【治安維持法2018年】

  【見出し】

 

   いま言いたい2018 国境なき記者団東アジア事務局長 セドリック・アルヴィアーニさん

   いま言いたい2018 日本新聞労働組合連合委員長 南彰さん

   いま言いたい2018 主婦連参与・前会長 山根 香織さん

   いま言いたい2018 日本ペンクラブ 平和委員会委員長 梓澤和幸さん

   いま言いたい2018 神戸女学院大学名誉教授 内田樹さん

   いま言いたい2018 神戸女学院大学名誉教授 内田樹さん

   いま言いたい2018 作家・活動家 雨宮処凛さん

   いま言いたい2018 落語家 桂文福さん

   いま言いたい2018 ジャーナリスト 斎藤 貴男さん

   いま言いたい2018 岡山大学大学院教授 小松泰信さん

   戦前の独立運動家を支援 布施辰治顕彰碑に献花

   金曜名作館 徳永直 没後60年

   治安維持法国賠同盟 全国女性交流集会

   「日本共産党常任活動家の墓」第33回合葬追悼式

   金曜名作館 川柳作家 鶴彬 没後80年

   テレビ時評 元NHKディレクター戸崎賢二

   本と話題 直木賞 人気作家ひしめく

   きょうの潮流

   憲法と子ども 輝く社会に

   終戦の日 平和求め行動 「戦争する国」許さぬ

   あす終戦記念日 侵略戦争の歴史をみつめる 戦前と戦後の区別こそ

   主張 日本共産党96年

   文化の話題 44年ぶりよみがえる DVDで鮮明に

   15日 党創立記念日

   山宣資料館見学 小池書記局長

   治維法国賠同盟が国会請願/謝罪・賠償など求める/会合だけで逮捕≠P03歳語る

   麻生氏の辞任求める/治維法国賠同盟が声明

   潮流

   「暴虐政治終わらせる」/治維法国賠同盟50周年レセプション/市田副委員長あいさつ

   若者に勇気、魅力語る/小林多喜二没後85年シンポ

   96歳の治維法被害者訴え/共謀罪うり二つ=^札幌集い

   自由求める運動なくならない/治維法国賠同盟創立50周年記念集会/大阪

   暗黒の冤罪、二度と/戦前の宮澤・レーン事件命日に集い

   戦争する国にしない$セう/多喜二没後85年墓前祭/北海道小樽

   不屈のたたかい継ぐ/野呂栄太郎碑前祭開く

   多喜二を読み直し/改憲発議させない/記念のつどい/北海道小樽

   図書館発展へ憲法守る/集いで交流/共産党応援「図書館の会」

   潮流

   多喜二の変革の意思と実行を学ぼう/生誕115年・没後85年/東京で多喜二祭開く

   戦争の足音が再び聞こえる時代、多喜二のようにたたかおう/多喜二祭での小池書記局長の連帯あいさつ

   ことしの多喜二祭/各地の日程

   「赤旗」創刊90周年/シリーズ戦争とどう向き合ってきたか/歴史の分岐点、「満州事変」報道にくっきり

   新春ざっくばらん対談/日本共産党書記局長小池晃さん/精神科医・立教大学教授香山リカさん

   共に生きる/北海道「衆院5区の会」共同代表宮田汎さん(80)/生徒の願い、耳離れぬ

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いま言いたい2018 国境なき記者団東アジア事務局長 セドリック・アルヴィアーニさん

日本にない報道の自由

20181221

 パリに本部がある「国境なき記者団」は毎年、世界180カ国・地域の「世界報道の自由度指標」を発表しています。2017年度の状況を反映した18年度のランキングで日本は67位でした。G7(主要7カ国)のうち最下位で、「顕著な問題がある」国に分類されています。

政府の介入受け

 日本は民主主義国家で記者が自由に活動できていると思われています。しかし実際には日本のメディアは権力の監視役としての役割を果たすことが難しくなっています。

 一つは記者クラブに象徴される古い伝統が残っていることです。フリーランスや海外メディアの記者は政府機関の記者会見に出ることができません。警察や検察にはインタビューすらできないのです。

 報道できないタブーがあります。反社会的勢力と政治家との関係など当たり前にあるのに取り上げられない。日本独特の保守的文化に由来するものだと思います。

 三つ目は政治や経済状況にメディアの自由が影響されやすいことです。日本のメディアは広告などあまりにも大企業に頼りすぎています。スポンサーや政府によるメディアへの介入の度合いが非常に大きい。

 またSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)では国家主義グループが安倍政権を批判する人たちを異常な敵意むき出しで攻撃しています。福島の原発事故や沖縄の米軍基地問題などをカバーするジャーナリストを「反日」とする人権侵害のヘイトが激しく行われています。表現の自由は大事ですがヘイトや差別、殺意が込められたものは許されません。

秘密保護法脅威

 報道の自由の大きな脅威となる特定秘密保護法が制定されています。同法は原発や米国との関係のような国家的問題について政府の透明性を低めタブーとして覆い隠します。調査報道、公共の利益、情報源の秘匿が犠牲となります。ところが日本政府は同法によって報道の自由が侵害されているとの指摘を無視し続けており重大です。

 今年私たちは韓国で記者会見し、同国の順位が前年度より20ランクアップし43位になったことを紹介しました。メディアが前大統領の不正を追及し、それが市民に支持され前大統領が政権から引きずり降ろされました。

 日本でもジャーナリストや市民自身が声を上げるしかありません。

 

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いま言いたい2018 日本新聞労働組合連合委員長 南彰さん

無力感押し付けに対抗

20181218

 有権者が何かを判断するには、正しい情報を知ることが不可欠です。この国民の知る権利を担保する報道・取材の自由に対して侵害が起きています。

 米CNN記者がトランプ大統領への質問中にマイクを取り上げられ、記者証まで取り上げられました。この記者の復帰を求めるCNNとホワイトハウス記者協会を新聞労連も支持・連帯しています。

取材の自由侵害

 日本でも、官房長官会見の質問時間が制限され、「まったく指摘はあたりません」とまともに答弁せず、事実上の取材制限が行われています。地方でも前西宮市長が「読売」記者に「殺すぞ」とどう喝しました。

 1年以上、森友・加計問題で政府がうそをつき、公文書が改ざんされました。ファクトチェック(真偽検証報道)に取り組んで、2015年の安保法制以来、相当無理な国会答弁が重ねられるようになったと痛感しました。無理が通れば道理が引っ込む状況で、追及するメディアや野党側に無力感を押し付けています。しかし、そこで終わらせず、事実を明らかにして、何が問題か粘り強く提起し続けないといけません。

 臨時国会で自民党は与野党合意のやり方を変えて改憲をすすめようとしましたが、動きませんでした。同時に、自民党が参院選で3分の2の議席を維持すれば「信任を得た」といって突き進むこともみえた国会でした。新聞労連には憲法にいろんな考えがありますが、平和、民主主義、表現・報道の自由を破壊する「改悪」には反対すると確認しています。

メディアに試練

 安倍政権が会見の制限、秘密保護法、共謀罪、放送法をめぐる圧力などで、メディアへの規制を強めていることは、メディアや労働組合はどうあるべきか、国民の共感を得られ、信頼されるのかという試練でもあります。

 新聞労連委員長として、メディアで多様な人材が活躍できる環境にしようと「ネクストジェネレーション」(次世代)をテーマに掲げました。

 財務次官の女性記者に対するセクハラ問題を機に、新聞労連に相談窓口をつくり、ハラスメント禁止の法整備を求めています。女性が中央執行委員の3割を超える制度も導入します。国民の共感を得られるメディアになるために組合も変わっていかないといけないと感じています。

 みなみ・あきら 1979年神奈川県生まれ、2002年朝日新聞記者、18年新聞労連委員長。共著に『ルポ・橋下徹』『権力の「背信」 「森友・加計学園問題」スクープの現場』『安倍政治100のファクトチェック』

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いま言いたい2018 主婦連参与・前会長 山根 香織さん

消費税増税に頼らずに

20181122

 消費税が5%から8%に引き上げられる前年の2013年8月に、消費税増税の是非についての内閣府の有識者会合に招かれて消費税増税反対の意見を表明しました。もともと主婦連は逆進性が強く弱い立場を苦しめる消費税増税にずっと反対してきました。

真摯さに欠ける

 その時の有識者会合では「増税を強行した結果が、国民の生活がさらに苦しくなるだけで、税収が上がらず財政も再建できないということになったら、どう言い訳をするのか」と指摘しました。8%への消費税増税を強行した結果、まさに指摘したとおりになりました。貧富の格差はますますひどくなり、生活保護をはじめ社会保障の削減が進んでいます。そして丁寧な検証や説明もなく、さらに10%に引き上げるといいます。政治に対する真摯(しんし)さに欠けると感じます。

 有識者会合では「財源が足りなければ、まず、不要不急の歳出の削減。それでも増税となれば、富裕層、大企業が応分の負担をする制度としていただきたい」「高所得者を過剰に保護する金融税制を変えて、所得に見合った税を収めてもらいたい」とも要望しました。しかし今回も政府は「消費税は間違いなく上げる」と表明する一方で、金融資産課税の見直しについては「先送り」する方針だと報じられています。格差と貧困がますます拡大すると思います。

 「財源」といえば消費税増税しかないように語られることをすごくおかしく感じています。法人税にはさまざまな優遇策があります。税率も極端に下げてしまったものを元に戻すだけで財源になると思います。

小手先ではなく

 政府は消費税増税を前提に、低所得者対策としてポイント還元や「軽減税率」の区分けだとか、毎日のように検討案を出してきています。しかし「対策」には財源が必要ですし、対策を実施する現場や消費者の混乱も避けられないと思います。増税しておいて、低所得者には戻す、たくさんの景気対策が必要だ、というなら、消費税増税をやめればよいのではないでしょうか。

 そんな小手先の対策をうんぬんするのでいいのか、もっと根本的なところから考えなくていいのかという議論をしました。そして主婦連として11月3日に「消費税率の引き上げ中止を求める声明」を発表しました。そこでも指摘していますが、歳出と歳入の見直しが不可欠です。きちんと国民の声を聞くこと、そして消費税率アップばかりに頼らない税制改革を求めたい。

 やまね・かおり 1957年東京都生まれ。主婦連合会(主婦連・今年で創立70周年)参与。2008年〜15年に会長。法務省法制審議会委員などを務める。

 

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いま言いたい2018 日本ペンクラブ 平和委員会委員長 梓澤和幸さん

改憲打ち破る ペンの力

20181121

 戦争と平和や憲法の問題を考えるとき、私の心の底にあるのは私自身の体験です。父は群馬県桐生で衣類の小売りをしていましたが、1943年、私が生まれて間もなく出征。店は廃業、母は、幼子2人と姑を抱えて、取り置いてあった京呉服を売り食いする生活でした。

家族に戦争の傷

 そのなかで、3歳だった兄の誠一が防火用水の水を飲んで疫痢にかかって死んでしまったのです。中隊本部で電報を聞いた父は卒倒。背後に回っていた兵士に受けとめられたといいます。この話を初めて聞いたのは小学校4年のときでしたが、笑いながら話したのです。古年兵に殴られたことなどと一緒に、軍隊生活への郷愁を思わせる口ぶりでした。

 しかし、1970年代半ば、海水浴の旅の夜、海岸の散歩から宿に帰る途中のかき氷屋で、「誠一を上野動物園に連れて行ったら喜んでなあ」といったきり、ウオーと号泣。慰めを許さない慟哭(どうこく)でした。戦争のもたらした傷と悲しみは、どこの家族にもあったのです。

 憲法改正の国民投票になってテレビCMの口当たりのよい改憲論に世の中が流されかけても、梃子(てこ)でも動かないものがある。それはこうした体験からくるものだと思います。

 同じ体験のない若い世代でも、派遣労働の不安や“保育園落ちた”といった自分の暮らしの生の体験として憲法を感ずることはできる。そういう考え方への道を引き出したい、そのように考え、日本ペンクラブ編「憲法についていま私が考えること」を発刊し12月にもシンポジウムを開きます。

人間的であれば

 作家は、理屈でなく、体験と感性で作品を創ります。例えば石川達三の「生きてゐる兵隊」(1938年)は南京陥落直後の中国に入り戦争の実相を描いた小説です。反戦小説ではないのですが、これを読めば、その人が人間的である限り、戦争はだめだとなる。発禁処分にされたのは、国が文学の力を恐れたからです。

 私が師と仰ぐ加賀乙彦さんは「フィクションでなければ描けない真実がある」と言っています。作家の目と言葉の力で今の現実を子細に描く、それを徹底的にやれば権力を揺るがす大きな力を持つと思います。

 今、憲法に関わる問題を避け、排除する空気が、ことに役所や大手メディアに充満しています。ペンの力でその空気を打ち破っていきたい。

 あずさわ・かずゆき 日本ぺンクラブ理事、弁護士。立憲主義回復・国分寺市民連合共同代表。『報道被害』『改憲 どう考える緊急事態条項・9条自衛隊明記』ほか

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いま言いたい2018 神戸女学院大学名誉教授 内田樹さん

属国の「代官」終わりに

20181110

 沖縄県民の意思は県知事選での玉城デニー氏勝利ではっきりしました。辺野古新基地反対です。それなのに、安倍政権はあくまで基地建設を強行し民意を全否定する。何も変わらないというメッセージです。

民意空洞化させ

 選挙で何度繰り返し民意を示しても政府は動かない。「ゼロ回答」が続くうちに、国民が無力感にとらわれ、「もう『お上』に抵抗するのはやめよう。それより政府に迎合して、少しでも金や利権を引き出そう。その方が現実的だ」という考え方をする人が出てくる。選挙で示された民意を空洞化することを安倍政権はずっとやってきました。モリ・カケ問題から全部そうです。

 支持率がこれだけ低下してもまだ「安倍1強」と言われている理由はもう一つあります。アメリカからの支持です。属国の「代官」として日本の国益を犠牲にしてでもアメリカの国益を優先しているわけですから、アメリカにとって安倍政権ほど都合の良い政権は他に望み難い。基地は提供する。武器は買う。アメリカの企業や投資家が日本の国富を吸い上げる仕組みは整備する。安倍政権が永遠に続いてほしいとアメリカは思っているはずです。

 得票率では自民党は少数派です。小選挙区制というトリックで議席占有率を底上げしている。ですから、野党が共闘すれば、政権交代はできる。算術的には簡単なことです。

政策実現の道を

 沖縄県知事選で野党が共闘すれば勝てるということはわかった。他の選挙でもそれを実現するためには沖縄と同じように具体的で、喫緊の政治課題についての合意が必要です。政権交代したら、どういう政策を、どういう順番に実現していくのか、具体的にどういうふうに社会が変わるのかを有権者に開示することです。

 共産党がこれほど他党との連携でフリーハンドを享受できた時代は結党以来はじめてじゃないですか。中道にどれほどウィングを広げても、誰からも文句を言われない。共産党が率先して他の野党に共闘を呼びかけるなんて…時代は変わったなと思います。だいたい僕のような人間に赤旗記者が取材にくるなんて、昔ならあり得ないことですからね。

 うちだ・たつる 1950年、東京生まれ。専門はフランス現代思想。合気道7段の武道家。『街場の共同体論』『若者よ、マルクスを読もう』『属国民主主義論』など著書、共著多数。

 

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いま言いたい2018 神戸女学院大学名誉教授 内田樹さん

属国の「代官」終わりに

20181110

 沖縄県民の意思は県知事選での玉城デニー氏勝利ではっきりしました。辺野古新基地反対です。それなのに、安倍政権はあくまで基地建設を強行し民意を全否定する。何も変わらないというメッセージです。

民意空洞化させ

 選挙で何度繰り返し民意を示しても政府は動かない。「ゼロ回答」が続くうちに、国民が無力感にとらわれ、「もう『お上』に抵抗するのはやめよう。それより政府に迎合して、少しでも金や利権を引き出そう。その方が現実的だ」という考え方をする人が出てくる。選挙で示された民意を空洞化することを安倍政権はずっとやってきました。モリ・カケ問題から全部そうです。

 支持率がこれだけ低下してもまだ「安倍1強」と言われている理由はもう一つあります。アメリカからの支持です。属国の「代官」として日本の国益を犠牲にしてでもアメリカの国益を優先しているわけですから、アメリカにとって安倍政権ほど都合の良い政権は他に望み難い。基地は提供する。武器は買う。アメリカの企業や投資家が日本の国富を吸い上げる仕組みは整備する。安倍政権が永遠に続いてほしいとアメリカは思っているはずです。

 得票率では自民党は少数派です。小選挙区制というトリックで議席占有率を底上げしている。ですから、野党が共闘すれば、政権交代はできる。算術的には簡単なことです。

政策実現の道を

 沖縄県知事選で野党が共闘すれば勝てるということはわかった。他の選挙でもそれを実現するためには沖縄と同じように具体的で、喫緊の政治課題についての合意が必要です。政権交代したら、どういう政策を、どういう順番に実現していくのか、具体的にどういうふうに社会が変わるのかを有権者に開示することです。

 共産党がこれほど他党との連携でフリーハンドを享受できた時代は結党以来はじめてじゃないですか。中道にどれほどウィングを広げても、誰からも文句を言われない。共産党が率先して他の野党に共闘を呼びかけるなんて…時代は変わったなと思います。だいたい僕のような人間に赤旗記者が取材にくるなんて、昔ならあり得ないことですからね。

 うちだ・たつる 1950年、東京生まれ。専門はフランス現代思想。合気道7段の武道家。『街場の共同体論』『若者よ、マルクスを読もう』『属国民主主義論』など著書、共著多数。

 

