2005年活動】

*         12

*         (山梨)平和願う情熱の人/石川さだのさんを悼む/治維法国賠同盟山梨県本部副会長石丸あき

*         石川さだのさん死去

*         (秋田)革新運動の先駆者逸見久吉さんしのぶ墓参会/秋田・本荘由利

*         「共謀罪」を学ぶ/治維法国賠同盟の札幌女性部

*         国家賠償法署名/秋田で中間集約、1万6千5百に

*         治維法国賠同盟青森県本部/女性委が総会

*         安維持法犠牲者/高橋とみ子さん、仙台で「墓前祭」

*         11

*         坂井元香焼町長らの墓碑を訪ねて/長崎・治維法国賠同盟

*         反戦画家・柳瀬正夢没後60年/生涯に学び改憲阻止へ/北九州で集い

*         近代奈良の地域史考える/治維法国賠同盟県本部が講演会

*         戦前の農民運動指導者/河野登喜雄氏しのぶ会開く/石川・志賀町

*         レッドパージ55周年/被害者ら名誉回復求めて集会/東京

*         秋田では憲法学ぶ/改憲反対運動強く

*         名誉回復求め運動へ/レッド・パージ反対同盟が総会/神奈川

*         10

*         憲法改悪阻止、総会で確認/福井・治維法国賠同盟

*         治維法国賠同盟が大会/憲法改悪など論議/長崎

*         首相の靖国参拝/抗議の声続々と/長崎・福岡の諸団体

*         治維法国賠同盟/斎藤邦雄さん死去

*         再び暗黒政治許さない/治維法廃止60周年でシンポ

*         日本共産党知りたい聞きたい/ベルリンの抵抗博物館って?

*         治安維持法廃止から60年/15日に記念シンポ

*         憲法改悪反対大きく/治維法国賠同盟全道ブロック会議

*         治維法国賠同盟が九州沖縄ブロック会議/大分・宇佐

*         9

*         治維法国賠同盟が東北ブロック会議/憲法守る運動強く

*         日本共産党知りたい聞きたい/治安維持法の犠牲者は戦後どう扱われたの?

*         治維法国賠同盟/長崎県本部が墓碑めぐり

*         アジアと世界の平和・友好考える/「満州事変」74周年/富山で集い

*         堤右一さん死去

*         原憲正さん死去

*         亀戸事件忘れない/東京・江東区/82周年の追悼会

*         8

*         長崎/9条守ろうとビラ/治維法国賠同盟が配る

*         繰り返さない/戦後60年に思う/治維法国賠同盟顧問松崎濱子さん(92)/戦争反対に命かけた共産党員

*         治維法国賠同盟が青森と弘前で行動

*         平和の企画各地で/和歌山/堺/滋賀/京都/奈良

*         治維法国賠同盟道本部の新役員/党道委訪問し懇談

*         扶桑社版教科書採択するな/長崎市/治維法国賠同盟が要請

*         国賠要求同盟都本部/区市町村教委に「教科書」で要請

*         7

*         戦後補償の遅れ指摘/治維法国賠同盟の代表/国連人権小委

*         権力犯罪2度と許すな/大阪治維法国賠同盟が大会

*         広く市民の声聞いて/治維法国賠同盟福岡支部/教科書選定で要請

*         国会通信/あいさつ交渉交流/……11日 

*         憲法改悪反対に全力/治維法国賠同盟が全国大会/石井副委員長あいさつ

*         私たち国民の誇り=^福井/「時代を撃て―多喜二」上映

*         6

*         靖国神社と治安維持法/人権侵害で同根=^吉岡前参院議員講師に宮城で講演会

*         今野大力墓前祭/東京・多磨霊園で

*         渡辺満三の足跡たどる/治安維持法国賠同盟愛媛県本部がツアー

*         治維法国賠同盟が岐阜県本部大会

*         治維法と現代枚方で学習会

*         9条改悪反対国民的共同を/治維法国賠同盟秋田県本部総会

*         市民運動実る/女性解放運動の福田英子/顕彰碑、生誕地に移転/岡山

*         扶桑社のもの不採択に/秋田全市町村教委に要請/治維法国賠同盟

*         5

*         森下登さん死去

*         過去忘れてならない/河野衆院議長運動の意義認める/治維法犠牲者国家賠償で要請

*         治維法国賠同盟大牟田支部/福知山線脱線/国交省に抗議

*         「つくる会」教科書/問題を説明/秋田で学習会/治維法国賠同盟

*         合葬追悼会450人が献花/憲法を守るたたかい誓う

*         治維法犠牲者に謝罪要求/国賠同盟、参院議長に申し入れ

*         井之口薫さん死去

*         治維法犠牲者に賠償を/井上議員同行/国賠同盟が法相に要請

*         憲法、平和日本考える/山形で討論集会

*         4

*         「小林多喜二」上演成功へ/講演の夕べとミニコンサート

*         特高警察に逮捕、非転向で獄死/飯島喜美没後70周年/神奈川で記念のつどい

*         治安維持法国家賠償法制定求め/請願署名の最終集約/秋田

*         戦前の弾圧事件学ぶ/憲法守ろう/青森で集い

*         静岡・天竜市の党員坪井愛次さん/100歳を祝い歓談/戦争はごめん/憲法大切

*         高田勝重さん死去

*         治安維持法犠牲者/土佐の先達58人を紹介/高知市

*         大東革新懇が平和運動交流/歴史に学び近隣諸国と友好を=^千葉・館山の碑や戦跡めぐる

*         改憲は米に命渡すこと/大阪で上田副委員長講演

*         4・16事件獄中書簡集/青森/国賠同盟が復刻

*         伊藤千代子の手紙に寄せて/外尾静子/「生きようとするからこそ大切な命をも投げ出す…」

*         顔出した「平和の滝」/札幌・西区

*         伊藤千代子/獄中最後の手紙/苫小牧で「見る会」

*         3

*         国家賠償制定を求める請願可決/京都・向日市議会

*         3・15記念の集い/多喜二の人生を映画で振り返る/徳島

*         戦争の政治許さない/沖縄・治維法国賠同盟/「3・15大弾圧」77年で学習会

*         日本共産党知りたい聞きたい/国会議員になった特高官僚の名は?

*         市川正一没後60年で碑前祭/山口・光/遺志継ぎ党の力を大きく

*         憲法守りぬくと誓い/京都・宇治/第76回山宣墓前祭

*         告発戦後の特高官僚/柳河瀬精著/国会進出54人反動的潮流を推進

*         戦後の特高官僚告発/泉南で出版記念会

*         国家賠償法署名/秋田で中間集約2万人分超える

*         北見で多喜二に学ぶ集い/逆行の動き押し返す時

*         2

*         日本共産党知りたい聞きたい/戦争に反対し殺された西田信春って?

*         暗黒政治許さない/治維法国賠同盟女性部がつどい

*         1

*         NHK番組改ざん/政治介入に抗議文送付/石川・治維法国賠同盟

*         村瀬清次没後77年/戦前の活動墓参で偲ぶ/和歌山国賠同盟

*         葛飾ビラ配布弾圧/検事に抗議文/茨城・治維法同盟

*         治維法同盟が釈放求め電報/ビラ弾圧事件

【本文】

平和願う情熱の人/石川さだのさんを悼む/治維法国賠同盟山梨県本部副会長石丸あきじ

 戦時中に治安維持法違反で逮捕されたことを理由に、山梨県の甲府市役所を不当解雇され、同市に名誉回復を求めていた石川さだのさん=同市=が二十一日、亡くなりました。九十歳でした。「励ます会」をつくり、石川さんを支援してきた、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(以下、同盟)県本部の石丸あきじ副会長(80)=同市=から文章を寄せていただきました。
  ◇
 平和を願い、戦前に憲兵から受けた非道を訴えた情熱の人、石川さだのさんが亡くなりました。
 石川さんの穏やかなお顔に、「安らかに」といった後、「眠らないで、日本国憲法九条を守る運動を見守ってください」と心から訴えました。
 石川さんとのお付き合いは十年ほど前、同盟県本部の女性部をつくったときから深まりました。
 ある時、石川さんが、同盟県本部の役員会で、中曽根康弘氏の「不沈空母」発言などをあげながら、「もう黙っていられない。自分のような経験を、これからの人たちにさせてはならない」と発言されました。一同はその熱意に、改めて名誉回復を求める運動を起こそうと決めました。
 石川さんは一九九九年、ジュネーブ(スイス)の国連人権委員会で、自らの体験などを、三十二カ国のNGOの人々に訴えました。当時、石川さんは体調を崩されていましたが帰国後、二十歳は若返ったように、生き生きと活動されていました。
 二〇〇一年に山本栄彦市長(現在は県知事)に面会して、名誉回復を求めました。しかし、一切受け入れられず、「死んでも死にきれない」と、顔を赤らめて語っていたことが忘れられません。
 現在の宮島雅展市長からも謝罪はなく、結局、裁判に訴える決意をされました。石川さんが体調を崩されたので、私たちは裁判準備を急ぎましたが残念です。
 石川さんは最後まで、「市長に謝ってほしい」「小泉首相は辞めさせたい」と話していました。
 石川さんの遺志を受け継いで憲法と平和を守る決意を改めて固めました。

不沈空母発言
 一九八三年の中曽根康弘首相(当時)による「日本列島を『不沈空母』にし、ソ連の爆撃機『バックファイア』の本土上空通過を阻止する」などという発言。「日本を核戦場にするものだ」などと批判が広がりました。
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2005年12月25日,「赤旗」)

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 石川さだのさん死去

 石川 さだのさん(いしかわ・さだの、山梨県甲府・東山地区北西支部)21日、多臓器不全のため死去。90歳。通夜は23日午後5時から、葬儀は24日午後1時から、いずれも甲府市塩部4の10の10の甲府シティホールで。喪主は長男、隆一さん。自宅は甲府市上帯那町1337の2。
 47年入党。五十年党員。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟山梨県本部女性部長。 
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2005年12月22日, 「赤旗」)

革新運動の先駆者逸見久吉さんしのぶ墓参会/秋田・本荘由利

 秋田県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟本荘由利支部は十四日、革新運動の先駆者「逸見久吉さんをしのぶ墓参会」を開きました。記録的な大雪のなか十五人が参加しました。
 墓参のあと、本荘教育会館で「しのぶ集い」を開催。渡部馨同支部会長が「憲法改悪の策動は、再び戦争と暗黒政治を許さぬを掲げる同盟運動の強化を求めている」とあいさつ、続いて近江谷昭二郎同県本部会長が逸見久吉さんの戦前・戦後の活動を紹介。
 逸見さんは戦前、教員から新興教育同盟書記局に入り、活動中に検挙され、釈放後も度重なる弾圧のなか家庭教師などをしながら教育科学の勉強を続けたこと。戦後は由利地方労働組合協議会を結成し、書記長として活動、同時に一九四六年三月に日本共産党に入党し、以後は、党秋田県委員、同由利地区委員長、本荘市議(三期)などを歴任したことなどを語り、逸見さんの九十六年の生涯は、日本共産党の綱領路線に忠実に日本人民解放にささげた人生であったと強調しました。
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2005年12月18日,「赤旗」)

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  「共謀罪」を学ぶ/治維法国賠同盟の札幌女性部

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟札幌女性部は十日、次期国会にも提出されるという「共謀罪」について学習会を開催し、二十人が参加しました。
 講師の加藤丈晴弁護士は、ビラ配布弾圧事件にふれ、「ビラを配っただけで逮捕なんてだれも考えられなかった」ことが現実になっていると述べました。
 法案の意図するところや刑法に違反した場合どんな罰則があるか、政府側答弁で「対象は暴力団による国際的な組織犯罪であり、一般の団体への適用はない」と答えているが、法律が決まったとき、どのようなことが現実に起きるのか具体例を示しました。
 加藤弁護士は、テロ防止の国民世論を背景にして「共謀罪」が国会で通りやすい状況にあることに警鐘を鳴らしました。
 参加者から、日常のどんな運動も計画の段階から共謀罪の拡大で捜査の対象になることがわかり、「みんなに語ること、知らせること、行動を起こさなくては」「憲法九条を守る運動と併せてやりたい」「一般の国民が気づいたときは手も足も出ない状態となれば大変。憲法を守る運動を強めたい」と積極的な意見や感想が寄せられました。
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2005年12月16日,「赤旗」)

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  国家賠償法署名/秋田で中間集約、1万6千5百に

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟秋田支部(藤田實会長)は、五日に支部幹事会を開き、来年の五月に国会に提出する治安維持法国家賠償法(仮称)の制定を求める請願署名の中間集約をしました。その結果、団体署名が四百六十四、個人署名が一万六千六十人分、合計一万六千五百二十四に達したことを確認しました。
 同秋田支部は、六月の定期総会後、署名推進の月別目標を決め、二百を超える労働組合、青年・婦人団体や宗教法人など多くの団体、組織に働きかけるとともに、憲法改悪反対や年金問題などの署名活動と結びつけて推進することを重視してきました。
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2005年12月09日,「赤旗」)

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  治維法国賠同盟青森県本部/女性委が総会

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟青森県本部の女性委員会は十一月二十九日、二十人が参加し青森市の県民福祉プラザで第十一回総会を開き、活動方針を決めました。日本共産党の高橋ちづ子衆院議員などからメッセージが寄せられました。
 さきに熱海市で開かれた第十六回全国女性交流集会に参加した三人が、犠牲者の話を聞いた感動やこうした人の意思を引き継いで頑張る決意をのべました。中村勝巳県本部会長が、「同盟活動を強め、市民権を得ていくことが重要」と激励しました。
 高杉さと事務局長が、総会報告をし、学習や会員拡大、署名、宣伝などを柱とする活動方針などを提案。討論では、「最近、加盟させてもらいました」「きょうの皆さんのお話で理解が深まりました」などの発言があり、方針案などを全員一致で採択しました。
 委員長に中嶋丘子さん、事務局長に高杉さとさんなど九人の役員を選出。また名誉委員長には高橋衆院議員が引き続いて承認されました。
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2005年12月03日,「赤旗」)

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  治安維持法犠牲者/高橋とみ子さん、仙台で「墓前祭」

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟宮城県本部はこのほど、七十一年前に中新田警察署で治安維持法により二十五歳の若さで命を失った高橋とみ子さんの墓前祭を仙台市北山一丁目の秀林寺でおこないました。
 墓前祭には日本共産党宮城県委員会の遠藤いく子書記長、県平和委員会の高橋浩太郎代表理事など二十数人が参加しました。県同盟の会長で、とみ子さんと一九三四年九月に「九・一一事件」で逮捕、投獄された大川芳夫氏が「小泉自民党は憲法九条を改悪しようとしている。治安維持法の犠牲者にたいする国家賠償を認めさせ、暗黒政治を絶対に許してはならない」とあいさつしました。
 参加者はそれぞれとみ子さんの墓前で誓いを新たにしました。
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2005年12月01日,「赤旗」)

