2005-1995年レッドパージ犠牲者の活動】

 

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*         2005(このページのトップへ)

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*         弾圧での人権回復を/レッドパージ犠牲者が法務局要請/長崎 「世界人権宣言」に基づき人権思想の啓発を目的に設けられた「人権週間・世界人権デーにあたり、レッドパージ」で職場を追われた犠牲者が九日、長崎法務局を訪れ、憲法に基づく地位保全、年金補償など、占領下の事件」として奪われた(続き)

*         暮らし、憲法今こそ/レッドパージ記念長崎でつどい 「レッドパージ55〜56周年長崎のつどい」が二十二日、長崎市内の県教育文化会館で開かれ、レッドパージ犠牲者と家族・遺児など県内から四十五人が参加しました。 つどいは南嘉昭さん(九州配電)の司会で始まり、この五年間に亡くなった仲間に(続き)

*         名誉回復へ運動再開/レッド・パージ反対センター 日本共産党員や支持者であることを理由に、米軍占領下の一九五〇年前後に約四万人が職場を追われたレッドパージの犠牲者でつくる「レッド・パージ反対全国連絡センターレパ反対全国センターは三十日、東京都内で第二回総会を開きました。(続き)

*         犠牲者の国家賠償・名誉回復へ/全国レッドパージ連絡センター共産党本部に協力要請 アメリカ占領下の一九五〇年前後、日本共産党員や支持者であることを理由に、約四万人が職場を追われたレッドパージの犠牲者でつくる全国レッドパージ連絡センターの世話人らが十日、日本共産党本部を訪れ、(続き)

*         レッドパージ賠償要求/1800人の署名提出/神奈川県反対同盟 「神奈川県レッド・パージ反対同盟」は七日、レッドパージ犠牲者の名誉回復と国家賠償を国へ求める請願署名の第一次分として約千八百人分、百五十四団体分を国会へ提出しました。 参院議員会館で日本共産党の吉井英勝衆院議員、(続き)

 

*         【本文】2005

*         弾圧での人権回復を/レッドパージ犠牲者が法務局要請/長崎

 「世界人権宣言」に基づき人権思想の啓発を目的に設けられた「人権週間・世界人権デー」にあたり、「レッドパージ」で職場を追われた犠牲者が九日、長崎法務局を訪れ、憲法に基づく地位保全、年金補償など、「占領下の事件」として奪われたままの人権の回復を要請しました。

 訴えたのは藤原重郎(79)、城野貞義(80)=元三菱長崎造船所=、南嘉昭(77)=元九州配電=、吉田次雄(78)=元日本発送電小倉=、岩崎英也(74)=元日鉄鉱業神田炭鉱=の五氏。

 藤原氏らは、米占領軍の指揮のもと日本政府と財界による弾圧で「一九四九年から五〇年にかけ、思想・信条を理由に日本共産党員や組合活動家を狙って職場から追放した。生活権を奪われた犠牲者は推定四万人」と、当時の不当解雇の実態を説明。「新憲法のもとサンフランシスコ条約で独立日本となった後も、何の救済策もなく放置されてきた」と、その不当性を明らかにしました。

 各氏は「不当解雇にとどまらず再就職を妨害され、親せきに圧力が加えられるなど計り知れない不利益を被った」「そのため年金もきわめて少なく、今もその影響は大きい」と訴えました。

 要請を受けた担当者は「みなさんの意志にそって、『訴え』があったことを人権擁護委員組織体に伝えたい」と答えました。

(2005年12月13日,「赤旗」)

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*         暮らし、憲法今こそ/レッドパージ記念長崎でつどい

 「レッドパージ55〜56周年長崎のつどい」が二十二日、長崎市内の県教育文化会館で開かれ、レッドパージ犠牲者と家族・遺児など県内から四十五人が参加しました。

 つどいは南嘉昭さん(九州配電)の司会で始まり、この五年間に亡くなった仲間に黙とう。藤原重郎さん(元長崎造船所)が、「再び思想差別を許さないためにも、暮らしと憲法を守るなどの活動をして、語り合いたい」とあいさつしました。

 九州レッドパージ同盟の吉田次雄幹事(元日発小倉発電所)が報告し、新たな運動方針を説明しました。

 初めて参加した羽田敬二さん(元調川中学校)は、「個人的には何もしてこなかった。こんなにたくさんの人に出会えて感動した」と出席者に詩集を配り、尾上喜八郎さん(元佐々炭鉱)は、「炭鉱で生まれ、炭鉱に入り、組合をつくってクビになる」と笑わせながら当時を語りました。

 父親が県庁でレッドパージされた一ノ瀬耕一郎さんは、「大学で入党したが、父の願いだったかもしれない」と父親をしのび、絶句しながら発言しました。

 事務局では、「『つどい』の報告書を発行し、犠牲者の名誉回復と国家賠償を求める国会請願署名に取り組みたい」と話しています。県労連の中里研哉副議長、日本共産党の中田晋介県議があいさつしました。

(2005年10月25日,「赤旗」)

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*         名誉回復へ運動再開/レッド・パージ反対センター