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いま言いたい2018 作家・活動家 雨宮処凛さん

人の命 財源で語るな

2018117

 「ロストジェネレーション」(失われた世代)という名前が私たちの世代に付けられたのは11年前です。リーマン・ショックと年越し派遣村からはちょうど10年がたちました。ロスジェネは当時25〜35歳。雇用が破壊され、ネットカフェ難民になる人もいました。

状況は変わらず

 「彼らは未来ある若者だ。結婚、出産の適齢期でもある。彼らの雇用を立て直すのは未来への投資だ」。そういう社会的な合意ができ、政策的な優先順位も高まったはずでした。

 けれども状況は何一つ変わっていません。安倍首相は就職難を改善したといいます。でも30〜40代になったロスジェネの状況はむしろ悪化しています。

 「老後は刑務所に入るしかない」。女性の友人と雑談するとこんな言葉が当たり前のように出てきます。「私たちは絶滅危惧種だ」という人もいます。もう子どもを残せないという意味です。40代に入ったころから女性も男性もがらっとあきらめモードに変わりました。

 30代まではみんな、もがいていたんです。何とか正社員になろう、月収13万円の生活から抜け出そう、と。でも20歳からの「失われた20年」の間、仕事をがんばっても正社員になれない。婚活をがんばっても結婚できない。そうすると人間はあきらめていくんだ、と感じています。世間の関心も薄まっています。このまま忘れられてしまってはいけない。

貧困への視点を

 10年間、貧困が問題になってきました。それなのに消費税増税のときにはなぜか貧困層に目が向けられません。餓死するかもしれない人に増税するのか。

 「財源がないから仕方ない」という呪いの言葉が流通しています。これは命を選別する考え方です。「高齢化で借金が膨らみ、このままでは破綻する。だから生きる価値がある人とない人を分けよう」。そんなメッセージになってしまっています。

 人の命を財源で語るなといいたい。

 だいたい、過去の消費税増税分は大企業優遇の穴埋めに使われてプラスマイナスゼロ。社会保障は充実せず、庶民の負担が重くなっただけです。

 安倍政権は国民の「活躍」をいいながら上位1%の人しか視野に入れません。一番大事なのは底上げです。貧困層へのまなざしを出発点にして税や社会保障や雇用の問題を考えれば、野党が共闘できる一致点は無数にあるはずです。そういう部分から共通政策を積み上げてほしい。

 あまみや・かりん 1975年、北海道生まれ。格差・貧困問題の取材・執筆・運動に携わる。著書は『生きさせろ! 難民化する若者たち』『世代の痛み』『非正規・単身・アラフォー女性』など多数。

 

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いま言いたい2018 落語家 桂文福さん

平和だからこそ笑える

2018116

 安倍政権の1強政治はもう堪忍してほしい。法案をどんどん強行採決し、森友・加計疑惑や財務次官のセクハラではトップの政治家が責任を取らないでうやむやにする。沖縄県知事選挙で玉城デニーさんが圧勝して県民が新基地建設反対の意思を示しているのに、工事を再開する。

野党力合わせて

 今こそ野党にがんばってほしい。力を合わせて安倍政権との対抗軸を国民に示してほしい。

 私は芸人9条の会に加わっています。東京の古今亭菊千代さんに声をかけられました。大阪と東京で交互に公演しています(16日は東京・セシオン杉並)。芸人は舞台で世相を風刺します。私の場合は得意の相撲甚句でやります。

 ♪今の政治はなんじゃいな 森友学園 加計学園 モリやカケとはソバみたい 道理で政治はザルかいな

 ♪安倍政権は強すぎて 国民の生き血を吸うばかり これがほんとの強行採血

9条絶対に守る

 二度と戦争をしたらあかんと、日本は戦後ずっと平和で来たわけです。憲法9条を変えてたがを緩めたら戦争できる国になってしまう。安倍首相は9条に自衛隊を明記するという。このままやったら海外で戦争をするかもわからん。それを阻止するためにも9条は絶対に守らなあきません。

 「日本の窮状すくうにはやっぱり9条まもること」です。

 笑いは平和でこそです。人をおちょくったり、いじめて笑うのは疑問です。難病の子を抱えるお母さんが久しぶりに寄席に来たとします。落語家が病気のことを笑う話をしたら、そのお母さんはギャフンとなるでしょう。笑いは、その場にいるみんなが気持ちを共有できないとあかんのです。

 芸人9条の会の原点も、平和だからこそ笑えるという思いです。戦争になったら自由に笑えません。戦時にふさわしくないと落語の演目の一部が上演禁止にされたり、戦意高揚の演芸をつくらされた歴史を忘れてはいけないと思います。

 かつら・ぶんぶく 1953年和歌山生まれ。上方落語協会理事。大相撲評論家。ふるさと寄席文福一座の座長として全国巡演。

 

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いま言いたい2018 ジャーナリスト 斎藤 貴男さん

消費税の本質 弱者いじめ

2018111

 消費税は弱者をいじめる強盗のような税制です。特に中小零細事業者をつぶします。消費税は小売りだけでなく全ての流通段階でかかります。力関係で弱い中小零細は消費税を価格に転嫁できず、利益を削るはめになります。ただでさえ苦しい中小零細の負担が増し、廃業が続出するでしょう。

利権を生む恐れ

 安倍政権にとって消費税は「打ち出の小づち」であり「魔法の杖(つえ)」です。大企業の法人税減税や軍事費の財源に使えるし、中小零細の「レジ対応の準備が足りない」とか適当な理由を作って延期すれば、選挙前の人気とりもできます。

 10%への増税の際に予定されている「軽減税率」は利権の温床になります。どの商品に制度が適用されるかは曖昧で客観的な線引きは難しい。最終的には政府が決めることになります。今回の「軽減税率」は食料品と新聞が対象です。日本新聞協会は同制度の適用を求めてきました。見返りとして賄賂の代わりに論調を変えさせることがあるでしょう。

 安倍首相は、政府が検討している消費税増税対策を発表しました。キャッシュレス決済で買い物した人への2%分のポイント還元などです。対策だと言いますが弱者対策に全くなっていません。

監視社会に進む

 ポイント還元は、中小零細にカード決済の導入を強いることになります。機械の導入やカード会社への手数料は中小零細にとって大きな負担になります。またマイナンバーを活用してポイント還元する案も出ています。そうなると当局はキャッシュレス決済の購買履歴を全て把握できます。例えば駅で買う新聞や雑誌が把握できるだけで思想信条が分かります。監視社会が一気に進むでしょう。

 自動車税や住宅ローン減税も打ち出しています。しかし、あくまで自動車や住宅業界向けの対策にすぎません。

 そもそも社会保障を充実すると言って消費税増税を決めました。でも実際は年金、医療、生活保護をカットし、年金の支給年齢は引き延ばして、何一つ良いことをしていない。つまり全部うそで国民をだましたわけです。

 消費税の本質を知ってもらうことが大事です。消費税の欠陥はどこまで行っても弱者をいじめることです。その上で消費税増税に反対する仲間をできるだけ大きくすることが必要です。いっこくも早く安倍政権にはお引き取り願うしかありません。

 さいとう・たかお 1958年、東京都生まれ。ジャーナリスト。著書は『消費税のカラクリ』『税が悪魔になるとき』『戦争経済大国』など多数

 

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いま言いたい2018 岡山大学大学院教授 小松泰信さん

国の基壊す政権倒そう

20181021日【1面】

 9月の日米首脳会談の共同声明で、日本政府が日本語訳を捏造(ねつぞう)した疑いがあることを報じた「赤旗」(同6日付)を、私は「地方の眼力」(JAcom.農業協同組合新聞10日付)で紹介しました。新たな日米2国間交渉の開始について、FTA(自由貿易協定)とは「全く異なる」という安倍首相に合わせるためにTAG(物品貿易協定)という言葉を捏造したのです。

森友疑惑まがい

 パーデュー米農務長官は「米国の目標は、原則TPP(環太平洋連携協定)プラスになる」と言っています。食料主権を脅かすTPPを最低ラインにして、日本の農業などに際限のない犠牲を強いる交渉になるので、森友疑惑まがいの文書捏造までして国民をごまかそうとしているのです。「TPP断固反対。ウソをつかない」と選挙で公約しながら、結局、TPPを押し通した自民党は、同じことを繰り返しているのです。

 私は2016年12月末に「隠れ共産党」宣言を発表して以降、日本共産党や農民連に招かれ、北海道、長崎など全国20カ所近くで講演しました。本当に楽しいですね。むちゃくちゃ反応がいい。

農業政策に期待

 私は、農業は「国土防衛産業」だと言っています。国民のための食料をつくるとともに、農作業をしながら国土をメンテナンスし、親から引き継いだ土地をきれいなまま次の世代に渡していく。食料は生活費に直結しているから、生産費がかかっても農産物の価格を上げるわけにはいかない。だから、食料と国土を守る農業に従事する人たちが普通に生活できるようにするためには、価格保障、所得補償は当然です。「農は国の基」で、国民と国土を守るものだから大切にすると堂々と言える国民世論をつくり上げていかなければなりません。

 学生時代には、「軍事費を削減し、社会保障に」という共産党の主張を単純やなと思っていました。しかし、いま、安倍政権が米国からどんどん高額な兵器を購入している姿を見て、その金を回せば、どんなに安心して農業をやれるか、子どもの貧困をどれだけ減らせるか、高齢者が長生きすることを生き地獄だと思わないですむか、とつくづく思います。

 亡国の政権は市民と野党の共闘で倒すしかありません。農業を基幹産業と位置付ける日本共産党には、野党共闘で農業政策を掲げられるようにしてもらいたいと期待しています。

 こまつ・やすのぶ 1953年、長崎県生まれ。1999年から岡山大学大学院教授。著書は『非敗の思想と農ある世界』『農ある世界と地方の眼力』『隠れ共産党宣言』など。

 

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戦前の独立運動家を支援 布施辰治顕彰碑に献花

韓国公共外交大使 宮城・石巻

20181129

 韓国政府の朴尚勲(パク・サンフン)外交部公共外交大使(次官補級)一行は28日、宮城県石巻市にある布施辰治(1880〜1953年)の顕彰碑を訪れ、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟石巻支部のメンバーらと懇談しました。

 人権弁護士の布施辰治は戦前、国内で治安維持法により弾圧された人の救援だけでなく、日本の植民地だった朝鮮半島に4回船で赴き、激しい弾圧を受けた独立運動家や農民運動の支援に奔走しました。その功績で韓国政府から2004年に日本人で初めて「建国勲章」を授与されました。

 布施家の当主の布施東吉氏や辰治のおいの長男の太田卓男氏、同支部の原伸雄事務局長などが出迎える中、朴大使が花を手向けました。「布施弁護士は韓国と深いつながりがあり、この場所に来られうれしく思います。韓国と日本は政治的には少し厳しい状況にありますが、未来に向かっていくためお互いに交流を通じて理解を深めることが重要です」とあいさつしました。

 同支部の三浦一敏会長(日本共産党県議)は「日韓友好の橋渡しをしてきた辰治の業績をこれからも地道に顕彰していきたい」と応じました。

 このあと朴大使は、市内にある日和山に向かい、東日本大震災の被害状況を視察しました。

 

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金曜名作館 徳永直 没後60年

『太陽のない街』「旗を守れ」今こそしっかりと

20181123日【文化】

竹之内宏悠

 1929年6月、徳永直の、たたかう労働者群像を描いた「太陽のない街」を掲載した『戦旗』には、小林多喜二の「蟹工船」も掲載されている。

 「太陽のない街」は、当時の三大労働争議の一つである、70日間にも及ぶ共同印刷争議を描いている。そして、その争議に徳永自身直接的にかかわっていたこともよく知られているところである。

 この小説のなかで共同印刷は、作中で「大同印刷」とされ、争議団に参加する春木高枝と彼女の妹の加代、争議団幹部の萩村、宮地などの登場人物を配し、当時のストライキ闘争を迫力ある筆致で描いている。

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 先の国会で「働き方改革」なる悪法が成立した。今、90年前に書かれた作品の舞台となった東京・文京区の小石川植物園の近辺にどぶ川のような千川や千川橋を見ることはできない。しかし、徳永がたたかいを描いた労働現場と今日を比べても、何も変わっていないのではないかとの錯覚に陥ってしまう。非正規労働者2000万人超と言われ、過労死、サービス残業、メンタル労災、パワハラ、セクハラ、そして数値や報道に現れない残酷な実態としての労働現場が無数にあるからだ。

 作中、生活苦から身売りする者、寝返る者、会社の手先である暴力団による傷害事件、官憲によるでっち上げ事件等は、今日の共謀罪や、過労死さえ合法化する安倍内閣と、治安維持法を成立させた当時の内閣とを重ね見る思いである。

 違いを探すとすれば、敵が見えにくくなっているということではないだろうか。「太陽のない街」の中で主人公ともいえる高枝は、たたかう相手として明確に資本家階級とそのドンをとらえているし、作品の冒頭は、体制批判としての天皇制を意識して始まっている。

 今、私は労働相談活動をしながら直面する労働者の悲鳴を受け止めようとしている。過労死の家族に寄り添い、不当な解雇とたたかう労働者、メンタル(精神)の疾患を患った傷だらけの労働者の代弁者として、資本の無法を告発し、たたかう日々を送っている。

 シングルマザーがわが子のためにダブルワーク、トリプルワークで過労死しても、高校生が授業と生活のための長時間労働でメンタルを患っても、職場を転々とする派遣労働者が過酷な労働で体を壊しても、どこの現場で被災したかを証明することは極めて困難で、労災は認められない場合がほとんどだ。

 「成果主義」「自己責任」そして派遣社員、契約社員という形で、日本全国に「太陽のない街」が広がっているのに敵が見えにくくなっている。いや、見えないように仕組まれているのだ。

 作品で描いているのはたたかいだけではない。加代と宮地の、たたかいの中で悲恋、高枝と萩村のひたむきな愛は、今日の青年たちにどう受け止められるのだろうか。

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 しかし、私たちは90年前とは比較にならない労働組合組織と政治状況を得ている。当時さえ、全国から「太陽のない街」へ米、みそ、しょうゆを送る組織があり、その奮闘と不足する支援物資を通じて団結に向かう姿が描かれている。

 文学はそのたたかいを鼓舞激励する任を持つべきだ。それぞれが、それぞれの立場で「太陽のない街」からの脱出をめざし、たたかう相手の存在を明確にした、たたかう組織の早急な成長が求められているのではないだろうか。

 作品のラスト、官憲のでっち上げ事件により中心幹部が逮捕され、争議の敗北が決定的となる集会の中で、青年たちが突然「旗を守れ」と叫びながら団旗をもって会場から走り出るシーンが描かれている。そうだ、今日を生きる私たちは、この旗をしっかりと受け継ぎ、守り発展させなければならないのだ。

 徳永直(とくなが・すなお) 作家。1899年熊本県飽託郡花園村(現熊本市)生まれ。1929年日本プロレタリア作家同盟に参加。46年日本共産党に入党。58年死去。『はたらく一家』『妻よねむれ』ほか

 たけのうち・こうゆう 石油関連企業在職中に8年間の労働争議をたたかう。現在は神奈川県の労働組合で労働相談を中心に活動。日本民主主義文学会員。『ブラック化する職場 コミュニティユニオンの日々』

 

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改憲阻止 署名に全力

治安維持法国賠同盟 女性が交流

20181114

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は11、12の両日、静岡県熱海市内で第29回全国女性交流集会を開き、34道府県から94人が参加しました。

 増本一彦会長は、現在の情勢で最も重要な課題は、安倍政権による憲法改悪を阻止することだと強調。国賠署名と結んで改憲発議阻止の3000万人署名運動に全力を挙げようと訴え、運動前進へ会員を2万人に増やし「自力ある同盟」にしようと呼びかけました。

 田中幹夫事務局長が当面する方針を、大石喜美恵女性部長が女性部の活動について報告。常任理事の岩下美佐子さんが、「治安維持法犠牲者から受け継ぐ私たちの『#Me Too』」と題して記念講演しました。

 NHK・Eテレで紹介された長野県二・四教員弾圧事件の立沢千尋さんの三女、三浦みをさんが父の思い出を語り、再びあのような時代にならないことを願うと述べ「お父さん、あなたの娘でよかったよ」と結ぶと大きな拍手がおくられました。沖縄の兼村芙美さんと高知の西森良子さんが、沖縄知事選のたたかいや高知での日本母親大会の成功などの取り組みを報告しました。

 2日目は、四つの分科会で討論。女性部を確立し、映画会や治安維持法犠牲者の顕彰、母親大会や女性団体との共同行動などが報告されました。

 

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「日本共産党常任活動家の墓」第33回合葬追悼式

市田副委員長のあいさつ

20181014日【政治総合】

 13日に開かれた「日本共産党常任活動家の墓」第33回合葬追悼式で、市田忠義副委員長が行ったあいさつ(要旨)は次の通りです。

 合葬追悼式は、今回で33回を迎えました。遠方の北海道や沖縄をはじめ、全国から71遺族、137人の方々にご参加いただきました。ありがとうございます。

 この地に全国の常任活動家や議員の共同の墓地を建てたのは、32年前の1986年のことでした。墓石には、当時の宮本顕治委員長の揮毫(きごう)により『不屈の戦士ここに眠る』と刻まれています。小林多喜二や野呂栄太郎などの戦前の諸先輩をはじめ、多くの常任活動家、議員のみなさんが合葬されています。今回新たに合葬された方々は、先ほどお名前を紹介した180人の方で、合わせて4238人が合葬されることになります。

 そのかけがえのない人生に思いをはせ、この共同墓地の前に立つとき、私は深い敬意と感謝の気持ちでいっぱいになります。

 昨年もこの場でごあいさつさせていただきましたが、その後も日本と世界の情勢は大きく変化しました。変革への胎動をはらんだ大激動のもとで合葬追悼式を迎えています。

 沖縄県知事選挙での勝利は、沖縄の基地闘争の新たな展望を切り開きました。安倍政権への厳しい痛撃となって、政権の土台をゆさぶりつつあり、安倍政権の終わりの始まりのたたかいとなりました。

