2008年 ファシズム関連情報】

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2008(ヘッドライン)

*                     戦争は女の顔をしていない/スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著、三浦みどり訳/評者齋藤治子

*                     本の虫/抵抗の文学を読み直す

*                     サッカー騒動で険悪/ハンガリーとスロバキア

*                     反政府デモに数十万人/人種差別主義を批判/イタリア

*                     世界キーワード/世界大恐慌

*                     おはようニュース問答/ピカソの大規模展覧会、迫力あったよ

*                     米国の愛国者法人権侵害の数々/仙台で学習講演会

*                     山田和夫の映画案内/生きものの記録/核の恐怖描く黒澤監督の力作

*                     同意か強制か/普通の人とナチス/星乃治彦/忘れがちな「もう一つのドイツ人」

*                     本立て/歌集 人を恋うロバ/美帆シボ著

*                     日本共産党知りたい聞きたい/スペインの「歴史の記憶法」とは?

 

2008年(本文)(Page/Top

戦争は女の顔をしていない/スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ著、三浦みどり訳/評者齋藤治子


評者齋藤治子ユーラシア研究所所長/従軍女性たちの壮絶な戦場の記録
 第二次世界大戦の体験者がだんだん少なくなる中で、戦勝国でも敗戦国でも、「戦争の記憶」を人類の遺産として掘り起こす作業が続けられている。
 その作業のなかで、戦後六十年余を経て、ファシズム側の加害と反ファシズム側の被害の対蹠だけではなく、被害の中の加害、加害のなかの被害など、戦争の極限状況に対峙した人間集団の非条理の行動があぶりだされてきた。
 そのような掘り起こしのひとつである本書は、ベラルーシの女性ジャーナリストが、第二次世界大戦に従軍したソ連女性五百人以上を、一九七八年から取材してきた記録の一部である。
 ソ連は、一九四一年ドイツ軍に攻撃され、広大な領域を占領されてから四五年日ソ戦争終結まで二千七百万人という最大の死者を出した国である。だから、祖国防衛のために国民が前線銃後でいかに壮絶な闘いを強いられ、多くの犠牲を払って勝利をかちとったか、というテーマの書物は多数出版されてきたが、その著者の多くは男性だった。
 しかし、祖国防衛のために十六、七歳で志願して、砲兵、狙撃兵、工兵、歩兵、飛行士など、戦場のまっただなかにいた少女、子持ち女性が、白兵戦で敵を殺す恐ろしさ、幼児を連れて戦場を移動する危うさ、生理用品がなく行軍中に草で血を拭く恥ずかしさ、生理が止まってしまう衝撃、男性の将兵からの陵辱、などを語るとき、戦争の嗜虐性はいっそう明確になる。
 九死に一生を得て、勝利の後、帰郷した少女たちは、「戦場にいたふしだらな女」として、英雄になるどころか軽蔑され、戦時よりもはるかに辛い戦後を送った、という。それでも社会主義の祖国のために戦った、という彼女たちの誇りが砕かれないのはなぜか。心に重く残る一冊である。
  一九四八年、ウクライナ生まれ。ジャーナリスト。『チェルノブイリの祈り』ほか。
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2008年12月14日,「赤旗」) (Page/Top

本の虫/抵抗の文学を読み直す

 今年は『蟹工船』ブームが話題となった。抵抗の文学の復権だ。新刊ではないがこんな時代にこそ見直したい作品を紹介しよう。
 アントニオ・タブッキ著『供述によるとペレイラは…』(白水社)は一九九四年の作品。技巧的な作品の目立つ現代イタリア文学の魔術師≠ェ正面から困難な時代に生きる人間に迫っている。
 主人公のペレイラはリスボンの新聞記者。一九三八年の夏はファシズムの影がポルトガルを覆っていた。とある青年との出会いでペレイラの人生が変わる。政治的な原稿を持ち込む青年は抵抗運動にかかわっているらしい。ペレイラはそんなことに興味がなかったが「どうして自分はこんなことに首をつっこんだのか」と自問しつつ社会に目を向けるようになり…。
 中年の哀感を漂わせた主人公の造形がリアルだ。物語は現在から過去に遡るタイプの推理小説のように展開。ペレイラは良心を脅かす事態が進行してもぎりぎりまではやり過ごそうとする。しかしついにある決断をする。理不尽な時代に生きる平凡な一市民ができる抵抗とは何か。さまざまな問いかけを含む作品だ。記述が淡々としているだけになおさら胸に重く響くものがある。
 本多恵
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2008年11月23日,「赤旗」) (Page/Top

