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2011年活動および関連情報】

 

【1月】 【2月】 【3月】 【4月】 【5月】 【6月】 【7月】 【8月】 【9月】 【10月】 【11月】 【12月】

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*  12月】(ヘッドライン)

*         解説/秘密保全法案/米政府要請に応えるもの

*         読者の文芸この1年/川柳/森村美花/心の通い合いを確信

*         治安維持法/国は賠償を意見書可決/石川・かほく市議会

*         治維法国賠同盟/秋田市で学習会

*         治維法国賠同盟札幌支部25年記念し講演会

*         11回顧/文学/3・11戦争に向き合う/たたかう労働者・青春像に挑戦

*         宮城・塩釜で開戦70年講演/治維法国賠同盟

*         多喜二虐殺と太平洋戦争/小樽で講演

*         戦中の弾圧事件/札幌で学習会

*         太平洋戦争開戦70年/戦争、繰り返さない/仙台/北海道岩見沢/岩手・釜石

*         国公法による弾圧許すな/滋賀県共闘会議を結成

*         二度と戦争させない/開戦70年で各地で訴え/北海道/青森/秋田/岩手/宮城/福島/山形

*         アジア・太平洋戦争きょう開戦70年/共産党以外「バスに乗り遅れるな」/全政党が大政翼賛会に合流

*         「新潟出版文化賞」/なかむら氏優秀賞

*         月曜インタビュー/女優高畑淳子さん/「欲望という名の電車」で主演/時代に合わせられない女性を

*         アジア・太平洋戦争70年/「共産党を押さえつけたこと悔やまれる」/海軍大将が述懐

*         レッドパージ/歴史の汚点ただす/関西勤労協・保存する会、学習会開く

*         横浜事件再審裁判資料3部作の刊行に寄せて/荻野富士夫

*         秋田・湯沢で学習会を開く/治維法国賠同盟

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*  12月本文】(Page/Top

解説/秘密保全法案/米政府要請に応えるもの

政府の「秘密保全法案」は、1985年に国民の強い反対により廃案となった「国家機密法案」よりも広範な情報(防衛、外交、治安など)を国民から隠すものです。軍事優先で、知る権利や言論・表現の自由、取材の自由、プライバシー権など人権を侵害し、民主主義を破壊する重大な危険があります。
 「防衛秘密」の漏えいを「懲役5年以下」(自衛隊法)から日米相互防衛援助(MDA)協定秘密保護法に準拠して「10年以下」に引き上げるのは、米政府の要請に応えるためです。米政府は再三にわたり日米共同作戦や武器や装備に関する機密情報を保護する法律の立法化を露骨に要求してきました。
 戦前の軍機保護法、治安維持法、国防保安法などを見ても、侵略戦争と表裏一体の秘密保護法によって、多くの国民が弾圧された歴史を忘れるわけにはいきません。「秘密保全法案」は廃案にすべきです。
 (松田繁郎)
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2011年12月31日,「赤旗」) (Page/Top

読者の文芸この1年/川柳/森村美花/心の通い合いを確信

 全国はひとつで作句され、寄せられる川柳を、毎回わくわくする思いで拝読しました。政治への怒りを共有し、川柳を通じて心が通い合っていることを確信し、楽しく勉強させていただきました。

 失敗も長い月日のまわり道     福岡重人
 わが人生まよいつづけて古希近し  高垣須賀子
 古希傘寿二人で歩んだ五十年    増田和幸
 前むきに人生を歩んで、ほっと気がついたら、もう残りが少なくなっている。しかし自分が歩んできた道に悔いはない。穏やかな気持ちで残りの人生も有意義に過ごしたい。そんなぬくもりを感じる佳句3句です。

 うどん食う息子の背なに見る不安  松本としこ
 寝に帰るだけの息子に雨の音    (同右)
 就活に疲れ靴底じっと見る     小川仙太郎
 若者の厳しい現実を見つめる親の切ない気持ちが痛いほど伝わってくる3句。若者には希望と夢を持ってのびのびと生きてほしい。それを保障するのは政治の力ではないのか、と。

 東北の鎮魂込めた夏祭り      前川善之
 骨のない墓さらに増え彼岸     小川仙太郎
 瓦礫なんて言わんでよ家だったのよ 三浦一見
 子や孫に今年来るなという無念   (同右)
 3月11日に起きた大震災。今なお仮設住宅に住んでいる人にとって東北の寒さはいかばかりか。遅々として国の対応がはかどらないことへのいら立ちが込められます。

 増税をします長生きしないよう   小室ひろし
 生きるとはコツンと朝の玉子割る  中田瑞穂
 仕事来い社長が一人電話待つ    山根 智
 情景が目に浮かび、怒りと寂しさが心に届きます。川柳のユーモアと穿ち。

 いっぱいの願いを背負うランドセル 松本としこ
 凍て土を割って光のふきのとう   加藤幸太郎
 小樽には多喜二の蒔いた光生き   有田 肇
 夢と希望を積んで春の光が届きます。新しい年も健やかに川柳で世論を起こし、楽しい風刺で明るく生きていきましょう。
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2011年12月27日,「赤旗」) (Page/Top

治安維持法/国は賠償を意見書可決/石川・かほく市議会

 石川県かほく市議会は21日、治安維持法犠牲者に対する謝罪と賠償などを定める「治安維持法犠牲者国家賠償法(仮称)」の制定を国に要望する意見書を全会一致で可決しました。同様の意見書の採択は1997年に津幡町議会が採択して以来、県内では14年ぶり。
 意見書は、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部が提出した陳情書が総務常任委員会で採択されたのを受け、本会議に提出されました。
 国賠同盟県本部によれば、同様の意見書が全会一致で可決されるのは全国的にも珍しく、県本部は「全国の運動を大きく励ますものだ」としています。
 県本部の北口吉治会長は「かほく市は反戦川柳作家として活躍し、治安維持法違反で弾圧された鶴彬(つるあきら)の生誕の地であり、住民を挙げて彼の半生を振り返る映画制作に取り組んだことも意見書採択の後押しになったのではないか」と指摘。「今後も県内の他自治体に意見書採択の働きかけを行いたい」と話しています。
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2011年12月27日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟/秋田市で学習会

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟秋田県本部は秋田市内で22日、常任理事会を開き、最上健造前日本共産党秋田県委員長を講師に「歴史的岐路に立つ政治情勢と同盟運動の意義と役割」について学習会を開きました。
 最上氏は、二大政党づくりの破綻、新たな政治への国民の探求と日本共産党との共同の広がり、歴史的岐路に立つ日本の政治状況など豊富な資料を活用しながら解明し、情勢の大局をしっかりつかんで意気高く活動するよう呼びかけました。
 学習会では、われわれの奮闘が「情勢の大激動にふさわしいものとならなければ、反動的逆流によって日本の前途が閉ざされる危険もある」との指摘と同盟運動の役割をめぐって活発な討議が交わされました。
 5月の国会要請にむけた団体署名目標670、個人署名目標2万4600を達成するため、「会員1人20筆」の署名運動の推進や、5月の県本部第23回定期総会までに会員自主目標を達成することなど、当面の諸課題を決めました。
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2011年12月27日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟札幌支部25年記念し講演会

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟札幌支部(中出玉枝支部長)は17日、支部結成25周年を記念して講演会を行いました。
 さっぽろ法律事務所の高崎暢弁護士が「今、憲法を語る」と題し講演。55人が参加しました。
 高崎氏は「野田佳彦首相は以前から、自ら憲法制定論者と公言してきました。5月に参院で憲法審査会の規定が成立し、先月、衆参の憲法審査会が相次いで初審議を行いました。民主党憲法調査会も復活し、改憲論者の前原誠司会長は来年3月までに結論をまとめると述べました。『96条改正議連』の発足、改憲反対の党を減らす狙いの比例定数削減論議、大震災を口実に緊急事態規定を盛り込むために改憲をという自民党など、改憲の動きが進んでいます」とのべました。
 高崎氏はさらに、民主党政権下で作られた「新防衛計画大綱」にいう「動的防衛力」の狙いは、平事から軍事力をぎらつかせる防衛政策で、「外交で問題を解決する考えのないもの」と指摘。北海道の戦車を九州に移動させて南西諸島防衛の動きを示したり、集団的自衛権の行使や海外での武器使用権限の拡大、武器輸出三原則見直しなど危険な動きが強まっている、これらに関連して野田内閣は来年には「国家秘密保護法」を国会に出すことを目指しているとして、「戦前のように国が市民生活を監視し発言の自由を奪う危険な社会になる」と強調しました。
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2011年12月21日,「赤旗」) (Page/Top

11回顧/文学/3・11戦争に向き合う/たたかう労働者・青春像に挑戦

 「静かな怒りが、あの原発事故以来、去りません。」と川上弘美は『神様 2011』(講談社)のあとがきに書きました。川上は寓話的な1993年のデビュー作を改作。3・11以降自分たちの日常がどんなに変化してしまったのかを「静かな怒り」をこめて書いたのです。

原発推進へ抵抗
 大江健三郎、澤地久枝、鎌田慧ら文学者たちは、原発をなくす運動に積極的に参加しています。大江健三郎が9月19日の「さようなら原発集会」で、原発推進の動きに対して、「わたしらはそれに抵抗する意志を持っている」と6万人の人々に語りかけたことは、文学者の発言として注目されました。この集会には多くの作家たちが個人として参加したと聞きます。3・11に対して文学者たちが真剣にむきあっています。池澤夏樹、玄侑宗久なども積極的発言を続けていますが、これが日本文学の新しい転機になることを期待したい。
 沖縄在住の作家である大城立裕『普天間よ』(新潮社)は、戦争を題材にした短編集の最後に書き下ろしの表題作をおきました。「沖縄ではいまだに戦争が終わっていない、との隠喩に見えなくもない」とあとがきで書いています。普天間基地移設問題で揺れる沖縄で、大城は過去の戦争と今の戦争を、沖縄に住む人々の思いを重ねて描きました。米軍基地も戦争も人間にとって不要のものであることを強く訴えかけます。
 『コレクション 戦争と文学』(集英社)は「ヒロシマ・ナガサキ」「日清日露の戦争」などを配本し、今月は「日中戦争」でした。戦争を告発する作品ばかりではありませんが、膨大な作品群が示すのは日本の文学がいかに戦争と向き合ってきたか、逆にいうと日本は戦争という時代を抜きに語れない歴史をもっているということです。帚木蓬生の30人の軍医の体験を描いた『蝿の帝国』『蛍の航跡』(新潮社)もまた、そのことを裏付けています。

時代をひらく姿
 長編作品では田島一の『時の行路』(新日本出版社)が、たたかう群像を日本共産党の姿とともに描き出しました。たたかいにたちあがっている労働者のなかにこの本がひろがっていることなど、民主主義文学運動の一つの成果といっていいでしょう。柴垣文子の『星につなぐ道』(新日本出版社)もまた、日本共産党へと合流し時代をひらいていく青年たちを描き印象に残ります。青木陽子「雪解け道」、能島龍三『夏雲』と60年代の青春が書かれてきましたが、これまであまり描かれてこなかった、この時代の青春を描く文学に民主主義文学の書き手が挑戦し、一つの流れになってきていることに、エールを送りたいと思います。
 (牛久保建男)

★私の選んだ5点
■宮本 阿伎   (文芸評論家)
・田島一『時の行路』(新日本出版社)
・小林セキ(述)『母の語る 小林多喜二』(新日本出版社)
・大城立裕『普天間よ』(新潮社)
・川上弘美『神様 2011』(講談社)
・岩橋邦枝『評伝 野上彌生子 迷路を抜けて森へ 』(新潮社)

■乙部 宗徳   (文芸評論家)
・大城立裕『普天間よ』
・川上弘美『神様 2011』
・竹西寛子『五十鈴川の鴨』(幻戯書房)
・竹本賢三『蘇鉄のある風景』(新日本出版社)
・田島一『時の行路』
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2011年12月20日,「赤旗」) (Page/Top

宮城・塩釜で開戦70年講演/治維法国賠同盟

 宮城県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟塩釜支部は10日、アジア・太平洋戦争開戦70年にあたり、塩釜市公民館で講演会を開きました。
 日本共産党元宮城県委員長の本田勝利氏が「国民はどのように戦争に捲(ま)き込まれてきたのか」と題して講演し、40人が参加しました。
 本田氏はアジア・太平洋戦争を「31年の柳条溝事件から満州事変、そして日中戦争を含む15年戦争の視点で考えることが大切」と指摘し、「戦争推進のため制定された治安維持法の最初の適用は朝鮮における独立運動家や朝鮮共産党への弾圧であった」ことを紹介しました。
 「日本においても戦争反対運動への弾圧に次ぐ弾圧が繰り広げられ」「国家のすべての人的・物的資源を政府が統制・運用できる国家総動員法によって国民を戦争に駆り立てていった」と告発。現在の安保条約のもとでも新ガイドライン策定をはじめ周辺事態法、国民保護法制定、自衛隊情報保全隊による国民監視の動きなど見逃せないことが進行していることを指摘しました。
 その上で、戦前の教訓を踏まえ、いまこそ日本国憲法の平和・民主条項を生かすことがますます重要になっていると強調しました。
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2011年12月15日,「赤旗」) (Page/Top

多喜二虐殺と太平洋戦争/小樽で講演

 北海道小樽市でこのほど、「太平洋戦争を語る夕べ」(日本共産党小樽後援会とおたる平和展実行委員会主催)が開かれ、58人が参加しました。
 荻野富士夫小樽商科大学教授が「多喜二虐殺と太平洋戦争『母の語る小林多喜二』から見えるもの」と題し講演。多喜二の母・セキさんが多喜二の思想について「自分の息子を信ずる如(ごと)くその思想も信じていた」ことや、戦争については「今度の終戦に伴って思想も、言論も、出版も総(すべ)て自由になって、何らの拘束も裁判も受けなくなった。これで多喜二も土の中から明るい陽(ひ)を浴びて芽を吹き出したことになり、私どももホーッと長い息をついたことになる」と語ったことを紹介しました。
 荻野教授は、公表されている著書・資料・統計を用いて、戦争の恐ろしさと残酷さを紹介し、「決して戦争を起こしてはならないことを若い世代に伝えていかなければならない」と訴えました。
 日本共産党の菊地よう子道政相談室長が来賓あいさつを行いました。
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2011年12月14日,「赤旗」) (Page/Top

戦中の弾圧事件/札幌で学習会

 北海道高校退職教職員の会札幌支部はこのほど、「レーン・宮澤事件」についての学習会を開きました。同事件は1941年12月8日の開戦の朝、北海道大の学生だった宮澤弘幸さん、北大講師の米国人レーン夫妻ら10人が、スパイ活動をしたとして軍機保護法、陸海軍刑法違反で逮捕された事件。同法にかかわって全国で179人が検挙されました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部の宮田汎会長を講師に、DVD「レーン・宮澤事件 もうひとつの十二月八日」を観賞しました。
 宮田会長は「9日以後は『非常措置』として、でっち上げた被疑事件や『反戦、反軍をなすおそれある』者を予防拘禁、拘束などで396人が捕らわれました。道内では49人が検挙され3人が獄死。思想弾圧と戦争は一緒にやってきた」と語りました。
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2011年12月11日,「赤旗」) (Page/Top

太平洋戦争開戦70年/戦争、繰り返さない/仙台/北海道岩見沢/岩手・釜石

君が代強制で最高裁を憂う/仙台市で集い
 アジア・太平洋戦争が始まって70年の8日、「ふたたび戦争をくり返さない集い」が仙台市で開かれました。
 宮城教育大学名誉教授の中森孜郎氏が「君が代強制をめぐる最高裁判決と『橋下流』行政がもたらす憲法と教育の危機」と題して講演し、60人が参加しました。
 主催した宮城・革新懇の常任世話人・川端純四郎氏は、大阪市長選はナチス・ドイツのヒトラーを想起させると述べ、「民意形成の重要な要素の一つである教育の問題を本気で検証する必要がある」とあいさつしました。
 中森氏は、「天皇主権時代の『君が代』が、いまだに歌われることは異常なことだ」と述べ、戦後教育の変遷を詳しく解説。「君が代・日の丸」強制を合憲とする最高裁判決が相次ぐ現状を憂い、「憲法の番人たる最高裁が役目を果たしていない」と批判し、国民審査で民意を示すことを呼びかけました。
 大阪の橋下流「教育改革」の元ネタがイギリスのサッチャー元首相の「教育改革」だと述べ、過度の競争で学校が疲弊したイギリスの現状を紹介。フィンランドの教育を対置し、本質や原理を探求する学習の大切さを強調しました。
 会場からは、沖縄・八重山の教科書採択問題についての質問などが出されました。

北海道岩見沢/6団体が宣伝
 北海道の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟南空知支部は8日、「平和憲法を守る岩見沢市民連絡会議」にも訴えて、岩見沢市のスーパー・トルタ前で6団体10人が宣伝を行いました。
 上田久司岩見沢市議、連絡会議の佐藤重夫さん、千石信弘国賠同盟南空知支部長が演説をしました。
 千石さんは「戦没者は旧北村で175人、旧栗沢で382人、岩見沢で815人、合わせて1372人もいました。いかに戦争は多くの犠牲者を生んだか。二度と戦争は許してはなりません」と訴えました。

岩手・釜石で平和のつどい
 岩手県釜石市の「釜石・平和のつどい」が8日開かれ、15人が参加しました。同実行委員会が主催。
 実行委員長の前川慧一氏(釜石市平和委員会会長)があいさつし、平和運動の情勢と釜石地域の課題についてのべました。
 参加者は、原発事故を取り上げたDVD「放射線内部被曝(ひばく)から子どもを守るため」を見ました。
 「改めて、原発事故の恐ろしさがわかった。原発ゼロの運動が大切だ」「福島から離れているので関係がないと思っている人が多いが、放射能汚染の測定を強化しなければ、とても安心できない。子どもたちがかわいそうだ」などの発言が続きました。
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2011年12月10日,「赤旗」) (Page/Top

国公法による弾圧許すな/滋賀県共闘会議を結成

 公務員の政治活動の自由を保障するたたかいを前進させ、最高裁で争われている二つの国公法弾圧事件の違憲無罪判決を勝ちとろうと、国公法弾圧反対滋賀県共闘会議が7日、結成されました。
 二つの事件は、休日に「しんぶん赤旗」号外を配布した国家公務員が国家公務員法と人事院規則に違反するとして逮捕、起訴された国公法弾圧堀越事件と世田谷国公法弾圧事件。
 大津市内で開かれた結成総会には、滋賀県国公や自由法曹団、国民救援会、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟などの約50人が参加。最高裁への要請署名2000人分を集めることなど活動方針を決めました。
 代表に選ばれた自由法曹団滋賀支部の玉木昌美支部長(弁護士)は「全国の運動に呼応し、滋賀での取り組みを発展させていこう」と呼びかけました。
 総会に先立つ学習会で、立命館大学の大久保史郎教授が講演。憲法の市民的・政治的自由を守ることなど、国公法裁判の意義について詳しくのべました。
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2011年12月09日,「赤旗」) (Page/Top

二度と戦争させない/開戦70年で各地で訴え/北海道/青森/秋田/岩手/宮城/福島/山形

 「二度と戦争をしない国にしよう」「原発のない国にしよう」―。アジア・太平洋戦争開戦から70年の8日、母親大会連絡会などの民主団体や日本共産党が各地で反戦・平和の声をあげました。

北海道

母親連絡会と女性連絡会
 北海道母親連絡会と自衛隊の海外派兵反対! 憲法の平和原則を守る女性連絡会は、札幌市のパルコ前で赤紙(召集令状)を配り、「二度と戦争する国にさせません」などと訴えました。
 小雪が舞う中、北商連婦人部や新婦人、道労連などの代表がリレートーク。
 「NHKの朝の連続ドラマ『カーネーション』で、主人公の夫に赤紙が来て、家族中を凍えさせる場面がありました」「日本はアジア諸国で強制連行や『慰安婦』徴集、虐殺を行いました」「この反省から日本国憲法をつくりました。この世界に輝く日本国憲法を守りましょう」と道行く人々に訴えました。
 治安維持法国賠同盟も同日、「日本政府は犠牲者への謝罪と賠償を」と訴え、権力によって虐殺された小林多喜二の写真が載ったビラを配りました。
 日本共産党の坂本恭子市議が「党派を超えて、日本が過去に行った戦争行為を考える日にしましょう」と呼びかけました。

党八雲町議団ら
 北海道八雲町の日本共産党町委員会と町議団は、町内6カ所で宣伝しました。
 マイクを握った竹浜俊一町委員長と佐藤智子、横田喜世志両町議は、「戦後66年、自ら戦争を引き起こすことがなかったのは、戦争を放棄した憲法と、国民の世論・運動があったからです」と強調。「日本共産党は戦前、侵略戦争と植民地支配に命がけで反対しました。今後も日本とアジアの平和のために力を尽くし、国民と力を合わせる決意です」と訴えました。

岩見沢で連絡会
 北海道岩見沢市の「平和憲法を守る岩見沢市民連絡会」は、10人が参加して市街地で宣伝しました。
 同連絡会の日本共産党市議団と年金者組合、治安維持法国賠同盟の代表は、天皇制政府と軍部が引き起こした侵略戦争を厳しく批判。「『戦争放棄、戦力の不保持』をうたった憲法九条が輝く平和な日本を築くことを誓い合う日にしよう」と呼びかけました。

青森

 青森市では県母親連絡会と東青連絡会が、集会を開いたほか、県内各地で「赤紙」(臨時召集令状)の配布や、戦争を考える集いを開くなどして、平和を訴えました。
 時々雪が降る中、「青い森公園」で開かれた集会にはおよそ30人が参加。日本共産党の安藤はるみ県議も参加しました。北田文子東青母連会会長、小山内和子県母連副会長が、沖縄の米軍基地、原発などの問題にふれ、「運動をいっそう広げよう」と訴えました。
 福島原発事故の収束、被災地の復興を求めるとともに、核兵器廃絶、基地のない沖縄・青森県、原発からの撤退、TPPに参加反対の声を巻き起こそうという集会アピールを採択。新町をデモ行進しました。

秋田

母親大会連絡会
 秋田県母親大会連絡会は、秋田市など県内各地で、臨時召集令状を裏面に印刷した赤紙ビラを配布しました。
 秋田市中通2丁目の大屋根下通路での行動には、各団体から約30人が参加しました。
 参加者らが、「これが赤紙です。今日は、太平洋戦争開戦70年の日です。この赤紙ビラを家族の話題にしましょう」とビラを手渡すと、高齢の女性が「うちでもこれがきて(出征し)戻ってきませんでした」といって受け取っていました。

湯沢で集会
 秋田県湯沢市の中央公園で、「憲法を守り、戦争をしない、させない12・8湯沢雄勝集会」が開かれました。
 市民ら40人余が参加しました。主催は、同市の「どごぉんまでも平和を」の会や湯沢雄勝母親大会連絡会など10団体で構成する同集会実行委員会(代表・鈴木甚郎同市平和委員会会長)。2006年から毎年、開催しています。
 鈴木代表の主催者あいさつの後、こまち農業協同組合の岩井川光雄組合長があいさつし、環太平洋連携協定(TPP)反対を訴えるとともに、「原発をやめ、自然・再生可能エネルギーを」と表明しました。
 集会後、参加者らは市街地をデモ行進しました。湯沢雄勝母連メンバーらは、行進途中の商店街で、戦時中の臨時召集令状を裏面に印刷した赤紙ビラを配布しました。

岩手

 岩手県母親大会連絡会(渡辺喜代子会長)は盛岡市内で、赤紙を配り、原発からの撤退を求める署名への協力を呼びかけました。
 渡辺会長は、食の安全と子どもたちの命を守るために、原発をやめて、自然エネルギーに切り替える世論を大きくしていこうと訴えました。岩手県医療局労働組合の五十嵐久美子副委員長は「県立病院で看護師として働いている。命を守る仕事に就いた私たちは、命を奪う戦争には反対だ」と力を込めました。
 冷え込むなか、45分間で107人が署名。60歳の女性は「原発はやっぱり怖い。若い人たちのために安全な社会にしていきたい」と話し、28歳の女性=美容師=は「原発の『安全』が覆されて、考え方が変わった」と語っていました。

宮城

 宮城県母親大会連絡会は、平和を訴えるタペストリーやプラカードを持って仙台市の一番町商店街をアピール行進しました。
 行進前の集会で、集まった50人を前に同連絡会の小澤かつ会長は、「野田政権は、消費税増税、TPP(環太平洋連携協定)参加、普天間基地移設を表明しました。私たちは憲法を守る綱引きの力を強めなければならない。また、東京電力福島第1原発事故で、核と人類は共存できないことがハッキリした。いまこそ原発からの撤退の運動を広げていきたい」とあいさつ。
 県内各地で早朝から駅前や商店街、学校の門前などで「赤紙」(召集令状)を配るなど、平和の行動に取り組み、約8000枚の赤紙を配りました。

福島

 福島県でも、県母親連絡会などが県内10カ所で宣伝や集会に取り組みました。福島市では福島駅前通りで、表に「赤紙」(召集令状)、裏に「12・8武器はいらない 核も原発もいらない 平和な未来を、ごいっしょに!」という見出しのビラを配布しました。
 参加者が交代でマイクを握り、第2次世界大戦での惨害を告発し、東京電力福島第1原発事故による原発災害に言及。広がりつづける放射能汚染への怒りを語り、「県内全原発の廃炉」を訴えました。また、「早急な除染と健康調査を継続し、命をはぐくむ福島を取り戻すため、行動する」と訴えました。
 「ふくしまの子どもたちを放射能被害から守るための署名」行動にも取り組みました。

山形

母親連絡会
 山形県の母親連絡会は、県内7カ所で「赤紙」の写しを配布しながら、宣伝しました。
 山形地区と県の連絡会は、山形市役所前で合同宣伝し、11人が参加しました。
 交代でハンドマイクを握り、「多くの女性が『赤紙』で愛する人を奪われました。『赤紙』の写しを手に、ご家庭で平和の意味を話し合ってください」と訴えました。
 30代の女性会社員は「戦争の歴史を忘れてはいけないし、私たちには二度と戦争を起こさせない責任があると思う」と語りました。
 鶴岡市の協同の家「こぴあ」前でも6人が宣伝。「あの戦争がどういうものだったか、しっかりと伝えていってほしい」と参加者に激励の言葉をかけた男性もいました。

治維法国賠同盟
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治維法国賠同盟)山形支部は、山形市内で宣伝と署名行動を行いました。鈴木正晃支部事務局長ら5人が参加。3人が交代でマイクを握り、日本が侵略戦争に突き進むために果たした治安維持法の役割や犠牲者のこと、同盟活動の意義などを話し、「再び暗黒政治を許さないために、犠牲者に対する謝罪と国家賠償を求める署名にご協力ください」と訴えました。
 リーフレットを使っての署名行動では、市内の年配の女性は、「山形第一女学校時代の学徒動員は忘れられない」と署名。若い女性も真剣に話を聞いて、「分かりました」と言って署名していきました。約1時間で63人から署名が寄せられました。
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2011年12月09日,「赤旗」) (Page/Top

アジア・太平洋戦争きょう開戦70年/共産党以外「バスに乗り遅れるな」/全政党が大政翼賛会に合流

 アジア・太平洋戦争を推し進める国内体制を支えたのが、日本共産党以外の全政党が合流した大政翼賛会(たいせいよくさんかい)でした。
 今日、民主・自民・公明の3党が、アメリカ・財界の要求を忠実に実行するために事実上の「オール与党」体制をつくっていることは、「太平洋戦争直前に、日本共産党以外のすべての政党が解散して、戦争推進の大政翼賛会に合流していった歴史を想起させるもの」(第4回中央委員会総会への志位和夫委員長の報告)です。環太平洋連携協定(TPP)参加を求める勢力が使う「バスに乗り遅れるな」というスローガンもそのころ盛んに使われたものです。
 当時、日本共産党は、天皇制政府の厳しい弾圧によって全国的な活動は困難となり、機関紙「赤旗」(せっき)も停刊を余儀なくされていました。しかし、治安維持法で逮捕された党員は獄中でも戦時下の法廷でも、天皇専制と侵略戦争に反対して不屈にたたかいました。
 一方、1940年、ドイツがヨーロッパを席巻すると、日本の政界には、ドイツと手を結んで侵略戦争のための国内体制の強化を進める「新体制運動」が始まりました。日本共産党以外の全政党は「バスに乗り遅れるな」を合言葉に自ら解党してこの運動に合流しました。こうして発足したのが大政翼賛会でした(大政翼賛とは天皇の政治を補佐する意味)。
 大政翼賛会は、産業報国会、大日本婦人会、部落会、町内会、隣組を指導下に入れ、国民のいっさいの民主的自由を奪い、侵略戦争への犠牲を強要する国民統制と動員の機関としての役割を果たしました。
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2011年12月08日,「赤旗」) (Page/Top

「新潟出版文化賞」/なかむら氏優秀賞

 新潟市で4日、第7回新潟出版文化賞の表彰式が行われ、日本民主主義文学会員で「しんぶん赤旗」の連載小説「阿賀野川」の作者、なかむらみのる氏(第29回多喜二・百合子賞受賞)が『信念と不屈の画家 市村三男三(みおぞう)』(光陽出版社)で優秀賞を受賞しました。
 同賞は、新潟県在住者の自費出版図書を対象に地域文化振興に寄与し、独創性に富んでいることなどを基準に選考されます。大賞には『新潟県満州開拓史』(文化社)を出版した高橋健男氏、優秀賞には、なかむら氏ら4氏が選ばれました。
 『信念と不屈の画家 市村三男三』は、新潟県横越出身のプロレタリア美術家・故市村三男三(日本共産党員)の人間像を明らかにし、町主催の「生誕100年記念展」開催までこぎつける様子を描いたもの。
 受賞あいさつで、なかむら氏は「市村三男三が戦争に反対した不屈の画家だったことが分かり、興味が湧いて書いた。記念展が開かれ、自治体の文化振興の手伝いが果たせ感激した」と述べました。
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2011年12月06日,「赤旗」) (Page/Top

月曜インタビュー/女優高畑淳子さん/「欲望という名の電車」で主演/時代に合わせられない女性を

 高畑淳子さん主演で、テネシー・ウィリアムズの代表作「欲望という名の電車」(鵜山仁演出)が、9日から上演されます。高畑さんは、「どれだけ遊んでも飽きない、最高のおもちゃ」と、この芝居の独特の魅力を語ります。

 「女のいやらしさ、ごまかし、うそ、とか、誰しも確かにやった覚えがあるというのが、随所にある芝居です」

崩壊する姿をどう演じるか
 アメリカ南部の都市ニューオーリンズの一角で展開します。高畑淳子さんは、没落豪族の娘、ブランチ・デュボア役を演じます。ブランチは妹の住む家を訪ねます。豪族の娘として暮らしたころのことが忘れられないブランチは、話し方も妹の亭主らとは違います。
 「美しい物に囲まれ、美しい夕焼けを見て、美しい言葉を操って培ってきたものがアダになる。自分を時代に合わせることができなかった女性です。瞬間、瞬間、相手と駆け引きして、今何かが舞台で起こっているということを、いかに出していくか…。けいこで四苦八苦しています」
 「本読み(台本の読み合わせ)の時、膨大なせりふの量にクラクラしました。ブランチを、すべてに絶望した女性≠ニか、精神を病んでいる女性≠ネど固定概念のようなものがあったんですけど、彼女はなかなかタフなんですね。そんなに弱々しければこんなに長く踏ん張らないだろうと思います。ただ、私の場合、気を付けなければならないのは、自分自身の性格は骨太なので、感受性の強い、崩壊していくブランチをどう出していけるかですよね」
 昨年、小林多喜二を描いた井上ひさし脚本の芝居「組曲虐殺」に出演。多喜二の姉チマ役を演じ、舞台に活気を与え成功させました。「『組曲虐殺』の音楽が素晴らしかったです。その音楽を担当した小曽根真さんが、今回の『欲望という名の電車』の音楽を担当して、生演奏してくれます。この舞台の大目玉です。パンパンにうそをついて虚勢を張っているブランチが、ピアノの音がポロンと入ってくると、ガラガラッと、心がもう別の世界に持って行かれる。けいこ場にきて芝居に合わせて音楽を入れてくださっています。素晴らしい音楽で、至福の時を体験しています」

水に匹敵する芝居の大切さ
 長い役者生活の中で忘れられないことは―。
 「30歳ぐらいの時、もう役者はやめようと思っていたところへ、『セイムタイム・ネクストイヤー』という2人芝居に出合いました。加藤健一さんから『稽古場は遊び場なんだよ』と教えていただいて、それからはお芝居が楽しくなりました。舞台『越路吹雪物語』で歌手・越路吹雪さんを支えた作詞家・岩谷時子さんの役を演じ、岩谷さんとお会いしたことも忘れられません。岩谷さんから、その後、『好きな仕事を一生懸命やって、自分が成長することほど、素晴らしい人生はないように思います』と書いた自筆のお手紙をいただきました。この世界に飛び込んでよかったと思いました」
 舞台に対する特別な思いを語ります。
 「大震災後、劇場が休演になったりしました。そうした中で、自分が観客として芝居を見に行き、それが活力になった≠ニ本当に感謝しました。精神がうるおわないと、人生は無味乾燥なものになってしまうと思います。私にとって芝居は、水に匹敵するぐらい必要な物です」
 情熱的な話しぶり。ときに目をうるませたりする様子に、感激屋なんだな、と感じました。
 (大井民生)

「欲望という名の電車」
 出演=高畑淳子、神野三鈴、宅間孝行、小林正寛ほか。9日=埼玉・富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ、15〜25日=東京・世田谷パブリックシアター。рO3(5478)8571劇団青年座

 たかはた・あつこ 1954年、香川県生まれ。女優。桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇専攻を経て、劇団青年座所属。映画は「釣りバカ日誌」など、テレビドラマは「3年B組金八先生」「篤姫」など、舞台は「組曲虐殺」「をんな善哉」など多数。紀伊国屋演劇賞個人賞、菊田一夫演劇賞個人賞など受賞多数。
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2011年12月05日,「赤旗」) (Page/Top

アジア・太平洋戦争70年/「共産党を押さえつけたこと悔やまれる」/海軍大将が述懐

 日本共産党は1922年の創立時から、当時、日本の植民地だった朝鮮や台湾などの独立を求め、中国侵略にも反対しました。
 当時の天皇制政府は28年、治安維持法の最高刑を死刑に引き上げ、国民の自由を厳しく弾圧。日本共産党は、党幹部をはじめ多くの党員が拷問や虐待で命を奪われました。
 アジア・太平洋戦争の開始時には、党中央委員会の機能は破壊され、統一的な反戦活動ができませんでした。その中でも、獄中の党員らは屈しませんでした。12年間獄中にあった宮本顕治元議長は、戦時下の法廷で党弾圧の道理のなさを批判するとともに、主権在民と反戦平和をめざす党の立場を堂々と訴えました。
 機関紙「赤旗」=当時の読み方は「せっき」=は、28年2月の創刊から弾圧で発行不能となる35年2月まで、前線の兵士からの手紙や兵営からの通信、各地の反戦行動を報道し続けました。
 他の政党が侵略戦争に賛成・協力する中で、一貫して反対したのが日本共産党です。
 最後の海軍大将・井上成美は戦後、次のように述懐しています。
 「いまでも悔まれるのは、共産党を治安維持法で押えつけたことだ。いまのように自由にしておくべきではなかったか。そうすれば戦争が起きなかったのではあるまいか…」(『井上成美』82年、井上成美伝記刊行会)
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2011年12月04日,「赤旗」) (Page/Top

レッドパージ/歴史の汚点ただす/関西勤労協・保存する会、学習会開く

 思想・信条の自由を踏みにじるレッド・パージと、戦前の治安維持法の弾圧の歴史を学び、歴史の汚点を正し、平和と民主主義への展望を切り開こうという学習会が3日、大阪市内で開かれました。
 関西勤労者教育協会・戦前の出版物を保存する会が開いたものです。
 「戦前の治安維持法と戦後のレッド・パージ―歴史の汚点をただす闘いの今日的意義」と題して、橋本敦弁護士が講演しました。
 橋本氏は、戦前の治安維持法による弾圧や戦後のレッド・パージによる思想・人権弾圧などについて報告。日弁連が「勧告」を出すなど、違憲・違法な人権侵害を告発する世論が高まっているとのべ、「レッド・パージ反対のたたかいは、犠牲者の過去の名誉と権利を回復するだけでなく、歴史の汚点を正し、思想・信条の自由を保障する憲法が生きる民主社会を実現する今日的課題のたたかいです」と強調しました。
 参加者から、「大学在学中に公立中学校の講師をやっていた1949年にレッド・パージにあった。50年に卒業した時には就職口はまったくなかった」などの経験もだされ、「橋下・『維新の会』による『教育基本条例案』『職員基本条例案』は、排除の論理を感じる」という意見もありました。
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2011年12月04日,「赤旗」) (Page/Top

横浜事件再審裁判資料3部作の刊行に寄せて/荻野富士夫

 戦前の社会運動を弾圧し、戦争を遂行するために民衆生活を抑圧統制した特高警察や治安維持法は敗戦後も存続し、わずかに主体的な廃止論はあったものの、ようやく占領軍の「人権指令」の発令によって廃止となる。その直後、戦前の弾圧体制を告発する新聞は、「『中央公論』『改造』解体の真相」と題して「横浜事件」を取りあげ(「朝日」1945年10月9日)、特高の暴虐ぶりを暴露した。

治安立法阻止に寄与
 戦時下の「共産主義運動」のえぐり出しの典型かつ最大の規模となった「横浜事件」は、特高警察の作り出した「共産党再建準備会」という虚構性により、獄死者4人を含む大きな犠牲を生み、さらに敗戦後には形式的な裁判により決着を急ぐという権力の暴力性とでたらめさを露呈した。それらへの怒りと冤罪を晴らすために、45年11月、事件犠牲者33人は「笹下会」を組織し、47年4月、神奈川県特高警察官27人の共同告発に至る。その後、3人のみが起訴され、有罪が確定したのは52年4月だった。十全な結果とはならなかったとはいえ、戦前の思想弾圧の責任を追及した稀有な事例となった。
 この延長線上に、1986年に始まる長い横浜事件再審請求・再審・刑事補償の戦いがあった。それは再審請求人・弁護団、そして支援する団体・個人にとって、国家秘密法案から共謀罪法案に至る新たな治安立法の策動に警鐘を鳴らしつづけるものとして強く意識されていた。四半世紀にわたる4次の再審請求はみごとに世論を喚起することにより、新たな治安立法阻止に寄与し、警察や検察・裁判所の現在のあり方や過去の責任への向き合い方にも注意を向けさせることになった。
 1960年代の「大逆事件」再審請求が厚い壁にはばまれたことと比べると、半世紀を経て横浜事件再審請求は大きな前進をかちとった。それは、強権による治安維持や基本的人権の侵害があってはならないという社会的認識の高まりによってもたらされた。裁判所は第1次・第2次の再審請求に対する請求棄却という門前払いが社会的な批判を受けると、第3次・第4次では再審の扉を開き、ついに拷問の事実を認めるところまで踏み出した。「免訴」の壁は崩せなかったとはいえ、刑事補償による実質無罪が確定したことは、横浜事件以外の治安維持法事件も同様でありうることを示唆した。法的な措置による国家の謝罪や賠償が望まれる。

