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2010

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「併合」100年日本と韓国/第3部/未来みつめて/4/市民参加で展望開く

「併合」100年日本と韓国/第3部/未来みつめて/3/「東アジア共同体」を

「併合」100年日本と韓国/第3部/未来みつめて/2/コリアNGOセンター金朋央さん

「併合」100年日本と韓国/第3部/未来みつめて/1/祖国に遺骨戻るまで

番組改変事件10年/NHKの自立とこれから/4/放送を語る会/真相解明に迫った市民の力

番組改変事件10年/NHKの自立とこれから/3/職員の思い/政治からの独立を願う

番組改変事件10年/NHKの自立とこれから/2/原告の思い/市民が声を上げ続ける大切さ

まど/日本人にできること

番組改変事件10年/NHKの自立とこれから/1/ジャーナリズム全体の問題

女性国際戦犯法廷から10年/国際シンポで証言/慰安所で身ごもった母/「日本兵の子」と侮蔑された息子

「慰安婦」被害の母子歓待/政府は問題解決早く/京都で支援者ら

戦後補償/日韓弁護士会が共同宣言/「慰安婦」解決を提言

受信料制度の見直し検討/受信料とは/公共放送を支えるために信頼関係で成り立つ制度

戦争くり返さない/仙台で集い/吉川春子氏が講演

主張/アジア・太平洋戦争69年/世界と日本に平和を築く責任

女性国際戦犯法廷から10年/戦時性暴力号泣の証言/シンポ

暴かれた真実 NHK番組改ざん事件―女性国際戦犯法廷と政治介入/VAWW―NETジャパン編/評者岩崎貞明『放送レポート』編集長

「慰安婦」要望書、国に働きかけよ/京都府議長に宗教者

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「併合」100年日本と韓国/第3部/未来みつめて/4/市民参加で展望開く

 真に未来志向の日韓関係を開くためには、何が必要なのか。韓国の弁護士で市民運動家としても知られる朴元淳さんに聞きました。
 ◇
 2000年に東京で行われた「女性国際戦犯法廷」で、私は検事団の一員でした。不思議に思うのは、植民地支配に対する補償措置を思い切って済ませてしまえば、日本政府は自由になれるのに、なぜやらないのかということです。
 力が支配する時代、ほとんどの国が過ちを犯した時代でした。その時代の過ちを、なぜ未来に持って行こうとするのでしょうか。

道見つける場
 未来へのビジョンを具体的に実践すれば、韓国の新しい世代は「謝罪せよ」とは言わないでしょう。
 1965年の日韓基本条約で解決できなかった問題に決着を付ける必要があります。ハンセン病患者、「慰安婦」、サハリン残留韓国・朝鮮人、日本と北朝鮮の国交正常化…。
 大事なことは、政府だけで解決しようとしないことです。政府、非政府組織(NGO)が集まって、どう解決できるか論議をして、未来に向かって何ができるのか、なぜ両国の友好が大事なのか、道を見つける場を設けようではありませんか。
 政府はしばしば悪い意味で「政策の連続性」にこだわります。政府、市民団体、被害者が参加して、新たな政策を練り上げる構造をつくり上げ、歴史問題に終止符を打つのです。

学び合う運動
 私は日韓両国で「希望製作所」と名付けた団体を立ち上げ、「まちづくり」をテーマにして、日本の市民運動から学ぶ活動を進めています。日本の運動を参考にして、韓国の自治体首長を相手にしたセミナーも開いています。お互いに学び合えることは多いはずです。
 こうした運動は東アジア全体でも必要だと思います。各国の長所を学び合う運動を市民レベルで展開することで、政府間関係の変化を促す土壌をつくることもできるでしょう。未来へのプロジェクトはたくさんあります。
 歴史問題の解決には新しいビジョンが伴う必要があります。補償措置というのは、金銭的な清算だけを意味するのではありません。
 来年、韓中日3カ国協力のための政府間常設事務局が韓国に設置されます。各国で国民の納得を得られる未来志向の協力プロジェクトをつくるためには、市民も参加できる制度が必要です。
 外交は政府だけが主体ではありません。互いに否定的な印象を解消して、国民間の友好的な感情を育てるためには、市民が動かなければならないでしょう。
 (おわり)
 (連載は面川誠、栗原千鶴が担当しました)

弁護士朴元淳さん
 1956年生まれ。大邱地方検察庁検事を経て弁護士に。80年代から人権弁護士として活躍。94年に市民団体「参与連帯」結成。2000年の女性国際戦犯法廷で検事団員。06年に韓国で「希望製作所」を、07年に「日本希望製作所」を設立。
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2010年12月31日,「赤旗」) (Page/Top

「併合」100年日本と韓国/第3部/未来みつめて/3/「東アジア共同体」を

 近年論議が活発化している「東アジア共同体」を実現させる上で、どのような課題を解決すべきなのか。元韓国軍高官で南北統一運動を続けている孫章来さんに聞きました。
 ◇
 菅直人首相が8月に発表した談話は、韓日関係の発展に向けて一歩前進したものだと思います。
 植民地支配が韓国人の「意に反して行われた」と明示したからです。韓国人の立場としては、「併合」条約自体は強要されたものであり、不法でもともと無効な条約だと考えるので、首相の表現は十分ではないと考えますし、「慰安婦」、強制徴用、勤労挺身隊などの問題も誠意のある措置がのぞまれると思いますが。
 菅首相が言及した東アジア共同体構築というビジョンは、重要な議題であり、関係国すべてが非常な関心を持って効率的に推進すべきだと思います。

欧州では実現
 このビジョンは欧州ですでに欧州連合(EU)として実現しており、韓日中と東アジアにおいて必ず実現すべき構想です。日本のビジョンに注目しています。
 欧州諸国が戦争による犠牲を繰り返した教訓の上に、半世紀以上の真剣で困難な過程を経て誕生させたEUは、東アジア共同体構築の先例として参考になると考えます。
 菅首相は談話で、東アジア共同体構築が目指すこの地域の平和と安全にとっての課題、たとえば核軍縮、気候変動、貧困などを挙げましたが、世界平和と繁栄にとって、北朝鮮とのさまざまな懸案の円満な解決は必須不可欠だと思います。
 北朝鮮との戦後処理問題は、韓国や米国との緊密な協議が並行するでしょうが、日本なりの大きな度量を持ったアプローチが考えられます。

熟慮すべき時
 拉致問題が今後も引き続き「前提」となるべきなのか、植民地支配による苦痛や犠牲に対するきっぱりとした清算を歴史的な視点で捉え、それぞれを別の事柄として処理すべき問題なのか、核問題を含め、ある特定の問題を前提条件とせずに、同時一括妥結する方式が日朝双方の実利になるのか、熟慮すべき時点に至ったと考えます。
 韓国と日本は2000年の間、争った期間―豊臣秀吉の侵略、植民地支配など約100年―よりも、緊密な交流と相互援助の時期の方がはるかに長い関係でした。
 犬猿の仲だった英国と欧州大陸がドーバー海峡海底トンネルでつながれたように、今後の100年の間に、日本と韓国の間にも九州―対馬―釜山を海底トンネルでつなぎ、中国鉄道、シベリア鉄道とともに高速道路で連結され、東アジア共同体が実現する日を夢見ています。
 (つづく)

元韓国軍高官孫章来さん
 1927年、開城生まれ。50年に陸軍少尉。従ベトナム韓国軍司令部作戦参謀(初代)、合同参謀本部戦略企画局長を経て80年に予備役編入。駐マレーシア大使、駐米公使を歴任後、現在は民族和解協力汎国民会議(民和協)顧問。「赤旗」)(Page/Top

「併合」100年日本と韓国/第3部/未来みつめて/2/コリアNGOセンター金朋央さん


互いの努力で信頼を
 コリアNGOセンターの東京事務所は、東京都新宿区のコリアンタウンの一角にあります。2004年に大阪を拠点として生まれた同センターは今年7月、東京にも事務所を開設しました。
 在日コリアン社会の発展や南北コリアの平和と統一の実現、東アジアの一員としての平和構築などを求めています。民族学級・民族学校の支援や、外国人向けの無料法律相談の実施や、日韓NGOのネットワークづくりなどを行っています。

価値観多様化
 東京事務所で働く金朋央さん(36)は、「いま在日≠ニいっても国籍や価値観などが、いっそう多様化してきている」と語ります。
 同センターの会員も国籍はバラバラです。植民地時代から日本に住む特別永住者の子孫や韓国人と日本人の親を持つ子ども、ニューカマーといわれる第2次世界大戦後に来日した人たちの子孫なども含まれています。
 そのなかで特定の政治的利害にとらわれず、在日コリアンとしての特性を生かすことができる団体が必要になっていると同センターの意義を語ります。
 金さん自身は、韓国国籍を持つ両親の元に生まれました。北陸の出身で、周りに在日は少なく、幼いころは通称名を使っていたといいます。しかし、母親がニューカマーだったこともあり、周囲に隠すことはしませんでした。
 大学入学のために上京した金さんは、本名を名乗り始めます。「偶然、生まれた自分の境遇で、不利益を被るのはおかしい」とサークルやNGOに参加。今年6月から同センターで働いています。
 同センターは、11月23日に起きた北朝鮮による韓国・延坪島への砲撃事件に対して、声明を発表しました。北朝鮮の砲撃をまず非難するとともに、韓国政府に対しても軍事演習の中止などを要求。日本や米国、中国などに対しても平和的解決のために自制的態度で、南北に対話を促すことを求めています。
 「冷戦を熱戦にしてはいけません。自分たちの祖国が、二度と戦争をしないでほしい。その思いからの声明です」と金さん。

相手差別せず
 日本と朝鮮半島、そして在日の問題を前向きに解決するにはどうしたらいいのか―。
 金さんはいいます。「まず、自分が責任をもつ社会の問題を解決することではないでしょうか。私で言えば在日社会をよくしたい。偏狭なナショナリズムではなく、差別されたからこそ相手を差別せず、平和で人権が保障される市民社会に成熟させたいというのが目標です。日本でいえば、歴史の清算であったり、米軍基地の問題であったり、自分たちの課題と向き合い、まず解決してほしい。そうした互いの努力があって信頼関係が生まれるのではないでしょうか」
 (つづく)
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2010年12月28日,「赤旗」) (Page/Top

「併合」100年日本と韓国/第3部/未来みつめて/1/祖国に遺骨戻るまで

 「祖国の平和統一を願う」在日朝鮮・韓国人のための寺が東京都東村山市にあります。その名は「国平寺」。祖国の「国」と平和の「平」から名づけられました。

戦争終わらず
 寺院の地下には、ひんやりとした空気が漂う納骨堂。ここには祖国に帰ることができなかった約1500人の遺骨がロッカー式の棚に納められています。
 3代目の尹碧巖住職(54)は、「明日にでも故郷へ遺骨を持っていくことができるよう、一時預かりという形です。墓がない人や故郷の土に返りたいという一世の遺言を守るために預けにくる人などで、故郷に墓をたてたからと、とりにくる方もいらっしゃいます」
 納められた遺骨のうち300人が無縁仏です。そのなかで、忘れられない遺骨があると尹住職はいいます。
 2000年2月に亡くなった金百植さんです。金さんは1944年、日本の植民地時代に日本軍に徴兵され、戦地で精神を病みました。45年5月に日本の病院へ。戦後は、同寺の隣の小平市にあった武蔵療養所(現在の国立精神・神経医療研究センター)に転院し、亡くなるまでの55年間を過ごしてきました。
 亡くなった後、外国人登録証が見つかりました。職員が韓国に問い合わせると「分からない」とのこと。遺骨は無縁仏として、国平寺に届けられました。
 尹住職は、司法書士を通じて再度、韓国に身元照会。弟の所在が分かりました。1年後、電話で遺骨の引き取りを依頼すると弟はいいました。「強制的とはいえ兄は軍人として日本の戦争に加担した。その兄を許せないから、遺骨はいらない」
 尹住職は「55年がたっても戦争は終わっていなかったことを実感しました」と語ります。2004年にその弟が来日。金さんの遺骨は故郷に戻りました。

遺志をついで
 同寺を開いたのは先々代の柳宗黙住職です。1930年代、日本に渡り京都で仏教を学んだ柳住職。65年に祖国が統一するまで在日がよりどころとする寺が必要だと考え、荒れていたこの寺を見つけ、開山しました。
 柳住職の弟子だった尹住職の父親は、もともとは韓国にある海印寺(現在は世界遺産に登録されている)の僧侶でした。10年の「韓国併合」で、朝鮮半島の寺には日本人の僧侶が次々送り込まれてきました。父親は日本での勉強を勧められ日本に渡り、京都で修業中に柳住職と出会います。
 「先々代が寺を開いたとき、こんなに長い間、遺骨を置いておくことになるとは思ってもいませんでした。私も寺を継ぐつもりはなく機械工学を学んでいたのです」
 寺が開かれて45年。尹住職はいいます。「ここは北でも南でもありません。遺骨が祖国に戻れる日まで、先々代の遺志をついでいきたいと思います」
 ◇
 朝鮮半島にルーツを持ち「在日」として生きる人々の姿を追うとともに、韓国で平和と統一を願い市民運動を続ける識者らのインタビューを紹介します。
 (つづく)
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2010年12月27日,「赤旗」) (Page/Top

番組改変事件10年/NHKの自立とこれから/4/放送を語る会/真相解明に迫った市民の力

 NHK番組改変事件は、市民の間でも注目されました。番組制作者を支え、真相の解明に迫ったのは、市民の力でもあります。
 初めに取り上げたのは、市民や放送労働者、研究者が集まる「放送を語る会」です。「会」のメンバーは、2001年にETV番組制作中の東京・渋谷のNHK放送センターに、右翼が「番組中止」をいって押し寄せたのを目撃していました。

外へ向かう活動
 「語る会」は01年11月に第1回放送フォーラムを開きます。改変事件をテーマに、ETV番組にかかわった坂上香ディレクター(当時ドキュメンタリージャパン所属、後に制作を降りる)に報告してもらいました。「語る会」は1990年のスタート。仲間内で研究・討議を続けてきましたが、放送フォーラムでは広く参加を呼びかけました。
 代表の今井潤さんは「私たちの活動が外へ向かって、大きく変わった」と振り返ります。
 今井さんはNHKの元編集マン。事務局長の小滝一志さんは、事件当時NHK名古屋放送局に勤務し、「中学生日記」などを手がけていました。
 「事件を裁判に訴えたバウネット・ジャパンの西野瑠美子さん(共同代表)が、『NHKにもみなさんのような方々がいると、励みになりました』と言ってくれました」と小滝さん。「語る会」は、放送フォーラムを2カ月ごとに開き、番組改変問題を5回取り上げてきました。
 政治介入を訴えたNHKの永田浩三、長井暁の両プロデューサーが初めて、そろって公の席で問題を訴えたのは、会が主催する年に1回の「放送を語るつどい」でした。昨年のことです。
 今井さんも小滝さんも口をそろえます。「NHKを民主的なものにしていくには、NHKの中にいる僕たちと市民のみなさんが結びあって運動していくことが必要です。つどいやフォーラムを通じて、市民とのつながりが広がっていきました」

残された問題は
 「語る会」にとって、もう一つの転換になったのは、05年の長井さんが内部告発をした記者会見です。
 小滝さんは「勉強会や討論に加えて、『会』としての意思表明をしていく、きっかけになりました」と言います。
 「番組改ざんの真相解明を求める声明」(05年)、永田さん、長井さんに対する「人事異動についての見解」(06年)などを発表。08年には、BPO放送倫理検証委員会に「改変事件の真相究明への取り組み」を要請しました。
 小滝さんは、NHKを定年退職した今でも思うことがあります。「自分が永田さんや長井さんのような場面に置かれたら、果たしてどうだったか」
 改変事件で、まだ明らかにされていないことがあります。NHK会長がどうかかわっていたのかも、その一つ。01年放送日の大幅な改変前に、番組制作局長が会長に呼ばれて、何を告げられていたのでしょうか。
 事件を機に、公共放送のあり方を考える市民団体が各地に作られました。放送の受け手ではなく、「ものを言って」参加する市民の活動へと飛躍。政治の圧力を許さない国民の声が、放送の将来を担おうとしています。
 (おわり)
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2010年12月22日,「赤旗」) (Page/Top

番組改変事件10年/NHKの自立とこれから/3/職員の思い/政治からの独立を願う

 番組改変事件について、NHK職員はこの10年の間、どう考えてきたのでしょうか。
 改変されたETV番組のデスクだった長井暁さんが、2005年に政治介入を内部告発した直後、これを重大な問題だと考えた職員が集まり勉強会を開きました。長井さんや番組を担当したプロデューサーの永田浩三さんらから事件の経緯を聞き、論議したのです。40数人が参加しました。
 その中で執行部に文書で申し入れをしようということになりました。「NHK職員有志」の名で、「政治と距離を置き、放送の独立を確保する」ことを要望した提言を出したのです。
 08年6月に最高裁が市民の訴えを退ける判決を出すと、NHKは改めて「政治の介入はなかった」とし、幕引きをはかろうとします。
 これをよしとしない、職員が動きだします。08年9月、今度は「『ETV2001』改変問題を考える有志の会」が、BPO放送倫理検証委員会へ申し入れます。「会」は公共放送の根幹にかかわる重要な問題であることを主張し、BPOの調査・検証を強く要請しました。

BPO「意見」
 翌09年、BPOは「意見」を発表します。NHK幹部が安倍晋三官房副長官と面会後に大幅に番組が作り変えられたことを問題にし、「NHKの自主・自律を危うくし、疑念を抱かせる行為」と判断しました。
 さらに「意見」は、NHKが「放送倫理基本綱領」に「自主・自律」を掲げていることについて、理念をのべるだけではなく「番組を通じ、またそこで働く職員一人ひとりの言動を通じて示し」、視聴者の信頼を築くことが大切であると述べています。
 現場制作者の良心が幹部の業務命令とぶつかったとき、業務命令を拒否できるのか、拒否すれば配転や解雇されることにならないか。BPOの「意見」は、「放送人にとって、良心とは何か。譲れない、譲ってはならない一線とは何だろうか」と問いかけ、現場制作者の内部的自由の確保を放送界で議論するよう呼びかけました。
 その後、NHKの中から目立った活動は見えてきませんが、政治からの独立を求めた彼らの願いは、NHK職員の間に確実に広がろうとしています。
 (つづく)

番組で応えたい

制作の現場では
 一人のNHK職員が取材に応じてくれました。事件については強い関心を持ってきました。
 「BPOの『意見』の論議はありました。論議して結論を出したというより、それぞれなりに考えて、きちんと受け止めていこうと」
 政治の圧力への怒り、番組を作り変えられた悔しさ、永田さんや長井さんのことを支えたい、視聴者とつながっていきたいという気持ち。「その全部でしょうね。支えるというと、おこがましいです。いまでも僕たちの間では話に出ますね」
 日本軍「慰安婦」を取り上げた番組は、10年間作られていません。
 「いま、『慰安婦』の問題をやるなということは、いっさいありません。どんな番組でも、新しい切り口が必要です。もし、その切り口が見つかれば必ずできます。もうつぶされる状況ではありません」
 最後に力を込めた言葉が返ってきました。
 「僕らができること、それは一つ一つの番組で応えていくことだと思っています」
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2010年12月21日,「赤旗」) (Page/Top

番組改変事件10年/NHKの自立とこれから/2/原告の思い/市民が声を上げ続ける大切さ

 番組への政治介入を防ぐために、不可欠な放送局の自主性。NHK経営委員の任命権が総理大臣にあるなどの理由で、政治からの独立には限界があるともいわれます。「それでも市民が声を上げ続ければ、ブレーキはかけられる」というのは、番組改変事件で原告としてNHK裁判をたたかった、市民団体バウネットジャパンの共同代表・西野瑠美子さん(58)です。

確信できる事実
 西野さんは「今こそ市民は何が起きたのかを確認できるときです。NHKの番組制作者だった長井暁さんや永田浩三さんが真相を話してくれて、これだけ確信できる事実が出てきました。10年かかって明らかになった事実に対して、『裁判が終わったから』でいいのでしょうか」と問いかけます。
 バウネットは、女性国際戦犯法廷(2000年12月)を主催した国際実行委員会の一員。バウネットがNHKの取材に協力してつくられた番組が、自民党幹部の圧力で改変された「ETV2001」でした。
 西野さんは事件について、「10年たっても市民が声を上げ続ける、大きな市民運動になりました。メディアが政治の圧力に屈したとき、社会が一つの方向に引っ張られてしまう。それに危機感を持った人々の思いが結集した、一つの事例です」と語ります。
 バウネットが相談したとき、支援者も「難しい」と裁判に消極的でした。しかしバウネットは、「被害者の声を封じたNHKを許せない。真相を明らかにしたい」と、提訴に踏み切りました。前バウネット代表の松井やよりさんの死後も、後を継いでたたかいました。
 97年に東京で開かれた国際会議で話された、戦時性暴力は犯罪として裁かれないから繰り返されるという「不処罰問題」に衝撃を受けました。「加害国の女性が声を上げよう」と、松井さんを中心に98年にバウネットを結成。元「慰安婦」の戦後補償問題に取り組んできました。「被害を受けたのは国ではなく、一人ひとりの人間だということを、若い世代にも知ってもらいたい」
 番組は、元「慰安婦」の被害の証言や、元日本兵の加害証言などが削られ、法廷に否定的な学者のコメントを追加。さらに法廷を評価するコメントが切り刻まれました。

改変番組公開を
 「この事件で、良心的な制作者の方々が制作現場を離れざるをえませんでした。だからこそ、私たちは結果を出さないといけません。すくなくとも、NHKアーカイブスに、改変された番組を公開させないといけないと思っています」
 (つづく)

NHK裁判
 旧日本軍「慰安婦」問題を取り上げたETV番組「問われる戦時性暴力」(2001年放送)が改変されたとして、取材協力者の市民団体バウネットジャパンが提訴(01年7月)しました。東京高裁判決(07年1月)では「政治家の意図を忖度(そんたく)して改編」と政治家の圧力を認めました。最高裁判決(08年6月)では政治介入について判断を避けました。
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2010年12月19日,「赤旗」) (Page/Top

まど/日本人にできること

 日本の侵略戦争が生み出した罪の大きさを突き付けられました。5日に開かれた女性国際戦犯法廷から10年・国際シンポジウムでの証言でした。
 ○…日本軍に戦時性暴力を受けた中国の韋紹蘭さん(86)。慰安所で身ごもった息子・羅善学さん(65)。羅さんは1945年8月20日に生まれました。「母と私はこのときから沈痛な心の傷を負うことになりました」―。村の人たちは「お前は日本人だ」と羅さんを罵りました。育ての父は羅さんを虐待し、学校に通わせず、雑穀を与え、妹らと差別しました。母・韋さんには「売女(ばいた)」などと冷たい言葉を浴びせました。
 ○…「慰安婦」とされたがために、日本兵の子として生まれたがために、侮蔑の人生を強いられました。日本が復興に向かう一方で、被害者には耐え難い戦後が始まりました。戦後65年、初めて来日した羅さんはいいました。「私はやっと日本に来た。私の不名誉を清算するために来た。私にもプライドがある。日本政府に謝ってほしい」
 ○…羅さんは日本政府に対し、母への謝罪を強く求めています。韋さんが、慰安所に連行されたときの話に触れ涙を流すと、耐え切れず叫びました。「日本人としてごめんなさい」。ひたすら謝る羅さん。そんな息子を直視できず、涙をぬぐう韋さん。苦悩する2人の姿を目の当たりにし、戦争は終わっていないと思い知らされました。日本人として何ができるのか。政府は被害者の声にこたえなければいけません。
 (本)
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2010年12月18日,「赤旗」) (Page/Top

番組改変事件10年/NHKの自立とこれから/1/ジャーナリズム全体の問題

 日本軍「慰安婦」問題を取り上げたNHKのETV番組(2001年1月30日放送)が、自民党幹部の圧力で改変された事件から10年。NHKの元スタッフや番組の取材に協力した人々、市民らが事件の真相を明らかにし二度と繰り返さないように、と求める声を上げ続けています。

制作者の思い
 10月末、東京で開かれたシンポジウム「NHK番組改変事件、10年目の検証」。参加した200人を前に講演する長井暁さん(48)の姿がありました。長井さんは元NHKプロデューサー。ETV番組の制作担当者です。
 「あの時、何が起きたのか?」と題して、10年前、NHKの制作現場で起きたことを詳細に語りました。

上層部の指示で
 とくに放送直前に、NHK上層部から、元「慰安婦」や日本兵士の証言のカットを指示されたときの模様を語る段になると感情がにじみました。
 「われわれスタッフにとっては番組の最後のよりどころともいえる部分。そこを切られたわけです」
 シンポを開いたのは、市民団体のバウネット・ジャパン。「バウネットのみなさんにこういう形でお話しするまでに10年かかってしまいました」と長井さん。
 バウネットは番組の取材に全面協力していました。ETV番組は、2000年開催の女性国際戦犯法廷を通して「慰安婦」問題に迫る企画でした。この女性法廷は、バウネットが主催団体の一つ。しかし、改変によって女性法廷の趣旨は大きくゆがめられてしまったのです。01年7月、バウネットはNHKを相手に番組改変を裁判に訴えました。

局面変えた告発
 裁判の局面を大きく変えたのが、05年、長井さんが記者会見して政治介入を訴えたことでした。会見を受けて、NHKのスタッフが集まり、事件の真相を究明しようと勉強会を開きました。
 「会に参加するだけで上司に『よく考えろ』と言われる状況でしたが、たくさんの人が応援してくれました。NHKには、いい番組を作りたいという人がたくさんいます。町工場を営み、家族が懸命に生きるドラマを見て、僕へのエールだと感じました」(長井さん)
 もう1人、政治の圧力を告発する人がいます。NHKのプロデューサーだった永田浩三さん(56)です。ETV番組の制作責任者でした。裁判で証言にも立ちました。しかし、永田さんは番組を放送した当初は違う気持ちでした。
 「テレビではほとんど取り上げない女性法廷を扱った番組だった。何も訴えられる筋合いはないと考えました。市民のみなさんが番組改変を問題にしていましたが、一緒に声を上げる勇気がありませんでした。制作現場から外されることを恐れていたんです」
 そんな迷いをふっ切ったのは、長井さんの記者会見でした。
 「私たちは本当のことを伝えるために、視聴者の方々から受信料をいただいて番組を作っているんです」と永田さん。

「劇的な進歩」も
 2人は09年に退職しました。今もNHKは、政治の圧力で改変したと認めていません。自主的に作り変えた、としています。
 長井さんは言います。「被害を受けた人は絶対に忘れません。事件は日本のジャーナリズム全体の問題。あいまいにしておくことが、NHKを傷付け続けるのです」
 NHKは「政治家に番組を説明することは通常業務」としていたのが、09年に福地茂雄会長が「説明しない」と態度表明しました。市民やNHKのスタッフらが変えた「劇的な進歩」と永田さんは考えています。
(つづく)

番組改変事件の経緯
 2001年1月26日 番組制作局長が「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」委員一覧を示し、永田さんに「言ってきているのは、この人たちよ」と言う。放送総局長、番組制作局長、国会担当局長らが試写。追加取材を指示。
 28日 教養番組部長が試写、OKを出す。
 29日 放送総局長が国会担当局長に伴われて、安倍晋三官房副長官と自民党国会議員複数と面会。2人が帰局後、試写。国会担当局長から改変指示が伝えられる。日本政府の責任に触れている部分などが削除される。
 30日 放送総局長が教養番組部長に3分カットを指示。元「慰安婦」が証言中に失神する場面などを削除。通常より4分短い40分で放送。

女性国際戦犯法廷
 2000年12月に東京で国際実行委員会が主催した「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」。「慰安婦」をはじめ、日本軍の性暴力を裁くことを目的とした民衆法廷です。韓国、北朝鮮、中国、台湾、フィリピン、インドネシア、日本の七つの人権・市民団体が、国際実行委員会を構成しました。アジア各国から被害女性64人が訴えて、文献上の証拠などから性行為の強制を立証。日本と昭和天皇を有罪としました。
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2010年12月15日,「赤旗」) (Page/Top

女性国際戦犯法廷から10年/国際シンポで証言/慰安所で身ごもった母/「日本兵の子」と侮蔑された息子


黙って生きるしかなかった
 「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」(2000年12月)から10年。5日、東京都内で市民・女性団体による国際シンポジウムが開かれ、中国から来た親子が初めて証言しました。被害女性の韋紹蘭さん(86)と息子の羅善学さん(65)です。
 本吉真希記者
 
 1944年11月、中国・桂林で暮らしていた韋さんは日本軍が来ると聞き、夫と山の洞窟に隠れました。ある朝、娘をおぶって洞窟を出たとき日本兵らに捕まり、他の女性らと連行されました。慰安所に監禁され、日本兵から性的暴行を受ける日々が続きました。
 3カ月後のある夜、娘を抱え、15`bほどの道のりをはいつくばって逃げました。夫と再会したとき「声も出ず、何をどう説明していいかわからなかった。抱き合って大泣きしました」。
 夫婦は再び仲良く暮らしました。しかし、韋さんは慰安所で身ごもっていました。その子・羅さんが生まれると、村人は「日本鬼子の子だ」とうわさし、夫は韋さんに「恥知らず! 淫乱女!」と罵倒し始めました。
 「お母ちゃんは父から冷たく、軽蔑されてきた。でも、黙って生きるしかなかった」と羅さん。自身も育ての父の暴力で、左足は不自由に、右目は失明しました。妹らとは差別されました。「自分は本当の子ではないから仕方がない」
 日本兵の子であることから侮蔑され続けた人生。「私の名誉は一生かけても回復できない。日本政府はお母ちゃんに謝ってほしい」。羅さんは母親に恥をかかせまいと必死に生きてきました。
 母親の韋さんが心をすり減らすように証言する姿を目の当たりにした羅さん。抑えていた感情があふれ出ました。
 「お母ちゃん、あれほど苦労して…。日本人として、ごめんなさい、ごめんなさい…」。そして「私を産んでくれてありがとう」と、その場にひざまずき、ただひたすら謝りました。
 会場を埋めた520余人の参加者はじっと聞き入りました。
 同じ被害者として、フィリピンのナルシサ・クラベリアさん(80)と韓国の姜日出(カン・イルチュル)さん(82)も証言し、一日も早い解決を求めました。

日本政府は謝罪・補償を
 女性国際戦犯法廷から10年がたちましたが、被害者への謝罪と補償は実現していません。一方、国の枠を超えて連帯運動は広がっています。被害女性自身が「被害者」から「主体的運動家」となり、国際社会を動かしてきたと実行委員会は指摘します。
 民主党は野党時代、共産、社民両党と戦時性暴力被害問題の解決促進法案を国会に提出してきました。そのため民主党が昨夏、政権をとると、支援者らは解決の前進を期待しました。しかし、民主党の後ろ向きな態度に失望しています。
 運動は現在、日本や韓国、米国などで問題の立法解決を日本政府に求める国際署名が進められています。11月25日には61万832人分が政府に提出されました。
 地方議会(日本36議会、韓国37議会=12月5日現在)は意見書や決議を採択し、日本政府に解決を迫っています。
 「何かしたい、何かしなければ」と思った日本の若者らは04年、「旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画」を結成。証言集会を重ねてきました。
 同京都実行委員会の村上麻衣さん(31)は「おばあさんたちは身を削って、傷を開いて、思い出したくない過去を思い出し、私たちに『忘れてはならない』ということを伝えてくれようとしています。彼女たちの歴史や生きた証しを伝えていかなければいけない」と語りました。
 
女性国際戦犯法廷
 00年12月8日から12日まで東京で開催。戦時性暴力を含む女性への暴力の根絶をめざし、市民の力で「慰安婦」制度の責任者を裁くため、開かれた民間法廷。元「慰安婦」約75人はじめ1200人が参加。判決は第2次大戦当時の国際法に基づき、「人道に対する罪としての強かんおよび性奴隷制を実行した」と認定。「天皇裕仁の有罪、日本国家に責任」と認めました。判決に法的強制力はありませんが、実行は市民社会にかかっています。
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2010年12月12日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」被害の母子歓待/政府は問題解決早く/京都で支援者ら

 「慰安婦」問題の解決にむけて運動している京都の人々が10日、被害者の中国人母子の来京を歓迎するとともに、面談や歓談の場を設けました。
 来京したのは、中国・桂林で連行され「慰安婦」にされた韋紹蘭(ウェイ・シャオラン)さん(86)と息子の羅善学(ルオ・シャンシュエ)さん(65)。東京で5日に開かれた、女性国際戦犯法廷から10年の国際シンポジウムのため初来日しました。
 支援者らは、韋さんら一行と京都市内で昼食を共にし、夕方は長岡京市に移動して歓談。「大変な目にあわせてごめんなさい。いつまでもお元気で」と声をかけ、手を握ったり、背中をさすったりしました。韋さんは、「大事にしてくださってありがとう」とこたえていました。
 アムネスティ・インターナショナル日本の「慰安婦」問題チームコーディネーターの山下明子さんは、「温かくお迎えし、日本に来てよかったと感じてもらえればうれしい」と話していました。
 日本共産党から、まえくぼ義由紀府議と小原明大長岡京市議が面談。小原議員は、「長岡京市では、意見書を可決(昨年12月)しましたが、一日も早く日本政府が責任をもって解決するよう望みます」と語っています。
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2010年12月12日,「赤旗」) (Page/Top

戦後補償/日韓弁護士会が共同宣言/「慰安婦」解決を提言

 日本弁護士連合会と韓国の大韓弁護士協会は11日、東京都内で「戦争と植民地支配下における被害者の救済に向けて」をテーマに共同シンポジウムを開き、共同宣言と日本軍「慰安婦」問題の最終的解決に関する提言を発表しました。
 両会の会長名による共同宣言は、「歴史的事実の認識の共有に向けた努力を通じて相互理解と相互信頼が深まることが、未来に向けて良好な日韓関係を築くための礎である」と強調。日本軍「慰安婦」問題の解決のための立法、日韓基本条約等の締結過程に関する文書の完全公開、強制動員の日本政府による真相究明と謝罪、賠償などを求めています。
 日本軍「慰安婦」問題での提言は、被害者救済のための特別法を提案。日本軍の関与のもとで行われた女性に対する「組織的かつ継続的な性的行為の強制」が当時の国際法・国内法に違反する重大な人権侵害であったことを認め日本政府による謝罪、賠償を行うよう法律に盛り込むこと、全容解明のための調査機関を設けることなどを提起しています。
 シンポジウムでは日弁連の日韓弁護士会戦後処理問題共同行動ワーキンググループ事務局長の川上詩朗弁護士と大韓弁護士協会人権委員会委員の鄭載勲弁護士が、戦後補償問題にかんする両国の情勢や両弁護士会の共同の取り組みについて基調報告。「慰安婦」問題や強制動員問題などをテーマに三つのパネル討論が行われました。
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2010年12月12日,「赤旗」) (Page/Top

受信料制度の見直し検討/受信料とは/公共放送を支えるために信頼関係で成り立つ制度

 受信料制度とは、NHKが「公共放送」としての原則を維持するために、財政的に国民が支える制度です。「放送法」は、「放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会(NHK)とその受信についての契約をしなければならない」(第32条)と規定しています。テレビを設置すれば受信料を払うことになります。一方で、受信料の支払いについて、具体的には定められていません。罰則も設けられていません。受信料は、あくまで視聴者との相互の信頼関係に基づいて支払われるべきだという精神からです。では、なぜ「国民が支える」必要があるのでしょうか?
 戦前、NHKの前身である「日本放送協会」は、政府の統制下で、事実上の「国営放送」と化し国民を戦争へと駆り立てました。
 戦後、二度とそういうことを繰り返さないようにと、1950年に放送法ができました。その第1条には放送事業者に対して@政治から自律し表現の自由を確保すること、A放送が民主主義の発達の助けとなるようにすることが明記されています。さらに第7条では、放送をもれなく日本全国で受信できるようにすること≠NHKの目的とし、「放送は国民のもの」という公共放送としての原則に立つことを明らかにしています。
 受信料は、税金ではなく、番組への対価でもありません。公共放送が権力や企業などから自立するため、視聴者が支払う「特殊な負担金」といえます。
 日本軍「慰安婦」問題を取り上げた「ETV2001」が自民党幹部の介入により改変された事件(2001年)や、職員のインサイダー取引(2008年)など、国民の信頼を失うような事態がしばしば起こっています。受信料制度を掘り崩すことにもつながりかねません。NHKは、「権力を監視する」ジャーナリズムとして、その役割を発揮していくことが求められます。
 政府におもねる番組作りに走ったり、企業からの広告料で運営することになれば、公共放送としてのNHKは成り立たなくなってしまいます。
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2010年12月11日,「赤旗」) (Page/Top

戦争くり返さない/仙台で集い/吉川春子氏が講演

 日本がアジア・太平洋への侵略戦争を開始してから69周年の8日、「ふたたび戦争をくり返さない集い」がエル・パーク仙台で開かれました。元参院議員の吉川春子氏が「慰安婦」問題で講演し、国会での追及など具体的で迫力のある話に60人の市民が聞き入りました。
 主催した宮城・革新懇の高橋浩太郎常任世話人は、「憲法は、ふたたび戦争を起こさないように国民を主権者にした。きょうの日は憲法をしっかり守る決意を新たにする日だ」とあいさつしました。
 吉川氏は、「慰安婦」問題に取り組んだ原点は、1992年に参議院会館で聞いた元「慰安婦」たちの「あなたのおじいさん、お父さんが私をこんな目に合わせた」と訴えて号泣する声だったと話し、国会での追及や反動勢力とのたたかい、女性への暴力撤廃を目指す国際社会の取り組みなどを紹介しました。
 「慰安婦」問題の放置が、女性の人権が今でも軽視されることにつながっていると強調。児童買春や配偶者暴力、セクハラの問題に触れ、「植民地支配や侵略戦争を反省することは、日本人自身の人権を守るためだ」と訴えました。
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2010年12月10日,「赤旗」) (Page/Top

主張/アジア・太平洋戦争69年/世界と日本に平和を築く責任

 戦前の日本が、当時イギリス領だったマレー半島と、アメリカのハワイを攻撃、アメリカ、イギリスを相手に戦争を始めた1941年12月8日から69年を迎えました。日中戦争に続く、アジア・太平洋戦争の開戦です。
 それから3年半後戦争に敗れた日本は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」ことを憲法にうたいました。戦後65年、日本国民はいくたびも戦争への動きをくいとめてきました。世界と日本に平和を築くことこそ、アジア・太平洋戦争で大きな被害をもたらした日本の責任であり、国民の決意です。

「二度とたたかわない」
 全国革新懇の代表世話人の一人として活躍している品川正治さんは、アジア・太平洋戦争のさなか、中国戦線に動員された経験を持ちます。その品川さんがこの秋出版した『手記 反戦への道』の中で、終戦直後捕虜収容所で「終戦―日本は二度と戦わない!」という文章を書いたと紹介しています。
 「日本は二度と戦争はしない。未来永劫、戦争はしない。二度と他国に兵を出さない…」
 はらわたから搾り出すようなこのことばは、ひとり品川さんだけでなく、多くの国民に共通のものだったでしょう。中国侵略からアジア・太平洋戦争へ、15年間にわたった戦争は、それほど重大な被害を日本国民に与え、日本が侵略した朝鮮半島や中国をはじめ、アジアの国々にもたらしたのです。
 日本国民は310万人以上、アジア諸国民は少なくとも2000万人が犠牲になったといいます。しかし、その被害の大きさは、決してこうした数字だけではいいつくせません。
 親やきょうだいを奪われ、家や財産を焼かれた人たち…。戦後半世紀以上たっても、戦争に動員され、命は助かっても長期間抑留された人たちや、無差別でおこなわれた大空襲の被害者が補償を求め、広島、長崎の原爆の被害者は深刻な後遺症で苦しんでいます。朝鮮半島や中国からの「強制連行」被害者や、いわゆる「従軍慰安婦」の人たちへの補償も未解決です。「被害」も「加害」も、戦争体験から逃れることはできません。
 ことしは日本が侵略した朝鮮半島に押し付けた「韓国併合」(1910年)から100年の節目でした。来年は日本が当時「満州」と呼んでいた中国東北部で戦争を起こし、「満州国」を称するかいらい政権をでっち上げた「満州事変」(1931年)から80年にあたります。日本政府はいまだに「韓国併合」は「不法・不当」だったとは認めていません。戦争の惨禍を改めて思い起こし、「日本は二度とたたかわない」との決意を新たにすることは、いまなお重要です。

