台に活躍したイタリア出身の歌手ミルバさんが4月23日、ミラノの自宅で亡くなった。81歳だった。
私は1980年に、パリのオデオン座、オランピア劇場でのコンサートを取材して以来、ローマ、ベルリン、東京などで公演を取材し、インタビューや対談をする機会があった。一ファンとして、彼女を追悼したい。
60年にデビュー、直後から「サンレモ音楽祭」に連続出演し、「カンツォーネの女王」と称せられた。メリハリのある圧倒的な歌唱力、自在の表現力で、シャンソン、ポップ、タンゴ、フォーク、ミュージカル、オペラとレパートリーをひろげ、詩、演劇にも挑戦した。ミルバは、大衆性と芸術性を磨きながら、「絶えず新境地へ」という進取と時流に流されない信念を貫いた。
ミルバは、シャンソンのエディット・ピアフを尊敬し、59年、夫の演出で「ミロール」を歌ったのを皮切りに、彼女の歌すべてをカバーした。フランスを含め各国でピアフをテーマにした公演を重ねた。
62年、イタリア女性歌手として初のオランピア劇場進出を果たし、ピアフに評価された。65年に亡くなる晩年のピアフからの教えは、歌だけでなく、生き方、思想にまで大きな影響を与えた。どんな困難にも生き抜き、人を愛し、それ故に平和と自由を愛し、ナチの抑圧からの解放に「フランス万歳」と歓喜の歌声をあげたピアフ。そうした思いを自らに重ねていった。
ミルバは65年、ミラノ劇場でのイタリア解放20周年記念集会で歌った「ベラ・チャオ」(日本で「さらば恋人よ」と紹介されるパルチザンの歌)で、自分と会場が一体になった高揚感を「音楽祭とは違う感覚で、前に進む転機となった」と語っていた。
94年に対談した際には、イタリアで戦後初のベルルスコーニ右翼政権に、「ネオ・ファシスト内閣には不同意だ」とのべた。「平和と自由のために、ファシズムと軍国主義には反対だ。パゾリーニ(映画監督)も主張しているように、核兵器を無くし、軍縮を」と訴えた。「政治とかかわりないことは、この世に存在しない」との言葉は今でも印象に残っている。
谷村新司の「昴(すばる)」を聞いて感動し、ジョイントコンサートを申し入れての公演では、ミルバがイタリア語で歌う「昴」の迫力と谷村のメロディーの絶妙な調和により、宇宙大かつモダンなアレンジとなった。
ミルバは、日本を愛し、日本人のきめ細かい配慮と立ち居振る舞いに関心をよせた。日本料理が好きで、「料理の盛り付けは芸術だ」が口癖だった。会うたびに、大好物の奈良漬のお土産に目を細めた。
芸術的才能を開花させ、愛、自由、平和を生きた彼女には、"Bella ciao, Milva"が別れの言葉にふさわしい。(おがた・やすお 日本共産党副委員長・同国際委員会責任者)
2021年5月15日
89年前のきょう、海軍の青年将校らによって時の首相、犬養毅が暗殺される五・一五事件が起きました。事件は軍部が発言力を強め、日本の軍国主義化が大きく進展する契機となりました▼この日はアメリカの喜劇王チャプリンが来日していました。青年将校らは当初、首相主催のチャプリン歓迎会を襲撃しようとしていました。計画の変更でチャプリンはかろうじて難をのがれます▼日本でのファシズムの台頭を、身をもって経験してから8年後、チャプリンは映画「独裁者」を発表します。侵略やユダヤ人迫害を進めていたヒトラーを痛烈に批判した作品。チャプリン演じる理髪師が独裁者と取り違えられて大観衆を前に演説をさせられることに…▼平和と平等、民主主義を訴えた劇中のチャプリンの演説は、多くの人の心をとらえてきました。映画公開から80年以上たった今、この演説が新たな形でよみがえっています▼世界的に注目を集める日本のダンスグループ「s**t kingz(シットキングス)」。「独裁者」の演説に振り付けをし、力強くスピード感あるダンスにしています。黒人差別に抗議する「ブラック・ライブズ・マター」運動を目の当たりにして、自分たちもそうした問題に向き合っていかなければと考えたそうです▼激動する世界。その中で差別を否定し、民主主義と平和を求める動きが多様な形で確かに広がっています。あの演説でチャプリンは訴えています。「私たちはみな互いに助け合いたいのだ。人間とはそういうものだ」