 この勝利は、全国の市民と野党の共闘にとっても、大きな希望を与えています。大義を掲げ、そのもとに立場の違いをこえて互いにリスペクトしあって結束し、不屈にたたかい続けるならば、どんな強圧もはねかえすことができる。このことを、「オール沖縄」のたたかいは教えています。

 安倍政権が強行しようとしている憲法9条改定、消費税10%への増税、暮らしと福祉の切り捨て、原発再稼働などは、どれをとっても国民の多数が反対している問題です。それらを押し切って強権をふるえば、安倍政治がいよいよ深刻な破たんに追い込まれることは避けられません。国民運動で安倍政権を包囲し、選挙戦に勝利して、国民の力で引導を渡し、戦後最悪の内閣を一刻も早く終わらせようではありませんか。

 6月の米朝首脳会談では、新しい米朝関係の確立、朝鮮半島の永続的な平和と完全な非核化が合意されました。9月には3回目の南北首脳会談が開かれ、いま米朝間では2度目の米朝首脳会談の準備のための動きが進められています。何よりも大事なことは、対立から対話への大転換が起こったことです。これによって北朝鮮、韓国、日本、そして全世界の人々が核戦争の脅威から抜け出す扉が開かれたことです。そして、安倍政権が「北朝鮮の脅威」を最大の口実にすすめてきた「戦争する国づくり」の企て、すなわち安保法制=戦争法も、辺野古新基地建設も、大軍拡も、そして憲法9条改定も、そのすべての根拠が崩壊しつつあるということです。

 このことに確信をもって、安倍政権がたくらむ9条改憲を何としても打ち破っていこうではありませんか。

 さて、来年の統一地方選まであと5カ月、参院選まであと8カ月となりました。安倍自公政権とその補完勢力を少数に追い込む、そのために市民と野党の「本気の共闘」の成功と、日本共産党自身の躍進に全力をつくす決意です。

 きょう、あすの2日間、第5回中央委員会総会を開催しています。5中総では、第4次安倍政権に対する基本姿勢、当面するたたかいの課題と日本共産党の立場を明らかにするとともに、来年の統一地方選挙と参議院選挙で連続勝利をかちとる方針を意思統一します。

 今年は党創立96周年の年です。わが党の今日のたたかいの到達は、今回、合葬された方々をはじめ、幾多の先人たちの、血のにじむような不屈の献身的な奮闘の積み重ねのうえに成り立っています。こうした不屈のたたかいを受け継ぎ、何としても前進・躍進のなかで党創立100周年を迎えることこそ、ご遺志に応える道だと確信します。

 最後に、合葬された故人と労苦をともにしつつ、励まし支えあってこられたご家族のみなさんの長年にわたるはかり知れないご苦労に、改めて感謝とお礼を申し上げます。どうか悲しみを乗り越え、お元気で過ごされることを心から願って、党中央委員会を代表してのごあいさつといたします。

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金曜名作館 川柳作家 鶴彬 没後80年

度殺させてはならぬ

2018914

高鶴 礼子

 1冊の川柳誌が、今、私の目の前にある。表紙に「井上信子主宰『川柳人』1937年11月号」とあるA5判32ページの小誌。十数年間、必死に探し続けて、やっと見つけ出したものだ。日中戦争が始まった年に生まれたその柳誌が、2018年の日本にいる私に懸命に問いかけてくるものを、私は息を凝らして、じっと見つめている。その日からもう、80年がたつのだ。

 80年前の今日9月14日、一人の男が、この世を去った。自分に誠実であろうとすることが、人ひとりの命を危うくする―、そんな局面が常態化し始めていた時代に、それでも自分を貫くことを辞さなかったその男は、その誠実さゆえに命を落とすこととなった。彼の名は鶴彬(つるあきら)という。

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 鶴彬(本名‥喜多(きた)一二(かつじ))は、明治末期から日中戦争にかけての時代を、壮絶な17音字と数々の評論を残して駆け抜けた川柳作家である。川柳を書くことを「吐く」というが、わずか29年で絶たれた彼の生涯は、まさに理不尽に対する異議申し立てという吐瀉(としゃ)の連続であり、格闘であった。その最期が治安維持法違反による死であったことから見ても、その生き様の真摯(しんし)さ、壮絶さはしのばれよう。左にご紹介するのは、そんな鶴が残した川柳である。全身を賭して刻まれた言葉たちを通して、彼がどのような感性を持ち、どのようなことを思い、考え、生きた人間であるかを感じ取っていただけたならうれしい。

 銃口に立つ大衆の中の父

 去勢してさあ革命を言ひたまへ

 これしきの金に/主義!/一つ売り 二つ売り

 吸ひに行く――姉を殺した綿くずを

 鶴彬は1909年、石川県に生まれた。進学を望むも家庭の事情によりかなわず、高等小学校卒業後は6歳の時に養子縁組をした伯父の家業を手伝う。川柳と出会ったのもこのころであったと言われる。

 真っ向勝負の句を書き、先人達相手に堂々の論陣を張り続けていた鶴に画期が訪れるのは1926年、彼が17の時である。職を求めて出た大阪で、鶴はお金がないことのつらさ、ひもじさ、肉体労働の過酷さを嫌というほど味わうこととなった。表現者として引くに引けない二者択一を前にした時、「胃袋で直観した」と鶴に言わしめたこの時の体験が、その後の彼の川柳と生き方の方向性を決したと言っても過言ではない。

 ∫

 郷里に戻った鶴は1928年、高松プロレタリア川柳研究会を結成。そのために特高警察に特定され、執拗(しつよう)な追尾にさらされる。身を隠そうと、上京した彼を『川柳人』主宰・井上剣花坊(けんかぼう)が「よし!」のひとことで匿っ(かくま)たのは同年9月。以来、徴集による入営、軍法会議、服役といった中断を挟みつつも、鶴は『川柳人』を拠点に句や論を書き続け、剣花坊亡き後は夫人・井上信子の柳誌『蒼空(あおぞら)』『川柳人』の編集に心を尽くす。

 1937年10月、木材新聞社に待望の職を得てホッとするも、同年12月、出社した鶴を待っていたのは特高であった。冒頭に掲げた『川柳人』の、まさにこの号が治安維持法違反に問われたのである。同誌は発禁となり、強制廃刊へ。鶴は実質的編集担当者として都内の野方署に留置され、拘留中に罹患(りかん)した赤痢のため、翌38年の今日、絶命する。未決拘留中であったがために治療費を求められるという理不尽さまで負わされての死であった。

 高粱の実りへ戦車と靴の鋲

 屍のゐないニユース映画で勇ましい

 出征の門標があつてがらんどうの小店

 萬歳とあげて行つた手を大陸において来た

 手と足をもいだ丸太にしてかへし

 胎内の動き知るころ骨がつき

 国家を挙げての狂騒の中、自分を裏切るまいとした鶴は、それがために殺された。鶴彬を二度ころさないために―。鶴のこの川柳絶筆を前に、私が希(ねが)うのは、ただそれだけである。

 一念をただ踏んでゆけ 死んでゆけ  礼子

 たかつる・れいこ 1955年生まれ。川柳誌ノエマ・ノエシス主宰。日本ペンクラブ会員。全日本川柳協会常任幹事。著書に句集『向日葵』『ちちちる野辺の』、詩集『鳴けない小鳥のためのカンタータ』『曙光』ほか

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テレビ時評 元NHKディレクター戸崎賢二

兵士の死に迫る「八月番組」

201891

 「戦争」とは何だろうか。その認識をめぐっては、直接経験していない世代と体験者との間には、当然のことながら超えられない断絶がある。

 しかし後の世代は、残された記録や証言によって戦争の残酷な実相に想像力を届かせなければならない。

 毎年8月に集中して放送される戦争関連番組は、戦争の不条理に迫ろうとする戦後世代の懸命な努力の表現である。とくにNHKには力作が多かった。

 NHKスペシャルでは、ノモンハン事件の全貌に迫る、「ノモンハン〜責任なき戦い〜」(15日)や、船員や漁師6万人の犠牲を明らかにした「船乗りたちの戦争〜海に消えた6万人の命〜」(13日)が強い印象を残した。

 ETV特集では、「奪われた自由〜治安維持法10万人の記録〜」(18日)「隠されたトラウマ〜精神障害兵士8000人の記録〜」(25日)が、現代へのメッセージを含む重要なドキュメントとなっていた。

 □  ■ 

祖父戦死の地

 このほか何本もの秀作のなかで、最も心を打った番組は、NHKスペシャル「祖父が見た戦場〜ルソン島の戦い 20万人の最期〜」(11日)だった。

 NHKの小野文惠アナウンサーが、戦死した祖父の最期の地を、母と2人で探索するドキュメントである。

 彼女の祖父は34歳でフィリピンのルソン島で戦死したが、遺骨も戻らず、最期の状況も分からないという。

 ルソン島での日本軍兵士の死者は20万人とされる。その多くは病死・餓死であった。

 山中を敗走する兵士たちの悲惨な状況を母娘は確認するように旅し、祖父最期の地と推定される場所に到達する。平和なフィリピンの山野にたたずむ母娘のすがたは哀切きわまりない。

 番組は祖父の病死を示唆している。ある戦闘で何万人が戦死した、といった公式的な歴史だけでは戦争の本質は伝わらない。ひとりひとりの兵士がどのように死んだのか、今を生きる人間の日常感覚で想像しなければ戦争に迫れない。この番組はそうした努力の達成とみることができる。

 □  ■ 

加害への視点

 死んだ兵士たちは確かに軍の作戦の被害者だった。しかしフィリピン民衆にとっては加害者でもあった。

 番組はこの視点を忘れていない。小野アナウンサーは、日本軍が多数のフィリピン女性を連行してレイプした事件の被害者にインタビューを試みる。

 日本軍がマニラ住民を集めてガソリンをかけて焼き殺した場所のシーンもある。小野アナウンサーは「残酷なことに駆り立てられた人が、結局のところ私たちの誰かのおじいさんだったわけですもんね」とつぶやく。

 著名なアナウンサーであるかどうかは後景に退き、「兵士の孫」の世代の素直な感覚が立ち現れたシーンである。

 番組の終わり際で彼女は、「私は戦争のことを何もわかっていなかった。戦争のことをもっともっと知り続けることをしたい」と結ぶ。

 この感覚を若い放送人に共有してほしいと願わずにはいられない。

 (とざき・けんじ)

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本と話題 直木賞 人気作家ひしめく

島本さん “3年間 悪夢見続けた”

2018826日【読書】

 2001年に17歳で作家デビューした島本理生(りお)さんが『ファーストラヴ』(文芸春秋)で第159回直木賞を受賞しました。同作品は親族殺人を描くミステリー。臨床心理士の主人公が事件を題材としたノンフィクションを依頼され、人間心理の暗部に迫ります。

 選考委員の北方謙三さんは島本さんの受賞作について選評で「抑制が利いて、行間が豊かだと感じた」「闇を、ゆっくりとまさぐり、かき分け、気づくと、人の心の奥底に眠る、真実というものに手が届くかもしれない、という快感がある」(『オール読物』9月号)と書いています。

 島本さんは、芥川賞で4回、直木賞で2回(今回含む)も候補となった実力派。受賞会見で「ほっとしました」と語り、前回落選から3年間悪夢を見続けたという島本さんの苦悩は想像を絶します。新たに悪夢を見ている作家を思うと、作家をこれほど苦しめる直木賞とは何なのでしょうか。

 今回、島本さんの小説を含めて上田早夕里さんの『破滅の王』(双葉社)、木下昌輝さんの『宇喜多の楽土』(文芸春秋)、窪美澄さんの『じっと手を見る』(幻冬舎)、本城雅人さんの『傍流の記者』(新潮社)、湊かなえさんの『未来』(双葉社)の6作品が候補でした。湊さんは山本周五郎賞、本屋大賞を、上田さんは日本SF大賞、センス・オブ・ジェンダー賞を、窪さんは山本賞と山田風太郎賞などを、本城さんは吉川英治文学新人賞を、木下昌輝さんはオール読物新人賞と舟橋聖一文学賞などを受賞。押しも押されもせぬ人気作家ばかりです。

 プロレタリア文学作家の小林多喜二が虐殺された後に創設された直木賞は当初、「無名もしくは新進作家の大衆文芸中最も優秀なるものに呈す」(『文芸春秋』1935年1月号)と規定していましたが、第1回受賞者は川口松太郎。すでに「有名な作家」(小島政二郎の選評)でした。

 直木賞の対象となる大衆文学(文芸)の範囲も揺れています。安藤宏著『日本近代小説史』(中央公論新社)によれば、大衆文学は講談、時代もの、探偵小説、家庭を題材にした通俗小説に起源があり、その背景には大衆消費社会の出現があったといいます。大衆消費社会が拡大の一途をたどり、読者層も広がり、読まれ方も多彩になる中で今日的には芥川賞か直木賞かの分類もあいまいです。

 筒井康隆さんが『大いなる助走』(文芸春秋)で直木賞を連想させる賞を痛烈に風刺したのは39年前。選考側の不祥事でノーベル文学賞受賞作の発表が見送られるハプニングもあった今年、読者自身もこれぞという言葉の芸術作品を探しだし、その小説の「選評」を書いてみるのも読書の楽しみの一つかもしれません。

 (松田繁郎)

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きょうの潮流

2018823

 100回記念の大会となった夏の高校野球で旋風を巻き起こした秋田・金足農(かなあしのう)。県立の農業高校の活躍は地元だけでなく、全国の球児たちを励ましました▼プレーはもちろん、体を反りながら笑顔で歌う“全力校歌”も有名になりました。〽可美(うま)しき郷(さと) 我が金足―から始まる校歌は昭和の初めに制定。「故郷」や「春の小川」などの唱歌で有名な岡野貞一氏が作曲し、国文学者の近藤忠義氏が作詞したものです▼厳しい自然のなかで営む農への愛や敬い。「やがて来(こ)む文化の黎明(あさけ) この道にわれら拓(ひら)かむ」と歌い上げる校歌には、戦前の暗い時勢に新しい時代を開く若者たちへの激励や期待が込められています▼日体大の校歌も作詞した近藤氏はこの頃、東京音楽学校(現東京芸大)の講師でしたが、思想問題で解任。その後、法政大の教授を務めましたが、治安維持法で検挙され、敗戦の時を獄中でむかえました▼戦後まもなく日本共産党に入党。国文学界の重鎮として、戦前は日本文学研究に新しい学風を開き、戦後は日本文学協会の創設に参加するなど民主的で科学的な文学研究の確立に尽くしたと評されました▼半世紀におよぶ教師生活のなかで学生からも「近忠(こんちゅう)」さんと慕われました。痛恨の思い出は、あの戦争中に次々と召集され、死んでいった教え子たちを食い止められなかったこと。それをくり返してはならないと生前、本紙で語っていました。野球を通して自由と平和を体現する若者たちが歌う姿を、どんなに喜んでいることか。

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憲法と子ども 輝く社会に

長野 教育のつどい始まる

2018818

 教職員と保護者、研究者、市民らが子どもと教育について語り合う「みんなで21世紀の未来をひらく教育のつどい―教育研究全国集会2018」が17日、長野市内で始まりました。「憲法と子どもの権利条約がいきて輝く教育と社会を確立しよう」がテーマで、開会全体集会には、1200人が参加。主催は、全日本教職員組合(全教)など24団体でつくる実行委員会です。(関連15面)

 実行委員会の中村尚史代表委員(全教委員長)は「子どもの成長発達を保障する本来の教育へ、父母・保護者、教職員、市民の共同で変えていける」と訴えました。現地実行委員会の原貞次郎委員長(信州の教育と自治研究所所長)は長野の民主教育の歴史に触れ、「日本の民主教育を守り貫こう」と語りました。実行委員会の宮下直樹事務局長は「人生に疲れた」とつづる小学校6年生、中学生の7割が「自分のことをダメな人間と思う」と答えるなどの実態を紹介。「子どものありのままから語り合おう」と討論のよびかけを行いました。

 ジャーナリストの青木理さんが「『憲法改正』が教育をこわす!」と題して記念講演。教育勅語を正当化し、暗唱させるような人たちが安倍政権下で“道の真ん中”、中枢にかかわっていると指摘し、「このような安倍政権に改憲発議をさせる状況を許すべきではない」と訴えました。

 現地企画として長野県の高校生と教職員が、子どもに寄り添う教育を行っていた教師などが治安維持法で弾圧されて以降、多くの「満蒙開拓青少年義勇軍」を送りだした県内教育の歴史やその反省から出発した戦後の県内の民主・平和教育、各学校の「平和宣言」などをスライド・朗読劇で発表しました。

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終戦の日 平和求め行動 「戦争する国」許さぬ

東京 治維法国賠同盟が宣伝 山添議員ら参加

2018817

 治安維持法国賠同盟は15日、東京・池袋駅西口で、終戦記念日宣伝を行い、独自ビラ「核のない世界平和の社会を前へ」を配布しました。

 治安維持法国賠同盟は毎年、終戦記念日の8月15日に全国一斉宣伝を行っています。

 宣伝には、同中央本部の増本一彦会長、同都本部の吉田万三会長、日本共産党の小林ひろみ豊島区議、島田拓練馬区議らをはじめ、同盟員ら21人が参加しました。

 吉田氏は、戦争を反省し、再び戦争を起こさないとの決意が憲法に明記されたと強調。「安倍政権が『戦争する国』への暴走する今、今日を戦争と平和について考える日にしよう」と呼びかけました。

 宣伝には、山添拓参院議員も参加。山添氏は、安倍政権の「戦争する国」を許さず、来年の統一地方選、参院選を、市民と野党の共同で勝利し、立憲主義に基づく政府を実現するために全力を挙げると訴えました。