展望切り開く手立て
 このたび、横浜事件・再審裁判=記録/資料刊行会の手によって、再審請求からの全過程は『全記録 横浜事件・再審裁判』(7000円)として、事件そのものの官憲側資料と関係者の証言は『ドキュメント横浜事件』(4700円)に集大成・刊行された。さらに大川隆司・佐藤博史・橋本進著『横浜事件・再審裁判とは何だったのか』(いずれも高文研・1500円)は、二つの資料集の詳細な解説・解題の役割をはたすだけでなく、横浜事件に象徴される戦前の社会運動と思想弾圧の本質が何であったのかに鋭く肉迫している。これら3部作により、横浜事件の過去と現在の全体像を眺めわたすことが可能となるとともに、自由・平等・平和・人権の尊重される社会への展望を切り開く手立てを手にすることができた。
 私にとって印象的だったのは、『ドキュメント横浜事件』の口絵に紹介された西尾忠四郎の家族あての獄中書簡である。獄中のちびた筆で書かれた家族への思いは、戦時下の横浜事件の非道さと無念さをあらためて痛感させる。 
 (おぎの・ふじお小樽商科大学教授)
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2011年12月04日,「赤旗」) (Page/Top

秋田・湯沢で学習会を開く/治維法国賠同盟

 治安維持法により弾圧され獄死した農民運動指導者・鵜沼勇四郎(1910〜38年)の墓参と学習会が11月28日、出身地の秋田県湯沢市で開かれました。治安維持法国家賠償要求同盟湯沢雄勝支部が開きました。
 近江谷昭二郎・同盟県本部会長はあいさつで、鵜沼が小作争議を指導する中で日本共産党に入党し、戦後の農地改革の礎を命がけでつくったと紹介。その上で、「農民の努力により豊かに発展した秋田県の農業に、壊滅的な打撃を与える環太平洋連携協定(TPP)参加を阻止するため全力を尽くそう」と呼び掛けました。
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2011年12月03日,「赤旗」) (Page/Top

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*  11月】(ヘッドライン)

*         岩見沢と江別で「布施辰治」上映/北海道

*         文化/画家松本竣介/仕事と時代をたどる/展覧会開催中/戦時下、静寂の世界

*         断面/国際啄木学会盛岡大会/若者への広がりに期待

*         戦前の活動家2氏の碑前祭/熊本

*         治維法国賠同盟/北見支部も総会/北海道

*         故井上ひさしさんの父・修吉さんの小説集/山形市の後藤卓也さんが出版/辛亥革命テーマの冒険活劇など

*         解放戦士の碑合葬追悼会/静岡

*         国は謝罪・賠償して/治安維持法国賠同盟148人国会要請

*         故郷の岡山で片山潜碑前祭/政治変える力大きく

*         日曜あさいちばん/多喜二「蟹工船」、金子昇が朗読/6日NHK@

*         戦前の道南のたたかい語る/函館で講演会

*         治維法国賠同盟北上支部が総会/岩手

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*  11月本文】(Page/Top

岩見沢と江別で「布施辰治」上映/北海道

 映画「弁護士布施辰治」の上映会が23日、北海道の岩見沢市と江別市で行われ、それぞれ45人、75人、合わせて120人が鑑賞しました。岩見沢は治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟南空知支部、江別は同同盟江別(班)とえべつ革新懇などの実行委員会主催でした。
 布施辰治は、韓国併合に反対し、治安維持法下で日本と朝鮮の民衆の人権を、身体を張って擁護しました。そのために生命を危険にさらし、弁護士資格を剥(はく)奪され、三男・杜生(もりお)を治安維持法違反で獄死させられました。
 それでも「世界中に、一人だって見殺しにされて良い人などいない。生きべくんば民衆とともに、死すべくんば民衆のために」と言って生涯を貫きました。映画はこうした布施の生涯を描き、出身地宮城県女川の中学生たちが演劇活動を通して布施の志を受けつぐ取り組みを紹介しました。
 参加者からは、「こんな弁護士がいることを初めて知りました。すばらしいですね。先人に学びたいです」「権力者はなぜ、人を人と感じないのか。布施弁護士の生き方、人類愛、一人として見殺しにしないという思想に明日が見えました」「大変勇気づけられました」などの感想が寄せられました。
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2011年11月29日,「赤旗」) (Page/Top

文化/画家松本竣介/仕事と時代をたどる/展覧会開催中/戦時下、静寂の世界

 戦中・戦後の時代を生き、詩情豊かな絵を描いた画家・松本竣介(しゅんすけ)。その仕事と時代をたどる展覧会が開催されています。
 金子徹記者

 松本竣介(1912〜48年)は、身近な人物や都市の光景を、ぬくもりのある筆致で描いた画家です。
 「僕が最も嫌悪を感じるものは人間である。そして最も好んでゐ(い)るものも亦(また)人間なのだ」(35年、『生命の芸術』掲載のエッセー)
 病気により13歳で聴覚を喪失。研ぎ澄まされた感性を絵画や文章に刻みました。
 「吾々(われわれ)が人間的に解放されるためには、結局、自由な表現の能力によつて障壁を突き破ることだ」(37年、『雑記帳』掲載)
 表現の自由が抑圧された時代に、真摯(しんし)に絵画に向き合った画家のひとりとして、光彩を放つ存在です。
 群馬県の大川美術館で開催中の、「松本竣介とその時代」展は、15歳で描いた風景画から晩年の作品まで約70点と、麻生三郎や寺田政明などの、同時代の画家たちの作品約50点で、「その時代」を浮き彫りに。竣介の代表作「街」(38年)や「Y市の橋」(44年)を含む、見ごたえのある展示です。
 厚ぼったく、人肌のぬくもりを感じさせる画面。繊細な描線。透明で寂しげな風情の空間表現。特に40年代前半の作品は、戦時下でありながら、静寂が支配する世界です。
 竣介は、兵役を免れた若者としてのかっとうや、戦争の時代に生きる画家としての自省を、しばしば文章にしました。
 43年1月の日記には、こう書いています。
 「真実と美とのためには一切のことに耐へよ。
 仕事を守ることがその総(すべ)てゞある」

表現抑圧のもと真摯に
 東京の板橋区立美術館で開催中の、「池袋モンパルナス展」も、竣介や同時代の画家たちの30年代から40年代の仕事に光をあてています。
 30年代、池袋付近に複数のアトリエ村が形成され、多くの画家が居住。竣介もそこにアトリエを構えました。パリになぞらえ「池袋モンパルナス」と呼ばれた地で、小熊秀雄や長谷川利行、井上長三郎など、美術史を彩る個性豊かな面々が活動。その軌跡を紹介した展示から、30年代の若手画家たちのあいだに、シュールレアリスム(超現実主義)の潮流が強く影響していたことがうかがえます。
 この時期は、中堅の油彩画家の多くが日本軍の戦果を描く戦争画を手掛け、日本画家はしばしば勤皇の志士や忠臣を題材にした歴史画を描きました。そうしたなか、奇妙な動植物や異質な事物の組み合わせを描く「超現実」の手法により、戦意高揚画の制作を回避した画家たちもいたのです。
 国家総動員体制の時流への、消極的な抵抗ともいえるこの潮流は当局の警戒対象となります。シュールレアリスムの中心人物と目された福沢一郎が治安維持法違反の容疑で逮捕されるなど、表現への抑圧が相次ぐ時代。そこでの画家たちの、創作活動との向き合い方を物語る作品が並び、「時代」がみえてきます。
 同展図録には、戦後の民主的美術運動で大きな役割を果たした吉井忠の戦時下の日記が初めて収録され、資料的に貴重です。
 竣介は戦後、自由な創作や発表の基盤づくりのための美術家組合の構想を発表するなど、画家として「新日本の再生」を担う意欲を燃やしますが、48年に病死。36歳でした。

 松本竣介とその時代展=12月11日まで、群馬県桐生市・大川美術館рO277(46)3300
 池袋モンパルナス展=来年1月9日まで、東京・板橋区立美術館。問い合わせは、рO3(3977)1000
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2011年11月27日,「赤旗」) (Page/Top

断面/国際啄木学会盛岡大会/若者への広がりに期待

 望郷と漂泊の詩人・石川啄木(1886〜1912)の多角的な研究を進めている国際啄木学会。2011年盛岡大会が5、6日、盛岡大短期大学部(岩手県滝沢村)で開かれ、国内外から約150人が参加しました。
 1990年の1回大会以来、啄木の故郷同県での開催は4回目。「新しき明日、新しき啄木」をテーマにして、「(3・11)大震災の激流はいまだ収まっていない。この困難な時代状況に啄木ならどう受けとめ、どうしたか考えたい」(望月善次会長)と研究発表、討論がおこなわれました。
 特別講演に立った前宮古市長の熊坂義裕さん(医師)は、1カ月で3000人近い患者を診断し、「3・11を境に人生観が変わった」と被災地の生々しい実情を報告。啄木に社会主義思想の影響を与えた新聞記者小国露堂(宮古市出身)を紹介。
 パネルディスカッツョン(6日=写真)では、池田功、西蓮寺成子、田口道昭、森善真各氏が報告、望月さんが進行役。歌集『悲しき玩具』にある「新しき明日の来るを信ずといふ/自分の言葉に/嘘はなけれど―」(初出『早稲田文学』1911年1月号)などの啄木歌の解釈、創作姿勢などを考察。特に、日本の近代文学の成立を天皇制国家の検閲制度とのたたかいのなかで見出した研究者、ジェイ・ルービンの『風俗壊乱―明治国家と文芸の検閲』(今井泰子ら訳、世織書房)を踏まえての発言が注目をあつめました。
 大逆事件前後の作品表現の分析や時代認識の鋭さが、「辛亥革命(1911年)に感動した手紙を書いた啄木」や「現代の問題意識と啄木研究の連関」、「(震災復興は)議論より実行」などの発言に、会場から共感の声が上がりました。
 大会には、台湾、インド、ロシアの研究者も参加。自国での啄木作品の翻訳が盛んなことや、インドの詩人が日本の被災者にささげる詩集を創ったことなどが紹介され、啄木の国際性、庶民性が伝えられました。
 大会記念の学生短歌大会の表彰式では、最優秀賞「ローマ字で日記を書いた啄木の真似をしてみる君への手紙」(越田健介さん、中3)などが発表され、若い世代が新しい感覚で啄木像をとらえている一端がうかがえました。来年は啄木没後100年、『悲しき玩具』発刊100周年です。多喜二『蟹工船』ブームのような若者を含む多様な世代に啄木作品の広がりが生まれることの期待を感じさせる大会となりました。
 (澤田勝雄)
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2011年11月25日,「赤旗」) (Page/Top

戦前の活動家2氏の碑前祭/熊本

 「永村徳次郎、国崎定洞碑前祭」がこのほど、熊本市でおこなわれました。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟熊本県本部が主催、國宗直会長をはじめ同盟会員らが参加しました。
 永村徳次郎は熊本県で最初の共産党員。1928年の大弾圧3・15事件で検挙・投獄され、言語に絶する拷問で脳障害を起こし、38歳の若さで亡くなりました。
 国崎定洞は、熊本出身の東京帝大助教授で、ドイツ留学中にドイツ共産党に入党。ナチスの追及をのがれてソ連で活動中に根拠のないスパイの嫌疑で処刑されました。
 同日、永村の墓前、国崎の碑前のほか、大逆事件の犠牲者、新美宇一郎、佐々木道元の墓前にも花束を供えました。
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2011年11月24日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟/北見支部も総会/北海道

 北海道の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北見支部の第13回総会が19日、北見市で開かれました。
 宮田汎(ひろし)道本部会長が「治安維持法下の北見地方のたたかい」と題して講演。弾圧に屈せず、農民組合支部を各地につくった小作農民、社会科学研究会や労働組合をつくりストも組織した労働者、つづり方や図画を通して生活や社会の真実を見る力を付けようとした教師たちの実践をふり返り「これらのたたかいが日本国憲法に結実しています」と語りました。
 総会では本間昭一支部長、佐々木秀之副支部長、井下正道事務局長を選出しました。
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2011年11月24日,「赤旗」) (Page/Top

故井上ひさしさんの父・修吉さんの小説集/山形市の後藤卓也さんが出版/辛亥革命テーマの冒険活劇など

 昨年4月に亡くなった作家で脚本家・井上ひさしさんの父・修吉さん(筆名・小松滋、1905―39)が書いて評価された短編小説「H丸伝奇」などの作品集が、このほど復刻・発刊され、話題になっています。
 出版したのは、山形市の後藤卓也さん(50)=山形謄写印刷資料館長=。昨年6月、放送されたNHKテレビの井上ひさしさんの追悼番組(「あとにつづくものを信じて走れ〜井上ひさしさんが残したメッセージ」)に、出演依頼され、ガリ版をする修吉が官憲に急襲され逃亡する役となったのがきっかけです。
 「映像はほんのワン・シーンでしたが、修吉のことや作品の存在を初めて知った。東京でプロレタリア文学運動にかかわり、故郷の山形・川西町(旧小松町)に戻り薬局を営み、小林多喜二の『蟹工船』が掲載されたことで知られる機関誌『戦旗』の支局責任者だった。34歳で早逝、ひさしさん5歳。さぞかし無念だったろう」
 ひさしさんの最後の戯曲「組曲虐殺」を読んだ後藤さんは、劇中主人公・多喜二の非業の死と井上修吉の苦悩という2人の姿が重なり合って、「掲載誌の現物を古本屋で手に入れ、息吹を与えたい」と作業しました。
 「H丸伝奇」は1935年に書かれ、『サンデー毎日』に応募、第17回大衆文芸部門で第1位入選した作品(同誌10月13日特大号掲載)です。孫文が指導し清王朝を打倒、アジアで初の共和制国家を誕生させた辛亥革命(1911年)がテーマ。日本に亡命した孫文(小説では「逸仙」)らが封建王朝を倒すべく貨物船で中国に向かい、そのなかで日本人と中国娘の恋愛をからませた冒険活劇もの。この小説は、辛亥革命成功から24年後に書かれました。
 井上修吉が日本共産党の第3回大会(1926年、山形県五色温泉)の会場設営にかかわった、という関係者の証言を追跡してきた後藤太刀味さん(近現代史研究家、東京在住)は言います。
 「小説は史実と違っている点は当然あるが、『満州事変』を起点とした15年に及ぶ中国侵略を暗に批判した内容と読める。辛亥革命100年の今年、修吉さんの小説が出版された意義は大きい」
 修吉さんがガリ版印刷の方法をユーモアたっぷりに解説した「プリントの書き方」掲載の『戦旗』(1930年3月号)復刻版を入手し今回の冊子に同時収録。初版500部はほぼ完売、増刷を予定(定価1000円[税込み])しています。
 「暴圧の時代に生き、小説家になろうと志したが病に倒れた。幻の作品がよみがえってよかった。今後、活字化されていない作品も出版したい」と後藤さんは語ります。
 問い合わせは、山形市の中央印刷рO23(631)5533
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2011年11月21日,「赤旗」) (Page/Top

解放戦士の碑合葬追悼会/静岡

 静岡県解放戦士の碑第21回合葬追悼会(同実行委員会主催)が13日、静岡市葵区の愛宕霊園内で行われました。遺族や民主団体関係者ら48人が参加し、今年の合葬者18人を追悼しました。
 実行委員会の平野克明会長は「18人の社会進歩への不屈の遺志を受け継ぎ、進んでいきます」とあいさつ。日本共産党の山村糸子県委員長は「財界・大企業とアメリカいいなりの政治を国民のための政治に変えるために、次の国政選挙では必ず大躍進を勝ち取る」と誓いました。
 県評議長で「11・26ひまわり集会」の呼びかけ人である林克(かつし)氏は、集会を成功させ浜岡原発(御前崎市)を永久停止・廃炉にさせると強調しました。
 県商連、治安維持法国家賠償要求同盟県本部、国民救援会県本部の各代表が追悼の言葉を述べました。遺族代表は、故人の人生と社会矛盾とのたたかいを振り返り、引き継ぐ決意を語りました。
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2011年11月15日,「赤旗」) (Page/Top

国は謝罪・賠償して/治安維持法国賠同盟148人国会要請

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は9日、国会請願を行いました。治安維持法による被害者に対し謝罪と賠償などを求めた「治安維持法犠牲者への国家賠償法」(仮称)の制定を求める請願署名の紹介議員になるよう、500人を超える議員に要請。全国から148人が集まりました。
 柳河瀬精会長は「野田佳彦首相の歴史認識は、戦争犯罪人を認めず、日本の侵略戦争を肯定する立場です」と指摘。「歴史認識を正すたたかいが重要」と述べ、「人権を真に確立するには歴史の認識を正しく持ち、治安維持法による被害者に謝罪することです」と話しました。
 日本共産党からは井上哲士参院議員と宮本岳志衆院議員が激励のあいさつをしました。
 山下懋(つとむ)さん(91)と、水谷安子さん(98)の被害者2人が発言。小学校の教師だった山下さんは1941年に21歳で検挙され、「なぜ検挙されたのか分からなかった」と言い、2年間、北海道・旭川の刑務所に投獄された経験を語りました。
 水谷さんは師範学校の学生の時に検挙されました。「私が生きている間にちゃんと謝罪をしてほしい」と思いを語りました。
 2人の被害者と同盟員らは、衆・参両院の法務委員長の各秘書と面談をしました。
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2011年11月10日,「赤旗」) (Page/Top

故郷の岡山で片山潜碑前祭/政治変える力大きく

 日本共産党の創始者の一人、片山潜の碑前祭(没後78年・生誕152年)と共産党員の墓の合葬式が5日、潜の故郷で記念碑と記念館がある、岡山県久米南町羽出木でありました。
 党岡山県委員会と各地区委員会の人たち、合葬された党員の遺族、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部、日本国民救援会県本部の代表ら45人が集いました。
 碑前祭で石井ひとみ県委員長は「日本をどうするのか多くの方が真剣に考えている。国政が大きく問われるとき、岡山から政治を変える力を大きくしていきたい」と語りました。
 石村智子衆院中国ブロック比例候補は「中国地方から議席を勝ち取るため全力で頑張ります」と誓いました。
 記念碑に隣接する共産党員の墓に、この1年間に亡くなった16人の党員が合葬されました。
 遺族を代表してあいさつした、久米南町議だった河原文明さん(享年61歳)の妻、まり子さん(58)は「みなさんの力で議会に送りだしていただき、思う存分活動できたと思います。その遺志を尊重し私もがんばります」と語りました。
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2011年11月08日,「赤旗」) (Page/Top

日曜あさいちばん/多喜二「蟹工船」、金子昇が朗読/6日NHK@

 NHKラジオ@早朝の情報番組「日曜あさいちばん」(前5・10)は6日、日本共産党員のプロレタリア作家・小林多喜二(1903〜33)の代表作「蟹工船」のあらすじを朗読します。
 古今の名作文学を、いま旬の俳優が朗読するコーナー「文学のしずく」で紹介。金子昇が、『あらすじで読む日本の名著』(中経出版)に収録されている「蟹工船」の世界を語ります。
 午前5時30分ごろから約14分間の放送予定です。
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2011年11月04日,「赤旗」)

戦前の道南のたたかい語る/函館で講演会

 治安維持法犠牲者国賠同盟道南支部と国民救援会函館支部は10月29日、函館市で「戦前の道南のたたかい」の講演会を開きました。国賠同盟道本部の宮田汎(ひろし)会長が講演し、20人が参加しました。
 宮田氏は、今まで歴史に埋もれていた鈴木治亮に焦点をあて、函館市での戦前のたたかいや日本共産党支部の結成について説明しました。
 鈴木治亮は東京小金井で生まれ、1917年に函館駅の小荷物係りとして就職。34歳の時に札幌刑務所で獄死します。わかりやすい話し方で包容力と統率力に優れ、若い人が失敗しても大きな声で叱らず、ていねいに話して聞かせていたと言います。
 宮田氏は「北海道で最初の党支部が1927年に函館市で結成されました。武内清の呼びかけで、鈴木治亮、村上由、斉藤金市が集まりました」「当時の資料では、全国に40の工場細胞があり、そのうちの17が北海道にありました。赤旗は780部で、北海道には150部が発送されていました」と話しました。
 長浜孝弘国民救援会支部長は閉会あいさつで「先輩たちの奮闘に学び、現在の情勢を切り開きましょう」と呼びかけました。
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2011年11月04日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟北上支部が総会/岩手

 岩手県の治安維持法国賠同盟北上支部(小野寺寛支部長)の第2回総会が北上市内で2日開かれ、会員など23人が参加しました。総会に先立ち、同同盟県本部事務局長の牛山靖夫氏が、「なぜいま治安維持法同盟か―歴史認識を正すたたかい」と題して講演しました。
 牛山氏は、野田佳彦首相が今年の終戦記念日の記者会見で、「戦後の東京裁判でA級戦犯として裁かれた人たちは戦争犯罪人ではない」と述べたことや、育鵬社の歴史教科書を4%の自治体が採用したことを指摘。「25万人の子どもたちが歴史をねじまげられた教科書で学ぶことになる。真実を知らせ、歴史認識をただすたたかいはますます重要になっている」と訴えました。また、岩手の治安維持法犠牲者は300人を超えていると述べ、犠牲者に対する謝罪と国家賠償を求める署名を広げるよう呼びかけました。
 総会では、日本共産党の鈴木健二郎北上市議があいさつし、小野寺支部長が大震災での救援活動や東北ブロック会議の報告、来年度の活動計画を提案し、役員を選出しました。
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2011年11月04日,「赤旗」) (Page/Top

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*  10月】(ヘッドライン)

*         朝の風/富本憲吉と一枝展

*         シリーズ歴史と現代/特高警察100年その罪責/荻野富士夫/断罪された抑圧と人権蹂躙

*         治維法犠牲者を追悼/全国で初の「慰霊祭」/京都清水寺

*         教科書は誰のもの/3/育鵬社公民教科書/大日本帝国憲法を美化

*         ハンセン病から見た戦争/菊池恵楓園で学ぶ会/熊本

*         治安維持国賠同盟東海ブロック会議開かれる/岐阜・下呂

*         治維法国賠同盟十勝支部が総会/帯広

*         全国革新懇ニュース10月号/日本の大転換点に/脚本家倉本聰さん

*         国民救援会が相沢良ツアー/札幌

*         平和と人権の世紀に/治維法国賠同盟、共産党本部訪問

*         故松本元市郎偲び反戦誓う/奈良・東吉野村

*         治維法国賠同盟/立法化運動を/東北6県会議

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*  10月本文】(Page/Top

朝の風/富本憲吉と一枝展

 富山市陶芸館(富山市民俗民芸村)で、開館30周年記念特別展「富本憲吉と一枝展―暮らしに役立つ美しいもの」をみた。
 人間国宝の陶芸家富本憲吉の作品展は、戦後も出身地奈良県をはじめ数多く開催されてきたが、パートナーの一枝をとりあげたものは見当たらない。彼女が、富山の売薬ポスターなどで知られる同地出身の画家尾竹越堂の娘であるところから実現した企画である。
 一枝は、今年創刊100周年になる『青鞜』の最年少社員の一人であった。20歳前に描いた屏風絵が巽画会で1等賞を得て「天才少女画家」と呼ばれ、『青鞜』の表紙絵も描いた。
 憲吉と結婚後、画壇で活躍することはなかったが、今回出品の「陶器絵巻」(全長10b)は二人の合作で、作陶も共同したといい、大正期には「富本憲吉夫妻陶器展」が開催されている。
 図録の年譜からは、戦時中治安維持法違反で検挙されたことや戦後母親大会に参加したこともわかる。戦後憲吉は家を出るが、彼女はめげず、「ひたむきに」(令孫海藤隆吉氏)生きて美しい童話を書き続けた。その童話集も展示されている。
 一枝は憲吉の蔭に隠れてしまった存在ではなく、生涯自立した人生を歩んだ女性だった。この展示に共感したゆえんである。
 (佐)
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2011年10月25日,「赤旗」) (Page/Top

シリーズ歴史と現代/特高警察100年その罪責/荻野富士夫/断罪された抑圧と人権蹂躙

 ビラまき行為について最高裁で有罪判決が出されたように、地域の安全などを名目とする社会の監視態勢の網は広くかぶさりつつある。「日の丸・君が代」への対応を踏み絵とすることなどにより、異論をもつ存在のあぶり出しも巧妙に図られつつある。鹿児島の志布志事件などの冤罪事件は、警察内部の違法な捜査や取り調べが過去のものではないことを示した。その意味で、戦前の特高警察的機能は現在も「生きつづけている」。一方、横浜事件再審裁判が特高警察による拷問を認定したように、人権蹂躙と違法性については明確に断罪されることになった。

国家・天皇の警察
 100年前の1911年8月、前年の「大逆事件」を機とする社会主義運動の一掃のために警視庁総監官房に特高警察課が設置された。これが特高警察の誕生である。その後、1928年の三・一五事件の衝撃を利用して全県に特高課が設けられた。この特高警察の大拡充は、植民地朝鮮と台湾における「高等警察」の拡充にも連なった。1932年建国の「満州国」には「特務警察」が置かれた。
 「国家の警察」という役割に加えて、1930年代半ばには「天皇の警察」意識が強調された。特高警察官らをその職務に駆りたてたのは、それらの意識に加え、自身の立身栄達もあった。そのハイライトというべきものが、「破格 共産党潰滅の功労者に恩遇」(「東京朝日新聞」)と大きく報じられた1936年11月の叙勲と金銀杯の下賜である。毛利基に代表される第一線の特高警察官が、思想検事らとともに天皇からの栄誉≠ノあずかった。

拷問は黙認された
 30年代後半になると、戦争遂行のために特高警察は「共産主義運動」とみなしたものをえぐり出すほか、反・非「国体」的とする宗教団体にも襲いかかった。銃後の治安維持を名目に、監視の対象は国民生活・思想に広がり、流言飛語や生産阻害などにあらわれる「人心の動揺」への警戒と抑圧を強めていった。
 拷問による取り調べは黙認された。身内の会議では郵便の検閲やスパイの活用などの法規の逸脱の具体例が、捜査・取り調べ時のテクニックとして得々と語られた。
 特高警察は最大の武器である治安維持法を恣意的に拡張解釈し、国内だけで検挙者は7万人余にのぼる。しかもその外側には検束・勾留された膨大な数がある。朝鮮においては民族独立運動に対して、「満州国」においては反満抗日運動に対して、より過酷な運用がなされた。

戦前的な復活阻む
 敗戦の事態に特高警察は動揺しつつ、社会運動の再興を抑え、民心の動向の監視をつづけ、増員すら志向した。そのためGHQは「人権指令」を発し、民主化の障害として特高警察の解体を命じ、5千人が罷免となった。しかし、その勢力は警察の内外に温存される一方、すぐに「大衆運動」取締の方針を確立し、「警備公安警察」を創設する。1950年前後からの「逆コース」の進行とともに、罷免された特高経験者も復職する。治安維持法は破壊活動防止法として復活をめざした。
 こうして戦前からの特高人脈・取締理念・ノウハウは継承され、現在に至っているとはいえ、その拷問に象徴される特高警察の抑圧的取り締まりの記憶は生きつづけ、戦前的な思想と行動の自由の封殺はほぼ食い止められてきた。戦後民主主義の存在そのものが、連続継承された治安体制の戦前的な復活を阻止しつづけている。そこには特高の罪責を見据えた歴史の進歩がある。
 (おぎの・ふじお 小樽商 科大学教授)
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2011年10月25日,「赤旗」) (Page/Top

治維法犠牲者を追悼/全国で初の「慰霊祭」/京都清水寺

 戦前、平和を望んだがために政治活動や言論を弾圧する治安維持法で罰せられ、命を失った先人を追悼する全国初の「治安維持法犠牲者慰霊祭」(同実行委員会主催)が23日、京都市東山区の清水寺圓通殿で行われ、200人を超える参加がありました。
 実行委員長で治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟京都府本部長の岡本康氏は、国はいまだに犠牲者、遺族に対して謝罪や賠償をしておらず、歴史の事実の告発と歴史を風化させない運動の前進を目的に開催したことを報告。東日本大震災の犠牲者に同様に哀悼の意をささげるとともに、趣旨に賛同して会場を提供した清水寺や全国の団体・個人に感謝の言葉をのべました。
 聖護院門跡の宮城泰年導師(京都宗教者平和協議会理事長)の読経に続き、治安維持法犠牲者国賠同盟中央本部、全国保険医団体連合会、立命館大学、劇団京芸、宗教者、京都総評の代表者らと日本共産党の穀田恵二国対委員長・衆院議員が、犠牲者への追悼と憲法を守り生かす運動をすすめる決意などを語りました。
 遺族を代表して吉村久美子さんがあいさつし、参加者が献花しました。
 式の後、遺族との懇談会も行われました。
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2011年10月24日,「赤旗」) (Page/Top

教科書は誰のもの/3/育鵬社公民教科書/大日本帝国憲法を美化

 育鵬社公民教科書の最大の特徴は憲法の扱いです。
 育鵬社版は戦前の大日本帝国憲法を「アジアで初めての本格的な近代憲法」と評価。「古くから大御宝と称された民を大切にする伝統と、新しく西洋からもたらされた権利思想を調和」させたものとしています。

天皇が絶対
 しかし、大日本帝国憲法は、天皇を絶対的な権力者とし、国民をその「臣民」(臣下としての民)と位置づけていました。「臣民」の権利は法律の定めた範囲でしか認められませんでした。
 他社の教科書は詳しく書いています。
 「天皇が主権者と位置づけられ…国民の権利は、天皇が恩恵としてあたえる『臣民の権利』とされ、どの程度保障されるかは法律で決めることができました。政府を批判する活動や本の出版が禁止されたりしました」(日本文教出版)
 「天皇が主権をもち、その地位は神聖なものとされました。国民にはいくつかの自由や権利が認められていましたが、その範囲を法律で制限できるとしていたことから、人権の保障は不十分なものでした。…1925年に治安維持法が制定され、思想や言論が厳しく制限されました」(教育出版)
 育鵬社版は、大日本帝国憲法を持ち上げる一方で、現在の憲法については、GHQ(連合国軍総司令部)にむりやり受け入れさせられたように描いています。
 現憲法が定めた平和主義の扱いも育鵬社版は特異です。一応「平和主義」のタイトルで見開き2nを使っていますが、その3分の2は自衛隊にかんする記述です。さらに、各国の憲法を引き合いに国民の「国防の義務」を強調しています。
 他社の教科書は、平和主義が侵略戦争への反省に基づいたものであることを明確に書いています。
 「日本は、第二次世界大戦において、他の国ぐにの多数の人びとを殺傷し、莫大な被害をあたえた。またわが国の多くの人びとが戦場で兵士として死傷し、戦闘に加わらなかった無数の人びとも、傷つき命を失った…この認識と反省のうえに、日本国憲法は戦争放棄を定め、国民の大多数がこれを支持した」(清水書院)

改憲に導く
 一方で育鵬社版は、わざわざ「憲法改正」という項目を設け、2nをさいています。「各国の憲法改正回数」という表を載せ、「各国では必要に応じて比較的ひんぱんに憲法の改正を行っています」と説明。「自衛隊がPKOなど他国軍と共同で活動しているときに、万が一、他国軍が攻撃された場合でも、日本の自衛隊は相手に反撃することができないとの指摘があります」と書いています。中学生を改憲に誘導する意図がみえます。
 大日本帝国憲法を美化し、現憲法の改悪へ誘導する公民教科書。戦前の政治・教育への回帰をめざす日本教育再生機構の狙いが端的にあらわれています。
 子どもと教科書全国ネット21の俵義文事務局長は「『つくる会』系教科書は子どもたちのためにつくられたものではない。政治運動の道具としてつくられたものだ」と指摘しています。
 (つづく)
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2011年10月20日,「赤旗」) (Page/Top

ハンセン病から見た戦争/菊池恵楓園で学ぶ会/熊本

 民青同盟熊本県委員会などの呼びかけた「ピースジャムくまもと2011」は16日、ハンセン病から見る戦争を通して平和を学ぶ交流会を国立ハンセン病療養所菊池恵楓(けいふう)園(合志市)で開き、37人が参加しました。
 ハンセン病訴訟を支援する会・熊本の北岡秀郎事務局長が「戦争は、戦争の顔をしてやってこない」と題し講演。戦争とハンセン病患者を徹底差別した政策は符合するとして、「治安維持法下での住民相互監視や戦争下での生活苦から生じる国民の不満のはけ口としてハンセン病患者の強制収容は利用された」と話しました。
 入所者の阿部智子さん(71)は「当時ハンセン病は遺伝によるものといった誤った認識があり、偏見や差別から家族を守るために入所を決心せざるを得なかった。誹謗(ひぼう)中傷を受け、社会からの疎外感は絶望的なもの。自ら命を絶つ人もいた」と当時の苦悩を語り、正しい認識を持ってほしいと訴えました。
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2011年10月18日,「赤旗」) (Page/Top

治安維持国賠同盟東海ブロック会議開かれる/岐阜・下呂

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治安維持国賠同盟)の東海ブロック会議が11、12の両日、岐阜県下呂市内で開かれ、東海4県から約90人が参加しました。中央本部の主催。東海4県の国賠同盟は16支部、会員約1300人。
 片桐義之県本部会長が歓迎のあいさつをし、日本共産党の宮川茂治下呂市議(副議長)が来賓あいさつをしました。
 針谷宏一中央本部事務局長は、「同盟運動は、21世紀を平和と人権の世紀にしていくためのたたかいであり、国民運動にし、歴史認識を正し、取り組みを強化していく」と述べました。
 「教員赤化」事件の犠牲者の一人である奥田美穂(よしほ)氏の実弟の貢穂(みつほ)氏(79)=下呂市在住=が兄のことをしのんで語りました。
 討議では、治安維持法犠牲者国家賠償法の制定を求める国会請願署名を11月9日の提出に向けてとりくむことなど、運動と組織の強化を語り合いました。
 宇野美代子県副会長は、「ふたたび戦争と暗黒政治を許さないために、若い人につなぎ、国民運動にすることが重要」と話していました。
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2011年10月16日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟十勝支部が総会/帯広

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟十勝支部の第26回総会が10日、帯広市で開かれました。
 長谷部昭夫支部長が「民主党政権は普天間基地問題や後期高齢者医療などで大きな公約違反をし、TPP(環太平洋連携協定)参加への強硬姿勢など国民生活を圧迫する政策を続けています。世界は戦後補償問題など、21世紀を平和と人権の世紀にするため前進しています。国民運動としての同盟運動を強めましょう」と報告と決意を述べました。
 北海道十勝地域には、「生活綴(つづり)方事件」「予防拘禁による帯広文化事件」「狩勝国鉄闘争」など多くの発掘すべきたたかいの課題があります。総会では「それぞれのたたかいをまとめ、急いで活字にすることが大切」と話し合われました。
 新役員には長谷部支部長、酒井省三事務局長が選出されました。
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2011年10月16日,「赤旗」) (Page/Top

全国革新懇ニュース10月号/日本の大転換点に/脚本家倉本聰さん

 「全国革新懇ニュース」10月号に脚本家の倉本聰(そう)さんが登場しています。
 福島原発事故の背景について、戦後の日本資本主義が環境保護や家族のきずなを後景に追いやり、「大量生産・大量消費・大量廃棄」を繰り返してきた問題があると指摘。「日本の大きな転換点に」と力説しています。
 このほか、被災者支援に活躍する宮城県多賀城革新懇のルポを掲載。「美しい三陸ふたたび」と記す女優・中井貴惠さんの随想、大阪維新の会の「教育基本条例」案を「教育の『治安維持法』」と批判する大田堯(たかし)東大名誉教授の論考も好評です。
 購読料は年間1800円(送込み)。1部から自宅に郵送。連絡先は全国革新懇 〒160―0004 新宿区四谷3の8 三橋ビル5F 電話03(3357)5515、ファクス03(5363)8965
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2011年10月10日,「赤旗」) (Page/Top

国民救援会が相沢良ツアー/札幌

 北海道の国民救援会中空知支部(富澤和雄支部長)はこのほど、「平和の滝と相沢良のツアー」を行い、23人が参加しました。相沢良は戦前の活動家で、権力により25歳で虐待死しました。
 札幌市西区の相沢良碑前で、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部の宮田汎会長があいさつし、良をしのび全員で献花をしました。また近くを流れる「平和の滝」の清流を見て、1932年の夏から秋に、良と古谷製菓の女工さんたちが、ここで豚汁を食べて革命歌を歌い、労働組合の組織と職場闘争について学習したことに思いをはせました。
 山の手会館に場所を移し、宮田会長が講演。良とその仲間たちが労働者に溶け込んで学習し、弾圧で壊滅していた札幌の12を超える職場に地道に組織を作っていった不屈のたたかいを語りました。
 良が検挙された1933年は小林多喜二が虐殺され、岩手県三陸の大津波被害者の救援活動をした共産党員らが弾圧された年であると同時に、日本が大陸侵略を本格化させた年でもあることに触れました。
 多喜二や良ら約400人を虐殺、獄死させた国に謝罪と賠償を求める署名をたくさん集め、「11月9日の国会請願を成功させてほしい」と訴えました。
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2011年10月06日,「赤旗」) (Page/Top

平和と人権の世紀に/治維法国賠同盟、共産党本部訪問

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟中央本部の柳河瀬精会長ら11人の役員が4日、東京都渋谷区の日本共産党中央委員会を訪れ、和泉重行常任幹部会委員、柳沢明夫法規対策部長らと懇談しました。
 柳河瀬会長は「21世紀を平和と人権の世紀とするために、歴史認識を正すことを基本に運動を強めていきたい」とのべ、奈良県では青年部をつくり会員が増えていることを紹介しました。
 針谷宏一事務局長は京都では治安維持法犠牲者の慰霊祭を初めて清水寺で行うことを紹介しました。また侵略戦争を美化する教科書採択などを狙う地方議員や首長の言動を指摘し、「地方で歴史認識を正すたたかいを強めていくことが大事だ」と語りました。
 和泉氏は普天間基地県内移設や大阪府の教育基本条例・職員基本条例、侵略戦争賛美の教科書を押し付ける動きにふれ、「歴史と暗黒政治への後戻りを警戒し、力を合わせて変えていきたい」とのべました。
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2011年10月05日,「赤旗」) (Page/Top

故松本元市郎偲び反戦誓う/奈良・東吉野村

 戦時中、現在の奈良県東吉野村内で「戦争をやめよ」と訴え投獄された松本元市郎さん(1950年に68歳で没)の偲(しの)ぶ会がこのほど、出身地である同村大豆生(まめお)の汲泉寺で治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟奈良県本部の主催で開かれました。
 反戦を唱え、産児制限、女子教育をも主張したという松本氏の活動は、日本共産党元村議の桝本實雄さんの調査で分かりました。
 遺族や地元総代ら20人が参加した墓参会では同同盟の田辺実県本部会長が「あなたの勇気ある行動を多くの村民に知ってもらい、憲法9条を守り抜き、二度と戦争を行わない日本社会実現のために力を尽くす」と追悼の言葉をのべました。
 偲ぶ会で孫にあたる松本芳尚さんは「これまで元市郎おじいさんの法要をしてきたが、戦争に反対し信念を貫いたことをたたえることはしてこなかった。これからは元市郎の本当の時代が始まる」とあいさつしました。
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2011年10月04日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟/立法化運動を/東北6県会議

