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2010年活動および関連情報】

 

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12月】(ヘッドライン)

韓国民主化闘争の中息づく多喜二の文学/秋田で講座

朝の風/朴慶南さんと宮本百合子

歌壇/わが胸にも問う年の暮れ

「綱領教室」志位委員長の第1回講義/驚いた/見えた/各地で受講

朝の風/アインシュタイン宣言もう一つ

治維法犠牲者国家賠償法を/大阪・島本町議会

治維法犠牲者に賠償求め意見書/大阪・高槻市議会

人権守る歴史映画で学ぶ/金沢で試写会

10回顧/演劇/被爆者描き共感を呼ぶ/新訳で成果現代劇の系譜

治維法国賠同盟たたかいを学ぶ/北海道岩見沢

人権と平和の講演会を開く/岩手・二戸

9条守れ女性の集い/京都

太平洋戦争開始69年/過去見すえ戦争ない世界へ/「赤紙」配布や集い/愛知/石川/静岡/新潟/富山/福井/岐阜

治維法国賠同盟/道本部と札幌支部が宣伝/山形支部が署名

太平洋戦争開始から69年/二度と戦争繰り返さない/北海道/秋田/青森/山形/宮城

鉄北9条の会学習会を開く/札幌

山代巴の朗読劇上演/鳥取

太平洋戦争開戦69年/治安維持法犠牲者市吉澄枝さんにきく/不条理に立ち向かう志を継ごうと思った

大逆事件バスツアー/熊本

12月本文】(Page/Top

韓国民主化闘争の中息づく多喜二の文学/秋田で講座

 秋田県多喜二祭実行委員会が25日、秋田市のあきた文学資料館で第6回小林多喜二講座を開きました。多喜二文学愛好者や歴史研究者ら約20人が参加しました。
 財団法人民族芸術研究所の茶谷十六研究員が「80年代韓国民主化闘争の中で息づいた多喜二の文学」と題して講演しました。
 茶谷氏は、韓国の民主化宣言(1987年6月29日)直後の8月15日にチング(友だち)社が出版したハングル版『蟹工船』(『一九二八年三月十五日』『蟹工船』『党生活者』を収録)に付された長文の解説を読んで、「本当にびっくりした。内容は、日本共産党の克明な運動史だった」とのべ、翻訳者の李貴源(イ・グィオン)、チング社の李相Q(イ・サンギョン)両氏と直接会って話したときの様子を語りました。
 両氏は、「たたかいの中で多喜二作品と出合った。『蟹工船』は韓国の現実と重なり、『党生活者』は自分たちそのものだった」と語り、「多く文献を翻訳した。ハングル版『蟹工船』で初めて実名を記した」(李貴源氏)、「(表題を)『党生活者』としたかったが、当時は新婚2カ月で、すぐ刑務所に入りたくなくて『蟹工船』にした」(李相Q氏)と話したといいます。
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2010年12月28日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/朴慶南さんと宮本百合子

 来年1月23日にひらかれる宮本百合子没後60年「百合子の文学を語る集い」(日本民主主義文学会、婦人民主クラブ、多喜二・百合子研究会共催)で、作家の朴慶南さんが「百合子さんと、今を生きる私たちをつなぐもの」と題して講演を行う。
 朴さんは、宮本百合子全集の第21巻の月報に、高校生のときに大阪に住むいとこから、『貧しき人々の群』と『十二年の手紙』の2冊の本を読むといいと渡された話を書いていた。
 当時、朴さんの実家は、くず鉄屋をしていて、貧しい人々に会っていたため『貧しき人々の群』の百合子のまなざしが自分と重なりあい、どこに自分の視点を置いて社会を見ていくかの原点になったと記している。
 そして『十二年の手紙』については、百合子が「世間では、私たちをある意味でもっとも幸福な夫婦と折紙をつけています」と書いてある手紙を引用して、客観的には困難な状況であるにもかかわらず、そう言い切る百合子に志を同じくする顕治への信頼感と愛情、社会変革への意志と未来への確信を感じとったと朴さんは書く。
 自分の思想形成において影響を受けた作家と問われると、まず百合子が思い浮かぶという朴さんの講演が楽しみだ。
 (筑)
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2010年12月27日,「赤旗」) (Page/Top

歌壇/わが胸にも問う年の暮れ

 「歌をもてあそびに私は作らなかった。歌は、私に人生というたたかいの太鼓のひびきであった」
 小名木綱夫の遺歌集『太鼓』のあとがきの言葉である。小名木は治安維持法の弾圧、病苦、貧窮と闘い1948年に38歳で逝った。
 それから62年、戦後短歌は小名木の言葉のように、「もてあそび」にしない歌人たちに支えられてきたといえる。この一年、戦後歌人との少なからぬ別れがあった。
 本欄でも追悼してきたが、それぞれの方法により、短歌に力を尽くしてきた亡き歌人に改めて敬意を表したい。
 現代短歌をひとくくりにはできないが、例えばいわゆる「前衛短歌運動」の終焉をどこにするかなどが論じられ、その後のライトバース、曖昧派、言葉の「ゲーム化」とまで言われる短歌界の一部の時流は、ますます拡散の方向を見せている。期待はずれの政権交代後の閉塞感に、若い作者たちは言葉の上だけの冒険に走るのか。
 「朝日新聞」(11月30日夕刊)の短歌は現実に迫るものだ。
 モノクロの写真の街は白く燃ゆ コザの暴力美しかりにけむ
  屋良健一郎
 植民地の冬夜の空をねじらせて米軍車より直ぐ起つ炎
 暴動の打撲、焼痕、ひとつだに空に残っていない淋しさ
 作者は1983年生まれ。沖縄の抵抗の歴史にリアルな共感をもつ。3首目には現状への焦燥も含んでいよう。
 また老いを見つめ、さらに生きる希望を得る短歌の力も健在である。
 認知症の夫を施設へゆだねきてひとりの寒さ居ても立ちても
  小島静子
 身めぐりのひまはりみな高く咲き仰げばさらに空高くあり
 (『コスモス』9月号、コスモス賞受賞)
 自らにとって短歌とはと、わが胸にも問う年の暮れである。
 (日野きく・歌人)
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2010年12月27日,「赤旗」) (Page/Top

「綱領教室」志位委員長の第1回講義/驚いた/見えた/各地で受講

 「分かりやすく、私も学習しなくてはという気持ちをもつことができ、自分ながらうれしくなっています」――。党本部会場と全国をむすんで21日、志位和夫委員長を講師に「綱領教室」が始まりました。本部会場と全国の視聴の様子、受講者の感想を紹介します。ひきつづき受講の申し込みを受け付けています。第1回の「綱領・古典の連続教室」はいろんな方法で視聴することができます。

驚いた/学ぶべき中身と値打ちのある綱領――他の党にはないんだ
 
 志位さんは「なぜ綱領を学ぶのか」というところから話を始めました。
 最初に、政権党の民主党は綱領を「持てない」こと、自民党は綱領はあるが「中身がない」ことと対比しながら、学ぶべき中身と値打ちのある綱領を持ち、熱心に学習している政党は日本共産党以外にないことを紹介すると、会場に笑顔が広がりました。
 大阪府で聞いた21歳の民青同盟員は「他の政党のように短期的かつ瑣末(さまつ)な政局に振り回されて、離合集散を繰り返すことなく、長期的な視野を持って行動する共産党の原動力は綱領にあることを実感した」と感想を寄せました。
 2時間近い講義のなかでもっともわいたのは、先ごろ開かれた第6回アジア政党国際会議(ICAPP)の経験に触れたときです。綱領の世界論がアジアの本流になっていることを強く実感した体験をリアルに報告すると拍手が起きました。大分県で視聴した男性は「日本共産党こそが世界に通用する政党であり、志位さんの提案が丸まる採用されたことに強く確信を持ちました」と感想をのべました。
 志位さんが今回の会議成功の「貢献賞」として贈られた大きな金色のメダルを照れながら披露する場面もありました。
 後半は、「綱領がなぜ戦前から始まっているか」について語りました。
 戦前の活動は「党の原点」であり、なかでも「不屈性」を学びたいと、小林多喜二の生き方と作品をとりあげました。
 志位さんが多喜二全集を開き、「十二月の二十何日の話」と「党生活者」の一節を朗読すると、会場は水を打ったようにシーンとなりました。息子を思う母セキさんの「決心」に、ハンカチで目頭をおさえる人も。同時中継を岩手県で見ていた29歳の男性は、「多喜二の生き方に心を打たれた。29歳の若さで亡くなったが、彼の不屈で剛毅(ごうき)、愛情豊かな精神が母親をも入党に至らせた。正しい心は必ず受け継がれるのだ」と誇りを共有していました。
 志位さんは、戦前の問題と今日の問題がつながっている一例として、いま、国政でもっともホットな焦点となっている、尖閣、竹島(独島)、千島の三つの領土にかかわる紛争問題を詳しく話しました。
 それぞれの場所を示した畳1枚分もある大きな地図の前に立ち、カギとなる年月を書き込みながら、政府間の条約や交渉の経緯と党の立場を詳しく解説。侵略戦争と植民地支配に反対する立場に立たないと、平和的に得た領土と戦争で奪った領土との区別もつかないとのべました。そのなかで、2006年に初めて韓国を訪問し、ハンナラ党の院内代表と会談したときの体験を紹介しました。緊迫が走る場面もあったが道理ある主張をしたことで一気に心が通い合ったことを紹介すると、聞き入っていた会場に安堵(あんど)のため息が。志位さんは、ICAPPで4年ぶりに再会したときにはお互いに抱擁し、すっかり意気投合したと報告しました。
 千島問題では、歌手の三波春夫さんも日本共産党と同じ見解を持っていたことを紹介すると、「ほおー」と驚きの声があがりました。
 本部会場で熱心に聞いた東京の労働者・釘宮愛子さんは「三つの領土問題が侵略戦争無反省の問題とつながっていることを初めて知りました。日本側の対応の問題点を詳しく聞けてよかった。領土にかかわる紛争問題は、どうなっちゃうんだろうと思っていましたが、解決できると展望を持てました」と語りました。
 「党員としての誇りを改めて感じた」「綱領を新鮮に受けとめることができた」「次の教室が楽しみだ」といった感想が多数寄せられました。

見えた/戦前のたたかいのように、今のたたかいが将来へつながる

各地で受講

メモも取って青年ら熱心に/奈良
 奈良地区委員会事務所(奈良市)では21日、4人の青年党員が熱心にメモをとり、ときおり綱領に目を通しながら、講義に聞き入りました。
 会場の会議室のホワイトボードには「綱領・古典の連続教室青年教室」の文字。4人はもともと、党と民青が共催で9月に始めた綱領学習会のメンバーです。講師の金治(かねじ)貞男さん(67)とともに、学習会ごと「連続教室」に参加しました。
 講義が終わって最初に口を開いたのは谷川和広さん(32)。「他の党が綱領を軽く扱っているというのはその通りだ。そういう党は政治も軽いし、領土問題ですぐに軍事力といいだすのも、外交力の無さを表している」と語りました。これに中村伸一郎さん(21)が「アジア政党会議の話では国際的な交流の大事さを感じた」と続きました。
 元民主党員だったという男性(29)は「綱領が科学的な分析に基づいているから長く広い視野で展望をつかめるというのが同意できるところ。何度も読まなあかんと思った」と語ります。的場太一郎さん(29)が「領土問題は解決がむずかしいのでは」と語ったのにたいし、金治さんが「領土問題で日本共産党がしっかりした主張ができるのは、侵略戦争に反対してきたからだということをつかむことが大事です」とまとめました。
 「青年教室」のメンバーは、この日仕事で来られなかった仲間にも、DVDを使って講義に参加してもらうことにしています。

道理ある主張、根本には綱領/東京
 東京都委員会の会議室では、講義終了後、民青同盟都委員会の2人の常任委員と、2人の学生が残って、感想を話し合いました。
 男子学生のIさんは、「印象に残ったのは、日本共産党の主張が道理を持っているから、アジア政党会議でも前向きの合意をつくり出す力を発揮したということです。その根本に、綱領があるのだと思いました」といいます。「戦前のたたかいが、いまにつながると志位さんは強調していましたが、現在のぼくたちのたたかい、高すぎる学費値下げの運動なども、将来につながっていくんだと感じました」と語りました。
 「日本の政党のなかで、綱領を真剣に学ぶのは日本共産党ぐらいしかないというのは驚きました」というのは民青都委員会のSさんです。
 同じく民青都委員会のHさんは、「綱領を持たない政党の深刻さがよくわかりました。民主党は、綱領を決めようとしたら党が分裂してしまいかねないというのは、なるほどと思いました」と笑いました。
 女子学生のOさんは、「綱領をそのまま街頭で読み上げても、それで国民の支持が広がるわけではない。私たちが綱領をよく学んで、いろんな現実の問題に引きつけて、自分の言葉で綱領を語ることが大事ですね」と話していました。

分かりやすい再学習したい/山形
 山形県酒田地区委員会では、地区事務所に13人が集まり、受講しました。講義を聞いた参加者は、「2中総でいっていた『綱領の生命力』が伝わってくる講義だった。今後の講義がますます楽しみ」「千島問題で、歌手の三波春夫さんが日本共産党と同じ意見というのは初めて知った」などと語っていました。
 前回の不破社会科学研究所長の講義を受けて、「テキストを4冊ともそろえたい」と注文した入党1年半の60代の自営業の女性は、「今回も分かりやすかった」と感想を述べていました。
 ある受講者からは、「家でもう一度学習したい。DVDが欲しい」との要望が出されました。
 酒田地区の受講者の中で最高齢(79)の女性は、同時中継には参加できないため、日中にオンデマンドで受講しています。

感想から/逆風の時こそ綱領の立場で/生きがいの源に/情勢を深くつかむ/領土問題の背景に納得
 
 党の歴史が、現在の政治的立場につながり、貫かれていることにあらためて感動しました。領土問題が、国のエゴではなく、歴史的にそして国際的な道理に基づいてとらえられていて、それが外交の基本であると思いました。
 (岩手 30歳 男性)
 ◇
 なぜ綱領を学ぶかを他の政党と比べて話されたことで、より日本共産党の値打ちをつかむことができ、誇りを感じました。綱領を学ぶ意義については、「逆風が吹くときこそ、綱領の立場に立つことが必要」といわれ、今こそその時ではないかと思います。「生きがいの源になるのが綱領」という言葉、小林多喜二の生き方、母セキさんの生き方にも感動しました。
 (埼玉 北部地区 68歳 女性)
 ◇
 大学を卒業し、進路などを模索しているときだけに、綱領を学ぶことは、目先のことにとらわれることなく情勢を深くつかんで働きかけていく、生きがいの源になるという話に、ここに生き方がある、深く学びたいと思った。綱領があるから、アジア政党国際会議ではスジの通った提案をし、各国の党からも信頼されたという話が印象に残った。次回も楽しみ。
 (東京 品川地区 23歳 男性)
 ◇
 小林多喜二ら、戦前の日本共産党員像に改めて感動した。私も、民青時代に多喜二の『党生活者』の最後の方に描かれている母の息子を思う気持ちに感動し、涙が出て止まらなかったことを思い出した。
 どんな弾圧や困難にも負けずに正義を貫いた先輩たちの不屈で剛毅(ごうき)な生き方に感動し、今日の党がそういう党員とたたかいの歴史の上にあり、私たちがそれを継承・発展させなければならない。将来の後輩たちからもそういう風に評価される活動と生き方をしなければならない。この思いをいっそう強くした。
 (福井 61歳 男性)
 ◇
 土砂降りの雨の中を、自転車をこいで会場にきたかいがありました。綱領をなぜ学ぶのか…。自分の生きがいをつかむ源になること、簡潔で厳密な文章は、必ず国民のなかに定着し、国民のスローガンとなる、ということに、感動しました。
 (大阪 八尾柏原地区 49歳 女性)
 ◇
 現在の日本社会のなかで、党綱領を学ぶ意味を考えさせられた。表面的な出来事だけではなく、深いところからつかむ努力を、綱領に立ち返りながら頑張りたいと思った。「異常の中にいても異常がわからない」という言葉は、確かにそうだと思った。青年の模索にこたえ展望を広げるためにも、綱領を語る力を身につけたい。
 (奈良 民青 32歳 男性)
 ◇
 領土問題の後ろにあるものがわかって良かった。日本が侵略戦争について何一つ反省していないから、領土問題があれだけもめることになるという話には、目からうろこが落ちました。綱領を学ぶ意義をしっかりと考えていきたい。
 (山口 民青 25歳 女性)
 ◇
 胸にひびいた内容は、情勢を広い視野でみる必要性や、困難に直面したときに綱領に立ち返り、深めるということです。戦前の小林多喜二や母、多くの不屈の同志たちのことでは、涙が出てきました。頑張らねばとの決意がわきました。
 (鹿児島地区 85歳 男性)
 ◇
 入党して45年。これまで何度も綱領を学び、講師もしましたが、こんなに分かりやすく、説得力をもって党の生命力、魅力を語った講義は初めてです。沖縄の党が、県知事選直後のあの「連続教室」を力にして党をつくり、今日の「基地のない沖縄」があるんだよと、子や孫、後世に伝えたいものです。
 (沖縄 中部地区 64歳 女性)
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2010年12月23日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/アインシュタイン宣言もう一つ

 新防衛大綱の「動的防衛力」論は、軍事力を誇示して「戦争するぞ」と叫ぶようなものだ。東アジアの平和構築への流れに逆行する暴論として許せない。
 ここで思い出すのは、かつて湯川秀樹らとともに核廃絶を求め、「ラッセル・アインシュタイン宣言」(1955年)を遺した物理学者アインシュタインが、第1次世界大戦当時の1914年にゲオルグ・ニコライと共同で発表した戦争反対の「ニコライ・アインシュタイン宣言」である。ニコライはドイツの生物学者で、戦争を「社会進歩をもたらす」と正当化する社会ダーウィニズムを批判、『戦争の生物学』を書いた。同じ生物学者で、のちに治安維持法改悪に反対して暗殺される山本宣治が1922年に邦訳出版、来日したアインシュタインから「戦争は無意味」という序文を得ている。
 スウェーデンの思想家エレン・ケイも同じく『戦争平和及将来』(1916年)で「戦争で勝利を得る国民が生存に適している」という主張を批判、母性を持つ女性として戦争反対を説いた。ケイの影響を受けた平塚らいてうが戦後湯川に共鳴、憲法9条を最大の安全保障としてすべての戦争をなくそうと訴えたのは偶然ではない。
 今、あらためてこうした平和思想の水脈をたどってみたい。
 (佐)
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2010年12月22日,「赤旗」) (Page/Top

治維法犠牲者国家賠償法を/大阪・島本町議会

 大阪府島本町議会は16日、国において治安維持法犠牲者国家賠償法(仮称)を制定し、犠牲者に一日も早く謝罪と賠償を行うよう求める「治安維持法犠牲者への謝罪と国家賠償を求める意見書」を全会一致で可決しました。本会議で、日本共産党の高山佳昌議員が意見書案を読み上げて提案しました。
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2010年12月19日,「赤旗」) (Page/Top

治維法犠牲者に賠償求め意見書/大阪・高槻市議会

 大阪府高槻市議会は15日、「治安維持法犠牲者への謝罪と国家賠償を求める意見書」を賛成多数で可決しました。意見書可決には日本共産党市議団が尽力しました。
 同意見書は、治安維持法によって侵略戦争に反対した革新政党、労働組合、文化人まで数十万人が逮捕され、主権在民など基本的人権を求めるすべての運動と思想までが徹底弾圧されたが、敗戦で治安維持法は反人道的悪法として廃止されたと指摘。西欧諸国では、今日もなお戦犯追及が行われ、犠牲者には謝罪と賠償が行われているとのべ、国において治安維持法犠牲者国家賠償法(仮称)を制定し、犠牲者に一日も早く謝罪と賠償を行うよう求めています。
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2010年12月17日,「赤旗」) (Page/Top

人権守る歴史映画で学ぶ/金沢で試写会

 戦前から戦後にかけて命・人権を守る弁護士活動に生涯をささげた布施辰治の活動を描いたドキュメンタリー映画「弁護士布施辰治」の試写会が11日、金沢市内で開かれました。県内の弁護士、団体役員などでつくる「映画『弁護士布施辰治』を観る会」が呼びかけたもので、約70人が出席しました。
 布施氏は21歳で法曹の道に踏み出して以来、人権擁護の活動や弾圧とたたかう弁護士活動を貫いていきました。弁護士資格の剥奪・治安維持法違反での投獄などの弾圧を受けながらも、「生きべくんば民衆とともに、死すべくんば民衆のために」を信念に民衆の人権と尊厳を守る運動に力を尽くしました。
 映画は彼の生誕130年にあたる今年製作され、全国各地で上映されています。
 同会の北口吉治事務局長は「この映画は人権を守る大切さと運動への勇気を与えてくれる作品だと思います。多くの県民に見ていただいて、彼の生涯と思いを知ってほしい」と話しました。
 同会では、来年2月13日に同市香林坊の県教育会館で一般向けの上映会を開催する予定です。
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2010年12月15日,「赤旗」) (Page/Top

10回顧/演劇/被爆者描き共感を呼ぶ/新訳で成果現代劇の系譜

 被爆65年の今年、被爆者を描く芝居が目立ちました。青年劇場「島」(9月)は、広島で被爆した青年教師の苦悩と生へのたくましさを舞台化しました。俳優座「樫の木坂四姉妹」(9〜10月)は、被爆の後遺症に苦しむ姉妹を、前進座「夢千代日記」(10、12月)は、胎内被爆し原爆病に侵された芸者の姿を、その心のひだまで描写。新国立劇場「象」(3月)は原爆によるケロイドを見せ物にした人の苦悩を描きました。いずれも、悲劇を繰り返させてはならないという演劇人の願いをあふれさせ共感を呼びました。平和への演劇界の粘り強い取り組みは心強く感じます。

井上ひさし氏追悼公演続く
 日本を代表する劇作家・井上ひさしさんを4月に亡くしたことは、演劇界の大きな喪失でした。追悼公演の一つ、こまつ座の「少年口伝隊一九四五」(11月)も被爆した少年たちを描いた朗読劇でした。新国立劇場が再演した「東京裁判三部作」は、天皇の戦争責任を問う内容を含んだもので、歴史の本質に迫る井上ひさしさんの本領を示しました。「黙阿彌オペラ」など追悼公演が続きました。
 新国立劇場の演劇芸術監督に9月から就任した宮田慶子さんは、「JAPAN MEETS…―現代劇の系譜をひもとく―」シリーズを始めました。日本演劇史に強い影響を与えた作品を、新訳で上演する企画。イプセンの「ヘッダ・ガーブレル」(9〜10月)は、新たなヘッダ像を提示し、成果を上げました。第2作、テネシー・ウィリアムズ「やけたトタン屋根の上の猫」(11月)も注目された力作です。検証、省察によって演劇界を活性化させようという企画で、大いに納得させられます。

劇作家たちの活力と創造力
 東京芸術座の「蟹工船」(小林多喜二原作、大垣肇脚色)は、村山知義のダイナミックな演出を再現し、鮮烈な印象を与えました。劇団民芸が6年ぶりに上演した「巨匠」(1〜2月)は、戦争というものと、人間の生き方を考えさせました。青年座「黄昏(たそがれ)」(11月)も、人生について問い印象的でした。
 天下りの官僚が各地で引き起こしている理不尽な官僚主義を風刺した「かたりの椅子」(永井愛作、3〜4月)、新興宗教に踊らされる人々を風刺した「ザ・キャラクター」(野田秀樹作、6〜8月)、食品の衛生、普天間基地問題などを取り上げた「3分間の女の一生」(坂手洋二作、11〜12月)、脚本家・向田邦子を描いた文学座「くにこ」(中島淳彦作、11〜12月)など、活力ある劇作家たちの創造力が大いに演劇界を盛り上げた1年だったといえるでしょう。
 (大井民生)

私の選んだ5点★
■菅井幸雄(演劇評論家)
@東京裁判三部作(井上ひさし作、新国立劇場)4〜6月
A「太陽と月」(ジェームス三木作、青年劇場)4月
B「どろんどろん―裏版『四谷怪談』―」(小幡欣治作、民芸)10月
C「樫の木坂四姉妹」(堀江安夫作、俳優座)9〜10月
D「女の一生」(森本薫作・戌井市郎補綴、文学座)3月

■北野雅弘 (演劇学研究 者)
@「ザ・キャラクター」(野田秀樹作、野田マップ)6〜8月
A「台湾の、灰色の牛が背のびをしたとき」(維新派)7〜8月、12月
B「この雨ふりやむとき」(ボヴェル作、TPT)11月
C「巨大なるブッツバッハ村」(マルターラー)11月
D「頼むから静かに死んでくれ」(ムアワッド)6月
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2010年12月14日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟たたかいを学ぶ/北海道岩見沢

 北海道の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟南空知支部は11日、岩見沢市で支部学習会を行いました。宮田汎・同盟道本部会長が、「相沢良の活動と同盟の役割」と題して講師を務めました。
 宮田氏は、1930年代に相沢良が並々ならぬ組織力を発揮して、共産青年同盟や労働組合を組織したこと、渡道後は、共産党や労組が弾圧のため壊滅した札幌で、日本労働組合全国協議会札幌地区協議会を組織していった活動を新しく分かった事実を含めて紹介。33年4月25日の大検挙で、転向の誘いをはねのけて懲役4年の刑を受け、ついに病をえて倒れた相沢良の不屈の生涯を語りました。
 宮田氏は、「同盟の署名や意見書採択の地道なたたかいは反共攻撃とのたたかいでもあります。民主党政権が『戦争への道』を歩み始めている今こそ同盟が力を大きくしてたたかわなくてはならない」と述べました。
 最後に秋好昌吏支部長が「同盟の大事な役割が分かった。また元気で頑張りましょう」と結びました。
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2010年12月14日,「赤旗」) (Page/Top

人権と平和の講演会を開く/岩手・二戸

 岩手県の国民救援会二戸支部はこのほど、二戸市内で「人権と平和、民主主義を考える講演会」を開き、15人が参加しました。県北九条の会代表で二戸教会牧師の東山道晴さんが「宗教者と人権、平和、民主主義」と題して講演しました。
 東山さんは、先輩たちが戦争に協力したあやまちを戦後になって心から反省したこと、自分は牧師として戦争非協力の誓いを受け継ぎ、憲法のめざす平和と民主主義を守る道を歩んできたこと、弱者のために命がけでたたかった小林多喜二に感動したことなどについて語りました。
 話し合いでは、宗教者と平和運動の結び付きや世界の平和問題など、幅広い話題が取り上げられました。
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2010年12月11日,「赤旗」) (Page/Top

9条守れ女性の集い/京都

 太平洋戦争開始から69年の8日、京都女性九条の会が、「戦争あかん! 憲法9条変えないで 12・8 女性のつどい」を京都市内で開きました。
 同「会」は、女性17人の呼びかけで2005年に発足し、9条を守るアピール行動に取り組んできました。開戦の日を記念したつどいは初めてです。
 開会で、呼びかけ人の一人である久米弘子弁護士は、「楽しく和やかに、憲法9条を守る心意気に燃えたつどいにしましょう」とあいさつしました。
 古川美和弁護士が日本国憲法の目的や9条を守る運動の展望などについて講演。自身が憲法を知ったときの感動や昨年取り組んだ市民参加の憲法ミュージカルの経験を紹介し、人と人がつながる場が求められていることに希望を持って、くらしの願いと憲法のかかわりを語っていくことが大事だと話しました。
 講演に先立つミニコンサートでは、ケイ・シュガーさんが、自作の「多喜二へのレクイエム」や沢田研二の「我が窮状」などをピアノの弾き語りで披露しました。
 また、市民の手で63年ぶりに再現された、憲法普及のための「平和おどり」を踊って、交流しました。
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2010年12月10日,「赤旗」) (Page/Top

太平洋戦争開始69年/過去見すえ戦争ない世界へ/「赤紙」配布や集い/愛知/石川/静岡/新潟/富山/福井/岐阜


愛知
 愛知県の平和団体が共同するアジア・太平洋戦争開戦69年「12・8不戦のつどい」が8日、名古屋市で開かれ、80人以上が参加しました。
 主催者あいさつにたった日本ジャーナリスト会議・東海の加藤剛事務局長は、「過去を見据えなければ、戦争のない世界への正しい選択はできない」と訴えました。
 愛知大学法学部の長峯信彦教授が講演しました。侵略と植民地支配の実態、慰安婦*竭閧ネどを解明し「過去に目を閉ざす国は、未来に対しても盲目になる」と訴えました。
 中国人強制連行三菱重工大府飛行場における調査・追悼活動(日中友好協会県連合会)、名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟(同訴訟を支援する会)、日本軍「慰安婦」問題(新婦人)や、県平和委員会などの訴えがありました。

石川
 石川県では、「平和を守るつどい」が金沢市内で開かれ、約45人が参加しました。石川憲法協会、日朝協会石川県支部など5団体が主催したものです。
 日朝協会県支部の大森定嗣理事長が「今日の節目を機に平和の大切さを再考し、今後の活動に生かしていきましょう」と開会あいさつしました。
 金沢市を拠点に活動する平和サークル「むぎわらぼうし」の代表、東しげのさんが「平和を考え続けて24年」と題して講演。24年間・月1回のペースで例会に取り組み、平和を愛する各団体や個人とも協力し、被爆証言を聞く会や多彩な学習会などを続けてきた経験を語り、「たくさんの人に支えられた『むぎわらぼうし』の活動を今後も多くの人たちと続けていきたい」と述べました。

静岡
 静岡県母親連絡会は、県内各地で戦争に反対し核兵器のない世界の実現を訴えました。
 静岡市呉服町では、かっぽう着姿に「平和憲法を守ろう」「武器はいらない」などのタスキをつけた女性ら20人が、道行く人に「赤紙」(召集令状)を印刷したビラを配布。母親や青年が交代でハンドマイクを握り、平和の大切さを訴えました。
 受け取ったビラをじっと立ち止まって見ていた女性(83)は、「一番の青春時代に戦争を嫌というほど感じました。兄は出征し、船とともに海に沈みました。朝鮮半島でもめていたりもするが、戦争はまっぴらごめんですね」と話しました。
 買い物に来ていた同市駿河区の女性(65)は、「映像を通じてでも戦争の現実や悲惨さを感じて、みんなが戦争が起こらないよう危機感を持たないといけないと思います」と語りました。

新潟
 新潟県では、憲法を守る新潟県共同センターと母親連絡会が共催して、新潟市の古町十字路で街頭からの訴えとともに、召集令状≠刷り込んだビラの配布、憲法9条を守る署名にとりくみました。
 日本共産党のほか、新日本婦人の会、県労連、県医連、新商連、治安維持法同盟、県原水協など団体から32人が参加しました。
 呼びかけに応えて通行人が足を止め、年配の女性は「私は空襲にあった。戦争は絶対にいやだ」と署名しました。
 また、「修学旅行で沖縄に行き、基地を見てきた。戦争は絶対にしてはならない」と高校生5人が署名しました。「憲法改悪には反対だが、9条を変えようとする人はなぜ変ええようとするのか分からない」と疑問をよせた若者もいました。

富山
 富山県内では、各団体が反戦平和を訴えました。
 県母親大会連絡会は富山、魚津、高岡等6市のJR駅やスーパー前の8カ所で召集令状≠フ「赤紙」を配布しました。富山市のJR富山駅前では夕方、本木英子会長らがハンドマイクで「戦中は、愛する家族や恋人が『赤紙』1枚で戦場に駆り出された。子どもたちに平和な日本と世界を手渡したい」と訴えました。
 県革新懇、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部、県アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会、安保破棄・諸要求貫徹県実行委員会は夜、富山市内で「反戦平和のつどい」を開き、ドキュメント映画「教えられなかった戦争―侵略・マレー半島」を上映しました。
 憲法9条ファンクラブは「二度と戦争をさせない、憲法9条を変えさせない」と題した声明を発表しました。

福井
 福井県母親大会連絡会は、平和のつどいを福井市内で開きました。つどいでは、DVD「どうするアンポ」(日本平和委員会製作)を上映。佐世保市で開かれた日本平和大会(3〜5日)に参加した斉藤治孝・県原水協事務局長と南条光麿・県平和委員会事務局長が報告しました。
 斉藤氏は、基地調査を紹介したうえで、佐世保市がすでに1950年に平和都市宣言を行っていることにふれ、「それが今でもこんなにひどい状況かと思った」とのべました。
 南条氏は、経済面でのアメリカの対日支配をテーマに開かれたシンポジウムについて報告し、人材派遣の自由化や郵政民営化、無駄な公共事業、農業つぶしなどがアメリカの要求で実行されてきたとのべました。

岐阜
 岐阜県母親連絡会は、憲法を生かし、核兵器のない平和な社会の実現を訴える宣伝を行いました。
 「平和を守る全国母親連鎖行動」に応えて、4日の美濃加茂市の集会に始まり、岐阜、大垣、各務原の各市などで取り組まれました。
 名鉄岐阜駅前では、25人が、召集令状≠印刷した「赤紙」ビラを500枚配布し、「平和を守る」思いをリレートーク。「憲法守れ」「核兵器の廃絶を」の2種類の署名を呼びかけました。
 署名した高校3年生の男性は「現代社会で戦争の悲惨さを学んだ。北朝鮮の砲撃事件は、外交努力で解決すべき」だと語り、岐阜市の男性(73)は「おばさんが空襲で亡くなった。戦争は二度と起こしてはいけない」とビラを受け取りました。
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2010年12月10日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟/道本部と札幌支部が宣伝/山形支部が署名


道本部と札幌支部が宣伝
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟道本部と札幌支部は8日、札幌市の三越前で「今日は12月8日です。69年前、日本が太平洋戦争を起こしました。再び戦争を許さないための決意の日としましょう」と宣伝行動をしました。
 参加した14人が、「憲法9条を生かして海外派兵の拡大などやめさせましょう」と訴えながら、ビラ約100枚を配りました。
 ビラを手にした高校生は「今日はそういう日ですか。署名しますよ」と応じました。
 日本共産党の小形かおり市議候補、自由法曹団の神保大地弁護士、中部民主商工会の富堂保則事務局長、国民救援会の守屋敬正道本部会長、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の中出玉枝札幌支部長、同じく宮田汎道本部会長らが、それぞれマイクを握って「戦争は過去のことではありません。戦後補償問題では従軍『慰安婦』のことなど、まだ未解決のことが多いのです」「民主党政権は武器輸出三原則、非核三原則を崩し、海外派兵拡大を『防衛計画大綱』に盛り込もうとしています」「戦争に反対して捕らわれたり獄死した犠牲者に国は謝罪してほしい」などと訴えました。

山形支部が署名
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟山形支部(橋健支部長)は8日、山形市内で、「再び戦争と暗黒政治を許さないために、治安維持法犠牲者の国家賠償法を制定する請願署名」の行動を行いました。
 ハンドマイクで、「治安維持法によって国民はあらゆる自由を奪われ、戦争反対や政治の変革のために声をあげた人たちはことごとく弾圧された。二度と戦争と戦前のような暗黒政治を許さないためには、政府が治安維持法による犠牲者に謝罪し、賠償することが必要だ。ぜひ署名にご協力を」と訴えました。
 署名行動では、「真珠湾攻撃の日、小学6年生だった」と話しながら署名をする人など、1時間の行動で70人の署名が寄せられました。この行動には7人が参加しました。
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2010年12月10日,「赤旗」) (Page/Top

太平洋戦争開始から69年/二度と戦争繰り返さない/北海道/秋田/青森/山形/宮城

 「日本は二度とたたかわない」―。12月8日は日本がアジア・太平洋への侵略戦争を開始(対米英開戦=1941年)してから69周年にあたります。この日北海道・東北の各地で平和・市民団体が「赤紙」など配り、平和を訴えました。

北海道

憲法9条掲げ平和外交大切
 札幌では市内のデパート前で女性たちが「赤紙」を配り「平和を守ろう」と訴えました。
 戦前の召集令状を模した「赤紙」のビラで市民にアピールしたのは北海道母親大会連絡会と「自衛隊の海外派兵反対 憲法の平和原則を守る 道女性連絡会」の女性ら30人です。
 NPT(核不拡散条約)再検討会議が開かれたニューヨークで、平和行動に参加した上野和子さんは「二度と赤紙が配られないように、みんなで平和を守りましょう。朝鮮半島に不安が広がっているいまこそ、憲法9条を掲げ、平和外交を進めることが大切です」と訴えました。
 「赤紙」を受け取り、憲法を守る署名にサインした札幌市中央区の男性は「戦争中は海軍にいました。終戦がもう少し遅かったら、私も戦場で命を失っていたと思う。もう戦争は起こしてはいけない。頑張ってください」と話していました。

岩見沢で訴え
 北海道の「岩見沢平和憲法を守る市民連絡会議」(年金者組合、革新懇、岩労連、治安維持法国賠同盟、全生連)は市内で、寒風のなか街頭宣伝を行いました。
 各団体から9人が参加し、69年前の無謀な領土拡張と侵略戦争を批判。世界に誇る憲法9条を生かした新しい日本、核も基地もない平和な日本の建設を呼びかけ、ビラを配りました。

秋田

「赤紙見れば思い出す」
 秋田県母親大会連絡会は秋田市、大館市、能代市、横手市などで、臨時召集令状を裏面に印刷した「赤紙」ビラを配布しました。
 秋田市中通の買い物広場での行動には、各団体から20人が参加しました。
 ビラを受け取った「まだ80歳前」という秋田市内の女性は、「あっ、本当だ。赤紙だ。こういうのを見ればあの当時のことを思い出す」と話していました。

青森

諏訪県議らが全力で平和守る
 青森市では、日本共産党の諏訪益一県議と大沢研東青地区政策委員長(県議候補)が、「さくら野百貨店」前で街頭演説し、平和のために力を尽くす決意をのべました。
 大沢氏は、15年間にわたった戦争で多くの犠牲者を出しただけでなく、いまなお多くの人が、苦しんでいるとのべ、「力を合わせ、日本、アジア、世界の平和のために力を尽くす」と決意をのべました。
 諏訪県議は、戦前から主権在民、侵略戦争反対を主張してきた唯一の政党として、「二度と戦争をさせない決意を新たにしている。いっせい地方選挙で躍進し、くらしと平和を守る力を大きくするために頑張っていく」とのべ、支持を訴えました。

山形

県内7カ所で赤紙配り訴え
 山形県では山形市、南陽市、鶴岡市など7カ所で母親連絡会の女性たちが市民に戦前の召集令状を模した「赤紙」を配り、戦争のない平和な社会にしようと市民に呼びかけました。
 山形市では、師走の寒空の下、山形地区母親連絡会の人たちが市役所前でハンドマイクを握り、「12月8日を過去の出来事にしてはなりません。この『赤紙』を持って家族で平和について考えてほしい」と呼びかけました。
 「赤紙」を受け取った50歳代の女性は「親類の男性が戦争に言って障がい者になりました。子どもたちと平和について話し合いたい」と語りました。

9条を守ろうと渡辺県議ら訴え
 日本共産党の渡辺ゆり子山形県議と太田俊男県副委員長は8日、山形市内で市民に戦争のない平和な社会をつくろうと呼びかけました。
 渡辺県議は、憲法9条を守ろうと全国各地に9条の会ができていると語り、「日本共産党は9条を守れという活動をしている人たちと力を合わせ戦争する動きを許さない活動をしている」と紹介。「国際政治の中でも武力でなく外交と話しあいでという9条で示す流れになっている」とのべ平和を訴えました。
 太田副委員長は民主党政権について、「労働者派遣法、後期高齢者医療制度、障害者自立支援法などの問題を見て民主党が自民党と違いが見えなくなったことが目立った国会だった」と批判。山形県の2011年度当初予算の概算要求に、住宅リフォーム助成が組み込まれていることを紹介し、「国民の願いをしっかり受け止め提案しているのが日本共産党。国民の願いを実現するためともに頑張りましょう」と呼びかけました。

宮城

ピースウオーク/県母親大会連絡会
 宮城県母親大会連絡会は、各地で早朝から夕方まで門前や街頭で「赤紙」を配布して平和を訴えました。昼には仙台市役所前広場に80人が集まり短時間の集会を開きました。
 同会の本田永久子副会長があいさつし、「私たちは、二度と戦争を起こさない決意で毎年行動してきました。平和憲法の大切さを訴え続けましょう」と呼びかけました。
 宮城女性9条の会の戸枝慶共同代表が連帯のあいさつをしました。
 集会後、参加者は、JR仙台駅前までピースウオークをして、「憲法9条を守りましょう」と叫びながら平和を訴えました。
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2010年12月09日,「赤旗」) (Page/Top

鉄北9条の会学習会を開く/札幌

 札幌市の鉄北九条の会は4日、手稲区で第28回学習会を開き、25人が参加しました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の宮田汎北海道本部会長が「日本国憲法の礎を築いた先覚者(治安維持法犠牲者)に国は謝罪と賠償を―北海道と手稲ゆかりの人々にふれて―」と題して講演。
 宮田氏は、村上由(ゆかり)、武内清、鈴木治亮(じすけ)らが函館で北海道初の共産党組織をつくるなど道南から始まった北海道の労働運動、革新運動、反戦のたたかいを紹介。権力は治安維持法体制の下で三・一五事件から始まる残虐非道な手口で弾圧し、侵略戦争を推進していったと怒りを込めて語りました。
 最後に日本弁護士連合会が「治安維持法犠牲者は戦争に反対した者としてその行為は高く評価され、他の戦争被害補償に先んじて補償されなければならない」と述べていることを紹介。民主党政権が「防衛計画大綱」で武器輸出三原則、非核三原則を崩し、自衛隊の海外派兵をいっそう拡大する危機の中で治安維持法犠牲者に早く謝罪と賠償を、というたたかいはとくに重要と結びました。
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2010年12月08日,「赤旗」) (Page/Top

山代巴の朗読劇上演/鳥取

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟鳥取県本部女性部は4日、鳥取市で小説「荷車の歌」で知られる作家・山代巴(1912年〜2004年)の半生をテーマにした朗読劇「治安維持法と山代巴」を上演しました。市民ら37人が鑑賞しました。
 山代巴は、広島県芦品郡栗生村(現在の府中市)の貧しい農村に生まれ、画家を志して紙芝居や銀座のカフェの図案書きで生計を立てます。飯島キミらの影響で日本共産党の活動に参加。山代吉宗と結婚して神奈川県の旭ガラス鶴見工場に勤めますが、3年後の40年、警視庁特高係に二人とも逮捕され、獄中生活を余儀なくされます。
 脚本を書いた保田慶子さんは、山代巴獄中手記書簡集などを参考にしたとのべました。
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2010年12月07日,「赤旗」) (Page/Top

太平洋戦争開戦69年/治安維持法犠牲者市吉澄枝さんにきく/不条理に立ち向かう志を継ごうと思った


すてきです。受け継がねば
 12月8日は「太平洋戦争」開戦から69年。韓国を「併合」し、中国からアジアへの侵略に突き進んでいた当時の日本では、戦争に反対した人などを取り締まる治安維持法が吹き荒れていました。同法犠牲者の市吉澄枝さん(87)=東京都中野区在住=に、どのような時代に、どんな思いで生きてきたのか、同じ地域に住む会社員の工藤岳さん(27)、真由さん(28)夫妻が聞きました。
 
 岳 治安維持法のことは正直、よく知りません。お話を聞いて勉強したいと思います。
 真由 作家の小林多喜二が治安維持法で捕まり、拷問で死んだことは知っていましたが、犠牲者の方に会うのは初めてです。
 市吉 私は1923年(大正12年)に生まれました。16歳のときに母が亡くなり、父親は満州(中国東北部)で働いていたので、自宅には兄と私とお手伝いさんの3人。兄が東京大学に入学すると、気兼ねのない我が家に学生たちが集まり、社会主義経済学の研究会を開いていました。私はそれを、ふすま越しに聞いていたの。17歳のころでしたね。
 真由 与謝野晶子(歌人)や平塚らいてう(女性解放運動の先駆者)とは、どれくらい時代が違うのですか?

教育を疑った
 市吉 2人は女性雑誌『青鞜』創刊(11年)のメンバーでした。
 大日本帝国憲法(明治憲法)は天皇を万世一系の統治者、現人神(あらひとがみ)としたでしょう。明治の民法では「妻の無能力」という規定もありました。
 岳 本当に? それはひどいですね。
 市吉 私は、女性たちの解放を唱えた、らいてうや晶子の呼びかけを読んで、良妻賢母の教育に疑問を持ったの。女性は大学受験すらできず、親が決めた結婚をする時代だった。それはおかしいと思ったし、大学に行けないのも悔しかったのね。だから兄と「いかに生くべきか」と、よく話し合いましたよ。

特高に捕まり
 市吉 兄は40年に東大の社研グループが検挙されたとき、特別高等警察(特高)に捕まりました。留置場で殴られたり、髪の毛で天井からつるすと脅されてね。社会をよくしたいと考える「普通の学生」が、権力のあまりの理不尽さに「左翼学生」になったの。(笑い)
 真由 権力の側は、命を生み出す女性を目覚めさせたら大変だと思っていたのではないでしょうか。どうやって勉強したのですか。
 市吉 41年に本格的に戦争が始まると、次々と男性が徴兵されたでしょう。今こそ女性が不条理な社会に立ち向かう志を受け継がなければと思うようになりました。家には左翼系の本があって、同い年の女性と2人で、ベーベルの『婦人論』やエンゲルスの『空想から科学へ』などを読みました。特高に目をつけられないように細心の注意を払い、伏せ字の本を読んだのよ。
 岳 そんな苦労があったのですね。
 市吉 44年3月に20歳で保健婦養成の専門学校を卒業し、愛知県内の軍需工場に寮母として就職しました。45年1月、工場に特高が私を逮捕しにきた。荷物をまとめながら、友達に迷惑がかからないように、もらったはがきをこっそりトイレにちぎって捨てました。
 岳 怖くなかったのですか。
 市吉 覚悟していたし、間違ったことはしていないのですから怖くはなかった。取り調べで拷問はなかったけれど、ナイフで脅されたことはありました。でも私は何も知らないといい続けました。独房に入れられた経験もあります。ノミやシラミは死ぬほどかゆくてね。7月の大空襲では思想犯でしたから、私だけ仮釈放にならず、鉄格子の中に残されました。巡査の機転で命拾いはしましたが。
 岳 こんな時代があったのですね。いまも表現の自由などを抑えようという動きがありますが、許してはいけないと思いました。
 市吉 ようやく誕生した国民主権の憲法です。若い人には大事に守ってほしい。

憲法への思い
 市吉 私の夫は、兄が参加していた研究会のリーダーでした。当時は、ふすま越しに話を聞いていただけでしたが、とても尊敬できる人でした。徴兵されてしまったので再会したのは戦後です。その間、お見合いも勧められたけれど断ってきたの。終戦の翌年に中国から帰還した彼に会って、すぐに意気投合しました。7年待った初恋が実ったのよ。
 真由 すてきです。市吉さんは、まだ社会も封建的な時代に、自分で選んだ人と結婚したんですよね。これって、当時の女性が権利を主張する最たるものだと思います。憲法の問題でも、市吉さんや多喜二の思いを受け継いでいかなければいけないと思いました。
 岳、真由 きょうは志を教えていただきました。ありがとうございました。

治安維持法
 日本共産党をはじめ、天皇制廃止など、国政のあり方を根本的にかえる「国体の変革」を掲げる団体やその指導者、個人を弾圧する法律。1925年に施行、28年に最高刑が死刑に改悪されました。45年10月に廃止。
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2010年12月06日,「赤旗」) (Page/Top

大逆事件バスツアー/熊本

 熊本県でこのほど、大逆事件100周年を記念して事件犠牲者らの足跡をたどるバスツアーがあり、熊本、玉名、荒尾、山鹿各市などのゆかりの地を訪ねました。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟熊本県本部の主催で約30人が参加しました。
 大逆事件は、1910年(明治43年)、「明治天皇暗殺」を計画したなどとして幸徳秋水ら全国の社会主義者らをいっせいに検挙した謀略事件です。
 バスツアーでは、処刑された新美卯一郎(熊本市)、松尾卯一太(玉名市)らの墓や、納骨されたお寺などを訪ねました。
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2010年12月02日,「赤旗」) (Page/Top

11月】(ヘッドライン)

解放戦士の碑合同追悼会/静岡

多喜二ゆかりの離れ補修/神奈川・厚木の旅館/700人募金、完成祝賀会

貧困・格差ない社会に/北海道革新懇30周年記念し集会/日弁連会長の宇都宮氏講演

治維法同盟の支部結成広く/岩手県本部が総会

没後70年小熊秀雄と人形劇団プーク/曽根喜一/闇夜に道を照らした詩人

東京山宣会の結成総会開く

武内清氏の墓前祭開く/函館

治安維持法「犠牲者名簿」発刊のつどい/山形

潮流

治維法国賠同盟女性部が交流/弾圧の実相、次世代に

多喜二読書会、計画を発表/秋田・大館

治維法国賠同盟北上支部が結成/岩手

赤旗まつり「科学の目」講座/「科学の目」で日本の政治史を読む/不破哲三社会科学研究所所長の講演/その1その2

赤旗まつり/見た、聞いた…驚いた/歴史の変化実感/群馬の若者

赤旗まつり/「多喜二ノート」に釘づけ/戦前の群像勇気でた=^日本共産党展

片山潜碑前祭と党員合葬式開く/岡山・久米南町

小作争議の地訪ねるツアー/北秋田

韓国併合100年/「日本はいつ謝罪」/旭川で講演会

第40回赤旗まつり/分野別後援会のテント、交流会など企画

 

11月本文】(Page/Top

解放戦士の碑合同追悼会/静岡

 静岡県解放戦士の碑第20回合葬追悼会(主催、同実行委員会)が21日、静岡市葵区の愛宕霊園内で行われ、遺族や民主団体関係者など約50人が参加しました。おだやかな秋晴れのもと参加者たちは、今年の合葬者21人をしのび故人の遺志を受け継ぐ決意を語り追悼しました。
 平野克明・実行委員会会長は、「合葬された人たちの不屈のたたかいなくしては静岡県における解放運動が輝かしい歴史をつくることはできなかった」と語り、憲法改悪阻止など、暮らしと平和のために活動していくことを誓いました。
 遺族の増田美和子さんは、故人の夫が生前国家公務員として働き、組合の分裂や不当配転などのたたかいで奮闘し、家族みんなでビラやニュースづくりをした思い出などを語り、「誰もが安心して働ける職場を目指してたたかってきた夫を私は誇りに思います」と涙ながらに語りました。
 党静岡県委員会、県評、新婦人県本部、治安維持法国家賠償要求同盟県本部、国民救援会県本部の各代表が、追悼の言葉を述べました。
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2010年11月24日,「赤旗」) (Page/Top

多喜二ゆかりの離れ補修/神奈川・厚木の旅館/700人募金、完成祝賀会

 「蟹工船」などで知られるプロレタリア作家・小林多喜二ゆかりの七沢温泉の旅館「福元館」(神奈川県厚木市)の離れの補修工事完成祝賀会が20日、同館で開かれました。
 主催は、治安維持法犠牲者国家賠償要求県同盟と多喜二ゆかりの七沢を知らせ歴史と文学を広める会。
 多喜二は1931年3月中旬から約1カ月間、福元館の離れに小説「オルグ」のノート稿を持って逗留(とうりゅう)。当時の館主の古根村憲司氏は多喜二をもてなしました。館主の行動は長い間秘密にされていましたが、2000年3月に5代目館主の古根村喜代子さんが明らかにしました。
 離れは築90年を超えており、損傷もひどいものでしたが、09年に多喜二愛好家らが、「福元館『離れ』の保存にお力添えを」の訴えを出して募金運動に取り組み、700人から340万円を超える募金が寄せられました。修復工事は9月13日から約1カ月かけて行われました。
 祝賀会で、主催者の1人の相原進さん(広める会会長)は、「多くの人々の浄財でこの離れが保存できたことは、この国のあり方に不安を感じる人々、苦痛を感じる人々、怒りを感じる人々の一つの回答ではないか」とあいさつ。日本共産党の畑野君枝元参院議員は、「オルグ」について川端康成が「複雑な材料を見事にあつかっている」と高く評価していることを紹介し、「この離れは現代に多喜二を感じる存在です」と語りました。
 福元館のおかみ古根村喜代子さんは、小豆が大好きだった多喜二に、先代がぼたもちを多喜二に振る舞ったエピソードを語りました。福元館の向かいにある離れの入り口には、この離れについての案内板が新たに取り付けられました。
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2010年11月24日,「赤旗」) (Page/Top

貧困・格差ない社会に/北海道革新懇30周年記念し集会/日弁連会長の宇都宮氏講演

 平和・民主・革新の日本をめざす北海道の会(北海道革新懇)は20日、結成30周年記念集会を開きました。
 日弁連会長の宇都宮健児弁護士(反貧困ネット代表)が「貧困と格差のない社会の実現へ」と題して講演し、札幌市民ホールに集まった参加者約670人が熱心に耳を傾けました。
 宇都宮氏は、多重債務の取り組みを通じて「貧困をなくさなければ問題は解決しない」と、「反貧困ネットワーク」を結成した経過を説明しました。
 宇都宮氏は「貧困を可視化、顕在化して当事者を支援すること」が必要であり、「垣根を越えた連携で貧困問題を社会的、政治的に解決すること」が重要だと語りました。
 「憲法9条と25条は人間らしい社会をつくる上で車の両輪」と強調した宇都宮氏は、「革新懇の理念は反貧困運動とつながっている」として、連帯を呼びかけました。
 講演に先立ち、ソプラノ歌手の清水紫さんが、小林多喜二を歌った自作の「赤き花燃ゆ」を熱唱しました。
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2010年11月23日,「赤旗」) (Page/Top

治維法同盟の支部結成広く/岩手県本部が総会

 盛岡市で18日、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟岩手県本部の総会が開かれ、28人が参加しました。牛山靖夫事務局長が2010年の活動報告と方針を提起。国賠署名や会員拡大で目標を超える取り組みを行ったが、地方議会の請願採択がゼロなので、この課題の解決とともに地域の支部結成を広げようと呼びかけました。
 総会では会長に金野剛氏を再任するなど県役員を選出しました。
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2010年11月23日,「赤旗」) (Page/Top

没後70年小熊秀雄と人形劇団プーク/曽根喜一/闇夜に道を照らした詩人

 没後70年を迎える詩人「小熊秀雄」と戦前プークとの出会いがなければ、今日のプークや人形劇のありようがもうちょっと変わっていたかもしれない。
 小熊秀雄とプークとの出会いは、1936年プーク第9回公演(当時プーク名は使えず「ユーナ・プーポ」)の時、川尻泰司(1914〜94、人形劇作、演出、美術家)は、小熊の詩「ブランバコ中隊」を影絵にして他の作品と共に上演したときに始まる。
 この時期は日中戦争の始まる前年で治安維持法はますます強化され、表現の自由や団体の規制も奪われ自由がなかった。「プークの歴史の中で最も苦しい活動だった」と川尻は述懐したが、金も人手も足りず準備不足は否めなかった。
 この公演ではブランバコ中隊まではなんとか終えたが最後の作品は、人形とけいこが間に合わず上演不能、川尻は緞帳の前で客席に向かって実情を訴え率直に謝った。観客は静かに帰って行った。誰もいなくなった客席から小熊は川尻に歩み寄り、肩に手をおき川尻に一層頑張れと励ましたという。
 37年初冬の夜道、川尻は作品「ドン太の樽屋」をつくりなんとか新しい可能性をと頑張ってみたものの、ますますつのる困難に絶望し、ふと小熊に日本を脱出し、スペイン人民戦線国際義勇軍に参加するためバルセロナに行くという心のうちをもらすと小熊は真剣に「駄目だ。君がいなくなったら日本の人形劇はどうなる。君や僕、我々がこの街を歩いてるだけで大きな意義がある。何があっても日本にいなければならない」と言った。川尻はこの時の小熊の言葉を肝に銘じそれ以後どんなに苦しい時でも逃げることはなかった。
 川尻は小熊とのエピソードについてまだ幾つか書き残しているが、戦前の厳しい状況の中でプークや川尻に深い影響を与えたことは確かなことだ。
 戦後1980年代北海道旭川の常磐公園を川尻と私は訪れた。そこには二つの詩碑があった。一つは今野大力そして小熊秀雄であった。今野も小熊と同郷で、共にプロレタリア詩人として活躍した。小熊の花こう岩の碑には次のような詩がプレートに刻まれていた。

ここに理想の煉瓦を積み
ここに自由のせきを切り
ここに生命の畦をつくる
つかれて寝汗掻くまでに
夢の中でも耕やさん
 
 (そね・きいち 人形劇団プーク功労劇団員)
 
 おぐま・ひでお 1901年、北海道小樽市生まれ。旭川新聞の記者になり、雑誌に詩、童話などを発表。長編叙事詩集『飛ぶ橇』など。戦前、東京で池袋モンパルナス≠ニいう画家グループと交流、モンパルナスの名付け親も小熊だといわれています。40年死去。
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2010年11月22日,「赤旗」) (Page/Top

東京山宣会の結成総会開く

 治安維持法と侵略戦争に反対した戦前の代議士・山本宣治(山宣)の顕彰運動を首都圏に広げようと東京山宣会の結成総会が13日、山宣が右翼テロリストに暗殺された東京都内で開かれ、55人が参加しました。会場には山宣の絶筆「唯生唯戦(ひたすら生き、ひたすらたたかうの意)」が掲げられました。
 遺族として山宣の次女・井出美代さんがあいさつし、「『ひたすら生き、ひたすらたたかう』の気持ちでみなさんも東京山宣会を育ててやってください」と話しました。
 総会は、「山宣が暗殺された宿の跡地に記念プレートの設置をめざす」などの活動方針を確認。会長に山田善二郎氏、事務局長に藤田廣登氏ら役員を承認しました。
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2010年11月18日,「赤旗」) (Page/Top

武内清氏の墓前祭開く/函館

 北海道の治安維持法国賠同盟函館支部は10日、函館市船見町の高龍寺で、戦前、函館に北海道で初めて日本共産党の組織をつくり、戦後、党道委員会の初代委員長として活躍した武内清(1902〜46)の墓前祭を行いました。
 斉藤幹雄函館支部長、三国武治共産党函館地区副委員長、吉田敏浩国民救援会事務局長があいさつ。
 札幌から駆けつけた宮田汎道本部会長が「武内清の戦前の活動の足取りが、最近出版された『渡辺政之輔とその時代』という伝記からわかりました。武内は向学心旺盛で、若いころ上京し、新聞配達をしながら神田の正則英語学校に通っていました」と紹介。「1928年には、共産党委員長の渡辺政之輔にもあっています。当時は全国に40の工場細胞(党支部)がありましたが、17は北海道にありました。1928年2月1日に赤旗が創刊され、発行部数は全部で780部でしたが、そのうち150部が北海道に送られていました。函館は歴史的にも革命が盛んなところでした」と話しました。
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2010年11月18日,「赤旗」) (Page/Top