 増本会長は、「終戦記念日は、戦争が終わっただけでなく、侵略戦争を悔い改め、再び戦争をしないと決意した日です」と訴えました。

 通行人が、「私の親戚も戦争で亡くなりました、戦争は絶対ダメ」と話し、3000万人署名に応じました。

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あす終戦記念日 侵略戦争の歴史をみつめる 戦前と戦後の区別こそ

2018814

 1945年8月15日、アジアへの侵略戦争で絶望的な戦闘を行っていた日本は連合国に降伏しました。今年の「8・15」は、安倍政権が「明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要なことです」と「明治150年」キャンペーンを展開する中で迎えました。しかし、明治維新以来の戦前の歴史は度重なる侵略戦争と植民地支配の歴史であり、その行き着いた先が日本の敗戦でした。絶えざる戦争の時代であった戦前と国民の努力で平和を維持してきた戦後を区別せずにとらえるのは危険な歴史観といわざるを得ません。二つの時代を改めて振り返ります。

朝鮮支配狙い軍事行動

日清・日露戦争経て併合

 明治政府の内部では成立(1868年)後まもなくから朝鮮に対して軍事行動を起こそうとする「征韓論」が強まりました。日本は台湾出兵(74年)に続いて、75年、朝鮮近海で挑発行為を行って朝鮮側と軍事衝突(江華島事件)を引き起こし、不平等条約(「日朝修好条規」)を押し付け、朝鮮に進出しました。

 日本は94年、朝鮮で起こった農民の反乱(甲午農民戦争)を口実に、朝鮮政府の要請もないまま、大軍を朝鮮に派兵、朝鮮の宗主国である清国に戦争を仕掛けました(日清戦争)。日本は朝鮮各地で食料や物資・人馬を強制的に徴収し戦争を進め、下関条約(95年)で、朝鮮での清の支配権を排除し、中国の遼東半島・台湾・澎湖列島と巨額の賠償金を手に入れました(ロシア・フランス・ドイツ3国の圧力で遼東半島は返還)。

 清国が敗北したことで、列強の中国侵略は本格化しました。1900年、これに反発した民衆蜂起(義和団事件)が起きると、日本を含む8カ国は連合軍を組織してこれを鎮圧、日本軍はその後も北京に近い天津に駐屯を続けました。

 朝鮮と中国東北部の支配をめぐりロシアと対立する日本は日英同盟(02年)でイギリスと手を結んだ上で、04年、遼東半島のロシア租借地にある旅順港を奇襲攻撃し、日露戦争が始まりました。日本はポーツマス条約(05年)でロシアに対し、韓国への優越権を認めさせるとともに、旅順、大連など中国からの租借地と「南満州」での鉄道利権を手に入れました。

 そして、日本は3次にわたる日韓協約で韓国の外交権を奪い、司法・警察権を掌握した上で、1910年、「韓国併合条約」を押し付けました。これによって、日本は朝鮮半島の植民地化を完成させました。

中国が次の領土目標

「二十一カ条要求」から全面侵略へ

 日本が韓国の次に領土拡張の目標に定めたのは中国でした。

 日本は第1次世界大戦(1914〜18年)が起こると、日英同盟を大義名分にドイツに宣戦布告し、ドイツから中国山東省の青島などを奪いました。

 さらに、欧米列強がアジアのことを顧みる余裕がないのをとらえて、中国政府に「対華二十一カ条の要求」を行い、南満州と東部内蒙古や山東省を日本の支配権に引き渡すことや政府の各部門に日本人顧問を配置することを求め、中国に大半を認めさせました。

 中国革命の進展によって権益が脅かされると感じた日本は27年、居留民保護を名目に山東半島に出兵。同年の「東方会議」で、「満蒙」を中国本土から切り離して日本が支配する「満蒙分離」方針を決定しました。

 この計画の具体化が「満州事変」でした。遼東半島に駐屯していた日本軍(関東軍)は31年、南満州鉄道の線路を爆破して中国軍の仕業だと偽って出動(柳条湖事件)し、32年に、かいらい国家「満州国」を「建国」しました。

 さらに、現地の日本軍は謀略によって華北や内モンゴルにたびたび出撃し、日本の影響力の強い「自治政府」をつくりました(華北分離工作)。この動きに中国軍が抵抗し、軍事的に緊張する中、37年、北京近郊で夜間訓練を行っていた日本軍が中国軍と衝突(盧溝橋事件)したことを口実に、日本は中国への全面戦争に踏み出しました。

 日本は中国を一撃で屈服させる方針でしたが、中国側は国民党政府と中国共産党が統一戦線を組んで抗日戦争を行う「国共合作」の方針をとり、日本の侵略に頑強に抵抗しました。日本軍は南京事件をはじめ各地で略奪、捕虜や住民の虐殺、女性への暴行をはたらきました。

撤兵拒み 英米と対決

アジア・太平洋戦争へ突入

 日中戦争の拡大は、諸外国の中国権益を侵害し現状秩序の変更をせまるものとして、欧米諸国との対立を深めました。

 日本は「泥沼化」ともいわれた戦争の行き詰まりを打開するために、40年、日独伊三国同盟を結び、日本が欧州でのドイツ、イタリアの支配権を認める一方、ドイツ、イタリアが「大東亜」における日本の支配権を認めることで合意しました。同時に、中国への援助ルートを遮断することを名目に北部フランス領インドシナに武力進駐しました。ドイツ陣営に加わっての日本の南進路線に、アメリカ、イギリスは激しく反発しました。

 日本軍はさらに41年、南部フランス領インドシナに進駐しました。これに対してアメリカは対日石油輸出禁止、中国からの撤兵を要求しました。日本は11月5日、昭和天皇を加えた「御前会議」で、対日経済封鎖の解除が実現しなければ12月初旬に開戦することを決定。同月26日、米側はアジアを「満州事変」以前の状態に戻すことを日本に新提案(ハル・ノート)しますが、同日、日本海軍はハワイ奇襲のため千島から出航、12月1日の「御前会議」で対英米蘭開戦を最終的に決定しました。8日、日本軍はハワイ・真珠湾、マレー半島を奇襲攻撃し、中国侵略戦争はアジア・太平洋全域に拡大しました(アジア・太平洋戦争)。

 日本軍は東南アジアの主要部を占領しましたが、42年6月のミッドウェー海戦での敗退で戦局は転換し、日本軍の敗北が続き、広島、長崎への原爆投下、ソ連の対日参戦を経て、8月14日、日本は連合国のポツダム宣言の受諾を決定、15日に国民に敗戦を知らせました。

 日本が始めた戦争で、37年の日中全面戦争以後だけでも2000万人以上のアジア諸国民と300万人を超える日本国民の命が奪われました。これが明治以降の領土拡張を目的に行った侵略戦争の帰結でした。

戦争放棄 平和憲法に

国民の運動、改憲策動と対決

 1947年5月、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」し、交戦権否認と戦力不保持を定めた日本国憲法が施行されました。この憲法のもとで、日本は戦後73年、一度も戦争を起こすことなく、1人の戦死者も出さずにきました。これは戦前の相次ぐ戦争の歴史と著しい対照をなしています。

 日本の戦争遂行勢力に対する責任追及は、極東国際軍事裁判(東京裁判)などがあったものの、日本を「反共の防波堤」にするとのアメリカの方針の下で不徹底に終わりました。こうした勢力と安倍晋三首相らその後継者(「靖国」派)は日本の戦争を美化し、日本国憲法を敵視し、改憲に執念を燃やしてきました。

 一方、マッカーサー元帥は朝鮮戦争(50〜53年休戦)を機に、日本政府に警察予備隊(54年に自衛隊に発展)の創設を指示。サンフランシスコ講和条約と旧日米安保条約(51年)によって沖縄や日本本土の基地を存続させ、アメリカとの軍事協力、自衛隊の海外派兵を要求してきました。歴代自民党政権はこうしたアメリカの要求に応じてきました。

 さらに安倍政権は北朝鮮「脅威」を口実に、集団的自衛権が行使できないとする従来の政府解釈を「閣議決定」で変更し、2015年に安保法制=戦争法を強行。9条に自衛隊を明記する改憲を企てています。

 こうした度重なる日米支配層による9条破壊の策動を阻んできたのは国民の世論と運動です。

 安保改定(60年)反対闘争では、20万人が国会を包囲。日本を基地としたアメリカのベトナム侵略戦争に反対する運動は大きく盛り上がりました。戦争法に反対する運動は10万人が「日本を再び戦争する国にするな」と国会正門前に集い、抗議行動が全国に拡大しました。

 04年に呼びかけられた「9条の会」は党派を超えて全国に広がり、安倍9条改憲に反対する「3000万人署名」は1350万人を突破(4月30日時点)。自民党が改憲を目指す9条など4項目全てで「反対」や「不要」が多数を占めています(共同通信の4月調査)。

 いま歴史的な南北首脳会談、米朝首脳会談を受け、朝鮮半島では平和の激動が起きています。北朝鮮「脅威」を口実にした安倍政権の「戦争する国づくり」の企ては根拠を失いつつあります。

 市民と野党の共同で安倍改憲を阻止し、9条を持つ政府にふさわしく、北東アジアの平和構築を後押しする外交的イニシアチブを発揮させる時です。

共産党、一貫して戦争反対

 日本共産党は、1922年に創立した当初から「あらゆる干渉企図の中止」「朝鮮、中国、台湾、樺太からの軍隊の完全撤退」(綱領草案)を掲げてたたかいました。

 さらに「満州事変」開始の2カ月以上も前から、日本が「満州」で侵略戦争を準備していることを「赤旗」紙上で具体的に示し、これとの闘争を呼びかけました。戦争が開始された翌日の9月19日には声明を発表し、「奉天ならびに一切の占領地から、即時軍隊を撤退せよ!」「一人の兵士も戦線におくるな!」「帝国主義戦争のあらたなる危険にたいして闘争せよ!」と呼びかけました。

 これに対し、天皇制政府は治安維持法を制定(25年)して日本共産党に激しい弾圧を加えました。日本の侵略戦争は国内の弾圧と一体となって進められたのでした。

 激しい弾圧のため日本共産党は35年には統一的な活動が困難となり、「赤旗」も停刊を余儀なくされました。しかし、宮本顕治氏ら獄中の党員は最後まで反戦の党の旗を守ってたたかい続けました。

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主張 日本共産党96年

不屈の歩みの到達点にたって

2018715

 日本共産党はきょう、1922年7月15日の創立から96周年を迎えました。ひとつの政党が同じ名前で1世紀近く活動していることは日本では例がなく、世界をみてもまれです。96年の歩みには、国民の利益擁護、日本社会の進歩、平和と民主主義の立場を貫き、たたかい抜いた歴史が刻まれています。日本も世界も大激動の時代のいま、未来に向けた確かな羅針盤となる綱領を持つ政党として注目も集めています。新たな期待と責任を自覚し、多くの国民と手を携え、歴史をつくり未来をひらくため、力を尽くす決意です。

どんな強大な権力にも

 日本共産党が創立された20世紀前半の日本は、天皇が絶対的な主権者として内政、外交の全体にわたり強大な権限を持つ専制政治の時代でした。誕生したばかりの党は非合法下での迫害や投獄に屈することなく、国民主権、反戦平和、人間解放などの旗を果敢に掲げ続けました。それは文字通り命を懸けたたたかいで、多くの先輩たちが弾圧で命を奪われました。

 戦前の党のたたかいが歴史の大義にたつ先駆的なものだったことは、戦後、主権在民や戦争放棄の原則が記された日本国憲法制定に結実したことからも明らかです。「最後の海軍大将」と言われた井上成美は戦後、「いまでも悔やまれるのは、共産党を治安維持法で押さえつけたことだ。いまのように自由にしておくべきではなかったか。そうすれば戦争が起きなかった…」と述べました。この言葉にも戦前の党のたたかいが、国民にとってかけがえのない財産になっていることが示されています。

 戦後も、当時のソ連や中国が全く誤った方針を日本共産党に押し付けるなど乱暴極まる干渉が行われましたが、それを堂々と打ち破り、誤りを認めさせました。1980年からは日本共産党を日本の政界から締め出すため、支配勢力ぐるみの「共産党を除く」体制という「壁」がつくられました。これに対し、全党が結束し粘り強くたたかい続けた結果、新しい市民運動の発展とも重なりあって、その「壁」は取り払われました。

 どんなに強力で巨大な権力に対しても、どんな困難な情勢でも、正面から立ち向かい、不屈にたたかい抜いて時代を開いてきたのが日本共産党です。西日本を中心とした甚大な豪雨被害で被災者に寄り添い救援・支援に尽力しているのは、“国民の苦難あるところ共産党あり”の立党の精神そのものの活動です。創立以来多くの先輩が築き上げた到達点の上に、新たな歴史をつくる取り組みを進めることが、いよいよ重要です。

ともに未来をひらこう

 安倍晋三政権の国政私物化・強権政治に対抗する市民と野党の共闘の発展、南北朝鮮会談や米朝首脳会談の実現など内外情勢は大激動の最中です。行き詰まった自民党政治を根本から改革する道はなにか。社会を変える力はどこにあるのか。21世紀の世界をどうとらえ、どんな外交が必要か。資本主義を乗り越えた未来社会とは―変革の展望と理想を掲げた日本共産党の綱領は、情勢の進展と響き合って、生命力を発揮しています。

 希望の未来をともに開きましょう。そのために一人でも多くの方に党に加わっていただくとともに、「赤旗」をご購読いただくことを、心から呼びかけます。

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文化の話題 44年ぶりよみがえる DVDで鮮明に

今井正監督「小林多喜二」 田島 一

2018713日【文化】

社会変革、文学に挑んだ青春

 今から44年前に生まれた名画「小林多喜二」が、新版のDVDによみがえったとの報を聞き、感慨深いものがあった。このほど、再生された鮮明な映像に接して、私は胸躍らせ作品に引き込まれていた。翻って公開当初から気になっていたものの、私には今回が初めての鑑賞であった。1970年代に入って激しさを増した職場での不当差別に抗するたたかいの日々に、文化的生活のゆとりすらなかったのだと思える。

全容に迫る独特の手法

 映画は、1933年2月20日、山本圭の演ずる多喜二が東京・赤坂の福吉町の路上で逮捕され、凄惨(せいさん)な拷問を受ける場面から始まる。横内正によるモダンな語り手が登場し、多喜二の作品に依拠してつくられた劇映画的再現の部分と、ゆかりの実景などをまじえた構成により物語は進行していく。

 「語り」の果たす役割について監督の今井正は、「作家に代って登場してもらうという意味もふくめて、一見冒険とも思える、新しい手法」と述べ、「わたしは、全身の力をふりしぼって、この映画と取りくんでいる。世のきびしい批判をまちつつ」と、制作への並々ならぬ決意を披歴している。手塚英孝「小林多喜二」を原作に、作家としての仕事の全容とその意義に精緻な光を当てる意図のもと、脚本の勝山俊介と一体になって採られたこの方法は、親しみやすく説得力のある世界を構築したといえるだろう。

 今井正は多喜二より9歳年下だが、旧制水戸高校在学中にマルクス主義に関心をもち『戦旗』を秘密裏に読み特高警察に連行された体験を有しており、ほぼ同時代を生きた人といってよい。登場する蔵原惟人(これひと)、宮本百合子、志賀直哉といった、多喜二と深い関わりのあった歴史的人物へのこだわりが見てとれるのも魅力である。

切ない恋と胸打つ映像

 貧しさゆえに苦界に身を置く田口タキとの切ない恋と別れも、山本圭と中野良子の熱演で彫り深く描きこまれる。広い小樽の砂浜に、2人の足で大仏の顔の絵を書き残すシーンは秀逸だ。多喜二の無償の愛と自ら身を引くタキの愛のかたちは古風だけれど、人間の美しさを形象化した映像は胸を打つ。

 治安維持法が猛威を振るい、拷問による虐殺や獄死など多数の犠牲者を生んだ国家の暴圧の歴史は、いま、うりふたつの「共謀罪」法を持つ現在と未来への警鐘として重なる。先に民主文学会が主催した「多喜二没後85年シンポジウム」の会場で、19歳の青年が、政治そのものと思っていた多喜二の文学が「人の心に届く芸術性を追求したというのは革命的発見だった。これから読んでみたい」と発言して拍手を浴びた。

 この国が戦争に突入して行く絶対主義的天皇制の時代に、身命を賭して社会変革と文学に挑む青春を活写した、今井正の労作をぜひ若い世代に見てほしい。映画が好きで、自作にその方法も積極的に取り入れた多喜二は、新たな勢いを得た佳編を目にして微笑(ほほえ)んでいることだろう。

(たじま・はじめ 作家、日本民主主義文学会会長)

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15日 党創立記念日

日本共産党 平和と社会進歩求め96年 不屈の歴史

2018710日【特集】

 日本共産党は15日、党創立96周年を迎えます。昨年1月に開かれた第27回党大会決議では、「日本共産党の95年は、日本国民の利益を擁護し、平和と民主主義、社会進歩をめざして、その障害となるものに対しては、相手がどんなに強力で巨大な権力であろうと、正面から立ち向かってきた歴史である。95年のわが党のたたかいのなかで、歴史が決着をつけた三つのたたかいがある」として、(1)戦前の天皇制の専制政治・暗黒政治とのたたかい(2)戦後の旧ソ連などによる覇権主義とのたたかい(3)「日本共産党を除く」という「オール与党」体制とのたたかい―をあげました。どのような状況のもとで、どのようにたたかったのか、たたかいを通じてどのような財産を築いたのかを、あらためてふりかえります。