戦争のない世界のため
 歴史は無駄には過ぎ去っていません。戦後の日本が、日本を戦争に巻き込む危険な企てをはねかえしてきたのは、憲法を生かし、国民がたたかってきたからです。
 国際的にも、国と国の紛争を戦争ではなく政治的・外交的に解決する平和の国際秩序が前進しています。平和の地域共同体のネットワークも世界に広がっています。
 こうした平和の流れを押し広げ、日本だけでなく、アジアと世界の平和を実現していくことこそ、日本が「二度とたたかわない」決意を世界の現実にしていく道です。
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2010年12月08日,「赤旗」) (Page/Top

女性国際戦犯法廷から10年/戦時性暴力号泣の証言/シンポ

 「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW―NETジャパン)などで構成する女性国際戦犯法廷10周年実行委員会は5日、東京都内で「女性国際戦犯法廷から10年・国際シンポジウム『法廷』は何を裁き、何が変わったか〜性暴力・民族差別・植民地主義〜」を開きました。520人を超す参加者で埋まり、8時間に及ぶシンポジウムとなりました。
 当時の「法廷」で首席検事を務めたパトリシア・ビサー・セラーズさんが基調報告。運動のなかで新たな証言者も生まれたが、戦時性暴力の被害は、いまも世界で残された問題であり、10年前の判決の中身を女性・市民の連帯でさらに実現させていく必要があると強調しました。
 「アジアの日本軍性暴力被害者の証言を聞く」では、中国・桂林で連行され、「慰安婦」にさせられた韋紹蘭さんと、その息子で日本兵を父に持つ羅善学さん、フィリピン・ルソン島で被害にあったナルシサ・クラベリアさんが証言。韋さんは農作業中に日本兵に捕まり、駐屯地で毎日、日本兵の相手をさせられました。3カ月後、はいつくばって15`の道のりを村まで逃げ帰ったときには、羅さんを身ごもっていました。
 証言する韋さんの涙をぬぐっていた羅さんは、倒れるようにいすから落ちると、激しく泣き崩れました。育ての父親や村の人たちから「日本人の子」とののしられ、学校へも通わせてもらえなかったと話します。「母は命からがら逃げ出し私を生んでくれた。私が差別を受けるのはいい。でも、母に恥をかかせたくなかった」
 父親に殴られた片目は今も見えません。証言の最後に「日本政府に謝ってほしい。頭を下げてほしい。私たち%本人がしてきたことは大変なことです。人道に反している。みなさん一緒に頑張りましょう」とのべました。
 また、改ざんが問題になったNHKの番組「ETV2001」で、第2回「問われる戦時性暴力」のコメンテーターを務めた米山リサさんがビデオで問題提起。「法廷」の勧告、証言をどう引き継ぐかを討論しました。
 最後に「戦争と性暴力が繰り返されない平和な21世紀をつくるために、国境を越えた女性・市民の連帯を強めていく」と宣言し、閉会しました。

女性国際戦犯法廷
 2000年12月に東京で開かれた「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」。日本軍「慰安婦」制度を裁かなかった東京裁判(1946年)の継続として、当時の国際法に基づき開かれた女性による民間法廷です。
 新たな証拠や証言を精査し、2001年12月、オランダ・ハーグで「天皇裕仁の有罪、日本国家に責任」という最終判決を下しました。
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2010年12月07日,「赤旗」) (Page/Top

暴かれた真実 NHK番組改ざん事件―女性国際戦犯法廷と政治介入/VAWW―NETジャパン編/評者岩崎貞明『放送レポート』編集長


本格的検証に向け論点を網羅
 2000年12月に東京で開催された「女性国際戦犯法廷」を描いたNHK教育テレビの『ETV2001』が放送直前に大幅な改変を施された事件。その後法廷闘争から「NHK対朝日新聞」というメディア間の泥仕合にまで発展したこの事件をめぐって、裁判の当事者や研究者、ジャーナリストら21人が論考を寄せたのが本書だ。書き手の顔ぶれは多彩だが、論考の趣旨としてはNHKの政治からの自立、市民の立場から表現の自由を求める姿勢がすべての書き手に一貫している。
 本書を一読して、事件発生から10年が経過しようという今日に至るまで、これだけの人々がこの「番組改ざん事件」をそれぞれ考え続けてきたという事実にまず圧倒される。そしてこの間、当のNHKがこうした人々の訴えに対して頑なに応じない姿勢を貫き通したことにも、逆の意味で改めて驚きを禁じ得ない。
 番組に政治的な圧力がかかり、それを受けたNHK上層部の強引な指示で番組が無残に切り刻まれたことは、本書に集められた証言からもはや明らかだ。この「汚点」にはNHK自体も自覚があるだろう。しかし、細部に至る事実関係については、いまだ不明な点が多い。本書は、編集上未整理な部分が散見される点がやや惜しまれるが、今後期待される本格的な検証に向けた、基本的な資料と論点が網羅されている。
 この10年、少なくともNHKでは、従軍慰安婦問題に関する番組が制作・放送されることはなかった。そして、「女性国際戦犯法廷」という画期的な取り組みの意義が、テレビで語り継がれることもなかった。そういう意味で、私たちが戦時性暴力などの戦争犯罪・戦争責任の問題を考える機会を著しく損なわれたことが、この10年の最大の損失といえるかもしれない。
 
 正式名称は、「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク。
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2010年12月05日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」要望書、国に働きかけよ/京都府議長に宗教者

 京滋キリスト者平和の会(榎本栄次会表)は11月29日、「『慰安婦』問題に対する日本政府の誠実な対応を求める要望書」を林田洋京都府議会議長あてに送付しました。
 要望書では、韓国の女性3人が、日本政府に対する損害賠償訴訟を起こしてから19年がたつものの、国家による明確な謝罪、補償がおこなわれていないことを指摘。戦時下・紛争下の性暴力は、戦争犯罪・女性の人権侵害だとする国際世論に変化していること、この問題の解決なくしてアジアの人々の真の信頼回復はあり得ないことなどをあげ、被害者の存命中の解決が求められると強調しています。
 さらに、「慰安婦」問題の解決は、被害者と同時に、未来の日本人に対する責任と義務だとし、具体的な解決がなされるよう政府に働きかけることを要望しています。
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2010年12月04日,「赤旗」) (Page/Top

11月)ヘッドライン

憲法ミュージカル/来年5月上演へ出演者を公募/山梨

「慰安婦」問題早期解決を/日朝協会が要請行動

湯浅謙さん死去

核廃絶、憲法守ろう/母親大会に900人/愛知

おはようニュース問答/NHKの番組改変事件から10年ね

朝の風/従軍慰安婦、強制連行に迫る旅と詩

中国人「慰安婦」紙芝居に/解決へ日本政府の謝罪と補償求めて/男女平等をすすめる教育全国ネットが制作

第3次男女共同参画基本計画の策定にあたっての申し入れ/2010年11月1日/上中下

男女共同参画基本計画/共産党が政府に申し入れ/女性差別是正へ実効あるものに

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憲法ミュージカル/来年5月上演へ出演者を公募/山梨

 山梨憲法ミュージカル2011実行委員会は、来年5月8日に上演する市民参加ミュージカル「ドクター・サーブ」(作・演出、田中暢氏)の出演者を募集しています。
 アフガニスタンで活動する「ペシャワール会」の中村哲医師をモデルにしたミュージカル。市民100人の出演者とボランティアスタッフを募集し、11月23日にオーディションをおこないます。
 実行委員長の春日正伸山梨大学名誉教授は「中村医師らの活動はノーベル平和賞にも値する。出演者、観客の多くに感動を与えられるよう成功させたい」と話しています。
 実行委員会は、原爆をテーマにした「少年がいて」(06年)、従軍慰安婦を題材にした「ロラ・マシン物語」(08年)を上演しています。問い合わせは事務局090(8779)4684。
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2010年11月17日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」問題早期解決を/日朝協会が要請行動

 日朝協会(渡辺貢会長)は11日、外務省を訪れ「日本政府に日本軍『慰安婦』問題について早期解決を求める」要請行動を行いました。
 石橋正夫代表理事がアジア大洋州局地域政策課の栗田伸一課長補佐に要請書を手渡しました。要請書では、民主党がこれまで「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」を共同提案してきたことに触れ、政府として「慰安婦」問題への正式な謝罪と補償をする立法措置をとることを強く求めています。
 石橋代表理事は「『韓国併合』100年の今年こそ、早急に解決できるよう努力してほしい」と発言。参加者からも、高齢化している元「慰安婦」の一日も早い救済を求める声が相次ぎました。
 栗田課長補佐は「みなさんの要請をしっかり受け止め首相をはじめ政府関係者に伝えたい」と述べました。
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2010年11月13日,「赤旗」) (Page/Top

湯浅謙さん死去

 湯浅 謙さん(ゆあさ・けん=中国帰還者連絡会常任委員)2日、心不全のため死去。94歳。葬儀は近親者で行いました。後日、お別れ会を関係諸団体の共催で開きます。
 東京慈恵会医科大学卒業。元西荻窪診療所所長。第2次世界大戦中、軍医として行った中国人の生体解剖の実態について生涯、証言し、反戦平和を訴え続けました。本紙の「伝えよう侵略戦争の真実」にも登場し、生体解剖のほか日本軍「慰安婦」の事実についても証言しました。
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2010年11月11日,「赤旗」) (Page/Top

核廃絶、憲法守ろう/母親大会に900人/愛知

 「生命を生み出す母親は 生命を育て 生命を守ることをのぞみます」―。第56回愛知母親大会が7日、半田市で開かれ「いますぐ核兵器廃絶を。そして日本国憲法を子どもたちにしっかり手渡せるよう、母親運動を広げましょう」のアピールを発表しました。県内各地から約900人が参加しました。
 水野磯子代表委員が主催者あいさつしました。沖縄県知事選の勝利で世界一危険な普天間基地撤去の展望をひらき、政府に日韓併合100年、日本の侵略戦争と日本軍「慰安婦」など歴史問題の総括を求め、「一歩でも二歩でも、政治を前に動かしていこう」と呼びかけました。
 「障害者自立支援法は許さない」「大学への国の予算削減反対」「設楽ダムは中止を」「安心できる年金制度の確立を」「県営名古屋空港の軍事基地機能強化反対」など、各団体・地域の要求と運動交流が行われました。
 アメリカ生まれの詩人、アーサー・ビナードさんが記念講演し「憲法九条を守ろう」と訴え。「にっぽんど真ん中祭り」で2年連続優勝したDDMカンパニーズの群舞が、参加者を魅了しました。
 子育て、平和、くらしなど15テーマで分科会も行われました。
 シンポジウム「安保50年、韓国併合100年 憲法を守ろう」では、池住義憲・立教大学大学院教授、福本英雄・小牧平和委員会事務局長が報告しました。池住氏は「いまだに日本は朝鮮半島侵略と植民地支配を清算していない」と指摘し、日米安保条約の破棄と平和な国際関係構築の大切さを強調しました。福本氏は、小牧基地機能強化の実態と住民のたたかいを紹介し、「沖縄や全国の仲間と連帯し、軍事基地のない平和な街をつくろう」と訴えました。
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2010年11月10日,「赤旗」) (Page/Top

おはようニュース問答/NHKの番組改変事件から10年ね

 はるか 元日本軍「慰安婦」の訃報が続いているね。日本はいまだに国による賠償をしていないの。心が痛むわ。

戦時性暴力問う
 みどり 日本の侵略戦争で、朝鮮や中国などから女性たちが集められて、性行為を強要されたのよね。メディアはこういう問題にまったくふれない。
 はるか NHKの番組改変事件が象徴的というか、もっとひどかったね。2001年1月放送のETV2001「問われる戦時性暴力」が、政治圧力で改ざんされたでしょ。
 みどり 「慰安婦制度」を日本軍の戦争犯罪として裁こうと開かれた2000年の女性国際戦犯法廷を追ったドキュメンタリーだったわね。
 はるか 10月30日に、東京でシンポジウム「NHK番組改変事件、10年目の検証―真実・責任・未来」が開かれたよ。「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(バウネット)などが主催したわ。
 みどり どんな内容だったの。
 はるか NHKのプロデューサーとして番組を制作した長井暁さんが講演。安倍晋三官房副長官らがNHKの幹部と会い、介入してきたことを語ったわ。
 みどり 貴重な証言ね。
 はるか バウネットは、NHKを相手に番組改変を問い、裁判に訴えていた。ねばり強くたたかってきたのよね。東京高裁の判決は、政治介入を認めて、画期的だったわ。
 みどり 長井さんら現場のスタッフが告発し、市民と力を合わせて、事件の真相を明らかにしてきたわけね。

検証する番組を
 はるか BPO(放送倫理・番組向上機構)も09年、NHKに自主・自律を求める意見書を出したわ。それでもNHKは「政治的介入はなかった」と主張している。
 みどり そういえば慰安婦問題を取り上げた番組は放送されていないよね。
 はるか NHKには、事件を検証する番組をつくってほしいわね。
 みどり NHKや圧力をかけた政治家は、世間が忘れればいいと思っているでしょうが、そうはいかない。事件から10年目、市民の力で、NHKを国民の「知る権利」に答える公共放送にしたいわ。
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2010年11月10日、「赤旗」) (Page/Top

朝の風/従軍慰安婦、強制連行に迫る旅と詩

 社会の基層には歴史がたたみ込まれているから、戦後生まれでも、日本の侵略・植民地支配の過去を素通りすることはできない。とりわけ隣国の人びとを踏みにじった過去は、現在も信頼関係の構築を困難にしている。
 過去の直視を右派は自虐史観と呼ぶが、次世代が本当の意味で自国を愛せるようになるには、国が戦争犯罪を認めて謝罪し再び同じ過ちを繰り返さない国として近隣諸国に信頼される努力を出発点とするほかないだろう。
 草倉哲夫「従軍慰安婦、強制連行――旅と詩の出会い」(『詩人会議』12月号)を読んでそんなことをあらためて感じた。草倉氏は日本の侵略・植民地支配にかかわる現地に出かけ、調査して書いた自作詩を引用し、作品の背景を語っている。
 それは朝鮮から従軍慰安婦として座間味島につれてこられ、島の壕で自決されられた17歳の少女をうたった「島の墓標」、大牟田市の三池炭鉱の炭住長屋跡の壁に残る朝鮮語の落書きに強制連行された朝鮮人坑夫の呻きを聞く「望郷」、団塊の世代ながら日本人としての自責を感じつつ元慰安婦を韓国にたずね、ハルモニにやさしく迎えられ、彼女と一緒に暮らす日本人の女子大生と出あって、過去を超えられる可能性を見た「一輪のコスモス」の3編である。
 (槐)
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2010年11月08日,「赤旗」) (Page/Top

中国人「慰安婦」紙芝居に/解決へ日本政府の謝罪と補償求めて/男女平等をすすめる教育全国ネットが制作


次世代に事実伝えたい
 「『慰安婦』問題を解決し、次世代に広く伝えていくために」―。中国の「慰安婦」を主題にした紙芝居が作られました。制作したのは男女平等をすすめる教育全国ネットワーク。先月東京で開かれた発表会では、なぜ今「慰安婦」問題なのかを学習し、交流しました。
 (吉岡瑞代)
 
 紙芝居(「戦時性暴力被害者『慰安婦』にされた少女たち」)は、中国の候巧蓮さんの被害経験をもとに作られました。
 候さんは13歳の時、日本軍に連行されて監禁され、連日何人もの兵士から性暴力を受けました。体がむくみ、歩けなくなっても暴力は続き、解放されたのは40日後。1年間寝たきりになりました。

尊厳の回復を
 思い出すと全身けいれんが止まらないなど、PTSD(心的外傷後ストレス障害)は71歳で亡くなるまで続きました。候さんは、1996年に中国「慰安婦」被害者として日本政府を提訴。98年には来日して証言しました。体験を子どもや孫に話せたのは提訴してからでした。
 紙芝居では、被害の状況や後遺症の苦しみとともに、「慰安婦」裁判で証言する候さんの姿が描かれています。誰にもいえなかった痛みと苦しみを吐き出し、「私は正しかった、たたかってよかった」と力強く語る場面は胸に迫ります。
 裁判を通して、被害の事実が広く知られるようになりましたが、本当の解決は被害者の尊厳の回復であって、日本政府の謝罪と補償なくして解決はないことも紙芝居では伝えています。

交流しやすい
 発表会では、紙芝居を演じた作者の後藤ひろみさんと絵を描いた古川ひろしさんがあいさつしました。後藤さんは、「むごたらしい人間破壊です。醜いことだからと避けていたらいけない。事実を直視してこそ、社会を見つめ直せると思うのです。紙芝居を活用して、多くの人に広めていってもらえれば」と話しました。
 男女平等をすすめる教育全国ネットワーク事務局長の永井好子さんは、「この問題は、今も起きている戦争や紛争地、基地での性暴力、いじめや人身売買などとつながっています」と話しました。「『慰安婦』問題の事実を伝えて、解決することは、平和の礎になります。被害女性が高齢化し、亡くなる人も増えるなか、解決のために、広く事実を伝えるために紙芝居を作りました」
 紙芝居は考え方や感じ方がいろいろでも、一緒に見ることで交流しやすいのが魅力です。上演したところでは「知らなかった」「こんなことがあったの」という反響があったことも紹介されました。

高齢化すすむ
 中国人「慰安婦」裁判を支援してきた関口暁子さんが、裁判の経過と被害調査(中国山西省盂県)、被害女性への支援について紹介しました。また山西省を何度も訪れて支援を続ける河合充子さんは、高齢で健康状態が悪化する被害女性の現在の状況や現地の協力者への感謝、解決に向けた熱い思いを語りました。
 参加者は、「人間らしい性を子どもに伝えていく性教育ができれば解決の力になる。紙芝居を活用しながら、性教育と結び付けて頑張りたい」「解決を日本政府に求める『決議』を自分の自治体であげるために、人をつなげていきたい」など、思いを交流しました。
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2010年11月05日,「赤旗」) (Page/Top

第3次男女共同参画基本計画の策定にあたっての申し入れ/2010年11月1日/上中下


国連女性差別撤廃条約・憲法にもとづいて女性差別の是正をはかる実効ある計画に/2010年11月1日/日本共産党国会議員団男女平等推進委員会・党女性委員会
 日本共産党国会議員団男女平等推進委員会と党女性委員会は1日、第3次男女共同参画基本計画策定にあたって政府に申し入れました。全文を3回にわけて掲載します。
 
 男女共同参画社会基本法制定から11年、第1次男女共同参画基本計画策定以来10年、法律上は、男女雇用機会均等法や育児介護休業法の改正、DV防止法の制定・改正などが一定おこなわれ、地方条例の制定、計画策定・改定などのとりくみがすすめられてきました。
 しかし、現実は、7月に発表された答申「第3次男女共同参画基本計画の策定に当たっての基本的考え方」も、「男女共同参画が必ずしも十分には進まなかった」と「反省」しているとおりの状況がつづいています。10月に世界経済フォーラムが公表した社会進出や政治参加の性別格差ランキングで、日本は134カ国中94位であり、主要先進国で最下位です。
 こうした日本の女性差別是正のとりくみの遅れにたいし、国連女性差別撤廃委員会の4回目の勧告(2009年8月)は、これまでにもまして厳しいものでした。日本政府が国連女性差別撤廃条約を法的拘束力のある国際文書として認め、その完全な実施をもとめています。第3次男女共同参画計画についても条約を法的枠組みにして策定することをもとめています。政府は、この国連女性差別撤廃委員会の勧告を真摯(しんし)にうけとめるべきです。
 国連女性差別撤廃条約と日本国憲法を生かし、男女差別の是正のとりくみの前進の一歩となるよう、以下の諸事項についてすみやかな対応をもとめるものです。

(1)働く女性への差別の是正をはかる
 非正規で働く女性が雇用女性労働者の2人に1人にまで増え、女性の賃金は非正規をふくめると男性の半分である。妊娠・出産を理由にした解雇や退職勧奨も横行している。この間におこなわれた男女雇用機会均等法の改正も、間接差別の禁止がもりこまれたものの対象を三つに限定するなど不十分である。政府が労働者派遣法の規制の対象外におこうとする「専門業務」に多くは女性がついている。これをニーズがあるなどとして派遣のまま固定化しようとするのは認められない。自営業・農業女性の自家労賃もいまだ認められていない。雇用・労働の場での事実上の平等の実現を優先課題と位置づけとりくみを強化する。
 ○男女雇用機会均等法を抜本的に改正する。間接差別の禁止規定を実効性あるものに改善する。また、気軽に相談できる窓口、労働者の申し立てにより差別を是正できる強力な救済機関を設置し、罰則も強化し企業に対する指導の強化をはかる。区分が違うということで、法の規制をのがれ、差別の温床になっている指針の「雇用管理区分」を廃止する。
 ○「同一価値労働同一賃金」の原則にもとづく均等待遇の法制化をすすめる。同一価値の労働についての男女労働者の同一報酬に関するILO(国際労働機関)100号条約は、報酬率を性別による差別なしに定めるための措置をとることをもとめている。差別の実態に即して改善をはかるためのさまざまな手法や体制の研究を適切な形ですすめる。
 ○労働者派遣法を実効あるものに抜本改正する。一時的臨時的なものに限定する。製造業への派遣はどんな形でもきっぱり禁止する。登録型派遣禁止の例外とされる専門業務の内容を見直し、限定する。日雇い派遣は全面的に禁止する。違法行為があった場合に直接雇用したものとみなす規定を導入し、「期間の定めのない雇用」とする。
 ○パート労働法の差別禁止の3要件(正社員と同一職務、転勤や配転の有無が正社員と同じ、期間の定めのない労働契約)規定は、ごく一部のパート労働者にしか適用されないものであり、削除し、均等待遇の原則を明記する。国や地方自治体の臨時・非常勤労働者にパート労働法を適用する。
 ○妊娠・出産による解雇、育児介護休業取得による不利益扱いの禁止の徹底をはかる。
 ○自営業・農業の女性の自家労賃を認めない所得税法56条を廃止する。

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国連女性差別撤廃条約・憲法にもとづいて女性差別の是正をはかる実効ある計画に/日本共産党国会議員団男女平等推進委員会・党女性委員会

(2)男女がともに仕事と家庭の両立をできるように条件整備をはかる
 出産をしても働き続けたい女性が増えているにもかかわらず、保育所不足、長時間労働による仕事と子育ての困難などから、実際には妊娠・出産で仕事をやめる女性がいまも7割にものぼっている。世界であたり前になっている男女がともに仕事と家庭の責任がはたせるよう条件整備をはかる。
 ○待機児童問題の解決、定員をこえた「つめこみ」の解消のために年間10万人分の認可保育所の建設を国が責任をもってすすめる。現在、政府が検討をすすめている「子ども・子育て新システム」は、保育への国と自治体の責任を投げ捨て、地域格差や保育条件の引き下げをまねくものである。公的保育制度の拡充、設置・配置基準の充実、予算の拡充をはかる。
 ○全国の小学校区の3割以上で未整備の学童保育の新増設、充実をはかる。国による設置・運営基準を定め、地域格差の改善、条件整備、指導員の労働条件の改善をすすめる。
 ○残業の上限を法律で制限するなど長時間労働の是正をはかる。
 ○育児介護休業制度をだれもがとれる制度に改善する。パートや派遣社員などの有期雇用労働者への厳しい取得条件を6カ月以上働けばとれるように改善する。低い賃金保障では、男性やひとり親家庭の取得は困難であり、賃金の6割保障などを早期にすすめる。

(3)雇用、 政治的・公的分野での女性の参画の促進をはかる
 各分野で女性の活躍が広がっている。しかし、雇用の分野でも、政治・公的な分野でも、教育・研究の分野でも、政策・意思決定機関への参加は著しく遅れている。子育てをしながら仕事を継続できるようにするための社会的な整備が不十分であり、雇用、政治的・公的活動などあらゆる分野での女性の参画に重点をおいた特別の措置をとることも不十分なためである。国連女性差別撤廃委員会勧告で2年以内に特別に報告をもとめられている課題の一つであり、数値目標・スケジュールの設定など暫定的特別措置の導入をすすめる。
 ○2020年までにあらゆる分野で指導的地位にしめる女性の割合を少なくとも30%にするという政府目標の実現にむけ、女性国家公務員の管理職への登用をすすめる。そのために、省庁ごとの目標・スケジュールの設定をふくめた計画策定・実施をすすめる。
 ○民間企業が積極的に格差是正にとりくむよう、その実施と報告を義務づける。当面、規模が100人以上の企業に、改善目標と計画の作成及びその実施と報告を義務づける。
 ○女性の国会進出を阻む小選挙区制を廃止し、比例代表など民意を反映する選挙にかえる。衆議院の比例定数削減はおこなわない。

(4)ひとり親、 高齢者などだれもが安心してくらせるよう社会保障の充実をはかる
 ひとり親家庭の貧困状態は先進国のなかでも最悪の水準となっている。女性の地位の低さが影響し、多くの高齢女性が低額年金、無年金の状態におかれている。だれもが安心してくらせるよう社会保障の充実をはかる。
 ○児童扶養手当の額の引き上げ、対象を拡大する。資格取得や技能訓練費などの国の援助額のひきあげ、安価で良質な公共住宅の供給の促進などをすすめ、ひとり親家庭の安定した雇用とくらしを保障する。
 ○全額国庫負担の最低保障年金制度の確立で女性の年金の底上げをはかる。加入条件を25年から10年に短縮して、無年金を減らす。
 ○後期高齢者医療制度を廃止し、老人保健制度に戻す。高齢者と子どもの医療費を無料化する。
 ○介護保険の利用抑制をやめ、施設の拡充と労働者の処遇改善、負担軽減で安全安心の制度にする。介護休業の延長と所得保障の改善をはかる。
 ○障害者自立支援法を廃止し、憲法、国連障害者権利条約にもとづく障害者総合福祉法を制定する。

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国連女性差別撤廃条約・憲法にもとづいて女性差別の是正をはかる実効ある計画に/日本共産党国会議員団男女平等推進委員会・党女性委員会

(5)女性の健康を保障する施策の充実をはかる
 長時間労働などによる健康破壊、「お産難民」といわれるほどの産科医不足など、深刻な事態がひろがっている。女性の健康が権利として守られるよう施策の充実をはかる。
 ○妊婦健診、出産費用の軽減・無料化、不妊治療の助成額の増額・所得制限の緩和・健康保険の適用など、国の責任で妊娠・出産にかかわる経費負担の軽減をすすめる。産科医不足の解消など、安心して出産できる体制を充実させる。
 ○女性の体を考慮した医療、女性特有の疾病対策を強化し、予防、健診の充実をはかる。乳がん・子宮がん検診の自己負担の軽減・無料化、子宮頸(けい)がんワクチンへの公費助成、最新技術による検診の促進などをはかる。
 ○働く女性の長時間労働、深夜労働の実態・健康影響調査をすすめる。
 ○業者、農業女性、非正規雇用で働く女性が、出産や病気・ケガのときにも所得の心配なく休めるように、国民健康保険の出産手当金・傷病手当金を強制給付にする。

(6)民法改正、DV、セクハラ、「慰安婦」問題など人権尊重のとりくみを強化する
 1996年の法制審議会答申から14年、いまだ民法改正が実現しないのは自公政権などが放置してきた結果である。民主党政権も、公約に民法改正をかかげながら、期待を裏切っている。民法改正、女性にたいする暴力の根絶など人権尊重のとりくみを強化する。
 ○選択的夫婦別姓制度など民法改正は国連女性差別撤廃委員会勧告がその実現を特別に重視している課題の一つである。早期におこなう。
 ○DVから被害者を守り、自立のための施策の充実をはかる。配偶者暴力相談支援センターの増設と施設条件の改善などをすすめる。被害者の住宅優先入居、自立に要する費用援助などをすすめる。加害者更生についての調査研究・対策強化をはかる。
 ○企業へのセクハラ防止対策の強化・指導を強める。改善命令をだせる機関の設置、被害者の保護、相談窓口の拡充などをすすめる。被害の相談、申し出をおこなった労働者への解雇や不利益取り扱いをやめさせる。
 ○頻発する米兵による性犯罪の大もとにある日米地位協定を抜本改定し、米軍優遇の特権をなくす。米軍基地を縮小・撤去する。
 ○旧日本軍「慰安婦」問題の解決を急ぎ、政府による謝罪と賠償をおこなう。

(7)男女の固定的役割分担意識解消のための社会全体のとりくみを強化する
 いまだ根強い男女の固定的役割分担意識の解消のために、政府は、意識啓発と男女平等教育を強める。憲法の男女平等の立場はもとより、国連女性差別撤廃条約など国際的な基準を国民に広く知らせるとりくみを強める。

(8)未批准の国際条約・選択議定書を早期に批准する
 国連女性差別撤廃条約選択議定書、ILOの一連の労働時間・休暇関係の条約をはじめ111号(雇用における差別禁止)、158号(解雇規制)、175号(パートタイム)、183号(母性保護)など未批准の条約を早期に批准する。
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2010年11月03日,「赤旗」) (Page/Top

男女共同参画基本計画/共産党が政府に申し入れ/女性差別是正へ実効あるものに


担当相「共産党は女性議員が多く理想的。一緒に方向性を」
 年内に閣議決定される予定の第3次男女共同参画基本計画について、日本共産党国会議員団男女平等推進委員会と党女性委員会は1日、女性差別の是正に向け実効ある計画にするための施策を政府に申し入れました。働く女性への差別是正、仕事と家庭の両立、雇用・公的分野での女性参画の促進、選択的夫婦別姓制度を含めた民法改正などを求めています。
 申し入れには、高橋ちづ子・塩川鉄也・宮本岳志の各衆院議員、井上哲士・紙智子の両参院議員が参加しました。
 男女共同参画基本計画は男女共同参画基本法(1999年施行)にもとづくもので、5年に1回、見直されています。
 党国会議員団男女平等推進委員会の高橋会長は、「基本法制定から11年がたちましたが、共同参画は十分に進んでいないと政府自身が認めています。『なぜか』を深め、国連女性差別撤廃委員会の勧告も受け止め、取り組んでほしい」として、「働く女性の差別の問題、同一価値労働同一賃金、労働者派遣法、パート労働法、民法改正」など各項目について説明しました。
 岡崎トミ子担当相は、「長時間労働の是正、M字カーブ(出産・育児による退職で女性の就業率が下がり、その後再び上昇する)の解消など、きちっと取り組んでいかなければいけないと思っている。非正規労働もこんなに多くてはダメ。共産党は政党の中でも女性議員が多く、理想的だと思っている。国会で一緒に方向性をつくりあげていきましょう」と応じました。
 紙氏は、「慰安婦の問題は、被害者の高齢化が進み、もう待てない状況です」と取り組みの強化を求めました。
 申し入れの内容は▽働く女性への差別是正▽男女がともに仕事と家庭を両立できる条件整備▽雇用、政治的・公的分野での女性の参画の促進▽ひとり親、高齢者などだれもが安心してくらせる社会保障の充実▽女性の健康を保障する施策の充実▽民法改正、DV、セクハラ、「慰安婦」問題など人権尊重の取り組み強化▽固定的役割分担意識解消のための取り組み強化▽未批准の国際条約・選択議定書の早期批准―の8項目です。
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2010年11月02日,「赤旗」) (Page/Top

10月)ヘッドライン

軍が「慰安婦」管理/元日本軍軍属が証言

赤旗電話相談/性と生/元日本軍「慰安婦」とはどのような人たちですか?

日本軍「慰安婦(性奴隷)」問題解決急げ/京都でシンポ

公営企業会計決算/「公共の福祉」投げ捨てるな/大阪・井上市議

「慰安婦」問題の意見書を可決/京都・八幡市議会

めぐりくる春/梁石日著/評者北原耕也作家

*         10月(本文)(Page/Top

軍が「慰安婦」管理/元日本軍軍属が証言

 「戦時性的被害者はもう待てない。一刻も早い『慰安婦』問題の解決を」と28日、衆院第2議員会館内で、集会が開かれ、120人が参加しました。「慰安婦」問題解決オール連帯ネットワークの主催。
 松原勝さん(86)は1942年、第4海軍施設部軍属として配属されたトラック諸島で、朝鮮人「慰安婦」と出会いました。当時の海軍の印(2本の赤い波線)と海軍大佐の押印がある「南國寮出入證」を手にし、「部隊長の許可がなければ寮にはいることはできず、『慰安婦』の給与も軍の庶務係が計算していた。日本軍が『慰安婦』を管理していたのは紛れもない事実だった」とのべました。
 「慰安婦」問題解決を支援してきた弁護士、ジャーナリストなどがフィリピン、中国、韓国の「慰安婦」の現状を報告。多数の「慰安婦」が亡くなり、存命者もほとんどが認知症や疾病で「真実を証言できない状況」になっていることをのべ、日本政府の早急な謝罪、補償を求めました。
 日本共産党の紙智子参院議員をはじめ、民主、社民両党議員が激励あいさつ。吉川春子元参院議員も参加しました。
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2010年10月29日,「赤旗」) (Page/Top

赤旗電話相談/性と生/元日本軍「慰安婦」とはどのような人たちですか?


回答者/性と生アドバイザー高柳美知子さん
 元日本軍「慰安婦」という人たちがいたことをテレビで知りました。私は高1ですが、授業で教わったことはありません。戦争が終わって65年もたつのに、まだ苦しんでいる人たちがいるというのは本当ですか。詳しく知りたいです。(京都府・M子)
 ◇   ◇
 高柳 元日本軍「慰安婦」の問題に真摯(しんし)に向き合おうという気持ちをとてもうれしく思います。
 「慰安婦」にされた女性の数は、8万から20万人、その7割以上は朝鮮人女性です。「慰安婦」にされた女性たちは、その「過去」がまわりに知られないように、ひたすら口をつぐんできました。
 自分は日本軍の「慰安婦」だったと初めて名乗りをあげた方は韓国の金学順(キム・ハクスン)さんです。戦後46年たった1991年のことでした。
 日本の国会で「慰安婦」制度は軍(国)がかかわっていたのではなく、民間業者がやったことだと政府側が発言したからです。「そんなはずはない。生き証人がここにいる」と考えてのことでした。
 ――「慰安婦」制度はいつから、なぜつくられたのですか。
 高柳 日本軍による中国への侵略が拡大していくなかで、たくさんの中国人女性が日本軍兵士によって強姦(ごうかん)されました。このまま続けては外国での評判が悪くなる、そう心配した軍と国は、軍人専用の「慰安所」をつくりました。民間の女性を強姦することもなくなり、軍の衛生管理の下で兵士の性病を防ぐことができると考えたのでした。
 最初の「慰安所」は1932年に上海につくられ、中国をはじめ東南アジア、西太平洋地域の占領地や、日本国内にも設置されました。
 ――「慰安所」で女性たちはどんな生活を送っていたのですか。
 高柳 軍の厳重な管理下で監禁状態におかれ、自由のない生活を強いられました。母国語での会話も禁じられ、多い日には数十人の兵士たちに性行為を強いられ、軍事的「性奴隷」という存在にさせられました。
 ――「慰安婦」にされた方たちは、戦後どうなったのでしょう。
 高柳 勇気を持って名乗り出た後も、「日本人に汚された」という偏見や差別に苦しみながら、たくさんの方が亡くなっています。しかし日本政府は被害者個人への補償も謝罪も行っていません。
 「慰安婦」問題は女性を「性奴隷」とする性の問題であり人権問題でもあります。つまり、あなた自身にもつながる問題なのです。どうぞ友達とも話し合ってみてくださいね。
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2010年10月21日,「赤旗」) (Page/Top

日本軍「慰安婦(性奴隷)」問題解決急げ/京都でシンポ

 日本軍性奴隷制を裁いた「女性国際戦犯法廷」から10年の今年、法廷の意義やその後の運動を検証し、人権と平和構築の道を考えようと呼びかけるシンポジウムが17日、京都市で開かれました。
 立命館大学国際言語文化研究所プロジェクトC1やハーグの会、日本軍「慰安婦(性奴隷)」問題の早期解決をめざす懇談会などが開催したものです。
 同法廷以降の運動の前進や課題について講演した、元NHKディレクターでアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館(wam)」の池田恵理子館長は、被害者支援の活動をはじめ、問題の解決を求める地方議会の意見書可決、諸外国での議会決議が広がっていることを紹介。その一方で、いまだに謝罪も補償も行わない日本政府の態度を批判し、「被害者が生きている間に、問題を解決したい」と話しました。
 パネルディスカッション「日本軍性奴隷制をめぐって」では、源淳子、湯山哲守、柴田修子の各氏が運動の到達などを報告しました。「慰安婦」問題の解決を求める意見書可決について源氏は、2008年以降この10月までに、11都道府県の33地方議会(京都府内は5自治体)に広がっていることを紹介。「知らない人にまず知らせることが大事」と話し、意見書採択の働きかけが、市民の意識を変え、政府を動かす力になりうることを強調しました。
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2010年10月20日,「赤旗」) (Page/Top

公営企業会計決算/「公共の福祉」投げ捨てるな/大阪・井上市議

 大阪市議会9・10月定例会は13日、意見書や決議など各議案を採決して閉会しました。
 日本共産党大阪市議団を代表して井上ひろし議員が2009年度公営・準公営企業会計決算の認定に反対する討論を行いました。決算は、自民、公明、民主、維新の賛成多数で認定されました。
 井上議員は、大阪市の公営企業・準公営企業の決算に自治体版構造改革路線が色濃く表れていると強調しました。公営会計では、大型開発路線の大失敗で大きな破たんに直面しているのに関西財界言いなりの開発路線の推進、交通会計ではバス路線の縮小、病院会計では住吉市民病院の総合病院としての機能を切り捨てようとしていると指摘。「公営企業の『公共の福祉』の役割を投げ捨てようとするものだ」と強調しました。
 井上議員はまた、「大企業中心の政策でなく、中小企業への支援強化、市民の福祉、暮らしに重きを置く政策への転換を求めましたが、平松邦夫市長はこれを拒否した」と批判しました。
 「B型肝炎問題の早期全面解決を求める意見書」「日本軍『慰安婦』問題の早期解決に関する意見書」などの意見書、決議を可決しました。
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2010年10月14日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」問題の意見書を可決/京都・八幡市議会

 京都府八幡市議会は9月29日、「日本軍『慰安婦』問題について政府の誠実な具体策を求める意見書」を賛成多数で可決しました。
 日本共産党、みどりの市民、共生クラブ、公明党、無会派が賛成、自民を含む改革市民は反対しました。
 意見書は、「日本軍『慰安婦』問題は、いまだ真の解決はされておらず、日本政府は真相究明をおこない、被害者の公的謝罪と賠償を求める声に耳を傾けることが急務である。一刻も早く日本政府が具体的施策を行うことを望むものである」としています。
 意見書をめぐっては、6月、9月議会に、市民団体から請願や陳情が提出されていました。
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2010年10月05日,「赤旗」) (Page/Top

