2013年レッドパージ犠牲者の活動】

 

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「見出し」2013

 

*         12月

*         レッド・パージ反対同盟と懇談/党神奈川県委

*         最高裁決定の不当性告発/レッド・パージ講演会/大阪

*         レッド・パージ語るつどい開く/札幌

*         レッド・パージ/名誉回復・国家賠償早く/山下書記局長代行に要請/連絡センター

*         11月

*         人権を守るたたかい/レッドパージ反対埼玉連が総会

*         ナチス略奪美術品見つかる/ピカソ、マチス、シャガール…/ドイツ1406点/オランダ139点

*         10

*         レッド・パージ被害者名誉回復署名へ/党府委に要請/大阪連絡センター

*         本立て/戦後史の汚点レッド・パージ/明神勲著

*         レッド・パージ反対/尼崎連絡会が取り組み交流

*         合葬追悼式/大躍進見せたかった/遺族・関係者が懇親会

*         日本共産党常任活動家合葬追悼式/新たに175人を合葬/市田書記局長あいさつ

*         9

*         戦後史の汚点レッド・パージ/明神勲著/評者松山秀樹弁護士

*         活動家墓前祭に90人/党県常任委員ら16人合葬/宮城

*         早見栄子さん死去

*         「白寿」党員、衰えぬ情熱/横浜・倉田支部で祝う会

*         レッド・パージ反対運動意義は/札幌で松本氏が講演

*         8

*         横顔/愛知県知多市中平猛さん(26)/党の歴史に感謝、次は僕たち

*         新方針を確認/レッド・パージ反対尼崎連絡会

*         7

*         レッドパージへの新しいたたかい/名誉回復と新しい立法求めて/松本善明

*         6

*         休憩室/冨士眞奈美さん/望んでいた役を得て

*         益川さん「9条守ろう」/1200人に勇気/山形・天童で大集会

*         5

*         弁護士会に救済申し立て/レッド・パージ被害18人/大阪

*         レッド・パージ被害/名誉回復・賠償早く/国会要請と活動交流

*         進歩と革新めざす遺志継ぐ/解放戦士合祀追悼祭開く/新たに59人合祀・京都/合葬者85人紹介・大阪

*         レッド・パージ国賠訴訟最高裁棄却/日弁連会長談話「名誉回復を」

*         レッド・パージ解決へ/アピール賛同各界に/全国連絡センターが会見

*         レッド・パージ国賠訴訟/最高裁決定に抗

*         レッド・パージ反対/新リーフ発行

*         守れ憲法・戦争ごめん/加藤桝治さん(87)神奈川・平塚市/親兄弟にも口止め

*         レッド・パージ国賠訴訟/最高裁が上告棄却/市田書記局長が抗議談話

*         レッド・パージ国賠訴訟/最高裁が上告棄却/原告ら「救済までたたかう」

*         4

*         不当追放問うパンフ

*         被害者名誉回復を/レッド・パージ大阪連絡センターが総会

*         レッド・パージ/人権侵害、日弁連が2度勧告/日弁連前会長宇都宮健児さん

*         レッド・パージ/米軍占領下、反動政治による職場追放/救済求め最高裁へ上告

*         レッド・パージ被害救済へ署名/尼崎連絡会が要請

*         ひと/生きている間に名誉救済をと訴える大橋豊さん(83)

*         3

*         レッド・パージ国賠訴訟/最高裁大法廷で審理を/神戸で学習会

*         上告申し立て受理要請/レッドパージ国賠訴訟原告ら

*         レッド・パージ反対/尼崎連絡会が運動方針論議

*         選挙のページ/日本なぜアメリカいいなり/オスプレイ/TPP/51番目の州

*         2

*         国賠訴訟への支援要請/レッド・パージ反対センター、共産党に

*         レッド・パージ国賠訴訟/被害救済しない国/過ちの歴史を正せ/松山秀樹弁護士

*         春闘共闘会議で「王子争議」学ぶ/北海道苫小牧市

*         守れ憲法/戦争ごめん/坂本悦巳さん(86)大阪・富田林市/若い命が犬死に

*         「建国記念の日」反対する行動/憲法の精神生かそう

*         レッド・パージ訴訟/22日学習会成功へ/尼崎連絡会が会議

*         レッド・パージ国賠訴訟上告審/大法廷弁論求め運動/東京連絡センター世話人犀川三郎さん

*         1

*         レッド・パージ被害者/東京など12人、日弁連に救済申し立て

 

【本文】2013(PageTop

レッド・パージ反対同盟と懇談/党神奈川県委

 神奈川県レッド・パージ反対同盟はこのほど、日本共産党神奈川県委員会と今後の取り組みについて懇談しました。

 同盟の加藤桝治事務局長は、国会請願を運動の中心に置くとともに、横浜弁護士会への第2次申し立ての準備をすすめていること、県同盟の組織拡大などを報告。党県委員会に協力を要請しました。

 小池潔党県委員長はこれに応えて、学習会の開催や被害者の名誉回復を求める国会請願署名に協力するなどと述べました。

(2013年12月24日,「赤旗」)(PageTop

最高裁決定の不当性告発/レッド・パージ講演会/大阪

 レッド・パージ反対大阪連絡センターと自由法曹団大阪支部は15日、レッド・パージ研究第一人者の明神勲北海道教育大学名誉教授を招き、大阪市内で講演会を開きました。レッド・パージ被害者や支援者、弁護士ら40人が参加しました。

 日本共産党員と支持者を職場から追いだしたレッド・パージ。被害者は全国で4万人、大阪では数千人と推定されています。

 大阪弁護士会に人権救済を申し立てている被害者2人が発言。「職場の破壊者との名目で一片の通告で解雇され、社会からも排除された。今日の不当解雇、人権侵害の下敷きにもなっており、大阪弁護士会は一日も早く勧告を出してほしい」「大手だけでなく中小企業の労働者もレッド・パージの対象になったことが大阪の特徴だ。今回の申し立てには23人の弁護団で、支援に励まされ頑張っていきたい」と表明しました。

 明神氏は、兵庫の被害者3人の国家賠償請求訴訟で神戸地裁・大阪高裁判決と上告を棄却した最高裁決定の不当性を告発し、真理と道理はわれわれの側にあることに確信を持ち、勝利に向かって歩もうとよびかけました。

(2013年12月18日,「赤旗」)(PageTop

レッド・パージ語るつどい開く/札幌

 「レッド・パージを語るつどい」が7日、札幌市内で開かれました。レッド・パージ研究者の明神勲・北海道教育大名誉教授の著作『戦後史の汚点 レッド・パージ』(大月書店)出版を記念して開催されたものです。60人が参加し、憲法に基づく人権を確立した社会をつくるために新たな決意を固めました。

 報告で荻野富士夫・小樽商科大学教授は、明神氏の検証によって「レッド・パージはGHQ(連合国軍総司令部)の指示」という神話≠ェ解体されたことを指摘しました。

 レッド・パージ被害者の舛甚秀男、加藤哲夫、苗川清一郎の各氏も発言しました。

 つどいでは、秘密保護法の成立をうけ、廃止をめざす運動についても交流しました。

(2013年12月14日,「赤旗」)(PageTop

レッド・パージ/名誉回復・国家賠償早く/山下書記局長代行に要請/連絡センター

 レッド・パージ反対全国連絡センターは2日、第7回総会を参院議員会館で開きました。秘密保護法案の衆院可決に抗議し、廃案を求める決議をあげました。

 総会では、日弁連の勧告を生かし、レッド・パージ被害者の一日も早く名誉回復と国家賠償を実現させる特別法の制定を求める請願署名運動にいっそう取り組むなど今後2年間の活動方針を確認しました。

 国家賠償請求裁判をたたかった大橋豊さんは、再審を申し立てているとし、「生きている限り、名誉回復にがんばりたい」と発言しました。

 来賓として日本共産党の佐々木憲昭衆院議員らがあいさつをしました。

 総会を終えた同連絡センターの代表委員の大橋豊氏、金子圭之氏、藤村三郎氏らは同日夕、名誉回復と国家賠償を実現させる特別法の制定を求める請願署名など運動への協力を求めて、日本共産党の山下芳生書記局長代行と懇談し、要請しました。

 参院議員会館で応対した山下氏は、「高齢をおして、レッド・パージの名誉回復のために奮闘するみなさんと敬意を表します」とあいさつ。秘密保護法案をめぐる反対運動の広がりにも触れながら、民主主義と人権を守るたたかいとして一緒に連帯したいと語りました。

レッド・パージ

 1949年から50年にかけて、アメリカ占領軍の示唆で日本政府が民間・公務の職場で日本共産党員とその支持者であることを理由に強権的に解雇したもの。「戦後最大の人権侵害」といわれ、被害者は推定で4万人ともいわれます。

 日本弁護士連合会(日弁連)は、被害者からの人権救済申し立てをうけて、レッド・パージは憲法が規定する思想・良心の自由、結社の自由を侵害するとして、救済を政府に勧告しています。

( 2013年12月03日,「赤旗」)(PageTop

人権を守るたたかい/レッドパージ反対埼玉連が総会

 レッドパージ反対埼玉連絡会は16日、第2回総会を川越市内で開き、103人が参加しました。

 松本善明弁護士(日本共産党元衆院議員)が「レッドパージ反対運動の現代的意義」と題して講演しました。

 レッドパージ被害者は、日弁連の人権救済勧告を力に名誉回復の裁判をたたかいましたが、最高裁は被害者の上告を棄却し、原告は最高裁に再審を申し立てています。

 松本氏は、日弁連会長が最高裁決定を厳しく批判したことを紹介。裁判所もレッドパージに加担したことを指摘し「占領軍の命令で仕方なかった」とする立場を裁判所は変えるべきだと述べました。

 レッドパージは、秘密保護法案と同様に真っ向から憲法に違反すると指摘し、憲法の基本的人権を守る取り組みとして、たたかいの勝利を訴えました。

 県内のレッドパージ被害者が発言し、秘密保護法案の「適性評価制度」が実施されれば「新たな雇用差別が起きるのではないか」と訴えました。

 総会は、学習や宣伝、「名誉回復と国家賠償を求める請願署名」に取り組み、埼玉弁護士会に人権救済申し立てをすることなどを確認しました。

(2013年11月20日,「赤旗」)(PageTop

ナチス略奪美術品見つかる/ピカソ、マチス、シャガール…/ドイツ1406点/オランダ139点

ドイツ1406点

 【ベルリン=時事】ドイツ南部ミュンヘンでナチスが略奪したピカソやマチス、ルノワールなどの絵画多数が隠されていた問題で、検察当局と税関当局は5日、これまで知られていなかったシャガールの絵画を含む1406点を発見したことを明らかにしました。

 絵画は2012年に脱税事件に関連してアパートを捜索した際に見つかりました。検察によると、一部の絵画についてはナチスが奪った「具体的な証拠」を突き止めました。絵画は専門的に保管され、状態はいずれも良好でした。

 ベルリン自由大学芸術史研究所のマイケ・ホフマン研究員は、発見された絵画は価値が高く、画家研究に大いに役立つとの見解を示しました。

 このアパートに住む80歳前後の男は父親がナチス幹部と親交のあった収集家で、1930〜40年代に絵画を集めたとみられます。男は一部を売って生活していたといいます。

オランダ139点

 【ブリュッセル=時事】オランダ美術館協会はこのほど、国内162の美術館の所蔵・展示品に関する調査で、ナチス・ドイツがユダヤ人らから略奪したり、不当な安値で買い上げたりした可能性のある作品139点が見つかったと発表しました。マチスやカンディンスキーの絵画も含まれています。