2021年4月22日
各界の幅広い著名人らが20日、日本学術会議の会員候補6人の速やかな任命と権力介入の撤回を求める声明を発表しました。学問・表現の自由を守り、法治主義の政治を取り戻そうと記者会見した呼びかけ人らの訴え(要旨)を紹介します。
日本学術会議会員候補6名の任命拒否から半年がたちました。いまだに6名は任命拒否をされたままであり政府からの説明も何ら行われていません。
学会を中心に1500を超える団体が抗議してきた一方で、自民党は改革案なるものを日本学術会議に押し付けようとしています。
今回の問題は、学問の自由をめぐる戦後最大の危機であると同時に、広く思想・表現の自由、さらには報道の自由まで及ぶような極めて深刻な事態です。この深刻さを幅広い人びとに理解していただき、うやむやに終わらせない、新たなたたかいを進めていきたい。
日本学術会議は、先の戦争で学問が国家のしもべとなった反省から発足しています。時の政権といい意味で緊張関係を持ち、対抗軸として批判的に見ていくことが本来の役割だと思います。
任命拒否について菅義偉首相が「ていねいに説明する」といいながら何も説明しないことが怖い。「わかっているな」ということです。これが人びとに内面化された時に、ファシズムは成立します。
菅首相が、6名を説明もなく任命拒否しているこの問題を、私は戦中の滝川事件と同様に「日本学術会議、任命拒否事件」と呼びたいと思います。
これだけ菅義偉政権をめぐってでたらめなことが起き続けていると、任命拒否を人びとが忘れてしまっても仕方ないかなとも思いますが、そうではいけない。この問題は、たとえばコロナ対策など私たちの日常的な問題とも地続きなんだということを多くの人に分かってもらいたい。
今回の声明は与党らには痛くもかゆくもないかもしれませんが、野党やマスコミ、日本学術会議会員や市民にも届けていきたい。表現、自由の問題に直結する問題です。わがこととして声をあげていきたい。次にねらわれるのは、マスコミや映画だと思っています。
大学における学問の自由はすでにひどく侵害されています。政府に反対の意見を言った場合、公的な支援を得られなくなる可能性を関係者は熟知しています。2015年の学校教育法改悪で教授会の権限を奪い、権限を学長・総長に集中し、大学は活力がなくなり暗くなっています。
手を打たなければ、日本の学問的な発信力は急坂を転げ落ちるように下がっていき先進国で低レベルになってしまう。日本の国力の問題であり、学者だけの問題ではない。学問の自由は侵され、言論の自由も侵されてきていることに、危機感を共有していきたい。
日本学術会議は、任命拒否の説明と撤回を求める決議をしました。“強盗”が入ってきて「家が片付いていないから片付けろ」というような政府の改革案の要求にも取り組みを進めてきました。
任命拒否に対して非常に多様な方々が危機感を感じて声を上げられたことは新鮮な驚きでした。国民に分かりやすい言葉で、学問の自由、学術会議の独立性などに対する政権の侵害を押し戻していく。大学にいる人だけではなく、これから高等教育機関で、さまざまな知を吸収し開拓していこうとしている世代の人たちに対する責任だと考えています。
NCC(日本キリスト教協議会)がこの問題に重大な危機感・関心を持つのは、宗教者の戦争責任とかかわります。
日本の宗教が天皇制国家神道体制にのみ込まれていくのは、1912年に神道、仏教、キリスト教の代表者が呼び出され、内務省と取引したことが出発です。国家道徳振興に翼賛してくれるならば、国家が宗教を守りますと約束した。この結果、ファシズムと戦争体制に翼賛していくことになったのです。
任命拒否問題は、学問、表現、思想の自由にとどまらず、信教の自由や政教分離に深くかかわる問題です。
