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【2015年活動および関連情報】

 

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[12月]

*           京都市長選/市民大事にする市政に/運動の仲間が本田氏応援

*           朝の風/長寿の二人を送る

*           野党は共闘、市民は連合=^戦争法廃止へ各地で行動/北海道/秋田/青森/宮城/山形/岩手

*           日本科学者会議創立50周年を迎えて/歴史的分岐点における科学者の社会的責任/米田貢

*           こまつ座代表井上麻矢さん/父・井上ひさしの宿題/最晩年の言葉を収録『夜中の電話』出版

*           補正予算可決/大型開発優先転換を/酒井県議が主張/群馬

*           まど/106歳西川さんの言葉

*           戦争はいやと語り続ける/ものいう女性は頼もしい/金子兜太さんと市田副委員長懇談

*           戦争法廃止へ共に/京都市の青年ら集い/池内議員・大河原参院候補訴え

*           芸能テレビ/文学座公演「白鯨」出演小林勝也さん/少年の日に見た「船長」のたたかう姿に感動して…

*           西川治郎さん死去

*           共謀罪、刑法原則破る/山下氏「創設の企て中止を」

*           治安維持法国家賠償制定請願書を採択/甲良町議会

*           野党の協力訴え/治維法国賠同盟が宣伝/和歌山

*           「生活図画事件」語る/当事者招き集い/北海道・岩見沢

*           平和を愛する八王子文化祭/東京

*           作家伊集院静さん/人気エッセーシリーズ第5弾『追いかけるな』/戦争に向かった時代とダブらないか

*           「共謀罪」何を狙う/「戦争する国」の治安体制づくり/加藤健次弁護士に聞く

*           治維法国賠同盟県本部が講演会/和歌山、創立30周年

 

12月本文】

京都市長選/市民大事にする市政に/運動の仲間が本田氏応援

 来年1月24日告示(2月7日投票)の京都市長選で、「憲法いきる市政 みらいネットワーク」の本田久美子候補を押し上げようと、本田候補と運動を共にしてきた有志が23日、京都市の三条河原町で街頭宣伝を行いました。
 参加したのは、子どもの権利の保障をめざして運動するNGOや市民団体の有志ら。NGOで活動し、「女の平和」発起人でもある横湯園子さんは、父親が治安維持法で逮捕されて拷問を受け、後に亡くなったことに触れ「平和憲法を守り、生かすことを掲げる本田さんを応援したい。一人ひとりの子ども、市民を大事にする市政をぜひ実現してほしい」と語りました。
 「子どもの権利条約 市民・NGO報告書をつくる会」で共に活動する世取山洋介事務局長(新潟大学准教授)は、本田候補が掲げる「若者雇用おうえん条例」を紹介。「地域の経済発展のためにも重要な施策だ。本田さんの当選で、子どもと青年が充実して生きられる街になるよう望む」と述べました。
 山本由美和光大学教授は、小中学校の統廃合をすすめ、その財政効果を誇る門川市政に疑問を呈し「学校は子どもと地域のためにある。本田さんに、京都の教育を明るい方向へ転換してほしい」と訴えました。
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2015年12月25日,「赤旗」)

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朝の風/長寿の二人を送る

 2015年も暮れようとしている。この年、私たちはキリスト者から日本共産党員となって活動した二人の先輩を失った。キリスト教風にいえば、二人は天国に召されたのだ。
 一人は、大分県党の最長老で6月23日、94歳で逝った、宇佐の都留忠久氏。いま一人は、戦前のSCM(社会的キリスト教運動)の出身で、治安維持法逮捕者では最高齢の106歳で今月7日に亡くなった、大阪・貝塚の西川治郎氏である。
 都留氏は、日本の聖書学の草分け的存在で明治学院の院長もした故都留仙次氏の息子。経済学者の故都留重人氏はいとこにあたり、旧制五高から同志社大神学部に進んだが、マルクス主義者となって、郷里に帰り党の常任を長くつとめた(一時は県委員長も)。宗教についての見識は高く、2004年の日本共産党綱領改定の全党討議のさい、討論集の『赤旗評論版』第1号に、宗教と統一戦線の関係についての意見を真っ先に寄せていた。
 西川氏の訃報は、東京新聞12月12日付にもある。同紙の昨年4月21日付には、「治安維持法2度逮捕の105歳」の大見出しで紹介されている(記事は治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟発行『獄死者』に再録)。92歳で入党し、宗平協の活動にも参加した。
 ご両人に花を。
 (許)
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2015年12月23日,「赤旗」)

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野党は共闘、市民は連合=^戦争法廃止へ各地で行動/北海道/秋田/青森/宮城/山形/岩手

 戦争法が安倍自公政権により強行された9月19日から3カ月となる19日、各地で戦争法廃止を求め行動しました。

北海道

宗教者ら座り込み
 「『安保法制』に反対する北海道宗教者連絡会」は、札幌市の札幌北光教会前で、雪が降るなか約40人で座り込みました。同会は戦争法強行後、毎月19日に座り込みを行っています。
 交代で「戦争がいかに悲惨な結果をもたらすか、安倍首相は歴史から学ばず暴走している。止めなければならない」「年をとったが座り込みならできると思ってかけつけた」と思いを語りました。
 初参加の芳賀淳子さん(76)は「今動かなければ戦争を知る世代の一人として責任を果たせないと思う。孫たちの世代まで平和を受け継いでいきたい」と話しました。
 全員でジョン・レノンの反戦歌「平和を我等に」のメロディーに合わせて「許さないぞ安保法制」とアピールしました。

ステッカー掲げて
 全道各地で2000万署名を呼びかけました。
 札幌市南区では戦争法を廃止する南区民の会が宣伝。初参加の6人を含め、14人が手作りの「アベ政治を許さない」などのステッカーを掲げました。区民の会の土井寿さんは「憲法9条をもつ日本の役割は武力を使って米国の戦争を助けることではない。世界の紛争を戦争にさせないリーダーになることだ」と訴えました。
 札幌市西区では戦争させない西区民の会が地下鉄琴似駅前で宣伝。日本共産党の田中啓介市議が「安倍暴走政治をやめさせ、戦争法を廃止しましょう」と呼びかけました。18人の参加者は「戦争法廃止の政府を」の横断幕を掲げアピール。89歳の男性は「戦争はもうたくさん」、小学生の娘の父親は「どんなことがあっても戦争はしてはいけない」と署名しました。
 岩見沢市では戦争法廃止をめざす岩見沢の会が民主団体と共同宣伝。会の木村衛代表をはじめ、日本共産党市議団、9条の会、国賠同盟のメンバーらが「違憲立法の戦争法の廃止へ署名へのご協力を」と訴えました。
 厚岸町では戦争させない・9条壊すな!厚岸行動実行委員会が宣伝。日本共産党の石澤由紀子町議ら10人が60人分の署名を集めました。

青年ら徴兵制考える/ライブハウスでトーク&ライブ/旭川
 旭川市で安保法制廃止をめざす若者グループ「A.F.M.A(アフマ)」は旭川市内のライブハウスでトーク&ライブを行い、青年ら110人が参加しました。
 ゲストに『経済的徴兵制』の著者でジャーナリストの布施祐仁さん、反核・反原発を発信しているミュージシャンのOKI(オキ)さんを迎え、安保法制や徴兵制、アベ政治についてアフマメンバーの質問に答える形でトークを進めました。
 「徴兵制は現実のものになるのか」との問いかけに、布施さんは「憲法に反するから徴兵制はあり得ないと安倍首相は言うが、現実には米国で進んでいるような『経済的徴兵制』が日本でも起きてくるのではないか」と懸念を示しました。
 OKIさんはいま危惧していることとして、「世論調査で18歳男子の内閣支持率・原発再稼働容認が6割と異様に高い」と述べ、「そういう若者にメッセージが伝わるカッコイイと思う曲を作らないと」と話しました。
 OKIさんが樺太アイヌの伝統楽器「トンコリ」を奏でながら歌い、熱気に包まれました。

秋田

家族の分も署名
 日本共産党秋田地区委員会は17人で、秋田市内で街頭宣伝・署名を行いました。
 藤本ゆり参院秋田選挙区候補と鈴木知秋田市議がマイクを握り2000万署名を呼びかけました。
 「バスの時間で急いでいるから」と1度は断った女性が「間に合わなかったから戻ってきた。孫は自衛隊に勤めているけれど、仕事がなくて仕方がないから行ったんだ。でも、戦争法で戦場に行くようになりそうで怖い」と語り署名。藤本候補が名刺を渡し「この署名を安倍首相に突きつけます」と話すと、写真と見比べ「あ、本物だ!」と笑い「みんな反対しているから、家族の分も署名するよ。頑張って」と激励しました。「デモにも参加したい」と話す人や、「あなたたちは信用できるから署名する。廃止を実現させて」と激励する人もいました。

替え歌でアピール
 秋田県憲法センター(虻川高範代表)は秋田市内で「戦争法廃止・安倍政治NO!私たちはあきらめない!集会・市民デモ」を行い、150人が参加しました。日本共産党の藤本ゆり参院秋田選挙区候補、加賀屋千鶴子県議が参加しました。
 あきた女性九条の会のメンバーが替え歌にのせ「安倍政権は憲法を守れ! 何が何でも野党は共闘! 市民は連合! 2000万署名を集め安倍政権を倒そう!」と訴えました。
 藤本候補は「熊本をはじめ各地で市民団体などから野党共闘を求める提案が出されている。私も皆さんと一緒に実現させるために頑張る。2000万署名を成功させよう」と呼びかけました。
 集会後、デモ行進。コールに合わせ拳を上げる人や、拍手する家族など、多くの激励を受けました。

三種革新懇、町内で宣伝
 秋田県の三種町(みたねちょう)革新懇は、同町内で街頭宣伝を行ない、「野党が力を合わせ、安倍政権を倒し、戦争法廃止の連合政府をつくりましょう」と訴えました。
 同会は4月に結成され、学習会など活動を続けてきました。全国総がかり実行委員会の呼びかけに応えた町内で初めての行動とあって、店から出てきた人が声をかけたり、通りがかりの車などからも声援がありました。

青森

スタンディングで
 青森県では戦争法廃止の全国統一行動に呼応するスタンディングアピールが、青森市、八戸市、弘前市などで行われました。
 八戸市の三日町では35人が参加し、「アベ政治を許さない」のポスターを掲げアピール。内田弘志八戸医療生協理事長、日本共産党の松田勝県議ら5人がリレートークし、戦争法廃止を訴えました。
 青森市浜田の大型ショッピングモール前では、病院や介護、薬局などで働く職員と青森保健生協の組合員ら70人が集まり、「安倍暴走ストップ キックオフ集会」が開かれました。順番にリレートークし、戦争法廃止を求める2000万署名運動への協力を呼びかけました。
 同市の駅前公園でもスタンディング行動がおこなわれ、氷が張っている路面の上で約30分間、参加者62人全員で「戦争法は今すぐ廃止」とコールをあげ続けました。

宮城

党派・世代超えデモ
 安保関連法の廃止を求める市民集会・デモが仙台市で取り組まれ、300人が参加しました。日本共産党、民主党、社民党の議員・候補者らが、廃止に向けた決意を語りました。
 「戦争法廃止のための市民行動仙台」の森田眞理代表があいさつした後、日本共産党のいわぶち彩子参院宮城選挙区候補が、「19日は戦争法が強行された日だが新しい民主主義の始まりの日でもある。若者の命と幸せをまるごと奪う戦争法を許すわけにはいかない」と訴えました。
 社民党は、岸田清実県議が決意を語り、民主党の桜井充参院議員は電話を通して連帯のあいさつをしました。
 みやぎ憲法九条の会の板垣乙未生事務局長が、「安保法制廃止みやぎネット」のキックオフ集会を来年1月24日に開くことを報告し、参加を呼びかけ、SEALDs TOHOKUやママの会がリレートークをしました。
 集会後、デモ行進しました。同日、県内各地で宣伝が取り組まれました。

訴えに励ましも/塩釜・多賀城
 宮城県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟・塩釜支部は、塩釜市と多賀城市の6カ所で宣伝し、「『今こそ野党は共闘』の声を高めて、戦争法の廃止を求める2000万署名運動を成功させましょう」と訴えました。
 また、TPP(環太平洋連携協定)参加に原発再稼働、消費税増税、沖縄新基地建設、福祉の削減など悪政を続ける自公政権は一刻も早く退陣をと訴えました。各所で車の中から手を振る励ましを受けました。

山形

統一候補実現に全力
 山形県内各地で地方議員を先頭に宣伝署名行動をしました。
 党県委員会と村山地区委員会が山形市内で、本間和也県委員長、稲毛浩行党村山地区委員長、渡辺ゆり子県議、石山ひろゆき参院選挙区候補、山形市議らが戦争法廃止と署名を呼びかけました。
 本間県委員長は「戦争法廃止へ共同を広げたたかっていく。参院選挙で野党が協力して戦争法を推進した自公候補に打ち勝つため山形でも野党の統一候補実現にむけ全力を尽くす」と話しました。
 署名をした50代の女性は、自衛隊が南スーダンやシリアへ派遣され、殺し殺される危険があるという話に、「そうならないように」と署名しました。
 野党の協力について60代の男性は、「共産党の言うとおりだ。必ず(統一候補を)実現してほしい」と語りました。

岩手

国民連合政府に期待
 日本共産党岩手県委員会、同盛岡地区委員会は、盛岡市内で宣伝しました。小雪が舞うなか、菅原則勝県委員長、吉田恭子参院岩手選挙区候補がマイクを握り、勤務員らが署名を呼びかけました。
 吉田候補は、宗教者との懇談で「国民連合政府をぜひ実現してほしい」と激励されたと紹介。戦争法廃止の共同の推進と参院選での党躍進を訴えました。
 署名に応じた市民らは「戦争の時代に育ったが、戦争だけは二度とごめんだ」「安倍首相のやっていることはダメだ」などと話していました。
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2015年12月22日,「赤旗」)

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日本科学者会議創立50周年を迎えて/歴史的分岐点における科学者の社会的責任/米田貢

 日本科学者会議(JSA)は、12月4日に創立50周年を迎えた。47都道府県に支部を持ち、『日本の科学者』という総合学術誌を毎月発行している。自然科学ばかりではなく社会科学・人文系の学問分野の研究者や弁護士・医者・ジャーナリスト、教員などの高度専門職業人も含め四千数百名の会員を擁している。
 日本の科学者は、アジア太平洋戦争の時代に苛烈な治安維持法をはじめとする弾圧体制のもと学問の自由を奪われた。自然科学者・技術者の多くが軍事技術・軍需産業の振興のために動員され、多くの文系の科学者、研究者が真理を探求しその研究成果を広く社会に問うことを断念せざるをえないという辛苦の歴史を経験している。
 敗戦直後の1946年に進歩的科学者によって専門分野別に組織された民主主義科学者協会(民科)は、侵略戦争に対する科学者の社会的責任を問うことから出発した。JSAは、この民科の精神を継承しつつ科学の正しい発展を求める科学者たちが、それまでの科学者団体が有していた専門分野や地域による組織化の限界を突破して大同団結した全国組織としての総合的な学術団体である。50年の歩みについては『日本の科学者』12月号を参照されたい。

すべての原発廃棄へ総力を
 いまJSAは、日本のすべての原発を廃棄することは、現在を生きる科学者が果たすべき第一義的な社会的責任であるという立場から、会員、支部、全国が総力を挙げて原発廃止の国民的運動に合流している。JSAはその会則の冒頭で「科学を人類に役立て正しく発展させていくことは、私たち科学に携わる者の共通の任務です」とうたっている。
 私たちは、原発の安全神話とたたかってきた歴史を誇りに思うと同時に、福島原発事故の発生を許し福島県民を中心とする多くの人々に多大な犠牲を強いている現状に対して一定の社会的責任を自覚している。
 だが、致命的欠陥を持つがゆえに人類と共存できない原発を開発した科学者・技術者の責任を、それに直接携わってきた人々にのみ押しつけることはできない。新たに獲得された科学的認識をどのような形で現実世界で物質的に具現するのか、すなわちいかなる技術として実用化するのかは、安全性・経済合理性・利便性、環境制約性などの多面的な学問的視点から総合的に評価されたうえで、社会がその採用の可否を最終的に決定すべき事柄である。JSAとして、福島原発事故の発生以前に、なぜ原発の総合的な評価に基づいて原発の廃棄を国民に対して提起できなかったのか、それが大きな反省点である。

戦争か平和か問われるいま
 2015年は戦後日本社会の歴史的分岐点となった。「強い国」とは「戦争をする国」であると時代錯誤的に考える安倍首相は、現行憲法の下では集団的自衛権は行使できないとする政府の従来の憲法解釈を百八十度転換させ、憲法違反の安保法制を強権的に制定した。自衛隊員が戦場に送りこまれ、日本の青年が外国で殺し、殺される事態が予想される。
 国が道を誤れば、国民も不幸に陥らざるをえない。原発の再稼働問題に加えて、戦争か平和か、立憲主義か戦前を彷彿とさせるファシズム、強権政治の世界かという究極の歴史的選択をいま我々は問われている。立憲主義は人類が英知を結集し、多くの犠牲を伴いながら近現代社会において実現した最良の政治的文化である。それを市民と連帯して守り発展させることは、あらゆる科学者にとって最優先の課題であることを肝に銘じて、JSAとしての新たな半世紀に挑みたい。

 よねだ・みつぐ 1952年生まれ。日本科学者会議事務局長、中央大学経済学部教授
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2015年12月21日「赤旗」)

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こまつ座代表井上麻矢さん/父・井上ひさしの宿題/最晩年の言葉を収録『夜中の電話』出版

戦争どう伝えるか/生きていたら安保法とたたかった
 「こまつ座」代表の井上麻矢さんが『夜中の電話』を出しました。父・井上ひさしさん(劇作家)の最晩年の言葉を収録。曲折をへてたどりついた、いまの仕事の重みと、父から学んだこととは…。
 金子徹記者

 井上ひさしに関係する作品を上演する「こまつ座」。座付き作家で代表の父が2009年、麻矢さんを後継者に指名しました。同年9月にがんの告知を受けた劇作家は、夜中に麻矢さんに電話をかけるのが日課になります。
 「マー君、ちょっといいかな…」
 電話は当たり前のように数時間、時には朝まで話し込むことも。演劇論から社長の心得までを、せき込みながら伝授する父。それを必死にメモしました。
 「『こまつ座』を引き継いで、間もなく父が死にました。お芝居は待ったなしなので、父との対話を振り返る余裕がありませんでした。この本を書くなかで、教わったことを改めて思い出せました」
 珠玉の言葉と色あせない交流を記します。
 〈自分という作品を作っているつもりで生きていきなさい〉
 〈いつもなぜ? そう問い続けていること〉
 〈どの仕事でも、いい仕事は人と人をつなげる〉

15年間の疎遠
 10代後半、父の離婚と再婚に傷つけられ、激しく対立。15年間、疎遠でした。
 「親には頼りたくない、と自分にもウソをついていました。シングルマザーだったので、いい条件への転職を繰り返し、いろいろな仕事をした。それが『こまつ座』での仕事に生きて、驚きました」
 代表を引き継いで、と父に頼まれて…。
 「父に見込まれたからには、私が『こまつ座』を守らなければ、と気負いました。ダメな娘でしたが、『こまつ座』がチャンスを与えてくれました。信頼は人を動かすのだと思いました。父も命をかけて引き継がせてくれた」
 父はある時、作家仲間から「君はプロレタリア作家だ」といわれ、「うれしかったんだよ」と。最後の戯曲となったのは「組曲虐殺」。特高警察に虐殺された日本共産党員作家・小林多喜二の評伝劇でした。
 祖父・修吉は作家志望で多喜二と同年代。34歳で病死しましたが、父は「生きていれば、多喜二と同じ活動をしていただろう」と麻矢さんに語りました。
 「父には多喜二が親の象徴で、自分の象徴でもあった。『組曲虐殺』は父にとって、いつかは書かなければならない作品でした」

「父と暮せば」
 500回公演を超す、井上戯曲屈指の名作「父と暮せば」。広島への原爆投下で死んだ父親が、死後も娘を気遣うという話です。父は、これを書いた60歳で腹をすえました。
 「戦争を生きた作家として、この国が間違った方向にいかないようにと願う。そこで『父と暮せば』ができ、これを書いたことで父は自分がなぜ作家になったかを理解しました。沖縄と長崎のことも書きたくて、口ぐせのように、『もう時間がないんです』といっていました。戦争を、後の世代にどう伝えていくか。父は大きな宿題を残しました」
 その宿題にとって試練のような安保法制の強行は。
 「暴力です。安倍晋三首相は後で説明するといっていましたが、結局、説明もせず逃げ回っている。よく、私たちの上演している作品が時代に合っているといわれますが、本当はそれではいけないのです」
 井上作品の心とは。
 「悲惨な戦争を経て勝ち取った『声』が憲法に入っています。それを政府が勝手に『解釈』して変えてはいけない。それを許すことは、父の仕事を真っ向から否定することになります。父が生きていたら、こうした動きとたたかったでしょう」

いのうえ・まや=1967年生まれ。新聞社、ホテル勤務などを経て、こまつ座代表取締役社長。2014年、市川市民芸術文化奨励賞受賞。こまつ座は12年、菊田一夫演劇賞特別賞、紀伊国屋演劇賞団体賞、フランコ・エンリケツ賞を受賞
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2015年12月20日,「赤旗」)

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補正予算可決/大型開発優先転換を/酒井県議が主張/群馬

 群馬県議会第3回後期定例会は15日、一般会計補正予算などを賛成多数で可決し閉会しました。
 日本共産党の酒井宏明県議は反対討論で、一般会計補正予算について、上信自動車道など不要不急の大型道路関連の債務負担行為が含まれており、賛成できないと表明。「一度決めた事業でも、その必要性をよく吟味し、撤退する勇気も必要だ。大型開発優先ではなく、介護・医療・福祉・子育て・中小企業支援に回すべきだ」と主張しました。
 一般質問で、自民党議員が「大型道路に反対するのはすでに整備された都市部の自己中心的な考えだ」と発言したことに対し、酒井氏は「地方への経済波及効果など期待できないコンベンション施設を都市部に建設しようとしているのは一体だれか」と反論しました。
 マイナンバー法の施行に伴う関連条例では、政府の利用範囲を大幅に拡大する方針に沿ったもので「県民のプライバシー侵害の危険性はますます大きくなる」と指摘し反対しました。
 治安維持法犠牲者国家賠償法の制定、消費税増税の中止を求める請願などの採択を求め、環太平洋連携協定(TPP)交渉からの撤退を求める請願では、不採択に反対し趣旨採択を求めました。
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2015年12月18日,「赤旗」)

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まど/106歳西川さんの言葉

 本紙11日付で西川治郎さんの訃報に接し、大きなさびしさに襲われました。今年7月の取材で、大阪府貝塚市の自宅でお元気な姿をみせていたからです。
 ○…106歳の西川さんには、「証言 戦争」(9月9日付)に登場していただきました。今年は、戦後70年、治安維持法制定から90年。特高に2度逮捕され、服役し、軍隊に召集された経験を持つ西川さんは「あの言論弾圧なしに、あんな戦争をすることはできなかった」と語っていました。そして、安倍政権には「言葉を失うほど、あきれてものが言えない」と危機感を表明していました。
 ○…キリスト者である西川さんは、『貧乏物語』を書いた河上肇の顕彰を長年、続けてきました。彼の人生を「求道的」と評し、自身の生き方の背骨にしていました。そんな西川さんは、2001年に日本共産党に入党。「私は共産党員として、生きていけることに満足している人間です」といい、「共産党は世界を変える種になれる」と語りました。
 ○…カメラを向けると「写真だと、年齢より少し若くみえる」と応じ、和まされました。不破哲三さんの近著などを毎晩、読み進める学習意欲にも脱帽したものです。「生きることに希望を持つ哲学で心を固めること」という言葉が、強く心に残ります。
 (矢)
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2015年12月16日,「赤旗」)

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戦争はいやと語り続ける/ものいう女性は頼もしい/金子兜太さんと市田副委員長懇談

 日本共産党の市田忠義副委員長・参院議員は15日、俳人の金子兜太さんと、埼玉県熊谷市の金子さんの自宅で、戦争法廃止の展望などで懇談しました。
 市田さんは、戦争法廃止の「国民連合政府」を共産党が提案した経過や内容について説明しました。
 金子さんは安保法制(戦争法)の廃止や選挙協力について理解を示しました。そのうえで、戦前、海軍主計中尉として従軍したトラック島で多くの兵士が餓死した体験に触れ「戦争はいやなものだと伝えることだけを考えています」「(満州事変からの)15年戦争の時はちょうど青春期。俳人が治安維持法で捕まった事件があり、あのときの雰囲気をいやと言うほどわかっています。その時と今はよく似ています」と語りました。
 市田さんが「安倍首相の手法は個人の上に国家、憲法の上に自分を置き、個人の尊厳をことごとくないがしろにするものです」と話すと、金子さんは「沖縄(米軍新基地建設)はひどい。完全に人間無視です」。
 市田さんが「国民が自覚的・自発的に戦争法反対に立ち上がったことに、大きな希望を感じます」と語ると、金子さんは大きくうなずき「戦前は静かだった女性がものを言うようになっている。シールズの女性と話しましたが芯がある。女性が変わってきたことは頼もしいことです」と話しました。
 最後に、金子さんは「私はどの政党にも属さないが、仲間だと思って応援している」と述べました。
 懇談には、伊藤岳参院埼玉選挙区候補らが同席しました。
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2015年12月16日,「赤旗」)

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戦争法廃止へ共に/京都市の青年ら集い/池内議員・大河原参院候補訴え

 京都市山科区と東山区で活動する民青同盟東地区委員会と、かえるネット東は13日夜、京都市下京区で、「これでいいのか!?戦争法」と題したつどいを開き、学生や高校生ら35人が参加しました。
 日本共産党の池内さおり衆院議員、大河原としたか参院京都選挙区候補(弁護士)が訴えました。
 池内氏は、大学の仲間との出会いや小林多喜二の生き方に感銘を受け、両親の反対や葛藤のなかで入党した経緯を紹介。戦争法廃止の「国民連合政府」の取り組みに触れ「一人ひとりが一歩前にすすみ、生きやすい社会をめざそう。ぜひ仲間になってほしい」とよびかけました。
 大河原候補は8日から沖縄県を訪れ、辺野古の新基地建設に反対する抗議行動などに参加してきたことを報告し「来年夏の参院選で定数2の京都選挙区から必ず勝ちぬかせてほしい」と力を込めました。
 NGOで活動する青年や会社員がスピーチ。参加者から「戦争法の危険とは何か?」「国立大学の学費値上げの動きを教えてほしい」などの質問が相次ぎ、池内、大河原の両氏がていねいに答えました。
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2015年12月17日,「赤旗」)

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芸能テレビ/文学座公演「白鯨」出演小林勝也さん/少年の日に見た「船長」のたたかう姿に感動して…

 文学座が今月、アトリエで上演しているのは、文学史に残る悲劇「白鯨」です。クジラを追う執念の船長を演じる小林勝也さんは、思い出の作品との再会を喜びます。
 大塚武治記者

 取材場所に、映画「白鯨」(1956年製作)のパンフレットを持って現れた小林さん。
 「10代で見て感動した映画です。まさか自分が演じるとは思いませんでした」と目を細めます。
 原作は、『リア王』『嵐が丘』と並び、「英語で書かれた悲劇ベスト3」とされる19世紀の冒険小説。英国人俳優・演出家セバスチャン・アーメストが自身の劇団で劇化。友人の小林さんが同座での上演を申し出ました。
 シンプルな演出です。俳優10人が大きな白い布と肉体を駆使し、捕鯨船や荒波を表現します。衣装を変え、一人何役も。「若手に交じって、僕は大変です(笑い)」
 かつて巨大な白いクジラ「モビー・ディック」に片足を食いちぎられたエイハブ船長(小林)は復讐(ふくしゅう)に燃え、大西洋に船出。嵐で犠牲者が出て、船員はおびえますが、船長は帰国を拒みます。ついにクジラを発見。船長は、もりを手に…。
 一見、船長の私怨(しえん)による復讐劇。そこにとどまらず、さまざまに解釈されてきました。
 「白いクジラを、人知の及ばない自然、世界を支配する者の象徴ととらえた人もいます。多様な人種を乗せた船が、それに立ち向かうと」
 船長は言います。
 〈俺は人類を痛めつけ、すぐに殺すのではなくじわじわと、肺臓が半分のまま生かしておくような悪逆無道の者が許せないんだ〉
 「クジラに挑んでも勝ち目は薄い。でも俺は傍観しない、たたかって責任を取るんだと。少年の僕が感動したのは、船長の姿が、60年安保など、社会にものを言う人たちと重なったからでした。同じことが、きっと今も言えますね」
 

 小林さんの父は戦前の日本共産党員でした。治安維持法違反で逮捕、約3年間投獄されました。
 「転向して出獄した後も、父は『在日』の人など弱い立場の人のために活動し、家によくそういう人が来ていました。子どものころ見た現実は、僕の人生に多々影響を与えたと思います」
 文学座に入って49年。最近の出演舞台に、シェークスピア作「トロイラスとクレシダ」や「国民の映画」(作・演出/三谷幸喜)など。気骨ある男の役が似合います。
 「役者は言葉が一番大事。でも、うまいだけではだめです。言葉を支える身体や表情、人間全体で、見る人に影響を与えなければいけません」
 「唐十郎さん、寺山修司さん…。多くの優れた演劇人との出会いは宝です。杉村春子さんには『明日(命が)おしまいだと思って演じなさい』と言われました。杉村さんが出た映画を一人で見ていると、こんなすばらしい俳優と共演できたんだと思って涙が出ます」

*原作/ハーマン・メルヴィル、訳/小田島恒志、演出/高橋正徳。22日まで=東京・文学座アトリエ
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2015年12月13日,
「赤旗」)

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西川治郎さん死去

 西川 治郎さん(にしかわ・じろう=社会的キリスト教運動〈SCM〉責任者)7日死去、106歳。故人の遺志により献体されました。
 三重県出身。同志社大学予科に入学しましたが、学生運動で退学処分。戦前、キリスト者として日本戦闘的無神論者同盟に参加。中国侵略戦争に反対し、1934年と40年の2回、治安維持法違反で検挙・投獄されました。86年SCM設立に参加しました。
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2015年12月11日,
「赤旗」)

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共謀罪、刑法原則破る/山下氏「創設の企て中止を」

 日本共産党の山下芳生議員は10日の参院内閣委員会で、安倍内閣がテロ対策の一環として「共謀罪」の創設を検討していることについて、「刑法の大原則をゆがめ、内心の自由にまで踏み込むものだ」と批判しました。
 山下氏は、戦前、治安維持法で思想を取り締まったことへの反省から、具体的な犯罪被害があって初めて処罰する刑法の大原則が作られたことを指摘。2人以上の人が話し合うだけで犯罪行為がなくても処罰されてしまう「共謀罪」は「近代刑法の原則を踏み破る」と強調しました。
 河野太郎国家公安委員長は「テロ対策には国際社会の連携が必要」などとして、「共謀罪」の創設を「慎重に検討すべきだ」と答えました。
 山下氏は「テロ犯罪の実行のために火薬や銃器を入手するなどの行為は現行法で取り締まることができる」と指摘し、テロ対策に便乗した「共謀罪」の企てを絶対にするべきではないと主張しました。
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2015年12月11日,
「赤旗」)

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治安維持法国家賠償制定請願書を採択/甲良町議会

 滋賀県甲良(こうら)町議会(定数12)は4日、「治安維持法犠牲者国家賠償法(仮称)」の制定を求める請願書を賛成多数(賛成8、反対3)で採択しました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部(川端俊英会長)が提出し、日本共産党の西澤伸明、丸山光雄両町議が紹介議員となりました。
 請願書は、戦後、治安維持法が廃止された後、謝罪も被害補償もされずに今日にいたっていることについて「歴代の日本政府が、過去の戦争について、侵略戦争であったかどうかは『歴史家の判断にゆだねられねばならない問題』などとして、侵略の事実を認めてなかったことと一体化」していると指摘しています。
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2015年12月10日,
「赤旗」)

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野党の協力訴え/治維法国賠同盟が宣伝/和歌山

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟和歌山県本部は8日、JR和歌山駅前で宣伝。「野党の協力で戦争法廃止の国民連合政府を」と訴えました。
 参加者らは、74年前の12月8日に太平洋戦争が始まり、日本で310万人、アジアで2000万人の犠牲者が出たことを伝えるとともに、作家の小林多喜二など日本の侵略戦争に命をかけて反対した人々がいたことを紹介。再び戦争をさせないため戦争法を廃止しようと訴え、2000万署名への協力をよびかけました。
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2015年12月10日,
「赤旗」)

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「生活図画事件」語る/当事者招き集い/北海道・岩見沢

 戦前の北海道で起きた治安維持法による弾圧事件「生活図画事件」の真相を、当事者の菱谷良一さん(94)が語るイベントが6日、岩見沢市で催されました。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟南空知支部が開いたものです。
 74年前の1941年、旭川師範学校の美術部員だった菱谷さんは突然、美術教師や他の学生たちとともに、治安維持法違反容疑で特高警察に逮捕・投獄されました。生活の様子を忠実に表現した絵が、治安維持法に違反するとされたのです。菱谷氏は、国賠同盟道本部の宮田汎会長と2時間にわたって対談し、事件の生々しい体験を熱く語りました。
 参加者から「時の政治に振り回されて、多くの苦しみを乗りこえられた話に感動した。今のはつらつとした姿こそが尊いのだと思う」などの感想が寄せられました。
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2015年12月10日,
「赤旗」)

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平和を愛する八王子文化祭/東京

 「第18回八王子平和を愛する文化祭」(主催=実行委員会、清水邦治実行委員長)がこのほど、東京都八王子市の八王子労政会館で開かれ、2日間で延べ600人が参加しました。
 戦争させないゼッタイに!戦後70年 明日へつなぐ≠統一テーマに、ホールでは、映画「沖縄」第1部「一坪たりとも渡すまい」の上映、教育のつどい「道徳の教科化を考える」(講師=渡辺雅之さん・大東文化大学講師)、憲法学者の木村草太さんの講演「戦後70年 憲法は今」などを開催。絵手紙や写真展、憲法を考える八王子若者の会(わかはち)や9条の会八王子市内連絡会、新横田基地公害訴訟団、治安維持法犠牲者国家賠償請求同盟などさまざまな団体の展示が行われました。
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2015年12月08日,
「赤旗」)

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作家伊集院静さん/人気エッセーシリーズ第5弾『追いかけるな』/戦争に向かった時代とダブらないか

共謀罪・一億総活躍/ちょっと待った!
 作家の伊集院静さんが、累計120万部を超す人気エッセー集「大人の流儀」シリーズの第5弾、『追いかけるな』(講談社)を出しました。家族のことから趣味のゴルフ、政治など幅広い題材を取り上げます。硬骨の作家の目には、現代日本がどう映るのか。
 金子徹記者

 とにかく歯切れがいい一冊。世間の「空気」にも、不勉強な与党議員にもビシッと直言しています。
 「別に辛口のつもりはなく、自分の言葉で書いているだけです。いまは、あえてものをいう、という人が少ない。いらぬおせっかいになるかもしれない、と遠慮する人が増えている」

悩んでいる人
 生きづらさを抱えた人を支える人生論も。
 〈今は切なくとも悲しみには必ず終りがやって来る=r
 〈不安と孤独こそが人間を成長させる原動力であり、必須条件なのである〉
 「悩んでいる人に、好評みたいです。それはいま、悩んでいる人が多いということでもある。いまは『いい大学』に入ったり『いい会社』に就職することが成功の登竜門のように思われ、若いときから人生の目標をそこに絞るような環境になっている。一番大事な、人生をどう生きていったらいいかという教育が、されていない」
 弟や妻の死などで、孤独や不安にさいなまれた経験に裏打ちされた言葉が、読者を激励します。
 「若い時に苦しいこと、切ないことをどれだけ経験したかが、後の力になります。成功した人は、つらかった経験をあまり話したがらないけれど、苦労していた時期のことを聞くと、その経験がいまの優しさにつながっている。若い人には、それを理解してほしい」
 「大人の流儀」の核心は「誇りを失ってはいけない」ことだと。
 「おとなになったら、他人が見て恥ずかしいようなことをしてはいけない。誇りをもって生きていこうとすれば、これは恥ずかしいことをしているかもしれない、と考えるようになる。誇りをもてば、判断能力がついてきます」
 返す刀は、日本の政治家に。ユネスコ(国連教育科学文化機関)による、南京大虐殺の記憶遺産への登録に反発し、分担金を控える姿勢を示した政府には。
 「分担金を止めるとか減らすというが、それは話が違うでしょう。政治家は歴史を学んでいない。ユネスコ憲章を読み直してほしい。みんなが協力しあって救われない人たちに手を差し伸べようという趣旨で出していたお金を、記憶遺産の問題があるから出さない、と圧力をかける。金で見返りを求める悪代官のようです」

頼もしい若者
 本書では、渋谷で高校生が中心にやった〈安保法案への抗議デモ〉に、〈若者たちを頼もしく思った〉と。続けて、こう記します。
 〈私はすでに六十歳を越えたが、まだ十分に働かなくてはならないし、この国の行く末に暗い雲が見えるようなものを残して去るつもりはない〉
 河野洋平元衆院議長の、日本軍「慰安婦」についての講演記事を引用。
 〈問題の本質は強制性の定義ではなく、女性たちにひどいことをしてしまったという人権問題だ。事実を認めて心から謝罪し、できるだけのことをするのが当然。『他の国でもあった』とか『たいしたことじゃない』などと、言えば言うほど、日本の誇りをどんどんおとしめてしまう〉
 「この人は、ここでこういう正しいことをいっている。それを見逃さないようにする。私は河野さんを支持しているのではなく、正しいものは正しいといっているんです」
 犯罪の実行、未遂がなくても、犯罪について話し合っただけで処罰される共謀罪が浮上する状況を憂慮します。
 「パリの同時テロのあと、日本ではかつての治安維持法に近い共謀罪が議論されるようになった。ちょっと待てよ。戦争に向かった時代の政治と権力、軍隊のあり方とダブらないか。戦争に向かうにおいがしないか。首相は『一億総活躍社会』ともいいだした。それは戦時中の『一億玉砕』と同じでしょう。『一億××』は、国の政策として使っていい日本語ではない。普通ならマスコミが問題にすべきことです」

国民連合政府「非常にいい」/安保法制そのままにできない
 日本共産党の「国民連合政府」の提案は。
 「非常にいい。『安保法制が通ってこのままですか』と聞かれたらそれは違う。安保法制を無くすには、違う政権が無くせばいい。それが議会制民主主義です。永遠の法ができたわけではない。そもそも、戦後体制をひっくり返す(「戦後レジームからの脱却」)と安倍(晋三)首相がいった時、マスコミは政府を総たたきしなければならなかった。ところがレジームという言葉でだまされた。大新聞の記者は、戦争中の自分たちの新聞を読み返してほしい」
 「少数意見への敬愛がなければ民主主義は成立しない。安保法制を強行した連中は、次の選挙で二度と国会に行けないようにしなければ、日本は再び戦争するかもしれない。私が小言半兵衛になるのはいやだけど(笑い)」

いじゅういん・しずか=1950年山口県生まれ。CMディレクターなどを経て、81年「皐月」で作家デビュー。91年「乳房」で吉川英治文学新人賞、92年「受け月」で直木賞、94年「機関車先生」で柴田錬三郎賞、2002年「ごろごろ」で吉川英治文学賞を受賞
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2015年12月06日,
「赤旗」)

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「共謀罪」何を狙う/「戦争する国」の治安体制づくり/加藤健次弁護士に聞く

 犯罪を実行していなくても、犯罪について話し合い合意したことを理由に処罰する「共謀罪」の創設を求める動きが、安倍晋三政権や自民党の中枢に起きています。これをどうみるか、自由法曹団常任幹事の加藤健次弁護士にききました。
 (竹腰将弘)

 ―「テロ対策」を口実に共謀罪創設がねらわれています。

「テロ対策」を口実に悪乗り
 加藤 共謀罪をなんとしても成立させたいという政府や自民党の悪乗り、便乗です。もともと、共謀罪とテロ対策とは結びつくものではありません。
 政府は国連の国際組織犯罪防止条約(2000年採択)を批准するための国内法整備として共謀罪が必要だと説明してきました。
 この条約は、暴力団やマフィアのマネーロンダリング(資金洗浄)を国際的に協力して取り締まろうというものです。条約をテロ対策に使っていこうというような国際的な動きもありません。まったく的外れです。
 ―共謀罪法案は、国民の強い反対で過去3回廃案になりました。

思想、良心に権力踏み込む
 加藤 なんの行動も起こしていない段階で、合意すれば犯罪が成立するのでは、犯罪が成立する範囲がきわめて不明確になります。
 口に出しただけで犯罪、その人が何を考え、何を話したかということ自体が犯罪になるのですから、思想、良心の分野に権力が踏み込んでくるという恐ろしい事態になります。
 刑法の原則は行為と結果です。人の権利や生命などを侵害したときにはじめて犯罪となるという近代刑法の原則に、共謀罪は明らかに反しています。
 まだ行為に現れていない「犯罪」を捜査しようとすれば、相談の現場を押さえるしかない。日常的に盗聴も含めて監視し、一定の集団のなかに密告者(スパイ)をつくる、公安警察の手法でなければ摘発できません。
 対象となる犯罪も限定がほとんどない。いろんな犯罪を口実に、労働組合や一般市民が取り締まりの対象となる危険性があります。
 共謀罪で、いままで許されなかった捜査手法が許され、いままで公然とは許されなかった国民の監視、個人情報の日常的収集などの活動があたかも正当であるかのようになっていく。社会のありよう自体が大きく変わり、自由や民主主義が圧殺される。そういう本質をもっています。
 戦争法の強行と並行して、秘密保護法、マイナンバー制度が施行され、国会では、盗聴法の拡大と密告奨励の「司法取引」を導入する法案が継続審議になっています。これに続いて共謀罪の創設が、一連の動きとしてねらわれています。
 「戦争をする国」づくりをすすめるためには、それにふさわしい治安体制をつくっていかなければならない。その流れのなかでの共謀罪ですから、なんとしてもストップしなければなりません。
 ―世論の反対を意識して、法案の部分的な「修正」の検討をにおわせています。

治安維持法の反省から憲法
 加藤 何らかの修正を行ったとしても、共謀段階で犯罪になる、共謀段階で捜査権力が調べることができる、この枠自体ができてしまえばかわりはありません。
 日本では戦前、特高警察を中心にして、治安維持法で思想そのものを取り締まってきました。そのことへの反省から憲法が生まれました。戦争につながる、特高警察が闊歩(かっぽ)するような社会はいやだという世論と運動を急速に広げていきたい。
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2015年12月05日,「赤旗」)

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治維法国賠同盟県本部が講演会/和歌山、創立30周年

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟和歌山県本部は11月28日、創立30周年記念の講演会を和歌山市で開き175人が参加しました。
 和歌山出身のナップ(全日本無産者芸術連盟)時代の活動家、戸台俊一さんのたたかいぶりをおいに当たる戸台敏冶さんが語り大きな感銘を与えました。
 また、神戸女学院大学の石川康宏教授が「歴史の歪曲(わいきょく)と戦争をする国づくりを許さない」をテーマに講演し、参加者らに今後のたたかいの展望と勇気を与えました。
 参加者の多くから「参加してよかった。明日からまた頑張れる」との声が聞かれました。同夜に開かれた懇親会には74人が参加し治維法国賠同盟についてにぎやかに意見を交換しました。
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2015年12月02日,「赤旗」)

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【11月】

*           暗黒政治復活させない/治安維持法施行90年で講演会

*           治安維持法90年/きょう講演会/治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟

*           おはようニュース問答/「共謀罪」は危険、ストップさせないとね

*           飯島喜美しのび反戦の遺思継ぐ/千葉

*           各地の集い宣伝から/治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北見支部(本間昭一支部長)の講演会(21日)=北海道北見市

*           次代のため自由守る/世界平和アピール七人委員会設立60周年講演会

*           戦争法廃止へ/「外交で平和つくる時代」/各地で宣伝/札幌市南区/秋田/宮城

*           「連合政府」実現へ全力/女性が交流集会/治維法国賠同盟

*           板倉鼎・須美子展/百合子が見た「ベル・ホノルル」

*           片山潜の碑前祭/平和の遺志継ぐ/岡山・久米南町

*           「戦争と憲法」学習講座開く/埼玉・国賠同盟

*           故窪田精さんの文学碑建立へ/出身地、山梨・北杜で運動進む

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11月本文】

暗黒政治復活させない/治安維持法施行90年で講演会

 ふたたび戦争と暗黒政治を許さない―。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は28日、治安維持法施行90年・終戦70年を記念した講演会を東京都内で開きました。全国から約70人が参加しました。
 京都大学の水野直樹教授が「植民地朝鮮における治安維持法弾圧」と題して講演しました。同法による最初の弾圧は、朝鮮での朝鮮共産党事件(1925年12月)。弾圧は、朝鮮半島だけでなく中国に住む朝鮮族にまで及び、日本では事例がない死刑が59人に上りました。
 水野氏は、予防拘禁制度も日本に先駆けて実施されたなど苛烈な弾圧の実態を語りました。「戦後、有罪判決は取り消されたが謝罪も賠償もなかった。植民地で特高や思想検事をしていた人は『公職追放』の対象外になり、戦後、日本に戻り、警察官や検察官になっている。本当の意味で清算されていない」と話しました。
 治安維持法の犠牲者や遺族が体験を語りました。101歳の杉浦正男さんは「『罪人でなくなりました』の一言で謝罪もなく解放された。暗黒政治をよみがえらせようとする安倍政権とたたかう」と決意表明。四津谷伸子さん(84)は父母のたたかいを振り返りました。
 横浜から参加した大槻小百合さん(65)は「日本が他国をどのように踏みつけたのかがよくわかりました」と話していました。
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2015年11月29日,「赤旗」)

 

治安維持法90年/きょう講演会/治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟中央本部は28日、東京都文京区で治安維持法施行90年・終戦70年記念講演会を開きます。京都大学人文科学研究所の水野直樹教授が「植民地朝鮮における治安維持法弾圧」について講演します。
 ◇28日(土)午後2時、平和と労働センター・全労連会館(JR御茶ノ水駅7分)。資料代500円
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2015年11月28日,「赤旗」)

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おはようニュース問答/「共謀罪」は危険、ストップさせないとね

 みどり 自民党の谷垣禎一幹事長や高村正彦副総裁が、パリで起きた同時テロ事件をきっかけに共謀罪の創設が必要だといい始めたわ。
 晴男 共謀罪は、「テロをなくす」ことを口実に、戦争法や秘密保護法とあわせて、日本を「戦争する国」につくりかえるため、国民の言論と表現の自由を規制する乱用の危険がとても大きいよ。