 日本共産党員や支持者であることを理由に、米軍占領下の一九五〇年前後に約四万人が職場を追われたレッドパージの犠牲者でつくる「レッド・パージ反対全国連絡センター」(レパ反対全国センター)は三十日、東京都内で第二回総会を開きました。名誉回復と国家賠償を求める署名運動など六項目の運動方針と、これまでの会則を改めた新しい規約を採択し、運動を再開しました。

 レパ反対全国センターは二〇〇二年十一月の結成以来、世話人の死亡や入退院などから活動を中断。〇四年十一月から三回の拡大世話人会を経て開かれた今回の総会には、八都県から四十人が参加しました。「レッドパージは日本の戦後史の暗部で、それを明らかにしたい」「ぜひ生きている間に名誉回復の実現を」など発言が続きました。

 総会に先立ち、世話人ら二十五人が国会を訪ね、日本共産党の国会議員団と運動の前進に向けて懇談。吉井英勝衆院議員と吉川春子参院議員が応対しました。

 総会で選出された新しい役員は次の通りです(敬称略)。代表委員=近藤信之(東京)、大橋豊(兵庫)、ほかに今後数人を選出▽事務局長=川俣晶三(東京)▽事務局次長=金子圭之(神奈川)、松田ゆき(東京)

( 2005年05月31日,「赤旗」)

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*         犠牲者の国家賠償・名誉回復へ/全国レッドパージ連絡センター/共産党本部に協力要請

 アメリカ占領下の一九五〇年前後、日本共産党員や支持者であることを理由に、約四万人が職場を追われたレッドパージの犠牲者でつくる全国レッドパージ連絡センターの世話人らが十日、日本共産党本部を訪れ、「目の黒いうちに解決を」と犠牲者の国家賠償と名誉回復などの運動への協力を要請しました。

 要請には岩手、千葉、東京、神奈川、兵庫から九人が訪問。日本共産党国民運動委員会の浦田宣昭責任者と吉村文則事務局長が応対しました。

 名誉回復と国家賠償を求める国会請願や、秋に予定している五十五周年記念集会や今月三十日に都内で開く第二回総会の成功に向け、協力を求めて懇談しました。

 東京連絡センターの川俣晶三事務局長(81)は、高齢となる犠牲者の現状を「苦難をなめながら運動し、大半の人が他界された」と指摘。「レッドパージ反対の運動の原点は日本国憲法です。思想の自由を守るため頑張りたい」とのべました。

 浦田氏は「犠牲者の方々のたたかいは、さまざまな分野で受け継がれ、生きて今日の党があります。そのうえに、悲願を達成できるよう努力したい」と激励しました。

( 2005年05月11日,「赤旗」)

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*         レッドパージ賠償要求/1800人の署名提出/神奈川県反対同盟

 「神奈川県レッド・パージ反対同盟」は七日、レッドパージ犠牲者の名誉回復と国家賠償を国へ求める請願署名の第一次分として約千八百人分、百五十四団体分を国会へ提出しました。

 参院議員会館で日本共産党の吉井英勝衆院議員、小池晃参院議員、大森猛前衆院議員が署名をうけとり「レッドパージの解決は民主主義にかかわる今日的な課題です」と解決へ尽力することを約束しました。

 レッドパージは、米軍占領下の一九四九年から五〇年にかけて、全国の民間企業や官公庁で働いていた日本共産党員と支持者を不当解雇した事件です。犠牲者は全国で約四万人に上り、神奈川県内では百二十事業所で八百九十人が強制解雇されました。

 請願には、代表委員の小林幸さん(79)、小林四郎さん(80)、高橋盛男さん(91)をはじめ十一人が参加。五十五年たった今もレッドパージを不当な弾圧と認めず、謝罪しない日本政府の姿勢が、今も多くの職場でつづく思想差別の根底になっていると指摘。「解決は一生の願い」「生きているうちに一矢報いたい」と解決を求めました。

 名誉回復と国家賠償を求める請願署名は、同日開いた「全国レッドパージ連絡センター」の拡大世話人会で全国運動として行うことを確認しました。

( 2005年03月08日,「赤旗」)

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*         2004(このページのトップへ)

*         レッドパージ名誉回復を/連絡センターが総会 東京レッドパージ連絡センターは十三日、千代田区の全国教育文化会館で第三回定期総会を開きました。総会ではレッドパージ犠牲者の名誉回復と謝罪、賠償要求の運動を強化することや、首相に対する要請団体署名を続行することを確認しました。(続き)

*         【本文】2004

 

*         レッドパージ名誉回復を/連絡センターが総会

 東京レッドパージ連絡センターは十三日、千代田区の全国教育文化会館で第三回定期総会を開きました。総会ではレッドパージ犠牲者の名誉回復と謝罪、賠償要求の運動を強化することや、首相に対する要請団体署名を続行することを確認しました。

 来年がレッドパージ五十五周年にあたり、記念集会の開催や記念誌の発行などの運動方針を決定。憲法改悪反対決議として「戦後の民主化と反動を身をもって体験した者として憲法改悪に絶対反対であり、思想と人権侵害に反対する闘いは一体のものであり、その一翼を担って闘っていく」とする特別決議を満場一致で採択しました。

 日本共産党都委員会の梶浦紘一常任委員(労働部長)が来賓としてあいさつしました。

 選出された新役員は次の通り。

 代表世話人・近藤信之、事務局長・川俣晶三、次長・大竹俊市、同・松田ゆき、会計・松田岩男。

 