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治維法国賠同盟)の第21回東北ブロック会議が9月28、29の両日、秋田県湯沢市で開かれ、東北6県から93人が参加しました。
 鈴木俊夫・前湯沢市長があいさつ。「この湯沢には戦前、反戦平和・小作農民擁護のため命がけでたたかい20代の若さで獄死した鵜沼勇四郎(共産党員)がいます。革命的伝統は今日まで引き継がれている」と激励しました。
 国賠同盟本部の島津昭副会長は、東日本大震災復興・原発から撤退するたたかいの重要性、「治安維持法犠牲者国家賠償法」立法化への運動を飛躍させるため、国会請願署名、地方議会からの意見書提出、国会での紹介議員確保の3本柱を離さず追究すること、同盟運動の国民的運動をめざし、組織の拡大強化と学習で課題推進の力にすることを呼びかけました。
 岩手・宮城から、大震災の実態と同盟会員の死亡・家屋流失など被害と復興へのたたかい、福島からは原発事故による大惨事と原発からの撤退を求めるたたかいについて報告され、秋田、青森、山形から支部を基礎にした活動が紹介されました。
 また、国家賠償法を求める署名を寺院、農協、町内会、老人クラブなどに広げている経験や地方議会での政府への意見書を可決させた経験と教訓も語られました。
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2011年10月04日,「赤旗」) (Page/Top

 

*  9月】(ヘッドライン)

*         朝の風/「鳥の歌」がつなげるもの

*         大災害と日本共産党/2/昭和三陸大津波1933年/一日も早く救いたい

*         不屈のジャーナリスト魂/松浦総三氏を偲ぶ/橋本進

*         中国人殉難者慰霊祭を行う/岐阜・瑞浪

*         永年党員・五十年党員/各地で「祝う会」/党の前進誓い合う

*         「満州事変」80周年/平和・友好考える集い/富山

*         元党国会議員団長川上貫一さん偲び献花式

*         反戦川柳・鶴彬たたえる集い/石川・かほく

*         反戦を語り継ぐ/鶴彬しのび集い/盛岡

*         ひと/小樽歴史館を運営するコンブ店主簑谷修さん(71)

*         治維法国賠同盟中国地方交流会/立法化運動強めよう/山口市で開く

*         南空知支部映画とつどい

*         道本部ブロック会議国会請願成功へ/治維法国賠同盟

*         教育基本条例案・職員基本条例案/条例案撤回へ理事会決議/治安維持法国賠同盟大阪府本部

*         朝の風/あざやかな人物の対比

*         「奪還事件」から80年/多喜二祭に400人/群馬・伊勢崎

*         亀戸事件から88年/先輩たちの遺志継いで救援活動の先頭に/東京で追悼会

*         山本宣治の資料展始まる/30年ぶり本格展示/6日正午まで/京都・宇治

*         潮流

 

 

*  9月本文】(Page/Top

朝の風/「鳥の歌」がつなげるもの

 ピアニストの村上弦一郎さんのデビュー40周年記念コンサートがサントリーホールで開かれた。村上さんが若い世代と2002年にたちあげた「GEN室内管弦楽団」との共同作業だった。多方面で活躍する村上さんを慕ってか、若い世代から年配まで幅広い聴衆でいっぱいだった。
 メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」では、若手のソリストが楽章ごとに3人登場し、観客をわかせた。ベートーヴェンの「ピアノ協奏曲4番」、チャイコフスキー「ピアノ協奏曲1番」と続いたが、とくに後者の村上さんは熱演だった。音が主張しすぎることなく、でもしっかり伝わってくる村上さんらしい演奏だった。
 アンコールがすばらしかった。平和を希求したチェリストのカザルスがかつて演奏していたカタルーニャ民謡「鳥の歌」。村上さんもチェリストの故・井上頼豊さんと各地で演奏した曲である。今回は、井上頼豊さんの息子でアレンジャーとして活躍する井上鑑さんが、オーケストラ用に編曲したものを演奏した。
 若い世代のオーケストラと奏でることで、ピアニストとして活躍しつつ、多喜二祭やうたごえ祭典でも活躍する村上さんの思いがつながった気がした。曲のあいだ、涙が止まらなかった。
 (支)
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2011年09月27日,「赤旗」) (Page/Top

大災害と日本共産党/2/昭和三陸大津波1933年/一日も早く救いたい

 3月11日の東日本大震災の大津波で、死者・行方不明者190人、家屋の8割が流される大きな被害を出した岩手県宮古市の田老(たろう)地区。1933年3月3日の「昭和三陸大津波」では、当時の田老村には防波堤もなく、911人が死亡・行方不明となり、村は壊滅状態でした。
 「家は流されたり焼かれたり、気温は下がって肺炎患者は続出して、みな重態の人ばかりです。一日も早くこうした人たちを救ってあげたい」(『愛情は鉄窓を超えて』、砂間一良〈すなまいちろう〉編)
 この思いを胸に、田老村に救援活動に向かったのが、東京・大崎無産者診療所(30年開設。民医連運動発祥の地)の看護師の砂間秋子さん(27)ら3人です。
 前月には党員作家の小林多喜二が虐殺されるなど党は天皇制政府の厳しい弾圧下にありましたが、「赤旗」(せっき)は「東北北海道罹災(りさい)民救援闘争をおこせ!」とよびかけました。
 31年に日本共産党の指導でつくられた「日本労農救援会準備会」(略称、労救)は、医療救援のため、亀有(かめあり)無産診療所(東京)の渡辺宗治医師(26)=福島市出身、東北帝国大学医学部卒業=と砂間さん、「労救」の書記の3人を被災地に派遣することを決めました。

3時間で逮捕
 現地に行くにあたって、秋子さんは、5年前に結婚し、当時獄中にあった夫の砂間一良さん(戦後の党幹部、衆院議員)に相談します。一良さんは関東大震災のとき、避難者であふれていた上野まで十数`を歩き、約1カ月間救援活動にあたりました。「非常によいことだから」と励ましを受け、秋子さんは3月8日に汽車で被災地に向かいました。
 途中、仙台で降りて、準備を整えるため「労救」仙台支部の人たちと打ち合わせをしました。この中には、今回の東日本大震災で民医連の救援活動、災害拠点病院として大きな役割を果たした坂総合病院の創設者、坂猶興(なおおき)医師(戦後、塩釜市の党市議)もいました。ここで被害の大きな田老村に行くことを決めます。
 砂間さんたちは、盛岡から宮古に行き、20日、そこから船で海岸に沿って1時間半かけて現地へ急ぎました。
 田老村に着き、ただちに被害を免れた村役場に行き、もってきた義援金や衣料などを手渡し、病人の診療を始めました。被災者は行列をつくって順番を待っていました。しかし、3時間ほど診療しただけで逮捕されました。
 地元紙は特高情報にもとづき、「罹災地に赤い魔手(ましゅ) 三名のオルグ逮捕/診療行ひつゝ運動」(「岩手日報」3月24日付)と大きな見出しで、救援活動をねじ曲げて報じました。
 秋子さんは「大崎無産者診療所から来たことと、この義援金や衣料は、粗末なものではあるが東京の貧しい人びとの心づくしのものであるから罹災者の方々に分けてあげてほしい…≠ニ正直に話したので、それが宮古か盛岡に報告され、特高警察から、逮捕しろと命令が出たのだと思います。一人でも多くの医者や看護婦が必要だったのに…」(『哀史 三陸大津波』、山下文男著)と語ったことがあります。

300人余を検挙
 天皇制政府は、三陸沿岸で救援活動にあたった、砂間さんや東北帝大の学生らを含め3月19日からの1週間余で300人余を検挙しました。(「赤旗」4月6日付)
 天皇制権力は、「アカ」「国賊」などと怖い集団として国民に宣伝している日本共産党や無産者組織が、被災者に救いの手を差しのべる人間的な集団であることを知られるのを恐れ、弾圧したのです。
 当時は31年から始まった「満州事変」のさなかで、地元の若い男性は兵隊として取られ、残っていた多くは、老人と女性、子どもでした。「赤旗」3月15日付は、「罹災地出身兵 四百名すぐに帰せ」と主張しました。
 「赤旗」は「東北の兄弟のために、真実の労働者的立場から救援金、救援品を直接罹災民の手におくれ!」とよびかけ、党と「労救」は、医療救援隊を派遣するなど、弾圧に抗して懸命に救援活動にとりくみました。
 (1回目は20日付3面に掲載)

日本労農救援会準備会
 労働者、農民の生活と運動への援助と救援をめざして設立。20県以上に支部をつくり、1931年の北海道、東北凶作地救援運動や33年の三陸地方震災救援運動や無産者託児所設立の運動、政府米払下獲得運動など多角的な運動をおこなった。(『日本共産党の七十年』から)
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2011年09月27日,「赤旗」) (Page/Top

不屈のジャーナリスト魂/松浦総三氏を偲ぶ/橋本進

 批判精神(とくに権力への)の持ち主であることが、ジャーナリストの基本的資質として求められる。その意味では松浦総三氏は骨の髄からのジャーナリストであった。1946年、再出発したばかりの改造社(44年、東条内閣によって廃業―横浜事件)に入社。48年末、米占領軍による編集者解雇事件に遭遇した。初期レッドパージである。米軍による沖縄送り(軍事裁判→重労働)と特高(特別高等警察)の拷問とどちらがこわいか≠ニ自問しながら、松浦さんたちはGHQ権力とたたかった。現在の日本の対米軍事経済従属体制の基礎づくりとして、占領軍は厳重な言論報道統制(検閲)と進歩的編集者の排除を行った(改造のほか日本評論社で、48年、50年等)。55年の改造社閉鎖にいたる事件(このときも大闘争となった)の後、フリージャーナリストになった松浦さんの最初の著書は、『占領下の言論弾圧』であった。吉野源三郎氏らが共感をこめて激賞した名著である。
 太平洋戦直前、41年春、松浦氏は特高の取り調べをうけた。その体験から天皇制権力の正体を知った氏は、戦前、戦後の天皇制の役割とそれを増幅する「御用ジャーナリズム」を右翼の脅しにも動ぜず鋭く分析、批判した(『天皇とマスコミ』)。天皇制ファシズムがもたらした戦争の惨禍は、現在、未来の平和のために、永遠に記憶せねばならぬ。
 1970年、家永三郎、早乙女勝元氏らと「東京空襲を記録する会」を結成。美濃部都政の後援を受け(石原都政では想像もできぬ)、71、72、74年と渡米調査、『米戦略爆撃調査団報告書』等によって、東京大空襲のメカニズムと全容を明らかにし、『東京大空襲・戦災誌』全5巻(各巻A5判1千n)を完成させた。
 占領軍押収文書の探索で、ぼう大な内務省警保局文書に接した。国内では入手できない文書である。一部をコピーして持ち帰り、『昭和特高弾圧史』全8巻(明石博隆氏と共著)を刊行した。治安維持法による人民弾圧の実相を知るための貴重な記録である。
 マスコミには権力の広報機関となる危険な側面がある。福島原発の大惨禍を招いた「原発安全神話」キャンペーンがそれだ。松浦さんは「(政府・財界の)お先棒担ぎジャーナリズム」、御用ジャーナリストを批判してやまなかった。幾編もの論評が残されている。
 81年、全国革新懇の代表世話人、90年に顧問となり、日本の革新運動に貢献した。松浦さんのホンモノのジャーナリスト魂と行動は、私たちやさらなる後輩世代が生き生きと継承していくべき手本である。
 2011年7月6日没。96歳。
 (はしもと・すすむ 元『中央公論』次長)
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2011年09月26日,「赤旗」) (Page/Top

中国人殉難者慰霊祭を行う/岐阜・瑞浪

 岐阜県瑞浪市で第45回中国人殉難者慰霊祭が18日行われました。供養会の加藤武会長(86)をはじめ、駐日大使館の参事・領事、瑞浪市長、市議団長、県議、日中友好協会など各界から参列し、供養のあいさつをしました。
 この日は、80年前に日本軍によってでっちあげられた中国東北部の柳条湖で南満州鉄道を爆破し、「満州事変」が引き起こされた日です。小高い化石山の頂上には「日中不再戦の誓い」と刻まれた大きな記念碑が建てられています。1944年から45年にかけて、日本軍が地下工場建設のため330人の中国人を強制連行して酷使し、17歳から61歳の中国人39人が死亡しました。
 加藤氏は「日中が平和であれば世界の平和につながる」と訴えました。日本共産党の館林辰郎瑞浪市議も参加しました。
 会場入り口で治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の人たちが署名に取り組みました。
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2011年09月24日,「赤旗」) (Page/Top

永年党員・五十年党員/各地で「祝う会」/党の前進誓い合う

 1日付で紹介した各地での永年党員・五十年党員を祝う会を続報します。

 札幌北区地区委員会は、新入党員の入党を祝う集いと合わせて開きました。五十年党員が12人、永年党員が8人です。坂本順子地区委員長は、あいさつで、小林セキさんの『母の語る小林多喜二』の一節をひき、「新しい社会をめざす歴史的前夜の時代に私たちは生きています。先輩たちの志を受け継いで大きな党をつくっていきましょう」とのべ、一人ひとりに党員証と記念品を渡しました。
 ■    ■
 神奈川県県央地区の伝達式では、参加した永年党員、五十年党員が「軍国少年だったが、仲間と家族を少しでも幸せにできるのではないかと考え、安保闘争のなかで入党した」「報われる仕事、差別と戦争のない世の中を求めて入党した」などと、それぞれが入党の動機を語りました。
 ■    ■
 岐阜県東濃西地区の五十年党員証・永年党員証の伝達式で、高校卒業と同時に入党した加藤豊子さん(69)は、黄色に変色した、入党時の活動ノートを紹介。仲間たちがつくった詩を読み上げ、参加者に感動を与えました。
 ■    ■
 東京都港地区の祝う会では、五十年党員の2人が1961年の党綱領確定の年に入党し、若い仲間と共に学習して成長してきた喜びや、地域での活動にねばり強くとりくんできた経験を語りました。手づくりの軽食を楽しみながら、祝う会に参加した全員が、それぞれの入党当時をふり返りながら、今後の党前進を誓い合いました。
 ■    ■
 群馬県前橋地区は、党員拡大交流会を兼ねて開催。生方秀男地区委員長は「五十年党員になるみなさんは、1961年の第8回党大会で党綱領が決まった年の入党です。今年は、大震災・原発事故をめぐるたたかいの年。『党勢拡大大運動』が提起された歴史的な年を、前にすすめるために健康に留意しながら引き続き力を発揮していただきたい」とあいさつしました。
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2011年09月24日,「赤旗」) (Page/Top

「満州事変」80周年/平和・友好考える集い/富山

 「アジアと世界の平和・友好を考える9・18『満州事変』80周年のつどい」が18日、富山市内で開かれました。
 主催は日中友好協会、県歴史教育者協議会、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部、県AALA連帯委員会、安保破棄・諸要求貫徹県実行委員会による実行委員会。
 歴史教育者協議会の松浦晴芳氏が、尖閣諸島などの「領土問題」を契機に中国脅威論、対外強硬論があおられていると指摘。東日本大震災・原発事故のさなかの日米軍事同盟強化の動きや、侵略戦争を美化する中学校の歴史・公民教科書を採択する自治体が増えたことなどを報告。「過去の過ちを繰り返させないため、歴史の真実としっかりと向き合い行動しよう」と、運動を呼びかけました。
 つどいでは、旧満州で日本軍の細菌兵器部隊が行った人体実験等を描いた1988年の映画「黒い太陽七三一 戦慄!石井細菌部隊」を視聴しました。
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2011年09月23日,「赤旗」) (Page/Top

元党国会議員団長川上貫一さん偲び献花式

 元日本共産党国会議員団長・衆院議員の川上貫一さん(1888〜1968年)を偲(しの)ぶ献花式が10日、大阪市西淀川区の川上貫一顕彰碑前で行われ、近畿各地や地元をはじめ名古屋や和歌山などから40人が参列しました。
 日本共産党の北山良三大阪市議が司会を務め、「川上貫一の会」代表の橋本敦元参院議員、地元の党西淀川此花地区委員会の原之園裕一委員長があいさつ。橋本氏は、1951年の日米安保条約締結とそれに先立つ国会で川上議員が行ったアメリカ占領軍早期撤退を迫った有名な「国会除名演説」の経緯を詳しく話しました。
 参加者は、川上氏とともにたたかった思い出、選挙戦での候補者としての厳しい姿や大阪府庁時代の治安維持法とのたたかいなどを語り合いました。
 川上氏は1949年、旧大阪2区から初当選後、6期18年間国会で活躍。51年の「国会除名」の暴挙にたいし、大阪の有権者は2年後の選挙で再び国会に送り出しました。
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2011年09月17日,「赤旗」) (Page/Top

反戦川柳・鶴彬たたえる集い/石川・かほく

 石川県出身の反戦川柳作家・鶴彬(つるあきら)をたたえる集いが11日、出生地のかほく市高松で開かれ、約40人が参加しました。命日の9月14日に合わせて毎年開催しているもので13回目。
 鶴彬(本名・喜多一二)は昭和初期、川柳によって反戦平和を訴え、治安維持法違反容疑で投獄され、29歳で獄死。「手と足をもいだ丸太にしてかへし」など鋭い反戦川柳に共感が広がり、彼の人生を描いた「鶴彬〜こころの軌跡〜」(監督・神山征二郎)が2009年から上映されています。
 鶴彬句碑前の碑前祭では、「鶴彬を顕彰する会」の長谷久人会長、鶴彬の甥(おい)にあたる山田裕一さんがあいさつ。油野和一郎かほく市長、鶴彬井上剣花坊祭の佐藤岳俊実行委員長などからのメッセージが紹介されました。
 集会後、鶴彬の人生を追った特別番組「暁を抱いて闇にいる蕾」を制作した北陸放送ラジオ局の川瀬裕子氏が「鶴彬〜番組製作を通じて」と題して講演しました。
 「鶴彬を顕彰する会」は「鶴彬〜こころの軌跡〜」のDVDを11日から発売。問い合わせは電話・ファクス076(281)1201(小山広助事務局長)。
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2011年09月17日,「赤旗」) (Page/Top

反戦を語り継ぐ/鶴彬しのび集い/盛岡

 反戦川柳に命をかけた鶴彬(つるあきら)の命日の14日、鶴彬を語る盛岡の会(牛山靖夫会長)は盛岡市名須川町にある鶴彬の墓前で秋の集いを開きました。民主団体などから18人が参加し、没後73年をしのんで焼香と合掌をしました。
 「手と足をもいだ丸太にしてかへし」などの反戦川柳を創作した鶴彬は、治安維持法違反で2度逮捕され、29歳の若さで亡くなりました。
 主催者あいさつで牛山会長は、若い教師から「手と足を…」とはどういう意味かと質問されたと紹介。「戦後66年とはこういうものかと、語り継ぐことの重要さを痛感した。これからも鶴彬の顕彰を続けたい」とのべました。
 同会の浦川陽子事務局長は、津波で被災した高齢者が「戦争で被害を受けたときと同じだ」と言ったのが胸に突きささっていると語り、「この困難を乗り越えるためにも、鶴彬の墓前で決意を固めたい」と話しました。
 参加者から「不来方(こずかた)に反戦の魂(たま)今優し」「反戦の墓前で極意訊(き)きそびれ」との献句がありました。
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2011年09月17日,「赤旗」) (Page/Top

ひと/小樽歴史館を運営するコンブ店主簑谷修さん(71)

 「七日食べたら鏡をごらん」―。コンブの効能を宣伝する看板が観光客の目を引きます。北海道小樽市の運河に近い堺町通り商店街のコンブ専門店「利尻屋みのや」の社長です。
 2年前、私財を投じて「小樽歴史館」をオープンしました。大正・昭和初期に北海道の商都として栄えた小樽を支えた人たちにスポットを当てた資料館です。
 繁栄していた当時の人々の日常を伝える道具や写真が、レトロ調の建物の1階と2階にぎっしりと展示されています。小樽出身の作家・小林多喜二の展示もあります。
 懐石料理に使われるリシリコンブの産地、利尻島の生まれ。51歳で店を開き、現在市内に4店舗。すし店やスケトウダラの白子を練ってつくる「たちかま」料理の専門店も経営しています。
 コンブの商品価値を知ってもらうために研究を重ね、売り上げは年々増加。しかし、大震災と福島原発事故が起き、観光客が激減。「誰も歩いていない商店街を見た瞬間、血の気が引きました」
 地元企業の倒産防止と雇用を守るために、借入金の返済猶予や緊急融資実施を小樽市と市議会に「直訴」しました。観光客は今、戻りつつあります。インターネットでの売り上げも増えてきました。
 「額に汗し、働いている人の姿が一番美しい。若い人たちに小樽商人の苦労を知ってほしい。そして町を再生させてほしい」
 文 小泉 健一郎
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2011年09月16日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟中国地方交流会/立法化運動強めよう/山口市で開く

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟中国ブロック交流会が13、14の両日、同同盟中央本部の藤田廣登事務局次長を迎えて、山口市内で開かれ、中国5県から会員50人が参加しました。
 藤田氏は「関東大震災・亀戸事件と小林多喜二」と題して講演。関東大震災直後から犠牲者の救援活動を行っていて警察の弾圧にあった労働運動の活動家たちに対して畏敬の念を抱き、社会運動に興味をもつようになる小林多喜二の思想的成長と、そのことを作品に生かしたことが警察による虐殺の原因になったことを紹介し「日本のように人権の遅れた国はない。このゆがみを正していくことが未来をつくっていくことになる」と強調しました。
 交流会では、同同盟中央副会長でもある林洋武山口県会長が報告し、「治安維持法犠牲者国家賠償法」立法化の運動、会員拡大、支部活動の強化、全国女性交流集会への参加などについて提案しました。
 各県からは、それぞれの情勢の特徴や活動状況が報告され、交流を深めました。
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2011年09月15日,「赤旗」) (Page/Top

南空知支部映画とつどい

 北海道の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟南空知(みなみそらち)支部は2日、結成20周年記念「映画とつどい」を岩見沢市民会館で行い、16人が参加しました。
 同盟中央本部が製作した「燃やし続けた炎」を上映。森谷猛支部長は「日米同盟深化を強調する野田佳彦内閣が誕生しました。20年の活動の知恵と力を結集して、戦争する国にさせないたたかいを強めたい」とあいさつしました。
 日本共産党の上田久司南空知地区委員長は「歴史を逆戻りさせようとする動きが強まっています。みなさんとともに頑張ります」と決意を込めた来賓あいさつをしました。
 藪田享長沼町議は、戦前の日本共産党の指導者である野呂榮太郎が殺されたあと、特高に見張られ困窮していた家族を助けた農民について報告し、参加者の心を打ちました。
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2011年09月13日,「赤旗」) (Page/Top

道本部ブロック会議国会請願成功へ/治維法国賠同盟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部は5、6日の2日間、富良野市でブロック会議を開き全道から36人が参加しました。
 上富良野町の「泥流地帯の碑」と富良野市の「農魂の碑」を訪れ、作家・小林多喜二の『不在地主』で有名な磯野農場の小作人が日本農民組合に結集し小樽の労働者と共闘して大勝利した1927年の争議を学びました。
 この争議に参加し、翌年の三・一五弾圧で検挙された山出森一氏の孫も参加。「地主側は争議のとき、差し押さえにやってきて米を隠していないかと天井や床板をはがし、祖母がおぶっていた幼児(母)にあめをくれたりする懐柔まがいのこともしたと母が話していた」と語りました。
 全体会議で宮田汎会長は、署名や地方議会での意見書可決、紹介議員確保の重点化と若者への会員拡大、会員同士のつながりを重視した体制と活動強化を提案。分科会と全体会で討議し、10月5日の国会請願を成功させる決意を固めました。
 赤平と歌志内から参加した日本共産党の大道晃利、女鹿聡両新市議は「先人のたたかいを学び貴重な体験でした。道をつくれば若い人も必ず参加してきます」と激励しました。
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2011年09月13日,「赤旗」) (Page/Top

教育基本条例案・職員基本条例案/条例案撤回へ理事会決議/治安維持法国賠同盟大阪府本部

 公教育の破壊ともの言わぬ府民・公務員づくりを狙う「大阪維新の会」(代表・橋下徹知事)の2基本条例案は撤回せよと治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟大阪府本部は7日、府庁を訪れ、理事会決議を橋下代表あてに手渡しました。
 柳河瀬精会長らが訪問し、恣意(しい)的な人事評価で教職員や公務員を免職できる2案を「戦前の『上意下達』をこととした悪政の反省に立って戦後築かれた民主的な地方政治のあり方を根底から突き崩すもの」で「絶大な権限を知事に集中させる」のが狙いだと批判しています。
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2011年09月09日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/あざやかな人物の対比

 戸崎曽太郎さんの『兵庫の先駆者たち』が最近出版されました(兵庫県自治体問題研究所)。3年前に出た『兵庫地域史人名録』の続編です。正続編あわせて兵庫ゆかりの百数十人が紹介・論評されています。伊藤博文、三木清、横溝正史、美濃部達吉・亮吉親子、白洲次郎・正子夫妻、小松左京などの著名人も登場しています。
 本書の特徴は、基本的に2人の人物を対比させていることです。その際、人物の組み合わせがじつに絶妙で、ふたりの人物の共通性・同一性とともに差異・対立があざやかに分析されています。たとえば、小林一三と須藤五郎です。前者は阪急電鉄・東宝映画などの経営者で、後者は日本共産党参議院議員でした。小林は宝塚歌劇の創始者であり、須藤は宝塚歌劇の音楽教師でした。1930年、須藤は治安維持法違反で逮捕されます。彼の能力を評価していた小林は釈放後の須藤を宝塚に復帰させます。
 ところが戦後、須藤は労働組合を組織し、委員長になります(副委員長は春日野八千代でした)。怒った小林によって須藤は解雇されますが、1949年参院選に立候補し、タカラジェンヌたちの応援も得て当選します。その他の人物の対比にも、魅力あるドラマがあり、読者の想像力をかきたてます。
 (平)
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2011年09月07日,「赤旗」) (Page/Top

「奪還事件」から80年/多喜二祭に400人/群馬・伊勢崎

 小説「蟹工船」で知られるプロレタリア作家の小林多喜二らが1931年9月6日、文芸講演会に訪れた群馬県伊勢崎で講演を前に警察に検束され、治安維持法下でも民衆の力で解放させた「多喜二奪還事件」から80年。事件を記念する第4回伊勢崎・多喜二祭(八田利重実行委員長)が4日、伊勢崎市内で開かれ、400人以上が参加しました。
 多喜二・百合子研究会の大田努副代表が、多喜二と群馬の関係について、群馬県出身の金子満広・元党書記局長(元衆院議員)が、自らの人生と多喜二への思いなどを語りました。
 多喜二の証言に基づく文書が発掘され、伊勢崎署から太田署に移送されていたという新事実が判明(「しんぶん赤旗」日曜版8月28日号で大田氏が紹介)したことを受け、長谷田直之事務局長は、「多喜二本人の証言が出てきたことは重要。これから新たな証言を見つけていきたい」と述べました。
 元党衆院議員の松本善明氏が「菊池邦作の先駆性といわさきちひろ」と題して講演。松本氏の妻で絵本画家のいわさきちひろさんが伊勢崎の文芸講演会を主催し検束された一人、菊池氏の推せんで1946年、日本共産党に入党していたことを話すと会場はどよめきました。
 「絵筆をもった革命家」と、ちひろを評し、現在ベトナムや韓国などでも展覧会が開かれ国際的な広がりを持っていることを紹介。「邦作氏との出会いと入党がちひろの画家としての出発点であり、人生の広がりをつくった」と述べました。
 展示室では、多喜二のデスマスク(小樽文学館所蔵)や草稿ノート(共産党中央委員会所蔵)などの貴重な資料を真剣に見入る参加者でにぎわいました。日曜版記事を読んで参加した森美枝子さん(66)=埼玉県東松山市=は「すごい資料ですね。仲間から3年前に多喜二の奪還事件の話を聞いて、今回伊勢崎に来られてよかった」と話しました。
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2011年09月06日,「赤旗」) (Page/Top

亀戸事件から88年/先輩たちの遺志継いで救援活動の先頭に/東京で追悼会

 亀戸事件88周年追悼会が4日、東京都江東区亀戸の赤門浄心寺で行われました。
 東巨剛(ひろたか)追悼会実行委員長は、88年前の関東大震災で救援活動に当たっていた日本共産主義青年同盟(共青、日本民主青年同盟の前身)の川合義虎をはじめとする青年や労働者が天皇制権力によって逮捕され虐殺されたとのべ「これは国家権力による無法無謀なテロであり犯罪だ。責任を明らかにして謝罪と賠償をするべきだ」と語りました。
 日本共産党東京都委員会を代表して追悼のことばをのべた、あぜ上三和子都議は関東大震災で救援活動に当たった党の不屈の伝統の上に立って「東日本大震災と原発事故という未曽有の事態に国民の苦難軽減のために奮闘する」と語りました。
 日本民主青年同盟の林竜二郎中央常任委員は、東日本大震災では青年ボランティアが泥やがれきの撤去、要望の聞き取りなどに取り組んだことを紹介。「共青の先輩の遺志を受け継いで、大企業優先、アメリカいいなりでない新しい政治を青年みずからの手で勝ち取る」と決意を述べました。
 同会では、浄心寺住職が読経、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の山崎元中央本部副会長、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式実行委員会の石橋正夫日朝協会会長が追悼のことばをのべました。
 閉会後、参加者は境内にある「亀戸事件犠牲者之碑」に献花しました。
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2011年09月05日,「赤旗」) (Page/Top

山本宣治の資料展始まる/30年ぶり本格展示/6日正午まで/京都・宇治

 「山宣」(やません)の愛称で親しまれ、戦前に民主主義や自由をかかげて右翼に暗殺された衆院議員、山本宣治の遺品などを紹介する資料展が1日から京都府宇治市の宇治市生涯学習センターで始まりました。6日正午まで。入場無料。
 山宣と親交が深かった竹久夢二が山宣の義妹を描いた絵を初めて公開しています。
 山宣の資料を本格的に展示するのは約30年ぶり。山宣の生家である料理旅館「花やしき浮舟園」(宇治市)が所蔵するデスマスクや衆議院議員バッジ、暗殺されたときに持っていた愛用のカバンなどを借り受けて展示し、山宣の葬儀を支援者が検束される覚悟で撮影した貴重な映像も放映しています。
 生物学者でもあった山宣は1928年の第1回普通選挙で労農党の代表として京都2区から立候補し初当選、翌年3月5日に右翼の凶刃により39歳で命を落とします。
 主催する宇治山宣会の薮田秀雄会長は「主権在民や言論の自由があるのは山宣らのたたかいがあったから。展示を通していまの社会や政治を見つめ直すきっかけにしてほしい」と話しています。
 京都市伏見区から訪れた中野尚英さん(81)は「治安維持法の改悪に反対するなど、当時ではとうていできない勇気だ。傑出した人物だと思う」と話していました。
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2011年09月02日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 先の大戦が終わりまだ半年余りの1946年初春。長野の松本市に住んでいた岩崎知弘は、日本共産党に入党を申し出ました▼岩崎知弘。のちの国民的画家いわさきちひろです。応じた2人が推薦人となります。菊池邦作・弘子夫妻。邦作は、同年1月に開いた共産党演説会の弁士の1人でした。演題は「共産党は恐ろしいか」▼演説会に行ったちひろは、「(共産党は)なんて本当のことをいうのだろう」と思ったとか。菊池夫妻との交流が始まります。入党は、自問自答し、じっくり考えた末の決断だったようです。彼女は、邦作たちを「恩人」と敬いました▼邦作は、小林多喜二とともに警察に捕まった体験の持ち主です。群馬・伊勢崎に家があった青年時代の1931年9月6日。邦作たちは、多喜二ら講師数人を招き文芸講演会を開こうとしました▼事前に講師と青年数十人が集まっている場を警察が襲う。が、講演会にきた約500人が警察におしかけ、全員を釈放させる…。多喜二奪還事件です。邦作らが伝えてきましたが、権力側の資料でも史実と確かめられています▼4日、事件を記念する第4回伊勢崎多喜二祭が開かれます。記念講演は、ちひろの夫だった松本善明さん。「人をふるいたたせるような油絵ではなくて、ささやかな絵本の絵描き」といって、人間の純粋さを描いたちひろ。ぎりぎりの境遇で歯を食いしばってたたかう人々を描いた多喜二。志を同じくする二つの際立った個性が、邦作をはさんで相照らしあいます。
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2011年09月02日,「赤旗」) (Page/Top

*  8月】(ヘッドライン)

*         文化/多喜二奪還/伊勢崎事件80周年に寄せて/大田努/コラムに残る息づかい

*         治維法国賠同盟/三重県本部が21回大会開く

*         治維法国賠同盟札幌支部が総会

*         市民平和展に絵手紙など230点/北海道岩見沢

*         治維法国賠同盟県本部が総会/岩手

*         終戦66年の日/平和への決意語る/和歌山駅前では治維法国賠同盟

*         基地も原発もいらない/つくろう平和な日本/終戦の日各地で行動/大分/福岡/佐賀/宮崎/鹿児島/沖縄/岡山/鳥取/山口/香川

*         終戦66周年/共産党、各地で宣伝/願いは不戦、原発ゼロ/愛知/長野/静岡/三重/石川/新潟/福井/岐阜/富山

*         8・15各地で宣伝行動/水戸市/栃木県/群馬県/さいたま市/横浜市/甲府市/水戸市

*         塩釜と多賀城で「戦争ノー」宣伝/治維法国賠同盟支部

*         終戦66周年/平和が一番9条で行こう=^各地で多彩に行動/札幌/函館/青森/秋田/仙台

*         終戦66年の夏、関連番組放送/朝日系

*         書架散策/丹羽郁生/ユリウス・フチーク著、栗栖継訳『絞首台からのレポート』

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文化/多喜二奪還/伊勢崎事件80周年に寄せて/大田努/コラムに残る息づかい

 本年は、革命作家の小林多喜二らが講演に訪れた群馬県伊勢崎で検挙され、その釈放のための「多喜二奪還事件」が起こされてから80周年を迎えます。この事件は、戦前の日本が中国東北部への侵略戦争を開始した「満州事変」の前夜に当たる1931(昭和6)年9月6日のことでした。
 80周年を前にして、私は多喜二らの消息を伝える新しい事実を発見しました。それは、別項のように、日本プロレタリア作家同盟機関紙「文学新聞」31年10月10日創刊号の第3面「文壇ゴシップ」欄に掲載された「昔の牢(ろう)屋」というこの事件に触れた記事です。そこには多喜二本人の生々しい声も初めて伝えられていたのです。
 この事件は作家の稲沢潤子が『自立する女性の系譜―お母さん弁護士平山知子の周辺』(一光社、77年)で平山氏の父菊池邦作とこの事件との関係に触れたことから、知られるようになりました。
 当日の講演会を主催したのは全農青年部とされますが、伊勢崎地方にはプロレタリア文学運動の影響を受けた広範な読者層もあり、講師の多喜二や村山知義、中野重治を招くだけの十分な条件が存在しました。
 講演会の開始前にもたれた「茶話会」で多喜二が語ったと伝えられる「台所と文学」という演題も、この頃彼が「我々の芸術は飯を食えない人にとっての料理の本であってはならぬ。」と書いた色紙が残されているように、その文学観から見て興味深いものがあります。
 多喜二は長編小説の「安子」や「転形期の人々」を書き始めるとともに、作家同盟の書記長としては各地の講演会なども精力的にこなし、プロレタリア文学を多数者のものにするために先頭に立っていました。
 ところが、伊勢崎署は講師団を事前に総検束し、この講演会の開催を妨害したのでした。すでに会場に詰めかけていた聴衆は講師団の釈放を要求して大挙して警察署に押しかけ、乱闘となり、一時警察署が占拠される状態になります。そうした最中に、隣町の太田署に移された時の多喜二の感想が「昔の牢屋」というものでした。
 この問題では、警察当局との釈放交渉の結果、事件については公にしないという条件が交わされていたために講演会の主催者側では沈黙を守っていました。
 ところが一部新聞が不確かな情報を流したりした中で、「文学新聞」が事件の経過についていち早く正確な記事を載せていたことは大変注目されます。この記事からは、多喜二らが釈放されたのがこれまで伝えられていた伊勢崎署ではなく、太田署からだったことも新たに判明しました。
 また、記事は留置場にありながらも意気軒高な若き日の多喜二の姿を生き生きと伝えています。彼はこの事件の翌月に非合法下の日本共産党に入党を果たしたのです。
 この頃は、全国的に都市でも農村でも革命的民主的運動が大きな高揚期を迎えており、伊勢崎事件は東京にも波及しています。9月20日に東京上野で開かれた大衆的啓蒙(けいもう)雑誌『戦旗』の「防衛の夕べ」で多喜二がまたしても講演中に検挙されたさい、労働者らが上野の坂を駆けおりるデモを敢行し、「多喜二奪還」の抗議集団を組織していたことも忘れることはできません。
 (おおた・つとむ 文芸評論家、多喜二・百合子研究会副代表)

昔の牢屋
 去九月六日に作家同盟の中野重治、小林多喜二、村山知義の三人伊勢崎市の全農青年部の講演会へよばれて行き、途中から伊勢崎署に三人共検束、それと知つた全農青年百人あまり、警察へおしよせ乱闘となつたので、警察では三人を裏口から自動車にのせて太田といふ田舎の警察へ送つた。
 東京へ帰つた小林曰く「太田といふ警察の留置場は丸太ン棒で作つた荒莚じきの、江戸時代の牢屋そつくりだつたよ。あそこは実に物凄くて珍らしかつた。」何もそんなに感心せんでもよい。

第4回伊勢崎 小林多喜二祭
 9月4日午後2時、伊勢崎市境総合文化センター。記念講演・松本善明「菊池邦作の先駆性といわさきちひろ」、あいさつ・金子満広、バイオリン演奏・早川愛美、多喜二奪還事件の概要・長谷田直之。参加券千円。主催=伊勢崎・多喜二祭実行委員会

小林多喜二 1903〜33年。小説の代表作に「一九二八年三月十五日」「蟹工船」「党生活者」など
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2011年08月28日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟/三重県本部が21回大会開く

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟三重県本部は21日、第21回県本部大会を津市で開催し、36人が参加。国賠同盟中央本部の柳河瀬精会長が「国賠同盟の運動を国民的運動に発展させよう」と題して記念講演しました。
 戦中の大政翼賛会を思い起こさせる民主・自民の「大連立」の危険な道とたたかう立場から、当面10月15日に予定している国会請願行動に向けて三重県内の請願署名をもう一回り広げる取り組みを確認し、運動方針と役員を決めました。
 会長に水野修治、副会長に加藤昌行、中山勝、山下正行、事務局長に橋本茂の各氏が選ばれました。
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2011年08月26日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟札幌支部が総会

 治安維持法国賠同盟札幌支部は21日、第25回総会を開き30人が参加しました。
 中出玉枝支部長が運動方針を提案。▽治安維持法犠牲者への謝罪と賠償を求める個人署名1万2千、団体署名400をやり遂げ、10月5日の国会請願を成功させる▽札幌市議会での意見書議決に努め、17年間続いている読書会など学習活動を強める▽犠牲者の顕彰活動と先達のたたかいの歴史を語り継ぐ活動を進める▽会員を350人に拡大する▽レッド・パージ被害者の名誉回復と賠償を求める活動に協力する―ことなどが満場一致で採択されました。
 日本共産党の宮川潤札幌市議が「泊原発の営業運転再開は絶対に許されません。ともにたたかいましょう」と来賓のあいさつをしました。宮田汎道本部会長は「治安維持法で検挙され、多喜二のように虐殺された犠牲者の名簿が90人にもなりました。獄死者も300人を超えています。この事実を明らかにして国会請願を成功させましょう」と訴えました。
 総会は中出支部長、渡辺ちか子事務局長を再選しました。
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2011年08月26日,「赤旗」) (Page/Top