人の「心」を処罰
 みどり どんなところが問題なの?
 晴男 犯罪の実行、着手、準備などの行為がなくても、2人以上の人が犯罪について話し合うだけで処罰されてしまう。相談や合意だけでなく、目配せしただけで逮捕される可能性がある。具体的な犯罪行為があって、初めて罰する刑法の大原則をゆがめ、国民一人ひとりの「内心」まで処罰対象にする憲法違反の法律だと専門家からも批判されている。
 みどり 個人の「内心」が罰せられることになれば、処罰の対象は無限に拡大する危険があるわね。
 晴男 その通りだよ。共謀罪は「組織犯罪処罰法改定案」として、第1次安倍政権当時の2006年をはじめ、過去3回にわたって成立が狙われてきた。そのたびに国民の反対世論が廃案に追い込んできたんだ。
 みどり それなのに、共謀罪をまたぞろ持ち出すなんて安倍政権の執念ね。
 晴男 共謀罪は、政党や労働組合、市民団体の話し合いまで処罰される恐れがあるケタ違いに危険なものだ。実は、秘密保護法(2013年成立)に共謀罪の規定がすでに盛り込まれている。政府が指定した「秘密」を教えてもらおうと相談しただけで「共謀」が成立する危険がある。何が秘密かも秘密なのだから、どこまで処罰されるのかわからないのが実態だよ。

国民弾圧する法
 みどり テロを口実に、国民弾圧法制をつくるなんてとんでもない。
 晴男 共謀罪は、人の内心の処罰につながる点で、戦前の絶対主義的天皇制が、結社や思想を弾圧した治安維持法の再来と呼ばれている。盗聴や監視カメラ、メール監視など人権侵害性の高い捜査手段が拡大することも重大な問題だよ。共謀罪創設にむけた動きをストップさせよう。
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2015年11月28日,「赤旗」)

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飯島喜美しのび反戦の遺思継ぐ/千葉

 戦時中、侵略戦争に命をかけて反対した千葉県出身の日本共産党員、飯島喜美さんをしのぶ集い(主催・実行委員会)がこのほど、千葉市内で開かれ、130人以上が参加しました。
 浮揚幸裕党県委員長が開会のあいさつし「いま共産党は、戦争法廃止の国民連合政府を呼びかけ、立憲主義、民主主義を取り戻すため、新たな歴史を切り開く地点に立っている。飯島さんの反戦平和の遺思を引き継いで奮闘したい」と訴えました。
 元国民救援会中央本部副会長の玉川寛治氏と治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟中央本部顧問の冨矢信男氏が講演しました。
 閉会のあいさつに立った、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟千葉県本部の前田堅一郎会長は、多くの共産党員が死を覚悟してまで不屈にたたかった理由について、「ひとえに未来を信じて日本革命にロマンを持っていたからだ。今日のつどいを、この夢を実現させていく決意を固める日にしよう」と呼びかけました。
 日本共産党の椎葉かずゆき参院比例候補、浅野ふみ子参院千葉選挙区候補も参加しました。
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2015年11月24日,「赤旗」)

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各地の集い宣伝から/治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北見支部(本間昭一支部長)の講演会(21日)=北海道北見市

 70人が参加しました。釧路支部の野瀬義昭副支部長が講演。いとこから「叔父が思想犯として逮捕され獄中死した」とひそかに聞かされたことを紹介し、言論統制に無念の思いを述べ、「秘密保護法、戦争法に続き『共謀罪』が再燃している。安倍政権の戦争方程式は、次に『愛国心』という心のありように踏み込み、人間を戦争に駆り立てようとしている」と強調し、運動を広げることを呼びかけました。
 旭川工業高校放送局が制作したDVD「生活図画事件の証言」を上映しました。
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2015年11月24日,「赤旗」)

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次代のため自由守る/世界平和アピール七人委員会設立60周年講演会

 設立から60周年を迎えた「世界平和アピール七人委員会」が12日、立命館大学・衣笠キャンパス(京都市北区)で「新しい戦前を作らないために」をテーマに講演会を開きました。同委員会は、湯川秀樹氏らによって1955年11月11日に発足。これまでに、安保関連法案の廃案など117回のアピールを発表し、2004年からは毎年講演会を開催しています。
 モンテ・カセム立命館大学国際平和ミュージアム館長があいさつ。
 現在の委員で、国際政治学者の武者小路公秀氏、写真家の大石芳野氏、小沼通二・慶応大名誉教授、池内了・名古屋大名誉教授、作家の村薫氏が講演し、土山秀夫・長崎大名誉教授、作曲家の池辺晋一郎氏がメッセージを寄せました。
 村氏は、戦前、京都の学生が治安維持法で逮捕され獄死する野間宏の小説を紹介し、シールズなど現在の若者の行動を「何にも縛られず、何も恐れる必要がない。これが戦後民主主義の成熟した姿だ」と指摘。そのうえで「いまはデモで投獄されることはない。その安心があり初めて若者は明晰(めいせき)になれる。私たちの世代がなすべきことは、次代の若者のために思想・信条の自由、発言の自由を守り抜くことだ」と強調しました。
 池内氏は、大学研究者への「防衛装備品開発」の資金提供問題などを挙げ「戦争のための科学動員が行われた戦前が戻ってくる」と批判。大学の自治や学問の自由が脅かされると警鐘を鳴らしました。
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2015年11月14日,「赤旗」)

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戦争法廃止へ/「外交で平和つくる時代」/各地で宣伝/札幌市南区/秋田/宮城

札幌市南区
 札幌市南区の「戦争法を廃止する南区民の会」などは9日、地下鉄真駒内駅頭で「戦争法廃止2000万人署名」を呼びかけました。
 革新懇南支部の平野進也さんは「自衛隊を海外での戦争に参加させる戦争法の廃止と閣議決定の撤回を求める署名を全国各地で行っています」と署名への協力を訴えました。
 高校生が「戦争の映画を見てこの法制はやばいなと思った」と話し、戦争で親が戦死した高齢者は「対立をあおって軍拡をすすめるのではなくASEAN(東南アジア諸国連合)を見習って外交と協力で平和共存の世界をつくる時代だと思う」と、それぞれ署名しました。

秋田
 秋田県憲法センターは9日、秋田市のJR秋田駅前仲小路アーケードで「9の日」宣伝・署名を行い、30人余りが参加しました。
 「強行採決した安倍政権への怒りはおさまっていません。『戦争法は廃止!』の国民の声を国会に届けよう」と訴え、統一署名への協力と、19日午後5時30分からのデモ行進への参加を呼びかけました。
 70代の女性は「安倍首相は何とかごまかしたくて、いろいろやってるけれど、もう終わりだね」と語り、進んで署名する若い男女や、「がんばってください」と激励する人もいました。

宮城
 宮城県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟・塩釜支部は10日、塩釜・多賀城市内で、戦争法廃止を求めて街頭宣伝しました。
 参加者が、国民は戦争立法が強行された後も、官邸前や各地で自主的に立ち上がった若者や若いママたちに勇気づけられて抗議の声を上げ続けていると指摘。戦後70年を「戦争する国」へのスタートにしてはならないと訴えました。
 通行人からの励ましもありました。
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2015年11月13日,「赤旗」)

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「連合政府」実現へ全力/女性が交流集会/治維法国賠同盟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟第26回全国女性交流集会が11月8、9の両日、静岡県伊東市内で開催され、全国から115人が参加しました。
 集会で増本一彦会長は、「戦争法が採決強行された後、日本共産党が戦争法廃止、立憲主義復活の『国民連合政府』構想を提案した。同盟として構想実現のため全力を尽くそう」と呼びかけました。
 治安維持法犠牲者の杉浦正雄さん(101)と水谷安子さん(102)も参加し特高に逮捕された様子を生々しく報告。水谷さんは「戦争ほどひどいものはありません。日本中の家族が同じような状態でした。安倍首相はアメリカと手をつなぎ再び戦争をしようとしています。戦争反対の『国民連合政府』をつくろうではありませんか。みなさんと一緒に頑張ります」と力強く発言しました。
 国際政治学者の畑田重夫さんが「今日の情勢―治安維持法下の女性たちのたたかいに学ぶ」と題して記念講演。戦争反対、女性の権利と社会進歩をめざして、言語に絶する非人間的仕打ちに屈さなかった有名・無名の女性たちのたたかいを紹介しました。
 2日目は4分散会で各地の活動を交流。近現代史の学習会や史跡めぐりツアーなど学びあい行動している発言、支部活動で討論を深め署名や顕彰活動を広げ、次世代への継承の力にしている発言がありました。
 集会には畑野君枝衆院議員が激励あいさつしました。
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2015年11月11日,「赤旗」)

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板倉鼎・須美子展/百合子が見た「ベル・ホノルル」

 画家の板倉鼎(1901〜29)と須美子(1908〜34)の展覧会が開かれている。この夫妻は、宮本百合子の長編「道標」に磯崎恭介・須美子の名で登場する。
 須美子は、ロシア文学者昇曙夢の娘で、曙夢は湯浅芳子のロシア語の先生だった関係で、百合子と芳子の共通の知り合いだった。鼎は東京美術学校卒業後に須美子と結婚し、26年にフランスへ留学。将来を嘱望されたが、帰国目前に28歳で死去した。百合子がパリに居た時で、その様子は「道標」第3部に描かれ、日記にも記述がある。
 雑誌『展望』掲載時の「道標」には、伸子と素子(百合子と芳子がモデル)が須美子の絵を見る場面があった。フランスへ行く途中に滞在したハワイ・ホノルルの風景で、伸子はその「柔軟自在で生命感のつよい表現力」に非凡な才能を認め、もっと描くよう激励している。(単行本では削除、新版全集第8巻に「資料」として掲載)
 筆者は、百合子が実際に見たであろう絵に関心をもっていたが手掛かりがないままでいた。ところがこの展覧会へ行ってみると、その絵が存在した。「ベル・ホノルル」である。百合子と板倉夫妻の交流、「道標」の記述の関係がより現実感をもって伝わってきた。
 鼎が描く、ショートカットで目の大きな顔立ちの須美子も魅惑的だ。パリでの板倉夫妻と子どもが映った貴重なフィルムも上映されている。
 須美子は、帰国後、肺結核のため25歳で世を去った。没後に百合子は、昇曙夢に真心をこめた手紙を送り、「須美子さんは私のこれまでの生活の裡につよい印象をのこしていらっしゃいます」(34年7月8日付)と記した。
 (久野通広=多喜二・百合子研究会運営委員)

 「よみがえる画家−板倉鼎・須美子展」=鼎の作品、近年ヨーロッパで発見された須美子の油彩画など未発表作品や絵具、夫妻の手紙など、計150点を展示。千葉県松戸市立博物館で29日まで。
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2015年11月11日,「赤旗」)

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片山潜の碑前祭/平和の遺志継ぐ/岡山・久米南町

 日本共産党の創立(1922年)に大きな力を果たした片山潜の没後82年の碑前祭と共産党員の墓の合葬式が5日、潜の故郷の岡山県久米南町羽出木でありました。大平喜信衆院議員や春名なおあき参院比例候補、日本共産党の県、地区役員や遺族、羽出来の人々、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟や国民救援会の関係者らが参列しました。
 大平氏は「平和を守るために命をかけて全力でたたかった先輩たちのように、戦争法廃止のため、全力で国民連合政府を樹立します」と述べました。
 春名氏は「遺志を受け継ぎ、今日にいかします。大激動の時代に生きる私たちが新しい政府をつくろう」と訴えました。
 石井ひとみ県委員長は「参院選に向け、全力をあげてたたかいます」と誓いました。
 党員の墓にはこの1年間に亡くなった13人が合葬され、献花しました。遺族で元笠岡市議の原田毅さん(74)は「妻は6月まで戦争法案反対のデモに一緒に出ていました。無念でならないと思うが、遺志を引き継いでいく」と述べました。
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2015年11月06日,「赤旗」)

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「戦争と憲法」学習講座開く/埼玉・国賠同盟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟埼玉県本部は10月31日、同会長の矢島恒夫氏(元日本共産党衆院議員)を講師に迎え、さいたま市内で第3回女性と青年のための「戦争と憲法」学習講座を開きました。
 矢島氏は、戦前の治安維持法の下で戦争に反対する多くの若者が犠牲になったと指摘し、日本の侵略戦争の歴史や、戦後の歴代首相が侵略戦争を美化してきたことなどを説明。戦争法の成立が強行されるなかで、ママの会やSEALDs(シールズ)など同法廃止を求める運動が大きく広がり、共産党が提案した「国民連合政府」の呼びかけも注目されている述べ、「戦争法廃止のために、『国民連合政府』の実現を」と呼びかけました。
 参加者は「今は戦争を知らない世代がほとんど。自分の戦争体験をしっかり伝えていきたい」「戦争法反対の運動では多くの若者や高校生が立ち上がり、戦争体験がなくても平和憲法が国民に根付いているのだと感じた」など感想を出し合いました。
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2015年11月04日,「赤旗」)

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故窪田精さんの文学碑建立へ/出身地、山梨・北杜で運動進む

 日本民主主義文学会で議長を務めた作家、故・窪田精氏の出身地、山梨県北杜(ほくと)市で、文学碑建立にむけた運動がすすめられています。
 地元の郷土史研究者や文学愛好者、革新懇会員らを中心に10年ほど前から取り組みが始まり、このほど、代表作の一つ「石楠花(しゃくなげ)村日記」の舞台となった同市武川町にある武川診療所の一角に建立場所も決定。「窪田精文学碑を建てる会」(清水磋太夫代表)が建立募金を呼びかけています。
 清水代表(元山梨高教組委員長・高根町郷土研究会長)は「小林多喜二、宮本百合子の作品の系譜を継ぐ偉大な作家が、北杜の地から生まれたことを誇りに思う。作品に描かれた人間の尊厳を重んじ平和を求める強い姿勢などは、永遠に忘れえぬものとして伝わっていくと確信しています」と話しています。
 呼びかけ人は、石原秀文(医師)、白倉一由(山梨英和大名誉教授)、関本立美(山梨革新懇代表世話人)、田島一(日本民主主義文学会会長)ら14氏。
 問い合わせ=事務局090(2439)5735(高根町革新懇・雨宮裕代さん)

窪田精
 作家、元全国革新懇代表世話人。1921年山梨県北巨摩郡安都那(あつな)村(現・北杜市高根町)生まれ。14歳で上京、治安維持法違反に問われ、太平洋戦争下のトラック島に流刑される。第10回、第24回の多喜二・百合子賞を受賞。2004年没。
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2015年11月03日,「赤旗」)

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【10月】

*           戦争法廃止・国民連合政府実現へ/奈良/和歌山/滋賀

*           歌壇/雰囲気短歌の不気味さ

*           反戦平和を誓う/山宣碑前祭に120人/長野・上田

*           安倍政権止めたい/不安・疑問話して/運動の力に確信持ちたい/青森・治維法国賠同盟宣伝

*           戦争法廃止へ行動各地で/強行成立の「9・19」忘れない/新潟県センター、政権実現を力説

*           治維法国賠同盟、大津市でつどい

*           暗黒政治許さぬ/国賠同盟が総会/福井

*           治維法国賠同盟のブロック会議開く/北海道

*           国民連合政府「提案」/呼びかけに共鳴/治維法国賠同盟声明

*           三木清没後70年/追悼・顕彰つどい/神戸

*           治維法国賠同盟運動の飛躍を/東北ブロック会議

*           遺族ら60人参列/合葬追悼会行う/滋賀

*           18歳の選択/戦争法反対、学んで発言/信念曲げない党はすごい/田中華子さん(仮名)中国地方

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10月本文】

戦争法廃止・国民連合政府実現へ/奈良/和歌山/滋賀

奈良/治維法国賠同盟、党県委が懇談
 日本共産党奈良県委員会の細野歩県委員長と、いずみ信丈参議院選挙区候補は27日、「戦争法廃止の国民連合政府」の実現にむけた共同を広げるために、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟奈良県本部の田辺実会長らと奈良市内で懇談を行いました。
 いずみ候補のあいさつの後、細野県委員長が、提案の三つの柱を説明し「たたかいを戦争法が成立したからといって終わらせるわけにはいきません」と訴えました。
 田辺氏は提案について「先駆的で大きなエネルギーをもった提案だと感動を持って受け止めています」と話し、他の参加者からも「国民連合政府の必要性を各団体のなかでも声をひろげていく必要がある」「野党が一点で団結して政権を取れれば閣議決定を廃止できるし戦争法も廃止していく段取りができる」など好意的な声が寄せられました。

和歌山/後方支援など危険性を告発
 「9条守れ『戦争法』廃止海南海草共同センター」は25日、和歌山県海南市で学習会「戦争法強行でこれからどうなるの」を開き、50人が参加しました。
 講演した「憲法九条を守るわかやま県民の会」の坂本文博代表世話人は、国会論戦を通して明らかになった集団的自衛権や「後方支援」などの危険性を告発。日本国民がテロの標的にされるなど戦争法によってこれから予想される多くの問題を指摘し、戦争法廃止の運動強化をよびかけました。
 日本共産党の雑賀光夫県議が「戦争法廃止の国民連合政府」について報告。「きみの平和を未来につなぐ会」が活動報告し、共同センター事務局がこの間の活動とこれからの運動について報告しました。

滋賀/歴史の真実学ぶ平和講演会開催
 核戦争防止滋賀県医師の会は25日、立命館大学名誉教授で歴史学者の岩井忠熊氏(93)を講師に迎え、大津市で平和講演会を開きました。安倍政権の「戦争する国」づくりを許さず、歴史の真実を学ぼうと約40人が参加しました。
 岩井氏は「戦争と平和の時代を生きて」と題して講演。京都大学在学中に学徒出陣し、海軍の特攻艇「震洋」の艇隊長として九死に一生を得た体験などを語りました。「5年おきに海外出兵をしてきたような軍国主義的な体制の国家にとって、あの戦争は、決して自尊自衛とか、大東亜民族の解放を目標にしたものではなくて侵略戦争であった」と指摘しました。
 参加者からは「日本はなぜ明治維新直後から軍国主義的な政府になったのか」などの質問が出され、岩井氏はていねいに答えていました。
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2015年10月28日,「赤旗」)

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歌壇/雰囲気短歌の不気味さ

 かっちりとした評論を読んだ。『短歌人』10月号の勺禰子評論「『荒鷲の雛』晶子が詠んだ戦争短歌 昭和七年〜十三年『読売新聞 婦人短歌』を中心に」である。選者として発表した歌および選歌を年代順にたどりながら、晶子が戦争協力歌「日の本の未来けやけし旗を振る童はすべて荒鷲の雛」のような歌を作る過程を検証している。
 1933(昭和8)年の小林多喜二逮捕虐殺・国際連盟脱退、34年から36年にかけての特高警察暗躍、国際情勢の緊迫、37年の盧溝橋事件前夜。このような政治状況がありながら「都会生活や都会人の憂愁が、当たり前のものとして、まだそこに存在していた」日々の歌を掲げ、何よりもその選評が言葉の洗練や表現技巧に関心が集中していることを指摘する。
 ところが日中戦争勃発後は一転、戦争歌に変じ、その高揚感は月を追うごとに鮮明になって、「両翼に日の本の威をかがやかせ大空翔くる日のなし女人」と、「男子と対等な女子の参戦を夢想」するような歌さえ晶子は作った。
 技巧主義は、いくらでも時代に順応してゆくのである。そのことをこの評論は教えてくれる。
 現歌壇が修辞優先の技巧至上主義になって久しいことは周知のとおり。たとえば、『短歌』11月号一冊を眺め渡すとき、口語の断片的な表現のうちに透明な叙情・生のはかなさ・繊細さといった雰囲気を修辞によってまとう、いわば短歌的叙情がトレンドになっていることがわかる。
 連想されるのは、満州事変後の若い世代。たとえば斎藤史の「白い手紙がとどいて明日は春となるうすいガラスも磨いてまたう」のような、意味不分明なりにモダニズムの雰囲気をまとった口語歌である。雰囲気短歌の蔓延は不気味だ。
 (阿木津 英・歌人)
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2015年10月28日,「赤旗」)

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反戦平和を誓う/山宣碑前祭に120人/長野・上田

 長野県上田市の別所温泉で18日、山本宣治(山宣)をしのぶ恒例の「山宣碑前祭」が行われ、県内外から約120人が参加。治安維持法の改悪に反対して虐殺された山宣の碑前で反戦平和を誓い、戦争法廃止・立憲主義を取り戻す新たな政府へ力を合わせることを確認しました。
 平林茂樹長野山宣会会長は、戦前・戦中ひそかに隠してあった山宣碑の経緯を説明するとともに、遺族の消息も披露しました。
 国際政治学者の畑田重夫氏が「アベ政治を許さない」と題し記念講演しました。
 「分かりやすい話だった。治安維持法に対する厳粛な思いが伝わってきた」「安倍政治の危険性がよく分かった」「学習することが勇気の源泉とトコトン分かった」などの感想が寄せられています。
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2015年10月23日,「赤旗」)

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安倍政権止めたい/不安・疑問話して/運動の力に確信持ちたい/青森・治維法国賠同盟宣伝

 「『再び戦争と暗黒政治を許さない』『21世紀を平和と人権の世紀に』」のスローガンを掲げる治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟青森県本部は21日昼、青森市新町商店街で署名行動に取り組み、30分で34人の署名を集めました。
 「若者を戦場に送らない」「憲法9条まもれ」のゼッケンをつけた7人が署名を呼びかけました。
 署名に協力する人だけでなく、「安倍政権を止めることは不可能では」など不安や疑問を持つ市民も足を止め、参加者と対話する場面が多く見られました。時間をかけ参加者と対話した女性(50代)は「戦争法には反対。運動の力に確信を持ちたいので、いろんな人の話を聞きたい」と話しました。
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2015年10月22日,「赤旗」)

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戦争法廃止へ行動各地で/強行成立の「9・19」忘れない/新潟県センター、政権実現を力説

 憲法を守る新潟県共同センターは19日夕、新潟市で戦争法廃止の「19日行動」に取り組み、40人が参加しました。
 佐藤一弥代表は「戦争法廃止は国民的大義のたたかい。この課題に立脚する政権がどうしても必要だ。世論と国民の運動で、政権実現の新たなたたかいに力を尽くそう」と訴えました。
 自由法曹団の金子修弁護士は「戦争法廃止こそ立憲主義と民主主義を再生し、国民の命を守る。廃止までたたかい続ける」と力説しました。
 日本共産党の、にしざわ博参院選挙区候補、渋谷明治県議、治安維持法国賠同盟県本部の佐藤良夫会長らも訴えました。
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2015年10月21日,「赤旗」)

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治維法国賠同盟、大津市でつどい

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟滋賀県本部(川端俊英会長)は11日、第2次世界大戦終結・治安維持法廃止70周年記念のつどいを大津市で開きました。
 川端会長は「再び、かつての戦争と暗黒の政治を許さない。そのために滋賀のつどいを開くことにした」とあいさつ。弁護士で元参院議員の橋本敦氏が「現代の情勢と治安維持法廃止の意義」と題して講演しました。
 橋本氏は「戦前の暗黒と戦争への道を進めた2本の政治的柱とされたのが、治安警察法と治安維持法だった」と告発。治安維持法犠牲者に対する名誉回復と損害補償を求めるたたかいは、戦争する国への憲法破壊の暴挙を許さない、現代の重大なたたかいだと訴えました。
 つどいでは、治安維持法犠牲者に対する国家賠償法制定署名への協力が呼びかけられました。
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2015年10月15日,「赤旗」)

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暗黒政治許さぬ/国賠同盟が総会/福井

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟福井県本部(西村明宏会長)は11日、福井市内で総会を開き、終戦と同法廃止から70年目の節目にあたり、安倍政権の「戦争する国」づくりとたたかう方針を決めました。戦争法を廃止し、立憲主義をとりもどす「国民連合政府」実現のための共同に力を尽くす特別決議を採択しました。
 西村会長は、同法犠牲者に対する国の謝罪と賠償を求める署名の目標や、県内犠牲者の調査と名簿作成、組織拡大などを提起し、「再び戦争と暗黒政治を許さないために奮闘しよう」と呼びかけました。
 同盟中央本部の増本一彦会長が講演。党県委員会の山田かずお参院選挙区候補があいさつしました。
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2015年10月15日,「赤旗」)

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治維法国賠同盟のブロック会議開く/北海道

 北海道音更町でこのほど、第13回治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道ブロック会議が開かれ、30人が参加しました。
 増本一彦中央本部会長は、日本共産党が提案した「戦争法廃止の国民連合政府」の運動に積極的に参加することが治安維持法犠牲者の遺訓を受け継ぐことになると訴えました。
 宮田汎道本部会長が基調報告。「犠牲者への国家賠償法を求める署名と自治体の意見書採択に奮闘しよう」と述べました。
 治安維持法犠牲者・松本五郎さん(94)も出席し、「私は、生活を批判的に見る姿勢で絵を描いた。それは国策批判に通じ、共産主義運動だという理屈で弾圧された。戦争するとき、権力は一切の批判的言動を押さえ込むものだ」とのべました。
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2015年10月09日,
「赤旗」)

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国民連合政府「提案」/呼びかけに共鳴/治維法国賠同盟声明

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の中央常任理事会は6日、日本共産党が提案する「国民連合政府」実現の呼びかけに共鳴し、奮闘する声明を発表しました。
 声明は、「再び戦争と暗黒政治を許すな」の立場から、これまでも戦争につながるあらゆる問題に敏感に反応し、たたかってきたとのべ、「国民連合政府」の提案を歓迎し、その実現を目指して組織を挙げて協力すると決意しています。
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2015年10月09日,
「赤旗」)

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三木清没後70年/追悼・顕彰つどい/神戸

 治安維持法違反で逮捕され、敗戦から43日後の9月26日に獄死した哲学者の三木清の没後70年を追悼・顕彰するつどいが4日、神戸市で開かれ、会場いっぱいの130人が参加しました。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟兵庫県本部が主催しました。
 平野喜一郎三重大学名誉教授が、「三木清の生涯と思想」と題し、記念講演しました。兵庫県龍野市(現たつの市)に生まれたことなど著作や研究、友人の証言を紹介し報告。マルクスを哲学として読みマルクスと弁証法を普及した業績とともに、特高に追われる友人を匿(かくま)い逮捕されたことを示し、「行動でヒューマニズムをつらぬいた三木の生涯を極めて高く評価する」と強調しました。革命家の支え手の一人であったことを指摘し、「改めて、三木の考えと歩んだ生涯を振り返ることは非常に意味がある」と結びました。
 治安維持法による大阪商科大学(現・大阪市立大学)事件犠牲者の林直道大阪市立大学名誉教授が、自身の弾圧体験とともに、三木清の死により、GHQの命令で治安維持法が廃止され、政治犯・思想犯全員が解放されたことを語りました。
 日本共産党の金田峰生参院選挙区候補があいさつし、戦争法廃止、安倍自公政権打倒の決意を表明しました。
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2015年10月06日,
「赤旗」)

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治維法国賠同盟運動の飛躍を/東北ブロック会議

 第25回治安維持法国家賠償要求同盟東北ブロック会議が9月28、29の両日、青森市内で開かれ、96人が参加しました。青森県国賠同盟顧問・日本共産党の高橋千鶴子衆院議員も参加しました。
 中央本部副会長・最上健造氏は「戦争する国づくり」に暴走した自民・公明の強権政治に対し国民は歴史的たたかいを展開したと強調。同盟の主要課題である「署名」と「会員拡大」を飛躍させようと呼びかけました。
 高橋氏は、全国に広がった国民の声を生かして戦争法廃止の国民連合政府を提案したことを報告。「大きな目標だが挑戦し、新しい日本をつくろう」と呼びかけました。
 「『戦争法』の強行採決に強く抗議し、すみやかな廃止を求めます」との特別決議を採択しました。
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2015年10月02日,
「赤旗」)

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遺族ら60人参列/合葬追悼会行う/滋賀

 滋賀県彦根市の崇徳寺(そうとくじ、高瀬俊英住職)境内にある「滋賀いしずえの碑」前で9月23日、第3回合葬追悼会が行われました。
 国民救援会県本部、滋賀いしずえ会、年金者組合県本部、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部、日本共産党県委員会などの実行委員会が主催し、遺族や関係者約60人が参列しました。
 新たな合葬者13人の名前を刻んだ銘板が碑に納められ、高瀬住職らの読経の後、参列者が献花しました。
 日本共産党の奥谷和美県委員長が追悼の辞を述べました。
 奥谷氏は、日本共産党が「戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府」の実現を呼びかけたことを紹介。「国民のたたかいは自公政権の憲法破壊、海外で戦争する国づくりというもくろみを必ず打ち破り、日本の政治に立憲主義と民主主義を取り戻すと確信します」と述べました。
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2015年10月01日,
「赤旗」)

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18歳の選択/戦争法反対、学んで発言/信念曲げない党はすごい/田中華子さん(仮名)中国地方

 就職し、結婚して平和に生きていきたいのに、戦争法なんかで、なんで勝手に他人に自分の人生を決められなくてはならないの?
 戦争法反対のデモに参加しています。友だちも誘っています。全国の同じ思いの仲間に出会えて勇気をもらいました。共産党に入って、たくさん学んで発言して、友だちにも話せるし、今、楽しい。
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 若者が戦争法反対の声を上げることは、当たり前だと思う。学生だろうが、働いている人だろうが、みんな主権者で、政治に対して意見をいっていいし、誰だって自由です。自分が嫌なことだったりとか、政治に対する不満とか、世の中に対する不満を言っていくのが当たり前で、みんなが集まって、団体をつくってデモするのも当たり前。民主主義ってそういうものだと思います。政治家が自分勝手に政治をするわけじゃない。国民の意見を聞かずに政治をすれば国民は怒ります。
 18歳になったら共産党に入ろうと思っていました。党員の両親の活動を見てきて、戦争や党のことを聞いてきました。辞典で共産党の歴史を調べたりしていました。
 信念を曲げない共産党はすごい。戦前、共産党は、戦争反対を訴えて不当な扱いをされていた。若い党員が逮捕され投獄されても思想を変えないで、平和が好きで世の中を変えようと自分たちの意志をずっと貫き通してきた人たちが、私たちの先輩だということがすごくうれしい。人間として当たり前のことを主張し続けている党だと思います。これから私たち若者が党をつくっていきたい。
 **
 入党した時に綱領を読みました。人々がどんなふうに苦しんだかという感情が入っていて、人間らしい歴史の教科書のようでした。
 小林多喜二の『蟹工船』は、今のブラック企業みたい。多喜二は、未来にはこうしてみんな声を上げるだろうと思って小説を書いたんだと思う。
 将来は、弁護士事務所で働きたい。憲法と人権を守る弁護士は正義のヒーローのように思えるからです。
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2015年10月10日,
「赤旗」)

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【9月】 (ヘッドライン)

*           戦争法廃止必ず/各団体が抗議声明/横浜弁護士会/埼玉弁護士会/国賠同盟東京都本部/神奈川県平和委

*           各地の集い・宣伝から/北海道の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟苫小牧支部の総会(19日)

*           「憲法物語」を紡ぎ続けて/奥平康弘著/評者堀尾輝久東京大学名誉教授

*           戦争法廃止へ次々/各団体が抗議声明

*           戦争法案止める/私の一言/希望感じる運動/最大限行動する/怒りを忘れない

*           新装版 無名戦士の墓/岡村親宜著/評者庄司捷彦弁護士

*           沖縄高江からの報告会/「たたかいを学ぶ」/徳島

*           活動家の墓/宮城・墓前祭

*           証言・戦争/治安維持法で2度の逮捕西川治郎さん(106)/弾圧なしにできなかった

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9月本文】

戦争法廃止必ず/各団体が抗議声明/横浜弁護士会/埼玉弁護士会/国賠同盟東京都本部/神奈川県平和委

横浜弁護士会
 横浜弁護士会(竹森裕子会長)は24日、戦争法の強行採決を、衆院に続く「暴挙」だとして「強い怒りを覚えます」と批判し、抗議する会長談話(19日付)を発表しました。
 談話は、反対する国民の声を無視し法案を成立させたことは憲法の恒久平和主義のみならず、立憲民主主義にも違反し、戦後民主主義社会における類をみない「暴挙」だと強調。法律廃止に向けて取り組みを強化し続けると表明しています。

埼玉弁護士会
 埼玉弁護士会(石河秀夫会長)は19日、戦争法成立に「断固抗議する会長声明」を発表しました。
 声明は、安全保障関連法(戦争法)について「立憲主義、恒久平和主義および国民主権という憲法の諸原理に背馳(はいち)し、憲法9条に違反するもので、到底容認できない」と指摘し、違憲の法律が制定されたことに抗議。「国民や日弁連・単位弁護士会等と連携して、その廃止に向けた諸活動を展開する」としています。

国賠同盟東京都本部
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟東京都本部は20日、吉田万三会長名で安倍晋三首相、自民、公明両党あてに、戦争法案の強行採決への抗議と同法の廃止を求める声明を発表しました。
 声明は「安倍政権の解釈改憲強行の暴挙と戦争する国造りに断固抗議し、国民共同のたたかいに全力をつくす」としています。

神奈川県平和委
 神奈川県平和委員会(菊谷節夫理事長)は24日、安倍自公政権が強行した戦争法採決に抗議し「安倍政権を打倒し、戦争法を廃止しよう」と訴える声明を発表しました。
 声明は、日本共産党の「戦争法廃止の国民連合政府」の提案について、積極的に受け止めると評価。「憲法の花が咲き誇り、自由と民主主義と平和にあふれた日本にしましょう」と呼びかけています。
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2015年09月29日,「赤旗」)

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各地の集い・宣伝から/北海道の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟苫小牧支部の総会(19日)

 道本部の宮田汎会長は「戦争法案阻止のたたかいの中で同盟の活動が注目された。まだ知られていない多くの犠牲者の調査が求められている」とあいさつしました。
 竹田孝夫事務局長が活動報告と運動方針を提案し、承認されました。三原悟支部長、佐藤昭子副支部長、竹田孝夫事務局長ら14人の新役員を選出しました。
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2015年09月29日,「赤旗」)

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「憲法物語」を紡ぎ続けて/奥平康弘著/評者堀尾輝久東京大学名誉教授

人間と自由、問う姿勢を鮮明に
 〈憲法の「いい物語」をつむいでいくには、どうしたらいいか。今こそみんなで考えようではありませんか〉
 憲法研究者で九条の会の呼びかけ人のひとりであった奥平さんはこう語りかける。この問いは奥平さんが自らに問い続けて生きてきた証しとなるご自分の「憲法物語」である。構成は、I日本国憲法の魂≠語る、
U憲法とわたしの歩み、V文化の内と外、W人を語る、人と語る―。
 本書は研究者として厳密な定義と論理の展開に自分の仕事を限定し、発言には常に慎重であった奥平憲法学のイメージを大きく変え、奥平さんの憲法と向き合う基本姿勢が自分史と重ねて鮮明に浮き上がってくる。戦争と敗戦の激動のなか、1950年に旧制最後の東大法学部に入学した奥平さんの関心は、戦中・戦後の日本社会の変化であり新憲法の歴史的意味であり、その解釈を巡る言説を超えて憲法とは何かの問いであった。その問いの軸は人間とは、自由とは、平和とは何か、そして国家とは何かであり、それは法の支配と立憲主義、適正手続きの法哲学的問題に収斂し、他方では法と文学への関心となって開かれていく。
 憲法には魂があり、未完のプロジェクトであり、それはそれぞれが生活や環境や教育を通して、課題と向き合いそれぞれの憲法物語を紡ぎ続けることによっていかすことができる。大江健三郎論もこの視点から目を開かせてくれる。治安維持法や表現の自由そして平和的生存権の研究者が九条の会の呼びかけ人となった理由も深いところで納得できる。そしてわたしたち一人一人がいい憲法物語を紡ぎあうことの喜びと誇りを持とうと励ましてくれる。

 おくだいら・やすひろ 1929年〜2015年。
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2015年09月27日,「赤旗」)

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戦争法廃止へ次々/各団体が抗議声明

 自民・公明両党などが戦争法を強行成立させたことに対する抗議の声明や談話が各団体から引き続き出ています。いずれも強行採決を厳しく抗議するとともに、廃案を求めた幅広い共同に確信をもち、「安倍政権の打倒、戦争法の発動許さず、廃止を実現する運動に全力をあげます」など、今後のたたかいへの強い決意を述べています。団体名は、以下の通り。(順不同)
 憲法改悪阻止各界連絡会議(憲法会議)
 中央社会保障推進協議会
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟
 日本民主法律家協会
 日本中国友好協会
 日本宗教者平和協議会
 日本キリスト者平和の会
 全日本建設交運一般労働組合
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2015年09月22日,「赤旗」)

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戦争法案止める/私の一言/希望感じる運動/最大限行動する/怒りを忘れない

希望感じる運動/ATS(アツシ)さん(46)=横浜市=、ラッパー
 かつて、小林多喜二が特高警察に殺され、共産主義者や朝鮮人が弾圧されました。路上でのヘイトスピーチ(差別扇動行為)など、戦前の危険が日本にはいまだにある。戦前と同じ状況に突き進ませないよう戦争法案は止めるしかない。
 憲法と民主主義を守る動きが大きくなっていることは、喜びであり、希望を感じます。
 (14日夜、国会前)

最大限行動する/「国民はだまされない」と自分で書いた紙を掲げる長谷川順子さん(42)=埼玉県飯能市在住=
 19歳、9歳、6歳の子どもがいます。今日は夫が子どもたちの面倒をみてくれるので、参加しました。7月の衆院の強行採決の直後から行動に参加していますが、明らかに周りの人の反応が温かくなってきました。これからも、自分のできる最大限の行動をしていきます。
 (14日、国会前)

怒りを忘れない/さいたま市在住の根本和子さん(62)
 アメリカといっしょに海外で武力行使をすれば、9・11同時多発テロのようなことが日本国内で起きる危険性もあります。安倍首相の「この法案が成立すれば、いっそう安全になる」との説明はうそとしか思えません。友人・知人を行動に誘い、「参加します」といってくれた人もいます。この怒りを持続させたい。
 (14日、国会前)
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2015年09月17日,「赤旗」)

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新装版 無名戦士の墓/岡村親宜著/評者庄司捷彦弁護士

人権確立を求めたたかった先達
 本書は1997年刊行本の「新装」として再刊された。弁護士・大森詮夫の生涯を描きながら、同時代を同じ思想の下で生きつつ、同じ敵(治安維持法等の弾圧法規)とたたかった弁護士群像にも光を当てている。
 大森は1930年1月、自由法曹団の創設者の一人である布施辰治弁護士の下で弁護士を開業。同時に、河合篤・小林恭平の両氏も同事務所に新人弁護士として入所している。3人とも、当時の諸弾圧と果敢にたたかった。その主なものは三・一五事件、四・一六事件と呼ばれる共産党に対する弾圧事件である。この法廷は「統一公判要求を掲げたたたかい」であり、一定の成果は獲得出来たが、裁判は各地で多数進行していた。加えて、大阪公判での弁護活動をとらえて「懲戒裁判」請求を受けている布施辰治の裁判も同時に進行中である。想像を絶する激務と言ってよい。
 加えて、自分たちにも治安維持法による弾圧が襲う。33年の日本労農弁護士団事件だ。大森は執行猶予付きの有罪判決を受けた。猶予期間後、弁護士資格を回復し、自宅を事務所として業務を再開した。しかし43年3月、日本帝国の敗北を見ずに、41歳の若さで逝去した。死因は結核だった。大森は死に際して、妻民子に「青山墓地にある細井和喜藏(『女工哀史』の著者)の無名戦士の墓へ埋葬を」と遺言した。遺族は警察が張り巡らせていた鉄条網をかいくぐって納骨を果たした。
 集団的自衛権の立法化、秘密保護法など現在の政治状況を俯瞰すると、本書は警告の書でもある。この国で人権確立を求めたたかった先達を知る必読の書である。

 おかむら・ちかのぶ 42年生まれ。弁護士。『岩魚釣りの旅礼賛』ほか。
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2015年09月13日,「赤旗」)

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沖縄高江からの報告会/「たたかいを学ぶ」/徳島

 徳島県の治安維持法国賠同盟と革新懇は5日、徳島市で戦争する国づくりの最前線のたたかいを学ぼうと、沖縄・高江ヘリパッドいらない住民の会の安次嶺雪音(あしみね・ゆきね)氏を招いて報告会を開きました。
 安次嶺氏は、9年前にやんばるの森に米軍ヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)建設が持ち上がって以来、「豊かな自然と生活を残したい」と、非暴力で24時間体制の座り込みを続けている経過を説明。妨害やオスプレイ強行配備を乗り越え、オール沖縄の世論をつくってきたと述べ、「人を殺す戦争訓練に関わることが許せない。オール沖縄がオールジャパンになれば日本は変わる」と語りました。
 徳島市の鈴木智代さん(60)は「安保条約が人々を傷つけている。沖縄の人たちといっしょに戦争法案を許さないと言い続けたい」と話しました。
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2015年09月09日,「赤旗」)

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活動家の墓/宮城・墓前祭

 日本共産党宮城県活動家の墓第28回墓前祭が5日、仙台市青葉区のみやぎ霊園で開かれ、故人をしのび、約90人が参列しました。
 戦前の暗黒政治のもと、繰り返し投獄されながら非転向を貫き、戦後は治安維持法犠牲者国賠同盟県本部長や旧宮城町議として活動した大川芳夫さんや、国鉄労働運動で指導的役割を果たし、仙台地方労事務局長を務めた高橋福雄さんなど10人が合葬されました。
 故人をしのぶための歌「感謝のこころで」の演奏と合唱の後、中島康博県委員長が埋葬される一人ひとりの功績を紹介し、10月の県議選で9人全員の当選を勝ち取り、来年の参院選に向けた流れを切り開くために全力を尽くすと述べました。
 同活動家の墓は1988年に建設。昨年までに270人が埋葬されています。
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2015年09月09日,「赤旗」)

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証言・戦争/治安維持法で2度の逮捕西川治郎さん(106)/弾圧なしにできなかった

 戦後70年の今年は、野蛮な弾圧で作家の小林多喜二ら多くの犠牲者を生んだ治安維持法の制定から90年となっています。同法で2度、逮捕された経験を持つ西川治郎さん(106)=大阪府貝塚市=は「あの戦争は、特高(特別高等警察)のような弾圧なしにはできなかった」と語ります。
 (矢野昌弘)

 日本軍の中国侵略、満州事変(1931年)にキリスト者として、反対だった西川さん。「戦闘的無神論者同盟」に加わって文化活動をしていた34年1月、東京・浅草の下宿に踏み込んできた特高に、妻の良さん=当時(20)=とともに警察署へ連行されました。

太もも殴打され
 特高の取調官は、「天皇陛下のいうことを聞かないやつを殴り殺してもワシには責めがない」と、太い桜の棒で西川さんの両太ももを何十回も殴打し、鼻の下を炎であぶりました。共産党員ではなかった西川さんを取調官は共産党員と決めてかかり、「本当のことをいえ」と、令状も逮捕理由も示さずに責め立てました。警察署での拘束は11カ月に及び、起訴されました。
 西川さんは執行猶予3年の判決を受け、兄のいる大阪へ。「大阪に行く夜行列車にも特高がついてきました」といいます。
 40年、西川さんは、反戦ビラを持っていたとして再び逮捕されます。実際には、関係のない勉強会の案内ビラだったといいます。
 「戦争がどんどん進んでいく中で、命がけで戦争に反対する日本共産党がビラをまくこともありうると思ったのでしょう。特高としては、私たちを放っておくわけにいかなかったのでしょうね」
 西川さんは実刑判決を受け、堺刑務所に2年服役します。出所翌年の44年、ワイヤロープの工場を営む西川さんは軍隊に召集されます。「その時は『私もこれでおしまい』と思いました。家内は、その時、双子を身ごもっていました」。三重県内の連隊に入ったものの、2度の逮捕と服役で衰弱していた西川さんは帰され、大阪で終戦を迎えました。
 「当時の戦争の状況を考えると、国民が国のいうことにポロポロと抜け出して、従わないこともあったと思います。特高のような弾圧がなければ、あんな戦争をすることはできなかった」

世界変える種に
 西川さんのような治安維持法の犠牲者に対して、国はいまだに謝罪も賠償もしていません。西川さんは治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の一員でもあります。
 西川さんは、自民党の改憲草案や戦争法案をすすめる安倍政権に怒りを感じています。「安倍首相は、側近で政権を固めて、独裁に近いですね。ヒトラーが国会を動かして、権力を掌握した道と重なります。でも、今の日本は『共産党だからダメだ』が通じなくなっている。その点では、世の中は変わってきている」
 西川さんは15年ほど前に日本共産党に入党しました。
 「私は、ともかくも共産党員として生きていけることに満足している人間です。どの政党と比べても、人間がそろっているという点で大変なことです。世界を変える種になっていける政党だと思っています」
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2015年09月09日,「赤旗」)

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*           8月】(ヘッドライン)

*           31

*           戦争物語る市民平和展/北海道岩見沢

*           日本の平和は憲法9条があるから=^函館/帯広/札幌・厚別区/札幌・白石区

*           戦前に戻させない/田口ツギ没後81年追悼墓参会/群馬

*           歌集いきつもどりつ/日野きく著/評者田村広志歌人

*           満蒙開拓団の姿/植民地支配の実態浮かぶ

*           米の戦争に加担/戦争法案廃案に/北海道・治維法同盟

*           20

*           若者が不破さんに聞いた/日本の戦争と戦争法案/その1、日本の戦争

*           若者が不破さんに聞いた/日本の戦争と戦争法案/その2、戦後政治の流れ

*           若者が不破さんに聞いた/日本の戦争と戦争法案/その3、日本の政治における戦争観/世界が驚いた首相答弁

*           若者が不破さんに聞いた/日本の戦争と戦争法案/その4、戦争法案どうみる

*           10

*           夏休み/人形劇団プーク4度目の再演「怪じゅうが町にやってきた」/戦後70年、ぜひ親子で

*           野呂栄太郎碑小公園/お盆を前にきれいに/北海道・長沼町

*           反戦の声上げ続けよう/市民集会に260人/北海道・士別

*           平和のための戦争展を開く/和歌山

*           日本母親大会/戦争法案阻止へ決意/子どもの幸せの原点は平和/未来を守るため運動

【8月本文】

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戦争物語る市民平和展/北海道岩見沢

 北海道岩見沢市で20日、第20回市民平和展が開かれました。
 原爆と人間展、平和の絵手紙や手づくり作品に加え、小林多喜二や野呂栄太郎らのパネル、出征兵士に送った当時の小学校4年生の手紙など150点以上を展示しました。
 沖縄戦やソロモン諸島で兄弟を失ったという遺族関係者は「戦争はもうたくさん」と思いを語りました。
 岩見沢で1330人が戦死した資料や治安維持法犠牲者の多喜二や野呂らの短い生涯を示した展示物に多くの人が足を止めました。
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2015年08月27日,「赤旗」)

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日本の平和は憲法9条があるから=^函館/帯広/札幌・厚別区/札幌・白石区