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  坂井元香焼町長らの墓碑を訪ねて/長崎・治維法国賠同

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟長崎県本部(吉田次雄代表)は二十日、長崎市内で第二回「墓碑めぐり」を行いました。
 最初に市内香焼町にある元香焼町長・坂井孟一郎さん(一九九二年三月没・八十一歳)の墓にお参りしました。
 坂井さんは、三三年の「九州共産党事件」で夫人とともに逮捕された経歴があります。父親と知人のすすめで旧満州に渡り敗戦を迎え、四六年七月に引き揚げました。
 四七年に三十六歳で香焼村長(当時)に初当選、八七年まで十期三十五年間、「憲法を暮らしの中に」を町政に貫いてきました。また、反核・平和、日中友好、革新懇運動、憲法を守る運動に尽力しました。
 香焼町内では、戦前の活動家・花房豊さん(一九八一年五月没)の墓前にも献花しました。
 三人目は市内西立神町にある水口マチさん(二〇〇三年十月没・九十二歳)の墓参です。水口さんは三〇年、日本大学の演劇関係に学び、三二年に京都で十日間拘留されるという戦前の活動家で、国賠県同盟員の一人でした。
 この墓碑めぐりには、大村支部、長崎支部などから七人が参加、諸先輩の活動に学びました。
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2005年11月30日,「赤旗」)

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  反戦画家・柳瀬正夢没後60年/生涯に学び改憲阻止へ/北九州で集い

 戦前の治安維持法下で反戦・平和の前衛画家として活躍した柳瀬正夢(やなせ・まさむ)が少年期に過ごした北九州市門司区で二十七日、「没後六十年を記念する北九州の集い」が開かれました。
 同区在住の画家や彫刻家、作家、歌人、弁護士など二十人が呼びかけ人となって開いたもの。柳瀬正夢の進取・不屈の精神とたたかいを語りあう記念事業となりました。
 会場の門司生涯学習センター内は、地域「九条の会」のメンバーや平和運動家、労働組合員ら百三十人の参加で満員。福岡市や山口県、大分県などからも駆けつけてきた人もいました。
 呼びかけ人の一人で、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟福岡県本部の久野精士副会長は「今日の情勢は、柳瀬正夢が身をもって示した侵略戦争と民衆への抑圧者に対する不屈のたたかい、芸術・文化活動などでの優れた業績に学ぶことを求めている」と語りました。
 柳瀬正夢研究会の甲斐繁人事務局長は、スライドを使って柳瀬の画業を紹介。彫刻家の柴田良朗氏は柳瀬が手がけた多才な才能について研究発表し、作家・火野葦平の三男、玉井史太郎氏は柳瀬と九州文学について説明しました。
 参加者からは「門司港の観光案内で、柳瀬の業績の一端を話している。この門司区で小さな展覧会を開いてほしい」「集いで話を聞き、私も顕彰活動に参加したい」との意見が出されました。
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2005年11月30日,「赤旗」)

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  近代奈良の地域史考える/治維法国賠同盟県本部が講演会

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟奈良県本部(細野徳弘会長)は二十六日、同県大和郡山市内で元立命館大学教授の鈴木良さんを招いて講演会を開き、二十五人が参加しました。
 「近代奈良の地域史を考える」と題した講演で鈴木さんは、近代奈良の農業の特徴について大地主が少なく小作貧農や子地主・自作農の割合が多いことや、部落人口率が高く、部落の平均規模も大きいことなどを指摘。こうした特質を持った社会構造のなかで水平運動がおこり、農民運動が広がったことをつかむことが大切とのべました。
 講演会に先立ち、同本部の第十九回定時総会が開かれ、「国家賠償法」制定を求める個人署名四千人分をめざすことや、地方議会で同法制定を求める意見書決議の採択を促進するなど、〇五年度の活動計画を確認しました。
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2005年11月27日,「赤旗」)

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  戦前の農民運動指導者/河野登喜雄氏しのぶ会開く/石川・志賀町

 戦前、石川県能登地方で活動した農民運動指導者で日本共産党員だった河野登喜雄氏の顕彰碑前祭と偲(しの)ぶ会が二十三日、石川県志賀町で開かれました。
 泉勲・河野登喜雄顕彰会会長、北口吉治・治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部会長、山次喜康・石川いしずえ会会長、坂本浩・日本共産党能登地区副委員長ら十一人が参加。顕彰碑に向かって献花し、故人のめい福を祈り、政治革新に向かってがんばる決意を固め合いました。
 河野登喜雄氏は一九〇九年、羽咋(はくい)郡堀松村(元志賀町)生まれ。全国農民組合石川県連合会の能登地域の中心となって活動。小作料減免を実現させ、「電灯料不納同盟」を組織するなどしました。一九三三年、検挙され、獄中で重体となり、仮出獄後の十一月二十四日、「能登の農民運動の灯を消すな」と遺言し、二十四歳の若さで死去しました。
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2005年11月24日,「赤旗」)

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 レッドパージ55周年/被害者ら名誉回復求めて集会/東京

 レッドパージ五十五周年を記念した集会(同集会実行委員会主催)が十五日、日本共産党本部で開かれ、被害者ら約九十人が参加しました。
 レッドパージは一九五〇年を前後した米軍事占領のもとで、日本共産党員や支持者を理由に主要産業と官公庁から大量解雇した弾圧事件です。
 レッドパージ反対全国連絡センターの近藤信之代表委員は「レッドパージの被害者は職場を不法に追放されたが、タンポポの綿毛のように飛んでいって、民主的運動や文化運動で多彩な花を咲かせた。世界に誇る憲法を守るたたかいに決起しよう」とよびかけました。
 日本共産党元参院議員の吉岡吉典氏が「アメリカ占領政策とレッドパージ」と題して講演。「レッドパージは、二つの世界大戦の教訓にも、日本国憲法にも反した不法なものだった」と強調し、韓国で日本の侵略とたたかった東学農民運動で犠牲となった人々を国を挙げて記念していることも紹介し、不法が通らなくなるまでたたかいぬく大切さをのべました。
 日本共産党の佐藤三男国民運動委員会副責任者と治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の神戸照副会長が来賓あいさつ。佐藤氏は、犠牲者の名誉回復と国家賠償の実現をめざすたたかいの正当性を明らかにし、運動をすすめている意義の重要性をのべ、ともに全力をあげようと訴えました。
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2005年11月16日, 「赤旗」) (戻る/ページTOP

  秋田では憲法学ぶ/改憲反対運動強く

 憲法改悪阻止秋田県センターが三日、秋田市千秋明徳町のジョイナス(県生涯学習センター分館)で、「11・3憲法学習会」を開きました。県内各地から六十人が参加しました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟秋田県本部の近江谷昭二郎会長が「自民党新憲法案の狙いと改憲反対闘争の到達と展望を考える」と題して講演しました。
 意見交換で、同市河辺の男性は「九条・憲法改悪に反対する運動の展望を開くうえで、もっとも重要なキーは何か」と質問。
 近江谷会長は「学校区ごとに『九条の会』をつくり、対話し、住民の大多数から憲法改悪を許さない署名を集める、そうしたことを粘り強くすすめることで展望を開くことができる」と答えていました。
 同センターの越後屋建一事務局長が、▽きめこまかな学習会の開催▽憲法改悪反対署名の推進▽街頭行動の強化、など六項目の「憲法センターからの行動の呼びかけ」をしました。
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2005年11月05日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  名誉回復求め運動へ/レッド・パージ反対同盟が総会/神奈川

 アメリカ占領下の一九五〇年前後、日本共産党の党員と支持者、労働運動活動家などを無法・不当に職場から解雇した「レッド・パージ」の犠牲者の名誉回復と国家賠償を求める神奈川県レッド・パージ反対同盟は十月二十八日、横浜市内で、第五回総会と記念講演会を開きました。
 総会で、小林四郎代表委員が開会あいさつ。金子圭之幹事が、活動報告と来年度の方針を提案し、「運動に確信を持って奮闘しましょう」と呼びかけました。
 神奈川労連の菊谷節夫議長、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部の増本一彦会長、全国レッド・パージ反対連絡センターの川俣晶三事務局長、日本共産党の岩崎広県副委員長があいさつしました。
 討論では、請願署名運動や、単行本『聞き語り―神奈川のレッド・パージ』を普及する活動などを報告。「署名と本の普及運動をすすめるとともに、憲法を守る取り組みに頑張りたい」「私たちには、若い人たちに語り継ぐ責任がある」などの発言がつづきました。
 署名運動を活動の柱にすえることなどの運動方針を拍手で採択。新役員に金子圭之=新=、小林四郎、小林幸各代表委員、森敬事務局長=いずれも再=らを選出しました。
 総会後、国際政治学者の畑田重夫氏が「歴史に学び、歴史を創る」と題して講演しました。
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2005年11月01日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  憲法改悪阻止、総会で確認/福井・治維法国賠同盟

 福井県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟本部は二十三日、第十八回総会を越前市内で開きました。
 吉田一夫県本部会長は、「治安維持法犠牲者など先輩たちの志を受け継ぐ私たちは、日本を『戦争する国』にする憲法改悪の阻止のため全力をあげなければならない」と訴えました。
 嶋田俊男・「九条の会・敦賀」事務局長の「憲法九条をまもるたたかい」と題しての特別講演もありました。
 総会参加者らは、活動方針を採択するとともに次期役員を選出、今年亡くなった森下登前県本部事務局長に黙とうを捧げました。来賓として、西村明宏・日本共産党県委員長と金子光伸・日本国民救援会県本部会長があいさつしました。
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2005年10月28日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  治維法国賠同盟が大会/憲法改悪など論議/長崎

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟長崎県本部は十五日、大村市で第十五回大会を開きました。
 亡くなった先輩同志に黙とうをし、吉田次雄会長は「総選挙後の情勢と同盟の役割」についてあいさつしました。
 同盟県本部副会長の塩塚節夫弁護士が、「国民投票法制定の狙いと問題点」と題して講演、憲法改悪への条件づくりの動きを詳しくのべました。
 経過報告と活動方針の論議では、「九条の会活動」「墓碑めぐりと先輩の活動顕彰」「国会請願署名の取り組み」などについて活発な意見が出され、これらの活動をさらに強める四項目の活動方針を決めました。
 会長・吉田次雄、副会長・塩塚節夫、事務局長・松田雅武の各氏(いずれも再任)を選出しました。
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2005年10月23日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  首相の靖国参拝/抗議の声続々と/長崎・福岡の諸団体


長崎/治維法国賠同盟
 治安維持法国家賠償要求同盟長崎県本部(吉田次雄会長)は十八日、靖国神社参拝を強行した小泉純一郎首相に「強い憤りを覚える」と抗議を表明。
 「憲法違反の靖国参拝がアジア諸国との友好関係を大きく阻害している現在、無神経に参拝することは、国の指導者としての見識を疑わざるを得ない」と打電しました。

福岡・大牟田支部/治維法国賠同盟
 福岡県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟大牟田支部は十八日、小泉純一郎首相が靖国神社を参拝したことに対し、「外国には侵略戦争を謝り、『不戦の誓い』を言いながら、侵略戦争を正しかったと大宣伝している靖国神社になぜ参拝するのか。五回もの強行に心から怒りをもって抗議する」との抗議文を送付しました。

福岡県革新懇
 福岡県革新懇話会は十七日、靖国神社を参拝した小泉純一郎首相あてに、「特定の宗教を助長、促進するとともに、侵略戦争の美化・正当化を助長するもの。憲法無視の行いは、立憲政治の否定につながる」との抗議電を送りました。
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2005年10月21日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

 治維法国賠同盟/斎藤邦雄さん死去

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟中央本部事務局長で、元日本共産党中央委員の斎藤邦雄(さいとう・くにお)さんは、十九日午前一時三十一分、胃がんのため、入院先の東京都渋谷区の病院で死去しました。七十九歳。通夜は二十日午後六時から、告別式は二十一日午前十時三十分から、いずれも東京都新宿区須賀町一四の一の四谷たちばな会館で。喪主は妻、久枝さん。自宅は東京都板橋区成増三の六の一七。
 一九二五年十一月七日、東京都目黒区生まれ。四九年入党。五十年党員。
 第十四回党大会(七七年)で准中央委員、第十六回党大会(八二年)から第十九回党大会(九〇年)まで中央委員。この間、東京都常任委員、同副委員長、関東・甲信越地方出張所責任者などを務めました。
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2005年10月20日, 「赤旗」) (戻る/ページTOP

 再び暗黒政治許さない/治維法廃止60周年でシンポ

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(国賠同盟)は十五日、「ふたたび戦争と暗黒政治を許さない」をスローガンにしたシンポジウムを東京・文京区の全労連会館で開きました。シンポは、同法が一九四五年十月十五日に廃止されてから六十周年を迎えたことから企画されたもの。治安維持法犠牲者「九条の会」発足と、同会呼びかけ人からの参加を訴えるアピールも紹介されました。
 侵略戦争と専制政治に反対して同法で弾圧された犠牲者ら約百人が参加し、浜林正夫・一橋大学名誉教授をコーディネーターに「いま治安維持法を問うことは、憲法改悪を問うこと」と、パネル討論しました。
 パネリストとして柳河瀬精・国賠同盟大阪会長、日本共産党の吉岡吉典元参院議員、弁護士の平山知子氏がそれぞれ報告。柳河瀬氏は、弾圧の実行者の特高警察官僚が戦後も国会や行政機関で公職についた事実を紹介しました。
 吉岡氏は、戦後の平和・民主主義の全面否定をめざす危険な動きを報告。「いま憲法を守りぬくことが大事だ」と訴えました。
 平山氏は「私も治安維持法の犠牲者の遺族」と語り、父親が、特高に九回逮捕され言語を絶する拷問を受けていたことを紹介。憲法改悪を許さない運動を広げることの大切さを訴えました。
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2005年10月16日, 「赤旗」) (戻る/ページTOP

 日本共産党知りたい聞きたい/ベルリンの抵抗博物館って?