市民平和展に絵手紙など230点/北海道岩見沢

 北海道岩見沢市で19日、「市民平和展」(原水協・国賠同盟・新婦人・岩労連共催)が開催され、多くの市民が訪れました。
 会場では、原爆パネル39点や平和の絵手紙138点、原発資料25点、野呂栄太郎・西田信春ら治安維持法犠牲者の経歴と写真など、230点が展示され、「核兵器も原発もゼロの世界」をアピールしました。
 熱心に見学する姿が見られ、「戦争中の日本はなんてひどいことをしていたのだろうか」「原発の是非を問うている中、高橋はるみ知事の泊原発(3号機の営業運転)再開に驚き、怒りがわいてきました」など多数の感想が寄せられました。
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2011年08月24日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟県本部が総会/岩手

 治安維持法国賠同盟岩手県本部(金野剛会長)はこのほど、盛岡市で総会を開き、24人が参加しました。
 総会には日本共産党の菅原則勝県委員長が出席し、「大震災では、岩手県沿岸各地へ15県からボランティアが入り援助している。被災者の最後の一人まで生活再建できるよう取り組んでいく」と決意を述べました。
 牛山靖夫事務局長は「大震災で全国の同盟から温かい激励と義援金を寄せられた」と報告し、関東大震災と亀戸事件、昭和三陸大津波と救援活動への弾圧について語り、前総会以後の同盟活動と今後の運動方針を提案。
 交流では、溺れて低体温にもかかわらず助かった佐藤恵蔵釜石支部長の状況や、会員の3分の1が仮設住宅住まいという釜石支部の被災者の実態がリアルに話され、「いろいろ困難もあるが支部の確立強化へ頑張る」との発言に参加者全員が熱い拍手をおくるなど、全体の討論を通じて絆が強まる総会となりました。
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2011年08月19日,「赤旗」) (Page/Top

終戦66年の日/平和への決意語る/和歌山駅前では治維法国賠同盟

 治安維持法国賠同盟和歌山県本部はJR和歌山駅前で13人が参加して宣伝しました。「憲法9条を守ろう」「戦争に反対したため投獄・拷問・虐殺された人々への国の謝罪と賠償を」と訴え、300枚のビラを配布し、署名を訴えました。
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2011年08月18日,「赤旗」) (Page/Top

基地も原発もいらない/つくろう平和な日本/終戦の日各地で行動/大分/福岡/佐賀/宮崎/鹿児島/沖縄/岡山/鳥取/山口/香川

 終戦66周年記念日の15日、日本共産党や民主団体は不戦の誓いとともに、未曽有の東日本大震災・原発災害から命と暮らしを守ろうと各地で呼びかけました。

大分/核兵器なくせ
 平和と民主・革新をひらく大分県懇話会(県革新懇・河野善一郎会長)は30回目となる「8・15終戦の日平和宣伝」を大分市のトキハデパート前で行いました。
 12人が参加してビラを配布し、「憲法9条を守り、平和への思いを新たにしよう」「核兵器をなくし、米軍基地も原発もいらない平和な日本をつくろう」などと訴えました。
 「核兵器全面禁止のアピール」国際署名への呼びかけに、高校生2人連れは「たくさんの命をはぐくんでいる地球に戦争も核兵器もいらないし、危険な原発も必要ないと思う」と語り、署名に協力していました。

福岡
 日本共産党福岡県委員会と福岡市議団は、福岡市の博多駅前と天神で街頭演説をしました。宮本秀国、星野美恵子、中山いくみ、熊谷敦子の各市議が参加しました。
 中山市議は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにする」と誓った日本国憲法を守り抜く決意をのべ、「国民の命と暮らしこそが大事という憲法の精神を政治に生かしていくときです」と訴えました。
 宮本市議は「日本共産党は原発からのすみやかな撤退をかかげて頑張っています。原子力発電から再生可能な自然エネルギーへの転換を求める国民の声が大きく広がってきました。日本共産党を大きく前進させてください」と訴えました。

佐賀
 日本共産党佐賀県委員会の武藤明美副委員長(県議)は、佐賀市内5カ所で街頭演説しました。車の中からの手を振っての激励、自転車に乗った女性から「頑張れ」の声援が寄せられました。

宮崎
 日本共産党の前屋敷恵美宮崎県議は、浜畑共子前宮崎市議とともに宮崎市内で宣伝しました。前屋敷氏は戦争の犠牲者へ哀悼の意を示し、戦争に一貫して反対してきた党の立場を紹介しました。
 東日本大震災と原発事故にもふれ、「原発ゼロの日本」を目指し、より安全な自然エネルギーへ転換するなど「国民の命とくらしを大切にする政治が必要」だとのべるとともに、放射線による被害者を出さないために「核兵器のない世界」を実現することは急務だと語りました。
 時折、激しく雨が打ちつけましたが、立ち止まり耳を傾ける市民も見られました。

鹿児島
 鹿児島県では奄美市で日本共産党の崎田信正、三島照両市議が「核兵器のない世界と原発ゼロの日本を実現しよう」と訴えるとともに「日本共産党の市田忠義書記局長を迎えて28日午後2時、奄美文化センターで開かれる日本共産党演説会への参加を」と呼びかけました。鹿児島市ではまつざき真琴県議、薩摩川内市、姶良市、出水市、日置市、南九州市などで各議員らが訴えました。

沖縄/オスプレイ配備許さぬ/赤嶺議員訴え
 日本共産党の赤嶺政賢衆院議員は、沖縄県庁前で街頭宣伝をしました。
 赤嶺議員は、米海兵隊普天間基地(宜野湾市)への垂直離着陸機MV22オスプレイ配備計画に触れ「配備を絶対許さず、普天間基地の即時無条件撤去、名護市辺野古への新基地建設を阻止するために全力を尽くしていきたい」と訴えました。
 また、尖閣諸島の領土問題を口実に政府が先島諸島への自衛隊配備を狙っている問題についても「各漁業組合長から『武力で物事を解決させようとすることは、かえって近隣諸国との関係を悪化させる』との反対の声が上がっている」と指摘。「外交的・平和的に解決していくことこそ、悲惨な戦争の教訓として生かしていかなければならない」と強調しました。

岡山
 日本共産党の氏平三穂子岡山県議と林潤岡山市議は、同市中区で宣伝しました。
 氏平県議は「核兵器廃絶、原発をなくすために全力をあげます」と強調。林市議は、党が求めてきた空襲平和資料館が実現することになったことを報告。「戦争体験をしっかりと伝え、戦争しない日本を」と訴えました。
 両議員に歩み寄ってきた女性(65)は「厚生年金保険料を16年かけてきたのに、年金がもらえない。法律を変えて受給資格が得られるよう県、市議会でも取り上げてほしい」と求めました。
 氏平県議は「ヨーロッパなどの国では5年かければ受給できます」と話し、受給資格を10年に短縮し、最低保障年金月5万円を提案する党の政策を紹介。「日本共産党を大きくして実現しましょう」と語りかけました。

鳥取
 日本共産党の岩永なおゆき衆院鳥取1区候補(党県書記長)、市谷知子県議、角谷敏男鳥取市議、塚田成幸東・中部地区委員長は、JR鳥取駅北口で街頭宣伝しました。
 岩永氏は、日本の侵略戦争で2000万人を超すアジア諸国民と310万人以上の日本国民が犠牲になったと述べ、「再び政府によって戦争を起こさせてはならない」と訴え。さらに、福島原発事故は収束のめどが立たず、時間的、空間的、社会的に大きな被害を出し、放射性廃棄物の影響は100万年消えないと述べ、原発からの撤退と自然エネルギーの爆発的普及を呼びかけました。

山口
 日本共産党山口県委員会は、吉田貞好書記長と河合喜代山口市議が山口市内で街頭宣伝し、「共産党といっしょに政治を変えていこう」と呼びかけました。
 吉田、河合両氏は「今年の終戦記念日は福島第1原発事故という国難ともいうべきなかで迎えている。原発事故は、飛行機事故や交通事故とは違った異質のもの。ひとたび起こると制御不能に陥ることが明らかになった」と指摘し、「エネルギー政策を原発依存から、太陽光や風力、地熱など自然エネルギーに抜本的に切り替えて行くときだ。原発から撤退するために全力をつくす」と力を込めました。

香川
 香川県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は15日、高松市の三越前で6人が参加してビラ配布と宣伝行動に取り組みました。
 田中和夫事務局長は「戦前の日本政府は治安維持法で国民を監視し弾圧しました。戦争や政治を批判しただけで命まで奪いました」と会の活動の歴史や内容を紹介。福島原発事故にもふれ「いったん事故が発生すれば、これまで築いてきた生活と経営が失われ、住むところもなくなる。戦争や原爆は過去にあったというのではなく、現在の問題です」と呼びかけました。参加者は「平和、原発、くらしなど話し合われてはいかがでしょうか」と呼びかけるビラを手渡していました。
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2011年08月17日,「赤旗」) (Page/Top

終戦66周年/共産党、各地で宣伝/願いは不戦、原発ゼロ/愛知/長野/静岡/三重/石川/新潟/福井/岐阜/富山

 東海北陸信越各県の日本共産党は、終戦から66年の15日、各地で街頭演説をおこない、「核兵器のない世界を」「原発ゼロの日本を」と訴えました。

愛知/「訴えに賛成」
 日本共産党愛知県委員会は、終戦66周年記念日の街頭宣伝に取り組み、各地方議員らが訴えの先頭にたちました。
 八田ひろ子県副委員長(元参院議員)と本村伸子県常任委員は、名古屋市熱田区の金山総合駅南口でマイクを握り、「政府の行為で再び戦争を起こさせないよう、平和への決意をあらたに奮闘します」などと訴えました。
 また、「核兵器を全面禁止させて原発からも撤退し、若者や子どもたちが希望の持てる社会をつくりましょう」と呼びかけました。
 チラシと「しんぶん赤旗」宣伝紙を受け取り、訴えに聞き入っていた緑区の男性(53)は「訴えに賛成です。共産党は、東京電力に原発事故被害者への補償責任を全面的に取らせるよう、先頭にたってほしい」と話しました。

長野/市議が力強く
 日本共産党長野県委員会と長水地区委員会は、長野駅前で終戦の日の街頭宣伝をおこないました。今井誠県委員長、長瀬由希子地区委員長と県議、市議、県勤務員が参加しました。
 佐藤くみ子長野市議は、「みなさんと力をあわせて、二度と戦争を繰り返さない平和な社会をつくるために全力で奮闘する」と訴え、市庁舎・市民会館建て替え問題では市長が「白紙」という公約を踏みにじり、オール与党が追認してきたことを指摘し、9月の市議選で「市民のみなさんの声とともに、福祉・暮らしを重視する長野市政に転換しよう」と訴えました。
 石坂ちほ県議団長、和田あき子県議も「真実が政治を動かし始める、新しい流れが日本でも長野市でも生まれている」ことに触れ、「原発からの速やかな撤退」「憲法9条を守り、平和な日本へ」と訴えました。
 長野県内では、上田市、松本市、諏訪市、下諏訪町、岡谷市、塩尻市、伊那市でも党地方議員を先頭に街頭から訴えました。

静岡/浜岡廃炉ぜひ
 日本共産党静岡県委員会と静岡地区委員会は、静岡市呉服町交差点で街頭宣伝を行いました。山村糸子県委員長、青野賢二地区委員長、鈴木節子静岡市議らが参加しました。
 山村県委員長は、戦争犠牲者への追悼と二度と悲劇を繰り返さない決意を表明。「原爆の被害を受けた国として放射能による被害をこれ以上出してはいけません。震源域の真上にある世界一危険な浜岡原発(御前崎市)を永久停止・廃炉にして、命の危険のない原発ゼロの日本にさせましょう」と訴えました。
 手を振って応援した女性(65)は「戦争が起こらないようにしてほしいです。問題をハッキリ訴える共産党に頑張ってほしい」と話しました。

三重/反戦の党紹介
 三重県の日本共産党は、中野たけし衆院比例東海ブロック・三重2区候補を先頭に、議員・候補者や党員、後援会員が各地で宣伝行動に取り組み、平和と国民のくらしを守る党の決意を訴えました。
 近鉄四日市駅前で、萩原量吉前県議や加藤清助、山本りか両四日市市議、太田のり子党市くらし対策委員長らと街頭に立った中野氏は、東日本大震災と福島原発事故という大変な状況に直面するなかで終戦記念日を迎えたとし、「被災者、国民の願いを正面から受け止める政治や政党のあり方が今、あらためて問われている」と強調しました。
 その上で中野氏は、戦前から一貫して戦争に反対し「国民こそ主人公」の立場で活動してきた日本共産党の歴史とその信念を詳しく紹介しました。
 道行く市民から「がんばってください」など激励の声が多く寄せられました。

石川/政治ただそう
 日本共産党石川県委員会は、県内各地で地方議員先頭に街頭宣伝を行いました。
 金沢市香林坊では佐藤正幸県議らが訴え。佐藤県議は、66年前の終戦では侵略戦争を推進してきた日本の政治のあり方が大もとから問われることとなったと指摘。東日本大震災のもとでの終戦記念日にあたり、あらためて日本の政治のあり方が問われているとし、「被災者の立場にたった復興をすすめ、原発にたよらない社会をつくるためにも、大企業の利益優先、アメリカ追随という日本の政治のおおもとをただす必要がある」と訴えました。
 手を振っての激励や、自転車から降りて注目する若い女性の姿がみられました。

新潟/戦争の傷今も
 日本共産党新潟県委員会は、新潟市で終戦記念日での街頭宣伝をしました。武田勝利副委員長、五十嵐完二、野本孝子両市議が参加しました。
 五十嵐市議は「戦争はどんな立場の人にも苦しみを与える。再び起こしてはならないというのは国民共通の思いだ。再び戦争を起こさない新たな誓いの日にしよう」と訴えました。
 野本市議は「終戦間近の8月10日、新潟市での米軍艦載機の銃撃で47人が死亡している。いまだ多くの傷跡を抱えている市民がいる。二度と戦争は繰り返してはいけない」と強調しました。
 武田氏は「福島原発事故でかつてない原発の危険性が明らかになった。日本共産党は一貫して原発の危険性を科学的に明らかにして反対を主張してきた。原発のない社会をつくるため国民と力を合わせて全力を尽くす」と訴えました。
 通行中の車から手を振る姿が多く見られました。
 街頭宣伝箇所では、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部が、今年もビラ配布をしました。

福井/憲法9条守る
 福井県では日本共産党が街頭宣伝に取り組み、戦没者への哀悼の意を表すとともに、憲法9条を生かして平和を守る決意を訴えました。
 福井市では日本共産党の南秀一県委員長と佐藤正雄県議、鈴木正樹福井市議が訴え。
 佐藤氏は「侵略戦争の過ちを繰り返させないため、憲法9条を守って頑張ります」とのべるとともに、自民、民主両党の大連立構想を厳しく批判し、「(両党は)改憲でも沖縄の基地問題でも消費税増税でも変わりがない」と指摘しました。
 原発問題では、安全神話から抜け出さない政府の態度を批判し、「人類と原発は共存できない。『原発ゼロ』を目指しましょう」と呼びかけました。
 鈴木市議は4歳の娘を連れ、「この子に9条の精神を残したい」とのべました。

岐阜/県民の声こそ
 日本共産党岐阜県委員会は、岐阜駅前で宣伝しました。
 松岡清県委員長と大須賀しずか県議が街頭に立ち、県勤務員らが民報号外を配布しました。
 大須賀県議は、「戦前から命がけで平和を守ってきた政党として、県民の声をまっすぐ県政に届けていきます。憲法9条を守り、他国と戦争をせず、安心して暮らせる岐阜県に住民運動で働きかけましょう」と訴えました。
 市内の50代の男性は、「原発を落とされた国が、また放射能の危険におびやかされるのは、複雑です。平和がいいです」と話しました。

富山/他団体と訴え
 安保破棄・諸要求貫徹富山県実行委員会と憲法改悪阻止県連絡会は、富山市の中心商店街で終戦記念日を迎えての街頭宣伝を行いました。
 増川利博事務局長(県労連議長・高教組委員長)ら6人が参加しました。
 参加者は交代でマイクを握り、増川事務局長は、「戦争放棄をうたった日本国憲法9条を生かし、戦争を美化して戦争のできる国をつくろうとする動きに反対しよう」と呼びかけました。
 日本共産党から中山雅之富山市議が参加。「東日本大震災と東電の事故は戦後の日本のあり方を問いかけている。政治の根本問題にメスを入れよう」と訴えました。
 同日、日本共産党は、富山県の各地で、終戦66周年の訴えを行いました。
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2011年08月17日,「赤旗」) (Page/Top

8・15各地で宣伝行動/水戸市/栃木県/群馬県/さいたま市/横浜市/甲府市/水戸市

 「平和・民主・革新の日本をめざす茨城の会」(茨城革新懇)と治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部は終戦記念日の15日、水戸市のJR水戸駅南口で演説を行いました。
 茨城革新懇の小川弘二事務局長、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部の久保田俊雄事務局長、日本共産党の大内久美子県議、同党県委の稲葉修敏書記長らが交代で広島、長崎への原爆投下や福島原発の重大事故に言及。「核兵器を廃絶し、『原発ゼロ』の新しい日本をめざそう」とよびかけました。

栃木県
 日本共産党栃木県委員会は15日、宇都宮市、大田原市など県内各地で議員、同候補者を先頭に終戦記念の街頭宣伝に取り組みました。
 宇都宮市内では、野村せつ子前県議、荒川恒男、福田久美子両市議、田部明男市政対策委員長が街頭に立ちました。
 野村氏は、仙台市での震災救済ボランティアに参加したことにふれながら、日本共産党の立党の精神に立ち返り、復興に全力をあげる決意を表明。荒川、福田両市議は、憲法9条を守り、平和な日本を築こうと呼びかけました。

群馬県
 日本共産党の小菅啓司群馬県委員長、酒井宏明県議、中道浪子前橋市議団長は終戦記念日の15日、前橋市内2カ所で宣伝しました。沼田市や桐生市などでも宣伝行動に取り組みました。
 酒井氏は「戦争も核兵器もない世界、原発ゼロの日本を一日も早く実現しましょう」と訴え、小菅氏は「未曽有の大震災と最悪の原発事故の中で迎えた終戦記念日。日本共産党は国民のいのちと暮らしを守るために全力で頑張ります」と決意をのべました。
 JR前橋駅では、子どもを連れた親から「暑い中大変ですね。頑張ってください」と声援が送られました。

さいたま市
 日本共産党埼玉県委員会は終戦66周年の15日、さいたま市の浦和、大宮両駅前で街頭宣伝を行い、伊藤岳・党県民運動委員会責任者と、山城屋せき市議が演説しました。
 伊藤氏は、東日本大震災や福島第1原発事故の大災害の復興に日本共産党が全力をあげていると述べ、「原発からの撤退、放射能から命と健康を守ることの一致点で協力・共同を広げよう」と訴えました。また、戦前、命がけで戦争反対を貫いた党の気概を受け継ぎ、核兵器を廃絶し、暮らし応援の社会を実現していくと語りました。
 山城屋市議は原水爆禁止世界大会に参加して、核兵器廃絶の決意を新たにしたと語り、「戦争も原発事故も人間の手で止められる」と訴えました。

横浜市
 日本共産党神奈川県委員会は15日、横浜市中区のJR桜木町駅前で、終戦記念日宣伝を行いました。
 畑野君枝副委員長は、横浜市教育委員会が、侵略戦争を美化する「新しい歴史教科書をつくる会」系の育鵬社の歴史と公民の教科書を採択したことを批判し「過去を正しく認識して未来に生かすことこそ、教育のあり方ではないか」と強調。終戦記念日を「これからの日本のあり方について一緒に考える日にしませんか」と呼びかけ、核兵器全面禁止を求める署名と、原発からのすみやかな撤退を求める署名への協力を求めました。
 港南区くらし・子育て相談室長の三輪智恵美さんは「戦争の傷痕の中から復興してきたように、みんなで力を合わせて希望が持てる社会をつくろう」と訴えました。

甲府市では県民のつどい
 「8・15を考える県民のつどい」が15日、山梨県甲府市で開かれ50人が参加しました。原水爆禁止山梨県協議会と県平和委員会が終戦記念日に毎年開いているもので、今年21回目です。甲府空襲(1945年7月6日)の体験を中澤章さん(80)=甲府市=が、天野安子さん(79)=大月市=が大月空襲(同8月13日)の体験を語りました。 
 中澤さんは、空襲下を教師、友人と逃げ回った甲府工高2年生だった夜の恐怖を語り、「戦争と同じくらい怖いのは軍事教育による洗脳。私のような軍国少年を再びつくってはいけない」と述べ、戦後勤務した山梨大学で「非核梨大宣言」採択(1987年)にかかわった経験を語りました。
 元小学校教諭の天野さんは、学友の都留高等女学校生徒や教師など59人が犠牲となった空襲時の模様を語り「『終戦2日前になぜ』と、今でも悔しさと怒りでいっぱいです。声を大きく『戦争は絶対ダメ』と叫び続けたい」と結びました。つどいでは、原水爆禁止世界大会の参加者が報告しました。
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2011年08月17日,「赤旗」) (Page/Top

塩釜と多賀城で「戦争ノー」宣伝/治維法国賠同盟支部

 宮城県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟塩釜支部は13日、塩釜市と多賀城市内で街頭宣伝を行いました。
 相原君雄支部長、上西寛事務局長らが「再び戦争と暗黒政治を許さないという国民的決意を新たにしつつ、ノーモアヒロシマ・ナガサキ、ヒバクシャ、そして今なお収束できないでいる福島第1原発事故による放射能汚染からの脱却をめざして、いまこそ原発からの撤退≠フ一点で大きく運動を広げようではありませんか」と呼びかけました。
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2011年08月17日,「赤旗」) (Page/Top

終戦66周年/平和が一番9条で行こう=^各地で多彩に行動/札幌/函館/青森/秋田/仙台

「赤紙」配って/札幌
 2011年さっぽろ平和行動実行委員会は終戦記念日の15日、札幌市内で召集令状(赤紙)を複製したビラを市民に配布して、「核兵器も原発もない平和な日本をつくりましょう」と訴えました。
 実行委員会に参加する女性、労働組合員、弁護士ら50人が参加しました。配布したビラには実際に送達された「臨時召集令状」が印刷され、「これが赤紙です」「これがきたら、いや応なく戦場に行かなければなりませんでした」と伝えています。
 各団体の代表が「戦争の悲劇を繰り返すな」と次々とマイクを握りました。広島で被爆した服部十郎さんは被爆直後の惨状を語り、「二度とこのような過ちを犯してはなりません」と訴えました。
 道原発問題連絡会の米谷道保さんは「安全な原発など一つもありません。原発からのすみやかな撤退を決断すべきです」と力説しました。
 ビラを受け取った市民は「これが赤紙か」と興味深そうに見入っていました。
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 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部と札幌支部は15日、終戦記念日の街頭宣伝を札幌市中心街の三越デパート前で行い、12人が参加しました。
 「核兵器と戦争のない世界を。北海道と日本、原発ゼロの決断を」の横断幕をかかげ、自由法曹団の山本完自弁護士、国民救援会の守屋敬正道本部会長、同盟の中出玉枝札幌支部長、日本共産党の坂本恭子札幌市議らがマイクを手に訴えました。
 「戦前、戦争に反対して治安維持法で捕えられた人に対し、政府はいまだに謝罪も賠償もしていません」「終戦記念日の今日、平和と自由、人権について思いをいたす日にしましょう」と道行く人たちに呼びかけました。

暗黒政治許さず/函館
 日本共産党函館地区委員会と治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟道南支部は15日、終戦66周年を記念して合同で宣伝を行いました。
 古岡友弥函館地区道政対策委員長が東日本大震災の犠牲者に哀悼を述べ、「住民本位の復興をめざし、私たちもボランティアなどで全力をつくして頑張ります」と訴えました。また平和の党として、憲法9条を守りぬく決意を表明しました。
 治維法国賠同盟道南支部の牧野秀夫支部長は「戦前の天皇制政府の下で、治安維持法によって小林多喜二をはじめ、北海道だけで7000人を超える人が検挙されました。二度とこのような暗黒政治の再現を許さないたたかいが重要です」と訴えました。

高橋議員訴え/青森
 終戦記念日の15日、青森市ではさまざまな団体が街頭宣伝をし、「憲法守れ」と訴えました。
 「戦争いやだ、憲法守れ!県民の会」(憲法ネット青森)は、新町の「さくら野」前で、奥村榮県労連議長や阿部喜美子新婦人県本部事務局長など10人が、街頭宣伝をしました。
 「平和がイチバン 九条でいこう」と書いた看板を掲げ、「核兵器廃絶に全力を 生かそう9条」などと印刷されたティッシュペーパーなどを配布。
 奥村議長らが、憲法の意義にふれながら、「9条を守ろう」と呼びかけました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部は20人が参加して、「さくら野」前で宣伝しました。日本共産党の高橋ちづ子衆院議員もかけつけました。
 舘田篤廣会長らが「ふたたび戦争と暗黒政治を許さないために、治安維持法犠牲者への国家賠償を求める署名に協力を」と訴えました。
  ◇
 青森県九条の会は終戦記念日の15日、青森市の「青い森公園」で平和集会を開き、憲法9条改憲を許さない決意を示しました。
 集会には約100人が参加。金澤茂常任世話人は、震災復興などを口実に、民主、自民の「大連立」が取りざたされていることについて、改憲に道を開くことになるとして、「改憲阻止のために力の限り頑張ろう」と呼びかけました。
 改憲阻止を訴えるアピールを採択した後、新町などをデモ行進し、市民に訴えました。

ビラも配布し/秋田
 終戦66周年の15日、日本共産党秋田県委員会と秋田地区委員会は、秋田市のJR秋田駅前で「憲法9条を生かした国づくり、街づくりを」「原発からのすみやかな撤退を」と呼びかけました。
 山内梅良県議、加賀屋ちづ子、さとう純子、佐藤広久各市議の4氏が訴えました。
 蒸し暑い日でしたが、買い物客が「頑張ってください」と、ビラを受け取っていきました。

安保学ぶ講演/仙台
 「ふたたび戦争を繰り返さないつどい」が15日、仙台市で開かれました。日本平和委員会代表理事で元参院議員の内藤功氏が講演しました。
 主催した宮城・革新懇常任世話人の高橋浩太郎氏は、参加した70人の市民に「改めて憲法と安保条約の関係を学び直し、若い世代にどう伝えていくのかを考えていきたい」とあいさつしました。
 内藤氏は、サンフランシスコ講和条約が、「日本を極東におけるアメリカの最前線基地にするために、安保条約とワンセットでつくったものだ」と条文を示しながら解説。砂川事件などの憲法9条を守る裁判闘争を紹介し、「いま憲法9条を脅かす根源にはアメリカの軍事戦略に呼応した日本の新防衛大綱がある」と強調しました。
 東日本大震災での米軍のトモダチ作戦に触れ、「具体的な救援活動と日米同盟強化に利用した上層部の意図は区別することが必要だ」と指摘しました。
 会場から原発と安保の関連を問う質問があり、内藤氏は、原発が原爆批判をかわす目的で安保条約を元に導入されたことを話しました。
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2011年08月17日,「赤旗」) (Page/Top

終戦66年の夏、関連番組放送/朝日系

この8月、朝日系では終戦、被爆関連番組を放送します。
 14日放送の「ザ・スクープ」(後2・0)は、66年前の8月14日、昭和天皇によって録音され、15日に放送された「玉音放送」に注目します。終戦に至る日米交渉、「終戦の詔書」作成の過程、放送阻止を狙う軍の反乱などを証言、資料でたどります。キャスターは鳥越俊太郎と長野智子。
 14日には、山田洋次監督、吉永小百合主演の映画「母べえ」(後9・0)も放送されます。1940年代の東京で4人家族の野上家は暮らしていました。戦争に反対していたドイツ文学者の父・滋(坂東三津五郎)が治安維持法で検挙、投獄されます。「母べえ」こと母・佳代(吉永)は苦難の中で、夫を信じ、2人の娘(志田未来、佐藤未来)たちに愛情を注ぎます。
 15日の「テレメンタリー2011」は長崎文化放送制作「あの日、原子野を飛んだ〜元特攻隊員の遺言」(深夜3・10)。長崎原爆投下の約10時間後、爆心地から30`離れた大村航空基地の特攻隊員43人が訓練のため長崎上空を飛びました。原爆の正体も分からないまま下された訓練の命令でした。彼らは戦後、上空被爆の規定がない法律のため「被爆者」とは認められませんでした。66年目の新証言でつづります。
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2011年08月11日,「赤旗」) (Page/Top

書架散策/丹羽郁生/ユリウス・フチーク著、栗栖継訳『絞首台からのレポート』

原稿の削除・改ざんの事実に驚き
 フチーク(1903〜43年)は、チェコのジャーナリスト・評論家で、ナチス・ドイツ占領下の共産党地下中央委員であった。プラハの監獄で看守らの命懸けの協力を得て密かに書かれ、獄外に持ち出された原稿は172枚。42年4月に逮捕、せいさんな拷問で死にひんしたその1年後、別の刑務所へ移送される前日6月9日までの2カ月余りの短期間である。
 フチークがベルリンで処刑されたのは、そのわずか3カ月後のことであった。残された原稿は、解放後の45年10月に出版されて大反響を呼び、国外でも日本語も含め80言語に翻訳・出版された。
 私が作品に出合ったのは遅く、イラク戦争勃発前年の02年、栗栖継氏が3度目の翻訳に挑んだ77年発行の文庫版であった。作品の外に、訳者の大部の訳注や詳細な年譜と解説などが収められていた。
 開巻と同時に作品世界に引き込まれた私は、読み進むごとに衝撃と感動を覚えた。作品は、反ナチ抵抗闘争に生きた数多くの戦士たちの姿や、残忍な拷問を繰り返すゲシュタポの姿など、多くの人間像が生き生きと描かれていた。読了時、半世紀を生きた自分の立ち位置が問われているように思った。フチークの声が聞こえ、背中を突かれた。「君は今、時の逆流に流され、眠ってはいないか」と。
 この驚愕の書に導かれて、私は4年後に拙い中編小説を書いた。その折、栗栖氏に引用の了解を請い、快諾のご返事をいただいた。驚いたのは手紙にあった、原典内でのフチーク原稿の少なくない削除・改ざんの事実であった。
 それはフチークの短見的美化のために、原稿を秘匿していた共産党によって行われ、89年の民主化革命後の全面公開で明らかになったことという。氏は述べた。若くして非業の死を遂げたフチークや多喜二の果せなかったことを、命のある限り果たさねばならない。絶版となっている本書の完全改訳で、逆に真の英雄の姿が明らかになることを氏は強く望まれている。
 (作家)
 岩波文庫
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2011年08月07日,「赤旗」) (Page/Top

 

*  7月】(ヘッドライン)

*         母の語る小林多喜二/小林セキ・述、荻野富士夫・解説/評者三浦光則多喜二・百合子研究会会員

*         治維法国賠同盟岐阜・東濃西支部総会開く

*         解放運動の無名戦士追悼/福岡

*         月曜インタビュー/ピアニスト村上弦一郎さん/40周年。原点は人とのつながり/被災地支援も音楽も響き合い

*         育鵬社・自由社の公民教科書の問題点/憲法教えず改憲強調/自由法曹団杉本朗事務局長に聞く

*         斎藤幸さんをしのぶ会開く/福岡市

*         治維法国賠同盟県本部が大会/青森

*         治維法国賠同盟県本部が総会/石川

*         補償一刻も早く/南空知支部総会/治維法国賠同盟

*         松田解子『地底の人々』を韓国語に翻訳して/韓日中民衆連帯の記録/金正勲

*         潮流

*         本荘由利支部墓参のつどい/治維法国賠同盟

*         小林セキ述『母の語る小林多喜二』よみがえる/「太陽は総てのものを平等に照らす」/荻野富士夫

*         故遠藤さんをしのぶ集い/静岡

*         文化/弁護士・海野普吉の評伝を著した入江曜子さん/戦前・戦後、冤罪とたたかった生涯

*         侵略美化の教科書採択するなと要請/秋田7市町村教委に/治維法国賠同盟

 

7月本文】(Page/Top

母の語る小林多喜二/小林セキ・述、荻野富士夫・解説/評者三浦光則多喜二・百合子研究会会員

楽天的性格は母から受け継いだ
 小林多喜二が人一倍母親思いであったことはよく知られている。その母セキが、戦争が終わった後の1946年、十三回忌を機に多喜二を語ったものが本書の原型である。
 原稿にまとめられた後、2度にわたって出版が模索され、雑誌に広告まで掲載されたが、いずれも刊行までにいたらなかった。今回、本書の校訂者である小樽商科大学の荻野富士夫の力により、六十年余を経てようやく日の目を見たということになる。
 多喜二の母セキといえば、三浦綾子の描いた『母』またそれを原作とした一人芝居で親しんだ読者も多いと思う。そうした読者の、秋田なまりのぼそぼそ語るというイメージからは、本書の語り口はややとまどいがあるかもしれない。たしかに表現には編者の手が加わっていると思われるが、語られている内容は、これまで明らかにされた多喜二の人間像を、母親の目から見たものとして再発見、再認識させるものになっている。
 多喜二という命名が学問好きの祖父の名にあやかっていることや、百か日の法要のときに多喜二に戒名がつけられていたことなど、本書により新たにわかった事実もある。
 多喜二の家庭の雰囲気がたいへん明るいものであったことがしばしば語られている。多喜二の明るく楽天的な性格が母から受け継いだものであることが改めて確認できる。また、初期の作品に描かれる「赤貧を洗う」生活という多喜二の認識を「錯覚」とする点に注目したい。若き日の多喜二の気負いを母の目から指摘したものとして興味深い。
 その他、セキの多喜二に対する信頼の強さや、多喜二の恋人田口タキにたいする親愛のこもった回想、さらに多喜二の没後小樽に戻った後のセキの暮らしぶりなど、その語りは多喜二を深く知る上で興味は尽きない。

 こばやし・せき 1873〜1961年。秋田県生まれ。
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2011年07月31日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟岐阜・東濃西支部総会開く

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟東濃西支部(後藤金夫支部長)は23日、第20回支部総会を、岐阜県土岐市の東濃西教育会館で開催しました。
 27人の会員が集い、「国家賠償法」の制定請願の署名数が、3年連続で目標を上回ったことをはじめ、地方議会へ意見書を採択するよう果敢に取り組んだことなどを総括し、新たな役員と今後の方針を確認しました。
 全国顧問の神戸照氏(87)が講演し、日本では戦争犯罪がいまだにうやむやにされているとして、同盟活動の拡大を訴えました。多治見市廿原にゆかりのあった、綴(つづ)り方教育で弾圧を受けた峰地光重氏を題材にした紙芝居も上演されました。
 参加者らも活発に意見交換し、例年より多い2200人分の個人署名を集めることや、会員を拡大するなどの「五つの挑戦」を改めて誓いあいました。
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2011年07月31日,「赤旗」) (Page/Top

解放運動の無名戦士追悼/福岡

 社会進歩の運動や平和と民主主義を守るために活動し、志半ばで亡くなった人たちを追悼する「福岡における解放運動無名戦士追悼会」がこのほど、福岡市でありました。
 国民救援会福岡支部、福岡いしずえ会、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟福岡支部の主催で6回目です。
 東京・青山墓地「無名戦士の墓」に今年合葬された県出身の59人のうち、福岡地域から合葬された92〜62歳の29人を追悼しました。
 70人の参列者を前に、国民救援会福岡支部の大島浩一事務局長は「合葬された方々などの業績をしのんで、その遺志を受け継いでいきたい」と話しました。
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2011年07月26日,「赤旗」) (Page/Top

月曜インタビュー/ピアニスト村上弦一郎さん/40周年。原点は人とのつながり/被災地支援も音楽も響き合い

 国内外の多くのオーケストラと共演し、室内楽の分野でも「GEN室内管弦楽団」を結成して活躍を続けるピアニストの村上弦一郎さんが、今年デビュー40周年を迎えました。九条の会や多喜二祭での演奏など、たたかう人々を励ます村上さんの音楽の原点は人と人とのつながり≠ナす。

 デビュー40周年を記念して、8月に東京で開催する「GEN室内管弦楽団特別演奏会」の準備で忙しい毎日を送っています。2002年に結成された指揮者のいない楽団で、メンバーの多くは、結成前から一緒に室内楽を演奏してきた仲間です。息のあった家族的な空気がアンサンブルに生きてくるといいます。

室内管弦楽の魅力伝えたい
 「音楽の基本は共同し、合奏し、響き合うことだと思っています。水準の高い演奏を目指すには、一人ひとりがアンサンブルの喜びを知っていることが大事。自分たちが演奏するだけでなく、聴き手や作曲家ともコラボレーション(合作)する気持ちが大切です」
 当日の出演は約40人ですが、楽団の総勢は倍の人数がおり、交代していろいろな公演に出ています。今回のプログラムは、スメタナの歌劇より序曲、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲、ベートーベンとチャイコフスキーのピアノ協奏曲です。管弦楽のソロの要素が強いものや、絶妙なアンサンブルが要求される曲などを選びました。
 「それぞれのカラーが出て、つながりあって素晴らしい音をつくる。室内管弦楽団ならではの良さを聴いていただきたいですね」

思い出の演奏広島で「月光」
 村上さんが、40年間の音楽家生活の中で印象深かったと語るのが、6年前の広島での二つのコンサートです。曲は、どちらもベートーベンのピアノ・ソナタ「月光」でした。
 ひとつは、被爆60周年の8月6日、広島県立体育館で開かれた原水爆禁止2005年世界大会・広島の「ヒロシマデー集会」です。被爆医師・肥田舜太郎さんらの証言の間、演奏を続けました。もうひとつは、11月、日本のうたごえ祭典のコンサート「いのちのハーモニー」。原爆ドームを正面に見た元安川の岸辺に置かれた「被爆ピアノ」を演奏しました。爆心地から2`地点で被爆したピアノの重厚な音を、一つひとつ丁寧に奏でた迫力の演奏でした。当時、村上さんは、「ベートーベンが理想と現実という意味を込めた作品から、広島の現実を見つめ未来を見据える、そんな思いが伝われば…」と語っていました。
 人と人との関わりの中で存在する音楽は、平和でこそ豊かに花開くとの思いを込めてピアノを弾いてきた村上さん。
 「何かを伝え続けたい≠ニいう願いは、だれもが持っていることで、生きる喜びにつながるのではないでしょうか。時には、方法を変え、何年も訴えることが必要かもしれないですが、新鮮な気持ちと勢いを持ち続け、自分を磨いて世界を広げ、伝え続けたいと思っています」

旋律の美しさ日常に問う心
 村上さんは、父親が指揮をする合唱団で、1歳のころから音楽に触れてきました。会社務めの父が、組合と合唱の活動を通して、仲間を支援していた姿を見て、基本的なものの見方や考え方を教わったと振り返ります。
 「芸術は社会生活と離れた特別なものではなく、ごく普通の日常の中にあります。自分にとって、この旋律がなぜ美しいのかを考えることは、日々の暮らしや社会を問いなおすことにもつながると思います」
 東日本大震災の直後から、被災者のために音楽家として何ができるのか≠問い続けたという村上さん。今は、壊滅的な被害を受けた小学校の子どもたちに、ピアノやブラスバンドの楽器が届くよう支援をしたいと話します。
 「大切なのは、被災地の人たちが一番求めているものは何なのかを考えることですよね。それは、互いに響き合おうとするアンサンブルと似ていると思うんです」
 (中村尚代)
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 村上弦一郎40周年記念 GEN室内管弦楽団特別演奏会=8月23日午後7時、サントリーホール大ホール。рO42(575)0095ムサシ楽器チケット販売部