めぐりくる春/梁石日著/評者北原耕也作家


国家的意思による残虐性を問う
 日中戦争や太平洋戦争のさなか、日本軍は朝鮮や中国などから大勢の女性たちを狩り集め、組織的、継続的に性行為を強要してきた。いわゆる「従軍慰安婦」である。彼女らは、日本軍によって文字どおり性奴隷として扱われた。
 本書は、日本の植民地支配の下、朝鮮半島から慰安婦として戦地に送り込まれた朝鮮人女性たちの過酷な人生を描いている。
 金淳花は金が稼げるという甘言に乗せられ慰安所に連れていかれる。そこには大勢の同胞女性が集められていた。
 だまされたと知ったときは遅かった。彼女らは軍の監視下で、毎日何十人もの日本軍兵士の相手をさせられる。
 彼女らは隊に付き従って戦地を移動させられる。そこで慰安所に放り込まれ、性処理の道具にされる。抵抗すれば激しい暴行にさらされる。運が悪ければ殺される。自殺する者がいる。気が触れてしまう者がいる。性病に侵される。妊娠させられる。死ねば汚物のように捨てられる。
 著者はこれを、まるで日常のこととして描く。きわめて異常なことが慰安婦の日常なのだと――。彼女らはその日常を懸命に生きようとする。
 戦争は斯くも残酷だ。しかし、在日朝鮮人の著者が描こうとするのはそのことではない。日本が国家的意志によって朝鮮人女性を陵辱したという事実、その残虐性である。
 淳花と何人かは日本軍が敗走するなか逃亡し、生き延びる。やがて故郷の土を踏む。
 それが読み手にかえって重くのしかかる。彼女らにとって春はまだ先。慰安婦問題は依然未解決なのである。
 元を正せば植民地支配がある。日本はその下で、朝鮮の歴史も文化も人権も奪った。
 日韓併合から百年が経つ。本書は、慰安婦問題を焦点に、日本人である我々にその責任を強く問うてくる。
 
 ヤン・ソギル 1936年生まれ。『血と骨』『闇の子供たち』など。
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2010年10月03日,「赤旗」) (Page/Top

 

9月)ヘッドライン

*         読書/書国探訪/権力からの自立と放送

*         平和と友好の思い発信/「慰安婦」問題で講演/東京

*         平和と交流のテーマパーク/26日まで東京で

*         朝の風/植民地支配の清算と解決

*         ここがお勧めしんぶん赤旗/連載「韓国『併合』100年」好評/植民地支配の実態と今日の課題を追求

*         「併合」100年日本と韓国/第2部/癒えない傷跡/6/歴史審判に時効なし

*         韓国併合100年考える写真展/広島市・あすまで

*         強制連行中国人犠牲者を追悼/兵庫

*         おはようニュース問答/「韓国併合」100年。改めるべきは改めないと

 

*         9月(本文)(Page/Top

読書/書国探訪/権力からの自立と放送

 ジャーナリストの良心が国民の目を一歩真実に近づけた―。『NHK、鉄の沈黙はだれのために 番組改変事件10年目の告白』(柏書房)はそんな読後感を抱かせます。
 NHK教育テレビ番組「問われる戦時性暴力」が、放送(2001年1月30日)直前に2人の自民党有力政治家の圧力で改ざんされた事件を扱っています。著者は番組のプロデューサーだった永田浩三氏。
 番組のテーマは日本軍「従軍慰安婦」問題です。慰安婦制度の責任者を裁く「女性国際戦犯法廷」を軸に展開します。従軍慰安婦にたいする日本軍の責任を否定する与党政治家の圧力とは。NHK幹部の対応は…。真相は法廷でも争われ、著者も証言に立ちました。
 ジャーナリストと組織の一員という二つの立場の間で揺れる心の率直な表白とともに、証言が本書にもつづられています。
 土壇場の改変にかかわって海老沢勝二NHK会長の名を番組制作局長(故人)〈肩書はいずれも当時〉から直接聞いたこと。自民党国会議員が放送直前にNHK職員を呼び出した事実を証言した役員の実名などは、初めて明かされる事実です。著者のねらいは暴露にとどまりません。
 「どうすれば権力から自立できるNHKになれるか」「メディアと市民との協働によって番組が生まれる」。現在、大学で教える著者の念頭にあるのはこのことです。
 (神)
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2010年09月26日,「赤旗」) (Page/Top

平和と友好の思い発信/「慰安婦」問題で講演/東京

 「東京から平和と国際友好の思いを発信しよう」―。東京都内でパネル展示やフィールドワークなどを行っている「平和と交流のテーマパーク」(主催・同実行委員会)のメーン企画が25日、千代田区内で開かれました。
 声楽家の渡辺昌子さんと女優の有馬理恵さんが朝鮮の民族衣装、チマ・チョゴリを着て音楽劇「砕かれた花たちへのレクイエム」を熱演しました。日本軍「慰安婦」にされた少女たちの悲しみを表現した内容に、ハンカチで目頭を押さえる観客も見られました。
 「『韓国併合』と日本軍『慰安婦』問題」と題して、日本共産党前参院議員の吉川春子さんが講演。初めて被害女性と会ったときの衝撃や国会での自らの体験を交え、日本政府が被害者に誠実な対応をしてこなかったことを明らかにしました。
 国連からも早期に解決するよう勧告を受けていることに触れ、「女性への暴力撤廃の流れの中で、日本がいくら隠そうとしても国際的には『慰安婦』問題が大きな比重を占めている。決して過去の問題ではない」と指摘。「被害者の救済はもちろんだが、日本が世界から信頼される国になるためにも、早急に解決する必要がある」と力説しました。
 また地方自治体でも国に対して早期解決を求める意見書が次々と採択されており「議会で話し合うことで、この問題が住民にも知らされます。地域で運動していきましょう」と呼びかけました。
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2010年09月26日,「赤旗」) (Page/Top

平和と交流のテーマパーク/26日まで東京で

 韓国併合100年、日米安保条約改定から50年という節目の今年、東京から平和と国際友好の思いを発信するため、「2010東京・平和と交流のテーマパーク」(同実行委員会主催)が、23日始まりました。都内各地で戦跡などを訪ねる企画、展示、文化行事、講演会などが行われ、26日まで続きます。
 初日の23日、都立第五福竜丸展示館で、原水爆禁止東京協議会が主催する「第24回第五福竜丸のつどい」が開かれ、展示館見学会には約50人が参加しました。
 第五福竜丸の保存運動に携わってきた原水爆禁止足立協議会の青木佳子さんは、1967年に廃船されていた第五福竜丸をよみがえらせる保存運動の取り組みなどを説明。「第五福竜丸の被爆を闇に葬らなかったのは、草の根の市民の力です。核兵器の廃絶にむけて発信していきたい」と話しました。埼玉県から参加した角田真喜子さん(76)は、「第五福竜丸の展示と、被爆の真実が分かる場所です。若い人にも原爆の恐ろしさを伝えていきたい」と話しました。
 第五福竜丸の乗組員だった久保山愛吉さんの碑に献花し、午後は詩人のアーサー・ビナードさんによる「世界から見た第五福竜丸」と題した講演会が行われました。
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 25日の午後1時からは、千代田区内のYMCAアジア青少年センターホールで、音楽劇「砕かれた花たちへのレクイエム」、講演会『「韓国併合」と日本軍「慰安婦」問題』が開かれます(事前申し込み必要)。テーマパークパスポート(1000円)を購入すると、期間中の企画参加料が割引されます。問い合わせ=03(5940)6088東京平和委員会
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2010年09月24日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/植民地支配の清算と解決

 韓国併合条約が施行されて100年目の8月29日が過ぎた。韓国併合をめぐってさまざまな取り組みや議論が行われてきたが、この間、戦争責任とともに植民地責任という問題が議論されるようになり、永原陽子編『「植民地責任」論』(青木書店)も刊行された。
 朝鮮半島に対する日本の植民地支配の過程で行われたジェノサイド(大量虐殺)や「慰安婦」問題、苦難の生活を強い、民族の誇りと文化を奪った実態を、もっと多くの日本人が知る必要があることはいうまでもない。
 同時に、植民地支配がひきおこした諸問題について戦後日本がきちんと清算し解決してきたのかを直視し反省することが重要だ。
 戦後日本は植民地支配の結果でもある在日コリアンをどう処遇してきたのか。戦後朝鮮で統一した独立主権国家の樹立がかなわず、南北分断、朝鮮戦争という悲劇となったことに日本はどうかかわってきたのか。韓国との国交樹立に20年を要し、北朝鮮とは未だに国交がないという異常な状況がなぜ生まれているのか。
 戦争責任の処理について戦後責任がいわれるように、植民地責任についても戦後責任が今問われている。その責任をはたすことが、東アジアの平和をつくることにも深くかかわっている。
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2010年09月20日,「赤旗」) (Page/Top

ここがお勧めしんぶん赤旗/連載「韓国『併合』100年」好評/植民地支配の実態と今日の課題を追求

 ことしは、日本が朝鮮を軍事的な強圧のもとで植民地化した「韓国併合」から100年目。「併合」条約が結ばれた8月から始まった連載の「『併合』100年 日本と韓国」が好評です。
 侵略戦争とともに植民地支配に反対した政党の機関紙として、韓国に住む被害者、在日1世の被害者を訪ねて、植民地支配の実態と今日の課題を追求しています。
 「第2部 癒えない傷跡」では、朝鮮人でありながら「内鮮一体」の名で戦争にかり出され、サハリンに置きざりにされた男性(12日)、強制徴用の末に死刑を言い渡された元BC級戦犯(14日)、徴兵されて15日間の兵役のためシベリアに抑留の体験をもつ韓国在住の男性(16日)らを取材し、痛苦に満ちた体験と重い証言を引き出しています。
 「第1部 支配と抵抗」(8月22日〜28日)では、朝鮮半島での治安維持法での死刑適用の事実、元日本軍「慰安婦」の証言、徴用で夫が戦死した女性らを通して、植民地支配の実態と抵抗を描きました。
 取材を受けた人から「父の独立運動に関心をもたれ、記事を掲載してくださり、深く感謝します」「1面に報道していただき大変うれしい」といった感想が届いています。
 一部政治家や特定メディアが流す「韓国併合」を美化する論調については、論評「日本は植民地で何をやったか」(8月30日)で批判しました。文化面  では、前国際啄木学会会長が石川啄木の「韓国併合」を批判した歌のなかには、「地図の上朝鮮国に黒々と…」のほかに新たに4首あることを紹介しています。(8月24日)。
 日曜版では8月22日号で、抑圧の体験や高校での授業をとりあげ、日本の政治の責任を考える特集をしました。
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2010年09月19日,「赤旗」) (Page/Top

「併合」100年日本と韓国/第2部/癒えない傷跡/6/歴史審判に時効なし

 1990年代以降、韓国の被害者は、日本政府や企業を相手に謝罪と補償を求める訴訟を起こしました。
 強制連行、サハリン残留者、「慰安婦」など裁判は20件を超えます。ほとんどが65年に日韓両国で結ばれた「請求権協定」で被害者による個人補償の請求権は放棄されたとし、敗訴が続きました。
 「勤労挺身隊おばあさんとともにする市民の会」(韓国・光州市)は、強制労働にかりだされた女性たちが三菱重工など軍需企業と日本政府に対し、謝罪と補償を求めた裁判の支援をしてきました。同会の李國彦事務局長は「裁判を通じて加害企業と日本政府の不法性を明らかにしたい。歴史の審判に時効はない。これから100年たっても事実は消せません」と語ります。

正常化の内実
 日本と韓国は65年、日韓基本条約を結び国交を正常化しました。韓国政府は2005年、その交渉文書を全面公開。日本政府が植民地支配と侵略戦争への朝鮮人動員被害に対する補償を拒否したこと、当時の韓国軍事独裁政権が被害者の請求権を放棄し経済協力資金を得たことなどが明るみに出ました。
 08年、韓国政府は被害者と遺族へ、慰労金の支給を始めました。認定には、当時の状況を証明するものが必要ですが、書類がない例も多いといいます。
 「韓国シベリア朔風会」の李在燮副会長は1945年8月1日に徴兵されました。
 「終戦の混乱からか、私が徴兵された記録は厚生省にないと言われた。日本軍の兵士だったという証拠は、93年にロシア公文書館が発行した『労働証明書』だけ」と李さん。この書類で慰労金を受け取ることができました。

未公開の記録
 日本軍に強制動員され、捕虜虐待の容疑でBC級戦犯とされた「同進会」の李鶴来会長は、仲間と補償請求訴訟を起こしました。最高裁は請求権を棄却する一方、「補償を可能とする立法措置が講じられていないことについて不満を抱く上告人の心情」に理解を示し、間接的に日本政府に対応を促しました。
 李さんは「民主党は韓国・朝鮮人の元BC級戦犯を救済する法案を提出していますが、審議されていません。被害者も高齢になり、早く解決してほしい。不安と焦燥感を感じます」と語ります。
 また韓国政府は「慰安婦」問題やサハリン残留者などの補償は請求権協定に含まれていないとし、日本政府に法的責任を認めるよう求めています。
 日本では2001年から日本共産党、民主党、社民党が共同して「『慰安婦』問題解決促進法案」を参院に提出。審議されたのは2度しかありません。
 朝鮮現代史の研究をしている吉澤文寿新潟国際情報大学准教授は、いまからでもできることはたくさんあると語ります。「日本政府は日韓条約交渉の記録をすべて公開するなど、全容を明らかにすべきです。95年の『村山談話』で反省と謝罪をしているのですから、協約の枠を超えた補償の措置があってもいい。国会でも立法を通じての補償もできます。植民地問題の清算は、まだ終わっていません」
 (第2部おわり)
 (連載は面川誠、栗原千鶴が担当しました)
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2010年09月19日,「赤旗」) (Page/Top

韓国併合100年考える写真展/広島市・あすまで

 「韓国併合」100年を考える写真展が9日、広島市中区の被爆建物、旧日本銀行広島支店で始まりました。12日までの4日間、「日韓100年」の歴史、元徴用工被爆者裁判の記録、日本軍「慰安婦」問題などの写真展示とビデオ上映や、連日約1時間のミニ講演会などがあります。
 午前10時から午後7時(12日は4時)まで。入場無料。
 「韓国併合」100年を考える広島実行委員会の丸屋博共同代表は「100年前に日本が韓国を併合していなければ、65年前の原爆投下はなかった。誤りの第一歩が植民地支配だったことを考え合いたい」と開会あいさつ。オープニングセレモニーとしてキム・スガンさんのアコーディオン演奏があり、約30人が参加しました。
 写真展を見学した男子学生(22)=福岡市=は「日本が韓国で、いかに残酷なことをしたのか日本政府は表に出そうとしないが、事実を直視してこそ日韓の歩み寄りの姿勢が開けると思う」と語りました。
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2010年09月11日,「赤旗」) (Page/Top

強制連行中国人犠牲者を追悼/兵庫

 戦時下に強制連行・強制労働によって神戸港などで亡くなった中国人犠牲者を追悼するつどいが5日、神戸市兵庫区の宝地院でおこなわれました。
 日本中国友好協会兵庫県連合会が主催し、20人が参加しました。犠牲者を追悼する読経のなか参加者が焼香しました。
 藤田博・元全国山西省在留者団体協議会会長が、日本軍山西省残留問題について体験を語りました。藤田氏は、旧日本軍の命令書や映画「蟻の兵隊」、従軍慰安婦問題、沖縄戦集団自決問題などの資料を示し、終戦の混乱のなか、在留日本人・将兵の帰国・復員のため軍の命令で武装解除せず中国に残留し、中国内戦に巻き込まれ、多くの犠牲者を出した体験を語りました。
 西宮市の男性(69)は、「毎年、日中戦争について振り返り、犠牲者を慰霊するのは大事なことです。今日は山西省の日本人の話でしたが、いろいろと考えさせられました」と話していました。日本共産党の森本真神戸市議も参加しました。
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2010年09月08日,「赤旗」) (Page/Top

おはようニュース問答/「韓国併合」100年。改めるべきは改めないと

 のぼる 8月29日で、日本が朝鮮半島を植民地にした「韓国併合」から100年がたったね。
 ふゆみ 新聞やテレビでも特集をやっていたね。日本の植民地支配で、朝鮮半島の人たちは、国を失っただけでなく、土地を奪われ、民族の文化も、名前も言葉も奪われた。100年という時が流れたけど、その傷はまだ癒えていないわ。

「痛切な反省」
 のぼる 日本政府は1995年の村山首相談話以降、かつての「植民地支配と侵略」への「痛切な反省と心からのお詫び」を表明してきた。菅首相も今年、「併合100年にあたっての談話」を発表したけど、被害を受けた側からは、十分なものと受け止められていない。
 ふゆみ 韓国のSBSテレビの世論調査では、「誠意がない」という回答が48%で、「誠意がある」の30%を大きく上回ったというわ。
 のぼる 韓国の人たちに「誠意がない」と思われたのは、日本軍「慰安婦」や強制連行といった具体的な被害に言及しなかったこと、補償など被害者が求めている解決策を示さなかったことが大きな理由だね。
 ふゆみ もっと根本的な問題としては、日本政府が、いまだに「併合条約」は当事者の意思で締結された有効な条約だったという考えを改めていないことがあるわ。
 のぼる 「痛切な反省」「心からのお詫び」と言っておきながら、「でも、やっぱり併合は有効でした」というんだから、本気で謝る気があるのかってことになるね。

事実を踏まえて
 ふゆみ 「併合条約」は、日本軍が朝鮮半島を占領して、反対派を徹底的に弾圧して無理やり押し付けたものよ。歴史の事実を踏まえて、改めるべきは改めないと、前向きに問題を解決していくことなんてできないわ。
 のぼる 韓国と日本の新聞が最近行った世論調査では、「韓国併合」が「悪かった」と答えた人が、韓国では79%だったのに対し、日本では20%しかおらず、「悪いところもあったが、いいところもあった」という人が6割もいたんだ。
 ふゆみ すごい数字だね。日本政府も「反省」したというなら、日本の植民地支配と侵略戦争の誤りが、日本人全員の常識になるように、とりくまないといけないね。
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2010年09月02日「赤旗」) (Page/Top

 

 

8月)ヘッドライン

*         「韓国併合」100年/侵略清算こそ共感の道/川崎で学習会

*         「韓国併合」100年/過ち繰り返さない未来を/各地で集会、行進/「慰安婦」解決など日本に要求

*         100年前のきょう「併合」条約発効/韓国で歴史論議活発/西大門刑務所歴史館で特別展

*         「併合」100年日本と韓国/第1部/支配と抵抗/6/徴用で戦死「弔辞」だけ

*         「併合」100年日本と韓国/第1部/支配と抵抗/5/姉妹をだまし挺身隊に

*         「慰安婦」問題戦争展で講演/広島市中区

*         日韓友好旅行先立ち学習会/金沢で

*         「併合」100年日本と韓国/第1部/支配と抵抗/4/慰安所は軍が管理した

*         韓国併合100年/東京で集会/共同宣言発表

*         「併合」100年日本と韓国/第1部/支配と抵抗/3/元「慰安婦」が願うこと

*         「併合」100年日本と韓国/第1部/支配と抵抗/2/治維法朝鮮半島で猛威

*         「併合」100年日本と韓国/第1部/支配と抵抗/1/実父の独立運動≠ノ光

*         潮流

*         「韓国併合」100年/歴史と未来は/「痛切な反省とおわび」/菅内閣首相談話

*         「韓国併合」100年/歴史と未来は/在日本大韓民国民団の「光復節」記念式で日本共産党志位委員長があいさつ

*         「韓国併合」100年/歴史と未来は/「玄田牛一」名前のヒミツ/世界史授業で連帯を学ぶ/日本の高校生

*         「韓国併合」100年/歴史と未来は/小6で渡日、無償労働1年/苦しみ続けた65年を補償して

*         土建主婦の会「戦争展」開く/千葉

*         あす韓国併合条約100年/植民地支配に一貫して反対/共産党

*         あす韓国併合条約100年/培われた信頼は財産/女たちの戦争と平和資料館事務局長渡辺美奈さん

*         戦争の愚かさ、平和の尊さ/語り継ぐ行動各地で/企画多彩に平和展開く/静岡・藤枝

*         戦争体験聞く/革新懇が集い/神奈川・小田原/横浜市保土ケ谷区

*         元朝鮮女子挺身隊員に支援訴えコンサート/名古屋

*         終戦65年/核兵器廃絶、平和の誓い新た/日中友好協会海南支部が集い/和歌山

*         戦後65年/伝えよう侵略戦争の真実/南方戦線/下/ネズミも食べた地獄

*         戦後65年/伝えよう侵略戦争の真実/南方戦線/中/死臭と白骨が道しるべ

*         戦後65年/伝えよう侵略戦争の真実/南方戦線/上/住民銃殺命令の苦悩

*         光復節/韓国大統領が演説/「併合」100年依然課題も/南北統一3段階案を提起

*         韓国民団光復節中央記念式/志位委員長のあいさつ

*         軍艦島/「韓国併合」100年、政府は個人補償を/大分大学教授森川登美江さん

*         わたしのおすすめこの3冊/その2/鮫島有美子さん/ジェームス三木さん/高樹のぶ子さん/益川敏英さん

*         わたしのおすすめこの3冊/その1/石川康宏さん/大石芳野さん

*         終戦65周年/歴史に学び未来へ

*         潮流

*         首相談話で社説掲載

*         「慰安婦」問題解決求め署名/広島ネットワーク

*         迫る日本母親大会/29日の日程

*         「韓国併合」首相談話/韓国各紙の見解

*         「慰安婦」問題解決を/世界連帯水曜デモ/東京

*         平和のための戦争展14日まで/静岡・清水

*         首相談話への見解/アジアの報道機関

*         首相談話韓国各界が見解/与野党から批判/メディア「残念」

*         NHK、鉄の沈黙はだれのために 番組改変事件10年目の告白/永田浩三著/評者醍醐聰東京大学名誉教授

*         「慰安婦」問題解決求める/広がる自治体の意見書可決/神戸女学院大学教授石川康宏

*         「韓国併合」100年高まる世論/平和な東アジアへ協力を

*         勇気出し権力監視を/マスコミ九条の会がシンポ

*         8月(本文)(Page/Top

「韓国併合」100年/侵略清算こそ共感の道/川崎で学習会

 100年前に「韓国併合条約」が「公布」された29日、「植民地支配の完全な清算と歴史認識の共有をめざす『併合』100年日本委員会」は、川崎市教育文化会館で「『韓国併合』100年を振り返り、21世紀の日本のあるべき姿をさぐるために」と題した学習会を開催し、約100人が参加しました。
 歴史教育者協議会の大図建吾氏が問題提起の報告に立ち、多くの韓国人が「日本国は嫌いだが、日本人は好き」との複雑な思いを抱いていることを世論調査などから紹介。「植民地支配とアジア侵略の歴史を完全に清算してこそ、日本の憲法9条や核兵器廃絶、米軍基地撤去の運動にアジアの共感が得られる」と語りました。
 続いて、横浜教科書採択連絡会の芝崎文仁氏が、横浜市の「自由社」教科書採択について、川崎市ふれあい館館長の三浦知人氏が、地域の民族差別の歴史から学ぶ活動について、元川崎市議の宮崎光雄氏が、「併合」にいたる「前史」についてそれぞれ発言。討論がかわされました。
 参加者は、植民地支配期の歴史資料の収集公開、「慰安婦」「強制連行」被害者などへの謝罪と補償、日朝平壌宣言の実行などを求めるアピールを採択しました。
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2010年08月30日,「赤旗」) (Page/Top

「韓国併合」100年/過ち繰り返さない未来を/各地で集会、行進/「慰安婦」解決など日本に要求

 日本による「併合条約」発効から100年を迎えた29日、韓国各地でさまざまな行事が催されました。国を奪われた歴史を教訓として、過ちを繰り返さない未来を準備することが主な趣旨です。
 
 独立運動家やその遺族でつくる光復会と独立有功者遺族会は、ソウル中心部で「強制併呑(へいどん)、その100年の記憶、100年の未来」をテーマに集会を開催しました。会場のタプコル公園は、1919年の三・一独立運動が始まった場所です。集会には独立運動関係者や市民、学生ら約1000人が参加しました。
 集会で発表された決議は、「100年前のこの日を記憶し、再びこうした過ちが繰り返されないよう、新たな100年の未来をつくる決意」を表明。日本政府に対し、@「韓国併合条約」締結が不法、無効だったことを認めるA植民地支配の被害に対する国家責任を果たすB南北統一問題の解決に積極的に協力する―ことなどを求めました。
 日韓両国の市民団体が参加する「強制併合100年共同行動実行委員会」は、ソウル市内で集会を開き、強制連行や徴用被害者、「慰安婦」などの解決を日本政府に要求。太平洋戦争犠牲者遺族会なども、日本大使館前で被害者への補償を求める集会を開きました。
 このほか、釜山、光州など地方都市でも、平和行進や集会などが行われました。
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2010年08月30日,「赤旗」) (Page/Top

100年前のきょう「併合」条約発効/韓国で歴史論議活発/西大門刑務所歴史館で特別展

 日本が朝鮮半島を植民地支配下に置いた「韓国併合ニ関スル条約」の発効から29日で100年。韓国では「国恥日」と呼ばれます。メディアや歴史研究者の間では、未来に向けた日韓協力関係を築くために歴史から何を教訓とすべきかについて、論議が活発です。
 (面川誠)
 
 日刊紙・東亜日報は28日付の社説で、「日本は速やかに当初から無効だったことを認めるべきだ」として、「慰安婦」、徴用被害者などの問題解決に誠実に取り組まなければ、「未来志向の韓日関係は定着しない」と強調します。
 李朝末期の大韓帝国内部の権力争いに付け込まれて植民地に転落したことを振り返り、「朝鮮半島をめぐる大国の利害の争いは、いまも繰り返されている。国際情勢に対する賢明な判断が、1世紀前にも増して強く求められている」と主張しました。
 日刊紙・ハンギョレの同日付社説は、「両国の市民交流をいっそう広げて多様化させるべきだ。政府レベルの交渉で歴史問題を円満に解決することは期待しがたい」と指摘。今後は、「市民の交流を観光や大衆文化にとどまらず、共生、和解、平和などの分野に拡大することが大事だ」と提案しています。

西大門刑務所歴史館で特別展/「日本の若者来館展望感じる」
 独立運動家が多く投獄された監獄を保存している西大門刑務所歴史館は、「巨大な監獄、植民地を生きる」と題した特別展を開催中です。
 朴慶穆(パク・キョンモク)館長は、「併合に至った過程を検証すると、日本と韓国にはそれぞれの責任がある」と指摘。「しかし、『併合』条約を不法に強制した日本側が大きな責任を持っていることは自覚してほしい。平和構築と地域協力で手を結べる日韓関係をつくるためには、何よりも日本側が真剣に歴史の教訓をくみ取ることが必要だ」と強調します。
 歴史館の展示企画に参加した民族問題研究所の金丞垠(キム・スンウン)研究員は、「この歴史館を訪れる外国人の約6割は日本人で、若い人が目立ちます。多くの日本人が歴史と向き合おうとしていることに、未来への展望を感じる」と語りました。
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2010年08月29日,「赤旗」) (Page/Top

「併合」100年日本と韓国/第1部/支配と抵抗/6/徴用で戦死「弔辞」だけ

 1945年8月15日、李金珠さん(89)はソウルの自宅でラジオから流れる天皇の玉音放送に耳を澄ませました。日本の敗戦と祖国の解放。通りは万歳を叫んで喜ぶ人々であふれかえっていました。

解放の日も涙
 「みんな大喜びだったけれど、私はむしろ悲しかった。日本軍に徴用された夫には二度と会えない、という思いが込み上げてきたから。夜になると祝杯を上げる人々で、ますますにぎやかになりましたが、私は悲しくて涙が止まらなかった」
 平壌生まれの李さんは、19歳のときに父親の転勤でソウルに転居しました。40年に金道敏さんと結婚。息子が生後8カ月だった42年11月、金さんは海軍軍属に徴用されました。
 9カ月間は夫から手紙が来ました。差し出してから届くまでは30日間。すべて横須賀の郵便局気付で、夫がどこの戦線にいるのかは分かりませんでした。
 43年11月に太平洋のギルバート諸島タラワ島で戦死。45年4月に塚原二四三横須賀鎮守府司令長官から李さんに郵便で「弔辞」が届き、夫の死を初めて知りました。
 李さん本人も動員されそうになったことがあります。夫が徴用されて間もなくのこと、1枚の「募集書」が届きました。指定された場所に行ってみると、夫を徴用された女性が大勢いました。
 一人の日本人が壇上に上がって演説を始めました。「われわれは皇国臣民である。お国のために忠誠を尽くすことが務めである。忠誠とは女として勤労挺身隊に志願することである」
 挺身隊では何をするのかと聞くと、負傷した軍人の看護もあるとの説明でした。「夫に会えるかもしれない」という期待が李さんの頭の中をよぎります。
 「父に『志願したい』と言うと、『行くなら親子の縁を切る』と猛反対でした。挺身隊に行った女性の境遇を知っていたようです。志願していたらどうなったことか…」

謝罪と補償を
 李さんの家柄は李朝時代の貴族階級「両班」。再婚は許されませんでした。1950年に父親の転勤で光州市に転居し、カトリック教会での活動に従事してきました。
 80年代初め、李さんは光州に住む軍人・軍属の遺族ら10人で初めて会合を持ちました。日本政府に補償を求める本格的な運動に発展させ、88年から太平洋戦争犠牲者遺族会光州遺族会の会長を務めています。現在までの登録会員は1272人。
 自ら原告となった裁判を含め、日本政府の補償を求める訴訟はすべて敗訴。そのたびに胸を突き刺される思いでした。
 李さんがおもむろに菅直人首相の談話を取り出しました。「被害者に謝罪と補償をするという一言がない。だから私には、口先だけの言い訳にしか聞こえないのです。言葉だけでなく、早く行動を見せてほしい」
 1938年から45年まで、日本軍に軍属として徴用された朝鮮人は約15万5000人と推計されています。
 家族を徴用されて失った人々、勤労挺身隊員、「慰安婦」など、ともにたたかってきた被害者は次々と亡くなっています。李さんのたたかいは続きます。
 (第1部おわり)
 (連載は面川誠、栗原千鶴が担当しました)
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2010年08月28日,「赤旗」) (Page/Top

「併合」100年日本と韓国/第1部/支配と抵抗/5/姉妹をだまし挺身隊に

 太平洋戦争の末期に、朝鮮半島からも若い女性が「女子勤労挺身隊」として軍需工場に動員されました。日本に渡った人数は推計で約4000人。日本では強制労働の犠牲となり、帰国してからも「日本に身を売った女」という差別と偏見に苦しみ続けました。

姉に会おうと
 韓国南部・順天の国民学校6年生だった金正珠さん(79)は卒業間際の1945年春、勤労挺身隊に「志願」しました。名古屋で中学校に通っているはずの姉、性珠さん(80)に会いたい一心でした。
 「姉は44年の5月に、日本人女性教師に『日本に行けば中学校に行ける』と言われたが、名古屋の三菱重工業航空機製造工場に送り込まれた。同じ教師が私に『日本に行けばお姉さんに会える』とうそをついた。姉妹そろってだますなんて」
 「志願」には保護者の印鑑が必要です。性珠さんも正珠さんも、祖父の印鑑をこっそり持ち出して書類に押印したといいます。
 正珠さんが連れて行かれたのは富山市の機械メーカー、不二越でした。朝鮮半島出身者は計1624人。正珠さんらは鉄条網の張りめぐらされた寮で暮らし、わずかな食事に空腹をこらえられず、日本人の残飯や雑草で飢えをしのぎました。
 「帰国したら挺身隊経験者は『慰安婦』扱い。過去を隠して19歳で結婚したけれど、夫に知られてしまった。工場で働かされたと説明しても信じてもらえず、『おまえは汚れた人間だ。何人の男を相手にしたんだ』と殴られてね。結局、35歳のときに離婚されてしまった」
 正珠さんは1人で息子を育て、いまはソウル市松坡区で孫と一緒に暮らしています。収入は区から低所得者への補助金など月61万ウォンと、韓国政府からの支援金は年80万ウォン。平均所得の約5分の1です。これで家賃45万ウォンを含む生活費をまかないます。見るに見かねた自治体の担当者が、私費で援助してくれることもあるといいます。

偏見に苦しむ
 正珠さんは、日本政府と不二越に損害賠償などを求めてたたかう第2次不二越訴訟原告の1人です。今年3月、正珠さんを含む6人の被害者が、富山の不二越工場を抗議のために訪れました。警備員ともみ合いになった正珠さんは転倒し、靴が脱げました。はだしのまま立ち上がった正珠さん。思わず手に持った靴で警備員をたたきました。
 「怒りを抑えられずにたたいたけれど、警備員には何の罪もないよ。私も胸がつぶれる思いだけど、きっと警備員も心が痛んだだろうねえ」と、正珠さんがつぶやきました。
 正珠さんが補償を求める運動に立ち上がったのは2003年。支援を求める署名を集めるために、自治体の庁舎や近所の商店を訪ね歩きました。しかし、「日本に金もうけに行った女」という偏見は根強く、ほとんど追い返されたといいます。
 「いまでも私たちのことを白い目で見る人は多いよ。家族から『運動をやめてくれ』と言われる被害者もたくさんいる。会社も日本政府も私たちに謝罪も補償もしないから、みんな傷付くんだ」
 (つづく)

第2次不二越訴訟
 不二越(本社・富山県)の軍需工場で強制労働の被害にあった23人が2003年、不二越と日本政府の損害賠償などを求めて富山地裁に提訴。一審は07年9月に請求を棄却。二審の名古屋高裁金沢支部は今年3月、強制連行や強制労働の不法行為を認定する一方で、1965年の日韓請求権協定で個人の請求権も放棄されたとして、原告の請求を棄却。最高裁に上告中。
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2010年08月26日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」問題戦争展で講演/広島市中区

 日本軍「慰安婦」問題解決広島行動2010ネットワークの土井桂子代表は、広島市中区で開かれた「平和のための広島の戦争展」の最終日の23日、イベント広場で講演しました。今年の戦争展は、日本が韓国を強制的に併合した1910年8月から100年を迎えるにあたり、真の友好と和解を考えるテーマを盛り込みました。
 韓国政府が生活援護をした「慰安婦」のうち83人が存命しており、土井代表は「『従軍慰安婦』という言い方は、自ら志願したような表現なので、国際的には『日本軍の性奴隷』と言われている」と指摘。「植民地支配から100年を経過した今年こそ、日本政府の謝罪と補償を実行し、被害女性の尊厳回復を実現することを求める」との「日本軍兵士の息子たち100人宣言」を紹介し、10月30日を集約日とする120万人署名運動への協力を呼びかけました。
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2010年08月25日,「赤旗」) (Page/Top

日韓友好旅行先立ち学習会/金沢で

 韓国併合100年の歴史を考える学習会が22、23の両日、金沢市キゴ山のふれあいの里で開かれました。10月に予定されている「日韓友好の旅」に先立ち、韓国併合問題について考えようと日朝協会石川県支部が主催したものです。
 日韓友好の旅は今年で3回目になり、10月4〜8日の5日間の予定。現在30人ほどが参加予定で、ソウルを中心に江華島などを回りながら現地住民との交流を進める計画です。
 学習会では、大森定嗣・日朝協会県支部理事長をはじめ、日韓問題に詳しい6人の講師が北東アジアの情勢、従軍慰安婦問題などについて解説し、質疑応答で学習を深めました。
 日韓友好の旅に向けた取り組みの報告では、現地の元従軍慰安婦に贈るメッセージ入りのタペストリーが披露され、朝鮮民謡アリランの練習も行われました。
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2010年08月25日,「赤旗」) (Page/Top

「併合」100年日本と韓国/第1部/支配と抵抗/4/慰安所は軍が管理した


だまされたと
涙にくれいし慰安婦ら
冷たき風は
今も止まずに
  ◇
 千葉県我孫子市の松原勝さん(86)は、日本軍の「慰安婦」にさせられた女性たちの現状を歌に詠みました。
 1942年、松原さんは第4海軍施設部に軍属として所属し、トラック島で働いていました。施設部の仕事は、道路や港湾、飛行場の建設などとあわせて、慰安所の管理も行っていたといいます。

泣いて訴える
 トラック島は、東京から3000`以上離れた南洋諸島。日本軍は連合艦隊の基地をおきました。軍人、軍属、囚人までいたこの島は、原住民も合わせると人口は3万人ほど。商店街が並ぶ繁華街や日本人の子どもが通う学校、病院、神社もありました。
 この島に「南國寮」と「南星寮」、二つの慰安所があったといいます。
 松原さんはその一つ「南國寮」にしばしば通っていました。高床式のバラックで、廊下を挟んで個室が並んでいました。50人ほどいた「慰安婦」は7、8割が朝鮮の人。10代や20代の若い女性ばかりでした。
 「みどりさんと名乗る朝鮮の女性がいてね。彼女は、ほかの女性から信頼があって、私が泊まりにいくと数人が部屋に集まってきて話をした」。そこで女性たちは「高級将校のメイドの働き口があるといわれた」「病人の付添婦の仕事だといわれたのに」と、だまされて連れてこられたことを泣きながら訴えたといいます。
 「慰安所に出入りするには、軍が発行した『出入證』が必要でした。赤い波線があるでしょう。これが海軍の印です」と持ち帰った「出入證」を手に語ります。名前の脇には「萩原部隊」と印刷されています。「部隊長だった萩原勘一海軍大佐の印鑑が押してある。慰安所が軍の管理下にあったという証拠です」
 1944年に徴兵検査を受けるため、島を離れた松原さんは「彼女たちは、生き延びたのかどうか…」と、思いをはせます。
 今年2月に行われた冬季五輪を見て、フィギュアスケート女子で金メダルをとった金妍兒選手と、当時の女性たちは同じ年ごろだったな、と思った松原さん。
 「併合と戦争で、彼女たちの青春をすべて奪ってしまった。1日10人以上を相手にさせられて、身も心もぼろぼろだったはず。日本の責任は本当に重い」

「歴史の事実」
 松原さんが「慰安婦」問題について発言するようになったのは1998年のことです。中川昭一農水相(当時)が「慰安婦」について「歴史の事実として教科書に載せることに疑問を感じている」と発言。松原さんは、「93年には河野官房長官が談話で軍の関与を認めているはず。歴史の事実を、なかったことにしようとする発言は許せない」と証言を始めました。
 昨年、国連は日本政府に対し、「慰安婦」問題を早急に解決するよう勧告しました。日本各地の地方議会では、「慰安婦」問題の早期解決を求める意見書の可決が広がっています。松原さんも我孫子市での運動にかかわり、同市議会は3月に可決しました。
 そのときの思いを歌に込めました。
  ◇
念願の
「慰安婦意見書」の可決なり
傍聴席の
緊張とける
 (つづく)
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2010年08月25日,「赤旗」) (Page/Top

韓国併合100年/東京で集会/共同宣言発表

 「植民地主義の清算と平和な未来を」。韓国併合を考える集会「日韓市民共同宣言日本大会」(主催・「韓国強制併合100年共同行動」日本実行委員会)が22日、東京都豊島区の豊島公会堂で開かれ、約1000人が参加しました。
 集会は、日韓の同「共同行動」実行委員会で共同作成した「日韓市民共同宣言」を発表。1910年8月22日に締結された韓国併合条約について「国際法に照らして明らかに違法・無効である」とし、「植民地主義の清算はまだ終わっていない」と宣言。日本政府に対して「植民地支配と侵略戦争による各種被害の真相を究明して被害救済のための謝罪、補償などの迅速な措置」をとるよう求めています。
 また、青山学院大学教員の宋連玉(ソン・ヨンオク)さんと、立命館大学教員の庵逧(あんざこ)由香さんが講演。元日本軍「慰安婦」被害者の女性や、元強制動員被害者の男性らが証言しました。
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2010年08月24日,「赤旗」) (Page/Top

「併合」100年日本と韓国/第1部/支配と抵抗/3/元「慰安婦」が願うこと

 「日本は昔、悪いことをしたけど、あなたたち学生には過ちはない」
 日本軍元「慰安婦」の李玉善さん(83)は10日、被害の実相を学ぶピースロード(ナヌムの家主催)に参加した約20人の日韓の学生に、こう語りはじめました。
 李さんが暮らすのは、韓国ソウルから30`ほど離れた京義道広州市郊外にある「ナヌム(分かち合い)の家」です。元「慰安婦」のハルモニ(おばあさん)たちが共同で暮らし、証言をもとに慰安所の様子を再現した歴史館も併設しています。