 〈問い〉 ドイツには、公的な抵抗運動の博物館があるそうですが、どんな博物館ですか? 日本では、戦争に反対して犠牲になった人々を顕彰する公的な施設がなぜないのでしょう。(東京・一読者)
 〈答え〉 人類史上最大の6000万人といわれる死者をだした第2次世界大戦を記憶する戦争記念碑・記念館とのあり方は、日本とドイツでは大きな違いがあります。
 ドイツでは、強制収容所跡記念館のようにドイツ人による加害を記録するものと、反ナチ・反戦抵抗運動の犠牲者の公的な顕彰碑・館が数多く存在します。しかし、日本には、戦没者の追悼や戦争被害を記録するものはありますが、加害の記録は少なく、反戦運動犠牲者を顕彰する公的な記念館等はほとんどありません。
 ベルリンにあるドイツ抵抗博物館は、ナチスが支配した12年間にさまざまな形で抵抗した人たちを紹介する公立博物館で、ベルリン市と国が半分ずつ財政負担しています。館内には、ヒトラーに対する軍人のクーデターグループをはじめ、学生反ナチ活動家グループ「白バラ」やドイツ共産党(KPD)やドイツ社会民主党員の活動、ナチスに取り込まれたキリスト教会に抗してナチ反対を貫いたカトリックの神父やプロテスタントの牧師の活動、ユダヤ人、シンティ・ロマ(ジプシー)の抵抗、ユダヤ人をかくまって援助した人、強制収容所での蜂起…などが展示されています。
 抵抗博物館は、ヒトラーに対する軍事クーデターを企てたシュタウフェンベルク伯爵らの遺族が1953年、処刑が行われた国防省跡に小さな碑を建てたのが始まりで、67年には、ヒトラーに抵抗した軍人の資料館になり、89年、ドイツ全土のレジスタンス活動を紹介、展示する博物館となりました。毎年7月20日に連邦大統領や首相が出席して追悼式が博物館の中庭で行われています。
 このほか、ドイツには、反ナチ抵抗運動を追悼する、プレッツェンゼー追悼所、「白バラ」抵抗運動記念碑、フンボルト(旧ベルリン)大学中庭の記念碑、ゲオルク・エルザー追悼所などがあります。
 しかし、ドイツでもこうした施設が戦後すんなりとできたのではありません。60年代から活発化した青年学生運動が「祖父や父はナチの時代に何をしたのか。なぜナチスに抵抗しなかったのか」と問うなかで、抵抗運動犠牲者への顕彰につながったのです。
 一方、日本では、小林多喜二のように戦争に反対したため、拷問で殺された人々(拷問で虐殺されたり獄死したりした人が194人、獄中で病死した人が1503人―治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟調べ)にたいして、政府は公式にはその事実さえ認めず、犠牲者の顕彰どころか加害者の処罰、被害者救済もないままです。(喜)
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2005年10月15日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

 治安維持法廃止から60年/15日に記念シンポ

 戦後六十年の今年は、侵略戦争下、国民の思想弾圧に暴虐の限りをつくした治安維持法が廃止されて六十年にもあたります。その弾圧犠牲者と拷問の事実を調査するとともに、犠牲者への謝罪と国家賠償法制定を求めて運動している治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は、同法が廃止された十五日に、記念シンポジウムを開きます。
 シンポジウムは、韓国や中国人の強制連行・強制労働、従軍慰安婦など多くの戦後補償を求める運動が広がる一方、小泉首相の「靖国参拝」や戦争美化の歴史教科書、自民党「憲法改悪案」づくりなど、日米軍事同盟を軸とする「戦争をする国」づくりが進められるもとで、あらためて戦後の民主主義と治安維持法廃止の今日的意義について討論を深めようというもの。
 報告者は、▽「戦後の特高官僚」(柳河瀬精・治維法同盟大阪府本部会長)▽「戦後の平和・民主主義の全面否定めざす危険な動き」(吉岡吉典・前参議院議員)▽「憲法改悪で女性の輝きを失わないために」(平山知子弁護士・元日弁連両性の平等に関する委員会委員長)の各氏。コーディネーターは、浜林正夫一橋大学名誉教授。
 午後1時15分から5時まで。会場は全労連会館2階ホール。資料代千円。
 問い合わせは、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟03(5842)6461
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2005年10月08日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  憲法改悪反対大きく/治維法国賠同盟全道ブロック会議

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部(外尾静子会長)はこのほど、二日間にわたって、苫小牧市で全道ブロック会議を開き、三十三人が参加しました。
 初日の全体会で外尾会長が報告し、総選挙で与党は小選挙区で五割もとっていないのに圧倒的支持をえたとして、大増税、憲法改悪をすすめようとしていると述べ、「九条の会」に結集し、そのなかで、治安維持法犠牲者に対する国の謝罪と賠償を求める運動を強めようと訴えました。
 宮田汎事務局次長が「犠牲者の顕彰活動の発展のために」として講演し、戦前の教師に対する弾圧の一つ、生活図画事件の犠牲者からの聞きとりから明らかになった事実を紹介、弾圧事件の掘り起こしをいっそうすすめる課題を提起しました。
 分科会討議をふまえた二日目の総括討論では発言が相次ぎ、改憲を許さない活動と国家賠償を求める署名とを結びつけて取り組むことを確認しました。
 篠原昌彦苫小牧駒澤大学教授が「小林多喜二の文学から今学ぶもの」の演題で講演しました。
 終了後、参加者は苫小牧市立図書館で、伊藤千代子の手紙を閲覧しました。
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2005年10月04日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  治維法国賠同盟が九州沖縄ブロック会議/大分・宇佐

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の沖縄から福岡まで各県代表三十人が二十三、二十四の両日、大分県宇佐市に集まり、九州沖縄ブロック会議を開きました。
 同大分県本部の立川義人会長(94)が「憲法改悪の策動、ビラまきも弾圧する暗黒政治への動向は、戦前への逆戻りを思わせるが、戦前私たちがたたかった時代とはちがって国民の力が強くなり、今は街頭演説しても拷問・虐殺はない。若いみなさんが再び戦争と暗黒政治を許さぬ活動に勇躍し、憲法九条を守り抜いてたたかってほしい」と開会あいさつしました。
 総選挙で大分2区候補としてたたかった日本共産党の山下魁氏、公選法弾圧事件でたたかっている日本共産党の大石忠昭豊後高田市議が支援の感謝と決意を表明しました。
 同中央本部が大会で決定した活動方針とその後の重大な情勢と課題の報告があり、大分県本部常任理事の岡村正淳弁護士が「選挙結果と民主党の前原新党首の出現で、憲法九条を守る運動の新しい広がりと強化が求められている緊急性」について提起しました。
 各県代表が活動報告し、国賠請願署名運動の飛躍的前進、憲法九条を守り、同盟の基本「再び戦争と暗黒政治を許さぬ」目標の実現めざして広く国民の間での運動を広げることについて討論。鹿児島県本部の里山和子副会長が国連要請を報告しました。
 会議には、大分市キリスト教日岡教会釘宮義人牧師、宇佐市安養寺林正道師、豊後高田市キリスト教会岡口文明牧師、時枝正昭宇佐市長、衆院議員の赤嶺政賢氏(共産)、同横光克彦氏(民主)、同重野安正氏(社民)ら幅広い人から連帯のメッセージがありました。日本共産党からは、赤嶺議員のほかに、林田澄孝大分県委員長、加藤純子大分県議、用松律夫宇佐市議がメッセージをおくりました。
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2005年10月01日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  治維法国賠同盟が東北ブロック会議/憲法守る運動強く

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は二十、二十一の両日、秋田県田沢湖町で第十五回東北ブロック会議を開きました。会員六十二人が参加しました。大沼耕治中央常任理事の開会あいさつ、平野庄司秋田県本部副会長の歓迎あいさつに続いて、治安維持法弾圧犠牲者の煙山篤さん(92)が紹介されました。
 近江谷昭二郎中央本部副会長が「ブロック会議への提案」を行い、自民党が改憲手続きのための国民投票法の提案・審議権を持つ特別委員会設置を強引に持ちだしたことに触れながら、憲法闘争が重大な局面を迎えていると指摘。▽「9条の会」への参加と組織化をさらにすすめ、歴史的憲法闘争に勇躍してたたかいながら、これと結合して同盟の国会請願署名五十万目標を達成する▽治安維持法下の反戦平和、主権在民を掲げ不屈にたたかった歴史を語り継ぐことの重要性から、その歴史を積極的に普及する▽会員拡大を若い人々にも積極的に呼びかけよう―と訴えました。
 各県・支部の代表二十二人が活動経験を報告し、質問・意見なども含め活発な討論をしました。
 最上健造日本共産党秋田県委員長が来賓あいさつし、激励しました。
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2005年09月28日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

 日本共産党知りたい聞きたい/治安維持法の犠牲者は戦後どう扱われたの?

 〈問い〉 戦前、戦争に反対して特高に拷問され命を落とした人が少なくないと聞きました。平和の礎(いしずえ)となった、こうした人びとをけっして忘れてはいけないと思います。治安維持法の犠牲者にたいして戦後、政府はどんな扱いをしたのですか?(愛知・一読者)
 〈答え〉 1925年施行の治安維持法は、太平洋戦争の敗戦後の45年10月に廃止されるまで、弾圧法として猛威をふるいました。拷問で虐殺されたり獄死した人が194人、獄中で病死した人が1503人、逮捕された人は数十万人におよびます(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟調べ)。
 この法律は思想そのものを犯罪とし、天皇制をかえて国民主権の政治を願った日本共産党員には最高、死刑という重罰を科すものでした。また、活動に少しでも協力すれば犯罪とされ、宗教者や自由主義者も、弾圧の対象とされました。
 戦後、当然この法律は廃止されました。しかし、治安維持法で弾圧された犠牲者にたいしては「将来に向かってその刑の言渡を受けなかったものとみなす」とされただけで、なんの謝罪も損害補償もされませんでした。一方、拷問・虐殺に直接・間接に加わった特高たちは何の罪にも問われませんでした。
 ドイツやイタリアでは、第二次大戦時のナチス政権下の犠牲者や「反ファシスト政治犯」犠牲者に対しての国家賠償を早くに実施しています。戦争犠牲者に対する戦後補償は国際社会の常識です。日本弁護士連合会も「公式に謝罪をし、肉体的、精神的被害に関する補償を含めた慰謝の措置をとることが、侵害された人権の回復措置として必要不可欠である」と勧告しています。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は、1968年に当時の犠牲者や遺族、家族の人びとを中心に、設立されました。治安維持法の時代の実態やその教訓を学び、治安維持法など戦前の悪法で弾圧の被害をうけた犠牲者に国としての責任を認めさせ、謝罪させ、国家賠償をおこなう法律を制定するよう、運動をすすめています。その後、国家賠償要求同盟は、直接に被害をうけた人や親族の運動にとどまらず、ふたたび戦争と暗黒政治の復活を許さないためにたたかう多くの人たちが加入、犠牲者に対する国家賠償法の制定を要求する国会請願行動を毎年続けています。      (喜)
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2005年09月22日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  治維法国賠同盟/長崎県本部が墓碑めぐり

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟長崎県本部(吉田次雄会長)は十六日、第一回「墓碑めぐり」を行いました。
 今回は、県内の治安維持法犠牲者三人の墓まいりをしました。
 はじめは、佐賀県太良町の円教寺に納骨されている元日本共産党長崎県委員会副委員長の福岡醇次郎さんのお参りです。
 二人目は、南高来郡吾妻町にある村山滋樹さんの墓。村山さんは一九九〇年に県同盟を結成、初代の県本部会長です。
 三人目は、島原市内の池田清徳さんの墓。池田さんは県同盟結成の発起人で、日本共産党島原市議、前わかくさ保育園長などの略歴があります。
 同盟県本部は、三人の経歴を紹介する「誇りに満ちた、先輩方の足跡を尋ねて」のパンフレットをつくり、参加者や訪問先などに渡しました。
 県同盟は、今後も長崎市、佐世保市などの「墓碑めぐり」を計画しています。
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2005年09月20日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  アジアと世界の平和・友好考える/「満州事変」74周年/富山で集い

 9・18「満州事変」七十四周年のつどい―アジアと世界の平和・友好を考えるシンポジウムが十八日、富山市内で開かれました。
 再び「戦争する国づくり」の動きが強まり、改めて「戦争の時代と今日」を考えるとともに、一九三一年に満州事変発端の鉄道爆破事件が起こった瀋陽のある遼寧省と富山県が友好関係を結んでいることからも「相互の信頼と友好のために何が必要か考えよう」と呼びかけたもの。
 日中友好協会理事・富山支部長の堀口尚氏、県歴史教育者協議会副委員長の松浦晴芳氏、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部会長の経田弥吉郎氏が講演。
 参加者からは、「いろいろな会合に出ているが、みんな、もう二度と戦争はこりごりだと言う。そのために何をしなければならないかを考えなければならないと思うが、何をすればよいか」などの発言がありました。
 堀口氏は、「憲法九条を守っていくことが最大の課題。マスコミでも、戦争が悲惨だということは報道するが、なぜ起こったのか、防ぐためにはどうすればいいのかということはあまり語られない。このような集まりの輪を広げていってほしい」と語りました。
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2005年09月20日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

 堤右一さん死去

 堤 右一さん(つつみ・ゆういち、群馬県前橋勢多地区荒牧支部)18日、脳こうそくのため死去。83歳。通夜は20日午後6時から、告別式は21日午前11時から、いずれも前橋市関根町16の金剛寺で。喪主は妻、ふみ子さん。自宅は前橋市関根町3の5の26。
 47年入党。五十年党員。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟群馬県本部会長。
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2005年09月20日, 「赤旗」) (戻る/ページTOP

 原憲正さん死去

 原 憲正さん(はら・けんせい、岡山県委員会名誉役員)3日、がん性胸膜炎のため死去。85歳。葬儀は遺族の意思により、親族で行われました。後日、しのぶ会が開かれる予定。岡山市上中野2の9の21の自宅に妻、道子さん。
 54年入党。五十年党員。元党県副委員長。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟岡山県本部顧問。
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2005年09月12日, 「赤旗」) (戻る/ページTOP

 亀戸事件忘れない/東京・江東区/82周年の追悼会

 戦前の戒厳令の下で起きた弾圧事件の一つ、亀戸事件の八十二周年追悼会が四日、東京・江東区の赤門浄心寺で開かれ、四十人余が参列、「亀戸事件犠牲者之碑」に献花しました。事件を風化させぬよう毎年おこなっているもので、亀戸事件追悼会実行委員会が主催。
 亀戸事件は一九二三年九月一日に起きた関東大震災の混乱に乗じて、天皇制政府が社会主義者らを殺害した事件。日本共産青年同盟委員長で南葛労働会員の川合義虎や、純労働者組合の平沢計七ら十人が亀戸警察署で虐殺され、六千人以上の朝鮮人や中国人の虐殺事件も発生しました。
 追悼会で、今井榮一実行委員長が「戦後六十年、九条が重大な段階にあるが亀戸事件の真実を生きた力に共同の輪を広げたい」と主催者あいさつ。日本共産党東京都委員会の河野ゆりえ都議、日本民主青年同盟中央委員会の稲津浩一常任委員、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の針谷宏一中央本部事務局次長が追悼の言葉をのべました。
 追悼会に先立ち、川村俊夫・憲法会議事務局長が「憲法改悪と『非常事態』―戦前を繰り返させるな」と題して記念講演しました。
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2005年09月05日, 「赤旗」) (戻る/ページTOP