戦前の“天皇絶対”政治とのたたかい――日本国民全体の財産、憲法に実を結ぶ

 第一は、戦前の“天皇絶対”の政治=専制政治、暗黒政治とのたたかいです。

戦前の日本と共産党の誕生

 なぜ、“天皇絶対”の政治というのか。天皇は、大日本帝国憲法(明治憲法)で「神聖ニシテ侵スヘカラス」(第3条)の存在とされ、立法・行政・司法の全権限を意味する「統治権」を「総攬」(そうらん=掌握して治める)するとされました。議会や政府、裁判所は、あくまで天皇を補助する機関でした。

 天皇には、宣戦布告の権利や外交権もあり、軍隊も「陸海軍ヲ統帥ス」とされ、天皇直轄。法律に代わる「緊急勅令」や戒厳令も天皇の「大権」とされました。

 国民は「臣民」とされ、その権利や自由はすべて「法律の範囲内」で許されていただけ。治安警察法(1900年)や治安維持法(1925年、28年に改悪)はじめ多数の弾圧法できびしく抑圧されました。

 こうした時代に、日本共産党は主権在民の民主政治の実現と侵略戦争反対の平和の旗を掲げ、1922年7月15日に誕生しました。日本共産党の誕生は、20世紀の日本で専制政治と対外侵略に反対する政党の誕生という歴史的な出来事でしたが、自由と民主主義の基本的な権利が存在しないもとで、非合法の政党として出発を余儀なくされました。

 今日、G7(主要7カ国)に参加している諸国でも、同じころに共産党が生まれましたが、生まれた最初から非合法で弾圧され続けたのは日本だけでした。

侵略戦争反対植民地独立を

 日本共産党は、誕生の直後からロシア革命と中国革命に対する日本の干渉戦争や中国に対する侵略戦争に反対し、たたかいました。1931年9月18日、日本帝国主義は中国東北部への侵略を開始(「満州事変」)。日本共産党は、その何カ月も前から「赤旗(せっき)」で、日本帝国主義が侵略戦争にのりだそうとしていることを具体的に暴露し、「日本帝国主義の戦争準備と斗へ!」と訴えました。戦争開始の翌日には「日本帝国主義の満蒙侵略を撃退せよ!」「即時軍隊を撤退せよ!」との檄(げき)で、反戦運動を呼びかけ。翌々日の20日には、中国共産党と日本共産党の共同の反戦の呼びかけも出されました。

 日本共産党の反戦運動は軍隊内にも持ち込まれ、軍艦や兵営のなかに党組織がつくられ、「兵士の友」や呉軍港の「聳(そび)ゆるマスト」などの兵士向けの新聞まで発行されました。

 植民地解放への連帯のたたかいも重要です。「赤旗」は、朝鮮半島で起きた歴史的な独立闘争「三・一独立運動」に、毎年、連帯のたたかいを呼びかけました。

 また、日本共産党は、労働者や農民の生活向上や権利のためにもたたかい、各地の労働争議や小作争議(小作農が小作料の減免などを求めて立ち上がった争議)などで重要な役割を果たしました。

弾圧に屈せずたたかいぬく

 天皇制政府は、侵略戦争反対と主権在民のたたかいを繰り広げる日本共産党に苛烈な弾圧を加えました。

 1928年3月15日、1600人に及ぶ党員、支持者を検挙した「3・15」事件を皮切りに、同年6月には治安維持法の最高刑を死刑に引き上げたうえ、7月に全国に特別高等警察(特高)の組織をひろげ、弾圧体制を強化しました。とくに中国侵略が本格化した31年以降、治安維持法による弾圧はいっそう激しくなりましたが、日本共産党はそれに屈することなく、最後までたたかいぬきました。

 その過程で、渡辺政之輔、上田茂樹、岩田義道、国領五一郎、市川正一など多数の幹部が命を落としました。作家の小林多喜二は33年2月、スパイの手引きで特高に逮捕され、7時間ものすさまじい拷問で絶命しましたが、最後まで党と信念を守り屈しませんでした。宮本顕治元議長をはじめ十数年を獄中で非転向をつらぬいた活動家もいました。

 また、遺品のコンパクトに「闘争・死」の文字を刻んだ飯島喜美(35年獄死)をはじめ少なからぬ女性党員が不屈にたたかい、命を落としました。

 27回党大会決議は、戦前のたたかいの項を次のように結んでいます。

 「わが党のたたかいが、比類のない先駆性、全体としての正確さをもっていたことは、歴史によって検証された。日本が敗戦のさいに受諾したポツダム宣言には、日本の戦争が侵略戦争だったという明瞭な認定と、軍国主義の除去、日本の民主化が明記された。日本国憲法には、『政府の行為』によって戦争を引き起こしたことへの反省とともに、わが党の努力も働いて、国民主権の原則が明記された」

戦後のソ連などによる覇権主義とのたたかい――自主独立の路線、あたらしい綱領

 第二は、戦後の旧ソ連などによる覇権主義とのたたかいです。

 日本共産党が最初にソ連などによる覇権主義の干渉を受けたのは、1950年のことです。ソ連のスターリンを総司令官、中国を副官として、武装闘争を日本共産党に押しつけようという干渉が行われ、党中央の一部が内通・呼応して、中央委員会が解体されました。しかし、日本共産党は、この党史上最大の危機を乗り越える過程で、自主独立の路線――自らの国の革命運動の進路は自らの頭で決める、どんな大国でも干渉や覇権は許さないという路線を確立したのです。

干渉攻撃打破総力をあげて

 1960年代には、ソ連と中国・毛沢東派の双方による無法な干渉攻撃が行われました。「どちらも国家権力の総力を動員して、日本国内に反日本共産党の流れをつくるとともに、内通者を支援してニセの『共産党』をつくり、日本共産党を押しつぶそうという大干渉作戦」(27回党大会決議)といえるものでした。

 ソ連による無法な干渉攻撃が表に出て、それとの全面的闘争が始まったのは1964年のことです。それは「全党の目から見ると、まったくの不意打ちで、突然始まったものでした」―不破哲三・社会科学研究所所長は、昨年の党創立95周年記念講演で、当時の状況をこう振り返っています。経過は次のようなものでした。

 ――60年11月に81カ国の共産党・労働者党が参加する国際会議が開かれた。先立つ10月の予備会議で日本共産党代表団はソ連共産党が中心になって用意した共同声明原案に80項目を超える修正案を提出。高度に発達した資本主義国での革命の戦略問題や共産党間の関係での対等・平等性、自主独立の原則など、多くの重要な提起を行い、間違った主張には断固とした論戦を展開した。

 ――そういう自主独立の党の存在が許せなかったのか。ソ連はこの会議の直後から、日本の党指導部内に内通者をつくる工作をはじめ、日本共産党打倒作戦をすすめ始めていた。日本共産党は、ソ連共産党との論争や干渉行為への批判は運動内部の問題として、国際ルールを守って日本側からは公表しないでいた。

 ――ところが64年4月、ソ連共産党から日本共産党への非難・攻撃の書簡が寄せられ、続いて5月には党幹部で国会議員だった志賀義雄らが、ソ連に追従して反党分派を旗揚げした。同年8月末、日本共産党はソ連側の書簡に対して全面的に反論、数年来の干渉行為を具体的に告発する「返書」をソ連に送った。「赤旗」9月2日付に掲載された「返書」は8ページに及ぶ長大なものだった。

 こうして無法な干渉攻撃とのたたかいが始まりました。その後、66年からは中国・毛沢東派の攻撃も開始されましたが、それは「海を越えての攻撃だけではなかったのです。内通者を動員して、全国に『ニセ共産党』の組織をつくり、それを日本共産党にとってかわらせる。こういう目的をもった干渉で、当時の国際運動の中でも、前例のない、まさに無法きわまる攻撃でした」(不破氏)。

 これに対して、日本共産党は全国各地で、「赤旗」に次つぎと発表される長大な論争文書を必死になって読み、これを理論的武器に干渉攻撃を打ち破るたたかいに総力をあげて取り組んだのでした。

 しかも、当時、日本のマスコミは、ソ連、中国、どちらの場合も、干渉の問題を紙面で完全に黙殺、政界では当時、断続的にせよ共闘関係にあった社会党がソ連、中国の干渉者の側に立ちました。「私たちの闘争は、国内的には“孤独の闘争”だった」(不破氏)のです。

二大国の党が誤りを認めた

 そのなかで、日本共産党は二つの覇権主義との闘争に全力で取り組みながら、国内政治で躍進をかちとり、ソ連、中国両共産党とも最後には誤りを認めざるを得なくなりました。ついに無法な攻撃が打ち破られたのです。27回党大会決議は覇権主義とのたたかいの項をこう締めくくっています。

 「このたたかいも歴史が決着をつけた。ソ連共産党は、1979年に行われた日ソ両共産党首脳会談で、ソ連の干渉についての反省の言明を行った。その後もソ連からの干渉は続き、厳しい論争が続いたが、このたたかいは1991年、ソ連共産党の崩壊という形で終止符が打たれた。中国共産党は、1998年6月の両党会談の合意文書で、中国による干渉行為について、『内部問題相互不干渉の原則にあいいれないやり方をとったことについて真剣な総括と是正をおこなった』と表明した。世界でも、二つの大国の党から、同時に乱暴な干渉攻撃を受けた党は日本共産党だけである。そして、二つの大国の党にその誤りを認めさせた党は日本共産党以外には存在しない」

 「干渉攻撃とのたたかいを通じて、わが党は政治的・組織的に鍛えられただけでなく、理論的にも大きな発展をかちとった。スターリンによる理論の歪曲(わいきょく)を総決算し、世界論、革命論、未来社会論など、あらゆる面でマルクス、エンゲルスの本来の姿が、現代に力をもって生きいきとよみがえった。これらの成果は、2004年に決定した新しい党綱領に全面的に盛り込まれた」

日本共産党を除く「オール与党」体制とのたたかい――市民と野党の共闘に実を結ぶ

 第三は、「日本共産党を除く」という「オール与党」体制とのたたかいです。

 1980年、当時の社会党と公明党が日本共産党排除を原則として明記した政権合意(社公合意)を結びました。これを一大契機にして、日本共産党を政界から排除し、その存在をないものかのように扱う、反共作戦が大掛かりに開始されたのです。70年代の日本共産党躍進に恐れおののいた支配勢力が仕掛けた日本共産党“封じ込め”作戦の一環でした。

党孤立化狙う動きのもとで

 これ以降、国会運営では「日本共産党を除く」という無法な体制が十数年にわたって続き、地方でも革新自治体が次つぎと破壊され、国民運動にも分断が持ち込まれ、日本共産党を除く「オール与党」体制が拡大していきました。

 政界のなかで日本共産党を孤立化させる動きがつよまるもとで、日本共産党は日本の民主的再生を願う団体、個人による「革新統一懇談会」の結成を提唱、81年には全国革新懇が結成され、その後の統一戦線運動の力強い推進力になってきました。

 日本共産党を除く「オール与党」の体制は国民との矛盾を深め、行き詰まっていきますが、90年代以降もさまざまな形をとって継続され、強められていきました。

 90年代前半には「自民か、非自民か」という共産党締め出しの一大キャンペーンが行われ、選挙制度の面でも小選挙区制という大政党有利、少数政党締め出しの悪法が強行されました。2000年代には、財界が主導して「二大政党による政権選択」の一大キャンペーンが行われました。

 日本共産党を選択肢の外に置こうとする一連のキャンペーンや動きは、党の前進を阻む最強・最悪の逆風となって作用しましたが、日本共産党は一時の選挙での後退や統一戦線をつくる困難に、あきらめることはありませんでした。どうしたら前進できるのかをとことん考え、模索し、全党が結束してたたかいぬきました。

 こうして13年の参院選、14年の衆院選、15年の統一地方選と連続躍進を勝ち取りました。

 日本共産党を政界から締め出そうとする反共作戦は同時に、「最悪の『反国民作戦』」でもありました。「新自由主義――『構造改革』路線が押し付けられ、社会保障も雇用も破壊され、格差と貧困が広がった。日本国憲法を無視し、日米安保条約の枠組みさえ無視して、自衛隊の海外派兵体制がエスカレートし、沖縄では基地問題の矛盾が噴き出した」(27回党大会決議)のです。悪政と国民との矛盾が噴出する中で、さまざまな分野で切実な一致点での「一点共闘」が広がり、悪政を国民的に包囲する流れが強まってきました。

 14年の衆院選挙では沖縄の新基地建設反対を掲げる「オール沖縄」候補が4選挙区で完勝。各分野での国民のたたかいが広がり、それが合流する形で、15年、安保法制=戦争法に反対するたたかいを契機に、市民と野党の共闘という流れがつくられていったのです。16年7月の参議院選挙では、安保法制=戦争法の廃止、立憲主義回復という大義で一致し、安倍政権打倒をめざす、野党と市民の共闘がつくられ、全国32の1人区のすべてで野党統一候補が実現し、11の選挙区で激戦を制して勝利しました。

「党除く」壁は過去のものに

 80年の社公合意を契機につくられた「日本共産党を除く」という「壁」は、自民党政治に対抗する野党勢力の大同団結の最大の障害になってきました。しかし、党と国民、市民の共同したたたかいの力によって「壁」は崩壊し、過去のものとなりました。そして、日本共産党は「安倍自公政権とその補完勢力に、野党と市民の共闘が対決する、日本の政治の新しい時代」(27回党大会決議)のもと、対決の一方の極で重要な役割を果たしているのです。

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山宣資料館見学 小池書記局長

201872

 日本共産党の小池晃書記局長は1日、演説会で訪れた京都府宇治市にある「山本宣治資料館」を見学するとともに、同氏の墓碑を訪れました。

 山本宣治(山宣)は戦前、侵略戦争と治安維持法に反対し右翼の凶刃に倒れた代議士。資料館は、山宣が暮らした老舗旅館「花やしき浮舟園」の敷地内にあり、山宣の貴重な史料・遺品が保管されています。

 小池氏は、山宣の顕彰活動をしている宇治山宣会の薮田秀雄会長の案内で資料館を見学しました。水谷修党宇治市議団長も同行しました。

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治維法国賠同盟が国会請願/謝罪・賠償など求める/会合だけで逮捕≠P03歳語る

2018517

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は16日、治安維持法で弾圧された犠牲者への謝罪と賠償、被害の実態調査などを求め、国会請願を行いました。全国44都道府県から178人が参加し、18万9975人分の署名を国会へ提出しました。
 請願行動に先立ち開かれた集会であいさつした増本一彦会長は、民進党国会議員に対する現職自衛官の暴言問題が、2・26事件など旧軍隊のテロやクーデターをほうふつとさせるとし、「憲法破壊の思想が自衛隊内部に育っている。安倍首相や防衛相の責任は極めて重大」と述べました。市民と野党の共闘が「安倍政権を追いつめ、治維法同盟の国会請願を実現する確かな道筋」と強調し、全国で共同を広げ請願署名の紹介議員を増やすことを呼びかけました。
 治安維持法で弾圧された犠牲者のAさん(103)は、「会合しただけで政府を批判したと逮捕された」などの体験を語り、「民主主義を守らないといけない。ふたたび戦前がこないよう努力しよう」と、共謀罪法など「現代の治安立法」の廃止を訴えました。他にもBさん(97)、Cさん(96)が発言しました。
 集会には日本共産党、立憲民主党、沖縄の風の国会議員らが出席しました。日本共産党からは赤嶺政賢、藤野保史両衆院議員、仁比聡平、山添拓両参院議員が参加しあいさつしました。

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麻生氏の辞任求める/治維法国賠同盟が声明

2018511

 福田淳一前財務事務次官の女性記者へのセクハラ問題について、「セクハラ罪という罪はない、殺人や強制わいせつとはちがう」などと繰り返した麻生太郎財務相に対し、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(大石喜美恵女性部長)は10日、暴言撤回と辞任を求める声明を発表しました。
 声明では麻生財務相の対応について「セクハラの本質を全く理解しておらず『暴言』を連発し、二重三重に被害者を傷つけてかえりみない」と批判。麻生財務相の暴言を容認し続ける安倍晋三首相・政権にも強く抗議するとしています。
 セクハラは本人の意に反する性的な言動でその人の尊厳を傷つける重大な人権侵害で、日本国憲法(13条)にも違反すると指摘。日本政府に対し、セクハラなど女性への人権侵害や差別一掃の先頭に立つことを強く求めています。

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潮流

201853

 幹部自衛官が「おまえは国民の敵だ」と野党国会議員に言い放った暴言疑惑。自衛隊を憲法9条に明記して「戦争する国」を狙う安倍政治が醸し出すきな臭さ…▼映像には100歳を超える老人らが戦前の体験を語り、侵略戦争を遂行する体制が治安維持法による人権侵害と一体だったと告発する姿が。戦争と暗黒政治を許すなと運動する、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟が50周年を記念して作成した映画「種まく人びと」です▼東京を中心にした印刷労働者の出版工クラブの創設メンバー、杉浦正男さん。登山や野球など親睦のほか科学的社会主義の学習会などに1500人も組織しました。それが、治安維持法違反に問われ「兵士は戦地にいる。おまえらは国賊だ」と、「竹刀と木刀でめった打ちの半殺し」の拷問に▼明治大学教授の山田朗さんがコメントします。激しい弾圧の中でも「自由と民主主義を求める人びとが根絶やしになった事はなかった。必ず火種≠ヘ残されていて復活し、大きくなるものだ」▼出版工クラブの指導者柴田隆一郎は終戦の年の2月に獄死したものの、杉浦さんらは戦後、あかつき印刷はじめ民主的印刷所の建設に尽力しました。映画は、現代の治安維持法・共謀罪に反対し、市民と署名行動をする高齢の国賠同盟員を映します▼「政府は謝罪と賠償を」と迫る活動は、いま安倍政権を退陣させる野党と市民の新しい運動の敷布団≠フ一翼です。再び国民の敵だ∞国賊だ≠ェまかり通る社会としないために。