レッドパージ

 米軍占領下の一九四九―五〇年に、民間企業や官公庁で働いていた日本共産党員や支持者一万数千人を、思想・信条を理由に職場から追放、不当解雇した事件。これに先立つ大企業の「合理化」の中でも事実上のレッドパージが行われたのを含めると犠牲者は約四万人に上るといわれます。

(2004年10月19日,「赤旗」)

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*         2003(このページのトップへ)

*         レッドパージ犠牲者代表/共産党本部に要請 一九五〇年代、アメリカの軍事占領のもとで、日本共産党員やその支持者であることを理由に労働者が不当に大量解雇されたレッドパージの犠牲者代表が三日、日本共産党本部を訪問し、運動への協力を要請しました。 日本共産党からは、(続き)

 

*         【本文】2003

*         レッドパージ犠牲者代表/共産党本部に要請

 一九五〇年代、アメリカの軍事占領のもとで、日本共産党員やその支持者であることを理由に労働者が不当に大量解雇されたレッドパージの犠牲者代表が三日、日本共産党本部を訪問し、運動への協力を要請しました。

 日本共産党からは、荒堀広国民運動委員会責任者が応対しました。

 全国レッドパージ連絡センターの松田貞男代表世話人らは、同日全国世話人の会議を開き、名誉回復と国家賠償を求めて運動を広げている同センターの活動への協力を要請しました。

 荒堀氏は、経営でも国政でも日本共産党の進出を止めていくための反共主義が形を変えていまも続いているし、これとたたかっていると指摘。「みなさんが掲げている名誉回復と国家賠償の要求は正当性を持つだけでなく、運動をすすめている意義はきわめて重要です」と激励。一時間半にわたって懇談しました。

( 2003年02月04日 「赤旗」)

 

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*         2002(このページのトップへ)

 

*         第38回 赤旗まつり/レッドパージ犠牲者が集い レッドパージ犠牲者の「全国のつどい」が十一月三日午後二時から、東京・江東区森下文化センターで開かれます。 一九五〇年代、日本共産党員やその支持者であることを理由に、不当に大量解雇されたレッドパージから五十二周年。(続き)

*         名誉回復必ず/レッドパージ犠牲者2氏 国連要請の報告会/兵庫 「生きているうちに名誉回復を」と七月末から十六日までスイス・ジュネーブで開かれていた国連人権委員会で訴えた、兵庫県のレッドパージ犠牲者が三十日、神戸市内で国連要請報告会を開きました。 国連人権委員会に参加した(続き)

*         レッドパージ/犠牲者の名誉回復必ず/国連人権委への出席を前に 神戸で歓送会 「政府と企業はレッド・パージ犠牲者に謝罪と賠償を」と二十六日、神戸市中央区で、八月にスイス・ジュネーブで開かれる国連人権規約委員会へ代表として派遣されるパージ犠牲者の川崎義啓さん(85)(続き)

 

*         【本文】2002

*         第38回 赤旗まつり/レッドパージ犠牲者が集い

 レッドパージ犠牲者の「全国のつどい」が十一月三日午後二時から、東京・江東区森下文化センターで開かれます。

 一九五〇年代、日本共産党員やその支持者であることを理由に、不当に大量解雇されたレッドパージから五十二周年。名誉回復と国家賠償を求めて運動を広げていこうと交流、懇談します。

 恒例の赤旗まつりに参加したあと、会場を移して開きます。「つどい」の連絡所は、全国労働者後援会テント(中央舞台広場の左側)の脇に設置しています。森下文化センターは、地下鉄有楽町線新木場駅から乗車し、月島駅で都営大江戸線に乗り換えて、森下駅で下車、歩いて約五分です。

( 2002年10月30日「赤旗」)

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*         名誉回復必ず/レッドパージ犠牲者2氏 国連要請の報告会/兵庫

 「生きているうちに名誉回復を」と七月末から十六日までスイス・ジュネーブで開かれていた国連人権委員会で訴えた、兵庫県のレッドパージ犠牲者が三十日、神戸市内で国連要請報告会を開きました。

 国連人権委員会に参加したパージ犠牲者、大橋豊さん(72)と川崎義啓さん(85)が報告しました。十五日の委員会で大橋さんにかわって新倉修・青山学院大教授が英語で、一九五〇年に職場を追われて一家離散しさらに国民の利益を守ってたたかったため投獄された大橋さんの体験を紹介し、犠牲者の名誉回復や救済を訴えて注目を集めたことを伝えました。

 国連側のオリエンテーションの機会などでも積極的に訴え、国連のメンバーから「レッドパージは各国で起きた国際的な問題」「個々の内閣でなく日本国に責任がある」と意見が返ってくるなど強い反応があったことを紹介。大橋さんは「三月の委員会でも訴えたい。犠牲者が発言しつづけよう」とよびかけ、川崎さんは「みずからの手で名誉回復をたたかいとろう」とのべました。

 報告会には、パージ犠牲者ら四十人が参加。レッドパージ国家賠償要求同盟の重本健治会長、九州レッドパージ国家賠償要求同盟の梅崎芳高会長も出席し連帯あいさつしました。

( 2002年08月31日「赤旗」)