 139点は1933〜45年に略奪されたとみられます。内訳は絵画69点、素描24点、彫刻2点、工芸品31点など。元の所有者から申し出があれば、美術館側が返還を検討していきます。

 オランダは第2次大戦中にナチス・ドイツの占領下に置かれ、これまでもナチスが略奪した美術品が見つかっています。

( 2013年11月07日,「赤旗」)(PageTop

レッド・パージ被害者名誉回復署名へ/党府委に要請/大阪連絡センター

 レッド・パージ反対大阪連絡センターの岸英夫氏(90)ら共同代表4氏が28日、大阪市天王寺区の日本共産党大阪府委員会を訪れ、「レッド・パージ被害者の名誉回復・国家賠償を求める国会請願署名」への協力を要請しました。党府委員会から柳利昭書記長が応対しました。

 1949年から50年に、米軍の示唆で、推定4万人以上とされる日本共産党員と支持者を職場から追放した戦後最大の人権侵害のレッド・パージ。大阪では1000人以上が被害にあい、今年5月には「生きているうちに名誉と損害の回復を」と18人が大阪弁護士会に人権救済を申し立てました。署名推進へ、山口勝利党府委員長が呼びかけ人11氏に名前を連ねています。

 関西配電(現・関西電力)の職場を追われた岸氏は「問答無用で解雇され、一般社会からも受け入れを拒絶された」と当時の悲惨な状況を語り、「いま起こっている不当解雇や人権侵害の下敷きになっている」と運動の意義を強調しました。

 柳氏は、人権侵害を認めず反省しないことが橋下徹大阪市長の憲法違反の「思想調査」や、秘密保護法案などの土台になっていると述べ、国会での請願採択に全力を挙げたいと話しました。

( 2013年10月30日,「赤旗」)(PageTop

本立て/戦後史の汚点レッド・パージ/明神勲著

 1949〜51年に日本共産党員とその支持者ら推定3万〜4万人を追放した戦後最大の弾圧事件、レッド・パージ。本書はGHQ(連合国軍総司令部)資料の詳細な分析に基づき、同事件がGHQの指示命令によるとの定説を覆しました。

 「GHQ命令」説の重要根拠とされてきた最高裁裁判官への50年のGHQ「解釈指示」が、当時の田中耕太郎最高裁長官による虚構だとの解明は衝撃的です。対米従属の複雑な構造の歴史的起源をも考えさせる労作です。

 (大月書店 3200円)

(2013年10月13日,「赤旗」)(PageTop

レッド・パージ反対/尼崎連絡会が取り組み交流

 兵庫県のレッド・パージ反対尼崎連絡会は7日、尼崎市で活動を交流し、今後の取り組みを話し合いました。

 中川隆道事務局長が活動を報告。参加者から「日本共産党元衆院議員の松本善明氏が提起した、国として救済措置をとるための新しい立法を求める運動が根本的解決のために必要」「3氏の裁判で、レッド・パージ問題が全国的な広がりと運動をつくり出したことを確信にしよう」などの意見が出され、レッド・パージ反対全国連絡センター総会(11月30日)に反映することにしました。

 「レッド・パージ犠牲者の名誉回復と国家賠償を求める請願」署名は、最高裁向け「被害者の名誉回復と賠償の法的救済を」署名を上回る500人分以上をめざすことを確認。「レッド・パージ裁判報告集会」(12月14日)で記念講演を予定の明神勲・北海道教育大学名誉教授の著書『戦後史の汚点レッド・パージ』(8月発行)の普及と報告集会参加などに取り組むことを確認しました。

(2013年10月10日,「赤旗」)(PageTop

合葬追悼式/大躍進見せたかった/遺族・関係者が懇親会

 「日本共産党常任活動家の墓」第28回合葬追悼式に参列した遺族・関係者と中央委員会の懇親会が5日、党本部で開かれ、92人が参加しました。

 林通文合葬委員・厚生部長が司会をつとめ、参加者全員を紹介しました。党本部食堂スタッフが心をこめて作った料理を前に、故人をしのび、日本共産党への思いを語り合いました。涙あり笑いありの温かい交流となりました。

「困難の時に党支え誇り」

 今年2月に不慮の事故で死去した前田政明沖縄県議・党県副委員長の妻の芙美子さんは、四十九日≠終えると、悲しみの癒える間もなくすぐに参院選、同時に長女・千尋さんが候補となった那覇市議選をたたかい、「大躍進したこの勝利を夫に見せたかった。選挙のなかでいつも聞こえていた夫の演説が聞こえなくて、あ、本当に亡くなったんだなと…」と声をつまらせました。「歴史を支えてきた一員として夫が頑張ってきたことに、ご苦労さま、よかったねといってあげたい」と心境を語りました。

 長野県茅野市で市議をしていた伊藤眞智子さんは、昨年の総選挙投票日の2日前の早朝、気温氷点下10度の街頭から訴えている最中に心筋梗塞で亡くなりました。夫の正陽さんは、「女房は、子どもの医療費無料化を一貫して追求してきた。地域から信頼されて大勢の人から悲しまれました。非常に切ないが、党の建設のために遺志を継いでいきたい」と語りました。

 北海道余市町の渡辺節子さん(69)の夫の正治さんが亡くなったのは町議10期目の任期中でした。「夫は心の底から党を愛し、党を大きくしたいと願っての毎日の頑張りでした。夫の志を継いでこれから仲間と頑張っていきたい」と語りました。

 宮城県の豊岡あさ子さんは、夫の千賀男さんが戦後のレッドパージで節を曲げずにきた人生をたどり、東日本大震災でも被災地を夫婦2人で自転車に乗って「赤旗」を配達し「困難な時に党を支えてきたことは誇りです」と語りました。

 広島県の長屋宥子さんは、兄の松田昌征元中央委員・元県委員長が自動車メーカー「マツダ」の労働者だった時の思い出を語りました。「厳しい大経営で党付属バンド『未来』をつくったのはすばらしかったが、家族は大笑いでした。それは兄が音痴だったから」と会場の笑いを誘い、「残された者が遺志を継いでいきたい」と結びました。

 大井彰元鈴鹿市議の妻の節子さん(84)は難病を抱え車いすで参加。「何が困っているか、心から考えてくれる党友≠ェたくさんいる。健康に気をつけ心残りのない人生を送りたい」と話しました。

「勇気と元気もらった会」

 最後に市田忠義書記局長が「元気と勇気をもらう懇親会でした。今日の党の発展は故人の困難をいとわずに頑張られた奮闘と家族みなさんの支えがあったからです。苦労はあっても不屈のたたかいは何ものにもかえ難い喜びです。参院選の躍進を一過性にとどめないでさらなる躍進をめざすためにもっと党の力を大きくと全党が頑張っています。入党されていない方がいらっしゃいましたら、故人が歩まれた同じ道を、今日を機会に歩んでいただければこれほどうれしいことはありません」とあいさつしました。

 広井暢子副委員長、上田均常任幹部会委員、石灰睦夫幹部会委員も参加しました。

( 2013年10月08日,「赤旗」)(PageTop

日本共産党常任活動家合葬追悼式/新たに175人を合葬/市田書記局長あいさつ

全国の日本共産党常任活動家と議員を合葬する第28回合葬追悼式が5日、東京都八王子市の上川霊園で開かれました。79遺族、144人が参列しました。今回合葬されたのは175人で、合葬者は計3286人になりました。

 静かな雨が降りしきるなか、石灰睦夫合葬委員が司会を務め、広井暢子合葬委員会責任者・党副委員長が新たな合葬者の名前を読みあげました。

 黙とうの後、党中央を代表し、市田忠義書記局長が「国政選挙としては15年ぶりに前進した喜びを報告できます。今回合葬された方をはじめ、多くの先人たちのたたかいの上につくりだされた結果です。同志としての心からの感謝と新たな前進への決意を伝えたい」とあいさつしました。

 代表し3人の遺族があいさつに立ちました。

 故辻第一(ていいち)さん(元衆院議員)の妻、辻久子さんは「愚痴一つこぼさず頑張る夫でした。やりがいのある幸せな人生だったと思います。命あるかぎり党員として夫の志を継いでいきたい」と語りました。

 神奈川県の故新倉昭二さん(元北部地区委員長)の妻、新倉弥生さんは、戦争体験やレッドパージなどを経た夫は「つらいことがあっても忍耐強く乗り越え、いつも前向きで明るかった」。

 沖縄県の故沖本八重美さん(元県常任委員)の夫、矢ケ崎克馬さんは「離島などあらゆる所に飛んでいっては話を聞く、徹底した現場主義の人でした。遺志を継ぎ、一人ひとりが大切にされる社会をつくりたい」と結びました。その後、参列者全員で献花をしました。

( 2013年10月06日,「赤旗」)(PageTop

戦後史の汚点レッド・パージ/明神勲著/評者松山秀樹弁護士

定説覆し日本政府の責任を追及

 本書が取り上げるレッド・パージは、連合国軍の占領下、共産党員やその同調者とされた労働者が、その思想信条だけを理由に、官公庁や民間企業を解雇、免職され、社会からも排除された戦後最大の人権侵害である。占領下のレッド・パージはGHQの命令として超憲法的効力があり従わざるを得ないから違法ではない、とする最高裁大法廷決定があるため、犠牲者の救済は放置されてきた。

 ようやく、2008年10月、日本弁護士連合会が犠牲者の名誉回復と補償を求める勧告を出し、神戸在住の犠牲者3人が国を被告として神戸地方裁判所へ国家賠償請求訴訟を提起した。本書の著者による膨大なGHQ資料の調査を基礎とした研究成果がなければ、日弁連勧告や訴訟による被告国の責任追及は到底なし得なかった。

 本書は、著者が新たに発掘した多くのGHQ資料を引用しながら、これを丁寧に分かりやすく読み解くことで、レッド・パージがGHQの指示命令に基づくという定説を明確な根拠を示して覆している。また、これまで「GHQの指示命令」説の根拠とされてきた最高裁裁判官に対する「解釈指示」なるものが、実は、当時の田中耕太郎最高裁長官が作り上げた「虚構」であったことも新たに発掘したGHQ文書で明らかにしている。

 もはや、GHQ指示命令説は、GHQと協働して積極的かつ主体的にレッド・パージを推進した日本政府や企業の免罪符にはならない。本書は、レッド・パージ犠牲者の名誉回復を進め、また、現代に生きる私たちの思想・信条の自由をまもるたたかいへの応援歌となる貴重な一冊である。

 みょうじん・いさお 41年生まれ。北海道教育大学名誉教授。占領期教育史。

( 2013年09月29日,「赤旗」)PageTop

活動家墓前祭に90人/党県常任委員ら16人合葬/宮城

 日本共産党宮城県活動家の墓第26回墓前祭が14日、仙台市青葉区のみやぎ霊園でしめやかに開かれ、故人をしのび90人が参列しました。

 今年は、全逓の職場で戦後初期のレッドパージとたたかい、日本共産党県委員会の常任委員を務め、名誉役員だった八甫谷(はっぽや)実さんと豊岡千賀男さんや、戦後初期から女性運動に取り組み、県内の新婦人の創立運動にかかわり、初代事務局長を務めた長谷川喜和子さんなど16人が合葬されました。