暴走止める女性の決意/函館
 戦争法案の廃案を求めて「レッドアクションinはこだて8・23女性の怒り」が23日、函館市内で開催され、300人が参加しました。主催は新日本婦人の会函館支部、道南母親連絡会、函館YWCA、I(アイ)女性会議函館支部の4団体。富山悦子さんがあいさつしました。
 各分野から発言。日本共産党の中嶋美樹市議は「レッドアクションの輪をもっと広げて廃案まで頑張ろう」と発言。民主党道議、無所属の市議も決意を述べました。
 「日本を戦争へと導く法案に反対し、安倍政権の暴走にストップを」のアピールを採択。集会後、参加者は「命を守ろう、未来を守ろう」とコールしながら行進しました。

弾圧の歴史、青年と学ぶ/帯広
 北海道帯広市で22日、学習講演会「青年と一緒に歴史を学ぼう 戦争法案で日本はどうなる」を開催し、十勝管内から約120人が参加しました。前崎茂実行委員長(日本共産党広尾町議)があいさつしました。
 郷土史研究者の飛岡久氏が治安維持法下で冷害・凶作の大被害にあった農・山村のたたかいと弾圧について紹介。中原正樹弁護士が戦争法案や秘密保護法、通信傍受法の改正について解説しました。
 戦前、北海道で起きた治安維持法違反不当弾圧事件「生活図画事件」の当事者の松本五郎さん(94)と日本共産党の板垣良輔幕別町議や高校生らが討論。青年から「若い世代に希望すること」「事件を知らない世代に伝えたいことは」などの質問が出され、松本さんは「私には関係ないと思っていてもいつか必ず自分の身にふりかかる。だから一人ひとりが考え、行動してほしい。声を上げる若者がいる限り、私も頑張りたい」と答えました。

初参加者増/戦争はダメ/札幌・厚別区
 札幌市厚別区で23日、「戦争法案許さない厚別の会」(橋本みか代表)が130人でパレードしました。手を振ってくれる人、マンションの上階から応援してくれる人が大勢いました。初参加の人が増加。高齢者の男性は「長くは歩けないが戦争は絶対にだめだ」とスタートまで行動を共にしました。
 パレード後、リレートーク、宣伝行動を行いました。

飛び入りで中学生参加/札幌・白石区
 札幌市の白石革新懇は22日、白石区内で「戦争法案を廃案にしよう」とアピールパレードを行いました。「アベ政治を許さない」などのプラカードを持った人たち100人がアピールしました。
 代表世話人の児玉健次氏(元衆院議員)は「若者をはじめ、多くの人たちが法案廃案へ立ち上がっています。ともに手をたずさえて声をあげていこう」と呼びかけました。
 通行人や車からの声援が寄せられ、通り沿いのマンションの窓から手を振る姿が見られました。中学生2人が飛び入りで参加しました。参加者から「沿道の反応があり楽しかった。またパレードをしたい」と声があがりました。
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2015年08月26日,「赤旗」)

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戦前に戻させない/田口ツギ没後81年追悼墓参会/群馬

 戦前、治安維持法で検挙・拷問され、30歳で病死した女性活動家、田口ツギの没後81周年となる命日の19日、群馬県高崎市の墓所で追悼墓参会が開かれました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治維法国賠同盟)県本部と日本共産党県委員会が共催し、約30人が参列しました。
 主催者を代表してあいさつした治維法国賠同盟の藤原麗子氏は、「今、安倍政権が戦争法案を通そうとしている危険な状態です。戦前に戻させないために遺志をしっかり受け継いで、平和のために力を尽くしたい」と語りました。
 来賓として共産党の田村理高崎市議が追悼の言葉を述べ、親族を代表してツギのおいにあたる田口榮通(ひろみち)氏があいさつしました。
 安中市から夫妻で参列した堀泰三さん(78)と令子さん(71)は、自民党の若手国会議員が戦争法案に反対する人は利己的だと批判したことに不安を感じていました。「戦争法案を許したら、いろんな理由で逮捕されたり発言を封じ込められたりすることが起きてくるのではないか。戦争法案だけは止めないと」と、令子さんは話しました。
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2015年08月23日,「赤旗」)

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歌集いきつもどりつ/日野きく著/評者田村広志歌人

命への柔らかく優しい眼差し
 『蓮燈』に続く第八歌集。自身の周囲に在った命への柔らかく優しい眼差しは、日野さんの生きる姿勢そのものだ。
・ひとつずつ咲く木蓮のそれぞれに浮き立つ白さ揺れおる夕べ
・部屋前にけやき一木あるがよし枝先に空の広がるがよし
 一首目の感受から歌集は始まる。「浮き立つ白さ」は木蓮の本質を捉えて美しい。二首目は生活を律する思想で、ともに簡素で見事な修辞だ。
・逝く前の母の踵のやわらかさ春の雪降る夜のあたたかし
 歌集の基底に亡き母への深い思い。それは同時に女性の生きた歴史への思いである。
・気まぐれに膝に飛び乗るにんげんのわたしとこれから生きようお前
・すぎゆきの何か知らねど砂丘にはまつげの長き駱駝一頭
・ありがとう美しかったよ切株のわたしの心にしまわれており
 華と名付けた野良だった猫との暮らしと、亡くした後の喪失感。人間を見るように駱駝、桜の切り株を見る哀切さ。
・放射能の行方は風の行方とし被害者あれど加害者いまだし
・そうらしいそうとなるはずそうなのだ治安維持法の過程まざまざと
 現代社会へ向ける視線は鋭い。「加害者いまだし」は責任を曖昧にしている者に迫る。現在の秘密保護法は治安維持法へつながるのではないかと問い、その時、我々はどうするのかを考えさせる。現代のさまざまな命の軽視を捉えた作品は、憲法違反の「戦争法」が人の命を軽視する最たるものと告発していると読んだ。

 ひの・きく 54年「短詩形文学」に参加。歌集『幾千の夜』ほか。
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2015年08月23日,「赤旗」)

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満蒙開拓団の姿/植民地支配の実態浮かぶ

 かつて日本が植民地にした満州(中国東北部)には、最大で100万人を超える日本人が在住していました。農業移民として満州に渡った満蒙開拓団に関する本が刊行されています。植民地支配の一端を浮かび上がらせます。

日本人置き去り犠牲を出す背景
 関東軍(満州駐屯の日本軍)による1931年の満州占領と翌年の「満州国」建国を経て、満蒙開拓は日本の国策として推進されます。日本全国から送り込まれた開拓団員は敗戦時27万人。ソ連軍の侵攻と関東軍が日本人を置き去りにしたことがあいまって多くの犠牲を出しました。
 二松啓紀著『移民たちの「満州」』(平凡社新書・840円)は、1932年から敗戦に至る移民送出の経過と実情を明らかにします。関東軍は36年、20年間で「100万戸500万人」の移住計画を打ち出しました。当時満州の全人口は3400万人。満州支配の安定には500万人の日本人が必要だと考えられました。入植地は、先住の中国人たちから関東軍などが強奪に等しいやり方で手に入れた土地でした。
 都市の中小業者を「満蒙開拓」に積極的に募集。農業経験がなくても、中国人農民に労働をさせることで農業経営ができました。自治体が満州の利権獲得のため開拓団送出に熱心だったことも指摘。こうして送出された移民がソ連参戦後に大量難民となり、中国残留日本人など今も続く問題の背景になったことを浮き彫りにします。
 小林信介著『人びとはなぜ満州へ渡ったのか』(世界思想社・2500円)は、満蒙開拓団と満蒙開拓青少年義勇軍の送出が全国一(3万7859人)だった長野県の実情を県内の送出分布や経済指標などから解明します。満州移民の推進政策が始まった36年以降は、軍需工業の拡大や農産物の需要増などで農家の就労機会が増えて農村の労働力は不足し、満州の農業移民になる経済的必然性は失われたと分析。移民に行く理由は「貧しさ」ではなかったことを明らかにします。
 村長や名望家が「より良き村の実現」「国策遂行」を村民に訴え、移民送出の推進力になりました。教職員の団体・信濃教育会と教員が教え子のいる農家を訪ね義勇軍に強く勧誘したことも指摘。同教育会が義勇軍送出を担った背景に、治安維持法で教員が弾圧された33年の二・四事件があるとし、事件対策として同教育会が国策追従路線を打ち出す必要があったからだとのべます。

戦後長く孤児の帰国を怠った国
 飯島春光著『ひいばあちゃんは中国にお墓をつくった』(かもがわ出版・1600円)は、長野県に暮らす元中国残留日本人のひ孫たちの視点から満蒙開拓団の歴史をたどります。敗戦時の苦難や、肉親を失うなか中国人に助けられ生き抜いた人たちの証言から戦争を告発。元残留孤児の人々が日本政府を相手に起こした裁判にふれ、敗戦時に見捨てるだけでなく、戦後長く孤児たちを帰国させる努力をしなかった国の姿勢を問います。
 (隅田哲)
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2015年08月23日,「赤旗」)

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米の戦争に加担/戦争法案廃案に/北海道・治維法同盟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部と札幌支部は15日、札幌市で宣伝・署名行動を行い、「米軍の侵略戦争に日本が加担する戦争法案は廃案に」と訴えました。
 北海道AALA連帯委員会の伊藤悳夫(とくお)理事長や齋藤耕弁護士、日本共産党の伊藤りち子市議らが交代でマイクを握り、「『集団的自衛権』は日本を守るものではありません」などと演説しました。
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2015年08月22日,「赤旗」)

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若者が不破さんに聞いた/日本の戦争と戦争法案/その1、日本の戦争

植民地持つ大国への野望、侵略続けた51年/国民の命より「国体」―空襲、沖縄、原爆も
 戦後70年の節目を迎えた今年の夏。いま日本の歩みを大きく変える戦争法案が国政の大問題になっています。過去の日本の戦争と現在の戦争法案―。重なりあう二つのテーマで「ここが聞きたい」と17歳の高校生、有賀実知さん、28歳の日本民主青年同盟副委員長、小山農さんが不破哲三日本共産党社会科学研究所所長(前議長)宅を訪ねました。

1、日本の戦争/なぜ戦争を始めたの?
 有賀、小山 今日はよろしくお願いします。
 不破 いらっしゃい。有賀さんは高校3年で来年は18歳だそうですね。
 有賀 はい。いよいよ来年、投票権を持つようになります。戦争するということが何を意味するか真剣に考えたいです。今日はいろいろ聞かせてください。
 小山 私たち民青では、いま戦争体験の「聞き取りプロジェクト」に取り組んでいます。戦争体験者に戦争の実態を聞いてみようという試みです。戦後70年に、安倍政権が強行しようとしている戦争法案への怒りも青年の中でかつてなく広がっています。今日は二つのテーマでいろいろ伺いたい、と楽しみにしてきました。
 有賀 どうして、日本は戦争をしたのか、まず知りたいです。
 不破 そうですね。日本の侵略戦争がいつから始まったかをまず考えましょう。第2次世界大戦は、1945年に、日本、ドイツ、イタリア3国の敗北で終わりました。ドイツのヒトラーはあれだけヨーロッパを荒らしましたが、侵略開始から降伏までは6年間です。
 他方、日本の侵略戦争は「満州事変」から数えても14年間、台湾を奪い取った日清戦争(1894年開戦)からでは実に51年間の歴史があります。
 日本は、1945年にポツダム宣言を受け入れました。この宣言は、カイロ宣言(43年)の実行を明記し、日本が日清戦争で占領した台湾も中国に戻すよう求めました。50年をこえる日本の侵略戦争全体に審判を下したのです。

存立危機≠口実に開戦
  有賀 侵略の歴史はナチスより長いんですね。最初の日清戦争とはどんな戦争だったのですか?
 不破 明治維新で資本主義の道に入った日本の指導層は、早く欧米列強並みに植民地を持つ帝国主義大国になりたかった。そこで最初に目をつけたのが朝鮮です。当時、朝鮮は清国の権益とされていて、日本と清国のどちらが朝鮮をとるかが、日清戦争の一番の問題でした。
 くわしい経過は『歴史教科書と日本の戦争』(2002年、小学館)という本に書きましたが、日本はまず朝鮮の王宮を占領したうえで、先制攻撃で戦争を始めました。勝利した結果、朝鮮を支配下に置き、台湾を奪いました。さらに「満州」(中国東北部)の権益も取ろうとしましたが、ロシアとドイツ、フランスが干渉してやめざるをえませんでした。
 奪えなかった満州の権益をねらって始めたのが日露戦争(1904年)です。これも日本は先制攻撃で戦争をはじめ、南満州鉄道など満州の権益を奪い、ロシア領南樺太もとりました。
 小山 そして次の標的が中国だったのですね。
 不破 そうです。31年9月に日本軍は南満州鉄道を自分で爆破し、中国に攻撃されたことにして戦争を始めます。これが「満州事変」ですね。日本政府は現地の日本の外交官から「日本軍が爆破したらしい」という内容の電報を受けながら、戦争を始めた軍部には文句を言えず、戦争を進めました。「事変」としたのは戦争というと、捕虜の扱いなど戦時国際法を守らねばならなくなるからです。
 「満州事変」が起きたのは、私が生まれた翌年ですが、この前後から日本で「満蒙生命線論」という主張が出てきます。「満州」とモンゴルの二つを日本の生命線、つまり日本存立の根拠としました。戦争法案でいう「存立危機事態」の存立≠ニ同じです。狭い国土の日本が生きるうえでどうしても必要だという勝手な理屈でした。

兵士と国民はどんな目に

 小山 日本は「満州事変」からさらに戦争を拡大するんですね。
 不破 満州を支配下においた日本は「満州国」というかいらい政権をつくるんですが、世界は変わっていました。第1次世界大戦(1914〜18年)で、世界中が戦争にこりて、国際連盟(20年)や不戦条約(28年)をつくりました。まだ弱いものでしたが、ともかく国際紛争を平穏に解決する仕組みができたのです。この国際連盟が「満州」に調査団を出し、日本の不当な侵略だと結論を出しました。すると日本はさっさと国際連盟を脱退(33年)しました。
 小山 日本が最初に脱退したとは不名誉なことですね。
 不破 日本軍は「満州」からさらに南をねらいます。37年には、北京郊外で盧溝橋事件という日中の小規模な軍事衝突が起きます。現地の日中両軍は交渉して停戦しますが、日本政府や軍部は「戦争だ」と大動員し、中国北部、続いて上海、さらに当時の首都・南京まで攻め込みました。これが中国への全面的な侵略戦争の始まりです。
 有賀 そのとき、南京大虐殺と呼ばれることが起きたんですね。
 不破 その直後に南京に派遣され、後に支那派遣軍総司令官になった岡村寧次(やすじ)という人の「陣中感想録」を読んだことがあります。岡村は部下に調べさせて「約四、五万に上る大殺戮(さつりく)、市民に対する略奪強姦(ごうかん)多数ありしこと」は事実のようだと書き日露戦争のときはこんなに野蛮な軍隊ではなかった≠ニ嘆いていました。
 有賀 ひどい話ですね。日本はアジアを侵略して最終的にどんな世界をつくろうとしたのですか。
 不破 中国との戦争が続くなか、40年に、日独伊三国軍事同盟を結びます。これは、ドイツ、イタリアはヨーロッパを自分の勢力圏としなさい、日本は東アジアを勢力圏とします、という勢力圏協定です。この時の日本の勢力圏にはオーストラリアまで入っていました。アジア侵略の絶好の位置にいる日本だから、力にまかせて広げるだけ広げ、この地域の全体を自分の支配下におこうと、野望をそこまでふくらましたのです。その支配計画を「大東亜共栄圏」とよびました。
 41年にはアメリカの海軍基地・ハワイ真珠湾の奇襲攻撃で対米英戦争、太平洋戦争に突入していくんですね。
 こうしてみると、日本の戦争は、最初から領土の拡張、勢力圏拡張を目的とした侵略戦争であることは明々白々です。日本の「生命線」とか「東洋平和のため」「自存自衛」というのは口実で、まったくまやかしです。

戦没者のうち半数超が餓死
 小山 若い世代が戦争の現実を知る機会はますます少なくなっています。昨年の「赤旗まつり」での不破さんの講演(『「科学の目」で日本の戦争を考える』新日本出版社)―とくに日本兵士の多くが餓死したという指摘は衝撃でした。
 不破 日本の戦争を侵略戦争という角度からだけでなく、他の角度からも考える必要があると思って、「赤旗まつり」で話したのです。
 そこでは、
@動員された兵隊がどんな目にあったか、A国民がどんな扱いをされたか、B戦争をやった指導部はどんな体制だったか――という三つの角度から話しました。
 太平洋戦争開始の翌年には、太平洋方面の戦局は、敗戦に続く敗戦という状況となり、44年の中ごろには、日本の指導部も、戦争に負けたと判断するようになっていました。ところが、戦争終結を決断しない。天皇ももう一度勝たないと、有利な交渉ができない≠ニ言いつづけました。ここで決断すれば、本土空襲、沖縄戦、原爆投下、ソ連の満州侵入など、45年に連続して起きた国民的な惨劇はなかったでしょう。
 有利な交渉≠ニいうのは、「国体」、つまり天皇絶対の政治体制をまもる交渉ということで、そのために、国民全体が犠牲にされたのでした。
 有賀 私の祖父は海外に派兵されていませんが、戦争末期に「本土決戦」というので、千葉県の九十九里浜で「たこつぼ」作戦の訓練を受け、そのまま終戦を迎えました。
 不破 あなたの祖父がした「たこつぼ」作戦は戦争末期に各地の海岸でやられました。米軍が上陸するのを、穴を掘って隠れて待つ。鉄砲も持たず、竹やりで刺し殺せという話でした。
 戦場に送られた兵士・軍人たちの運命はひどいものでした。藤原彰(あきら)さんという歴史学者が『餓死(うえじに)した英霊たち』という本で詳しく指摘していますが、日本軍人の戦没者230万人のうち、その半数以上が餓死だったというのです。
 戦争の指揮にあたった指導部が、食糧などの補給、兵站(へいたん)を考えないで軍を投入するのです。だから、戦闘ではなく、ジャングルのなかで多数の軍人が飢え死にしました。こんな無責任な戦争指導部というのは、世界に日本以外には見当たりません。
 軍隊の餓死、国際法無視の暴虐、国民の運命よりも「国体」が大事―こうした戦争の実態をきちんと語り伝えていく必要があります。
 そしてこの戦争をすばらしい戦争だった≠ニ思い込んでいる人たちが、今の「安倍政治」を推進しているのは本当に怖いことだと思います。
 20面につづく

51年間におよんだ日本の侵略戦争
1894年7月   日清戦争(〜95年3月)。台湾を日本に割譲
1904年2月   日露戦争(〜05年9月)
 10年8月29日 韓国併合
 14年7月   第1次世界大戦(〜18年11月)
 31年9月   満州事変
 33年3月27日 日本が国際連盟脱退
 37年7月   日中戦争(支那事変)
   12月   南京事件
 40年9月27日 日独伊三国軍事同盟を締結
 41年12月8日 太平洋戦争を開始、真珠湾攻撃
 42年6月5日 ミッドウェー海戦で日本が大敗北
 43年12月1日 アメリカ、イギリス、中国がカイロ宣言発表
 45年3月10日 東京大空襲 
   3月26日 沖縄戦(〜6月23日)
   5月9日 ドイツ降伏
   7月26日 ポツダム宣言発表
   8月6日 広島に原爆
   8月9日 長崎に原爆
   8月15日 終戦

民青副委員長小山農さん
こやま・みのる=1987年生まれ。日本民主青年同盟副委員長。戦争法案反対や核兵器廃絶など、広く青年と共同した運動に取り組む

17歳の高校生有賀実知さん
あるが・みち=1998年生まれ、長野県在住の高校3年生。戦争と平和にかかわる問題や、社会問題、マスメディアに関心を持つ

日本共産党社研所長(前議長)不破哲三さん
ふわ・てつぞう=1930年生まれ。日本共産党書記局長、委員長、議長を務め、現在は党社会科学研究所所長。69年から2003年まで衆院議員。著書多数
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2015年08月02日,
「赤旗」)

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若者が不破さんに聞いた/日本の戦争と戦争法案/その2、戦後政治の流れ

平和・民主主義と再軍備・戦争国家の二つの流れ/19面のつづき

2、戦後政治の流れ/憲法制定直後に変化

 小山 戦後の政治の流れについて聞きます。安倍首相は日本共産党の志位和夫委員長との党首討論で「ポツダム宣言をつまびらかに読んでいない」と語りましたね。これには驚きました。ポツダム宣言と日本国憲法は、戦後日本の原点だと思うのですが。
 有賀 私は社会科で学んだとき、憲法には日本国内の動きや世論が反映していると聞きました。他方、アメリカに押しつけられたという人もいます。どうなんでしょうか。
 不破 ポツダム宣言で日本は無条件降伏したとよくいいます。しかし、実際は無条件ではなく、連合国はポツダム宣言で日本に重要な条件をつけたのです。
 もっとも重要なのは、軍国主義を民主主義に転換することです。占領軍はまず治安維持法を撤廃し、婦人参政権を宣言します。最初の時期は、ポツダム宣言の民主的条項を実施しました。
 憲法の背景には、ポツダム宣言にあらわれた世界の平和と民主主義の世論があります。世界の諸国民が、反ファシズム、侵略戦争反対で団結してたたかい、勝ったのですから。今の憲法の大枠もポツダム宣言で方向づけられました。
 ただ、それを日本の政治に具体化する憲法案作成は、占領軍と日本の当時の保守党政府の交渉で進みましたので、いろいろ問題がありました。
 たとえば、最初に政府が議会に出した草案には「主権在民」が書いてなかったのです。日本の政党で「主権在民」を主張したのは、日本共産党だけでした。また、連合国を代表する極東委員会が「主権在民」を明記すべきだと、共産党と同じ主張を決定しました。それで憲法に主権在民がもりこまれたのです。
 大きく言えば、戦後沸き起こった日本国内の民主化の流れと、ポツダム宣言に象徴される世界の流れが合流して今の憲法が生み出されました。憲法制定の時期まではまさに民主政治への大転換の時期だったといえます。

ポツダム宣言、政府は無理解
 小山 当時の日本の指導部は、ポツダム宣言を世界が日本に突きつけた要請と受け止めなかったのでしょうか。
 不破 「つまびらかに読まなかった」のでしょう(笑い)。実際、本当に中身をまったく理解しませんでした。ポツダム宣言を受け入れたあとも、占領軍が命令するまで治安維持法で投獄した人を解放しませんでした。哲学者の戸坂潤は宣言受諾の直前、三木清は宣言受諾から治安維持法撤廃までの短い間に獄中で死んでしまったのです。
 その後、アメリカの政策転換で占領軍がポツダム宣言に反したことをやりだしたとき、「違うじゃないか」とこれに抵抗したのは共産党ぐらいでした。
 有賀 占領軍は最初の姿勢を変えるのですね。
 不破 日本の政治に、戦後3年ほどたつと、はっきり二つの流れができてきます。ひとつは、憲法を指針に平和と民主主義を目指す流れです。もう一つは、憲法の枠を取り払い、戦争国家への道を開こうとする流れです。
 47年に憲法が施行されたあと、米ソ対決が激化し、アメリカは日本をソ連との対決の拠点にする動きを強めます。アメリカ統合参謀本部は49年2月、日本の再軍備を目指す方針を決定し、そのなかで本格的な軍隊をもたせるために憲法の改定を研究することを明記しました(アメリカ統合参謀本部の決定)。つまり、軍隊の下地をつくりながら憲法改定の方法を研究せよという決定でした。これが日本の憲法改定を打ち出した世界初の文献だと思います。
 小山 アメリカが再軍備を押しつけたんですね。
 不破 50年には、占領軍司令官マッカーサーの命令で警察予備隊をつくりました。その予備隊が52年に保安隊になり、54年に自衛隊になりました。そして60年には日米安保条約を改定して、米軍と自衛隊が共同作戦をやる、という条項(第5条)を書きこみます。しかし、そこには、共同作戦発動の条件が、日本の施政下にある領域で日本あるいはアメリカが攻撃された場合≠ニ、限定されていました。安保条約でも、自衛隊が海外へ出て米軍と共同作戦をやるという話は問題になりませんでした。
 日本再軍備をすすめたアメリカも、今の憲法のもとでは、自衛隊を地球上のどこへでも出動させることや、アメリカの戦争に参加させる集団的自衛権のようなことはできないことを心得ていました。
 有賀 今の戦争法案とは違うのですね。
 不破 日米安保条約の規定から言っても、戦争法案はその枠から大きく足を踏み出す大転換なんですよ。

 次回は、日本政治における戦争観と戦争法案について語ります

戦後改革と再軍備の動き
1945年10月15日 治安維持法廃止
   12月17日 女性参政権を認める改正選挙法が公布
 46年11月3日 日本国憲法公布
 47年5月3日 日本国憲法施行
 49年2月28日 米統合参謀本部が、日本の限定的再軍備を決定
 50年6月   朝鮮戦争(〜53年7月休戦)
   7月8日 マッカーサーが日本政府に対し警察予備隊の結成を指令
   8月10日 警察予備隊を創設
 51年9月8日 サンフランシスコ講和条約を締結。日米安全保障条約に調印
 52年10月15日 保安隊が発足
 54年7月1日 自衛隊が発足
 56年12月18日 日本が国際連合に加盟
 60年1月19日 日米安保条約改定に調印
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2015年08月02日,
「赤旗」)

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若者が不破さんに聞いた/日本の戦争と戦争法案/その3、日本の政治における戦争観/世界が驚いた首相答弁

戦争推進者の復権をアメリカも歓迎
 戦後70年の夏、日本の戦争と戦争法案について、若者と不破哲三さん(日本共産党社会科学研究所所長、前党中央委員会議長)が語り合う企画の下編です。不破さん宅を訪ねたのは日本民主青年同盟の小山農(こやま・みのる)副委員長(28)と、長野県の高校生、有賀実知(あるが・みち)さん(17)。今回のテーマは、B日本の政治における戦争観C戦争法案―です。(前回は@日本の戦争A戦後政治の流れ)

3、日本の政治における戦争観/世界が驚いた首相答弁

 有賀 過去の戦争にたいする態度で、日本とドイツの違いがよくいわれます。ドイツは侵略戦争への反省を明確にしてきたのに、日本は違う。どんな背景があるのでしょうか。
 不破 まず考えないといけないのはアメリカの態度が日本とドイツで違ったということです。
 アメリカは、日本の戦争犯罪を裁く「東京裁判」(極東国際軍事裁判、1946〜48年)が終わると、ソ連との対決に備え、有罪判決を受けた政治家も刑期短縮でどんどん釈放し、政界復帰を歓迎しました。
 安倍首相の祖父の岸信介元首相は真珠湾攻撃をやった東条内閣の閣僚でした。戦犯として逮捕されたものの起訴されずに釈放され、57年には首相になって60年の安保条約改定をやりました。
 こんなことはドイツではまったく考えられません。ヒトラー政権にいた幹部は何十年かかっても政府から追及され、逮捕もされます。
 有賀 なぜ、日本への態度が違うのですか。
 不破 アメリカはアジアで戦争するために日本の軍隊が必要だったのです。50年には占領軍の命令で警察予備隊を創設し、旧軍人を登用しました。講和成立後、これが保安隊を経ていまの自衛隊になったのです。60年の安保条約改定では、第5条に日本有事の際の日米共同作戦条項を盛り込みました。
 その自衛隊が、憲法を無視してアメリカの戦争に本格的に参戦する道を開くというのですから、アメリカは「戦争法案」大歓迎でしょう。実際、「戦争法案」が国会に提出される1カ月も前に結ばれた日米軍事協力の取り決め(「日米ガイドライン」)には、法案の内容が全面的に盛り込まれています。
 しかし、「日本の戦争は正義の戦争だった」などというウルトラ右翼、いわゆる歴史修正主義――「大東亜戦争肯定」論は困る、というのも本音です。これはアメリカ自身の大きな矛盾ですね。
 小山 なるほど。日本の侵略戦争について、不破さんは歴代首相の見解を追及してこられましたね。
 不破 私は69年の初当選後、34年間で18代の首相と論戦しましたが、その間、戦争責任の問題をずっと追及してきました。
 最初の相手は田中角栄首相でした。日中国交回復をした首相だから戦争問題に決着をつけているはずだと思い「中国に対する戦争を侵略戦争と認めるか」と質問しました。返ってきたのは「そんなことは私はいえるものではない。後世の歴史家が決めること」という答弁でした。びっくりしましたね。

安倍首相は極右の流れ
 小山 今の安倍首相の答弁と同じですね。
 不破 それ以後も歴代首相に聞きました。右派で鳴らした中曽根康弘首相の答弁はむしろまともでしたね。「日本が行った戦争は、国際的には侵略というきびしい批判を受けている」と。
 ところが、その次が田中派の竹下登首相で、また「後世の歴史家の判断」と言う。そこで、「ではヒトラーの戦争についてもあなたは判断できないのか」と聞いたら、「そうだ」との答弁でした。この発言は世界に打電され、米太平洋軍準機関紙が「竹下、ヒトラーの戦争を擁護」と大きく伝えましたよ。
 4年後の93年に細川政権ができ、日本の首相として初めて、就任会見で「私は中国に対する戦争は侵略戦争だと認識している」と表明しました。
 村山富市首相の「村山談話」(95年8月)はその2年後でした。「植民地支配と侵略」を認め、「痛切な反省」と「心からのお詫(わ)び」を表明しました。戦後半世紀たって、ようやく日本の首相が公式に閣議決定を経て日本の戦争を侵略と認めたのです。
 ところが自民党内で大きな反作用が起きました。93年に自民党のなかの極右グループが「歴史・検討委員会」をつくりました。105人の議員が参加し、「大東亜戦争」を賛美する学者や研究者、評論家から20回もの講義を受けたのです。
 初当選したばかりでそれに参加したのが、安倍晋三氏でした。それから侵略戦争賛美の教科書づくりの運動が始まり、安倍氏はそれを応援する「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」(教科書議連)の事務局長に就任します。
 安倍首相はいま、「神道政治連盟」国会議員懇談会の会長で、「日本会議」国会議員懇談会の副会長です。この二つは日本の極右団体の代表的な存在ですから、実に異常なことです。
 戦後70年、戦争観の問題と戦争法案は一体不可分に結びついているんですね。
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2015年08月16日,「赤旗」)

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若者が不破さんに聞いた/日本の戦争と戦争法案/その4、戦争法案どうみる

若者が声あげ広がる運動/今、自分たちの未来開こう

4、戦争法案どうみる

 有賀 戦争法案の内容を不破さんはどう見ていますか。
 不破 この間の国会審議で明らかになったことが大きく言って二つあります。一つは、あらゆる面から日本を戦争に参加させる中身だということ。もう一つは、憲法違反が明瞭だということです。
 自衛隊海外派兵についてこれまでの法律は、憲法9条で禁じた「武力による威嚇又は武力の行使」にあたらないよう「非戦闘地域」に限定し、「戦闘地域」には行かない、などの歯止めがありました。
 ところが、今回の戦争法案ではこの歯止めをはずします。自衛隊は「戦闘地域」に行き、第一線部隊への弾薬補給など兵站(へいたん)と呼ばれる危険な仕事をやります。これは国際法でも戦闘行為で、どんな戦争でも補給路を断つのがいちばん大事な作戦です。
 前回、旧日本軍は補給を軽視し、半数以上の兵隊が餓死したと話しました。兵站はそれほど重要ですから、兵站の部隊が動く場所は敵にねらわれ、たちまち戦場になる。安倍首相は「安全な場所」で活動し、「戦闘現場」になれば活動を休止するなどといいますが、まさに机上の空論です。戦争の現実をまったく知らない人の言葉ですね。
 自衛隊はまた国連決議のない治安維持活動にも参加することになります。アフガニスタンで活動し多くの犠牲者をだした国際治安支援部隊(ISAF)のような活動です。これも完全に戦争行為です。

本格的戦争、日本が参戦
 そして文字通り本格的な戦争になるのが、アメリカなどが他国に攻撃されたとき日本が参戦する集団的自衛権の行使です。集団的自衛権行使の「3要件」(注)というのがありますが、どれも政府の判断でどうにでもなるようなものです。しかもそこには、アメリカの戦争が間違った戦争ではないかどうかを判断する、肝心の基準が入っていません。
 ベトナム戦争、イラク戦争などアメリカがやってきたのは、みな先制攻撃の侵略戦争です。その戦争に、日本が事実上自動的に参戦する仕組みなど、絶対に認めるわけにゆきません。
 憲法違反という点も明白です。
 憲法9条は「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」としています。憲法をどう解釈しても、アメリカの戦争に日本が武力で介入する、参戦することなど出てくるはずがありません。

憲法に反し戦場の現実みない空論

 有賀 私たちの世代は、戦争は嫌という思いが強いです。だけど、北朝鮮や中国とどう向き合うか、悩む人もいます。争いを武力でなく、平和的に解決する道をもっと追求してほしいですね。
 不破 日本共産党は、北東アジアの紛争を武力でなく、平和交渉で解決してゆく地域にすることを提案しています。それが、「北東アジア平和協力構想」です。中国も加わるアジア政党国際会議でも、この提案を示して、ほぼ同じ趣旨が確認されました。憲法9条を持った国として、日本政府もこうした外交を堂々とやるべきです。
 ところが、日本の政権党は軍事強化には熱心でも、外交はもっとも不得手なのです。
 戦前は軍部依存の外交、戦後はアメリカ依存の外交でした。大体、世界で大事な問題が起きても、「どう解決するか」と、日本政府に相談に来る国はないでしょう。いつもアメリカに従うから、わざわざ日本に来るよりアメリカに相談したほうが早いんです。
 日本が本当に自立して外交力を持てば、憲法9条を持つ国として信頼されると思います。それをやらないのが一番の問題です。
 小山 確かにそうですね。憲法でもう一つ大事なのは「国民主権」ということだと思います。戦争法案反対で、若者も、年配の人も国会に来て抗議しているし、世論調査をやるたびに反対が増え、内閣支持率も急落しています。安倍内閣がその声を無視することにまた怒っています。

世論と運動、政権を包囲
 不破 それはとても大事なポイントだと思います。国政選挙がない今の時期で、戦争法案反対という国民多数の意思を実現するには、世論と運動で示すしかありません。
 いま国民の世論と運動で安倍内閣を包囲する条件はどんどん大きくなっています。とくに若い人たちの中に、自発的に声をあげ、運動に参加する動きが広がっていますね。運動の質も量も前例がないように思います。
 有賀 そのお話は、私たち若者の自信になります。もっともっと幅広い人が集まって運動していきたいです。
 不破 私の生きた戦前の時代には、戦争に反対する自由がありませんでした。小学校で覚えさせられた教育勅語で、いざ戦争になったら命を投げ出しなさいとたたき込まれました。日本共産党は、こうした専制政治にも侵略戦争にも反対してたたかいましたが、戦争反対も天皇制反対も、死刑をふくむ最大の罪とされました。民主主義のない文字通りの暗黒政治の時代でした。
 去年、アメリカの大学の研究者が来て、「国民の戦争責任がドイツで問題になるけど日本はどうか」と聞かれました。私は、ドイツとは大きな違いがあると答えました。ドイツの国民は総選挙で2度もヒトラーに第1党を与えました。他方、日本の国民は主権者として政府を選ぶ権限などまったくもたなかったのですから。
 国民主権の今の日本は違います。安倍首相が国民の意思を無視して勝手なことをやるのに対し、主権者の意思はここにあると、国民自身の行動でしめす。このことが本当に大事です。とくにいま、若い人たちに立ち上がってほしい。戦争法案ができた時、戦争に人生を踏みつぶされるのは、まさに若いあなたがたですから。有賀さんは来年の参院選挙が初投票になりますね。
 有賀 はい。周りをみると、選挙権は持ったけどどうしていいかわからない、という人も多いと思います。主権者としてどう意識を高めるかが、大きな課題だと感じています。
 不破 日本共産党は党創立のときから男女18歳選挙権を主張したんですよ。それが93年たって実現しました。
 小山 民青同盟は青年が社会の主人公として成長していこうというところです。本当にがんばりどきです。
 不破 いよいよ若い人たちが大挙して政治を動かす舞台に出るわけです。平和で自由な未来を自分たちで切り開くつもりで、大いに力をだしてほしいです。
 小山、有賀 今日はありがとうございました。

安倍政権が集団的自衛権を使う前提とする「武力行使の新3要件」
(2014年7月閣議決定)

 (1)わが国に対する武力攻撃が発生したこと、またはわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
 (2)これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
 (3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
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2015年08月16日,「赤旗」)

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夏休み/人形劇団プーク4度目の再演「怪じゅうが町にやってきた」/戦後70年、ぜひ親子で

 人形劇団プークが、今夏「怪じゅうが町にやってきた」を再演します。「戦後70年を迎えた今の時代にこそ、ぜひ見てほしい作品」と、劇団では稽古や準備に力を入れています。
 (平井真帆)

 「この作品は約100年前、アメリカで作られた物語が原作です。プークでの初演は1981年。何年か前から各地で再演を望む声が多くあり、14年ぶりに4回目の再演を決めました」。こう語るのは初演から演出を手掛けている竹内とよ子さんです。
 物語は、ある日突然、町におそろしい形相の怪じゅう「グリフィン」がやってくるところから始まります。実はグリフィンは優しい心の持ち主なのですが、町の人たちは異形の生き物を恐れ、町から排除してしまいます。
  

 「すべての子どもたちと民衆の平和のために」をモットーとして戦前戦後、一貫して平和を訴え活動してきた人形劇団プークは29年の創立。昨年は劇団創立85周年を迎えました。
 86年の歴史の中には、戦前、治安維持法によって強制解散させられ、活動停止を余儀なくされた時期もありました。同法により逮捕・拘束された団員もいます。
 「今年は戦後70年。これからの日本はどうなってしまうのか、というような重大な問題がたくさん起こっています。人間が生き生きと暮らせる国になるためには、自分たちが間違ったことをしてきた歴史を、きちんと認めることが必要だと思います。今回は特にそのことを意識して作品作りをしていきたい」と竹内さん。
 「人形劇は、人々の生きる力になり、世界を変えることができる、そうありたい」と願い、40年にわたり演出を続けてきました。「この夏休み、親子でぜひ、グリフィンに会いに劇場にお越しください。グリフィンの命の躍動を感じていただけると思います」と、呼びかけています。

あらすじ
 ある時、町に「グリフィン」という怪じゅうがやってきます。恐ろしさのあまり町は大騒ぎ。町の人たちは怪じゅうと話をさせるために、若い神父を差し出します。
 本当は心優しいグリフィン。神父をすっかり気に入り、子どもたちと心を通わせ、町の人気者になります。
 ところがグリフィンが「子どもを食べる」といううわさが流れ、再び町の人たちはパニックに…。

上演予定

上演日程 2015年
8月20日(木)午前10時30分
  21日(金)午前10時30分
        午後2時
  22日(土)午前10時30分
        午後2時
  23日(日)午前10時30分
        午後2時
会場 東京・新宿東口「紀伊國屋ホール」(紀伊國屋書店新宿本店4階)
来年の公演予定
2016年 1月16日(土)小田原市民会館、22日(金)エポックなかはら、24日(日)幸市民館、2月7日(日)湘南台文化センター・市民シアター(いずれも神奈川県) 
その他、全国各地で公演予定
入場料 3130円(全席指定)
「しんぶん赤旗」読者割引   2800円
委細問い合わせ 人形劇団プーク03(3370)3371
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2015年08月08日,「赤旗」)

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野呂栄太郎碑小公園/お盆を前にきれいに/北海道・長沼町

 北海道の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟南空知支部は3日、長沼町にある野呂栄太郎碑小公園内の枝払いなど整備を行いました。
 1931年日本が中国への侵略戦争を開始し、日本共産党を一網打尽にする治安維持法の猛威が荒れ狂う30年代、長沼出身の野呂は、最後の日本共産党中央委員として「赤旗」(せっき)に反戦論文を執筆掲載するなど、党と「赤旗」発行を支え、34年2月19日獄死した不屈の日本共産党員です。
 同支部では「お盆など帰郷の際には『戦争を許さない』を誓い合う場≠ニしてお寄りください」と呼びかけています。
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2015年08月06日,「赤旗」)

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反戦の声上げ続けよう/市民集会に260人/北海道・士別

 北海道士別市で3日、「戦争をさせない士別市民集会」が開かれ、260人が参加しました。9条の会、農民連盟、平和運動フォーラムなどに仏教会など宗教団体も加わった同実行委員会の主催です。
 柿崎由美子実行委員長が「安倍政権によって日本の平和が崩されようとしている。今なら止められる。みんなで立ち上がろう」とあいさつ。7月末に広島を訪問した小学6年生の佐野亮平さんが「被爆者が苦しさのあまり舌をかみ切って死のうとしたという話を聞いて悲しくなった。戦争で平和はつくれないと思う」と報告しました。
 元士別高校教諭で治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部の宮田汎会長が講演しました。
 北海道で初めての治安維持法弾圧だった1927年の集産党事件の犠牲者には士別の若者たちが多数含まれていたこと、その若者たちは積極的に労農運動に参加し、当時の政府が中国出兵を強行したときに戦争反対の運動をしたと話し、「先達に学び反戦の声を上げ続けよう」と訴えました。
 参加者全員で「戦争をさせない」と書いたパネルを掲げ、唱和しました。
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2015年08月06日,「赤旗」)

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平和のための戦争展を開く/和歌山

 「2015平和のための戦争展わかやま」が1、2の両日、和歌山市で開かれました。
 戦後70年企画でパントマイミストの松井朝子さんが記念講演。松井さんの祖父は、1946年の第1回日本共産党和歌山地方委員会準備会に参加した北川宗蔵氏です。北川氏は、和歌山高等商業学校(現和歌山大学経済学部)教授だったとき治安維持法で逮捕・起訴され、1年7カ月の投獄を経て敗戦により出獄。戦後も和大教授として活躍しましたが、49歳の若さで亡くなりました。
 松井さんは、母で絵本作家のまついのりこさんが北川氏を語ったエッセーを朗読し「母や祖母から戦争の話を聞いてきました。引き継ぐのは私たちです。平和の中で受けた生きる喜びを伝えることではないでしょうか」とよびかけました。講演後、まついさんのパントマイムに参加者は魅了されました。
 和歌山大空襲や、原爆と人間写真展、戦前の国定教科書・戦争に抵抗した人々などの展示企画に、多くの市民が見入っていました。子どもを連れた女性(42)は「戦争、それに原発が心配です。子どもたちの未来のためにやめてほしい」と話しました。
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2015年08月04日,「赤旗」)

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日本母親大会/戦争法案阻止へ決意/子どもの幸せの原点は平和/未来を守るため運動

 戦争法案が参院で審議入りし、反対の運動が全国で盛り上がるなか、第61回日本母親大会(1、2日、神戸市)は、大会を通して「子どもの未来を守ろう」と法案阻止への決意を固め合う場となりました。
 (堤由紀子、前田美咲)

各地のたたかい持ち寄り
 「九条を変えたらいかん」「若者を戦争のえじきにしない」「戦争したがる総理はいらない」―。戦争法案を必ず廃案にとの思いを込めたプラカードが、ステージにひしめき合います。1日目の全体会では、各地のたたかいを持ち寄り、励まし合いました。
 「子どもを殺し、殺されるために育てている親はどこにもいません。子どもたちの未来を守ってください」。新日本婦人の会長野支部の森山雅子さん(35)は6月議会で意見陳述しました。信州レッドアクションを立ち上げ、「女性パワーで廃案に」と意気込みます。
 全国の弁護士も一致してたたかいの先頭に立っています。明日の自由を守る若手弁護士の会は、全国で約400人にもふくらんでいます。兵庫支部の川元志穂さん(40)は「仲間とともに自分たち自身が楽しく活動できることが原動力」と、憲法カフェ、出前講座、憲法寸劇など多彩な活動を紹介しました。
 「教え子をふたたび戦場に送らない」。戦後一貫してかかげられてきたスローガンの真価が、いま問われています。全日本教職員組合の吹上政子さん(59)は「若いパパやママが立ち上がる姿に戦後の民主教育の意味を見いだし、確信になる」と教職員の責務を胸に刻み、「憲法を宝として民主教育を守ります」と決意しました。
 「再び戦争と暗黒政治を許すな!」と書かれた黄色いゼッケンが並びました。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟女性部です。井上敏江さん(78)は「世界の宝といわれる日本国憲法を守り、平和・民主・人権の21世紀をめざします」と力をこめました。
 今年は、戦後・被爆70年の年です。山口、東京、京都、神奈川の代表がそれぞれの地の米軍基地撤去とあわせて、沖縄との連帯をと訴えました。
 連帯の呼びかけにこたえたのは、沖縄の上原美幸さん(63)です。沖縄の辺野古新基地建設を許さないたたかいは、いよいよ正念場。「沖縄県民は決して負けない! 屈しない! なぜなら、勝利するまでたたかうから」。力の限り訴える上原さんに、ひときわ大きな拍手と声援が送られました。

分科会でも平和がテーマに
 多くの親子連れが参加し、子どもの歓声が響いた2日目の分科会「遊んで学んで子育てキラキラ!」でも、「平和」が一つのテーマになりました。
 元気に走り回る子どもたちを笑顔で見つめ、子どもの好奇心を刺激し全身を使う遊びを提案した講師の熊丸みつ子さん(幼児教育専門家)。最後に「今日みたいな遊びができるのは平和でこそ。子どもの幸せの原点は平和です。私たちは今、本気になって『戦争はだめ』といわなければいけないと思います。できることをできる所からやっていきましょう」と呼びかけました。
 うなずきながら聞いていた渡名喜まゆ子さん(37)=東京都千代田区=は「子どもの未来を考えると恐ろしい法案です。平和でこそ子育てを楽しめるし、子どもの笑顔を見られます。ママの会のデモで、今までいちばん無関心だった層が立ちあがってくれて心強い。いま声を上げなかったら絶対に後悔するので、一緒に頑張っていきたい」と話しました。
 「子どもができなければ、こんなこと考えませんでした」と語るのは、5歳と4カ月の娘と3歳の息子をもつ大谷晃平さん(27)=大阪市中央区=。「法案を許せば、50年後、100年後に子や孫が戦争に行くことになってしまう。反対です。同世代に、こういう話を聞く機会がもっとあれば反対が広がると思います」
 歩き始めたばかりの1歳の娘を抱いた宮本智子さん(37)は「子どもがいなければ『自分は徴兵される年齢でもないし』と考えましたが、今はもう逃げられません。ホルムズ海峡の話など、新聞で論破されていることを、平気な顔で繰り返す首相に腹が立ちます。デモや国会前で頭数になり『国民は怒っているぞ』と政府にちゃんと見せるのが大事だと思います」と語りました。
 1日目に講演した金杉美和弁護士はこう結びました。「国民の心からの叫びが国を大きく動かしています。そのことに確信をもって腹の底から『戦争嫌だ』『法案止めるんだ』という運動をぜひ一緒にやっていきましょう」