治安維持法「犠牲者名簿」発刊のつどい/山形

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟山形県本部は13日、山形市内で、50人が参加して「山形県治安維持法犠牲者名簿」発刊のつどいを開きました。
 犠牲者名簿は、同県本部が、6年の歳月をかけて発刊にこぎつけました。治安維持法による犠牲者305人、農民運動の犠牲者104人、計409人が記されています。
 集会には県内の生存犠牲者で、95歳の伊藤テルさんが元気な姿で参加し、「捕らえられ、留置場に入れられ、拷問を受けた。今は何でも話せ、何でも読める時代。もっとこの運動を広げることが大切」と話しました。
 山形史学研究会副会長の梅津保一氏が「治安維持法下の農民運動」と題して講演しました。
 第2部では、フルート演奏、佐藤欣哉日本国民救援会県本部会長、日本共産党山形県委員会の横山賢二書記長をはじめ各界からのあいさつ、山形センター合唱団の歌などがありました。
 名簿の申込先=天童市寺津263 瀬野幸男さん。電話・ファクス023(654)3255、販売価格1000円(送料別)
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2010年11月18日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 都はるみさんの「アンコ椿は恋の花」から映画「男はつらいよ」の主題歌まで。数々の名曲、話題曲を世に送り出した作詞家、星野哲郎さんが亡くなりました▼星野さんは、終戦の翌年に商船学校を出ました。しかし、乗る商船は戦争で失われてありません。そこで、遠洋漁業のトロール船に乗り組みます。「小林多喜二の『蟹工船』ほどじゃないけれど、季節風の荒れ狂う東シナ海への出漁は命がけでした」(『歌、いとしきものよ』から)▼体が仕事に耐えられません。大病を患い、やがて歌謡詩の世界へ。その星野さんが、「ハッケヨイ待った!」という曲の詞を書いています。―強い横綱、大関も/たまにゃ負けます土がつく…▼星野さんについては、あらためてしのぶ機会があるかもしれません。亡くなった日、強い横綱・白鵬の連勝記録が途切れました。「これが負けか」と、悔しさをかみしめる白鵬関。双葉山の69連勝記録まで、あと6勝でした。気後れせず実力を発揮した、相手の稀勢の里の気迫が光りました▼技も人格もすぐれていたという伝説の横綱、双葉山。白鵬は、戸惑い悩むときもあったそうです。記録に挑戦するのが自分でいいのだろうか≠ニ。周りに「夢で双葉山と相撲を取った」と語るほど、大先輩に近づこうと努めていました▼まだ若い25歳です。歌の文句ではないけれど、「たまにゃ負けます」と気持ちを切り替え、再び不滅の記録をめざしてほしい。昨日は危なげなく勝ちました。新たな挑戦の始まりです。
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2010年11月17日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟女性部が交流/弾圧の実相、次世代に

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟女性部は14、15の両日、静岡県熱海市で第21回全国女性交流集会を開催しました。各地から約80人が参加し、女性部で活動することの意義や楽しさなどが話し合われました。
 全体会では、戦時中、同法で弾圧された犠牲者、水谷安子さん(97)、市吉澄枝さん(87)が、検挙された当時を振り返り証言。佐野ウララさんが、同法で7年間の投獄生活を送った父親の思い出を語りました。
 各女性部の取り組みでは、8支部のうち5支部で女性部を立ち上げた経験を秋田県の小川絢子さんが報告。「歩みを止めないことが大事。5支部を定着させ、さらに広げたい」と決意を述べました。
 鳥取県の保田慶子さんは「同盟員の得意分野を生かし、草の根の運動を広げている。今後も学習し、実践していきたい」と語りました。
 溝渕政子女性部長は「いかに質の高い運動にしていくか。(地元に)帰ってからが勝負。さらに女性部を強く大きくしていこう」と述べました。
 初めて参加した三ヶ尻亮子さん(41)=高知市=は「弾圧の生き証人の方々から証言を聞いて、全国にたくさんの犠牲者がいることを知りました。若い世代に、事実を伝えたい」と語りました。
 日本婦人団体連合会の堀江ゆり会長が、記念講演しました。
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2010年11月16日,「赤旗」) (Page/Top

多喜二読書会、計画を発表/秋田・大館

 秋田県大館市に事務局を置く「小林多喜二をふるさとで読む会」が10日、2011年読書会計画を発表しました。
 読書会は、11年1月から4月までの毎月第4土曜日(午後1時30分〜3時)に、大館市立中央公民館で開きます。
 テキストには、まだ再読していない中長編で残っていた『転形期の人々』を1月、『地区の人々』を2月に読みます。昨年から始めた書簡と評論では、3月に手紙、4月に評論を取り上げ、約1カ月半前にテキストを事前予告します。
 参加希望者は、読書会誌「多喜二通信」の通信印刷費として年間1人1000円必要です。学生などは無料で参加できます。
 事務局を担当している佐藤守さんは、「11年も楽しく読もうと計画しました。ぜひあなたも仲間に。読書会で喜びをともにしましょう」と参加を呼びかけています。
 日程、テキスト、講師は次のとおり。
 @1月22日『転形期の人々』(長崎恵子さん)A2月26日『地区の人々』(小西育芳さん)B3月26日手紙(大山兼司さん)C4月23日評論(野呂勝也さん)
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2010年11月12日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟北上支部が結成/岩手

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟・北上支部結成総会が10日、岩手県北上市で開かれました。22人が参加しました。
 同県本部事務局長の牛山靖夫氏が「治安維持法とは何か」と題し講演。石川啄木と社会主義、宮沢賢治と労農党について述べ、弾圧に抗して社会進歩のためにたたかった岩手の人々を語りました。その上で、治安維持法犠牲者の活動を掘り起こし語り継ぐことを強調。同盟への入会を呼びかけました。
 同支部の活動方針、規約などを決定。支部長には小野寺寛氏を選出しました。
 「新たな啄木像が聞けて、勉強になりました」などの感想がだされ、7人が新たに入会しました。
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2010年11月12日,「赤旗」) (Page/Top

赤旗まつり「科学の目」講座/「科学の目」で日本の政治史を読む/不破哲三社会科学研究所所長の講演/その1その2

「戦後の日本政治が日本共産党と支配勢力の対決の歴史だということがよくわかった」(静岡県の男性・32歳)、「話を聞いて涙がとまらなかった。この党の一員であることにこんなにも誇りを感じたことはありません」(埼玉県の男性・55歳)――第40回赤旗まつり2日目の7日、「『科学の目』で日本の政治史を読む」をテーマにした日本共産党の不破哲三社会科学研究所所長の講座に多くの反響が寄せられました。紙上で再現すると――。

政治史を「科学の目」で読むとは
 
 不破さんの講演は、一つのグラフを参加者と読み解く形ですすみました。グラフは、戦後から現在まで行われた衆院選挙と参院選挙での日本共産党の得票率の推移を示したもの(下掲)。「このグラフはみなさんをがっかりさせるために見せるわけでも、上がり下がりはいつもあると、なぐさめるために書いたわけでもないんです」。こう笑いを誘いながら不破さんはいいます。
 「大事なことはここに描かれた大きな波の歴史を読み解くことです。日本社会がいまどんなところにきているのか、われわれの運動がどんな地点に立っているのかがよく見えてきます」
 そのうえで不破さんは、「科学の目」で政治史を読むうえで大事な視点をあげました。
 一つは、その社会で、社会発展や国民の生活を抑え込んでいる害悪の根源がどこにあるのかをつかむことです。同じ資本主義でも、その害悪の現れ方は国によって違い、時期によっても現れ方、働き方は違ってきます。そこをつかむことで「科学の目」となります。
 二つめは、その害悪を取り除こうとする勢力と、害悪に固執する支配勢力とのたたかいをつかむことです。害悪擁護派は、害悪を取り除こうとする変革派が力を増すと大攻勢をかけて後退させようとする。しかし、元の害悪は変わっていないので新たな舞台でのたたかいが展開されるのが政治の歴史です。
 不破さんは、こうした社会・政治の変革に至るたたかいをマルクスが160年前に革命は結束した反革命を生み出し、それとたたかうことを通じて自分を成長させる≠ニ見事に表現していることを紹介。「私たちはこれを『階級闘争の弁証法』とよんでいますが、この角度から戦後の政治史を一緒に考えていきたい」と講演テーマの動機を語りました。
 さらに、不破さんはもう一つの動機として、今月から「読売」でスタートした連載「時代の証言者」のインタビュー取材をあげました。時代ごとに取材を受けるなかで、日本共産党と支配勢力のぶつかりあいの歴史を改めて考えたとのべ、「みなさんも、自分の歴史と重ね合わせて聞いていただければありがたいと思います」と本論に入りました。

「階級闘争の弁証法」―原型はアメリカの占領時代にあった
 
 いまの日本の政治体制は、日本が戦後7年間近い占領体制を経て1952年のサンフランシスコ講和条約が発効した時点でおおよその形ができました。
 不破さんは、今回の政治史読解の本題はそれ以降の歴史だが、「占領時代の政治史にも、『階級闘争の弁証法』が実に生々しく出てくる。また政党の原型も出てくる」として、占領時代の政党・政治状況を概括しました。
 戦後、日本共産党以外の政党は党名を変えて活動し始めました。侵略戦争推進の歴史を持つため、そのままの名前では活動できなかったからです。社会大衆党は社会党の系統に、政友会や民政党という保守政党は自由党や進歩党(まもなく民主党に改名)となり、のちに自民党に合流していきました。
 「反省して名前を変えたのならまだわかりますが、反省もせず変えたから始末が悪い。(戦争推進の)歴史はあるが、歴史はないということになった。こういう政党政治は世界で珍しいのです」と、アメリカやイギリスと対比し、日本の政党史の特異性を強調しました。
 占領期の政治状況はどうだったのか。占領軍(連合国軍)は最初のころは日本の民主化を任務にしていましたが、47年から急激に反動化。新憲法下の最初の選挙で生まれた民主党・社会党連立政権(片山哲・芦田均内閣)はアメリカの占領政策の執行機関となり、国民生活を犠牲にして独占資本を復活させる政策をすすめたため、国民との矛盾を深めました。
 日本共産党は、この政治情勢のもとに行われた49年総選挙で、前回選挙(47年)の100万票・4議席から298万票・35議席へと大躍進します。この動きに危機感をもったのが、アメリカと日本の支配勢力でした。
 「支配勢力は、講和条約を結んでも基地は残し安保体制を敷くつもりでした。共産党が強いとそれができなくなるので、つぶさなければいけないと考えたわけです」。不破さんは支配勢力による戦後最初の総反攻の狙いと計画をそう指摘しました。
 支配勢力はまず、「共産党は悪者だ」と国民に宣伝するため、49年に下山事件、三鷹事件、松川事件(注)とよばれる列車妨害、列車転覆などの謀略事件を相次いで起こし、「共産党の仕業だ」とでっちあげて党や労働組合への弾圧を強行しました。
 こうした地ならしをしたうえで、連合国軍総司令部の最高司令官マッカーサーは50年5月に共産党非難の声明を出し、同年6月には国会議員を含む日本共産党全中央委員の公職追放を指令し、「赤旗」も発行禁止とするなど、日本共産党が身動きのできないような状態にしたのです。
 こうしたもとで51年に、サンフランシスコ講和条約が日米安保条約と抱き合わせて締結されました。「当時、国内で行う集会は全部届け出制で、『平和』などと名前がつくと占領軍の命令で全部解散・禁止されました。『平和盆踊り』というのまでも弾圧ですから。そうやってできあがったのが安保条約なんです」と不破さん。
 扇動的な反共宣伝で国民と共産党の間にくさびを打ち込み、つぎに共産党排除の政治体制で仕上げるという総反攻の手口は、その原型を占領体制の時代にもっていたのでした。

下山、三鷹、松川事件
 1949年7月から8月にかけ起きた一連の謀略事件。三鷹事件では国鉄の組合員ら電車転覆致死罪などで10人が起訴されましたが、その後共産党員9人は無罪となり釈放。松川事件は国鉄と東芝の労働組合員20人が逮捕・起訴されましたが、裁判を通じ14年かかって全員の無罪が確定しました。

支配勢力の総反攻(76年〜80年)
 
 不破さんの講演は、60年代以降に進みます。
 日本共産党は、50年代の旧ソ連の干渉、党中央の解体と党分裂の事態を克服し、61年に現在の党綱領の原型となる綱領を確定しました。綱領は、日本社会の「二つの害悪」――異常な対米従属と財界・大企業の横暴な支配を取り除く変革の道筋を打ち出しました。
 当時、大問題になったのは安保条約の改定問題でした。改定では、独立国らしい体裁がほしい日本側が基地の使用や出撃は事前協議するという方針を要求。実際は、核兵器搭載艦船の寄港は対象外とする「密約」が結ばれました。米側は、育成した自衛隊を使えるように日米共同作戦条項を盛り込みました。
 国民はこのごまかしと危険を察知して、安保改定反対の大国民運動がおきました。
 当時は「社会党から分裂し、一番右といわれた民社党も『駐留なき安保』の立場をとりました。安保条約の現状で結構なんていう野党は一つもなかった」状況でした。
 経済はどうか。60年に「国民所得倍増計画」を決定した池田勇人内閣の政治は、まさに大企業応援そのものでした。ところが、「大企業応援の政治は困る≠ニいう立場に賛同する野党は日本共産党以外ありませんでした」。大企業を応援しないと成長しない≠ニいう迷信がそのころから吹き込まれ始めたからです。その弊害が鮮明になるのは、日本中が公害列島化してからでした。
 「安保の問題でも大企業の問題でも、正論を主張する日本共産党の人気がぐっとあがり、占領期に続く2度目の急上昇がおきたのです」(不破さん)。一時は総選挙で議席ゼロ(52年)というところにまで落ち込んだ日本共産党が、69年総選挙で319万票・14議席を獲得。続く72年総選挙では563万票・39議席へ躍進するなど政治の激変が訪れました。
 「そういう激変がおきると、やはり支配体制は動くものなのです」。不破さんはグラフに示された2度目の支配勢力の総反攻とそれとのたたかいに言及します。
 76年1月の国会では民社党の春日一幸委員長が代表質問で、戦時下の暗黒裁判である宮本顕治氏の治安維持法違反事件を使って大反共演説を展開。それをバックアップするように雑誌論文でも共産党は暴力革命の党だ、怖い党だ≠ニいう連載が1年かけて行われました。「まず『共産党は怖い党だ』と宣伝して、国民と共産党の間にくさびを打ち込もうとしたのです」。占領期と同じやり方です。
 「しかし、この時代は、すでに日本共産党の素顔がわかっていますから、そういう宣伝戦をやってもそれだけでは簡単に国民には響きません」(不破さん)。76年総選挙で日本共産党は19議席に減らしましたが、吹き荒れる反共攻撃とたたかって79年総選挙では41議席へと伸ばしました。
 地方政治の分野でも、60年代後半から70年代前半にかけて革新知事が9都府県に拡大。75年のいっせい地方選挙の時点では、革新自治体は205に広がり、人口約4700万人、日本の総人口の約43%が革新自治体で暮らすところまできました。さらに国政でも、70年代後半には日本共産党と社会党との党首会談で、革新統一戦線の問題をめぐる合意が結ばれるところまで進みました。
 冒頭に指摘した「階級闘争の弁証法」は続きます。「支配勢力はこのままでいくと革新統一戦線が本当にできて国政でも負けるかもしれない≠ニいう危機感をさらに強めます。春日質問で開いた反共攻撃にくわえ、政界工作をやったのです」
 その政界工作こそ80年1月、社会党と公明党が結んだ「社公合意」でした。「社公合意」の最大の特徴は、自民党批判は明記せず、「日本共産党は、政権協議の対象にしない」と日本共産党排除だけを明確にしたことでした。そして「政策の大綱」では、安保条約の存続を容認する態度をとりました。
 「これによって公明党はもちろん、社会党まで自民党政治の方に引っ張り込んだ」のです。

「オール与党」体制/自民党政治の危機と地殻変動
 
 「社公合意」以後の80年代の国会は、革新は共産党だけ、他党は自民党政治の土俵の上という「オール与党」体制になりました。
 この体制のもと、中曽根康弘内閣は対ソ戦で日本を「不沈空母」にするとアメリカに約束。軍事費を大膨張の軌道に乗せました。がた落ちだった財界の信用もメザシの土光(経団連名誉会長)≠演出した「臨調行革」で挽回(ばんかい)。臨調のお墨付きでゼネコン政治を再びおおっぴらに軌道に乗せました。
 「そうなるとやはり前と同じ現象がおきるのです」と不破さんが紹介したのは、その後の「地殻変動」です。
 88年、1議席を争う大阪の参院補欠選で日本共産党の吉井英勝氏が勝利。翌年の千葉県知事選、名古屋市長選でも日本共産党単独推薦の候補が「オール与党」候補に迫りました。しかし、マスコミが「地殻変動」と評したこの動きは中国の「天安門事件」、ソ連・東欧の崩壊を利用した共産党攻撃で抑え込まれます。

「非自民」政権の瓦解から共産党の躍進へ
 
 その間も、自民党の腐敗したゼネコン政治の危機は拡大しました。未公開株譲渡で政界が汚染された「リクルート事件」、ヤミ献金で公共事業がゆがめられたゼネコン疑惑が続出。金丸信副総裁が逮捕され、自宅から金ののべ棒が出てくるなど時代劇≠ウながらの展開になりました。
 そこで、自民党に代わる政権の受け皿として誕生したのが「非自民」連合です。日本新党、新党さきがけ、そして自民党元幹事長の小沢一郎氏の新生党と、続々と新党づくりの波がおこりました。この三つの新党と、社会、公明、民社、社民連、参院会派の「民主改革連合」をくわえた8党派が、政策は自民党政治の継承で合意。新党ブームに乗り、93年総選挙で政権交代を果たします。マスメディアの世論操作も強烈で、テレビのインタビューでも「あなたは自民か、非自民か」と不破さんにさえ詰問調。「非自民であらずんば人にあらず」といった風潮がつくられての結果でした。
 しかし、この内閣も「基本政策は自民党を踏襲」を公然と看板にした政権で、1年足らずで崩壊。小選挙区制を導入して「二大政党」体制づくりをめざした「非自民」連合は分裂し、離合集散を繰り返して多党化しました。
 98年1月のNHK野党討論会に13もの政党(注)が集まったと振り返り、その名前を読み上げながら、「みなさん、そのなかでいくつ覚えていますか」と問いかけた不破さん。「今ワシは何党かねと秘書に聞き」という当時の川柳を紹介すると、会場から爆笑がおこりました。
 「『社公合意』で共産党以外の全政党が自民党政治の土俵に乗ったから、どの党も自民党と組める。自由勝手に別れることもできる。政治がすべて、安保条約絶対型・大企業応援型の自民党政治の土俵の上での政局になってしまったのです」
 この中で、再び「急上昇」したのが日本共産党でした。共産党と書くときに手が震えた≠ニいう壁を乗り越え、96年の総選挙で726万票、98年の参院選で819万票を獲得。衆院で26議席、参院で23議席を占めました。日本共産党を入れた野党連合政権が現実味を帯びました。

13の政党
 日本共産党、民主党、自由党、新党平和、国民の声、新党友愛、太陽党、改革クラブ、フロムファイブ、民主改革連合、黎明クラブ、公明、第二院クラブ

「二大政党」選挙を看板にした新たな総反攻
 
 そこでまた、支配勢力の新たな総反攻が動き出しました。
 第1段階は、過去2回の反攻と同じく「国民と共産党の間にくさびを打ち込む」ことでした。2000年の総選挙で、「共産主義の真実」「共産主義にだまされてはいけない」などとした出所不明の謀略ビラやリーフレットが全国で60種類以上、1億枚を超える規模で配布されました。すべてカラー刷り、おそらく何十億円のお金を使って街の雰囲気をガラッと変えたのです。
 第2段階も、過去と同じく、「共産党排除の政治体制づくりで仕上げる」ことでした。財界が直接乗り出し、選挙方式を「二大政党」による「マニフェスト(政権公約)」選挙に切りかえるという大作戦に総がかりで取り組みました。
 こうして03年総選挙の直前に、財界の肝いりで民主党と自由党を合併させ、強引に「二大政党」の形をつくったうえで、「マニフェスト」方式を持ち込んで、議員を選ぶ選挙を「首相を選ぶ」選挙に根本的に切りかえたのです。首相を出す段階にない政党を国民の選択肢から排除する狙いです。
 「こうしてみてくると、共産党をいかに抑え込むかが支配勢力にとって政治の中心問題であることがわかると思います。そのために選挙制度を小選挙区制に変え、選挙のやり方も変える。共産党と支配勢力の対決を軸に動いてきたのが、グラフのこの波なのです」

民主党政権は国民の失望の波にのみこまれつつある
 
 「共産党を抑え込んで政治がちゃんとするなら、共産党が残念だというだけで天下泰平かもしれません。しかし、そうはならないのです」。不破さんが語ったのは、その後の自民党政治と現在の民主党政権の惨状です。
 「自民党をぶっ壊す」と「劇場型政治」で観客を喜ばせた小泉純一郎内閣。実際には、アメリカと財界いいなりにイラク戦争賛成・海外派兵・社会保障切り捨てを進め、潮時が来ると退場しました。後を継いだ安倍晋三・福田康夫・麻生太郎内閣は「劇場」にかける出し物をもてず、国民の支持を失いました。
 2009年、「政権交代」を一枚看板に、同じ劇場政治のやり方で自民党政権にせまっていた民主党が、総選挙でついに政権に到達しました。これは、民主党の政権党としての能力が、国民の前でじかに試される時代に入ったということです。そして民主党政権下の初の国政選挙、2010年の参院選を迎えました。「政治とカネ」疑惑の的となった鳩山・小沢両氏をはずし、新体制で選挙に取り組んだ民主党でしたが、3年前に得た参院の多数を失う大敗を喫しました。
 選挙後も、国民のあいだでは、急速に民主党政権への失望がさらに広がり、この政権は失望の波にのみこまれつつあります。
 失望の中身は二つ。一つは自民党政治と変わりがないということです。「もともと大部分は自民党政治の中で同じかまの飯を食ってきた人たちです。自民党政治と同じだというのはまさに正解です」と不破さん。
 もう一つは、民主党に綱領的展望がないということです。
 不破さんは、政権獲得というお題目一つで集まった合成政党だから綱領を持てないのだと指摘。憲法問題でも正面改定#hから、現行でも国連の看板があれば海外での武力行使も可能という人までバラバラ。「前の大臣が八ツ場(やんば)ダムは『ダメ』といったのに、人が代わると『ダメとはいわない』と、コロコロ変わる」ありさまです。
 尖閣問題・千島問題では、国益を守る意思も、それを通す道理や確信もなく、自民党の弱腰外交を引き継いでいることから、現在の右往左往がおきていると語りました。
 「安保条約絶対型・大企業応援型の政治の土俵の上で政権交代をしたらどうなるかを、日本の国民が自分の目で経験したのは本当に大事なことです。この経験は日本の将来に必ず生きると思います」

日本の政治はいまどんな地点に立っているか
 
 こうした歴史を経て日本の政治がいま、どんな地点に立っているか。不破さんは二つの角度から解明しました。一つは崩壊の極点に近づきつつある財政危機です。
 1980年代に仕込まれた軍拡・ゼネコン政治は90年代に花盛りになり、財政危機が急激に進み、小渕恵三首相は「借金王」を自称しました。
 ゼネコン政治に輪をかけたのはアメリカでした。海部俊樹内閣が10年間で430兆円の公共投資をアメリカに約束し、村山富市・橋本龍太郎内閣がさらに630兆円に増額させました。
 軍事の浪費も進みました。50dもの重量で道路を移動できず、北海道での対ソ戦以外には使えない90式戦車300両をソ連崩壊後も製造し続けました。
 国・地方の長期債務残高は対GDP(国内総生産)比で90年代に100%を超え、本年度末には181%に達しようとしています。不破さんはグラフを指し示しつつ、「この借金の増え方は、金もないのに軍備を拡大した戦争中の日本に非常に似ています」と指摘します。
 戦争中の国の債務の対GDP比は、31年の満州事変から37年の中国全面戦争までは50〜60%だったのに、対米戦争とともに100%を突破。戦争末期には204%に激増しました。
 「それが爆発して、戦後は大インフレになりました。現在の数字は地方の債務を含んでいるので単純に比較できませんが、それに近いところまできている。これが『社公合意』以来30年間の自民党政治の到達なのです」
 もう一つは、世界の変化への逆行です。
 軍事同盟は世界から消えつつあります。ベトナム戦争で米軍の拠点となったフィリピンにも、もはや米軍基地はありません。核不拡散条約(NPT)再検討会議ではフィリピン代表が議長役を務め、外交力を発揮。国の大小や軍事力でなく、平和をめざす外交の力がものをいう世界への変化が進行しています。
 「ところが日本は日米安保の核の傘の下にいるために核問題でも外交力を発揮できない。いまでも軍事同盟に縛られ、広大な基地を置いているのです」
 経済社会の異常性も拡大しています。
 ヨーロッパの資本主義では当然のルールが日本にはありません。ソニーの盛田昭夫会長は92年、「日本型経営」の異常について▽長時間労働▽給与水準が低い▽下請けとの関係が親企業本位▽地域社会への貢献に消極的▽環境保護が弱い―と列挙し、ヨーロッパやアメリカの資本主義にたいして顔向けできない、このやり方は世界では通用しない、しかし一企業の力ではやれないからと、社会でのルールづくりを求めました。
 「盛田さんが警告した時点と比べれば、ヨーロッパとの格差はさらに広がっています」と不破さんは強調します。97年以降、労働者の平均賃金は低下する一方、大企業の内部留保は142兆円から244兆円に100兆円も増えています。ところが、民主党政権も大企業を応援しないと成長しない≠ニいう迷信をむし返し、国民には消費税、大企業には法人税減税の態度です。
 「こういう閉塞(へいそく)状況を生み出した日米安保条約絶対・大企業応援優先という政治の土俵に、ここまで来てもまだ固執するのか、それともそれを変えるために力を尽くすのか。私はいま、このことが政治に問われていると思います」

社会の害悪を乗り越える力は必ず生まれる
 
 不破さんは、「いつの時代についても明るく語れるのはなぜか」と、「読売」の「時代の証言者」の取材で問われ、「革命的楽天主義は社会を変えようと志すものの本性」と答えたと紹介。「社会に害悪があれば必ずそれを乗り越える力は生まれる」とのべて、次のように結びました。
 「歴史を開くのは主権者国民の自覚と運動です。日本の未来をめざす国民の探求は私たちの願う国政革新の路線と一歩一歩合流してゆく、その時期が一日一日近づき、その足取りが政治の日々の展開の中に響いています。歴史は人間がつくるものです。新しい政治を開く先頭に立っているという確信、日本の政治史に深く裏付けられたこの確信を胸に、広い視野と展望を持って力を尽くそうではありませんか」
 大きな拍手が不破さんを包みました。

参加者の感想から/「革命的楽天主義に元気もらった」「歴史は共産党の前進求めている」
 
 不破さんの講演当日、140枚を超す感想文が寄せられました。
 「まるで見てきたかのように歴史を流れでつかむことができたのは、その時代を活動家として生きてきた不破さんの話だからこそだと思います」(滋賀・24歳・女性)、「最近の選挙の動きに、いかに近視眼的に一喜一憂していたか。『革命的楽天主義』の言葉に元気を与えてもらいました」(栃木・71歳・女性)と、政治史の大局的な流れを浮かび上がらせた講演に励まされたとの感想が相次ぎました。
 「現在の財政危機を第2次大戦のころと比較され、大変な世の中になっているのだと思いました」(新潟・79歳・男性)、「ソニーの盛田さんの話のところは説得力があった」(新潟・48歳・男性)、「マニフェスト選挙=首相選択の選挙=議員を選ぶ選挙の否定という構造の解明は新鮮だった」(新潟・65歳・男性)と、新たな認識の獲得を喜んだ人。「47年に入党し、60年余をたたかってきた自分の人生を総括していただいた気持ちで、深い感慨を覚えました」(千葉・83歳・男性)と、政治史と自分史を重ね合わせた人…。
 若い世代も、「政治を変えようとする動きと、悪いままでいようとする力がせめぎあっていること、変えたいという国民の願いの先頭に立っているのが共産党だということがよくわかりました。特にこの30年は異常な方向へ力が働いている。だからこそ、それを変える共産党が大きくなることが歴史的に求められていると思いました」(大阪・31歳・男性)など、多数の感想文を寄せました。
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2010年11月12日,「赤旗」) (Page/Top

赤旗まつり/見た、聞いた…驚いた/歴史の変化実感/群馬の若者


『蟹工船』の原稿に「どれどれ」、八ツ場ダム展示、「味の店」…
 晴天に恵まれた6日、群馬県の青年支部と民青同盟などの若者たち11人は、東京都江東区で開かれている第40回赤旗まつりに参加しました。メンバーのほとんどは、初めての参加です。
 (日恵野香)
 
 「あんまりにも広くて迷っちゃいそう。地図を見てもどこにいるのか、よく分からない」と、待ち合わせにも一苦労。全員そろったところで、早朝出発のために眠い目をこすりながら日本共産党展へ向かいました。
 ずらりと並ぶパネルを、それぞれじっと見つめます。時折、「外国はどうしてこんなに経済成長しているの」「国民に還元できるようにしているからだよ」など疑問や感想を交わします。
 小林多喜二の『蟹工船』の原稿や宮本百合子の手紙の展示に、「わあ、これ本物?」「どれどれ?」とケースをのぞきこみました。
 36歳の男性は「戦前から現代までの社会が、ずいぶん変わってきているなあと改めて実感する」といいます。
 弾圧で命を落とした女性たちを紹介するパネルを食い入るように見つめていた女子学生(22)は、「男性の活動家が拷問を受けた話は聞いていたけど、女性もひどい拷問を受けて命を落としたと知って…衝撃です」と言葉を詰まらせました。「戦時中でもすごい活動をしていたんだなあと思いました」と話しました。
 日本共産党展を見終わり、建物を出ると、正面に地方政治展のパネルが目に飛び込んできました。
 「あ、八ツ場(やんば)ダムだ!」と民青同盟県委員長の伊藤達也さんが声をあげると、メンバーの女性が「ほんとだ。地元の問題がこうやって紹介されてるんだ」と関心を寄せ、少し歩をゆるめてパネルに目を通しました。
 「赤旗」と社会の歩みを学んだ一行は日本全国の食文化を学びつつ腹ごしらえをすべく「ふるさと味の店」へ。「すごーい、こんなに分厚い牛タン!」と歓声をあげたり、「ちょっと食べてみる?」とお互いの食事を分け合って全国の名物を味わいました。讃岐うどんを買ってきた男性は、高校生に「これはどこの名物でしょう。当てたら食べていいよ」とクイズを出して交流する場面もありました。
 若者の広場では、埼玉県の男性2人組が民青同盟の専従者の生活をロックに歌い上げるバンド演奏に、「専従の人の1日がよく分かる、面白い歌ですね」と、ショートカットの女性(26)は拍手を送りました。
 一家で参加した高校2年生の女性は、民青同盟中央委員から「『第五福竜丸』が展示してあるんですよ」と聞き、「行ってみたい」と父と妹と一緒に反核・被爆資料館へ足を運びました。
 資料館に入るなり、目に飛び込んでくる白い船に「おおー…でっかい」と思わず声をあげました。ビキニ環礁での水爆実験の概要や被ばくの様子を記したパネル、瓶に保存された死の灰など、一つひとつの展示の前でじっとたたずみます。
 「社会科の教科書には、ほんの1、2行でしか書かれていない。でも、この船に乗っていた人やビキニ環礁で生活している人、どれだけの人が苦しんでいたのかと思うと悲しいです。すごく理不尽。核兵器は絶対なくさないといけない。そのために頑張りたいです」と語りました。
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2010年11月07日,「赤旗」) (Page/Top

赤旗まつり/「多喜二ノート」に釘づけ/戦前の群像勇気でた=^日本共産党展

 「込むといけないと開館1時間前に来て待っていました」。一番乗りは、小林多喜二が大好きという、東京都羽村市から来た石田正男さん(66)でした。
 日本共産党展は「一目でわかる 現実政治を動かす日本共産党」をテーマにした写真やグラフを使った展示と、特別展示として戦前の「赤旗」やビラ、弾圧に屈せずたたかった先輩党員のゆかりの品を展示しています。
 今回初めて党員作家・小林多喜二「蟹工船」の「ノート稿」(複製)が出展されました。
 メモを取りながら食い入るように「ノート稿」を見た石田さんは「多喜二が、大幅な削除や書き直しなど、推敲を重ねて作品が生まれたことがよくわかりました。弾圧にめげず、節を曲げずに生きた多喜二はすごい」と言いました。
 「こころざしつつ たふれし乙女よ」と題したコーナーでは、伊藤千代子、高島満兎、田中サガヨ、飯島喜美が、いずれも24歳の若さで、言語に絶する弾圧の末に亡くなったことに、若い女性の参観者から「私と同じ年で…」と驚きと怒りの声が上がりました。
 東京都文京区から父親と参加した高橋明子さん(25)は、現実政治を動かしてきた日本共産党の活動のパネルに見入っていました。「雇用問題をはじめ、国民一人ひとりの声をしっかり受け止めてくれる党だと思った」と話しました。
 友人とともに参加した埼玉県桶川市の坂本なつ子さん(56)はこう語りました。「先人が弾圧に屈せずたたかったから今の社会や共産党があると感じた。『党名を変えたら』という人がいますが、歴史ある日本共産党としてぶれることなく頑張っていきたい」
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2010年11月07日,「赤旗」) (Page/Top

片山潜碑前祭と党員合葬式開く/岡山・久米南町

 日本共産党の創始者の一人、片山潜の碑前祭(没後77年・生誕151年)と共産党員の墓の合葬式が5日、潜の故郷で、記念碑と記念館がある岡山県久米南町でありました。
 日本共産党岡山県委員会や各地区委員会の役員、合葬された党員の遺族、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部、日本国民救援会県本部の代表が集いました。
 石井ひとみ県委員長は碑前祭で「科学的に、広い視野で日本の政治はどういう地点にあるのか見ることが大事です」と第2回中央委員会総会について語り、「二大政党のどちらが政権についても政治は変わらないことが、明らかになっています。綱領にもとづいて、反戦・平和、国民が主人公の政治の実現をめざしたたかいます」と決意をのべました。
 記念碑に隣接する共産党員の墓で、この一年間に亡くなった10人の党員が合葬されました。
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2010年11月06日,「赤旗」)

小作争議の地訪ねるツアー/北秋田

 秋田県の「阿仁前田村小作争議」(1925〜29年)の地を訪ねる学習ツアーがこのほどおこなわれました。治安維持法国賠同盟秋田支部女性部が呼びかけたもので、29人が参加しました。
 同小作争議は、阿仁前田村(現北秋田市)の大地主・庄司家と農民とのたたかい。ツアーは、庄司家の屋敷や農民組合闘争本部跡などを巡りました。
 学習・交流では、農民運動史研究者の近江谷昭二郎氏が「阿仁前田小作争議をたたかった農民たちの反骨魂から学ぼう」と題して講演。「今年の米価が記録的下落となったが、政府は何の対策もとっていない。小作争議をたたかった農民たちの不屈の歴史を学ぶことは、今日的な意義がある」と述べました。
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2010年11月03日,「赤旗」) (Page/Top

韓国併合100年/「日本はいつ謝罪」/旭川で講演会

 「併合100年、日本と韓国・朝鮮」講演会が10月30日、旭川市で開かれ、40人が参加しました。主催は歴史教育者協議会旭川支部で、春から日本の韓国・朝鮮に対する植民地支配の歴史を研究してきましたが、今回、市民向けの講演会を開きました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部の宮田汎会長が、8月に韓国を旅行して撮影した写真のスライドを使って講演しました。
 日本軍の性奴隷として被害を受けた女性が暮らしているナヌムの家を訪ねた時、「長生きしてくださいね、とあいさつすると、90歳くらいのハルモニ(おばあさん)の一人が『あと何年生きたらいいの。日本はいつ謝罪してくれるの』と叫びました。私はどう答えていいか、絶句してしまいました」と語りました。
 宮田氏は「ハルモニたちは、毎週水曜日、日本大使館前で抗議の座り込みをしています。これまで18年間981回も続けてきたそうです。でも大使館側はそっぽを向くだけと聞きました」と、日本の植民地犯罪が今日まで継続している事実を報告しました。
 また、治安維持法で死刑になった朝鮮人は54人にもなることにふれ、一方では朝鮮を愛し、朝鮮人とともにたたかって治安維持法で弾圧された青森出身で函館の加藤貫一弁護士、朝鮮の小学校で教師をし、釧路で連行された朝鮮人の力になった上甲米太郎ら日本人の活躍も紹介しました。
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2010年11月03日,「赤旗」) (Page/Top

第40回赤旗まつり/分野別後援会のテント、交流会など企画

 目前に迫った第40回赤旗まつり(6、7日、東京都江東区の「夢の島公園」)では、労働者、業者、女性など各分野の日本共産党全国後援会がそれぞれのテントを設け、テント開きや交流会をおこないます。それぞれの後援会テントは、中央舞台に向かって左側にある「中央タテ線後援会」の場所にあります。
 
 ▽労働者後援会テント 6日正午〜テント開き・交流会
 ▽教職員後援会テント 6日午前11時〜テント開き
 ▽医療労働者後援会テント 6日午後0時30分〜交流会
 ▽自治体労働者後援会テント 6日午前11時30分〜テント開き
 ※東京の労働者後援会テントでは、単産別に集いを持ちます。
 ▽全国業者後援会テント 6日午前11時〜テント開き、正午〜国会議員を迎えての交流会、午後3時〜交流会、7日正午〜国会議員を迎えての交流会
 ▽医療後援会テント 6日午後3時30分〜4時30分 小池晃さんを囲む医療者の集い、午後4時30分〜懇親会
 ▽全生連有志後援会テント 6日午後3時〜集い(「『地域主権』で国保が危ない」)
 ▽市民・住民運動後援会テント 6日正午〜ハンセン病問題を考える、午後4時〜高齢者の集い、7日正午〜公害・環境団体交流会
 ▽患者・障害者後援会テント 7日正午〜午後1時 国会議員を囲んでの交流会
 ▽女性後援会テント 6日午前10時〜テント開き、7日正午〜地方選挙勝利めざす女性の集い(候補者・国会議員が参加)
 ▽大学人・研究者後援会テント 7日正午〜集い「今宮謙二さんと語ろう 学問のこと、日本共産党のこと」
 ▽文化テント 6日午前11時〜歌人、午後2時〜文学、午後5時〜美術関係者が集まります。7日午前11時〜文化後援会(宮本岳志衆院議員のミニ講演)、午後2時〜詩人、午後4時〜写真関係者が集まります。
 ▽レッド・パージ反対全国連絡センター、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟テント 6日正午〜交流会、7日正午〜交流会
 ▽農業・農民後援会 7日午後3時〜ふるさと・産直通りで集い
 ※両日、国民運動委員会テントで各種案内、入党相談をおこないます。
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2010年11月03日,「赤旗」) (Page/Top

10月】(ヘッドライン)

いよいよ赤旗まつり/11月6、7日、東京・夢の島公園

第40回赤旗まつり/お楽しみのくじ引き/沖縄平和ツアーなど豪華景品も

ハルモニたちが語る人生/在日コリアンと市民交流/つらさ・悲しみ・怒り共感/日韓史勉強していきたい/川崎

治維法国賠同盟支部が墓参会/秋田

多喜二「蟹工船」自筆ノート稿/「赤旗まつり」特別展示への期待/島村輝

朝の風/「蟹工船」のノート稿を展示

長野・上田で山宣碑前

百合子15通の手紙寄贈/党本部に関係者/戦時中の交友

多喜二の集い/足立で110人/東京

第40回赤旗まつり/日本共産党展/政治動かす力再確認

野呂栄太郎碑小公園で剪定/北海道・長沼町

鶴彬の人生語り継ごう/宮城・塩釜講演会

ひとインタビュー/ジャズピアニスト小曽根真さん/来年4月から大学教授に/ショパンにもジャズ発見

花岡事件と多喜二に学ぶ/2団体がツアー/秋田・大館

レッド・パージ名誉回復を/岩手で同盟を結成

10月本文】(Page/Top

いよいよ赤旗まつり/11月6、7日、東京・夢の島公園

 第40回「赤旗まつり」(11月6〜7日、東京都江東区「夢の島公園」)がいよいよ、1週間後に迫りました。子どももおとなも楽しめ、希望と元気がわく「まつり」です。日本共産党の姿を丸ごと知ってもらい、交流を深めましょう。誘いあってご参加ください。

子ども広場って楽しい
 
 「子ども広場」は、遊びの王国=B楽しい企画が盛りだくさんです。

★こどものぶたい
 人形劇団プーク「ピーターとおおかみ」は、2日とも午前と午後の2回上演します。ロバの音楽座によるやさしい音色の音楽と人形たちが織りなす新しい人形劇の世界です。
 SAKUのコミカルパフォーマンス、中田一子とサンバルクイナの「ミラクル玉手箱」、しろたにまもるとゴローちゃんの腹話術、笛師九兵衛の「おもちゃ箱コンサート」、TOTTAのクラウンショー、女流棋士・北尾まどかの「どうぶつしょうぎ」…。多彩な出演者が次つぎと登場します。

★遊具コーナー
 100bの線路を走るミニSL、大型フワフワ、高い場所から豪快に滑るスプラッシュスライダーもあります。

★手作り・遊び
 ビー玉万華鏡、ベイゴマ遊び、段ボールの秘密基地≠テくり、どろだんご色遊び、人形、折り紙、缶バッジ、ペットボトルの「水ロケット」などを手作りします。

★その他
 腹話術、大型紙芝居、似顔絵、おもちゃや本の福袋のバザー。子育て世代が交流する「ほっこりカフェ」(6日、こどものぶたい)も開きます。

★キッズルーム
 授乳やおむつ交換ができ、幼児用遊具があります。
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*一部に実費が必要なものがあります。

日本共産党展の魅力
 
 日本共産党展は、写真やグラフ、貴重な資料など、見てわかる展示が魅力です。
 今回のテーマは「現実政治を動かす日本共産党」。日本共産党が国政で果たしてきた役割について、時代ごとに展示。草の根の国民とともに、現実政治を動かしてきた軌跡をたどります。
 特別展示では、戦前の党と党員の姿を紹介。小林多喜二の創作ノートや戦前の「赤旗」(せっき)などを間近に見ることができます。

記念グッズはエコに
 
 記念グッズは今回、エコバッグ(3種類、500円)と、タンブラーにもなるマイボトル(350_g、650円)です。どちらも、「赤旗」日刊紙で人気の4コマまんが「まんまる団地」(作者・オダシゲさん)のキャラクター入り。伝統の注染による「記念てぬぐい」(350円)もあります。

あと1週間。楽しみです

■「しんぶん赤旗」は30年間、読んでいますが、「赤旗まつり」は初めて参加します。友人が誘ってくれたんです。あれも、これも見たいと、子どもに返ったように、期待に胸を膨らませています。志位委員長の記念演説は、はずせません。(北海道・鈴木隆さん=55歳)
■民青同盟の仲間と一緒に参加します。3年前に入党したので、初めての参加です。日本共産党が全国の力を合わせてつくる大きなまつりだと聞いています。不破さん(社会科学研究所所長)の「科学の目」講座には、ぜひ参加したい。物産模擬店を見て回るのも面白そうです。(静岡・酒井政和さん=32歳)
■夫婦で参加します。「赤旗まつり」があると知ったときから、毎月5千円ずつ積み立てています。本とバッグと靴を買う予定です。音楽が好きなので、中央舞台も楽しみです。(東京・土屋光子さん=58歳)
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2010年10月31日,「赤旗」) (Page/Top

第40回赤旗まつり/お楽しみのくじ引き/沖縄平和ツアーなど豪華景品も

 赤旗まつり恒例の、くじ引きを今回もおこないます。参加券1枚につき1回、くじを引くことができ、はずれなしです。
 沖縄平和ツアー(1組2人分)、カタログから選べる農民連の取扱商品、宮本百合子全集、小林多喜二全集、資本論全巻、写真集『白籏史朗 魅せられし山々』など、豪華景品を用意しています。
 「くじ引き景品提供のお願い」の本紙(10月18日付)の呼びかけにさっそくこたえて、新潟・魚沼産コシヒカリ新米100`(2`入り50セット)、静岡産コシヒカリを送ってくれた人、120ダースの鉛筆を送ってくれた文房具店主もいます。
 くじ引き場所は、中央通り、かもめ橋通り、多目的広場の3カ所です。
 「まつり成功のために自分も協力したい≠ニいう思いが伝わって胸が熱くなります。参加者のみなさんにもぜひ、まつりを楽しんで、くじの景品も楽しんでほしい」と担当責任者の上中敏夫さんはいいます。
 係では、ひきつづき、景品を募集しています。11月2日必着(党本部あて)でお願いします。
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2010年10月31日,「赤旗」) (Page/Top

ハルモニたちが語る人生/在日コリアンと市民交流/つらさ・悲しみ・怒り共感/日韓史勉強していきたい/川崎

 在日コリアンのハルモニ(おばあさん)たちの生きてきた歴史を学び、理解と友好を深めようという集い(23日)が、川崎市で開かれました。120人余が参加したこの集いで語ったハルモニたちの思いと、交流は―。
 (寺田可奈)
 
 川崎市川崎区の南部地域には、在日コリアンの人たちが多く住んでいます。在日1世の多くが、強制連行などにより戦中、1940年前後に来日し、戦後も経済的な理由や、朝鮮戦争の影響などさまざまな理由で帰国することができず、日本で暮らしてきました。

差別と戦争の中を
 集いは、在日コリアン高齢者クラブ「トラヂの会」交流センターを、市民が訪問する形で開かれました。「トラヂの会」、川崎母親連絡会、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟川崎支部などが共催しました。
 「トラヂの会」は、川崎市ふれあい館(運営・社会福祉法人青丘社)の活動の一つです。会では食事会、識字学級などで、在日コリアンの高齢者が交流を深めています。88年に開館した、ふれあい館は、現在、児童福祉、社会教育、高齢者福祉など地域コミュニティーの拠点となっています。
 あいさつに立った、ふれあい館館長の三浦知人さんは「ハルモニたちは、差別と戦争の中を生き、川崎の『発展』を重労働で支えてきました。国民年金に加入できず、困難な課題を抱えていますが、みなさんとてもパワフルです。ハルモニたちがこの地で、たくましく生き抜いてきたことを知ってほしい」と語りました。
 集いでは3人のハルモニが自分史を語りました。
 金福必さん(87)は、「今も、夜寝られないことも多いよ」と、18歳で渡日し、大阪で空襲にあい、子どもを連れて逃げ、炭焼きをしながら暮らしたこと、戦後は農家の手伝いをしながら生き抜いてきたことを語りました。
 徐類順さん(84)は、14歳の時に母親と渡日。トンネル掘りなどの仕事に従事し、戦後、韓国へ帰国したものの、朝鮮戦争で家を焼かれ食べるものもなく、再渡日したと語りました。
 金芳子さん(79)は、5歳で渡日。「学校で『くさい』といわれたことがつらかった」と語りました。炭鉱で働く母のもとへ、乳児の妹を授乳に連れていく必要から学校をやめ、12歳ぐらいから炭鉱で働いたと語りました。

自分にできること
 質疑応答で、「当時の日本人はどう接していたのか」という問いに対し、「悔しいのは、『何で朝鮮人がいるのか。自分の国に帰れ』といわれたこと。子どもがいじめられたり、勉強道具が盗まれたりしたのは、今も悔しい。学校の先生からも『仕方ないこと』と言われた」と語ると、会場がどよめきました。3人の語りを補足した、ふれあい館識字学級の鈴木宏子さんは、「わが身一つを武器に生きてきた彼女たちは、情愛深く、潔く、気高い人たちです」と語り、「話を聞いて、自分に何ができるかを考えてほしい」と呼びかけました。
 参加者は、「多くを語らない中につらさ、悲しみ、怒りの大きさを感じた」「過去のことをあまり知らずにきたが、人間としてみな同じ地球で生きているのだと今日ほど思ったことはない」「日韓の歴史を勉強していきたい」などの感想を寄せました。
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2010年10月29日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟支部が墓参会/秋田

 秋田県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟湯沢雄勝支部東部班(稲川・皆瀬・東成瀬地域)はこのほど、「昭和・平成に逝った同志たちの墓参会」を行いました。
 会には18人が参加。同地域で議員や候補者などとして奮闘した13人の故人の墓参をしました。
 墓参会の後に行われた「偲ぶ会」では、故人の生前の写真などを見ながら思い出を語り合いました。
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2010年10月28日,「赤旗」) (Page/Top

多喜二「蟹工船」自筆ノート稿/「赤旗まつり」特別展示への期待/島村輝


血のにじむような文学的営みの痕跡
 11月6、7日の2日間にわたって東京・夢の島公園で催される第40回「赤旗まつり」に、小林多喜二の小説「蟹工船」の自筆ノート稿が展示されることになった。今回「複製」とはいえ、1983年10月の「赤旗まつり」での「没後50年記念小林多喜二展」で初公開されてから27年ぶり、2回目となる。2008年に社会現象にまでなるほどの注目を浴びた「蟹工船」の草稿部分が、多くの人々の集う場に出展されるのは、まことに喜ばしい。文庫本などの整えられた本文とは違って、多喜二のノート稿類には、普段一般読者の目に触れることのない、作家の血のにじむような文学的営みの痕跡が、赤裸々に残されているからである。このノート稿を多くの人が見ることで、「蟹工船」という作品についての従来の読み方が、変わってしまう可能性もあると考えられる。

登場人物には名前があった
 扉の「蟹工船」というタイトルの直下には、社会主義思想の象徴としての「鎌とハンマー」による図像が描かれ、署名の強い筆圧から作者の込めた思いが読みとれる。メモや本文の一部には登場人物の名前が見られ、最終ページには「浅川」の姓の人物の名があるなど、手塚英孝(作家)による『全集』解題では触れられていない情報は多い。構想では一人一人を描き分けようとの意図があったのだろうが、おそらく稿を進める間に、労働者たちを「集団」(グループ)としてとらえ、名前を書かないという方法にいたったものと思われる。
 また、完成稿では削除されてしまった冒頭の「新聞記事」の後に、当初の段階では、蟹工船に乗って争議を経験し帰ってきた漁夫の一人(小樽時代の恋人・タキの姓「田口」が冠されている)がこの記事を見て、それが真実を報じていないことに憤慨し、自分が見聞きしたことを手記として書くのだという「枠物語」が設定されていたことも分かる。

構想の深化と「語り」の変化
 この「枠物語」は、執筆を進めていく段階で、「手記」であるが故の記述の不自由さを感じた作者の判断で、現在のような語りに変更されたものと思われる。そのことによって映画的な視点移動や、五感を駆使した語りの言葉が可能になったといえるだろう。その他にも下書き段階にあって、完成稿では採用されなかったいくつものエピソードが、草稿には見出される。全編にわたっての、ほとんど原形をとどめないほどに行われた推敲のあとも一目瞭然である。

自筆草稿公開社会的な意義
 作家のノート稿、下書き、浄書稿、その編集者手入れ、ゲラ、その手入れ、初出、初版、その後の収録本などを精密に追いかけていくことは、研究上「社会的テクスト生成論」とでもいうべき、未踏の領域に入っていくことになる。そこには作家個人の内面の問題だけでなく、文学作品が、人間関係などを含めた広義の「メディア」を通じてどのように社会化するのか、そのメディアにどのような「力」が加わってテクストが変形していくのかといった、歴史の力学の解明へのルートがある。弾圧下で執筆した多喜二の場合にはその過程全体がひとつの典型的なケースとして研究の対象になると考えられ、探究の意義はきわめて大きい。多喜二の自筆稿等については、保存と活用のためにデジタルでの複製プロジェクトが始まっているが、今回の「蟹工船」ノート稿展示が、その研究の画期的端緒となることを期待する。
 (しまむら・てる フェリス女学院大学教授) 
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2010年10月27日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/「蟹工船」のノート稿を展示

 赤旗まつりの日本共産党展で、小林多喜二「蟹工船」のノート稿の全ページが複写され展示されます。多喜二の小説執筆は、まずノートに書き、完成したら原稿用紙に清書するというスタイルでした。
 「防雪林」「工場細胞」など多くの名作のノート稿が残っていますが、「蟹工船」もその一つ。これまで研究者やメディアの要望があれば閲覧できましたが、今回のように全ページを多くの人が直接目にすることができるのは初めてです。
 手塚英孝氏の研究などで、「蟹工船」冒頭の部分が大幅に削除され、今のように「おい、地獄さ行ぐんだで!」という印象的な漁夫の言葉から始まるようになったことが知られていますが、ノート稿をみれば、そのことがリアルに分かります。また「蟹工船」の登場人物たちは、「学生上り」「威張んな」「吃りの漁夫」など固有名をもちません。そのあたりがノート稿はどうだったのか、実際の漁夫虐待事件のニュースの新聞切り張りなども。多喜二の作品昇華への試行錯誤の跡が読みとれます。
 多喜二の作家としての苦闘は、閉塞した時代をどう生きるかということと密接にかかわっていました。ノート稿からそのことが伝われば、今に生きる人々への励ましとなるでしょう。
 (聳)
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2010年10月25日,「赤旗」) (Page/Top

長野・上田で山宣碑前祭

 第22回「山宣碑前祭」がこのほど、長野県上田市の山本宣治記念碑前で行われ、90人が参加しました。日本共産党の久保田由夫上田市議があいさつし、山宣の遺志を受け継ぎ、新しい政治の方向を国民と切り開く決意を表明しました。
 記念講演は、近代女性史研究家の米田佐代子氏が「山宣とらいてう―大正デモクラシーの再発見」と題し講演しました。米田氏は、女性の性と命の大切さを訴えた平塚らいてうと、貧困をなくし、産児制限の思想を広げた山宣との共通項は、平和と自由民権、人類の進化にあったと語りかけました。
 山本宣治は1929年3月、暗殺される4日前に上田市の上小農民組合連合会の大会で演説し、治安維持法に命をかけても反対する決意を表明しました。
 山宣の一周忌に農民たちによって建立された記念碑は、官憲による取り壊し命令などの困難に抗して守りぬかれ、1971年に再建されました。
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2010年10月23日,「赤旗」) (Page/Top

百合子15通の手紙寄贈/党本部に関係者/戦時中の交友

 作家・宮本百合子の15通の手紙が21日、日本共産党中央委員会党史資料室(東京・渋谷区)に寄贈されました。手紙は百合子から片岡春江さん(2007年死去・享年100歳)に送られたもの。
 片岡さんの長年の知人であった青木昌生氏が手紙を託され、縁つづきの関係者の了解を得て寄贈の運びとなりました。
 片岡さんは1934年、当時の日本共産党の出版物や文書を英語に翻訳する仕事をしていたため、杉並警察署に治安維持法違反で検挙され、その留置場で百合子と出会いました。釈放後も交友関係は続き、手紙は40年から45年にわたって送られたものです。
 片岡さんの健康を気遣い、家族を思いやり、日々の暮らしを激励する温かさにあふれた内容です。
 〈先日は久しぶりでお目にかかりいろいろあなたの皆さんのお力になってゐらっしゃる御様子を伺って、うれしく存じました〉〈あなたの人生的な、自分を高めまじりけなくする真面目な足どりを感じますから〉〈新しい勉強でさぞ、すがすがしいでせうね〉
 困難な時代に、寄り添い、学び合って生き抜いた様子がしのばれます。
 青木氏は「片岡さんの志を継いで、この手紙を日本共産党の活動に生かし、日本近代文学と宮本百合子さんの研究に役立ててほしい」と語り、手紙を受け取った党史資料室責任者・岡宏輔氏は「15通という多さからも、今後の百合子研究に大いに資するものだと思います」と謝意を述べました。
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2010年10月22日,「赤旗」) (Page/Top

多喜二の集い/足立で110人/東京

 東京都足立区で17日、作家・小林多喜二の活動を知る第5回「あだち多喜二のつどい」(実行委員会主催)が開かれ、110人が参加しました。
 多喜二研究を続けている長谷田直之氏と藤田廣登氏が講演。ピースフラワー合唱団が「蟹工船」をコーラスしました。参加した70代の女性は、「多喜二虐殺までの経過や戦争の恐ろしさを改めて知った」と話していました。
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2010年10月21日,「赤旗」) (Page/Top

第40回赤旗まつり/日本共産党展/政治動かす力再確認

 「党の値打ちが再確認でき、決意を新たにしました」「戦前の先輩たちの遺品を見て胸が熱くなりました」と毎回、参加者を元気づけているのが日本共産党展です。
 第40回赤旗まつり(11月6〜7日、東京・江東区の夢の島公園)でも前回と同じ、BumB東京スポーツ文化館(旧体育館)2階ロビーが会場です。
 今回のテーマは「一目でわかる 現実政治を動かす日本共産党」です。1960年代から今日まで、草の根の力と結んで共産党が国政を前向きに動かしてきた事実を写真やグラフで見ることができます。
 例えば派遣労働です。「労働者派遣法を原則自由化(99年)前に戻せ」の声が、今でこそ大きくなりましたが、最初からこの法案に反対し、国会追及や経団連、トヨタなどへ申し入れて世論を変えてきたのは共産党。その奮闘が展示されます。
 特別展示として、戦前の「赤旗」やビラ、さらに弾圧に屈せずたたかった先輩党員たちゆかりの品々が紹介されます。
 今回初めて登場するのは作家・小林多喜二「蟹工船」の「ノート稿」(複製)です。加筆や訂正を書き込んだ推敲の跡から、多喜二の作品にかけた強い思いが鮮やかに浮かび上がってきます。
 日本共産党展責任者の卜部学さんは「現実政治を動かす共産党がどういう党なのかがわかるだけでなく、党を語る力になる展示をと準備しています。また戦前の品々を間近で見られるのも赤旗まつりならではの魅力です。ぜひお越しいただいてご覧ください」と話しています。
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2010年10月20日,「赤旗」) (Page/Top

野呂栄太郎碑小公園で剪定/北海道・長沼町

 北海道の治安維持法犠牲者国賠同盟南空知支部はこのほど、長沼町に建立されている戦前の経済学者・野呂栄太郎碑小公園の剪定(せんてい)作業を行いました。
 野呂碑を囲む樹木は年々大きく成長していて、剪定作業は大仕事でしたが、お昼までにはスッキリ整備され、野呂氏の理論的業績を誇る小公園になりました。地元の薮田享・日本共産党町議も軽トラックで駆けつけました。
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2010年10月13日,「赤旗」) (Page/Top

鶴彬の人生語り継ごう/宮城・塩釜講演会

 宮城県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟塩釜支部は3日、戦前の川柳作家、鶴彬(つる・あきら)の生涯について語る講演会「鶴彬 こころの軌跡」を塩釜市で開きました。「鶴彬を語る盛岡の会」の牛山靖夫会長が講演しました。
 治安維持法違反で逮捕され、1938年、29歳で死亡した鶴彬について、牛山氏は「短い生涯は、いまだ知られない事実が残されています。治安維持法犠牲者の歴史を掘り起こし、語り継いでいかなければならない」と訴えました。
 参加者は鶴彬の生きざまに感銘を受けていました。
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2010年10月10日,「赤旗」) (Page/Top

ひとインタビュー/ジャズピアニスト小曽根真さん/来年4月から大学教授に/ショパンにもジャズ発見

 演奏会で世界中を飛び回る人気ピアニストですが、来年、大学教授になります。
 4月、国立音楽大学にジャズ専修が誕生。その講師陣の中心として指導にあたります。教員には渡辺貞夫さん(サックス)、山下洋輔さん(ピアノ)をはじめ大物がズラリ。
 「日本でも、大学でジャズを教えられる時代になりました。リズムの大切さを教えたい。音楽はアンサンブルによって共同体になりますが、その会話はリズムだからです」
 ジャズには100年以上の歴史と理論があります。が、学生には「耳で学べ」と説きます。「ああ弾け、こう弾け」とは言わない。
 「うまくなったときが危ない。ジャズはアドリブ(即興演奏)ですから、奏でる人の心がすべて音に出ます。感性を育てないと。Joy(喜び)が大事です」
 *   * 
 ショパン生誕200年の今春、新譜「ロード・トゥ・ショパン」を発表しました。日本とショパンの祖国ポーランドで発売。
 「ショパンは難しいし、きれいな音楽。ジャズを弾く僕には縁遠いと思っていました」
 ところが、ショパンの楽譜や本に接して、考えが変わりました。譜面に祖国の民族音楽をとり入れ、独立革命にもかかわった彼の生涯―。「黒人のつらい思いの中から生まれたジャズに似ている」と感じたのです。
 子どものころからジャズにのめりこみ、クラシックとは距離を置いてきました。しかし近年は、国内の主要なオーケストラとも共演。両者の垣根を取り払おうとしています。
 底知れぬチャレンジ精神は、どこからわいてくるのか。
 「できないことは悪いことではない。ただ、できないことは、生きているうちにできるようになりたい。それが、僕の原動力です」
 *   * 
 劇作家の故井上ひさしさんとの出会いは2000年。「国民文化祭・やまがた2003」のための協奏曲を依頼されました。
 「『書けません』というと、『書けます。やります、というまで私は動きません』と、2時間ねばられました(笑い)」
 それは協奏曲「もがみ」へと結実しました。
 昨年は、戦前のプロレタリア作家で日本共産党員の小林多喜二を描いた戯曲「組曲虐殺」の音楽・演奏を担当。この戯曲は、井上さんの遺作になりました。
 最後の場面のメロディーがなかなか浮かばず、けいこ場の脇でやっと完成させました。俳優陣はその曲を聞いて涙を流し、「芝居の着地点が見えた」と…。
 「井上先生とはもっと一緒にやりたかった。先生のような他人(ひと)の目線で物を見られる人になれたら、素晴らしい音楽ができるはず。少しでも、そこに近づきたいですね」西條正人記者
 撮影・後藤淳

