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2012年活動および関連情報】

【1月】 【2月】 【3月】 【4月】 【5月】 【6月】 【7月】 【8月】 【9月】 【10月】 【11月】 【12月】

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*         12月】(ヘッドライン)

*         宇治山宣会/会誌18号を発行

*         治維法犠牲者意見書を可決/山形・庄内町

*         潮流

*         演劇/「組曲虐殺」(こまつ座&ホリプロ)/新鮮で重厚な仕上がり

*         治維法国賠法制定求め意見書/政令市で初/札幌市議会

*         治安維持法賠償署名訴え/札幌で宣伝

*         「読者の文芸」この1年/詩/清水マサ/人の心を牽引する力

*         芸能テレビ/舞台「組曲虐殺」に出演井上芳雄さん/僕の中にも多喜二の種

*         12・8/集団的自衛権行使に反対/召集令状模した「赤紙」配布/京都/和歌山

*         朝の風/民主主義文学運動の財産

*         月曜インタビュー/ジャズピアニスト・作曲家小曽根真さん/井上先生の歌詞から聴こえた舞台「組曲虐殺」の音楽

*         12月本文】(Page/Top

宇治山宣会/会誌18号を発行

 戦前、治安維持法に反対し反戦平和を訴えた旧労農党の代議士で、右翼に刺殺された山本宣治(18891929年)を顕彰する宇治山宣会は、会誌『山宣』第18号をこのほど発行しました(写真)。1995年から毎年発行しているものです。
 山宣会は会誌発行にあたって、総選挙で「国防軍」や「集団的自衛権の行使」を選挙公約に掲げた自民党と、「核兵器保有」などを公言する日本維新の会が合わせて7割を上回る議席を獲得したことを指摘し、「アメリカといっしょに海外で戦争する国『他国民を殺し、殺される国』にしないためにも、今こそ山宣の思いを多くの人に伝えていく必要がある」と述べています。
 18号は、山宣の3男、浜田繁治さん(93)ら親族の寄稿や、暗殺される約1カ月前の帝国議会(1929年2月8日)で、「3・15事件」の政府の弾圧を徹底的に糾弾した会議録などを掲載しています。
 B5判、102n。購読料1冊1000円、送料等(1冊の場合)100円。申し込みは、電話かはがきまたはファクスで宇治山宣会事務局まで。〒6110033 宇治市大久保町北の山11の1、薮田秀雄気付。電話・ファクス0774(48)2472まで。
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2012年12月27日,「赤旗」)

治維法犠牲者意見書を可決/山形・庄内町

 山形県庄内町議会はこのほど、「治安維持法犠牲者に謝罪を求める意見書」を政府に提出することを賛成多数で可決しました。治安維持法犠牲者国賠同盟の鶴岡田川支部が、「賠償法」制定を求める意見書を採択するよう、請願を提出。小野一晴(無所属)、日下部勇一(日本共産党)の両町議が紹介議員になりました。
 意見書は「国は犠牲者に対して、いまだに謝罪も賠償も行っていない」と指摘。「政府は、直ちに調査し、犠牲者に一日も早く謝罪を行うよう要望する」としています。
 請願を提出した鶴岡田川支部の戸村昌也支部長は「意見書に『賠償』が盛り込まれなかったものの、大きな前進です。庄内地方の中心地である鶴岡市でも意見書が可決されるように、いっそう頑張りたい」と言います。
 同支部によると、同様の意見書が可決されたのは県内自治体で15例目、庄内地方では三川町に続き2例目です。
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2012年12月27日,「赤旗」)

潮流

 総選挙後、繰り返し思い起こしては、自らを励ましている言葉があります「勝算や有効性、効率性の原理では語らない、それが詩の言葉だ。詩は、人間はこうありたい、こうあるべきだと語り、常に敗者に力を与えてきた。敗北の歴史の中から、それでも人間を肯定する力を与えるのが詩だ」「詩人会議創立50周年記念祝賀会」(8日)記念講演での作家・東京経済大学教授の徐京植さんの言葉です。例えば治安維持法で検挙され1945年、28歳で獄死した尹東柱の詩〈死ぬ日まで 空を仰ぎ見/一点の恥ずべきことなきを〉〈星を歌う心もて/あらゆる死にゆくものを愛さねば/そして わたしに与えられた道を/歩みゆかねば〉(「序詩」より)徐さんの言う「詩の言葉」を「本当のこと」「人間や歴史の真実」と置き換えてもよいでしょう。選挙中、日本共産党が訴える言葉を真実だと確信するたくさんの人に出会いました。作家の清川妙さんは「平和を希求してやまない心を守ってきた党」、生活評論家の吉沢久子さんは「戦前から反戦と平和を変わらず訴えてきた共産党を信用いたします」と言ってくれました発足した安倍政権は憲法9条を改悪して国防軍を設置し、米軍に従って海外で戦争をする国をつくろうとしています。共産党の真実がますます力を発揮するときです憲法9条もまた「詩の言葉」なのかもしれません。戦争の放棄と戦力の不保持、交戦権の否認を高らかにうたう条文は、人間をとことん肯定する希望の言葉だからです。
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2012年12月27日,「赤旗」) (Page/Top

演劇/「組曲虐殺」(こまつ座&ホリプロ)/新鮮で重厚な仕上がり

 井上ひさしの最後の音楽劇はまさに意欲的な作品であった。小林多喜二の29年と4カ月の生涯を、6人の登場人物と1人の音楽家(ピアニスト)で見事に仕上げた舞台は、見るものに多くの感動をよびおこしてくれた。演出の栗山民也は小林多喜二と井上ひさしという二人の作家の姿をひとつに結びつけ、新鮮で重厚な仕上がりを提示した。2009年の初演から3年、待望の再演である。
 プロローグの「代用パン」の歌に始まる。そして、14年後の昭和5年(1930年)から昭和8年(33年)までの2年9カ月間が、大阪府警島之内署取調室や東京府下杉並町立野信之借家など9場面で展開されていく。小林多喜二(井上芳雄)を中心に、多喜二をとりまく3人の女性、実姉・佐藤チマ(高畑淳子)、恋人・田口瀧子(石原さとみ)、妻・伊藤ふじ子(神野三鈴)を配し、さらに特高刑事の古橋鉄雄(山本龍二)と山本正(山崎一)を登場させる。この人物配置が的確、それぞれに存在感を持ち、せりふも歌も見事にこなしていく。真実味のなかに、ときには笑いさえさそってくれる。
 多喜二が築地警察署で拷問により虐殺されたのは1933年2月20日であった。「身体全体でぶつかって」小説を書き、懸命に生きた多喜二。ときにはチャップリンに変装する陽気な一面も浮かびあがらせる。「組曲」らしく多くの歌がうたわれる。なかでも「信じて走れ」「胸の映写機」などが印象的。音楽・演奏の小曽根真が言葉を大切にしたメロディーをつくりだした力量をさすがといえる。
 (鈴木太郎・演劇ライター)
 30日まで、東京・天王洲・銀河劇場。その後、福岡、大阪、名古屋など巡演
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2012年12月21日,「赤旗」)

治維法国賠法制定求め意見書/政令市で初/札幌市議会

 札幌市議会で13日、「『治安維持法犠牲者国家賠償法(仮称)』の制定を求める意見書」を賛成多数で可決しました。
 同趣旨の意見書可決は北海道では17市町村になり、政令指定都市としては全国で初めてです。(新潟市は政令都市になる前に可決)
 意見書は、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟札幌支部(中出玉枝支部長)が要請し、日本共産党、民主党・市民連合、公明党、市民ネットワーク北海道の4会派が提出者になっていました。可決された意見書は、衆参両院議長、内閣総理大臣、総務大臣に送付されました。
 意見書は、戦前の治安維持法犠牲者は、平和を願い人権尊重と主権在民を唱え、戦争に反対したために逮捕され、拷問による虐殺・獄死という多大な犠牲を受けたと述べています。
 また、国会及び政府において、同じ過ちを繰り返さない立場から「治安維持法犠牲者国家賠償法(仮称)」を制定し、犠牲者に対して1日も早く謝罪と賠償を行うよう強く要望しています。
 同同盟北海道本部(宮田汎会長)は、札幌市の意見書採択を力にして、今後、道内の全市町村議会および道議会での意見書採択を前進させたいとしています。
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2012年12月20日,「赤旗」) (Page/Top

治安維持法賠償署名訴え/札幌で宣伝

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部と札幌支部は8日、10人が参加して札幌市のデパート前で「日本を戦争する国にするな」と宣伝行動をしました。
 「米軍基地はいらない」「自衛隊の海外派兵許すな」などの横断幕を掲げ、「憲法9条を守りふたたび戦争を許さない声を大きく」と書いたビラ約130枚を配り、治安維持法犠牲者に対する謝罪と賠償を求める署名を訴えました。
 寒風の中、立ち止まってビラを手にした女性は「今日は太平洋戦争が始まった日なんですね。私の父も戦争に行き苦労しました」と話しました。
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2012年12月18日,「赤旗」)

「読者の文芸」この1年/詩/清水マサ/人の心を牽引する力

 選者として1年がたちました。その間私が読んだ詩は実に300編を超え、大切な作品として今も私の手元に記録しています。
 昨年の大地震、大津波という自然災害に続き、いまだに収束することのない悲惨で許し難い原発事故。そのうえに今年は沖縄米軍基地に配備されたオスプレイや米兵の度重なる暴行事件等、国民への重圧はやむことなく続いています。投稿詩はそれらに反応して次々と寄せられてきました。
 残念ながら掲載できなかった作品の中から。1月斗沢テルオ「六ケ所村の草座蒲団」は、地下に原発の高レベル廃棄物を敷いて住む危険を鋭く詩っています。
 2月残熊てるよ 安全神話への批判。3月えぐちはじめ 被災地からの訴え。4月松島久 原発ゼロの訴え。5月榊英子 孤独死。6月宮沢誠一郎 米戦闘機の爆音。7月山口静子 蛍に寄せられた細やかな叙情。8月山川ゆうこ いじめの問題。9月さえぐさひろし 原発ゼロへの数万人の光のデモ。10月大塔隆義 放射能列島へ進む日本。11月甲賀利男 この空にオスプレイは飛ぶな。
 このように、社会問題や暮らしの中の多岐にわたる事柄に反応して詩作する皆さんの姿勢に、感動し励まされました。忘れ難い詩の一編に、3月掲載の大森富士子「干し柿ふたつ」があります。奈良の志賀直哉邸の干し柿を食べた作者が、直哉を訪れた小林多喜二と直哉の心の交流を思い表した詩です。この詩を読んだ人たちが直哉邸の見学に訪れたことを知り、人の心を牽引する詩の力と、新聞の影響力の大きさに驚きました。そして詩を書かずにはおられない社会状況の中で、詩の言葉は、一層読者の心に近づき喚起するものでなければならないと思いました。
 新しい年も日々の暮らしや、未来への希望のために闘う詩や、苦悩の中から発信する作品を丁寧に読みとっていきたいと、心を新たにして多くの投稿を願っています。
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2012年12月17日,「赤旗」) (Page/Top

芸能テレビ/舞台「組曲虐殺」に出演井上芳雄さん/僕の中にも多喜二の種

 ラストに希望の光が差す舞台です。日本共産党員のプロレタリア作家、小林多喜二の生涯を描く音楽劇「組曲虐殺」(初演2009年)。「出演するまで多喜二をほとんど知りませんでした」という井上芳雄さん。多喜二役に再び、「体全体で」挑みます。
 大塚武治記者

 1933年、特高警察による拷問で逮捕の数時間後に殺された多喜二。29歳でした。「心優しい普通の青年が、なぜ命を落とすまでの拷問に耐えたか」をテーマに、姉チマ、恋人・瀧子、妻ふじ子、2人の特高刑事との交流を描く群像劇です。
 「初演では、お客さんによく、『ありがとう』と言われました。家族と芸術を愛し、前に進んだ多喜二を少しは伝えられたかな」と井上さん。

皆に権利ある
 物語の始まりは小樽にある伯父のパン工場。苦学する多喜二は、人々が安いパンさえ買えない社会に疑問を抱きます。作家となっても、心を寄せるのは貧しい人ばかり。
 「多喜二は母親をはじめ、周囲に愛されて育ちました。愛された体験から、見も知らぬ貧しい人や虐げられた人を愛し、愛する人を虐げる仕組みに怒ったのだろうと」
 工場で血を吐き働く少女、凶作の田で「長生きして申し訳ない」とつぶやく小作人の老女。多喜二は、自分の見た光景を裏切れないと、拷問にも筆を折りません。
 最初は、「イエス・キリストを演じろと言われるのに等しいと感じた」役。考え続け、自分につながる思いを見つけました。
 「でも僕自身、自分さえ幸せならそれでいいとは思えない。誰にも最低限の幸せを持つ権利はあるし、それが守られないのはおかしい。僕にも、多喜二の思いの種≠ヘあると思いました」
 終盤、多喜二を取り巻く人も変わっていきます。虐殺後、受け継がれる多喜二の思い。劇中歌「信じて走れ」(作詞・井上ひさし)は、多喜二が次の世代を信じて歌う歌です。
 「多喜二は夢を実現できませんでした。でも夢を見て、声をあげた人たちの犠牲があるから、今がある。あの歌は、井上先生が今の僕たちに向けた歌だと思います」

「うちの長男」
 2000年、東京芸大在学中にデビュー。ミュージカルなどを中心に活躍する井上さん。多喜二を演じ、「俳優としての思いや役割をはっきり考えるようになりました」。
 初演後の10年4月、多喜二のデスマスクを見に小樽文学館を訪れた日、ひさしさんは亡くなりました。生前、同姓の芳雄さんを「うちの長男」と呼び、食事に誘っては、芳雄さんの語る熱い演劇論をニコニコと聞いていた、ひさしさん。
 「先生に綱を手渡された気がしました。今の僕にはたいしたことは何もできないかもしれない。でも、いつかできると先生は信じ、役をくださった。自分を信じて、多喜二みたいに体全体でぶつからなければ」
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2012年12月09日,「赤旗」) (Page/Top

12・8/集団的自衛権行使に反対/召集令状模した「赤紙」配布/京都/和歌山

京都
 憲法問題が総選挙の争点となるなか、太平洋戦争開始から71年を迎えた8日、京都府内各地で平和の願いや、憲法9条を守れと訴える宣伝が繰り広げられました。
 京都市の三条河原町では、京都母親大会連絡会と憲法9条の会・京都退職教職員の会の15人が参加して宣伝。「二度と日本が戦争する国にならないよう、9条を守りましょう」などと召集令状を模した「赤紙ビラ」を配りながら対話を広げました。
 ビラを受け取った女性(75)=大阪府寝屋川市=は、今朝の新聞に載った立候補者アンケートで共産党と社民党を除く党が9条改定に賛成していることを「危険だと思う」と行動を激励しました。
 「赤紙」宣伝に初めて出あったという女子高生(18)=京都市北区=は、「大学で憲法や民法を学びたいと思っています。9条を変えようという政党は嫌。私たちの未来をよくしてほしい」と話しました。

和歌山
 71年前に太平洋戦争に突入した8日を記念して同日、JR和歌山駅前で和歌山県母親大会連絡会が召集令状を模した「赤紙」を配り、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟和歌山県本部がビラを配りました。
 参加者は、日本に赤紙1枚で若者が戦場に送られた時代があったことを紹介しました。自民党が政権公約に国防軍創設をかかげ、維新の会代表が核兵器保有を正当化、民主、自民、維新の会、未来の党幹部らが集団的自衛権の「行使」を主張して日本が攻撃されなくてもアメリカが始めた戦争に自衛隊を米軍とともにたたかわせようとしていると指摘、「憲法9条を守れ、平和を守れの声を大きくしましょう」とよびかけました。
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2012年12月09日,「赤旗」)

朝の風/民主主義文学運動の財産

 『民主文学』1月号が「民主主義文学はどのような作品を生み出してきたのか」の座談会を掲載している。
 論議の対象は文学同盟が創立した1965年から10年間に発表された、窪田精「春島物語」、中里喜昭「仮のねむり」、霜多正次「明けもどろ」、秋元有子「灼ける」、右遠俊郎「告別の秋」、稲沢潤子「紀子の場合」、小沢清「弓子と昌子」の7作品。
 中里と霜多は、その後文学運動から離反したが、取り上げられた作品は多喜二・百合子賞の受賞作で、時代を重厚な筆致で描いている。この二作を含めて、それぞれ時代とそこに生きる人間の真実を、構えを大きくとらえた文学運動の貴重な財産というのが座談会参加者の共通認識である。
 「たたかう作家・評論家の団体」と規定した文学同盟から、2003年の20回大会で「文学、芸術の民主的発展に寄与する」と組織の性格を発展させると共に、日本民主主義文学会へ名称変更を含む規約改正をした。
 その規約改正は、より広い参加をめざすものだが、その上に立って民主主義文学とは何かをもっと深める必要があるという声もある。1月号からは、文学同盟の創立前後に専従事務局員として文学運動に関わった鶴岡征雄さんの連載エッセイも始まった。積極的な議論を期待したい。
 (筑)
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2012年12月07日,「赤旗」) (Page/Top

月曜インタビュー/ジャズピアニスト・作曲家小曽根真さん/井上先生の歌詞から聴こえた舞台「組曲虐殺」の音楽

 笑わせながら泣かせる芝居、小林多喜二の人間像を描いた井上ひさし作「組曲虐殺」が7日から再演されます。井上作品にぴったり合った音楽は小曽根真さんが作曲。初演(09年)のさい、音楽が絶賛されました。今回も音楽とピアノ演奏を担当する小曽根さんが、この舞台の魅力、井上さんから受けた精神的な影響について語ります。

 ―「組曲虐殺」の歌はどれも素晴らしいものでした。とくに多喜二自身が歌う「胸の映写機」は、抒情的な美しい歌だと思いました。
 小曽根真 台本が遅くて劇中音楽の全体像をイメージすることはできませんでしたが、井上先生から送られてくるどの歌詞からも「この音、このリズム、このメロディーにしか聴こえない」ほど明確なイメージが受け取れて、これまでになく自然としかも速く作曲ができました。
 〔「組曲虐殺」は小説「蟹工船」で知られ、29歳で特高警察に虐殺された作家・小林多喜二を描いた芝居。コミカルな振り付けにあわせての歌や即興で奏でられるピアノにのせて、人々の幸福を願った多喜二のまっすぐな心が描かれます〕

参加したいと伝えつづけて
 ―出演者の皆さんの美声が今も耳に残っています。
 小曽根 井上先生は3人の女性が歌う「豊多摩の低い月」という歌が一番好きだとおっしゃっていました。きれいに歌いあげるのではなく、気持ちをのせて歌うから、心に響くんですよ。
 ―井上作品に参加するきっかけは何だったんですか。
 小曽根 2000年の秋、03年に開かれた「国民文化祭・やまがた」のためにコンチェルト(協奏曲)を書いてほしいと丁寧な依頼を受けたのが出会いです。「書けません。弦楽器のあるオーケストラ曲は書いたことがないので、無理です」とお断りしたら、先生は「3年ありますから、書けます!」と。確かに勉強すればと思い直し、山形交響楽団の方々と協力しながら作りました。相棒の神野三鈴が2002年に「太鼓たたいて笛吹いて」でこまつ座の舞台に出演したとき、稽古から帰ると毎日感動の涙を流していました。自分も是非参加したいと先生に伝え続けて、やっと「組曲虐殺」で実現しました。それが最後の戯曲になるとは…。井上先生は、「組曲虐殺」について「アリ一匹殺せないようなやさしい少年が、なぜ、3時間に及ぶ拷問に耐え、虐殺さえも恐れない青年になりえたのだろうか」をテーマにしたと、僕らに語っていました。井上作品は、笑いはありますが、必ず考えを迫られるすごいせりふがあります。笑わせて泣かせて、後で考えるチャンスを与えてくれる、そういう芝居ですね。

想像力を信頼/つくり続ける
 ―音楽を職業に選んだのはいつですか。
 小曽根 父がジャズをやっていたので、最初に聞いた音楽もジャズ。楽しい音楽だったという記憶があります。この頃から意識していたのでしょう。ジャズの本場アメリカに留学して学び、卒業後アメリカのCBSと専属契約しました。
 ジャズの世界で作曲と演奏を続けてきましたが、自分の中にぽっかり空いた部分があることは感じていました。そんなとき井上作品に出会い、言葉のすばらしさ、言葉はこんなに人の心を動かせるのだと教わりました。井上ひさしさんと出会わなければ、今の僕の音楽はなかったでしょう。芝居も音楽もお客さんとのコミュニケーションであり、お客さんの想像力を信頼して作品を作ります。音楽も同じだと思いました。
 (大井民生)
 ◇
 「組曲虐殺」演出=栗山民也、出演=井上芳雄、石原さとみ、山本龍二、山崎一、神野三鈴、高畑淳子、音楽・演奏=小曽根真。7日〜30日=東京・銀河劇場(天王洲)、1〜2月、福岡、金沢、大阪、新潟、千葉、広島、名古屋を巡演。рO3(3862)5941こまつ座

 おぞね・まこと 1961年神戸市生まれ。ジャズピアニスト・作曲家。12歳でオスカー・ピーターソンのソロ・ピアノを聴き、ジャズ・ピアノを始めることを決意。80年に渡米し、ボストンのバークリー音楽大学に入学。83年、ニューヨークのカーネギーホールでソロ・ピアノ・リサイタルを開き成功。同年、米CBSと日本人初のレコード専属契約を結びアルバム「OZONE」で世界デビュー。
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2012年12月03日,「赤旗」)

*         11月】(ヘッドライン)

*         政党らしい政党、日本共産党/安心して一票託せる党は

*         国民の選択に足る政党―日本共産党の躍進を/政党を選ぶ四つの試金石/志位委員長の訴えから/東京

*         国賠同盟幹事会開く

*         治維法国賠同盟山形県本部が25周年講演会

*         俳壇/疾走の俳人「白泉」本出版

*         朝の風/憲法下でも続く規制と禁止

*         文芸時評/宮本阿伎/原発の危険、今日の精神で戯曲に凝縮

*         志継ぐ決意/合葬追悼会/青森

*         詩壇/八十代の活力

*         休憩室/高畑淳子さん/生きなきゃいけない

*         タイ首都に治安維持法を発令

*         北上の国賠同盟総会

*         「提案し、行動する。」日本共産党の躍進を/新宿駅西口、志位委員長の演説

*         北上の国賠同盟総会

*         朝の風/悪法に屈せず闘った人々の記録

*         片山潜の碑に議席倍増誓う/岡山・久米南町で石村比例候補

*         再び暗黒政治許すな/治維法国賠同盟が女性集会

*         11月本文】(Page/Top

政党らしい政党、日本共産党/安心して一票託せる党は

1/ビジョン/日本の前途開く綱領をもつ

 「党綱領は政党の『憲法』ともいうべきものであり、綱領なき政党は基軸がないに等しい」(岩井奉信日大教授、『エコノミスト』10年12月14日号)といわれます。
 日本共産党は、しっかりした「基軸」となり、日本の前途を開く綱領を持っている政党です。
 経済提言や原発ゼロ提言、尖閣提言、外交ビジョン、震災・災害政策の転換―日本が解決を迫られているどの問題でも、改革の方向を打ち出しています。それができるのも国民が主人公の新しい日本をつくるビジョン(展望)をもつ綱領をもっているからです。
 「結党時は…分裂する恐れがあり、議論をつめることができなかった」(民主党結党当時の事務局長)という民主党はいまだに綱領を持っていません。「党の共通の政治目標がないために、沖縄問題のような日本政治の大問題に右往左往した」(評論家の森田実氏)といわれました。今、作ろうとしていますが、作る前に党が解体しはじめています。
 自民党は野党転落時に新綱領を作りましたが、「日本らしい日本」といった抽象的な目標を掲げるだけで、具体的なのは、「新憲法の制定」と社会保障否定の「自助自立」だけです。
 解散前後から離合集散を繰り返す新党は「綱領以前の状態」です。
 日本維新の会は、「維新八策」が綱領といっていましたが、太陽の党との合流合意と食い違いが指摘されています。
 特定の政策だけで党を解体・合流する動きもありますが、選挙のたびに党を解体・合流しなければならなくなります。
 経済や外交など、日本の進路についてまとめたビジョンと、その基本となる綱領をもっていてこそ、国民に責任を持つまともな政党といえます。

証言/改革ビジョンへの反響

王道を走っている
 「(社会保障充実と財政危機打開の提言を)経営者は必読する必要がある。つまらない駆け引きや己のためのたたかいをせず、『王道』」を走っているのは共産党だけではないでしょうか」(日本商工連盟大阪地区代表世話人・小池俊二さん、本紙インタビュー、3月23日付)

異彩を放つ動き
 「民主党も自民党も『領土問題は存在しない』の一点張り…結局はなすすべなく手をこまぬいているだけである。それに引き換え、この間、異彩を放ったのは共産党の志位和夫委員長の動きである」「民主党と自民党が遠吠(ぼ)えしている間、共産党は(中国大使に申し入れ)外交交渉に乗り出した形だ」(早野透桜美林大学教授、元朝日新聞コラムニスト、朝日新聞デジタル「新ポリティカにっぽん」10月3日号)

 5日で消えた新党もあれば、4カ月続いたものの一夜で解党を決定する政党もある―。「選挙目当ての離合集散」「政党渡り歩き」に、有権者置き去りの批判も強まっています。今度の総選挙では、何を言っているかだけではなく、どういう政党なのか、安心して一票を託せる政党かどうかが問われています。「政党らしい政党」を見分ける試金石は―。
(Page/Top
2/逆流と対決/平和と民主主義守る

 「右傾化への重大な変化の真っただ中」。米有力紙ワシントン・ポスト(9月21日付電子版)はいまの日本をこう論評しました。
 民主党が自民党とうり二つとなり、自民党がいっそうの反動化を強め、維新の会が逆流の「突撃隊」の役割をはたしています。
 維新の会は、「命がけで憲法を破る」と公言する石原慎太郎前東京都知事と、全職員に「思想調査」を強要した橋下徹大阪市長が手を組みました。2人とも「核兵器に関するシミュレーションぐらいはやったらいい」(石原氏)「核兵器廃絶は無理」(橋下氏)と、核兵器大好き$ュ党です。
 こうした平和と憲法、民主主義を壊す危険な逆流に対してきっぱり対決する政党が求められています。しかし、多くの党はこの危険な動きにこびへつらい、連携を探るばかり。公明党は批判するどころか、大阪など6選挙区で維新と選挙協力しています。他党に先駆けて橋下府・市政、石原都政とたたかってきた日本共産党こそ一番頼りになる存在です。
 大阪市長選では、「反独裁」の市民の共同の先頭に立ちました。橋下市長による市職員「思想調査」では、共産党と「赤旗のキャンペーン」で「ついにアンケートデータの廃棄へ追い込んだ」(月刊『宝島』6月号)と報じられました。
 都政に対しても、「日の丸・君が代」強制には、「民主主義国家にあってはならない」と追及。乱脈と都政私物化では、「追及する赤旗に石原慎太郎が『白旗』?」(『週刊朝日』07年2月23日号)と報じられました。
 不当なものには不屈にたたかい抜いてきた日本共産党だからこそ、逆流を許さないよりどころになることができます。

証言

橋下氏と対決、共産党だけ
 自民党 野中広務元幹事長 「(大阪市長選で)ビラまいてやっとったのは共産党くらいで、そういうことで動いている団体というのは私、見たことがない」(2011年に放映されたTBS番組「時事放談」で)

3/組織力/草の根の力は断然1位

 離合集散を繰り返す勢力に共通しているのは、国民に根を持たない「浮き草」のような存在だということです。政策そっちのけで合従連衡に明け暮れるのもそのためです。片山善博元総務相は「党員もない政党がぞろぞろ出てきて、議員の仲間内のグループみたいなのがどんどんできている。政治的にはまずい国です」(28日)と述べています。
 日本共産党は全国約31万8000人の党員、2万の支部、130万人もの「赤旗」読者、2700人を超える地方議員が草の根で国民と結びつき、「国民の苦難あるところに共産党あり」の精神で、国民の利益を守るために昼夜を分かたぬ活動を展開しています。
 「共産党は力が小さい」との声があります。たしかに国会議員は衆院9人、参院6人と少ないですが、草の根の力はダントツ1位なのです。小選挙区の候補者擁立でも第1位です。
 東日本大震災では、この全国ネットワークの力で物資の供給やボランティアの派遣など、救援活動に力を発揮しました。「原発なくせ」の運動でも、1970年代から横暴な原発建設とたたかい、福島事故後も全国各地で党派を超えて力を合わせて活動し、国民の過半数が「原発ゼロ」を願う変化を作り出してきました。
 財政も、憲法違反の政党助成金も企業・団体献金も受け取らず、国民に依拠して自前でまかなっています。これも政党助成金や企業・団体献金頼みの各党とは違います。だからこそ、財界・大企業にもきっぱりとものが言えます。
 政党助成金の総額は17年間で約5500億円(年間320億円)。各政党が分け取りしました。日本共産党が受け取りを拒否し返上してきた分は350億円以上に達します。

証言

政党らしい政党は日本共産党だけ
 日本には共産党などを除くと政党らしい政党は事実上ない。政党には党員がいて、党員たちの願いをかなえるための政策があり、その政策を実現するために候補者を選定して当選させる。議会でそうした候補者が多数派を形成して権力を握り、政策を実現させていく。(片山善博慶応義塾大教授、元総務相、『中央公論』9月号)

「自前で組織」は共産党
 「自前で組織を」と政党助成金を拒否している共産党はまさにそういう組織論を主張している。(島田敏男NHK解説委員、NHK「日曜討論」7月15日)

敵ながらあっぱれ
 日本(の政党)で地方組織をしっかりし、どこへいってもそれなりのレベルの地方議員をもっているのはそう多くない。共産党というのは、そこは敵ながらあっぱれで、それなりのレベルの地方議員を持っている。(谷垣禎一前自民党総裁、8月31日の会合で)

4/歴史/筋を通して1世紀

 新しい党が次々とつくられては消えていくなかで、安心して一票を託すことができる歴史を持った政党はどこなのかが問われています。
 日本共産党は、1922年に創立して以来90年、1世紀近い歴史によって試された「筋を通す」政党です。昨日今日できた政党、明日はどうなるかわからない政党とは違います。
 戦前は、暗黒政治と侵略戦争、植民地支配に反対し、小林多喜二など多くの先輩が命を落としました。しかし、日本共産党が掲げた国民主権と反戦平和の主張は、戦後の憲法原則となって実りました。日本共産党の公約が大きく実現したことは、歴史の判定でも明らかです。
 戦後も、旧ソ連、中国・毛沢東派による無法な干渉をはね返し、「社会主義」を看板にした覇権主義に反対を貫いた自主独立の党です。「自民党型政治」と60年間正面から対決しつづけ、国民の利益を守るために行動してきた党です。
 これに対し、公約を簡単に投げ捨て、歴史に責任を負わない政党が多すぎます。民主、自民、社民党などの前身の政党は、自ら解党して「大政翼賛会」に合流し、侵略戦争を推進しました。ところが戦後も反省がなく、自民党・安倍晋三総裁や「維新」の石原氏、橋下氏らは、侵略戦争を美化する先頭に立っています。これではアジアでも世界でも孤立するばかりです。
 自民党、公明党はアメリカいいなり、財界中心の古い政治にも無反省で政権奪還を叫んでいます。
 歴史で試された「政党らしい政党」、日本共産党だからこそ、21世紀の日本の未来を安心して託すことができます。

証言

 評論家・鶴見俊輔氏…「すべての陣営が、大勢に順応して、右に左に移動してあるく中で、日本共産党だけは、創立以来、動かぬ一点を守りつづけてきた。それは北斗七星のように、それを見ることによって、自分がどのていど時勢に流されたか…を計る尺度として…用いられてきた」(『現代日本の思想』)
 日本海軍の「最後の海軍大将」・井上成美(しげよし)氏…「いまでも悔まれるのは、共産党を治安維持法で押えつけたことだ。いまのように自由にしておくべきではなかったか。そうすれば戦争が起きなかったのではあるまいか」(『井上成美』伝記刊行会編)
 「読売」特別編集委員・橋本五郎氏…「それにしても、日本共産党に対するソ連、中国からの干渉の激しさには改めて驚いてしまう。著者が強調してやまない『大国主義』『覇権主義』によるものだろう。日本共産党をどう評価するかは別にして、その圧力に徹底的に抗しながら、『自主独立路線』を貫いてきたことは十分評価すべきだろう」(「読売」11年5月8日付『不破哲三 時代の証言』書評)
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2012年11月30日,「赤旗」) (Page/Top

国民の選択に足る政党―日本共産党の躍進を/政党を選ぶ四つの試金石/志位委員長の訴えから/東京

 日本共産党の志位和夫委員長が27日、東京・渋谷公会堂で開かれた大演説会で提起した「政党を選ぶ四つの試金石」は次の通りです。

政党の値打ちが丸ごと問われる選挙
 みなさん。衆議院比例代表選挙は、政党名で投票する選挙です。
 この総選挙で、政党を選ぶさいに、もちろん政策が大切です。しかし、それだけでは足りません。私は、この選挙が、政党の値打ちが丸ごと問われる選挙になっているということを訴えたいのです。
 選挙間際になって、いまたくさんの党がつくられていますね。メディアも「選挙目当ての離合集散」と批判しています。「政党の渡り歩き」もひどいですね。自民党の議員が、みんなの党に行ったと思ったら、もう維新の会に変わっている(笑い)。こういう姿も報道されていました。
 ですから、その党が何を言っているかだけではなくて、どういう政党なのかが問われます。つまり、国民のみなさんの選択に足る政党なのか。もっとひらたく言いますと、安心して一票入れても大丈夫な党なのか。これが問われている選挙だということを言いたいのです。

@日本の前途を開く綱領を持っているか
 私は、それを見分ける試金石として、「四つの試金石」があると思います。
 第一は、日本の前途を開く綱領を持っている党かどうかです。
 今日は、日本共産党が示している「改革ビジョン」について、経済、消費税、原発、外交など、いろいろなお話をいたしましたが、私たちが、こういう「改革ビジョン」を示せるのは、日本の前途を開く綱領を持っているからなのです。
 日本共産党は、資本主義という矛盾に満ちた制度が、人類社会の最後の制度だとは考えていません。資本主義を乗り越えて、すべての人間に豊かで自由な生活を保障する未来社会を展望している政党です。同時に、社会というのは、主権者である国民のみなさんの意思にもとづいて、一歩一歩、階段を上がるように、発展するという見通しを持っています。その立場から、いま日本に求められているのは、「アメリカいいなり」、「財界中心」という「二つのゆがみ」をただし、資本主義の枠内で、「国民が主人公」の日本――憲法に書いてある通りに国民が主人公になる民主的改革だというのが日本共産党の綱領です。(大きな拍手)
 それでは、他の党はどうなっているでしょう。
 民主党は政権党なのに綱領を持っていません。綱領がなくて、よくやっていけるなと思います(笑い)。実は、民主党は、綱領をつくりたくてもつくれない党なんです。もともとバラバラの党ですから、綱領をつくろうとすると、党が壊れてしまう。最近になってようやく綱領をつくろうとしているようですが、そのはなから党が溶け出して、泥船から逃げ出すように、つぎつぎと離党者が続出しています。綱領をつくる前に党がなくなりそうですね。(笑い)
 自民党はどうか。自民党は、「民主党とは違って、綱領を持っている」と自慢しています。しかし、私は、拝見しましたが、自慢できるような綱領ではないですね。野党に転落して、あわててつくったものですが、そこにはどういう日本をつくるかのビジョンはさっぱり書かれていません。具体的に書かれていることは、二つだけです。一つは、「新憲法の制定」です。憲法9条を壊しますということです。もう一つは、社会保障は「自立・自助」ということです。社会保障を壊しますということです。憲法を壊します、社会保障を壊します、これだけしか綱領に具体的に書いていない。威張れたようなものではありませんね。
 それでは新しい党がつぎつぎにできていますが、これらの党はどうでしょう。率直にいって綱領が問題になる以前ですね。だってみなさん、党そのものがどうなるか分からないじゃないですか(笑い)。できたと思ったら、5日間でなくなった(笑い)。のぼったと思ったらすぐ沈んでしまった「太陽」がありました(笑い、拍手)。それから、今日、解散することを決めた党(「国民の生活が第一」)があるそうですが、この党もつくってから解散までせいぜい数カ月でしょう。
 いま、特定の政策だけで党を解散し、新しい党に合流しようという動きが伝えられています。しかしみなさん、それがどんなに大事な課題であっても、それやっていたら、選挙のたびごとに、党を解散し、つくりなおさなければならなくなるではありませんか。私は、こういう政党のあり方がまともな政党のあり方とは考えません。外交、経済、日本の進むべき進路について、まとまったビジョンを示してこそ、そういうビジョンの基本になる綱領を持ってこそ、国民に責任を持つまともな政党といえるのではないでしょうか。(大きな拍手)
 くわえていえば、選挙のあり方としても問題だと思います。単一の課題だけをかかげて、その是非だけをもっぱら争う。これでは、それ以外の問題は、国民に「白紙委任状」を求めることになってしまいます。この点では、苦い経験があります。2005年、小泉首相は、「郵政民営化」一本に争点を絞り込み、大量の議席を得ました。その議席を使って何をやったか。財界を司令塔にすえた「構造改革」をすすめ、貧困と格差を拡大し、社会保障をぼろぼろにしてしまったではないですか。国政選挙というのは、それぞれの政党が、内政、外交、国の進路についてまとまった公約を示し、その全体の審判を国民に仰ぐ。これがまともな姿ではないですか。「白紙委任状」方式は、民主的な選挙のあり方とはいえないのではないでしょうか。
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A憲法、平和、民主主義を脅かす逆流に、勇気をもって立ち向かう党か
 第二の試金石は、憲法、平和、民主主義を脅かす逆流に、勇気をもって立ち向かえるかどうかということです。
 「維新の会」が、本格的な国政進出を狙って登場しています。石原慎太郎前東京都知事(代表)と橋下徹大阪市長(代表代行)が手を結びました。この党に、政治を変えるという期待を託せるでしょうか。中身をよく見ていただきたいのです。
 消費税は11%にあげるという。TPPは推進という。原発も推進だという。これでは古い自民党型政治そのものではないですか。橋下代表代行は、よく「既得権益とたたかう」といいますね。しかし、日本の最大・最悪の既得権益といったら何でしょうか。「財界権益」と「アメリカ権益」ではないですか。(拍手)
 ところが、「維新の会」は、この二つには、たたかうどころかひれ伏している。財界いいなりで、原発再稼働容認に急転換したなどは、その典型です。強いものにはこびへつらい、自分が「弱い」とみた相手は、徹底的にいじめぬく。こんな政治をはびこらせてはなりません。(「そうだ」の声、大きな拍手)
 石原慎太郎代表は、「命がけで憲法を破る」と言っています。「守る」ではなくて、「破る」ですよ。教育現場に、「日の丸・君が代」を強制し、違憲・違法の処分を強行してきた人です。橋下代表代行も、憲法改定を主張しているだけではありません。憲法破りを「実践」してきた人です。大阪市の職員全員を対象に「思想調査」を強行しました。きびしい批判が集中して、中止に追い込まれましたが、反省はしません。憲法があたかも存在しないかのようにふるまい、憲法を壊す政治を実際にやってきた2人が手を結んだのです。
 しかも、石原代表は、外国特派員協会の講演のなかで、「日本は核保有の手順を検討すべき」だとまでいいました。被爆国の日本は、「核兵器のない世界」をつくるために先頭に立つべき国ではないですか(拍手)。その国の政党党首が、「核兵器の保有の手順を検討する」という。一方、橋下代表代行は、こともあろうに広島で「核兵器廃絶は無理だ」といった。2人そろって「核兵器大好き」の人が、トップをつとめている。私は、こういう政党には、被爆国の政治にたずさわる資格はないということを、言わなければなりません。(大きな拍手)
 結局、「新しさ」を売りものにしながら、やっていることは、憲法を壊し、平和を壊し、民主主義を壊す「突撃隊」――これが「維新の会」の正体であります。(拍手)
 ところが、多くの党が票ほしさに、この動きにこびへつらっています。公明党はその筆頭です。自民党もそうです。みんなの党もそうです。こういう状況でいいでしょうか。みなさん、日本を壊す逆流が起こったときに、こういう逆流にこびへつらう政党は、あまりにも情けないということを、私は言っておきたいと思います。(大きな拍手)
 しかし、みなさん。理性の声が起こっています。大阪でも東京でも起こっています。平和、民主主義、人権を守ろうという理性の声が、広く起こっています。こういう理性の声の一番頼りがいのあるよりどころとなっているのが日本共産党ではないでしょうか。(拍手)
 みなさん。東京と大阪という二つの都市を、憲法を壊す逆流の発信地にしてはいけません(拍手)。どうか日本共産党を躍進させてください。よろしくおねがいします。(大きな拍手)

B草の根で国民と結びついている政党か、浮き草の政党か
 第三の試金石は、草の根で国民と結びついている政党か、それとも浮き草のような政党かということです。
 いま離合集散を繰り返している政党に共通するものは、国民に根を持たない浮き草のような政党だということです。だから、身軽に(笑い)、勝手にくっついたり、離れたりできるんです。
 それから一つ、特徴があります。みんな、政党助成金が頼みの綱になっている。どの党も、国会議員を5人以上を集めるのに必死ですが、どうして5人以上がほしいかといえば、その最大の理由は、5人以上が政党助成金をもらう条件となっているからです。
 いま、日本共産党にたいして、政策を見れば、どれもいちばん正しいことを言っている。すべてスジが通っている。でも、「力が小さい」という声があるかもしれません。しかし、私は、それはちょっと違うということを言いたいと思うんです。
 たしかに国会の中だけを見れば、衆議院議員は9人ですから少数です。だからこそもっともっと力をつけたい。その第一歩として、今度の選挙では「議席倍増」を実現するために、頑張り抜きます。
 しかし、草の根のレベルを見てください。そうしますと、全国に、日本共産党は、31万8000人の党員のみなさんがいて、約2万の党支部があって、国民のみなさんの苦難軽減のために日夜頑張っています。こういう党は日本共産党しかありません。(拍手)
 私たちは、130万人の「しんぶん赤旗」の読者を持っています。政党機関紙で比較すると、読者数で第1位が「しんぶん赤旗」です。こんな立派な政党機関紙をもっている党はありません。数といい、中身といい、ダントツ1位が日本共産党です。(大きな拍手)
 日本共産党の地方議員の数は2737人です。自民党、公明党、共産党の三つの党がほぼ同数の地方議員をもつ、トップグループの一角をしめています。そのなかでも、女性議員は965人、これもダントツ1位が日本共産党です。(大きな拍手)
 こういう草の根の力をもっていますから、今度の総選挙では、小選挙区でも全区に立候補しようということでやってきましたが、今日まで300選挙区中298選挙区が決まりました。(拍手)
 残りは二つですが、そのうち一つは立てないことにしております。いま沖縄では島ぐるみで、オスプレイの配備反対、普天間基地閉鎖・撤去が、県民の総意となっています。この島ぐるみの声を、国政に届けるという見地にたって、沖縄2区では、日本共産党は候補者を立てず「自主投票」にする。沖縄1区については、日本共産党の赤嶺政賢さんが候補者ですが、社民党が候補者を立てず「自主投票」にする。こういう対応もしていることを、この機会にご報告しておきたいと思います。(拍手)
 それから、なによりも党の財政を国民のみなさんに依拠して、自前でまかなっているのは日本共産党だけです。(大きな拍手)
 企業・団体献金を受け取らない、政党助成金も受け取らない。政党助成金の受け取りを拒否した額、17年間でいくらだったかと計算してみると、350億円以上にもなりました。350億円といいますと、党本部ビルの建設にかかったお金は85億円です。それもすべて募金でまかないましたが、党本部のビルが四つ建つぐらいのお金を(笑い)、私たちは返上してきたのです。みなさん、「身を切る」というんだったら、政党助成金こそとっととなくせ(大きな拍手)。こう言いたいですね。
 それからみなさん。すべての政党のなかで、党本部の床面積が一番広いのも日本共産党です(笑い、拍手)。いざというときの防災の拠点になるようにつくりました。自民党本部よりも広いんです。自民党本部は、国有地のうえに立っています。日本共産党の本部は、ちゃんと自分の土地のうえに立っています。自民党は、国有地のうえにあぐらをかいてないで、国有地は返したらどうですか。(拍手)
 こうしてみますと、共産党は「力が小さい」ということもいわれますが、草の根レベルでみたら、国民のみなさんと一番しっかりと結びつき、国民の願いのために働き、政治を動かしている、草の根の大政党≠ェ日本共産党なんだということを私は訴えたいし(大きな拍手)、どうかこの力をさらに大きくしていただきたいということを、お願いするものです。(拍手)
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C歴史で試された党か、自分の歴史に責任を負わない党か
 第四の試金石は、歴史で試された党か、自分の歴史に責任を負わない党か。ここを見てほしいと思います。
 日本共産党にいま、「筋を通す」党という注目が集まってまいりました。いろいろな党ができては、なくなっていますから、「筋を通す」党の姿が、かえって目立つんですよ(笑い)。日本共産党という名前を変えないのも、かえって新鮮になっているのではないでしょうか(笑い、拍手)。名前を覚えきれないくらい、どんどん名前を変える党が多いですからね。(笑い)
 日本共産党が、「筋を通す」のは歴史の裏づけがあるということを、私は訴えたいと思います。私たちは、党をつくって90年になりますが、戦前、天皇絶対の暗黒政治と侵略戦争が、日本とアジアの国民を苦しめていた時代に、命がけで反戦・平和と主権在民の旗を掲げて降ろさなかったのが、日本共産党であります。(大きな拍手)
 私たちの多くの先輩が、弾圧で倒れました。『蟹工船』の作者として有名な日本共産党員作家、小林多喜二も、特高警察に捕まったその日のうちに、残酷な拷問によって命を奪われました。たくさんの先輩たちが犠牲になったけれども、日本共産党が主張していた方向こそ正しかったということは、戦後の日本国憲法に恒久平和と主権在民がはっきり刻まれたことで、歴史が判定を下したのではないでしょうか。(大きな拍手)
 戦後、日本共産党は、旧ソ連、中国・毛沢東派、双方からの激しい干渉の攻撃を受けました。「いいなりの政党になれ」という攻撃です。しかし、断固としてそれをはね返した。チェコスロバキアやアフガニスタン侵略のような、覇権主義に対しては、「社会主義と縁もゆかりもない」と、厳しく反対を貫きました。社会主義の看板で、自由と民主主義を抑圧する暴挙にたいしても、きびしく批判を貫いてきました。自主独立の共産党が、日本共産党であります。(大きな拍手)
 そして、60年来の自民党型政治と正面対決し、「国民が主人公」の新しい日本をめざして、一貫して頑張ってきたのも日本共産党です。
 1世紀ちかい歴史で試された党、日本共産党こそ、21世紀の日本の未来を安心して託せる政党だと、私は訴えたいのであります(拍手)。日本共産党に投じた票は、決して行方不明になったりしません(笑い)。入れたと思ったらなくなってしまった。こんなことには絶対になりません。みなさんの願いが、安心して託せる政党が日本共産党だということを、心から訴えたいのであります。(大きな拍手)
 他の党についていいますと、自分の歴史に責任を負わない政党が多すぎると思います。いまの自民党、民主党、社民党などの前身の政党は、太平洋戦争がはじまる直前に、党を解体して、「大政翼賛会」に合流し、侵略戦争を推進しました。ところが、それへの無反省を決め込み、侵略戦争を美化する潮流が台頭しています。そういう勢力の台頭を許したら、日本はアジアでも世界でも、生きていく道を失ってしまいます。
 それから、60年続いた自民党型政治にたいしても、自民党はさっぱり反省していません。自民党の今回のスローガンを見てください。「日本を、取り戻す」ですよ(笑い)。「取り戻され」たら困りますよ。日本が大迷惑です。(笑い、拍手)
 自分の歴史に責任を負わない党に、未来は託せません。(拍手)
 日本共産党は1世紀近い歴史で試された党です。昨日今日できた党とは違います。明日どうなるかわからない政党とも違います。日本共産党こそ21世紀の未来、安心して託せる政党です。
 みなさん。この「四つの試金石」にてらして、日本共産党こそ、国民の選択に足る「政党らしい政党」であるということを私は心から訴えたいと思います。よろしくお願いいたします。(大きな拍手)
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2012年11月29日,「赤旗」)

国賠同盟幹事会開く

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部はこのほど、常任幹事会を札幌市で開き、14人が出席しました。総選挙では、同盟の要求である治安維持法犠牲者国家賠償法制定の請願を取り上げてくれる議員を増やす取り組みなどを討議しました。
 宮田汎道本部会長は「消費税増税反対・原発ゼロ・オスプレイ配備反対など国民運動の高まりに依拠し、憲法改悪、秘密保全法反対など、ふたたび戦争を許さない同盟の力を発揮しよう」と強調しました。
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2012年11月29日,「赤旗」)

治維法国賠同盟山形県本部が25周年講演会

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟山形県本部(島津昭会長)は25日、国賠同盟宮城県本部会長の大沼耕治氏を招き、山形市内で結成25周年記念講演会を開きました。
 主催者あいさつで島津会長は、1987年7月の結成からの歩みと最近の情勢を報告。「国賠同盟の運動は国の進路に係る重大問題を提起している。再び戦争と暗黒政治を許すな、のスローガンを、国民運動、県民運動にしていこう」と述べました。
 講師の大沼氏は、「再び国民抑圧の反動政治は許さない」と題して講演。最近の情勢に触れ、自民党の安倍内閣の時から法案の準備がされてきた国民監視の「機密保全法」を許さない運動が重要だと強調しました。大沼氏は「政治の閉塞感を利用して反動化の動きがあるが、私たちが頑張ればこうした動きに風穴をあけることができる」と語りました。
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2012年11月28日,「赤旗」)

俳壇/疾走の俳人「白泉」本出版

 昭和44年1月30日に渡邉白泉は脳出血で急逝する。享年56。先般、白泉の全句業の中から百句を選び、それぞれの句を鑑賞し、巻末に「白泉小論―オープンコースを走った俳句ランナー―」を収めた本が出版された。中村裕著『疾走する俳句 白泉句集を読む』がそれだ。例えば、
 戦争が廊下の奥に立つてゐた     白泉
 掲句については「庶民の家の薄暗い廊下の奥にまで、物の怪のように戦争が侵入してきているという慄然とするようなイメージ。(中略)鋭い批判精神と豊かな詩的感受性をもって、戦争の恐怖を明確にイメージ化することができた」との考えは卓見である。この句は昭和14年、白泉26歳の時の作品。その翌年、15年には、治安維持法違反容疑によって逮捕され、いわゆる新興俳句弾圧事件に連座している。
 このようにして国家権力は新興俳句運動を壊滅させた。さらに一年後、日本は真珠湾奇襲による太平洋戦争に突入する。弾圧によって執筆を禁止された白泉は、それでも変名を使い俳誌に投稿するなど、ひそかに俳句を作り続けた。
 玉音を理解せし者前に出よ
 「玉音」は、敗戦の時にラジオを通して放送された昭和天皇の言葉。この句について中村裕は「兵士が上官に答えたり、殴られたりするときには、列を一歩前に出るという軍の慣習をそのまま使うことで、それを痛烈に皮肉ったのである」と明解に読み切っている。また、「あとがき」には次のように捕足されている。
 「白泉は時代と疾走していたのではない。俳句表現の探求において疾走していたのである。いま白泉俳句の再評価をするとすれば、彼がいかに俳句表現の可能性を押し広げようとしていたかをみることから始めるべきだろう」と。
 (大井恒行・俳人)
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2012年11月28日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/憲法下でも続く規制と禁止

 衆議院が解散され、間もなく総選挙の公示がある。選挙期間になると選挙運動が不自由となる。選挙期間のほうが政策を自由に、多くの人に知ってもらうことができなくてはならないと思うのだが、そうではない。
 ビラの規制や戸別訪問が禁止されていることにも表れている。戸別訪問は、日本では1925年の男子普通選挙権が認められて以来禁止されてきた。治安維持法とともに、大衆運動を抑圧する目的をもって導入された。
 日本国憲法のもとでも禁止は続けられた。買収の防止や訪問される側の迷惑論などが理由とされるが、合理的な理由とは思えない。前者は、罰則規定の強化でよく、後者は選挙の結果に不利になると思えば抑制的になることで防げる。
 19世紀のイギリスで腐敗防止のための選挙制度改革が行われたが、戸別訪問の禁止とはならなかった。一対一の対話によることが何よりも大切だからであろう。
 選挙権の拡大は、自由の拡大でもあった。 自由な選挙運動は民主主義社会には不可欠である。一対一、これは一人一人の人間を出発点とする日本国憲法の精神でもある。選挙の不自由は、民意を削り取ろうとする比例定数の削減とも通じるものを感じる。
 (傘)
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2012年11月28日,「赤旗」)

文芸時評/宮本阿伎/原発の危険、今日の精神で戯曲に凝縮

 20日付の毎日新聞夕刊のインタビュー記事「特集ワイド」で、高村薫が「政治家は旧態依然とした権力闘争に明け暮れ、生活者は何かが現れるのをただ口を開けて待っているだけ。そこに過激なナショナリズムが入り込もうとしているのが、今のこの国の現状です」と述べ、同日の東京新聞夕刊の「社会時評」でも、国や政治家によって物事のあるべき筋道が語られない現状を訴えている。

「ぼく」が感じるもどかしさとは
 今月の『群像』の短編小説特集に、高村薫の「生還者」があるが、以上の政治批判と無関係ではないはずだ。倒産、失業、親の死という不運に見舞われた「ぼく」が、越してきたばかりの町で蕎麦屋の出前をしていて昏倒し、脳出血か何かを起こして(「ぼく」自身に判然とはしないのだが)病院で人工呼吸器をつけて寝かされている、その昏睡の内側の心象を追う小説で、「外ではいま、戦争をしている」という言葉で小説は閉じられる。作中何度か繰り返される言葉だが、「戦争」とは3・11後の状況のことかもしれないし、「ぼく」が味わっている認識不全のもどかしさは、「物事のあるべき筋道が語られない宙づり」(前掲「社会時評」)状態の暗喩とも読み取れる。
 今月は『文学界』が新人賞を発表しているが、守山忍「隙間」と二瓶哲也「最後のうるう年」の2編が受賞した。前者がエロス、後者が性風俗業を扱うという内容だが、遊戯的文学の域だ。同誌に2007年に「だだだな町、ぐぐぐなおれ」で群像新人文学賞の優秀作を受賞した広小路尚祈の「寺部海岸の娘」がある。受賞時に、ファンタジー傾向の強い新人賞作品のなかで唯一社会批評のある小説と本欄で述べたことを思い出す。このたびの作品も、自動車に使われる金属部品に焼き付け塗装を施す工場に勤める「おれ」と、内装に使われる樹脂部品を製造する工場で働く彩香の結婚間近の日々を描く小説のうちに職場でのブラジル人労働者への差別問題を織り込んでいる。そこは期待どおりだが、週末に寺部海岸に行き親睦を図るという結末はいかにも他愛ない。従業員同士が仲良くすることだけでは解決できない、社会の構造的矛盾により深く迫ってほしい。
 『民主文学』は、恒例の支部誌・同人誌推薦作品特集を組んでいる。〈優秀作〉に『名古屋民主文学』の島田たろうの戯曲「原発の空の下」が選ばれている。同じく『名古屋民主文学』に属していた藤林和子(故人)が1999年に刊行した小説の戯曲化だが、原発で働いていた青年が白血病によって亡くなった事実を、取材により小説化したこの作品は、3・11後再評価され、注目を浴びた。
 原子力発電は安全であるという宣伝に早くから疑問を抱き、原発労働の危険性を小説によって訴えた藤林の先見性と行動力への感動が戯曲化への契機ではなかったかと想像するが、選考委員の一人久野通広が、「原作者のテーマを3・11後の現代に新しく問いかけようとする作者の意欲を評価したい」と述べているところがより重要であると思う。単なる焼き直しではなく、今日の精神に立ち、2幕物に小説世界を凝縮させた手際は見事だ。
 他4編のうち『野の声』の高田力「部屋に灯かりが」に触れる。結婚して10年、ボーナス紛失がきっかけで夫がパチンコ依存症に陥り、サラ金地獄にもまみれ家庭崩壊にいたる過程が克明に描かれ、読み続けるのが苦しいほどだったが、最後に見せる夫婦各様の粘りに救われた。作者の粘りでもある。
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多喜二とらえる井上ひさしの目
 今月は戯曲に関する話題がもう一つある。『すばる』に座談会「二十一世紀の多喜二さんへ――『組曲虐殺』と『小林多喜二』、井上ひさし最後の座談会」が掲載されている。出席者は、井上ひさし、ノーマ・フィールド、小森陽一、成田龍一の4氏だが、座談会は『組曲虐殺』の初演東京公演の幕が開いている2009年10月24日に行われたとある。この後井上が体調を崩し、翌年4月に亡くなったため希望していた加筆、校正がかなわず、見合わせられていたが、遺族の協力を得てこのたび掲載にいたったという。
 最後に歌われる「胸の映写機」という歌について、「誰でも真剣になってぶつかれば必ず自分にとって一番大事な光景が浮かび上がってくる。多喜二はそれ以外に自分の行く道はないと思い定めて書いている……」と井上が語るくだりがある。この歌の3番の最後のフレーズは、「本棚にかれがいるかぎり カタカタまわる 胸の映写機」だが、井上ひさしが多喜二をどのように捉えていたのか、あらためてそれが映し出されたかのような感慨にとらわれた。
 (みやもと・あき)
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2012年11月27日,「赤旗」)

志継ぐ決意/合葬追悼会/青森

 「青森県民主運動をすすめた人びとの第11回合葬追悼会」が23日、青森市の「ラ・プラス青い森」で、遺族や関係者約30人が参列しておこなわれました。
 大沢研墓碑維持管理運営委員長が、今年新たに19人が合葬され、合わせて505人が墓碑に納められたことを報告。今回の総選挙を政治革新のチャンスにし、奮闘しようと呼びかけました。
 日本共産党の諏訪益一県議と治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部の門倉昇副会長が先輩の遺志を受け継ぎ、頑張る決意をのべました。
 合葬者の略歴が紹介された後、献花して故人をしのびました。
 平山百合子さんら遺族があいさつしました。
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2012年11月27日,「赤旗」)

詩壇/八十代の活力

 飯田ふみの歌集『来ちゃいましたよ』(銀の鈴社)は快い読後感を与えてくれる。著者の人間洞察力の深さ、優しさ、そして社会の卑俗なものへの痛烈な批判が胸をすく。
 生きている思いを言いたい残したいそれが短歌に拠りしということ
 今年84歳の化学元教師である。
 横山三樹の歌集『スローが良し』(ながらみ書房)も印象に残る。中央公論社で30年、雑誌編集に携わり、その間、戦時中に治安維持法によって有罪となった編集者たちを救うべく中心となって働いてきた人である。
 横浜事件の再審運動に取組し友の六十年われの六十年
 こうした作品のほか、人間的豊かさを感じさせるジャーナリストとしての交友を歌ったものや時代批評なども印象深い。
 憶千万の財産やたらと目につく日日貧富の格差増しゆく日本
 著者は八十八歳。見事な老境の達人的叙情だ。
 あと一冊、青木ゆかりの『九曜』(いりの舎)は気品のある情愛の珠玉集といっていい歌集である。
 言へるうちに言つて置きますこよなき晩年をあなたはわたしに下さりました
 著者も88歳。なんと心にしみる思慕の結実であることよ。
 歌壇の今日的潮流の修辞軽妙全盛の中で、これら80代の歌集は人間像が生きている。
 一方、情けない思いのしたのは斎藤茂吉の『万軍』(岩波書店)の刊行である。聖戦歌集として本人の生前は遠慮していたものが、二十数年前に刊行され、また今年になってだ。聖戦歌に同情を寄せた解説のためのもので、ひいきのひき倒し。西郷信綱『斎藤茂吉』(岩波書店)は、その点は確かなものである。歴史認識を欠如しては、聖戦詠を論じてもむなしい。
 (水野昌雄・歌人)
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2012年11月27日,「赤旗」) (Page/Top

休憩室/高畑淳子さん/生きなきゃいけない

 井上ひさしさんの最後の戯曲「組曲虐殺」(来月7日から東京・天王洲 銀河劇場)の舞台に再び立ちます。29歳で官憲に虐殺された作家・小林多喜二と彼に関わる人たちの生活をつづる物語。多喜二の実姉チマ役です。
 「再演ですから、多喜二が死に向かうとお客さんに想像させないように演じられれば。どれだけ真っさらな芝居ができるか試されています」
 肉親が戦争に反対して命を奪われた、多喜二の生きた時代を、観客がどう受け止めてくれるか、「今も、震災で突然肉親を亡くすことがあります。だけど、生きなきゃいけない」人間の姿を表現しようと探求中です。
 テレビドラマでは、社会の片隅で生きる役を演じています。「遺品整理人V」は不幸な過去を背負った遺品整理業のヒロイン。「シングルマザーズ」は自身の母子家庭の経験をにじませ、支援団体の代表にふんしています。
 「芝居って、におうものがあるのでしょうね。何を考えているか、見ている人にわかってしまうので、真摯にぼくとつとしたスタイルでやっていきたいんです」
 記事 小川浩
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2012年11月25日,「赤旗」)

タイ首都に治安維持法を発令

 【バンコク=時事】タイ政府は22日、週末に大規模な反政府集会が予定されていることを受け、会場周辺など首都バンコクの3地区に治安維持法を発令しました。AFP通信が報じました。期間は9日間で、同法によりデモに対する規制が容易になります。
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2012年11月24日,「赤旗」)

北上の国賠同盟総会

 岩手県北上市の治安維持法国賠同盟北上支部(小野寺寛支部長)はこのほど、同県本部事務局長の牛山靖夫氏を講師に迎えた講演会と、第3回支部総会を開きました。
 牛山氏は「日本の近代史には、歴史的、道義的、政治的に謝罪しなければならない三つの問題がある。侵略戦争、植民地支配、治安維持法弾圧。なぜ謝罪しないまま今日に至っているのか、この戦後政治の問題を見きわめなければならない」と強調。同盟会員として学習を深める場となりました。
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2012年11月22日,「赤旗」) (Page/Top

「提案し、行動する。」日本共産党の躍進を/新宿駅西口、志位委員長の演説

60年続いた自民党型政治――本物の改革で断ちきるとき
 衆院が解散された16日、日本共産党の志位和夫委員長が東京・新宿駅西口で日本共産党の躍進を訴えた演説を紹介します。

日本共産党は、歴史的な総選挙にどうのぞむか

国民の批判に追い詰められての解散――議席倍増めざし意気高く頑張り抜く
 みなさん、こんばんは。ご紹介いただきました、日本共産党の志位和夫でございます(拍手)。多くのみなさんが、足をとめ聞いてくださいまして、ありがとうございます。
 本日(16日)、午後4時前に衆議院が解散され、12月4日公示、16日投票で、いよいよ歴史的な総選挙がたたかわれます。
 今回の解散は、野田内閣が、国民のみなさんの批判と怒りに追い詰められた結果の解散であります。(拍手)
 日本共産党は、「すみやかに衆議院を解散し、国民の審判をあおげ」と一貫して要求してまいりました。そういう党として、意気高くこの総選挙をたたかいぬき、議席倍増――現在、衆議院は九つの議席で頑張っておりますが、18以上の議席への躍進をめざして頑張り抜く決意であります。ご支援をよろしくお願いいたします。(大きな拍手)