学校行きたい
 李さんは、1927年に朝鮮半島東南端の釜山で生まれました。家は貧しく、母が市場で野菜や飲み物を売って日銭を稼ぎました。
 いつも学校に行きたいと、母親に泣いてせがんでいました。しかし、そんなお金はありません。「養女にしてやる」という飲食店主があらわれ、「ご飯もたくさん食べられるし、学校にも行ける」と聞き、行く気になったといいます。
 「行ったら、全部うそだった」と李さん。釜山から約60`北にある蔚山の居酒屋に売り飛ばされ、朝から晩まで働きづめでした。
 15歳のとき、買い出しの途中で日本人と朝鮮人の2人組によってトラックに押し込められ、そのまま貨物列車で中国に連れて行かれました。
 慰安所では、毎日、何人もの相手をさせられ、逃亡を図った際には殴るけるの暴行を受けました。「これが日本軍将校に殴られ、刀で刺された跡だよ」と、腕や足の傷を見せながら学生に語ります。
 「慰安婦は軍用品。人間扱いじゃない。慰安婦は、慰問袋みたいなものだったんだ」
 「賠償しろ、謝罪しろと言い続けてきた」という李さん。1992年1月から毎週水曜日、被害者と支援者らはソウルの日本大使館前で抗議集会を開催。すでに930回を超えました。「私は死なないよ。私の15歳を返せといいたい。私の名誉を回復してほしい」。こう泣きながら語る李さんの言葉を、学生たちはじっと聞き入ります。
 1991年、初めて慰安婦だったと名乗り出たのは金学順さん(故人)でした。あれから19年。被害者の高齢化もすすみ、日本政府は国連からも早急な解決を勧告されています。しかし、共産、民主、社民の3党共同で何度となく国会に提出してきた「慰安婦」問題の早期解決を求める法案は、いまだ成立のめどがたっていません。

未来を託して
 李さんは戦後、中国国内で放り出され、朝鮮人の夫と中国で暮らしました。ようやく韓国に戻ることができたのは2000年6月。「帰国しようと思ったら、家族がずいぶん前に死亡届を出していたから、1年以上かかった」。戦後も苦労の連続だったのです。いまは「ナヌムの家はとてもいいところ」と、やっと安住の地を得ました。
 「しっかり勉強してほしい」。李さんが学生たちに何度も繰り返した言葉です。
 一度も学校に行けなかった李さん。両国の学生に「間違ったことをしない、まともな国をつくってほしい」と未来を託します。(つづく)
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2010年08月24日,「赤旗」) (Page/Top

「併合」100年日本と韓国/第1部/支配と抵抗/2/治維法朝鮮半島で猛威

 「治安維持法(治維法)の最初の犠牲者は、朝鮮人でした」。長年、朝鮮近代史を研究してきた京都大学人文科学研究所の水野直樹教授はいいます。
 1925年5月12日に施行された治安維持法は、日本国内だけでなく、植民地支配をしていた朝鮮半島でも猛威を振るいました。

死刑の執行も
 水野教授は「日本史の研究では治安維持法の最初の事件は、京都の学生たちがつくった社会科学研究会を摘発した京都学連事件(25年12月)だとされていますが、朝鮮半島では11月末に、朝鮮共産党に対する弾圧が行われている」と語ります。
 第1次朝鮮共産党事件。これは、朝鮮の独立を求める運動を展開した朝鮮共産党員66人が検挙され、獄死、または病気で保釈直後に3人が亡くなった事件でした。第4次まで及んだこの事件は、300人を超える人が検挙されます。
 朝鮮の独立を求めることは、治安維持法違反にあたるのか―。水野教授は当時の裁判記録を研究するなかで、「日本が植民地にした朝鮮を、朝鮮人が取り戻そうとすることは、国体の変革にあたるとする法の拡大解釈が施行直後から朝鮮半島では行われていた」と指摘します。
 それが量刑の重さにも表れています。日本国内では死刑判決が一例もなかったのに対し、朝鮮では約60人(治安維持法と他の刑法を合わせたものも含む)に死刑が執行されています。30年、31年に一斉検挙された第5次間島共産党事件では、18人に死刑判決が下され、執行されました。
 また、日本国内では28年から38年の間に治安維持法違反で無期懲役を言い渡されたのは1人でしたが、朝鮮では39人。懲役15年以上についても、日本が7人で、朝鮮では48人だったといいます。
 当時、朝鮮の人々は選挙権を認められていませんでした。同法にたいして発言権は認められず、悪法だけが押し付けられたのです。水野教授の研究をみても、朝鮮半島で同法がどれだけ大きな被害をもたらしたかが想像できます。

詩人の判決文
 1943年に朝鮮語で詩を書き、日本国内で治安維持法違反として逮捕され獄死した詩人、尹東柱の判決文を今年7月、市民が閲覧し話題になりました。尹東柱のゆかりの地に記念碑を建てようと運動する京都府宇治市の市民らが、京都地検に資料や遺品の閲覧を請求したことがきっかけでした。
 日本では、戦前の資料は、なかなか一般に公開されません。一方、韓国では複写された治安維持法事件の判決記録が博物館などに展示されており、誰でも閲覧することができます。
 これらは朝鮮の歴史研究のために大事な資料だと水野教授はいいます。
 「日本当局は、判決文などの資料を積極的に公開し、韓国、北朝鮮の歴史研究者らにも提供すべきだと思います。隠したままの状態で、いくら『友好』や『植民地支配への反省』を言っても信頼は得られないでしょう。補償については議論の分かれる点があるとしても、歴史を明らかにするための資料を積極的に提供することは、すぐにでもできることだと思います」(つづく)

治安維持法
 天皇制廃止など、国政のあり方を根本的にかえる「国体の変革」などを掲げる結社やその指導者、個人を弾圧する法律。日本共産党をはじめ革命的労働・農民運動の弾圧のために制定。1925年に施行され、28年に最高刑が死刑に改悪されました。国内で約7万人、朝鮮半島では約2万5千人が検挙。1945年10月に廃止されました。
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2010年08月23日,「赤旗」) (Page/Top

「併合」100年日本と韓国/第1部/支配と抵抗/1/実父の独立運動≠ノ光

 朝鮮青年独立団は、わが民族を代表し、わが独立を期成せんことを宣言する―。
 30年ぶりに大雪が降ったという1919年2月8日の東京・西小川町(現西神田)。東京朝鮮キリスト教青年会(現在の在日本韓国YMCA)の講堂で数百人が集まり開かれた「朝鮮留学生学友会総会」で、朝鮮独立を求めた宣言文が採択されました。
 その約1カ月後、京城(現ソウル)にあるパゴダ公園(現タプコル公園)で独立宣言文が読み上げられ、「独立万歳」と叫びながらデモ行進が行われます。三・一独立運動です。東京での二・八独立運動に参加した学生がその宣言文を帽子に縫いこんで祖国に持ち帰り、三・一宣言文に影響を与えたといいます。
 朝鮮半島全土に広がった独立運動には約200万人が参加。日本は武力で弾圧し、7500人以上にも及ぶ死者が出たといいます。
 25年には治安維持法を公布し、日本は独立を願う人々を次々と弾圧します。しかし、その火は消すことができず、終戦間際まで続いていきます。

治維法違反で
 「実父の独立運動参加が事実だと明らかになった。本当にうれしい」
 韓国南東部・晋州市に住む申允植氏(60)は顔をほころばせました。現在、慶尚大学音楽教育科の教授です。
 允植氏の実父、申N雨は22年、韓国南西部の淳昌で出生。41年に日本に渡り、横浜市の牧場で住み込みの牛乳配達をしながら東京の専門学校、研数学館で学び始めました。
 N雨は同年10月ごろから、日本留学中だった親類の申升雨、申奎植らとともに会合を持つようになり、朝鮮独立運動の組織化を話し合ったといいます。
 12月8日に太平洋戦争が開戦するとN雨らは「日本は経済的に敗退し、必ず敗戦する」と見通し、朝鮮独立の好機が訪れたと判断。朝鮮に戻り民衆蜂起による独立達成のために組織化活動を展開すべきだとして、奎植を先陣として朝鮮に帰すことを決めました。
 しかし12月13日、N雨ら7人は検挙され、治安維持法違反で起訴されます。「在横浜民族共産主義学生グループ策動」。43年12月23日、N雨は横浜地裁で懲役1年6月の判決を受けました。
 允植氏は、実父・N雨をしのばせる物を何も持っていません。日本で独立運動に参加し、刑務所に収監されていたという話は周囲から聞いていましたが、確認するすべがありませんでした。

南北分断の壁
 転機は2005年12月、盧武鉉政権下で発足した「真実・和解のための過去史整理委員会」が、埋もれた歴史の解明のために真相究明申請の受け付けを開始したことです。允植氏の申請を受け、委員会の姜孝叔調査官が独立運動でN雨が投獄された事実を突き止めました。
 委員会が受け付けた独立運動に関する真相究明申請は273件。このうち約3分の2は社会主義・共産主義系の運動だといいます。
 姜調査官は「三・一独立運動までは民族主義の運動だった。三・一独立運動が弾圧された後、独立運動家が組織化の必要性を痛感したことや、ロシア革命の影響もあり、社会主義・共産主義系の独立運動が急速に広がった」と指摘します。
 左翼系の独立運動は南北分断の影響で、長年にわたり史実が埋もれたままになっていました。「実父は朝鮮戦争開戦以降、消息不明。住民登録上は生存していることになっている。死亡届を出すわけにはいかない」と允植氏は言います。
  ◇
 「韓国併合」から100年。日本の植民地支配の実相と、友好に向けた未来への展望を考えていきます。
 (つづく)
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2010年08月22日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 「小早川、加藤、小西が世にあらば今宵の月をいかに見るらむ」。1910年8月29日夜、初代の朝鮮総督となる寺内正毅が詠んだという歌です▼1週間前の22日に調印ずみの「日韓併合に関する条約」が、公にされた日の夜でした。「併合」を祝う宴会。寺内は、得意顔だったようです。小早川秀秋、加藤清正、小西行長。彼ら、豊臣秀吉の侵略軍の武将が果たせなかった朝鮮征服を、いま自分が実現した、と▼韓国の皇帝は日本の天皇に、「統治権を完全かつ永久に」譲る=B条約の建前です。しかし、いま韓国では、「併合」でなく「強占」とよぶ人が多い。実は、日本が軍隊の力で脅し占領を強制した条約でした▼韓国民は国を失い、日本が支配する「朝鮮」地域の住民に変えられました。朝鮮ももともと、日が昇る東方の朝の鮮やかなところを意味する、由緒ある呼び名でしたが。35年にわたる日本の支配が何をもたらしたかを物語る、朝鮮民謡があります▼「口の利ける野郎は 監獄に/…/餓鬼の一匹も生める女っちょは 色街に/もっこの担げる若え野郎は 日本に、/こんで何にもかんも素っからかんよ」(金素雲訳編『朝鮮民謡選』)。日本軍の徴兵。軍「慰安婦」。強制連行。しかし、「監獄」を恐れず独立のためにたたかう人は、後を絶ちませんでした▼「併合」条約から100年。被害者への補償一つとっても解決していない現実。党をつくった88年前から朝鮮独立を求めた、日本共産党のなすべき仕事は多いようです。
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2010年08月23日,「赤旗」) (Page/Top

「韓国併合」100年/歴史と未来は/「痛切な反省とおわび」/菅内閣首相談話

 菅直人内閣は10日の閣議で「韓国併合」100年に関する首相談話を決定しました。
 談話は、韓国併合条約締結(1910年8月)以来の36年間の植民地支配について、「当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷つけられた」と指摘。「多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫(わ)び」を表明しています。
 しかし談話は、日本軍「慰安婦」や強制連行にたいする個人補償問題や、日本の歴史教科書問題については触れていません。首相は記者会見で、韓国併合条約について、「有効」だったとする歴代政権の見解を引き継ぐ考えを示しました。
 田中倫夫記者
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2010年08月22日,「赤旗」) (Page/Top

「韓国併合」100年/歴史と未来は/在日本大韓民国民団の「光復節」記念式で日本共産党志位委員長があいさつ


両国の友好に力尽くす
 日本の植民地支配から朝鮮半島の解放65周年を祝う、在日本大韓民国民団(民団)の「光復節」中央記念式が、15日、東京都千代田区の日比谷公会堂で開かれました。ことしは日本が強制した「韓国併合」から100年。日本の政党代表が祝辞をのべ、日本共産党から志位和夫委員長があいさつしました。

「歴史認識を共通に」が大事
 志位氏はまず、「8月15日は韓国の皆さんにとって、日本帝国主義の支配から解放された喜ばしい日」とお祝いをのべました。同時に、「日本の侵略戦争と植民地支配の犠牲となった2千万人を超すアジアの人びとと、310万人の日本国民を追悼し、過ちを二度と繰り返さない決意を新たにします」と話しました。
 志位氏は「韓国併合」について、「日本軍による繰り返しの侵略、王妃の殺害、国王・政府要人への脅迫、民衆の抵抗の軍事的圧殺によって実現されたもの」であり、「韓国併合条約」は「日本が韓国に軍事的強圧によって一方的におしつけた不法・不当な条約」と指摘。「植民地支配によって、国を奪い、文化を奪い、言語を奪い、名前すら奪ったことを、日本国民は忘れてはならない」「それを両国の共通の歴史認識にすることが、未来にとって重要」とのべました。
 そして、「過去の誤りを真摯(しんし)に認めてこそ、日本は未来に向かってアジア諸国民との本当の友情を得ることができる」と強調しました。

三つの点で決意表明
 志位氏は、日本共産党が戦前から朝鮮への植民地支配に反対し、独立運動に連帯してたたかってきた歴史を紹介。日韓両国民が真の親愛の情で結ばれた友好関係をうちたてるために、次の3点をあげ、力を尽くす決意を表明しました。
 ―日本の過去の侵略戦争や植民地支配を正当化するいかなる逆行も許さない。誤った歴史が残した傷跡をただす
 ―北東アジアに平和的環境をつくる平和外交
 ―永住外国人、在日韓国人への地方参政権付与を一日も早く実現する
 このなかで志位氏は、歴史教科書問題や日本軍「慰安婦」問題の解決をめざすことを強調。「朝鮮王朝儀軌」(国の行事を絵と文で記録したもの)などを韓国側に「引き渡す」方針が、菅首相談話で発表されたことについては、「『文化財は原産国に戻す』というのは、ユネスコの条約でも原則とされていること」「『儀軌』を出発点として文化財が返還されることを、心から願っています」とのべました。
 志位氏はあいさつの冒頭と最後を韓国語で親しく語りかけました。

「韓国併合」
 日本が韓国に軍隊を送り、首都に戒厳令を敷いたうえで1910年8月22日、「韓国併合条約」を強制的に調印させました。これが「韓国併合」です。
 これに先立ち、日本は軍事的圧力のもとに韓国の財政・外交・司法権を握り軍隊を解散させ、事実上の属国としていました。韓国民衆の独立を求める運動は過酷に弾圧しました。軍隊と警察による植民地支配は、日本敗戦の1945年まで続きました。

「韓国併合100年」関連年表
1875年 日本軍艦が朝鮮の領域を侵し、江華島の守備兵が発砲(江華島事件)。日本はこれを口実に治外法権を認めさせる(江華条約)
 95年 日本公使の命令で、日本の支配に反対する朝鮮の王妃閔妃(ミンビ)を暗殺
 97年 朝鮮政府は国号を朝鮮王国から大韓帝国に変更
1904年 第1次日韓協約(韓国政府の財政・外交を握る)
 05年 第2次日韓協約(外交権を奪い統監府を設置=初代統監は伊藤博文)
 07年 第3次日韓協約(韓国軍を解散させ司法権も握る。内政全般を統監の下におく)
    韓国民衆が日本の侵略に反対して大武装蜂起(義兵運動)
 10年8月22日 日本が軍隊を派遣し、ソウルを戒厳令下に置き「韓国併合条約」を調印させる
 19年3月 日本の植民地支配に反対する朝鮮人の民族独立運動(3・1独立運動)。日本軍が弾圧
 39年 朝鮮人労働者の日本への「強制連行」開始
 40年 日本式氏名を強要する「創氏改名」
 45年 日本降伏
 65年 日韓基本条約調印
 95年 村山首相談話。アジアへの「植民地支配と侵略」を謝罪
2010年8月 菅首相談話
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2010年08月22日,「赤旗」) (Page/Top

「韓国併合」100年/歴史と未来は/「玄田牛一」名前のヒミツ/世界史授業で連帯を学ぶ/日本の高校生

 日本による朝鮮侵略と植民地支配の歴史を、実態だけでなく連帯の視点を取り入れた授業にとりくんでいる先生がいます。立命館宇治高校(京都府宇治市)の森口等先生(52)です。
 きっかけは、「前任の学校で、ある生徒が朝鮮人差別の発言をし、在日韓国人の生徒の心が傷つけられました。私も含めて在日の歴史を学ぶ必要性を感じたことです」
 授業は1年生の世界史の時間。「韓国併合」をとりあげています。独自につくったプリントを中心に、日中韓の研究者・教師が編集した『未来をひらく歴史』(高文研)を副読本として活用します。
 考えるテーマは―。
 @朝鮮人を日本人に改造する(天皇に忠実な日本国民にする皇民化政策)ための日本政府の残虐で非道な手段とは?
 A日本政府の民族抹殺に朝鮮人はどうたたかい、朝鮮人に連帯した日本人はどうしたのか?
 植民地支配の実態の具体例を示し、生徒と話し合います。例えば、朝鮮民族抹殺のため、日本式に名前を変えさせた「創氏改名」です。
 森口先生「創氏改名で『玄田牛一』という名前を役所に届けた人がいます」
 生徒「何ですか、それは」
 先生「玄田という漢字を縦に並べると『畜』という字になりますね。そして、牛一を縦に並べると…」
 生徒「生という漢字ですね」「わかった。『畜生』という名前になる」
 先生「それほどまでに、創氏改名には反発と抵抗があったことがわかりますね」
 森口先生が心がけていることは、「日本人=加害者」「朝鮮人=被害者」という二者択一的な思考に陥らせないことです。
 「日本がやったひどい事例を暴露的に紹介するだけでは、生徒が『自分がしたことではないから、責任がない』という認識で終わりかねません。侵略と植民地支配に不屈に抵抗した朝鮮民衆の姿を見すえながら、未来志向の歴史認識、連帯の視点をはぐくむきっかけになればと思います」
 生徒には、与えられたテーマを調べて漫画にする宿題を出します。8こまで描かれた生徒の漫画は、創氏改名や日本軍「慰安婦」(性奴隷)など多彩です。(図)
 隅田哲記者

学んだ生徒の感想から
 「日本がこんなにひどい支配をしていたとは知らず、とても悲しくなった。この気持ちを忘れずに、もうこのようなことが起きない世界になってほしい」
 「私たちの知らない歴史を知りました。歴史を学ぶことで過ちを繰り返すことなく、他国との友好を築くことができるのではないでしょうか」
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2010年08月22日,「赤旗」) (Page/Top

「韓国併合」100年/歴史と未来は/小6で渡日、無償労働1年/苦しみ続けた65年を補償して

 日本が韓国の植民地支配を開始した「韓国併合」から100年です。韓国の人々は抑圧の痛みをどのように振り返り、日本の高校生は歴史をどう学んでいるのか。日本の政治の責任は―。リポートします。
 
 「韓国併合」から100年、植民地支配からの解放から65年。韓国で会った日本軍「慰安婦」や勤労挺身隊などの被害者は、「私たちはまだ植民地支配から解放されていない」と叫びます。

中学に行けると
 南西部の光州市に住む梁錦徳(ヤン・クムトク)さん(79)は、朝鮮女子勤労挺身隊として1944年から45年まで、名古屋の三菱重工業航空機製造工場で働かされました。まだ小学6年生でした。「日本に行けば中学にも行けるし、家が買えるくらいお金ももらえる」という日本人教師の言葉を真に受けてしまった、といいます。
 「『給料は貯金してあるから心配するな』。そう言われて1年以上も働かされて、手ぶらで帰された。帰国してからは『日本で慰安婦をやった』と言われて、村八分のような扱いも受けた。それなのに日本政府は、何の補償もしない」
 梁さんが日本政府から受け取ったのは、2009年12月になって社会保険庁が支払った厚生年金の脱退手当のみ。わずか99円でした。
 今年2月、抗議のために厚生労働省を訪れた梁さんに、細川律夫副大臣(民主党衆院議員)は「申し訳ない」と頭を下げました。その姿を見て、「今度こそ日本政府は補償してくれるのではないか」と梁さんは心の中で期待しました。
 それだけに、菅直人首相の「談話」に勤労挺身隊に何の言及もないことに驚きました。「たたかい続けるよ。植民地支配が終わった後も苦しみ続けた65年を補償してくれということ。金額じゃない」

自発的反省を 
 東京の日本大使館勤務の経験がある韓国の元外交官は、「歴史問題でのあつれきが、日韓両国に損失を与えてきた」と指摘します。
 「地球温暖化、世界各地の貧困、『東アジア共同体』構想の推進など、協力すべき課題はいくらでもある。しかし、歴史問題や竹島(韓国名=独島)が浮上するたびに、積み重ねた協力が水泡に帰する。その連続だ」
 韓国側が謝罪と反省を要求するから日本が応じる―。このように日韓両国民の目に映ったら、歴史問題はいつまでも解決しないと元外交官は強調します。
 「その意味で菅首相の談話は、積極的な意味を持つと思う。大事なことは、その後です。多くの日本人は『いったい何をやれば韓国人は満足するのか』と言いたいでしょう。日本が自発的に『慰安婦』などに国の責任として補償する。これが韓国民を納得させる道です」
 ソウルで面川誠記者
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2010年08月22日,「赤旗」) (Page/Top

土建主婦の会「戦争展」開く/千葉

 千葉土建主婦の会は17日から19日まで、千葉市で「第12回平和のための戦争展」を開きました。
 戦況を報じる新聞や雑誌、召集令状(赤紙)などが展示された「実物に触れる戦争資料展」のほか、「『慰安婦』にされた女たち」と題した被害者のたたかい、米軍「普天間基地」などを考える「日本のどこにも基地はいらない」の資料や写真が広いスペースをとって紹介されました。
 19日は、麦わら帽子の会の村山久美さんと長岡幸子さんがフランス文学「茶色の朝」の読み聞かせをおこないました。3日間にわたり千葉土建シニア友の会による戦争体験が語られました。
 関心があるので立ち寄ったという女性(18)と男子学生(20)=八千代市=は「展示物にもあるように悲惨な戦争は絶対に繰り返してはいけない」と話しました。
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2010年08月22日,「赤旗」) (Page/Top

あす韓国併合条約100年/植民地支配に一貫して反対/共産党

 日本共産党は1922年の党創立以来、朝鮮への植民地支配に一貫して反対し、独立を訴えてきました。
 31年3月1日付の党機関紙「赤旗」では、「朝鮮独立運動三・一記念日万歳!」とのスローガンを掲げ「三・一記念日」という表題の記事を掲載。23年に起きた関東大震災で在日朝鮮人の人々を虐殺したという歴史を踏まえ、朝鮮独立の闘争に日本の労働者が連帯してたたかう意義を訴えています。
 戦後は、侵略戦争と植民地支配の痛切な反省にたって、再び戦争への道を繰り返すことのないよう憲法改悪の策動と対決。また被害者らとともに、強制連行された人々や日本軍「慰安婦」などへの謝罪と補償を政府に求めてきました。
 「併合」100年にあたり在日本大韓民国民団(民団)の光復節中央記念式であいさつした志位和夫委員長は、「併合条約」は日本軍の侵略や民衆の抵抗の軍事的圧殺によって一方的に押し付けた「不法・不当な条約」だという党の見解を表明。植民地支配の実態を両国の共通の歴史認識とすることが、未来―21世紀の日韓友好の発展にとって大事だと語りました。
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2010年08月21日,「赤旗」) (Page/Top

あす韓国併合条約100年/培われた信頼は財産/女たちの戦争と平和資料館事務局長渡辺美奈さん

 今年は「植民地責任」という言葉をよく聞くようになりました。「戦争責任」だけでなく、朝鮮半島を植民地にし、そこで行使した暴力について改めて責任が問われています。
 今年はまた、植民地主義が今も日本で続いていることを実感する出来事がありました。外国人地方参政権は棚上げされ、元シベリア抑留者を救済する法律は、朝鮮、台湾ら外国籍の被害者は対象となりませんでした。また朝鮮高校の授業料無償化を排除する動きや「在日」に対する差別言動も激化しています。こうした植民地主義に由来する現在も続く差別や暴力をなくすことは、今を生きる私たちの責任であり、日本を自由で平等な社会にするためにも必要なことだと思います。
 植民地主義を脱するために歴史の事実を知ることは極めて重要です。資料館では日本軍「慰安婦」制度の被害とともに加害の事実や背景も伝えています。朝鮮半島の少女たちがなぜ貧しかったのか、「学校に行ける」という言葉にどうしてだまされたのか―。「事実」を積み重ねて、過去の歴史を見つめられるよう展示を行っています。制作には被害者や被害国の支援者の協力は不可欠です。「慰安婦」被害の事実を伝える意志を共有し、謝罪と補償を求める連帯行動のなかで培われた信頼関係は、貴重な財産です。
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2010年08月21日,「赤旗」) (Page/Top

戦争の愚かさ、平和の尊さ/語り継ぐ行動各地で/企画多彩に平和展開く/静岡・藤枝

 静岡県藤枝市で14、15の両日、藤枝市平和展が開催されました。
 韓国強制併合100年の写真展が展示され、従軍慰安婦にされた女性たちがトラックで運ばれていく写真など、日本が朝鮮に対し行った侵略行為が紹介されました。日米安保条約50年と題したコーナーでは、安保条約ができた経過や米軍基地の実態が掲示されました。若者たちの平和活動の紹介や、藤枝美術協会会員による平和美術展も展示されました。
 15日には、NPT(核不拡散条約)再検討会議のニューヨーク要請行動の報告がされました。僧侶の佐治妙心さんが「さだ子と千羽鶴」の紙芝居を披露。自身が小学校6年生から紙芝居するようになった経過も語りました。佐治さんの活動のきっかけとなった、フランスで平和活動をしている美帆シボさんも来場して講演。会場の感動を呼びました。
 14日には、若者たちが音楽で平和への思いを表現しました。
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2010年08月19日,「赤旗」) (Page/Top

戦争体験聞く/革新懇が集い/神奈川・小田原/横浜市保土ケ谷区


神奈川・小田原
 神奈川県の小田原革新懇は15日、「戦争体験を聞き語る会」を市内で開きました。12回目の今回は、韓国併合100年にちなみ韓国のナヌムの家で暮らす元従軍慰安婦のハルモニたちの証言ビデオを鑑賞しました。
 戦争体験では福岡県三井郡大刀洗町の部隊で空爆を受けた様子や、名古屋市で学徒動員され動員先の工場と家が焼失した体験などが語られました。
 体験者から「余生を、平和のため憲法9条を守り抜くよう頑張り過ごしたい」との決意が述べられ、大きな拍手があがりました。平和をめざす国際的な新しい流れに呼応した運動を強めようというアピールを採択し、不戦を誓いあいました。

横浜市保土ケ谷区
 横浜市の保土ケ谷革新懇は15日、区内で戦争体験者のお話を聞く会を開き、60人が参加しました。
 区内に住む藤井正信さん、長谷川静江さん、清野保さんがそれぞれ、学校での軍事教練の様子や疎開中の生活、シベリア抑留の体験などを話し、参加者は平和への思いを新たにしていました。
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2010年08月19日,「赤旗」) (Page/Top

元朝鮮女子挺身隊員に支援訴えコンサート/名古屋

 戦時中、名古屋市内の軍需工場で強制労働させられた元朝鮮女子勤労挺身(ていしん)隊の韓国人女性を支援するコンサートが13日、名古屋市東区で開かれました。「ハルモニ(おばあさん)と結ぶコンサート」と題し、「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」が企画したものです。
 女性たちは太平洋戦争末期、三菱重工の戦闘機工場などで過酷な労働を強いられ、帰国後は「従軍慰安婦」と同一視され差別や偏見を受けるなど苦難の人生を歩んでいます。
 1999年、被害者ら8人が三菱重工業と日本政府に謝罪と補償を求めて提訴。2007年5月、名古屋高裁判決は強制労働や賃金未払いの事実を認定しましたが、日韓請求権協定(1965年締結)で請求権は消滅したとして棄却し、08年の最高裁判決で原告敗訴が確定しました。
 一方、訴訟を支えてきた「支援する会」は毎週金曜日に三菱重工業本社(東京)前でアピール行動にとりくむとともに、韓国市民との交流を広げるなど活発に運動しています。
 韓国の学生と交流している高校生たちが、朝鮮伝統の打楽器で熱演。韓国在住の原告らが、ビデオを通じて「二度とこのような事件が起きないよう、韓国と日本が友情を深めあい、人権が尊重される平和な世界をつくってほしい」とメッセージを寄せました。
 原告を支援している韓国・光州の学生たちも招待され、超満員の会場参加者と一体に、支援ソング「Fight!勇気を出して」を合唱しました。
 主催者あいさつにたった高橋信「支援する会」共同代表は、先月14日に同社から話し合いに応じる旨の連絡があったと報告。「粘り強い運動がついに重い扉を開かせました。原告や韓国市民が納得できる回答を得られるよう、今後もがんばりたい」と述べ、支援を呼びかけました。
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2010年08月18日,「赤旗」) (Page/Top

終戦65年/核兵器廃絶、平和の誓い新た/日中友好協会海南支部が集い/和歌山

 終戦記念日の15日、和歌山県海南市の燦燦公園・日中両国平和の塔の前で、「平和のつどい」が開かれました。毎年、日中友好協会海南支部が主催して開催するもので、今年は、日中友好協会創立60年、平和の塔建立40年という記念の年になります。
 海南市では、漆やシュロなど地場産業の関係でも中国との関係が深く、日中友好運動が進められてきました。「平和の塔」は、日中国交回復以前の1970年に多くの市民の協賛金で建てられたものです。
 幡川文彦日中海南支部長、橋爪利次県連会長、雑賀光夫県議があいさつし、和歌山市在住の近藤冨造さん(90)が戦争体験を語りました。教育勅語を暗唱させられた少年時代から徴兵検査、5年間の「中支」での野戦での体験をのべ、初年兵教育でのビンタ、トーチカでの歩哨、日本軍「慰安婦」のこと、住民から食料を調達したことなどについて語りました。
 少年満蒙開拓義勇団に参加した中井さんは、「開拓というが、実は現地の人々が開拓した土地を取り上げるものだったのです」と語りました。
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2010年08月17日,「赤旗」) (Page/Top

戦後65年/伝えよう侵略戦争の真実/南方戦線/下/ネズミも食べた地獄

 「肉だから食べなさい」と、兵隊から差し出された肉切れ。ところが「逃避行の山中で見た兵士の死体のお尻がはぎ取られていた人の肉だった」。
 大阪府池田市に住む木村艶子さん(86)は、これまで一度も語ったことのなかったマニラ戦線での「飢餓地獄」について証言しました。

「一億総決起」
 木村さんは、1943年11月、大阪港を出港。台湾を経由してマニラに向かいました。「一億国民総決起の時代、女学校のクラスメートに誘われて軍属志願。南方軍に従軍しました」
 木村さんたち女子軍属は、タイピストや電話交換手など14人。配属部隊は、マニラの南方軍野戦兵器廠(しょう)でした。
 44年9月、マニラ市街が米軍の大空爆を受けて、木村さんたち女子軍属3人は軍司令部に転属になりました。
 「バギオ山中の軍司令部での私の仕事は、時々上空を偵察のために旋回する米軍機内の声を英語の堪能な兵士が盗聴し、翻訳して書きとめた紙を山下奉文将軍に手渡す」という任務でした。
 45年になると空爆は激烈になり、部隊は分散してルソン島の山中を北へ北へと逃走。食糧も無く、「兵士たちとの逃避行はつらかった」と言います。
 ジャングル内をさまよい、草を食べ、現地人イゴロット族の逃げ去ったあとのイモ畑を掘り返して、小さいイモを食べました。「野ネズミを見つけては喜んで取り合って食べた」
 食べ物探しの道、うじ虫がいっぱい群がっている死体も平気でまたいで歩くようになりました。
 「おっかー」と呼びながら死んでいく兵士。「天皇陛下バンザイと言って死んだ兵士は知りません」という木村さん。逃走中の山道で兵士の死体から尻の肉がはぎ取られていたのを見た後に、食べさせられたのが「肉」。「あのときの肉だ」と直感したものの、飢えには耐え切れず夢中で食べたといいます。
 「女子はまだ肥えているね」とつぶやく兵士。「死んだら自分も食べられるんだと、ゾっとし、『どんなことがあっても日本に帰る』と、心に誓った」と言います。

全員が餓死に
 8月に入って「天皇陛下の命により日本はこの戦争に降伏した」などと書かれた米軍からのビラが配布されました。
 「戦争は終わった。負けてもうれしかった。生きて帰れるんだ」と、女子軍属は抱き合って喜びました。
 「内地に帰れるのならば一緒に帰りたい」と、どこで終戦を知ったのか脱走していた兵士が隊に帰ってきました。ところが待っていたのは銃殺刑。
 銃を担いだ2人の兵士に挟まれて、うなだれて歩いていく脱走兵の姿。ぼうぼうとのびた頭髪。破れた汚い上着、素足の後姿はなんとも哀れで涙が流れました。「ズドン!」。銃声がこだましました。
 このままではいずれ部隊全員が餓死するしかない状況でした。
 9月14日、キアンガンの山中に女子軍属、在留邦人婦女子、慰安婦、女給、芸者たちが集合させられて「女の村」となりました。全員看護婦に化け、赤十字の腕章をつけてぞろぞろ下山しました。
 10月15日「内地帰還女子第1船」で広島港に帰国。大阪に向かいました。
 「お父さん、お母さん、今帰りました」と実家の扉を開けた時が木村さんの終戦記念日です。
 (この項おわり)
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2010年08月17日,「赤旗」) (Page/Top

戦後65年/伝えよう侵略戦争の真実/南方戦線/中/死臭と白骨が道しるべ

 九州とほぼ同じ面積の南洋諸島の一つ、ニューブリテン島(現パプア・ニューギニア)。日本兵が次々と餓死した「玉砕」覚悟の戦闘。「白骨街道」といわれたジャングルの行軍を体験した大阪市に住む治部(じぶ)康利さん(89)は、「道しるべになったのは死臭と戦友の死体。死体のある方向に進めばラバウルに着いた。道しるべ代わりの兵隊の死体があったから生き延びることができました」と、語りました。

『水木伝』の世界
 治部さんが所属した第17師団は、中国・徐州を中心に駐留していましたが、1943年9月、上海に集結。同月24日、1万数千dあった日本郵船の豪華客船「平安丸」でニューブリテン島のラバウルにむかいました。
 トラック島で給水したあと、10月5日、ラバウルに入港。治部さんは、同月20日駆逐艦でラバウルから西北海岸ガブブへ深夜に上陸。ニューブリテン島西部防衛作戦につき、戦闘指令所で「筆耕」(書記)として勤務しました。
 同年12月15日、同島西部のアラウエに米国第112機甲連隊が上陸、同月26日には米国第1海兵師団も上陸して日本軍を攻撃しました。
 何百機もの米軍の戦闘爆撃機による爆撃、駆逐艦や巡洋艦による艦砲射撃。「1平方bあたり1発を数えられたほど激しかった」と回想します。
 「所属した部隊は違ったものの、漫画家の水木しげるさんも第38師団の兵士としてニューブリテン島で米軍の空爆をうけて左腕を失っています。餓死していく兵隊の状態は、漫画の『水木しげる伝』と同じでした」
 治部さんは、同島西部からラバウルに転進(実際は退却)する「カ号作戦」発令をうけ、約1000`のジャングルを「死の行進」することになりました。
 転進を始めたときは米5合ほどと、高野豆腐5枚を持たされただけでした。わずかこれだけの食糧は10日ももたず、ガマガエルやデンデンムシ、野草を食べて生き延びました。「食べられなかった人は死んだ」といいます。

隠された餓死
 マラリアによる悪感と発熱で脳が侵されて「日本から迎えの船が来た」と、米軍のいる前線の方に駆け出し、戻らなかった兵。倒木を越える力もなくなり、うずくまり、自分が兵隊さんであることも忘れたように「兵隊さん食べ物下さい」という兵士。戦闘帽をかぶり、銃を抱いた白骨体。「カ号作戦」で約2000人が餓死などで亡くなりました。
 軍は、餓死者を「戦争栄養失調症」といい、「餓死」の実態を隠してきました。
 治部さんは、約1000`の行軍を100日余かかって44年4月末にラバウルにたどりつきました。
 生き残った兵士は日本軍爆撃機が残した爆弾から黄色火薬を抜き取り、戦車地雷をつくり、戦車に突っ込んで自爆する訓練や「チビ」と呼ばれた致死性の青酸ガス兵器攻撃の訓練が日課になりました。45年8月15日、「いっさいの戦闘行為を中止せよ」という命令で「戦争は終わった。死を考える必要もなくなった」と思いました。
 「自分の生死が権力で左右された時代。今は自分の運命は自分で決められます。軍隊が外国に出かけていって戦争をすることは絶対に許してはなりません」
 (つづく)
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2010年08月16日,「赤旗」) (Page/Top

戦後65年/伝えよう侵略戦争の真実/南方戦線/上/住民銃殺命令の苦悩

 15日は戦後65周年の終戦記念日です。日本国民とアジア諸国民に甚大な犠牲と被害をもたらした日本の侵略戦争について、証言をとおして考えます。
 
 兵庫県太子町「九条の会」呼びかけ人で蓮光寺住職、平谷典樹さん(94)は「戦争ほど残虐非道なものはありません。体験者は真実を伝える責務があります」といいます。
 旧日本陸軍第17師団歩兵第54連隊大隊長代理、大尉として南太平洋のニューブリテン島で終戦を迎えた平谷さん。「悲報・悲運・悲遇の連続だった」と回想し、「白骨街道」「靖国街道」と伝えられた同島のもう一つの真実を語りました。
 1944年3月、島の西部「ツルブ」や島中部北岸「タラセア」半島から撤退してくる友軍を収容する任務に就いたときのことでした。
 すべての部隊が東進して撤退するなかで、約60人の平谷中隊だけが西へ。ボロボロ服に飯ごう片手に三々五々撤退してくる「餓死寸前」の友軍を救援する任務でした。

重い荷背負い
 孤立した緊張の日々が続いているとき、山中から海岸に向かって10歳前後の男の子2人と3人のおとな、計5人の現地住民の家族が歩哨の前を通りすぎようとしました。
 5人は、ただちに歩哨によって「逮捕」されました。「銃殺するか」「放免するか」二者択一を迫られました。平谷さんが選択したのは「銃殺」の命令を出すこと。「7年間の戦争従軍中で(住民の)『殺戮(さつりく)』を命じたのはこの1回だった」と回顧する平谷さんは、「戦後は毎年春秋の2回、彼らの冥福を祈りつつ誦経(ずきょう)し、心からわびています」といいます。「私は一生この重い荷を背負って歩まなければならない」と感じています。
 中隊長の平谷さんには、すべての責任がかかっていました。当初は日本軍に好意的にみえた現地住民も、優勢に転じたオーストラリア軍を誘導、日本軍は襲来や退路遮断に苦しみました。

銃声響き渡り
 「子どもをふくむ5人の家族は、日本軍の陣地を知ったわけで、『放免』した場合、オーストラリア軍に通報されて、陣地を急襲される危険にさらされる」――と平谷さんは考えました。
 子どもは本当に無垢(むく)なかわいい顔をしていました。親は子どもをかばう姿勢をとっていました。平谷さんは「無抵抗の彼らを殺してよいのか。何とか救う道はないのか。おまえも仏教徒の端くれの1人ではないのか」と、ためらいました。
 現地住民親子の生命は平谷さんの一言にかかっていました。片隅には釈然としないものがあったものの平谷さんの「決断」は「銃殺」。
 部下の兵士は、親子連れを連行。陣地後方の森のなかに消えました。迷いました。「銃殺待て」と伝令に命じました。その一瞬でした。「パパァーン。パァーン」。銃声が森に響き渡りました。
 戻ってきた兵士は、「銃を構えると親たちは輪を作って子どもを中心に守った」と、報告しました。
 「私は自虐史を伝えようとしているのではありません。正は正、悪は悪。表と裏を伝えるのが正しい歴史を語り継ぐことです」
 この夏も「九条の会」などで戦争体験語り部として講演活動をしています。
 (つづく)
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2010年08月15日,「赤旗」) (Page/Top

