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2011

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12月)ヘッドライン

*         「慰安婦」問題解決へ/首相に要請書/「大阪の会」・政府は誠意見せて/大阪AALA・一日も早く謝罪を

*         おはようニュース問答/朝鮮王朝の儀軌が返還されたよ

*         朝の風/「尊厳に関わる」のはどちらか

*         主張/日本軍「慰安婦」問題/解決は世界への日本の責任

*         「綱領教室」志位委員長の第9回講義/第4章民主主義革命と民主連合政府(1)

*         日韓首脳会談要旨

*         解説/「慰安婦」問題/「決着済み」に根拠なし

*         韓国大統領「慰安婦」解決迫る/首相「決着済み」強調

*         週間日誌/11年12月11日〜17日

*         日本は「慰安婦」問題解決を/「両国の未来への助けに」/韓国大統領

*         知ってますか「慰安婦」問題/京都で宣伝

*         おはようニュース問答/「慰安婦」被害者のデモが1000回だって

*         「首脳会談で抗議を」

*         「慰安婦」問題協議へ/首脳会談で韓国側見通し

*         「慰安婦」問題謝罪を/「韓国水曜デモ」連帯アピール/広島/福岡

*         「慰安婦」被害告発に連帯/早期解決へ全国で行動/協議求め学習集会・仙台/昼デモで150人唱和・札幌

*         「慰安婦」被害告発に連帯/外務省包囲1300人/東京

*         潮流

*         「慰安婦」被害者不屈のデモ1000回/ソウル

*         日本軍「慰安婦」問題解決へ/「愛知の会」結成・宣伝

*         女性差別撤廃へ共同を/国際婦人年連絡会

*         メディアをよむ/仲築間卓蔵/「坂の上の雲」を考える

*         アジア・太平洋戦争70年/夫・息子二度と戦争に送らない/富山/福井/岐阜/石川

*         韓国の「慰安婦」被害者連帯/14日に外務省包囲行動

*         アジア・太平洋戦争70年/91歳と向き合った18歳/怖い。でも真実知りたい

 

12月(本文)(Page/Top

「慰安婦」問題解決へ/首相に要請書/「大阪の会」・政府は誠意見せて/大阪AALA・一日も早く謝罪を

 日本軍「慰安婦」問題の早期解決をめざす大阪の会と大阪府アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会(大阪AALA)はそれぞれ20日、野田佳彦首相あてに、旧日本軍「慰安婦」問題の誠意ある対応を求める要請書を送りました。

「大阪の会」/政府は誠意見せて
 ソウルの日本大使館前に元「慰安婦」を象徴する少女像が設置されたことをめぐり、野田首相は元「慰安婦」問題は、「法的立場は決まっている。決着済みだ」とし、少女像を「早期に撤去してほしい」と述べています。
 「大阪の会」の要請書は、この野田首相の発言に抗議。「慰安婦」問題は、「政府の関与と強制連行の事実を認めておわびと反省」の河野官房長官談話を発表し(1993年)、その後の首相もこの談話を踏襲する発言をしてきたと指摘。野田首相の言動では「アジアの国々と対等につきあうことはできない」と批判し、「アジアの国々と対等につきあっていく気持ちがあるなら、元『慰安婦』問題を真摯(しんし)な態度で誠意をもって早期に解決する」よう求めています。

大阪AALA/一日も早く謝罪を
 大阪AALAの要請書は、元「慰安婦」を象徴する少女像が設置されたことをめぐり、野田首相が「決着済み」「早期に撤去を」と発言したことに抗議。「アジアを中心に10万とも20万ともいわれる婦女子を性奴隷としたナチの蛮行にも匹敵する戦争犯罪は歴史的事実」と指摘し、「この反省なしにアジアの国々と対等につきあうことはできない。戦争犯罪を起こした日本がいえる言葉ではない」と強調しています。
 「被害者は高齢で亡くなる人が増えている」とし、「一日も早く謝罪と補償を実現することが必要です。戦争犯罪を認め、真摯(しんし)な態度で誠意をもって早期に解決すべき」だとしています。
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2011年12月28日,「赤旗」) (Page/Top

おはようニュース問答/朝鮮王朝の儀軌が返還されたよ

 のぼる 李氏朝鮮の王朝を描いた韓国ドラマを見たよ。朝鮮王朝は文化の興隆にも力を入れていたんだね。
 ふゆみ そうよ。最近、日本からの帰還を記念する式典が韓国で行われた儀軌(ぎき)は、朝鮮王朝の国家行事を文章と絵で記録した大切な文化財よ。
 のぼる 帰還? 何で日本にそんな大事なものがあるの。

植民地支配下で
 ふゆみ 日本が、朝鮮を侵略し不当に植民地化していた1922年に、朝鮮総督府が持ち込んだの。儀軌を含め朝鮮半島から持ち込まれた古文書は1200冊以上になる。それを日本の宮内庁が保管していたの。
 のぼる 韓国の人たちは帰還を喜んだでしょうね。
 ふゆみ もちろん。儀軌は6日に韓国側に引き渡され、13日ソウルで、16日には儀軌を守護してきた月精寺のある東北部・江原道で記念式典が行われた。来賓として韓国の国会議員のほかに、日本の国会議員では日本共産党の笠井亮衆院議員が出席したの。

共産党が質問し
 のぼる なぜ、日本共産党の笠井さんが政府から招かれたの。
 ふゆみ 2006年に韓国の国会が、ユネスコ条約の精神に基づいて儀軌の返還を求める決議を採択したの。その後、日本共産党が国会で、この問題について質問、返還を求める韓国の民間団体とも交流を深め、返還の実現に尽力してきたからね。
 のぼる ユネスコ条約の精神てなに。
 ふゆみ 「文化財は原産国にもどす」という考えで、1970年に採択した条約には「輸入された盗取された文化財の回復及び返還について適当な手段をとる」とある。あわせて植民地支配に対する批判と反省から、植民地時代のさまざまな暴力とその責任が、1990年以降国際的に問われてきたのよ。
 のぼる 日本による植民地時代に持ち出された儀軌についても、返還が求められたわけだ。
 ふゆみ そうね。儀軌の帰還は、日本の植民地支配の清算の一つだし、世界の流れに沿うものなの。日本は、旧日本軍の「慰安婦」問題などに現れた植民地時代の罪に責任を果たす対応が必要ね。
 〔2011・12・28(水)〕
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2011年12月28日,「赤旗」) (Page/Top

朝の風/「尊厳に関わる」のはどちらか

 今月14日、「日本軍慰安婦」への誠実な対応を求めて1992年以来おこなわれてきたソウルの日本大使館前の水曜デモが、1000回を迎えた。これに連帯して日本でも外務省を取り囲む「人間の鎖」に1300人が参加、台湾やフィリピン、アメリカなどでも支持集会が開かれた。
 この日、ソウルでは日本大使館の向かい側に、被害女性の少女時代をイメージしたブロンズ像「平和の碑」が建立された。あどけないまなざしの少女像に心を打たれた人も多かったと思う。碑文はハングル、英語、日本語で、水曜デモ1000回にあたり「その崇高な精神と歴史を引き継ぐ」と刻まれているそうである。
 これにたいし、日本の加藤駐韓大使は「外交公館の尊厳に関わる」と抗議したという。野田首相も18日の李明博韓国大統領との会談で、「慰安婦問題は決着済み」として少女像の撤去を求めた。李大統領が「日本政府が誠実な態度を示さない限り第二、第三の像が立つだろう」と応じたのも無理からぬ話である。
 日本政府が自国の「尊厳」をいうなら、苦難を強いられた被害女性の「尊厳」はどうなるのか。日本政府は、彼女たちへの謝罪と人権回復の実行こそ自国の「尊厳」のあかしになることを、肝に銘じるべきである。
 (佐)
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2011年12月27日,「赤旗」) (Page/Top

主張/日本軍「慰安婦」問題/解決は世界への日本の責任

 先日(18日)京都で行われた日韓首脳会談で韓国の李明博大統領が旧日本軍の「慰安婦」問題(日本軍「性奴隷」問題)をとりあげ、野田佳彦首相に解決を求めました。李大統領になって初めて「慰安婦」問題が首脳会談の議題になり、きびしい調子で日本政府の公的な解決を求めたことに、注目が集まっています。
 「慰安婦」問題は日本の侵略戦争の責任にかかわる重大問題であり、日本自身による解決が求められるものです。政府による公的な謝罪と賠償は、国際社会への日本の責任です。

通用しない「解決済み」論
 旧日本軍の「慰安婦」問題は、当時の天皇制政府と日本軍が朝鮮半島などから多数の女性を動員し、「性奴隷」として「売春」を強制した、言語道断の戦争犯罪です。政府機関や植民地経営にあたった総督府、軍自身が組織的に女性を集め、「慰安所」の設置や管理にも関わるなど、国家機関と軍の関与は明らかです。日本が中国大陸からアジアに侵略を拡大するとともに各地に「慰安所」がつくられ、「慰安婦」とされた女性は8万人とも10万人ともいわれます。
 日本政府は1993年になってようやく「慰安婦」問題について国の関与を認め、謝罪しました(河野洋平官房長官談話)。日本が侵略戦争と植民地支配の誤りを反省するなら、「慰安婦」問題についても謝罪し、賠償するのは当然です。しかし村山富市内閣は、「基金」による「償い金」というあいまいなやり方で政府の責任を回避したため、日本は世界からの批判の声で包囲され、孤立してきたのがこれまでの経過です。
 ここ数年だけでも、日本に「慰安婦」問題の解決を求めた決議や報告は、アメリカ、オランダ、カナダの各下院や欧州議会、国連機関など多数にのぼります。こうした国際社会の声にこたえるためにも、日本政府は「慰安婦」問題の解決を急ぐべきです。
 とりわけ直接大きな被害をこうむった朝鮮半島の韓国、北朝鮮などの訴えは切実です。韓国では元「慰安婦」の人たちのほとんどが「償い金」受け取りを拒否し、日本政府の公的な謝罪と賠償を求め、裁判にも訴えています。
 日本政府は65年の日韓基本条約で、請求権の問題は「解決済み」といっていますが、これは通用しません。そもそも条約交渉当時、「慰安婦」問題は俎上にのぼっていません。交渉の日本側責任者であった椎名悦三郎外相も、条約の成立後「両国の解釈が重大な点において違うというような場合」は「両国の当局者が協議をすることも起こりうる」(65年8月5日、衆院外務委員会)とのべています。「解決済み」だとして韓国側の要求を拒否するのは成り立ちません。

戦争責任果たしてこそ
 韓国では今年8月、憲法裁判所が「慰安婦」問題で日本と交渉しないのは憲法違反だと判決し、日本との交渉を急ぐよう督促しました。元「慰安婦」と名乗り出た人たちは高齢で亡くなる人も相次いでいます。解決を遅らせること自体、重大な人道問題です。
 李大統領は首脳会談で、「この問題が解決されればさまざまな問題にも資する」と発言しました。日本が過去の清算に積極的に取り組むことは、世界の国々との信頼と友好発展に不可欠です。
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2011年12月26日,「赤旗」) (Page/Top

「綱領教室」志位委員長の第9回講義/第4章民主主義革命と民主連合政府(1)

先駆的な民主主義革命論/日米安保条約を廃棄し真の友好築く/マルクスとリンカーン意外な接点
 「今月の『古典教室』で学んだ革命論、4中総で強調した民主連合政府樹立という目標、『綱領教室』では民主主義革命論と、革命″という問題で合流≠キる形で学ぶことになりました」。志位和夫委員長は、20日に党本部で開かれた第9回「綱領教室」の最初にこうのべて、綱領第4章「民主主義革命と民主連合政府」の講義を開始しました。
 ○○○
 志位さんは、本題に入る前に、北朝鮮の金正日総書記の死去にかかわって、2002年の日朝平壌宣言、05年の6カ国協議の共同声明に立ち返り、「国際社会の責任ある一員としての道をすすむことを願う」という党の立場について表明しました。(詳報は21日付1面)
 志位さんは、「異常な対米従属と大企業・財界の横暴な支配の打破」をはかる「民主主義革命」論について、「綱領路線の一番の核心をなす部分」とのべるとともに、「民主主義革命」の路線そのものについて、その意義を三つの角度から語りました。
 第一は、この路線が、世界の運動の「常識」を覆すものだったということです。「世界でも日本共産党だけだったといっていい、先駆的なものでした」と志位さん。
 日本共産党が綱領で民主主義革命の路線を決定した1961年当時、民主主義革命といえば、フランス革命など反封建の革命や、中国革命のような植民地・従属国での反帝・反封建の革命のことで、「発達した資本主義国では社会主義革命」ということが「常識」とされていました。
 60年の81カ国共産党・労働者党代表者会議で、日本共産党代表団は、発達した資本主義国での民主主義革命という問題を提起しましたが、「共同声明」では、社会主義革命路線が強く押し出され、民主主義革命には「ヨーロッパ以外の」という地域的限定がつけられました。
 日本国内では、社会党が「社会主義革命一本やり」の立場から、「ブルジョア民族主義への転落」などと激しく攻撃したものでした。
 「発達した資本主義国での民主主義革命」という路線は、国際的にも国内的にも、他に類のないきわめて先駆的なものでした。
 第二に、半世紀の日本の政治史で、その正しさと生命力が検証された――こう志位さんは力説します。
 61年に綱領路線を決めたときに、論争の焦点となったのは、@アメリカへの従属関係をどう評価し、対米独立(反帝独立)の任務をどう意義づけるか、A大企業・財界の横暴な支配に反対する闘争(反独占)の性格をどうとらえるかにありました。
 綱領路線に反対する人たちは、「アメリカへの従属関係は、日本の経済力が強まれば次第に解消する」として、対米独立の任務を革命の戦略的任務とすることに反対しました。また、「反独占なら社会主義革命しかありえない」という立場に固執しました。
 「半世紀の政治史によって決着がつきました」と志位さん。@この半世紀に、日本は「経済大国」となったが、無制限の米軍基地特権、日米軍事共同体制の強化など、対米従属はいよいよ深刻になり、対米独立は革命の戦略的任務とすべき課題であることがますます明瞭になったこと、A大企業・財界の横暴とたたかう国民のどんな要求も、民主主義的要求となることは、半世紀の国民のたたかいの発展のなかで豊かな姿で示されていることを強調しました。
 志位さんは、「民主主義革命の路線を決めて半世紀たつのにまだ実現していない」という疑問に答える形で、民主主義革命の路線とは、いざ革命を実行するときに初めて力を発揮するわけではないと説明。「わが党の日常のすべての政策活動、国民運動、国際活動に、生きた力として働いてきました。民主主義革命という路線をもっているから、それぞれのたたかいの戦略的意義づけが明瞭となり、正面から本腰で取り組むことができます。民主主義革命は、将来の目標であるとともに、日々のたたかいの指針でもあるんです」と解明しました。
 「社会主義革命一本やり」で、対米独立を戦略的に位置づけることを回避した社会党が、80年の「社公合意」で日米安保肯定に至った経過に触れ、「日本社会が直面する一番の課題を回避すれば、勇ましいことを言っても、転落に陥る」ことは法則的だと指摘しました。
 ○○○
 第三にあげたのは、民主主義革命の路線は、日本独自のものですが、「世界的視野で見て、一般性をもつ側面も、ある程度は含まれている」ということです。
 資本主義の「グローバル化」への対応を解明した第22回党大会(2000年)で、民主的改革のいわば国際版≠ニして打ち出したのが「民主的国際経済秩序」であり、この立場は綱領にも明記されました。
 志位さんは、大会後10年余の世界の経済構造の変化を振り返り、IMF(国際通貨基金)路線押し付けの大破綻、OECD(経済協力開発機構)非加盟国(新興国・途上国)が年ごとに力を増す経済関係の構造変化、08年からの世界経済危機を契機にG8からG20へと枠組み自体が変わったことなど、「新しい民主的な国際経済秩序を築くことが世界政治において現実の目標になってきました」とのべました。
 「独立・民主・平和の日本の実現は、資本主義の枠内で可能な民主的改革」であるのに、なぜ革命というのか――。
 志位さんは「革命とは、ある社会勢力から、他の社会勢力に『国の権力』、国家機構の全体を移すことです。そのことによってはじめて民主的改革を全面的に実行できるようになります」と語りました。
 「革命というと民主党を思い出します」と志位さん。自らの「政権交代」について、「革命的改革」とか、「民主主義革命」とかいいましたが、「日本の独占資本主義と対米従属の体制を代表する勢力」(綱領)がしっかり握っていた「国の権力」には指一本触れず、行き着いたのは自民党政治の継承者になることでした。「私たちが目指す革命とは、こうした『政権交代』とはまったく違う、根本的な日本の変革です」
 志位さんはここで、「もう一つつかんでいただきたいこと」として、日本共産党が、「国民多数の意思にもとづく、社会の段階的発展の立場」をつらぬいていることをあげました。
 同時に、日本社会はいわば「二重の矛盾」(日本社会に特有の矛盾、資本主義そのものの矛盾)に直面しているとし、当面する民主主義革命を達成するための多数派結集に力をつくしながら、資本主義を乗り越える未来社会論を大いに語るという姿勢を強調しました。
 ○○○
 講義は、民主的改革の主要な内容を定めた第12節の第一の柱「国の独立・安全保障・外交の分野で」に進みました。第1項で、日米安保条約の廃棄と日米友好条約の締結を明記しています。
 志位さんは、安保廃棄派を多数派にしていくことは、民主連合政府への国民的条件を成熟させていく最大の要をなす問題だと強調し、1968年の参院選で党が「条約第10条の手続き(通告)による廃棄」を提起し、大きな反響を呼んだことを紹介しました。
 そのうえで、日本共産党が、帝国主義の政策と行動への断固たる批判者であると同時に、反米主義ではなく、アメリカの民主主義の歴史への深い尊敬を持ち、真の友好を願っていることを語りました。
 ここで志位さんが、「民主主義の偉大な歴史」に関連して紹介したのは、マルクスとリンカーンの交流秘話です。
 志位さんは、マルクスとリンカーンが歴史的に重なる時代に生きたことを、ホワイトボードに書いた略年表で示しながら講義を進めました。
 リンカーンは、1861年〜65年のアメリカ大統領で、南北戦争をたたかい、その最中に奴隷解放宣言を出しました。
 そのリンカーンが、64年の大統領選で再選された際、マルクスは国際労働者協会(インタナショナル)の委託を受けて祝辞を送り、「一つの偉大な民主共和国の思想がはじめて生まれた土地」としてアメリカを民主主義の発祥の地と特徴づけました。リンカーンはマルクスに返書を書き、「新たな励ましとして、努力を続ける」と伝えました。
 うなずきながらメモを取っていた受講生が、いっせいに顔をあげたのは、志位さんが「最近になって、この交流は偶然のものでなく、興味深い背景があったことを知りました」とのべて、一冊の本を取り出したときです。今年、アメリカで出版された『S≠ナ始まる言葉――アメリカの伝統としての社会主義小史』です。
 志位さんは、この本のページをめくりながら、リンカーンは、マルクス・エンゲルスが1851年から62年にかけて多数の政治論評を寄稿していた新聞「ニューヨーク・トリビューン」の熱心な読者だったことを紹介すると、「ほーっ」と驚きの声があがりました。
 同書では、リンカーンが、大統領に就任する前のイリノイ州での「トリビューン」の最も熱心な読者だったこと、「未来の大統領は、『トリビューン』とその最も有名な欧州通信(マルクスの論説のこと)を熟読することで、遠隔地の分裂(ヨーロッパの階級対立)と国内の出来事を関連づけて考察していたことは疑いない」と書いています。
 志位さんは続けます。
 ――1848年のヨーロッパ革命ののちにアメリカに逃れてきた、マルクスの友人も含むドイツの多くの革命家が南北戦争に参加し、重要な役割を担った。
 ――マルクスは、南北戦争が「連邦存続」の戦争から「奴隷制廃止」戦争に発展せざるを得ないと予見したが、事実はその通りにすすんだ。
 ――リンカーンは、就任後初の一般教書演説で「労働は資本に優越し、より高位に位置づけられるにふさわしい」とのべ、南北戦争が奴隷解放だけでなく「労働者の権利のための戦争」であると語った。
 「20世紀に入ってアメリカは帝国主義の道を歩むことになりましたが、科学的社会主義の創設者の一人と、アメリカ共和党の創設者が、大西洋をはさんでこうした絆で結ばれていたことは、興味深いことではないでしょうか」
 さらに志位さんは、昨年の米バーモント州訪問で、今も草の根に息づく民主主義の歴史の深さを感じたことにも触れ、「将来、友好条約を結ぶ相手として、アメリカという国をまるごと知ることが大切だと思います。今のような支配、従属をやめれば、真の友好関係がどんなにか広がることでしょう」と実感を込めて語りました。
 ○○○
 つぎに、第3項の自衛隊の段階的解消の方針に話を進めました。
 党は、第22回大会で、三つの段階を踏んで、自衛隊を解消する方針を決定し、綱領にもこの立場を明記しました。
 「なぜ即時解消でなく、段階的解消か?」「憲法違反の自衛隊の活用は矛盾ではないのか?」など、よく出される疑問に答える形で、憲法9条と自衛隊の現実との矛盾を解消するため、9条の完全実施にむけて、国民の合意を尊重しながら、段階的に進む立場を説明しました。
 「この問題は、民主連合政府が樹立されたら即座に回答が求められますが、その前に答える機会がやってきました」と笑いを誘った志位さん。2001年参院選の党首討論での、自民党の小泉首相(当時)とのやりとりを再現すると会場から拍手が。志位さんは、「この方針によって、自衛隊解消にむけた最も現実的・合理的な道筋が明瞭になるとともに、『日本が攻められたらどうするのか』という疑問への説得力のある回答が可能となりました」と強調しました。
 今回の講義の最後に、第4項の「平和外交の中心点」について、これは党の野党外交の基本方針でもあることを指摘しました。
 「日本が過去におこなった侵略戦争と植民地支配の反省を踏まえ、アジア諸国との友好・交流を重視する」。この綱領の提起について志位さんは、侵略戦争を美化する逆流を許さないことはもちろんだが、それにとどまらず、過去の清算に積極的に取り組むことを強調しました。
 先日実現した朝鮮王朝儀軌(ぎき)の返還にかかわって、志位さんが訪韓したとき、緒方靖夫副委員長、笠井亮衆院議員をはじめ党議員団が実現に力を尽くしたことに韓国側から繰り返し謝意が寄せられ、韓国で出版された本『儀軌・取り戻した朝鮮の宝物』には、日本共産党が「決定的役割」を果たしたと書かれていることを紹介しました。
 「従軍慰安婦」問題では、謝罪と賠償の問題が解決されていません。「この問題でも誠実に歴史の事実に向き合うことは、両国民の未来にわたっての友好にとって避けて通れません」と志位さん。
 「綱領の平和外交の方針を、野党外交として一つひとつ実践し、アジアや世界の国々と平和と友好の関係をつくるために力をつくしたい」とのべ、講義を締めくくりました。

感想/半世紀の歴史が生命力を実証/党の路線が国民と響き合う根拠
 リンカーンとマルクスの関係や「朝鮮王朝儀軌」の返還の際の日本共産党の大きな役割など、やはり世界の中の日本共産党≠見る(知る)ことは、とても前向きになれ、希望が持てます。講義、聞いて良かった。
 (栃木 女性)
 ◇
 今回の講義は、不破さんの「古典教室」、4中総決定とも響き合い、革命的気概を燃やして日々の課題に取り組むうえでも、とても力になる内容であったと思います。
 第9回の講義で自分自身が深めることができたと思う第一は、民主主義革命の路線がもつ意義についてです。とくに、「日本の半世紀の政治史で生命力が検証された」との内容は、対米従属の問題でも、大企業・財界の横暴でも、「二つの異常」を打ち破る党の綱領路線が国民と響き合う根拠がここにあるのだと思いました。同時に、民主主義革命の路線を持っていることが、党の日常の活動の指針となるということは、自分自身はこういう認識が弱かったと反省するとともに、4中総決定の実践をすすめるうえで大きな力となると思います。
 (本部会場 男性)
 ◇
 「革命」という言葉の意味や社会主義革命とは分けている立場なので、すごい練られているなあと思ったし、何より日本や世界の現状、歴史がこの路線の生命力を実証していることにワクワクしました。社会の現状を分析して、そこを出発点に今の日本が必要としている改革を行うという立場があったから、正しい路線を歩んでいけるんだなって思いました。
 マルクスとリンカーンのエピソードはおもしろかった。リンカーンがマルクスの「トリビューン」の論評にふれて、南北戦争を奴隷解放だけでなく労働者の権利のための戦争だと位置づけていたというのはビックリしました。
 (千葉 男性 31歳)
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2011年12月22日,「赤旗」) (Page/Top

日韓首脳会談要旨

 18日の日韓首脳会談の要旨は次の通り。
【慰安婦】
 李明博(イ・ミョンバク)韓国大統領 両国関係の障害になっている慰安婦問題を優先的に解決する真摯(しんし)な勇気を持たなければならない。
 野田佳彦首相 わが国の法的立場は決まっている。決着済みだ。人道的な見地から、これまでもわれわれもさまざまな努力をしてきた。これからも人道的な見地から知恵を絞っていこう。(市民団体が日本大使館前に設置した少女像について)誠に残念。早期に撤去してほしい。
 大統領 日本政府がもう少し関心を示してくれれば、起きなかった。誠意ある措置がなければ、第2、第3の像が建つ。
【竹島問題】
 首相 日本が提起している懸案はある。そのことについても全体に悪影響を及ぼさないように大局的な見地から共に努力しよう。
【対北朝鮮】
 首相 日韓米3カ国の連携が極めて重要。非核化実現のために、北朝鮮の具体的な対応を求めたい。拉致被害者の一日も早い帰国が最も重要。韓国も拉致や離散家族再会の問題を抱えており、北朝鮮が具体的な行動を取るように連携したい。
 大統領 (拉致問題について)韓国も日本の立場に非常に共感しており、協力を惜しまない。
【経済関係】
 首相 日中韓の投資協定の交渉妥結、中国を含む枠組みの構築における日韓の緊密な協力は非常に重要だ。日韓経済連携協定(EPA)の議論を加速したい。
 大統領 経済の前に歴史の懸案だ。
【日韓関係】
 首相 日韓両国は共に米国の同盟国で、基本的価値観、東アジア地域の平和、繁栄の確保などの利益を共有している。重層的で未来志向の日韓関係を構築していきたい。
 大統領 2国間の懸案だけでなく、地域、世界の関心事を解決するため、緊密に協力していくことがより大事だ。
(
2011年12月19日,「赤旗」) (Page/Top

解説/「慰安婦」問題/「決着済み」に根拠なし

 野田首相は李大統領との会談で、元「慰安婦」の賠償請求権をめぐる問題は法的に「決着済み」との立場を表明しました。これは、朝鮮半島の植民地支配を正当化する歴代自民党政権の立場をそのまま踏襲したものです。
 1965年の日韓請求権協定は、日本の植民地支配に対する個人請求権を韓国側が放棄する代わりに、日本側が経済協力資金を払うことで締結されました。これに対し、韓国側は「慰安婦」問題は協定に含まれないと主張しています。
 韓国政府は2005年、日韓条約締結に関する外交文書を公開しましたが、このなかで、対日請求権要綱には「慰安婦」が含まれていないことが明らかになっています。韓国憲法裁判所が、元「慰安婦」の個人請求権で日本政府との交渉を求めたのも、この事実が明らかになったからです。一方、日本側はいまだに日韓条約での対日請求権に関する外交文書を公開していません。
 また、68年に国連で採択された「戦争犯罪及び人道に対する罪に対する時効不適用条約」により、人道上の罪に時効は存在しないことが明確になっています。日本政府が真に「未来志向の日韓関係」をのぞんでいるのなら、「法的に決着済み」という木で鼻をくくった態度に終始するのではなく、誠意をもった姿勢を示すべきです。
 (竹下岳)
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2011年12月19日,「赤旗」) (Page/Top