 中島康博党県委員長が今年埋葬される一人ひとりの功績を紹介し、7月の参院選での党の躍進を報告。「今度の選挙の結果を『第3の躍進』の始まりと位置づけ、これを本格的な流れにするために全力を尽くす」と決意を述べました。

 同活動家の墓は、県内で活動した日本共産党員の故人や遺族の希望にもとづいて合葬し、その業績を記念し、しのぶものとして1988年に建設されました。昨年までに242人が埋葬されています。

(2013年09月17日,「赤旗」)(PageTop

早見栄子さん死去

 早見 栄子さん(はやみ・えいこ、本名高橋昌子=たかはし・しょうこ、女優)9日、京都市内で死去、84歳。和歌山市出身。葬儀は、劇団関係者、友人で行われました。

 1946年、大映に第1期俳優研修生として入社。50年レッドパージとたたかい、劇団京芸で女優として活躍。全児演賞、京都市芸術功労賞など受賞。「京都演劇人九条の会」呼びかけ人の一人。

( 2013年09月12日, 「赤旗」)(PageTop

「白寿」党員、衰えぬ情熱/横浜・倉田支部で祝う会

 横浜市戸塚区、倉田支部の高橋盛男さん(写真前列中央の男性)が、4日に99歳の誕生日を迎え、地域の党員や年金者組合の人など25人がつどい、「白寿」を祝いました。

 高橋さんは、第1次世界大戦が勃発した1914年に東京・浅草花川戸のげたの卸問屋の息子として生まれました。東京大空襲で勤めていた工場が焼失し、戦後すぐに労働組合を結成しました。46年に、そのたたかいのなかで入党。レッドパージ闘争など厳しいたたかいのなかで党員として頑張ってきました。

 参加者は、99歳のいまも、入党した当時の情熱を持ち続ける高橋さんに大いに励まされました。

( 2013年09月08日,「赤旗」)(PageTop

レッド・パージ反対運動意義は/札幌で松本氏が講演

 日本共産党元衆院議員の松本善明弁護士が8月31日、札幌市で「レッド・パージ反対運動の現代的意義」と題して講演しました。

 講演は「レッド・パージ被害者の名誉回復と補償を求める北海道懇話会」第4回総会の企画の一つとして行われました。100人が参加しました。

 松本氏は「憲法97条で永久不可侵の権利だとされた基本的人権である『思想信条の自由』『結社の自由』を侵害したのがレッド・パージです。憲法97条を全部なくそうというのが自民党改憲案であり、被害者の名誉回復と補償を求める私たちの運動は、被害者救済にとどまらず、憲法を花開かせる意義を持つたたかいです」と強調しました。

 講演を聞いた佐藤友美さん(25)は「レッド・パージ被害者の名誉を回復することは、今の憲法の人権条項を守ることにつながるものだとわかりました」と話していました。

 明神勲北海道教育大学名誉教授が「レッド・パージ裁判における田中耕太郎の犯罪」と題して特別報告。総会では27人の新役員と運動方針を決めました。

(2013年09月03日,「赤旗」)(PageTop

横顔/愛知県知多市中平猛さん(26)/党の歴史に感謝、次は僕たち

 身近な人に政治の話をするのは怖くないといいます。「自分がいいと信じているものは胸を張ってすすめられる。正しいことを知らせたいし、相手が何を考えて、世の中をどう見てるのかが分かるから」とまっすぐです。

 参院選では、同僚、和太鼓サークル仲間、小、中、高の同級生40人と対話。21人に支持を広げました。求職中の同級生には、「若者に仕事がないこんな状況も、選挙で変えられるから」と支持を訴えました。「どこに入れたらいいんすか」と小中学校の後輩5人から電話もかかってきました。

 母は前党知多市議。幼いころから「自分の考えの軸は共産党だな」と漠然と感じていました。

 入党のきっかけは2009年に飛び入り参加した平和行進。友人を誘い、広島まで歩き通しました。

 被爆者の男性から「頼んだぞ」と涙ながらに手を握られて被爆者の置かれている実情と苦しみを知り、怒りさえ覚えたといいます。道中では国民にもっと関心を持ってもらいたいと強く感じることもありました。加えて市民運動、共産党の担い手が少なくなっているのも目の当たりにして「自分が世の中を変えんといかんのかな」と考えるようになり、半年後に決意しました。

 その年の参院選で党の話をして「共産党に入れたよ」と報告してきた友人に入党を働きかけ、青年支部を結成。現在、隔月ペースでバーベキューや潮干狩りなど、地域の若者が広く参加できる企画を立てています。「TPPに加盟したら、この食材どうなると思う?」と、企画と関連づけるなどして、参加者と楽しく交流・対話しています。

 党創立91年の歴史にふれて「ありがとうって感じ」といいます。「戦時中の弾圧、レッドパージ、どんな障害があっても、たたかってきた歴史を尊敬する。『第3の躍進』を起こして歴史をつくっていくため、もっと多くの若者とつながりたい」と語ります。

 もうすぐ1児の父になります。「政治を変えて、子どもにいい未来を託したい。女の子らしいんですよ。女きょうだいがいないので、どう接したらいいか想像つかない。超緊張しています」とまぶしそうに笑いました。

 (日恵野香)

( 2013年08月10日,「赤旗」)(PageTop

新方針を確認/レッド・パージ反対尼崎連絡会

 レッド・パージ反対尼崎連絡会は5日、神戸市のレッド・パージ被害者3氏が国家賠償を求めた裁判で最高裁が4月に下した請求棄却の不当決定を受けて、今後のとりくみを話し合いました。

 中川隆道事務局長が、@上告審に向けた要請署名が469人分集まったA松本善明元日本共産党衆院議員ら7人の弁護士を代理人に、3氏が最高裁に再審申し立てD大阪で5月に被害者・遺族18人が大阪弁護士会に人権救済を申し立て―など不当決定後の動きを報告しました。

 出席者から、「松本善明氏の『しんぶん赤旗』記事『レッド・パージへの新しいたたかい』にある、政府と国会に新しい立法を求める運動を展開するうえで、参院選で日本共産党が議案提案権を持ったことは力強い」などの意見がありました。

 当面、▽連絡会として被害者の人権救済申し立て運動にとりくむ▽11月に予定されている神戸の報告集会に参加▽尼崎のレッド・パージの実態をふまえた「尼崎アピール」作成にとりくむ―などを確認しました。

(2013年08月09日,「赤旗」)(PageTop

レッドパージへの新しいたたかい/名誉回復と新しい立法求めて/松本善明

 レッドパージに対する新しいたたかいが、いま注目されています。

 レッドパージとは、1950年から51年に、日本共産党員あるいは同調者だというだけで行われた解雇事件です。犠牲になった人は約4万人といわれています。

 

政府の責任指摘

 解雇無効訴訟はすべて敗訴しました。まともな裁判が行われなかったからです。最高裁が関係裁判所に命令して、占領軍の命令だから「超憲法的効力があった」としたのです。「憲法違反だが占領軍の命令だからやむをえない」ということです。占領政策を裁判所が実行したということになりましょうか。

 この不当な解雇について、日本弁護士連合会(日弁連)は2回にわたって勧告を行いました。2008年10月24日(宮崎誠会長)、10年8月31日(宇都宮健児会長)です。

 勧告は、レッドパージは「憲法で保障された『思想良心の自由』と『結社の自由』という民主主義の根幹」の問題だとし、それらは「連合国最高司令官といえども…侵害してはならない」と述べています。さらに、日本政府がレッドパージを「積極的に…推進」したことから、日本政府には被害の回復を図るべき責任があると指摘しています。

 日弁連が光を当てたことから、この勧告の立場に立って新しい訴訟が09年に提起されました。3人の原告が神戸地裁に人権侵害救済の訴訟を起こしたのです。しかし、神戸地裁、大阪高裁に続いて、最高裁は4月25日に請求棄却の不当判決を下しました。

 最高裁判決は憲法判断を全くせず、単なる法令違反を主張しているにすぎないというわずか100字程度の理由で棄却しています。日弁連の憲法違反の主張を一顧だにしないという、私に言わせれば傲慢不遜の決定でした。

 しかし、被害者救済のたたかいが終わったわけではありません。何よりも日弁連の山岸憲司現会長が、この最高裁決定にたいして「今なおレッド・パージの被害者の名誉は回復されておらず、日本政府の責任が重大であることには変わりがない」(5月17日付)と厳しく批判しているのです。

 

国として救済を

 レッドパージ被害者は高齢で大変ですが、救済を日本中の世論にしていこうと意思統一をしました。日弁連などが勧告しているように、国として救済の措置を取るべきなので、政府と国会に、そのための新しい立法を求める運動もこれからの課題です。私も全国のみなさんとともに微力を尽くそうと思っています。

 (まつもと・ぜんめい レッドパージ国家賠償訴訟弁護団・元衆院議員)

( 2013年07月19日,「赤旗」)(PageTop

休憩室/冨士眞奈美さん/望んでいた役を得て

 芸歴は半世紀。若い頃から待っていた役を得ました。農家のおばあさん役です。NHKの徳島発地域ドラマ「狸な家族」(BSプレミアム、26日)の、主人公の家出息子(渡辺いっけい)を化かす&黷演じます。
 「私は静岡の田舎育ち。お百姓さんをやらせたら誰にも負けないと思っていました」。小悪魔に有閑マダムに女社長。演じてきた役柄からは意外な言葉です。「望んでいた役。楽隠居をしようとしていましたが、やめました」
 舞台となる徳島・三好市の山あいは、崖に張り付くように畑を開いて人々が暮らす土地柄です。「そこで先祖伝来の土地を守っていくには、人間関係が大事。人さまの悪いことはみんな狸のせいにする。生きる知恵ですね」
 小学生時代は終戦後。新聞記者の家庭には食べ物がありませんでした。「たけのこ生活で、父はレッドパージを受けて。子どもが飢えるってむごいの。自尊心を根こそぎ奪っちゃう。TPPがどうなるかは分からないですけれど、飢えさせないために食べる物だけは守っていかないと」
 記事・田村三香子
 ( 2013年06月16日,「赤旗」) (PageTop

益川さん「9条守ろう」/1200人に勇気/山形・天童で大集会

恩師がレッドパージ/改憲とんでもないこと
 「憲法9条を変えたいという勢力の目的は、自衛隊の交戦権を認め、日本を『戦争できる国』にすることだ」――。山形県天童市で1日開かれた「憲法九条を守ろう 6・1県民大集会」で講演したノーベル賞受賞者の益川敏英さんは、改憲勢力の狙いをズバリ指摘しました。
 集会には、大型バスやマイクロバスなどで県内各地から1200人が参加しました。
 終戦後に小学校に入学したという益川さんは、小学校3年生の時の先生がレッドパージ(米軍占領下の1950年、日本共産党員または支持者であることのみを理由に、職場から不当に解雇・免職された事件)されたと後でわかったことなど、自らの体験を交えながら、平和の尊さを話しました。その上で益川さんは、9条を守れという声と同時に、「具体的行動をして、(改憲は)とんでもない事だと思わせる運動が必要だ」と述べました。
 講演後の運動交流では、地域や団体の取り組みを6人が報告しました。
 集会に参加した上山市の女子大生は、「科学者が戦争に利用されたと聞き、とても悲しい。9条だけでなく、国民の権利まで奪われてしまう。勇気を出して行動していかなければと思います」と話しました。山形市の野川秀行さんは、「9条改定のたくらみは恐ろしいことです。集会も大切ですが、私たちが家族や、近所の人、周りの人に勇気を出して話していくことが大切ではないか」と語りました。
 集会は、「草の根から改憲反対の世論をつくり安倍晋三内閣や改憲勢力を包囲しよう。運動の輪をもっと大きくし、多数派を形成しよう」というアピールを採択しました。
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2013年06月04日,「赤旗」) (PageTop