民意切り捨ての比例削減許せない――「身を削る」というなら政党助成金こそ撤廃を
 野田首相が、解散の条件として、衆議院の比例代表の定数削減を持ち出したことについて、触れないわけにはいきません。
 衆議院の今の制度のなかで、比例代表制度というのは、国民のみなさんの多様な民意を反映する唯一の民主的な部分です。その部分を切り捨てる。そのことによって「切られる」のは政治家ではなくて、国民のみなさんの民意だということを私は訴えたいのであります(拍手)。だいたいみなさん、一方で、民意を無視して消費税の大増税を強行しておきながら、他方で、それを「理由」に、民意を切り捨てる比例定数削減を強行しようというのは二重に許しがたいことではありませんか。(拍手)
 そして、「自らの身を削る」といいながら、年間320億円もの政党助成金には指一本触れず、ぬくぬくと国民のみなさんの血税をもらい続けるというのはどういうわけか。説明がつきませんね。日本共産党は、この憲法違反の制度が発足して以来、17年間、一度も受け取ったことはありません。受け取りを拒否・返上し続けてきましたが、その額を総計してみました。そうしたら17年間で350億円以上を拒否・返上してきている(どよめきの声)。草の根で国民のみなさんとしっかり結びついて、政党助成金にも企業献金にも頼らずに、自前で立派に財政を支えている政党が日本共産党であります。(大きな拍手)
 「政治の特権をただす」というのだったら、政党助成金こそ撤廃せよ――私はこのことを強く訴えたいと思います。(「そうだ」の声、大きな拍手)

なぜ民主党政権は無残に失敗したか――「二つの害悪」に縛られた結果
 さてみなさん。今度の総選挙にさいして、「民主党にはだまされた。でも自民党に戻るのもイヤだ。日本をどうしたらいいのか」――これが多くの国民のみなさんの気持ちではないでしょうか。
 民主党政権は、「政権交代」に国民のみなさんが託した、「政治を変えてほしい」という願いをことごとく裏切り、いまや自民党とうり二つの政党に落ちぶれました。民主党と自民党、違いを探そうと思って顕微鏡で見たって、どこにも違いはありません(笑い)。なぜ民主党政権は無残に失敗したのでしょうか。
 なぜ国民の多数が反対した消費税大増税を強行し、多数が反対した原発再稼働を強行したかといえば、その根っこには「財界中心の政治」があります。日本の農業と日本経済を壊すTPP(環太平洋連携協定)を推進し、沖縄が島ぐるみで反対しているオスプレイの配備を強行する、その根っこには「アメリカいいなりの政治」があります。「アメリカいいなり」「財界中心」という「二つの害悪」を特徴とする自民党型政治に縛られたまま、そこから抜け出す立場も意思もなかった。ここに民主党政権の失敗の最大の原因があることは、この3年あまりの事実が証明しているのではないでしょうか。(拍手)

「アメリカいいなり」「財界中心」――自民党型政治を断ちきる本物の改革を
 それではみなさん。「アメリカいいなり」「財界中心」という自民党型政治は、いつから始まったのか。そのルーツをたどりますと、1952年の日米安保条約発効にゆきつきます。ちょうど60年前からこのレールが敷かれ、ずっとこのレールを走ってきたのが日本の政治でした。しかし60年たったいま、この古い政治はいよいよゆきづまり、耐用年数がもはや尽きてしまったのではないですか。(「そうだ」の声、拍手)
 その証拠に、この古い政治では、経済でも、外交でも、いまの日本が解決を求められている問題に何一つ答えが出せず、展望を指し示すことができなくなっているではありませんか。国民のみなさんに希望や展望を語れなくなったら、そんな政治は退場してもらうしかありません。(「そうだ」の声、拍手)
 みなさん。いまこそ、60年間続いた自民党型政治――「アメリカいいなり」「財界中心」という「二つの害悪」を断ちきる本物の改革に取り組むときがやってきました(拍手)。日本共産党は、そういう立場で、あらゆる分野で改革のビジョンを提案し、その実現のために行動する政党であります。
 「提案し、行動する。」日本共産党をどうか大躍進させていただき、日本の明るい未来を開く総選挙にしようではありませんか。(「そうだ」の声、大きな拍手)

「財界中心の政治」を断ちきると、どういう展望が開けるか

 みなさん。「財界中心の政治」を断ちきる改革を進めると、どういう展望が開けてくるでしょうか。
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選挙後の国会に、消費税増税中止法案を提出し、成立のために全力をあげる
 日本経済と消費税をどうするかは、今度の総選挙の大争点です。
 いま、国民のみなさんの所得が減り続け、消費が落ち込み、内需が冷え込み、「デフレ不況」がいよいよ深刻になっています。この「デフレ不況」からどうやって抜け出すか。私は、すぐにやるべきことが二つあると思います。
 第一は、くらしも、経済も、財政も壊す、消費税大増税の実施を中止することであります(「そうだ」の声、大きな拍手)。そのために、今度の総選挙では、公約を裏切って増税法案を強行した「民自公増税連合」に「ノー」の審判を下そうではありませんか(「そうだ」の声、大きな拍手)。消費税を11%に引き上げるという維新の会にも、国民のくらしを託すわけにはいきません。
 私は、この場でお約束します。日本共産党は、選挙後の国会に、消費税増税中止法案を提出し、成立のために全力をあげます(「おー」の声、大きな拍手)。どうか、議席を倍増させていただいて、この仕事を共産党にやらせてください。(拍手)

大企業は雇用への責任果たせ――そうしてこそ日本経済・産業「復活」の道が開かれる
 第二は、大企業による雇用破壊を政治の責任でやめさせることです。
 私は、3日前(13日)の衆議院の予算委員会で、いま電機・情報産業の大企業が行っている13万人もの首切り・リストラの問題を取り上げました。
 NECでは、11回、12回にも及ぶ違法な退職強要が行われています。4b四方の狭い、窓もない、通気孔を鉄板でふさいだ部屋に閉じ込めて、労働者に何度も何度も退職を強要する。疲れ果てて病気になっても強要をやめません。そんなことが許されていいでしょうか。(「よくない!」の声)
 日本IBMでは、ある日突然、終業時刻の間際に、正当な理由も示さず、解雇を通告し、そのまま「荷物をまとめてすぐ出て行け」、「明日から会社に来るな」、こう言って労働者を締め出す「ロックアウト解雇」という無法なやり方がやられています。
 電機・情報産業の大企業は、「業績悪化」を理由にして、首切り・リストラを強行していますが、「業績が悪いから」といって、人間をどんどん切り捨て、目先の利益だけを追求する、そんなやり方で産業が強くなりますか(「ならない!」の声)。そういうやり方を続けてきた結果、日本の電機産業はモノづくりの力を失い、深刻な衰退の危機に陥っているのではありませんか。
 人減らしでは日本産業の本当の「復活」はありえません。大企業に雇用に対する社会的責任を果たさせる、政治の責任で果たさせる――そうしてこそ、日本の経済と産業の「復活」の道が開けます。その仕事をどうか、日本共産党にやらせてください。(大きな拍手)

「消費税に頼らない別の道」――「経済提言」を実行する力をあたえてください
 みなさん。日本共産党は、2月に「経済提言」を発表しまして、消費税増税に反対するとともに、「消費税に頼らない別の道がある」ということを具体的に提案してきました。二つの柱を同時に進めることを、私たちは提案しています。
 一つは、無駄づかいの一掃と「応能負担の原則」――負担能力に応じた負担の原則にたった税制改革です。すなわち所得の少ない方は少ない税金で結構です、お金持ちにはたくさん税金を払っていただきます、そして毎日の食事代など生計費には税金をかけない、これが税制の民主的原則ですね。この原則にたって税制改革を進めようというのが日本共産党の提案であります(拍手)。この原則にたって、まず富裕層と大企業に応分の負担を求めるというのが共産党の主張です。(拍手)
 もう一つ、国民のみなさんの所得を増やす経済改革を実行してまいります。いま大企業にはため込み金――内部留保が260兆円もあります。お金がたまりにたまり、使い道がなくて困っているのです。だったらそのお金を社会に還元させようではないですか。働く人の賃金を上げる、非正規で働いている方を正社員にする、中小企業のみなさんへの下請け単価を適正なものに引き上げる。そうやって社会に還元して、働く人の所得を上げて、内需を活発にして、日本経済を健全な成長の軌道に乗せようではないかというのが、日本共産党の提案であります。(拍手)
 この二つを同時並行で実行しますと、一方で、無駄がなくなり歳入も増える。他方で、経済が成長すれば、税の自然増収が入ってくる。そのことによって消費税に頼らなくても、社会保障を充実し、経済、財政をよくする道が開かれてきます。
 みなさん。この責任ある対案を示している日本共産党を、どうか躍進させていただいて、私たちの「経済提言」を実行させていただきたい(拍手)。力をおあたえください。よろしくお願いいたします。(大きな拍手)

国民の安全より、財界のもうけを優先する原発推進勢力に、政治のかじ取りの資格なし
 原発とエネルギーをどうするかも、総選挙の大争点であります。
 政府もとうとう、「国民の過半数が原発に依存しない社会の実現を望んでいる」と認めざるを得なくなりました。
 しかし、民主党も、自民党も、公明党、維新の会も、口では「原発ゼロ」とか「脱原発依存」などといいながら、やっていることはどうですか。大飯原発を再稼働する、青森県の大間原発の建設を再開する、使用済み核燃料の再処理を進める、原発輸出政策はあくまで続ける。結局、原発推進政策を続けているのが実態ではありませんか。
 国民のみなさんの安全よりも、財界のもうけを優先する勢力に、日本の政治のかじ取りをする資格はありません。(「そうだ」の声、大きな拍手)

すべての原発からただちに撤退し、「即時原発ゼロ」を実現しよう
 日本共産党は、9月に、「即時原発ゼロ提言」を発表いたしました。これを出した理由は四つあります。
 第一に、福島の原発事故から1年8カ月がたちますが、いまなお16万人もの方々が先の見えない避難生活を強いられ、事故の被害は広がり続けています。もう二度とあのような原発事故を起こしてはなりません。その最大の保障は、すべての原発をただちになくすことではないでしょうか。(大きな拍手)
 第二に、原発の稼働を続ける限り、使用済み核燃料――「核のゴミ」というものが出てきます。ところが困ったことに、人類は、「核のゴミ」を処理する科学・技術をもっていません。もつ見通しすらありません。この「核のゴミ」は、すでにたまりにたまっており、かりに原発を動かすとしますと、あと平均6年で、各原発の貯蔵プールからあふれ出てしまうのです。これ以上の「核のゴミ」を出さない方法はただ一つ、原発をなくすことではないでしょうか。(「そうだ」の声、大きな拍手)
 第三に、原発再稼働は、やってはならないし、やれないことがはっきりしてきたではありませんか。大飯原発の直下に活断層があることを、あの評判の悪い原子力規制委員会すら否定できなくなったではありませんか。再稼働ができないのだったら、原発は止めたまま廃炉に向かうのが一番ではありませんか。(拍手)
 そして第四に、政府が行った「パブリックコメント」(意見公募)でも8割の国民のみなさんが「即時原発ゼロ」を望んでいることが、明らかになりました。
 そういう事態を受けまして、共産党はすべての原発からただちに撤退する政治決断を行い、「即時原発ゼロ」を実現しよう、このことを訴えて総選挙をたたかいたいと思います。(大きな拍手)
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原発推進勢力の脅しはウソ――再生可能エネルギーのもつ素晴らしい可能性を生かそう
 みなさん。「即時原発ゼロ」は可能でしょうか。私たちの「提言」では、それは可能だということを、詳しく明らかにしました。
 原発推進の勢力は、「原発を止めたら電力が足りなくなる」と、さんざん脅かしましたが、この猛暑の夏を、原発再稼働をやらなくても電力は足りたということを、当の関西電力自身が認めたではありませんか。(拍手)
 原発推進の勢力は、「再生可能エネルギーになるとコストが高くなる」と言うけれども、これもウソです。再生可能エネルギーというのは、本格的に取り組みますと、どんどんコストが下がります。たとえば風力は、2020年には、火力よりもコストが低くなるといわれています。だいたい、コストという点で言いましたら、原発こそ最悪の高コストであることは、国民みんなが体験したことではないですか。(「そうだ」の声、拍手)
 原発推進の勢力は、「原発をなくすと経済が衰退する」と言いますが、これも真っ赤なウソです。日本の再生可能エネルギーは素晴らしい可能性があります。太陽光、風力、地熱、小水力、バイオマスなど、すべてを合わせますと、その潜在量は原発の総発電量の40倍もあります。そして雇用効果は原発の13倍もあります。再生可能エネルギーというのは、地域に小さな発電所をたくさんつくることになりますから、地域の中小企業を元気にし、街おこしをすすめ、地域から持続可能な日本経済の成長をもたらすのが、再生可能エネルギーだということを、私は、訴えたいと思います。(拍手)
 みなさん、原発マネー、財界マネー、びた一文受け取らない日本共産党を伸ばしていただいて、「原発ゼロの日本」をご一緒につくろうではありませんか。よろしくお願いいたします。(大きな拍手)

「アメリカいいなりの政治」を断ちきると、どういう展望が開けるか

 みなさん。日本の政治のもう一つの大きな問題――「アメリカいいなりの政治」を断ちきると、どんな展望が開けるか。
 今年は、日米安保条約発効60年の年です。その年に、「こんなアメリカいいなりでいいのか」「日米安保条約をこのまま続けていいのか」という声が噴き出しています。
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2012年11月18日)
TPP賛成の政党・議員を総退場させ、日本の食料主権、経済主権を守り抜こう
 TPPをどうするかも、総選挙の大争点です。
 野田首相は、臨時国会の所信表明演説で、「守るべきものは守りながらTPPを推進する」と言いました。そこで私は、代表質問で、「『守るべきものを守る』と言うが、『守るべきもの』とは何なのか。具体的に答弁せよ」と迫りました。そうしましたら、首相は、「守るべきものを守ります」。これでは同じことの繰り返しですね(笑い)。ただ、そのあと、「世界に誇る日本の医療制度、日本の伝統文化、美しい農村は断固として守り抜く」と言いました。しかし、そのすべてを破壊するのがTPP参加ではありませんか。(大きな拍手)
 TPPは、「例外なき関税撤廃」を原則にしています。これに参加すれば日本農業は壊滅的打撃を受けることは火を見るよりも明らかです。
 TPPは、「非関税障壁の撤廃」――アメリカからみて関税以外の貿易の「邪魔」になるものを、すべてなくすことも原則にしています。これがやられますと、国民皆保険制度が壊され、雇用が壊され、食の安全が危険にさらされ、日本を丸ごとアメリカに売り渡すことになります。TPPに参加して、「守るべきものを守る」なんてことは、絶対にあり得ないということを、私は、はっきり言っておきたいと思います。(大きな拍手)
 私は、昨日、JA全中のみなさんなどが主催した「TPP交渉参加阻止緊急全国集会」に参加しました。JA全中の萬歳(ばんざい)章会長は、総選挙では、「TPP反対を明確にした候補者や政党を推薦する」と明言されました。私は、その場で、TPP断固反対を表明したうえで、「いよいよ総選挙です。相手がTPPを選挙の争点にするというなら、受けて立とうではないですか。TPP賛成・推進の議員・政党には総退場してもらおうではありませんか」と訴えましたところ、大きな拍手をいただいたということをご報告させていただきたいと思います。(拍手)
 日本共産党を躍進させてTPP参加をストップし、日本の食料主権、経済主権、食の安全、美しい農村を、守り抜こうではありませんか。(大きな拍手)

噴き出した米軍基地の矛盾――日米安保条約をなくし、9条が輝く平和日本を
 こんな米軍基地国家を続けていいのかも、総選挙の大争点です。
 私は、9月9日、沖縄の10万人の県民大会に参加してまいりました。オスプレイ配備反対、普天間基地閉鎖・撤去で、超党派で10万人もの県民が集まった素晴らしい大会になりました。シンボルカラーは赤でした。いいですね、赤です(笑い)。「オスプレイにレッドカードを」という意思表示です。私も、帽子から、手ぬぐいから、シャツまで、真っ赤っかになって参加してまいりました。沖縄の歴史がまた一つ動いたなと、感動いたしました。
 ところが、その直後に日米両政府は、県民大会などなかったかのように、オスプレイ配備を強行しました。そのうえ米兵による女性の集団暴行事件が起こりました。
 私は、オバマ米国大統領に緊急の書簡を送り、アメリカ大使館を訪問してルーク公使とも会談し、強い抗議の意思を伝えるとともに、このように訴えました。「沖縄の怒りは限界点をはるかに超えました。ここはアメリカとしても、大きな政治的判断が必要です。アメリカは望まれないところには基地を置かないのを原則にしているでしょう。そうだというのならば、在日米軍基地の全面撤去こそ必要ではないか」(拍手)、このことをアメリカに対して要求してまいりました。(拍手)
 みなさん。ことは日本国民全体の問題であります。米軍は、日本全土に、オスプレイの七つの低空飛行訓練ルートを設定し、訓練を開始しようとしています。その訓練の拠点、岩国、キャンプ富士、厚木、横田、三沢――これらをオスプレイの訓練拠点にしようといっているのです。この人口密集地の首都圏でもオスプレイを飛ばそうというのです。断じて許すわけにはいかないではありませんか。(大きな拍手)
 日本共産党は、今度の総選挙で、オスプレイ配備を撤回せよ、在日米軍基地は全面撤去せよ、そして諸悪の根源にある日米安保条約はもうやめて、その代わりに日米友好条約を結ぼうではないかということを訴えて、頑張り抜きたいと思います(拍手)。安保をなくし、憲法9条が輝く平和な日本を、ご一緒につくろうではありませんか。(大きな拍手)
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日本共産党が筋を通すのは、1世紀近い歴史の裏付けがある

 みなさん。今度の選挙では、間際になって、新しい党がうじゃうじゃと出てきていますね(笑い)。数えてみたら15党もあるそうです。できたはなから、すぐなくなりそうな党もあります。今日の東京新聞では、「有権者置き去りの離合集散」と批判をしています。国民そっちのけの選挙目当ての動きだという批判であります。
 そういう状況の中で、日本共産党に対して、「筋を通す党」という新しい注目が集まってきております。(拍手)
 日本共産党が筋を通すのは、昨日、今日のことではないのです。90年の歴史の裏付けがあるということを、私は訴えたいのであります。
 日本共産党は、党をつくって今年で90年になります。戦前、天皇絶対の暗黒政治と侵略戦争がアジアと日本の国民を苦しめていた、そのさなかに、命がけで国民主権と、反戦平和の旗を掲げ続けた唯一の政党が、日本共産党であります(「そうだー」の声、拍手)。『蟹工船』の作家で、いまも若者たちに読み継がれている小林多喜二をはじめ、私たちの多くの先輩が弾圧で命を落としましたが、日本共産党の主張こそ歴史の大道にたったものであったということは、その主張が戦後の日本国憲法の恒久平和と主権在民の原則に実ったことで、歴史が判定を下したではありませんか。(大きな拍手)
 戦後も、旧ソ連、中国・毛沢東派が、日本共産党に「いいなりの政党になれ」と無法な干渉を加えてきたときに、断固としてそれをはねかえし、「社会主義」を看板にした覇権主義、「社会主義」を看板にした自由と民主主義の抑圧に、一番きびしく反対を貫いてきた、自主独立の党が日本共産党であります。(拍手)
 さらにみなさん、もう一つ。さきほど、いまの自民党型政治のレールが敷かれたのは、60年前だと申しましたが、その最初のときから、自民党型政治と正面から対決し、「国民が主人公」の新しい日本をつくるために、国民のみなさんの利益を守って、ひたすらに頑張ってきたのが日本共産党であります。(拍手)
 日本共産党という名前は、この90年の歴史と結びついた名前であり、私たちがめざす、すべての人間の自由と解放を実現する未来社会の理想が刻まれた名前であります。
 みなさん。日本共産党は、1世紀近い歴史によって試された政党です。昨日、今日できた政党、明日どうなるか分からない政党とは違います。昨日、今日できたような政党では、みなさんがかりに支持しても、総選挙の後はどこに行ってしまうかわかりませんよ(笑い)。その点で、日本共産党は安心です。日本共産党こそ、21世紀の未来を安心して託せる政党だということを、私は心から訴えたいと思います。(大きな拍手)

日本の命運のかかった総選挙――政治全体に衝撃をあたえる大躍進を
 みなさん。今度の総選挙、日本の命運のかかった大事なたたかいになってまいりました。古い政治、60年続いた自民党型政治はもう退場してもらおうではありませんか。(大きな拍手)
 「国民が主人公」の新しい政治を、それを実行する民主連合政府をつくる、その第一歩の躍進を、この総選挙で勝ち取らせてください。現在九つの議席を18議席以上に増やし、日本の政治全体に衝撃をあたえるような大躍進を勝ち取らせてください。
 とりわけ首都東京のたたかいは重要です。現在、日本共産党は、笠井亮さんの1議席ですが、2議席、3議席へと、大きな躍進を、必ず首都・東京から勝ち取らせてください。そのことを最後に訴えまして、私の解散にあたっての訴えとさせていただきます。ありがとうございました。頑張ります。(大きな声援と拍手)
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2012年11月18日,「赤旗」) (Page/Top

北上の国賠同盟総会

 岩手県北上市の治安維持法国賠同盟北上支部(小野寺寛支部長)はこのほど、同県本部事務局長の牛山靖夫氏を講師に迎えた講演会と、第3回支部総会を開きました。
 牛山氏は「日本の近代史には、歴史的、道義的、政治的に謝罪しなければならない三つの問題がある。侵略戦争、植民地支配、治安維持法弾圧。なぜ謝罪しないまま今日に至っているのか、この戦後政治の問題を見きわめなければならない」と強調。同盟会員として学習を深める場となりました。
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2012年11月22日,「赤旗」)

朝の風/悪法に屈せず闘った人々の記録

 『弾圧に抗して歴史を拓いた人たち』が発刊された。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟兵庫県本部が同会結成30周年記念として出版したものである。もとは犠牲者の一人が保管していた手書きの名簿で、簡単な氏名・経歴・闘争歴の記録であった。
 それをもとに、近年公開された司法文書など、新しい研究成果が生かされている。そのため、あらたに発掘された事実もとりいれられている。たとえば、後に神戸市長になった宮崎辰雄が検挙されたのは共産党の宣伝ビラ印刷に従事中であったこと、あるいは、画家・小磯良平が後輩の小松益喜をこれまで知られていた以上に援助したことなどである。
 治安維持法の犠牲者というと、特高警察による拷問、重刑、さらには虐殺を思い浮かべる。そのとおりだが、その闘いは孤立無縁ではなかった。犠牲者同士の助け合い、友人、先輩による援助や協力など、そこには温かい人間関係が築かれていた。読者は、権力の非情さに激しい怒りをおぼえながらも、人々のつながりに感動する。
 犠牲者は共産主義者ばかりではなかった。民主主義者、キリスト教、仏教、大本教、天理教関係の人名も掲載されている。忘れ去ってはならない歴史としての価値を十分にもつ感動の記録である。
 (平)
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2012年11月13日,「赤旗」) (Page/Top

片山潜の碑に議席倍増誓う/岡山・久米南町で石村比例候補

 日本共産党の創始者の一人、片山潜の碑前祭と日本共産党員の墓の合葬式が5日、潜の故郷で記念碑と記念館のある、岡山県久米南町羽出木でありました。
 党の県、地区役員や合葬された党員の遺族、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部や日本国民救援会県本部の人々が参加しました。
 石井ひとみ党県委員長は碑前祭で「日本共産党は今年、創立90周年を迎えました。国民を苦しめ、社会進歩を妨げる敵が強大でも、屈することなくたたかいぬいてきました。今度の総選挙で議席を倍増し、あっと驚くような躍進を勝ち取るため、全力を尽くします」と語りました。
 石村智子衆院中国ブロック比例候補は「戦前から命がけで侵略戦争に反対し、国民が主人公を貫いた党の真価がためされています。片山潜を生んだ岡山から日本共産党の議席を」と訴えました。
 記念碑に隣接した日本共産党員の墓では、この1年間に亡くなった6人の党員が合葬され参加者が献花しました。参加者は昼食をともにし、懇親しました。
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2012年11月07日,「赤旗」)

再び暗黒政治許すな/治維法国賠同盟が女性集会

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の第23回全国女性交流集会が4、5日の2日間、東京都内で開かれ、102人が参加しました。
 同盟中央本部の柳河瀬精会長は「政治の閉塞(へいそく)状況を反動的に打開しようと逆流が台頭し、橋下・維新の会がその先兵の役割を果たそうとしている。彼らに共通しているのは、憲法改悪と集団的自衛権行使を叫んで、日本を海外で戦争する国にしようとしていることだ」と指摘。「再び戦争と暗黒政治を許すな」をしっかり掲げ、たくらみをうち破る先頭に立って奮闘しようと呼びかけました。
 治安維持法犠牲者の水谷安子さん(99)は、富山女子師範で社会科学研究会に参加したことで退学処分を受け、非合法文書運搬容疑などで2回逮捕された経験を語りました。
 犠牲者遺族の証言では、3・15日本共産党大弾圧事件の弁護人・布施辰治の孫にあたる大石進さんが、弁護士が治安維持法違反事件を弁護すること自体が治安維持法違反とされた時代の布施の活動ぶりを報告しました。
 「生きて愛して年老いて―80歳になった戦争っ子≠フ語り継ぐこと」と題して、高柳美知子さん(人間の生と性教育研究所長)が記念講演。「人間だれしも自分の意思で生まれた人はいない。死ぬまで自分の人生、人間は自分の力で生きられる」と訴えました。
 沖縄県那覇市長選で奮闘する革新無所属の村山純候補勝利をめざし、寄せ書きと選挙募金8万3102円が寄せられました。
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2012年11月07日,「赤旗」)

 

*         10月】(ヘッドライン)

*         演劇/「貘さんがゆく」(劇団文化座)/詩人たちの青春群像

*         治維法国賠同盟集い

*         寄席/「講談かぶら矢会」/「蟹工船」の剛球一直線に

*         朝の風/山宣の記念碑

*         民主主義文学会40年

*         広島国賠同盟が講演

*         成都・重慶訪ね交流/中国友好の旅/治維法国賠同盟

*         文化/「君死にたもうことなかれ」(’49年)を作曲吉田隆子/いま思う遺産の大きさ/小宮多美江

*         治維法国賠同盟鳥取県東部支部、総会と講演開く

*         シリーズ伝統芸能の心/講談宝井琴桜さん/聞き手稲田和浩(大衆芸能脚本家)

*         綱領路線に確信/各地で「連続教室」学ぶ/神戸/京都/大阪/鹿児島

*         吉田隆子と人形劇団プーク/弾圧とたたかいながら音楽活動/曽根喜一

*         愛媛で国賠同盟総会

*         治維法犠牲者賠償法制定を/上牧町議会が意見書/奈良

*         東北ブロック活動交流会議/治維法国賠同盟

*         10月本文】(Page/Top

演劇/「貘さんがゆく」(劇団文化座)/詩人たちの青春群像

 「僕ですか?/これはまことに自惚れるやうですが/びんぼうなのであります。」という副題(詩「自己紹介」から)を配したこの作品は、詩人・山之口貘の青春時代から晩年までが描かれている。2幕構成、2時間半の大作である。杉浦久幸=作、原田一樹=演出。
 貘さんの詩のファンは多い。ひとつの作品を書き上げるために100枚の原稿用紙を使っていた話も有名である。平易な言葉で書かれているが奥が深い、やさしい人柄がにじみでている。貧乏生活にもユーモアとペーソスがある。字幕で紹介されていくのも楽しみだ。
 舞台は1925年(大正14年)、貘さん22歳の夏から始まる。土木工事現場の広場。土管の中に身を横たえている男が貘さん(佐藤哲也)。もうひとつの土管から現れたのがバク(沖永正志)。つまり貘さんの夢のなかに登場するバクは実体がない。この2人の設定を中心に展開される。1幕では、佐藤春夫(伊藤勉)の援助や、金子光晴(米山実)などの若き日の詩人たちの青春群像が活写されていく。2幕では、詩集出版や娘の成長、沖縄への認識などが時代動向とともに描かれる。貘さんが通った池袋の泡盛屋「おもろ」の場面も登場する。
 戦争をはさむ暗い時代、小林多喜二の虐殺などに直面する詩人たち。怒りを内に秘めた貘さんは「僕の詩もまんざら捨てたものではない」と自認する。光晴はその言葉を肯定する。印象的な場面だ。佐藤哲也と米山実が好演。沖縄の方言や舞踊も見所。原稿用紙をイメージした台座を中央に据えた松野潤のセットも効果的だった。
 (鈴木太郎 演劇ライター)
 11月4日まで、東京・俳優座劇場
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2012年10月31日,「赤旗」)

治維法国賠同盟集い

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟鳥取支部女性部はこのほど、鳥取市で中央本部顧問の四津谷伸子さんとシンガー・ソングライターのケイ・シュガーさんを招いて女性部発足10周年のつどいを開き、約60人が参加しました。
 四津谷さんは、治安維持法犠牲者の父母、近藤一男、糸子夫妻について語り、再び戦争の時代に戻してはならないと訴えました。
 ケイ・シュガーさんは、ミニコンサートで「(小林)多喜二へのレクイエム」などを歌い、参加者は再び暗黒の時代にはさせないと誓い合いました。
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2012年10月26日,「赤旗」) (Page/Top

寄席/「講談かぶら矢会」/「蟹工船」の剛球一直線に

 ベテラン講釈師が6人で立ち上げた「講談かぶら矢会」。94年から年に2、3回の開催を重ね、通算50回を迎えた記念公演を見た。
 宝井琴柳が読んだ「笹野権三郎 海賊退治」は柔を強調した笑い所の多い講談。博多から江戸に向かう船の中、海賊に襲われた権三郎が敵を討ち取るてん末を描いた勧善懲悪の物語。琴柳は、ギャグを織り交ぜ、素の自分も出しながら軽妙に語った。戦闘シーンは生臭さが漂うものの、ほどよい脱線を加えることで毒々しさを消している。
 柔と剛をほどよく取り混ぜながら、味わい深い美談に仕立てたのが宝井琴調。目が不自由な琵琶の名手・玄城と、彼が信州・木曽の山中で遭難しかけた時に命を救った若者との情の交換を描いた「夜もすがら検校」(長谷川伸原作)を読んだ。
 信頼していた内弟子に裏切られながらも穏やかな表情を見せる玄城は琴調の佇まいそのもの。しかし、遭難を救った若者との再会に際して、玄城が見せた心一杯の礼心の中に、人生に対して一切の妥協を許さない琴調の厳しさが見える。圧巻のラストシーンに拍手。
 トリの宝井琴星が読んだ小林多喜二原作の「蟹工船」は、剛球一直線。原作の思いを的確にすくい取っているだけに、現場監督の浅川が労働者に行った非道な仕打ちはさすがに重い。そのため、労働者が自由をつかむラストシーンで思ったほどのカタルシスが得られない。余韻を残したエンディングは琴星の工夫だが、資本家を描くにしても、搾取される労働者を描くにしても思い切った振りきりが見てみたかった。
 その他の出演は、琴桜「小松菜の由来」、琴梅「新吉原百人斬」、貞山「腹切り平左衛門」。
 (木下真之・演芸評論家)
 2日、東京・国立演芸場
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2012年10月24日,「赤旗」)

朝の風/山宣の記念碑

 14日に長野山宣会主催(別所温泉観光協会・同旅館組合他後援)の山宣など3記念碑の第24回碑前祭と記念講演会が上田市別所で開催された。3碑は国宝三重塔のある臨済宗安楽寺の参道にある。
 山本宣治は1929年3月1日に上小(上田市と小県郡)農民組合連合会第2回大会で「無産党代議士の議会観」を講演し、治安維持法改悪の緊急勅令事後承諾案が衆議院で承認された5日夜、東京神田の定宿で右翼テロにたおれた。15日、上小農民組合は追悼演説会を開き、記念碑建立を決議。碑は翌年5月1日に除幕された。同日、上田で県下初のメーデーを挙行。
 山宣の講演は従妹の夫高倉テルの伝による。京都の高倉は青年達が開講した信濃自由大学に出講し、別所に常住して農民運動と深く関係していた。
 31年9月、「満州事変」勃発。半年後に県下の労農運動は大弾圧を加えられ、高倉は逮捕された。家族は県外へ追放。高倉宅前庭にあった山宣碑の破壊命令が執拗に家主の斎藤房雄(柏屋別荘主人)へ下された。斎藤は上田署へ毀したと始末書を提出し、旅館の庭石に見せ掛けて秘かに保存した。彼は安部磯雄に学んだリベラリスト。
 碑は71年10月に再建され、西隣に高倉碑(88年)と斎藤碑(10年)が建った。
 (千)
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2012年10月24日,「赤旗」) (Page/Top

民主主義文学会40年

 広島県呉市の日本民主主義文学会呉支部はこのほど、市内で創立40周年記念文学講演会を開き、約50人が参加しました。文芸評論家の宮本阿伎氏が「小林多喜二―その作品が現代に問いかけるもの」のテーマで講演しました。
 宮本氏は、多喜二が活動した頃、呉市でも海軍の中で共産党機関紙「聳(そび)ゆるマスト」が発刊されたことが「呉市史」に記載されていることを紹介。多喜二の『蟹工船』が再評価されていることについて「現実の問題から逃げず、その解決を求めて一途に歩んだ多喜二の生き方が、現代の人々の共感を生んだ」と語りました。
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2012年10月18日,「赤旗」)

広島国賠同盟が講演

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟広島県女性部は13日、広島市中区で講演会「朝鮮植民地下での独立運動と弾圧」を開き、34人が参加しました。
 同盟本部副会長の林洋武氏が講演し、「独立運動は日本帝国の領土を侵犯するから治安維持法が禁ずる『国体の変革』にあたるとして、50人が治安維持法で死刑になった」と説明しました。
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2012年10月18日,「赤旗」)

成都・重慶訪ね交流/中国友好の旅/治維法国賠同盟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は9日から14日まで「中国平和・連帯の旅」をおこない、成都、重慶を訪問しました。10都道府県22人の会員らが参加しました。
 重慶は1938年2月から43年8月の5年半にわたり、日本軍が200回を超す国際法違反の無差別爆撃をおこない4万5千人の死傷者を出すという被害を与えたところ。被害者と遺族は2006年3月、日本政府に謝罪と賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしています。
 重慶大爆撃対日賠償原告団の4人との交流では、旅行団から宮田汎団長があいさつ。「みなさんの訴訟が勝利することが、次の戦争を防ぐことになり、日中友好を発展させることになります」と話しました。
 原告団長の羅漢さんは「1940年7月20日の爆撃で33歳の父が死亡し、家族がバラバラになりました。母は生きるため妹を2人連れて再婚し、7歳の私は孤児院に入れられました。孤児院の生活は劣悪で栄養失調のため夜盲症になりました」と、空襲のあとの悲惨な生活を語りました。
 89歳の高栄彬さんは「撃墜した日本の爆撃機の兵士1人が稲の中に落ち、助かりました。多くの人は『殺せ、殺せ』と殺到しましたが、私は止めました。『捕虜に報復してはいけない』といって助けることができました」と当時のエピソードを紹介しました。
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2012年10月17日,「赤旗」) (Page/Top

文化/「君死にたもうことなかれ」(’49年)を作曲吉田隆子/いま思う遺産の大きさ/小宮多美江

 女性作曲家の草分けで、プロレタリア音楽運動でも活躍した吉田隆子が没して56年。評伝の刊行や関連番組の放送などであらためて注目を集めています。音楽評論家の小宮多美江さんに吉田隆子について書いてもらいました。

 「作曲家の吉田隆子を知っていますか?」と尋ねられて、与謝野晶子の詩による「『君死にたもうことなかれ』の歌を知っています」と答えてくれる人は、思ったよりもたくさんいるようです。
 その歌が発表されたのは60年以上も前の1949年ですが、当時流行の女性雑誌『婦人朝日』の付録として楽譜が出たので、新制中学や高校の先生たちによって生徒たちに教えられ、あるいは労働組合のなかで歌われたりして、全国的にひろまったからでしょうか。
 吉田隆子には「君死にたもうことなかれ」のほかにもう一つ、やはり女性による反戦詩「お百度詣」を独唱や女声合唱曲にしたものがあります。
 ○ああ、弟よ! と歌い出す晶子の詩は、日露戦争にとられた弟を思っての歌ですが、大塚楠緒子の「お百度詣」は、夫を思う妻の歌です。
 ○ひとーあし踏みーて、と、お百度を踏みながら神様仏様に祈る気持ちをこめています。
 踏みしめるごとに夫を思い、また、お国のためなのだと思い直すけれど、三たび、また夫を思わずにいられない、それはいけないことなのだろうか? と問いかけます。
 「君死にたもうことなかれ」に負けず劣らず、いやそれ以上に、私は聴くたび、歌うたびに胸がいっぱいになります。
 ♪♪♪
 吉田隆子は明治の末に東京に生まれ、戦争のなかった大正時代に、何不自由なく成長します。青春を謳歌(おうか)しようという昭和の初めは、若者が新しいファッションで身を包み、革新的な演劇、美術運動が展開されたときでしたが、一方で、世界恐慌のあおりを受けて日本の経済は不況となり、「大学は出たけれど」などといわれた時代でもありました。
 なんだか、ここ数年のいまと似ているようですが、やがて15年戦争といわれる戦争がはじまります。
 その戦争中は、戦争反対と言ったらたちまち非国民ととがめられたものです。吉田隆子は、プロレタリア音楽運動の活動で何度も警察にひきたてられ、40年には、日本ではまだ知られていなかったムソルグスキーの音楽を紹介したというだけで、6カ月もの長い間勾留された末に、瀕死(ひんし)の状態となってようやく家に返されたのです。
 病名は結核ですから、それから丸7年もの長い間、絶対安静の療養に耐え、戦争が終わってようやく健康をとりもどすのですが、それから再び病を得て亡くなるまでの時間は、わずか10年でした。
 作曲家としての吉田隆子の活動は、人形劇団プークの音楽作りから始まっていますが、のちに夫となる劇作家久保栄と知り合ってからは、劇と音楽との創造的な協同作業をさらに一歩進めます。
 その最大のみのりは「火山灰地」の音楽で、その上演は戦前にも戦後にもあって、ずいぶん多くの観客をあつめました。
 吉田隆子は、その音楽をもとにして「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ ニ調」を作曲します。
 ♪♪♪
 私はその作曲の清書の手伝いをしたりしたのでしたが、つづいて作られた器楽小品「お百度詣」もまた、私には思い出深いものです。
 歌のメロディーをそのままテーマとして、チェロとピアノのために、またヴァイオリンとピアノのために、作品が生まれたのです。
 私が吉田隆子のところへピアノを習いに通ったのは亡くなる前の8年にも満たない年月ですが、半世紀をとうに過ぎたいまも私は吉田隆子から離れられません。作品が演奏されるたびに、むしろますます強く、残された遺産の大きさを思うのです。
 (こみや たみえ・音楽評論家)

■吉田隆子についての本、楽譜、CDの問い合わせは音楽の世界社(рO3・3926・4374)へ。
■渡部玲子ヴァイオリンリサイタル(16日午後7時、東京・すみだトリフォニーホール)で、「お百度詣―ヴァイオリンとピアノのための」が演奏されます。問い合わせは、рO3(5694)1587

よしだ・たかこ=1910〜56年。作曲を橋本国彦、菅原明朗らに師事。35年、楽団創生創立。作曲作品「鍬」「兵士を送る」「小林多喜二追悼の歌」や劇音楽多数。著書『音楽の探求』
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2012年10月14日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟鳥取県東部支部、総会と講演開く

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟鳥取県東部支部は6日、第13回支部総会を開き、「原発ゼロをめざす島根の会」共同代表の渡部節雄氏が講演しました。
 渡部氏は、島根原発について@1号機は運転38年と老朽し地震に弱い、2号機は炉心シュラウドや配管のひび割れなど事故多発、3号機は格納容器が建屋と一体―など深刻な問題を抱えているA原発の直近に活断層B人口密集地に立地C地震との重複事故・過酷事故を前提としない防災・避難計画D原子力安全・保安院が最低評価を下したずさんな管理―を批判。「上関原発もあきらめない、中国電力の無反省な高圧的な態度は、重大事故につながる」と警告しました。
 総会は、田江裕氏を支部長に再選。日本共産党の塚田なるゆき衆院鳥取1区候補が来賓あいさつしました。
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2012年10月11日,「赤旗」)

シリーズ伝統芸能の心/講談宝井琴桜さん/聞き手稲田和浩(大衆芸能脚本家)

女性の生き方を演目に古典・歴史・現代ものも
 張扇で机をバンバン、古典から現代まで、人情の世界を心地よく語る講談。女性の講談師が元気です。その真打ち第1号の宝井琴桜さんの登場です。聞き手は稲田和浩さん(大衆芸能脚本家)。

 稲田 2日の国立演芸場、「講談かぶら矢会」の50回目の公演は、盛況で、6人がそれぞれの持ち味で聴かせましたね。
 琴桜 ええ、宝井琴梅、琴柳、琴星、琴調、一龍斎貞山と私の気のあった者の会です。今回、記念の初CDセットも出しました。
 稲田 面白いのは、最初の師匠が全員違う。どこか芸風も違うようで。
 琴桜 はい、みんな5代目宝井馬琴の薫陶をうけた共通点もありますが、個性を生かして。

男に都合よい奥さんいる?
 稲田 与謝野晶子や瓜生岩子らの女性を主人公にした話をやられますが、そのきっかけは。
 琴桜 私が真打ちに昇進した時(1975年)、夫の宝井琴梅と同時でしたが、女性でも違和感のない演目はないか、考えました。「内助の功」のような男に都合のよい奥さんなどいるかな、納得できる話を作ろうと。久留米がすりを作った井上伝、女医1号の荻野吟子をやりました。
 稲田 記録に残ったのは「偉人」しかない。
 琴桜 ええ、そこで、名前の知られていない女性を取り上げることになった。「おかか衆 声あわせ」は、金沢在住の児童文学者の作品をベースにしました。幕末の戊辰戦争の10年前(安政5年)、山に上った母親たちが、殿様の住まいする城に向って、「ひもじいわい」「米おくれ」とシュプレヒコールをした。
 稲田 東京・浅草寺境内にある瓜生岩子の銅像。通る人は、鳩に餌をあげるおばさんかと思われていますね。
 琴梅 幕末から明治にかけて、社会施設づくりなどで貢献した方(明治30年没)で、女性の銅像第1号といわれます。与謝野晶子も夫・鉄幹を支え、子どもを産み子育て・家事をやった職業婦人の内面の苦悩に光を当てました。
 稲田 「多喜二の母」のセキさん、「民権ばあさん」は高知の婦人参政権の先覚者・楠瀬喜多。演目にしたのも、女性の生き方のすばらしさに共感されたからですね。

均等法題材に講談で面白く
 琴桜 そうです。馬琴師匠という大木がなくなって(81歳没)、さびしくなりましたが、1986年に「男女雇用機会均等法」が施行されました。労組婦人部の方から、「この法律を講談で面白くやってほしい」と声が掛かり、現代の女性問題を描いた「山下さんちの物語シリーズ」をやるきっかけになりました。古典、歴史、現代ものの「3階建て」でやろうと開眼する契機になりました。婦人参政権の碑が高知につくられるなど、講釈師冥利につきます。
 稲田 難しい法律ですから、笑いがないともたない(笑い)。講談の「マーケットを広げた」といわれます。古典をどうされましたか。
 琴桜 若いころは、宮本武蔵や大石内蔵助などの古典では、男性陣にかなわないと思っていました。でも、女性ならではの面白さもあるはずです。私が真打ちになったころは、周りに妻で母親の講釈師はいなかった。今、たくさんの女性陣がいてがんばっていますよ。
 稲田 いまは結婚で辞める女性講談師は少ない。産休のあとに復帰するケースもあって、元気ですね。
 琴梅 そう。講談定席の東京・本牧亭がなくなり、いつでも聴きに来ていただけないのが残念です。来年は、幕末から明治に生きた会津出身の大山捨松(巌夫人)の新作を書いて演じたい。
 稲田 ありがとうございました。

 たからい・きんおう 1949年生まれ、秋田県横手市出身。68年田辺一鶴に入門、翌年、5代目宝井馬琴門下に移り、琴桜に。75年真打ち。著書『張扇一筋ジェンダー講談』。
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2012年10月09日,「赤旗」) (Page/Top

綱領路線に確信/各地で「連続教室」学ぶ/神戸/京都/大阪/鹿児島

 「連続教室」を学んでいる各地の経験を特集します。

学習を力に講師試験に挑戦へ/神戸東灘・灘・中央地区の学生支部
 神戸東灘・灘・中央地区は、「党員拡大を中心とする党勢拡大大運動」のなかで学生4人を党に迎え、新たに学生支部を結成しました。
 学校も違う集合支部なので、集まるのもなかなか大変ですが、綱領を学ぶことからはじめようと、支部会議で「綱領教室」のDVDを視聴しました。
 第1回を見たみんなの感想は、「難しいというのが率直なところだけれど、領土問題は、歴史が深くかかわっていてきちんと主張し、話し合うことが大事だと思う」「『綱領教室』は勉強になって楽しいです」「自分が知っている歴史と違う角度からなので新鮮です」などでした。なかには「日本が韓国を植民地にした歴史があったなんて知らなかった」という声も。これまでに「綱領教室」を第2回まで視聴し、第3回以後も順次、支部会議で学んでいくことにしています。
 支部会議では、尖閣諸島問題、オスプレイ、環太平洋連携協定(TPP)、消費税、「維新の会」などの情勢学習と合わせることで、綱領の生命力を実感できるように工夫。「日本共産党の政策は他党と比べて共感できるし、国民の苦しい状態から日本を救ってくれる党だと思う」と党への確信を強めています。また、今まで政治に関心がなかった学生が「知らなかったことを知ると黙っていられないですね」と、急速に変化しています。

綱領路線の核心に迫ってきた/京都市中京区の朱八下支部
 京都市中京区の朱八下支部は、昨年のはじめから有志で毎月DVD視聴を続け、今年9月15日で「綱領教室」第8回の前半まで学習しました。
 きっかけは、「党歴の長い人たちが、2004年に改定された新しい綱領を読んでいない」という話がでたことでした。そこで支部委員の西田功さん、吉田典夫さんと支部員数人が相談して、月1回、第2土曜日の午後8時から党員宅で学習することになりました。支部全体に参加を呼びかけ、毎回6〜8人が参加。1回の教室を半分に分けた1時間分を視聴したあと、みんなで討論しています。
 「綱領教室」第3回では、新しい党員が「アメリカへの従属がなぜこんなにひどいのか不思議だったが、よく分かった」と感動。昨年8月に入党し毎回参加している党員は、「よく分からないことも多いが、みんなで話し合うと少しは分かるし、先輩が質問に答えてくれる」と学習意欲を高め、最近では学習協の労働学校にも参加しています。
 9月15日には、これまででいちばん多い9人が参加。年配の党員が「『二つの異常』と国民との関係をつかむことが大事」と話しているのを聞いて、「学習を続けて綱領路線の核心に迫ってきた」と実感した吉田さんは、「最後の第12回まで頑張って続けたい」と話しています。

領土問題の歴史が分かった=^大阪・西・港・浪速地区
 大阪府西・港・浪速地区委員会は、7月から毎月第3日曜日に「若手党員と民青同盟員の連続教室」を開いています。
 これまでに10人の青年党員・同盟員が参加。援助のために地区委員会からも3〜4人が出席して、「綱領教室」を毎回約1時間視聴し、現在、第2回の前半まですすんでいます。
 参加者からは次のような感想が寄せられました。
 「タイムリーな領土問題が分かりやすく説明され、整理することができました。国民一人ひとりが、歴史の真実を真剣に学び受けとめる必要があると思います」
 「小林多喜二のような先輩がいることは本当にすごい」
 「民主党には綱領がないから、党として成り立たないのがわかりました」
 「これだけ戦争していた国が、(戦後は)できなくなっている。憲法の力はすごいと思いました。もっと憲法や平和の大切さを広めていきたい」
 「戦前・戦中を学べば、今の橋下『維新の会』や自民・民主の主張が現代の社会に合わないことが良くわかるのに、それを学校で十分に教えていない」
 視聴のあと、1時間から1時間半程度、自由に疑問を出し合いながら、みんなで考え楽しく交流しています。これも魅力の一つで、「続けて学習する意欲がわいてきた」「次回が楽しみだ」という声が出ています。

学習で新しい支部が活動開始/鹿児島市議団
 鹿児島市議団は、3人中2人が4月の市議選で初当選した議員です。県委員会は、「新しい市議団に、綱領の基本を身につけてもらい、日本共産党らしい議員団に成長してもらおう」と、「綱領教室」の学習を援助しました。
 市議団では、「議会活動や生活相談などで忙しいからこそ、しっかり綱領を学び、身につけることが大事」と意思統一し、全12回の「連続教室」を3日間で一気に学ぶ計画を立てました。会場は近くの会館の部屋を借り、3人の議員と県委員会学習・教育部の援助者とで、1回分2時間の講義を視聴し、そのたびに30分ぐらい討論。日ごろの活動で経験したことも出し合いながら、講義内容への理解を深めました。
 初回は午前9時から午後9時までかけ、第1回〜第4回を一気に学びました。参加者からは「大変だったけど、党の役割や日本という国の問題点、なにより展望を深めることができた」、「入党して38年、党活動をつづけてきたことに誇りを持てるようになった」などの感想が寄せられました。
 その後、3人全員がそろうことを条件に日程をやりくりし、4日目で「綱領教室」第12回までの学習を終えました。議員団は、「綱領をまとめて学んだことがよかった」と、この学習を力に全員が講師試験の中級「綱領」に挑戦します。
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2012年10月09日,「赤旗」) (Page/Top

吉田隆子と人形劇団プーク/弾圧とたたかいながら音楽活動/曽根喜一

 NHKEテレ「吉田隆子を知っていますか」(9月2日放送)を見た。視聴者の反響も「『プロレタリア音楽運動』の真価を示す番組だ」(本紙9月7日付「みんなのアンテナ」)など好評だったと聞く。
 戦前から戦後にかけての作曲家で指揮者の吉田隆子(1910〜56)は1929年、ラ・プーパクルーボ(エスペラント語、人形クラブの意、略称プーク=現在の人形劇団プーク)の設立に参加した。10人の設立メンバーの中で女性は吉田隆子のみであった。その後、画面は現在のプークの5階建ての建物と人形劇の舞台に移っていった。この戦前の隆子たちのたたかいについて、私はいくつかのことを思った。
 第一に病気とのたたかいがある。戦前のこの時代は、吉田隆子だけではなく、多くの人が患いとたたかった。プーク創立から中心的に活動していた川尻東次も胸を侵され、25歳の若さで他界した。
  ♭――♯
 第二に、戦前の最大の悪法である「治安維持法」とのたたかいである。隆子と一緒に逮捕された戸井(川尻)錦子さんが語っていたように、特高は当時虐殺された小林多喜二の写真を見せ、いきなりぶん殴ってきたという。当時隆子を見舞いに行った雨宮スミ子さんが隆子のその頃のことを語っていた。戸井さん、雨宮さんとも93歳で元プーク劇団員。証言者の映像のバックに逮捕者川尻泰司、中江隆介などプーク劇団員の名前もリストで示されていた。私は先輩たちのたたかいに感動した。
 治安維持法と同時に戦前は表現の自由がないことだった。アンデルセンの「裸の王様」が天皇を暗に風刺するものとして上演禁止になったり、「王様の新しい着物」(別タイトル)が許可になる現象も出現した。実はこれは二つとも同じ内容なのであった。これらの人形劇の音楽を作曲したのが、隆子だった。
 戦前の絶対主義的天皇制の下で特高の弾圧とたたかいながら、プークの第9回公演(1936年)まで人形劇音楽の活動は続けられた。それ以降のプークの活動は正規の公演としては困難な状態になってしまった。
  ♭――♯
 そして楽団「創生」を組織し、第4回公演まで続いたが、この活動は女性作曲家・指揮者吉田隆子の存在を示すものであった。
 音楽界において、戦前は女性作曲家・指揮者がきわめて少ない中で、彼女が果たした役割は大きい。「小林多喜二追悼の歌」(33年)、「君死にたもうことなかれ」(49年)、「ヴァイオリンとピアノのための〈ソナタニ調〉」(52年)などなどの作品が残っている。ほかに評論活動もあり、最近、隆子の音楽活動全般が見直され評価されていることに私は注目している。
 1929年のプーク設立者の一人、隆子が困難の中でたたかい、活動を続けたことに誇りを感じるものである。
 (そね・きいち 人形劇団プーク功労劇団員)
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2012年10月08日,「赤旗」) (Page/Top

愛媛で国賠同盟総会

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟愛媛県本部の2012年度総会が9月27日、松山市で開かれ、5000人を目標に国会請願署名に取り組むことなどを決めました。
 岡田厚美副会長は「民主党の代表に野田首相が再選され、自民党の新総裁に安倍元首相が選ばれるなど、新しい情勢を迎えている。歴史認識の問題を含め、私たちの運動が非常に大事になってきている」と開会あいさつしました。
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2012年10月04日,「赤旗」)

治維法犠牲者賠償法制定を/上牧町議会が意見書/奈良

 奈良県上牧町議会(東充洋議長)はこのほど、「治安維持法犠牲者国家賠償法(仮称)の制定を求める意見書」を出席議員全員の賛成で可決しました。
 同意見書は「政府は、再び戦争を許さぬ証(あかし)として、日本国憲法第17条の規定に則(のっと)り、同法を制定し、治安維持法犠牲者に対する謝罪と賠償を行うよう強く要望」しています。
 同議会では治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部の田辺実会長が議会全体協議会で陳情の趣旨説明を行い、審議されてきました。
 意見書は堀内英樹議員(無所属)が提出者となり、辻誠一議員(同)、石丸典子議員(共産党)が賛成者となりました。
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2012年10月03日,「赤旗」)

東北ブロック活動交流会議/治維法国賠同盟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の第22回東北ブロック会議が9月27、28の両日、盛岡市内で開かれました。86人が参加しました。
 島津昭・中央本部副会長の報告を受け、各地の支部は、国会請願署名や地方議会請願、会員拡大・支部づくり、犠牲者の顕彰など多彩な活動を交流しました。「『再び戦争と暗黒政治を許すな』の同盟の活動は、日本国憲法の道であり、過去の運動ではなく未来を切り開く運動です」(青森県)との発言に、参加者は思いを一つにしました。
 日本共産党の菅原則勝岩手県委員長があいさつしました。
 懇親会では、地元岩手県の代表者が「元気で活動したい」と空手の演武を披露しました。
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2012年10月03日,「赤旗」) (Page/Top

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*         9月】(ヘッドライン)

*         若い世代にも働きかけたい/香川・治維法同盟

*         語ろう日本共産党/「共産党」の名前変えたら?/歴史と理想込めた党名

*         治維法国賠同盟塩釜支部が宣伝

*         治維法国賠同盟県本部の大会/静岡

*         鶴彬の墓前で反戦平和誓う/盛岡の会

*         敬老の日/高齢党員をねぎらう/新潟/石川/岐阜

*         改憲の策動に対抗を/東海ブロック九条の会が交流集会

*         伊勢崎市で多喜二祭開く

*         宮城・塩釜で学習講演会/治維法国賠同盟

*         治維法国賠同盟北海道本部がブロック会議

*         ゆがんだ政治にメスを/党90周年記念祝賀会/市田氏あいさつ/奈良

*         治維法国賠同盟犠牲者の墓参り/奈良県・青年部

*         鶴彬のふる里、石川・かほく/8、9日に歴史街道フェスティバル

*         日中戦争の実態に迫る/群馬・九条の会

*         治維法国賠同盟札幌支部が総会/署名目標達成必ず

*         治維法同盟県本部が総会/徳島

*         社会運動史講座開く/歴史に学び今に生かす/大津

*         原発事故情報も隠せる!?/札幌で秘密保全法学ぶ

*         試写室/ETV特集吉田隆子を知っていますか/NHKEテレ後10・0/反戦を貫いた作曲家の志に光

*         9月本文】(Page/Top

若い世代にも働きかけたい/香川・治維法同盟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟香川県本部は22日、高松市で総会を開き運動方針などを決定、新役員を選出しました。
 会長には太田展生氏、事務局長に田中和夫氏が再任されました。
 活動報告と方針で田中事務局長は、治安維持法犠牲者国家賠償法の立法化のために国民世論を結集し、全会員がひとり10人以上の署名に取り組む、自治体での意見書採択に向け支部や会員の協力で実現していく、街頭署名をすることなどを提案。「若い世代にも働き掛けていきたい」と強調しました。
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2012年09月28日,「赤旗」)

語ろう日本共産党/「共産党」の名前変えたら?/歴史と理想込めた党名

 ぜひ知っていただきたいのは、「共産党」の名前には、党の歴史と未来社会の理想が込められていることです。
 日本共産党は1922年に誕生しました。当時の日本は、天皇による専制政治のもと、国民は無権利状態におかれ、侵略戦争に突き進んでいきました。日本共産党の先輩たちは「侵略戦争反対」「主権在民」を掲げ活動。作家の小林多喜二など多くの先輩が弾圧で命を落としました。戦後、党議長を務めた宮本顕治氏は12年間、獄中で不屈にたたかい、2007年に亡くなったとき、「反戦によって日本人の名誉を救った」(評論家の加藤周一氏)と評されました。
 自民党や民主党の先輩だった保守政党や、社民党などの前身だった社会民主主義政党は侵略戦争を推進したことから、戦後は同じ名前で国民の前に出られませんでした。
 戦後も日本共産党は大企業・アメリカ言いなりの政治に正面から立ち向かい、アメリカの支配や旧ソ連、中国の覇権主義ともたたかってきました。
 不破哲三社研所長の『時代の証言』への書評で、「読売」特別編集委員の橋本五郎氏は「日本共産党に対するソ連、中国からの干渉の激しさには改めて驚いてしまう」「その圧力に徹底的に抗しながら、『自主独立路線』を貫いてきたことは十分評価すべきだろう」と書きました。共産党というと、ソ連や中国を連想する方もいるかもしれませんが、その国からの干渉と一番激しくたたかったのが日本共産党なのです。
 未来社会への展望でも、旧ソ連のような体制とは正反対の社会をめざしています。
 そもそも「共産主義」という言葉は、「共同体」を意味する「コミューン」からきました。搾取や抑圧、戦争のない、本当に平等で自由な人間社会をめざす理想が込められています。
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2012年09月25日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟塩釜支部が宣伝

 宮城県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟・塩釜支部はこのほど、塩釜、多賀城の両市内6カ所で街頭宣伝し、犠牲者の名誉回復を訴えました。
 相原君雄支部長は、大震災の被災者支援など国民にとって重要な問題があるにもかかわらず、消費税増税を民自公3党の密室談合で押し通した今の政治を批判。その上で、橋下徹大阪市長が「日本維新の会」を結成して国政へ進出する動きについて、「実態は憲法改悪を画策する強権政治であり、再び戦争と暗黒政治を許さない立場から、大いに警鐘を鳴らしたい」と力を込めました。
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2012年09月21日,「赤旗」)

治維法国賠同盟県本部の大会/静岡

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟静岡県本部はこのほど、静岡市駿河区で第29回県本部大会を開きました。
 漆畑長一会長は、オスプレイの沖縄配備計画などきわめて危険な政治状況のもとで「ふたたび戦争と暗黒政治を許すな」の同盟のたたかいはますます重要だと強調しました。
 宮城島正博理事は、県内の治安維持法犠牲者名簿は集計345人、さらに約100人の犠牲者発掘がされていると述べ、「引き続きこの作業を進めるうえで若者の協力参加を」と呼びかけました。
 「治安維持法犠牲者への謝罪と賠償を求める」意見書の採択実績がない静岡県の現状を打開するため地方議会へ陳情・請願を行う方針を決めました。
 日本共産党の山村糸子県委員長、県評、国民救援会、新婦人、民青の各代表が連帯のあいさつをしました。
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2012年09月20日,「赤旗」)

鶴彬の墓前で反戦平和誓う/盛岡の会

 反戦川柳作家として命をかけた鶴彬(つる・あきら=1909年〜38年)の命日にあたる14日、鶴彬を語る盛岡の会(牛山靖夫会長)が、盛岡市名須川町にある鶴彬の墓前で「秋の集い」を開きました。
 民主団体などから17人が参加し、献花と合掌をしました。
 鶴彬は、軍国主義の時代に反戦を訴える川柳を詠んで、治安維持法違反で逮捕され、勾留中に赤痢にかかり、病死しました。
 同会は毎年、秋(鶴彬の命日)と春(3月15日)に「集い」を行ってきました。
 今年はまた、1982年に有志が建立した「手と足をもいだ丸太にしてかへし」の句碑が、墓のある同市本町通2の光照寺の境内に移転されることになり、16日に除幕式としのぶ会が開催されました。
 牛山会長は「鶴彬が兄のように慕っていた石川啄木の没後100年の年に句碑が移転された。多くの人が来訪し、反戦平和の誓いを新たにしてほしい」と語っています。
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2012年09月19日,「赤旗」) (Page/Top

敬老の日/高齢党員をねぎらう/新潟/石川/岐阜

新潟
 日本共産党新潟県委員会は毎年、敬老の日にあたり80歳を迎えた党員の長寿を祝い、記念品とお祝い文を届けています。樋渡士自夫県委員長は15日、今年入党して60年を迎えた新潟市内野支部の篠田昇さんを訪ね記念品を渡しました。
 篠田さんは、柏崎市出身で家は農家、中国革命の年(1949年)に「赤旗」を読み始め、戦後の労働、農民運動高揚の中で、「日本共産党の名前が働く人が共に生産すると読めるので非常によい」と共感して52年に入党しました。
 建設会社や地質調査の仕事に長年従事、新潟市に移転し退職してからも、党や民主団体の活動、集会の場に数多く参加しています。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部の役員としても活動しています。
 篠田さんは「党員として時代時代の要請に応えられる活動ができるよう努力している。総選挙勝利めざし、自分たちで壁をつくらず、党員としての誇りと確信を持って広く国民の中へ訴えていきたい」と語りました。

石川
 日本共産党石川県委員会と各地区委員会は高齢党員の長寿を祝い、長年の党活動での奮闘をねぎらおうと、敬老の日(17日)を中心に80歳以上の党員282人に手紙を届け、お祝いの記念品を贈りました。
 17日には、秋元邦宏県委員長、尾西洋子前県議が金沢市の水上喬子さん(82)らを訪問し、長寿を祝いました。
 水上さんは金沢市内の民間保育園の設立や運営に尽力し、保育や子育て施策充実を求める運動の中心的役割を果たしてきました。今でも「しんぶん赤旗」日曜版の集金・配達や民主団体の活動に元気よく取り組んでいます。
 訪問した秋元県委員長らが「これからもお元気でお過ごしください」と語りかけると、水上さんは「健康のためにもできるだけ体を動かして党活動にも取り組んでいきたい。せめて100歳までは生きたいですね」と笑顔をのぞかせました。

岐阜
 日本共産党岐阜県委員会は毎年、「敬老の日」にあたり、80歳を迎えた党員に、健康と長年の労をねぎらおうと、手紙とささやかな記念品を届けています。
 16日には、松岡清県委員長と高木光弘衆院2区候補が、入党歓迎会と敬老会を兼ねて支部総会を行っている関ケ原町の関ケ原支部を訪問。今年80歳を迎える2人の党員の長寿を祝い、敬いました。
 高木候補は「二つの異常を正す日本共産党が伸びてこそ、原発ゼロや増税させない道が開けると訴えています。つながりを生かしてぜひ力を貸してほしい」と述べました。
 松岡県委員長は「今後もお体を大切にご活躍されることを願っています」と話しました。
 総会では、総選挙勝利へつながりを生かそうと話し合い、敬老された2人の党員は、毎週金曜日の町内の原発抗議行動に参加を約束しました。
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2012年09月18日,「赤旗」) (Page/Top