おぞね・まこと=1961年、神戸市生まれ。米国バークリー音楽大学卒。11月5日=東京オペラシティコンサートホールрO570(06)9960カジモト・イープラスほか、コンサート「ロード・トゥ・ショパン」を全国ツアー中(曲*マズルカ第13番、ワルツ第6番「子犬」など)。http://www.ozone−chopin.com
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2010年10月03日,「赤旗」) (Page/Top

花岡事件と多喜二に学ぶ/2団体がツアー/秋田・大館

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟湯沢雄勝支部と湯沢雄勝革新懇が9月27、28の両日、大館市内で「花岡事件・小林多喜二から学ぶツアー」を行いました。
 16人が参加し、同市花岡町、釈迦内、川口などの花岡事件と多喜二のゆかりの地で、「花岡の地・日中不再戦友好碑をまもる会」案内サークルや「小林多喜二をふるさとで読む会」のメンバーらから、説明を受けました。
 花岡事件は、戦争中の中国人強制連行事件の一つで、鹿島組花岡に配属された986人(乗船)中419人が過酷な労働と虐待、蜂起への弾圧、拷問などで死亡しました。
 参加者からの「被連行中国人に終戦を知らせなかったのか」の質問に、説明者らは、「知らせないでそのまま働かせた。だから45年9月以降も死者が相次いだ。中国人らはB29が花岡観音堂にあったオーストラリア人などの捕虜収容所に慰問物資を投下したのを見て終戦を知ったといっている」などと説明しました。
 国賠同盟同支部の沼倉昭二会長は、「日本政府の戦後補償問題を考え、支部の佐藤和喜治事務局長がかかわった花岡事件を告発する活動の発端の現場を見たいと企画した。非常に有意義な旅だった」と話しています。
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2010年10月01日,「赤旗」) (Page/Top

レッド・パージ名誉回復を/岩手で同盟を結成

 岩手県レッド・パージ被害者名誉回復同盟の結成総会が9月29日、盛岡市の中央公民館で開催され、被害者や家族、労働組合・民主団体の役員など26人が参加しました。
 レッド・パージは、1949年から50年にかけてアメリカ占領軍の指揮のもと、日本政府と財界が4万人以上と推定される日本共産党員や支持者、労働組合活動家を職場から強権的に追放した事件です。岩手では330人以上の被害者がいるといわれています。
 同準備会事務局の藤村三郎さんは2010年度の運動方針について、「被害者や家族、同盟に賛同する個人や団体に加入を広く呼びかけよう。被害者の名誉回復と国家賠償を求める請願署名を2000人から集めよう」と提起しました。
 被害者が80歳以上の高齢に達しているもとで、被害者の名簿づくりと聞き取りを家族の協力も得ながら進めていくと語りました。
 総会では、横田綾二代表委員、藤村事務局長をはじめとする役員を選出しました。
 日本共産党岩手県委員会、日本国民救援会岩手県本部、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟岩手県本部の代表が、連帯のあいさつをしました。
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2010年10月01日,「赤旗」) (Page/Top

9月】(ヘッドライン)

治維法国賠同盟総会/宮崎

請願行動を広げよう/治維法国賠同盟中国ブロック会議

池辺晋一郎の会いたくて/作家篠田節子さん/上・下

拘束幹部シンガポールへ送還

朝の風/桑田佳祐のニューシングル

今月の俳句/白桃/工藤博司

「満州事変」79周年集い/富山

「赤とんぼの母」語る/鳥取

治維法国賠同盟東北ブロック会議/仙台

ここがお勧めしんぶん赤旗/連載「韓国『併合』100年」好評/植民地支配の実態と今日の課題を追求

第40回赤旗まつり/「アンダンテ〜稲の旋律〜」上映/本紙連載小説が原作

反戦川柳作家鶴彬たたえる/石川・かほく

反戦川柳・鶴彬没後72年しのぶ/盛岡で墓前祭

反撃カルチャー プレカリアートの豊かな世界/雨宮処凛著/評者乙部宗徳文芸評論家

文化/茨木のり子回顧展/「わたしが一番きれいだったとき」などの詩人/没後初/貫く人≠ノ心洗われ

話題の交差点/プロレタリア画家市村三男三/絵画公民館に展示/新潟市江南区

治維法国賠同盟県本部総会開く/富山

治維法国賠同盟県本部が総会/石川

多喜二祭/警察から奪還79年/「井上ひさし氏との結びつきも見えた」/群馬・伊勢崎

亀戸事件87年/「野蛮な弾圧忘れない」/犠牲者追悼の集い/東京・江東

強制連行の花岡事件学ぶ/秋田・ユザワ

近畿の散歩道/ゆかりの人々/一海知義/1/スミレの花咲く頃―古林喜楽

国賠同盟が大会/島根

 

 

9月本文】(Page/Top

治維法国賠同盟総会/宮崎

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の宮崎県本部は26日、第21回総会を宮崎市内で開きました。
 日高脩会長は、菅改造内閣が海外で戦争する国にする策動を強める可能性を懸念し、「憲法9条を守り戦争する国に反対するために運動をつよめよう」とよびかけました。
 天水貞照事務局長は「治安維持法犠牲者への国家賠償法(仮称)制定を求める意見書」について、都城市議会に続き10年ぶりに三股町、門川町の両町議会でも採択されたことなどを報告しました。
 日本共産党の馬場洋光県書記長が来賓として出席しました。
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2010年09月30日,「赤旗」) (Page/Top

請願行動を広げよう/治維法国賠同盟中国ブロック会議

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の中国ブロック会議が26、27両日、広島市中区で開かれました。ブロック会議は今回で20回目で、中国地方の5県から42人が参加しました。
 同盟中央本部の柳河瀬精会長が今回の会議の目的と任務について報告。5月13日の国会請願行動で、国会議員722人のうち過去最高の519人に紹介議員を要請しましたが、承諾は昨年よりも56人少ない72人にとどまったことを指摘し、国会請願署名と地方議会からの意見書提出を大きく広げようと呼びかけました。
 参加者は、5県のそれぞれの活動状況について報告。戦前の「聳(そび)ゆるマスト」の反戦兵士の活動など中国地方各地の治安維持法犠牲者の顕彰活動や、11月14、15両日に静岡県熱海市で開かれる全国女性交流集会に向けた取り組みなどを交流しました。
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2010年09月30日,「赤旗」) (Page/Top

池辺晋一郎の会いたくて/作家篠田節子さん/上・下


篠田・ニュースが小説の題材にも/池辺・作曲してると音が生き物に
 作曲家の池辺晋一郎さんが、各界の会いたい人≠ニ語り合うシリーズ。第1回は作家の篠田節子さんです。学生時代からチェロを習い続けているという篠田さん。音楽と文学に通じるものは―。なぜ書くのか、なにを書くのか―。秋の夕べ、話は佳境に入って、尽きません。
 
 池辺 篠田さんには、僕がNHKのクラシック音楽番組「N響アワー」の司会をしていたころ、ゲストで来ていただいたことがありました。もう10年以上前になりますでしょうか。
 篠田 お懐かしいです。クラシックの演奏家を主人公にした小説をいくつか書いているというようなことから、番組に呼んでいただけたのかなと思います。もともと音楽が好きなので、テレビカメラが回っていることを忘れるような楽しい体験でした。
 池辺 美貌のバイオリニストが主人公の『マエストロ』、女性ビオラ奏者の悲劇を描いた『讃歌』。いずれも実際の社会的事件や人物を彷彿とさせるのですが、こうして文学作品になると、深みと膨らみが増してすごいなと思いますね。一人ひとりの登場人物に根が生えて、楽器にさえ根が生えて、それが全部、地の底でからまっている。

「本当なの」と
 篠田 ありがとうございます。ニュースの報道が小説の題材になったりするんです。報道について、それは本当なの? と疑うところから始まり、実のところはどうなんだろうと見極めたくなる。資料を調べて、いろいろな方に取材をしてみると、取材したそれぞれの方の哲学、ものの考え方が、見事にぶつかり合っていきます。それが深みと膨らみになればと思っています。
 池辺 僕は映画やテレビドラマ、演劇の仕事もしているので、脚本家、劇作家の知人が多いのですが、彼らが一つの作品を書くのに読破する資料の量たるや、すごいですね。部屋中、資料というぐらい。篠田さんもそうなんでしょうね。
 篠田 はい。本棚に入りきらず、スーパーの籠みたいなのに入れてあります。
 池辺 その資料つまりノンフィクションから、フィクションを築いていくプロセスが、篠田節子という個の世界に埋没して、他人からは見えない。それがとてもおもしろいと思います。

見方をつくる
 篠田 取材して物語に仕立て上げていくという作業は、ストーリーをつくるよりは、むしろ、その出来事や現象に対する自分自身のものの見方をつくり上げることが眼目になるでしょうか。その作業中で、以前につくり上げた自分の作品世界をどうやって壊して、ご破算にするかということを常に考えています。
 池辺 なるほど。ものをつくるということは、それまでの自分を壊すということでもありますから。
 篠田 自分の作品の型や方法論を一作終わるごとに壊して、全く違う世界に新たなものをつくっていきたいんです。
 池辺 それで、篠田さんの作品は、ミステリーにホラー、恋愛、音楽、宗教と幅広くて、多彩なんですね。自分がすでに壊したものを見て、どう思われますか。いとおしかったり、あるいは、なぜ、おまえはここにいるんだと思ったり、どうなんでしょうね。
 篠田 はい。なぜ、ここにいるのか、という感じです。

勝手にやって
 池辺 わかります。僕も「鹿鳴館」というオペラを作曲して、6月に上演されたんですが、全員の総練習が始まるときに「もう忘れました。どうぞ、勝手にやってください」と言ったんです。書き終わって何カ月もたっているものですから。次のオペラ「高野聖」を書き始めていて、頭にはもう「鹿鳴館」はないんですよ。そうやって作品を置き去りにして、先に進んでいくものですね。
 篠田 はい。書き終わってから本が出るまで2、3年のタイムラグがあって、そのさらに数カ月後に書評記事が出るので、そんなこと書いたっけみたいな…。
 池辺 僕の仲のいい友人に、池澤夏樹という作家がいます。彼としばしば話題にすることを、篠田さんにもお聞きしたい。それは、例えば僕が曲を書いていて、とてもいい音色を思いつく。ところが後で考えると、どうしてその着想が出てきたのかわからないんです。
 篠田 インスピレーションですか?
 池辺 ノウハウではないですね。もっと考えこんでいくと、僕はずっと作曲をしてきたけれども、これはうそじゃないかという気になるんです。ほんとはできないんじゃないか、たまたま偶然が重なってきたんじゃないか。そうしたら池澤夏樹が「僕もそうだ。本当は書けないんじゃないか、たまたま書けているんじゃないかとしょっちゅう思う」って言うんです。ものをつくるというのは、そういうことなのかなとも思います。工業製品をつくるように、こうすれば出来上がるという方法論があるわけではないから。どうですか?

限界をこえる
 篠田 方法論はありませんが、私の場合はインスピレーションというよりも取材です。自分の持っている世界など、たかが知れています。その分野を極めた方にお話を聞くことで、それまで知らなかった世界の一端が見えてきて驚いたり感動したり。そうやって自分自身の発想の限界を飛び越えてきたような気がします。
 池辺 なるほど。もう一つお聞きしたいのは、僕は作曲していると、音が生きものみたいになるんです。音が、そっちに行くのはいやだ、こっちに行きたい、と言い出して、僕と音との間にある種の葛藤が生じる。篠田さんは、登場人物が勝手に動き出したりしますか?
 篠田 登場人物はそうでもありませんが、ストーリーの一人歩きはあります。当初のプロットでいくと、これは無理というところが必ず出てきますが、それであきらめて自然な流れに任せると、凡庸な作品が出来上がるので、仕掛けをつくって逆に高く跳躍させる。読者が想像もしなかった不協和音をジャラーンと(笑)。
 池辺 そうやって捻じ曲げるのが、篠田さんの手腕なんですよね。
 篠田・小説にもリズムや旋律/池辺・書き出しが好きですね
 池辺 僕は作曲するとき、曲の始まりの部分をすごく意識するんですが、篠田さんはどうですか?
 篠田 冒頭部分は自然に出てくるので、苦労したことはありませんが。

「前のめり」に
 池辺 そうですか。僕は小説の書き出しが好きなんです。坂口安吾の『桜の森の満開の下』、梶井基次郎の『檸檬』、小林多喜二の『蟹工船』など、暗唱できるほどです。「『おい地獄さ行ぐんだで!』二人はデッキの手すりに寄りかかって、蝸牛が背のびをしたように延びて、海を抱え込んでいる函館の街を見ていた」。作家は、練りに練って書き出しを決めるのかと思ったんですが。
 篠田 私の場合はそうでもないですね。名文の書き出しで完結させるより、前にのめっていくような不安定な文章にしています。怖い小説の書き出しをことさら軽くおしゃれに始めて、落差を出したりすることはありますが、気分的には、やはり前のめりです。音楽でもありませんか? フレーズが割り切れずに、つんのめっていくようなのが。
 池辺 そうですね。のめっていきますね。そして、いろんな紆余曲折を経て、最初の重要なところにもう一度戻ってくる。戻ってきたときに、あれっと思うほど違う様相になっている。その意外性や新鮮さで引きつけるというところが、音楽にも小説にもありますね。篠田さんは、文章に凝ることはありますか?
 篠田 文章に凝るよりは、その情景をどう正確に、臨場感豊かに描写するかですね。想念や哲学を抽象的な言葉で表現しても、小説にならない。いかに具体的シーンでストーリーやテーマを語るかでしょう。

感性の豊かさ
 池辺 僕は篠田さんの作品を読んで、人間にとって音楽や文学とはなにか、どうあるべきか、を問われていると思いました。昨今、小説でも映画でも、泣けるかどうかがキーワードになっていますが、この点はどう思われます?
 篠田 予定調和的でわかりやすいものに、思わず涙がぼろぼろこぼれるというのは、感動というよりは感傷や気分ではないかと思います。人生経験を積み、小説や音楽に深く触れていくうちに、単なる感傷を超えた、より複雑で堅牢な骨格を持った作品に、良さを見いだせるようになるのでは? 優れた作品のもたらす壮大で普遍的な感情に心を揺り動かされる。それこそが真の感動ではないでしょうか。ただしそのために訓練みたいなものが必要だとは思いますね。
 池辺 人間の心のありようは、音楽や文学、美術の間に壁が立っていて、切り離されているわけではないんですよね。音楽を聞いたときの感動は美術的であったり、文学に触れたり、ドラマに結びついたりする。人間の感性は、柔軟で豊かなものだと思います。
 篠田 小説にもリズムがあって、旋律がありますから。
 池辺 次の作品を期待しています。旋律があって、戦慄の走るものをぜひお願いします(笑)。
 
対談を終えて/池辺晋一郎
 小説を書く、ということに畏敬の念を抱く。実在しない人物に命を吹き込む魔法の一種だ。篠田節子さんの小説では、その魔法に加え「時間」さえもが強烈な性格を具備する。時間は万人に等しく流れるはずなのに、そこでは怖いほどに個性的だ。優雅にチェロを奏でる篠田さんの「時間」も、実は篠田さんだけの流れかたをしているのだろうか。豊かなバランス感覚の底流に、それを破壊しようとする虎視眈々の力が隠れている。すごい。おそろしい。
 
 いけべ・しんいちろう 1943年水戸市生まれ。東京音楽大学教授。交響曲T〜Z、映画「影武者」、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」はじめ、オペラ、合唱曲、ドラマ・映画音楽など作曲多数。尾高賞など受賞多数。著書に『シューマンの音符たち』ほか。
 
 しのだ・せつこ 1955年東京都生まれ。市役所勤務を経て、90年『絹の変容』で小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。『ゴサインタン―神の座―』(山本周五郎賞)、『女たちのジハード』(直木賞)、『仮想儀礼』(柴田錬三郎賞)、『薄暮』『スターバト・マーテル』など著書多数。
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2010年09月27、28日,「赤旗」) (Page/Top

拘束幹部シンガポールへ送還

 【クアラルンプール=時事】マレーシア内務省は24日、国内治安維持法に基づき身柄を拘束していた東南アジアのイスラム系テロ組織ジェマ・イスラミア(JI)幹部のマス・スラマット容疑者を母国シンガポールに送還しました。国営ベルナマ通信が伝えました。
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2010年09月26日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/桑田佳祐のニューシングル

 食道がんの手術をして退院したばかりの桑田佳祐の13枚目の「本当は怖い愛とロマンス」が出た。
 シングルだが8曲も収録されており、その中に「ROCK AND ROLL HERO」という曲がある。「米国は僕のHero 我が日本人は従順なPeople」という皮肉っぽい歌い出しの後、「国家を挙げての右倣え 核なるうえはGo with you 暗い過去も顧みずについて行きましょう」「人災列島≠ノ夜明けは来ない…世相は暗い アホみたい 政府首脳よ ニッポンは妙じゃない?」と続いていく。
 アメリカに追従する日本政府の姿勢への批判は痛烈だ。
 昨年末に出された前回のシングル『君にサヨナラ』に入っていた「声に出して歌いたい日本文学」の中には、小林多喜二「蟹工船」も取り上げられていた。しかもそこで「諸君、とうとう来た! 長い間、長い間俺達は待っていた。(略)しかし、とうとう来た。俺達は力を合わせることだ。俺達は仲間を裏切らないことだ」という部分を歌いあげていたことに感心した。
 ロックに流れるものは、やはり反抗であり批判だ。発売が延期されている桑田のアルバムで力強い歌声が復活することを期待したい。
 (予)
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2010年09月24日,「赤旗」) (Page/Top

今月の俳句/白桃/工藤博司


指紋まだなき白桃を雲に置く

ふるさとの石を噛んでる塩とんぼ

蝉落ちる音をゆるして土日の出

月山の霧の匂いのあけび吸う

「ドイツイデオロギー」読み切って夏終る
 
 くどう・ひろし 1937年、山形県生まれ。『道標』同人。新俳句人連盟副会長。現代俳句協会会員。合同句集『孟宗』、『俳句に詠まれた多喜二と党』ほか。
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2010年09月21日,「赤旗」) (Page/Top

「満州事変」79周年集い/富山

 アジアと世界の平和・友好を考える9・18「満州事変」79周年のつどいが18日、富山市で開かれ、40人余が参加しました。主催は日中友好協会富山支部、県歴史教育者協議会、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部、県AALA連帯委員会、安保破棄・諸要求貫徹県実行委員会による実行委員会。
 歴史教育者協議会の松浦晴芳氏が、「この日は中国の人にとっては絶対に忘れられない日」だと強調。歴史を振り返り、歴史の歪曲(わいきょく)や戦争美化の策動、日米軍事同盟強化の動きなどについて報告しました。民主党代表に菅首相が再選したものの、学習指導要領や教科書行政の変化は見られず、米軍基地問題については日米合意を優先し、沖縄県民や国民の願いに背を向けていると指摘。過去の戦争と戦争責任に向き合う平和の教育と運動を呼びかけました。
 映画「戦ふ兵隊」(亀井文夫監督)を上映しました。中国戦線での日本兵を描き、1939年に完成したもの。同監督が治安維持法違反で逮捕される理由の一つとなった作品です。
 参加者からは「淡々と兵隊の様子が描かれていた。英雄的、好戦的ではないため、取り調べの対象になったのでないか」「中国の子どもや広大な自然など、映像に生命の息吹を感じた。平和を願い、その一端を担って運動していきたい」という感想や、「歴史認識をゆがめることが、相手国に対する蔑視(べっし)につながっていると思う」との意見が出されました。
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2010年09月21日,「赤旗」) (Page/Top

「赤とんぼの母」語る/鳥取

 治安維持法国家賠償同盟鳥取県東部支部はこのほど、鳥取市で総会を開き、田江裕氏を支部長に再選しました。
 元日本海新聞記者の角秋勝治さんが「女性参政権にかけた赤とんぼ≠フ母」と題して講演しました。
 元鳥取藩家老の和田家に生まれ、堀家の養女となった、かた(碧川かた)は兵庫県竜野の三木家に嫁ぎ、操(「夕焼け小焼けの赤とんぼ」で知られる詩人の三木露風)と勉を産みますが離縁され、小樽新聞記者の碧川企救男と結婚します。
 その後、東京で幸徳秋水、山本宣治、橋浦泰雄、与謝野晶子、平塚らいてうらと交流。1923年、婦人参政同盟を結成し、女性参政権運動を始め、27年には「参政権・公民権の獲得・男女平等の制度改革及び家庭の平和向上」を目的に女権社を結成し、機関紙「女権」を発行するなど女性解放運動の先駆者となりました。
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2010年09月19日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟東北ブロック会議/仙台

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治維法国賠同盟)の第20回東北ブロック会議が13、14の両日、仙台市内で開かれました。東北6県から85人が参加し、成果と運動、組織を飛躍させようと決意を固めました。
 島津昭中央常任理事が、開会あいさつ。中島康博日本共産党宮城県委員長が来賓として出席し、同盟の活躍に敬意を表し激励しました。
 近江谷昭二郎中央本部副会長は、会議への提案の中で「民主党政権は日米同盟絶対という旧政権の発想から抜け出せず、憲法の平和原則を否定し、衆院比例定数削減で民意を切り捨て一党独裁の強権政治が狙われている」と指摘。その上で「再び戦争と暗黒政治を許さぬ」を掲げる同盟運動の役割はいっそう重要だと強調しました。
 24人が発言し、弾圧の犠牲者名簿を出版し普及に取り組んでいることなど、各県の活動を交流。98歳になる弾圧の犠性者・大川芳夫さん(宮城県)も元気な姿を見せ参加者を励ましました。
 東北6県の国賠同盟は36支部、会員1750人。国家賠償法立法化を求める今年5月の国会請願に提出した署名は5万1961人分、地方議会での陳情、請願の採択は108市町村に上ります。
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2010年09月19日,「赤旗」) (Page/Top

ここがお勧めしんぶん赤旗/連載「韓国『併合』100年」好評/植民地支配の実態と今日の課題を追求

 ことしは、日本が朝鮮を軍事的な強圧のもとで植民地化した「韓国併合」から100年目。「併合」条約が結ばれた8月から始まった連載の「『併合』100年 日本と韓国」が好評です。
 侵略戦争とともに植民地支配に反対した政党の機関紙として、韓国に住む被害者、在日1世の被害者を訪ねて、植民地支配の実態と今日の課題を追求しています。
 「第2部 癒えない傷跡」では、朝鮮人でありながら「内鮮一体」の名で戦争にかり出され、サハリンに置きざりにされた男性(12日)、強制徴用の末に死刑を言い渡された元BC級戦犯(14日)、徴兵されて15日間の兵役のためシベリアに抑留の体験をもつ韓国在住の男性(16日)らを取材し、痛苦に満ちた体験と重い証言を引き出しています。
 「第1部 支配と抵抗」(8月22日〜28日)では、朝鮮半島での治安維持法での死刑適用の事実、元日本軍「慰安婦」の証言、徴用で夫が戦死した女性らを通して、植民地支配の実態と抵抗を描きました。
 取材を受けた人から「父の独立運動に関心をもたれ、記事を掲載してくださり、深く感謝します」「1面に報道していただき大変うれしい」といった感想が届いています。
 一部政治家や特定メディアが流す「韓国併合」を美化する論調については、論評「日本は植民地で何をやったか」(8月30日)で批判しました。文化面  では、前国際啄木学会会長が石川啄木の「韓国併合」を批判した歌のなかには、「地図の上朝鮮国に黒々と…」のほかに新たに4首あることを紹介しています。(8月24日)。
 日曜版では8月22日号で、抑圧の体験や高校での授業をとりあげ、日本の政治の責任を考える特集をしました。
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第40回赤旗まつり/「アンダンテ〜稲の旋律〜」上映/本紙連載小説が原作

 第40回赤旗まつり(11月6〜7日、東京都江東区・「夢の島公園」)のメインアリーナ企画として、劇映画「アンダンテ〜稲の旋律〜」の上映が決まりました。
 この映画の原作は、旭爪あかねさんの『稲の旋律』(新日本出版社刊)。「しんぶん赤旗」日刊紙の連載小説を映画化したものです。連載中(2001年9月から6カ月連載)から大きな反響をよび、03年に「多喜二・百合子賞」を受賞しています。
 音楽の道に挫折し、家に閉じこもるようになった主人公「千華」が、千葉県の農家の「晋平」に出会い、希望を取り戻す物語です。
 金田敬監督。おもな出演は、新妻聖子、筧利夫、秋本奈緒美、宇都宮雅代、村野武範。
 上映は、6日午後6時からで、旭爪さんの舞台あいさつも予定されています。無料です。
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2010年09月19日,「赤旗」) (Page/Top

反戦川柳作家鶴彬たたえる/石川・かほく

 石川県出身の反戦川柳作家・鶴彬(つるあきら)をたたえる集いが12日、出生地のかほく市で開かれ、鶴彬を顕彰する会の会員など約50人が出席しました。
 集いは、命日の9月14日に合わせて毎年開催しているもので、今年で12回目です。
 鶴彬(本名・喜多一二)は戦前、川柳によって反戦平和を訴え続けましたが、治安維持法違反容疑での投獄などを経て、29歳の若さで獄死しました。「手と足をもいだ丸太にしてかへし」など数々の鋭い反戦川柳が共感を呼び、彼の人生を描いた「鶴彬〜こころの軌跡〜」(監督・神山征二郎)の上映が各地で行われています。
 参加者らは、同市にある「枯芝よ団結をして春を待つ」の句碑前で碑前祭を開催。鶴彬のおいにあたる山田裕一さんのあいさつと油野和一郎・かほく市長、鶴彬・井上剣花坊祭の佐藤岳俊実行委員長などからのメッセージ紹介の後、句碑に献花し追悼しました。
 集いでは、鶴彬の研究家として知られ、ワーキングプア川柳などで注目を集める川柳作家の乱鬼龍氏が「鶴彬に学び、鶴彬を超えよ」と題して講演。顕彰する会総会や懇親会も開かれました。
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2010年09月15日,「赤旗」) (Page/Top

反戦川柳・鶴彬没後72年しのぶ/盛岡で墓前祭

 反戦川柳に命をかけた鶴彬(つるあきら)の命日の14日、鶴彬を語る盛岡の会(牛山靖夫会長)は盛岡市名須川町で墓前祭を開催しました。20人が参加し、没後72年をしのんで献花と合掌をしました。
 鶴彬は、治安維持法違反で2度逮捕され、29歳で亡くなりました。
 主催者あいさつで同会の宮手毅副会長は、鶴彬が残した「手と足をもいだ丸太にしてかへし」「胎内の動きを知るころ骨(こつ)がつき」「タマ除(よ)けを産めよ殖(ふ)やせよ勲章をやらう」などの句を紹介しました。
 鶴彬の兄・孝雄の次男の妻である喜多富美さん(77)も駆けつけました。喜多さんは「当時は(鶴彬は)特高ににらまれて大変だったが、戦争が終わって多くの人たちが理解をし、墓前祭に集まってもらっている。『鶴彬の墓』の石碑も新しく建ててもらい、ありがたい」と感謝の言葉をのべていました。
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2010年09月15日,「赤旗」) (Page/Top

反撃カルチャー プレカリアートの豊かな世界/雨宮処凛著/評者乙部宗徳文芸評論家


排除しない姿勢に繋がるヒント
 この書の著者である雨宮処凛が、プレカリアート(不安定な労働環境におかれている人びとを意味する造語)の運動の担い手としてマスコミに登場するようになったのは、2007年頃からだ。その後、小林多喜二の「蟹工船」がブームになり、「年越し派遣村」が派遣切りの実態を世の中に明らかにしたが、そうした運動の広がりに著者は深く関わってきた。
 本書には、そうした運動の中で出会った人びと、そこで生まれている「文化」が紹介されている。「生きさせろ!」と叫び、さまざまな形でアピールすることによって「偶然」生まれた豊かな表現の数々、つまり創意的なデモや争議の形態に、著者はプレカリアートの「文化」を見ている。
 著者にとって、プレカリアートは、「救済されるべき可哀想な貧乏人」ではなく、新しい世界を提示する「主体」である。そこから生まれる「表現」には、素晴らしいものもあればどうしようもなく「ショボい」ものもあり、登場する人々も雑多だが、著者は、その「ごった煮」こそが「文化」を生み出す下地として絶対に必要なものではないかと指摘している。
 著者は、プレカリアート運動が「若者」「非正規」という文脈で語られることに歯がゆさを感じると述べ、正社員が敵とか、年長の世代が敵といった論には与しない。それは「今の日本では、いくら正社員でも大企業の役員クラスでもない限り、ちっとも『安泰』じゃないはず」だからだ。
 派遣村でも野宿者がいることに違和感をもつ者がいたという。新自由主義が人びとを役に立つかどうかで選別してきた影響は、「善意」の人にすらある。財界によって不安定化し、貧困化した人々が、生きていくためにどう繋がっていくか、排除をしない著者の姿勢に一つのヒントがある。
 
 あまみや・かりん 1975年生まれ。作家。『生きさせろ!』ほか。
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2010年09月12日,「赤旗」) (Page/Top

文化/茨木のり子回顧展/「わたしが一番きれいだったとき」などの詩人/没後初/貫く人≠ノ心洗われ

 「わたしが一番きれいだったとき」など、人々の心をうつ詩をうたい続けた戦後詩界の重鎮、茨木のり子さん。没後初の回顧展が、群馬県立土屋文明記念文学館で開かれています。高崎市の田園に立つ文学館を訪ねました。
 児玉由紀恵記者
 
 入り口で来場者を迎えるのは、敗戦の翌年の9月、前方を見つめる20歳の茨木さん。凛(りん)とした姿です。
 日記や書簡、写真、原稿、書籍など、ほとんどが初公開の膨大な資料。「戦後現代詩の長女」(新川和江さんの評)といわれた詩人の少女期から没後までを見渡せる貴重な機会です。

ことばへの思考
 1953年、茨木さんは、詩の同人誌『櫂(かい)』を川崎洋さんと創刊します。後に、大岡信、谷川俊太郎の各氏らも加わり、戦後詩史に刻まれる存在となった『櫂』。
 その初心を伝える興味深い書簡があります。一緒に同人誌を、と誘う川崎さんに応えた返書です。茨木さんは「ことばに対する熱烈な思考、この点で一致するものを感じている」と記しています。「ことばに対する熱烈な思考」―茨木さんの生涯を貫いた言葉と思われます。
 〈わたしが一番きれいだったとき/まわりの人達が沢山死んだ/工場で 海で 名もない島で〉とうたう「わたしが一番きれいだったとき」を発表したのは57年、30歳のとき。
 茨木さんは、戦争や天皇制を鋭く批判する一方、日本に蹂躙(じゅうりん)された国や民族を忘れてはならないと、折にふれてのべています。日本軍に強制連行され、北海道で14年間の逃亡生活を送った中国人・劉連仁を描く「りゅうりぇんれんの物語」は、劉発見3年後の61年に発表した、胸に迫る長詩です。詩作につながっていった新聞切り抜きなどの中には、58年2月の「アカハタ」もありました。

韓国の詩人たち
 この展示で強く印象づけられたのが、茨木さんと韓国・韓国の詩人とのつながりです。夫と死別した翌年の76年、50歳でハングルを学び始めます。
 治安維持法違反で捕らえられ、敗戦の半年前に日本で獄死した尹東柱(ユン・ドンジュ)を、優しくうたい込んだ詩「隣国語の森」(82年)やエッセー、翻訳詩集『韓国現代詩選』(90年)などを発表。展示されたハングル修得の学習ノートや単語カードから陰の努力がしのばれます。
 多彩な詩人たちとの真情こもるやりとりの書簡。自作詩を朗読した声や、料理メモ…。資料の数々が多面的にありし日を伝えてくれます。
 展示の最後は「『歳月』―Yへの手紙」のコーナー。そこに「Y」と書かれた茶色の箱があります。Yは、亡き夫・三浦安信氏のイニシャル。中に収められていたのは夫への挽歌(ばんか)。それが、茨木さん没後1周年の07年に、詩集『歳月』として刊行されました。かつてエッセーに「戦後を共有した一番親しい同志を失った感が痛切にきて虎のように泣いた」と書いた、その悲しみとユーモアとが交じる、切々と胸をうつ詩群です。
 その原稿を見つめていると、死後も夫との愛を貫徹した人、文字通り「貫く人」だったと思えてきます。
 〈初々しさが大切なの/人に対しても世の中に対しても〉(「汲む」)
 〈駄目なことの一切を/時代のせいにはするな/わずかに光る尊厳の放棄〉(「自分の感受性くらい」)
 茨木さんの紡ぎ出した言葉たちが満ちた展示室―。心を洗われる思いがしました。

「茨木のり子展〜わたしが一番きれいだったとき〜」 20日まで、群馬県立土屋文明記念文学館рO27(373)7721

いばらぎ・のりこ=1926〜2006年。55年に第1詩集『対話』を出し、以後、『見えない配達夫』『鎮魂歌』『自分の感受性くらい』『倚りかからず』などの詩集やエッセー集、戯曲を発表。反戦、平和への願い、しなやかで自由な人生へのあこがれを内省を込めてうたい、幅広い共感を集めてきました。04年9月には本紙に登場。「9条は一番新しい思想」と、憲法や平和について語っています
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話題の交差点/プロレタリア画家市村三男三/絵画公民館に展示/新潟市江南区

 新潟市江南区横越地区(旧横越町)出身のプロレタリア画家・故市村三男三(いちむら・みおぞう)=1904年〜90年、日本共産党員=の絵が、新築された横越地区公民館で常設展示されています。
 展示されているのは、江南区が所蔵している中の「脱穀」(1956年日本アンデパンダン展出品)、「水運び」「とうもろこし畑」「すもも」と労働者のデッサンを合わせ5点です。重厚さと鮮やかさを感じさせる絵が壁面を飾っています。
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 同区には、04年に『信念と不屈の画家 市村三男三』の著者・なかむらみのる氏などの尽力で、三男三の油絵400点、デッサン・スケッチ1500点が寄贈されています。当時の横越町は多大な費用をかけて絵などを修復し、市民に公開・展示しました。
 日本共産党区委員会は、そのときの展示だけで終わっていることから、区に対し、絵の公開や常設での展示を要望していました。今回、それが実現したものです。
 9月26日から、区役所横越支所(旧役場)2階でも、新潟市後援で個人が所蔵していた絵を集めた初公開の展示会(実行委員会主催)も開かれることになり、絵の公開に尽力してきた関係者は喜んでいます。
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 公民館の常設展示を見学した、なかむら氏は「かつて絵が三男三のアトリエに丸められて置いてあったことを思うと、立派によみがえって夢みたいです。地元の理解と努力がなかったら実現できなかったので感謝です」と喜びます。
 一緒に見学した日本共産党の渡辺有子市議は「それまで三男三のことは知らなかったのですが、吸い寄せられるようなすばらしい絵に出会って以来、ファンになりました。まだ知らない人もいるので、多くの人に見てもらいたい」と話します。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟新潟県本部の北村直吉事務局長は「戦前は国賊ともいわれたが、自由と民主主義、社会進歩をめざした三男三のような人たちの業績が市民に知られるようになり、時代の進歩を感じます。市が後援し、支所庁舎使用を許可してくれたことは画期的なこと。私たちの取り組みが実ったものです。今後も顕彰活動を続けていきたい」と語っています。
 (新潟県・村上雲雄)

横越支所でも展示会/26日から
 ※横越支所での市村三男三展は、9月26日〜10月1日まで、午前9時〜午後5時。26日午後1時半から「市村三男三の絵を楽しむ講演と音楽の集い」を開催します。
 展示会・集いとも入場無料。問い合わせ=実行委員の高橋さん025(276)2423
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2010年09月12日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟県本部総会開く/富山

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟富山県本部(古川松男会長)は7日、富山市内で第26回県本部総会を開き、2010年度の活動方針などを決めました。
 国家賠償署名にとりくむことや、戦前の言論弾圧事件(「泊・横浜事件」)などの歴史を風化させないとりくみ、平和のための運動や民主主義擁護と発展、政治革新のために県内の諸団体と連携していくことを確認しました。歴史を風化させないとりくみでは、県歴史教育者協会と共同で『平和と人権―とやまガイド』発刊にむけてとりくみ、戦前の「大沢野農民闘争」と「泊・横浜事件」を紹介したことなどを報告しました。
 中央本部会長の柳河瀬精氏が、民主党政権について、海外で戦争する国をつくっていこうという旧自民党政権を踏襲するような動きが見られると指摘。一方で、歴史認識をただす可能性も大きくなっているとして、治安維持法弾圧の歴史への理解を深め、歴史認識をただす国民運動へと、たたかいの輪を広げていこうと訴えました。
 日本共産党富山県委員会の高橋渡常任委員が連帯のあいさつをしました。
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2010年09月10日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟県本部が総会/石川

 治安維持法国家賠償要求同盟石川県本部は4日、金沢市で総会を開き、2010年度の運動方針などを決定しました。
 開会あいさつで、北口吉治県本部会長が「昨年総選挙での政権交代、7月の参院選結果などを見ても、国民の政治意識が大きく変化していることを感じています。情勢について大いに議論し、今後の方針をみなさんで作り上げましょう」と提起。日本共産党石川県委員会の佐藤まさゆき常任委員(県議候補)、国民救援会県本部の藤牧渡会長、県労連の長曾輝夫事務局長が来賓あいさつしました。
 国賠同盟中央本部の柳河瀬精会長が、民主党政権のこの間の軍事面での動向、韓国併合問題への対応などについて報告し、「同盟が掲げる『2度と戦争と暗黒政治許すな』の立場で政権を見る必要がある。同盟運動の原点に立ち、国民運動へ発展させるために全力を挙げよう」と呼びかけました。
 総会の開催にあたり、石川県出身のプロレタリア川柳作家、鶴彬(つるあきら)の生涯を描いた映画「鶴彬こころの軌跡」の製作と上映運動に取り組む板坂洋介氏が記念講演。生誕地のかほく市での映画撮影を振り返り、県内だけでなく、全国へと上映会を広げていることを報告しました。
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2010年09月07日,「赤旗」) (Page/Top

多喜二祭/警察から奪還79年/「井上ひさし氏との結びつきも見えた」/群馬・伊勢崎

 小説「蟹工船」で知られる日本共産党員作家、小林多喜二の文学と生涯を考える第3回伊勢崎・多喜二祭(同実行委員会)が5日、群馬県伊勢崎市で開かれ、各地から150人が参加しました。
 
 今年は「多喜二奪還事件」の79年記念として開催されました。小説「蟹工船」が『戦旗』に掲載された翌々年の1931年9月6日、文芸講演会で伊勢崎を訪れた多喜二らが検束され、聴衆が警察署を包囲・占拠し、奪還した事件です。「公表しない」ことが多喜二ら釈放の条件だったために歴史に埋もれてきました。
 事件を研究している長谷田直之事務局長が、事件を裏付ける具体的な新たな資料を紹介しました。また、フェリス女学院大学の島村輝教授が記念講演し、故井上ひさし氏の最後の戯曲「組曲虐殺」に描かれた多喜二像を紹介。井上氏の父親も『戦旗』に寄稿していた事実を語り、先人たちにつながる思いとして「困難ななかでも理想と希望は失わない。目の前の大きな絶望を見ながらも希望を見いだしていくことが必要。一人でなく多くの人たちとともに時代が進んで行くことを忘れないで」と呼びかけました。
 この日午前には、多喜二らが講演会の前に立ち寄り検束された故菊地敏清宅(伊勢崎市北千木町)の見学会も行われ、40人が参加しました。見学会から参加した藤原麗子さん=前橋市=は「多喜二にも井上ひさしにも関心を持っている。井上さんとの結びつきが見えてきて、もう一度読み込みたいなと思っています」と話しました。
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2010年09月07日,「赤旗」) (Page/Top

亀戸事件87年/「野蛮な弾圧忘れない」/犠牲者追悼の集い/東京・江東

 「関東大震災から87年 亀戸事件追悼会」(実行委員会主催)が5日、「亀戸事件犠牲者之碑」がある東京都江東区の赤門浄心寺で行われました。猛暑のなか約50人が参加し、「権力による弾圧を二度と繰り返させない」と決意を語り合いました。
 
 東巨剛(ひろたか)実行委員長(日本共産党元東京都議)があいさつし「権力が10人の方々を連行し、裁判も何もなく、有無をいわせず殺すという野蛮な事件を忘れない。国による補償を求めていく起点にしたい」と語りました。日本国民救援会の吉田進悟さんが事件の経過報告を行ったあと、浄心寺住職が犠牲者を悼み、読経しました。
 追悼会に参加した国民救援会東京都本部の山崎友代さん(27)は「青年の願いをかなえる社会をつくるために、ひたむきにがんばってきた人たちを虐殺するなんて許せないし、悔しい。今も民主的な運動への弾圧や干渉がある。こうしたことをなくすためにも事件を語り継いでいく意味があると思う」と話しました。
 日本共産党の畔上三和子都議、日本民主青年同盟の林竜二郎中央常任委員、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟中央本部の山崎元副会長、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式実行委員会の石橋正夫さんがそれぞれ追悼のことばをのべました。全国労働組合総連合の大黒作治議長のメッセージが紹介されました。
 石播(石川島播磨)労働者合唱団が「先輩たちの労働者魂に思いをはせて」と、現在の江東区、墨田区に当たる南葛飾地域で生まれた「南葛労働者の歌」などを披露しました。
 参加者は最後に「犠牲者之碑」に白い菊を献花しました。

亀戸事件
 1923年9月3日、関東大震災直後の混乱に乗じて、軍と警察が一体となって起こした弾圧事件。東京府南葛飾郡亀戸町(現・東京都江東区亀戸)で、救援活動中だった川合義虎=当時(21)、日本共産青年同盟初代委員長=ら10人が亀戸警察に捕らえられ、習志野騎兵第13連隊により殺害されました。また、軍隊や憲兵隊が不安をあおり、「自警団」が多数の朝鮮人を殺害する事件も起きました。
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2010年09月06日,「赤旗」) (Page/Top

強制連行の花岡事件学ぶ/秋田・湯沢

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟湯沢雄勝支部と湯沢雄勝革新懇は4日、湯沢市の雄勝教育会館で、佐藤和喜治さん(84)=同市三梨町=を講師に迎えて、花岡事件学習会を開きました。
 同支部らは、今月27日と28日に「花岡事件・小林多喜二から学ぶツアー」を計画しており、それの事前学習会です。横手市や湯沢市などから15人が参加しました。
 花岡事件は、アジア太平洋戦争末期の中国人強制連行事件の一つ。鹿島組花岡には986人が配属(乗船)され、過酷な労働と虐待、蜂起(1945年6月30日)への弾圧、拷問などで419人が死亡しました。
 佐藤さんは、「私が『赤旗』の分局の仕事で花岡入りしたのは49年。李鐘応さんと金一秀さん(ともに朝鮮人で当時日本共産党員)から事件のことを聞かされ、翌春の雪解けを待って金一秀さんと2人で大穴=i死亡中国人をまとめて埋めた)に登った。チョークのような白い斑点が散らばっていた。金さんの『踏むな。骨だ』の声にびっくりして、よく見るとそれは人の骨だった」と語り始めました。
 参加者からは、「朝鮮人強制連行との関連は」などの質問が出されました。
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2010年09月05日,「赤旗」) (Page/Top

近畿の散歩道/ゆかりの人々/一海知義/1/スミレの花咲く頃―古林喜楽

 マルクス経済学者河上肇(かわかみ・はじめ)は、1928(昭和3)年、「赤い教授」として京都大学から追放される。その少し前に受講していた学生のノートが、最近発見された。
 その新聞記事を読んで、私は元神戸大学学長古林喜楽さん(伝聞によれば日本で最初の経営学博士)を思い出した。古林さんは、河上教授最後の講義を聴いた学生の一人である。
 教授は33(昭和8)年、治安維持法違反容疑で逮捕投獄された。5年の刑期を終えて出獄した教授の自宅を、古林さんは訪問している。そのことは、河上日記に見える。
 昭和15年7月13日の条。
  「午後神戸商業大学 の古林喜楽君来訪。果 物一籠持参さる」
 戦時中、特高警察監視下の思想犯を訪れるのは、勇気のいることだった。
 戦後、古林さんと同じ神戸大学につとめることになった私は、古林さん宅を何度か訪問した。当時、中国との国交は未回復で、両国の学術交流をすすめるための相談が、訪問の目的だった。
 古林さんは、朝から来客にビールを勧める。談論風発、やがて酔いがまわると、タカラヅカのうた「スミレの花咲く頃(ころ)」をうたいだす。タカラヅカが終わると、今度は唐詩である。それもきまって張継(ちょうけい)の「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」。
  月落ち烏啼いて霜天 に満つ
 古林さんはこれを中国音で、気持ちよさそうに、くりかえし朗誦
(ろうしょう)する。
 その名の通り、まことに「キラクなオッサン」だった。しかし日中友好、学術交流の話になると、その真摯(しんし)さは、やはり河上肇の弟子であることを思わせた。
 (いっかい・ともよし、神戸大学名誉教授=週1回掲載)
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2010年09月03日,「赤旗」) (Page/Top

国賠同盟が大会/島根

 治安維持法国賠同盟島根県本部は8月28日、出雲市で第20回大会を開き、活動報告・運動方針などを採択、寺田哲郎会長など新しい県本部役員を選出しました。
 国賠同盟中央本部の柳河瀬精会長が「今日の政治情勢と国賠同盟の任務」と題して記念講演。柳河瀬会長は、国民は、参院選で民主党を敗北させ新しい政治への模索を続けているが、菅政権はアメリカ追随と「戦争をする国へ」の動きを強めていると指摘。一方で歴史認識をめぐる問題、強制連行問題やシベリア抑留者への補償など戦後処理をめぐる問題で、国民の運動の広がりが新しい可能性を生んでいることを強調しました。
 討論では、戦前治安維持法で逮捕され、事実上獄死に追い込まれた豊原五郎のおいにあたる星野礼祐氏が、五郎の姉である母の手紙を紹介し、「親族は長い間五郎のことに口をつぐんでいたが、記念碑が建てられ、国賠同盟の方が毎年碑前祭を行っていることを数年前に知った。いまでは親族一同五郎の遺志をついで頑張ることを誓っている」と発言しました。
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2010年09月01日,「赤旗」) (Page/Top

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8月】(ヘッドライン)

治維法国賠同盟県本部が総会/奈良

弁護士布施辰治語る/塩釜で講演会

ふるさとに残る戦争の傷跡/広島/治安維持法物語る三次監獄

「併合」100年日本と韓国/第1部/支配と抵抗/2/治維法朝鮮半島で猛威

芸能テレビ/フジロックフェスティバル’10/お目当てなくても最高

「韓国併合」100年で講演/植民地支配ただす/大津

「併合」100年日本と韓国/第1部/支配と抵抗/1/実父の独立運動≠ノ光

あす韓国併合条約100年/植民地支配の苦しみいまも…/未来は歴史に向きあってこそ

平和願い宣伝、集い/「戦争は間違い」/宮崎

戦争繰り返さない各地で催し/「戦争はダメ」青年が署名/水戸・リレー宣伝

暗黒政治回帰許さぬと訴え/青森市

宮城の2市で街頭宣伝実施/治維法国賠同盟

掌編小説/花/旭爪あかね

終戦65年/核兵器廃絶、平和の誓い新た/共産党が各地で宣伝/大阪/滋賀/兵庫/奈良/和歌山

終戦記念日/核兵器と戦争なくそう/共産党が訴え/北海道/青森/福島/秋田

非核・平和の行動各地で/核兵器なくせ市民平和展/北海道・岩見沢

治維法国賠同盟各県本部が総会/山梨/神奈川

原爆写真展、平和のつどい各地で/多喜二の母の「一人語り」公演/栃木・日光

治安維持法国賠同盟が総会/宮城県本部

 

8月本文】(Page/Top

治維法国賠同盟県本部が総会/奈良

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟奈良県本部は28日、奈良市内で第24回総会を開きました。
 総会で田辺実会長は、同県での治安維持法犠牲者を調査し、顕彰する取り組みの中で136人の名前が判明したことや、弾圧に非転向を貫いた勝又松太郎の墓所が分かったことなどを報告しました。
 また、国会、地方議会への請願などを強め、同法犠牲者への国家賠償法の立法化を求める署名をいっそう推進しようとよびかけました。
 総会のあと、鈴木良・元立命館大学教授が「戦前奈良の社会運動を考える」と題して講演し、71人が熱心に聞き入りました。
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2010年08月31日,「赤旗」) (Page/Top

弁護士布施辰治語る/塩釜で講演会

 「韓国併合」100周年を記念し、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟塩釜支部は22日、宮城県石巻市出身で、労働者、農民、朝鮮人らのためにたたかった弁護士布施辰治(1880〜1953)を語る講演会を塩釜市で開きました。30人を超す人が参加しました。
 布施辰治の研究をしている庄司捷彦弁護士は、現場で細かな事実調査を行い事件の真実を掘り起こし解決にあたった布施辰治について語りました。
 参加者は、「治安維持法違反で弁護士資格を剥奪(はくだつ)されても、敢然と正義を貫き、権力に立ち向かった姿に感銘した」と述べました。講演に先立ち、ドキュメンタリー映画「弁護士 布施辰治」を上映しました。
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2010年08月29日,「赤旗」) (Page/Top

ふるさとに残る戦争の傷跡/広島/治安維持法物語る三次監獄

 広島県三次市で1889年に構築された三次監獄支署は1916〜52年、女性受刑者専用に指定されました。「荷車の歌」で知られる作家の山代巴も、思想犯として収監されました。改築された三次拘置支所の外周壁として高さ約6b、長さ約60bの堅固な土塀が、治安維持法の歴史を物語っています。
 当時の女性刑務所は全国で和歌山と三次だけで、遺構は貴重です。レンガ造りの刑務所が主流のなか、耐震強度を保つ丸みを帯びた土塀は、侵略戦争に反対する人々を死刑法で弾圧した暗黒の歴史を今に伝えています。
 ところが、同支所を管轄する広島刑務所(広島市中区)は今年度中に土塀を取り壊す計画で、今年9月にも着手の動きをみせています。三次地方史研究会の米丸嘉一会長らは、歴史遺産として残すよう求めて「旧三次刑務所の土塀を守る会」を結成。米丸会長は「地方史研究家として、身を切られるような思いだ。戦争は遠い昔におこなわれていたのではない。遺構には、正の遺産と負の遺産がある。原爆ドームも人類史の負の遺産ではないか。両方を総合してこそ、歴史の真実が分かる」と話しています。
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2010年08月25日,「赤旗」) (Page/Top

「併合」100年日本と韓国/第1部/支配と抵抗/2/治維法朝鮮半島で猛威

 「治安維持法(治維法)の最初の犠牲者は、朝鮮人でした」。長年、朝鮮近代史を研究してきた京都大学人文科学研究所の水野直樹教授はいいます。
 1925年5月12日に施行された治安維持法は、日本国内だけでなく、植民地支配をしていた朝鮮半島でも猛威を振るいました。

死刑の執行も
 水野教授は「日本史の研究では治安維持法の最初の事件は、京都の学生たちがつくった社会科学研究会を摘発した京都学連事件(25年12月)だとされていますが、朝鮮半島では11月末に、朝鮮共産党に対する弾圧が行われている」と語ります。
 第1次朝鮮共産党事件。これは、朝鮮の独立を求める運動を展開した朝鮮共産党員66人が検挙され、獄死、または病気で保釈直後に3人が亡くなった事件でした。第4次まで及んだこの事件は、300人を超える人が検挙されます。
 朝鮮の独立を求めることは、治安維持法違反にあたるのか―。水野教授は当時の裁判記録を研究するなかで、「日本が植民地にした朝鮮を、朝鮮人が取り戻そうとすることは、国体の変革にあたるとする法の拡大解釈が施行直後から朝鮮半島では行われていた」と指摘します。
 それが量刑の重さにも表れています。日本国内では死刑判決が一例もなかったのに対し、朝鮮では約60人(治安維持法と他の刑法を合わせたものも含む)に死刑が執行されています。30年、31年に一斉検挙された第5次間島共産党事件では、18人に死刑判決が下され、執行されました。
 また、日本国内では28年から38年の間に治安維持法違反で無期懲役を言い渡されたのは1人でしたが、朝鮮では39人。懲役15年以上についても、日本が7人で、朝鮮では48人だったといいます。
 当時、朝鮮の人々は選挙権を認められていませんでした。同法にたいして発言権は認められず、悪法だけが押し付けられたのです。水野教授の研究をみても、朝鮮半島で同法がどれだけ大きな被害をもたらしたかが想像できます。

詩人の判決文
 1943年に朝鮮語で詩を書き、日本国内で治安維持法違反として逮捕され獄死した詩人、尹東柱の判決文を今年7月、市民が閲覧し話題になりました。尹東柱のゆかりの地に記念碑を建てようと運動する京都府宇治市の市民らが、京都地検に資料や遺品の閲覧を請求したことがきっかけでした。
 日本では、戦前の資料は、なかなか一般に公開されません。一方、韓国では複写された治安維持法事件の判決記録が博物館などに展示されており、誰でも閲覧することができます。
 これらは朝鮮の歴史研究のために大事な資料だと水野教授はいいます。
 「日本当局は、判決文などの資料を積極的に公開し、韓国、北朝鮮の歴史研究者らにも提供すべきだと思います。隠したままの状態で、いくら『友好』や『植民地支配への反省』を言っても信頼は得られないでしょう。補償については議論の分かれる点があるとしても、歴史を明らかにするための資料を積極的に提供することは、すぐにでもできることだと思います」(つづく)

治安維持法
 天皇制廃止など、国政のあり方を根本的にかえる「国体の変革」などを掲げる結社やその指導者、個人を弾圧する法律。日本共産党をはじめ革命的労働・農民運動の弾圧のために制定。1925年に施行され、28年に最高刑が死刑に改悪されました。国内で約7万人、朝鮮半島では約2万5千人が検挙。1945年10月に廃止されました。
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2010年08月23日,「赤旗」) (Page/Top

芸能テレビ/フジロックフェスティバル’10/お目当てなくても最高

 夏恒例の、フジロックフェスティバル’10が7月30日から8月1日まで、新潟県湯沢町で開催されました。今年の観客はのべ12万5千人。苗場スキー場を起点とした山間の広大な会場が、人と音楽で満たされました。
 金子徹記者

無数
 フジロックフェスティバルは、日本最大級の野外ロックフェスティバルです。今年も「MUSE」などの海外の大物から国内の新人バンドまで、200組以上がライブをおこないました。
 小林多喜二の『蟹工船』を手にしていた大学生の男性(19)は、「あんまりお金ないし、日帰りです」といいます。「青春18きっぷ」を使い東京から在来線で来たといい、「今回が初めてでロックはくわしくないけれど、フェスの雰囲気を楽しみたい」と話しました。
 今年の特徴は、「ロックの遊園地」的な性格がこれまで以上に強まったこと。和洋、硬軟を織り交ぜた多彩なバンドが出演することで、音楽を楽しむ「入り口」が無数に用意されています。大自然のただなかのステージは大小合わせて10余り。同時多発的なライブをすべてみることは不可能です。
 みんなで打楽器を演奏するコーナーなど、参加型のイベントもあり、楽しみ方はさまざまです。
 音楽だけではありません。今年は大道芸やサーカスも充実し、思わず足がとまるパントマイムや綱渡りなどもありました。
 5回目の参加だという新潟市の会社員の女性(32)は、「フジロックって自由で、どう過ごしてもいいから楽しい。最初は夫に連れられて来たけれど、すぐに夢中になりました。特にお目当てはなくて、ここで過ごすのが楽しみ」といいます。

充実
 国内の参加バンドは今年も多彩です。「理想の低い政治家の黒いおしりをひっぱたけ」と激しく歌う「シアターブルック」、ロックではなく「癒やし系」のやわらかな歌声が心地よい「羊毛とおはな」、誠実さを感じさせるボーカルとメッセージ性の豊かな歌詞が魅力的な「アジアン・カンフー・ジェネレーション」など、充実の顔ぶれでした。
 横浜市から来た会社員の高山敦子さん(28)は、「仕事では外に出ないし、ずっとパソコンに触っている毎日なんです。自然のなかのフェスって最高。ここは涼しいし、ご飯もすすみすぎちゃって大変」と笑います。
 「自然と音楽の共生」をうたい、環境問題を重視するのもフジロックらしいところ。
 NGОも協力し、会場内のゴミの分別やリサイクルの作業を通じて、参加者に環境問題への意識を高める取り組みもなされています。
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2010年08月22日,「赤旗」) (Page/Top

「韓国併合」100年で講演/植民地支配ただす/大津

 平和・民主・革新の日本をめざす滋賀の会、県平和委員会、治安維持法国賠同盟県本部が21日、「『韓国併合』100年と日本」講演会を開きました。
 会場いっぱいの120人を超える参加者は、中塚明・奈良女子大学名誉教授の「『韓国併合』100年とNHKドラマ『坂の上の雲』」の講演を熱心に聞きました。
 中塚氏は、日本の朝鮮植民地支配の実態を示し、日本の歴史学者や歴史教科書も、「日本が朝鮮に何をしてきたか、朝鮮人はどうしたか」を書かず、朝鮮支配はしかたがなかったと思わせる例があると指摘。原作者の司馬遼太郎氏が映像化しないよう求めていた『坂の上の雲』のテレビドラマ化では、「原作にない戦争批判を一部盛り込んだが、『明治の栄光』を一方的に主張している」と述べました。
 治安維持法国賠同盟県本部の川端俊英会長は「今年が韓国併合とともに、大逆事件100年でもあるのは無関係ではない。不幸な近代史のスタートとなり、太平洋戦争に突入した。今日的な意味を再確認したい」と述べました。
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2010年08月22日,「赤旗」) (Page/Top

「併合」100年日本と韓国/第1部/支配と抵抗/1/実父の独立運動≠ノ光

 朝鮮青年独立団は、わが民族を代表し、わが独立を期成せんことを宣言する―。
 30年ぶりに大雪が降ったという1919年2月8日の東京・西小川町(現西神田)。東京朝鮮キリスト教青年会(現在の在日本韓国YMCA)の講堂で数百人が集まり開かれた「朝鮮留学生学友会総会」で、朝鮮独立を求めた宣言文が採択されました。
 その約1カ月後、京城(現ソウル)にあるパゴダ公園(現タプコル公園)で独立宣言文が読み上げられ、「独立万歳」と叫びながらデモ行進が行われます。三・一独立運動です。東京での二・八独立運動に参加した学生がその宣言文を帽子に縫いこんで祖国に持ち帰り、三・一宣言文に影響を与えたといいます。
 朝鮮半島全土に広がった独立運動には約200万人が参加。日本は武力で弾圧し、7500人以上にも及ぶ死者が出たといいます。
 25年には治安維持法を公布し、日本は独立を願う人々を次々と弾圧します。しかし、その火は消すことができず、終戦間際まで続いていきます。

治維法違反で
 「実父の独立運動参加が事実だと明らかになった。本当にうれしい」
 韓国南東部・晋州市に住む申允植氏(60)は顔をほころばせました。現在、慶尚大学音楽教育科の教授です。
 允植氏の実父、申N雨は22年、韓国南西部の淳昌で出生。41年に日本に渡り、横浜市の牧場で住み込みの牛乳配達をしながら東京の専門学校、研数学館で学び始めました。
 N雨は同年10月ごろから、日本留学中だった親類の申升雨、申奎植らとともに会合を持つようになり、朝鮮独立運動の組織化を話し合ったといいます。
 12月8日に太平洋戦争が開戦するとN雨らは「日本は経済的に敗退し、必ず敗戦する」と見通し、朝鮮独立の好機が訪れたと判断。朝鮮に戻り民衆蜂起による独立達成のために組織化活動を展開すべきだとして、奎植を先陣として朝鮮に帰すことを決めました。
 しかし12月13日、N雨ら7人は検挙され、治安維持法違反で起訴されます。「在横浜民族共産主義学生グループ策動」。43年12月23日、N雨は横浜地裁で懲役1年6月の判決を受けました。
 允植氏は、実父・N雨をしのばせる物を何も持っていません。日本で独立運動に参加し、刑務所に収監されていたという話は周囲から聞いていましたが、確認するすべがありませんでした。