韓国大統領「慰安婦」解決迫る/首相「決着済み」強調

 野田佳彦首相は18日、京都市の京都迎賓館で韓国の李明博大統領と約1時間会談しました。大統領は旧日本軍の「慰安婦」問題について「両国関係の障害」と指摘、「優先的に解決する真摯な勇気を持たなければならない」と、政府間協議を求めました。首相は「わが国の法的立場は決まっている。決着済みだ」と強調、議論は平行線に終わりました。
 (関連2面)
 李大統領が日本の首相との会談で、元「慰安婦」の請求権問題に具体的に言及したのは初めて。
 日本政府は、1965年の日韓基本条約に伴う協定で、「慰安婦」問題は決着済みとの立場。ただ、村山内閣は95年に財団法人「女性のためのアジア平和国民基金」を設立、元「慰安婦」への「償い金」支払いなどに当たっていました。一方、韓国の憲法裁判所は今年8月30日、韓国政府に対し、「慰安婦」問題は65年の日韓請求権協定の対象外であり、韓国政府は日本政府と外交交渉すべきであるとの決定を下しています。
 首相は、ソウルの日本大使館前に元「慰安婦」を象徴する少女像が設置されたことに言及し、「誠に残念だ」として早期撤去を要請しました。韓国側の説明によると、これに対し大統領は「日本政府がもう少し(「慰安婦」問題に)関心を示せば起こらなかった。誠意ある措置がなければ第2、第3の像が建つ」と、撤去に応じない考えを示しました。
 同行した韓国大統領府報道官によると、大統領は発言の大部分を「慰安婦」問題に割きました。報道官は「張り詰めた緊張感の中で進められ、残念な思いが強く残る会談だった」と述べ、強い姿勢に出ざるを得ない状況を招いた日本側を批判しました。
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2011年12月19日,「赤旗」) (Page/Top

週間日誌/11年12月11日〜17日

政治・経済
 ◆在日米軍の日本側負担、約7千億円 米軍基地の維持費など、在日米軍の活動経費のうち日本側負担分は今年度約7千億円。外務省が日本共産党の赤嶺政賢衆院議員に提出した資料で判明(12日)
 ◆非正社員が34%に 厚生労働省が発表した2011年(6月1日時点)のパートタイム労働者総合実態調査によると、従業員に占めるパートタイム労働者の割合は27・0%と、5年前の前回調査(25・7%)から1・3ポイント上昇。パート以外も含めた非正社員の割合は3・5ポイント増の34・4%(14日)
 ◆日米地位協定の運用見直しで合意 日米両政府は、日米地位協定の運用を見直し、米軍人・軍属が公的行事で飲酒した後に交通事故を起こした場合、日本で訴追できるようにすることで合意(16日)
 ◆民主党が「税と社会保障一体改革」素案決定 民主党は、政府・民主党が年内策定をめざす「一体改革大綱素案」に盛り込む社会保障部分の最終案を了承。社会保障のあらゆる分野を改悪する計画(16日)

社会・国民運動
 ◆「ヒッグス粒子」発見に前進 欧州合同原子核研究所(CERN)は、二つの国際グループが大型ハドロン衝突型加速器(LHC)を使って10月末までに行った実験の結果、素粒子の質量の起源と考えられている「ヒッグス粒子」を発見できる可能性が高まり、2012年中に結論が出ると発表(13日)
 ◆米産牛輸入規制緩和へ 厚生労働省は、BSE(牛海綿状脳症)対策の見直し結果をまとめ、米国産牛肉の輸入規制を現在の月齢「20カ月以下」から「30カ月以下」に緩和した場合のリスク評価を、内閣府食品安全委員会に諮問すると発表(15日)
 ◆野田首相が原発事故収束を宣言 「原子炉の安定状態が達成された」とした野田首相に対し、「現実をみていない」などと批判の声があがる(16日)

国際
 ◆国連気候変動枠組み条約第17回締約国会議(COP17)終了 南アフリカのダーバンで開かれていたCOP17が終了。会議は温室効果ガスに関し、京都議定書を継続し、全締約国が参加する2020年以降の包括的な枠組みを検討する作業部会を12年に設置することを確認(11日)
 ◆中国漁船員が韓国海洋警察官を刺殺 黄海で違法操業中の中国漁船を取り締まっていた韓国海洋警察庁の隊員が中国船員に切りつけられ、1人死亡、1人負傷(12日)
 ◆「朝鮮王朝儀軌(ぎき)」返還式典 ソウル市内で、日本が89年ぶりに返還した儀軌の帰還を記念する式典を開催。韓国東北部・江原道五台山で、儀軌の「国民歓迎行事」を開催。両式典には日本共産党の笠井亮衆院議員が出席(13、16日)(写真)
 ◆元「慰安婦」水曜デモ1000回目 日本政府に「慰安婦」問題での謝罪と賠償を求め、駐韓日本大使館前で毎週水曜日に行われていたデモが1000回目を迎える(14日)
 ◆オバマ米大統領イラク戦争終結を宣言 米ノースカロライナ州フォートブラッグ陸軍基地で、イラクから帰還した兵士を前に「イラクでの米国の戦争は終結する」と宣言(14日)
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2011年12月18日,「赤旗」) (Page/Top

日本は「慰安婦」問題解決を/「両国の未来への助けに」/韓国大統領

 韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領は17日、大阪空港着の専用機で来日しました。この後、大統領は大阪市内で開かれた在日本大韓民国民団(民団)の会合に出席し、日本軍の「慰安婦」問題について「この問題を解決しなければ、日本は永遠に両国間の懸案を解決できない負担を持つことになるだろう」と述べ、解決に向けて日本側の努力が必要との考えを強調しました。野田佳彦首相と大統領は18日に京都市の京都迎賓館で会談します。
 韓国大統領府によると、大統領は民団の会合で「韓国は今、慰安婦問題で国民が心を痛めている。(元慰安婦が)生きている間に解決することが両国の未来への助けとなる」と語りました。
 今回の訪日は首脳が互いに行き来する「シャトル外交」の一環で、大統領の来日は国際会議などを除けば2009年6月以来。両首脳は17日夜、京都迎賓館で短時間の懇談を行い、夕食を共にしました。
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2011年12月18日,「赤旗」) (Page/Top

知ってますか「慰安婦」問題/京都で宣伝

 日本軍「慰安婦」問題で、被害者らが日本政府に謝罪と賠償などを求めて韓国・ソウル市内の日本大使館前で続けてきた水曜デモが1000回目を迎えたのに呼応し、14日夕、「旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画京都実行委」は、四条河原町の百貨店前で、「ご存知ですか?『慰安婦』問題」と書いたパネルを掲げ、街頭宣伝を行いました。
 同実行委員会は、毎月1回、日本政府による元「慰安婦」への公式な謝罪と補償を求めて宣伝を行い、この日で81回目。
 呼びかけに応じ、「アムネスティ・インターナショナル」「女性国際戦犯法廷ハーグ判決を実現する会」「在日本朝鮮留学生同盟」など23人が参加しました。
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2011年12月17日,「赤旗」) (Page/Top

おはようニュース問答/「慰安婦」被害者のデモが1000回だって

 ふゆみ 日本軍の「慰安婦」の被害女性たちがソウルの日本大使館前で行ってきた「水曜デモ」が14日で1000回を迎えたね。
 のぼる すごい回数だね。「慰安婦」って、日本の侵略戦争時下で朝鮮や中国の女性たちが日本軍の「性奴隷」となることを強制されたんだよね。

日本も連帯行動
 ふゆみ そう。「水曜デモ」は1992年の1月8日に始まったんだよ。雨の日も雪の日も、寒い日も夏の炎天下でも、被害女性のハルモニ(おばあさん)たちは毎週水曜日、日本政府に対して、公式謝罪と賠償を求めているのよ。
 のぼる フィリピンやオーストラリアなど世界各地で1000回目のデモに連帯して行動が行われたんだね。
 ふゆみ 日本でも東京をはじめ、全国でデモや学習会が開かれたのよ。
 のぼる 東京では外務省を「人間の鎖」で包囲したんだね。
 ふゆみ メッセージを書いたプラカードを首からさげたり、手作りのパッチワークを持ったりした1300人が手をつないで外務省を囲んだのよ。戦争責任を果たしてアジアに平和を∞被害者の人権を回復せよ≠ネど訴えたんだよ。
 のぼる 1300人も集まったって本当にすごいよね。14日にはソウルの日本大使館前に少女の像が建てられたんだね。
 ふゆみ そう。平和への願いを込めて建てられたのよ。少女がイスに座っている像は、被害者の少女時代をイメージしてつくられたの。その像の影は、ハルモニの姿をしていて、歳月の経過を表しているんですって。けれど、日本政府は韓国側に抗議して、速やかな撤去を求めているのよ。
 のぼる 17、18日には李明博大統領が来日する予定だよね。「慰安婦」問題が持ち上がりそうだけど、日本政府は「慰安婦」問題は解決済みとしているんだっけ。

早期解決が必要
 ふゆみ 93年の河野洋平官房長官の旧日本軍の関与を認める談話を表明して、民間募金による基金も設立したわ。でも「慰安婦」被害女性は基金の受け取りを拒否したの。求められているのは、日本政府による公式謝罪と賠償よ。
 のぼる ハルモニが生きているうちに何としても解決したいね。
 〔2011・12・16(金)〕
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2011年12月16日,「赤旗」) (Page/Top

「首脳会談で抗議を」

 自民党の「領土に関する特命委員会」の石破茂委員長は15日、首相官邸で藤村修官房長官と会い、ソウルの日本大使館前に日本軍の「慰安婦」問題を象徴する少女像が民間団体により設置されたことに関し、野田佳彦首相が18日の日韓首脳会談で抗議するとともに、像の撤去を求めるよう、申し入れました。これに対し、藤村長官は「首相に間違いなく伝える」と答えました。
 石破氏はこの後、外務省に玄葉光一郎外相を訪ね、首脳会談前に韓国側に抗議し、結果などを公表するよう要請しました。
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2011年12月16日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」問題協議へ/首脳会談で韓国側見通し

 【ソウル=時事】韓国外交通商省の趙炳○(チョ・ビョンジェ)報道官は15日の定例記者会見で、17、18両日に訪日する李明博(イ・ミョンバク)大統領と野田佳彦首相との会談で旧日本軍の従軍慰安婦問題が取り上げられるかについて、「問題の本質や、国内情緒を大統領もよく知っているので、適切な水準での協議があると考える」と述べ、首脳会談の議題になるとの見通しを示しました。
 また、韓国憲法裁判所の判断を受け韓国政府が求めている同問題をめぐる政府間協議を日本側が受け入れていないことに関し、「応じなければ、仲裁委員会による解決を模索せざるを得ない」と強調、改めて協議に応じるよう求めました。
 1965年の日韓国交正常化の際の協定は、両国間の紛争を解決できない場合、第三国を入れた仲裁委を設置すると規定。報道官は「(仲裁手続きに移る時期を)特別に決めているわけではない」と述べました。
 報道官はまた、日本大使館前に設置された従軍慰安婦問題を象徴する少女像の撤去を日本政府が求めたことについて、「撤去ばかり要求するのではなく、被害者の名誉を回復する方策が本当にないのかを真剣に考えてほしい」と求めました。
 一方、ソウルを訪問中の杉山晋輔外務省アジア大洋州局長は15日、記者団に「日本政府は(慰安婦問題は解決済みという)政府の法的な立場を韓国政府に伝えている。このような立場は国際社会でも十分に理解を得られると思っている」と語りました。
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2011年12月16日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」問題謝罪を/「韓国水曜デモ」連帯アピール/広島/福岡

広島
 日本軍「慰安婦」問題解決広島ネットワーク(土井桂子代表)は14日、広島市中区で街頭署名をしました。韓国・ソウルの日本大使館前で元「慰安婦」らが毎週開く抗議集会が同日、1000回を迎えたことに呼応したもので、約30人が参加してビラを配布。土井代表はハンドマイクで「日本政府の謝罪と賠償を求める」と訴えました。

福岡
 韓国水曜デモ1000回アクションin福岡が14日、福岡市中央区天神で行われました。韓国の日本軍「慰安婦」被害者たちがソウルの日本大使館前で問題解決を求めて続けてきた水曜デモに連帯して、「早よつくろう!『慰安婦』問題解決法ネット・ふくおか」がよびかけたもの。「慰安婦」の遺影を掲げ黙とうした後、チラシ配布、パネル展示をしました。
 リレートークで「被害を名乗り出たハルモニ(おばあさん)234人のうち167人が亡くなっています。日本政府は被害女性への謝罪と賠償を一日も早く果たすよう求めます」と訴えました。
 2年前に韓国でハルモニの話を聞いた糸島市の藤井芳広さん(33)は「日本と韓国の人たちがつながって平和に暮らせるようにしたい」と話しました。
 新婦人福岡県本部の会員たちも行動に参加し、野田政権に日本軍「慰安婦」問題の公式謝罪と賠償を求めるチラシを配布しました。
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2011年12月15日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」被害告発に連帯/早期解決へ全国で行動/協議求め学習集会・仙台/昼デモで150人唱和・札幌

協議求め学習集会/仙台
 日本軍「慰安婦」問題の早期解決をめざす宮城の会は14日、ソウルでの1000回目の水曜デモに連帯する学習集会を仙台市青葉区で開きました。
 日韓の弁護士会でつくる戦後処理問題のワーキンググループ委員の崔信義弁護士が、韓国憲法裁判所の決定と日本軍「慰安婦」問題をテーマに講演。参加した約80人が、被害者の賠償請求権について韓国政府が日本と外交交渉しないのは憲法違反とした同決定の意義や、日本での賠償訴訟などを考えました。
 崔弁護士は、「慰安婦」や中国人強制連行など日本での賠償訴訟はほとんど敗訴していると指摘。法廷外での市民団体の活動を紹介し「解決には、法律家だけではなく、市民一人ひとりの活動が重要だ」と呼び掛けました。
 集会は、日本政府が韓国政府と誠実に協議に応じるよう求める決議を採択。決議文は、適切な対処を求める国連や諸外国の勧告や議会決議に背を向ける日本政府について「世界の常識に反する行動をとることは、日本の恥を上塗りするだけ」と批判しています。
 大和町の女性教員(55)は、「何十年も前の人権問題を日本政府が頬かぶりしているのは、問題です。早く対応してほしい」と感想を語りました。

「慰安婦」被害告発に連帯/昼デモで150人唱和/札幌
 「もうこれ以上、ハルモニに宣伝を続けさせないで」「日本政府は被害者が生きているうちに謝罪と賠償を!」―。「慰安婦」問題の早期解決をめざして札幌市でも14日、昼休みデモと「映画と朗読の集い」が行われました。
 デモには労組旗やプラカードを持った150人が参加。沿道から挑発を繰り返す団体にも動ぜず対応し、繁華街に「『慰安婦』問題の立法解決を」の唱和を響かせました。
 デモに先立ち、日本軍「慰安婦」問題の解決をめざす北海道の会の金時江共同代表らが、被害者のハルモニが20年にもわたり、日本大使館前で宣伝を続けていることに連帯を表明。同問題で韓国政府との交渉さえ認めようとしない日本政府に対し「怒りをもって」糾弾し、「慰安婦」問題の一日も早い解決を呼びかけました。
 日本共産党の紙智子参院議員、真下紀子道議、坂本恭子札幌市議が連帯のメッセージを寄せました。
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2011年12月15日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」被害告発に連帯/外務省包囲1300人/東京

 日本軍による「慰安婦」被害女性と市民が、ソウルの日本大使館前で行ってきた水曜デモが14日で1000回を迎えました。同日正午、外務省(東京都千代田区)前で、韓国水曜デモに連帯する行動が行われました。日本政府の早急な「慰安婦」問題解決を求めて、戦時性暴力問題連絡協議会、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010が主催しました。

 行動では、主催者が外務省を囲む1300人の「人間の鎖」ができたことを報告すると、参加者がつないだ手を高くかかげ、大きな歓声をあげました。
 ○澄子(ヤン・チンジャ)全国行動共同代表が主催者あいさつ。「慰安婦」であったことを名乗り出た234人の韓国人女性が、現在63人になっていると話しました。「『水曜デモを今日で終わりに』と行動してきたが、残念ながら日本政府は解決策を示さなかった。今日、新たな行動の始まりを宣言する。みなさんたたかっていきましょう」と訴えました。
 「慰安婦」被害者の一人で東京在住の宋神道(ソン・シンド)さん(89)は、16歳で日本軍に連行されました。「一日でも早く解決してほしい。死んでも死にきれない」と訴え「戦争は二度と起こしてはいけない」と、繰り返しました。
 神奈川県から参加した鈴木裕子さん(28)は「1000回もデモが続いている。ハルモニ(おばあさん)たちの思いに応えてほしい」と、話しました。
 行動では、「日本政府に対し真相の究明とともに、公式謝罪と賠償を早急に求める」などの内容の声明を発表しました。
 同日午後、衆議院第2議員会館内で院内集会が開かれ、300人が参加しました。
 主催者が、ソウルの1000回目の水曜デモで「慰安婦」問題の象徴で平和の願いを込めた「平和の碑」が設置されたことを紹介。
 札幌、名古屋、広島、福岡、台湾やフィリピン、アメリカなど世界30カ所以上での連帯行動を報告しました。
 日本共産党の高橋ちづ子衆院議員、紙智子参院議員をはじめ、民主、社民など各党議員があいさつしました。
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2011年12月15日,「赤旗」) (Page/Top

潮流

 幕末の話です。開国を求める外国と条約をむすぶ席で、日本側は座り方にこだわりました▼ロシアと条約を交わした時の、ようすが伝わっています。イスに座って儀式をすすめたいロシアに対し、正座を求める日本。お互い、立ったままで始めました。ロシア側が疲れてイスを持ち出すと、日本の代表は畳を重ねて座り、目線を合わせる。当時の日本でイスは、西洋文明の象徴でした▼14日、韓国・ソウルの日本大使館の前に、イスに座る少女の像が置かれました。旧日本軍の性奴隷にされた人たちの、少女時代を表す像です。すぐそばに、空席のイスが並びます。そこに座り、平和について考えてもらいたい―。像を建てた人たちの願いです▼まず座ってほしい人が、日本の首相ではないでしょうか。幕末のころと違い、イスが日本の伝統に反するという時代ではありません。野田首相が座り、少女に「すまなかったね。償いを忘れないよ」と語りかければ、アジアの人々に心を開く新たな開国≠ニみなされるかもしれません▼「慰安婦」の多くが、まだ少女でした。彼女たちは、遠い故郷の歌を口ずさみ、はずかしめに耐えました。元「慰安婦」を支援する女性の1人が、以前のべています。真実を明らかにし、元「慰安婦」の名誉だけでなく国と民族の名誉を回復したい=・日本政府は、少女像の撤去を求めています。外交公館の尊厳が傷つけられる、として。かつて隣国とその女性の尊厳を奪った国の政府が、いう言葉ではないでしょう。
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2011年12月15日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」被害者不屈のデモ1000回/ソウル

 【ソウル=中村圭吾】日本の植民地支配を受けた朝鮮半島の女性たちが日本軍の「性奴隷」となることを強制された「慰安婦」問題で、被害者らが日本政府に謝罪と賠償などを求めて駐韓日本大使館前で続けてきた「水曜デモ」が14日、1000回目を迎えました。
 市民団体「韓国挺身隊問題協議会(挺対協)」などが同日、大使館前で開いた集会には、5人の元「慰安婦」と500人の支援者が参加。韓明淑元首相をはじめ、与野党の国会議員が多数出席し、連帯のあいさつを述べました。
 「水曜デモ」は、1992年1月8日に始まって以来、95年の阪神・淡路大震災、今年の東日本大震災の直後を除き、20年にわたり、毎週、続けられました。尹美香挺対協代表は「1000回を数えるまでの道には、厚い壁が立ちふさがっていたが、その壁に少しずつヒビが入りつつある。世界各地であがる喚声が、日本政府をひざまずかせるだろう」と訴えました。
 この日の集会では、被害者の女性の少女時代をイメージし、大使館の向かい側に建立された「平和の碑」の除幕式も行われました。
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2011年12月15日,「赤旗」) (Page/Top

日本軍「慰安婦」問題解決へ/「愛知の会」結成・宣伝

 旧日本軍戦時性暴力の被害者への賠償を求めて、名古屋市で11日、「愛知・日本軍『慰安婦』問題の解決をすすめる会」結成のつどいが開かれました。
 新日本婦人の会愛知県本部代表委員の水野磯子さん、愛知大学の長峯信彦教授(憲法学)ら46人が呼びかけたもので、賛同人は125人にのぼります。
 つどいで水野氏は、「政府は国連から十数年にわたって謝罪勧告を受けていますが、『強制連行の事実はない』などと逃げ回っています。政府に加害責任を認めさせ、問題を解決するためにさらに声をあげよう」と訴えました。
 長峯氏は「近隣諸国の尊厳を踏みにじり、放っておく国のままで『国際化』などといえるのか。被害者たちも高齢で、もう待てないとの思いから『会』の結成に至りました」と述べました。
 日本共産党の田口一登名古屋市議が「慰安婦」問題を議会で討論した時の様子を報告し、埼玉県から招かれた丸藤栄一宮代町議は、9月議会で政府に対応を求める意見書を採択した経緯を話しました。
 同日は市内の繁華街で宣伝行動も行い、160人以上が参加しました。宣伝は、韓国水曜デモが今週に1000回を迎えることに呼応して行われ、80を超える署名が寄せられました。強制労働などの裁判に携わる男性弁護士らも「慰安婦」を女性だけの問題とせず、男性にももっと目を向けてほしいと訴えました。
 「会」は、さらに多くの賛同人を今後も募っていくとしています。
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2011年12月14日,「赤旗」) (Page/Top

女性差別撤廃へ共同を/国際婦人年連絡会

 国際婦人年連絡会は8日、国会内で男女共同参画に関する意見交換会を開き、日本共産党、民主党、社民党の女性議員が参加しました。連絡会からは、選択的夫婦別姓を含む民法改正、日本軍「慰安婦」問題、教科書への「慰安婦」記述問題について問題提起があり、民法改正と「慰安婦」問題の解決のため国会議員が力をあわせることを求めました。
 日本共産党から高橋ちづ子衆院議員、紙智子、田村智子両参院議員が出席。高橋氏は、「慰安婦」問題について、韓国政府からの政府間協議の要請にも「解決済み」と拒否する日本政府の姿勢を批判し、「被害者は高齢化しており一日も早い解決が必要。各党との連携を強めたい」と述べました。
 紙氏は、国連女性差別撤廃委員会から日本が、選択的夫婦別姓導入など民法改正のとりくみを1年以内に再報告するよう勧告されたことを指摘。「日本政府にやる気があるのかつきつけられている」とのべ、与野党議員が共同してとりくむ必要性を強調しました。
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2011年12月13日,「赤旗」) (Page/Top

メディアをよむ/仲築間卓蔵/「坂の上の雲」を考える

 4日からNHKが総力をあげてとりくんだというスペシャルドラマ「坂の上の雲」の第3部(完結編)が始まりました。放送日に合わせて、電車内にロケ地への観光を呼び掛けるつり広告が目立ちます。JRとNHKのタイアップです。
 第1回は、「旅順総攻撃」。戦費調達のためにロンドン中を駆け巡る日銀副総裁・高橋是清、ロシア軍の旅順要塞(ようさい)攻撃の失敗が、すさまじい戦闘シーンと共に描かれています。戦争映画のようです。
 NHKの力の入れ方に比べてこの日の視聴率は12・7%(ビデオリサーチ調べ)という低さです。そうはいっても、計算上は全国で1300万人近くが視聴したことになります。その影響は無視できません。
 もともと原作者の司馬遼太郎氏は、この小説は「軍国主義の鼓舞につながると思われるから」と映像化を許可していませんでした。NHKが映像化権を得たのは、司馬氏没後の2001年。日本軍「慰安婦」問題を扱った「ETV2001」が政治家の圧力で改ざんされた年です。「靖国派におもねった企画だ」と多くの歴史学者やマスコミ人から指摘されてもいました。しかし、走り始めた車は止まりません。
 この番組の西村与志木プロデューサーは「司馬さんのご意見を聞きたい」(11月23日付東京新聞)とか。それに対し、醍醐聰・元東大教授は、「ご意見を聞きたい≠ニ語りかけても、相手がもはや言葉を発せない死者とわかったうえではむなしいかぎりです」と嘆きます。軍国主義を鼓舞したくない、との司馬氏の思いは、かなえられるのでしょうか。
 11日は「二〇三高地」、そして「敵艦見ゆ」「日本海海戦」と続きます。「時代錯誤のドラマだ」といって見過ごすわけにはいきません。「今なぜ『坂の上の雲』なのか」。改めて歴史認識について考え合いたいものです。
 (なかつくま・たくぞう=元ワイドショープロデューサー)
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2011年12月11日,「赤旗」) (Page/Top

アジア・太平洋戦争70年/夫・息子二度と戦争に送らない/富山/福井/岐阜/石川

富山

 富山県では8日、各団体が反戦平和の宣伝や集会などにとりくみました。
 県母親大会連絡会は、県内7カ所で約70人が参加し、「赤紙」を印刷したビラ1300枚を配布。平和を守ろうと呼びかけました。富山市のJR富山駅前での宣伝には15人が参加。新日本婦人の会県本部の広瀬妙子会長らが「夫や息子を二度と戦争に送らない、子どもたちに平和な日本を渡したい、という思いで配っている『赤紙』をぜひ手にとって読んでほしい」と訴えました。
 平和・民主主義と革新統一をめざす県懇談会など4団体は富山市内で「反戦平和のつどい」を開き30人が参加しました。
 憲法9条ファンクラブは「戦争にも原発にも反対!憲法9条を守ろう」と呼びかけた声明を発表しました。

福井

 福井県母親大会連絡会は8日、平和のつどいを福井市で開き、約50人が参加しました。
 4人の戦争体験者の女性が「わたしの、戦中戦後のせいかつ」をテーマに語り、ロシア兵から銃を突きつけられた体験など「今も決して忘れることができない」と話しました。
 「慰安婦」問題解決オール連帯ネットワークの坪川宏子事務局長が、世界各地であった戦時の性的暴力の実態を話し、「こういう体験を子や孫に絶対に繰り返させてはならない」と強調しました。
 福井市の女性(68)は「出兵した父からも聞いたことのない話で驚いた」と、平和への思いを語っていました。

岐阜

 岐阜県母親連絡会、新日本婦人の会などが8日、名鉄岐阜駅前で「赤紙」のコピーを配布し、「憲法9条を守り、二度と戦争を起こさせないよう声を上げましょう」と訴えました。
 高校生は「社会の授業で、今日が真珠湾攻撃の日だと聞いた」と言い、「赤紙」を受けとり、実行委員の人が「この1枚で人生が変わる時代でした」と話すと真剣に耳を傾けていました。
 「これがそうやね」と戦争を体験した人がつぶやき、じっくり見る姿などみられました。