サッカー騒動で険悪/ハンガリーとスロバキア

 【ベルリン=時事】東欧のハンガリーとスロバキアの関係が、サッカーの試合での騒動をきっかけに険悪化しています。スロバキアのフィツォ、ハンガリーのジュルチャーニ両首相は十五日、スロバキア南部国境地帯のコマルノで首脳会談を開き、民族主義的言動に断固たる措置を取ることで合意しましたが、今後もきっかけがあれば再燃するとの指摘もあります。
 現地からの報道によれば、ハンガリー系住民が多いスロバキアの国境の町で今月初め、地元と首都ブラチスラバのチームの試合が行われた際、双方のサポーターが衝突。約三十人が拘束されたほか、五十人を超える負傷者が出ました。
 拘束された中にハンガリーのネオナチがいたことから、スロバキア側は「欧州連合(EU)加盟国でファシズムを容認する法律をなぜ持てるのか」と批判。一方、ハンガリー側はスロバキア警察が理由もなく越境者を殴打したとして、「警察の対応は不適切で調査を求める」と非難の応酬となりました。
 スロバキアは第一次大戦後にチェコスロバキアとして独立するまで、約千年にわたってハンガリーの支配下にあり、現在もハンガリー系住民が約10%を占めるなど、もともと両国関係は微妙です。
 スロバキアで二○○六年に誕生したフィツォ政権には極右・スロバキア国民党が連立与党入り。地理の教科書の地名からハンガリー語の表記が削除されるなど、対立の火種もくすぶっていました。
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2008年11月19日,「赤旗」) (Page/Top

反政府デモに数十万人/人種差別主義を批判/イタリア

 【ローマ=ロイター】イタリアの首都ローマで二十五日、ベルルスコーニ政権に抗議するデモが行われ、数十万人が参加しました。
 デモはベルルスコーニ政権の個別の政策ではなく、同政権の政策全体に抗議したもの。ベルルスコーニ首相は四月の選挙で政権に就いて以来、ジプシーの住む街≠フ解体や街頭への兵士配備、同首相自身をはじめとする政府高官への免責特権付与などを行ってきました。
 野党、民主党のベルトローニ党首は、市中心部に集結したデモ参加者を前に、イタリアがベルルスコーニ政権以来さらに人種差別的になっており、政府メンバーの数人はファシズムと歴史的なつながりがあると批判。「別のイタリアは可能だ。われわれはともに別のイタリアを建設しよう」と訴えました。
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2008年10月27日,「赤旗」) (Page/Top

世界キーワード/世界大恐慌

 「百年に一回の津波」とされる米国発の国際金融危機は、ニューヨーク株式市場が一九二九年十月二十四日に大暴落し、資本主義諸国全体をまきこみ四年間続いた史上空前の世界大恐慌の再来の危険があるともいわれています。
 恐慌は社会の消費力を超える商品の過剰生産がもたらす資本主義固有の現象。好況から不況へ急激に変化し、生産の急速な低下、物価暴落、支払い不能、破産などで混乱状態やパニックが起きます。
 大恐慌の引き金となった株価大暴落の原因は、「異常な投機」にあったと米国の歴史家が指摘しています。
 米国の実質国民総生産(GNP)が四年間で30%低下し、卸売物価は年に10%以上も下落。銀行約一万行が閉鎖され、三三年には四人に一人が失業者になりました。
 三一年、各国通貨と金の交換が保証された金本位制度が崩壊。資本主義は自由放任主義では経済を維持できず国家の介入が避けがたくなりました。三二年十一月の米大統領選挙では、「失業者救済」などを掲げるルーズベルト氏が現職フーバー氏を破りました。
 世界経済はいくつかのブロックに分裂し、世界再分割の争いのなかでファシズムが台頭、第二次世界大戦へと至りました。
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2008年10月27日,「赤旗」) (Page/Top