反核・平和 二つの「大会」/取材団から
 ○…いまから61年前の1954年3月、アメリカが太平洋ビキニ環礁で強行した水爆実験に遭遇し被災した第五福竜丸などのビキニ事件は、翌55年にいまに続く二つの反核・平和の「大会」を生みだしました。ひとつは、「原水爆禁止に関する世界の世論を確立する」ことを目的にすすめられた草の根の署名運動に支えられて広島で開催された「原水爆禁止世界大会」です。もうひとつは、母親・女性が手をつなぎ「核戦争から子どもを守ろう」と始まった「日本母親大会」です。
 ○…二つの大会は毎年開かれ、「ノーモア、ヒバクシャ」「ノーモア、ウオー」と訴え続けてきました。ここに、安倍政権の「戦争する国」づくりに反対する運動が空前な規模で盛り上がりをみせている、ひとつの地下水脈をみる思いです。
 ○…「連帯をいっそうつよめ、子どもたちに『核兵器のない平和で明るい未来』を手渡すために、ともに力をあわせよう」とアピールを採択した日本母親大会。「戦争する国」づくりノーの母親・女性たちの熱い願いを胸に広島で取材を続けます。
 (活)
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2015年08月03日,「赤旗」)

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*           【7月】(ヘッドライン)

*           31

*           戦争法案反対、ポスターでマイクで/「いまを生きる私たち頑張る」/沖縄、国賠同盟訴え

*           朝の風/映画法の再来ゆるさじ

*           「多喜二が見た飛火野」の催し/治維法国賠同盟・奈良県本部青年部

*           伊藤千代子の手紙公開10年/北海道苫小牧で集い

*           廃案まであきらめない/戦争法案ストップ各地で/秋田/北海道/青森/岩手

*           戦争法案つぶす/安倍暴走止める/国民主権をないがしろに/東京山宣会が声明

*           この党と出会って/10代・20代の決意/働き方の悪循環変えたい/天野晶さん(21)千葉県横芝光町

*           20

*           戦争法案必ず廃案へ/各界怒りと決意

*           主張/日本共産党93周年/平和の岐路、いまこそ力合わせ

*           「もの言ふ機関」斬りすてた無法国家/歴史の体験と安倍内閣/橋本進

*           戦争法案/世論で追いつめ廃案に/12年ぶり東区アクション/宗教者、戦争経験者が結集/岡山

*           戦争法案採決強行許さず/金沢で怒りの昼デモ

*           国賠同盟が総会/宮城県本部

*           治維法国賠同盟県本部が大会/山形

*           10

*           国賠法制定の意見書を採択/鳥取・大山

*           戦争法案廃案へ大会で決議採択/道治維法国賠同盟

*           9条変えたらあかん/あじさい平和のつどい/岐阜

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【7月本文】

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戦争法案反対、ポスターでマイクで/「いまを生きる私たち頑張る」/沖縄、国賠同盟訴え

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟沖縄県本部は27日、戦争法案の廃案を求めて那覇市の街頭で訴えました。
 村山純代表委員は「沖縄戦を体験した県民は、軍隊は住民を守らないことを肌身で知っている。戦争と暗黒政治への道を再び歩まないために、保革の違いを超え、オール日本で声を上げていこう」と訴えました。事務局員の上間直樹さん(41)は「真の平和は、祖先から受け継いだ豊かな自然と共生の社会。基地が集中する沖縄でこそ廃案を強く求めよう」と呼びかけました。
 うまんちゅの会の比嘉瑞己県議が参加し、「戦場に行くのは子や孫たち。いまを生きる私たちが頑張るときです。国民世論と国会論戦で廃案に追い込もう」と力を込めました。
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2015年07月30日,「赤旗」)

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朝の風/映画法の再来ゆるさじ

 映画人の戦争法案反対アピール賛同者は、衆院本会議で同法案が強行採決された16日に発表された。強行直後の会見でもあり監督たちの言葉は痛切だ。
 降旗康男監督は、高校入学の年に朝鮮戦争が勃発したが、9条に守られて自分たちは戦争に動員されずにすんだことを忘れることはできないと語った。神山征二郎監督やジャン・ユンカーマン監督らは、安倍首相がもっとわかりやすく説明すると言っているのは、国民を愚弄している、と怒りを隠さない。
 日本の映画人には、治安維持法に続き、1939年に制定された映画法で統制下におかれ、国策映画を作らされたり、自由を奪われた痛苦の歴史があることも会見で指摘された。「戦ふ兵隊」(39年)で知られる亀井文夫が治安維持法違反で投獄され、出獄後、映画法によって免許をはく奪されたのは一例である。
 4月に東京・世田谷美術館で開催された「東宝スタジオ展 映画=創造の現場」に、やはり投獄体験のある村山知義への登録取り消しの「命令書」(42年)が展示されていたのを思い出す。
 映画法の時代を再び招くなという訴えには今切迫感がある。戦争の本質に迫る映画も掘り起こさなければ、と高畑勲監督は語った。深く広く運動の進展を期待したい。
 (響)
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2015年07月29日,「赤旗」)

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「多喜二が見た飛火野」の催し/治維法国賠同盟・奈良県本部青年部

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟奈良県本部の青年部は23日、戦後70年フィールドワーク「多喜二が見た飛火野」と題して、奈良市の教育大学で特高月報の閲覧と高畑町にある志賀直哉旧居の見学をおこないました。
 田辺実県本部会長が、「歴史認識の問題は現代のものです」と話し、特高月報の説明や、県本部がまとめた「奈良県の治安維持法犠牲者名簿」を参考にすることなどアドバイスし、参加者は月報を閲覧しました。
 志賀直哉旧居では、小林多喜二が1931年11月に旧居を訪問し、宿泊したという2階の客間などを見学し、志賀直哉と多喜二の交流の様子や多喜二の死に志賀直哉が衝撃を受け、「暗たんたる気持ちになる」と多喜二の母に、手紙を送ったことなどを、日本共産党の宮本次郎県議が説明しました。
 参加した、いずみ信丈参院選挙区候補は「自分と同じ世代の人が、命をかけてたたかっていたことがわかりました」と話しました。
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2015年07月24日,「赤旗」)

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伊藤千代子の手紙公開10年/北海道苫小牧で集い

 戦前に治安維持法違反で逮捕され24歳の若さで獄死した日本共産党員の伊藤千代子(1905〜29年)の最後の手紙が、苫小牧市立中央図書館で公開されて10年。苫小牧市でこのほど、記念の集いが開かれました。
 獄中からの最後の手紙は、義母や義妹に送った4通で、千代子の夫であった文芸評論家の浅野晃氏が中央図書館に寄贈していたものを、当時苫小牧市議だった畠山忠弘氏らの働きかけで2005年4月に公開されました。
 「伊藤千代子を知る会」の畠山事務局長と治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部の宮田汎(ひろし)会長が講演しました。
 畠山事務局長は「困難にも屈服することなく戦争に反対し、人々の幸せのために志を貫いた姿勢に学びたい」とのべました。
 宮田会長は「命を守る反戦運動で女性は多くの犠牲を払いました。女性のたたかいによって憲法に女性の権利を書き込ませた」と話しました。
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2015年07月23日,「赤旗」)

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廃案まであきらめない/戦争法案ストップ各地で/秋田/北海道/青森/岩手

■秋田

怒りの赤$gにつけて
 秋田県内の女性の「戦争法案ゆるさない!女性のレッドアクション」が21日、秋田市内で行われ、怒りの赤≠身につけた女性たち40人余が参加しました。
 「若者たちが殺し殺されるような社会が平和な世界ですか? 暴力では何も生まれない」「ウソやごまかしの言い訳で、平和・安全を守るなどと言葉をもてあそぶ政治は終わらせよう」とリレートークで訴えました。
 署名した親子は「安倍首相のやり方には本当に腹が立つ。テレビで顔を見るのも嫌」と怒り、70代の女性は「国民の声を聞いて新国立競技場の計画を白紙にできるなら、勇気を持って廃案にすべきだ」と話しました。通りかかった赤いシャツを着た男性は「俺は広島カープのファンだから」と言いつつ、シール投票で戦争法反対にシールを貼りました。
 参加した女性たちは「衆議院を通したから諦めるだろうと思ったって大間違い。法案をつぶすまでがんばる」と意気込んでいました。

■北海道

膨らむ行進/今度はいつ/厚別
 札幌市厚別区の「戦争法案許すな!厚別の会」が20日、140人で「アベ政治許さない!」「戦争NO!」のプラカードや赤いものを身につけ、パレードしました。小さな子の手を引く若いお母さんや、戦争体験を持つ高齢者がレッドカードを安倍首相に突きつけようと、シュプレヒコールを上げました。
 「こういうパレードは今度いつやるんですか」「一緒に歩いてもいいですか」など、戦争法案に黙っていられない区民の憤りで、最終地点到着までに参加者がどんどん増えていきました。
 日本共産党の村上仁市議も参加しました。

展望つかむ/学習会開く/美幌
 北海道美幌町で20日、戦争法制に反対する美幌連絡会が「戦争法ストップ学習会in美幌」を開き、約40人が参加しました。
 「明日の自由を守る若手弁護士の会」の川上麻里江弁護士が、自民党の憲法改定草案にそって、憲法を変えてどういう国にしようとしているのか、秘密保護法から続く戦争できる国づくりをどうすすめていくのか、国民にどのような影響をもたらすのかをわかりやすく話しました。
 参加者から「日本は武器を持たないという宣言を世界に発信していく必要がある」「たたかいの展望は」などの発言が相次ぎました。
 リレートークでは、「美幌で自衛隊のパレードが行われたが、彼らを戦地に送ることは許されない」と思いが語られました。

会を結成し/署名行動へ/西いぶりの会
 北海道の西胆振地域で「いらない!戦争法案 西いぶりの会」(代表・宮尾正大元室蘭工業大学教授)が19日夕、室蘭市で署名に取り組みました。
 同会は、室蘭、登別、伊達の3市と豊浦、洞爺湖、壮瞥(そうべつ)の3町の大学元教授、町職員、労働組合員、自営業者ら16人が呼びかけ人となって16日に結成したものです。同日の結成総会には160人が参加しました。
 雨の中の署名に20人が参加。谷育子さんは「米国に法案成立を約束し、国民にうそを言う安倍首相は許せません」と話しました。
 日本共産党の常磐井茂樹室蘭市議、渡辺勉登別市議も参加しました。

■青森

署名し語る戦争の光景
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟青森県本部は20日、「ふたたび戦争と暗黒政治をゆるすな!」の横断幕を掲げ青森市内で戦争法案廃案を求め署名に取り組みました。
 署名した80歳の女性は「戦時中、死体が転がる悲惨な町の中を歩いた。あの光景は今も、まなご(眼)に焼き付いている。戦争は生きている命を勝手に奪う。安倍首相は恐ろしく危険な人だ。孫のためにも、この政権は止めないといけない」と話しました。

■岩手

青年の声をデモで発信
 岩手県内の青年で結成した「私たちは、絶対に、絶対に後戻りしない」7・25デモ実行委員会は21日、県庁で記者会見し、25日午後6時15分から盛岡市で戦争法案の廃案を求めるデモ行進をすると発表しました。
 藤倉志乃さん(民青同盟岩手県委員長)が「青年の声を聞かない安倍首相は即刻退場すべきだ。デモで主権者としての青年の気持ちを後押ししたい。多くの人に参加してほしい」と呼びかけました。
 デモは午後6時に内丸緑地公園に集合。問い合わせ先は019(623)9134。
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2015年07月23日,「赤旗」)

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戦争法案つぶす/安倍暴走止める/国民主権をないがしろに/東京山宣会が声明

 戦前、反戦平和を掲げ、治安維持法に反対して右翼に暗殺された代議士・山本宣治の顕彰活動をしている「東京山宣会」(山田善二郎会長)は21日、自民、公明両党が16日の衆院本会議で戦争法案を強行採決したことに抗議する声明を発表しました。
 声明は、自衛隊員を殺し殺される状態の中に送り込む違憲の法案であることが明らかになり、国民の多数が反対しているにもかかわらず、法案が強行採決されたことは、国民主権をないがしろにするものだと批判。「戦前の侵略戦争に反対してきた先人達の遺志を引き継」ぎ、法案の廃案をめざして奮闘するとしています。
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2015年07月23日,「赤旗」)

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この党と出会って/10代・20代の決意/働き方の悪循環変えたい/天野晶さん(21)千葉県横芝光町

 元気な子豚を優しく抱くのは、千葉県横芝光町で養豚業を手伝っている天野晶さん(21)。6月に入党し、新入党員教育で党の歴史を学んでいるところです。19日には斉藤和子衆院議員を迎えた集いで司会に抜てきされ、「緊張しました」と笑います。

子豚抱きしめて
 農場は4月の町議選挙で初議席を得た、共産党の山ア義貞町議が営んでいます。今年2月、山アさんから「農場を手伝ってほしい」と招かれました。
 農場では約800頭の豚を飼育。「最近やっと慣れてきました。子豚はかわいいし、やってみるとおもしろい」。山アさんがあたたかく見守ります。
 東京都内の工業高校を卒業後、電気工事関係の会社に就職。毎朝7時に現場に集合し、納期が迫ると深夜まで残業しました。どれだけ残業しても残業代は定額でした。
 1年半仕事を続けましたが、体が持たなくなり退職。「あのころは、普通の働き方だと思っていました」。友人の多くが同じような状況で、若者を使い捨てにする雇用の広がりに「悪循環をどこかで変えないと」と憤ります。「次に働くなら、自然相手の仕事がしたい」と、農民運動全国連合会(農民連)で働く母親に相談し、山アさんと出会いました。

若い人が戦場に
 山アさんから渡された日本共産党の「入党のよびかけ」を読み、2日後に入党申込書を届けました。戦争法案を阻止し「国民が主人公」の新しい時代の扉をひらこうと訴える「よびかけ」を読んで、「この通りだ。このままいったら、俺たちみたいな若い人が、戦争に行くようになる」と入党を決意しました。
 戦争法案の強行採決を速報で伝えるラジオに、聞き入りました。若者をはじめ何万人もの人が国会前や全国で連日抗議している姿に、「若い人は政治に無関心といわれてきたけど、この法案は自分たちに直結している。声をあげなきゃいけない。国会前には行けなくても、できることをやりたい」。
 農業や暮らしを守るために活動する母親や、党市議として周りに信頼されて活動する祖父の姿を見て育ちました。学生時代、祖父の書棚にあった小林多喜二の『蟹工船』を読みました。
 「共産党は戦前から、今では当たり前のことをとなえてきて、今の国会での質問も、提出した法案も、当たり前のことを言っているだけ。ずっと、『入党を誘われたら、断る理由はない』と思っていました。ネットでも共産党をたたく人はいるけど、俺は、不安はないし、迷いもないです」。まっすぐに前を見つめます。
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2015年07月23日,「赤旗」)

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戦争法案必ず廃案へ/各界怒りと決意

 衆院本会議での戦争法案の強行採決にたいし、各界の人たちの怒りの談話を紹介します。

怒りを力に変えて/「戦争したくなくてふるえる。」デモ発起人高塚愛鳥さん
 多くの人がこれだけ反対していて、到底採決できる現状じゃないのに強行することにすごく腹が立ちます。一体、日本はどうなっているのって思います。
 国民の声を聞くのが政治家の役目なのに。国民の声を無視して、思いのまま好き勝手に暴走しないでといいたいです。国民の生活を守る政治をきちんとしてほしいです。
 私たちの自由な生活を守るためにもあきらめずに怒りをエネルギーに変えて、廃案にしていきたいし、みんなで安倍首相を辞めさせたい。
 先日は街頭スピーチもしましたが、次の行動も考えています。終戦記念日にもう一度デモをしたいと思っています。

取り組みを強める/福岡県弁護士会会長斉藤芳朗さん
 日本弁護士連合会や各地の弁護士会は、安保法制や憲法9条の解釈を変更した昨年7月1日の閣議決定について、憲法の恒久平和主義や立憲主義に反し、違憲であると繰り返し表明してきました。
 安保法制は、実質的に憲法を改正するに等しい内容であり、憲法の恒久平和主義の理念の下、戦後70年続いてきた日本の国のあり方を根本から変えるものです。このような重大な内容の法案について、採決を強行するということは民主主義の理念を根本から踏みにじるものであり、断固として容認できません。
 会として、強行採決に抗議するとともに、憲法違反の安保法制成立阻止を求めて、広く国民とともに一段と取り組みを強める決意です。

国民主権に反する/岡山弁護士会会長吉岡康祐さん
 私たち弁護士会は再三にわたり、集団的自衛権行使容認を決めた閣議決定、および安保法案は、憲法9条に反しているので、撤回、廃案をと求めてきました。
 国会審議で、憲法学者が違憲と口述したにもかかわらず、安倍内閣は聞く耳を持たず、80%以上の国民が納得していない法案を強行採決したことに、強い憤りをおぼえます。
 このような安倍内閣の行為は、立憲主義に反するだけでなく、国民の安全や平和よりも、アメリカとの約束を優先させたもので、国民主権にも反します。
 弁護士会は、今後も立憲主義のもとで、国民とともに、平和と人権を守るため、戦争法案の廃案を訴え、たたかいつづけます。

学者は立ち上がる/早稲田大学教授(法学)浅倉むつ子さん
 安倍首相は「憲法が国家権力を縛るものという考え方は絶対王政の時代のものだ」といいました。とんでもない間違いです。安倍さんがなぜ国家権力を行使できるのか、その根拠こそ憲法であって、憲法の範囲内でのみ権力が行使できる。それが立憲主義です。安倍首相のやり方は、権力者自ら、その根拠を否定するものです。
 立憲主義の否定に、多くの学者・研究者が怒りをもって立ち上がっています。「安全保障関連法案に反対する学者の会」の法案反対アピールへの賛同はすごい勢いで広がり1万を超えました。学生も頑張っていますから連帯したい。いま歴史の岐路です。この危機に、責任をもって行動し、あきらめずにしつこく、それぞれができることをやっていこうと話し合っています。

反対広めるために/国際基督教大学客員教授稲正樹さん
 強行採決の後、国会周辺に多くの人が集まり、夜遅くまで怒りの声を上げていました。対米公約を優先し、国民主権を踏みにじる政府に憤りを感じます。
 安保法案(戦争法案)は、「専守防衛」を捨て、戦争しない国を断ち切り、自衛隊を世界の戦場に出していくようにするものです。これは、「専守防衛」を建前としてきた自衛隊の合憲論≠サのものが崩れることを意味します。
 安倍首相も昨日の衆院特別委員会で、法案について「理解が得られていない」と認めました。理解が進めば進むほど、強い反対が起こるということです。法案の危うさや立憲主義を壊すやり方について、もっと理解が広まるよう頑張りたい。たたかいは、まだまだ終わっていません。

常軌逸した進め方/こまつ座社長井上麻矢さん
 安倍首相は採決前に「国民の理解が得られていない」と言いました。だったら、なぜ無理やり採決するのでしょうか。自分の考えに自信があるのなら、きちんと国民の中に理解が広がるまで説明し、議論すべきでしょう。
 安倍首相の頭の中には私たち国民のことはなく、自分の考えだけで国会を動かそうとしているだけのように見えますし、実際そう感じます。安保法案は明らかに憲法違反だと思うし、やり方、進め方に強い憤りを感じます。常軌を逸しています。
 衆議院は通りましたが、まだまだこれからです。一人ひとりが、それぞれの置かれた場所で何ができるかを考え、声をあげるときです。とんでもない方向に、日本を持っていかないためにも。

正念場のたたかい/アジア太平洋資料センター事務局長内田聖子さん
 強行採決には怒りしかありません。アメリカ軍に協力して、日本の若者を戦争にかりだすという法案の中身もひどいですが、やり方もひどい。一種のクーデターといえます。民主主義を全否定するやり方です。
 私たちが反対しているTPP(環太平洋連携協定)交渉は、月末に閣僚会合が予定され、オバマ政権に追随して安倍内閣は交渉妥結≠いいます。そのため国会決議に違反して譲歩するといいます。
 戦争法案もTPPも「富国強兵」の動きです。グローバル企業のために国民の利益、安全をさしだすものです。
 安倍政権のひどさが国民の共通認識になっています。内閣支持率は、低下することはあっても戻ることはありえません。これからが正念場のたたかいです。24日には東京において「安倍政権ノー」の行動がおこなわれます。声をあげ続けましょう。

共同のたたかい広げ/全労連議長小田川義和さん
 国会審議でも、学者の陳述でも、戦争法案は憲法違反であることが明らかになりました。
 政府は、審議時間をもって、議論が尽くされたかのようにいいます。しかし、法案の問題点や必要性など、政府が説明責任を果たしたとは到底いえません。それを数の力で押し通すことは、主権者・国民をないがしろにするものであり、ごうまんそのものです。
 戦争法案に対する批判が、短期間で急速に広がっています。国会前では、SEALDs(シールズ)の行動に、幅広い年代、労働組合、市民団体が一緒に声をあげています。安倍政権の暴走に対する危険を深くとらえた、たたかいになっています。共同行動をになっている「総がかり行動実行委員会」を軸にたたかいを広げ、必ず廃案に追い込みたい。

命を脅かす愚挙/元陸上自衛隊1尉加藤好美さん
 大半の自衛隊員は、戦争法案に賛成していないでしょう。隊員は、憲法9条のもとで日本の国土を守ることに誇りをもっているのです。なんで米軍の手下となって外国で「殺し、殺され」なければならないのか。安倍首相のやろうとしていることは、日本の安全につながるどころか、自衛隊員、国民の命を大きく脅かす愚挙です。
 海外で戦争するようになれば、自衛隊の志願者は減り、必然的に徴兵制が持ち出されるでしょう。そして戦前のように若者が有無をいわさず戦地に送られるようになる。
 戦争か平和か。今が本当に正念場です。若者や多くの国民が立ち上がっていることは心強い。私もできる限りのことをしたいと思っています。

9条は世界で評価/「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会発起人鷹巣直美さん
 「憲法9条を保持している日本国民」が今年もノーベル平和賞にノミネートされました。
 世界中すべての人が平和のうちに生存する権利(平和的生存権)や戦争放棄を定めた憲法9条は、世界で評価が高まっています。世界が9条の水準に追い付こうというときに、安倍首相は9条を投げ捨てようとしている。時代錯誤も甚だしい。
 武力による紛争介入は、多くの犠牲者と憎しみの連鎖を生み、さらなる紛争と戦争を呼び起こしています。
 そして多くのママたちが「子どもが戦争に巻き込まれるのでは」という不安を抱えています。今、声をあげなかったら、子どもたちの信頼を裏切り、見殺しにすることになる。戦争法案は許さない。この声を大きくし、成立を阻止したい。

非軍事の価値伝え/日本国際ボランティアセンター(JVC)事務局長長谷部貴俊さん
 安保法案(戦争法案)の廃案に向けて、私たちも動きを強めていかなければと感じています。JVCなど安保法案に反対するNGO有志の「NGO非戦ネット」を結成し、賛同を呼びかけています。戦争を止めるため、非軍事の価値を伝え、多くの国民の胸に響くよう訴えていきたい。
 私自身、アフガニスタンで支援活動に携わり、平和憲法9条の下でこそ日本の支援が生きると確信しています。現地の方も、中立的な支援を求めています。軍事介入は、ISのようなテロ組織を台頭させ、一般人の巻き添えも増やしているのが現状です。その検証もなく、自衛隊の活動範囲を広げ「国際貢献」というのは間違いです。平和国家としての積み重ねを壊してしまう。

言葉と言葉交わし/元中央大学教授横湯園子さん
 衆院での強行採決は、米国議会で夏までに成就させる約束をした安倍首相が、国民の反対意見より米国との約束を優先した結果です。
 海外で戦争する国になれば、国民生活全般が戦争を支え、反対する人を弾圧することになります。戦前の国家総動員法、治安維持法を思い出します。
 米国への忠誠を誓い、あらゆるものを戦前に戻そうとする安倍首相から、日本を守りきりたい。息長く運動を続けるには、顔と顔を突き合わせ、言葉と言葉を交わして、心の底から反対する人を広げていくしかないと思います。
 「女の平和」行動で呼びかけた、赤いものを身につけた女性の抗議が日本中に広がっています。戦争法案廃案と安倍政権退陣のためにやれることをやりたい。
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2015年07月17日,「赤旗」)

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主張/日本共産党93周年/平和の岐路、いまこそ力合わせ

 日本を「海外で戦争する国」につくりかえる戦争法案の国会審議が緊迫した局面を迎えるなか、日本共産党はきょう、1922年(大正11年)7月15日の創立から93周年を迎えました。当時の日本は侵略戦争へ突き進む暗黒時代でしたが、日本共産党は命がけで反戦平和を掲げ、過酷な弾圧に屈せずたたかい抜きました。民意に逆らい暴走する安倍晋三政権のもと、戦争か平和かの大きな歴史の岐路にあるいま、日本共産党は反戦平和を貫いてきた党の真価を発揮し、多くの人たちと手をたずさえ戦争法案阻止へ、力を尽くす決意です。

党創立の原点貫いて
 戦争法案強行を狙う安倍政権への国民の怒りは日々高まり、反対行動は国会周辺だけでなく全国津々浦々で劇的な規模で広がっています。日本共産党は、国会内外で法案阻止のたたかいの重要な一翼を担い、総力をあげています。
 戦争への道を許さない―これは日本共産党創立の原点です。党は誕生とともに、天皇制政府によって「非合法」に置かれましたが、侵略戦争反対と国民主権の旗を敢然と掲げ、国民に訴え続けました。
 1931年9月、15年にわたる侵略戦争の発端となった日本軍国主義による中国東北部への侵略開始(満州事変)直後、党は「即時軍隊を撤退せよ!」「一人の兵士も戦線に送るな!」と声明を発表しました。すべての新聞が「守れ満蒙=帝国の生命線」などと侵略をあおるなか、党と「赤旗」は、日本の良心を示すものとなりました。日本軍のなかにも党組織がつくられ、そこの発行する新聞が軍艦内で回し読みされる状況も生まれ、天皇制政府を震え上がらせました。
 日本の敗戦まで、多くの先輩がすさまじい弾圧により逮捕・投獄され、命まで奪われましたが、党のたたかいは戦前史に深く刻まれています。その意義は、「最後の海軍大将」といわれた井上成美が戦後になり「いまでも悔やまれるのは、共産党を治安維持法で押さえつけたことだ。いまのように自由にしておくべきではなかったか。そうすれば戦争は起きなかったのではあるまいか」と悔恨の言葉を残したことからも明らかです。
 アジアの諸国民約2000万人、日本国民約310万人もが犠牲となった日本の侵略戦争への痛苦の反省のうえに制定された日本国憲法が、戦争放棄・主権在民を明記したことは、日本共産党の不屈のたたかいの大義を示すものです。
 戦後70年の今年、侵略戦争の誤りを認めない安倍政権が憲法9条を破壊し、日本を再び「戦争する国」にする策動を加速させていることほど、アジアと世界の平和にとって危険なことはありません。安倍政権の歴史逆行の暴走を阻むために、反戦平和を貫き1世紀近い歴史をもつ日本共産党が果たす役割は決定的に重要です。

戦争法案阻止を必ず
 安倍政権と正面対決する日本共産党に「暴走ストップへ中心的役割を果たして」と新たな期待と信頼が寄せられていることは、身が引き締まる思いです。いまこそともに力を合わせ、世論と運動を広げに広げ、戦争法案を必ず廃案に追い込もうではありませんか。
 戦争への道を許さず平和な未来をひらくために、一人でも多くの方にこの党に加わっていただくとともに、「赤旗」を購読していただくことを心から呼びかけます。
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2015年07月15日,「赤旗」)

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「もの言ふ機関」斬りすてた無法国家/歴史の体験と安倍内閣/橋本進

 「我社は昭和十九年六月、東条内閣のために毒殺閉鎖されて今日に至った」―敗戦直後、1946年1月号『改造』の「復刊の言葉」の冒頭である。「彼等政府者」は「もの言ふ機関」を斬り棄てる暴挙を行い、国民の「前古例なき悲惨」(戦禍)を招いた、とつづく。

内閣を頂点に発行元つぶし
 本年6月、自民党若手議員と「作家」の集会(同党本部内)で、沖縄2紙をつぶせ≠ニ口をそろえたことを知り、瞬時に頭に浮かんだのはこの言葉である。
 戦前、日本の代表的言論誌を発行していた中央公論社と改造社は、横浜事件(1942〜45年)によって解散に追い込まれた。横浜事件とは、特高と治安維持法によって、『中央公論』『改造』が廃刊になった言論弾圧事件と解説されるのが通例である。それは間違いではない。
 しかし、より正確には、
@両誌の発行元(もの言ふ機関=批判的言論機関)がつぶされたのであり、Aそれは内閣情報局の勧告=命令によるものであった。命令は当然、東条内閣の閣議をへたものである(安倍内閣お得意の閣議決定!)。横浜事件は、内閣を頂点とする警察、検察、裁判所総ぐるみの国家犯罪であった。
 横浜事件の特徴の一つは拷問である。六十数人の被検挙者は残虐きわまる拷問をうけた。獄死者4人、保釈直後死1人。小林多喜二がどうして死んだか、知ってるだろう≠ェ特高のセリフだった。
 1928年、三・一五事件の大弾圧があった。翌29年2月、旧労農党代議士・山本宣治は、帝国議会予算委において、「国賊」とのやじを浴びながら、全国各地での拷問事実を徹底的に暴露、糾弾した。
 これに対し、秋田清内務省政務次官は、天皇陛下の大御心のもと、そんなことはあり得ないとシラを切るだけで、反論できなかった。当時といえども拷問は違法だったのだ。

知性と学問を邪魔物視して
 拷問など官吏=公務員の暴行禁止は、明治刑法(明治15年、第282条)、改正刑法(明治41年、第195条)に明記され、それは現行刑法にひきつがれている。法律規定はあっても、権力は無視したのである。ウワベは法治国家、内実は無法国家だった。(そして山本宣治は、質問演説の翌3月、右翼に暗殺された)
 いま安倍政権は暴言・妄言の火消しに躍起であるが、批判的言論敵視の非民主的体質はこの政権と与党の固有のものである(一例=本年4月のNHK、テレビ朝日召喚、どう喝)。知性、学問からの声を邪魔物視し、立憲主義蹂躙の道を暴走する。ウワベは民主国家、内実は無法国家の道であり、戦争国家への道である。第二の東条内閣を現出させてはならない―歴史の体験が、私たちに教えてくれる。

 はしもと・すすむ 1927年生まれ。元『中央公論』次長、横浜事件を語り、伝える会会長。
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2015年07月14日,「赤旗」)

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戦争法案/世論で追いつめ廃案に/12年ぶり東区アクション/宗教者、戦争経験者が結集/岡山

 岡山県の憲法改悪阻止西大寺共同センターは9日夕、岡山市東区で「戦争法案に反対する東区アクション」を復活させました。同センターのアクションはイラク戦争反対行動以来、12年ぶりです。
 会場の広場には医療、農業、宗教、市民運動などの各分野から約100人が思い思いのプラスターやゼッケンを持って集まり、8人がリレーでスピーチしました。
 牧師の赤江弘之さん(72)は「宗教者として心が痛む。前の戦争のときには治安維持法で共産党とともにキリスト教が弾圧され、多くの牧師が死んだ。今また、元来た道に戻ろうとしている」と警告しました。
 元小児科医の栗原正さん(91)は、戦争に軍医として参加してシベリアに抑留された経験を語り、「もう戦争はこりごり。人を殺し殺されるむごたらしいもの。何としても止めなければならない」と訴えました。
 日本共産党の竹永光恵市議のスピーチ後、参加者は付近をデモ行進しました。
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2015年07月11日,「赤旗」)

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戦争法案採決強行許さず/金沢で怒りの昼デモ

 戦争法案の廃案や憲法改悪阻止を訴える「怒りの昼デモ」が8日昼、金沢市で行われ市民約100人が繁華街を歩いてアピールしました。石川憲法会議、憲法改悪反対県共同センターが呼びかけ隔週水曜日に実施しているもの。
 出発前集会で、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治維法国賠同盟)県本部の北口吉治会長が「戦争法案をめぐる国会論戦を見ても政府の説明に何の道理もないことは明らか。道理ある説明もできず、国民を危険にさらすこの法案を廃案に追い込む列島騒然の大運動を巻き起こそう」と呼びかけました。
 参加者らは、「戦争法案は廃案に」「平和守ろう」などと書かれたのぼり旗や横断幕を掲げ行進。「憲法改悪許すな」「戦争法案は必ず廃案に」とシュプレヒコールをあげ、通行人にアピールしました。
 買い物中の金沢市の女性(68)は「憲法9条の趣旨から見れば、この法案は明らかに間違い。そんな法律を作ってはいけない」と話していました。
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2015年07月11日,「赤旗」)

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国賠同盟が総会/宮城県本部

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治維法国賠同盟)宮城県本部はこのほど、第25回総会を仙台市内で開き、戦争法案に抗議し廃案を求める決議を採択し安倍首相に送付しました。
 体制を強化し戦争法案を必ず廃案にする
治安維持法犠牲者に対する国賠法制定署名目標を達成する栗原支部や石巻支部の結成を目指して会員を増やす犠牲者名簿の作成に取り組む―などの方針を決めました。
 横田有史会長、相原君雄事務局長、大沼耕治顧問の新役員を選出しました。
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2015年07月11日,「赤旗」)

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治維法国賠同盟県本部が大会/山形

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治維法国賠同盟)山形県本部第29回大会が4日、山形市内で開かれました。日本共産党の渡辺ゆり子県議が連帯のあいさつをしました。
 島津昭会長が「日本は憲法によって戦後70年戦争をせず戦死者を1人も出さなかった。安倍自公政権はこれを百八十度変えて戦争準備元年としようとしている。治安維持法犠牲者への謝罪と国家賠償を求める国賠同盟の活動は戦争法案反対の運動を国民的世論にしていくための基本的運動だ」と強調しました。
 
治安維持法犠牲者への謝罪と賠償を実現する活動として県民の1%以上の署名組織の拡大強化戦争法案阻止・憲法9条守れ、の一点共闘への参加などの方針を採択。島津昭会長、瀬野幸男事務局長を再任しました。
 「憲法9条破壊の戦争法案の廃案を求める」特別決議を採択しました。
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2015年07月10日,「赤旗」)

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国賠法制定の意見書を採択/鳥取・大山

 鳥取県大山(だいせん)町議会はこのほど、治安維持法犠牲者国家賠償法の制定を求める意見書を全会一致で採択しました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治維法国賠同盟)鳥取県本部が提出した請願は、2月議会で継続審査になっていました。
 2月議会の総務常任委員会では、請願紹介議員の日本共産党の大森正冶氏が賛成意見を述べ、治維法国賠同盟の大久保禮吉さんが陳述しました。大森氏は、生活つづり方運動に携わり、治安維持法違反容疑で逮捕された大山町出身の故・峰地光重氏のことも紹介し、請願の採択を求めていました。
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2015年07月04日,
「赤旗」)

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戦争法案廃案へ大会で決議採択/道治維法国賠同盟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部は6月26日、札幌市で第37回大会を開きました。
 運動方針として、
戦争法案廃案のために、多くの道民とともに全力を挙げる治安維持法犠牲者に対する国家賠償法制定の署名目標を達成する自治体での意見書採択など地方から安倍内閣の暴走政治を包囲する治安維持法の犠牲となった多喜二ら北海道の先達のたたかいを掘り起こし、道民各層とともに顕彰活動を広める若い人々が運動に関心を持ち、参加できるようHPを開設するたたかう情勢にふさわしい同盟にするため会員を増やす―などを決めました。
 新役員に、宮田汎会長、渡辺ちか子副会長、横山博子事務局長、大澤淳基、増山和則事務局次長を選出しました。
 日本共産党道委員会の森つねと国政相談室長、守屋敬正国民救援会道本部会長らが連帯あいさつしました。
 大会は決議文「戦争法案を即時撤回し、安倍内閣のすみやかな退陣を求めます」を採択し、安倍首相に送付しました。
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2015年07月02日,
「赤旗」)

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9条変えたらあかん/あじさい平和のつどい/岐阜

 岐阜市の華陽診療所で6月27日、「憲法9条は変えたらあかん!あじさい平和のつどい2015」が開催され、70人余が参加しました。華の白梅・九条の会主催。
 青木敏之診療所長が開会あいさつで、小林多喜二が転向(思想を変えること)を拒否し続け虐殺されたことを紹介し、「絶対に自分の信念を貫いて戦争への企てに反対していきましょう」と述べました。
 講師の玉田澄子さん(微風の会副会長)は、憲法施行の年に小学校4年生で、主権在民は誰かが決めたのでなく、みんなが権利をもっているんだと教えられたことを語り、戦争法案反対の一番の特効薬は選挙だと述べ、一人ひとりが投票で意思表示することがとても大事だと話しました。
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2015年07月01日,
「赤旗」)

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*           【6月】(ヘッドライン)

*           30

*           治維法国賠同盟の新役員、共産党本部を訪問

*           戦争法案廃案求め行動/土俵″Lげ強行許されない/シール投票で反対が圧倒的/山形

*           全国革新懇総会討論から/上/戦争法案阻止共同広がる

*           全国革新懇総会討論から/下/政治革新へ草の根から

*           20

*           戦争への道阻もう/宣伝署名/徴兵制は怖い/86歳男性語る/奈良

*           戦争法案阻止/各地で幅広く/青森/北海道/秋田

*           戦争法案阻止の先頭に/治維法国賠同盟が全国大会

*           展望開けてきた=^戦争法案反対署名次つぎ/安倍首相は許せない=^自民支持者も不安=^徳島

*           戦争法案阻止/各地で訴え/福井で宣伝/新潟9の日宣伝

*           戦争法案廃案へ力合わせ/「阻止する声を」/宮城

*           10

*           止めよう戦争法案/戦争…怖い、他国と仲良く/宮城県民集会参加青年の声

*           戦前のたたかい学ぶ/治維法国賠同盟が集い/新潟

*           日本民主主義文学会創立50年/田島一会長に聞く/社会と人間の真実描く/歴史と伝統確信に新たな発展へ

*            

【6月本文】

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治維法国賠同盟の新役員、共産党本部を訪問

 今月15日の第37回全国大会で選ばれた治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の増本一彦会長(弁護士)、田中幹夫事務局長ら新役員11人は25日、日本共産党本部を訪問し、法規対策部の柳沢明夫部長、矢加部裕哉副部長と懇談しました。
 新会長に選ばれた増本氏は「今の情勢に応えられるだけの組織建設、青年層への働きかけを強めていきたい」と抱負をのべました。
 柳沢氏は「同盟の出発点は、治安維持法犠牲者への国家賠償要求ですが、責任追及と次世代に語り継ぐ活動へと内容が広がっています。今回の戦争法案のたたかいでも期待しています」とのべました。
 懇談では「同盟自らの魅力でどう組織していくか考えていきたい」など組織建設や、国家賠償法制定署名の取り組みが語られました。また、大阪府の106歳の西川次郎さんら治安維持法犠牲者の近況が紹介されました。
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2015年06月26日,「赤旗」)

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戦争法案廃案求め行動/土俵″Lげ強行許されない/シール投票で反対が圧倒的/山形

 19日に結成された「戦争法案阻止山形県実行委員会」は22日昼、山形市内で戦争法案を阻止しようと宣伝行動をしました。参加団体の県革新懇、治安維持法国家賠償同盟、民医連などの団体からの参加者がビラを配り、署名とシール投票を呼びかけました。
 峯田博実行委事務局長らがハンドマイクで、安倍政権が国会会期を大幅に延長し何が何でも戦争法案を成立させようとしていることを厳しく批判しました。
 昼休み中のサラリーマンや買い物中の若者をはじめ、多くの市民が署名に応じました。シール投票は、わからないにシールを貼った人が1人で、残りの全員が反対に投票しました。
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2015年06月24日,「赤旗」)

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全国革新懇総会討論から/上/戦争法案阻止共同広がる

 全国革新懇が20日に開いた第35回総会では、党派を超えて戦争法案に反対し、憲法9条を守る共同の広がりが報告されました。

 「共同の発展で組織も様変わりしている」と語り始めた全労連の井上久事務局長。2011年の原発集会では共催できなかった団体と議論を続けて共同を前進させ、「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」に結実したことを紹介。「革新懇に結集する各組織が運動の中心に座り変化をつくってきた」と共同発展の「架け橋」の役割を果たしているとのべました。
 民青同盟の田中悠委員長は、14日の「若者憲法集会」に1300人、「戦争立法反対!渋谷デモ」に3500人が参加し、「憲法に若者は関心あるのかという心配は杞憂(きゆう)だった」と発言。各地で宣伝・署名活動に踏み出すなど「青年が学習と議論を重ね、憲法への思いを自分の言葉で語り始めている」とのべました。

各地で変化
 各地の革新懇でも変化が―。岩手県革新懇は、戦争する国にさせないと「一言運動」をスタート。10日間で元教育委員長や岩手大学学長経験者、首長など60人以上がメッセージを寄せていると紹介しました。
 東京革新懇は、「思想信条、党派を超えた共同を地域に広げている」と発言。足立区では共産、民主、社民などが700人で集会、日野市では大規模集会に向けた賛同人と募金目標を達成するなど25自治体で党派を超えた運動が広がっていると報告しました。
 岡山県では、県弁護士会が初めて共産党県委員会と懇談し、「戦争法案反対のたたかいを県民のなかに広げる」と意気投合し、連合や全労連、市民団体に呼びかけて集会を開くことになったと報告。「戦争法案に反対してきた団体が共同運動組織を結成する。これまで懇談を続けてきた成果だ」とのべ、県民世論と運動を結集する力になると述べました。

集会が成功
 神奈川県では、法律家4団体が呼びかけ、横浜弁護士会の後援する集会(昨年10月)が4000人で成功するなどの「全県的な取り組みを地域にどう波及させるかを重視しています」。革新懇が中心になって戦争法案反対の共同組織ができる(横浜市港北区)など県内10以上の行政区で広がっています。
 共同の力で政治を動かしているのは、埼玉県と三重県です。埼玉県では昨年10月、集団的自衛権行使容認の閣議決定撤回を求める一点で86団体が「オール埼玉総行動実行委員会」を結成。県生活協同組合連合会や法律家団体、市民運動、革新懇などが幹事団体、事務局は革新懇が担い、1万人を超える大集会(5月)を成功させました。さいたま市議会で戦争法案の「慎重審議」を求める決議が全会一致で可決されたことにふれ、「地域の要となって共同を広げたい」と話しました。
 三重革新懇は昨年、県教育委員会と自衛隊の連名による自衛官募集を機に、「戦争する人づくりをさせない」と教職員懇話会が呼びかけ、80をこえる団体・個人が集会とパレードを実施するなど共同が広がっています。いっせい地方選で共産党と社民党が県議会の空白を克服し、力を発揮していると報告し、「県議会で戦争法案の慎重審議を求める請願が採択された。大きな共同の波が県議会に波及している」と語りました。(つづく)
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2015年06月22日,「赤旗」)
「赤旗」)

全国革新懇総会討論から/下/政治革新へ草の根から

 全国革新懇の総会(20日)では、草の根から広がる「一点共闘」と政治を変える共同のたたかいが報告されました。

広がる共同
 いまも続く福島の苦境を報告した原発問題住民運動全国連絡センターの伊東達也筆頭代表委員は、「県民の怒りを強めているのは、政府と東電が賠償や救済施策の打ち切りを次々打ち出していることだ」と告発しました。
 全基廃炉の願いに背いて国と東電が福島第2原発の4基まで再稼働の対象とし、怒りを広げていると強調。革新懇も一翼を担い、全国に燎原(りょうげん)の火のように広がる「再稼働反対・原発ゼロ」の国民的な運動をさらに広げようとのべました。
 各分野の共同の広がりも報告されました。
 日本宗教者平和協議会の奥田靖二副理事長は、さまざまな宗教が共同して沖縄戦70年で「祈りのつどい」を開くなど平和のとりくみが広がっていると報告。「遠慮せずに地域のお寺や教会の門をたたいてください。応えてくれる人が必ず出てくるはずです」とのべました。
 日本民主主義文学会の田島一会長は、歴史認識や戦争法案をめぐり文学者が発言や行動を強めていると紹介し、「戦後の文学界には、二度と戦争を繰り返さないという教訓が流れている。良心と理性を有する文学者に戦争法案反対の一点での共同を呼びかけていく」と語りました。
 地域革新懇からは、札幌市の「革新懇ていねの会」、神奈川県の小田原革新懇、京都市の「革新・山科の会」などが、地域住民と共同して、戦争法案反対から身近な要求まで取り上げ、シンポジウムや学習会、宣伝など多彩な形で共同を広げていることを紹介。「戦争法案阻止のキャンドルパレードで、住職が法衣をまとい太鼓をたたいて先頭に立ってくれた。120人の隊列が繁華街を通るうちに150人に膨れ上がった」(小田原革新懇)と語りました。

若い世代に
 愛知県の青年革新懇「青年ネットAICHI」は、5月に名古屋市で開いた青年革新懇全国交流会の取り組みを報告。「若い世代と上の世代をつなぐ集会だった」「革新懇や革新統一運動について勉強したい」と感想が寄せられたと紹介しました。神奈川革新懇も青年革新懇を再開させた取り組みを報告し、「戦争法案や雇用破壊に対する怒りと行動を集め青年革新懇を大きくしたい」と語りました。
 職場革新懇から西武革新懇の代表が発言。派遣法改悪をめぐって「労働法制改悪でどうなる職場」と題して学習会を開いたり、戦争法案に反対し9条を守ろうと西武鉄道の全92駅を巡回して宣伝しているとのべ、通勤客や労働者から激励が寄せられ、革新懇が目に見える存在になっていると語りました。
 一点共闘と政治革新のカギは「賛同団体と革新懇を強く大きくすることだ」と強調したのは新日本婦人の会の笠井貴美代会長。戦争法案反対で女性の怒りと共同が広がるなかで、「行動を一緒に、あなたも仲間に」と組織拡大も追求していることを報告。「革新懇を大きくし、戦争法案を阻止して安倍政権を倒し、来年の総会では、次の政治をどうするかを話し合いたい」とのべました。
 (おわり)
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2015年06月23日,「赤旗」)

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戦争への道阻もう/宣伝署名/徴兵制は怖い/86歳男性語る/奈良

 日本共産党奈良県委員会は17日、毎週定例の「戦争法案」廃案を求める水曜日宣伝を近鉄奈良駅前でおこないました。
 細野歩・県委員長が「自民、公明の安倍政権は許すことができません。戦争法案ストップの声は、大きなうねりとなって広がっている。その声を大きく上げていきましょう」と訴えました。
 党県委員会の勤務員がビラを配り、「『戦争法案』反対の署名に協力してください」と呼びかけました。自転車を押した女性が、立ち止まり署名に協力する姿が見られました。
 戦争中に「戦争反対」と言って、留置場に入った経験があるという、86歳の男性は「今は、昭和15年ぐらいの空気に似ている。徴兵制が一番怖い」と治安維持法の時代になることを心配していると話しました。
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2015年06月18日,「赤旗」)