石川

共産党県委訴え
 日本共産党石川県委員会は8日、県内の駅頭やスーパー前などでいっせい宣伝を行い、「核兵器廃絶や原発からの撤退、震災復興を成し遂げ、平和で安全な社会を実現しよう」と呼びかけました。
 JR金沢駅前の2カ所では、佐藤正幸県議と内藤英一県常任委員が街頭に立ち、駅の利用者らに訴えました。
 バス待ちをしていた会社員の女性(35)は「安心して暮らせる日本をつくるためには戦争や核兵器、原発を無くさないといけないですね」と話していました。
 白山市では、新日本婦人の会と白山革新懇の会員らがJR松任駅前で宣伝しました。

金沢で平和の集い
 平和憲法と憲法9条を生かした社会を考える「平和を守るつどい」が8日、金沢市で開かれました。石川憲法会議など5団体が開催したもので、約25人が参加しました。
 子どもと教科書石川ネット21の板坂洋介事務局長が、県内の教科書採択をめぐる状況を紹介し、教科書は「憲法や子どもの権利条約に基づき、子どもの成長を根本に据えたものであるべきだ」と述べました。
 教科書石川ネットの大森定嗣代表、石川憲法会議の東孝二代表委員らがあいさつ。「太平洋戦争開始70周年にあたり、平和憲法の大切さをもう一度見つめ直し、さらなる運動に踏み出そう」と訴えました。
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2011年12月10日,「赤旗」) (Page/Top

韓国の「慰安婦」被害者連帯/14日に外務省包囲行動

 韓国の日本軍「慰安婦」被害者や市民がソウルの日本大使館前で、毎週水曜日に行ってきたデモが14日で1000回目を迎えます。
 同日正午〜午後1時、韓国の行動に連帯し、日本政府が韓国政府の協議の申し入れに応じて一刻も早く被害者への謝罪と賠償を実現するよう、国内支援団体が外務省(東京都千代田区)を「人間の鎖」で囲みます。午後2時半からは、衆議院第2議員会館内で集会を開きます。
 韓国の水曜デモは1992年1月8日に始まりました。91年8月14日、金学順(キム・ハクスン)さんが初めて日本軍「慰安婦」被害者であることを名乗り出たことがきっかけになりました。金さんの勇気に励まされ、その後、被害者であると名乗り出た韓国人女性は234人。90、80歳代となるなか次々と亡くなり、生存者は67人に。認知症や寝たきりの人も、たくさんいます。
 「人間の鎖」行動には、だれでも参加できます。主催の戦時性暴力問題連絡協議会、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010は、多くの人の参加をよびかけています。
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2011年12月10日,「赤旗」) (Page/Top

アジア・太平洋戦争70年/91歳と向き合った18歳/怖い。でも真実知りたい

 8日は日本がアジア・太平洋戦争を開始してから70年。あの戦争は何だったのか、今どう受け継ぐのか、あらためて考えてみます。
 本吉真希記者

元日本兵近藤一さん/20歳で東洋鬼≠ニよばれ

 加害の事実を語らなければ、戦争の本質は伝わらない―。そんな信念から、証言し続ける元日本軍兵士がいます。三重県桑名市の近藤一さん、91歳。日中戦争と沖縄戦を体験しました。毎年1度、講演している名古屋市の私立同朋高校で、11月18日、生徒らを前に語りました。

銃剣を突き刺し「突け!」
 初年兵教育で下士官の号令。立ち木にくくられた中国人の左胸めがけ、38式歩兵銃の先に付けた銃剣でグサッと突き刺した。生まれて初めてやった人殺し。20歳。1940年12月、これが戦場での教育だった。
 この月に中国戦線に徴兵されてから3年8カ月。殺人、放火、強かん、略奪、破壊…人間でないことをやってきた。村々の入り口には「東洋鬼(トンヤンキー)」との大書。まさにわれわれは東洋の鬼だった―。

「さらば」と友が
 近藤さんは幼少時から「天皇は神様で、国民は天皇の臣民だ」と教え込まれました。「中国人はチャンコロ」「豚以下の人間」だと差別意識を植えつけられました。
 訓練で刺殺を命ぜられた後、「罪の意識は何もない。人を殺すという感触を覚えた」。
 アジア・太平洋戦争の開戦は、山西省の太原で知りました。負け戦を経験する中、戦線拡大で「日本は負ける」と直感したといいます。
 44年8月、沖縄へ転戦。翌年4月、米軍が沖縄本島に上陸し、日本軍は住民を巻き込みながら追いつめられていきました。
 仲間は「こんな惨めな戦争で死ぬのは耐えられない。だけど、命令だから行くしかない。さらばだ、近藤」と言い残し、米軍へ突っ込んでいきました。近藤さんは声を震わせ語ります。

憲法9条守って
 部隊の生き残りが2人になっても降伏できず、海軍の敗残兵と3人で米軍に突撃しました。米兵に取り囲まれ、舌をかんで「自決」しようとする近藤さんの口に、米兵が布を押しこみ、傷口に消毒液をかけました。
 近藤さんは最前線の兵士がどんなに無駄な死を重ねたか、無念の思いを口にし、最後にこう訴えました。
 「憲法9条を守り、すべての戦争に反対を貫いてください」

本当にあったと感じた/名古屋・同朋高校生

 講演後、近藤さんを囲んで高校生らが感想を述べあいました。
 「話を聞いて沖縄に行くのが怖くなった半面、本当のことが知りたいと思った」
 「体験者の生の声を聞いて、本当に戦争はあったんだと感じることができた」
 同朋高校は毎年12月、2年時の修学旅行で沖縄県に行っています。92年からは修学旅行に先立ち、ほぼ毎年、近藤さんの戦争体験を聞いてきました。放送部の生徒たちは昨年度、近藤さんを何度も取材し、映像作品を作りました。
 編集・撮影に携わった前田充紀さん(高3)は「本当の戦争は教科書に書かれていることと違う」と実感しました。

どれほど幸せか
 卒業後も近藤さんと交流する青年たちがいます。この日も会場に足を運びました。
 制作当時、責任者として「『被害』と『加害』の両面を映し出すことで、戦争で人はこんなにも変わってしまうことを伝えたかった」と話すのは箕浦愛さん(18)。「今までの戦争を私たちが知ることが大事だと思った」と語ります。
 水谷有輝さん(19)は「人から強制された道ではなく、自分で自分の道を考えることがどれほど幸せか、わかった」。恒川敬弘さん(23)は「聞いたからには伝える責任がある」と強く感じました。
 同校の社会科教師で放送部顧問の宮城道良さん(48)はいいます。
 「近藤さんは加害者にさせられた『被害者』でもあった。下級兵士の視点から戦場を見ることで、15年戦争の本質を知ってほしい」

 近藤さんの証言は『最前線兵士が見た「中国戦線・沖縄戦の実相」』(1300円、近藤さんと宮城さんの共著)に詳しい。学習の友社рO3(5842)5641

日本の侵略、歴史の事実

 1941年12月8日、日本軍はアメリカ・ハワイの真珠湾と、当時イギリス領のマレー半島コタバルを攻撃し、米英と戦争を開始しました。
 日本軍はその10年前、中国東北部の奉天(現在の瀋陽)近郊で、南満州鉄道の線路を爆破。これを中国側の攻撃と偽り、中国領への攻撃を始めました(「満州事変」)。それ以降45年8月の終戦まで、15年戦争を続けたのです。(年表)
 戦後66年たった今も、あの戦争を「自存自衛の戦争」と美化・正当化する育鵬社の歴史教科書のように、歴史を逆流させる動きがあります。
 しかしアジア・太平洋戦争は、中国侵略に対する国際的批判が高まる中での侵略の拡大だったことは歴史の事実です。
 日本は早くから「対米英戦は辞せず」の方針を決定。その目的は「重要国防資源を急いで獲得し、作戦軍が自活できるようにする」(41年11月、大本営政府連絡会議決定)ことであり、石油やスズ、ゴムといった資源などの強奪でした。
 日本軍は東南アジアで、軍用鉄道や道路、飛行場の建設などに住民や捕虜を強制動員しました。インドネシアでは約400万人の住民を働かせ、フィリピンなど各地では多くの女性を「慰安婦」として連行。シンガポールでは多数の華僑(中国系住民)に抗日の疑いをかけ、虐殺しました。
 侵略戦争は大きな惨禍をもたらしました。死者はアジア・太平洋各国で2千万人、日本で310万人に上っています。

日本の15年戦争(主な経過)

1931年9月 中国・柳条湖で鉄道爆破の謀略事件(「満州事変」)
  32年3月 中国東北部にかいらい国家「満州国」を建国
  33年3月 国際連盟脱退
  37年7月 盧溝橋事件。中国全面侵略戦争へ
    12月 南京を占領し、捕虜や非戦闘員を虐殺、暴行(南京事件)
  40年9月 日独伊三国軍事同盟に調印
  41年11月 アジア・太平洋地域の占領計画「南方占領地行政実施要領」を決定
    12月 米国・真珠湾攻撃と東南アジア侵攻。アジア・太平洋戦争開始
  43年5月 御前会議で現在のマレーシアおよびインドネシアの領域を日本「領土」と決定
  45年3月 東京大空襲
     4月 沖縄戦(〜6月)
     8月 広島・長崎に原爆投下
        ポツダム宣言受諾。終戦
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2011年12月04日,「赤旗」) (Page/Top

 

11月)ヘッドライン

*         女性への性暴力撤廃を/京都でシンポジウム

*         埼玉日朝協会が総会

*         中曽根氏の慰安所設置関与/高知・草の家、資料説明会

 

11月(本文)(Page/Top

女性への性暴力撤廃を/京都でシンポジウム

 国連が定める「女性に対する暴力撤廃国際デー」(25日)を受け、女性への性暴力や人権について考えるシンポジウムが27日、京都市中京区のラボール京都で開かれ、150人が参加しました。アムネスティ・インターナショナル47(京都四条)グループ、アムネスティ・インターナショナル日本「慰安婦」問題チームが主催しました。
 日本軍「慰安婦」被害者の宋神道(ソン・シンド)氏(89)は、16歳でだまされて「慰安所」に連行された体験を語り、「大変つらい思いをした。何よりも戦争が一番怖い」と訴えました。
 女性共同法律事務所の雪田樹里弁護士は、強姦などの加害者責任が問われない状況があると指摘し、「裁判所では被害者の証言が異常に吟味され、被害者心理に理解のない無罪判決が相次いでいる」と批判しました。
 この発言に対し、在日の慰安婦裁判を支える会の川田文子氏が、「性暴力が犯罪として確立されていない社会であり、それゆえ慰安婦問題も放置されてきた」と強調しました。
 フィリピン・マイグラント・センター名古屋代表のバージー石原氏が移住者の実態を告発しました。
 コーディネーターを山下明子氏(世界人権問題研究センター・女性問題研究部客員研究員)がつとめました。
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2011年11月28日,「赤旗」) (Page/Top

埼玉日朝協会が総会

 日朝協会埼玉県連合会(船津弘会長)はこのほど、さいたま市内で総会を行いました。
 県連合会は、2011年に創立50周年を迎えました。総会では1年間の総括を行い、新年度は朝鮮・韓国の在日の人々とともに日本軍「慰安婦」問題や日朝「国交正常化」などに取り組むことを確認しました。船津会長が再任されました。
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2011年11月23日,「赤旗」) (Page/Top

中曽根氏の慰安所設置関与/高知・草の家、資料説明会

 高知県の平和団体「平和資料館・草の家」は5日、高知市で防衛省所蔵文書から発見された中曽根康弘元首相が慰安所設置に関わっていた資料の説明会を開きました。
 「草の家」が見つけたのは「海軍航空基地第2設営班資料」。岡村正弘館長や研究員が説明しました。バリクパパン(インドネシア・ボルネオ島)で飛行場整備をした班の編成や装備、活動内容が記されています。
 馴田正満研究員(63)が、第2設営班の主計長だった中曽根氏に関する記述に「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり」(原文)とあることを示し、「中曽根氏は、慰安所設置に能動的に動いたことが分かる」と説明しました。
 藤原義一研究員(64)は、自身が開設しているブログに先月28日から5日午前までに1万件のアクセスがあったことを紹介。「関心の高さを示しています」と話しました。
 参加者から「日本は解決済みとしているが、国連で議題になるなど人権問題として解明が求められている問題だ」「『(日本軍慰安婦問題で)政府に誠実な対応を求める意見書』が36自治体で可決されている。高知県でも意見書可決をめざそう」などの意見が出されました。
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2011年11月11日,「赤旗」) (Page/Top

 

10月)ヘッドライン

*         教科書は誰のもの/4/安倍氏祝福メッセージ/自民党「本気」の介入

*         シリーズ歴史と現代/ダーバン会議10周年/永原陽子/顕在化する「植民地責任」

*         韓国・「慰安婦」問題は「未解決だ」/日本に政府間協議求める/国連

*         慰安婦問題決断迫る

*         「慰安婦」問題で謝罪の請願採択/埼玉・宮代町議会

*         九条の会催し各地で/「女・母・人権」三宅氏が講演/あきた女性の会

 

10月(本文)(Page/Top

教科書は誰のもの/4/安倍氏祝福メッセージ/自民党「本気」の介入

 9月21日。台風15号が日本列島に上陸し、大きな被害を出したこの日の夜、東京都内で「育鵬社版教科書の採択報告と懇親の夕べ」が開かれました。主催したのは、実質的に育鵬社版教科書をつくった日本教育再生機構と教科書改善の会です。

党をあげて
 育鵬社版教科書「大躍進」の祝賀会であるこの夕べに、自民党の安倍晋三元首相が祝福のメッセージを寄せました。「日本人の美徳と優れた資質を伝える教科書が今後4年間で約25万名の子供たちの手に届くことになったことは、教育再生の基盤となるものと確信します」
 自民党が育鵬社版教科書の採択に党をあげて手を貸したことを象徴するできごとです。
 安倍元首相は5月に教育再生機構などが開いた「育鵬社教科書出版記念行事」に参加してあいさつ。「育鵬社が今夏の採択で大きな成功を収めるように、一緒になって頑張りましょう」(教育再生機構の機関誌『教育再生』6月号)と露骨に育鵬社版の採択率アップを呼びかけました。
 育鵬社への支援は安倍氏の個人的な行動にとどまりません。
 同党は5月、全国に向けて「中学校教科書採択への取り組み」についての通知を出しています。再生機構は『教育再生』7月号にその通知の内容を掲載。「自民党が今回は教科書で本気だ」などと書いています。
 それによると通知は、中学の歴史・公民教科書の大半は「教育基本法の理念・精神が十分反映されたものとは言えず、誠に遺憾」とし、「首長らに『自衛隊を違憲とする教科書についてどう思うか?』などと率直に考えをただす」ことなどを地方議員に求めています。
 自民党はさらに政務調査会発行のパンフレットを「議会質問用参考資料」として地方議員向けに出しています。「国旗・国歌」「自衛隊」「拉致問題」などについて、事実上、育鵬社が有利になるような質問例を掲載し、地方議員が議会で取り上げるように指示したものでした。

議連が総会
 2月には自民党の国会議員有志でつくる「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(通称・教科書議連)が総会を開きました。
 同議連は1997年に結成され、日本軍「慰安婦」の記述をなくすよう教科書会社に圧力をかけるなどしてきました。今夏の教科書採択に向けて活動を再開したのです。
 同議連の新会長となった古屋圭司衆院議員は4月22日の衆議院拉致問題特別委員会で民主党の中野寛成拉致問題担当相(当時)に、育鵬社の公民教科書の拉致問題にかんする記述を示し、「どういう印象をもつか」と質問。中野担当相は「育鵬社、よくここまで書いていただいたなという意味では敬意を表したい」と答えました。
 再生機構はさっそく『教育再生』5月号にこのやりとりを掲載。宣伝に利用しました。
 地方議会でも日本会議地方議員連盟のメンバーらが中心になって自民党のパンフレット通りの質問。「改正教育基本法の目標を達成するため、最も適した教科書の採択を求める決議案」などを出し、圧力をかけました。
 育鵬社版教科書は自民党の不当な介入の中で、各地で採択されたのです。(つづく)
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2011年10月21日,「赤旗」) (Page/Top

シリーズ歴史と現代/ダーバン会議10周年/永原陽子/顕在化する「植民地責任」

 この9月の国連総会で、「ダーバン会議10周年」を記念する「ハイレベル会合」が開かれた。2001年8月から9月に南アフリカのダーバンで開かれた反人種主義国際会議は、地球上のあらゆる形態の人種主義・排外主義の克服を目指したものだった。本年の会合では、10年前に採択された宣言と行動指針が改めて確認された。

「人道に対する罪」
 21世紀の最初の年に開かれたダーバン会議が画期的だったのは、人種主義や排外主義の歴史的背景として、奴隷貿易・奴隷制と植民地主義の過去を俎上にのせ、それらについての責任を問うた点である。アフリカ各国や南北アメリカのアフリカ系住民は、奴隷貿易・奴隷制と植民地主義が国際法上の「人道に対する罪」にあたるとして、奴隷貿易や植民地支配に関与した過去をもつ国々に償いを求めた。
 近代世界史の根幹を揺るがすような主張に、守りの立場に置かれた欧米諸国の政府は強く反発したが、会議は奴隷貿易・奴隷制を「人道に対する罪」とし、植民地主義に対する「遺憾」の意を表明する宣言を採択した。植民地主義とその前史としての奴隷貿易・奴隷制の歴史的責任を問う議論(「植民地責任」論)が、史上はじめて国際政治の表舞台に躍り出たのである。

米など激しい逆流
 ダーバン会議は、しかしその後、激しい逆流にさらされることになる。そもそも当の会議自体が、アメリカ合衆国の代表が中途退席するという後味の悪い形で終わった。パレスチナにおけるイスラエルの行動が批判されたのを不服としてのことである。そして、会議終了から3日後の9月11日に、合衆国で同時多発テロ事件が起こった。以後、反「イスラーム」に勢いづいた他の西欧諸国の政府や民間団体の中からも、ダーバン会議を「反ユダヤ主義を煽る」ものとして非難する声が高まり、その意義は著しくおとしめられることになる。
 合衆国では、会議の成果はもっぱら南北アメリカにおける黒人差別の問題に限定されて論じられるようになった。それはパレスチナ問題を現代の植民地主義ととらえることへの反撃であり、「過去」としての奴隷貿易・奴隷制と、「現在」としての植民地主義とを切り離す歴史認識を示している。今回の国連での10周年記念の会議では、合衆国やイスラエルのそのような姿勢に同調し、カナダ、ドイツ、イタリア等が参加をボイコットした(日本は参加)。
 しかし、ひとたび解き放たれた「植民地責任」への問いは、この間、世界の各地で植民地主義の暴力への償いを求める訴訟や、略奪された財産の返還を求める動きを止めがたいものとしている。身近なところでは、日本の韓国への「朝鮮王朝儀軌」の「引き渡し」が合意されたことが記憶に新しい。フランスも韓国に略奪資料を「永久貸与」し、ニュージーランドの先住民マオリには、博物館の展示物の中からミイラ化した首を返した。他のヨーロッパ諸国の博物館からも、頭骨や骸骨等の返還が相次いでいる。「標本」を「遺体」として取り返し、子孫の手で故郷に葬ることにより、植民地支配の過去が修復されると考える人々は多い。

具体的課題として
 植民地主義の暴力の被害者が償いを求める動きは、日本軍によって「慰安婦」とされた女性たちが声を上げたことに始まったが、ナミビアでは1世紀前の植民地体制下での大量虐殺の犠牲者の子孫たちが、当時の支配者であるドイツに補償を求めている。ケニアの独立運動「マウマウ」の元闘士たちは、英政府に対して虐殺や拷問への償いを求める訴訟を起こしたし、この9月14日には、インドネシア独立闘争中にオランダ軍によって引き起こされた「ラワグデの大虐殺」(1947年)の犠牲者たちに対して賠償を支払うことを、オランダの法廷が政府に命じた。ダーバン会議への逆流にもかかわらず、「植民地責任」は、現代の世界で、解決されるべき具体的な課題として顕在化しているのである。
 (ながはら・ようこ 東京外国語大学教授・南部アフリカ史)
 (随時掲載)
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2011年10月19日,「赤旗」) (Page/Top

韓国・「慰安婦」問題は「未解決だ」/日本に政府間協議求める/国連

 【ニューヨーク=時事】国連総会第3委員会(人権)で11日、日本と韓国の代表が旧日本軍の元従軍慰安婦問題をめぐり、それぞれ「解決済み」、「未解決だ」と主張して譲らない一幕がありました。
 同委員会ではまず、韓国の辛東益国連次席大使が「第2次世界大戦中のいわゆる慰安婦」問題に言及。組織的レイプや性的奴隷は戦争犯罪であり、特定の状況下によっては人道に対する罪になると問題視しました。
 日本の兒玉和夫次席大使がこの後、発言を求め、「第2次大戦に関する賠償などの問題はサンフランシスコ講和条約や2国間条約で法的に解決してきた。日本は戦後、真摯(しんし)に過去と向き合ってきた」と強調しました。
 これに対し、韓国側の担当公使が「日本政府の法的責任はまだある」と主張。韓国政府が提案している、元慰安婦の賠償請求権をめぐる政府間協議を受け入れるよう求めました。兒玉次席大使は「日本政府の立場は説明した。それを繰り返すことはしない」と突っぱねました。
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2011年10月13日,「赤旗」)

慰安婦問題決断迫る

 【ソウル=時事】韓国を訪問した玄葉光一郎外相は6日、金星煥外交通商相とソウル市内で会談しました。金外相は旧日本軍の元従軍慰安婦の賠償請求権をめぐる政府間協議を改めて提案。元慰安婦の平均年齢は86歳に達していると説明し、「日本が大局的な決断を通じて積極的に解決策を模索する必要がある」と迫りました。玄葉外相は問題は解決済みとの立場を示しましたが、会談後の共同記者会見では「引き続き話し合いたい」と語りました。
 玄葉外相は「日韓は死活的利益を共有している」と日韓関係重視の姿勢を伝え、野田首相による18、19両日の訪韓を確認しました。
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2011年10月07日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」問題で謝罪の請願採択/埼玉・宮代町議会

 埼玉県宮代町議会は9月28日、日本軍「慰安婦」問題に対する政府の誠実な対応を求める請願を賛成多数で採択しました。
 埼玉「従軍慰安婦」問題署名推進委員会など7団体が昨年6月定例会に続いて再提出したもの。日本共産党2町議を含む6人が紹介議員となりました。
 @政府による「慰安婦」被害者の実態調査と国としての公式謝罪A問題解決のための法律の早期成立による被害者の名誉回復と補償B学校や社会における「慰安婦」問題の歴史教育と次世代への継承の3点を求めています。
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2011年10月05日,「赤旗」) (Page/Top

九条の会催し各地で/「女・母・人権」三宅氏が講演/あきた女性の会

 あきた女性九条の会は1日、秋田市の協働大町ビルで「3周年のつどい」を開き、50人余が参加しました。
 秋田大学教育文化学部の三宅良美准教授が「女、母、人権のことば」と題して記念講演しました。
 三宅氏は、自身が滞在したインドネシアとイスラエルの2人の女性―▽13歳のときに日本軍の「慰安婦」にされ、日本に謝罪と賠償を求めてたたかった▽パレスチナの子どもたちの教育につくし、たたかいとる自由の大切さを説いた―を通し、それぞれの人権を求める運動が輪を広げ、根付いていく様子を映像で紹介。「戦争を起こさない、しないをうたう9条を言葉だけにしてはならない。日本の(戦争)犯罪を歴史にきざみ、はっきりと論じる責任がある」とのべました。
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2011年10月04日,「赤旗」) (Page/Top

 

9月)ヘッドライン

*         戦争体験本の出版記念会/名古屋

*         「慰安婦」問題、政府は解決を/新日本婦人の会

*         検証・八重山教科書採択/下/不当な文科省の対応

*         検証・八重山教科書採択/中/自民が「本気」介入

*         検証・八重山教科書採択/上/多数の意思で逆転

*         日本AALAが常任理事会開く

*         戦時性暴力、今も課題=^バウネットジャパンが総会/団体名称を変更

*         元慰安婦賠償請求権で議論/日韓外相会談

*         「満州事変」80年/侵略の悪行の数々語るのはつらいけど/元兵士、戦争犯罪を証言/松本栄好さん

*         「慰安婦」問題解決急げ/国会で集い/紙議員あいさつ

*         愛知母親大会に1300人/「浜岡」永久廃炉求め決議

*         李大統領「慰安婦」賠償請求権言及へ

*         現場尊重の採択を/教科書ネットが総会

*         松下塾出身総理の意味/報告書が語る「大連立」の土壌/渡辺治

*         請求権「解決済み」

*         賠償請求権/「慰安婦」で対日協議/韓国政府が提案

*         「慰安婦」協議、日本に提起へ/賠償請求権めぐり月内に/韓国

*         焦点フォーカス/韓国/「慰安婦」再び日韓問題に/怠慢の政府に違憲判決

*         交渉努力せずは違憲

 

9月(本文)(Page/Top

戦争体験本の出版記念会/名古屋

 第2次世界大戦中に旧日本軍の兵士だった近藤一氏の体験を、中高生に理解しやすく編集した『最前線兵士が見た「中国戦線・沖縄戦の実相」』の出版記念会が25日、名古屋市内で開かれ、100人ほどが参加しました。主催は「不戦兵士・市民の会」東海支部と「教科書市民の会」。
 現在92歳の近藤氏は、「中国での加害の事実を話すことは、戦友の悪口をも言うようで葛藤がありましたが、強姦(ごうかん)・略奪・子どもを殺すということが『天皇の軍隊』の名によってなされた。事実を直視し、きちんとした歴史観を持たずに贖罪(しょくざい)などといえない」と話しました。
 近藤氏と共同執筆した私立同朋高校教師・宮城道良氏は「元兵士は単なる加害者ではなく、被害者でもあったという観点を持つことが必要です。若い人たちもぜひ読んでみてほしい」と呼びかけました。
 近藤氏を追った映像を、仲間と制作した大学1年生の女子学生は「近藤さんは『慰安婦』のことも、加害者の立場で言葉をしぼり出すように話してくれました。今後も作品をつくって広く知らせたい」と話しました。
 『福沢諭吉のアジア認識』の著者・安川寿之輔名古屋大学名誉教授と、教科書市民の会の小野政美さんが、当時の日本が侵略・殺りくへの道を開いた背景と、「つくる会」系の教科書に沖縄から抗議が上がっていることを報告しました。
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2011年09月30日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」問題、政府は解決を/新日本婦人の会

 新日本婦人の会はこのほど、旧日本軍が侵略した地域で女性たちに性行為を強制した「慰安婦」問題で、女性たちへの個人賠償について韓国政府と誠実に協議し解決するよう求める高田公子会長の要請文を野田佳彦首相に送付しました。
 国連はじめ国際社会が解決をきびしく求めている問題だとのべ、生存者の悲報が相次ぐなかで、これ以上解決を拒否しつづけることは許されないと指摘。責任ある対応を急ぎ、被害女性の人権と尊厳を一日も早く回復するよう求めています。
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2011年09月28日,「赤旗」) (Page/Top