 長崎/9条守ろうとビラ/治維法国賠同盟が配る

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟長崎県本部と同長崎支部は終戦六十年の十五日、JR長崎駅前周辺で、「8・15訴え―憲法九条は世界に誇れる宝・平和の道しるべ」と呼びかけるビラ六百枚を配りました。吉田次雄県本部会長ら六人が参加しました。
 「きょうは何の日ですか」「終戦のときはどこにおられましたか」「憲法九条を守りましょう」と声をかけながらの配布です。受け取った市民からは、「(十五日は)戦争が終わった日」(二十歳代男性)、「両親が原爆を受け、父は昨年亡くなった。ビラ(の訴え)には賛成だ」(五十歳代男性)、「島原で終戦を迎えた。終戦直後は長崎のヤミ市場に出て生計を立てた。あんな苦しみは二度としたくない、戦争は絶対反対」(六十歳代女性)などの声が出されました。
 「総選挙では共産党が議席とるようにがんばらんば」(五十歳代男性)の声も聞かれました。
 県同盟では、しんぶん社会に約三千枚のビラを折り込みました。
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2005年08月18日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

 繰り返さない/戦後60年に思う/治維法国賠同盟顧問松崎濱子さん(92)/戦争反対に命かけた共産党員


歴史の逆戻り許さない
 戦前の日本は、天皇が絶対的権力を握り、侵略戦争をおしすすめ、他国を植民地支配し、自由がなく、働く人たちの権利が保障されない「赤旗」でした。

「バラの会」で団結を強めて
 高等女学校を卒業した私が、東京地下鉄道株式会社に就職した一九三一年は、日本が中国侵略を本格化する満州事変を開始し、世界大恐慌の影響を受け、生活を守る国民的なたたかいが広がりをみせた時期でした。
 入社後間もなく会社側は、人件費削減を目的に、私たちに対し、「女子従業員を増やすために一日九十銭の給料を七十銭に下げる」と通告。当時、ラーメン一杯の値段が十銭でした。仕方がないとあきらめた私たちに、一人の車掌さんが「君たちはそれでいいのか」と語りかけました。胸にしみる声でした。
 当時、日本労働組合全国協議会(全協)は、日本交通運輸労働組合地下鉄分会を組織していました。「職場に労組をつくり、団結の力で要求を獲得し、戦争をやめさせ、平和を守り、貧乏をなくそう」というオルグ(労働組合の組織者)の訴えに共感し、私は労組に入りました。
 私たち女子職員は「バラの会」、男子職員は「うどん会」という、組合員以外の全従業員が加入する、職場の状況について語り合える場をつくりました。賃下げへの不満、地下の換気の悪い状況や残業が重なり死亡した女子職員の問題、徴兵された男性職員を解雇するという会社の不当なやり方への怒りがうずまき、ストライキの気運が高まりました。
 私は、「出征中、給与を支給せよ」「勤務時間は実働七時間」「便所を各駅に」などの要求をまとめ、ストの準備をすすめました。そのなかで、共産青年同盟や日本共産党と出会い、私は、東京地下鉄の日本共産党細胞(支部)の一員として活動しました。

組合への弾圧警察での拷問
 当時、非合法の日本共産党は、天皇制政府が中国侵略を本格化する情勢下で戦争に反対し、労働者の要求を実現するためにたたかっていました。
 一九三二年三月十九日未明、「もぐら争議」といわれた地下鉄ストに突入しました。市民がストを応援したり、他の電鉄会社にも影響が及ぶことを恐れて、会社側は、出征兵士に差額賃金を支給する、女子の賃金を九十銭に戻す、病気による辞職勧告は行わないなど、二十一項目の要求に応じ、私たちは勝利しました。労働者が無権利状態の当時、ストライキ闘争の勝利は画期的でした。
 しかし、侵略戦争の本格化にともない、反戦運動を根こそぎにしようと、日本共産党と民主運動への弾圧は激しさを増し、四月十八日、組合員の多くが検挙され、私も警察署に留置され、殴るけるの拷問を受けました。同年十月には、約千五百人の党員、共産青年同盟員、全協の活動家が逮捕され、日本共産党中央委員の岩田義道が殺されました。翌三十三年には、小林多喜二も逮捕・虐殺されました。
 一九二五年から実施された治安維持法による拷問などで命を落とした人は、わかっているだけでも千六百八十二人にも及びます。戦後、一九六八年に治安維持法などで弾圧された犠牲者たちに対し、国の謝罪、国家賠償を求めて治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟がつくられました。
 戦後六十年のいま、日本共産党は戦争の時代への逆戻りを許さず、憲法やくらしを守るたたかいの先頭に立っています。私もその一員として、国民に痛みを強いる小泉政権に歯止めをかけ、国民が幸せにくらせる世の中にするために力を尽くしたいと思います。
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2005年08月17日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  治維法国賠同盟が青森と弘前で行動

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟青森県本部は十五日、青森市と弘前市で「再び戦争と暗黒政治を許さない」と街頭宣伝をしました。
 青森市の「アウガ」前の宣伝には約二十人が参加し、同盟の顧問でもある日本共産党の高橋ちづ子比例東北ブロック候補、高柳博明青森1区候補も訴えました。
 高橋候補は、「憲法改悪は、暗黒政治への後戻り。政府が、治安維持法犠牲者に賠償しないのは、あの侵略戦争を反省していないから。そんな日本だから、世界から孤立している」とのべ、「だれも『戦争する国』を望んでいません。憲法九条守れの運動を大きく」と訴えました。
 弘前市ではビラを配布。「憲法を変えて戦争する国にしようとしている」という訴えに商店主などからも「そういうことなんですか。戦争はだめです」などの声が相次いで寄せられました。
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2005年08月17日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  平和の企画各地で/和歌山/堺/滋賀/京都/奈良


和歌山で日中友好協会/平和の塔前でつどい開く
 日中友好協会和歌山県連と同海南支部は十五日、和歌山県海南市燦々公園の「日中平和の塔」前で八・一五の集いを開き、三十人が参加しました。
 内外の戦争犠牲者への黙とうの後、同県連の橋爪利次会長、海南支部の幡川文彦支部長が主催あいさつ。四人の参加者が戦争体験を語りました。
 満州開拓に参加したという中井正義さんは敗戦後の悲惨な体験を語り、「若い人にそうした体験をさせてはならない」と訴えました。戦争中は軍国少年だったという坂元信一さんは「南京虐殺記念館を訪問し日本の侵略戦争の野蛮さをより強く感じた。侵略戦争美化は許せない」と語りました。中国で特攻隊員として終戦を迎えた吉川薫雄さんは「戦後は教師として平和教育に取り組んできたのはこうした悲劇を若者に二度と体験してもらいたくないからです」と語りました。
 集いで雑賀光夫県連副会長(日本共産党県議)は、靖国神社遊就館の視察を報告。小泉首相と閣僚の靖国参拝が世界中から批判されるのは当然と批判しました。

大阪・堺の泉北/ニュータウンでリレートーク
 大阪府堺市の泉北ニュータウン平和ネットワークは十五日、地元の新日本婦人の会、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟などとともに、泉ケ丘駅広場で平和宣伝をしました。若者の参加もあり、四十一人が署名呼びかけやリレートークなどに取り組みました。
 原爆やイラク戦争の写真パネルや日本国憲法前文の垂れ幕などを飾り、平和を願う歌のCDを流しながらの宣伝です。道行く人々の関心も高く、憲法改悪反対や核兵器廃絶の署名が百五十八人分集まりました。

滋賀・各地で/戦争パネル展示「赤紙」ビラ配布
 終戦記念日の十五日、滋賀県大津市では県平和委員会がパルコ前で戦争写真パネルを展示し、「憲法九条を守ろう」と署名を呼びかけました。「私も平和委員会に入って頑張りたい」という青年もありました。
 県母親連絡会も、JR膳所駅前で三十年近く続いている赤紙(戦前の徴兵のための召集令状)を模したビラを配布して、「平和憲法を守りましょう」と呼びかけました。

京都・洛北集会/180人つめかける
 「戦後六十年、守ろう憲法! 洛北平和集会」が十四日、京都市左京区で開かれました。今年で十一回目。百八十人が集まりました。
 岩倉九条の会代表世話人で日本画家の村田茂樹氏があいさつ。ホロコーストなど自らの作品と関連して、平和の大切さを訴え、憲法九条を守るために運動を広げようと呼びかけました。
 今年の広島平和宣言、長崎平和宣言とともに憲法前文と九条が配布され、参加者が核兵器廃絶への思い、憲法の理念を改めて確認しました。海老名香葉子さん原作の「あした元気にな〜れ」が上映されました。
 日本共産党の原としふみ党府憲法・平和運動部長(衆院京都2区候補)と梅木紀秀府議、樋口英明市議が参加しました。

奈良・共同センター/靖国神社参拝首相はやめよ
 「憲法九条守れ!奈良県共同センター」は十五日、奈良市の近鉄奈良駅前で宣伝し、九条改悪に反対する署名などへの協力をよびかけました。
 太平洋戦争末期の空襲やイラク戦争などの写真パネルを立て、「侵略戦争美化する首相の靖国神社参拝中止を求める」ビラを配りました。親子三人でパネルをじっと見て署名する姿や、「がんばってください」と声をかける人もいました。
 同日、県母親大会連絡会の女性ら十数人が、同市JR奈良駅前で赤紙(召集令状)を通行人に手渡し、「ぜひ家族みんなで読んで平和のことを考えましょう」とよびかけました。
 日本共産党の各小選挙区候補も、駅ターミナルなどで憲法の平和原則を守りぬく決意などを訴えました。
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  治維法国賠同盟道本部の新役員/党道委訪問し懇談

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟道本部の大会(七月二十三日)で選出された新役員が十一日、日本共産党道委員会を訪問し、懇談しました。
 訪れたのは、外尾静子会長、前田大蔵副会長、宮田汎事務局次長の三氏。
 外尾会長が新役員を紹介したあと、憲法改悪反対の国民的多数派結集など大会での討議の状況や今後の同盟活動のいっそうの発展についてのべ、総選挙では、無党派の若い人びとに大いに訴えて日本共産党の道の比例議席回復など勝利をめざして奮闘したいとのべました。
 応待した青山慶二書記長は「郵政民営化に賛成か反対かとか、自民、民主の政権獲得が争点というようなマスコミ報道に負けないで、国民の生活の目線で選挙の争点を私たちのたたかいでつくり出していきたい。そのために協力共同の活動を発展させていきましょう」とのべました。
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2005年08月16日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  扶桑社版教科書採択するな/長崎市/治維法国賠同盟が要請

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟長崎県本部と同長崎支部は三日、長崎市教育委員会内の長崎地区教科書採択協議会に対し、「歴史と公民の教科書」(扶桑社発行)を採択しないよう求める要請書を提出しました。
 要請には、県同盟の吉田次雄会長と田中實理事、長崎支部の南嘉昭氏の三人が参加。吉田会長が趣旨を説明しました。
 田中理事は「軍国少年として育った経験から、平和、民主主義教育を大事にしてほしい」と教育の重要性を強調。南氏は「少年工として働き、原爆を体験した者として、誤りを繰り返すことのない教育こそ必要」と訴えました。
 応対した市教委の小澤明参事は、「みなさんの要望は協議会に伝えます。協議は進行中です。結果は市政コーナーで公表します」と答えました。
 県内十一地区のうち、長崎、佐世保、大村、諫早地区協議会には直接要請。他の七地区には要請書を郵送しました。
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2005年08月07日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  国賠要求同盟都本部/区市町村教委に「教科書」で要請

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟東京都本部(宮田勝会長)はこのほど、「中学校の歴史・公民両教科書の採択についての要請書」を都内の各区市町村教育委員会に、抗議文書「『つくる会』教科書の採択に抗議する」を東京都教育委員会にそれぞれ送付しました。
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2005年08月07日,東京版  ,13頁)

 戦後補償の遅れ指摘/治維法国賠同盟の代表/国連人権小委

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の斎藤久枝国際部長は二十八日、スイスのジュネーブでの国連人権促進保護小委員会第五十七会期に出席。国際民主法律家協会を代表して、国連専門委員、各国政府代表、NGO代表など二百人余りに対して訴えました。
 斎藤氏は、日本の治安維持法犠牲者が政府に対してすすめている謝罪と賠償要求に対して、同小委員会の特別な配慮を要請。日本の天皇制政府が、侵略戦争をすすめるために治安維持法を制定し、反戦活動と民主主義を徹底的に弾圧したことを発言しました。
 特高警察によって、虐殺された者が八十人以上、獄死した者が千六百十七人、投獄五千百六十二人にのぼる弾圧の事実をのべました。
 さらに七三一部隊による生体実験、南京大虐殺、平頂山事件など希代の人権侵害と従軍慰安婦など約六十件におよぶ裁判が行われているなかでの、日本政府の戦後補償要求への対応の遅れを鋭く指摘しました。
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2005年07月30日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

権力犯罪2度と許すな/大阪治維法国賠同盟が大会

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟大阪府本部は二十四日、大阪市内で第二十四回大会を開き、府内各地から二十代から九十代の会員九十人が参加しました。
 戦前、治安維持法で弾圧された九十六歳の男性は自身の体験を語りながら「生きている限り権力犯罪を二度と許さないたたかいを続けていきたい」とのべました。
 会員拡大に奮闘した報告や、原水爆禁止世界大会に代表を送るためカンパを集める青年の訴えがありました。
 「ふたたび戦争と暗黒を許さないために」と▽学習し権力犯罪を徹底的に追及する▽治安維持法犠牲者への謝罪と賠償を国に求める署名を広げ、国連人権委員会への要請代表を派遣すること―などを決めました。
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2005年07月29日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

広く市民の声聞いて/治維法国賠同盟福岡支部/教科書選定で要請

 福岡市の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟福岡支部は二十一日、福岡市教育委員会の飯野毅紀委員長に対し、来春から市立中学校で使われる教科書の選定作業に関する申し入れをおこないました。八月三日までに申し入れ項目に対する回答を求めています。
 申し入れには舟越甲一支部長ら三氏で、応対した市教委の永富伸二総務課長に申し入れ書を手渡しました。
 申し入れ書は、「今年は終戦六十周年を記念して種々の行事が計画されており、私たちも世界の悪法、治安維持法廃止六十周年を迎え、二度と歴史の逆行を許してはならないと願い活動をしている」と指摘し、「いま全国で教科書選定がすすめられていますが、私たち戦前・戦中に受けた教育について特別の思いをもっている」としています。
 そして、@教育委員会の会議(次回は八月三日)を公開にして傍聴をさせてくださいA教科書選定にあたって広く意見を求めてくださいB戦前・戦中の教育を体験した治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟福岡支部との懇談の機会をつくってください―の三点を要望しています。
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2005年07月23日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

 国会通信/あいさつ交渉交流/……11日 

 高橋千鶴子、山口富男衆院議員 全日本視覚障害者協議会の障害者自立支援法動向報告集会であいさつ
 山口富男衆院議員 「全国過労死を考える家族の会」による労働安全衛生法改正案等に関する要請を受け、懇談