南北分断の壁
 転機は2005年12月、盧武鉉政権下で発足した「真実・和解のための過去史整理委員会」が、埋もれた歴史の解明のために真相究明申請の受け付けを開始したことです。允植氏の申請を受け、委員会の姜孝叔調査官が独立運動でN雨が投獄された事実を突き止めました。
 委員会が受け付けた独立運動に関する真相究明申請は273件。このうち約3分の2は社会主義・共産主義系の運動だといいます。
 姜調査官は「三・一独立運動までは民族主義の運動だった。三・一独立運動が弾圧された後、独立運動家が組織化の必要性を痛感したことや、ロシア革命の影響もあり、社会主義・共産主義系の独立運動が急速に広がった」と指摘します。
 左翼系の独立運動は南北分断の影響で、長年にわたり史実が埋もれたままになっていました。「実父は朝鮮戦争開戦以降、消息不明。住民登録上は生存していることになっている。死亡届を出すわけにはいかない」と允植氏は言います。
  ◇
 「韓国併合」から100年。日本の植民地支配の実相と、友好に向けた未来への展望を考えていきます。
 (つづく)
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2010年08月22日,「赤旗」) (Page/Top

あす韓国併合条約100年/植民地支配の苦しみいまも…/未来は歴史に向きあってこそ

 100年前の1910年8月22日、日本は韓国併合条約を締結しました。36年にわたる植民地支配の苦しみはいまなお続いています。植民地支配とはなんだったのか、未来への方向性などを見ました。
 (面川誠、栗原千鶴)
 
 1910年代は土地調査事業による「土地よこせ」、20年代は産米増殖計画による「米よこせ」、30年代は皇民化政策による「人よこせ」、40年代は徴用、徴兵による「命よこせ」だった――。在日大韓民国民団(民団)が作成した歴史教科書『在日コリアンの歴史』は、日本の植民地支配をこう特徴づけています。
 とりわけ、31年の満州事変以降、満州―中国本土などアジアに対する日本の侵略戦争が拡大するにつれ、朝鮮半島は前線に最も近い兵たん基地としての役割が強化されました。戦争への物的人的動員のため、食糧、地下資源、工業製品の収奪とともに、「皇民化運動」が大々的にすすめられました。
 朝鮮人の「皇民化」のため日本がやったことは、朝鮮語教育の事実上廃止、神社参拝の強要、そして朝鮮式の名前を奪った創氏改名です。日本本土の工場・鉱山への労務動員・強制連行にとどまらず、ついには朝鮮人の兵力動員―徴兵制の施行にゆきつきました。

謝罪と補償を
 「巨大な監獄、植民地を生きる」。多くの独立運動家が投獄されたソウル市内の刑務所を保存した「西大門刑務所歴史館」で開催されている特別展示のタイトルです。朝鮮半島全体が監獄だった時代が、豊富な写真と史料を通じて実感できます。
 小学生から大学生まで、多くの韓国人が歴史学習の一環としてここを訪れます。夏休み中のいま、日本人の姿も目立ちます。
 日本からきた大学生の1人は、独立運動への激しい弾圧の現場を前に、「教科書で読んだときの印象とは全然違う。ここまで人々を苦しめたとは想像していなかった」とつぶやきました。
 韓国各地には、植民地支配による被害に苦しんでいる人々がいます。日本軍の性奴隷とされた「慰安婦」、軍需工場などに動員された女子勤労挺身隊員、日本軍に徴兵・徴用された男性など、多くの被害者が日本政府の補償を求めてたたかい続けています。
 光州市に住む梁錦徳さん(79)は小学6年生のとき、勤労挺身隊員に「志願」しました。日本人教師が「日本に行けば中学校で勉強できるし、働いて家を買えるくらい給料がもらえるし、親を楽にできる」とさそわれたといいます。
 実際には名古屋の三菱重工業航空機製造工場で、月曜から土曜まで毎日10時間近い労働を強制されました。宿舎は鉄条網で囲われ、事実上の監獄。日本の敗戦で帰国するとき、会社が貯金してあるはずの賃金はまったくもらえませんでした。
 帰国後は「日本でどれだけ稼いだのか」「『慰安婦』をやって金をもらったんだろう」と、周囲の好奇心と差別に苦しみ続けます。
 「私が本当にほしいのは、奪われた人生だ。日本政府が謝罪して補償しても、人生が返ってこないのは分かっているけど、このままでは納得できない。謝罪と補償をしてくれれば、失った人生を心の中で取り戻す気持ちにもなる。いまも私は植民地支配から解放されていない」

「結者解之」
 韓国の国会議員がつくる韓日議員連盟の朴正浩事務総長は、「日韓の協力関係は、歴史問題が浮上するたびに水泡に帰するということが繰り返されてきた。地球温暖化、世界各地の貧困、対北朝鮮政策など、日韓が協力すべき課題は山積していのに、過去の歴史が前進を阻んでいる」と指摘します。
 「『慰安婦』などの被害者に対しては、日本政府ができる限りの補償を行うことが望ましい。協力関係の前進も待ったなしだ。歴史の清算と未来へ進む協力関係の構築。この二つを並行して進める知恵が必要ではないか」
 過去の歴史のせいで信頼関係が築けない日韓関係を変えなければならない―。韓国人と話していると、多くがこう語ります。
 同時に「結者解之」という言葉もよく使います。「問題を引き起こした者は、何があっても自分の責任で解決すべきだ」という意味です。
 弁護士の朴元淳氏は、「慰安婦」制度を戦争犯罪として裁いた2000年の民衆法廷「女性国際戦犯法廷」で、検事団の一員でした。その後、市民団体「希望製作所」を日韓両国で立ち上げ、「日韓が学び合う市民運動」に力を入れています。
 「日本政府が本当に未来志向のビジョンを持っているなら、なぜ被害者への補償に踏み切らないのか。どの国も過ちは犯すものだ。補償すれば被害者だけでなく日本政府も苦しみから解き放たれる。日韓は互いに学び合えるはずなのに、大きなチャンスを逃している」

「韓国併合」めぐる動き
1868年明治維新
 75 軍事力で朝鮮の開国を迫った江華島事件
 76 日朝修好条規調印
 94〜95 日清戦争
 95 日本公使の指示で明成皇后殺害
1904〜05 日露戦争
 05 第2次日韓協約(外交権を日本が掌握)、抗日闘争激化
 07 第3次日韓協約(日本が内政全般を掌握)
 09 安重根が伊藤博文殺害
 10 韓国併合条約、朝鮮総督府設置
 19 三・一独立運動
 25 治安維持法施行
 31 満州事変
 38 朝鮮に陸軍特別志願兵令公布
 40 創氏改名を強制
 44 朝鮮に徴兵制を公布
 45 日本敗戦、朝鮮解放
 48 大韓民国樹立、朝鮮民主主義人民共和国樹立
 50 朝鮮戦争
 65 日韓基本条約
 93 「慰安婦」への日本軍関与を認める河野官房長談話
 95 村山首相が戦後50年の談話発表
2000 平壌で南北首脳会談
 02 日朝首脳会談・平壌宣言
 10 「韓国併合」100年で菅首相が談話
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2010年08月21日,「赤旗」) (Page/Top

平和願い宣伝、集い/「戦争は間違い」/宮崎

 治安維持法犠牲者国賠同盟宮崎県本部は終戦65年の日の15日、宮崎市のアーケード「一番街」入口で「再び戦争と暗黒政治を許すな」と宣伝しました。黄色いゼッケンをつけてのぼりを掲げ、ハンドマイクで核兵器のない世界と基地のない沖縄、平和な日本をめざそうと訴えました。
 訴えを聞いた70代の男性は「毎日、昼は隠れて夜間に逃げた」と中国からの引き揚げ体験を紹介し、「あの戦争は間違いだったよ」と話していました。
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2010年08月18日,「赤旗」) (Page/Top

戦争繰り返さない各地で催し/「戦争はダメ」青年が署名/水戸・リレー宣伝

 茨城革新懇と治安維持法犠牲者国賠同盟県本部は終戦記念日の15日、水戸市のJR水戸駅北口で反戦・平和を訴えるリレー演説をしました。革新懇、治維法同盟、県原水協、救援会、日本共産党などから9人が参加し、「核抑止力論」にしがみつく菅首相を批判。核兵器廃絶や安保条約廃棄、憲法改悪阻止などをよびかけました。
 通りかかった青年は「戦争を体験した祖父母は戦争は絶対ダメだと言っていた」と話し、署名に応じました。
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2010年08月18日,「赤旗」) (Page/Top

暗黒政治回帰許さぬと訴え/青森市

 終戦記念日の15日、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟青森県本部、同東青支部は、日本共産党青森県委員会、同東青地区委員会と共催で青森市新町で街頭宣伝し、国家賠償を求める署名への協力を訴えました。
 「ふたたび戦争と暗黒政治を許すな」の横断幕を掲げ、ゼッケンを着けた15人が、ビラを配布しながら、署名を呼びかけました。
 同盟県本部顧問の高橋ちづ子衆院議員も駆けつけ、戦争が今でも多くの人に影を落としているとのべ、憲法を生かす政治への決意を表明しました。
 また20代、30代の会員もマイクを握り、ふたたび暗黒政治を許さないという思いを訴えました。
 同日は、弘前市でも弘前支部のメンバー5人が、ビラを配布するなどの宣伝をしました。
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2010年08月18日,「赤旗」) (Page/Top

宮城の2市で街頭宣伝実施/治維法国賠同盟

 宮城県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟塩釜支部は、終戦記念日の15日、塩釜市・多賀城市内6カ所で街頭宣伝をしました。
 弁士の相原君雄支部長らは、日本人310万人、アジアの人民2000万人以上が犠牲になった終戦記念日を決して忘れてはならないこと、また二度と繰り返してはならない誓いの日でもあることを訴えました。
 宣伝行動では、行く先々で演説を聞きにきてくれる人や手を振ってあいさつをしていく市民がいました。
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2010年08月18日,「赤旗」) (Page/Top

掌編小説/花/旭爪あかね

 北から南へ幾本もの川が流れ、そこかしこに、いくつもの橋がかかる。ここは、祖父母の生まれ育った街。ふたりの墓参りを父に頼まれて、私は二十年ぶりに広島を訪れた。
 核兵器廃絶の署名を集める、高校生たち。ギターに合わせ賛美歌を歌いながら行進する、教会の信者の団体。腕を組んでもつれ合うように歩く、外国人のカップル。八月六日を前にして、平和記念公園のまわりは、まるでフェスティバルのような賑やかさだ。最後にここに来たとき、私はまだ学生だった。当時のこの場所の様子は、記憶から抜け落ちている。
 原爆ドームに程近い川のほとりに、オープンテラスのあるカフェが店を開いていた。もう夕食の時刻だった。入口からテラスを覗いてみた。二十歳を少し過ぎたぐらいに見える、白いシャツに黒い長いエプロンを身につけたウェイトレスが、微笑んで、川からいちばん離れた二人掛けの丸テーブルの椅子を引いた。
 注文した烏賊のフリッターよりも先に、細長いグラスに入ったスパークリングワインが運ばれてきた。いくつもの細かな気泡が、浮き上がってきては、水面に辿り着いて、ぱちんと弾ける。そこへ、遠慮がちな声がした。
「相席をお願いしてもよろしいでしょうか」
 おなじテーブルに腰をかけたのは、ウェイトレスより少し年上と思われる女性だった。すらりと背が高く、長い黒髪をひとつに結んで、一重瞼だが、はっきりとした顔立ちだ。
 ほのかに金色を帯びたスパークリングワインが三分の一ほど減った頃、烏賊の揚げ物の皿がやってきた。同席の彼女の前には、まだ水の入ったグラスしか置かれていない。
「お先にいただきます」
 と小さく声をかけてから、尋ねてみた。
「どちらからいらっしゃったのですか」
 背筋を伸ばして座った正面の女性は、よく研いだナイフで切れ目を入れたような眼をこちらへ向けて、
「東京からです」
 と返事した。それから一拍置いて、
「家は釜山にあります。留学生なので」
 と、正確な発音で付け加えた。
「日本語がお上手ですね。こちらにいらして、何年になるんですか」
 彼女の頬に、少しだけ赤みが差した。
「三年目です。いま、大学院の二年生です」
 その手元に、静かに近づいてきたウェイトレスが、海老と明太子のパスタの皿を置いた。
「明日の平和記念式典のために来られたのですか」
 ほんのわずかのアルコールを口にして、私は少し調子に乗っていたかもしれない。そのように感じてしまったのは、私の質問にたいする彼女の返答が、ほんのりと潮の香りのするこの場所の生温い空気のなかに、心なしか冷たく尖って響いたからだ。彼女は言った。
「今朝の十時からおこなわれた、韓国人原爆犠牲者追悼式に参列するためです」
 すぐには言葉を発することができなかった。皿のうえのものにも手をつけず数秒が経ったとき、彼女はフォークを持った手を止めて、
「お姉さんは、どちらからですか」
 と問いを投げかけてくれた。ほっとした。
「千葉県からです。でも広島は、父の両親が生まれたところなんです」
「その方々は、原爆に遭われましたか」
「いいえ。たまたま親戚のところへ出かけていて、市内にいなかったそうです」
「そうですか」
 彼女はモスグリーンのテーブルクロスに、じっと目を落とした。それからゆっくりと顔を上げ、唐突に言った。
「私の両親の生まれ故郷は、ハプチョンです」
 
 あたりは、すっかり暗くなった。店を出て、石段を何段か降りると、もうそこは川縁だ。
 黒い川面に店のテラスからこぼれる明かりが反射し、あちらこちらがきらきらと輝く。橋を挟んだ対岸では、野外コンサートがおこなわれていた。橋のこちら側のたもとでは、岸辺にぴったりと身を寄せて教室ふたつ分ほどの大きさのボートを浮かべ、その舳先に据えたスクリーンで、アニメ映画を上映している。ソフトクリームを手にした親子連れと肩を並べて、私は石段に腰を降ろした。
 幼稚園児がクレヨンでいたずら描きしたみたいな犬の絵が、ぽつんとスクリーンの真ん中に現れた。犬は口を動かし、喋りはじめる。
「原爆を落としたのは、誰だ」
 画面の左上に、別の犬が登場する。右下にも、犬。その横にも、犬。犬、犬、犬、犬、……彼らは口々に問う。
「火を怖がらなかったのは、誰だ。火を熾し、火を手懐け、やがて火に仕返しをされたのは、誰だ。木も、草も、鳥も、虫も、犬も、貝も、人も、すべてのものを殺したのは、誰だ」
 現れては消え、消えては現れ、一匹になったり何百匹にもなったりする犬たちが、低い声で、暗い声で、可愛い声で、次第にその音が耳の奥に反響してくるぐらい、つぶやくように繰り返し問う。
「原爆を落としたのは、誰だ」
 そのときスクリーンが、ぱっと白くなった。犬たちの声がひとつになり、重く断定した。
「それは、人間だ」
 広島市立大学の学生が共同製作したという、十分間のアニメーション作品だった。
 川の向こう岸から、アメイジング・グレイスのメロディーが流れてきた。よく通る若い女性の声は、伸びやかに英語の歌詞を最後まで歌い終えると、こんどはおなじ曲に日本語を載せて歌いはじめた。それは、あの有名な「にんげんを かえせ」の詩であった。
 はじめ私には、その試みは際物的に感じられた。ところが、無骨でまっすぐ胸の芯に刺さってくる峠三吉の言葉たちは、曲線的で優美で、それなのにまるで吼えているみたいにも聴こえるその黒人霊歌のもともとの歌詞であったかのように、メロディーと調和し、あたり一帯の空気を震わせた。映画を観終えて石段に座っていた人々は、哀切な歌声に縛りつけられ、しばらくそこから動かなかった。
 
 モーニングコールをセットしておいたにもかかわらず、翌朝、私は寝過ごした。四時近くまで眠りに就くことができなかったせいである。
 昨晩遅く、ホテルのインターネットスペースで、「韓国 ハプチョン」を検索してみた。そして、あのときの彼女の一言が、決して唐突なものではなかったことを私は知った。
 陜川は、慶尚南道に位置する「韓国の広島」と呼ばれる地域だった。ここは、韓国で、原爆犠牲者がもっとも多く住んでいる場所だという。呉にあった日本海軍の基地や工場で働かせるため、強制的に広島に連れていかれた人がたくさんいたからだ。その後も、日本の支配によって痩せた土地をさらに奪われた農民たちは、職を求め、親戚縁者を頼って、広島に渡っていった。広島と長崎を併せて七十万人の被爆者のうち、一割にのぼる七万人が、朝鮮半島からやってきた人々であったという。
 原爆を落としたのは、誰だ。それは、人間だ。アジアの国々を侵略したのは、誰だ。それは、日本だ。人間であり日本人である私は、絶望するしかないのだろうか。昨日のあの映画は、言外にこう語ってはいないか。戦争をなくすことができるのも人間しかいない、と。
 平和記念公園を通る路面電車の停留所は、次の発車を待つ人たちの長蛇の列で埋まっていた。人込みをかきわけ、息を切らして原爆死没者慰霊碑のあたりまで行ったとき、平和記念式典は、もう終盤にさしかかっていた。
 朗々としてはいるが考え考え語っているようにも聴こえる英語でのスピーチの音声が、マイク越しに近づいてきた。広島市の腕章をはめ、炎天下でも帽子を被らぬ白いシャツの男性たちが、式典会場を囲み、ロープを持って立っている。私はその外側の芝生のうえに位置を定めた。と、急に日本語が耳に入った。
「私は、平和のために広島へまいりました」
 川のほとりのカフェで釜山からの留学生の彼女が話したような、明瞭で、正確な発音の日本語だった。漣のように、拍手が湧いた。
 
 平和記念公園は、原爆ドームの側を流れる元安川と、それと源流をおなじくする本川とで挟まれた中州にある。白いトルコ桔梗を一輪たずさえて、昼過ぎ、私は本川橋のたもとへ向かった。頭上から、蝉の鳴声が降り注ぐ。
 樹木の陰になった緑地帯の一画に、たくさんの花や千羽鶴に埋もれるようにして、韓国人原爆犠牲者慰霊碑が建っていた。黒いすべすべした直方体のその石は、御影石で彫られた亀の背中のうえに載せられていた。韓国では、亡くなった人の魂は亀の背に乗って天に昇る、と言い習わされているからだ。
 高貴な表情をしたその亀の口元に、立派な花輪が置かれていた。そこには、今朝の式典であの英語と日本語の挨拶を述べた、国連事務総長・潘基文氏の名が認められた。クリーム色と淡いパープルのバラとでつくられた、やさしいながらも凛とした印象の献花だった。
 
 ひのつめ・あかね 1966年生まれ。「冷たい夏」で第2回民主文学新人賞。『稲の旋律』で多喜二・百合子賞。近刊に『月光浴』。
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2010年08月17日,「赤旗」) (Page/Top

終戦65年/核兵器廃絶、平和の誓い新た/共産党が各地で宣伝/大阪/滋賀/兵庫/奈良/和歌山

 終戦65周年の15日、日本共産党は近畿各地でも街頭宣伝をおこない、戦前の創立時から侵略戦争、植民地支配反対を貫いてきた党として核兵器廃絶と平和への決意を示しました。

山下、宮本両議員ら/大阪
 日本共産党大阪府委員会は買い物客や若者らが行き交う大阪・なんば駅前で街頭宣伝しました。
 山下よしき参院議員、宮本たけし衆院議員、清水ただし府国民運動本部長、矢達幸大阪市議が訴えました。
 山下議員は、日本が起こした侵略戦争を「日本を守るため」「アジアを解放するため」と正当化しようとする動きを許してはならないとのべ、「こうした逆流をみんなの良識で打ち破ろう」と呼びかけました。
 宮本議員は、終戦の日の前日に多くの市民が犠牲になった京橋駅空襲に触れ「二度と戦争を繰り返してはならない。侵略戦争に命がけで反対を貫いた党として、憲法9条、日本の平和を守り抜くために全力を尽くします」と話しました。
 清水氏は、「核抑止力は必要」と言う菅直人首相を批判し、世界で核兵器廃絶の流れが大きく広がっていると指摘。「核兵器も戦争もない平和な日本、世界をつくるためにともに力を合わせましょう」と訴えました。

穀田議員ら2カ所で/滋賀
 日本共産党の穀田恵二国対委員長・衆院議員は、滋賀県大津市と草津市のJR駅前で、侵略戦争と植民地支配の犠牲者と遺族への哀悼を表明し、世界の平和の流れをすすめ、核兵器廃絶に力を尽くす決意を述べました。
 穀田氏は、漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の作者水木しげる氏が「狂気の戦争」を描き、発言し続けてきたことや、全国の空襲被害者の大同団結や地域の平和運動を紹介。また平和の地域共同体をめざす東南アジア友好協力条約(TAC)に世界人口の7割を超える国が参加し、「核のない世界」をめざす動きも広がっていると指摘。日本は「抑止力というきなくさい戦争の手段ではなく、平和の外交力が求められている」と訴えました。
 大津では森茂樹県議、石黒加津子市議、草津では西川仁県議、藤井三恵子市議、久保秋雄市議が訴えました。

堀内氏らが「光る9条」/兵庫
 日本共産党兵庫県委員会は、神戸市中央区のJR神戸駅前で宣伝しました。
 兵庫選挙区候補として参院選をたたかった堀内照文・党兵庫国政委員長が、「戦争で犠牲になられた方々に心からの哀悼をささげたい」とのべ、憲法9条の値打ちが世界政治の現実のなかで光っていることや、核兵器廃絶をめざす大きな流れとそれを妨げる「核抑止力論」の誤りを指摘。「日本共産党は、核も基地もない日本へ奮闘します」と訴えました。
 段野太一市議、大前まさひろ市議候補も宣伝に参加しました。

県議・候補駅頭で宣伝/奈良
 奈良県では党県議・候補や支部の人たちが駅ターミナルなどで宣伝を行い、平和への決意を訴えました。
 奈良市の近鉄奈良駅前では山村幸穂県議と西本守直、北村拓哉の両市議が演説しました。
 山村県議らは「侵略戦争反対を貫いた党として核兵器を廃絶し、憲法9条を生かした外交を進めるために、草の根でさらに運動を強めてがんばります」と訴えました。
 同日、革新懇や母親大会連絡会の人たちが街頭で「赤紙」(召集令状)のコピーを配布し、「家族で読んで平和や憲法について考えてほしい」とよびかけました。

地方議員と候補先頭に/和歌山
 和歌山県では地方議員・予定候補を先頭に平和を訴えました。
 和歌山市では、奥村規子県議、渡辺忠広市議、中村朝人市議予定候補がマイクを握り、アジアで2000万人を超える犠牲を出した日本による侵略戦争をきびしく批判。朝鮮半島や中国への「加害」の事実からも逃れることはできないと指摘しました。
 また米軍基地強化の動きに沖縄で「島ぐるみ」のたたかいが広がり、新基地建設を許していないと強調。戦前の党創立以来、侵略戦争に反対し、戦後は平和憲法を守りその実現に全力をあげてきた日本共産党の活動を紹介し、「反戦・平和の党としてこれからも平和を守るため全力をあげます」と決意を表明しました。

治維法国賠同盟県本部が宣伝/和歌山駅前
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部と和歌山市支部は15日、JR和歌山駅前で宣伝・署名に取り組みました。
 宣伝には10人が参加し、戦前の日本による侵略戦争を批判し、平和憲法を守れと訴え、ビラ300枚を配布しました。署名約100人分が寄せられました。
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2010年08月17日,「赤旗」) (Page/Top

終戦記念日/核兵器と戦争なくそう/共産党が訴え/北海道/青森/福島/秋田

 第2次大戦の終戦から65年となる15日、北海道・東北の各地で日本共産党の議員や候補者が街頭宣伝に取り組み、「戦争と核を世界からなくそう」と訴えました。

北海道/紙議員ら宣伝/八雲町議団ら

紙議員ら宣伝
 日本共産党北海道委員会は、札幌市の大通公園で街頭演説を行いました。
 紙智子参院議員、10月に行われる衆院5区補選に立候補を表明している宮内さとし氏、畠山和也道政策委員長が訴えました。
 「あの戦争は何のための戦争だったか」と問いかけた紙議員は、台湾で終戦を迎えた父の境遇をからめながら、戦前、教育によって事実がさかさまに描かれ、国民がそう思い込まされた怖さを語り、「(道教委がすすめている)教育の反動化を見過ごすことはできない」と指摘しました。
 紙議員は、普天間基地問題などで「抑止力」論が言われているが、武力に武力の発想では世界から戦争をなくすことはできない。核兵器も抑止力論で悪循環に陥ったとして、「日本は9条を持つ国として、外交で平和のための秩序をつくるべきです。ここにこそ解決の道筋がある」と強調しました。
 宮内候補は、「安心して住み続けられる地域づくり、憲法を暮らしに生かし、衆院5区で『政治とカネ』の問題で審判をくだそう」と訴えました。

八雲町議団ら
 北海道の日本共産党八雲町委員会と町議団は、終戦65年にあたって街頭宣伝を行いました。
 竹浜俊一町委員長と佐藤智子、横田喜世志両町議は、「きょうは1945年8月15日の終戦から65周年にあたります。戦争の惨禍に思いをはせ、平和への思いを新たに生かし抜く決意の機会としたい」と述べ、「日本共産党は創立以来、侵略戦争と植民地支配に反対して命がけでたたかってきました。今後とも反戦・平和の党として、平和の実現のため力をつくします」と決意を述べました。

青森/高橋議員ら
 日本共産党の高橋ちづ子衆院議員は、かさい育弘青森市議候補とともに、青森市の「さくら野」前で街頭演説をし、「命がけで侵略戦争に反対した日本共産党の一員として、平和をまもるため、核兵器をなくすために頑張っていく」と決意をのべました。
 高橋議員は、最近十和田湖底で旧陸軍の練習機の機体が発見されたことや第2次世界大戦の空襲被害者の救済、補償を求める「全国空襲被害者連絡協議会」が結成されたことにもふれながら、「憲法を変えようという動きも強まっており、綱引きが続いている。9条守れ、核兵器なくせの声を広げよう」と訴えました。

福島/街頭、住宅地で
 日本共産党福島県委員会と同福島相馬地区委員会は、福島市内の街頭や住宅地で演説をおこないました。
 JR福島駅東口で久保田仁県委員長は、今年100年目にあたる「韓国併合条約」に言及しました。
 この条約は、日本が韓国に軍事的強圧で押しつけたものであり、そのもとで野蛮な植民地支配を強行したことを指摘。この事実を両国の共通認識とすることは今日の重要課題であり、いま一部にある侵略戦争と植民地支配を美化する逆流を許さないために、全力を尽くすとのべました。
 同氏は、戦争と武力行使をなくし、核兵器のない世界をめざすとりくみに力をそそぎ、北東アジアに平和的環境をきずくため力をつくすとのべました。
 宮本しづえ党県副委員長は、65年前の戦争で福島県民6万4千人、福島市民5300人余が犠牲になったことをあげ、「この尊い犠牲のうえにつくられたのが今の憲法」と強調。平和、国民が主人公の力で基地も核もない沖縄、日本をと訴えました。
 藤川しゅく子県議は、核兵器廃絶に向け新しい動きが始まっていることにふれて演説。斎藤朝興、佐藤眞知子両福島市議も訴えました。手を振って行く人、関心をもって見上げたり、振り返る人もいました。

秋田/12市町村で街頭宣伝
 日本共産党秋田県委員会は、12市町村43カ所で終戦記念日の街頭演説を行い、反戦平和の党・日本共産党を語り、「憲法9条の理念を世界に広げ、核兵器のない世界をともにつくろう」と訴えました。
 議員や党員51人が参加しました。各地で治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部の各支部員もいっしょに行動しました。
 横手市と大仙市では、夏の成人式会場前でビラ配布と街頭演説をしました。大仙市大曲では、藤田和久・党仙北地区委員長と佐藤文子市議が、「成人おめでとう。きょうは終戦65周年の日です。日本国憲法は再び戦争を起こさない決意をうたっています。平和に徹する日本、世界をいっしょにつくっていきましょう」と呼びかけました。
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2010年08月17日,「赤旗」) (Page/Top

非核・平和の行動各地で/核兵器なくせ市民平和展/北海道・岩見沢

 「核兵器のない世界へ」をテーマに、北海道岩見沢市で、岩見沢市民平和展(原水協、国賠同盟ら4団体でつくる実行委員会主催)が7、8の2日間開かれました。
 原爆パネルや平和の絵手紙、原爆瓦、治安維持法犠牲者の写真など100点を展示。「ポスターを見て、来ました」という親子が、被爆の実相を訴える写真を見つめていました。
 会場内では、5月に行われたニューヨークの核不拡散条約(NPT)再検討会議のDVDも視聴しました。
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2010年08月13日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟各県本部が総会/山梨/神奈川


山梨
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟山梨県本部は7日、甲府市内で総会を開きました。
 石丸あきじ会長代行はあいさつで「県同盟が再建されて23年が経過しました。この間、情勢も大きく変化し同盟の目的を実現する可能性も高まっています。活動を国民運動に発展させるため頑張りましょう」と呼びかけました。昨年掲げた会員拡大目標を超過達成したことを確認。新たな目標と田辺敏光会長など役員を決めました。

神奈川
 治安維持法国賠同盟神奈川県本部は8日、横浜市で定期総会を開き、50人が参加しました。
 来賓あいさつした日本共産党の畑野君枝県副委員長は参院選で敗れたもののアメリカいいなり、大企業優先の二つの異常な政治に対決していく党の姿勢を強調。戦前の治安維持法による弾圧犠牲者のたたかいに学び奮闘する決意を述べました。
 増本一彦会長は参院選での日本共産党の後退で紹介議員が減るなど同盟にとっても損失としながら「困難なときこそ同盟の出番。請願運動の働きかけを強めていく」と表明しました。総会では、強権政治を狙う衆院比例定数削減に断固反対することを決議し、国民的運動に全力を尽くすことを確認しました。
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2010年08月12日,「赤旗」) (Page/Top

原爆写真展、平和のつどい各地で/多喜二の母の「一人語り」公演/栃木・日光

 栃木県日光市の今市平和委員会(池田正光会長)は8日までの3日間、市内山間部の小来川(おころがわ)で原爆写真展を開きました。原爆写真に見入っていた女性(70)は「初めて原爆による被害を見ました。ニュースで聞く以上にショックでした。核兵器をなくすために活動している人たちの気持ちを知ることができました」と話しました。
 また8日には、原爆の悲惨さや核兵器廃絶を求める姿を伝えた写真を背に日本共産党員作家・小林多喜二の母、セキの「一人語り」の公演が披露されました。
 「一人語り」を演じたのは地元の田中ケイ子さん(67)。これまでに関西方面を含め全国15カ所を回り、地元では初めてです。作家三浦綾子の小説「母」に描かれた多喜二の死に接したセキの思い、治安維持法制定8年後の1933年に多喜二が虐殺された当時の時代背景などを交えて語りました。参加した約50人は真剣なまなざしで約40分の熱演に聞き入っていました。
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2010年08月10日,「赤旗」) (Page/Top

治安維持法国賠同盟が総会/宮城県本部

 治安維持法国賠同盟宮城県本部は7月31日、仙台市で第20回総会を開きました。
 冒頭、県内ただ一人の治安維持法弾圧の生き証人である98歳の大川芳夫会長があいさつし、盛んな拍手を受けました。
 日本共産党宮城県委員会の横田有史副委員長・県議、県労連の鎌内秀穂事務局長が来賓として出席、参議院選挙後の情勢に触れながら、あいさつしました。
 根本京子事務局長がこの1年間の活動のまとめ、新年度の方針について報告。治安維持法下の不屈のたたかいの顕彰や賠償法制定の請願署名の推進、レッド・パージ反対同盟のたたかいの支援などを提案、採択しました。
 討論では、学習集会や街頭宣伝、顕彰活動や署名・財政活動を総合的に進めた塩釜支部の経験などが語られました。
 総会は、「自衛隊情報保全隊の監視活動差し止め決定を求める要請」決議を採択しました。
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2010年08月05日,「赤旗」) (Page/Top

7月】(ヘッドライン)

潮流

治維法国賠同盟道本部が大会

治維法国賠同盟大会/鳥取

治維法国賠同盟山形支部が総会

三次監獄外壁残して/治維法弾圧の歴史遺産/広島

津川武一生誕100年に寄せて/同郷太宰治との接点と交流/阿部誠也

治維法違反で逮捕・朝鮮の詩人尹東柱/判決文を市民が閲覧/地検動かし原本公開

読書/文庫/小林多喜二著『独房・党生活者』

日本民主主義文学会全国研究集会始まる/滋賀

治維法国賠同盟・秋田/衆院比例定数削減反対の決議採択

『戦旗』支局弾圧80年/函館で講演会

日本共産党創立88周年/1922〜2010年/不屈のたたかい歴史に刻む

治維法国賠要求同盟岐阜県の東濃西支部が総会

本立て/青春の街/玄間太郎著

アートを楽しむ生き方/日野原重明+松本猛著/評者竹迫祐子安曇野ちひろ美術館副館長

ひと/横浜事件再審のたたかいに力をそそいできた橋本進さん(83)

井上ひさしさんお別れの会/各界関係者1200人/不破哲三氏出席

国家の詫び状/横浜事件補償決定の公示の意味/橋本進

7月本文】(Page/Top

潮流

 ピアノ奏者の小曽根真さんには、3度驚かされました。1度目は、26年前でした▼小曽根さんが、ジャズ演奏の録音を通して広く知られるようになったときです。当時23歳。レコードの表紙に写る表情は、あどけなさをとどめていました。ところが、演奏は先輩たちも顔負けの堂々とした弾きぶり▼若者らしい生気と熟した味わい。文句なしに、「これほどの大器はめったに現れない」との世評が納得できました。小曽根さんは多くの聴き手の心をつかみ、「世界のオゾネ」へと飛び立ってゆきます▼次は、5、6年前だったでしょうか。ある日、何気なくテレビの音楽番組を途中から見始めました。と、小曽根さんがモーツァルトの協奏曲を弾いているではないか。堂に入った演奏。小曽根さんの音楽に、形の垣根はありません▼3度目は昨年です。井上ひさしさんが小林多喜二を描いた「組曲虐殺」の、音楽と演奏をうけもちました。舞台に連日の生出演。読売演劇大賞の最優秀スタッフ賞を受けます。審査員が評しました。「恐ろしい事実を伝えたい、でも人々を楽しませたい――この多喜二の思いと、泣いて笑える井上戯曲の持ち味に、小曽根真のジャズ風味のブルースはぴったりだった」▼最近の話題は、「ロード・トゥ・ショパン」の録音です。ショパンへの道。ことし生誕200年のショパンの名曲をさまざまな形に弾き分ける、作曲家への尊敬と愛情に満ちた曲集です。小曽根さん、今後はどんな驚きをもたらしてくれるのでしょう。
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2010年07月31日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟道本部が大会

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部は25日、札幌市で第32回大会を開きました。代議員ら38人が出席し、1年間の活動報告と今後の運動方針を討議しました。
 報告では、▽参院選の結果は、自民、民主の二大政党から国民は離れつつあり、新しい政治を探求していることを示した▽この中で、「再び戦争と暗黒政治を許さぬ」同盟の役割はますます重要になっている―と指摘。
 これを受け12支部の13人が、来年5月の国会請願までに、治安維持法犠牲者への国家賠償を求める5万の署名目標に挑戦したいなどと発言しました。
 「多喜二の周囲にいた多くの無名の人々を発掘し顕彰したい」「レッドパージの犠牲者の苦労も明らかに」「若い会員を増やそう」など意欲的な討論が行われ、報告と方針が採択されました。
 大会では「在沖縄米軍の矢臼別移転反対」「民意を削る衆院比例定数削減反対」「道教委は情報提供制度導入の撤回を求める」の三つの特別決議を採択。役員改選では外尾静子会長が退任、会長宮田汎、事務局長伊藤俊を選出しました。
 日本共産党道委員会の青山慶二書記長が来賓あいさつ。参院選での支援を感謝しつつ、「どんな条件下でも勝利できる党をつくりたい。道5区衆院補選では宮内さとし候補を立ててたたかうので、ご支援を」と訴えました。
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2010年07月31日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟大会/鳥取

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟鳥取県本部は25日、北栄町で第19回大会を開き、33人が参加しました。
 今年は「日韓併合100年」にあたり、民団鳥取県本部前事務局長の金泰鎮(キム・テジン)氏を招き、日本による韓国の植民地支配などについて学習しました。
 金氏は、日韓併合条約は、日本が武力を背景に韓国(朝鮮)に強制したもので、非合法的に植民地にしたものだと指摘。日本では、「歴史を知らない、知ろうとしない、教えない」現状があり、両国の未来のためにも、歴史を学んでほしいと主張しました。
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2010年07月27日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟山形支部が総会

 治安維持法国賠同盟山形支部は25日、山形市内で第14回総会を開きました。
 総会に先立ちビデオ「証言―侵略戦争」(日中友好協会制作)を鑑賞し、「まわりの人にも見てもらいたい」「兵士の判断力を奪い思い込ませるなど、現代に通じる部分もある」「旧日本軍の兵士の人間性を奪うやり方を強く批判する意見、歴史を歪曲(わいきょく)する勢力が出てきている。真実を見極める目が大切だ」などの感想や意見が出されました。
 10年度の方針「国家賠償法」の制定実現に向けた取り組みとして、@署名活動A歴史の掘り起こしや風化させない活動B組織の強化拡大などと予算を決定しました。
 新役員は次の各氏。
 支部長・高橋健(再)、副支部長・高橋嘉一郎(再)、事務局長・鈴木正晃(再)。
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2010年07月27日,「赤旗」) (Page/Top

三次監獄外壁残して/治維法弾圧の歴史遺産/広島

 広島県三次市の三次監獄支署の外壁を歴史遺産として残すよう求める「旧三次刑務所の土塀を守る会」の米丸嘉一代表世話人ら4人は23日、市役所内で村井政也市長と懇談しました。同支所管轄の広島刑務所は今年度中の外壁取り壊し竣工(しゅんこう)に向けて、8月入札、9月着工の方向で動いています。
 三次監獄支署は1889年に創設。1916年から女性受刑者専用となり、『荷車の歌』などで知られる作家の山代巴も思想犯として収監されました。現在は改築された三次拘置支所の外周壁として、石垣を含めれば高さ約6b、長さ約60bの堅固な土塀が、戦前の治安維持法の弾圧の歴史を伝えています。
 先月12日に結成された「守る会」の要望を受けて、三次市は今月20日、市長、市議会議長、教育長の連名の要望書を広島刑務所に提出。しかし、「保存は困難」との回答があったため、村井市長は「厳しい状況だが、できる限りのアプローチを試みたい」と述べました。
 米丸代表が会長を務める三次地方史研究会は、三次拘置支所に土塀の見学が常時可能となるよう要望しています。米丸代表らは、土塀を壊す費用があるのなら調査や修理・保全をする費用に充てるべきだと語りました。
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2010年07月24日,「赤旗」) (Page/Top

津川武一生誕100年に寄せて/同郷太宰治との接点と交流/阿部誠也

 8月2日、津川武一は生誕百年を迎える。津軽保健生協・健生病院創設者として、5期13年にわたって活躍した代議士として、さらに文学者としての業績は、今も光彩を放っている。1969年暮れ、東北初の共産党代議士誕生、と県民を歓呼に湧かせた光景が目の奥に焼きついている。
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 文学者としての津川の本格的な活動は、55年、『農婦』(読売新聞小説賞佳作入選)と、『過剰兵』(サンデー毎日大衆文芸賞入選)で開始された。やがて弘前出身の葛西善蔵文学の顕彰活動に尽くしている。
 文学分野においても幅広く、小説、評論、ルポ、俳句など、私の編集責任で没後刊行された『津川武一日記』全10巻(北方新社)を含めると59冊に及ぶ。同人誌『弘前文学』創刊に参画し、66年には日本民主主義文学会弘前支部を創立。初代支部長として地方の民主主義文学運動の発展に、大きな役割をはたした。こうした長年の文学活動が評価され、第2回青森県文芸協会賞を受賞している。
 昨年、生誕百年を迎えた同郷の作家・太宰治とは、旧制弘前高校(現弘前大学)で同期であった。が、津川は理科で、太宰が文科だったこともあり、二人の直接的な交流はなかった。
 貧農の息子であった津川は、勉学一筋の真面目な学生であった。一方、作家を志していた太宰は、仲間と『細胞文芸』を創刊し、盛んに創作活動をしている。
 同じ文科で社研活動をし、『校友会雑誌』などに小説を発表していた石上玄一郎がいた。石上のプロレタリア文学に影響を受けた太宰は、青森で発行されていた文芸総合誌『座標』に、悪徳地主を暴いた「地主一代」などを発表する。題名からしてそのころ『中央公論』に発表された、小林多喜二の「不在地主」を読み、ヒントを得たものと思われる。
 津川と太宰が交流するようになったのは、共に東京帝大(現東大)に入学してからである。医学部に進んだ津川は、読書会で社会科学を学び、やがて共産党へ入党し、治安維持法違反で逮捕され、2年間の獄中生活を強いられた。
 文学部にいた太宰は、理学部に在学していた同郷の工藤永蔵の要請に応え、下宿していた自分の部屋を、「赤旗」の印刷所として提供した。そのうえカンパもし、共産党幹部をかくまってもいる。その後、太宰は兄とともに青森警察に出頭し、転向する。
 復学した津川は、「ちがる会」で初めて太宰と顔を合わせた。「ちがる会」は、「津軽会」をもじった名称である。津川は、そこで太宰と2度会い、親交している。
 3度目に会ったのは、敗戦の45年11月、津川の自宅で開いた青森県の日本共産党再建準備会であった。この席に太宰は、雨森卓三郎とひょっこり現れた。
 雨森がソビエト共産党との関係と、天皇制について質問した。津川は各国共産党と連帯し、天皇制廃止をめざして活動していくと答えた。すると二人は、途中で退席してしまった。太宰は一言も言わなかった。
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 津川は、自殺をくり返した太宰を厳しく批判する。太宰の自殺体質は、「第一は自我意識の過剰と、そこから来る自我顕示であり、第二は絶えざる自殺念慮である」と、精神科医として分析している。その一方で津川は、太宰文学を高く評価する文学者の一人であった。
 津川の政治、医療、文学活動を支えてきたショウ夫人が、7月7日、89歳で津川の許へ旅立った。御冥福を祈ってやまない。
 (あべ・せいや 作家、弘前ペンクラブ副会長)
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*「生誕100年津川武一 シンポジウムと記念講演会」=31日午後2時、弘前文化センター大ホール。シンポジウム「津川武一の医療・文学・政治を語る」。記念講演・松本善明「津川武一と太宰治」。入場無料。連絡先・津軽保健生協内рO172(33)7515
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2010年07月23日,「赤旗」) (Page/Top

治維法違反で逮捕・朝鮮の詩人尹東柱/判決文を市民が閲覧/地検動かし原本公開

 墨をこぼした跡、亡くなっているにもかかわらず戦後、赦免するとした青い判―。第2次世界大戦中に朝鮮民族の独立を唱えたとして治安維持法違反容疑で逮捕され、獄中で亡くなった詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ、1917〜45)の判決文原本を、京都府宇治市の市民が閲覧し、話題になっています。
 (栗原千鶴)

京都・宇治で
 閲覧したのは、同市内に記念碑の建設をすすめる「詩人尹東柱記念碑建立委員会」のメンバー4人です。同委員会は4月、京都地検に訴訟記録の閲覧や関連資料の存在調査を行うよう要請。今月8日、判決文原本の閲覧が許可されました。これまで判決文の存在は研究者によって確認されていましたが、手書きで写し取ってきたものが資料として残されてきました。今回は写真撮影とカラーでの複写が許されました。15日に宇治市内で行われた報告会では、カラーで複写した判決文が会場に並べられ、市民が熱心に閲覧しました。
 尹東柱は生涯に「序詩」「たやすく書かれた詩」など朝鮮人青年の心の痛みや自らへの誓いをうたった詩を創作しています。植民地時代、日本語が強制され、創氏改名、新聞の強制廃刊など次々と言論弾圧が行われるなかで、彼は、朝鮮固有の文化を守ろうと、朝鮮語で詩を書き続けました。1942年、名前を平沼東柱と創氏改名し日本の立教大学に留学。43年7月、京都同志社大学に在学中、朝鮮語で詩を書いたことが独立運動とみなされ逮捕されました。多くの蔵書や作品、日記も押収されましたが、遺品は現在も行方不明のままです。
 戦後、友人の手で保管されていた手作りの詩集が韓国で出版され、いまでは北朝鮮でも親しまれています。日本でも朗読会が行われたり、命日にあわせて全国各地で追悼会が開かれるなど、その詩は、多くの人に愛されています。
 尹東柱は逮捕前に、学友と宇治市の天ケ瀬つり橋を訪れました。同委員会はゆかりの地である、つり橋の近くの「京都府立公園塔の島」に記念碑の建立を計画。しかし京都府は、ゆかりの地かどうか確認できないとして建立の許可を出していません。同委員会では府に対し、許可を求める署名を集めてきました。

大きな意味
 事務局長を務める紺谷延子さんは「尹東柱の遺品や詩集、日記などに、なにか手がかりはないかと、遺品などの調査を地検に要請した」といいます。遺品の発見には至りませんでしたが、引き続き一緒に逮捕された、いとこの宋夢奎(ソン・モンギュ)の裁判記録なども閲覧を要請し、手がかりを探していくといいます。
 同委員会の安斎育郎代表(立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長)は「市民が主体的にとりくみ、地検を動かして、原本を見ることができた意味は大きい」と語ります。判決文について解説した京都大学人文科学研究所の水野直樹教授も、「原本の確認は研究にとっても大きな意味がある」と高く評価しました。
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2010年07月20日,「赤旗」) (Page/Top

読書/文庫/小林多喜二著『独房・党生活者』

 獄内の同志らとロシア革命記念日を果敢に送る話など12話構成の「独房」。虐殺で、「前編」のみとなり、没後発表された「党生活者」は、中国侵略に向かう時期、軍需工場でたたかう共産党員を描きます。(岩波書店・560円)
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2010年07月18日,「赤旗」) (Page/Top

日本民主主義文学会全国研究集会始まる/滋賀

 「文学は時代にどう向き合うか」をテーマに、日本民主主義文学会(吉開那津子会長)の第21回全国研究集会が17日から3日間の日程で滋賀県大津市で始まりました。
 150人を超える人々を前に開会あいさつにたった吉開会長は、1968年に開かれた第1回研究集会は少人数ながら水準の高い作品を生み出すために熱く話し合ったことをふりかえりながら、いい作品を生み出すために大いに議論を深めてほしいと呼びかけました。
 シンポジウム「私にとっての時代と文学」では、能島龍三『夏雲』(新日本出版社)、旭爪あかね『月光浴』(同)、横田昌則「風にさからって」(『女性のひろば』連載)をめぐって、それぞれの作者がパネリストになり、『民主文学』編集長の丹羽郁生氏の司会で、時代と青春の意味、生きがたい現実と創作上の問題などについて語り合いました。
 『小林多喜二と宮本百合子』で第6回手塚英孝賞を受賞した三浦光則氏の授賞式がおこなわれました。研究集会は、引き続いて「なぜ戦争を描くか」「歴史小説を考える」「労働現場と現代の貧困をどう描くか」など六つの分科会にわかれて討論が行われます。
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2010年07月18日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟・秋田/衆院比例定数削減反対の決議採択

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟秋田県本部は15日、秋田市内で常任理事会を開き、参院選結果と当面の課題を討議しました。14人が参加しました。
 討議では、参院選で民主党政権が厳しい審判を受けたが、国民が自民党に戻ることを求めたものではなく、新しい政治を探究しているのであり、情勢はいっそう大きな激動に向かっていること、このなかで「再び戦争と暗黒政治を許さぬ」旗を高く掲げ、新しい政治を探究する国民のたたかいと手を結び、展望を切り開くために奮闘することが大切になっているとの意見が相次ぎました。
 なお会議では、参院選の政権公約で民主党が「衆院比例定数80削減」を掲げ、菅直人首相は、そのための法案を「参院選後の次期臨時国会に提出する」との考えを示したことを重視し、特別決議「民意を削り強権政治を狙う衆院比例定数削減に反対する」を採択し、特別決議を会員に徹底するとともに民主諸団体などに広く知らせるとりくみを行うことを確認しました。
 当面の課題では、「治安維持法犠牲者国家賠償法」制定請願の個人署名2万人、団体署名1000の目標達成にむけて署名運動を本格的にとりくむ、8・15終戦記念いっせい宣伝行動を成功させることなどを決めました。
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2010年07月18日,「赤旗」) (Page/Top

『戦旗』支局弾圧80年/函館で講演会

 『戦旗』函館支局弾圧80周年講演会がこのほど、北海道函館市で行われ、65人が参加しました。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟道南支部の主催。
 同盟中央本部の宮田汎副会長が、「『戦旗』函館支局事件と函館の戦前のたたかい」と題して講演。1920年代、北海道でもっとも早く大経営の中に労働組合や日本共産党が組織される様子を、国家権力による弾圧で獄死した鈴木治亮(じすけ)はじめ武内清、村上由らの先覚者を中心にして紹介しました。
 雑誌『戦旗』は全日本無産者芸術連盟の機関誌として1928年から31年にかけて発行されました。
 宮田氏は、「函館支局は、蟹工船などの漁業労働者の組織化と読者拡大を結びつけて活動し、弾圧で壊滅した労働組合や日本共産党の組織を再建しようと努力していた」とその奮闘を伝えました。
 最後に宮田氏は、いま、道教委が教員の思想調査をしたり、通報制度をつくろうとしているのは「治安維持法の現代版である」と指摘し、「沖縄県民をはじめ国民は『基地はいらない』とはっきり言える政治を求めている。先達がたたかいとった日本国憲法こそ最大の『抑止力』」と結びました。
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2010年07月17日,「赤旗」) (Page/Top

日本共産党創立88周年/1922〜2010年/不屈のたたかい歴史に刻む

 日本共産党は15日、党創立88周年を迎えました。その歴史は、「反戦平和」「国民が主人公」「国民の生活擁護」の旗を掲げ、迫害や弾圧、攻撃に抗し、ときには後退に直面しながら、不屈にたたかい抜いてきた歴史です。

反戦・平和/伝統いまに
 
 日本共産党が創立とともに掲げた一つが、「反戦平和」の旗でした。
 当時の日本は、日清戦争(1894〜95年)、日露戦争(1904〜05年)を経て台湾、朝鮮を植民地とし、中国東北部(「満州」)を勢力圏として日本軍を駐屯させ、さらに中国本土への侵略を狙っていました。
 誕生したばかりの党は、外国に対するあらゆる干渉企図の中止、朝鮮・中国・台湾・樺太からの軍隊完全撤退を明確に主張しました。

熱狂のなか
 1931年9月18日、中国東北部にあった日本軍が中国侵略戦争(「満州事変」)の火ぶたを切ると、大新聞はこぞって「軍部を支持し国論の統一を図るは当然の事」(「大阪朝日」)、「守れ満蒙=帝国の生命線」(「大阪毎日」)、「我生命線を死守せよ」(「読売」)など、こぞって侵略を支持し、戦況講演会・ニュース上映会を開いて、侵略戦争と排外熱をあおりました。
 こうしたなかで、日本共産党は「満州事変」勃発(ぼっぱつ)の翌日、軍隊の即時撤退、帝国主義戦争反対の声明を発表。機関紙「赤旗(せっき)」でも侵略戦争反対を一貫して訴えました。各地でも反戦活動を繰り広げ、軍隊内でも反戦活動を行い、「聳(そび)ゆるマスト」という機関紙まで発行しました。
 自民党など保守政党の源流である民政党、政友会も、社民党(社会党)の前身の社会民衆党、社会大衆党も侵略戦争を積極的に協力・推進し、最後は自ら解党して、侵略戦争を推進する大政翼賛会に合流(1940年)しました。このためこれらの党は戦後、名前を変えて再出発せざるを得ませんでした。

歴史の法廷
 天皇制政府の激しい弾圧で党中央委員会は1935年、破壊されましたが、獄中に捕らわれた党員は党の旗を降ろさずにたたかいました。宮本顕治氏(当時・中央委員)は戦時下の法廷で、日本共産党の正義と進歩の立場を堂々と主張し、次の言葉で陳述を結びました。
 「社会進歩と人類的正義に立脚する歴史の法廷は、我々がかくのごとく迫害され罰せらるべきものではなかったこと、いわんや事実上生命刑に等しい長期投獄によって加罰される事は大きな過誤であったという事を立証するであろうと信じる」
 1945年8月15日、日本政府は降伏しました。日本の侵略戦争は2千万人を超えるアジア諸国民と300万人を超える日本国民の生命を奪いました。
 戦後制定された日本国憲法は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」(前文)し、戦争放棄・武力不保持を明記しました。日本共産党の「反戦平和」のたたかいは、この憲法に刻み込まれたのです。
 日本共産党が戦後も、アメリカのベトナム侵略戦争、対イラク戦争など、あらゆる侵略戦争に断固として反対したのも、このような戦前からの反戦・平和の伝統を引き継いでいるからこそです。

国民が主人公/戦前から
 
 日本共産党が掲げたもう一つの旗は、「国民主権」の旗でした。
 党創立当時の日本は、主権は天皇にあり、国民は天皇の「臣民」とされ、働く人たちは劣悪な労働条件と低賃金、長時間労働を強いられ、女性は参政権もないなど、無権利状態にありました。
 このようなもとで党は、君主制の廃止、18歳以上の男女普通選挙権、8時間労働制などを主張しました。

弾圧に抗し
 当時は、天皇の統治権は「神」から与えられたものとされ、議会も政府、官僚も、裁判所もすべて天皇を助けるための補助機関にすぎませんでした。ですから、「国民が主人公」の日本を実現するには、「君主制(天皇制)の廃止」を正面から掲げることが必要でした。
 これは、当時は命がけのことでした。政府は1925年、天皇制の廃止を求める運動を犯罪(28年の改悪で死刑)とする治安維持法を制定し、日本共産党に徹底的な弾圧を加えたのです。
 この中で、「蟹工船」で有名なプロレタリア作家の小林多喜二をはじめ少なくない共産党員が命を落としました。日本共産党は繰り返しの弾圧で大打撃を受けながら、そのつど党を再建し、たたかい抜きました。

「北斗七星」
 日本共産党の存在と活動は日本社会に大きな影響を与えました。「九条の会」の呼びかけ人の一人、鶴見俊輔氏は久野収氏との共著『現代日本の思想』(岩波新書)で、「すべての陣営が、大勢に順応して、右に左に移動してあるく中で、日本共産党だけは、創立以来、動かぬ一点を守りつづけてきた。それは北斗七星のように、それを見ることによって、自分がどのていど時勢に流されたか、自分がどれほど駄目な人間になってしまったかを計ることのできる尺度として、1926年から1945年まで、日本の知識人によって用いられてきた」と書いています。
 敗戦直後、日本の政治体制をめぐって「国の主権者はだれか」が大きく問われました。日本共産党は45年11月、「新憲法の骨子」を発表し、「主権は人民にある」と、「国民が主人公」の原則を明らかにしました。
 党の主張は日本国憲法に実りました。憲法は「ここに主権が国民に存することを宣言」(前文)し、「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利」(第11条)であることを明確にうたいました。

ゆがみ正す
 しかし、「国民が主人公」の原則を実現することは現在の課題です。
 戦後65年もたつのに、安保条約のもと、米軍基地が沖縄をはじめ全国にはりめぐらされ、多くの人の命と安全を脅かしています。米軍には治外法権的な特権が与えられ、米国内でも違法とされる事態が日本では放置されています。それは、米日財団理事長のパッカード氏が「この条約が未来永劫(えいごう)続くと考えることはできない」と議会証言するほどです。
 また、財界・大企業いいなりの政治も異常です。民主党政権が打ち出した消費税増税方針も震源地は、日本経団連が4月に出した「成長戦略2010」でした。
 日本共産党は、このアメリカいいなり、財界いいなりの政治のゆがみをただし、「国民が主人公」の民主主義日本への改革を行うことをめざしています。そうしてこそ、いま日本社会を覆っている閉塞(へいそく)状況を打開することができます。

命と暮らし/国民の安全網
 
 「国民生活擁護」も日本共産党が戦前から掲げた旗の一つでした。国民の苦難軽減が、立党の精神なのです。
 日本共産党は創立翌年の1923年に検討した「綱領草案」ですでに、8時間労働制の実施、失業者保険をふくむ社会保障制度の充実、最低賃金制の実施、累進所得税などによる税制の民主化などを求めました。
 日本資本主義がはげしい金融恐慌におそわれた1920年代後半。共産党は生活防衛の大闘争をよびかけました。1927年4月、日本労働組合評議会が中心になって、賃金引き下げ反対、解雇反対、時間短縮、失業手当の獲得などの統一要求項目をもとに、工場代表者会議の運動を組織し、全国に広がりました。
 戦後も、終戦直後の食糧難の時代に、党組織を再建するなかで、「米よこせ」闘争など生活と権利のための国民的なたたかいの先頭にたちました。
 日本共産党が国会で躍進した72年の総選挙後には、大商社や石油元売り会社などが、コメ、土地、材木、マグロ、石油などを買い占め、売り惜しみ、投機をおこなった問題で、総合商社6社の代表を国会に呼んで追及しました。
 2008年秋から吹き荒れた「派遣切り」の嵐のときも、党員や支部は労働者の相談に乗り、たたかいを励ましました。「朝日」の1面記事「ルポにっぽん」(09年1月11日付)は共産党を特集し、「まるで現代の『駆け込み寺』だ」と表現。韓国紙「ハンギョレ」(09年2月20日付)は「日本社会の社会安全網が、新自由主義の構造改革でおろそかになり、共産党が構築した全国組織網が社会的弱者のための安全網の役割を果たしている」と書きました。
 「困ったときは共産党」といわれるように、国民の身近なところで、全国2万2000の支部と40万人余の党員、3000人を超える地方議員という人間集団が問題解決に力をつくしています。

党創立の意義
 日本共産党は1922年7月15日に創立されました。東京・渋谷の民家で開かれた創立大会に集まったのはわずか8人。天皇制政府のもとで合法的に活動することは許されず、非合法で活動せざるを得ませんでした。
 しかし、科学的社会主義という「科学の目」で日本社会を分析し、社会進歩の道を科学的に探求する戦略をもった政党が誕生したことは、日本の歴史の中で画期的なことでした。
 いま世界を覆っている過剰生産恐慌、貧困と格差、地球環境問題などは、「利潤第一主義」を原理とする資本主義の枠組みの中では根本的に解決ができない問題となっています。人類がこれらの矛盾を解決するには、資本主義を乗り越えた未来社会――社会主義・共産主義へと進むことが求められてくる。これが日本共産党の展望です。日本共産党という党名は、こうした理想と結びついた名前です。

子どもの医療費無料化…新日本婦人の会が声をあげ、日本共産党が国会でとりあげてきました。いまでは、全都道府県、政令市で実施。「中学3年まで」という自治体も増えています。日本共産党は国の制度として確立することを主張しています。
少人数学級…「30人学級実現を」との国民の声におされ、文部科学省が検討に入り、中央教育審議会の分科会は「30人または35人に見直すべきとの意見が大勢」という提言をまとめました。東京都が4月から少人数学級への一歩を踏み出したことで、47都道府県で実施となりました。父母・教師の運動と日本共産党が協力してすすめてきた成果です。
サービス残業…1967年以来、300回を超える国会質問で「サービス残業は企業犯罪だ」と追及。2001年には厚生労働省に根絶のため、企業が責任をもって時間管理を強化するなどを内容とする「サービス残業」根絶の通達を出させました。過去8年間だけでも、1547億円以上の未払い残業代を支払わせています。

日本共産党にこんな評価が

自民党の教科書
 「社会党を含めて他の政党が何らかの形で戦争に協力したのに対し、ひとり共産党は終始一貫戦争に反対してきた。従って共産党は他党にない道徳的権威を持っていた」(『日本の政党』自由民主党研修叢書、1979年)