光復節/韓国大統領が演説/「併合」100年依然課題も/南北統一3段階案を提起

 【ソウル=面川誠】韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領は15日、日本による植民地支配(1910〜45年)からの解放記念日である光復節の記念式典で演説しました。このなかで同大統領は、菅直人首相が「韓国併合」100年にあたって10日に発表した談話を「韓国民の意思に反した植民地支配を初めて反省し、謝罪した」と評価する一方で、「乗り越えるべき課題がまだ残っている」と指摘しました。
 李大統領は「韓日両国は具体的な実践を通じて新たな100年をつくらなければならない」として、「歴史を忘れずに記憶しながら、ともに新たな未来を開拓する」ことを日本に呼び掛けました。
 「課題」について具体的な言及はありませんでしたが、韓国各メディアは、日本軍「慰安婦」や侵略戦争への強制動員などの被害への補償措置を間接的に促したものと報じています。
 北朝鮮との関係では、3月の哨戒艦沈没を「北朝鮮の挑発」と改めて非難した上で、「南北がこれ以上、不信と対決を繰り返してはならない」として、平和統一を目標とすべきだと強調しました。
 平和統一の方法として、▽朝鮮半島の安全と平和を保障する「平和共同体」▽南北間の包括的な交流と協力を通じた「経済共同体」▽民族全体の尊厳と自由、人間の基本的権利が保障された「民族共同体」―の3段階を提案しました。
 「平和共同体」実現のためには、「何よりも朝鮮半島の非核化が成し遂げられなければならない」と述べ、北朝鮮に対して改めて核開発の放棄を求めました。
 李大統領は南北統一への備えとして「統一税」の導入を提案し、統一に向けた具体的な対策を韓国内で幅広く論議することを呼びかけました。
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2010年08月16日,「赤旗」) (Page/Top

韓国民団光復節中央記念式/志位委員長のあいさつ

 在日本大韓民国民団中央本部が15日に開いた第65周年光復節中央記念式で日本共産党の志位和夫委員長が行ったあいさつは次のとおりです。
 
 (韓国語で)こんにちは(拍手)。私は、日本共産党委員長の志位和夫です。(拍手)
 きょう、8月15日は、韓国のみなさんにとって日本帝国主義の支配から解放された喜ばしい日であり、私は、心からのお祝いを申し上げるものです。(拍手)
 同時に、私は、この日にあたって、日本の侵略戦争と植民地支配によって犠牲になった2000万人を超すアジアの人々と310万人の日本国民を追悼し、過ちを二度と繰り返さない決意を新たにするものです。

「韓国併合」100年と 日本共産党の立場
 
 今年、2010年は、日本帝国主義が、韓国を「併合」してから100年目の年となります。「韓国併合」は、日本軍による繰り返しの侵略、王妃の殺害、国王・政府要人への脅迫、民衆の抵抗の軍事的圧殺によって実現されたものであり、「韓国併合条約」は、日本が韓国に対して、軍事的強圧によって一方的におしつけた不法・不当な条約です。(拍手)
 私は、植民地支配によって、国を奪い、文化を奪い、言語を奪い、名前すら奪ったことを、日本国民は忘れてはならないと思います。それを両国の共通の歴史認識とすることが、未来にとって重要であると考えるものです。(拍手)
 私は、4年前に初めて韓国を訪問し、西大門刑務所歴史館で追悼の献花をおこない、国会議長や与野党のリーダーと会談しました。そこで感じたのは、36年におよぶ植民地支配の痛みの深さでした。同時に、私が、韓国のみなさんとの交流で強く実感したのは、21世紀の未来にむけて、日本との本当の友好を願っているということでした。
 歴史は、消し去ったり、書き換えたりすることはできません。しかし、歴史に誠実にむきあうことはできます。過去の誤りを真摯に認めてこそ、日本は未来に向かってアジア諸国民との本当の友情を得ることができるというのが、私たちの確信です。(拍手)

21世紀の日韓友好の発展をめざして
 
 日本共産党は、戦前の時代から、日本帝国主義による朝鮮への植民地支配に反対し、朝鮮独立のたたかいに連帯してたたかった政党として、日韓両国国民が、真の親愛の情でむすばれた友好関係をうちたてるために、つぎの諸点で力をつくす決意です。

歴史の逆流許さず、傷跡をただす
 第一は、日本の過去の侵略戦争や植民地支配を正当化するいかなる逆行も許さないことです。また誤った歴史が残した傷跡をただすことです。
 侵略戦争と植民地支配を美化する歴史教科書問題を解決し、新しい世代に歴史の真実を伝えなければなりません。(拍手)
 旧日本軍による「従軍慰安婦」問題等について、日本政府は謝罪と補償をおこない、問題の真の解決をはかるべきです。(拍手)
 先日、「朝鮮王朝儀軌」などを韓国側に「引き渡す」方針が、首相談話のなかで発表されました。「文化財は原産国に戻す」というのは、ユネスコの条約でも原則とされていることであり、「儀軌」を出発点として文化財が返還されることを、私は心から願っています。(拍手)
 日朝関係の正常化にさいしても、「日朝平壌宣言」にそくして、歴史問題を、核問題、ミサイル問題、拉致問題などとともに、解決すべき諸懸案の一つとして、重視してとりくむべきだというのが、私たちの立場です。

北東アジアに平和的環境をつくる平和外交を
 第二は、北東アジアに平和的環境をつくりあげることです。
 この地域には、なお緊張と紛争の要素が残されていますが、どんな問題でも「軍事対軍事」の悪循環に陥ることなく、紛争の平和解決に徹するべきです。困難はあっても「6カ国協議」を再開・成功させ、この枠組みを地域の平和機構に発展させることが大切だと考えます。日本は憲法9条をもつ国として、こうした平和外交にこそ力をそそぐべきです。
 韓国民団のみなさんは、「真の光復は祖国の民主的平和的統一が実現する時だ」とのべておられます。南北の平和的統一を促進する国際的環境をつくるうえで、日本は、過去の植民地支配という歴史を考えても、その重要な一端を担うべきだと考えます。(拍手)

永住外国人への地方参政権の付与をすみやかに
 第三は、永住外国人、在日韓国人のみなさんへの地方参政権の付与を、一日も早く実現することです。(拍手)
 わが党は、すでに1998年にそのための法案要綱を提案し、選挙権とともに被選挙権を付与することを提案しています。各党と意見調整をはかり、一刻も早くこの懸案の課題を実現させるために力をつくすことをお約束いたします。(拍手)
 (韓国語で)今後、韓国民団と日本共産党の交流が発展することを、心から願っております。ありがとうございました。(拍手)
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2010年08月16日,「赤旗」) (Page/Top

軍艦島/「韓国併合」100年、政府は個人補償を/大分大学教授森川登美江さん

 朝鮮人強制連行のなかでも、「軍艦島」はとりわけ過酷です。逃げられないし、島の中で何が起こっても、外に知られることはない。その強制労働の実態の一部が、林さんたちの調査で明らかにされてきたことの意義は大きいと思います。
 問題は、こうした強制連行に対する個人補償はどうなっているのかということです。日本政府は、日韓基本条約で韓国側が請求権を放棄したことで、個人補償に一切応じない姿勢を取り続けていますが、国家が放棄したところで個人の請求権は残っています。強制連行でも従軍「慰安婦」でも、被害は「個別的」「個人的」なものです。ことしは「韓国併合」100年で、被害者にとって残された時間は多くありません。政府はただちに個人補償にふみきるべきです。
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2010年08月15日,「赤旗」) (Page/Top

わたしのおすすめこの3冊/その2/鮫島有美子さん/ジェームス三木さん/高樹のぶ子さん/益川敏英さん


声楽家鮫島有美子さん
 まず第一は、先日亡くなられた井上ひさし氏の『東京セブンローズ』。遅筆で知られる氏が17年掛けて完成させた大長編だが、不思議なことに、読み出すと軽く書かれた推理小説のよう≠ノ一気に引き込まれてしまう。そしてすべて「正字正かな」なのに、何の違和感も問題もなく読める。東京は下町の団扇屋の主人、その日常生活を通し、戦争の悲惨さや哀しみを笑いの世界に置き換えて訴えるこの力は、井上氏ならではであろう。何度読んでもまた読みたくなる、私にとって大切な本だ。
 今年は生誕150年、来年は没後100年という作曲家、グスタフ・マーラー。ウィーンのオペラ座の総監督もしていた彼の生涯を語る折に欠かせないのは、若くして彼の妻になったアルマ・マーラー=ヴェルフェルの姿である。オリヴァー・ヒルメスの書いたアルマの伝記は、彼女自身の検閲≠ェ入っていない唯一のものだが、日本で出版されているかどうか…。ものすごい女性だ。原題は「狂気の未亡人」(この日本語題ではなんだかミョーな誤解を生みそう…)で、もしまだ出版されていないようだったら、是非ぜひお願いしたい。
 帚木蓬生氏の著書は友人から薦められて知った。様々な作品の中、ここでは敢えて『閉鎖病棟』を挙げたい。読めば読むほど、人間の中にある純粋さに胸を打たれる。普通の人≠ニはいったいなんだろう、そんな問いを何度となく自分に向けてしまうこの本に出会えた幸せを思う。

@井上ひさし著『東京セブンローズ』(文春文庫)
Aオリヴァー・ヒルメス著『狂気の未亡人』(原題は「Witwe im Wahn」)(未邦訳)
B帚木蓬生著『閉鎖病棟』(新潮文庫)

脚本家ジェームス三木さん
 読書の主導権は読み手にある。何を読もうがどう読もうが自由であり、受け止め方も読み手の数だけあって当然だ。集団生活を営む上で、共通の価値観を持つのは決して悪くないが、個人の人生を彩るのは、自分なりの価値観である。すぐれた書物は、読み手の感性や想像力によって無限の広がりを持つ。
 だが中年を過ぎての乱読雑読は、時間がもったいない。グーテンベルグが印刷技術を発明して、世界じゅう本だらけになったが、はたしてひとりの人間が、生涯に何冊の本を読めたか、またその人にとって、ほんとうに必要な本は何冊だったかを考えると、いちおう自分がどういう人間で、どういうポジションにあり、どんな情報を求めているかを、確かめておいたほうがよい。
 というわけで大きなお世話の三冊。真夏向けのノンフィクションなら『憲法はまだか』。日本国憲法の制定過程で、戦勝国アメリカはどう干渉したのか。自著なのでいささか気がひけるが、私は港区九条の会の会長なので。
 若い人に一度は目を通してほしいのが『歳時記』。昔の日本人は、移り変わる四季の繊細な風景や情緒をどう見ていたのか。地球の温暖化や大気汚染が進む今だからこそ。
 青春時代の私が強い影響を受けたのは伊藤整の評論『求道者と認識者』。内容はほとんど忘れたが、たぶん私の中で肉体化され、ものの考え方の基本になっているはずだ。

@ジェームス三木著『憲法はまだか』(角川文庫)
A『歳時記』
B伊藤整著『求道者と認識者』(新潮社、絶版)

作家高樹のぶ子さん
 @中国上海に近い紹興を訪ねたとき、当地出身の魯迅という人について、改めて知ることになった。紹興の博物館で知り得た彼の人生は、日本と深い縁がある。いまや中国文学の古典のように扱われる彼の文学は敷居が高く、面白くなさそうだと思っていた。何より読みにくい。けれど今回、古典新訳文庫として出されたこのシリーズは平易な日本語で、現代小説として楽しめた。作者と作品名は知っていても、ちゃんと読んでいないものは結構ある。夏だからこそ、格闘してみたい。
 A須賀敦子さんは、ほとんど読んでいる。もっとも好きな作家と言ってもいい。多くの読者がいる作家だが、なぜ彼女の本が好きなのかはそれぞれ違う。わたしにとっては文章だ。文章がこのようにリズムを持って心地よく、とりわけ「過去語り」として郷愁と知性と柔らかな精神を伝えてくるものを、他に知らない。その秘密を、彼女をもっとも深く知る編集者が読み解いた一冊がこの本である。彼女の文学だけでなく、彼女が触れたヨーロッパ文学への入門書としてもおすすめしたい。ここには心地よい風が吹いている。
 Bベストセラー作家であり東京大学教授でもある姜尚中さんが、初の自伝的小説として書いた一冊。字を識らなかった母親への切ないオマージュが、普遍化されて在日の記録にもなっている。

@魯迅著『故郷/阿Q正伝』(藤井省三訳 光文社古典新訳文庫)
A湯川豊著『須賀敦子を読む』(新潮社)
B姜尚中著『母―オモニ―』(集英社)

ノーベル物理学賞受賞者京都産業大学教授益川敏英さん
 私の師、坂田昌一先生は旧制高校生のときに、エンゲルスの自然弁証法を読み、それが後に先生の研究方法論を作り上げる上でのベースに成っていた。それを知り、@から始めたが、より詳しく知りたくなりA、Bと進んだ。これらは今日の私の思考の際のベースの一つに成っている。

@武谷三男著『弁証法の諸問題』(勁草書房)
Aエンゲルス著『自然の弁証法』(岩波文庫、品切れ。抄録版に、新日本出版社刊『自然の弁証法〈抄〉』)
Bヘーゲル著『小論理学』(岩波文庫、品切れ)
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2010年08月15日,「赤旗」) (Page/Top

わたしのおすすめこの3冊/その1/石川康宏さん/大石芳野さん

 この夏にすすめたい「私の3冊」を各界の方々に寄せてもらいました(五十音順)。書店にないものは図書館などでどうぞ。

神戸女学院大学教授石川康宏さん
@かまえて本を読むなら、ズシリと重いマルクス等の古典がいい。そして、今のような情勢だから、政治改革の方針や実践に深くかかわるものにしたい。しかし、彼らには政治改革・革命論をまとめて論じた著作がありません。その困難を乗り越えさせてくれるのがこの一冊です。マルクスは実践のたびに、また各地の政治や歴史を分析するたびに、革命の理論を発展させました。その内容と経過が、豊かな引用のもとに検討されています。
A北海道から沖縄まで、「慰安婦」問題の解決を国に求める意見書可決の取り組みが進んでいます。市民と地方議員が力をあわせる新たな運動で、自民党をふくみ全会一致という自治体も。その中で、強制はなかった、「慰安婦」の証言は信用できない、「慰安婦」の待遇はよかった等とする最近の右派の主張を、「慰安婦」問題研究の第一人者が正面から批判したのがこの本です。取り組みの発展を目ざす、みなさんの学習テキストに格好です。
Bご存じマルクスの本丸です。経済学はもちろん、唯物論や弁証法も、史的唯物論も革命論も社会主義論も、すべてが縦横に展開されます。この大著を読み通すコツはただ一つ。それは「わかるところだけを読む」「わからなくとも先へ進む」です。最初の目標はページを最後までめくり終えること。何年もかけてそれを10回も繰り返せば、何となくわかるところが増えてくる。この本はそういうタイプの本なのです。この夏、どうぞ最初の一歩に挑戦を。

@不破哲三著『革命論研究』上下(新日本出版社)
A吉見義明著『日本軍「慰安婦」制度とは何か』(岩波ブックレット)
Bマルクス著『資本論』第1巻(新日本新書@〜C)

写真家大石芳野さん
 青山透子著『天空の星たちへ』は副題に「日航123便 あの日の記憶」とある。25年前の8月、ジャンボ機が御巣鷹の尾根に墜落し、死者520名、負傷者4名を出した。その事故で仲間を失った元客室乗務員が、事故に関する広範な報道記事を読みなおし、関係者へのインタビューを重ねた綿密で冷静なノンフィクション。
 随所に散りばめられた真実への追及は、不可解な事故だっただけに、謎解きのヒントにもなって引き込まれた。その後、本書がきっかけで、機内の窓越しに写った点のような物体が週刊誌で話題になっている。
 瀬戸口明久著の『害虫の誕生』は目からうろこだった。昔、人間と虫は穏やかな関係にあったが、農業の近代化のなかで虫は害虫となり、人間の敵となった。敵″はやがて虫ばかりではなく、戦時中は対害虫″が対害人≠ニなって激化した。毒ガスと殺虫剤、農薬の除草剤と化学兵器というように、科学の発達で生命は退化し、人間の尊厳も奪う事態にもなったことを、害虫を通して考えさせられる。
 井上ひさし著の『父と暮せば』は脚本でもあるだけに、上演を見る前と後では、同じ言葉(せりふ)が、かなり違って感じられるなど、味わい深く読み応えがある。ヒロシマの原爆によって心にも深い傷を負った娘の悩み苦しみは、多くの被爆者にも通じる。井上文学の真髄が詰まった一冊だといえよう。

@青山透子著『天空の星たちへ 日航123便 あの日の記憶』(マガジンランド)
A瀬戸口明久著『害虫の誕生―虫からみた日本史』(ちくま新書)
B井上ひさし著『父と暮せば』(新潮文庫)
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2010年08月15日,「赤旗」) (Page/Top

終戦65周年/歴史に学び未来へ

 65年前の1945年8月15日、アメリカ、イギリス、中国などと戦争を行っていた日本は無条件降伏しました。これによって、15年にわたる日本の侵略戦争と、長年の韓国・朝鮮、台湾などに対する日本の植民地支配は終わりました。侵略戦争と植民地支配の歴史、そこで果たした各党の役割を見ました。(肩書は当時)

アジアの犠牲2000万人/領土・資源狙い侵略戦争
 1931年から始まる「15年戦争」は、日本が自国の領土拡張と他国の支配を目指した、まぎれもない侵略戦争でした。
 31年9月、当時、日本が利権を持っていた中国東北部(「満州」)に駐屯する日本軍は自ら鉄道線路を爆破し、これを中国の仕業と偽り、中国東北部への侵略戦争を開始(「満州事変」)。37年7月、北京郊外で日中両軍が衝突する事件が起きると、日本政府は直ちに中国への大規模な派兵を決定し、中国との全面戦争に踏み切りました。しかし、中国の激しい抵抗によって、日本は100万を超える大軍を動員しながら、勝利の見通しのない「泥沼」に落ち込みました。
 日本は戦略資源の確保のため、フランス領インドシナに武力進出。これを懸念するアメリカとの関係が急速に悪化しました。日本は41年12月8日、マレー半島、ハワイ真珠湾に奇襲攻撃を行い、戦火はアジア・太平洋全域に広がりました。
 42年6月のミッドウェー海戦での大敗を機に戦局は逆転し、日本軍は各地で敗退を続けました。国民は「聖戦」「愛国」の名のもとに戦争にかりだされました。45年には沖縄が地上戦の舞台となり、日本本土も空襲で焦土と化しました。8月、アメリカ軍によって広島、長崎に原爆が投下され、日本は、米・英・中・ソが戦争終結、日本の降伏条件を定めて発したポツダム宣言を受け入れ、降伏しました。
 15年にわたる戦争で、日本人の軍人・軍属などの戦死者230万人、国内での空襲等の死者50万人以上など310万人以上が犠牲となりました。
 アジア・太平洋諸地域の各国には2000万人以上の死者を含む大きな惨害をもたらしました。日本軍は、中国をはじめ攻め込んだ国の人々に無法・残虐な行為を行い、その傷跡は今日まで各地に深く刻み込まれています。

韓国・朝鮮植民地支配の36年/強圧と収奪、戦争動員
 日本は、日清戦争後の1895年に台湾を奪って植民地とし、日露戦争後の1910年、韓国・朝鮮を植民地としました。日本の中国への侵略戦争は、植民地とした朝鮮半島を足場に行われたのでした。
 朝鮮・韓国の植民地化の過程とその支配は、極めて野蛮で過酷なものでした。
 日本は1905年、韓国から外交権をはく奪して「保護国」とし、07年、韓国皇帝を退位させ、軍隊を解散させました。その上で、日本は10年、軍隊を動員して首都ソウルを戒厳令下に置き、「韓国併合条約」を調印させました。相手の外交権をはく奪した上で、武力を背景にして強要した「韓国併合条約」が不法・不当なものであることは明らかです。
 19年3月1日、植民地支配からの独立を求める「三・一独立運動」が始まり、朝鮮全土に広がりました。これに対して日本は徹底的な弾圧を加え、8000人もの命を奪いました。
 大陸への日本の侵略拡大とともに、韓国・朝鮮の兵たん基地・後方基地化は一段と強化されました。とりわけ日中戦争が始まると、朝鮮人を戦争に動員するための「皇民化」を進め、神社参拝の強要、日本式姓名の使用(「創氏改名」)、学校現場での日本語使用を強制しました。
 多数の朝鮮人が日本に「強制連行」され、鉱山、土木工事、軍需産業などで過酷な労働条件のもとで働かされました。多数の女性が日本軍「慰安婦」として非人間的行為を強要されました。さらに36万人以上が軍人・軍属として戦場にかりたてられ、15万人(推定)が死亡・行方不明となりました。
 43年、米・英・中首脳によるカイロ宣言は、侵略によって日本が奪った地域の返還とともに、「朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由かつ独立のものたらしめる決意を有す」とうたい、日本が降伏に際して受け入れたポツダム宣言はその実行を迫りました。

命かけて反戦貫いた共産党/戦争美化の逆流と対決
 1922年に創立された日本共産党は、「綱領草案」(23年)で、外国に対する「あらゆる干渉企図の中止」「朝鮮、中国、台湾、樺太からの軍隊の完全撤退」を掲げました。
 天皇制政府は、誕生したばかりの日本共産党に猛烈な弾圧と迫害を繰り返しましたが、日本共産党は中国侵略に反対するたたかいに全力をあげました。また、党機関紙「赤旗」は31年3月1日付と32年3月2日付で、「朝鮮独立運動三・一記念日万歳!」「朝鮮、台湾、中国の植民地及び半植民地民族の完全なる解放!」のスローガンを掲げました。
 一方、政友会や民政党は、侵略戦争を積極的に推進し、社会大衆党も、中国への全面戦争の開始を積極的に支持しました。
 戦後、公然とした活動を開始した日本共産党は45年12月、戦争犯罪人追及人民大会を開き、戦争責任の問題を正面から追及しました。
 一方、社会大衆党の流れから生まれた日本社会党(現・社民党)、政友会、民政党の流れから生まれた日本自由党、日本進歩党(後に自由民主党に合流)は、いずれも執行部は侵略戦争の協力者で占められていました。
 しかし、東西冷戦の激化とともに日本を「反共の防波堤」にするために対日政策を転換したアメリカは、日本の戦犯追及打ち切りの方針を出し、講和条約調印の前後から公職追放された政治家が続々と政界に復帰しました。
 戦後、日本の外務省は一貫して、「韓国併合条約」を「対等な立場、自由な意思」によるもので「法的に有効に締結された」との立場をとってきました。自民党政府は、この合法論にしがみつき、植民地支配を合法化・美化する発言を繰り返してきました。
 戦争の性格についても自民党政府の首相は、「戦争の性格は、後世の歴史家の判定に待つ問題だ」(田中角栄首相、73年)などと答弁してきました。
 ようやく終戦50年の95年、自民党・社会党・さきがけ連立政権の村山富市首相が、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々にたいして多大の損害と苦痛を与え」たことに「痛切な反省の意を表し、心からのおわびの気持ちを表明」した談話を発表しました。
 しかし、「韓国併合条約」については、「法的に有効に締結され、実施されたもの」という立場を今日まで変えていません。
 一方、「過去の日本の戦争は正しかった」と歴史を偽造する勢力は、村山談話に危機感を抱き、侵略戦争の名誉回復≠はかろうとする逆流をつくりだしました。
 日本共産党の不破哲三議長は2005年、時局報告会を行い、過去の侵略戦争を「自存自衛の戦争」「アジア解放の戦争」として正当化する靖国史観≠批判、これに日本政府が公認のお墨付きを与えるような行動は許されないと強調しました。
 内外の批判の中、戦前・戦中の体制への逆行をめざした「靖国」派の安倍晋三首相は07年、政権を投げ出し、「靖国」派は重大な打撃を被りました。

植民地支配・侵略戦争の歴史
1894〜95年 日清戦争
  95年 4月 日清講和条約調印、台湾、澎湖列島を日本に割譲
1904〜05年 日露戦争
  10年 8月 日本軍を動員した戒厳令下で「韓国併合条約」を調印
  19年 3月 「三・一独立運動」。日本軍が弾圧
  22年 7月 日本共産党が創立大会
  31年 9月 柳条湖事件。中国東北部への侵略戦争を開始(「満州事変」)
  37年 7月 盧溝橋事件。中国に対する全面的な侵略戦争を開始
  41年12月 日本軍がマレー半島上陸、ハワイ真珠湾を攻撃。アジア・太平洋戦争始まる
  45年 4月 米軍が沖縄本島に上陸
   同年 8月 アメリカ軍が広島、長崎に原爆投下
   同年 8月 ポツダム宣言を受諾し、連合国に降伏

日本共産党第25回大会決議/「歴史問題の前向きの打開と、今後の課題について」から
 2010年は、日本帝国主義が朝鮮半島全体を軍事的強圧のもとに併合してから100周年となる。日中でも、日韓でも、両国政府・両国国民間で、歴史認識の基本を共有することは、21世紀に日本が東アジアの人びとと真の平和と友好を築いていくうえで、土台となる重要な課題であり、わが党はそのために引き続き力をつくす。
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2010年08月15日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 65年前の8月15日。日本の敗戦のこの日を文字通り解放の日として迎えた人々がいます。戦前、日本の侵略と支配にあえいでいたアジアの人たちです。植民地だった韓国もそうです▼韓国西岸の都市、仁川でこの日の前後に起きたことを目撃した日本人がいました。当時、国民学校1年生だった吉原勇さんです。その記憶を1冊の本『降ろされた日の丸 国民学校一年生の朝鮮日記』(新潮新書)にまとめました▼8月13日。吉原少年はいつもより早い時間に国旗掲揚台の「日の丸」の旗がおろされ、代わりに見たこともない旗が昇るのを目撃します。大韓帝国の国旗でした。この日、「満州」から憲兵大尉がやって来て自宅に宿泊し翌日、日本へ帰国しました▼15日、吉原少年の父親が校長をしていた国民学校の用務員さんは「ニッポン負けた。朝鮮勝った」と言い、遠くから「マンセー(万歳)」「マンセー」と叫び声が聞こえてきます▼米軍上陸が近づく9月。隣組の会合から母親が青い顔をして帰宅します。米軍相手の慰安婦になる女性を差し出せという指示が上から下りてきたらしいのです。おりしも復員してきた父親がやめさせます。強制的に慰安婦にすることは人の道に反する。慰安所を作っても婦女暴行がなくなるとは限らない、と▼終戦の日を境に劇的に転換した日本と韓国の関係は、そこに暮らしていた日本人の運命も変えました。「韓国併合」100年でもあるこの8月は、転換の事実とその意味を静かに考える季節でもあります。
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2010年08月15日,「赤旗」) (Page/Top

首相談話で社説掲載

 シンガポール英字紙ストレーツ・タイムズ13日付は、10日に発表された菅首相の「韓国併合」100年に当たっての談話について「謝罪だけでは十分ではない」と題する社説を掲載しました。
 社説は、「日本の植民地支配が韓国の人々の『意思に反して』おこなわれたことを認めた点で一歩前進だ」と指摘。同時に「菅首相の謝罪」は、旧日本軍が韓国の女性に「従軍慰安婦」を強制したことや「併合そのものの違法性」に言及していないとのべています。
 社説は、日本が「過去の戦争犯罪」で謝罪を繰り返しても「アジアの多くの人々が疑っている」現状にもふれ、「菅首相と日本国民は日本が歴史で果たした役割を厳しく評価する必要がある」と求めています。
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2010年08月14日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」問題解決求め署名/広島ネットワーク

 日本軍「慰安婦」問題解決・広島ネットワーク(土井桂子代表)は11日午前11時から1時間、広島市中区の原爆ドーム前で街頭署名行動をしました。「慰安婦」問題解決のための世界連帯行動の日として、ドイツやカナダ、台湾をはじめ、日本では札幌、大阪、福岡などで実施されました。
 土井代表ら6人が参加し、ハンドマイクで「韓国の被害者のハルモニたちが1991年から毎週水曜日、日本大使館前で告発し続けているデモは、きょうで930回目に」とリレートーク。「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律」の早期成立を求める請願署名などが43人から寄せられました。
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2010年08月13日,「赤旗」) (Page/Top

迫る日本母親大会/29日の日程


【分科会】29日(日)午前10時〜午後3時(以下の数字は分科会の番号、助は助言者の略)
〔子どものもんだい・教育のもんだい〕1子育てたのしもう! 助・熊丸みつ子(幼児教育専門家) 2子どもたちの成長をはぐくむ保育を 助・大宮勇雄(福島大学) 3子どもの学び生きる権利と貧困 助・鈴木久之(小学校事務職) 4子どもたちに確かな学力を 助・渡辺恵津子(小学校教師)、本田久美子(全日本教職員組合) 5子どもの育ちと地域ネットワークづくり 助・大釜正明(少年少女センター全国ネットワーク) 6メディアづけの子育て・子育ちをどう防ぐか 助・清川輝基(NPOチャイルドライン支援センター・NPO子どもとメディア) 7子どもの心によりそって@登校拒否・不登校のもんだい 助・鈴木庸裕(福島大学大学院)Aひきこもりのもんだい 助・佐藤洋作(NPO法人文化学習協同ネットワーク)B非行のもんだい 助・春野すみれ(NPO法人非行克服支援センター) 8性を学ぼう語ろう、親子で学校で 助・高橋美代子(福島県立高教組) 9安心・安全な学校、施設設備を 助・大塵英夫(子どもの命と人権を守る福島の会) 10親子であそぼう@数楽のひろば 助・鹿股明子(元小学校教師)A科学のひろば 助・鈴木吉雄(小学校教師)Bつくって遊ぼう 助・松井祐一郎(元小学校教師) 11障害のある子も、ない子も豊かな発達を 助・荒川智(茨城大学) 12すべての学校に安心安全な地場産を生かした学校給食を 助・境野健児(福島大学)、ゲスト・小林芳正(まごころ野菜の会)
〔くらしのもんだい・権利のもんだい〕13派遣切り、非正規切り、外国人労働者問題からみえてくるもの 助・小川英雄(福島県労働組合総連合)、坂本恵(福島大学) 14私たちが払っている税金、何に使われているの? 助・山家悠紀夫(くらしと経済研究室) 15お金の心配のいらない医療をめざして 相野谷安孝(中央社会保障推進協議会) 16生存権と自己責任論 助・江田清(福島県生活と健康を守る会連合会)、丹波史紀(福島大学) 17国を動かした障害者訴訟 助・西村武彦(弁護士) 18どう変わる、どう変えるこの国のかたち 助・木村雅英(日本自治体労働組合総連合)、高木晃人(日本国家公務員労働組合連合会) 19裁判員制度施行から1年 助・杉山茂雅(弁護士) 20メンタルヘルスを考える 助・渡部純夫(東北福祉大学) 21安心な年金制度を 助・唐鎌直義(専修大学) 22原発、プルサーマルはなぜ問題なのか 助・伊東達也(原発問題住民運動全国連絡センター) 23地球温暖化はまったなし! 助・橋本良仁(公害・地球環境問題懇談会)
〔女性の地位向上・男女平等めざして〕24国連女性差別撤廃委員会の勧告を生かして 助・杉井静子(弁護士) 25日本軍「慰安婦」もんだいの解決にむけて 助・吉川春子(元参院議員) 26母親運動の今日、あした 助・木村康子(代表委員)
〔平和と民主主義のもんだい〕27「核兵器も戦争もない世界」をめざして 助・高草木博(原水爆禁止日本協議会) 28命に国境はない 助・高遠菜穂子(イラク支援ボランティア) 29憲法・国民主権の生きる国 助・小沢隆一(東京慈恵会医科大学)
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2010年08月13日,「赤旗」) (Page/Top

「韓国併合」首相談話/韓国各紙の見解

 韓国の新聞各紙11日付は、「韓国併合」100年にあたっての菅首相談話について、社説を掲載し、1995年の「村山談話」から前進した部分を評価する一方、歴史問題の解決にむけて日本側のさらなる努力を求めました。その内容を紹介します。
 最大紙の朝鮮日報は、「歴代の日本の総理の謝罪と反省に比べ、進展した内容が含まれている」と評価。「菅談話は基本的に『村山談話』の延長だが、植民地支配が『韓国人の意思に反したものだった』と明記した。間接的ではあるが、首相談話としては、はじめて日本による植民地支配の強制性を認めた」と述べました。
 東亜日報は、「併合条約が、20世紀初頭、軍事的、外交的に優位にあった日本により強圧的、不法に行われたという厳然たる事実を認めないかぎり、両国の真の歴史和解は難しい」と主張。「『談話』の発表は、歴史問題を画期的に打開する可能性もあったが、『村山談話』を基調とし、強制性を間接的に言及する線に留まったことで、(日本の)歴史認識の限界をあらわした」と指摘しました。
 ハンギョレ新聞は、「95年の『村山談話』以後、後退してきた日本の歴史認識を村山談話の水準に戻した点で意味がある」と評価。併合条約が最初から無効だったと宣言しなかったことや、教科書問題や慰安婦問題などについての言及を避けたこと、韓国と同様に植民地支配の被害を受けた北朝鮮に対する言及がなかったこと、などの問題点を指摘した上で、「日本政府と日本社会のいっそうの奮発を促す」と述べました。
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2010年08月12日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」問題解決を/世界連帯水曜デモ/東京

 日本軍「慰安婦」問題解決世界連帯同時水曜デモが11日夕、東京・有楽町マリオン前で取り組まれ、参加者は「被害女性が存命のうちに謝罪と補償を」と声をあげました。バウネット・ジャパン(「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク)をはじめ約20団体が参加する戦時性暴力問題連絡協議会の主催。
 「1991年に韓国の元『慰安婦』、金学順さんが名乗りでて、各地で女性たちが支援を始めました。2000年の女性国際戦犯法廷で、戦時の女性への性暴力は犯罪であり、裁かれなければならないと国際的に認知されました」と話すのはバウネットの中原道子共同代表です。「ドイツと比べ、被害者への補償について、お粗末な日本が恥ずかしい。問題の解決こそ国際社会に信頼される道です」
 フィリピン元「慰安婦」支援ネット・三多摩の山田久仁子さん(64)=三鷹市=は「民主党政権になったけど、菅さんは補償を新たに加えるものではないと表明しましたよね。東アジア共同体構想をいうなら、政府は筋を通してほしい」と語気を強めました。
 参加した大学院生の女性(30)は「早く解決してほしい。日本人が在日の人たちや外国の人とどうつきあっていくかという、私たち自身の問題ですから」と話しました。
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2010年08月12日,「赤旗」) (Page/Top

平和のための戦争展14日まで/静岡・清水

 第12回清水平和のための戦争展(同実行委員会主催)が、静岡市清水区の岡生涯学習交流館(旧清水中央公民館)で、14日まで行われています。
 展示物では、3・1朝鮮独立運動を弾圧する日本軍の説明がついた写真や、清水区に住む在日韓国人に聞き取りをし、朝鮮人を慰安婦として強制連行した日本に対する怒りなどが紹介されています。
 元教師だった故小沢浪代さんが生前書いた小学6年生ごろの体験記録も展示され、当時の子どもの目線から見た戦争の悲しみが表現されています。
 そのほか、旧清水市民から借りた遺書や赤紙、焼夷(しょうい)弾の破片や防毒マスクなど、当時の生活や戦場が想像される生々しい品も見ることができます。
 清水区に住む男性(81)は「朝鮮への侵略など、どうしてそのようなことが起こったのかの歴史を知ることは大事ですね」と話しました。
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2010年08月11日,「赤旗」) (Page/Top

首相談話への見解/アジアの報道機関

 菅首相の談話について、韓国以外のアジア各国のメディアも10日、電子版で速報しました。
 シンガポール紙・聯合早報は、「『談話』の謝罪部分の内容は、1995年の『村山首相談話』を基本にして作成された」と報道しました。
 中国の新華社電は、韓国の国民が談話の内容にたいし「失望を表明している」とする韓国メディアの論調を紹介し、「日本が真に反省しているかどうか疑わしい、(談話は)韓国併合が非合法的かつ無効だとは認めていない、強制労働や元慰安婦への賠償など歴史の核心問題を回避しているなどの批判が出ている」と伝えました。
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2010年08月11日,「赤旗」) (Page/Top

首相談話韓国各界が見解/与野党から批判/メディア「残念」


与野党から批判
 菅首相談話について、韓国の各政党は10日、論評を発表しました。与野党から、「内容が不十分だ」「中身がない」などの批判が相次ぎました。
 与党ハンナラ党は、「強制併合条約の不法性や日本軍慰安婦、強制動員問題などに対する具体的な言及がない」と指摘しました。「過去の日本の植民地支配の苦痛をはっきり記憶している韓国の国民の心情をなだめるには不十分だ」と表明しました。
 談話が、日本の植民地支配について「意に反して行われた」との表現で強制性を認めたことや朝鮮王朝儀軌の引き渡しを表明したことなどについては、「過去よりも一歩進んだ動きと努力だと評価する」と述べました。
 野党・民主党は、「韓日強制併合に対し、当初から無効という宣言が抜け、日本帝国主義の植民地支配の時期にあった数多くの犠牲に対する言及がまったくない」と指摘。「(日本の反省の)真摯(しんし)さに対する疑いのまなざしを、ぬぐうことができない」と批判しました。
 左派野党の民主労働党は、「中身がない談話で、謝罪の表明はリップサービスにすぎない」と表明。「日本政府は、談話を通じ、不法に行われた強制併合を、合法的な併合だとわい曲している」と断じました。

メディア「残念」
 韓国メディアは10日、首相談話が1995年の「村山談話」の枠内にとどまり、期待した水準に及ばなかったと伝えました。補償問題などにとりくんできた市民団体や学界などからも失望の声が上がっています。
 東亜日報は、「国内の関連団体と強制徴用の被害者たちは、がっかりしたという反応を示した。謝罪に基づく補償と、従軍慰安婦問題などが言及されなかったという点からだ」と報道しました。
 毎日経済は、過去に日本が、村山談話などを通じて謝罪を表明してきたと述べた上で、「歴史・領土問題に対する教科書のわい曲、政治家の暴言、靖国神社参拝などが続き、日本の過去の歴史に対する反省がリップサービスに過ぎないのではないかという評価が多かった」と指摘。「朝鮮半島に対する植民地支配が、国際法上、当初から無効だという画期的な日本の謝罪があったなら、韓日の未来関係に画期的な転機となった」として、談話が不十分な内容となったことへの残念さをにじませました。
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NHK、鉄の沈黙はだれのために 番組改変事件10年目の告白/永田浩三著/評者醍醐聰東京大学名誉教授


自己保身体質を執拗に追及
 本書はNHKのETV番組「問われる戦時性暴力」(2001年1月30日放送)の制作担当者として、はからずも番組改ざんの実行者になった著者が贖罪の思いに駆られてまとめた書物である。事件に関わったNHKの役職員が今も沈黙を続ける中でNHKの隠ぺい体質を告発した著者の良心に賛辞を送りたい。特に「自分に火の粉がふりかかると、自分は弱い存在だから、自分はサラリーマンだからと逃げる」NHK職員の自己保身体質を執拗に追及する著者に強い共感を覚えた。
 ただ、その一方で著者は、番組改ざんの渦中で板挟みの立場に置かれた伊東律子番組制作局長を随所でいたわっている。しかし、伊東氏は放送の直前に海老沢会長(当時)が自分を呼び出して元「従軍慰安婦」らの証言を削除するよう指示したことを著者に漏らしながら、それを公にしないまま世を去った。また伊東氏は問題の番組の放送日前に著者を呼び出し、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」が出版した図書を取り出して同会に属した中川昭一氏が番組にクレームをつけてきたと語ったが、裁判でこの発言が問題になると、あれは放送日の後だったと言い換えた。そうまでして伊東氏は何を守ろうとしたのだろうか?
 著者はまた自分の直接の上司で番組改ざんに手を染めた吉岡民夫教養番組部長を責める気はない、自分も同じ弱虫だからという。しかし、こうまで上司をかばい続けてよいのだろうか? 吉岡氏は安倍晋三氏に呼び付けられたのではなくNHKから出向いたことにしようという口裏合わせがあったことを同僚に明かしたが、この件が裁判で問題になるとあっさり前言を翻した。
 番組制作者の内部的自由は不可欠だ。しかし、こうした自己保身体質を引きずったままでは「仏(制度)造って魂入らず」にならないか?
 