……9日 
 石井郁子衆院議員 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟第32回全国大会であいさつ
 小林みえこ参院議員 国家公務員共済組合連合会・病院労働組合第43回定期全国大会であいさつ
 井上哲士参院議員 全国法律関連労組連絡協議会第19回定期総会であいさつ
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2005年07月13日,「赤旗」)

 憲法改悪反対に全力/治維法国賠同盟が全国大会/石井副委員長あいさつ

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の第三十二回全国大会が九日、東京・文京区の全労連会館で開かれました。戦後六十年、治安維持法廃止六十年の節目の大会。全国各地の代表ら百四十人が参加しました。
 中西三洋会長はあいさつで、憲法改悪を阻止するたたかいは、国民の過半数の反対意見を結集することが必要と強調。「容易なたたかいではない。全力をあげて憲法改悪反対の運動を大きく進めていかなければならない」と呼びかけました。
 来賓として出席した日本共産党の石井郁子副委員長は、小泉首相の靖国参拝とつくる会の歴史教科書問題を批判。「日本共産党は、治安維持法犠牲者の国家賠償を求める運動と結んで、侵略戦争の反省のもと、国民的な運動を展開する」とのべました。
 討論で参加者は、日本の戦争責任の追及や、治安維持法犠牲者への国賠要求運動の重要性などを強調。治安維持法犠牲者の体験を風化させない運動や国賠法制定にむけ、五十万署名の実現が呼びかけられました。
 大会は十日までの二日間の日程。十日は、治安維持法弾圧に対する犠牲者への謝罪と賠償を要求する請願署名の目標を達成するなどの運動方針を討議。議案の採択や新役員の選出をします。
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2005年07月10日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  私たち国民の誇り=^福井/「時代を撃て―多喜二」上映

 プロレタリア文学作家として戦前を生きた小林多喜二の文学と生涯をつづった記録映画「時代を撃て・多喜二」の上映会が三日、福井市文化会館で行われました。(写真)
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟福井県本部と日本国民救援会福井支部の共催で、上映は二回行われ、合わせて約二百人が参加しました。
 同映画は、多喜二の生誕百年・没後七十年を記念し制作されたもので、多喜二の肉筆原稿や写真資料、文豪志賀直哉との交流などを紹介するほか、作品の名場面のいくつかも朗読。「多喜二を語ることは過去を語ることではなく、現在を語ることだ」と、戦争と抑圧に抗し、命がけで新しい文学と社会を追求した多喜二文学が現在においてもつ意義を問いかけていました。
 春江町の女性(39)は「多喜二が虐殺され、日本が戦争に突入していった。彼らのたたかいは私たち国民の誇りだ」と語っていました。
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2005年07月06日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

靖国神社と治安維持法/人権侵害で同根=^吉岡前参院議員講師に宮城で講演会

 治安維持法制定八十年に当たり、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟宮城県本部は十八日、「戦争と平和をめぐるたたかいの歴史のなかで基本的人権について考える」をテーマに講演会を仙台市で開きました。吉岡吉典前参院議員が講演し、参加者七十五人は熱心に聞き入りました。
 主催者あいさつで、同県本部の大川芳夫会長は「今年で九十三歳となった。戦前からの活動家は県内で自分一人となった」と自己紹介。「侵略戦争下の治安維持法への逆流を許さないたたかいが求められている」とのべました。同氏は、治安維持法による弾圧で投獄された経験がある県内でただ一人の生き証人です。
 吉岡氏は最初に靖国神社問題にふれ、「歴史学者の藤原彰氏の研究によれば、日本兵の70%は餓死による戦死だった。日清戦争で隊員にコレラ患者がいたのを放置して出航し、コレラで壊滅した部隊もある」と紹介。「日本の軍人は生きているときに大切にされなかった。靖国神社に英霊を弔って済ませられる問題ではない」とのべ、靖国神社と治安維持法は、人権侵害という点で同根と指摘。「日本政府は、治安維持法での犠牲者に対し一切の謝罪と補償をしていない。アジアへ侵略したことに対する無責任な戦後処理の姿勢と相通じる問題点だ」と批判しました。
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2005年06月21日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

 今野大力墓前祭/東京・多磨霊園で

 プロレタリア詩人・今野大力の没後七十年を迎えた十九日、墓前祭が、東京・府中市の多磨霊園で開催され、晩年の今野大力ゆかりの地、小金井市在住者ら三十二人が参加。侵略戦争に反対し、詩作を続けながら三十一歳の若さで亡くなった詩人の遺業をしのび、戦争への道を許さず憲法九条を守る思いを語りあいました。(写真)
 集いの世話人の小柴作一さんが、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部からの連帯メッセージを紹介しながらあいさつ。日本共産党市議の森戸洋子さんが献花し、東京都議選の勝利に向けて大力のような革命的気概を今こそ発揮したいと墓前で語りかけました。岩永とおる都議候補(小金井市)や、斎藤邦雄・治安維持法国賠同盟中央本部事務局長らが誓いの言葉を表明。歌人の蓑輪喜作さんが「大力の没後七十年の今を生く火を継ぐ一人と心奮いて」などの短歌をささげ、亡くなる一カ月前に大力が「小金井の桜の堤はどこまでもどこまでもつづく」とうたった詩「花に送られる」を全員で朗読しました。
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2005年06月21日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  渡辺満三の足跡たどる/治安維持法国賠同盟愛媛県本部がツアー

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟愛媛県本部(中川悦良会長)は十四日、治安維持法制定阻止運動で倒れた渡辺満三の没後八十年にちなみ、同氏の足跡をたどるツアーを行いました。会員ら二十人が参加し、松山の生家跡などを訪れました。
 渡辺満三は温泉郡湯山村(現松山市)出身で、一九二二年の日本共産党創立大会に参加。二五年三月の治安維持法反対運動に参加した際に警官隊から暴行を受け、五月に死亡。治安維持法は同年四月に制定され、逮捕者を含めれば数十万におよぶ人々が同法による弾圧で苦しめられました。
 参加者はバスで渡辺満三の生家跡や墓地を見学。『渡辺満三の足跡を追って』の著者、中川会長が案内しました。
 中川氏は「治安維持法による犠牲者には、謝罪も賠償もされていません。歴史に向き合えないこの姿勢が、今の日本の為政者にも現われています。日本の歴史をみつめアジアと共同の発展を築くために、治安維持法の国家賠償要求運動にご協力を」と訴えました。
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2005年06月16日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  治維法国賠同盟が岐阜県本部大会

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟岐阜県本部はこのほど、関市の「アピセ関」で第十八回県本部大会を開催しました。
 大会は、「いつでもどこでも国賠署名を」「だれにも気軽に入会の呼びかけを」の立場で、戦後六十年の今年こそ、国賠要求実現をめざすことを確認しました。
 来賓として、日本共産党の加藤隆雄・県常任員が参加しあいさつしました。
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2005年06月09日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  治維法と現代枚方で学習会

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟枚方支部などはこのほど、枚方市民会館で「治安維持法と現代」の学習会を開き、三十人が参加しました。
 選挙弾圧を経験した国村勝さんは「選挙弾圧と国連でのたたかい」をテーマに報告。「日本の公選法は、国際人権規約や国連人権委員会の公選法にかんする日本政府への勧告に照らして、言論・表現の自由や人権を制限している」と語りました。
 枚方社保協会長の有地正さんが、大阪大空襲の体験を語り、「こんな恐ろしい戦争は二度と経験したくない。戦争をさせてはならない」と訴えました。
 「戦後の反動潮流の源泉、特高官僚」と題して講演した柳河瀬精さん(元大阪府議)は「治安維持法が制定されて八十年、廃止されて六十年」だとのべ、治安維持法の二十年間にどれだけの人を拘束し、拷問にかけ、尊い命を奪い、言論の自由を奪って戦争へ突き進んでいったか、戦後、靖国神社参拝、軍隊の復活、憲法改悪という平和を脅かす潮流の水脈を今日まで温存してきたことを明らかにし、「人道に反する罪と戦争犯罪には時効はない」と強調しました。
 参加者は「治安維持法問題は古いと思っていたが、最近のビラ配布弾圧などを見ていると怖い。過去の歴史に学び、運動することが大切」と話していました。
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2005年06月07日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

9条改悪反対国民的共同を/治維法国賠同盟秋田県本部総会

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟秋田県本部は五月二十九日、秋田市で代議員など四十七人が参加して第十六回定期総会を開きました。
 日本共産党の高橋千鶴子衆院議員が来賓あいさつし、激励しました。
 総会では、歴史をゆがめる侵略戦争美化論の横行を許さないために奮闘し、憲法九条改悪に反対し、国民的共同の発展に力を尽くすことを呼びかけました。
 九人が発言し、治安維持法犠牲者への謝罪と国家賠償の実現をめざす請願署名運動では過去最高となった前年度実績(二万四千)を上回ること、治安維持法下の不屈の歴史を語り継ぐ活動や郷土の先駆者をしのぶつどい、墓参会、歴史散策などを推進すること、県同盟創立十五年記念講演会の成功、五百名会員の実現など、終戦六十年の大きな節目の年にふさわしい運動と組織の発展をはかる方針を確認しました。
 また東京都議選での革新勢力勝利のため、知り合いに支持をよびかけることも承認しました。
 新役員には、会長に近江谷昭二郎氏、事務局長に安藤真一氏ら三十二人を選出しました。
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2005年06月03日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

市民運動実る/女性解放運動の福田英子/顕彰碑、生誕地に移転/岡山

 岡山が生んだ女性解放運動の先駆者福田英子(一八六五―一九二七)の顕彰碑が五月二十七日、生誕地の野田屋町公園に移設され、六月十九日午前十一時から碑の除幕式が開かれます。
 福田英子の顕彰碑は、生誕百年を記念して一九六六年、岡山市の笠井山に建立。しかし不便な山中にあるため生誕の地へ移転したいと、当時の運動を進めた中心の人たちからも要望がありました。そこで治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟岡山県本部が呼びかけて昨年十月、「福田英子顕彰碑を生誕地に移設する会」が結成されました。
 「会」は発起人代表に則武真一さんを選び、英子を紹介するパンフを広め、岡山市のロビーでパネル展を開くなど広く市民に協力を呼びかけてきました。碑の移設に必要な百五十万円を目標に募金を始めました。英子のひ孫の福田博さん(東京在住)も運動に参加。岡山市の市長・議長も顧問として協力し、移転地を提供しました。
 福田英子の研究者村田静子さんは、著書のなかで英子について「人道の擁護と婦人の解放運動に巨大な足跡を残した自由民権運動の婦人闘士」「その生涯は政治的にも経済的にも苦難の連続であり、恋愛や家庭生活も幸福なものではなかった。日本の近代とともに成長し発展した『新しい婦人』」と紹介しています。
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2005年06月02日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

扶桑社のもの不採択に/秋田全市町村教委に要請/治維法国賠同盟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟秋田県本部(近江谷昭二郎会長)は、侵略戦争美化の「新しい歴史教科書」(扶桑社)を採択せず、憲法、教育基本法の理念にもとづく採択を行うよう、全市町村教育委員会に要請しています。
 五月二十六日には、同盟秋田支部の藤田實会長、田中竜夫事務局長、石井進幹事が、秋田市、男鹿市、潟上市、井川町、八郎潟町、五城目町、大潟村の教育委員会を訪ね、「教科書採択にかかわる要請書」と関係資料を渡して要請しました。
 各教育委員会とも「要請のあったことを報告し、委員会にかけるようにします」と答えました。
 要請書は「新しい歴史教科書」の危険な狙いと、それが教育に持ち込まれることの重大性を指摘。@憲法の理想の実現に背き、日本の侵略戦争を正当化し、アジア諸国との平和・友好を脅かす教科書を採択しないことA教科書の採択にあたっては、教職員の意見を十分尊重することB教科書採択については、公平、公正、透明性の確保はもちろん、父母、地域の声が反映される制度に改善すること―の三点について強く要請しています。
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2005年06月01日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

 森下登さん死去

 森下 登さん(もりした・のぼる、福井県北越地区円山支部)18日、心筋こうそくのため死去。81歳。葬儀は20日正午から、福井市新保1の1210の新保健康管理センターで。喪主は三女、ひかりさん。自宅は福井市新保2の707の2。
 87年入党。元治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟福井県本部事務局長。
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2005年05月20日, 「赤旗」) (戻る/ページTOP

過去忘れてならない/河野衆院議長運動の意義認める/治維法犠牲者国家賠償で要請

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(中西三洋会長)は十二日、国会内で河野洋平衆議院議長と面会し、「治安維持法犠牲者への国家賠償法(仮称)」制定について協力を要請しました。日本共産党の穀田恵二国対委員長が同行しました。
 河野議長は「戦後六十年の節目の年にロシアでもドイツでも取り組みが行われているが、日本でも意味ある年にしなければならない。しかし現状は流れるべき方向に流れておらず憂慮している。事実は事実として認め、過去を忘れてはならない。皆さんの運動は意義のあることだと思う」と述べました。
 治安維持法の犠牲者である松崎濱子さん(92)は、逮捕され自らが受けた拷問の体験、関東大震災時の朝鮮人弾圧を目の当たりにしたことなどを語り、「歴史教科書が問題になっているが、あったことは認めて、話し合いで共通の歴史認識をつくることが大事だ」「戦争が日中戦争、さらに太平洋戦争へと拡大するたびに戦争に反対する人々への弾圧があった。国は弾圧の犠牲者に謝罪すべきだ。私にも好きな人がいたけれど、いいなとおもう人はみんな戦争にとられて誰も帰ってこなかった」と当時を語りました。
 河野議長は、松崎さんの話にうなずきながら耳を傾け「体をおいたわりください」と激励しました。
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2005年05月14日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  治維法国賠同盟大牟田支部/福知山線脱線/国交省に抗議

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟大牟田支部は七日、JR福知山線事故に関し、国土交通省に左記の抗議文を送りました。
 抗議文では、「国鉄民営化によるもうけ第一、乗客の安全を無視した今回の大事故の犠牲者の方々のご冥福(めいふく)とお見舞いを申し上げるとともに、心の底からの怒りを持って抗議する」、とのべています。
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2005年05月12日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  「つくる会」教科書/問題を説明/秋田で学習会/治維法国賠同盟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟秋田支部はこのほど、秋田市中央公民館で「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書問題についての学習会を開きました。
 同支部の藤田實会長が、侵略戦争を美化する「歴史教科書」(扶桑社)の文部科学省検定再合格の経緯、歴史の真実を隠す「つくる会」教科書の具体的内容、「つくる会」とその後押しをする自民・民主などの動きなどを説明しました。
 意見交流で、「日本の侵略戦争を自存自衛のためで、アジアの解放につながったとか、南京大虐殺や強制連行、従軍慰安婦の事実を隠すなどはアジアの人々には絶対容認できないことだ」という意見や秋田県に強制連行された朝鮮人の悲惨な実態なども語られました。
 同盟秋田県本部が二〇〇一年六月に、侵略美化の歴史教科書の採用に反対し、県内六十九市町村教育委員会を訪問し、要請書を提出した経験を生かし、取りくみを強めようとの訴えもありました。
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2005年05月12日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  合葬追悼会450人が献花/憲法を守るたたかい誓う