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*         レッドパージ/犠牲者の名誉回復必ず/国連人権委への出席を前に 神戸で歓送会

 「政府と企業はレッド・パージ犠牲者に謝罪と賠償を」と二十六日、神戸市中央区で、八月にスイス・ジュネーブで開かれる国連人権規約委員会へ代表として派遣されるパージ犠牲者の川崎義啓さん(85)と大橋豊さん(72)の歓送会が開かれました。

 パージ犠牲者が国連で訴えるのは、全国でも初めてのとりくみです。

 米軍占領下の一九四五年から五〇年に、約四万人もの日本共産党員と支持者が公職・企業などから追放されたレッド・パージ。兵庫県では、パージ犠牲者らが「兵庫県レッド・パージ国家賠償要求同盟」を結成し、記録集を発刊したり、毎月懇談会を開いてきました。

 歓送会で、旭硝子尼崎工場を追われた川崎さんは「この活動を通じて、基本的人権の重さを痛感した」と語り、パージで一家離散の苦しみを味わった大橋さんは「生きている最後の証しに、国連で名誉回復を訴えたい」と決意をのべました。

 参加した安田秋成さん(77)=神戸市=は「パージ犠牲者は、日本の民主化運動に大きな足跡を残してきました。必ず名誉回復を果たしましょう」と、二人を激励しました。

( 2002年07月27日 「赤旗」)

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*         2001(このページのトップへ)

*         来月3日 東京で/レッドパージ犠牲者のつどい レッドパージ犠牲者のつどいが十一月三日午後五時、東京・文京区の全労連会館で開かれます。 アメリカの軍事占領下にあった約五十年前、日本共産党員やその支持者であることを理由に、日本政府と企業経営者が労働者を不当な大量解雇を強行した(続き)

 

*         【本文】2001

*         来月3日 東京で/レッドパージ犠牲者のつどい

 レッドパージ犠牲者のつどいが十一月三日午後五時、東京・文京区の全労連会館で開かれます。

 アメリカの軍事占領下にあった約五十年前、日本共産党員やその支持者であることを理由に、日本政府と企業経営者が労働者を不当な大量解雇を強行したレッドパージ。この政治弾圧によって、労働者は人権をじゅうりんされ、職と食を奪われながらも、節を曲げずに生き続けてきました。

 当日は、恒例の赤旗まつりに参加したあと、会場を移してつどいを開催します。多くの苦難を乗り越えて誇りと確信をもって生き、たたかった半世紀を語り合い、名誉回復と国家賠償という要求を実現する運動を広げようと交流・懇談します。

 赤旗まつり期間中の二〜四日、つどいの事務局を全国労働者後援会テントに設置しています。

 全労連会館は、JR中央線・地下鉄丸の内線御茶ノ水駅下車徒歩六分。

 つどい世話人は次の各氏です。(敬称略)

 梅崎芳高、小沢謙吉、芹澤元治、田島行夫、深野忠好、松田貞男、皆川太郎、宮本和雄、森敬、吉田成男

( 2001年10月25日「赤旗」)

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*         2000(このページのトップへ)

*         座談会 レッドパージから50年/上)思想信条”を理由に解雇/映画界の教訓いま生きて 出席者 塩田庄兵衛さん(歴史家) 山田和夫さん(映画評論家) 堀口暁子さん(日立争議団) 今年は一九五〇年に日本の労働界でおこったレッドパージから五十周年。歴史家の塩田庄兵衛さん、映画評論家の(続き)

 

*         【本文】2000

*         座談会 レッドパージから50年/(上)/“思想信条”を理由に解雇/映画界の教訓いま生きて

出席者 塩田庄兵衛さん(歴史家) 山田和夫さん(映画評論家)

 堀口暁子さん(日立争議団)

 今年は一九五〇年に日本の労働界でおこったレッドパージから五十周年。歴史家の塩田庄兵衛さん、映画評論家の山田和夫さん、日立争議団の堀口暁子さんに、レッドパージの歴史をどう受けとめ、その経験を未来にどう生かすかを話し合ってもらいました。

民間・官公庁の4万人が犠牲に

 塩田 第二次世界大戦が終わって、アメリカと当時のソ連が世界の覇権を争ういわゆる“冷戦”の時代が始まりました。アジアでは中国革命が成功したことが大ショックでした。日本を独占的に支配したアメリカ占領軍は、“民主化”政策から軍国主義復活政策に急いでハンドルを切りました。とくに一九五〇年六月に始まった朝鮮戦争が大きく影響しました。

 そこで合法政党となって影響力を広げはじめた日本共産党や戦闘的労働組合にたいして露骨に攻撃を加えはじめ、とくに一九四九〜五〇年をピークに、思想信条を理由に労働者のクビ切りを日本の政府・財界が強行するという民族的悲劇が引き起こされたのです。それを陰で指導したのが米占領軍です。このレッドパージの犠牲者は民間産業・官公庁を通じて合計四万人と推定されていますが、戦後民主主義の出発にあたっての大打撃でした。