最後の海軍大将・井上成美
 「いまでも悔まれるのは、共産党を治安維持法で押さえつけたことだ。いまのように自由にしておくべきではなかったか。そうすれば戦争がおきなかったのではあるまいか」(『井上成美のすべて』生出寿他、1988年)

戦後を代表する知識人の一人である評論家の加藤周一氏(故人)
 「私の世代はよく知っているが、宮本夫妻の戦時下の往復書簡『十二年の手紙』は、日本のファシズムに対する抵抗の歌である。窒息しそうな空気の中で最後まで知性と人間性を守った記録である。…宮本顕治さんの偉大さは十五年戦争に反対を貫いたことである。それができた人は、日本では例外中の例外だった。…宮本顕治さんは反戦によって日本人の名誉を救った」(2007年、宮本氏の死去にあたって「赤旗」に寄せた追悼の言葉)
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2010年07月16日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠要求同盟岐阜県の東濃西支部が総会

 岐阜県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治安維持法同盟)の岐阜県東濃西支部(後藤金夫支部長)はこのほど、土岐市内で第19回支部総会を開催しました。
 総会では、治安維持法犠牲者に国家賠償の制定を求める請願署名と会員拡大の支部目標を達成したことを喜びあいました。そして、地方議会での意見書採択を目指す取り組みと、署名・会員拡大などで奮闘することを決めました。第2部では、日比野富春さん(元土岐市議)が、「同盟」の運動の意義と目的について講演しました。
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2010年07月14日,「赤旗」) (Page/Top

本立て/青春の街/玄間太郎著

 高度経済成長期の1960年代の青春群像を描いています。主人公は、中卒で故郷の新潟から上京した牧岡慎平。八丁堀の「屑(くず)屋」で必死に働きながら、その内面は自尊心とみじめさに揺れています。社会党委員長を刺殺した右翼少年・山口二矢に心を寄せ、「小林多喜二、あんなの文学じゃないよ」と。そんな慎平が、職場の先輩や定時制高校の仲間たちとの出会いの中で、貧しさの根本原因を学び、成長していきます。
 著者は元赤旗記者。自分を育ててくれた仲間への敬意が込められた自伝的小説。(本の泉社 1429円)
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2010年07月11日,「赤旗」) (Page/Top

アートを楽しむ生き方/日野原重明+松本猛著/評者竹迫祐子安曇野ちひろ美術館副館長


いのちと平和を育む生き方
 「若いときに出会っていたら、恋をしていたかもしれないなぁ」と、いわさきちひろについて語るのは、今年九十九歳になるカリスマ新老人・日野原重明氏。七歳年下のちひろの絵をみつめていると、九〇年以上も前の子ども時代の思い出がこんこんとわき上がってくると語ります。
 多感な少年時代に音楽、文学、美術と出合い、医療の分野でも、アートセラピー(芸術療法)に関心を持って取り組んできた氏と画家・いわさきちひろの一人息子である松本猛氏との対談です。
 「言葉では表現しきれない人間の複雑な内面」を表現する音楽や美術を通して、他者と思いを共有しあうアートセラピーは、体と心の問題の克服に大きな力を持つ、と日野原氏。自身、子ども時代や学生時代に闘病生活を余儀なくされたときには、音楽が慰め支えてくれました。好きな画家はセザンヌ、ミレー、ゴッホ、モネ、ゴーギャン…。一方、文学青年時代には、アンドレ・ジイド、ヴェルレーヌ、フランシス・ジャムを愛し、中でもインドの詩人で画家でもある思想家・タゴールは、文学の師と仰ぎます。
 プロレタリア演劇の世界に身を投じた初恋の女性は、拷問死させられた小林多喜二の遺体に付き添った人。また、被爆三日後の広島に、教え子の安否を気遣い出かけた父親は、たくさんの放射能をあびて、一九五八年に肝臓を患って亡くなりました。
 今、憲法9条を守る活動、そして、子どもたちに「いのち」を語る活動に積極的に取り組んでいますが、そこにはちひろ同様、自らが体験してきた戦争の時代があります。
 「大切にすべきいのちをどう表現するかというのが芸術」という言葉から、「アートを楽しむ生き方」とは、まさに、いのちと平和を育む生き方と読みました。
 
 ひのはら・しげあき まつもと・たけし
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2010年07月11日,「赤旗」) (Page/Top

ひと/横浜事件再審のたたかいに力をそそいできた橋本進さん(83)

 治安維持法で『中央公論』『改造』の編集者らが弾圧された横浜事件。再審を求める遺族たちのたたかいは無罪をかちとり、本紙6月24日付に刑事補償を決定した横浜地裁の公示がのりました。支援する会の事務局員として支えてきました。
 「この公示は国家のわび状といっていいもの。治安維持法は共産党を敵として暴虐の限りをつくしましたが、その誤りを認める文書が『赤旗』にのったというのは歴史的出来事です」
 にこやかな笑みの語り口から伝わってくるのは言論出版の自由こそ批判的ジャーナリズムの魂という強い思いです。占領下GHQの検閲にさらされ、さらに1961年には、『中央公論』編集次長のとき、天皇を描いた小説「風流夢譚」が右翼の攻撃をうけ、編集長ともども更迭されました。
 「戦後の総合雑誌は日本の前途を示して光輝いていました。そういう仕事をしたいと飛び込んだのですが、右翼の攻撃に屈服した会社は、批判的ジャーナリズムから後退しました」
 ジャーナリズムの批判精神をどう守るか、橋本さんの原点です。18歳で終戦。戦争に反対した社会運動家の大山郁夫を大叔父にもち、彼のことが「常に意識にはある」といいます。
 「治安維持法の再来ともいえる国家機密法案が出されたとき、私たち出版人は、横浜事件の被害者たち(当時現存)とともに、再び過ちを繰り返すなと立ち上がりました。私たちのたたかいは表裏の関係です」
 文 牛久保 建男
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2010年07月05日,「赤旗」) (Page/Top

井上ひさしさんお別れの会/各界関係者1200人/不破哲三氏出席

 4月9日に75歳で死去した井上ひさしさんの「お別れの会」が1日、東京・千代田区丸の内の東京会館で開かれました。祭壇には、花の代わりに井上さんの全著作や公演台本などが置かれました。関係者を中心とした「お別れの会」が午後5時半から7時すぎまでおこなわれ、作家の大江健三郎さん、丸谷才一さん、演出家の栗山民也さんが弔辞を読みました。ホリプロファウンダー最高顧問の堀威夫さんが献杯の発声をしました。妻ユリさんがあいさつをしました。
 井上さんの最後の戯曲作品、「蟹工船」の作家・小林多喜二を描いた「組曲虐殺」で多喜二役を演じた井上芳雄さんが、同作品の音楽を担当したジャズピアニストの小曽根真さんのピアノ伴奏で、「組曲虐殺」の曲「胸の映写機」を歌い追悼しました。朴勝哲さんもピアノを演奏。小曽根さんがピアノを弾き、井上さんの東京裁判三部作のカーテンコール曲「番外マック・ザ・ナイフ」を、井上作品に出演した俳優や参加者が歌いました。
 同会には出版、演劇など各界の関係者約1200人が出席。日本共産党からは不破哲三社会科学研究所長が出席しました。不破氏は、井上さんとの共著で、対論『新日本共産党宣言』(光文社、1999年)を刊行しています。
 同日午後8時から、一般の読者、演劇ファンの記帳受け付けが行われ、約200人が参加しました。
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2010年07月02日,「赤旗」) (Page/Top

国家の詫び状/横浜事件補償決定の公示の意味/橋本進

 本紙6月24日付広告欄に、「治安維持法違反被告事件」についての横浜地方裁判所の公示が掲載された。横浜事件第四次再審請求人(故小野康人氏〈改造社員〉の遺族)が申し立てた刑事補償の決定の公示である。第四次再審裁判の横浜地裁判決(09・3、大島隆明裁判長)は「免訴」だったが、それまでのくさいものに蓋≠フ免訴判決(地裁、高裁、最高裁)ではなく、「法的障害」さえなければ「無罪」とのべ、その理由(拷問による自白、党再建会議事件の捏造)を明らかにし、特高・検事・裁判官の責任に言及、刑事補償への道を提示したものだった。請求の結果、免訴の事由(刑の廃止、大赦)がなければ無罪とされる「充分な事由」あり、として先述の根拠が再び示され、2年2カ月にわたる拘禁への補償として980万円の支払いが決定した(1日当たりの最高額)。今回の公示は官報及び申立人が選ぶ3種以上の新聞広告を定めた刑事補償法第24条による。

歴史的な出来事
 形式的には補償決定の単なる公示だが、内容的には「国家の詫び状」である。なぜなら補償は無罪の人の長期にわたる不当拘禁に対し行われるものであり、「判決理由」「決定理由」で国家の誤り(国家犯罪)が明示されているからである。
 治安維持法は、人民主権を掲げ、反戦平和をたたかう日本共産党を第一の敵として暴虐の限りをつくした。その共産党機関紙に治維法の誤りを認める国家機関の広告掲載――歴史的出来事といわねばならない。
 第三次請求の4名を含め、治安維持法被害者への補償は今回が初めてである。だが横浜事件では浅石晴世、和田喜太郎、高橋善雄、田中政雄の獄死者、西尾忠四郎の衰弱保釈直後死者を出し、検挙人数は60名を超える。これらの人への補償は未決である。さらに岩田義道、小林多喜二、野呂栄太郎、戸坂潤、三木清……。思いつくままの著名人は多いが、無名の人を加えれば、治維法犠牲者は10万人に及ぶ。そして治維法は日本内地のみならず、朝鮮、満州、台湾に適用され、その残虐度はいっそうはなはだしいものだった。
 隣国の韓国では、長らく顧みられなかったそれら治維法犠牲者の顕彰と補償が近年、すすめられるようになった。それだけではなく、戦後に出発した大韓民国において弾圧された民主化運動の被害者の実態調査、補償が進行している。大韓民国成立時(1948年)、治安立法=国家保安法が制定された。治安維持法をモデルにしたといわれ、各条項、法構成はそっくりである。1961年、朴・軍事政権のもとでさらに反共法が制定されたが、80年に国家保安法に一本化された。国家保安法・反共法の下で、多くの民主人士、その運動が弾圧された。金大中事件などその典型である。不当逮捕、拷問、不当判決、重刑罰が猛威をふるった。
 韓国民主化の過程で、光州事件の見直しに始まり、2000年、民主化運動関係者の名誉回復と補償に関する法律が成立、05年には「真実・和解委員会」が発足、過去のすべての弾圧事件の調査、その上での再審、補償がすすめられている。

日本の立ち遅れ
 こうしてみると、治安維持法の火元、日本は大きく立ち遅れているといわねばならない。核廃絶、軍事基地ノーの旗を高く掲げ、日本内地はもちろん朝鮮、満州、台湾の被害者すべてに謝罪と補償をして「歴史のけじめ」をつける――こうしてこそ日本は国際社会で「名誉ある地位」を認められ、アジア諸国の信頼を確保できるのである。歴史は進歩するものであるし、進歩させねばならない。
 (はしもと・すすむ 元中央公論次長。前日本ジャーナリスト会議代表委員)
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2010年07月02日,「赤旗」) (Page/Top

 

6月】(ヘッドライン)

治維法国賠同盟支部が定期総会/秋田

治維法国賠同盟青森県本部大会/運動方針決める

文化/生誕130年ドキュメンタリー映画「弁護士 布施辰治」が完成/朝鮮人に敬愛された日本人

九条の会「安保50年」講演会/井上ひさしさんの遺志継ぐ/大江健三郎さん/奥平康弘さん/澤地久枝さん

読書/書国探訪/井上ひさしさんと多喜二

だからプロレタリア文学/楜沢健著/評者岩渕剛文芸評論家

憲法生きる国へ変革を/井上ひさしさんの志継ごう/九条の会講演会

番組をみて/ETV特集井上ひさしさんが残したメッセージ/NHK教育、6日放送

加藤剛さん・市田忠義書記局長対談/「大岡越前」・戦争と平和・憲法9条/下

加藤剛さん・市田忠義書記局長対談/「大岡越前」・戦争と平和・憲法9条/中

加藤剛さん・市田忠義書記局長対談/「大岡越前」・戦争と平和・憲法9条/上

組曲虐殺/井上ひさし著/評者松木新文芸評論家

多喜二描いた最後の戯曲「組曲虐殺」/井上ひさしの思いに迫る/ETV特集で6日放送

ひと/「小林多喜二の生誕地ですべての作品を読もうと燃える大山兼司さん(69)

国賠同盟が総会/秋田県本部

「井上ひさしを語り継ぐ」/25人が作品朗読/劇作家協会

多喜二・山宣会/道南で設立総会

 

6月本文】(Page/Top

治維法国賠同盟支部が定期総会/秋田

 秋田県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟湯沢雄勝支部はこのほど、湯沢市で定期総会を開きました。近江谷昭二郎同盟県本部会長が講演し、米国、大企業にものをいう政治の実現へ全力を尽くそうと呼びかけました。
 鈴木俊夫前湯沢市長があいさつし、農業者である佐藤長右衛門氏が参院比例代表候補になったことへの喜びを語りました。
 運動方針を採択し、沼倉昭二会長らを支部の新役員に選出しました。
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2010年06月29日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟青森県本部大会/運動方針決める

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟青森県本部はこのほど、青森市の県民福祉プラザで第21回大会を開き、運動方針を決めました。
 大会では、会員が270人の目標を達成し、国会請願署名が6500の目標に対して、7000を超えるなどの運動の成果に立って、▽次期大会に向けて3000人の会員に▽請願署名の推進▽地方議会請願▽犠牲者の顕彰、風化させない活動―などの方針を決めました。
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2010年06月29日,「赤旗」) (Page/Top

文化/生誕130年ドキュメンタリー映画「弁護士 布施辰治」が完成/朝鮮人に敬愛された日本人

 「生きべくんば民衆とともに 死すべくんば民衆のために」―自由法曹団の創立者で人権弁護士として知られる布施辰治の座右の銘です。ことしは、生誕130年。ドキュメンタリー映画「弁護士 布施辰治」が完成し各地で公開されます。
 児玉由紀恵記者
 
 「時代(とき)を撃て 多喜二」「赤貧洗うがごとき―田中正造と野に叫ぶ人々」に続く池田博穂監督の第3作。宮城県石巻市で生まれ、1906年から弁護士として法廷に立った布施辰治(1880〜1953年)を描きます。
 布施は、在日の朝鮮人留学生たちの「2・8独立宣言事件」(19年)の弁護をはじめ、関東大震災(23年)の折の朝鮮人虐殺事件の真相究明、朝鮮半島や台湾にも渡り、一貫して弱者や朝鮮人らの権利と生活を守るための弁護に奔走。日本共産党大弾圧の3・15事件(28年)でも弁護し、弁護士資格をはく奪されます。2度にわたり下獄。2004年には、韓国から、独立に寄与した戦士として「建国勲章」を日本人で初めて授与されています。
 俳優の赤塚真人さんが布施役を演じて事件などを再現したり、ゆかりの地のロケ、布施の孫・大石進氏や研究者らの証言、歴史的資料を交えて描写。不屈にたたかった姿を伝え、日本が朝鮮半島を強制併合して以来の時代相を浮き彫りにします。
 布施の郷里の近くの中学校では、布施の志を継ぐ授業を実践。池田監督は、そのニュースを知って映画化に拍車がかかったと言います。「映画を通じて国と国との関係とは異なる友好を進めたい。韓国ロケは、布施さんを仲立ちにした草の根交流の連続でした。在日コリアンのネットワークにも助けられ、心にしみることが数々ありました」と語ります。
 大韓弁護士協会も協力。ハングル版も作られます。

人権派℃р烽ネりたい/布施辰治を演じた赤塚真人さん
 布施辰治の役を、と言われ、資料を読み、調べたりして、明治憲法下で、並みの正義感ではできないことをやられた、と知りました。
 出身地の石巻で、普通選挙運動の演説会のロケをしたときです。布施さんに会ったことがあるという老婦人が、私が布施さんにそっくりだ、と言って目を潤ませ、握手を求められました。その時、これは最後まで務められるぞ≠ニいう気になりました。
 敗戦後まもなく起きた在日朝鮮人のどぶろく密造事件を裁く法廷を再現したときのこと。捕らわれ役にエキストラで出演した在日の方の目を見ているうちに自分が救わなければ≠ニいう気になってきました。在日の方とふれあい、布施さんへの思いを聞いたりして演じていくうちに布施さんが自分の中に入ってきたと思います。
 韓国では、布施さんが土地問題の相談に乗った村まで撮影に行きました。こんな所にまで来てくれて≠ニ歓迎され、布施さんが尊敬されていることがよくわかりました。
 生まれ変わったら、人権弁護士になりたい、と思っています。

正義は弱者にあり、と/在日韓人歴史資料館館長・滋賀県立大学名誉教授姜徳相さん
 父の友人がかかわった事件(1926年、朴烈・金子文子大逆事件)を布施さんが弁護した関係で、布施さんのことは、よく話に聞いていました。
 48年ごろ、朝鮮人学校閉鎖問題で父が逮捕されたとき、弁護してくれたのも布施さんでした。
 日本では、「併合百年」といいますが、韓国では、「強制占領」を略して「強占百年」といいます。在日にとっての日本社会の住みにくさは、いまだに変わりません。
 戦後、日本各地で朝鮮人に対する排外事件が起きたとき、布施さんは、朝鮮人の生活権を守るたたかいや、権力との闘争の最前線に立たれた。仕事を奪われた朝鮮人が、やむなくどぶろくを造って捕らわれた事件など、在日の事件にはほとんどかかわられた。
 あの時代、正義は弱者にあると主張された布施さんのような日本人がいたことを、朝鮮人は忘れないと思います。
 私たちの資料館では、どぶろく戦争≠フころの朝鮮人の生活、風俗が見られます。布施さんが愛してやまなかった民族の文化なのです。
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2010年06月27日,「赤旗」) (Page/Top

九条の会「安保50年」講演会/井上ひさしさんの遺志継ぐ/大江健三郎さん/奥平康弘さん/澤地久枝さん

 「九条の会」は、19日、「井上ひさしさんの志を受けついで 安保の50年と憲法9条」を東京・日比谷公会堂で開きました。会場は2000人の参加者でいっぱいになりました。呼びかけ人の大江健三郎、奥平康弘、澤地久枝の3氏が講演しました。
 
 今年4月に亡くなった井上ひさしさんの夫人、ユリさんがあいさつに立ち、「井上は『九条の会』の活動をとても大切に思っていました。作家として、どうしたら9条を多くの人たちに伝えられるかと苦心していました。井上の遺志を受け継ぎ、粘り強く、おおらかに運動を続けていきたい」とのべました。
 続いて「井上ひさしの9条への深い思いがすべて表現されている」(ユリさん)という『吉里吉里人』の一節が朗読されました。
 梅原猛氏、鶴見俊輔氏はメッセージを寄せ、三木睦子さんは、高齢のため講演を辞退しましたが、同日の呼びかけ人会議に出席しました。
 9人の呼びかけ人によって発足した「九条の会」は、ことし結成6周年を迎えました。この間、全国に7500の草の根の「会」が生まれ、9条を守る運動を広げています。
 参加した大学生の女性(23)=茨城県=は「実家が井上ひさしさんの故郷、山形県川西町なので、子どものころから井上作品に親しんできました。いま大学で憲法を学んでいます。井上さんの志を受けついでいきたい」と話しました。

軍備の脅しから平和共存へ/作家大江健三郎さん
 私はこの4月、5月、6月と沖縄のことを考えてきました。沖縄の巨大な米軍基地とは端的にいえば、アメリカの核戦略の基地ということであります。
 (鳩山)前首相は、沖縄に行って、抑止力≠ェ働いているから、沖縄から基地を取り除くことはできないといいました。
 「抑止力」という言葉は英語では「パワー・オブ・ディターランス(power・of・Deterrence)」といいます。ディター(Deter)とは相手を脅かすこと、威嚇することです。前首相はこういうべきでした。「アメリカの核による威嚇力を貫徹するために沖縄を犠牲にする」と。
 国家の根本的な態度を軍備による脅しではなく、平和的共存による共和に置き換えなければなりません。そのとき、本当に憲法が生きたものになるし、安保条約は無用なものとして廃棄することできる。そういう日本をめざしたい。

9条と生存権は密接不可分/憲法研究者奥平康弘さん
 憲法に長くかかわってきた者として、9条の意味や与える影響が、どんどん変わってきたという実感を持っています。
 たとえば、一昨年、名古屋高裁は、日本の航空自衛隊がイラクで米兵の輸送活動をしたことは違憲・違法と判断しました。憲法9条で保障されている「平和的生存権」と「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障した憲法25条の「国民の生存権」は、密接不可分です。
 さらに憲法9条は世界に向かって広がっています。これは発足当時の「九条の会」さえ予想しなかったことです。
 沖縄の人々は「米軍基地はいらない」「撤去せよ」という痛切な思いを示しました。オバマ米政権は、日本には、自分たちの国土に他国の軍事力はいらないと考えている人々がいることを知ったのではないでしょうか。これからも、憲法9条を世界に発信していくことが大切です。私たちには展望があります。

「後に続く者を信じて走る」/作家澤地久枝さん
 井上ひさしさんは最後の作品「組曲虐殺」で小林多喜二を描き、「後に続く者を信じて走れ」と言わせています。その遺志を受け継ぐことが生きている者の役割だと思います。
 いま沖縄に新しい基地をつくるということは、永久に沖縄に基地を置くということです。日本の総理大臣は話しあう相手を間違っています。
 なぜ、アメリカに21世紀の新しい日米関係をつくっていきたい、と言わないのでしょうか。
 私たちが望んでいるのは平和で豊かな生活です。菅さんは消費税率を10%にすると言いました。消費税はどんなに貧しい人も払わなければなりません。政治家というものは私たちが望まない公約を必ず実現するものです。たぶん10%では止まらないでしょう。許しがたいことに対しては大いに怒りましょう。
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2010年06月27日,「赤旗」) (Page/Top

読書/書国探訪/井上ひさしさんと多喜二

 4月に死去した井上ひさしさんは、戯曲「組曲虐殺」(単行本は集英社)を書きあげ、これができたから死んでもいいと家族に語っていたといいます。
 登場するのは、小林多喜二と、彼の愛した女性たちや姉、2人の特高警察の計6人。特高が多喜二の住む家に下宿するなどの意表を突く展開で、虐げられる者のために命をささげた多喜二の像を浮き上がらせます。
 いつか多喜二を、と20年来願い続けた井上さんには、5歳の時、35歳で病死した父・修吉さんへの思いがありました。それを「ETV特集」(6日、NHK教育)が報道。『戦旗』に原稿を載せ、三・一五事件で検挙された、作家志望の人でした。若くして人生を断たれた父や多喜二の無念さを今日に―。「組曲虐殺」はその思いの結晶でした。
 非合法の地下生活、権力による虐殺という厳しい事実を含みながら、「笑いと涙の音楽劇」に仕上げたわざ。
 チャプリンの扮装(ふんそう)をする多喜二。ものを書くということは、「胸の映写機」が、「かけがえのない光景」を原稿用紙の上に燃え上がらせていくことだ、と語る多喜二。映画好きだった多喜二への愛に満ちた仕掛けです。「絶望するな」「あとにつづくものを信じて走れ」という戯曲のメッセージ。「体全体でぶつかって」書くことを訴えた多喜二の思いが作者・井上ひさしさんの心と重なってきます。
 (紀)
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2010年06月20日,「赤旗」) (Page/Top

だからプロレタリア文学/楜沢健著/評者岩渕剛文芸評論家


ひとびとのつながり見つめる
 宮本百合子「貧しき人々の群」から鶴彬の川柳まで、プロレタリア文学の17の作品を紹介し、そのよみどころを解説する。その方法をつらぬくのは、プロレタリア文学に、ひとびとのつながりを見ようとする著者の意識である。
 〈鳥肌が立つ〉ということばを感動したときに使うのは、辞書的な意味では〈誤用〉とされる。しかし、著者は、小林多喜二の「不在地主」に、感動の用法があったことを知り、この用法がいま改めて、人と人とのつながりをあらわす使い方として脚光をあびていることを、2004年のプロ野球選手会のストライキをめぐる言説のなかに見出す。
 著者のいうように、プロレタリア文学は、何よりも人と人とのつながりをつくりだす文学運動として出発した。それは、この本にも取り上げられる徳永直のように、学歴もない労働者がきちんとした作品をつくりだす書き手として成長していく運動でもあったのだ。著者は、そこにきちんと目を向けている。「少数の専門家や職業作家によってだけでなく、誰もが読み手であると同時に書き手になることを追及(ママ)した文学運動にほかならなかった」という著者の指摘は、単純に〈文学〉としてのプロレタリア文学運動をとらえる観点からの脱却をみせている。
 そうした指摘は、今の時代に、人と人とのつながりをつくり、誰もが書き手になれる文学運動を、どのようにつくっていくのかということにもつながっていく。「貧しき人々の群」での〈貧困〉と遭遇した主人公の〈感情の騒乱〉に、新しい主体の誕生を見、「太陽のない街」の小見出しの多用にブレヒトの演劇との同時代性を見る著者の視点は、今の文学運動の書き手にとっても、人間への認識を深める点や、同時代の状況をみつめる点で、学ぶべきものがあるはずだ。
 
 くるみさわ・けん 1966年生まれ。文芸評論家。
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2010年06月20日,「赤旗」) (Page/Top

憲法生きる国へ変革を/井上ひさしさんの志継ごう/九条の会講演会

 「九条の会」は19日、「井上ひさしさんの志を受けついで 九条の会講演会 日米安保の50年と憲法9条」を東京・日比谷公会堂で開きました。4月に亡くなった呼びかけ人で作家の井上ひさしさんの遺志を受けつぐ意味もこめた結成6周年行事に、会場いっぱいの2000人が参加しました。(2面に関連記事)
 呼びかけ人の3氏が講演。作家の大江健三郎氏は、アメリカの核の傘が中国・アジアとの緊張の原因となっていることを指摘し、「日本政府がとるべき道は、沖縄の普天間基地をはじめ在日米軍基地の縮小であり、憲法にもとづき国の根本的あり方を変えていく必要がある」と述べました。
 憲法学者の奥平康弘氏は、「アメリカの軍事力は撤去すべきだという沖縄の痛切な思いが示されている。日本は9条を持つという点で全く違うのだということをアメリカに示した」とのべました。
 作家の澤地久枝さんは、「井上さんは最後の作品『組曲 虐殺』で小林多喜二を描き、『後に続くものを信じて走れ』と言っている。私たちは走れなくても、井上さんの気持ちを継いで生きていく」と語りました。
 呼びかけ人の三木睦子さんは高齢のため講演を辞退しましたが、同日の呼びかけ人会議に出席しました。また呼びかけ人の鶴見俊輔、梅原猛両氏はメッセージを寄せ、運動を続ける意思を表明しました。
 井上さんの夫人の井上ユリさんがあいさつ。「粘り強く、おおらかに、楽しく運動を続けましょう」と呼びかけました。
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2010年06月20日,「赤旗」) (Page/Top

番組をみて/ETV特集井上ひさしさんが残したメッセージ/NHK教育、6日放送


積年の思い多喜二よみがえらす
 小林多喜二の「蟹工船」が、いま、脚光を浴びている。文庫本『蟹工船』が、版を重ねて読まれ、外国でも多くの翻訳が刊行されている。世界的潮流として、小林多喜二の人と、その文学が注目されているのである。昨年10月に上演された井上ひさしの「組曲虐殺」も、その潮流の一環としての位置を占めるだろう。
 しかし、ETV特集として放送されたこの番組を見て分かったのは、井上ひさしが小林多喜二の劇化を、長い間考えつづけていたということだ。演出家栗山民也の証言によると、小林多喜二を劇化したいとの構想を、20年前からあたためつづけたという。薬剤師の父井上修吉の次男として生まれた井上ひさしは、父が農地解放運動という当時としては左翼活動をしていたために、「スパイの子」としていじめられていた。その思い出と小林多喜二の活動とが結びついたのである。この番組で、井上の友人の小森陽一は「代理の父親のような形で小林多喜二を思い」「組曲虐殺」を書いたという。独自な観点である。研究者今村忠純は「多喜二と父・修吉とを重ね合わせている」ととらえている。
 さらに、書斎の映像からもうかがえるように、井上ひさしは小林多喜二の生きた時代の記録を、徹底的に収集する。そのなかには、1929年の雑誌『戦旗』があり、伏せ字だらけの「蟹工船」が掲載されていた。この番組では、「組曲虐殺」で小林多喜二にふんした井上芳雄をはじめとして、高畑淳子(多喜二の実姉)、石原さとみ(多喜二の恋人)らの証言もある。「生命あれば書く。絶望するな」と創作意欲を持ちつづけた井上ひさしは、「組曲虐殺」のなかで「後につづく者を信じて走れ」といい残している。娘の井上麻矢が指摘しているように、多喜二と同化したのだ。井上ひさしは、その生涯の最後において、小林多喜二を現代によみがえらせたのである。
 (菅井幸雄 演劇評論家)
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2010年06月10日,「赤旗」) (Page/Top

加藤剛さん・市田忠義書記局長対談/「大岡越前」・戦争と平和・憲法9条/下


加藤・世界に誇る日本の憲法/市民の力世界を動かす・市田
 市田 私は演劇が大好きなんです。映画もいいんですが、舞台は役者さんの息づかいが直接伝わってきますよね。狂言の茂山千之丞さんが、「間というのは、せりふの間や役者同士の間もあるが、観客と役者の間、これが大切なんだ」という話をされていました。私は演説をやりますが、聴衆にのせられるということがあるんですよね。何百回と演説してもうまくいったと思ったことは一度もないんですが。参加者とぴたっと息が合った時、あ、今日はうまくいったな。そのへんの響きあいというのは、なんともいえないんです。
 加藤 三越劇場で幕を開ける私たちの「大岡越前―卯の花が咲くとき―」は俳優座の演目にしてはめずらしい「新劇世話物」で、冤罪を芯に捕り物もあれば白州場面もある。客席とともに呼吸する喜びをいただきたいと思います。
 市田 終わった後で、しばらく間をおいてから拍手、なんですね。いい芝居は。ふっと一息おいてから。先日の「沈黙亭のあかり」も、そんな感じで、なかなか良かったですよ。

一番の抑止力
 加藤 「日本の青空」という日本の憲法の成立過程を描いた映画にも出演しましたが、日本国憲法は、日本が世界に誇る憲法、人類史上最高の英知だと思うんですよ。こんなに良い憲法を持っている国はないのではないですか。これを高く掲げて、日本が先導して、戦争も核兵器もない世界を作る力になっていかないといけないと思います。憲法は平和と暮らしの見張り役なんですよね。
 市田 憲法を暮らしの中に生かしていく必要がありますね。
 加藤 そうです。暮らしの中に生かしていかなければいけないですよ。
 市田 私は憲法9条というのは、あの戦争で亡くなった320万人の日本国民と2000万のアジアの人々、そういう人々の二度とあんな戦争はしてほしくないというあつい思いが凝縮されたものではないかと思います。よく今沖縄の基地問題で、「抑止力」という議論がありますが、私は憲法9条こそが一番の平和のための「抑止力」だと思います。
 加藤 本当にその通りです。どうしてそこに気がつかないのですかね(笑い)。今でも、沖縄の人たちの戦争は終わってないわけですからね。何であれだけ犠牲にならなければいけないのか。心が痛みますね。

世界の大勢に
 市田 私は世界と日本の流れを見ていまして、危険な方向にもっていこうという流れもありますが、同時に、世界と日本国民の世論が、今政治を前向きに動かしているという実感を深めています。たとえばNPT(核不拡散条約)再検討会議が開かれましたね。
 加藤 志位さんが行かれましたね。
 市田 5年前の再検討会議と全然状況が変わりまして。核兵器廃絶を正面にすえた国際交渉をはじめる合意を勝ち取ろうということが、かなり世界の大勢、流れになっています。日本からは、反核署名650万を持って行ったそうです。そういう市民の力が世界を動かしているという感じがしますね。憲法をないがしろにして、「抑止力」というようなことをいっている勢力がいますが、世界でも日本でも軍事力でものごとを解決しようという勢力はいまや少数派になりつつあります。ところで俳優座9条の会の呼びかけ人として、加藤さんのような著名な方が発言していただくというのは、平和を願う多くの国民に非常に勇気を与えてくれています。
 加藤 私たちは逆に、みなさんに力をいただいているからこそ、いえるのですよ。「憲法をまもる活動こそ最高の合法活動だ」って。
 市田 これも響き合いですね。
 加藤 そうです、ベートーベンの「第九」ですよ。
 市田 きょうは、ありがとうございました。
 加藤 心からお待ちしております。
 (おわり)
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2010年06月11日,「赤旗」) (Page/Top

加藤剛さん・市田忠義書記局長対談/「大岡越前」・戦争と平和・憲法9条/中


加藤・自分のためにが本源的な強さ/市田・多喜二は自分の良心に従った
 市田 『人間の條件』の作者の五味川純平さんが、加藤さんの演技をテレビで見て、自分の分身を見たような感じがするとおっしゃってます。
 加藤 手紙をいただいたんですよ。ちょうど、放送22回で、私の「梶」が敗残兵になって、密林をさまよい、略奪をしながらさまよっていく。五味川先生がお手紙をくださいました。18年前の経験を思い出したと、そして、納得する分身の私と会えたというお手紙でした。私は泣きました。
 市田 役者冥利に尽きますね。
 加藤 そうですね。たった18年前だったんですね、その時あの戦争は。

犠牲ではなく
 市田 俳優座の「蟹工船」も拝見させていただきました。確か息子さん(頼三四郎)が学生役で出演していますね。小林多喜二の死はある意味では、人のために犠牲になろうとしたというよりも彼自身が自分の良心に従って、間違っていることは間違っているといいたいがために、たたかったからですね。
 加藤 そうですね、死に向かって、自分が誰かの犠牲になっているというのは弱いですよね。ほんとうに自分のためにやっているということが、結果として自分以外のためになるのですね。だから自分のためにやっているというのが本源的な強さなんでしょう。人としてそういうふうな生き方をしたいと思いますよね。
 市田 やはり、役者としてそういう生き方をするという姿勢がなければいい役者にはなれないでしょうね。
 加藤 憧れとしてはそういうものを持っていますし、そう生きていければいいなと思っています。
 市田 それにもう一つ、感動したのは、岩波でだされた本『こんな美しい夜明け』を読ませていただきました。美しい味わいのある文章で、俳句も素晴らしい。俳句はいつから? 学生時代からですか。
 加藤 本当にちょこちょこと。習ったこともありませんし、本当にお恥ずかしいものです。
 市田 短い文で、社会や自然、人生についての思いを表すというのはなかなか難しい。
 加藤 それを切り取ってね。入れ込んでいくことが面白いです。
 市田 いいですよね。短いだけに無駄なものをそぎ落として。

研ぎ澄まして
 加藤 演技というものも、最終的には無駄なものを削って、それで真のものを研ぎ澄ましていく。そういうのが理想ですよね。よく演技が枯れるといいますが枯れるんじゃなくて、無駄なものをそぎ落としていく。なかなか難しいです。もともと貧弱なものからはそぎ落とせませんから、まず、ためる。それからが、けいこの試行錯誤です。けいこ場を耕し、種をまき、やがて咲く花のイメージをみなで育てます。「大岡越前―卯の花が咲くとき―」の卯の花はもう咲くところ。どうぞお楽しみください。
 市田 それぞれ、いろんな見方があるでしょうが、それぞれに前向きに感じてくれるといいですよね。
 加藤 演劇という時空のいいところは、役者と観客のみなさまが、同じ時間に、同じ空気を吸いながら、同じ体験をするということです。舞台では、台本にもとづく進行とはいえ、どういうことが起こるか分かりませんから。実に人生のようなところがあります。緊張もありますし、本当に一回やりますとへとへとになります。体力を使い切ります。
 (つづく)
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2010年06月09日,「赤旗」) (Page/Top

加藤剛さん・市田忠義書記局長対談/「大岡越前」・戦争と平和・憲法9条/上


現代も解決されてない問題/今の世の医療崩壊とダブる
 俳優の加藤剛さんと日本共産党の市田忠義書記局長・参院議員が、10日から上演される舞台「大岡越前」や、戦争と平和、憲法9条などをめぐって対談しました。話題は戦争の記憶や青春の思い出にも広がるなど、終始和やかに、話は弾みました。
 
 市田忠義 先日も俳優座の「沈黙亭のあかり」を観ましたが、大変面白かったです。
 加藤剛 私たちの劇団の公演活動にいつもお力添えをいただきまして、ありがとうございます。
 市田 こんど10日から始まる、加藤さん主演の芝居「大岡越前」の台本を読ませていただきましたが、なかなか面白く、また考えさせられました。
 加藤 そうですか。台本は、私の次男の頼三四郎と彼と同期の松崎賢吾による「RaiKen Plus(ライケン・プラス)」と筑地久実さんが共同で作ったものなんです。
 市田 現代の問題と重なるせりふがいっぱいありますね。
 加藤 裁く側の為政者もまた裁かれる、という主題ですね。芯になっているのは、冤罪事件です。今まではお奉行様として裁く方ばかりでしたが、今回は私が裁かれる役との二役をやっています。江戸南町奉行に就任した若い越前守を頼三四郎がやり、私が白州に座ります。これが第一幕。20年後の第二幕では町奉行を退く直前の越前を私がやり、頼が冤罪の人の息子として白州にいる、という仕掛けです。裁く側と裁かれる側の両方を合わせ鏡でやるのは、初めてです。これは舞台劇でないと成立しませんね。

実感もち読む
 市田 台本で印象に残ったのが、「職に就けない者、身寄りのない者、その差し出す手にお上の差しのべる手はあまりにも少ない」「真に裁かれるべきは政事だ」というせりふです。一番ジンときました。
 加藤 「お上理不尽!」の父子の叫びを、3年前同じ舞台上から発したのが「上意討ち」公演でしたが、今回の「大岡越前」にも、現代でも解決されていない、多くの問題が含まれていると思います。
 市田 飛躍かもしれませんが、今のワーキングプアの問題、派遣労働者がクビきられて職に就けない、ということとダブりましてね。
 加藤 なににも属さない一自由人の私なども同じ弱い立場といえますが、息子なんかは、台本を書くとき当然現代の若者としての声をあげる、それを若い観客の皆さんにキャッチしていただく―。親子三代を同時に客席にお迎えするのが舞台人としての私の夢なんですよ。お芝居ですから、面白くしなくてはいけないと思っています。
 市田 井坂というお医者さんが、貧しい者がますます貧しくなるのは、病気になってもお医者さんにかかれないからだ、そういう人を診る施設を造るべきだという。大岡が、お上にちゃんと提言しよう、と応じる。社会保障費が毎年削減され医療崩壊が起きている、現代の流れとダブる気がしました。300年も前の話ですが、実感をもって読みました。
 加藤 忙しい中、台本を読んでいただき、ありがとうございます。越前は実際に養生所の設置に力を尽くしましたね。
 市田 今、小石川植物園になっている場所にあった、小石川養生所ですね。
 加藤 そうです。私は小石川高校時代、その近くに住んで、よくスケッチに行っていました。

戦争の理不尽
 市田 テレビへの出演は、「人間の條件」が最初でしたね。
 加藤 あれは1962年、24歳のときです。私のブラウン管デビュー作品でした。「梶」という主人公が戦争という極限状態の中で、どうやって自己の良心を守っていくのか、戦争という巨大な殺人メカニズムの中で、良心を貫き通すことが、どんなに難しいことか、その役と、一番最初に出あったものですから。
 市田 加藤さんの役者としての原点ですね。
 加藤 ええ、私の原点です。この作品のテーマというのは、日本人のたくさんの「梶」たちが残していった遺書だと思ったんですよ。だから受け取った私たちがその遺書に応えるときなんです。
 市田 どう生きるべきかという遺書ですね。
 加藤 そういう風に感じておりました。それが原点です。その後どんな仕事をしても、常にそのことが原点だと感じています。「人間の條件」は、当時、月曜夜10時はお風呂屋さんの客が少し少なくなるということがいわれました。
 市田 「君の名は」以来ですね。
 加藤 そうですね。日本人が、戦争というものをいっしょに茶の間で考える時間だったと思います。
 市田 戦争という極限状態のもとで、いかに良心に忠実に生きるか、という問いかけですね。
 加藤 結局は梶自身も、人を殺さなければならなくなるのですが。ほんとに戦争というものの不条理です。
 市田 狂気ですね。
 加藤 私は、終戦時国民学校1年生でしたが、まあ戦争というものを知っている一番最後の世代だと思いますけど。実際にB29が来たり、焼痍弾が落ちたり、そういうものを幼い目で見ています。戦争というものはどんなことがあってもやってはいけないと、身にしみています。だんだん生き証人も減り、風化というか、若い人たちには実感としても遠くなったのでしょうけど。それを伝えていくというのが、人間として、俳優という職業の者として、表現者としてやっていかないといけない作業ではないかと、そう感じています。
 (つづく)

「人間の條件」
 1962年10月〜63年4月まで26回、TBS系で放送されたテレビドラマ。原作は五味川純平の大河小説。加藤剛さんが主演。戦争という極限状況の中で、自己の生命と良心をまもるために苦しんだ梶の運命を描きました。
 ◇
「君の名は」
 1952年から54年にNHKラジオで放送された連続放送劇。東京大空襲の夜に偶然知り合った、真知子と春樹の悲恋物語で多大な人気を得ました。
 
 かとう・ごう 1938年、静岡県生まれ。61年、早稲田大学文学部演劇科卒業。俳優座養成所に入り、62年、テレビドラマ「人間の條件」の主人公・梶役でデビュー。64年、俳優座入団。舞台「波・門・心 わが愛三部作」で芸術選奨文部大臣賞、紀伊国屋演劇賞など受賞。テレビは「大岡越前」など、映画は「伊能忠敬―子午線の夢―」など、出演多数。
 
 いちだ・ただよし 1942年、大阪府生まれ。63年、日本共産党入党。働きながら立命館大学を卒業。繊維商社などをへて、龍谷大学図書館・司書。同大に初めて職員組合をつくり書記長。71年、党活動に専念。以後、京都府委員会書記長、同委員長などを歴任。98年、参院議員に当選。2000年、第22回党大会で党中央委員会書記局長に選出。04年、参院議員に再選。
 
 「大岡越前―卯の花が咲くとき―」(劇団俳優座・三越劇場提携公演) 10〜26日=東京・三越劇場。рO3(3470)2888劇団俳優座
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2010年06月08日,「赤旗」) (Page/Top

組曲虐殺/井上ひさし著/評者松木新文芸評論家


読む者励ますメッセージ
 小林多喜二が29歳の若さで虐殺されてからまだ70年余り。死に至るまでの3年弱を描いたこの作品は、多喜二を中心に、恋人田口瀧子、生活を共にしていた伊藤ふじ子、姉の佐藤チマら彼を支える3人の女たちと、多喜二を追う二人の刑事の6人による群像劇である。多喜二個人というよりも、多喜二をめぐるかけがえのない人たちの笑いや哀しみ、怒りをすくい取ることで、この作品は明るい鎮魂歌になっている。
 多喜二の生涯を知っている読者は、瀧子とふじ子がいつも一緒に登場することに、違和感を覚えるかも知れない。
 瀧子の成長を何よりも願っていた多喜二の思いを受容する作者は、多喜二とふじ子の生活の場に瀧子を投げ入れるという大胆な虚構で、この課題に挑戦している。
 「もうセヅネー。ここにいるのって、もうつらい」と独り言つ瀧子が、「Tくんのシンパになったから。『婚約者と奥さんの間』を中退したから。Tくんのことは、なもかもFさんに任せた」と軽やかに言い切る様相が無理なく描かれているので、この虚構は的を射た試みといってよいだろう。
 多喜二の作家精神を敷衍しいていることも、この作品の魅力の一つになっている。
 「誰か、体全体でぶっつかって、やる奴はいないかなあ。…死ぬ気で、書く奴はいないかなあ」(手塚英孝『小林多喜二』)という有名なフレーズが、体ごとぶつかっていくと、胸のあたりに映写機のようなものがカタカタと動き出し、原稿用紙の上にかけがえのない光景を映し出す、その光景に導かれて前へ進む、と可視化されている。
 「虹にしがみつけ/あとにつづくものを/信じて走れ」と、読む者を励ます作者のメッセージが心を温めてくれる、井上ひさし最期の戯曲である。 
 
 いのうえ・ひさし 1934〜2010年。劇作家。
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2010年06月06日,「赤旗」) (Page/Top

多喜二描いた最後の戯曲「組曲虐殺」/井上ひさしの思いに迫る/ETV特集で6日放送

 4月9日、劇作家・作家の井上ひさしさんが75歳の生涯を終えました。シリアスな問題を喜劇の中で描き続けた井上さんの最後の戯曲が、「蟹工船」で知られる作家・小林多喜二の人生を描いた「組曲虐殺」(2009年10月初演)です。
 6日放送の「ETV特集」(NHK教育、後10・0)は、この戯曲に込めた井上さんの思いを探る「これができたら死んでもいい〜井上ひさしさん最後の戯曲」を放送します。
 長年準備を重ねたこの作品を肺がんに襲われながら書き上げた時、井上さんは家族に「『組曲虐殺』ができたから、死んでもいい」と語ったといいます。拷問を受け、若くして非業の死を遂げたプロレタリア文学者多喜二の姿を描いた作品は、多喜二と同世代で、小説家志望だった父・修吉さんへの鎮魂歌でもあるといわれています。修吉さんは井上さんが5歳のときに志半ばで亡くなり、井上さんは残された大量の蔵書を読み、父の志を受け継ぎ、創作を行ってきたのです。
 なぜ「死んでもいい」と思えたのか。番組は舞台を共にした演出家や俳優、家族の声、NHKに残る井上さんの肉声から、その思いと背景に迫ります。
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2010年06月04日,「赤旗」) (Page/Top

ひと/「小林多喜二の生誕地ですべての作品を読もうと燃える大山兼司さん(69)

 「おい、地獄さ行ぐんだで!」
 「『蟹工船』の書き出しなどに出てくる秋田弁、作品に大館市の風土がでてくると親近感がもてるんですよ」と笑みをこぼします。北海道・小樽で活躍したことで知られているプロレタリア作家・小林多喜二は秋田県大館市出身です。
 社会科と英語を教えていた中学校教諭時代の1980年2月、生誕地で何かしたいと第1回「記念の集い」を開催。今年で31回目を迎えました。2000年には「ふるさとで読む会」をつくり、小説・日記を中心に読んできました。最近は、その範囲を評論や書簡にも広げています。
 「多喜二は、当時(大正〜昭和時代)の労働や生活や女性差別などの実態をリアルに描写しています。そこには人間らしく生きたい、人間を大事にする、人間を個人としてみる奥の深さがあります。感心します」
 同じ作品でも「2回、3回と読むたびに新しい発見があっておもしろい」と魅力を語ります。
 最初の出会いは1962年2月20日。秋田大学3年の時に第1回秋田県多喜二祭に参加したときでした。卒業直後には第4、5回で事務局も担当しました。
 1979年の秋には、日本民主主義文学同盟(現日本民主主義文学会)大館支部を結成し支部長になりました。
 「元教え子ら若い人との交流が健康と若さの秘けつなんですよ」といいます。
 文 杉本 茂之
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2010年06月04日,「赤旗」) (Page/Top

国賠同盟が総会/秋田県本部

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟秋田県本部はこのほど、秋田市で第21回定期総会を開き、50人が出席しました。
 日本共産党の藤田和久・党県民生活対策委員長(参院秋田選挙区候補)が来賓あいさつし、激励しました。
 総会では、普天間基地の辺野古「移設」日米共同発表について「沖縄県民の総意を踏みつけるもので断じて許せない」とし、方針の中止を強く求めることを確認しました。同時に民主党政権のもと、民意を反映しにくくなる比例定数削減が現実のものになる危険性が生まれており、同盟運動の意義と役割が重要になっていることが強調されました。
 総会は、新役員に近江谷昭二郎氏ら23人を選出しました。
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2010年06月04日,「赤旗」)

「井上ひさしを語り継ぐ」/25人が作品朗読/劇作家協会

 劇作家協会は5月23日、4月9日死去した作家・劇作家の井上ひさしさんをしのぶ集い「井上ひさしを語り継ぐ」を、東京の座・高円寺で開きました。これには同協会会員をはじめ、俳優、関係者ら約200人が参加しました。
 別役実さんが、「井上さんの、初代劇作家協会会長としての4大功績」として、季刊雑誌『せりふの時代』の刊行や喜劇の尊重≠ネどをあげ、たたえました。劇作家25人が舞台上に勢ぞろいし、井上戯曲を次々にリーディング(朗読)しました。坂手洋二さんが「日本人のへそ」、永井愛さんが「しみじみ日本、乃木大将」、平田オリザさんが「イーハトーボの劇列車」、ふじたあさやさんが「十一ぴきのネコ」、本谷有希子さんが「組曲虐殺」、渡辺えりさんが「化粧」、野田秀樹さんが「小林一茶」を選びました。それぞれが、好きな作品の印象的な部分を、心を込めて朗読しました。
 井上さんの最後の作品で、「蟹工船」の作家・小林多喜二を描いている「組曲虐殺」に出演した井上芳雄さん、神野三鈴さんと、音楽を担当した小曽根真さんが登壇。渡辺えりさんが歌い手として加わり、小曽根さんがピアノを弾き、「組曲虐殺」の中から3つの歌を熱唱しました。搾取という仕組みや人を貧しくする社会の構造を告発し、暗黒時代に天皇制政府とたたかい、特高警察に虐殺された多喜二を描いた同作品。そのなかで、多喜二の心≠美しいメロディーで歌いあげた、これらの歌に、参加者から大きな拍手が送られました。
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2010年06月02日,「赤旗」) (Page/Top

多喜二・山宣会/道南で設立総会

 「道南多喜二・山宣会」の設立総会と記念講演・音楽の夕べがこのほど、北海道函館市で行われ、小学生を含む110人が参加しました。
 設立総会で、斉藤幹雄会長、大田正春事務局長ら10人の役員を選出。斉藤会長はあいさつで「全国でも多喜二と山本宣治をともに顕彰する会は初めて」と語り、会員が135人になったことを明らかにしました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟中央本部の宮田汎副会長が講演。1927年の最初の普通選挙で2人とも庶民の身近な問題と国政を結びつけユーモアたっぷりに演説したことや、山宣の北海道遊説と多喜二との出会い、3・15大弾圧を多喜二は小説で、山宣は国会で国家権力の犯罪として鋭く告発したことで、特高と右翼に虐殺されたと述べました。また、治安維持法犠牲者に対する国家賠償法制定を求める国会請願や沖縄のたたかいに触れ、「このたたかいが多喜二と山宣のメッセージに応える道です」と訴えました。
 関西などで音楽活動をしている歌手ケイ・シュガー(佐藤圭子)さんが、自ら作詞作曲した「YAMASEN―山宣」「多喜二へのレクイエム」「ひとりひとりがHERO」など8曲をキーボードを弾きながら熱唱し、感動を与えました。
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2010年06月02日,「赤旗」) (Page/Top

 

5月】(ヘッドライン)

 

断面/映画「弁護士 布施辰治」/日本の過去とアジアの未来考える

綱領を学ぶ/綱領を学んで対話にも自信/福島・常磐第3支部

文芸時評/三浦健治/大逆事件と韓国併合100年/抗した文学者の良心

綱領を学ぶ/「選挙の力に」と楽しく学びあう/大阪・枚方

「不屈」200号発行/岩手

参院選勝利へ集い/新婦人大阪府本部内後援会/大阪・此花区女性後援会/大阪狭山

作曲家・吉田隆子生誕100年/ソナタの持つ表現の深みを思う/小宮多美江

戦前の活動家相沢良の生誕100周年/北海道/青森

相沢良生誕100年/高橋ちづ子氏が講演/15日札幌で集い

読書/文庫/小林多喜二著『防雪林・不在地主』

たび/秋田・大館市/多喜二のふるさと/優美な曲げわっぱ

読書/文庫/野上照代著『母(かあ)べえ』

伊藤千代子最後の手紙公開から5年/9日苫小牧で集い

劇団民芸・俳優北林谷栄さん死去

憲法考える催し多彩/非核三原則習ったよ£学生も/北海道/福島/秋田/山形・高畠/岩

平和と愛の詩を今に/大島博光生誕100年記念集会開く

歴史開く参院選/平和日本沖縄と連帯/女性の集いではたやま候補/札幌南区

綱領を学ぶ/質問コーナー/Q共産党はなんとなく怖い?