改憲の策動に対抗を/東海ブロック九条の会が交流集会

 愛知・静岡・岐阜・三重県の各地の九条の会は16日、名古屋市内で東海ブロック交流集会を開き、270人ほどが参加しました。渡辺治一橋大学名誉教授が講演し、会の発展や若者と憲法のかかわりなどをテーマとした分科会も開かれ、活発な意見が交わされました。
 渡辺名誉教授は、冷戦終了後、共同作戦を求める米国の圧力と、解釈改憲によって自衛隊が海外に派兵されたが、全国の九条の会の運動が、「憲法を変えるべきでない」との世論形成に大きな役割を果たしていると強調。「自民党は『国防軍』を持ち、『公の秩序を害する目的』の活動を認めないなどとする明文改憲の策動をしているが、これは戦前の治安維持法となんら変わらない。一方の大阪・橋下市長も『決められる政治』の体制を敷いた後に改憲すればいいなどとしているが、私たちはこうした危険な思惑に、地域を拠点に保守も含めた輪を大きく広げて対抗していかねばならない」と結びました。
 改憲と情勢をテーマとした分科会では、参加者から「尖閣諸島や竹島の問題を『ナショナリズム』に利用する動きもあるが、われわれも民間レベルでの外交に取り組んでいかねばならないのではないか」、「日本中がだまされて、六十数年前にあんな大きな戦争に巻き込まれた。改憲をいう政治家も戦争を知らない。九条の会の活動はますます重要になる」などの意見が出されました。
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2012年09月17日,「赤旗」)

伊勢崎市で多喜二祭開く

 戦前のプロレタリア作家小林多喜二らが、文芸講演会に訪れた群馬県伊勢崎で警察に検束されたものの、民衆の抗議行動で多喜二らを解放させた「多喜二奪還事件」(1931年9月6日)にちなみ、第5回伊勢崎・多喜二祭(伊勢崎・多喜二祭実行委員会主催)が9日、伊勢崎市内で開かれました。県内外から約200人が参加しました。
 小樽商科大学の荻野富士夫教授が記念講演。荻野氏は、多喜二と一緒に捕まった菊池邦作が、終戦直後に治安維持法廃止を主張するとともに、軍部や財閥などの戦争責任を追及したことを紹介し「当時日本人から主体的にこうした要求があったことは意義深い」と述べました。
 また、多喜二も、自分やあらゆる革命的組織に加えられた弾圧が戦争を遂行するためのさまざまな事象の中の一つだと認識していたことにふれ、「多喜二が生きて戦後を迎えることができたなら、戦争責任や治安維持法について先頭に立って追及していったのではないか」と話しました。
 栃木県在住の田中ケイ子さんが「小林多喜二の母セキのひとり語り」を演じました。
 会場ロビーでは、各国語に翻訳された「蟹工船」や、多喜二のデスマスク(小樽文学館所蔵)などの貴重な資料が展示され、大勢の人が真剣な表情で見入っていました。
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2012年09月16日,「赤旗」) (Page/Top

宮城・塩釜で学習講演会/治維法国賠同盟

 宮城県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟・塩釜支部は8日、県平和委員会常任理事の本田勝利氏を講師に、日米安保条約を考える学習講演会を塩釜市で開きました。約30人が参加しました。
 本田氏は、日本の社会、政治、経済のあらゆる事象に、日米安保が影響していると指摘。また米国は、環太平洋連携協定(TPP)によって、アジア・太平洋経済の支配を強めようとしていると述べました。
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2012年09月14日,「赤旗」)

治維法国賠同盟北海道本部がブロック会議

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部は8、9の2日間、室蘭市でブロック会議を開き全道から32人が参加しました。
 全体会議で宮田汎会長は、今年の国会請願で初めて横路孝弘衆院議長が、生活図画事件の犠牲者で新冠村元神部小学校の元教師・山下懋(つとむ)さんらと面会し、治安維持法犠牲者への謝罪などの問題を「国会でしっかり議論すべきです」と語ったことが、横路氏のブログに載っていることを紹介。国会請願署名や地方議会での意見書可決などの活動強化を提案しました。
 分科会と総括全体会議では、「国会請願署名は広く誰にでも率直に訴えればみんな応えてくれる。お寺や教会からも毎年署名が届く」などと全員が発言し、来年5月の国会請願を成功させる決意を固めました。
 9日は、日本製鋼、新日鉄の各製鉄所などをバスで巡り、強制労働を強いられ、3割もの死者を出した中国人労働者についてなど、地元関係者からの説明を聞き、学習しました。
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2012年09月13日,「赤旗」)

ゆがんだ政治にメスを/党90周年記念祝賀会/市田氏あいさつ/奈良

 日本共産党奈良県委員会は9日、党創立90周年記念祝賀会を奈良市内で開き、約200人が出席、党中央委員会から市田忠義書記局長がかけつけ、なごやかに交流しました。
 前進座の藤川矢之輔さんのご祝儀の舞いでオープニング。主催者を代表して沢田博県委員長があいさつし、塩見俊次県医師会長、北野亨司県森林組合連合会専務理事、福井重忠奈良市副市長、宮崎快尭白毫寺住職と各界の代表が祝辞をのべ、「県議会脱原発をめざす議員連盟」の山本進章会長のメッセージが紹介されました。
 あいさつで参加者にお礼を述べた市田氏。激動の政局のもとで、「こんなに面白く頑張りがいのある情勢はない」として、自民党以上に自民党的になった民主党政権が「あまりにもアメリカの顔色をうかがいすぎる政治」「一握りの大企業がもうかれば後は野となれ山となれ」と、ゆがんだ政治に指一本触れられなかったと指摘。一方、閉塞(へいそく)感につけこみ、現れたのが橋下・「維新の会」で、アメリカと財界いいなりの政治には一切メスを入れず、破綻済みの古い自民党政治の独裁的手法での復活だと「維新八策」の中身を告発しながら批判しました。
 いま、「政党のあり方」「政党とは何か」が鋭く問われているとして、日本共産党は結党以来、国民の苦難軽減を立党の精神に掲げ、国民主権、くらし優先、戦争反対を願う党員たちが草の根で活動してきたと訴えました。
 「蟹工船」の作者、小林多喜二と奈良に住んでいた白樺派の巨匠・志賀直哉との交流にふれ、自身の誕生日に多喜二が特高警察に虐殺されたことに怒った志賀が「彼等の意図、ものになるべし」と日記に記していたと紹介。「彼らの意図≠キなわち、主権在民や普通選挙権、戦争反対など、多喜二をはじめ党がどんな弾圧にも屈せず掲げた要求は戦後、日本国憲法に明記され、見事に『ものになった』のです。真理は必ず実ります。日本の政治の根底に横たわるアメリカいいなり、財界の利益第一という政治の打破にむけ、私たちの『意図、ものになるべし』との状況を必ずつくりだすよう総選挙勝利へ大奮闘したい」と表明し、大きな拍手に包まれました。
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2012年09月11日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟犠牲者の墓参り/奈良県・青年部

 治安維持法国賠同盟奈良県本部青年部は5日、太平洋戦争末期、「負け戦争やめよ ばかやろう」と道路に書き、警察に逮捕・投獄された松本元市郎の菩提(ぼだい)寺、曹洞宗汲泉寺を訪れ、墓参しました。
 宮本次郎部長と谷川和宏事務局長、元市郎の遺族らは、墓参後、お堂で懇談しました。
 孫の西上桂子さんと、おいの松本喜八郎さんが出席し、元市郎の思い出を語りました。
 西上さんは「父が戦病死し、祖父の元市郎が投獄され、祖母が病死するなど不幸が続き、私は小学2年でしたが、母が縁側でしょげ返っていた姿を今も思い出します」と話します。
 同村出身で元市郎の事績を研究している谷弥彌兵衛氏が「松本元市郎の反戦言動の歴史的背景とその意義」について講演しました。
 宮本部長は「戦時下にもかかわらず地域の人たちが警察に釈放せよと嘆願し、事件後60年以上たつのに村人が好意的にしていることに深い感銘を覚えます。元市郎さんの事績を青年に語り継いでいきたい」といいます。
 山崎たよ党衆院4区候補が参加しました。
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2012年09月09日,「赤旗」)

鶴彬のふる里、石川・かほく/8、9日に歴史街道フェスティバル

 石川県出身の川柳作家、鶴彬(つる・あきら、本名・喜多一二=きたかつじ)の出生地・かほく市で8、9両日、第1回「鶴彬のふる里・高松歴史街道フェスティバル」が開かれます。
 鶴彬は昭和初期、「手と足をもいだ丸太にしてかへし」「万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た」など、鋭い川柳で反戦を訴え、治安維持法違反容疑での投獄などを経て、29歳の若さで獄死しました。彼の人生を描いた映画「鶴彬〜こころの軌跡〜」(監督・神山征二郎)が全国各地で上映されています。
 フェスティバルは、彼の生誕地の同市高松地区を中心に開催されます。実行委員会は「鶴彬という存在を地域に根付かせたい」としています。
 8日午後には、浄専寺で「鶴彬〜こころの軌跡〜」の上映会が行われます。夜には額神社境内で万燈会が催され、3000個の送り火で鶴彬ら先人の活動をしのびます。
 9日には、「枯れ草よ団結をして春を待つ」の句碑が建立される高松歴史公園で碑前祭(午後1時から)、高松産業文化センターで講演会(午後2時から)があります。
 まちかど交流館では1〜9日、昭和30年〜40年代の街並みの写真を展示し、市内の絵画愛好会や郷土作家による絵画・川柳・俳句・短歌などを紹介する展示会も行われています。
 実行委員会事務局076(281)1201(小山さん)まで。
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2012年09月07日,「赤旗」) (Page/Top

日中戦争の実態に迫る/群馬・九条の会

 群馬県の前橋・大利根地区九条の会は1日、第43回例会を開き、中国東北部への侵略戦争(「満州事変」)から始まった日中戦争の実態に迫ろうと、体験者の証言などを聞きました。
 岩根承成・元群馬大講師が講演。満蒙開拓団は、宮城村(現・前橋市)出身の満州国軍政部顧問、東宮鉄男(とうみや・かねお)の立案・指導で1933年に始まった武装移民だと紹介。「満州国」の治安維持、対ソ連防備、重工業地帯防衛の役割を持たされ、不況下にあえぐ貧農を中心に32万人を移民させたことや、現地の中国人農民から家や耕地を奪い、小作させるなどして支配下に置いたと語りました。
 渋川市在住の山田彬さん(71)が証言。山田さんの母・寿子さんは19歳だった1930年に治安維持法で検挙され、凄絶(せいぜつ)な拷問を受けました。栃木刑務所から仮釈放されて結婚、満蒙開拓団の一員として夫婦で満州に渡り、3児をもうけました。敗戦後、避難の途中で兄が銃撃を受けて即死、妹は天然痘の手当ても受けられず亡くなったことなどを語り、憲法9条と12条を大事にしたいと語りました。
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2012年09月06日,「赤旗」)

治維法国賠同盟札幌支部が総会/署名目標達成必ず

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟札幌支部の第26回総会が2日、札幌市で行われました。
 中出玉枝支部長は「民主党政権がやろうとしているオスプレイ配備、TPP(環太平洋連携協定)参加、消費税増税など全てが憲法に抵触し、日米安保条約がかかわっています。『秘密保全法』の危険性を国民に広く知らせるために諸団体との共闘を強めたい」と述べ、運動方針を提案しました。
 日本共産党の小形かおり札幌市議が来賓あいさつし、「『従軍慰安婦』問題の解決は日本が侵略戦争や植民地支配を真に反省、謝罪することです。治安維持法も悪法であったと政府に謝罪させるまでみなさんとともにたたかいたい」と話しました。
 討論では「デイサービスに行って、署名を広めている。必ず目標を達成したい」「道教委の服務規律調査や情報提供制度は、『大阪維新の会』の動きとともに許されない」などの発言がありました。
 役員改選では中出玉枝支部長、渡邊ちか子事務局長を再選しました。
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2012年09月06日,「赤旗」) (Page/Top

治維法同盟県本部が総会/徳島

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟徳島県本部は2日、徳島市で2012年度総会を開き、26人が参加しました。
 柳河瀬精(やながせ・ただし)中央本部会長が「私たちのたたかいは、日本政府に侵略戦争と植民地支配、治安維持法弾圧を謝罪させ、人権確立を目指し、歴史認識を正すこと。同盟運動を国民的運動へ発展させよう」と呼びかけました。
 12年度の運動方針として、@国会請願署名2000人を目標にA地方議会での意見書可決の働きかけB200人の会員拡大など5項目を採択。会長に大栗丸人、副会長に中内輝彦、梯富子、事務局長に山本茂喜、事務局次長に松浦章仁(敬称略いずれも再任)の各氏と、幹事・顧問を選出しました。
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2012年09月05日,「赤旗」)

社会運動史講座開く/歴史に学び今に生かす/大津

 滋賀県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟大津支部は2日、同県本部事務局長の西田清氏を講師に、湖国の社会運動史連続講座(3回)を大津市で開講しました。1回目のテーマは「明治維新と滋賀の自由民権運動」で、31人が受講しました。
 高田敬子大津支部長はあいさつで「歴史に学び、いまに生かそう」と述べ、社会進歩の活動に日々がんばっていくために学習することの大切さを強調しました。
 西田氏は講演で、江戸時代に年貢増収のための検地を10万日日延べさせた天保一揆(1842年)など、滋賀県の誇るべき民衆のたたかいから話を始め、県内での自由民権運動の様子について詳しく説明しました。
 受講した前川真直さん(38)=大津市=は「私のなかで明治維新は坂本龍馬のイメージでしたが、市民の権利と明治政府の行ったことがどうだったのか、学び直したいと思います」と語っていました。
 次回は10月8日(祝・月)午後2時、明日都浜大津4階視聴覚室(京阪浜大津駅前)。テーマは「明治社会主義運動と大正デモクラシー」。
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2012年09月05日,「赤旗」) (Page/Top

原発事故情報も隠せる!?/札幌で秘密保全法学ぶ

 「秘密保全法が狙うもの」と題した学習講演会が1日、札幌市で行われました。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部、国民救援会北海道本部、北海道平和委員会の主催です。
 国賠同盟の宮田汎道本部会長が講演し、「この『保全法』では、原発事故、放射能拡散などの情報も国民がパニックを起こすとして秘密扱いになり、報道もされなくなる恐れがあります。外交分野でもTPP(環太平洋連携協定)交渉の情報なども秘密となり国民生活に重大な支障をもたらします」と述べました。
 そのうえで宮田氏は「『保全法』の真の狙いは、アメリカいいなりの日米同盟の維持、自衛隊を海外で戦争できるようにすることです。そのためには兵器や軍事上の情報などを秘匿する必要があるからです。『秘密保全法』を国会に提出させない取り組みをしましょう」と強調しました。
 参加者は「『秘密保全法』でものが言えなくなる恐ろしさを感じました」「戦前のひどかった時代を思いおこしました」などと感想を述べました。
 国民救援会の守屋敬正道本部会長が「人間の信頼関係が壊されることは人間が殺されること。このようなことを許さず、しぶとくたたかってゆきましょう」と呼び掛けました。
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2012年09月05日,「赤旗」)

試写室/ETV特集吉田隆子を知っていますか/NHKEテレ後10・0/反戦を貫いた作曲家の志に光

 与謝野晶子の反戦詩「君死にたもうことなかれ」に曲をつけた女性作曲家の草分け、吉田隆子。よくぞ掘り起こしてくれました。
 1910年、軍人の家に生れた隆子は、独学で作曲を学びます。大正デモクラシーの影響のもとモダンガールを謳歌(おうか)した青春。社会の悲惨な現実を知る中でプロレタリア音楽同盟(PM)に身を投じます。戦時色が強まる時代、虐殺された作家・小林多喜二追悼曲など民衆の立場に立ち、戦争批判の作品を発表。PM解散後も生涯の伴侶、劇作家・久保栄の勧めで「楽団創生」を設立、タキシード姿でタクトを振り大衆の喝采を浴びます。
 権力は隆子に4度の勾留生活を強いますが、弾圧されても、膝を屈しません。戦意高揚の音楽があふれる中、反戦を貫く凛(りん)とした姿を浮かび上がらせます。その作品には、確かな技能と情熱があふれています。音楽と平和への志は、56年に46歳の生を終えるまで変わりませんでした。
 小宮多美江や辻浩美らの研究成果も取り入れた丁寧な作り。戦前の反戦活動がテレビで紹介されることはまれです。隆子の志に感応し、光を当てた制作陣に敬意を表したい。
 (荻野谷正博)
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2012年09月02日,「赤旗」) (Page/Top

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*         8月】(ヘッドライン)

 

*         啄木の歌碑札幌に/没後100年、全国の愛好家が募金

*         パネルを展示/札幌市で宣伝/治維法国賠同盟

*         治維法国賠同盟北見支部が総会/北海道

*         私のスケッチ旅行/佐藤光子/2/製缶工場(北海道小樽市)/多喜二の小説を読んで

*         朝の風/文学史のもう一つの様相

*         終戦記念日宣伝/党豊島地区委と治維法国賠同盟/江東区で吉田候補

*         レッド・パージ名誉回復早く/神奈川・反対同盟事務局長加藤さんリポート/署名活動支える労組や民主団体

*         終戦から67年/戦争のない世界へ/共産党・民主団体が行動/山口/香川/徳島/長崎/大分/宮崎/佐賀

*         戦争の惨禍繰り返させない/共産党訴え/各団体平和の催し/滋賀/奈良/和歌山/兵庫

*         悲惨な戦争もう二度と/終戦67年、共産党訴え/オスプレイ配備するな/日米安保条約は廃棄に

*         終戦67年/各地で宣伝/平和への決意新た/北海道/岩手/青森/秋田/福島

*         増税に審判を/茨城革新懇など

*         戦争終結67年/反戦貫いた日本共産党/世界の平和の流れに沿う

*         主張/終戦67年/戦争の惨害繰り返さぬために

*         「時代(とき)を撃て・多喜二」の映画カメラマン南文憲さん死去

*         文化/今井正監督生誕百年/フィルムセンターで特集上映

*         党90周年で新居浜集会/愛媛・笹岡候補訴え

*         体弱く「非国民」と=^戦争語り継ぐ会で証言/徳島

*         「立命館土曜講座」/授業で学んだ「平和」/中高、大学生発言

*         賠償運動さらに/南空知支部総会/治維法国賠同盟北海道

*         活動交流、方針を確認/治維法国賠同盟京都府本部総会開く

 

 

*         8月本文】(Page/Top

 

啄木の歌碑札幌に/没後100年、全国の愛好家が募金

アカシヤの街○にポプラに 秋の風 吹くがかなしと日記に残れり
 「石川啄木没後100年でもあるこの年にぜひ、啄木の歌碑を建てたい」―。結成10年を迎えた札幌啄木会が中心となって昨年「札幌に啄木の歌碑を建てる会」を発足させ、すすめてきた運動が実り、歌碑が札幌市北区の「偕楽園緑地」内に建てられました。9月15日11時に除幕式を行います。
 (北海道・越智朋子通信員)

 札幌を詠んだ「アカシヤの街○(なみき)にポプラに 秋の風 吹くがかなしと日記(にき)に残れり」(歌集「一握の砂」)が御影石に刻まれています。高さ1・8b、費用は約500万円で、全国の啄木愛好家の個人や団体から募りました。碑の製作は、札幌の石材店の社長が啄木ファンであることから好意で引き受けてくれました。
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 石川啄木は岩手県出身ですが、北海道にもゆかりがあります。1907年9月14日から2週間、札幌市に滞在、日本で最初の都市公園と言われる偕楽園緑地近くに下宿し、札幌は「自分の詩情を掻(か)き立てる魅力的な街であった」と日記に書き残しています。
 啄木は、国際啄木学会があるほど海外の人にも親しまれており、歌碑の横に設置する案内板には英語、中国語、韓国語、ロシア語の翻訳が書かれる予定です。4カ国語で紹介される歌碑は日本中の歌碑の中でも珍しいものです。
 刻まれた文字は啄木の直筆の模写ですが、製作にあたり、この歌を書いた直筆が見当たらず、啄木の他の歌や日記の文字をつなぎ合わせるという努力を重ね、字を集めて完成するまで約3カ月かかりました。
 場所の選定や市に許可を得るまでの苦労もありました。
 同「建てる会」役員の森田敏春さんは「最初に市に請願しにいったときは断られてしまった。同会会長は『啄木と鉄道』の著者でもあり、啄木と札幌の関わりを説明し、6、7回通ってやっとの思いで許可をもらった。そうした中で啄木のこの歌にぴったりの場所に建てることができ、町内会にも歓迎されてうれしい。訪れた人が啄木全集や小説『札幌』(未完)を読んでこの歌を詠んだ背景も知ってもらえたら」と話します。
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 森田さんが啄木に興味を持った理由の一つは、小林多喜二と多くの共通点があるという点です。多喜二は恋人の田口タキに、自分が選んだ啄木の歌を暗記するようにすすめていた記録が残っています。
 啄木の魅力について森田さんは「啄木は時代にさきがけ、時代の現状を批判しています。代表作の『はたらけどはたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る』にあるように、生活に根差した、今の社会に当てはまるような歌が多くある」と語ります。

札幌啄木の会
 「啄木について勉強できる環境を」と2002年9月に結成され、毎年の講演会、ゆかりの地を訪れる旅行会、年2回の会報発行などを柱に活動しています。
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2012年08月30日,「赤旗」) (Page/Top

パネルを展示/札幌市で宣伝/治維法国賠同盟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部と札幌支部はこのほど、札幌市の中央区内で会員ら22人が参加し、悲惨な戦争を伝えるパネル写真と「いま国民の声が政治を動かす」と書いた横断幕を掲げ、宣伝しました。
 治安維持法犠牲者に国家賠償を求める署名には40分で85人が署名しました。署名した小学生は「殺された小林多喜二は知らないけど『蟹工船』は知っているよ」と話していました。
 同盟では、札幌のほか、帯広、北見で独自に、岩見沢、函館、室蘭では民主団体と共同で宣伝行動をしました。
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2012年08月25日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟北見支部が総会/北海道

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北見支部はこのほど、北海道北見市内で第14回総会を開き、支部長に本間正一氏、事務局長に佐々木秀之氏が選出されました。
 総会では、活動報告と今後の方針などについて確認されました。講演では長年、平和文化活動に携わってきた会員の金田明夫さん(89)が「私の昭和史と平和を語る」と題して話をしました。
 1923年斜里で生まれた金田さんは「通信芸術協会に加入したころ警察に出頭させられ、同好会は解散させられました。当時は生活図画やつづり方の教師が弾圧された時代でした」と半生を語りました。
 参加者からは「地域における治安維持法下のこのようなたたかいをもっと知りたい」という声が上がっていました。
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2012年08月25日,「赤旗」) (Page/Top

私のスケッチ旅行/佐藤光子/1〜6/製缶工場(北海道小樽市)/多喜二の小説を読んで

小樽運河そばの製缶工場で、小林多喜二の『工場細胞』のモデルになったと言われます。
 描いたのは1998年の2月。この頃から多喜二の小説を読んでは北海道にスケッチ旅行に行くようになりました。
 当時、絵とともにこんな文章も残しました。
 「運河は今日も静か 冬なのにカモメだけはにぎやか… 昔のママの製缶工場は時々車や人が出入りして会社が続いてることを示している」

新千歳空港からほど近い支笏(しこつ)湖は、北海道からの帰りの時間のある時などたびたび立ち寄る場所です。まだあまり観光化されておらず、自然の残された神秘的な風景が楽しめます。

10年ほど前に弘前城のお花見に行った際、朝早く起きて散歩をしていた途中で偶然目にしました。30分ほど掛けて丁寧に描きました。
 青森銀行記念館は、1904年(明治37年)青森銀行の前身、第五十九国立銀行本店として建設され、67年より同行の記念館として保存・一般公開されています。72年に国の重要文化財に指定されました。

昔ながらの風景の残る角館の武家屋敷を訪れたのは3年ほど前です。ピンク色のしだれ桜がとてもきれいでした。ヤマザクラの樹皮を磨き上げて作られた角館の伝統工芸品・樺細工(かばざいく)のお店を見て歩くのも楽しい。

1993年にスポーツクラブのスキーツアーで訪れた安比(あっぴ)高原。スキーがあまり得意でない私は絵を描いていました。雪の少ないシーズンでしたが、この時は雪が降って、思いがけずきれいな雪景色を描くことができました。

3年くらい前のお正月です。義父が亡くなり喪中のため、境内までは入らず、境内の外から見た風景を描きました。
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 作者の佐藤光子さんは、1936年福島県郡山市生まれ。宮城県名取市に在住。宮城県芸術協会会員、宮城平和美術展副実行委員長です。絵を描いて全国を旅しています。北海道と東北6県で描いたスケッチから随時掲載します。
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2012年08月21日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/文学史のもう一つの様相

 「松田解子の会」会報16号に、興味深い文章がのっている。田村俊子賞を受けた小説「おりん口伝」にたいして、金子洋文が「秋田魁新報」(1968年)に書いた一文、松田解子から金子にあてた戦中の手紙を中心とした10通である。
 金子の一文は、「おりん口伝」をよく読みこんだ好意あふれるもので、この文章を会報に掲載する経過の中で、秋田県立土崎図書館に金子にあてた松田の手紙10通があることが明らかとなった。
 金子は、プロレタリア文学運動の出発となった『種蒔く人』を小牧近江とともに創刊した人物。その後『文芸戦線』の編集長をつとめ、いわゆる文戦派のメンバーとして、小林多喜二らのプロレタリア文学運動とは対立してきたことで知られる。立場の違った松田と金子の交流を示すものとして興味深い。そういえば小林多喜二も、文戦派の作家葉山嘉樹への敬愛を隠さなかった。敵対といわれた文学史のもう一つの様相が浮かび上がる。
 最初の手紙は、『人民文庫』の座談会で会った思い出からはじまっている。『人民文庫』は作家同盟解散後に武田麟太郎が作った雑誌で、次第に社会変革の方向性をもつようになっていった。そこで2人が出会ったというのも文学史の一つの発見である。
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2012年08月21日,「赤旗」) (Page/Top

終戦記念日宣伝/党豊島地区委と治維法国賠同盟/江東区で吉田候補

党豊島地区委と治維法国賠同盟
 東京都の日本共産党豊島地区委員会と治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟豊島、練馬両支部は15日、池袋駅東側のサンシャイン通り入り口で、終戦記念日の宣伝をしました。
 今秀子衆院東京10区候補は「日本国憲法9条は戦争の放棄を、25条で生存権をうたっている。憲法を守らなければいけないのは政府だ」と述べ、民主党政権が進める消費税の増税、社会保障の改悪、オスプレイ配備は国民の命を脅かすものであり、許されないと訴えました。
 宣伝参加者はビラを配り、通行人から「暑いなかごくろうさま」「がんばって」と声をかけられました。
 日本共産党の儀武さとる区議も参加しました。

江東区で吉田候補
 日本共産党の吉田としお衆院東京15区候補は15日、東京都江東区内の地下鉄東陽町駅前で終戦記念の街頭宣伝をしました。
 吉田氏は「江東区は東京大空襲で多大な被害を受け、一面が焼け野原となった。戦争は絶対に起こしてはならない」と訴えました。
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2012年08月18日,「赤旗」) (Page/Top

レッド・パージ名誉回復早く/神奈川・反対同盟事務局長加藤さんリポート/署名活動支える労組や民主団体

 レッド・パージ被害者の名誉回復と国家賠償を求めて神奈川県で活動している神奈川県レッド・パージ反対同盟は、課題の実現をめざして「大きな同盟をつくろう」と運動をすすめています。加藤桝治事務局長にリポートしてもらいました。

 私たちは、「レッド・パージ被害者の名誉回復と、国家賠償を内容とする特別法制定」を求める請願運動を中心課題と位置づけ、署名運動をすすめてきました。
 6月12日にレッド・パージ反対全国連絡センターのよびかけで国会請願行動と活動交流集会が行われ、9都府県の個人や団体から2万1354の署名を国会に提出しました。神奈川からは7727人分の個人署名、92の団体署名を提出しました。昨年を超え、過去最高に達することができました。

高齢化どう補う
 請願運動に取り組むに当たって、署名集めに協力する人をどれだけつくるか、協力団体をどれだけ組織するかが、運動遂行のカギになります。
 しかし、今まで主力となって活動してきた被害者が高齢になり、亡くなる方もあって、行動する人が少なくなっています。これをどこで補うかが大きな課題でした。
 こうした条件のなかで被害者の奮闘は目覚ましいものがありました。健康障害を持つ条件のなかで、日本共産党地区委員会をはじめ、労働組合、民主団体を訪問して、請願署名の協力を訴えてきた人、署名用紙をいつも持って会う人ごとに呼びかける人…。こうした人は少なくありません。歩くことも困難になって施設に入った人は、昔の知り合いに電話でお願いしてきました。
 これらの活動を支えているのは、被害者以外の同盟員と協力者です。
 現在、同盟員の3割が被害者、7割がレッド・パージを経験していない人たちです。横浜でも川崎でも、メーデー会場で署名集めの主力となって行動してくれたのは、レッド・パージ後の日本鋼管(現在のJFEスチール)の労働者で、同盟員になった人です。農村部で独自のビラをつくって訴え、多数の署名を集めた人もいます。
 今回の特徴のひとつは、団体署名に協力してくれた団体が、個人署名にも取り組んだことです。新日本婦人の会や年金者組合の支部で署名を広めているところが増えています。同盟の機関紙「勇気のあかし」や運動の節々で発行した「署名推進ニュース」は好評でした。

共産党と懇談会
 昨年12月に同盟が発行した『証言でつづるレッド・パージ60年』は1500冊の大半が普及され、レッド・パージを知らせ、運動を前進させる大きな力となっています。また日本共産党神奈川県委員会と同盟の定期懇談会も行い、状況を報告し協力要請の場としています。昨年から、共産党の県常任委員が同盟幹事会の一員として活動し、運動推進に積極的な役割を果たしています。
 この間、治安維持法国賠同盟や国民救援会から協力をいただき署名運動をいっそう前進させることができました。
 未加入の被害者を同盟に迎え入れるとともに、被害者以外の方に「レッド・パージ問題を現代的な人権課題」として捉えて同盟への参加をよびかけていきたいと決意しています。
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2012年08月18日,「赤旗」) (Page/Top

終戦から67年/戦争のない世界へ/共産党・民主団体が行動/山口/香川/徳島/長崎/大分/宮崎/佐賀

 終戦から67年の15日、西日本各地では日本共産党や民主団体が、戦争犠牲者に哀悼の意を示すとともに、二度と戦争を起こさせない決意を表明する街頭宣伝や集会を行いました。

山口

治維法国賠同盟「国は賠償せよ」
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟山口県本部(林洋武会長)は、山口市内の商店街で反戦平和を訴えると同時に、戦前、戦中に治安維持法で犠牲となった人たちへの国家賠償を要請する請願署名への協力を求めました。
 林会長は「二度と戦前のような暗黒政治を起こさないために国に対して謝罪と賠償を求めます」と署名への協力を訴えました。
 買い物に来た女性は「戦時中に動員され国鉄で働いた。二度とあのような体験はしたくない。戦争はしてはならない」と署名に応じました。

赤松2区候補/12カ所で訴え
 日本共産党の赤松義生衆院山口2区候補は、市町議とともに岩国、光、下松市など12カ所で街頭宣伝し、平和の尊さを訴えました。
 赤松候補は、日本の侵略戦争がもっと早く終結していれば、沖縄戦や広島、長崎への原爆投下はなかったと語り、犠牲になった多くの人たちに対して哀悼の意を表明。侵略戦争に命をかけて反対したのが日本共産党であり、だれもが平和で暮らせる社会をつくる決意を語りました。
 ことしが日米安保条約60年になることにふれ、自衛隊がアメリカの世界戦略に組み込まれようとしているとして、「日米安保条約を廃棄してこそ、基地問題を解決し、東アジアの国々との安全保障の道も開ける」と展望を語りました。

香川

河村1区候補「平和憲法守る」
 香川県の日本共産党、社民党、県労連など106団体でつくる「平和憲法を生かす香川県民の会」は、高松市内で宣伝行動に取り組みました。
 参加者は「憲法を守り抜こう、原発再稼働反対」を訴えるビラを手渡し、各団体が発言。日本共産党の河村整衆院香川1区候補、樫昭二県議らが訴えました。
 河村候補は「自衛の戦争と言う人もいるが、領土拡大の戦争だったことは明らか。平和憲法を守り抜き、侵略戦争の悲劇を許さないたたかいをする」と強調。樫県議は核兵器廃絶や高松空襲にふれ「1359人の命が犠牲になり、子どもや女性が大半でした。悲惨な体験は繰り返させない」と訴えました。

体験語りつぐ/高松でつどい
 第33回8・15戦争体験を語りつぐ集い(同実行委員会主催)が高松市で開かれ、100人が参加しました。
 パネリスト6人が戦争や原発について発言し、参加者が意見交換しました。
 パネリストは、沖縄での平和学習を報告した高校生の荒川真由さん、高松空襲を子どもたちに伝える会の今岡重夫さん、中学教員の中尾忍さん、戦争を題材にした劇を手がける劇団主宰の大西恵さん、原発問題について発言した守川慎一郎さん、渡辺さと子さんです。
 大西さんは、1994年から、従軍「慰安婦」や日韓併合、高松空襲など戦争を題材に演劇を手がけている思いを語り「戦争の真実を知らないことではなく、知ろうとしなかったことが問題。常に目や耳を傾けることが大事。演劇は大きな役割を担っている」と話しました。
 中尾さんは侵略戦争美化の教科書採択問題を提起。「私は、韓国や南京などに行き、現地の人に生々しい話も聞いた。戦争の被害の実相と加害の実態の事実を教えることが大切だ」と訴えました。

徳島

古田1区候補/支援呼びかけ
 日本共産党の古田元則衆院徳島1区候補は、JR徳島駅前で古田美知代県議と街頭宣伝をしました。
 古田候補は、「終戦記念日は、日本軍国主義が他国を侵略し、敗戦した日であり、戦争のない世界をつくる決意をする日」と述べ、竹島や尖閣諸島の問題でも武力ではなく、外交の力で粘りづよく話し合うことが大事と指摘。「大企業中心、アメリカいいなりの政治を変え、国民生活を守り、平和な日本をつくるために、日本共産党の議席を伸ばしてください」と支援を訴えました。
 古田県議は、県議会がオスプレイ・米軍機の低空飛行訓練の反対決議をしたこと、飯泉嘉門知事と議長が防衛大臣に危険性の高いオスプレイ低空飛行訓練の中止を要請したことなどを報告しました。

長崎

党県委が宣伝「9条生かす」
 日本共産党長崎県委員会は、平和を訴える宣伝を長崎市内3カ所で行いました。
 中西敦信前市議は、現在問題となっているオスプレイの危険性について言及し、基地問題を根本的に解決させる方法として日米安保条約廃棄を訴えました。原発ゼロの日本と核兵器のない平和な世界の国際的な広がりを強調し、「日本共産党は憲法9条を生かした平和外交で戦争を起こさない政治をつくっていきます」と強調しました。
 訴えを聞いていた女子高校生(17)は「戦争が起こっている国、起こる可能性のある国はまだあるから、戦争が起きない平和な世の中をつくってほしい」と話しました。

大分

安保なくそう/県革新懇宣伝
 革新と平和・民主をひらく大分県懇話会(県革新懇)は、大分市の繁華街で「終戦の日宣伝」に取り組みました。河野善一郎会長ら10人がビラを配り、「憲法9条を守り平和な日本をつくろう」と呼びかけました。
 参加者は沖縄県普天間基地へのオスプレイ配備や低空飛行訓練計画、竹島問題などにふれ、「安全は武力では守れない。日米安保条約をなくし、憲法を生かした平和的話し合いと外交努力で平和をつくろう」と訴えました。
 終戦直後に中国東北部から引き揚げてきたという大分市の男性(85)は「殺し合いの戦争など絶対してはいけない。アジアの国々とは共存共栄がいちばん。頑張って平和を訴えてください」と声を寄せました。

宮崎

松本1区候補/街頭から訴え
 日本共産党の松本隆衆院宮崎1区候補は、前屋敷恵美県議とともに宮崎市内で終戦記念日の街頭宣伝を行いました。
 松本氏は7日から行った政府交渉について報告。県上空での低空飛行訓練も計画される米海兵隊の輸送機オスプレイについて、防衛省が「アメリカの権限にある」と答弁し関係市町村を明らかにしなかったとして「一体どこの政府か」と批判しました。
 日米安保条約をなくすことが沖縄の基地問題や東アジアの安全保障に展望を開くとする党「外交ビジョン」を紹介し、国民本位で、世界の平和に貢献する政治の実現のためたたかいぬくと力を込めました。

佐賀

大森1区候補「再稼働止める」
 佐賀県では、日本共産党の大森ひとし衆院1区候補が佐賀市で訴えました。大森氏は、二度と戦争の惨禍を繰り返さない政治と、原発再稼働を止めさせる世論を広げようと呼びかけました。
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2012年08月17日,「赤旗」) (Page/Top

戦争の惨禍繰り返させない/共産党訴え/各団体平和の催し/滋賀/奈良/和歌山/兵庫

 15日は67周年の終戦記念日でした。多くの人の命が奪われた惨禍を思い、二度と侵略戦争と植民地支配を繰り返すまいと、近畿地方でも各地で日本共産党が宣伝し、平和を願う人々がつどいなどを開きました。(各地の母親大会連絡会の宣伝は続報します)

紛争解決平和的に/滋賀で穀田氏ら
 滋賀県では、穀田恵二国会対策委員長・衆院議員が大津、草津の両市で、ふしきみちよ1区、西川ひとし3区の両衆院候補、坪田いくお参院選挙区候補らと訴えました。
 穀田氏は「戦争の過ちを繰り返さない。主権在民、平和と民主主義の日本にするという決意を固める日でなければならない」と述べるとともに、命がけで侵略戦争に反対し、主権在民の旗を掲げてたたかった日本共産党の値打ちを強調しました。世界で起こっている紛争の解決にあたって、軍事力でなく、平和のうちに話し合いで行うという原則を国際的に確立する必要性を指摘しました。
 消費税増税問題では、2014年の実施までに衆院選挙と参院選挙が行われることを指摘。「消費税に頼らない別の道があることを示している日本共産党を伸ばしていただくことが、消費税増税をやめさせる最も確かな近道」と訴えました。
 ふしき、西川、坪田の各氏も来るべき総選挙での日本共産党への支援を呼びかけました。
 穀田氏の演説を聞いた大津市の女性(69)は「穀田さんの話を聞いて、政治のおおもとを変えなければならないことがよく分かりました」と話していました。

憲法改悪許さず/奈良
 日本共産党奈良県委員会は、衆院候補者や地方議員を先頭に県内主要駅で「奈良民報」号外を配りながら、先の大戦で犠牲になった人々に哀悼の意を表し、「憲法9条を守り、平和な日本を」と訴えました。
 近鉄生駒駅(生駒市)前に立った中野あけみ衆院2区候補は、改憲の動きを許さず、悲惨な戦争を教訓に平和を掲げた憲法9条を守ることを呼びかけ、日米安保条約の廃棄こそ日本と東アジアの平和がひらかれると訴えました。同時に、国民生活を脅かす原発再稼働や消費税増税を許さない運動の先頭に立つ決意を述べました。
 静岡から観光に来たという女性は、「総選挙へ力を貸してください」との訴えに、「わかりました」と笑顔で応えていました。

安保条約なくそう/和歌山
 和歌山県の日本共産党の支部・後援会は、衆院小選挙区候補や地方議員を先頭に県内各地で終戦記念日の宣伝に取り組みました。
 和歌山市中野のスーパー前で、日本共産党河西後援会、奥村規子県議、渡辺忠広市議とともにマイクを握った、くにしげ秀明1区候補は、日本がひきおこした侵略戦争によりアジアで2000万人、日本で300万人の人々の命が奪われ、その痛苦の体験から日本の平和憲法が生まれたと紹介。
 野田政権が日本をアメリカとともに戦争する国にしようとしていることをきびしく批判し、また米海兵隊が欠陥機オスプレイ配備を強行しようとしていることに沖縄全県民がノーの意思を示していることを強調し、「安保条約が日本の安全をおびやかしています。安保条約を廃棄し、憲法9条を生かした平和的外交の道に日本をすすめるため全力をあげます」と訴えました。

戦争への道許さない/和歌山で訴え/治維法国賠同盟
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治維法国賠同盟)和歌山県本部は、JR和歌山駅前で終戦記念日の宣伝を実施しました。
 参加者らは、日本の侵略戦争によりアジアで2000万人、日本で300万人以上の犠牲者を出した反省から「再び戦争はしない」という決意で日本国憲法が生まれたことを紹介。
 政府がアメリカとともに戦争に参加する日本にしようとするなか、和歌山県内でも自衛隊による県立公園での軍事訓練や公道で銃を持った行進訓練が繰り返されていることを指摘し、「かつて戦争に命をかけて反対した人々がいました。しかし軍国主義政府は治安維持法という法律で弾圧しました。和歌山でも318人の方が検挙され、平和を求める声を圧殺しました。このようなことは二度と許されません」と訴え、治安維持法犠牲者に国家賠償法の制定を求める請願署名への協力をよびかけ、道行く市民らが応じていました。

戦争あおった新聞など批判/兵庫で平和の集い
 「兵庫の『語りつごう戦争』展の会」が「8・15平和のつどい」を神戸市兵庫区の妙法華院で開催し、70人が集まりました。
 年金者組合須磨支部の渡辺泰彦副支部長(87)が「一軍国少年として」と題し、軍隊での生活と敗戦の体験を語りました。渡辺氏は、志願して海軍の予備練習生になった背景に、戦争をあおった新聞やラジオなどのマスコミと教育、文化の影響があったことを強調。航空機の整備兵としての体験や終戦で自宅へ帰るときの苦労を語りました。
 大学1年生の男性(18)の「戦争が終わって家に帰るときはどんな気持ちだったのか。竹島問題のことをネットで見ているが、韓国と戦争が起こったらどうなるのか」という質問に渡辺氏は「帰ることに精いっぱいでどんな気持ちだったかよく覚えていません。国際紛争は話し合いで解決しないといけない。戦争では解決しない」と答えました。参加者は、神戸空襲や治安維持法の犠牲者、韓国・朝鮮人への差別と暴力などの体験を語りあい交流しました。

日中不再戦へ和歌山で集い
 日中友好協会和歌山県連合会と同海南支部は、和歌山県海南市の燦々(さんさん)公園内にある「日中両国平和の塔」前で「8・15・日中不再戦の集い」を開き40人以上が参加しました。
 集いでは、参加者全員で平和の塔に献水し日中両国の犠牲者を追悼し、幡川文彦海南支部長は開会あいさつで「15年戦争で中国人民はじめアジアの人たち2000万人の命を奪い、日本人もまた310万人も犠牲になった。こうした侵略戦争を美化したり、反省を忘れた行為は許されない」とのべました。
 橋爪利次県連会長は「いま中国脅威論≠ネるものを仕立てあげ、あおりたてて脅威≠理由にして沖縄基地の撤去拒否、オスプレイ配備強行、和歌山では自衛隊が美浜町の県立公園で水際地雷訓練などをおこなっている」と批判。雑賀光夫県連副会長(日本共産党県議)は「日中間でおこっている尖閣諸島問題などを武力強化で対応することは許されない。話し合いで、外交で解決することが憲法の鉄則だ」と訴えました。
 集い第2部の戦争体験を語る会では、戦時中、和歌山駐屯地の第24部隊で軍属として徴兵事務などに従事した筈谷千鶴子さん(88)が部隊勤務の体験を語り、若者の血書などの決意書が届いた話などをし「二度とこうした戦争はあってはなりません」と語りました。
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2012年08月17日,「赤旗」) (Page/Top

悲惨な戦争もう二度と/終戦67年、共産党訴え/オスプレイ配備するな/日米安保条約は廃棄に

 終戦から67年をむかえた15日、東海・北陸信越の日本共産党は国政選挙候補、地方議員を先頭に各地で宣伝し、二度と戦争を起こさせない決意を表明しました。

愛知/ともに声あげ政治変えよう
 日本共産党愛知県委員会は金山総合駅南口(名古屋市熱田区)で街頭宣伝を行いました。もとむら伸子参院選挙区候補、八田ひろ子元参院議員がマイクを持って訴えました。
 もとむら候補は、2000人余の命が奪われた熱田空襲に触れ、「二度と戦争をしないと誓った9条を、守りいかす必要があります。野田政権は米軍と自衛隊の軍事的な一体化をすすめ、集団的自衛権を行使しようとしています。憲法違反であり断じて許してはなりません。米海兵隊の垂直離着陸機オスプレイの沖縄配備をやめさせ、安保条約そのものを廃棄し、対等平等な日米関係に転換すべきです」と力説しました。
 八田氏は「国民の反対を押し切って消費税増税法を強行した民主、自民、公明の談合政治にかわる、国民一人ひとりが主人公の新しい政治を実現しましょう」と述べ、衆院東海比例2議席と、もとむら候補の勝利を訴えました。
 若い女性後援会員もマイクをもち、「今まで政治に関心がなかった友人の間で、原発再稼働や消費税増税に疑問の声が広がっています。いっしょに考え、声をあげ、政治を変える一歩を踏み出しましょう」と呼びかけました。
 一人ひとりに声をかけながらビラを配布すると、通行人が次々に受け取りました。

岐阜/9条を守って「次の世代へ」
 日本共産党岐阜県委員会は、県内各地で終戦の日の街頭宣伝を行いました。
 名鉄岐阜駅前では、松岡清県委員長、大須賀しずか県議、鈴木まさのり1区候補らが訴えました。
 鈴木候補は「共産党は戦前から主権在民、反戦平和を訴えてきました。二度と戦争を繰り返さないために、歴史の事実と向き合い、憲法9条を守り次世代へ引き継いでいくことが、すべての世代の責任」と述べ、「総選挙では党を大きく伸ばしていただき、みなさんと力を合わせて、平和な社会になるよう全力で奮闘したい」と訴えました。
 手を振っての激励が見られました。
 同じ場所で1時間前には、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県女性部が今年も「赤紙」を模したチラシ配りをしました。

静岡/雨の降るなか「憲法が原点」
 日本共産党静岡県委員会は、静岡市伝馬町で街頭宣伝を行いました。雨が降る中「しんぶん赤旗」を広げ、二度と戦争をしないと誓った日本国憲法の原点に立った政治の実現のため奮闘すると決意表明しました。
 鈴木千佳県常任委員は、政府のすすめる危険なオスプレイの配備や訓練には、日本中の住民や自治体から怒りの声があがり、キャンプ富士(御殿場市)での訓練には川勝平太知事はじめ静岡県も反対だと指摘。基地問題の解決、アジアとの安全保障の道を開くためにも日米安保条約の廃棄こそ必要と、党の「外交ビジョン」を訴えました。
 通行人から雨中の宣伝へのねぎらいの言葉と応援がありました。

三重/女性が近寄り「戦争ごめん」
 三重県の日本共産党は、衆院小選挙区候補を先頭に支部や後援会が各地で宣伝行動に取り組み、平和と国民のくらしを守る党の決意を訴えました。
 四日市市の近鉄四日市駅前ふれあいモールでは、中野たけし衆院三重2区候補と萩原量吉前県議、加藤清助、山本りか両四日市市議、太田のり子同市議候補らが街頭に立ちました。
 中野氏は、憲法9条が輝く平和日本への道を切り開くための共同を呼びかけるとともに、オスプレイの配備強行の大本には日米安保条約があるとして、安保条約の廃棄を訴えました。
 「今日は終戦記念日だよ」と声をかけられた男子高校生の2人連れは「おじいちゃんは沖縄で死んだ」「ぼくの大じいちゃんも戦争で死んだ」などと話し合っていました。
 また、高齢の女性も近寄ってきて「東京と疎開先の桑名で2回も空襲にあった。戦争は二度とごめんです」と話していました。

石川/ドライバーら激励つぎつぎ
 日本共産党石川県委員会は、金沢市内で街頭宣伝を行い、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟石川県本部もビラ配布をしました。
 黒崎きよのり衆院石川1区候補(党金沢地区委員長)は、「安保条約が発効して60年の年でもあり、危険なオスプレイ配備など異常な対米従属の体制が行き詰まっています。日本共産党は、憲法の精神にたって日本と世界の平和に貢献する新しい政治の実現へ全力をあげます」と強調しました。
 佐藤正幸県議は、「日本の侵略戦争は、自国の軍隊の人命を無残に扱った世界史にも例がないもの。この戦争に唯一反対した党として平和の実現へ力を尽くします」と訴えました。手を振って激励するドライバーや道行く人が目立ちました。

富山/9条生かして平和な日本を
 富山県では、日本共産党や民主団体が県内の各地で訴えました。
 日本共産党は、県・地区役員や地方議員らが各自治体で街頭宣伝。山田哲男衆院富山1区候補は富山市内で反保直樹県委員長とともに訴え、泉野和之衆院富山3区候補は高岡市内で訴えました。
 反保県委員長らは、「いまわしい侵略戦争を二度と起こしてはならないというのが戦後日本の出発点。日米安保条約をなくし、憲法9条を生かした平和な日本をつくっていこう」と呼びかけました。
 安保破棄・諸要求貫徹県実行委員会と憲法改悪阻止県連絡会は富山市の中心商店街で宣伝。「戦争も貧困も恐怖もない平和な日本を求める国民世論を広げ、戦争のできる国をつくろうとする勢力にはきっぱりと反対しよう」と訴えました。日本共産党の中山雅之富山市議も参加しました。

福井/自・民などの改憲策動批判
 福井県の日本共産党は各地で街頭宣伝に取り組み、戦没者への哀悼の意を表すとともに、「憲法9条を生かした政治を目指して頑張ります」と決意を表明しました。
 福井市では、かねもと幸枝衆院1区候補が佐藤正雄県議らと、「日本が中国や朝鮮半島などに侵略戦争をおこしたことをしっかり認識し、戦争放棄と国民主権を決めた憲法をしっかり守って、これからの政治を進めていかなければならない」と訴えました。
 佐藤県議は、自民、民主両党を中心にした改憲の動きやオスプレイ配備計画を厳しく批判しました。
 福井市の女性(34)は「戦争は二度としてはいけない。憲法9条は変えるべきではない」と話しました。

長野/「非戦の鐘」の取り組み紹介
 長野県では、石坂ちほ、和田あき子両県議と原田のぶゆき長野市議が長野駅前で宣伝をしました。
 石坂県議は、毎年開催される地元のお寺での「非戦の鐘」を鳴らす取り組みに参加したことに触れ、今年は地元の9条の会が共催になったこと、そこで話された「お父さんが戦争でなくなり、家族に残してくれたものとして日本国憲法第9条がある。9条は私の誇りです」という元長野市医師会長の話などを紹介、二度と戦争を起こさない決意を述べました。和田県議は、戦前の共産党の歴史に触れ、反戦・平和を貫いた唯一の政党ですと訴えました。
 原田市議は、日本国内とアジアの人々に甚大な被害を与えた戦争を二度と起こしてはいけないと訴えました。
 観光客がたくさんの中、「頑張れ」などの声援がありました。

新潟/青年きき入り「国を変えて」
 日本共産党新潟地区委員会は15日、新潟市で終戦記念日にあたっての街頭宣伝を行いました。たけだ勝利衆院新潟1区候補、野本孝子市議、田中俊之地区委員長、党支部員らが参加しました。
 たけだ候補は、67回目の終戦記念日にあたり、戦争の犠牲の反省にたち、だれもが平和で豊かに暮らせる社会をめざすと誓った憲法と戦後政治の原点に立って奮闘することを強調しました。たけだ候補は、オスプレイ配備や原発再稼働、派遣労働の増大など平和と暮らしを脅かす重大な問題が起こっていることを批判。日本共産党が消費税増税に頼らないで財政再建と社会保障充実の道を示していることを紹介。「今度の総選挙では日本共産党を大きく伸ばしていただき、政治を変えましょう」と訴えました。
 最後まで話を聞いていた青年(28)は「民主・自民・公明に政治をまかしておけない。原発はなくしてほしい。派遣労働でなく正規労働にするべき。共産党にこの国を変えてほしい」と語りました。60代の男性も「庶民は苦しい生活で元気がない。共産党が引っ張ってよくしてくれ」と話しました。
 同じ場所で、今年も治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部が宣伝しました。
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2012年08月17日,「赤旗」) (Page/Top

終戦67年/各地で宣伝/平和への決意新た/北海道/岩手/青森/秋田/福島

 67年目の終戦記念日となった15日。日本300万人、アジア・太平洋各国2千万人の命を奪った侵略戦争の悲劇を二度と繰り返させないと、北海道・東北各地でも、宣伝行動などが活発に行われました。

北海道

はたやま候補「憲法生かす」
 日本共産党北海道委員会は「二度と侵略戦争と植民地支配の誤りを許さない、決意を新たにする日にしよう」と札幌市中央区の大通公園で宣伝を行いました。はたやま和也北海道比例候補、のろた博之1区候補、森つねと3区候補、小形香織札幌市議などが参加しました。
 はたやま候補は「戦争を推進した当時の指導者の責任は重大です。侵略戦争に政党として一貫して反対したのは日本共産党です。平和や国政の課題でも日本国憲法が全面的に生かされる政治となるよう全力をあげます」と決意を語りました。
 観光客や帰省客など多くの人々が話を聞き、ビラを受け取り、ビラをじっくりと読む人もいました。

「赤紙」配る/岩見沢市民会議
 北海道の平和憲法を守る岩見沢市民会議(岩労連、原水協、新日本婦人の会、年金者組合、治維法国賠同盟、全生連、革新懇、日本共産党)は岩見沢市内で、「赤紙」(召集令状の写し)を配り、宣伝しました。
 各団体が次々とマイクを持ち「戦前の侵略戦争で、岩見沢でも1360人が犠牲になりました。再び戦争を起こさない決意を。憲法が輝く日本をつくりましょう」と呼びかけました。

被爆体験語る/平和行動に50人
 札幌市中央区内で、「さっぽろ平和行動」(同実行委員会主催)が50人の参加で行われ、「赤紙」(召集令状の写し)を配りました。
 同実行委員長で北海道平和婦人会会長の石川一美さんは「赤紙1枚で戦争に行かされました。こうしたことが二度と起きないようにと行動しています。核や原発をなくし、平和な世界にしましょう」と訴えました。
 広島で被爆した松本郁子さんは時折、声を詰まらせながら被爆体験を語り、「平和は本当にすばらしいと思う。こういう(私たちのような)思いをすることがないように」と呼びかけました。
 初めてこの平和行動に参加した会社員の男性(24)は、「関心が薄かったが、弁士の訴えを聞いて平和が大事だと感じた。自分たちのような若い人が頑張っていかなければいけない」と話します。
 「赤紙」を受け取った人の中には、驚き、真剣に見つめる若者もいました。

岩手

党県委が宣伝/拍手する人も
 日本共産党岩手県委員会、同盛岡地区委員会は、盛岡市のJR盛岡駅前で終戦67周年記念日の宣伝をしました。斉藤信県議、高橋和夫盛岡市議が訴えました。
 斉藤氏は、県内でも戦争犠牲者が3万8000人以上(軍人・軍属3万3196人、引き揚げ者死亡5060人)出たと記録されていると紹介。侵略戦争の反省から生まれた憲法9条の精神を、今後の日本とアジアの平和外交に生かしていくべきだと主張しました。
 また斉藤氏はいま、被災者は仕事の確保と住宅の再建を切実に願っており「党として復興を政治の最大の課題として取り組んでいく」とのべました。
 立ちながら最後まで演説を聞いて拍手をした67歳の男性は「話は全部良かった。(総選挙でも共産党には)がんばってほしい」と語っていました。

原発ゼロに/県母親大会連絡会
 岩手県母親大会連絡会は、盛岡市内で戦前の「赤紙」(召集令状の写し)を配布し、平和憲法を守り、子どもの命を脅かす原発はゼロにしようと宣伝しました。渡辺喜代子会長らがマイクを握り、参加者らが署名への協力を呼びかけました。
 45分間で98人が署名を寄せました。7歳の娘の手を引いた37歳の母親は「早く放射能(汚染)を気にせずに生活できるようにしたい」と訴え、妻の実家に帰省中という54歳の男性=東京都=は「国が目先の電力確保にしがみつき、危険な原発を放置しているのは許されないことだ」と怒っていました。
 花巻市、北上市、大船渡市でも同日、久慈市では13日に宣伝が行われました。

青森

高橋衆院議員/改憲許さない
 日本共産党の高橋ちづ子衆院議員は、吉俣洋党県書記長(参院青森選挙区候補)、藤原浩平青森市議団長とともに、青森市新町で演説し、「平和を守る心一つに」と訴えました。
 高橋議員は、党創立90年の日本共産党が、戦前、戦中を通じて、一貫して国民が主人公、侵略戦争反対、男女平等を訴えてきたことが、日本国憲法に生きたことを強調。同時に、その憲法に穴を開けようとする危険な動きを指摘し、「それを絶対許してはならない」と訴えました。
 高橋議員は、政府が、日米安保条約を口実にして、危険なオスプレイの配備と日本全国での低空飛行訓練を容認していることを批判、「アメリカいいなりの政治からの決別」の重要性を指摘し、共産党への支援を呼びかけました。

党津軽地区委/安保破棄こそ
 青森県の日本共産党津軽地区委員会は、弘前市内2カ所で街頭宣伝しました。
 千葉こうき衆院青森4区候補、安藤はるみ県議、石田久、小西勇一両弘前市議が参加しました。
 千葉氏は、憲法9条や平和を願う国民の力で、この67年間、戦死者を出したり、他国民の命を奪ったりしてこなかったことの素晴らしさと同時に、安保条約で米軍が日本に居座り、アメリカが起こす侵略戦争の出撃拠点にされてきたことを指摘しました。
 千葉氏は、安保条約を破棄してこそ、基地被害から解放され、日本を東アジアの平和の発信基地にすることができるとのべ、「オスプレイ配備反対、安保条約廃棄の世論を広げる」と決意を示しました。

署名を訴え/国賠同盟県本部
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟青森県本部は、23人が参加して青森市新町で街頭宣伝し、国家賠償を求める署名への協力を訴えました。
 日本共産党の高橋ちづ子衆院議員、吉俣洋県書記長も署名を呼びかけました。
 舘田篤宏会長は、先の戦争で3万3100人もの青森県民が亡くなったことや戦前、反戦平和のために活動し、弾圧の犠牲になった人々がいることを紹介、「再び侵略戦争と暗黒政治を許してはならない」と訴えました。
 呼びかけに応え、「子どもの分も署名したい」と話し、協力する市民も見られました。

憲法守ろう/県9条の会など
 青森県9条の会と県・市町村長9条の会は、青森市の「青い森公園」で、200人(主催者発表)の参加で、「8・15県平和集会」を開き、再び戦争を許さず、憲法9条を守る決意を新たにしました。
 市町村長9条の会代表の木下千代治氏(旧大畑町長)が、「戦争をする国」に変えようとする危険な動きを指摘し、「9条を守り、それを実現するために頑張る」と決意をのべました。
 集会では、9条改憲と9条改憲に通ずるすべての企てに反対し、「9条を守り抜く」とアピールを採択、新町などをデモ行進し、市民に訴えました。

秋田

市議・候補ら5市17カ所で
 秋田県では、秋田市、大館市、能代市、大仙市、横手市の5市17カ所で、日本共産党市議らが街頭演説しました。
 秋田市のJR秋田駅前では、佐竹良夫衆院1区候補、山内梅良県議、党秋田市議団が訴えました。
 佐竹氏らは、日本共産党が侵略戦争に反対した唯一の政党で、戦前の天皇絶対の体制のもとで国民主権をかかげた党と強調し、党のたたかいは「憲法の主権在民、平和的生存権として実を結びました。日本共産党は、平和と民主主義、くらしを守るために引き続き頑張ります」と演説しました。
 佐藤邦靖衆院2区候補は大館市で、垂直離着陸輸送機オスプレイの訓練ルートが市内を縦断しているとのべ、「危険なオスプレイ配備を許すな。安保条約を廃棄して平和な日本を」と訴えました。

原発廃炉に/湯沢市14団体
 「九条の会ゆざわ」など秋田県湯沢市の14団体は、同市内で「8・15平和憲法を堅持し、全ての核兵器の廃絶と原発の廃炉を!湯沢雄勝集会」を開き、約40人が参加しました。同集会実行委員会の主催。
 市民団体・「『どごぉんまでも平和を』の会」代表の布施功実行委員長は、「主権、平和を守り続ける強い意思が必要だ」とあいさつしました。
 連帯のあいさつをした日本共産党の佐藤長右衛門衆院秋田3区候補は、原発再稼働反対、原発ゼロ、オスプレイ配備反対などで「歴史的たたかいが広がっています。安保条約を廃棄し、憲法9条が輝く日本をつくるために全力で頑張りましょう」と呼びかけました。
 参加者らは、「来るな!オスプレイ」「原発再稼働やめろ」などのプラカードを掲げ、市内中心商店街をデモ行進しました。

福島

原発撤退に全力尽くす党県委員会など
 日本共産党福島県委員会と同福島・相馬地区委員会は、福島市内で街頭演説を行い、拍手や激励が寄せられました。
 久保田仁党県委員長は「原発再稼働反対」「原発ゼロの日本」を求める行動が空前の広がりを見せていると指摘。原発事故により苦しんでいる被災地の党として、原発からの撤退に全力を尽くすと訴えました。
 いわぶち友参院選挙区候補は、「戦争に一貫して反対してきた90年の歴史をもつ日本共産党をみなさんの力で大きくしてください」と力説。年内にも予想される解散・総選挙、来年の参院選での支援を訴えました。
 宮本しづえ県議が司会を務め、斎藤朝興、佐藤真知子両市議も参加しました。
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2012年08月17日,「赤旗」) (Page/Top

増税に審判を/茨城革新懇など

 「平和・民主・革新の日本をめざす茨城の会」と治安維持法犠牲者国家賠償要求(治維法)同盟県本部は終戦記念日の15日、水戸市のJR水戸駅南口で反戦・平和をよびかける街頭宣伝を繰り広げました。
 日本共産党の大内久美子県議は「二度と戦争をしないと誓った憲法9条を守ろう。安保条約を廃棄すれば、基地もなくなり、オスプレイも配備されない」と力説。消費税増税を強行した民主、自民、公明への厳しい審判と原発ゼロ社会の実現をよびかけました。
 治維法同盟県本部の久保田俊雄事務局長は、反戦・平和を唱えた人たちを弾圧してきた治安維持法の残虐性を告発。「戦争につながるあらゆる動きに声をあげていこう。今こそアメリカいいなりの政治を断ちきろう」と訴えました。
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2012年08月16日,「赤旗」) (Page/Top