検証・八重山教科書採択/下/不当な文科省の対応

 もともと9月8日の逆転採択は、沖縄県教育庁が文部科学省と「調整を繰り返し、認識を確認した上で」(9月14日付「琉球新報」)実現したものでした。ところが9月13日、自民党文教部会長が文科省に圧力、同日、中川正春文科相は「協議は整っていない」と発言、15日には「採択地区協議会の……結果(育鵬社のこと)に基づいて……採択を行うよう指導を」という文科省通知がでます。
 政治的圧力のなかで変更された文科省方針。それが検討にたえられるものか、最後に検証します。
 文科省通知について、その意味を担当課にただしました。
 回答は、「結果に基づいて」というのは「結果通りに」ということではない、育鵬社と違う教科書を採択してもよい、というものでした。地区協議会はあくまで「答申」をだすだけで、教育委員会はそれに拘束されないことがはっきりしました。

正当な手続き
 「協議は整っていない」という大臣の認識はどうでしょうか。その根拠は、石垣市と与那国町の教育長の「協議は無効」という主張です。その後、教育委員会を代表する3人の教育委員長は連名で「協議は有効」とする文書を国に送付しています。
 どちらが正しいのか、当日の経過を追います。
 初めに3市町の教育委員全員からなる八重山地区教育委員協会が開かれます。「協会」には採択権限が明記されていませんが、同じメンバーからなる教育委員会ならば採択権限があります。そのことを確認し、招集権限のある3教育委員長の招集で13人の教育委員会に移行します。
 教育委員会は「協議は不可欠」と確認後、いったん3市町にわかれ協議形態について検討。与那国町と竹富町は「全教育委員で協議」。石垣市はまとまりませんでした。全教育委員で話し合い、全員での協議とすることを確認します。
 その後、協議の結論を多数決で出すかどうかを検討。議論のすえ、多数決方式が賛成8で決します。その後、賛成8で東京書籍が採択されました。手続きをふんだ正当な採択であり、協議は明らかに有効です。
 文科省は、多数決方式への各教育委員会ごとの意思確認がないことを問題にしますが、重箱のスミをつついたような話です。すでに全員協議が、各教育委員会の意思確認をへて決定されています。そのもとで結論に至る方法を全員の協議で決めたことを国がとがめるのは無理な話です。

暴走したのは
 そして文科省は肝心なことを見ていません。誰が混乱を引き起こしたかです。
 9科目15種目130冊を超える中学教科書。そこから最適なものを選ぶには現場教員の意見反映が不可欠です。文科省通達も「それぞれの地域において広く関係者の理解を求めるよう努める」としています(2002年8月30日付)。その精神を踏みにじったのは、玉津博克会長の強引なやり方でした。
 選定作業の途中で地区協議会から現場教員を排除して自分に有利な構成に。さらに規約を無視して教科書調査員を独断で委嘱、同じく調査方法を育鵬社に有利に変更。それでも育鵬社推薦の調査書は一つも出てきませんでした。
 結局、玉津氏に有利な構成となった協議会は、教科書調査員、校長会、PTA連合会が反対している教科書を答申。ここに問題の源があります。「広く関係者の理解」がまったく得られない道を暴走した玉津氏は、真の意味で教育的指導が必要でしょう。
 9月8日の採決の時、育鵬社に賛成してきた石垣市の女性委員が発言しました。「公民はほとんど目を通していないので判断できない」。教育の営みからはずれた育鵬社派の暴走。それを見ないで自民党の圧力に屈するのか、教育行政の根幹が問われています。
 (おわり)
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2011年09月28日,「赤旗」) (Page/Top

検証・八重山教科書採択/中/自民が「本気」介入

 「こんなところにいていいのか。国会で県教委は不当介入だと言われているぞ」。8月10日、玉津採択協議会会長は石垣市を訪れた沖縄県教育庁職員に言いました。県庁職員は、採択協議会に校長・指導主事を追加するなどの要請に来ていました。
 その日国会で県教委の要請を「不当介入だ」と取り上げたのは、自民党の古屋圭司衆議院議員。中学校教科書採択に向け2月に再スタートした「日本の前途と歴史教育を考える議員の会(略称教科書議連)」の会長です。県の行為は指導にあたり、内容も教育専門家の意見反映のためという穏当なもの。文科省は不当介入論に同調しませんでした。ちなみに玉津氏の発言は、古屋議員の質問の前。事前に質問内容を知っていたわけです。

エスカレート
 自民党による介入はエスカレートします。
 教科書採択のために3市町の全教育委員が集まった9月8日、席上で玉津氏がある文書を読み上げました。「教科書採択における文部科学省との確認事項」と題するその文書の発信元は、義家弘介自民党参議院議員(教科書議連事務局長)。8月の協議会での育鵬社答申が、法律上の教育委員会の「結論」に該当するなど、玉津氏の立場を支持する内容です。それを国の方針だとすごむ玉津氏。地元紙は「義家議員、玉津氏に指南」と報じ、義家氏は情報提供だと自身の行動を認めました。(「琉球新報」9月13日付)
 しかし、答申が法律上の採決となるはずがなく、議事はすすみ、育鵬社の答申は否決、他の教科書が採択されました。
 すると自民党は採択自体を覆すために動き出します。
 9月13日、自民党本部。自民党文科部会と教科書議連の合同部会が開かれます。沖縄県教育庁義務教育課長と玉津会長が呼ばれ、文科省も同席しました。そこでは沖縄県教委の姿勢がさんざん批判されます。さいごに下村博文部会長が文科省に対し、沖縄県教委への指導を通じ、竹富町が育鵬社採択をするよう要請しました。
 政党本体が沖縄の南西の島々で特定の教科書―しかも沖縄戦集団「自決」に日本軍関与はなかったという立場にたつ人々が編集した教科書です―の採択のため、なりふり構わず教育委員会と文科省に圧力をかける。かつてない教育への政治介入の事件です。

パンフを作成
 自民党は「つくる会」系教科書採択のために準備を重ねてきました。昨年12月22日に県連と地方議員に「新教育基本法に最も適した採択」を推進せよと通達。さらに5月25日には6月地方議会にむけ再度の通達をだしました。質問案文や決議案文も添付し用意周到です。
 さらに「新教育基本法が示す愛国心、道徳心を育む教科書を子供たちへ」と題するパンフレットを作成。全国に配布しました。6月10日予算委員会では義家参議院議員が「つくる会」系教科書を「自虐史観から脱却したまともな歴史教育」ともちあげる質問をしています。
 「『つくる会』系教科書を採択させよ」の号令。そのもとで自民党は各地で「今回は本気だ」といわれる動きを見せました。その一つが八重山の介入事件です。
 (つづく)

自虐史観
 日本のおこなった中国侵略、アジア太平洋戦争などへの反省をおこなうことを、「自虐的」といって否定する立場の人々がつかう用語。南京大虐殺や日本軍「慰安婦」を認めること等も自虐的とされます。しかし、これでは過去の誤りという歴史の事実に目をつぶった上の独善的な「愛国」となり、人間的モラルや世界の人々との友好に即した愛国心の形成を妨げます。
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2011年09月27日,「赤旗」) (Page/Top

検証・八重山教科書採択/上/多数の意思で逆転

 教科書選定をめぐって揺れた沖縄県八重山地区。この8月、公民教科書が育鵬社版に決まりかけ、9月に逆転、別の教科書が採択されました。一般にはなじみのない教科書採択の世界。何がどうなったのか検証します。
 (日本共産党文教委員会責任者・藤森毅)

 国は法解釈により、教科書の採択権限は教育委員会にあるとしています。複数の自治体からなる八重山地区の場合、関係する教育委員会が協議して教科書を採択します。
 まず9月の逆転採択からみてみましょう。
 9月8日、八重山の3市町の全教育委員13人が集まりました。採決結果は、育鵬社賛成2、反対8、意思表示なし2、退席が1人。意思表示なし、退席はいずれも育鵬社支持とみられます。この間の経過からみても教育委員は、8対5で「育鵬社」反対が多数です(上の図)。そして賛成8で東京書籍を採択しました。

反対は6割超
 教育現場の意見も「育鵬社は困る」。八重山の教科書調査員(現場教員)の報告書には育鵬社版の多くのマイナス面が記述されています。校長会はこの調査の尊重を求めました。八重山地区PTA連合会も育鵬社を採択しないよう要請しています。
 住民の意思も明確です。地元紙の世論調査では育鵬社反対が6割を超え(「琉球新報」9月7日付)、別の地元紙は教育委員会の決定に「採択逆転 市民安堵(あんど)」と大見出しをつけました。(「沖縄タイムス」9月9日付)
 8月に育鵬社に決まりかけたというのは、八重山採択地区協議会が行った答申のことです。(8月23日)
 同協議会は3市町教育委員会の教科書選定の諮問に応じ答申をおこなうために設置された、教育委員会の諮問機関です。その答申が育鵬社版だったわけです。
 大多数の関係者が反対する教科書がなぜ選定されたのか。そこにはカラクリがありました。
 6月27日、育鵬社支持の玉津博克協議会会長(石垣市教育長)が主導し規約を大改定、委員を11人から8人にし学校関係者を外すなど育鵬社支持が多くなるようにしました。実際、協議会は育鵬社支持が多数を占めることになりました。
 しかし、協議会の選定とは、あくまで「この教科書にしたらどうか」という答申であり、その通りにするかどうかは教育委員会の判断です。意見が割れた場合、関係教育委員会が協議し一本化することになっています。
 竹富町教育委員会が答申を否決し、どう一本化するかを話し合ったのが、冒頭の全教育委員の会議でした。全員で集まると不利になる育鵬社派は反発しましたが、粘り強い議論をへて意見が一致できない場合は多数決で採択することが決まり、冒頭の逆転採決となりました。

選定の原点は
 もともと教科書選びは、子どもの学習に最善のものを選ぶという教育の営みです。たとえ教育委員会に最終権限があろうと、実際に教えている教員の意見が尊重され、保護者や住民の意見も重視されなければなりません。
 その原点にたてば、教員・校長会、PTA連合会、住民の多数が反対している育鵬社版を選ぶことはありえないことです。この教育の条理をふみにじろうとした一部の教育委員。さらに文部科学省は9月の採択に疑義をはさみ介入をうかがっています。これらの背後には自民党議員らの常軌を逸した政治介入がありました。(つづく)

八重山地区
 石垣市、竹富町、与那国町の3市町。竹富町は竹富島、西表島、波照間島など八つの島からなります。
 育鵬社公民教科書 「つくる会」系教科書の一つ。大日本帝国憲法を高く評価する一方、現在の日本国憲法を軽視。原発問題でも推進の姿勢が話題に。
 教育委員会 各都道府県、各市町村におかれます。委員定数の標準は5人ですが、自治体によって3人あるいは6人にできます。委員の互選でえらばれる教育委員長が代表。教育長は教育委員会の指揮のもとに事務を統括します。
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2011年09月26日,「赤旗」) (Page/Top

日本AALAが常任理事会開く

 日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会(日本AALA)は23日、東京都内で第2回常任理事会を開き、当面の活動方針を決めました。
 魅力ある運動をどう組織し、組織の増強を図るか、世界を知って日本を変える運動をどう全国化するか、などについて討議しました。
 国際情勢では、パレスチナの国連加盟を支持し、日本政府に働きかけることや、米国の拒否権発言に抗議することなどを決めました。
 野田首相が国連で原発推進を表明したことや、オバマ米大統領との会談で、米軍基地移設、環太平洋連携協定(TPP)、米国産牛肉などの問題についてアメリカに忠誠を誓う姿勢を示したことに断固抗議し、秋のたたかいを展開していくことを確認しました。日本軍「慰安婦」被害者問題を早期に政治解決するよう求める運動の強化を決めました。
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2011年09月27日,「赤旗」) (Page/Top

戦時性暴力、今も課題=^バウネットジャパンが総会/団体名称を変更

 戦時下の女性への性暴力を告発し、補償を求めて活動してきたVAWW―NET(バウネット)ジャパンは25日、総会とシンポジウムを開き、名称をVAWW RAC(「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター)に変更しました。
 バウネットは、1998年に、「日本軍性奴隷制を裁く2000年女性国際戦犯法廷」を提唱し、活動を開始。同法廷をNHKがドキュメンタリー番組にしましたが、自民党議員らの圧力で「慰安婦」被害を矮小(わいしょう)化する改ざんをされて放送。バウネットは裁判をたたかいました。昨年、女性国際戦犯法廷から10年を記念して開催した国際シンポジウムを機に名称を変更することにしていました。
 総会シンポでは、中原道子・西野瑠美子各バウネットジャパン共同代表が報告。西野氏は、「戦時性暴力は戦時下という非日常≠ナ行われた犯罪ですが、家父長制度的な日常からもたらされたもの。決して過去のことでも特別なことでもなく、戦時性暴力をなくすことは現代の運動課題です」と語りました。
 また、夕張地域史研究資料調査室の青木隆夫室長が夕張炭鉱の歴史と朝鮮人労働者について報告。在日朝鮮人ジェンダー史を研究している金優綺氏が「戦時下の北海道における炭鉱・鉱山『慰安所』」と題して報告しました。
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2011年09月26日,「赤旗」) (Page/Top

元慰安婦賠償請求権で議論/日韓外相会談

 【ニューヨーク=時事】玄葉光一郎外相は24日、ニューヨーク市内のホテルで韓国の金星煥外交通商相と会談しました。金氏は、旧日本軍の元従軍慰安婦の賠償請求権を確認するための政府間協議を提案。玄葉氏は、1965年の日韓基本条約を挙げ「請求権問題は完全かつ最終的に解決済みだ」と拒否した上で、「この問題が日韓関係全体に悪影響を及ぼさないようにすべきだ」と冷静な対応を求めました。
 金氏はまた、日本統治時代に朝鮮半島から日本に持ち込まれた古文書などの扱いに関する日韓図書協定が先に発効したことを踏まえ、「適切な時期に引き渡してほしい」と要請。玄葉氏は「韓国側の意向を尊重しながら引き渡したい」と述べました。時期について、日本側は年内を検討しています。
 北朝鮮の核問題をめぐっては、米国を交えた3カ国の連携と、当面は南北、米朝の対話を通じ北朝鮮から非核化に向けた具体的な行動を引き出す方針を確認。玄葉氏は拉致問題での韓国側の協力を求めました。
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2011年09月26日,「赤旗」) (Page/Top

「満州事変」80年/侵略の悪行の数々語るのはつらいけど/元兵士、戦争犯罪を証言/松本栄好さん

 「満州事変」の発端となった1931年9月18日の柳条湖事件から今年で80年。この大きな節目の年に、日本の侵略戦争を賛美する中学校教科書(育鵬社版、自由社版)が、自民党による政治圧力の下、各地で採択されました。日本軍は中国で何をしたのか、事実と向き合うことがいま改めて問われています。
 本吉真希記者

 松本栄好(まさよし)さん(89)=神奈川県相模原市=。21歳だった1944年の早春、衛生兵として中国山西省盂(う)県で従軍し、約半年後、30人ほどの分遣隊に派遣されました。
 八路軍(中国共産党の軍)の情報を得るため、中国語の巧みな兵士がスパイとなり、「目ぼしい中国人を連行して拷問していた」といいます。
 どんな拷問をしたのか―。松本さんは大きく息を吐き出し、重い口を開きました。
 「正座させた膝の裏に棒を挟んで、ももの上に大きな石を載せる。水を飲ませて大きく膨らんだ腹を押して水を吐き出させ、また飲ませる。爪の間に針を突っ込んだりもした。最後は穴を掘らせ、その前に座らせて…」
 松本さんはそこまで話すと、刀を振り下ろすまねをしました。「刀の切れ味を知るための試し切りだよ」
 地雷探知機≠ニ称し、中国人に行軍の先頭を歩かせたりもしました。八路軍の地雷を日本兵が踏まないようにするためでした。
 ある時の討伐では、逃げ遅れた部落民がいました。「その中の8人の婦人を兵舎に閉じ込め、『慰安婦』にした」
 松本さんは元牧師で、従軍する前年、九州の日本基督教会で洗礼を受けました。「聖戦」が叫ばれる中、教会の牧師は松本さんに「この戦争は必ず負ける」と語りました。
 この言葉が頭にずっと残っていたという松本さん。やっとの思いで帰国した後、自民党の「靖国神社法案」が問題に。「英霊の業績」をたたえ、その「偉業を伝える」というものでした。「討伐の目的は強盗、あわよくば強かん」という日本軍の悪行を「偉業」と称賛する法案に、松本さんはどうしても納得ができませんでした。
 「自分を侵略戦争に駆り出した元凶は何であったか」と考えるようになり、それは戦前の天皇制国家や大日本帝国憲法、天皇や国のために命をささげる子どもや兵士をつくり上げた教育勅語や軍人勅諭であったと気がつきました。
 「戦争犯罪について話すのはつらいこと。でも、言わんといかん。なぜなら、現在は過去の上にあり、過去が将来の基盤でもあるからです」
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2011年09月25日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」問題解決急げ/国会で集い/紙議員あいさつ

 第2次世界大戦で旧日本軍が各国で女性を連行し、性行為を強制した「慰安婦」問題の早期解決を求める集いが21日、衆議院第2議員会館内で開かれ、約80人が参加しました。早期解決を求めて運動してきた市民団体や個人がよびかけました。
 韓国の憲法裁判所は8月30日、韓国政府に対し、「慰安婦」問題は1965年の日韓請求権協定の対象外であり、韓国政府は日本政府と外交交渉すべきである、との決定を下しました。この決定を受け、戦時性的強制被害者問題解決促進法の成立などの野田新政権の「慰安婦」問題早期解決への対応が注目されるなか、開いたもの。
 女たちの戦争と平和資料館(wam)の池田恵理子館長が、高齢となり次々と亡くなっている中国山西省の元「慰安婦」の現状を報告。元日本軍衛生兵で、同省孟県で、集落の女性を「慰安婦」にした松本栄好(まさよし)さん(89)が、加害体験を語りました。
 日本共産党の紙智子参院議員が「日本政府が主体的立場で被害者に謝罪し、早期解決するよう働きかけていく」とあいさつしたほか、民主、社民両党国会議員があいさつしました。
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2011年09月22日,「赤旗」) (Page/Top

愛知母親大会に1300人/「浜岡」永久廃炉求め決議

 第57回愛知母親大会が18日、愛知県瀬戸市で開かれ、1300人が参加しました。子育て・教育施策の充実や女性の地位向上、核兵器廃絶などを求める大会決議と、浜岡原発(静岡県御前崎市)の永久廃炉を求める特別決議を採択し、市内をパレードしました。
 全体会に先立ち、「食の安全」「原発とマスコミ」など20の分科会が開かれ、「日米同盟と安保条約」分科会ではシンポジウムが行われました。
 シンポジウムで実行委員会の水野磯子代表委員があいさつ。中村紀子氏(元名古屋YWCA総幹事)は「戦争や紛争がある限り、女性への暴力はいつでも起きる可能性がある。戦争そのものを起こさないことが大切」と述べ、池住義憲氏(立教大学大学院教授)は「自衛隊を段階的に縮小し、安保条約を日米友好条約に変える必要がある。そういう人を国会に送り出すべきだ」と語りました。
 矢野創氏(愛知県平和委員会事務局長)は「航空自衛隊小牧基地は米軍の海外戦略と一体に基地機能強化がすすめられており、日本も戦争の加害国になる恐れがある」と話しました。
 会場から、名古屋市議会に「慰安婦」問題の意見書を可決させる署名運動が紹介されました。
 全体会では、伊藤千尋朝日新聞記者が「憲法を活(い)かして平和を創る」と題して、世界各地の取材体験から、「原発も基地もない世界を」と訴えました。
 日本共産党の八田ひろ子元参院議員も参加しました。
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2011年09月21日,「赤旗」) (Page/Top

李大統領「慰安婦」賠償請求権言及へ

 【ソウル=時事】韓国外交通商省報道官は20日の記者会見で、21日にニューヨークで行われる野田佳彦首相と李明博(イ・ミョンバク)大統領の会談で、韓国側が旧日本軍の元従軍慰安婦の賠償請求権をめぐる問題に言及する予定だと述べました。
 韓国憲法裁判所が、賠償請求権について韓国政府が交渉努力をしないのは違憲と判断したことを受け、同省は15日、日本側に政府間協議を提案していました。
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2011年09月21日,「赤旗」) (Page/Top

現場尊重の採択を/教科書ネットが総会

 子どもと教科書全国ネット21は18日、東京都内で第14回総会を開き、1年間の活動のまとめと今後の方針を確認しました。
 議案の提案に立った俵義文事務局長は侵略戦争美化、憲法敵視の育鵬社の教科書が約4%の採択率になったことを報告。採択地区数でみると全国582地区中約2%にあたる13地区で採択されただけであり「多くの国民の支持を得たとはいえない」と述べました。
 育鵬社・自由社の教科書は「戦争をする国の国民づくりの道具としてつくられたもので、子どものための教科書ではない」と指摘。採択された背景に自民党が介入したことや日本会議が地域組織をつくって活動したことなどをあげました。
 採択された地区での撤回運動にとりくむとともに、教育現場の意向を尊重させる採択制度を求めていくことなどを今後の活動として提起しました。
 6年ぶりに「つくる会」系教科書を不採択にした東京・杉並区、640通以上のはがきでの要請などで採択を阻止した京都市など、各地から活動が報告されました。
 同ネット代表委員の高嶋伸欣琉球大学名誉教授が、今回の中学校教科書の採択について発言。元NHKプロデューサーの永田浩三武蔵大学教授が記念講演。「女性国際戦犯法廷」についての番組が自民党国会議員の圧力で改変された問題について語り、「番組改変と教科書から『慰安婦』記述が消された問題は同調している」と述べました。
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2011年09月19日,「赤旗」) (Page/Top

松下塾出身総理の意味/報告書が語る「大連立」の土壌/渡辺治

 野田政権は、国民から批判や反対のある政策課題を実行する「事実上の大連立」=「民自公の翼賛体制」を強く志向しています。野田首相が自民・公明両党の党首と会談し、子ども手当や高校授業料無償化の廃止・見直しとともに、法人税減税の協議などを3党協議で進める「3党合意」への忠誠を誓ったのはその表れです。

懸案処理に最適な人物
 なぜ「事実上の大連立」か。今、財界などの圧力で求められている消費税の増税やTPP(環太平洋連携協定)参加などの懸案は民自公の共同がなければできないからです。「事実上」というのは、自民党議員の入閣を含む厳密な連立政権に限らず、自民党と民主党がとにかく共同する体制が目指されているからです。
 松下政経塾出身の野田首相は、「事実上の大連立」をすすめ、懸案を処理する「最適」な人物といえます。
 松下政経塾は、1979年、日本の保守政治の安定のため、自民党と競いあう保守政党を作り保守二大政党体制の構築を目的にできました。自民党の議員は派閥に属し、地盤を引き継いで選挙で当選します。血縁などがない若手の保守政治家が育つ環境がありません。そこで保守政党を作るために若手政治家を育てようと松下政経塾ができたのです。90年代になって、政治改革、93年政変で保守二大政党制が現実化してくると政経塾は注目を集めるようになりました。
 今の松下政経塾の課題は、円滑な保守二大政党制を成熟させるべく自民党と民主党の共通の政策、土壌を作っていくこと、自民と民主党の人的交流で政権交代を円滑に進めることです。その先頭に立った1人が、松下政経塾1期生の野田首相です。松下政経塾で2008年「日米同盟試練の時」という報告書がつくられました。
 報告書は「東アジア共同体批判」、「中国脅威論」などの立場に立ち「従軍慰安婦」問題や靖国問題などでのアジアからの批判にたいしても「誤解や認識不足」と一蹴するなどタカ派的な内容をもっていますが、注目すべきは、報告書作成者の名前です。民主党の野田首相と前原誠司政調会長、自民党の逢沢一郎国会対策委員長、松沢成文前神奈川県知事などがプロジェクト委員、報告書賛同者として名を連ねていたのです。自民・民主の大連立の地ならしと言えます。

新しい政治求める国民
 財界とアメリカの意向を受けた野田内閣ですが、この内閣が実現を託された四つの課題―消費税増税、TPP参加、原発の再稼働と輸出、普天間米軍基地「移設」問題の解決は、容易ではありません。この点で私は、自公政権を退場させて民主党政権を経験したことは、国民に大きく影響していると思います。国民は政治が変われば、自公政権時代にはできなかったことを実現する可能性があると感じたとおもいます。例えば、高校授業料無償化など、政治が変われば可能になるということを実感したのではないでしょか。同時に、日米同盟と「構造改革」の政治に反対する政治を実現するためには、選挙目当ての単発の政策ではなく日本の進路としてきちんとした対案を持たなければダメだということもはっきりしたと思います。例えば、財源問題では大企業がため込んだ内部留保にメスを入れるという対案です。
 TPP反対や原発NOの運動の広がりなど、新しい政治を求める国民の声は着実に広がっています。二大政党制の枠外にあって国民の声を政治に反映しきちんとした対案を示す共産党の役割はますます重要になっています。そして、共産党、民医連や全労連などの運動団体、民主的研究者が共同で、対抗構想をより具体的に仕上げていくことが急がれます。
 (わたなべ・おさむ 一橋大学名誉教授)
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2011年09月19日,「赤旗」) (Page/Top

請求権「解決済み」

 山口壮外務副大臣は15日の記者会見で、韓国政府が旧日本軍「慰安婦」の賠償請求権に関する政府間協議を提案したことについて、「この件は法的に解決済みだということをこれからも言っていく」と述べ、日韓基本条約締結の際に結ばれた請求権協定に基づき、解決済みであるとの立場を強調しました。ただ、協議開催については「押し返すよりもきちっと対話していった方がいい」と語り、前向きに対応する考えを示しました。
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2011年09月16日,「赤旗」) (Page/Top

賠償請求権/「慰安婦」で対日協議/韓国政府が提案

 【ソウル=時事】韓国外交通商省の趙世暎(チョ・セヨン)東北アジア局長は15日、在韓日本大使館の兼原信克公使を呼び、旧日本軍の元従軍慰安婦の賠償請求権を確認するための政府間協議を提案しました。兼原公使は、提案を本国に伝えると答えました。
 協議提案は、韓国の憲法裁判所が8月30日に、元慰安婦の賠償請求権について韓国政府が交渉努力をしないのは違憲だとの判決を下したのを受けたもの。1965年に日韓基本条約が締結された際の請求権協定第3条1項で、協定解釈などをめぐる紛争は外交交渉を通じて解決すると規定されていることに基づいています。
 日本は個人の賠償請求権は同協定をもって消滅したとの立場ですが、韓国側は、慰安婦問題は協定に含まれないと主張。ただ、外交通商省報道官は15日の記者会見で「補償問題は協議結果を見て検討する」と述べ、協議は元慰安婦の請求権確認を目的とし、補償要求までは行わない考えを示しました。同省は、協議の対象には韓国人被爆者の賠償請求権も含まれるとしています。
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2011年09月16日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」協議、日本に提起へ/賠償請求権めぐり月内に/韓国

