◆ 福島に生きる 生業訴訟第2陣原告 俳人 菅野サキさん(79)
◆ レッド・パージ国賠訴訟/大阪高裁に再審請求/神戸の犠牲者
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2018年11月27日
日本共産党員と支持者が職場から追放されたレッド・パージの犠牲者で、国家賠償を求め第4次再審請求をしていた大橋豊さん(88)=神戸市西区=と弁護団は26日、最高裁の特別抗告棄却の不当決定(12日付)に対し、抗議声明を出しました。
同訴訟は、1950年にレッド・パージで免職・解雇された大橋さんら3人が、国家賠償を求め2009年に提訴し、神戸地裁、大阪高裁は原告の請求を認めず、13年に最高裁が上告を棄却しました。その後3度、最高裁に再審を申し立てましたが、いずれも棄却され、今年4月、大阪高裁に再審請求。請求が却下され8月、最高裁へ特別抗告していました。
声明では、講和条約発効後、政府と国会が速やかに被害者の救済、立法を行う義務を放置した違法性など裁判の争点を示し、到達点として、(1)被害が現在も続いていることを否定できなかった(2)最高裁大法廷決定の正当性が崩れる重大な事実に国が一切反証できなかった(3)政府が被害実態の調査、救済策の検討すら行わず、衆参両院も請願を放置してきたことが明らかになった(4)大阪高裁判決で、極めて限定的であるが、国の作為義務を認めた―ことを指摘。埼玉弁護士会が「警告」を発するなど、被害者救済を求める運動が進展したことを紹介し、日本国憲法の究極の理念である個人の尊厳と基本的人権が保障される社会を実現するため、引き続き取り組む決意を表明しています。
2018年8月26日
福島市松川町に生まれ育った菅野サキさん(79)は、1949年8月に起きた謀略・弾圧事件、松川事件のことを今も覚えています。
「その日、サイレンが鳴り、周辺を見渡すと火の気は見えませんでした。『機関車がひっくり返っているぞ!』の声で松川駅の方向へ走ったんです。現場は、祖母が生まれた所に近く、機関車が蒸気を噴いていました」
サキさんは「小学校4年生でした」と言います。「家族らからは(松川事件のことは)しゃべるな」と口止めされました。
サキさんは新俳句人連盟福島県支部の会員です。
同支部には2013年7月、93歳で亡くなった元松川事件被告団長の鈴木信(まこと)さんも名を連ねていました。俳句仲間です。
隊列に無実つたわりどよめきの帯
拘置所の闇の裏声五郎助ほうほう
赤とんぼ稲子も消えたコンクリトの街
凍り付く瓦礫のさけび耳鳴りの夜
鈴木さんの俳句です。
今年3月に発行された「『二〇一一・東日本大震災原発事故』を詠む」にはサキさん作の次の句が載っています。
廃炉まで目を離さずに寒静寂
他にサキさんが福島原発事故について詠んだ俳句には、
白鳥わたるフレコンバック派手な彩
凍大根自然の恵み染み込ませ
などがあります。
サキさんが俳句を作るようになったのは10年前に原発労働者だった夫が亡くなってからでした。「(夫を亡くした)空白を埋めるためにやってみたのが俳句でした」
夫は、川崎市の日立造船で溶接工をしていました。1949年から始まった、アメリカ占領軍の指示で日本共産党や支持者に対する無法・不当な解雇を強行したレッド・パージにあって、自営業となり、福島県にある東芝の関連企業の北芝電機関連の仕事に就いていました。北芝の下請けとして二十数年、福島原発で溶接の作業に携わってきました。「夫の健康は不安に思ってきました」
俳句は、同じ町の丹野ミサ子さんの指導を受けました。月1回の俳句会に参加しています。
2011年「3・11」の時は、「いつもと変わらぬ朝が来て、昼に買い物。産直の店にいました。突然、激しい揺れで柱にしがみつきました。近所からみんなが集まり大騒ぎになりました」。
浜通りの知人の2〜3家族がサキさん宅に避難してきて数週間同居しました。