 ながた・こうぞう 2009年から武蔵大学教授。
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「慰安婦」問題解決求める/広がる自治体の意見書可決/神戸女学院大学教授石川康宏

 各地の自治体で日本軍「慰安婦」問題の解決を求める国への意見書を可決する取り組みがすすんでいます。大学で「慰安婦」問題のゼミを行っている石川康宏さん(神戸女学院大学教授)に書いてもらいました。

「慰安婦」問題とは
 日本軍「慰安婦」問題はアジア太平洋戦争のなかで、日本軍が組織的に、兵士の「性的慰安」を目的として、各地の女性を「慰安所」に閉じ込め、レイプを繰り返したという問題です。
 被害者は数万人とも十数万人ともいわれています。軍の史料で確認できる最初の「慰安所」は、1932年に上海につくられたもので、各地の被害者には10代前半の「子ども」も少なくありませんでした。

日本政府の対応は
 1991年に韓国の元「慰安婦」金学順(キムハクスン)さんが、日本政府に賠償と謝罪を求める訴えを起こしました。それをきっかけとした調査にもとづき、93年には河野洋平官房長官(当時)が「お詫びと反省」の談話を発表しました。しかし戦後処理は政府間で終了しているとの立場から、被害者への個人補償は行われません。
 95年から財団法人「アジア女性基金」がいくつかの国の被害者に「償い金」を支払う活動を開始しましたが、政府の公式謝罪でないなどの理由で、多くの被害者から批判をあびました。
 07年には安倍晋三首相(当時)が「狭義の強制はなかった」「河野談話を見直す」と述べて大問題になりましたが、加害の事実を否定する声は、河野談話以後も少なくない閣僚から繰り返し出されています。

世界各地から批判
 安倍発言があった07年、アメリカ下院は日本政府に反省と謝罪を求める決議を可決しました。カナダや欧州議会も同様の決議をあげました。
 アジア以外の地域にこうした動きが起こったのは、戦争の下での性暴力を根絶しようという世界的な取り組みの発展があったからです。
 戦時性暴力をなくすには、過去の犯罪に対する、不処罰の連鎖を断ち切る必要がある。そういう今日的で、人類史的な課題の達成という角度から、「慰安婦」問題はあらためて世界的な注目をあびたのです。

自治体の意見書は
 自治体の意見書は08年3月に兵庫県宝塚市議会で可決されたのが初です。問題の誠実な解決を政府に求める意見書は、7月26日現在で全国29の自治体からあげられています。これはそれぞれの地域での市民と地方議員の共同の結果です。
 意見書は札幌、福岡、堺といった政令指定都市でもあげられており、宝塚、京田辺、生駒のように全会一致のところもあります。目に見える形で問題解決への世論をつくる、新しい重要な取り組みといっていいでしょう。
 被害者の高齢化はすすんでおり、私が学生たちとお会いした被害者も、残念ながら次々亡くなっているのが現実です。
 一人でも多くの被害者がお元気なうちに、全国からの決議で国を動かしたいと思います。全国のみなさん、力をあわせましょう。

「慰安婦」問題の誠実な解決を求める意見書を可決している自治体
 (石川氏の整理による)
〇2008年
 宝塚市、清瀬市、札幌市
〇2009年
 福岡市、箕面市、三鷹市、小金井市、京田辺市、生駒市、泉南市、国分寺市、長岡京市、船橋市、国立市、田川市
〇2010年
 ふじみ野市、我孫子市、向日市、今帰仁村、吹田市、堺市、小樽市、西東京市、南城市、読谷村、豊見城市、多良間村、一関市、高槻市
※他に、岡山市は「慰安婦」問題の解決にふれた「日韓両国の新たな百年を創る決議」を可決。
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2010年08月04日,「赤旗」) (Page/Top

「韓国併合」100年高まる世論/平和な東アジアへ協力を

 日本による「韓国併合」から100年目となる22日を前に、韓国でシンポジウムや展示会などが開かれています。各紙も社説や特集記事を掲載。強制連行や日本軍「慰安婦」問題の解決を求める声が相次ぐとともに、各国が過去の歴史の教訓を共有して東アジアの平和秩序づくりに向けて協力しようとの主張も強まっています。 
 (面川誠)
 
 独立運動史の研究で知られる民族問題研究所は7月30日、ソウルで「強制併合100年、韓日過去史の克服の課題と展望」と題したシンポジウムを開催しました。
 任軒永(イム・ホニョン)所長は、日本、米国、中国(清)、ロシアの勢力争いの末に植民地化された歴史を振り返り、朝鮮半島が南北に分断されていることによって現在でも大国の利害衝突の場になっていると指摘。韓国哨戒艦沈没事件を受けた周辺国の動きに触れ、「自分たちの運命すら決められない時代が、再び来るのではないかと懸念する」と警告しました。
 鄭根埴(チョン・グンシク)ソウル大教授は、東アジアが「中国中心の秩序から日本中心になり、その後は米国中心へと変遷した。『併合』100年は韓日関係にとどまらず、東アジアの平和秩序に関しても意味を持っている」と述べました。

紙上でも
 中央日報は7月31日付の社説で、李明博(イ・ミョンバク)大統領が「深い省察と考察に基づいた構想」を打ち出すべきだと主張。南北分断が続けば、朝鮮半島は米中の争いの場になりかねないとして、「韓国、中国、日本による共同体の実現が、北東アジアの平和と共同繁栄の根幹となる」と強調しました。
 ソウル新聞は年初から「韓日100年大企画」を連載中。この中で、日本の政治家や政府高官が植民地支配を正当化する発言を繰り返していることについて、「第2次大戦後、米国中心の外交関係にばかり偏ってきた日本の特徴であり、限界を示す現象」だと指摘しました。
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2010年08月03日,「赤旗」) (Page/Top

勇気出し権力監視を/マスコミ九条の会がシンポ

 米軍普天間基地や消費税増税問題で異常な報道を続けるメディアのあり方を問う「マスコミ九条の会」主催のシンポジウムが31日、東京都内で開かれ、地方紙記者や元NHKプロデューサーが活発に討論しました。
 マスコミ九条の会呼びかけ人の桂敬一さん(元東京大学教授)は、普天間基地問題や消費税増税問題の報道でメディアの「劣化」が起きているのではないかと提起しました。
 北海道新聞記者の高田昌幸さんは、省庁の発表する情報が全国紙の紙面を埋めている現状を指摘し、記者が取材力をつける必要性を強調しました。
 「ETV2001」で元「慰安婦」問題を担当した元NHKプロデューサーで武蔵大学教授の永田浩三さんは、自民党の圧力にNHKが屈した背景に「取材側の力が落ちていることがある」と反省を交えつつ、「自分の意見が言えなくて何が言論機関だろうか」「権力監視の弱さを感じる」と語りました。
 沖縄や長崎の地方紙と合同で「安保改定50年」(連載80回)を統括した神奈川新聞編集局次長の中村卓司さんは、「全国紙は、なぜ安保改定50年の連載をやらないのか」と疑問を述べ、地域の声をつなぐことが安保連載を始めたきっかけで、新聞社志望の若者からも反響があったと語りました。
 桂さんは、シンポの最後に「ジャーナリストは今こそ勇気を出すことが必要だ」と訴えました。
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2010年08月01日,「赤旗」) (Page/Top

 

7月)ヘッドライン

*         来月28・29日に母親大会/激動の情勢に連帯強めて/福島市内

*         命あるうちに尊厳取り戻したい/日本軍「慰安婦」問題解決を/地方議会意見書相次ぐ

*         韓国併合100年/国超え理解しあいたい/在日の学生と日本の青年/連続講座で問い直す在日の歴史

*         「慰安婦」問題考える集い/神奈川・相模原

 

*         7月(本文)(Page/Top

来月28・29日に母親大会/激動の情勢に連帯強めて/福島市内

 「生命(いのち)を生みだす母親は 生命を育て 生命を守ることをのぞみます」と運動を続けてきた日本母親大会(同実行委員会主催)は今年、56回を迎えます。8月28、29の両日、福島市内で開かれます。
 大会は1日目が全体会で東北大学名誉教授の日野秀逸さんが「平和と健康は幸福の必要条件―憲法的人間像を求めて」と記念講演をします。2日目は41のテーマで分科会、シンポジウム、講座などが開かれます。
 今年の大会は参院選で国民が民主党政権に厳しい審判を突きつけたもとで開かれます。
 実行委員会では「激動の情勢にしっかりと向き合い、連帯をいっそう強め、子どもたちに明るい未来を手渡すために運動を強め、大会を成功させましょう」と呼びかけています。
 小松久子母親大会事務局長は「国民の雇用、営業、暮らしをめぐる状況はさらに厳しさを増しています。まともな雇用をつくり出し、『子どもの貧困』の打開など命と暮らしを守るたたかいが強く求められています。大会ではこうした問題の解決の方向をさぐる分科会や平和と健康について語る記念講演や『食・農・環境シンポジウム』など魅力いっぱいの企画を用意しています」と語っています。

第56回日本母親大会福島の日程

28日は全体会         
 28日()正午―午後4時30分は福島市のあづま総合体育館で全体会(福島駅―体育館間にシャトルバス=有料)。メーンアリーナでは日野秀逸氏の「平和と健康は幸福の必要条件―憲法的人間像を求めて」の記念講演。サブアリーナでは「食・農・環境シンポジウム」。

29日は41分科会・シンポ・講座
 29日()午前10時―午後3時は福島大学・福島県文化センターで41の分科会、シンポジウム、講座、特別企画があります。
 子どものもんだい・教育のもんだい分科会は、子どもの学び生きる権利と貧困、メディアづけの子育て・子育ちをどう防ぐか、など。親子で遊べる特別企画も。
 くらしのもんだい・権利のもんだい分科会は、派遣切り、非正規切り、外国人労働者問題、私たちが払っている税金は何に使われているの? お金の心配のいらない医療をめざして、メンタルヘルスを考えるなど。女性の地位向上・男女平等めざして分科会は、国連女性差別撤廃委員会の勧告を生かして、日本軍「慰安婦」問題の解決にむけて、などについて話し合います。平和と民主主義のもんだい分科会は、「核兵器も戦争もない世界」をめざして、憲法・国民主権の生きる国など。
 シンポジウムは、安保条約改定50年。講座は、「平塚らいてうと青鞜をめぐる女性たち―青鞜100年を前に」など。特別企画は、講演と映画「いのちの山河」、「語り部にきく東北の民話」「対談・『韓国併合』と日本の歴史」「松川事件と裁判から学ぶ」など。
 大物産展・書籍バザール

参加するには―
 会員券(1日2500円)が必要です。保育(1歳以上、申し込みは8月13日まで)があります。問い合わせは同実行委員会рO3(3230)1836へ。
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2010年07月30日,「赤旗」) (Page/Top

命あるうちに尊厳取り戻したい/日本軍「慰安婦」問題解決を/地方議会意見書相次ぐ

 いま、各地の自治体で日本軍「慰安婦」問題の解決を求める意見書を可決する新しい動きが起こっています。今年は「韓国併合100年」。被害者の高齢化がすすむもとで、一刻も早い解決を求める声が内外で強まっています。
 那須絹江記者
 
 アジア・太平洋戦争中、朝鮮半島や中国はじめアジア各地の若い女性が、日本軍の「慰安婦」にさせられました。被害女性たちはいま、80歳から90歳代になり、「人間の尊厳を取り戻して死にたい」と訴えています。
 「慰安婦」問題については、1993年、当時の河野洋平官房長官が、「慰安所の設置や強制連行に日本軍が直接関与した」ことを認め、謝罪する談話を発表しました。しかし、国による補償は行われませんでした。2007年には、安倍晋三首相が「日本軍が強制連行した事実はない」と河野談話を否定する発言をし、内外から厳しい批判を浴びました。
 国連やILO(国際労働機関)はじめ、アメリカ、ヨーロッパの議会でも、日本政府に謝罪や補償を求める決議があがっています。
 そんななか、地方自治体が相次いで、国に対して「慰安婦」問題の解決を求める「意見書」を可決しています。
 最初に可決したのは、2008年3月、兵庫県宝塚市議会でした。
 意見書は「日本政府が、日本軍『慰安婦』の被害にあった女性たちに対して、いまだに公式な謝罪もせず、補償もせず、真相究明や責任者処罰をしないばかりか、教科書からもその記述を消し去って、なかったことにしようとしている」として、政府に「被害者の尊厳回復に努め、誠実な対応をされるよう」求めています。
 日本共産党の草野義雄市議は「背景には市民の熱心な運動がありました。議員への働きかけや、議会への請願を受けて、党派を超えた共同ができ、全会一致で可決しました」といいます。
 同市を皮切りに、札幌市(08年11月)、東京都三鷹市(09年6月)、大阪府高槻市(10年6月)など、この2年間に29自治体で、同様の意見書を可決しています。
 各地の意見書では、「歴史の真実を学校教育の場で教えること」(埼玉県ふじみ野市、10年3月)「『慰安婦』問題を歴史教科書に記述すること」(千葉県我孫子市、同)など、真実を伝える歴史教育の大切さを指摘しているところも少なくありません。
 神戸女学院大学教授で、「慰安婦」問題のゼミを開講している石川康宏さんは「高齢になった被害女性たちは、『日本人は私たちが死ぬのを待っているのだろう』と言います。売春婦≠フ汚名をきせたまま、無念の生涯を閉じさせるわけにはいかない」と話します。

大阪で会
 石川さんと、「慰安婦」問題にとりくんできた仲間たちは、「『慰安婦』問題の解決に向けた意見書採択をすすめる会」を立ち上げ、大阪を中心に活動しています。メンバーは、会社員や大学の先生、医師など、さまざまです。
 韓国の広州市には、元「慰安婦」の被害女性が共同で暮らす「ナヌムの家」があります。
 「1日に何十人もの兵士の相手をさせられ、抵抗すると日本刀で刺された」…。ここでは、元「慰安婦」の生々しい証言を聞くことができます。
 石川さんはいいます。
 「日本から多くの人が『ナヌムの家』を訪れています。加害国の日本で、何か行動しなければ、と思った人びとが各地で声をあげ、身近な地方議員に働きかけています。被害者の年齢を考えれば、ここ1、2年が勝負。この運動を急速に広げて、1人でも多くの被害者が生きているうちに、日本政府に正式な謝罪と補償をさせたい」

日本軍「慰安婦」とは
 戦争中、日本軍は占領地に「慰安所」をつくり、朝鮮半島や中国、フィリピンなどの女性を性奴隷にしました。「河野談話」の後、民間からの募金で「アジア女性基金」が設けられ、被害者に「償い金」を支給しましたが、韓国では、「国が補償すべき」だと受け取りを拒否した人もいます。
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2010年07月25日,「赤旗」) (Page/Top

 

韓国併合100年/国超え理解しあいたい/在日の学生と日本の青年/連続講座で問い直す在日の歴史

 日本が朝鮮半島を植民地にした「韓国併合」(1910年)から100年のことし。その歴史を考えようと、在日コリアンと日本の若者たちが力を合わせて、連続講座にとりくんでいます。
 隅田哲記者
 
 連続講座の会場は、東京都千代田区猿楽町の在日本韓国YMCA。1906年に創立されたキリスト教系の青少年団体です。1919年2月8日、ここに集まった朝鮮人留学生数百人が日本の植民地支配に反対し、独立宣言を採択。同年3月に朝鮮全土で巻き起こった「3・1独立運動」の先駆けになりました。
 現在、この地には「朝鮮獨立宣言一九一九 二・八記念碑」が建っています。
 独立宣言から91年後の今、同YMCAなどが主催する連続講座のタイトルは「『韓国併合』100年/『在日』100年を越えて」です。テーマは強制隔離された在日ハンセン病患者の歩み、植民地支配が終わっても続く差別…。若手研究者を講師に招き、在日の体験を通した日本の姿を見つめます。

朝鮮学校を差別
 「在日は、植民地支配の結果、朝鮮から日本に渡ってきた人たちです。日本でさまざまな差別を受けてきました。講座で一緒に考え、日本と朝鮮半島の将来を見通せたらと思います」
 こう語るのは運営委員の一人、金耿昊=キム・キョンホ=さん(25)。在日韓国人3世です。東京大学大学院で在日の歴史を研究しています。
 金さんは小中高と神奈川県の普通校に通いました。日本名を名乗る在日も少なくないなか、民族名を通しました。
 「民族意識の強い両親の影響で子どもの時から自分は在日なんだと聞かされていました。何となく朝鮮半島とつながって生きている自覚はあり、誇りに思っていました。でも少しずつ、在日にもいろいろなかっとうがあることに気づきはじめました」
 戦後、朝鮮半島は南北に分断されました。日本と北朝鮮はいまだに国交がありません。この状況は、在日にも大きく影響しています。
 「同じ日本に住む朝鮮人なのに一つになれない。南北のどちらを支持するかで対立したり、朝鮮人であることを隠して日本名でいたり。バラバラ感があります。なぜこんなことになったのか。歴史を問い直してみたい」
 今、金さんが問題に感じているのは、朝鮮学校に対する差別です。
 「なぜ高校授業料無償化の対象から外すのか。受験資格を認めない大学もまだ残っています。同じ在日でも、学ぶところが朝鮮学校か、そうでない学校かで差が出てくる。こういう差別が放置されていいのでしょうか」

手応えを感じた
 高橋梓さん(27)も運営委員です。朝鮮半島に関心をもったのは高校生のとき。2000年6月、分断後初めての南北首脳会談が開かれ、大きく報じられたことがきっかけでした。
 「分断された国だったなんて、と驚きました。日本と近い国なのに知らないことばかり。調べているうちに興味が出てきました」
 大学では朝鮮語、大学院では朝鮮文学を専攻しました。その中で在日の人びとの歴史を知ったという高橋さん。
 「日本と朝鮮半島の交流は古くからあります。ところが日本が朝鮮を植民地にし、日本軍『慰安婦』のような問題も同時に存在しています。にもかかわらず、多くのメディアがそういった歴史を伝えていません。それがもどかしい」
 連続講座では、チラシづくりなどの宣伝係です。
 「偶然チラシを見て来てくれた人がいました。手ごたえを感じます。私たち若い世代が集まって語り合い、国を超えて互いを理解しあうことが大切です。そんな場所づくりを続けていきたい」
 
 独立宣言の記念碑について感じたことを、2人は語ります。
 「弾圧を覚悟で独立の声をあげた人たちに胸をうたれます」(金さん)
 「植民地期の歴史を身近に感じられる場所」(高橋さん)

連続講座は7月24日まで。問い合わせ=03(3233)0611在日本韓国YMCA
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2010年07月18日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」問題考える集い/神奈川・相模原

 神奈川県相模原市で4日、「慰安婦」問題を考える集いが開かれ、20人が参加しました。元兵士の松本栄好さんは中国山西省で衛生兵として従軍し、日本軍「慰安婦」がどう集められ、慰安所の実態がどんなものだったかを話しました。
 参加者は韓国併合100年の今年、「慰安婦」問題などの学習をはじめ運動をどう進めるか話し合いました。
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2010年07月14日,「赤旗」) (Page/Top

 

6月)ヘッドライン

*         「慰安婦」問題誠実に/西東京市議会意見書を可決

*         日本軍「慰安婦」問題の早期解決を/1万5126人署名国会に/紙議員に手渡す/新日本婦人の会

 

*         6月(本文)(Page/Top

 

「慰安婦」問題誠実に/西東京市議会意見書を可決

 東京都西東京市議会は21日の本会議で「『慰安婦』問題について、国が誠実な対応をすることを求める意見書」を可決しました。日本共産党のほか、自民党を除く各党・会派、無所属議員が賛成しました。同意見書は、「慰安婦」問題の真相究明を行い被害者の尊厳回復に努め、次世代に事実を伝えることを求めています。
 同市では、「慰安婦」問題の解決を求める会や戦時性暴力問題協議会、新婦人、9条の会などが中心となり、「慰安婦」問題解決のための意見書を提出することを求める陳情署名約1000人分を4、5月に集め、市議会へ提出していました。
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2010年06月23日,「赤旗」) (Page/Top

日本軍「慰安婦」問題の早期解決を/1万5126人署名国会に/紙議員に手渡す/新日本婦人の会

 新日本婦人の会は31日、日本軍「慰安婦」問題の早期解決をめざす請願署名1万5126人分を国会に提出しました。日本共産党の紙智子参院議員が受け取りました。
 同問題をめぐっては、日本政府に謝罪と賠償、歴史教育を求める決議がアメリカや韓国などをはじめ、世界各国で採択されています。2009年には、国連女性差別撤廃委員会(CEDAW)が、日本政府に対し勧告を出すなど、世界からも早期解決と事実を伝える歴史教育がつよく求められています。
 請願署名は、日本軍「慰安婦」問題の法的解決を急ぎ、公式謝罪と補償をおこなうことを求めています。
 新日本婦人の会の高田公子会長、笠井貴美代副会長、児玉紀子男女平等部長は、「被害者は『日本政府が謝るまで』と、毎週座り込みをしています。高齢化が進んでおり、時間がありません。今国会でぜひ動いてほしい」と紙議員に要請。紙議員は、「しっかりと受け止めました。今までとりくんできた国会議員に声をかけたい」と話しました。
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2010年06月01日,「赤旗」) (Page/Top

 

5月)ヘッドライン

*         「慰安婦」被害者が証言/「日本政府は謝罪を」/京都・長岡京

*         韓国出身戦没者219人の遺骨返還へ/政府は謝罪を=^都内で追悼式

*         おはようニュース問答/「韓国併合」100年まだ反省してない日本政府

*         「韓国併合」100年日韓知識人共同声明/要旨

*         「韓国併合」100年/戦争の時代に戻らぬ/歴史認識共有へ集会

*         「慰安婦」問題/被害者は待てません=^早期解決へ国会内で集会

*         「アートでピース」展/静岡・伊東であすまで開催

*         歴史認識の共有めざして/「併合」100年日本委15日にメーン集会

 

5月(本文)(Page/Top

「慰安婦」被害者が証言/「日本政府は謝罪を」/京都・長岡京

 旧日本軍「慰安婦」被害者の吉元玉(キル・ウォノク)さん=1928年生まれ=の証言を聴く会(実行委員会主催)が16日、京都府長岡京市の市立中央公民館で開かれ、199人が参加しました。
 13歳のときにだまされて「慰安婦」にされた吉さんは、「初潮も知らず、軍人たちに暴行されたために血が出たのだと思った。生理中も暴行はやまず、ふとんが血で染まった。軍人に殴られ、血で染まった服が乾いて脱げなくなり、破いてはがした。性病になると、手術で子宮や卵管を除去され、子どもが産めなくなった。それでも治らず一度帰されても、治ったらまた連れて行かれた」と痛苦の経験を語りました。
 そして戦後の生活にふれ、「食べても食べた気がしないような生活を70年もしてきた。もう私のように集会で話ができるのは2、3人。日本政府は真実に目を開いて謝罪してほしい」と語りました。
 挺身(ていしん)隊問題対策協議会の尹美香(ユン・ミヒャン)さんが、韓国のとりくみを報告し、「ネットワークを政治家が無視できない力にまで高めよう」と訴えました。
 小田豊・長岡京市長もメッセージを寄せました。
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2010年05月20日,「赤旗」) (Page/Top

韓国出身戦没者219人の遺骨返還へ/政府は謝罪を=^都内で追悼式

 戦時中、日本軍に軍人・軍属として徴用された韓国出身戦没者219人の遺骨が返還されることにともない、18日、東京都目黒区の祐天寺で追悼式が行われ、約100人が参加しました。
 遺骨は厚労省が同寺に預託しているもので、これまで3回にわたり計204人の遺骨を返還してきました。
 追悼の辞で、韓国の鄭善太(チョン・ソンテ)委員長(対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者等支援委員会)は、「日本政府が韓国人軍人・軍属、慰安婦、労務者被害などに対する現実的な支援と、間違った過去の歴史に対する真の謝罪など、前向きな姿勢が求められる」とのべました。
 軍属だった父・李快点(イ・ケジョム)さんをフィリピンで亡くした李鐘熹(イ・ジョンヒィ)さんが、父との思い出や、戦後の母の苦労を語りました。
 岡田克也外相、長妻昭厚労相(代読)が追悼の辞をのべました。
 日朝協会の岩本正光代表理事は追悼式後、「『韓国』併合100年にあたる今年、いまだに朝鮮植民地支配の清算がすすんでいないことは極めて問題だ。歴代政府の責任は重い。政府が、支配の清算・戦時補償を一日も早く実現することを強く期待する」と話しました。
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2010年05月19日,「赤旗」) (Page/Top

おはようニュース問答/「韓国併合」100年まだ反省してない日本政府

 晴男 今年は、日本が当時の韓国皇帝らに「併合」条約調印を強要し、朝鮮半島を植民地にした「韓国併合」100周年にあたる。最近、声明や集会があいついだね。
 秋平 10日には東京とソウルで「『韓国併合』100年日韓知識人共同声明」が発表された。発表時点で日本側105人、韓国側109人の知識人が署名していたよ。
 晴男 15日にも、「植民地支配の完全な清算と歴史認識の共有をめざす『併合』100年日本委員会」が、東京でメーン集会を開催した。220人の参加者がアピールを採択した。
 秋平 声明や集会アピールは、日本政府の姿勢を問うているようだ。

謝罪と賠償早く
 晴男 15日の集会アピールは、日本政府と衆参両院に「朝鮮植民地支配に対する明確な謝罪と賠償を速やかにおこなう」よう求めている。
 秋平 最近の裁判をみても、日本軍「慰安婦」問題や強制連行・強制労働事件などの被害者にたいして、日本政府は責任を認めず、謝罪も補償も拒否し続けているね。
 晴男 10日の日韓知識人共同声明は、「併合条約」は締結時には有効だった≠ニする立場を改め、はじめから「不法無効」だった≠ニする立場に立つよう、日本政府に求めている。
 秋平 日本政府はまだ「韓国併合」を有効だった≠ニ主張しているのか。驚いたよ。

根本的な反省を
 晴男 政府は95年8月15日の村山首相談話で「植民地支配と侵略」の事実を認め「痛切な反省」を表明した。しかし「併合条約」が「法的に有効に締結され、実施された」という政府見解は変えていないんだよ。
 秋平 ひどい話だね。当時の韓国に軍隊を送り込み、外交権を奪い、立ち上がった農民などの義兵を弾圧したあげく、皇帝を脅迫し、閣僚が逃げないよう憲兵の監視までつけて調印させたものなんだろう。
 晴男 こんな「条約」を有効だったと言い続けているから、政府は戦前の人権侵害を謝罪し補償する法的な立場も持てない。今年の8月22日は「併合条約」の「締結」とされる日、8月29日は日本が「併合」を公布した日だ。日本政府が根本的な反省に踏み出すことが求められているね。
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2010年05月19日,「赤旗」) (Page/Top

「韓国併合」100年日韓知識人共同声明/要旨

 10日に東京とソウルで発表された「『韓国併合』100年日韓知識人共同声明」(11日付14面既報)の要旨は次の通りです。
 ◇
 1910年8月29日、日本帝国は大韓帝国をこの地上から抹殺し、朝鮮半島をみずからの領土に併合することを宣言した。私たちは、韓国併合の過程がいかなるものであったか、「韓国併合条約」をどのように考えるべきかについて、日韓両国の政府と国民が共同の認識を確認することが重要であると考える。この問題こそが両民族の間の歴史問題の核心であり、われわれの和解と協力のための基本である。
 今日まで両国の歴史家は、日本による韓国併合が長期にわたる日本の侵略、数次にわたる日本軍の占領、王后の殺害と国王・政府要人への脅迫、そして朝鮮の人々の抵抗の圧殺の結果実現されたものであることを明らかにしている。
 韓国併合は文字通りの帝国主義の行為であり、不義不正の行為である。
 日本国家の韓国併合の宣言は1910年8月22日の併合条約に基づいていると説明されている。
 韓国併合条約も不義不当である。
 大韓民国と日本は、1965年に国交を樹立した。日韓基本条約の第二条において、1910年8月22日及びそれ以前に締結されたすべての条約および協定はalready null and voidであると宣言された。しかし、この条項の解釈が日韓両政府間で分かれた。
 日本政府は、併合条約等は「対等の立場で、また自由意思で結ばれた」ものであり、締結時より効力を発生し、有効であったが、1948年の大韓民国成立時に無効になったと解釈した。これに対し、韓国政府は、「過去日本の侵略主義の所産」の不義不当な条約は当初より不法無効であると解釈したのである。
 併合の歴史について今日明らかにされた事実と歪みなき認識に立って振り返れば、もはや日本側の解釈を維持することはできない。
 併合条約は元来不義不当なものであったという意味において、当初よりnull and voidであるとする韓国側の解釈が共通に受け入れられるべきである。
 韓国併合100年にあたり、われわれはこのような共通の歴史認識を有する。
 植民地支配の時期に記録文書の作成を独占していた日本政府当局は、歴史資料を積極的に収集し公開する義務を負っている。
 罪の許しは乞わねばならず、許しはあたえられねばならない。苦痛は癒され、損害は償われなければならない。関東大震災のさいになされた朝鮮人住民の大量殺害をはじめとするすべての理不尽なる行為は振り返られなければならない。日本軍「慰安婦」問題はいまだ解決されたとはいえない状態にある。韓国政府が取り組みを開始した強制動員労働者・軍人軍属に対する慰労と医療支援の措置に、日本政府と企業、国民は積極的な努力で応えることが望まれる。
 対立する問題は、過去を省察し、未来を見据えることで、先のばしすることなく解決をはからねばならない。朝鮮半島の北側にあるもうひとつの国、朝鮮民主主義人民共和国と日本との国交正常化も、この併合100年という年に進められなければならない。
 このようにすることによって、韓国と日本の間に、真の和解と友好に基づいた新しい100年を切り開くことができる。私たちは、この趣意を韓日両国の政府と国民に広く知らせ、これを厳粛に受け止めることを訴える。
 (全文は岩波書店『世界』7月号に掲載の予定)
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2010年05月17日,「赤旗」) (Page/Top

「韓国併合」100年/戦争の時代に戻らぬ/歴史認識共有へ集会

 「植民地支配の完全な清算と歴史認識の共有をめざす『併合』100年日本委員会」は15日、東京都千代田区の在日本韓国YMCAで、メーン集会「植民地支配の完全な清算と歴史認識の共有をめざして―政府による戦後補償の完全処理を強く要求する」を開催しました。会場を埋める220人が参加しました。
 山田朗明治大学教授・歴史教育者協議会委員長が「戦争と植民地支配の時代に戻らないために」と題して基調報告。山田氏は「日本では、日露戦争が何のための戦争だったのかの歴史認識が弱い」と指摘し、日露戦争が日本による朝鮮半島の植民地化を本格化する転機となったことを示しました。「韓国併合」100年の今年を「日清・日露戦争から太平洋戦争までを一体的にとらえて、日本の近代化の過程を再検討する機会にしなければならない」と述べました。
 このあと、橋本登志子氏が相模湖ダム建設での中国人・朝鮮人「強制労働」について、吉川春子元日本共産党参院議員が日本軍「慰安婦」問題を、石橋正夫氏が関東大震災・朝鮮人虐殺事件について述べるなど7人が報告し、人権侵害を告発しました。
 集会は、日本政府と衆参両院に対し、「朝鮮植民地支配に対する明確な謝罪と賠償を速やかにおこなう」ことを求めるアピールを採択しました。
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2010年05月16日,「赤旗」)

「慰安婦」問題/被害者は待てません=^早期解決へ国会内で集会

 「被害者は待てない」と「慰安婦」問題の早期解決、戦時性的強制被害者問題解決促進法の一日も早い成立を求める院内集会が13日、国会内で開かれ、120人を超える人々が参加しました。
 国内で「慰安婦」問題解決の運動をすすめてきた団体・個人がつくる「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動2010」と、戦時性暴力問題連絡協議会の共催です。
 韓国・自由先進党の国会議員・朴宣映(パク・ソニョン)さんが、今年3月、超党派で「日本軍『慰安婦』問題解決のための国会議員の会」がつくられた経緯を報告。「今年は韓国が日本に強制併合されて100年の年。被害者の血の涙が枯れないうちに、早期に立法解決が求められている」とのべました。
 被害者の吉元玉(キル・ウォノク)さん(83)は、「戦争は人を殺すだけでなく、生き残った者にもつらい日々を過ごさせる。日本政府から何の回答もないまま65年、放置されてきた。私たちの世代で『慰安婦』問題がなくなるよう、一日も早い解決を」と訴えました。
 支援運動をしてきたい尹美香(ユン・ミヒャン)さん(韓国挺身隊問題対策協議会代表)は、被害者234人のうち生存者が85人となっている現状のなか、「被害者が生きているうちに解決を」とのべました。
 3月議会で「慰安婦」問題早期解決を求める意見書を採択した大阪府堺市、千葉県我孫子市の議員代表が報告。日本共産党の紙智子、山下芳生両参院議員のほか、各党議員が激励あいさつしました。
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2010年05月14日,「赤旗」) (Page/Top

「アートでピース」展/静岡・伊東であすまで開催

 「平和への熱き思い・いのちの尊厳・自然の美しさ」を主題とした第3回「アートでピース」展が静岡県伊東市で、9日まで行われています。主催は同企画運営委員会。協賛は、憲法九条を守る伊東市民の会などです。
 市内在住作家を中心に100人余・130点を超す作品が展示されています。「平和な日常があればこそ」の思いを込めた、チューリップに女性がくちづけする絵画やつぼ、彫刻など多種多様です。
 会場では毎日、詩の朗読やピアノ独奏が行われ、8日夜は特別企画で、ピアニスト・山根弥生子さんのリサイタルが行われます。
 5日は絵本作家の田島征三氏が講演しました。田島氏は、「従軍慰安婦の痛みを伝える絵本を、中国や韓国の作家と作っています」と話しました。
 美術大学で油絵を学ぶ女性(20)は「平和を表現するのは陳腐という人もいるが、何と言われようと行動している人たちはすごいと思う」と話しました。
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2010年05月08日,「赤旗」) (Page/Top

歴史認識の共有めざして/「併合」100年日本委15日にメーン集会

 「植民地支配の完全な清算と歴史認識の共有をめざす『併合』100年日本委員会」(「併合」100年日本委員会)は、15日に東京都内でメーン集会「植民地支配の完全な清算と歴史認識の共有をめざして―政府による戦後補償の完全処理を強く要求する」を開催します。同委員会は広く参加を呼び掛けています。
 山田朗歴史教育者協議会委員長・明治大学教授が基調報告。各分野から@日本軍「慰安婦」問題(吉川春子前参院議員)A関東大震災・朝鮮人虐殺事件と追悼碑建立(石橋正夫日朝協会代表理事)B松代大本営と長野県内の「強制労働」調査活動(小島和宣松本強制労働調査団運営委員長)など7人が発言します。政府・国会にむけた集会アピールを提案し採択します。
 ◇
 15日(土)午後1時半〜5時、在日本韓国YMCA(東京都千代田区猿楽町2の5の5、JR水道橋駅6分)▽資料代=1000円▽事務局=日朝協会・同東京都連合会рO3(3237)1991
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2010年05月05日,「赤旗」) (Page/Top

4月)ヘッドライン

*         「慰安婦」問題解決急げ/市民・国会議員10周年集会

*         再び侵略させない/元日本軍「慰安婦」が証言/名古屋

*         核兵器のない世界へ/韓国の被爆者と核廃絶署名/「日韓フェス」参加の日本人30人/ソウル

*         教育計画/侵略肯定の危険ある/党が千葉県に撤回要求

*         朝の風/桜が語る戦争と平和

*         「慰安婦」問題/早期解決求め意見書を可決/大阪・吹田市議会

*         「慰安婦」緊急解決を/国会内で集い/紙議員あいさつ

 

*  4月(本文)(Page/Top

「慰安婦」問題解決急げ/市民・国会議員10周年集会

 「慰安婦問題の早期解決のために戦時性的強制被害者問題解決促進法の一刻も早い成立を」と、21日、参議院議員会館内で、法案提出10周年記念集会が開かれ、市民や国会議員約130人が参加しました。
 2000年4月、参議院に「慰安婦」問題解決のための法案が初提出されて10年が経過したことから、「『戦時性的強制被害者問題解決促進法案』の立法を求める連絡会議」などの市民団体が開きました。
 1943年、16歳のとき、日本軍によって韓国から中国へ連行され、性暴力被害にあった姜日出(カン・イルチュル)さん(82)が発言。父母に会うこともできず心と体の傷に苦しみつつ生きてきた心境を語り、「日本を戦争をしない国にしてほしい。民主党は、この問題で(解決の)結果を早く出してほしい」と訴えました。
 日本共産党、民主党など各党・会派の国会議員があいさつしました。紙智子参院議員は、01年以降、日本共産党が民主、社民党と参議院に法案を共同提出してきた経緯にふれ、「戦時性的強制被害者が高齢化するもと、問題の一日も早い解決がもとめられている。党派を超えて法案成立に力を尽くしていく」とのべました。
 集会参加者からは、「民主党は戦争犯罪の責任を認めない自民党政権の方針を引き継ぐのか、変えるのか?」などの意見が出されました。
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2010年04月22日,「赤旗」) (Page/Top

再び侵略させない/元日本軍「慰安婦」が証言/名古屋

 日本人の一人として、人間の尊厳を歴史のなかで考えよう―旧日本軍による性暴力被害を受けた女性の証言を聞くつどいが17日、名古屋市中区で開かれました。
 新日本婦人の会愛知県本部が主催し、韓国から元日本軍「慰安婦」の姜日出(カン・イルチュル)さん(83)と、日本軍「慰安婦」歴史館の村山一兵研究員を招きました。
 水野磯子代表委員が主催者あいさつし、政府が一日も早く日本軍「慰安婦」問題の法的解決を急ぎ、公式謝罪と補償の国際的責務を果たすよう求め、「みんなで語り合い、国に働きかけていこう」と呼びかけました。
 姜さんは、日本軍に突然連行され、中国で「慰安婦」生活を強いられたこと、兵士の暴力で頭に受けた傷で今でも苦しんでいること、病気になった時に焼き殺されそうになったこと―などの体験を証言。「名古屋の女性グループの招待をうれしく思う。韓国、日本、中国の関係を良くし、世界中から戦争がなくなる時代をつくってほしい」と語りました。
 村山さんは、被害を受けた女性たちが共同生活をするナヌムの家と歴史館のとりくみを紹介し、「日本が侵略戦争でおかした加害の歴史と向き合い、政治の場で決着をつけ、次世代に引き継いでいこう」と訴えました。
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2010年04月21日,「赤旗」) (Page/Top

核兵器のない世界へ/韓国の被爆者と核廃絶署名/「日韓フェス」参加の日本人30人/ソウル


「運動ありがとう」
 広島・長崎で被爆した韓国人が今月初め、5月の核不拡散条約(NPT)再検討会議に向け、日本人と一緒にソウル市内で、「核兵器のない世界を」の国際署名を集めました。原爆は植民地支配(1910〜45年)を終わらせた≠ニ受け止める人が強い韓国では異例のことでした。
 