 【ソウル=時事】韓国外交通商省報道官は8日の定例記者会見で、旧日本軍の元従軍慰安婦の賠償請求権の有効性をめぐり、日本側に協議を求める考えを明らかにしました。法的な検討などを行った上で、今月中に提起する見通し。同報道官は「日本側が受け入れることを期待している」と語りました。
 これに先立ち、韓国憲法裁判所は8月30日、賠償請求権について韓国政府が日本側との交渉努力をしないのは違憲との判断を示していました。
 日本は、1965年の日韓基本条約締結の際に個人の賠償請求権は消滅したとしています。一方の韓国は、慰安婦問題は協定に含まれていないとの立場。違憲判断を受けて今月1日、日本の駐韓公使に対し、日本側が同問題で積極的に対応するよう求めました。
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2011年09月09日,「赤旗」) (Page/Top

焦点フォーカス/韓国/「慰安婦」再び日韓問題に/怠慢の政府に違憲判決

韓国憲法裁判所判決要旨

 かつて日本軍が侵略した地域で女性たちに性行為を強制した「慰安婦」問題が、改めて外交問題に浮上しています。韓国の憲法裁判所が8月30日、韓国政府が問題解決のための努力を怠ったことは違憲だという判決を出したためです。(中村圭吾)

 この判決は、被害女性108人が2006年に憲法裁判所の判断を求めて提訴したことによるもの。被害女性らは1990年代から20年余にわたり、日本政府に謝罪と賠償などを求めてきましたが、韓国政府は、これに消極的な態度を取ってきたといいます。
 判決は、被害女性の日本政府に対する賠償請求権について、日本と韓国が国交正常化の際に締結した日韓請求権協定(1965年)の解釈に「争い」があると指摘。にもかかわらず、韓国政府が協定の規定に基づく解決のための手続きをとらなかったことは、違憲だと判断しました。
 韓国の国家記録院の資料によると、韓国政府は93年、当時の金永三(キム・ヨンサム)政権が「慰安婦」問題について日本に謝罪と真相究明を求める一方、賠償請求はしないという立場を決定。それと引き換えに、被害者支援法を制定して被害女性への支援金の支給を始めたといいます。

日本に解決迫れ
 憲法裁が判決を言い渡した翌日の8月31日、この問題に取り組んできた市民団体「挺身隊問題対策協議会」(挺対協)などは、外交通商省前で記者会見を開催。韓国政府に対して判決を受け入れ、被害者の人権回復のための外交策をまとめ、日本政府に問題解決を促すよう求めました。
 挺対協は、「被害女性は、韓国政府が傍観する中、20年にわたり、日本政府とたたかってきた」と主張。日本で日本政府に損害賠償を求める訴訟を提起したが全て敗訴したとして、「日本政府と国会に対して実質的な解決が可能になるように、あらゆる措置をとれ」と迫りました。

外交通商省動く
 新聞各紙も社説などで、「被害者が日本政府から損害賠償を受けられるよう外交的、国際的努力を新たに始めなければならない」(朝鮮日報)と主張。与党・ハンナラ党内からも、これまでの「政府の無関心」(鄭夢準〔チョン・モンジュン〕議員)を指摘し、解決を求める声が上がっています。
 こうした事態を受けて、外交通商省は1日、在韓日本大使館の兼原信克公使を呼び、問題解決に向けて日本政府が積極的で誠意ある措置を取るよう要請しました。
 同省の報道官は同日、韓国側の請求権を放棄した請求権協定には「慰安婦」問題は含まれていないと強調。「まだ日本側が取るべき措置があるという(韓国)政府の一貫した立場は変わらない」と述べました。
 韓国政府は、国際仲裁機関への問題提起など、判決を踏まえた措置を検討中。「慰安婦」問題が、日韓関係の重要懸案となる可能性が高まっています。

韓国憲法裁判所 判決要旨
 ▽被害者が日本に対して有する賠償請求権が「日韓請求権協定」によって消滅したかどうかについて、日韓両国の間で、解釈の争いがある。政府には、解釈についての争いが生じた場合の手続きを定めた同協定第3条に基づき、問題を解決する憲法上の義務がある。
 ▽政府は、放棄の対象となる請求権の内容を明確にせず、「あらゆる請求権」という包括的な概念を用いて協定を締結した。被害者の賠償請求の実現、人間としての尊厳の回復が困難になったことについて、政府には責任がある。
 ▽被害者の基本権への重大な侵害の可能性、救済の切迫性を考えれば、政府に義務を履行しない裁量はない。また、義務を忠実に履行したともいえない。
 ▽政府の不作為により、被害者の基本権の重大な侵害を招いた。これは憲法違反だ。

日本軍「慰安婦」問題
 日本軍が侵略した地域に設置した「慰安所」で、女性たちを奴隷状態に置き、性行為を強制した問題。被害者の数は、数万〜20万人。韓国の金学順(キム・ハクスン)さん(故人)が1991年に被害者として初めて名乗り出て、日本政府に損害賠償を求めて提訴。日本政府は93年に日本軍の関与を認め、「お詫(わ)びと反省」を表明する談話を発表しましたが、賠償は行われていません。韓国政府に登録された被害者は234人ですが、その3分の2が死亡。79人が存命。
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2011年09月06日,「赤旗」) (Page/Top

交渉努力せずは違憲

 【ソウル=時事】韓国外交通商省の趙世暎(チョ・セヨン)東北アジア局長は1日、同国の憲法裁判所が、旧日本軍の元従軍慰安婦の賠償請求権をめぐり韓国政府が日本との交渉努力をしないのは違憲との判断を出したことを受け、兼原信克駐韓公使を呼び、日本側の積極的な対応が必要との考えを伝えました。兼原公使は本国政府に報告すると答えました。
 植民地時代の請求権をめぐっては、両国は1965年の協定で韓国が請求権を放棄、日本が経済協力資金を支払う形で決着が図られました。日本側は個人の賠償請求権について決着済みとの立場です。
 これに対し、同省報道官は1日の記者会見で、「慰安婦問題は協定の対象に含まれず、日本側が追加的な措置を取るべきだというのが韓国政府の一貫した立場だ」と述べました。
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2011年09月02日,「赤旗」) (Page/Top

 

8月)ヘッドライン

*         元慰安婦の賠償請求権放棄/韓国憲法裁が初の違憲判断

*         韓国元日本軍「慰安婦」を訪ねて/埼玉・所沢市議平井明美さん/「歴史教科書に真実を」口々に

*         「女たちの戦争と平和資料館」/フィリピン「慰安婦」展開催中/東京

*         日本軍の性暴力告発/北京抗日記念館でパネル展

*         66年目の8・15/侵略戦争に反対/日本共産党

*         日本軍「慰安婦」/実名告発から20年/解決を!生きてるうちに/日本政府に謝罪と賠償を要求

*         軍隊と戦争/体験者語る/「人間から鬼へ」・国民弾圧の実態

*         終戦66周年/歴史の逆流は許さない/侵略戦争・植民地支配/今も問われる課題

*         親子で考える戦争と平和の本/児童文学評論家西山利佳さんが紹介

*         「慰安婦」被害者名乗り出て20年/早期解決求めて宣伝/国会前

8月(本文)(Page/Top

元慰安婦の賠償請求権放棄/韓国憲法裁が初の違憲判断

 【ソウル=時事】韓国憲法裁判所は30日、旧日本軍の元従軍慰安婦の賠償請求権をめぐり、韓国政府が日本側と交渉する努力をしないのは違憲とする初めての判断を下しました。元慰安婦らが違憲審査を申し立てていました。両国は1965年の日韓基本条約締結の際の請求権協定で、韓国が植民地時代の請求権を放棄する代わりに、日本が経済協力資金を支払う形で決着を図りました。
 憲法裁は「協定に被害者(慰安婦)の賠償請求権が含まれているかをめぐり(日韓で)解釈の差があるので外交ルートを通じて解決しなければならない」として、韓国政府に外交努力を求めました。
 外交通商省は「今回の判断を勘案し、対応を検討する」としており、日本側への働き掛けを強める可能性もあります。
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2011年08月31日,「赤旗」) (Page/Top

韓国元日本軍「慰安婦」を訪ねて/埼玉・所沢市議平井明美さん/「歴史教科書に真実を」口々に

 韓国の独立記念日にあたる15日から4日間、韓国を訪問した埼玉県所沢市の平井明美市議から訪問記が寄せられました。紹介します。

 10年前、母と娘と3人で来たときに比べ、街はあか抜け、活気に満ちている印象でした。

10枚のレリーフ
 ソウルのパゴダ公園には、1919年、日本からの独立万歳を叫んで朝鮮民衆が立ちあがった「3・1万歳運動」の歴史をたどった10枚のレリーフが設置されています。その1枚1枚に日本が犯した侵略の構図が描かれています。独立を願って「万歳」と叫んだ女性の髪を馬の尾につないで引きずりまわす凄惨な状況でありながら、女性の顔には強い意志が刻まれています。
 元日本軍「慰安婦」が共同生活する「ナヌムの家」は、広州市の山の奥にあります。現在8人のハルモニ(おばあちゃん)が生活しています。平均年齢は85歳で、最高は90歳です。
 多くのハルモニはトラウマを抱え、人間不信になっています。私が踊りの上手な84歳のハルモニに「頑張っていらっしゃるのですね」と言ったとたん「何を頑張るの。もう昔のことは言いたくない! 忘れた」と。彼女はしらけた顔をして私を見ていましたが、突然、軍歌を歌い出し「軍歌はいいね、懐かしい」と初めてにっこりしたのです。
 ボランティアの解説員は彼女たちの怒りは「日本の歴史教科書にはキチンと日本軍『慰安婦』のことを記録し認めるべき」の一言に尽きると言います。
 すでに亡くなった金学順さんのビデオをみました。彼女は「16歳の時に軍にだまされ、犯されたときはまだ何が起きたのかもわからなかった」と語りました。日本政府が国家補償ではなく国民のボランティア資金で救援するというのを聞いたとき「それでは自分たちは報われない、お金がほしいのではない、政府が謝ってほしい。だからそのお金は受け取れない」と最後までたたかったハルモニです。

若者たちも行動
 彼女たちは、毎週水曜日に日本大使館前で「水曜デモ」として日本政府に抗議行動を続けています。私たちも17日、正午から始まる抗議行動に参加しました。支援団体は毎週変わり、今回はある学校の生徒たちでした。若い人が「慰安婦」問題で抗議するということに感動を覚えました。
 最近建設された「戦争記念館」(軍事記念館)で歴史研究家の李圭洙さんと交流しました。李さんは「日本が歴史教科書に真実を書くこと、これ以外にお互いの信頼を深める道はない」と日本政府を強く批判しました。日本政府が真摯にこの問題を受け止めていないことに改めて憤りを覚えました。
 私が李さんに日本共産党の議員であることを告げると「日本共産党はいつも正しい事を言う、しかし、かつて侵略戦争に反対した同志には多くの朝鮮人も居たことを知らせてほしい」と話し、それを聞いたとき、よりいっそう韓国に親しみを感じました。
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2011年08月24日,「赤旗」) (Page/Top

「女たちの戦争と平和資料館」/フィリピン「慰安婦」展開催中/東京

 東京都新宿区西早稲田のアクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)が、特別展「フィリピン・立ち上がるロラ(おばあさん)たち」を開催しています。
 第2次世界大戦中、フィリピンに侵攻した日本軍は、現地女性を駐屯地に連行して性暴力を加え、各島に「慰安所」をつくりました。
 特別展は、1992年にフィリピン人「慰安婦」被害者として初めて名乗り出たマリア・ロサ・ルナ・ヘンソンさんら多数の被害者による被害の実態告発や日本政府の責任追及のたたかいを、証言パネルやマップなどで展示しています。
 20日には、ロラの証言映画の監督・竹見智恵子さん(ジャーナリスト)による来館者へのガイドツアーが行われました。竹見さんは、ロラたちが高齢から次々と亡くなるのを見、「証言する人がいなくなり、慰安婦問題が歴史の闇に埋もれてしまう」とビデオをとり始めたことを話しました。
 竹見さんは「ロラたちは生き残った『被害者』としての意味を考え、日本とフィリピン両政府の責任を問う運動の主体者となって生きてきた。いつも輝いていて、その生き方から学ぶことは多い」とのべました。
 ガイドツアーは9月10日までの毎土曜日の午後4〜5時、行われます。
   ◇
 特別展は2012年6月17日まで。開館時間は水〜日曜午後1〜6時(休館日は月、火、祝日、年末年始)。入館料18歳以上500円、中学生以上300円。
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2011年08月23日,「赤旗」) (Page/Top

日本軍の性暴力告発/北京抗日記念館でパネル展

 【北京=小寺松雄】第2次大戦中に日本軍が中国女性に加えた性暴力犯罪のパネル展が14日、中国北京の抗日戦争記念館で始まりました。同記念館と日本側の実行委員会の共催で、期間は3カ月。
 会場には、アジアにおける日本軍の「従軍慰安婦」制度と被害女性の現状、中国各地での被害者の訴えなど、約100枚のパネルが展示されています。
 同日の開幕式で実行委員会共同代表の池田恵理子さんは、この展示が被害者が最も多かった山西省で2009年11月から1年半にわたって開かれたのに続き、首都北京で開催された意義を強調。被害女性が日本政府に対して謝罪と賠償を求めた裁判は敗訴で終わっているが、「あきらめずに謝罪と賠償を求め続ける」と述べました。
 開幕式には山西省での性暴力被害者、劉面換さん(84)も出席。「日本兵に銃で肩を殴られ、いまも左手は上がらない」と語り、「日本は謝罪と賠償を」と訴えました。
 山東省から夫、子どもとともに来ていた女性(35)は、「日本軍の性暴力がここまでひどいとは思わなかった。山東省でもあったんでしょうね」と語りました。
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2011年08月16日,「赤旗」) (Page/Top

66年目の8・15/侵略戦争に反対/日本共産党

 天皇が統治の全権限を握る専制政治のもとで、日本は1931年に中国東北部を侵略、37年の中国への全面戦争、41年のアジア太平洋戦争と侵略戦争を拡大しました。2千万人以上のアジア諸国民と300万人を超える日本国民の命が奪われました。
 日本共産党は侵略戦争と植民地支配に唯一、反対し、平和のためにたたかい抜きました。
 今年は8月15日に戦後66年を迎えますが、日本政府は戦争被害者に十分な補償をせず、戦争責任をあいまいにしています。
 日本共産党は「侵略戦争の反省のうえにたち、戦後補償問題のすみやかな解決を」との提言(94年)を発表するなど、「慰安婦」被害者などへの個人補償を求めています。
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2011年08月14日,「赤旗」) (Page/Top

日本軍「慰安婦」/実名告発から20年/解決を!生きてるうちに/日本政府に謝罪と賠償を要求

 1991年8月14日、日本の侵略戦争で軍による性暴力を受けた被害女性が、韓国のソウル市で初めて名乗り出ました。これが日本軍「慰安婦」問題を解決する運動の始まりでした。20年たった今も、日本政府はその責任を認めず、被害者の人権を踏みつけたままです。
 本吉真希記者

 「17歳の少女に戻してほしい」
 実名を明かして、こう訴えたのは、金学順(キム・ハクスン)さん(97年12月死去)。当時67歳でした。
 金さんは他の韓国人戦争被害者とともに、日本政府に補償を求めて裁判を起こしました。
 訴状によると、金さんは39年春、数えで17歳の時に、「金もうけができる」といわれ、中国北部の鉄壁鎮(てっぺきちん)へ連れて行かれました。着いた所は日本軍が慰安所にしていた中国人の空き家でした。
 「暴力を振るわれ、従うしかなかった」「『討伐』のため出陣する前日の兵隊は興奮しており、特に乱暴だった。朝鮮人とののしられ、殴られたりしたこともあった」と証言しています。
 部隊が移動するたびに、金さんら5人の「慰安婦」も一緒に移動させられました。ある時、日本兵は見せしめとして、金さんらの前で中国人2人を目隠しし、刀で首を切り落としました。
 このような体験をして生きてきた金さん。90年6月、「従軍慰安婦は民間業者が連れ歩いた」という国会での日本政府の答弁を知り、「なぜ、日本政府は責任を認めないのか」と自身の過去を語る決意をしました。

裁判は敗訴だが被害事実認めた
 2003年7月の東京高裁判決は▽国・軍の関与▽詐欺脅迫による募集▽戦地で常時日本軍の管理下に置かれた―などの事実を認定しました。
 「慰安婦」裁判は全10の訴訟が最高裁で敗訴し、確定しました。多くは03年の判決同様、強制や甘言による連行、慰安所での監禁・虐待・性の強要において、軍や政府の関与と強制性があった≠ニ事実認定しました。
 最後に提訴された中国・海南島訴訟の高裁判決(09年3月)は「少しでも抵抗すると、たばこの火を押しつけられたり、足をきりのようなもので刺されたりし、逃げられるような状況になかった」など、被害事実を詳細に認めました。

国境を超えた金さんの勇気
 「事実を明らかにし、韓国と日本の若者にも伝え、二度と繰り返さないことを望みたい」と訴えてきた金さん。彼女の勇気は、フィリピンやオランダ、中国、台湾の被害女性にも伝播(でんぱ)しました。
 7月21日に参院議員会館で開かれた「今年こそ日本軍『慰安婦』問題の解決を」と題する集会。15歳で中国東北部の大連に連行された韓国の李容洙(イ・ヨンス)さん(82)が語りました。
 「私は20年間、(講演で)世界を歩きながら、日本によって性奴隷にされた私自身の歴史を学んできた。一人でも被害者が生きている間に、平和的に日本の責任者が解決すべきです」
 92年に名乗り出た在日朝鮮人の宋神道(ソン・シンド)さん(89)も証言しました。宋さんは16歳の時にだまされ、中国中部の武昌に連行されました。終戦までの7年間に2人の子を産みましたが、中国人に手放すしかありませんでした。
 「今でも子ども見ると、『ああ、おれも自分で育てたかったあ』って思うの…」。わが子への思いは今も募ります。「二度と再び戦争を起こしちゃいけない」。宋さんが必ず繰り返す言葉です。

各地で請願署名/36議会で意見書
 各国の被害者は日本政府に対し▽生きているうちに公式な謝罪と賠償をする▽教科書記載など後世への教育を行う―ことを求めています。
 政府に問題の早期解決を求める請願署名が各地でとりくまれ、36の地方議会が意見書を可決しています。(7月現在)
 「慰安婦」問題の解決を求める北摂ネットワークの松野尾かおるさん(67)=大阪府茨木市=は、意見書の採択をめざし、活動しています。松野尾さんは金さんの「17歳の少女に戻してほしい」という訴えを聞いた一人で、こう語ります。
 「証言を聞いた者として、被害者が亡くなっていくのを黙って見ているわけにはいきません。同じ過ちを繰り返さないため、政府に解決を求め、『慰安婦』という歴史があったことを、特に若い人たちに伝えていきたい」
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2011年08月14日,「赤旗」) (Page/Top

軍隊と戦争/体験者語る/「人間から鬼へ」・国民弾圧の実態

 アジア太平洋戦争が終わって66年。戦後生まれが人口の4分の3を占めています。この中で、高齢になった戦争体験者が自身の手で本を書き、戦争の実相を伝えようとしています。

■若い世代に
 今年93歳になる鹿田正夫さんは『自分史 私と戦争と』を自費出版しました(рO855―22―0948、消費税込み1500円)。日本軍の下級士官として中国戦線に投じられ、その体験を若い世代に語り続ける鹿田さんの自伝です。
 徴兵され、命令絶対で暴力が支配する軍隊に入り「人間から鬼へ」変わったという鹿田さん。部下を率いて村を襲撃し、中国人の父親の目の前で病気の娘を射殺。スパイ強要を拒んだ住民を斬首。戦場体験者の多くが語らない侵略戦争の実態を、赤裸々につづります。
 敗戦後、捕虜となりシベリア抑留を経て中国の撫順戦犯管理所に収容されます。そこで自分がしてしまったことに向き合うことで、犯した罪を反省していきます。「鬼から人間への道」です。「自虐史観」などの言葉で侵略戦争や植民地支配の事実を隠すしつような動きにたいし、「絶対に許せません」と語ります。
 今年90歳の井形正寿さんが出版したのは『「特高」経験者として伝えたいこと』(新日本出版社・1400円)です。特高警察は戦前日本の政治警察・思想警察で、国民を監視、弾圧、虐殺しました。戦争末期、大阪の特高の末端にいた井形さんの仕事は共産主義者や朝鮮半島出身者らの監視でした。恣意的な尋問で市民を「厭戦思想」の持ち主として罪に陥れる手口から、学校に出向いて朝鮮出身の学生の成績を下げる工作まで。浮き上がるのは生活の隅々まで人権を侵害する実態です。
 終戦直後に焼却命令を受けながらも、井形さんが密かに持ちだしていた厭戦・反戦の匿名投書を掲載しています。井形さんは戦後、投書の主の一人を捜し当てますが、すでに死去していました。遺族に聞くと、投書の主は特高に連れて行かれ、刑務所で死亡。遺体は素っ裸で斑点だらけでした。戦争や為政者を批判しただけで命を奪う組織の姿です。

■今も苦しむ
 不戦兵士・市民の会、猪熊得郎監・著『人を殺して死ねよとは』(本の泉社・1429円)は元兵士らの体験集です。硫黄島の激戦を生き残った元兵士は、戦争で人間性を失った人間の恐ろしさを目の当たりにし、今も苦しみ続けていることを吐露しています。
 そしてアジア太平洋戦争で日本軍は何をしたのか。捕えた中国人たちを細菌戦部隊・七三一部隊の人体実験に送り込む日本軍憲兵、日本軍「慰安婦」として中国の戦場に連れて来られた若い朝鮮人女性、日本兵に自宅で乱暴された中国人少女…。元兵士の告白と証言から戦争と軍隊の残忍でむごたらしい実態が迫ってきます。さらに昭和天皇をはじめ戦争を引き起こした者たちの責任を厳しく問うています。
 「尊い命を奪いあうのが戦争です」(鹿田さん)。戦争の時代を生き抜いてきた人が本に刻んだ言葉は、次代に重く響いてきます。
 (隅田哲)
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2011年08月14日,「赤旗」) (Page/Top

終戦66周年/歴史の逆流は許さない/侵略戦争・植民地支配/今も問われる課題

 1945年8月15日、中国、アメリカ、イギリスなどと戦争を行っていた日本は無条件降伏し、日本の15年にわたる侵略戦争と長年の韓国・朝鮮、台湾などへの植民地支配が終わりました。それから66年、かつての戦争と植民地支配をどう見るかは、今も問われている問題です。

死者2千万人以上
 日本は1931年9月、中国東北部への侵略戦争を開始、37年には中国への全面戦争へエスカレートさせ、41年、これをアジア・太平洋全域に拡大しました。
 日本軍は各地で虐殺・暴行・略奪を行い、アジア・太平洋諸地域に2000万人以上の死者を含む大きな惨害を与えました。
 日本の侵略拡大とともに、韓国・朝鮮では多数の人が労働力・兵士・「慰安婦」としてかり出されました。
 沖縄は地上戦の舞台となり、日本本土も空襲で多くの都市が焦土と化し、広島、長崎に原爆が投下されました。
 日本人の犠牲は、軍人・軍属の死者230万人、国内での空襲などの死者50万人以上など310万を超える命が失われました。兵士らは無謀な作戦、補給の軽視などで絶望的な状況に置かれ、戦死者の約6割は広い意味の餓死者と言われています。

反戦貫いた共産党
 日本共産党は1922年に創立されたときから朝鮮、台湾の解放を主張しました。日本の中国侵略が始まると、他のすべての政党が侵略戦争賛成の流れに合流する中、「赤旗」などで侵略戦争反対を呼びかけました。
 当時、共産党中央委員だった宮本顕治氏(戦後、党議長など歴任)は、弾圧で12年間獄中にありながら反戦平和の旗を降ろすことなく、戦時下の法廷で党の立場を堂々と主張しました。同氏が亡くなった際(2007年)、評論家の加藤周一氏は「宮本顕治さんは反戦によって日本人の名誉を救った」と追悼の言葉を寄せました。
 日本の行った戦争の性格について戦後の歴代首相は「後世の史家の判定に待つ問題だ」(田中角栄首相、73年)などと述べてきました。ようやく終戦50年の95年8月、村山富市首相が「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」たことに「痛切な反省」と「お詫びの気持ち」を表明した談話を発表しました。
 韓国・朝鮮の植民地支配に対しては、「韓国併合条約」締結100年の昨年8月、菅直人首相が談話で「韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷つけられました」と述べ、「反省」と「お詫び」を表明しました。しかし、軍事力を背景に強要した「韓国併合条約」については、政府は「法的に有効に締結され、実施されたもの」という立場を変えていません。
 「過去の日本の戦争は正しかった」と歴史を偽造する勢力は、靖国神社問題での内外の厳しい批判に大打撃を受けました。しかし、侵略戦争美化の歴史教科書を推進する策動などが続いており、歴史の逆流を許さないたたかいが急務となっています。
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2011年08月14日,「赤旗」) (Page/Top

親子で考える戦争と平和の本/児童文学評論家西山利佳さんが紹介

 戦争、平和をたちどまって考える夏。親子で、自由研究で、考えるきっかけづくりの本を、児童文学評論家の西山利佳さんに紹介してもらいました。

日中韓平和絵本
 『非武装地帯に春がくると』 「日・中・韓平和絵本」シリーズの最初の一冊として、この春出版されました。「非武装地帯」とは、朝鮮半島を分断する軍事境界線から南北2`ずつの範囲のことです。人が入れないために皮肉なことに動植物の宝庫になっているその地帯の、豊かな四季が優しい絵で描きだされています。しかし、どのページにも鉄条網や「地雷」の表示が…。展望台からふるさとを望むおじいさんの悲しみが読者の心にも深いうずきとなります。同時刊行の『へいわってどんなこと?』(浜田桂子/作)、『京劇がきえた日』(姚紅/作)も併せて、そして、これから刊行される9冊もお見逃しなく!