 第十六回大阪解放戦士合葬追悼会が八日、四条畷市上田原の大阪生駒霊園で行われ、新遺族をはじめ関係者四百五十人が参加。日本共産党の吉井英勝衆院議員、山下よしき党府副委員長(衆院比例候補)が参加しました。
 参列者全員で黙とうをささげたあと、主催者を代表して大阪解放戦士の碑運営委員会の戸谷茂樹委員長があいさつしました。
 山下氏は追悼の辞で、「戦争する国づくりに反対し、憲法を守るたたかいがひろがっています。残された者は悲しみを乗り越えて、新しい道を前進します」と決意をのべました。
 新日本婦人の会大阪府本部の橋本慶子副会長、大阪府保険医協会の貴島和彦副理事長、全大阪労働組合総連合の植田保二議長らがあいさつしました。
 遺族を代表して新合葬者の黒田了一さんの二女、山口美千代さんが、「治安維持法のもと、生命を的にたたかった人々に胸が痛むとよく言っていました。そして憲法をくらしにいかすという人生でした」と話しました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟大阪府本部の太田芳男副会長の閉会の辞のあと、参列者全員で献花しました。
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2005年05月11日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

治維法犠牲者に謝罪要求/国賠同盟、参院議長に申し入れ

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は十日、治安維持法犠牲者に対して謝罪と賠償を求めて、扇千景参議院議長に申し入れを行いました。日本共産党の井上哲士参議院議員が同行しました。
 申し入れで、治安維持法の犠牲者である松崎濱子さんは、自身が体験した弾圧を語り、「(犠牲者で)今生き残っている人は非常に少なくなってきている、もう謝ってほしい」と訴えました。
 扇参議院議長は「そういった歴史が日本にあったということを、私たちはきちんと知らなければならない。その体験をこえて今の平和がある。戦争を二度としないという信念は同じ」と答えました。申し入れに先立ち行われた集会には、三十八都道府県から百三十五人が参加。全国から集まった三十一万八千五百三十六筆の請願署名を持って四百人以上の衆参国会議員に要請を行いました。
 集会で井上参院議員は、「戦後六十年を迎え、再び侵略戦争の反省を投げ捨て憲法九条改悪の動きが広がっているときに、暗黒政治の歴史を伝える皆さんの運動が今ほど大事な時はない」と激励しました。
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2005年05月11日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

井之口薫さん死去

 井之口 薫さん(いのくち・かをる、兵庫県委員会)8日、すい臓がんのため死去。82歳。葬儀は密葬で行いました。西宮市樋ノ口町2の19の6の自宅に妻、久美子さん。改めて「送る会」を開く予定。
 45年入党。五十年党員。党県名誉役員、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟兵庫県本部会長、元党県議(6期)。
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2005年05月11日, 「赤旗」) (戻る/ページTOP

治維法犠牲者に賠償を/井上議員同行/国賠同盟が法相に要請

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の近藤一雄副会長らは九日、法務省で南野知恵子法相と面会し、国が治安維持法犠牲者に謝罪と賠償するよう要請しました。日本共産党の井上哲士参院議員が同行しました。
 要請には同法犠牲者の田熊真澄さん(96)=同盟山口県本部名誉会長=も参加。田熊さんは一九二九年ごろ日本共産党への「入党未遂」、三四年ごろ共産党の裁判資料を印刷したことで同法違反で弾圧されました。当時共産党員ではなかったといいます。
 田熊さんは刑務所の中で病気を患ったことなどを訴え、「世界無比の悪法で弾圧され、刑務所生活をした。あまりにも酷だ。国はわれわれに責任をもち、謝罪し、賠償してもらわなくてはならない。この社会で気持ちよく生活できるようにお願いしたい」と南野法相に訴えました。
 近藤副会長は「賠償することで再び戦争をやらない決意を内外に示してほしい」と訴えました。
 南野法相は「難儀されたことは十分理解させていただいた。本当につらい思いをされたと思うが、そういうことを二度と起こしたくないというのが私の気持ちだ。法務省として謝罪、賠償はいえない難しい案件だが、国会の場でしっかり議論されれば形が整うのかと思う」とのべました。
 賠償要求同盟は十日に、扇千景参院議長への要請と国会議員要請を行います。
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2005年05月10日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

憲法、平和日本考える/山形で討論集会

 青年法律家協会山形県支部など六団体の共催で第十三回「憲法を考えるやまがた集会」が三日、山形市の県生涯学習センターで開かれ、約八十人が参加しました。集会に先立ち、治安維持法下の言論弾圧事件で、再審が決定した横浜事件のドキュメンタリービデオが上映されました。
 リレートークで、沼沢達雄(弁護士)、長岡壽一(同)、今野健一(山形大助教授)の各氏が、憲法「改正」論議の問題点と危険性について分析。今野氏は「憲法を国民を統制するものに変えようという点で、自民党と民主党が同様なのは重大」と述べました。
 島津昭(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部副会長)、遠藤健一郎(県革新懇事務局長)、大高敦子(キリスト教非戦平和誌『友和』編集長)の三氏を加え、憲法と平和について、参加者を交え熱心な討論が続きました。
 島津氏は、「憲法に書きこまれた平和原則も女性の権利も、弾圧とたたかった先人の歴史の上にある」と述べ、「押しつけ憲法」論に反論。遠藤氏は、自身の戦争体験にも触れながら、大臣や国会議員などに憲法擁護義務を定めた憲法第九九条は大切だと述べました。
 大高氏は、良心的兵役拒否運動の広がりを紹介し、一人からでも憲法改悪に反対する運動を始められると述べ、古着の着物地を使い、「九条は宝」と大書したのぼりを披露しました。
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2005年05月07日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

「小林多喜二」上演成功へ/講演の夕べとミニコンサート

 六月にエル・おおさかで上演される「小林多喜二・早春の賦」(米倉斉加年演出)を成功させようと大阪上演実行委員会は二十六日、大阪市内でミニコンサートと講演の夕べを開きました。
 歌手のKei・Sugarさんは自ら作詞・作曲した「多喜二へのレクイエム」を初披露。ベートーベンの第九交響曲をモチーフに時代と切り結んだ作家の生き方と現代への思いを込め熱唱しました。
 シンガー・ソングライターの野田淳子さんが「死んだ男の残したものは」などを歌いました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟大阪府本部会長の柳河瀬精さんが講演。戦前の特高警察による拷問の残虐さ、多喜二に直接手を下した特高警察の氏名を明らかにしつつ、戦後も特高官僚の責任が問われず政治の場で要職についている事実を語りました。
   ◇
 実行委員会は五月十三日午後七時から、大阪府教育会館八階で「講演とトークのつどい」を開きます。米倉斉加年さんが「小林多喜二」への思いと演出について講演。「九条を考える関西演劇人の会」の坂口勉さん(劇団コーロ)が落語を上演します。参加無料。
 連絡先=大阪教育文化センター06(6768)5773
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2005年04月30日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

特高警察に逮捕、非転向で獄死/飯島喜美没後70周年/神奈川で記念のつどい

 戦前、特高警察に逮捕され獄死した女性党員・飯島喜美の「没後七〇周年記念のつどい」(主催・治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟神奈川県本部)が二十三日、横浜市神奈川区の建設プラザかながわで開かれ、七十人が参加しました。
 飯島喜美は、一九三三年ごろ川崎の工場で働き、共産青年同盟神奈川地方組織の再建活動のさなかに特高警察に逮捕されました。残忍な拷問に屈せず非転向を貫き、栃木刑務所で獄死。二十四歳でした。「闘争・死」と刻まれた真ちゅうのコンパクトが遺品となりました。
 同同盟機関紙編集長の冨矢信男さんは、「飯島喜美とその時代」について、十五歳から紡績女工として働き、女性解放、婦人参政権獲得のためにたたかった短い生涯を、その時代をともに生きた人々の証言を引きながら話しました。
 同同盟会長の増本一彦弁護士は「治安維持法犠牲者が実現のためにたたかったジェンダー・フリー(女性の杜会的文化的差別からの解放)への攻撃」についてのべ、「自民党は憲法九条だけでなく、その社会的基盤となっている二四条(家族生活における個人の尊厳と両性の平等)の改悪をたくらんでいる」と解明しました。
 参加した横浜建設労働組合主婦の会の女性(60)は「私の母も十五歳で紡績女工になり、苦労したと聞いています。飯島さんの短い生涯は残念ですが、そのきぜんとした生き方に感動しました」と話していました。
 日本共産党の大森猛前衆院議員、畑野君枝前参院議員が参加しました。
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2005年04月30日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

治安維持法国家賠償法制定求め/請願署名の最終集約/秋田

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟秋田県本部はこのほど、五月の国会に提出する治安維持法国家賠償法(仮称)の制定を求める請願署名の最終集約をしました。
 その結果、団体署名が千十一団体、個人署名が二万二千九百四十九人分が寄せられ、過去最高となりました。
 県本部と各支部が、県内の各団体に働きかけるとともに、六十九市町村の全議会が「治安維持法犠牲者国家賠償法制定を支持し、政府に対し意見書の提出を求める」陳情書を採択しています。
 五月の国会請願には、近江谷昭二郎県本部会長ら三氏の派遣を決めました。
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2005年04月26日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

戦前の弾圧事件学ぶ/憲法守ろう/青森で集い

 治安維持法による民主運動や日本共産党への戦前の大弾圧事件の「記念のつどい」が十六日、青森市の県民福祉プラザで開かれました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟青森県本部が開いたもので、約百人が参加。日本共産党の高橋千鶴子衆院議員が来賓としてあいさつし、「人権と平和は一体のものであり、憲法改悪を阻止しよう」と呼びかけました。
 下北支部が創作紙芝居「憲法9条を守る」を初上演したほか、一九二九年四月十六日の事件(四・一六事件)で弾圧された青森県関係者を救援するため当時発行された『前衛書簡集(獄窓より呼びかける)』が見つかり、復刻・発行された経緯を中村勝巳同盟県本部副会長が報告しました。
 国賠同盟副会長で弁護士の増本一彦氏が、「憲法九条を守り抜くために 戦前の大弾圧事件に学ぶ」と題して記念講演しました。
 増本氏は憲法前文などを読み上げ、それと対比して自民党の改憲要綱などの危険な内容を告発。自由民権運動、米騒動、日本共産党の誕生とそのたたかいを紹介し、「治安維持法犠牲者こそ日本国憲法を生み出す力となった人々である」と強調、憲法改悪を許してはならないと訴えました。
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2005年04月20日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

静岡・天竜市の党員坪井愛次さん/100歳を祝い歓談/戦争はごめん/憲法大切

 静岡県天竜市在住の日本共産党員、坪井愛次(あいじ)さんが百歳の誕生日を迎えた十七日、有志による祝う会が本人宅で開かれ、長寿を祝いながら歓談しました。
 笑顔の坪井さんに、百本のカスミ草を束ねた花束が贈られました。
 有志代表の遠藤正・治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部会長(元党県委員長)、田代博之弁護士(国民救援会浜松支部長)が祝辞をのべました。
 遠藤氏は、党県委員会のあいさつも兼ねて「戦前は治安維持法による弾圧、戦後は食も家もない中での活動≠ニいう苦難をのりこえての百歳ですからすごい生命力です。県内の仲間も『坪井さんも百歳をこえてがんばっている』と励まされています。坪井さんが『命がけで守る』と言い続けている憲法を守りぬく歴史的事業を共にやりぬきたい」とのべました。
 祝辞をうけた坪井さんは、命がけで侵略戦争に反対してきた人生を語りつつ「戦争で同志や国民が受けた苦しみを思い起こし、日本を再び軍国主義に走らせないよう運動していきたい」と意気盛んにあいさつ。
 「私も坪井さんにあやかり百歳まで生きたい」と言う参加者に、坪井さんが「百歳までいけますよ。私が証人だ」と笑わせる一幕もありました。
 翌十八日、中谷良作天竜市長が坪井さんを訪ね、祝辞をのべました。
 坪井氏の略歴 一九〇五年、天竜市生まれ。浜北で労農大衆党に入党。特高の弾圧にも屈せず、文化や労働分野の運動に参加。戦後は日本共産党に入党し、浜松で敗戦直後の大衆闘争、党建設などに尽力しました。
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2005年04月19日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

高田勝重さん死去

 高田 勝重さん(たかだ・かつしげ、大分県北部地区日出西支部)12日、肺炎のため死去。73歳。葬儀は14日正午から、速見郡日出町3441のプリエール暘谷で。喪主は妻、英子さん。自宅は速見郡日出町藤原自然郷20の1。
 50年入党。五十年党員。党大分県後援会世話人。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟大分県本部理事。
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2005年04月14日, 「赤旗」) (戻る/ページTOP

治安維持法犠牲者/土佐の先達58人を紹介/高知市

 高知県内で戦前、治安維持法違反容疑で検挙、投獄などの犠牲となった人たちへの謝罪と賠償を政府に求めている人たちは二日から十日まで高知市の高知城ホールで「土佐の先達紹介展」を開きました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟高知県本部(土田嘉平会長)と、平和資料館・草の家の二団体が主催、「若い人たちにもこういう人たちが県内にいたことを知ってほしい」と開いたもの。
 分かっている犠牲者は、五十八人。ほとんどの人がすでに死亡しています。
 会場には五十八人の出身地を記した地図も展示。半数以上の人には、顔写真やコピーが残っていますが、名前だけしか並べられていない人の展示もあります。
 「間島パルチザンの歌」の作者で二十六歳の若さで死去した詩人・槙村浩のコーナーや、槙村とともにたたかった人びとの経歴などが展示され、多くの人が目を止めていました。
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2005年04月13日,「「赤旗」」) (戻る/ページTOP

大東革新懇が平和運動交流/歴史に学び近隣諸国と友好を=^千葉・館山の碑や戦跡めぐる

 大東革新懇は五日と六日、千葉県館山市の「噫(ああ)従軍慰安婦」の碑と「帝都」防衛の先端にあった広大な戦跡をめぐり、運動を交流する平和ツアーを行いました。
 九十歳を超える治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟高槻支部の和田健さんや大阪AALA理事の米澤清恵さんなど十八人が参加しました。
 戦後六十年、改憲勢力によって憲法九条が危険にさらされているもとで、NHKの番組改ざんや、教科書書き換えの中心項目にあげられているのが「従軍慰安婦」問題です。戦争を美化し、憲法を変えようとする勢力がもっともふれたがらない問題です。
 大東革新懇は地元の「従軍慰安婦」の碑の顕彰を続けてきました。今回、千葉県館山市の戦跡の保存運動をふくむ街おこし運動や、草の根の反戦運動を学ぼうと計画しました。
 「従軍慰安婦」と女性に対する許し難い人権蹂躙(じゅうりん)の戦争犯罪を告発する「噫従軍慰安婦」の石碑と、「帝都」防衛のためにつくられた地下要さいなどの戦跡をめぐりました。
 NPOを立ち上げ戦跡保存運動をすすめる、千葉歴史教育者協議会の愛沢伸雄さんは、館山の戦跡を発掘し平和教育に役立て、街おこしにとりくんでいます。「身近にある戦争遺跡を通して、平和、交流、共生を」とのべ、戦争に反対し、平和を守る原点をその地域の歴史の中に位置づけています。
 館山の戦跡は、広大なもので、多くの地下ごうなど、現物の施設が残っていました。滑走路を含む軍事施設の主要部分は自衛隊基地として使用し、ヘリの発着訓練がつづいていました。
 参加者は、「戦後六十年のいまこそ歴史を直視し、憲法の平和主義を基礎にした近隣諸国との友好を築くことが大事だと思った」と感想を語りました。
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2005年04月13日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