弁護士会に救済申し立て/レッド・パージ被害18人/大阪

 1949年から50年にかけて、アメリカ占領軍の示唆のもと日本政府と財界の意思で4万人もの日本共産党員や労働組合員を職場から強権的に解雇したレッド・パージ事件で、被害を受けた当事者と家族18人が29日、大阪弁護士会に人権救済の申し立てをしました。
 申立書は、レッド・パージは「思想・良心の自由及び結社の自由を侵害するとともに申立人らを処遇上差別した重大な人権侵害行為」だとし、日本政府に名誉回復や補償を含めた適切な措置を講じるべきであるとの勧告を求めています。
 この日は9人が同弁護士会に申立書を手渡し、「60年以上が経過し、被害者はみな高齢になりました。大阪弁護士会が私たちの思いを受け止め、政府に対して勧告を行っていただきたい」と要請しました。
 申し立てた大阪府の山本一一(かずいち)さん(83)は、大阪市浪速区の産業用の革ベルト製造会社に勤めていた1950年10月、5人の共産党員とともに解雇され、その後、苦しい生活を強いられたと心境を述べました。「同時に解雇されたうち3人がなくなり1人が行方不明です。亡くなった人たちの分もぜひとも名誉回復をやってほしい」と訴えました。
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2013年05月30日,「赤旗」) (PageTop

レッド・パージ被害/名誉回復・賠償早く/国会要請と活動交流

 レッド・パージ反対全国連絡センターは27日、一日も早く、名誉回復と国家賠償を実現させようと、各党国会議員への要請行動をおこない、活動交流集会を衆院第1議員会館で開きました。
 1950年前後に共産党員であることを理由に職場を強権的に解雇されたレッド・パージ事件について、日本弁護士連合会(日弁連)は、憲法で保障された思想良心の自由、法の下の平等という基本的人権を侵害したものだとして、被害者の名誉回復と救済を国に2度勧告しています。
 集会には、40人が参加。人権救済を各地の弁護士会に申し立てる取り組みなどが報告されました。日弁連の救済勧告をもとに国賠訴訟をおこした原告の大橋豊さん(83)は、最高裁の上告棄却決定がレッド・パージの憲法判断を避けた不当な判決だと批判し、再審の申し立てをしたいと決意を表明しました。
 集会では、全国で集めた2万人余の請願署名を日本共産党の井上哲士参院議員に手渡しました。井上議員は「ともにたたかいたい」と激励しました。
 日本共産党元衆院議員の松本善明弁護士が講演しました。
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2013年05月28日,「赤旗」) (PageTop

進歩と革新めざす遺志継ぐ/解放戦士合祀追悼祭開く/新たに59人合祀・京都/合葬者85人紹介・大阪

新たに59人合祀/京都
 第58回京都解放運動戦士の碑合祀(ごうし)追悼祭がこのほど、京都市東山区の知恩院境内にある碑前で行われ、280人が参列しました。
 今回新たに59人を合祀し、合祀者は2631人になりました。
 同碑維持委員会(国民救援会府本部、京都いしずえ会で構成)を代表して大平勲府本部会長があいさつ。アジア・太平洋戦争の痛苦の体験者や、満蒙開拓団の悲惨な体験から戦後、平和と民主主義を求めて活動する人生を歩んだ人、レッドパージのような不当な弾圧や人権侵害とたたかい働く者が暮らしやすい世のなかをつくろうと活動した人など、故人労をねぎらい、「悲しみを分かちあい助け合って、遺志を引き継いでいきましょう」と語りました。
 京都総評の梶川憲事務局長、日本共産党都府委員会の細野大海書記長、国鉄労働組合京滋地区本部の中村幸道執行委員長、京都いしずえ会の佐藤京子副会長が、それぞれ追悼のことばを述べました。
 新遺族を代表して、故浅郷伸一さん、故行松龍美さんの遺族があいさつしました。

合葬者85人紹介/大阪
 第24回大阪解放戦士合葬追悼会がこのほど、大阪府四條畷市の大阪生駒霊園「碑」前で行われ、遺族や関係者380人が参列、献花しました。
 主催者を代表し日本国民救援会府本部の戸谷茂樹会長があいさつ。合葬者85人の紹介のあと、各団体の代表が追悼の辞を述べました。
 日本共産党からは、柳利昭府書記長があいさつ。「今年、合葬される一人一人が心に残る先輩ばかりで、不屈でたくましい生き方、不正を許さない生き方に、人々に生きる勇気と希望を与えてくれました」と述べ哀悼の意を表しました。
 遺族を代表して、故米虫(こめむし)寛さんの次女・米虫恵子さんは「あさっては父の86歳の誕生日。父の希望通りここに合葬することができ、本当にすばらしい誕生日プレゼントになりました。これからは父と共に過ごした時間をゆっくり振り返りたい」とあいさつしました。
 最後に参加者全員が献花しました。
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2013年05月23日,「赤旗」) (PageTop

レッド・パージ国賠訴訟最高裁棄却/日弁連会長談話「名誉回復を」

 レッド・パージ国家賠償請求訴訟で、最高裁が4月25日に上告棄却決定をくだしたことに関して、日本弁護士連合会(日弁連)はこのほど、山岸憲司会長名の談話を発表しました。
 会長談話は、レッド・パージによって免職又は解雇された申立人らからの人権救済申立事件について、これまで2度にわたり、可及的速やかに名誉回復や補償を含めた適切な措置を講ずるよう勧告してきたと強調しています。
 レッド・パージについて日弁連の勧告は、▽憲法で保障された思想良心の自由、法の下の平等という民主主義の根幹に関わる人権の侵害であり、占領下といえども許されないこと▽日本政府も占領下でレッド・パージを積極的に推し進めようとしていたと認められる以上、平和条約発効後に日本政府は自主的にレッド・パージによる被害の回復を図るべき責任があったこと―などを指摘しています。
 今回の最高裁決定によって、国家賠償法上の賠償責任は否定されることになったが、被害者の名誉は回復されていない、と力説。政府にたいし、レッド・パージ被害者の名誉回復のための適切な措置を講ずることを求めています。
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2013年05月22日,「赤旗」) (PageTop

レッド・パージ解決へ/アピール賛同各界に/全国連絡センターが会見

 レッド・パージ反対全国連絡センターは16日、東京都内で記者会見し、アピール「レッド・パージ被害者の名誉回復と国家賠償を」と、アピール賛同人の広がりについて発表しました。
 アピールは、今日の人権をめぐる日本の状況はレッド・パージ問題が未解決のままにされていることと無関係ではないと強調。思想差別の誤りを正しているのが世界の流れだと紹介しています。
 賛同者は、憲法学の奥平康弘氏、杉原泰雄氏、樋口陽一氏、映画監督の山田洋次氏、弁護士の宇都宮健児氏、全労連など民主団体の代表ら121人(第1次分)です。
 会見で鈴木章治事務局長代行は「賛同者が各界各層に広がりコメントもレッド・パージ問題の解決を強く求めている。賛同を広げる運動の最中に最高裁は棄却決定したが、アピールを被害者の要求の早期実現にいかしてほしい」と語りました。
 賛同者の明神勲北海道教育大学名誉教授は、連合国軍総司令部(GHQ)のレッド・パージ指示は実は「指示」でなかったことを示すGHQ文書を紹介。田中耕太郎最高裁長官(当時)はGHQ幹部と会い、「指示」ではないと知らされながら誤った判決を下したと述べ、今回の最高裁棄却決定を厳しく批判しました。
 ジャーナリストの斎藤貴男氏は、電力はじめ産業界の中に「体制に逆らう者はアカだから排除しろ」という仕組みをつくった出発点がレッド・パージでありその後の労働運動の右傾化に結びついたと語りました。
 弁護団の坂本修弁護士らは「日弁連は、2度も救済勧告をし、会長談話を出したのは重要なことだ」と語りました。
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2013年05月21日,「赤旗」) (PageTop

レッド・パージ国賠訴訟/最高裁決定に抗議

 レッド・パージ反対全国連絡センターは8日、レッド・パージ国賠訴訟上告審を棄却した最高裁に出向き、弁護団と同連絡センターの抗議声明を手渡しました。原告に代わって、レッド・パージ被害者の犀川三郎氏と権田圭助氏(84)が、書記官に抗議声明を手渡しました。
 2人は、「たった2カ月で棄却決定した。まさに門前払いだ。まったく許せない」(権田氏)、「名誉回復と国家賠償はすべてのレッド・パージ被害者の要求だ。一顧だにしない最高裁は許せない」(犀川氏)と語りました。同連絡センターの鈴木章治事務局長代行は、「日本弁護士連合会(日弁連)は、被害者の申し立てを正面から受け止め、政府に対し2度も救済勧告を出した。最高裁は、憲法の番人としての役割を放棄した。請願署名を何十万人と積み上げ、日弁連勧告を生かし、被害者の要求実現に全力を尽くしたい。そのためにも、5月27日の国会請願行動を成功させたい」と語りました。
 日弁連の勧告は、被害者すべての救済をするとともに、「職場における思想差別は、現在も形を変え類似の被害は繰り返されている。職場において思想・良心の自由、法の下の平等などが保障されるべきことは、過去の問題ではなく現代的な人権課題である」として、救済の重要性を指摘しています。
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2013年05月09日,「赤旗」) (PageTop

レッド・パージ反対/新リーフ発行

 レッド・パージ被害者の名誉回復と国家賠償の実現などをめざして活動するレッド・パージ反対全国連絡センターはこのほど、リーフレット「戦後最大の人権侵害 レッド・パージは昔の話ではない」を発行しました。(写真)
 レッド・パージは、1949年から50年にかけてアメリカ占領軍の示唆のもと、日本政府と財界が、共産党員や労働組合活動家を強権的に解雇し、暴力的に職場から追い出した事件です。推定でも4万人が犠牲になった戦後最大の人権侵害、弾圧事件です。
 リーフでは、「レッド・パージと今日の解雇・人権侵害」として、日航の首切り、非正規・派遣切りなど「今日行われている問答無用の解雇など人権侵害の根っこに、レッド・パージ問題が未解決のまま残されている」ことがあると指摘しています。
 また、イタリアやアメリカなどで名誉回復されていることや、日本弁護士連合会が政府と最高裁に2度にわたって救済するよう勧告を出していると紹介しています。
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2013年05月08日,「赤旗」) (PageTop

守れ憲法・戦争ごめん/加藤桝治さん(87)神奈川・平塚市/親兄弟にも口止め

本土空襲、工場の同僚が犠牲に
 「時の権力者が『愛国』という言葉を使うときは、戦争に向かっているんだと、経験を通じて思います。言葉にごまかされてはいけない」と話すのは神奈川県平塚市に住む加藤桝治さん(87)です。