 山田 今年は映画界もレッドパージ五十周年の集会をやりました。被害者の若杉光夫監督(現劇団民芸)と、同僚がパージされた新藤兼人監督が話しました。

 文化芸術分野では企業の中で作品がつくられるというのは、当時は映画だけでした。テレビが始まったのは五三年ですから。だから職場から追い出されたのは映画人だけです。

 映画界の労働運動は戦前の弾圧を経て、戦後の早い時期から急速に民主化が進みました。日映演(産別労組)が誕生し、東宝砧(きぬた)撮影所の人々が先頭に立ち、映画づくりの自由を四六年の東宝争議(注)など労働争議の中でかちとっていきました。

 アメリカでは四七年十月に、下院の非米活動委員会が「ハリウッドにおける共産主義活動の調査」というレッドパージを開始、五〇年にはマッカーシーが登場します。そのことが日本映画界の五〇年代に大きな影響を与えました。

 朝鮮戦争をきっかけにアメリカ占領軍の示唆と勧告にもとづき、東宝、松竹、大映三社は共産党に同調する映画人を指名解雇しました。劇団の俳優については、劇団から追い出すわけにはいかないが、映画に出られないようにするということもおこりました。

 塩田 東宝争議は、赤字と「アカ」い人間退治を名目としたレッドパージのはしりでした。私は「調査」の名目でよく撮影所にいき、山本薩夫監督や黒沢明監督とお会いしました。争議団を職場から追い出すとき「来なかったのは軍艦だけ」といわれましたね。

 山田 組合員が立ち退かないので、追い出すために占領軍の戦車が来て、警視庁は砲塔だけとった戦車で来ました。軍艦が来なかったのは砧が海に面してなかったからですね。(笑い)

日立でも手段を選ばぬ人員整理

 堀口 私は一九四四年生まれでレッドパージは直接経験していません。しかし親たちがいろいろな形で影響をうけていたと思います。私の勤める日立では、五〇年八月、五千五百五十五人の人員整理がおこなわれました。従業員の一七%です。民主的活動家を根こそぎにした手段を選ばぬ人員整理でした。十月には五十余人のレッドパージで追いうちをかけたのです。

 その後六〇年代に解雇事件が多発し、それを撤回させるたたかいがまき起こり、六七年に田中秀幸さんが残業をたった一回拒否して解雇されたのを最後に、解雇の代わりに賃金、昇格、仕事、福利厚生のあらゆる面で差別する職場八分の労務管理がとられてきました。

 塩田 「思想が悪いからクビ」というのはあまりに露骨すぎたわけです。朝鮮戦争につづく講和条約、それとセットでの安保条約による再軍備のなかで、やり方が変わってきます。六〇年安保闘争のなかでまた新しい活動的な労働者が生まれてきました。

 山田 当時の東宝の解雇通告には「連合軍最高司令官ダグラス・マックアーサー元帥より昭和二十五年五月三日以降〓々(しばしば)発せられた声明並に書簡の精神と意図に徴(ちょう)し」と明示され、会社は占領軍のいうがままに解雇した者の立ち入りを禁止しました。まったく民族的な悲劇、恥辱といえます。

 松竹の家城巳代治監督は、レッドパージの指令が出たとき「花のおもかげ」という作品の完成試写会を待つばかりでした。退去を命ぜられ自分の作品も見られなかった。今井正監督は東宝争議の後にフリーになりましたが、撮影所で撮影をさせてくれないという目にあい、一時くずを買い取る立て場を開いて生計を立てたのは有名な話です。

 こうしたときに映画界の労組がたたかえなかったのは心が痛みます。日映演はありましたが、東宝から千人以上追い出され、守ることができませんでした。

 ハリウッドの赤狩りでは労組がそれに協力し、映画館で技士にパージされた人物の映画を上映するなと命令したりしました。映画における労働運動の重要性を感じます。

 塩田 映画人のレッドパージ集会で若杉監督も話しておられましたが、レッドパージに迎合するような労働組合指導者が多数派を握り、赤狩りの下請けのようなことをやる。自分たち戦闘的な側でも広く団結することについて未熟で、味方であるべき労働者のなかで対立し合うという弱点があったという反省は、心にしみました。

その後の労働運動への影響

 堀口 レッドパージの後、日立には職階制が導入されました。会社側に組合の人事権を完全に握られ、労働組合は急速に自主性を弱めていきました。二十数項目の懲戒条項がつくられ、低賃金と無権利が広がりました。

 六〇年代に導入された職務給制度により従業員が千二百もの職務に分けられ、さらに査定で差別されます。そのなかで私たちは黙っていられないと、八六年に中央研究所の十二人が差別是正を東京労働委員会に訴え、九二年には男女差別を東京地裁に訴えるなど各地で次々にたたかいを起こし、今年全面解決しました。

 私も夫も差別され、ずっとたたかってきました。夫の両親が山梨に住んでいたので、甲府工場への転勤を願い出ましたが聞き入れられず、両親を東京に呼び寄せました。ところが社宅に入れてもらえないため、二部屋に台所という間取りで七人家族で十年暮らしました。二人で働いても子どもの就学援助金を受ける資格があるほどの低賃金です。三人の子どもにも服を新調してやれませんでした。さすがに中学になると新しい服もほしいといいますから、新年には服を買っていいよと一人五千円渡したこともあります。