任命拒否を正当化する議論として、税金を使っているのだからという主張がありますが、間違いです。学術会議法に「経費は国庫が負担」すると書いてあるのは、経費を国が出さないといけないという意味です。
任命拒否問題の背景には、戦争を肯定する勢力が安倍政権以降、影響力を持ってきていることがあります。安保法制を通し戦争できる体制をつくろうとしている。その時、政府から見て国民から信頼される学者が反対することがいかに危ないかが分かったから任命拒否したのです。これを許すと最後のとりでが崩れると思います。
賛同したのは、子どもたちにつけを回したくないからです。
記録を残さなかったり説明をしなかったり、公文書を改ざんしたり、こんな「民主主義社会」をどうしてつくったのと、後世の子どもたちに断罪されたくないとの思いからです。このままでは、子どもたちに胸を張れる社会をつくれないと思います。
いじめはいけないことは当たり前ですが、どう考えても(学術会議任命拒否は)いじめにしか見えない。気に入らない人を任命拒否することは明らかに見せしめです。萎縮に絶対つながり、差別の温床にもなります。
任命拒否の理由が明示されないことにこだわらなければいけない。名簿から外す側と外される側の関係性が報道されると、「ものをいっちゃいけないんだ」、「ものをいうとこうなるんだ」、「政府は理由がなくても外せる、外してしまえるんだ」というイメージがつくられてしまう。
メディアも記事を書くのがめんどうくさくなる。政府にたてついた気持ちが増幅されて自己規制が働き、社会全体にまん延していきます。だれかが規制しているわけではありませんが書きにくい。なんとなく抑圧される。それをはね飛ばさなければなりません。
学問の自由の侵害が言論・報道の自由の侵害につながることは1930年代の歴史をみれば明らかです。
自由の面だけでなく相対的独立機関の尊重という知恵によって民主主義を成熟させていく方向性に対して、公安警察出身の杉田官房副長官や菅首相の恣意(しい)的な権力行使はまったく逆行です。
メディアは忘れっぽいといわれますが、社会にとって基本的に大事なことはしつこく追及し続けることがその役割だと思います。今日ここに来られたみなさんをはじめとしてジャーナリズムの頑張りに期待します。
今年の夏、「東京裁判」という映画を公開します。その作品のコピーを考えながら、戦争で日本は戦に負けて、情報戦で負けて、記録戦で負けて、最後には人道でも負けたというさんざんな戦争だったと思っています。
軍部・権力は国民に一切情報を教えなかった。それが諸悪の根源だったと思います。
いま権力の力を使って大きな刷毛(はけ)で一色に塗りつぶそうとしている。無知、暴力的というか傲慢(ごうまん)というか断じて許せない。この顛末(てんまつ)を映画にする人がいないのか、お金を出す人がいないのかと考えています。
2021年4月21日
日本学術会議会員候補6人の速やかな任命と権力介入の撤回を求めて20日、幅広い学者や文化人、ジャーナリストや宗教者らが連名で声明を発表しました。(要旨3面)
菅首相による任命拒否は「学問だけでなく思想、表現、報道の自由に対する政治介入」と指摘。時の政権の思い通りの組織に改変されれば「科学は批判の力を持たない政治の召使となります」として、任命拒否を撤回させて学問・表現の自由を守り、「法治主義の大原則に則(のっとっ)た政治を取り戻しましょう」と呼びかけています。
声明は、ノーベル物理学賞受賞者の益川敏英、上野千鶴子(東京大学名誉教授)、元文部科学省事務次官の前川喜平の各氏ら13人が呼びかけ人となり、これまでに各界各層の著名な125人が賛同しています。学問と表現の自由を守る会(仮称)を結成し、活動していくとしています。
東京都内で呼びかけ人らが記者会見。佐藤学・東大名誉教授は「学問の自由をめぐる戦後最大の事件であり思想、表現、報道の自由にまで及ぶ。うやむやに終わらせるわけにはいかない」と強調。