さまざまな形で
 〈おはなしのピースウォーク〉シリーズ『まぼろしの犬』『扉を開けて』『空はつながっている』『傘が舞った日』『地球の心はなに思う』『こすもすベーカリー物語』は、「新しい戦争児童文学」として募集した創作を中心にした短編集です。近未来SFあり、ベトナムやコソボの話あり、イラク派遣された自衛官の父親を持つ少女の物語あり、さまざまな題材や手法で描かれた作品たちは、それぞれの形で平和を訴えています。

心打つ戦争体験
 『わたしたちのアジア・太平洋戦争』は戦争体験集です。しかし、ここでの体験はある日ある時に限って考えていません。被爆や、「従軍慰安婦」体験を抱え、生きて、思い出すだけでもつらい体験を語ってくれる、戦争に反対する、被害にあった人を支える…一時的な直接体験に限らず、長い時間を生きてきたこと、共感から始まる新たな活動まで「体験」と考えて編まれています。ですから、悲惨な事実も語られますが、それ以上に、人間の強さやすばらしさに心打たれるはずです。

23年ぶりに復刊
 『あしたは晴れた空の下で ぼくたちのチェルノブイリ』が23年ぶりに復刊されました。チェルノブイリの事故を体験したドイツに住む日本人少年の物語です。フィクションではありますが、作中に出てくる細々としたエピソードはほとんど事実だそうです。筆者は新たに書き足された前書きで、この復刊を「『不幸』以外のなにものでもありません」と悔しさを吐露しつつ、「『今度こそ』の思いを込めて」と述べます。いま、読んで、広めたい一冊です。

井上ひさし語る
 『「けんぽう」のおはなし』 放射能汚染は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(日本国憲法第25条)を侵してますね。「国会議員も大臣も、わたしたち国民が税金でやとっています。/わたしたち国民のしあわせのために、/国のしごとをしてもらっているのです」。井上ひさしさんが生前小学生に向かって語ったやさしくて深い言葉が、武田美穂の愛嬌たっぷりの絵と一緒にまっすぐに大事なことを教えてくれます。

テーマ別に紹介
 『きみには関係ないことか 戦争と平和を考えるブックリスト’03〜’10』 さて、子どもとおとなが一緒に戦争や平和を考えることができる本は、たくさんあります。それらを、仲間たちと長年読み込んでテーマ別にオールカラーで紹介してくれているこのブックリストはとても心強いガイドです。ご家庭やサークルにぜひ一冊!
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2011年08月11日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」被害者名乗り出て20年/早期解決求めて宣伝/国会前

 韓国の金学順(キム・ハクスン)さんが日本軍「慰安婦」被害者として名乗り出てから20年となるのを前に、10日、支援者が参議院議員会館前で、「慰安婦」問題の早期解決を求めて宣伝しました。戦時性暴力問題連絡協議会の主催で、約120人が参加しました。
 金さんは17歳のとき中国北部へ連行され、日本軍「慰安婦」にされました。金さんは1991年8月14日に「慰安婦」であったことを名乗り出て、日本政府の補償を求めて提訴。世界各地での日本軍「慰安婦」問題の責任を問うたたかいの始まりとなりました。
 元日本兵の松本栄好さん(89)が、「中国の山西省に衛生兵として従軍していた44年、7人の中国人女性を連行し『慰安婦』とした。慰安婦が実在したことは事実だ」と発言。「慰安婦」を支援する各団体代表も、日本政府の速やかな謝罪と賠償、戦時性的強制被害者問題解決促進法の成立を、と訴えました。
 日本共産党の紙智子参院議員、糸数慶子参院議員(無所属)が激励あいさつしました。
 同日は、韓国・ソウル市の日本大使館前で日本軍「慰安婦」被害者、支援者の982回目の水曜デモが行われたことに連帯し、フィリピン、台湾、ドイツ、大阪市や広島市などでも行動がとりくまれました。
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2011年08月11日,「赤旗」) (Page/Top

 

7月)ヘッドライン

*         前橋空襲に親子が注目/戦争写真展始まる

*         生存中の解決ぜひ/日本軍「慰安婦」被害者訴え/国会内集会

*         「慰安婦」被害李さんが証言/仙台市で集会

*         日本の中学校社会科教科書/「依然ゆがんだ歴史認識」/韓国の市民団体が批判

*         「慰安婦」被害補償を/フィリピン2氏と紙議員懇談

*         旧日本軍の残虐告発/フィリピンの女性ら発言/東京でシンポ

7月(本文)(Page/Top

前橋空襲に親子が注目/戦争写真展始まる

 前橋市の前橋プラザ元気21(本町)で23日、16回目の「平和のための戦争写真展」(写真)が開幕しました。群馬県平和委員会、原水爆禁止群馬県協議会など5団体でつくる実行委員会の主催です。
 各団体が広島・長崎原爆、沖縄戦、中国人強制連行、朝鮮人「従軍慰安婦」、相馬ケ原(榛東村)の自衛隊訓練、原発などの写真や資料を展示しました。
 日中友好協会前橋支部の山本健二副支部長は「戦争の悲劇を告発し、風化させないように真実を伝えたいと企画しました。写真を見て、みなさんに考える機会にしてもらえたら」と話します。
 親子連れも足を止め、写真に見入っています。前橋空襲の写真を子どもといっしょに見ていた永井雅和さん(32)は「祖父母が城東町に住んでいた。祖父は戦地に行ったが、祖母は戦争のことは話さなかった。私も前橋に生まれ育ったので写真に関心を持った」と語りました。
 展示は25日までで、24日2時から中国劇映画「1937南京」を上映します。入場無料。
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2011年07月24日,「赤旗」) (Page/Top

生存中の解決ぜひ/日本軍「慰安婦」被害者訴え/国会内集会

 韓国の故・金学順(キム・ハクスン)さんが日本軍「慰安婦」の被害者として初めて名乗り出てから8月で20年になるのを前に、元日本軍「慰安婦」を招いての集会が21日、参院議員会館で開かれました。約150人が参加しました。主催は戦時性暴力問題連絡協議会。
 2人の「慰安婦」被害者が出席しました。宋神道(ソン・シンド)さんは宮城県女川町で東日本大震災で被災。自宅が全壊し、現在は東京に住んでいます。現在の日本の政治への怒りを語りました。
 韓国から来日した李容洙(イ・ヨンス)さんは、「謝罪と賠償の問題は、平和的に日本の責任者が解決するべきだ」とのべ、被害者が一人でも多く生きているうちに解決してほしいと訴えました。
 2人の話に先立ち、「慰安婦」問題をあつかったDVD「終わらない戦争」を上映。ノンフィクション作家の川田文子さんが、金さんが名乗り出てから20年間のたたかいを振り返って、「いまだに名乗り出ることのできない人がたくさんいる。知られることをおそれながら、大きな怒りを抱いている人々にも謝罪の言葉を届けられるような法律をつくってほしい」と語りました。
 日本共産党の紙智子参院議員が参加し、解決に向け力をつくす決意を述べました。民主党、社民党の国会議員もあいさつしました。
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2011年07月22日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」被害李さんが証言/仙台市で集会

 韓国在住の日本軍「慰安婦」被害者・李容洙(イ・ヨンス)さん(82)の証言集会が18日、仙台弁護士会館で開かれました。230人の参加者が聞き入りました。
 「日本軍『慰安婦』問題の早期解決をめざす宮城の会」「李容洙さんを仙台にお招きする会」の主催。会のよびかけ人と留学生の通訳がいましたが、「できるだけ自分の言葉で伝えたい」と、日本語で語り始めました。
 李さんは15歳の時、日本軍から強制連行され、「慰安所」を何カ所もたらいまわしにされました。「どうして殴りますか、どうして叩きますか、小さな女の子どもを。日本は許せない。日本の国家が謝罪し、私の名誉を回復しないといけない」と訴えました。
 参加者は、「最も輝くはずだった15歳の時が日本の戦争で台無しにされたことに、日本人の一人として申し訳なく思う」(60代女性)、「真実を学び伝えるうえで、大切なお話や情報を聞けました」(30代女性)と感想を寄せました。
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2011年07月21日,「赤旗」) (Page/Top

日本の中学校社会科教科書/「依然ゆがんだ歴史認識」/韓国の市民団体が批判

 韓国の市民団体「アジアの平和と歴史教育連帯」は20日、日本の中学校社会科教科書の修正を求めて、東京都内で記者会見を開きました。侵略戦争を美化する育鵬社、自由社の歴史教科書をはじめ、韓国にかかわる記述の問題点を指摘しました。
 会見で安秉佑(アン・ビョンウ)常任共同代表は、今年検定に合格した日本の中学社会科教科書について、「韓国関連の記述で一部改善された点もあるが、多くの部分で依然として韓国へのゆがんだ歴史認識を持っている」と批判しました。
 とくに「新しい歴史教科書をつくる会」や「日本教育再生機構」が主導してつくった自由社と育鵬社の歴史教科書については「アジア太平洋戦争を露骨に大東亜戦争、アジア解放戦争として美化し、植民地支配に対する反省もない」と指摘しました。
 同時にこれら2社以外の教科書も、「ほとんどの教科書は強制動員に関する記述を後退させ、関東大震災のときに虐殺された朝鮮人、中国人に関する記述も弱くなっている。すべての教科書が日本軍『慰安婦』について記述していない」と問題点をのべました。
 また、「『独島』(竹島)の領有権に関してはほとんどの教科書が日本の外務省の主張をそのまま踏襲している。かなり政治的な性格を帯びている」と語りました。
 同会は7社の地理・歴史・公民教科書について計177カ所の修正を求める意見書を日本の文部科学省に提出しています。
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2011年07月21日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」被害補償を/フィリピン2氏と紙議員懇談

 フィリピンの日本軍「慰安婦」被害者、フェリシダッド・デ・ロス・レイエスさん(82)と、フィリピンと日本の支援者など12人が6日、日本共産党の紙智子参院議員と懇談しました。
 14歳のとき日本軍による性暴力を受けたレイエスさんは、「この事実を歴史の中で、決して忘れないでほしい」とのべ、「戦争被害者として負った傷のうえに、さらに年をとり、生きることが難しい状態になっている」と、日本政府による補償の実現を求めました。
 フィリピンの「慰安婦」被害者・支援者がつくる団体リラ・ピリピーナのコーディネーター、レチルダ・エクストレマドゥラさんは、被害者174人のうち66人が亡くなったことを紹介。「(被害者は)急速に年をとっている。彼女たちが生きているうちに補償を実現させ、名誉と正義を取り戻したい」と日本政府への働きかけを求めました。
 紙議員は「『慰安婦』問題は歴史の汚点、日本政府は反省し、謝罪と補償をしなければならない」と表明。命をかけて侵略戦争反対を貫いた日本共産党員の姿と党の歴史を紹介し、「人権と平和にかかわるこの問題を解決することが大切。国会で超党派で取り組んでいきたい」と話しました。
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2011年07月07日,「赤旗」) (Page/Top

旧日本軍の残虐告発/フィリピンの女性ら発言/東京でシンポ

 シンポジウム「フィリピン・立ち上がるロラたち」が2日、東京都新宿区内で開かれました。同日から来年6月17日まで、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(新宿区)で同名の特別展が開かれるのを記念して、催されたものです。「ロラ」とはフィリピンの言葉で「おばあさん」の意味です。
 日本軍は第2次世界大戦中、フィリピン各地で、非戦闘員の住民に対し「殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くす」暴力行為をしました。
 一橋大学大学院社会学研究科の中野聡さんが、1945年2月のマニラ戦の概要について講演しました。日本兵による住民への残虐行為、米軍による市街地への無差別砲撃で、約1カ月の間に、一般市民10万人が亡くなった、と話しました。マニラ戦の記録や人々の記憶を市民の手で保存するとりくみの必要性を訴えました。
 フィリピンのマスバテ島出身のフェリシダッド・レイエスさん(82)は14歳のとき、日本兵に小学校の敷地内の駐屯地に連行され、性的暴力をふるわれたことを証言。「戦争を憎んでいる。戦争のない世の中にしてほしい」と訴えました。
 「慰安婦」被害者を支援する団体のコーディネーターのレチルダ・エクストレマドゥラさんが発言。フィリピン政府が日本政府に「慰安婦」問題の事実を伝え、謝罪と補償を求めていくことが大切だ、とのべました。
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2011年07月04日,「赤旗」) (Page/Top

6月)ヘッドライン

*         日本母親大会来月30・31日に/運動の原点、広島で開催

*         国会に婦団連が3請願署名提出

*         「慰安婦」・DV学習講演会開く/千葉県AALA

*         日朝協会が全国総会

*         新入生2人学んで入党/東日本の大学

 

6月(本文)(Page/Top

日本母親大会来月30・31日に/運動の原点、広島で開催

分科会の主な内容

 第57回日本母親大会(同実行委員会主催)は、7月30、31の両日、広島市内で開かれます。「核兵器なくそう」と始まった母親運動にとって原点ともなる広島で初めて開かれる大会です。東日本大震災の被災地の復興と原発からの撤退をかかげ、女性の願いに応える多彩な企画が計画されています。実行委員会では多数の参加をよびかけています。
 初日の30日は、正午から午後4時半まで広島県立総合体育館・グリーンアリーナで全体会を開きます。反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんが「貧困なくし、人間らしく生きられる社会をつくる」と題して記念講演。広島の子どもたちによる構成詩劇「核と世界の子どもたち」が上演されます。特別参加する歌手のクミコさんが「INORI〜祈り〜」を歌います。
 当日は、広島駅からグリーンアリーナまでシャトルバスを運行。全体会終了後、参加者による「母親パレード」をおこないます。
 31日は、午前10時から午後3時まで、市内四つの会場にわかれて分科会がおこなわれます。
 吉永小百合さんが朗読します。参加は、各県の母親大会実行委員会への事前申し込みが必要です。

分科会の主な内容
 分科会の主な内容は次のとおりです。
 ことしの情勢をうけて、分科会「世界で初めての原発震災」、シンポジウム「どうなる?どうする?揺らぐ日本の食」「核兵器廃絶のために」が開かれます。
 子どものもんだい・教育のもんだい 親子リズム、安全安心な保育を、子どもの生きる権利と貧困、学力、子どもが健やかに育つ学校って、メディアと向き合う力を育てる、登校拒否やひきこもり・非行、地域のネットワークづくり、障害のある子もない子も豊かな発達を、学校災害、子どもの権利条約、子どものことばを豊かに、親子であそぼう。
 くらしのもんだい・権利のもんだい 人間らしい働き方、消費税増税で福祉・くらしは、医療制度は国民本位に、安心できる介護の制度を、憲法25条を生かして貧困のない社会を、障害者のくらし・しごと・生きがいを語ろう、安心できる年金制度を、どうして増えるメンタルヘルス。
 女性の地位向上・男女平等めざして 日本軍「慰安婦」問題の解決と女性の人権、国連女性差別撤廃委員会勧告の実現を、生と性を学ぼう、草の根に広げよう母親運動。
 平和と民主主義のもんだい 戦火・貧困のなかの子どもたち、基地のない日本を、憲法と民主主義、メディアを国民の声を反映したものに。
 講座 地域主権改革で日本はどうなる、日本を良くするために必要なことは。
 特別企画 原爆詩朗読、映画「千羽鶴」をみて平和について学びあおう、映画「父と暮せば」鑑賞と井上ひさしを語る、「原爆」をつたえた文学者たち、中国・四国地方の民話、『青鞜』100年によせて。
 広島特別企画 原爆慰霊碑めぐり、被爆電車に乗って、原爆遺跡めぐり。
 見学分科会 平和と世界遺産・宮島、呉の街・昔と今と、平和・人間・美術、希望のある地域をつくる協同の実践。
 2日間を通じて、大物産展や書籍バザールが開かれます。
  ◇
 会員券は1日2500円。問い合わせ先=日本母親大会実行委員会рO3(3230)1836

日本母親大会
 日本母親大会は、原子戦争の危機から子どもの生命を守る母親の大会を≠ニいう平塚らいてうらの提唱から1955年に始まりました。54年3月1日、ビキニ環礁でおこなわれたアメリカの水爆実験で、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」などが被災したからです。広島、長崎に続く被害をうけ、日本の母親たちは「核戦争をやめさせたい」と立ち上がったのです。
 大会は毎年、欠かすことなく開かれてきました。「武器はいらない、核もいらない、平和を守る」「母親がかわれば社会がかわる」などを合言葉に、草の根で幅広い活動をすすめてきました。「ポストの数ほど保育所を」と保育所増設運動を全国に広げ、小児マヒの生ワクチンの輸入を実現しました。学校災害から子どもを守ること、高校の増設などにもとりくんできました。日米安保条約の実態を告発し、働く女性の権利を守ってきました。
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2011年06月21日,「赤旗」) (Page/Top

国会に婦団連が3請願署名提出

 日本婦人団体連合会(婦団連)は10日、女性差別撤廃条約にもとづくジェンダー平等実現のための三つの請願署名を国会に提出しました。婦団連加盟団体の新日本婦人の会、婦人民主クラブ、全労連女性部、農民連や全商連の代表らが参加しました。
 提出した署名総数は、2万6429人(うち団体署名は833団体)。内訳は▽女性差別撤廃条約選択議定書の批准を求める請願書(衆・参合わせて1万1526人)▽民法の差別的規定の廃止・民法改正を求める請願書(同9008人)▽「戦時慰安婦」問題の最終解決を求める請願書(同5895人)―です。
 請願の紹介議員として、日本共産党の高橋ちづ子衆議院議員が同席しました。婦団連は、これまでも女性差別撤廃条約の選択議定書の批准などを求めて、毎国会に請願書を提出するとともに、内閣府への要請を重ねています。
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2011年06月16日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」・DV学習講演会開く/千葉県AALA

 千葉県アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会(千葉県AALA)は11日、船橋市内で、「『慰安婦』・DV・セクハラ問題の背景にあるもの」と題する学習講演会を開きました。
 吉川春子・日本共産党元参院議員は、「慰安婦」制度の背景や政府の対応を紹介し、「『慰安婦』問題は過去のものではなく、政府が責任を取らず知らんふりをしてきたことが、今日の女性差別へつながっている。この問題を解決して、性暴力の被害者が名乗れるような国にしなければいけない」と述べました。
 高橋高子弁護士は「DVやセクハラの背景には性差別と性的役割にある」と指摘。「女性差別撤廃条約を批准してから国連女性差別撤廃委員会に結婚年齢や再婚禁止期間、夫婦別姓の是正を勧告されても応じてない」と告発しました。
 浅利勝美・新日本婦人の会前県本部会長は「唯一、男女共同参画条例が制定されていない県。第3次男女共同参画計画から『男女平等』の言葉が削除され後退している」と話しました。
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2011年06月15日,「赤旗」) (Page/Top

日朝協会が全国総会

 日朝協会は11、12日の両日、東京都内で第42回定期全国総会を開催しました。全国から67人が参加しました。
 開会あいさつした渡辺貢会長は、朝鮮王室儀軌(ぎき)返還の経緯にもふれ、昨年の韓国「併合」100年での取り組みをふりかえり、来年の平壌宣言10周年にむけた運動の展望を示しました。
 来賓として日本共産党の田川実・国際委員会委員、在日本朝鮮人総連合会のキム・ヨンジュン(金英俊)国際局部長、日本中国友好協会の大田宣也副理事長があいさつしました。
 2日間の討論では、教科書問題や「慰安婦」問題、拉致問題、戦後補償や日朝国交正常化をめぐる問題など情勢を発言。軍事優先を正当化する「北朝鮮脅威」論をいかに打ち破るかや、そのために運動や組織をどうひろげてゆくのかを話し合いました。
 さらに3カ月を迎える東日本大震災や、原発をめぐって活発に討論。それぞれの地域での在日韓国・朝鮮人の人々との交流などの経験や、新しく組織が結成された組織などからの先進的な取り組みが報告されました。
 石橋正夫、大橋満、高柳美知子、岩本正光、庄司捷彦、小野寺昭、船津弘の各氏を代表理事に、宮垣光雄氏を事務局長に選出。石橋氏を会長に選びました。
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2011年06月15日,「赤旗」) (Page/Top

新入生2人学んで入党/東日本の大学

 東日本のある大学では、5月に2人の新入生の女子学生を党に迎えました。
 2人とも、入学後まもなく民青同盟に加盟していました。
 1人は「冤罪(えんざい)をなんとかしたい」という学生でした。戦後の謀略事件である松川事件の学習会をしたのをはじめ、「連続教室」のDVDの視聴会、民青新聞の連載を使った世界観の学習会、「従軍慰安婦」問題の学習会などを開いてきました。女子学生は、「知れば知るほど社会は汚い。自分はこんなにちっぽけで何もできない」と話していました。
 5月中旬に「党を知る会」を開き、学生支部のメンバーがそれぞれの入党の動機を語り、「もっといい社会をつくるために、がんばろう」「いっしょに社会を変えていこう」と訴えると、「先輩たちは自分の考えを持っていて、社会を変えたいと思っている。そういう一員になりたい」といって入党しました。
 もう1人は沖縄県の出身でした。基地問題に関心はもちながら、経済的には基地が必要∞抑止力としてやむをえない≠ニ思っていました。
 民青班などで安保条約や、沖縄の米軍基地がどのように造られてきたかを追及した赤嶺政賢衆院議員の国会質問を学習して、認識が大きく変わっていきました。
 不当解雇とたたかう労働者と弁護士の話を聞いて感激し、入党を訴えると、「正しいと思うことを主張して人間的に温かい。そういうおとなに私もなりたい」といって5月末に決意しました。
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2011年06月04日,「赤旗」) (Page/Top

5月)ヘッドライン

*         「慰安婦」問題解決早く/紙議員あいさつ/北海道の会設立祝う

*         侵略戦争美化教科書子どもたちに渡さない/4/横浜・歴史教科書問題を考える港北の会三山弘美さん

*         侵略戦争美化教科書子どもたちに渡さない/3/元教師の立場から大谷猛夫さん/「独り善がり」な教育

*         侵略戦争美化教科書子どもたちに渡さない/2/明治大学教授(日本近現代史)山田朗さんに聞く/下

*         侵略戦争美化教科書子どもたちに渡さない/1/明治大学教授(日本近現代史)山田朗さんに聞く/上

*         憲法ミュージカル/市民100人が熱演/山梨

*         憲法・平和・人権ミュージカル8日公演/山梨

5月(本文)(Page/Top

「慰安婦」問題解決早く/紙議員あいさつ/北海道の会設立祝う

 日本軍「慰安婦」問題の解決をめざす北海道の会設立記念集会が14日、札幌市で開かれ、市民ら120人が参加しました。
 北海道では、二十数年前からさまざまな団体が「慰安婦」問題にとりくみ、札幌市をはじめとする地方議会での決議や、学習会、署名活動などを地道に続けてきました。
 北海道の会は、「慰安婦」の被害者の多くがなくなってきているもとで、「一日も早い解決を」と3月30日に札幌市で、党派を超えた88人の呼びかけで設立されました。
 記念集会では、中原道子早大名誉教授が「慰安婦問題の解決は、未来を開く」と題して講演。日本軍「慰安婦」問題の解決へ立法化をめざしてきたが、「つねに自民党によってたたきつぶされてきた。民主党政権になり、できると希望をかけていましたが、だめでした」と語り、「そんななかで北海道の会が設立されたことは、北海道以外の女性にとっても大きな激励となっている」として、自身がかかわってきた沖縄・宮古島の「慰安所」跡地に祈念碑をつくってきた活動を紹介しながら、「南と北で活動する組織が生まれていることはうれしい」と語りました。
 中原氏は、講演会のタイトルをなぜ「慰安婦問題の解決は、未来を開く」としたのかについて触れ、日本は、アジアから数十万人の女性を拉致し、慰安所では、自由意思に反して、監禁されてやらされた、明確な性奴隷制度以外の何ものでもなく、「慰安婦」問題の解決は、「さまざまな国でいま起きている性暴力、これから起こるであろうと思われる女性に対する暴力から救う力となる」と強調しました。
 日本共産党からは紙智子参院議員が出席し、「何とかして解決しなければならない問題。超党派で解決していく」とあいさつしました。民主、自民、社民、ネットの議員などからメッセージが寄せられ、公明党市議も参加しました。
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2011年05月15日,「赤旗」) (Page/Top

侵略戦争美化教科書子どもたちに渡さない/4/横浜・歴史教科書問題を考える港北の会三山弘美さん

世界に通用しません
 「この指導書、見てください。アメリカと戦争がはじまったときの日本の国民の気持ちを問う問題で、『スカッと晴れやかな気分になった』が回答なんですよ。信じられない」―。自由社の歴史教科書の教員用指導書を示して憤るのは、横浜市港北区の三山弘美さん(43)です。
 中学2年の男の子の母親です。同区では2010年度から自由社の教科書が使われています。市教委が採択したあと、子どもに使わせたくないと「歴史教科書問題を考える港北の会」結成に参加。世話人を務めています。

指導書に狙いが
 教員用指導書を読むと教科書のねらいが一目でわかると三山さんはいいます。
 日本軍の進撃を東南アジアの人たちがどのように迎えたかという問題では、「歓迎し、協力した」が答えです。日中戦争について「盧溝橋事件は停戦協定を結んだのに、なぜ戦火が拡大してしまったのでしょうか」という問題の答えは「中国が停戦違反をして攻撃したから」。日本がこの事件を機に中国への派兵を決定し、中国各地を占領した事実と正反対です。
 「徹底して『あの戦争が正しかった』と教える教科書です。戦争の反省に立ったところがまったくなく、世界に通用しません」
 三山さんは在日韓国人3世です。祖父や祖母は創氏改名で日本名に変えさせられました。当時の話を祖母はしませんでした。「思い出すのもつらかったんだと思います。私も在日韓国人であることを隠してきました。『慰安婦』にさせられた人たちがつらい過去を明らかにして毎週水曜日に日本大使館前に座り込んでいるのは日本に謝ってほしいからです。政府が謝罪し、反省しないといけないのに逆行している」

多くの間違いが
 自由社版には▽神話上の人物を初代天皇とする▽開戦の時系列が違う―など事実の間違いが500以上指摘されています。生徒に、7カ所の写真の訂正プリントが配られるなど間違いだらけの「欠陥教科書」です。
 「息子は『(小学校)6年のときに勉強したことが教科書に出ていないね』と話しています。朝鮮との交易や戦争の悲惨さを教えず、『日本はすばらしい国』と強調する書き方は怖い。子どもを戦争に行かせたいのかなと思います」と三山さん。
 三山さんたちは、8月の採択で自由社と育鵬社の教科書を採択させないため、区内すべての中学校区で学習会を開催。港北区に住む3人の教育委員に懇談を申し込んでいます。長女の小学校の保護者会でも母親たちに訴えました。
 三山さんはいいます。「自分の子どもにも未来の子どもたちにも、使わせたくない。戦争の被害を二度と繰り返さないために次の世代に事実を伝えることが日本のおとなの責任だと思います」
 (おわり)
 (染矢ゆう子、高間史人が担当しました)
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2011年05月15日,「赤旗」) (Page/Top

侵略戦争美化教科書子どもたちに渡さない/3/元教師の立場から大谷猛夫さん/「独り善がり」な教育

 「今回、自由社と育鵬社の歴史教科書を改めて読んでみて、そのひどさを実感しました」というのは、元中学校の社会科教師の大谷猛夫さん(64)です。
 現職教員時代は、南京事件や日本軍「慰安婦」問題、731部隊など、戦争中の日本によるアジアの人たちへの加害の実相を授業で積極的に取り上げてきました。実際に被害を受けた人たちに直接会って証言を聞き取り、教材にしてきました。

「相手悪い」誘導
 そんな大谷さんからみて、自由社版や育鵬社版の歴史教科書が生徒たちにあたえる影響はどうなのか?
 「自由社版も育鵬社版も、分裂前の扶桑社の歴史教科書が下敷きになっていますから、基本は同じです。まず、『満州事変』についてですが、中国が日本を排撃したので、日本人を守るためにしかたなく攻めていったというトーンで書かれています」
 日中戦争の始まりについては自由社版も育鵬社版も、盧溝橋事件の1カ月後に上海で2人の日本人将兵が射殺された事件を取り上げています。
 「これはほかの教科書にはありません。日本側が挑発したという見方もあるからです。あえてこれを取り上げているのは、これも相手が悪いから戦争になったのはしかたがないと思わせるためでしょう」
 日中戦争について自由社版の申請本には「日本は戦争を仕掛けられた」という記述もありました。
 「さすがにこれは検定で『日中戦争について誤解する恐れがある』と意見がつき、削除されました」