14歳で養成工に
 「国のために命を捨てる」と教育されてきた世代の加藤さんは、1940年、川崎市の横山工業に養成工として就職しました。14歳でした。
 高射砲をつくる兵器工場の北工場と、ボイラーなど産業機械をつくる南工場に分かれており、加藤さんは南工場で働いていました。
 42年4月18日、米軍による日本本土への初空襲。16機のB25が来襲し、北工場が爆撃を受け、15人以上の死者と多数の重傷者を出しました。大半が16〜17歳の養成工でした。
 「警備の任務を持っていた同期生5人は養成所の教室に集まって、ゲートルを巻いているときに爆撃を受け、4人は即死、1人は重傷でした。壁には体の一部が一面に張り付いていました。死亡したほかの人たちは、作業中に爆風でやられました」
 軍部は「わが方の被害は軽微」と発表し、会社は「被害状況は絶対に親兄弟にも言うな」と厳しく口止めしました。
 45年、19歳で徴兵検査を受け乙種合格。「筋骨薄弱者(痩せていて力のない人)」とされ、兵役に耐えられる体力作りを目的とした横浜市神奈川区の「健民修練所」に1カ月入所させられました。そのさなかの4月15日夜、川崎・横浜鶴見に約200機の米軍機B29の大空襲があり、川崎市南部と横浜市鶴見区一帯が焼失。父親の形見ともいえる家が焼け、家族は母の郷里の福島県に移りました。
 「戦争で友人も家も失って、それでもがまんしました。自分を殺してまで国に尽くす。それが愛国心だ、という人間像を国はつくってきましたから」

国賊と思ったが
 その後、召集令状が届き、7月23日に入隊した山形県の歩兵連隊で迎えた終戦。どうしたらよいか分からないまま、福島県へ引きあげました。心は荒れ、家族に八つ当たりもしました。
 「とにかく働こうと思って、二本松の工場に就職しました」。通勤途中にある貸本屋に夢中になりました。「あるとき『アカハタを読みましょう』と貼り紙があって、びっくりしてしまいました。共産党は『国賊』だと思っていたから、しばらくは近寄りませんでした」と笑います。
 それでも本が読みたくて再び通い始めたころ、「青年たちの集まりに参加しないか」と、声をかけられました。
 「戦争に反対した人たちがいたんだと知りました。この人たちは『国賊』なのか、人の心まで踏みつける戦争は正しいのかと、疑問を持ち、戦争はもうごめんだと思うようになりました」
 47年、横浜市に戻り製鉄所に就職。翌年、日本共産党に入党しました。しかし50年、レッド・パージで職場を追放されます。現在も神奈川県レッド・パージ反対同盟事務局長として「一日も早く名誉回復と国家賠償を」と奮闘しています。
 加藤さんはいいます。「戦争とは、銃でドンパチやるだけではありません。軍人でも民間人でも容赦なく殺される。人の心はすさみ、道義心なんてなくなる。若い人たちに同じ思いをさせてはいけない。いま、命がけで9条を守らなければならないときです」
 (仁田桃)
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2013年05月03日,「赤旗」) (PageTop

レッド・パージ国賠訴訟/最高裁が上告棄却/市田書記局長が抗議談話

 日本共産党の市田忠義書記局長は30日、レッド・パージ国賠訴訟で最高裁が上告を棄却したことにたいする談話を発表しました。
 最高裁第1小法廷は25日付で、レッド・パージ被害者の名誉回復と国家賠償を求めた上告を認めない決定を下した。これは、日弁連も「レッド・パージにより解雇された者らの人権救済を図ることは極めて重要な意義がある」とした憲法問題を、審理さえ行わず門前払いにするきわめて不当なものである。
 共産党員もしくはその支持者であることのみを唯一の理由として解雇・免職されたレッド・パージは、思想・良心の自由(憲法19条)を踏みにじる深刻な人権侵害である。米軍占領下でこのような重大な人権侵害を行いながら、講和条約発効後も放置してきた政府には被害者を救済する義務がある。
 日本共産党は、レッド・パージ被害者の名誉回復と国家賠償の要求の実現のためにひきつづき奮闘するとともに、基本的人権の擁護とそれが守られる社会の実現をめざしてたたかうものである。
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2013年05月01日,「赤旗」) (PageTop

レッド・パージ国賠訴訟/最高裁が上告棄却/原告ら「救済までたたかう」

 レッド・パージ被害の名誉救済などを求めた国家賠償請求訴訟で、原告と弁護団は30日、神戸市内で記者会見し、最高裁第1小法廷が上告棄却・上告不受理の不当決定(25日)を下したことにたいし、抗議声明を発表しました。
 原告は神戸市に在住する大橋豊さん(83)、川崎義啓さん(96)、安原清次郎さん(92)です。
 会見で、弁護団の小牧英夫弁護士は「憲法に照らして許されるかという根本を避けた幕引き。絶対に許されない」と強調しました。大橋さんは「憲法はお休み≠ニいう決定だ。名誉救済へ、これからもがんばってたたかう」と語りました。
 レッド・パージは、1949年から50年にかけて、アメリカ占領軍の示唆のもと日本政府と財界の意思で日本共産党員や労働組合の活動家を全国各地の職場から追放した、戦後最大の人権侵害事件です。今回の訴訟でも講和条約発効後、政府に人権侵害を救済する義務があったにもかかわらず、放置した不作為の違法性などが問われました。
 抗議声明は、最高裁の結論について、長年苦しんできた原告の「生きているうちに救済を」という願いを無視した「非道な決定」と指摘。「立場を超えて、思想信条の自由、結社の自由の保障の確立を願う多くの人たちと連帯して、名誉回復と救済を勝ち取るまでたたかう」と決意を表明しています。
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2013年05月01日,「赤旗」) (PageTop

不当追放問うパンフ

 神奈川県レッド・パージ反対同盟はこのほどパンフレット『レッド・パージ反対運動をめぐる15問15答』を発行しました。初版1000部のうち858部をすでに普及しています。
 レッド・パージとは、1949〜50年に日本政府と財界が、米占領軍の指示で日本共産党員や支持者を無法・不当に職場から追放した問題です。
 パンフは、同反対同盟の機関紙「勇気のあかし」に掲載された問答から15点を選び、補足をしたもの。運動の前進につれて次々と質問が出されたことを受けて、資料として発刊しました。
 「60年後の今、名誉回復を求めるのはなぜ」の問いには、今でも政府や財界がレッド・パージ強行の非を認めず、被害者に何の補償も行っていないと説明し、基本的人権を回復するたたかいに新古はないと強調しています。他には、「レッド・パージの無法で不当なやり口」「名誉回復―本当に実現する見通しがあるの」などの質問に答えています。
 頒価は1部300円(送料別)。
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2013年04月21日,「赤旗」) (PageTop

被害者名誉回復を/レッド・パージ大阪連絡センターが総会

 レッド・パージ反対大阪連絡センターは13日、年次総会を大阪市内で開きました。被害者・家族ら39人が参加。戦後最大の人権侵害のレッド・パージ被害者の名誉回復を求める署名推進などの運動方針を確認しました。
 国民救援会府本部の姫野浄事務局長があいさつし、全国連絡センターの鈴木章治事務局長代理が連帯あいさつ。橋本敦弁護士がたたかいの意義と最高裁へむけた裁判への支援をよびかけました。
 フロア発言で、大阪市役所労組の中山真和副委員長は、橋下市長の「思想調査」など職場でのたたかいを発言し、レパ反対運動と密接に関係していると語りました。
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2013年04月18日,「赤旗」) (PageTop

レッド・パージ/人権侵害、日弁連が2度勧告/日弁連前会長宇都宮健児さん

 日本弁護士連合会は被害者の人権救済申し立てを受け、2008年と10年に勧告を出しました。日弁連が法律家団体として人権救済を図ることは、極めて重要な意義があると考えます。
 レッド・パージは日本国憲法や世界人権宣言が保障する思想・良心の自由や結社の自由、法の下の平等を侵害するもの。勧告は「このような人権侵害はいかなる状況下においても許されるものではない」として、政府や最高裁にすべての被害者の名誉回復と補償を講ずるよう求めています。
 現在も官公庁や民間企業で思想差別が繰り返されています。過去の人権侵害の事実と責任を認めて救済していくことは、思想・良心の自由を守らせる現在のたたかいと結び付いています。
 自民党の「憲法改正草案」では「公益および公の秩序」のために国民の人権を制限しようとしています。7月の参院選挙の結果いかんでは憲法改悪が現実的な政治課題になりかねない状態です。もう一度過去の人権侵害に立ち返り、基本的人権をきちっと守らせることは重要な意味があります。
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2013年04月14日,「赤旗」) (PageTop

レッド・パージ/米軍占領下、反動政治による職場追放/救済求め最高裁へ上告

不屈の人生「黙って死ねるか」
 約60年前、米軍占領下の日本で、日本共産党員と支持者が強権的に職場を追われた「レッド・パージ」。思想・良心の自由を定めた憲法を侵害し、3万〜4万ともいわれる人々の人権を踏みにじりました。犠牲者らは自らの名誉回復とともに、基本的人権が生きる社会へと、人生をかけたたたかいに挑んでいます。
 本吉真希記者

 神戸市の大橋豊さん(83)。20歳で旧逓信省の神戸中央電報局を追放されました。
 日勤で8時間、夜勤は16時間。寮の食事は大豆の絞りかすを固めた団子二つだけ。すでにレッド・パージは始まっていましたが「ひどい環境に黙っていられなかった」と1949年7月、労働組合の役員に。そして、共産党へ入党。
 50年8月29日、ついに職場を追われ、翌日、新聞は大橋さんら4人の「免職」を報じました。うち一人の18歳の青年は直後に自殺しました。
 「パージされれば『企業破壊者』『危険分子』と烙印(らくいん)を押され、社会で生きるすべを奪われた」。大橋さんと共に追放された共産党員の小西武雄さん(82)=兵庫県明石市=は当時の情勢を振り返ります。
 身内も社会から排除されました。大橋さんの妹はバス会社の内定が取り消され、母親は出家してしまいました。「家族にも悲惨な歴史がある」と悔しさを口にします。

画期的な勧告
 レッド・パージのために繰り返し解雇され、いまも困窮している被害者は多くいます。「黙って死ねるか」―。大橋さんは神戸市内に住む川崎義啓さん(96)、安原清次郎さん(92)と2004年、日本弁護士連合会に人権救済を申し立てました。
 日弁連は08年10月、「52年の平和条約発効後は、被害回復措置を容易に行うことができたにもかかわらず、放置してきた責任は重い」と政府の人権侵害を断じる画期的な勧告を出しました。
 勧告に励まされ、大橋さんらは救済を求め、国を相手に提訴しました。
 最高裁は60年にレッド・パージについて「連合国軍総司令部(GHQ)の指示は超憲法的であり、解雇は有効」とする判決を出しています。
 これに対し一審で原告弁護団は「(官公庁や企業でのレッド・パージは)われわれの命令、指示ではない」とするGHQ幹部の発言文書(明神勲・北海道教育大学名誉教授が10年に発見)を提示。「GHQは『示唆』したにすぎない。政府が主導的役割を果たしたのだ」と新事実を突き付けました。
 また、平和条約発効後、政府には日本国憲法に基づいて救済する義務があったと主張しました。
 しかし一、二審の判決は「レッド・パージはGHQの強い指示によって行われた」「補償は国会の裁量範囲」として先の最高裁判決を踏襲しました。大橋さんらはいま最高裁に対し上告を受理し、口頭弁論と審理を行うよう運動を強めています。
 小西さんは「歴史を正しく学ばない安倍内閣。いまがたたかいのチャンス」だと話します。
 体重が35`まで減った安原さんは「生きてるのもつらい。でも、裁判やってるから生きてるんや」といいます。川崎さんはこの4年で2度、大動脈解離で倒れました。
 「生きているうちに名誉回復を」―。積年の思いを胸にたたかう大橋さん。「民主主義を確立するため、レッド・パージの過ちを国に認めさせないといけない」