 署名は憲法9条ツアー「日韓平和と友情のフェスティバル参加の旅」に参加した約30人の日本人と、韓国原爆被害者協会の金龍吉(キム・ヨンギル)会長ら韓国人約10人が取り組みました。場所は1919年の「三・一独立運動」発祥の地、タプコル公園前。韓国語で説明が書かれた原爆写真パネルが並べられました。
 韓国では日本人を戦争被害者だと認めることへの反発が根強くあります。10年ほど前にソウル市内で広島・長崎の原爆被害展示が行われた際、会場に元「慰安婦」が乱入し展示を壊す事件がありました。核兵器への拒否感も薄く、各種世論調査では「韓国も核兵器を持つべきだ」との回答が約6割に達します。
 しかし今回、3日には元「慰安婦」が共同生活するソウル近郊の「ナヌムの家」でも原爆被害の写真展と日韓の市民が参加するフェスティバルが開かれ、元「慰安婦」と日韓の被爆者が「戦争反対」「平和守護」を呼びかけました。
 タプコル公園前での署名行動では、80歳くらいの男性数人が、「おまえらは加害者じゃないか」と日本語で食って掛かる一幕もありました。しかし日本からの参加者が「加害者としての気持ちも十分感じ、『慰安婦』の人たちとも協力している。核兵器はよくないと訴えている」と説明すると、男性は「おまえらみたいな日本人もいるんだな」と握手を求め、署名もしてくれました。
 写真を見ていた韓国人の男性(86)は「戦争中、日本に徴用されて今も日本語を覚えている。日本人が韓国の原爆被害者や『慰安婦』のことを運動してくれて、ありがとう」と語り、署名しました。
 公園前で集まった署名は2時間で260人分。「ナヌムの家」で集まったものと合わせて565人の署名が、ニューヨークの国連本部で5月4日、NPT再検討会議の議長に手渡されます。
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2010年04月16日,「赤旗」) (Page/Top

教育計画/侵略肯定の危険ある/党が千葉県に撤回要求

 日本共産党千葉県議団は9日、県教育振興基本計画(みんなで取り組む「教育立県ちば」プラン)の撤回を求める声明を発表し、県教育委員会に申し入れました。同計画は1月の「千葉県の教育を元気にする有識者会議」提言を踏まえて3月に策定され、南京大虐殺や日本軍「慰安婦」について「事実かどうかいろいろな考え方がある」と答弁する森田健作知事の特異な歴史観を県の教育に持ち込むものです。
 知事の肝いりで設置した有識者会議の議論では、戦後教育を「自虐史観にたった教育」などと攻撃。計画は「国家や郷土にたいする誇り」などの教育目標を掲げます。
 小松実、岡田幸子、三輪由美各県議は申し入れで「国家や郷土への誇りといいながら知事の特異な歴史観―日本の侵略戦争を認めず戦前の教育に同調することと結びつくことが危ぐされる」と指摘。川島貞夫教育次長は「教育の中立性は維持する」とのべるにとどまりました。
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2010年04月11日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/桜が語る戦争と平和

 桜前線は、ひたすら北上中である。今はどのあたりが満開になっているだろうか。
 その桜を「嫌い」という人もいる。戦争の記憶と結びついているからである。たしかに戦時中桜は「軍国主義」のシンボルだった。軍服のボタンにも使われ、兵士たちは「死んで靖国神社の桜になる」と書き遺して死地に赴いた。「桜花」という名の特攻兵器もあった(大貫恵美子『ねじ曲げられた桜―美意識と軍国主義』)。
 韓国のナヌムの家には日本軍「慰安婦」だったハルモニの描いた絵が展示されているが、その一枚は桜の下に横たわる自画像で、その木は拳銃をかまえた日本軍憲兵と一体化しているのである。
 しかしまた桜は、平和をねがう人びとによっても語りつがれてきた。絵本『村いちばんのさくらの木』(来栖良夫)は、戦争のため桜の大木を切り倒そうとする役人に、「戦死したつれあいのために植えた木だ」と抵抗するおばあさんの物語である。長崎で被爆死した少女を悼んで親が植えた『かよこ桜』(山本典人)は、被爆から65年目の今年も地元の聖マリア学院の子どもたちによって植樹がおこなわれ、広島など各地に広まっている。
 桜に込められた平和への思いを胸に、今からまにあう花見に行ってみよう。
 (佐)
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2010年04月06日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」問題/早期解決求め意見書を可決/大阪・吹田市議会

 大阪府吹田市議会は3月26日、「慰安婦」問題の早期解決を求めた意見書を日本共産党や民主党などの賛成多数で可決しました。意見書では、戦時中の日本の性犯罪を認めた河野談話(93年)を引用し、「談話に矛盾しないよう慰安婦問題の真相究明を行い、被害者の尊厳回復に努め、早期に解決するよう」求めています。
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2010年04月02日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」緊急解決を/国会内で集い/紙議員あいさつ

 「一日も早く『慰安婦』問題の解決を求める市民と議員の集い」が31日、国会内で開かれ、70人余が参加しました。戦時性暴力問題連絡協議会の主催。
 集いでは、シン・ヘボン青山学院大学法学部教授が講演。ユーゴ紛争など、大規模な性暴力が世界的に発生する中で、「女性に対する暴力」に関する国際社会の取り組みが進展したと指摘。国際法の観点からみても、「慰安婦」問題は、緊急に対応するべきだと強調しました。
 日本共産党の紙智子参院議員はじめ、民主、公明両党の国会議員が参加。紙氏は「わが党は民主・社民両党と『戦時性的強制被害者問題解決促進法案』を共同提出して、『慰安婦』問題解決のために奮闘してきました。このような集会に学び、さらにがんばる決意です」とのべました。
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2010年04月01日,「赤旗」) (Page/Top

 

3月)ヘッドライン

*         朝の風/私にとっての社会と性

*         日韓歴史共同研究のポイント

*         日韓歴史共同研究/韓国、「右傾化」に懸念/教科書日本は憲法記載を要求

*         「慰安婦」全裁判が終了/生あるうち名誉回復を/解決は政治の舞台へ

*         日本軍「慰安婦」と教科書/富山で考える集い

*         日本の法的責任追及

*         国際女性デー集い/平和、男女平等語る/島根/長崎/高知/熊本/宮崎

*         国際女性デー/男女平等、平和誓う/新潟/富山/石川

*         国際女性デー/各地で集会/千葉/群馬

*         歴史観押しつけるな/森田知事を追及/三輪県議/千葉

*         世界平和考え、学ぼう/日本AALAが理事会

 

*  3月(本文)(Page/Top

朝の風/私にとっての社会と性

 ある環境の変化から、私は、労資関係に男女の視角を加えることの大切さに気づかされた。大学院までの研究では、それを重要問題ととらえることさえできておらず、40歳を前にしての実に遅い気づきであった。
 5年後に初めて「女性」をタイトルに含む論文を書き、大学の同僚たちにジェンダー研究会の発足をよびかけた。3年間の「はげしい」討論をへて、初めて「主婦」をテーマとした一文を書き、マルクス主義とフェミニズムの関係についても考えてみた。労働力再生産における家事労働の役割という角度から、主婦の経済的・社会的地位に注目するようになったのはそのころである。財界による家庭管理戦略にも目が向き、そういう角度から『資本論』を眺め返す作業もはじめてみた。
 そこで新たにぶつかったのが「慰安婦」問題であった。
 ここにいたって事柄は労資関係の枠を大きく越えた。今もつづく戦場での性暴力への熱狂をどう理解すれば良いのか。これについては理論的把握の手がかりも見えていない。人間にとって性とは何であり、それにまつわる「文化」はどのような歴史をもち、その変化の原動力は何であるのか。それらの究明は人間社会の理解にとって、大きな課題となっている。
 (夢)
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2010年03月29日,「赤旗」) (Page/Top

日韓歴史共同研究のポイント

 日韓歴史共同研究委員会が23日公表した報告書のポイントは次の通り。
 【植民地支配】
 韓国側 日本の教科書は「15年戦争(大東亜戦争)」の経過について非常に詳細に記述している代わりに「植民地朝鮮」の実情については極めて簡潔でドライだ。
 日本側 韓国は日本の反省と謝罪に関する天皇の「お言葉」と「村山談話」を記述していない。
 【従軍慰安婦】
 韓 1996年には7種の中学教科書すべてが慰安婦のことに触れた。2005年の教科書の記述は縮小され2種にだけ残った。内容も悪化し日本書籍新社は慰安婦という用語を使わず、強制的という表現も使っていない。日本で慰安婦関連の内容が縮小されたのは政治、社会的状況の保守化が根本的要因だ。01年の9・11(同時多発)テロと北朝鮮の日本人拉致の認定を契機に公然と保守右傾化を追求できた。
 日 韓国は従軍慰安婦と女子挺身(ていしん)隊とを混同している。挺身隊はあくまでも軍需工場での勤労動員に限定される用語だ。年端もいかぬ青少年に「戦場と性」という難題を果たして教えるべき事項なのかという、教育現場の真摯(しんし)なためらいもある。
 【「つくる会」教科書】
 韓 「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書は右翼と一部保守政治家、保守メディア、「つくる会」という三角構図で進められ叙述が極端だ。最も右翼色が強い。
 日 日本の国内世論、学校現場も「つくる会」教科書には冷淡だ。採択率が低く影響力はほとんどない。多くの日本国民の支持を得ていない。
 【教科書検定】
 韓 文部科学省は一つの画一化された歴史観を基本的に志向し、侵略と支配の事実ができるだけ表面化しないようにしている。
 【憲法9条】
 日 日本は1946年に新憲法を公布し、憲法9条は戦争放棄を明文化した。韓国は日本国憲法について全く説明していない。憲法は戦後の日本を理解するのには、絶対に必要な要素だ。
 (時事)
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2010年03月24日,「赤旗」) (Page/Top

日韓歴史共同研究/韓国、「右傾化」に懸念/教科書日本は憲法記載を要求

 日本と韓国の有識者による日韓歴史共同研究委員会は23日、第2期研究の報告書を公表しました。(左下に研究のポイント)
 韓国側は、日本の教科書で第2次大戦時の従軍慰安婦に関する記述が減ったことなどを挙げ、日本の「右傾化」に強い懸念を表明。日本側は、韓国の教科書が記載していない憲法を取り上げるよう主張しました。
 韓国側は、1910年の日本による韓国併合から45年の日本敗戦までの植民地支配の時期について、「論調においては似たような傾向を示している」とした上で、分量と内容に差異があるとして「簡潔でドライ」だと論評しました。
 特に韓国側は、96年に日本の7種の中学校教科書が従軍慰安婦について明記していたのに、01年には明記が3種、05年には2種に減り、強制性を示す表現も相次いで削除されたことを指摘。これについて教科書検定以前の「自己検閲」や、「政治、社会的状況の保守化が根本的要因」と断じました。
 一方、日本側は、戦争放棄をうたった憲法について、「戦後の日本を理解するには絶対に必要な要素」として、韓国の教科書への明記を要求。95年の村山富市首相談話も十分に説明するよう求めました。
 「新しい歴史教科書をつくる会」が編さんを主導した教科書の検定合格について、韓国側は「最も右翼色が強い」「叙述が極端」と警戒心をあらわにしました。一方、日本側は「多くの国民の支持を得ていない」として、韓国側の過剰反応との認識を示しました。

日韓歴史共同研究
 2001年に就任した小泉純一郎首相(当時)の靖国神社参拝や「つくる会」の教科書の検定初合格を受け、小泉氏と金大中大統領(同)が同年10月に合意してスタート。第2期研究委(共同委員長=鳥海靖東大名誉教授、趙b高麗大教授)は07年6月に始まり、古代から現代までの通史研究に加え、教科書問題の専門部会を設け、約2500nの報告書にまとめました。
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2010年03月24日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」全裁判が終了/生あるうち名誉回復を/解決は政治の舞台へ

 1991年に3人の韓国人女性が日本政府を訴えたことで始まった日本軍「慰安婦」裁判。2日、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)が原告らの上告を棄却したことにより、計10件、すべての裁判が被害者側敗訴の確定で終了しました。問題の解決は司法から政治の舞台へ移りました。
 
 最後の裁判となったのは中国・海南島で戦時中、日本軍に性暴力を受けた女性らが訴えたものでした。原告は8人(うち2人死去)。日本政府に「軍が行った蛮行の事実を認め、謝罪をし、名誉を回復してくれることが一番の願いである」と訴えていました。

償われていない
 黄有良さん(82)は2008年1月、東京高裁の原告本人尋問で証言しました。41年、14歳のときでした。畑仕事中に10人ぐらいの日本兵が取り囲みました。抵抗すると、1人の日本兵が銃剣で刺そうとしました。上官は黄さんの家に連れ込み、盲目の母の目の前で暴行しました。
 黄さんは1年数カ月、慰安所に監禁されました。1日に数え切れないほどの日本兵が来ました。「人間でない、牛馬のような扱いを受けた」と訴えました。
 「60年前のことになるが、一日たりとも(被害を)忘れたことはない。夜も悪夢にうなされる」「当時の映像が脳裏に突然ふっと浮かぶ」―。黄さんは戦後も続く精神的苦痛を明らかにしました。
 09年3月の高裁判決は、戦後も継続している被害としてPTSD(心的外傷後ストレス障害)を上回る「『破局的体験後の持続的人格変化』に罹患(りかん)している」と認定しました。
 また「軍の力により威圧し、あるいは脅迫して自己の性欲を満足させるために、陵辱の限りを尽くした軍人らの加害行為は、極めて卑劣な行為であって厳しい非難を受けるべき」だと断罪しました。
 そのうえで「女性らが受けた被害は誠に深刻で、これが既に癒されたとか、償われたとかいうことはできない」と示しました。

国が責任感持て
 同裁判の弁護団などは今月9日、上告棄却を受け、共同で声明を発表しました。その中で被害者は「今なお苦しみの中で生きて」いるとして速やかな解決を要求。「日本政府は下級審で厳しく認定された加害の事実と深刻な被害の事実を真摯(しんし)に受け止め、被害者一人ひとりが納得するように謝罪をし、その謝罪の証しとして適切な措置をとるべきである」とのべています。
 5日には中国外務省の秦剛報道官が「慰安婦」事件は「人類の歴史上、まれに見る人道主義への犯罪で、被害者の体と心を大きく傷つけた」と指摘。「日本は責任感を持って、できるだけ早くこの問題を適切に処理すべきだ」とのべました。
 地裁、高裁判決の多くが軍や日本政府の関与と強制性を認定し、最高裁で歴史の事実として確定しました。
 被害者の生あるうちの解決が求められています。
 (本吉真希)
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2010年03月22日,「赤旗」) (Page/Top

日本軍「慰安婦」と教科書/富山で考える集い

 「教育と教科書に真実を―日本軍『慰安婦』問題と教科書を考えるつどい」が14日、富山市内で開かれました。富山、石川、福井3県の「子どもと教科書ネット21」の主催で90人余が参加しました。
 西野瑠美子全国ネット21代表委員は「日本軍『慰安婦』問題と教科書」と題して講演。教科書に「慰安婦」の記述を復活させ、「事実をきちんと教える教育現場」を実現するために、「目に見えるような形で市民が声をあげていこう」と訴えました。西野氏はまた、森雅志富山市長が昨年、「慰安婦」問題を扱った映画の後援を「証拠がない」と取り消したことなどを報告しました。
 俵義文全国ネット21事務局長は、教科書問題の現状と課題について講演。侵略戦争を美化する教科書が採択される一番の原因は教科書の採択制度にあると指摘。「現場の教員、保護者の意見を尊重する制度に早急に改善したい」とのべ、来年の教科書採択に向けての運動を呼びかけました。
 講師の仕事をしている元教員の女性は、「講演を聞いて目が覚めました。早く教育基本法を元に戻して、愛国心中心の新学習指導要領を廃止し、学校単位で教師が責任をもって教科書を選べるようになればいいと思った」と感想を話していました。
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2010年03月19日,「赤旗」) (Page/Top

日本の法的責任追及

 韓国外交通商省の金永善(キム・ヨンソン)スポークスマンは15日の記者会見で、日本軍「慰安婦」問題について、「韓国政府は今でも日本政府の法的な責任を追及している」と述べました。
 同氏は「サハリン残留韓国人の帰国や祖国訪問については1990年代後半から日本政府の支援があり、被爆者に関しては法的賠償ではないが40億円を支援したことがある」として、これらの問題は「大部分が解決したといえる」と評価しました。
 一方で「慰安婦」については、「アジア女性基金があったが、韓国政府が受け入れることはできなかった。引き続き日本政府の法的責任を追及しており、国際社会においても国連人権委員会(の勧告)などに従い、日本政府が誠意ある措置を取るよう求めている」と述べました。
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2010年03月16日,「赤旗」) (Page/Top

国際女性デー集い/平和、男女平等語る/島根/長崎/高知/熊本/宮崎


島根
 島根県母親大会連絡会は7日、松江市で「3・8国際女性デーの集い」を60人の参加で開きました。
 中国、韓国、ロシアなどの国際交流員や外国語指導助手4人と交流しました。
 女性の働き方・社会での地位や家事分担・保育・育児休業などが話題に。「労働条件が同じ、賃金格差がない、家事も男性がする」など男女平等が進む中国やロシア、ニュージーランドの話に参加者は熱心に聞き入りました。
 「文化の違いに驚きを感じた。もっと視野を広げたい」などの感想が寄せられました。

長崎
 長崎市内で8日開かれた集会には約40人が参加しました。前田保子実行委員長は「普天間基地の長崎移設は許せません。基地の無条件撤去を求めましょう」と呼びかけました。
 自治労連の園田郁江さんは、日本政府に対する国連女性差別撤廃委員会の勧告を紹介し、「勧告を学習し、女性の権利の獲得のために生かしたい」と発言。民商婦人部の代表は家族の労賃を認めない所得税法56条の撤廃を訴えました。

高知
 国際女性デー高知県中央集会が8日夜、高知市で開かれました。
 講演した平野恵美子新日本婦人の会国際部長は「女性と女児が貧困や不正から解放されるために、戦争反対・平和の課題を掲げてきた」と国際女性デーの歴史を語りました。
 日本共産党の春名なおあき参院高知選挙区候補が連帯のあいさつをしました。

熊本
 熊本集会は8日夜、熊本市の県民交流館パレアで開かれ、約100人が参加しました。
 日本共産党の元参議院議員吉川春子さんが「『慰安婦』問題と女性の人権」と題して講演。「慰安婦」問題が女性に対する最大の人権侵害であるとして国連をはじめ国際社会が日本政府に謝罪、補償、責任追及を求め、地方自治体でも「慰安婦」問題解決を求める決議が上がっていることを示し、草の根からの運動の重要性を訴えました。

宮崎
 宮崎集会が8日夜、宮崎市でひらかれ、飾られた黄色や紫などの花が華やかな春の雰囲気を添える会場に、仕事を終え駆けつけた人や夫とともに参加した人など約60人が集まりました。
 弁護士の成見暁子さんが「困難に立ち向かった女性たち」と題して、女性へのセクシュアル・ハラスメントや賃金差別などについて、実際の裁判例をあげて語りました。
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2010年03月10日,「赤旗」) (Page/Top

国際女性デー/男女平等、平和誓う/新潟/富山/石川


新潟/「慰安婦」被害者が証言
 国際女性デー新潟県集会が8日夜、新潟市で開かれ、106人が参加しました。日本軍の「慰安婦」被害者で韓国の李玉善(イ・オクソン、84歳)ハルモニ(おばあさん)が証言しました。
 坂井希美子実行委員長が「政府は『慰安婦』被害女性に正式謝罪しておらず、貧困と格差が広がっている中で被害者は女性。男女平等にほど遠い。話を聞いて考えてほしい」とあいさつしました。
 李さんは、15歳で2人の男に連れ去られ、強制労働をさせられたあと、中国にある日本軍慰安所で性暴力を受けました。抵抗すると殴られ、体中があざだらけになるほど殴られました。さらに刀で切りつけられました。
 李さんは「日本は謝罪も賠償もしないで、私たちが死ぬのを待っているのか。青春はもう取り戻せない。私たちの名誉や人権を返してほしい。日本は戦争のない国にして、平和的に生きてほしい」と訴えました。
 通訳した韓国のナヌムの家(日本軍「慰安婦」歴史館)研究員の村山一兵さん(29)は「日本は加害責任について考えてほしい」と述べました。

富山
 2010年国際女性デー富山県集会が8日夜、富山市内で開かれ、14団体から71人が参加しました。
 集会では、全労連女性部常任委員の小澤晴美さんが「『女性差別撤廃条約』って?日本政府に出された厳しい国連勧告」と題して記念講演しました。
 小澤さんは昨年、国連本部で行われた日本の実施状況の審査に参加しました。日本のNGO45団体が同条約を審査する女性差別撤廃委員会にリポートを提出し意見表明しました。同委員会は日本政府に対して48項目に及ぶ勧告を出し、特に女性の婚姻最低年齢の18歳への引き上げや選択的夫婦別姓などの民法改正と、雇用、政治・公的領域等での事実上の平等のための暫定的特別措置をとることの2点は2年以内に是正するよう求めたことも紹介しました。
 集会では富山民医労、富商連、新婦人県本部の代表が発言。富山民医労の新保京子さんは、県内でも過労による看護師の交通事故が起きていることなどを紹介し、医療、介護従事者を大幅に増やす必要性を訴えました。

石川
 2010年国際女性デー石川県集会が8日、金沢市で開催され、約120人が参加しました。
 主催者あいさつで、橋本恵子実行委員長は「雇用やくらし、平和を守る思いを確認し合い、差別のない世界に向けてみなさんで頑張りましょう」と呼びかけました。日本共産党の尾西洋子県議、木村よしのぶ県知事候補が来賓あいさつを行いました。
 西村依子弁護士が「変化を生かしもっと男女平等を、女性たちが輝くゆたかな社会を」をテーマに講演。
 バイオリン奏者の伊田多喜さん(金沢市出身)のミニコンサートも行われ、参加者は美しい音色に聞き入りました。
 最後に、集会参加者は雇用や社会保障の拡充など要求実現の運動を広げることを呼びかけた集会決議と、今度の県知事選でくらし・命を守る県政に転換することを県内の女性に呼びかけるアピールを採択しました。
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2010年03月10日,「赤旗」) (Page/Top

国際女性デー/各地で集会/千葉/群馬


千葉
 第51回国際女性デー千葉県集会が6日、千葉市の千葉県教育会館で開かれ、約100人が参加しました。日本共産党のさいとう和子参院千葉選挙区候補があいさつしました。
 集会では高橋高子弁護士が「女性の地位向上を」と題して講演しました。女性差別撤廃条約の特徴と内容、日本が批准するにあたり問題となった国内法や高校女子のみの家庭科必修など女性差別について話しました。
 発言では「子どもの医療費助成を前進させて」(新婦人県本部)、「知事の教育への介入は許さない」(全教女性部)、「千葉派遣村」(千葉土建主婦の会)、「所得税法56条廃止を」(千商連婦人部)、「『核兵器のない世界を』署名」(佐倉母連)、「母親大会成功を」(八千代母連)などのテーマで取り組みを報告しました。

群馬
 2010年国際女性デー群馬県集会が7日、前橋市で開かれ143人が参加しました。萩原利枝子実行委員長があいさつしました。
 高柳美知子・「人間と性」教育研究所所長が日本軍「慰安婦」問題について講演。早期解決を求める意見書を可決する自治体が増えていると紹介し「自分の住む自治体の議会を動かす運動を広げよう」と呼びかけました。
 発言では保育の現状や教育現場から見える子どもの貧困などが報告されました。
 群馬労組組合員の女性(25)は会社と交渉し未払い残業代200万円を支払わせたことなどを報告し「月300時間残業しても残業代は2万円の環境が当たり前だと思っていた。希望を持てる社会をつくりたい」と語りました。
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2010年03月09日,「赤旗」) (Page/Top

歴史観押しつけるな/森田知事を追及/三輪県議/千葉

 千葉県議会本会議の代表質問で1日、日本共産党の三輪由美県議は、森田健作知事が侵略戦争を賛美する特異な歴史観を県の教育に持ち込もうとしている問題を追及しました。
 知事は、戦後教育を「自虐史観」と攻撃する歴史教科書の採択を狙う「日本教育再生機構」代表委員。同機構代表委員を県教育委員に任命して、県教育振興基本計画の策定をめざしています。
 三輪氏は、知事が雑誌の対談で発言した「日本が嫌いになる歴史教育」「事実かどうか疑わしい歴史」とは具体的に何か、従軍慰安婦や南京大虐殺を事実と認めるか、などとただしました。
 知事は、答弁もれを重ねたうえ、「事実かどうかはいろいろな見解がある」「歴史の専門家ではない」などと明言を避けました。
 三輪氏は「自治体の長が自身の歴史観を押し付けることは、教育への介入であり、許されない。県がすべきことは貧困・格差や過度の競争教育の是正、教職員の手厚い配置や少人数学級の促進だ」と批判しました。傍聴者からは「まともに答えないのは無責任」「千葉を突破口に教育をゆがめようとするのは問題」との声が上がりました。
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2010年03月04日,「赤旗」) (Page/Top

世界平和考え、学ぼう/日本AALAが理事会

 日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会(日本AALA)は2月27、28の両日、神奈川県内で第1回全国理事会を開きました。
 今年はバンドン会議・日本AALA創立55周年記念という節目の年にあたるため、4月にバンドン10原則と世界平和を考える学習会を全国すべての組織で取り組むこと、また10月30日には東京でバンドン会議・日本AALA創立55周年を祝う記念講演会を成功させながら、会員を増やし、組織を強化させていく方針を決めました。
 「慰安婦」を含む戦後補償問題、5月の核不拡散条約(NPT)再検討会議にむけた核兵器廃絶を求める署名運動、普天間基地撤去のたたかいなど、1年間の運動を確認しました。
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2010年03月03日,「赤旗」)

 

2月)ヘッドライン

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*         日本共産党知りたい聞きたい/日本軍「慰安婦」に強制はなかったとは?

*         朝の風/母性を踏みつけた戦争

*         波動/「番組改変」を9年目に問う/戸崎賢二

*         「建国記念の日」に反対/石川/福井/静岡

*         願い切実この声聞いて/要求実現中央総行動/女性差別撤廃を要請/議定書批准へ全労連女性部

*         建国記念の日不承認/憲法いかそう/埼玉で集会

*         戦場の宮古島と「慰安所」12のことばが刻む「女たちへ」/日韓共同「日本軍慰安所」宮古島調査団著/評者吉川春子元日本共産党参院議員

 

*                            2月(本文)(Page/Top

日本共産党知りたい聞きたい/日本軍「慰安婦」に強制はなかったとは?

 〈問い〉日本軍「慰安婦」は「公娼」で強制はなかったという人がいます。日本共産党の見解を教えてください。(広島・一読者)
 
 〈答え〉金学順さんが1991年、日本軍「慰安婦」として強制的に連行されたと実名で名乗りを上げてから、日本政府の態度が国際的に注目されています。
 日本は1930年代から45年に中国侵略戦争をアジア・太平洋地域に広げ、各地に日本軍の慰安所をつくりました。多くの国から強制的にあるいはだまされて集められた少女が、軍人の性暴力にさらされました。
 「慰安婦」問題は、旧日本軍が直接、間接に関与するなかで引き起こされたことは、歴史ではすでに決着済みです。宮沢内閣当時の河野洋平官房長官談話(93年)は「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」だと認定しました。「慰安婦」裁判の確定判決も性奴隷としての事実認定をおこなっています。
 ところが日本政府は謝罪も補償もしていません。タカ派勢力は「慰安婦はいない」「強制はなかった」と叫んでいます。
 日本政府の姿勢には、国際社会からも大きな批判が相次いでいます。米議会下院は2007年、日本政府が強制したことを認め、謝罪するよう求める「慰安婦」決議を採択しました。その後もオランダ、カナダ、EU(欧州連合)、韓国、台湾で決議が採択されています。国際社会では、「強制はなかった」などというのは、まともな歴史認識とは見られていません。
 そもそも「公娼制度」が、人身売買と自由拘束を内容とする性奴隷制でした。まして日本軍「慰安婦」の場合は、外出も慰安所での使役を拒否する自由もありませんでした。故郷から遠く離れた土地で逃げ帰ることもできず、まったく軍専用の性奴隷だったといえます。
 日本軍「慰安婦」問題は、戦後65年を経ても、いまだ解決していません。女性の人権を侵害した重大問題であり、この歴史的事実を基本認識として、「政府としての謝罪と補償をおこなうことが急務」(日本共産党第25回大会決議)です。
 (部)
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2010年02月27日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/母性を踏みつけた戦争


『詩人会議』3月号の特集「母性」で二つのエッセーが心に残った。一つは掌編小説風の高見けい「安喰善作」。戦前・戦中の東北の貧しい農家の母子の物語である。夫を亡くし、5歳から19歳まで女手ひとつで育てた一人息子が兵隊に出て、戦病死する。息子の薬指と遺品が届いたのは母が亡くなった3カ月後だった。ありふれたストーリーだが、実録を読んだような痛みを覚える。戦地の息子を思う母、故郷で一人待つ母を思う息子の心が、方言を含めて非常にリアルに描かれているせいだろう。虚構ながら、丹念な現地調査の裏付けが感じられる。
 もう一つは梁澄子「体験を歴史にするハルモニたちと」。梁さんは韓国に「慰安婦」問題を展示し平和を祈願する「戦争と女性の人権博物館」を建設しようと奔走する日本委員会の代表。息子を戦争にとられた母も辛かったけれど、侵略された国の、母性を踏みつけられた女性の苦しみは筆舌に尽くせない。けれど、博物館着工式は殉国先烈遺族会に非難された。「殉国先烈に対する名誉毀損」で「日本人に物笑いの種を提供する」、「青少年に『日帝による受難のみ受けた民族』という歪曲された歴史認識を植え付ける」というのである。韓国にも右翼的な「自虐史観」批判があるのだ。
 (槐)
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2010年02月22日,「赤旗」) (Page/Top

波動/「番組改変」を9年目に問う/戸崎賢二

 最近刊行された一冊のブックレットが売れ続けている。『NHK番組改変事件・制作者9年目の証言』(放送を語る会編・かもがわ出版)である。
 刊行日は先月1月30日。9年前、日本軍「慰安婦」被害者が証言する「女性国際戦犯法廷」を取材した番組「問われる戦時性暴力」が放送された日だ。
 この番組に政治家の圧力がかかり、現場が準備した番組にNHK幹部が執拗な改変を加えた事件は、いまだに真相が検証されないまま現在に至っている。
 昨年9月、当時のプロデューサーとデスクだった永田浩三氏と長井暁氏が初めてそろって市民集会に出席し、制作経過を詳細に証言した。ブックレットはその集会の全記録であり、両氏の語る重大なエピソードが数多く含まれている。刊行日からわずかな期間に在庫が尽きそうになり、増刷の運びという。
 編者は「放送を語る会」となっているが、内容は「番組改変事件」の多くの関係者と市民団体による共同制作の成果と言えるものだ。
 問題の番組について、放送界の第三者機関BPOの放送倫理検証委員会が2009年4月に発表した「意見」は、NHK幹部が事前に政治家に番組の説明に行ったこと、政治家対応を担当する幹部が直接現場に改変を指示したことなどを公共放送への信頼を揺るがす行為と厳しく批判した。その上でBPOは、NHKの、とりわけ若い制作者たちに事件の検証を自ら行うことを求めている。
 この問題を振り返るとき、単に1本の番組をめぐる事件と狭くとらえるのは適切ではない。9年前のNHK外部からの圧力は、日本軍「慰安婦」の歴史的事実そのものを抹消しようという攻撃であった。
 ブックレットが示す「改変事件」の記録は、日本の過去の戦争と植民地支配の反省、という認識が、放送に従事する人々の知識と教養の核にあるかどうかを問うている。それが、9年も前の番組の証言集が今も関心を集め、売れ続けている真の理由である。
 (とざき・けんじ 元NHKディレクター)
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2010年02月21日,「赤旗」) (Page/Top

「建国記念の日」に反対/石川/福井/静岡


石川
 石川県金沢市で11日、「平和と民主主義を考えるつどい」が開催されました。石川憲法会議、子どもと教科書石川ネット21、いしかわ県民教育文化センターが主催(オブザーバー・県宗教者平和協議会)し、約35人が参加しました。
 日本宗教者平和協議会常任理事の大原光夫氏が「仏教から見える、社会と憲法」をテーマに講演しました。
 大原氏は戦争放棄や福祉の向上を規定した日本国憲法の理念と平和を願い、人々が安心して生活できることを願う仏教の教えに多くの一致点があることを強調。また、仏教だけではなく、その他の平和を願う宗教者との平和運動が広がっていることを紹介しました。
 その一方で、改憲勢力は「憲法は古くなった」「押し付けられたもの」という建前で改憲を狙っていると指摘。「国民が国の権力を縛り、国民の権利を国に守らせるために憲法があるということを多くの人に知らせ、改憲の企てを打ち破りましょう」と呼びかけました。
 最後に、大原氏は「みなさんには宗教者と平和や憲法について語り合っていただき、平和な世界をつくる仲間の輪を広げていきましょう」と述べました。

福井
 「建国記念の日」に反対する福井県集会が11日、福井市の県教育センターで開かれ、約80人が参加しました。県高等学校教職員組合などでつくる実行委員会の主催で、県アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会の北出芳久理事が「日本の戦争責任と東アジアの平和を考える」と題して講演を行いました。
 北出氏は、韓国併合100周年と同時期にNHKでテレビドラマ化された小説「坂の上の雲」が明治期を栄光と強調し、原作者の司馬遼太郎氏が当時の朝鮮の植民地化を宿命としていた歴史観に言及。同様の歴史観が今日も「靖国」派や「新しい歴史教科書をつくる会」などの言動に表れていることを指摘し、「こういう歴史観に立っていては、日本と韓国の友好関係は築けない」と強調しました。
 北出氏は、一昨年以降に韓国と中国に渡り、元慰安婦の女性や南京大虐殺記念館などを訪ねた体験を写真とともに紹介し、日中韓3国間の「加害と被害」の歴史認識の共有が大事だと強調。「加害と被害」を知る修学旅行を提案するとともに、ドイツとフランスの2国間教科書の実践を紹介しました。
 福井市の女性会社員(33)は「慰安婦問題の事実を知った。歴史の事実を実感をもってつかむため、事実を正確に知ることが大事だと思った」と話しました。

静岡
 第43回思想と信教の自由を守る静岡市民集会(静岡靖国問題連絡協議会主催)が11日、静岡市で開かれ、90人余が参加しました。
 集会は「建国記念の日に反対」の目的で毎年開かれています。
 主催者あいさつで中川弘会長は、北海道砂川市が私有地を神社に無償提供しているのは違憲だとした1月20日の最高裁判決をあげ、「静岡市でも、宗教的ともとれる建造物や工作物が65カ所85件該当するという。政教癒着を正すべきだ」と述べました。
 広島平和文化センター理事長のスティーヴン・リーパー氏が「核兵器と平和文化」と題して講演。「私たちは再び戦争の惨禍がおこらぬように考えなければいけない。5月のNPT(核不拡散条約)再検討会議は大事な会議。『核を廃絶しなさい』という声を大きく広げよう」と話しました。
 横浜事件の再審を実現しよう全国ネットワーク静岡代表の塚本春雄氏が連帯あいさつをしました。
 集会では、「政教分離の周知と徹底のため声をあげていく」などの決議をあげました。
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2010年02月14日,「赤旗」) (Page/Top

願い切実この声聞いて/要求実現中央総行動/女性差別撤廃を要請/議定書批准へ全労連女性部

 全労連女性部(柴田真佐子部長)は、女性差別撤廃条約選択議定書のすみやかな批准などを女性国会議員へ要請しました。
 要請したのは@女性差別撤廃条約選択議定書のすみやかな批准A選択的夫婦別姓制度など民法のすみやかな改正B日本軍「慰安婦」問題の早期解決C「国会法」等の改悪に反対する―です。
 各地の労組女性部からの参加者は、各議員控室を訪問。夫婦別姓問題と日本軍「慰安婦」問題で、国連女性差別撤廃委員会が日本政府に対し、女性差別解消の対策がとりわけ遅れている課題として早急な対策を求めていることを話し、国会での協力を訴えました。
 同女性部は同日、早朝に東京・銀座の有楽町マリオン前で宣伝し、労働者派遣法の改正や核兵器廃絶などを通行人に訴えました。女性差別撤廃条約完全実施のための法改正を厚労省に要請し、公正・正確な報道を求めてマスコミ各社と懇談しました。
 議員要請に先立ち日本共産党の井上哲士参院議員が、「みなさんの運動と私たちの論戦がむすびついてこそ、国会を動かすことができます」と激励しました。
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2010年02月13日,「赤旗」) (Page/Top

建国記念の日不承認/憲法いかそう/埼玉で集会

 埼玉県内の教育関係団体、労組、民主団体、日本共産党などでつくる実行委員会は11日、さいたま市浦和区の埼玉教育会館で「建国記念の日」不承認集会を開き、会場いっぱいの140人が参加しました。集会は「憲法改悪の策動を打ち破り憲法が輝き生きる社会をつくろう」とのアピールを採択しました。
 シンポジウムで2人の宗教者が発言しました。日本カトリック正義と平和協議会の太田英雄氏は、戦前にカトリック教団が日本の戦争に協力してきた歴史があるとのべ、憲法改定の動きがある中で憲法9条や信教の自由を定めた20条の大切さを広める運動の大切さを指摘しました。
 浄土真宗本願寺派の住職で念仏者九条の会東京支部代表の本多靜芳氏は、「日の丸・君が代」の強制に関連して、国なり人なりを愛するということは権力などによって強制されるものではないとのべ、さまざまな考え方を認めあうことが大切だと強調しました。
 基調報告した埼玉歴史教育者協議会の岩田彦太郎氏は、戦前に朝鮮半島の歴史的文化財が多数日本に持ち去られていたことを紹介。「従軍慰安婦」を否定し、「日の丸・君が代」に否定的な教師は辞めるべきだと発言する上田清司埼玉県知事について「隣国を自分より低く見るという意味で、朝鮮の文化財を略奪した当時の人たちと考え方に違いはない」と問題提起しました。
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2010年02月12日,「赤旗」) (Page/Top

戦場の宮古島と「慰安所」12のことばが刻む「女たちへ」/日韓共同「日本軍慰安所」宮古島調査団著/評者吉川春子元日本共産党参院議員


書かれない女性の歴史を書き残す
 第2次大戦中、沖縄に百三十数カ所の日本軍「慰安所」があり、そのうち宮古島には、小学校の使用まで含めて16カ所の「慰安所」に「160名以上の女性がいた」。大阪市ほどの面積なので島民は「慰安婦」を身近に見ている。25名の古老たちの証言でその日常もおぼろげに浮かび上がっている。
 本書は、韓国と日本のNGOが「日本軍『慰安婦』の祈念碑を建てる会」を結成し、寄付をつのって2008年夏、「女たちへ」、「アリランの碑」の二つを建立した記録である。
 「日本軍による性暴力を受けた/一人ひとりの女性の苦しみを記憶し、/全世界の戦時性暴力の被害者を悼み/二度と戦争のない平和な世界を祈ります。(発刊にあたって 建てる会・共同代表 尹貞玉)」。朝鮮半島からはるか見知らぬ土地に連行され過酷な生涯を辿った同胞たちへの痛恨の思いが刻まれている。
 宮古島には山もなく川もない。女性たちは雨水や湧水で洗濯や水浴びをした。碑の土地提供者の与那覇博敏さんは、女性たちがツガガーと呼ばれる井戸での洗濯の帰りに「坊や」と声をかけられ、唐がらしをあげた。あのきれいな姉さんたちはどうなったか、と今も心痛める。人口5万数千人の島に3万の日本兵。連日米軍の激しい攻撃を受け輸送船も入港できず飢餓の島となった。
 妻は慰安婦と親しくしていた。朝鮮人に対して親しみの気持があった。沖縄もいわば「琉球」と偏見の目で見られていたから≠ニ別の老人は語る。ソウルや長野県松代で「慰安婦」を記念する施設に対しては住民の猛烈な反対運動が起きたが宮古の「碑」の建設に反対運動は全く起きなかった。
 日本軍による宮古島戦争記録に「慰安所」の記述はない。本書は、書かれない女性の歴史を書きとどめるとする貴重な作業である。
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2010年02月07日,「赤旗」) (Page/Top

(1月)ヘッドライン

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*         歴史問題解決促そう/日朝協会東京都連がつどい/吉川元議員が講演

*         河村市長の市民犠牲許さない/民主主義破壊するなと800人/名古屋

*         「慰安婦」問題を検証/争点化20年/市民らが学習会

*         「慰安婦」の声聞け=^韓国に連帯/日本・独でデモ

*         「慰安婦」問題意見書を可決/東京・国立市議会

*         まど/「ペン」の力発揮する年に

*         ひと/日本軍「慰安婦」を題材にした音楽劇で、作曲を担当金井信さん(53)