 塩田 NHKの大河ドラマ「葵三代」の徳川時代初期のような現実ですね。

 山田 映画分野では、東宝争議以降労組がガタガタにされたということがいえると思います。六〇年代に映画産業では合理化が始まり、昨年から今年にかけては松竹大船撮影所の問題がおきましたが、一人の首も切らせないで新撮影所をつくることをめざすたたかいがすすみました。映演総連は企業別組合の連合体ですが、産業別スト権を確立できました。レッドパージへの労働組合の運動はどうだったかということを教訓に、映画の労働運動の前進が始まっています。

 堀口 日本映画復興会議も来年で四十年を迎えるそうですが。

 山田 ええ。これまでは産業的復興に力点がいっていました。東条英機を美化した映画「プライド」(東映配給)のとき、初めて労組も文化の問題で立ち上がったのです。松竹大船の場合、たいていの国民は大船の映画を見ていて、文化を通じて広範な国民とのつながりをつくってきています。大船撮影所をなくすなという署名に五万三千もの人が協力してくれました。ようやく日本の労働運動も映画の文化的側面を重視するようになりました。(つづく)

 注・一九四六年の一次争議で生活条件や企画協議の制度を確立。四八年、東宝は約千人に解雇通告し組合は抵抗しましたが、千八百人の武装警官隊、占領軍に弾圧されました。

 ▽記念出版物 『レッド・パージ五〇年―忘れてはならない歴史の教訓』(兵庫県レッド・パージ記録集刊行委員会)

 『源流 レッドパージ五〇年のたたかい 二一世紀への継承』(電産東京八・二六会五〇年誌刊行会 光陽出版社)

 『闘いの軌跡―都庁レッド・パージ反対闘争記録』(東京都不当解雇反対同盟)

 『あれから50年 怒り・苦難・誇り』(中部電産事務局)

(2000年12月02日「赤旗」)

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*         1998(このページのトップへ)

*         赤旗まつり2日目/どこに行っても元気でる” 充実の一日“3日目も楽しみ”その3) 笑顔の中でも真剣に/全国から50人 熱心なスイマーが参加/長崎宏子さんの水泳教室 平泳ぎの元オリンピック選手・長崎宏子さんのワンポイント水泳教室には、朝早くから大勢の人がかけつけ、全国各地から(続き)

*         【本文】1998

*         赤旗まつり2日目/“どこに行っても元気でる” 充実の一日“3日目も楽しみ”

笑顔の中でも真剣に/全国から50人 熱心なスイマーが参加/長崎宏子さんの水泳教室

 平泳ぎの元オリンピック選手・長崎宏子さんのワンポイント水泳教室には、朝早くから大勢の人がかけつけ、全国各地から「ぜひ長崎さんに教えてもらいたくて」という熱心なスイマーが参加しました。

 長崎さんはにこやかに「こんな練習方法があったのかと新鮮に感じてもらい、プールにいくことが楽しくなってもらえたらうれしいです」とあいさつ。定員いっぱいの五十人の参加者はさっそく水の中に。

 自分にとって一番疲れずにスピードが出るキックをさぐる練習法、背泳ぎで体の回転を意識して泳ぐ練習法など、日ごろの練習とはちょっと変わったやり方に、参加者は「えー」「面白い」などの声をあげながらとりくみ、笑顔のなかにも真剣な一時間でした。

 最後に長崎さんが個人メドレーを披露すると、「滑るよう」「きれいー」という感嘆の声とともに大きな拍手がおこりました。

 埼玉・越谷市からきた杉田与志子さん(57)は「よかったですー。朝早くからきたかいがありました。全部勉強になりました」とうれしそう。広島市からきた三十歳の会社員の男性は「長崎さんの平泳ぎを見て感動しました。健康のために週一、二回プールにいきますが、名選手を間近に見て、ふだんの練習にやる気が燃えました」。

 長崎さんは「みなさん熱心で、あっという間に時間が終わってしまいました。赤旗まつりはとても楽しそうですね」と話していました。

米軍機低空飛行のパネル/「許せない」と女性ら/大型展示

 かもめ橋通り沿いの大型展示は「ポスターで見る赤旗まつりのあゆみ」「どうする? この不況 二十一世紀の日本経済」など九種類。行き交う人が「不破さん若いわね」と以前の赤旗まつりポスターを指さしたり、「しんぶん赤旗」ができるまでを描いたパネルを見上げていきます。

 「米軍機低空飛行訓練=許されない植民地型無法ぶり」のパネルは、専門家の説明があります。飛行ルートや攻撃機の写真を示しての説明に「こんなの許せないわ」と憤る、名古屋市の戸島洋子さん(50)。「以前、北アルプスに登山中、低空飛行の爆音に脅かされて『こんな静かなところに攻撃機が』と連れの友達と怒ったことがあったの」といいます。

 神戸市の三木きぬえさん(65)は「兵庫の但馬地方でも低空飛行訓練をしていて、急降下していく爆音がものすごかった。なぜ日本で野放しなのでしょうか」と語っていました。

 説明時間は午前十時、十一時、午後三時、四時の一日四回です。

「学校(二)」を上映/三上満さんが解説/赤旗まつり名画座

 赤旗まつり名画座二日目は、山田洋次監督作品の「学校(二)」。北海道の養護学校を舞台に、卒業式を前にした十代の生徒たちの、揺れ動く心を詩情ゆたかに描いた名作とあって、日暮れとともに、多くのまつり参加者が鑑賞しました。