 むらかみ・げんいちろう 1951年、山口県生まれ。71年、NHK毎日音楽コンクールで1位となり、翌年日本ショパン協会の主催公演などでデビュー。日本音楽コンクールなどの審査員を務める。桐朋学園大学教授。
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2011年07月25日,「赤旗」) (Page/Top

育鵬社・自由社の公民教科書の問題点/憲法教えず改憲強調/自由法曹団杉本朗事務局長に聞く

 日本の侵略戦争を美化する「新しい歴史教科書をつくる会」と「日本教育再生機構」=「教科書改善の会」はそれぞれ自由社と育鵬社から中学校の「公民」教科書も出しています。この公民教科書の問題点を冊子にまとめ、各地の教育委員会に採択しないよう要請している自由法曹団(菊池紘団長)の杉本朗事務局長に聞きました。
 (染矢ゆう子)

 公民という教科は、本来は憲法の学習を柱に日本の市民としての政治・経済・社会の知識を教えるものです。
 自由社、育鵬社の公民教科書は憲法の原則をないがしろにしています。そうした教科書を教育委員を差し替えて、採択する地域もあります。憲法を守り、人権、平和を守る弁護士の団体である自由法曹団として各地の教育委員に問題点を伝えるために冊子を作成し、全国で要請行動に取り組んでいます。

戦前を美化
 両社の公民教科書の第一の問題点は国民主権と基本的人権の尊重と平和主義という憲法の基本原則について誤った理解をうえつけようとしているところです。
 両社とも戦前の大日本帝国憲法を「アジアで最初の憲法として、内外から高く評価された」(自由社)などと賛美しています。しかし、大日本帝国憲法では国会が法律を決めれば人権を制限できました。治安維持法などで、政治活動や言論が侵害・弾圧されたのです。そうした人権保障の不十分さを一切記載していません。
 日本国憲法は、基本的人権が侵すことのできない永久の権利であることを宣言しています。国による人権侵害を許さない、ということです。天皇主権から国民主権に変わったこととともに大日本帝国憲法との一番大きな違いを両社は書いていません。
 そして日本国憲法が米国の押し付けだと書いています。育鵬社は憲法の基本原則の項に「憲法改正」を入れています。憲法に何が書いてあるのかを書かずに憲法改正を主張しているのです。

人権を制限
 基本的人権については、他人の人権を侵害してまで自分の人権を主張することはできません。それが「公共の福祉」という考え方です。
 ところが、育鵬社と自由社は独自に意味を付け足して「社会の秩序を混乱させたり社会全体の利益をそこなわない」(育鵬社)「国家や社会の秩序を混乱や崩壊に導くことのないよう戒める」(自由社)などと書いています。
 人権が国家に制限されることが原則であるかのような、憲法学の基本的な考え方とはかけ離れたことを書いているのです。
 中学の教科書には市民として必要な基礎的で一般的な知識を書かなければいけません。偏った内容を教えることは義務教育の中学の教科書として不適切です。
 少しでも多くの人に問題点を知ってもらい、育鵬社と自由社の教科書を採択させないようにしたいものです。
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2011年07月25日,「赤旗」) (Page/Top

斎藤幸さんをしのぶ会開く/福岡市

 今年2月に94歳で死去した斎藤幸さん(日本共産党名誉県役員)を偲(しの)ぶ会が18日、福岡市内で開かれ、親交のあった40人が集まり、思い出を語り合いました。
 岡野隆党県委員長が「福岡県党の輝かしい伝統を学びたい」とあいさつ。夫人の斎藤延子さん(90)が謝辞をのべ、元書記局長の金子満広氏からのメッセージが紹介されました。
 斎藤さんは戦前、京都大学卒業時に治安維持法違反で逮捕・投獄。戦後1945年に入党し、熊本県党の再建に参加。50年から福岡県党に移り、福岡地区委員長、県副委員長などをつとめ、県安保共闘事務局次長として安保・三池闘争、板付基地撤去10万人集会で活躍。67年の第10回党大会で中央委員候補、73年12回大会で中央委員に選出され、82年第16回大会まで中央委員をつとめました。
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2011年07月20日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟県本部が大会/青森

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟青森県本部の第22回大会が16日、青森市のあおもり県民福祉プラザで開かれ、運動方針を決めました。
 大会には県内各地域から44人が参加。日本共産党の高橋ちづ子衆院議員(同盟県本部顧問)、吉俣洋県書記長、日本国民救援会県本部の杉山俊雄事務局長が、連帯のあいさつをしました。
 柳河瀬精中央本部会長もかけつけ、悪政推進の「大連立」がさまざまな形で動き出していることにふれながら、「同盟運動は単に過去の問題に取り組んでいるのではなく、21世紀を平和と人権の世紀にするためのたたかいであること」を自覚し、国民運動にしようと訴えました。
 討論の後、国会請願署名、地方議会請願の強化、犠牲者顕彰・宣伝活動、会員拡大などを柱とする運動方針を決定しました。「原子力発電依存から自然エネルギーに転換を求める」「最高裁の『君が代』不当判決、大阪府議会の教育に対する介入に抗議する」「衆議院比例定数削減に反対する」の三つの決議を採択しました。
 役員改選もおこなわれ、新しい県本部会長には舘田篤広氏を選出しました。
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2011年07月20日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟県本部が総会/石川

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟石川県本部は17日、金沢市内で第28回総会を開き、活動方針を採択しました。
 総会の第1部として、日本共産党の佐藤正幸県議が「志賀原発の廃炉をめざして」と題して記念講演しました。佐藤県議は、1967年の原発立地計画以来のたたかいの歴史にもふれながら、石川県の安全対策が国の指示待ち・北陸電力まかせであることを批判しました。
 討議・質疑では、「反対派の住民を莫大(ばくだい)な財力も使って切り崩していった電力会社が、安全神話を振りまいてきたことは重大」などの意見も出されました。
 第2部では、北口吉治県本部会長があいさつしました。討議では、映画「弁護士 布施辰治」上映会などの活動を交流したあと、石川県内の治安維持法犠牲者名簿の第1次案も提案されました。
 総会では、「志賀原子力発電所は撤退を決断すべき」「普天間基地の即時無条件撤去を求める」決議を採択しました。
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2011年07月19日,「赤旗」) (Page/Top

補償一刻も早く/南空知支部総会/治維法国賠同盟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道南空知支部の第21回総会が9日、岩見沢市民会館で開かれました。
 来賓の津田利雄岩見沢労連議長が「国家賠償の一刻も早い実現を」と激励のあいさつをし、宮田汎道本部会長が「若い会員をたくさん迎えて活動に活気を」と訴えました。
 日本共産党南空知地区委員会の只野勝利常任委員が、宮城県気仙沼市での救援活動を報告。「仮設住宅に入った人は、物資の提供も受けられず、大変困難な生活を強いられています」と語りました。
 千石信弘事務局長は「長沼町長が野呂栄太郎碑前祭で、『長沼の先達者、野呂の偉業を後世に』と述べたが、それに応えて長沼町図書館に野呂コーナーの設置を働きかける」などの方針提案と活動報告をしました。
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2011年07月17日,「赤旗」) (Page/Top

松田解子『地底の人々』を韓国語に翻訳して/韓日中民衆連帯の記録/金正勲

 松田解子と花岡事件、そして松田の『地底の人々』を知っている韓国人は少ない。私も民族芸術研究所の茶谷十六氏と交流する前には松田解子と花岡事件について無知だった。私は2007年、伊豆利彦『戦争と文学―いま、小林多喜二を読む―』(05年)の韓国語訳を出し、その縁で光州を訪れた茶谷氏と出会ったが、彼から松田解子と花岡事件についての証言を聞き戦慄を覚えずにはいられなかった。
 花岡事件の背景は何か、どうして松田は生涯を花岡事件とたたかい続けたのかという疑念が生じた。韓国では日本のいろいろな作家について論じられているが、松田と花岡事件については分析されていない。そのような経緯から松田解子研究に取り組み、いよいよ『地底の人々』の韓国語訳も刊行したこと(6月20日)をここに告げる。

人間愛の美しさ
 『地底の人々』は、異国の労働者に対する人間愛の精神がよく表れている作品だ。松田は、終戦前の日本帝国主義の狂乱によって花岡鉱山まで引きずられ、生と死の闘いにもがきながらやっと延命していた朝鮮人と中国人の日常を、糸で布を縫うごとく一つ一つ丹念に描いている。それゆえに、花岡事件に至るまでのプロセスの中で朝鮮人と日本人労働者、あるいは朝鮮人と中国人労働者が連帯し共存する姿は涙が出るほど美しい。
 松田が韓国で「実践的作家」と呼ばれるべき理由は、韓日労働者の犠牲と、中国人虐殺事件を世に暴露し、犠牲となった中国人の遺骨奉還運動に先立ったからだけではないだろう。松田はだれよりも強制徴用で祖国を離れ、異国の地で労働を強要されながら生きる朝鮮人と中国人の心と哀歓を見事に描き出した。朝鮮人と中国人労働者に対する理解と愛情なしには不可能なことである。
 だから『地底の人々』には朝鮮人の姓が一々刻み込まれている。朝鮮人の生活像と中国人俘虜の姿も具体的に描写される。何が日本人女性の心を引き付けたのだろうか。国境、身分、制度を超越した男女労働者の真実の愛を描き入れた作家の意図は何だったか。こうした点を念頭におくと、この小説を通じ、日本帝国主義時代の支配と被支配、殖民と被殖民の構図は、あくまで日本帝国主義と国家権力によってもたらされたものであり、韓・日・中庶民レベルでの共存と和合の歴史を確認できると同時に既存の認識から脱皮し、韓日関係の主体的な方向設定も可能だろう。

方言と鉱山用語
 思うに、翻訳上の困難は分からない方言だった。秋田弁を解読するために秋田在住の工藤一紘氏とやりとりをしたメールを確認すると数え切れないほどの量である。秋田弁の意味を一つ一つ確認した後、それをこちらの全羅南道の方言で翻訳していいかどうかについても悩んだ。かえって文化的な差や、無理に地元の方言に直した時の違和感もあり、結局分かりやすく読者に標準語で伝えることに決めたことを覚えている。
 理解できない鉱山用語にもだいぶ苦しめられた。鉱山専門家に鉱山用語の解説を依頼するなど、作家の長女、橋場史子氏にお世話になった。そして、出版助成金のことで温かい配慮を惜しまなかった、「松田解子の会」の澤田章子氏のご支援を忘れることができない。
 『地底の人々』は、日本帝国主義と国家イデオロギーに立ち向かった韓・日・中民衆連帯の記録である。東北アジアの和合と共存を追求するいまの時代に一読を進められる本として残ることを心から念じる。
  (キム・ジョンフン 全南科学大学教授)
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2011年07月17日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 作家・小林多喜二の母セキさんは、1961年5月、87歳で亡くなりました。ちょうど50年前です▼前年の10月、日本共産党に入党しています。また晩年、キリスト教信仰の道も歩んでいました。セキさんは、志半ばで命を奪われた多喜二の遺志をつぐとともに、「貧しい人々のために生きる」気持ちを人一倍強くしていたようです▼先ごろ出た『母の語る小林多喜二』(新日本出版社)を読み、弾圧下の多喜二の身を案じるセキさんのいちずな母性愛に打たれました。と同時に、行間から伝わってきました。セキさんは、死も覚悟して信念に生きる多喜二を誇らしく見守っていたのだ、と▼戦後間もないころの聞き書きです。軍国日本は倒れ、ひとまずセキさんも胸のつかえが下りていたのでしょう。「いつか多喜二は、屹度我々の主張することが、必ず実現される時代がくると思うと言ったことがありますが、丁度それは今の世のことを予言したようなもので…それが時の政府の反感を買ったのですから、今思えば変なものです」▼日本共産党はきょう、創立89周年を迎えました。「貧しい人々のために」「すべての困っている人とともに」。多喜二やセキさんから受け継いだ立党の精神を、東日本大震災の被災者を支援する仕事で発揮している最中です▼創立90周年をめざし、党を大きくする大運動も始まりました。綱領の実現へ2010年代を党躍進の歴史的時期に=B25回大会の提案の先には、創立100周年の日が視野に入ってきます。
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2011年07月15日,「赤旗」) (Page/Top

本荘由利支部墓参のつどい/治維法国賠同盟

 秋田県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟本荘由利支部(渡部馨会長)は9日、矢島地区の東海林十一、佐藤長治郎、村上正彦、3氏の「墓参と偲(しの)ぶ集い」を開きました。
 3氏は東海林氏が2期、佐藤氏が5期(任期途中で死去)、村上氏が4期、矢島町議をつとめ、日本共産党員として労働運動、農民運動の幹部・活動家として活躍するとともに、町議として、住民奉仕の精神を堅持し、住民の利益第一に、地方政治革新のため、たたかってきました。
 近江谷昭二郎同盟県本部会長は、「先輩たちの苦闘を振り返り、その業績を学び偲ぶことは、今を生きる私たちに社会進歩への確信と勇気を与えるものです」とあいさつしました。
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2011年07月14日,「赤旗」) (Page/Top

小林セキ述『母の語る小林多喜二』よみがえる/「太陽は総てのものを平等に照らす」/荻野富士夫

 「それ、もう一度立たぬか、みんなのためもう一度立たぬか」と、息子多喜二の頬に自らの頬をすり合わせて叫んだ母小林セキのことは多くの人に知られている。そのセキは、敗戦直後の1946年2月から3月にかけて、多喜二虐殺以来の13年間の「毎日々々重い荷物を肩にしているような辛さ」を一度に払うかのように、「お天道さまを仰ぐような明るい気持」で、肉親から見た多喜二を語っていた。
 晩年に身を寄せていた長女チマの嫁ぎ先佐藤家と親しかった、北海道朝里村の郷土史家小林廣による聞き書き『母の語る小林多喜二』である。4月10日付の小林廣「編者の言葉」とともに、口絵として「あーまたこの二月の月かきた」というセキの詩やセキとチマの写真が用意され、札幌の出版社から近刊の予告が出されていたが、おそらく経済的な事情により、刊行に至らなかった。編者小林廣はこの「蹉跌」に苦慮し、さらに聞き取りを加えて2年後に東京での出版を模索したが、これも実現せず、二つの原稿が未完のまま残された。

より細やかに温かにセキ像
 編者小林廣による文章の選択や表現という事情を考慮しなければならないが、三浦綾子『母』が形象した秋田弁・なまりの「ボツボツ語る」というイメージからは、かなり離れた口調で語られる。セキと暮らしたご親族によれば、日常は北海道弁であったという。
 その語りの内容は、これまでのセキ像を逸脱するものではなく、母としての思いをより細やかに、温かく伝えてくれる。セキの実家の木村家のこと、多喜二虐殺後にその遺骨とともに小樽に戻ったセキが百か日法要を営み、「物学荘厳信士」という戒名をつけてもらったことなど、本書によって明らかになったことも多い。また、多喜二および兄多喜郎の命名が読書好きの祖父多喜次郎(多喜二の年譜上では多吉郎とされる)に由来するとセキが語っていることも、新たな問題提起となる。
 多喜二への無償の愛と絶対的な信頼は本書全体を貫いている。拓銀を馘首された多喜二が東京に出ることを決意すると、セキは三星パン支店の経営を次女夫婦に任せ、当然のように多喜二を中心に東京で一家を持とうとする。多喜二の入獄のため1年ほど遅れるが、三吾とともに「親子三人同居の東京生活は和やかなもの」であった。1932年4月以降、多喜二が地下に潜行すると、セキは小樽に戻るが、「私の家は多喜二の家、三吾のいる東京の家だと気付」き、まもなく東京に帰ってくるのである。
 セキが秋田と小樽の生活を通じて感得した、「太陽は、総てのものを平等に照」し、「天は自ら助くるものを助く」という信念は、多喜二の文学や生き方を思いつづけることによってさらに確固たるものとなった。それゆえに、敗戦によって到来した新日本において多喜二を大っぴらに語れることを喜び、「今日になって多喜二の考え方は正しいものであったとはっきりと認識させられます」と断言する。

民衆・女性の生き方力強く
 仮名ながら田口タキについての語りも親愛に満ちている。初対面から、「本当に綺麗な、そして無邪気で、心持ちのさっぱりした」タキを「娘のように」好ましく思い、タキもセキを「親のように」慕いつづけた。また、多喜二と地下生活をともにした伊藤ふじ子に対して、「日陰の生活をしながらも、多喜二を愛し」てくれたことへの感謝が述べられる。
 本書の意義は、日本近代の民衆・女性の一人としてのセキの生き方を力強く伝える点にもある。満13歳で嫁入り後、家の没落・北海道への移住、そして小樽の新興労働者街での小営業などという、近代化や都市化の流れに翻弄されながらも、働くことに喜びを感じ、いつか多喜二らのめざした時代が必ずやってくるという信念を持ちつづけた。「世間の人が幸福になって自分も幸福を受け」るというセキの生き方は、多喜二に受け継がれた。
 最初の語りから65年、そして1961年5月のセキの死から50年を経て、多喜二とセキはさらに豊かな人間的な魅力を増してよみがえる。
(おぎの・ふじお 小樽商科大学教授)
 『母の語る小林多喜二』は、15日に新日本出版社から発売されます。
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2011年07月06日,「赤旗」) (Page/Top

故遠藤さんをしのぶ集い/静岡

 静岡市内でこのほど、日本共産党の中央委員と静岡県委員長を務め、前治安維持法国賠同盟県本部委員長の故遠藤正さんをしのぶ集いが行われました。
 治安維持法国賠同盟静岡県本部の役員や、遠藤さんの現役当時の同僚や学生時代からの友人などで構成する「集い世話人会」が主催したものです。
 栗田翠・元衆議院議員が世話人を代表してあいさつしました。漆畑長一・国賠同盟県本部委員長、野口米吉・元党静岡県副委員長、山村糸子・党静岡県委員長、義姉の石田範子さんなどが、遠藤さんの生い立ちや人柄、功績やエピソードなどを語り、会場に深い感動を与えました。
 プロジェクターを使って、ありし日の遠藤さんの写真が紹介されました。会場の参加者らが続々と発言し、笑いや涙があふれました。会場には奥さんと2人の遺影が並べられました。
 「同志は倒れぬ」や、遠藤さんが愛唱した「故郷」を合唱しました。参加者一同が心を熱くして集いを終えました。
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2011年07月06日,「赤旗」) (Page/Top

文化/弁護士・海野普吉の評伝を著した入江曜子さん/戦前・戦後、冤罪とたたかった生涯

 「弁護士になりたいというかなわなかった夢を、素晴らしい弁護士の生涯を書くことに託しました」と作家の入江曜子さん。『思想は裁けるか』の題で、弁護士・海野普吉(うんのしんきち)の評伝を著しました。着手して20年の労作です。鎌倉市の自宅で話をききました。
 児玉由紀恵記者

 入江さんは、1935年生まれ。国民学校の制度が始まった41年に入学して天皇中心の皇民教育を受け、敗戦後は、六三制初の中学1年生になり民主主義の教育を受けるという、めまぐるしい歴史を生きてきました。
 「高校時代は、朝鮮戦争から警察予備隊(自衛隊の前身)が発足するなど、民主主義がかげり始めたころです。対日講和条約をめぐって単独講和か全面講和かの関心はとても高かったですね」
 レッドパージを背景に、松川事件(49年)をはじめとする謀略事件が次つぎ引き起こされた時代。「弁護士になることを夢見たのは、その報道に接して抱く単純な正義感だったと思います」

反戦非戦の信念
 海野普吉(1885〜1968年)は、戦前は、数々の治安維持法違反事件などの弁護人を務め、戦後、48年に日本弁護士連合会の会長に就任。人権擁護に献身したリベラルな弁護士として知られます。その人格は、いかに形成されていったかを、綿密な調査・掘り起こしで、浮き彫りにしています。
 病弱だった青年期。海野は、日露戦争の戦果をたたえる小説「肉弾」を読み、悲惨な戦争描写から逆に「反戦非戦の信念を魂に刻んだ」と入江さんは書いています。晩年も病床から、自分を「戦争否定主義者」にしてくれたこの本を読みたい、と新聞紙上で訴えるほどでした。
 弁護士として、昭和史が避けて通れない重要な裁判のほとんどに関わり、「事件を人間がよりよく生きるための問題としてとらえ、法そのものを問い直すところまで思想を深めていった」と入江さん。名利を求めず、自白を「証拠の王」として冤罪(えんざい)を生み出す体制とたたかった人生を描き出します。
 海野は、列車往来妨害の松川事件(49年)で、被告20人全員に有罪の一審判決(50年)が下された後、二審から弁護団に加わって全員無罪判決を勝ち取り、米軍基地拡張反対をめぐる砂川事件(55〜57年)では、主任弁護人を務めます。
 「松川事件では、作家の広津和郎がめざましい裁判批判の活動をしましたが、私はその理論的支えが海野だと気付きました。砂川事件では、主任弁護士として日米安保条約を違憲とした伊達判決を引き出した。そういう存在として、私は、海野を意識していたのです」
 これらの裁判の推移、検察の論理を鋭く突き崩す海野の活躍を伝える場面は圧巻です。
 同時に、近寄れば矛盾のかたまり≠ニやゆされた海野の私生活の「明治生まれのワンマン」ぶりも、人間の面白さを伝えます。

憲法草案に関与
 憲法草案作成に関わり、第9条の理念を提案したことを、生涯秘して語らない海野の謙譲の美学も本書で明かされます。
 「憲法が改悪されるような事態になったら、街頭に立って辻(つじ)説法をやるつもりだよ」。60年安保闘争の頃、75歳の海野の言葉です。
 「戦争放棄、永久平和の原則は世界に誇るに足るものだというのが今日への海野のメッセージです。そのうえで、憲法第38条(不利益な供述の強要禁止)などを死文とする社会の成熟をもとめていたと思いますね」
 戦争が私を早熟にした、と入江さん。裁判に対する関心は東京裁判から。元満州国皇帝溥儀(ふぎ)の証言と、国民学校の教科書との違いに受けた46年当時の衝撃が、後に溥儀を作品化する動機となっています。貫く探究心。直視すれば目がつぶれるといわれた現人神(あらひとがみ)の神秘を確かめようと、失明を覚悟で実行したという国民学校1年生の頃のエピソードが重なります。
 「あの激動の時代に生まれた人間としての義務を、書くことで果たしたいと思っています。今日の私たちの生きかたを考える手がかりとして」

いりえ・ようこ=作家。1935年東京生まれ。慶応義塾大学文学部卒業。著書に『我が名はエリザベス―満州国皇帝の妻の生涯』『貴妃は毒殺されたか―皇帝溥儀と関東軍参謀吉岡の謎』『少女の領分』『日本が「神の国」だった時代―国民学校の教科書をよむ』など
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2011年07月03日,「赤旗」) (Page/Top

侵略美化の教科書採択するなと要請/秋田7市町村教委に/治維法国賠同盟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟秋田県本部(近江谷昭二郎会長)と各支部は6月28日、「新しい歴史教科書をつくる会」などによる侵略戦争を美化・正当化する教科書を採択しないよう、秋田、男鹿、潟上の3市、井川、五城目、八郎潟の3町、大潟村の各教育委員会を訪れ、要請しました。各教委は「要請を報告し、委員会にかけるようにします」と答えました。
 要請書は、同教科書の危険な狙いと、教育に持ち込まれる重大性を指摘。その上で採択に当たり、@教育委員会への政治的介入に対し、独立性の原則に立ち厳正に対処するA研究者、保護者、市民らの意見を十分尊重する―などを求めています。
 同県本部は、全25市町村教育委へ要請を目指しています。
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2011年07月02日,「赤旗」) (Page/Top

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*  6月】(ヘッドライン)

*         治維法国賠同盟が大会・総会/歴史語り伝え名誉回復必ず/宮城・塩釜支部

*         治維法国賠同盟が大会・総会/法制定に向け運動前進誓う/山形県本部

*         子守る「おかか」を想起/富山AALAが史跡巡り

*         国家賠償法署名など広く/治維法国賠同盟大会終わる/緒方副委員長連帯あいさつ

*         国民的運動に発展を/治維法国賠同盟が大会

*         治維法国賠同盟青年部立ち上げ/奈良県本部

*         2011国民平和大行進/核兵器廃絶へ土岐を歩く/岐阜

*         文学の意思、批評の言葉/新船海三郎著/評者和田逸夫文芸評論家

*         「多くのドラマの要」/橋田賞特別賞を受賞野村昭子さんに聞く/お上手じゃなくて、お丈夫で

*         国の謝罪を必ず/秋田県本部総会/治維法国賠同盟

6月本文】(Page/Top

治維法国賠同盟が大会・総会/歴史語り伝え名誉回復必ず/宮城・塩釜支部

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の宮城県塩釜支部は25日、塩釜市公民館で第18回支部総会を開き、約20人が参加しました。総会に先立ち、県本部副会長の大沼耕治氏が「いまレッドパージを考える」と題して講演しました。
 大沼氏は「1949〜50年の2年間に多数の共産党員と労組活動家を職場から追放したレッドパージ事件は、アメリカ占領軍と吉田内閣が一体となって執行したもの」と告発しました。
 さらに、戦後民主運動の高揚を押しつぶして日本の政治反動の足がかりとした弾圧の実態を明らかにし、「レッドパージと治安維持法の弾圧は同根であり、歴史を語り、伝える活動は、名誉回復と深く結び付いている」と強調しました。
 支部総会は、個人・団体の署名目標を達成させ、講演活動や街頭宣伝活動を積極的に取り組んだ総括と来年度の運動方針を全会一致で可決し、次期役員を選出して終了しました。
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2011年06月29日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟が大会・総会/法制定に向け運動前進誓う/山形県本部

 治安維持法国賠同盟山形県本部は25日、山形市内で第25回大会を開き、役員、代議員51人が参加しました。
 大会は、東日本大震災、福島第1原発事故からの復興へ向けて激変する情勢の中で、「再び戦争と暗黒政治を許すな」を基本に、同盟運動を国民運動へ大きく前進させるとした「運動方針」を決定しました。
 日本共産党の渡辺ゆり子県議が来賓あいさつし、参加者を激励しました。
 大会では、治安維持法犠牲者への国家賠償法の制定に向け、国会請願署名と全ての自治体への請願、国会議員への要請活動を3点セットとして全力で取り組むことを提案。治安維持法問題を人道上の問題として、保守革新という垣根をつくらず、従来の枠を大きく超えて多くの個人、団体に訴えることの重要性が強調されました。
 また、会員の拡大、支部活動の充実、「海外で戦争する国」に道を開く政治が強められているもとでの不屈の歴史を顕彰し語り継ぐ活動、憲法改悪のたたかい、正しい歴史認識を普及する活動がますます重要になっていることが述べられました。
 県本部会長を11年間務めた逸見光雄氏が退任し、島津昭氏が新会長に就任しました。
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2011年06月29日,「赤旗」) (Page/Top

子守る「おかか」を想起/富山AALAが史跡巡り

 富山県アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会は19日、富山市の第3回スタディハイクを行い、10人が参加しました。「人権」をテーマに、県内の魚津市、滑川市、富山市水橋の米騒動跡地や朝日町の泊・横浜事件の史跡をたずねました。
 米騒動(1918年)は、ロシア革命が進行するなか当時の寺内正毅内閣がシベリア出兵を強行し、米価が急騰したことが原因となりました。コメを安く売ることや、外にコメを持ちださないように求めた「おかか」たちの行動が富山から全国へと広がり、内閣を総辞職に追い込みました。
 水橋でコメを運び出した白岩川河口付近や、滑川市の大地主・斉藤家の米蔵、魚津市の旧十二銀行米蔵(写真)などをまわりました。
 案内した松浦晴芳さん(歴史教育者協議会)は、「米騒動は、生活の中から人びとの叫びが集積したもの。民衆運動が盛り上がるきっかけとなった」と説明しました。
 参加した中村冨美子さん(84)は、「子どもを守りたかったから、自由にものが言えない時代に、あれだけの女性が団結できたのだと思った。お母さんたちの団結力に感動しました」と感想をのべました。
 朝日町の料理旅館「紋左」玄関前には、1942年の言論弾圧事件(泊・横浜事件)を風化させないために、2008年に石碑が建てられました。城川圭子さん(75)は、「治安維持法はだれがつくって実行したのか、責任の所在が全く見えない。しっかり追及すべきだと思った」と語っていました。
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2011年06月25日,「赤旗」) (Page/Top

国家賠償法署名など広く/治維法国賠同盟大会終わる/緒方副委員長連帯あいさつ

 国民的運動で21世紀を平和と人権の世紀へ―。19日から東京都内で開かれていた治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(柳河瀬精中央本部会長)の第35回全国大会は20日、新たな運動方針と規約改正を採択し新役員を選出して閉会しました。来賓として日本共産党の緒方靖夫副委員長が連帯あいさつしました。
 討論では代議員から「治安維持法犠牲者国家賠償法」の立法化をめざす国会請願署名や、同盟員拡大での具体的な取り組みが報告されました。
 京都では10月に清水寺で犠牲者の「慰霊祭」を実施することが決まりました。代議員は「まっとうな葬式もやれなかった人が2000人もいる。そういう事実を青年に訴えたい」と力を込めました。
 山形では戦前の地域の運動を紹介する独自の宣伝物をつくり、会員以外の人や諸団体と協力を強め「誠実に」署名を集めてきました。秋田では宗教弾圧の犠牲者が4000人いたことを資料にして、署名を推進してきました。
 緒方氏は、「治安維持法は民主主義を弾圧した天下の悪法。犠牲者を賠償せよ、犠牲者の名誉を回復せよというたたかいは日本の未来をつくる」と激励しました。
 「衆議院比例定数削減に反対する決議」「侵略戦争を美化し植民地支配を肯定する自由社・育鵬社の教科書を採択させない取り組みを強めよう」という二つの特別決議を採択して閉会しました。
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2011年06月21日,「赤旗」) (Page/Top

国民的運動に発展を/治維法国賠同盟が大会

 戦前の治安維持法下の権力犯罪を国に認めさせ21世紀を平和と人権の世紀にしようと治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は19日、第35回全国大会を東京都内の全労連会館で開会しました。20日まで。
 今大会には、44都道府県から約130人が参加。支部を基礎とした活動、青年部や女性部づくりを進めることなどを盛り込んだ規約の改定と活動方針を討議します。
 柳河瀬精中央本部会長は「同盟運動は単に過去の問題に取り組んでいるのではなく、未来を展望するたたかい。国賠同盟運動を国民的運動に発展させよう」とよびかけました。
 国賠同盟は前回大会から1456人の新たな会員を迎えました。奈良県では今月、青年部が結成されるなど、新たな活動の広がりをみせています。
 また「治安維持法犠牲者への謝罪と賠償」を求める意見書は374市町村議会で採択。大阪府高槻市と島本町、山形県南陽市では全会一致での採択となっています。
 討論で、岩手県の代議員は「この2年で前進した教訓は、機関紙『不屈』を中心に、歴史を埋もれさせまいとしてきたこと。キリスト教団に講師で招かれるなど、依頼が増えている」と発言しました。
 戦前の青森県生まれの日本共産党員、相沢良の顕彰に取り組む弘前市の女性代議員は「若い人に伝えたいのは過去の話ではない。弾圧にあいながら良が元気に未来を展望し生きてきたこと。孫2人に明るい未来を渡したい」と新しい仲間が加わった経験を語りました。
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2011年06月20日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟青年部立ち上げ/奈良県本部

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟奈良県本部(田辺実会長)は15日、奈良市内で日本共産党の青年議員らが集まり、青年部を立ち上げました。
 都道府県段階で同同盟の青年部が結成されたのは初めてです。
 会議では、治安維持法下の権力犯罪を認めさせることは国民的な課題であり、「21世紀を平和と人権の世紀にするためのたたかい」であることが強調され、若い世代にふさわしい活動を進めていくことが、よびかけられました。
 青年部長には36歳の宮本次郎県議が選ばれ、当面の活動として来月、奈良教育大学図書館が所蔵する、戦前の特高警察の弾圧事例などを記録した『特高月報』を閲覧する―ことを確認しました。
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2011年06月18日,「赤旗」) (Page/Top

2011国民平和大行進/核兵器廃絶へ土岐を歩く/岐阜

 2011年原水爆禁止国民平和大行進土岐集会が12日、岐阜県土岐市役所前で開かれ約40人が参加しました。
 酒井清亮実行委員長が開会あいさつし、平和行進、原水爆禁止世界大会の歴史などを紹介しました。加藤靖也土岐市長代理の総務部長が来賓あいさつし、市長のメッセージを紹介しました。後藤金夫氏(治安維持法国家賠償要求同盟東濃西支部長)もあいさつしました。
 福島原発事故により「安全神話」が崩壊したこと、今年の原水爆禁止世界大会の特別に重要な意義を訴えたアピールを採択しました。
 集会後、土岐市駅までパレード。乳飲み子を抱えた母親や85歳の高齢者らが元気に歩き、多治見市へバトンタッチしました。
 集会とパレードには、おぜき祥子土岐市議が参加しました。
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2011年06月15日,「赤旗」) (Page/Top

文学の意思、批評の言葉/新船海三郎著/評者和田逸夫文芸評論家

現在主義にあらがう感性問う
 二〇〇〇年代後半を中心に、『民主文学』等で発表されてきた短評のアンソロジーであるが、加藤周一を手がかりに、日本の文化・社会の特徴を「今=ここ」の現在主義ととらえ、これに抗う文学的感性を問う冒頭から、その論旨は、亡き先達への追悼文、回想にいたるまで貫かれている。
 上部構造の相対的自立性が、時代社会に対する文学の能動的なかかわりの可能性を示唆する論も、その延長上にある。かつて多喜二がマルクスから学び取ろうとしたのも、社会の発展段階をこえて読み継がれる文学の生命力であった。
 労働者や労働現場に材をとった作品が、昨今目につくようになった。なかには商業主義的な宣伝効果で、「売れる商品」として押し上げられた作品もある。だが、今日の労働者をとりまく状況がいかにリアルに描かれていても、結果として自己慰撫や「癒し」にとどまり、明日への展望、いかに生きるべきか、に欠けていては、永く読み継がれていくものとはなってこない。著者が引用した桑原武夫の言葉でいえば、感動させられたあと「自分を何か変革されたものとして感ぜずにはおられないような文学作品」の登場が望まれている。
 戦前のプロレタリア文学を発展的に継承した民主主義文学も、試練や試行錯誤を経て、そのような文学的感動を求めて書き継がれてきたことには違いない。その歴史についても、本書は見通しよく総括され、幅広い読者の関心に応えるものとなっている。
 民主主義文学は「面白くない」という声をときどき耳にする。だが、文学に求められる「面白さ」は、一過性の「癒し」や異界への逃避ではない。文学は「正史に対する異議申立である」との指摘は、その「面白さ」の本質を突いた言葉としても受け止められる。

 しんふね・かいさぶろう 1947年生まれ。『史観と文学のあいだ』ほか
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2011年06月12日,「赤旗」) (Page/Top

「多くのドラマの要」/橋田賞特別賞を受賞野村昭子さんに聞く/お上手じゃなくて、お丈夫で

 放送文化に貢献した人や番組に贈る「橋田賞」の授賞式で、「やっと職業俳優≠ノなれたと思います」と晴れやかな表情で語った野村昭子さん。「独特の存在感で、多くのドラマの要として活躍」してきたことが評価され橋田賞の特別賞を受賞しました。その演劇人生を聞きました。
 (小川浩)

 現在、橋田寿賀子脚本の「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系、木、後9・0)に出演中。1998年の第4シリーズから、小料理屋「おかくら」で働くタキ役を務めています。
 「いくつになっても、(受賞して)ほめていただくことは、光栄です。『橋田ドラマ』は、私の知っている世界を演じています。しゅうとめに、つかえてきた年代で、自分のことは自分でやりなさい、と仕込まれ、お嫁さん教育を受けてきましたから」

学生演劇へ
 野村さんが芝居と出合ったのは、戦中です。東京大学付属病院で薬剤師として働いていたころ、「東大に女子学生がいなかったから、演劇研究会では、女優ですよ。学生さんと創作劇をやりました。芝居のけいこより、ディスカッションが多かったわね。山上御殿(さんじょうごてん=現在の山上会館)でやっていました」
 戦後、お茶会で親交のあったロシア文学者の湯浅芳子さんから、「劇団俳優座」をつくった一人で、演出家の千田是也さんを紹介されました。48年、演劇復興の中に身を投じます。治安維持法で拘束された演劇人たちが自由になり、「いっしょになって、燃えていました」。俳優座養成所を経て劇団俳優座でプロの俳優人生をスタートします。

戦後の転換
 「戦後、あらゆる価値観が、変わったんですよ。父だけは俳優になることに、反対でした。勘当です。でもショックはなかったですね。世の中の価値観が変わったんだから。あの戦争を経験して、生きていたんだから。毎日、ああ、生きてたって、感じですね」
 戦争中は「毎日、警戒警報で、家を出て、学校へ行くと空襲警報が鳴っていました。戦争って、一度だけの火事じゃないのよ。ずーと続いていくでしょ。私たちは、薬専(薬学専門学校)の学生だったから、いつでも死ねるように青酸カリを持ち歩いていました」
 そんな日常で、友人と楽しいこと、おかしいことを見つけることに腐心したそうです。「そうしないと生きていけなかった。勉強したくて学校へ行くんじゃないの。友達と過ごしたかったのですね」
2人の先生 プロとしての俳優人生60年。野村さんが先生と呼ぶのは、千田是也さんと映画監督の黒澤明さんの2人です。
 「私は好きが先で俳優になりました。俳優座にいたときは、千田先生におもしろいほど叱られました。映画の撮影現場に行ったら、叱るのは黒澤明先生くらいですよ。私は、叱られ、叱られ、芝居を覚えることが好き」
 野村さんと言えば、「家政婦は見た!」シリーズです。1983年の第1回から2008年、最後の第26回まで出演。ヒロイン秋子(市原悦子)が所属する大沢家政婦紹介所の所長役で、作品に欠かせない存在でした。

角度変えて
 「長い間かけてみると、人って、いろんな面があることがわかってきます。連続ドラマ、シリーズ化したドラマは、1時間とか2時間で全部見せなくていいじゃない。1年たつと人はどう変わっていくか、時間や季節で変わる富士山みたいに、角度を変えて見ることもできます。そんな違いが出るから、シリーズ作品で演じるのは、やりいいですね」
 「独特の存在感」も人間観察、努力から。
 「せりふを覚えるのも、一夜漬けは好きじゃないですね。若い時の暗記した古文は、今も出てきますよ。そうやって自分の中に、身に入らないとだめなんです。もちろん、いろんなやり方、人がいてもいいんです。私は、お上手じゃなくて、お丈夫でいこうと。そうやって職業俳優≠やってこられたんです」

 のむら・あきこ 1927年1月、東京都生まれ。実家は医療器具を卸す商家。1966年、連続テレビ小説「おはなはん」でドラマデビュー。映画「赤ひげ」「砂の器」、ドラマ「ハルとナツ 届かなかった手紙」などに出演。
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2011年06月06日,「赤旗」) (Page/Top