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戦争法案阻止/各地で幅広く/青森/北海道/秋田

集会、デモに120人行進/青森・八戸市
 青森県の「許すな戦争法! 三八地区集会実行委員会」は13日、八戸市内で戦争法案阻止を訴える集会とデモ行進を行い、約120人が参加しました。
 内田弘志実行委員長は主催者あいさつで「戦争は平和、平和とやってくる」という川柳を紹介。「兄が出征するときに歌った軍歌の一節に『東洋平和のためならば、なんでいのちが惜しかろう』とあったことを想起した」、「若者を再び戦場に送らないために、許すな戦争法。守ろう憲法の声をよりいっそう強めていこう」と参加者に呼びかけました。
 日本共産党の松橋三夫三八地区委員長は、「アジア諸国民のいのちを奪い、日本国民310万人を犠牲にしたあの侵略戦争に反対した政党として戦争法案阻止のために全力をあげる」と決意を表明しました。

札幌市手稲区
 札幌市手稲区の「革新懇・ていねの会」は10日、JR手稲駅北口広場で戦争法案反対の署名を行いました。日本共産党の佐々木明美生活・くらし対策委員長らが戦争法案の危険性を訴えました。
 署名した人から「安倍政権は恐ろしい。法案には反対です」と、声が寄せられました。

札幌市東区
 札幌市東区の革新懇、9条の会、新婦人の会、年金者組合などで構成する「戦争法案を許さない! 東区実行委員会」は10日、東区の地下鉄環状通東駅前で54人が参加し、宣伝署名を行いました。
 20代の女性は「戦争には絶対反対です。がんばってください」と署名。高齢の男性は「今の憲法を変えないで。戦前のようになったら恐ろしい」と話し署名しました。
 日本共産党の宮川潤道議をはじめ、各団体の代表が「憲法9条を守り、日本を戦争する国にさせないために、たたかいをすすめましょう」と訴えました。

札幌市南区
 札幌市の南区9条の会、新日本婦人の会南支部、南区革新懇は9日、陸上自衛隊第11旅団近くの地下鉄真駒内駅頭で戦争法案撤回を求める宣伝を行いました。
 南区9条の会の平野進也さんが「憲法審査委員会で自民党推薦の著名な憲法学者も集団的自衛権の武力行使は専守防衛の枠を超えたものと述べている」と訴えました。
 夫が自衛官だという女性は「戦場に行くことになるか心配」と駆け寄り署名しました。

北海道小樽市
 日本共産党小樽地区委員会は14日、各地で戦争法案反対の宣伝・署名を行いました。
 小樽駅前では千葉隆地区委員長、北野義紀前市議らが訴え、女性を中心に署名が相次ぎ「頑張ってください」と激励もありました。
 7月に町議選がたたかわれる余市町では、大型スーパー前で、中谷しげとし、あぐ荘一郎、おおもつ翔の3候補者がそろって「侵略戦争に反対し、反戦平和を貫いて93年の日本共産党です。町議選での全員当選は余市から、戦争法案反対、9条を守る決定的な力になります」と訴えました。

北海道旭川市
 北海道旭川市の一条平和通・買物公園で13日、「いらんしょ! 戦争法案」街頭行動が取り組まれ、時折激しく雨が降るなか15人が訴えました。日本共産党の石川厚子旭川市議も参加しました。
 「海外で戦争する国」の是非を問うシール投票も行い、反対35人、わからない8人、賛成1人、戦争法案反対署名は1時間で53人が署名しました。
 自転車を止めて立ちどまった女子高校生は「学校でも社会の時間でこの法案のことが話題になっています」と署名しました。信号待ちの中高生と対話になることが多く、「法案のこと知っていますよ」と認知度が高いことがわかりました。
 署名した女性が「この活動のことをフェイスブックに書いていいですか」と聞いたり、ツイッターで行動を知った人が参加し、終わった後に参加報告をツイートするなど話題になっています。

治維法国賠同盟、街頭で宣伝/秋田
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治維法国賠同盟)秋田県本部と秋田支部は12日、秋田市内で戦争法案廃案を求め宣伝・署名を行い、7人が参加しました。県本部の最上健造会長と佐藤操子常任理事が「安倍自公政権は、憲法学者や国民の声を聞こうともせず、憲法違反の法案をごり押ししようとしている。絶対許されない。戦争法案は廃案にしよう」と訴えました。
 買い物途中の男性は「先の戦争で、どれだけ多くの人たちが悲惨な目に遭い犠牲になったのか、政治家はわかっているのか。戦争を知りもせず無責任な発言をくり返す安倍首相こそ、国を危うくする国賊だ」と怒り、署名しました。
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2015年06月16日,「赤旗」)

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戦争法案阻止の先頭に/治維法国賠同盟が全国大会

 「ふたたび戦争と暗黒政治をゆるさない」を掲げる治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は14、15の両日、東京都内で第37回全国大会を開き、全国から代議員、評議員ら約160人が参加しました。
 柳河瀬精会長は、「二度と戦争と暗黒の社会許さないため、熱心な討議をお願いしたい」とあいさつ。増本一彦会長代行は、戦争法案阻止をめざすたたかいについて、「連帯と共同の行動を発展させて、街頭にも積極的に出て、世論を喚起して反対運動をいっそう強化しよう」と呼びかけました。
 活動報告と方針提起を行った針谷宏一事務局長は、治維法犠牲者への国家賠償法制定を求める請願署名運動のいっそうの強化を提起。新たな地方議会で意見書可決が広がっていることにふれ、「全議会で働きかけることが大事だ」とのべました。
 神奈川県の大益弘さんは、同盟の湘南支部が中心となって「秘密保護法廃止をめざす藤沢の会」を昨年1月につくって毎月活動し、市民運動と信頼関係を深めたと報告。鳥取県の池岡靖則さんは、「自分の殻を破ろう」と、国家賠償法制定署名を集落内のほぼ全軒の住民や町長にしてもらい、1835人分を集めたとのべました。
 大会は新たな運動方針を採択し、増本一彦会長、田中幹夫事務局長(いずれも新)ら新役員を選出しました。
 日本共産党の畑野君枝衆院議員が来賓あいさつしました。
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2015年06月16日,「赤旗」)

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展望開けてきた=^戦争法案反対署名次つぎ/安倍首相は許せない=^自民支持者も不安=^徳島

 徳島県北島町で9日、町民有志による戦争法案学習会が開かれ、40人が参加しました。
 講師の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部の喜多啓二氏は、憲法9条が国会で審議・修正され国民が支持した経過を示し、押しつけ憲法ではないと指摘。自民党憲法草案が国民の国防義務を明記し、基本的人権条項を削除していることを示し「安倍政権がめざす社会は、戦前・戦中の日本だ。戦争法案は改憲そのもの、明文改憲の突破口だ」と批判しました。
 参加者から「住民は、子孫を戦場に送りたくないと思っている」、「自民党支持者にも戦争法案への不安がひろがっている」などの意見が出されました。
 藍住町の白井ヤス子さん(77)は「戦争中は15〜16歳の若者が特攻にかりだされた。食べものも何もない状態で大変だった。戦争は絶対いやです」と話しました。
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2015年06月11日,「赤旗」)

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戦争法案阻止/各地で訴え/福井で宣伝/新潟9の日宣伝

福井で宣伝
 戦争する国づくり反対福井県連絡会は7日、福井市で宣伝・署名に取り組み、共同を呼びかけました。6台の宣伝カーを一斉に運行するとともに、アオッサ前では、南條光麿事務局長ら約30人が集まり、のぼり旗や横断幕、プラスターなどをかかげてアピールしました。
 日本共産党から佐藤正雄県議、金元幸枝県書記長らが参加しました。
 南條氏らは「なしくずしに憲法を変えてしまう、やり方は許されない」と訴え、廃案を求める国会請願署名への協力を呼びかけました。
 福井市の男性(68)は「戦争反対。安倍さんは、あかん」。勝山市の男性(27)は「戦争につながるような法案は前に進めてほしくない」。福井市の女子中学生(14)は「今、授業で第2次世界大戦を習っていて、戦争もののDVDも見ました。戦争は悲惨です」と話しました。

新潟9の日宣伝
 憲法を守る新潟県共同センターは9日、新潟市で「9の日」宣伝に取り組みました。30人が参加し、横断幕を掲げ、ビラ配布、署名、シール投票をしました。
 宣伝では、佐藤一弥代表が「戦争法案は自衛隊を、アメリカの起こす戦争に世界のどこにでも参加させる危険な法案です。黙っていてはいけない。国民が反対の声をあげよう」と訴えました。
 演説をじっと聞いていた60代の女性は「話していることはまったくその通りだと思う。安倍首相は国民多数の声を聞こうとしない。戦争をする国になることがとても心配です」と語りました。
 他の団体からも「再び戦前のような戦争と暗黒の政治を許してはならない。反対の声を巻き起こそう」(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟)、「衆議院憲法審査会では、自民党推薦の学識経験者を含め、全員が戦争法案は憲法違反の認識を示した。自民党の憲法改正と戦争する国づくりを許してはならない」(自由法曹団)などと訴えました。
 同じ場所で県原水協も「6・9行動」に取り組みました。
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2015年06月11日,「赤旗」)

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戦争法案廃案へ力合わせ/「阻止する声を」/宮城

 宮城県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟塩釜支部は5日、塩釜市と多賀城市で街頭宣伝し、戦争法案の廃案を訴えました。
 戦前の治安維持法で犠牲となった人々の名誉回復と国家賠償を求めて5月に国会要請行動をしたことを報告し、「時の内閣の解釈で戦争放棄などを定めた憲法に違反する行為を正当化するのは許されない」と訴えました。
 また、衆院憲法審査会で3人の憲法学者全員が法案を「違憲」としたことをうけ、「確信をもって、成立強行を阻止する声をあげましょう」と呼び掛けました。
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2015年06月11日,「赤旗」)

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止めよう戦争法案/戦争…怖い、他国と仲良く/宮城県民集会参加青年の声

 安倍政権が強行を狙う戦争法案について、仙台市内で開かれた宮城県民集会(5月31日)に参加した青年たちに聞きました。
 (高橋拓丸)

祖父の体験、わが子に…/後藤咲子さん(35)あいコープみやぎ
 小学生の子どもが、将来軍隊に入って戦地に行くことになるのかもしれないという恐怖があります。
 私の祖父は、ガダルカナルなど南方の戦地に出征することが決まる寸前のところで進路が変わって生き残りました。亡くなった友達や先輩も大勢いたと聞きました。そういうことがほんの数十年前には現実で、戦争法案によってそれが自分の子どもにも起きるかもしれないということは、本当に怖い。
 憲法を変えて自衛隊が海外で戦闘できるようにすることよりも、やるべきことがあります。国と国、個人と個人の信頼関係をつくり、互いを尊重することができれば戦争という選択は出てこないと思います。アメリカとだって軍事同盟でしか親交を結べないわけではないし、アメリカ最優先でなく他国とも仲良くしていくことは大事なことだと思います。
 日本は主張がないみたいな言われ方をするけど、今の憲法をちゃんと守り貫けば何より強い意思表示になります。「憲法に足りないものがあるから改正だ」ではなく、憲法をどう使い生かすか。国民みんなで議論できればいいと思います。

震災で命救った自衛隊が/今野拓自さん(35)宮城民医連
 満州事変(1931年)の時も、海外に資源を抑えられたから仕方なく開戦に踏み切ったんだと当時の日本はいっていましたが、いま、ホルムズ海峡などを舞台に、同じ口実がつくられようとしているのを感じます。
 僕は被災地の病院で働いているので、東日本大震災の際には自衛隊のみなさんにも、とてもお世話になりました。そうやって人の命を救うために一生懸命がんばってくれた人たちを、あとからの決定で殺し殺される世界に突然送り込むのは本当に怖いことだと思いますし、許せません。
 隊員のみなさんは、防衛とか災害救助とか、何かを「守る」ために入隊したんであって、アメリカの戦争の手伝いをするためではないはずです。海外で戦争する国づくりなんて、決してあってはいけないことです。

「平和」「安全」ごまかさないで/宮城青年9条の会「KIRAKIRA
9(キラキラナイン)」の女性(35)
 私は戦争を経験してはいないけど、会の学習会などで、治安維持法がつくられたときと今の日本の状況が似ていると話を聞き、怖いと感じています。
 戦争法案は「平和」とか「安全」とか一見よさそうな名前をつけているのに、中身はまったくの逆で、言葉のすりかえで国民をだますような法案だと思います。
 秘密保護法や集団的自衛権の行使容認など、戦争への道が着々としかれていますよね。
 憲法はもともと、政治が国民を無視して好き勝手やらないようにおさえるものなのに、それを、国民が「変えたい」と運動を起こしているわけでもないのに、政治の側から声をあげて好き勝手に変えようとするのはおかしい話だと思います。
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2015年06月04日,「赤旗」)

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戦前のたたかい学ぶ/治維法国賠同盟が集い/新潟

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治維法国賠同盟)新潟県本部は5月31日、新潟市で「3・15、4・16事件を語り継ぐ集い」を開き、61人が参加しました。
 1部では、戦前、反戦平和活動のため治安維持法違反として投獄され、虐待を受けて衰弱して、27歳で死に追いやられた長岡出身の遠藤元治の生きざまの詩(同県本部会長・佐藤良夫作)が朗読されました。4人が朗読した詩では、人権抑圧の昭和初期、住民こそ主人公へのたたかいの道をつけた一人が遠藤元治であり、戦争法案が強行されようとしているいまこそ、遠藤元治の生き方に学ぶことが大切だと訴えました。
 2部の「戦後70年 戦争と平和を語る」では、11人が発言。長岡市の加藤栄二さんは「遠藤元治は党派を超えた人々から親しまれ、信頼されていた。地域で多数派になって、平和と戦争法案阻止を今の私たちが実現しよう。それが日本を変える力になる」と訴えました。
 参加者から「迫力のある朗読詩の演出だった」「感動した」などの感想がありました。
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2015年06月02日,「赤旗」)

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日本民主主義文学会創立50年/田島一会長に聞く/社会と人間の真実描く/歴史と伝統確信に新たな発展へ

 日本民主主義文学会は今年、創立50年を迎えます。人がよりよく生きられる社会をめざして文学運動を続けてきた歩みと展望を田島一会長に聞きました。
 (平川由美)

 ―創立50年、おめでとうございます。単なる「文学」とは違う「民主主義文学」とはなんでしょうか。
 田島 小説は直接的には、人が生きること、生きている人間の内面を対象とする芸術創造です。しかし同時に人間の生に投影している社会を描かなければ、現実感が乏しく浅い作品になってしまいます。人間と社会との関わりを描くことは文学作品には不可欠です。
 例えば小林多喜二の『蟹工船』が現代によみがえっていますが、この作品は時代を深く捉え、社会の現実への批判を鋭く描出しています。民主主義文学は、いかに生きるかを問い、社会と人間の真実を描くことを大きな特徴としながら、多様なテーマ、方法で創作に挑んでいます。

プロレタリア文学の伝統継ぎ
 ―5月9、10日に開催された第26回大会の幹事会報告で「戦前のプロレタリア文学運動の伝統と戦後民主主義文学の積極面を受け継ぐ」とありました。長い歴史ですね。
 田島 1920年頃に成立し、弾圧によって34年に運動として終わった戦前のプロレタリア文学は、貧しさや差別などの問題を個人の運命や能力によるものとせず、社会全体の問題と捉え、その解決方法も文学の基礎に据えました。底辺で生きる人々が描かれ、社会の不条理とたたかう人間が造形されたことは、日本の文学の歴史において画期的でした。
 この伝統を受け継ぎ、戦後の民主主義文学が出発します。ここには絶対主義的天皇制の抑圧の下で、多くの文学者が軍国主義と侵略戦争のうねりに抵抗できなかったという痛苦の反省と、奪われた文学本来の姿を作品の中に取り戻そうとする覚悟がありました。
 ―1945年、宮本百合子らを中心に「新日本文学会」が発足しますね。
 田島 宮本百合子は『新日本文学』創刊号の「歌声よ、おこれ」で、民主主義文学について「私たち一人一人が、社会と自分との歴史のより事理にかなった発展のために献身し、世界歴史の必然の働きをごまかすことなく映しかえして生きてゆくその歌声」と表現しています。
 しかしこの会は意見の異なる会員を排除するなど、次第に文学のあるべき姿を見失っていきます。こうした経過の下で文学運動の初心と成果を受け継ぐことを志した93人の作家・評論家によって1965年8月、日本民主主義文学同盟が結成されました。

広く門戸を開き全国90超の支部
 ―現在の日本民主主義文学会ですね。
 田島 2003年の第20回大会で名称を改めました。それまでの「たたかう作家・評論家の団体」という枠組みをはずし、会の目的と性格も「創造・批評・普及の諸活動を通じて文学、芸術の民主的発展に寄与することを目的とする作家・評論家を中心とした団体である」と位置づけ、文学を愛する人々に向けて広く門戸を開きました。
 ―機関誌『民主文学』にも若い世代を含め多彩な書き手が登場しています。
 田島 『民主文学』は50年間ひと月も休まず発行し続け、今年10月号で600号になります。この存在は日本文学の中でも貴重です。文学会には全国に90を超える支部があり、支部誌を発行して作品を発表しています。
 私は、大先輩の作家、窪田精さんが「民主主義文学は、常に後の世代に継承され、発展していく文学だと思う」とおっしゃった言葉が忘れられません。世代の継承は緊急の課題です。講座や研究集会、文学カフェなどに取り組み、若い人にも参加を呼びかけています。文学会外の作家の方々との交流も重視しています。人間の存在がある限り文学はなくならないでしょう。私たちは50年の歴史と伝統を確信に、時代を切り開く新たな運動の発展に力を尽くしたいと思います。

 たじま・はじめ 1945年愛媛県出身。94年『遠景の森』で多喜二・百合子賞受賞。『ハンドシェイク回路』『時の行路』ほか。
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2015年06月01日,「赤旗」)

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*           【5月】(ヘッドライン)

*           31

*           戦場へ行かぬ行かせぬ/訴えに反響/盛岡/札幌

*           「戦争するようになったら困ります」/戦争法案反対の行動各地で/北海道/秋田/福島

*           おはようニュース問答/民主主義文学会が創立50周年だね

*           AALAシンポ/語り合った東アジア共同体の展望

*           画業80年、美を追究し続ける堀文子さん/自然が師/毎日が初体験

*           こちら経済部/「常識」的を目指します

*           鳥取県国賠同盟大会

*           20

*           相沢良碑に反戦平和誓う/青森で「語り継ぐ会」

*           戦争法案閣議決定/治維法国賠同盟、撤回を求め声明

*           戦争法案、怒りと抗議/各界から談話/続報/歴史を直視/「信教の自由と平和を求める香川キリスト者の会」委員長山崎敏秋さん

*           戦争立法反対¢≠ュ広く/きょう閣議決定/盛岡/青森/札幌

*           岡山弁護士会が憲法記念集会

*           治維法国賠同盟が国会要請/賠償法求め署名提出

*           戦争立法必ず阻止/女性が母の日アクション/徳島

*           10

*           「戦争立法」今言わなければ/反対世論急速に/中野晃一さん/早田由布子さん/横湯園子さん

*           日本民主主義文学会創立50年/私と民主文学/旭爪あかね/細野ひとふみ/渥美二郎/松本たき子

*           潮流

*           戦争立法阻止へ運動を呼びかけ/宮城・治維法同盟

*           森与志男さんを悼む/反戦・民主教育の闘いの柱に/丹羽郁生

【5月本文】

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戦場へ行かぬ行かせぬ/訴えに反響/盛岡/札幌

人ごとじゃない/盛岡・女性団体
 女性5団体で構成する「ピースアクションいわて実行委員会」は29日、盛岡市で戦争法案に反対する宣伝をしました。赤いTシャツを着た女性らが、署名を呼びかけました。
 マイクを握った新婦人県本部の渋谷靖子会長らは、世論調査では戦争法案反対が多数なのに、安倍政権がごり押しするのは許せないと批判しました。
 30分間で63人が署名。23歳の女性は「ニュースで海外から戻った自衛隊員が自殺していると知った」と眉をひそめ、19歳の男子学生は「戦争に参加して殺し合うのは悲しい」と話しました。66歳の女性は「なぜ安倍首相は米国の言いなりなのか」と語気を強め、59歳の女性は「息子が3人いる。人ごとじゃない」と話しました。

首相は恐ろしい/札幌・共産党
 日本共産党札幌西・手稲地区委員会と党支部は27日朝から、札幌市手稲区のJR手稲駅北口で志位委員長の代表質問を掲載している「しんぶん赤旗」日刊紙(27日付)の見本紙を配り、「戦争法案」反対の宣伝行動を行いました。
 佐々木明美党生活・くらし対策委員長が「戦争法案は憲法9条を破壊する」と訴えました。「安倍首相は恐ろしい。共産党頑張って」と激励が寄せられました。

世論を広げよう
 日本共産党の札幌中央地区委員会は26日朝、地下鉄西11丁目駅前で小形香織市議を先頭に「戦争法案は廃案に」と訴えました。
 小形市議は「多くの国民が平和であり続けることを望んでいます。『安倍首相は国民の声を聞くべきだ』の声を上げ、思想信条を超えて戦争する国づくりに反対の一点で世論を広げ、廃案に追い込みましょう」と呼びかけました。

ノー突きつける/治維法国賠同盟
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部は26日、札幌市中央区の地下鉄西11丁目駅前で「米国の侵略戦争に加担する戦争法案ストップ」と訴える宣伝を12人で行いました。宮田汎会長と佐々木秀之常任幹事がハンドマイクで「『戦争法案』にノーを突きつけましょう」と訴えました。うなずきながらビラを読む人や自転車を止めて署名に応じる青年もいました。
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2015年05月30日,「赤旗」)

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「戦争するようになったら困ります」/戦争法案反対の行動各地で/北海道/秋田/福島

北海道

札幌・東区/報道を見て恐ろしいと
 札幌市東区の9条の会や革新懇、新婦人、年金者組合などで構成する「戦争法案を許さない!東区実行委員会」は27日昼、東区の地下鉄栄町駅前で、「戦争法案」反対の宣伝署名にとりくみ、40人が参加しました。
 署名した高齢の女性は「戦争するようになって、また怖い世の中になったら困ります」と話しました。
 20代の男性は「法案はわからないことが多いが、最近の報道を見て、不安になってきました。戦前に戻るようで恐ろしいです」と署名しました。
 東区9条の会や東区革新懇の代表、日本共産党の太田秀子、平岡大介両市議らがマイクで「反対の声は半数を超えています。世論と運動で『戦争法案』を許さないたたかいをすすめよう」と訴えました。同実行委員会では、6月10日、20日にも宣伝署名にとりくみます。

札幌・西区/「一点共同」呼びかける
 日本共産党の田中啓介市議と支部は札幌市西区で25日、「戦争法案阻止」の宣伝を行いました。田中市議は「党創立以来一貫して戦争に命がけで反対してきた党として、戦争法案廃案に全力を尽くします」と訴えました。
 支部員が通勤者に「『戦争法案』反対の一点で共同」を呼びかける「ほっかい新報」号外を配布しました。

八雲町/憲法破壊の企て阻止へ
 北海道八雲町の日本共産党町議団(佐藤智子、横田喜世志)は24日、町内10カ所で「戦争法案反対」の街頭宣伝を行いました。
 両議員は「安倍政権による戦後最悪の憲法破壊の企てを阻止するため総力を挙げます。反対の一点で思想信条の違いを超え、全ての政党・団体・個人が共同することを呼びかけます」と訴えました。

秋田

国賠同盟県本部/撤回の決議、首相に送付
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟秋田県本部は26日、秋田市内で第26回定期総会を開き、「国賠同盟の宣伝と署名、組織拡大を前進させ、戦争法案阻止の一翼をになう」方針を決定。「『戦争法案』の閣議決定と国会上程に抗議し撤回を求める」決議を採択し安倍首相と自民党、公明党に送付しました。
 参加者が戦争法案について「安倍首相は盛んに積極的平和主義というが、軍歌でも平和のためと歌って戦争に突き進んだ」、「公明党支持者が『党本部に集団的自衛権は反対だと抗議したがダメだった。あなたたちの主張に賛同する』と話していた」「戦争と弾圧が肩を組んでやって来るのは歴史の教訓だ」などと発言しました。
 会長に最上健造氏、事務局長に伊藤紀久夫氏を再選。日本共産党から加賀屋千鶴子県議が連帯のあいさつをしました。

福島

県九条の会/平和を願う団体連帯を
 福島県九条の会は先月、憲法改悪反対のネットワーク構築に向けて県内の平和を願う諸団体への呼びかけを発表しました。31日に福島市で開くことにしている諸団体の交流集会への参加も訴えています。
 「呼びかけ」は「戦争法案」の動きについて「護憲を旗印とする各種国民運動の真価が試される秋(とき)が来た」として、諸団体間の連携強化を提起し、「これまで各団体が個別的にやってきた活動を、事態の進行の節目節目で、それぞれの自主性を尊重しながらも、手を携えて発展させることができれば、改憲勢力を包囲する私たちの力も倍加する」と強調。県九条の会として「各団体間の連帯の触媒の役割を果たせれば」と考え呼びかけたとしています。
 「憲法改悪に反対する県内の平和を願う諸団体交流集会」は31日午後1時半から5時まで、福島市の県文化センター2階会議室で開催。渡辺治氏(一橋大学名誉教授、憲法学)が基調講演した後、諸団体・参加者の意見交換が行われます。
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2015年05月28日,「赤旗」)

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おはようニュース問答/民主主義文学会が創立50周年だね

 のぼる 日本民主主義文学会が今年で創立50周年なんだね。

機関誌が600号に
 ふゆみ 会が発行している機関誌『民主文学』は今年の10月に600号を迎えるんだよ。私、毎月読んでるの。
 のぼる 全国各地の支部も支部誌を出しているんでしょ。
 ふゆみ ええ。草の根に90を超す支部があって、切磋琢磨して小説や文芸批評を書いてるの。今を生きる人々の生活に正面から向き合い明日をみつめる作品が民主文学の特徴よ。
 のぼる 『蟹工船』の小林多喜二とか戦前のプロレタリア文学の伝統を受け継いでいるんだよね。貧しさや差別を社会全体の問題として捉えたのが、プロレタリア文学だからね。
 ふゆみ 現実社会への批判精神が、文学にとって大切だと思うんだ。消費税増税、労働者派遣法改悪、原発事故、沖縄新基地建設、憲法改悪、集団的自衛権など、いまの社会の中でどう生きていくのか、人間を描く文学にとって時代を見据える視点が欠かせないね。
 のぼる 格差拡大や戦争法案で、いま社会は揺れ動いている。文学者が軍国主義と侵略戦争に抵抗できなかった反省から出発した戦後の民主主義文学にとって、「反戦」は大きなテーマの一つだ。
 ふゆみ 私の好きな民主文学作家、プロレタリア文学時代から活躍してきた松田解子さんの『おりん口伝』は、戦争のために銅の生産に追い立てられる労働者の命を守ろうとする組合活動家の姿が筆者の経験をもとにリアルに描かれているの。
 のぼる 僕は旭爪あかねさんの『稲の旋律』が好きだな。対人緊張に悩む主人公が、手紙で他者に苦しみを語り、自然に触れたりすることで心を開いていく様子が、みずみずしく描かれてるんだ。

社会と人間描く
 ふゆみ 民主主義文学会50年の歴史の中で、人間らしい生き方と、社会の変革を願う多くの作品が生み出されてきたのね。先日開かれた第26回大会では「日本を再び海外で戦争する国にするかどうかの岐路が迫る重要な時期に、社会と人間の真実を捉え描く文学運動に多くの人を迎え入れよう」という大会宣言が決議されたの。
 のぼる 僕も『民主文学』を読んでみようかな。
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2015年05月28日,「赤旗」)

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AALAシンポ/語り合った東アジア共同体の展望

 バンドン会議60周年と日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会(日本AALA)創立60周年を記念する「平和・協力・繁栄の東アジア共同体の構築をめざす国際シンポジウム」が日本AALA主催で24日、都内で開かれました。国内外から参加したパネリスト6人の発言大要を紹介します。

日本共産党副委員長緒方靖夫さん/ASEANの経験、現実味
 東アジアを世界の構造変化から捉える視点でみると、南北(先進国と新興国)、東西(アジアと欧米)の経済的な力関係がついに逆転し、地球の重心が、成長著しい東アジアに移る傾向が顕著になっています。
 東アジア共同体を展望するうえで、今年末に共同体を発足させる東南アジア諸国連合(ASEAN)の48年にわたる「平和の共同体」の経験そのものが、その現実性を示しています。
 東アジアの骨格を成すASEANプラス3(日中韓)の仕組みがつくられています。さらに、東アジア首脳会議(EAS)が2005年以来、ASEAN域外の米ロ中や日韓など8カ国も参加して開催され、「バリ宣言」(11年)では、「内政不干渉」「武力行使の放棄」「紛争の平和的解決」などの原則が列記されました。東アジア共同体発足の際に安全保障の核心となる合意がすでにあります。
 その展望を開く際に、日中韓の関係がカギになります。安倍政権は米国とともに中国をけん制するという発想ですが、米国は、それには明確に一線を画し、日本には際限のない軍事的要求を押し付けながら、中国との平和的、外交的解決を求めています。安倍政権の歴史認識は、東アジアの不安定要因といわれる深刻な問題となっており、国会の党首討論で安倍首相は、「ポツダム宣言をつまびらかに読んでいない」と答弁し、世界に大きな驚きをもたらしています。
 日本共産党は第26回大会で北東アジア平和協力構想を提起し、関係国や政党に働きかけていますが、その現実性を感じています。
 第一に、韓国の朴槿恵大統領の提唱した構想とも重なります。第二に、私たちは日米軍事同盟を解消し、軍事ブロックを解体すべきだと考えていますが、私たちの構想は、日米、米韓の軍事同盟が存在するもとでも、立場の違いを超えて行動できるものです。第三に、中南米カリブ海諸国共同体ができるなど、世界で普遍性を持つものだと確認できます。

韓国・ソウル大学日本研究所研究部長南基正さん/日韓協力関係が核心
 東アジア共同体構想と日韓関係には接点があります。1998年に日韓首脳がパートナーシップ宣言を発表し、同年の第2回ASEANプラス3(日中韓)首脳会議で金大中大統領が「東アジアビジョングループ」を提唱しました。これらは東アジア共同体に向けた大きな一歩でした。2005年の東アジア首脳会議(EAS)発足とほぼ同時に、東アジア共同体構想は失速しました。どうやって再生させるか。韓国と日本、韓国と北朝鮮、北朝鮮と日本、この三つの2国間関係の平和と協力が重要であり、日韓関係は核心です。
 日韓の歴史問題解決は、朝鮮半島の冷戦システム解体と一体の問題です。1965年の日韓国交正常化は、朝鮮半島の休戦状態を安定させるという米国の安保・軍事上の必要が背景にありました。韓国は民主化前で、歴史問題の解決という要求は抑え込まれました。
 民主化とともに高まった歴史問題解決のためには、「65年体制」とは違う新しい構想が必要です。

ベトナム・アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯協力委員会副会長グエン・バン・フインさん/平和のバンドン精神
 バンドン精神には、
@異なる政治体制の平和的共存、紛争の平和的解決、国連憲章に基づくすべての国の独立A諸国間の連帯と協力―という二つの主要点があります。非同盟運動が生まれ、国連で77カ国グループ(G77)が形成されました。現在も、平和・発展・協力の最も重要な推進力です。
 バンドン精神の旅は良いことずくめではありませんでした。軍事紛争、自然災害といった課題に向き合ってきました。東南アジアでは南シナ海情勢が複雑ですが、ASEAN共同体構築はバンドン精神の具体的な前進です。北東アジアでは主権をめぐる紛争や朝鮮半島の核問題がありますが、核兵器のない平和と安定の地域を築く要求が大勢です。

インドネシア・ハビビセンターASEAN研究計画責任者アフマド・イブラヒム・アルムタキさん/対話と外交で脅威に対処
 2014年初め、インドネシアのマルティ外相(当時)は、ASEAN共同体が実現に向けた最終段階にある中で、東アジアとアジア・太平洋地域は緊張と不安感の出現を目の当たりにしていると指摘しました。
 当時、日中間の紛争や日本の新「国家安全保障戦略」、安倍首相の憲法改定への願望と戦争犯罪の否定、靖国神社参拝が注目されていました。北朝鮮の核実験、南シナ海の紛争をめぐっても大きな緊張がありました。
 しかし、東南アジアもかつては「信頼の欠如」に悩まされました。ASEAN結成前、インドネシアは好戦的な姿勢を取り、地域の不安定の主要な原因となっていました。
 しかし、武力侵攻は国に害を及ぼすという厳正な事実が、それぞれの国益増進には、平和的な共同体構築がより効果的な道であるとの結論に至らせました。
 インドネシアとASEANの平和の共同体づくりの重点は、集団防衛同盟を必要とせず、平和の共同体の包括的な概念を支持するような、多国間主義と規範に基づくアプローチを貫くことに置かれています。これは、平和の共同体への脅威に対話や外交という平和的手段で対処することであり、すべての当事者を排除しないということです。
 アジア・太平洋地域に平和の共同体を築く上での重要な教訓は、この地域の諸政府が外交的な懸念に気を取られないですめば、平和と安定と繁栄のために時間とエネルギーを注ぐことができるということです。

中国・南京大学教授劉成さん/共通点多い日中国民
 私たちは運命をともにし、一つの世界に住み、経験を同じくし、願いを共有し、例えば環境問題などの同じ問題を抱えているという感覚を持っています。
 中国人と日本人の違いが強調されますが、むしろ共通する部分の方が多い。相違は単なる時間差であるとも考えられます。違いばかりが強調されることで、戦争の局面に向いていくのは大変危険です。
 いわゆるラウンドテーブルは、意見の違う人が話し合うことで問題を解決しようとするやり方です。残念ながら、政治のレベルではたくさんの紛争と対立があります。一方、行政はたくさんの共通する課題を抱えています。地域協力を進め、グローバルな行政を進めることが、対立を乗り越えていくことになります。
 戦争をタブー視する日がいつかは来るでしょう。どの国にもそれぞれの夢がありますが、平和こそすべての人類の共通の夢なのです。

慶応義塾大学教授大西広さん/対抗の発想抜け出せ
 中国の国内総生産(GDP)は2017年に米国を抜くとされています。東アジアで中国が絶大な存在になる中、日本は米国を引っ張り込まないと対応できないという考えにとらわれ、新たなアジアの変化に対応するのではなく、「どう対抗するか」という発想から抜け出せずにいます。
 日本の財界はアジアインフラ投資銀行(AIIB)に衝撃を受けています。日本と米国は参加しませんでした。日本の参加していないAIIBが融資するプロジェクトで日本企業に発注がくるでしょうか。財界にとって、参加しなかったのは重大な政治のミスです。
 共同体創設ではASEANが大事な先行事例です。東アジアというと儒教が持ち出されますが、実際には多様な宗教や文化があります。東アジア共同体に理念が伴うべきで、共通するものを見いだす必要があります。
 ASEAN内で最大の国インドネシアが「同輩の中の首席」として受け入れられている事実は興味深い。東アジアでは中国が「同輩の中の首席」となりますが、それを他国が受け入れられるかが問われるでしょう。

バンドン会議
 1955年4月にインドネシアのバンドンで開かれたアジア・アフリカ会議のこと。29カ国の首脳と代表が参加して採択された「世界平和と協力の増進にかんする宣言」は、
@基本的人権と国連憲章の尊重A国家主権、領土保全の尊重B人種、諸国家の平等C内政不干渉D国連憲章に従い諸国民が個別的、集団的に自国を防衛する権利の尊重E集団的防衛機構を大国の特定の利益に用いず、他国に圧力をかけないF領土保全、政治的独立への侵略、脅迫、力の行使をしないG国際紛争は国連憲章に従い、関係国が選択する平和的手段で解決H共通の利益と協力の増進I正義と国際的義務の尊重―の「バンドン10原則」を明記。この精神を引き継いで1961年に始まった非同盟諸国会議には現在、137カ国が参加し、非軍事同盟、核兵器の廃絶などを求めています。
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2015年05月26日,「赤旗」)

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画業80年、美を追究し続ける堀文子さん/自然が師/毎日が初体験

堀文子「一所不住・旅」展開催/兵庫県立美術館
 堀文子「一所不住・旅」展が兵庫県立美術館で開催されています。代表作をそろえた、過去最大級の展覧会です。80年の画業から浮かび上がるものは…。
 金子徹記者

 「『赤旗』が、私の展覧会をとりあげてくれるのはうれしい」という堀さんは、今年96歳。歩行が困難になりましたが、いまも毎日、絵を描いています。
 「死ぬまで『えさ』は自分で探さないといけないので、毎日描かないといけません」
 美を追求し続けてきた日々を、ユーモアをまじえて表現します。
 「群れない」「慣れない」「頼らない」がモットーです。
 雑誌や画文集に収められた言葉や生き方も人々の共感をよび、同展会場には幅広い年代の観客がつめかけています。
 〈ともかく、どきどきしていたいですね。生きていることは、毎日が初体験ですから〉
 〈自由とは、命懸けのこと〉
 〈たとえ危険でも自分の望む道を歩きたい≠ニ考える性格〉で、〈美の世界には男女の差別がなく、自分の思い通りの仕事が出来る〉と、美術の道を選んだことを、画文集『命といふもの』に記しています。

変化する画風
 21歳の「自画像」から近作まで、130点の作品と写真、海外で買い集めた小物などを集めた展覧会。会場を一巡して実感するのは、ひとつのスタイルに安住せず、画風を劇的に変化させ続けてきたことです。
 「同じものは、二度と描かないのが私の主義」と語るとおり、題材も表現も多様な展開をとげています。
 シュールレアリスム的で不思議な味わいの風景画や、愛くるしい絵本原画、驚くほどリアルな植物の絵、あるいは遊び心あふれる作品など、幅広く懐の深い絵画世界です。
 渡航が不自由だった時代から何度も海外に出かけ、60代に入ってからは軽井沢やイタリアにアトリエを構えました。年代順に作品をたどると、メキシコやイタリアなどへの節目となる旅ごとに、絵が次々と刷新されています。旅を重ねるなかで、各地の風土や歴史、民俗、自然から刺激を得て創作の進化につなげてきたことがうかがえます。
 「私には師匠も弟子もない。自然が師」という堀さん。猫や花、クラゲや微生物など、生きものを描いた作品が大半を占めます。そこには自然と生命の輝きが描き出され、自然への朗らかな賛歌が聞こえてくるようです。

憲法9条は人類の誓い
 開明的な家庭で育ち、戦争に反対していた兄弟2人が戦争に駆り出され、戦死するという痛恨の経験も。「九条美術の会」の呼びかけ人のひとりです。
 「憲法9条は人類が作ったすばらしい反戦の誓いです。あれはアメリカが作ったのだという人がいますが、内容が良ければいいのです。2人の兄弟は戦死しました。やはり平和でなければと、私は戦争に反対してきました。いまは秘密保護法が作られ、治安維持法の時代にそっくりになってきて、心配しております。共産党は、まともなことをちゃんといっている。一貫していっていることに大賛成です」

堀文子「一所不住・旅」展
 6月7日まで、神戸市・兵庫県立美術館
 
078(262)0901
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2015年05月24日,「赤旗」)

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こちら経済部/「常識」的を目指します

 戦前のマルクス主義哲学者の戸坂潤(治安維持法で逮捕され獄死)の著書に新聞の役割に触れた一文を見つけました。戸坂はまず「常識水準」とは人々の見識の平均値ではなく、刺激し高めていく理想線のことだと説きます。
 「常識はそれ自身いつも低下し消散し死滅して行くある活(い)きものだが、これを常に刺激して活きて行かせ保持発達させるものが、この常識水準という言葉の意味でなくてはならぬ」(「『常識』の分析」)
 戸坂はそこから、日々の事象を即座に批評し、常識を日常的に刺激する新聞の機能に着目します。同時にジャーナリズムにも階級対立があると指摘します。
 87年前、「赤旗」は労働者に向かって「諸君自身の機関紙である」と宣言し誕生しました。その伝統を継ぐ一員として、新しいテーマに挑み、働く人の視点で常識を刺激する記事を書いてきただろうかと、省みること大でした。
 (佐久間)
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2015年05月23日,「赤旗」)

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鳥取県国賠同盟大会

 鳥取県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は17日、倉吉市で定期大会を開きました。
 保田睦美会長は、安倍首相が日本の侵略戦争を反省しない一方で、ドイツはナチスに迫害された犠牲者に年金、イタリアは反ファシスト政治犯に終身年金を国家賠償として支払っていると指摘。「戦争法案」阻止を訴えました。
 僧侶の渡辺大修氏が講演し、「今年を戦前元年にしてはならない」と述べました。琴浦、北栄、湯梨浜の3町議会が国家賠償を求める意見書を可決。1800人分の署名を集めた池岡靖則さんが活動報告しました。
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2015年05月22日,「赤旗」)

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相沢良碑に反戦平和誓う/青森で「語り継ぐ会」

 治安維持法による弾圧に屈せず、働く者のくらしと権利、反戦・平和のためにたたかい、25歳8カ月で生涯を終えた戦前の女性活動家・相沢良(1910〜1936年)を「語り継ぐ会」が16日、出身地の青森市浪岡で開かれました。
 「語り継ぐ会」(橋本誠一会長)と治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟青森県本部の主催で、良の誕生日である5月15日前後に毎年開かれています。
 白い花をつけたリンゴ畑に囲まれた花岡展望台の顕彰碑前での「碑前祭」には県内外から60人以上が参加。日本共産党の高橋千鶴子衆院議員も参加しました。
 橋本会長は「戦争法案が閣議決定され、まさに今が国賠の出番。戦争を繰り返さないために頑張りましょう」とあいさつ。
 高橋議員は「(戦後70年の節目の年)今回は特別に良に会いにこないといけないという思いで参加した。戦争法案を阻止へ国会の内外でみなさんと一緒に『戦争を繰り返さない』と立ち上がる」と決意を述べました。
 参加者は献花、黙とうをし、戦前の治安維持法下の激しい弾圧のもとで戦争に反対し、働く者の解放のために不屈にたたかった良の業績をしのびました。
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2015年05月20日,「赤旗」)

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戦争法案閣議決定/治維法国賠同盟、撤回を求め声明

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟中央本部は14日、戦争法案の閣議決定に抗議し、撤回を求める声明を発表しました。
 声明は、「治維法犠牲者など先達たちの苦闘によって生み出された日本国憲法を断固擁護する」ため、国民各層と団結、共同して奮闘するとしています。
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2015年05月20日,「赤旗」)

戦争法案、怒りと抗議/各界から談話/続報/歴史を直視/「信教の自由と平和を求める香川キリスト者の会」委員長山崎敏秋さん

 私は2歳の時に高松空襲を体験しました。親から何べんも聞かされた話ですが、背中に背負われて田んぼの中に逃げ込み、頭にかぶっていた布団に焼夷弾の破片が飛んで、燃えだしたと聞かされています。
 安倍内閣の一番怖いと思うところは、言論を殺して、マスコミを操作していることです。特定秘密保護法は治安維持法を思い起こさせます。治安維持法は、初めは共産党の弾圧でしたが、最後は宗教者や芸術活動まで広げられました。キリスト者も、弾圧や投獄された歴史があります。
 「戦争法案」に反対です。軍国主義社会に戻らないようにしてほしいし、させなければならないと思います。政治家も国民も過去の歴史に向き合っていくべきだと思います。
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2015年05月17日,「赤旗」)

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戦争立法反対¢≠ュ広く/きょう閣議決定/盛岡/青森/札幌

沿道からも注目/盛岡でパレード
 5・13ピースアクションいわて実行委員会(新婦人県本部、いわて労連女性部、いわて女性・九条の会など5団体で構成)は13日昼、盛岡市で「戦争立法」に反対するパレードをしました。
 怒りの思いを示す赤の衣服を身に付け、プラカードや風船を持った女性ら80人が参加しました。
 出発前のあいさつで新婦人県本部の渋谷靖子会長は、アメリカとの約束を最優先する安倍首相は、国民世論を無視して14日にも戦争立法を閣議決定し、戦争する国づくりを進めようとしていると批判。「力いっぱい運動を広げて、戦争立法を必ず阻止し、安倍政権に『レッドカード』を突き付けよう」と呼びかけました。
 参加者らは「平和が大好き」「戦争立法許しません」などと唱和しながら市内を元気良く行進し、沿道の注目を集めました。

青森の商店街で署名を呼びかけ
 「再び戦争と暗黒政治を許さない」「21世紀を平和と人権の世紀に」のスローガンを掲げ運動する治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治維法国賠同盟)青森県本部は13日昼、青森市新町商店街で街頭署名行動に取り組みました。
 「憲法改悪許すな」「安倍政権の野望を阻止しよう」と書かれたゼッケンをつけた参加者たちは、海外で戦争する国づくりを目指し「戦争立法」を閣議決定し、15日にも国会提出を狙う安倍自公政権の暴挙を批判。「国民が力をあわせ戦争嫌だ! の声をあげ、『戦争立法』を阻止しよう」と署名を呼びかけました。
 署名を寄せた男性(81)は自身の戦争体験に触れ「日本が70年前に逆戻りする危機を感じる。戦争ほど愚かで惨めなものはない。子どもたちを戦争に駆り出してはいけないのです」と話しました。

札幌で50人宣伝/戦争体験者訴え
 日本共産党札幌北区地区委員会と後援会は11日夕、札幌市北区で50人が参加し、「戦争立法」ストップの宣伝・署名行動を行い、「安倍政権の戦争する国づくりを許さない」と声を上げました。
 佐野弘美道議や後援会員らがマイクを握り、戦争を体験した男性は「悲惨な戦争を体験し、戦争は二度としないと誓う憲法9条ができた。その9条を壊す戦争立法に反対の声を大きく上げていこう」と訴えました。
 遠くからも訴えを聞く人や、署名に列をなすなど戦争立法への不安や憤りが次々に寄せられました。高校生が集団で話を聞き、ペンをとり、しんぶん赤旗号外『学生新聞』や民青パンフを受け取る姿もありました。
 駆け寄ってきた男性は「平和を壊す安倍には早く辞めてもらいたい。戦争に反対してきた共産党は大好きだ」と署名しました。
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2015年05月14日,「赤旗」)

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岡山弁護士会が憲法記念集会

 岡山弁護士会の2015憲法記念県民集会「会話しただけで犯罪に? 監視される社会」が9日、岡山市であり、約400人が参加しました。参加者に渡す資料が足りなくなる盛況ぶりでした。
 ジャーナリストの江川紹子さんが「共謀罪・通信傍受法・特定秘密保護法の向かう先」と題して基調講演しました。
 第2部では海渡雄一弁護士(日本弁護士連合会共謀罪対策本部副本部長)、平岡秀夫弁護士(元法務大臣)、江川さんがパネルディスカッションをしました。集団的自衛権行使にむけて法整備をすすめる一方で、国民を監視下に置くために戦前の治安維持法と同じ役割を負わすのが共謀罪、通信傍受法、秘密保護法だと明らかにしました。
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2015年05月13日,「赤旗」)