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「暴虐政治終わらせる」/治維法国賠同盟50周年レセプション/市田副委員長あいさつ

2018417

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は16日、創立50周年記念レセプションを東京都文京区で開き、全国から180人が参加しました。
 増本一彦会長は、戦争と暗黒政治を許さないたたかいを続けてきた歴史を語りました。治安維持法による検挙者、拷問による明らかな虐殺死者に予防拘禁や転向を強要された人など数十万人におよぶ犠牲の実態にふれ、「このような多大な犠牲を払いつつ、侵略戦争に反対し、平和と民主主義、基本的人権の礎を築いてきた。安倍政権の反動と逆流、暴虐政治を終わらせるため、全国津々浦々に組織を広げて奮闘する決意です」と訴えました。
 日本国民救援会の鈴木亜英会長は「安倍9条改悪のたくらみを断念させるまで共同の歩みを続ける」と訴え。
 自由法曹団の西田穣事務局長は、「現代版治安維持法」といわれる共謀罪の悪用を許さず、取り組んでいきたいと述べました。
 鏡開きに参加した日本共産党の市田忠義副委員長はあいさつで「犠牲者に対する一日も早い謝罪と賠償のための特別法を制定することは国会に課せられた重要な課題であります」とのべ、党として全力をあげる決意を表明。「安倍政権の土台を揺るがす大激動の今こそ市民と野党が共闘し、世論と運動の力で安倍内閣を退場に追い込もう」と力を込めました。
 参院会派「沖縄の風」の糸数慶子議員もあいさつしました。

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若者に勇気、魅力語る/小林多喜二没後85年シンポ

201841

 日本共産党員のプロレタリア作家・小林多喜二の没後85年を記念したシンポジウムが31日、東京都豊島区で開かれました。日本民主主義文学会と多喜二・百合子研究会の共催で北海道、兵庫など全国各地から約200人が参加しました。
 『蟹工船』ブームから10年、多喜二の作品を語り継ごう≠ニ、文芸評論家・宮本阿伎氏の進行で岩崎明日香(作家)、北村隆志(文芸評論家)、田島一(作家)の3氏が発言しました。
 岩崎氏は「去年の総選挙で『党生活者』を読んで勇気付けられた若者がいるなど、多喜二の作品は平和や労働の運動に立ち上がることへの共感を呼んでいる」と語りました。
 北村氏は、多喜二が田口タキとの同居と別れという私生活の変化を経て「自らを押し殺す彼女の人生に思いを寄せ、『安子』で女性の自立を描くことに生かした」と分析しました。
 田島氏は、人物の心理描写の巧みさなど多喜二作品の芸術性を解説。「通俗性を否定しつつ、大衆に読まれる作品を多喜二は追求していた」と話しました。
 参加者の発言では、前日の官邸前行動に行ったという19歳の男性が「多喜二の作品を読むと『自分たちは主権者だ』と強く実感できる。この思いを多くの同世代と共有したい」と述べ、大きな拍手に包まれました。

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96歳の治維法被害者訴え/共謀罪うり二つ=^札幌集い

2018323

 札幌市で「3・15治安維持法大弾圧事件90周年の集い」(同実行委員会主催)が21日、開かれました。
 日本共産党員作家の小林多喜二が小説「一九二八年三月十五日」で告発したように、治安維持法は凶暴な国民弾圧法でした。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟道本部の宮田汎会長は、北海道での犠牲者が260人いたと報告。安倍政権が強行した共謀罪法は、うり二つと述べ「特に対象があいまい≠ネところは全く同じです」と警鐘を鳴らしました。
 治安維持法違反で弾圧された96歳のAさんが講演。絵を描いて民衆を啓発したとして、教員や生徒数十人と一緒に逮捕・投獄されました。
 「おまえは共産主義者だろう」と警官に何度も殴られたことを、森友公文書ねつ造疑惑と重ねて「私は、調書を『ねつ造』させられました」と会場を沸かせた男性。「秘密保護法、共謀罪法と、治安維持法のような悪法が強行され、安保法制(戦争法)で日本は戦争できる国になっています。二度と私が体験した世の中にしてはいけません」と結びました。
 参加者からは「話に感動しました」「Aさんが弾圧を受けたような不幸な世の中にならないよう頑張りたい」などの声が寄せられました。

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自由求める運動なくならない/治維法国賠同盟創立50周年記念集会/大阪

2018318

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の創立50周年記念集会が17日、大阪市で開かれ、500人を超える参加がありました。
 増本一彦会長があいさつ。「戦前の治安維持法の犠牲者は命がけで侵略戦争に反対し、民主主義と生活向上のためにたたかった人たちです。いま安倍政権が戦争をする国をつくろうとしているだけに犠牲者の顕彰が必要です」と述べました。
 「新たな『戦時体制』の構築に抗する」と題し講演した荻野富士夫小樽商科大学特任教授は、治安維持法による弾圧対象が共産主義者にとどまらず宗教者などへと拡張され、自由と民主主義が圧殺されていった歴史を紹介。戦時下でも体制に抵抗した人たちにふれ「社会変革や自由・博愛を求める運動はけっしてなくなりません」と語りました。
 バイオリニストの松野迅さんは治安維持法で検束された義母の思い出を語りつつ、「荒城の月」などを演奏しました。近畿各府県の会員が犠牲者の生涯を朗読とスライドで紹介。奈良蟻の会合唱団が出演しました。
 日本共産党の穀田恵二衆院議員、新社会党の戸倉隆大阪府本部副委員長が来賓のあいさつ。日本共産党の辰巳孝太郎参院議員が参加し紹介されました。

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暗黒の冤罪、二度と/戦前の宮澤・レーン事件命日に集い

2018223

 戦前のスパイ冤罪(えんざい)事件である「宮澤・レーン事件」で犠牲になった元北大生・宮澤弘幸さんの71回目の命日にあたる22日、「強権国家NO! 事件から学ぶ集い」が東京都内で開かれました。会場の宮澤家菩提寺の常圓寺会館には同窓生ら約60人が参加。暗黒の時代を繰り返さず、安倍政権の改憲を許さない、と誓い合いました。
 宮澤さんの妹でアメリカ在住の秋間美江子さんがメッセージを寄せ、「2月になるといつも暗い気持ちになります。戦争だけは絶対に起こしてはなりません」と呼びかけました。
 基調講演で、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部の宮田汎(ひろし)会長は、戦前の道内での学生弾圧事件について詳しく紹介。当時の北大、小樽高商、旭川師範学校などで、学問の自由を奪い、将来のある多くの学生・教官を牢獄(ろうごく)に送った国と大学当局の責任は重い、とのべました。

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戦争する国にしない$セう/多喜二没後85年墓前祭/北海道小樽

2018221

 「蟹工船」「党生活者」などの作品で知られる日本共産党員作家、小林多喜二の没後85周年墓前祭が20日、北海道小樽市で行われました。道内各地や東京などから110人が奥沢墓地の墓前に集い、赤いカーネーションを供えました。

 雪が降る中、小樽多喜二祭実行委員会の琴坂禎子共同代表があいさつ。戦前回帰を狙う安倍政権の危険な動きが強まる中、「戦前の暗黒政治の下でたたかい抜いた多喜二の生涯に学ぶ意義は、これまでにも増して大きい。憲法を変えさせない、『戦争する国』にしないとの誓いを多喜二の墓前で表しましょう」と述べました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟道本部の宮田汎(ひろし)会長は「多喜二をはじめ侵略戦争反対、主権在民を貫いた先人の志を受け継ぎましょう」と呼びかけました。
 初参加という東京から来た女性(38)は「人々の平和な暮らしを望み、弱い人たちに寄り添ってきた多喜二さんの思いを継いでいきたい」といいます。
 畠山和也日本共産党前衆院議員や党道委員会の千葉隆書記長が列席。千葉氏は、市民と野党の共闘を進める党を大きくし、「民主主義の前進、社会進歩に力を合わせていきます」と表明しました。

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不屈のたたかい継ぐ/野呂栄太郎碑前祭開く

2018220

 戦前の日本共産党の指導者で理論家の野呂栄太郎の碑前祭が19日、出身地の北海道長沼町で行われました。
 野呂は、名著『日本資本主義発達史』を著し、山田盛太郎や平野義太郎といったマルクス経済学者らとともに『日本資本主義発達史講座』を刊行。弾圧に屈せず、知力を駆使して果敢にたたかった共産党員でした。1933年11月に特高警察に逮捕、拷問され翌34年2月19日、33歳で生涯を閉じました。
 雪深い同町記念碑小公園。「歴史を変革することは未来の歴史を創造することである」と書かれた碑前に50人が参加しました。
 吉岡文子党南空知地区副委員長が「野呂の不屈のたたかいを受け継ぎ、平和な社会をつくるため全力を尽くします」と話しました。
 金倉昌俊党道副委員長、治安維持法犠牲者国賠同盟道本部の宮田汎会長、長沼町の小西教夫教育長、町農業委員会の真田隆弘会長があいさつしました。
 初めて参加した真田氏は家の裏手が野呂の生誕地だと紹介。「私たちが幸せな生活を送れているのも、野呂氏をはじめ先人の活動があってこそだと思います」と語りました。
 岩見沢、夕張、美唄3市と長沼、栗山両町首長、日本共産党の紙智子、岩渕友両参院議員、畠山和也前衆院議員からメッセージが寄せられました。

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多喜二を読み直し/改憲発議させない/記念のつどい/北海道小樽

2018219

 「2018年没後85年 多喜二記念のつどい」が18日、北海道小樽市で開かれました。戦前の暗黒時代に、侵略戦争反対と、「主権は国民にある」との信念でペンをふるい、特高警察に虐殺された日本共産党員作家、小林多喜二の業績を引き継ごうと、小樽多喜二祭実行委員会が主催しました。
 吹雪の中、430人が駆け付けました。寺井勝夫共同代表が「多喜二の苛烈な生涯を学ぶことは、いまを生きる私たちに勇気を与えてくれます」とあいさつしました。
 「今、市民として読み直す多喜二」と題して、小森陽一東京大学教授・「九条の会」事務局長が講演。小森氏は、小説「一九二八年三月十五日」を読み直し、戦争と反動への時代と、国民弾圧の事件の本質を伝えようと多喜二が書き上げた作品だと指摘。いままた「戦争する国」づくりへ前のめりになる安倍政権に抗して市民が立ち上がった意義を述べ、「安倍首相に改憲発議をさせないよう誓い合いましょう」と呼びかけ、拍手に包まれました。
 恵庭市の男性(27)は「筆者の思想や考え方に触れて文学作品を読んだことがなかったので、興味深かった。多喜二をどんどん読んでみたい」と話しました。
 與那覇尚子さんの創作劇や、大地巌さん脚本・演出の市民劇が上演されました。

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図書館発展へ憲法守る/集いで交流/共産党応援「図書館の会」

2018218

 全国各地の図書館関係者、利用者でつくる「日本共産党がんばれ!図書館の会」(大澤正雄代表世話人)は17日、東京都文京区で土井洋彦・日本共産党学術・文化委員会責任者を講師に迎えてつどいを開きました。約60人が参加しました。
 土井氏は講演で、学生時代の小林多喜二が図書館を熱心に利用し、野呂栄太郎が大学図書館の文献を著書執筆の際に活用したなど、戦前の共産党と図書館の関わりを紹介。安倍政権が改憲へ暴走する中、共産党の綱領は憲法の平和的民主的条項の完全実施を掲げているとし「変えるべきは憲法でなく、憲法をないがしろにする自民党政治。市民と野党が共闘し、共産党が躍進してこそ『知る自由』『学問・研究の自由』の実現など図書館の発展につながります」と話しました。
 日本共産党の吉良よし子参院議員があいさつ。民間企業の図書館管理・運営を進める指定管理者制度の見直しを国に求める共産党の論戦や成果を話し「平和を学ぶ地域の拠点である図書館を守るとともに、安倍改憲を止める」と訴えました。日本共産党の、とや英津子都議も都立図書館の機能改善など決意表明しました。
 各地の市民らが図書館を守る運動を報告。「市立図書館の移転計画ストップを求め、新市長が凍結を公約した。見直しへさらに運動を進める」(埼玉県上尾市)などの取り組みを語りました。

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潮流

2018214

 「おい、地獄さ行ぐんだで」。『蟹工船』ブームから今年で10年です。作者・小林多喜二の人気はいまだ衰えず―12日の東京の杉並・中野・渋谷多喜二祭で実感しました▼例年300人規模のところ、第30回の節目の今年は、1000人を超す大ホールを会場に。実行委員会としても冒険でしたが、当日は1200人参加の大成功でした▼高木典男事務局長は「一抹の不安はありましたが、沖縄や大雪の富山・福井などからも含め、予想以上の参加がありました。いまの改憲や野党共闘の問題が、多喜二への関心につながっていると思います」と語ります▼講演者も全員が多喜二の時代と今が近づいたと語りました。例えば精神科医の香山リカさん。「2008年の『蟹工船』ブームでは、多喜二の描いた貧困と搾取に現代が近づいたと思った」が、共謀罪が通った今は「(特高警察に殺された)多喜二の生涯が身近な現実味をおびてきた」▼日本共産党の小池晃書記局長は、多喜二が死の4カ月前の評論で、「下からの統一戦線」を呼び掛けたことを紹介。近年の「市民と野党の共闘」の発展について「多喜二が生きていたらこの成果を大いに喜ぶでしょう」と強調しました▼今年は多喜二没後85年です。20日の命日をまえに、17日には秋田、18日には北海道・小樽、秋田・大館、神奈川・伊勢原、大阪で記念の集いが開かれます。「我等何を如何になすべきか」をまっすぐに追いかけて生きた多喜二。いまも私たちにたたかう勇気を与えてくれます。

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多喜二の変革の意思と実行を学ぼう/生誕115年・没後85年/東京で多喜二祭開く

2018213

 侵略戦争反対と人間の尊厳を求めてたたかった日本共産党員作家・小林多喜二の生誕115年、没後85年を記念する「杉並・中野・渋谷 第30回記念多喜二祭」が12日、東京都中野区で開かれ、1200人が参加しました。
 多喜二が学んだ小樽高等商業学校を前身とする小樽商科大学教授の荻野富士夫氏が「小林多喜二の生きた時代と現代―『我等何を、如何になすべきか』―」と題して記念講演をしました。
 講演で荻野氏は、多喜二の作品を貫く思想と視点を著作や資料を示し解明。資本主義による労働者の搾取の実態の暴露や戦争のカラクリを暴いた足跡をたどりました。
 多喜二の時代を把握することは安倍政権の新たな戦時体制の構築に対峙することにつながると強調。作品から多喜二の変革の意思と実行を学びとることが重要だと述べました。
 日本共産党の小池晃書記局長が連帯あいさつしました。
 小池氏は、戦前の暗黒時代に生きた多喜二の時代と今の時代の違いを強調し、草の根の共同の発展で「市民と野党の共闘」が実現しつつある状況について「多喜二は大いに喜び、生き生きと小説に書き社会変革の活動に全力を挙げたのではないか」と語り、「多喜二のように声を上げ、多喜二のようにたたかおう」と呼びかけました。
 精神科医で立教大学教授の香山リカ氏も「多喜二と私と若者と」と題して講演。「(暗黒の)時代がまた戻ってきている」と指摘し、「とにかく口をつぐまない。声を一緒に上げたい」と話しました。俳優の津田恵一氏が「党生活者」を朗読。歌手の岸本力氏が歌を披露しました。
 市田忠義副委員長が出席し紹介されました。

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戦争の足音が再び聞こえる時代、多喜二のようにたたかおう/多喜二祭での小池書記局長の連帯あいさつ

2018213

 東京都中野区で12日に開かれた「杉並・中野・渋谷 第30回記念多喜二祭」で、日本共産党の小池晃書記局長が連帯あいさつを行いました。

 小池氏は小林多喜二を「個人の尊厳を押しつぶす社会の矛盾を文学の力で告発し、不合理な現実を変えるため、たたかいに立ち上がる人々を描いた日本共産党員作家」と紹介。
 29年の短い生涯に残した作品のうち、小池氏は特高警察の拷問によって命を奪われる直前に書いた、『沼尻村』『党生活者』『地区の人々』の3作品を取り上げました。時代背景は、1931年、満州への侵略戦争が始まり「戦争が本格化すればもっと景気はよくなる」と政府が宣伝する「戦争特需」の時代。これらの作品群は「反戦平和と反ファシズムを訴えてたたかう人々を描き、今日の情勢から見ても、迫力と輝きを放っています」。

時空を超えて私たちの胸打つ
 『沼尻村』は戦時体制に組み込まれた農村の実情と、その中での反戦運動を描いた作品。続いて書かれた『党生活者』もガスマスクやパラシュートを作る軍需工場を舞台に反戦闘争を展開する共産党員を描いた作品。最後の作品となった『地区の人々』も北海道の港町の鉄工所を舞台に、反戦平和・生活擁護のたたかいをすすめる労働者と、産業界を戦争翼賛の流れにのみ込むため工場に派遣されてきた軍関係者との、たたかいの綱引き≠ェ描かれています。
 3作品に共通する、「戦争で景気がよくなった」などの宣伝を振りまき戦争推進の流れに国民を絡めとろうとする当時の権力の姿は「まるで、今の安倍政権のようだ」と小池氏は指摘しました。
 「国民生活や経済の実態には目もくれず、『アベノミクスで経済がよくなった』と叫びながら、9条改憲に突き進もうとする、安倍内閣の姿をほうふつとさせるではないか」と強調。「戦前の暗黒体制のもとで、『戦争反対』の声を上げ戦争推進勢力のウソを暴き、奮闘する、多喜二の作品の登場人物たちの姿は時空を超えて、私たちの胸を打つものがある」と評しました。