 

5月本文】(Page/Top

断面/映画「弁護士 布施辰治」/日本の過去とアジアの未来考える

 戦前戦後にかけ、弱者のため、朝鮮の人々の人権擁護のため働き続けた弁護士・布施辰治。近年、書籍や舞台によって、その生涯に光が当てられています。特に今年は布施の生誕130年、韓国併合から100年の大きな節目。ドキュメンタリー映画「弁護士 布施辰治」が今月完成し、21日に製作委員会が記者会見を開きました。

朝鮮民族の側で
 監督は、これまでに小林多喜二、田中正造のドキュメンタリー映画を撮ってきた池田博穂氏。「もっと日本と韓国、アジアが仲良くなるために、布施さんを広めることは大きな意味があるのではないか」。そんな思いで4年前から製作に取り組んできたと言います。
 日本が朝鮮を植民地化し、「イワシが魚か? 朝鮮人が人間か?」と言われた時代に、布施は朝鮮民族の側に立ち、彼らと共にたたかいました。2004年には日本人として初めて韓国政府から建国勲章を授与されています。
 少年時代に漢学、なかでも墨子の「兼愛(自他・親疎の別なく平等に愛すること)」を学んだ布施は、当時から朝鮮への敬意の念をもっていたと、孫の大石進氏は著書『弁護士 布施辰治』に記しています。電車賃値上げ反対騒擾事件、米騒動、三・一独立運動など社会運動の弁護を重ね、40歳になると「自己革命の告白」と題する書簡を公表。虐げられた人びとの権利を守る活動に専心すると宣言します。

思いを引き継ぐ
 映画は、布施の弁護を受けた人々や研究者の証言に再現ドラマを交え、朝鮮・台湾人、労働者、小作人の弁護に奔走した布施の真髄に迫ります。
 大韓弁護士協会の後援、韓哲文化財団の助成も受け、韓国ロケでは、多くのボランティアやスタッフの協力を得たといいます。映画の製作委員会代表委員にも名を連ねる名古屋市立大学の森正名誉教授は会見で「日韓併合100年の今年、実質、日韓共作と考えられる映画が作られた意味は非常に大きい」と話しました。
 映画は終盤、布施の思いを引き継ぐ人びとの姿を映しだします。布施の出身地・宮城県では、中学生たちが布施の「人類愛」研究に取り組み、韓国には、布施の恩に応えようとする中越地震への募金活動がありました。
 「世の中に一人だって見殺しにされていい人類がないと同時に、正しい文化には一人だって置き去りにされていい人類がないのだ」と語った布施。映画は、日本の過去とアジアの未来を考えるうえで、大切な視座を与えてくれます。上映会は始まったばかり。韓国語版も8月に完成します。
 (田中佐知子)
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2010年05月31日,「赤旗」) (Page/Top

綱領を学ぶ/綱領を学んで対話にも自信/福島・常磐第3支部

 福島県いわき市の常磐第3支部では、「新入党員に綱領をわかってほしい」「自分の言葉で党を語れるように」と支部会議で綱領を学び、半数の参加者が全文を読了しました。
 まず、全員のひとりひとこと≠ナ口をなめらかにした後、章ごとに第23回党大会・綱領改定報告を視聴。綱領本文を手に党ホームページの「音できく綱領」を聞いて感想を交流しました。
 戦前のたたかいでは、小林多喜二の特集番組も見て、「小林多喜二のような先輩の勇気はすごい」「いまの労働条件のひどさは、戦前からの無権利状態に根っこがあるという話に驚いた」などの声が寄せられました。
 回を重ねるなかで、米軍基地問題や雇用、社会保障、暮らしの問題でも、アメリカと財界いいなり政治があることを深め、打開の展望や方針を学ぶことで、「むつかしい」と思っていた綱領を身近に実感できたといいます。
 未来社会論まで学び終えて、「未来社会のことは大切なところ。いまが、過去と未来社会をつなぐ一番やりがいのあるときだとわかった」「派遣労働のこと、沖縄の米軍基地のことなどの現実が綱領にぴったりだと感じた」「綱領という裏づけを学んだから、対話する自信みたいなものがもてた。学習なしに活動はない」などの声が出されました。
 「綱領を力に、財界にもアメリカにもモノがいえる党を伸ばそう」と、支部では宣伝と対話、支持拡大などに力をいれています。
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2010年05月29日,「赤旗」) (Page/Top

文芸時評/三浦健治/大逆事件と韓国併合100年/抗した文学者の良心

 大逆事件と韓国併合から百年になる。いずれも日本がアジアで唯一の帝国主義国への道に踏み出した一里塚であるが、『民主文学』は特集で、それに抗した文学者の良心を検証している。
 平出洸「大逆事件と平出修の小説をめぐって」は、大逆事件の弁護人平出修が事件をモデルに書いた小説の分析である。
 稲沢潤子「啄木と大逆事件」は啄木が事件の翌年、平出から幸徳秋水の陳弁書を借りて筆写し幸徳の思想を受け継ごうとしたこと、しかし事件の三カ月後に書いた「時代閉塞の現状」は年来の自然主義研究の結実であること、そしてそれらの今日的な意義を説く。
 山崎一穎「森鴎外と大逆事件」は陸軍軍医総監・陸軍省医務局長の顔とは別の、文学者鴎外の革新的な素顔を浮かびあがらせる。被告には平出の弁護があった以上、死んでも遺憾はないと感泣した人がいたという。その卓越した弁護のもとになる無政府主義・社会主義についての見識を平出にレクチャーしたのは鴎外だった。鴎外も『沈黙の塔』などで事件を間接的に描いている。
 尾西康充「徳富蘆花『謀反論』」は、蘆花に矢野龍渓の『新社会』の影響があった可能性を指摘する。蘆花は桂太郎首相に被告の助命嘆願書を出した。死刑が執行されると、その1週間後の一高の講演(「謀反論」)でそれをきびしく批判した。蘆花には皇室への尊敬も含む人道主義的社会主義があった。

多喜二の描く女性像で対談
 数年前から『蟹工船』がブームになっている。若い世代がその奴隷的な労働に似た無権利状態に追いこまれたからだ。長年多喜二研究をしてきたノーマ・フィールド、宮本阿伎両氏の対談「変革をめざす文学の可能性をさぐる――多喜二の描いた女性像を中心に」(同)は、多喜二が「世界を思う心」と「愛する女を思う心」をともに大切にした点を強調する。それは『党生活者』の女性の描き方に「人間蔑視が底流している」とした平野謙説の反証であり、平野説が「なにを見えなくしているか」にもノーマ氏は言及する。
 両氏は『党生活者』に弱点がないというのではない。ノーマ氏は非合法活動のカモフラージュのために一緒に暮らす笠原にたいして主人公の佐々木を上位におく言いまわしを指摘し、宮本氏は佐々木が笠原は小市民的だから運動に適さないというなら、それを批判するもう一つの視点が必要だったと述べる。それらは多喜二がその後の作家活動の中で乗りこえてゆくはずのものだったと思う。

仕事仲間への姿勢好感もつ
 2誌が各2編、若者を描いた二、三十代の人の新人賞小説を発表している。『文学界』の鶴川健吉「乾燥腕」と穂田川洋山「自由高さH」、『群像』の浅川継太「朝が止まる」と野水陽介「後悔さきにたたず」である。
 鶴川作品は入社してすぐ会社を辞め、隣の声も筒抜けのアパートに暮らす青年の、乾燥肌から剥がれた皮膚を家ダニが食べるような生活を描く。階下にはもっと苦しい老人が住む。その老人が階段で首をくくるのを止めてしまう。けれど、他人を救うという思考を青年は必死に阻む。
 穂田川作品は廃工場を借りて板に柿渋を塗る、大手不動産会社勤務の若い男を描く。大家の発条会社の沿革や、柿渋の塗装、発条生産の技術などふつうの小説では省略される部分が詳しく解説される。
 浅川作品は二度目のアラームが鳴ると時間が止まるという怪しげな時計を法外な値段で売る若い女と、後方世界への視覚に目覚めた若い男を描く。よくある超現実への飛翔だ。
 野水作品は2浪し5年かけて大学を出た主人公のコンビニでのアルバイトを描く。スリリングだったり奇妙だったりする出来事も作者の実体験に近いと感じられる。冗談好きの主人公の根っこには清廉な金銭感覚や正義感があり、自己批評の目もある。何より仕事仲間を大切にする姿勢に好感をもった。
 広小路尚祈「塗っていこうぜ」(『すばる』)はシンナーと暴力から抜けられない二人の仲間と深夜ひそかに落書きだらけの旧商店街のシャッターを茶色に塗る23歳の塗装工を描く。主人公は絶望的な二人に裏切られるが、傷つきながらも希望をつかもうとする。

外の視点から日本見る作品
 日本を外の視点から見る若い世代の作品も興味深かった。シリン・ネザマフィ「拍動」(『文学界』)の主人公は日本生活5年の若い外国人女性で、アラビア語を教えるアラン先生が交通事故に遭ったため、来日した家族と医者の通訳をしてくれと大学の恩師に頼まれる。主人公は10日も経ってアラン先生の脳死を知らされ、どうして手術をしてくれないのだと怒り狂う家族に冷酷な宣告をする役目を負わされる。だました恩師への怒りとその氷解。きつい場面を先送りする恩師の弱さ優しさに日本的な文化を見ているのだろう。
 温又柔「来福の家」(『すばる』)の主人公は赤ん坊のころ一家で日本に移住した台湾人の若い女性で、正規に中国語を学ぼうと志し自分らしい自分を見つけ出そうとする。外国人というだけで特別視する日本人への批評がある。
 木村紅美「黒うさぎたちのソウル」(同)は沖縄の血を引く主人公と、ソウルのように奄美民謡を唄う奄美の血を引く友人との女同士の友情。高校時代、「沖縄より貧乏」「基地だらけ」と傷つけ合った二人は島の歴史を知り、痛みを分かち合うようになる。主人公のオバァはできれば日本の男とは結婚して欲しくないといい、隣のお姉さんが日本兵に暴行されて殺された話をする。オバァは日本人をウチナンチュと区別せざるをえない。 
 (みうら・けんじ)
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2010年05月26日,「赤旗」) (Page/Top

綱領を学ぶ/「選挙の力に」と楽しく学びあう/大阪・枚方

 大阪府枚方市の新婦人グループは、参院選をたたかう力をつけようと会議の30分をあてて綱領を学習し、章ごとに読み合わせ、疑問や感想を気軽に出し合い、楽しく学びました。
 第1、2章では、党員作家の小林多喜二など先輩のたたかいへの尊敬、党名への誇りなどが語られ、いま熱い焦点になっている核密約、沖縄の基地問題、雇用不安などアメリカと大企業いいなり政治との関係が浮き彫りになり、「綱領の先見性はすごい」という声もあがりました。
 「ソ連は社会主義だった≠ニいう誤解が広くあるね」という問題については、「ソ連が社会主義とは無縁の社会という綱領の内容を知らせよう」と確認。中国やベトナムなど「社会主義をめざす国」の比重が高まり、南米諸国での民主的変革の流れについては、「元気が出る」「選挙や国民投票で国民が一歩ずつ選択して前進していることがすばらしい」「平和な世界をめざして、日本でも本当の独立をめざしたい」と討論しました。
 「社会主義日本の様子をもっと詳しく書いた方がよいのでは?」などの意見には、将来のあり方を今から勝手に決めるのではなく、国民の創意、探究で日本らしい社会主義に発展させていくことが大事だなどと話し合いました。
 グループでは、続けて不破さんの講演録『マルクスは生きている』(東大セミナー)を学んでいます。冒頭から笑いもこぼれ、「面白い」「次回が楽しみ」との感想が出ています。
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2010年05月22日,「赤旗」) (Page/Top

「不屈」200号発行/岩手

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟岩手県本部の機関紙「不屈」岩手版(月1回発行)が、5月で200号を迎えました。同法犠牲者の歴史の掘り起こしと、社会進歩のためにたたかった岩手の人たちの歴史の紹介に力を入れてきました。問い合わせは019(623)8648牛山靖夫さん。
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2010年05月22日,「赤旗」) (Page/Top

参院選勝利へ集い/新婦人大阪府本部内後援会/大阪・此花区女性後援会/大阪狭山


新婦人大阪府本部内後援会
 日本共産党新婦人府本部内後援会は15日、参院選勝利をめざし、大阪市内で「かえる明日・ひらく未来5・15」を開き、250人が参加しました。会場には各後援会からの要求いっぱいの「5・15(いちご)カード」が張り出されました。
 中央本部内後援会代表委員の高田公子さんが「頑張れば頑張るほど手応えがある選挙」と切り出し、ある小集会で、暮らしを守って奮闘する国会での追及を伝えると、「そんなにがんばっているとは知らなかった。もっと自信を持って」と激励され、全員が支持を約束したと報告。志位和夫委員長が訪米し、普天間基地問題で国民の思いを伝えてきた話に感動が広がりました。
 舞台に駆け上がった清水ただし大阪選挙区候補は、激戦の福島区市議補選(23日投票)とともに、「国会に送りだしていただき、国民の願いに応えたい」と支援を訴えました。
 川本幹子代表世話人があいさつ。各支部内後援会が活動を報告しました。

大阪・此花区女性後援会
 日本共産党大阪市此花区女性後援会は16日、「世直しは、さつきの風にのせて このはな女性のつどい」を開き280人が参加しました。
 山下芳生参院議員が子育てや普天間基地問題での日本共産党の役割、値打ちについて、志位委員長の訪米活動の活躍ぶりも含めわかりやすく話しました。
 ケイ・シュガーさんが「多喜二のレクイエム」など演奏。たつみコータロー府政対策委員長と瀬戸一正市議会議員が、此花区の街づくりで果たしてきた党の役割をそれぞれ語りました。
 清水ただし参院選挙区候補は、自らの経歴や共産党の政策をわかりやすく訴えました。
 会場は新しい顔ぶれが目立ち「初めて清水さんの話を聞いたが、すごい人ですね」「こんな楽しいつどいならまた来たい」などの感想が寄せられました。

大阪狭山
 日本共産党大阪狭山女性後援会は13日、参院選へ弾みをつけようと「新緑のつどい」を開きました。初めて共産党の話を聞きに来た人も多く過去最高の110人が参加しました。
 バザーやミニコンサートに続き、清水ただし参院選挙区候補が普天間基地、後期高齢者医療制度の問題など、共産党の政策を分かりやすくユーモアを交えながら話しました。
 「日曜版を日刊紙に切り替えます」「ビラ配ります」「後援会ニュース配ります」「家族に支持を伝えます」とサポーター宣言も届きました。
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2010年05月21日,「赤旗」) (Page/Top

作曲家・吉田隆子生誕100年/ソナタの持つ表現の深みを思う/小宮多美江

 今年が吉田隆子生誕100年にあたると知ったとき、そう言えばそうと思いつつ、作曲家没後に経過した半世紀あまりとこれからの時間の方が私には大きな課題のような気がしている。
 昨年11月のことだが、ヴァイオリンの印田千裕さんから、吉田隆子の「ヴァイオリン・ソナタ ニ調」を演奏するからと銀座シャネル(東京)の無料コンサートに招かれた。
 
 きくところによれば彼女は留学先イギリスで邦人作品に興味をもち、帰国後たまたま「日本女性作曲家の歩み」CDの制作にかかわって吉田隆子の「ヴァイオリンとピアノのためのお百度詣」を演奏したのだが、以来、「ソナタ」もぜひと思っていた。それに加えて、クリティーク80編著『吉田隆子』(音楽の世界社)にある作曲家本人の著作を読むにおよんで、いっそうその気持ちをたかぶらせたというのである。
 それら吉田隆子の文章は音楽雑誌などに発表、著書『音楽の探求』(真善美社のち、理論社)にも収録されたもので、テーマは、自作についてばかりでなく、日本の作曲界の負っていた創作上の根本問題から、音楽ジャーナリズム全般にまで及んでいる。ことに、雑誌懸賞論文として応募入選したものなどは、いまのジャーナリズムにたいしても同じように勢いの良い筆をふるってもらいたい気がするほどだが、とりわけ若い演奏家印田の心に強く残ったのは、「芸術に対する尽きることのない熱い情熱」だったようだ。
 たとえば、筆者と同世代の林光は、作曲家の生前すでに接点があった一人だが、ほかにも岡田京子をはじめ、多くの作曲家たちが前記『音楽の探求』を読んで影響を受けたときいている。しかし、それは戦前の日本の社会状況を知り、敗戦直後の日本を生きたものとしての共感あってのことであり、1980年代以後生まれの若い世代にとって、あの弾圧の激しかった時代、そのなかで文字通り病とたたかいながら、人間が生きる事とひとつの、真の芸術作品を生む創作にいどんだ吉田隆子のいきざまを、実際どこまで受けとめることができるだろうか。
 
 ふりかえれば、クリティーク80のコンサートU「君死にたもうことなかれ」開催は1981年、作曲家没後25年のときであったが、その批評には、反戦に生きた女流作曲家とか、女流作曲家のパイオニアという見出しが目立ち、好意的ではあるものの、表現意欲の激しさばかりが強調されがちだった気がする。
 印田の最初の出会いがそうであったようにここ何年かふたたび、「女性」という冠文字がつき、その一人として吉田隆子が取り上げられ、それ故の演奏機会もたしかに増えていた。
 だが、吉田隆子の「ヴァイオリン・ソナタ ニ調」は、1930年代から60年代にかけての、20世紀近代日本のソナタのなかのひとつとして、いまようやく位置づけられようとしているところなのだ。
 よく知られているようにこのソナタは、久保栄(劇作家・演出家)の「火山灰地」の劇音楽が元になっている。作曲家がそれをヴァイオリンとピアノのためのソナタへとあらたに再創造してゆく、その緊張の現場に、じつは私自身、居合わせたのだった。
 私は、ソナタという音楽形式のもつ普遍的な表現力の奥深さを思う。日本の作曲家たちの労作が多くの若い奏者によってもっとたびたび演奏され、人びとのなかに生きづいていくにつれ、さらに豊かにふくらんでいくにちがいない。そのときが、いま、始まっている。
 (こみや たみえ・音楽評論家)
 
 よしだ たかこ・1910―56年。作曲家。日本プロレタリア音楽家同盟に参加し、合唱曲「兵士を送る」「小林多喜二追悼の歌」などを作曲。夫は劇作家の久保栄。
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2010年05月19日,「赤旗」) (Page/Top

戦前の活動家相沢良の生誕100周年/北海道/青森


北海道
 戦前の北海道の女性活動家・相沢良(りょう)の「生誕百周年のつどい」が15日、札幌市で開かれ、150人が参加しました。
 日本共産党の高橋ちづ子衆院議員が「現代(いま)に生きる相沢良〜平和と人権が輝く社会をめざして」と題して講演。相沢と同じ青森県の出身であり、良の紙芝居を作って顕彰活動をしたこともある高橋さんは、「東京、青森、札幌などで、学習会で活動家を育て、全協の組織をつくるために、ち密に経営の実態調査をし、労働者から誠実に学んだ良の姿勢を私たちは学びたい」と述べました。
 高橋さんは「大陸への侵略戦争と治安維持法のもとでたたかった良からのメッセージを受け止めて、国民投票法の施行、自民党の改憲案発表、ビラ配布弾圧など形を変えた治安維持法や、国会法改悪など、今また暗黒政治への警鐘を鳴らすとき」と訴えました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟青森県本部副会長の野村けい子さんは、「良が北海道に渡る時、私の家で花嫁衣装の変装をしたのです」と80年前の秘話を語り、感動を呼びました。

青森
 反戦平和のためにたたかいぬき、25歳8カ月で生涯を終えた戦前の女性活動家・相沢良(1910〜36年)を「語り継ぐ会」が16日、出身地の青森市浪岡で開かれました。
 「語り継ぐ会」と治安維持法国賠同盟青森県本部が、良の誕生日の5月15日前後に毎年開いているもの。
 花岡展望台に建立された良の顕彰碑前での「碑前祭」には秋田県や北海道から参加した人もふくめおよそ70人が参加。日本共産党の高橋ちづ子衆院議員、よしまた洋参院青森選挙区候補もあいさつしました。 
 引き続き農村環境改善センターで「語る会」が開かれました。
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2010年05月19日,「赤旗」) (Page/Top

相沢良生誕100年/高橋ちづ子氏が講演/15日札幌で集い

 15日は、戦前の女性活動家・相沢良(りょう)生誕100年の日です。
 相沢良は、日本が中国大陸侵略を本格的に開始した1930年代初めの札幌で、たび重なる弾圧で壊滅した全協(日本労働組合全国協議会)組織の再建と反戦活動に命をかけました。そのために治安維持法で捕らわれ発病、仮釈放後1週間で亡くなりました。25歳8カ月でした。
 良は青森県野沢村(現青森市浪岡大字吉野田)生まれ。医師の父の影響で帝国女子医学専門学校に学びますが中退。富士紡績保土ケ谷工場に勤め全協を組織し、軍国主義的な教育に反対した青森県五郷村の青年訓練所ストの主謀者として検挙されました。
 31年暮れ、日本髪と赤い手甲の嫁入り姿の変装で特高の追及を逃れ、札幌の姉を頼ります。
 翌年1月、柄沢(現松島)とし子、佐藤チヨと出会い、学習会を始め、そのメンバーとともに古谷製菓キャラメル工場、帝国製麻、陸軍糧秣廠(りょうまつしょう)など女性の多い職場に全協を拡大、やがて全協札幌地区を再建します。
 良は工場近くの自宅に「和裁教えます」の看板を掲げて女工さんと親しくなり、時にはハイキングもして、平和や働く者の生き方を話し合い、学習し労働歌をうたって励まし合っていました。現在の西区平和の滝公園が、そのゆかりの場所です。良は化粧もせず日焼けして「クロさん」と敬愛されていました。
 良はまた共産党の綱領「32年テーゼ」を入手、100部を増刷りし、小樽、函館、旭川に配布しました。
 多喜二が虐殺された33年、4月に札幌を中心に全道で230人が検挙される大弾圧があり、良も捕らわれました。起訴者中最高の懲役4年で投獄され、拷問と虐待で肺エソを発病、重態となります。しかし良は、周囲の「転向」の勧めを拒否して36年1月、亡くなりました。
 「やってきたことみんな悪うございましたといわなければ(釈放は)ダメなのよ。私の人生をみんなウソにしてしまうことはいえない」
 戦後、柄沢とし子が衆院議員に当選したとき「この席には本当は良さんが座るはずだったのよ」と語りました。
 94年、平和の滝に良の事績案内板が建てられ、以後、毎年命日の1月28日に碑前祭と集いが催され、良の不屈の生涯をしのんでいます。
 (宮田汎・「相沢良 生誕百周年のつどい」実行委員長)
 
 「相沢良 生誕百周年のつどい」15日(土)午後1時30分〜、札幌市教育文化会館小ホール。講演「現代(いま)に生きる相沢良〜平和と人権が輝く社会をめざして」高橋ちづ子日本共産党衆院議員。資料代500円。問い合わせ=011(737)6577(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部)。なお、同日午前11時から、西区平和の滝公園碑前で相沢良碑前祭も行われます。(札幌駅北口「鐘の広場」集合・午前10時バス出発〜「つどい」会場の教育文化会館に正午帰着)
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2010年05月13日,「赤旗」) (Page/Top

読書/文庫/小林多喜二著『防雪林・不在地主』

 悪徳地主に抵抗する青年像が鮮やかな「防雪林」。未定稿状態で、戦後、発見されました。「防雪林」を改稿した「不在地主」。多喜二の思想の変遷を考えさせるユニークな組み合わせです。(岩波書店・760円)
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2010年05月09日,「赤旗」) (Page/Top

たび/秋田・大館市/多喜二のふるさと/優美な曲げわっぱ

 ハチ公、曲げわっぱ、きりたんぽ、比内地鶏で有名な秋田・大館市は、「蟹工船」のプロレタリア作家、小林多喜二の出身地でもあります。
 多喜二ゆかりの場所は、JR奥羽線下川沿駅前の「生誕の地」碑、生家跡、文学碑など市内に4カ所あります。
 中心街の桜の名所、桂城公園(大館城跡)に立つと市街地の先には屋根に秋田杉2万5千本を使った屋内球場の樹海ドームが印象的です。
 ドームの近くに、1945年、花岡鉱山へ強制連行された中国人が過酷な労働に抗議したてこもった花岡事件の故地、獅子ケ森があります。
 文学碑は、そのふもと、大館郷土博物館の前庭に立っています。
 同博物館の先人顕彰コーナーにはその一人として多喜二が、「不在地主」、「党生活者」などの作品とともに紹介されています。
 市内、釈迦内地域には、多喜二の母セキさんの生誕地碑もあり、多喜二と母に寄せる地元の人たちの思いが、胸に迫ってきます。
 同市では毎年、「小林多喜二記念の集い」が開かれています。案内してくださったのは、「記念の集い」代表の大山謙司さん。「『転形期の人々』などの作品には、北秋田の情景と人々が、何度も描かれています。お国なまりにも親近感を感じます」といいます。
 北秋田の歴史と風土がつまった同博物館では、国指定の伝統工芸品、優美な曲げわっぱの展示に見とれました。わっぱは食物容器。その昔、木こりが杉の木を薄くはいで曲げ、桜の外皮で縫いどめして作った弁当箱が始まりといわれます。市内で発見された千年前の曲げわっぱも、展示されていました。
 中心商店街の大町では空き店舗に昨年秋オープンした体験工房が人気です。すでに曲げ加工された体験キットで、底板やフタをつけて仕上げます。天然秋田杉の香り、木目の美しさ、木肌のやわらかさを体感しながら1時間ちょっとで、曲げわっぱ丸弁当箱ができました。
 工房の指導にあたる伝統工芸士の佐々木悌治さんは、「材料の樹齢200年の天然秋田杉が少なくなっているのが悩み」といいます。大館曲ワッパ協同組合は、森林管理署と協定して、「曲げわっぱの森」をつくっていると聞きました。
 大町商店街では、かつて通りのシンボルだったデパートの閉店ビルの一部を、秋田犬の「忠犬ハチ公」生誕地にちなみ「ハチ公小径(こみち)」に改造中でした。大型スクリーンを備えた、ライブもできるプレーゾーンだそうです。商店街の意気込みを感じました。
 鹿島 孝

【交通】東北新幹線 秋田経由の奥羽線、盛岡経由の花輪線で。高速道は十和田IC、碇ケ関IC経由
【問い合わせ】大館市観光物産プラザ рO186(57)8380
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2010年05月09日,「赤旗」) (Page/Top

読書/文庫/野上照代著『母(かあ)べえ』

 1937年に治安維持法違反で検束された父。留守家庭の母と姉妹。実話に虚構を交え、けなげな暮らしを描きます。著者の父母にささげた鎮魂の書。山田洋次、吉永小百合両氏の一文も掲載。(中央公論新社・590円)
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2010年05月09日,「赤旗」) (Page/Top

伊藤千代子最後の手紙公開から5年/9日苫小牧で集い

 「命あるものはみんなあらん限りに生きようとしてゐるのですね、生きようとするからこそその大事な命をも投げ出すのですね」
 24歳の若さで逝った戦前の活動家・伊藤千代子(写真、1905〜29年)最後の手紙4通が、北海道の苫小牧市立中央図書館で発見・公開されてから、5年がたちました。
 □……□
 この間、夫・浅野晃の手記「千代の死」や「最後の手紙4通の寄贈依頼文」も公開され、千代子の研究がすすんでいます。その後の研究成果も持ち寄り、関係者が9日、苫小牧市で「伊藤千代子最後の手紙公開5周年の集い」を開きます。
 千代子は、長野県諏訪市出身で、仙台の尚絅女学校をへて東京女子大学に入学。マルクスなどの科学的社会主義理論を学び、紡績工場の女工さんたちの待遇改善のたたかいを激励しました。平和と民衆のために活動するなかで、日本共産党に入党し、28年3月15日、治安維持法により捕えられ、投獄されました。
 特高警察によって拷問や脅迫を受けましたが、屈せずに頑強に意志を貫き、獄内外の人々を励まし続けました。
 □……□
 そうした千代子の真摯(しんし)なたたかいを伝えるエピソードがあります。
 28年に行われた第一回普通選挙で、北海道1区から労農党候補として出馬した山本懸蔵の選挙資金にと、浅野に懇請されてカンパを決意。卒業を断念し、山本に資金を持たせて、東京から北海道の小樽へと送りだしたのでした。
 4通の手紙はすべて、獄中から浅野の母、妹に発信されたもの。3通は庶民の幸せを願い、同志たちを励まし、浅野の母や姉妹を思いやる優しい内容で、検閲を逃れるため地しばりの花などに託してしたためられています。
 4通目には、浅野が獄中で変節し、その「転向声明」ともいわれる上申書を刑事に見せられ、苦悩のふちに陥れられた千代子が、最後まで社会変革の立場に立って、たたかい続けようとする決意が書かれています。
 しかし、最後の手紙を書き終わってから3日後に拘禁性精神病を発病。松沢病院に移され、29年9月24日、誰にもみとられることなくこの世を去りました。獄死同然の最期でした。
 千代子の恩師であったアララギ派の指導的歌人・土屋文明は35年に、国賊扱いされた千代子を、「高き世をただめざす少女等ここに見れば伊藤千代子がことぞかなしき」と実名をもって歌い、自身の危険もかえりみずに抵抗の意思を示したのでした。
 (畠山忠弘・「伊藤千代子最後の手紙公開5周年の集い」実行委員会事務局長)

「伊藤千代子最後の手紙公開5周年の集い」
 9日()午後1時30分〜、苫小牧プリンスホテル。講演「浅野晃『幻想詩集』について―伊藤千代子に触れて」・入谷寿一氏(日本詩人クラブ会員)など。参加費500円。問い合わせ=090(8279)6726(畠山忠弘さん)
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2010年05月07日,「赤旗」) (Page/Top

劇団民芸・俳優北林谷栄さん死去

 劇団民芸の創立メンバーの一人で俳優の北林谷栄(きたばやし・たにえ、本名安藤令子=あんどう・れいこ)さんが4月27日午後8時40分、肺炎のため東京都世田谷区の病院で死去しました。98歳。東京都出身。葬儀は近親者で済ませました。後日お別れの会を開く予定。喪主は長男河原朝生(かわはら・あさお)さん。連絡先は劇団民芸рO44(987)7711。
 1950年に滝沢修、宇野重吉らと劇団民芸を創立。若いころから老け役を演じ「日本一のおばあちゃん役者」とも評されました。
 代表作として、2003年3月の最後の舞台となった「泰山木の木の下で」の神部ハナ役などがあります。
 映画出演も多く、「破戒」「ビルマの竪琴」「キクとイサム」「にあんちゃん」「橋のない川」「小林多喜二」などに出演。91年の「大誘拐 RAINBOW KIDS」では日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞しました。
 国政選挙で日本共産党への期待を表明しました。
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2010年05月07日,「赤旗」) (Page/Top

憲法考える催し多彩/非核三原則習ったよ£学生も/北海道/福島/秋田/山形・高畠/岩手

 憲法記念日の3日、北海道、東北各地で署名・宣伝行動や集会などの取り組みが行われました。

北海道
 北見市で「日本国憲法を読む103人のつどい」が開かれ、65人が参加しました。憲法全文を1時間かけて読みました。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の宮田汎中央本部副会長が、「生活図画教育と憲法」と題して講演しました。
 帯広市では、「平和を守り、思想・良心の自由をかちとる市民の会」が、「みんなで日本国憲法を読む会」を開きました。参加者が前文や条文を読んだ後、石田明義弁護士が「砂川政教分離訴訟と最高裁違憲判決」と題して講演しました。
 北広島市では、「9条の会」が、「第3回平和のうたごえ喫茶」を開きました。JR北広島駅前コンコース(エルフィンパーク)の150のいすは満杯。9条の会代表は戦争体験集「バトンタッチ」の続編発行の取り組みなど紹介しました。
 札幌市厚別区の各9条の会と新日本婦人の会厚別支部(時田ひさ子支部長)は、サンピアザ水族館前で、「憲法守って国民の命と暮らしを守ろう」と呼びかけ、憲法改悪反対・核兵器廃絶・普天間基地返還署名を行いました。16人が参加。2人の女子中学生が「非核三原則習ったよね」と声をかけました。
 士別市の「士別9条の会」は署名に取り組みました。会員10人が「九条こそ世界の流れ、変えてはいけない」と訴え131人分の署名が集まりました。
 八雲町の日本共産党町委員会と町議団は、町内8カ所で街頭宣伝を行いました。竹浜俊一町委員長と横田喜世志町議が、「戦後65年にもなるのに外国の基地が置かれ、騒音や犯罪などの被害に国民が脅かされるのは、憲法に照らし許されません」とのべました。

イラク訴訟の弁護士が講演/福島
 第32回憲法を考える集いが3日、福島市・市民会館でひらかれ、約100人が参加しました。自衛隊イラク派兵差し止め訴訟・川口創弁護団事務局長(弁護士)の講演に、感銘が広がりました。
 イラク派兵差し止め訴訟は2004年2月に提訴。08年4月に名古屋高裁で違憲判決を勝ち取りました。
 川口弁護士は、「違憲判決と平和的生存権をどう生かすか」と題し、イラクの実態を紹介したDVD視聴を含め約1時間半講演しました。
 判決では、イラクで航空自衛隊が武装米兵らを輸送したことで、当時バグダッドを中心に大規模な掃討作戦がいっそう強化され、戦争状態、戦闘地域と認定したことを指摘。自衛隊の輸送活動が「憲法9条1項(武力の行使の禁止)に違反する」と明確な判断を下したと高く評価しました。
 憲法前文の平和的生存権についても、判決で「全ての基本的人権の基礎にあって」とのべたことなど、具体的な権利だということを正面から認めた重要な意義をもつと強調しました。
 「思いが裁判官に伝わった。きょうの参加者も自分たちの裁判と受け止めてほしい」と力説しました。
 参加者の一人、菅野偉男さんは「画期的な裁判だと改めて感激しました。9条の果たしている意味は大きい」と語りました。

県民集会に500人が参加/秋田
 憲法改悪反対秋田県センターが3日、秋田市文化会館で第32回平和憲法をまもる県民集会を開き、約500人が参加しました。
 首都圏青年ユニオンの河添誠書記長が「大量失業の時代に憲法を考える〜憲法9条と25条をつなげるということ」と題して講演し、「貧困の拡大は平和の危機、民主主義の危機だ」「手を差しのべあう優しい、やわらかい社会をつくっていこう」と訴えました。
 湯沢市の男性(33)は、「貧困は、いま自分自身が突き当たっている問題。具体的実例をあげての話で勉強になった。派遣切りされた労働者の生活実態は、過去の私の東京での体験と同じ。ここ数年の貧困を取り上げた運動のうねりがいま(の貧困打開の運動)につながっていると思う」と話していました。

大学生が9条大事だと思う=^山形・高畠成人式
 山形県の高畠町民懇(島津昭会長)は3日、成人式が行われた同町の文化ホール前で新成人に憲法擁護を呼びかけました。
 島津会長らは式場に向かう新成人たちに、現在の憲法が出来る前は、国の主人公が国民でなかったことや女性に選挙権がなかったことなど、民主的な社会でなかったことを話し、「日本の憲法9条を変え戦争ができる国にしようとしている勢力がいる。憲法9条を守ろう」と呼びかけました。
 仙台市から式に出席するために来たという大学生は、「9条のことは知っている。大事なことだと思う」と語りました。一緒に来た男性は、「日本は平和だ。大丈夫では」と問いかけてきました。町民懇の人が、「アメリカと一緒になって戦争できるようにしようとしている人たちがいる。9条を変えようとしている人たちが自民党や民主党にいる」と話すと、「これから勉強してみます」と語り会場へ向かいました。

映画「シッコ」釜石で観賞/岩手
 岩手県釜石市で3日、憲法記念日のつどいが開かれ、30人が参加しました。
 実行委員会の前川慧一会長は「憲法第25条で保障されている命と暮らしを保っていくため、医療の問題を考えてみたい」とあいさつ。アメリカの医療の現状を告発したマイケル・ムーア監督の「シッコ」を上映しました。
 集会は、鳩山首相あての「沖縄・普天間基地の無条件撤去という立場に立って米国政府と交渉せよ」の決議を採択しました。
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2010年05月05日,「赤旗」) (Page/Top

平和と愛の詩を今に/大島博光生誕100年記念集会開く

 アラゴン、ネルーダをはじめ世界の抵抗詩の名訳で知られ、『ひとを愛するものは』(多喜二・百合子賞)で、平和へのたたかいと人びとへの愛をうたった詩人、大島博光(06年95歳で死去)の生誕100年記念のつどいが、4月18日、千葉県船橋市で開かれました。県外からの参加者もふくめ200人近くが会場を埋め、博光の詩業をしのびました。
 詩人、土井大助さんが、「愛の詩人」と題して、博光の人がらにふれながら、愛を語り人間のつながりをだいじにして、万人の幸せをねがったすぐれた詩人の姿を講演。冒頭では博光の詩「春がきたら」がヴァイオリンの演奏にのせてうたわれ、千葉詩人会議の詩人たちによる博光の詩の朗読があり、感動をよびました。
 今回の集会は、博光長男・朋光(大島博光記念館館長・医師)夫妻が千葉県習志野市に在住している縁で、企画され、県下の詩人会議、日本民主主義文学会の各地支部をはじめ、博光の詩を愛するたくさんの人たちの献身的な準備活動で、広範な人々に呼びかけて成功させることができました。博光の詩を、激動する時代を生きる私たちのはげましとすることができた有意義な集会でした。地域での手作りの文化行事を、新しい時代を切り開く力の結びつきをつくる一助とすることへの希望がわいてきました。
 (林田遼子 作家)
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2010年05月04日,「赤旗」) (Page/Top

歴史開く参院選/平和日本沖縄と連帯/女性の集いではたやま候補/札幌南区

 札幌市南区の日本共産党女性後援会は4月29日、「春をよぶ南区女性のつどい」を開き、67人が参加しました。
 はたやま和也参院選挙区候補が、「沖縄には『流れ弾注意』の看板もあるほどです。矢臼別の米海兵隊訓練、千歳のF15戦闘機訓練、函館、小樽、室蘭への米艦船の入港に対する私たちの運動は沖縄へとつながっています」と訴え、「政府の仕分け作業に、道内四つの職業訓練センターの閉鎖が盛り込まれ、正社員として働くためのセンターをぜひ残してとの声があがっています。小林多喜二の育った北海道で私は、『今こそ共産党でできることがある』と立ち上がります」と熱く語りました。
 会場には、「はたやまさん、健康に留意してくださいね。私達も一生懸命がんばります。83歳の女性」など、たくさんの感想文が寄せられました。
 参加者は閉会後、地下鉄・真駒内駅前で、はたやま候補とともに宣伝を行いました。
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2010年05月01日,「赤旗」) (Page/Top

綱領を学ぶ/質問コーナー/Q共産党はなんとなく怖い?

A 最近放送されたNHK歴史番組では、『蟹工船』を紹介しながら作家の小林多喜二を、ひどい働かせ方などを文学で告発するだけでなく、実際にひどい状況をなくすために彼は日本共産党に入党した≠ニ報じました。
 多喜二のように信念を曲げずにたたかった人たちの集団は、悪政をおしすすめる勢力にとっては怖い存在でしたが、国民にとって頼もしく優しい存在でした。実際、戦前の日本では、日本共産党の先輩たちは主権在民や戦争反対などを主張しただけで、「国賊」「非国民」といわれて弾圧をうけました。
 国民の苦難をとりのぞくことこそ日本共産党の立党の精神です。今日では、役所や交番からも「困ったことは共産党へ」といわれるほど、その役割や評価は日本社会に浸透しつつあります。
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2010年05月01日,「赤旗」) (Page/Top

 

4月】(ヘッドライン)

 

*         井上ひさしさん追悼番組2本/100年インタビュー/多喜二描いた舞台「組曲虐殺」

*         治安維持法弾圧語り継ぐ/国賠同盟が集い/暗黒政治と戦争許さない/新潟

*         文芸時評/宮本阿伎/小林多喜二の新小説めぐって/高齢化社会をどう生きるか問う平瀬作品

*         背表紙/『防雪林・不在地主』……多喜二文学の発展を深める

*         本立て/上甲米太郎 植民地・朝鮮の子どもたちと生きた教師/上甲まち子、李俊植ほか著

*         仁比参院議員活動日誌

*         横田元県議が一関で講演会/国民救援会支部

*         戦争許さない運動をもっと/塩釜・多賀城で宣伝

*         月曜インタビュー/作家桐野夏生さん/時代と作家の関係を考える/林芙美子の南方派遣の実相

*         潮流

*         国民と力あわせ政治を前へ/誇れる歴史持つ党/市田書記局長訴え/兵庫・たつの

*         井上ひさしさん死去/演出家栗山民也さんの話

*         作家・劇作家「九条の会」呼びかけ人井上ひさしさん死去

*         メディアをよむ/阿部裕/ビラ配布無罪と市民感覚

*         「蟹工船カニコウセン」/あす福岡市で上映と感想交流

*         難波英夫碑前祭開く/岡山

*         多喜二と山宣語る会を開く/宮城・塩釜

*         タイ治安部隊と一時にらみ合い/タクシン派

*         プロレタリア画家市村三男三の集い/憲法いかす社会ともに/戦争、暗黒政治許さない/新潟・新発田

*         国民の思い、願い共産党が受けとめます/市田氏訴え/和歌山市で演説会

*         戦前の川柳作家「鶴彬」を上映/福井・越前

*         多喜二読む会元気/ふるさとの秋田・大館/小説の次は評論、手紙も

*         治維法国賠同盟講演会を開く/和歌山・橋本伊都支部

 

4月本文】(Page/Top

井上ひさしさん追悼番組2本/100年インタビュー/多喜二描いた舞台「組曲虐殺」


100年インタビュー/きょう再放送
 NHKは、75歳で亡くなった井上ひさしさんをしのぶ番組を放送します。
 きょう29日は衛星ハイビジョンで(前8・0)「100年インタビュー」をアンコール放送します。番組は2007年に放送されたもの。波乱に満ちた生い立ちや、井上さんの創作の原点、作品にあふれる「笑い」について話します。

多喜二描いた舞台「組曲虐殺」放送
 5月1日(土、後10・45)は衛星ハイビジョンのプレミアムシアターで井上ひさし作のこまつ座・ホリプロ公演「組曲虐殺」を放送します。「蟹工船」の作者・小林多喜二の生涯を描いた音楽評伝劇です。多喜二を演じるのは井上芳雄、ヒロインには石原さとみ。音楽は小曽根真が作曲、生演奏で参加しています。演出・栗山民也。
 「組曲虐殺」は9日(深夜0・40)にも衛星Aで放送されます。
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2010年04月29日,「赤旗」) (Page/Top

治安維持法弾圧語り継ぐ/国賠同盟が集い/暗黒政治と戦争許さない/新潟

 戦前の治安維持法下で日本共産党員や同調者、民主主義者をいっせい弾圧した3・15事件と4・16事件を語り継ぐつどいが24日、新潟市で開かれました。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部が主催し、100人が参加しました。
 会場には、治安維持法の成立過程や悪法ぶりを紹介した展示や、最近確認された山本宣治の『唯生唯戦』(ひたすら生きひたすら戦うの意味)の書が初公開されました。
 佐藤良夫副会長が、治安維持法で虐待死、長期間服役するなど県内で308人が犠牲になり、弾圧に抗してたたかい抜いた先人の業績を紹介しました。
 加藤栄二氏は、五泉出身の日本共産党員で、伊藤千代子と同じ獄中にいた原菊枝が書いた『女子党員獄中記』を再刊し、普及する重要性を強調しました。
 山宣の書を所蔵していた石田宥全氏(元衆院議員)の長男・和夫氏(83)が「父も治安維持法で逮捕され、皆さんと同じく弾圧された。先人のたたかいがあって現在がある。たたかいを緩めれば再び暗黒の世になる。ともにたたかっていこう」と訴えました。
 相沢寛副会長は「国は悪法だったと認めないからこそ、謝罪も賠償もしない。この運動は犠牲者だけの運動ではない。靖国派の台頭や自衛隊の情報保全隊による国民監視活動など、再び戦争と暗黒政治を許さないたたかいは現在の問題でもある」と強調しました。
 「『蟹工船』作者・小林多喜二死す」の朗読も行われました。
 参加者から「歴史を正しく学びたいと改めて感じた」「残り少ない人生を精いっぱい二度と次の世代に繰り返させることのないよう訴えていきたい」などの感想がありました。
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2010年04月29日,「赤旗」) (Page/Top

文芸時評/宮本阿伎/小林多喜二の新小説めぐって/高齢化社会をどう生きるか問う平瀬作品

 小林多喜二の最初期の全集未収録作品「老いた体操教師」(『小説倶楽部』一九二一年十月号に選外佳作第一席)が曾根博義日大教授によって発掘されたのは二〇〇七年のことだが、その一カ月後に書かれたと推定される、同素材を扱った原稿用紙六枚半の「スキー」という新聞投稿作が発見されたことが報じられた。
 小樽市立小樽文学館の発表だが、発見者は政治思想史を専攻している岡山大学の大学院生である。『国民新聞』一九二一年十月三十日付を閲覧していて多喜二の作品が掲載されているのを見つけ、小樽文学館にコピーを送ってきたという。「スキー」を収録した「市立小樽文学館報」三十三号(三月三十一日発行)に詳しいが、同号には曾根博義の「もう一つの『T先生』もの」という文章もある。「老いた体操教師」が知られている現在、「スキー」はその「付録」か「副産物」の価値しかないかも知れないが、実在した教師への小説的関心の強さ、おそらく先に書いて雑誌に応募した「老いた体操教師」への自信のほどがうかがえるという感想を述べている。
 日露戦争で傷を負った校長のお情けで雇われた廃兵同然の体操教師T先生が、生徒の嘲笑を受けながらスキーを練習するぶざまな姿を描いた「スキー」は、曾根も指摘するように「老いた体操教師」に近く、社会や軍隊批判が顕在する「二つの断稿」(全集収録)の方向性をもたない。一つの素材に複数の方法を試していることがこのたびの「発見」によって明らかになったが、どういう動機に基づくものか今後の検討課題である。

どの家も抱えるきしみを刻んで
 本紙に昨年十月二十六日から連載されていた平瀬誠一「人、立ち枯れず」が先月の二十八日をもち完結した。全百五十回。主人公溝口遼一が、私教連の「二〇〇九年新春の集い」に出席する場面から始まるが、下町の私立女子高校を定年退職してすでに十一年が経つ。二十代で教員となり、労働組合員となったことを理由に解雇され、五年半におよんだ解雇撤回闘争の後、職場に復帰したのは解雇者十六名のうち五名だった。しかも一人やめ、二人やめてついに組合員が遼一ひとりとなったのが一九八九年のことで、それから十年を経て退職の日を迎えた。
 小説が追うのは父と母、妻の連れ子である娘、遼一の闘争をささえてくれた共働きの妻、遼一の姉や弟との確執と克服の過程である。「昭和六十年」ころ父親に老化が始まり、長男である遼一は父親の希望を受けて家を解体し、二階に遼一の家族が住む大きな住宅を拵える。だが父親の死後、母親の清が亡き父親の言葉を反古にしてローンを払っている遼一の名義ではなく自身の名義にするべきだと主張する。
 家族崩壊が始まる。どの家も抱えているきしみを実直な筆さばきと的確な文章で刻み、人物像も彫り深く、細部を楽しみながら読者は身につまされて読み進む。際の際までそうなのだが、最後が物足りない。遼一も妻の夏海も自己抑制が利き、またそれを貫く知性と経済的な条件をもっている。それは努力の成果であり、小説の人物がそうした規範を示して悪いはずはない。
 何が問題なのかについて作者自身が「高齢化社会を生きる」(連載を終えて/本紙二十日付)で、見事に自己批判している。高齢の主人公が地域で社会的存在として「立ち枯れず」現代の閉塞状況を生き抜いてゆく姿をより深く描きたかったが、それは現在進行形の政治的課題であったために「充分に書きこむことができなかった」と。老いや介護の苦労話ではなく、高齢化社会をどのように生きるべきかを普遍的な課題として描きだそうとしたこの作品は、緒についたばかりのところと言うべきだろう。遼一と夏海の物語が書き継がれることを期待したい。

新しい作品世界挑戦する意欲作
 『民主文学』の櫂悦子「螺旋の向こう」は製薬会社のMR(医薬情報担当者/かつてプロパーと呼ばれていた)の職にある小椋篤史を主人公として、新しい作品世界に挑戦している意欲作である。老健施設では認知症の高価な薬剤が使用できないなどの日本の医療制度の貧困や、数字で成果を問われる労働強化、医師と対等の関係をもち得ない非近代的な医薬業界の在り方などを構造として描きだしている。医者の質問攻めにあって休職に追い込まれている一鉄を復帰させようと努力する篤史を軸に小説は展開する。人物の掘り下げをいま一つ望みたい。
 同誌(『民主文学』)のたなかもとじの「片っ方の靴」は、いかに生きるかを巧まずして示唆する精神の高さが伝わる得難い作品である。タクシーの運転手となって四年になる主人公中山一木は、一カ月に一度郷里の倉敷に八十一歳の母親を見舞う。くも膜下出血で倒れ、病院を併設した老人ホームで暮らしているが、癌で死んだ父親に母子はさんざん苦労をかけられたから通常より絆が強い。父は一木が小学校に上がるころから畑仕事に身が入らなくなり、数年間放蕩の限りをつくし覚醒剤にまで手を出した。それでも八重はうわごとで、寂しいからそばにいてくれと父を呼ぶ。一木も女優を続ける別れた妻に尊敬と愛情を失っていない。
 『新潮』の中森明夫「アナーキー・イン・ザ・JP」に最後に触れる。「五百枚一挙掲載」の長さだが、十七歳のパンク野郎の少年の頭にイタコおばばに呼び出された大杉栄が取り付き、さまざまな場面で語り出す趣向によって、大逆事件から、関東大震災時の大杉殺害までの歴史的事象がたどられている。膨大な参考文献が巻末にリストアップされているが、新しい史伝小説の在り方を模索している。
 (みやもと・あき)
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2010年04月28日,「赤旗」) (Page/Top

背表紙/『防雪林・不在地主』……多喜二文学の発展を深める

 岩波文庫から小林多喜二の『防雪林・不在地主』(760円)が刊行されました。岩波書店では昨年から新書でノーマ・フィールド著『小林多喜二』、文庫で荻野富士夫編『小林多喜二の手紙』と刊行してきました。
 今回の文庫は1953年の旧版をもとにしたもので、作家・江口渙の解説を再録し、さらに島村輝氏の書き下ろしの解説をつけています。
 島村輝氏が指摘しているように、「防雪林」は多喜二の日記などからその存在は知られていましたが、没後14年目の1947年になってノート稿の中から発見されるまで埋もれたままでした。「防雪林」は28年の4月に「一九二八年三月十五日」にかかる直前に完成。「『防雪林』改題」とノート稿にある「不在地主」は29年に『中央公論』に発表され、銀行を解雇される直接の理由となりました。
 多喜二は「防雪林」をなぜ公表しなかったのか、「改題」とされる「不在地主」は「防雪林」とどう違うのか。来月には『独房・党生活者』(蔵原惟人・小森陽一解説)も復刊予定といいます。多喜二の思想と文学の発展をこれを機会に深めるのもいいかもしれません。
 (牛)
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2010年04月25日,「赤旗」) (Page/Top

本立て/上甲米太郎 植民地・朝鮮の子どもたちと生きた教師/上甲まち子、李俊植ほか著

 日本の植民地時代の朝鮮で、朝鮮の子どもたちと歩んだ日本人教師がいました。上甲米太郎(1902〜87年)です。朝鮮の公立学校教師・校長を務め、同僚や教え子と教育運動雑誌『新興教育』の読書会をつくろうとして1930年、治安維持法違反で逮捕されました。
 本書は、肉親の話や研究者の報告、本人の日記の一部などで、その足跡をたどります。浮かび上がるのは、一人の青年教師が植民地支配に苦しむ朝鮮人と接し、社会変革を志す姿です。大勢に流されず貫いた上甲の姿勢は現代に鋭い問いを投げかけます。
 (大月書店 2400円)
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2010年04月25日,「赤旗」) (Page/Top

仁比参院議員活動日誌

 20日 福岡市での演説会で訴え
 21日 全国生協労働組合連合会から最低賃金1000円の実現を求める要請を受け懇談
 22日 参院法務委員会で米兵犯罪と密約問題で質問▽「よみがえれ!有明訴訟」原告・弁護団の国会前座り込み行動で激励あいさつ(写真)▽治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟中央本部の代表から要請を受ける
 23日 参院本会議
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2010年04月24日,「赤旗」) (Page/Top

横田元県議が一関で講演会/国民救援会支部

 岩手県一関市の国民救援会一関支部は17日、支部定期大会につづき横田綾二氏(元日本共産党岩手県議)による「反戦一代記」の講演会を開き、約40人が参加しました。(写真)
 横田氏は過酷をきわめた治安維持法の戦時下に、祖父母、両親とリレーされた反戦の体験を紹介。占領下の日本ではGHQ指示で日本共産党員、支持者などが公職や企業から追放され、その犠牲者は岩手で122人の名前が判明しているとし、6月結成が予定されている岩手県レッドパージ反対同盟への支援を呼びかけました。
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2010年04月23日,「赤旗」) (Page/Top

戦争許さない運動をもっと/塩釜・多賀城で宣伝

 宮城県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟塩釜支部は17日、相原君雄支部長、斎藤規夫副支部長らが雪の中、塩釜・多賀城市内で街頭宣伝を行いました。宣伝では1929年4月16日、治安維持法を口実に日本共産党員をはじめとする活動家が弾圧され、地元塩釜の坂猶興医師らも検挙されたことを紹介。再び戦争と暗黒政治を許さない運動を強めようと訴えました。
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2010年04月21日,「赤旗」) (Page/Top

月曜インタビュー/作家桐野夏生さん/時代と作家の関係を考える/林芙美子の南方派遣の実相

 「作家は利用されるのだ。ジャーナリズムに、国家に」―桐野夏生さんの小説『ナニカアル』(新潮社)の一節です。「放浪記」で知られる作家・林芙美子の、資料も少ないため語られることの少なかった軍による南方派遣の実相に迫っています。戦争の時代に作家たちはどう生きたのか、作品からは重い主題がたちのぼってきます。

出てきた原稿手記か小説か
 南京や漢口などの戦場に新聞社の特派員やペン部隊の一員として現地に足を踏み入れた林芙美子は現地一番乗りとセンセーショナルに報道され、従軍作家として名をはせます。しかし、彼女は1942〜43年にかけて陸軍報道部の徴用によってジャワやボルネオなどの南方に行きますが、このときのことを林芙美子はほとんど書き残していません。
 「彼女は毀誉褒貶が激しい。それはなぜだろうと前から思っていました。その悪評のなかでも、作家として一番つらいのは戦争協力といわれることだと思います。なぜ彼女の名が真っ先にあげられるのかという疑問。また南方から帰ってから終戦まで、ほとんど何も書いていない。昭和21年ころから花が咲いたように一気に大量の作品を書き、名作『浮雲』に至るのですが、南方でなにを見て、なにを経験したのかということを私なりに調べたいという気持ちがありました」
 林芙美子の夫で画家だった手塚緑敏の死後、彼の絵の裏から芙美子の原稿の束がでてくるという設定。その原稿には、南方での出来事が、克明に書かれていた…。しかしそれは手記なのか、小説なのか、その内容が本書の中心です。
 「大胆なことではありますが、林芙美子になりかわって彼女の気持ちを書いていくことはできるだろうか、成否はわからないけれどやってみたい、と。史実を押えながらも、史実と史実の間は想像で埋めていくという不思議な仕事でした」
 林芙美子とともに派遣された女性は作家の窪川稲子、ラジオ作家の水木洋子ら5人。病院船に偽装した船で渡り、取材対象、書く内容も軍の厳重な監視のもとにおかれていることが描かれます。作中、無自覚にお国のためにと思ってルポを書いてきたが、今は作家とはいえないと苦しい思いも吐露されます。そして現地で再会した恋人から軍部の手先≠ニ厳しい批判もあびます。
 「平林たい子の評伝によると、恋人が林芙美子の死後、彼女からもらった手紙を2通売りにだしています。そのなかに、あなたは私の作品が何も残らないとおっしゃった、ひどいではないか、というようなことが書いてあります。このあたりが芙美子の傷なのではないかと思います」
 戦争協力作家≠ニいわれた一面的なベールをはぎ、林芙美子の複雑な内面に切り込み大胆な仮説もおりまぜ、等身大の芙美子像をつくりあげ、読み応えがあります。
 「物書きと国家がこれほど癒着した国は日本だけじゃないかと思います。作家や絵描き、編集者らがプロパガンダを背負わせられた国はまずないでしょう。抵抗運動もあったでしょうけれど、小林多喜二のように徹底的につぶされた。当時の国家権力は怖かったでしょうね」

小説は現実に切り込まねば
 タイトルの「ナニカアル」は林芙美子の詩の一節。
 「なにかある… 、いや、なにもない。私はいま、ただ生きている、それだけ≠ニいう意味ですね。芙美子は女給あがりだから下品といわれ、文壇でも嫌われた。でも、彼女は大衆の側の人間だった。『放浪記』を読むとしびれます。これは私たち働く女の話だなと思うから。マッチの燃えさしで眉毛を描いて出陣する、とか。よくわかるんです。昔から女はそうなんだ、というシンパシーを感じます」
 南方のことは一切口外するなといわれながら、多くの編集者や作家、命令を下した軍人らが残した「読み切れないくらいの資料があります」と笑います。
 かつてコロンビア大学の講演のなかで、時代と向き合い、抵抗することを作家の仕事として位置づけたことがあります。今回の仕事も時代と作家の関係を考えさせます。
 「資本主義はここまできた。世界の圧倒的貧富の差は埋まらないのではないでしょうか。そういう現実に小説は切り込んでいかなければならないと思います。ひどい目にあっている人たちが小説を読んで、生きていこうと思ってくれたら本当にうれしい。小説家とはそういう仕事なのだろうと思います」
 (牛久保建男)
 
 きりの・なつお 1951年金沢市生まれ。93年『顔に降りかかる雨』で江戸川乱歩賞を受賞。98年『OUT』で日本推理作家協会賞、99年『柔らかな頬』で直木賞。ほかに『グロテスク』『残虐記』『魂萌え!』『東京島』『女神記』『メタボラ』など。
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2010年04月19日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 3月末に、井上ひさしさんの名言を新聞で読んだばかりでした。劇作家としての標語です▼「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」▼井上さんは、中学3年生のとき、軽い吃音になりました。東北地方の言葉の違う4町村を転々と移るうち、しどろもどろのしゃべり方に。他人に笑われ言葉探しに疲れ、吃音を装った方が気楽と思い始めたら、本当にそうなりました▼ところが、流行語「アジャパー」を口にすると、級友が笑いました。味をしめて流行語を連発するおどけ者に変わり、吃音は治りました。しかし、後に井上さんは当時を省みます。吃音を装うでも紋切り型の語に頼るでもなく、場にかなう言葉を探し出すようもっと苦しむべきだった、と▼言葉の海から物語を生み出す血を流すような必死さと、ゆかいな遊び心。そのからみあい、せめぎあいからみえてくる、人と世の真実。井上さんの言葉の世界の旅は死とともに終わりましたが、「ひょっこりひょうたん島」から小林多喜二を描く「組曲虐殺」まで、作品は旅を続けます▼九条の会の呼びかけ人の一人、井上さん。憲法9条も、言葉の力をよりどころに読み直し、解説しました。「…よく考えぬかれたことばこそ/私たちのほんとうの力なのだ/そのために、私たちは戦をする力を/持たないことにする」(『子どもにつたえる日本国憲法』)
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2010年04月14日,「赤旗」) (Page/Top

国民と力あわせ政治を前へ/誇れる歴史持つ党/市田書記局長訴え/兵庫・たつの

 兵庫県たつの市で11日、日本共産党演説会が開かれ、参院選挙での躍進を訴えた市田忠義書記局長(参院比例候補)は、相次ぐ公約破りで国民を裏切り続ける鳩山政権を批判するとともに、「日本共産党と国民が力を合わせれば、政治を前向きに変えることが可能になる」と強調しました。また、「共産党はなぜそうしたことができるのか」―さまざまな角度から解明しました。
 市田氏は、戦前の暗黒政治のもと侵略戦争に唯一反対し、創立以来「国民の苦難軽減」を立党の精神に88年間名前を変えずにきた「誇れる歴史をもつ党だから」と説明。特高警察に拷問され亡くなった作家の小林多喜二が、大資本によるひどい働かせ方を文学で告発するだけでなく、実際にそれをなくすために共産党に入党したことが、最近放送されたNHK歴史番組でも伝えられたことを紹介しました。
 市田氏はさらに、全国の地域・職場で2万2000の支部、約3000人の地方議員が存在し、「文字通り草の根で活動している党」であるからと指摘。「トヨタ、キヤノンやパナソニックなど大企業の違法な派遣切りを告発したのも、労働者と職場支部、地方議員、国会議員の活動があったからだ」と強調しました。

堀内選挙区候補
 演説会では、堀内照文・参院選兵庫選挙区候補が、「インターネットで共産党の政策を知り、自分の中で『大革命』を起こし、残りの人生、共産党にかけてみたいと思う」と民主党支持だった男性から熱烈な支持が寄せられたことを紹介。「働くなら正社員が当たり前の社会実現にむけ全力をあげる」と訴えました。
 参加者の一人、たつの市の黒田真貴さん(主婦=23歳)は「今日の演説会のため、昨日『蟹工船』のビデオを見ました。人として強く生きることができるよう行動したい」。「共産党の演説会は初めて」という太子町の女性(80)は「自分の周りには自民党、民主党関係者がいるけど信用していない。私たち世代は戦争を経験し苦労を味わった。戦争は絶対に繰り返してはいけない。その点でも共産党の言っていることは一番まともです」と話しました。
 演説会では、たつの市議選(18日告示、25日投票)の候補、佐用町議選(20日告示、25日投票)の5候補が、必勝を期して決意表明しました。
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2010年04月13日,「赤旗」) (Page/Top

井上ひさしさん死去/演出家栗山民也さんの話

 井上ひさしさんの代表作の一つである、東京裁判三部作を今、私の演出で新国立劇場で上演中なので、僕の中では井上ひさしさんは生きつづけています。
 怖いのは、井上さんを失うことで、日本語が壊れていくのではないか、ということです。それほど、日本語の素晴らしさを知り尽くして、芝居に生かされた方でした。残された作品を緊張感をもって上演しつづけることが、これからの仕事だと思っています。
 井上さんは小さい者、弱い者の側に立ち、これはいわなくてはいけないということに、はっきりと光を当てて芝居を書き続けた人でした。
 残された言葉は無数にありますが、本当に何事も笑いに変えて、笑いが人の心の栄養になるのだということを私たちに教えてくれました。
 井上さんは、「九条の会」を大江健三郎さんらとともにつくり、戦争と平和の問題でかけがえのない運動をされました。日本の将来にとって大切な憲法九条を守るという、井上さんの遺志を継いでいきたい。
 「組曲虐殺」が新作としては最後の舞台になりましたが、「全身で書きなさい」と語る小林多喜二が、そのまま井上さんに重なって見えます。本当に、ありがとうございました。
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2010年04月13日,「赤旗」) (Page/Top

作家・劇作家「九条の会」呼びかけ人井上ひさしさん死去

 作家・劇作家で「九条の会」呼びかけ人の一人である井上ひさしさん(いのうえ・ひさし、本名廈=ひさし)が9日午後10時22分、肺がんのため神奈川県鎌倉市の自宅で死去しました。75歳でした。山形県川西町出身。葬儀は近親者で行いました。
 上智大フランス語科在学中から喜劇の台本を書き始め、卒業後は放送作家に。1964年からNHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」の台本を共同で手掛けました。72年、江戸戯作者群像を描いた「手鎖心中」で直木賞、同年「道元の冒険」で岸田国士戯曲賞。81年、東北の寒村が日本から独立宣言する「吉里吉里人」で日本SF大賞。
 84年に劇団「こまつ座」を旗揚げし、「頭痛肩こり樋口一葉」「闇に咲く花」「人間合格」などの戯曲を書き下ろして上演。広島で被爆した父と娘の心の交流を描いた戯曲「父と暮せば」は欧米など多数の国々でも上演され、高く評価されました。昨年、小林多喜二のたたかいを描いた「組曲虐殺」を上演しましたが、これが最後の新作となりました。
 2004年には作家大江健三郎さん、評論家加藤周一さんらと平和憲法の堅持を訴える「九条の会」を設立するなど、平和、護憲運動でも知られました。03年から07年まで日本ペンクラブ会長も務めました。04年、文化功労者、09年、日本芸術院会員。99年には、日本共産党不破哲三委員長(当時)との共著『新日本共産党宣言』を刊行。国政選挙では、日本共産党の躍進を訴えました。
 昨年10月末ごろに体調不良を訴え、検査で肺がんと診断され、治療を受けていました。
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2010年04月13日,「赤旗」) (Page/Top

メディアをよむ/阿部裕/ビラ配布無罪と市民感覚

 一市民の正当な活動なのに、戦前の治安維持法下のように監視、尾行のうえ逮捕され、一審有罪判決を受けた元社会保険事務所職員・堀越明男さん―3月29日、東京高裁は「国家公務員法の罰則規定の適用は表現の自由を保障した憲法に違反する」と逆転無罪の判決を下しました。
 公務員とはいえ、休日に一市民として、ビラ配布などの表現活動まで縛るのは行き過ぎ、との高裁判決です。堀越さんに対する警察の尾行は29日間に及び、多い時は11人もの捜査官で監視、ビデオカメラ4〜6台を回し、盗み撮りする異常さは、民主主義社会への挑戦といえます。
 「立ち寄り先や接触人物まで確認するのは異様で、戦前の暗い風景を思い起こさせる。時代錯誤ではないか」(31日付「東京」社説)との指摘は当然です。
 国際的に見ても、先進国の中で公務員の政治活動の自由への制限が日本ほど広範囲で厳しい国はありません。
 一方、最高裁は昨年11月、マンションの共用部分に立ち入りビラを投函(とうかん)した「葛飾ビラ配布事件」で僧侶・荒川庸生さんの上告を棄却、有罪判決を下しています。
 最近の九条の会交流会などでも、「公民館の使用を断られた」「駅頭宣伝で立ち入り禁止された」など、市民の権利への締め付けを指摘する声が上がっています。
 今回の高裁判決はさらに、36年前の国公法「猿払事件」最高裁判決の大枠を維持しながらも「国民の法意識は時代の進展や政治的、社会的状況の変動によって変容する」と指摘しています。
 つまり、判断基準も「民意の変化」に依拠するというのです。大局的な社会進歩を反映するというならうなずけますが、それでは、反動的な世論の逆流にも影響されかねません。メディア全体に、市民感覚と権力監視の機能を研ぎ澄ます自覚が強く求められているのではないでしょうか。
 (あべ・ひろし=新聞ジャーナリスト)
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2010年04月11日,「赤旗」) (Page/Top

「蟹工船カニコウセン」/あす福岡市で上映と感想交流

 小林多喜二原作の映画「蟹工船カニコウセン」の上映会と感想交流会が10日、福岡市の早良市民センターで開かれます。
 九州シネマ・アルチ(吉村秀二代表)は、1953年製作の映画「蟹工船」(山村聡監督)の再上映運動に取り組んできました。今回、昨年製作の「蟹工船カニコウセン」(SABU監督)が第60回ベルリン国際映画祭で上映されたのを記念して自主上映(午前11時、午後2時)を企画しました。
 上映後、午後4時20分から感想交流会が企画されています。
 主催=「カニコウセン」を見る会(シネマ・アルチ内)092(712)5297。青年大集会実行委員会090(2392)5503(民青同盟・宮崎さん)。
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2010年04月09日,「赤旗」) (Page/Top