おはようニュース問答/ピカソの大規模展覧会、迫力あったよ

 晴男 おもしろそうな展覧会が、あちこちで開かれているね。芸術の秋という感じだなあ。
 のぼる ぼくはピカソの大規模な展覧会を見てきたよ。
 晴男 ああ、東京の二つの美術館でやってるやつだね。
 のぼる 六本木の国立新美術館と、その近くのサントリー美術館で同時開催しているんだ。
 晴男 なんでまた同時開催なんだろう。

生涯現役なんだ
 のぼる パリのピカソ美術館の改装で、大量の作品の貸し出しが可能になったらしいよ。国立新美術館では油彩画を中心に百七十点、サントリー美術館では自画像を中心に六十点くらいが展示されていた。
 晴男 すごい数が集まったね。
 のぼる 制作し続ける力もすごい。多いときは年に百点以上も油彩画を描いたらしい。亡くなる前年の、九十歳のころの作品もあったよ。
 晴男 生涯現役だったんだね。
 のぼる うん。ピカソの若いころから最晩年までの作品を見ることができるんだけど、サントリー美術館で展示されていた、初期の「自画像」なんかは、すごみがあったなあ。
 晴男 ピカソの「青の時代」だね。
 のぼる そう。あれだけ深い感情が表現できることに驚いた。国立新美術館では、強烈な色彩がちりばめられた大作がいっぱい並ぶんだけど、立体や彫刻もあって意外だったなあ。

立体的な表現も
 晴男 ピカソは彫刻もやったのか。
 のぼる キュビスム(立体派)運動の初期には木片を彩色して組み合わせ、絵のような立体作品も作っていたんだ。いかにもキュビスム作品といった感じの世界が、立体的に表現されているのは不思議だった。
 晴男 いろいろ模索していたのかな。
 のぼる 常に表現を開拓していくって感じだね。「ゲルニカ」の関連資料や、朝鮮戦争を題材にした作品も展示されていた。ファシズムや戦争にたいする批判精神を持続しているところも魅力的だな。恋にも制作にもパワフルでありながら、社会を見る確かな視線も持っていたようだよ。
 晴男 そうか。ぼくも見てみようかな。
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2008年10月08日,「赤旗」) (Page/Top

米国の愛国者法人権侵害の数々/仙台で学習講演会

 アメリカの愛国者法による人権侵害の実態を学習する講演会が五日、仙台弁護士会館で開かれました。第五十一回人権擁護大会のプレシンポジウムとして仙台弁護士会などが開いたもので、約九十人の市民が参加しました。
 東北弁護士会連合会の佐藤正明会長は「最大の人権侵害行為である戦争を許さない取り組みを進めるため、このシンポジウムで士気を高めてほしい」とあいさつしました。
 金沢大学法科大学院講師の菅野昭夫弁護士が「アメリカの戦争政策と愛国者法」と題して講演。菅野氏は、9・11事件直後に対テロ戦争遂行という目的で成立した「愛国者法」がもたらした人権侵害の実態を生々しく報告しました。
 FBIによる膨大な規模の盗聴や疑わしいというだけで逮捕、監禁される市民、イスラム系移民に対する抑圧、異常なデモ規制などを具体的に紹介。「ブッシュ政権は『愛国者法』で警察国家体制を樹立した。アメリカ版のファシズムといっても過言ではない」と話しました。
 弁護士会の取り組みを報告するリレートークでは、講演会や市民講座、9条世界会議仙台集会、若手弁護士による演劇などのユニークな取り組みが話されました。
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2008年09月07日,「赤旗」) (Page/Top