翻訳家の池田香代子さんは「任命拒否し説明もしないが、説明せず分かっているなというのがファシズムの本質だ」と指摘。内田樹・神戸女学院大学名誉教授は「学問の自由が侵害されて発信力が低くなり、日本の国力の問題になっている」と強調しました。
笑下村塾のたかまつななさんは「気に入らない人を拒否すれば萎縮、差別につながる。子どもたちに胸の張れる社会を」と強調。映画監督の井上淳一さんは「次に狙われるのは映画やマスコミだと思う。わがこととして声をあげていきます」と述べました。
声明「日本学術会議会員候補6名の速やかな任命と政府の権力介入の撤回を求めます」の呼びかけ人13氏は次の通りです。
◇
池田香代子(翻訳家)
井上 淳一(脚本家、映画監督)
上野千鶴子(東京大学名誉教授)
酒井 啓子(千葉大学教授)
佐藤 学(東京大学名誉教授)
田中 優子(前法政大学総長)
津田 大介(ジャーナリスト)
土井 香苗(人権活動家)
前川 喜平(元文部科学事務次官)
益川 敏英(京都大学名誉教授)
室井 佑月(作家)
目加田説子(中央大学教授)
吉永 磨美(マスコミ文化情報労組会議議長)
2021年3月21日
菅義偉首相が日本学術会議の会員候補6人の任命を拒否して間もなく半年。これを放置すれば、待っているのはファシズムだという危機感から、学者らによる抗議の書が緊急出版されています。
任命拒否が発覚した昨年10月1日、その日のうちに企画が持ち上がったという佐藤学・上野千鶴子・内田樹編『学問の自由が危ない 日本学術会議問題の深層』(晶文社・1700円)は、「論理とエビデンス(証拠)」を「武器」とする学者ら13人が、文理の枠を超え結集。多角的論点から学術会議への人事介入の違法・違憲性を示します。同会議の会員経験をもつ執筆者が多く、軍事研究を否定してきた議論の過程や、組織内の先進的なジェンダー平等の取り組みなども具体的に紹介。
再三強調されているのは、憲法23条「学問の自由」が学者の個人的自由ではなく、学問共同体の政治権力からの自由として存立している点です。共同体内で学術的に鍛えられ探求されていく学問を失えば「社会も国家も闇の中をさ迷うことになる」(佐藤)との警鐘は、コロナ禍にあって現実味をもって迫ってきます。
ジャーナリストの津田大介氏は1千を超える学協会の抗議声明に目を通し、それぞれの特徴を紹介。文系と理系の温度差などを懸念しつつ「妥協しない」重要性をあげ、「戦いはまだ始まったばかりだ」と述べます。任命拒否された6人のメッセージなど、資料も豊富な「決定版」と言える一冊です。
拒否された6人はいずれも人文社会系の学者でした。『私たちは学術会議の任命拒否問題に抗議する』(論創社・1600円)は、人文系をほぼ網羅した300超の学会で成る「人文社会系学協会連合連絡会」の編著書。関係者の論考と、学問領域の特色が出ている32の個別学会の抗議声明で編まれています。
野家啓一・日本哲学系諸学会連合委員長は、研究を担う諸学会と発信を担う学術会議は車の両輪の関係にあり、首相は片方の車輪を壊し人文系の機能を「著しく毀損(きそん)」したと批判。
「頼むから日本語をこれ以上痛めつけないで」の声明が話題になった上代文学会の品田悦一(よしかず)代表理事は、強権で異論を排除し人文知を弾圧する首相を「相互批判によって知の高みをめざすことを知らない愚か者」と評します。
全編に“しょせん学者の話”と「市民にとっての問題」にならない現状への焦燥が濃く、佐川亜紀・日本現代詩人会理事は、石川逸子氏の詩を引き「6名は あなたであり わたしなのです」と呼びかけます。
『日本学術会議への人事介入を問う』(日本共産党出版局・245円)は、昨年11月の志位和夫委員長の国会質問を収めたパンフ。「多様性」等々、首相がひねり出す任命拒否の根拠を、証拠の力で突き崩しています。この時の無理筋な答弁に首相が固執し続けている以上、何度でも立ち戻るべき追及です。『前衛』3月号(日本共産党中央委員会・676円)収録の「戦前日本における『学問の自由』と学術会議問題」(土井洋彦〈うみひこ〉党学術・文化委員会責任者)は、上記3冊で繰り返し言及される戦前日本の学問弾圧事件を詳述。権力が学問を窒息させ、社会が狂信にのまれた反省の上に立って、憲法に「学問の自由」が明記された意義と学術会議の意義、現時点の危うさを鋭く照射します。