レッド・パージとは
 「日本を反共のとりでへ」と転換した米国の占領政策に伴い、1949〜50年、GHQは共産党幹部や「アカハタ」編集責任者の追放、同紙の発行停止を指令。その動きと関連し、第3次吉田茂内閣は官公庁や企業でも思想信条を理由に党員や支持者を解雇。労働運動を徹底的に弾圧しました。
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2013年04月14日,「赤旗」) (PageTop

レッド・パージ被害救済へ署名/尼崎連絡会が要請

 兵庫県のレッド・パージ反対尼崎連絡会はこのほど、「被害者の名誉回復と賠償の法的救済」を求める署名の協力要請に取り組みました。
 被害者でもある安田義代表や中川隆道事務局長ら4人が尼崎医療生協など5団体を訪問しました。
 安田氏は「私は現在87歳で、62年前にレッド・パージの被害にあった。原告の人たちも95歳など高齢で、おそらく最後のたたかいになるだろう。最高裁で勝利するため、ぜひ協力をお願いします」と訴えました。
 各所でレッド・パージ被害者が民主的な医療機関の設立にかかわったことなど対話が弾み協力を快諾。「60年以上前から、よくがんばってこられましたね」「反動化が進む情勢がありますが、阻止するためにがんばることが大切ですね」と激励がよせられました。
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2013年04月05日,「赤旗」) (PageTop

ひと/生きている間に名誉救済をと訴える大橋豊さん(83)

 神戸市に住むレッド・パージ国家賠償訴訟の原告。初めて最高裁の建物に入りました。上告の受理を求める要請です。「自分と家族がうけた苦労は、とても語れない。生きている間に名誉救済を」。張りのある声が会議室に響きました。
 極貧の生活の連続でした。父親を早くなくし、戦争で兄が戦死し、15歳で5人家族の世帯主に。母と妹弟を養うため学びながら給料がもらえた国の逓信講習所の電信科に通いました。社会科学研究会に出合い、「戦争と資本主義が原因で貧しいと知りました」。
 神戸中央電信局に勤務し、組合の執行部になった1950年夏でした。局長から「大家族の世帯主で申し訳ない…」といいながら解雇を言い渡されました。いわれのない追放、レッド・パージです。職場で29人が路頭に迷う理不尽さ。
 あれから、60年余。つらさも糧に歩き続けた不屈の人生です。解雇されない職を探し、「せめて病気のときはだれでもよい医療を」と医療生協の創立に尽力。阪神大震災被災者への生活相談活動は、「人として生きる権利を守りたい」といまも続けています。
 「あと10年は生きて、アメリカいいなりの政治を告発しつづけたい」。意気軒高です。健康の秘けつは、歩くこと。携帯電話で記録する万歩計を見せて「1日5千歩から8千歩は歩いている」。国家賠償の裁判をどう運動として広げるか。「歩きながら考えている。ぼけない。ハハハ」
 文 阿部活士
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2013年04月01日,「赤旗」) (PageTop

レッド・パージ国賠訴訟/最高裁大法廷で審理を/神戸で学習会

 第2次世界大戦後に日本共産党員と支持者数万人が職場から追放されたレッド・パージの犠牲者、大橋豊さん(83)、川崎義啓さん(96)、安原清次郎さん(92)が国家賠償を求めた訴訟の最高裁判決と最高裁審理に向けた学習会が29日、神戸市内で開かれました。
 弁護団の松山秀樹弁護士は、レッド・パージは政府が主導的におこなったもので犠牲者の救済義務があることや、公職追放者と扱いが違い法の下の平等に反しており憲法判断が必要なことを強調。最高裁での審理開始と大法廷での審理を要請したことを報告し「過去の汚点をただし、思想信条の自由を保障するために裁判所の判断をさせなければいけない」とのべ、運動を大きく広げるよう呼びかけました。
 原告らは「生きている間になんとか最高裁まで来れた。超憲法的判断をした張本人。3人が生きて国家賠償させるまでたたかいぬく」と語りました。
 参加者は「最高裁でどうたたかうのか、論点がよくわかった」「大きな取り組みにする重要性を痛感した」などと語り、運動を交流しました。
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2013年03月30日,「赤旗」)

上告申し立て受理要請/レッドパージ国賠訴訟原告ら

 「生きている間に名誉回復と国家賠償を」と訴えているレッドパージ国賠訴訟の原告と弁護団らは27日、最高裁にたいし、上告申し立てを正式に受理するよう要請しました。
 要請行動には、神戸市内に住む3人の原告のうち大橋豊さん(83)をはじめレッドパージ被害者と全労連など支援団体から約20人が参加しました。
 レッドパージは、1949年から50年にかけて、アメリカ占領軍の示唆のもと日本政府と財界の意思で4万人もの日本共産党や労働組合の活動家を全国各地の職場から強権的に追放した、戦後最大の人権侵害事件です。
 日本弁護士連合会(日弁連)は、2008年10月と10年8月の2度にわたって、人権救済の勧告を出しています。
 要請で担当の松山秀樹弁護士は、今回の訴訟はサンフランシスコ講和条約発効後に人権侵害を救済する義務があったにもかかわらず、放置してきたことを争うものだと主張。審理は大法廷で開き、被害者の口頭弁論もおこなってほしいとのべました。
 原告の大橋さんは、ほかの2人も、95歳、91歳と高齢だが、「裁判をやっているから生きている」との言葉を紹介しながら、「今回がレッドパージについて最高裁で審理される事実上の最後の機会です」として、上告受理と大法廷の審理を訴えました。
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2013年03月28日,「赤旗」) (PageTop

レッド・パージ反対/尼崎連絡会が運動方針論議

 「レッド・パージ反対尼崎連絡会」は11日、兵庫県尼崎市内で会議を開きました。県レ・パ懇談会主催の「上告理由学習会」(2月22日)をうけ、今後の取り組みについて話し合いました。
 中川隆路事務局長が、最高裁に向けた「被害者の名誉回復と賠償の法的救済を」署名が、大阪高裁向け署名を上回る267人分が寄せられていることを報告しました。広瀬幸夫日本共産党尼崎地区委員長が「しんぶん赤旗」と日曜版に署名を折り込み、3人から募金が寄せられたことを紹介しました。
 レッド・パージ被害者らが参加し、訴訟を大法廷に回付し口頭弁論をおこなうことの重要性や尼崎で計画中の「学習会」が、大量解雇や「追い出し部屋」など現在の人権侵害とのたたかいにつなげ、いかしていくことなどを議論しました。
 今後、市内の団体を訪問し、レッド・パージの真実を知らせ署名の協力を申し入れ、運動を広げ、尼崎での学習会につなげることを決めました。
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2013年03月14日,「赤旗」) (PageTop

選挙のページ/日本なぜアメリカいいなり/オスプレイ/TPP/51番目の州

安保体制のもとで思考停止に
 「日本はアメリカいいなり」。米軍基地問題や欠陥機オスプレイの勝手放題の訓練、経済のルールをアメリカ流にする環太平洋連携協定(TPP)交渉参加などで、多くの国民がそう感じているのではないでしょうか。米国の「51番目の州」と言われることもあります。なぜ、日本は対米従属国家になってしまったのでしょうか。

世界に例のない不平等条約=日米安保条約を結んだ
 日本は戦後、「民主化・非軍事化を達成したら占領軍が撤退する」としたポツダム宣言に基づき、非武装・中立、各国との全面講和へ歩んでいました。
 ところが米国が、日本の独立後も引き続き米軍を駐留させるよう方針転換。1951年9月、日本全土を基地にする日米安保条約を押し付けたのです。
 これは日本国民が望んだものではありません。条約の内容は署名の直前まで吉田茂首相ただ一人しか知らず、厳しい報道統制で国民の耳目は覆われていました。全面講和を主張する日本共産党や民主勢力などは「レッドパージ」で弾圧されていました。
 米国自身、日本独立後も米軍駐留を続けるのは容易ではないと考えていました。ところが吉田首相が51年1月の米側との対日講和交渉の第1回協議の後、進んで米軍駐留を希望しました。
 60年1月の改定では「全土基地方式」を残したまま、日本に軍備増強や米国との「経済協力」を義務付ける条項まで盛り込みました。加えて、「核密約」など数多くの密約を交わし、従属性はいっそう強まりました。
 歴史上、戦勝国と敗戦国の2国間同盟は異例です。同じ敗戦国でも、ドイツやイタリアは多国間同盟のNATO(北大西洋条約機構)に組み込まれたため、米国の思い通りにはなりませんでした。
 不平等条約になる運命だった日米安保条約を結んだことが、アメリカいいなり政治の根源にあります。

戦争責任をあいまいにしA級戦犯を復権
 米国は日本の米軍基地化へ方針転換すると同時に、その遂行者として、A級戦犯(容疑者を含む)をはじめとした侵略戦争の責任者たちを次々に復権させました。
 その中の少なくない者が国会議員になり、55年に結党した自民党に加わりました(別項)。安倍晋三首相の祖父にあたる岸信介氏(写真)は首相にまで上り詰めます。戦争責任を徹底的に追及しているドイツなどでは考えられない事態です。
 獄中から解放されたA級戦犯たちは、恩人≠ナある米国の忠実なしもべとなりました。ここに、自民党型政治が持つ深刻な対米従属性の、もう一つの根源があります。

国会議員になったA級戦犯(容疑者含む)
 岸信介(首相)、賀屋興宣(法相)、重光葵(外相)、正力松太郎(国家公安委員長、科学技術庁長官など)、青木一男、鮎川義介、後藤文夫、須磨弥吉郎

自分を見失い日米同盟にすがる以外ない
 「冷戦時代は、西側陣営についていればよかった。日本が独自に考える必要がなかった」。外務省元高官が言うように、日本は安保体制の下で思考停止に陥っていました。
 90年代の米ソ対決終結後、東南アジアでの非軍事の安全保障の枠組み(ASEAN地域フォーラム=ARF)や、欧州での大規模な米軍基地の閉鎖・撤去など、世界情勢は激変しました。沖縄からの米軍撤退も現実味を帯びていました。
 ところが独自の外交・安保戦略を持っていなかった日本では、「冷戦が終結し、不確実性が増したからこそ日米同盟を強化すべきだ」との声が強まり、米国への従属がいっそう強まりました。
 自衛隊の海外派兵や憲法9条改悪への着手など、かつては考えられなかった動きが相次いでいます。沖縄の米軍基地も「抑止力維持」の口実で、縮小するどころか強化の方向に向かっています。