戦争関連以外も
 戦争をめぐる記述以外にも、さまざまな問題があります。神話を史実と混同した書き方をしていること、民衆の姿が描かれず、支配者の歴史だけになっていること。
 大谷さんは「驚いたのは日本国憲法についての記述です」といいます。
 自由社版はGHQがつくった憲法を日本政府が「やむをえず受け入れた」と書いています。他社の教科書では、日本の民間の案なども参考にGHQが草案をつくり、これをもとに日本の国会で審議して憲法が公布されたということが書かれています。
 大谷さんはいいます。「この教科書で忠実に教えれば、生徒は日本の戦争は悪くなかった、やむをえなかったと思ってしまう。一方で被害を受け、抵抗した朝鮮や中国の民衆のことはまったくでてきません。これでは独り善がりな日本人を育ててしまい、東アジアの人たちとともに進んでいこうという人間を育てることはできません」
 大谷さんはいま、中国人戦争被害者の要求を支える会の事務局長として、戦後補償を求める中国人被害者の支援をしています。
 「戦争の実相を知ることで、次に何をしなければならないかを子どもに考えてもらいたい。それが真に戦争を反省する国をつくることにつながると思います」(つづく)
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2011年05月14日,「赤旗」) (Page/Top

侵略戦争美化教科書子どもたちに渡さない/2/明治大学教授(日本近現代史)山田朗さんに聞く/下

加害の歴史描かず
 自由社と育鵬社の教科書には日本軍がアジアで行った加害の歴史がまったく描かれていません。
 いまの中学生には戦争や植民地支配の意識が希薄になっています。それは、家庭での記憶の断絶があります。父母や祖父母にも戦争体験がない。なかでも、加害体験は当事者が子どもや孫に語れない体験です。
 加害の歴史を書くことを「自虐」といって否定し、教科書に載せないということは、次世代に引き継がなくていいという意思表示です。
 中国や韓国では、戦争や植民地支配が自分に連なる歴史として家庭で語られます。日本の学校で教えられなければ、アジアの若者と大きな認識の違いがうまれてしまいます。

特攻隊など賛美
 2社の教科書では、戦争末期のひめゆり隊や特別攻撃隊、戦艦大和などの悲劇を英雄のように描いています。育鵬社版では「われわれの生命は講和の条件にもつながっている」として亡くなっていった特攻隊員の遺書が紹介されています。
 非戦闘員まで動員し、若者にそこまでさせてしまった国家の指導者たちのあり方こそ反省されなければなりません。それまでの兵器では戦えなくなり、本来、戦争をやめなければならないのにやめずに、多くの若者の命を犠牲にした。人間が爆弾となって体当たりした特別攻撃隊など絶対にほめたたえてはいけないのです。
 自由社も育鵬社も太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼んでいます。この呼び方をいま使うことには注意が必要です。価値観を色濃く含んだ名称のため、何の説明もなく使うと客観的なものではなくなるからです。

大東亜戦争とは
 「大東亜戦争」とは、1941年に政府や大本営で決定された「大東亜共栄圏」をつくるための戦争という意味です。戦後、GHQ(連合国軍総司令部)の指令で公の場で使わないことを決めました。しかしそれは占領中のことで、独立後に使うことは可能だったのです。
 名称が復権しなかったのは、後ろめたかったからです。「大東亜戦争」「大東亜共栄圏」がもたらしたマイナス面を多くの日本人が意識したからこそ、使われなかった。いまでも日本政府はアジア太平洋戦争について、「先の大戦」と呼んでいます。政府もどう呼称していいのかわからないのではないか。「大東亜戦争」ではまずいと考えている。
 これは、多くの国民の意識を表すものとしてとらえるべきだと思います。あの戦争を支えてしまった、もうこりごりだという国民の意識です。そう考えた人たちが戦後の憲法9条を支えてきたんだと思います。
 大事なことは戦争から何を学ぶのかということです。「いいことがあった」では学んだことにはなりません。一番大きな教訓は、多くのアジアの人々が犠牲になり日本人も多くの人が亡くなった戦争がどうして起こったのか知り、それを繰り返さないことです。
 (つづく)
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2011年05月13日,「赤旗」) (Page/Top

侵略戦争美化教科書子どもたちに渡さない/1/明治大学教授(日本近現代史)山田朗さんに聞く/上

憲法9条への挑戦
 3月、日本の侵略戦争を美化する教科書が文部科学省の検定で合格しました。これから8月にかけて、各地の教育委員会が教科書を選ぶ採択の手続きに入ります。侵略美化の教科書を採択するなとの声が高まっています。関係者に聞きました。

 自由社と育鵬社の教科書がねらうのは、戦後日本に定着した憲法9条を基礎にした考え方、戦争や武力による威嚇の放棄への挑戦です。侵略戦争を正当化し美化して描くことで、軍事力に否定的な価値観を取り除こうとしています。
 太平洋戦争の開戦は、日本が自らの権益の拡大のために武力で南進したところに直接的な原因がありました。1920年以降の欧米列強には、第1次世界大戦を受けて「権益の独占をやめる」「民族自決的な考え方も容認する」という合意がありました。日本はそれを破り、英米と対立しても中国における権益を独占し、ドイツと手を組んで東南アジアの植民地を独占しようとしました。19世紀型の侵略を遅れて行おうとしたのです。

世界の流れ無視
 自由社や育鵬社はそうした世界の流れを無視しています。
 「経済封鎖で追い詰められた日本は、アメリカとの戦争を決意して、真珠湾を攻撃した」(育鵬社)、「『自存自衛』のための戦争」(自由社)というのは当時の政府・大本営が戦争を正当化するために強調した論理です。
 自由社版歴史では韓国併合後、「学校も開設し、日本語教育とともにハングル文字を導入した教育を行った」と書いています。

本質を覆い隠す
 しかし、植民地支配は、基本的には民衆を圧迫し、利益を奪う、本国による収奪がポイントです。それでも統治の戦術として植民地の民衆のためになることをやらないと維持できません。秩序を維持するための教育も必要です。日本は、韓国で旧来の伝統的な教育システムを破壊して、列強の価値観を植え付けるために学校の普及を行いました。
 そこを誇らしげに強調して、植民地支配の本質を覆い隠すのは間違っています。
 育鵬社版歴史では、アジア太平洋戦争中に、アジア諸国が当時の日本の政権に協力した事例として、インド国民軍、ビルマ独立義勇軍、インドネシア義勇軍を取り上げ、アジア解放の戦争であったかのように描いています。

歴史のねじまげ
 東南アジアの人たちは欧米列強の支配に対して、立ち上がろうとしました。日本は「独立を応援する」という大義名分で戦争を始めました。しかし、実際は東南アジアの資源や労働力を収奪していきました。
 その本質がわかるのは1943年の御前会議の決定です。戦略的にビルマとフィリピンは独立させ、インドネシアやマレーシア、ブルネイ、シンガポールなど広大な地域を「帝国領土」とすることを決めました。戦争遂行に必要な石油や鉄、銅、アルミニウムを安定的に獲得することをねらったものです。
 ビルマの独立を認めたのも、それによって隣国のインドで反英運動が盛り上がることを期待しただけです。だから当初日本と行動したビルマのアウンサンらも、後に日本側に宣戦布告するのです。
 アジア侵略の戦争を、アジア解放といいくるめるのは歴史のねじまげです。
 (つづく)

自由社と育鵬社
 「新しい歴史教科書をつくる会」は2006年に内部抗争で分裂しました。「つくる会」(藤岡信勝会長)はこれまで教科書を発行していた扶桑社が次の教科書出版を拒否したため、自由社から出版。もう一方のグループは「日本教育再生機構」「改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会」を結成し、扶桑社の100%出資の子会社・育鵬社から中学歴史と公民教科書を発行しました。
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2011年05月12日,「赤旗」) (Page/Top

憲法ミュージカル/市民100人が熱演/山梨

 市民の手でつくられた憲法ミュージカル「民とともに未来を拓く ドクター・サーブ」(山梨憲法ミュージカル2011実行委員会主催)が8日、甲府市のコラニー文化ホールで開かれました。
 原爆(06年)、「従軍慰安婦」(08年)をテーマにしたミュージカルに続く3回目の公演で、今回は戦禍と干ばつに苦しむアフガニスタンでハンセン病などの難病治療や水路建設に取り組む日本人医師、中村哲さんの活動を中心に人権尊重や平和を訴えました。
 春日正伸実行委員長(山梨大学名誉教授)が「山梨の地に三度(みたび)憲法ミュージカルが実現したことを喜びたい」と舞台あいさつ。公募で集まった4歳から79歳までの男女約100人の熱演に、昼夜2公演合わせて3千人の観客からは大きな拍手が送られていました。出演者の一人、小野諭佳梨さん(26)は「いろんな世代の人と知り合え、社会問題も勉強でき充実した時間を過ごせました」と話しました。
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2011年05月10日,「赤旗」) (Page/Top

憲法・平和・人権ミュージカル8日公演/山梨

 憲法、平和、人権などをテーマに市民の手でつくるミュージカル「山梨憲法ミュージカル2011『ドクター・サーブ』」(同実行委主催)が5月8日(日)に開催されます。
 原爆をテーマにした「少年がいて」(06年)、「従軍慰安婦」を題材にした「ロラ・マシン物語」(08年)に次ぐ3回目の公演。今回の「ドクター・サーブ」は、戦禍と干ばつに苦しむアフガニスタンで、ハンセン病、悪性マラリアの治療活動や水源確保に取り組むNGO「ペシャワール会」現地代表、中村哲医師の苦難の活動を中心に、人権尊重を訴える内容です。
 出演者の一人で実行委員長の春日正伸さん(山梨大学名誉教授)は、「県民98人が出演します。私を含め7割はミュージカル初体験で、4歳から79歳までの集団です。アフガニスタン情勢や歴史の勉強会を開くなど、半年間の準備と練習のなかで自主的、民主的なすばらしい集団に成長してきたことがうれしい」と話しました。
 会場は甲府市のコラニー文化ホール大ホールで、昼(午後2時)夜(午後6時)の2回公演。入場料は一般2500円、高大学生2000円、中学生以下、障害者1500円です。問い合わせは実行委員会090(8779)4684(中飯田さん)
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2011年05月01日,「赤旗」) (Page/Top

4月)ヘッドライン

*         憲法ミュージカル演者募集/来月オーディション/アフガン支援の中村氏テーマに

*         初画集『沖縄』記念/宮良瑛子氏が個展/那覇で17日まで

4月(本文)

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憲法ミュージカル演者募集/来月オーディション/アフガン支援の中村氏テーマに

 憲法のメッセージを再発見しようと市民100人による「憲法ミュージカル」が企画され、出演者を募集しています。大阪や兵庫の弁護士らが呼びかけたもので、3作目となる今回は、アフガニスタンで医療活動などを続ける医師・中村哲さんの軌跡がテーマです。初の神戸公演も予定しています。「共に生きることの大切さや人間の尊厳、平和」といった憲法の精神を演劇にのせて歌い踊ります。
 今回は、日本軍「慰安婦」問題を告発した08年の「ロラ・マシン物語」と、環境破壊の諫早湾干拓事業に焦点を当てた09年の「ムツゴロウ・ラプソディ」に続くものです。
 貧困層の診療などに取り組む中村医師は、井戸掘りや水利事業にも従事。今回公演の題名「ドクター・サーブ(先生さま)」は、敬意を込めた現地住民からの呼び名です。

30日にプレ企画
 5月15日午後1時からオーディション(大阪市内)。応募資格は6歳から70歳ぐらいまでで、6月から毎週土日のレッスンに参加可能な男女。レッスン料1万円。公演は10月1日から。先立つ4月30日に神戸市長田区でプレ企画。問い合わせ06(6776)7500=実行委
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2011年04月28日,「赤旗」) (Page/Top

初画集『沖縄』記念/宮良瑛子氏が個展/那覇で17日まで

 美術家の宮良瑛子さん(76)の初画集『沖縄』の出版を記念した個展が、那覇市の市民ギャラリー(パレットくもじ)で開催中です(写真)。17日まで。
 宮良さんは現在、沖縄平和美術展実行委員会副委員長、沖縄女流美術家協会顧問、九条美術展呼びかけ人などを務めています。
 画集は、1953〜2010年までに制作された約180点を掲載。個展では、油彩を中心に約110点を展示し、沖縄戦や戦後をたくましく生きる女性の姿、韓国の「従軍慰安婦」、辺野古新基地など多岐にわたります。
 宮良さんは、「画集は長年の夢でもありました。今後も人間の命や愛をみつめ、現実の社会、人間を描き続けていきたい」と話しています。
 「沖縄―宮良瑛子作品集―」刊行委員会098(876)2232(尚生堂内)
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2011年04月14日,「赤旗」) (Page/Top

3月)ヘッドライン

*         中学生に欠陥教科書!?/今年は採択年

*         国際女性デー/京都で集会

*         くらし守る政治ぜひ/国際女性デー大阪集会

*         政治の春私たちの手で/各地で国際女性デー/北海道/青森/山形/岩手/福島

*         在サハリン韓国人支援/日韓議員が交流/笠井氏「日本政府は誠意を」

 

*  3月(本文)

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中学生に欠陥教科書!?/今年は採択年

 4年ごとにおこなわれる中学校教科書の採択が、春から夏にかけて全国で行われます。それに合わせ、日本の侵略戦争や植民地支配を正当化し、憲法を敵視する歴史や公民教科書の採択をねらう動きが各地で起き、これに反対する運動が展開されています。
 本吉真希記者

侵略戦争を賛美する二つの出版社/歴史は天皇中心に
 問題の教科書は二つの出版社が文部科学省に検定申請を出しています。「新しい歴史教科書をつくる会」(藤岡信勝会長)の自由社版と、2009年に内部抗争の末、「つくる会」から分裂した育鵬社版(昨年までは扶桑社版)で、こちらはタカ派の代表的な教育団体である「日本教育再生機構」(八木秀次理事長)が後押ししています。検定結果は近く出る見込みです。
 これらの教科書の内容はまだ明らかになっていません。しかし現行の自由社版、扶桑社版の両教科書は、太平洋戦争を「『自存自衛』のための戦争」と美化しています。そのほかにも、▽神話を史実と同等に扱う▽歴史の動きを天皇中心に描写など、多くの問題点が指摘されています。
 両社は、改悪された現行の教育基本法が「国を愛する態度」を教育目標の一つに据えたことなどをもって、「自分たちの教科書は新しい教育基本法と新学習指導要領を最もよく反映した教科書」だと主張しています。
 しかしこれは二つの点で大きな誤りです。
 第一に、そもそも侵略戦争の肯定美化は戦後日本の出発点と相いれません。
 1982年、「我が国の行為が韓国・中国を含むアジアの国々の国民に多大の苦痛と損害を与えたことを深く自覚」(宮沢喜一官房長官談話)し、教科書記述を是正するために設けられた教科書検定基準の、「近隣諸国条項」()にも反します。
 そうした教科書を公教育に持ち込むことは現行教育基本法と学習指導要領からみても許されません。
 第二に、本来の「国を愛する態度」は、侵略戦争への反省に立ち、平和憲法の精神で社会を築くことを学ぶ中でこそ育まれるものであり、愛国心と侵略戦争美化の教科書を結びつけることは間違いです。

※「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」

県議会で押しつけの動き/千葉や京都など
 「再生機構」などの動きをバックアップしているのが、「従軍慰安婦」の記述で教科書会社に圧力をかけるなどしてきた自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会(教科書議連)」です。
 休止状態だった同会は、古屋圭司衆院議員を会長に、安倍晋三元首相を顧問に活動を再開。2月23日に総会を開き、「再生機構」の八木氏が講演しました。
 このような動きを受けた形で、千葉県の自民党県議団は3月7日、県議会文教常任委員会に「教育基本法・学習指導要領の目標を達成するため、最も適した教科書の採択を求める決議案」を提出。11日の本会議で自民、公明両党の賛成多数で議決されました。
 決議案の中身は、右翼団体「日本会議熊本」が昨年12月、熊本県議会に出した請願書とほぼ一致します。
 「つくる会」などは宮城、京都、神奈川など各府県の議会や教育委員会へ同様の請願活動を展開しています。

子どもに手渡せない/広がる「採択反対」
 両社の教科書採択に反対する市民運動も広がっています。横浜市では2月に開かれた集会に約900人が参加しました。
 同市は4年前の前回、自由社版の歴史教科書が市内の採択地区18地区中8地区で採択され、使われています。10年度の小学校教科書採択からは採択地区が一つに統合されました。
 また、09年の高校教科書採択では社会科に限り、教育委員の無記名投票を行いました。翌年の小学校教科書採択では全教科で無記名投票を実施。手続きの密室化が進みました。
 横浜教科書採択連絡会の佐藤満喜子さんは「無記名では個々の教育委員がどの教科書を選んだのか分からず、責任を問えない。委員は市民に責任を持って意思表示してほしい」と話します。
 「国際常識にも欠ける戦前のような欠陥教科書で、子どもたちに手渡したくない」と佐藤さん。同連絡会は問題点を明らかにしたパンフやミニ学習会、集会、署名運動を展開しています。
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2011年03月27日,「赤旗」)

国際女性デー/京都で集会

 「国際女性デー」の8日、「核兵器も基地もない日本をめざして、女性の連帯と共同をさらに広げていきましょう」をスローガンに京都集会(実行委員会主催)が京都市左京区でとりくまれ、42人が参加しました。
 久米弘子・副実行委員長があいさつ。
 戦時性暴力被害者や「慰安婦」にされた少女たちの紙芝居などが上演されました。
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2011年03月12日,「赤旗」) (Page/Top

くらし守る政治ぜひ/国際女性デー大阪集会

 「平和でなければ地球は守れない」をスローガンに、2011年国際女性デー大阪集会が8日、大阪市中央区で開かれ500人が参加しました。同実行委員会の主催です。
 オープニングの「花ひらけ!大阪の女性たち」(運動の交流)では、舞台に「男女平等社会の実現を!」「子ども医療費を無料に」などと書かれた横断幕やのぼりが勢ぞろい。JAL裁判闘争原告団の西岡ひとみさんが裁判勝利へ決意表明し、支援を呼び掛けました。実行委員長の土田敦子さん(大阪労連女性部長)が「女性たちの運動が引き継がれている大阪で、その声をエネルギーとし政治・くらしを変えていこうではありませんか」とあいさつしました。
 「日本軍『慰安婦』問題と私たち」と題し、吉川春子元参議院議員が記念講演。国鉄大阪合唱団「号笛」の歌声に大きな拍手が送られました。
 東大阪市に住む鎌田信子さんは、「国会で吉川さんの追及に安倍元首相も『慰安婦』に対し日本の加害責任について答えざるを得なかったのは、こちらが正しいから」と述べました。
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2011年03月10日,「赤旗」) (Page/Top

政治の春私たちの手で/各地で国際女性デー/北海道/青森/山形/岩手/福島

 政治の春を私たちの運動で切り開こう―。世界中の女性たちが貧困と暴力、戦争をなくし平和の中で生きる権利を求めて集う国際女性デーが8日、各地で開かれました。

「絆」強めて/北海道
 札幌市で開かれた国際女性デー全道集会には約700人が参加、「ジェンダー平等実現へ、女性差別撤廃条約と憲法を生かそう!」などとする集会アピールを採択しました。
 NHKディレクターの板垣淑子さんが「無縁社会から絆社会へ」と題して記念講演。全国で3万2千人以上が孤独死により無縁仏として扱われていること、若者の間にも「派遣」を首になり自殺する人がいることなど、取材を通して分かった無縁社会の「叫び」を紹介しました。
 板垣さんは一方で、リタイヤした男性に自警団に入ってもらい、生きがいを取り戻しているUR住宅の取り組みなど、各地で「絆」を求める動きが出ていることに将来への展望をつなげました。
 札幌地区労連ローカルユニオン結(ゆい)や新婦人、生活と健康を守る会も「絆」を強める活動を報告しました。日本共産党の真下紀子道議が来賓のあいさつをしました。

差別なくせ/青森
 青森市のアピオあおもりで開かれた集会は、「政治の春を切り開こう。差別のない平和な世界を」というアピールを採択しました。
 集会実行委員会(小山内和子委員長)が主催したもので、70人が参加。県労連の有馬美恵事務局長、日本共産党の、すわ益一県議団長が連帯のあいさつをしました。
 消費税をなくす全国の会の杵渕智子常任世話人が、「社会保障と消費税を考える」と題して記念講演しました。杵渕さんは、「ヨーロッパは消費税が高いから、福祉がよい」という主張の誤りをイギリス、デンマークの実際の姿も紹介しながら批判。ヨーロッパの社会保障は、地域と労働者の連帯したたたかいでかち取ったものだとして、憲法を実効あるものにするための運動を呼びかけました。

雇用を守れ/山形
 山形県では、鶴岡市で田川地区集会が、山形市で山形のつどいが開かれました。
 田川地区集会は雪が舞うなか120人が参加、熱気あふれる集会となりました。
 第1部では職場・地域からの報告がありました。医療生協の女性は看護師不足の現状を、産直センターの女性は、農家が希望を持って農業を続けられるように環太平洋連携協定(TPP)反対の訴えを、子育て文化協同の女性は、学校統廃合に伴う過疎化などの問題をそれぞれ報告しました。
 新日本婦人の会がJALの整理解雇のたたかいに連帯しようと訴え、実行委員会がJALの不当解雇とたたかう労働者への寄せ書きを提起し、参加者がメッセージカードを書きました。第2部は山形大学の高吉嬉准教授が韓国の歴史について講演しました。

TPP反対/岩手
 岩手県では、盛岡市の岩手県民会館で2011年国際女性デー岩手県集会(主催=同実行委員会)が開かれ、70人余が参加しました。
 集会では、青年の雇用確保、消費税増税反対、環太平洋連携協定(TPP)交渉参加反対などを求める「日本政府に対する決議」を採択しました。
 講演をした大森典子弁護士(中国人「慰安婦」訴訟弁護団長)は「日本政府がただちに日本軍『慰安婦』問題を解決しなければ、女性の人権を尊重する社会をつくることはできないし、国際社会からの信頼を回復することも難しい」と強調しました。
 明るい民主県政をつくる会の鈴木露通知事候補、日本共産党の斉藤信県議が来賓のあいさつをしました。

署名を訴え/福島
 福島県いわき市ではJRいわき駅前で宣伝し、署名をよびかけました。6団体から20人が参加し、ビラ300枚を配って、国際女性デーの歴史を紹介しながら、二度と戦争を起こさせないために「憲法改悪に反対し、憲法9条を守りましょう」と訴えました。
 買物に来た女性たちや高校生など、166人が署名しました。
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2011年03月10日,「赤旗」) (Page/Top

在サハリン韓国人支援/日韓議員が交流/笠井氏「日本政府は誠意を」

 サハリン残留韓国人問題を解決するための日韓議員協議会が2月25日、国会内で開かれ、日韓の与野党国会議員らが出席し、日本共産党からは笠井亮衆院議員が出席し、発言しました。
 笠井氏は討論のなかで、日本政府が1989年から実施している在サハリン韓国人支援について、菅直人首相が昨年8月の談話で「人道的な協力を今後とも誠実に実施していく」と表明していることを指摘しました。
 その一方で日本政府は、同支援を実施するための予算を、「事業仕分け」を受けて大幅に削減していることを紹介。日本政府の対応が「首相談話と矛盾しないのか、現状を踏まえ検討する必要がある」と述べました。
 笠井氏は戦後補償問題について、日本政府は「二度と再び侵略戦争の過ちを繰り返さない決意の試金石として、国家責任の立場でとりくむべきだ」と指摘。そのうえで、在サハリン韓国人問題や「慰安婦」問題は、「国家による人道的な犯罪に関わる問題であり、速やかに必要な賠償をすべき性格のものだ」と強調し、日本政府が首相談話に基づき誠意ある対応を行うよう強く求めました。

在サハリン韓国人問題
 戦前、戦中を通じてサハリン(樺太)に渡った人々のうち、日本人のほとんどは戦後日本に引き揚げることができたのに対し、韓国人は故郷への帰還が認められず、サハリンに残留することを余儀なくされました。日本政府は1989年、同問題での支援を決定し、日韓の赤十字社からなる「在サハリン韓国人支援共同事業体」を発足させ、一時帰国や永住帰国などの支援を行っています。
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2011年03月01日,「赤旗」) (Page/Top

2月)ヘッドライン

*         朝の風/生きている間に

*         守ろう憲法・平和・信教の自由/「2・11」で集会/北海道/岩手/宮城/福島/秋田

*         「2・11」で集会/考えた侵略・平和・民主主義/大阪/京都/滋賀/和歌山/兵庫

*         番組改変事件10年/NHKの明日へ/下/メディア研究者松田浩/民主主義と未来につながる問題

*         番組改変事件10年/NHKの明日へ/中/フォーラムで/テレビに絶望してほしくない

 

*  2月(本文)

 

朝の風/生きている間に

 暦は春だがまだ寒い。韓国から「日本軍慰安婦」被害者のハルモニ(親しみをこめたおばあさんの意)たちの訃報が続いている。
 韓国挺身隊問題対策協議会によると、昨年はキム・スナクさん、シム・タルヨンさん、キム・ゲファさん、パク・スニムさん、チョン・ユノンさんらが亡くなり、今年に入ってからもイ・ギソンさん、パク・プニさんが亡くなった。90歳近い高齢の方ばかりで、「被害者が生きている間に、日本政府の謝罪と人権回復を」は、一刻も待てない課題となった。
 日本でも2008年に宝塚市議会が国に「慰安婦問題の解決を求める意見書」を議決して以来、札幌、福岡などの政令指定都市議会をはじめ、沖縄県読谷村、同多良間村、同今帰仁村、鳥取県北栄町などの町村議会を含む35地方議会で意見書が議決された。
 「女たちの戦争と平和資料館」では「女性国際戦犯法廷から10年―女たちの声が世界を変える」展を開催(6月26日まで)、「男女平等をすすめる教育全国ネットワーク」は紙芝居『「慰安婦」にされた少女たち』をつくって若い世代に訴えている。
 ハルモニたちの死はつらいが「終わり」ではなく、私たち自身が「生きている間に」歴史に悔いをのこさず歩むためのメッセージなのだと思った。
 (佐)
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2011年02月21日,「赤旗」) (Page/Top

守ろう憲法・平和・信教の自由/「2・11」で集会/北海道/岩手/宮城/福島/秋田

 「建国記念の日」の11日、各地で戦争や平和、民主主義などについて考える集会や講演会、デモが開かれました。

「平和を発信」/北海道
 北海道では、「2・11平和をねがう文化のつどい」(同実行委員会主催)が室蘭市で開かれ、400人が参加しました。
 第1部「みんなで創るステージ」では向陽中学校合唱部の合唱と落語が披露されました。第2部は布川一郎実行委員長(室蘭革新懇代表世話人)が「今日は何の日?」と題して講演。小林多喜二虐殺と戦前の治安維持法についてふれ、「『建国記念の日』といわれる2月11日を平和を発信する日にしよう」と呼びかけました。
 合唱構成劇「多喜二碑(いしぶみ)の前で」が演じられ、100人を超す市民から寄せられた絵画や書、写真、絵手紙、手工芸、各種文芸作品など200点以上の作品が展示されました。

アピール採択/岩手
 岩手県では、盛岡市の水産会館で「2011年『建国記念の日』について考える県民のつどい」が開かれ、市民ら80人が参加しました。
 つどいでは、「領土的問題や東アジアの国際関係は何よりも武力による威嚇ではなく、国際法にのっとり、粘り強い外交政策によって解決がはかられるべきです」とのアピールを採択しました。
 岩手大学の土屋直人准教授が「北方性教育運動の歩みから学ぶこと―近代日本の政治と教育」と題して講演しました。
 共催したのは、いわて労連、教科書・靖国神社問題岩手県市民ネットワーク、盛岡政教分離を守る会、岩手県歴史教育者協議会、岩手憲法会議、岩手県革新懇です。