 解説は、子どもと教育・文化を守る国民会議の三上満代表委員。上映を前に「時代を先取りしたこの映画から、子どもたちと教師の人間的な心の交流をつかみとってほしい」とのべました。

 山田映画の大ファンで、劇場で三回も見たという東京・新宿区の会社員、宮本房江さん(51)は「普通の人を描いて、感動を呼ぶのが山田さんの映画。生徒役の吉岡秀隆さんも大好きなの。日がとっぷりと暮れてから、ゆっくり映画が見られる。赤旗まつりに、また、楽しみが一つ増えましたね」と語っていました。

 三日目は、マーク・ハーマン監督作品のイギリス映画「ブラス!」です(解説は映画評論家の山田和夫さん)。

レッドパージ犠牲者が集う

 レッドパージを受けた犠牲者が一日、第三十六回赤旗まつり会場の全国労働者後援会テントに集まりました。これは、犠牲者の代表が十月二十八日付「しんぶん赤旗」紙上で参加をよびかけ、関係者がこれにこたえたものです。

 集い参加者は同日午後都内の平和と労働会館で、レッドパージ五十周年の集会の成功にむけて話し合いました。この話し合いで参加者は、集会実行委員会準備会をつくることを決め、事務局も設け、集会成功めざして奮闘することを誓い合いました。

(1998年11月03日  「赤旗」)

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*         1997(このページのトップへ)

*         国会通信/3日 日本共産党議員の質問など 正森成二議員中海・宍道湖干拓事業の問題で県のパンフレットに釧路湿原の写真流用問題と同事業中止の場合の費用負担、漁業権問題について質問 佐々木憲昭議員企業による団体生命保険の死亡保険金受けとり問題について質問 瀬古由起子議員(続き)

*         【本文】1997

*         国会通信/3日

 日本共産党議員の質問など

 正森成二議員中海・宍道湖干拓事業の問題で県のパンフレットに釧路湿原の写真流用問題と同事業中止の場合の費用負担、漁業権問題について質問

 佐々木憲昭議員企業による団体生命保険の死亡保険金受けとり問題について質問

 瀬古由起子議員飛騨白川郷への補助拡大と富士山の世界遺産への登録を求める

 平賀高成議員静岡商業高校定時制の廃止反対で質問

 木島日出夫議員国立東長野病院の心臓血管外科の存続を要求

 吉井英勝議員真珠貝の大量死の再発防止対策、養殖業者救済を求める。焼酎の税率引き上げ撤回を求める

 穀田恵二議員西陣織など輸入帯(おび)の原産国表示問題で質問

 石井郁子議員関西国際空港の労働環境改善を要求

 大森猛議員団地・マンション等集合住宅の変圧器室費用負担問題で質問。建設残土問題で法整備と現状回復を求める(以上、衆院予算委分科会で)

 吉岡吉典議員参院沖縄北方特別委員会で、沖縄・鳥島射爆場での米海兵隊による劣化ウラン弾発射事件について政府の対応をただす

 上田耕一郎議員参院国際問題調査会で、「アジア太平洋地域の安定と日本への期待」について参考人の意見を聴取し質問……26日

 山下芳生議員参院災害対策特別委員会で阪神・淡路大震災の被災者の生活再建にふれて、公的支援にたいする国の責任を追及

 

あいさつ交渉交流……3日

 中路雅弘、寺前巌、東中光雄、辻第一各衆院議員消費税廃止各界連絡会、国民大運動実行委員会共催の「消費税増税の中止を求める」国会要請行動参加者を激励、代表して寺前議員が国会情勢報告

 寺前巌、東中光雄、吉井英勝各衆院議員レッドパージ国賠同盟の代表から「レッドパージ犠牲者にたいする謝罪と国家賠償についての請願」をそれぞれ受け懇談

 緒方靖夫参院議員東京・港区六本木6丁目地区再開発反対の会代表の訪問をうけ懇談……2日

 佐々木陸海衆院議員国民春闘共闘委・東京春闘共闘委主催の「大幅賃上げ実現、消費税増税中止、医療改悪阻止、『女子保護』規定撤廃反対97国民春闘勝利3・2大集会」で激励あいさつ

 吉川春子参院議員党山口県委員会主催「春の女性党員全県学習会」で「21世紀を女性の権利と健康守る社会に」をテーマに講演

 緒方靖夫参院議員シンポジウム「医療保険改悪を考える―国立大蔵病院の地域医療はどうなるのか?」(東京・世田谷区の党砧支部、党後援会砧の会、田沼しげお都議候補事務所共催)にパネリストとして出席

 石井郁子衆院議員第5回日本共産党文化後援会全国交流会で記念講演

(1997年03月04日「赤旗」)

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*         1995(このページのトップへ)

*         レッドパージ45周年で記念集会/犠牲者が初の全国交流/金子副委員長が記念講演 米軍占領下の日本で、日本共産党員や組合活動家、労働者を職場から追放するなど、反共のあらしが吹き荒れたレッドパージから四十五年目。思想・信条を理由とした憲法違反の大量首切りを許さず、歴史の事実(続き)