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治維法国賠同盟が国会要請/賠償法求め署名提出

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟は12日、治安維持法の犠牲者への謝罪と賠償を求める国会要請をし、「治安維持法犠牲者国家賠償法」の制定を求める署名21万319人分を提出しました。
 国会内で開いた集会には43県から過去最高となる161人が参加。柳河瀬精会長は「戦争への足音が高く響いている」と話し、増本一彦副会長は「安倍政権は過去の戦争にまったく反省せず、戦争立法をつくろうとしている。今回の要請には歴史的な意義がある」と語りました。
 生活図画を描いただけで逮捕・投獄された菱谷良一さん(95)=北海道旭川市=は、真冬には零下30度を超す独房に1年3カ月つながれた経験にふれ、「治安維持法には死ぬほどの恨みがある。生きているかぎり皆さんにエールを送りたい」と話しました。日本共産党の仁比聡平参院議員が連帯のあいさつをしました。
 治維法国賠同盟は1968年に創立。国に対し治安維持法の犠牲者の実態調査と公表、謝罪と賠償を求めています。国がこれを拒むなか、現在402の地方議会が「国家賠償法制定を求める意見書」を採択しています。
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2015年05月13日,「赤旗」)

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戦争立法必ず阻止/女性が母の日アクション/徳島

 安倍政権がすすめる「戦争立法」の国会提出をやめさせようと10日、JR徳島駅前で赤いスカーフやジャケット姿の女性たちが「戦争法ゆるしません! 憲法9条を守ります! 母の日アクション」を行い、リレートークやデモ行進で「海外派兵絶対やめて、平和がいいね9条守ろう」と訴えました。
 徳島県の新日本婦人の会、労連女性部、母親大会実行委員会、治安維持法国賠同盟女性部の4団体が呼びかけ、55人が参加しました。
 リレートークで、新日本婦人の会県本部の山田節子会長が「女性は平和を求めています。戦争を止めるのは私たち。アクションを始めよう」と訴えました。
 県母親大会実行委員会の有川マサ子委員長は「赤紙1枚で愛する夫や子どもを戦争で殺されることがない社会をつくりましょう」と呼びかけました。
 日本共産党の上村恭子県議は「93年、反戦平和を貫いてきた党として、『戦争立法』を必ず阻止します」と決意を語りました。
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2015年05月12日,「赤旗」)

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「戦争立法」今言わなければ/反対世論急速に/中野晃一さん/早田由布子さん/横湯園子さん

 日本を海外で戦争する国にする「戦争立法」の諸法案について、与党の自民党と公明党は11日に最終合意し、安倍政権は14日にも閣議決定する意向です。緊急に識者に聞きました。

一致点での共闘がカギ/「立憲デモクラシーの会」呼びかけ人・上智大学国際教養学部教授中野晃一さん
 そもそも昨年7月1日の「閣議決定」が立憲主義否定、民主主義破壊の暴挙でしたが、安倍首相は米国で、閣議決定もされていない「戦争立法」の成立まで対外公約しました。これは、米軍新基地建設が狙われる沖縄県名護市辺野古で毎日やられていることと同様、粛粛とやるからあきらめろ≠ニ反対運動に無力感を味わわせる狙いがあります。
 反対している共産党はもちろんですが、他の各党にも温度差はあれ、今国会での成立強行には慎重論や反対論があり、可能な一致点での政党間の共闘を大きくできるかどうかにかかっています。秘密保護法もそうでしたが、国会で追及すれば、いろんな問題点が暴露され、よくわからない≠ニ言っていた人も反対に回ってきます。反対世論は野党の連帯と徹底審議を後押しし、「こんな重大な法案を通していいのか」という議論が高まり、政権もグラついてきます。われわれも問題点を指摘し、反対世論を喚起すべく頑張ります。

多くの人に関心広げて/「明日の自由を守る若手弁護士の会」事務局長・弁護士早田由布子さん
 まず言いたいのは、非常に分かりにくい。国のあり方を根本から変える法改正でありながら、弁護士ですら正確な意味を把握するのが難しいほどです。政府は国民に正しく理解されては困るのでしょう。国民にまともに説明する気がまったく感じられません。
 今回の改定案では、日本が攻撃をされていなくても、武力行使やアメリカ軍の後方支援が可能になります。これまでの歯止めはなくなり、アメリカの戦争のためならいつでも、どこでも、何でもできてしまう。憲法9条の完全否定です。
 アメリカは世界のどこかで切れ目なく戦争をしています。改定されれば日本も切れ目なく戦争する国≠ノなるということです。そして「海外での戦争」が海外にとどまる保証はありません。私たちの国民生活にも影響を与えるでしょう。
 これほどの法改定を多くの国民が知らないうちに、国会の審議もないままアメリカに約束する。暴走です。関心を持っている人だけで嘆いていても止まりません。一人でも多くの人に話して、関心を広げてほしいと思います。

戦争止めるのは私たち/元中央大学教授・「女の平和」発起人横湯園子さん
 安倍晋三首相の米議会演説のひどさに聞いていられず、途中でテレビを切りました。わざわざアメリカに出かけていって、「戦争をさせてください。あなたの肩代わりをさせてください」と言うなんて。国民無視、議会制民主主義の無視がはなはだしいです。
 戦争といえば、労農運動の活動家だった父親が戦前、治安維持法で何度も逮捕されたことを思い出します。人権、民主主義を奪うのが戦争です。理屈ぬきで戦争はイヤです。
 何としても戦争立法の成立を防ぎたい。戦争反対の声を広げたい。1月17日の「女の平和」は、7000人の女性たちが赤いものを身につけて国会を二重三重に包囲しました。どこにもつながれなかった人が友人や家族と誘い合ってきました。
 戦争を止めるのは、私たちです。組織や集団、年代に関係なく、女性は平和を求めています。行動は各地に広がっています。次の「女の平和」行動も計画中です。
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2015年05月09日,「赤旗」)

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日本民主主義文学会創立50年/私と民主文学/旭爪あかね/細野ひとふみ/渥美二郎/松本たき子

 日本民主主義文学会は今年、創立50年を迎えます。この会に参加し、人はいかに生きるのか、働くとは何かを問い、社会の現実と向き合って、仲間と共に作品を書き続ける思いを、4人に寄せてもらいました。

再出発の手がかり得た/旭爪あかね
 学業に行き詰まり、人に会うのが怖くなり、アルバイトは続かず、ようやく就職できた勤め先にも行けなくなった30歳の頃、民主文学会が開催する月に2回の「創作専科」に、すがるように足を運びました。
 なぜ、ひきこもることになったのか。とことん考えてみなければ、もう一歩も先へ進めなくなって、自分と等身大の主人公を設定し、原稿用紙30枚ほどの小説らしきものを書きました。講師だった作家の吉開那津子さんは、「あなたは、これからの人生を生きていくためにも、この作品を書き切らなければいけない。時間がかかっても、これ以上書けないというところまで書いてみなさい」と。半年後、吉開さんと同期の受講生は、300枚にまで膨らんだ原稿を読み直し、合評と補講をしてくださったのでした。
 体験を小説にする作業を通して、認め難かった自分の現実を直視し受け入れざるを得なくなったことが、再出発の手がかりとなりました。「売れる」「何かの宣伝になる」作品が求められる場だったら、私はここで救われることはなかったでしょう。その時の未熟な作品はさておいて、書き手が切実な問題意識のもとに渾身の力でテーマを追求し、書き抜いて新たな地平に立ったような作品こそが、読み手の心に響くのではないでしょうか。そんなふうに書くことに向き合う眼力ある人々の批評によって鍛えられたいと願い、そのことが自分を人間としても成熟させてくれると信じて、文学会の一員になりました。
 ここ数年は、先輩たちに与えられたものを新しい人に返したい、ますます素敵な活気ある会にしたいと、若い世代を対象にした「文学研究集会」や「文学カフェ」を企画する側に。研鑽し合う間柄の若手の人たちには、働く経験から学び切れなかった多くの大切なことも教えてもらっています。
 組織を民主的に運営するための膨大な時間と労力を知り、泣き言ばかり言いながらもしがみついてきた、ここは私にとってはじめての学校であり、職場です。その意味と文学運動というものの真価を、いまから自身の作品のなかに確かめていかなくてはなりません。

 ひのつめ・あかね 1966年、東京都生まれ。2003年多喜二・百合子賞。著書『稲の旋律』『歩き直してきた道』

志の隣で伴走する文学/細野ひとふみ
 仕事も恋愛も挫折が続いた20代後半、『民主文学』という文芸誌と仲間に出会えたことは幸運でした。生き方・世界観が揺らぎかねない状況でも、ページをめくるうちに希望をともす物語があり、言葉を紡ぎだすうちに再起を誓う物語があります。文学は志のすぐ隣で伴走しているのです。
 ここ10年余り、民主主義文学会の研究集会に参加して分かったことがあります。『雪』(オルハン・パムク著)の言葉を借りて言えば、「誰にも一つ雪の一片がある」ということです。名もない人の生活が、たとえ平坦に見えたとしても、どんなにかけがえのないものであるかを思うようになりました。それは作者自身のことかもしれないし、大切な人のことかもしれない。放っておけば消えて無くなるからこそ、書き留めておかなければという思いにかき立てられます。
 家畜人工授精師として働いていますが、酪農という生産現場も政治と経済の影響を受けています。経営規模が大きくなり、機械化も進みました。それでいて人手によるところが多い。給餌や搾乳、ふん尿処理に携わっている従業員や外国人実習生と言葉を交わすことがあります。生き物を扱う仕事だから、汚物にまみれ亡きがらを運ぶことは承知しているでしょう。しかし予期した以上につらい現実がありはしないか。従業員に限らず、牧場主さえ望まない酪農になりつつあります。
 新年度が始まり、多くの職場が心新たに仕事に向かっていくという時、不安や怒りの相談を受けました。無理な体制の中で心身ともに追い込まれている同僚が何人もいます。異口同音に訴えるのは、「いつまで続くんだ」「どうしたらいいの?」ということです。
 おそらく、これからも厳しい環境が待ち受けているのでしょう。そんな時「自分たちが今、どの状況に立ち、何に苦しんでいるのか」を言葉に変換して伝えることは、問題解決の糸口となるに違いありません。意識の奥底に働きかけ、人と人をつなげる言葉の営みは、ひらかれた文学そのものかもしれないと思います。

 ほその・ひとふみ 1974年、広島市生まれ。「パニック」(『民主文学』2011年3月号)「ドリフト!」(同12年10月号)

書けば何か返ってくる/渥美二郎
 書くために生き、生きるために書く。そんな日々を送ってきました。もう20年以上も。日記、小説、最近ではブログ(ジローS‘カフェ)も。読んでくれる人がいようといまいと、毎日書くんです。
 で、書くことといえば、目の前のこと、身の回りのこと、ありふれたこと、つまり、小さなこと。
 たかが小さなこと、されど小さなこと。一番小さな物体である原子のまわりを電子がまわるように、地球のまわりを月が回っています。一番小さなものは一番大きなものにつながっていると思うんです。
 目をこらして、耳を澄まして、全身で風を感じて、心のシャッターを切りまくり、瞬間を集めるんです。
 いつも暇そうに見えるらしい僕ですが、実は、朝起きてから、夜眠るまで、まあ忙しいこと、忙しいこと。
 学生時代、文学の師は、言いました。物書きになるとは二重生活を送ること、と。以来、昼は高校で英語を教え、夜はペンを執る毎日。職業は僕にとっては文学の眼鏡、働くことで社会がよく見えてくるんです。
 そして、集めに集めた瞬間を取捨選択して、並び替えて、つなぎ合わせて、アルバムをつくるように小説を書きます。
 そんな小説が、雑誌『民主文学』に載ったり、載らなかったり。拙作はボツになることも多いもので。
 書き始めた頃は、たった一人で書き、親友や家族などに読んでもらうだけでした。しかし、今は、書けば、全国の仲間から、何かが必ず返ってきます。称賛されることもあれば、酷評されることもありますが、どちらも、無視されることに比べたら、とてもありがたいこと。もちろん、僕が仲間の作品を読み、何かを投げかけることもあります。
 年に何度か、すでに著作を持ったようなひとから、これから書くというひとまで集まって、温泉宿あたりで文学ざんまいなんてことも。僕の最高の道楽!
 民主主義文学とは何か、そのようなことを考えて書いたことは一度もないんです。でも、常にブレ続ける僕には、決してブレない、北極星のような民主主義文学会の同志の存在が必要なんです。

 あつみ・じろう 1968年、静岡県生まれ。2001年民主文学新人賞受賞。著書『ルック・アップ』

働きながら芸術に挑戦/松本たき子
 日本民主主義文学会との出会いは偶然でした。文学会会員である井上文夫さんが客室乗務員のたたかいを描いた『時をつなぐ航跡』を、知人が薦めてくれたことが始まりでした。
 それまでは、流行の小説を読む程度。文学はよくわからないけれど、読書会でたくさんの人と交流するのは面白そうだし、『稲の旋律』の旭爪あかねさんが会員だと聞いて、会えたらうれしいなあ、とあまり敷居の高さは感じずに、準会員になりました。
 会に入って良かったこと。
 一つ。働きながらでも芸術の道に進むことはできると思えたこと。私は学芸員を目指し、大学で美術史を学びましたが、ろくに勉強せず、結局普通に就職しました。自分で決めたことですが、芸術に関わる道を諦めた思いが残り、不完全燃焼を起こしていました。ですから労働者の立場で、時間をやりくりしながら志高く創作する先輩方の存在を知り、感銘を受けました。労働は人を育てます。労働者になったことを捉え直し、もう一度、芸術に挑戦するエネルギーを得ました。
 二つ。心ある文学者の仕事が、幼い私を育ててくれていたと知ったこと。文学会の歴史を学ぶ中で、知っている名に多く再会しました。私の芸術体験の原点である、おやこ劇場運動にも文学会につながる人がいました。「センポ・スギハァラ」は平石耕一さんが原作でしたし、「森は生きている」の湯浅芳子さん、「横井久美子コンサート」で紹介された櫛田ふきさんは宮本百合子さんと深い関わりがありました。大変うれしく、私も先輩方に続いて、次世代に思いをつなげる仕事がしたいと決意しました。
 三つ。全国に仲間ができたこと。文学会の仲間は日本の文化的発展を願い、書き手の成長を温かく見守ってくれます。時には厳しく批判もしてくれる信頼できる仲間です。
 目下の私の課題は語彙を増やし、表現力を磨くこと。感動した時に「感動した」と書かないのが文学であるらしく、この感情に最もふさわしい表現は何か、模索の日々です。

 あつみ・じろう 1968年、静岡県生まれ。2001年民主文学新人賞受賞。著書『ルック・アップ』
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2015年05月05日,「赤旗」)

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潮流

 日本が侵略戦争に突き進んでいた最中の1933年2月20日、作家の小林多喜二が特高警察に虐殺されました。29年の生涯の多くを過ごした北海道小樽市にある市立小樽文学館には、関係する蔵書や資料が多数展示されています▼暗黒時代を彷彿とさせるのが、多喜二の死を報じた当時の新聞各紙。見出しは、そろって「取調べ中の心臓麻痺」と、特高警察の発表をうのみに。実際に手を下しながら「栄養不良の結果」だと語る、特高主任のウソも長々と紹介しているのです▼権力の暴虐に目をつむる報道姿勢は、侵略戦争への協力と一体のものでした。前年の32年には、全国の新聞社が「満州国」擁護の共同宣言を発表。太平洋戦争が開戦した直後には、新聞社共催で「米英撃滅国民大会」を開いています▼こうした負の歴史≠ヘ、決して消せるものではありません。同時に許しがたいのは、治安維持法など数々の弾圧法と統制で言論機関を追い込んだ戦争推進勢力です▼今はどうか。秘密保護法、盗聴法拡大、戦争立法そして改憲策動…。きな臭い動きと軌を一にして言論機関への圧力が強まっています。テレビ局を「聴取」した自民党幹部は「停波」の脅しまでかけました▼報道への圧力について本紙で語ったジャーナリストの青木理さんは、こう強調しています。「メディアとジャーナリズムの矜持にかけて踏ん張らねばならない」。日本共産党員だった多喜二の遺志を継ぐわれわれも思いは同じです。言論の自由と平和憲法を守りぬくために。
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2015年05月04日,「赤旗」)

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戦争立法阻止へ運動を呼びかけ/宮城・治維法同盟

 宮城県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治維法国賠同盟)塩釜支部はこのほど塩釜・多賀城の両市内で街頭宣伝を行い、戦争立法を阻止する運動を呼びかけました。
 また、毎年約20万人の署名を全国で集めて、治安維持法の犠牲となった人々の名誉回復と国家賠償を求めて運動していることを紹介しました。
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2015年05月01日,「赤旗」)

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森与志男さんを悼む/反戦・民主教育の闘いの柱に/丹羽郁生

 3月8日に作家の森与志男さんが亡くなられた。1983年の事務局長就任以来、副議長・編集長・会長の重職に就きながら、長編・短編など数多くの作品を世に送り出した作家・文学運動家であった。この世の定めとはいえ、大先輩を喪う事がかくも空しく寂しい事なのかと心沈む日々である。
 文学会はこの間、大きな文学的業績をのこされ、私達を先導してくれた大先輩を何人も喪っている。今その人たちの声がしきりと聞こえ、姿が思い浮かばれて仕方がない。それらは、公の場でのものでなく、ふとしたとき漏らした言葉だったりする。
 いつだったか森さんと、ネオンが瞬く銀座の大通りを歩いている時のことだった。
 「戦争で死んだ兄貴が言ったんだ。これで銀座のネオンも見納めだな、ってね」
 森さんが身内の方のことをこうもしみじみと話されたのを私が聞いたのは、この時が初めてだった。
 敗戦を14歳で迎え、その成長期は日本が中国・アジアの国々を侵略した15年間に重なる。このことが森さんの人生と文学に深甚な影響をもたらし、反戦・平和・民主教育の闘いの柱となったことは想像に難くない。
 1998年に多喜二・百合子賞を受賞した『炎の暦』は、「15年戦争」の間の7年間の苛烈と狂気の時代を重層的に描いている。
 森さんの生涯の文学的モチーフ・題材に「戦争」と「教育」があり、それは体験・非体験を超え戦中・戦後・現代という激動の時代を貫いて多様な角度からテーマが探究されている。森さんは、晩年に「普通のひと」を書き「永澤セツの場合」を書いた。作家・森与志男にとって、象徴的な最後の2作品となった。
 (にわ・いくお 作家、日本民主主義文学会副会長)
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2015年05月01日,「赤旗」)

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*           【4月】(ヘッドライン)

*           文芸時評/三浦健治/戦争の「潔い死」でなく生きて時代を担う視点

*           治安維持法公布90年/106歳と101歳、弾圧被害を証言/「日本中を縛り無謀な戦争に」/ラジオ出演

*           没後86周年、山宣しのぶ/東京で集い

*           民主主義文学会50年/作品の魅力/1/能島龍三/山岸一章『聳ゆるマスト』

*           20

*           朝の風/創造の現場が刻んだもの

*           共産党に期待します/主婦中村昌代さん(54)/弱者の声代弁、貫く歴史

*           この人に聞きたい/俳優鈴木瑞穂さん/第3幕/僕が出会った監督たち/役者の膨らみ見逃さない

*           10

*           この人に聞きたい/俳優鈴木瑞穂さん/第2幕/初舞台から63年/自分を磨き抜けば個性が残る

*           この人に聞きたい/俳優鈴木瑞穂さん/第1幕/軍国主義から目覚めた平和/憲法は愛情に満ちていた

*            

*           2015いっせい地方選/非正規・ブラック、体験したから雇用問題に全力/北海道/神戸/山口・和木

【4月本文】

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文芸時評/三浦健治/戦争の「潔い死」でなく生きて時代を担う視点

 青来有一「私は以来市蔵と申します」(『すばる』)と星野智幸「呪文」(『文芸』)は方法も題材もおよそ異質な小説だが、ある共通性を感じた。

戦争を反省する戦後的な価値観
 潔く死を選ばず、生き延びてその後の時代を担うという視点である。死の潔さを求めるのはむろん戦争である。だからその反省に立つ戦後的な価値観といってよい。大田努「水中花の歪んだ『美』」(『民主文学』)が解剖する百田尚樹『永遠の0』のように、戦前の価値観が新しい装いで若者をとらえている今、その視点はきわめて重要である。
 青来作品の表題は宮沢賢治の童話『よだかの星』に由来する。鷹に名前が似ているから市蔵と改名しろと命じられたよだかが、改名するなら死んだ方がましと空にのぼって星になった話である。賢治童話はいつも弱者に身を寄せるが、潔さという価値観もまとわりついている。仮によだかが鷹に屈し表題のせりふを鳥たちにふれまわって生き延びたとしても、そこに文学的な光を添えることができると青来氏は考える。
 この講演ふうの小説で言及される遠藤周作の『沈黙』はまさにそうしたものだった。司祭ロドリゴは幕府のキリシタン弾圧で転ぶが、そこに光が添えられる。弾圧は絶対的な悪であるが、転びはさまざまだ。ロドリゴの転びにはキリストの本来の声を聞くという意味が付与された。
 「転向」との関連でふれれば黒井千次「本棚の隅」(『群像』)がある。「思想検事」の父が昭和12年に書いた「思想犯の保護を巡って」をとりあげた短編である。父の犯罪に触れるかも知れない緊張感がただよう。それは治安維持法で「転向」した人をその後どうあつかうか、人生論的に論じた報告書だった。

若者に世直しと思わせる呪い
 星野作品は出店も多く廃業も多い、高級住宅地に挟まれた商店街を描く。成功した新手の居酒屋を中傷するブログと店主の反論から、小説はありそうもない世界に飛翔していく。リアリティーの喪失というより、比喩的な世界にずれ込んでいくのである。
 商店街が暗にたとえているのは独裁国家だろう。商才のある野心家で商店組合の若き事務局長でもある居酒屋の店主がリーダーで、その応援団ともいうべき未来系と称する若者の運動が出てくる。かれらはナチスばりの選民思想をもち、失格住民の家にしるしをつけ罠をしかける。世直しの自決をかかげ、自分らはクズであると宣し、『葉隠』の武士道をもじって「クズ道というは死ぬことと見つけたり」と主張する。三島由紀夫の自決よりは安倍首相の戦争政策応援団のネット右翼があてこすられているのだろう。
 鍼灸院経営者だけがまともで、純真だが商売がうまくいかず、未来系に洗脳された若いメキシコ風サンドイッチ屋に説く。「選ばれたもクソもない、単に生き延びた人が、その後の再建を担うんだ」。「呪いにかからずに生き延びられた人が、呪われる前の時代の記憶を、後の世に持ち込めるんだ」。表題の呪文とは、疎外された若者を思考停止に陥らせ、潔い死の選択が世直しと心的自己救済になると思わせる呪いのことだろう。
 市場経済の導入でゆがみを抱えつつ成長する中国を中国工場に派遣された労働者の苦さで描いた馳平啓樹「自由の国」(『文学界』)、不登校の苦難を馬牧場で働くことでのりこえる少年を描いた前田隆壱「朝霧のテラ」(同)、原付で東北を旅した14年前の学生時代の思い出を、若者らしい恋を中心に、出会った人物のブッシュの中東爆撃と同調した小泉への批判、原発事故の被害などをからめて描いた滝口悠生「ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス」(『新潮』)も興味深かった。
 合同労組の書記長が地域のさまざまな労働相談を受ける竹之内宏悠「柵」(『民主文学』)、ハローワークの女性係長が過重労働でパニック障害になる山形暁子「秋の知らせ」(同)は心を病む今の労働者の苦難に迫っている。
 (みうら・けんじ 文芸評論家)
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2015年04月28日,「赤旗」)

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治安維持法公布90年/106歳と101歳、弾圧被害を証言/「日本中を縛り無謀な戦争に」/ラジオ出演

 「90年前のきょう(1925年4月22日)公布され、言論の自由を奪った治安維持法。弾圧された当事者とともに考える、その教訓とは―」。TBSラジオ「荻上(おぎうえ)チキ・セッション22」は22日夜、「弾圧当事者が語る治安維持法」を特集しました。
 番組では、同法の弾圧犠牲者、西川次郎さん(106)=大阪府貝塚市=と杉浦正男さん(101)=千葉県船橋市=がインタビューで登場しました。
 西川さんは、宗教者として「満州事変」(31年)に反対の声を上げたことを理由に特別高等警察(特高)に検挙されました。西川さんは、「警察の言い分は『殴り殺してもわしには責めがない』と言って、めちゃくちゃ殴られた」と証言。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の会員でもある西川さんは、今も弾圧被害者への賠償がなされていないことを告発しました。
 労働者の互助会活動を、特高が共産党の活動に結びつけ、逮捕された杉浦さんは「(治安維持法や国家総動員法などで)日本中を追い込んで、縛ってしまう。国民が抵抗できないままに無謀な戦争に飛び込んでしまった」と語りました。
 ゲストの片山杜秀(もりひで)慶応大教授は「(治安維持法の定義は)曖昧模糊(もこ)で運用されて、警察や憲兵が拡大解釈しても誰も止められない仕組みになった。今われわれは思い出しておくべきだ」とコメントしました。
 パーソナリティーの荻上さんは「70年の節目を考える時、振り返るべき論点が多々ある」と締めくくりました。
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2015年04月26日,「赤旗」)

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没後86周年、山宣しのぶ/東京で集い

 治安維持法と侵略戦争に反対を貫き暗殺された労農党代議士山本宣冶の没後86年をしのぶ集いが、18日に東京都千代田区の東京しごとセンターで開かれました。東京山宣会が主催し、約80人が参加しました。
 小樽商科大学の荻野富士夫教授が「戦後70年―改憲への危機と歴史認識」と題して講演。山宣と小林多喜二の関わりを2人の経歴を比べながら紹介し、直接面会したことを示す資料は残っていないが、思想の一致による深いつながりがあったと述べました。
 「生物学者」の視点から戦争がもたらすものを予測・予感した山宣と、「文学」で社会をえぐり出し、なぜ戦争に反対しなければならないかを追求した多喜二という、それぞれの特徴を述べたうえで「山宣の意思を多喜二は継いでいる。私たちも今こそ覚悟を持って山宣や多喜二の意思を受け継いでいかなければいけない」と強調しました。
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2015年04月24日,「赤旗」)

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民主主義文学会50年/作品の魅力/1/能島龍三/山岸一章『聳ゆるマスト』

海軍兵士の反戦活動発掘
 日本民主主義文学会は今年、創立50周年を迎えます。加わる作家は人間の尊厳と生き方を描きながら、さまざまな現実の問題と切り結び、社会の変革を願う作品を生みだしてきました。いくつかの代表的な作品の魅力を順次紹介します。

 これは戦時下の抵抗の記録である。表題の「聳ゆるマスト」は、1930年代に広島の呉軍港を中心に活動した、反戦兵士らの新聞の名称だ。この頃の日本は、最高刑を死刑に引き上げた治安維持法のもと、言論・集会・結社の自由など、基本的人権が徹底的に弾圧された時期である。
 
……
 人々の声と運動を押しつぶしつつ、31年には関東軍により「満州事変」が引き起こされ、長い戦争の時代が始まっていた。33年の2月には小林多喜二が虐殺されている。一般社会でも主権在民や反戦平和を訴える活動は、文字通り命がけのものだった。まして、階級制度と軍律で徹底的に「個」と人権を奪われていた「大日本帝国」の軍隊の中で、反戦活動をおこなう困難さは想像を絶する。
 しかし、阪口喜一郎という下士官を中心にした広島県呉軍港の若い海軍兵士たちは、志を同じくする女性たちの力も借りて、果敢に、そして緻密にたたかいを組織していった。それはやがて、呉軍港に停泊する軍艦などで、反戦や兵士の人権を訴える「聳ゆるマスト」や日本共産党の機関紙「赤旗」を、多い時には100部以上も配布する運動にまでに発展した。
 この過程を、丹念な調査で掘り起こしたのが、民主主義文学同盟(当時)の作家山岸一章であった。山岸は1923年東京の生まれ。戦後国鉄労働者となったが、50年にレッドパージで職場を追われた。この時、工場の煙突に登って抗議したという話は有名だ。
 
……
 山岸は事実を徹底的に調べ上げて、関係者一人ひとりを、個性を持つ人間としてこの記録の中に登場させている。それは、2300万人以上にのぼるアジア太平洋戦争の死者の一人、一人を独自の顔を持つ人間として捉え、父母や兄弟姉妹、妻や恋人や遺児たちの嘆きがどれほど深いか、文中で繰り返し訴える山岸の思想の表れと言えるだろう。
 阪口喜一郎はその後検挙され、獄中で無惨な最期を遂げた。同志たちも獄につながれた。このたたかいはつぶされたが、熟慮された防衛策により、権力の捜査は多くの協力者、読者にまでは届かなかった。特高警察や軍法会議は、「聳ゆるマスト」の印刷部数はせいぜい40、50部と、活動を過小評価していたのである。
 あの時代、日本共産党は本書で描かれた呉や横須賀の海軍だけでなく、各地の陸軍部隊の中にも党組織を作り、悪条件の下、兵士の間に反戦闘争を広げていた。その一つの取り組みの貴重な記録として、権力者がしゃにむに戦争に突き進むいま、本書に触れる意味は大きいと思う。
 (のじま・りゅうぞう 作家)
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2015年04月24日,「赤旗」)

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朝の風/創造の現場が刻んだもの

 映画は時代の波しぶきを浴びながら作られてきた。東京・世田谷美術館で「東宝スタジオ展 映画=創造の現場」(19日まで)を見てその思いを強くする。
 1932年に設立された写真化学研究所が合併を経て、43年に東宝株式会社となり、現在の東宝スタジオへ。地名から砧撮影所として親しまれてきた。台本、楽譜、写真、メモ等、創造者の活躍を伝える資料が壮観だ。
 黒沢明監督の「七人の侍」の作曲者早坂文雄の黒沢当て書簡は、病弱な早坂が仕事というものは「情を超えたもの」だから遠慮せず言ってほしいと言葉を重ねていて胸をうつ。
 村山知義も戦前ここで監督をした。治安維持法違反で捕らえられ、「映画法」により登録を取り消すという「命令書」(42年)をはった村山のスクラップは、映画作りの自由を奪われた時代の証言だ。軍隊内で上映用の「軍国教育映画」が、ここで作らされたことも明らかにされている。
 戦後、民主的な映画作りを求めて映画人が立ちあがった東宝争議。48年の第3次闘争は、米軍ジープ、戦車、装甲車、武装警官2000人以上が押し寄せ、「来なかったのは軍艦だけ」といわれた。このたたかいに想を得た内田巌の油彩「歌声よ起これ(文化を守る人々)」に目を奪われた。
 (響)
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2015年04月15日,「赤旗」)

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共産党に期待します/主婦中村昌代さん(54)/弱者の声代弁、貫く歴史

 私は、てづか弘司候補(徳島県議選・板野郡区)と中学・高校の同級生です。誠実で温かく、何事にも一生懸命な彼が、日本共産党の一員として活動していることに納得しています。
 それは、日本共産党が唯一、戦前から戦争反対を貫き、戦後70年間、戦争の悲惨さを伝え、憲法9条を守ろうと活動しているからです。特高に虐殺された作家の小林多喜二をはじめ、弾圧されながらも地道に国民のために歩んできた歴史は、他党にはないものです。
 私は、いじめや、いわれのない差別を体験し、立場の弱い人たちの手助けをしたいと途上国の子どもたちの支援活動にかかわったこともあります。日本共産党は、そんな弱者の声をしっかり取り上げてくれる政党です。
 安倍政権がすすめる集団的自衛権は平和を壊すものです。国民に他国で死に、殺人者になれというのですか。企業献金や国民の血税で私腹を肥やし、低賃金で苦しむ若者や少ない年金で暮らす人たちの悩みをわかっておらず、怒りをおぼえます。
 私は、今の自公政権にも民主党にも希望や期待を持つことはできません。もっとも弱者の声を代弁してくれる日本共産党にしか期待できません。
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2015年04月10日,「赤旗」)

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この人に聞きたい/俳優鈴木瑞穂さん/第3幕/僕が出会った監督たち/役者の膨らみ見逃さない

〈劇団民藝時代から数多くの映画に出演してきました〉
 幸せなことに、僕はたくさんの優れた監督と出会ってきました。いい監督は一つの場面を撮るにも本質をつかんでいる。ダメを出すのもうまい。お釈迦(しゃか)様の手の上にいるみたいに、気分よく演じてきました。

山本、熊井…
 一番多く仕事した山本薩夫監督もそうでした。松川事件がモデルの「にっぽん泥棒物語」では被告の鈴木信さん、「白い巨塔」は医療ミスを訴える庶民派弁護士、「戦争と人間」は全3部のナレーションもしました。
 山本さんはダイナミックでした。何回とちっても、「いいよ、大丈夫」と決して俳優を責めませんでした。
 「戦争と人間」で飲んべえの先輩役者がいました。関東軍の作戦会議の約20秒の場面ですが、何回やっても地名や師団名を間違えて午前中をつぶしちゃった。でも監督はあくまでカットを割らず、一つなぎで撮ろうとする。休憩を取り、監督が彼とゆっくり話して午後一発でOKになったことがありました。
 役者の気持ちの膨らみを大事にする人でした。よく役者を見ていて、膨らんできたと見るや、「さあ、本番だ!」と、その瞬間を逃しませんでした。
 京大の同級生で、地味だけど良い作品を撮った松尾昭典監督、「くじけないで」の深川栄洋監督。すばらしい監督たちです。
〈3歳下の熊井啓監督は友人でした。「帝銀事件 死刑囚」、「日本列島」、「地の群れ」。えん罪や米軍、差別をテーマにした作品に多く出演しました〉
 ある時、僕が「あなたの映画は暗いものが多いね」と話したら、熊井さんが言ったんです。「暗さをまっとうに見ない人間に、本当の明るさは見えないよ。本当の暗さを突き抜けなければ、本当の明るさは見えないんだよ」って。
 最後にシナリオまで書いて撮れなかった映画も、渡辺謙さん主演の脱獄囚の話。よく「俺はまだまだだ」と言っていました。本当に惜しい人でした。
〈自身も演技を通して、「なぜ」をくり返してきました〉
 人生87年、芝居63年。振り返れば、「人間って何だろう?」という問いをくり返してきました。
 人間とは、本来すばらしいものだと思います。でもあの日広島に原爆を投下し、一瞬で十数万人の命を奪ったのも人間、東京大空襲で人々を焼き尽くしたのも人間。人間はこんなに愚かで残虐なものかという場面に何度もあいました。もし人間がすばらしいものなら、それをゆがめるものの正体を知りたい。
 俳優は、常に時代に敏感でなきゃいけないと思います。犯罪者の役が来れば、なぜ彼が罪を犯したか、救う仲間はいなかったか、と問い続ける。ただ漫然と台本の活字を言葉にするだけでなく、「なぜ」と問う中でこそ、役の向こうに社会と時代が見え、監督や作者の描こうとした人間像が出てくるのだと思います。
 そうは言うものの、僕もまだまだわからないことだらけです。チェーホフが書いたように、「今日は天気がいいね。お茶を飲もうか、首をつろうか」という不思議な存在が人間です。一生、わからないのかもしれません。

えっちら行く
〈来年も舞台出演が決まっています〉
 周りは、「まだまだ当分いけます」と言っています(笑い)。足腰が割と強いのが支えです。健康法は、ほぼ毎朝2時間、8`くらいのウオーキング。川沿いをすたすた歩きながら、四季の移ろいを感じるのが、また楽しいんです。
 一つ役が終われば、翌日からまた「頂上」めざして、えっちらおっちら行く。それが俳優です。そうやって死ぬまでに何か一つ、成し遂げられたらと思うんでしょうね。
 (おわり)
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2015年04月12日,「赤旗」)

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この人に聞きたい/俳優鈴木瑞穂さん/第2幕/初舞台から63年/自分を磨き抜けば個性が残る

〈初舞台は1952年、空襲の跡が残る東京・新橋演舞場の劇団民藝公演「五稜郭血書」(作・演出/久保栄)。稽古場にはセットもなく、床にテープが張りつけてあるだけ。想像力を駆使しました〉
 軍艦の甲板の雪を払う場面なんですが、どこまで甲板かさっぱりわからない。「鈴木君、そこは空です!」と久保さんに怒られてね。
 一人で8役。せりふは一言。役の間に舞台転換までやり、初舞台というより障害物競争でした。
 厳しかった久保さんが千秋楽に、「よくやったじゃないか」と著書『新劇の書』をくださいました。裏表紙に達筆で、〈編み笠を脱げばはるけし夏の空〉と書いてありました。治安維持法で投獄された久保さんが、解放され、囚人の編み笠を脱いだ時の感動をよんだ句です。うれしくて、一発で芝居から抜けられなくなりました。
〈60年安保闘争の直後、70人からなる第1次訪中新劇団に参加。帰国後、アーサー・ミラー作「るつぼ」の主人公プロクターを演じました〉
 僕は野球で言えば、直球で勝負するタイプ。でもこの役には、くせ球がいる。無実の罪で死刑宣告を受けて叫ぶ場面は、体の力を全部抜き、柔らかい中にビーンと立ち上がるもので高揚感を出さなきゃダメ。滝沢修さんに、「ほらほら、力が入ってる」と小突かれ、稽古しました。
 この役で芸術祭奨励賞をもらい、宇野重吉さんに背広を借りて表彰式に出ました。そこでやっと、「何とか役者をやっていけるかな」と思いました。
 外国では、俳優は肉体や発声の訓練を約6年受け、初舞台に立つといいます。自分のイマジネーション(想像)を演ずるには技術が必要。僕は民藝の先達にもまれ、育てられました。

変化が面白い
〈71年、民藝を退団し、翌年、故・早川昭二氏らと演劇集団銅鑼を創立。社会派作品を多く創造してきました〉
 民藝時代以上に大変でした。公演期間中もチラシを持って、学校や労働組合回り。何十軒も歩き、観客を集めてから楽屋入りです。でもおかげで、芝居を一緒に作る仲間が全国にできました。
 思い出深い作品がたくさんあります。
 「炎の人」のゴーギャン役、「橙色の嘘」は看護師に淡い恋心を抱く老医師、俳優座劇場プロデュース公演「夜の来訪者」では、戦争で財を成した一家の主人。八木柊一郎さんが英国の戯曲を戦争前夜の日本に翻案し、誰もがこの社会に責任を負って生きているのだと問いかけました。
〈現在、町工場の奮闘記、「はい、奥田製作所。」で巡演しています。人情厚い老社長役です〉
 若い劇作家が今の生産現場を取材して書いた作品です。テーマは物づくりは人づくり=B下請けで苦しい中、町工場が横につながり、何かを作ろうと探る。
 どこでも、お客さんの拍手が温かいんです。隣の工場を見る感じで、共感してもらっているんじゃないかな。
 東日本大震災で思い知らされました。中小企業の生産が止まれば、僕たちの生活は、缶ジュースのプルトップ一つさえ立ち行かなくなります。日本を底辺で支えているのは、中小企業なんです。
〈初舞台から63年〉
 芝居も演技も、変わり続けるから面白い。
 新国立劇場で「ヘンリー六世」に出演した時、演出の鵜山仁さんが終演後、楽屋に来て、「あの場面、こう変えたらどう?」と熱っぽく語るんです。でもその日は千秋楽。翌日はない。そう言ったら、彼は照れていました。そんな、今日より少しでもいいものをという人が好きです。
 俳優は、「その人に非(あら)ずして、その人を憂う」と書く。役に近づこうともがくのが演技だと思います。役者は、その中で自分の狭い人生体験を超え、変化できる。個性とは、自分を磨き抜いてなお残るものだと思います。(つづく)

 劇団銅鑼公演「はい、奥田製作所。」(作/小関直人、演出/山田昭一)に出演中(右から2人目)。27日午後6時半=東京・大田区民プラザ。рO3(3937)1101
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2015年04月05日,「赤旗」)

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この人に聞きたい/俳優鈴木瑞穂さん/第1幕/軍国主義から目覚めた平和/憲法は愛情に満ちていた

 鈴木瑞穂さん、87歳。劇団銅鑼公演「はい、奥田製作所。」で全国巡演中です。63年の俳優人生で、戦争や差別を問う数々の作品に出演してきました。原点は、戦争体験と日本国憲法との出あいです。
 大塚武治記者

「満州」の実態
〈1927年、中国との国境の町、北朝鮮の龍岩浦(りゅうがんぽ)で生まれました。父は、日本から赴任した朝鮮人中学校の教師でした〉
 僕が4歳になる直前、「満州事変」(31年)が始まりました。45年の敗戦まで、青春時代は全部、十五年戦争と重なるわけです。
 物心ついた頃から、徹底した軍国主義教育を受けて育ちました。
 日本人のための尋常高等小学校では、「諸君は天皇陛下にその身をささげているんだ」と言われ、死を美しいものと考えていました。
 家に17歳くらいの朝鮮人女性のお手伝いさんがいて仲良くしていましたが、「この人を一等国民=日本人にしてやらねば」と考えていました。
 朝鮮人は毎朝、天照大神をまつった神社に整列させられ、「皇国臣民の誓詞」、「我等は皇国臣民なり、忠誠以て君国に報ぜん」を日本語で唱えさせられます。「五つの民族が協和して満州をつくる」という「五族協和」の実態がこれでした。
 旧制中学は、鴨緑江(おうりょくこう、中国と北朝鮮の国境の川)を渡った「満州」の安東市にありました。
〈43年、旧制中学を4年で修了し、単身日本へ。広島・江田島の海軍兵学校に入りました。そこで原爆投下を目撃しました〉
 45年8月6日朝、教室でモールス通信の準備をしていたら、突然、真っ白な光線に包まれました。「なんだ?」と思ったら、ズーンという地鳴りと震度3ほどの揺れ。山に登ると、海を隔てて約10`先の広島が、ダークオレンジの炎と煙に包まれている。見る見る煙は盛り上がり、キノコ雲になりました。
 「市民はみんな大やけどだ」とうわさが流れました。状況がわからないまま、夕方、水兵がカッター(手こぎ舟)に水と消毒薬を積んで出ましたが、途中から戻ってきました。「広島港は死体だらけで、オールが引けない」と言うんです。風に乗り、島にも広島の腐臭が漂いました。
 怒りに震えました。当時の日記に〈人間がここまで人間をおとしめることができるのか!〉と書いています。
 敗戦を境に、「若者よ、大義のために死ね」と言っていたおとなたちがコロッと「民主主義者」になりました。復員した兵隊は目的を失い、自殺者や犯罪者が大勢出ました。
〈敗戦後、岩手・陸前高田の伯父宅へ。漁を手伝い、「なぜ自分は生き残ったのか」と悩みました。引き揚げてきた父はすぐに亡くなり、伯父の勧めで京都大学入学。その46年、憲法が公布されます〉
 新憲法は、ザラザラの紙パンフレットのようなものに印刷されていました。読み始めて、強烈な衝撃を受けました。日本は戦力を放棄する、もう二度と戦争しない。なぜこんな優しい言葉で、一人ひとりの人間に愛情を注げるのか? 殺すか殺されるかだけを考えた僕の人生は何だったのかと思い、涙が出ました。

色彩豊かな生
〈マルクス経済学者・河上肇著『貧乏物語』を読み、衝撃を受けました。1950年、京都で劇団民藝の演劇、チェーホフ作「かもめ」を見ました〉
 これも衝撃でした。チェーホフは戦争中、敵性文学だったのでまるで知りません。でも芝居を見るうち涙があふれました。人間の喜び、怒り、憎しみ、愛。生きるとはこんなにも色彩豊かなものか。死ばかり見つめていた僕は初めて、人間らしい感情というものを知ったのです。
 見終わってどうしてもそのまま帰れなくて楽屋を訪れたら、宇野重吉さんに「よかったら来年うちを受けに来ないか」と誘われました。東京・青山の稽古場で受験したのが、俳優の始まりでした。
〈「現在の日本の状況は、戦前とそっくりだ」と危ぶみます〉
 故ワイツゼッカー元独大統領は、「過去に目を閉ざす者は、現在も見えなくなる」と言いました。日本の為政者は、歴史に学ばず、未来への想像力を欠いています。加害の歴史をはっきり認識し、何を生み出していくかを考えなきゃいけないと思います。
 僕は二度と戦争を味わいたくないし、自衛隊員や若者に、あのせい惨な戦場を味わわせたくない。原爆を見た者として原発を許せない。
 世界から戦争や核兵器をなくすのは、憲法が追い求める夢です。もっとも軽蔑すべきは「現実」に合わせ、夢を地べたに引きずり下ろすことでないのか。
 共産党はいつも夢に向かって現実を変えようとしてきた。僕はそこを信頼します。現政権が戦争に向けた法案づくりをはじめ、戦争参加が現実の危機になりつつある今、これに対抗する共産党にもっと強くなってほしい。 (つづく)

すずき・みずほ=1927年生まれ。劇団民藝を経て、72年、演劇集団銅鑼(どら、現・劇団銅鑼)創立に参加。創立10周年まで代表、現在、団友。主な出演作に、舞台「炎の人」、「ヘンリー六世」、映画「戦争と人間」(山本薩夫監督)など。
2006年、紀伊国屋演劇賞個人賞受賞。日本共産党文化後援会代表委員
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2015年03月29日,「赤旗」)

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2015いっせい地方選/非正規・ブラック、体験したから雇用問題に全力/北海道/神戸/山口・和木

 いっせい地方選で、低賃金で無権利の非正規雇用や若者を使い捨てにするブラック企業で働いていた経験を持つ人たちが日本共産党から立候補します。苦しみに向き合い、全力で訴えています。
 (名越正治)

北海道議候補(苫小牧市)松橋ちはるさん(32)/私たちには人間らしく働く権利がある
 「樽前おろし」が吹き下ろす北海道苫小牧市。松橋ちはる道議候補(32)=定数3=のりんとした声が響きます。
 「多くの若者は、非正規労働やブラック企業で働き、やめても次の仕事もない、やめるにやめられない状況のなかでも頑張っています。正社員が当たり前の社会に、みなさんの願いを道政に届ける架け橋≠ニして働かせてください」。足を止めて耳を傾ける人や声援を送る人も。
 パートで働き育ててくれた母と祖母の3人暮らしの松橋候補。アルバイトをして市内の定時制高校を、その後も働きながら岡山大学二部法学部を卒業し、苫小牧に戻ります。
 ようやく就いた全国展開のホテルは、8時間を超えると、タイムカードを押させ、さらに仕事をさせるというブラック企業でした。
 「『残るのは仕事が遅いから』と自己責任≠ノされ、函館や札幌のホテルにヘルプという応援に行かされますが、出張手当は一切ありませんでした」
 体調を崩して、退職に追い込まれますが、その後、小林多喜二の伯父が創業者の老舗菓子店に勤務し、「アットホームで癒やされました」と松橋候補。
 そのころ出合ったのが、9条の会でした。「人は人間らしく生き働く権利がある、国や自治体は権利を保障する責任がある」と学びます。日本共産党に入党し、活動の原点を憲法に見いだします。
 松橋候補は「ブラック企業対策会議を道に設置し、若者を苦しめるブラック企業、ブラックバイト根絶に頑張りたい」と話します。