改憲は米に命渡すこと/大阪で上田副委員長講演

 治安維持法発布八十年、廃止六十年を記念した大阪府民の集いが九日、大阪市内で開かれ、日本共産党の上田耕一郎副委員長(憲法改悪反対闘争本部長)が「改憲問題をめぐる情勢と展望」と題して講演しました。主催は党大阪府委員会、民青同盟大阪府委員会、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟大阪府本部。約五百人が集まり、立ち見が出るほどでした。
 上田氏は、治安維持法について「戦前の反動的法体系の中枢だった」と指摘。侵略戦争と同法が「二つの暗黒の歯車」だったとのべました。
 憲法改悪の狙いについて、上田氏は「アメリカいいなりにアメリカのやる戦争にいっしょになって武力行使するため」と指摘し、そのことを知れば、自衛隊賛成の人も改憲反対で結集できると語りました。「押しつけ憲法」の攻撃に反撃しながら、「九条を守る一点ですべての人が手をつなぐことが大切だ」と強調。各地で「九条の会」が生まれ、運動が広がっていることを示しつつ、「憲法改悪が、アメリカに命を売り渡すことになることを知れば、圧倒的多数の国民を結集できる」と「勝利への展望」を明らかにしました。
 上田氏の講演に先立ち、治維法国賠同盟府本部の柳河瀬精会長があいさつしました。
 参加した堺市の辻宣利さん(74)は「憲法改悪を競い合う二大政党をみごと看破した『(両党は)高島屋と三越の差しかない』は、名言。憲法改悪の依頼人がアメリカだという話に目からウロコが落ちる思いだ」と話しました。
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2005年04月10日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

4・16事件獄中書簡集/青森/国賠同盟が復刻

 日本共産党幹部をはじめ千人に上る党員や活動家が治安維持法によっていっせいに検挙された一九二九年四月十六日の事件(四・一六事件)で弾圧された青森県関係者を救援するため当時発行された「前衛書簡集(獄窓より呼びかける)」が見つかり、復刻されました。
 書簡集は、中村勝巳さん(元青森市議)が、戦後、新城村の村長を務めた中村勲さんの遺品整理の中で発見。遺族から寄贈されたものを治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟青森県本部(復刻・編集責任者・富樫秀雄氏)が、復刻、発行しました。
 書簡集は、弾圧された翌年の一九三〇年十一月七日、青森県救援会が編集、発行(定価三十銭)したもの。
 戦後日本共産党青森県委員長を務めた大沢久明や県議として活躍した大塚英五郎など二十一人(いずれも故人、敬称略)が獄中から家族や仲間に送った手紙八十六通が収められています。
 内山勇が大塚にあてた手紙には、「戦いにつかれて伏せる友の文 見る吾(われ)も又獄窓に病む」という過酷な状況をうかがわせる短歌もあります。
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2005年04月09日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

伊藤千代子の手紙に寄せて/外尾静子/「生きようとするからこそ大切な命をも投げ出す…」


雑草におのれの決意重ねて
 伊藤千代子が獄中から出した最後の手紙について、公開に尽力した外尾静子さん(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟苫小牧支部長)に一文を寄せていただきました。
 春の訪れが感じられる四月一日、苫小牧市立中央図書館でうれしい催しがありました。伊藤千代子が獄中から出した最後の手紙四通が初めて公開される日だったのです。

なぜ苫小牧に
 土屋文明の歌に「こころざしつつたふれし少女(をとめ)」と読まれたその名を知る人でも、苫小牧とのかかわりを知る人は多くはないだろうと思っていました。実は私自身も千代子の獄中書簡がなぜ苫小牧にあるのかを知ったのは最近のことなのです。
 畠山忠弘元市議が議会質問で確認し、公開を求めてきました。私たちも力を合わせ、市民の声として、理も礼も尽くしてことにあたってきたことも公開につながったように思います。
 この目でじかに見る千代子の手紙は、簡易書簡用紙に黒の筆記用具でびっしりと書かれていました。千代子にとっては、尊敬していた指導者、同志そして最愛の夫であった浅野晃の母や義弟妹にあてられたものでした。
 治安維持法によって、小林多喜二が小説「一九二八年三月十五日」に生々しく描いたまさにその日に、千代子は特高警察に捕らえられたのです。
 過酷な拷問にも屈せず、たたかい抜いた若い千代子。その手紙をこの目で見るだけでも胸迫るものがあります。

「地しばり」に
 一九二九年五月八日付の浅野淑子(義妹)あての手紙は、獄舎のれんが塀に沿って強情に伸び咲いている「地しばり」の花のことを書いています。「ここではね今地しばりの花ざかりです(中略)強情な面白い花ですよ(中略)命あるものはみんなあらん限りに生きようとしているのですね。生きようとするからこそ大切な命をも投げ出すのですね」
 雑草に寄せておのれの決意を重ねているこの手紙に私は深く感じ入ります。
 浅野晃は、水野成夫(後に勇払国策パルプ工場幹部となり、浅野を迎える)の転落と裏切りに同調して変節してしまいます。
 獄中で夫の裏切りを知らされ、しかもそれを武器に屈服させようと執拗(しつよう)に迫る検事の攻撃。千代子にとって、それがどんなにつらい過酷なものであったか。

義母にあてて
 七月二十六日付の義母・浅野すてあての手紙は、一つの用紙に収まりきれず、二通に分けて書かれています。
 浅野晃の変節・裏切りを知って深く傷つき、必死の思いで書いたであろう手紙。常づね冷静な千代子の、もっと深い心の奥にあるものが言えないもどかしさ。一人の女性としてどんな深い葛藤(かっとう)があったのだろうか。
 七月二十九日の手紙には、たくさんの名を上げて一人ひとりに言葉をかけ、最後に「懐かしい皆さん、感謝と祈りをお受けとりくださいまし」と結んでいます。
 それから間もなく異常をきたして松沢病院に移され、急性肺炎を起こして、だれにもみとられることもなく千代子は亡くなりました。
 千代子生誕百年にあたる今年七月、苫小牧で伊藤千代子をしのぶ集いをみなさんとともに開きたいと願っています。
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2005年04月06日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

顔出した「平和の滝」/札幌・西区

 「水、冷たいだろうけどとてもきれい!」―札幌市西区の奥、手稲山(標高1023.7b)のふもとにある「平和の滝」が雪に囲まれながらも顔をだしはじめました。
 この滝は、僧侶が修行の場として使っていた、とのこと。「散歩がてら滝を見にきた」と長靴をはいた年配者などがじっと見入ります。
 滝は、25歳8カ月(1910年生まれ)の短い生涯を戦争に反対し、働くものの解放のために不屈にたたかいぬいた相沢良のゆかりの地でもあります。市内で働く女性労働者たちとハイキングをし、語り、労働歌をうたったところです。
 滝前の駐車場には相沢良の案内板と記念碑が建立されており、きれいに除雪されています。建立したのは、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部です。
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2005年04月05日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

伊藤千代子/獄中最後の手紙/苫小牧で「見る会」

 一九二八年三月十五日、治安維持法による弾圧で逮捕・投獄された日本共産党員・伊藤千代子は、平和と民主主義のために不屈にたたかい、翌年、急性肺炎で、二十四歳の若さで亡くなりました。
 千代子の獄中最後の手紙四通が苫小牧市の中央図書館で公開された一日、同館内で「獄中最後の手紙を見る会」を開き、四十人を超える人たちが参加しました。
 公開を要望していた治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟苫小牧支部の外尾静子支部長は「千代子の直筆の手紙を見て、思いを新たにし、私たちはどう生きるべきかを見つめ直す機会にしたい」と語りました。
 千代子の出身地である長野県諏訪市から訪れた「伊藤千代子こころざしの会」の三沢実事務局長は、千代子の恩師、土屋文明が詠んだ歌
  「こころざしつつた ふれし少女よ新しき光 の中におきておもはむ  高き世をただめざす少女等ここに見れば伊藤千代子がことぞかなしき」を紹介し、「千代子の志を今こそ発揮すべきとき」と話しました。
 千代子研究家の藤田廣登氏は、手紙の苫小牧での公開までの経緯、千代子のおいたちや手紙が書かれた状況について報告。
 「獄中の同志を励まし、義妹、義母への手紙を通し内外に気を使う」千代子の心やさしい面と、亡くなる二カ月前の極限状態に書かれた手紙にみられるような面もあると述べました。
 参加者から「以前から千代子には関心をもっていた。実物の手紙に接することができて興奮している」「手紙を見て、家族を思う心やさしい女性だと改めて感じた」などの感想が出されました。

小さな文字紙いっぱい/信念の人柄、やさしい清らかな心が伝わる/参加者の感想
 手紙を間近にした参加者は、獄舎のなか、手紙を書いた千代子を想像し、息をのんで見つめました。
 わら半紙に無造作に包まれていたという千代子の手紙は、少し茶色がかっています。紙いっぱいに小さな文字で、家族への思いがつづられています。
 獄中で激しい拷問にあいながら、「差入れなど心配して下さらない様に」といい、「お体をたいせつになすって下さいまし」と相手を気遣っています。
 検閲を気にしたのか、気に入らなかったのか。みずから塗りつぶしたと思われる墨の下に、何が書かれていたかは、まだ分かりません。
 「千代子さんについてよく知らなかった」という森山玲子さん(62)=苫小牧市=。「しっかりした文字で書かれていて、信念の人柄が伝わってきます」と感想を述べています。
 入谷寿一さん(75)=苫小牧市=は、「花や自然も書かれて、感性の豊かさに感心した。最後の手紙は、まるで遺書のよう。やさしい、清らかな心が伝わる。それを時の権力が抹殺した。いたましい思いだ」と語りました。
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2005年04月03日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

国家賠償制定を求める請願可決/京都・向日市議会

 京都府向日市議会で、二十三日、「ふたたび戦争と暗黒政治を許さないために治安維持法の犠牲者に国家賠償法(仮称)の制定を求める請願」が採択されました。
 採決では、日本共産党議員団(大橋満団長、八人)と無所属の五人が賛成し、自民の四人と公明の四人、無所属の二人が反対しました。
 請願採択を受け、同市議会は、治安維持法が人道に反する悪法であったと国が認めて犠牲者に謝罪と賠償を行う、治安維持法犠牲者国家賠償法(仮称)の制定を求める意見書を国へ提出します。
 総務委員の協議会で趣旨説明をした請願代表者の一人、岡本康・治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟府本部会長は、「京都初の採択で画期的。横浜事件の再審開始も影響したのではないか。戦後六十年で勝ち取った時代を画する出来事だと思う」と指摘し、五月の国会請願にむけて京都一万筆の署名運動に奮闘したいと決意を語っています。
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2005年03月26日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

3・15記念の集い/多喜二の人生を映画で振り返る/徳島

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟徳島県本部主催の3・15記念のつどい「時代を撃て・多喜二」上映会が十五日、徳島市の県郷土文化会館で開かれ、およそ百六十人が参加しました。
 上映に先立ち、県史学会の湯浅良幸会長が講義しました。湯浅氏は「治安維持法は大正末期に発布され、昭和初期に極刑を加えてさらに改悪された悪法。この法は、国民の中から盛り上がってきた運動をつぶしてしまうもの。小林多喜二もこれに基づき虐殺された。憲法が改悪されようとしている今、二度とあのような過ちを繰り返してはならない」と訴えました。
 映画は、多喜二の人生を映像化して振り返り、ゆかりのある著名人が多喜二を語ったドキュメンタリー作品。主催者の一人の大栗丸人さん(75)は、「3・15は毎年取り組んでいるが、今年ほどのたくさんの参加は初めて。当時を知らない若い人たちに、治安維持法のひどさ、その中でたたかった不屈の運動を知ってもらいたい」と話しました。
 参加した女性(19)は「日本にこんなひどい時代があったのだと改めて実感した。戦争を二度と繰り返さないためにも、現行憲法の改悪は絶対阻止しないといけない」と感想を語りました。
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2005年03月20日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

戦争の政治許さない/沖縄・治維法国賠同盟/「3・15大弾圧」77年で学習会

 一九二八年三月十五日、全国で約千五百人の社会主義者らが検挙された「3・15弾圧事件」から七十七年。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟沖縄県本部は十五日、学習会を開き、戦争反対が犯罪となる時代を振り返りながら、再び戦争と治安維持法の政治を許さない決意を固め合いました。(写真)
 「3・15事件」では、県内での逮捕者はいませんでしたが、県出身の社会主義活動家らが検挙されました。その後、第七高等学校(現鹿児島大学)に在学中の瀬長亀次郎氏(元沖縄人民党委員長、元日本共産党副委員長)も、同事件関係者をかくまったとして逮捕されました。
 学習会では、県本部の田港朝昭会長(琉球大学名誉教授)が「3・15大弾圧事件の意味するもの」と題して報告。石原浩副会長は、沖縄の教師たちの反戦運動を弾圧した事件を掲載した琉球新報(一九三八年五月三十一日付)を紹介し、「歴史に埋もれている事実をもっと掘り下げ、戦前のたたかいの伝統を受け継いで発展させよう」と訴えました。
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2005年03月18日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

日本共産党知りたい聞きたい/国会議員になった特高官僚の名は?