戦争終結67年/反戦貫いた日本共産党/世界の平和の流れに沿う

 日本共産党は創立(1922年)のときから、「あらゆる干渉企図の中止」「朝鮮、中国、台湾、樺太からの軍隊の完全撤退」(綱領草案)など反戦・平和の立場を明らかにし、命がけで貫きました。中国への侵略戦争の危険が高まると「帝国主義戦争の危険にたいする闘争」(「27年テーゼ」)を呼びかけ、「満州事変」開始に対しては「帝国主義戦争反対」(「32年テーゼ」)を訴えました。こうした侵略戦争を引き起こす天皇制国家(「天皇絶対」の旗を振りかざして軍部がどんなことでもやってのける戦争国家)を変革する民主主義革命の旗を掲げてたたかいました。
 日本共産党は、「国体の変革」をめざす結社の組織、運動を犯罪(最高10年、後に死刑)とする治安維持法によって激しい弾圧を受け、多くの党員が逮捕・投獄され命を奪われましたが、これに屈せずに反戦平和、民主主義の旗を掲げ続けました。
 宮本顕治氏(戦後に党議長)は戦時下の法廷で党の立場を堂々と語り、「社会進化と人類的正義に立脚する歴史の法廷」は党への迫害・加罰を「大きな過誤であったと云う事を立証するであろうと信ずる」と陳述しました。
 45年8月、天皇制政府は、連合国が発したポツダム宣言を受諾して降伏しました。
 宣言は、「日本国国民を欺瞞し之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる者の権力及勢力」の永久的除去と日本の民主化、国民の自由な意思にもとづく平和的傾向を持つ政府の樹立などを求めるものでした。
 これは、日本共産党がめざした民主主義革命と大局の方向は一致するものでした。党のたたかいが世界の平和と社会進歩の流れに沿っていたことを証明したのでした。
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2012年08月15日,「赤旗」) (Page/Top

主張/終戦67年/戦争の惨害繰り返さぬために

 アジア・太平洋戦争が日本の敗戦によって終結した1945年から67年を迎えます。8月15日はアメリカ、イギリスなど連合国が日本に降伏条件として求めた、ポツダム宣言受諾の発表の日です。
 戦争を体験した世代は高齢化し、戦争を体験しない、「戦後生まれ」世代が国民の大半です。それだけになおのこと、敗戦まで15年かかった無謀な戦争の悲惨さを思い起こし、二度と侵略戦争と植民地支配の誤りを許さない、決意を新たにすることが重要です。

失われなくてもよい命が
 戦争は、31年の、当時「満州」と呼ばれた中国東北地方への侵略に始まり、37年からの日中全面戦争、41年からの東南アジアや太平洋地域への戦争の拡大と、15年にわたりました。2000万人を超すアジア・太平洋地域の人々を犠牲にしたことは、侵略戦争の悲惨さを浮き彫りにするものです。朝鮮や中国など日本が植民地として支配した人たちも徴兵や強制労働、あるいは日本軍「慰安婦」として駆り出され犠牲になりました。
 310万人以上の日本国民の犠牲者は、軍人・軍属ばかりでなく、大都市をねらった無差別爆撃や非人道的な原爆投下によって生命や財産を奪われた、多くの一般市民も含まれます。とりわけ戦争末期の44、45年に当時の天皇制政府の周辺からも「終結」の声が上がったのに、天皇自身が「もう一度戦果を挙げてから」と発言したなどの理由で降伏が遅れ、東京など各地の大空襲や沖縄での地上戦、広島と長崎への原爆投下など、失われなくてもよい多くの人命が失われたことは見過ごしにできない事実です。戦争を推進した、当時の指導者の責任は重大です。
 日本共産党は15年戦争の始まる前から侵略戦争の企てに反対し、命がけでたたかいました。戦争が激化するとともに度重なる弾圧で組織的な活動は不可能にされましたが、獄中や国外で党のたたかいは続きました。また心ある人々も戦争への抵抗を続けました。
 日本が受諾したポツダム宣言には「日本国民を欺瞞し之をして世界征服の挙に出ずるの過誤を犯さしめたる者」の権力と勢力を取り除くことが明記されています。戦後、46年に公布された日本国憲法は前文に「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」ことを高らかにうたいました。侵略戦争と植民地支配に反対した日本共産党と国民のたたかいは、戦後に生きたのです。

民主主義と平和主義守り
 なぜ無謀な戦争をとめることができなかったか。天皇絶対の専制政治が国民の自由な発言を認めず、治安維持法や特高警察など世界にもまれな弾圧体制を強いて戦争反対を封じ込めたためです。そのもとで日本共産党以外の政党は解散して戦争遂行のための「大政翼賛会」に参加し、新聞・放送なども戦争を賛美・翼賛しました。
 自民党政権で閣僚も務めたある政治家は軍部の暴走とともに「世論本位の政治を行わざりしこと」を原因にあげます(永野護『敗戦真相記』)。民主主義と平和主義は、専制主義と軍国主義の対極です。
 国民の意思を踏みにじる「二大政党」の悪政が政治不信を広げ、大新聞などの異常な翼賛報道が氾濫している今日、この教訓に注目することはひときわ重要になっているのではないでしょうか。
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2012年08月15日,「赤旗」) (Page/Top

「時代(とき)を撃て・多喜二」の映画カメラマン南文憲さん死去

 南 文憲さん(みなみ・ふみのり=映画カメラマン) 10日死去。76歳。家族葬を行います。
 記録映画「時代(とき)を撃て・多喜二」を撮影。
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2012年08月13日,「赤旗」) (Page/Top

文化/今井正監督生誕百年/フィルムセンターで特集上映

 今井正監督の生誕100年の今年、記念する取り組みが続いています。
 6月には『今井正映画読本』(今井正監督を語り継ぐ会編、論創社)が発売。巻頭エッセーで、山田洋次監督は、「日本映画の先行きがまったく不透明な今の時代にあって、日本の文化遺産とも云うべき今井正監督の素晴らしい作品群が見直されなければいけない」とのべています。
 1〜5月に、東京や関西で特集上映が行われたのに続き東京国立近代美術館フィルムセンターで、特集上映の第2部が開催中です。26日まで。
 同センターでは30年ぶりの回顧上映。参考作品(1961年に監修した「太陽を射るもの」)を含む42作を上映する過去最大規模の企画です。
 年少兵たちの純真な愛国心が戦争の残酷さを浮き彫りにする「海軍特別年少兵」(72年)。差別に抗し立ちあがる人々を描く「橋のない川」1・2部(69、70年)。現代の高校生(工藤夕貴)と戦争の悲劇をつなぐ、遺作「戦争と青春」(91年)。反戦、ヒューマニズムの名作や、水上勉原作「越後つついし親不知」、時代劇「婉という女」「武士道残酷物語」、斬新な描法の「小林多喜二」ほか多彩です。
 問い合わせは、рO3(5777)8600 
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2012年08月12日,「赤旗」) (Page/Top

党90周年で新居浜集会/愛媛・笹岡候補訴え

 日本共産党創立90周年記念にいはま集会が7日、愛媛県新居浜市の市民文化センターで開かれ、75人が参加しました。笹岡優衆院比例四国ブロック候補と植木正勝衆院愛媛3区候補が「日本共産党を大きくし、総選挙勝利をめざそう」と訴えました。党東予地区委員会と新居浜市党後援会の主催。
 笹岡氏は、侵略戦争反対と国民主権を主張し続けた戦前の日本共産党の不屈のたたかいにふれ、「高知県の反戦詩人槙村浩や小林多喜二ら先輩たちの頑張りがあったからこそ、日本共産党は戦前戦後一貫して同じ名前で活動し続けることができます。この党を大きくし、総選挙では何が何でも勝ち抜こうではありませんか」と力を込めて訴えました。
 植木氏は「比例四国で日本共産党の1議席を必ず勝ち取りたい。そのためには党の自力をつけなければならない」と決意表明。岡崎溥新居浜市議があいさつしました。
 安藤昇子さん(66)は「四国の日本共産党の議席を取り戻すために全力でがんばりたい」と話していました。
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2012年08月10日,「赤旗」) (Page/Top

体弱く「非国民」と=^戦争語り継ぐ会で証言/徳島

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟徳島県女性部はこのほど、板野町で「第1回戦争を語り継ぐ会」を開きました。24人が参加し、3人が証言しました。
 松本宣子さん(77)は「体が丈夫なことが望まれた時代に、私は体が弱く、しもやけで足が悪かった。教練の時間や校庭をサツマイモ畑にする作業の時など、同級生らに『役立たず、非国民』と言われ、つらい思いをした」と語り、いとこが学徒動員で、万葉集を持っていただけで、撲殺されたことを証言しました。
 大栗丸人さん(82)は父親の清美さんについて「東京大崎無産者診療所の初代所長や日本無産者医療同盟初代委員長として活動していたが、三陸大津波の救援活動で再度、逮捕された。命をかけて、無産者診療所長を引き受けたことは立派な行為だったと思う。私も治安維持法を復活させないたたかいをしていきたい」と語りました。松本聖さん(77)は、父親の遺骨箱に石ころが二つ入って戻ってきたことなど証言し、これからも平和のために運動していきたいと語りました。
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2012年08月09日,「赤旗」) (Page/Top

「立命館土曜講座」/授業で学んだ「平和」/中高、大学生発言

 京都市北区の立命館大学で4日、土曜日恒例の市民公開講座「立命館土曜講座」が開かれました。「過去・現在・未来〜人と人がつながる『平和教育』」と題して、立命館宇治中学校・高等学校の本庄豊教諭と教え子の大学生、中高生5人が発表しました。同講座は8月のテーマに、同大学国際平和ミュージアム開設20周年として平和教育を取り上げており、その第一弾です。
 本庄氏は、自身の研究・実践の柱である社会運動史研究と平和教育について報告。社会運動史では、小林多喜二や山本宣治、住谷悦治をはじめ、彼らを支えた無名の人々を調べる中で、今日的な人のつながりや功績など、新たな発見があると魅力を紹介しました。
 つづく平和教育については、生徒たちが、自ら授業で学んだ平和について発表。教師をめざす女子大生は、開催中のオリンピックに、兵士が3500人も動員されていることを指摘し、「スポーツと平和の祭典になぜ武力が必要なのか疑問」と問題を提起。「なぜ」の疑問が平和を考える第一歩になるのではと発言しました。
 昨年夏の宿題のテーマで、靖国神社を訪問した中学3年の女子は、「英霊」のおかげで今があると思ったが、さらに半年かけて自ら調べ、考えた内容をリポート。「現在の日本の平和は、無武装での実現だと思う」とのべました。
 ◇
 次回25日は、同ミュージアム名誉館長の安斎育郎氏が「平和の概念と平和教育のあり方」と題して話します。午後2時、衣笠キャンパス末川記念会館講義室。聴講無料。問い合わせ=立命館大学衣笠総合研究機構075(465)8236
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2012年08月09日,「赤旗」) (Page/Top

賠償運動さらに/南空知支部総会/治維法国賠同盟北海道

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道南空知支部はこのほど、第22回総会を岩見沢市民会館で開催しました。
 森谷猛支部長が「今年の国会請願行動の成果に確信を持ち、視野を広げて国賠同盟を前進させよう」とあいさつ。日本共産党の山田靖廣岩見沢市議、国賠同盟道本部の宮田汎会長が来賓あいさつをしました。
 千石信弘事務局長は、総会までに7人が入会したことを報告。長沼町が生んだ戦前の理論家・野呂栄太郎の偉業を誇りに、治安維持法犠牲者に対する謝罪と賠償運動を野呂氏の郷土・南空知で飛躍させる重要性を強調しました。
 出席者全員が発言し、国賠署名の目標達成と年間行事、会員拡大の方針を決め、現役員を再選しました。
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2012年08月08日,「赤旗」) (Page/Top

活動交流、方針を確認/治維法国賠同盟京都府本部総会開く

 国に対し治安維持法の犠牲者へ謝罪と賠償を求めて活動する治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治維法国賠同盟)京都府本部は7月28日、京都市内で第27回総会を開き40人が参加しました。府本部の岡本康会長があいさつしました。
 憲法会議前事務局長の長谷川英俊さんが講演しました。長谷川さんは、憲法審査会の始動や震災を口実にした憲法改悪の動き、野田政権のもと集団的自衛権行使を可能とする憲法解釈見直しが示されていることを批判。オスプレイ配備などで国民との矛盾が広がっていることを指摘し、「憲法のうえに安保条約をおいてきた流れを変えるときだ」と強調しました。
 討議では、京丹後や宇治・洛南の支部活動の報告や、元警察官が人権侵害や労働組合事務所への窃盗などを行ってきた実態を告発しました。
 請願署名の推進や犠牲者の顕彰活動、組織拡大強化の方針などを確認しました。
 岡本会長ら新役員を選出しました。
 来賓として、日本共産党の原田完府議、倉林明子市議(参院京都選挙区候補)、民青同盟府委員会の加藤伸太朗委員長があいさつしました。
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2012年08月02日,「赤旗」) (Page/Top

*         7月】(ヘッドライン)

 

*         芸能テレビ/劇団銅鑼40周年公演出演鈴木瑞穂さん/浅見光彦シリーズ「遺骨」/原発再稼働派とダブる

*         本立て/山本宣治と母多年/大林道子著

*         鶴彬忌・第2回全国誌上川柳大会/反戦・反権力の志継ぐ

*         橋下「維新」逆流の正体/第4部/独裁の手法―公務員攻撃/1〜6

*         日本近現代史のなかの救援運動/山田善二郎著/評者橋本進ジャーナリスト

*         日本共産党創立90周年記念講演会/日本共産党の90年をふりかえる/不破社研所長の講演

*         青森県本部が23回大会開く/治維法国賠同盟

*         「八策」改定版で鮮明「橋下・維新」の危険/下/恐怖政治と改憲志向/翼賛政治を礼賛

*         「八策」改定版で鮮明「橋下・維新」の危険/上/「過激な新自由主義」いっそう暴走

*         日本共産党創立90周年記念出版/宮本顕治著作集刊行開始/生涯にわたる思想と活動の発展

*         芸能テレビ/追悼地井武男さん/心に残る数々の名作

*         大阪市条例案/政治活動制限を批判/撤回求め決議/奈良・国賠同盟

*         治維法国賠同盟の広島県本部が総会

*         治維法国賠同盟宮崎県本部が講演と総会

*         治維法国賠同盟/塩釜支部総会/宮城

*         治維法国賠同盟/署名広げよう/道本部が大会

*         平和の滝に涼を求めて/札幌

*         公務員攻撃する橋下政治許すな/兵庫・尼崎で学習会

*         朝の風/語り継がれる槇村浩

*         文化通信/第7回手塚英孝賞/久野通広氏に決定

*         文化/今につながる民衆弾圧/『特高警察』を刊行・小樽商大教授荻野富士夫さん/組織の実像、通史に

*         詩人城侑さん死去

 

7月本文】(Page/Top

芸能テレビ/劇団銅鑼40周年公演出演鈴木瑞穂さん/浅見光彦シリーズ「遺骨」/原発再稼働派とダブる

事件の背後に旧陸軍731部隊
 テレビドラマで人気の浅見光彦シリーズ。その一つ、「遺骨」を、劇団銅鑼(どら)が創立40周年記念で上演します。小気味いい推理劇。でも、戦争犯罪というテーマが潜んでいて…。出演する鈴木瑞穂さんの熱が入ります。
 大塚武治記者

 社会派作品を多く上演している銅鑼。鈴木さんは、創立時の中心メンバーで現在、団友です。
 「よくぞ、この作品を創立記念に選んでくれました。ユーモアがあって、内容が深くてね」
 一つの骨壷(こつつぼ)をめぐり、相次ぎ殺される製薬会社社員。名探偵・浅見光彦が、消えた骨壷と真犯人を追います。事件の背後に浮かぶのは、戦争中、旧陸軍731部隊が中国人に行った、おぞましい「実験」―。
 鈴木さんが演じるのは、医学界の重鎮・加賀裕史郎です。人道に背く実験も、医学に役立てればいいのだと強弁します。
 「生前、湯川秀樹博士は、核兵器廃絶を強く訴えていました。科学は単なる『技術』ではない。常にヒューマニズムの目で問われなければなりません」。加賀の頭からは、この「人間」が抜け落ちていると鈴木さん。
 「もうけ第一、人命は二の次。演じながら、原発再稼働を強行する者たちとダブります。これは、痛烈な日本資本主義批判の作品なんです」
 ◇
 84歳。初舞台から60年。山本薩夫監督「戦争と人間」、今井正監督「小林多喜二」など、平和と民主主義を守る立場から、数々の創造活動に参加しています。
 原点は少年期。旧「満州」(現・中国東北部)の中学を出て、広島の海軍兵学校に入りました。「天皇のために死ぬ。太平洋のどこかで、立派に死ぬ。いちずに思い続けた少年でした」
 戦後、京都大学在学中に、日本国憲法公布。
 「戦争放棄の文言に、そんなことがあるのかと驚き、涙が出た。死ぬことだけを考えた僕の10代は何だったのかと。その後、大学で劇団民藝の『かもめ』を見て、人間とは何と彩り豊かなものかと感激して。楽屋に宇野重吉さんを訪ねたのが、俳優人生の始まりです」
 民藝退団後の1972年、故・早川昭二氏らと演劇集団銅鑼を結成。「俳優とは」「人間らしくあるとは」と、今も自問し続けます。
 「俳優は、『その人に非(あら)ずして、その人を憂う』と書く。役という他者の苦しみを思い、重なろうと、もがく。もがいて散る火花が演技です。そして人間を苦しめる根を探っていくと、社会の矛盾に突き当たる」
 思い出すのは、故・熊井啓監督の言葉。日本社会の闇を描いた彼の作品に、多く出演しました。
 「啓ちゃんに、あなたの映画はどれも暗いねと話したら、彼が言ったんです。『暗さをまっとうに見られなきゃ、本当の明るさは見えないよ』と。僕らは、もっと抵抗しなきゃいけないね。人間不在の社会と政治に」

 *原作/内田康夫、脚色・演出/平石耕一。8月1〜12日=東京・劇団銅鑼アトリエ。рO3(3937)1101
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2012年07月29日,「赤旗」) (Page/Top

本立て/山本宣治と母多年/大林道子著

 戦前、労農党衆院議員として治安維持法改悪に反対して、凶刃に倒れた山本宣治(山宣)。本書は幼少時からカナダ留学を経て、産児制限運動、社会主義運動にまい進した彼の生涯をたどりつつ、山宣の家族思いの姿も明らかにします。
 同時に、山宣を陰で支えた母多年の、時代を先取りした生き方に光を当てます。多年は旅館経営で商才を発揮するとともに、文学を愛し、多くの歌を詠みました。山宣死後も弾圧犠牲者を救援し、戦後は日本共産党に入党する波乱の人生でした。
 (ドメス出版 2800円)
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2012年07月29日,「赤旗」) (Page/Top

鶴彬忌・第2回全国誌上川柳大会/反戦・反権力の志継ぐ

 燐寸の棒の燃焼にも似た生命(15歳)
 治安維持法が公布され、日本が戦争へと進む1925(大正14)年。15歳の少年、喜多一二(後の鶴彬)は、やがて燃え尽きる燐寸のかすかな炎にわが人生を見たのでしょうか。
 鶴彬は1909(明治42)年、日本海を望む石川県河北郡高松町に生まれ、反戦・反権力の志を曲げることなく不屈の川柳1044句と評論85編を残し、29歳の時、中野区野方署で赤痢に罹患し、亡くなりました。
 あかつき川柳会は2001年6月、「鶴彬をはじめ先覚川柳人の反戦平和と社会風刺の精神を現代に生かす」と会則にうたい、創立されました。現在、全国19都道府県に会員を持ち、会報『あかつき』を発行。今秋、「鶴彬忌・第2回全国誌上川柳大会」を開催します。
 第1回誌上大会(04年)のあかつき大賞には、〈あばら骨見せてドームは訴える〉(栃木県・栃木清一)が輝きました。
 胎内の動き知るころ骨がつき(28歳)
 戦死の公報が届く。身重の妻は夫を、やがて生まれる子は父を、老いた両親は息子を失う。鶴彬は戦争の悲惨を満腔の怒りをこめて告発しました。
 手と足をもいだ丸太にしてかへし(28歳)
 中国への侵略戦争に突入した1937(昭和12)年、鶴彬が治安維持法によって中野区野方署に収監されていた時に詠んだ、最後の一句です。「川柳は社会革新のひとつの武器である」として、575の17音に命をかけて戦争に反対し、虐げられた人たちに熱い連帯を寄せた鶴彬の川柳を、今こそよみがえらせたいと思います。
 くらし、平和、民主主義を守るために、「全国誌上川柳大会」へ、あなたの一句をお寄せください。
 (岩佐ダン吉 川柳作家・第2回全国誌上川柳大会実行委員長)
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2012年07月25日,「赤旗」) (Page/Top

橋下「維新」逆流の正体/第4部/独裁の手法―公務員攻撃/6/被害は市民や子どもに

「メディアのみなさん、今度、式の取材で先生の口元をビデオで撮ってください。条例では斉唱することとなっています」。3月、「維新の会」大阪府議がツイッターでこう呼びかけました。

「君が代」強制
 条例とは昨年6月、「維新」が府議会で事実上単独で可決した「君が代」起立強制条例のことです。今年2月には、大阪市議会でも同様の条例が「維新」、公明、自民で可決されました。
 起立しない教職員への処分を念頭に、同一職務命令に3回違反すると免職にできる職員基本条例も、両議会で「維新」、公明、自民で強行。橋下徹市長は「服務規律の問題。嫌なら公務員をやめればいい」と言い放ちました。
 「君が代」は「日の丸」とともに、侵略戦争遂行の象徴とされ、国民や教育現場には根強い抵抗感があります。
 憲法19条で保障する内心の自由にかかわり、「国旗国歌法」制定(1999年)の際にも、政府は「強制してはならない」とはっきりと答弁しています。今年1月の最高裁判決は、「君が代」不起立による処分で減給や停職でも重すぎて違法と断じています。
 しかし強制はどんどんエスカレートしています。
 府立和泉高校の卒業式では、橋下氏が府知事時代に肝いりで任命した弁護士の校長が教職員の口元を厳しくチェック。別の高校では教員に向けてビデオが撮られました。
 起立しない教員が出た府立高校の卒業式で、出席していた「維新」府議が生徒への祝辞そっちのけでわびてみせ、不起立の教員が出た中学校で保護者におわびする説明会が開かれました。
 「君が代」条例に賛成した自民党大阪市議でさえ「君が代は歌ってほしいが、心から歌ってほしい。こんなのが、自分たちが求めていたものかと慄然とする」と述べます。
 学校だけではありません。条例は府・市の施設での「日の丸」の常時掲揚も義務づけているため、大阪市立保育所では祝日のみの掲揚から3月以降、常時掲揚しています。

めざし状態
 市が、ポールを他のことに使わないよう通知したため、こいのぼりをポールでなくテラスなどにめざし状態≠ナあげた保育所もあります。
 保育所の卒園式でよく歌われる「いつのことだか思いだしてごらん」で始まる「思い出のアルバム」が、「君が代」にとってかわられる―こんな事態になりかねないと不安の声があがっています。
 府立高等学校教職員組合には「全員が起立・斉唱することが最大の目標になってしまっています。式の主人公は誰」「意見が言いにくく、言っても仕方がない雰囲気になっている」との痛切な訴えが寄せられています。
 教育現場での「君が代」強制をはじめとした管理統制に加え、「まるで治安維持法」との声もあがる職員の政治活動条例。物言わぬ職員づくりを狙う橋下氏の独裁手法で被害を受けるのは、子どもであり市民です。

橋下「維新」逆流の正体/第4部/独裁の手法―公務員攻撃/5/「労使対等」全く欠落 (Page/Top

 橋下徹市長は「大阪市労使関係に関する条例案」を7月市議会に提案し、労働組合と市当局の団体交渉の内容を一方的に制限しようとしています。
 地方公務員法は、「勤務条件」は交渉対象(第55条1項)とする一方、「自治体事務の管理運営事項」は対象外(同3項)としています。ただ「管理運営事項」の具体的な規定はありません。

総務省の見解
 総務省は「予算、政策等が該当するものと考えているが…個別具体的に判断する」(今年3月21日「地方公務員の新たな労使関係制度の考え方について」)という見解です。
 公務員制度審議会の答申は「管理運営事項の処理によって影響を受ける勤務条件は、交渉の対象となる」(1973年9月3日)としています。
 にもかかわらず橋下市長は、「勤務条件」と密接に関係する職員の定数と配置、転任や分限処分などを「管理運営事項」に入れたのです。分限処分には民営化など職場廃止による解雇も含まれます。
 市長が一方的に「管理運営事項」を具体的に決めて、それに関する交渉を禁止し、違反すれば免職を含む懲戒処分にするなどは、独裁政治そのものです。
 12日の市議会本会議―。日本共産党の井上浩議員は「団体交渉のルールを使用者(市長)が一方的に定め、それに反する交渉には一切応じないというのは不当労働行為」「条例案は、労働基本権を全面否定しており違憲だ」と主張しました。

勝手な解釈で
 橋下市長は「条文の解釈が間違っている。条文をしっかり読んでもらいたい。地方公務員法第55条3項で、管理運営事項は交渉の対象とすることができない。それをはっきりルール化しただけ」と答弁しました。
 総務省の見解も公務員制度審議会の答申も無視し、条文を自分勝手に解釈し、憲法が保障する基本的人権を平気でじゅうりんする。あまりにも異常で独善的なやり方です。
 条例案はほかにも、自由な発言の規制につながる報道機関への交渉公開、人事委員会は組合に収支報告書など必要な書類の提出を求めることができる―といった前代未聞の労働組合運営への介入条項まであります。
 人事委員会は、法律で設置義務のある行政委員会ですが、組合に対して収支報告書の提出を求める権限を定めた法律はありません。
 日本労働弁護団の宮里邦雄会長は6月25日、「橋下市長に、異議あり 6・25集会」で講演し、次のように訴えました。
 「橋下氏の頭の中には、労使関係は対等であるという考え方が、全く欠落しています。市長は、大阪市政の責任者で統治権を持っているのと同時に、労働組合との関係では使用者です。労使関係の対等性は労働法の基本的なルールです」

橋下「維新」逆流の正体/第4部/独裁の手法―公務員攻撃/4/「行き過ぎ」承知の上 (Page/Top

 国家公務員法(国公法)と人事院規則を引き写す形で、大阪市職員の政治活動を制限する今回の条例案。地方公務員法(地公法)では制限対象外の、▽政党機関紙の配布▽政治的意見を有する文書の発行、配布、演劇の演出なども条例案には盛り込まれています。
 「国公法には、制限(する政治活動)が広すぎる部分がある」
 これは橋下徹市長の認識。20日の市議会財政総務委員会で、日本共産党の山中智子議員の質問に答えたものです。

それを言えば
 同日夜、市長退庁時の囲み取材でも、本紙記者との間で次のような一問一答がありました。
 記者 市長は「国公法には行き過ぎの面がある」と話したが、具体的にはどの行為か
 市長 漠然とした感覚。それを言えば条例案がおかしいということになる
 橋下市長は、国公法に「行き過ぎ」があることを承知した上で、それを引き写した条例の制定を推し進めているのです。これほど論理が破綻した、でたらめな政治姿勢はありません。
 山中議員の質問に橋下市長は次のような答弁もしました。
 「(国公法の政治活動をめぐる裁判では)高裁判決は二つに分かれている。最高裁が違憲と判断すれば、条例は見直さなければならない」
 国公法に憲法上の疑義があることを、十分知っているのです。
 東京高裁は、支持政党のビラを配布した国家公務員を2004年に起訴した堀越事件には無罪を、世田谷事件(05年)には有罪の判決をだしました。

時代遅れの法
 現在の国公法は、米占領下の1948年、国家公務員の労働基本権と市民的政治的自由を制限する目的で、連合国軍総司令部(GHQ)が命令(マッカーサー書簡)して制定された法律。「3年以下の懲役」といった罰則まであります。
 50年制定の地公法では、国公法の「行き過ぎ」を反省し、制限する政治活動を大幅に縮小し、罰則をはずしました。
 国連規約人権委員会は2008年、日本政府に対して厳しい勧告をしています。
 「政治運動やその他の活動を、警察や検察官、そして裁判所が不当に制限することを防ぐために、表現の自由や公的な活動に参加する権利を不合理に制限している法律を撤回すべきである」
 山中議員は、以上のような事実を指摘し、市長に迫りました。
 「60年以上前の国公法はすでに時代遅れになっている。世界標準の考え方は、表現の自由は公務員を含むすべての人に保障すべき―というものだ。国連規約人権委員会から『撤回すべきである』と勧告された国公法を引き写した条例案は撤回すべきだ」

橋下「維新」逆流の正体/第4部/独裁の手法―公務員攻撃/3/厳罰¥C正に動くが (Page/Top

 「地方公務員法に政治活動への罰則がないのはおかしい。国家公務員法にはある」―。橋下徹市長は5月23日、大阪市職員の政治活動を制限し、違反には刑罰を科す条例の制定をめざすことを明らかにしました。
 地方自治法上、条例で科すことができる上限「2年以下の懲役または100万円以下の罰金」を適用する意向でした。

「法律に違反」
 これに「待った」をかけたのは、閣議決定された政府答弁書(6月19日)。地方公務員法(地公法)に罰則がないため、「条例で罰則を設けることは、法律に違反」との見解を示しました。橋下市長の刑罰路線は修正を余儀なくされたのです。
 ところが同じ答弁書は、その理由として地公法制定時(1950年)の政府提案理由=「懲戒処分により地方公務員たる地位から排除することをもって足る」を引用しました。
 これに飛びついた橋下市長は、「原則懲戒免職、バンバン公務員の地位から排除する」(6月20日)と息巻きました。
 しかし、当時の国会審議で政府は、「政治的行為の違反があった場合に、必ずこれを懲戒処分によって解職するというようなことは毛頭規定しておりません」(50年11月29日、衆院地方行政委員会)と答弁していました。
 橋下市長は本紙記者がこの事実を指摘(6日)すると、「知らない」「政府に問い合わせていない」と答え、「『地位からの排除』という疑義のある言葉を閣議決定で使った政府の方がミスだ」と居直りました。
 日本共産党大阪府委員会の山口勝利委員長は6日、条例案を厳しく批判する談話を発表しました。
 「市の職員が勤務時間外に『原発ゼロ』や『消費税反対』を主張したり、こうした集会や演劇などに参加することがすべて監視の対象とされ、当局が『条例違反』とすると、すべて免職される」「こんなことが日本国憲法のもとで到底許されるものではありません」

市議会で追及
 12日の市議会本会議でも、日本共産党の井上浩議員が、「閣議決定を論拠にするのであれば、国会答弁の一部ではなく全体を読んで判断すべきだ」と追及しました。共産党の追及は議会内外で徹底していました。
 新聞各紙の13日付大阪版は、「政治活動『原則免職』撤回」「一律免職を修正」などと報じました。橋下市長と与党「大阪維新の会」、第2会派の公明党の3者が12日、「原則懲戒免職」を「戒告、減給、停職または免職処分ができる」と修正することで合意したというものです。
 ここでも厳罰化≠ヘ後退しましたが、懲戒処分は残っています。憲法で保障された政治的市民的自由を侵害する条例案の本質は変わっておらず、廃案以外にありません。

橋下「維新」逆流の正体/第4部/独裁の手法―公務員攻撃/2/「思想調査」が出発点 (Page/Top

 橋下徹市長は、大阪市職員の政治活動を制限する条例制定に向けて、今年の年明け早々から動き始めていました。「正月休みに、幹部にメールで全部流した」と、1月4日の記者会見で橋下市長自身が明かしています。
 4日は仕事始め。年頭あいさつで、幹部職員に次のような訓示もしました。
 「(労働組合の適正化について)いま何が問題かを情報収集し、整理し、早々に実態調査をしながら、問題を明らかにする」
 「市役所が政治活動に巻き込まれないための厳格なルール、条例を念頭に置く」
 ここでいう「実態調査」とは、2月に「職員アンケート」と称して行われた「思想調査」にほかなりません。

「ぐるみ」断定
 労働組合への加入の有無、政治家の街頭演説への参加の有無、誘われたのならそれは誰なのか―。こんな質問への回答を、市長の業務命令として強制し、応じなければ処分すると脅したのです。
 憲法をじゅうりんする「思想調査」を出発点にし、行き着いた先が、「政治活動制限条例案」だったのです。
 橋下市長が代表を務める「大阪維新の会」の市議も捏造リストを用い、市職員の政治活動制限へとひた走りました。
 「維新」の杉村幸太郎市議は2月10日、市議会市政改革特別委員会で、交通局本局庁舎内で見つかったという「知人・友人紹介カード配布回収リスト」を示して、「交通局と組合が組織ぐるみで(昨年の)市長選挙に関与していたことを裏付けるものだ」と断じました。
 杉村市議は「管理職のデータが含まれていた。組合が保有する情報だけではこの名簿は作成できない」と、交通局幹部に詰め寄りました。
 橋下市長も自身のツイッターに、「公務員組合がどれだけえげつないか。だから公務員組合の政治活動に一定のルールを設けなければならない」と書き込みました。

「捏造」が判明
 ところが、交通局の調査で、この名簿が同局嘱託職員による捏造であったことが判明(3月27日)しました。
 しかし、「維新」市議団は、裏付けなしに市議会で取り上げたことを謝罪するどころか、「リストが真実か交通局に調査を依頼したもので、何ら批判されるものではない」と開き直り、杉村市議は現在も議員を続けています。
 橋下市長も「何かあれば役所に謝らないといけないというのは間違い。役所の悪口をいうのが議員の仕事」と話し、杉村市議を擁護しました。
 「政治活動制限条例案」は、「市民から信頼される市政を実現することを目的とする」(第1条)と定めています。捏造リストによる追及を謝罪さえしない政治家に、このような条例案を提出する資格はありません。

橋下「維新」逆流の正体/第4部/独裁の手法―公務員攻撃/1/懲戒免職で批判封じ (Page/Top

 「大阪市の方針について、市民に反対を促すような行動は厳しく処分したい」「信用失墜行為は懲戒処分の対象」―。橋下徹市長は11日の市議会本会議で息巻きました。
 市の方針とは、ごみ収集の民営化と担当職員の非公務員化。これに対し、収集に従事する職員の労働組合が配布したビラに、橋下市長は激怒したのです。
 ビラは、高齢者宅などにごみ収集に訪れ、安否確認をしているといった業務を紹介。民営化の検討に触れたうえで、「市民の皆さんと築いてきましたセーフティーネットが危ぶまれています」と訴えました。
 橋下市長は何の根拠も示さず、「トップの私が、危ぶまれることをやるわけがない」と憤り、職員攻撃を展開しました。

教育長の通達
 「教員の政治活動の禁止等について」(9日)と題する通達が、教育長名で市立幼稚園長に送られる事態も生まれています。
 通達は「幼稚園の民営化に、反対する署名を保護者・地域に煽動(せんどう)するような教員の行為があった旨の通報がありました」「公の機関において進める政策の実施を妨害する…そのような行為は、幼稚園教育に対する市民の信頼を損なう」と糾弾しています。
 教育委員会は「市長からの指摘(4日)を受けて至急調べたが、事実はなかった。しかし、市長の指摘であったので通達を出した」と話しています。

凍りつく職場
 市の職員による市政批判は絶対に許さない―この姿勢は、昨年11月の市長当選直後から一貫しています。
 橋下氏の当選についてテレビ取材に応じ、「民意という単語が僕の(認識)とは違う」と答えた市の職員を捜し出し、反省文を提出させました。
 「恐怖支配への先制パンチに職場は凍りついた」と、ある職員は当時を振り返ります。
 橋下独裁・公務員攻撃はエスカレートし、7月臨時市議会に「職員の政治的行為の制限に関する条例案」を提出しました。
 ▽政党機関紙の配布▽デモや集会の企画▽政治的目的を有する文書などの発行、配布、演劇の演出…。このような行為をした市職員(市バス運転手など現業職は除く)は「原則、懲戒免職」という条例案です。

人間性の否定
 専修大学法科大学院の晴山一穂教授(行政法)は、「フランスでは政治活動は公務員の憲法上の権利で、公務員のまま選挙に立候補し、議員との兼職もできる。大阪市の条例案は、公務員の市民性や人間性を否定し、機械や道具と同一視する考えにもとづいている」と批判します。
 懲戒免職で脅して、批判を封じ込め、公務員を「全体の奉仕者」から「橋下市長の下僕」にする―ことこそ、条例案のねらいです。
 
(第4部は豊田栄光、大阪府・小浜明代が担当しました)

( 2012年07月18-19-20-23-24-25日,「赤旗」) (Page/Top

日本近現代史のなかの救援運動/山田善二郎著/評者橋本進ジャーナリスト

弾圧から国民守る献身的活動
 かかわってはいけないもの。@共産党A自由法曹団B国民救援会=B任官早々のある裁判官は、先輩から教えられたという。権力追随の判決をする性向の強い日本の裁判界に対し、国民の権利を守る上で、救援会がいかに有力な存在かを示す証左であろう。
 明治天皇制国家の出発以来、権力は自由と進歩をめざす民衆運動を弾圧した。本書は、弾圧の被害者を支えてきた救援運動の歩みをたどる。治安維持法、三・一五、四・一六の大弾圧。人民は解放運動犠牲者救援会を結成した(1928年)。今日の救援する身は明日の救援される身と覚悟しつつの献身的活動がつづいた。
 敗戦――米占領軍は当初の民主化政策から間もなく、日本反共の砦♂サ政策(今日の対米従属につながる)に転じ、日本政府・警察を使って、民主勢力に仮借ない弾圧を加えた。読売争議、国鉄等大量首切り、下山、三鷹、松川等の怪事件。救援活動は日本労農救援会→国民救援会へと発展(51年)、全国に広がった。
 朝鮮戦争――レッドパージの嵐が吹き荒れ、米諜報機関が暗躍した。キャノン機関が作家・鹿地亘を拉致、監禁した。コックの青年が、人道と正義感から救出を決意、決死の行動で成功、世間に衝撃を与えた。著者の山田善二郎氏だ。救援会の専従となり、救援ひと筋の道を60年、数多い体験が本書の基底にある。
 権力の人民弾圧、犯罪は絶えない。いま救援会は100件を超える弾圧(ビラ配布等)、冤罪事件、思想差別…人権侵害とたたかう人を支援している。その足どりは、人民の真実と正義の闘いが、未来を開くことを物語っている。

 やまだ・ぜんじろう 28年生まれ。日本国民救援会顧問。『人権の未来』ほか。
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2012年07月22日,「赤旗」) (Page/Top

日本共産党創立90周年記念講演会/日本共産党の90年をふりかえる/不破社研所長の講演/

日本共産党創立90周年記念講演会(18日)での不破哲三・社会科学研究所所長の講演は次の通りです。

 会場のみなさん、全国のみなさん、こんばんは。(「こんばんは」の声)
 きょうはお暑いなか、日本共産党の90周年を記念するこの集まりにたくさんの方がおいでいただきまして、本当にありがとうございます(拍手)。私は、きょうのこの記念の日に、みなさんとともに党の歴史を考える機会を得て、大変うれしく思っております。
 みなさん。
 日本共産党の90年は、国民の利益、平和と民主主義、そして日本社会の進歩・発展をめざして、その障害となるものにたいしては、いかに強力で巨大な相手であろうとも恐れずに、立ち向かってきた歴史であります。おのずから三つのたたかいが浮かんでまいります。

1、天皇制国家に立ち向かって

天皇制国家とはなんだったか
 党創立の最初の時から立ち向かわなければならなかったのは、天皇制国家でした。この国家とはどんなものだったか。今の日本に生きるみなさんには想像ができない時代ですが、この国家は、神の名を掲げてはいたが、「天皇絶対」の旗を振りかざして、軍部がどんなことでもやってのける戦争国家でした。しかも、その決定や命令には国民は無条件で服従すべし、これに反抗するものは死刑をふくむ重罪でおどしつける、こういう体制でした。

党の綱領的方針。その理論的な支え
 日本共産党は、1922年の創立のときから、この国家を変革する民主主義の革命の旗を勇気をもって掲げて頑張りました。この方針をまとまった綱領的な文書として示したものが、いわゆる「27年テーゼ」、「32年テーゼ」でした。これは、当時、私たちが加盟していた国際組織のコミンテルンが、日本の党の代表も参加して討議して決めた結論でした。ただここでみなさん方に思っていただきたいのは、どちらの場合にも、そのテーゼが出る前に、日本の党の理論家たちが日本の社会を自分たちで分析し、テーゼに先立ってほぼ同じ結論を出していた、そういうことであります。最近、そのことを「赤旗」のインタビューで振り返る機会を持ちましたが、その理論家たちの中心に、30年代の大弾圧のなか党中央の再建の先頭に立ち、検挙されて3カ月後に33歳の生涯を終えた若い理論家・野呂栄太郎がいたことを、ぜひ心をとめていただきたいと思います。(拍手)(Page/Top

三つの国民的経験
 党は、このたたかいのために「国賊」のレッテルをはられ、あらゆる弾圧と迫害を受けました。渡辺政之輔、上田茂樹、岩田義道、小林多喜二、国領五一郎、市川正一など、多くの先輩が命を落としましたし、また宮本顕治元議長をはじめ獄中で戦時下の十数年をすごした幹部や活動家もいました。
 しかしみなさん、共産党のこのたたかいが国民にとってどんな意味をもっていたか、そのことをはっきり示したのが、15年にわたる戦争の経過ではなかったでしょうか。
 あの戦争は、アジア諸国民に大変な惨害をもたらした侵略戦争でした。同時にそれが日本国民にとってなんだったのか。私は、国民全体が体験した三つの経験を思い出していただきたいと思うのです。
 第一。この戦争に動員された軍人・兵隊の運命です。日本軍はアジア太平洋の戦場で、二百数十万の戦没者を出しました。しかし、その大部分は、戦って死んだのではありません。半分以上の百数十万人が餓死者、飢えて死んだのです。それは食糧補給の手だても講じないまま、何万、何十万の軍隊を平気で前線に送り出した、まさにその結果でありました。自国の軍隊の人命をこれほどまでに軽視し、無残に扱った戦争は、世界史にもほかに前例のないものであります。
 第二。フィリピンの戦争で完全な敗北をとげて最後に迎えた年、1945年の出来事です。もう戦争に活路はない、これは誰の目にも明らかでした。しかし、そのとき、天皇制国家をそのまま残す保証がないといって、平和交渉が拒否されました。あのときに和平交渉に踏み切っていたら、本土大空襲も、3月〜6月の沖縄戦も、8月の広島、長崎も、そしてソ連の参戦による満州、樺太の悲劇もなかったはずです。ところが戦局打開の何の見通しも計画もないのに、国体護持を全国民の命よりも優先させ、「本土決戦」「一億玉砕」、これを叫び続けた天皇制国家の指導者たちこそが、1945年の国民的な大惨劇を引き起こしたのであります。
 第三。日本が降伏した時、世界が日本に要求したのは何だったのでしょうか。日本が受諾した連合国の「ポツダム宣言」に記されていたのは、日本国家の抹殺でも滅亡でもありませんでした。戦争国家の転換、つまり専制主義と軍国主義の日本を民主主義と平和主義の日本に変える、これが目標でした。その大局の方向は、わが党がめざしてきた民主主義の革命と一致しており、党のたたかいが世界の平和と社会進歩の流れに沿っていたことを証明したものでした。
 私はこの三つの国民的な経験を頭におきながら、天皇制国家に立ち向かい、平和と民主主義のたたかいに倒れた無数の先輩戦士たちに心からの敬意をささげるものであります。(大きな拍手)

2、覇権主義の巨悪とのたたかい(Page/Top

戦後のたたかい。第1次の躍進
 戦後、はじめて合法的な活動の権利を獲得したわが党は、ただちに、国民の生活復興と民主主義日本の建設をめざして活動を始めました。このたたかいで、次の三つの点に注目してほしいと思います。
 一つは、憲法の問題です。今の日本国憲法では、国民主権の原則がうたわれています。しかし、戦後、日本の政党のなかでこの原則を主張した政党は、日本共産党しかいませんでした。1946年に憲法制定の議会が開かれて、占領軍の承認を得た日本政府の草案が提案されたときにも、そこには国民主権の言葉はありませんでした。党の議員団が直ちに修正の提案を出しました。続いて、連合国の極東委員会が、同じ趣旨の厳しい決定をしました。この内外の力が相合流する形で、国民主権の原則を日本国憲法に明記させたわけであります。
 二つは、国の独立の問題です。世界の舞台で、米ソの対決が厳しくなるなか、アメリカの占領軍は、日本の民主化という最初の任務を捨てて国民と民主勢力の抑圧者という姿を現しました。そのとき、党は、47年12月の党大会で、「ポツダム宣言の厳正な実施」「日本の完全な独立」という行動綱領を掲げました。日本共産党が、占領下に勇気をもってこの旗を掲げた唯一の政党であったことは、私たちの誇りある歴史であります。(大きな拍手)
 三つ。党は、新憲法のもと、最初の選挙、47年選挙では、100万票、4議席しか得ませんでした。しかし、こういうたたかいのなか、49年1月の総選挙では298万票、35議席に躍進しました。他の政党がのきなみ占領軍への追従を競い合うなかで、確固とした国民的立場を貫いてきたわが党の、戦後第1次の躍進でした。

ソ連は覇権主義国家に変質していた
 ところが、その時、日本の党と民主勢力の前進を脅かす相手が、予想もしないところから現れました。それが、スターリンが支配するソ連だったのです。
 私たちは、社会主義の国であるソ連が大きな力をもったこと、続いて中国の革命が勝利したこと、このように世界情勢が変わってきたことは、日本の民主運動を進めるうえでも大きな有利な条件だと、当時はみていました。
 しかし、事態はまったく違っていたのです。私たちの国際交流が断絶していた10年余りのあいだに、ソ連はとんでもない体制に変貌していました。
 どう変わっていたか。そのあらましを、ソ連崩壊後明らかになった事実を含めて、おおまかにでも説明しておきたいと思います。
 まず、30年代のなかば、ソ連国内では、革命と社会主義のために身をささげた何万何十万、さらにはそれを超える人たちが「外国帝国主義の手先」という無実の罪を着せられてテロの犠牲になりました。コミンテルンで活動していたわが党の山本懸蔵などの同志を含め、多くの外国の共産党員もそれに巻き込まれました。
 その嵐が過ぎたあと、ソ連は、スターリンがすべての重要政策を1人で決定する、だれもがそれに無条件に従うという専制国家にすっかり変わっていたのです。
 スターリンは、この体制をつくりあげると、ソ連の領土と勢力圏の拡大を国家の至上目的とする大国主義、覇権主義の道に乗り出しました。まず、ヨーロッパで大戦が始まる直前、それまで掲げていたファシズム反対の旗を捨てて、ヒトラー・ドイツと手を結び、秘密条約(39年8月)で東ポーランド、バルト3国などを併合してしまったのです。
 西ヨーロッパを征服したヒトラーは、40年9月に日本やイタリアと軍事同盟を結びました。いわゆる3国軍事同盟です。ヒトラーは、11月にソ連の外相モロトフをベルリンに呼んで、この軍事同盟の仲間入りをソ連に提案したのです。その内容はイギリスを撃破したら、そのあとの世界を4カ国で分けようじゃないか、ドイツとイタリアはヨーロッパとアフリカ、日本は東アジアと東南アジア、ソ連には、中央アジアから南の中東地域を割り当てる、これでどうだ。こういうとんでもない計画でしたが、東欧の再分割ですでに味をしめているスターリンは、会談の報告を聞いた後、ヒトラーにオーケーという提案受諾の回答をしました。ヒトラーや日本の侵略国家と結んで自国の領土拡大をはかるなどということは、社会主義の精神を少しでも残していたら絶対踏み込めない話ですが、スターリンは平気でその道を選んだのでした。
 しかし、この4国同盟の提案は、すでに対ソ戦の方針を決めていたヒトラーが、戦争準備をソ連の目からごまかすために編み出した大謀略だったのです。ヒトラーはスターリンがオーケーの回答を出すと、ドイツ全軍に対ソ戦の準備に入ることを命令し、翌年1月早々からバルカンにどんどん軍隊を出します。ところがスターリンのほうは、「これはイギリス相手の作戦なんだ」というヒトラーの説明を真に受けて、何の本格的な手段もとらないまま見過ごしました。
 いま、ヒトラーが41年6月に、なぜソ連への不意打ち≠あんなに見事にやってのけたのか、これが世界大戦の歴史の謎のひとつになっています。その最大の理由は、ヒトラーがスターリンの領土欲の強さにつけこんで立てた謀略作戦の成功にあったのです。
 この戦争が始まると、スターリンはいったん捨てた反ファシズムの旗をまた拾って、アメリカ、イギリスと結び、ヒトラー・ドイツを打ち破る戦争では、ソ連は大きな役割を果たしました。
 しかしこの中でも、彼は領土拡張主義を捨てなかったのです。特に戦争の末期、45年2月のヤルタ会談で、「残るは日本だけ、戦争を早く終わらせるために、ソ連も参戦してくれ」ということを、アメリカから求められると、スターリンは、「領土の獲物がなければソ連国民は納得しない」―こういって元ロシア領だった南樺太だけでなく、本来の日本の領土である千島もよこせ、それから日露戦争前にロシアが持っていた中国の国内の権益も復活させろ、こういう要求を出して押し通しました。これが今の「北方領土」問題の根もとにあるのです。
 あの戦争は、連合国の側では「領土不拡大」を掲げた戦争でしたが、その戦争の目的に自国の領土拡大をはっきり結びつけたのは、ソ連しかなかったということをはっきり見ておく必要があります。
 戦後の世界に登場したソ連は、社会主義や革命の精神を捨てた、こういう存在に変わっていたのであります。

「50年問題」(Page/Top
 スターリンは世界の共産党との関係では、戦争中、コミンテルンを解散させました。しかし、その代わりに、今度は主だった共産党の指導部を秘密の影の網の目で絡めとって、直接、ソ連の指導下に置く、こういう体制をとりました。
 しかし、日本共産党は、その網の目からはずれていたのです。この空白をうずめるために、スターリンは戦争が終わったそのときから、日本の党や運動に対する干渉の計画を練り始めました。
 私たちの党に大変な苦難と分裂をもたらした「50年問題」とは、スターリンがこの干渉作戦を発動したものでした。彼は、最初は、善意の助言者≠装って手を出します。そして一部の幹部をがっちり自分の手に握ると、今度は党を分裂させて、その代表を北京に呼び、ここに分派の司令部をつくらせて、そこから日本に武装闘争の方針を持ち込むという、無法、むちゃなことをやりました。この無法が、アメリカによる日本共産党の事実上の半非合法化という弾圧と結びついて、あの時代、わが党を大変な苦難のなかに落とし込みました。49年選挙の躍進で勝ちとった議席も次の選挙ではすべて失いました。
 そして党が弱体になったその時期に、「講和」の名の下に日米安保条約を押し付けられ、日本はアメリカの基地国家という状態に今日まで縛り付けられたのです。
 私たちの党が、この苦難を乗り越えて、党の統一と再建に足を踏み出したのは、50年代の後半でした。まだ、ソ連の覇権主義の正体を見抜くところまではいきませんでしたが、自分たちの経験からの教訓として、「相手がどんな経験を持ったどんな大国の党であれ、外国勢力の干渉は許さない、日本共産党の方針はすべて自分自身で解決する」、こういう自主独立の態度を確立しました。
 そして、1958年の第7回党大会、61年の第8回党大会を通じて、党の綱領を打ち立てました。この綱領で、アメリカとの従属関係を断ち切り、国の政治・経済で国民本位の民主改革を実行する、こういう民主主義の革命にまず取り組んで、次の段階で社会主義に進むという段階的な発展の戦略を立てました。当時の世界の運動では、発達した資本主義国では社会主義革命が当たり前というのが一般の方向で、私たちのこの方針は異端者扱いされました。しかし、わが党は、60年の国際会議でも、ソ連、イタリア、フランスなどの党の反対意見を論破して、国際会議の声明にこの路線の意義付けをきちんと書き込ませました。
 この頃、日本で政権を握るようになったのは、保守合同で生まれた自民党でした。この自民党に、アメリカと日本の支配勢力は、二つの異常な政治のレールを押し付けました。
 一つは、アメリカの基地国家のままで、日米安保条約絶対の道を進むという「アメリカ言いなり」のレール。もう一つは、大企業集団の復興、成長、発展に国を挙げて取り組むという「財界言いなり」のレールです。
 この言葉は、よく聞かれることだと思いますが、大本はこのあたりにあるのです。これがいまも生きて、日本の政治を狂わせている間違ったレールの始まりだということを、どうかよく覚えておいてほしいのです。(拍手)
 党が決定した綱領は、これと対決して、日本の前途に新しい進路を開く内容を持っていました。

二つの戦線での闘争。第2次の躍進(69、72年)(Page/Top
 この綱領のもとで私たちが政治革新のたたかいに取り組んでいる最中の1964年、「自主独立の党の存在は許さない」と、ソ連共産党から再び攻撃がかかってきました。スターリンはもう死んでいましたが、覇権主義のDNAは後継ぎの人たちにそのまま引き継がれていました(笑い)。その2年後の66年には、中国からの攻撃が始まりました。国内で、「文化大革命」という暴走を始めた毛沢東派が、日本共産党を「日中両国人民の共同の敵」と言い立てて、全面攻撃に乗り出したのです。
ソ連も中国も、言葉だけの攻撃ではありません。それぞれが国の総力を挙げ、日本国内に反日本共産党の戦線を広げると同時に、内通者をもり立ててニセの「共産党」をつくり、本気で日本共産党をつぶそうという大干渉作戦でした。
 世界でも二つの大国の党から同時にこうした乱暴な干渉攻撃を仕掛けられた共産党は、ほかにはないのです。
 われわれは一歩も引かずに、この攻撃と正面からたたかいました。文字通り全党が立ち上がって、二つの干渉作戦を徹底的に打ち破り、同時に国内政治でも、党綱領の旗のもとで、大きな躍進を勝ち取りました。
 総選挙では、58年の選挙で101万票、1議席。60年の安保闘争の年にも、115万票、3議席でした。それが、69年の320万票、14議席、そして72年の563万7000票、39議席に、このたたかいのなかで大躍進をしたのです。
 これを支える党勢も、58年の7回大会のときには、党員3万6000人、「赤旗」読者は4万7000人、これが出発点でした。当時はまだ日曜版はなかったのです。
 それが、73年の第12回党大会のときには、党員34万2000人、読者は日刊紙が63万4000人、日曜版257万人へと大きな発展を勝ち取りました。
 いま振り返っても本当にすごい時代だったと思います。内も外も激戦につぐ激戦の時代でした。党員の一人ひとり、ともに腕を組んで干渉者に反撃し、日本の平和・民主主義の自主性を守り抜いたすべての人々の一人ひとりが、まさに「英雄」の名に値する、そういう歴史的な奮闘の時代だったというのが、当時を振り返っての私の強烈な印象であります。(大きな拍手)

70年代。政治の様相が一変した(Page/Top
 日本共産党の躍進は、1970年代に日本の政治の様相を一変させました。
 1950年以来、革新府政を維持してきた京都に続いて、67年には東京都、71年に大阪府、川崎市、72年には沖縄、埼玉、岡山の3県、73年には政令都市の名古屋と神戸、74年には香川と滋賀の2県と、革新勢力の勝利が相次ぎました。75年4月のいっせい地方選挙の時点では、全国の革新自治体の数は205、その人口は約4700万人。日本の総人口の約43%が革新政治のもとで生活するというところまで進みました。これは国政に大きな影響を及ぼしました。特に例を挙げますと、革新自治体で老人医療費無料化が広がるでしょう。そうすると、さすがの政府もこらえきれなくなって、72年6月、国として老人医療無料化の老人福祉法改正を決める。こういうことまで起きたのです。
 国会でも論戦が活発化しました。もちろん私たちは綱領の立場で、日本の新しい進路を示して頑張ります。どの野党も、自民党の路線には同調しないで、それぞれの立場で国の進路を争う、これが当時は国会論戦の当たり前の姿でした。
 国会運営でも、共産党の参加で、新しい展開が続々と起こりました。
 73年、石油ショックのさなか、大企業の売り惜しみ・買い占めで国民生活が大変な目にあったとき、国会に大企業の代表を呼んで、悪徳商法を徹底的に追及して告発しました。これも、国会史上初めての快挙でした。
 76年にロッキード問題が起きたときには、政府与党がもみ消しに回りました。その時に、共産党、社会党、公明党の3党が組んで、自民党に物を言わせないで、両院議長と各党5党首の会談を開かせて、そこでロッキード徹底究明のレールを敷く。こういうこともやりました。
 統一戦線は国政にも及びました。この問題では、共産党と社会党の間で論戦がずっとあったのですけれども、70年代の後半には、社会党と共産党の党首の間で、統一戦線に向かってお互いに努力しようということで3回も合意しあいました。
 簡単に見ただけでも、70年代の政治がいまの国の政治の状況と、どんなに違っていたか、お分かりいただけるのではないでしょうか。

3、「オール与党」体制を打ち破るたたかい(Page/Top

1980年。支配勢力が総力をあげた反共戦略を開始
 この状態は、日本の支配勢力にとっては大変なショックでした。彼らは、もう日本共産党というのは「50年問題」でおしまいになった、片付いた≠ニ思っていたのです。その党がさらに大きな力をもって復活してきた。自主独立で、ソ連にも中国にも負けない、これは大変だというので、彼らは作戦をめぐらせました。作戦といっても、戦前やアメリカの占領時代のように弾圧する、というわけにはゆきません。
 それで、彼らが選んだのは、共産党に進出の可能性を与えないように日本の政界をつくりかえるという道でした。
 それは、自民党政治のレールの上に共産党以外の政党を全部乗せてしまう、形の上では与党・野党の区別はあっても、大きな路線は全部一緒だ。言い換えれば、安保のような大きな政治問題では日本共産党以外は全部「与党」だ、いわゆる「オール与党」です。この体制をつくりあげようという作戦が1980年からはじまりました。
 最初は、政治制度をかえるところまではゆきません。とりあえず、政党工作だというので、社会党に狙いをつけ、公明党が働いて、社会党を革新から引きおろしました。80年1月の「社公合意」といわれるものです。
 これが、日本共産党を政界ののけものにする、あの党に投票しても無駄だということを見せつける、こういう作戦のはじまりでした。それ以後、80年代の国会でも、地方政治でも、革新の声がずっと静まって、社会党と自民党の協調でなんでも運営されていくなれあい政治がまたはじまりました。
 しかし、こういう体制は必ず汚職・腐敗をふやします。これではもうもたないとなった90年代初めに、政党工作だけではだめ、政治制度のあり方を変えなければいけない、そういうことで、今度は、いわゆる「政治改革」が問題になりました。小選挙区制と政党助成金を入れて、「オール与党」を二つに分けて、「自民」と「非自民」の二つの政党の間で選挙をするように仕組む、そうすればもう共産党の入り込む余地がない、こういうシステムにしようという企てでした。93年の総選挙では、この筋書きに沿って「オール与党」が「自民」と「非自民」にきれいに分かれました。選挙の結果、細川首相をかついだ「非自民」連合が勝って、政権交代ができ、みごとに自民党政治の危機を救いだしました。しかし、そのときは、「非自民」政党というのは、八つの党の連合所帯でまとまらず、細川内閣は、政治改悪の法案を通しただけでつぶれてしまいました。そうなると、「非自民」連合もばらばらになります。その結果、二つの政党どころか、たくさんの政党が並び立つ多党化時代に入ってしまったのです。

第3次の躍進(96、98年)。「二大政党」づくりの新戦略
 こうして、にわかづくりの「二大政党」体制が壊れると、もう新しい選挙制度も共産党封じ込め≠フ力をもちません。そうなれば、だれが国民の利益を守るか、だれが日本の進路を開く力を持っているか、これが、いや応なしに選挙戦で問われます。
 党が、1996年の総選挙で比例726万8000票、98年の参議院選挙で比例820万票、第3次の躍進を実現したのは、こういう情勢のもとででした。
 二つの選挙の結果を受けて、これは大変だ≠ニ、今度は財界総がかりでの3回目の企てが2003年に始まりました。それが「二大政党」づくりの新戦略です。
 10年前の細川新党みたいにごちゃごちゃの連合ではだめだ、もう少し長持ちのする「非自民」の統一政党をつくろう、こういう構えで新民主党が生まれました。「選挙とは政権党を選ぶもの」、そういう「原則」を勝手に宣言して国民に押しつけ、「二大政党」以外の政党は枠外にする、こういう狙いで選挙方式の切り替えも大掛かりに強行されました。いまでは評判がた落ちの「マニフェスト選挙」もこのときに持ち込まれたものでした。
 しかし、3回目のこの作戦も、投票集めの切り札とされた「政権交代」が3年前にいよいよ実現してみると、もうだめです(笑い)。結局、衣装だけ替えて自民党政治を続かせる、そういうやり方だということが、たちまち明らかになりました。

反共作戦のかげでの悪政の進行(Page/Top
 そういうことばかり、つまり共産党締め出しに大変なエネルギーを使ってきたのが、この30年間でした。では、その間に、大事な政治の本業では、何がやられてきたのか。それは、半世紀も前に設定された「アメリカ言いなり」「財界言いなり」のレールの上を、無責任・無反省にただ走り続けるだけの「投げやり政治」でした。
 その経過と結果を見るために、いま消費税増税の口実として大問題にされている財政危機が、なぜうまれたかを考えてみましょう。
 財政危機の深さを示すモノサシに国と地方の借金(長期債務の残高)という問題があります。これがその国の経済の力、国内総生産=GDPに対してどれぐらいの割合になっているか、世界では、財政危機の深さをこの割合で測るのが普通になっています。
 いま日本ではこの借金比率は190%、世界でも最悪の状態となっています。
 これは自動的に増えてきたわけではありません。だれが増やしたのか。だれが利益を得てきたのか。事実を見てみましょう。
 日本の財政は、1970年代の末、「オール与党」体制ができる前の時点では、借金の総額98兆円、借金比率44%とまだ健全でした。それが「オール与党」体制が始まって10年たった80年代の末には、借金総額254兆円、比率61%。当時、ヨーロッパのEUでは危機ラインは60%といわれましたから、それを突破するところまで悪化してしまったのです。94年度末に、これが75%にもなった時、政府の諮問機関である財政制度審議会は答申(95年5月)を出して、この「現状は近い将来において破裂することが予想される大きな時限爆弾を抱えた状態」だ、なんとかしなければ、という厳重な警告を出しましたが、政府や与党筋でこの警告に耳を傾ける者はだれもいませんでした。
 90年代末にこれが120%を超えたときに、私は当時の小渕首相相手の党首討論(2000年1月)で、この現状を指摘して警告したのですが、彼の答えは「私は1年半で借金を101兆円増やしましたよ」(笑い)と自慢顔でいうだけで、まさに「投げやり政治」を絵に描いたような姿でした。
 こうした政治が続いた結果、現在ではついに借金総額は900兆円、借金比率190%、十数年前に警告された「時限爆弾」の爆発どころではない状態にまでなったのです。