多喜二の訴えは実現しつつある
 続いて小池氏は、多喜二が32年10月24日、日本プロレタリア文化連盟(コップ)創立1周年に際して書いた「闘争宣言」を引用しました。「きたるべき革命が『ブルジョア民主主義革命』として広範な層を含むものであるがゆえに(中略)あらゆる問題をとらえての下からの『統一戦線』の戦術の適用によって、全革命的民主主義的勢力を吸集すること等々が実践されなければならぬ」―。統一戦線を呼びかけたものです。
 しかし当時は、統一戦線は実現できませんでした。小池氏は「私たちが生きる今の時代は、多喜二の時代とは大きな違いがある」と指摘しました。
 多喜二没後85年の今は、当時と何が違うか―。小池氏は二つの点を強調しました。
 一つは、多喜二の時代は非合法政党だった日本共産党が公然と活動し、2700人を超える地方議員、衆参合わせて26の国会議席を持つ政治勢力となっていることです。日本軍国主義の敗北と日本国憲法の制定、その後の民主主義発展の努力を受け、そうした公然たる思想弾圧は過去のものとなりました。
 もう一つは、多喜二が呼びかけたような民主主義的勢力の統一戦線、すなわち平和・民主主義・立憲主義を守り、安倍政権の戦争国家づくりに反対する「市民と野党の共闘」が実現しつつあることです。「オール沖縄」の共同の実現や、安保法制=戦争法に反対する空前の市民の運動を受け、新しい共闘がつくられ発展しています。

日本共産党を強く大きく
 「もし、多喜二が現代に生きていたら、この成果を大いに喜び、戦前とは比べものにならない、可能性と展望に満ちた現代のたたかいを、生き生きと小説に描き、社会変革の活動にまい進したのではないでしょうか」と問いかけた小池氏。「再び戦争への足音が耳元で聞こえる情勢の中で、多喜二のように声を上げ、多喜二のようにたたかいましょう。この党を強く大きくすることに、日本の未来はかかっています。戦後最悪の安倍政権を一日も早く打倒しましょう」と結びました。

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ことしの多喜二祭/各地の日程

201829

 各地で開かれる小林多喜二を追悼・顕彰するつどいは以下の通りです。

▽12日午後1時半、東京・中野区なかのゼロ大ホール。香山リカ、荻野富士夫、小池晃
▽17日午後1時、秋田県生涯学習センター。新野直吉
▽18日午後1時、北海道・小樽市民センター・マリンホール。小森陽一/19日午後1時半、同センター・研修室。
荻野富士夫/20日午後1時、奥沢墓地。午後4時、小樽商大。高橋純
▽18日午後1時半、大阪市クレオ大阪東ホール。岩崎明日香
▽18日午後1時半、神奈川・伊勢原市民文化会館小ホール。宮本阿伎
▽18日午後2時、秋田・大館中央公民館。柴山芳隆

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「赤旗」創刊90周年/シリーズ戦争とどう向き合ってきたか/歴史の分岐点、「満州事変」報道にくっきり

2018116

命かけ反戦・平和貫いた「赤旗」/軍の謀略に加担、戦争あおった商業紙
 1928年に創刊された「しんぶん赤旗」は2月1日、90周年を迎えます。誕生以来、侵略戦争と植民地支配に反対し一貫して反戦・平和の立場を貫いてきた姿勢は、「赤旗」のゆるぎない伝統として輝いています。反戦・平和をかかげて90年、「赤旗」は戦争とどう向き合ってきたか。シリーズで紹介します。

 戦前、「赤旗(せっき)」は、日本が侵略戦争への道をひたすら進むなか、激しい弾圧のもとでも命がけで反戦・平和の論陣を貫きました。日本のアジア・太平洋戦争の開始となる1931年9月18日の「満州事変」は、軍部の発表通りに戦争遂行をあおった商業新聞と、戦争の真実を伝え戦争反対を訴えた「赤旗」の姿を鮮やかに浮き彫りにするものでした。
 (村上 宏)

 「満州事変」は中国・奉天郊外の柳条湖で、日本の軍部・関東軍がみずから南満州鉄道の線路を爆破して、それを中国軍の仕業として戦火を開いたもので、謀略により始まりました。
 「奉軍満鉄線を爆破 日支両軍戦端を開く 我鉄道守備隊応戦す」(「東京朝日」)
 「支那軍満鉄線を爆破 わが守備隊を襲撃す」(「東京日日」=今の「毎日」)
 9月19日付の商業新聞はこぞって軍部の謀略と虚偽の発表をそのまま報道し、侵略戦争の旗振り役となりました。
 関東軍の謀略に手を貸した商業新聞は、その後も、「満州に独立国の生まれ出ることについては歓迎こそすれ反対すべき理由はない」(「朝日」10月1日付社説)と軍部の行動を支持。「東日」は「強硬あるのみ―対支折衝の基調」(10月1日付)など、侵略戦争をあおる社説を連打し、「守れ満蒙=帝国の生命線」という見開き特集も組み、「満蒙におけるわが特殊権益は…わが民族の血と汗の結晶」とまであおりました。これには「毎日新聞後援 関東軍主催 満州事変」という言葉も生まれたといいます。
 この時期、商業新聞は、戦争の開始を部数拡張の機会ととらえ、戦争遂行の論陣を張るとともに、多くの記者を戦地に送り、号外を日に3、4回も発行するなど、戦争キャンペーンを繰り広げ、国民を戦争に駆り立てていきました。
 戦争が始まった31年に144万部だった「朝日」の発行部数は、32年には182万部に。『朝日新聞70年小史』は「新聞は非常時によって飛躍する」と当時を振り返り、「経理面の黄金時代」だったと述懐しています。
 「朝日」「毎日」に水をあけられていた「読売」も「戦争は新聞の販売上絶好の機会」(正力松太郎社長)と夕刊発行に踏み切りました。

戦争開始の危険、2カ月前に警告
 これに対し「赤旗」は、「満州事変」の起きる2カ月も前から「日本帝国主義の戦争準備と斗へ(たたかえ)」(31年7月6日付)として、「一銭の軍費も出すな」「一人の兵士も送るな」と訴えて、日本軍が満州で侵略戦争に乗り出そうとしていることを暴露し、警告を発しました。
 「満州事変」が起こると、「ブルジョア新聞、雑誌は口を揃(そろ)へて、今度の戦争の『原因』を支那兵の『横暴』『日本を馬鹿にした態度』等々に見出してゐる。そして満鉄の一部の破壊を以て『事変の原因』と決めてゐる。然しながらそれは全然嘘偽(ママ)である。真の原因は日本帝国主義者が当面してゐる危機を切抜ける為に新しい領土略奪の為の戦争を準備してゐたところにある」(31年10月5日付)と、商業新聞の姿勢を批判し侵略戦争の本質をズバリ指摘して国民に知らせました。
 同20日付の「帝国主義戦争を打倒せ!」では、「満鉄爆破事件は参謀本部が計画的に行った事」という外務省下級官吏の言葉を紹介。「『満州事変』が盗賊的侵略的帝国主義戦争であることに一点の疑もさしはさむことは出来ない」と指摘しました。

「満州国」支持で132社「共同宣言」
 商業新聞は侵略戦争推進の論陣を張っただけでなく、戦争が拡大するにつれてあらゆる面で積極的に加担していきます。
 テレビのなかった時代、戦地へ派遣した記者による講演会やニュース映画の上映会をたびたび開き、「勇ましい皇軍の活躍」などを宣伝しました。
 さらに、「朝日」は31年10月16日、「満州」の日本軍に慰問袋を送るキャンペーンを開始。1万円を出して2万個送るとし、慰問金を募集、金を寄せた人の名前を連日、紙面で紹介しました。これはのちに軍用機の「献納運動」へとつながっていきます。
 32年2月、日本軍の兵士3人が爆弾をかかえて敵陣に突っ込み爆死した事件を、商業新聞は「爆弾三勇士」「肉弾三勇士」として英雄化し「壮烈無比の爆死」(「大阪朝日」)、「忠烈まさに粉骨砕身」(「大阪毎日」)などと軍国美談に仕立て上げました。さらに弔慰金贈呈や「三勇士の歌」の懸賞金付き募集なども競い合いました。
 このように軍部による強制にとどまらず、より積極的・自覚的に侵略戦争を肯定しそれを推し進める側にたったのが商業新聞でした。そのゆきついた先が32年12月19日の新聞・通信社132社の「共同宣言」です。
 「宣言」は「満州の政治的安定は、極東の平和を維持する絶対の条件である」「満州国の独立とその健全なる発達とは、同地域を安定せしむる唯一最善の途である」と強調。3月1日の「満州国」の建国を国際連盟が承認しないという動きに対して「断じて受諾すべきものに非ざることを、日本言論機関の名に於いてこゝに明確に声明するものである」と述べました。
 ジャーナリズムの役割をまったく投げ捨て、自ら国策メディア化を示したに等しい「宣言」です。

日本軍虐殺など「満州通信」で伝える
 商業新聞の戦争キャンペーンに対し「赤旗」は、「日本帝国主義の満州強奪の駆引 『満州国承認』に反対せよ!」(32年9月15日付)、「『満州国』承認に反対せよ! 中国の完全なる独立のために!」(同9月20日付)と連打しました。
 現地の様子も、商業新聞が戦果≠とくとくと報道するなか、「赤旗」は特別通信員による「満州通信」(32年6月)を掲載し「ロボット」という言葉を使って「満州国政府は日本の思うまゝに操縦されてゐる」と本質を突き、憲兵による捕虜の虐殺や暴行を「高粱(こうりゃん)に火をつけたのを民家に投げ込ませその町全体を焼き拂(はら)つてしまつた」などと生々しいルポで伝えています。
 日本共産党に対する過酷な弾圧が日増しに強まるもとでも、「赤旗」は35年2月20日付(第187号)で発行不能に陥るまで、侵略戦争反対の論陣を堂々と掲げ、国民に立ち上がるよう呼びかけました。全国の工場や職場、学園、農村から兵営や軍艦の中まで、各地で勇敢にたたかう国民の姿を報道し続けました。
 ◇
 弾圧に抗して戦争反対を貫いた日本共産党や「赤旗」の存在は、「反戦によって日本人の名誉を救った」(評論家の加藤周一氏)、「暗い道の行く手を照らすともしび」(俳優の米倉斉加年氏)と高く評価されました。
 戦前、「赤旗」が掲げた真実の追求と反戦・平和の主張は、今日に生き続けます。
 戦後日本の出発点となったポツダム宣言は、軍国主義の一掃と平和的・民主的な日本の建設を求めました。
 これらは日本共産党と「赤旗」が命がけで追求してきたものと合致します。そしてその精神は、戦争を永久に放棄し戦力を保持しないとした日本国憲法として結実していきました。

[90周年関連年表(戦前)]
1928年
 2月1日 「赤旗(せっき)」創刊(謄写版刷り、月2回刊)
1931年
 7月6日 「赤旗」、「日本帝国主義の戦争準備と斗へ!」とよびかけ
 9月18日 「満州事変」。アジア・太平洋戦争始まる
1932年
 3月1日 「満州国」、建国宣言
 4月8日 「赤旗」活版印刷を実現
 5月15日 五・一五事件、犬養毅首相暗殺
 12月19日 新聞・通信社132社、「満州国」支持の「共同宣言」
1933年
 2月20日 小林多喜二虐殺される
1935年
 2月20日 「赤旗」、187号を最後に停刊
1941年
 12月8日 日本、米英などに宣戦布告
1945年
 8月15日 日本、ポツダム宣言を受諾。連合国に降伏

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新春ざっくばらん対談/日本共産党書記局長小池晃さん/精神科医・立教大学教授香山リカさん

201813

香山・国民に分かりやすく共産党の主張とめざす社会を伝えて

 社会的な発信を続ける精神科医で立教大学教授の香山リカさんと医師で「永田町の病気を治そう」と日本共産党の書記局長として日々奮闘する小池晃さんは1960年生まれの同い年です。笑いや拍手まで出た新春対談では、医師の社会的役割から、総選挙の見方や安倍政権打倒のたたかいの展望など縦横に語り合いました。

社会を敏感に感じる医療現場
 小池 あけまして、おめでとうございます。
 香山 ことしも、よろしくお願いします。さっそくですが「杉並・中野・渋谷 多喜二祭」であいさつされますか。
 小池 ええ、その予定です。ことしは戦前の日本共産党員作家だった小林多喜二の没後85周年で2月12日に中野ゼロホールで盛大に計画されています。香山さんが講演をされると聞いていますが。
 香山 ミニ講演です。私は多喜二が活動した小樽の出身なものですから。
 小池 小樽でしたね。で、どうして医師になろうと? 香山さんの本を見ていたら「理学部に落ちたから」とあったけど。
 香山 そうなんです。大学受験に失敗して医学部に。今となってはよかったと思いますけど。
 小池 精神科医には?
 香山 外科や内科は向いていないので。
 小池 僕から見ると精神科医になるために生まれてきたようにみえます。(笑い)
 香山 そうですか(笑い)。小池さんは?
 小池 僕は消化器内科です。
 香山 内視鏡とかなさるんですか?
 小池 内視鏡はけっこう得意でしたよ。医師にいきづまって選挙にでたわけじゃないですから(笑い)。まじめに医師をやっていました。(笑い)
 香山 医療の現場にいると、いちばん社会で起きている問題を敏感に感じることができますね。
 小池 しかも、僕らが医学生から医師になるころは「臨調行革」路線で、どんどん医療制度が悪くなっていました。サラリーマンの窓口負担無料が1割負担になり、老人医療制度も自己負担が始まりました。僕が国会で活動している原点は、この医療改悪で患者さんが経済的に苦しめられている実態が大きかったですね。日本の政治が病んでいる。この病気を治さないといけない≠ニいう思いです。
 香山 私の場合は、精神科医になった前後に、職員が患者さんを暴行・死亡させた宇都宮病院事件があり、入院中心の精神医療がいかにひどいかのルポなどがでていましたから、それを変えようよ≠ニいう熱気や希望が現場にありました。

発信の原点は「診察室の視点」
 小池 香山さんはいまも外来で診療をなさっているんですか?
 香山 外来は週3回です。
 小池 これだけ社会的に発信しながら、医師としての仕事はちゃんとやっておられるんですね(笑い)。発信の原点は診察室の視点ですか。
 香山 その通りです。
 小池 政治的にどんどん発言していくのは、かなり前から?
 香山 2002年の日韓ワールドカップを観戦してこれはおかしいなと思って『ぷちナショナリズム症候群』を出しました。当時でっかい声で「君が代」を歌って「日の丸」を振ること自体がすごくびっくりしました。そういう違和感を本に書きました。『劣化する日本人』との新書も出しましたが、たたかれたりはありません。変な右翼みたいな手紙はきたけど、「ひとつの意見だ」と評価する手紙がたくさんきました。なのに、安倍政権になってからは、そういうことを言うだけで反日的≠セとか言われ、逆に目立っちゃう。異様です。
 小池 普通のことを当たり前にいっても政治がどんどん右のほうに傾いて…。
 香山 そうです。私は医師だから人権は大事でしょう∞一人ひとりは大事にされないといけない≠ニかいいますよ。貧困の問題から心病む人がたくさんいるから格差がいけないと、立場的に常識的なことを言ってもそれが反安倍だ≠ンたいに言われます。私は「安倍さんがやってくれるなら結構です」といいたいぐらいなんですけど。(笑い)
 小池 診察室で見てて、そういう矛盾がどんどん安倍政権になって増えていく。
 香山 その通りです。ちょっとでも転落した人がより状況が悪くなっていくとか。「過労うつ」もすごく多いし。
 小池 若い人だけじゃない。
 香山 女性もすごく大変ですね。女性活躍といわれて、仕事しているのはいいけれど、一方で、日本会議的な母の役割≠ンたいなものもじわじわと強調されているのがよくわかります。仕事と育児の両方をやらなきゃいけない脅しみたいなものがありますね。
 小池 追い詰められている感じ?
 香山 追い詰められていますね、女性が。「保育園落ちた」じゃないけど、待機児童の問題はまだまだあるし、大変ですね。
 小池 精神医療の現場で起こっている事態から、今の政治を告発する役割を香山さんにはガンガンやってもらいたい。
 香山 もちろんですけど、もっと若いポピュラーネームのある発言力のある方にも表に出てほしいですね。
 いま忖度(そんたく)社会で、安倍政権への批判をメディアですると、怒られたりはしないんですけれども、だんだん表に出る仕事がこなくなっちゃうとかあります。知り合いのスポーツ選手の方や小説家の方で、安倍は許せないよね≠ニかいう人でも、書いたり言ったりしたらというと「それは無理だ」と。すごく変なことで深刻だと思っています。
 アメリカでは反トランプで、映画監督、女優さんとかいろんな方も発言しているじゃないですか。
 小池 でもね、最近、日本でもそういう発言をする方が増えているとも僕は思うんだけれども。萎縮している部分もあると思うけど、その一方で、ツイッターでの発信や集会あいさつなど、ひと昔前に比べると、学者や文化人の方が声をあげるようになってきていると。
 香山 逆風もひどいので、その人たちを孤立させないような仕組みをつくりたいのですよね。別に組合じゃないけど。緩やかな集まりがほしいですね。