神戸市議候補(中央区)大前まさひろさん(34)/子どもと接する時間と安定雇用増やそう
 神戸市の陸・海・空の玄関、中央区。大前まさひろ市議候補(34)=定数6=は、前回惜敗し、失った党議席をとり戻そうと日夜駆け回っています。
 昨年4月から週4日駅頭の朝宣伝に立ち、スーパー前や若者向け宣伝は800回を超えました。
 労働相談が次々寄せられています。飲食店で働く男性(40)は、生まれたばかりの子どもと接する時間がないほど休みが取れない勤務でした。経営者が「もうちょっとやってくれ」と無理強いし、男性は体をこわす事態になりました。
 大前候補も就活で数十社断られ、仕方なく神戸中央郵便局で働きます。正社員と同じ仕事をこなしても手取りは10万円にも届きませんでした。
 この間、非正規労働者は全国で2000万人を超えました。「非正規の体験を生かし、若者の安定した雇用を増やすため、一生懸命働きます」

山口県和木町議候補上田丈二さん(57)/派遣切りにあい裁判/「正社員が当たり前」に
 臨海部に大企業の工場が並ぶ山口県東端の和木町。「おはようございます」。上田丈二町議候補(57)=定数10=が丁寧にビラを配ります。元マツダ原告団副団長。同町に移住しての立候補です。
 「思い出があるんですよ」。上田さんが自動車大手、マツダ防府工場で2008年末、「派遣切り」されたとき、大切にとっておいた1枚のビラを取り出しました。「困ったときには相談を」。山口県労連のビラでした。
 職場の仲間と県労連を訪ねます。長時間話し合い、たたかいに立ちあがろうと決意を固めます。提訴から4年後の13年3月、山口地裁で勝利判決をかちとり、翌14年7月、広島高裁で和解しました。
 「最初は、あきらめの悪い人生を選んでしまったと後悔したけれど、マツダ訴訟は『正社員が当たり前』の世論づくりに貢献したと思います。今度は町議選で当選し、非正規雇用から正社員への転換を支援していきたい」
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2015年04月02日,「赤旗」)

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*           【3月】(ヘッドライン)

*         31

*         詩壇/傷から発せられる言葉

*         20

*         「戦争する国」許さぬ/国領五一郎の墓前祭/京都

*         先達のたたかいに学ぶ/「3・15」弾圧事件87周年のつどい/北海道/青森

*         市川正一碑前祭開く/戦前の党幹部/獄中死亡から70年/山口

*         番組をみて/永遠の0/東京系2月11、14、15日放送/命を否定する戦争、残酷さにふみこまず

*         作家・元日本民主主義文学会会長森与志男さん死去

*         国際女性デー/鳥取で「集い」

*         10

*         闇より黒い光のうたを 十五人の詩獣たち/河津聖恵著/評者草野信子詩人

*         憲法守り生かす政治に/第86回山宣墓前祭/京都・宇治

*         国会議員駆けある記/紙智子参院議員/多喜二の母の入党秘話

*         主権侵害♀ナ板の撤去開始/井上・倉林議員に政府回答/京都・米軍基地

*         暗黒政治を許さない/宮城3団体が講演会

*         発見された多喜二虐殺後の写真/受け継がれる不屈のたたかい/大田努

*         背表紙/『不滅の遠藤実』……名曲を生んだ人生観、出会い

【3月本文】

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31

詩壇/傷から発せられる言葉

 河津聖恵さんが近刊詩論集『闇より黒い光のうたを―十五人の詩獣たち』(藤原書店)で、自分の愛する詩人たちを「詩獣」と呼んでいる。詩が上品で気の利いた飾り物などではなく、社会や時代から傷を負った肉体と心から発せられる言葉であることを改めて私たちに提示するために。
 権力や諸悪を「獣」に擬することは今や使い古された安易な比喩でしかない。生命の危機を感知することができるのは民衆や個の「獣」的本能である。「人間の魂の奥には、この世界を席巻するシステムを免れる太古の洞窟が、いまだたしかに存在している」(「プロローグ」から)。「うたう」ということはそこから湧き出る行為なのだ。挙げられた「詩獣」の面々は、尹東柱、パウル・ツェラン、寺山修司、ガルシア・ロルカ、R・マリア・リルケ、石原吉郎、立原道造、シャルル・ボードレール、アルチュール・ランボー、中原中也、金子みすゞ、石川啄木、宮沢賢治、小林多喜二、原民喜。
 「アウシュヴィッツ以後、詩を書くのは野蛮である」と言った哲学者アドルノがツェランの詩を読んでその発言を撤回したことが書かれている。「永遠につづく苦悩は、拷問にあっている者が泣き叫ぶ権利を持っているのと同じ程度には自己を表現する権利をもっている」と。野蛮なのは、殺されていった獣たちなのか。お前たちは獣だと言って殺した神のごとき人間たちだったのか。著者は「獣」という神聖で根源的な語を奪い返してきて、それにふさわしい詩人たちに戻し与えた。
 朝鮮学校への無償化除外差別に抗する詩歌集の編纂でも先頭に立った詩人の詩観の源流が差し出された「詩獣」列伝である。
 (上手 宰・詩人)
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2015年03月25日,「赤旗」)

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「戦争する国」許さぬ/国領五一郎の墓前祭/京都

 戦前の日本共産党や労働運動の指導者で、治安維持法により逮捕され獄死した国領五一郎の墓前祭が15日、京都市左京区の黒谷墓地で行われ、50人が参加しました。墓前祭は今年で52回目を迎えました。
 参加者は、日本の侵略戦争に反対し続けた国領の遺志を受け継ぎ、安倍政権による「戦争する国」づくりを許さないたたかいを進めていく決意を誓いました。
 国領会の若宮修会長があいさつし、顕岑院(けんしんいん)の白嵜顕成(しらさきけんせい)上人が読経しました。
 日本共産党の大河原としたか参院京都選挙区候補、民青同盟京都府委員会の中根葉月委員長、京都総評の梶川憲事務局長、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟京都府本部の三原哲事務局長が追悼の言葉を述べ、目前のいっせい地方選と来年の参院選勝利に向けて決意表明しました。
 京都ひまわり合唱団・団友会の献歌のなか、親族や団体役員ら参加者全員が焼香をしました。
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2015年03月18日,「赤旗」)

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先達のたたかいに学ぶ/「3・15」弾圧事件87周年のつどい/北海道/青森

北海道
 1928年3月15日、天皇制政府は侵略戦争反対、主権在民を掲げる日本共産党と労働組合の活動家など全国で1600人余をいっせいに検挙・投獄、拷問しました。北海道でも260人が検挙されました。
 札幌市で15日、「『3・15』弾圧事件87周年のつどい」(同実行委員会主催)が開かれ80人が参加しました。上野武治北海道医療大学教授が「多喜二鎮魂の絵『走る男』が現代に問いかけるもの」と題して講演しました。
 小樽出身の画家・大月源二の「走る男」は、獄中での運動を描いたもの。上野氏は、不当に投獄された活動家にとって獄中での運動は、「生存に直結するたたかい」だと指摘。とくに「走る男」は、特高に虐殺された多喜二のたたかう意志を表現した絵だとのべ、これを守り、受け継いできた4人の女性たちについても触れました。
 講演を聞いた男性は「秘密保護法が施行され、『戦争する国』へ法整備が狙われている今、侵略の歴史を再び繰り返させないために、私たちがもっと力をつけ、たたかいを広げていかなければならない」と話していました。
 日本共産党北海道委員会の佐川敏幸書記長代行があいさつしました。

青森
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟青森県本部(治維法国賠同盟県本部)は14日、青森市県民プラザで「3・15 4・16大弾圧記念集会」を開き、70余人が参加しました。
 日本共産党青森県委員会の吉俣洋常任委員が来賓あいさつ。治維法国賠同盟中央本部の副会長・北海道本部会長の宮田汎氏が「北海道で活躍した青森県出身の先達に学ぶ」と題し、講演しました。
 宮田氏は、労働争議・農民運動や治安維持法の中で命がけで主権在民のたたかいをしてきた木田茂晴(大鰐町)、古川友一(弘前市)、加藤寛一(青森市)、相沢良(旧浪岡町)など青森県出身の先達を紹介。「治安維持法の犠牲者のたたかいで手にできた憲法を安倍政権は根本からくつがえそうとしている。先達に学び暴走政治を阻止する力にしてほしい」と呼びかけました。
 参加者からは、「今の安倍政権は危険すぎる。子や孫を戦争に行かせない活動をがんばりたい」「あの時代に権力に立ちむかった先輩に報いる生き方、運動をしたい」など感想が寄せられました。
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2015年03月18日,「赤旗」)

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市川正一碑前祭開く/戦前の党幹部/獄中死亡から70年/山口

 山口県光市出身の戦前の日本共産党幹部、市川正一が獄中で亡くなってから70年の節目となる15日、党山口県委員会は市川氏の本籍地の光市鮎返(あゆかえ)りで碑前祭を行いました。
 大平喜信衆院議員が初めて出席したのをはじめ、党関係者ら約40人が集いました。
 佐藤文明県委員長は「安倍首相が海外で殺し殺される戦争立法を強行しようとする今、戦前の暗黒時代に命を賭して不屈にたたかった市川氏に代表される革命的伝統を受け継ぎ、いっせい地方選で必ず勝利する」とあいさつ。
 大平議員は、市川氏が残した日本共産党員になった時代が真の時代、真の生活である≠ニいう言葉に「胸が震える感動を受けた」と語り、「諸先輩の志を受け継ぎながら、安倍暴走政治をストップさせ国民の暮らしと平和を守り、4月の県議選、市町議選で全員当選するため、私も全力で頑張り抜く」と決意をのべました。
 県労連の藤永佳久議長、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部の林洋武会長もあいさつし、宇部市議選の藤井たけし候補が決意表明しました。
 参列者全員で碑に献花し、市川氏をしのぶとともに、いっせい地方選必勝への決意を新たにしました。
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2015年03月17日,「赤旗」)

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番組をみて/永遠の0/東京系2月11、14、15日放送/命を否定する戦争、残酷さにふみこまず

 百田尚樹原作、佐々木章光監督で3夜にわたり6時間放映。
 戦後60年を翌年にひかえて、新聞記者から終戦特集記事を依頼されたライターの佐伯慶子(広末涼子)。それを書くために司法試験浪人中の弟健太郎(桐谷健太)と、特攻隊として戦死した実の祖父宮部久蔵(向井理)のことを、生き残った人たちに取材してまわる。
 宮部は優秀な零戦パイロットでハワイ、ラバウルなどで転戦しながら「必ず愛する妻子のもとに生きて帰る」といいつづける。このため臆病者、卑怯者といわれた。特攻隊への強制的志願でも「生命が惜しいです」と拒否した。その宮部が特攻で死んだことに戦友たちは驚き、姉弟も生に執着した祖父がなぜ特攻に加わったのかと疑問に思う。その謎に迫ってミステリアス的な展開になっていく。
 宮部は予備飛行士官まで特攻を強制する人命軽視に疑問を抱き、彼らを守ろうとする。ドラマは戦時下に人間らしく生きること、自分を主張することの難しさを見せて共感させる。
 「二度とあの戦争を繰り返さないために…」とプロデューサーの言葉に制作意図がこめられている。姉弟がおじいちゃんの戦争≠知ろうと証言を引き出す。そこから妻子の愛のために生きぬこうとする宮部の姿が現われるが、自らの境遇に耐え抜いても、怒りがたちあがってこない。
 姉弟も祖父の絶望的な苦しさに共鳴していくが、そこまで人間を追いこんでいく戦争の無惨さから何を学んだのかが、はっきりことばとして表れない。
 爆弾を抱き出撃して目標にも到達できず二度と帰れない戦術を、誰が考え命令していたのか。特攻隊は美しい≠フではなくきわめて非人間的であったという歴史的事実が伝わらないもどかしさが残る。
 映画好きだった小林多喜二が、日露戦争映画を見て、涙が出てくる思いがするが、「恐るべき戦争なるものゝ『後ろ』に存在する悲惨な事実」を見わけることが大切だと書いた。
 命を否定する向こうにある戦争の残酷さにふみこんで見つめさせることでこそ、宮部の妻子に会えなかった悔しさが生きてくるのでは。
 (石子 順 評論家)
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2015年03月12日,「赤旗」)

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作家・元日本民主主義文学会会長森与志男さん死去

 作家の森与志男(もり・よしお、本名・松本吉央=まつもと・よしひさ)さんが8日、心不全のため東京都品川区の病院で死去しました。84歳。家族葬を行いました。
 1930年東京都出身。早稲田大学卒業後、中学校教師を経て、都立高校に英語教師として勤務する傍ら小説を書き始めました。日本民主主義文学同盟(現・日本民主主義文学会)に65年の創立と同時に参加。事務局長、副議長、『民主文学』編集長、97年から2007年まで議長・会長を務めました。
 教育問題にかんする作品を多く執筆し、88年に軍国主義下の女教師の苦悩と成長を描いた「炎の暦」(『女性のひろば』連載)で第20回多喜二・百合子賞を受賞。本紙に「傷だらけの足」「河は流れる」「戦後の風」「普通の人」、日曜版に「遺されたもの」を連載しました。
 文化団体連絡会義の事務局長を務めました。
 64年日本共産党に入党。
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2015年03月12日,「赤旗」)

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国際女性デー/鳥取で「集い」

 鳥取県東部地区の国際女性デーの集いが8日、鳥取市で開かれました。精神科医の田治米佳世さんが講演し新婦人、民商婦人部、生協病院労組、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟女性部、年金者組合のメンバーが女性の権利、暮らしと平和を守るために立ち上がろうと交流しました。
 田治米さんは、医療現場で深刻な現状に直面しているとして、貧困が心身の病気や障害、暴力、犯罪、自死、戦争と密接な関係にあることを報告しました。
 若い母親らが生活苦から「強い日本をめざす安倍さんを支持する」、「子どもを自衛隊に入れて楽になりたい」などと語る現状に対し、価値観や文化の力で賛同を生むソフトパワーで平和を守ろうと呼びかけました。
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2015年03月11日,「赤旗」)

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闇より黒い光のうたを 十五人の詩獣たち/河津聖恵著/評者草野信子詩人

危機の時代の私たちへの呼びかけ
 〈私たちはごく稀に、ある言葉の連なりを「詩である」と感じる。その「感覚」はいったいどのようなものか〉
 この魅力ある問いで始まる本書は、問いを発端とした思索を、15人の詩人論として提示した詩論である。
 詩人論は、季刊の総合誌『環』に連載したもの。原稿用紙10枚が枚数制限だったそうだ。とりあげられているのはすべて、すでに少なからぬ数の詩人論、評伝が書かれている詩人たちだ。たとえばリルケ、ロルカ、中原中也。また尹東柱、パウル・ツェラン。彼らの生涯と詩を、わずかな枚数で書ききっていることに感服する。力業、と言いたいところだが、力みを感じさせない。著者が、詩人たちを〈詩獣〉と呼んでいるからだろうか。散文の奥からは、詩人河津聖恵の伸びやかな野性の声が聞こえてくるようだ。
 著者は〈詩獣〉を次のように定義している。〈危機を感知し乗り越えるために、根源的な共鳴の次元で他者を求め、新たな共同性の匂いを嗅ぎ分ける獣〉。本能への信頼、文明に対するものとしての獣。すぐれた詩人とはそのような存在だろう、と言う。この定義を、詩人に限ったものではなく、人間の生の在り方を示すものとして深く肯定したい。〈詩獣たち〉は、それぞれの時代、それぞれの国で、みな痛ましく独自な姿をした獣だった。そのなかに次のふたりを選び、金子みすゞに〈獣〉を、小林多喜二に〈詩〉を見る著者の眼の澄明を思う。
 本書を、緊迫した危機の時代の私たちへの呼びかけと受けとめたい。同時に、詩人が獣ではなく、小さな魚、揺れる草、一本の樹木であってもかまわない世界を夢みたい。

 かわづ・きよえ 61年生まれ。詩人。詩集『ハッキョへの坂』ほか。
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2015年03月08日,「赤旗」)

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憲法守り生かす政治に/第86回山宣墓前祭/京都・宇治

 戦前に反戦平和を掲げ、治安維持法に反対して右翼の凶刃に倒れた代議士・山本宣治の命日である5日、京都府宇治市の善法墓地で第86回山宣墓前祭が行われ、240人が参加しました。
 憲法を改悪して日本を再び戦争する国につくり変えようとする安倍政権の動きを許さず、憲法を守り生かす政治の実現のため奮闘する決意を込めた「誓いの言葉」を拍手で確認しました。
 本庄豊実行委員長が献花しあいさつ。「安倍首相は、憲法9条に定められた非暴力的手段による国際平和の実現ではなく、積極的平和主義の名による軍事力の行使を強行しようとしている」と批判。沖縄では昨年の知事選と総選挙の全小選挙区で米軍新基地建設に反対する勢力が勝利したことに触れ「歴史は確実に前進している」と話しました。
 宮城日出年(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟京都府本部)、山川朋也(民青同盟京都府委員会)、山崎彰(全日本年金者組合京都府本部)、大平勲(日本国民救援会京都府本部)、池内光宏(新社会党京都府本部)、上條亮一(日本共産党京都府委員会)の各氏が弔辞・追悼の言葉を述べました。
 山本家の遺族を代表して、山宣の孫の山本勇治氏(京都民医連九条診療所所長)があいさつしました。
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2015年03月06日,「赤旗」)

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国会議員駆けある記/紙智子参院議員/多喜二の母の入党秘話

 2月20日は、小林多喜二の命日です。各地で多喜二祭が行われています。私も北海道・苫小牧で話す機会がありました。
 以前、「多喜二の軌跡を追って」という企画で、多喜二の生家のある秋田県川添村、北海道小樽市へ、多喜二ゆかりの場所を訪ねました。戦前、天皇制のもと、治安維持法による弾圧でわずか29歳で生涯を閉ざされた多喜二。人間らしく生きようと、いのちを燃やした姿に胸打たれました。
 後に私の夫から、小樽で多喜二の母セキさんを訪ね、共産党への入党を呼びかけたときの様子を驚きと感動をもって聞きました。
 セキさんは「私のようなばあさんでも、若い人が元気になるというなら入ってもいいよ」と入党を決意され、奥の部屋にいったと思ったら、羽織を着て正装して出てこられた。
 正座し、入党申込書に名前を書き、ふっと宙をみあげ、「天国に行ったらあんちゃんなんて言うかな」とほほ笑んだそうです。
 2月になると、二度と暗黒の時代を繰り返さない決意を新たにします。
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2015年03月06日,「赤旗」)

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主権侵害♀ナ板の撤去開始/井上・倉林議員に政府回答/京都・米軍基地

 外務、防衛の両省は5日、米軍経ケ岬(きょうがみさき)通信所(京都府京丹後市)のフェンスに設置されている「立ち入り禁止」の警告看板に米国の法律にもとづくとの英文の記載があるとして米側に申し入れを行い、米側が看板の撤去を開始したことを明らかにしました。日本共産党の井上哲士、倉林明子の両参院議員による説明聴取の場で、両省の担当者が回答しました。
 看板は立ち入り禁止の根拠として、国内法である刑事特別法に加え、1950年に制定された米国法である国内治安維持法を明記。米国法を根拠として明記した同様の警告看板は沖縄県の米軍普天間基地(2012年)や埼玉県の大和田通信基地(1983年)にも掲示されたことがあり、「主権侵害だ」「違法な掲示」と国会で問題にされ、撤去されてきました。
 外務省は「あたかも米国の法律によって立ち入りが禁止されていると誤解を与える内容だ。不適切な面がある」と説明。4日に米側に申し入れたとしましたが、要請ルートは明らかにしませんでした。
 井上、倉林の両氏は、過去に同様の事例がありながら看板の設置が繰り返されていることをあげ、他の米軍基地でも確認を徹底すべきだと要請しました。防衛省は「確認されれば同様の措置をとる」とし、確認作業については「外務省とも相談したい」と答えました。
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2015年03月06日,「赤旗」)

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暗黒政治を許さない/宮城3団体が講演会

 宮城県の塩釜地方労連、国民救援会塩釜支部、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治維法国賠同盟)塩釜支部は1日、塩釜市で「再び戦争と暗黒政治は許さない」と題した講演会を開き、50人が参加しました。
 治維法国賠同盟中央本部会長代行の増本一彦弁護士は「今年は、アジア・太平洋戦争敗戦70周年、治安維持法施行90周年、同法廃止70周年という節目の年です。歴史的事実を直視して、安倍首相による歴史修正主義に草の根運動で反撃しなければならない」と訴え、治安維持法施行から廃止までの20年間を検証。戦争推進勢力によって無権利状態にあった国民の反戦・平和、生活と権利獲得の困難なたたかいの歴史を振り返り、「国民を戦争に駆り立てた時代への逆流を許してはならない」と強調しました。
 参加者からは「戦前の困難な時代の中でたたかう人々の姿に今の時代を重ね合わせることで、今こそ反戦平和のたたかいを大きくしなければと痛感した」などの感想が寄せられました。
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2015年03月04日,「赤旗」)

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発見された多喜二虐殺後の写真/受け継がれる不屈のたたかい/大田努

 今日の国際テロについて、「テロに屈しない」と声高に言う安倍首相が、一方では称揚してやまない「愛国心」だが、戦前の「愛国心」が国家的テロによってどんなに血塗られていたか、思い起こしてほしいものである。

時代を超えて無法なテロ糾弾
 82年前の2月20日、革命作家で日本共産党員の小林多喜二が特高警察によって虐殺された。この日正午すぎスパイ三船留吉の手引きで逮捕され、東京・築地警察署で3時間以上の惨虐な拷問を受けたが屈しなかったためである。
 今年の命日を前に、伊藤純氏によって、多喜二の遺体を囲む従来のものとは違う、母セキや弟三吾を含む枕辺の写真や3周忌の写真などが発見された意義は大きい。弾圧に猛威を振るった治安維持法の誤りを今なお日本政府が認めない時に、これらの写真は時代を超えて無法なテロを糾弾しているからである。
 当時は解放運動犠牲者の場合、犯罪者としてまともな葬儀の扱いは許されなかった。多喜二の場合も、後の告発を恐れた官憲が遺体の解剖を阻止し、通夜、告別式も参列者を総検束する厳戒態勢の中で行われている。こうした中で、この写真が多喜二とともにたたかう活動家たちと遺族とを共通の空間の中にとらえ得たところに、かつて作家・広津和郎が「彼の死は犬死ではない」といい、志賀直哉が「彼等の意図ものになるべし」といった未来への希望が託されているように思う。
 この写真は伊藤氏の父の当時プロレタリア写真家同盟委員長だった貴司山治の撮影による。
 先日市立小樽文学館から、多喜二と同じ日に築地署に収監されていた石井友幸の江口渙宛の手紙2通が公開された。これも、多喜二への権力犯罪を傍証する意味ある資料である。ただし、各紙で「新資料」として報道されたが、これらは日本共産党発行の『文化評論』1962年3月号、67年6月号ですでに公表されていた。

証言の扱いは慎重な吟味必要
 この手紙には、「この房には私のほかに築地小劇場の劇団員の若い人がはいっていて、(中略)この若い劇団員は多喜二があの日にとらえられることを知っているようなことを私にはなしていました」と、監房内の流言が記されている。
 これは多喜二の検挙はプロレタリア演劇同盟の活動家の供述によるという官憲が流した当時の虚偽報道を反映したもので、「若い劇団員」の供述なるものを使い多喜二逮捕のシナリオをつくり、多喜二を売ったスパイ三船の存在とスパイ政策を巧妙に隠蔽しようとしたものである。(青木笙子著『沈黙の川 本田延三郎点綴』河出書房新社刊参照)
 このように、証言についての扱いは、言うまでもなく慎重な吟味が求められる。
 今また、特定秘密保護法が施行され、強権によって国民の目、耳、口をふさぐ危険性が現実のものになる時、私たちは先人たちの不屈のたたかいをさまざまな角度から語り、受け継いでいかなければならない。
 (おおた・つとむ 文芸評論家、多喜二・百合子研究会副代表)
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2015年03月04日,「赤旗」)

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背表紙/『不滅の遠藤実』……名曲を生んだ人生観、出会い

 「高校三年生」「せんせい」「北国の春」…。多くのヒット曲を作曲した遠藤実さんの人間像に迫る『不滅の遠藤実』(藤原書店・2800円)が刊行されました。作詞家・長田暁二さんら3氏の編著。
 歌謡界初の文化功労者に選ばれ、2008年の没後には国民栄誉賞を受賞。生涯に5000曲以上を作曲しました。本書の前半では編者3氏が、それぞれその生きざまに迫っています。小林多喜二の小説をイメージした「蟹工船」を村田英雄さんの歌で手がけていたことも紹介されていて興味深い。
 後半では、船村徹さん、千昌夫さんなど20人が遠藤さんとの思い出をふり返っています。そのなかで、不破哲三(日本共産党社会科学研究所所長)・上田七加子夫妻もインタビューに答え、音楽業界の再販制度廃止反対の集会での出会い、北京の老人ホームで「北国の春」を聴いて交わした手紙、森繁久彌さんの米寿のパーティーでの出会いなどを語っています。
 極貧の前半生、多彩な人たちとの交流などで培った遠藤さんの豊かな感性、不屈の人生観がにじみ出る一冊です。
 (生)
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2015年03月01日,「赤旗」)

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*           【2月】(ヘッドライン)

*         28

*         多喜二は今も時の人/秋田の2カ所でしのぶ集い

*         朝の風/あいまいにできない虐待の過去

*         多喜二の視点、私たちに生きる勇気/記念の夕べ/北海道・小樽

*         戦争を描くリアリズム/尾西康充著/評者松木新文芸評論家

*         「私も戦争はいや」/治維法国賠同盟が宣伝/青森

*         多喜二の母セキさんと亡き夫の交流を語る/入党「あんちゃん何て言うかな」/紙議員が講演/北海道苫小牧

*         小樽で多喜二墓前祭/「戦争する国」許さぬ決意新たに

*         20

*         野呂栄太郎没後81周年墓前祭/先見性・不屈性受け継ぐ/札幌・平岸霊園

*         国賠同盟鳥取が要請

*         テロ問題、戦後70年…緒方副委員長が語る世界と日本/鶴岡で革新懇と党の講演会/山形

*         本立て/戦争を描くリアリズム 石川達三・丹羽文雄・田村泰次郎を中心に/尾西康充著

*         遺志継いでいく/西田信春碑前祭/北海道新十津川町

*         北海道・秋田県の各地で多喜二しのぶ集い

*         文化の話題/金曜名作館/小林多喜二「党生活者」/時代超え伝わる迫真性と緊迫性/尾西康充

*         「建国記念の日」反対集会各地/戦死再び出さぬため/札幌/盛岡

*         10

*         レッド・パージ、謝罪・賠償して/埼玉連絡会が総会

*         子が犠牲になる戦争は絶対ダメ/節分祭で核廃絶署名/香川

*         獄中メモは問う/佐竹直子著/評者宮田汎治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部会長

*         政党助成金なくせ/みのもんたさん/金ほしさの「政党」情けない

*         みのもんたさんズバッと語る/沖縄、原発、憲法、共産党…/戦争はしちゃいかん

【2月本文】

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多喜二は今も時の人/秋田の2カ所でしのぶ集い

 プロレタリア作家・小林多喜二をしのぶ催しが秋田県の秋田市と大館市でおこなわれました。21日の秋田市での「第50回秋田県多喜二祭」に190人余、22日の出生地・大館市での「第36回大館市小林多喜二記念の集い」に80人余が参加しました。
 両日とも高橋秀晴秋田県立大学総合科学教育研究センター長が記念講演しました。
 高橋氏は、国際的に多喜二作品が注目され、研究、交流が広がっていることを紹介。多喜二の草稿ノートなどから、思考の過程や、「蟹工船」のなかで使われる方言のリアルさなどにふれ「作品や生き方に深く秋田・大館が潜在している」と述べました。その上で「治安維持法下に生きた多喜二を考えることは、世界と秋田、今と過去・未来、集団的自衛権、秘密保護法、憲法改正などの名前にどんな意図が潜んでいるのかを考えることにもつながります」と語りました。
 参加した男性は「最新の研究成果を聞くことができた。新たに写真や書簡が見つかるなど多喜二はいまも時の人だと思います」と話し、80代の女性は「久しぶりに多喜二作品にふれ、女学生時代を思い出しました」と感慨深げでした。
 秋田市の集会では、「多喜二祭賞」の授賞式が行われ、県労働者学習協会会長の秋田市の鈴木諄さん、花岡事件の案内サークルで運動に取り組んできた大館市の富樫康雄さん、大館市下川沿にある碑の保存、顕彰を行ってきた小林多喜二生誕の地碑保存会に贈られました。
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2015年02月25日,「赤旗」)

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朝の風/あいまいにできない虐待の過去

 小林多喜二の描いた「蟹工船」は、海上の缶詰工場という閉鎖された空間で酷使される労働者とその抵抗を描いた作品だ。
 1926年には秩父丸、英航丸、博愛丸、門司丸などで労働者への残虐な事件がおき、新聞も大きく報道した。多喜二は、この一連の事件を綿密に調査し、小説にまとめあげた。
 車内誌『THE JRHokkaido』12月号が、「紋別 鬼監督≠慕う人々」という記事をのせ、そこで「『蟹工船』で鬼監督のモデルとされた松崎隆一」として、「彼は数々の社会貢献をして市民に慕われた人物」と書き、労働者虐待も「人権意識が極めて薄い当時の時代背景からすればむべなるかな」という関係者の言葉を紹介している。
 松崎隆一は、博愛丸の船の事業主任として乗り込み、他の蟹工船でたびたび虐待事件をおこしていた阿部金之助やその子分らを雇った。彼らは、病気の労働者を強制労働で死亡させ、かし棒で強打、ウインチに吊り上げたりの虐待をほしいままにした。寄港して漁夫たちが警察に訴えて明らかになった。「当時の時代背景からすればむべなるかな」という問題ではない。
 松崎隆一は後に紋別という地域に貢献したかもしれないが、過去の事実を、あいまいにはできまい。
 (聳)
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2015年02月25日,「赤旗」)

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多喜二の視点、私たちに生きる勇気/記念の夕べ/北海道・小樽

 北海道小樽市で20日、小林多喜二没後82周年の多喜二祭(同実行委員会主催)が行われ、「講演と市民劇」(記念の夕べ)には、250人が参加しました。
 寺井勝夫実行委員長は「平和か戦争か。せめぎ合いの情勢の中、戦前、命をかけて反戦平和の旗を掲げてたたかった多喜二の思いを想起することが今非常に大事だ」とあいさつ。
 多喜二は作品の中で、労働者や貧農の過酷な状況だけでなく、無権利、低賃金で働かされていた女性労働者の現実も描きだしました。「多喜二の描いた女性像―格差・差別なき公正な世を」と題して講演した文芸評論家の宮本阿伎(あき)さんは、多喜二の生い立ち、田口タキとの出会いなどにも触れながら、女性解放の視点を明確に持った作家だったと語り、「多喜二の小説をもう一度読みなおし、今日を生きる私たちの勇気に」と話しました。
 多喜二が、自身の階級闘争への最初の原体験を描いた小説「東倶知安行」が、16人の市民による構成劇(作・演出、大地巌)として上演されました。
 小樽市の女性(61)は「82年前の日本を改めて考えました。多喜二と同じように生きられたら」と話していました。
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2015年02月24日,「赤旗」)

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多喜二の遺体囲む新写真見つかる/母セキ・弟三吾さんの姿

 20日は、作家の小林多喜二が虐殺されて82周年。この日を前に、多喜二の遺体を遺族が囲む新しい写真が発見されました。
 特高警察に捕らえられた20日のうちに虐殺された多喜二の遺体は、21日夜、東京・馬橋の自宅に運び込まれます。プロレタリア文化運動の仲間たちが腕組みをして遺体を囲んでいる同日夜の写真はよく知られています。
 今回発見されたのは、同じ場所で母のセキさんや弟の三吾さんら肉親が写っているもの。撮影したのは、文化運動のメンバーとして活躍した貴司山治(きし・やまじ)です。息子で、プロレタリア文学研究者の伊藤純さんが、遺品の中から見つけました。
 「父は、写真は素人ではなかったので、ブレのあるこの写真から動揺や恐怖感があったことがうかがえます。虐殺は、歴史的、客観的な事実として伝えられていますが、どんなに恐ろしいことだったかを再認識することになればいいと思います」と伊藤さんは語ります。
 原板は、大判名刺の大きさのガラス乾板で、没後2年目の2月に開かれた多喜二をしのぶ会や、プロレタリア作家同盟創立大会(1929年2月)などの、これまで多喜二の写真集などに収められていたものと別のカットなどもあります。
 多喜二・百合子研究会の副代表・大田努さんは、「当時の衝撃をなまなましく伝える写真で、文学・歴史の証言として意味があります。プロレタリア写真家同盟の責任者だった貴司山治の報道写真としても優れており、82年を超えて深い感銘があります」と語ります。
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2015年02月22日,「赤旗」)

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戦争を描くリアリズム/尾西康充著/評者松木新文芸評論家

主題裏付ける思想との関係探る
 著者は、石川達三、丹羽文雄、田村泰次郎の文学を手がかりに、作家の思想とリアリズムの関係などを探求している。
 かつてサンパウロ大学の客員教授であった経験を生かした「蒼氓」論が興味をひいた。
 ブラジル移民の悲惨な状況を描いたこの作品が、現地ではほとんど読まれていないばかりか、日系文学関係者たちの評価もきわめて低いという。移民に対する石川の「傍観者的観察態度」(松本清張)が、作品世界に色濃く投影されていたからだ。
 南京陥落直後に現地入りした石川は、「生きてゐる兵隊」を書いたが、南京大虐殺についてはわずかしか触れていない。
 このような弱点がなぜ生まれたのか。
 著者は、「社会現象をとらえるリアリズムのファインダーがあっても、フレーミングの基本となる《社会科学》がなかった」、「歴史的大事件に立ち会った作家として、その光景を総じてどのように描くのかという根本的思索が不可欠であった。《思想》に裏付けされた主題が確立されていなければならない」のに、肝心の《思想》がなかったからだという。納得できる指摘だ。
 丹羽文雄は、戦争の本質をつかむ機会を得ながらも、作品は大衆の欲望を満たすレベルにとどまっているし、人間の普遍性を希求していた田村泰次郎は、風俗性に流されて、根本的なモチーフが置き去りにされていると手厳しい。
 著者は小林多喜二のリアリズムを規範として、3人の作家を論考している。それだけに多喜二のリアリズムの優位性が照射されていることも、本書の特徴といえる。

 おにし・やすみつ 67年生まれ。三重大学教授。
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2015年02月22日,「赤旗」)

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「私も戦争はいや」/治維法国賠同盟が宣伝/青森

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟青森県本部は20日昼、青森市新町商店街で街頭署名行動に取り組みました。
 マイクを握った参加者は、「特定秘密保護法」の施行や集団的自衛権行使容認など「海外で戦争できる国づくり」に本格的に動きだしている安倍政権を批判。「『再び戦争と暗黒政治を許さない』『21世紀を平和と人権の世紀に』のスローガンを掲げ運動している私たちが望むのは平和です。憲法9条守れ、戦争はいやです」と訴えました。
 署名を寄せた市内在住の正代尚子さん(72)は「私も戦争はいやです。戦争に進まないように行動するのがおとなの責任。街頭に立ち声をあげるみなさんに頭が下がります」と話しました。
 呼びかけに応え署名した女性(75)は「貧乏人を切り捨てて軍事にお金をつぎ込む安倍さんは信用できね。戦闘機や武器を買うより先に国民の声を聞け!と言いたい」と話しました。
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2015年02月21日,
「赤旗」)

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多喜二の母セキさんと亡き夫の交流を語る/入党「あんちゃん何て言うかな」/紙議員が講演/北海道苫小牧

 日本共産党の紙智子参院議員は、北海道苫小牧市で、親交のある苫小牧駒沢大学の篠原昌彦教授(3月末で退職)の最終講義「大正デモクラシーと多喜二の文学世界」(1日)で、ゲスト講演しました。紙議員はそのなかで、2012年に亡くなった夫の内山勝人(かつんど)氏(享年72歳)が、小林多喜二の母のセキさんの入党(1960年10月)に立ち会ったことなどについて語りました。その内容を紹介します。

 今月20日は、戦前のプロレタリア作家であり、日本共産党の活動家だった多喜二の没後82年にあたる命日です。私は、亡き夫が多喜二の母のセキさんと出会い、セキさんの日本共産党入党の時にも立ち会ったことを、聞いた時の驚きと感動を今も忘れません。
 夫は、10代のとき、結核を患い、小樽市内の病院で闘病・療養生活を送りました。入院中に多喜二の小説にふれ、退院したら(『不在地主』のモデルとなった)磯野牧場(富良野市)や小樽の港湾など小説の現場を訪れようと思いをはせていました。
 東京に行ってから一度も小樽に帰ってこなかった多喜二は、33年2月20日、絶対主義的天皇制のもと、治安維持法による弾圧で逮捕されました。特高警察の残虐な拷問により、わずか29歳で生涯を閉ざされました。

アルバム見せて
 夫は、入院中に知り合った患者から多喜二の姉のチマさんを紹介され、退院後、小樽市内のチマさんのお宅(豆腐屋)を訪問。そこにはセキさんもいました。
 セキさんの部屋には、多喜二の書斎での写真や、絵画が飾られていて、本棚には多喜二の本もありました。セキさんは、夫にアルバムを見せながら、なつかしそうに多喜二の思い出を話しました。しかし、多喜二が惨殺された2月20日のことは話さなかったといいます。
 夫が後日、チマさんから聞いた話では、「母は、初対面の人とはあまり話をしなかったが、いろいろ話したのは、内山さんが学生服を着ていたので、多喜二を思い出したのではないでしょうか」とのことでした。
 多喜二の母、セキさんのことは、三浦綾子さんの小説『母』に描かれ、前進座の舞台でも演じられてきました。前進座のスタッフは夫からセキさんの入党の経緯を聞き、思いを込めて演じられたそうです。

元気になるなら
 60年10月、「若い人が元気になるなら入ってもいい」と入党を決意したセキさんは、ふと立ち上がり奥の部屋に行き、羽織を着て正装して戻ってきました。その後、正座し入党申込書を書いたのです。
 セキさんは記入後、宙を見上げて、「天国に行ったら、あんちゃん(多喜二)は何て言うかな」とにこっと笑ったそうです。
 夫は、「セキさんは、息子が命がけで守りがんばりぬいた党に入り、少しでも息子と同じ道を歩むことをうれしく思ったのかな」とその当時のことを振り返り話していました。
 多喜二の志は、今日の時代につながっています。多喜二が生きた時代とは大きく変わりましたが、社会全体が大きな激動の時期を迎えています。
 これから生きていく私たちがどうあるべきかを考えていく一つの契機になればいいと思い、夫と多喜二にまつわる話をさせていただきました。
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2015年02月21日,
「赤旗」)

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小樽で多喜二墓前祭/「戦争する国」許さぬ決意新たに

 日本共産党員で、「蟹工船」などの作品で知られるプロレタリア作家・小林多喜二の墓前祭が、没後82周年の命日にあたる20日、北海道小樽市で行われました。小樽をはじめ、札幌、旭川、函館など各地から80人が墓前に集い、赤いカーネーションを供え、安倍政権による「戦争する国」づくりを許さない決意を新たにしました。
 小樽多喜二祭実行委員会の菊地よう子実行委員長代理(日本共産党道議候補)は、「戦後70年。平和のために命をかけてたたかった多喜二の生涯は、今も私たちを励ましています。戦前に逆流させる動きを決して許してはなりません。平和への思いを新たに前進したい」とあいさつしました。
 日本共産党北海道委員会の青山慶二委員長は「憲法9条をなきものにすることが安倍首相の最大の野望です。侵略戦争と植民地支配に命をかけて反対した歴史と誇りに立って、極右勢力による政治支配を終わらせるために全力を挙げます」と決意をのべました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部の宮田汎会長は「多喜二の思いをしっかり受け継いでいこう」と呼びかけました。
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2015年02月21日,
「赤旗」)

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野呂栄太郎没後81周年墓前祭/先見性・不屈性受け継ぐ/札幌・平岸霊園

 日本共産党の戦前の指導者で、経済学者の野呂栄太郎の没後81周年となる命日の19日、墓前祭、碑前祭が開かれました。
 野呂家の墓地がある札幌市豊平区の平岸霊園では、日本共産党道委員会主催で墓前祭が行われ、野呂の業績をしのびました。
 党道委員会の佐川敏幸書記長代行は、昨年の衆院選で躍進し、本格的な「自共対決」の時代を切り開いたことについて、「野呂や小林多喜二をはじめとする戦前からの党の先見性と不屈性が脈々と受け継がれている。安倍暴走政治に地方から審判をくだす、重要な地方選挙の勝利のため全力をあげる」と墓前に誓いました。
 池田ゆみ市議候補は、「先人の遺志を受け継ぎ、国民の苦難軽減のため力をつくす。豊平区で12年ぶりに議席を奪還し、市民の暮らしを守る運動を前にすすめる役割を果たしたい」と語りました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟道本部の宮田汎会長、国民救援会道本部の守屋敬正会長があいさつ。畠山和也衆院議員、紙智子、大門実紀史両参院議員、真下紀子道議らのメッセージが紹介されました。
 野呂の出身地の長沼町では、碑前祭が行われました。
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2015年02月20日,
「赤旗」)

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国賠同盟鳥取が要請

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟鳥取県本部は9日、2月定例鳥取市議会に提出する、国に治安維持法犠牲者への謝罪と賠償を要求する意見書提出を求める請願について、市議会(房安光議長)に要請しました。
 要請には、県本部の保田睦美会長、松本芳彬理事らが参加。田村繁己副議長が応対しました。
 保田会長は、治安維持法により10万人が逮捕され、拷問や虐待などで1600人以上が獄死し、県内でも逮捕された人は200人以上にのぼると指摘しました。
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2015年02月19日,「赤旗」)

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テロ問題、戦後70年…緒方副委員長が語る世界と日本/鶴岡で革新懇と党の講演会/山形

 山形県の鶴岡・田川革新懇と日本共産党鶴岡地区委員会は14日、鶴岡市で日本共産党の緒方靖夫副委員長・国際委員会責任者を迎えて「世界と日本を語る」講演会を開き、満席の140人が参加しました。
 緒方氏は冒頭、総選挙躍進への感謝を述べ、4月の県議選鶴岡市区での議席奪還へ支援を呼びかけました。
 緒方氏は中国問題について「中国が強大な国家になればなるほど世界への責任が大きくなっている。重要なのは近隣諸国をはじめ、世界の政府、諸国民から尊敬と信頼を得ることではないか」と述べました。
 また、緒方氏はテロ問題について過激組織ISの蛮行を糾弾し、国連主導の解決が必要なこと、背景としてアメリカのイラク攻撃があると説明しました。
 最後に緒方氏は、戦後70年を迎え、侵略戦争と植民地支配への反省、治安維持法で弾圧された人々への謝罪と賠償などが重要であると強調しました。
 日本共産党の関とおる県議候補(鶴岡市区)が県議選で必ず勝利する決意を述べました。
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2015年02月18日,
「赤旗」)

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本立て/戦争を描くリアリズム 石川達三・丹羽文雄・田村泰次郎を中心に/尾西康充著

 1933年に特別高等警察の拷問で殺された小林多喜二の死後、侵略戦争反対を掲げたプロレタリア文学運動は、国家の厳しい弾圧で大打撃を受けました。その後を生きた作家たちが、どのようなリアリズムをもって戦争を描こうとしたのかを考察した一冊です。
 取り上げた作家は南京事件を描いた石川達三、日本軍「慰安婦」を作品の素材にすえた田村泰次郎、丹羽文雄ら。刊行のきっかけについて著者は「再び戦争の道を進もうとする近年の日本社会を憂慮してのこと」だと語っています。(大月書店 2800円)
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2015年02月15日,「赤旗」)

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遺志継いでいく/西田信春碑前祭/北海道新十津川町

 北海道新十津川町出身で日本共産党の戦前の指導者だった西田信春の碑前祭が11日、50人が参加して同町の顕彰碑前で行われ、碑前に赤いカーネーションを献花しました。
 西田は、九州で活動していた1933年2月11日に福岡県で特高警察に逮捕されて虐殺されました。
 女鹿(めが)武党北空知留萌地区委員長は「戦前の党に加えられた激しい弾圧に屈せず反戦平和を貫いた西田ら先人のたたかいに学び、4月の地方選挙で大きな前進を遂げたい」と述べました。
 治安維持法国賠同盟北空知支部の元木勇支部長は「いま憲法9条を壊して、日本を戦争のできる国にする安倍政権が、その政策を強めようとしています。私たちは西田の遺志を受け継いでいくことを誓い合いたい」と呼びかけました。
 畠山和也衆院議員、紙智子、大門実紀史両参院議員、治安維持法国賠同盟道本部の宮田汎会長からメッセージが寄せられました。
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2015年02月14日,「赤旗」)

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北海道・秋田県の各地で多喜二しのぶ集い

 「蟹工船」などの作品で知られる戦前のプロレタリア作家、非合法化の日本共産党員で、1933年2月20日、特高警察の拷問により29歳で命を奪われた小林多喜二をしのぶ集いが、北海道と秋田県の各地で行われます。
 多喜二は秋田県下川沿村(現大館市)の農村で生まれ、4歳のときに一家で北海道小樽に移住しました。

■北海道
 小樽市で20日、「2015年 小樽多喜二祭」(同実行委員会主催)が開かれます。午後1時半から奥沢墓地で「墓前祭」、午後6時半からマリンホールで。文芸評論家で日本民主主義文学会常任幹事の宮本阿伎さんが「多喜二の描いた女性像〜格差・差別なき公正な世を」と題して講演。構成劇「東倶知安行」(原作小林多喜二、構成・演出大地巌)を市民有志で上演します。
 釧路では14日(土)午後1時半から「小林多喜二を語るつどい・くしろ」が釧路市生涯学習センター「まなぼっと」で開かれます。文芸評論家の松木新さんが「多喜二と選挙」と題して講演します。
 江別市では「第7回 江別の多喜二祭」が3月7日(土)午後2時から、ドラマシアターども(江別市2条2の7の1)で。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部の宮田汎会長が「今、多喜二が呼びかけるもの」と題して講演します。

■秋田
 秋田市では「第50回秋田県多喜二祭」が21日(土)午後1時半〜午後4時半、秋田県生涯学習センター講堂(山王中島町)で行われます。主催は、同実行委員会。資料代1000円が必要です。
 大館市では「第36回大館市小林多喜二記念の集い」を22日(日)午後2時〜午後4時、同市中央公民館(桜町南)で行います。主催は同実行委員会。入場は無料です。
 どちらも高橋秀晴秋田県立大学総合科学教育研究センター長が、「世界の中の多喜二、多喜二の中の秋田」と題して講演。多喜二作品の朗読も行われます。
 秋田市では、秋田合唱団による合唱と「秋田県多喜二祭賞」授賞式があわせて行われ、今年は秋田市の鈴木諄さん、大館市の富樫康雄さん、同市の小林多喜二生誕の地碑保存会に贈られます。
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2015年02月14日,「赤旗」)