安保条約を廃棄すれば日本が平和の発信地に
 日本共産党は、「アメリカいいなり政治」を根本的に転換するための道が日米安保条約廃棄にあると訴えています。
 安保条約は、日米いずれかの政府が通告すれば、1年以内に廃棄されます。そのためには安保廃棄の声を国民の多数派にする必要があります。
 では、どうすればいいか。沖縄をはじめとする米軍基地撤去、治外法権的な日米地位協定の改定やTPP参加阻止など、国民の切実な要求に基づくたたかいを、それぞれの一致点を大切にしながら発展させることが重要です。そのなかで、諸悪の根源に安保が存在することを訴える―新基地建設やオスプレイ強行配備など、基地の重圧が限界を超えている沖縄県では、安保条約支持の声は15%程度にすぎません。
 同時に、安保条約をなくしたらどういう展望が開かれるかを示すことが重要です。日本共産党は昨年5月の「外交ビジョン」で、@米軍基地の重圧から解放されるAアメリカの戦争の根拠地から、憲法9条を生かした平和の発信地に変わるB日本の経済主権を確立する保障がつくられる―と訴えています。
 中国の軍拡や尖閣諸島問題、北朝鮮の核・ミサイル開発といった問題は、独自の外交努力や国際社会の一致した対応が不可欠です。日本政府はそうした努力を早急に強める必要があります。安保条約を盾にしたところで、何も解決しません。
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2013年03月08日,「赤旗」) (PageTop

国賠訴訟への支援要請/レッド・パージ反対センター、共産党に

 レッド・パージ反対全国連絡センターの鈴木章治事務局長代行や小西武雄全国センター幹事(兵庫)らは26日、日本共産党本部を訪ね、最高裁に上告しているレッド・パージ被害者の名誉回復・国家賠償を求める裁判と、レッド・パージ被害者救済法(仮称)を求める署名活動への支援を要請しました。
 レッド・パージは、1949年から51年にかけて、日本政府と財界がアメリカ占領軍の指示・示唆のもと、日本共産党員と支持者、労働組合活動家を理由もなく強権的に職場から追放したものです。被害者は4万人以上といわれます。レッド・パージ反対センターは、国に謝罪と救済を求めてたたかい続けています。
 鈴木さんは、25日に開いた拡大幹事会での議論を紹介。神戸在住の3人が原告となっているレッド・パージ被害者国賠訴訟を全国的な規模でとりくみ、3月27日の最高裁要請までに多くの署名を集めたいと話しました。小西さんは、原告が住む兵庫県内の活動を語りました。
 レッド・パージ被害者救済法を求める活動では、5月に国会要請行動を行います。
 有坂哲夫党国民運動委員会事務局長が応対し、反動的逆流と真正面から60年以上たたかい続けていることに敬意を表明。「歴史を偽装する安倍自公政権が誕生するなか、レッド・パージ被害を告発しその救済を求める活動は、今日的に重要な意義を持ちます」と強調して、党として必要な支援に力を尽くすと語りました。
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2013年02月27日,「赤旗」)

レッド・パージ国賠訴訟/被害救済しない国/過ちの歴史を正せ/松山秀樹弁護士

 レッド・パージによって解雇・免職された神戸在住の3氏が生きているうちの救済を求めてたたかっている「レッド・パージ国家賠償請求訴訟」は、最高裁で審理を迎えています。担当する松山秀樹弁護士(神戸合同法律事務所)に、たたかいの意義を寄稿してもらいました。
 
 レッド・パージとは、1950年に共産党員もしくはその支持者であることのみを理由として、勤務先の企業や国の機関から解雇・免職されたことです。その被害者は3万人とも4万人ともいわれています。

足がかり2点
 今回の3氏の訴えは、レッド・パージによる解雇、免職にとどまらず、それにいたるまでの国の一連の政策、解雇・免職処分後もレッド・パージ被害者を社会から抹殺しようとした国の一連の政策全体をレッド・パージによる被害ととらえています。
 具体的には、講和条約発効で日本が主権を回復した以後も、政府および国会がレッド・パージ被害者の名誉を回復することや、雇用上の地位、年金受給権の回復などの救済措置をいっさい講じていないことが違法だとして、生きているうちの名誉回復を求めています。
 3氏は、2009年3月に神戸地裁に提訴しました。神戸地裁、大阪高裁とも、3氏の訴えを全面的に退ける不当な判決を言い渡しました。3氏は、最高裁へ不服申し立てを行い、本年1月に理由書を最高裁に提出しました。
 最高裁は、半世紀以上前に、二つのレッド・パージ事件(共同通信事件、中外製薬事件)について、解雇・免職を有効と認めた決定を言い渡しています。レッド・パージが連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官、マッカーサーの指令により行われ、占領下で行われた行為だから、憲法違反の問題は生じないという論理でした。
 しかし、今回の訴訟では、解雇・免職自体の効力ではなく、日本が主権を回復した以降、60年以上も被害救済をせずに放置してきた政府と国会の不作為の責任を追及しています。
 最高裁でたたかう足がかりを得たことが2点あります。
 一つは、不当判決を下した大阪高裁判決です。極めて限定的ながら、被害を放置した政府の不作為が違法となる場合があることを認めています。
 もう一つは、北海道教育大学の明神勲教授が、裁判所に提出した、GHQの資料を精査して作成した意見書です。最高裁決定時にはなかった新たな資料から、レッド・パージがGHQの指令によるものではないことを明らかにしています。

最後の機会に
 もともと、レッド・パージは、日本国憲法19条が保障する思想・良心の自由および憲法21条が保障する結社の自由を侵害することは明らかです。
 被害者の方々の年齢からすれば、レッド・パージを最高裁が審理する最後の機会となるでしょう。
 今度こそ、最高裁は、人権保障の最後のとりでとして、日本国憲法に従って、被害者らを救済し、自らのあやまちの歴史を正し、ゆるぎない正義の判断を示すべきです。そのことは、現代に生きるわれわれすべての思想・信条の自由を保障することにつながります。
 日本の戦後史の一大汚点をただし、ぬぐい去るために、上告審のたたかいに、多くの方々の支援を心からお願いします。
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2013年02月20日,「赤旗」)  (PageTop

春闘共闘会議で「王子争議」学ぶ/北海道苫小牧市

 北海道の苫小牧春闘共闘会議はこのほど、苫小牧市内で「春闘学習会『王子争議』から学ぶもの」を開催しました。
 工藤良一代表幹事はあいさつで「大企業による賃金の抑制が激しく搾取が広がっている今日、命がけでたたかった労働争議から学ぶのは大きな意義があります」と述べました。
 「王子争議」は1958年に王子製紙で組合の賃金要求が発端で起きた労働争議で、145日間の長期ストライキが行われました。
 重山正吉元王子労組本部書記長が講演し、レッドパージにより正社員からゴミ収集を行う非正規雇用にされた従業員たちの待遇について「甘い処分である」と危機感を持った日経連(現日本経団連)が介入し、組合要求をことごとく拒否させたのが長期ストライキの原因だったことを明らかにしました。
 重山氏は「王子労組の歴史は差別反対闘争の歴史であり、争議責任者の解雇と全国支援、『生協』の立ち上げ、保育所の立ち上げ、職業病闘争でもあった」と述べ、王子労組のたたかいを整理し、語り継ぐことの重要性を強調しました。
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2013年02月15日,「赤旗」)  (PageTop

守れ憲法/戦争ごめん/坂本悦巳さん(86)大阪・富田林市/若い命が犬死に

元少年飛行兵、特攻機を整備
 戦争放棄と戦力不保持を定めた憲法によって、日本は、戦後67年間、戦争による犠牲者を一人も出しませんでした。ところが、安倍政権は、集団的自衛権の行使と、憲法9条改定による「国防軍」保持など、アメリカとともに、ふたたび戦争ができる国をめざしています。各地で「憲法守れ」「戦争はごめん」と声をあげている人たちの思いを紹介します。

 「戦争は繰り返したくないという思いは当たり前ですよ。憲法は守らなければ」と話すのは、大阪府富田林市に住む坂本悦巳(よしみ)さん(86)です。
 坂本さんは、岐阜陸軍航空整備学校を1年4カ月で卒業後、第2次世界大戦末期の1944年に陸軍の中津飛行場(神奈川県)独立整備隊に配属され、戦闘機の整備に就きました。17歳でした。
 「沖縄戦が始まったころから特攻作戦が始まりました。飛行場では『ト号作戦』と言われ、『ト号改装せよ』という命令が何度もありました。つまり特攻機を作れということです」
 命令を受けると坂本さんら整備隊は、戦闘機「隼(はやぶさ)」の胴体の下に約250`cの爆弾を取り付けました。少しでも機体を軽くするために、機銃など、いらないものはすべて外しました。

戦争に疑問持つ
 ある日、格納庫の片隅に放置されたままの古い飛行機に改装の命令が下りました。「上からやれ≠ニ言われたのでやりました。でも、ずっと放っておかれていたやつですよ。ボロの飛行機で沖縄まで行けるのか。敵に体当たりすらできないなんて犬死にではないか…」と、戦争に対して疑問を持ったといいます。
 敗戦を迎え、坂本さんは大阪へ戻りました。新しい憲法が公布されたのは新聞で知りました。「だけど、当時は全く関心がありませんでした。たしか、『戦争はしないんだな』と思ったくらい」と笑います。「でも共産党に入って、世の中のことを勉強しだしてからはすっかり変わりましたよ」といいます。
 48年、坂本さんは関西配電(現在の関西電力)に入社。組合で目にした日本青年共産同盟(民青同盟の前身)のパンフレットを目にしました。
 「『戦争は何故おこるのか』というパンフで疑問が一気に氷解しました。そこには階級社会のしくみが書いてあり、この戦争は起こるべくして起こったんだと学んだ」

共産党に入って
 坂本さんはもっと勉強したいと思い、入党しました。
 50年のレッドパージで職場を追われた坂本さんは、40歳で今の印刷会社を設立しました。「ビラ作りで得たガリ版の腕はプロ級でしたから、生かそうと思って。共産党に入ったおかげ、レッドパージを受けたおかげ≠ナ今の私がある」と、現在も人権を守るたたかいに携わっています。
 坂本さんはいいます。「憲法を変えろという人たちが出てきたのは、戦争を体験していない人が増えたからですかね。9条を変えるなんてもってのほか。若い命が犬死にするような戦争は二度とあってはいけません」
 (仁田桃)
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2013年02月14日,「赤旗」)  (PageTop

「建国記念の日」反対する行動/憲法の精神生かそう

 「建国記念の日」に反対して11日、西日本各地では、憲法や歴史を考える集会が開かれました。

広島/350人がつどう
 広島市中区では、平和・民主・革新の日本をめざす広島の会(ヒロシマ革新懇)が「革新懇デー」と位置づけた集会を原爆資料館で開き、約350人が参加しました。1998年から毎年、天皇の神格化に反対しようと開いているものです。
 北朝鮮に拉致された蓮池薫さんの実兄で東京電力福島第1原発に勤務していた蓮池透さんが「自滅する原発、行き詰まる拉致」と題して記念講演。川后和幸代表世話人は第2次安倍政権のもとで憲法が重大な危機に直面しているとして、全国革新懇からのアピール「憲法を守る一大国民運動の発展をよびかけます」を紹介しました。

岡山/神話でいいか
 岡山県高等学校教職員組合や県歴史教育者協議会、憲法改悪阻止県各界連絡協議会、考古学研究会など9団体でつくる「建国記念の日」問題連絡協議会は、第45回「建国記念の日」を考える県民のつどいを岡山市内の岡山大学で開きました。
 「日本古代史研究の過去・現在・未来」と題して講演した今津勝紀さん(岡大文学部准教授)は、建国記念日について「平和で民主的な国になるための誕生日ならあってもいいと思う」が、神話『日本書紀』で神武天皇が即位した日とされる紀元節を、「日本の誕生日にしていいのか、問題がある」と語りました。
 天皇制をめぐる議論が解禁され、皇国史観と決別した戦後の歴史研究について語り、「古事記や、日本書紀によらない歴史、考古学の役割が大きかった」とのべました。