 〈問い〉 国会議員になった特高の名前は?(京都・一読者)
 〈答え〉 戦前、特高警察の拷問などで命を奪われた人だけでも1697人以上にのぼります(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の調べ)。こうした人道に反する犯罪をおかした特高たちは、戦後、約5000人が公職追放となり、特高課配属の下級警察官は職を失いますが、特高官僚は「休職」扱いで多くが復権、要職につきました。

柳河瀬精氏の調べによると、国会議員には次の54人がなりました。(『告発―戦後の特高官僚―反動潮流の源泉』参照、当選順、主な特高歴)
 大久保留次郎・警視庁特高課長、増田甲子七・警保局図書課、松浦栄・秋田県特高課長、大村清一・警保局長、鈴木直人・広島県特高課長、岡田喜久治・警視庁外事課長兼特高課長、青柳一郎・熊本県特高課長、鈴木幹雄・警視庁特高部外事課長、中村清・京都府特高課長、西村直己・静岡県特高課警部、館哲二・内務次官、町村金五・警保局長、池田清・警視庁外事課長・警視総監、今松治郎・警保局長、大麻唯男・警保局外事課長、岡田忠彦・警保局長、岡本茂・新潟県特高課長、河原田稼吉・保安課長・内相、菅太郎・福井県外事課長兼特高課長、薄田美朝・大阪府特高課警部・警視総監、田子一民・警保局保安課長兼図書課長、館林三喜男・警保局事務官活動写真フィルム検閲係主任、富田健治・警保局長、灘尾弘吉・内務次官、丹羽喬四郎・京都府特高課長、古井喜実・警保局長、山崎巌・警保局長、吉江勝保・滋賀県特高課長、相川勝六・警保局保安課長、雪沢千代治・兵庫県外事課長、橋本清吉・警保局長、保岡武久・大阪府特高課長、伊能芳雄・警視庁特高課長、大達茂雄・内務相、後藤文夫・警保局長、寺本広作・青森県特高課長、広瀬久忠・内務次官、大坪保雄・警保局図書課長、岡崎英城・警視庁特高部長、唐沢俊樹・警保局長、纐纈弥三・警視庁特高課長、亀山孝一・山口県特高課長、川崎末五郎・警保局図書課長、高村坂彦・鳥取県特高課長、重成格・警保局検閲課長、増原恵吉・和歌山県特高課長、桜井三郎・警保局事務官ローマ駐在官、湯沢三千男・内相、安井誠一郎・神奈川県外事課長、奥野誠亮・鹿児島県特高課長、古屋亨・岩手県特高課長、金井元彦・警保局検閲課長、原文兵衛・鹿児島県特高課長、川合武・長野県特高課長(喜)
 〔2005・3・17(木)〕
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2005年03月17日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

市川正一没後60年で碑前祭/山口・光/遺志継ぎ党の力を大きく

 日本共産党山口県委員会(山本丈夫県委員長)は十五日、光市鮎帰りで市川正一碑前祭を開き、四十五人が参加しました。
 光市出身で戦前の日本共産党幹部市川正一をしのび、命日の三月十五日に行われているもので、今年は没後六十年になります。
 山本委員長は、「日本共産党は、昨年の参議院選挙では悔しい敗北をしました。山口県党組織は新たな思いで、国政選挙での前進、地方政治の刷新に全力で取り組むため、県内五つの地区委員会を四つに再編し、選挙区でのたたかいを日常活動の軸にし、党の力を大きくし勝利をめざす」とあいさつしました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部の田熊真澄名誉会長は、市川正一の公判の様子にふれつつ、「市川正一の公判を知るものは数少なくなっているが、遺志を引き継いでいきたい」と語りました。
 吉田貞好参院選挙区候補は、「第二次世界大戦で同じく敗北したドイツでは、いまだに戦犯が裁かれている。日本では戦後、戦犯政治が続き、歴史をゆがめてきている。この政治を変えるため全力をつくしたい」と決意をのべました。
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2005年03月16日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

憲法守りぬくと誓い/京都・宇治/第76回山宣墓前祭

 戦前の労農党代議士で治安維持法改悪に反対して右翼に刺殺された山宣≠アと、山本宣治の命日にあたる五日、京都府宇治市の善法墓地で墓前祭が行われ、長野、大阪、愛知の山宣会など全国から二百二十人が参加。山宣ら先人のたたかいが結実した日本国憲法を守りぬく決意を墓前に誓いました(写真)。主催は第七十六回山宣祭実行委員会。
 実行委員会の馬庭健司・宇城久地区労副議長は、「現代の山宣の気概をもって日本の平和な未来と国民の自由、民主主義を守るたたかいの先頭に立つことを墓前に誓おう」とよびかけました。
 また岡本康・治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟府本部会長、佐藤ちひろ・日本民主青年同盟府委員会常任委員、池内光宏・新社会党府本部書記長、矢口雅章・日本共産党府委員会京都6区代表が弔辞をのべました。
 山宣の孫で民医連九条診療所所長の山本勇治さんは、医療改悪や憲法改悪を医療人として許せないと語るとともに、「祖父・宣治の思いを継ぐ意味でも、皆さんと一緒に頑張っていきたい」とお礼の言葉をのべました。
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2005年03月06日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

 告発戦後の特高官僚/柳河瀬精著/国会進出54人反動的潮流を推進

 この本は、「特高官僚たちの権力犯罪について、歴史的道義的責任を徹底的に追及するため」に、そしてまた「戦後の反動的潮流のほとんどすべてに、彼らが関わっている」ので、「これらの潮流をはね返していくため」に彼らの果たした役割をつきとめる必要がある、という見地から、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟大阪府本部会長をつとめる著者が、この同盟の機関紙『不屈』大阪版に七年余にわたって連載してきた稿をもとに加筆してつくられた。
 たしかに著者もいわれるように、従来の調査・研究には特高官僚の戦後について不足のうらみがあり、これを補う意味でこの本の上梓の意義は大きい。とりわけこの本は戦後政治史の全般にわたって、特高官僚の進出の実態をつきとめようとしている。大阪府と兵庫県について特に詳細な調査がなされているが、調査は地方政治の全般に及んでいる。国会や中央省庁への進出は詳細をきわめる。一九五二年十月の総選挙では追放解除者が一挙に百三十九人も当選したが、その後も含めて特高官僚の衆参両院への進出は優に五十四名をこえる。これらの議員たちは、憲法、教育基本法改悪、日の丸、君が代、再軍備、警察の中央集権化、教育勅語、教科書問題、靖国神社などの反動的な潮流に加わり、推進する役割を果たしてきた。調査は文部、厚生、公安調査庁、自衛隊などの分野にくわしく及んでいる。大達茂雄文相、田中義男次官、緒方信一次官、纐纈弥三政務次官などの特高官僚が文部行政の要職をしめて教育二法の成立がはかられ、教育委員公選制の廃止、教員勤務評定の実施など相次ぐ悪政が遂行されていくさまが描かれている。
 本書は、特高官僚の厳密な定義を前提としている。そのなかで内務省警保局警務官の重視、特高官僚につづく公安官僚の登場を指摘しているのは卓見である。公職追放、休職処分などの戦後特高「廃止」の虚偽性についても同様である。
上田誠吉・弁護士
 やながせ ただし 一九三二年生まれ。元大阪府議。
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2005年03月06日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  戦後の特高官僚告発/泉南で出版記念会

 柳河瀬精氏の『告発 戦後の特高官僚』の出版記念講演会がこのほど、泉南市内で開かれました。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟泉南地域支部の第一回総会として開かれたもので、二十五人が参加しました。
 柳河瀬氏は、特高警察の行った拷問のひどさを告発し、その特高官僚が戦後、政治・警察・教育・厚生の各分野に居座ってきたことを明らかにしました。
 総会は、日米軍事共同行動のために憲法九条が、国民の思想統制のために教育基本法が邪魔になっているとして、「治安維持法犠牲者の国家賠償を求めることと戦争責任の追及、二度と戦争を起こさせない運動とは一体のものである」ことを確認しました。
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2005年03月05日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  国家賠償法署名/秋田で中間集約2万人分超える

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟秋田県本部は、五月の国会に提出する治安維持法国家賠償法(仮称)の制定を求める請願署名の中間集約をし、目標を上回る二万二百三十七人分に達したことを明らかにしました。
 同県本部は、宗教団体や老人クラブなどあらゆる団体、組織に働きかけるとともに、憲法改悪反対などの署名活動を重視して進めています。
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2005年03月04日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  北見で多喜二に学ぶ集い/逆行の動き押し返す時

 北見市常盤地区住民センターで二月二十六日午後、「小林多喜二に学ぶつどい」が開かれました。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北見支部(大橋誠支部長)が主催し、会場いっぱいの約百人が参加しました。
 佐々木秀之副支部長が司会し、大橋誠支部長が開会あいさつで、「憲法や民主主義をめぐって、戦前の時代に逆行する動きが強まっています。小林多喜二の生き方を学び、それをおしとどめましょう」と述べました。
 小樽商大の荻野富士夫教授が「小林多喜二の生きた時代と現代」と題し、三十年の生涯のほとんどを小樽で過ごし、小樽高等商業学校時の成績表、拓銀への就職の経過をエピソードをまじえて講演しました。
 また、日本が帝国主義、侵略戦争に向かうなかで、多喜二がどのように成長し、『蟹工船』『不在地主』など、著名な作品を書きあげていったのかにもふれました。
 参加者は「多喜二が特高に殺されたときの新聞を印象深く思い出す。いま九十二歳だが、治安維持法でつかまった。きょうはこんなに多くの人が集まり、ありがたい」と感想を寄せていました。
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2005年03月03日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

 日本共産党知りたい聞きたい/戦争に反対し殺された西田信春って?

 〈問い〉 戦前、小林多喜二と同じころ、特高に殺された西田信春という青年がいたと聞きました。どんな人ですか?(北海道・一読者)
 〈答え〉 60年前の戦前の時代、戦争反対や主権在民を言うことは、大変、勇気がいることでした。天皇制政府は「特別高等警察」(特高)という専門の警察網を敷き、戦争反対の先頭に立った日本共産党員らを残酷に迫害しました。命を落とした人は判明分だけで1690人前後にのぼります。
 小林多喜二が死んだ9日前の1933年2月11日、特高に殺された西田信春(のぶはる)も反戦平和のために生涯をささげた一人です。
 西田は1903年、北海道・新十津川村に生まれ、東大在学中に社会科学研究会に参加、卒業後、全日本鉄道従業員組合本部書記になり、27年、日本共産党に入党。32年、党再建のために九州に行き、九州地方委員会を確立し委員長になります。翌33年2月11日「九州地方空前の共産党大検挙」(検挙者508人)と報じられた弾圧の前日、検挙され、福岡署で殺されました。30歳の若さでした。これが判明したのは戦後になってからで、57年4月16日付「アカハタ」は「二十数年ぶりに判る―故西田信春氏虐殺当時の模様」を掲載。一緒に活動した佐伯新一氏の「細かい思いやりのある同志だった」との回想が記事中にあります。
 当時、九大医学部助手だった石橋無事氏は、氏名不詳の男の鑑定書を書いた思い出を次のように記しています。
 「それが東大新人会の共産党員西田信春の屍だったことは、ずっと後で知りました。…ひどい拷問をうけても黙秘をつづけ、しまいに、足を持って階段を上から下まで逆さに引きおろされ、それを四、五回くりかえされたら死んでしまった。それが夜中の午前一時ごろなのに、ぼくたちがよばれて行ったのは十五、六時間もたった午後四時ごろです」(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の機関紙「不屈」81年3月号)
 身をていして平和と民主主義の世の中をめざした思いを引き継ごうと、90年に郷里の新十津川町に「西田信春碑」が作られ、毎年2月11日、碑前祭が開かれています。(喜)
 〔2005・2・10(木)〕
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2005年02月10日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  暗黒政治許さない/治維法国賠同盟女性部がつどい

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟大阪女性部はこのほど、大阪市内で新春のつどいを開きました。柳河瀬精・同同盟府本部会長が特別高等警察(特高)の実態について講演しました。
 柳河瀬会長は、戦前戦中、治安維持法で国民を弾圧・拷問した特高警察官僚が、戦後も断罪されずに政治や行政の分野で暗躍してきた事実を指摘しました。
 そうした経歴をもつ人たちが、憲法や教育基本法を改悪し、再び日本を戦争する国にするため動いていることを示し、治安維持法制定から八十年、廃止から六十年たったいま大切なことは「再び戦争と暗黒政治を許さない」ためのたたかいに立ちあがることだと強調しました。
 有志が「もし、憲法改悪、徴兵制がつくられたら息子や孫は―」との紙芝居を披露しました。
 懇談会では、弾圧をくぐりぬけ、戦中戦後の厳しい生活を生き抜いてきた九十歳になる女性が今も駅前で署名活動をすすめていることが報告され、参加者に感動を与えました。
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2005年02月05日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  NHK番組改ざん/政治介入に抗議文送付/石川・治維法国賠同盟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟石川県本部は十九日、NHK番組への政治介入問題で、小泉純一郎首相、安倍晋三自民党幹事長代理、中川昭一経済産業相に抗議文を送り、安倍、中川両氏には国会議員辞任を求めました。海老沢勝二NHK会長にたいしても辞任を求める抗議文をNHK金沢放送局を通じて送りました。
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2005年01月26日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  村瀬清次没後77年/戦前の活動墓参で偲ぶ/和歌山国賠同盟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟和歌山県本部のよびかけで、共産主義者村瀬清次の没後七十七年にあたる十九日、村瀬の碑を和歌山市の共同墓地に十九人が訪ねました。
 墓前で「赤旗の歌」を合唱。青石の墓石には革命の戦士むらせ・せいじの碑∞一九二九年一月一九日反動の凶刃にたおる≠ニ、裏面には建設後無名のまま二〇年…≠ニ彫られた文字を手でまさぐりながら、全員が感動に包まれました。
 墓参後、近くの平和会館で懇談をしました。
 国賠同盟の上野寿雄理事の司会で、同盟の藤沢弘太郎会長が、当時の貴重な資料などを紹介しながら、特高警察の監視と弾圧の下で墓碑を守り抜いた戦前の活動、戦後、故楠山通氏(戦後初代日本共産党和歌山県委員長)のよびかけで、多くの旧友たちのカンパで墓碑銘が刻まれたこと、戦後も多くの協力者の手で墓碑が守られ、彼岸やお盆には清掃がされてきていることなどを語りました。
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2005年01月22日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  葛飾ビラ配布弾圧/検事に抗議文/茨城・治維法同盟

 東京・葛飾のビラ配布弾圧事件で治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟茨城県本部(軽部博会長)は十三日、不当な起訴を強行した東京地検・崎坂誠司検事に抗議文を送りました。
 抗議文は、昨年十二月の自衛隊官舎ビラ配布事件での無罪判決を無視した不当・不法な起訴だと指摘。「暗黒時代の再現をねらった意図的な弾圧であり、断じて許すことはできない」として身柄の即時釈放と起訴取り下げを要求しています。
 日本国民救援会東京都本部には激励のはがきを送りました。
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2005年01月14日,「赤旗」) (戻る/ページTOP

  治維法同盟が釈放求め電報/ビラ弾圧事件

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の中西三洋会長は十二日、東京・葛飾区で起きたビラ配布弾圧事件で、東京地検の崎坂誠司検事に対して抗議電報を打ちました。
 電報は「不当な逮捕と起訴は国民の言論表現活動と、正当な政治活動への侵害であり許すことはできない。本人を直ちに釈放し起訴を取り下げることを要求する」と、抗議しています。
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2005年01月13日, 「赤旗」) (戻る/ページTOP