浪費財政の責任者、受益者はだれか(Page/Top
 この危機の責任を負っているのは、「オール与党」勢力であって、国民ではありません。誰がこの危機からもうけたのか。これも、放漫財政の実際を見ればわかります。
 放漫財政でまず問題になるのは、軍事費と公共事業費です。その予算の動きを、10年ごとの合計で年代別に比べてみると、こうなります。
 軍事費は、70年代12兆6000億円、80年代30兆5000億円、90年代46兆8000億円、2000年代48兆7000億円。こういう増え方で、90年代がグンと多いんです。
 公共事業費は、70年代153兆2000億円、80年代291兆3000億円、90年代460兆3000億円、2000年代293兆6000億円。これも、やはり90年代に大幅に増えています。それ以後は、赤字の圧力で多少落ちました。
 なぜ、90年代にこんなに増えたのか。90年代といえば、その年代の頭、91年にソ連が崩壊しました。「防衛」上一番の脅威としてきたソ連が崩壊したのだから、軍事費が減ってもいいはずなのに、これがどんどん膨れ上がった。調べてみると、例えば、対ソ戦にしか使えない「90式戦車」というものをソ連崩壊後もどんどん300両以上も造り続けました。対ソ戦用のイージス艦、1隻1200億円もするものを、これまた6隻も造りました。この二つの兵器だけで合計1兆円を超えるむだな費用が軍需産業に支払われたのです。こんなバカげたことをやった。
 公共事業では、90年代の公共事業予算は70年代の3倍を超えました。覚えておられないでしょうか。最初に海部首相がアメリカのブッシュ大統領と(90年)、続いて村山首相と橋本首相がアメリカのクリントン大統領と(94、97年)約束して、結局、毎年50兆円ずつの公共投資を13年間続けるという取り決めを交わしたのです。公共投資とは、国民の必要があるから投資するものでしょう。それなのに、いくらやるかという金額の莫大(ばくだい)な枠をアメリカと先に決めてしまって、それから政府が投資先を探す。そういう逆立ち政治が90年代に始まったのです。
 こうして「浪費が美徳」、これが「オール与党」政治の合言葉になり、日本の財政は、だれも心配しないまま楽々と危機ラインをはるかに突破して今日に至ったのです。
 しかもその間、税金の負担の面でも大改悪がありました。80年代末には税収全体の34%を占めていた財界中心の法人税が、いまでは20%を割るところまで大幅に減っているのです。
 予算の浪費でも最後のもうけ仕事は財界に行く、税金の改悪でも最後の利益は財界のためをはかる、こういうことがずっとやられてきた。この歴史をきちんと見るなら、今の財政危機の責任が国民にあるのではない、社会保障費の増大にあるのでもない、そのことに議論の余地がないではありませんか。(拍手)
 アメリカと財界の注文のまま、30年にわたって「浪費」の限りを尽くしてきた「オール与党」政治こそ、その責任者であります。そしてそこから最大の利益を得てきた者こそ、財界・大企業集団です。危機の責任を負う政府与党が、自分の責任で、最大の受益者である財界・大企業の負担でこの危機を解決する――この道を探求するのが当然ではないでしょうか。(大きな拍手)
 しかし、「オール与党」の誰も、その責任の意識すら持ちません。自分たちの悪政の責任を平気で国民に押し付ける。こういう勢力にこのまま政治を任せ続けるわけにゆかないことは、この歴史を振り返っただけでもまったく明らかではないでしょうか。

4、日本共産党の理論史(Page/Top

 党史を語る場合、60年代以後の党の理論史を省くわけにはゆきません。この半世紀は、理論面でも、党史の上で特別の時代をなしていました。

スターリンのえせ理論体系が世界の定説になっていた
 自主独立の立場を確立したことは、党の理論的発展の新しい出発点になりましたが、それだけで問題は解決しませんでした。スターリンは、科学的社会主義とは似て非なる理論体系をつくって、それが世界の定説になっていた場合が少なくなかったからです。
 社会主義の理論では、ソ連に立派な社会主義のモデルができているのだから、いまさら古い理論を持ちだす必要がない、ということで、マルクスの社会主義論の豊かな財産はお蔵にしまいこまれました。革命論でも、マルクスの理論は革命がまだ現実の問題になっていないときにつくられたもので、いまではそれは無用の長物、こう決めつけて、あっさり投げ捨てられました。
 経済学では、『資本論』の大筋だけは引き継ぎましたが、それにスターリン流の「資本主義の全般的危機」論なるものを継ぎ足して、これが現代資本主義を研究する最高の理論だとされました。
 哲学や社会科学の問題でも、スターリンが書いたとされる教科書の小冊子があって、そこでは唯物論も、弁証法も史的唯物論もいくつかのテーゼに簡単にまとめられている。そこに精髄があるとされました。
 世界情勢論では、世界をアメリカを先頭とする帝国主義陣営と、ソ連を先頭とする反帝国主義陣営とに分けて、ソ連の強化・発展こそが世界の進歩・発展の力になるんだと、こういうソ連第一主義が押し出されました。
 これらの理論は、世界の運動の中で常識的な定説となっている場合が多く、それを振り払って日本と世界を「科学の目」で分析する科学的社会主義の現代的観点を確立することは、自主独立の旗を立てたからすぐできるというものではなかったのでした。

科学的社会主義の理論的再生をめざして
 われわれは、ソ連や毛沢東派との論争の中で、また日々ぶつかる日本と世界の諸問題との切り結びの中で、理論のかかわる全領域にわたって、マルクス以来の科学的社会主義の本来の理論と精神を復活させ、スターリンが持ち込んだえせ理論体系を克服する仕事に全力をそそいできました。「マルクスをマルクス自身の歴史の中で読む」―これを合言葉にしたマルクスの理論的な到達点の研究や、レーニンの積極面と同時に誤りも明らかにしながらその理論的遺産をくみ取る研究も、すべてこの立場で行ってきたものでした。ここで、その内容を詳しく報告するわけにはゆきませんけれども、第7回党大会以来の党大会の記録や、われわれがその間に発表した主な論文だけでもざっと見ていただけば、おおよその内容はわかっていただけると思います。また、古典教室の最後の講義でやや詳しく報告し、その部分は『前衛』7月号に掲載しましたので、参照していただければありがたいと思います。
 わが党は、2004年の第23回党大会で党綱領の抜本的改定を行いましたが、新しい綱領には、61年以来の党の理論的発展のすべてを盛り込みました。
 そして、われわれが半世紀にわたって取り組んできたこの仕事は、スターリン時代の中世的な影を一掃して、この理論の本来の姿を復活させ、それを現代に生かす、いわば科学的社会主義の「ルネサンス」をめざす活動とも呼べるものだ、と私は思っています(拍手)。そういう意味で、日本共産党のこの間の理論史は、国際的にも重要な意義を持っていることを強調したいと思います。

5、歴史を踏まえ、日本社会の新しい進路をめざして(Page/Top

 こういう歴史の中で日本の現状を見る時に、私は、いま日本の社会は迫りつつある大きな転換の前夜にあるのではないか、こういう予感を痛切に感じます。
 ――悪政の連続のもと、国民の苦難は生活と権利の全分野で明白です。さらに、「アメリカ言いなり、財界言いなり」の政治を進め、そこから利益を独り占めにしてきている財界自身が、こういう政治を歓迎しながらも、多少とも長い視野での先の話になると、まったく見通しを持てないで戸惑っている、このこともいたるところで明らかになっています。
 だいたい資本主義のもとでも、一国の健全な経済発展は、国民生活を中心にした内需の拡大なしにはあり得ないのです。これが経済の鉄則ですから、国民を犠牲に財界・大企業の成長だけを追求する、こんな枠組みでは矛盾を深刻化するだけです。
 ――外交では、いま世界では、日本の存在感がまったくありません。だいたいみなさん見てごらんなさい。何かことが起こった時に、日本に相談に来る国がありますか(笑い)。これは、内閣の出来不出来だけの問題ではないのです。自主性を欠いたアメリカ頼みの外交を半世紀以上も続けてきたこの国で、こういう外交では、前途は絶対に開けないのです。
 世界はいま、発展的な大激動の時代を迎えています。発達した資本主義が世界の主役だった時代は終わりつつあります。人口はいまでは世界総人口の7分の1、経済の比重も、この20年間に世界の80%から60%に低下しました。
 そしていま大きく登場しているのは、アジア・アフリカ・ラテンアメリカの国々です。これらの国々は16世紀から19世紀にかけて資本主義に侵略され、それまでの文明的な発達をピシャッと閉ざされた国ばかりです。その国々が、植民地体制が崩壊したなかで、独立国家として世界の表舞台に登場し、政治でも経済でも大きな役割を果たすようになっています。これは、文字通り世界の様相を変える巨大な変化でした。
 いま、私たちが生きているのはこういう変化し躍動する世界なのです。この変化した世界で60年前に押し付けられた日米安保と「アメリカ言いなり」政治にしがみついているままの日本が、自分の居場所を見つけられないのは当たり前ではないでしょうか。(大きな拍手)
 ――日本の国民の間でも、政治の地殻を揺るがすような底深い大きな変化が進行しています。原発ゼロ、消費税増税反対、TPP反対、オスプレイ配備反対など、どの問題でも運動は、これまでのいろいろなしがらみをおし流す勢いで、大きな国民的うねりになりつつあります。毎週金曜日の原発再稼働反対の行動。この行動で若い世代が先頭に立っていることは、これからの日本にとって本当に頼もしいことであります。(大きな拍手)
 ――そのなかで、これまでの古いレールにとらわれたままの政党と、それを転換して新しい進路をめざす政党との違いも、いよいよはっきりしてきています。政局的な離合集散はこれからもいろいろあるでしょう。しかし、あれこれの名前や看板で目新しさを装ってみても、「アメリカ言いなり」「財界言いなり」という古いレールときっぱり手を切る覚悟を欠いた立場では、いまの日本の行き詰まりを打開することはできません。
 日本共産党は、自民党政治の異常な枠組みを打ち破るために、半世紀をこえて粘り強くたたかってきた政党であるからこそ、「経済提言」でも「外交ビジョン」でも、日本の政治の転換の道筋を具体的に提起することができるし、そこから見えてくる新しい日本の展望が、いままで親しい接触がなかった団体や分野のあいだにも、連帯と共感の声をひろげつつあります。
 ――外交面でいえば、日本共産党は、野党ではあるが、この十数年来の野党外交の展開を通じて、アジアの近隣諸国とも、イスラム諸国とも、またラテンアメリカの新興諸国とも、対話と友好のネットワークを築いてきました。このネットワークの広さと質は、資金頼みの政権党のネットワークよりも、広くかつ強いものがあるかもしれません。
 これらが示しているのは、「オール与党」体制下、長年続いた古い政治が生み出した閉塞(へいそく)感を打ち破り、21世紀にふさわしい新しい前進の時代を開く客観的な諸条件が、各方面から熟しつつある、こういうことではないでしょうか。(拍手)
 いま、私たちは、日本の新しい進路につながる諸要因が、社会のさまざまな地点で大きく生まれつつあるなかで活動しています。そして、そのなかで党の創立90周年の記念すべき日を迎えています。その意義を深くつかもうじゃありませんか。私は、その肩に日本の未来を担っている若い世代のみなさんに、特にこのことを訴えたいのであります。(拍手)
 いま、私たちがめざしている日本共産党の躍進は、日本の進路の21世紀的な転換というこの大事業の要をなすものであります。創立以来90年間、日本の社会変革の事業に力をつくしてきた数知れない先輩たちの活動に思いを寄せ、その志を受け継ぎながら、日本共産党の躍進のために全力を注ぎ、日本共産党の歴史の新しいページ、そして日本社会の歴史の新しいページを開こうではありませんか。どうも、ありがとうございました。(割れんばかりの拍手)

( 2012年07月21日,「赤旗」) (Page/Top

青森県本部が23回大会開く/治維法国賠同盟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟青森県本部の第23回大会がこのほど、青森市で開かれました。43人が参加しました。
 舘田篤広県本部会長は、「原発再稼働に抗議する行動で共同が広がっていることを確信にし、戦争への道を許さないたたかいを一層強めよう」と訴えました。
 日本共産党の高橋ちづ子衆院議員が来賓として出席し、連帯のあいさつをしました。
 討論では、「毎月の学習を定例化できた」(東青支部)、「会員を拡大し仲間を増やしている。大会前日も4人が加わった」(弘前支部)、「各自治体に初めて意見書を出した。各種団体を回り幅広く交流している」(下北支部)などの活発な発言がありました。
 消費税増税や原発の再稼働、環太平洋連携協定(TPP)、米海兵隊のオスプレイ配備などの問題をめぐり、「野田内閣は、解散・総選挙で国民の信を問え」とする特別決議を採択しました。
 新役員に舘田会長(再)らを選出しました。
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2012年07月20日,「赤旗」) (Page/Top

「八策」改定版で鮮明「橋下・維新」の危険/下/恐怖政治と改憲志向/翼賛政治を礼賛

 「維新八策」改定版は、恐怖政治と改憲志向を加速させています。
 その象徴が「公務員制度改革」です。「八策」改定版は「大阪府・市の公務員制度改革を国に広げる」としていますが、実際に橋下徹市長が大阪市でやっているのは「物言わぬ公務員」づくりです。
 橋下氏は、憲法違反の思想調査につづいて「職員の政治的行為制限条例案」を市議会に提出。政党機関紙の発行・編集、配布から、集会やラジオなどで政治的意見をのべること、ビラを発行したり読み上げること、政治的な演劇に出たりチケットを販売することまですべて「政治的行為」として禁止し、違反すれば「懲戒免職」にするというのです。「まるで治安維持法」と戦前の弾圧法に例えて報じた新聞もありました。
 橋下氏は「市長の顔色をうかがわないで誰の顔色をうかがうのか」と放言、その一方で「公務員は国民に対して命令する立場」とのべるなど、「全体の奉仕者」であるべき公務員を市長の「下僕」とし、国民に命令させようとしているのです。

■教育分野/競争主義
 教育分野でも、「八策」改定版は「大阪府・市の教育関連条例をさらに発展、法制化」するとしています。
 実際に大阪府・市でおこなわれているのは、3年連続で定員割れした府立高校を統廃合するとして学校間競争をけしかけたり、子どもたちには学力テストの結果公表と府内新テストなど、テスト、テストで駆り立てる徹底した競争主義の導入です。
 学校現場では、教員向け手当の校長査定権≠導入しようと画策。校長による教員への管理統制を徹底させようとしています。君が代強制条例では、府立和泉高校の校長(橋下氏の友人)が教員の口元までチェック。「君が代」斉唱時に起立しない教員が出た中学校では、保護者説明会まで開かれました。
 これが、「八策」改定版がいう「(学校を)校長を長とする普通の組織にする」ことです。「八策」のように、教育委員会を廃止し、「首長に権限と責任を持たせ」れば、恐怖政治が教育現場にまで直接及ぶことになります。

■改憲志向/9条憎し
 9条憎しの改憲志向も相変わらずです。
 「八策」改定版は「憲法9条を変えるか否かの国民投票」を明記。橋下氏は、海外での武力行使を可能とする集団的自衛権行使を容認する方向で憲法解釈を変更しようとしている野田佳彦首相を「すごい」と絶賛するなど、9条改悪の方向を隠していません。

■悪政強行/首相賛美
 「維新八策」は「決定でき、責任を負う民主主義」を売り物にしています。そこで共鳴するのが、民意に背き公約を踏みにじる野田内閣の姿勢です。
 橋下氏は「やっぱり野田首相すごいですよ。集団的自衛権についてもTPPについても、当初いっていたことを着実にいま進めているじゃないですか」「確実に決める政治をされてると思う」(10日)、「手続きを踏んで物事を決めていくというのが政治の一番重要なところ…いろんな議論を党内でしながら物事を決めていくことはすごいことだ」(11日)と連日、賛美しています。
 野田首相が進めているのは、自ら「国論を二分する問題」と認める消費税増税や原発再稼働、環太平洋連携協定(TPP)などを反対意見を無視してごり押しすること。世論調査で5割から7割が反対を表明している問題を国会での多数をたのみに強行するのは「数の暴力」です。それをマスメディアが「決定できる民主主義」と持ち上げているのが現状です。
 しかも、選挙で勝てば白紙委任を受けているとばかりに、悪政を強行するのが橋下氏の手法。「決定できる民主主義」とは、まさに「独裁」の手法そのものです。橋下氏が野田首相に共鳴するのも、民意を無視しても悪政を強行する姿勢を示すものにほかなりません。
 (おわり)
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2012年07月19日,「赤旗」) (Page/Top

「八策」改定版で鮮明「橋下・維新」の危険/上/「過激な新自由主義」いっそう暴走

 橋下徹・大阪市長が率いる「大阪維新の会」が、次期総選挙向け公約とされる「維新八策」の改定版(維新政治塾のテキスト)をまとめました。そこには、自民・民主の古い政治≠より過激に推進する姿勢がいっそう鮮明になっています。民自公の翼賛政治を礼賛する姿勢とあわせて、危険な中身をみてみると―。

 「維新八策」改定版は「維新が目指す国家像」として、これまでどおり「自立する個人」「自立する地域」「自立する国家」を明記しています。

■生保有期制/福祉破壊
 そこに加わったのが「自助、共助、公助の範囲と役割を明確にする」という文言。民自公による社会保障解体を狙う「社会保障制度改革推進法案」の考え方そのままです。「自助」と「助け合い」が基本で、国家が出てくる「公助」はいざというときだけという、無慈悲な社会保障破壊の方向です。
 「八策」改定版で、「社会保障給付費の合理化・効率化」という名目で、公費支出を縮減することを明記。とりわけ生活保護では、「有期制」「現物支給中心の生活保護費」を打ち出し、保護打ち切りなどをにじませています。
 橋下氏も生活保護について、「公金を使う以上、まずは家族で支え合いしてもらいたい」「生活保護費が膨れ上がっている状況で、一律削減すべきという議論にもなる」とのべています。
 さらに、「八策」改定版は、雇用政策でも「解雇規制の緩和」を明記。ただでさえ、非正規切りなど不当な解雇が横行しているのに、いっそう解雇自由の社会をつくろうとしています。

■交付税廃止/地方破壊
 「八策」改定版は「自立する地域」をめざすといいながら、地方破壊の方向が鮮明です。
 その最大の目玉≠ヘ、橋下氏が「最大の争点に掲げ、国民に判断してもらう」(6月28日)としている「消費税の地方税化」です。その中身は、消費税の国税分10・4兆円(4%分)を地方に移す一方、地方交付税を廃止するというもの。振替措置を含めた実質的な地方交付税の規模は約23・5兆円ですから、地方の財政に約13兆円もの穴があきます。
 その額は、民自公が狙う消費税大増税分(税率5%引き上げで約13兆円)と全く同じ。メディアも「維新八策は増税公約か」(日経)と指摘しています。消費税増税が嫌なら住民サービスの大幅削減という最悪の選択です。
 もともと、消費税の地方税化は「小泉構造改革」で提唱されたものです。経済財政諮問会議で、経団連会長などの民間委員が「地方交付税総額を抑制し」「地方消費税」として税源移譲することを提案(03年11月)。「小泉改革」の継承を自称するみんなの党が公約に盛り込み、最近でも竹中平蔵元総務相らが盛んに力説しています。
 そのうえ「八策」改定版は、「自治体破綻制度の創設」「道州制が最終形」としています。結局、国が地方の財源を保障する「地方交付税」を廃止し、地方財政を自助努力≠ノまかせて競争させ、それに敗北した自治体は「破綻制度」で整理し、最終的には道州制にもっていくシナリオです。

■TPPも/米国追随
 「自立する国家」といいつつ、なんでも「米国へ倣(なら)え」の姿勢も明らかです。
 「八策」改定版でも安全保障は「日米同盟を基軸」。橋下氏は、事故が多発している米垂直離着陸機オスプレイの沖縄配備についても「県民に納得してもらえるには、どういうルールにすべきか考えなければならない」(6日)と、配備押し付け策を模索せよと政府を督励するありさま。
 農林水産業を破壊し経済のルールも米国化する環太平洋連携協定(TPP)では、「八策」で「参加」を明記。お金のあるなしで医療格差をうむ混合診療についても、米国の要求どおりに「完全解禁」としています。
 消費税の地方税化も、米国がモデル。地方交付税のような国による財政調整機能がなく、州ごとに税率の違う小売売上税があるだけの米国のように、格差社会を日本に持ち込もうとしているのです。(つづく)

こっそり消えた政策も

 「維新八策」改定版で、看板に偽りありの政策やこっそり消えた政策もあります。
 一つが「脱原発依存」。野田内閣の原発再稼働プロセスを批判して「民主党政権を倒す」と倒閣宣言までしておいて、「(再稼働は)事実上容認」「負けたと思われても仕方ない」とあっさり白旗をあげたもの。「橋下市長が理解を示したことで、一気に再稼働容認への流れができた」(「読売」5月31日付)と批判されるありさまです。背景には関西電力トップとの密談がありました。
 消えた政策が、「政党交付金の削減」です。改定版では「政党交付金の抜本改革」となり、あわせて「地域政党を認める法制度」がならびました。つまり、「維新の会」のような地域政党も政党として認め、政党交付金を配分せよという要求です。福祉を「ぜいたく」といい、公務員給与は削減し、市民向けサービスには大なたをふるいながら、自らの政党は税金から分け前をもらおうというのですから、あつかましい限りです。
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2012年07月18日,「赤旗」) (Page/Top

日本共産党創立90周年記念出版/宮本顕治著作集刊行開始/生涯にわたる思想と活動の発展

 日本共産党の元議長、故宮本顕治氏の著作集(全10巻)の刊行が始まりました。
 宮本氏は、共産党が非合法に置かれた戦前、過酷な弾圧と迫害に屈せず反戦平和の旗を掲げ続け、獄中にあっても非転向を貫き、戦後も日本の革命運動の先頭に立って、理論と実践の両面で奮闘しました。
 その生涯は、「反戦によって日本人の名誉を救った」(評論家の故加藤周一氏)、「考え方は違うが、一人の政治家として信念を貫き、敬意を表していた」(中曽根康弘元首相)と敬意をもって語られました。
 著作集に流れる思想と活動にふれることは、現代を真摯に生きようとする人々に勇気と希望をもたらさずにはおかないでしょう。
 『宮本顕治著作集』は、故上田耕一郎元副委員長の『上田耕一郎著作集』(全6巻)とともに、日本共産党の創立90周年(1922〜2012年)を記念する出版事業として刊行されます。
 志位和夫委員長、不破哲三社会科学研究所所長ら5氏からなる著作集編集委員会が厳選した著作集です。出版は新日本出版社。
 今月の配本は『宮本顕治著作集』の第1巻です(以後隔月刊)。『上田耕一郎著作集』も12月に刊行開始です(隔月刊)。
 宮本氏の著作集は、各巻ごとにまとめられた「解題」とは別に、第1巻巻頭には編集委員会による「序文」が配されています。序文は「収録した著作の時期的な特徴について、戦前の活動の問題および国際関係に重点を置」いて解説しているので、著作集の全体が見渡せます。序文の全文を紹介します。

序文
 この著作集は、日本共産党の元議長である宮本顕治氏の著作から、生涯にわたる思想と活動の発展的な流れを代表する諸著作を十巻に編集したものである。
 編集は、編年的におこなった。宮本氏の党の代表者としての発言は多いが、日本共産党の大会、中央委員会での公的な報告は、原則として収録しなかった。例外としたのは、第四回、第五回、第六回党大会での行動綱領や文化政策についての報告および第七回、第八回党大会での綱領問題の報告である。書簡は対象としなかった。
 個々の著作についての解説は、各巻の「解題」にまとめてあり、特別の説明が必要な場合にはそこで関連する状況の解説をおこなった。
 それにくわえて、収録した著作の時期的な特徴について、戦前の活動の問題および国際関係に重点を置きながら、編集委員会として、若干の解説をつけくわえておきたい。


 著作集の第一巻および第二巻は、戦前・戦中の著作にあてられている。
 宮本氏の理論活動は、文学活動から始まった。東京帝国大学在学中の一九二九年、総合雑誌『改造』の文芸評論の募集で一等に入選して注目を浴び、卒業した年の三一年五月に日本共産党に入党、プロレタリア作家同盟の一員として活発な文芸評論活動をおこなった。三二年四月、文化運動分野での大弾圧のなかで地下活動に移り、三三年三月、日本共産党の中央委員会に参加、六月には政治局員・書記局員として党の最高指導部に加わった。その条件のもとでも、文学分野での著作活動を続け、三二〜三三年に三つの論文を連続的に発表した。これはどれも、プロレタリア文学運動の性格、任務、課題を明らかにする指導的論文として書かれたもので(本著作集には最後の論文だけ収録)、一口に文芸評論といっても、それまでの評論とは異質の性格をもっている。そこには、ソ連を中心とした国際的な文学論の影響をはじめ、当時日本の文学運動がおかれた複雑な状況の強い反映がある。この問題については、宮本氏が、それからほぼ半世紀を経た一九八〇年に、「現在の到達点に立ってみればという前提での私なりの整理」という意味で、自らの三論文を含め、あの時期のプロレタリア文学運動の反省的な総括を発表している(『宮本顕治文芸評論選集』第一巻への「あとがき」、本著作集第八巻所収)。
 宮本氏が党の最高指導部に加わったのが三三年六月、潜入したスパイの手引きにより逮捕されたのは同年一二月、全体としてほぼ半年ほどの期間だったから、「赤旗」に掲載した政治論文は多くはない。第一巻にはそのすべてである四つの論文を収録したが、最後の論文「鉄の規律によって武装せよ!――党ボルシェヴィキ化のために」は、スパイ・挑発者にたいする最高の処分は「二度ともぐりこまぬよう大衆的批判と断罪によって社会的烙印をおしつけること」だという党の方針を明示している点でも、警察や予審での取り調べには完全黙秘をまもり、公判で党の政策の正当性を明確にするという逮捕時の原則的態度を明示している点でも、重要な意味をもつ文書となっている。
 第二巻には、一九四〇年および一九四四年の法廷闘争の全記録を収めた。
 宮本氏の逮捕に先行する三二〜三三年という時期は、政府警察当局がそれまでの弾圧やスパイ政策にとどまらず、党内に送り込んだ特高警察の手先に反社会的行為を強行させ、その罪をなすりつけて日本共産党を犯罪集団にしたてあげるという極悪な手段に訴え始めた時期だった。彼らは、宮本氏逮捕の直前、党の中枢に潜入していたスパイ二名を宮本氏らが摘発し、査問中にそのうちの一人が心臓発作で急死するという偶発事が起きたことを知り、この事件を彼らが仕組んだ社会的犯罪の一部に組み込むことをたくらみ、宮本氏を治安維持法違反に加えて殺人罪の容疑で告発した。宮本氏の法廷闘争は、日本共産党の立場と闘争の正当性を明らかにするだけでなく、特高警察が仕組んだこの陰謀を打ち破るという重大な任務をになっての闘争だった。
 宮本氏は獄中の困難な条件のもとで、この任務を果たすべく、可能な限りのあらゆる資料を研究し、徹底的な調査と道理にもとづいて、当局の陰謀を完全に撃破し、肝心の殺人の罪を宮本氏に押し付けられないところまで彼らを追い詰め、日本共産党を社会的犯罪者集団に仕立て上げようとする陰謀の全体に痛打を与えた。この闘争とその成功がなかったら、党を犯罪者扱いする横暴な反共主義が、引き続き戦後も大手を振って横行したであろうことは疑いない。味方は傍聴する被告の妻・宮本百合子一人しかいない孤独な法廷での闘いだったが、宮本氏の法廷闘争は、文字通り日本共産党の存亡にかかわる歴史的意義をもっていた。
 この裁判をたたかった宮本氏の獄中生活については、『宮本顕治 獄中からの手紙』(全二巻、新日本出版社)あるいは『十二年の手紙』(各版あり)を読んでいただきたいと思う。


 第三巻、第四巻、第五巻には、一九四五年の敗戦と旧体制の崩壊、党の組織と活動の再建の時期から、自主独立の立場および党の綱領路線を確立した二つの党大会――第七回党大会(一九五八年)と第八回党大会(一九六一年)――にいたる時期の諸著作を収録した。
 この時期の宮本氏の活動は、戦後日本の新たな支配者となったアメリカ占領軍の弾圧、党内の家父長制的傾向および分裂分派活動、さらには日本の革命運動への本格的な干渉に乗り出したスターリン指揮下のソ連共産党の大国主義的干渉と闘いながらの、探究と苦闘の連続だった。
 なかでも際立つのは、いわゆる「五〇年問題」の時期における宮本氏の活動である。現在でこそ、この時期のスターリンの干渉作戦の内容は、ソ連側の秘密資料による解明も含め、全貌が明らかになっているが、その時期には、干渉と分派活動の当事者以外には事態の真相はまったく霧のなかに包まれていた。その条件のもとで、宮本氏は、路線問題の道理ある解決と党の統一を求めて探究を続けたが、その不屈の努力が、いかなる外国の党の干渉も許さない自主独立の立場と科学的な綱領路線の確立、それにもとづく原則的統一へと党を導く上で、指導的役割を果たしたのだった。
 こうして到達した自主独立の立場がいかに強固なものであったかを国際的な舞台で明示したのは、一九六〇年一〇月、モスクワで開かれた予備会議(一二月の八一カ国共産党・労働者党国際会議の準備会議)での活動だった。宮本氏は、この会議に日本共産党代表団の団長として参加したが、そこでの奮闘ぶりは、七年後にメディアの取材に答えたインタビュー「自主独立の十年」(本著作集第六巻所収)のなかで本人自身の言葉で語られている。当時、党勢の大小からいえば、日本共産党は「五〇年問題」を解決してまだ間もない時期で、国会勢力ではまだ衆議院一議席、参議院二議席という状態だった。その党の代表が、どんな問題でも自主独立の立場と社会主義の道理をつらぬいて譲らず、大国の政権党であるソ連共産党や、議会に三ケタの議員団をもっていたフランスやイタリアの共産党を相手に、正論を堂々と主張する姿が、この会議で注目の的となったことは疑いない。
 なお、留意してほしいのは、第四巻の五〇年六月〜五二年四月の時期の宮本氏の著作には、重要な制約条件があった点である。宮本氏は、マッカーサーの弾圧指令により、この間、政治的な文章の公表を含め一切の政治活動を禁止されていた。そのために、党の分裂と統一の問題など政治論文を発表する時には、「瀬川陽三」のペンネームを使っていた。
 一方、占領軍指令の禁止条項は、文芸評論には適用されなかった。だから、徳田派に属する文学関係者が、その分派闘争の一環として、宮本百合子の文学に卑劣な総攻撃を仕掛けてきたのに対しては、遠慮なく文学的な反論を執筆し、宮本顕治名で発表することができた。その意味では、この時期の「批判者の批判」は、文学的な仕事であると同時に、党統一をめざす闘いの文学分野での具体的実践という性格をもっていた。
 宮本百合子論では、宮本氏のこの時期の労作に『宮本百合子の世界』(一九五一〜五三年)があるが、これは『宮本百合子全集』(河出書房)の各巻に付せられた「解説」であって、「批判者の批判」のような、論争的性格をもったものではない。編集の都合上、文学全集や外国の雑誌での作品や生涯の紹介とあわせて、最後の第一〇巻に位置づけたことを、お断りしておきたい。


 第六巻には、一九六二年〜七四年、採択した綱領路線を踏まえて、党がその実践に踏み出した時期の諸著作をおさめた。
 六〇年代の活動の最大の問題は、日本共産党がソ連共産党と中国共産党の毛沢東派の双方の側から激しい干渉攻撃を受けたことであった。どちらの側からの攻撃も、外部からの非難攻撃にとどまらず、党の内部に反党分派を組織し、内外呼応して日本共産党を打倒し、日本の運動をその支配下に収めようとする、覇権主義の野望をむき出しにした攻撃だった。
 日本共産党は、干渉者たちがもちだしてくる批判攻撃のあらゆる論点を、書簡や論文による論戦で打ち破り、国内での組織破壊をたくらむ干渉作戦も完全に撃破し、組織的にも、理論的、政治的にもより強固な党となり、党勢の躍進を実現するなかで七〇年代を迎えた。
 宮本氏は先頭に立って、この干渉攻撃との闘争(当時これを「二つの戦線の闘争」と呼んでいた)の全分野を指導したが、著作集のなかでは、直接この問題を扱った文献は多くはない。それは、この問題で宮本氏が注ぎ込んだ理論的、政治的エネルギーの大部分が、その時々の大会報告および中央委員会総会報告での情勢分析や闘争方針の正確な決定、国際論争にかかわる集団作業の指揮・点検・仕上げ、そして一九六六年の三国訪問(ベトナム、中国、北朝鮮)や六八年の北朝鮮訪問などでの外国の諸党との討論などに、向けられていたからである。その意味では、この時期の宮本氏の国際的な理論・政治活動の研究のためには、著作集におさめた諸文献にあわせて、六三年の七中総(八大会)決定、六四年の八中総(同)決定および第九回党大会報告、六六年の第一〇回党大会報告、さらにソ連共産党からの非難に全面反撃を加えた返書(六四年八月)をはじめ「二つの戦線」の干渉者たちとの論争文献などに、目を通していただくことを望みたい。
 干渉攻撃との闘争の前進と並行して、国内政治における日本共産党への注目も大きくなってゆき、政党討論会など、宮本氏がメディアで活躍する機会も広がっていった。この分野で、ぜひ記録にとどめておきたい活動に、六八〜六九年に毎日新聞社が企画した「紙上国会・安保政策の総討論」がある。これは、自民党から共産党までの主要五党が、交互に「政権」を組織し(閣僚は首相を含め五名)、他の四党が「野党」として出席、まず首相が冒頭、施政方針がわりに、自分の党の安全保障政策を述べたあと、四「野党」がこれにたいし、午前午後数時間にわたって質問戦を挑む(「野党」は二名ずつ出席)という企画である。企画の規模の点でも、党の大小にかかわらず五党を完全に対等に扱うという点でも、当時のメディアのなかでも群を抜いた画期的な討論会だった。日本共産党の場合には、もちろん宮本氏が首相だが、五名の閣僚のうち、首相を含め非議員が三名という顔ぶれ。宮本氏は、施政方針部分でも、各党のお歴々との論戦でも、みごと名首相ぶりを発揮したものだった。討論の結果は、紙面のスペースもかなり大きくとって各党ほぼ二〇回ほど連載されるのだが、内容が面白かったのか、「共産党への質問戦」の連載回数が一番多かった。
 七〇年七月の第一一回党大会は、はじめてメディアに公開する開かれた党大会≠ニして開催された。そこで提起した「人民的議会主義」の方針、さらにそれに続く、統一戦線結成の基準としての革新三目標の提起(七一年)、第一二回党大会での、民主連合政府綱領についての日本共産党の提案(七三年)、未来社会論にもかかわる「三つの自由」の提唱(七四年)などは、綱領路線をさらに発展、充実させたもので、内外に大きな反響を呼んだが、ここにも宮本氏の指導的イニシアチブが大きく反映していた。


 著作集の第七巻、第八巻、第九巻は、一九七五年から九〇年代までの時期にあてられている。
 これは、国内的には、六〇年代末から七〇年代初頭にかけての日本共産党の躍進に脅威を感じとった支配勢力が本格的な反攻に乗り出してきた時期に当たる。
 一九七六年一月、民社党の春日一幸委員長が、国会の演壇を利用して、戦前の「治安維持法等被告事件」をむし返し、特高警察流の中傷を宮本氏に加えたことが、反共攻撃の口火を切るものとなり、それが八〇年一月には、「社公合意」をてこに社会党を革新の陣営から引き離して、日本共産党を除く「オール与党」体制を国会の内外で構築し、自民党政治の支えとするところまで進んだ。
 こういう情勢のもと、宮本氏は、七七年の参院選では自ら立候補して国政の第一線で活動する意思を固め(当時六八歳)、それから一二年間、国会での活動を続けた(この間、宮本氏が参院本会議でおこなった代表質問はすべて本著作集に収録されている)。
 この三巻のなかの論文やメディアとのインタビューには、この時期に内外に起った出来事にたいする宮本氏の見解がほぼ網羅的に表明されている。
 若干の追加的な解明を要するのは、ソ連共産党との関係であろう。
 宮本氏が一九七九年一二月にモスクワでおこなったソ連共産党ブレジネフ書記長との首脳会談は、ソ連側が一五年前におこなった干渉行為の誤りを公式に認め、反省の意思を表明したことで、この間の不正常な関係に終止符を打ち、両党関係の正常化への転機となるはずのものだった。ところが、日本共産党との関係で自己の干渉主義を反省したソ連が、その直後に隣国のアフガニスタンに軍隊を投入して政権を打倒し、ソ連が送りこんだ政権に置き換えるという言語道断の侵略をおこなったことから、事態は急転した。日本共産党は、事実関係を徹底的に調査し、侵略の真相を論議の余地のない事実で明確にした上で、ソ連のアフガニスタン侵略を糾弾する活動を全面的におこなった。この問題でのソ連との論争は、やがて、「平和」の名のもとにソ連が展開する外交政策全体にわたる論争に拡大していった。
 この論争のさなかに、ソ連側の態度に、一点ではあるが重要な変化の兆しが見えた瞬間があった。それは、宮本氏が米ソ両首脳にあてて核兵器廃絶への積極的行動を求める書簡を送ったとき、ソ連のアンドロポフ書記長から、その提起に同意する旨の返書が寄せられたことだった。宮本氏は、このことを重視し、アフガニスタン問題で論争を続けながらも、この一点での同意が成立すれば、世界平和に貢献できるという立場で、書簡の交換を続けたが、アンドロポフ書記長は宮本氏への返書を出した直後に急死し、その課題は次のチェルネンコ書記長に引き継がれることになった。
 その後、書簡の交換と三回におよぶ予備会談を経て、八四年一二月、モスクワで宮本=チェルネンコ首脳会談がおこなわれることになり、核兵器廃絶を世界平和の緊急課題として世界に訴える日ソ両党首脳会談の共同声明が確認され発表された。米ソの核軍拡競争が世界の重大脅威となっているとき、その一方の大国が核兵器廃絶への取り組みに同意し、その実現のための可能なあらゆる努力を約束したことは、国際政治にも世界の平和運動にも大きな影響を及ぼすものだった。その意義は、そこにいたる経過とともに、第八巻、第九巻におさめた宮本氏の一連の発言に詳論されている。
 首脳会談後の八五年三月、再び不幸がソ連側の会談当事者チェルネンコ氏を襲い、共同声明具体化の課題は、後任のゴルバチョフ書記長にゆだねられた。残念なことに、この新書記長は、ここにいたる経過も知らず、共同声明の実行にも熱意をもたない人物だった。ソ連側の取り組みはたちまちしりすぼみのものとなり、結局、この歴史的な合意は、ソ連の外交史の上では、ただの一時的なエピソードとしてしか扱われないこととなった。これは、核兵器廃絶という世界平和の核心的な問題についても、自身の国際公約に責任を負わないというソ連の体制的な弱点を、致命的な形で露呈したものであった。
 このゴルバチョフ政権のもとで、その数年後、内外の諸矛盾の激化のなかで、まず東欧諸国の崩壊が始まり、九一年、事態はソ連そのものの崩壊にいたった。宮本氏は、この問題でも、崩壊過程の節目といった形でメディアから連続的な取材を受け、ソ連の崩壊を覇権主義の崩壊として歓迎するとともに、それを社会主義の崩壊としてとらえる見方の誤りを詳細に展開したが、そこには、四〇年にわたるソ連覇権主義との闘争およびその過程での理論的探究という強固な裏づけがあった。
 この時期の宮本氏の著作には、自身が経験してきた数十年をふりかえっての歴史分析が多くある。そこには、日本社会の戦前戦後の歴史への、天皇と天皇制の問題からジャーナリズムの役割などを含めた多面的な解明があり、宮本氏と日本共産党のたどってきた歴史そのものの考察も多い。先に紹介した『宮本顕治文芸評論選集』第一巻への「あとがき」(八〇年)もこの時期の所産だったが、『戦後初期論集』全三巻への「まえがき」三篇(八七〜八八年、第九巻所収)は、党の歴史についての貴重な証言となっている。

二〇一二年五月
宮本顕治著作集編集委員会
        岡 宏輔
        志位和夫
        浜野忠夫
        不破哲三
        山口富男

宮本顕治著作集 全10巻
第一巻  一九二九年〜三三年
第二巻  公判闘争の記録
第三巻  一九四五年〜四九年
第四巻  一九五〇年〜五四年
第五巻  一九五五年〜六一年
第六巻  一九六二年〜七四年
第七巻  一九七五年〜八〇年前半
第八巻  一九八〇年後半〜八四年
第九巻  一九八五年〜九四年
第一〇巻 宮本百合子の世界
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2012年07月16日,「赤旗」) (Page/Top

芸能テレビ/追悼地井武男さん/心に残る数々の名作

 「あのギラギラした目、あの勢いは、今の僕には出せない。これに命を懸けてもいい、と思っていたんですね」
 6月29日に70歳で亡くなった俳優の地井武男さん。一昨年5月、日曜版のインタビューで、出演した映画「戦争と人間」(第2部、1971年)を振り返ってこう語っていました。山本薩夫監督が、財閥の一族と、戦争に反対する人々を描いた大作。地井さんは、朝鮮人の抗日パルチザンのリーダーを鮮烈に演じています。
 山本監督の生誕100年に寄せてのインタビュー。山本作品では、「あゝ野麦峠」(写真。79年)にも出演。撮影時の思い出にふれながら、「監督の作品には、レッドパージされても映画を撮ろうとした映画人としての根底の力を感じさせられる」と語っていたものです。山本監督が亡くなった83年、「赤旗まつり」での追悼上映に、スケジュールを無理に空けてあいさつにかけつけるほど律義な人でした。
 映画での初主演は、武田敦監督の「沖縄」(70年)。県民の苦しみ、理不尽な米軍に対するたたかいを描いたこの作品で軍作業で働く元農民に。この出演が決まった時は、台本を抱きしめて、ポロポロ涙をこぼしたといいます。
 今井正監督の「海軍特別年少兵」(72年)では、厳しくも人情味のある兵曹を好演。「どぶ川学級」(同、橘祐典監督)での工場の組合員役とあわせて、毎日映画コンクール男優演技賞を受賞。「小林多喜二」(74年、今井監督)での拷問される小樽の闘士役も忘れられません。
 「ちい散歩」での気さくで人懐っこい笑顔と共に、数々の名作での熱演もファンの心に残り続けるでしょう。
 (紀)
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2012年07月15日,「赤旗」) (Page/Top

大阪市条例案/政治活動制限を批判/撤回求め決議/奈良・国賠同盟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟奈良県本部は8日、奈良市内で第26回大会を開き、28人が参加しました。
 田辺実会長は、昨年6月、全国に先駆けて県青年部を結成したことや、「戦争やめよ」と主張して投獄された東吉野村の松本元市郎氏の「墓参会と偲(しの)ぶ会」を成功させてきたことを報告。先人の実績の調査・研究・顕彰活動など多彩な取り組みを行うなかで国家賠償法の制定を求める国賠署名運動を推進し、会員拡大を前進させてきたと述べました。
 宮本次郎青年部長は、「青年部を結成し、『特高月報』の閲覧を通して治安維持法下の弾圧の生々しい実態を知り、再び暗黒政治を許してはならないとの決意を固めあった」と発言しました。
 討論では、民主主義を蹂躙(じゅうりん)する橋下徹大阪市長の言動を厳しく批判する発言が続きました。
 大会では、橋下大阪市長が提出した「職員の政治的行為の制限に関する条例案」や、自治体職員の民主的な権利を剥奪(はくだつ)する条例案は「わが国のどこの自治体であっても許されるものではない」と強調し、「断固撤回」することを求める決議を全員一致で決定しました。
 次期役員に田辺実会長らを選出しました。
 日本共産党奈良県委員会を代表して伊藤えみ子衆院1区候補があいさつしました。
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2012年07月12日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟の広島県本部が総会

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟広島県本部(山田慶昭会長)は8日、広島市南区で第22回総会を開き、35人が参加しました。
 山田会長の開会あいさつに続いて、新しく事務局長についた木戸央氏が@国家賠償法の立法化を求める国会請願署名の推進A同法の制定を求める地方議会の意見書採択の促進B国会請願の紹介議員の確保―などの運動方針を提起しました。
 同盟中央本部の柳河瀬精会長が「21世紀を平和と人権の世紀に―世界ですすむ歴史の『負の遺産』処理―」と題して記念講演。総会の後、昨年5月に結成した女性部が第2回総会を開きました。
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2012年07月11日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟宮崎県本部が講演と総会

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治維法国賠同盟)宮崎県本部は4日、宮崎市内で第23回総会を開きました。
 総会に先だち講演した柳河瀬精(やながせ・ただし)中央本部会長は戦前・戦後の思想弾圧や、世界各国での過去の人道上の誤りに対する清算の状況などについて解説。歴史認識をただし、「21世紀を平和と人権の世紀にするためのたたかい」の必要性を強調し、「同盟の運動を国民運動にしていこう」と呼びかけました。
 総会は、秘密保全法制や改憲を狙う勢力、「大阪維新の会」の反動的な動きとたたかう運動方針などを確認しました。
 日本共産党の松本隆衆院宮崎1区候補があいさつしました。
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2012年07月08日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟/塩釜支部総会/宮城

 宮城県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟塩釜支部はこのほど、塩釜市公民館で第19回支部総会を開き、約20人が参加しました。
 総会に先立ち県本部会長の大沼耕治氏が「橋下・維新の会の危険な正体」と題して講演しました。大沼氏は政治の閉塞(へいそく)感と貧困・格差の拡大を背景に「なぜ橋下・維新の会が高い支持率で期待感を集めているのか」「橋下市長が選挙を重視している理由は何か」、さらに「ヒトラーの政権獲得の経過と手法が酷似している背景に何があるのか」などを解明しました。
 総会は、運動の総括と方針を全会一致で可決し、次期役員を選出して終了しました。
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2012年07月07日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟/署名広げよう/道本部が大会

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部の第34回大会が札幌市で1日、開かれました。
 この1年間の活動報告と今後の運動方針、予算を討議し採択しました。
 自由法曹団北海道支部の渡邊達生事務局長と国民救援会守屋敬正道本部会長があいさつし、宮田汎会長が活動報告と新運動方針を、伊藤俊事務局長が財政報告と予算を提案しました。
 代議員13人が発言。治安維持法犠牲者に謝罪と賠償を求める署名を街頭で訴えていると「何しているの」と中高生に話しかけられたり、身内の人が戦争で亡くなった話をしてくれる人がいたり、対話が進んだ体験が話されました。
 署名を労働組合や宗教者、町内会など広く訴えて、会員全員で目標をやり遂げること、国会請願では今年の体験から国会議員地元事務所を繰り返し訪問したり、十分用意して成果を上げようなどと討論されました。
 来年は作家・小林多喜二と西田信春没後80年を迎えるので、自治体などの協力も得て多くの人に反戦と社会進歩に貢献した先達を知ってもらおうと議論されました。
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2012年07月07日,「赤旗」) (Page/Top

平和の滝に涼を求めて/札幌

 札幌市の手稲山(1023b)のふもとを流れる「平和の滝」に、涼を求める人たちが集まっています。(写真)
 バス停の終点から歩いて約20分。広葉樹が生い茂る森の中で、小鳥の鳴き声と、流れ落ちる滝の水の音だけが響きます。
 滝の入り口には、戦前の治安維持法の下で戦争に反対し、働く者の解放のためにたたかった相沢良(1910年〜36年)のレリーフ像碑と事績の案内板が立っています。若い女性労働者たちと語り合った、ゆかりの地です。
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2012年07月07日,「赤旗」) (Page/Top

公務員攻撃する橋下政治許すな/兵庫・尼崎で学習会

 「レッド・パージ反対尼崎連絡会」は2日、学習会を開き9人が参加しました。
 会員の木津力松氏は、レッド・パージが戦前の治安維持法による弾圧とは違い「自由と民主主義の仮面をかぶったアメリカ式の反共主義による新しい手段と方法による弾圧」と強調。組合幹部に共産主義者でないことを宣誓させ、公務員のストライキ禁止、労働長官への組合活動の報告義務などを定めたアメリカの「タフト・ハートレー法」に準じた労働組合への改変強要などを指摘しました。
 木津氏は橋下徹大阪市長・維新の会が進める地方公務員への攻撃は、「ファッショ的な手法で、当時の教訓から許してはならない」と呼びかけました。
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2012年07月06日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/語り継がれる槇村浩

 〈思い出はおれを故郷へ運ぶ〉―槇村浩の「間島パルチザンの歌」は、朝鮮を支配する日本に抵抗し蜂起した朝鮮人青年を描く鮮烈な詩である。プロレタリア作家同盟の機関誌『プロレタリア文学』1932年4月臨時増刊号に発表された。
 20日付本紙で猪野睦氏も触れているが、発表数年後に、詩の舞台、間島地方(現中国延辺朝鮮族自治州)で朝鮮語で少年たちに朗読されたという話は想像をかきたてられる。
 朗読した人は、日本でプロレタリア文化運動に参加していたのか
? 雑誌の読者だったのか? この話を『中国朝鮮族を生きる』に書いた戸田郁子さんは朗読した人が日本にもこの戦争に反対している人がいる≠ニ語ったことも伝えている。
 この詩を刻んだ詩碑が高知市内の城西公園に立つ。この市有地に設置されるまでには関係者の尽力があった。
 城西公園は、かつて高知刑務所があったところ。治安維持法違反で槇村がそこに捕らえられていた時、母・丑恵は、獄中の息子を思い、塀の周囲を歩き回っていたという。
 槇村の詩や論文の原稿は、託された貴司山治によって官憲からも戦火からも守られた。8月からは、高知県立文学館の常設展示室に槇村のコーナーが設けられる。志は多様に伝えられ続ける。
 (響)
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2012年07月03日,「赤旗」) (Page/Top

文化通信/第7回手塚英孝賞/久野通広氏に決定

 第7回手塚英孝賞(日本民主主義文学会主催)は、久野通広氏の「谷中村鉱毒事件の波紋――伊藤野枝『転機』」(多喜二・百合子研究会編『講座 プロレタリア文学』所収。2010年2月刊行)に決定しました。久野氏は1957年生まれ、民主文学会会員、多喜二・百合子研究会運営委員。
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2012年07月02日,「赤旗」) (Page/Top

文化/今につながる民衆弾圧/『特高警察』を刊行・小樽商大教授荻野富士夫さん/組織の実像、通史に

 日本近現代史が専攻の荻野富士夫さんが、『特高警察』(岩波新書)を刊行しました。勤務先の小樽商科大学で思いを聞きました。
 金子徹記者

 特高警察は、プロレタリア作家の小林多喜二の虐殺など、思想弾圧の最前線で暗躍した悪名高い組織です。『特高警察』では、その歴史と実態を記しています。
 「昨年は特高警察が創設されて100年目でした。それを機に雑誌から原稿依頼があり、改めて特高警察の全体像をまとめたいと思いました。特高関連では、事件の羅列になっている本が多い。前史から戦後の解体、そして公安警察への『継承』までを、通史としてまとめたかったのです」
 特高警察は、大逆事件(注1)を契機に「国家国体の擁護」のため創設されました。総力戦体制が強化されるなかで組織の拡充を重ね、日米開戦直前には、広義の特高警察の陣容は1万人を超えました。
 同書では、1970年代末から続けてきた研究をもとに、官僚機構としての陣容の推移や拷問を容認する体質、朝鮮、「満州」での活動や、ナチスのゲシュタポとの比較などもまじえて広い視野から分析しています。
 「自由や平和を志向する人たちを、抑え込む側から歴史をみるのは、学問的にも必要なことです。特高の歴史は現代につながっているのです。警察の理不尽な抑圧や取り締まりはいまでもおこなわれているし、『共謀罪』や秘密保全法の制定をめざす動きもあります。監視カメラなどの、統制の網の目が張り巡らされた社会のあり方や、公安警察について考える参考にしてほしいですね」

憲兵も視野に
 特高が、特別高等警察の名のとおり警察内でもエリート視されていたこと、組織内の功名争いが弾圧に拍車をかけたことなど、組織の実像をリアルに描きだします。
 特高と競合関係にあり、民衆弾圧の一翼を担った思想検事や憲兵、経済警察など、あまりなじみのない組織も紹介され、暗黒時代≠形成した勢力の顔ぶれがみえてきます。
 「特高や憲兵が、同じ役割の組織として競い合うことで弾圧がエスカレートした面があります」
 点数稼ぎのためのでっち上げや、日本共産党を弾圧しつくした後の1940年代も、疑心暗鬼にかられ、ありもしない「主義者」を「えぐりだす」仕事に血道をあげたことなど、「国家のための警察」の姿を浮き彫りにしています。
 「横浜事件(注2)にみられるように、特高の犠牲者は日本共産党員だけではありません。これは特定の組織や人だけの問題ではないのです」
 『治安維持法関係資料集』(全4巻)や『特高警察関係資料集成』(全38巻)など、大部の資料集の編集も手掛けてきました。その原点は―。
 「大学の修士論文は大杉栄や荒畑寒村、堺利彦らの初期社会主義者でした。その序章で、大逆事件以後の社会運動が弾圧される『冬の時代』について書いたことがきっかけです。支配する側の視点に興味がわきました」
 大学の卒論は石川啄木をテーマにし、多喜二への思い入れも強くもっています。今後は、特高と並び強権をふるった憲兵の研究や、「文学ではない多喜二論」を深めていきたいと考えています。
 「多喜二は小樽高商(現在の小樽商科大学)の卒業生ということもありますから、学生には、せっかく多喜二がいた学校で同じ空気を吸っているんだからと、読むように勧めています。2月にシンポジウムで『蟹工船と北洋漁業』を報告する機会がありましたが、多喜二を切り口にした歴史研究はこれからも続けたいですね」

(注1)大逆事件
 1910年、天皇暗殺を企てたとして幸徳秋水らが逮捕され、12人が死刑となり社会に衝撃を与えた事件

(注2)横浜事件
 1942年、日本共産党の「再建」にかかわったとして、党と無関係の雑誌編集者や記者など約60人が逮捕され、4人が獄死した事件

おぎの・ふじお=1953年生まれ。早稲田大学卒。小樽商科大学教授。著書に『北の特高警察』『戦後治安体制の確立』『思想検事』『外務省警察史』ほか
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2012年07月01日,「赤旗」) (Page/Top

 

詩人城侑さん死去

 詩人の城侑(じょう・すすむ)さんが6月29日、死去しました。80歳。通夜は3日午後6時から、告別式は4日午前10時から、いずれも千葉県柏市布施281の1、ウイングホール柏斎場で。喪主は妻千鶴子(ちづこ)さん。
 奈良県出身。早稲田大学卒。1962年詩人会議創立に参加し、81年から87年まで運営委員長をつとめました。資本主義の矛盾を風刺する作品を創作し75年『豚の胃と腸の料理』で壺井繁治賞受賞。95年、死をまぬがれた被爆者の過酷な人生を描いた『詩集 被爆一七〇〇〇の日々』で第27回多喜二・百合子賞を受賞しました。
 詩集に『日比谷の森』『泥棒』『長編詩 沖縄紀行』など。
 63年、日本共産党に入党。
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2012年07月01日,「赤旗」) (Page/Top

*         6月】(ヘッドライン)

 

*         千葉卓三郎の生涯と思想は/仙台市で講演会

*         唯物論哲学者永田廣志の生涯と業績/研究会発足に寄せて/宮田哲夫

*         豊原五郎没後80年祭

*         没後77周年で「大力祭」開く/北海道旭川

*         文化/反戦詩人・槙村浩生誕100年/「間島パルチザンの歌」に新たな光/高知と朝鮮人民つなぐ

*         特高警察/荻野富士夫著/評者池田博穂映画監督

*         朝の風/山本宣治の生物学

*         秋田県本部が定期総会開く/治維法国賠同盟

*         反戦詩人・槇村浩生誕100周年のつどい

 

6月本文】(Page/Top

 

千葉卓三郎の生涯と思想は/仙台市で講演会

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟宮城県本部と同仙台支部はこのほど、仙台市内で、宮城県歴史教育者協議会の一戸富士雄氏を招いて、「『民主憲法の父』千葉卓三郎の生涯と民権思想」と題した講演会を開き、23人が参加しました。
 1852年(嘉永5年)、陸奥国栗原郡刈敷村(現栗原市)に生まれた千葉卓三郎は、自由民権運動に身を投じ、81年に日本国憲法の主権在民の源流ともいえる私擬憲法「日本帝国憲法」(通称五日市憲法草案)を起草しました。
 一戸氏は、仙台の地で誇るべき千葉卓三郎の志は現在の憲法にも引き継がれているとのべ、「草の根から憲法を守る運動を強めましょう」と呼びかけました。
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2012年06月30日,「赤旗」) (Page/Top

唯物論哲学者永田廣志の生涯と業績/研究会発足に寄せて/宮田哲夫

 日本における唯物論哲学の開拓者である永田廣志(1904〜47年)は、長野県東筑摩郡山形村に生まれました。祖父は山形村初代村長を務めた人物で、自由民権運動の活動家でもあり、父も山形村村長を3期務めました。

思想統制下でも
 永田は長野県立松本中学きっての秀才でしたが、ロシア革命の影響を強く受け、東京外国語学校ロシア語科でロシア語を学ぶ道を選びます。1924年卒業後は朝鮮に渡り、平安北道警察部に嘱託として勤務、ロシア語通訳となりました。
 27年から執筆活動に入り、その後上京してプロレタリア科学研究所に入所。32年には、自らも発起人となって唯物論研究会に参加して、機関誌『唯物論研究』に精力的に論文を発表しました。
 当時は治安維持法による思想統制が強化され、侵略戦争が進められた時期で、労働運動も農民運動も弾圧され、合法的な運動はほとんど不可能になりました。
 唯物論研究会は、「現実的な諸課題より遊離することなく、『自然科学』『社会科学』『哲学』における唯物論を研究し、かつ啓発すること」を目的に結成され、多くの学者・知識人を結集し、極めて困難な時期に7年間にわたって活動を続けました。
 この間、永田は『唯物弁証法講話』(33年)、『唯物史観講話』(35年)の2冊を発刊。日本思想史に関する研究を『歴史科学』に発表し、『日本唯物論史』(36年)、『日本哲学思想史』(38年)、『日本封建制イデオロギー』(同)となって結実しました。
 ところが38年11月、唯物論研究会は主要メンバー35人が検挙され、解散させられます。
 月刊誌『唯物論研究』73号、『唯物論全書』50巻、『三笠全書』16巻を刊行したこの理論的業績は今日まで立派に生き続け、敗戦後の理論的前進の強固な基礎となりました。

病身おして活動
 永田は検挙後非転向を貫きますが、39年、東京拘置所勾留中に持病の腸結核が悪化し、衰弱はなはだしく釈放となりますが、敗戦まで執筆禁止となりました。この間の生活は夫人のゆりさんの英文タイプの仕事でしのぎました。東京大空襲のあと郷里の山形村に疎開し敗戦を迎えますが、戦時下の苦難の生活でした。
 永田は、戦後直ちに自らの思想の実践として日本共産党に入党し、病身をおして民主主義科学者協会などの運動に参加、松本に転居して旺盛な執筆活動を展開します。
 『西田哲学批判』など、いよいよ活躍が期待されるまさにそのときに病状悪化し、47年9月7日、松本市の寓居にて永眠しました。享年43歳。治安維持法下の凶悪な弾圧による犠牲者の一人となりました。
 私たちは、郷土の先覚者永田廣志の業績と不屈の精神を受け継ぐことを願って永田廣志研究会を結成し、記念講演会を開きます。
 (永田廣志研究会代表委員)

 *永田廣志研究会発足記念講演会=30日(土)午後2時から、山形村ミラ・フード館。鰺坂真・関西大学名誉教授「永田廣志に何を学ぶか」。資料代500円。後援=山形村、同教育委員会。連絡先рO263(98)3451高山方
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2012年06月29日,「赤旗」) (Page/Top

豊原五郎没後80年祭

 島根県の戦前の農民運動家・日本共産党員だった豊原五郎の没後80年碑前祭がこのほど、島根県浜田市旭町の記念碑前で行われ、40人が故人をしのびました。
 6月15日は豊原五郎が3・15弾圧で逮捕され、1932年鹿児島刑務所を瀕死(ひんし)の状態で仮釈放され、1週間後に北九州小倉で亡くなって80年の記念日です。治安維持法国賠同盟県本部が呼びかけ、20年前から行われています。
 渡部節雄県本部副会長、党県委員会を代表して石飛育久氏、福岡県からかけつけた久野精士国賠同盟県本部副会長が連帯のあいさつをしました。
 五郎のおいにあたる星野礼祐氏がお礼の言葉を述べました。
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2012年06月28日,「赤旗」) (Page/Top

没後77周年で「大力祭」開く/北海道旭川

 北海道・旭川ゆかりのプロレタリア詩人・今野大力(こんの・だいりき)没後77周年の「大力祭」が19日、旭川市常盤公園内にある「今野大力詩碑」前で開催され、40人が参加しました。(写真)
 大力の甥にあたる遺族も参列し、旭川市教育委員会の河合伸子社会教育部長、日本共産党のおぎう和敏衆院北海道6区候補、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟中央本部副会長の宮田汎氏が来賓のあいさつをしました。
 献花に続いて、運営委員の加藤雅敏氏が大力の詩「学校」を朗読し、その詩について佐藤比左良氏が「獄中の同志も、療養所の患者も、思想が鍛えられる。大力は強い気力を最後まで失わなかった」と解説し、参列者の胸を打ちました。
 参加者からは「大力の作品の朗読会を開催してほしい」「文庫本や伝記を出版して作品を広く普及したい」などの声も寄せられました。
 大力祭運営委員長の能登谷繁旭川市議は、「2014年が生誕110年、15年が没後80年の節目を迎えます。今野大力の作品とその時代の闘いを広く普及し、顕彰していきたい」と述べました。
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2012年06月26日,「赤旗」(Page/Top

文化/反戦詩人・槙村浩生誕100年/「間島パルチザンの歌」に新たな光/高知と朝鮮人民つなぐ

 高知出身の反戦詩人、槙村浩。ことしは生誕100年です。日本の支配に抗して蜂起した朝鮮人民をうたった「間島(かんとう)パルチザンの歌」(1932年)。この詩の舞台・間島と高知とのつながりも生まれ、あらためて光が当たっています。
 児玉由紀恵記者

 〈思い出はおれを故郷へ運ぶ/白頭の嶺を越え、落葉松(からまつ)の林を越え―〉
 印象的な詩句から始まる「間島パルチザンの歌」。間島は、現在の中国延辺(えんぺん)朝鮮族自治州にあたる地域。詩は、朝鮮を統治する日本軍に抵抗する抗日パルチザンの青年(おれ)を主人公にしています。
 貧窮にあえぐ朝鮮民族の姿や、「大韓独立万歳!」を掲げた19年3月1日の朝鮮全土での蜂起と日本軍の大弾圧。さらに国際連帯を奏でる200行近い長詩が劇的に展開し、終連近くではこううたわれます。
 〈おれたちはいくたびか敗けはした/銃剣と馬蹄はおれたちを蹴散らしもした/だが/密林に潜んだ十人は百人となって現れなんだか!/十里退却したおれたちは、今度は二十里の前進をせなんだか!〉
 この詩が発表されたのは、プロレタリア作家同盟の機関誌『プロレタリア文学』1932年4月臨時増刊号でした。

多喜二虐殺の時代
 前年9月には、「満州事変」が勃発。天皇制の専制政治、アジアへの侵略に反対するプロレタリア文化運動の刊行物などは、発売禁止となり、持っているだけで捕らわれたりしました。33年には、小林多喜二が虐殺されています。
 この詩が、発表の数年後には、舞台である間島地方に伝えられていたことが明らかになりました。延辺に住んだ作家の戸田郁子さんが、『中国朝鮮族を生きる』で、そのことを伝えています。戸田さんの恩師、延辺大学の歴史学者が小学生のころ(35、36年ころ)の話。日本に留学経験のあった教師が、授業中に朝鮮語でこの詩を朗読した、というのです。
 日本の植民地時代に間島でこの詩が読まれていたとは! 衝撃を受けた戸田さんは2009年11月、高知を訪ねました。
 「延辺をたった時は50a積もる大雪でした。高知に着いて南国のシュロの木や日差しの温かさに驚き、ここで育った詩人が、あの間島の風景や厳しい冬の季節を描いたのかと、胸に迫るものがありました」と戸田さん。若い日、韓国で歴史を学びながら、槙村のこの詩に民主化をめざす韓国の人々のたたかいを重ねていました。「戦時中にこれほど朝鮮人に寄り添った日本の詩人はいません。どれほど尊いことかと思います」
 2日に高知市で開かれた「槙村浩生誕100周年記念のつどい」。戸田さんは、ここで講演し、槙村の詩でつながった延辺と高知をさらに太くつなぐ「懸け橋になろう」と呼びかけました。
 槙村浩の会会長で詩人の猪野睦さんは語ります。「あの時代に槙村の詩が伝わっていた話にはびっくりしました。7年近く前、文学の集いで延辺に行った時、槙村のこともこの詩のことも知られていた。槙村はここで生きていると思いました」
 「記念のつどい」の成功に向けて尽力してきた高知市内の「平和資料館・草の家」の館長、岡村正弘さんは言います。「文化的な重みで北の多喜二、南の槙村浩≠ニ言いたい。9月には延辺への旅も計画しています。友好のきずなをさらに強めたいと思います」
 「間島パルチザンの歌」が発表された月に検挙された槙村は、獄中での拷問、虐待に屈せず、非転向を貫きました。26歳で病没。「不降身、不辱志」(「バイロン・ハイネ」)と記した志は今も輝いています。