医学界は戦争協力の総括必要
 小池 僕は、日本の医学界が戦争協力問題をきちんと総括しないままきているのは大問題だと思っています。香山さんが世話人をされている「『戦争と医の倫理』の検証を進める会」の活動はとても大事ですね。
 香山 「検証を進める会」として日本医学会総会に、(戦争協力に関する)医学界の総括を一つの企画としてやらせてくれと申し入れているんです。いまだ実現できませんね。
 小池 あの戦争のときに731部隊などでは、東大、京大、慶応大などの多くの医学者が戦争に協力して、残酷な人体実験を繰り返したという歴史があったわけです。ところが戦争が終わっても、そこで中心的な役割を果たした人物が日本の医学界の中心に座って、医学部の学部長や学長になっていった。あるいは、薬害エイズ事件を引き起こしたミドリ十字(当時)の前身の「日本ブラッドバンク」などをつくった黒い人脈があるわけでしょ。
 香山 ドイツは、ナチ時代に犯した精神障害者の虐殺に精神科医が加担したってことを認めました。
 小池 あれは学会として謝罪をしたんですね。
 香山 そうです。70年の沈黙を破って、会長が追悼式を開いて謝罪と遺族に対する追悼をしたんです。日本だっていまからでも遅くないから、できるはずです。
 小池 過去の侵略戦争への加担への清算と軍学共同に向かおうとすることへの警鐘は、医学に携わるものこそが先頭に立つべきだと思いますね。

「市民と野党の共闘しかない」
 香山 昨年の総選挙はいきなりの解散になって大変でしたね。
 小池 いよいよ解散というときに、小池さんが…僕じゃないほうの小池百合子さんが「希望の党」を立ち上げて、民進党が丸ごと合流しようとして。安保法制と憲法改正賛成を踏み絵にしたから、僕たちはそれでは自民党と何も変わらないから共闘の対象にならないとはっきりいいました。同時に、そういう流れに合流せずに共闘の立場で頑張ろうという動きは歓迎するとアピールして、民進党が希望の党への合流を決めた日に社民党とは20選挙区で共闘することを合意したんです。その後、立憲民主党も生まれました。
 香山 私は政治について明るくはありませんけど、反原発でいっしょにやっている細川護熙元総理から、小池百合子さんは良くも悪くもポピュリズム。だから、どっちにも転ぶ≠ニ聞いていたので、安倍に一矢報いたい≠ニいう気持ちがあったゆえに、小池さんに変な楽観的期待がありました。自分の意見を変えるがゆえにうまく巻き込めばリベラルのほうになるんじゃないかと。
 小池 都政では小池都知事が最初は豊洲移転をたちどまる≠ニいって、私たちも当初は是々非々で臨みました。しかし、その後都民の期待を裏切って豊洲移転をすすめています。もともと小池百合子さんは極右的な思想をもつ改憲論者です。もしも彼女が国政に出てくると、その正体があらわになるのではと。これでは「希望」はもてないと(笑い)。
 香山 あのとき、こちらも一瞬気持ちが揺れたのは、原発ゼロを言い出したじゃないですか。(笑い)
 小池 一瞬ですよね。
 香山 関東大震災時の朝鮮人犠牲者式典に追悼文を送らないというあたりから、排外主義的なものは隠しきれませんでしたね。(共産党の)小池さんたちもいろいろ悩んだんですか?
 小池 正体見たり、という感じで、あんまり困らなかったですよ。
 香山 野党共闘にもですか。
 小池 これしかないと思いました。安倍政権の暴走を止めるためには市民と野党の共闘しかないと。
 香山 私の知っている共産党の谷川智行さん(東京7区予定候補)は、誰がみてもいい人ですが、選挙区候補を結局おりました。悔しい思いはありませんでしたか。
 小池 みな素晴らしい候補者ばかりでした。市民と野党の共闘を守り抜こうと、全国67選挙区で立候補を取り下げるということは決して簡単なことではなく、すごい葛藤がありました。でも、政治を変えたい、安倍政治を倒したいとやっているから、共闘の大義のためにおりる決断をしていただきました。改めてスゴイ党だなと思います。「共産党は身を挺(てい)して日本の民主主義を守った」と多くの識者の方々から評価していただいたのもうれしいことでした。あのまま進んで「希望」が野党第1党にでもなっていたら、改憲推進勢力による二大政党化がすすみ、国会の空気はかなり変わったことは間違いないですよ。逆流をはねのけて野党と市民の共闘をすすめる勢力が、3野党(日本共産党、立憲民主党、社民党)では38議席から69議席に増えました。共産党は緊急事態だったので候補者を一方的におろしてでも共闘のために力を尽くしました。これは、日本の政治が改憲の方向にすすんでいくことを止める力になったと思います。

 かやま・りか 1960年北海道生まれ。東京医科大学卒業。精神科医、立教大学現代心理学部教授。『しがみつかない生き方』、『リベラルですが、何か?』をはじめエッセーや評論など単著・共著多数。

小池・戦争反対を貫いた歴史と平和の展望示す党名は誇り

 香山 なるほど。
 小池 比例代表選挙では共産党自体の議席は減らしてしまうことになり、そこは本当に悔しい結果でした。これは僕たちの力不足だということで、いま真剣に力をつけていこうと努力を開始しています。
 香山 正直言って、国民不信にならないですか。私だったらなるかな(笑い)。立憲民主の支持者の中にも立憲民主のために選挙区で候補者をおろしたから「比例は共産へ」という声もありましたが。
 小池 そういう動きが出てきましたね。
 香山 結局ふたを開けてみたら、比例も、それは別に悪いことじゃないけれど、立憲民主に入れた方も多かったと思うんですね。約束が違うじゃないかとか(笑い)、そういう気持ちにはならないもんですか。
 小池 少しはなりますよ。
 香山 あーっははは(拍手)。正直ですね。
 小池 でも、政治の場面ではそういったことは起こりうるわけです。
 香山 そうですね。
 小池 今回、共産党がいやがられたり、反共産党の風が吹いて追いつめられたという選挙じゃないので。
 香山 誰もが共産党の決断に感謝しました。
 小池 市民と野党の共闘を真剣に求める共産党にたいして、有権者は温かかった。多くの市民のみなさんから「共産党に感謝する」という声が寄せられました。それはすごく支えになっていますね。
 香山 ある意味で次に続くっていう感じですか。
 小池 ええ。今後に続く結果です。ただ僕ら自身の課題は残りました。いまは共闘の時代です。まともな共闘相手が国政の中で生まれてきたときに、共闘相手をリスペクトする=尊重しながら共産党じゃなきゃダメなんだ≠ニ積極的に共産党を選んでもらう活動を日常的に広げなければと。それが僕らの課題だと思っています。
 ことしは、市民と野党の共闘を本格的な共闘にすすめる年にしたいですね。
 香山 逆に言えば、いましかありません。
 小池 いままでの自民党政治は建前ではあっても戦後民主主義の土台の上に政治をやってきたけれども、安倍政治というのは戦後民主主義を否定する政治なわけです。保守というより、反動というか、民意無視の戦後民主主義の破壊者ですよね。
 香山 日本を壊さないで、と言いたい。
 小池 それに対峙(たいじ)するのは、保守的な立場の人もふくめた、幅広い市民と野党の共闘です。

共産党らしさとは何だろうか
 香山 逆にお聞きしたいのは、今の共産党の姿勢や、やってらっしゃることには、何の違和感もないのですが、「じゃあなぜ共産党なの」という共産党らしさはなにかということです。立憲民主主義とか社会民主主義に埋没されない差別化をどう考えるか。
 小池 共産党の個性や共産党らしさをもっと鮮明にうち出した方がいいと。
 香山 自分は無責任な外野ですけれども、共産党っていいんじゃない、正しいんじゃないって思うけれど、逆にそれが、じゃあ共産党じゃなくてもいいんじゃないの?っていうふうになってしまいかねない。
 小池 例えば、政策でいえば、立憲主義・憲法をきちんと守っていく政治を取り戻そうというところまでは、共闘する野党間で一致しています。では、なぜ立憲主義破壊の政治が起きているのかといえば、日米軍事同盟優先の政治があるのです。安保法制=戦争法そのものが「日米新ガイドライン」を具体化するためのものでした。安倍首相が安保法制にあれだけ執念を燃やしたのも日米軍事同盟強化というアメリカの要請にこたえるためです。従属的な軍事同盟をやめて、本当の意味での独立国家になる必要があると共産党は主張しています。
 香山 広い意味にいうと、日本における共産党の立ち位置ということですよね。
 小池 神を信じるものも信じないものも≠合言葉にしたレジスタンスのたたかいがあったヨーロッパとは違って、日本は戦前、共産党以外の政党がすべて大政翼賛会に合流して、みんな戦争礼賛の歴史をもっているなか、戦前戦後を通じて反戦をつらぬいたということは僕たちの誇るべき歴史です。そういう意味でぶれない。いまも絶対に市民を裏切らない。自民党政治の根本にあるアメリカに対する従属や大企業とか財界の政治支配に対してしっかりタブーなく切り込んでいくことは、共産党らしさの真骨頂です。
 香山 それはよくわかります。
 小池 僕らが国会論戦でほかの政党と違うなと思うことがあるのは、企業の名前をあげて追及するときです。ほかの政党は、企業の名前を出すことは遠慮しがちです。共産党は大企業からいっさい献金を受け取っていないこと、「しんぶん赤旗」も大企業の広告を掲載しない。そういうことも大きいと思っています。
 香山 そのときこそ本領発揮ですね。
 小池 沖縄の米軍新基地建設でも、相次ぐ米軍機の事故でも、政府はアメリカに何も言えない。まるで「属国」です。この根源にある日米安保条約をやめて、アメリカとは対等平等の友好条約を結ぶという道を示しているのも、共産党ならではですね。
 香山 オバマ政権のときは対米従属から離脱するとはちょっと言いにくい。オバマさんは核をなくそうとしているのに、と逆に反感を買う。でも、トランプさんが大統領になってからあのアメリカに従うのか≠ニ言いやすいと思いますね。
 小池 核兵器禁止条約だって、国連の会議に参加しようとすらしないですから。
 香山 そうですね。悲しかった。

資本主義乗り越える未来社会
 小池 共産党ならではという最大の値打ちは、社会主義・共産主義というわれわれの掲げている未来社会論です。いまの政治課題として、すぐにそれを実現しようと言っているわけではありませんが。
 香山 現状を肯定しつつ、ビジョンを提供というなら納得します。
 小池 資本主義が人類最高の形態で、これでもう人間の歴史はおしまいなんでしょうか。ここからさらに一歩すすんでいくことができるんではないかと。長時間労働や貧困と格差の拡大のなかで、マルクスが指摘した人間の浪費≠フ実態があり、企業の利潤第一主義がその根底にあります。
 地球温暖化対策もまともな手を打てない。ここにも資本主義の利潤第一主義がその根底にあります。これを本当に解決・コントロールしていくためには、生産手段を一握りの資本家の手から社会の手に移す「生産手段の社会化」が必要じゃないかと。崩壊したソ連は、社会主義とは無縁の抑圧社会でした。僕たちがめざしているのは、発達した資本主義の段階から、国民の合意でそれを乗り越えてすすむ新しい未来社会です。人類の歴史でもはじめての挑戦です。
 香山 それは北欧型とも違う?
 小池 北欧は資本主義社会ですからね。僕らは、当面のビジョンとして、まず資本主義の枠内で可能な民主的改革です。たとえば、僕たちはルールある経済社会づくりをめざしています。ヨーロッパのように労働時間規制をきちんとする、社会保障制度を抜本的に充実する。そういったことを実現した上でさらに、人間の浪費≠ゥら個人の自由の開花など資本主義の制約から解放された社会へ発展する。利潤追求主義から抜け出す社会をつくろうと。だから共産党を名乗っているわけです。いちばんのほかの党との違いですね。
 香山 なるほど。それをきちんと国民にいい形でうち出すといいですね。自民党は「共産主義っていうのはみんなが貧乏になる。近代的な暮らしができなくなる」とか必ず脅し型のプロパガンダできます。
 小池 「人民服を着せられる」とかね。
 香山 普通に聞いたら笑っちゃうようなプロパガンダってすごく有効ですよ。だからこそ、こっちからこういう社会がめざすべき社会なんだということを、うまく出せればいいですね。
 小池 僕らは積極的に共産党を応援してくれる人を増やそうとしているなかで「共産党という名前はどうなんだ」という疑問も寄せられます。むしろ僕は「名前こそ魅力なんだ。名前にこそ価値があるんだ。戦争反対と国民主権を貫いた歴史が刻まれている」と話しています。
 香山 党名を変え、聞こえのいい、ソフトな名前にするのは間違いですよね。
 小池 誤解をとく努力をしっかりしていきたいですね。地道に丁寧に、やっていくしかないと思います。

改憲発議させぬ運動と世論を
 香山 今年って、改憲の国民投票までいくんですかね。
 小池 いやいや、それは絶対にさせない。僕らは、国民投票の発議をさせない≠ニいう一点で、巨大な運動と世論をつくっていく一年にしたいですね。世論調査でも9条を変えることに反対が多数ですから。これをもっと広げていきたい。
 香山 昨年ですが、東京土建調布支部の「憲法勉強会」の講師として行ったんです。ジャンパー着で仕事が終わった人やおかみさん、みんな本当に勉強熱心なの。質問のレベルがすごく高くて逆に「申し訳なかったな、こんな話」って思うくらい(笑い)。現場をもってそこの皮膚感覚でいろいろ考えながらものをいう人って強いなと思いました。
 小池 安倍9条改憲阻止のたたかいでいちばん大きな力になるのは香山さんも呼びかけ人になっている3000万統一署名です。どこでも街頭で訴えると短時間に多数の署名が集まります。やっぱり9条は変えちゃいけないと思っている人は多いですよ。
 香山 大勢集まった昨年の3000万署名のキックオフ集会のとき、どっちかというと高齢の方が多いじゃないですか。みなさんぜったい安倍よりも一日でも長く生きることを目標に元気を出して頑張りましょう≠ニ言ったらみんなにすごく受けて。(笑い)
 小池 いいじゃないですか。(笑い)
 香山 私たちもはっと気づくと還暦に近い感じで(笑い)。いまのようにさえている時間はあと10年ぐらいかもしれないから。やっぱり自分がやってきたことは信じて正しかったって思いたいと思います。
 小池 じゅうぶんに発信しているじゃないですか(笑い)。今年は、安倍政権終わらせる一年にして、改憲もきっぱりあきらめさせる一年にしましょう。
 香山 そうですね。来年も新春対談があれば(笑い)「よかった。終わりましたね」と(笑い)あいさつしたいですね。
 小池 そういう一年にしましょう。

 こいけ・あきら 日本共産党書記局長・参院議員(3期目)。1960年東京生まれ。東北大学医学部卒業。1987年に健康文化会小豆沢病院入職。全日本民医連理事などを歴任。書記局長は2016年4月から。

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共に生きる/北海道「衆院5区の会」共同代表宮田汎さん(80)/生徒の願い、耳離れぬ

201813

 「この年になって、新しい友人が次々できています。私の大切な財産≠ナす」。こう話して喜ぶのは、宮田汎(ひろし)さん(80)=北海道江別市=。「市民と野党共闘をすすめる衆院5区の会」の共同代表を務めています。
 昨秋の総選挙で、逆流のなか、市民と野党共闘を前に進め、安倍政権を猛追し、共闘勢力が4割の議席を獲得した北海道。宮田さんは、札幌市厚別区や江別、千歳、北広島など5区の地域で共闘の先頭に立ってきました。
 樺太(現サハリン)生まれ。終戦直後、北海道へ渡りますが、祖父が乗船を拒否された小笠原丸は、ソ連(現ロシア)軍に攻撃されて沈没。船には宮田さんの同級生がたくさん乗っていました。担任の教員が新聞で教え子を探すものの、1人を除いて消息はわかりませんでした。「戦争は絶対だめ」という宮田さんの原点です。

潮目は16年
 2016年4月の衆院5区補選。当初、「自民党圧勝」といわれていた選挙戦は「市民の風・北海道」と日本共産党、民進党、社民党、生活の党(現自由党)の野党共闘が実現。統一候補の池田真紀氏(現立憲民主党衆院議員)が自民党候補をあと一歩のところまで追い詰めました。
 「『戦争する国づくり』を狙う安倍政権にノーを突きつけようと、全国から手弁当で応援してくれました。国会議員百数十人を動員したといわれる自民、公明とがっぷり四つでたたかい、あの経験がみんなの確信になりました」
 そして総選挙です。宮田さんは街頭からメガホンで訴え、ビラを配りました。そろって宣伝すると、勇気がわいてきたといいます。
 高校教員だった宮田さんは、教え子の顔を思い浮かべ、電話をかけました。受話器の向こうから「先生、覚えてくれていてありがとう」と返事がありました。家族で支持を約束した教え子もいます。
 自衛隊に入隊した教え子や、親にも支持を訴えました。「先生、市民と一緒に平和のために頑張っている共産党に入れます」と約束した教え子から「海外で戦争をしたくないから、憲法を守ってほしい」と逆に頼まれました。教え子の願いが耳から離れません。
 「共闘をして、今までお付き合いのなかった人たちと選挙でふれあい、友人になりました。力を合わせれば、政治は変えられると実感したのが、今回の総選挙でした。市民団体の『市民の風』の他の地域の人とも交流できたことがよかった」

研究執筆も
 宮田さんは、「戦後レジーム(体制)からの脱却」を唱え「戦争する国」を狙う安倍暴走政治を止める活動と合わせて、戦前の暗い時代の国民弾圧を告発する研究者としての顔を持っています。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟道本部の会長を務め、会が発行する機関紙「不屈」の執筆に徹夜することもしばしばです。
 昨年暮れには、希代の悪法、治安維持法によって北海道帝国大学(現北大)や小樽高商(現小樽商科大学)、中国や朝鮮の学生が検挙、弾圧された事件を鋭く告発しました。
 「教員の時は陸上部の顧問でしてね。生徒と一緒にフルマラソンに挑戦し、10`走ることが日課でした」と宮田さん。「これがいま、元気に活動できることにつながっているかもしれません」。スリムな体にファイトいっぱい、活動に研究にと打ち込んでいます。
 (北海道・熊林未来)

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