当時同居していた長女の家族も「2人の孫の健康が心配となり」長女は横浜市へ転居していきました。「切ない」といいます。
子等は去り月が子守の雪だるま(サキさん作)
サキさんの実家は農家でした。サキさんも畑を耕して野菜を作っています。「放射能のことが頭から離れません」
「地域を返せ、生業(なりわい)を返せ!」福島原発訴訟の第2陣の原告に加わりました。
「孫たちが健康を害してがんになったらと不安です。絶対に原発をなくし、自然エネルギーに代えさせるために頑張りたい」
(菅野尚夫)
2018年5月30日
レッド・パージ反対全国連絡センターは28日、レッド・パージ被害者の人権回復を求める集会を参院議員会館で開きました。日本共産党の田村智子副委員長・参院議員に、レッド・パージ被害者救済のための特別法制定を求める2万1327人分の請願署名を手渡しました。
レッド・パージとは、1949年から51年にかけてGHQ(連合国軍総司令部)の示唆で政府・財界が推定4万人の共産党員や労働組合活動家を解雇、職場追放した人権侵害事件です。
被害者である兵庫県の男性は、「事件のことを多くの人に話し、関心を高めていこう」と述べ、「被害者は高齢化している。一刻も早い名誉回復と救済を」と訴えました。
北海道、神奈川、埼玉、栃木、大阪の代表も決意を述べました。
日本共産党の畑野君枝衆院議員、井上哲士、山添拓両参院議員のほか、共産党以外で初めて立憲民主党の有田芳生参院議員、自由党の山本太郎参院議員があいさつしました。
集会の前には、議員請願も行われました。
2018年4月28日
レッド・パージ(1949年〜50年)によって不当解雇された藤村三郎(92)、渡辺勇一(90)、長尾正一(91)の3氏=いずれも盛岡市在住=は26日、岩手県庁で記者会見し、岩手弁護士会の人権救済勧告(2017年9月22日)を力に今後もたたかう決意を述べました。
3氏は16年2月4日、同弁護士会へ被害者の名誉回復と補償を求める「人権救済申立書」を提出。同弁護士会は人権侵害だと明確に認定し、内閣総理大臣、日本通運と独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構(旧国鉄)に被害者の名誉回復と補償の速やかな実行を勧告しました。
同趣旨の勧告は日弁連(2回)と、岩手も含めて13の弁護士会から出されています。会見で藤村氏は「旧国鉄(49年)についてもレッド・パージだと認め、救済勧告をしたのは岩手が初めてだ」と意義を強調しました。
日本共産党、国民救援会、いわて労連の代表も同席し「過去の人権侵害の救済は、官公庁や民間企業で労働者の思想・良心の自由を守らせる現在の運動と結び付いている」と訴えました。
2018年4月11日
日本共産党員と支持者が職場から追放されたレッド・パージの犠牲者で国家賠償請求訴訟をたたかった男性(88)=神戸市西区=と弁護団は9日、神戸市内で会見し、11日付で大阪高裁に再審請求をすると発表しました。
同訴訟は、1950年にレッド・パージで免職・解雇された男性ら神戸市の3人が、国家賠償を求めて2009年に提訴。神戸地裁、大阪高裁とも原告の請求を認めず、13年4月に最高裁は上告を棄却しました。その後3度、最高裁に再審を申し立てましたが、いずれも棄却されています。
佐伯雄三弁護士らは大阪高裁判決が「講和条約発効後に日本政府が救済すべき作為義務が発生するのは、日本政府が実質的にレッド・パージを主導し、連合国最高司令官の強大な権限を積極的に利用したような場合に限られる」としたことを紹介。国の救済義務が発生する場合があると認めたことは一歩前進だとして、「政府の主導が認定されれば賠償が可能になる」と述べました。
再審訴状では、50年のマッカーサー書簡以前からも一貫して日本政府が主導してきたことが詳しく述べられています。
男性は「私が話せる時間も限られてきた。よろしくお願いします」と語りました。