 槙村浩(まきむら・こう)は、1912年6月1日、高知市生まれ。本名・吉田豊道。幼時から抜群の記憶力、読書力を示し、「神童」と報じられます。海南中学時代、軍事教練に反対し、30年、岡山の中学校に転校処分。『資本論』を読み、マルクスに傾倒。
 31年、高知でプロレタリア作家同盟高知支部を結成し、共産青年同盟に加盟。32年、兵士の目覚めを促す「生ける銃架」、「間島パルチザンの歌」を発表。日本共産党の党員候補に推薦されます。高知の連隊の上海出兵に反対行動を展開し、4月に検挙。治安維持法違反で懲役3年に。拷問などで心身を壊し、35年6月に出所。獄中で構想した革命への情熱あふれる詩「ダッタン海峡」や「青春」「バイロン・ハイネ」、論文「アジアチッシェ・イデオロギー」などを一挙に書き、東京の貴司山治に出版を託します。
 36年、高知人民戦線事件で再検挙。翌年、重病で釈放され、38年9月3日、病没。
 貴司山治に託された原稿は、官憲の捜索や空襲から守られ、64年、『間島パルチザンの歌 槙村浩詩集』刊行の基に。84年、『槙村浩全集』刊行。
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2012年06月24日,「赤旗」) (Page/Top

特高警察/荻野富士夫著/評者池田博穂映画監督

暴虐の限りつくした歴史と実態
 「それでも、多喜二さんをあんな目にあわせた人たちは罪にならないものですか」。小樽で小林多喜二に勉強を見てもらった上山初子さんの言葉が忘れられない。私が監督をした記録映画「時代を撃て 多喜二」撮影時である。
 本書は、多喜二を虐殺した特高警察の歴史と実態を簡潔に解き明かしている。特高は国体護持を目標に治安維持を使命とし暴虐の限りを尽くした。「その生態に迫る」の章は、「貴様のような痩せこけたインテリは何人も殺しているのだ」という威嚇から始まる拷問の数々や特高技術のマニュアルが解説され、スパイの作り方、活用までが解明されていく。多喜二の小説「一九二八年三月十五日」を、新たなる実感で思い出した。
 一般警察官による調査と情報をも得て特高は、自由主義者や共産党員を弾圧していく。そして天皇から叙勲や賜杯の授与を受ける。
 ―諸子は日本共産党の検挙に際し、長きにわたり困苦と闘い、証拠の収集に、逮捕に、取り調べに献身的努力を払い―。その時の祝辞である。
 そして戦時下においては民心の不平不満の中にも、共産主義運動の温床を見いだそうとする。それが運動に成長する可能性がなくとも、その葉を枯らし、根を掘って殲滅しようとした。その辺は内部資料で詳しく明かされる。
 敗戦によって治安維持法と特高警察は廃止されたが、他の公職や警察へ復帰した者も多い。そして今、ビラ配布弾圧事件やさまざまな冤罪事件が明るみにでている。かつての特高の捜査や取り調べは、決して過去のものではない。同じ著者の『思想検事』もあわせて読むことを勧めたい。

 おぎの・ふじお 53年生まれ。小樽商科大学教授。日本近現代史。
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2012年06月17日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/山本宣治の生物学

 旧聞に属するが、4月4日付本欄で「香」氏が日本の性教育の非科学性と後進性を指摘した。「人間」を大切にしない教育政策を考えさせられた。
 氏がヨーロッパの性教育を扱う教科の主要な一つに生物学があり、そのなかに「人間生物学」があると紹介しておられたのを拝見した。治安維持法改悪はもちろん、法そのものに反対して暗殺された政治的自由獲得労農同盟所属の唯一の代議士山本宣治(1889〜1929)が脳裏に浮かんだ。
 生物学者山宣は1920年に同志社大学予科で「人生生物学」と「性教育」を講義し、翌年、『人生生物学・性教育私見』を刊行、同年から性教育活動を、23年から産児調節運動を開始した。彼の「人生生物学」は「人間生物学」に相違なく、山宣の先覚性を思わずにはいられない。
 彼は28年に労農党の代議士となった。山宣は22年に上巻を上梓していたドイツの生理学者ニコライの人類が平和を希求する必然性を説いた大著『戦争の生物学』の下巻を代議士になってから翻訳し始めた。彼は反戦・平和のためにたたかうニコライに勇気づけられつつ、議会内外で必死に活動した。完成寸前に生命を絶たれた。いとこが完成させた。翻訳は彼の卓越した業績の一つだ。
 (千)
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2012年06月06日,「赤旗」) (Page/Top

秋田県本部が定期総会開く/治維法国賠同盟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟秋田県本部は5月29日、秋田市内で第23回定期総会を開き、県内8支部から代議員など45人が出席しました。
 日本共産党の佐竹良夫衆院秋田1区候補、秋田県革新懇の鈴木政隆事務室長が来賓あいさつし、参加者を激励しました。
 運動方針として、▽戦後補償問題の解決を目指し、正しい歴史認識の普及に努める▽「治安維持法犠牲者国家賠償法」制定運動として、団体署名500、個人署名1万3000の達成▽治維法犠牲者の不屈の歴史を顕彰し、語り継ぐ活動の積極的な推進▽500人会員目標の達成、定期総会での記念講演や支部主催の学習会の開催▽憲法を守り、日米安保条約廃棄を国民多数派にすることに力を尽くし、総選挙で革新勢力の勝利・躍進に全力を尽くす―などが提起されました。
 討論では12人が発言。「活動報告・運動方針」「財政報告と予算案」を全員一致で採択しました。
 新役員に、近江谷昭二郎会長、最上健造会長代行、伊藤紀久夫事務局長(いずれも再任)などを選出しました。
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2012年06月05日,「赤旗」) (Page/Top

反戦詩人・槇村浩生誕100周年のつどい

 反戦詩人・槇村浩(まきむら・こう)生誕100周年のつどい(同実行委員会主催)が2日、高知市で開かれました。韓国在住の作家・戸田郁子さん(53)が講演、槇村が1932年4月に発表した反戦詩「間島(かんとう)パルチザンの歌」が満州(中国東北部)の間島(いまは延辺)の朝鮮総督府管轄の橋東(キョドン)小学校(4年制)で教えられていたとのべました。
 1935、6年ごろ、日本に留学していた先生が授業中、「日本帝国主義と日本人民とを分けて考えよ」「日本にも、この戦争に反対している人々がいる」といって朝鮮語でこの詩を朗読したといいます。
 槇村は、1912年6月1日、高知市生まれ。32年2月以降、反戦詩を発表し、高知市の陸軍歩兵44連隊の兵士への反戦ビラ配布で治安維持法違反で逮捕、投獄され、38年9月3日、26歳で亡くなりました。
 200人が参加したつどいでは「間島パルチザンの歌」「生ける銃架」など槇村の詩4編が朗読、舞踊などで発表され、「槇村浩の会」会長の猪野睦(いのむつし)さん(詩人)が槇村と高知の1930年代について語り、平和資料館・草の家館長の岡村正弘さんが「槇村の詩を読み、その心を広げてください」と話しました。
 つどいには、日本共産党の市田忠義書記局長からメッセージが寄せられました。
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2012年06月05日,「赤旗」) (Page/Top

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*         5月】(ヘッドライン)

 

*         権力とたたかう遺志を引き継ぐ/山宣生誕123年で講演会

*         憲法生かす検討必要/井上議員が強調/参院憲法審査会

*         治維法国賠同盟県本部が大会/山形

*         秘密保全法の危険性を学ぶ/宮城・塩釜

*         治維法国賠同盟/常任幹事会を道本部が開く

*         遺志継ぎ平和守る/相沢良を語り継ぐ会/青森

*         一海知義の漢詩閑談/2/マルクス経済学者「六十の手習」

*         新入党員学習/多喜二など党の姿に涙して/北海道帯広市白樺支部

*         いすゞ非正規切り判決に思う/『時の行路』の作家田島一さん/下/国のゆがみを正す大きな意義         

*         いすゞ非正規切り判決に思う/『時の行路』の作家田島一さん/上/人間の尊厳切り捨てられた瞬間

*         憲法守れ♀e地で/新潟/静岡/三重/長野

*         朝の風/つながり支え合い作られる歴史

*         治維法犠牲者に謝罪を/国賠要求同盟が国会請願

*         いまメディアで/憲法ないがしろにする巨大メディアの堕落

*         橋下・維新の独裁を許すな/秋田で学習交流会

5月本文】(Page/Top

 

権力とたたかう遺志を引き継ぐ/山宣生誕123年で講演会

 治安維持法と侵略戦争に反対し暗殺された、戦前の労農党の代議士(京都選出)山本宣治の生誕123年を記念して「宇治山宣会」(薮田秀雄会長)は27日、実家である京都府宇治市の「花やしき浮舟園」で講演会を開き、全国から70人が参加しました。
 薮田会長は、戦前の命がけのたたかいで生まれた日本国憲法の歴史と宣治の生き方を振り返り、憲法制定65年の今年、「憲法を暮らしに生かす」運動を広げようとあいさつしました。
 牧師で日本宗教者平和協議会副理事長の大江真道師が講演。時の権力者と民衆の歴史をひも解きながら、山本宣治が「治安維持法改正緊急勅令事後承諾案」に反対するために準備した演説草稿をもとに、宣治の生きざまを紹介。国体(天皇)の変革を否定し罰した時代に同草稿で、人民を主体とする国体論を主張した勇気を評価し、「彼のために祈り、平和のためにたたかうことを誓いたい」と結びました。
 福井県から参加した女性は、原発再稼働反対の運動に、権力者と民衆のたたかいを重ね、運動を広げる決意を語りました。
 日本共産党の穀田恵二衆院議員・国対委員長、井上哲士参院議員、衆院京都6区上條亮一候補がメッセージを寄せました。
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2012年05月31日,「赤旗」) (Page/Top

憲法生かす検討必要/井上議員が強調/参院憲法審査会

 参議院の憲法審査会は30日、東日本大震災と憲法をテーマにした3回の質疑を受けて意見交換を行いました。
 日本共産党の井上哲士議員は「東日本大震災の復興、原発事故対策から見えてきたものは、憲法が現実に生かされてこなかったという問題だ」と強調しました。
 井上氏は、「憲法13条の幸福追求権、25条の生存権を妨げられている。棄民にされた」と訴えた福島県双葉町の井戸川克隆町長の発言などを紹介し、「重大事故が起きれば憲法のらち外に置かれるような原発と共存できるかが問われている」と指摘。被災地の生活・生業(なりわい)を再建していく上で、「憲法を法律や制度にどう生かしていくか真剣な検討と実行が求められる」と述べました。
 また、政府の震災対応が不十分であったのは憲法に緊急事態規定がなかったからではなく、「現行法や制度が適切に働かず、『権限』が有効・適切に行使されなかったからだ」と強調。戦前、議会閉会中の緊急勅令で治安維持法に死刑が加えられたことを示し、緊急事態宣言により、政府が暴走する危険があると述べました。
 一方、自民党の磯崎陽輔議員は同党の改憲草案を「東日本大震災の反省を踏まえ政府が効率的に行動できるような体系」「緊急事態の宣言と効果を規定した」と紹介。他の自民党議員もがれき処理の遅れなどを理由に「国家緊急権」規定を求めました。
 これに対し、井上氏は「一方的権限で国家ががれき処理を押し付ければ、いっそう住民との間で混乱が起こる。政府の説明の不十分さに問題があり、緊急権とは関係がない」と批判しました。他議員からも震災対応について「憲法に問題があり、改正の必要が浮き彫りになった事例はなかった」(民主党の江田五月議員)、「憲法改正しなければならないという議論ではない」(公明党の白浜一良議員)との意見が出されました。
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2012年05月31日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟県本部が大会/山形

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟山形県本部は27日、山形市内で第26回大会を開き、県内各地の支部から代議員が出席しました。
 島津昭会長は「同盟ができて25年になります。最初は50人で出発したが、現在は7倍となり、数だけでなく内容も大きく前進しています。運動を国民運動にしていくためにはまだまだ力不足です。量・質ともにさらに大きくしていきましょう」とあいさつしました。
 日本共産党の渡辺ゆり子県議が来賓あいさつしました。
 2012年度運動方針として▽国家賠償法制定要求運動@県民人口の1%、500団体の署名達成A地方議会への請願▽犠牲者、先覚者を顕彰し歴史を語り継ぐ活動▽組織強化▽民主団体、戦後補償団体との共闘▽同盟要求実現のため総選挙のたたかい▽県本部25周年記念行事開催―などが提起され、討論の後採択されました。
 大会宣言を採択し閉会しました。
 新役員は、会長・島津昭、事務局長・瀬野幸男(いずれも再)の各氏です。
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2012年05月30日,「赤旗」) (Page/Top

秘密保全法の危険性を学ぶ/宮城・塩釜

 宮城県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟塩釜支部はこのほど、塩釜市公民館で弁護士の野呂圭氏を講師に迎え学習講演会「秘密保全法の狙いとは何か」を開きました。
 野呂氏は「秘密保全法の策動は日米軍事同盟下の軍事情報統制の強化である」として法案の持つ危険性を詳しく解析。「特別秘密」が独り歩きして国民の知る権利を侵害し、国民主権・民主主義の根幹が崩されると指摘した上で、一度法制化されれば肥大化されることは必至なので軽視せず国民の力で阻止しましょうと訴えました。
 戦前の、えん罪事件を扱ったドキュメンタリー映画「レーン・宮沢事件 もう一つの12月8日」が上映されました。同事件は、北海道帝国大学学生だった宮沢弘幸さんが太平洋戦争開戦の1941年12月8日朝、英語講師の米国人ハロルド・レーン、ポーリン・レーン夫妻に旅行先の見聞を語ったことを軍機保護法違反とされたものです。宮沢さんは激しい拷問を受け、懲役15年の刑を受けました。夫妻もそれぞれ懲役15年、12年の刑を受け、43年の交換船で帰国。戦後釈放された宮沢さんは、衰弱のため47年に亡くなりました。
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2012年05月27日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟/常任幹事会を道本部が開く

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部は20日、常任幹事会を札幌市で開き、13人が出席して7月1日の道本部大会に提出する「活動報告・運動方針」案の審議と当面の活動について討議しました。
 8日に行われた治安維持法犠牲者に謝罪と国家賠償を求める国会請願について宮田汎会長が、北海道からこれまでで最も多い9人の代表団を送り、1万2000人分の署名を持参して道選出の国会議員27人全員に要請したことを報告しました。
 治安維持法違反に問われ有罪となった、日高・新冠町の元教師、山下懋(つとむ)さん(91)が、中央本部役員らとともに衆・参両議院議長、法務大臣と面談し、それぞれ「関係委員会で協議する」「法制定を検討したい」などの回答を引き出したと話しました。
 当面の活動についての議論では、侵略戦争、治安維持法体制など歴史認識を正す活動とともに、9条の会などとの共闘を強めることについても話し合われました。
 また野田内閣が成立させようとしている「秘密保全法」は、憲法の基本的人権や国民の知る権利を奪い、民主政治を破壊するものであるとして、同盟が先頭になってその危険性を学習、多くの人に訴え、反対運動の力になることも決めました。
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2012年05月25日,「赤旗」) (Page/Top

遺志継ぎ平和守る/相沢良を語り継ぐ会/青森

 反戦・平和、働く人々のくらしと権利を守るためにたたかい、治安維持法違反で逮捕・投獄され、病で仮出獄後、わずか1週間で25歳8カ月の生涯を終えた戦前の女性活動家・相沢良(あいざわ・りょう・1910〜1936年)を語り継ぐ会が20日、出身地の青森市浪岡で開かれました。
 「語り継ぐ会」と治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟青森県本部が主催し、良の誕生日である5月15日前後に毎年開いているもの。
 リンゴ畑に囲まれた花岡展望台の顕彰碑前で開かれた「碑前祭」に北海道から駆けつけた人をふくめ、75人が参加、良の業績をしのびました。
 「語り継ぐ会」の運動に携わってきた日本共産党の高橋ちづ子衆院議員は、総選挙で勝利し、平和とくらしを守る政治、社会をつくるために奮闘する決意を込めたメッセージを寄せました。
 舘田篤廣国賠同盟県本部会長が「相沢良の遺志を引き継いで頑張りましょう」とあいさつ。来賓の日本共産党津軽地区委員長の千葉こうき氏(衆院青森4区候補)は「政治の閉塞状況を打開したい」と決意をのべました。
 国賠同盟副会長の橋本誠一氏が「相沢良の生き方に学び、受け継ぐこと」をテーマに講演しました。
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2012年05月22日,「赤旗」) (Page/Top

一海知義の漢詩閑談/2/マルクス経済学者「六十の手習」

 マルクス経済学者・河上肇(一八七九―一九四六)が漢詩を作り始めたのは、きわめて晩く、文字通り「六十の手習」であった。
 「六十初めて詩を学ぶ――六十初学詩」と題する七言絶句にいう、

 偶たま狂瀾咆勃の時に会い
 艱難険阻 備にこれを嘗む
 如今 覓め得たり 金丹の術
 六十の衰翁 初めて詩を学ぶ

 偶会狂瀾咆勃時
 艱難険阻備嘗之
 如今覓得金丹術
 六十衰翁初学詩

 狂瀾咆勃は、荒れ狂う大波が怒りたけるさま。弾圧・投獄の時代のたとえ。金丹の術は、不老長寿の妙薬を作り出す術。ここは、漢詩創作のことをいう。
 この詩、ごく初期の作であるにもかかわらず、七言絶句の諸法則をよく守って、作られている。
 すなわち、押韻(第一、二、四句末に同韻の字を使う。時、之、詩)、リズム(言葉の切れ目。七言なら、2・2・3)、そして平仄、起承転結、など。
 河上さんは好きなことを始めると、夢中になり、熱中する人だった。旧蔵書(京都大学経済学部図書館蔵)を調べると、漢詩作法の書を幾冊もそろえていたことがわかる。
 本格的に作詩を始めたのは、右の詩を作った六十歳の時、昭和十三(一九三八)年だが、それ以前にも、二、三の作品をのこしている。
 たとえば、昭和八(一九三三)年の作。
 この年の一月、河上さんは治安維持法違反容疑で逮捕された。詩は、その翌月、拘置所からの夫人あて書簡に添えられている。
 詩題のない七言絶句。

 年少夙欽慕松陰
 後学馬克斯礼忍
 読書万巻竟何事
 老来徒為獄裏人

 詩には返り点や送り仮名、読み仮名がつけられており、それらによって読み下せば、

 年少 夙に松陰を欽い慕い
 後に馬克斯・礼忍を学ぶ
 読書万巻 竟に何事ぞ
 老来 徒に獄裏の人と為る

 松陰は、吉田松陰。読書万巻は、単にたくさんの書物を読み尽くしたというのではない。この語、松下村塾の塾聯(人格形成の教育目標をかかげた対句)にもとづき、世を救うための学問・読書を重ねてきた、という意味。
 「手習」以前の作品だから、絶句の法則からはずれた所がいくつかある。しかし、「詩は志を言う――詩言志」とする中国古来の作詩の原則は、しっかりと守って作られている。
 (いっかい・ともよし 中国文学者・神戸大学名誉教授 月1回掲載)
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2012年05月18日,「赤旗」) (Page/Top

新入党員学習/多喜二など党の姿に涙して/北海道帯広市白樺支部

 北海道帯広市の白樺支部は、後援会活動や病院友の会の活動などに熱心な「赤旗」日曜版読者の女性を党に迎えました。さっそく新入党員学習DVDを一緒に視聴しました。
 「小林多喜二など戦前の党の活動には涙がでた。党に入ってよかった。共産党のことをもっと知りたい」と新入党員は、支部会議にも参加するようになりました。その時、事務所にあった「連続教室」のDVDが目にとまり、「勉強したいので貸してほしい」と3回分を持ちかえりました。
 さっそく「綱領教室」「古典教室」をそれぞれ視聴し、「難しかったが、共産党はきちんとした綱領をもち、国政でも外交でもスジをとおして、国民のために頑張っている素晴らしい党だと思った」と、引きづづき視聴に挑戦することになりました。
 入党決意の際に、日刊紙購読をすすめられ、「他紙を読んでいるし、生活も大変なので」とためらっていた女性ですが、今月からは、他紙をやめて日刊紙を購読。友人を党演説会に誘うなどの頑張りに、支部の人たちはとても励まされています。
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2012年05月15日,「赤旗」) (Page/Top

いすゞ非正規切り判決に思う/『時の行路』の作家田島一さん/下/国のゆがみを正す大きな意義

 いすゞ自動車で労働組合結成以後、松本浩利委員長らは、マスコミの取材攻勢に追われた。だが、この3年余の間にメディアは潮を引いたように遠ざかり、今回の判決の報道も一般紙ではごく小さな扱いでしかなかった。

木鐸の使命放棄
 非正規雇用の労働者をめぐる状況は以前にまして悪化しているのに、見て見ぬふりに徹している。社会の木鐸(ぼくたく)としての使命の放棄と批判されても仕方がないだろう。
 いまやこの国の非正規雇用労働者は全体の35%以上を占め、年収200万円以下が1千万人を超えている。貧しくて結婚もできない若者たちを多く抱え、少子化にあえぐ日本社会が現状のまま進むとどうなるかは明らかであろう。根本問題に目もくれず、大企業の顔色をうかがい消費税増税に執心する野田政権の暴走は、何としても阻止しなければならない。
 この日支援の人々の前で、原告らは落胆のそぶりも見せず、一様に明るかった。だが、3年近くこの人たちを追い続けてきた私は、そんな姿にかえって胸が痛んだ。
 原告らのたたかいを支えてきた、いすゞ自動車支部の星野貞雄書記長が、集会の最後のあいさつで、「皆さんに支えていただき、1本の缶コーヒーを午前と午後の2回に分けて飲むような厳しい生活をしながら、勇気をもってたたかってきた原告たちを、私は今日、何としても勝たせたかった…」と率直な思いを述べていた。
 原告らは、爪に火をともすような生活に耐えてきたのである。身体に異常をきたして生活保護に頼らざるを得なくなった人、長く続く重圧から心の病に陥った人、そして月に10万円程度のアルバイト収入で辛うじて命をつないできた人など、その実態は、私の想像をはるかに超えて過酷であった。
 一家の働き手の解雇は、家族・家庭に連鎖していく。以後の生活を考慮して離婚の選択を余儀なくされた人、学業から離れ未来への夢を無残に断たれた息子さんらの胸中は思いに余る。がんで闘病中の遠く離れた妻のために、身を削り僅(わず)かな額を送る話など、涙なしには聞けないものだった。
 昨年9月のパナソニック若狭事件の福井地裁、日本トムソン事件の大阪高裁、そして先だってのホンダの不当判決など、偽装請負や期間制限違反などの違法行為を野放しにする判決が、このところ相次いでいる。

高裁勝利を確信
 しかし、私はいすゞの裁判の高裁における勝利を確信している。
 「いすゞで普通に仕事がしたい」とごく当たり前の要求から出発したのではあるが、本裁判は今では、この国のゆがみに正面から挑み、閉塞(へいそく)状況を打破して崩壊への道を食い止める大きな意義を持つものへと発展してきていることを、こんどの判決により私はあらためて考えさせられた。
 世直しの先頭に立ってたたかう人々を、窮地に追いやってはならないと思う。小林多喜二の『蟹工船』をよみがえらせ「派遣村」に寄せた熱い心を再び発露する、世論という連帯の力が、何よりもいま求められているということだろう。

 (たじま・はじめ)
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2012年05月10日,「赤旗」) (Page/Top

いすゞ非正規切り判決に思う/『時の行路』の作家田島一さん/上/人間の尊厳切り捨てられた瞬間

いすゞ自動車の非正規切り裁判で東京地裁が4月に出した不当判決について、作家の田島一氏(日本民主主義文学会副会長)から寄せられたリポートを紹介します。田島氏は、いすゞで組合を結成してたたかう労働者をモデルに描いた小説『時の行路』を一昨年9月から本紙で連載しました。

 桜の花時も過ぎた4月16日の午後、私は東京地裁103号法廷の傍聴席に座り、いすゞ自動車「非正規切り」裁判の判決を、固唾をのんで見守っていた。原告席のJMIU(全日本金属情報機器労働組合)いすゞ自動車支部の松本浩利委員長らの顔にも、緊張の色が読み取れた。

罪科白日の下に
 開廷の時刻となりおもむろに裁判長が「主文、被告は…」と判決文を読み始める。4人の期間社員の賃金カット分の支払いをいすゞ側に命じているのが分かり、次への期待に私の気はせいていた。
 ところが、「原告らのその余の請求をいずれも棄却する」と続く声を耳にして、ペンをノートに走らせていた私の手は止まった。3年4カ月にわたってたたかってきた12人の原告のささやかな願いと人間としての尊厳が、冷酷に切り捨てられた瞬間だった。
 一昨年9月より私は、いすゞ自動車支部の組合員らのたたかいをモデルに描いた小説『時の行路』を本紙に連載した。裁判開始の時点から、進行協議や法廷でのやりとりを欠かさず目にしてきたが、それは信じがたい宣告でもあった。
 主文を読み終えると、裁判官はそそくさと席を立って消えた。唇をかみしめる原告らの面持ちがいまも鮮明に浮かんでくる。
 顧みると、原告はもちろん職場の証人や弁護団の粘り強い努力により、脱法行為から法の網をくぐり抜ける所業まで、いすゞの罪科を白日の下にさらし、追いつめたというのが私の認識であった。
 だが判決は、偽装請負を認めはしたものの、景気の調整弁として非正規雇用の労働者を利用するという、企業側の意図を露骨に受けいれ、数々の違法行為と「派遣切り」の責任を免罪したのである。
 裁判官の念頭には、労働者を守ろうとした大阪高裁の見識ある判断を覆した、パナソニックプラズマディスプレイの事件における、2009年の最高裁判決の論理しかなかったのであろう。判決文を読んだが、それは「最高裁判決ありき」の大方針のもとに、労働者の救済に背を向けるべく腐心したことが容易にうかがえる「作文」としか私の目には映らなかった。

逆風に抗す決意
 判決当日には、140人近い人たちが駆けつけ、直後に開かれた報告集会の参加者も減ることはなかった。「逆風にめげずたたかっていきたい」「こんな結果は納得できない。将来に大きな問題を残す」と原告らが、引き続きたたかう決意を示す姿を前にして私は、2008年の労組結成大会と、「年越し派遣村」の光景を思い起こしていた。
 「こんな国ではいけない」と、多くの人々の意思が画期的な政権交代を実現させた。今日の事態を招いた元凶である労働者派遣法の「抜本改正」が合言葉となって大きなうねりをつくりだし、非正規で働く人たちに希望の光が差した時でもあったのだ。しかし現実の「改正案」は、民主党政権の背信行為により、骨抜きにされて成立するという、期待とは裏腹の結果となった。
 先日私は、参議院厚生労働委員会の法案可決の場を傍聴したのだが、怒りを通り越してあきれ果てたのは、当事者たちの声に耳を貸そうともせず、企業側の主張を臆面もなく口にする、民・自・公の議員らの国民無視の感覚だった。

(つづく)
 (たじま・はじめ)
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2012年05月09日,「赤旗」) (Page/Top

憲法守れ♀e地で/新潟/静岡/三重/長野

新潟/街頭宣伝とリレートーク
 憲法を守る新潟県共同センターは3日、新潟市で20人以上が参加して、街頭宣伝とリレートークを行いました。
 参加者がビラ入りのティッシュペーパーを配り、各弁士が「多大な犠牲と反省のうえにつくられた憲法に、広範な国民の願いが刻み込まれている。憲法を守る決意を固めよう」(佐藤一弥県労連議長)、「橋下大阪市長の憲法無視の暴挙を許す訳にいかない。橋下独裁の阻止を」(藤田正治安維持法同盟県本部副会長)、「人間が生きていくために、きれいな水と空気が必要なように憲法が必要」(工藤和雄県革新懇世話人)、「憲法と日米安保条約は相いれない。安保条約廃棄で世界の軍縮と平和の流れ促進を」(日本共産党たけだ勝利衆院新潟1区候補)、「医療・福祉・介護は平和でなければ成り立たない。憲法9条、25条を守り誰もが安心して暮らせる社会に」(民医連看護師・高井元子さん)などと訴えました。

静岡/大企業富裕層応分の負担を
 静岡県憲法会議は3日、静岡市葵区で「憲法を考える市民の集い」を行い、200人が参加しました。二宮厚美・神戸大学名誉教授が「社会保障と税の一体改革」をテーマに講演しました。
 二宮氏は、野田・民主党政権が、社会保障を「権利」でなく「共助・連帯」としての財源(保険料と消費税)の枠内に抑制して圧縮しようとしていると説明し、「一体改革」を阻止する運動により、大企業・富裕層に応分の負担や、社会保険に対する企業負担の強化など憲法にもとづく新しい福祉国家への可能性が開けると強調しました。
 主催者の林克(かつし)・県評議長は「全ての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」憲法25条を軸に、学び考え合おうと呼びかけました。
 静岡市立商業高校の和太鼓部による演奏も披露されました。参加した葵区の男性(61)は「消費税は社会保障の財源にあてはまらないということがよくわかった。私たちの運動で憲法を守らせる政治を実現させたい」と話していました。

三重/国のエネルギー政策見直しを
 三重県憲法会議が主催する「5・3憲法を考える県民の集い」が3日、津市のフレンテみえで開かれ、市民や学生約90人が参加しました。講演は福島県立医科大学教授(憲法学)の藤野美都子氏。
 藤野氏は、チェルノブイリ原発福島調査団(団長・清水修二福島大学副学長)の一員として昨年11月にベラルーシやウクライナを訪問した経験をもとに、廃炉や核燃料処理が終わりのめどが立たないまま続けられる実態や、食べ物による内部被ばくを防ぐ取り組みなどを紹介しました。
 その上で藤野氏は、チェルノブイリの経験を生かした長期の放射能とのたたかいや、地方自治の精神に基づく復興対策など今後のフクシマの方向を提起。「国民の生存権の問題」として国のエネルギー政策の見直しを強く訴えました。
 藤野氏はさらに、被災地での自衛隊の活動に住民からは感謝の声とともに、迷彩色の車や服装に不安の声があることも紹介し、自衛隊の美化や震災に便乗した改憲論の台頭に警鐘を鳴らしました。

長野/災害弱者のいのち守れ
 長野県諏訪市で3日、10回目となる「2012年諏訪地方憲法集会」(武井秀夫会長)が開かれ、280人が参加しました。
 反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠氏が「憲法は、大災害にどう立ち向かおうとしているのか」をテーマに講演しました。湯浅氏は、被災地で障害者・高齢者などの災害弱者のいのちをどう守るかが問われていると指摘し、人と人とをつなげる仕組みを被災地はもちろん全国でもたくさんつくっていくことが重要と述べました。
 参加者から「どうしたら9条の会に多く参加してもらえるか、改めて考えさせられた」(岡谷市・男性)、「民主主義は主権者として参加していかなくてはならないというメッセージが強く残った」(下諏訪町・女性)などの感想が寄せられました。
 講演終了後も40人を超える人々が講師を囲む分散会に参加し、主権者としてどのように運動を築いていったらよいかを真剣に交流しあいました。
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朝の風/つながり支え合い作られる歴史

 田中隆夫氏の論稿「神戸女学院生の治安維持法犠牲者と仲間たち 第1部」(『大阪民衆史研究』第66号)に注目したい。もともと、この研究は、島田フキと笹子智江という同級生の受難史であった。1930年、フキは在学中に検挙され拘置所入りをした。智江は東京へ出て、プロレタリア美術運動を行うなか検挙された。
 同氏は、フキの実家、兵庫県淡路島の島田家に所蔵された文献研究からはじめた。淡路島は自由民権運動が盛んで、フキの祖父は植木枝盛の影響を受け、その弟邦次郎も自由民権運動左派として、人民主権・男女平等を主張し、明治憲法を根本から批判した。
 同氏の発見は、三・一運動のリーダーの一人、権東鎮が島田家に滞在していたことである。権は帰国後朝鮮独立にまい進した。
 同氏には、旧制甲南高校での永井智雄らの社研活動とそれへの弾圧の論稿がある。そこで明らかにしたことは、当時の革命運動が、孤立無縁ではなく、有名無名の多くの人びとがつながり、支えあってすすんでいった、ということである。
 魅力ある人びとが「網の目の法則」によってつながっていた。さまざまな支流が集まり、大きな歴史の本流になっていくであろう、第2部以降に期待している。
 (平)
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治維法犠牲者に謝罪を/国賠要求同盟が国会請願

 戦前の天皇制政治下で反戦平和や主権在民をとなえ不当な逮捕や虐殺、拷問などを受けた犠牲者に対し、国に謝罪と賠償、犠牲の実態調査を求め、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は8日、国会請願を行いました。各地の代表170人が参加。半年間で集めた22万5413人の署名を提出。衆、参合わせて約500の議員に請願をしました。
 同法の犠牲者と同盟員らは横路孝弘衆院議長、平田健二参院議長、小川敏夫法務相、西田実仁参院法務委員長と、それぞれ面談しました。
 日本共産党の穀田恵二衆院議員、井上哲士参院議員が同席しました。
 面談で、犠牲者の水谷安子さん(98)、山下懋(つとむ)さん(92)は体験を話しました。「拘置所の中でポツダム宣言が読まれ、自由に勉強ができると知って心の中で万歳をした。治安維持法がなくなって何十年たっているのか。早く解決してほしいです」と話しました。
 山下さんは約2年間、旭川刑務所に投獄されました。「教えている絵が悪いといわれ突然検挙されました。全く非難される覚えはなかった」と逮捕の不当さを訴えました。
 横路衆院議長は、伯父が戦前の日本共産党幹部の野呂栄太郎氏だと話し、「日本は戦争の歴史的総括をしていないのが問題だ。国会で論ずるべきですね」と語りました。平田参院議長は「要望の実現までお元気でがんばってください」と、水谷さん、山下さんを励ましました。
 小川法務相は「(国会での法制定を)機会をみて検討したい」と話しました。
 同盟の増本一彦副会長は「犠牲者は高齢になっている。できるだけ早く賠償法の制定を、国に求めていく」と話しました。
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いまメディアで/憲法ないがしろにする巨大メディアの堕落

 東日本大震災から1年余がたつのに一向にすすまない復旧と復興、いまだ約16万人が避難生活を強いられる福島第1原発事故の被害、住民の生命と安全を脅かし続ける米軍基地の現実…。憲法とあまりに乖離する現実をどうただしていくのかが問われています。
 ところが、大手メディアから出てくるのは憲法を変える話ばかり。65回目の憲法記念日にあたって、憲法を生かす立場であるべき方向を論じた全国紙が一つもないところに、巨大メディアの堕落ぶりが表れています。

真正面から改憲あおる
 特徴の一つは、自民党、みんなの党などが続々と改憲案を提示している状況を、これ幸いと、「与野党は憲法改正の論議を深め、あるべき国家像を追求すべきだ」(「読売」)「改憲論議を前に進めるときだ」(「日経」)などと、真正面から改憲論議をあおっていることです。
 これらに共通しているのが、大震災に便乗して「緊急事態法制」を提起していることです。しかし、戦前、天皇に緊急勅令や戒厳令などの「大権」を与えたことが侵略戦争と国民抑圧を招いたことへの反省から、日本国憲法には「緊急事態」規定を盛り込みませんでした。悪名高い治安維持法の改悪(最高刑を死刑に)も天皇の勅令でおこなわれました。
 緊急事態法制は、この歴史の教訓を学ばず、大災害などを口実に国民の基本的人権を広範に制限し、首相に強大な権限を与えようとするものです。
 いま必要なのは「まず統制」ではなく、生存権や幸福追求権を明記した憲法の精神にたって、被災者に寄り添った復旧・復興策をすすめることではないのか。逆に震災を奇貨として、改憲論議にはずみをつけようなどというのは、本末転倒といわなければなりません。

「1票の格差」にかこつけて
 もう一つ目立つのは、憲法記念日にかこつけて、「1票の格差」をめぐる「違憲状態」をことさらに強調し、国会や政治家に「猛省」を迫る議論です。
 「朝日」は論説主幹の論評を1面に掲載。「1票の格差」の「違憲状態」のもと、政治家が「憲法の将来」を論じるのは「たちの悪い冗談だ」とまで非難しています。「読売」は「違憲状態を放置して憲法記念日を迎えたことを猛省すべきだ」と論じました。
 いま選挙制度で問われているのは、民意をゆがめ、政治を劣化させる弊害が明らかになっている小選挙区制を中心とした現行制度を存続・固定化するのか、民意を反映する制度へ抜本改革するのかということです。比例代表中心の制度に抜本改革すれば「1票の格差」もなくなります。
 衆院の選挙制度協議会では、民主党以外のすべての党が小選挙区制の弊害を認め、多くの野党が抜本改革を提起しています。
 もともと、憲法が要請するのも、民意を鏡のように正確に反映する選挙制度です。
 「朝日」主幹が提起するような「小選挙区の『0増5減』」という「一番手っ取り早い」案は、小選挙区制の固定化を前提とした案です。自民党が提起し、民主党が比例定数削減につなげるために固執しています。これこそ、憲法の要請にそむく最悪の道です。
 小選挙区制導入の際、「朝日」を含めた大手メディアは、幹部を政府の第8次選挙制度審議会に参加させ、小選挙区並立制を答申した過去があります。「政権交代の実現」を錦の御旗に、憲法が求める民意の正確な反映に背を向けておきながら、小選挙区制の害悪をただそうという動きまで「憲法を尊重する気があるのか」などと非難することこそ、「たちの悪い冗談」です。
 皮肉にも、同じ日の「朝日」国際面では、米法学者らが188カ国の憲法を分析した結果として、日本国憲法が「今でも先進モデル」だと結論づけたと報じています。だとすれば、いまこそ憲法を生かした日本の国のあり方こそ、メディアとして提起すべきではないでしょうか。
 政治部長 藤田健
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2012年05月04日,「赤旗」) (Page/Top

橋下・維新の独裁を許すな/秋田で学習交流会

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟秋田支部女性部は4月25日、秋田市文化会館で「第28回学習と交流のつどい」を開きました。元日本共産党中央委員会・農漁民局長で治維法国賠同盟秋田県本部の近江谷昭二郎会長が「国政進出を狙う『橋下・大阪維新の会』の独裁政治を許すな」の演題で講演しました。
 その中で、独裁政治に反対する人々との共同を広げ、暗黒政治への逆行を許さないために力を尽くそうと訴えました。
 交流では、巨大メディアの持ち上げによって橋下「ブーム」がつくられていることや、政治的閉塞(へいそく)感や不信の広がりの中で若者に橋下市長への「期待」が生まれていることなどが討論されました。
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2012年05月03日,「赤旗」) (Page/Top

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*         4月】(ヘッドライン)

 

*         若杉鳥子が書いた戦前のメーデー/奈良達雄

*         危険な狙い知らせよう/「秘密保全法」の学習会/札幌

*         歌壇/時代に生きる意味

*         「いちごフェス」開く

*         文芸時評/松木新/氷山曳航が問う自然と人間

*         句読点/今井監督再発見

*         啄木と多喜二に学ぶ/橋下氏のような「強権政治」に注意したい=^滋賀で集い

*         治維法国賠同盟活発に/青森県本部が記念集会開く/塩釜と多賀城6カ所で宣伝

*         朝の風/仏陀を背負いて被災地へ

*         治維法、国は謝罪せよ/国賠同盟大阪府本部30周年のつどい

*         駅前で署名を道本部呼びかけ/治維法国賠同盟

*         ひと/泊・横浜事件の資料室を設置経田サチ子さん(77)

*         小林多喜二の文学と運動/大田努著/評者田島一作家

*         罪、自衛隊の国民監視/差し止めは却下/たたかい続く/「あしき流れに一石投じた」

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4月本文】(Page/Top

 

若杉鳥子が書いた戦前のメーデー/奈良達雄

 プロレタリア作家・若杉鳥子(1892〜1937)が、「婦人の一人として」と題して、1929(昭和4)年のメーデーに参加したルポルタージュを書いている。雑誌『戦旗』編集部の依頼を受け、消費組合員としての体験を記したものだ。治安維持法下の困難な時代のメーデーがどのようにたたかわれたか、その一文からよく伝わってくる。
  □ □
 ×色テロルの暴風の中に、一九二九年五月一日は明けた。天重く霖雨するこの日は、敵の××に斃れた山宣及び其他の同志の追悼会として最好適だった。
 格調ある書き出しである。最初の×は「白」、為政者の弾圧を指す「白色テロル」だ。次の××は、「凶刃」だろう。この年の3月、労農党代議士・山本宣治が右翼に暗殺されている。
 鳥子は、東京の会場の状況を次のように記す。
 午前九時、芝山内の青葉に囲まれた緑の窪地は、去年に倍加した元気な大衆と、熾んな組合旗とで充たされる。この日私は関東消費組合の配給員として参加した。私達の部署は入り口の左側、そこで帝大、早稲田等の学生消費組合、西郊、南郊、東京共働社の代表の人たちと顔を合わせた。
 地域や大学の消費組合の連帯が広がっていることをまず伝える。鳥子たちは、パンやサイダーを売る。
 会場での官憲との衝突の場面では、「弁士が演壇に現れるや、次々と中止中止の連発を喰って降りるのが見えた」「その時、物凄い群衆の喚声が揚った」「後で聴くと、その数分間の出来事は検束されようとした弁士奪還の為に行われた、メーデー最初の抗争であった」とのべる。
 鳥子たちはデモが集会地を出発すると、飲み水の接待班として電車で解散地へ向かう。
 「此処にもまた彼等の意地悪な干渉が待っていた。バケツに組合の署名があってはいけないとあって、折角汲んで出たバケツの水を、何ばいも雨の道路に流さした」「私達の差し出す一杯の水に、更に元気を盛り返して行進した。労働歌を高唱した」「青バス、円太郎(=乗り合い馬車)、紡績其他の婦人達の朗らかな顔も、花束のように眼前を掠めた」と描く。
 「ありがとう、ありがとう」と叫びかけてゆく労働者諸君の、心からなる挨拶は、ある一つの合言葉として、強い言外の意味を響かして行った。
  □ □
 官憲が取り囲むなか、鳥子は、労働者たちの「ありがとう」の一語から、「強い言外の意味」を受けとっている。
 戦前の暗黒の困難な時代を思うにつけ、集会・表現の自由のもと、たたかうメーデーの伝統を今年も存分に発揮したいものである。
 (なら・たつお・歌人)
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2012年04月30日,「赤旗」) (Page/Top

危険な狙い知らせよう/「秘密保全法」の学習会/札幌

 札幌市の大通平和委員会は21日、民主党野田政権が成立を狙う秘密保全法についての学習会を開き、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治維法国賠同盟)北海道本部の宮田汎会長が話しました。
 宮田会長は、「秘密保全法で秘密とされるのは軍事ばかりでなく公共の安全と秩序の維持に関する情報が付加され、廃案となった国家秘密法案より秘密の範囲が広くなっている」と危険性を話し、「真の狙いは国民やメディアの目をふさぐところにあることは明らかだ」と説明しました。
 宮田会長は、戦前の軍機保護法などで国民の目をふさぎ、侵略戦争に突き進んだ例として、「レーン・宮沢事件」を挙げ、DVDで紹介しました。同事件では1941年12月8日の戦時特別措置によって北海道大学の師弟が検挙され、懲役15年の刑を受けた学生・宮沢弘幸さんが虐待により戦後間もなく亡くなりました。
 出席した石田明義弁護士は、21日報道された日韓の軍事情報秘密保全覚書にも触れ、「北朝鮮のミサイル発射などを口実に自衛隊のPAC3配備など危険な動きに注意を払うべきです」と語りました。
 参加者からは「『秘密保全法』の危険な実態が知られていない。もっと学習会や宣伝活動を広めよう」「地元で起きたレーン・宮沢事件のDVDなどを広く見てもらおう」などの発言がありました。
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2012年04月28日,「赤旗」) (Page/Top

歌壇/時代に生きる意味

 評伝『父 矢代東村』(小野弘子著・短歌新聞社)は、近代短歌史上、極めて特色ある歌人・矢代東村を、娘として一冊にまとめあげたものである。「父」というかかわりからは、日常生活の人間的なさまざまな面が捉えられていて、洗練された文章によって心温まる伝記となっている。
 しかし、本書の意義は自ら端書きに記すごとく「一歌人が時代に在ってどのように生き」てきたかを実証的に明らかにしたところにある。
 明治末期の啄木の選歌欄から始まり、大正期の前田夕暮の『詩歌』、北原白秋らの『日光』を経て、昭和の口語短歌の歴史の推進力となった生涯が、丁寧に作品や評論を踏まえて論じられているのである。
 歌壇的にも広いかかわりがあり、登場する近代歌人はかなりの数だ。そして治安維持法によって捕らえられた苦闘の昭和10年代がある。戦後は弁護士の活動にも、短歌においても奮闘を見せたが、1952年に亡くなった。あのメーデー事件の年だ。遺詠となった病院での作。
 百万の味方いつも背後にあることを忘れるな心へこたれる時
 この歌は、当時の貧青年のわが愛唱歌だった。そうしたことまでが一冊になっている。
 近代短歌史とは何であったのか。人間の尊厳をかけてひたぶるに生き、歌い上げた矢代東村がここによみがえったのだ。歌人以外の人たちにも広く薦めたい。
 結社誌4月号からは今日的課題作を引用しよう。
 海に山河にプルトニュウムをばらまきし罪は二万年後も消えず
 (『波濤』真鍋正男)
 五首連作いずれも原発問題をテーマとして鋭く、率直に歌っている。震災の短歌としても今日的課題はここにあるといってよいのである。
 (水野昌雄・歌人)
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2012年04月27日,「赤旗」) (Page/Top

「いちごフェス」開く

 日本共産党の「川崎市議会議員・市古てるみとともに―第26回いちごフェスティバル」が8日、同市中原区で開かれました。
 俳優・演出家・画家である米倉斉加年さんが「みなが生きられる世の中を」と題して講演しました。米倉さんは、小林多喜二の生き方にもふれながら「『ふつう』に生きていくことは勇気のいること。『ふつう』に生きることがむずかしい時代を到来させてはならない」と話しました。
 合唱団「白樺」がロシア民謡などを披露しました。
 市古市議が礼を述べ、中野としひろ衆院神奈川10区候補、大庭裕子市議があいさつをしました。
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2012年04月25日,「赤旗」) (Page/Top

文芸時評/松木新/氷山曳航が問う自然と人間

 池澤夏樹『氷山の南』(文芸春秋)がこの3月に出版された。この作品の新聞連載終了が2010年9月であり、その間に3・11がある。3・11は多くの人々に、それまでの価値観の再検討を迫った。
 2016年という近未来を舞台にしたこの作品には、科学の進歩と経済活動、自然と人間との関係など、生き方の根本にかかわる問いかけがあり、激変した情勢に十分に応える内容になっている。
 排水量5千dのシンディバード号の目的は、南極海へ行って適当なサイズの氷山を見つけ、オーストラリアまで引っ張ってきて、南西部の畑地で灌漑用水として使用することだ。
 この航海の記録者が、密航したアイヌの少年ジン・カイザワだ。彼には航海前にシンディバード号の母港であるフリーマントルで知り合った先住民アボリジニの友人がいる。氷山の曳航には、氷を崇拝し反資本主義を標榜するアイシストと呼ばれているグループの根強い反対がある。
 氷山の曳航というばかげて大がかりな方法に頼らなくても、安心して暮らしていける社会を創るべきだ、資源をゴミに変えるサイクルをこれ以上加速させてはいけない、開発と浪費の悪循環を絶つなどのアイシストの主張には、うなずけるものがある。
 航海の途中、一時下船して友人を訪ねたジンは、その地でアボリジニの英知を一身に備えた老人に出会い、自然と人間とは一体であることを知る。人が歩くことによって大地は生命の息吹を吹き込まれ、また大地は人に生きる力を与えるというアボリジニの自然観は、アイヌのそれと通底しており、示唆に富んでいる。

内なる偏見凝視、作家精神に迫る
 鶴岡征雄「小説・冬敏之」(『民主文学』)は、ハンセン病患者への差別や偏見と対峙し、人間の尊厳を守り抜くために書き続けた作家の半生を描いている。冬敏之が亡くなって10年、彼と最も近いところにいた鶴岡は、直接見聞きした体験と冬の日記を駆使して、冬敏之像に迫っている。
 2001年5月10日、冬は鶴岡の壺中庵書房から『ハンセン病療養所』を上梓、翌日、熊本地裁で「ハンセン病国家賠償請求訴訟」が勝利した。10月27日、『ハンセン病療養所』出版記念講演会で400人の聴衆を前に講演する。翌年、67歳を迎えた冬は、2月20日、『ハンセン病療養所』で「多喜二・百合子賞」を受賞。病床で授賞式に臨み、「奇跡のスピーチ」を行うものの、6日後に息を引き取る。
 この激動の9カ月間を縦糸に、鶴岡との出会いからの三十数年のエピソードを横糸にして、冬敏之の世界が鮮やかに紡がれている。
 冬と向き合う鶴岡の戸惑いが臆することなく描出されていることも、この作品を味わい深いものにしている。普通の家庭の敷居をまたいだことがないという冬を自宅に招いてカレーライスをごちそうする。冬が使ったスプーンを捨ててしまう妻を、鶴岡は叱ることができない。
 この作品が成功しているのは、作家である鶴岡が内なる偏見を凝視することで、「胎内から心臓をえぐり出して、ポンプが膨らんだり縮んだりしているような迫真に満ちた小説を書く作家」冬敏之の文学精神を発見したことにある。

文学的想像力が求められている
 今月の文芸誌は、昨年芥川賞を受賞した西村賢太が「棺に跨がる」(『文学界』)を、大江健三郎賞の受賞が決まった綿矢りさが「ひらいて」(『新潮』)を発表している。その中で、過去に原発推進の立場でエネルギー関連のルポを書いていた荻野アンナが、3・11以来の沈黙を破って、小説「電気作家」(『すばる』4・5月号)を書いている。
 福島第1原発事故は、荻野をかたくなにしたようだ。これまでの自身の言動に対する「贖罪」の言葉を拒否し、「健全な原子力発電を維持するための『キモ』」について自信たっぷりに列挙する。しかし、原発事故については、真正面から書かれていない。
 原発事故は原爆と同じく人間の命の問題であり、そのキーワードの一つが体内被曝だ。放射性物質による被曝、特に体内被曝の不安にさらされている被災者への文学的想像力が、荻野には欠落している。
 原発事故から逃げずにこれを直視し、これまでのスタンスがどうであったのかを自省することも必要だろう。
 (まつき・あらた)
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2012年04月24日,「赤旗」) (Page/Top

句読点/今井監督再発見

 虐殺で断たれた生涯にささげる深紅のばら―。「生誕百年今井正監督特集・第2部」(5月4日まで、銀座シネパトス)で同監督の「小林多喜二」を見ての思いです。
 作家は絵にならないと思っていた今井氏は、調べていくなかで多喜二が「愉快で愛すべき青年」だったとわかり映画化に挑戦。この特集は、これら普段見られない作品が並ぶ貴重な機会です。
 室生犀星の原作を水木洋子が脚本化した「あにいもうと」、大原富枝の代表作を鈴木尚之が脚本化した「婉という女」。また、曽野綾子原作の「砂糖菓子が壊れるとき」、有吉佐和子原作の「不信のとき」…。社会派の巨匠の目が、これらにどう生きているのか。山本薩夫監督らとのオムニバス作品「愛すればこそ」、香川京子さんのトーク(29日)も含め、今井作品の新・再発見が楽しみです。
 (紀)
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2012年04月22日,「赤旗」) (Page/Top

啄木と多喜二に学ぶ/橋下氏のような「強権政治」に注意したい=^滋賀で集い

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟滋賀県本部は14日、「没後100年石川啄木を語るつどい」を大津市内で開きました。同県本部会長の川端俊英・同朋大学名誉教授(日本近代文学)が「啄木と多喜二の青春」と題して講演し、西田清事務局長が「『時代閉塞(へいそく)の現状』と啄木の詩歌」と題して講演しました。
 川端氏は年表で2人の足跡を紹介し、「青春期に揺れながら前に進んだという点では共通するものを感じます」とのべました。西田氏は、啄木が大逆事件の被告・幸徳秋水の陳情書を筆写したことなど、社会主義との出会いについて話しました。
 参加者からは「当時といまの時代が似ていると思いました。橋下徹大阪市長のような人が現れて、強権政治がおこなわれていることに注意しないといけない」(男性・38歳)、「私は戦争孤児です。2人のように青春の時に悩みたかった。啄木を読んで今からでも悩み直してみようと思いました」(女性・83歳)、「53年間連れ添って亡くなった夫はデートの時、啄木の詩集を読んでくれ、かっこよかった」(女性・74歳)との感想が聞かれました。
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2012年04月20日,「赤旗」) (Page/Top

治維法国賠同盟活発に/青森県本部が記念集会開く/塩釜と多賀城6カ所で宣伝

青森県本部が記念集会開く
 歴史的な大雪も去り、ようやく春らしい天候になった15日、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟青森県本部は青森市の県民福祉プラザで「3・15 4・16大弾圧記念集会」を開きました。
 中央本部会長の柳河瀬精氏が「21世紀を平和と人権の世紀へ―世界で進む歴史の負の遺産処理―」と題して講演。参加者92人が熱心に耳を傾けました。
 「21世紀を平和と人権の世紀にしてゆくたたかい」「治安維持法を悪法と認めないのはなぜか」などの内容に、初めて同盟を知った人や社会科の教員は「こんな話は初めて聞いた。参加して良かった」と感想を語りました。
 感想文には「弾圧が想像以上にひどいことがわかった」「戦争に協力した詩人の高村光太郎氏が、深く反省し花巻の小屋同然の住居で暮らしていたことは、政府が全然反省しない中ですごい」などの声が寄せられました。

塩釜と多賀城6カ所で宣伝
 宮城県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟塩釜支部は14日、塩釜市と多賀城市内6カ所で街頭宣伝をしました。
 相原君雄支部長は、毎年約30万人の署名を全国で集めて、治安維持法の犠牲となった方々の名誉回復と国家賠償を求めて運動をしていることを紹介。消費税増税に命をかける総理大臣に振り回されている政局を批判し、福島原発事故の原因究明も終わっていないのに「再稼働ありき」で福井県の関西電力大飯原発再稼働を画策する政府を批判しました。
 さらに、自衛隊の情報保全隊による国民監視活動の差し止め訴訟で原告勝利の判決が下されたことに触れながら、秘密保全法制定が狙われ、国民の権利が侵害される動きが強められていることを見逃さず、再び戦争と暗黒政治を許すことのないよう運動を広げていくと表明しました。
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2012年04月20日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/仏陀を背負いて被災地へ

 3・11から1年。大震災についての出版物も多いが、仏教界の専門紙「仏教タイムス」が、『震災と仏教界―東日本大震災報道1年』という同紙の記事・論説のダイジェスト版を刊行した。
 「仏教界・宗教界が東日本大震災にどのような取り組みをしてきたかを一般の人にも伝えたい」(「刊行にあたり」)という同紙編集部の「思い」が、よく伝わる内容である。
 被災地寺院に電話も通じないなか、最初の報道は「東日本大震災東北寺院を直撃」。全壊の本堂。「お寺が避難所に」も。震災犠牲者の臨時の法要。直ちに救援支援活動に取り掛かる各宗派。現地に駆けつける青年僧ら。
 やがて原発問題の報道が登場する。真宗大谷派「原子力問題に関する公開研修会」の記事。曹洞宗大本山永平寺では原発シンポが。そして全日本仏教会は「原発によらない社会を目指す」という先駆的な宣言文を採択。
 シリーズ「宗教は、大震災に何をするのか!?」の最終回(5月26日付)は、1931年に結成され、治安維持法で弾圧された新興仏青(新興仏教青年同盟)の紹介である。「仏陀を背負いて街頭へ」という新興仏青のスローガンを「仏陀を背負いて被災地へ」と言い換えたこの論説は、日本仏教の新生への道を示唆している。
 (許)
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2012年04月16日,「赤旗」) (Page/Top

治維法、国は謝罪せよ/国賠同盟大阪府本部30周年のつどい

 戦前の暗黒時代を想起させるような橋下・「維新の会」のやり方が問題となる中、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治維法国賠同盟)大阪府本部は、このほど、大阪市内で結成30周年記念のつどいを開き、約100人が参加しました。
 柳河瀬精会長(中央本部会長)が、ヨーロッパでファシズム政権下の弾圧犠牲者に謝罪や賠償が行われていることを紹介。日本弁護士連合会の決議を引用しながら、「治安維持法は戦争を推進するための恐怖政治の法的武器でした。この意味においては、国民全体が被害者です。これを大きな世論にしていけば必ず要求を実現できます」と話しました。
 治安維持法の被害にあった102歳の西川治郎さんも出席し、「突然、警察に引っ張られて、2年間の実刑を受けました。国家に『あれは間違っていた』と認め、賠償してほしいというのが同盟の目的です。同盟発展のためにみんなで働きましょう」と話すと大きな拍手が起こりました。
 参加した男子学生は、「治安維持法について深く知ることができました。西川さんが訴え続けている姿を見て、自分も聞いた話を伝えていきたい」と話していました。
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2012年04月11日,「赤旗」) (Page/Top

駅前で署名を道本部呼びかけ/治維法国賠同盟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部は7日、札幌市西区の地下鉄琴似駅前で、治安維持法犠牲者国家賠償法を求める署名行動を行いました。
 同道本部は5万人分の署名目標を持って全道で取り組んでいます。横殴りの雪のなか、道本部三役と西区の会員2人が参加しました。宮田汎会長と横山博子副会長がマイクを握り「戦争に反対して小林多喜二のように治安維持法で捕らわれ虐殺された92人をはじめ、多くの犠牲者に対して国が謝罪と賠償をすることを求めて5月8日、国会請願に参加します。日本が再び戦争をしないことを求める署名でもあります」と訴えました。
 寒さで急ぎ足の人も多い中、高校生2人が立ち止まり、じっと訴えに耳を傾けて署名をしました。「治安維持法って何ですか。この署名がどのように役立つのですか、詳しく話してください」と尋ねてから署名する人もいました。
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2012年04月10日,「赤旗」) (Page/Top

ひと/泊・横浜事件の資料室を設置経田サチ子さん(77)

 戦時下最大の思想弾圧事件「泊・横浜事件」端緒の地・泊町(現富山県朝日町)の料理旅館「紋左」に2月、資料室を設置した一人です。
 国際政治学者・細川嘉六が郷里にある「紋左」で開いた宴会を、特高警察が「共産党再建準備会」とねつ造し、60人以上を逮捕しました。資料室には、特高から拷問を受けた32人の口述書や関連書籍などを展示しています。証言DVDも視聴できます。
 「つらい目にあった人たちから話を聞き、むちゃなことをやるものだと思った。繰り返さないために、不断の努力をしていかなければ」
 富山市で生まれ、小学校5年生で富山大空襲を体験。「戦争の怖さが身にしみています。国の犯罪という点で、通じるものがあります」
 資料室の場所提供では、魚津市の自宅から車で何度も往復し、「紋左」経営者の柚木哲秋さん(61)に申し入れ、「事件には祖母もかかわりがあったので」と承諾してもらいました。
 亡き夫・弥吉朗さんが、治安維持法廃止後の再審請求運動や再審裁判を支援していたことから影響を受けました。事件の真実を後世に伝えていくことは、夫の願いでもあり、2008年には事件を伝える石碑建設にも尽力しました。
 農業を営み、「環境保全米」を栽培しています。軽トラックも自ら運転。反戦・平和の集会や美術展などにも顔を出しています。
 文 村上 明子
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2012年04月03日,「赤旗」) (Page/Top

小林多喜二の文学と運動/大田努著/評者田島一作家

作品の魅力、丹念に掘り起こす
 本書は、多喜二や百合子、プロレタリア文学の研究者であり、それらの全集編集に長年携わってきた著者が、最近発掘の資料も駆使してまとめた評論集である。
 本書を読み、多喜二に向かう著者の情熱と決意に触れた私は、末尾に「文学と運動」と据えた表題に改めて目をやり、襟を正される思いでいた。
「『飯を食えない人』が求める文学とは何か?」を絶えず追求してきた多喜二の文学の真骨頂ともいえる、「たたかいをとおして成長・発展するプロセス」を独自の問題意識で探究する、容易でないテーマを自らに課した息遣いが伝わってきたからである。
 こうした著者の姿勢は、「『蟹工船』の現代性を考える」や、時代と人間の変革を統一的にとらえようとした「工場細胞」の論、そして、当時のプロレタリア文学運動との関わりで解明した「伊勢崎多喜二奪還事件」の考察、「非合法時代の遺品から見る『転形期の人々』の意味」などの論考に一貫しているのだ。
 多喜二と同時代をたたかった手塚英孝の足跡をたどり、作品が原型に復された歴史を語る本書収録の講演は、著者だから述べられる迫真のドキュメントでもあり、読者の胸を打つだろう。
 苛烈な時代状況に抗して描き続けた多喜二の創作態度について著者はあとがきで、「文学の存在意義の問いかけに対する回答の一つでもあった」と結んでいる。3・11後の文学創造を考えるとき、この指摘は重く響く。
 作品の魅力を丹念に掘り起こし、文学と運動の総体を論じた労作は、新たな多喜二の発見により一層の親近感を抱かせてくれるに違いない。

 おおた・つとむ 1941年生まれ。多喜二・百合子研究会運営委員。
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2012年04月01日,「赤旗」) (Page/Top

断罪、自衛隊の国民監視/差し止めは却下/たたかい続く/「あしき流れに一石投じた」

 自衛隊による個人情報の収集は「人格権の侵害」―。仙台地裁(畑一郎裁判長)は判決(3月26日)で、情報保全隊による国民監視を「違法」と判断しました。日本共産党が明らかにした闇の監視部隊≠フ活動に司法がノーを突き付けたのです。
 前田泰孝記者

 「戦争へのあしき道に再び向かわせないための判決だ。よかった」
 原告団長の後藤東陽さん(86)は判決を喜びます。
 1面トップで「集会監視は『人格権侵害』」(「毎日」26日付夕刊)や「個人情報収集は違法」(河北新報27日付)と報じた新聞も―。

人格権を侵害
 イラク戦争反対を訴えた市民のデモや集会までも監視し、リスト化した情報保全隊。判決は「情報収集は人格権を侵害し、違法」と断じました。その理由はこうです。
 「自分の個人情報を収集、保有されないようにコントロールする権利は、(人格権として)法的保護に値する利益として確立している」
 訴訟で被告の国側は、日本共産党が明らかにした自衛隊の内部文書について認否を明らかにしてきませんでした。判決では「真の原本が存在し、かつ、これらが情報保全隊によって作成されたことが認められる」と認定しました。
 原告のうち5人を「氏名、職業に加え、所属政党など思想信条に直結する個人情報を収集している」として「人格権侵害」と認定。計30万円を支払うよう国に命じました。監視活動の差し止めについては「対象を具体的に特定していない」と却下しました。