島根/治維法賠償を
 松江市では「建国記念の日に考える集い」が開かれ、50人が参加しました。
 「治安維持法とレッドパージ、そして現代〜私の昭和史をふりかえって〜」と題し、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟島根県本部事務局長の勝部庸一氏が講演。豊原五郎や国須万吉ら県内の犠牲者、大本教などへの弾圧事件を紹介し、戦後、治安維持法は廃止されたが、犠牲者には今日に至るも、謝罪はもちろん名誉の回復も補償もないと語りました。
 米占領中のレッドパージや平和運動への弾圧を語り、「侵略戦争を肯定し、植民地支配に無反省な政府の態度は世界的に通用しない。治安維持法犠牲者に謝罪、きちんとした措置をしないことの解明なしに日本の戦後史の本当の意味での建設はできない」と強調しました。

鳥取/大逆事件語る
 鳥取市では、県革新懇など4団体が「建国記念の日に考える」つどいを開き40人が参加しました。
 DVD「謀叛(むほん) 大逆事件100年」を見た後、浄土真宗僧侶の千石知芳さんが講演しました。
 対外侵略をすすめる明治政府が1910年、社会主義者や非戦論者らの弾圧を目的としてでっちあげた大逆事件では、26人が検挙され、幸徳秋水ら12人が死刑、12人が無期懲役にされました。
 千石さんは、天皇暗殺計画に関与・同調したとされるのは一部で、大半は無実の冤罪事件だったと強調。「阿弥陀の教えである不殺生を貫こうとすれば、非戦を貫くことになる」とのべ、教団は保身のために侵略戦争に協力・加担し、信仰を全うした僧侶を切り捨てたと告発しました。

徳島/危険な改憲案
 徳島市の「建国記念の日」に反対する2・11集会には57人が参加しました。
 県歴史教育者協議会の中内輝彦会長は「自民党改憲草案は、憲法前文を変え、不戦と平和的生存権を破棄し、主権在民を弱めるものにしている。9条2項を削除し、国防軍の創設など危険な内容ばかりだ」と述べ、「人類の共有財産である憲法の改悪を許さない国民的運動を」と呼びかけました。
 県教職員の会のメンバーは、戦前と戦後の教育の違いを述べ、安倍内閣の「教育再生」の問題点を指摘しました。
 「憲法9条を守る決意を固め合うとする」とした集会アピールを採択しました。

高知/9条は現実的
 高知市で「建国記念の日」に反対するつどいが開かれ、講演した日本平和委員会の川田忠明常任理事は、国際紛争は武力でなく憲法9条の力で外交交渉することが大事だと力説しました。県教組や民主団体などの実行委員会が主催し、参加した135人が耳を傾けました。
 川田氏はまず、日本の「建国記念日」は神話を基にしたもので世界でも異例。こうした思想は「天皇を戴(いただ)く」とした自民党の憲法「改正」草案につながっていると話しました。
 アジア外交に話を転じた川田氏は、「尖閣諸島などの国際問題は武力衝突回避が最優先課題だ。軍事的対応と軍事同盟優先から脱却し、9条に基づく外交交渉こそ理想論でなく現実的対応です」と語りました。

熊本/無関心は怖い
 第47回「2月11日」を考える熊本県民集会には160人が参加しました。
 日本国憲法こそが日本と世界の進むべき道を指し示すとして、憲法を守りその精神をさらに世界中に広げ「国際社会において名誉ある地位を占めるものになるよう努力を続ける」とする集会声明を採択しました。
 鹿児島大学の木村朗教授は講演で、無関心でいることをやめ、国やマスメディアの情報操作にだまされないためにも「報道をうのみにせず自分で判断し発信する力を身につけよう」と呼びかけました。
 参加した西原陽子さんは「無関心でいると怖い世の中になってしまう。もっと学習して多くの人に知らせたい」と話していました。

宮崎/科学者ら集い
 日本科学者会議宮崎支部と宮崎民主法律家協会は、第73回憲法と平和を考えるつどいを宮崎市で開きました。100人余が参加しました。
 弁護士の成見正毅さんはあいさつで「憲法最大の危機だ。十分に学び考え、行動しなければならない」とよびかけ。神戸大学名誉教授の二宮厚美さんが「21世紀第三の転換期における国民の選択」と題して講演しました。
 みやざき九条の会はピースウオークを実施。「憲法を守ろう」「徴兵制は許さない」と訴えました。
 参加した市内田野町の女性(75)は「改憲勢力が増えている今、対抗する力をつけるため、学習などしっかりしたい」と話していました。

佐賀/憲法どう学ぶ
 「2・11建国記念の日(紀元節復活)反対佐賀県民集会」に約60人が参加しました。
 講師の重松隆中学教諭は「日本国憲法前文のすばらしさをどう学びどう教えるか」と題して、憲法問題で教育実践の体験を報告しました。
 重松氏は「担任したクラスだけではなく、義務教育を終える3年生たちに時事問題などを通して憲法の条項を知ってもらい、平和や民主主義の大切さを話している」と紹介。「国民主権や基本的人権の尊重は人類普遍の原則で、国による戦争と武力の行使を放棄するなど、理想が実現できるよう努力しようと話している」と語りました。
 参加者は「九条守る署名の有権者過半数をめざす」などを発言。憲法を暮らしに生かすとりくみを広げようとの集会宣言を採択しました。

山口/思想・信教の自由守ろう
 山口県では、下関、山口、周南、下松市の4カ所で憲法改悪に反対し、思想、信教の自由を守ろうと集会やデモが行われました。
 山口市では、第47回思想と信教の自由を守る山口県民集会が、東京大学大学院総合文化研究科の高橋哲哉教授を迎え、日本基督教団や山口市革新懇などでつくる実行委員会の主催で開かれ、市民ら約180人が参加しました。金澤正善実行委員長(小郡教会牧師)は「憲法を変え、自衛隊を国防軍にしようとする動きをストップさせるために、さらに運動を広げていこう」とあいさつしました。
 高橋氏は「原発・基地『国防軍』―犠牲のシステムを超えて」と題して講演。安倍政権による改憲のねらいや改憲の中身を詳しくのべ「福島や沖縄に象徴される『犠牲のシステム』をこれ以上続けさせてはならない。現行憲法の原則を実現するため全力をつくそう」と呼びかけました。
 集会参加者は、「憲法を守ろう」と訴え、市内をパレードしました。
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2013年02月13日,「赤旗」)  (PageTop

レッド・パージ訴訟/22日学習会成功へ/尼崎連絡会が会議

 「レッド・パージ反対尼崎連絡会」は4日、尼崎市内で会議を開き、レッド・パージ被害者や日本共産党尼崎地区委員長らが出席して当面の活動を話し合いました。
 会議では、神戸市の犠牲者が国家賠償を求めた裁判で、最高裁に「上告受理申立書」を提出したのが、元日本共産党参院議員の橋本敦氏、同じく元衆院議員の松本善明氏など10人の弁護士であることなどが報告されました。
 当面、裁判を支援する22日の「上告理由書」学習会(午後1時、神戸市婦人会館)の成功にとりくみ、体験者によるレッド・パージの実態報告を柱にした学習会を4月に開くことなどを決めました。
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2013年02月06日,「赤旗」) (PageTop

レッド・パージ国賠訴訟上告審/大法廷弁論求め運動/東京連絡センター世話人犀川三郎さん

 名誉回復と国家賠償を求める運動をすすめているレッド・パージ反対東京連絡センター世話人の犀川(さいかわ)三郎さんに、この間の活動をリポートしてもらいました。

 レッド・パージ反対東京連絡センターの呼びかけで1月24日、レッド・パージ被害者12人が日本弁護士連合会人権擁護委員会に「人権救済の申し立て」をしました。東京を中心とする被害者の日弁連に対する人権救済申し立ては、2006年10月に続く2回目のものです。
 12人は、官公庁、小学校教員、民間企業に働いていましたが、いずれも日本共産党員または支持者で、1949年から50年にかけて理由も示されず「公務を阻害する」「企業の破壊分子」などの烙印(らくいん)を押されて、突然暴力的に職場から追放された人たちです。
 東京連絡センターは人権救済申し立てを成功させるため、会員に呼びかけ、全国連絡センターの鈴木章治事務局長代行を講師に学習会も行いました。
 全国連絡センターは、レッド・パージ被害者の名誉回復と国家賠償を実現し、再びこうした弾圧事件を許さぬための運動の中心に国家賠償請願署名運動を進めています。同時にレッド・パージ被害者と家族が日弁連や各都道府県弁護士会に、人権侵害救済を求める申し立てを行うことも重視しています。
 これまで同様な申し立てで日弁連が2回、横浜、長崎、仙台、京都の各弁護士会が政府や企業に救済勧告を出しています。
 また、兵庫のレッド・パージ被害者3人がはじめて国を相手取って国家賠償を求めて訴えました。神戸地裁、大阪高裁は、原告らレッド・パージ被害者が受け続けている被害の甚大さ、深刻さに目をつぶり、原告らの請求をことごとく退け、いずれも「棄却」という不当判決をしました。
 原告・弁護団は判決を不服とし最高裁に上告し、新たな局面を迎えています。
 東京連絡センターは、この国賠訴訟の最高裁上告を踏まえて、会員と支援組織に、「大法廷での弁論」を求める署名と募金の訴えの協力を呼びかけています。
 さらに、@国会請願署名A国賠訴訟最高裁あて署名―の取り組みについての協力を会員に訴えています。会員は、「行きつけの診療所に署名用紙を置かせてもらっている」「かかわっている団体のつながりを生かして署名を頼んでいる」「地元の後援会バス旅行にはバスごとに署名用紙をまわして集める」などの経験を交流しあい運動を進めています。
 都内の労働組合、民主団体に対しても、二つの署名と募金協力の要請をしています。こうした訴えに東京地評、東京民医連はじめ諸組織がこたえています。東京連絡センターの運動の特徴の一つとして、支援者も世話人に選出されました。
 請願署名の目標を達成して、日弁連勧告をひろげる運動を進めています。
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2013年02月06日,「赤旗」)  (PageTop

レッド・パージ被害者/東京など12人、日弁連に救済申し立て

戦後、日本共産党員や支持者を理由に職場から追放したレッド・パージで、被害を受けた東京都の田中光春さん(83)ら東京を中心にした12人が24日、日本弁護士連合会人権擁護委員会に人権救済の申し立てをしました。
 田中さんは運輸省海上保安庁水路部に所属していた1950年11月、「機密漏えい、器物破損により…」との不当な理由で解雇され、その後、生活苦から病気になりました。申し立てで田中さんは「私が生きているうちに不当解雇を取り消し、国家賠償を」「各省庁の『公職から排除』された全員の不当解雇を取り消し、国家賠償をしてほしい」と訴えています。
 12人を代表して申し立て責任者の田中さんら5人が日弁連を訪問。応対した人権部の担当者に、申し立てにもとづいて政府などへの名誉回復や救済補償の勧告をするよう要請しました。
 これまで各地の同様の申し立てにもとづいて日弁連が2回、横浜、長崎、仙台、京都の弁護士会が、政府や企業に対して勧告を出しています。
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2013年01月25日,「赤旗」)

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