*        赤旗まつり11月3、4、5日東京・夢の島公園」ここが魅力です係責任者ガイド/出会いの広場/県人会、労組OB、後援会…参加者が集い計画を 「出会いの広場」は、文字どおり参加者が主人公。ことしはとりわけ「出会い」の日が待たれています。 敗戦から五十年、大阪・高槻市の山部芳太郎さん(71)(続き)

*         【本文】1995

*         レッドパージ45周年で記念集会/犠牲者が初の全国交流/金子副委員長が記念講演

 米軍占領下の日本で、日本共産党員や組合活動家、労働者を職場から追放するなど、反共のあらしが吹き荒れたレッドパージから四十五年目。思想・信条を理由とした憲法違反の大量首切りを許さず、歴史の事実から日本の民主主義を考えていこうと、「レッドパージ四十五周年記念集会」(レッドパージ四十五周年記念集会実行委員会主催)が二日、東京・文京区民センターで開かれました。

 レッドパージの犠牲者らが全国的に交流する場ははじめてで、全国から約八十人が参加。現在も大企業による思想差別を理由にした解雇とたたかう東京電力や日立の労働者らの姿もありました。

 レッド・パージ国家賠償要求同盟の宮本和雄事務局長が、主催者としてあいさつ。

 連帯のあいさつでは、全労連の三上満議長が、「レッドパージは過去の問題でなく、現在もさまざまな形でやられている。すべての労働者の権利擁護のかなめとして奮闘していく」とのべ、民青同盟の森実一広委員長は「レッドパージの教訓を学び、先輩の生き方をくみとっていきたい」と話しました。

 記念講演をした日本共産党の金子満広副委員長は、国鉄に勤めていた当時、レッドパージの対象となって首をきられたにもかかわらず、右翼的労働組合だった民主化同盟が「首を切られた者は組合員でない」との理由で不当な解雇になんら異議を申し立てなかったことへの怒りと悔しさを報告。オール与党体制となった現在の政治状況を話し、「こういう事態にこそ、私たちが語るとき」と訴えました。

 会場からの発言では、「『申し訳ないが、マッカーサーの命令でやめてくれ』の一言でやめさせられた。このときのくやしい思いをくり返させないためにも、日本国民の運命にかけて語り継いでいきたい」(元三菱重工労働者)、「東電の前身である関東配電から当時解雇された。分裂させられた組合幹部は、『組合が違うから』と私を見放した。こんなひどいレッドパージを風化させてはならない」などの発言がありました。

(1995年11月03日「赤旗」)

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*         赤旗まつり11月3、4、5日東京・「夢の島公園」/ここが魅力です係責任者ガイド/出会いの広場/県人会、労組OB、後援会…/参加者が集い計画を

 「出会いの広場」は、文字どおり参加者が主人公。ことしはとりわけ「出会い」の日が待たれています。

 敗戦から五十年、大阪・高槻市の山部芳太郎さん(71)から手紙が寄せられています。

 「『全逓の労組なつかし四十年ぶりパージの仲間今日を集いぬ』

 赤旗読者の文芸欄で深い感銘をうけたものです。レッドパージの犠牲者たちは、事件後半世紀近く、その思いを胸に秘め、誇りにして過ごしてきました。すでに他界した仲間も多く、今回の赤旗まつりでぜひ『レッドパージ』出会いの広場を設けてください」と書かれていました。

 出会いの広場は、こうした熱い思いをもった人たちや、県人会、労働組合のOBたち、また、バスや列車で参加した同じ県の後援会の人びとの落ち合い場所として、さまざまな人びとの集いの場です。

 今年の出会いの広場は、コロシアムと大食堂の間の芝生に設けられます。みなさんで集いを計画し、誘いあってお立ち寄りください。テントやシートの貸し出しもします。事前にご連絡ください。「出会いの広場伝言板」もさらに拡充し、役立ち喜ばれるようにしたいと、準備に大わらわです。

 今年も新たな楽しい出会いがたくさん生まれることを期待しています。(青木正彦)

 

被爆資料館/被爆者が連日証言/広島・長崎、ムルロアの写真も

 ことしは被爆五十年の節目の年です。フランス、中国が核実験を強行し、アメリカをはじめ核保有国があくまでも核戦力を維持し、強化をはかるもとで、世界各地で「核実験をやめよ」「核兵器をなくせ」の世論と運動が大きく広がっています。

 広島・長崎の原爆資料館の協力もえて、被爆時のなまなましい様子を伝える写真パネルや遺品を展示します。毎年大きな感動をよんでいる被爆者の証言も連日あります。半世紀を経たいまも忘れることのできない被爆の体験や訴えは、みなさんに感銘を与えるでしょう。

 ことしは、ムルロア、ネバダ、マーシャル、セミパラチンスクなど世界各地の核実験被害の実相を伝える写真を充実させました。

 広島・長崎の被爆の実相や核実験被害の実態は、核兵器と人類が共存できないことを教えてくれます。ぜひお立ちよりください。

 被爆者の方の赤旗まつり入場は無料です。会場入り口で被爆手帳をお見せください。(長谷川勇)

(1995年10月20日 「赤旗」)

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