2021年3月7日
婦人民主クラブは6日、東京都内で「創立75周年記念のつどい」を開きました。
主催者あいさつした櫻井幸子会長は「ファシズムと悲惨な戦争のなかで苦しんだ女性たちは、二度と平和を手放してはならないと4分の3世紀、活動してきました」と述べ、戦争から解放された女性の喜びの声を紹介。いま核兵器禁止条約が発効し、性差別発言に多くの人が声をあげているとして「世界は動いています。みなさんとともに誰もが輝ける社会をめざしていく決意です」と語りました。
来賓あいさつした日本婦人団体連合会の柴田真佐子会長は、女性差別撤廃条約の選択議定書や、核兵器禁止条約の批准を国に求める署名をいっそう広げようと呼びかけました。
日本平和委員会常任理事の川田忠明さんが「婦民新聞連載『祈りはどこにあるのか』100回に込める思い」と題して講演。理不尽な死に対し人として向き合うための祈りが、憲法9条に込められていると語りました。
核兵器禁止条約について「多様な意見を反映させるジェンダー平等の視点が貫かれている」と紹介。80年代からの平和研究が女性参加が果たす役割について「和平交渉がまとまる」「和平合意後の復興と平和構築が進む」と明らかにしていることを紹介しました。
アルパ奏者の池山由香さんが「花は咲く」などを澄んだ歌声とともに演奏しました。
1月
2021年1月8日
近現代の出版文化の柱のひとつにマンガがある。江戸期の絵画の重要ジャンルには浮世絵などの戯画がある。本展は、このふたつに類似性を見いだし一筋の系譜と捉え、変遷と発展を探る。
展示は江戸期から始まり、浮世絵のほか、鳥羽絵、大津絵などの大衆表現も紹介。時代を下って、幕末より隆盛した風刺画、明治期の出版物を彩ったポンチ絵を経て「漫画」の誕生と発展を追う。
浮世絵は町人が担い手で明治期の新聞の風刺画は士族出身者が始め、両者の直接の継承関係はない。近現代の日本のマンガの作図と叙述の様式は、海外のマンガの輸入から生まれた。血統上の系譜はないのだが、精神性や着想の共通点といういわば深層のつながりはあるだろう。本展では丹念に技法や様式にこだわり、日本に生まれた大衆消費文化の流れをわかりやすく読み解く。
浮世絵は、遊び絵、合戦絵、福神絵、死絵(しにえ=著名人の追悼画)、鯰絵(なまずえ=地震が主題)など多岐に細分される。詳細かつきめ細やかな狙いの主題、絵画の密度の高さは熱量の多さでもあり、後のマンガ表現の図像的技術の巧みさ、サービス精神の過剰さを彷彿(ほうふつ)とさせる。葛飾北斎(かつしか・ほくさい)の『北斎漫画』、河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい)の「狂斎百図」は表現の引き出しの多さ、着想の多彩さで、いまも色褪(あ)せない。
反骨の批評精神も系譜の歴史にかいま見える。歌川国芳の幕政批判は代表例だ。近代ではその初期と後期、すなわち草創期の維新政府批判とファシズム体制完成直前のプロレタリア美術系の風刺画が時代を彩る。その後の戦争の時代には、有名マンガ家が軍部に協力することで活躍の場を得る。前史に当たる日露戦争のポンチ絵は貴重な展示だ。
政局批判は大衆意識の反映だが、その意識の良き鏡であろうとする姿勢は刹那(せつな)で享楽的な要素もはらむことにもなり、ときに時局に迎合する表現を生み出す。ここに日本社会の長所と短所がある。ペーソスにあふれたヒューマンな犬の兵士のマンガ『のらくろ』(田河水泡=たがわ・すいほう)は、後のマンガ表現の吉凶相半ばする縮図だ。
(美術・文化社会批評)
24日まで、東京・すみだ北斎美術館 電話03(6658)8936