国の謝罪を必ず/秋田県本部総会/治維法国賠同盟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟秋田県本部は5月27日、秋田市内で定期総会を開きました。代議員など46人が参加しました。
 大震災を口実に改憲論議を一挙に進めようとする策動に厳しく抗議し、引き続き改憲阻止に全力を尽くすことや、日本共産党が呼びかけている「原発からの撤退を求める署名」運動を推進する重要性について話し合いました。
 10人が発言し、治安維持法犠牲者への謝罪と国家賠償の実現をめざす請願署名を毎年300人分集めている人の経験などを交流しました。
 米田吉正・日本共産党秋田県委員長のメッセージが紹介されました。
 近江谷昭二郎会長(再)、最上健造会長代行(新)ら役員を選出しました。
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2011年06月03日,「赤旗」) (Page/Top

*  5月】(ヘッドライン)

*         愛媛いしずえ会しのぶ集い開く

*         戦前の弾圧事件語り継ぐ集い/新潟

*         治維法国賠同盟奈良県本部が総会

*         戦前の女性活動家相沢良しのび碑前祭/青森

*         秋田の治維法国賠同盟/救援活動を中間集約

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5月本文】(Page/Top

愛媛いしずえ会しのぶ集い開く

 第16回愛媛いしずえの人々をしのぶ集いが15日、愛媛県東温市の「愛媛いしずえの碑」前で開かれ、40人が参加しました。新たに7人が合葬されました。
 愛媛いしずえ会の門田久会長があいさつし、東京・青山で毎年行われている全国合葬祭が東日本大震災で中止になったことを報告。「戦後の復興からきょうまで、先輩たちが守り、たたかい続けてきた国民中心の政治をつくり、政治をただすためには、私たちが声を大きくしていく以外にありません」と呼びかけました。
 谷田慶子事務局長が新しい合葬者を紹介。黙とうをし、参加者全員が献花しました。
 日本国民救援会県本部の大西信吾事務局長、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部の中川悦良会長、日本共産党県委員会の石本憲一書記長が追悼の言葉を述べました。
 集い終了後、同市内で、愛媛いしずえ会総会を開き、会長に門田さん、事務局長に谷田さんを再選しました。
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2011年05月19日,「赤旗」) (Page/Top

戦前の弾圧事件語り継ぐ集い/新潟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟新潟県本部は14日、「再び戦争と暗黒政治をゆるさない、3・15、4・16事件を語り継ぐ集い」を新潟市内で開き、立ち席の参加者が出るほどの大盛況でした。
 集会では、音楽と映像つきで「山本宣治暗殺までの10日間」の朗読劇が行われました。治安維持法阻止の国会闘争、新潟県五泉市に来訪し、「唯生唯戦」の書を残したこと、大阪での全国農民組合第2回大会に出席し「卑怯(ひきょう)者去らば去れ、我らは赤旗守る」と、1929年3月5日、東京の旅館で暴漢に刺殺されたことなど、臨場感あふれる朗読でした。
 また、木崎村の小作争議について、木崎村小作争議記念碑建立責任者の池田正さんが、信念と不屈の画家市村三男三について、作家のなかむらみのるさんがそれぞれ講演しました。
 会場の後には、山本宣治の書など多数の展示が行われました。
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2011年05月19日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟奈良県本部が総会

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟奈良県本部は14日、奈良市で第25回総会を開き、県下各地から25人が参加しました。総会では田辺実会長が、改憲と日米軍事同盟深化の策動が強まる中で、戦前・戦時中の暗黒政治のもと平和と主権在民、生活擁護のために命がけでたたかった諸先輩のたたかいの歴史を調査・研究し、語り継ぐとともに、同国家賠償法の制定を求める運動をいっそう推進しようとよびかけました。
 同本部が系統的な調査を重ね、74人をリストアップした「奈良県治安維持法犠牲者名簿」(第1次分)が報告されました。
 国賠同同盟中央本部の柳河瀬精会長、日本共産党の宮本次郎県議が来賓あいさつしました。
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2011年05月18日,「赤旗」) (Page/Top

戦前の女性活動家相沢良しのび碑前祭/青森

 治安維持法による弾圧に屈せず、働く者のくらしと権利、反戦・平和のためにたたかい25歳8カ月で生涯を終えた戦前の女性活動家・相沢良(1910〜1936年)を「語り継ぐ会」が15日、出身地の青森市浪岡で開かれました。
 「語り継ぐ会」と治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟青森県本部の主催で、良の誕生日である5月15日前後に毎年開いているもの。
 リンゴ畑に囲まれ、青空が広がった花岡展望台の顕彰碑前での「碑前祭」には、県内外から約70人が参加。献花、黙とうをし、良の業績をしのびました。
 19日告示の県知事候補でもある日本共産党青森県委員会の、よしまた洋書記長も、「良から学び、新しい日本をつくるために頑張りたい」とあいさつ。
 農村環境改善センターで開かれた「語り継ぐ会」では、国賠同盟北海道本部の宮田汎氏が、「平和の滝に眠る相沢良さんの青春」と題して講演。北海道での良のたたかいの足跡を話しました。
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2011年05月17日,「赤旗」) (Page/Top

秋田の治維法国賠同盟/救援活動を中間集約

 治安維持法国賠同盟秋田県本部は2日、常任理事会を開き、東日本大震災の被災者救援募金と、国会請願に向けた署名の中間集約などを討議しました。
 同盟中央本部が呼びかけた救援募金に14万1000円が寄せられ、直ちに送金することを決めました。
 国家賠償法の制定を求める署名は、1万3634人分、380団体を集約。秋の国会請願を成功させるため、目標の2万人分、870団体を目指し、引き続き努力することを確認しました。
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2011年05月08日,「赤旗」)

*  4月】(ヘッドライン)

*         わが街ふるさと/三重・伊勢市/伊勢志摩の表玄関と平和への舞台

*         おはようニュース問答/劇団前進座が創立80周年だって

*         潮流

4月本文】(Page/Top

わが街ふるさと/三重・伊勢市/伊勢志摩の表玄関と平和への舞台

 伊勢市は三重県の中央部に位置する人口約13万の都市。伊勢志摩地域の政治や商業の中心として長い歴史を持つとともに、伊勢志摩国立公園の表玄関であり、古くからお伊勢参り≠ナ知られる伊勢神宮を中心にした観光都市でもあります。
 夫婦(めおと)岩の間を昇る日の出で有名な名勝「二見浦(ふたみがうら)」、舟運の川として発展した勢田(せた)川沿いに商家の蔵が並ぶ「河崎」、江戸・明治期の伊勢路の代表的な建築物を再現し、老舗の味や名産品が並ぶ「おかげ横丁」など観光地としての見どころいっぱいです。
 天才詩人といわれ、映画監督を志しながら23歳の若さで戦死した竹内浩三は伊勢市の出身。市は「ふるさと著名人発信事業」として彼にスポットをあてる取り組みを行ってきました。朝熊(あさま)山の金剛證寺に登れば詩碑と墓碑を見ることができます。
 日本を代表するコメディアン故植木等さんの父植木徹誠は伊勢市内の寺の住職だったころ治安維持法違反で投獄されています。「戦争は集団殺人である。戦地ではなるべく弾の来ないような所を選ぶように」と出征兵士を送り出したことが投獄理由であると、等さんが著書で紹介しています。
 1930年に山田(現在の伊勢市)で作家小林多喜二を迎えプロレタリア文芸講演会が開催されました。当時の新聞に「中止連発の神都文芸講演」というタイトルとともに徹誠が開会の弁を述べたことが載っています。戦前の平和と民主主義を求めるたたかいの舞台としてもゆかりのある街です。徹誠は戦後、日本共産党に入党しました。
 東日本大震災からの復興支援が急がれていますが、74年の「七夕水害」では伊勢市も大きな被害を受けました。現在では救援ボランティアという言葉も当たり前のように使われていますが、当時全国から救援に駆け付けた共産党組織と党員の活動は、まさにその先駆けでした。
 今でも市民から「あの時の皆さんの姿は忘れません」と声をかけられることがあります。
 (伊勢市議・黒木騎代春)
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2011年04月25日,「赤旗」) (Page/Top

おはようニュース問答/劇団前進座が創立80周年だって

 のぼる 劇団前進座が創立80周年を迎えたね。
 みどり 80年か、すごい。そもそも、前進座って、どんな劇団なの。

ユニークな歴史
 のぼる とてもユニークな歴史を持っていて、比較できる劇団がないくらいだと思う。創立したのが、当時の有力な若手歌舞伎役者だった中村翫右衛門らだ。そのころ世界的な経済恐慌の影響で歌舞伎界でも減俸、人員削減があった。身分差別や低賃金で苦しんでいた大部屋俳優たちの待遇改善と歌舞伎界の民主化を、と改革運動をしたのが翫右衛門たちだった。
 みどり ふうん、そんなことがあったのか。
 のぼる 上下の風通しをよくしたいとの改革運動には幅広い支持があったけれど、結局、やむをえない事情が重なり独立≠オて前進座を創立したわけなんだ。
 みどり なるほど。創立参加者はどんな人たちだったの?
 のぼる 歌舞伎の名題(幹部級の役者)や大部屋俳優など、歌舞伎役者が多かった。翫右衛門の著書『劇団五十年』に書いてある。
 みどり 歌舞伎役者が多かったのか。
 のぼる 創立は1931年。「蟹工船」の作家・小林多喜二が非合法の日本共産党に入党した年だね。多喜二は2年後に特高警察によって虐殺されたけれど、そういう自由と民主主義が抑圧された戦前の暗黒時代に創立されたんだ。創立総会には臨検の警官が数人、サーベル姿でやってきた。民衆のための演劇を掲げたり、当時としては革新的な規約でスタートしているよ。
 みどり 暗黒時代に、よくも。

演劇のデパート
 のぼる 創立後の活動が独特だ。歌舞伎、時代劇、現代劇、児童劇などレパートリーが幅広く「演劇のデパート」という異名がついていたようだよ。戦後、全国津々浦々を回っての上演活動は活発だった。
 みどり その劇団が80年もの歴史をつくってきたんだね。
 のぼる 5月に国立劇場で創立80周年記念の公演があるよ。「秋葉権現廻船噺」など歌舞伎が2本上演される。劇団総力の芝居だと思う。
 みどり それは、前進座を知る、いい機会かもしれないね。 
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2011年04月23日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 8世紀の末、平安京ができたころの都は左京と右京だけだった、といいます。左京の名は古い▼京都市の行政区としての左京区は、1929年に誕生しました。翌30年に、区内の鐘紡の工場で大争議が始まります。労働者4千人のほとんどが女工さん。給料減らしに対し立ち上がった彼女たちを、周辺の住民が、お米を寄付するなど大いに助けました▼次々に起こる労働争議。労働者を支援する左京の住民。彼らのたたかいに、知識人、大学人も合流してゆきました。国内で初めて治安維持法で弾圧された京都学連事件の検挙者38人のうち18人が、左京の京都大の学生でした▼共産党員となる経済学者・河上肇らが、左京の地で進歩と反骨の知の伝統を築いたのです。1947年、戦後初のいっせい地方選。左京区から当時の六大都市でたった一人、共産党市議が生まれました。河上肇の主治医だった安井信雄です▼連綿と続く、左京の人々の変革の事業。10日投票のいっせい地方選の府議選では、定数1減の4議席に2人の現職が挑みます。梅木のりひでさん。みつなが敦彦さん。現職3人が当選をめざす定数9の市議選ともども、やはりこんども全国から注目される選挙区であることに違いありません▼京都にも、かつての大地震の記録が残っています。東日本大震災、福島原発の事故から1カ月の日が迫ります。いつも、苦しみが身にふりかかる人々とともに日本共産党あり。その立党の精神を、津々浦々から発揮し証明する日も間近です。
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2011年04月09日,「赤旗」) (Page/Top

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*  3月】(ヘッドライン)

*         潮流

*         断面/DVD版「小林多喜二草稿ノート・直筆原稿」/権力の破壊から守り続け

*         視覚障害者9条の会/憲法生かそう/札幌市で総会

*         署名を広げて/函館市で総会/治維法国賠同盟

*         治維法国賠同盟春を呼ぶつどい/都本部と同女性部

3月本文】(Page/Top

潮流

 「3」の数字が続く1933年3月3日午前3時ごろです。昭和三陸津波が襲ってきました▼死亡・行方不明3000人あまり。時の社会のなりゆきが影響をおよぼした震災でした。「満州事変」から1年半。日本は、中国への侵略を広げ、同じ3月の末に国際連盟を脱退します。東北地方は、飢えと貧困の中にありました▼いま宮古市に入っている岩手県田老村の被害が、もっともひどい。男性の多くが中国に出征していた、女性・老人・子どもの村。10bを超す津波。村は、役場と小学校とお寺を残してそっくり波にさらわれ、「原始の砂浜」と化しました▼村に、東京から医師や看護師がかけつけます。肺炎などの重病人を1日も早く1人でも多く助けたい、と。日本共産党の指導でつくられた、日本労農救援会準備会が送った3人です。さっそく、役場で診療を始めます。ところが、わずか3時間後、特高警察に逮捕されます。順番を待つ被災者の列を後に残して▼日本共産党員の作家、小林多喜二の虐殺から1カ月もたたないうちの出来事です。特高警察には、被災者の命より弾圧の手柄が大事でした。三陸で救援活動に携わっていた、300人以上を逮捕します▼しかし、機関紙の「赤旗」で「救援闘争をおこせ!」とよびかけていた日本共産党は、活動をやめません。「赤旗」は求めました。国民が軍部に出す国防献金や軍事費を、被災者救済に振り向けよ。78年後、救いを待つ東日本の被災地に、人道の伝統脈打つ党員たちがいます。
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2011年03月21日,「赤旗」)

断面/DVD版「小林多喜二草稿ノート・直筆原稿」/権力の破壊から守り続け

 小林多喜二の草稿ノート、直筆原稿を写真で収録したDVDが発売されました(雄松堂書店・10万5000円)。これには、草稿ノート(全14冊)、「析々帳」と表紙に書かれた日記(1冊)、「蟹工船」「転形期の人々」などの直筆原稿、関係者によって守られた「党生活者」の完全なゲラ、草稿ノートに対応する25作品の初出誌の誌(紙)面が収録されています。
 草稿ノート12冊と、「析々帳」1冊は日本共産党中央委員会の提供です。共産党中央委員会はこれらのノート稿を管理するようになった2008年から閲覧希望者には公開してきましたが、より広く多喜二研究に役立ててほしいと提供。DVD版は市立小樽文学館、日本近代文学館などの提供資料とあわせて充実したものとなっています。

業績全体が抹殺対象
 天皇制権力に虐殺された小林多喜二は、その業績全体も抹殺の対象となりました。ノート稿、ゲラなどが今日に伝えられるのは、多くの人々によって長い年月守りつづけられたものであることを想起させます。
 共産党所蔵のノート稿についていえば、1946年につくられた全集編纂委員会が長い年月をかけて蒐集したものです。編纂委員のひとりの手塚英孝氏は、戦後まもなく発掘調査のために、戦後の混乱の中、青函連絡船の甲板でDDTを体に吹きかけられたりしながら、小樽の小林家を訪ねていった様子を書いています。多喜二の姉から「原稿帳」と書かれたノートを6冊ほど渡されます。これは強制疎開で荷づくりの時、ごみ箱に投げ込まれていたのをお母さんが見つけ、拾い上げていたものでした。
 「原稿帳はいま十三冊ほど刊行会で保管されているが、十三冊になるまでには十年近い年月がかかった。小林多喜二の作品は、いまはほとんど完全に復元されているが、これはたくさんの人たちが、長い年月にわたり、いろんなかたちで権力の破壊から守りつづけてきたことと、お母さんに拾いあげられたこのノート稿によるものである」(「二人のお母さん」)
 DVD版のリアルな映像をみると、この手塚さんの言葉がよみがえります。
 それぞれの資料には、専門家による解説が付されています。インクの濃淡による執筆日時の違い、ノートの欄外にあるメモ、カット、新聞記事の切り張りなど多喜二の息遣いが伝わります。作品が作り上げられていく過程を研究する上でDVD版は得難いものです。

全集未紹介のメモも
 ノート稿の「一九二八、三、一五の続」をみると、余白上部に「(鈴本、工藤の性格が案外描けてゐない)」「(お恵、工藤の妻、佐多の母などを最後に於いて生かすこと)」という全集では紹介されていないメモや、蔵原惟人あての原稿送付に際した手紙の下書きが書かれていることがわかります。荻野富士夫氏の「解題」では、この「(手紙は現存せず)」と説明されています。
 各地の文学館などに散在する資料を可能な限り収録していますが、存在が確認されていながら収録できなかったものもあるといいます。また、1932年の「赤旗」に掲載された「高山鉄」名による小説「村の事件」を多喜二「未発掘」作品として「認定」して収録しているのも興味深い。
 (牛久保建男)
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2011年03月18日,「赤旗」) (Page/Top

視覚障害者9条の会/憲法生かそう/札幌市で総会

 北海道視覚障害者9条の会は6日、札幌市で第4回総会を開きました。参加者には、点字または墨字の総会資料が手渡され、1年間の活動のまとめや財政報告が行われました。
 総会では、「一人ひとりが憲法を身近なものにするための学習会」や「小林多喜二の足跡をたどるツアー」を行った1年間の活動を振り返り、「憲法9条と25条を守り生かす活動をさらに進めよう」と話し合いました。
 参加した視覚障害者と支援者から、「昼も夜も働きづめだったので、改めて憲法の勉強をしたい」「毎日たくさんのニュースが流されるが、何が本当なのかを自分の頭でしっかり考えられるようにしたい」「自衛隊は専守防衛を投げ捨て、9条が踏みにじられている。草の根の運動が大事だ」などの発言が出されました。
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2011年03月12日,「赤旗」) (Page/Top

署名を広げて/函館市で総会/治維法国賠同盟

 北海道の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟道南支部はこのほど、函館市で第17回総会を開きました。
 齋藤幹雄支部長が「情勢はますます同盟の出番になってきている。支部も若返りを図って頑張っていきたい」とあいさつしました。
 治安維持法犠牲者への国家賠償法の制定を求める署名を2000人分集めること、レッド・パージ学習会や、昨年の「戦旗函館支局弾圧80周年講演会」の続きを計画していることなど、活動報告と運動方針が提案され、「治安維持法は国民全体への弾圧であり、もっと視野を広げて訴えよう」「レッド・パージの学習会をぜひやって、記録もしっかりとっておきたい」などの発言が出されました。
 日本共産党の古岡ともや道議候補が来賓あいさつしました。
 新支部長の牧野秀夫さんは「道南支部は結成されて23年。その歴史を踏まえていっそう発展するように努め、いっせい地方選挙でも大いに頑張りたい」と決意をのべました。
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2011年03月12日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟春を呼ぶつどい/都本部と同女性部

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟東京都本部、同女性部が主催して2日、東京都文京区内で、「春を呼ぶつどい」が開かれ、約60人が参加しました。
 米田佐代子・らいてうの家館長(平塚らいてうの会会長)が、『青鞜』創刊100年、大逆事件で幸徳秋水や管野スガが死刑にされて100年である2011年に、女性運動家・平塚らいてうの生き方から伝わるメッセージについて講演しました。
 『青鞜』の中心になった、らいてうの遺品の中に、スガが所持していた本があったことを話し、「『青鞜』と大逆事件は別々のことではない。絶対主義的天皇制のもと、国民の人権や言論が抹殺された時代であった一方、『元始、女性は太陽であった』と訴える女性が出てきた時代であったのです」とのべました。
 女性がみずからの思いを表すことが「危険なこと」とされた時代に、「女は自分でものを言う力がある」と『青鞜』を発刊し続けたこと、「激しく望まなければ、物事は実現しない」と、85歳で亡くなるまで原水爆禁止や安保反対運動、憲法を守る運動に駆け抜けた人生であったことなどを話しました。
 参加者からは「らいてうの生き方に、元気が出た」などの感想が発言されました。
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2011年03月04日,「赤旗」) (Page/Top

*  2月】(ヘッドライン)

*         治維法同盟/釜石支部は総会

*         治維法同盟/街頭で宣伝/塩釜・多賀城

*         多喜二を語るつどい/松永道議候補あいさつ/釧路

*         不屈の多喜二を語る/墓前祭と集い/小樽

*         秋田県多喜二祭/文学研究者が講演/ジャーナリスト精神持ったヒューマニスト/大館でも集い

*         野呂栄太郎没後77周年/北海道で墓・碑前祭

*         たび/長野県青木村/夕立と騒動は青木からやってくる/湯治の里に義民の歴史

*         語ろう日本共産党/行き詰まり打開の道ここに

*         常任幹事会開き当面の課題討議/治維法国賠同盟道本部

*         没後78周年の西田信春碑前祭/北海道新十津川町

*         ひと/18日に開かれる杉並・中野・渋谷多喜二祭の事務局長高木典男さん(58)

*         映画「弁護士布施辰治」/民衆守る姿に感服/金沢市で上映会

*         守ろう憲法・平和・信教の自由/「2・11」で集会/北海道/岩手/宮城/福島/秋田

*         「2・11」で集会/考えた侵略・平和・民主主義/大阪/京都/滋賀/和歌山/兵庫

*         バンコクに治安維持法を適用

*         月曜インタビュー/劇作・演出家津上忠さん/「足軽、脛がる、苦しがる…」庶民の声に歴史劇の面白さ

*         県多喜二祭と大館市で集い/秋田

2月本文】(Page/Top

治維法同盟/釜石支部は総会

 岩手県釜石市の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟釜石支部(佐藤恵蔵支部長)は20日、市内で第6回総会を開催し、会員13人が参加しました。
 佐藤支部長は「市民になかなか浸透しがたい名称の組織だが、署名活動など活動を進めていきたい」とあいさつしました。
 総会では、支部主催で「多喜二」「鶴彬」「布施辰治」などの映画や学習、講演会などを開催する活動方針を決めました。役員に佐藤支部長らが再選されました。
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2011年02月26日,「赤旗」) (Page/Top

治維法同盟/街頭で宣伝/塩釜・多賀城

 78年前に治安維持法違反を口実に作家の小林多喜二が虐殺された20日、宮城県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟塩釜支部は塩釜市と多賀城市内で街頭宣伝を行いました。
 相原君雄支部長は「毎年全国で30万人を目標に署名を集め、治安維持法の犠牲となった方々の名誉回復と国家賠償を求めて運動をしています。しかし、民主党政権は自公政権となんら変わらないばかりか、日米軍事同盟を強化し、憲法を変えようとする危険な動きも衆議院定数削減の策動と一体となって進められようとしている」と訴えました。
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2011年02月26日,「赤旗」) (Page/Top

多喜二を語るつどい/松永道議候補あいさつ/釧路

 「小林多喜二を語るつどい・くしろ」(同実行委員会主催・福浦寛委員長)がこのほど、北海道釧路市で開かれ68人の市民が参加しました。
 国際啄木学会道支部長の北畠立朴さんが「時代閉塞の現代と啄木」と題して講演。「啄木は、1910年の大逆事件が国家権力によるでっち上げであることを知っていた。彼の歌は新しい時代が来ることを常に歌っていた。啄木は『一を聞いて十を知る』以上の天才で思想的なことでも常にその先を見ていたと思う」とのべ、釧路時代なくして啄木はなかったが、釧路時代の研究はまだまだこれからであると話しました。
 続いて治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟道本部の宮田汎会長が「多喜二の青春」と題して、多喜二の人間性や、どのような契機を経て優れた作家、革命家に成長したのか、解明しました。
 つどいには、日本共産党の松永としお道議候補も駆けつけ「多喜二の遺志を受け継ぎ地方選でも頑張りたい」とあいさつしました。
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2011年02月26日,「赤旗」) (Page/Top

不屈の多喜二を語る/墓前祭と集い/小樽

 北海道小樽市の奥沢墓地で20日、大雪を踏み固めてつくった雪道を94人の人々が歩き、小林多喜二の墓前にカーネーションを供え、多喜二の業績をしのびました。
 日本共産党道委員会の青山慶二書記長、道治安維持法犠牲者国賠要求同盟の宮田汎会長のメッセージに続き、あいさつに立ったフェリス女学院大学の島村輝教授は「組曲虐殺を書いたのち、亡くなった井上ひさしさんとともにここに来たかった」と述べ、不屈を貫いた多喜二を語る夜の集会にのぞみました。
 集いには280人が参加。来賓のシカゴ大学教授ノーマ・フィールドさんと九条の会の小森陽一東大大学院教授も連帯のあいさつをしました。
 島村氏は、スライドを使って、多喜二の「草稿ノートから見る文学の生成…多喜二と井上ひさし」と題して講演。ソプラノ歌手の清水紫さんの熱唱とあわせ、参加者は共感の拍手を送りました。
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2011年02月25日,「赤旗」) (Page/Top

秋田県多喜二祭/文学研究者が講演/ジャーナリスト精神持ったヒューマニスト/大館でも集い

 秋田県出身のプロレタリア作家・小林多喜二(1903〜33年)の命日に合わせ、第46回県多喜二祭が19日、秋田市の県社会福祉会館で、第32回小林多喜二記念の集いが20日、大館市立中央公民館で相次ぎ開かれました。
 参加者数は、152人(秋田)と60人(大館)でした。
 両会場とも、東京学芸大学大学院の李修京(イ・スゥギョン)准教授が、「いま、多喜二文学をどう読むか〜韓国近代文学研究者の立場から〜」と題して講演しました。
 李さんは、自身の研究テーマのクラルテ運動(反戦運動)と『種蒔く人』の取材で秋田を訪れたことがあり、「今回が3度目の秋田です」と自己紹介の中でふれました。多喜二との出会いもその研究を通してでした。
 李さんは、多喜二と同じ時代を生き、ともに活動した韓国朝鮮関連の文学者たちを紹介し、多喜二を「ジャーナリスト精神を持ったヒューマニスト」と表現。「多喜二は、連帯する市民意識が必要だよ、みんな集まれば社会は変えられるよと伝えた。人びとがあたたかく助け合って生きる社会を示す時代の指針としてのメッセージだ」とのべました。
 大館市の「小林多喜二をふるさとで読む会」メンバーの野呂勝也さん(74)は、「おもしろかった。クラルテ運動が国際的広がりを持ち、その中に敏感に感じた多喜二もいた。戦前のプロレタリア文学運動の中には韓国朝鮮の人たちもたくさん参加しており、われわれはもっと広がりを知る必要がある」と話していました。
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2011年02月23日,「赤旗」) (Page/Top

野呂栄太郎没後77周年/北海道で墓・碑前祭

 戦前の天皇制政府の暴虐とたたかい、侵略戦争に反対した日本共産党の戦前の指導者で経済学者の野呂栄太郎の没後77周年となる命日の19日、北海道で墓前祭と碑前祭が行われました。
 野呂家の墓地がある札幌市豊平区の平岸霊園では、党道委員会主催の墓前祭が開かれ、参列した18人が業績をしのびました。
 党道委員会の西野敏郭委員長は「戦前の翼賛政治と同じように、民主党政権が自民党と悪政を競い合っています。戦争反対、国民主権を貫いた伝統を受け継ぎ、墓前に、いっせい地方選挙での勝利を誓います」とあいさつしました。池田ゆみ札幌市議候補(豊平区)が「決意を新たに、頑張りぬきます」とあいさつしました。
 出身地の長沼町では、党南空知地区委員会と治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟南空知支部が碑前祭を開催し、野呂碑小公園に50人が参列しました。
 上田ひさし南空知地区委員長が主催者あいさつ。長沼町の相沢昌之教育長が「百折不撓(ひゃくせつふとう)の精神を発揮した郷土の偉人」とたたえる戸川雅光町長のメッセージを代読しました。
 やぶた享(とおる)長沼町議は「業績を受け継ぎ、23日告示の町議選で10期目の当選を目指します」と決意を表明しました。
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2011年02月22日,「赤旗」) (Page/Top

たび/長野県青木村/夕立と騒動は青木からやってくる/湯治の里に義民の歴史

 長野県青木村は、標高500bを超える高所に広がります。といっても長野新幹線上田駅から10`ほどと、交通の便はいい。
 標高700bの山腹に田沢温泉と沓掛(くつかけ)温泉があります。山なみに囲まれ静かで、どちらも共同浴場がにぎわい、湯治場の面影を残しています。
 ややぬるめの湯とあって自然と長湯になるのですが、温泉成分が肌につき、それだけでも温泉の効果を感じます。田沢温泉は露天風呂のある宿が多く、山の風景や満天の星を眺めながらの湯あみはこたえられません。
 温泉だけでなく、青木村は義民の里としても知られています。「夕立と騒動は青木からやってくる」といわれ、江戸時代から明治にかけて5回も農民一揆の起点となりました。一揆の指導者は死罪という時代に、世代を超えてその精神が受け継がれたことは驚きです。
 宝暦一揆(1761年)の起点となった夫神(おがみ)集落に、中心となった3人の墓があり、一揆の相談をしたと伝えられる庚申(こうしん)堂も残っています。
 庚申堂の前に句碑が建ち、「霜の菊の咲きいづるなおも一輪二輪」と刻まれています。夫神出身の俳人・栗林一石路(くりばやしいっせきろ)の句で、同郷の義民への思いが伝わってきます。
 青木村歴史文化資料館は、昨年の3月開館。一石路と義民の歴史を主に展示しています。(無料)
 一石路は戦前にプロレタリア俳句運動を興し、戦後は日本共産党に入党し「赤旗」文芸欄の選者も務めています。展示室には、小林多喜二の母を訪ねて北海道の浜で拾った小石など、多くの遺品が並び、彼の生涯と業績がよくわかります。
 かつて青木村には、平城京や平安京と東国を結んだ東山道が通っていました。大法寺三重塔は、700年近く前に都のすぐれた技術により建てられたもので、国宝です。美しさに思わず振り返るということで、「見返りの塔」と呼ばれています。
 道の駅あおきは、村の特産品やとれたて農産物が豊富に並びます。初めて目にしたのが、コンパラジャム。コンパラは地元で「山の黒真珠」といわれる、ナツハゼの実です。口に入れると野の香りが広がります。みやげにしました。
 歩くほどに、合併せずに自立の道を歩む青木村の心意気を感じた旅となりました。
 山口恭平

【交通】JR上田駅から青木行きバス、約30分
【問い合わせ】青木村観光協会рO268(49)0111
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2011年02月20日,「赤旗」) (Page/Top

語ろう日本共産党/行き詰まり打開の道ここに

 「新しい政治への出口はあるのだろうか」―多くの人が政治と社会の閉塞状況を感じながら、そんな思いを抱いているのではないでしょうか。日本共産党は、行き詰まりを打開する提案を持っています。日本共産党の提案をお聞きください。

何だったの政権交代?/「古い政治」の大もとただす党伸びてこそ
 「何のための政権交代だったのか」―いま、多くの方がそんな怒りを抱いているのではないでしょうか。
 新しい政治を望んだのに、「政治とカネ」でも、消費税増税でも、沖縄の普天間基地の問題でも、民主党政権は自民党と同じになり、経済でも外交でも行き詰まっています。
 なぜ、政治が変わらないのか―それは、自民党も民主党も共通の「古い政治」の土俵の上にいるからです。国民の生活よりも大企業・財界の利益を優先する政治、アメリカいいなりの政治です。
 日本共産党はその「古い政治」をおおもとから転換します。異常な賃下げ℃ミ会を変え、賃上げや雇用を増やすことで日本経済を成長・発展のレールに乗せます。
 アメリカいいなりの外交から、アメリカにも堂々とものを言い、憲法9条を生かした平和外交をすすめます。
 自民党、民主党だけでなく、公明党や「みんなの党」も大企業最優先、アメリカいいなりの「古い政治」の枠内という点では違いがありません。日本共産党とご一緒に政治を変えましょう。

経済の停滞どうする?/暮らしを支えるのが新たな成長のカギ
 日本はいま、主要国でただ一つ「成長が止まった国」になっています。最大の原因は、一握りの大企業に空前の資金がため込まれていることにあります。雇用にも投資にもまわらずに大企業にためこまれたお金は244兆円。手元資金は64兆円にものぼります。
 一方、民間の賃金は1997年から年収で平均61万円、総額で31兆円も減っています。賃金が減り、消費は増えず、内需が冷え込む悪循環です。
 大企業に使い道がないままため込まれている資金を、雇用確保や賃上げで国民のふところに還流させ、生きたお金≠ニして活用していくことが、日本の経済の停滞を打開する一番のカギです。
 日本共産党は、派遣法を抜本的に改正し、解雇を規制するルールを強め、中小企業を支援して最低賃金を上げるなど、「総合的な賃上げ政策」をワンパッケージで実施することを提案しています。そうしてこそ家計を温め、景気を本格的な回復軌道に乗せることができます。内需の活性化は企業にとっても新たな成長の道となります。

社会保障はどうなる?/消費税増税なしでも拡充の財源ある
 「社会保障はどうなるのか」と不安を感じている人は多いのではないでしょうか。
 年金の支給額は引き下げ、国民健康保険の保険料(税)は値上げ―民主党政権になっても、社会保障を悪くする政治は自公政権と変わりません。そのうえ、大企業には財源の手当てもなしに1兆5千億円もの減税、国民には消費税増税を押し付けるなどとんでもないことです。
 日本共産党は、社会保障の拡充にカジをきりかえる改革を提唱しています。
 消費税に頼らなくても、財源は生み出せます。大企業や大資産家へのゆきすぎた減税で1995年と比べても21兆円も税収が減っています。これを段階的に元に戻し、税金は支払い能力に応じて納めてもらいます。米軍への「思いやり予算」をはじめとする軍事費、大型開発、政党助成金のムダにメスを入れます。
 くらしを支える改革でこそ日本経済も成長します。税収も増え、安心の社会保障を実現できます。

いまの外交でいいの?/憲法9条を生かした平和外交へ転換を
 「アメリカいいなりの外交で日本はどうなるのか」「領土問題の対応は大丈夫か」と心配している方も多いと思います。
 民主党政権は、世界といえばアメリカしか目に入らない。何か事が起こると軍事で対応する傾向も自公政権と変わらず、今後5年間で23兆5千億円にもなる大軍拡計画を決めてしまいました。過去の侵略戦争や植民地支配に対する反省の欠如も、自民党政治から引き継いでいます。
 しかし、世界は一握りの大国が動かす時代ではありません。「紛争は話し合いで解決する」という平和の流れが広がっています。
 日本共産党は、世界の変化、平和の流れを踏まえ、憲法9条を生かした平和外交へ転換します。アメリカとは安保条約をやめ、日米友好条約を結びます。
 領土問題では、国際的道理を踏まえた対応策を示し、「政府以上だ」と評されました。新聞は尖閣問題で「アピール一番は共産党」と報じました。
 たしかな外交への転換は、日本共産党の方針でこそ実現します。

「自由と民主主義」どう考える?/過去・未来、一貫した守り手/人権問題も毅然と対応
 自由と民主主義を守る―過去も未来も日本共産党の一貫した立場です。
 日本共産党の89年の歴史をみてください。戦前の暗黒時代にも、「侵略戦争反対」、「主権を国民の手に」を掲げつづけました。「蟹工船」で有名な作家・小林多喜二のように命をかけてたたかった先輩たちがいます。その主張は、戦後の憲法の原則に生かされています。
 他国を武力で支配し、自国民の自由を抑圧した旧ソ連を、社会主義とは無縁の体制ときびしく批判してきたのが日本共産党です。1991年のソ連崩壊時には「もろ手をあげて歓迎」しました。
 中国の人権問題でも、「批判に対しては『禁止』ではなく『言論』で対応する政治体制への発展が求められる」とたびたび中国政府に提起してきました。ノーベル平和賞受賞をめぐる問題でも、人権保障に関する国際条約をふまえた対応を求めました。
 「人間の自由の全面的な実現」を特徴とする社会。これが私たちの目指す、社会主義、共産主義の社会です。
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2011年02月20日,「赤旗」) (Page/Top

常任幹事会開き当面の課題討議/治維法国賠同盟道本部

 治安維持法国家賠償要求同盟北海道本部はこのほど、常任幹事会を札幌市で開き、当面の課題を討議しました。
 宮田汎会長が報告と提案。今年は、「太平洋戦争開戦70年の節目にあたり、1941年に起きた生活綴方(つづりかた)、生活図画、非常措置・予防拘禁などの弾圧事件の犠牲者顕彰行事の実施、ホームページを開設し、その中で『治安維持法告発博物館』などをつくり、若い活動家に力を発揮してもらいたい」などを提案しました。
 討論では、「TPP(環太平洋連携協定)反対の行動と署名に地域の人びととともに活動している」(十勝)、「神父さんの多喜二ツアーに協力したが、宗教者とともに活動できるし、平和の語り部としての期待も求められている」(小樽)など、同盟の存在感を示す取り組みが語られました。
 常任幹事会は、道教委の「日の丸・君が代強制、リーフレットの配布・研修強制等の施策に強く抗議し、それらを直ちに中止することを求める要請書」を採択し、道教委に送りました。
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2011年02月19日,「赤旗」) (Page/Top

没後78周年の西田信春碑前祭/北海道新十津川町

 戦前の日本共産党員で北海道新十津川町出身の西田信春の碑前祭(写真)が11日、顕彰碑のある新十津川町で行われました。碑前祭は19回目です。
 2月11日は西田が1933年に特高警察の手によって九州で逮捕・虐殺された日です。碑前祭には、日本共産党北空知留萌地区委員会、治安維持法国賠同盟北空知支部、日本国民救援会中空知支部の関係者や党支持者など40人余が参加しました。
 碑前祭で主催者を代表してあいさつした、女鹿武党北空知留萌地区委員長は、「私たちはこの日を、一年間頑張って活動を続けられた喜びとともに、来年にむかって頑張る決意を固める日にしたい」と述べ、「TPP(環太平洋連携協定)問題や普天間基地問題でマスメディアを含めて翼賛体制になっているもとで、日本共産党の存在が光を放つ情勢になっていることを確信します。いっせい地方選挙で勝利して、来年のこの日に、勝利を報告できるようにしたい」と決意を語りました。
 日本共産党の紙智子、大門実紀史両参院議員などからメッセージが寄せられました
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2011年02月17日,「赤旗」) (Page/Top

ひと/18日に開かれる杉並・中野・渋谷多喜二祭の事務局長高木典男さん(58)

 同多喜二祭の3代目の事務局長、今回で8年目。
 「最初のときは石井(大三郎)が正式というより、自分で事務局長といっていましたが…。昭和天皇がなくなるとき日本中がそれ一色になりました。そのとき石井は天皇制の時代と平和を呼び覚ますのは多喜二だと考えたんです」
 11年前に亡くなった元都議の石井さんは高木さんの義父。大ちゃん≠ニ呼ばれた石井さんは、持ち前の馬力で運動をけん引しましたが、高木さんははにかむような人柄。「もちろん、多喜二の家があり、遺体が運び込まれ、革新の伝統のあるこの地で、多喜二祭がないのはおかしい」という思いがありましたが、3年前は不破哲三さんが講演し話題に。「よく引き受けていただけたと思います。今思うと相呼応した感じでした」と笑顔で語ります。
 東京ならではの取り組みで弁士も多彩。1回目は多喜二を直接知る松田解子さんが熱弁をふるい、島田正策さん、風間六三さんなど多喜二とともにたたかった人々の参加も印象深い。
 「小樽などに比べて後発ですが、東京の利点を生かしていろんな方に語ってもらっています。若い人にもと、民青同盟の委員長や青年のシンポなどもやりました。シンポに参加した一人は今回の区議選に立候補するんですよ」
 福島出身。現在、東京土建どけん共済会常務理事。会場は「座・高円寺」。「例年より狭いので」と心配そうです。
 文 牛久保建男
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2011年02月16日,「赤旗」) (Page/Top