山田和夫の映画案内/生きものの記録/核の恐怖描く黒澤監督の力作

 この週はNHK衛星に黒澤明、ルキノ・ビスコンティの名作が並ぶ。黒澤作品では核の恐怖を描く初の力作「生きものの記録」(1955年)、シェークスピアの「マクべス」を日本の戦国に置きかえた「蜘蛛巣城」(57年)、ゴーリキー原作の映画化「どん底」(57年)。
 ビスコンティは戦後イタリア映画のネオリアリズム開拓者。ファシズム統治下で民衆の現実に迫った「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(42年)、シチリア漁民の抵抗を描く「揺れる大地」(48年)、独立戦争下、貴族女性の転落をきびしい写実で直視する「夏の嵐」(54年)、ドストエフスキー原作に挑む「白夜」(57年)。ほかにJ・ロージー「暗殺者のメロディ」(72年)も。
 地上波全国ネットでは、山田宗樹原作を中島哲也監督が映画化した「嫌われ松子の一生」(2006年)。中谷美紀、宮藤官九郎、劇団ひとりほかの異色配役で破天荒な一女性の生きざまを描き、ヒット。
 「インデペンデンス・デイ」(96年)が巨大宇宙船の来襲とたたかうSFスペクタクル。アメリカ第一主義が鼻につく作品再登場。
 (映画評論家)
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2008年08月29日,「赤旗」) (Page/Top

同意か強制か/普通の人とナチス/星乃治彦/忘れがちな「もう一つのドイツ人」

 「過去の克服」というと、靖国の扱いに象徴されるような日本の姿勢に対して、ドイツの真摯な姿勢が多くの人の共感を呼ぶ。たしかに、「過去の克服」は、ドイツ人にとっても、日本人にとっても国民的課題である。
 ただ、問題は、誰のどういった「過去」や「責任」を問題にするかである。ドイツ史研究は、たしかに一方では石田勇治の『過去の克服―ヒトラー後のドイツ』(白水社)といった真摯で緻密な実証研究を生み出しながらも、他方、最近の研究者たちの関心は、「普通の人」のナチス支持・戦争責任追及に向かいがちである。要は、「普通の」人たちが強制されていたのか、ないしは自ら積極的に同意していたか、つまり、強制か同意かという点である。

偏見や差別意識動員した状況は
 ロバート・ジェラテリー『ヒトラーを支持したドイツ国民』(みすず書房)は、ナチスが「敵」には排除や容赦のない強制手段をとる一方で、普通の国民の「同意」を取り付けるあらゆる措置をとり、それに成功したとする。
 さらに、ゴールドハーゲン『普通のドイツ人とホロコースト』(ミネルヴァ書房)になると、「同意」「積極的関与」に大きく傾斜し、警察大隊などの例をあげながら、外からの強制を受けることなく彼ら「普通のドイツ人」は積極的に虐殺行為を展開した、とする。その根源をゴールドハーゲンは、ドイツ史の中に求め、ホロコーストもそこで長らく醸成されてきた反ユダヤ主義の帰結と描き出す。
 こうしたドイツ人=悪という結論にさえなりかねないゴールドハーゲンの論法には、同じ警察大隊の史料を分析し「強制」を強調したブラウニングとの間での議論が展開されたし、ゴールドハーゲンの強引な論証のやり方にも疑問が付されているものの、最近の研究を見ると、同意論は、結構地歩を固めているように思える。
 ただ、「同意」していたというなら、なぜ今ナチスは支持を集めないのだろうか、という疑問は有効であろう。たしかに、一般に民衆の中には偏見や差別などどろどろとした要素がある。ナチス体制下では、直接的暴力だけではなく、ラジオ・映画等メディアを動員したナチスイデオロギーの注入、既存の組織やナチス団体による動員、など様々な回路を通して「普通の人たち」の偏見や差別意識がかき立てられていった。そうした状況の説明が本来はなければならない。それがなければ、「強制」が「同意」を作り上げるのではなく、「同意」が「強制」を作り上げたという説明にさえなりかねない。

良心や正義感でたたかった人は
 そもそも「普通のドイツ人」といっても、実際には様々なドイツ人、いわば「もう一つのドイツ人」がいた、ということは忘れられがちである。例えば、「白バラ」抵抗運動とか。そうした少数者だが、良心や正義感からたたかった人たちの姿に後世の人間は感動し、共鳴し、歴史の教訓としようと顕彰し、記念碑を建て、通りの名前とし、記憶にとどめようとする。そこでいったんは「同意」した人間にも反省の機会が与えられる。
 現在でも、ドイツというと、ネオナチの活動ばかりが注目を浴びがちである。だが私がライプチヒでみたのは、そうした三千人ほどのネオナチに対抗して、「(ハイル・ヒトラーと)手をあげるのではなく、(自信を持って)頭をあげよう」といったスローガンを口にする、市長を先頭にした十万人近い反ファシズムのデモ隊であった。彼らは歴史から学んだ「普通のドイツ人」の姿であろう。
 戦前、治安維持法違反容疑で裁かれた法廷で宮本顕治は、「人類の正義に立脚する歴史の法廷」は必ず弾圧者の誤りと自分たちの正しさを証明するだろう、と陳述し、それは現実のものとなった。歴史の流れを味方にしているという確信が未来を切り拓いたもう一つの例である。