2021年1月20日
今年は、1951年1月21日に51歳で急逝した宮本百合子の没後70周年にあたる。
十五年戦争下の極限状況においても、戦後の激動の中でも、反戦平和と歴史の進歩を求め、良心の灯を掲げて生き抜いた文学者宮本百合子。その輝かしい全業績は『宮本百合子全集』33巻(新日本出版社)となって私たちの前にのこされている。
今、日本は、新自由主義の破綻と新型コロナ感染拡大の中、思想信条、学問の自由を侵す学術会議会員任命拒否が起こり、戦前回帰の様相を示しつつある。しかし他方ではコロナ後の未来の新しい価値観が各方面で真剣に模索されている。
百合子が命懸けで切り開いた思想と文学は、閉塞(へいそく)感を乗り越えていこうとする現代の私たちに、何を語りかけているだろうか。
百合子の評論集『新編 文学に見る女性像』の刊行(1月)、『民主文学』3月号で掲載予定の没後70年記念座談会、昨年11月刊行の『宮本百合子裁判資料』など、現在の視点から百合子の人と文学を全体的に見直し、再評価しようとする多様な新たな動きが今起こっている。
日本文学の伝統は、個と社会を対立的に捉え、社会や政治からの文学の隔離を正統としてきた。百合子の文学は、これに挑む革新的な本質をもつものであった。17歳で書いた『貧しき人々の群』の人道主義から、ソビエト・ヨーロッパの旅を経てプロレタリア作家へ。文学者の相つぐ転向の中で、1934年、評論「冬を越す蕾(つぼみ)」を書く。初期資本主義から帝国主義への時代の急速なテンポでの変化の中で、日本の知識人に対して、敏捷(びんしょう)な適応性はあるが、封建制が作用し、「対立する力」に対して「人間の理性の到達点を静にしかし強固に守りとおし」「その任務を歴史の推進のために光栄あるものと感じ得る」知識人らしい知識人さえも日本には少ないと批判している。
自ら反戦、反ファシズムの闘いの中心に立ち、終戦までに5回、検挙・投獄された。太平洋戦争開始の翌日、百合子は検挙され、翌年夏、熱射病で昏倒(こんとう)し出獄。以後も執筆禁止が続く。戦後は独立、反戦、革新の立場からの発言を繰り広げ、代表作『播州平野』『二つの庭』『道標』を発表し、民主主義と平和をあらゆる方法で訴えた。
百合子はまた、現在、注目を集めているジェンダー問題を先駆的に提起した文学者でもある。ほぼ100年前の『伸子』では、女が個人としてではなく家父長制と性役割に縛られて生きることからの解放を追求した。『二つの庭』『道標』に描かれ、往復書簡に示されたロシア文学者湯浅芳子との愛と友情の葛藤の過程は、今日のLGBT問題を考えるうえでも重要な意味を持つ。
革命運動の中で出会った9歳年下の宮本顕治との恋愛と結婚は、顕治の投獄によって隔てられるが、獄内外をつなぐ往復書簡『十二年の手紙』は凶暴な治安維持法さえ破壊することができなかった戦時下の愛を語る珠玉の人間ドキュメントとして結晶している。
このような百合子の姿勢は、性・階級・人種を複合的に捉えるフェミニズムを提起して注目されているポスト・コロニアル批評のガヤトリ・スピヴァクの到達点に通じている。
絶筆「『道標』を書き終えて」には、3千枚の『道標』の次に、続編『春のある冬』『十二年』が予定され、創作方法においても模索の途上にあり、さらなる発展を試みようとしていたことが語られている。これらの課題は後世に託されたといってよいだろう。
半世紀にわたって百合子が紡いだ理知と情感が融合した豊かな言葉は、時空を超えて私たちに語りかけてやまない。誰しもが自分らしく幸福に生きる権利を持ち、それを阻む力に対しては取り除く努力を怠らず、願いの実現のために協同すること、それこそがよりよい未来への扉を開く最高の魔法の鍵であるのだと。
きただ・さちえ 1947年生まれ。日本近代文学研究者。元城西国際大学教授。著書『書く女たち 江戸から明治のメディア・文学・ジェンダーを読む』、共編著『宮本百合子の時空』『女たちの戦争責任』ほか