映画「弁護士布施辰治」/民衆守る姿に感服/金沢市で上映会

 戦前から戦後にかけて命・人権を守る弁護士活動や朝鮮独立運動への献身的支援を行った布施辰治の生涯を描いたドキュメンタリー映画「弁護士布施辰治」の上映会が13日、金沢市内で開催され、多くの市民が来場しました。
 県内の弁護士の他、有志らでつくる「映画『弁護士布施辰治』を観る会」が主催したもので、午前・午後の2回上映されました。
 主催者を代表して、大森定嗣共同代表が「布施弁護士は『人権を守ることこそ、国を守ることにつながる』ということを体現した人。彼の生涯を描いたこの映画から人権の大切さを感じ取っていただければうれしいです」とあいさつしました。
 映画では、布施の親族や共に活動した弁護士、研究者らが彼の活動について証言。21歳で法曹の道に踏み出して以後、弁護士資格の剥奪・治安維持法違反による投獄などの弾圧を受けながらも、弱者の命と人権を守るために奔走する姿を描き、彼の生き方を通じて「どのように生きるべきか」を問いかける作品になっています。
 午前の上映会に来場した金沢市の男性(80)は「弱者のための弁護を貫き、たたかい続けた姿に感服しました。彼の『民衆を守る』という姿勢は政治やマスコミなどの権力も大事にしなければいけないことだと思います」と話しました。
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2011年02月15日,「赤旗」) (Page/Top

守ろう憲法・平和・信教の自由/「2・11」で集会/北海道/岩手/宮城/福島/秋田

 「建国記念の日」の11日、各地で戦争や平和、民主主義などについて考える集会や講演会、デモが開かれました。

「平和を発信」/北海道
 北海道では、「2・11平和をねがう文化のつどい」(同実行委員会主催)が室蘭市で開かれ、400人が参加しました。
 第1部「みんなで創るステージ」では向陽中学校合唱部の合唱と落語が披露されました。第2部は布川一郎実行委員長(室蘭革新懇代表世話人)が「今日は何の日?」と題して講演。小林多喜二虐殺と戦前の治安維持法についてふれ、「『建国記念の日』といわれる2月11日を平和を発信する日にしよう」と呼びかけました。
 合唱構成劇「多喜二碑(いしぶみ)の前で」が演じられ、100人を超す市民から寄せられた絵画や書、写真、絵手紙、手工芸、各種文芸作品など200点以上の作品が展示されました。

アピール採択/岩手
 岩手県では、盛岡市の水産会館で「2011年『建国記念の日』について考える県民のつどい」が開かれ、市民ら80人が参加しました。
 つどいでは、「領土的問題や東アジアの国際関係は何よりも武力による威嚇ではなく、国際法にのっとり、粘り強い外交政策によって解決がはかられるべきです」とのアピールを採択しました。
 岩手大学の土屋直人准教授が「北方性教育運動の歩みから学ぶこと―近代日本の政治と教育」と題して講演しました。
 共催したのは、いわて労連、教科書・靖国神社問題岩手県市民ネットワーク、盛岡政教分離を守る会、岩手県歴史教育者協議会、岩手憲法会議、岩手県革新懇です。

「人間の使命」/宮城
 宮城県では、市民団体や宗教団体、労働組合など幅広い団体でつくる「靖国神社国家管理反対県連絡会」が主催する「2・11信教・思想・報道の自由を守る県民集会」を仙台市民会館で開き、300人が参加しました。集会後、参加者は一番町商店街をデモ行進しました。
 集会では、フリージャーナリストの島本慈子氏が講演。格差の拡大などに触れながら、日米が軍事で一体化し、そこに普通の人が巻き込まれていく方向を向いていると警告しました。戦争中の日本が原爆開発をしていたことに触れ、「原爆の真実を知った日本は、徹底して人間の立場に立ち、『戦争はしない』『世界の人のために働く』ことを明確にし、発信することが使命だ」と訴えました。

郡山と福島で/福島
 福島県では、郡山市と福島市で「つどい」が開かれました。
 「郡山地域の戦争と平和を考える会30年の活動から2・11を考える」と題し、同会の仲村哲郎代表が問題提起しました。郡山市での第1回「戦争と平和展」(1982年7月)に約4500人の参加があったことなどを紹介。30回目になる今夏の戦争展をより充実させ、成功させようと訴えました。反戦平和をうたった短歌を展示したいと語る人など、活発な論議になりました。
 福島市では、ノンフィクションライターの田中伸尚さんが「大逆事件100年と現在―自由と抵抗をめぐって―」と題して記念講演しました。参加者は、田中氏の旺盛な調査活動にもとづく話に聞き入っていました。

5カ所で集会/秋田
 秋田県内では、5カ所で集会が開かれました。
 大館市で「第11回建国記念の日・紀元節復活反対2・11市民集会」、北秋田市で「第13回『戦争を語り継ぐ』集い」、能代市で「まもろう『日本国憲法』の集い」、秋田市内2カ所で「『信教の自由を守る日』第7回秋田地区2・11集会」と「『建国記念の日』に抗議する県民のつどい」がそれぞれの団体、実行委員会の主催で開かれました。
 大館市民集会(参加者60人)では、県歴史教育者協議会副会長の茶谷十六・民族芸術研究所員が「韓国強制併合100年を問う」と題して講演しました。
 討論では、▽侵略への日本国民の共通認識はあるか▽国家分断や日朝国交正常化をどう考える▽強制連行、慰安婦、被爆者、軍徴用などの補償問題▽在日コリアンの権利問題―など歴史と現在の課題が話されました。
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2011年02月13日,「赤旗」) (Page/Top

「2・11」で集会/考えた侵略・平和・民主主義/大阪/京都/滋賀/和歌山/兵庫

 11日の「建国記念の日」に反対してこの日、侵略戦争や平和、民主主義について考えるさまざまな集会が近畿各地でも行われました。

起源を探る/大阪
 大阪府では、「建国記念の日」不承認2・11大阪府民のつどいが大阪市内で開かれ、歴史学関係団体や労働組合、民主団体などから220人が参加しました。主催は、大阪教職員組合などでつくる「建国記念の日」反対大阪連絡会議です。
 高木博志京都大学准教授が「天皇陵・世界遺産・紀元節―近現代史から考える」と題して講演しました。
 高木氏は、「建国記念の日」の起源となった「紀元節」の成立について、明治維新の変革によって、天皇家の始祖を神武天皇(記紀の世界)とし、「万世一系」や「神武創業」の物語の理念、120代の天皇陵がつくられたことと連動していると指摘。この天皇陵の決め方が古事記や日本書紀などの記述をそのまま信じる方法や、現地の伝説などを採取する方法にもとづいていることを明らかにし、「『建国記念の日』は『伝説』を疑わない歴史意識と連動している」と結びました。
 大阪府職員労働組合の平井賢治氏が意見発表しました。

9条多面に/京都
 京都では、第45回「建国記念の日」不承認・京都府民のつどいが京都市下京区で開かれ、100人を超す市民が参加しました。
 立命館大学の君島東彦教授が「多面体として憲法9条を見る」と題して講演。@米・ワシントンA大日本帝国B日本国民C沖縄D東アジアE地球市民社会―の六つの視点から憲法9条をとらえ、意義と可能性について解説しました。
 それぞれの角度から見れば、日本の武装解除、天皇制護持の「避雷針」などさまざまな側面を持つ9条を、日本国民が実践を通じて、判例、制度、意識など条文だけにとどまらない「人権としての平和」に発展させてきた世界的意義を強調しました。
 そして日本国憲法が世界の平和活動家から注目を集め、「NGO活動など、紛争や人道的危機にたいする非軍事的対応を広げる基盤となり始めており、大きな力を発揮できる」と憲法が持つ今後の可能性について語りました。

「慰安婦」語る/滋賀で吉川氏
 滋賀県では、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟滋賀県本部と同女性部が大津市内で「日本軍『慰安婦』問題を考えるつどい」を開きました。日本共産党の吉川春子元参院議員が講演し、80人を超す参加者は「問題に真正面に向かい合っていきたい」「60年以上も問題を引きずるような戦争は許せない」などの感想も出されました。
 吉川氏は、日本が植民地とした朝鮮などで日本軍の性どれいとされた女性たちや、日本の女性たちに日本政府は謝罪も補償もしていないと指摘。戦後も政府は米軍に「慰安所」設置を布令したこと、沖縄米軍基地などの性犯罪、女性差別、家庭内性暴力など現代的課題だと指摘。民主党政権で解決のとりくみは放置されているのが実態だとして、地方議会から「慰安婦」問題解決の決議・意見書の採択をと呼びかけ、「問題意識を持った人を送り出すのもいっせい地方選のテーマ」と指摘しました。

「坂の上」で/和歌山
 和歌山県では「平和・人権・民主主義2・11和歌山市集会」が和歌山市中央コミュニティセンターで開かれました。
 奈良女子大学の中塚明名誉教授は「NHKドラマ『坂の上の雲』の歴史認識を問う」で講演し、日清開戦2日前に日本軍が朝鮮王宮を占領したことや、抗日闘争のせん滅を命じる「大本営命令」、朝鮮王后殺害事件など日本が朝鮮に対し蛮行を繰り返し、日露戦争では、ついに日本軍が事実上、韓国を占領するにいたった歴史を紹介。「坂の上の雲」には、朝鮮人民への支配と抑圧の実態が書かれていないと批判しました。
 また著者の司馬遼太郎氏が映像化を拒否していたのに、NHKが「韓国併合」100年に重ねて放映した日本の状況に警鐘を鳴らしました。
 集会は「今、問われているのは私たちの歴史認識ではないか。今日学んだ歴史認識を広めていきましょう」とよびかけるアピールを採択しました。

沖縄戦とは/兵庫
 兵庫県では、2・11「建国記念の日」不承認兵庫県民集会が神戸市中央区内で開かれ65人が参加しました。
 中学校教師の平井美津子・子どもと教科書大阪ネット21事務局長が「沖縄と天皇―子どもたちは考える」と題し講演しました。
 平井氏は、大江健三郎氏が被告とされた沖縄戦強制集団死(「集団自決」)をめぐる裁判を紹介し、裁判のねらいが、教科書から沖縄戦の真実を消し去り、歴史を改ざんするためのものだと指摘。授業や修学旅行、文化祭などのなかで中学生が沖縄戦をどう学び、どう受け止めたのかを報告しました。平井氏は、戦争を美化せず真実を教える大切さを強調し、「教科書に書いてないことを教えられなくなる恐れがあります。だからこそ、しっかり書いてほしい」とのべました。
 実行委員会の基調提案や「どうする安保―日米同盟と私たちの未来」(平和委員会作成)の上映、意見交流がおこなわれました。
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2011年02月12日,「赤旗」) (Page/Top

バンコクに治安維持法を適用

 【バンコク=時事】タイ政府は8日の閣議で、首都バンコクの官庁街など7地区に治安維持法を適用することを決めました。反タクシン元首相派「民主市民連合(PAD)」が反政府デモを続けているほか、元首相支持派「反独裁民主統一戦線(UDD)」も定期的に集会を開いています。期間は9日から23日まで。
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2011年02月10日,「赤旗」) (Page/Top

月曜インタビュー/劇作・演出家津上忠さん/「足軽、脛がる、苦しがる…」庶民の声に歴史劇の面白さ

 劇作・演出家として知られる津上忠さんが手がけた脚本(テレビ・ラジオを含む)・演出作品は約200本にのぼります。近刊の著書『作家談義』(影書房)には、その多彩な活動ぶりがうかがえます。先月開かれた出版記念会では、脚本・演出した前進座の「阿部一族」の舞台映像(一部)が流され、津上さんが解説するという趣向にとんだ会になりました。
 
 「僕が一番好きな芝居だからね。中学生のときに映画(熊谷久虎監督・東宝)をみてね、映画は森鴎外の原作にない奉公人、下女を登場させて、武士社会を批判的に描こうとしたけれどうまくいかなかった。しかし僕は芝居にするとき、やはり再登場させて、ありえる人間像として描いた」
 津上さんの歴史劇には歴史を構造的にとらえ、そこに生きる人間を際立たせていく特徴があります。「阿部一族」は初演から50年近くになりますが、上演も600回を超えている前進座の代表演目の一つ。
 歴史劇として脚本化する場合、当時のことを史料や現地をよく調べてひと手間かけることが大事といいます。

熊本城を作る時石運んだ百姓は
 「服部之総先生(歴史学者)からおそわったことだけど、古文書というのは一級史料として歴史家が利用するんだけど、だいたい支配階級が書いたもの。だから百姓のことはほとんどでてこないんです。しかし庶民の声は、伝承がいろいろあるんですね」
 「熊本城を作る時加藤清正は、石を買ってやるから持ってこいと布告をだすんだね。川原に転がっている石が金になると、百姓は喜んで運ぶ。ところが規格に合わないと言って石を持って帰れという。重い石だからみんな置いていく。その置いていった石を利用するんだ。そういうずるい武士側の話が地元に伝承されている。こういうのは美術や建築の話にはぜんぜんでてこないね。だから、おもしろいよ」
 「足軽、脛がる、苦しがる、珍竹塀に谷わくど…」などという筑前(福岡)藩の足軽を侮蔑した歌をそらんじるなど、取材話になると熱がこもります。
 「庶民の声をね、埋もれた声をおこす歴史劇の面白さはそこにあるんですよ。そこに現代に通じる問題がでてくるんです。足で稼がないとわからない。でも、発見した時は楽しいよ。ようし、これなら書けるぞってね」

土方先生の演出面白かったなあ
 『作家談義』には室生犀星、谷崎潤一郎、大仏次郎、松本清張、有吉佐和子、窪田精など劇作のなかでかかわった作家との思い出、時代と文学を考える随想など読み応えがあります。
 「あとがき」で「土方与志の戦後の仕事」については加筆が必要なので収録をやめたとあります。土方与志は、津上さんが先生と呼ぶ日本の代表的演出家です(注)。戦後、10年ほど津上さんは演出助手としてそばにいました。改めて加筆した「評伝 演出家・土方与志 戦後の仕事を中心に」の第1回が雑誌に発表されています(『季論21』第11号)。
 「これを書かないと死ねないんだ。戦後の仕事に焦点をあてるといっても、知らない人が多いから過去と行きつ戻りつになると思う。先生の葬儀の時、山田耕筰が土方は、戦後は不遇だったということをいっているんだね。その不遇の原因はなんだったかというと、それは党員芸術家ということなんだ。先生は、戦後東宝で4本契約する。『人形の家』『真夏の夜の夢』をやって、その次が『ロミオとジュリエット』だったんだね。稽古している最中に、東宝争議がおき労働者に協力、稽古を中止。そのあと『復活』の演出で契約切れとなり、以後はパージ同然になっていく。そういう事は知られていないしね」
 「先生の演出は面白いなあ。僕が演出しているのを舞台稽古からみて演出補導をする。そして、パッパッと変えていっちゃうわけね。それでテンポがでておもしろくなる。よくチンタラ芝居をやっちゃいけないっていうんだよ」
 戦後、東京の有楽座で土方演出の『人形の家』を見て衝撃をうけ演劇の道を志し、鎌倉大学校(鎌倉アカデミア)で進歩的な学者、芸術家の影響をうけたことが、今日の津上さんをつくっています。
 昨年、日本演劇協会から演劇功労者の表彰をうけました。しかし、芝居人生の幕の下りる=iあとがき)のはまだまだ先のようです。
 (牛久保建男)
 
 つがみ・ただし 1924年生まれ。1952年前進座入座。89年退職し、現在座友、日本演劇協会監事、日本民主主義文学会幹事。「五重塔」で第1回日本演劇協会賞受賞(66年)。前進座を主に東宝、松竹ほか劇団制作の上演多数。『乞食の歌』『早春の賦―小林多喜二』『演劇と文学の間』『歴史小説と歴史劇』『幕の内外で』『炎城秘録』(戯曲集)『のべつ幕なし』など。

(注)土方与志
 1898〜1959年。1924年に新劇運動の拠点となった築地小劇場を私財を投じて建設。日本プロレタリア演劇同盟の代表としてソ連にわたり、小林多喜二の虐殺、日本の革命運動について報告。そのため祖父から継いでいた爵位を剥奪されました。その後スターリン粛清の余波をうけソ連を追放された後、フランスで亡命生活を送り、41年に帰国し逮捕され、宮城刑務所で終戦を迎えます。
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2011年02月07日,「赤旗」) (Page/Top

県多喜二祭と大館市で集い/秋田

 秋田県出身のプロレタリア作家・小林多喜二の命日(20日)に合わせて、「第46回秋田県多喜二祭」が19日、秋田市の県社会福祉会館で、「第32回大館市小林多喜二記念の集い」が20日、大館市立中央公民館で、それぞれ開かれます。
 両会場とも、李修京(イ・スゥギョン)東京学芸大学大学院准教授が「いま、多喜二文学をどう読むか〜韓国近代文学研究者の立場から〜」と題して講演します。
 李さんは、1998年10月の日本社会文学会秋季秋田大会で研究発表しており、2度目の来秋です。『小林多喜二生誕100年没後70周年記念シンポジウム記録集』(2004年)には「反戦文学運動と日本の文学者」を寄せています。
 「多喜二祭」は同祭実行委員会(斉藤重一委員長)主催。講演、合唱、作品朗読、資料約40点の展示など。午後1時30分から。資料代として1000円(中高生500円)必要です。問い合わせは018(833)3117事務局の富樫さん。
 「記念の集い」は同実行委員会の主催。大館市民劇場の瀬尾英子さんが、多喜二の田口タキ宛て手紙を朗読します。午後2時から。入場は無料です。問い合わせは0186(42)9694大山さん。
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2011年02月05日,「赤旗」) (Page/Top

*  1月】(ヘッドライン)

*         2月の歳時記/光の春にぬくもり

*         今も生きる宮本百合子/没後60年東京で集い/揺るがぬ生き方、私もかくありたい

*         相沢良没後75年/札幌で碑前祭

*         橋本夢道物語/殿岡駿星著/評者敷地あきら新俳句人連盟会長

*         岐阜のつどいで領土問題考える/治維法国賠同盟

*         小林多喜二の読書会を開く/秋田・大館

*         百合子の生涯思いはせ/没後60年文学を語る集い/社会変革の意志に深い共感/東京

*         作家談義/津上忠著/評者菅井幸雄演劇評論家

*         地のはてから/乃南アサ著/評者松木新文芸評論家

*         言いたい聞きたい/各地で共産党のつどい/医療現場青年の思いは/佐藤県議候補らと語る/石川・金沢

*         生きべくんば民衆とともに=^人権弁護士・布施辰治の生涯/映画上映会、石川で来月13日

*         キャンパスリポート/平成っ子℃R宣に共感

*         百合子と私たち/朴慶南

*         文化/折々に、百合子の背を追って/作家旭爪あかね

*         試写室/NHKスペシャル日本人はなぜ戦争へと向かったのか@/NHKテレビ後9・30

*         対論/歴史の経験から見えてくるもの/上中下/宮地正人さん/笠原十九司さん/その1-3

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2月の歳時記/光の春にぬくもり

 ○…真っ先に春に向かって歩み始めているのは日脚。光の春の訪れとともに、寒さはゆるぎ、空の光に温もりを感じられるようになります。岐阜市の玉性院では節分に、厄除けと開運を祈るつり込み祭りが行われます。
 ○…「鬼は内福は内」と豆をまくのは瑞浪市の鬼岩福鬼まつり。節分に厄払いの豆をまく風習が各地に伝わります。厄と言えば、消費増税とTPP参加を進める民主党政権。他の政党も悪政推進の役割をはたしています。根っこにあるのは財界と米国の二つの支配勢力。たたかいによって閉塞(へいそく)状況を打ち破ろうと新たな息吹が起こっています。
 ○…20日は小林多喜二没後78年。戦前、多くの日本共産党員が迫害や投獄に屈せず、平和と民主主義の旗を掲げて不屈にたたかい続けました。党が命をかけて主張した「国民主権」「反戦平和」の原則は、憲法に刻み込まれています。新しい歴史を切り開くいっせい地方選挙は目前です。
 (良)
 1日 「しんぶん赤旗」創刊83周年
 3日 節分
 4日 立春
19日 雨水
20日 多喜二忌
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2011年01月30日,「赤旗」) (Page/Top

今も生きる宮本百合子/没後60年東京で集い/揺るがぬ生き方、私もかくありたい

 「没後60年、百合子は私たちの心に生きている」―宮本百合子の文学を語る集いが、23日、東京で開かれ、500人を超える人が参加しました。講演やてい談、チェロ演奏を通して、時代に向き合った百合子の作品や歩みが浮き彫りにされ、参加者は「いかに生きるかを考えさせられます」と語っていました。

てい談/新しい自分つくるため書いた/すべてをのみ込み乗り越えた/人生、心、結婚―視点が現代的
 「現代の眼で読む百合子」と題したてい談では、作家の旭爪あかねさん、日本民主主義文学会準会員の松本たき子さん、文芸評論家の岩渕剛さんが、百合子文学の魅力を語り合いました。
 「百合子は書くことで自分の生きる道をすすめようとしていて、それがリアルな描写を生み出している。新しい自分をつくるために書いている」と岩渕さん。旭爪さんは、「百合子はすべてをのみ込み、栄養にし、『道標』では大好きな父さえ乗り越えていった。小説を書くうえで自分を成長させ、小説も成長させていった」とのべました。松本さんは、「『伸子』の人生観、心の動き、結婚への視点が現代的ですばらしい」「たくさん刺激を受けたので、もっと勉強したい」と語りました。

作家朴慶南(パク・キョンナム)さんが講演
 集いの主催は、日本民主主義文学会、婦人民主クラブ、多喜二・百合子研究会。
 「百合子さんと、今を生きる私たちをつなぐもの」と題して講演した在日2世の作家・朴慶南さんは、1950年1月23日生まれ。61歳の誕生日にともに百合子のことを語り合えることを幸せに思う、と話を切り出しました。
 高校生のころ、百合子のデビュー作「貧しき人々の群」と、治安維持法違反で捕らえられた夫・宮本顕治との往復書簡集「十二年の手紙」を勧められたという朴さん。廃品回収業を営む自宅に貧しい人たちが集まるのを目にし、人々が貧しさから解放される社会をいかにつくるかと思っていた心に「貧しき人々の群」が鮮烈に響き、教えられた、とのべました。
 獄中で非転向を貫いた宮本顕治。百合子も1932年から45年まで、検挙・投獄、執筆禁止で3年9カ月しか作品を発表する期間がなく、言論表現の自由を奪われながらも揺らぐことなくまっすぐ生きてきました。そんな百合子の生き方に感動し、尊敬すると語った朴
さん。塀の内と外とで支えあった二人に「人間への信頼」を与えられ、「私もかくありたい」と思ったと話しました。
 そして、「十二年の手紙」の第一信(34年12月)から七十数年を経た今、日本は、本当に民主主義の国になったのかと問い、戦争反対を言うことが命懸けになるような時代に再びしてはならないと力をこめました。
 「播州平野」には、日本の敗戦で解放を得た朝鮮人の姿も活写されています。祖国を目指す朝鮮人の思いと、顕治とともに新しい社会をつくろうとする百合子の思いとが、重なり合っている――朴さんの思いです。
 朴さんは、作中にも出てくる「アリラン」を歌い、治安維持法違反で捕らえられ日本敗戦を目前にして獄死した韓国の詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩も朗読。韓国の軍事政権に反対する人々の間で広く歌われた「朝露」を歌い、「記念すべき良き日にお会いでき心から感謝します。カムサハムニダ(ありがとう)」と講演を結びました。

参加者の感想
 会社員の阿江千恵さん(34) 小林多喜二の『蟹工船』を読んでいて、百合子にも興味をもっていました。みなさんの話を聞いて、もっと歴史や文学を勉強したくなりました。
 川崎市から参加した保育士(50) 百合子が亡くなったときとそう遠くない年齢にさしかかり、参加しました。やわらかくしっかりと百合子のことが伝えられたと思います。保育の現場も厳しいですが、しなやかな感性を持ちながら生きていけたらと思います。

宮本百合子=1899年生まれ。1951年1月21日没。16年、小説「貧しき人々の群」発表。28年「伸子」。30年、プロレタリア文学運動に加わる。31年、日本共産党に入党。32年、宮本顕治(戦後、日本共産党委員長、議長=故人)と結婚。治安維持法違反で捕らえられた顕治の獄中闘争を支える。45年、新日本文学会、婦人民主クラブ設立に尽力。小説「播州平野」「二つの庭」「道標」など。文学や女性、平和問題などの評論も多数
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相沢良没後75年/札幌で碑前祭

 戦前の治安維持法の激しい弾圧のもとで、戦争に反対し、働く者の解放のために勇敢不屈にたたかいぬいた女性活動家、相沢良(1910〜1936)の命日にあたる28日、札幌市西区の「平和の滝」入り口にある事跡の案内板とレリーフ碑像の前で「相沢良没後75周年記念碑前祭」が行われました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部と同札幌支部の主催。「25歳8カ月の短い生涯を引き継ぐ」と21人が参加し、献花・黙とうしました。
 同盟道本部の宮田汎会長(中央本部副会長)は、「相沢良を一言で言うとすごい人!」と強調。「弾圧で共産党が壊滅するなか、誰から言われることもなく、学習して労働組合をつくり、共産党の再建に協力した。さらに足跡を調べ、地域の力にしていきたい」とあいさつしました。
 日本共産党の田中けいすけ市議候補も駆けつけ、「相沢良は、青森高校の大先輩。戦争が正しい≠ニいう風潮のなか、反戦・平和を掲げてたたかったことを、この西区から発信したい」と決意を新たにしました。
 同盟札幌支部の前田大蔵副会長は、「医者になるより、労働者、農民の目線で世の中を考えた人」と、その人柄を語りました。
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2011年01月30日,「赤旗」) (Page/Top

橋本夢道物語/殿岡駿星著/評者敷地あきら新俳句人連盟会長


勇気与える豪快な俳人の生涯
 本書の副題は「妻よおまえはなぜこんなに可愛いんだろうね」。帯には「こんなおもしろい俳人がいた!」。この大胆な楽しいキャッチフレーズは、若者たちの目をも引きつけるに違いない。プロレタリア俳句を志向し、反骨とユーモアで激動の昭和を生き抜いた自由律俳句の旗手、橋本夢道の物語である。副題は、夢道の代表句の一つ。1927(昭和2)年、封建的な社会の中での苦難を伴う夢道の初恋から物語は始まる。
 24歳の夢道は、故郷・徳島に本社がある肥料問屋「奥村商店」の東京・深川支店で、丁稚あがりの青年番頭として働いていた。横須賀へ軍艦「山城」の見物に行った時に、後に妻となる荻田静子と出会い、互いに一目ぼれをする。静子は人を介して、荻原井泉水門下で俳句を学んでいた夢道に色紙を渡し、一句書いてほしいと頼んだのだった。この時、夢道が贈った句は〈月やさしいりて芦の中〉。
 この先、二人の愛情物語の感動的な展開は、本書を読まれてのお楽しみ。
 海昏れぬ青春の唇ぬれ合うて岩匂う
 渡満部隊をぶち込んでぐっとのめり出した動輪
 大戦起るこの日のために獄をたまわる
 著者の殿岡駿星氏は、夢道の次女の夫で、新聞記者としての職歴を持つ。がんを発病した夢道が語る一代記を録音し、大切に保管していた。徳島の母や弟妹のこと、静子との思い出、徳島連隊の召集と除隊、治安維持法違反容疑での逮捕、紙石板の獄中句、1946年の新俳句人連盟の結成など、写真を含む豊富な史料は、私たち後輩の知る夢道をはるかに超えて豪快な生涯を伝え、存分に勇気をもらった。享年71歳。
 桃咲く藁家から七十年夢の秋
 これが絶句となった。
 
 とのおか・しゅんせい 1942年生まれ。『狭山事件の真犯人』ほか。
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2011年01月30日,「赤旗」) (Page/Top

岐阜のつどいで領土問題考える/治維法国賠同盟

 岐阜県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の東濃西支部(後藤金夫支部長)は24日、多治見市内で、新春のつどいを開催し、片桐義之県本部委員長が「千島列島など領土問題」のテーマで講演しました。つどいには24人が参加しました。
 片桐氏は、日本領土をめぐる問題で千島列島に関しては、「北方領土問題」と呼ぶごまかしがあると提起し、竹島・尖閣諸島については、歴史的、国際法上日本の領土であるとの根拠を示し、「問題解決には、軍事的対応ではなく、憲法9条を持つ国として、話し合いによる解決が必要である」と訴えました。
 参加者は、「日本が抱える領土問題のいずれもが、正しい戦後処理の原則を持つことによってのみ解決するということを学びました」と語っていました。
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2011年01月28日,「赤旗」) (Page/Top

小林多喜二の読書会を開く/秋田・大館

 秋田県大館市の「小林多喜二をふるさとで読む会」は22日、2011年最初の読書会を同市立中央公民館で開きました。00年に始まった読書会は今年で12年目。
 今回は「特別な知識を要しているわけではなく、新しい人を推し、幅を広げよう」と入会6年目の長崎恵子さんが講師をつとめ、小樽が舞台の『転形期の人々』を再読しました。
 長崎さんは「戦後教育の中、近代史を詳しく学ぶ機会がなかった。『転形期の人々』を読んで、当時のことが、つい最近のことで現代に強く太くつながっているのだなと感じた」と感想をのべました。
 討論では、「転形期」の意味について、「作中の人々が成長していく様子」「共産党と言う庶民の党をつくっていく時期」「日本が右傾化し、日中戦争に突き進む時代の曲がり角」など発言が相次ぎました。
 司会をつとめた大山兼司さんは「いつもは短編、中編が中心ですが、今回は長編。全体を捉えきれなかった部分もあります。まだ深めていく余地がある作品だと思います」と話しました。
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2011年01月28日,「赤旗」) (Page/Top

百合子の生涯思いはせ/没後60年文学を語る集い/社会変革の意志に深い共感/東京

 作家・宮本百合子の没後60年を記念して「百合子の文学を語る集い」(日本民主主義文学会、多喜二・百合子研究会、婦人民主クラブ共催)が23日、東京都豊島区のみらい座いけぶくろで開催され、参加者は500人を超えました。
 日本民主主義文学会・吉開那津子会長の開会あいさつに続き、作家の旭爪あかねさん、文芸評論家の岩渕剛さん、民主主義文学会準会員の松本たき子さんが鼎談。社会の発展とつなげて自らを高めていった百合子の生涯と作品を語り合いました。
 音楽にも造詣が深かった百合子をしのぶ高木雄司さんのチェロ演奏(ピアノ・齋藤和音さん)の後、自分の生き方の根幹には百合子の作品があるという作家の朴慶南さんが、「百合子さんと、今を生きる私たちをつなぐもの」と題して講演。『貧しき人々の群』『十二年の手紙』『播州平野』の一節を引きながら、百合子の人間への信頼と未来への確信、社会変革の意志について、深い共感を語りました。平和と民主主義を求めて不屈にたたかった百合子と、朝鮮の歴史を重ね合わせ、韓国の民主化運動の中で歌い継がれる「アリラン」「朝露」を披露しました。
 閉会あいさつに立った婦人民主クラブの櫻井幸子会長が、「平和とくらしが脅かされている今こそ、百合子から学び、活動していこう」と呼びかけました。
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2011年01月24日,「赤旗」) (Page/Top

作家談義/津上忠著/評者菅井幸雄演劇評論家


ひとりの歴史劇作家の全体像
 『民主文学』の一昨年4月号から11月号にかけて連載された著者の「作家談義」は、谷崎潤一郎、大佛次郎、久板栄二郎、久保栄、村山知義など、多彩な活動をしてきた作家について、著者が論じた文章として注目されてきた。それだけに、これらの文章を主たる内容とする本書が刊行されたのは、うれしい。しかも新たに小幡欣治論と村井志摩子論が追加され、窪田精論や井上ひさし論も補われている。
 本書は全体として3部構成になっており、第T部の「作家談義」につづいて、第U部では著者が魅力を感じている映画などのジャンルの特徴にふれた17の文章が収められており、第V部では、この著者の人生の歩みをうかがわせる文章が収められている。
 たとえば著者の初期の代表作といわれる「五重塔」「阿部一族」に関する文章などは、歴史劇についての著者の思想と、このドラマを上演した前進座への熱い思いが、あざやかにうかがわれる。
 塔を表面から見ただけではわからない構造上の特質が、垂木の組み方にあること、日光・東照宮の五重塔の内部構造も、真柱懸垂式の工夫であることを知った著者が、その事実を、登場人物の十兵衛と源太との対話に活かして、ドラマのクライマックスを設定している。舞台を見ていて、もっとも感動した部分が、実は著者の発見にあったことを、いまさらのように知るのだ。
 最後に収められているのは「わが味日記」である。著者の亡父の郷里である長崎県平戸島でとれる飛魚の料理の仕方が書かれており、魚料理を歴史的に考えたことが、この側面からもみてとれる。津上忠というひとりの歴史劇作家の全体像がうかがえるのである。
 
 つがみ・ただし 1924年生まれ。劇作・演出家。『早春の賦―小林多喜二』『幕の内外で』ほか。
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2011年01月23日,「赤旗」) (Page/Top

地のはてから/乃南アサ著/評者松木新文芸評論家


岩尾別開拓の実相に分け入る
 知床連山の最高峰羅臼岳の登山口がある岩尾別地区は、知床100平方メートル運動で知られているが、そこが開拓地であったという史実は、ほとんど伝えられていない。
 大正6年の春、満2歳のとわと家族は、福島県の開拓団としてイワウベツに入植する。原生林とクマザサに覆われた溶岩台地の開拓は容易ではない。半日仕事でハルニレの巨木を切り倒し、わずかな畑地にエンバク、アワ、ヒエを植えるが、大量に発生するバッタに収穫を奪われる。アイヌのおばあさんから教わったオオバユリで厳寒の冬を越すが、火事で住む家を失う。
 小学校を卒業すると、口減らしのために、小樽の商家へ奉公に出される。6年後、知床へ帰って来たとわは、幼なじみのアイヌの若者と恋に陥るが、家族の意向を汲んで嫁いでいく。
 5人の子どもを育て上げながら、大正から昭和の時代を生き抜いた彼女の半生は、苛烈をきわめた。
 「夜が更けたら何も考えずに眠ってしまおう。昨日も一昨日もそうだったように。寝てしまえば、嫌でも明日がやってくる。明日になれば、きっとまた新しい知恵も生まれてくるというものだ」
 苦難に耐え、向かい風に昂然と立ち向かっていく彼女の姿は、今を生きる人々を鼓舞している。
 小樽高商軍事教練反対闘争、3・15事件、多喜二虐殺など、時代の暗い潮に周到に目配りをしながら、作者は国の無謀な開拓政策への批判を忘れていない。とわの母は、「金輪際、どうだごとあったって、お国の言うごとなんと信じてぁなんねぁ」と吐き捨てるように言う。
 歴史の奥に秘められた岩尾別開拓の実相に分け入り、たくましく生き抜いた女たちに光を当てたことの意義は大きい。 
 
 のなみ・あさ 1960年生まれ。『凍える牙』で直木賞受賞。
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2011年01月16日,「赤旗」) (Page/Top

言いたい聞きたい/各地で共産党のつどい/医療現場青年の思いは/佐藤県議候補らと語る/石川・金沢

 石川県内の医療・介護関係の職場で働く日本共産党の青年党員らが主催するつどいが14日、金沢市内で開かれました。つどいには、佐藤まさゆき県議候補、広田みよ金沢市議候補が出席し、党への疑問や医療・福祉の現状について青年と語り合いました。
 佐藤候補は「共産党とはどんな政党か」をテーマに話し、治安維持法などの弾圧を受けながらも、戦争反対と国民の要求実現に88年間一貫して活動してきた事を紹介。「仲間とともに学び、成長して行ける場所が共産党。『人間らしく生きたい』と願う人たちの声に応えて、政治を良くする活動にみなさんも踏み出してほしい」と語りました。
 つどいでは、医療・介護現場の深刻な実態が次々と語られました。
 つどいに初めて参加した歯科医師の男性は「治療をしていると貧困状態の人が増えているのを実感する。歯がボロボロになるまで我慢する人、接着剤を使って自分で治療しようとした人までいた」といいます。
 看護師として働く女性は「仕事が大変で人がどんどん辞めていくので、残った人にも激務が待っている。これからもこんな大変な仕事を続けていけるのかと不安になる」と語りました。
 このほかにも、「国保料が高すぎて、命を守るはずの健康保険が生活を壊しているのはおかしい。声をあげていく事が大事だ」(医療ソーシャルワーカーの男性)などの声が出されました。
 これらの声に対し、佐藤候補らは「今の若い人たちが『政治が変わらないのは仕方ない』と思わされているという面がある。大企業の内部留保を社会に還元させるなど、『こうすれば変えられる』という展望を広げていくことが大事です」と答えました。
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2011年01月16日,「赤旗」) (Page/Top

生きべくんば民衆とともに=^人権弁護士・布施辰治の生涯/映画上映会、石川で来月13日

 戦前から戦後にかけて命・人権を守る活動に生涯をささげた布施辰治弁護士を描いたドキュメンタリー映画「弁護士 布施辰治」が昨年完成し、石川県では2月13日の上映会に向け、準備が進められています。
 上映会は県内の弁護士、団体役員などでつくる「映画『弁護士布施辰治』を観る会」が主催。「生きべくんば民衆とともに、死すべくんば民衆のために」を信念に、治安維持法違反での逮捕・弁護士資格はく奪の弾圧を受けながらも、民衆の人権を守る運動に力を尽くした姿に共感が広がり、金沢弁護士会による推薦や法曹関係者をはじめ、大学教授、医師など約100人が賛同者に名を連ねています。
 同会は昨年12月11日に金沢市内で試写会を開催。出席者からは「弁護士になる時に布施さんから学んだことも多かった。ぜひ一般上映を成功させたい」「素晴らしい映画。多くの人に呼びかけよう」などの感想が寄せられました。
 布施弁護士は、日本共産党への大弾圧が行われた「3・15事件」などを弁護し、自由法曹団や国民救援会の創立にも携わりました。生誕130年にあたる昨年、映画が製作され、全国で上映会が開かれています。
 同会の共同代表の1人、治安維持法国賠同盟県本部の北口吉治会長は「数々の弾圧や苦難の中で、人権と命を守るために必死で活動した姿は救援活動や法律家のあるべき姿など多くの事を教えてくれます」と語ります。韓国併合100年を迎えた年に製作された映画であり、「戦前の歴史を学ぶ上でも、若い人をはじめ、多くの県民に見ていただきたい」と来場を呼びかけています。
 上映会は2月13日(日)@午前10時半A午後2時(いずれも30分前開場)、県教育会館3階ホール。問い合わせは076(241)7841(北口さん)まで。
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2011年01月14日,「赤旗」) (Page/Top