難波英夫碑前祭開く/岡山

 岡山県高梁市成羽町日名の難波英夫記念碑園で3日、記念碑管理委員会(三村盛紀代表委員)と国民救援会県本部(竹内和夫会長)の呼びかけで、碑前祭が開かれました。
 親族、知人、国民救援会の会員ら14人が参列し、治安維持法下の弾圧に屈せず、部落解放をめざす水平社の結成、戦後初代の国民救援会会長、日本共産党員として生涯を人権と民主主義発展のために献身した難波の遺志を受け継ぐことを碑前に誓い献花しました。
 日本共産党の三上孝子市議が「私たちは郷土のすばらしい大先輩に誇りを持ち、参院選挙で党躍進のため全力でがんばります」と決意を述べました。
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2010年04月09日,「赤旗」) (Page/Top

多喜二と山宣語る会を開く/宮城・塩釜

 宮城県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟塩釜支部は3日、塩釜市内で本田勝利氏(元日本共産党宮城県委員長)を講師に招いて「時代を生きた多喜二と山宣を語る」講演会を開き、45人が参加しました。
 本田氏は、2人のエピソードを交えながら「それぞれに天皇制権力の本質を大衆の前に明らかにしながら、平和と民主主義の実現、働く者の権利擁護と拡充のために最後までたたかった2人の生きざまは、新しい時代の変革の中にある私たちに勇気を与える」と語りました。
 当日は、多賀城アンサンブル(斉藤博代表)による演奏も行われました。
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2010年04月09日,「赤旗」) (Page/Top

タイ治安部隊と一時にらみ合い/タクシン派

 【バンコク=時事】タイの首都バンコクの繁華街で6日、タクシン元首相派「反独裁民主同盟」のデモ行進を阻止するため、治安部隊が近くの道路を封鎖し、デモ隊とのにらみ合いが続きました。現場は一時緊迫しましたが、数時間後に治安部隊が撤収。タクシン派はデモ行進を始めました。
 民主同盟による繁華街デモは4日目。政府は治安維持法に基づき、デモが行われている交差点付近などを立ち入り規制地域に指定しましたが、同盟側は退去を拒否しています。
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2010年04月07日,「赤旗」) (Page/Top

プロレタリア画家市村三男三の集い/憲法いかす社会ともに/戦争、暗黒政治許さない/新潟・新発田

 新潟市の横越地区出身のプロレタリア画家「市村三男三(みおぞう)の絵を楽しむ講演と音楽の集い」が4日、新発田市で開かれ90人が参加しました。
 「こういう画家がいることを知らなかった。すごく感動した。もっと多くの絵を見たいです」「飛び込みで絵を見て、とてもよい作品だと思いました」。参加者の感想です。
 平和と民主・社会進歩をめざす新発田市の会と治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟新発田支部が、市村三男三展(2日〜4日)の鑑賞とあわせ、憲法を生かし、「戦争と暗黒政治を許さない」社会を考えてもらおうと開いたもの。
 三男三は、戦前プロレタリア美術活動で警察に検束・拘置されたこともあり、戦後も平和運動や国政革新のため一貫して活動した日本共産党員です。
 集いでは、上村啓実行委員長が、軍国主義少年として育ち、戦後、中学で「あたらしい憲法のはなし」を全員に渡され学んで以来、憲法を大切にしてきたことを紹介しました。
 講演では、三男三の業績の発掘で尽力した福田仁史氏(元横越町史編さん室)が、三男三の足跡をたどりながら、元新潟商工会議所副会頭の小林力三氏が「一見熱烈なる生への意欲があり、肯定的の人生観が横溢(おういつ)し、野放図な生活力があふれている。今後かかる画が日本美術の主流をなすものと思うし、又せねばならぬと私は考える」(新潟日日新聞1941年9月26日付)と評論したことなどを紹介しました。
 同じく、三男三の絵を保存し、よみがえらせるために尽力した作家の、なかむらみのる氏(『信念と不屈の画家 市村三男三』著者)は、冒頭、市が渡辺有子・日本共産党市議の質問に答え、三男三の絵を横越出張所の空きスペースで常設展示し、5月に新横越公民館で三男三展を開くことや、市民の要望に応じて作品の貸し出しを積極的に行っていくと言明したことを強調しました。
 なかむら氏は、病弱だった三男三がなぜひたすら絵を描き続けることができたのかについて、人間が本来持っている文化表現欲求を絵を描くことで満たすとともに、その中に人間らしく生きることを確認していたに違いないと指摘。その背景には銀行員だった妻・愛子さんの支えがあったからだと強調し、憲法が保障する健康で文化的、余暇がある人間らしい生活を取り戻す大切さが三男三の生き方から導き出せると力説しました。
 集いでは、音楽9条の会の五十嵐尚子さんがソプラノ独唱、中林由美子さんがピアノ演奏しました。参加した女性は「純粋な作家魂を感じました。作品が生きていて、作者が生命を大切にしたのだと思います」と感想を寄せました。
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2010年04月06日,「赤旗」) (Page/Top

国民の思い、願い共産党が受けとめます/市田氏訴え/和歌山市で演説会

 日本共産党の市田忠義書記局長を迎えた演説会が4日、和歌山市で開かれ、大勢の県民が参加しました。市田氏は、「政治を前に変えたい」との国民の願いを受けとめて全力をあげる決意を表明。「和歌山県から日本共産党支持への大波を起こし、比例5議席を確保し『国民が主人公』の新しい日本をつくり出そう」と参加者によびかけました。吉田まさや参院和歌山選挙区候補も訴えました。
 同日午前に出席したNHK番組「日曜討論」を終え和歌山入りし、大きな拍手を受け登壇した市田氏は、報道各社の世論調査で、鳩山政権に対して不支持率が支持率を上回るようになったのは、後期高齢者医療制度廃止や米軍普天間基地問題などで「選挙での約束を次々破ってきたからだ」と指摘しました。
 また、政権退場となった自民、公明両党も「自らの過去の悪政に対する反省はひとかけらもない」と強調。与謝野馨元財務相、鳩山邦夫元総務相らの離党・新党づくりについて、与謝野、鳩山両氏が政権交代直前まで自民党の閣僚だったと述べ、「結局、表紙だけ替えて中身を替えないもの。顔ぶれを見たら新党ではなく旧党」「国民の立場に立って、まじめに今の政治をよくしようというものではない。自分の議席をどう守るかという徹頭徹尾の党利党略だ」と批判しました。
 「民主党に裏切られても自民党政治に戻るのは嫌だ」という国民の思い、「政治を変えたい。暮らしの苦難と平和の危機を取り除きたい」との国民の願いを実現するため、「日本共産党は全力を尽くす」と述べた市田氏。米軍普天間基地での迷走、抜け穴だらけの労働者派遣法改定、後期高齢者医療制度廃止先送りなど鳩山政権の問題点を真正面からただし、「大企業中心でない、人間らしい働き方、中小企業支援に軸足を置いた経済改革、医療・介護・子育てなど暮らしを守る要求実現のために頑張る」と力を込めて訴え、大きな拍手を受けました。
 最後に市田氏は、戦前、侵略戦争に反対し警察の拷問を受け亡くなった「蟹工船」の作者である小林多喜二がNHK番組で取り上げられ、ひどい働かせ方の告発を文学だけでなく実際になくすため、彼は日本共産党に入党したことが伝えられていたことを紹介。
 その上で「党名を変えたらこんな誇らしい歴史は語れなくなる」「戦後、他の党は侵略戦争に賛成したことから名前を変え出発し、その後も批判を受けるたびに党名変更や新党などをつくったが、結党以来、同じ名前で堂々と活動してきたのは日本共産党だけ」と主張し、「これからも同じ名前で頑張る」と述べました。
 吉田まさや候補は、「アメリカや大企業に堂々とモノが言える共産党が参院選で議席を増やすことがどうしても必要です」と支持をよびかけました。
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2010年04月05日,「赤旗」) (Page/Top

戦前の川柳作家「鶴彬」を上映/福井・越前

 戦前の暗黒政治の時代に革新的な川柳活動で治安維持法の犠牲になった川柳作家・鶴彬の生涯を描いた映画「鶴彬 こころの軌跡」(神山征二郎監督)の自主上映会が、福井県越前市(3月27日)と福井市で(29日)で開催されました。
 鶴彬は石川県高松町(現かほく市)に生まれ、15歳で革新的川柳を地元新聞に発表、その後次々と革新、反戦の川柳を発表して治安維持法違反で逮捕されました。勾留中に発症した赤痢で29歳の若さで事実上の「獄死」となりました。作品には「手と足をもいだ丸太にしてかえし」や「暁を抱いて闇にいる蕾(つぼみ)」など多数あります。
 同映画は鶴彬の生誕100年、没後70年を記念して2008年に完成したもので、全国で自主上映活動が広がっています。
 今回の上映では、試写会も含めて420人が鑑賞しました。
 鑑賞した人たちからは「川柳に本当のこころを読み、若くして貫いた清らかさに感動した」(73歳の男性)、「言論の自由を守ること。ゆるぎない強い信念、大きな勇気をもらいました」(69歳の男性)などの感想が寄せられました。
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2010年04月04日,「赤旗」) (Page/Top

多喜二読む会元気/ふるさとの秋田・大館/小説の次は評論、手紙も

 「10年で多喜二の小説を全部読んだ。こんどは評論も手紙も読もう。全集を全部読み切ろう」-秋田県大館市の「小林多喜二をふるさとで読む会」が元気です。冬期間の毎月第4土曜日に同市立中央公民館で開催している読書会活動が11年目に入りました。
 
 3月例会のテキストは、多喜二の評論「プロレタリア文学の大衆化とプロレタリア・レアリズムに就いて」(1929年)でした。
 「同じころのほかの評論は具体的でわかりやすいのに、この評論はやたら難しい」
 「いや、感動を呼ぶ小説はプロレタリア・リアリズムにもとづかなければいけないと書いただけじゃないのかな。おれは『工場細胞』と『オルグ』を書くからみんなはどうだ、という調子で」
 「第一級の文学者と革命家を統一しようとしたということか」
 自由な発言が続きます。
 講師を担当した野呂勝也さん(72)は、「2月例会の『工場細胞』『オルグ』との関連で読んでもらえれば。『工場細胞』はこの理論にそってよく書けていると思います」「多喜二たちの理論は30年にもう一段発展します。それが『党生活者』です」と話しました。
 会員は、50〜80代の64人。例会には30〜40人が参加します。講師を担当する人は20人を超えます。発言は自由。各自が掘り下げて気になった部分などは講師とは別に資料を作成して持ち寄ります。例会への話題提起や研究成果、近況などが載る読書会誌『多喜二通信』は人気です。
 ことし2月、講演で同市を訪れたノーマ・フィールド・シカゴ大学教授は、「中央の講師に頼らないで、自分たちで話し合い、深めているところがいい。すばらしい活動だ」と励まします。
 10年を経てどう変化したか。野呂さんは、「読み方が深まっている。短いものも含め全部読んだことで多喜二が努力して書き続けたことがわかり、構成の問題など文学的読み方もできるようになった」と話します。司会を担当している大山兼司さん(69)も、「再読、再々読や今回からの評論や書簡を通して小説の理解が深まっていると感じている。私自身も新たに気づくことも多い」といいます。
 事務局担当の佐藤守さん(75)は「多喜二を読む冬が待ち遠しい、楽しみだとみんなが言ってくれる。何をおいても読書会に時間を割く習慣ができた。何よりの変化ではないか」と胸を張ります。
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2010年04月02日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟講演会を開く/和歌山・橋本伊都支部

 和歌山県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟橋本伊都支部は3月28日、橋本市高野口公民館で、『三池炭鉱』『香春岳(かわらだけ)』(いずれも新日本出版社)の著者・永野朝子さんの講演会を開きました。
 講演会は、父川義孝事務局長が司会し、古倉伸二支部長の主催者あいさつ、ドキュメンタリー映画「みいけ」を上映のあと、永野さんが「現代の貧困と安保・三池闘争」と題して講演しました。
 永野さんは、綿密な取材に基づく生々しい三池闘争の実態、また、現代のトヨタなどの派遣切りと共通する資本や権力者の非人間的な姿を、映画の内容ともあわせて熱く語りました。
 参加者の中には、60年安保をたたかった人や高度経済成長のもとで反合理化闘争をたたかった人も多く、それを支える妻や母親たちの地域ぐるみ、家族ぐるみのたたかいに、目頭を押さえる人もありました。
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2010年04月01日,「赤旗」) (Page/Top



3月】(ヘッドライン)

*         演劇/「蟹工船」(東京芸術座)/「変革」へ躍動力と強い力

*         講座プロレタリア文学/多喜二・百合子研究会編/評者馬場徹文芸評論家

*         「3・15弾圧」津で集い開く

*         つぎの連載小説29日から/阿賀野川/なかむらみのる/え・小林春規

*         「3・15弾圧」津で集い開く

*         治安維持法を延長/タクシン派デモ継続の構え/タイ

*         国領五一郎をしのび墓前祭/京都・左京区

*         焦点フォーカス/タイ政治混乱いつまで/根本に民主主義めぐる対立/政府とタクシン派交渉は開始

*         山本宣治没後81周年/東京で語る会開く

*         潮流

*         蟹工船から見た日本近代史/井本三夫著/評者荻野富士夫小樽商科大学教授

*         県無名戦士合祀祭/広島

*         岩見沢で「多喜二」上映会

*         教訓を学ぼう国領会が総会/京都

*         国賠同盟が冊子を発行/秋田県本部

*         東京芸術座の「蟹工船」26日から/迫力あるけいこ続く

*         くらし、平和守りたい/国際女性デーで集会、行動/北海道/青森/秋田/宮城/岩手/福島

*         タイ、治安法適用へ/反政府集会に警戒強める

*         伊勢原市で七沢多喜二祭/神奈川

*         山本宣治の絶筆公開へ/治安維持法改悪反対貫きたおれた

*         77年前の「三陸大津波」でも救援に奔走/党と「赤旗」伝統いまに

*         演劇/「シャンハイムーン」(こまつ座)/魯迅と日本人の友情描く

3月本文】(Page/Top

演劇/「蟹工船」(東京芸術座)/「変革」へ躍動力と強い力

 世の変革と個人の生き方を大衆に訴えかける強い力を持った芝居だ。
 時代は昭和初期。それぞれに事情を抱え、自分を売るしかなかった者たちが乗り込む蟹工船がその舞台だ。乗組員の多くは不平不満も自由に口にできず「糞壺」と呼ばれる粗末な船内に暮らし、暴力、リンチ、人権を無視した環境で重労働に従事している。そして会社側に労働改善の要求を突きつける中、仲間の一人が殺され、漁夫たちはストライキに決起する…。
 小林多喜二がこの作品を世に送り出したのは約80年前。その中身は古びるどころか、今起こる社会情勢とうまく重なるように見えるのは、漁夫たちと同じように我々もまた期限の分からぬ人間不在の社会状況に置かれているからだ。
 芝居を観ながら舞台である蟹工船とそれぞれの登場人物たちを、今の何と置き換えられるかを考えるのはあまり意味がない。地獄と口にする舞台の上で登場人物たちが自身の意志を持ち「行動」をはじめる姿を見てとるべきだ。
 船員たちが口にする「我々は小刻みに殺されている」にもかかわらず、「蟹工船」的日本で耐え忍びながら生きている我々は、舞台の上に生きる人たちと異なり、現状に不満を抱えるもそれを考えるだけで「行動」を起こさないことを知るはずだ。人間らしい生き方をするためには、傍観視していては何も変わらないことを登場人物たちは躍動力をもって描いている。
 芝居のラストで悪役の監督の解任を描くのは、観客の留飲を下げるためではなく、彼もまた会社の雇用人であり、社会に踊らされる存在であることを示す見事な演出だ(原作では附記として記される)。大垣肇・脚色。印南貞人、川池丈司・演出。
 (瀧口雅仁・芸能史研究家)
 30日まで、東京芸術劇場中ホール
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2010年03月29日,「赤旗」) (Page/Top

講座プロレタリア文学/多喜二・百合子研究会編/評者馬場徹文芸評論家


過去を媒介にした未来への探求
 多喜二・百合子研究会が昨年開いた講座「いま、なぜプロレタリア文学か」の内容をまとめた一冊である。
 講師の一人の祖父江昭二氏は本書冒頭でプロレタリア文学は「一つの歴史的カテゴリー」であると言っている。カテゴリーは渾沌とした世界を秩序づけ、生きる方向や意味を見いだすためのもの。では、社会変革と文学創造とを統一的に遂行しようとしたプロレタリア文学は、どういう固有の意味すなわちカテゴリーであるのか。
 第一に、叙情詩の圧倒的な支配のもとにある日本文学において、叙事的ないし叙事詩的な文学形式を力強く導入したこと。本書は、このことを国家暴力や戦争、貧困、女性への差別と抑圧、さらには中国・台湾への侵略など幅広い題材に取材した10の作品をとおしてあますところなく説きあかす。日本文学はプロレタリア文学によって拡大した。
 第二に、支配階級が専有してきた人類史の果実である芸術文学を、賃金労働者をはじめとした被支配階級が人民的な規模でみずからのものとし、階級的な自立の糧としはじめたこと。言葉を獲得し表現することを知った人間の勁さ豊かさは、本書の徳永直論や松田解子論などに詳しい。
 第三に、社会を維持し存続させる社会的生産の決定に、社会の全成員が参加してゆく歴史発展の大道を指し示したことである。すなわち本書は過去の達成のエレジーではなく、過去を媒介にした未来への探求である。この視点から平出修「逆徒」、伊藤永之介「総督府模範竹林」などの新たな発掘も行っている。
 こうした成果の上に、現代の民主文学の創造的営為と運動とが休みなく続けられているのである。
 
 祖父江昭二(そふえ・しょうじ)、菅井幸雄(すがい・ゆきお)、浦西和彦(うらにし・かずひこ)、能島龍三(のじま・りゅうぞう)ほか。
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2010年03月28日,「赤旗」) (Page/Top

「3・15弾圧」津で集い開く

 日本共産党を大弾圧した1928年の「3・15事件」を記念した「治安維持法と現代を語るつどい」が20日、三重県津市のサンワーク津で開かれました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟三重県本部(多喜正男会長)が主催したもの。西川洋・三重大学名誉教授が講演しました。
 西川氏は、「3・15」など戦前の弾圧事件では、起訴には至らなかったものの長期にわたって拘留された人が多数いて、留守家族の生活を支える救援活動は極めて大きな役割を果たしていたと指摘しました。
 その上で西川氏は、戦前から水平運動や農民運動が盛んだった三重県では、救援会も全国に先駆けて組織されていたこと、救援活動の担い手として松阪市などでは、数多くの若い女性が参加していたことを、当時の特高警察資料などを駆使して解明。「こうした三重の誇るべき活動を、ぜひ多くの人に知ってもらいたい」と強調しました。
 つどいでは、治安維持法の実態や教訓を後世に伝えるとともに、弾圧犠牲者への国家賠償を求めて法律制定の請願運動を進める同盟の活動も改めて紹介され、参加・協力が訴えられました。
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2010年03月25日,「赤旗」) (Page/Top

つぎの連載小説29日から/阿賀野川/なかむらみのる/え・小林春規

 連載中の平瀬誠一さんの「人、立ち枯れず」は、28日に完結します。29日からは、なかむらみのるさんの「阿賀野川」が始まります。挿絵は小林春規さんです。ご期待ください。

作者の言葉/なかむらみのる
 私は地域の九条の会の活動に参加して、憲法を守れと立ち上がった多くの人たちに出会ってきました。そして、どうしてこの人たちは奮起したのかと考えました。
 人々は自分の全生涯を背負って流れに合流してきました。改悪阻止を叫ぶだけでなく、憲法の条文の実現を迫り、憲法の生きる日本を希求する人々でした。
 現在進行中のたたかいを小説化する困難を承知で、どうしても書きたくて書こうとしています。ぜひご支援ください。
 略歴 1936年新潟県生まれ。日本民主主義文学会会員。著書『恩田の人々』、『山峡の町で』(第29回多喜二・百合子賞)、『郵便屋さん』、『信念と不屈の画家・市村三男三』

小林春規
 日本有数の大河、阿賀野川。無数の川が合流し、その流域には豊かな恵みをもたらし、やがて日本海に注ぐ。人の生涯を小さな流れとするならば、どのようにして集まり、大河となっていくのか、そのドラマを挿絵で追いかけます。
 略歴 1953年新潟県生まれ。日本美術会会員。版画家として日本アンデパンダン展、平和美術展を中心に活躍。72年から90年まで京都で創作。海外の展覧会へも出品。新潟県在住。著書『えほん風土記―京都』
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2010年03月24日,「赤旗」) (Page/Top

「3・15弾圧」津で集い開く

 日本共産党を大弾圧した1928年の「3・15事件」を記念した「治安維持法と現代を語るつどい」が20日、三重県津市のサンワーク津で開かれました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟三重県本部(多喜正男会長)が主催したもの。西川洋・三重大学名誉教授が講演しました。
 西川氏は、「3・15」など戦前の弾圧事件では、起訴には至らなかったものの長期にわたって拘留された人が多数いて、留守家族の生活を支える救援活動は極めて大きな役割を果たしていたと指摘しました。
 その上で西川氏は、戦前から水平運動や農民運動が盛んだった三重県では、救援会も全国に先駆けて組織されていたこと、救援活動の担い手として松阪市などでは、数多くの若い女性が参加していたことを、当時の特高警察資料などを駆使して解明。「こうした三重の誇るべき活動を、ぜひ多くの人に知ってもらいたい」と強調しました。
 つどいでは、治安維持法の実態や教訓を後世に伝えるとともに、弾圧犠牲者への国家賠償を求めて法律制定の請願運動を進める同盟の活動も改めて紹介され、参加・協力が訴えられました。
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2010年03月25日,「赤旗」) (Page/Top

治安維持法を延長/タクシン派デモ継続の構え/タイ

 【バンコク=時事】タイ政府は23日の閣議で、タクシン元首相支持派「反独裁民主同盟」の大規模集会に対応するため、バンコクなどに適用していた治安維持法を30日まで延長することを決めました。適用範囲は縮小します。
 民主同盟は14日からバンコク中心部で大規模集会を開始。20日には約6万5000人がバンコク市街地をデモ行進しました。
 アピシット首相は話し合いの場を持つ姿勢を示していますが、調整が付かず、デモは終息の見通しが立っていません。民主同盟は27日にも再度大規模デモを行うとしています。
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2010年03月24日,「赤旗」) (Page/Top

国領五一郎をしのび墓前祭/京都・左京区

 戦前、治安維持法によって逮捕され、終戦の2年前に獄死した国領五一郎の没後67年の命日にあたる19日、京都市左京区の黒谷墓地で国領五一郎墓前祭が行われました。
 国領会の梅田勝会長が開会のあいさつ。続いて、日本共産党京都府委員会副委員長・参議院京都選挙区候補の成宮まり子さん、民主青年同盟京都府委員会副委員長の中川葵さん、国民救援会京都府本部会長の大平勲さん、治安維持法国賠同盟京都府本部事務局長の三原哲さんがそれぞれ追悼の言葉を述べ、当面する京都府知事選挙や参議院選挙の必勝を墓前に誓いました。京都総評からのメッセージを京都国領会事務局長の松下嵩さんが代読しました。
 先日発行された「国領五一郎から学ぶ」パンフレットが参加者に手渡され、五一郎の「不屈性」「楽天性」「優れた見識と強い責任感」から学び、ともにたたかうことを誓い合い、ひまわり合唱団・団友会による「同志は倒れぬ」の献歌の中、焼香しました。
 墓前祭には、国領五一郎のおいの薫さんと妻・トシ子さんも参加しました。
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2010年03月23日,「赤旗」) (Page/Top

焦点フォーカス/タイ政治混乱いつまで/根本に民主主義めぐる対立/政府とタクシン派交渉は開始

 タイの首都バンコクでタクシン元首相派が14日から大規模な反政府集会・デモを続けています。同派の運動団体「反独裁民主同盟」(UDD)と政府は政治混乱の落としどころを探り始めました。しかしタイの政治対立の根は深く、政情が安定するには長い時間がかかりそうです。
 (バンコク=井上歩 写真も)
 
 同盟は当初、支持者「100万人」を動員し、その圧力でアピシット政権を解散・総選挙に追い込むとしていました。支持基盤である東北部、北部など全土から支持者をバンコクに集結させ、14日には10万人以上が政権打倒の気勢を上げました。
 アピシット首相は解散の要求を拒否。治安維持法を発令し、約5万人の治安部隊で厳戒態勢をとりました。同盟は参加者の血をまくなどの過激な抗議をしたもののデモ自体は平和的に行い、懸念された衝突や騒乱は22日現在、回避されています。
 デモは、連日の酷暑の下で参加人数が減少。週末の20日には約5万〜6万人が再び集まって圧力を強めましたが、運動には手詰まり感が出ていました。

■対話が最良の道
 同盟が「総選挙実現まで運動を続ける」との姿勢をとり、長期化の可能性が指摘され始めるなか、交渉が模索されはじめました。
 英字紙バンコク・ポストは19日付社説で国民の約6割は中立だとして、「対話が最良の道」だと主張。世論調査でも75%が交渉を支持しています。
 ただ、対立の根深さから悲観的な見方も少なくありません。政治学者チャロムチャイ氏は「即時の解散・総選挙の要求は実行不能で交渉成立は難しいだろう。同盟は支持を広げる時間稼ぎ、政府は交渉不成立後なら強硬手段に出られるとの考えがあるのでは」と話しました。
 過去4度の総選挙で勝利したタクシン派は、軍部による2006年のクーデターや政党解党などの司法判断で政権から追い落とされました。
 タクシン派は、これは平民層と立憲君主制であるタイの「貴族・特権階級」や「絶対王制型官僚主義」政治とのたたかいだと主張。「正義と民主主義を取り戻す」「次は総選挙でだれが勝っても認めるべきだ」と訴えています。アピシット首相も解散の条件がないと拒否しながら「要求は理解している」と述べています。

■国民的合意は…
 一方で国内にはタクシン政権が首相や政党への権力集中を図ったことへの反発も根強く残ります。反タクシン派や政府が主張する、政治家だけでなく王室や司法、独立機関に権力を分散する「タイ独自のバランス民主主義」の支持者です。
 国民の投票が勝敗を決めるのか、それとも軍や官僚なども含めた「バランス」のとれた政治をしていくのか。民主主義のあり方にまでかかわる対立は、容易に解消できそうにありません。この先、国民的合意がどう形成されるかが注目されます。
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2010年03月23日,「赤旗」) (Page/Top

山本宣治没後81周年/東京で語る会開く

 治安維持法に反対を貫き、右翼に暗殺された山本宣治。その没後81周年となる5日、東京・千代田区で「東京山宣を語る会」が開かれ、130人を超える参加者が集まりました。
 山本宣治が定宿にしていた神田・光栄館の子息・平澤浩三氏が、「階段を転げ落ちるようなものすごい音が聞こえた」など、暗殺事件当時の様子を、体験も交えて語りました。会場には山本宣治直筆の書「唯生唯戦」(日本共産党中央委員会所蔵)が展示されました。
 成澤榮壽・部落問題研究所理事長が、山本宣治の反戦活動などをテーマに記念講演しました。
 成澤氏は、山本宣治の社会運動への接近は、真理と自由を重んじる科学者のものであったことを強調。カナダに渡り現地の学校に入った山本と、渡仏して学校に通った中江兆民を対比し、苦学や自由への姿勢など両者の共通点を指摘しました。
 会では、東京・神田に山本宣治の顕彰碑を設置する運動を広げていくことなどが話し合われました。
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2010年03月22日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 きょうは放送記念日です。「JOAK、JOAK、こちらは東京放送局」。1925年3月22日、いまのNHKがわが国初のラジオ放送を始めました▼「JOAK…」の第一声に、おかしい逸話が残っています。さて、アナウンサーがマイクの前でなんと切り出せばいいのやら。「もしもし、ただいまから」では電話みたいだし、「えー、ただいまから」では寄席のようだし▼あれこれ考え落ち着いたのが、「JOAK…」でした。一つの教訓話としても語り継がれています。だれにも経験のない仕事や事業を始めるときにはいろいろな苦心がともなうのだ、というわけです▼当日の番組は、ほとんど終日音楽でした。海軍軍楽隊の演奏から、邦楽、オペラまで。文化の送り手になろうという、放送人の意気込みは伝わってきます。しかし、3日前に治安維持法が成立したばかりの時勢で、放送は国家のしめつけのもとに始まりました▼ラジオはやがて、戦時に国家と国民を結ぶ役割をはたします。国民を戦争へとかりたて、軍のゆがめられた情報を一方的に流す。放送開始を飾った音楽番組も、しばりだらけに。アメリカ・イギリスの音楽や敵性語≠ヘ、追放されました▼初の放送のしょっぱなに軍楽隊員が独奏したクラリネットなら「堅笛」といい換える、敵性語≠フ追放。コントラバスは、実際に番組で語られたかどうか分かりませんが、なんと「妖怪的四弦」とよばれたそうです。放送85年のいちばんの教訓話は、やはり戦時にあります。
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2010年03月22日,「赤旗」) (Page/Top

蟹工船から見た日本近代史/井本三夫著/評者荻野富士夫小樽商科大学教授


周縁・辺境から日本近代史を照射
 著者は、「蟹工船に象徴される北洋労働の問題を通じて、日本近代の構造」を明らかにしようとする。日清戦争、北清事変、日露戦争、シベリア出兵を通じて「北洋漁業」がどのように発展してきたか、蟹工船漁業に焦点があてられ、ロシアとの関係、出漁者・漁船や缶詰製造の変遷とともにたどられる。
 早くも1913年に1万2000人もの日本人がカムチャツカで漁業に従事していたこと、「蟹缶詰・蟹漁業は植民地的性格の最も強い部門だった」ことなどの指摘をふまえて、企業の競合と国家の統制による「国策的な北洋漁業独占体の形成」の過程が実証的に明らかにされる。それゆえに、「北洋漁業でも遅い時期に成立した蟹工船漁業には、北方植民地化・帝国主義のそれまでの段階で育成された暴力的労働強化の方式が蓄積され、重層的な形で現れたのではないか」という論点は、十分な説得力をもつ。
 多喜二は「蟹工船」という「特殊な一つの労働形態」を描いたのであり、発表当時に加えられた、蟹の捕獲や缶詰製造の労働過程が描かれていないという批判は的外れではあったが、それでも本書第三章で扱われる「蟹工船の実態」―人員構成、製造過程、過酷を通り越した労働状況など―を知ることは、多喜二が込めた大きな意図や細部の工夫へのより深い理解につながる。蟹工船が工場法も航海法も適用されないという意味は、労働者が「臨時乗客扱い」とされていたから、だという。
 「帝国軍隊―財閥―国際関係―労働者」を全体として描いた『蟹工船』を読む上で、本書は最良の手引きとなるとともに、周縁・辺境から日本近代史を照射する視点を提示する。その点で「北洋漁業」における「帝国軍隊」の存在・かかわりに、まだ論ずべき余地があるように思われる。
 
 いもと・みつお 1930年生まれ。元茨城大学理学部教授。
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2010年03月21日,「赤旗」) (Page/Top

県無名戦士合祀祭/広島

 第48回広島県解放運動無名戦士追悼合祀(ごうし)祭が15日、広島市中区小網町の「無名戦士之碑」前で開かれ、約110人が参列しました。13人が追加され、合祀者数は984人となりました。
 日本国民救援会県本部の本藤修副会長が「故人の遺志を引き継ぎたい」と開会あいさつ。日本共産党の大西オサム参院広島選挙区候補、治安維持法国賠同盟県本部の片桐隆三事務局長が追悼の辞を述べ、参列者は碑にそれぞれ献花しました。
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2010年03月17日,「赤旗」) (Page/Top

岩見沢で「多喜二」上映会

 1928年3月15日に日本共産党・民主団体に対して全国的大弾圧が行われましたが、治安維持法国賠同盟北海道南空知支部は15日、岩見沢市で映画「時代を撃て 多喜二」を上映しました。65人が参加し、「感動した」「こういう企画、また知らせて」と感想が寄せられました。
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2010年03月17日,「赤旗」) (Page/Top

教訓を学ぼう国領会が総会/京都

 西陣が生んだ戦前の日本共産党の幹部で、治安維持法による弾圧で獄死した国領五一郎を「顕彰する京都の会」の第6回総会と学習講演会が14日、京都市中京区で開かれ、50人が参加しました。
 総会では、姫野純也副会長の開会あいさつに続き、若宮修副会長が、京都国領会結成5周年の活動を報告しました。
 若宮氏は、5周年を記念して発行したパンフ『国領五一郎から学ぶ』について、掲載されている多くの小論文や発言記録が、大きな教訓に富んでいると指摘。その中で、日本共産党の成宮まり子参院京都選挙区候補が寄せた、「先輩たちの『不屈性』『楽天性』こそ、学習に裏付けられた『未来は変わる』という確信によるもの」という一文は、核心を突いたものと紹介しました。
 学習講演会では、日本共産党の渡辺和俊京都府委員長が、今日の情勢の特徴を詳しく述べ、「目前の京都府知事選挙は、迷走する国政に京都府民の意思をキッパリと示す歴史的なたたかいだ」と強調しました。
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2010年03月16日,「赤旗」) (Page/Top

国賠同盟が冊子を発行/秋田県本部

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟秋田県本部はこのほど、冊子『戦争と治安維持法―国に弾圧犠牲者への謝罪と補償を求めて』を発行しました。同誌は、近江谷昭二郎同県本部会長の講演記録「戦争と治安維持法」などのほか、同盟中央本部発行の総合誌『治安維持法と現代』に掲載された論文「戦前の農民運動と弾圧」などが収録されています。
 頒価1000円。問い合わせは同盟県本部の近江谷さん018(832)9865。
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2010年03月14日,「赤旗」) (Page/Top

東京芸術座の「蟹工船」26日から/迫力あるけいこ続く


出演者・演出家ら「元気でる芝居」「未来変えられる」
 東京芸術座は26日から、小林多喜二原作の舞台「蟹工船」を東京で上演します。公演が迫り、熱気に満ちたけいこが続いています。
 同劇団創立50周年記念公演ともなる「蟹工船」(大垣肇脚色)は、1968年初演時に演出した劇団創立者で劇作家・演出家、村山知義の演出を踏襲しての上演となります。村山演出の特徴は、@舞台いっぱいに船を乗せ、ダイナミックに蟹工船の過酷な世界を舞台化したこと、A小説「蟹工船」では、名をもたない漁夫らを、この芝居では愛称を与え、一人一人の登場人物を鮮明に粒立たせたこと、B非人間的扱いを受けている漁夫らが、連帯を強め立ちあがるシーンを躍動的に表現したこと、などです。

独立した個
 けいこでは、過酷な労働の強要や、監督側からの労働者へのリンチ、暴力に我慢できずストに立ちあがる劇的な瞬間など、緊迫する状況をリアルに表すため、迫力あるけいこを繰り返していました。だめ出し(手直しのための指摘)でも「せりふをいわない時も、お客さんは君を見ているんだ」「おまえのところから炎が出ていない」など、厳しい声がかかっていました。
 ストのリーダーの一人、労働者「芝浦」(Wキャスト)を演じる神谷信弘さん(45)は「独立した個が集団になって行動して、ことが動いていく。それが力になることを、この『蟹工船』は示しています。ダイナミックで、見終わったら絶対元気が出る芝居です」と目を輝かせていました。
 同じく「芝浦」役の小川拓郎さん(29)は「僕自身、バイトしているときに、組合と相談して、会社側と団交した経験があります。『芝浦』が要求書を突き付けるシーンは、絶対的な力をもったものに、思い切って立ち向かうという瞬間で、好きなシーンです。リアリティーある魅力的な作品にしたい」といいます。
 雑夫の少年「健」を演じる白木沙織さん(32)は「行動すべきときに行動しなくてはいけないんだと、けいこをしながら感じています。群衆劇の面白さ、素晴らしさをだしたい」。ストのリーダーの一人「ゴロー」役の中屋力樹さん(24)は「一人一人の登場人物が、すべてきわだっているのが、この芝居の魅力です」と話しました。

同じ人間が
 村山知義とも仕事をしたことのある演出家で、今回客員で演出に加わる川池丈司さん(61)は、「『多喜二』『村山知義』と聞いただけで、胸がキュンとします。僕は村山とともに『蟹工船』と、村山演出の『どん底』(ゴーリキー作)に20代の大半を使いましたから」「資本が巨大化する中で、人間が孤立化させられていく。疎外された底辺の人たちが、その状態を変革していくためには、少数ではだめ、ということ。広範に広がっていく連帯感でこそ、世の中を変えていけるのだということ、軍隊は資本家を守るための存在だという本質の暴露、これが『蟹工船』で描かれているポイントです」「この芝居の『蟹工船』は、舞台を見ているあなたと同じ人間が船に乗っているのだということを示し、そういう意味で、お客さん、あなたも乗っているんですよ、といっているのが、原作と違った魅力で、近年の舞台や映画とも一味違ったものになっていると思います」とこの芝居の特徴を話しました。
 演出の印南貞人さん(60)は、「日本で起こっている、ここまで貧困な政治は、世界でも数少ないのではないか。この芝居、政治家に見てほしいですね。今回の舞台は、現実を知らしめるだけでなく、未来は変えられることを描いていて、明るい気持ちで帰ってもらえます」と語りました。
 ◇
 「蟹工船」26〜30日=東京芸術劇場中ホール。рO3(3997)4341東京芸術座
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2010年03月12日,「赤旗」) (Page/Top

くらし、平和守りたい/国際女性デーで集会、行動/北海道/青森/秋田/宮城/岩手/福島

 「この1世紀の間、私たち女性が訴えてきたことが、いまや世界の常識となりつつある」―。8日を中心に、北海道、東北各地で国際女性デーが取り組まれました。「パンと権利と平和」を求めて世界中の女性が毎年3月8日に連帯する国際女性デー。提唱されてから100周年を迎え、「女性の運動が政治、社会を着実に動かしている」と確信を深めるものとなりました。

北海道
 国際女性デー全道集会が「連帯と共同ひろげ、ジェンダー平等実現へ!」をテーマに8日、札幌市で開かれ、460人を超す参加者の熱気に包まれました。
 福島県立医科大学講師の後藤宣代さんが講演。「いま、私たちは人類史的大転換のはじまりの時代にいる。グローバリゼーションする中で、上から支配を強めていこうとする動きと、それに下から抗していく流れが起きている」と語り、女性たちの運動が大きな意味を持っているとユーモアをまじえながら話しました。

恵庭
 北海道恵庭市で7日、「国際女性デー恵庭集会」が開かれ、40人が参加しました。井古田明美さん(道勤労者医療協会札幌病院・内科医)が「女性のライフサイクルと健康」と題して講演し、「無理のない生活、目標を高くしすぎない。少しだけ上を見て自分の周りも幸せに」と提唱しました。

砂川
 北海道の砂川市で8日、国際女性デーのつどい(新日本婦人の会砂川支部主催)が開かれ、51人が参加しました。道社会保障推進協議会事務局長の吉岡恒雄氏が「後期高齢者医療制度は廃止を」と題して講演しました。

北見
 北海道の北見集会は7日、北見市の常盤西地区住民センターで行われ50人が参加しました。同実行委員会の主催。講演では、宮田汎治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟中央本部副会長が「女性解放と平和をめざし たたかった北海道の女たち―国際女性デーの歩みにあわせて―」と題して話しました。

三笠
 北海道の新婦人三笠支部は6日、「国際女性デー 平和を願って 戦争体験を語る会」を開きました。86歳の朝日喜久子さんが、19歳で結婚し、その12日後に夫を戦争に送り出したこと、生還できた夫と炭鉱で生きてきた体験、食糧のない時代の子育てなどを話しました。

青森
 青森集会が7日午後、青森市の文化会館で開かれ75人が参加しました。県労連の有馬美恵事務局長が「手を取り合って前進しよう」、日本共産党の、よしまた洋県書記長(参院青森選挙区候補)が「政治を前に進めるためにがんばりたい」激励のあいさつをしました。

秋田
 秋田県集会が6日、秋田市のサンパル秋田で開かれ、60人余の女性たちが参加しました。
 女性問題研究家の渡部雅子さんが「男女平等のいま」と題して講演し、雇用とくらしを守り核兵器のない世界をめざす女性の運動を励ましました。

宮城
 50周年を迎えた宮城県では、仙台市で開かれた8日の集会に会場いっぱいの160人が参加しました。「青い空は」の作者、詩人の小森香子さんが詩に込めた平和への思いを講演し、最後に「青い空は」を全員で大合唱しました。
 「憲法9条を守り生かす決意を世界に伝えよう」と呼びかける集会決議を拍手で確認しました。

岩手
 岩手県では8日、盛岡市の岩手県民会館で県集会が開かれ、80人が参加しました。
 全労連副議長の柴田真佐子さんが「知っていますか?世界の女性の憲法を―女性差別撤廃条約全面実施を」と題して講演。いわて労連の鈴木露通議長、日本共産党の、せがわ貞清参院岩手選挙区候補があいさつをしました。

福島・いわき
 福島県いわき市の国際女性デーいわき実行委員会は8日、いわき駅ラトブ前で宣伝と署名行動を行い、「戦争でいちばん犠牲になるのは、女性と子どもです。戦争を起こさない約束の憲法9条を守り、地球上から核兵器をなくそう」と訴え、ビラと折り鶴を配りました(写真)。下校時の高校生が「戦争はいやです」「寒いのに大変ですね」と次々署名をしていました。
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2010年03月10日,「赤旗」) (Page/Top

タイ、治安法適用へ/反政府集会に警戒強める

 【ハノイ=井上歩】タイのタクシン元首相派がバンコクで14日に開く大規模な反政府集会に対し、破壊行為や騒乱が起きるのではないかとタイ政府が警戒を強めています。
 政府は9日、集会にあわせてバンコクなどに11日から23日まで治安維持法を適用することを閣議決定しました。軍が治安維持に当たることが可能になります。アピシット首相は8日、13日からのオーストラリア訪問を取りやめ、国王にも状況を説明しました。
 集会は多ければ数十万人が参加する見込み。タクシン元首相や同派運動団体は平和的な集会を宣言していますが、民間世論調査(回答数約2300人)は市民の約3割が暴力発生を恐れているとしています。
 タイ最高裁は先月、元首相一族の資産の一部を不正蓄財として没収する判決を出しました。判決前後にバンコクでは、反タクシン派に近いとされるバンコク銀行支店に相次いで手りゅう弾が投げ込まれる事件が発生。9日までに南部の軍倉庫から手りゅう弾などが盗難される事件も発覚しました。
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2010年03月10日,「赤旗」) (Page/Top

伊勢原市で七沢多喜二祭/神奈川

 神奈川県の「多喜二ゆかりの七沢を知らせ歴史と文学を広める会」はこのほど、伊勢原市で七沢多喜二祭を開きました。
 同会は多喜二が滞在して「オルグ」を執筆したといわれる七沢温泉の福元館が発見されたのを機に結成され、今年の多喜二祭は第9回。電機労働者として働きながら作家活動をしてきた田島一氏が「たたかいの文学、多喜二と現代」というテーマで講演しました。
 田島氏は多喜二が労働者の中に入って事実を確かめ、読者を引きつけるドラマ仕立ての手法で当時の社会を厳しく批判してきたと述べました。反戦川柳作家の生涯を描いた映画「鶴彬 こころの軌跡」も上映されました。
 日本共産党の、はたの君枝参院神奈川選挙区候補が来賓としてあいさつしました。
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2010年03月06日,「赤旗」) (Page/Top

山本宣治の絶筆公開へ/治安維持法改悪反対貫きたおれた

 戦前の治安維持法改悪に国会議員として最後まで反対した山本宣治(山宣)の絶筆の書が初公開されることになりました。
 山宣が東京・神田で右翼の凶刃によってたおれたのは1929年3月5日。その7日前、山宣が新潟県五泉市で揮ごうした「唯生唯戦(ゆいしょうゆいせん=ひたすら生き、ひたすら戦うの意)」の掛け軸です。
 持ち主の石田和夫さん(82)が、2日に治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟新潟県本部の申し出をうけ、快諾したものです。今年10月、県内各地で開かれる「平和のための戦争展」で展示されます。
 山宣は29年2月27日、農民組合の招きで旧五泉町を訪れ、演説会で訴える予定でしたが、警察の弾圧で中止に。そのため、五泉駅前の旅館で農民と懇談したあと、頼まれて揮ごうしました。
 その書を農民組合の役員で、戦後衆院議員になった石田宥全(ゆうぜん)氏(81年死亡)が保管し、長男の和夫さんに引き継がれていたものです。
 和夫さんは「揮ごうについて父からは何も話されなかったが、正月には出して飾っていたので、子ども心に大切なものだと思っていた。山宣のことを知るようになり、貴重なものだと分かった。山宣の遺志を継ぐために有効に活用してもらえればありがたい」と語っています。
 掛け軸には、山宣がたおれる前日に語った演説の一節、「山宣一人孤塁を守る。だが私は淋(さび)しくない。背後には大衆が支持しているから」の拓本が張られています。
 同県本部の北村直吉事務局長、遠山武同次長は「多くの人に見てもらい、再び戦争と暗黒政治を許さない活動を強めていきたい」と語っています。
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2010年03月05日,「赤旗」) (Page/Top

77年前の「三陸大津波」でも救援に奔走/党と「赤旗」伝統いまに

 今回のチリ巨大地震津波で冠水や漁業被害が出た三陸沿岸。きょう3月3日は、三陸沿岸を中心に3千人を超える死者・不明者を出した1933年の「三陸大津波」から77年目です。日本共産党の指導下にあった組織はただちに現地に医師らを派遣、党の機関紙「赤旗」(せっき)は「罹災(りさい)民救援闘争をおこせ!」と呼びかけました。

厳しい弾圧下被災地に出発
 この時期日本共産党は、作家の小林多喜二が虐殺されるなど厳しい弾圧下にありました。党の指導のもとに労働者、農民の生活と運動への援助と救援をめざし設立された日本労農救援会準備会(「労救」)が、被災地に3人の派遣を決定。当時、東京の大崎無産診療所に勤めていた砂間秋子さん=当時28歳(夫は、戦後党幹部会委員となった一良氏)=は8日、医師、看護婦と現地に出発。秋子さんは、獄中の夫に手紙を書きました。
 「家は流されたり焼かれたり、気温が下がって肺炎患者は続出して、みな重態の人ばかりです。一日も早くこうした人達を救ってあげたい」
 被害のもっとも大きかった田老(たろう)村(現在・宮古市)に行くことになり、盛岡からは官憲の目を避けるため雪の中を歩いたりして、約100`離れた宮古へ。さらに、船で1時間半かけて現地に向かいました。役場で救援金や医療品を渡し、すぐに診療を始めましたが、3時間後に特高警察に逮捕されました(19日)。地元紙は「罹災地に赤い魔手/三名のオルグ逮捕/診療行ひつゝ運動」と、特高情報で大きく報じました。

税の減免求め支援よびかけ
 「赤旗」は、政府が救援活動に大弾圧を加え300人以上を検挙したことを糾弾。3月15日付では、罹災農民に、小作料・税金の減免などを求めるとともに、全国の労働者、農民には救援金・品を送るようによびかけました。
 こうした党の献身的な救援活動は、50年前のチリ地震津波でも、阪神・淡路大震災、中越大震災などでも生かされました。今回のチリ巨大地震の津波では、国内での犠牲者はなかったものの、各地で養殖施設などに大きな被害が出ています。参院候補や議員を先頭に関係者から実態と要求を聞き、激励の活動を始めています。
 「国民の苦難あるところ日本共産党あり」―。戦前からつづいている伝統です。
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2010年03月03日,「赤旗」) (Page/Top

演劇/「シャンハイムーン」(こまつ座)/魯迅と日本人の友情描く

 井上ひさしを座付き作者とし、その上演を目的として作られた「こまつ座」は、去年で設立25年を迎え、多喜二を描いた「組曲虐殺」など、精力的な活動を続けている。本公演は、魯迅の晩年に取材した「シャンハイムーン」で、91年に初演され谷崎潤一郎賞を得た。こまつ座としては三度目の上演になる。
 1934年、中国国民党は反共を叫び、魯迅(村井国夫)たち文学者もテロの危険にさらされている。魯迅は日本租界にある内山書店に避難する。内山夫妻(小嶋尚樹・増子倭文江)はこの機会に医者嫌いの魯迅の病気を治療しようと、須藤医師(梨本謙次郎)らを招くが、彼らの努力は却って魯迅の人物誤認症(人を別人と見間違える病気)のきっかけになってしまう。しかしその原因は魯迅自身の過去にあった…。
 抗日を訴えた魯迅と、その最期を看取った日本人との友情を描いた作品で、テーマは、国や民族を超えて個としての人間を思う「想像力」だ。
 物語自体は言葉遊びと笑いに溢れた虚構であり、誤認症を直そうとする中で魯迅の生涯が回顧され、人間的な欠点をも含んだその魅力に徐々に観客を引き込んでゆく。人物全員が知っている筈の説明的な台詞が前半やや多いが、それも魯迅の人柄を伝えるのに役立っている。
 幾分過剰で分かり易い演出(丹野郁弓)は、新劇・小劇場・ロックなど様々なジャンルの出演者の異質な演技スタイルをうまく結合し、井上ひさしらしい、情と理を笑いで包んだ雰囲気を作り出している。
 特に村井と増子の新劇陣の演技が、全体のまとまりに寄与していたように見えた。
 (北野雅弘・演劇学研究者)
 3月7日まで、東京・紀伊国屋サザンシアター、その後各地巡演
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2010年03月01日,「赤旗」) (Page/Top

*         2月】(ヘッドライン)

*         山田洋次監督にきく―映画「おとうと」/うつりゆく社会の中、温かいきずな描きたかった

*         北海道労働者党後援会集い/NTT告発運動全国に/輸送の安心土台できた/時給1000円で未来開こう

*         没後77年で多喜二祭/遺志受け継ぎ政治革新へ/東京/茨城

*         『蟹工船』を朗読/江別で多喜二祭

*         塩釜、多賀城で国賠同盟が宣伝/宮城

*         試写室/歴史秘話ヒストリアたった一人のあなたへ/NHKテレビ後10・0/小林多喜二のメッセージ今に

*         活動した軌跡や啄木との関わり/神戸・碓田氏語る

*         小林多喜二没後77年/デスクマスクの展示や愛唱歌/大阪

*         治維法国賠同盟学習・交流集い/秋田支部女性部

*         「国家の悪事」一つの決着/横浜事件実質無罪確定の意義/橋本進

*         不屈の姿勢に思い/小樽では音楽と講演の夕べ

*         多喜二さんは女性を重視=^ノーマ・フィールドさん講演/秋田と大館で集い

*         新作DVD/蟹工船(日本、09年)

*         多喜二の志継ぐ/没後77年の墓前祭/北海道小樽

*         野呂栄太郎没後76周年/業績しのび墓・碑前祭

*         東京芸術座「蟹工船」上演に寄せて―/弱者を切り捨てる社会ある限り「何べんでも」/印南貞人

*         小林多喜二と『蟹工船』に焦点/NHKテレビ「歴史秘話ヒストリア」/24日に放送

*         今月の俳句/刻々/望月たけし

*         治維法国賠同盟釜石支部が総会

*         土方与志没後50年/日本新劇の道を切り開く/250本の舞台/類まれな演出力/菅井幸雄

*         若い人に聞いてほしい=^多喜二の生き方紹介/かわえ比例候補囲んで/中野候補参加/三重・亀山、松阪、紀北で

*         活動家の西田信春/福岡で77周年墓前祭

*         参院選、勝利誓う/西田信春の碑前祭/北海道新十津川町

*         参院選のページ/仁比参院議員感動広げる介護論戦=^弁護士の原点「民衆とともに」

*         小林多喜二をしのぶ/秋田・20、21日/北海道・20日/野呂栄太郎19日に催し

*         建国記念の日反対/各地でつどい/神奈川/山梨

*         西田信春のあす墓前祭/福岡

*         横浜事件無罪は当然/治維法国賠同盟

*         横浜事件実質無罪/地裁、5遺族に刑事補償

*         ひと/多喜二祭で自作の叙情歌を歌うソプラノ歌手清水紫さ

2月本文】(Page/Top

山田洋次監督にきく―映画「おとうと」/うつりゆく社会の中、温かいきずな描きたかった

 山田洋次監督の新作映画「おとうと」が公開中です。周囲に迷惑をかけてばかりの弟が姉の家族に引き起こすドラマが、笑いと涙を誘い、肉親のきずなをさまざまに考えさせます。今月、ドイツで開催されたベルリン映画祭を記念する祭典閉幕作に選ばれ上映されました。この新作に寄せて、山田監督に話をききました。
 児玉由紀恵記者
 
 「おとうと」の舞台は、東京の、とある町。夫に先立たれながら、薬局を営んできた吟子(吉永小百合)が、娘・小春(蒼井優)の結婚式を迎えます。そこへ、行方知れずだった吟子の弟・鉄郎(笑福亭鶴瓶)が現れ、酒癖の悪さから式を台無しにしてしまいます。
 役者になる夢破れ、ほれた女性から借金をしたまま姿をくらました、社会からはみ出し者の弟。その借金の肩がわりをし、彼との縁を断とうとしつつも、「彼は、一度も人にほめられたことがない」という亡夫の言葉を胸に、思いやりを抱く姉。そのまなざしには、監督自身の思いがあります。

■ダメな人排除せず
 「落語の熊さん、八っつぁんもそうですが、市民的なモラルに、はまりきれない人間を日本人は愛してきましたよね。職場でもどこでも、10人にひとりぐらいは、だめな人間がいる。そういう人を排除するのは簡単です。面倒くさいと言いながらも、そういう人を許容する、寛容であるということが、文化ということじゃないかと思いますね」
 2008年の映画「母べえ」以来2年ぶりの、吉永さん、鶴瓶さんの共演作。「母べえ」で吉永さんが演じたのは、夫を治安維持法違反で獄に捕らわれた妻。鶴瓶さんは、そのおじ役で、戦時下の息苦しさを吹き飛ばす自由人でした。
 「あのとき、吉永さんと鶴瓶さんの組み合わせがとても楽しかった。みんなに嫌われる困ったおじさんをかばう吉永さんに、何とも納得がいったのです。この2人だから可能だったんだ、と。あの『母べえ』の2人が、今度のヒントになっています」
 新婚生活に破れた小春は、幼なじみで大工の亨(加瀬亮)と会う機会が増えます。「私は、バツイチだから」と、1度結婚に失敗したことを卑下する小春に、亨が言います。「君の人格には、何の関係もないことだ!」と。その激しさに、思わず胸が熱くなる素晴らしい愛の告白シーン。
 「僕も気に入っているシーンです。あそこから小春という人間の価値観がグッと変わっていく。その後、自分の家をかきまわした嫌いなおじさんに対しても、彼が最期を迎えるときには、受け入れようという寛容の気持ちも生まれる。人間は変わっていかなければ―。古い価値観を捨てて新しい価値観を獲得する。成長というのはそういうことではないですか」
 吟子の薬局に出入りする自転車屋(笹野高史)や歯科医(森本レオ)らが、温和な商店街の雰囲気を醸し出します。こうあってほしいという監督の願いが込められています。
 「あの店を支えるお客さんや商店街の仲間たちというものが、この国から滅びようとしています。昔からのなじみの店で、会話をやりとりしながら買うことができなくなる。地域のつながりがなくなっていっている。商店街がどんどんシャッター通りになっていく現状は、どうにもならないのか。これは、資本主義社会の矛盾でしょう」
 がんで行き倒れ同様の鉄郎を迎えてくれたのは、民間のホスピスでした。厳しい運営を余儀なくされながらも決して明るさを失わない人たち。現実にある施設をモデルに描いたものですが、鉄郎にも、吟子にも、そして映画を見る者にも「救済」をもたらします。
 「日本のすべての孤独な老人のために、こんな施設が用意されていなければいけないのに、と思ったりしました。国の膨大な予算から見れば、こういう施設にさく予算なんてしれているでしょうにね」

■映画祭特別功労賞
 本作を、1960年に「おとうと」を作った故市川崑監督にささげた山田監督。ベルリン映画祭で特別功労賞を贈られました。同賞は、市川監督も受賞しているだけに、喜びもひとしおです。
 「ベルリン映画祭といえば、鋭い話題性を持ったものが取り上げられますので、ひなた水≠フような『おとうと』をよく映画祭が選んでくださったものだと思います。クロージングフィルムとしては異色なのではないでしょうか。特別功労賞まで加わって、とてもうれしかったです」
 山田監督は、一昨年11月、妻・よし恵さんと死別しました。その悲しみを乗り越えて作られた「おとうと」。姉弟の哀切な別れは、しみじみと胸を打ちます。
 「おとうと」の開幕シーンは、血のメーデー事件のニュースフィルム。1952年5月1日、警官隊がメーデーの隊列におそいかかった事件です。
 「ちょうど僕の学生時代に起きた事件で、僕もその中にいました。僕にとっては、あそこから戦後が始まるのです。ニュースフィルムを入れたのは、この一家がいる日本の国を客観的に見たらこうだ、と。労働争議、安保闘争、すさまじい高度成長、それらを経て今日がある。どう生きるべきか、この国はどうあるべきか、常に歴史から学ばなければいけないのでは、と思うのですよ」

やまだ ようじ=1931年生まれ。54年、松竹入社。61年、「二階の他人」で監督デビュー。「男はつらいよ」シリ−ズ、「幸福の黄色いハンカチ」「武士の一分」ほか監督作多数。1月上演の「麦秋」脚本・演出。立命館大学客員教授として携わった映画「京都太秦物語」が5月公開
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2010年02月28日,「赤旗」) (Page/Top

北海道労働者党後援会集い/NTT告発運動全国に/輸送の安心土台できた/時給1000円で未来開こう


大門参院議員、はたやま参院候補が訴え
 「情勢を前に動かすのは労働者と国民の運動であり力だ」―。北海道労働者日本共産党後援会は26日夜、「2・26労働者の集い」を開きました。
 
 大門みきし参院議員、はたやま和也参院選挙区候補が出席。参院選での日本共産党勝利へ約150人が奮闘を誓い合いました。
 各職場後援会から決意が表明され、契約社員700人の転籍強要とたたかっているNTT労働者後援会からは、「派遣に応じなければ解雇だと迫る会社に、『それは違法だ』とたった1人で立ち上がって、それが大門さんの国会質問になりました。いま全国に(運動が)広がっている」と確信に満ちた発言がありました。
 全道ハイタク労働者後援会は、「タクシー規制強化へ法案が通過しました。札幌でも法人5500台のうち、1700台を減車。やっと輸送の安心をつくる土台ができました。共産党がつくってくれたこの特措法。参院選で一人でも多くの党国会議員を」と力を込めました。
 スクラム後援会の青年は「僕たち時給は678円。早く700円、800円、1000円にならないと未来がない。多喜二のことがNHKで放映されましたが、やっぱり共産党は70年、80年ぶれていない。労働者のために命がけでたたかった大先輩がいたこの党を、絶対に伸ばさなくては自分たちの明日はないし希望はないと力強く訴えたい」と呼びかけました。
 はたやま和也参院選挙区候補は「道内を4カ月回って、どこでも仕事がないということにつきます。そんななかで、民主党は昨年末突然、地域職業訓練センターを廃止すると決めた。仕事がないというこの時期に、国は職業訓練の責任を投げ捨てるのは一体何事かと怒りの声が上がっています。地域づくり、人づくりを中心となってやってきたこのセンターを守らなければいけない」と訴えました。
 大門参院議員は、NTT問題で前進があったことを報告したうえで、「これから本格的なたたかいになります。声を上げた女性は本当に勇気がありますが、支えたのは組合、共産党員。そこに組合があったから、そこに共産党員がいたから、たたかってこそ道が開けた。労働者の中に強い共産党をつくるということが、まさに労働者を助けていくことになる」と強調しました。
 集いは「参議院選挙勝利へ、後援会の確立・強化を進め、全有権者過半数対話に足を踏み出そう」とのアピールを拍手で確認しました。
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2010年02月28日,「赤旗」)