*         インタビュー「韓国併合」100年/韓日100年平和市民ネットワーク・運営委員長李大洙さん

*         インタビュー「韓国併合」100年/成均館大学教授徐仲錫さん/東アジアの市民意識を

*         「韓国併合」100年/韓国では「国恥」

*         「韓国併合」100年/認識共有し歴史問題解決を/植民地時代を生きたバイオリン製作者陳昌鉉さん(80)

*         「韓国併合」100年/誰の目で世界を見るか/明治大学教授(日本近現代史)山田朗さん

*         「韓国併合」100年/武力背景に植民地化

*         「韓国併合」100年/「市民ネット」が写真展運動/政府の戦後補償を求めて集会

*         潮流

*         侵略「併合」100年/元「慰安婦」へ謝罪と補償を/ハルモニの愛に応え続け5年間/京都

*         侵略「併合」100年/日韓友好からアジア平和を/信頼深める歴史共有/その1、その2

 

*  1月(本文)

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歴史問題解決促そう/日朝協会東京都連がつどい/吉川元議員が講演

 日朝協会東京都連合会は30日、東京都内で新春「韓国朝鮮の歌と講演」のつどいを開きました。参加者約60人は韓国併合100年の今年、過去の歴史を知るだけではなく、東アジア共同体をどう築いていくのか、学習を通して確信にしようと決意を新たにしました。
 日本共産党の元参院議員で、「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」に民主、社民両党と共同で携わってきた吉川春子さんが、講演しました。吉川さんは2007年に採択された「慰安婦」に関する欧州議会決議が、日本国民に対しても過去の歴史にきちんと向き合うよう求めていることを指摘しました。
 その上で「私たちは何をなすべきか」と問題提起。現在15の地方議会で、「慰安婦」問題に対する政府の誠実な対応を求める決議が上がっていることに触れ「自分たちの住む自治体で決議を上げ、国会に解決を促す運動を起こそう」と呼びかけました。
 また同問題の解決は、日本女性の地位向上にもつながると力説しました。
 在日韓国人のシンガー・ソングライター、夫歌寛(プーカングァン)さんが、自身の体験や思いを込めて作った歌を披露。日本共産党のたぞえ民夫都議があいさつしました。
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2010年01月31日,「赤旗」) (Page/Top

河村市長の市民犠牲許さない/民主主義破壊するなと800人/名古屋

 河村たかし名古屋市長(元民主党衆院議員)の暴走を許さず、くらし・福祉と民主主義を守る市民集会が13日、名古屋市で開かれました。「革新市政の会」の呼びかけによる実行委員会主催で、会場あふれる800人以上が参加。「がんばるぞ」の声が相次ぎ、市民が主人公の市政実現への決意を固めました。
 
 矢崎正一共同代表があいさつし、「市長がすすめた市民税減税は、公約違反の大企業・大金持ち優遇だ。その財源確保のためにくらしや福祉を削り、議員定数削減の民主主義破壊もすすめようとしている。これを許さず、たたかいの炎を燃やそう」と訴えました。
 日本共産党の林信敏県自治体部長と愛知大学の小林武教授が、河村市長の「改革」の問題点を解明しました。
 林氏は「河村市長の立場は9条改憲と結びついた新自由主義『構造改革』。名古屋市はその実験場だ」と指摘。小林氏は「民主主義を用いながら独裁をはかる、河村『改革』の特徴をつかむことが大事です」と訴えました。
 元愛知県評議長の成瀬昇氏は、著名人13氏が発表した「民主政治を守るために、議員定数の半減に反対しましょう」のアピールを紹介し、賛同を呼びかけました。
 市立病院や保育園の廃止・民営化、福祉や教育の切り捨て、職員削減など、各団体・分野の11人が怒りの発言を続けました。
 市立城西病院の廃止に反対する太田義郎さんは「城西病院を廃止するなら減税はいらん≠フ怒りは強い。市民の安心・安全を守るべき市長が、やっていることは逆だ」と指摘しました。
 福祉保育労働組合の服部公一さんは「市長は、保育園の待機児童解消に市営住宅の空き室でボランティアにやってもらえばよい≠ニ、自治体の責任を放棄する発言をした」と批判。市職労の蛯原京子書記長は「市職員は10年間で6000人減らされ、さらに来年度は300人削減の予算案です。住民の人権を守るために共同してたたかいたい」。
 新日本婦人の会の佐々木ゆかりさんは「市長は旧日本軍『慰安婦』と南京大虐殺をデッチあげだ≠ニ言い、憲法9条も変えるべきと主張している。歴史の歪曲(わいきょく)は許せない」と発言。他に「学校運営費の削減で、プールの授業や工業高校の実習もできない」「市民と議会の対立をあおる手法は、国民が拒否した小泉『改革』と同じだ」など発言がありました。
 参加した人たちは「勇気がわいた」「名古屋の民主主義の危機だとよくわかった」「権力者の城≠ナなく、市民のための根城≠つくりたい」などの決意や感想を語りました。
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2010年01月16日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」問題を検証/争点化20年/市民らが学習会

 日本軍「慰安婦」問題20年の「検証」とこれからの課題を考える公開学習会が15日、東京都内で開かれ、約30人が参加しました。今年は「慰安婦」問題が社会的、国際的問題として争点化されて20年。女性の人権が踏みにじられたという問題の原点にたちかえり、中身の伴った立法解決を実現しようと学びあいました。主催は日韓の女性と歴史を考える会。
 講演した女性史研究家で同会代表の鈴木裕子さんは、1990年、当時韓国の尹貞玉・梨花女子大学校教授が「慰安婦」問題を女性の人権問題として提起したことや、翌年8月に金学順さんが韓国の被害者として初めて名乗り出たことが現在の運動につながっていると紹介。92年8月にソウルで開かれた第1回「従軍慰安婦」問題アジア連帯会議で「日韓の関係から始まった運動がアジアへと広がった」と語りました。
 国民から募金を集め、96年8月から支給が開始された「国民基金」(アジア女性基金)について、鈴木さんは「国家の犯罪と責任を認めず、天皇の戦争責任を隠ぺいする役割を果たした」と批判。「戦後賠償や戦後責任を履行させることは日本社会に真の『民主主義』を根づかせるためではないか」とのべ、立法解決へ向けた主権者の努力を訴えました。
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2010年01月16日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」の声聞け=^韓国に連帯/日本・独でデモ

 「日本政府よ!償いのできるときを逃すな!」と訴えて日本軍「慰安婦」問題の解決を求める「水曜デモ」が13日、国会前で行われました。主催は、戦時性暴力問題連絡協議会です。
 冷たい風が吹くなか、日本政府に対して一刻も早い被害者の人権回復と謝罪、賠償を求めて、次々とマイクを握りました。
 「慰安婦」問題をパフォーマンスで表現しているイトーターリさんは、昨年11月18日に、韓国の日本大使館前で行われた「水曜デモ」に参加しました。「ブラインドがしまった窓を開けて職員が出てこない限り、『慰安婦』問題は解決されない。日本政府は、『慰安婦』の声を聞いてください」と訴えました。
 柴田温子さん=東京都豊島区=は「被害者のハルモニたちは、人間回復を求めてきたが、日本政府は何もしてきていない。民主党は、野党時代に何度も『慰安婦』問題解決のために法案を提出してきた。今こそ、償いをするときだ」と強調しました。
 同デモは、1992年1月から毎週水曜日に韓国の日本大使館前で開かれる「水曜デモ」の900回目に連帯し行われました。同日、名古屋、大阪、京都、福岡各市とドイツでも同様のデモが行われました。
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2010年01月14日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」問題意見書を可決/東京・国立市議会

 東京都国立市議会は昨年12月18日の第4回定例会で日本軍「慰安婦」問題に対する国の誠実な対応を求める意見書を賛成多数で可決しました。
 意見書では政府が「慰安婦」問題の責任を認め謝罪することや被害者出席のもと国会で公聴会を開くこと、政府が被害者の名誉回復を図ることを求めています。賛成は日本共産党、民主党、公明党などで自民党などが反対しました。
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2010年01月09日,「赤旗」) (Page/Top

まど/「ペン」の力発揮する年に

 「要請書」と書かれた、少々ドキッとするお便りを頂きました。シベリア抑留に関する補償立法の記事を見た元抑留者からでした。「来る通常国会でこそ、ぜひ実現させてくださるよう要請します」と特措法案の早期成立を望みます。鹿児島県の松岡竹廣さん(86)。「『生きていてよかった』と感激している」と過分なお褒めの言葉に記事の重みを感じました。戦後、酷寒の旧ソ連で過酷な労働を強いられ、凍土に埋まった仲間、生還しても解決を前に亡くなる仲間がいます。
 ○…長年、立法運動に携わってきた東京都の野口富久三さん(85)。年賀状に「我々の運動も今年一年が最後の年になるかもしれません。『ペン』の力を発揮してください」。震える筆跡。被害者の高齢化を感じるとともに、解決を切望する元抑留者の叫びを聞く思いがしました。
 ○…記事への反響は記者にとって励みになると同時に、どれだけ運動を励ますことができるのか、不安もあります。18日に開会する通常国会。戦後補償関連の法案は常に政局にほんろうされ、いまだに解決をみていません。元抑留者が望む特措法案の早期成立には、世論の後押しが必要です。
 ○…シベリア抑留や空襲被害、日本軍「慰安婦」、強制連行など戦後補償問題は山積しています。戦後65年、政府は侵略戦争の犠牲者に謝罪も補償もしていません。いつまで被害者の尊厳を踏み続けていくのでしょうか。「今年こそ解決の年に!」。「ペン」の力を信じて頑張りたい。
 (本)
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2010年01月09日,「赤旗」) (Page/Top

ひと/日本軍「慰安婦」を題材にした音楽劇で、作曲を担当金井信さん(53)

 会話するように、指先から音があふれだします。愛用のピアノで、童謡「チューリップ」の伴奏を即興で作曲。悲しい音、弾む音など同じ旋律の表情を何通りにも変えて演奏します。
 「同じメロディーでも、変化を付ければ、主旋律を盛り上げることができます。これが僕の仕事です」
 伴奏者として活躍し、出演依頼は、クラシック、ジャズ、ポップス、演歌など多彩な分野にわたります。名脇役のつらさと充実感≠胸に秘めて舞台に立つ一面もあるといいます。
 「主役≠ェ安心して、翼を広げられるようにサポートするのが喜びです。こちらの緊張は絶対見せられないのがつらいかな」
 11日に東京・八王子いちょうホールで、声楽家の渡辺昌子さん、女優の有馬理恵さんと3人で音楽劇「砕かれた花たちへのレクイエム」を上演します。日本軍「慰安婦」の少女たちの悲しみを描いた詩に共感して作曲した、思い入れのある作品です。
 「歴史の過ちを否定し続けるのは恥。生で接する芸術は感情にも訴えます。新しい関係を築いていく若い人たちが、自分なりの目を養う手助けになれば…」
 1979年にうたごえ運動と出合い、社会の現実と密着した歌に衝撃を受け、伴奏譜さえなかった歌に独自の伴奏を付けました。
 夢は、「家族でピアノ・トリオ」。リコーダー奏者の妻と、バイオリンを始めた息子と音楽ざんまいの日々を送っています。
 文・写真 中村 尚代
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2010年01月08日,「赤旗」) (Page/Top

インタビュー「韓国併合」100年/韓日100年平和市民ネットワーク・運営委員長李大洙さん


互いを知ることが大切
 今年は、過去100年を振り返り、100年先の未来についてのビジョンをつくる、そういう重要な機会だ。
 韓日関係は大きく発展したが、今の両国政府は、お互いに難しい話を避けている。李明博政権も、「未来志向」を強調して、過去の歴史問題などについて、あまり話をしない。
 しかし、過去を忘れて、未来に進むことはできない。その点で、今の韓日関係は好ましいことばかりではない。日本が、韓国の人々の信頼を得ているかというと、必ずしもそうではない。それには、植民地支配を受けた期間と同じか、それ以上の時間がかかるだろう。しかし、現在の努力で過去の傷を癒やし、信頼関係を回復することはできるはずだ。

千数百年の交流
 朝鮮半島と日本の交流の歴史は千数百年に及ぶ。戦争と植民地の時代は、その歴史に比べれば、非常に短い。二度と再びあのようなことが起きないようにすることが、私たちの課題だ。
 軍事力を増強し軍事的緊張を高めることは望ましいことではない。韓日間の軍事的緊張も、南北間の緊張を理由にして日本が軍事力を増強するのも同じだ。中国も含めて、北東アジアにおける軍事的緊張は、地域の平和にとって、非常に大きな阻害要因になっている。
 平和や人権、民主主義を守る上で、双方の市民社会が交流を強めることが大事だ。歴史をわい曲する「新しい歴史教科書」の採択に際し、韓日両国の市民の力で採択をごくわずかにとどめるという大きな成果をあげたように、北東アジアにおける軍事的緊張にブレーキをかける運動が必要だ。

共同の「被害者」
 今、日本から韓国への「平和紀行」を企画しているが、平和の東アジアをつくるために、お互いに行き来し、互いを知ることが大切だ。
 日本人は、朝鮮を収奪した加害者だが、一方で共同の被害者でもあった。韓国では、朝鮮の植民地支配に反対し、一緒にたたかった日本人がいたことは、あまり知られていない。その中に共産党の人たちもいたが、私たちは、そういう歴史も学ばなければいけない。そういう人たちの後裔が、今も日本で市民運動や政党運動をしているが、一緒にできることはたくさんある。
 ともに隣人として学びあい、助け合うことは、ともに発展するために必要なことだ。互いの社会が、より公正でより民主的な社会になるように、互いに刺激を与えるよう努力したい。
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2010年01月07日,「赤旗」) (Page/Top

インタビュー「韓国併合」100年/成均館大学教授徐仲錫さん/東アジアの市民意識を

 今年は、日本が朝鮮半島を強制的に植民地化した「韓国併合」から100年を迎える年です。時の流れは両者の関係を大きく変えましたが、私たちの国が歩んできた過去は、いまだに日本と朝鮮半島を呪縛しつづけ、未来への歩みを阻む足かせとなっています。韓国の人々が何を感じ、何を求めているのか、識者、市民運動家に話を聞きました。
 (ソウル=中村圭吾)
 
 朝鮮半島の強制併合から100年という年をどれだけ意義深い年にできるか、ということが問われている。
 日本は1905年の日露戦争の勝利で軍国主義を強め、1910年に朝鮮半島を併合。中国大陸の侵略へと進む戦争の国になった。日本国民の相当数がそれに呼応した。

歴史認識の共有
 戦争と植民地支配を可能にした当時の社会全体の意識が問題だ。過去を見つめ直し、侵略や抑圧を否定するヒューマニズムの思想、正しい歴史認識を確立しなければならない。
 小泉政権時の靖国神社参拝など、この間の歴史問題で直接の火種を提供したのは、日本だが、日本の右傾化や「戦争できる国づくり」と共通する問題―国家主義の問題を、日中韓3国はそれぞれ抱えている。
 それは、韓国では感情的な反日主義として、中国では、愛国主義として現れている。この問題を冷静に考えなければならない。互いに歴史認識を共有し、意見を近づけ、「東アジアの市民」としての意識を構築する必要がある。
 そのためには、二つの前提条件がある。
 まず、健全な市民意識を持つ人々がどれだけいるかという点だ。3国は、それぞれ、経済発展を遂げ、アジアの経済大国になったが、過去に対する批判精神やヒューマニズムの形成は不十分だ。3国ともに、西洋に比して、「近代」をあまりに短く経験したためだが、市民意識の形成が弱い。
 第二は、自らを「東アジア人」として考える人が少ないという点だ。日本の場合、中国や韓国を無視し、西洋ばかりを見る「脱亜入欧」が形を変えて、現在まで残ってきたように思う。中国の場合も、自国を世界の中心と考える中華思想がある。韓国は、日本や中国に比べて小さく、過去に両国に支配された経験がある。そのため、東アジア全体についての共同体意識はまだ弱い。

国家間の対応を
 欧州では、欧州連合(EU)ができる数百年も前から、欧州人としての意識が形成された。東アジアでも、東アジアの市民意識を育てなければならない。
 東アジア全体の中で日中韓3国の関係を考え、各国が、どう接近していくかを考える時期に来たと思う。歴史や文化についての3国間での活発な交流、討論自体が、東アジアの市民意識を形成する役割を果たすだろう。
 これまで過去をめぐる問題は、基本的に市民団体が中心となって担ってきたが、国家レベルでの対応は、より大きな規模で変化を起こす決定打となる。日本政府が、そういう役割を果たすことを期待している。
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2010年01月06日,「赤旗」) (Page/Top

「韓国併合」100年/韓国では「国恥」

 韓国では、「併合」条約締結100年の2010年8月、市民団体が「植民地主義の終えんと平和の東アジアを目指す市民宣言大会」を準備しています。日韓で過去の歴史認識を共有し、共同で歴史問題の解決策を確認するのが目標です。
 中心となっているのは、4月に発足した「真実と未来 国恥100年事業共同推進委員会」です。
 日本軍「慰安婦」問題にとりくむ韓国挺身隊問題対策協議会、太平洋戦争被害者補償推進協議会や独立有功者遺族会といった被害者・遺族団体など65の市民団体が参加。歴史問題の解決を目指し、運動をしてきた団体が集まり、「併合」100年のキャンペーンを共同で行っています。
 「国恥」とは、1910年の「併合」条約で、朝鮮(大韓帝国)が独立を失ったことをさします。韓国では「併合」条約が結ばれた年を干支で表して、「庚戌国恥」とも呼びます。
 同委員会の朴漢龍(パク・ハニョン)運営委員長は、「日本の植民地支配によって引き起こされた問題が、平和の東アジアを目指す障害として残っている」と語ります。
 旧日本軍の「性奴隷」として国際的に非難されている「慰安婦」問題や炭鉱などでの過酷な労働の強制…。多くの裁判が起こされ、問題提起されたものの、その多くがいまだ解決していません。朴さんは「これらの問題を解決することは、東アジアの未来を準備する仕事だ」と語ります。
 ソウルで 中村圭吾記者
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2010年01月03日,「赤旗」) (Page/Top

「韓国併合」100年/認識共有し歴史問題解決を/植民地時代を生きたバイオリン製作者陳昌鉉さん(80)


村人の泣き声忘れない
 世界でも指折りのバイオリン製作者、陳昌鉉(チン・チャンヒョン)さん(80)は、日本の植民地時代の韓国で生まれました。波乱万丈の生涯が漫画やテレビドラマにもなった陳さんに、韓国での少年時代の体験を聞きました。
 
 私は韓国南部の農村で、自作農の家に生まれました。私が生まれた時、朝鮮はすでに日本の植民地でした。
 小学校に入ると日本語をみっちり教わりました。2年生以上は教室にも廊下にも「国語常用」という張り紙があり、朝鮮語を使うと日本人の先生に怒られました。けんかのときなどに、うっかり朝鮮語が出ると、授業中ずっと教室の後ろに立たされました。
 日中戦争がはじまると、朝鮮の人々を「皇国臣民」に変える「皇民化運動」が始まり、それがどんどん激しくなりました。
 「内鮮一体(日本と朝鮮は一つ)」が強調され、朝礼では必ず、東京の皇居の方角へ向かって拝む皇居遥拝を行いました。「私たちは大日本帝国の臣民であります。私たちは天皇陛下に忠義を尽くします」という「誓詞」を唱えさせられるのです。
 小学4年のときには、「創氏改名」といって姓名も日本風に変えられ、私も「吉岡秀治」に変わりました。おとなの中には最後まで嫌がった人もいたようですが、子どもの私は何の疑問も持たず、自分も日本人になったつもりでした。
 日米開戦後は日本で働かせる徴用が始まりましたが、希望者が少ないと人間狩りをして無理やり連れて行きました。
 周辺の村から人が集まる市の日を警察が襲って、若い男たちを捕まえるんです。そういう場面を何度も見ましたが、逃げ回る男を後ろから羽交い締めにしたりして怖かったです。
 夜になると、「うちの夫が帰ってこない」と若い奥さんたちが捜しに来て、みんなワンワン泣いていました。いまでもその泣き声は忘れません。
 私は日本にあこがれて1943年に福岡に渡りましたが、朝鮮人が就ける職業は便所のくみ取りか、船に石炭を積む人夫しかありませんでした。「内鮮一体」など全くうそっぱちだと思い知りました。
 いまでも日韓関係はぎくしゃくしがちですが、個人と個人のつきあいには国境はありません。
 小学生の私に最初にバイオリンを教えてくれたのは、うちに下宿した若い日本人の先生でした。その人はニューギニアで戦死しましたが、私は戦後、先生の実家を捜し出して訪ねました。先生の父親は「きみはうちの息子のようなものだ」と喜んでくれました。
 もう国家や会社が個人を縛る時代ではありません。私が体験したようなことは繰り返してほしくありません。歴史の教訓をいかしていけば、日韓関係はもっとよくなり、両国の新しい時代が始まると思います。
 
 1929年韓国生まれ。56年明治大学卒業。工事現場で働きながら独学でバイオリン製作を習得。76年米国のバイオリン製作国際コンクールで6部門中5部門の金メダル受賞。84年世界で5人だけとされる「無鑑査マスターメーカー」の称号を米国協会から贈られる。08年韓国から国民勲章を贈られた。自伝『海峡を渡るバイオリン』
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2010年01月03日,「赤旗」) (Page/Top

「韓国併合」100年/誰の目で世界を見るか/明治大学教授(日本近現代史)山田朗さん

 1910年の「韓国併合」は、その6年前に起きた日露戦争と一体の関係にあります。この戦争は「ロシアの脅威から日本を守るためだった」といわれます。しかし実態は、欧米列強に日本の朝鮮支配を認めさせるための戦争でした。
 日本は日露戦争後、朝鮮を「保護国」にして外交権を奪いました。やがて内政も支配し、列強の承認のもとで「併合」しました。
 他国の「脅威」をあおって戦争を開始して、朝鮮を植民地にする。さらに中国をはじめアジア諸国に戦争を広げ破局に至った愚かな歴史を繰り返してはなりません。
 「韓国併合」と同じ年、日本で数百人の社会主義者たちを大弾圧した大逆事件があったことも忘れてはなりません。国外への膨張と国内の弾圧は一体だったのです。
 歴史をふりかえるとき、誰の目で世界を見るのかが問われます。明治時代の日本の指導者は、世界の支配を争った欧米列強と同じ目で世界を見ていました。
 21世紀の現在、日本はアメリカの目で世界を見ています。アメリカが介入する中東などに自衛隊を派遣し、沖縄をはじめ日本国内に米軍基地を置かせています。軍事予算も膨大です。
 「韓国併合」100年を迎える今年、日本は歴史の真実を学び、過去と真摯(しんし)に向き合い、朝鮮半島をはじめ周辺の国々と真の友好関係を築いていかなければなりません。
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2010年01月03日,「赤旗」) (Page/Top

「韓国併合」100年/武力背景に植民地化

 100年前、日本は軍事力で朝鮮半島を支配下に置きました。韓国併合です。以後、朝鮮に対する植民地支配はアジア・太平洋戦争の終結まで続きます。日本の敗戦は、朝鮮にとって隷属からの解放でした。「朝鮮は日本近代史を映す鏡」といわれます。歴史から見えてくるのは―。
 北村隆志、隅田哲記者
 
 1910年、日本は武力を背景に朝鮮を「併合」しました。「併合」と命名した当時の外務省の役人がその意味を、「韓国が全然廃滅に帰して帝国領土の一部となるの意」(倉知鉄吉政務局長)とあからさまに書いています。明治政府は「併合」を「帝国百年の長計なり」と位置づけ、計画的に実行しました。
 1875年、朝鮮の江華島に軍艦を送り攻撃した事件をきっかけに、日本は朝鮮に不平等条約を押しつけました。
 日本と中国が朝鮮の支配をめぐり争った日清戦争(1894―95年)では、開戦直前に日本軍が朝鮮王宮を占領。国王を捕虜にしていいなりにしました。
 日露双方が領土拡大を争った日露戦争(1904―05年)で勝利した日本は、1次、2次の「日韓協約」を押しつけ、韓国の財政・外交を握り、07年には内政権を奪って朝鮮の軍隊を解散させます。これに反対する義兵の抵抗運動が朝鮮全土で巻き起こりますが、日本は武力で弾圧しました。
 こうして日本は「韓国併合」条約を韓国政府に受け入れさせ、朝鮮総督府を設置。軍隊と警察による強権を前面にした植民地支配体制がつくられていきました。
 今日、韓国の学校では併合を「国権被奪」と教えています。
 植民地支配は1945年、日本の敗戦まで続きました。
 戦後も日本政府は「韓国併合」を正当化し続けました。95年に政治的・道義的には誤りだとして謝罪しましたが、日本政府はいまも「併合は法的に有効」という立場です。

関連略年表
1868年 明治維新
 73年 徴兵令
 75年 江華島事件
 76年 日朝修好条規
 82年 軍人勅諭
 94年 日清戦争、甲午農民戦争
 95年 閔妃(ミンビ)殺害事件
1904年 日露戦争、第1次「日韓協約」
 05年 第2次「日韓協約」
 10年 韓国併合条約 韓国併合
    朝鮮総督府設置
 19年 3・1独立運動
 23年 関東大震災 朝鮮人虐殺事件
 40年 創氏改名
 45年 日本敗戦、朝鮮解放
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2010年01月03日,「赤旗」) (Page/Top

「韓国併合」100年/「市民ネット」が写真展運動/政府の戦後補償を求めて集会


「市民ネット」が写真展運動
 「韓国併合」の歴史を伝えようと、関連する写真を貸し出し、展示会の開催を呼びかける運動がすすめられています。とりくんでいるのは、08年に結成された「『韓国併合』100年市民ネットワーク」です。
 展示用の写真は約100枚。そのうちから3点(左の3枚)を紹介します。
 同ネットワーク運営委員の亀田博さんは「日本が韓国を併合した実態は十分に知られていません。写真は、日本と朝鮮半島の100年の歴史を伝えています」と話しています。
 現在、写真展は「ひと・まち交流館 京都」(1月17〜24日=19日休館)で予定されています。

政府の戦後補償を求めて集会
 10月に発足した「『併合』100年日本委員会」は、2010年5月15日(土)に集会「植民地支配の完全な清算と歴史認識の共有をめざして―政府による戦後補償の完全処理を強く要求する」を、東京都千代田区の在日本韓国YMCAで開きます。朝鮮人強制労働や「慰安婦」問題などについて各地から報告と討論を予定しています。
 事務局は日朝協会、同東京都連合会рO3(3237)1991。
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2010年01月03日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 沖縄の糸満市で、不思議な話をききました。「平和祈念公園へ行ったら日の落ちる前に出なさいね。まだ成仏できない死者がいるらしいから」▼住民が地上戦に巻き込まれた、この世のさまと思えない沖縄戦の体験と記憶が生んだ話なのか。平和祈念公園に、韓国人慰霊の塔が建っています。韓国から連れてこられて犠牲になった人も、1万を超えます▼碑文を読み、あの不思議な話がよみがえりました。「祖国に帰り得ざるこれらの冤魂は、波高きこの地の虚空にさまよいながら雨になって降り風となって吹くであろう」。ことし、日本の韓国併合から100年です▼広大な米軍基地に沿って北へ。普天間、嘉手納…。1960年6月19日、アイゼンハワー米大統領は嘉手納基地に降り立ちました。新安保条約が成立する日に日本を訪れるはずが、激しい抗議にあって着陸できず、占領下の沖縄に寄りました▼しかし、大統領の車が那覇に近づくと、沿道の歓迎色が消えます。「沖縄を返せ」「アイク帰れ」。1万余のデモ行進が待ち構えていました。彼は、早々に滞在を切り上げ、裏道から逃げ帰ります▼「60年安保」から50年。本土に復帰した沖縄は今、安保の島です。辺野古を訪れました。静かな波打ち際。タカラガイの殻が陽光にきらめく。新しい米軍基地をつくらせまいと座り込む人たちがいいます。「アメリカの若者が、この島から人を殺しに行く。それに耐えられないんです」。沖縄の平和の心を日本の心にしたい、新年の始まりです。
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2010年01月01日,「赤旗」) (Page/Top

侵略「併合」100年/元「慰安婦」へ謝罪と補償を/ハルモニの愛に応え続け5年間/京都

 約800`離れたソウルと京都。昨年12月2日、昼間はソウルで、夜は京都で、日本軍「慰安婦」問題の早期解決を求める行動が行われました。
 ソウルの日本大使館前で行われた抗議行動では被害女性や支援者が勢いよくシュプレヒコール。これは1992年から、毎週水曜日に行ってきた「水曜デモ」です。雨の日も、雪の日も、正月も、欠かさず続けて17年。この日で894回を数えました。
 同じ日の夕方6時、京都市の河原町三条の商店街には、10人以上が駆けつけました。交代でマイクを握り、「被害の事実を知ってください」「一緒に解決していきましょう」との訴えが響きます。
 集まったのは「旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都実行委員会」のメンバーです。「水曜デモ」に呼応し、毎月第1水曜日、日本政府による元「慰安婦」への公式な謝罪と補償を求めて「水曜行動」をしてきました。
 月に1度なら私たちも続けられるかも―。そんな思いで始まったこの行動は、今年4月で丸5年を迎えます。
 2004年の冬、被害にあった韓国とフィリピンの女性を招いた証言集会が、全国各地で開かれました。京都では、韓国人被害女性の李容洙ハルモニ(おばあさん)から話を聞きました。
 証言のあと行われた交流会のときでした。
 参加していた村上麻衣さん(30)が、「私も何かしたい」と感想を語ると、容洙ハルモニがいいました。
 「どうせすぐに忘れてしまうのでしょう」
 村上さんは、この言葉に衝撃を受けます。「国を相手にして、謝罪させるのは難しいと思っていた自分の心を見透かされていました」と振り返ります。
 何かしたい、継続して自分にできることはないか―。村上さんの思いは、参加者の共通の思いでした。
 そうして始まったのが「水曜行動」です。
 「ハルモニたちのように毎週は無理だけど、月に1回ならできるかもしれない。とにかく何かしたい、続けていきたいという思いでいっぱいでした」
 当初、村上さんは被害女性に会うのが怖いと感じたといいます。
 「被害にあった女性が何度も証言をしているのに、日本はなにも変わらない。申し訳ないという気持ちや、自分が日本人として、どう思われるかという気持ちがありました」
 しかし、水曜行動や証言集会を重ねていくうちに、このもやもやも晴れました。「実際に会うおばあさんたちは、明るく、私たちに愛情をいっぱい注いでくれて、勇気や希望をたくさんもらいました。(行動を)続けていくことで、恩返しになるのではないかと思うのです」
 昨年は、韓国の被害女性、姜日出ハルモニを迎え、証言集会を開きました。
 「被害女性が高齢になり、直接声を聞くことが難しくなるでしょう。一日も早い解決が必要です」。こう語るのは浅井桐子さん(53)。1回目の行動から参加しています。
 「始めたときは被害女性も少なくなってきていて、『今やらなくては』という気持ちでした。続けてこられたのは、そうしたおばあさんたちの人生や生き方に直接、触れたから」といいます。
 被害女性の生き方そのものに、メッセージがあると感じています。
 「93歳の台湾の被害女性は、自分でやると決めたら、それを貫く人でした。どの被害女性も、私たちに託しているものがあると思うのです」。それは二度と同じ被害を繰り返さないでほしい、私たちの気持ちを伝えていってほしいという願いだと浅井さん。
 2010年、初の宣伝行動は1月6日。もちろんソウルでも行われます。
 (栗原千鶴)
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2010年01月01日,「赤旗」) (Page/Top

侵略「併合」100年/日韓友好からアジア平和を/信頼深める歴史共有/その1

 2010年8月、日本が朝鮮半島を強制的に植民地とした韓国併合条約の締結から100年を迎えます。かつて、朝鮮半島から中国大陸、東アジア全域へと侵略の歩を進めた日本。1910年の韓国併合条約は、その重要な踏み石となりました。「大東亜共栄圏」元年ともいうべき韓国併合から100年の今年を「東アジア平和」元年にしようという動きが始まっています。
 (ソウル=中村圭吾)

その時事件が起きた
 韓流スターのポスターが並び、日本人観光客でにぎわうソウル市の繁華街、明洞。そこから徒歩で15分ほどの距離にその場所はあります。1910年8月22日、寺内正毅統監と大韓帝国の李完用首相が併合条約の調印を交わした統監官邸の跡地です。条約は、日本軍が事実上占領する中、結ばれました。
 統監は、日本が設置した監督機構のトップです。日本が、朝鮮(大韓帝国)を保護国にした韓国保護条約(第2次日韓協約、1905年)の締結後に置かれました。後の朝鮮総督の前身にあたります。
 統監が住む官邸の一室で、その後、35年にわたり朝鮮半島の人々に痛苦をもたらす条約が調印されました。
 そこは今、小さな公園になっています。奥の階段は、ソウル市街を見下ろす山・南山を巡る散策路につながっており、ランニングを楽しむ人や周囲の建物で働く人が時折、通り過ぎていくばかり。歴史的事件があったことを示すものは何一つありません。
 官邸前に建てられていた林権助の銅像に用いられた石板と、樹齢400年を超すイチョウの木が、わずかに当時の痕跡を示しています。林は併合の功績≠ナ男爵に叙せられた人物です。
 日本の植民地統治機関だった朝鮮総督府が、朝鮮王朝の王宮の中に置かれていたことは広く知られています。しかし、朝鮮半島を日本の植民地と化したその現場は、長らく忘れられた存在でした。
 2005年に、この公園が統監官邸跡だということを確認した文化財専門家の李舜雨さん(47)はこう言います。「それまでは、誰も関心を持たなかった場所だった。こういう歴史的事件の現場だということを、将来に伝えたい」

共同で調印の場復元
 作家の徐海誠さん(48)らは、09年8月に市民団体「歴史を開く人々」を結成。統監官邸を復元する運動を始めました。「日本の植民地支配が何をもたらしたのか。その出発点を記録したい」との思いからです。
 古くから朝鮮の人々にとって聖地だった南山。1880年代末、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)から300年後に戻ってきた日本人は、その場所を「植民地支配の聖地」に作り変えました。
 総督府をはじめとする統治機構のほか、朝鮮神社など三つの神社を建立。南側には、日本軍部隊の駐屯地が作られました。
 李朝時代の街並みを再現した観光スポット「韓屋マウル」も、日本の憲兵隊司令部が置かれていた場所です。首都ににらみを利かせ、1919年の三・一独立運動の際には、鎮圧の最前線に立ちました。
 「政治、宗教、軍事、住居…日本人にとって、生活に必要なすべてがここにあった。そのような場所を、歴史を振り返る場所にしたい」と徐さんは語ります。
 日本の植民地時代に作られた施設の多くは、植民地解放後の混乱期に失われ、また、植民地支配を想起させるといった理由で取り壊されたため、あまり残っていません。日本の市民団体や当時、建設にかかわった建築家らの協力を得て、建物を復元するというのが徐さんらの計画です。
 「なぜ、植民地時代の遺産の復元なのか」。多くの人に聞かれる質問に、徐さんはこう答えます。「韓国では、植民地解放後も親日派(日本の支配に積極的に加担した人々)がそのまま権力を握り、植民地時代を清算する過程がなかった。過去100年でもっとも重要な場所ですら忘れられてしまった。それをきちんと、記憶しようということです」

年間500万人往来
 日本と韓国を往来する人の数は、今や年間約500万人。さまざまな分野で、年ごとに交流のすそ野が広がっています。写真(韓国紙「ハンギョレ」提供)は、韓国で行われた幼稚園の日韓合同授業。日韓が本当の友人になる未来をつくる出会いが、一つひとつ生まれています。

植民地支配の歴史
1876年 日朝修好条規(日本の強要による不平等条約)
1884年 甲申政変(日本の支援によるクーデター未遂)
1894年 東学農民戦争(甲午農民戦争)
 同年 日清戦争(〜95年)
1895年 日本公使の指示で明成皇后(閔妃)殺害
1897年 李朝が大韓帝国を宣布
1904年 日露戦争(〜05年)
 同年 第1次日韓協約(財政、外交に日本人顧問)
1905年 桂・タフト密約(米が日本の朝鮮支配を容認)
 同年 第2次日韓協約(外交権を日本に譲渡)
1907年 第3次日韓協約(大韓帝国軍解散)
1909年 安重根が伊藤博文殺害
1910年 韓国併合条約
1919年 三・一独立運動
1938年 朝鮮語教育の全面廃止
1940年 創氏改名を強制
1941年 太平洋戦争開戦
1945年 植民地支配から解放(日本の敗戦)

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侵略「併合」100年/日韓友好からアジア平和を/信頼深める歴史共有/その2


両国は東アジア市民
 過去にどのように向き合うのかは、現在の日韓関係にもつながっています。市民団体「韓日100年平和市民ネットワーク」で運営委員長を務める李大洙さん(54)は、こう語ります。
 「韓流ブームが起きて、韓国を好意的に感じる日本人が増えたことはありがたいが、どれだけ交流が発展しても、歴史問題に足をひっぱられてきた。過去は消せないが、現在の努力で信頼を回復することはできるはずだ」
 植民地支配を経験し、今も生きている世代や、その記憶を受け継いだ若者たちに対して、日本が信頼感を与えることが大事だと李さんは言います。「100年という節目の年に、過去を振り返り、未来のビジョンをつくる、そういう時ではないか」
 併合100年を迎える今年8月、日韓の市民が参加する「植民地主義の終えんと平和の東アジアを目指す市民大会」を開催しようという計画があります。
 準備を進めているのは、「真実と未来 国恥100年事業共同推進委員会」。韓国で、植民地支配による被害の真相究明、被害者への補償などの運動をしてきた市民団体65団体と与野党議員が昨年4月に結成しました。
 歴史問題の解決に向け、日韓の市民団体が、歴史認識を共有し、共同の解決策をつくることが目的です。
 朴漢龍運営委員長は「これまで、個別の案件ごとに被害者を中心とした運動が行われてきたが、その成果を踏まえ、総括的に解決すべき問題があると考えたからだ」と説明します。
 約70万人が過酷な労働を課せられた強制連行や日本兵・軍属としての戦場への動員。国際的に「性奴隷」と呼ばれる「従軍慰安婦」。BC級戦犯の靖国合祀問題。それをもたらしたのは、日本の植民地統治でした。
 しかし、日本政府は現在も、併合は合法だったとする考えを変えておらず、植民地支配の責任を果たすよう求める韓国側の求めをかたくなに拒絶しています。
 「植民地化したことそのものが犯罪行為だったという認識がまず必要だ。被害者に対する支援を超えた意識と展望を持ってほしい」と朴さんは話します。
 成均館大学の徐仲錫教授(61)は、日露戦争から朝鮮半島の併合、中国侵略という過去を振り返ることが、日本社会に「東アジアの市民」としての意識を形成するために通過すべき関門だと指摘します。
 「東アジアのレベルで韓国や中国との関係を考える必要がある。歴史問題に対して日本が適切に対処することは、周辺国の人々の意識に積極的に作用する。ドイツがEU(欧州連合)形成に大きな役割を果たしたように、東アジアは大きく変わることになるだろう。併合100年を振り返ることは、東アジアの未来に直結した問題なのです」

戦後の日韓関係と歴史問題
1965年 日韓基本条約締結
1982年 教科書問題(侵略を「進出」と記述)
1991年 元「慰安婦」が初めて公開証言(金学順さん)
1993年 「慰安婦」への日本軍関与を認める河野官房長官談話
1995年 村山首相が戦後50周年の談話発表
1998年 「21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ」発表
 同年 韓国で日本大衆文化の開放措置始まる
2001年 「新しい歴史教科書をつくる会」主導の教科書が検定合格
2002年 日韓歴史共同研究委員会が発足(第1期)
 同年 日韓共催でサッカー・ワールドカップ大会
 同年 日朝平壌宣言
2005年 日韓歴史共同研究報告書を発表
2007年 日韓歴史共同研究委員会が発足(第2期)
(
2010年01月01日,「赤旗」)

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