今から正念場
 後藤さんが生まれたのは治安維持法がつくられた1925年。軍隊では脱走兵に食糧を与えたことを密告され、憲兵隊に捕らえられました。殴るけるの暴行で腰の骨が欠け、今でも歩行が不自由です。
 「あしき流れに一石を投じることができたが、憲法9条を守る運動をやっているものとしては憲法に違反するとの一言が欲しかった」
 損害賠償が認められた原告の松井美子さん(日本共産党宮城県大河原町議)も「これからが正念場」と語ります。
 2004年1月、町内の成人式前で宣伝したところを監視、記録されていました。ここ数年、監視を意識してカメラを持ち、成人式宣伝をしています。
 「私たちにカメラを向け続ける人物がいる。私がカメラを向けると逃げる。監視はまだ続いているのではないか。国に徹底した原因解明および防止策を求めたい」
 原告団と原告弁護団は引き続き控訴してたたかうことを表明しています。

ただちにやめよ/市田氏会見

 日本共産党の市田忠義書記局長は3月26日の記者会見で、陸自情報保全隊による国民監視活動は違法だとした仙台地裁判決について、「当然の判決であり、自衛隊は違憲・違法の監視活動をただちにやめるべきだ」と要求しました。

07年、志位委員長が内部文書公表

 日本共産党の志位和夫委員長は2007年6月6日の会見で、陸自情報保全隊が03年12月から翌年3月ころに作成したA4判166nに及ぶ内部文書を明らかにしました。
 同隊は、年金、消費税、春闘など自衛隊と関係のない活動まで監視。イラク派兵に反対する全国41都道府県、289団体・個人の運動を記録、デモや参加者の写真も添付していました。
 国民の運動を一方的に「P」(日本共産党)「S」(社民党)「GL」(民主党・連合)などと分類。監視対象は高校生、映画監督、画家、写真家、ジャーナリスト、「イラク派兵反対決議」をあげた市町村議会、国会議員の発言、宗教団体など多岐にわたっていました。
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2012年04月01日,「赤旗」) (Page/Top

*         3月】(ヘッドライン)

 

*         3・15大弾圧84年でつどい/北海道旭川

*         大手紙賛美の吉本隆明の実像/進歩派に対するアクロバット的攻撃/三浦健治

*         主張/情報保全隊判決/違法な監視活動直ちにやめよ

*         弾圧事件とのたたかい学ぶ/水戸市

*         暗黒政治繰り返さぬ/各地で運動/宮城/岩手

*         本立て/小林多喜二の文学と運動/大田努著

*         多喜二の青春と啄木歌/湖北多喜二祭開く/橋下・「維新」の危険性を告発/滋賀

*         「思想調査」に抗議決議/京都国領会総会

*         多喜二文学を交流/50周年/ハングル版関係者講演/秋田

*         国領五一郎の墓前祭/総選挙勝利へ決意/京都

*         DVD―ROM版多喜二草稿ノートを読む/国際シンポから/修正の過程や苦闘、直筆原稿が伝える/島村輝

*         灯を新しい世代に引き継ごう/秋田で「小林多喜二展」/あすまで

*         「3・15」弾圧84年/橋下「思想調査」は特高に通じる/札幌で集い

*         世界に羽ばたく多喜二の文学/秋田・小林多喜二展によせて/茶谷十六

*         大阪思想調査に南空知支部抗議/治維法国賠同盟

*         文化/村山知義/表現の冒険者/才気沸騰、多面体/パフォーマンス、舞台装置から童画まで

*         橋下恐怖政治¢j止へ/党と後援会が緊急学習会/奈良

*         潮流

*         北海道江別で多喜二祭/伊勢崎での釈放事件などエピソード語る

*         レッドパージの被害実態を報告/兵庫・尼崎で懇談会

*         大阪「思想調査」・2条例許さない/暗黒政治復活とたたかう/治維法国賠同盟が談話

*         故山本宣治悼み墓前祭/京都

*         小樽の小林多喜二国際シンポ/国を超え現代に響く多喜二の言葉

*         朝の風/川柳人・鶴彬の業績をいま

*         橋下「思想調査」許さず/大阪の事と済まされぬ/元北海道新聞デスク高田昌幸さん

*         アニメが核をどう描いたか/三重大学で講座

*         橋下「維新の会」思想調査/「密告」強要、負の歴史思う/橋本進

*         多喜二没後79年/仙台で講演会

3月本文】(Page/Top

 

3・15大弾圧84年でつどい/北海道旭川

 3・15大弾圧事件84周年記念の集いが24日、北海道旭川市内で、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟道北支部の主催で開かれ、30人が集まりました。
 生活を見つめ、より良く生活を変えることをめざす絵の教育運動が弾圧された戦前の「生活図画事件」犠牲者である菱谷良一氏(90)が体験を話しました。1941年1月、旭川師範学校(現北海道教育大学旭川校)の美術部指導教官・熊田満佐吾氏が逮捕されると、同校5年生で同部員の菱谷氏も同年9月、同級生、旭川中学校(現旭川東高)卒業生ら24人とともに検挙されました。
 特高(特別高等警察)の拷問や「他の被疑者は自白しているぞ」などの誘導によって調書やニセの手紙が作られました。氷点下30度に及ぶ獄中も体験しました。未決のうちに学校は退学させられ、1年半の懲役(執行猶予3年)の判決を受けました。
 菱谷さんは「日本はいま民主党政権のもとで戦争への道を歩もうとしているが、二度と私のような体験をさせないように頑張らなくてはならない」と話しました。
 当時の生活図画を見せて、同盟道本部の宮田汎会長は「軍事教練などで現実の学校生活は暗かったが、その中でも学問と真理の大切さを忘れてはいけないと訴えたもの」と解説。また「秘密保全法案が今国会に提出断念との報道があったが、戦前の治安維持法や軍機保護法、国防保安法と同じようなものが考えられていることは許されない」と述べました。
 今村登・治維法同盟道北支部長が、5月8日の国会請願に向けて、治安維持法犠牲者に対する謝罪と賠償を求める国家賠償法制定の署名を訴えました。
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2012年03月31日,「赤旗」) (Page/Top

大手紙賛美の吉本隆明の実像/進歩派に対するアクロバット的攻撃/三浦健治

 3月16日、吉本隆明が亡くなった。死者への儀礼もあるのだろうが、大手各紙がくりかえす「戦後思想の巨人」「大衆に寄り添う」などという吉本賛美は、読者にその実像を見誤らせるといわざるをえない。本当のところ、吉本はどういう思想を展開したのか。

純文学に意味はなくなったと主張
 評論家として出発した1950年代、吉本は、小林多喜二・宮本顕治のような天皇制国家権力の弾圧・拷問に屈しなかった非転向者を、西欧思想を観念的に守ったモダニスト(近代主義者)にすぎない、それは転向の一形態だと逆さまに描いて批判した。だから戦後民主革命は流産したのだ、と「左」から攻撃したのである。
 そうした論で60年安保闘争期の暴力集団・ブントと結びつき、70年前後の「全共闘」学生などの教祖的存在となった。
 ところが、吉本は80年前後から資本主義肯定派に移行する。その文芸評論は、資本主義的「高度成長」に満足し問題意識を失って、修辞だけに腐心するような空虚な文学を肯定する論調に転じる。純文学には抑圧された人の苦しみを共有するという性格があった。しかし、吉本は伝統的な文学とサブカルチャーは等価値になったという。日本の資本主義が成功し、みんな豊かになったから、もう純文学に特別な意味はなくなったというのだ。
 攻撃の矛先は、日本共産党だけでなく市民派にも向けられる。81年に作家の中野孝次らが500人の文学者の反核署名を集め、2千万人の署名運動に発展したときも、それを政治の言葉を倫理の言葉に代えた「ソフト・スターリン主義」だと攻撃。86年のチェルノブイリ原発事故以後に広がった反原発運動も、反核が反原発、エコロジーに収れんするのはぞっとするほど愚かだと攻撃した。

「オウム」が犯したサリン事件を絶賛
 要するに吉本は資本主義の産業科学ほどすばらしいものはないと考えていて、それに待ったをかける反原発運動、環境保護運動などは歴史への反動だというのだ。吉本のとてつもない資本主義信奉は、保守政治家を持ち上げる発言―中曽根康弘は高度経済成長で日本を豊かにしたとか、小沢一郎の『日本改造計画』は穏当だなど―にもあらわれている。
 吉本の「理論」は共同幻想論、心的現象論、言語論によって体系づけられたといわれるが、いずれも典型的な主観的観念論である。客観的な存在、客観的な関係ではなく、それらとは切り離され、中空に浮いた個人の主観が基準にされる。マルクスの名をあげても、科学的な世界観に立つマルクスとは無縁である。
 文学、社会への批評活動も同じで、当人が本気で深く思いこんでいるかどうかが正当性の基準になる。行為の社会的、客観的な意味は顧慮されない。95年、オウム真理教の地下鉄サリン事件を絶賛し、獄中の教祖・麻原彰晃について最後まで自分は正しいと言いつづけなければ本物になれないと語ったのも、その思想の帰結である。

福島事故のあとも「原発否定できぬ」
 福島第1原発事故のあと、『週刊新潮』(1月5・12日合併号)のインタビューに吉本はこう答えた。放射能汚染で人びとがどんなに苦しもうと、核兵器や原発に反対するのは「乱暴な素人の論理」で、猿から分かれて文明を築いてきた人間の今日までの営みを否定することだ、原発などは「どんなに危なくて退廃的であっても否定することはできない」と反核・反原発を攻撃した。
 核兵器などは科学の進歩ではなく、その副産物にすぎない。原発も科学的に未知の部分が多く人間にとって異質の危険をもつものなのに、核兵器の潜在能力を確保するという政治的動機や、利潤優先で安全無視の電力会社の経済衝動で暴走しているだけだ。そうしたことに吉本はまるで思い及んでいなかった。
 進歩派へのこうした吉本のアクロバティック(曲芸的)な攻撃の数々を見るとき、大手各紙の賛美一辺倒の不見識は明らかではないだろうか。
 (文芸評論家)
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2012年03月30日,「赤旗」) (Page/Top

主張/情報保全隊判決/違法な監視活動直ちにやめよ

 自衛隊の情報保全隊が、イラクへの自衛隊派兵に反対する集会参加などの活動を監視していたのは違憲・違法だとその差し止めを求めた裁判の判決があり、仙台地方裁判所は違法な情報収集と認め、「人格権」を侵害された原告5人に賠償を命じました。裁判所が自衛隊の情報収集活動を違法と判断したのは初めてで、政府・自衛隊は違法な国民監視活動を直ちに中止すべきです。

あらゆる分野を監視下に
 この問題は2007年6月、日本共産党の志位和夫委員長が、陸上自衛隊情報保全隊(=当時、現在は自衛隊情報保全隊に一本化)が作成した内部文書を公表、批判したのがきっかけです。文書には、イラク派兵に反対する活動とともに、消費税増税反対、医療費負担増凍結・見直し、国民春闘、小林多喜二展などの監視活動が記載されており、自衛隊が国民のあらゆる分野を監視下に置いていたことを浮き彫りにしました。
 しかも文書には、関係団体や内容とともに、個人の名前や「日本共産党系」「民主党系」などの色分けまで記載されていました。国民の集会・結社や表現の自由を侵害し、思想・信条や信仰の自由まで踏みにじることは明らかです。志位委員長の発表は大きな反響を呼び、日本共産党が呼びかけた市民集会にも多くの人たちが参加し、違憲・違法な監視活動の即時中止を求めました。
 当時の政府は文書の存在さえ認めず、違法な活動だとの指摘は受け入れませんでした。このため東北方面情報保全隊の文書で取り上げられた市民らが、思想・信条、プライバシー権はもとより、平和的生存権をも侵害する違憲・違法な行為だと司法による救済を求めて訴えたのがこの裁判です。
 仙台地裁の判決は憲法判断には踏み込まず、監視活動の差し止めも認めませんでした。しかし、志位委員長が発表した文書の原本が情報保全隊によって作成されたことは認め、国民が自分についての情報をコントロールする権利は、「人格権」として認められるべきだとして、情報保全隊が個人の情報を勝手に収集し、保存するのはその侵害に当たると、一部の原告に賠償を認めました。政府の主張を突き崩す重要な判決です。
 国民は自らの情報を決定する権利を持っているというのが「自己情報コントロール権」の考えです。国民が望まないのに個人情報が不当に収集・保存されれば権利が侵害され、人格権が否定されたことになります。この点で、情報保全隊の活動を「違法」と判断した判決は重要な意義を持ちます。

監視活動そのものが問題
 同時に判決は、多くの原告について個人情報が収集されたとまでいえないといって賠償を認めませんでしたが、本来この問題は、自衛隊の監視活動そのものにまで踏み込んで判断すべき問題です。自衛隊が戦前の憲兵まがいの国民監視をおこなうこと自体、国民を萎縮させます。言論・表現の自由や思想・信条の自由に反することは明らかです。
 情報保全隊の監視活動が自衛隊内にとどまらず国民全体に向けられていたことは重大です。軍隊が国民全体を監視下に置いた戦前のような暗黒政治を繰り返さないために違憲・違法な監視活動をきっぱり中止させることが必要です。
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2012年03月28日,「赤旗」) (Page/Top

弾圧事件とのたたかい学ぶ/水戸市

 治安維持法とたたかい社会進歩につくした茨城県の先人たちに学ぼうと「3・15/4・16弾圧事件記念講演会」(同実行委員会主催)が15日、水戸市内で開かれ、40人が参加しました。
 休日に「しんぶん赤旗」号外などを配ったことが国家公務員法などに違反したとして不当逮捕・起訴された堀越明男氏(茨城県出身)が、たたかいの展望と最高裁をめぐる情勢について講演しました。堀越氏は「憲法99条は、公務員に憲法を守ることを義務づけている。私は憲法の『表現の自由』を守ってきた。国公法、人事院規則こそ憲法違反だ。自由は、たたかって勝ち取るものだと学んだ。最高裁には大法廷で真剣に審理してほしい」と訴えました。
 文芸評論家の奈良達雄氏は、治安維持法の過酷な弾圧とたたかい抜いた茨城県出身の池田峯雄、沼田秀郷両氏について話しました。
 参加者からは「郷土のすばらしい先人の人間性、たたかい、生き方に感動した」などの感想が寄せられました。
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2012年03月27日,「赤旗」) (Page/Top

暗黒政治繰り返さぬ/各地で運動/宮城/岩手

思想調査に抗議/治維法国賠同盟仙台支部幹事会
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治維法国賠同盟)仙台支部は22日、幹事会を開きました。
 幹事会では、橋下徹大阪市長が市職員に思想調査をおこなったことについて、戦前の治安維持法が国民の思想自由を侵したことへの謝罪と賠償を要求してたたかっている団体として、絶対に許すことはできないと、批判の声が出されました。
 「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」とする憲法19条に反しており、大阪市長へ抗議し、全国の国民と力をあわせてたたかうことを確認しました。

レッド・パージ名誉回復実現を/岩手県同盟が総会
 岩手県レッド・パージ被害者名誉回復同盟は20日、定期総会を雫石町の鶯宿(おうしゅく)温泉で開催し、16人が参加しました。
 開会で代表委員の横田綾二氏(元日本共産党県議)が「大変な人生を歩んできたが、死ぬ前に何としても名誉回復を実現したい」と決意と運動の促進を呼びかけました。
 藤村三郎事務局長は、この間のレッド・パージ名誉回復同盟の運動の前進に触れ、日本弁護士連合会の2度にわたる人権侵害救済の勧告や2010年12月のレッド・パージ60周年記念のつどいについて紹介。その中で、「北海道教育大学の明神勲名誉教授のレッド・パージの新たな研究資料にもとづく講演はレッド・パージ被害者への確信と希望を与えた」とのべました。
 藤村氏は「これらの内容を学び力にして、兵庫県の公判支援の活動や岩手のレッド・パージの実態調査もすすめながら県内でも共同の輪を大きく広げよう」と訴えました。
 総会後の懇親会では、「戦争犯罪人は社会復帰しているのに、レッド・パージの被害者が名誉回復をしていないのはおかしい」「レッド・パージの歴史的背景は」などの発言があり、「辛抱強く活動し一日でも長生きし、被害者の名誉回復と国家賠償を早く実現させよう」と誓い合って閉会しました。

川柳人・鶴彬/塩釜で上映会/治維法国賠同盟
 宮城県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟塩釜支部はこのほど、塩釜市公民館で川柳人・鶴彬(つる・あきら)の生きざまを描いたドキュメンタリー映画「鶴彬 こころの軌跡」を3回上映しました。
 上映前に日本民主主義文学会塩釜支部の柏崎知哉さんが「川柳が民衆に与える力について」話しました。鑑賞者からは「川柳の持つ力に驚いた」「暗黒政治をするどく風刺した優れた若者がいたとは知らなかった」「いまの悪政とのたたかいに通じる映画だ」などの感想が寄せられました。
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2012年03月25日,「赤旗」) (Page/Top

本立て/小林多喜二の文学と運動/大田努著

 編集者、研究者として小林多喜二を究めてきた著者による初の評論集です。
 「蟹工船」は、未組織労働者に「人間尊厳の光」を当てたといい、「自己責任」論で追いつめられた今日の青年たちとの接点をみつめます。投稿時代の多喜二や、小説「一九二八年三月十五日」の新しさなど、示唆に富む論稿も。多喜二の業績を伝えるために心を砕いた作家・手塚英孝のこと。宮本百合子の思想形成を探求する評論や関東大震災とプロレタリア文学運動など、著者ならではの労作が並びます。(光陽出版社 1429円)
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2012年03月25日,「赤旗」) (Page/Top

多喜二の青春と啄木歌/湖北多喜二祭開く/橋下・「維新」の危険性を告発/滋賀

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治維法国賠同盟)滋賀県湖北支部は22日、長浜市内で第2回湖北多喜二祭を開きました。同県本部会長の川端俊英・同朋大学名誉教授(日本近代文学)が「多喜二の青春と啄木歌」と題して講演しました。
 川端氏は、治安維持法のもとで特高警察により、29歳の若さで虐殺された日本共産党員作家・小林多喜二(1903〜1933)と啄木の関わりについて、多喜二が啄木の影響を受けて読んだと思われる短歌や、多喜二が好意を寄せた田口タキに送った啄木の短歌を朗読して紹介しました。「多喜二が革命的な作家として成長していくプロセスにおいて、タキを愛したことが、彼にとっては大きな力になった」とのべました。
 北村富生湖北支部長は「治安維持法と現代―歴史を学ぶ」と題して報告。橋下・「維新の会」の危険性をナチスドイツの台頭と比較しながら告発しました。
 参加者からは「多喜二と啄木のそれぞれについては知っていましたが、2人のつながりを知ることができてよかった」などの感想が聞かれました。
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2012年03月23日,「赤旗」) (Page/Top

「思想調査」に抗議決議/京都国領会総会

 戦前の日本共産党の幹部、国領五一郎が獄死してから69年になる15日、京都国領会は第50回墓前祭を行い、18日には京都市上京区で総会を開きました。
 総会では、二大政党の破綻のなか、新しい流れが進みつつあることに確信をもつとともに、橋下・「維新の会」の反動的逆流とたたかうことで、希望の流れをより前進させることが重要だと確認。橋下「維新」の、市職員や市民へ向けられた憲法違反の「思想調査」は断じて許さない、と決議を採択しました。
 決議は、思想・良心の自由を踏みにじり、職員と教員、市民を監視下に置き、市長・知事への絶対服従を求める独裁・恐怖政治といわなければならないと指摘。京都国領会は、国領らが不屈にたたかった戦前の暗黒政治の時代に、治安維持法と特高警察により国民を監視し、国民を侵略戦争へと駆り立てた歴史を想起させるものだと批判しています。
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2012年03月21日,「赤旗」) (Page/Top

多喜二文学を交流/50周年/ハングル版関係者講演/秋田

 秋田県多喜二祭50周年記念小林多喜二展を成功させる会が17日、秋田市の協働大町ビルで、「県多喜二祭50周年記念『全国・実行委員会交流会』」を開きました。
 県内と全国から35人が参加しました。韓国から、ハングル版多喜二選集の刊行に取り組む金泰京(キム・テギョン)・理論と実践出版社代表、ハングル版『蟹工船』(1987年)を出版した李相Q(イ・サンギョン)氏、翻訳した李貴源(イ・グィウォン)氏ら5人が参加しました。
 交流会第1部では、金氏が「小林多喜二文学の現在性」と題してスピーチしました。
 金氏は、87年ハングル版『蟹工船』を「政治的文書」と呼ぶ一部議論にたいし、『蟹工船』労働者と、80年代独裁政権下で苦悩する民衆、新自由主義下(の現代韓国)で人生のがけっぷちに立たせられている『88万ウォン世代』の若者との関連を示し、「つながっているからこそ多喜二が歴史の舞台の前面に出てくる。政治的行為は、人間的な尊い活動だ。苦労している人たちの環境、条件、社会を変える強い意志、情熱が(文学に)なければならない。そこに多喜二文学の意義がある」とのべました。
 金氏は、拷問死した多喜二の遺体に「もう一度立て」とすがりつく母・セキの姿を「ピエタ(キリストの死体を抱き嘆く聖母マリアを表す絵や像)だと思うのは私だけではない。人間を愛する心をよみがえらせるのは、私たちの責任だ」と話しました。
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2012年03月21日,「赤旗」) (Page/Top

国領五一郎の墓前祭/総選挙勝利へ決意/京都

 戦前、治安維持法により逮捕され獄死した国領五一郎の遺志を引き継ぐ墓前祭が15日、京都市左京区の黒谷墓地で行われ、親族を含む40人が参加しました。墓前祭は50回目を迎えました。
 国領会を代表して若宮修氏があいさつ。顕岑院(けんしんいん)の白嵜顕成(しらさきけんせい)上人が読経しました。
 日本共産党府委員会の細野大海書記長、京都総評の岩橋祐治議長、国民救援会府本部の大平勲会長、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟府本部の三原哲事務局長が追悼の言葉を述べました。それぞれ、総選挙勝利や憲法が生きる社会をつくる決意などを誓いました。
 ひまわり合唱団・団友会が歌うなか、参加者が焼香をしました。
 全西陣織物労働組合委員長の松下嵩委員長(京都国領会事務局長)が閉会のあいさつをしました。
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2012年03月20日,「赤旗」) (Page/Top

DVD―ROM版多喜二草稿ノートを読む/国際シンポから/修正の過程や苦闘、直筆原稿が伝える/島村輝

 小樽商科大学で2月21日から23日まで開かれた小林多喜二国際シンポジウムで、「多喜二『草稿ノート』を読み解く」という分科会が企画された。刊行1年になるDVD―ROM版『小林多喜二草稿ノート・直筆原稿』を用いた当面の成果について、筆者を含めて4名の研究者が発表を行った。

斬新な見解も
 高橋秀晴・秋田県立大学教授は、「『一九二八年三月一五日』ノート考」と題した発表を行い、インクの色などの違いによる執筆、手入れの時期の前後を考証したうえで、多喜二が草稿に修正を加えていく過程の一端を解明した。活動家・渡に対する拷問場面では、当初「縫針を二、三十本も一纏めにしたものをもつて身体にさす」とあったものを「畳屋の使ふ太い縫針」に変更し、「強烈な電気に触れたやうに」「口をギユツとくひしばり」といった語句を付け加えるなど、効果を考えて手直しされた跡が丹念にたどられ、その鋭く激しい痛みの表現に到達するまでの、多喜二の作家としての苦闘が明らかとなった。
 尾西康充・三重大学教授は「工場細胞」草稿ノートを中心に分析し、丹念な解読をふまえて、総合雑誌というメディアに発表する制約の中ということもあって、草稿には含まれながら、完成形態では一部割愛しなければならなかった、特高刑事たちによる卑劣な離間工作の実態などについての作者の問題意識を掘り起こした。
 神村和美・東京学芸大学助手は草稿ノートに記録された「独房」の執筆経過を追うことにより、多喜二の人生と作品系列の中で「〈田口〉の物語」として、人間から切り離せない性欲の問題、革命の課題とジェンダー問題といった点からこの小説がどのように位置づけられるかについての斬新な見解を表明した。

新たな可能性
 こうした発表に先立って、筆者はこの『草稿ノート・直筆原稿』集がまとめられるまでの経緯を概説するとともに、「蟹工船」「転形期の人々」「地区の人々」「党生活者」など、収録された草稿ノートや直筆原稿の画像を示しつつ、一つの作品が、作家の内面に発想されてから、それが読者の間に流通するまでのさまざまな経過を、これらの資料群から読みとることができるとの可能性を示した。それぞれの発表後、会場を含めての討論に移ったが、そこでは多くの有益なヒントが提示され、実りの多い分科会となった。
 本DVD資料の刊行後1年にして、すでにこのような明白な成果が表れた。激動相次ぐ時代を生きた多喜二という作家について、こうした資料を駆使して「社会的テクスト生成論」とでもいうべき方法で接近すれば、あらたな歴史の力学を解明するルートが見いだされることが明らかになった。この資料がさらに多くの人の目に触れることにより、今後ジャンルをまたいだ未踏の研究領域が、大きく開けてくることを深く期待する。
 (しまむら・てる フェリス女学院大学教授)

DVD―ROM版『小林多喜二草稿ノート・直筆原稿』
 日本共産党所蔵の草稿をはじめ、各地の文学館に所蔵されている多喜二の直筆原稿などを収録しています。発行・雄松堂書店рO3(3357)1449
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2012年03月20日,「赤旗」) (Page/Top

灯を新しい世代に引き継ごう/秋田で「小林多喜二展」/あすまで

 秋田県多喜二祭50周年記念「小林多喜二展」が16日、秋田市中通のアトリオンで始まりました。19日まで。
 多喜二愛用のコートとオーバー(日本近代文学館)、『蟹工船』ノート稿(日本共産党中央委員会)、麻布時代に多喜二が使っていた文机(同)、デスマスク(小樽文学館)など全国と県内の16団体、20個人から寄せられた260点が展示されています。
 同市での多喜二展は2004年2月以来、8年ぶり。その後の『蟹工船』ブームと多喜二研究の進展によって明らかになった、多喜二の亀戸訪問が従来説より1年早い1930年5月だった、などの成果が展示の随所に反映されています。
 近江谷昭二郎・同展実行委員長と全労連会館付属産別会議記念労働図書室の藤田廣登さん、韓国でハングル版多喜二選集を出版した金泰京(キム・テギョン)「理論と実践」出版社代表ら5人がテープカットをしました。
 近江谷実行委員長は「貧困と格差が広がる中で、打開したいと模索する若い労働者が行き着いたのは『蟹工船』だった。多喜二は日本の誇りだ」とあいさつしました。
 藤田さんは「この間の多喜二研究を色濃く反映させるのが今回の多喜二展の最大の眼目だ。多喜二の灯を新しい世代に受け継いでいく努力を」と呼びかけました。
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2012年03月18日,「赤旗」) (Page/Top

「3・15」弾圧84年/橋下「思想調査」は特高に通じる/札幌で集い

 札幌市で10日、「3・15」弾圧事件84周年のつどいが開かれました。日本共産党北海道委員会、自由法曹団北海道支部、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部、日本国民救援会北海道本部、日本民主青年同盟北海道委員会の共催です。150人が参加しました。
 民青同盟の山嵜郁夫道委員長が「民青同盟の前身・共産青年同盟初代委員長の川合義虎は、関東大震災の救援活動のさなかに特高警察に捕まり、帰らぬ人となりました。(東日本)大震災を経験したいまこそ、3・15事件を振り返る意味がある」と開会宣言。
 主催者を代表して共産党道委の青山慶二書記長が「(支配階級によるゆきづまりの)反動的打開が狙われ、橋下徹大阪市長と『大阪維新の会』がその役割を担おうとしている。橋下氏の『思想調査』は人格を丸ごと支配しようとするもので、戦前の特高警察に相通じる。橋下ファシズムの策動を許さない大きな運動を広げていこう」と訴えました。
 「弾圧の先兵・『特高』とは何か」と題して、荻野富士夫小樽商科大学教授が講演。植民地、満州国での特高警察の実態や、ゲシュタポ(ナチス秘密警察)との比較をしながら、「秘密保全法案」上程の動きについて触れ、「特高はけっして過去のものではない。公安調査庁などその機能を持ち続けているし、戦前の治安維持体制というものが現代につながっている」と強調しました。
 90歳になるという男性が「10代のころからリストに載っていた。樺太では特高より憲兵のほうが強大だった」と当時の状況を語りました。

3・15弾圧事件
 第1回普通選挙(1928年2月)で社会主義的な活動に危機感を強めた政府が、全国で一斉に共産党員やその支持者約1600人を検挙した事件(1928年3月15日)。特高=特別高等警察は、大逆事件を受け、1911年に創設された社会運動を対象とする秘密警察。
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2012年03月16日,「赤旗」) (Page/Top

世界に羽ばたく多喜二の文学/秋田・小林多喜二展によせて/茶谷十六

 小林多喜二展が16日から19日まで、秋田市のアトリオンで開かれる。多喜二の30回忌にあたる1962年2月20日、第1回が開催された秋田県小林多喜二祭の50周年を記念したものだ。
 第1回以後、初期の講師陣を見ると鈴木清、江口渙、原太郎、鹿地亘、松田解子、今野賢三など、多喜二とともに生き、ともにたたかった作家たちが、多喜二の人柄や作品について語っている。
 今回は長い歴史を持ち、多喜二生誕の地で、多喜二の生涯と文学に学び、その精神を引き継ごうと続けられてきた秋田県多喜二祭の歩みをふりかえるものになっている。
 まず数々の貴重な展示である。多喜二のデスマスク、多喜二愛用のオーバーとコート、多喜二使用の文机、「蟹工船」直筆ノートなどの実物を間近に見ることができる。日本近代文学館、小樽商科大学図書館、小樽文学館、日本共産党中央委員会党史資料室などの協力のおかげである。
 写真やパネルとあわせ、多喜二の生涯と作品世界、世界に羽ばたく多喜二文学の実相が紹介される。多喜二の父母が使った農具や母セキの親族へあてた多喜二自筆の手紙など、秋田ならではの展示品も注目されよう。
 近年日本の「蟹工船」ブームが世界的な広まりを持ち、アメリカ・フランス・スペイン・イタリア・ノルウェー・中国・韓国などで「蟹工船」を中心とした多喜二作品の新しい翻訳書が刊行され、多くの読者を獲得している。最近、各国語に翻訳された『蟹工船』が展示される。
 17日は韓国から李貴源、李相昊、金泰京の三氏を迎えて、講演会と各地の多喜二祭実行委員会の交流会が開催される。三氏は、軍事政権下での80年代民主化闘争の中でハングル版『蟹工船』を刊行し、今、ハングル版『小林多喜二選集』の刊行にとりくんでいる。金泰京氏による「小林多喜二文学の現在性」と題する小講演もある。生誕の地秋田から、多喜二の文学が新たに世界にむけ旅立ちをする機会としたい。
 (ちゃだに・じゅうろく 民族芸術研究所研究員)
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2012年03月16日,「赤旗」) (Page/Top

大阪思想調査に南空知支部抗議/治維法国賠同盟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道南空知支部は9日、支部幹事会を開き、橋下徹大阪市長が業務命令として実施した職員へのアンケート調査は「思想調査であり、懲戒をもって職員を威圧する不当で、憲法にも違反するもの。思想調査の完全中止と廃棄、市長自らの謝罪を求める」との抗議文を橋下市長に送付しました。
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2012年03月15日,「赤旗」) (Page/Top

文化/村山知義/表現の冒険者/才気沸騰、多面体/パフォーマンス、舞台装置から童画まで

プロレタリア文化運動の理論家としても
 美術から演劇まで、多面的に活躍した村山知義の、戦前の仕事に焦点をあてた展覧会「すべての僕が沸騰する 村山知義の宇宙」が「神奈川県立近代美術館 葉山」で開催中です。多芸多才、圧倒的な仕事ぶりを伝える企画です。
 金子徹記者

 忍者ブームを巻き起こした「忍びの者」(日曜版連載、1962年に映画化)の原作者として知られる村山知義。戦後、演劇人として大きな足跡を残していますが、戦前は、驚くほど幅広い分野に挑戦する、表現の冒険者でした。
 村山は22年、21歳でドイツに留学し、ベルリンで先端的な芸術を多方面にわたり吸収しました。ダダイズム、「未来派」など、当時活況を呈していた新しい美術や文学、パフォーマンスの動きに影響され、23年に帰国。「沸騰」したかのような活動を展開します。
 美術では、従来の絵画のイメージを覆す作品を発表。抽象的な構成のなかに、布や木片、印刷物や毛髪などの異物をはり合わせた斬新な立体感のある「絵画」を次々と制作しました。今回の展覧会では、戦災で失われた作品も実物大の写真パネルにして展示するなど、当時のようすを再現しています。
 パフォーマンスについては、当時のドイツのダンサーの映像や写真を交えて紹介。おかっぱ頭にワンピース姿の村山が踊る写真は、今日のコンテンポラリーダンス(現代舞踊)の一場面をみるようです。写真が伝えるファッションのセンスからは、自身のありようをも発信の場とする、全方位的な表現者の心意気がうかがえます。
 築地小劇場をはじめとする舞台装置の考案、雑誌の編集や戯曲の執筆、ポスターや、本、雑誌のデザイン、建物の設計など活動の幅広さは超人的。多方面にわたる仕事ぶりが、数百点の展示品から伝わり、見ごたえがあります。
 20年代半ばからはプロレタリア文化運動に参加。『プロレタリア映画入門』(28年)や『日本プロレタリア演劇論』(30年)などの著書で理論家としても活躍します。
 しかし、治安維持法違反容疑により度重なる検挙、勾留。戦後に活発な演劇活動を再開しました。

感性の鋭さ
 同館学芸員の三本松倫代さんは、「村山知義は複雑で、すきっと読み解くのが難しい人です。時代の先端をとらえる感性が鋭く、いろいろなことをやった、そのいっぱいさを展覧会で見てほしい」といいます。
 展示では、戦前戦後を通して、童画の分野の仕事が光ります。10代から晩年まで、童画の仕事はコンスタントに継続。「三びきのこぐまさん」シリーズなど、親しみやすいキャラクターを数多く創出しました。モダンな感覚を生かした童画には、枠にとらわれない発想の柔軟さと、見る者を楽しませるサービス精神が発揮されています。
 村山知義は、戦前の「沸騰」期はアイデアの宝庫のように多彩な活動を展開したアーティストでした。今回の展覧会は、いまも色あせずに奥深い魅力を放つ多面体に接近するための、多くの手掛かりを提供しています。

 「すべての僕が沸騰する 村山知義の宇宙」=3月25日まで、神奈川県立近代美術館 葉山рO46(875)2800/4月7日〜5月13日=京都国立近代美術館、5月26日〜7月1日=高松市美術館、7月14日〜9月2日=世田谷美術館

むらやま・ともよし=1901〜77年。東京大学哲学科中退。28年、東京左翼劇場の結成に参加。46年、第二次新協劇団を創立。劇作家として、戦前から「暴力団記」「志村夏江」などを執筆。日曜版連載の小説「忍びの者」は62年に山本薩夫監督が映画化し大ヒット。59年に東京芸術座を創立。演出した「蟹工船」は名舞台の一つ。演出作品は414本、戯曲は194本、舞台装置は143。戦後に日本共産党に再入党
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2012年03月11日,「赤旗」) (Page/Top

橋下恐怖政治¢j止へ/党と後援会が緊急学習会/奈良

 日本共産党奈良県委員会と党奈良県後援会は8日夜、緊急学習会「橋下・『維新の会』とのたたかいをどうすすめるか」を奈良市内で開きました。
 橋下徹大阪市長が率いる「維新」が大阪を拠点に近畿各府県に次期衆院選で候補者を擁立し、国政進出を狙っているもとで、独裁政治の本質ややり方を学ぼうととりくまれたもの。約90人が参加し、党大阪府委員会の中村正男政策委員会責任者が講演しました。
 中村氏は、全国からの熱い注目に励まされ、大阪の党と民主勢力が力を合わせて橋下・「維新」と真正面から対決してきたと指摘。橋下氏の恐怖政治ぶりをまざまざと示したのが市職員アンケートで、憲法違反の「思想調査」だと批判しました。
 これに対し、志位和夫委員長が「無法行為の矛先は職員だけでなく、全市民・国民に向けられている」との見解を発表して、ごまかしに懸命の橋下氏を追い詰め、府労働委員会も異例の早さで中止を勧告し、市議会では、北山良三市議団長がデータの廃棄と謝罪を求めたと紹介。独裁阻止へ「一点共闘」をいっそう発展させていきたいと表明しました。
 宮城恭子県後援会副会長は、父親が治安維持法で弾圧された体験にもふれてあいさつ。太田敦県議が「(奈良県では)あのような条例はなくていい」と県知事が答弁したと県議会報告をしました。
 参加者からは「貴重なたたかいの経験は、大いに学ぶことがあった」「日本の民主主義を守るたたかいとして重要だと思う」との意見が寄せられました。
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2012年03月10日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 待ちわびていた梅の花が、ようやく咲きました。きゅうくつそうに小さな庭で、一足先に紅梅が。白梅は、まだつぼみです▼めぐる季節。振り返れば、3月11日が2011年の始まりだったような気がします。調べてみると、あの日の東京の平均気温は6・5度でした。平年より2・3度低い。しかし、激震直後の混乱の中を歩いて職場へ急いだ、汗だくの記憶がよみがえります▼俳人の長谷川櫂さんが、書いています。「季語には俳句を太陽の運行に結びつけ、宇宙のめぐりのなかに位置づける働きがある」(『震災句集』)。3・11から10日あまりに次々生まれた短歌を、すぐに『震災歌集』で世に問うた長谷川さん。句集には、「宇宙のめぐり」を詠み込んでいます▼「白鳥のかげろふ春の来たりけり」。震災の前の、破壊の兆しも感じない、のどかな光景としか読めません。1枚めくると、「燎原の野火かとみれば気仙沼」。突然の変わりように、一瞬、息をのみます▼「滅びゆく国のまほらに初蕨」。「まほら」は「よき場所」をさします。1枚めくると一転、「滅びゆく国にはあらず初蕨」。ワラビのもえいずる豊かな大自然の国は、やっぱり滅びない。いや、滅びてはならないのだ。そんな願いが、込められた句と読めます。いくら、国の政治が貧しくとも▼「日本の三月にあり原発忌」。芭蕉の命日の「芭蕉忌」も小林多喜二の「多喜二忌」も、俳句の季語とみなされています。「原発忌」が、新しい季語として詠まれてゆくのでしょうか。
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2012年03月09日,「赤旗」) (Page/Top

北海道江別で多喜二祭/伊勢崎での釈放事件などエピソード語る

 第4回「江別の多喜二祭」が3日、北海道江別市の「ドラマシアターども」で開かれ75人が参加しました。
 第1部では、あんねんゆうこさんと柏木恵子さんが、「ばば漫才・多喜二さんへ」で聴衆を沸かせました。
 多喜二の姉チマさんと多喜二が勉強部屋を借りた隣家の上山初子さんをそれぞれ演じて多喜二の墓前に語りかけ、戦後初子さん宅から発見された多喜二の絵「忍路」などのエピソードを語りました。
 続いて宮田汎さんが、近年発掘された厚木市七沢温泉福元館に多喜二がこもって「オルグ」を書いた事実や、群馬県伊勢崎で逮捕された多喜二らを民衆が抗議して釈放させた事件、小樽で多喜二の百か日法要のとき、骨箱を縛っていた赤縄を当局にほどかせてお経を上げた僧侶の話などを、現地を訪れた映像を映して説明しました。
 第2部では金時江(キム・シガン)さんが多喜二同様、治安維持法で捕らえられ、1945年福岡刑務所で獄死した朝鮮人の詩人尹東柱(イン・トンジュ)の経歴を、植民地支配の中での差別にも触れて紹介し、彼の詩「道」を朗読しました。
 宮武玲子さんのピアノと岩永八重子さんの歌で多喜二の愛した音楽を演奏し、ケイ・シュガーさん作詞作曲の「多喜二へのレクイエム」を参加者と一緒に合唱しました。
 「劇団ドラマシアターども」の団員らが多喜二の初期短編「健」を群読。沖野光宏さんがギターを演奏し、佐藤由美さんが三浦綾子の「母」を朗読しました。
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2012年03月09日,「赤旗」) (Page/Top

レッドパージの被害実態を報告/兵庫・尼崎で懇談会

 「戦後最大の人権侵害」とされるレッドパージの取り消しと犠牲者の名誉と権利を回復する運動に取り組む、兵庫県の「レッドパージ尼崎懇談会」が5日、同市で開かれました。
 懇談会には、レッドパージの被害者、治安維持法同盟尼崎支部、国民救援会尼崎支部、尼崎健康と生活を守る会と個人が出席。尼崎市内でも18企業、190人以上の被害の実態が報告されました。
 出席者からは、「大阪の橋下市長による『思想調査』は、レッドパージを思い起こさせる」「レッドパージのことを話しても、60年前のことで、簡単には理解してもらえない」など、率直な意見が出されました。
 「懇談会」は、他の団体、個人にも参加を広げ、次回からは「レッドパージ反対尼崎連絡会」として開かれます。当面の活動として、レッドパージ被害者3人(神戸市在住95歳、91歳、82歳)の原告による大阪高裁での裁判闘争を支援し、公正な判決を求める署名と要請はがきにとりくむこと、16日の裁判傍聴などを決めました。
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2012年03月08日,「赤旗」) (Page/Top

大阪「思想調査」・2条例許さない/暗黒政治復活とたたかう/治維法国賠同盟が談話

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治維法国賠同盟)大阪府本部は3日、「違憲・違法な『思想調査』の即時中止・廃棄、教育・職員2条例の廃案を求め『君が代』条例強行採決の暴挙に抗議し、暗黒政治復活の一切のたくらみと徹底的にたたかう」とする理事会談話を発表しました。
 談話は、橋下徹大阪市長が業務命令としておこなった「アンケート」に名を借りた「思想調査」は、憲法第19条の「思想及び良心の自由」などをじゅうりんする明らかに違憲・不当なものと批判。戦争に反対し、国民主権のためにたたかった治安維持法犠牲者の遺志を継いで「ふたたび戦争と暗黒政治を許すな」のたたかいをいっそう強め、21世紀を平和と人権の世紀にしていくためにたたかうと決意を表明しています。
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2012年03月07日,「赤旗」) (Page/Top

故山本宣治悼み墓前祭/京都

 戦前、反戦平和と主権在民を掲げ、右翼に刺殺された山本宣治の命日となる5日、京都府宇治市の善法墓地で第83回山宣墓前祭が行われ、200人以上が参加しました。
 小松直人実行委員長が献花・あいさつし、原発事故が放射能の危険性をしらしめたとし、「あらためて核兵器のない世界へ運動を広げていかなくてはと決意しました」と強調。消費税増税やTPP参加の動きとともに、自由と基本的人権を踏みにじる逆流が起こっていることを指摘し、「命と暮らしを守る要求をあげ各地でたたかいに力を尽くしたい」と誓いました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟府本部の岡本康会長、民青同盟府委員会の加藤伸太朗委員長、全日本年金者組合府本部の山崎彰委員長、東京山宣会の山田善二郎会長、日本共産党の前窪義由紀府議団長が弔辞・追悼の言葉を述べました。新社会党府本部の池内光宏委員長がメッセージを寄せました。
 本庄豊さんが今年発刊した山宣と作家・小林多喜二にまつわる書籍を献本し、やましろ健康医療生協・あさくら診療所歯科の歯科衛生士が「誓いの言葉」を述べました。
 山本家の遺族を代表し、山宣の孫の山本勇治氏(九条診療所所長)があいさつしました。
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2012年03月06日,「赤旗」) (Page/Top

小樽の小林多喜二国際シンポ/国を超え現代に響く多喜二の言葉

 この数年、海外で小説「蟹工船」を中心に小林多喜二の作品が翻訳・出版されています。日本で近年、「蟹工船」ブームと評されるほど多喜二が多くの若者たちに注目され読まれたのは、偶然ではありませんでした。

7カ国から参加
 彼の母校、小樽商科大学で開かれた小林多喜二国際シンポジウム(2月21〜23日、同大学主催)は、そのことを実感させるものでした。多喜二作品の翻訳に携わった7カ国の研究者・翻訳者も参加したからです。その国々はイタリア、フランス、ノルウェー、スペイン、韓国、中国、アメリカ。多喜二へのさまざまな思いを報告しました。
 イタリア語版を訳したファリエーロ・サーリス氏は「多喜二は社会の根底にある構造を見抜き、世界を覆い隠すベールを引き裂いて見せる芸術家の一人」と指摘しました。6年前に翻訳し間もなく3刷りが出る予定だといいます。
 「頭ではなしに、肌で訳した。『蟹工船』を毛穴で読むような経験でした」というのは、2009年に仏語版を訳したエヴリン・オドリ氏。人間が非人間的に扱われる場面を読むたびに苦しくなり、翻訳作業を中断するほどの迫力があると語りました。
 08年に新訳版を翻訳した韓国の梁喜辰氏は同国でも広がる非正規雇用にふれ「蟹工船という極限の空間で無名の人たちが酷使されている様子を通して、今日の読者は自分たちの立場を見ていたのかもしれない」とのべました。

「現実突き破る」
 翻訳の背景には、世界に広がる貧困と格差の問題への批判の高まりがあるといいます。しかし、シンポジウムを通して、社会的題材への共感だけにとどまらない多喜二文学の魅力を改めて教えられました。
 「おい地獄さ行ぐんだで!」。21日夜のシンポジウム記念講演会で、7カ国の研究者がそれぞれの母語で「蟹工船」冒頭の一節を朗読したのは圧巻でした。言語がわからなくても、翻訳者の肉声を通して、多喜二のメッセージが迫力をもって伝わってくるようでした。
 参加した、『小林多喜二』(岩波新書)を書いた米シカゴ大学教授ノーマ・フィールド氏は記者にこう語りました。
 「多喜二は、閉塞した世の中をなんとか変えなければならないと精いっぱい叫んで文学作品にしました。現実を突き破るような彼の信念が、私を研究に突き動かしているのです」
 79年前の2月20日、特高警察に虐殺された多喜二。彼の言葉は、時代や国、言語の違いを超えて人びとの胸に響いています。次代に読み継がれていく文学の力強さを目の当たりにした思いです。
 シンポジウムは国内外から100人以上が集まりました。「多喜二文学の国際性」や「多喜二『ノート草稿』を読み解く」「多喜二研究の諸相」をテーマに、海外を含む20人以上の研究者から多彩な報告がありました。今後も多喜二文学のさまざまな可能性が明らかにされることでしょう。
 (隅田哲)
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2012年03月06日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/川柳人・鶴彬の業績をいま

 〈枯れ芝よ! 団結をして春を待つ〉
 プロレタリア川柳作家、鶴彬の一句。小林多喜二を記念する集いが各地で開かれるこの季節に、川柳界の多喜二≠ニ言われた鶴彬のことも胸をよぎる。
 2人とも29歳で志半ばに命を断たれた。
 多喜二は、特高警察に捕らえられ、その2月20日のうちに拷問で虐殺された。今年、没後79年に当たる。
 鶴彬は、その5年後の1938年9月に亡くなった。前年11月発行の川柳誌『川柳人』に発表した川柳が治安維持法違反とされ特高に捕らえられた。
 〈高粱の実りへ戦車と靴の鋲〉〈手と足をもいだ丸太にしてかへし〉〈胎内の動き知るころ骨がつき〉
 他国へ侵略した日本軍。その兵士、家族もまた戦争の犠牲者となったことを定型にうたい込んだ秀句だ。
 鶴彬は、獄舎で赤痢にかかり、収監のまま病院に隔離された。神山征二郎監督のドキュメンタリードラマ「鶴彬 こころの軌跡」では、池上リョヲマ演じる瀕死の鶴彬に手縄が打たれたままであるのが悲憤の涙を誘った。
 澤地久枝さんが復刻した一叩人編『鶴彬全集』には、「川柳を歴史の明日へ発展せしめ」たいという鶴彬の情熱がみなぎっている。川柳ブームの中で振り返りたい先達の業績だ。
 (響)
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2012年03月05日,「赤旗」) (Page/Top

橋下「思想調査」許さず/大阪の事と済まされぬ/元北海道新聞デスク高田昌幸さん

 政治活動への参加について問うアンケートは思想調査そのものです。橋下市長は「内心の自由を侵すわけではない」と言い訳をしているようですが、これは成り立ちません。
 内心の自由は、言論・表現の自由と一体で切り離すことができないものです。内心で思うだけでなく、誰かに話す、ビラを配るといった自由と一体なのです。この調査はそれらを侵すもので、憲法違反です。
 橋下市長は、「自分は選挙で選ばれたのだから何をしてもいい」「公務員が市長に従うのは当然だ」という主張のようですが、それは間違っています。
 民意だから、多数だからと何をやってもいいというならそれは独裁です。強いリーダーシップと独裁は別ものです。為政者は憲法や法律に縛られているわけですから、それを順守しなければなりません。多数の支持の名の下にそれを無視するのは、独裁です。
 市長の行為が憲法違反だと感じたら、市の職員は臆することなく、「私は憲法を守るべき公務員です」というべきです。
 戦前、治安維持法ができると、検察にも裁判所にも思想統制をする専門部署ができました。行政機関の中にこうした思想調査や、教育基本条例案がうたう勤務評価などをする部署ができると、それは膨らみ、権限を握るようになっていきます。
 政府が国会に提出を狙っている秘密保全法案では、軍事や外交などの特別秘密を扱う可能性のある人物について、公務員はもちろん、国が委託する民間企業の労働者やその家族、親しい者までを対象に、信用情報や病歴などのプライバシーを調査するとしています。
 大手マスメディアが橋下市長を批判しないこともあって、「思想調査をしてもいいのではないか」という雰囲気が全国に広がっています。これは大阪のことと、済まされません。
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2012年03月05日,「赤旗」) (Page/Top

アニメが核をどう描いたか/三重大学で講座

 三重県津市の三重大学人文学部で2月27日、秦剛(しんごう)北京日本学研究センター副教授の公開講座が開かれました。
 秦剛氏は中国における小林多喜二研究者ですが、今回は「核≠ニいう視点から見たジャパニメーション」と題して、日本のアニメが核兵器や原子力エネルギーをどう描いてきたのか講演しました。
 秦剛氏は、「はだしのゲン」など被爆を描いた作品は一部に限られ、70年代に現れたロボットアニメから90年代の「ポケットモンスター」に至る多くの作品が、核を思わせる兵器を無制限に使用し、放射能汚染など正しく描いていないことを指摘。このイメージが日本人の核への心理に反映しているのではないかと提起しました。
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2012年03月02日,「赤旗」) (Page/Top

橋下「維新の会」思想調査/「密告」強要、負の歴史思う/橋本進

 市職員にたいする橋下徹大阪市長の「思想調査」。これはファシストのやり方だ。戦前の特高(特別高等警察)の手口だ。調査項目の中に、政治活動や組合活動に「誘った人は誰か」「誘われた場所と時間帯は」という問いがある。処分を伴うから、「密告」の強要である。
 私が24年間、再審裁判支援に加わった横浜事件の端緒の一つは「米国共産党員事件」である(もう一つが細川嘉六論文事件)。太平洋戦争開始(1941年12月)に際し、神奈川県特高は、日米交換船での帰国者に対して、それまでの帰国者名簿から、左翼とみられる人物を密告するよう強要した。在米中、日本の中国侵略に反対する活動に加わったことのある川田寿・定子夫妻が、米国共産党員(実際は入党したことがない)として検挙され、ここから戦時下最大の思想・言論弾圧事件=横浜事件が始まった。
 ■ ■
 民主勢力の批判によって今や改廃の議論がされているが、韓国「国家保安法」には、密告を義務づける条項がある。第10条(不告知罪)。反国家の罪(第3条〜5条)を犯した者を知りながら「捜査機関又は情報機関に告知しない者は、5年以下の懲役又は200万ウォン以下の罰金に処する。ただし、本犯と親族関係があるときは、その刑を減軽又は免除する」というものだ。ただし書きは、親子兄弟であっても密告しなければ、処罰する、といっているのだ。
 治安維持法(1925年)は、日本の植民地であった朝鮮にも適用され、独立運動弾圧に猛威をふるい、多くの人を死に追いやった。その治安維持法が消えた後、李承晩政権によって制定された治安弾圧法が国家保安法である(1948年)。法の性格・構造は治安維持法とウリ二つ、悪名高い目的遂行罪もうけついでいる(第4条)。朴正熙、全斗煥軍事独裁政権のもとでも、民主勢力弾圧で乱用された。
 ■ ■
 大阪での独裁・ファッショ政治を全国に広げる国政進出の野望を背景に、橋下「維新の会」は「維新八策」の要項を発表した。坂本竜馬の「船中八策」をもじったものだが、内容は似て非なるものである。竜馬の持つ反封建の進歩性はかけらもない。全容の発表はこれからのようだが、その内容は批判的に吟味されるべきである。
 「君が代」起立斉唱命令など職務命令に3回違反した教員・職員を免職にするという大阪の教育・職員基本条例案のファッショ性は明らかである。橋下「維新」の維新は、新しさの創造ではなく、かつての軍国主義的命令体制への復古にすぎない。
 それにしても、これほど深刻な問題をはらむ思想調査に対して、地元での報道は始まっているが、東京版などでは大手マスコミの批判が見られないのは不思議であり、遺憾である。思想・良心の自由(憲法19条)、信教の自由(20条)、集会・結社・言論・出版・表現の自由(21条)学問の自由(23条)等はジャーナリズムの存立基盤である。ジャーナリズムは、これら精神の自由に関しては、他の誰よりも誠実であり、敏感であるべきである。
 批判すべきときに批判せず、悔いを後世に残すことがあってはならない。
 (はしもと すすむ・元ジャーナリスト会議代表委員・元『中央公論』次長)
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2012年03月02日,「赤旗」) (Page/Top

多喜二没後79年/仙台で講演会

 治安維持法犠牲者国賠同盟仙台支部は、低気圧の影響で今シーズン最も多い積雪になった2月25日、多喜二没後79年「小林多喜二と仙台」の講演会を開きました。18人が参加しました。
 元日本共産党宮城県委員長の本田勝利氏が講師をつとめました。
 本田氏は、多喜二研究者の論文や文献を紹介しながら多喜二と仙台の関係について語り、最後に「再び戦争と暗黒政治をゆるさぬ」ために、治安維持法犠牲者に賠償と謝罪を要請する活動を強めましょうと結びました。
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2012年03月01日,「赤旗」) (Page/Top

 

*         2月】(ヘッドライン)

*         多喜二企画展、来月25日まで/北海道小

*         多喜二・百合子熊本でつどい

*         多喜二の火を継ぐ志大切に/大阪で多喜二祭

*         おはようニュース問答/小林多喜二祭や講演会が開かれているね

*         多喜二に学ぶ/小樽で国際シンポ/23日まで分科会

*         蟹工船と世界を考える/秋田市で県多喜二祭/大館市で記念の集

*         野呂栄太郎しのぶ/没後78年/党躍進を誓う/北海道

*         多喜二文学の「光」思う/没後79周年の墓前祭/北海道小樽

*         潮流

*         文化/文学館ユニーク展示/仙台/「格差社会」の近現代/変革への志と思想弾圧

*         国家賠償法制定必ず/治維法国賠同盟道本部常任幹事会開く

*         小樽多喜二祭/墓前祭や記念講演/20日から4日間

*         「念仏者」が講演/江別で平和集会/北海道

*         新十津川町で西田信春碑前祭/北海道

*         思想・信条の自由守ろう/「建国記念の日」考える/各地で行動/福島/宮城/北海道

*         多喜二展に遺品のオーバー・文机/秋田・実行委会見

*         再び暗黒政治を許さず/泊・横浜事件の資料を展示/富山

*         潮流

*         文化/今井正監督生誕100年/リアルと叙情/日本映画の黄金期つくる

*         古河多喜二祭、定員超え開催/茨城

*         小林多喜二しのぶ催し秋田で続々/17日から集い・祭り・展示会

*         女性革命家しのぶ/相沢良碑前祭/札幌

2月本文】(Page/Top

多喜二企画展、来月25日まで/北海道小

 北海道の小樽市立小樽文学館で、企画展「小林多喜二と小樽高商」が開かれています。小樽商大・高商100周年記念として、3月25日(日)までの開催で、小樽高等商業学校時代の多喜二の活動と教師たちのプロフィルを紹介しています。
 小林多喜二(1903〜33年)は、1921年(大正10年)に小樽高等商業学校に入学。おじのパン屋を手伝いながら通学した学校の写真(1925年ごろ)や、そのときのテキストなどが展示されています。
 小説『老いた体育教師』が『小説倶楽部』の選外佳作第1席に選ばれて掲載(10月号)され、小説家としての生涯が始まったことや、外国語劇「青い鳥」に出演、水彩画をたしなみ、『中央文学』や『文章世界』にカットを投稿したことなどが紹介され、絵の展覧会で観賞する多喜二の写真も展示。
 学内で親密な師となった大熊信行氏(歌人で経済学者)あてに「あなたも愛された小林さんの全集刊行の仕事について、いくばくなりとも、助けていただきたくよいものを同封。おねがい申します」と、宮本百合子の毛筆による貴重な書簡が展示されています。
 『東倶知安行』の扉に、妹にあてた多喜二自筆の献辞や、恋人「田口タキへの手紙」、「おい、地獄さ行ぐんだで!」で始まる『蟹工船』を執筆の頃の写真と原稿、母と姉が保存していた、特高により虐殺されたことを報じる新聞記事が張り出されています。
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2012年02月28日,「赤旗」) (Page/Top

多喜二・百合子熊本でつどい

 小林多喜二・宮本百合子に学び語る第24回早春・文化の集いが19日、熊本県人吉市で開かれ、71人が参加しました。
 十島英明・前進座元演出部長が「三浦綾子著『母』を舞台化して」と題し講演。多喜二と前進座のつながりなどを紹介し、「歴史を学ぶことで、未来を知ることができる」と話しました。
 懇談で元教師の宮村宏さん(68)は「橋下徹大阪市長の職員アンケートは、思想・信条の自由を踏みにじり治安維持法時代に逆戻りさせるものだ」と批判。治維法国賠同盟(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟)県本部の小田憲郎副会長は、「多喜二をはじめ治安維持法で投獄され虐殺された人たちに、国はいまだに謝罪すらしていない」と指摘。「犠牲者の名誉を回復させよう」と呼びかけました。
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2012年02月23日,「赤旗」) (Page/Top

多喜二の火を継ぐ志大切に/大阪で多喜二祭

 「多喜二の火を継ぐ2012年大阪多喜二祭」が18日、大阪市城東区で開かれ、230人が参加しました。
 6回目のテーマは「震災後の日本と小林多喜二」。第一部では清水紫さんの歌、増井順子さんのピアノで多喜二追悼の叙情歌が披露されました。
 治安維持法国賠同盟府本部の柳河瀬精会長が実行委員会を代表してあいさつ。「まもなく大震災・原発事故から1年。震災復興は人間復興でなくてはなりません。多喜二の火を継ぐという点で、橋下『維新の会』の職員基本条例案と教育基本条例案を絶対に許してはならない。多喜二の火を継ぐ志を大切にし、たたかいを進めていこうではありませんか」と訴えました。全国各地の「多喜二祭」から寄せられたメッセージが紹介がされました。
 日野秀逸東北大学名誉教授が「人間的復興・人間の健康・多喜二」と題して講演。今年60周年をむかえる日米安保条約に言及し、環太平洋連携協定(TPP)は第2の日米安保条約だと述べました。日本社会の再建は憲法に立脚した安心、安全の社会を住民の主体的な参加によってつくりあげることが大事だと語りました。
 大阪市此花区から来た女性は「よかったです。生存権を多喜二の話もおりまぜながら、心強く感じました」と話していました。
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2012年02月23日,「赤旗」) (Page/Top

おはようニュース問答/小林多喜二祭や講演会が開かれているね

 のぼる 北海道、秋田、東京、広島など各地で小林多喜二祭や講演会が開かれているようだ。多喜二といえば、「蟹工船」の作者だね。

特高警察が虐殺
 ふゆみ そうね。1933年の2月20日は、多喜二が当時の弾圧専門の特高警察によって虐殺された日だから。
 のぼる 「虐殺」というのは。
 ふゆみ 多喜二は日本共産党員の作家だった。当時の天皇制権力は、あらゆる方法で共産党を弾圧していた。とくに多喜二は「一九二八年三月十五日」などで特高警察の残虐さを鋭く告発していたから、目の敵にされていた。
 のぼる 逮捕されたその日に殺されたの?
 ふゆみ そう、正午ごろに捕らえられ夜に絶命している。家族に引き取られた遺体には、全身にむごたらしい拷問のあとがあった。太ももは青黒くふくれあがり、指が骨折していたというのよ。
 のぼる ひどいことをしたんだね。
 ふゆみ 多喜二は、1人の人間として侵略戦争と軍国主義化に正面から立ち向かい、平和と社会進歩の新しい時代を切り開くために日本共産党員として活動した。その時代の激動とたたかいを文学に描こうとした。
 のぼる 暗黒時代への挑戦者が多喜二だったんだ。その志を受け継ごうと多喜二祭が開かれているんだね。

「蟹工船」ブーム
 ふゆみ 多喜二の「蟹工船」は前近代的な奴隷労働を描き、そこでたたかう人々を描いている。だから非正規労働で苦しめられている現代の若者の大きな共感を呼んだ。映画、演劇、講談などさまざまな作品になったの。
 のぼる 「蟹工船」ブームのことだね。
 ふゆみ 国際的にも多喜二の翻訳がすすんでいて、「蟹工船」などは、韓国、中国、イタリア、フランス、スペインなどで翻訳されている。スペインでは1万人以上の読者を得て、第2作で「党生活者」もだされた。
 のぼる 戦前のたたかいの中から生まれた文学が、21世紀に世界に広がり、貧困や格差とたたかう人々を励ましているんだね。この機会に、もう一度、多喜二の作品を読んでみるよ。
 ふゆみ きっと私たちの生き方に響くものがあるわ。
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2012年02月22日,「赤旗」) (Page/Top

多喜二に学ぶ/小樽で国際シンポ/23日まで分科会

 「蟹工船」などを書いた作家・小林多喜二をテーマにした国際シンポジウムが21日、北海道小樽市で開催されました。多喜二の母校・小樽商科大学が主催したもので、中国や韓国、アメリカ、欧州諸国の研究者が集まり、23日まで分科会が開かれます。
 21日夜は同市民センターマリン・ホールで記念講演会が開かれ400人が参加。米シカゴ大学のノーマ・フィールド教授が「小林多喜二を21世紀に考える意味」と題して講演しました。ウォール街で始まった貧困と格差拡大に反対する運動や深刻な原発事故をめぐる心配の声をとりあげながら、人間一人ひとりを温かく見つめた多喜二の言葉を織り交ぜ、生命と人権を尊重していくことの大切さを説きました。
 近年「蟹工船」を翻訳した各国の翻訳者がそれぞれの母国語で小説冒頭の一節を朗読。「多喜二の時代は作家たちが国際的に深く結びついていたと感じます」「現代に指針になると多喜二の作品を広めるお手伝いができてうれしく思います」と語りました。
 小樽商大の山本眞樹夫学長があいさつ。同大学室内管弦楽団が多喜二愛好の曲だったブラームス「ハンガリア舞曲」などを演奏しました。
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2012年02月22日,「赤旗」) (Page/Top