ほしの・はるひこ
 福岡大学教授。一九五五年生まれ。専攻はドイツ近現代史。『社会主義と民衆』『ナチス前夜における「抵抗」の歴史』ほか
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2008年08月15日,「赤旗」) (Page/Top

本立て/歌集 人を恋うロバ/美帆シボ著

 滞在33年になるフランスで、原爆の実相を伝える活動をしている著者が詠み始めて10年の短歌323首を収録。表題は「闇ふかき谷間を駈ける音ひびき窓の灯りに人を恋うロバ」から。新聞歌壇で亡き近藤芳美氏に選ばれた歌です。
 異文明のなかで新たな自分や家族の姿を発見したり、反ファシズムの伝統に触れたり。31文字にしなやかな心が刻まれています。
 「被爆者のかたえに訳す証言を五度くりかえし五度こころ慄う」「杖をつく人も身重の人もゆくひとりひとりの反戦の意志」「抵抗に死す人々の腕のごと天に突きあぐポプラの枯れ枝」
 (ながらみ書房 税別2500円)
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2008年07月13日,「赤旗」) (Page/Top

日本共産党知りたい聞きたい/スペインの「歴史の記憶法」とは?

 〈問い〉 スペインで内戦とその後のフランコ独裁体制時に迫害された人々の名誉回復法ができたと聞きましたが、どんなものですか? スペイン内戦についてもよく知らないので教えてください。(岡山・一読者)
 〈答え〉 昨年、スペインで成立した「歴史の記憶法」は、1936年から39年まで続いた内戦とその後75年までの軍事独裁政権下で政治弾圧を受けた犠牲者の名誉を回復し、遺族を補償する内容です。
 2004年に発足したサパテロ政権のもと、内戦と軍政時の被害を調査する委員会が発足するなど、弾圧についての調査、研究が進んでいました。
 同法は、共和制を求める人々に対して軍政下で行われた裁判は「非合法」と規定。遺族年金の充実、犠牲者の身元確認の促進、内戦と政治弾圧に関する資料の保存などを決めました。軍事蜂起したフランコ将軍や蜂起をたたえる記念碑やシンボルの撤去も求めています。
 スペインでは、31年の統一地方選挙で共和制支持派が勝利。同年12月にはスペインを主権在民の民主的共和国とする憲法が制定されました。
 36年2月の総選挙では、共産党の呼びかけで社会党や共和党なども加わった人民戦線が勝利し、政府をつくりました。
 しかし、大地主や教会など封建的反動勢力と結びついたファシズム勢力は、同年7月、フランコ将軍を中心に軍事反乱を起こし、内戦が全国に広がっていきました。
 内戦のさなかの36年9月、共産党員の閣僚を含む人民戦線政府が成立。小農に対する減税や小作料の減額、労働者の賃金引き上げ、公共住宅建設などを掲げた人民戦線協定の実現を進めました。
 しかし、ドイツ、イタリア両国からの軍事援助を受けた反乱軍は攻勢を強め、36年10月半ばにはスペイン本土の約3分の2を占領するにいたります。
 政府側は、人民軍を組織してたたかいますが、次第に劣勢になります。この背景には、イギリスやフランス、米国が不干渉政策の名で政府側への武器弾薬の輸出を禁止したほか、政府支援の義勇兵のスペイン入国禁止や国際旅団の解散措置をとったこと、また政府内に路線や戦術をめぐる対立が生まれたことがあります。
 39年3月には反乱軍がマドリードを制圧し内戦は終結。これ以降、75年11月にフランコが亡くなるまで軍政が続き、共産党や労働組合の活動家らが不当に逮捕、処刑されました。(島)
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2008年01月30日,「赤旗」)