キャンパスリポート/平成っ子℃R宣に共感

 戦前、平和と民主主義を求めて治安維持法と侵略戦争に反対し、暗殺された山本宣治(山宣)。2011年の元旦も京都府宇治市にある山宣の墓に、学生有志でお参りしてから新年の活動をはじめました。先人の不屈の精神に学び、志を受け継いで一年の奮闘を誓いました。
 元日早朝の山宣のお墓参りには2008年から学生有志で参加しています。今年は関西圏から4人が参加し、学費負担軽減や就職難打開をめざす活動を大きく発展させようと誓い合いました。
 朝5時半に起床して参加した大阪の私立大学2年生の女性は、山宣について「戦前に治安維持法に反対した勇気ある行動は、戦後の未来に光を与えたと思います」と話します。
 彼女が名前だけしか知らなかった山宣のことを詳しく知ったのは大学に入ってからのこと。友達と山宣の墓に行き、『劇画 山本宣治』を貸してもらったことがきっかけでした。「平成っ子≠フ自分には想像もできない弾圧があった時代に、声をあげたことがすごいと思い、共感するようになった」と言います。
 彼女は、山宣が暗殺される直前に言った演説の一節「山宣ひとり孤塁を守る だが私は淋(さび)しくない 背後には大衆が支持しているから」が大好きだそうです。「山本宣治さんがピックアップされているけど、彼を支持して支える人がたくさんいた。あきらめないで、自分も仲間をいっぱいつくろうという思いになる」
 学費負担軽減を求める活動をしているときも山宣の生き方を重ね、山宣の言葉を紹介しながら署名を集めています。「学費は高いけど仕方ないもの」と思っていた人も、あきらめずに話しかけると署名に応じてくれるのだそうです。
 昨年は山宣の命日3月5日に行われる墓前祭にも参加した彼女。今年は、「山本宣治さんの不屈性を原動力に学び、活動していきたい。学内に仲間を増やしたい」と、抱負を話してくれました。
 (学生 福田 耕)
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2011年01月13日,「赤旗」) (Page/Top

百合子と私たち/朴慶南

 作家・宮本百合子の没後60年を記念した「百合子の文学を語る集い」(23日・東京)で、「百合子さんと、今を生きる私たちをつなぐもの」と題して、講演をさせていただきます。
 百合子との出会いは、私が鳥取県の田舎の高校生だった頃のことでした。数歳上の従姉から『貧しき人々の群』と『十二年の手紙』を薦められたのです。
 その頃、鉄くず屋を営んでいたわが家には、まさに貧しき人々の群れが集まっていました。百合子17歳のデビュー作『貧しき人々の群』は、同じ年頃だった私の心に鮮烈に染み込み、私が社会や人間を見るときの視点に、百合子の眼差しが重なっていきました。
 そして暗黒の時代、治安維持法で起訴され獄中にあった夫・宮本顕治と12年にわたって交わされた往復書簡集『十二年の手紙』は、私に人間への信頼と勇気を与えてくれました。この本は高校生の時以来、常に身近にあって、二人の関係性と愛情のありようは、ずっと私の理想でした。
 「私はやっぱり生活を愛し、たくさん笑い、心の底に音楽を感じながら、例えば、きょうは暑くて苦しいから、勉強部屋の掃除をさっぱりして、裏庭から草花をとって来てそれをさし…」(1936年6月26日)
 百合子の毅然とした不屈の精神は、しなやかな感性によって支えられていたことが伝わってきます。
 「私たちの生活は何とあれから動き進み、豊富にされてきているでしょう。そのためどれほどの人間らしい誠実さと智慧と堅忍とが、そそがれているでしょう」(1937年7月26日)
 困難な状況下での、この明るさと楽天主義。未来への確信と社会変革への意志を強く感じます。
 手紙の書かれた時代から80年近くがたちました。日本は今、朝鮮半島との関係、沖縄の基地問題をはじめ、非常に危険で厳しい状況にあります。また、貧困と格差は拡大し、先の見えない閉塞感に包まれています。私たちはどう向き合っていけばいいのか、改めて百合子の生き方や文学から学びたいと思います。
 (作家 パク・キョンナム)
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百合子の文学を語る集い
 23日(日)午後2時、みらい座いけぶくろ(JR、地下鉄などの池袋駅東口下車5分)。講演・朴慶南。鼎談・旭爪あかね、松本たき子、岩渕剛。チェロ演奏・高木雄司、齋藤和音(ピアノ)。参加費1700円。問い合わせ・日本民主主義文学会рO3(5940)6335
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2011年01月10日,「赤旗」) (Page/Top

文化/折々に、百合子の背を追って/作家旭爪あかね

 小説を書きはじめてまもない頃、宮本百合子の短編をテーマに研究会で報告をし、作品論を書く機会を与えられた。
 百合子を研究してきた文芸評論家である文学の先輩が、文献を紹介し譲ってもくれ、なぜご自身がこの作家の人と作品に惹(ひ)かれたのかを話してくださった。
 作家や作品にたいする愛情があってこそよい評論が書けるのだろうと考えさせられ、ひとつの作品について書くためには、たくさんの他の作品を読み、作者の人生やその生きた時代も知らなければならないことを教えられた。
 「自伝的」と言われる百合子の一連の作品は、作者自身の体験を素材としながらも、自己を投影した主人公を時代の一典型として配置し、社会を視野に入れて人間の歴史そのものを描いている。小さな「私」から出発して、人間の普遍や広い世界までもを描くことができるのだ、と励ましてくれたのも百合子である。
 昨年の暮れ、百合子が17歳ではじめて『中央公論』に発表した「貧しき人々の群」を読み返した。
 亡き祖父の開墾した東北の村の貧しい小作人たちの生活を憂えて、彼らの話に耳を傾け、小作料の減免を仲介し、食べ物や古着を惜しみなく分け与えるまだ若い「私」。やがて施しによって彼らをその惨めな境遇から本当の意味で救い出すことはできないと悟らされた「私」は、己の無力に絶望し、しかしなお心の内で彼らに呼びかける。
 「私はきっと今に何か捕える。どんなに小さいものでもお互に喜ぶことの出来るものを見つける。どうぞそれまで待っておくれ。達者で働いておくれ! 私の悲しい親友よ!」
 百合子は一生をかけて、この約束を果たそうとする方向をめざして歩み続けたのではないだろうか。
 「私共と彼等とは、生きるために作られた人間であるということに何の差があろう?」と考えながらも、主人公はこう述懐する。「世の中は不平等である。(略)/金持が出来る一方では気の毒な貧乏人が出るのは、宇宙の力である」
 これがおそらくは宇宙の力ではなく、人間の経済的営みによって導かれてきた必然的な道筋だったことに、百合子は眼(め)を開いていった。
 あの困難な戦争の時代を希望を失わずに生き抜くことができた不屈さも、世界の動きは人間の営みによってつくられてきた、ととらえる合理的な思考と、だからこそ人間の力で世界は変えられるはずだ、という歴史の主体としての意識に支えられていたに違いない。
 人間にたいする愛情と信頼。誠実に力いっぱい生き、書くということ。百合子の人生と作品は、その尊さを身をもって私たちに伝える。
 プロレタリア作家として生きる決意をした直後、百合子は書いている。
 「作家として困難な同時に意味ある仕事はこれからだ。自身の古典に向って何と云はう。土台よ。しっかり重みにこたへろ。」
 百合子は最後まで、古典としての自分のさいしょの作品を裏切らなかった。ささやかながらも大切にしたいみずからの作品をもったいま、百合子のこの言葉は、厳しく、そしてあたたかく、何かを問いかけるようにずっしりと重く私の胸に響いてくる。

宮本百合子(みやもと・ゆりこ)
 1899年、東京生まれ。1916年、「貧しき人々の群」発表。27年、湯浅芳子とソ連へ。28年、『伸子』刊行。帰国後の30年からプロレタリア文学運動に加わり、31年、日本共産党に入党。『働く婦人』編集責任者。32年、宮本顕治と結婚。後に治安維持法違反で捕らえられた顕治の獄中闘争を支える。32年から45年まで、5度の検挙、投獄、執筆禁止に遭いながらも、『冬を越す蕾』(35年)、『明日への精神』『三月の第四日曜』(40年)などを刊行。45年、新日本文学会、婦人民主クラブ設立に尽力。46年、「歌声よ、おこれ」「播州平野」「風知草」。47年、「二つの庭」。50年、「道標」第3部完結。51年1月21日死去。

ひのつめ・あかね
 =1966年生まれ。「冷たい夏」で第2回民主文学新人賞。「稲の旋律」で第35回多喜二・百合子賞。著書に『風車の見える丘』『菜の花が咲いたよ』『月光浴』ほか

宮本百合子没後60年百合子の文学を語る集い/23日、東京・池袋
 講演=朴慶南「百合子さんと、今を生きる私たちをつなぐもの」。てい談=「現代の眼で読む百合子」=旭爪あかね、松本たき子、岩渕剛。チェロ演奏=高木雄司(ピアノ・齋藤和音)。
 23日午後2時、東京・池袋・みらい座いけぶくろ。前売り券1500円。問い合わせ先=日本民主主義文学会рO3(5940)6335
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2011年01月09日,「赤旗」) (Page/Top

試写室/NHKスペシャル日本人はなぜ戦争へと向かったのか@/NHKテレビ後9・30


翼賛化のもと、外交なき政治
 日本が15年戦争への坂道を転げ落ちていった歴史の岐路で、天皇制国家の中枢を握る軍部と政府官僚は何を考え破滅の道へと舵をきったのか―。東京裁判終了後、国策決定に関わった旧軍人や外交官らに、研究者が実施した膨大な聞き取り資料を解読した4部作。キャスターは松平定知。
 第1回は「外交敗戦′ヌ立への道」。1931年、関東軍による「満州事変」とカイライ国家成立。世界から非難を浴びての国際連盟脱退と日独伊防共協定締結、第二次世界大戦突入への道をたどる。裏では外務省と陸軍が場当たり主義≠フ二重外交をすすめ、他国からは「内部の混乱」と映っていた。国際連盟脱退の主席全権松岡洋右の行動と腹中の考えとの違い、欧州各国に防共協定参加を誘う有田八郎外相、英国に中国への防共協定参加への口添えを依頼した吉田茂英国大使の動き。陸軍は外交上の領域にも勝手に踏み込み、外務省も追認する。
 政党政治は翼賛化され、国民は治安維持法を頂点とする弾圧体制下で口を塞がれている時代のことである。ひるがえって、外交なき政治は今も続くことがすかして見える。
 (二葉 恵 ライター)
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2011年01月09日,「赤旗」) (Page/Top

 

対論/歴史の経験から見えてくるもの/上中下/宮地正人さん/笠原十九司さん/その1-3


宮地正人さん/大逆事件と文学の世界
 今年1月は大逆事件の幸徳秋水ら12人が処刑されて100年です。また2011年は辛亥革命によって清朝が崩壊し100年、さら満州事変80年、日本が大陸への膨張と侵略を始めた時期でもあります。歴史家の宮地正人さんと笠原十九司さんに、この歴史の経験をどう見るか、それぞれの報告をふまえて対談をしていただきました。
 
 大逆事件については、いろいろな角度から考えられるのですが、文学という立場から考えてみたいと思います。
 大逆事件のデータがどう外に流れたかというと、担当した弁護士の一人平出修さんという弁護士から流れています。なぜ平出さんという若い弁護士がこの大逆事件に関与したのか。それはキリスト教の牧師で後に作家になる沖野岩三郎が関与しています。沖野は当時和歌山の新宮のキリスト教会に勤めていました。逮捕された大石誠之助と非常に親しい。大石がそんなことをやるはずはないと当然だれもが思った。その中の一人が沖野です。私は当時の文学というのは非常に大事だと思う。なぜかというとみんな和歌のサークルでつながっています。沖野は中央の指導者の与謝野鉄幹にたいしていい弁護士を紹介してくれと頼む。与謝野は平出を紹介した。平出も歌よみでした。
 裁判書類を平出がうつしをつくって、与謝野とあわせて森鴎外にもおくっている。鴎外も歌のサークルで与謝野と一緒だった。森鴎外は「沈黙の塔」とか「かのように」という小説をかいている。平出は弁護に全力をつくしたけれども、ああいう結果になって「逆徒」という小説をかきますが、たちまち発禁になります。石川啄木は歌の関係から平出と結びつきがあり、無理に頼みこんで平出から書類をとりよせ、それで大逆事件を勉強し歌をつくった。これは渡辺順三氏が明らかにしていることです。
 あと一人、大逆事件と文学者では永井荷風という非常に面白い人がいて、よく「花火」という彼の文章が引っぱり出されます。大逆事件の被告が連行されるのをみて、文学者として思想問題に黙してはならないと思うが、自分は何も言わなかった。文学者であることに羞恥を感じると、いっています。ただし「花火」が永井の著作集に入ったのが、1919(大正8)年ですね。「逆徒」も事件から3年後の13(大正2)年です。
 こうなると、処刑1週間後の2月1日に第一高等学校弁論部の要請で講演した徳冨蘆花の「謀叛論」は、非常に大きな意味をもってくると思います。
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徳冨蘆花の「謀叛論」
 「謀叛論」は正面きって政府を批判し、事件は権力の謀殺だといいきったのは彼だけです。なぜ、多くの文学者の中で徳冨蘆花だけがこういいきれたのか。
 この「謀叛論」は、まあ今読んでもすさまじいアジテーションです。「100年の公論は必ずそのことを惜しんでその志を悲しむであろう」という、まさに100年が2011年です。彼は100年後の日本を考えて、この「謀叛論」の講演をしたのです。しかもあえて一高生という学生にやったのですね。
 「謀叛論」というのは短いものですが、大逆事件が謀殺であるということを日本の歴史の中にしっかりと位置付けています。最初は吉田松陰がでてくる。吉田松陰は幕府の謀叛人として処刑されたが、現在では謀叛人と誰が思うか。これが前提になってくるわけですね。そして理想論とことわっていますが、現在世界は一つになろうとする大きい動きのなかにある、そのような動きは理想論というかもしれないが、理想がなければ人は生きられないという。彼は1911年の段階で、よくここまでみていたと思うのですが、国と国との対立、人種と人種の対立、階級と階級の対立、そして男と女の性差別の対立を統一しなければいけない。そういう世界が、分裂から統一の方向へいく、そのためにたたかっている人たちが幸徳のような志士なのだといっています。ですから、幸徳たちのグループは、自由、平等の理想の実現のためにたたかった変革の志士たちで、それを殺し、追い込んだのは当局だという。
 あとひとつは、世界が一つになろうとするその傾向、それに棹さして幸徳たちが自由と平等を基礎に社会主義を唱えたという、この理想論の問題だと思います。現在ですら、この東アジアの現状をみますと、世界が一つになろうというのは容易にいえる理想ではないのに、蘆花は100年前にいいきったという問題。昨年はトルストイ没後100年でした。彼は1906年にロシアにおもむき、トルストイに会ってからこの世界は一つに動くという確信をもちました。
 民族差別はおかしいとか、戦争はおかしいと今はいいますけれども、100年前の日本人も世界の人間もだれもそうは思っていません。100年前帝国主義全盛期の段階に、そう主張したトルストイの思想はもう一度歴史的に考える必要があると思っています。
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天皇制イデオロギー
 「謀叛論」は、1911年という時点で見ればもっとも卓越した天皇制イデオロギー批判だと思います。天皇制イデオロギーというのは、すべてを天皇イコール国家に収斂させ、万邦無比のわが日本の国体のもとにある大日本帝国国民という意識を日本人全体、小学生を含めた日本人全体に植え付けていこうとしました。天皇のもとに5000万の日本人を大和民族として結集させようとしました。
 天皇制というのは複雑な構造を持っています。二つの要素をいつも頭に浮かべなければならない。一つは社会ダーウィニズムという問題です。これは国と国との間には一切の道理がないのだと断定する力強さ、生存競争と弱肉強食が人間社会の自然的な法則だという考え方です。この社会ダーウィニズムを前提として、第二に日本民族、当時の言葉としては大和民族といいましたが、この国際社会では天皇のもとに日本人は一丸となって結集しなければ大和民族として生き残れない、こういう二つのモメントが結合したのが天皇制イデオロギーなのです。
 その一番の前提になるのは考古学から歴史学を導き出すのではなく、神話から日本の歴史を導き出すことでした。このとらえ方を国民全体に植え付けようとしました。これは非常に特殊歴史的なイデオロギーで、ある時点でつくられ、確立するものです。日本人の伝統的な思想ではまったくない。しかし、これはある時点から日本人全体のものになっていきました。なぜこの天皇制イデオロギーが急速に国民全体のものとなっていったかというのは、戦前史を考える場合、研究者としては非常に興味深いテーマです。
 私の考えでは日清戦争の前と後で大きく変わっていきます。直接の契機は1895年の三国干渉、欧州列強が日本に干渉を加え、条約によって得た遼東半島を清国に還付させた。あのときから変わっていきます。日本思想史ではくりかえしいわれる徳冨蘆花のお兄さんの徳富蘇峰の転向という問題があります。ただし、徳富蘇峰が個人的に転向したという単純な問題としてこの問題を考えてはいけないと思っています。特に日本の知識人全体の問題として考えなければいけない。彼はいままでは四海同胞主義。蘆花の言っている通り世界は平和になる、世界は統一するという見方でした。しかし、この三国干渉で国家あっての個人、これがお兄さんの確信に変わっていく。ですから徳富蘇峰にとって、日露戦争は「力の福音」です。国家あっての個人とか民族だということになると、他国を皇国化したり植民地化するのもそれは生存競争、強者の論理で、正当化される論理なのですね。天皇制はそういう正当化するイデオロギーだと思っています。
 蘆花の場合には中江兆民、その弟子の幸徳秋水、そして社会主義。お兄さんの場合は、日清戦争と三国干渉で理想論をぷっつり切った。その投げ捨てた旗を弟が拾ったという意味では、日本の思想史においてはこの兄弟の争いは日本人の思想そのものの相克の表れだったと思っています。
 天皇制イデオロギーという枠組みを日本ではつくろうとし、そしてつくる一番の手先になったのが教師と軍隊でした。この問題は戦前・戦中の日本を考える上で忘れてはいけない問題です。

民主主義の発展と変革
 蘆花の問題のたてかたは、社会主義か資本主義かというよりは、民主主義の発展線上に社会主義を含んだ変革思想を位置づけようとするものです。これは、大逆事件を考える場合の、大事な問題だと思っています。
 一つの例が1913年の大正政変です。大正デモクラシーへの転期を画する大正政変のイニシアチブを握ったのは犬養毅や尾崎行雄でした。ただし犬養にしても尾崎にしても「韓国併合」を賛成していた人なのです。では、桂太郎とか山県有朋とどこがちがうのかということを考えない限り、大正政変という近代日本の政治変革上とてつもなく大きい変革の意味がつかめない。
 こういう長い観点で大逆事件というのを見たいなと思っています。
 
 みやち・まさと 1944年福岡県生まれ。前国立歴史民俗博物館館長、東京大学名誉教授。主な著作は、『歴史のなかの新選組』、『幕末維新期の社会的政治史研究』、『天皇制の政治史的研究』、『日露戦後政治史の研究』など。

1894年8月 日清戦争
1895年4月 日清講和条約・三国干渉
1904年   日露戦争
1905年   日露講和条約
1910年8月 日韓条約(「韓国併合」)
   12月 大逆事件
1911年1月 大逆事件で12人が死刑執行
   2月 徳冨蘆花「謀叛論」を一高で講演
   10月 辛亥革命
1912年   中華民国成立。尾崎行雄や犬養毅らによる第1次護憲運動始まる
1913年   大正政変
1914年   第1次世界大戦(〜18年)
1915年   対華21カ条の要求
1917年   ロシア革命
1919年   パリ講和会議開催
1922年2月 ワシントン会議で海軍軍備制限条約・中国に関する9カ国条約などを調印
   7月 日本共産党結成
1925年   男性の普通選挙制実現・治安維持法制定
1927年   山東出兵
1928年3月 三・一五事件約1600人の共産党員や活動家が逮捕される
   6月 治安維持法の最高刑が死刑となる
1929年   世界恐慌
1931年   「満州事変」
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大逆事件
 1910年、明治天皇の暗殺を計画したとして全国数百人の社会主義者・無政府主義者を検挙し、11年に幸徳秋水ら12人を死刑、12人を無期懲役、2人を有期刑にした弾圧事件。

辛亥革命
 1911年、清朝をたおして中華民国をたてた中国のブルジョア革命。数千年にわたる君主制を廃止し、12年1月に孫文を臨時大統領とする中華民国臨時政府を樹立。

大正政変
 1913年、陸軍や内閣の非立憲的な行動に対する政党、ジャーナリスト、民衆の抗議運動である第1次護憲運動によって第3次桂内閣が倒された政変。

対華21カ条の要求
 1915年、日本が中国の袁世凱政府に迫った21カ条の帝国主義的要求。

パリ講和会議
 1919年、第1次世界大戦の講和のためにパリで開かれた会議。

ワシントン会議
 1921年〜22年、アメリカの主唱で行われた軍備制限、太平洋および中国問題に関する国際会議。米・英・仏・伊・日・オランダ・ベルギー・ポルトガル・中国が参加。

笠原十九司さん/辛亥革命と日本近代史
 1910年に「大逆事件」、「韓国併合」が起こりますが、翌年の11年には、清国の専制的な王朝を倒し、中華民国という共和国を樹立した「辛亥革命」が起こります。ですから今年は辛亥革命100年になります。中国の人びとは専制君主制に対抗して、国民全体が主権者であるという国家を創りました。当時の日本は天皇制国家ですから、国民全体が主権者という思想が日本国民に浸透することを、日本の支配層は恐れたと思います。
 日本の支配層は、中華民国とは言わずに「支那国」と言い、略称である「中国」とは言わずに、差別的な意味をこめて「シナ」という言い方を国民に定着させます。中華民国という「民」が主権者の国家という考えを、日本の国民に知らせないようにしたのです。
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第1次大戦参戦の論理
 辛亥革命や、1914年の第1次世界大戦への日本の参戦、さらに日本国民の大戦経験と意識は、日本の近代史を考える上で大切な問題だと思います。日本が第1次世界大戦に参戦していく時の名目は、ドイツの持っていた山東半島の利権を中国に「還付させる」というものでした。しかし国内的には、かつての「三国干渉」にたいするドイツへの「報復」という考え方で国民的合意を得ます。
 日本は、山東半島の利権を中国に返すという名目で参戦しておきながら、戦争が長引くと、独占的権益の獲得をはかる対華21カ条要求を中国に突きつけます(15年)。そして日本は、イギリスやフランスなどの列強と密約を結んで山東半島のドイツ利権の日本への譲渡を認めさせます。国際法にのっとる形で少しずつ権限を奪い、最終的には「併合」していった「韓国併合」と同じやり方を中国でもやろうとしたのです。21カ条要求の第5号には、北京政府が日本人の政治財政・軍事顧問をまねき雇うことや警察を日中合同として日本人の指導下におくことなど、「韓国併合」の時と同じ内容です。
 日本の指導者や国民は、中国国民の中に「韓国併合」と同じように、中国が滅ぼされるという危機感が広がっていくことを理解できませんでした。21カ条要求に反対する「救国運動」「愛国運動」が、中国全土で起こってきます。中華民国北京政府の袁世凱政権は、21カ条要求はのみますが、国民の反対運動を裏側から支援します。
 対華21カ条要求をのませるための最後通告を突きつけた5月7日と受諾した9日は、中国では国恥記念日とされ、以後毎年、この日は国民規模で日本の侵略に反対する運動が続けられ、日中戦争期にも続きます。それだけ、中国での救国意識が高まっていくということです。この運動に対する日本のメディアの報道も問題がありました。日本の報道は、中国国民の運動に「反日」「排日」というレッテルを貼り、相手が悪いというイメージを作っていきました。そのために、なぜ彼ら(中国の国民)が立ち上がるかという究明をしなくなりました。
 第1次世界大戦の戦後処理を話し合うパリ講和会議では、日本が占領・獲得した山東半島の利権について議論になります。ベルサイユ条約は、ドイツが持っていた利権を、日本が取得すると決めます。一方で、日本の代表はアメリカのウィルソン大統領の求めにより、「日本は山東の経済的な利権だけを確保して、後の山東主権は中国に還付する」という宣言書を公表します。この宣言書とセットで、ベルサイユ条約の山東問題の条項が決定したわけです。日本は参戦の理由にした「ドイツの山東利権を中国に還付する」という原点にもう一度戻らざるを得なかったわけです。
 1921年に始まるワシントン会議で、日本はパリ講和会議での宣言書のとおり、山東主権を中国に返還にすると決め、軍隊の撤退も約束します。日本が第1次世界戦争に便乗して行った、山東半島の主権をドイツから奪おうとしたもくろみが挫折したことになります。
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侵略政策を挫折させた力
 日本の侵略的野心を挫折させた力は、中華民国という国民全体が主権者となる国家を樹立し、国民全体が国を建設する責任を持ったことにあると思います。その結果、「韓国併合」の教訓を深く受け止め、第二の朝鮮になるなという救国思想が中国国民に浸透していたことが大事な点です。このような中国国民の侵略に反対する運動が北京政府を動かし、パリ講和会議やワシントン会議での中国代表の積極的な活動を支えたのです。
 さらに日本の侵略政策に歯止めをかけたのは、軍事力によって領土を奪い取る「野蛮な」帝国主義から、その国の領土や主権を尊重しながら経済的、文化的に従属させていくというアメリカ的な新帝国主義が登場して、国際的に影響力を持つようになったことです。ワシントン会議で調印された9カ国条約は、中国の主権、独立の尊重、領土保全、門戸開放、機会均等などの原則を約して、日本の中国侵略に歯止めをかけたものです。こうした変化を日本は理解せず、ワシントン体制によってアメリカに押さえつけられた。今度はそれをはね返していくという方向で、30年代前半の「満州事変」と「満州」侵略につながっていくのです。
 この時期に起こった重要な事件としてロシア革命の問題を考えることが必要です。
 ロシア革命の過程で、民衆が革命に立ち上がり、ロマノフ王朝を倒し、皇帝・ニコライ二世を処刑したことは、天皇・皇室はもちろん、天皇中心の権力を維持しようという支配層にとっては、大変な恐怖だったと思います。特に思想的な影響を大変恐れたと思います。この点、中国側の受け止め方は日本とは違いました。中国は、民衆が立ち上がり、王朝を倒す経験をしていますが、日本にはありません。
 中国では、国民政府による国家統一を達成し、不平等条約体制を打破して中国の主権を完全に回復しようとする国民革命運動が起こります。国民革命軍が北京の張作霖政権を駆逐するために北伐戦争を行うと、田中義一内閣は1927年から28年にかけて3度の山東出兵を行い、国民革命に干渉します。これに反対し、国民革命を支持したのは無産党や日本共産党など労働者・農民階級でした。当時は「対支非干渉運動」と言いました。ところが、28年に「3・15事件」、すなわち、日本共産党や無産政党への大規模な弾圧が行われます。大逆事件と同じようにおどしをかけたわけです。共産党員だけではなく、関係者も含めて1600人以上を検挙します。さらに、天皇の緊急勅令で治安維持法に死刑を加えます。天皇制、あるいは、「国体」に反対したり、変更を求めたりする思想は共産主義である、過激主義であるとし、そういう思想を持っただけで死刑になるという恐怖感を国民に植えつけました。そのことの意味は大きかったと思います。

大正の運動なぜ発展せず
 1925年に男子普通選挙法が公布され、28年には初めての普通総選挙が実施されました。まだこの時期は労働運動や社会運動も盛んでした。それがなぜ、大正デモクラシーから昭和デモクラシーに発展しないで昭和ファシズムに突入したのか。
 一つは、先ほど話した天皇制に反対する勢力をつぶす治安維持法の問題です。
 もう一つは、中国の民族運動を理解できずに敵対した問題です。列強から押し付けられた不平等条約を撤廃し、主権を回復しようする中国の運動を理解するどころか、日本は逆に中国に不平等条約を押し付けるということをやります。反対運動や抵抗運動を理解したのは、先ほど話した共産党や無産政党などの社会主義運動を担っている人たち、あるいは少数のリベラリストだけでした。
 総じて大正デモクラシー運動は、社会主義勢力を排除した結果に終わりました。これを変えることができませんでした。そして、29年の世界恐慌とそれに続いた昭和恐慌を契機に日本はますます侵略的になっていきます。
 以上のように考えると「韓国併合」につづく、辛亥革命、第1次大戦期および戦間期が日本にとってどういう時代だったのかについて、現在的視点から再検討することが必要だと思います。
 
 かさはら・とくし 1944年群馬県生まれ。都留文科大学名誉教授。主な著作は、『南京事件』、『南京事件と三光作戦』、『「百人斬り競争」と南京事件』、『南京事件と日本人』、『体験者27人が語る南京事件』、『日本軍の治安戦』など。

宮地正人さん・政党自身しばった治安維持法/笠原十九司さん・なぜ大陸進出になだれこんだ
 宮地正人 大正デモクラシーについては笠原さんとは意見が違うのですね。やはり1920年代は、社会主義運動も含めて、非常に大きな、日本の前進の時期だったと位置づけないと、その意義が分からない。
 いくつか押さえなければならないポイントがあって、一つは、治安維持法の問題です。治安維持法のなかに「国体の変革を目的」とする者は「死刑」にする規定があります。「国体の変革」の中に、植民地の独立運動も入ってくるのですね。たんに天皇制打倒だけではない。独立運動そのものが「国体変革」になるようにつくられている。本来の議会制ならば、植民地も含めて国内の諸矛盾は政党活動の展開によって吸収し、あるいは妥協の中で政策を実現していきます。これはイギリスでもフランスでもそうです。治安維持法をつくることによって、その努力をしなくて済む、その意味でブルジョア政党自身が自分の手足を縛ってしまったという問題をひとつ考えなければいけないと思います。
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「国体」と植民地
 笠原十九司 治安維持法の「国体」が植民地体制を含めていることは全くそのとおりです。台湾や朝鮮、「満州国」において日本の植民地統治に抵抗する勢力に対して軍隊、警察による徹底して容赦ない弾圧を加え、日本国内の治安維持法体制を植民地・占領統治地域まで拡張している。拙著『日本軍の治安戦―日中戦争の実相』(岩波書店)で詳述したように、日本軍は占領地の「治安を守る」ための「治安戦」と称して抗日根拠地やゲリラ地区に対して「焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くす」という「三光作戦」を行っています。しかも、日本兵たちは、天皇統治の大日本帝国の占領統治体制すなわち「国体」を護持しようとする日本軍の立場が「正当」であり、「治安を乱す」八路軍や抗日ゲリラが「不当」であるという錯覚におちいっているのです。そのため、戦後になっても「治安戦」そのものが侵略戦争であったという認識が生まれにくかったのです。
 宮地 大正デモクラシーを考える二つ目の点は、大正デモクラシーがなぜあれだけ輝かしい動きを示したのかということです。
 それは国家イデオロギーとしての天皇制イデオロギーとの関係もあるのですね。国家イデオロギーの一番大きい問題と言うのは、世界の動きがどちらを向いているのかということを国民にくりかえし示す機能ですね。日本では、世界の最先端はイギリスやフランスではなくてドイツなのだとし、日清戦争後、三国干渉をした国だけれども、それでもドイツに留学させるというのが、国の方針だったわけですね。その最先端国のドイツ帝国が第1次世界大戦で崩壊して共和国になった。これは中華民国が共和国になったのと同じ意味をもっています。しかも、ドイツの場合はモデルではなくなったということです。結局、イギリスやアメリカの方が安定した政治体制・安定した政治思想だという議論が、何も抵抗できないほど強く入ってくる。それが、大正デモクラシーの時期ではないでしょうか。
 国家イデオロギーとして先進モデルをどうするか、という問題は、むしろ「満州事変」が起こった後、日満経済の統合とかいろいろ当時言われたことが、逆に国内に反映してくるのだと思いますね。世界大恐慌の中で、最初にこの危機から抜け出した優秀な資本主義はこの日本資本主義なのだと、国防を基軸として日本の経済と政治と社会を立て直そうと「国防国家」をスローガンとします。それが軍部ファシズムのイデオロギーになると思います。ファシズムの動きの中で、天皇制イデオロギーのこのような再編の動きを考えないと、ぼくはまずいと思う。それは大正デモクラシーが内在的にもっている思想的弱点ではないと思っていますね。
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「満州事変」80年
 笠原 今年は、1931年の「満州事変」勃発80年になります。私は、関東軍がなぜ「満州事変」を起こし、大正デモクラシーを体験した多くの国民がなぜ「満州事変」を契機とした「大陸進出」になだれこんでいったのか、その原因の究明にこだわる必要があると思っています。28年、関東軍は「満州」の支配者であった軍閥の張作霖を国民革命軍の仕業と見せかけ爆殺し、内乱を挑発し、関東軍が軍事行動を起こそうとしますが失敗します。ところが、3年後の31年、関東軍が張学良軍の仕業と見せかけ柳 条湖で南満州鉄道を爆破し、それを口実に軍隊を出動させ、「満州事変」へと発展させます。
 同じような目的をもった関東軍の謀略ですが、なぜ張作霖爆殺事件は失敗し、柳条湖事件は「成功」したのか。逆に、なぜ同じような関東軍の謀略であった柳条湖事件を「満州事変」へと発展するのを阻止できなかったのか、という歴史への問いになります。
 爆殺された張作霖の息子・張学良は東北政権を受け継ぎ、国民政府の傘下に入り、関東軍の恐れた南京国民政府の統一が達成されます。そして、日本の南満州鉄道に対抗して民族線といわれる鉄道を敷設したり、日本の侵略政策に対抗して、旅順・大連の租借地や領事裁判権、警察権の回収などをはかろうとします。中国東北の民衆から見れば、東北社会経済の発展、中国から見れば中国主権の回復と国家建設の発展をめざしたものですが、関東軍は「日清・日露の戦いで多くの血を流して獲得した領土・権益が失われる」という危機意識をつのらせ「満州事変」を引き起こします。問題は、民政党の若槻内閣が不拡大方針を堅持しようとしましたが、結局は軍部の独走を許してしまったことです。「満蒙は日本の生命線」という軍部のスローガンに乗って、「満州事変」を支持した、ないしは容認した多数の国民の存在があったということです。当時の日本国民の対中国認識が問われるゆえんです。
対論/歴史の経験から見えてくるもの/下/宮地正人さん/笠原十九司さん


笠原十九司さん・教師と軍隊が果たした役割は/宮地正人さん・人ごとでなく戦前戦中をみる
 笠原十九司 さきほどトルストイの話が出ましたが、私はトルストイの『戦争と平和』を高校時代に読んで、私の歴史観に決定的な影響を受けました。歴史は英雄がつくるのではなくて大衆の総意によって変動していくという壮大な歴史の見方です。歴史の展開には、権力者や指導者、エリートなど個人が果たした役割も重要ですが、それと同時に大衆や国民の総意によって形成される大きな時代の流れが決定的要因となって歴史は展開するということです。
 宮地正人 トルストイ主義とかロマン・ローラン主義、あるいはヒューマニズムという言葉がどのように、植民地や従属国も含めて入っていくのかというのは、世界史の大事な動きだと思います。特に日本のように、支配する民族・国家になった所では、複雑な問題がいくつもいくつも重なっています。それをあまり単純に切ることは、ぼくは日本の歴史から学ぶことにはならないと思いますね。自分自身の父親なり母親なり祖母なり祖父の問題として戦前・戦中を、考えないと、人ごとではだめだと思いますね。やはり当時の資料、事実からもう一度ものごとを考えていくことが大事です。権力の立場ではない人、思想は別でも敵ではないのだという見方をしないと、歴史の見方はできないと思います。だから非常に甘いのですよ(笑い)。福沢諭吉とか徳冨蘆花にものすごく甘いのです。それは彼らが権力者ではないからです。権力者か権力者ではないかというのはきわめて大事な歴史の見方です。
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若者に対しても
 笠原 それは今の若者に対してもそうですね。切って捨てるような論だては今の学生・若者にとってちょっと抵抗感があるようです。事実に即して複雑な面もそのまま認識していかないといけませんね。
 宮地 私はやっぱり徳富蘇峰と蘆花という、日本近代思想を兄弟の対立でみられるという(笑い)、これだけ面白いテーマはない。英文学者の中野好夫さんも『蘆花 徳冨健次郎』であれだけ時間をかけていい評伝を書きました。そのことにやはり意味があります。中野さんは、自分の戦前・戦中の経験から、もう一度、日本人の天皇崇拝、これは蘆花も非常に強い面がありますが、それも含めて自分の問題として考えているわけですね。
 笠原 宮地さんがいった、天皇制イデオロギーの浸透と定着に果たした教師と軍隊の役割、これが決定的だと思いますね。教師と軍隊がどういう役割をはたしたかという歴史的な総括はまだ十分とはいえません。現在の教育現場において、日の丸・君が代で起立を拒んだ教師が処罰されるという事態。個人の思想・信条の自由が保障される欧米社会では考えられないことです。全校生徒を整列させて朝礼を行ったり、隊列行進をさせたり、もともとは軍服に模した学生服の強制や軍事教育から発想された運動会や遠足など、戦前に集団規律、集団行動を身につけさせるために行った軍国主義的教育が、なんら疑問を抱かれずに継承され、重視されています。
 私は、戦前の日本は、陸軍士官学校と海軍兵学校を卒業した者だけが軍人エリートとなり、陸軍大学校と海軍大学校を卒業した者たちだけが特権的軍人官僚になれた軍人特権社会であったと思います。天皇制が象徴天皇制として継承されたのと同様に戦後に継承され、高級軍人エリートが政界や財界、さらには官僚や自衛隊・防衛大学校の要職について、戦争責任の解決を妨げてきたように思います。天皇制イデオロギーを村落レベルまで強制的に浸透させる役割を担った在郷軍人会の権威と人脈が戦後にも残存して隠然たる影響力をもち、天皇と軍人の戦争責任追及を妨げてきたと思います。ですから、制度としての教師と軍隊が天皇制イデオロギーを国民に浸透させ、戦争に動員していった歴史的な役割を事実に即して究明し、総括しないと現在が分からないという感じがします。

名誉回復の動き
 宮地 大逆事件についてもようやく、名誉回復という動きが出てきましたね。これは日本国民の歴史認識の前進だと思います。2000年に高知県の中村市(現四万十市)市議会で名誉回復がありました。日本人の歴史認識の中で、もう一度彼らの思想を考え名誉を回復しようという動きが1990年代から出てきます。それがまさに100年を目の前にして、出てきているということは、大事なことだと思います。80年代の社公合意以降、共産党だけが孤立しているという状況に追い込まれているけれども、片方で日本人の民主的なものの考え方、近現代史におけるとらえ直しというものが、ぼくは着実に進んでいると思いますね。ただしそれをどう、大きな政治的な運動に進めるかということはまだ、試みはうまくいっていない。
 大逆事件100年を考えるなら、そういう動きもきちんとおさえるべきでしょう。あれは地元の人が本気を出してやらないと、よその人間が手を出してもしょうがないですからね。新宮は新宮の人、高知中村は中村の市議会の動き、あるいはまわりの民主的な人々の努力、それがやはり、関係者全員の動きになる。その動きの中で例えばお坊さんの名誉回復、妙心寺派なり曹洞宗なり真宗大谷派などがもう一度自分の処分を反省して名誉回復するという動きになってくる。これは表立たない動きだけれども、私は日本の歴史、日本人を考える上で、決して見落としてはならない、社会的な動きだと思います。
 (おわり)
 上は4日付、中は5日付
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2011年01月07日,「赤旗」)

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