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文化の話題/金曜名作館/小林多喜二「党生活者」/時代超え伝わる迫真性と緊迫性/尾西康充

 「党生活者」は、小林多喜二が虐殺された後、『中央公論』1933年4、5月号に「転換時代」というタイトルに換えて発表された。作品の末尾には、1932年8月25日の日付が記されている。満州事変の勃発(1931年9月)を背景に、国家や企業によって人間が露骨に使いすてられていた時代、労働者の権利をまもる人びとのたたかいが描かれている。

戦争に反対して軍需工場で闘う
 多喜二自身も関与した争議が作品のモデルとされ、主人公の佐々木安治は、軍需品工場のたたかいを組織するために、臨時工に紛れて入った「細胞」(党支部)員の一人として設定されている。作品には、安治は「私」となって登場し、「私」の視点から闘争の現場が語られる。侵略戦争に反対する日本共産党は、当時非合法におかれ、安治の身辺にも特高警察の影がしのび寄る。
 戦争の拡大にともなって軍需産業が活性化し、安治が勤める倉田工業では、200名の本工に対して600名の臨時工が雇い入れられた。電線を製造していた倉田工業は、毒ガスのマスクやパラシュート、飛行船の側(曲面部を包むもの)などを手がけるようになっていた。臨時雇いの女工は、朝8時から夜9時まで休みなく、夕食のわずか20、30分間でさえ、夜業の賃金から2、3銭差し引かれる始末であった。
 多喜二は「戦争が始まってから労働強化は何処でもヒドクなっている」。「女工に対する搾取は急激に強まっている」と描いている。彼女たちが苦情を申し立てても、「おやじ」(監督)は、「兵隊の一部だと思って身を粉にして働かなけァならないんだ」と言い返す。そして「戦争がひどくなれば、兵隊さんと同じ位の日給でドシドシ働いてもらわなくてはならないんだ」と脅されてしまう。
 安治は、労働者の多数からの支持を集めようと奔走する。同志の須山や伊藤は協力して、ビラを下着に隠して持ち込んで配布する。だが監視は強化され、いつ検挙されるか分からない緊迫した状況になる。侵略戦争を支持しない人びとには容赦のない弾圧が加えられた時代、同志の太田が検挙されたのをきっかけに、安治は臨時工の仕事から党の任務へと重点を移す。それまでの生活は奪われ、非合法の地下生活を送らざるを得なくなったのである。
 精励すれば臨時工から本工へと繰り入れられるという噂が工場で流されると、工員たちは労働強化に自発的に応じるようになった。だが、実際には一斉解雇される、しかも解雇予定の2日前に警察や軍隊まで出動して実施されるという情報をつかむ。安治たちは急いで会合を持ち、先手を打つことを決める。
 懲役刑を受ける危険も覚悟のうえで、須山は工場の昼休み、解雇反対とストライキを呼びかけるビラを屋上から大量散布する。須山は検挙をまぬがれたものの、翌朝、400名の臨時工は、2日分の日給を手渡され解雇されてしまったのである。だが安治たちは決してくじけることなく、侵略戦争を推進する帝国日本への闘争を継続するのであった。

日本共産党員のひとすじの人生
 「党生活者」の読者は、「私」に同一化し、警察の追及をかわしながら果敢に行動する「私」として作品を生きるだろう。
 「私」が60歳になる母親と面会する場面がある。生きては二度と会えないことを覚悟し、最後の別れを伝えるためであった。息子の身の上をいつも案じている母親は、肩を振って歩く癖があることを教える。
 「一日を廿八時間に働く」という過酷な地下生活―「党生活」―を選んだ「私」には、いかなる暴圧にも屈しなかった日本共産党員の、ひとすじの生き方が体現されている。
 多喜二の構想では、さらに後編が創作される予定であった。書かれることのなかった部分は、現代の私たちのみずからの生き方を通じて書き込まれることが求められている。この作品の魅力は、時代を超えて伝わる迫真性と緊迫性にあるといえよう。
 

おにし・やすみつ 1968年生まれ。三重大学教授(日本近代文学研究)。著書に『小林多喜二の思想と文学』『戦争を描くリアリズム』ほか。

各地の多喜二祭
14日午後1時、北海道釧路市生涯学習センター。講師・松木新
20日午後6時半、同・小樽市民センター・マリンホール。宮本阿伎
3月8日午後2時、同・江別市ドラマシアターども。宮田汎
21日午後1時半、秋田県生涯学習センター。高橋秀晴
22日午後1時半、同・大館市中央公民館。高橋秀晴
20日午後6時半、東京・座・高円寺。田島一
21日午後2時、神奈川・伊勢原市民文化会館。能島龍三
21日午後1時半、大阪・クレオ大阪東ホール。緒方靖夫
22日午後1時半、兵庫県民会館。島村輝
22日午後1時半、同・伊丹市いたみホール。尾西康充
問い合わせ先=日本民主主義文学会
03(5940)6335
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2015年02月13日,「赤旗」)

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「建国記念の日」反対集会各地/戦死再び出さぬため/札幌/盛岡

 安倍政権が「戦争する国づくり」への道を企てるなか、「建国記念の日」に反対し考える集会が11日、各地で開かれました。参加者は、安倍政権の暴走を許さず、憲法を守り生かした社会を実現しようと誓い合いました。

■札幌/ヘイトスピーチの要因は
 札幌市では、道高教組、北教組、道平和運動フォーラム、キリスト者などでつくる「靖国神社国営化阻止道民連絡会議」が「第38回紀元節復活反対2・11道民集会」を開催し、450人が参加しました。
 主催者を代表して、日本バプテスト連盟靖国神社問題委員会委員の浦瀬佑司氏があいさつ。ノンフィクション作家の田中伸尚氏が「戦後70年 死者を再び殺さないために―靖国・憲法・レイシズムをめぐって」と題して講演を行いました。
 田中氏は、レイシズム(人種差別)、ヘイトスピーチの大きな要因の一つは、国家の中に自分のアイデンティティーを見いだし、歴史をネット上の結論だけで知り、その結論に至るまでの過程は考えず、自分で歴史を知ろうとしないことだと指摘。首相の靖国参拝や改憲についてふれ、「来年の参院選で、改憲は大争点になる。子や孫の世代を再び戦死させるのか、再び加害者にさせるのかが問われる。そうさせないためにどう立ち向かうのかが課題だ」と話しました。
 集会では、「集会宣言」と憲法改悪反対を表明することなどを求める「自治体首長要請文」を確認しました。

■盛岡/「集団的自衛権」、戦争の道
 盛岡市では、「建国記念の日」を考える県民の集いが開かれ、会場からあふれる160人が参加しました。
 主催は、教科書・靖国神社問題岩手県市民ネットワーク、岩手県歴史教育者協議会、岩手憲法会議、いわて労連、岩手県革新懇の5団体。
 佐々木良博弁護士が「『動物会議』(エーリヒ・ケストナー)に学ぶ―安倍政権の暴走を検証する」と題して講演しました。
 佐々木氏は、ヒトラー・ナチスに抵抗し続けた児童文学者のケストナーの『動物会議』(1949年出版)で動物たちは、悲惨な戦争を繰り返さないために「軍隊、銃砲、爆弾はすべてなくす」などの「五つの要求」を人間たちに突きつけたと紹介。世界の歴史を見ても、軍隊を持ち、軍備を増強し、集団的自衛権を行使できる国になることは、近隣諸国との緊張を激化させ、戦争に巻き込まれる危険性を飛躍的に高めると警告しました。
 佐藤洸(ひろし)氏=元特攻隊員、盛岡市在住=が、戦争体験を語りました。
 集いは、
「戦争する国づくり」や憲法改悪に反対する植民地支配と侵略戦争を否定する「70年談話」を許さない―ことなどを求めるアピールを採択しました。

「建国記念の日」
 『日本書紀』の記述によって神武天皇が即位したとする日を日本の建国の日とした「紀元節」が前身。神話の政治利用で、「紀元節」は1948年に廃止されましたが、66年、自民党政権時に「建国記念の日」として復活されました。
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2015年02月12日,「赤旗」)

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レッド・パージ、謝罪・賠償して/埼玉連絡会が総会

 レッド・パージ反対埼玉連絡会は5日、川越市で第3回総会を開きました。県内在住の被害者の浅野径(こみち)さん(85)、児島重助さん(89)、田中宗太郎さん(85)が体験を語り、国会への請願署名や埼玉弁護士会への人権救済申し立てなどの活動を総括、新年度に向けての方針を確認しました。
 レッド・パージは、1950年前後、アメリカ占領軍の指令で日本政府も積極的に関与して行われた、職場から共産党員や労働組合活動家を追放した思想弾圧事件です。被害者は国に名誉回復と国家賠償を求めています。
 官公庁に勤め、労働組合活動をしていた浅野さんは、占領政策違反だとして逮捕・実刑判決を受けるなどの苦難の体験を明かしました。郵便局を解雇された田中さんは「国は日弁連の勧告に従い謝罪と賠償をすべきだ」と訴えました。中外製薬を解雇された児島さんは「このままでは引き下がれない」と、たたかい続ける決意を語りました。
 伊須慎一郎弁護士が講演。低賃金で過酷な働かされ方をしている労働者の実態や安倍内閣による戦争する国づくりの狙いを語り、公正、平和、民主主義の社会を実現するための運動を呼びかけました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県本部の矢島恒夫会長、日本共産党の荻原初男県委員長があいさつしました。
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2015年02月08日,「赤旗」)

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子が犠牲になる戦争は絶対ダメ/節分祭で核廃絶署名/香川

 香川県と高松市の原水協は3日、節分祭でにぎわう高松市の田村神社で核兵器廃絶を求める署名行動を行い8人が参加、85人が署名に応じました。
 参加者は「約2万発地球上に核兵器がある」「この署名は今春国連へ届けます」と声をかけながら節分祭に訪れる人たちに声をかけました。
 署名に応じた男性(68)は「原発の事故もあるし、核そのものがなくなるべきだ。核兵器の実験場所も砂漠や環礁。それだけ危険ということ」といいます。田村千賀子さん(75)は「父は戦死している。戦争は絶対いけない。戦争になると子どもが犠牲になる」と話しました。
 治安維持法国賠同盟県本部も、同神社で国家賠償を求める署名に取り組みました。
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2015年02月04日「赤旗」)

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獄中メモは問う/佐竹直子著/評者宮田汎治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部会長

作文を罪にした事件の実像今に
 1940年から41年にかけて北海道で56人の教員が治安維持法違反容疑で逮捕された。北海道綴方教育連盟事件である。教員らは、子どもたちが自分と父母の暮らしや日常の思いをありのままに作文に書く実践に取り組んでいた。本書は、逮捕された教師のひとりがひそかに書き残した「獄中メモ」を手がかりに事件の実像に迫る。
 メモを「発見」したのは本書の著者である北海道新聞の記者。犠牲者の遺族や教え子、取り調べた側の関係者も訪ね、話を聞いた。元教員らの足跡をたどると彼らはみな、教育実践に熱心で同僚や子どもたちに人望があり、学校の中心的な存在だった。しかし現実をリアルに見ることは許されない時代になっていた。
 メモは語る。警察署のたらい回し、何カ月も独房に放置、長期の拘束…。「精神的な拷問」で追い詰め、有罪となるよう供述や手記をでっち上げ、「共産主義者」に仕立てる。「共産主義を信奉したと言って済むのならそうしよう」と自暴自棄になった教員もいた。こうして罪がつくられた。
 教え子も苦しんだ。「正行、助けてくれ」と獄中の恩師からひそかに届いた手紙。16歳の教え子は町内会長に「迷惑だ、燃やせ」といわれて綴方文集と一緒にストーブにくべてしまう。「先生を見捨ててしまった」と今も自責の念を抱えて「獄死」した師に手を合わせる89歳の教え子もいた。
 本書の発行は2014年12月6日。この日の1年前、現代の治安維持法と言われる秘密保護法が強行成立。メモの筆者の子息は語る。「父が生きていたら…作文が罪になった時代を繰り返していいのかと声を上げるのではないか」

 さたけ・なおこ 66年生まれ。北海道新聞記者。
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2015年02月01日,「赤旗」)

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政党助成金なくせ/みのもんたさん/金ほしさの「政党」情けない

 政党助成金、憲法、集団的自衛権、原発…。今の政治の大問題について、『敗者の報道』(TAC出版)を出したばかりのキャスター・みのもんたさんに聞きました。
 佐籐研二記者

 僕はこれまでも、ずいぶん言いました。何のために政党助成金をもらっているのか、と。主義主張が違っているのに、政党助成金をもらうために「政党」をつくる。ああいうのを見ていると情けないよね。
 日本共産党は、政党助成金を100円も受け取っていない。これは続けてほしい。絶対に何かのひもつき≠カゃない、という姿勢をまっとうしてほしい。この点は、ほんとに立派だと、僕は思うんですよ。
 そもそも国会議員が下手な金集めをしなくてすむために、国民1人あたり250円を政党助成金として出す、という話でした。しかし、結局、助成金はもらう、企業・団体からの資金集めパーティーは続ける、使ってはいけないことに政治資金を使う…。そんなことがぼろぼろ出てくる。そんな政党助成金はやめればいいんですよ。

みのもんたさんズバッと語る/沖縄、原発、憲法、共産党…/戦争はしちゃいかん

兄の通夜の席で父に召集令状、母は「国をのろった」
 〈著書『敗者の報道』で、メディアが及び腰になるような政治や社会の課題に、あえて踏み込みました〉

国はウソばかり
 僕には兄貴がいたんです。戦争中で僕が生まれる1カ月前、3歳で亡くなりました。その通夜の席で父に、召集令状「赤紙」が来た。弔問に来た人はみな「バンザイ」ですよ。僕をおなかに抱えていたおふくろは、「国をのろった」そうです。生前、おふくろからは、「日本は戦争をしてどれだけの人間を死なせてきたか、よく考えなさい」と何百回も聞かされました。
 そのおふくろの言葉を、毎年沖縄に行くと感じます。昨年も、ひめゆりの語り部のおばちゃんが説明してくれました。沖縄ではお年寄りから子どもまで、県民の4人に1人が命を落とした。そこへもって、米軍基地の74%が集中する基地問題がいまだに解決しない、と。だから総選挙では沖縄の人は最善の決断を下したな、と思いました。1区から4区、ぜんぶ自民党が負けたでしょ。
 沖縄で税金などのカネがばらまかれる構図は原発と同じ。福島の事故が起きてから、僕らは本腰を入れて報じてきました。原発事故直後、放射能が漏れても、国は国民に何も伝えない。統制、統制、統制で、発表はウソばっかり。国が何の指示もしないから、住民は逆の方向に逃げた。そんな現実を誰かが言わないといけないと思いました。
 〈みのさんの次男が2013年9月に窃盗未遂の疑いで逮捕されます。番組の出演自粛を経て、10月26日に降板を正式表明。週刊誌を中心にバッシング≠フ嵐が吹き荒れます〉
 マスコミは、親の責任はどうだとか僕の財産がどうだとか、徹底的にたたきましたよ。言いたいこともいろいろありましたが、テレビ局やスポンサーに迷惑をかけられない。僕は僕なりに一つの使命が終わったんだと、自分で降板会見を開くことにしました。
 ただね、原発が気になった。「原発を止めてもネオンはこうこうとついているだろう」と番組で言いたかった。再稼働を言いだしたとたんに太陽光発電など自然エネルギーの買い取りもストップだと。僕だったら「何を考えているんだ!」とやっていましたね。
 〈秘密保護法に集団的自衛権、憲法9条の改悪…。報道の現場を退いてから、国の政治は大きく動きました〉
 僕は「しゃべり」が天職だと思っています。キャスターというのは、時の権力に真っ向からぶつかっていく姿勢と気持ちがなければダメ。選挙前に政権党が放送局に偏った放送を慎むよう£ハ達を出したでしょ。これは圧力です。萎縮しますよ。僕は「言論の自由があるんだ」と反論したい。
 国民の知る権利は一体どこに行っちゃうのか。小林多喜二の『蟹工船』という小説がありますが、僕はその時代を思い出します。昨年12月、施行された特定秘密保護法に抵触したら、ものすごい重罰ですよ。こんな重大な法律は、みんながその中身を十分に知って、侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をやって、多数決で決めるのが民主主義でしょ。
 どうしても言いたいのは、日本を二度と戦争をしない国にしなきゃいかんということです。国と国との紛争に武力を用いない、軍隊は永久に放棄する。立派でしょう、日本の憲法は。押し付けられた? 冗談じゃない。自慢しろよ! 絶対に戦争だけは避けなきゃいけない。日本の憲法は世界で唯一、それができると僕は思いますよ。

共産党に親近感
 僕が少年時代を過ごした東京の祖師谷(世田谷区)には、共産党の岩間(正男・元参院議員)さんが住んでいてね。「困った時の岩間さん」と呼ばれ、頑張ってくれた人でした。だから共産党には親近感があるんです。
 総選挙での躍進も、すごかったですよ。「どこの党に?」と聞いたら共産党に入れている人が多かった。正直な国民の気持ちです。あと、少しおしゃれになってきましたね(笑い)。ネクタイもまあまあ。おしゃれとぜいたくは違う。おしゃれとは、自分の気持ち、生き方のアピールにつながるんですよ。

みのもんた=1944年東京都世田谷区生まれ。67年文化放送入社。「セイヤング」の初代ディスクジョッキーを務めた後、79年退社。2006年以降、TBS「朝ズバッ!」、日本テレビ「おもいッきりイイ!テレビ」などに出演。「1週間で最も多く生番組に出演する司会者」のギネス認定を受ける
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2015年02月01日,日「赤旗」)

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*           1月】(ヘッドライン)

*                       31

*                       「平和の滝」で碑前祭/女性革命家・相沢良しのぶ/札幌

*                       憲法研究者・「九条の会」呼びかけ人奥平康弘さん死去

*                       治維法国賠同盟、女性集会を報告/千葉

*                       メディアをよむ/須藤春夫/戦後70年伝える映像の力

*                       情熱の赤で戦争ノー!/女性7千人国会包囲/安倍政権にレッドカード

*                       辺野古と被災地、不屈交流/岩手・大船渡

*                       戦争する国づくりノー/治維法国賠同盟が署名宣伝/青森

*                       辺野古の新基地作業強行に抗議/治維法国賠同盟南空知支部

*                       20

*                       敗戦までの日本社会の姿は/シリーズ『地域のなかの軍隊』を編集して/原田敬一

*                       発言2015年/元中央大学教授横湯園子さん/全力挙げて憲法守りたい

*                       戦争できる国、地方からノー/治維法国賠同盟宮城・塩釜支部宣伝

*                       朝の風/あるプロレタリア詩人

*                       共産党ってロック≠ネ党/池内衆院議員が出演/ネット番組「デモクラTV」

*                       10

*                       自衛隊国民監視訴訟/裁判長が結審前交代/原告弁護団会見、厳正審議求める

*                       群馬県議選に、はせだ氏擁立/伊勢崎市区

*                       「山宣の墓前で「地方選勝つ」/京都・党議員・候補

*                       十五年戦争期の京大学生運動/岩井忠熊著/評者広川禎秀大阪市立大学名誉教授

*                       本立て/闇があるから光がある 新時代を拓く小林多喜二/荻野富士夫編著

1月本文】

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「平和の滝」で碑前祭/女性革命家・相沢良しのぶ/札幌

 戦前の治安維持法下の激しい弾圧のもとで戦争に反対し、働く者の解放のために不屈にたたかった女性革命家・相沢良(1910年〜36年)の命日にあたる28日、札幌市西区で「没後79周年碑前祭」が行われました。
 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟(治維法国賠同盟)北海道本部と札幌支部の共催で、参加者は相沢良が女性労働者と一緒にハイキングに訪れ、平和や人生について語りあった「平和の滝」のレリーフ像前で黙とうし、手を合わせました。
 北海道本部の宮田汎会長は「労働組合の組織化と反戦運動に力を注いだ相沢良のたたかいに学び、これからの活動に生かしましょう」と訴えました。
 相沢良と同じ青森県出身である日本共産党の田中啓介市議候補は「この地に訪れるたび、相沢良の遺志を引き継ぐ思いが強くなります」と語りました。
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2015年01月31日,「赤旗」)

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憲法研究者・「九条の会」呼びかけ人奥平康弘さん死去

 「九条の会」呼びかけ人の一人で憲法研究者の奥平康弘さん(おくだいら・やすひろ=東京大学名誉教授)が26日未明、自宅で急性心筋梗塞のため死去しました。85歳でした。葬儀は近親者ですでに行われました。お別れの会は「九条の会」関係者で検討中です。
 奥平さんは1929年北海道函館市生まれ。東京大学法学部卒業後、同大社会科学研究所助手、名古屋大学法学部助教授などを経て、東大社会科学研究所教授・同所長、国際基督教大学教授などを歴任。2004年に評論家の加藤周一さんらと「九条の会」の呼びかけ人となり、同会発足以来10年以上にわたり、会主催の全国講演会、全国討論集会に欠かさず出席し、文字通り9条改憲阻止の運動の先頭に立ってきました。独特のソフトな語り口と、改憲派の矛盾をつく鋭い分析で、全国の運動参加者を励ましました。
 昨年には、安倍晋三首相の解釈改憲の動きに反対する学者らでつくる「立憲デモクラシーの会」の共同代表にも就任しました。
 著書に『表現の自由とはなにか』、『治安維持法小史』、『知る権利』、『憲法の眼』など多数あります。
 本紙にも「憲法とともに 奥平康弘さんロングインタビュー」(2004年2月29日〜3月5日付)はじめ、インタビューでたびたび登場しました。
 昨年総選挙時には、「共産党を含め沖縄の人々が県知事選挙で見せ、この選挙の中で追求している可能性はわれわれのものでもあります」「9条改憲反対の勢力が成長できたと後世に語りつがれるようなたたかいを」とのコメントを寄せました。
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2015年01月31日,「赤旗」)

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 治維法国賠同盟、女性集会を報告/千葉

治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟千葉県本部は23日、第25回全国女性交流集会の報告会を船橋市で開きました。参加した市川浦安支部の安達絹恵さんと高橋タツ子さんが報告しました。
 治維法国賠同盟は、過去の戦争と暗黒政治を繰り返さないために、国に「侵略戦争であった」ことを認めさせ、戦争と人権抑圧によるすべての犠牲者に謝罪と国家賠償を行う法制定を目的に、1968年に結成されました。
 高橋氏は、県本部が救援会と共同で毎年開催する「歴史探訪」、支部での学習会や機関紙の発行、高齢の活動家を励ます「長寿を祝う会」などの活動経験を全国集会で発表したことを話しました。
 安達氏は「私たちの支部には女性部がありません。やれることから一つひとつ活動していきたい」と語り、手作りのパネルを使って、全国各地の活動報告を紹介しました。
 最後に、杉浦正男さん(100)が戦前、戦中、戦後の体験を語りました。杉浦さんは、治安維持法によって、3年間、警察署や神奈川刑務所に入り、厳しい取り調べと投獄生活を送りました。
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2015年01月29日,「赤旗」)

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メディアをよむ/須藤春夫/戦後70年伝える映像の力

 正月明けのテレビワイドニュース「報道ステーション」(テレビ朝日系)と「ニュース23」(TBS系)は、戦後70年を意識したスタートになりました。
 1月5、6日の「報道ステーション」は、安倍晋三首相が夏にも発表する戦後70年の首相談話を詳しく取りあげました。安倍首相は歴代内閣の歴史認識を全体として引き継ぐとしていますが、村山富市首相談話の核心部分である「植民地支配と侵略」、「反省」や「お詫(わ)び」については明言していません。
 番組では村山談話と河野洋平官房長官談話の内容を説明。コメンテーターは「過去への反省がなければ国際社会の信頼は得られない」と指摘、安倍首相の新談話の問題点を追及する姿勢を見せました。
 「ニュース23」は5日、「(先の)戦争から私たちはどんな教訓を得るのか。いつか来た道にしてはいけない節目となる重要な年」とコメント。戦後70年が平和の分岐点にあることを示します。
 8日の番組では、戦時中に治安維持法で拘束、拷問を受けた3人のインタビュー映像を放送しました。タイトルは「戦後70年。逮捕者語る暗い時代=v。
 証言者の3人は、でっち上げによる逮捕、拷問、どう喝の生々しい事実を語ります。1人の証言者の鼻には、ローソクで焼かれた黒いシミの跡が残っており、国は暴走する。日本を再びそうしてほしくない≠ニ語る表情は説得力があり、映像表現の強みです。
 番組では、高校生たちがドキュメンタリー制作を通して証言者の体験を引き継ぐ取り組みも紹介。若い世代が国家権力の無法に対し、認識を新たにする姿には心強さを感じます。
 昨年8月、TBSは毎日新聞と共同で戦争の記憶を語りつぐ「千の証言」プロジェクトを立ち上げており、調査報道の成果です。戦後70年のいまこそ、戦争への道に歯止めをかけるテレビニュースが求められます。
 (すどう・はるお=法政大学名誉教授)
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2015年01月25日,
「赤旗」)

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情熱の赤で戦争ノー!/女性7千人国会包囲/安倍政権にレッドカード

 集団的自衛権の行使容認や改憲に反対する女性たちが、赤のファッションを身に付け国会を包囲する「女の平和」国会ヒューマンチェーンが17日に行われました。
 赤いコートや、マフラー、着物、帽子など、思い思いの「赤」をまとった約7千人が、つないだ手を高くあげ、「レッドカード、レッドカード安倍政権」「戦争反対、命を守ろう」とコールしました。
 300人以上の女性が呼びかけた今回の行動は、アイスランドの女性が地位向上などを求めた「赤いストッキング運動」を参考にしました。
 国会正門前のステージでは、呼びかけ人の湯川れい子さん(音楽評論家)が、「兄は赤紙一枚で戦場に行き、フィリピンで戦死した。日本が戦争に巻き込まれるようなどんな小さなことも心から反対していきたい」と訴えるなど、女性たちがスピーチしました。
 友人を誘ってきた埼玉県の佐久間愛生さん(25)は、「どんどん日本が戦争できる国になっていくことに危ない感じがしています。安倍政権にレッドカードをつきつけたいと、こういう行動に初めて参加しました」と語ります。
 安田弥生さん(36)は、東京・町田市から娘と参加しました。「1人でどうしたらいいか悩んできました。原発再稼働の動きや集団的自衛権行使容認の閣議決定など、子どもの将来を考えると不安。戦争する国づくりをとめなければ、と参加しました。子ども連れの人もいて、元気をもらいました」
 仙台から友人7人と参加した須藤道子さん(66)は、「戦争する人づくりの教育もすすめられ、強い危機感を持っています。戦争をする国にしない一点で力を合わせる市民の力が問われています。3月3日には呼応した集会を計画しています」と話します。

共産党女性議員も
 参加した日本共産党の池内さおり衆院議員、田村智子参院議員がステージで紹介されました。各地で呼びかけにこたえた行動がとりくまれました。

全身全霊で憲法を守る/呼びかけ人・元中央大学教授横湯園子さん
 赤は怒りの赤であると同時に平和への情熱の赤です。今日が、戦争への道ではなく、平和への道へと流れを変える日となるように、人間の鎖をつくりましょう。
 命、生活、生存を守ってきた平和憲法を全身全霊で守りたい。
 私は75歳です。終戦時は5歳。父は治安維持法違反で逮捕され、結核で死んでいきました。私自身は沼津大空襲のなかかろうじて助かりました。
 焼け野原の中、母親を捜している少年の姿が今でも目に浮かびます。殺し殺されるのがいやというのは、日本人だけではありません。他の国でも同じ経験をさせたくない。

子どもの未来のために/明日の自由を守る若手弁護士の会黒澤いつきさん
 第2次安倍政権が発足した時、「若手弁護士の会」を立ち上げました。
 日々暮らすなかで信じて疑わない近代の思想、自由、立憲主義、民主主義、そして平和が、音をたてて崩れていくような気がしてなりませんでした。
 常に駆り立てられるのは母としての自分でした。子どもたちの豊かで平和な未来を崩そうとする策動を続ける政権への怒りでした。
 外交の失敗のつけを、国民の命で払おうと―何のためらいもなくそんな国づくりをすすめる政権を許せません。
 安倍首相の野望を打ち砕くために執念を燃やしていきたい。

沖縄新基地は許さない/沖縄「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」高里鈴代さん
 沖縄の辺野古ではさらなる米軍基地をつくらせないために、住民が、女性たちが、24時間座り込みをしています。
 沖縄県知事が明確に基地建設ノーを突き付け、衆院選で基地建設反対の小選挙区候補4人全員が当選したのに、なお安倍政権は、基地建設を強行しようとしています。
 新たな基地をジュゴンのいる美しい海に建設しようとしていることは絶対に許されない。
 昨年7月1日、集団的自衛権行使容認が閣議決定されたその日は、工事強行の日でした。
 辺野古でもこの集会は報告されています。ノーと言わなければなりません。
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2015年01月25日,
「赤旗」)

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辺野古と被災地、不屈交流/岩手・大船渡

 沖縄県名護市辺野古で米軍新基地建設に抗議活動をしている金井創さん、相馬由里さん、山田敬人さんの3人は23日、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県大船渡市で、カキ養殖業を営む新沼治さん(大船渡民主商工会会長)を訪れ交流しました。
 昨年、全国から寄せられたカンパで購入した抗議船に、船長の金井さんは「不屈」と名付けました。その後、被災から立ち上がろうとしている新沼さんが、新しい船に「不屈丸」と名付けていたことを知り、今回の交流につながりました。
 「不屈」船長の金井さんは、沖縄の祖国復帰と平和の実現に命がけでたたかった日本共産党の故瀬長亀次郎氏の言葉から船名を付けたことや、「保守と革新を超えて基地建設反対の動きが広がっていることに感動している」など、辺野古の状況を話しました。
 新沼さんは震災後、一時は先が見えない状況から、全国から物心両面の支援を受けて「立ち上がらなければと思った」と振り返り、会員である治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟が発行する「不屈」の精神で震災を乗り切ろうと船名を付けたことを話しました。
 昨年末からカキの出荷を再開した新沼さんは、とれたてのカキを蒸し焼きにして振る舞い、3人は沖縄から持ってきた「不屈」と書かれた島ぞうり、モズクなどを手渡して話が弾みました。
 金井さんらは、「会えてよかったです。復興に向かう姿に勇気をもらいました。また明日から辺野古でがんばれます」と新沼さんと手を握りました。
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2015年01月25日,
「赤旗」)

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戦争する国づくりノー/治維法国賠同盟が署名宣伝/青森

 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟青森県本部は22日昼、青森市新町商店街で、「戦争する国づくり反対」「特定秘密保護法施行撤回」「集団的自衛権行使容認反対」を訴える宣伝・署名行動に取り組みました。
 「再び戦争と暗黒政治を許さない」と書いたゼッケンをつけた8人がビラを配布し、署名を呼びかけました。
 中嶋丘子県女性部長は「集団的自衛権行使は、日本の若者がアメリカの戦争にかりだされ、命を落とすことになり、他国民を殺すことです」「戦争の真実を国民に隠して進めようとするのが秘密保護法」「安倍政権にノーを突き付け、憲法どおりの日本をつくる運動を広げましょう」と訴えました。
 署名を寄せた女性(69)は「戦後70年の特集をする記事や報道を見る機会が増えた。もう一度、戦争とは何かきちんと考えたい。安倍さんにも考えてもらいたい」と話しました。
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2015年01月23日,
「赤旗」)

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辺野古の新基地作業強行に抗議/治維法国賠同盟南空知支部

 沖縄防衛局が15日に民意を無視して沖縄県名護市辺野古の新基地建設に向けた海上作業を強行したことに対して、北海道の治安維持法犠牲者国賠同盟南空知支部は17日、抗議文を首相官邸にファクスで送付しました。
 抗議文は、沖縄県民の民意を無視した辺野古米軍新基地建設の海上作業の強行に断固抗議するとし、ただちに作業を中止すること、翁長雄志沖縄県知事と会談することを求めています。
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2015年01月21日,「赤旗」)

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敗戦までの日本社会の姿は/シリーズ『地域のなかの軍隊』を編集して/原田敬一

 1945年の敗戦で日本に軍隊は消滅した。その後、自衛隊がつくられ、海外派兵も実施され、「国防軍」設置を憲法草案で明記する政権政党も現れた。このまま「殺し殺される」社会へと変貌していっていいのか。私たちは全国の研究者に呼びかけ、シリーズ『地域のなかの軍隊』を編集・出版することにした。吉川弘文館から、昨秋より毎月1巻ずつ刊行している。
 北海道から九州・沖縄、植民地を含む各地域編7巻と、基礎知識編1巻、地域社会編1巻の全9巻だ。7人の編集委員(原田、山本和重、荒川章二、河西英通、坂根嘉弘、林博史、坂本悠一)が当該地域の軍事史について調査研究を重ねている執筆者を捜し依頼したが、ほとんどは即答で引き受けていただけた。

徴兵の実態
 1945年までの日本社会には、厳然と軍隊が屹立していた。帝国憲法には兵役の義務が書かれ、青年と家族は、入営への不安を持ちつつ、それを受け入れざるを得ない社会だった。ところが調べてみると、反戦の意思を持った徴兵拒否者は圧倒的に少数だが、なんらかの考えで徴兵検査を受けない青年は毎年数千人いて、警察の手で所在調査が行われていた。「所在不明」と判定され、38歳の徴兵相当年限を終えると、「徴兵免除」になることも多かった。留学や移民もそういう意味を持っていた(8巻基礎知識編、5月刊行予定)。戦前の日本国民も、すべてが黙って軍隊を受け入れていたわけではなかった。
 日露戦争以来、陸軍病院や海軍病院以外に、全国の温泉地などを利用し、傷痍軍人の保養所や療養所がつくられた。戦争の悲惨さはそれらに隠されていたとも言えるし、各地でそうした人々の姿を見ることもできた(同巻)。にもかかわらず、自治体史などで、それらに触れることはほとんどなかった。

「軍事経済」
 シリーズのキーワードの一つは「軍都」である。軍隊の駐屯地であるだけでなく、その存在が政治的経済的社会的に地域の姿を変えていったことを示す重要な用語だ。城下町・古都・学都の呼称も持つ金沢も例外ではない。写真店や衣料品店、老舗の和菓子屋も軍隊や在郷軍人会目当ての商品を大量に販売し、地域経済を拡大する役割を果たしていた。(第3巻中部編、既刊)
 海軍工廠を持つ鎮守府設置都市では、工廠関係の労働者や出入り業者が多い。呉鎮守府設置の20年後、所得税納入者は急増し、全国平均を大きく上回る(第5巻中国・四国編、既刊)。第1次世界大戦や満洲事変後の「戦争成金」はよく知られているが、戦前社会はこのようにふだんから「軍事経済」にどっぷりと漬かっていたのである。
 治安維持法によって、京大新興俳句事件で検挙された渡辺白泉の「戦争が廊下の奥に立つてゐた」は、忍び寄る戦争というイメージを強くする。しかしその前に、人々の集う居間には軍隊がどっしりと腰を据えていたのが戦前の日本社会だった。本シリーズがそのことを考えていく素材になればと思う。
 (はらだ・けいいち 佛教大学歴史学部教授)
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2015年01月18日,「赤旗」)

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発言2015年/元中央大学教授横湯園子さん/全力挙げて憲法守りたい

 私は安倍政権の集団的自衛権行使容認の「閣議決定」にショックを受けました。行使すれば戦争する国になり、日本とは関係のないアメリカの戦争に加担していきます。
 安倍首相はさらに衆院選後の記者会見で憲法「改正」を「歴史的チャレンジ」だといいました。強い反対の声があることを承知したうえで変える≠ニいっています。
 安倍首相の祖父の岸信介元首相も国民的な安保反対闘争の中で新安保条約に調印しました。自民党はその当時よりも多い300に近い議席を衆院に持っています。

「赤」をまとい
 どうしたらいいのかと悩み、女性たちが「集団的自衛権行使を認めない」「殺し殺されることはイヤなんだ」ということを示したいと17日に「女の平和」国会ヒューマンチェーンを呼びかけました。アイスランドの「レッドストッキング」運動を参考に赤いものを身につけて国会を包囲しようというものです。
 記者会見で初めて両親の歴史を話しました。
 労農運動の活動家だった父は戦争に反対して治安維持法違反で何度か逮捕され、獄中で結核に侵され、仮保釈中に29歳で亡くなりました。私が1歳のときでした。父の身元を引き受けるため、新聞紙上で結婚を宣言した母は一族から勘当されて苦労しました。

平和への願い
 私と母は静岡県沼津市で98%が焼け野原となる大空襲を受けました。母の機転で爆弾を落とす飛行機の方向に向かって逃げ、命が助かったのです。焼死体のなかで母親を探して歩いていた少年の姿がいまだに目に浮かんできます。そして食糧難、飢えのなかで終戦を迎えました。
 私より底なしの地獄を見た人は多いはずだと思います。戦争の絶望と平和への願いをともに声に出し、70年間、私たちの命、生活、生存を守ってきた憲法を全身全霊で守りたい。
 呼びかけ人は314人に広がり、「医師として母として守るべきものを守りたいので参加します」「平和の赤よ 戦争のカーキ色を追い払い、日本の街にあふれよ!」など全国から数百の賛同や参加のメールやファクスが届いています。札幌市、仙台市、金沢市、名古屋市、徳島市、長崎市、熊本県水俣市などで呼応した集会やリレートークがとりくまれます。「殺し殺されるのはイヤ」の声を日本中に響かせたい。
 聞き手 染矢ゆう子

 よこゆ・そのこ 1939年静岡県生まれ。国立国府台病院児童精神科病棟生徒対象学級教師、中央大学教授などを歴任。横湯園子教育臨床心理研究所所長。著書に『ひきこもりからの出発』(岩波書店)など
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2015年01月17日,「赤旗」)

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戦争できる国、地方からノー/治維法国賠同盟宮城・塩釜支部宣伝

 宮城県の治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟塩釜支部は10日、塩釜・多賀城両市内6カ所で新春初の街頭宣伝を行いました。
 参加者は、安倍政権が戦後70年の節目である年に集団的自衛権行使容認の「閣議決定」と関連法の推進を図り、「海外で戦争できる国づくり」に本格的に動きだそうとしていると批判。昨年12月に2市3町の各議会に塩釜地方労連・懇話会・「9条の会」などと共同提案した「閣議決定撤回を求める意見書」請願が継続審議となっていることを示し、「閣議決定」撤回の声を地方議会からあげるためにも引き続きがんばると訴えました。往来する車や通行人からの激励がありました。
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2015年01月16日,「赤旗」)

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朝の風/あるプロレタリア詩人

 狭間二郎はプロレタリア文学運動に彗星のように現れ、消えていった詩人の一人だ。日本プロレタリア文学集38巻(新日本出版社)に「一女工より」という詩がのっている。
 「くやしい事もつらいことも破れかぶれの小唄にまぎらして来た娘さん達」と語りかける詩は、厳しい労働で使い捨てにされる「女工」の境遇を告発したものだ。
 この詩は、小林多喜二の衝撃作「一九二八年三月十五日」が発表された『戦旗』(1928年11月号)に収録された。彼は他に、「畜生つ!」(6月号)、「秋」(12月号)、翌年1月号に「復讐」を発表し、その後『戦旗』上からは消えていく。一連の詩には人間を人間扱いしない社会への憤りが噴き出すようだ。プロレタリア文学集刊行当時は、謎の詩人だった。
 狭間二郎は後に画家として知られるようになり、本名は菅原芳助。昨年逝去した俳優・菅原文太氏の父親である。『戦旗』は全日本無産者芸術連盟(ナップ)の機関誌として出発し、社会の矛盾と変革を訴え発禁処分にも屈せず発行部数2万を超えた。
 死の少し前に沖縄知事選の応援にかけつけ、「(辺野古を)勝手に他国に売り飛ばさないでくれ」と訴えた菅原文太氏の気骨には、父親と合い通ずるものを感じる。
 (聳)
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2015年01月14日,「赤旗」)

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共産党ってロック≠ネ党/池内衆院議員が出演/ネット番組「デモクラTV」

 総選挙で大躍進した日本共産党にメディアの注目が集まっています。10日には、池内さおり衆院議員がインターネット番組「デモクラTV」にゲスト出演。「先の総選挙で唯一躍進したといえるのは、野党の中で共産党だけ。ここに示された民意・期待にこたえて、国会でがんばっていきたい」と意気込みを語りました。
 番組では、司会やコメンテーターから「共産党の政策はいいのだから、他の野党との連携など活動を広げるべきではないか」との質問が相次ぎました。池内氏は「沖縄では4選挙区全部で、新基地建設許さないという『オール沖縄』の候補者が勝った。この流れは、これからの日本を先取りしていると思う」と強調。「総選挙最終盤、新宿駅東口での演説には、官邸前の抗議行動で出会った多くの方々が駆けつけてくれた。市民のたたかいのなかに必ず日本共産党の姿があり、一人の人間として、ともに声をあげてきた。この姿勢に多くの人の共感が集まっていることをすごく実感している」と述べました。
 コメンテーターからは「大学でロックをやっていたのに、なぜ共産党に」との質問も。池内氏は、プロレタリア作家の小林多喜二をはじめ日本共産党の戦前のたたかいに触れながら、「人権は過去幾多の試練に耐えて勝ち取ってきたと知った。共産党は反権力で人々の声を代弁して、戦争反対を言い続け、どんな弾圧にも屈しなかった。共産党ってロック≠セなと思って」と入党への思いを語りました。
 「すごく親近感がわく。共産党のイメージと違う」との感想が出されると、池内氏は「私は、共産党だからたたかえる。親近感を寄せていただけるのはうれしいが、戦前と戦後の歴史のなかでブレずにたたかってきた党だからこその私がある」と述べました。
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2015年01月11日,「赤旗」)

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自衛隊国民監視訴訟/裁判長が結審前交代/原告弁護団会見、厳正審議求める

 自衛隊による国民監視の差し止めを求める訴訟の原告・弁護団と「支援するみやぎの会」は9日、仙台市内で記者会見し、仙台高裁で行われている控訴審の結審前に、裁判長が異動で交代することに対し、時間をとり弁論の更新手続きをすることと、元陸上自衛隊情報保全隊長の鈴木健氏の再度の証人尋問を求めると述べました。
 同裁判は19日に開かれる第11回口頭弁論で結審する予定でしたが、担当してきた佐藤陽一裁判長が昨年12月末に転出し、1月に古久保正人裁判長が就任する人事異動が実施されました。
 原告弁護団の小野寺義象弁護士は、控訴審の当初から関わってきた佐藤裁判長が、証人尋問で広範囲の尋問を認めるなど重要な役割を果たしてきたと強調。咋年2月までに4回にわたって実施した鈴木氏の証人尋問後、3人の裁判官のうち2人が代わったことを指摘し、「(鈴木氏から)直接聞かなければ証言のニュアンスは伝わらない」と述べ、民事訴訟法の「弁護の更新」に関する規定に基づき、証人尋問の再度の実施を求めると話しました。
 後藤東陽原告団長は「治安維持法下のおぞましい世を経験した身として、二度とあのような日本に戻らないように、新裁判長には、厳正な審議をお願いしたい」と述べました。
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2015年01月10日,「赤旗」)

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群馬県議選に、はせだ氏擁立/伊勢崎市区

 日本共産党群馬県委員会は7日、4月3日告示(12日投票)の県議選候補者1氏を発表しました。(選挙区の下のカッコは定数)
◇伊勢崎市区(5)
 はせだ直之(58)=新=
 静岡大学卒。学習塾講師などを経て、現在、党伊勢崎佐波地区常任委員・県政対策委員長、伊勢崎市テニス協会理事長、伊勢崎多喜二祭実行委員会事務局長。
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2015年01月08日,「赤旗」)

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「山宣の墓前で「地方選勝つ」/京都・党議員・候補

 戦前、治安維持法に反対し暗殺された代議士、山本宣治の墓前(京都府宇治市)に、日本共産党の議員・候補者らが元旦に集まり、「昨年の総選挙に続き、今年は、いっせい地方選挙で勝利しよう」と決意を固めました。
 日本共産党の穀田恵二衆院議員・国対委員長、京都6区の候補者として奮闘した上條亮一氏、前窪義由紀、原田完、馬場紘平各府議、上原裕見子府議候補、西野佐知子京都市議、山根智史京都市議候補、坂本優子、渡辺俊三の両宇治市議らが参加し、1年の奮闘を誓い合いました。
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2015年01月07日,「赤旗」)

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十五年戦争期の京大学生運動/岩井忠熊著/評者広川禎秀大阪市立大学名誉教授

戦争とファシズム断罪の信念
 安倍内閣による改憲の現実的脅威が強まるなかで、日本の戦争とファシズムに抗した思想、運動への関心も高まっている。本書は、未曽有の侵略とファッショ体制に抗し、自由を守ろうとした京都大学学生とその周辺の人々の抵抗の歴史をたどり、今日の危機に立ち向かう人々の糧となることを期待してまとめられた書である。
 著者の岩井忠熊氏は、1943年に京大文学部史学科に入学し、その年に学徒出陣、九死に一生を得て、戦後大学に復学し、日本近代史研究の分野で多くの業績をあげた研究者である。著者にとって戦争体験の意味は重く、その学問的姿勢や天皇制批判につながり、本書にも戦争とファシズム断罪の信念が脈打っている。
 本書は、第1章「二〇世紀日本の戦争と平和」、第2章 「京都大学とは」、第3章「学生運動の登場」、第4章「京大学生運動の展開と弾圧」、第5章「人民戦線の周辺」となっている。著者は、学問の自由擁護の滝川事件と京大内外の学生運動にページを割いてその歴史的意義を説く(第3・4章)。つづいて30年代の反ファッショ運動の創意的な合法性確保の史実なども発掘しつつ、治安維持法による犠牲者の広がりに弾圧の凶暴化を説き、その犠牲が戦後民主主義に生かされると展望する(第4・5章)。
 今日、スターリン体制の否定的影響の全貌も明らかにされつつある。本書は、犠牲を恐れない京大学生や周辺の諸抵抗、さらには戦時下の抵抗の全体像を歴史のなかに正確に位置づける課題がますます大きくなっていることを示しているといえよう。

 いわい・ただくま 22年生まれ。立命館大学名誉教授。『「靖国」と日本の戦争』ほか。
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2015年01月04日,「赤旗」)

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本立て/闇があるから光がある 新時代を拓く小林多喜二/荻野富士夫編著

 戦前、ペンをとることで時の支配権力とたたかい、特別高等警察の拷問により殺された小林多喜二。彼の命日2月20日を前後して2014年に各地で開かれた「多喜二祭」で、ノーマ・フィールド氏ら6人が語った講演の記録と構成劇の台本を収録しています。
 例年に増して予想以上の参加者で熱気に包まれた14年の「多喜二祭」。講演者は多喜二の生き方を通じ、「戦争する国」へ突き進む安倍政権への危機感と克服への希望を語ります。表題の「闇があるから光がある」は多喜二の言葉です。
 (学習の友社 1800円)
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2015年01月04日,「赤旗」)

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