没後77年で多喜二祭/遺志受け継ぎ政治革新へ/東京/茨城


東京
 「蟹工船」などで知られるプロレタリア作家、小林多喜二の没後77年を記念して、第22回杉並・中野・渋谷多喜二祭(同実行委員会主催)が25日、開かれ、約400人が参加しました。日本共産党の小池晃参院議員と田村智子参院選比例候補が参加し、それぞれあいさつしました。
 小池氏は、高校生の時の読書感想文の課題図書の一つが多喜二の「蟹工船・党生活者」だったことが日本共産党に入るきっかけの一つになったと述べ、「多喜二のたたかいに連なる党の一員であることを誇りに思う。多喜二の遺志に答えて、日本の政治の革新のために全力を尽くしたい」と語りました。
 田村氏は「ばらばらにされて苦しむ生き方から、仲間と連帯して苦しみを打ち破る生き方へという多喜二のメッセージを受け止め、がんばります」と話しました。
 日本民主主義文学会の作家・旭爪あかねさんは「多喜二のように、今を生きる人々が生きる希望を感じられる作品を生み出していきたい」と発言。記念講演した作家の能島龍三氏は「人間はどう生きたらいいかという80年前からの鋭い問いかけとして、多喜二の小説を改めて読んでほしい」とのべました。

茨城
 茨城県の新日本歌人協会古河支部は20日、2010年古河多喜二祭を古河文学館で開き、30人が参加しました。各地から連帯メッセージの紹介、土井大助の詩「麻布の坂道」朗読のあと、新日本歌人協会の奈良達雄前代表幹事が「多喜二の戦友たちの詩」と題して講演しました。
 参加者は「多喜二の時代の先駆者の苦労が分かった」「感銘深い作品に涙が出た」などの感想を寄せました。
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2010年02月27日,「赤旗」) (Page/Top

『蟹工船』を朗読/江別で多喜二祭

 北海道江別市で21日、「江別の多喜二祭」が開かれ、70人が参加しました。昨年に続き2回目の開催。
 劇団新劇場の山根義昭さんの『蟹工船』朗読で始まり、昨年の多喜二祭で感動し朗読を申し出た若者の美馬真宏(みま・まさひろ)さん、枇本享洋(ひもと・たかひろ)さんが多喜二の獄中からの手紙や田口タキへの手紙を朗読しました。
 宮田汎北海道高校センター教育研究所長が、東京に足を運び調べた多喜二の足跡をスライドで紹介しました。杉並の多喜二の家近くで「ナヨロ屋」というタバコ屋をしていた北海道名寄出身の大西さんが見た人間味豊かな多喜二と、葬儀で見た警察の弾圧は新しい事実の発掘として関心を呼びました。宮田さんは「多喜二を殺した国家権力に、謝罪をこれからも求めていきたい」と結びました。
 アイヌ刺しゅう家の小川早苗さんは、多喜二と同じ1903年に生まれ早世した知里幸恵の「アイヌ神謡集序」「銀の滴降る降るまわりに」をアイヌ語で朗読しました。
 参加者は「もっと多喜二を読みたくなった」などと語っていました。
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2010年02月25日,「赤旗」) (Page/Top

塩釜、多賀城で国賠同盟が宣伝/宮城

 宮城県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟塩釜支部は20日、塩釜市と多賀城市で街頭宣伝をし、相原君雄支部長と上西寛事務局長が参加しました。
 宣伝では、「1933年2月20日は小林多喜二が虐殺された日です。60年安保改定反対闘争から50年、植民地化した韓国併合条約から100年目という歴史的節目の年に、治安維持法により犠牲となった方々の名誉回復と国家補償を実現することで、再び戦争と暗黒政治を許さないという社会的総意がつくられるよう奮闘します」と決意を述べました。
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2010年02月25日,「赤旗」) (Page/Top

試写室/歴史秘話ヒストリアたった一人のあなたへ/NHKテレビ後10・0/小林多喜二のメッセージ今に

 80年前、25歳の小林多喜二が書いた小説「蟹工船」がいま若者たちの心をとらえている。「おい! 地獄さ行ぐんだで!」で始まる洋上の無法労働と、「派遣切り・使い捨て」労働とが重なりあう。番組は、弱いもの同士が立場を超えて力を合わせることを作者のメッセージとする。
 エピソードが豊富だ。小樽の銀行で働きながら貧しい人たちの小説を書く中で不幸な境遇の田口タキに寄せた慕情も印象深い。普通選挙法下の初めての選挙で政治への目をひらく多喜二が「日本の国体」(天皇制国家)護持を支柱とした治安維持法で仲間たちがばらばらにされていくなかで自分になにができるかを問いかけ「蟹工船」の労働現場の取材を始めるのも興味深い。
 上京した多喜二は文学活動のなかで日本共産党に入党。治安維持法違反容疑で捕まった築地署で虐殺される。めった打ちにされ下半身が内出血の跡で紫黒色に変わった遺体。「人間一人ひとりとつながりあうことの大切さ、それを断ち切ろうとするものへの怒り、多喜二のデスマスクは時代を超えいまも伝え続けている」。慰安旅行での屈託のない笑顔にナレーションが重なってズシリと響く。
 (二葉 恵 ライター)
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2010年02月24日,「赤旗」) (Page/Top

活動した軌跡や啄木との関わり/神戸・碓田氏語る

 日本共産党員作家の小林多喜二が77年前に特高警察に拷問で虐殺された命日の20日、神戸市内で「記念集会」が開かれ、160人が参加しました。主催は兵庫多喜二・百合子の会などでつくる実行委員会。
 啄木研究家の歌人・碓田のぼる氏が「石川啄木と小林多喜二」と題して講演しました。啄木が小樽最初の演説会で社会主義に引き寄せられたことや、妻の家出を引き金にした「生活の発見」をし、「大逆事件」と「韓国併合」が啄木にとっては「『国家』への開眼」につながったと指摘、多喜二がそうした啄木の短歌の先進性を感じとり、その歌を愛唱したことなどを縦横に語りました。
 西村恵一さんがバイオリンを演奏。参加者は多喜二が愛唱した「折ればよかった」を交えた演奏を楽しみました。
 参加者からは、「勉強になりました。知っているつもりのことが実はよくわかっていなかった。いろいろ整理できました」「バイオリン演奏があったのが良かった」などの感想がよせられました。
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2010年02月23日,「赤旗」) (Page/Top

小林多喜二没後77年/デスクマスクの展示や愛唱歌/大阪

 大阪多喜二祭が20日、大阪市内で開かれました。大阪初公開の「小林多喜二デスマスク」も展示され、歌や漫才もあり約400人が参加しました。同実行委員会の主催。
 実行委員長の柳河瀬精・治安維持法国賠同盟府本部会長が戦前の特高警察の残虐な拷問にもふれて、「人道に反する罪に時効はない」とあいさつしました。
 ソプラノ歌手の徳畑作子さんが「オ・ソレ・ミオ」など多喜二が愛した歌を熱唱。日本共産党の清水ただし大阪市議が、松竹芸能時代の漫才コンビ「ツインタワー」を15年ぶりに復活。「現代蟹工船」(作・村上太さん)と題して派遣切り問題をアピールしました。
 浜林正夫・一橋大学名誉教授は講演「新しい政治への探求と小林多喜二」で、多喜二は作品で当時の日本の資本主義社会を告発したいと周囲に明かしていたとのべ、現代は、1950年代からの日米同盟という「逆コース」を歩み、暮らしを不安にしている「敵」が見えにくい社会だと解明。民衆の立場で新しい政治を探求するという多喜二がとった道を選ぶことだと語りました。
 多喜二資料展を見た北郷栄要さん(85)は、「特高のあまりのむごさを改めて感じた」と語っていました。
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2010年02月23日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟学習・交流集い/秋田支部女性部

 治安維持法国賠同盟秋田支部女性部はこのほど、秋田市で「第9回学習と交流の集い」を開きました。
 金野和子弁護士を助言者に、近江谷昭二郎同盟中央本部副会長が「治安維持法犠牲者の名誉回復と国家賠償の法的根拠を学ぶ」と題して講演しました。近江谷氏は秋田県での治安維持法弾圧による被害を解明しながら、政治弾圧は人道に対する罪に該当するもので、国の謝罪と賠償は当然であり、現在まで放置されていることは許されないと訴えました。
 金野弁護士は、天皇を頂点とする天皇制権力が、治安維持法をどのように改悪を重ねてきたかを解明しながら、弾圧犠牲者への謝罪と賠償の根拠を明らかにしました。
 参加者からは、横浜事件判決文や特別高等警察の系譜などを学習する必要性が提起されました。
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2010年02月23日,「赤旗」) (Page/Top

「国家の悪事」一つの決着/横浜事件実質無罪確定の意義/橋本進


治安維持法全被害者への謝罪と補償を展望して
 本年2月4日、横浜事件再審請求第4次、第3次の申立人による刑事補償請求に対し、横浜地裁・大島隆明裁判長はこれを認め、第1次請求(86年)から24年目に、元被告の実質無罪が明示され、確定した。
 この「決定」の画期的意義はその内容にある。47nもの決定書において@十指に余る諸捏造事件のもとになった「泊会議」(日本共産党再建準備会議)の虚構性の解明、虚偽の自白を強制した拷問実在の論証、これらによって治安維持法の悪法性が示され、A特高警察、検察、予審判事、確定審判事の責任が問われ、よって「国家の悪事」(奥平康弘「朝日」2・5)が認定されたことである。
 国家秘密法案(85年)阻止の思いを抱きつつ提起された再審請求は、この「国家の悪事」の実体を裁き、責任を明らかにし、国家に「歴史のけじめ」をつけさせようという訴訟であった。裁判所は権力の責任(現在はおろか、過去に対しても)解明に驚くほど臆病であり、解明すべき自らの責任を回避しつづけた(請求の2度にわたる門前払い、実現した再審では形式的免訴判決の連続、05年の東京高裁・中川判決を例外として、事件実体には指一本ふれようとはしなかった)。
 このような体質は、戦後、戦争責任を問われたことがなく、自ら問うたこともなく、かえって60年代後半〜70年代初めに最高裁が先頭に立った青法協(青年法律家協会)狩り%凾ノよって、権威主義体制を固めたという、その歩みに根ざしているのであろう。60年代後半に端を発し、70〜80年代に改革を進め、司法非ナチス化の過程で、加担裁判官を有罪としたドイツの歩みと対照的である(上田誠吉『司法官の戦争責任』)
 横浜事件再審請求過程で、最高裁が正義を貫く機会は3度あったが(第1次〜3次)、3度とも自らの責任に背を向けた。

憂うべき裁判所とジャーナリズム
 放送番組への政治家、右翼の介入、ビラ配布弾圧など、言論・表現の自由への乱暴な侵害がつづいている。NHK番組改変事件(01年)訴訟において、報道の自由と編集権について見事な判断を示した東京高裁判決を、最高裁は低次元の論理で逆転させた。葛飾ビラ配布事件裁判における、良識的、良心的無罪判決(横浜事件今次決定と同じ大島裁判長)を東京高裁が台無しにし、最高裁がこれを追認した。「憲法の番人」ではなく、「権力の番人」というべきありさまである。
 このような最高裁の在り方を、高い見識をもって検討し、批判していくべきジャーナリズムの貧困もまた憂うべき状態にある。番組改変事件訴訟において、最高裁判決に迎合する社説が少なくなかった。

過去の克服から、未来をめざし
 今次決定によって、5名の横浜事件被害者への補償が実現した。治安維持法被害者への補償は、これが初めてであろう。治安維持法による被検挙者は、官庁統計によっても10万人に近い(国内約7万、朝鮮半島約2万6000人)。被害実態はさらに大きいはずである。今次決定を一つの手がかりに、治安維持法が希代の悪法であったことを国家が宣言し、これらすべての人への謝罪と補償を行うことを実現させていかねばならない(68年の結成以来、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟はこの運動をつづけている)。
 もちろん壁は厚い。日弁連(日本弁護士連合会)は戦時下、朝鮮人差別の実態を手紙に書き、朝鮮独立を口にして治維法有罪判決を受けた人の申し立てにもとづき、05年2月2日、総理大臣に謝罪と補償の実施を勧告した。これに対する法相の回答は、当時、治維法は適法に制定された。従って救済や謝罪は考えられない≠ニいうにべもないものであった。過去の「国家の悪事」について、これを合理化するか、あるいは黙殺するかが自公政府までの歴代政府の姿勢であった。
 だが、この姿勢は、世界の流れの中で遅れたものになりつつある。07年末、スペインでは内戦及びフランコ独裁時代における政治的、思想的理由によるすべての刑罰、制裁の根本的不当性を認めること(第2条)を前提に、広範な人権回復と補償をめざす「歴史の記憶法」(略称、07年末成立)が出発した。ドイツでは09年9月、ナチス不当判決取消法の第2次改正法が成立した。政治、軍事、人種、宗教、世界観にもとづくナチス裁判判決をすべて取り消す法律が98年3月に出来たが、このとき、軍事裁判における「戦時反逆者」は含まれないことになった。戦時下における軍隊内反逆は、同僚兵士や一般市民の危険を招くという保守派の俗論によるものであった。戦争に対する抵抗者として顕彰されるべき人が除外されていたのである。除外を取り消す第2次改正によって、この法律の画期性はより包括的で強固なものになった。
 近隣の韓国では「真実・和解のための過去史整理委員会」(05年)の活動などが進められている。チリ、アルゼンチン等で、軍政時代の「悪業」、残虐行為の数々が調査され、広範な人権回復の道がひらかれはじめている。過去の事実の認識の共通化↓責任の明確化と謝罪↓補償↓和解と協力が世界の大道になりつつあるのである。従軍慰安婦、強制連行、原爆被害、大空襲被害……国内外における国の責任によって起こったすべての惨禍に対し、誠実に対処していって、初めて日本はアジアにおいて、世界において、尊敬される「名誉ある地位」を得ることになるであろう。
 (はしもと・すすむ 元『中央公論』次長、元日本ジャーナリスト会議代表委員)
 ◇
「横浜事件・再審裁判=最終報告集会」
 日時 3月27日(土)午後1時半〜4時、東京・全水道会館(都営三田線・JR水道橋駅下車)。今次決定の意義=佐藤博史主任弁護人、再審裁判の歴史的意味=大川隆司弁護団長、申立人あいさつ=小野新一、齋藤信子。支援する会事務局рO3(3291)8066
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2010年02月23日,「赤旗」) (Page/Top

不屈の姿勢に思い/小樽では音楽と講演の夕べ

 小林多喜二をしのぶ「小樽多喜二祭音楽と講演の夕べ」が20日、小樽市で開かれ300人をこえる参加者が不屈のたたかいに思いをはせました。
 岩波文庫『小林多喜二の手紙』を編集した小樽商科大学の荻野富士夫教授が「世界を思う心と女をおもう心」と題して講演。手紙やメモを紹介して、社会の変革を求める具体的な行動と愛する人への共感が、多喜二の中ではつながっていたことを説明しました。
 ソプラノ歌手の清水紫さんは「赤き花燃ゆ」など4曲を熱唱しました。
 参加した札幌市の女性(47)=教員=は「多喜二が殺された当時と違い、今は日本国憲法があります。周りの人と励まし合いながら、多喜二に恥じない生き方をしたい」と話していました。
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2010年02月23日,「赤旗」) (Page/Top

多喜二さんは女性を重視=^ノーマ・フィールドさん講演/秋田と大館で集い

 第45回秋田県多喜二祭が20日秋田市で、第31回大館市小林多喜二記念の集いが、21日大館市で開かれました。秋田会場(県生涯学習センター)には、県内はじめ首都圏や岩手県、山形県などから201人が参加、大館会場(市立中央公民館)には多喜二の母方の親せきや市民、青森県などから100人余が参加しました。
 両会場とも、シカゴ大学教授のノーマ・フィールドさんが「小林多喜二―21世紀にどう読むか」と題して講演しました。
 ノーマさんは@文学者として革命家としてA世界を思う心、女を思う心B平和と労働、生命と生活―などを軸に、現在の非正規労働者の声も交えて多喜二文学の魅力を語り、「多喜二さんは、女性を重要視している。地をはうカタツムリのような生活を強いられている女性たちが立ち上がってこそ運動が本物になると考えていた」と話しました。
 盛岡市から参加した女性(36)は「すごい講師だ。幅広く聞かせていただき勉強になった。1年前に日産の派遣切りにあい戻ってきた。『蟹工船』には私と同じだと思う場面があった。今度は『工場細胞』を読みたい」と話していました。
 秋田会場では、2010年県多喜二祭賞の発表があり、田口勝一郎さんと日景健さんが受賞しました。
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2010年02月23日,「赤旗」) (Page/Top

新作DVD/蟹工船(日本、09年)

 小林多喜二の原作を尊重しつつ自由な創意をこらしてSABU監督が映画化しました。カムチャツカ沖の船上で蟹缶作りの過酷な労働を強制される労働者群像。ばらばらだったものが、考えること、力を合わせることを学び、横暴な監督に対して立ちあがる。彼らの作った旗が翻る。―80年前のたたかいが現代に重なってきます。松田龍平、西島秀俊らに迫力があります。
 (東映ビデオ 4935円)
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2010年02月21日,「赤旗」) (Page/Top

多喜二の志継ぐ/没後77年の墓前祭/北海道小樽

 戦前、働く人々の幸福と平和のために活動し、特別高等警察によって虐殺された日本共産党員のプロレタリア作家・小林多喜二の没後77年の命日にあたる20日、北海道小樽市で墓前祭がおこなわれました。
 雪が舞うなか、九州からの参加者など120人が集まり、奥沢墓地にある小林家の墓前で、「インターナショナル」を合唱しながら、赤いカーネーションを献花しました。
 寺井勝夫・小林多喜二祭実行委員長が「昨年の衆院選以降、(国民の)正義を求める変化は広がっている。多喜二ブームも今、こうしてよみがえりをみせていることを考えると、歴史の前進を感じる。しかし、いぜんとして、格差、貧困、社会的不公正などがはびこっている。多喜二なら、『座して待つのではなく声をあげて』というだろう」と主催者を代表してあいさつしました。
 日本共産党北海道委員会から花岡ユリ子道議があいさつ。「多喜二の活動は、現在の私たちにとっても、大きな激励を与えている」と強調しました。多喜二研究家のノーマ・フィールド・シカゴ大学教授からメッセージが寄せられました。
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2010年02月21日,「赤旗」) (Page/Top

野呂栄太郎没後76周年/業績しのび墓・碑前祭

 侵略戦争に反対し、天皇制政府の暴虐とたたかった日本共産党の戦前の指導者で経済学者の野呂栄太郎の没後76周年となる命日の19日、北海道で墓前祭と碑前祭が開かれました。
 野呂家墓地がある札幌市豊平区の平岸霊園で開かれた党道委員会主催の墓前祭では15人が黙とう、献花し業績をしのびました。
 一方、野呂の出身地である長沼町では、小雪が舞うなか、党南空知地区委員会と治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟南空知支部が碑前祭を開催。30人が参列しました。
 党道委員会の青山慶二書記長が「現在は国民の意思によって政治や社会が動く時代」と強調。「野呂の業績を引き継ぎ、『国民が主人公』の新しい時代を切り開こう」とあいさつしました。
 長沼町の戸川雅光町長と相沢昌之教育長があいさつ。戸川町長は「正しいことを言うほど弾圧される社会を二度とくり返さないよう、野呂先生の偉業と時代背景を伝えていかなければならない」と述べました。
 大門みきし参院議員、はたやま和也党参院選挙区候補らのメッセージが紹介されました。
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2010年02月20日,「赤旗」) (Page/Top

東京芸術座「蟹工船」上演に寄せて―/弱者を切り捨てる社会ある限り「何べんでも」/印南貞人

 東京芸術座では劇団創立50周年企画として「蟹工船」をこの3月26日から、東京芸術劇場にて上演します。
 初演は、1968年に小林多喜二没後35年、劇団創立10周年記念として、村山知義演出、大垣肇脚色で上演し、第3回「東京労演賞」を受賞した作品です。
 翌年から70年代に五年間に渡って全国各地の労演、青年鑑賞会で上演されました。

団結の歌として
 この度の創立記念公演にあたっては、約9年間、準備をするのに時間がかかりました。
 上演にあたっての一番の難問は、共に舞台を創り出す、若い俳優たちを結集できるかどうかでした。村山知義の最後の言葉である「演劇運動万才」を理解し、人間を信じ、未来に向かって力強く生きている若者が必要だったのです。
 今、稽古場では80歳のヴェテランから20歳になったばかりの若者、約60名が舞台「蟹工船」に乗船しました。
 村山知義演出の特色を三つほど紹介します。ひとつは、舞台いっぱいに「船」をのせたことです。あとは厳寒のカムチャツカの空と海と波だけです。暴風雨に翻弄される「蟹工船」が舞台で激しく揺れます。ダイナミックな仕掛けがリアルに表現されます。
 第二に、小説「蟹工船」では、登場人物は名をもたない漁夫たちとして、群衆で描かれていますが、演劇として、立体的に一人ひとりをリアルに分かりやすく演出しています。
 第三の特色は、暗い汚いと言われている「蟹工船」の漁夫・雑夫・船員たちが、「生きている人間」として目覚めるシーンです。本当の敵は何かを知る彼らが、ラストの80秒で歌う「ソーラン節」です。原作では附記として書かれていますが、民謡であり労働歌である「ソーラン節」をレジスタンスの歌、団結の歌として、「もういっぺん、もう何度でも」との力強さで描いています。

侵略性と暴力性
 このたびの公演では、「村山知義演出による」を発展させ、現代に蘇らすことが出来るよう、毎日の稽古は「発見」の連続です。
 小林多喜二は「蟹工船」というカムチャツカの海の上という閉鎖された状態の中での事件を描いていますが、特殊な支配者たちが起こした特別な事件として表現しようとしたのではありません。蟹工船は、国策として推進された近代化した事業だったのです。他国を領海侵犯し、ただ同然の「蟹」をとり、搾取しやすい未組織の「オチコボレ」の労働者を暴力で支配し、大企業にのしあがって行くのです。この「蟹工船」の侵略性と暴力性は敗戦を迎えるまで、大陸に全アジアに拡大していったのです。80年前に書かれた作品が、今現在でも世界中で読み続けられる理由がここにあるのでしょう。
 非正規労働者の名のもとに法律によって大企業の横暴を許し、民営化の御旗を振りかざして弱者を切り捨てる社会があるかぎり、私たち東京芸術座は「蟹工船」を上演し続けるつもりです。「何べんでも!!」
 (いんなみ・さだと 演出家)
 
 「蟹工船」〔村山知義演出による〕(東京芸術座・創立50周年記念公演)原作=小林多喜二、脚色=大垣肇、演出=印南貞人・川池丈司。3月26〜30日=東京芸術劇場中ホール。рO3(3997)4341東京芸術座
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2010年02月19日,「赤旗」) (Page/Top

小林多喜二と『蟹工船』に焦点/NHKテレビ「歴史秘話ヒストリア」/24日に放送

 NHKテレビの「歴史秘話ヒストリア」(水、後10・0)では24日に「たったひとりのあなたへ〜蟹工船¥ャ林多喜二の伝言」を放送します。
 「おい、地獄さ行ぐんだで!」。この強烈な書き出しで始まる小説『蟹工船』。過酷な労働現場と人と人がつながりあう強さを描き、現在、日本の若者だけでなく、世界各地でブームを呼び始めています。作品が書かれたのは80年前。作者の小林多喜二は、この4年後、29歳で悲劇的な最期を迎えます。番組は、恋に、人生に、文学に悩む青年・多喜二の知られざる実像を紹介、『蟹工船』に込められたメッセージを読み解きます。
 番組が紹介するエピソード1。小樽の貧しい労働者街に育った多喜二は、親せきの支援を受けて進学、銀行に就職を果たします。エリートコースを歩み始めた多喜二ですが、貧しさのため夜の街で生きる少女・田口たきとの出会いと恋をきっかけに自らの生き方と文学を変えていきます。
 エピソード2。初めて庶民の政治参加が可能になった第1回男子普通選挙。多喜二は、労働者や貧しい農民の立場に立った候補の応援をします。しかし選挙直後、仲間たちと、運動は大きな政治弾圧を受けます。作家として自分にできることは何か、重大な決意のもと『蟹工船』を書き始めます。
 エピソード3。『蟹工船』のヒットで一躍世に出ますが、多喜二へも弾圧の手は伸びていきます。勤め先を解雇され、東京へ活動の場を移しますが、その命は断ち切られます。
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2010年02月19日,「赤旗」) (Page/Top

今月の俳句/刻々/望月たけし

 春を待ちきれずひかりになって発つ
 流氷の群れに多喜二の生きた音
 早咲きの梅の甘味のたいらな日
 刻々の出番下から下から芽
 芽騒ぎの土手あつまってくるげんこつ
 
 もちづき たけし 1939年山梨県生まれ。「道標」「朱夏」同人。新俳句人連盟副会長。句集『青騒』『氷平線』ほか。
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2010年02月18日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟釜石支部が総会

 岩手県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟釜石支部は15日、釜石市で第5回支部総会を開き、18人が参加しました。
 佐藤恵蔵支部長は「国家賠償法の制定を求める請願署名に取り組んでいるが、市民の理解を得るまで困難がある。粘り強く前進させていきたい」とあいさつしました。
 総会は、請願署名を広げることや治安維持法犠牲者や先覚者の顕彰などの活動方針を確認し、佐藤支部長と金崎安子事務局長らの役員を再選しました。
 総会終了後、同盟岩手県本部の牛山靖夫事務局長が「治安維持法と戦前の釜石の活動」と題して講演。三閉伊一揆や釜石鉱山大争議、治安維持法の改悪と弾圧の歴史について紹介し、「誇るべき民衆の歴史と伝統を語り継ぎ、受け継ぎ、前進する力にすること」が重要と強調しました。
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2010年02月18日,「赤旗」) (Page/Top

土方与志没後50年/日本新劇の道を切り開く/250本の舞台/類まれな演出力/菅井幸雄

 小山内薫とともに築地小劇場をおこし、日本新劇の道を切り開いた演出家土方与志の「没後五十年」を記念して、ゆかりの青年劇場が、土方与志演出にもとづく津上忠演出の「三年寝太郎」(木下順二作)を上演しているのは、時宜にかなっている。

新しい創造方法探究できる劇場
 思い起こせば、1923年9月の関東大震災によって、東京の劇場はほとんど焼失してしまった。そのとき土方与志は外遊していたのだが、この知らせを聞いて直ちに帰国し、大阪に疎開していた師・小山内薫のもとを訪ねた。今ならば、歌舞伎や従来の商業演劇とは異なる日本の近代劇と、新しい創造方法を探究できる劇場を建設し、劇団を結成できると訴えた土方与志に、小山内薫は賛同する。
 あわただしい準備を経て、翌1924年6月、わが国ではじめて照明によって無限の空を表現しうるクッペル・ホリゾント(放物線状に湾曲した壁)を設置した「演劇の実験室」築地小劇場をつくったのである。このような先進的な舞台は、演劇界に衝撃を与え、多くの演劇青年が客席につめかけた。

新劇界の第一線活躍する演劇人
 劇団の財政を実質的に支えていた土方与志は、留学中のドイツで体験し、当時のロシア演劇に変革の方法論を学んで、ゲーリングの「海戦」などの表現主義演劇を中心に、演出の仕事を進めていった。そればかりではない。小山内薫が亡くなる2カ月前の1928年10月に改作した近松門左衛門の「国性爺合戦」の演出をも担当している。第2次大戦後の前進座などでの演出をうかがわせる片鱗が、すでにみられるのであった。
築地小劇場は小山内薫の死後、新築地劇団と劇団築地小劇場とに分裂するのだが、土方与志は新築地劇団とともに、活動を展開し、プロレタリア演劇運動にも関わっていった。しかし1933年には、家族とともに日本をはなれるので、築地小劇場での仕事は、足かけ10年という期間でしかない。残念だったにちがいない。
その後8年間にわたる弾圧をさけての海外亡命のあと、1941年帰国、直ちに治安維持法違反で逮捕され、敗戦を仙台刑務所でむかえた。国民新劇場と改称させられていた築地小劇場は、45年3月の東京大空襲で焼失していたので、土方与志は多分野にわたる演劇活動を展開していった。シェークスピア、イプセン、チェーホフ、ゴーリキー作品などの演出をはじめ、伝統演劇の分野にも進出、その類稀な演出力は、生涯250本の作品の舞台に反映された。
さらに、俳優芸術方法としてのスタニスラフスキー・システムの紹介にも力をそそぎ、舞台芸術学院などで、若い演劇人の養成にも尽力した。俳優座の千田是也、岸輝子、東山千栄子、民芸の滝沢修、文学座の杉村春子、それに山本安英、広島で原爆死した丸山定夫など、築地小劇場の出身者が俳優あるいは演出者として、新劇界の第一線で働いていることを考えると、土方与志の功績はいまさらのように大きいといわざるをえない。われわれは、近代演劇の前衛性を文字通り体現した土方与志から、いまもなお学ぶ必要がある。
 (すがい・ゆきお 演劇評論家)
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2010年02月17日,「赤旗」) (Page/Top

若い人に聞いてほしい=^多喜二の生き方紹介/かわえ比例候補囲んで/中野候補参加/三重・亀山、松阪、紀北で

 日本共産党の、かわえ明美参院比例候補は13日、三重県亀山市と松阪市で党後援会主催の新春のつどいに臨み、10日には紀北町でも後援会のつどいに参加し、政治変革への熱い思いを語って多くの聴衆に感銘を与えました。
 亀山市と紀北町のつどいには、中野たけし参院三重選挙区候補も参加して決意を語り、党への支持を訴えました。
 かわえ氏は、新潟県で自民党の牙城の土地改良連と懇談したことなどを紹介して、政治情勢の大きな変化を語り、「政治とカネ」疑惑追及や「派遣切り」をなくすたたかいでの党の真価と役割を強調しました。
 また、小林多喜二の母親セキを描いた三浦綾子の小説「母」の一節を紹介し、「天皇制の暗黒政治のもと、戦争反対、不正は許さないと体を張って訴え続けた多喜二の生き方を引き継いでがんばる」と参院候補としての決意を熱く語りました。
 会場がいっぱいになった亀山市のつどいでは、かわえ氏の熱弁に感動して涙をぬぐう人も多く、初めて参加した30代の女性は「いい話を聞いた。もっと若い人に聞いてもらわないともったいない」と話し、「こんな話を聞かされたら、かわえさんを落とすわけにはいかんやろ」と話す男性もいました。
 漁協組合長や他党の議員らも参加して盛況だった紀北町のつどいでも、かわえ氏の訴えが感動を呼び、「今までいろんな人の話を聞いたが、今日の話が一番良かった」との感想が寄せられました。
 松阪市のつどいに参加した女性からは「とても心に響く言葉だった。今までちゅうちょしていたが、入党しようかと思う」とのメールが、かわえ氏のもとに届いています。
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2010年02月16日,「赤旗」) (Page/Top

活動家の西田信春/福岡で77周年墓前祭

 戦前の日本共産党の活動家・西田信春の没後77周年の墓前祭が11日、福岡市東区の三日月霊園で行われました。主催は治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟福岡県本部。
 党福岡県委員会を代表して比江嶋俊和・福岡市議があいさつ。雨の中、参加者全員が献花し、西田の業績をしのび参院選勝利を誓いました。
 その後、同区香椎で「1933年2・11大弾圧77周年集会」が開かれました。角銅立身会長が主催者あいさつ。堺弘毅副会長が「なぜ大弾圧と虐殺なのか」と題して講演しました。
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2010年02月14日,「赤旗」) (Page/Top

参院選、勝利誓う/西田信春の碑前祭/北海道新十津川町

 戦前の日本共産党員で北海道新十津川町出身の西田信春の碑前祭が11日、顕彰碑のある新十津川町で行われました。
 2月11日は西田が1933年に特高警察の手によって九州で逮捕・虐殺された日です。碑前祭には日本共産党北空知留萌地区委員会、治安維持法国賠同盟北空知支部、日本国民救援会中空知支部の関係者や党支持者など40人余が参加しました。
 主催者を代表してあいさつした女鹿武党地区委員長は「西田が命をかけて活動した時代から、昨年の総選挙を経て歴史が動いていると実感できる時代になっています。来年の碑前祭には、この夏の参院選の勝利報告ができるように頑張りたい」とのべました。
 参加者はカーネーションを献花し黙とうをささげて西田の遺志を受け継ぐ決意を固めていました。日本共産党参院議員の大門みきしさんと紙智子さん(党農林・漁民局長)、党道参院選挙区候補のはたやま和也さんらからメッセージがよせられました。
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2010年02月14日,「赤旗」) (Page/Top

参院選のページ/仁比参院議員感動広げる介護論戦=^弁護士の原点「民衆とともに」

 「現場から要求実現を迫り、政治を動かすのは共産党しかない」。参院選まで4カ月余、仁比そうへい参院議員・比例候補は西日本17県(中四国、九州沖縄)を駆け回り、対話を広げています。
 (佐久間亮)

保険医協会で
 12日夜福岡市。開業医らでつくる福岡県保険医協会、同歯科保険医協会の役員と懇談しました。医療現場に大きな影響を与える診療報酬改定の答申がちょうど出たばかり。冒頭から白熱の懇談になりました。
 「協会のなかにも民主党に対する期待があったが、今回の再診料引き下げには衝撃を受けている。医療崩壊を食い止めているのは地域の診療所やクリニックだ」(歯科保険医協会の杉山正隆副会長)。批判の言葉は鋭いものでした。
 診療報酬4回連続引き下げで地域医療崩壊を招いた旧自公政権。この転換を求めていた医療現場に対し、新政権の回答はゼロにも等しい低い(0・03%増)診療報酬の伸びでした。このなかで現場に衝撃を与えたのが、診療所の再診料引き下げ答申。診療所全体で200億円もの減収をおしつけられることになります。
 懇談の席上、協会から、自公政権時代の診療報酬引き下げや窓口負担増によって開業医の収入は激減し、なかには廃業する人や自殺者まで出ていることが紹介されました。
 答申を手放しで評価する同日付の大手商業紙の夕刊記事にもふれ、「診療所は5回連続の診療報酬引き下げになる。病院の引き上げは当然だが、開業医の収入が多いから、ここから病院の報酬に回すという議論を財務省がふりまいている。これを打ち破るために頑張りたい」と仁比候補。松井岩美・同協会会長は「唯一共産党の新聞だけが、再診料引き下げの問題点を明らかにした記事を継続して載せている。ありがたい」と語りました。

青年のつどい
 前日11日には広島市佐伯区、安佐北区後援会の「新春の集い」に出席し国会情勢を報告。続いて青年との「語るつどい」にも参加しました。
 国会報告では、テレビ中継で大きな反響をよんだ、鳩山由紀夫首相との介護論戦≠フ模様を詳しく紹介。介護の手が届かず心中に追い込まれた事件や、質問のための事前調査で寝たきりの女性(78)を訪ね、節約のため昼も電気を消した真っ暗な部屋で「死んだほうがまし」と涙ぐまれた実情を語りました。
 仁比議員の話に目頭を押さえる人も。最前列にいた30歳の男性は「仁比さんも言葉を詰まらせていたが、自分も涙が出そうになった」と語りました。
 会場を感動させた演説のなかで「鳩山首相は『いのちを守る』と繰り返すが、言葉をむなしくしている。福祉の心がすべての人に保障される日本をつくることこそ、政治は一番に取り組まなければいけない」と決意を述べた仁比候補。同じ福祉職場で働く保育士5年目の村上未来さん(25)も「わたしたちの思いや願いを代弁してくれた」と感想を語りました。
 演説直前に日本共産党に入党した小畠和弘さん(46)は「仁比さんの話を聞いて、共産党はやっぱり国民目線でブレない党だと感じた」と確信を深めていました。
 青年との「語るつどい」では、入党を迷っている人が来ていると聞いていた仁比議員はみずからの入党の思いを披露。「相当抵抗した」が、大学の先輩の「世界は解釈するためではなく、変えるためにある。歴史の進歩に人生を重ねよう」との言葉で決意したと振り返りました。
 その場で入党を決めた渡部秀見さん(36)。「いい話を聞かせてもらった。福祉や教育に予算を使う政治に変えたい」と笑顔で語りました。

両親の姿みて
 「生きべくんば民衆とともに。死すべくんば民衆のために」
 仁比議員のモットーです。戦前、民主主義を犯罪として国民の自由を奪った治安維持法に抗してたたかった布施辰治弁護士の言葉です。
 京都大学法学部4年生のとき、仲間たちに「法律を武器にした職業革命家を目指す」と宣言。弁護士として活躍し、2004年の参院選で初当選しました。決意固く、いのちを脅かす政治に敢然と立ち向かってきました。
 北九州市で生活保護申請を拒否され、56歳の男性が餓死した事件。仁比議員は、保護申請を窓口で受け付けない実態を示し、「保護が必要な人の最後の命綱が断たれた」と追及(06年6月)。生活保護抑制目標の撤回など生活保護行政を動かしました。
 新日鉄の強制転勤とたたかう父親の一彦さんと、新日本婦人の会の創立に参加し、命を守る母親運動に駆け回る母親の貞子さんの姿を見て育った仁比議員。「聡平」(そうへい)という名前には、聡明で平和のためにたたかう人間に育ってほしいという両親の願いが込められています。
 水俣病やイタイイタイ病など、大企業による公害事件が続発した時代。仁比議員の弟も公害ぜんそくに苦しみました。「一握りの資本家がみんなを苦しめるのは間違っている」という思いが活動の原点です。
 「国民の苦難をわがものとして、どんな困難があってもたたかうのが日本共産党。貧困がこれだけ広がっているとき、誰もが安心して暮らせる日本をつくるために力を尽くしたい」。政治を前向きに動かす比例5議席の絶対確保へ奮闘しています。
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2010年02月14日,「赤旗」) (Page/Top

小林多喜二をしのぶ/秋田・20、21日/北海道・20日/野呂栄太郎19日に催し


秋田・20、21日/ノーマ教授講師に集い
 「第45回秋田県多喜二祭」(秋田市)と「第31回大館市小林多喜二記念の集い」が20日と21日に、シカゴ大学のノーマ・フィールド教授を講師に迎えて開かれます。各実行委員会には、市民から期待の声が寄せられています。
 県多喜二祭実行委の富樫耕一事務局長によると、電話で「ノーマさんは日本語ができるのですか」「多喜二祭のためにわざわざシカゴから来るのですか」などの質問が多数寄せられ、富樫さんが「できます」「そうです」と答えると、感激の言葉と「参加します」の返事がかえってきます。
 大館市の「小林多喜二をふるさとで読む会」メンバーの長崎恵子さんは、「ノーマさんは私たちの読書会や一昨年の記念の集いに参加したことがあります。楽しみです。たくさんの人に講演を聞いてもらいたいです」と話しています。
 多喜二祭は20日(土)午後1時30分から、秋田市山王中島町の県生涯学習センターで、多喜二記念の集いは21日(日)午後2時から、大館市立中央公民館で、それぞれ開かれます。

北海道・20日
 北海道では、戦前の絶対主義的天皇制の下で不屈にたたかい抜いた、野呂栄太郎と小林多喜二をしのぶ催しが、それぞれ予定されています。
 ◇小林多喜二(1933年2月20日没)の「墓前祭」は20日(土)午後1時半から、奥沢墓地(小樽市奥沢5)で。午後6時からは小樽市民センターマリンホール(小樽市色内)で、「音楽と講演の夕べ」が開かれます。
 「小林多喜二の手紙から」と題し、萩野富士夫小樽商大教授が多喜二の人間性に触れます。清水紫さんのソプラノ独唱も。入場1000円。
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2010年02月13日,「赤旗」) (Page/Top

建国記念の日反対/各地でつどい/神奈川/山梨


神奈川
 「建国記念の日」に反対する神奈川県民の集いが11日、横浜市内で開かれ、約120人が参加しました。
 集いでは、林博史関東学院大学教授が「戦争責任問題と憲法・安保―東アジア民衆の連帯をめざして」と題して講演。戦後日本社会に継続的にまん延する植民地主義・民族差別が、日本の戦争責任を明らかにすることを妨げていると強調しました。また日米安保条約や沖縄問題の根幹にも、この問題があると指摘。日本の戦争責任を「解決」し、東アジアの民衆の連帯にこそ、未来があると述べました。
 会場からは、侵略戦争を美化する自由社の教科書を横浜市が採択した問題、神奈川県教育委員会の「日の丸・君が代」の強制をめぐる問題、治安維持法による弾圧の歴史を反省し、国家賠償を求める運動などについて発言がありました。「『建国記念の日』を廃止する」などとした集会宣言を確認しました。

山梨
 甲府市で11日、「歴史に学び平和を考える2・11山梨県民集会」が開かれ、90人が参加しました。
 山梨高教組(佐藤弘委員長)が事務局となって開いたもので今年で29回目となります。中村政則一橋大名誉教授が「『坂の上の雲』と司馬史観」と題して講演しました。「言論・思想・信教の自由・政教分離の原則を堅持し、世界に誇る日本国憲法の平和主義を活かし、広げていこう」との集会アピールを確認しました。
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2010年02月13日,「赤旗」) (Page/Top

西田信春のあす墓前祭/福岡

 戦前の日本共産党の活動家、西田信春の墓前祭が11日、福岡市で行われます。主催は治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟福岡県本部・同福岡支部。
 1933年2月11日、九州地方の日本共産党と民主勢力への大弾圧で508人が検挙されました。当時の党九州地方委員長の西田信春の消息が絶え、三十数年後、福岡中央署で虐殺されていたことがわかりました。同じ33年の2月20日には東京で小林多喜二と今村恒夫も検挙され、多喜二は虐殺、今村も拷問で重体となっています。
 ◇
 墓前祭の日程は次の通りです。11日(木)午前10時半、JR香椎駅前集合。福岡市営三日月霊園「無縁廟」前で墓前祭。香椎商工会館で集会。参加費2000円(タクシー代、献花、食事代)。問い合わせ=092(713)0144同県本部
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2010年02月10日,「赤旗」) (Page/Top

横浜事件無罪は当然/治維法国賠同盟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟中央本部は9日、横浜事件の「実質無罪判決」(4日)について見解を発表しました。
 見解は、無罪の判断は「極めて当然のこと」とし、「刑事補償請求をしなければ無辜(むこ)の罪をそそぐことができないところに、治安維持法犠牲者に対する現在の司法救済の限界をはっきりと示しています」とのべています。
 判決が、治安維持法の存在自体が人道上許されない悪法であったことに触れていないことを指摘し、国が治安維持法犠牲者全員に対して謝罪と賠償をおこなうよう求める活動を広げる決意を表明しています。
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2010年02月10日,「赤旗」) (Page/Top

横浜事件実質無罪/地裁、5遺族に刑事補償

 戦時下最大の言論弾圧とされる「横浜事件」で、治安維持法違反の有罪が確定し再審で裁判を打ち切る免訴判決を受けた元被告5人の遺族による刑事補償請求に対し、横浜地裁(大島隆明裁判長)は4日、請求通り計約4700万円を交付する決定を出しました。決定は「再審公判で実体判断できたら、無罪判決を受けたことは明らか」と述べ、5人を実質的に無罪と判断しました。
 免訴とされた元被告への刑事補償は初とみられます。横浜事件の司法手続きは、有罪確定から64年余で終結します。
 決定で大島裁判長は事件の経緯を詳細に検討。特高警察による拷問を認定し、元被告が同法違反に問われた共産党再建準備をしたとされる会合について「証拠は存在せず事実と認定できない」としました。
 その上で、確定有罪判決について「特高警察による思い込みや暴力的捜査から始まり、司法関係者による事件の追認によって完結した」と指摘。「警察、検察、裁判所の故意、過失は重大」と結論付け、5人に法定上限の刑事補償を認めました。
 刑事補償法は免訴とされた元被告について、法の廃止や大赦がなければ無罪判決を受けたと認められる場合、刑事補償を交付すると規定。遺族は2009年4〜5月、1人約723万〜約1057万円を請求しました。
 元被告は4次再審請求の元「改造」編集者小野康人さんと、3次請求の元「中央公論」編集者木村亨さん▽元改造社社員小林英三郎さん▽元古河電工社員由田浩さん▽元南満州鉄道社員平舘利雄さん(いずれも故人)。
 それぞれ1945年に有罪判決を受け確定。同年10月、同法は廃止され大赦が行われました。遺族らは「事件はでっち上げ」として再審で無罪判決を求めました。
 再審では、法の廃止と大赦があるため有罪無罪の実体判断はできないとして、免訴判決が08〜09年に確定しました。

横浜事件
 戦時下の特別高等警察(特高)が引き起こした大規模な言論弾圧事件。評論家の細川嘉六氏(戦後、日本共産党参院議員)が雑誌『改造』に執筆した論文が共産主義の宣伝にあたるなどとして、同氏を検挙。同氏が富山県で開いた宴会を「共産党の再建準備」などとでっちあげ、出席した研究者や編集者約60人を治安維持法違反容疑で逮捕しました。うち4人が拷問などで獄死し、三十数人が起訴され、有罪判決を受けました。戦後、元被告が特別公務員暴行傷害罪で告訴した警察官3人の有罪が確定しました。元被告らは1986年以降、順次再審を請求。3、4次請求で再審が開かれ、免訴判決が確定しました。
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2010年02月05日,「赤旗」) (Page/Top

ひと/多喜二祭で自作の叙情歌を歌うソプラノ歌手清水紫さん

 小林多喜二と母セキの思いを歌にした「赤き花燃ゆ」が第42回日本作詩大賞新人賞に入選しました。半年かけて作詞・作曲し、昨年の小樽・多喜二祭で歌いました。
 モーツァルトの歌劇の主役で、1990年にソプラノ歌手としてデビュー。自作の脚本で「ひとり芝居オペラ椿姫」を演じ、日本の叙情歌や童謡などを幅広く歌っています。
 中国残留孤児の母の思いに衝撃を受けて作った「安東(あんとん)の子守歌」を作詞・作曲。以来、「平和の祈りひびき愛コンサート」を開いています。
 映画「小林多喜二」(1974年)では、多喜二文学碑に献花するラストシーンに出演≠オました。自分自身が1児の母親となり、多喜二を思う母セキの自筆文に心を揺さぶられ、詩が生まれました。
 「囚われて こゝろざしを 手折(たお)られぬ 変わり果てたる 姿に母は 多喜二もう一度 立って見せよと」
 「昨年の多喜二祭では感情が入り込み過ぎて泣いてしまいました」。入選詩は、小樽の人たちに感想を聞いて手直ししたものです。
 この「赤き花」には、たくさんの意味を込めました。「これは叙情歌であり、多喜二への鎮魂歌。そして志を受け継ぐ人たちへの応援歌です」
 新しい「赤き花燃ゆ」を歌う小樽・多喜二祭は2月20日午後6時半から、小樽市マリンホールで開催。
 文・写真 小泉健一郎
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2010年02月04日,「赤旗」) (Page/Top

*         1月】(ヘッドライン)

*         生誕100年の相沢良碑前祭/参加者が志継ぐと黙とう/札幌

*         「『韓国併合』100年と司馬遼太郎の『坂の上の雲』を考える初春のつどい」から

*         9条こそ世界の流れ/新潟県革新懇がシンポ

*         治安維持法の犠牲者に謝罪を/標茶町議会で意見書可決

*         百合子研究家宮本寿恵子さん死去

*         治維法国賠同盟の塩釜支部が新年会/宮城

*         潮流

*         高麗博物館で文化講座開催/23日から3回/過去から学び、未来の糧に

1月本文】(Page/Top

生誕100年の相沢良碑前祭/参加者が志継ぐと黙とう/札幌

 治安維持法下の激しい弾圧のもとで、戦争に反対し、働くものの解放のために勇敢不屈にたたかい抜いた女性活動家、相沢良(1910〜36年)の命日にあたる28日、札幌市西区の「平和の滝」近くに設置された事跡の案内板とレリーフ像碑の前で「生誕100年碑前祭」がおこなわれました。(写真)
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部のよびかけに二十数人が参加。「戦争と搾取のない人間平等の社会をめざして生きた相沢良の志を語り継ぎます」と黙とう、献花し、中央本部の宮田汎副会長と道本部の前田大蔵副会長が「北海道の労働運動に大きな足跡を残した女性。体を張って組合再建に全力で取り組みました」とあいさつしました。
 相沢良は共産青年同盟に加盟し、日本共産党の再建に協力。活動に明け暮れ、化粧せず日焼けしてクロさん≠ニ敬愛されました。
 1932年2月、札幌で学習会を組織し、全協札幌準備会を結成。この年の夏から秋にかけて、市内で働く女性労働者とともにおこなったハイキングで、平和や幸福について語り、労働歌を歌ったゆかりの地です。
 紡績労働者として活動中に検挙され、重病の獄中から父への手紙で、「真理は主観でゆがめる事はできない」とつづり、25歳8カ月の短い生涯を閉じました。
 相沢良が生まれた5月15日には「つどい」が予定されています。
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2010年01月29日,「赤旗」) (Page/Top

「『韓国併合』100年と司馬遼太郎の『坂の上の雲』を考える初春のつどい」から


明かされるジェノサイドの実態
 10日に東京の台東区民会館で開かれた「『韓国併合』100年と司馬遼太郎の『坂の上の雲』を考える 初春のつどい」は、会場いっぱいの約100人が参加。午前中の記念講演では、日本ではあまり知られていない植民地支配の実態などが明らかにされました。
 「東アジア共同体と世界の流れ」と題して報告した外交問題研究家の三浦一夫氏は、最近、日本政府も「東アジア共同体」構想を掲げていることに触れ、「大東亜共栄圏の再現」への警戒感などがアジア諸国から表明されていることを紹介。「韓国併合」などに対する日本の「過去の清算」抜きでは、事態は前に進まないと述べました。
 「『韓国併合』100年と司馬遼太郎の『坂の上の雲』」と題して報告した梅田欽治・宇都宮大学名誉教授は、今年が、朝鮮独立を要求した幸徳秋水などの初期社会主義者たちが処刑された「大逆事件」から100年でもあることに注意を促しました。こうした歴史の暗部に触れず、明治を「明るい時代」と描く『坂の上の雲』の問題点とあわせ、作者の司馬氏本人も反対していた映像化にNHKがのりだしたことを批判しました。
 「『韓国併合』100年と近現代史の問題点」と題して報告した姜徳相・滋賀県立大学名誉教授は、本格的な朝鮮近代史研究が日本や韓国で始まったのはようやく1960年代からであったと述べ、日本の朝鮮支配で隠されてきた「ジェノサイド(集団殺害)」の実態を浮き彫りにする、最近の韓国の研究成果を紹介しました。
 日本は甲後農民戦争(1894年)に一方的に出兵して日清戦争を起こし、蜂起した農民軍に対しても討伐戦を展開。殺害された農民は3万人から5万人にのぼると推定され、日本側の資料からも、降伏した農民を銃の台尻で撲殺するなどの虐殺が広範に行われたことがうかがえます。
 日露戦争後にも、各地に広がった義兵の蜂起にたいして日本軍は討伐を行いました。公式統計でも農民の死者は1万7千人を超え、負傷者や捕虜が著しく少ないことも、投降者の虐殺を示唆しています。
 これらの事実を紹介した姜氏は、討伐の最高責任者であった伊藤博文の役割が日本では把握されていないと指摘。「伊藤が生きていたら韓国併合はなかったという人がいるが、そういうことはありえないと思う」と述べました。
 また寺内正毅、斎藤実など、現役陸海軍大将が任命される朝鮮総督の経験者8人のうち5人が、日本で首相に指名されたことも指摘。戦前の日本で「軍事色が強い政府」が続いたことと朝鮮総督府の関係に注意を促しました。
 三・一独立運動(1919年)で日本が行った虐殺に関連し、当時の朝鮮総督府政務総監(水野錬太郎)が、大規模な朝鮮人虐殺が行われた関東大震災(1923年)の時には内務大臣に就任しており、同じく朝鮮総督府警務局長(赤池濃)が警視総監になっていたなど、人脈面でもジェノサイドの構図が再現されていたことを指摘しました。
 姜氏は、関東大震災での戒厳令が大正デモクラシーの軍縮ムードを押し流し、何度も廃案になった治安維持法が成立する流れにつながったと指摘。「植民地をもったことで自分たちの歴史がどうねじ曲げられたか。韓国史だけではなく日本史もねじ曲がったんだと、そういう視点で植民地問題を考えることが大事だと思います」と結びました。
 (清水博)
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2010年01月26日,「赤旗」) (Page/Top

9条こそ世界の流れ/新潟県革新懇がシンポ

 「平和と民主・社会進歩をめざす新潟県の会」(新潟県革新懇)は16日、新潟市でシンポジウム「世界の新しい潮流の中で日本国憲法は」を開き、60人が参加しました。
 パネリストは、川村俊夫氏(憲法会議代表幹事)、鶴巻大陸氏(加茂市9条の会代表)、宮下茂幸氏(素粒子物理学者)、コーディネーターを高橋武昌氏(亀田9条の会事務局長)が務めました。
 海外開発援助に長年従事してきた鶴巻氏は、改憲派などから日本だけが平和貢献でいいのかとの批判が出されているが、実際は経済援助やNGOの支援活動が発展途上国の人々には喜ばれていると紹介。人質交渉人が武器を持たずにいなければ交渉が成り立たないのと同じように、自国が武器を持たず交渉してこそ説得力を持つことを例示しながら、9条のように戦力を持たない理想に近づける努力をするべきだと強調しました。
 川村氏は、世界で軍事同盟をやめて平和のための地域共同体が広がっているのに、日米安保条約が続いている異常な状況や、侵略戦争をいまだ真に反省せず、従軍慰安婦や治安維持法犠牲者などへの謝罪・賠償や人権問題でも憲法を守っていない状況を批判。憲法を生かして輝かせるために草の根の運動を呼びかけました。
 宮下氏は、日本に民主主義が確立できない重要な要因に完全比例代表でない選挙制度の問題を指摘しました。
 主催した新潟県革新懇の滝沢豊秋事務局長が「今年は革新懇の出番。多彩な『人財』が会に共感し、共同の条件が広がっている。新たなスタートを切りたい」と訴えました。
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2010年01月19日,「赤旗」) (Page/Top

治安維持法の犠牲者に謝罪を/標茶町議会で意見書可決

 釧路管内の標茶町議会はこのほど、「治安維持法犠牲者に国家賠償法の制定を求めることについての陳情」を賛成多数で採択、「治安維持法犠牲者に謝罪し、賠償を行うこと」「犠牲者の実態を調査し、その内容を公表すること」など4項目を要請する意見書を可決し、国の関係機関に送付しました。
 陳情は、昨年6月に治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟釧路支部と同支部の羽田光雄氏が提出し、11月の町議会総務委員会で、「採択すべきもの」とされていました。
 保守系議員のなかには、「町には関係ない」などの意見もありましたが、日本共産党の深見すすむ議員らの粘り強く丁寧な討論のなかで賛成の議員も増え、意見書は9対5(欠席1)の賛成多数で可決されました。
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2010年01月16日,「赤旗」) (Page/Top

百合子研究家宮本寿恵子さん死去

 作家・宮本百合子の研究家であり、故・宮本顕治日本共産党元中央委員会議長の妻の宮本寿恵子(みやもと・すえこ)さんが4日、亡くなりました。89歳でした。近親者で密葬を行いました。
 大森寿恵子の筆名で、宮本百合子の作品評と評伝にかんする数多くの論稿を発表。代表作として、新日本出版社刊『宮本百合子全集』の各巻の解題、著書『若き日の宮本百合子―早春の巣立ち―』、編著書『写真集 宮本百合子』など。多喜二・百合子研究会運営委員。
 1948年日本共産党に入党。連絡は日本共産党中央委員会厚生部。 
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2010年01月11日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟の塩釜支部が新年会/宮城

 宮城県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟塩釜支部は9日、恒例の「新年会」を塩釜市内で開き、約20人が参加しました。相原君雄支部長が新年のあいさつを行い、県本部の根本京子事務局長と天下健日本共産党塩釜地区委員長が来賓あいさつしました。
 八甫谷実顧問の音頭で乾杯を行い、なごやかに交流が行われ、参加者全員から決意が語られました。参加者の発言で、2010年は、「韓国併合・大逆事件100周年」「レッドパージ弾圧事件60周年」「安保条約改定50周年」そして「治安維持法成立85周年」という重要な事件の節目の年≠ナあるとともに、21世紀を展望する参議院選挙の年≠ナあることを腰に据えて、国賠同盟の役割を自覚した運動を取り組もうという決意を固め合いました。最後に斎藤規夫副支部長が閉会のあいさつをしました。
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2010年01月13日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 ことしも、潮流子あての年賀状や新年あいさつを数多くいただきました。どなたのお便りにも、ひざを打ったり胸をうたれたり▼「〔か〕カブ(株)を買ったらゼロ/大根買ったら五%」。「五%」はもちろん、消費税です。消費税をなくす全国の会の「ノー消費税」1月号に載る、2010年新春カルタの一つです▼なるほど。買った株を売って得たもうけにかける税も大まけしているのですから、わが国の税のゆがみは放っておけません。「会」の年賀状に、「赤旗の皆様のますますのご活躍を…」とありました▼「たゆまざる歩みおそろしかたつむり」。東京都日野市の日野社会教育センターの、「スマイルタウン」元日号が紹介している俳句です。作者は、彫刻家の北村西望さん。ある日北村さんが、制作中の長崎・平和祈念像の仕事を終え足場から降りると、台座にカタツムリがはっていました▼翌日、足場を上ると像の上に昨日のカタツムリ。わずかな歩みでも時がたてばこんなに進めるのだと感動し、詠みました。カタツムリのようにのんびりできないけれど、着実に大事な仕事をなしとげたいと思わずにはいられません▼「死ぬ日まで天を仰ぎ/一点の恥なきことを/…今宵も星が風にふきさらされる」。作者は朝鮮の詩人、尹東柱です。留学中の京都で治安維持法違反で捕まり、1945年に獄死しました。27歳。ある読者の賀状は、詩を引用しながら記します。「その倍以上を生きてきた私たち、彼らの思いを胸に刻んでいく年に」
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2010年01月10日,「赤旗」) (Page/Top

高麗博物館で文化講座開催/23日から3回/過去から学び、未来の糧に

 東京都新宿区の高麗博物館が、「2010高麗博物館の文化講座〜鎮魂のおもいこめ 語り・舞い・うたう」を23日から3回開きます(会費は各回とも1700円)。この講座は、2010年の韓国併合100年を節目として、過去から学び、未来への糧となるような場を≠ニ企画されたものです。
 第1回の23日と第2回の2月6日は、「朝鮮人軍夫の沖縄日記」を俳優・演出家の愛田巡也さんが朗読します。この日記は、日本軍に徴用され、沖縄で弾薬・食料の運搬や陣地構築に従事した朝鮮人の男性が、毎日の出来事をたばこの空き箱につづったものです。23日には、韓国舞踊家の趙寿玉(チョスオク)さんが、韓国伝統舞踊「鎮魂の舞」を披露し、6日には、長年、戦後補償裁判を担ってきた青柳敦子さんが、沖縄戦への朝鮮人の動員について話します。
 2月27日は、「自分のことば(朝鮮語)に殉じた詩人尹東柱(ユンドンジュ=写真)」と題したワークショップです。
 韓国で国民的詩人として知られる尹東柱は、1942年に日本へ渡り、立教大学と同志社大学で英文学を学びました。母国語のハングル(朝鮮語)で詩や日記を書き続け、43年7月に治安維持法違反容疑で逮捕されて福岡刑務所へ送られ、45年2月、27歳で獄死しました。
 命を懸けて母国のことばを守り抜いた詩人の人生にふれながら、音楽にのせて参加者全員で群読します。演奏は、全国各地で、多くの舞台音楽を手掛けてきた岡田京子さんで、今回のワークショップ用に、「新しい道」、「星を数える夜」、「たやすく書かれた詩」などの作品のイメージにあわせて曲をつくっています。
 朗読の指導は、元教科書編集者の野上龍彦さん。野上さんは、1990年、詩人・茨木のり子著『ハングルへの旅』の最終章「尹東柱」を高等学校の国語検定教科書に掲載し、現在は、尹東柱の詩を「日本の若い世代に広めたい」と活動中です。
 申し込み・問い合わせ=高麗博物館рO3(5272)3510、新宿区大久保1の12の1第2韓国広場ビル7階、月・火曜休館
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2010年01月08日,「赤旗」)

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