蟹工船と世界を考える/秋田市で県多喜二祭/大館市で記念の集

 第47回秋田県多喜二祭が18日、秋田市の県生涯学習センターで開かれ、164人が参加しました(写真)。主催は、同祭実行委員会(工藤一紘委員長)。
 フェリス女学院大学の島村輝教授が「いま、改めて『蟹工船』と世界を考える−格差社会・金融危機・原発災害の只中で」と題して講演しました。
 島村教授は、福島第1原発事故現場での労働者の実態や、格差社会、金融危機などにふれながら、「多喜二は、『蟹工船』を通して世界中の現象が一つのつながりとして透き通るように見えるから書いたといっている。登場人物の素朴な口調から(現代社会を)見通しているように描いている」とのべ、銀行員の多喜二が専門家として小作農民のたたかいを励まし、それがもとで解雇されたように、「災害がわが身にふりかかったらどうするのかと(専門家は)当事者意識をもって生きてほしい」と訴えました。
 金野和子弁護士、橋茂・土崎港被爆市民会議会長、『種蒔く人』顕彰会の2個人1団体が県多喜二祭賞を受賞しました。
  ◇
 第33回大館市小林多喜二記念の集いは17日、同市立中央公民館で開かれ、50人余が参加しました。
 日本民主主義文学会の北村隆志常任幹事が「歴史的岐路と『蟹工船』〜格差、原発、たたかい」と題して講演しました。
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2012年02月21日,「赤旗」) (Page/Top

野呂栄太郎しのぶ/没後78年/党躍進を誓う/北海道

 日本共産党の戦前の指導者で、戦前の天皇制政府の暴虐とたたかい侵略戦争に反対した野呂栄太郎の、没後78周年となる命日の19日、北海道で墓前祭と碑前祭が行われました。
 野呂家の墓地がある札幌平岸霊園では党道委員会主催の墓前祭が開かれ、参列した22人が業績をしのびました。
 党道委員会の宮内聡常任委員は「『民自公対共産党』という政治の対決軸が国民に見えやすくなっています。不屈のたたかいを受け継ぎ、総選挙で、はたやま和也さんの当選に全力を尽くします」とあいさつしました。
 野呂栄太郎記念小公園がある長沼町では、党南空知(みなみそらち)地区委員会と治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟南空知支部が碑前祭を開催し、50人が参列しました。
 主催者あいさつした上田久司南空知地区委員長は、野呂栄太郎の出身校である北海高校(札幌市)の校長が、生徒にその業績と基本文献の研究を大切にしたエピソードを伝え、「行き詰まったら基本に立ち返れ」と語ったことを紹介しました。
 長沼町議会の久保和英総務厚生常任委員長が「長沼町出身の野呂先生の碑を守っていただき感謝します」とあいさつ。薮田享長沼町議は「野呂栄太郎が残した学問的業績と生き方を、長沼の人たちに伝えて行きます」と語りました。
 長沼町長、栗山町長、岩見沢市長、美唄市長らのメッセージが紹介されました。参列者は野呂栄太郎が好きだったという黄色いバラとカーネーションを碑前にささげました。
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2012年02月22日,「赤旗」) (Page/Top

多喜二文学の「光」思う/没後79周年の墓前祭/北海道小樽

 戦前のプロレタリア作家で日本共産党員の小林多喜二没後79周年の墓前祭が20日、北海道小樽市の奥沢墓地で行われました。多喜二は、1933年2月20日に東京の築地警察署で虐殺されました。29歳でした。
 道内と長崎、東京、大阪などから110人が参加。21日から小樽商科大学百周年事業として開かれる「多喜二国際シンポジウム」に参加する外国人らとともに、多喜二の好きだった赤いカーネーションを墓前に献花しました。
 寺井勝夫・多喜二祭実行委員長が「東日本大震災と福島原発事故後のいま、改めて日本の政治のあり方が問われている」として、多喜二の日記に、「新しい年が来た。俺たちの時代が来た。我等何を為すべきかではなしに、如何(いか)に為すべきかの時代だ」と書かれていたことを紹介。「多喜二を想起して、新しい社会を共同の力でつくっていこう」とあいさつしました。
 日本共産党北海道委員会の青山慶二書記長は「社会はどんどん変わるが、多喜二の文学は、そのつど新しい価値と光を照らし、くみつくせない豊かさを持っている」として、立党の精神である国民の苦難軽減へ、社会を何としても変えなければと深い自覚を持った作品作りであったと強調しました。
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2012年02月21日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 戦前のプロレタリア文学作家、日本共産党員だった小林多喜二が特高警察に捕まり虐殺されたのは1933年2月20日です。薄曇りの寒い日だったといいます▼文学、党活動の両方で多喜二と行動を共にした手塚英孝が彼の言葉を伝えています。「書く人は沢山いるよ、だが、皆、手の先か、体のどこかで書いている」「誰か、体全体でぶっつかって、やる奴はいないかなあ。死ぬ気で書く奴はいないかなあ」(「小林多喜二の思い出」)▼北の荒海で奴隷のように働かされる労働者の悲惨さと決起を描いた多喜二の「蟹工船」は80年以上の時を超えて、非正規雇用や低賃金に苦しむ現代の若者から共感を集めています。対象に全身でぶつかったからこそ書けた作品です▼北海道小樽市で21日から小林多喜二国際シンポジウムも開かれます。多喜二が4歳だった1907年末、一家は秋田から小樽に移住しました。当時、石川啄木もこの町で暮らしていました。新聞編集の仕事に挫折した後、社会主義に関する演説会に参加し、感動を日記にしるしています▼「こころよく/我にはたらく仕事あれ/それを仕遂げて死なむと思ふ」。小樽公園にある碑に刻まれた啄木の歌です。命がけでできる仕事を求める思いが痛いほどです▼今年は啄木没後100年、来年は多喜二没後80年です。社会主義に未来を見いだしつつ貧苦に倒れた啄木。日本共産党員として活動中に殺された多喜二。2人の志を受け継いで歴史を前へ動かすのは21世紀に生きる私たちです。
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2012年02月20日,「赤旗」) (Page/Top

文化/文学館ユニーク展示/仙台/「格差社会」の近現代/変革への志と思想弾圧

 仙台文学館では、特別展「文学と格差社会」が開かれています。近現代の文学を、「格差社会」という視点からとらえ直す展覧会。明治から昭和までの、庶民の生活の厳しさや変革への志を描いた作家たちの資料を集めています。
 樋口一葉の流麗な筆遣いの草稿や、石川啄木のきちょうめんな字でまとめられた詩稿ノートなど、作家の息吹が伝わる肉筆資料を中心にした展示です。
 プロレタリア文学のコーナーでは、小林多喜二の特集もあります。多喜二が尊敬していた志賀直哉あての書簡や「蟹工船」の原稿、多喜二が描いた水彩画などが展示されています。
 宮城県ゆかりの作家たちのコーナーでは、明治期の農民の貧しい生活ぶりを活写した真山青果の『南小泉村』関連の資料などを展示。島木健作、久板栄二郎ら著名作家のほか、郷土の文学者たちの仕事を紹介しています。プロレタリア文学運動に参加した小島勗(つとむ)や、無産者歌人連盟で活動した伊澤信平などの資料は、今回の企画にあわせて新たに収集されたものです。
 さらに、戦前の思想弾圧を物語る文献も。作家らの思想調査をまとめた内務省の内部文書や、地方紙への記事差し止めを命ずる宮城県警の文書などは、表現の自由の重みを改めて実感させます。
 金子徹記者

 特別展「文学と格差社会」=3月20日まで、仙台文学館рO22(271)3020
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2012年02月19日,「赤旗」) (Page/Top

国家賠償法制定必ず/治維法国賠同盟道本部常任幹事会開く

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部は12日、第2回常任幹事会を札幌市で開きました。17人が出席し、治安維持法犠牲者への謝罪と賠償を要求する国会請願(5月8日)の成功へ熱い討議を交わしました。
 宮田汎道本部会長が報告と提案をしました。沖縄の基地撤去、環太平洋連携協定(TPP)反対、「原発ゼロ」などのたたかいと連帯しつつ、同盟活動を国民的運動に広げ発展させることや、国家賠償法制定の署名を宗教団体など諸団体や広い層に訴えることを強調。会員拡大が署名を増やす力になり、とくに若い人に訴えることと、西田信春、野呂栄太郎、小林多喜二など顕彰活動を創意的に取り組み、会員の学習と結合すること、道本部女性部を確立することなどを提案しました。
 討論では、「国会請願の署名で若い人に問いかけるようにして訴えの範囲を広げる。とくになぜ今この署名なのか、今日の課題と結びつけて話している」(苫小牧)などの発言が出されました。
 また、野田内閣が国会に提出しようとしている「秘密保全保護法」は、戦前の「軍機保護法」「国防保安法」と同様のものであるとして、国会提出の中止することを求める決議を採択しました。
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2012年02月19日,「赤旗」) (Page/Top

小樽多喜二祭/墓前祭や記念講演/20日から4日間

 戦前の日本共産党員作家で特別高等警察に虐殺された小林多喜二の没後79年、「2012年小樽多喜二祭」が20日(月)〜23日(木)の4日間、北海道小樽市で行われます。
 「墓前祭」は20日午後1時から、同市奥沢墓地で行われます(JR小樽駅前12時15分発の墓地行きJRバスを運行します。往復400円)。
 21〜23日は、小樽商科大学創立100周年記念事業として、「2012 小樽小林多喜二シンポジウム」が同大学の多目的ホールで開催されます。
 記念講演会は21日午後6時30分から、市民センター・マリンホールで行われます。記念講演「小林多喜二を21世紀に考える」(ノーマ・フィールド・シカゴ大学教授)、ミニパネル「『蟹工船』の広がりと深まり」(コーディネーター・島村輝氏)などの内容となっています(入場無料)。
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2012年02月17日,「赤旗」) (Page/Top

「念仏者」が講演/江別で平和集会/北海道

 北海道江別市の9条の会10団体で組織する「憲法第9条を考える集い実行委員会」は11日、同市で「2・11平和集会」を開き、70人が参加しました。
 念仏者九条の会北海道代表の忍関崇(にんぜき・たかし)氏が「いのちを尊ぶ社会をつくるために―念仏者の立場から」と題して講演。「仏教の根本は戦争否定です。親鸞(しんらん)の『世の中安穏(あんのん)なれ』は平和を願う思想です。憲法9条は全ての戦争を否認する平和主義と民主主義が結合した考えです」と強調しました。
 忍関氏は「沖縄戦での集団自決が問題になりましたが、あれは日本軍による強制集団死です」とのべ、「靖国思想は国のために死ぬことを賛美するもので、国家のために国民や地域は犠牲になってもやむをえない、というのがヤスクニの思想。それは今日の原発推進の思想でもあります」と指摘しました。
 実行委員の宮田汎さんは閉会のあいさつで、戦時下、「日本の戦争は侵略だ」と主張して陸軍刑法で処罰された竹中彰元住職や、治安維持法で捕らわれ獄死した宗教者を紹介しました。
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2012年02月17日,「赤旗」) (Page/Top

新十津川町で西田信春碑前祭/北海道

 戦前の日本共産党員で北海道新十津川町出身の西田信春の没後79周年の碑前祭が11日、顕彰碑のある新十津川町で行われました。
 2月11日は、西田が1933年に特高警察の手によって九州で虐殺された日です。碑前祭には日本共産党北空知留萌地区委員会、治安維持法国賠同盟北空知支部、日本国民救援会中空知支部の関係者や党支持者などが参加しました。西田のめいにあたる3人の親族も参加しました。
 碑前祭で主催者あいさつした女鹿武党地区委員長は、震災復興支援活動への協力に感謝するとともに、「今年は総選挙が予想される年。力を合わせて、西田の遺志を継いで全力をあげて頑張ろうという決意を固めています」とのべました。
 碑前祭には紙智子参院議員と、はたやま和也衆院比例候補からメッセージが寄せられました。
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2012年02月15日,「赤旗」) (Page/Top

思想・信条の自由守ろう/「建国記念の日」考える/各地で行動/福島/宮城/北海道

福島
 「思想信条の自由を守り軍事大国に反対する2・11県民集会」が11日、福島市内で開かれました。
 真木實彦実行委員長のあいさつにつづき、福島県原爆被害者協議会の山田舜(あきら)会長(福島大学名誉教授)が「ヒロシマからフクシマへ―被爆と被曝(ひばく)の体験から」と題して講演しました。
 山田氏は、広島市で18歳のとき被爆した自らの体験を語り、東京電力福島第1原発事故で多くの福島県民が被ばくしたことに言及。
 1946年の国連第1回総会第1号決議で「核兵器廃絶」を採択したにもかかわらず、「核の平和利用」のもとで、原発が各国に広がったことを語りました。
 また、核体制の主導権を握ろうとするアメリカが同盟国・日本に濃縮ウラン、原子炉を提供したことなど、日米安保条約の下で唯一の被爆国の日本に原発がもたらされたとのべました。

宮城
 宮城県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟・塩釜支部は「建国記念の日」の11日、塩釜、多賀城の両市内6カ所で街頭宣伝を行い、犠牲者の名誉回復を訴えました。
 相原君雄支部長らが参加。沖縄防衛局長による宜野湾市長選介入について、憲法で保障された国民主権の破壊だと指摘。その上で、「もの言う自由、行動する自由が監視される人権侵害を見逃してはならない。きな臭い動きに警鐘を鳴らしていく」と表明しました。

北海道
 「山宣の遺志を受け継ぎ平和・民主主義・暮らしを守ろう! 『この時代を山本宣治と』」と題した集会が11日、北海道の苫小牧市で開かれ、約50人が参加しました。
 「思想と信教の自由を守る苫小牧市民会議」や高教組苫小牧支部、苫小牧キリスト教連合会などの共催です。
 講師の三原悟さん(元高校教員、苫小牧革新懇話会世話人)は、京都大学や同志社大学の講師を「赤狩り」(レッドパージ)で追放された後、1928年(昭和3年)に労農党から立候補し衆議院議員に39歳で当選した山本宣治(山宣)について、生涯学問を愛し、民衆を愛し、平和と民主主義に命をささげ、労働者や農民の運動に加わるなかで「育児調節」を教えた日本における先駆的性科学者だったと紹介。
 「山宣の生涯と同時代に虐殺された小林多喜二や野呂栄太郎、西田信春たちは私たちに何を教えているのか、考える必要がある今の政治情勢だ」と訴えました。
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2012年02月14日,「赤旗」) (Page/Top

多喜二展に遺品のオーバー・文机/秋田・実行委会見

 秋田県多喜二祭実行委員会の工藤一紘実行委員長らは10日、県庁内で記者会見し、第47回県多喜二祭(18日)での県多喜二祭賞の受賞者、多喜二展(3月16日〜19日)の概要などを発表しました。
 県内では、今月17日に第33回大館市小林多喜二記念の集い(大館市立中央公民館)、18日に県多喜二祭(秋田市の県生涯学習センター)、3月には国内最大級の多喜二展(秋田市のアトリオン)が相次いで開かれます。
 工藤氏は、ことしの多喜二祭賞に、金野和子弁護士(84)、橋茂・土崎港被爆市民会議会長(82)、「種蒔()く人」顕彰会(北条常久会長)の「2個人1団体を予定している」とのべました。
 1962年から始まった県多喜二祭の50周年を記念しての小林多喜二展について工藤氏は「多喜二生誕100年を記念しての2004年の多喜二展(秋田市)を上回る出展規模になる」と話しました。
 今回の展示では、多喜二の遺品のオーバー2着(県内での展示は04年の大館市郷土博物館以来)、遺品の文机、多喜二が母に代わって大館市釈迦内の日景国太郎さんに宛てたはがきなども展示されます。『蟹工船』のノート稿のレプリカを、手に取って見ることができます。
 3月17日には、韓国民主化闘争下でハングル版『蟹工船』を翻訳、出版した人たちが参加しての全国交流会(秋田市の協働大町ビル)が開かれます。ハングル版『小林多喜二選集』の出版を進める金泰京・「理論と実践」出版社代表が「小林多喜二文学の現在性」と題して記念スピーチします。
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2012年02月14日,「赤旗」) (Page/Top

再び暗黒政治を許さず/泊・横浜事件の資料を展示/富山

 戦時下最大の思想・言論弾圧事件「泊・横浜事件」と再審裁判の資料展示場が10日、富山県朝日町の料理旅館「紋左」内に開設されました。再び暗黒政治を許さず、平和と人権、思想、言論の自由などの大切さを後世に伝えることが目的です。
 横浜事件を語り、伝える会(元横浜事件再審裁判を支援する会・事務局=東京都)の橋本進さん、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟富山県本部の小森修事務局長、元横浜事件再審裁判を支援する会(富山)の経田サチ子さんらが設置・確認作業を行いました。
 横浜事件は1942年、国際政治学者・細川嘉六=泊町(現朝日町)出身=が故郷の旅館・紋左で開いた自著の出版記念会を、特高警察がねつ造して関係者六十数人を逮捕したことが始まり。2010年に再審裁判でえん罪が認められました。
 展示資料は100点以上。再審裁判でねつ造の証拠と認められたスナップ写真や、特高の拷問を証言した口述書などが展示され、事件に関する書籍やDVDも見られます。
 橋本さんは、「紋左は拠点・よりどころ。端緒の地で事件の真相、たたかい、支援した富山県の人の足跡がわかり、伝えられていくよう願っています」と話していました。
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2012年02月12日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 40年前の沖縄返還密約事件をベースにしたドラマ「運命の人」(TBS系)が、佳境に入りました。沖縄返還にあたり、軍用地復元補償費を日本側が肩代わりする密約を暴いた主人公は、新聞記者であるにもかかわらず、国家公務員法違反で逮捕されます。国家公務員をそそのかして、職務上知ることができた秘密を漏洩させたという罪です▼起訴状に「ひそかに情を通じ」と記されていたことから、世論は一変。密約の究明はうやむやになり、外務省機密漏洩事件として男女のスキャンダルにすり替えられます。保身のためには手段を選ばない国家権力のやりくちが、まざまざと見える展開です▼実際、時の首相、佐藤栄作氏は沖縄返還を実現した功績で返還から2年後の1974年にノーベル平和賞を受賞。一方の記者は職を失います。真相はどうだったか。沖縄の現状を見れば、「核抜き本土並み」の欺瞞は論をまたないでしょう▼沖縄返還密約については、アメリカ国立公文書館で、極秘ファイルが発見されています。3年前には、国を被告とする沖縄密約情報公開訴訟も起こされています。しかし、2011年の控訴審で司法はまたもや外務省を守ります▼国家権力の情報統制は、とどまるところを知りません。見過ごせないのが、今通常国会に提出が予定されている「秘密保全法案」です▼この法案を「平成の治安維持法」とは、ジャーナリストの高田昌幸氏(JCJ機関紙「ジャーナリスト」1月25日号)。知る権利を守るたたかいが、急務です。
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2012年02月12日,「赤旗」) (Page/Top

文化/今井正監督生誕100年/リアルと叙情/日本映画の黄金期つくる

 今年は、今井正監督の生誕100年。東京で特集上映が行われています。人間と社会をリアリスティックに描き、叙情性あふれる作品に流れるのは、粘り強く信念を貫く作家精神。関係者の思い出とともに今井監督の世界を見つめます。
 児玉由紀恵記者

 今井監督は、「民衆の敵」(1946年)から遺作となった「戦争と青春」(91年)まで、戦後、38本を撮っています。
 戦争で閉ざされた青春の悲恋が静かに非戦を伝える「また逢う日まで」(50年)。貧しさや家のしがらみに苦しむ明治の女性を描いた「にごりえ」(53年)。差別や偏見に負けず生きる混血児姉弟を描いた「キクとイサム」(59年)。
 さらに地方の交響楽団の苦闘を描く「ここに泉あり」(55年)や、原爆症の少女と不良少年のきずなを見つめる「純愛物語」(57年)―。
 戦争の悲惨さ、貧困や不遇の人々を見つめた作品群。かつて監督は、「なぜかそういう題材にピーンとくるものがある。それがヒューマニズムだといわれればそうかもしれません」と語っています。
 38本のうち、沖縄戦に従軍した女子学徒たちの悲劇「ひめゆりの塔」(53年)など11本の脚本を水木洋子が執筆。コンビで叙情性豊かな傑作を送り出し、戦後日本映画の黄金期の峰を築きました。
 50年代の10年間に、「また逢う日まで」「にごりえ」「キクとイサム」「真昼の暗黒」(56年)、「米」(57年)が、「キネマ旬報ベストワン」に選出という驚異の記録をもちます。

たたかい続けて
 第1作「民衆の敵」は、財閥の戦争責任を暴きます。当時、米占領軍の検閲担当者が脚本に二十数カ所の改変を要求。今井監督は芸術性を無視した指示に納得できず、粘りに粘って交渉し、思い通りに撮った作品を公開させます。
 冤罪(えんざい)事件に材を得た映画化で、中止を求める最高裁に屈しなかった「真昼の暗黒」。部落解放同盟の妨害に抗し抜き、部落住民の人間宣言をうたった「橋のない川」(69、70年)。クビをかけ、独立プロでは資金難にあえぎ…と、たたかい続けて実らせた作品群。借家に暮らし、日本共産党員としての信念も公然とのべていました。
 映画をこよなく愛し、温顔で「映画を見るのが面白くてしようがない」と語っていたものです。

特集上映
 第1部=13日まで・「米」ほか、14〜20日「橋のない川」1・2部、21〜25日「キクとイサム」ほか、26日〜3月2日「あゝ声なき友」ほか。第2部=31日〜5月4日、「ここに泉あり」「小林多喜二」など14作連続上映。トークショー=「青い山脈」の杉葉子(4月8日)、「ひめゆりの塔」の香川京子(同29日)。東京・銀座シネパトスрO3(3561)4660

水木洋子コレクションにみる 生誕100年今井正の仕事展
 5月20日までと6月2日〜9月2日、千葉県・市川市文学プラザрO47(320)3354
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2012年02月12日,「赤旗」) (Page/Top

古河多喜二祭、定員超え開催/茨城

 「蟹工船」などの作品で知られるプロレタリア作家・小林多喜二の命日(2月20日)が近づく中、新日本歌人協会古河支部は3日、茨城県古河市の古河文学館で「2012年古河多喜二祭」を開き、会場の定員を超える参加者が集まりました。
 同支部の針谷喜八郎支部長が講演し、多喜二の人柄を示すエピソードなどを紹介しました。民主主義文学会の奈良達雄さんは「多喜二の仲間の詩、多喜二を讃(たた)える詩」と題して講演しました。
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2012年02月10日,「赤旗」) (Page/Top

小林多喜二しのぶ催し秋田で続々/17日から集い・祭り・展示会

 秋田県大館市出身の作家・小林多喜二(1903〜33年)をしのび、記念する行事が、17日に大館市で、18日に秋田市で開かれます。3月には国内最大級の小林多喜二展が秋田市で開催されます。
 「第33回大館市小林多喜二記念の集い」(17日午後3時〜5時、大館市立中央公民館)では、日本民主主義文学会の北村隆志常任幹事が「歴史的岐路と『蟹工船』〜格差、原発、たたかい」と題して講演します。
 入場無料。主催は、同集い実行委員会。
 「第47回秋田県多喜二祭」(18日午後1時30分〜5時、秋田市山王中島町の県生涯学習センター)では、島村輝・フェリス女学院大学教授が「いま、改めて『蟹工船』と世界を考える―格差社会・金融危機・原発災害の只(ただ)中で」と題して講演します。
 合唱、作品朗読、県多喜二祭賞発表など。資料代として1000円が必要です。主催は、同祭実行委員会。
 「秋田県多喜二祭50周年記念小林多喜二展」は3月16日から19日まで、秋田市中通2丁目のアトリオン2階展示室で行われます。入場は無料です。
 展示数は、同会場での「生誕100年多喜二展」(2004年2月)よりもはるかに多く、これまでの最大規模になります。
 大館市内の甥(おい)宅で発見された、日本近代文学館の多喜二遺品のオーバーが40年ぶりに里帰りし、展示されます。
 韓国民主化闘争の中で多喜二がどう読まれたのか、各国での翻訳活動などのコーナーもあり、期間中、韓国から出版関係者や翻訳者らが参加を予定しています。
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2012年02月04日,「赤旗」) (Page/Top

女性革命家しのぶ/相沢良碑前祭/札幌

 戦前の治安維持法下の激しい弾圧のもとで戦争に反対し、働く者の解放のために勇敢不屈にたたかった女性革命家の相沢良(1910〜36年)。命日にあたる1月28日、良ゆかりの地である札幌市西区の「平和の滝」入り口にある事跡の案内板とレリーフ像の前で「没後76周年・碑前祭」が行われました。
 平和の滝は、相沢良が1932年の夏から秋に古谷製菓の女工さんたちと豚汁を食べ、労働歌を歌い、組合や人生について語りあった地です。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部と札幌支部の主催。約30人が参加し、黙とう・献花を行い、「25歳8カ月の短い命、不屈の精神を引き継ごう」と誓いました。
 北海道本部の宮田汎会長(中央本部副会長)が「相沢良と一緒にたたかい、衆院選挙で北海道から初めて当選した柄沢とし子さんが昨年100歳を迎えました。相沢良は屈することを知らない女性でした。不屈の気持ちを学びたい」とあいさつ。「暮らしと平和を踏みにじる野田政権の政治を変えるために頑張ろう」と呼びかけました。
 日本共産党札幌西区の田中啓介くらし・福祉対策委員長も参加し、「相沢良と同じ青森県出身です。高校の大先輩で、碑前祭に参加するたびに不屈の決意を新たにしています」と語りました。
 道本部の前田大蔵さんは「嫁入りより、百姓や労働者のために一生をささげた女性で、たいした人だった。いま生きる者にとって大きな支えです」と語りました。
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2012年02月01日、「赤旗」) (Page/Top

 

*         1月】(ヘッドライン)

*         涼子のおいしい旅/神奈川・厚木市/多喜二追想の湯/猪と「シロコロ」

*         メディアをよむ/阿部裕/危険極まる秘密保全法

*         全国交流集会報告会を開く/治維法国賠同盟札幌支部女性部

*         語ろう日本共産党/「党名変えない」どう考える/歴史・理想が刻まれた名

*         比例削減は民意切り捨て=^治維法国賠同盟が学習会/奈良

*         来月小樽で小林多喜二国際シンポ/研究の進展に期待/荻野富士夫

*         今井正監督生誕100年/野に耐え咲く一輪の花/石子順

*         ゆったり湯めぐり紀行/桂木誠志/2/別所温泉/有数の文化財の宝庫

*         山宣墓前で奮闘を誓う/京都

*         志位委員長新春インタビュー/創立90周年の年にふさわしい躍進を

1月本文】(Page/Top

涼子のおいしい旅/神奈川・厚木市/多喜二追想の湯/猪と「シロコロ」

 神奈川県の中央部にある厚木市で、温かなおいしいものめぐり。
 まずは七沢温泉へ。副都心の新宿から、電車で1時間弱。本厚木の駅前はにぎやかな繁華街ですが、そこから車で30分も西に行けば、丹沢山系の東端です。
 こののどかな山あいに、都会の奥座敷・東丹沢七沢温泉郷はあります。
 冬の名物は猪鍋。温泉旅館での宿泊や食事付き日帰り入浴、または周辺の食事どころでいただけます。
 ぐつぐつ煮え立つみそ仕立ての鍋で、いのしし肉は、案外クセがなくてうま味たっぷり。おなかがぽかぽかです。
 この日訪れた福元館は、プロレタリア文学の小林多喜二ゆかりの宿です。おかみさんが先々代に聞いたところによれば、1931年3月から1カ月ほど離れに滞在していたとか。
 「多喜二さんは、縁側で小説『オルグ』を執筆中、おまわりさんの姿を見ては、原稿をトイレに捨てて裏山に隠れる。そんな暮らしだったそうですよ」
 丹前のえり口から見えた、東京の警察で勾留中に拷問を受けた痛々しい傷痕。当時のおかみは野草の湿布を毎日作っては貼ってあげたそうです。
 多喜二は、主人が取った山鳥やジネンジョで滋養をつけ、温泉で体を癒やしながら執筆を続ける日々だったといいます。
 薄々事情を知った当時のおかみは、家族に口外を禁止しました。そして10年ほど前、多喜二について調べる女性に尋ねられたのをきっかけに、現在のおかみが初めて口を開きました。
 お肌がツルツルになるアルカリ性の温泉に漬かりながら、多喜二を追想しました。
 温泉場から本厚木駅への帰り道、もうひとつの名物を食べにいきました。その名も「厚木シロコロ・ホルモン」。
 いわゆるシロと呼ばれる豚の大腸ですが、通常は開いてゆでたもの。ところが食肉センターが近い厚木では、新鮮な生のシロを、管状のままぶつ切りにしてお客に出します。
 これを炭火で焼くと、
ぷうっとコロコロな筒型にふくらむのです。そこでシロコロ。みそダレにつけて口に含むと、ジュワッと肉汁がにじんで、おいしいこと! 思わずビールが進みます。
 市内には何軒もシロコロを出す店があるので、温泉や大山登山帰りのお客さんも多いとか。他の部位ももちろん大満足の味です。
 また厚木市南部の農業地帯では、イチゴ狩りが始まっています。
 平たんな畑の向こうには雄大な富士山が一望。今年は良い年になりますように。
 南田涼子
 撮影 南田乗太

厚木のおみやげ
・とん漬け―自家製みそに漬け込んだ豚ロース肉。市内の精肉店などで買える
・アユ―相模川の漁期は6月〜10月。アユ形のせんべいなど菓子類も豊富

【交通】小田急線本厚木駅下車。厚木バスセンターから七沢行きバスで約30分、七沢温泉入り口下車で七沢温泉
【問い合わせ】厚木市観光協会рO46(228)1131
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2012年01月29日,「赤旗」) (Page/Top

メディアをよむ/阿部裕/危険極まる秘密保全法

 年明け早々、野田首相はいよいよ「消費税増税」「衆院比例定数80減」「原発再稼働」「原発輸出再開」へと暴走を加速させる一方、「改憲」への動きも強めています。
 こうした動きの陰で政府が今通常国会に上程、成立を企てている「秘密保全法案」の危険性は見過ごせません。この法案の狙いは、2010年の「尖閣諸島沖の中国漁船衝突映像」漏えいをきっかけに、政府が「国益を損なう秘密」の情報を徹底して国民の目から隔離しようというものです。
 昨年8月、「秘密保全の在り方に関する有識者会議」がまとめた報告書は、国の存立にとって重要な情報を「特別秘密」と指定し、国家の安全、外交、公共の秩序と安全の三つの分野を対象として「故意の情報漏えいは最高懲役10年を科す」―国家公務員法や自衛隊法違反を大幅に上回る重罪としています。
 警察裏金問題を追及したジャーナリスト・高田昌幸氏は「情報支配にかける権力者のあくなき執念―『平成の治安維持法』」(JCJ機関紙「ジャーナリスト」1月25日号)と断罪しています。高田氏は「こういう法律ができると、密告など相互監視の傾向が強まり、社会のありようが根底から変わる。警察・検察を軸とした権力機構はより強固になり、個人はますます踏みつぶされていくだろう」と、核心を突いています。
 同機関紙では「改憲への動きと私たちの闘い」のタイトルで自由法曹団幹事長の小部正治弁護士が「何よりも発議させない国民的な運動をこれまで以上に発展させる必要がある」と行動を呼びかけています。
 いま、「原発」「復興」「消費税増税」「普天間」「TPP(環太平洋連携協定)」などが政治的争点になっています。これらはいずれも、日本社会のあり方の根本、針路に関わる問題として、メディアは大いに論じ、読者・市民に判断材料を提供することが大事です。
 (あべ・ひろし=新聞ジャーナリスト)
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2012年01月29日,「赤旗」) (Page/Top

全国交流集会報告会を開く/治維法国賠同盟札幌支部女性部

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟札幌支部女性部は22日、同盟中央が昨年11月に主催した「全国女性交流集会」の報告会を札幌市内で開きました。
 隼野弘子さんが交流集会に出席した様子を紹介。戦争に反対し治安維持法によって終戦まで監獄に入れられたために、教師の道を断たれた98歳の水谷安子さんが「私の元気の原因は、戦前から国の仕打ちとたたかってきたから」と述べたことに感銘を受けたと報告しました。
 交流集会でのカナダ・バンクーバー九条の会国内世話人の岩下美佐子さんの講演も紹介しました。
 宮田汎道本部会長は「2月は西田信春、野呂栄太郎、小林多喜二らの顕彰行事が多い。北海道では2月に虐殺されたり、獄死した人が10人もいる。その多くが1930年代、中国への侵略開始の時期です」と述べ「反戦と顕彰活動を旺盛にしたい」と語りました。
 参加者全員が発言し、「衆院比例定数80削減は憲法改悪、戦争への道だ」などの声があがりました。
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2012年01月25日,「赤旗」) (Page/Top

語ろう日本共産党/「党名変えない」どう考える/歴史・理想が刻まれた名

 「共産党はいいこと言ってるけど、党名を変えればもっとのびるんじゃない?」。そんな声をよく耳にします。しかし、「なぜ党名を変える必要がないか」をぜひみてください。
 日本共産党は今年で創立90周年を迎えます。日本共産党は戦前、天皇絶対の暗黒政治の時代から、激しい弾圧に屈せず、侵略戦争反対と国民主権を掲げ続けました。その中で作家の小林多喜二など多くの先輩が弾圧によって命を奪われました。戦後、党議長となった宮本顕治さんは、12年間獄中で不屈にたたかいました。評論家の加藤周一さんは、宮本さんが死去したとき、「反戦によって日本人の名誉を救った」という談話を寄せてくれました。
 これに対して今の自民党や民主党の先輩だった保守政党や、社民党などの前身だった社会民主主義政党は侵略戦争を後押しし、太平洋戦争前には自ら解散し、「大政翼賛会」に合流しました。だから戦後、党名を変えて再出発せざるをえなかったのです。
 戦後も、日本共産党は、日米安保条約をなくして米軍基地のない平和な日本を、大企業や財界の横暴をやめさせ人間らしく働き生きることのできるルールある経済社会を―と、たたかってきました。原発問題でも、当初から未完成の技術だとして建設に反対、抜本的な政策転換を求めてきました。
 日本共産党は、社会はいまの資本主義社会で終わりではなく、未来社会―社会主義・共産主義へ発展するという展望を持っています。未来社会では、搾取の廃止や労働時間の短縮で、すべての人がさまざまな可能性を持ち発達できます。
 日本共産党という名前には、こうした歴史と理想が刻まれているのです。
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2012年01月22日,「赤旗」) (Page/Top

比例削減は民意切り捨て=^治維法国賠同盟が学習会/奈良

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟奈良県本部(田辺実会長)は16日、諸富健弁護士(自由法曹団京都支部)を講師に招き、「衆議院比例定数削減問題について」と題した学習会を奈良市内で開きました。
 諸富氏は、野田首相が議員定数削減を「スピード感をもってやるべき」だと述べたことを紹介し、切迫した情勢であると強調しました。
 比例定数削減は完全二大政党制への道を開くことになり、多様な民意が切り捨てられると指摘し、56億円の削減にしかならない議員定数削減ではなく、320億円の削減になる政党助成金こそ廃止すべきだと述べました。
 東日本大震災を受けて政治不信が高まっている今こそ、民意が正確に反映される選挙制度を提起し、公正な選挙制度の実現へと運動を広げていこうと呼びかけました。
 参加者からは「議員定数削減で切られるのは民意だということはあまり知られていない」「議員定数削減は暗黒政治の到来を許すことになる」「世論調査で選挙制度の抜本改革を望む声が半数以上あることに希望をもち選挙制度改正の大議論を起こしていこう」との声が寄せられました。
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2012年01月20日,「赤旗」) (Page/Top

来月小樽で小林多喜二国際シンポ/研究の進展に期待/荻野富士夫

 20世紀末からの国際的な「格差社会」拡大は誰の目にも明らかとなり、それへの関心と批判は、2008年に至って、ワーキングプアや「名ばかり管理職」などの現状告発とともに、「蟹工船」ブームを巻き起こし、一躍、小林多喜二を時の人とした。

3分科会と講演
 そうした多喜二への現代的関心の機運醸成に寄与したのが、白樺文学館多喜二ライブラリーの過去4回におよぶ多喜二シンポジウム(東京2003年・04年、中国・保定2005年、オックスフォード2008年)であった。それらは多喜二研究の水準を大きく引き上げ、とくにオックスフォード・シンポは、「多喜二を単一の出発点としながら、池に広がる波のように、時空を貫いて多様な領域に広がる、多喜二研究のもたらす大きな衝撃力」(ヘザー・ボーウェン=ストライクの総括)を示すことになった。この開催は、偶然にもリーマン・ショックと重なった。
 第3回シンポジウムの準備過程において、関係者の間では締めくくりのシンポジウムを小樽で開催したいと話し合われていた。それを受けて、創立100周年を記念する事業の一つとして、多喜二の母校小樽商科大学の主催で、雪の2月に小樽小林多喜二国際シンポジウムが開催されることになった。3日間の日程で、三つの分科会と記念講演会が企画されている。
 近年の多喜二浮上の社会的要因が国際的・構造的なものであることから、欧米・アジアの日本研究者にも注目され、独自の論点が提示されるとともに、中国・韓国・アメリカ・フランス・スペイン・イタリア・ノルウェーなどにおいては『蟹工船』を中心に新たな翻訳書が刊行されている。
 第1分科会では、こうした国際的な受容と評価・翻訳のあり方などについて、各国のプロレタリア文化運動研究などとも関連させ、比較文学の観点からの報告と討議をおこなう。7カ国語の翻訳者が一堂に会し、多喜二文学の国際性を論議する様子は壮観であろう。
 昨年2月に刊行された「DVD版 小林多喜二 草稿ノート・直筆原稿」では、多くの多喜二作品の草稿段階での構想、その修正、原稿への推敲過程などが全面的に明らかになった。
 第2分科会では、これを本格的に用い、『蟹工船』や「オルグ」「党生活者」などの具体的な草稿分析を通じて、新たな読みと論点の提示がなされる。
 第3分科会では、若い世代の研究者によって多喜二小説への斬新なアプローチがなされるほか、北海道・北洋を舞台とする『防雪林』や『蟹工船』の独自な捉えかえしが試みられる。私自身は軍事的な観点から「北洋漁業」を概観する。

内容濃いものに
 2月21日の記念講演会では「小林多喜二を21世紀に考える意味」と題して、ノーマ・フィールドさんが語ってくれる。多喜二文学・思想の現代性や国際性、さらに普遍性と個性などについて、どのような展開がなされるのか、楽しみである。
 この小樽でのシンポジウムが、これまでのシンポの成果を確かなものとして受け継ぐだけでなく、今後の多喜二研究をさらに進展させていくような、実質的で内容の濃いものとなることを願ってやまない。
 (おぎの・ふじお 小樽商科大学教授)

 *2012小樽 小林多喜二国際シンポジウム=2月21日(火)午後6時半〜8時45分、記念講演会、小樽市民センター マリン・ホール。2月21日(火)〜23日(木)各日とも午前9時〜、シンポジウム、小樽商科大学 大学会館多目的ホール。問い合わせрO134(27)5492小樽商科大学創立百周年記念事業推進室
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2012年01月18日,「赤旗」) (Page/Top

今井正監督生誕100年/野に耐え咲く一輪の花/石子順

 1月8日は今井正監督の100回目の誕生日だった。1939年に「沼津兵学校」で監督デビューして、91年に「戦争と青春」を撮って亡くなった。52年間に47本の作品を残した。
 私は55年、定時制高校生の時、地方の交響楽団が自分たちの音楽をつづけていく音楽映画「ここに泉あり」に感動した。聴衆のあり方にがっくりした団員たちに女の子が一輪の花をそっと差し出す。白黒画面にそれが赤く見えた。今井正の映画は野に耐え咲く花だと思った。「にごりえ」で3人の女のいきざまに明治という時代を知った。「真昼の暗黒」。刑事の暴力的取り調べ。無実を主張する青年の最後の叫びに涙があふれた。裁判進行中の事件に正義を求める日本映画の勇気を見た。映画の力にはげまされた。

戦時・現実・封建作品に描き続け
 今井作品は大きく分けると、戦時下を描く、現実を描く、封建時代を描くということになるだろうか。「また逢う日まで」のガラスごしのキス・シーン。愛するものを断ち切る戦争の冷酷さを感覚的に表していた。「ひめゆりの塔」は女学生たちの未来が奪われていく姿に沖縄戦の無残さをリアルに告発した。「純愛物語」は、原爆症に引きさかれていく少年少女の純愛に引きつけられて封切り館から三番館まで追いかけて見た。
 「キクとイサム」では黒人兵との混血姉弟に戦争の傷跡をとらえ、人種差別とそれをかばう祖母の愛情に泣かされた。「男はつらいよ」の渥美清が製作・主演した「あゝ声なき友」は、生き残った元兵士が戦友の遺書を遺族に配達する行為をとおして戦後になっても戦争は終わっていないと主張する。遺作「戦争と青春」で東京大空襲のあの日と現代を結びつけ、忘れてはならないことを訴えた。
 現実描写は、「青い山脈」で戦後の解放感をうたいあげ、民主主義の教科書≠ニまでいわれた。だがレッドパージが吹き荒れるなかで、共産党員として前進座と組んで撮った「どっこい生きてる」は、独立プロ映画運動の先がけとなる。「山びこ学校」で山村児童と教師が貧乏をなくそうと考え、「米」で農村女性が働いても貧困がおおいかぶさってくる現状を切なくとらえた。また、北林谷栄、ミヤコ蝶々、東山千栄子たちの喜劇「にっぽんのお婆ぁちゃん」はおもしろく悲しく老人問題を早くも現代につきつけた。
 封建時代ものはまず「夜の鼓」。不義をした妻を斬った武士が、妻の相手をも討つむなしさ。中村錦之助の「武士道残酷物語」と「仇討」がともに壮絶。「武士道〜」は7代にもわたる主君と侍との非情関係をとらえ、「仇討」は武士道という形の殺し合いをあばく。「婉という女」は藩命で40年も幽閉されて耐える一家の生死と女の根強さを描いた。

民衆は死なず$M念にあふれて
 このほかに大作「橋のない川」がある。未解放部落の一家の子どもから青年までに加えられる差別の数々。「差別を生みだす社会を憎み怒りを燃やしてこれを打ち破りたい」という迫力で、監督は暴力的上映妨害とたたかった。
 今井正監督はずっと弱者を描いた。とりわけ子ども、女性、老人たちを見つめる。それに襲いかかる戦争、圧力、暴力、差別を激しく静かに否定した。貧乏でつらい現実を描く社会派監督であり、格調高い演出としみるような叙情タッチで、ベスト1監督として日本映画をリードし高めた。
 74年2月、映画「小林多喜二」の撮影中の今井正監督にインタビューした時、「何か暗い印象をつきやぶったような明るさの映画にしたいと思いますね」といった。このことばは今井作品全体に脈打っている。たとえ追いつめられても民衆は死なないという信念にあふれている。
 23日から東京で生誕100年の回顧上映が始まる。いまの時代だからこそ今井正の映画を多くの人びとに見ていただきたい。
 (いしこ・じゅん 映画評論家)
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2012年01月17日,「赤旗」) (Page/Top

ゆったり湯めぐり紀行/桂木誠志/2/別所温泉/有数の文化財の宝庫

 長野県の東に位置する上田市は、中央に日本最長を誇る千曲川が流れ、信濃国分寺が創建されて以降、1200年余にわたり、信州の政治と文化の中心地として栄えてきました。
 上田市の郊外には、かつて上田藩の穀倉の役割をはたした肥沃な盆地、塩田平が広がっています。その西方の夫神岳と女神岳のふもとに、信州の名湯・別所温泉があります。

懐かしい情緒
 ここは、わが国でも有数の文化財の宝庫として知られ、信州の鎌倉≠ニ呼ばれます。日本でただ一つしかない安楽寺の国宝・八角三重塔をはじめ、常楽寺の石造多宝塔、中禅寺の薬師堂、北向観音堂など十指に余る古刹・名塔が集中しています。
 別所温泉は、昔から七つの苦から離れる≠ニいう意味で「七久里の湯」(または「七苦離の湯」)と呼ばれ、戦国時代になると、傷を治す湯として広く知られるようになりました。
 江戸時代の記録には、現在も地元の人々や観光客に親しまれている「大師湯」「大湯」「石湯」という三つの共同湯に加えて、「長命湯」「久我湯」の名前が残っています。
 温泉街は、湯川という「川がその町の中央を流れていて、浴舎が層々としてそれに添って連なって」(田山花袋『温泉めぐり』)おり、有島武郎、北原白秋、斎藤茂吉など多くの文人たちが逗留した老舗旅館や湯治宿、食堂、土産店などが集まり、町全体が懐かしい温泉情緒を漂わせています。

近くに無言館
 ここで見落とせないのが、大正期から昭和初期にかけての農民運動と民衆運動の足跡です。
 上田の自由大学にかかわり、別所に住んで、農民の文化運動で指導的役割を果たした高倉輝(タカクラ・テル、高知出身、1891〜1986)と、第1回普通選挙に労農党から立候補して当選し、上田で行った講演の直後、治安維持法に反対する演説を行うため上京し、右翼によって暗殺された山本宣治(山宣=A京都出身、1889〜1929)。別所とかかわりの深いこの2人の記念碑が、温泉街から安楽寺への道筋に並んでいます。
 碑文は、「生命は短し、科学は長し」(山本宣治記念碑、原文はラテン語)と「人間を信じる心 タカクラ・テル」(高倉輝記念碑)。信濃の人々の篤い思いが伝わってきます。
 近くに、第2次世界大戦の戦没画学生の作品を集めた「無言館」や肩を抱き合う男女二神を刻んだ野倉の夫婦道祖神などがあり、家族の絆を大切に思う気持ちが感じられます。
 (温泉愛好家)
 (金曜掲載)
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2012年01月13日,「赤旗」) (Page/Top

山宣墓前で奮闘を誓う/京都

 山宣の墓前で1年の奮闘を誓い合おう、と1日早朝に、日本共産党の穀田恵二国会対策委員長らが京都府宇治市にある戦前の労農党代議士・山本宣治(山宣)の墓前に集いました。山宣は、1928年の第1回普通選挙で京都2区から立候補し初当選。治安維持法の改悪に反対して翌年3月、右翼の凶刃により39歳で命を落としました。
 元旦の墓参りは寺前巌元衆院議員がはじめたもの。今年は穀田氏をはじめ前窪義由紀、馬場紘平両府議、上原裕見子前府議、西野佐知子京都市議、坂本優子、渡辺俊三両宇治市議や青年など15人が参加。山宣の墓前に花と線香をそなえて決意を新たにしました。
 参加した京都の私立大に通う男性は、「元旦から山宣の墓にお参りし、今年もがんばろうという気持ちになった。まずは京都市長選で中村和雄さんを市長にするために、いろんな人に声をかけていきたい」と話していました。
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2012年01月04日,「赤旗」) (Page/Top

志位委員長新春インタビュー/創立90周年の年にふさわしい躍進を

聞き手/小木曽陽司・赤旗編集局長/大内田わこ・同局次長

歴史に学び、国民に語り、党の新たな躍進を
 小木曽陽司赤旗編集局長・大内田わこ同局次長 あけましておめでとうございます。
 志位和夫委員長 あけましておめでとうございます。
 小木曽 新しい激動の年が明けました。まず、委員長に今年の抱負をおうかがいしたいと思います。
 志位 昨年は、東日本大震災と原発事故という未曽有の危機が起こり、私たちは、多くの方々と共同して救援・復興に力をそそいできました。危機のなかで未来を開く新しい流れも起こっています。しかし、なお被災者の方々の生活再建は大きく立ち遅れており、「安心して住み続けられる故郷」をとりもどすまで力をつくす決意です。
 同時に、日本共産党にとって今年は、創立90周年の年です。解散・総選挙も予想される年になりますが、90周年にふさわしい躍進の年にしたいというのが最大の抱負です。
 大内田 歴史的な年にふさわしい頑張りを、ということですね。
 志位 今年をそういう決意で頑張りたいし、頑張りいかんでは躍進を実現する条件は大いにあると考えています。
 よく「なぜ名前を変えないのか」ということが言われますが、戦前、戦後の激動の90年間を同じ名前で頑張っている党は、日本では日本共産党以外にありません。その道のりは平たんではありませんでしたが、戦前の暗黒政治と侵略戦争の試練、戦後のアメリカ占領の試練、旧ソ連と中国・毛沢東派による無法な干渉の試練、そして支配勢力による反共「封じ込め」の試練など、あらゆる試練にたいして、国民の利益を守って正面からたたかってきた。他のもろもろの党のように、「時流」に流され、国民の利益を裏切ったことはありません。日本共産党という党名は、この90年のたたかいと深くむすびついたものです。
 多くの先達たちのたたかいは、いまに生きる私たちに「宝」ともいうべき多くの財産をつくってくれています。90年の歴史に学び、それを誇りをもって広く国民に語り、党の新たな躍進を必ずかちとる。そういう年にしていきたいと思います。

党史の三つの時期

「第1の時期」――戦前のたたかいには日本共産党の原点がある
 小木曽 90年の歴史に学ぶということですが、1世紀近い歴史を概括するとどういうことになるでしょうか。
 志位 大まかにいって、三つの時期があります。
 「第1の時期」は、日本共産党が創立された1922年から、アジア・太平洋戦争が終わった1945年までの23年間です。この期間の活動には、日本共産党にとって原点ともいうべきものが凝縮されています。非合法下での迫害や投獄に屈することなく、天皇中心の暗黒政治に正面から立ち向かい、国民主権と反戦平和の旗、さらに人間解放と未来社会をめざす旗を掲げ続けた。それが比類のない先駆性、全体としての正確さをもっていたことは、歴史によって検証されました。
 小木曽 この時代の先達たちの生き方から私たちは何を引き継ぐべきでしょうか。
 志位 たくさんのものがあると思いますが、私は、どんな困難な情勢のもとでも社会進歩の大義をつらぬき、その事業が最後には勝利するという展望を失わなかった「不屈性」に学びたいと思います。
 渡辺政之輔、川合義虎、市川正一、小林多喜二、野呂栄太郎、岩田義道、上田茂樹、国領五一郎など、多くの諸先達が弾圧で命を落としました。伊藤千代子、高島満兎、田中サガヨ、飯島喜美など、弾圧の中で節をまげず命を落とした若い女性――この4人の同志はそろって24歳の若さで亡くなったわけですが――など無数の人々のたたかいも、私たちの胸を打ってやまないものがあります。「赤旗」)

「反戦によって日本人の名誉を救った」
 志位 宮本顕治さんは、12年の獄中を不屈にたたかいぬきました。宮本さんが、法廷で、自らの無実と運動の大義を、事実と道理をもって諄々(じゅんじゅん)と説き明かした「公判記録」を読みますと、よくもあの時代にあれだけの理性的なたたかいをやりぬいたものだ、という強い感動を覚えずにはいられません。
 大内田 宮本さんが07年に亡くなられたときに、加藤周一さん(08年に死去)が、「宮本さんは反戦によって日本人の名誉を救った」という談話を寄せてくださいました。
 志位 あのときの加藤さんの談話は、本当にうれしく、心が温まるものでした。宮本さんが亡くなったのは、2007年7月の参院選の最中のことでした。私は、たまたまその日の夜に、テレビ朝日のインタビュー出演があり、スタジオに入って出番を待つときにテレビの画面を見ていますと、元気なころの宮本さんの姿が放映されて、それを見てふいに熱いものが込み上げてきたことを思い出します。インタビューでは「大きな仕事をした大きな人が亡くなった」と追悼の言葉をのべましたが、この時期の党のたたかいはひとり日本共産党だけのものではなくて、日本国民全体の財産といってもよいと思います。文字通り「日本人の名誉を救った」のが、この時期のたたかいでした。

多喜二の作品が、時代をこえ、世界のたたかいを励ます
 小木曽 本当にそう思います。小林多喜二の『蟹工船』などの作品は、いま海外でも翻訳されていると聞いています。
 志位 多喜二の『蟹工船』は、貧困と格差が広がるなかで、この間、日本でも一大ブームとなりましたけれども、韓国、イタリア、フランス、スペインなどでも翻訳され、多数の読者を得ていると聞きます。
 昨年1月には、スペインで『党生活者』が翻訳・刊行されたそうです。スペインでは『蟹工船』が翻訳・刊行されて、1万人以上の読者を獲得するという成功をおさめた。それをふまえて、第2作の紹介として『党生活者』の翻訳・刊行になったとのことです。スペイン訳の書名は『同志』(エル・カマラダ)だとのことです。
 戦前の先達たちが苦闘のなかから生み出した芸術作品が、時をこえて21世紀に、日本の若者だけでなく、はるかに世界各国に広がり、貧困や格差とたたかう人々を励ましているのは、本当にうれしいことです。

「第2の時期」―戦後の十余年のたたかい
 小木曽 今のお話を聞いて、戦前のたたかいは本当に誇るべき不屈の歴史だと思いました。戦後のたたかいの歴史を概観するとどういうことになりますか。
 志位 わが党の党史の「第2の時期」は、1945年の敗戦から十余年の時期です。この時期にわが党は、アメリカ軍の全面占領のもとで初めて公然とした活動を開始し、さまざまな曲折、重大な試練をへて、1958年の第7回党大会で自主独立の路線を確立し、1961年の第8回党大会で綱領路線を確立しました。
 敗戦後のたたかいでは、主権在民という党創立以来の主張を日本国憲法に明記させるうえで、党が果たした歴史的役割は大きいものがあります。この時期、日本共産党は、ポツダム宣言の完全実施、全面講和を主張し、日本がアメリカの基地として永久化されることに反対してたたかいました。

曲折と試練を経て、自主独立の路線、綱領路線を確立する
 志位 アメリカ占領軍は、1950年、朝鮮戦争が始まるのと前後して、牙をむき出しにして襲いかかってきました。日本共産党の指導部全員に公職追放をくわえ、「赤旗」を発禁にし、党は半非合法状態におかれました。
 この弾圧は無法なものでしたが、この時期に、日本共産党そのものは、ソ連・中国からの干渉を受けて、分裂状態におちいりました。干渉に内通した一派は、弾圧とたたかうべきときに、逆に弾圧を利用して、党の分裂を強行したのです。
 大内田 いわゆる「50年問題」と呼ばれるものですね。
 志位 そうです。このときに党の分裂に反対し、統一のために力をつくした宮本さんは、「50年問題」を「党史上、最大の悲劇的な事件」と言っています。このときの干渉の総司令官はソ連のスターリン。副官は中国でした。武装闘争を日本共産党に押し付けようという干渉がおこなわれ、党中央の一部が内通・呼応して、中央委員会が解体された。
 ソ連崩壊後に出てきた資料で、この干渉がいかに大がかりで、謀略的なものだったか、その全貌が明らかになりました。当時はきわめて制約された事実しかわからないもとで、分裂の原因と責任を的確につきとめ、確固とした統一をかちとった。このときの先達たちの勇気と理性も、すごいものがあると思います。
 この党史上最大の危機を乗り越える過程で、日本共産党は、自主独立の路線――自らの国の革命運動は自らの頭で決める、どんな大国でも干渉や覇権は許さない――という路線を確立し、党の綱領路線を確立しました。
 たいへんな苦闘をつうじて、今日の発展の礎石をつくりあげた時期が、この「第2の時期」だと思います。

「第3の時期」―綱領路線の半世紀のたたかい
 小木曽 そういう苦闘を経て半世紀前に綱領路線を確立しました。その核心はどういうところにあるのでしょうか。
 志位 最大の核心は、日本が直面している革命は、社会主義革命ではなく、独立・民主・平和の日本をつくる民主主義革命だと、ズバリ明らかにしたことにあります。また「議会の多数を得て、社会の段階的発展をすすめる」という路線を、さだめたことにあります。「発達した資本主義国での民主主義革命」という路線は、当時の世界の運動の「常識」を覆した、きわめて先駆的なものでした。
 党史の「第3の時期」は、こういう綱領路線をもち、国民のたたかいと政治的・理論的探求のなかで、その路線をたえず発展させた、1961年以降の半世紀です。この半世紀に、わが党は、正確な路線のもとで、全体として大きな前進と成長をとげました。山あり谷ありですけれども、全体としてみれば、国政でも地方政治でも影響力を大きく拡大した半世紀だったと思います。

ソ連、中国による干渉とのたたかい―党を鍛え多くの財産が
 大内田 この時期に、すぐに直面したのがソ連と中国という大国による干渉とのたたかいでしたね。
 志位 そうですね。1960年代に開始されたソ連と中国・毛沢東派の双方による無法な干渉攻撃に対して、わが党は正面からたたかい、どちらにも誤りを認めさせました。片方(ソ連)は相手が崩壊するという形で、片方(中国)は理性的な解決という形で、歴史的にこの問題に決着がつきました。二つの大国からの干渉に、党の生死をかけてたたかいぬき、決着をみたということは、「20世紀の歴史的偉業」といってもよい、世界に類のないものだったと思います。
 小木曽 このたたかいをつうじて、多くの財産がつくられましたね。
 志位 その通りです。このたたかいをつうじて、わが党は、政治的・組織的に鍛えられただけではありません。理論的にも発展をかちとりました。
 たとえばアメリカ帝国主義論では、1960年代のアメリカの世界戦略を分析して、「各個撃破政策」という解明をおこないました。「議会の多数を得ての革命」論をより明確にしていきました。複数政党制を将来にわたって擁護するなど社会主義の政治体制論でも政策を発展させました。ソ連の覇権主義の歴史的追跡をおこない、その成果は、不破哲三さんの『スターリンと大国主義』(1982年)などに結実しました。「資本主義の全般的危機」論というスターリンに由来するドグマ(教条)を清算しました。
 理論の面で、スターリンによる科学的社会主義の歪曲(わいきょく)を総決算し、さらに探求は、レーニンの理論の歴史的吟味にまですすみました。そういうなかで、マルクス、エンゲルスの本来の姿が、現代に力をもって豊かに生き生きとよみがえった。こういう大きな成果も得たと思います。

新しい綱領―全党の開拓と苦闘を踏まえた画期的な理論的到達
 小木曽 そういうなかで2004年に第23回党大会が開かれ、そこで新しい綱領が決まったわけですね。
 志位 新しい綱領は、1961年に綱領路線を確定していらいの、全党の開拓と苦闘、政治的・理論的探求を集大成したものだと思います。新綱領は、民主主義革命の路線をより現実的・合理的なものに仕上げるとともに、世界論、未来社会論などで、61年綱領が抱えていた制約や問題点を大胆に清算して、画期的な理論的到達を築きました。
 こうして、この半世紀を見ますと、日本共産党は政治路線においては、正確な道を揺るがず歩んできたということが言えると思います。同時に、正確な路線をもてば一路前進になるかというと、そうであれば楽なんですが(笑い)、現実はそうはいかない。
 小木曽 そう、単純ではないと。
 志位 あとで詳しくお話ししますが、正確な路線のもとでの前進は、それを恐れるがゆえの支配勢力による反共作戦を呼び起こし、それとたたかう過程で次の躍進を準備する。その連続でもあったというのがこの半世紀だと思います。
 党史の「第3の時期」は、私たちが「政治対決の弁証法」と呼んでいる曲折と波乱と試練がつづいた半世紀だったといえます。

試練の連続―そのなかで貫かれた「不屈性」と「先駆性」
 大内田 党史は一言でいって試練の連続ですね。
 志位 その通りですね。戦前、戦後をつうじて、党がたんたんと、順風満帆、発展したという時期は一つもありません。試練とのたたかいの連続であり、開拓と苦闘の歴史です。その歴史の全体を振り返ってみて、どこかから「追い風」が吹いてきたという時期というのはないんですよ。わが党が躍進した時期は何回かあるけれども、その時の「風」はすべて自力で起こした「風」なのです。逆風の時期が多いと言ってもいい。それは社会を根本から変革する志をもつ集団には避けられないことだし、むしろ光栄なことではないでしょうか。
 しかし、その全体をつうじて、どんな困難にも負けない「不屈性」、科学の力で先を見通す「先駆性」を発揮してきた。そして「国民の苦難軽減のために献身する」という立党の精神を貫いてきた。この歴史は本当に誇るべきものであり、それは今に生きる巨大な力を持っていると確信します。

党史を学び、党史を生かしたたたかいを
 大内田 党史を学び、党史を今日に生かしていくことは本当に大切だと思います。党史を学ぶことで、自分もそういう先駆者の心を自分のものとしてたたかっていけるというか、その「不屈性」を受け継いで頑張っていけるというふうに思えるのです。
 志位 そうですね。私たちの先達たちが発揮した「不屈性」を私たちが学んで、それを受け継いでいくということに大きな誇りを持つ。同時に、多くの党員のみなさんは、党史を自らも体験されているわけですね。そういう自らの体験の中で、党が「不屈性」と「先駆性」を発揮してたたかったことを思い起こして、またそこに自らの頑張りを重ね合わせて、未来を確信をもって展望することが大切ではないでしょうか。
 小木曽 党史を学ぶうえで、さまざまな文献があると思いますが。
 志位 学ぶべき文献はたくさんありますが、『日本共産党の八十年』(党出版局)、不破哲三さんの『日本共産党史を語る(上下)』(新日本出版社)を、まずおすすめします。
 それから、昨年発刊された『不破哲三 時代の証言』(中央公論新社)は、綱領路線を発展させる先頭に立ち、党史を切り開いてこられた不破さんならではの、たたかいの生きた息遣いが伝わってくるもので、党史を理解するうえでも読まれることをおすすめしたい、と思います。

いまに生きる力(1)―大震災・原発事故

「国民の苦難軽減のために献身」―立党の精神が危機のなかで発揮されている
 小木曽 私たちの党史が、現在に、どういう形で生きているのか。つぎに、それについてうかがいたいと思います。去年の最大の出来事は、大震災、原発事故でした。
 志位 私は、この危機をつうじて、二つのことを実感しています。
 一つは、この出来事が、多くの国民の価値観、生き方、政治と社会への見方を、大きく変えたということです。これまで「自己責任」論を押し付けられ、ばらばらにされてきた国民のなかに、温かい社会的連帯の機運が広がった。原発事故をつうじて、国民が「政治には巨大なウソがある」ということを見抜き、真実の政治を求めだした。
 もう一つは、こうした国民の変化のなかで、「国民の苦難軽減のために献身する」という日本共産党の立党の精神が発揮され、それが多くの被災者の信頼を広げているということです。私も何度か被災地に足を運びましたが、自らの家、家族や友人を津波で流されながら、避難所で、仮設住宅で、懸命に復興にとりくむ、被災地の同志たちの不屈の奮闘が続いています。この姿に接し、本当に胸が熱くなるものがあります。
 冬を迎えた被災地の仮設住宅で、「青空市」など、被災者に寄り添った活動が続けられています。2月には、岩手県の陸前高田市の県立病院の仮診療所に入院施設が完成するということです。福島県では、モモとあんぽ柿の全面賠償を東電に約束させました。被災地のさまざまな諸団体と共同しての日本共産党の頑張りによるものだと思います。
 全国から寄せられた募金は9億3千万円をこえ、ボランティアはのべ2万1千人をこえました。とくに若いみなさんがボランティアに参加し、みちがえるように成長していることは、うれしいことですね。
 大内田 そういう話を聞くたびに、日本共産党ならではのものだと思うんですけども。
 志位 そうですね。困っている人がいたらいてもたってもいられない。誰かれにいわれなくても行動せずにはいられない。そういう素晴らしい人間集団が日本共産党だということを、つくづく感じます。
 「国民の苦難軽減のために献身する」という立党の精神は、90年の歴史を経て、日本共産党の「体質」というか、「DNA」となっていると実感します。それが、この国民的危機にさいして発揮されていることは、本当に誇らしいことだと考えます。
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2012年01月01日,「赤旗」)

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