「人間の使命」/宮城
 宮城県では、市民団体や宗教団体、労働組合など幅広い団体でつくる「靖国神社国家管理反対県連絡会」が主催する「2・11信教・思想・報道の自由を守る県民集会」を仙台市民会館で開き、300人が参加しました。集会後、参加者は一番町商店街をデモ行進しました。
 集会では、フリージャーナリストの島本慈子氏が講演。格差の拡大などに触れながら、日米が軍事で一体化し、そこに普通の人が巻き込まれていく方向を向いていると警告しました。戦争中の日本が原爆開発をしていたことに触れ、「原爆の真実を知った日本は、徹底して人間の立場に立ち、『戦争はしない』『世界の人のために働く』ことを明確にし、発信することが使命だ」と訴えました。

郡山と福島で/福島
 福島県では、郡山市と福島市で「つどい」が開かれました。
 「郡山地域の戦争と平和を考える会30年の活動から2・11を考える」と題し、同会の仲村哲郎代表が問題提起しました。郡山市での第1回「戦争と平和展」(1982年7月)に約4500人の参加があったことなどを紹介。30回目になる今夏の戦争展をより充実させ、成功させようと訴えました。反戦平和をうたった短歌を展示したいと語る人など、活発な論議になりました。
 福島市では、ノンフィクションライターの田中伸尚さんが「大逆事件100年と現在―自由と抵抗をめぐって―」と題して記念講演しました。参加者は、田中氏の旺盛な調査活動にもとづく話に聞き入っていました。

5カ所で集会/秋田
 秋田県内では、5カ所で集会が開かれました。
 大館市で「第11回建国記念の日・紀元節復活反対2・11市民集会」、北秋田市で「第13回『戦争を語り継ぐ』集い」、能代市で「まもろう『日本国憲法』の集い」、秋田市内2カ所で「『信教の自由を守る日』第7回秋田地区2・11集会」と「『建国記念の日』に抗議する県民のつどい」がそれぞれの団体、実行委員会の主催で開かれました。
 大館市民集会(参加者60人)では、県歴史教育者協議会副会長の茶谷十六・民族芸術研究所員が「韓国強制併合100年を問う」と題して講演しました。
 討論では、▽侵略への日本国民の共通認識はあるか▽国家分断や日朝国交正常化をどう考える▽強制連行、慰安婦、被爆者、軍徴用などの補償問題▽在日コリアンの権利問題―など歴史と現在の課題が話されました。
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2011年02月13日,「赤旗」) (Page/Top

「2・11」で集会/考えた侵略・平和・民主主義/大阪/京都/滋賀/和歌山/兵庫

 11日の「建国記念の日」に反対してこの日、侵略戦争や平和、民主主義について考えるさまざまな集会が近畿各地でも行われました。

起源を探る/大阪
 大阪府では、「建国記念の日」不承認2・11大阪府民のつどいが大阪市内で開かれ、歴史学関係団体や労働組合、民主団体などから220人が参加しました。主催は、大阪教職員組合などでつくる「建国記念の日」反対大阪連絡会議です。
 高木博志京都大学准教授が「天皇陵・世界遺産・紀元節―近現代史から考える」と題して講演しました。
 高木氏は、「建国記念の日」の起源となった「紀元節」の成立について、明治維新の変革によって、天皇家の始祖を神武天皇(記紀の世界)とし、「万世一系」や「神武創業」の物語の理念、120代の天皇陵がつくられたことと連動していると指摘。この天皇陵の決め方が古事記や日本書紀などの記述をそのまま信じる方法や、現地の伝説などを採取する方法にもとづいていることを明らかにし、「『建国記念の日』は『伝説』を疑わない歴史意識と連動している」と結びました。
 大阪府職員労働組合の平井賢治氏が意見発表しました。

9条多面に/京都
 京都では、第45回「建国記念の日」不承認・京都府民のつどいが京都市下京区で開かれ、100人を超す市民が参加しました。
 立命館大学の君島東彦教授が「多面体として憲法9条を見る」と題して講演。@米・ワシントンA大日本帝国B日本国民C沖縄D東アジアE地球市民社会―の六つの視点から憲法9条をとらえ、意義と可能性について解説しました。
 それぞれの角度から見れば、日本の武装解除、天皇制護持の「避雷針」などさまざまな側面を持つ9条を、日本国民が実践を通じて、判例、制度、意識など条文だけにとどまらない「人権としての平和」に発展させてきた世界的意義を強調しました。
 そして日本国憲法が世界の平和活動家から注目を集め、「NGO活動など、紛争や人道的危機にたいする非軍事的対応を広げる基盤となり始めており、大きな力を発揮できる」と憲法が持つ今後の可能性について語りました。

「慰安婦」語る/滋賀で吉川氏
 滋賀県では、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟滋賀県本部と同女性部が大津市内で「日本軍『慰安婦』問題を考えるつどい」を開きました。日本共産党の吉川春子元参院議員が講演し、80人を超す参加者は「問題に真正面に向かい合っていきたい」「60年以上も問題を引きずるような戦争は許せない」などの感想も出されました。
 吉川氏は、日本が植民地とした朝鮮などで日本軍の性どれいとされた女性たちや、日本の女性たちに日本政府は謝罪も補償もしていないと指摘。戦後も政府は米軍に「慰安所」設置を布令したこと、沖縄米軍基地などの性犯罪、女性差別、家庭内性暴力など現代的課題だと指摘。民主党政権で解決のとりくみは放置されているのが実態だとして、地方議会から「慰安婦」問題解決の決議・意見書の採択をと呼びかけ、「問題意識を持った人を送り出すのもいっせい地方選のテーマ」と指摘しました。

「坂の上」で/和歌山
 和歌山県では「平和・人権・民主主義2・11和歌山市集会」が和歌山市中央コミュニティセンターで開かれました。
 奈良女子大学の中塚明名誉教授は「NHKドラマ『坂の上の雲』の歴史認識を問う」で講演し、日清開戦2日前に日本軍が朝鮮王宮を占領したことや、抗日闘争のせん滅を命じる「大本営命令」、朝鮮王后殺害事件など日本が朝鮮に対し蛮行を繰り返し、日露戦争では、ついに日本軍が事実上、韓国を占領するにいたった歴史を紹介。「坂の上の雲」には、朝鮮人民への支配と抑圧の実態が書かれていないと批判しました。
 また著者の司馬遼太郎氏が映像化を拒否していたのに、NHKが「韓国併合」100年に重ねて放映した日本の状況に警鐘を鳴らしました。
 集会は「今、問われているのは私たちの歴史認識ではないか。今日学んだ歴史認識を広めていきましょう」とよびかけるアピールを採択しました。

沖縄戦とは/兵庫
 兵庫県では、2・11「建国記念の日」不承認兵庫県民集会が神戸市中央区内で開かれ65人が参加しました。
 中学校教師の平井美津子・子どもと教科書大阪ネット21事務局長が「沖縄と天皇―子どもたちは考える」と題し講演しました。
 平井氏は、大江健三郎氏が被告とされた沖縄戦強制集団死(「集団自決」)をめぐる裁判を紹介し、裁判のねらいが、教科書から沖縄戦の真実を消し去り、歴史を改ざんするためのものだと指摘。授業や修学旅行、文化祭などのなかで中学生が沖縄戦をどう学び、どう受け止めたのかを報告しました。平井氏は、戦争を美化せず真実を教える大切さを強調し、「教科書に書いてないことを教えられなくなる恐れがあります。だからこそ、しっかり書いてほしい」とのべました。
 実行委員会の基調提案や「どうする安保―日米同盟と私たちの未来」(平和委員会作成)の上映、意見交流がおこなわれました。
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2011年02月12日,「赤旗」) (Page/Top

番組改変事件10年/NHKの明日へ/下/メディア研究者松田浩/民主主義と未来につながる問題

 NHK番組改変事件は、2001年、「女性国際戦犯法廷」の取材を通して戦時中の「慰安婦」問題など日本軍による性暴力の実態を検証しようとした番組が、当時の安倍官房副長官らの圧力と、それを受け入れたNHK上層部の改変命令によって、大幅に削除、改変された事件である。

真相が明らかに
 これまで放送に対する政治介入事件は数限りないが、当事者が真相を語らないまま、うやむやに済まされることが多かった。それだけに、今回、事件が裁判で争われ、そのなかで長井暁デスクが政治的改変の実態を内部告発し、永田浩三チーフ・プロデューサーが勇気を持って真実を証言したこと、そしてそれをきっかけに制作者、視聴者、市民、研究者一体となって事件の真相が解明され、放送倫理・番組向上機構(BPO)のような放送事業者の自主規制機関までを含めてその問題点がオープンに論議されたことの意義は、たいへん大きい。
 一つの勇気が、次の勇気と行動を生み、それが政治的圧力や改変の実態に迫った東京高裁の画期的判決やBPO放送倫理検証委員会(川端和治委員長)の「意見書」を導き出す結果になった。BPO放送倫理検証委員会の「意見書」についていえば、もし事態が最高裁判決で幕引きされていたら、番組改変事件の真実は、またもうやむや≠ノ済まされていたに違いない。だがNHK制作者の有志と「放送を語る会」がBPOに番組改変事件の検証を要請し、BPOの放送倫理検証委員会がこれに応えて、「改変は公共放送の自主・自律を危うくし、視聴者に重大な疑念を抱かせた」と、最高裁が避けて通ったジャーナリズムの報道倫理に真正面から向き合った意見書を明らかにしたことで、問題が深められた。

開かれた論議を
 意見書が、公共放送がよって立つ視聴者の信頼感の根底に政治からの自主・自立の問題があることを強調したうえで、NHKに検証番組の放送を求め、あわせて「内部的自由」の確立や「編集権」の問題にまで踏み込んで放送の担い手たちに開かれた議論を求めた意義も大きい。
 事件の全面解明と検証番組の放送を求める視聴者・市民の運動は、長井、永田両氏もこれに合流し、シンポジウムの開催、出版活動などを中心に、なお粘り強くつづいている。それは、日本社会が戦後半世紀以上たった今日なお、「従軍慰安婦」問題や過去の侵略戦争の責任に向き合えないのはなぜか、また、メディアはなぜ、そうした加害の歴史に沈黙するのかを深く考えさせる貴重な契機ともなっている。
 理解できないのは、ここまで疑惑を持たれ、海老沢会長(当時)の事件への関与を裏付ける有力証言まで突きつけられながら、ひたすら沈黙を続けるNHK執行部や経営委員会の無責任な態度である。BPO放送倫理検証委員会の意見書とNHKの見解をまとめたブックレットの序文で、川端委員長が「番組の公開を含めNHKが保有している資料を可能な限り公開することこそ、NHKの自主・自律の堅持のために今もっとも求められている」と書いていることの意味は、きわめて重い。

温存された体質
 事件を生んだ政治介入の仕組みとそれを受け入れるNHKの体質は、いぜんとして温存されており、克服されていない。NHK番組改変事件は、その意味で決して過去の事件ではなく、日本の民主主義と未来につながる問題であり、真相の全面解明と自己検証を迫られている今日的課題なのである。視聴者の「知る権利」がかかっているこの問題を、私たちは決して、うやむやに済ませてはならない。
 NHKが自ら事件を検証し、その教訓を組織全体で共有したうえで、そこから視聴者の「知る権利」に責任を負う自主・自立の公共放送として再出発しないかぎり、番組改変問題の解決はないということを、最後に強調しておきたい。
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2011年02月03日,「赤旗」) (Page/Top

番組改変事件10年/NHKの明日へ/中/フォーラムで/テレビに絶望してほしくない

 2000年12月の女性国際戦犯法廷には、海外から95社が取材に訪れ、イギリスのBBCやフランスのル・モンド紙など、多くのメディアが連日ニュースにしました。開催地の日本では、真正面から取り上げたのがNHKのETV2001「問われる戦時性暴力」(01年に教育テレビで放送)でした。その番組が自民党幹部の圧力を受けて改変されたのです。番組が放送されてちょうど10年となる1月30日、市民、研究者の団体「放送を語る会」が、「日本軍『慰安婦』問題の現在とメディア」をテーマに、第40回放送フォーラムを都内で開きました。

戦争加害の問題から
 
 講演したのは元NHKディレクター・池田恵理子さん。「戦争責任をどう取るのか、『慰安婦』問題が解決しない現実をどう変えるか。そういうことを考えるとき、抑圧の構図をこの番組改ざん事件は政治家の名前までもはっきりと明らかにした、まさに画期的なものでした。戦後、日本が避けてきた戦争加害の問題から見直していく重要性を感じます」と強調しました。
 講演の中で、池田さんが自ら作成した20分のドキュメンタリー「私たちはあきらめない」を上映。このドキュメンタリーは日本政府に謝罪と補償を求める「慰安婦」たちのたたかいや、NHK番組改変事件をめぐる一連の動きなど、女性国際戦犯法廷からの10年を振り返ったものです。

在職中も活動
 池田さんは73年にNHKに入局。昨年NHKを定年退職しました。ETV特集「シリーズ〜50年目の慰安婦*竭閨v(95年)など、「慰安婦」を取り上げた八つの番組を制作しました。97年に「慰安婦」の証言を映像で記録する女性グループ「ビデオ塾」の活動を開始。98年から「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク(バウネット)」の運営委員に。2000年の女性国際戦犯法廷はバウネットが主催したものです。
 バウネットは01年7月に、NHKを相手に番組改変問題で提訴。池田さんも原告として裁判をたたかいました。「被害者は高齢になり、あと数年したら誰もいなくなってしまいます。戦後補償問題で、苦しみぬいているところです。しかし必ず不正義は滅びて、いつか歴史がきちんと正しいことを証明してくれると信じています」
 NHKに対して、「過去にNHKが放送した番組には、ものすごい番組がいくらもあります。少数であってもいい番組をつくっている人はいます。まだテレビに絶望してほしくありません」と、池田さんは語りました。

自分の痛みとして
 
 フォーラムでは、ETV2001「問われる戦時性暴力」を担当した元NHKプロデューサーの永田浩三さんが発言しました。
 岡本喜八監督の映画「独立愚連隊西へ」(1960年)の一部を上映。慰安所に日本兵が駆け込むシーンなどを見ながら、「慰安所を日本軍が管理していたことは明らかです。『慰安婦』問題は日本軍の責任を問うことでもあります」と指摘しました。
 「慰安婦問題がなぜ解決しないのかには、いろいろな理由があります。日本人が自分の痛みとして、こんなひどいことを放置していてよいのか、と問い続けないといけないと思います」

女性国際戦犯法廷
 2000年12月に東京で開かれた民衆法廷。日本軍の性暴力を裁く目的で、韓国、北朝鮮、中国、台湾、フィリピン、インドネシア、日本の七つの人権・市民団体が、国際実行委員会をつくって主催。日本政府と昭和天皇が有罪に。

……参加者の発言……
 〇…NHKの番組は私たちの受信料で作られている。改変された「ETV2001」も、アーカイブスに当然入れて、視聴者が見られるようにするべきだ。「慰安婦」の問題は過去の話と言われるが、紛争下の女性への性暴力は、現代もコンゴなどで問題になっている。世界とつながる大きな問題として扱ってほしい。
 〇…戦争中、飢えていた私は、マスコミのカメラマンが、ご飯をいっぱい食べている少年兵の写真を撮っているのを見て、早く兵隊に行きたいと思った。昔も今もマスコミの影響は大きい。マスコミは国民を不幸にするものであってはならない。
 〇…NHKにもがんばっているスタッフがいる。その人たちを激励するために、番組を見て、放送局に毎回感想を言おう。頑張って、よかったよと言うのは視聴者の権利。自分ができることを作り出してやっていこう。
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2011年02月02日,「赤旗」) (Page/Top

(1月)ヘッドライン

*         番組改変事件10年/NHKの明日へ/上/市民の輪/正義と被害者の名誉のため

*         「慰安婦」問題テーマ/番組改変10年で放送フォーラム/30日・東京で

*         メディアをよむ/須藤春夫/NHK会長人事の問題

*         主張/北沢防衛相訪韓/日米韓軍事一体化の道進むな

 

*  1月(本文)

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番組改変事件10年/NHKの明日へ/上/市民の輪/正義と被害者の名誉のため

 自民党幹部の圧力で改ざんされたNHKのETV番組「戦争をどう裁くか第2回 問われる戦時性暴力」の放送から、30日で10年がたちます。市民や番組制作者らをはじめとした、今も続く真実の解明を求める運動。「番組改変事件」が問いかけたものとはなんだったのか、3回連載で考えます。
 
 番組が放送された10年前のことを、鮮明に覚えている人たちがいます。その前年、2000年12月に市民の手で開かれた「女性国際戦犯法廷」(以下「法廷」)。実行委員団体の一つ、バウネットジャパン(「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク)で運営委員を務める田場祥子さんは、「当時の話をすると今でも涙が出る」と目頭を押さえます。
 「放送は、『法廷』の感動は何も伝わらないズタズタなもので、主催者すらも出てこない。ショックでした」

核心をカット
 改変された番組は、「法廷」を軸に日本軍「慰安婦」問題を取り上げ、女性への性暴力について考えると新聞などで事前に予告されました。「ボランティアで参加していた『法廷』を取り上げるときいていたので、放送にはとても期待していました」と田場さん。
 「人道に対する罪」という視点から、加害者の責任を問い直そうという世界世論の流れの中で「法廷」は開かれました。しかし、放送された番組は、「法廷」の核心部分である「天皇と国に戦争責任がある」とした判決には全く触れませんでした。肝心の被害女性や元日本兵の証言もカットされたものでした。「各国のいろんなところから被害にあった方が参加していたのに、それが全く無視されていた。証言者のハルモニ(おばあさん)たちは二度殺された≠です」(田場さん)
 01年7月にバウネットはNHKらに対して、なぜ当初の企画趣旨と全く違った番組になってしまったのか、真実を明らかにすることを求め東京地裁へ提訴。07年の二審判決では、NHKが自民党国会議員の発言を「忖度(そんたく)して…()その結果、修正を繰り返して改編が行われた」と政治介入があったことを認めました。しかしその後NHKが上告した最高裁判決では政治介入の問題には触れず、「編集権の自由」という抽象的一般論に終始しました。「番組改変事件を、ほとんどのメディアが取り上げないですから。裁判所もそれを見ていたんでしょう」と振り返る田場さんの口調に悔しさがにじみます。

アーカイブスに
 NHKは最高裁判決を「正当な判断」とし、ホームページ上に「説明文章」を公開しただけで、事実解明を拒否し続けています。
 事件を機にNHKや放送の在り方を問う市民集会やシンポジウムが全国で開かれています。番組に関わった当事者でない市民も加わって、運動はかつてなく広がりました。
 田場さんは「正義の実現のため、彼女たち(被害者)の名誉回復のために立ちあがった、それが『法廷』でした。けれどその『法廷』がゆがめて伝えられたわけです。それに怒りを感じた人たちが出てきたんだと思います」と話します。
 「NHKアーカイブスにもETVの4回シリーズは入っていない。みんなが見られるようにアーカイブスに入れてほしい。そして検証番組を作ってほしい」と求める田場さん。番組改変事件から10年の今こそ、NHKは市民の思いに向き合う時です。(「中」は2月2日付に掲載)

改変事件の経緯
 2001年1月24日〈放送6日前〉 ザッと編集したものを試写した教養番組部長が「『法廷』との距離が近すぎる」と意見。NHKの制作スタッフの合意で番組の基本方針を確認し、編集し直す。
 26日 国会担当局長も試写。放送総局長らの求めで、法廷に批判的な学者の意見を追加取材。番組制作局長は「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の本にある中川昭一、安倍晋三の名を指し「この人たちだ」と言う。このころ、右翼がNHKに押しかける。
 29日 放送総局長と国会担当局長が、安倍晋三官房副長官に面会。国会担当局長の指示で、日本政府と天皇の戦争責任に触れた部分を削る。
 30日〈放送当日〉 番組制作局長が会長に呼ばれる。番組制作局長、放送総局長の指示で元「慰安婦」や日本兵の証言シーンをカット。完成したのは、放送1時間半前。

〈ETV番組とは〉
 ETV2001「戦争をどう裁くか」はNHK教育で2001年1月29日から4夜連続で放送。20世紀の戦争の中で起きた犯罪を検証し、和解を目指す世界の潮流を見つめるシリーズです。
 第1回「人道に対する罪」。ナチス被害へのドイツの謝罪と補償、アルジェリア独立運動を弾圧したフランスの状況から、戦争を裁く取り組みを考える。
 第2回「問われる戦時性暴力」。日本軍の性暴力を裁くことを目的とした「女性国際戦犯法廷」に焦点を当てる。7カ国の団体が国際実行委員会を構成する民衆法廷で、被害女性64人が証言に立った。
 第3回「いまも続く戦時性暴力」。「女性法廷」の一環として開かれた「国際公聴会」を取り上げ、どのように性暴力の根絶を目指すか話し合う。
 第4回「和解は可能か」。アパルトヘイト(人種隔離)から、和解を模索する南アフリカの姿を伝える。
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2011年01月29日,「赤旗」) (Page/Top

「慰安婦」問題テーマ/番組改変10年で放送フォーラム/30日・東京で

 日本軍「慰安婦」問題をテーマにしたNHK番組「ETV2001〜問われる戦時性暴力」が自民党幹部の圧力で改変され、放送されてから、1月30日で10年になります。
 「放送を語る会」は30日に第40回放送フォーラム「NHK『問われる戦時性暴力』放送から10年〜日本軍『慰安婦』問題の現在とメディア」を開催します。
「急いでください。みんな死んでしまいます」。高齢となったアジア各地の「慰安婦」被害者から悲痛な声が上がり始めました。この間、日本政府は謝罪も補償もおこなっていません。メディアもまた被害者の声を黙殺しています。今こそ「慰安婦」被害の事実に向き合うことが求められています。講演や討論を通じて、市民やメディアが何をすべきかを考えます。
 とき 1月30日()午後1時30分〜5時
 場所 渋谷区勤労福祉会館2F第1洋室
 協賛 日本ジャーナリスト会議、メディア総合研究所
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2011年01月28日,「赤旗」) (Page/Top

メディアをよむ/須藤春夫/NHK会長人事の問題

 NHKの経営委員会は、次期会長の選出を進めています。新聞は前慶應義塾塾長の安西祐一郎氏が受諾したと報じましたが、その後、一転して就任を「拒絶」。本稿の執筆時点では、混乱が続いています。
 歴代の会長人事も多くの問題を抱えていました。福地茂雄現会長の選出時には、古森重隆経営委員長(当時)の独断的で強引な手法に2名の経営委員が抗議の記者会見をしたほどです。政権与党の意向が強く反映した人事もありました。いずれも、視聴者・市民の目に触れない密室での選出作業が問題の根源にあります。
 今回の会長人事は、NHKが公共放送として避けて通れない課題の解決をはかる大事な意味を持っています。NHKは従軍慰安婦問題を扱ったETV番組改ざん事件によって、自主・自律の言論・報道機関として大きな汚点を残しました。その真相解明と視聴者・市民への説明責任をはたす必要があるからです。
 この番組の担当プロデューサーだった永田浩三氏は、近著で海老沢勝二会長の改ざんへの関与を証言しており、それだけに、新会長には事件に取り組む指導力が求められます。
 経営委員会は会長人選にあたり、選出の資格要件を検討しましたが、議事録にはその記録がありません。昨年12月8日の毎日新聞によると、要件は@経営センスのある人物、ANHKの内外を問わない、BNHKの過去の重大な不祥事の際に要職になかったこと、などだそうです。
 しかしこれでは、NHKの一刻も早い信頼回復をはかる会長の資格とは思えません。
 有識者や市民団体は会長選出の公募制や選考過程の透明化をくり返し要求してきました。経営委員会はこれを無視して、またも密室での選出を進めたため同様の混乱をきたしたのです。これまでの選出方法は限界です。人事が振り出しに戻った機会に、抜本的改革をすべきです。
 (すどう・はるお=法政大学教授)
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2011年01月16日,「赤旗」) (Page/Top

主張/北沢防衛相訪韓/日米韓軍事一体化の道進むな

 北沢俊美防衛相が来週韓国を訪問し、自衛隊と韓国軍が軍事物資や役務を融通し合う物品役務相互提供協定(ACSA)と、提供し合った秘密軍事情報を保護する協定(GSOMIA)の締結について金寛鎮国防相と協議します。
 日韓の軍事協力関係の構築は、日本の植民地支配に対する韓国の国民感情のため実現してこなかったものです。にもかかわらず菅直人政権が二つの軍事協定を締結し、日韓軍事協力を強める構えをうちだしたのは、普天間基地問題でぎくしゃくしている日米軍事同盟を修復し、アメリカ政府の歓心を買うためです。

アメリカの危険な路線
 日韓で結ぼうとしているACSAは、すでに日本がアメリカやオーストラリアと結んだものです。日韓の協定は日米協定と違い、有事には適用せず、日韓の共同訓練や国連平和維持活動(PKO)などで、自衛隊と韓国軍が一緒に活動するときに、燃料などの軍事物資や輸送作業などの役務を相互に提供し合うためのものです。一方、GSOMIAは、北朝鮮の核やミサイル、演習などの軍事情報を包括的に保全するというもので、両国の国民の「知る権利」を大きく制限するとりきめです。両協定とも日韓双方の戦争能力を強めるのがねらいです。
 そもそも自衛隊の海外作戦を強めるとともに、韓国軍の作戦能力を高めるために軍事協定を結ぶこと自体、許されることではありません。とりわけ、戦争を放棄し、海外派兵を禁止した日本の憲法9条と平和原則に照らしてあってはならないものです。こうした軍事協定の締結の提起は、民主党政権が自民党とかわらない危険な政権であることを示すものです。
 韓国との間には植民地支配時代に旧日本軍が韓国の国民を苦しめたという歴史的経緯があり、軍事面での協力は進んできませんでした。菅首相は昨年12月、「朝鮮有事」のさい邦人救出のために自衛隊を派遣すると言及して韓国側の批判を浴びたこともあります。韓国の国民が自衛隊を旧日本軍と重ね合わせ、拒否したのは明白です。
 軍事力を背景に韓国に押し付けた「韓国併合条約」をいまだに「不法」と認めることもせず、旧日本軍「慰安婦」問題では謝罪も補償も拒み続ける一方で、日韓軍事協力関係に道を開こうとするなら、韓国国民のより大きな反発を招くのは避けられません。
 マレン米統合参謀本部議長は北東アジアの事態には「日米韓で対応することが重要」と北沢防衛相にのべました(昨年12月)。日韓軍事協定が日米韓軍事一体化を加速するのは明白です。政府は日本をいっそう危険な道に引き込む企てをやめるべきです。

平和的解決に徹して
 政府は昨年12月に決定した「防衛計画の大綱」で、北朝鮮や中国の「脅威」を口実に軍事力には軍事力でという「軍事対応主義」を前面に押し出しました。日韓軍事協定の締結はその一環です。しかし「軍事対応主義」では軍事的な緊張を強めるだけであり、北東アジアの平和には役立ちません。
 日本は、軍事力に対して軍事力強化や軍事同盟強化で対応するだけといった「軍事対応主義」をやめ、憲法9条を生かした外交の力で平和を切り開く道をこそ強めるべきです。
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2011年01月07日,「赤旗」)

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